fc2ブログ

怪談ルーム開設

2013.07.13 (Sat)
怪談ルームへようこそ いろんな人が訪れてここで怪談を語っていきますblaのコピー
ここはとある都市の地下にある怪談ルームです。
残念ながら詳しい場所はお話しすることができません。
けっして喧伝はしていないのですが、今夜も、
自分や身近な人の身に起きた不可解な出来事を話すために人がやってきます。
薄暗い照明の中でぼそぼそと語る声。
まわりのテーブルにいる客は、どうやらみな、仮面をつけているようです。
さあ、また奇妙な物語が始まります・・・

※ 当ブログが見にくい方はこちらをご覧ください 姉妹ブログ  
『怖い話します(別館)』 『怖い話します(選集)』 


『Maybe I'm Wrong』 

  
 



スポンサーサイト



Category: 未分類

青いテント

2013.07.13 (Sat)
私は野生動物の写真を撮って自然誌に寄稿するという仕事をしていました。
夜間に山中の獣道でテントを張り動物が通るのを待って撮影する。
また、赤外線センサーを用いて自動シャッターで撮影するなどです。
仕事柄、人気のない山中に一人でこもるのが怖いと思ったことは
ありませんでした、あの時までは。

奥多摩秩父山地を沢沿いに登ったときのことです。
地図を見て想定していた付近には午後の1時頃に着きました。
河原に一人用のテントを張って、
5時過ぎまで仮眠をするのがいつものルーティンです。
絶対に人のいるはずのない山奥ですので都会のただ中よりは
安全なはず。・・・そう思っていました。
クマよけのラジカセを木の枝にかけ、眠りにつきました。

起きた時にはもう外はかなり暗くなっていました。ランタンをテント内につるし、
機材を準備してヘッドランプを装着し撮影に出かけます。
期待と緊張の瞬間です。テントを出て、おかしなことに気づきました。
沢の上流に向かって10mほど離れたところにやはりテントが見えます。

青い色のようです。ここは釣り場ではないし、本当に人外の地です。
私の他に登山者がいるとはとても考えられませんでした。
それにしても、私がテントを張ったときにはなかったのは間違いありません。
私の仮眠の間に音もなく誰かがやってきた、ということなのでしょうか。

テント内は透けて見えません。だれかが眠っているのでしょうか?
それにしても、私がテントを張ったときにはなかったのは間違いありません。
私の仮眠の間に音もなく誰かがやってきた、ということなのでしょうか?
…とりあえず撮影の下見に出かけることにしました。

その時、青いテント内に明かりがつきました。
するとテントの色が急にまだらに変化したんです。
テントの内側からそこかしこにどす黒い色がしみ出しています。
青い地でよくわからないのですが、その時に古い血の色を連想しました。

礼儀としてテントの人に一声かけるべきなのだろうか、
そう思いましたが、後からきた向こうが、
何のあいさつもないのにそれも変かな、と考えました。
・・・実はそれはいいわけで、何よりそのテントが
不吉な感じがして怖かったのです。

大変だけど場所を変えよう、と思いました。
そこでテントを撤収し、なるべくそのテントのほうを見ないようにして
さらに数kmほど沢を登りました。
これで今夜の撮影はできなくなってしまいました。

上流の河原近くでテントを張り直したら、
時刻は9時近くになってしまいました。疲れたので、
簡易食を食べて眠りにつきました。まだ肌寒い五月のはずですが、
びっしりと寝袋内に汗をかいて夜中に目を覚ましました。
午前2時頃です。テント内の空気がこもっていたので
ジッパーを開けて外の空気を入れようとして、愕然としました。

私のテントのすぐ目の前にさっきの青いテントがあったのです。
「えっ、嘘!」・・・するとテント内に明かりがつきました。
そしてまだらになったテント内から、
二つのてのひらが黒く浮かびあがりました。
テント内の人が私のほうに向かって手を突っ張っているのです。

私は一瞬気が遠くなりかけましたが、
急いで反対側から外に出て横に回り込み、
持っていた懐中電灯でそのテントを照らしました。
そのテントの中のものはあちこち手探りをしていましたが、
ジッパーを開けて外に出ようとしています。

私は後ろも見ずに沢に入り膝までぬらして駆け下りました。
途中真っ暗な中で何度も転びながら駆けて駆けて駆け下りました。
いつの間にか懐中電灯も放り出してしまいました。
息が切れて走れなくなったところで、
うずくまって震えながら朝を待ちました。

次の日ふもとから人を呼んで昨夜の場所に行ってみると、
二つのテントがならんであり、一つは私のもの一つは青いテントでしたが、
昨日見たよりもずっと朽ち果ててつぶれていました。
テントの中には10年以上経過したと思われる男性の人骨がありました。
私はそれ以来動物の撮影はやめ、山へも行っていません。
以上本当の話です。









Category: 怖い話

シーンから入る

2013.07.13 (Sat)
この話が某巨大掲示板に最初に書いたもので、2年前のことです。
今読み返してみると、
幽霊がモロに(といってもテントの中だけど)出てくるストレートな怪談話で
ひねりも何もありません。のちのち他の話をいくつか書いてみると、
この手のストレートなものは自分の中では珍しいほうでした。
最後も山で遭難死した人の妄念というごくありきたりの結末です。

この話はまずはじめに怖いシーンが頭に浮かびました。
夜暗い中でテントに明かりがつき、
内部から突っぱった手の影が浮かび上がってくるイメージです。
あとテントの内側から血が染み出している感じ。
それを元にして話を組み立てていきました。
テントだから山だろう。自分は渓流釣りで山に入ることがあるのですが、
できれば中心人物は何かのプロにしたい。
それで、野生動物の写真家という設定にしました。
ただ掲示板で、テントは河原に張らないだろという指摘があり、
やっぱり渓流釣りのときのことが頭から抜けきれなかったようです。

テントを張ってすぐに怪異が起きるのではタメがないかなと思い、
怪異は同じテントに二度目に遭遇したときに起きることにしましたが、
作中の時系列がなんかおかしくなってしまいました。
中心人物が寝てばかりいるというw みなさんが書く場合は気をつけてください。
このシーンは自分の頭にずっとひっかかっていたもので、
もしかしたら前に映画や小説で見たものなのかもしれませんが、
ちょっと思い出すことができません。

*あとで思いつきましたが『JEEPERS CREEPERS2』(ヒューマンキャッチャー2)かも








Category: 未分類

クラス替えアンケート

2013.07.13 (Sat)
子供の頃の奇妙な体験ってけっこうあるよな。皆の話を聞いてて、
ずっと気になってたことを書いてみる。
毎年3月が近くなると「クラス替えアンケート」のことを思い出すんだけど、
俺以外にこんな体験した人っているかな?

俺が小学校4年生のときの話で、
俺が当時かよう小学校はけっこうな大規模校で毎年クラス替えがあった。
春休み中、3月の終わりに先生方の離任式があって、
そのときに体育館に新しいクラスの名簿を張り出すんだけど、
親友や好きな女の子と一緒になりたいとか、
毎年すごくドキドキしたことを覚えている。
その年、3学期の2月に入ってすぐ俺に一通の封書が来た。
「クラス替えアンケート」という文字が表に大きく印刷され、
教材会社の主催になってたけど、
これまで調べた限りではその名前の教材会社は存在しないんだ。

中身はどんな内容かというと、俺の小学校の4年生の中で、
絶対に同じクラスになりたくない人の名前を一名書いてくださいというもので、
それを出した人には文房具のセットが当たるかもしれないということだった。
当時俺は雑誌の懸賞に応募するのが趣味だったし、
返信用のはがきが入っていたので、特に変だとも思わず、
同学年で一番嫌ないじめっ子の名前を書いて出してやった。

実は俺はその名前を書いたやつと家が近所で、
登下校でよく嫌がらせをされていた。
別のクラスだからまだよかったものの、
同じクラスになれば本格的なイジメを受ける可能性があって、
絶対に同じクラスにはなりたくないと思っていた。
5年生は6クラスあるから可能性は低いんだけど。

その後、すっかりそのアンケートのことは忘れていたんだけど、
3月に入ってすぐに同じ名前の教材会社から大きな封筒が届いた。
それで前のアンケートのことを思い出したんだけど、
内容は、俺に文房具セットが当選したというもので、
そこまでは不思議はないものの、
その文房具セットが送られてくるには条件があって、
一つやってほしいことがあると書いてあった。

それから、俺が名前を書いてやったいじめっ子とは、
同じクラスにはならないだろう、ということも書かれていて、
まだクラス替えの先生方の会議も行われていない時期のはずだったので、
それはちょっと不思議だった。その封書の中には一つ、
厳重に和紙でくるまれたお守りのようなものが入っていて、
その表には、俺の住んでいる地域から遠く離れた県名と、知らない小学校名、
それから5年生という文字とやはり知らない男の子らしい名前が
気味の悪い赤い字で大きく書かれていた。

それを俺の住んでいる地域にある神社、
これは古くて由緒があるけれど大きなところではなくて、
ほとんど普段は参拝する人もいない忘れ去られたようなところなんだけど、
そこの境内にある松の木に3月8日の午後9時以降に
釘で打ち付けてほしいという内容だった。
それをやったら懸賞のセットを送ってくれるということみたいだった。

これはすごく不思議で、
最初は仲のよかった中学生の兄に相談しようと思ったけど、
封書にはこのことは誰にも話してはいけないと書いてあったのでやめにした。
神社は自転車で5分程度のところにあり、
そのお守りのようなのを釘で木に打ち付けるのは難しいことではない。
雪の降る地域でもないし、寒いけど、
9時過ぎに15分ほど家を空けてもまず親に気づかれることはなさそうだった。
その封書とお守りは自分の勉強机に入れておいた。

3月8日になった。おれは手紙の依頼通りにやることに決めていて、
夕食後9時を過ぎてから、そのお守りと釘とカナヅチを持って、
グランドコートを着て、誰にも言わず自転車で神社に出かけた。
その神社は住宅街のやや小高い岡の上にあって、
俺は下で自転車を降りて幅の狭い石段を登っていった。
石段にも神社の境内にも一つずつ街灯があったので、暗いけど足元は見えた。

もちろんまったく人影はなく、さすがに気味が悪くて早く終わらせようと、
コートのポケットからお守りと釘とカナヅチを取り出し、
走って何本か鳥居をくぐり神社までの参道からわきに入って、
おみくじが結びつけられたりしている松の木を一本選んで、
自分の頭の上くらいの高さに名前が書かれているほうを表にして、
真ん中に強く二・三度釘を打ち付けた。

すると手の中でそのお守りが微妙に動いた感覚があって、
俺は思わず手を離したけど、お守りは木に固定されて落ちなかった。
そのとき10mほど離れた神社の脇から急に人が出てきて、
こっちに向かって大きな声で「見届けた」と言った。その人の姿は暗くて、
あとで思い出してみてもどんな服装だったかもわからなかった。
声は男のものだった。俺はもう完全に怖じ気づいていたので、
そのまま後ろも見ないでカナヅチを放り出して走って石段を下まで降り、
自転車に飛び乗って家に帰った。

ここから書くことはあまりない。俺がアンケートに名前を書いたいじめっ子は、
その1週間後に自転車に乗っているときにトラックにひかれて死んだ。
封書などは指示どおり近くの川に流した。
4月に入って有名なデパートから立派な文具セットが送られて来たが、
封書にあった教材会社名はどこにもなかった。その後一回も連絡はない。

神社には何年も立ち寄らなかったので、
木に打ち付けたものがどうなったかわからない。
カナヅチをなくしたので親父に後でしかられた。
一番気になるのは、そのお守りに名前があった知らないやつだが、
どうなったかはもちろんわからないし調べてもいない。

改めて書いてみるとやっぱり奇妙な体験で、
すべて自分が想像で作り出したことのような気もする。
文房具セットは兄にずいぶんうらやましがられたけど、
たんに懸賞に当たっただけなのかもしれない。
こんな経験をした人って他にいるんだろうか?  





Category: 怖い話

筋から入る

2013.07.13 (Sat)
この話は筋(つまりストーリー)から入りました。推理小説もけっこう読むので、
そのトリックの一つに分類されている交換殺人を、
どうにか心霊系に生かせないかと前々から考えていたのです。
怖い話に取り入れるにはやはり呪殺がもっともふさわしいかなと思い、筋を練ってみました。
この世の裏には呪いを仲介する組織があって、陰で人の生き死にを操っているという恐怖、
それから、よく理解しないままに自分のした行為で他人を害してしまう恐怖、
そのあたりを念頭において書き始めました。

どうしても現実離れした話になりそうなので、中心人物を小学生に設定しました。
また今現在の話ではなくかなり過去のこととすることで、
なんとか非現実感を抑えようと思ったのですが、
効果のほどは自分ではよくわかりません。
文体についても、なるべく小学生時の朦朧感を出そうと思い、
「~だったが」「~ので」でつないで、一文を長くしてみました。

この話は前のテントの話とは対照的に、
具体的な怪異現象が起きるわけではありません。
その中である種の怖さをかもし出すというのは大変だということが、
書いてみてよくわかりました。「見届け人」については、
出そうか出すまいかかなり迷いましたが、出さないと、
ただの奇妙なアンケートの話というだけになってしまいそうなので、
出すことに決めました。

名称未設定 1fff




Category: 未分類

猿の置物

2013.07.13 (Sat)
この間仕事で取引先の会社を訪問して、応接室に通された。
その部屋に入るのは初めてだったが、高価そうな洋画の横に、
どす黒い不気味な像が置かれているのに気がついた。
お茶をいただいて担当者と仕事の話を始めたものの、その像がなんか気になる。
けどもいきなり関係のない質問をするのも不躾だと思っていたら、
「カタログを持って参りますので少々お待ちください」と相手が中座した。

で、立ち上がって像に近づいてみた。
口を大きく開けて吠えている猿の姿が台座にしつらえられている。
木彫りなどではなく本物の猿のように思えた。
ただし剥製のようにふさふさした毛などはなく、魚の干物のような色と質感で、
これはミイラなのだろうと思った。
高さは台座を入れて1m弱と大きくはないので、ニホンザルなのかもしれない。

しげしげと見ていたら突然、
猿の大きく開いた口の中から赤黒い芋虫のようなものが出てきた。
それは猿の体のように干涸らびてはおらず、
ぬめぬめと濡れて伸び縮みしている。
うわっ、と思って後じさったら、猿の口がしわがれた声を発した。
「ユレル、ユレル・・・アシタ、アサニユレル・・・」はっきりそう聞こえた。
そして芋虫のようなものは引っ込んでいき、それ以後一言も発しない。

呆然としていたところに担当者が戻ってきた。
「ああその猿、興味を持たれましたか。みなさんそうなんです。
なんというか、場違いですからね。
これは弊社の先代の社長が大切にしていたもので、
何でも決断に困ったときなんかに・・・予言をしてくれたんだそうです」

「・・・予言・・・。これまで聞かれたことはありますか」と俺がやっと言うと、
「はは、まさか。音一つ立てたこともありませんよ。
まあ処分するわけにもいきませんし、
これでもけっこう話題のないときには役だってくれるんです」
ソファーに戻ったらなんとか落ち着いてきた。
今見たことを話そうかと思ったが、担当者の口ぶりからすると、
下手な冗談としか受け取られないだろうと思いやめにした。
なんとか打ち合わせを済ませて社に戻った。

家に帰ってから、防災用品の確認をしたり、
風呂桶に新しい水を溜めたりいろんな準備をした。
『ユレル』という予言なら、地震としか考えられない。
かといってこれをまさかテレビ局や政府の機関に報告するわけにもいかない。
キチガイ扱いされるだけだろう。
迷ったものの会社の同僚にも話さずじまいだった。ただ、実家の両親には、
明日の朝に地震があるかもしれないから用心しろと連絡はした。
やはり信じている反応ではなかった。

緊張して眠れなかったが4時には起き、
いつでも飛び出せるよう貴重品を入れたバッグを持って待機していたが、
特に何もない。そのうちに出勤の時間になったので会社に行くことにした。
8時を回ったが何も起きない。
いつもモーニングサービスを食べるホテルに寄ったら、混雑していて相席になった。

素早く食べてしまおうとしたら、
テーブルの上のベーコンエッグの皿やオレンジジュースがガタガタ揺れたので、
「キターーーーーーー!!」と言って立ち上がった。
店内の客がいっせいにこっちを見た。
すると相席だったハゲのサラリーマンが、
「ああ、すみません、すみません。わたしの貧乏ゆすりです。悪い癖でついうっかり」
それ以後何も起きないまま一日が終わった。





Category: ナンセンス話

バカ話を書く

2013.07.13 (Sat)
ブログタイトルは怖い話ですが、じつはバカ話系も大好きなのでよく書いています。
ただこれは書いても投稿する場所があまりないですね。
この話は元ネタがあって、たしか実話怪談本の
『怖い話』のどれかではなかったかと思いますが、
夢の中に件(くだん)が出てきて「魚が絶える・・・」とくり返し訴える。
次の日会社に行ってみたら社員食堂の焼魚定食が売り切れていた、
というごく短い話です。これにあまり感心したので、ちょっとマネして書いてみました。

転載サイトなどで題をつけられるのですが、この話は「猿の像」となっているのが多く、
自分のイメージとしては猿はミイラっぽいので、「猿の置物」にしました。
バカ話なので一文はできるだけ短くして書きました。

『ectoplasm』






Category: 未分類

ミキちゃんの人形

2013.07.13 (Sat)
俺は東京で働いていて家庭を持ってたんだが、
2年前からちょっとキツイ病気になって、入退院をくり返して会社をクビにされた。
これが主な原因なんだが、その他にもあれこれあって女房と離婚した。
子供は女の子が二人いるんだが、俺が生活能力がないんで女房が育ててる。
申し訳ないと思ってるけど、今のとこ養育費なんかも払えないでいる。
それでなんとか病気のほうは小康を得て、郷里に帰ってきて療養している。
療養というと聞こえがいいが、実際は年老いた両親の元に、
一文無しで帰ってきたやっかい者だから、当然、近所も親戚の評判もよくない。

で、こっちに帰って来てパチンコに行く金すらないから、
ヒマな時間は釣りをして過ごすことにした。
竿は中学校のとき使ったファイバーのやつで、仕掛けもそのまま残ってた。
それで近所の川でずっと鮒釣りをしてた。で、先月のことだ。
その日も朝から釣りをしてて、仕掛けは鯉用に変えてたから釣果はなし。

日が暮れたんで帰ろうと思って竿をあげたら、針になんか引っ掛かってるんだよ。
手元に寄せてみたら、ぐしょ濡れの15センチばかりの、
プラスチックなんかでできてるんじゃなく、
中に綿を詰めた布製で髪の毛が毛糸でできてる女の子の人形。
俺はそれを見てあっと思った。
もう30年も前の記憶が一気によみがえってきた。

俺が幼稚園の頃なんだが、
近所にミキちゃんという一つ下の女の子がいてよく遊んでた。
その子の家は俺の実家から100mくらい離れた通りの向かい側で、
バラックに近いぼろぼろの家だった。
今はスーパーの駐車場になっててないけどな。
その子は片親で、アル中の親父と暮らしてたから、
かっこも汚くて髪もぼさぼさで遊ぶものもほとんど持ってなかった。

家でまったくかまってもらえなかったんだろう。
幼稚園にも保育園にも行ってなくて、
俺が幼稚園から帰ってくるのをずっと俺の家の前で待ってて、
「お兄ちゃん遊ぼ」と言って駆け寄ってくる。で、釣り上げた人形は、
その子がいつも脇に抱えてたやつによく似てるんだよ。

何でこの人形のことをすぐに思い出したかっていうと、
実はそれは俺が川に投げ込んだからなんだ。
俺が小学校に入ってミキちゃんとはほとんど遊ばなくなった。
これは、ミキちゃんと遊ぶと新しくできた小学校の友達から,
からかわれるというのが大きかった。

だからいつものようにミキちゃんが俺んちの前で待ってても、
話をしないで横を向いて家に入っていくようにした。
その頃にはミキちゃんはボロくずのような格好になってたし、
アル中の親父が酒場なんかのあちこちで迷惑をかけるせいで、
俺の両親もミキちゃんと遊ぶのを歓迎してなかったしな。

ある日、俺が河川敷で友達と野球か何かして遊んでると、
ミキちゃんが近づいてきて、
その人形を草むらにおいて膝を抱えて俺らが遊んでるのを見てる。
俺は友達からからかわれるのが嫌だったから、
ミキちゃんに帰れ!って怒鳴ったんだ。
だけどそれが聞こえないように、やっぱりニコニコしてこっちを見てる。
俺はなんか無性に腹が立って、ミキちゃんのほうに走っていくと、
草の上に置いてあった人形をつかんで川に投げたんだよ。

人形は土手の下の草に落ちて、川まで落ちたかどうかはわからなかった。
ミキちゃんは俺のやったことを見ると、はっと息をのんで、
ものすごく悲しそうな顔をしてとぼとぼと帰って行った。
で、それから1ヶ月くらいして、
ミキちゃんはアル中の親父に殴られて死んだんだ。

釣り上げた人形を見てそれらのことをバーッと思い出した。
でもありえないだろ。30年以上前の布の人形がそんなに残ってるなんて。
だから、似てるけどまったく別の物だと考えることにして、
もう一度よく見ようとしたら、
耳もとで、「お兄ちゃん遊ぼ」という声がはっきり聞こえたんだ。

振り返ってあたりを見回しても誰もいない。
俺は水を浴びせられたようにぞくぞくっとして、その人形を川に捨てた。
そしたら、水を吸ってるせいなのか、
人形は石のように沈んですぐ見えなくなった。

俺は逃げるようにしてその場を離れたんだが、
一人になってあれこれ考えているうちに、
ものすごく切ない気持ちになったんだ。
それで、ずっと忘れてたミキちゃんの墓参りに行こうと思った。

で、おふくろに場所を聞いて行ってみた。ミキちゃんの墓は、
本家筋の墓の脇に小さな自然石が置かれてるだけだった。
親父は警察に捕まってるし、墓があるだけでもましなのかもしれない
とか考えながら手を合わせていると、ふっと陽がかげってセミの声が止み、
その苔むした自然石の墓の後ろから黒い小さな影が立ち上がった。
そして、「お兄ちゃんがんばれ」と小さな声で言った。

いや、小さな声が聞こえたような気がしただけ、
黒い影を見たような気がしただけ、
すべては俺が自分の心の中でつくり出した幻覚だったと思う。
俺はミキちゃんの墓の前に両ひざをついて、
長い長い間、立ち上がることができなかった。

帰る道すがら、女房に預けてある二人の娘のことを考えた。
がんばらなきゃいけないなって思った。
それから、ミキちゃんの墓には大きな人形を買ってお供えしようと思ってる。
まあこれだけの話。文章が下手くそでスマン






Category: 怖い話

悲しい話を書く

2013.07.13 (Sat)
これは怖い話の掲示板に書き込んだんだけど、
はっきり言って怖い話ではないので反省してます。
この話は最初にシーンが頭に浮かびました。
男の子がまだ小さい女の子の大切にしている人形を水に投げるシーンです。
それから話をふくらませていったのですが、
中心人物は今はさえない中年になっている男を設定しました。
パチンコや鮒釣りなどの語でうらぶれた感じを出そうと試みました。
そのほうが女の子との対比がきわだつかと考えたからです。
だんだん書き進めているうちに怖い話ではなくなっていくことに
気づいてあせりましたが、最後まで書くことにしました。

文章はできるだけクサくならないように注意したのですが、
内容が内容だけにあまりうまくいっていません。
こういうのは反則なのでもう書かないつもりです。

『ectoplasm』






Category: 未分類

嘘つき

2013.07.13 (Sat)
小学校のときのことなんだけど、たいして怖い話でもないのでここに投下。
3年生のときの同級生でよく嘘をつくやつがいたんだよ。
そいつとは家が近かったんで、
低学年の頃は何度かいっしょに外で遊んだ記憶もある。
小学生は意地をはったり見栄をはったりして、
他愛もない嘘をつくことがあるけど、そいつのはいかにも突飛で、
しかも確かめればすぐばれるようなのばかりだった。

例えば虫取りが流行ってたときには、
15センチもあって角が三つに分かれたカブト虫を山で捕まえたとか言う。
今にして思えば、
図書館で図鑑に載ってる外国のカブトを見たとかなんだろうけど、
空の水槽に入れて飼ってるというんで、このときは信じた子供もいた。
放課後、見せてもらおうと後をついてそいつの家に行くと、
先に家に入ったそいつが、
いかにもがっかりした顔で出てきて目尻をぴくぴくさせ、
そこ以外は無表情に「逃げられてたよ」と言う。まあそんな感じ。

他にも、そいつは片親でボロい木造家屋に母親と住んでるんだけど、
実は親父は外国に長期出張してる有名な会社の社長だとかなんとか。
しかしそうでないことは、いくら小学校3年生でもすぐわかった。
勉強もスポーツもできず、
小遣いを持ってることも少なく話しても何も面白くない。

それに母親が夜の仕事で忙しいせいか、
そいつのことをろくにかまってなくて、
毎日忘れ物はするし同じシャツを着てきて汗臭いしで、
まずクラスの女子がそいつを嫌がり、
男子もだんだんと話をするやつがいなくなって孤立状態になった。
ただし、いじめられてるというわけでもなかったけどな。
子供なりにそいつが自分のヘマや嘘で、
追いつめられたときに見せる無表情さに、
一種の不気味さを感じていたんだと思う。

4年生になってクラス替えがあり、俺はそいつとまたいっしょのクラスになった。
俺の行ってた小学校は大規模校だったんで、
それまで同級だった子よりも知らない子のほうが多く、
春休み明け始業式の日は子どもなりに緊張して迎えた。
朝ちょっと早めに登校すると、
そいつのまわりに何人か人が集まり「うえー」「本当かよー」とか言ってる。
そいつが何かの紙切れを、寄ってくるやつに見せてるんだな。

それで、俺も近づいてみると、
「◇◇(俺のこと)この写真見て、今まで一人っ子だと思ってただろうけど
じつは小さい頃は双子だったんだ」と言ってくる。
そいつが持ってる紙には、シャム双生児というのかな、
体がくっついてて手が4本、
足はどうなってるのかわからないような幼児が写っている。
頭は一つで奇妙にねじ曲がっていて片目がつぶれてて、
残った片一方の目で、悲しいような恨めしいような感じにこっちを見ている。

「これオレなんだよ。弟といっしょにくっついて産まれたけど、
小さい頃手術して切り離したんだ」しかしそうは言うものの、
手に持ってるのは写真ではなく、
雑誌か何かから切り抜いたと思われる紙切れだし、
写ってる顔はどう見ても日本人じゃない。
ああいつもの嘘だな、と思って俺はその場を離れた。
これ以降、そいつもクラス替えで精神状態が高ぶっていたのか、
毎日のように様々な嘘をつき、
そして3年生のときのようにあっという間に孤立した。

ただし今回は学年で鼻つまみのいじめっ子がクラスにいたこともあり、
たんに孤立では済まないようだった。
俺はそのイジメには加わっていなかったし、そいつの味方をしたこともない。
クラスではただひたすら離れていた。
それに4年生からはスポ少に入ることができ、
俺は野球部になって放課後は遅く帰ることが多くなった。
そいつは運動は苦手で、用具などをそろえる金もなかったのかもしれないが、
下校時間になると一人で帰っていた。

その日は練習がなかったんで俺が普通の下校時間に一人で歩いてて、
角を曲がるとそいつが前にいた。
どうやら帰りの掃除の時間にでもイジメを受けたらしく、
いかにもとぼとぼとした感じで歩いてる。
ちょっとかわいそうになったので追いついて、
「いっしょに帰ろう」と言うといつもの無表情でこっちを見た。

けど何の話題もない。そのままただ歩いていると、
唐突に「オレ転校するんだよ、明日からこの学校には来ない」と言う。
でも、転校するなら必ず先生がそのことを言うはずだし、
今までは転校する子が出ると簡単なお別れ会を開いてた。
そういうことがなかったので、ははあまた嘘だなと思った。
リアクションを返せないまま押し黙って歩いてそいつの家の前まで来ると、
そいつがやはり無表情のまま、
「今までありがとうね」と言って玄関に入っていこうとした。

そいつが後ろを向いたとき、ランドセルの蓋がパンと強くはね上がり、
中から幼稚園児くらいの大きさで細長くねじけた頭が飛び出した。
頭は俺のほうを見ると、苦しそうに顔をゆがめ、
いくつにも切れた唇からしぼりだすような声で「あ・り・が・と」と言った。
始業式の日にそいつが持ってきた切り抜きに写っていた、
シャム双生児の顔だと思った。

次の日そいつは学校には来ず、数日して先生が、
「◯◯君は急な事情で転校しました、
みんなにお別れが言えずにとても残念がっていました」と説明した。
親たちの噂話では、どうやら夜逃げのようだった。
それから今まで一度も会っていないし消息もわからない。

『昼と夜』マウリッツ・エッシャー




Category: 怖い話

わけのわからない話

2013.07.13 (Sat)
この話は、あれこれ小学校時代の同級生だったやつの顔を
思い出してるうちに考えついたものだけど、
自分でも意味不明。何か潜在意識にシャム双生児の話がひっかかっていたのか、
しかし心当たりがありません。
この発想はどうやって出てきたんだろう?

『ghost photography』






Category: 未分類

俳句の会の話

2013.07.13 (Sat)
私はある俳句の会に入ってるのですが、そこで体験したことを書きます。
怖くはないかもしれませんが実際にあった話です。

私は中学校の国語の教諭ですが、
部活動は担当していないので土日は時間があります。
それで、人に勧められたこともあって地域の俳句の会に入りました。
まわりは仕事を引退したおじいちゃんがほとんどで、
女性会員は数人しかおらず、ずいぶんかわいがっていただきました。
月2回集まって互選の句会をし、年に2回吟行の会がありました。
吟行といっても、師範役の大学の講師の先生が大型バンを運転してくださり、
日曜日に日帰りできる近場に行くだけです。

その吟行は5月の連休の一日で、朝から晴れていて
とても気持ちのいい陽気でした。その回の出席者は9人だったと思います。
私は車の中で水筒のお茶を飲んだりしながら、
朝の集合時に言われた席題を考えていました。
席題は『立夏』で、これで一句。それから5月の自由題で一句、
俳句を作って、昼食をとり、今日行く神社の集会所を借りて句会をする予定でした。
神社は自分たちの住む町から車で2時間くらいのところで、
御社名は秘しますが主な御祭神は菊理媛命です。

大きな神社の駐車場で車を降り、
社殿までの道すがら、皆で歩きながらときどき立ち止まって、
野草の名前を教えていただいたりしました。
そしてメモを出して俳句を考え始めました。
『立夏』は難しい題ではなく、どうにかなりそうでした。

神社の神域に入って手水をとり、お参りしようとしたとき、
突然空が暗くなり、西のほうにものすごく太い稲光が走りました。
そのとき、近くにいた句会のメンバーのSさんが、
「うお」と大声を上げたかと思うと、鼻と口から黒っぽい血を噴き出し、
目を剥いて硬直したようになって、真後ろに倒れました。

「ドーン」という雷の音がして、その瞬間に、
参道の脇にある小さなお社の観音開きの戸がすべて開きました。
その直後に大粒の雨がものすごい勢いで降ってきました。
師範の先生がこちらを見て駆け寄ってきました。
そして私ともう一人の方と三人で、Sさんを社務所の中に運び込みました。
Sさんの様子をみてすぐに救急車が呼ばれ、
一緒に来ていた奥さんが乗り込んで病院に向かいました。

その後、師範は社務所の神官の方と話していましたが、
雨の中からSさんの手帳を拾って戻ってきました。
その手帳を神官に見せると、神官はあっと驚いた顔に変わりました。
その後は皆で昼食を食べ、句会は取りやめにして帰りました。
神社から離れると雨はあがり、元の初夏の空になりました。
師範は携帯でSさんの奥さんと連絡をとっていましたが、
Sさんはそのままお亡くなりになったそうです。

次の句会で、師範から驚くべき話を無理に聞きかせていただきました。
あの神社にはとても古くから伝わる忌み言葉があり、
それは特別まがまがしい意味ではないのですが、
日常的にはまず使われることのない古語で、
神域の中でその言葉を発したり書いたりすると、
たちどころにその者には神罰がくだるのだそうです。
Sさんが倒れたことと天候の急変で、
ふとこの言い伝えに思い当たった神官がSさんの俳句手帳を見ると、
そこには作りかけの俳句とともに、
はっきりとその言葉が記されていたのだそうです。

私は師範の話について当時は半信半疑でしたが、
国語を教える者として、言霊というものはあると考えておりましたので、
今ではこのお話を信じかけています。

キャプチャ




Category: 怖い話

仕掛けのある話

2013.07.13 (Sat)
この話は『日本書紀』に出てくる菊理媛命の逸話が頭にあってまとめました。
イザナギの命が黄泉の国に妻のイザナミの命を迎えに行き、
そのおぞましい姿をおそれて逃げ帰る途中、
追いつかれて口論になったとき菊理媛命が出てきて何かを言う。
するとイザナギの命はその言葉を褒めて去った、という話で、
この神が出てくるのはただ一度このときだけです。
何を言ったのかは書かれておらず、昔から気になっていたのですが、
話として使えるかもと気づいて書いてみました。

中心人物を女の国語の先生にしたので「です、ます」調で書いたのですが、
国語の先生なので上手な文章にしなければならないと思い、
なかなか調子にのれませんでした。

『黄泉比良坂』青木 繁






Category: 未分類

神隠し

2013.07.13 (Sat)
うちの昭和7年生まれのばあさんの、
さらにばあさんが子どもの頃の事だから、
明治か江戸時代??かもしれない話。
それがわが家に伝わってきたのを書いてみる。

そのばあさんが12歳ぐらいのときに神隠しにあった。
当時は里子に出されたり人買いに売られたりなんてこともあったそうだが、
そういう親が事情を知っていて、いなくなったのではなく本物の神隠し。

夕方、赤子の弟の子守をしながら裏をぶらついていたと思ったら、
いつのまにかいなくなって、
赤ん坊だけがおんぶ紐といっしょに草の上で泣いていた。
集落の若い者大勢が出て探したが見つからない。そのうち夜になって、
街灯もない頃だから明日の夜明けからまた探そうということになった。

そうしたら当時のじいさん(俺から見れもはや遠い先祖)が、
女の子の神隠しは、神おろしの憑坐(よりまし)
にしようとしてさらっていった場合が多い。
憑坐の手順には普段使ってる櫛が必要で、
さらっていった者か術をかけられた本人が取りにくることがある。
だから櫛を隠しておけば、
目的が果たせなくなって子供が返されることもあると言って、
箱に入れて自分が寝ている納戸に持っていった。

それからじいさんは「本当はネズミがいいんだが時間がない」と言いながら、
大きなガマを捕まえてきて、鎌の先で腹を割き、
内蔵を櫛にまんべんなく塗りつけた。
同時にアワかなにかの実をぱらぱらふりかけた。

その晩、じいさんが櫛の箱を枕元に置いて寝ていると、
なにかがやってきた気配がある。
じいさんは起きていたんだが、体が動かないし、叫ぼうとしても声も出ない。
そのときに笹みたいな匂いが強くしたそうだ。
何かかなり大きな妖物がきている圧迫感がある。
妖物は枕のすぐ上にある櫛箱に手をかけたようだが、
ビーンと弾く音がして、さらにパシッと叩きつけられたような固い音がする。
そして「けがれ・・・」という咳が言葉になったような声がして、気配が消えた。
しばらくじっとしていたら体が動くようになったんで、明かりをともしてみると、
櫛が箱から出て床に落ちており、櫛の歯がばらばらに折れていたそうだ。

で、ばあさんは、昼前に集落の氏神の森から歩いて出てくるところを見つかった。
本人にさらわれていた間の話を聞いてみても、まったく要領を得ない。
木の葉がゴーッと鳴って目の前が白くなり、立っていられなくなってうずくまると、
背中の赤子がまだしゃべれないはずなのに、
「か・し・こ・み」と一語ずつはっきりと声に出した。
さっと太い腕でかつがれた感じがして、
そのあとは貝の裏側のように虹色にきらきら光る場所でずっと寝ていた。
まぶしくて目を覚ますと、
鎮守の森の入り口のあたりにいたんで家に戻ろうとしたと言う。
まあこれだけなんだけど。

*沖縄県では、神隠しを物隠しとも呼び、いったん物隠しに逢った者は
自分の櫛を持って帰ろうと戻って来る。そして再び出て行ってしまうとされる。
その為、物隠しに逢った家族は早速当人の櫛を隠して取られないようにする。
それでも、締め切っている部屋の中から知らない内に取られてしまうこともある。
研究者によると、櫛と神の関係をよく示している伝承としている。(Wikiより)







昔話風に書く

2013.07.13 (Sat)
この手の昔話ふうのものは自分は比較的書きやすいです。
現代の話は自分のよくわからない職業のことを出す場合、
いろいろ調べて正確を期さなくてはならないところもあるけど、
昔話はわりとばやっと書いても何とかなるという気がします。
むろん昔の吉原を書くなど、考証が必要な場合もありますが。
 
櫛を隠すのは自分が考えだしたことではなく、
沖縄の古習としてあるとネットで読みました。

『ghost photography』






おさっしゃ

2013.07.15 (Mon)
本家の洒落怖を読むといろいろと奇妙な地方の風習が出てきますが、
わたしも子どもの頃に土地神への捧げものとなった体験があります。
そのときのことを書いてみます。

わたしの住んでいた所は今は合併で市の一部になりましたが、
約三十年前の当時からすでに過疎の進んだ山村でした。
秋祭りにしては遅い十月の初めに、
『おさっしゃ』と呼ばれるお祭りがありました。
これは漢字にするとどの字を当てるのか未だにわかりません。
これが正式な名前なのですが、
村の大人達は里にいるときにはこのお祭りのことを
『おかえし』とも呼んでいました。

里からやや外れた山中まで四百段ほどの丸木を据えた山道が続き、
古いお社があります。
そこは二間四方ばかりの小さな社殿一つだけで、
ここ何十年も改築などされておらず、柱などはそうとうに傷んでいました。
ご神体は社内にはなく、背後の深い山々がご神体そのものであるようでした。
当然、神職も常駐してはいません。
社の前は草木が刈られて小さな広間となっておりましたが、
そこに神職はじめ村の主立った者が集まって、
土地神へ捧げるお祭りをとり行うのです。

そのときに社前で舞を舞う男の子が一人おり、『にしろ』と呼ばれていましたが、
これもどのような漢字を当てるかはわかりません。
そして次の年の『にしろ』にわたしがなったのです。
『にしろ』は前年の祭りが終わった十二月に、
十一歳の男の子の中から選ばれます。
自分で言うのもなんですが、
『にしろ』に選ばれるのは顔立ちの優しい、体つきの華奢な子です。
そして選ばれたその日から、『にしろ』は女の子として育てられます。
髪を伸ばし、女の着物を着て、村長のお屋敷の一間を借りて過ごします。
学校へはその一年は行きません。

義務教育なので行かなくてはならないのですが、
村立小学校でも問題にはせず一年間欠席扱いです。
そして学校の勉強をしない代わりに、お祭りで舞う踊りを習います。
神職が笙の笛、古老がひちりきなどを担当し、
陽気ではあるものの、
現代の音楽に比すればとても間延びした曲を演奏します。
生まれつき鈍かったわたしは、
習い覚えるのにずいぶんと苦労したことを思い出します。
村長のお屋敷から外に出ることはできませんが、
毎日のように両親や祖父母が会いに来てくれました。
ただ学校の友達とは会うのを禁じられていたため、それは寂しく感じました。

早いもので一年が過ぎ、『おさっしゃ』の前日となりました。
この頃には家族との面会もできなくなっていました。
髪はもう肩の辺りまで伸び、自分で鏡を見てもまるきり女の子でした。
その日は水垢離をして眠ります。
いよいよ当日となれば、朝から薄化粧を施されます。
昼中は村は農作業をするものもおらず、平日でも学校も昼には終わります。

お神輿などの神事は特になく、
村人の多くは提灯を掲げたりして家でお祀りをしています。
神職達はこまごまとお祭りの準備をします。
わたしは昼時に神餅を少し食べさせられただけです。
そして夕暮れになると、巫女のような着物を着せられた『にしろ』は、
『にご』という竹で編んだ大きな鳥籠のようなものに入れられ、
丸木を組んだものの上に乗せられ、
男衆二十人ほどに担がれて、かけ声と共に山道をお社へと向かいます。
このとき女や子どもは山に登ることはできません。

山道の途中途中にはたくさんの幟が立てられ、
お社前の広場には煌々と篝火が焚かれています。
『おさっしゃ』はまず、神職の口上から始まります。
村人の中にも意味のわかるものは少ない、
日本語とは思えないようなものです。
その後に神への贄が捧げられます。
酒と御幣と数日前に村人が仕留めた一頭ずつの鹿と猪です。
そしてまた祝詞のようなものがあり、わたしは『にご』から出されます。
ここで一年間習い覚えた踊りを披露します。
わたしは無我夢中で踊り、なんとか一つも間違えずに終えました。
周りを囲んだ男衆から口々に「よい出来だ」「今年はよい」などの声が聞こえます。

そうして踊り終えたわたしは、
茶碗一杯の御神酒を一息に飲むように命じられました。
そして一同はこれで帰ってしまうのですが、
『おさっしゃ』はわたしにとってはまだ続きます。
明日の朝、里で一番鶏が鳴くまで、
このお社の中に一晩こもって過ごさなくてはならないのです。
雪の降る地方ではないのですが、十月の山は寒く、
薄い白い肌襦袢を着て過ごすので、
寝ることはほとんどできないという話を事前に聞いていました。
わたしは初めて大量に飲んだ酒のために体が火照り、まだ寒さは感じず、
何もない社殿の中の山側の壁にもたれていました。

神職がわたしの側に来て、
「ちょっと怖い目をするかもしれないが心配ない。
 何も危険なことはないから、けっして逃げ出したりせずしっかり務めてくれ」
そう言って、外に出て扉に錠をかけたようでした。
板のすき間からわずかに見えていた篝火が消され、男達の声も消えました。
お社の中は灯りもなく真の暗闇となりました。
外はほとんど風もないようです。

不思議と怖いとは感じませんでしたし、危険があるとも思いませんでした。
なぜなら、これまで毎年代々『にしろ』を務めた人たちは、
村を出た人以外はみな健在であったからです。
ただし『にしろ』としてこのお社の中で経験したことは、
絶対に人に言ってはいけないし、
また聞いてもいけないことになっていたため、
どのようなことが起きるのかはわかりません。

かすかに木の葉がさやぐ音が壁を通して伝わってきます。
三時間ばかり過ぎ寒くなってきました。
これでは寝ることはとうていできません。
一枚だけ与えられた薄い白絹の布にくるまり、壁にもたれて膝を抱えていると、
ふっと真っ暗で何も見えないのに、
社殿内の空気が変わったのがわかりました。
それと同時に社殿内がものすごく獣臭くなり、
何者かがいる気配がします。それも二つの息遣いに聞こえます。
身を固くしていると、あっという間に白絹をはがされ、
わたしの体は宙に浮きました。
ひょいと足首をつかんで持ち上げられたのだと思いました。

そして肌襦袢も脱がされ、
体中をまさぐられる感触があります、それも毛むくじゃらの手で。
何本もの手で全身をまさぐられています。
わたしは怖ろしさで声も立てられず気が遠のいていくのを感じましたが、
そのとき獣のうなり声が聞こえてきました。
そしてこれは声に出した会話というのではなく、
直接わたしの頭の中に意味として入ってきたものです。
「これは見目よいと思うたがおなごではない」「おなごではないな」
「またたばかられたか」「今年もたばかられたか」
「酒と獣肉はもろうておこうぞ」
「これは返そう」「うむ、返そうか」

そしてわたしの体はどーんと床に投げ出され、
今度こそ本当に気を失いました。
そして次に目覚めたのは小鳥の声、そして朝のまぶしい光でした。
社殿の扉が開いており、神職達が迎えにきてくださっていたのです。
これで話は終わりです。





風習そのものを作り出す

2013.07.15 (Mon)
 これなんかも民話系の典型的な話ですが、まあよくありがちなオチになりました。
「おさっしゃ」という神事そのものと、そこに出てくる用語も自分で適当に創作したものです。
わりと長い話でしたが15分くらいで書けました。
 前に「です、ます」調が難しいと書きましたが、それは女性の独白として書いた場合で、
このような民話語りはそうでもなかったです。

『ghost photography』



餓鬼

2013.07.15 (Mon)
俺は編集の仕事をしてるんだけど、月に何回かものすごく忙しい時期がある。
そういう疲れがたまってるときに、
毎度ではないけど右上の奥歯のあたりの歯ぐきが腫れてくることがある。
歯科医に行っても、
歯槽膿漏などではなく雑菌が入ったんでしょうと言われるだけ。
それで、この歯ぐきが腫れている時期には変な物が見えることがある。

一番多いのが、一般的に餓鬼と言われてるものだと思う。
色は黒くて、それも黒人のような黒さではなく、
魚の干物のような感じでボロボロに肌荒れしている。
大きさは小学校1年生くらい、髪はあったりハゲてたりする。着物は着ていない。
ただ、日中の太陽が出ている時間帯には見えない。照明の下でも。
夕方から夜にかけて、暗がりの中で不自然に動くものがあれば大概は餓鬼だ。

例えばある日、終電を待ってるホームで、
ベンチで頭を抱えてたサラリーマンが急に吐いた、
するとベンチの下からぞろぞろと餓鬼が這い出してきて、
その吐瀉物を食ったりするんだ。
下水口の中にいくつも重なっていたり、民家の屋根の上を走っているのもいる。
何度か写真に撮ってみたけど、一度も写ったことはなかった。

お盆に田舎の菩提寺に墓参りに行ったときに、思い切って住職に話してみたら、
何でも仏教的には餓鬼には3種類あって、
一つ目は、何も食べることができない一番下等?な餓鬼。
二つ目は、死肉や糞便などの不浄なものしか食べることのできない種類で、
吐瀉物なんかを食べてるのはこれかもしれない。
三つ目は、ほとんど何でも食べることができるけど、
食べてもまったく満足感や満腹感のない餓鬼。
住職は「どれが一番苦しいんでしょうね」と言って、
「私にはまったく見えません」とつけ加えた。

さらに、「餓鬼が出ているときには、あなたが見えていることを、
それらに気づかれないようにしたほうがいいかもしれません。
そういった類いのものは、常に救済を求めているので、
自分らが見える人は力になってくれる人と思って、
寄りついてくることがあるかもしれませんから。お気をつけて」と忠告してくれた。
ちなみに、どの餓鬼も施餓鬼会のときにお供えされたものは
食べられることになっているので、
「当寺でもそういうことの回数を増やしましょう」とのことだった。

また商売柄、霊能者と呼ばれる人に会うことがあるが、
テレビにも出ている有名な人にこの話をしたら、
その人は日常的にいつでも見えるんだそうだ。
まず生きた人間に害をおよぼすようなことはないが、
それでも何かのきっかけで数が増えているところに出くわすことがある。
そういうときは供養したアメ玉を投げることにしている。
するとアメ玉に群がって道が空くので、その隙に通り抜けることにしているという。

霊能者の話では、餓鬼は霊性のものの中でも生きた人間に近い性質があるので、
見ることができる人はそれなりにいるのだそうだ。
ただ、餓鬼よりもレベルが高いというか、もっともっと怖いものもいて、
そういうのは修行を積んでいない人が見ると、発狂してしまうこともあると言っていた。
「あなたの場合は疲れているときだけだから、それほど大事にはならないでしょう。
ただし、そういうものは不浄なところにしか潜めないから、
会社の中や自分の部屋の中で見るようになったら、これは大変なことです」
とも言っていた。

それ以来、歯ぐきが腫れているときには、
部屋に帰ってきて電気をつける前に気配をうかがう癖がついた。
今のところは自分の部屋で見かけたことはないな。
餓鬼以外に見えたことがあるものについては、機会があれば書いてみます。

『毛越寺 大施餓鬼会法要』



霊能者として書く

2013.07.15 (Mon)
 これは自分に霊能が少しあるということを前提に書き始めたものです。
こうした場合、強い霊能力を想定すると書くのが難しくなってしまうという気がします。
また、どこをくわしく書き、どこをぼかすかというさじ加減が肝要かと思います。

 話は変わりますが、某アフィリサイトでこの話の感想として、
自分にも餓鬼が見える、という人がたくさんいたのには驚愕しました。
自分は0能ですが、そのようなことはあるのではないかと考えています。

『ghost photography』



住職の話

2013.07.15 (Mon)
ここでは、よく寺の和尚や神主に霊感や祓う力があるかどうかが
話題になるんで、そのことについて俺が寺生まれで、
住職をしている友人から聞いた話を書いてみる。

俺の生まれた地域は田舎だけど、町で一番大きな友人の家の寺は、
けっこう敷地が広くて立派な作りをしてる。
ただ宗派の総本山から住職が派遣されてくるほどの格式ではなくて、
明治以降は長男が代々世襲で住職を務めている。
友人は小学校前くらいの時分に、よく祖父である大(おお)和尚に
連れられて墓域の片付けと掃除に行ったそうだ。
ここらでは寺の住職に定年はないので基本的に死ぬまで僧職にあるけど、
大和尚はその頃で七十歳前後だったはず。
お祖母さんはもう亡くなっていた。友人の父は四十代だったが、
ちょっと離れた市の同じ宗派の寺で修行していた。

掃除についていくとカラスが集まっている。
これはお供え物を持って帰らない人がいるんで、
それを狙ってくるんだけど、そのカラスの中に、
どうも他とは違う感じのが混じっているように友人には思えた。
どう違うのか確かめようと二三歩近づいてみると、十羽ちかくいるうちの二羽が、
カラスの黒い丸い目ではなく白目のある人間の目をしていた。
ただし、人の目よりはずっと小さいけど。

友人がそれを気にしているのに気づいた大和尚は、
「ほう、お前あれらが見えるか」と言って、
「お前の母親を拝み屋筋から嫁にもらったのは正解だったようだな。
残念ながらお前の父親はまったく見る力がないから」そのようなことを言って、
数珠を出してそのカラスのいるほうに向かって短くお経を唱えると、
人の目をしたカラスはぼんやりとにじむようになって消えた。

「あれは何?」と友人が聞くと、
「なーにたいしたものではない。人の魂などではなく、
 ちょっとした悪い気が凝ったものだよ」と教えられた。
大和尚は続けて、「別にあれらが見えなくても、
 寺の仕事に支障があるわけでもないし、立派に勤めることができる。
ただ、こういう力が途絶えてしまうのは残念だから」
というような意味のことを言ったらしい。
友人にはその当時は何のことかわからなかったが、
友人の母親はその地域のお寺とは違う民間信仰を司る家の娘だった人で、
ずいぶん無理をいってお寺に嫁に入ってもらったという。
それで、俺ら一般人からみれば不思議な力が、
友人にも受け継がれたということのようだ。

友人にそういう力がこれまで役立ったことがあるかと聞いたら、
葬式のときに引導をわたした後に、
まだ霊魂がこの世にとどまっている気配というのが何となくわかるんだそうだ。
それで、その後の儀式の力の入れ方を調節する。
たいがいは仏教でいわれる四十九日までとどまっていることは少なくて、
三十日前後で気配は消える。いわゆる成仏するということか。
ただ恨みを飲んで亡くなった人などは強い念が残っている。
狭い町なので亡くなる前後の事情はだいたいわかっているから、
自殺者などは特に念入りに儀式を行うことにしているという。

それから、ここらではよほどの大家でなければ、
遺体を寺に安置して通夜を行うんだが、
(ただし交通事故などで損傷した場合は先に火葬してしまう)
この地方独特の風習として、北枕にした遺体の枕元に小さい
黒い屏風を立てる。遺体は魂が抜け出した空の状態にあるので、
そこをねらって悪い気が入り込んでくることがごくたまにある。
それを防ぐための黒屏風で、風などで倒れないよう、
しっかりした台座がついている。

一度だけ、強い風で屏風が倒れたのに小一時間ばかり気づかない
ことがあって、そのときは白布の下で閉じられていたはずの
遺体の目が、かっと見開かれていたそうだ。
それに気づいたのがもう僧籍に入って修行していた友人で、
長い時間特別なお経を唱えるとひとりでに目が閉じて、
悪い気が抜けていくのがわかったという。

友人に、悪い霊が憑いた人を祓ったことがあるかどうかを聞くと、
そういうことはないと言ってた。もしそういう人が尋ねてきたとしても、
気を感じることはできるかもしれないが、
どこの誰の霊が憑いているかなんて絶対わからない。
自分よりずっとずっと上の能力がある人ならわかるのかもしれないと言ってた。
こういう力というのは修行で身につくものではなく、
ほとんど生まれつき決まるんだそうだ。
実際に、子どもの頃と比べれば今は力はずっと落ちてきてるらしい。

そういう相談を受けた場合は、宗教関係ではなく、
医療機関を受診するように勧めているそうだ。
なぜなら、道行く人を見ても多かれ少なかれ何かの気が取り憑いていて、
それらにいちいちお経を唱えてもきりがないし、
変な例えだが、寄生虫が体内にいると肥満にならず健康な場合もあるように、
何かが憑いていても悪いことばかり起きるわけではないと笑ってた。

それから、心霊写真は大部分がただの紙だから気にすることはない
と言ってた。もちろん気になる人が持ってくれば寺で預かってもいいが、
そもそも見間違いのような場合がほとんどだそうだ。ただし、古道具、骨董類は
人間よりずっと長くこの世に存在してるものが多いので、
何らかの気が凝ってることもあるらしい。
ただ特別に儀式をするまでもなく、しばらく本堂に置いておくと気は抜ける。
「漂白剤に浸けるようなもんだね」と言ってた。
 
まとまらない怖くもない長文でスマンかった。
これらは全部、俺が酒の席で友人から直接聞いた話だが、もしかしたら
違う宗派や宗教の人には別のように見えるのかもしれないとも言ってた。
色眼鏡をかけるとレンズの色にものが染まって見えるように、
その地域の習慣や宗派の教えに影響されるということのようだ。

キャプチャ





霊能者から聞いた話として書く

2013.07.15 (Mon)
 自分が霊能者という設定ではなく、霊能者から聞いた話として書くのはわりと楽です。
この話の場合、霊魂の概念が仏教のそれとはちょっとかけ離れていて、
そのあたりの折り合いをうまくつけることができませんでした。

 またエピソードを詰め込み過ぎた感もありますが、一つ一つ見れば話のタネとしては弱いので
このようになりました。

『ghost photography』



写真加工のバイト

2013.07.15 (Mon)
俺は今は大きなデザイン事務所に勤めてるんだけど、
専門学校を出てしばらくは、
学校から勧められた冠婚葬祭会社で写真加工のバイトをしていた。
葬式の場合は遺影用としてスナップから顔をスキャンしてスーツ姿にしたり、
結婚写真の場合は全体的な修正などの仕事が多かった。
あとは写真に関係ない細々した雑用。

ある20代の若い男性の葬儀で、
アルバムから遺影用の写真を選ぶのに自分も加わったけど、
そのあとで60代と思われるご両親から呼び止められて奇妙な依頼をされた。
それは故人となった息子の結婚写真をつくってほしいという話で、
未婚のまま病気で亡くなった息子が不憫でならない、
なんとか空事でも結婚式を挙げた写真を残したいが、
そういうことはできるものかと尋ねられたんだ。
まあ、できるかどうかは素材の画像が揃ってるかどうかで決まるんだけど、
会社で正規に請け負う仕事とは違うんで、
その場での即答は避け正社員の先輩に相談した。

先輩は「それはムサカリだろう」と言って続けた。
「東北のほうでは、結婚前に亡くなった男性には、
架空の結婚式を挙げた絵を描いて寺社に納める風習があって、
それをムサカリという。
おそらくそうしたことをしたいんだろうね。
もうすっかり廃れたと思ったが、まだあるとこにはあるんだね。
いや、会社としては引き受けられないよそんなの。
ただ、お前が個人として依頼を受けるのは関知しない。
ま、やめといたほうがいいと思うけどね」
まとめるとこういう話だったが、
俺は、いかにも心苦しいというように頼みを切り出してきた父親の姿や、
葬式中ずっと泣き続けていた母親の姿を思い出して、引き受けようと決めた。

ご両親と話を進めていき、
故人の新郎は成人式に紋付袴で写した写真があるとのことで、
それを流用させてもらうことにし、
ご両親には盛装していただいて新たに撮影することにした。
金屏風の前に新郎新婦がいて、その両脇にご両親という構図を考えた。
で、問題は新婦なんだ。俺としては和服の花嫁姿はどっかからひっぱてきた画像、
顔はちょっと面倒だけど、目や鼻など顔のパーツ一つ一つをコラージュして、
全体としてはこの世にいない女性像をつくろうと思ってた。

ところがご両親は、ぜひともこの写真を使ってほしいと一枚の紙焼きを出してくる。
新婦の顔はどうしてもこの女性の顔にしてほしいと言って、必死の形相になっている。
それをスキャンで取り込むのは簡単だけど、俺は先輩から言われた言葉を思い出した。
「ムサカリ絵馬は、言い伝えではまわりの参会者はいいけど、
新郎新婦の顔をまだ生きている人にしちゃいけない。
また、生きている人の名前を入れてもいけない。
それをやると、その描かれた人には冥界からのお迎えが来るんだ。
・・・馬鹿馬鹿しいと思うだろうが、東北の◯◯県のあたりには、
そういう力を今でも顕すことができる神社が残ってるというぜ」

俺はおそるおそる、生きている人はまずいんじゃないですかと聞いてみた。
しかしご両親が言うには、その写真の方も亡くなっていて、
生前は婚約関係にあったのだと。
その女性が亡くなったのが原因で息子も病気になったようなもの、
どちらも故人だし、あの世ですでに一緒になっているのだろうが、
正式な式として地元に報告できればうれしい、と切々と述べ立てられ、
俺は半信半疑ながらこれも承知してしまった。
謝礼として10万円いただいた。

写真はできあがり、最後の最後に息子さんの名前と、
ご両親から聞いた女性の名前を同姓にして画像に入れ、
絵馬にしやすいようパネルにして手渡した。
自分として出来映えは満足のいくものだった。
ご両親はうれしそうに、「これを持って地元の○○県に帰ります」と言った。
その帰省先が先輩の言っていた県だったのでちょっとギョッとしたけど、
深くは考えないことにしていた。

それから2週間ほどして、地方新聞に事故の記事が載った。
被害者は即死で、なんと病院の前で救急車にはねられたということで、
こちらの地域ではいろいろ問題になった。
その病院はこれまで書いた息子さんのご遺体を搬送してきたところで、
新聞に被害者の女性の写真は載らなかったが、
名前は俺が画像に入れたのと同じだった。

※ これ、正しくは「ムカサリ」です。自分としてはわざと一字ひっくり返して
使ったんですが、まとめサイトとかでは間違えたと思われれるみたいで、
そうなるんだったら、正しいほうを使えばよかった・・・

『死後結婚』







実際にある風習を利用する

2013.07.15 (Mon)
 これは某県にある「ムカサリ」という風習を話に取り込んだものです。
話の中では「ムサカリ」とはばかって変えています。
何か嫌な感じがしたもので。
自分は簡単な画像の加工が趣味なので、そのあたりはあまり調べずに書くことができました。
 
 死後婚は「冥婚」ともいって、中国や東南アジアなどにもみられますが、
一人っ子政策のため戸籍にあたるものをもたない人が多い中国では、誘拐された女性が、
無理矢理に花嫁として埋葬されてしまうということがあるという怖い話もあります。 

『ムカサリ絵馬』



阪急宝塚線

2013.07.15 (Mon)
そういえば、5年くらい前に昼過ぎの空いた電車に乗っていたら、
それまでカバンを抱えて座っていた40代後半くらいのおっさんが、
停車駅でもないのに急に立ち上がった。
おっさんは額から頭頂部まで禿げ上がっていて、
身長はかなり高く、痩せ気味ではあるものの骨格が太くいい体格をしていた。
おっさんは目を半眼のようにして、
直立不動で何やら軍歌のようなものを大声で歌い始めた。

歌い終わってから、
「みなさん聞かれたことがあるかもしれませんが、今のはPL学園校歌です。
 私は在学時野球部で5番を打っていました。
 惜しくも甲子園には行けませんでしたが。
 ・・・私は昨日付けで会社をクビになりました。
 なりましたが・・・しかしめげませんよ。
野球部時代を思い出してこれからも頑張ります」と言って座った。
最後の方の声はややかすれがちだった。
まばらだった他の乗客はあっけにとられていたが、
小さい声で「そうか、ガンバレよ」と言った人が一人いた。

それで、このおっさんの態度が印象に残ってたんで、
会社の飲み会の2次会で居酒屋に行ったときに皆に話したんだよ。
そうしたらみなちょっとシュンとなって、この景気じゃ人ごとじゃないよな、
みたいな雰囲気になった。そしたら、
居酒屋のついたての向こうにいたタイガース帽のおやじが話を聞きつけて、
顔をのぞかせ「それ、阪急宝塚線だろ」と声をかけてきた。

「そうだ」と言うと、
おやじは、「それ幽霊だぞ。しかも嘘つきの幽霊だ。
 会社を首になったのは何年も前だし、そのすぐ後に首を吊って死んでる。
 年に数回出るから、あの沿線じゃちょっと有名だよ」と言うんで、
「幽霊とは思えなかったな。生きた人にしか見えなかったよ。
 それで、嘘つきってどういうことだい」と聞くと、
おやじは、「最初に出たときは、PLの8番バッターと言ってたんだよ。
 それがだんだん打順が上がってきた。人間死んでからまでも見栄をはりたいんかねえ。
 次は4番バッターになってるだろうよ」と言った。

阪急宝塚線2
阪急宝塚線3

『Eva・C』舞台




バカ話系

2013.07.15 (Mon)
 これもどうやって発想が浮かんできたか、自分でもよくわからない系です。
書いているうちに話ができあがってくるんですね。

『ghost photography』



取り立て屋

2013.07.15 (Mon)
知り合いのヤクザから酒飲んで聞いた話。
ヤクザっても正式な組員じゃないんだけどな。
そいつは十年くらい前まで兄貴と組んで闇金の取り立てやってた。
ずいぶん非道いこともしたらしい。
町の工場を経営してた老夫婦の前で壁を蹴ってたら、
そいつらが自己破産するって言い出したから、
あらかじめ調べてた息子や娘の住所をしゃべって、
んじゃあこいつらのとこにも行くから、
こいつらの勤め先にも行くからって言ったらしい。

もともと闇金自体が違法だしそのあたりはあんまり関係ねえからな。
それで次の日ジイさんは踏切で鉄道自殺。
バアさんは行方知れずになった。
工場や家は何重かに抵当に入ってて表の借金に取られたが、
そいつと兄貴は息子らのとこを回ってどうにか金は回収した。

そいつの兄貴は墨を入れてて、
それが趣味の悪いことに四谷怪談のお岩さんと伊右衛門の図柄。
もう彫ってからだいぶんたつんだが、
お岩さんの目の上のはれが右の後ろ肩にあって、
そこにできものができてひどく痛む。
んで医者にいくまでもないだろうってんで、
そいつに小刀で切らせたんだが、そしたら血膿に混じって、
明らかに人の歯としか思えないものが、ボロッと出てきた。

それから兄貴の背中はできものだらけになって、
今度は医者に行ったが、
やっぱり切除するたびに人の歯が出てくる。
それも虫歯の治療痕まである成人の歯で医者も相当困惑したらしい。
それでレントゲンを撮ってもなんもない。
だけど次の週になればできものができて切れば歯のかけらが出てくるんだ。

兄貴は入院してさんざん検査され、
その過程で重い膵臓癌だかにかかってることがわかった。
んで毎度見舞いに行くたびにベッドの下に何かがいるから見てくれって言われて、
のぞいてはみるんだけど何もいない。そらそうだよな。

別にのぞかなくったってベッドの下は素通しで見えるんだし、
毎日掃除のおばはんが来てるんだし。
んでも兄貴はベッドの下に怖ろしいものがいて、
毎日夜中に腰のあたりに噛みついてくるって言い張ってた。
あの強面の人が歯をガチガチ鳴らして怖がってたっていう
医者は痛みや不安からくる幻覚か特殊な薬の副作用だろうと説明したらしいけどな。
その頃にはもう歯は出なくなってたが背中の自慢の入れ墨も、
できものの痕で非道い有様だったらしい。

んで病院には兄貴のかみさんや子どもも見舞いにくるんだが、
そいつが姉貴から家の中で異臭がするって相談された。
兄貴の家は郊外の一軒家で都会じゃないから土地は安いが、
建てたばかりの瓦屋根の立派なやつ。
それでそいつの他に2~3人で行ってみたが、
たしかに庭から家の中から腐臭が漂ってる。
もう鼻つままなきゃいられないくらい。それで手分けして調べたんだが、
野良犬の死体でもないかって縁の下にもぐってたやつが悲鳴をあげた。

何が見つかったかっていうと、
上で書いた工場の行方不明になってたバアさんだ。
裸足の着物姿で縁の下で上を向いて真ん中ら辺の太い柱に齧りついてた。
腐敗が進んで骨の見えてる部分もあったし、
柱のわきには歯がぽろぽろこぼれてたっていう。
こう書けば兄貴の背中から出てきた歯がそれかと思う人がいるだろうが、
照合して調べるなんてことはもちろんしていない。
んでこれは警察には知らせず内々に組で処分したらしい。
それはヤーの家で死体が出てきて疑われないわけがないし、
家の中にはいろいろとまずい物もあったんでな。

兄貴はそれから一週間ばかりで死んだ。
最期はずっと薬で眠らされてたらしい。
・・・この話で間違いなく事実なのは取り立てでジイさんが死んだことと、
バアさんが行方不明のままなこと、
そいつの兄貴が癌で死んだことだ。
歯が出てきたことやバアさんの死体が縁の下から出てきたのは嘘かもしんねえ。
しかしそいつがそんな作り話をする意味もわかんねえけども。
とにかくそいつはカタギになったわけじゃあねえが、
今は馬関係のわりと楽なシノギをやってる。
おめえに祟りはねえのかって聞いたら下を向いて笑いやがったな。






口調を変えて書く

2013.07.15 (Mon)
 ちょっとガラの悪い口調の独白にしたら一文が短くなりました。
話の筋自体はありきたりかな。

『ghost photography』



心霊スポットの話

2013.07.15 (Mon)
俺が高2の頃だから今から7年前のことになるけど、
地元に心霊スポットがあったんだよ。
俺の家から歩いて二百メートルくらいのところ。
でかい建物じゃなくて民家の廃墟なんだけど、
住宅地からちょっと外れた崖の下にあって家の前が小さな林になってる。
家自体はどこの道路にも面してなくて、
林からは細い私道を通らないと行けない。
昼でも暗くてちょっと薄気味の悪いとこではあるけど、
地元ではそんなに幽霊の噂とかはなかった。

俺も厨坊の頃に壊れた玄関から当時の悪友と何回か入ったことがあるけど、
2階建てで部屋数は6つくらいだったな。
家財道具がけっこう残ってて、壁には十数年前のカレンダーが貼ってあるし、
何かの領収書類や雑誌がほこりのたまった床に散乱してる。
仏間もあって、仏壇には位牌も残ってたし、
鴨居には和服のじいさんの白黒写真もある。
夜ならそうとう気味が悪いだろう。

ここがコンビニで夏に売る心霊DVDで一家心中の家として紹介された。
もちろん住所なんかはぼかして書いてるんだが、
内部の写真とか見れば間違いなくその廃墟なんだよ。
親父に聞いたところ、その家の人らは借金で夜逃げをしたんで、
少なくともここでは心中の事実はないはずだと言ってた。

んでDVDで紹介されてから、ちらほらと夜に見に来るやつらが現れだした。
何でわかるかというとその家の前の林の中にときどき派手な車が停まったりしてるし、
それに夜中に懐中電灯の光が見えたりうるさい話し声も聞こえてくる。
それが町内会で問題になって、その家の取り壊しを、
権利者に掛け合おうかみたいな話になってた。

部活の帰りに当時の友人と土手の自転車道を走ってたら、
河原にマネキンの首が落ちてるのを見つけた。
けっこうゴミの不法投棄があるところで、そういうものの一つなんだろうけど、
珍しいんで自転車を止めて見に降りたら、
長い髪つきの女のマネキンの頭部で、
たぶん昔の美容院なんかにある発砲スチロール製のやつ。
これを見て友人が「これ使って、あの廃墟で探険に来るやつらをおどかさないか」と、
突飛なことを言い出した。

今にして思えば馬鹿なことをしたと思うけども、当時はそのアイデアにわくわくした。
んで、心霊スポット探索に来るやつは土曜の夜が多いからってんで、
金曜の午後部活をさぼって廃墟の横の庭に行って準備をした。
まずそのマネキン頭部に赤黒い絵の具をかける。
釣糸を玄関前の繁みから二階の窓にわたし、
マネキンの頭部にフックを差し込んで糸に通す。
さらにマネキンには別の糸をつけて、それを家の横から引っ張ると、
繁みからマネキンの頭部が飛び出して糸を駆け上っていき、
二階のガラスの全部落ちた窓に飛び込むように工夫した。

マネキンが飛び出して上に登っていくまでは簡単だったが、
家の板壁にぶつかったりして、窓には2回に1回程度しか飛び込まなかった。
家の中から引っ張ればうまくいくんだろうが、それだとやっぱり怖いし、
探険にきたやつらとケンカになってもマズイだろうと思ってそこは妥協した。
家の横から引っ張って、それに気づいたやつが驚いたら、
塀の内側を通って逃げて帰る手はずにした。
で、仕掛けはそのままにしてひとまず帰った。

土曜の夕方に友人が俺の家に来て部屋でゲームとかしながら夜を待ったんだけど、
なんとなく二人とも気持ちが萎えてきた。
やっぱり怖いのもあるし、それよりも誰も人が来ないという
結末になるのが嫌だなと思い始めたんだな。
友人は俺の家に泊まることにしてたんで夕食を食って、
それでも9時には家を出て懐中電灯を持って廃墟に向かった。
これから10時まで待ってだれも来なかったらあとやめて帰ろうということにした。

で、廃墟についたら仕掛けはそのままになってた。
うまく動くか試してみようという話もしたけど、
窓に飛び込むと取りに入らなくちゃならないんでやめにした。
季節は10月で、ここらは街灯が林の手前の道にあるだけで懐中電灯を消すと
ほぼ暗闇。虫があまりいないのをいいことに、
家の横のたぶん風呂場の窓とブロック塀の間のせまい場所に座って、
友人とタバコを吸ったりしながら待ってた。

9時40分頃になって、そしたら来たんだなあ探険のやつらが。
車は一台だけでライトをつけたまま林の入り口に停まった。
声だけ聞こえてくるんだけどどうやら男二人、女二人という感じ。
車で来てるんだから俺らより年上だろう。
なるべく引きつけて玄関の前まで来たら引っ張ろう。
で、悲鳴があがったらこっそり逃げ出す。
また気持ちがわくわくしてきた。
その頃には目が闇に慣れていて友人の顔もうっすらと見えるが、
どうやらこいつも同じ気持ちのよう。

探険のやつらはかなりうるさくしゃべり合ってるようで、
俺らは怖いという気持ちはなかった。
塀の内側に入ったらしく懐中電灯の光の筋が横に走るのが見えてくる。
玄関前に来た感じがしたので友人が思いっきり釣糸を引っ張った。
「ぎゃー」「うぎゃー。首、首、首」どっちも女の声。
「嘘だろー。おい待てよ、おい」という男の声、ダダダダッと
何人かが走って逃げていく音。やった、と思った。
そして友人が先頭になってそろそろと庭を抜けて裏口にまわった。

裏は生垣になっててそこを飛び越えるとすぐ山なんで、
もう一度塀の外側をまわって廃墟の前に出てから家に戻る。
俺も友人も満面の笑みで大声で笑い出したいのをこらえている。
玄関の横まできたら停まっていた車がいきおいよく発進して行った。
俺と友人は大爆笑してハイタッチ。家の正面に立って、
懐中電灯で照らすとマネキンはうまく二階の窓に飛び込んだ様子。

さて帰ろうかとしたら、
真っ暗な窓から白い細い手が出て、
俺らの足元にぽーんとマネキンの頭部を投げてよこした。
それはマネキンの軽さではなくドジッという重い音を立てて落ち、
地面の上でぐるんと向きを変えると両目を開いた。
それからどうやって家まで帰ったか覚えていない。
ものすごく息をきらしていて俺の家族からは変に思われた。
その夜から俺らは二人そろって熱を出し、
家族が迎えに来た友人は翌日入院までした。

しばらくたってから昼にこの話をした別の友人ら数人と見に行ったら、
家の前に俺らが細工したマネキンの頭部が泥まみれになって転がってるだけで、
そいつらには作り話だろうと言われた。
その後俺は特に霊障らしいものはない。ただ入院した友人は大学のときに、
聞いたことのない難病にかかって入退院をくり返している。





発想を逆転する

2013.07.15 (Mon)
 心霊スポットに探索に行く話はあまりにもたくさんあるので、
発想を変えて、心霊スポットが怖くないやつらがそこに潜んでイタズラする話にしてみました。
どうしてそんなことをするつもりになったかの仔細を書くのが面倒でした。

『ghost photography』



沖縄でダイビング

2013.07.15 (Mon)
沖縄の本島に1週間ほどダチと二人で遊びに行ったときの話。
その日は北のほうでボートを借りて釣りをしてたんだが、
午前中一杯でそれに飽きて、
道具も持ってきてたんでダイビングをしようってことになった。
それで浜から300mほど沖の40畳くらいの、
小島というか小岩のところでボートをとめて潜った。
珊瑚より海藻の多い場所で魚は少なかった。
島のまわりを巡るのはあっという間だったが、
沖に面した島の根っこの水深4mくらいのところが、
大きく内側にえぐれているのを見つけた。

洞窟とは違っていつでも出てこれるような場所だったんで、
ダチといっしょに入ってみたが、中は意外に広かった。
幅の広い階段状の岩が四段ほどあって明らかに人工物だった。
奥行き3mくらいのそのくぼみの中も魚は少なくて、
中がなんとか見えるくらいの明るさだった。
最奥が垂直の壁になっていて、その前に高さ1mくらいの石製のかめが4つあった。
俺は遺跡だと思ってダチに合図して近寄ってみると、
かめは4つとも同じような作りで、
どれも40cm四方くらいの石製の四角いフタがのせてある。

それで近寄って二人で一番左端のかめのフタを持ってずらしてみたら、
いきなりかめの中から深い紺色の煙状のにごりが、
すごい勢いでぶわーっと出てきて、
オレらはやばい物かもしれないと思ってそのくぼみから飛び出て、
離れてどうなるか見ていたら、
その紺色のにごりは水中で縦長にまとまってどんどん人の形のようになっていく。
20秒くらいで高さ1・5mくらいの直立した人の形になってオレは女だと思った。
といっても形だけで表面は紺色のにごりのままなんだが。
それが両手を前に伸ばす形でくぼみから出てこようとしている。

それを見るとオレはすごい胸苦しい気持ちに襲われて水を蹴って離れようとした。
そこで下を振り返ってみるとダチがそのにごりに魅入られたようになって動かず、
30cmくらいのところまで近づかれている。
それでもう一度潜ってダチのワキの下に手を入れて一緒に浮上した。
島には上がりにくい場所だったんで泳いでボートまで戻った。

ボートでダチに「あれは何だったんだろうな」と言ってみたが、
なんだか上の空で返事もしない。
表情が暗く言葉少なに考え込んでいる様子で、
次の日もそうだったんで、オレはあきれてダチを残して一人で大阪に帰った。
その2日後にダチが死んだという連絡がダチの両親から入った。
その小島のある浜に死体が打ち上げられたそうで、
外傷はなく溺死なんだが下半身が紺色に染まっていたそうだ。

『砂漠での画家たちの休息』リチャード・ダッド


back-to-top