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赤い十字架の話

2019.07.18 (Thu)
今から30年以上前の話です。当時 私は、中堅どころの旅行代理店で、
添乗員をしていたんです。入社して3年目のことでした。
それまでの2年間は国内旅行の添乗で、その年になって、
初めて海外に出ることができたんですが、それがすべての事の始まり
だったと思います。あれは10月のことでした。
田中さんという先輩と2人で、「東欧古都めぐり」というパックツアーに
添乗しました。私は、初海外ということですごくはりきってましたので、
田中さんに、「あんまり気張ると、帰ったらバタンキューだよ」と
たしなめられたくらいでした。当時は、まだソ連は完全には崩壊していません
でしたが、もう末期で開放政策が進み、旅行などもだいぶ自由になってました。
それがあってできたツアーだったんですね。

ツアーの参加者は18人だったと思います。60歳過ぎの、
仕事を定年退職された方がほとんどで、ご夫婦も多かったです。
中に一人、吉川さんという、一人旅の70代の男性の方がいました。
吉川さんは現役の大学教授で東欧史を専門とされていて、その関係でツアーに
参加されたということでした。チェコ語やポーランド語がペラペラで、
お客様に頼るわけにはいかないんですが、すごく心強かったんです。
私、外語大卒業で、大学では英語とフランス語を専攻し、
東欧の言葉はまったくできませんでした。はい、向こうのホテルなどはもちろん、
税関でも英語はほとんど通じないんです。田中さんも東欧の言葉は話せない。
じゃあどうするのかというと、都市ごとに、会社が契約した
現地ガイドがいるんです。その人たちは英語かカタコトの日本語が通じて、

何かトラブルが起きたときに対処してくれました。当時の東欧は今とは違って
治安もよく、難しいツアーではないはずだったんですが・・・
3日目の朝でした。ある国の、首都ではないですが歴史の古い街に
泊まったときのことです。ホテルのレストランで朝食をとる予定でしたが、
吉川さんが時間になってもお見えにならず、私が部屋に迎えにいきました。
ドアをノックすると「どうぞ」という声がしたので入ると、
吉川さんはイスに腰掛けて窓の外を眺めておられたんです。
私が、「朝食の時間ですよ」と言うと、「ああ、すみません。今行きます。
 ちょっと興味深いものを見かけたのでね」と、窓の外を指さしました。
そこは3階の部屋でしたが、かなり離れたところに、
大きな十字架が立ってたんです。そのあたりは高い建物もなく、

民家の屋根の間から、空に向かって巨大な十字架が突き出してました。
はっきりわかりませんが、10m以上はあったと思います。
10mというと、ビルの4階ほどですよね。周囲に比べて違和感がありました。
それと、その十字架、赤い色をしてたんです。
鮮やかな赤というわけではなく鉄錆のような色でした。吉川さんは、
「この国も共産圏に入って、教会なんかは取り壊されたと聞いてたけど
 そうでもないんだねえ」と話され、そのときはそれで終わりました。
朝食が終わり、契約していたバスが来たのでホテルの外に出たとき、
さっき見た十字架を探したんですが、方角が違うのか見えませんでした。
そのバスは、次の目的地まで3時間ほど走るんです。
その都市の、美しいけれども陰気な街並みを抜けかかったところで、

バスの後ろのほうでキャーッという悲鳴が上がりました。「どうされました?」
私が見にいくと、座席で吉川さんが白目をむいていたんです。
肩に手をかけると鼻からどっと血があふれ、半開きの口に流れ込んでいきました。
すぐに田中さんもやってきて、その国では救急車などは来ないということで、
そのバスのまま大きな病院に行ったんです。吉川さんは息をしていないように
思えましたが、どうすることもできず、とりあえず体に毛布をかけました。
そのとき、吉川さんの膝の上に手帳が広げられていることに気がついたんです。
私にはわからない言葉で単語が3つ書かれていました。
田中さんが病院に残り、その後も私は旅を続けましたが、その夜になって、
吉川さんは亡くなったという連絡が入りました。脳溢血ということでした。
私は、ツアー中にお客様が亡くなるということは初めてでしたので、ショックでした。

田中さんは、「稀にはあることよ、気にしてもしょうがない」と慰めてくれました。
どうにかこうにか日本に戻ってくると、数日休みがあったんです。
私は実家に戻りました。私は一人暮らしでしたが、両親と妹が実家にいて
たまに帰るとすごく落ち着くんです。そのとき母に、東欧ツアーであったことを
話したんです。吉川さんが亡くなった前後のことですね。
翌日の夕方、私が自分のアパートに帰ろうとしたとき、母がこんなことを言いました。
「昨日の夜ねえ、あんたに話を聞いたせいか、変な夢を見たよ」
「へえ、どんな?」 「灰色の空があって、そこに赤い十字架が立ってる夢。
 ただそれだけなんだけど、気味が悪かったねえ」それを聞いたとき、
嫌な予感が強くしたんです。でも、どうすることもできないですよね。
「お母さん、とにかく体に気をつけてよね」そう言うのが精一杯でした。

翌日、両親が亡くなりました。少し膝が悪かった父を、母が運転する車に乗せて
病院に行く途中、交通事故にあったんです。急に横道から出てきた大型車にぶつけられ、
母は即死、父は半年ほど入院して亡くなりました。・・・心が壊れそうでしたが、
妹はまだ高校生でしたし、父親のつきそいや母の葬儀の準備、加害者との交渉、
そういうことは私がやるしかなかったんです。会社のほうには
そうした事情を考慮していただき、しばらくの間、内勤にしてもらいました。
すべてが終わって、私が立ち直るまで2年近くかかりました。
それからまた添乗員に復帰したんです。ええ、自分のほうからやらせてください、
って申し出て。気が紛れると思いました。ただ、東欧ツアーはなく、
ローマやパリが中心でしたね。その頃、私に恋人ができたんです。
彼は、関連会社でバスの運転をしていました。結婚に向けて話が進んでたんです。

彼の両親は、私の親が事故死していることは気にせず、結婚を喜んでくれていました。
それで・・・ある日、彼が私の部屋に泊まった日の朝です。
起きがてら、「変な夢を見たなあ。ただ赤い十字架が立ってる空を、えんえんと
 眺めてるだけの夢」それを聞いて、心底ぞっとしました。「まただ」
吉川さんの死のこと、両親の死のこと、赤い十字架のこと、
混乱しながらもそれらのことを話したんです。彼は真面目な顔で聞いていましたが、
「わかった、十分気をつけるよ」と言いました。当分仕事を休んでほしい・・・
でも、そんなことできるわけもありません・・・もうおわかりですよね。
2日後、彼は自分が運転していたバスの中で亡くなりました。
運転中の心臓発作ということでしたが、心臓の持病などはなかったんです。
不幸中の幸いというか、バスはお客様を降ろした後の回送中で、
道路上でも他の車や通行人を巻き込むことはありませんでした。

このことから立ち直るには長い時間がかかりました。いえ、まだ立ち直ったとは
とても言えません。私は会社を休職して心療内科に通いました。
一時は、拒食のために体重が20kg近く減り、いつも死ぬことだけを考えていました。
でも、死ぬことはできませんでした。悔しかったんです。
赤い十字架、それが何なのか確かめなくてはという思いが強くなって、
当時はネットはありませんでしたので、その東欧の古い都市について、
いろんな本を読みましたが、赤い十字架について書いてあるものはなし。
それで、一人で旅に出たんです。でも、土地の人も誰も、そんな十字架のことは
知りませんでした。地図にも載っていません。あのツアーで泊まったホテルにも、
もちろん行きました。吉川さんの泊まった部屋が空いていたので、
フロントでチップを払い入らせてもらいました。

でも、窓からは、あの日の赤い十字架はどこにも見えませんでした。
ホテルを飛び出し、こっちだという方角に歩きました。石畳のごみごみした小路を
抜けると、ちょっとした広場がありました。小路が何方向にも伸びている
真ん中の場所、ヨーロッパの古い街にはよくあるんです。
その中央に植え込みがあり、その中央にこぶし大の石が1mほど積み上げられ、
見たことのないもので、その前にはロウソク立てが置かれてました。
日本のお堂のようなものだろうか、それにしても・・・と考えていたとき、
近くの家から年配のベールをかぶった女性が出てきて、ロウソクを新しいものに
替えようとしました。話しかけましたが、英語もフランス語も通じず、
石積みを指差すと、その人は私の手を強く払って、同じ短い言葉を何度も叫びました。
意味はわかりませんでしたが、あのとき吉川さんが手帳に書いた

単語と同じものじゃないかと思ったんです。怒ってるというか、
おびえた感じのその人にお金を渡し、言っていることを手帳に書いてもらいました。
頭を下げてその場を後にし、前に現地ガイドを務めてくれていた
男性に連絡したんです。契約はずっと前に途切れていたので、なかなか
見つからなかったんですが、やっと居場所がわかり会うことができました。
石積みのことを聞きましたが、何も知らないということでした。
ただ、「この街は、ソ連軍が侵入してきたとき、またそれ以前にも、
 あちこちで血が流れてるから、それと関係したものなのかもしれない」
そういう話をしてくれました。手帳を見せると、顔をしかめ、
「誰が書いたんだ、これ、よくない言葉だよ、呪い。日本語だと、そうだなあ、
 死がそばに寄りそう、みたいな感じ」こういう答えが返ってきて、
私の見ている前で、その手帳のページを粉々に引き裂いたんです。

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砂嵐の海の話

2019.07.15 (Mon)
今晩は、藤森ともうします。よろしくお願いします。
今から10年以上前の話です。うちでデジタル放送のチューナーを
買う前の年だったので、2008年のことですね。
私が10歳、小学校4年生のときに、夢遊病になったんです。
正式な名前は「睡眠時遊行症」というらしいですね。
そのときお世話になった病院の先生から聞きました。
珍しいことではないんだそうです。統計的に4~8歳の間に発症し、
最も頻度が高いのは12歳前後。子どもの10~30%が睡眠時遊行を
1回以上経験しているということでした。10人に3人が経験するのなら、
たしかに、そう珍しいということはないんでしょうね。
何度も、毎日のようにくり返すことは稀だそうです。

最初は9月ころだったでしょうか。2階の自分の部屋で寝ている
はずの私が、リビングのテレビの前に座っていたんだそうです。
見つけたのは父でした。リビングのすぐ隣が寝室なんですが、
父がトイレに行こうとリビングに出たら私が座っていた。
時間は2時ころだったようです。テレビが光ってたので、
最初は、私が夜中の番組が見たくて起き出してきたんだと思ったそうです。
でも、テレビ画面はいわゆる「砂嵐」状態でした。
私の顔を見ると、目は開いていたものの、ぼんやりとした表情で、
テレビ画面を見てはいるが、見つめているというわけでもない。
父は病的なものを感じ、私の名前を呼びながら肩を揺すりましたが、
起きなかったそうです。体育座りの形からそのまま後ろに倒れ、

今度は目を閉じて眠った状態になった。心配なのでさらに起こすと、
やっと目を覚ましたんですが、なぜ自分がここにいるのかまったくわかって
なかったそうです。典型的な夢遊病の症状なんですね。
その夜は、寒くはなかったのでリビングのソファに寝、
起きてきた母がタオルケットをかけ、朝までついていてくれました。
私の2階の部屋からリビングまで、階段を降り、短い廊下を通って
すぐなんですが、階段はかなり急で、転落したら大ケガもありえます。
ですから、翌日は学校を休み病院に連れていってもらいました。
そこの心療内科の先生の話で、子どもではよくあることなので、
しばらく様子を見ましょうということになりました。薬はあるんですが、
夢遊病に習慣性が認められるまでは出さないということでした。

ただ、また起きたときにケガをしない環境づくりが必要ということで、
当面はリビングに布団をしいて寝ることになったんです。
これ、私はすごく嫌でした。ですから、寝る前ギリギリまで自分の部屋で
音楽などを聞いてて、リビングの布団に入る。両親は気を遣って、
私と同じ10時ころには寝るようにしてくれてました。その後、
1週間は何も起きず、自分の部屋に戻ってもいいかと言われてたとき、
2回目が起きたんですね。見つけたのは母でした。時間はやはり2時ころ、
布団から出て体育座りでテレビを見つめているところまでは同じ。
画面は砂嵐だったんですが、母には水面のように思えたそうです。
その頃の家のテレビはけっこう大型のものでしたが、強い光に照らされた
海面がいっぱいに映ってて、小さな波が無数に動いている。

私の肩に手をかけると、何か同じ言葉を何度かくり返しました。
はっきりは聞き取れなかったんですが、「ただ○○」という名前のように
母には思えたそうです。医師から、また起きたときは無理に起こさず、
もう一度寝せるとよいと言われてたので、母はそっと私をその場に倒し、
眠るように言いながら布団を引っぱってきてかけ、テレビを消そうとしましたが、
リモコンがどこにも見つからなかったそうです。しかたなくテレビ本体のほうで
消そうとしたら、波のような海面から指先が出て動いてるように思えました。
でも、それはすぐに消え、母は気のせいだと考えたそうです。このあたりのことは、
ずっと後になって聞いたものです。結局、リモコンは朝になっても家のどこにもなく、
電気店に連絡して新しいのを送ってもらったということでした。
翌日また病院に連れていかれ、薬を処方されました。

夢遊病は眠りが深すぎるのが原因の一つなので、深い眠りを抑制する薬です。
それを寝る前に一錠飲むだけですが、朝になっても疲れた感じがしてました。
1ヶ月間何も起きなかったので薬をやめ、さらに1ヶ月後には、
リビングで寝るのをやめて自分の部屋に戻ることになりました。
医師も家族も、もう大丈夫だろうと考えたんです。実際、1年ちかく
何も起きなかったんです。翌年、私は5年生になり、
秋口に1泊の宿泊研修があったんです。そういうのって、事前に家族に
学校の保健室からアンケート用紙が渡されるんです。持病はないか、
いつも飲んでる薬はないかなんて内容の。母は迷いましたが、
4年生のときに睡眠時遊行症になったことがある、と書いて出したそうです。
その後、担任の先生から家に連絡があり、私が寝るテントは特に見回りを

するからということで家族も安心してたんですが、大騒ぎになっちゃったんです。
その宿泊研修は、学校の方針でかなりハードなもので、市の少年自然の家で
行うんですが、野外炊飯では飯盒でご飯を炊き、自分たちでテントを設営して
そこに泊まるんです。日中にはオリエンテーリングなどもあり、
生徒はくたくたになって消灯時間にすぐに寝ました。テントは5人、
もちろん女子だけのグループです。私のテントには、事前アンケートのことも
あって、女の先生が組で何度も見回りにきたそうです。そしたら、
2時の見回りのときに私がいない。寝袋が空になっていて、
でも履いてきたスニーカーはテントの外にある。近くのトイレにもいないし、
他の子たちのテントに入ってるわけでもない。先生方は慌てましたが、
他の子を起こすわけにはいかないですよね。それで、少年の家の当直職員に

協力を頼んで、朝方まで捜索したんです。見つかったのは4時過ぎでした。
そこの少年の家は海沿いの松林の中にあり、砂浜に出るところに小さなお堂の
ようなのがあったんです。昔の漁師が祀ったものだそうです。テントからは
800mほども離れてたんですが、その前に私が体育座りしてて、
何かををつぶやいてたそうです。先生方が私の名前を呼ぶと立ち上がって倒れ、
結局、救急車で病院に運ばれました。検査の結果、体に異常はなかったんですが、
裸足で林の中を歩いたため、足にたくさん傷ができてました。その間の記憶は
まったくなかったです。両親が病院に迎えに来て、また家でしばらく薬を
飲むことになりました。でも、小学校のときの夢遊病はこれが最後だったんです。
6年生の2泊3日の修学旅行では、両親は心配しましたが
何も起きませんでした。その後、中学、高校でも。ですから、もうすっかり

治ったものだと思ってたんです。大人の夢遊病って1%以下の珍しいものなんだ
そうです。・・・ここからのことはあまり話したくはないんですが、
そういうわけにはいかないですよね。私は東京の大学に合格して親元を離れ、
テニスのサークルに入りました。そこで、多田瑛美さんという人と友だちになり、
最初のうちは仲がよかったんですが、2年になって話をしなくなりました。
はい、同じサークルの男子を巡ってトラブルがあったんです。まあ、よくある
三角関係です。その夏、サークルの合宿がありました。合宿といっても
遊び半分のもので、大学所有のテニスコートのある海沿いの宿舎で
1週間ほど過ごすんです。サークルは男子のほうが多く、
恋愛関係はもつれにもつれてました。その3日目のことです。
私と多田さんの姿が、朝食の時間に見あたらなかったんです。

まあ、カップルで宿舎から少し離れたラブホテルに行ってるなんてことは
珍しくなかったんですが、女2人がいなくなるのは変だということで、
みながあたりを探しました。そしたら、私は浜に出ていて、堤防の上で海に向かって
体育座りをしてたんです。海に落ちるかもしれないギリギリの場所でしたが、
小学生のときと同じで、私は何も覚えてませんでした。多田さんは見つからず、
警察に捜索願が出されました。2日後、多田さんの水死体がテトラポットの間で
発見されたんです。私も警察の聴取を受けましたが、多田さんの体に外傷はなく、
多量の海水を飲んでましたので、誤って海に落ちたのだろうということになりました。
・・・そこの海はもちろん、私の家からも小学生のときの少年の家からも何百kmも
離れた場所だったんですが、引き上げられた多田さんの遺体は、なぜか手に、
古い型のテレビのリモコンを固く握りしめていたんだそうです。






吊る掛け軸の話

2019.07.06 (Sat)
どうも今晩は。また来てしまいました。こちらに何度かおじゃまさせて
いただいたことのある、引退した骨董屋です。はい、また、たちのよくない
古物とかかわってしまいました。それが、今回のはかなりの難物なんです。
何十人も人が死んでいますし、そのうち一人はわたしの責任です。それで、
ここにいるみなさんのお知恵を拝借したいと思いまして。1ヶ月ほど前の話です。
ほら、わたしはもう引退したので、店も売り物もすべて手放してしまったんですが、
鑑定だけはまだ細々とやってるんです。老後の小遣い稼ぎということもありますし、
何よりもね、やはり古物からは離れられないんですよ。
それに、ときとして思わぬ眼福にあずかることもありますから。
あ、すみません、いらない話ですね。夕刻、わたしの家に来られたのは、
40代ほどに見える男性でした。地元の大手建築会社で部長をされておられる

ということで、たいそうお金のかかったスーツを着ておられました。
それで、一幅の掛け軸を持参しておられたんです。わたしのことは、
取引先の方からお聞きになられたそうです。上がっていただいて、
まずはその掛け軸を拝見したんですが、何とも言いようのないものでした。
桐箱から出してみると、表装はお金がかかっていましたが、ごく新しいものです。
まあこれは本紙、つまり書画の部分だけが年代物ということは普通にあります。
ところがです、巻いてあったのを開いてみると、その絵は・・・木炭で描かれた
細密画だったんです。木炭画はご存知でしょう。写真のように描くことができます。
つまり現代の洋画ってことです。普通は洋画を掛け軸になんかしないでしょう。
どんなに古く見積もっても明治後半以降で、美術品とは言えても、
骨董とは言い難いものです。それと絵柄がまた奇妙で。

和室の内部を描いたものでしたが、畳一枚ほどの空間を隔てて床の間がある。
かなりお金のかかった造作です。で、その床の間には品のいい翡翠の香炉が
置いてあって、その後ろに一幅の掛け軸がかかっている。
でね、その絵の中の掛け軸にも、やはり同じ床の間の絵が・・・
これは、と思って天眼鏡を出してみました。すると、その中にもまた掛け軸が。
あの、合せ鏡ってご存知ですよね。鏡を2枚、角度をつけて向かい合わせると、
どこまでもずっと鏡が続いてるように映る。あんな感じです。
ただまあ、鏡の場合は光のとどく力の限界がありますから、どこかで
見えなくなってしまうんです。ましてね、人間が描いたものなら、
いくら細密でもすぐに見えなくなるはずです。それが、どこまでも続いてるように
見えるんですよ。ありえないことでしょう。

その絵には、サインも落款も一切なし。「これは、どういうものですか」
わたしが尋ねると、その方は「いや、先月亡くなった親父の和室にあったんです。
 親父は70代ですが、現役で建設会社の社長をやっておりました。
 それが・・・まあ、知ってる人は知ってるので言ってしまいますが、
 自殺だったんです。鴨居で首をくくって。もちろん警察の捜査が入りましたが、
 自殺で間違いないということでした。遺書はなかったです。けど、
 そもそもね、自殺する動機が思いあたりません。会社の経営は順調ですし、
 私生活でも悩んでる様子はなかったんです。翌日、早朝からゴルフの予定が
 あって、母に支度をさせてたんです。それが、その夜に一人で
 和室にこもって、翌朝母が見にいくとぶらさがってた・・・」
「その和室にあったのが、この掛け軸ということですね」 

「そうです。でも、このせいで親父が死んだなんて、そのときは誰も考えて
 ませんでした。それでね、この1ヶ月、お恥ずかしい話ですが遺産相続で
 揉めてたんです。結局、兄が会社を継ぐことになりまして、
 形見分けのときに、この掛け軸をもらっていったんです」
「ははあ、お父様は他にも骨董を集めてたりとか」 「いえ、そんな趣味はなく、
 家にある掛け軸もこれだけです」 「どうやって手に入ったかおわかりですか」
「母の話だと、自殺の3日ほど前に宅配で送られてきたということです」
「それ、送り主は」 「いや、親父は見たでしょうが、包み紙なんかも
 捨ててしまってわかりません」 「うーん、じゃあ、お父様の死と、
 この掛け軸の関係を疑ったのはどうして」 「それが、気に入ったと言って、
 掛け軸を持っていった兄が、3日前に自殺したんです。

 やはり首吊りで。その現場、兄の家には私も行きましたが、その部屋の
 床の間にあったのがこの掛け軸・・・。兄もね、親父と同じで死ぬほどの
 動機なんてないんですよ」 「やはり遺書もなしで」 「はい」
「わかりました。この掛け軸、数日預からせてもらっていいですかね」
「差し上げてもかまいません。この掛け軸のせいではないのかもしれませんが、
 持っていたくないんです」 というわけで、手元に置くことになったんです。
いえ、わたしのところは、妻はもう亡くなって、子どもたちは別の県で
仕事についてますから、誰にも迷惑はかかりません・・・
そのときはそう思ったんです。でね、家の二階の和室に飾りまして、
夜、ずっと起きて掛け軸を見ていたんです。え、怖くなかったかって?
いえ、もうわたしも年ですし、不可思議なものを見ることができるなら
 
それはむしろ楽しみに近いつもりでした。でね、1日目の夜は何もなし。
あとね、日中は少しその掛け軸のことも調べてみたんです。まずは昔の
仕事仲間に電話をかけました。洋画の木炭画の掛け軸の噂を知ってるかって。
でも、何の手がかりもなし。ネットでも調べました。こう見えても
パソコンはできます。けどそれも無駄骨でしたね。絵に、これといった
特徴がないんです。まるで写真をトレースしたような正確な絵で、
作者の姿が見えない。2日目の夜です。やはり朝方まで何も起こらず、
もう寝ようかとしたとき、絵の中で何かがサッと動いた気がしたんです。
いや、画面を右から左に揺れるように大きなものが横切って、一瞬でしたので
はっきりしませんでしたが、人間の体のようにも思えました。
それ1回きり。あとね、そのときだけ、強いお香の匂いがしたんです。

白檀ですね。おそらくは絵の中にある香炉からのものなんでしょう。
で、3日目の夜です。ほら、相談者のお父様は、掛け軸が来てから
3日目に亡くなったって話だったでしょう。ですからきっと何かがあるだろうと。
その晩は、眠ってしまわないようコーヒーなどもずいぶん飲んでたんですが、
掛け軸の前に座って、午前2時ころですね、やはり同じ強いお香の匂いがして、
ふっと気が遠くなってしまった。気がつくと和室に倒れてたんです。
絵の中の和室ですよ。床の間があって香炉と掛け軸があって・・・
わたしの頭のすぐ上に人がぶら下がってました。浴衣を着た壮年の男性で、
頭を垂れ口から赤い泡を吹いてて、ひと目で死んでいるとわかりました。
・・・面識がないんですが、家に来られた相談者の兄さんなのではないかと
思ったんです。立ち上がると、畳の感触がしっかり足の裏にあり、

とうてい夢とは思えませんでした。なるべく首吊りを見ないようにして、
床の間に近づいていきました。お香の匂いがいっそう強まり、
掛け軸を見たとき、目の前がぐにゃんとゆがみ、私は肩から畳に倒れました。
はい、同じ和室・・・なんですが、違っていたのは鴨居からぶら下がっている人物。
老人で、最初に首を吊った社長なんでしょう。やはり下を向いて、
足は畳に届かずぶらぶら、片方の目玉が飛び出しかけていました。
・・・これが何度くり返されたでしょうかね。10回ではきかないでしょう。
わたしは掛け軸の中の掛け軸の中、奥の奥へとどんどん入り込んでいったんです。
そのすべての部屋で、首を吊った人がいました。年齢は様々でしたが、
みな男性でしたね。え、どうやって戻ってこれたかって?
いや、十何回目かのときにね、床の間の香炉を蹴り倒したんですよ。

気がついたら自分の部屋に戻っていました。ただね・・・危ないところだったんで
しょうねえ。わたし、手にネクタイを持ってたんですよ。仕事を引退してから、
もう何年もネクタイなんてしめる機会はなかったんですが。
それでね、詳細はまったくわからないながらも、これは到底わたしの手に負えるもの
ではないと考えまして。知り合いのお寺さんに持っていったんです。
ええ、これまでも何度か、いわくつきの古物を供養していただいてたんです。
だから今回も大丈夫かと思ったんですが、安易でした。ご住職はこころよく引き受けて
くださったんですが、その夜にお寺が小火を出したんです。ご家族は無事で、
亡くなったのはご住職だけでした。体に火傷はなく、煙による窒息死ということです。
でも、燃えたのは外の護摩壇だったんですよ。掛け軸はお寺のどこにも
見つからなかったんです。燃えてしまったならいいんですが、そうでないとしたら。

関連記事 『骨董屋シリーズ』



 


さぐめさんの話2

2019.07.03 (Wed)
※ これは続き物というわけではないんですが、まだ読まれてない方は
こちらを先に参照されると、意味がわかりやすいかと思います。
関連記事 『さぐめさんの話』

どうも今晩は、看護師をしている柴田と申します。よろしくお願いします。
さっそく話をさせていただきます。私は、総合病院の呼吸器内科の
入院病棟に勤務しているんですが、先週まで、そこに祝田さんという
高齢の女性の方が入院されていたんです。はい、残念ながらもう亡くなられて
しまいました。年齢は88歳でした。祝田さんは高熱のため、
うちの病院が提携している養護老人ホームから救急搬送されてきたんです。
そこには非常勤の医師がおられるんですが、手におえない病状のときには、
うちに来る手はずになっています。経営母体が同じなんです。
誤嚥が原因となった典型的な老人性肺炎でした。
でも、そんなに重い病状ではなかったんです。意識はありましたし、
数日、抗生剤を投与することで熱は下がっていきました。

でも、年齢が年齢ですから、私たちは慎重に看護していたつもりだったんです。
祝田さんは、頭のほうは認知症はほとんど出てなかったと思います。
それと病状が安定してきてからは、気位が高い方でしたので、
オムツをつけるのを拒否され、ご自分で病室のトイレに行かれてました。
はい、手のかからない患者さんだったんです。私が担当でしたから、
検温などのときにいろいろ話をさせていただきました。
そしたら、お気の毒な境遇におられることが、だんだんわかってきまして。
ご家族がおられなかったんです。結婚はされていたんですが、
旦那さんはだいぶ前に亡くなられてました。それと、息子さんが一人
おられたものの、そちらも若くして亡くなっていたんです。
病院の保障人には、これも亡くなった弟さんの娘さんがなっていました。

何度か病院に来られていますが、身寄りはその方しかいなかったんです。
祝田さんとはそれほど親しい間柄には見えませんでしたし、
祝田さんのほうで、保障人になってもらったことを申しわけながって
ましたね。それで、祝田さんの病状が安定して点滴がとれたころ、
頼み事をされたんです。はい、祝田さんは看護師に何かわがままを言う
なんてことはない人でした。ただ小さなスケッチブックと色鉛筆のセットを
買ってきてほしいと、お金を渡されたんです。
「どうされるんですか?」と聞いたら、にこにこしながら、
「少し絵を描きたいと思って」という答えが返ってきて、
「ああ、元気が出てきたんだな」と思いました。それから少し長く
お話して、祝田さんが高校の美術の教師をされていたことがわかったんです。

「すごい、私のこと描いてくださいますか」 「うーん、でもねえ、
 人物はあんまり得意じゃないのよ」そんなやりとりをしました。
色鉛筆などは病院の売店にはありませんが、難しい頼み事ではないので、
文具店によって買い求め、祝田さんに渡すとたいへん喜んでおられました。
祝田さんはテレビを見ることはほとんどなく、午後の体調がよいとき、
色鉛筆でスケッチブックに絵を描いておられて、私が「見てもいいですか」
と言うと、微笑んで見せてくださったんですが、ひと目でプロ級ということは
わかりました。広い野原を突っ切って川が長く伸び、手前に小高い山、
山には神社の屋根のようなものが木の間から見えました。そしてその下の
野で遊ぶ小さな女の子が2人、そんな構図でしたね。「これ、どちらの
 風景ですか」そう聞くと、「中根畑って言う、私の生まれた場所。

 でもね、豪雨のときに山崩れで流されてしまって、今はもうないのよ」
そのニュースはテレビで見たような気がしました。「この子たちは?」
「私と、幼馴染だった近所のみさとちゃん」小さくてはっきりとしなかったですが、
女の子2人は仲良く手をつなぎ、野原を駆けているようでした。
「この建物は?」 「それはね、さぐめさんという怖い神様を祀る神社」
「こわい神様?」 「そう。ほんとうは油彩で描きたいんだけど、
 もう絵筆を握ることはないでしょうね」 検温をすると平熱で、血圧はやや低いものの
問題はなし。この分なら、もうすぐ施設に戻れるだろうと思っていたんですが・・・
その2日後です。私が夜勤の日でした。夜勤は看護師が2人で、3時間ごとに
病棟の見回りをします。高齢の患者さんが多いので容態の急変などもあり、
気が抜けないんです。4人部屋の、祝田さんのベッドのカーテンを少し開けたとき、

背中がぞくぞくっとしたんです。強い冷気を浴びたように思いました。
でも病院内はつねに25度に保たれているはずです。ペンライトで祝田さんの
顔を確認すると、規則正しい呼吸でした。テレビ台の上にスケッチブックが
立てかけてありました。結局、その夜は何事もなかったんですが・・・
次に勤務に出たときです。祝田さんはなんとなく沈んだ様子で、スケッチブックを
出されてなかったんです。「絵は完成されたんですか?」そう聞くと、
「・・・いえね、何だか思ったようにうまく描けないのよ。それで、つまらなくなって
 しまってねえ・・・」そう言ってスケッチブックを開かれたんです。前に見せてもらった
山里の絵でしたが、柔らかなパステルカラーで描かれた中に、緑と黒で
強く塗られた部分があったんです。祝田さんと手をつないでいたもう一人の
女の子でした。その上に塗られた、紙がやぶれるほど強い緑と黒・・・

私が次の言葉が出せないでいると、「この子ね、前も話したでしょう、お友だちの
 みさとちゃん。でもね、中身はもう半分、さぐめさんになっているの。
 だからうまく描けない」 「どういうことですか」そう聞いても、
祝田さんは首を振るだけで、ベッドを下げて横になってしまわれたんです。
はい、それからは、検査の数値に異常は見られないのに、祝田さんはどんどん
元気をなくされていったんです。主治医の先生にお聞きしても、
「精神的なものかなあ」こうおっしゃられるだけでした。
それで、次の夜勤の夜です。あれは午前2時の見回りのときだったと思います。
祝田さんの4人部屋に入ったとき、天井に黒い影が踊るように動いているのが
見えたんです。これ、ベッドの枕元の読書灯をつければそうなるんですが、
カーテン越しに、誰も明かりをつけてないのは確認できました。

わけがわかりませんでしたが、一人ずつカーテンを開け、様子を確認しても
よく眠られていました。窓際の祝田さんのカーテンに手をかけたとき、
天井の影が消えました。ベッドの祝田さんは、かっと両目を開いて天井を
見つめていたんです。「どうされました?」聞くと、「とうとうさぐめさんが来たよ。
 私のところに」これはただ事ではないと思い、バイタルチェックをしましたが
手が冷たい他に異常はありませんでした。「ご気分、悪くないですか」
「さぐめさんが来た」ナースコールを祝田さんの手に握らせ、
当直の医師のところに知らせにいきました。「別に数値に異常はないんだろ」
ぶつぶつ言う若い医師を連れて、もう一度祝田さんのカーテンを開けたときには、
祝田さんは天井をにらんだまま息をしていなかったんです。すぐに救命措置が
始まりましたが、そのまま亡くなってしまわれたんです。心不全ということでした。

でも、それまで心電図の数値に問題はなかったんです。祝田さんの身の回りの
品はごくわずかなもので、それらをまとめて、病院に来られた姪の方に渡しました。
そのとき、怖かったですけどスケッチブックを開いてみたんです。
前に描かれていた絵は、みさとさんという女の子の部分が完全に破れ、
なくなっていました。姪の方にみさとさんという子の話を聞いてみたんです。
そしたら、「みさんとさん・・・ああ、たしか伯母さんから聞いたことがある。
 伯母さんの生まれた田舎の子で、8歳のときに行方不明になったみたい。
 1ヶ月後くらいに木から吊るされて死んでいるのが発見されたって。
 むごいことに体はずたずたで、犯人は見つかってないって言ってた。
 ずいぶん昔のことだから、その後どうなったかはちょっとわからない」
そんな内容だったんです。そのときまた、背筋に冷たいものが走りました。

だいたいこんな話なんですけど・・・祝田さんは簡素なお葬式をあげ、遺骨は
郷里には戻されてはいないということでした。祝田さんが言っていた「中根畑」
という集落についても少し調べてみたんです。3年前、豪雨で山崩れがあり、
十数世帯ほどの集落は壊滅。でも、事前に避難勧告が出ていたため
犠牲者は数人で、崩れたのはどうやら、祝田さんが絵の中に描いた
さぐめさんという神様のお社があった山のようでした。
それで・・・ここ数日のことなんですが、病棟に入院されている高齢の
女性患者の方が気になるお話をされてるんです。夜中にカーテンを開けて
緑色のものが入ってくるっていう。「人ですか?」と聞いても、
よくわからないように首をかしげられて。それが一人じゃなく、3人から
同じことを聞かされたんです。はい、もちろん師長には話したんですが・・・






公園の写真の話

2019.06.18 (Tue)
あ、どうも、じゃあ話していきますね。俺・・・僕ね、今大学の4年
なんです。就職は決まりました・・・けど、大企業なんかじゃないし、
ちょっとブラックがかったとこなんです。まあ、しょうがないです、
大学が大学ですから。それでね、就職しちゃうと自由な時間が
なくなるだろうから、卒論とかもあるし金はないんだけど、
今は目一杯遊んでるとこなんです。それでね、2週間くらい前のことです。
高校の同期のやつから連絡が来ました。僕が出たのは中程度の進学校で、
そんときの友だちです。僕は東京だし、そいつは高松の大学に行ったんで
話すのは数年ぶりでした。でね、今度実家に帰ったときに飲みに
行かないかって話になって。高校のときにつるんでた他のやつらの
近況とかも聞いてみたんですが、そいつも地元じゃないんで

よく知らないみたいでした。ただ、気になる話があったんです。
「ほら、お前な、高校のとき○美とつき合ってただろ。○美、今な
 行方不明になってるみたいだぞ」って。「え?!」って思いました。
「行方不明って?」 「いや、俺もよくは知らんが、○美は卒業後、
 就職も進学もしないで家にいたみたいだが、先月かな、
 ふらっといなくなって、それっきり消息がつかめず、
 家族が捜索願出したらしい。当時の仲間の何人かに警察が話を聞きにきた
 ってことでわかったんだ」 「それで手がかりとかつかめたのか」
「いや、よく知らん。ただ○美は俺らと同じだからもう22歳だよな。
 成人だし、警察も大々的な捜査とかはしてないんじゃないか」
こんな内容でしたね。でね、これ聞いたときに、

そりゃ気になりましたけど、すごい心配ってことでもなかったんです。
冷たいやつだって思われるかもしれないけど、○美とは、
高3のときつき合って2ヶ月くらいしかもたなかったんです。
しかも彼女のほうから、なんか避けられるような感じで別れちゃったんで、
僕のことが気に入らなかったんだろうなと思ってました。
その夜ですね、○美とのことをあれこれ思い出してると、
心霊スポットに仲間といっしょに行ったことに思いあたって。
あ、でもこれね、廃墟に不法侵入したとかそんな話じゃないんです。
行ったのは港のほうにある公園でした。いやいや、あんな横浜にあるやつ
みたいな立派なものじゃなく、さして広くない敷地に芝生が植えられてて、
海のほうを向いてベンチが並んでて、中央に噴水がある。

噴水の台の上には、人の半分くらいの大きさの人魚の像。
あと、遊具がいくつか。でもね、そのあたりに人家はないんですよ。
なんであんなところに公園があるのか不思議でしたけど、
以前近くに工業団地みたいなのがあって、そこの子どもたちのために
つくったらしいです。それが工場は移転して公園だけが残った。
だから誰でも入れるんです。でね、僕らの高校だと、
その公園の噴水に顔を映すと、自分の死んだときの顔になってるなんて
話が伝わってたんです。まあ、どこにでもあるような子どもだまし・・・
当時はそう思ってました。あれは、高3の夏休みでした。
もちろんみんな受験があったんですけど、毎日夏期講習通いで息詰まる。
それで夜に集まって騒いでるうちに、心霊スポット行こうってことになって。

男3人、女2人だったと思います。チャリで行きました。
いや、そうですね、噴水の水に死んだときの顔が映るなんて、もちろん
信じてなかったし、そんな怖いってこともなかったです。
港に続く道路は明るいんです。倉庫に行くトラックが夜中でもたくさん通るし、
それに合わせて街灯がずらっと並んでて。他にもグループが来てて
トラブルになることはちょっと心配してましたが、人っ子一人いなかったです、
僕らだけ。公園の外にチャリを置いて、公園の中に入ってまずデジカメで写真を
撮りました。それからベンチで持ってきた缶チューハイとか飲んでね。
それから、一人ずつ公園の中央にある噴水まで行って水の中を
のぞき込んでくるってのをやったんです。男、女の順番で。
僕がたしか3番目だったかな。いや、死んだときの顔どころか、

水面は真っ暗で何ひとつ見えませんでした。他のやつらも同じだったと
思うんですが・・・僕の後が○美で、キャアキャア言いながら噴水に
向かったんです。俺らがいるベンチは噴水から見えるんで、
怖いとかないと思ったんですが・・・しばらく水面をのぞいてた○美が、
なんだかよろけるような感じで戻ってきて、「気持ち悪い」って
言い出したんです。「え、じゃあどっかカラオケでも行って休むか?」
そう聞いたら、「うん、いい、私帰る」そう言って、一人だけチャリに
乗ってすごい勢いで走ってちゃったんです。いや、追いかけませんでした。
「何だよ、あいつ」みたいな感じでみなとまどってましたね。
それから、何度携帯に連絡しても○美から返事はなく、
休みが終わって学校が始まっても避けられるようになっちゃって、

それで別れたんです。・・・今にして考えれば、あのとき○美は、
なんか見てはいけないものを見ちゃったんじゃないかとも思うんです。
まあ、こういうことをバーッと思い出して、そういえばあのとき
公園で撮った写真を、前のパソコンで使ってた外づけHDに保存してたよな、
たしかこっちに持ってきてたはず。でね、押し入れ探したら見つかったんです。
幸い壊れてる様子はなく、今使ってるパソコンにつないで再生してみました。
はい、写真はすぐ見つかって劣化もしてなかったです。
あのときはみな写真撮ったんだけど、保存してたのは僕が撮ったやつだけで、
○美もピースサインとか出して写ってました。ああ、懐かしいな、
こんな美人だったっけかって思いました。ただ、写真はフラッシュたいてたので、
写ってるやつの顔はみな真っ白になってましたけど。

でね、中には○美が噴水の前でかかんでるのを遠くから撮ったのもあって、
それは真っ暗なシルエットになってました。で、問題は次の写真なんです。
公園の奥にあるブランコに○美が一人で座ってるのを、わりと近くから
撮ったもの・・・なんですが、僕、そんなの撮った記憶がなかったんです。
それでほら、写真に日付入れる機能を使ってたんで、それ見て愕然としました。
他の写真は間違いなく高3のときの日付なのに、その一枚だけが1ヶ月前に
なってたんです。ありえないでしょう。そのHD、3年以上もずっとしまって
あったんですよ。まさか僕の部屋に誰かがしのび込んで、HD引っぱりだして
わざわざその写真だけ入れるなんて考えられないし、パソコンにつないで
なかったんだから、外部から送ることもできない。絶対ありえないんですよ。
それ、今持ってきてますんで後で見せます。

写ってるのが○美なのは間違いないです。体つきとか、服装も見覚えあるし。
ただ、顔は写ってないんですよね。下を向いてて髪の毛が闇に溶け込んで
ましたから。その写真、どうしようか迷いました。あるはずないもんだから、
警察に言っても取り合ってくれないどころか、僕が疑われるかもしれないですよね。
でね、考えたあげく、地元にいるやつに連絡取ってみたんです。
そしたらそいつも○美のことは知ってて、高校卒業以来家に引きこもってたのが、
先月ふいに家を出ていなくなった。行き先は誰も心あたりないみたいだ・・・
それは前と同じでしたが、愕然とする話を聞いたんです。2年前に、あの公園は
取り壊されて、あたり一帯は新しい倉庫群になってるって。
もうわけがわかりませんでした。だって写真の日付は先月だし、
写ってるのはあの公園なんですよ。でね、土日かけて実家に戻ることにしたんです。

免許取ってたので、レンタカー借りて行きました。家には寄らず、
まっすぐ港に向かうと、友だちが言ったとおり公園はなくなってて、
真新しい体育館くらいの倉庫がいくつも並んでたんです。幸いというか、
人気はなかったんで、門を乗り越えて公園があったはずの敷地に入り込んでみました。
倉庫のまわりをぐるっと回っても何もなかったんですが、正面に戻ると、
さっきとは違ってシャッターが1mくらい開いてたんです。それで、
その奥に女の人の下半身が見えました。「まさか○美?」そう思って走り寄ると、
かなりの速さでシャッターが降りて、行き着く前に閉まっちゃったんです。
シャッター越しに呼びかけても返事はなし。まあ、分厚いので聞こえなかった
かもしれません。それでね、立ち去り難かったんですが、実家の街の他の場所を
あたっても、○美の手がかりは何もなかったんです。で、戻ってきてから、

HDのフォルダを見てみたんですが、写真がまた増えてたんですよ。
あのありえない写真が最後だったのに、その後にもう一枚。それも持ってきてます。
床がコンクリのだだっ広い室内、たぶんあの倉庫の中じゃないかと思うんですが・・・
たくさんコンテナが積まれてある横の通路、その突きあたりにブランコが
上から下がってて、それに座ってる女の人。さらにその後ろに人魚の噴水らしきもの。
これも○美だと思いますが、遠く小さくて顔はわからないです。それで、
その写真にも日付が入ってて、僕があの倉庫のまわりを歩いた日なんですよ。
それからつい昨日です。差出人不明のメールが来てて、1行だけ、
「ずっと公園にいます」って。返信したけど届いたかどうかも・・・
ホントどうすればいいかわからなくて、人づてにこちらのことを聞いて
相談に来たんです。○美はあの倉庫の中にいるんでしょうか、でもどうして・・・

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