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滝の洞(ほら)の話

2020.09.17 (Thu)
あ、俺な、宇田って言うんだ。ここで話をすれば、金をもらえる
って聞いて来たんだ。じゃあ、さっそく話していくけどよ。
ずいぶん前のことだし、俺が直接体験したことでもねえ。
それでもいいんだよな。あ、そ。うちのじいさんな、
70いくつで死んだんだが、そのじいさんから聞いた、
じいさんが子ども時分のことだ。年代にすれば、昭和の20年代
後半頃になるな。まだ戦後の混乱期と言っていいような時代。
都会のほうはだいぶ食糧不足だったそうだが、じいさんの実家は
そうでもなかった。畑にする土地はいくらでもあったし、
あんな田舎には進駐軍も来ない。けっこうのんびりした生活だった
そうだよ。あ、実家の場所は言わなくてもいいよな。

当時はどの家も兄弟が多くてな、6男とか7男なんて珍しくは
なかったそうだ。そのかわりと言うか、子どもの死ぬ率も
高くてな。疫痢や破傷風なんかの病気、農作業を手伝ってての事故、
川での水死とか。それに比べれば、今はどこの家も子どもは
多くて2人だろ。大事にされてるんだな。あ、スマンスマン、
でな、じいさんら男の子どもは、夏場はほぼ毎日のように
川に泳ぎに行って1日過ごしてたそうだ。川っても渓流だな。
水はきれいだし冷たい。8月のカンカン照りの日でも、
20分も浸かってれば、唇が紫色になって、歯がカチカチ音を
立てたそうだ。でもよ、そういう体験って貴重だよな。
今の子みたく、クーラーの効いた部屋でゲームってのより

ずっとよかったような気もする。それで、その渓流を少し上った
ところに大きな滝壺があって、大人から、そこでだけは
泳いじゃいけないって言われてたそうだ。深いし、水中に
岩があるから、もし飛び込んで頭でも打ったら ひとたまりもない。
じいちゃんらは言いつけをちゃんと守ってたそうだ。
いや、大人が怖いっていうか、じいちゃんの話だと、
その滝壺の水の色な。ペンキを塗ったような緑色で、水中が
まったく見えない。吸い込まれていきそうで、長く見ては
いられなかったそうだ。でな、その滝壺のわきに洞があったんだ。
山の斜面の土を掘った穴だよ。入り口は人が腰をかがめて
入れるくらいの高さ。だが、奥のすぐのところに

厳重な木の柵がしつらえてあって、中には入っていけなかったそうだ。
まあ、崩落とかのおそれがあるからってことだったろう。
でな、その洞は人が掘ったもので、村では平家の落人が
隠れ潜んでいたという言い伝えが残ってたって。どこまでほんとうかは
わからねえが、年に一度、村の鎮守様の神主が来て、
その洞の前で祝詞をあげたりしてたということだ。洞の木柵の前には
小さな賽銭箱もあって、いや、誰も盗ったりする子どもは
いなかったらしい。むしろ、川に泳ぎに行く何回かに1度は、
親から小銭を預かってきて、その賽銭箱に投げ入れてたそうだよ。
で、話が変わるんだが、村にヤジロって若い男がいた。
たぶん名前が弥次郎とかなんだろうが、じいちゃんは

どういう漢字かはわからなかった。農家の次男で復員兵なんだよ。
出征のときは、みなに日の丸を振られて、村総出で見送ったものが、
敗戦で戦前のすべてのことが否定されただろ。
仕事もせずにぶらぶらしてるヤジロは村の鼻つまみ者だった。
いや、気の毒な境遇の人なんだよ。出征したはいいが、
南方に送られて敵兵よりも飢餓、疫病との戦い。
戻ってきてみたら、両親は病気で死んでた。長男の兄がいたんだが、
都会に出て音信不通。ヤジロ本人は、復員病、今でいう戦争神経症って
やつだな。腑抜けたようになって誰とも口を聞かない。
両親の家は残ってるから、そこに住んでたんだが、
村でも気の毒に思って、手間仕事なんかをずいぶん世話して

やったそうだ。ところが、何をやらせても途中で投げ出してしまう。
それだと、食っていけなくなるわな。で、夜中に畑の
作物を盗むようになった。カボチャやナス、キュウリ。
けど、村の者は大目に見てたそうだよ。あとは、自分でフナを
釣ったり、カエルをつかまえて食ったりしてた。それは南方で
覚えてきたんだろう。まあ、暴れたりするわけじゃないし、
そこまではよかったんだが、ヤジロのやつ、現金がほしかったのか、
村の神社の賽銭箱に手を出したんだよ。これはさすがに
許されねえことだし、ヤジロ以外に犯人は考えられなかったから、
村の駐在につかまり、村長なんかも出てヤジロに説教したんだよ。
ま、罪に問わなかっただけもありがたい話だと思うんだが、

その翌日から、ヤジロの姿が見えなくなったんだよ。村の者の
多くは、都会に出たんだろうと言ったが、その次の日、
ヤジロが滝の洞の前で死んでるのが見つかったんだ。
で、その死体は手に小銭を握りしめてて、それは洞の賽銭箱から
盗ったものだ。それと、死体に首がなかったんだよ。
刃物ですっぱり切ったようになってたらしい。なんでそれが
わかるかっていうと、最初にヤジロの死体を見つけたのは
じいちゃんたちなんだよ。6月と言ってたな。そろそろ気温が
高くなってきて、川遊びを始めようかってんで、見に行ったらしい。
着ているものでヤジロだってのはすぐにわかった。
で、大人を呼びに走って村に戻ってきたわけだ。

当時は警察の捜査もいいかげんなものでな。また、村の中から
犯人を出したくなかったってこともあるのかもしれない。
おざなりに調べただけで、結局、今になっても誰がやったかは
わかってないんだ。もちろんヤジロの首も探したが、
見つからなかった。でな、うちのじいちゃんはそんとき6年生で、
ガキ大将だったんだな。仲間や年下の子らを集めて、泳ぎがてら
ヤジロの首を探そうってことになった。事件から10日以上
過ぎてたから、もうそこらに大人の姿はなかったそうだ。
じいちゃんが親に「泳ぎに行く」って言ったら、
親は少し渋い顔をしたが、じいちゃんに小銭と野菜を結わえたのを
持たせ、洞にお供えしろって言ったんだな。

それと、滝壺にはぜったいに入っちゃいけないと念を押された。
で、総勢10人ほどで川に向かった。中にはじいちゃんと同じく、
お供え物を持ってきた子も何人かいたそうだよ。
最初に滝壺に行って、賽銭箱に小銭を投げ、野菜なんかを置いて、
全員でちゃんと手を合わせて拝んだ。それから周囲を探したが、
大人が探した後だし、もちろん首なんか落ちてるわけはねえ。
それで下流に向かおうとしたら、洞の中からゴゴゴッという
大きな音がしたそうだ。驚いて洞の中を見たが、
暗くてわからない。そのまま何も起きないんで、
じいちゃんが「もう行こう」と言ったとき、年下の子の一人が、
「あっ!」と言って滝壺を指差したんだ。

滝壺の水が渦巻いてた、それもかなりの速さで。しかも、
みるみるうちに水の量が減っていく。まるで底に大穴があいた
みたいに。でな、渦の中央に何かが出てきた。大きいもんじゃない。
べたりとはりついた髪、真っ青な顔色、ヤジロの頭だったんだよ。
ほとんど腐ったりしてないように思えた、と言ってたな。
でな、こっからはほんとうかどうかわからねえが、ヤジロの頭の下に
大きな体があったって言うんだ。真っ黒い、牛2頭分もあるような
四足の体。それにヤジロの首がついてる。また洞の中でゴーという
音が聞こえ、「逃げろ!」じいちゃんは叫んで、みなが村に
逃げ戻ったんだよ。いや、それが何だったかはわからない。
すぐ大人が見に行ったら、滝壺の水はもとに戻っていたそうだ。

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悪夢の話 2題

2020.09.14 (Mon)
合歓木(ねむのき)
塚田ともうします。現在、67歳です。森林組合、もとの
営林局ですが、そこを退職しまして、それ以来は年金生活、
まあ悠々自適と言えばそうなので、世間の方々からみれば、
けっこうな身分と思われてるのかもしれません。
ですが・・・わたしは人を恨んでました。ある病院の医師です。
3年前、家内が腎臓の癌で亡くなったんです。それはね、
家内も60歳を過ぎてましたし、癌になったのは加齢であり、
運命だと思ってます。でも、家内が死んだのは医療ミスのせいだと
思ってます。主治医になったその大学病院の中堅内科医のせいで。
詳しい経緯は、ここではお話してもしょうがないと思いますので、
言わずにおきますが、私にはそうとしか思えませんでした。

それで、なんとかその医師に責任を感じてもらいたいと思って、
刑事と民事で裁判も考えたんです。カルテや画像データの
開示請求をして、弁護士に相談したんです。ですが、弁護士の回答は、
たしかにミスが疑われるが、これまでの判例から、有罪を勝ち取るのは
難しいだろう。医者は守られてるし、病院の関係者も口裏を
合わせるだろうからと。考えてみればそうです。わたしのほうには
有力な証人はいませんし、カルテだって、改ざんされてたとしても
わからないですからね。でも、民事では訴えたんです。
・・・結果は予想どおりというか、敗訴。示談にもなりませんでした。
それで、お恥ずかしい話ですが、その医師の勝ち誇った顔を
法廷で見ていると、ますます憎しみがつのりまして。

一時はね、登山ナイフを持って病院の駐車場で待ちぶせしたりも・・・
けど、わたしにはできませんでした。そんなわたしを見かねたのか、
事情を話していた森林組合時代のかつての同僚が、人を呪い殺す
お寺というのを紹介してくれたんです。もちろん、最初に聞いたときは
半信半疑というか、一信九疑くらいでした。呪いなんていうのは、
創作の世界だけの話と思ってましたから。でも、友人は真顔だったので、
行ってみたんですよ。場所は言えませんが、ある山の中腹にある
ごく普通のお寺で、墓所などは付随してませんでした。
わたしがいる間、参詣の方もなかったと思います。通用口から入って、
出てきた若いお坊さんに事情を離すと、奥の書院に通されました。
そこで年配のご住職と面会し、改めて事情をお話ししたんです。

ご住職は、「呪殺はたしかに当寺でうけたまわっております。ただし、
 それが成就するのは2人に1人。願いがかなわない場合は、
 ご自身が命を失います。それでもよろしいか」そう、無表情に
言われたんです。もちろん考えましたよ。家内がいなくなり、
息子は東京にいてめったに戻ってはこない。で、「お願いします」と。
その後、本堂に向かいましたが、そこにあったご本尊は、紫色の恐ろしい
姿で、見たこともないものでした。ご住職は、「天竺のインドラ神です」と
こともなげに言い、そこで長い加持祈祷があり、その後ご住職は、
ご本尊の前に置かれていた和紙の包みをわたしに下されたんです。
「これは?」 「ごらんになってください」開いてみると、
細長い乾いた豆のさやのようなものが4本。わたしが訝しんでいると、

「合歓の木の実です。これを、あなたの決断がついた日に枕の下に敷いて
 寝てください。あとは夢の導きのとおりに」わたしが前もって言われていた
謝礼をお渡しすると、奥に戻っていかれたんです。はい、またあれこれ
考えさせられましたが、やはりあの医師はどうしても許せない。
それで、数日後、枕の下に入れて寝たんです。気がつくと、荒れ地に
立ってました。そこだけ色が変わった細い道が続いていて、遠くに
高い木が見えたんです。合歓木だと思いました。そのときには、
これは夢なのだとわかってましたね。その中で、長い時間をかけて
木の下にたどりつくと、枝の落ちた幹に、恐ろしい顔が木彫りされて
あったんです。あのお寺で見たインドラ神でした。そして、
その前に白木の低い台があり、木札が2枚載っていたんです。

はい、そのときにはどういうことかわかっていました。この木札のどちらかを
選んで裏返す。もしあの医師の名があれば、医師は死ぬ。
またわたしの名だったら、わたしが死ぬ・・・もう躊躇はありませんでした。
たしか左だったと思います。手に取って裏返すと、そこには梵語が
書かれていました。もちろん読めませんよ。ですが、これは医師の名前だと
わかったんです。そのとき、曇っていた灰色の空が真っ黒になったんです。
何度も稲妻が光りました。合歓木の顔が「願いは成就した」
そう言ったと思いました。ああ、うれしい。しかし続けて、顔の額に
あった縦になっている目がかっと開き、「お前は地獄に堕ちた」とも・・・
はい、2日後、その医師は病院で診察中に急死しました。
わたしはまだこうして生きていますが、いずれ地獄に行くのでしょうね。

商店街
子どもの頃から、同じ夢をくり返し見るんです。といっても、そんなに
頻繁にではありません。年に一度くらい。見なかった年もあります。
夢を見るのは決まって、私が風邪をひいたり、体調が悪いときの
夜なんです。初めて見たのは、小学校6年のときだったと思います。
そのときは怖い夢じゃなかったんです。たぶんどこかの地方都市の
商店街の道路を歩いている。どこにでもあるような場所ですが、
そのときはまだ商店街はにぎわっていました。本屋、魚屋、
乾物屋、荒物屋・・・郊外に大型スーパーができる前は、
そのような商店街はどこにでもあったんです。車通りは制限されて
いたんでしょう。通りの真ん中を人が歩いていて、私もそこを通って
いたんです。店の人の「安いよ安いよ」という声が聞こえてました。

で、あれは八百屋でしたね。山と積まれたリンゴの前に、3歳くらいの
かわいらしい男の子が立ってたんです。にこにこしてこっちを見て
いたので、思わず手をふると、その子もふり返してきて・・・さほど
長くはないその通りを別の広い道路と合流するところまで歩いて、
その夢は終わり。ね、これだけだと悪夢ということはありませんよね。
あと、その商店街に心あたりはありませんでした。何度か同じ夢を見た後、
両親には夢の話をしてみたんです。店の並びもだいたい覚えてましたから。
でも両親にも、その場所がどこかはわからなかったんです。次に見たのが
中1、その次が中3。中3のときは、高校受験の数日前に体調を崩して
しまって、あせっているときのことでした。そうですね、そのあたりまでは、
商店街の変化に気づいてはいなかったんです。でも、私が高校に

入学してから見たときは、変わりようがはっきりとわかるようになって
いました。まず、交通規制がとかれ、せまい通りを車が通るようになってて、
そのかわり通行人は少ない。店の中にはシャッターを閉めてしまって
いるところもある。そうです、商店街がだんだんにさびれてきてたんです。
まあ。これは現実的に、どこもそうですよね。でも、やっぱり夢の中で、
なんだか寂しい気がしてたんです。私が就職して4年目、またその夢を
見ました。合計7回目だったと思います。その頃には、商店街は
シャッター通りと言われる場所になってました。どこも店を閉め、
ただときおり、車だけがビュンと通り過ぎていく。次に見たのは
結婚して2年目です。もうその夢を見るのは嫌になっていました。
寂しいし、なんだか不気味だし、いつまでこんな夢を見続けるんだろう。

心療内科に通うことも頭にはあったんですが、環境が変わってもう見ない
かもしれないとも思ってたんです。でも、妊娠がわかって、体調が悪かった夜、
また見てしまったんです。人っ子一人いない寂れた通り、どこの店も
シャッターを閉め、それには赤錆が浮いていました。ああ、またあの夢だ。
早く通り過ぎてしまおう。そうすれば夢は終わる。足を早め、男の子がいた
八百屋の前まできました。すると、そこから一人の男性が出てきたんです。
中年で40歳代に思えました。その人は私に気づくと顔をしかめ、
「ここは幽霊が出るんだ。だから誰もお客さんが来なくなった」さらに続けて
「もういいかげんにしてくれないか」と。「どういうことですか? 幽霊って
 何のことですか」思わず聞くと、「あんたが幽霊だろ」そう言い捨てて
暗いシャッターの奥へと引っ込んでいったんです。

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10円玉の話

2020.09.08 (Tue)
こんばんは、秦野ともうします。よろしくお願いします。
今から20年ちょっと前、私が中学校1年生だったときのことです。
当時、私は美術部に入ってました。うちの中学は、部活動全員制
というのをやってたんです。でも、女子だと運動が苦手の子も
多いですよね。かといって、科学部や吹奏楽もちょっとという場合、
入れるのは美術部しかなかったんです。顧問は女の美術の先生
でしたけど、指導は熱心ではありませんでした。まあ、
あれだけの人数がいれば指導なんて無理だったでしょうけど。
ですから、週に3回、4時から5時半まで、美術室と技術室を開け
最後にもう一度来て生徒を追い出し、鍵をかけるだけでした。
そんなだから、みんな好き好き勝手にイラストを描いてました。

その中で、私といつもいっしょにいたのがA、B、C。
私をいれて4人のグループだったんです。Bと私が同じクラスで、
A、Cは別のクラスでしたが、4人とも同じ小学校だったんです。
みんな、どっちかといえばクラスでは地味めな存在でしたね。
美術室には3年生がいて、私たちは技術室のすみっこの机で、
先生がいないのをいいことに、その日に出た宿題の教えっこなんかも
やってたんです。それで、夏休み前、7月のことだったと思います。
Bが「うちに帰りたくないな」と言い出して。私はその事情が
わかってました。Bの両親はすでに離婚が決まってて、
今はいろんなことの始末のために家にいるけど、目も合わせないし
口も聞かないってBから聞いてたんです。

それと、Bは母親に引き取られる予定だったんですが、それが嫌で、
お父さんのほうがよかったみたいなんです。そしたら、Cが
「じゃ、みんなで少しコックリさんやらない」って。
はい、コックリさんは学校ではまったく流行ってませんでした。
ですから、禁止ということさえ言われてなかったんです。
ただ、私とAは、Cの家に遊びに行ったとき、何回かやったことが
あったんです。Cはそういうオカルトっぽいことが好きで、
占いやお守りなどにも詳しかったんです。そうですね・・・
初めてCの家でやったときは、みんなで10円玉に指をかけるじゃ
ないですか。あれって10円玉がコックリさんの力で動くんじゃなく、
以心伝心というか、自分たちで動かしてるんだと思いました。

そういうの、あんまり信じてなかったんです。Cはバッグの中から
コックリさんの紙を出しました。家に帰りたくないBが、
「何それ、やろうやろう」ってすごく乗り気で。
でも、さすがにその場では他の子がいて無理だろうと思ったんです。
それでCが、「栄光室でやろう」って。栄光室というのは、
運動部とかのトロフィーとかありますよね。その飾りきれない分を
置いておく部屋で、美術室と同じ棟にあって、いつも鍵はかかって
ませんでした。今思えば、もう少子化が始まってて、教室があまって
たんですね。私たちはバッグは技術室の机の下に置いたまま、
そっと抜け出して栄光室に入りました。顧問が様子を見に来るとは
思えないし、怒られることはないだろうと。で、初めてのBに

だいたいのやり方を説明し、Bが「じゃ、私が10円玉出す」と言って
サイフから出して、コックリさんが始まったんです。4人がそれぞれ、
その10円玉に指をかけ、Cがわざと恐い声を出して、
「コックリさん、コックリさん、どうぞおいでください」と言い、
私とAが「おいでになりましたら、「はい」にお進みください」声を
合わせました。でも、10円玉は動かなかったんです。あれ、と思いました。
前にやったときはすぐ動いたのに、Bが入ってるせいだろうか。
でも、何度か語りかけているうち、ぎこちなく「はい」に動いたんです。
それから、一人ずつコックリさんに質問をしました。
内容は他愛ないもので、「通知表に5はありますか」とか、
「サッカー部の〇〇君に好きな人はいますか」そんな感じです。

1回目は、「はい・いいえ」で答えられる質問がいいんです。
で、ふた回りめに入り、また一人ひとり、もっと複雑な質問をしました。
10円玉が「あいうえお」の字の中を動かなければならないような。
それでも前にCの家でやったときは、それなりに意味のある答えが
返ってきたんですが、その日はどうやってもダメだったんです。
動かなかったり、「とて」とか、意味があるとは思えない答えだったり。
その最後がBの質問でした。Bは少し考えてましたが、「私は、
お父さんとお母さんのどっちに引き取られるんですか」と言ったんです。
そしたらやはり、10円玉は動かなかったんですが、なんか指先が
熱いような感じがしたんです。でも、離すことはしませんでした。
いつまでも動かない10円玉、私たち4人は顔を見合わせてました。

数秒間くらいそうしてましたが、Aだったかな、「熱い」と叫んで
指を離したんです。はい、指先が沸騰したヤカンをさわってる
感じで、ガマンできなかったんです。私たちもほぼ同時に指を離すと、
それと同時に、壁際のロッカーに整頓されて置かれていた
トロフィーや盾が、カチンカチンと音を立てて床に落ち始めました。
それから、窓の暗幕が、窓を開けてもいないのにブワーッと広がって・・・
私たちは「キャーッ!」と声を上げ、われ先に部屋を逃げ出したんです。
美術室の近くまで戻ったら、3年生の部長が顔を出して、
「あんたらうるさいから、真面目にやらないんなら帰りな」と
怒られてしまったんです。栄光室をそのままにしてはおけない、
コックリさんの用紙も広げたままだし、見つかったら先生方に怒られる、

親を呼ばれるかもしれない。そう考えて、みながひとかたまりになって
おそるおそる戻ったんです。そしたら、たしかに下に落ちたはずの
トロフィー類は、一個も倒れてはおらず、カーテンももとに
戻ってたんです。「??」今考えても不思議です。間違いなく見たのに。
それでコックリさんの紙ですが、字の間に焦げ茶色のか細い字で何かが
書いてあったんです。「も っ て か え れ」というふうに読めました。
それと10円玉、ちょうど「はい・いいえ」の中間、鳥居のとこに
あったんです。コックリさんはお帰りになったのか。
そのとき、Cだったかな「あ!」と言ったんです。私たちはいつも
10円玉の表側、つまり建物がついているほうを上にして
やってたのが、裏の数字の10のほうになってたんです。

みんなで「もってかえれ」の意味を考えましたが、その用紙と
10円玉くらいしか思いつきませんでした。Cは、「いや、気味悪い」
と言って、コックリさんの紙を丸めて、栄光室のゴミ箱に投げ入れ
ましたが、Bはゆっくりした動作で自分の10円玉をサイフに
しまったんです。どういうわけか、そのときの様子が記憶に
焼きついたように残ってるんですね。ここからのことはあまり
話したくないんですが、そういうわけにもいかないですね。
夏休み中に殺人事件が起きたんです。Bの父親が母親の首を絞めて
殺してしまったんです。動機は、当時の私にはよくわかりませんでしたが、
後になって、新聞記事などを調べたりしました。そのことは関係ないと
思うのでここではお話しませんが、複雑な事情があったようです。

結局、Bは母親には引き取られず、父親のほうは裁判があって、殺人罪で
拘置所から刑務所へと行きました。Bは、母方の祖父母のもとに引き取られる
ことになったんですが、夏休み後、1回も学校に出てくることはなく、
そのまま転校してしまったんです。それから、手紙なども一度も
もらってはいませんし、私たちのほうは新しい住所を教えてもらえ
ませんでした。ここからは聞いた話ですが、Bは転校先の
中学卒業と同時に祖父母の家を飛び出し、どうやら東京に行った
みたいなんです。その後、どうしているかはわかりません。
ときどき考えてみるんです。Bがあの10円玉を持って帰ったのは
よかったのだろうか、悪かったのだろうか。もし捨ててしまっていたら
どうなっていたんだろう、って。これで終わります。






赤い大黒様の話

2020.09.02 (Wed)
今晩は、武藤ともうします。よろしくお願いします。あの、
まず最初に自己紹介をさせてもらいます。現在、主婦をしています。
以前はスーパーのパートに出てたんですが、2番めの子どもが
産まれまして、今、2歳です。それで、子育てに専念してる
ところなんです。上の子は小3で、どっちも男です。
夫は建設業で、現在は工務店で働いてますが、もうすぐ独立して
室内インテリアの会社を始める予定で、その準備も進めてます。
それで、一連のことが起きたのは2週間ほど前からです。
きっかけは、夫が仕事で古い造り酒屋の改築に行ったときに、
大きな大黒天の像をもらってきてからなんです。
そうですね、高さは50cmくらいで真っ赤に塗られているんです。

それを夫が車から下ろして居間に運び込んだときは、思わず
「なに、これ?!」って言っちゃったんです。部屋にはまったく
合わないし、置き場所もとるので。「いや、もらってきたんだ。
 施主の酒屋の親方が、それはもう役目が終わったようだから、
 もし欲しい方がおられれば、差し上げますって言ったから」
「えー、誰も欲しがらなかったでしょ」 「何言ってる、会社に
 持ってきてから皆が欲しいって言ったんで、抽選になったんだぞ。
 そこの酒屋はな、地酒ブームにのって新し酒造場を建てたんだ。
 そういう酒屋をずっと守ってきた大黒様だから、間違いなく
 縁起物だよ。だからみんな欲しいんだ。俺が新しく自分の
 店を立ち上げたら、これ飾っとけば成功間違いなし」

夫がそう言ったので、そのときは、そんなものかと思ったんです。
大黒様の顔はいかにも福々しく、表情もにこやかでしたから。
ただ、全体が赤く塗られてることだけは気になりました。それで、
「どうしてこれ、赤いの」って聞いたんです。そしたら、
「いや、それはわからん。もともとじゃないみたいだな。何か
 いわれがあるのかもしれんが、聞かなかった。まあ、
 たんに古びたからかも」こういう答えが返ってきたんです。
うちは賃貸マンションの4階で、リビングとダイニングが間仕切りで
つながってます。その大黒様はどこに置いてもじゃまなので、
キッチンの電子レンジの上にのせました。そしたら、大きな頭が天井
近くまできたんです。それから1週間は何事も起きませんでした。

電子レンジはあまり料理に使わないほうなので、像のことは気に
ならなかったです。月曜日の午後ですね。まだ長男が学校から戻る時間
ではなかったし、テレビを見ながらウトウトしてました。
2歳の次男はソファの上でオモチャで遊んでたと思ったんですが、
「ママ!」という声がして、そっちを見ると、次男がキッチンの出窓の上に
立ってたんです。そして窓は全開。出窓の前には棚があるんですけど、
小さいので、それくぐっちゃったんです。思わず息を飲みました。
人って、ほんとうに驚いたときって声が出ないんですね。それでもなんとか、
「動かないで!!」と声をふり絞り、手を伸ばして息子のほうに
駆け寄ったんですが、ぐるん、と前回りするような形で落ちてったんです。
下は駐車場と通路になっていて、アスファルトです。

そのとき「助けよう」という声が横のほうからしました。気が動転してて、
どんな声かはっきりしませんが、男の声ではあったと思います。
とにかく出窓にすがりついて下をのぞくと・・・信じてもらえるか
わかりませんが、息子が頭を下にした形で宙に浮いてたんです、
ちょうど2階のあたりで。そこからゆっくり、スローモーションの動きで
半回転し、足からトンと地面に下りて、そこで転んだんです。
走って下に行きました。息子は泣いていたものの、どこにも見えるケガは
なかったです。4階から落ちたのに、ありえないですよね。抱き上げて
部屋に戻り、出窓を閉めました。ロックしてあったはずなのに・・・
息子が外したとも考えにくいんです。大人の私でも固かったですから。
そうしてるうち、長男が帰ってきて「おやつ!」と叫び始めました。

その子も連れて病院へ行ったんですが、転んだと言ってCTを撮ってもらっても、
やはり何の異常もなかったんです。・・・次男が出窓から落ちたってことは、
夫には言いませんでした。一つは、私がぼんやりしてて後ろめたかったからで、
それに、ケガ一つしてないなんて信じてもらえないと思ったんです。
まして空中で止まってたなんて。それで、さっき話した「助けよう」という
声。幻聴かもしれないと思ったんですが、電子レンジの上の
大黒様のほうから聞こえたようにも。像を確かめると、位置が変わってる
わけでもなく、置いたままの状態でした。ただ、もしかしたらと思い、
それまで何もしてなかった大黒様の前に、お水とコンビニで買った和菓子を
お供えするようにしたんです。夜になって戻ってきた夫がそれに気づいて、
「ああ、お祀りするのはいいことだな」と言ってました。

その2日後です。朝、長男が血相を変えてキッチンにやってきて、
「ハムちゃんがいない」と言い出しました。はい、息子がケージで飼ってる
ハムスターです。ペット禁止のマンションですが、水槽や小動物は黙認
されてたんです。「えー、おがくずの中までちゃんと探した」
「どこにもいない」長男は半べそ状態でした。部屋に行って見ると、
たしかにいませんでした。でも、そのときはベッドの下とかに這い込んだん
だろうくらいに思ってたんです。「ママが探しててあげるから、
 学校行く準備をしなさい」なんとか夫と長男を送り出し、次男を抱いて
子供部屋を探したものの、ハムスターはどこにもいませんでした。
長男が学校から戻ってそのことを言うと、泣いたので、私も「あんたが
 ちゃんと見てないからでしょ」と怒ってしまいました。

その晩、大黒様のお水を取り替えようとしたとき、大きなニンマリした
口の端から何かがポロッと落ちたんです。小指の爪の先ほどのもの。
白い毛が生えたピンク色の・・・今にして考えれば、ハムスターの
耳だったんだと思います。その夜、夢を見たんです。
薄暗い異国風の部屋にいました。ダン、ダン、ダンと単調な太鼓の
音のようなのが聞こえていたと思います。何か、そう大きくない
ものが激しく踊っている後ろ姿が見えてきました。
それは、踊りながらだんだんとこちらを向き、次男だと思いました。
けど体が真っ赤で、それと、額のところに縦になったもう一つの
目がついてたんです。ダン、ダン、ダン、踊りながら息子は外国語の
ような言葉を発してたんですが、急にそれが意味のあるものになり、

こう言ったんです。「この子の命を助けたかわり、この体をもらう」
「!?」そこで、大きな声がして目が覚めたんです。
寝室にベビーベッドを置いて寝かせてある次男が、立ち上がって
手すりにもたれ、えずいてたんです。ゲッ、ゲッ、ゲー、
まずその日の夕食を吐き出しました。ぐずっていてあんまり
食べなかったんですが。それから・・・思い出したくないんですが、
口から、どろどろになった白いものが出てきました。
それには小さな目がついていて・・・ハムスターの頭だったんです。
次男を抱きかかえ、夫を起こそうとしました。でも、夫はベッドの中で
目を開けてました。そして冷静な声でこう言ったんです。
「おお、大黒様がおつきになったか。それはめでたい」って。

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ばあちゃんの湯呑の話

2020.08.27 (Thu)
あ、どうも。俺、山本っていいます。高校を中退してから、
ずっとプー太郎をしてたんだけど、最近、就職したんです。
といっても、自動車会社の期間工だから、いつまで仕事あるか
わかんないですけどね。まあでも、俺ももう25過ぎたんで、
そろそろ真面目にやんなきゃマズいと思い始めて。
気持ちが変化したきかっけですか。この間、同居してた
じいちゃんが亡くなったんです。死因は肺炎でしたけど、
86歳でしたから大往生って言っていいかと思います。
はい、入院してた先の病院で。それでね・・・これから話を
するのは じいちゃんのことじゃなく、その連れ合いだった
ばちゃんのことです。ただ、ばあちゃんは、俺が生まれる前、

30代で病気で他界してるんですけどね。だから顔は遺影でしか、
見たことがありません。昔の白黒写真だけど、きれいな人だった
ってことはわかります。和裁の先生をしてたんです。
もう壊しちゃったけど、じいちゃんが建てた家の一間に
お弟子さんを集めて。あ、じいちゃんは大工でした。
ほら、大工仕事は安定しないから、ばあちゃんの収入でずいぶん
家計の助けになったみたいです。それで、話はね、ばあちゃんの
湯呑のことなんです。どこにでもあるような白地に花の模様の
ついた湯呑。いつもそれでお茶飲んでたみたいです。
この湯呑、ばあちゃんが急死して、葬式なんかのどさくさのときに
見えなくなっちゃったんです。ひと段落してから探したけど、

どっからも出てこない。だから、ばあちゃんがあの世へ持って
いったんじゃないかって、当時は話してたそうです。
けどね、それ、ときどき出てくるんです。はい、俺も見てます。
恥ずかしい話だけど、そのことも後で言いますよ。
最初に湯呑のことが出てきたのは、ばあちゃんの弟子の
お針子さんのところからです。その人、いき遅れたっていうか、
30歳過ぎても独身だったんですが、縁談が来たんです。
で、飛びついちゃったんだけど、それね、結婚詐欺だったんですよ。
恋愛結婚が少ない昔のほうが多かったみたいですね。
相手の詐欺師の男が、お弟子さんの家に来て両親にあいさつした。
そのとき、ガラスコップでサイダーかなんかを出したのに、

見ると白い湯呑を持ってる。でほら、そのお弟子さん、
通いだったから、家でばあちゃんがそれでお茶飲んでるのを何度も
見てるんです。「え、あれ?」と思ってるうち、
男は中のものを飲み干し、そしたらトロンとした目になって
呂律が回らなくなり、そのまま家を飛び出していったそうなんです。
それからどうなったと思います? そいつ、駅前で路面電車に
飛び込んだんです。まあ、死ぬまではいかなかったみたいですけど、
それまでの悪事が露見して、警察病院に入院です。
その後、湯呑は、どこを探しても見つからなかったということです。
うちの母親は、この話をお弟子さんから聞いても信じなかったそうです。
まあ、そんなことがあるわけはないと思いますよね。

なんかの間違いだろうと。ところが、次にその湯呑を見たのは
母親自身なんです。今の自宅になってからのことです。
その日はじいちゃんも父親も仕事で、俺はまだ生まれてまもなかった。
母親が赤ん坊の俺と家にいた午後に、訪問販売が来たんです。
当時はまだ押し売りって言葉があって、風体が悪い相手なら
母親も警戒したんでしょうが、びしっとスーツを着たサラリーマンで、
居間に上げてしまった。言葉もすごい巧みで、催眠術にかかったように
高価い仏具を買わされそうになったって言ってました。
でね、お茶は出してたんです。でも、そういう訪問販売は
出されたものに手はつけないですよね。ところが、ふっと見ると、
白い湯呑を持ってる。母親はすぐにばあちゃんのだって思ったそうです。

青い水仙の花の模様でわかったって。で、訪問販売はのものを
一口飲むなり、ぎょっとしたような顔になって、パンフレットだけじゃなく、
自分のバッグまで置いたままにして、急に出ていったんだそうです。
いや、その後どうなったかまではわかりません。ただ、その会社は
ひじょうに評判の悪いとこだってのが判明しました。それで、しばらく
間があって、次が俺です。最初にずっとプー太郎をやってたって言ったでしょ。
高校中退してから、たちのよくない仲間とつき合ってました。
ほら、定職についてないもんだから、みんな金なくてピーピーしてて。
で、ある日ね、俺と仲間の数人が金融業者から高いクラブに誘われたんです。
金融業者っても、筋者です。そこで出た話が、オレオレ詐欺メンバーの勧誘。
俺、そんなとこに来たことなくて、きれいなオネーチャンはいるし、

ぼうっとなって話に乗ってしまうとこだったんです。もちろん仲間も
同じですよ。筋者もそのときは愛想がよかったし。で、グラスで
シャンパンを飲んでたんですけど、ぐっと飲んだら味が変わってたんです。
なんと言えばいいかなあ、あの世を覗いたような味って言えば
わかってもらえるか。いや、変な例えだけど、そうとしか表現できないです。
「ええ?!」と思って手の中を見ると、青い花の模様のついた茶碗。
その後のことは記憶にないです。俺、ぶっ倒れたみたいですから。
タクシーで家に送られて、それから3日くらい気分悪かったです。
オレオレ詐欺の会社は俺が寝込んでる間に発足して、結局、
メンバーにはならなかったんです。よかったですよ。1年たたないうちに
摘発されましたから。ああいう犯罪は判決が厳しいんですよね。

で、そんときは俺、あの湯呑がばあちゃんのだって知らなかったんです。
だんだん話を聞いてるうちに、ああ、あれがそうだったんだなって
納得したっていうか。これが最後の話になります。3ヶ月前、
じいちゃんが起きてこなかったんです。いつもは朝早くに新聞を
取りに行ってたのに。母親が見に行くと、大汗をかいててすごい熱。
意識もなかったんで、救急車を呼びました。肺炎はかなり進んでて、
年も年だし、危ないってことだったんですが、一時は回復して
意識が戻ったんです。それで最初に言った言葉が、
「俺の湯呑を持ってきてくれ」・・・最初、言い忘れてましたけど、
ばあちゃんの湯呑って、夫婦湯呑だったんです。模様が同じで
大ぶりなのをじいちゃんは持ってて、ふだん使わずしまってたんです。

それで、病院にじいちゃんの湯呑を持ってたんですが、
やはり使わないで病室のテレビ台に置いてたんです。俺が見舞いに
行ったとき、「じいちゃん、これ使わないのか」って聞いたら、
「いや、まあ、準備しとく」みたいなことを言いました。
意味わからなかったけど、酸素の管つけてるし、それ以上は
聞けなかったんです。で、俺が帰るとき、じいちゃんはボソッと、
「俺が浮気しようとすれば、民子の湯呑が出てきてなあ」って。
民子ってのはばあちゃんの名前ですよ。ただ、浮気と言っても、
ばあちゃんは亡くなってるわけだし、じいちゃんが再婚しなかったのは
そのためかって、これも後になって考えたことです。
じいちゃんはそれから、お粥を食べられるようになって

退院が見えてきたんですけど、ある晩、胃液を誤嚥しちゃったんです。
それで肺炎がもっとひどくぶり返して親族が呼ばれ、
翌日亡くなったんです。入院の荷物を整理してて、一番最初に
気がついたのは母親でした。「あっ!」って。もうわかりますよね。
テレビ台の上に夫婦湯呑が2つ揃ってあったんです。
はい、ばあちゃんの湯呑はもう消えたりしませんでした。それでね、
じいちゃんの火葬のとき、陶器だからいいだろうってことで、
セットで棺に入れてもらったんです。お骨上げのときには、
どっちもほぼ灰になってました。まあ、こういう話なんですよ。
で、家に戻る途中の車の中で母親が、「お義母さまは情の
 強(こわ)い人だったから・・・」ぽつりとこう言ったんです。