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地獄から来た子どもの話

2018.08.14 (Tue)
※ 冷房風邪をひいて体調悪いです。なんか話の出来もあまりよくない。

こんばんは、じゃあ私の話を始めさせていただきます。
ただ、始めにお断りしておきたいのは、この話、今からもう20年も前の
ことなんです。わずか2日間の出来事で、しかもその後ずっと何も起きてません。
ですから、私の思い出話みたいなもので、
みなさんにはあんまり怖くないかもしれないです。
あれは、私が小学校4年生のときでした。まだ妹が産まれる前のことです。
両親と祖母と私の4人で、私の夏休み中、温泉地に行ったんです。
場所は言わないでおきますね。全国的には有名ではないものの、
私が住んでた地方ではそこそこ有名な、隣県の温泉です。
私はまだ子どもだったから、遊園地なんかのほうがよかったんだけど、
祖母がすごく温泉好きだったんです。父の車で行きました。

宿に着いたら、やはり夏休み期間だけあって、駐車場にはずらっと車が並んで、
けっこう混んでました。すぐ部屋に通され、まだ日が高かったので、
外に散歩に出ることになりました。そこは大きな一軒宿なので、
温泉街などはなく、自然の中を通る遊歩道があったんです。
硫黄のにおいが立ち込め、そこここから煙が上がってました。
夕方なので、散歩に出てるお客さんはちらほらで、
私たちは祖母に合わせてゆっくり歩いていったんです。
そしたら、横手の林が途切れて右側が崖になりました。
といっても、それほどの高さはなかったんです。5、6mくらい下に、
ぼこぼこと泡がたってる黄土色の沼がありました。
木の橋があり、そのたもとのところに「地獄沼」という看板が立ってて。

そこでたしか私が父に、「ここって地獄なの?」って聞いた気がします。
そしたら父は、「ああ、温泉地獄といって、日本のあちこちにあるんだよ。
 あの底から温泉が湧き出してるんだな」こう答えました。
橋はしっかりした作りで、手すりも高かったんですが、
こっから落ちたら助からないと思って、祖母と手をつないで恐々渡っていきました。
と、下の地獄沼の端のほうにひときわ大きな泡がわき上がってきたんです。
泡はかなりの高さまでふくらみ、びしゃっという感じで弾けましたが、
その跡に、泥の色をした人の背中が見えました。
「あ、お父さん、人がいる」思わずそう声をかけました。
「え、この沼の中にか。まさか」 「えー、だっているから。ほらあそこ」
指さしたんですが、父にはわからないようでした。

「えー、なになに?」今度は母、それで母にも下を指し示して、
「ほら、あそこに、人!」 「うーん、お母さんわからない」でもやっぱり、
母にも見えてなかったんです。そうしてるうち、私たちは沼の中央を過ぎ、
その地獄沼から生まれたものは、泥の上を這うように進んで、
ほとりの岩に上がったんです。子ども、に見えました。
全身が黄色い泥色の、そのころの私より少し年下の子ども・・・
でも、髪は泥で固まってたし、男か女かわかりませんでした。
私が歩きながら後ろをふり返ってそれを見ていると、
祖母が握ってた手に力を込めて、「おばあちゃんには見えるよ。
 けど、あれ、見ないほうがいいものだから」そう言ったように覚えてます。
だから、私は無理やりそれから視線を切って、遊歩道を進んでいったんです。

そのときの散歩は小1時間くらいだったと思います。
帰りも同じ道を通ったので、沼でさっき見たものを探したんですが、
もういなくなってしまってました。それから、夕食前に1回大浴場に行き、
夕食後は家族で、宿の中のカラオケをやったり、ゲームコーナーに行ったりしたので、
祖母にさっきのもののことを聞こうと思ってたのが、
すっかり忘れてしまってたんです。その夜は、何もおかしなことはなく、
翌日の朝になりました。朝食は、1階にある食堂でとることになってたので、
家族でそこに行きましたら、団体客や家族連れなど、
他のお客さんがたくさん入ってました。私たちの名前があるテーブルに行くと、
お膳が並んでて、私は「いただきます」を言って食べ始めたんですが、
しばらくして、むっと強い硫黄のにおいがしたんです。

その温泉は、どこもかしこも硫黄のにおいで、私ももう気にならなくなってたんですが、
とても強いにおいで、思わずそっちのほうを見たら・・・
子どもが、やや離れた通路の床に這いつくばってました。
その宿の浴衣を着てたような気がします。髪は短く、男の子だと思いました。
その子はゆっくりと立ち上がり、振り向いてこっちを見ました。
そしたら、顔が泥だったんです。黄土色の泥がぐるぐる渦巻くような、目も口もない顔。
私は「キャッ!」と叫んで立ち上がってしまいした。
「どうした?」と父が聞き、「あれ、あれ、あそこ!!」と大きな声を出すと、
父は「指さすのはやめなさい。何もいないじゃないか」そう言い、
私は、昨日と同なじだ、見えないんだって思ったんです。
その子は、ひょこひょこした動きで、ゆっくり私たちのテーブルの近くまできて、

そのとき、祖母が小さな声でその子に、「よそへ行きなさい」って言ったんです。
その声は父母にも聞こえ、「何? おばあちゃん」と母が聞きました。
祖母はそれには答えず、泥の顔をした子どもはくるっとふり向き、
全身を引きずるようにし通路を戻って、別の家族連れのほうに近づいていったんです。
「なんかすごい硫黄のにおいだなあ」って父が言ったのを覚えてます。
部屋に戻るとき、祖母に「おばあちゃん、さっきのあれ、何?」って聞きました。
祖母は、「わからないねえ、ただ悪いものだとしかわからない。
 お前にも見えるんだねえ」って言いました。
それから部屋に戻り、もう一度最後に温泉に入って、宿を発つことになりました。
駐車場の父の車に向かうと、やや離れた場所で、
やはり家族連れが車に乗り込むところでした。

そのときの私の両親よりも齢が上に見える父親と母親、中学生くらいの女の子。
それと・・・旅館の浴衣を着た子どもが、女の子の後ろにいました。
「!! あれ、さっきの」と思いました。その浴衣を着た子どもが、
車に乗ろうとしたとき、横顔が見えました。
やはり黄色い泥の固まりが動いているみたいでした。
バタンと車のドアが閉まり、その家族の車は走り出し、
私たちも出発しました。その日は、ある有名な小説家の記念館に行き、
その近くで昼食をとってから、家に戻ったんです。
翌日も父の仕事は休みでした。私は前日の旅行で疲れてたので遅く起き、
10時過ぎに下に降りていきました。
すると、ダイニングで新聞を読んでた父がこう言ったんです。

「おはよ。何か昨日行った温泉の近くで事故があったみたいだぞ。
 家族連れの車が、崖崩れ防止用のコンクリに衝突して、
 全員が亡くなったみたいだ。あの温泉の泊り客だったんじゃないかなあ」
思わず「何人死んだの?」って聞いてしまいました。
父は、「両親と女の子3人みたいだ・・どうかしたのか?」
こう聞き返してきましたが、私には答えられませんでした。
これで、終わりです。








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夢二の鏡の話

2018.08.11 (Sat)
こんばんは。この間、「さむどの屏風」の話をした元骨董屋です。
他に古物にまつわる話はないかって言われまして、今晩も来させていただきました。
でもこれ、そんなに怖い話じゃないんです。
まあ、ちょっとした事件はありましたけど。もう何十年も前のことです。
市でね、三面鏡を仕入れたんです。銅に錫メッキをした枠にガラスをはめ込んだ鏡。
化粧机の上に置いて使う小ぶりのやつでね。大正時代のものです。
品のいい金属彫刻がほどこされてまして、まさに大正ロマンを感じさせる。
それで、わたしが勝手に「夢二の鏡」って名づけまして。
竹久夢二はご存知ですよね。たおやかな美人画で有名な。
いかにも、あの夢二の絵の人物が使いそうな鏡だったんです。
ケースには入れず、店の前面の棚に飾っておきました。

ちょっと余談になりますけど、骨董の鏡って、
けっこう誤解してる方がおられるんです。例えば、江戸時代の花魁が、
大きな姿見で着物の着付けをしているとか、三面鏡を開いて化粧してるとか。
でも、江戸時代に板ガラスを使った大きな鏡なんてないんですよ。
ええ、明治以前の鏡は金属を磨いたものです。
板ガラスが輸入されるようになったのは、明治の10年ころですかね。
ですから、それ以前には手鏡ていどのものしかなかったんです。
もちろん西洋のアンティークにはありますが、うちでは扱いません。
ああ、すみません、話を続けます。まあね、簡単には売れないだろうとは思ってたんです。
だって、骨董屋に一人で来られる女の方なんてまずいません。
今はどうかしりませんが、わたしらの頃は骨董趣味の女性なんていなかった。

その鏡、商品ですから、もちろん毎日磨いてました。やはり古いものなので、
ガラスにゆがみもあったんですが、くもりはなく、物ははっきり映りましたよ。
でね、ある日、わたしの中学2年になる娘が、
店にいて、背伸びしてその鏡をのぞいてたんです。
右を向いたり、左を向いたり、すました顔をしたり、口を開けたり。
そこにわたしが入っていって声をかけました。「どうした、その鏡、気に入ったかい」
「あ、びっくりした。お父さん、おどかさないでよ!
「お前が店の品を見てるなんて珍しいと思ってね」
「この鏡、すごくきれいに映る。自分じゃないみたいに」
「うーん、ゆがんで少し凸面になってる部分があるみたいだから、そのせいかなあ。
 お前が気に入ったなら、部屋においてもいいぞ」

「あ、いらない。きれいな鏡だけど部屋の雰囲気に合わないし、
 私、今、鏡見てるようなヒマはないから」娘は中学でバレー部に入ってまして、
背も私よりかなり高かったんです。それが県の大会でチームが優勝しまして、
あと1ヶ月で全国大会があったんです。オリンピックで日本の女子バレーチームが、
「東洋の魔女」なんて言われた頃からは時間がたってましたが、
テレビのアニメでバレーボール物をやってたりした時期でした。
当時はね、スパルタ訓練はあたり前で、娘はまだ中学なのに、
帰りが9時を過ぎることもよくあったんです。
でね、それからちょくちょく、朝の登校前とか、夜に店の電気をつけて、
娘がその鏡をのぞいてることがあったんです。10分以上も鏡の前にいて、
戻ってくるとボーッとした顔をしてる。

まあでも、きつい練習の疲れや大会前の緊張を、そうやって娘なりにほぐしてるんだと
思って黙ってたんですよ。でね、ある晩です。娘が練習から戻って、
「御飯いらない」って部屋から出てこなかったことがありまして。
ちょっと驚ました。その頃の娘の食べる量はわたしよりずっと多かったですから。
で、その3日後ですか。妻からこんな話を聞かされたんです。
「○○子から相談されたんだけど、あの子、男子バレー部の3年生のキャプテンから、
 つき合ってくれないかって言われたみたい。ずっとバレー一筋にやってきた子だから、
 それでちょっとショックを受けてるみたい」
娘が妻に相談したんでしょうね。これはわたしも対処に困りましたが、
男親が口を出すのも難しい話だし、なるようにしかならんだろうと思いました。
ただ、大事な全国大会に影響が出なければいいなと。

それとですね。小さい頃から男みたいな娘でしたけど、
その頃 急に、親の私から見ても、きれいだなって思えるときがあったんです。
頬が紅をさしたような色になり、唇も化粧したみたいに赤くて。
でもね、それは年頃になったからで、あの鏡のせいだとは露も思わなかったです。
でね、これも妻から聞いたんですが、その男子のキャプテンとのことは、
とにかく全国大会が終わるまで保留、それから返事をするって、
娘がその男の子に言ったってことでした。それから1週間後くらいですね。
夜、12時過ぎ、トイレに起きまして、廊下を通るとき、
店のほうがぼうっと光ってることに気がつきました。見に行くと、
あの三面鏡が開いてて、その中から光が漏れ出てたんです。
もちろん、店を閉めるときに鏡は閉じてました。

おかしいな、と近づいていくと、不意に、鏡から人が抜け出してきました。
「えっ?」和服を着た日本髪の女性で、芸者さんみたいな感じでした。
「えっ えっ?」その女性は、すーっと滑るように店の通路を動き、
表戸の前まで行きました。そして私のほうを振り向き、それ、娘の顔だったんです。
「あ、お前!」娘の顔をした女はにこりと笑い、にじむようにして
戸の外に消えたんです。鍵を開けてみましたが、女の姿は通りにはなく、
それから心配して見に行った娘の部屋では、娘は布団をはねとばして眠っていました。
わけがわからなかったんですが、長年古物を扱ってると、
不思議なことはいくらもあるので、気になりつつも寝たんです。
・・・2時間後くらいですね、夜中の1時を過ぎてたと思います。
表戸をドンドンと叩く音がして、起き出して出てみると、

40年配に見える酔っ払いが2人いました。で、「女が今、この店に入っていったから
 出してくれ」ってことだったんです。着物姿の艶やかな女性が角に立っていて、
酔っ払いたちを誘うように流し目をした。で、後についていったら、
わたしの店の前でふっと姿が見えなくなった・・・こんな内容だったんです。
「そんな人はいませんから。警察を呼びますよ」そう言って帰ってもらいました。
まあ、こんなことがあったんです。それから2週間後、
娘のバレーの全国大会がかなり遠くの県でありまして、
わたしたち夫婦で応援に行ったんですが、2回戦で負けてしまいました。
でも、その試合は接戦で、娘のチームに勝った相手が優勝したんですよ。
大会が終わって、娘は抜け殻のようになり、店の鏡を見ることもなくなりました。
どうやら、男子キャプテンとのことも立ち消えになったみたいです。

これで話は大体終わりなんですが、後日談というか。
あの鏡はずっと売れないでいたので、そろそろ蔵にしまおうかと考えていたときに、
70過ぎの男性と、その孫かと思える20代の女性が来店しまして、
老人のほうが「ああ、ここにあった。あの鏡だ」と棚の上を指差し、
「ゆめじの鏡」をかなりの額で買っていかれたんです。
それから半年後、その老人が一人で店を訪れまして、
菓子折りのようなものを手渡してよこしまして。意味がわからず、
事情を聞きましたところ、あの鏡、なんでも縁結びの力を持ったものだ、
って話でした。前に店にいっしょに来られたのは、やはりお孫さんで、
どういうわけか縁遠く、婚期が遅れていたのが、あの鏡を前にして
毎日化粧をするようになってから、すぐに良縁がついて、

結婚が決まったので、そのお礼に来たということだったんです。
わかったような わからないような話でしたけど、「それはおめでとうございました」
そう言って、菓子折りは遠慮なくいただいておきましたよ。
・・・娘は、高校に進学しても競技は続けて、高校選抜にも選ばれたんですが、
ヒザを怪我してしまいまして、そこでバレーを断念したんです。
身長の伸びもとまってましたし。今となってはそのほうがよかったかもしれません。
高卒後に就職して、すぐ職場の人と結婚し、子どもが3人できたんです。
その長男が、わたしにとっては初孫でした。
ええ、あの鏡の力を借りなくても、良縁が見つかったってことです。
え? 鏡ですか。さあ、今はどこにあるんでしょうか。
噂は聞きませんね。世に出回ってはいないようです。







呪歌の話

2018.08.08 (Wed)
これ、最近、私の身に起こったことなんです。
はい、順を追って話をさせてもらいます。
教育大学の3年生です。小学校の教員免許を取ろうと思ってます。
それで、ピアノの演習があるんです。まあバイエル程度なんですけど。
ただ、私は子どものころに習ってたわけでもなく、
手先も器用じゃないので苦戦してました。
それで練習のために、毎日夜、大学のピアノ室に通ってたんです。
家にもキーボードは買って持ってて、ヘッドホンをつけて練習はしてますけど、
やっぱり、鍵盤の間隔やタッチがピアノとは違うんです。
1ヶ月ほど前のことでした。その日、午後4時ころからピアノ室にこもってたんです。
大学のピアノ室は、2畳もないようなせまい部屋が15ほど並んでいて、

そこにアップライトピアノが入ってます。いちおう防音にはなってるんですが、
なにぶん古い建物なので、両隣の音もかすかに聞こえてきます。
だから、私がたどたどしく弾いてる横で、
音楽専攻の人がラフマニノフなんかを演奏してたりするんです。
恥ずかしいので、なるべく目立たないように出入りしてました。
それで、ピアノ室の使用は8時までと決められてたので、
その10分前に練習を終えて、ドアが並んだ廊下を歩いてました。
そしたら、私が使ってた2つ隣の部屋から、歌のようなのが聞こえてきたんです。
ええ、それ自体は珍しくはなくて、さっき話した音楽科の人が、
声楽の練習をしてることもありました。ただ、そのときの歌は、
ピアノもいっしょに聞こえてきたので、弾き語り・・・

と言っていいのか、聞いたこともない音調でした。
うまく説明できません。日本的・・・なんですが、かといって雅楽とか、
琴で演奏するようなのとはぜんぜん違った荒々しく暗いメロデイで、
しかもズン、ズンと鍵盤を叩きつけるようなリズムがあって・・・
思わず立ち止まってしまったんです。そしたら、ピアノに合わせてこんな歌が
聞こえてきました。「ししじもの きりくわう ししじもの ひれふす きりくわうああ」
日本語のようですが、意味がまったくわからない歌詞をつぶやくように。
ああ、つぶやくって言いましたが、ドア越しに聞こえてくるんだから、
実際は大きな声で歌ってたと思うんですけど。
なんだか魅入られたようで、私はその場から動くことができなくなっちゃったんです。
「きりくわうあ ししじも ついぶし ついぶしうあ」

急に強い頭痛がしました。思わずしゃがみこんでしまうくらい。
ふつう頭痛って、どこが痛いか、後頭部とかぼんやりとしかわからないじゃないですか。
それがそのときは、額の両側の上、左右の髪の中にキリを刺したような感じでした。
私は、「痛たたた」と声を出しながら、頭を押さえてピアノ室のある棟から
出たんです。そしたら、痛みはいつの間にかなくなってて。
でも、ありえないような痛さだったので、もし次起きるようなら、
病院に行かなくちゃって思いました。そのときはそれで自転車で家に戻りました。
私、自宅通学なんです。自分の部屋で、できたばかりの彼とメールをしたりして、
11時ころです。さっきピアノ室で聞いた歌が気になってきて。
それで、キーボードを出して再現してみようと思いました。
もちろん、ちょっと聞いただけだし、私は音楽の才能はないので、

こんな感じだったかなあ、というさぐり弾きです。
低音をドン、ドンと叩くような感じで「ししじもの・・・」これも、正確に覚えてた
わけじゃないんですが、「ししじも」 「きりくわう」の言葉は記憶に残ってました。
そしたら、最初の声を出しただけで、私の頭ががくんと落ち、
鍵盤に額をぶつけてしまったんです。さっきの頭痛がまた始まって、
手で頭を抱えたら、髪の毛の中に尖った固いものが触ったんです。
「え、何??」変な例えですが、コンペイトウほどの大きさの突起が
頭の両側にあったんです。とにかくひどい頭痛で、私は倒れ込むようにベッドに
横になりました。そうして、20分くらい横になっていると、
頭痛は治まり、突起のようなのもなくなってました。
翌日、大学に行くと、友だちからこんな話を聞かされました。

さっき話した彼のことです。彼とは別の大学で、コンパで知り合ったんです。
「ねえ、こんなことを言って悪く思わないでね。あんたの彼、
 噂を耳にしたんだけど、前の彼女と別れたときに、その子がショックでおかしくなって、
 彼を刺そうとして事件になったんだって。
 それで大学をやめて、今は実家に帰ってるみたい」こんな内容でした。
でも、私は信じなかったっていうか・・・別にそうだとしても、
かまわないと思いました。だって、彼は優しいし、今は私の彼なんだし。
その週の土日は、彼とデートして思いっきり遊びました。
もちとん、友だちから聞いた話を確かめるなんてことはしなかったです。
で、翌週です。ピアノの授業は火曜なので、月曜の午後はまたピアノ室にいました。
私にしてみれば難しい曲を、悪戦苦闘して弾いてると、

あの「ししじもの」の曲が聞こえてきたんです。いえ、壁ではなくドアの外から。
歌だけです。伴奏はなしで大声で歌ってる・・・それを聞いた瞬間、
わけがわからなくなりました。ガツン、ガツン、私は何度も自分から、
ピアノの蓋に頭をぶつけてたみたいです。白い鍵盤が血に染まって、
私は床に崩れ落ち、なんとかドアを開けて部屋から這い出して・・・
「キャー」という悲鳴を覚えてます。誰か廊下を通りかかった人が血まみれの私を見つけて、
救急車を呼んでくれたんです。病院では頭を何針も縫ったみたいでした。
ただ、幸いなことに顔ではなく、髪の毛の中だったんです。
頭を包帯でぐるぐる巻きにされましたが、傷そのものはたいしたことはなく、
2日後には退院できるみたいでした。両親がその晩はついててくれましたが、
そうしてケガをしたか、問いに答えることができませんでした。

翌日の午前中、彼が病院に来てくれたので、あったことを話しました。
すると彼は、顔をくもらせて、「ああ、きりくわうって、俺の地元のほうで伝わってる
 呪いの歌の歌詞なんじゃないか」 「呪い?」 「心あたりがある。
 俺の元カノ、話してなかったけど、あんまりいい別れ方してないんだよ。
 同郷で、今は地元に帰ってるんだけど、もしかしたらお前のことを呪ってるのかも」
こう言われても信じられなかったです。けど、わけのわからない形で
ケガをしてるのも確かだし。彼はかなり考え込んだ後「あした俺のおばさんに来てもらう。
 おばさんは地元で神職をしてて、女なのに次の宮司になるかもしれないって
 言われてるんだ」 退院する日、彼がそのおばさんを連れてきてくれました。
 地味な服装の、40代くらいの方でした。髪が腰くらいまで長いのを除けば、
 ふつうの人に見えました。私がこれまでのことをすべて話すと、

おばさんは「怖い怖い、素人が呪歌を使うなんて」と言い、続けて、
「次にその歌を謳う者がいたら、そのほうに向かってこれを掲げなさい」
それで渡されたのが、絹布に包まれた鏡のかけらでした。今の鏡とは違って、
ガラスではなく全部金属でできてて、鈍い光を放ってました。一枚の丸い鏡を8つに
割ったうちの一つだそうです。おばさんは、彼に、私とできるだけいっしょにいるように言い、
帰っていかれました。退院した翌日から、彼は私の家に遊びに来てくれ、
大学の授業が終わるころに迎えに来てくれました。始終いっしょにいることで、
彼の人柄がわかり、女の子にひどいことをする人とは思えませんでした。
そうやって、10日近くがすぎ、その間おかしなことは起こらず、
頭の傷の治療も終わったんです。で、またピアノの練習があり、
彼がピアノ室についてきてくれました。下手なピアノで恥ずかしかったんですが。

8時前に終わり、彼と自転車置き場に向かっているとき、
急に傷跡が傷んでしゃがみ込みそうになりました。「ししじもの きりくわう」
歌が聞こえました。「おい、○○、やめろ」彼が叫んだほうをかろうじて見ると、
植え込みの中に白い着物の女が立ってました。女はだらんと両手を下げ、
白目を剥き、口をありえないほど開けて歌ってたんです。「ししじも きりくわうあ」
彼がそちらに駆け寄っていきました。私はいつも持ってた鏡片をバッグから出し、
その女に向けたんです。「ああああ」女は叫び、白い布を巻いた頭の中から、
ズンと角のようなものが伸びました。女は、彼がつかもうとする直前、
身をひるがえし、走って逃げていきました。そのときには、
後ろからも見えるほどに、角は長く伸びていました。これで話は終わりです。
その後、女がどうなったかもわからないし、何も起きてはいません、今のところは。 







さむどの屏風の話

2018.08.04 (Sat)
こんばんは。この間、物を食らう銅の鋺の話をしたものです。
他に骨董品にまつわる怖い話はないのか、ということでしたので、
もう一つだけお話したいと思います。屏風ですね。
「さむどの屏風」と呼ばれるものがありまして。
なんでその名で呼ばれるのかは、私にはわかりません。
それと、今どこにあるかもわからないんです。というのは、この屏風、
所有者が代わるたびに、描かれている絵も変わりますんでね。
いや、屏風絵を描きなおしてるってことではないんです。
不思議なことに、自然に絵柄が変化する。どういうことかって?
まあまあ、それをこれから話していくんですよ。
あれは、高度成長期と呼ばれた昭和40年代の始めのことでした。

ええ、日本全体が活気にあふれてたころでね。
まあ、骨董屋はそういう景気のよしあしにはあまり左右されない商売ですが、
わたしのところも少し店構えを大きくしたんです。
で、店に置く品を増やそうと思って、仕入れた中にあったのがその屏風です。
何気なく市場に出てたんです。4曲物でした。ああ、4曲ってのは、
屏風の面のことを言うんです。全体を4つに折りたたむことができるから4曲。
それと、屏風を構成する1枚1枚のことは扇と言います。
いやあ、最初はたいしたものじゃないと思ったんですよ。
時代は江戸中期頃ですかねえ。表装はよかったんです。
骨もしっかりしてたし、いい紙を使ってました。
そこを見極めて仕入れたんですが、値段のこともありました。

異様に安くてね。ただこれは、絵が悪いせいだろうと考えてたんです。
屏風絵は、墨絵で田舎の山野を描いたものでした。
山の間にさびしい道が続いてまして。秋なんでしょうねえ。
ススキらしきものが道の両側に生えてましたから。
ええ、薄墨がさらに薄くなって絵柄が消えかけ、判然としなかったんです。
まあでも、さっき話したように表具はいいから、
これ買っていって、新たに仕立て直すお客さんがいるんじゃないかと考えまして。
でね、店の奥のほうに広げて立てかけてたんですが、
特におかしなことはなかったです。で、ある日ですね。
店に2人連れのお客さんが来ました。どちらも50年配で、
顔が似てたから、兄弟なんだろうなって思いました。

そのうちの一人が「兄さん、あの屏風じゃないか」って店の奥を指さしまして。
そしたら、年上に見えるほうが、「亭主、あの屏風は売り物かね」って聞いて。
「ええ、そうですよ」 「値はいかほど?」
ここで少し考えたんですが、20万って言ってみました。
これね、仕入れ値の10倍なんです。ただ、骨董の値段なんて、
あってないようなもんですから。いくら高くてもほしい人はほしい。
まあ、まからんかって言われたら交渉に応じるつもりでしたけど。
ところが、2人は一瞬顔を見合わせてから、「買わせてもらう」って
即決したんです。これにはちょっと驚きました。わたしの鑑定眼が曇ってて、
価値のある品に安い値をつけたんじゃないかと。
でも、どう考えてもそんな高いものには思えない。

兄弟は現金でその屏風を買い、その日のうちにトラックが来て運んで
いったんです。うーん、儲けたのか、それとも儲けそこねたのか、
わたしにはよくわかりませんでした。それから・・・
1ヶ月ほどして、そのときの兄弟の兄のほうが店に来まして。
印象に残ってたんで覚えてたんです。で、開口一番、
「ここで買った屏風、引き取ってもらえないかね」って。
「ははあ、買い戻せってことですか?」 「いや、金はいらんから」
「どういうことです?」 「それが、家が手ぜまで置けなくなった」
「・・・・」こんなやりとりがあって、屏風が戻ってきました。
変な話ですよねえ。まあ、古物を買っていったお客さんが、
すぐに返しにくるってこともないわけじゃないんです。

ただ、金はいらないって言われたのが気になりましてねえ。
だって、骨董屋はいくらもいるんだし、そっちに売ればなにがしかのお金にはなるでしょう。
でね、返ってきた屏風ですが、見ると絵が変わってたんです。
よく似た絵柄ではありました。藁葺の田舎家がいくつか建ってる中を道が続いてて、
遠くのほうに歩いてる人の姿がかすかに見える。でも、男か女かもわからない。
紙は同じものが使われてるように思えました。ああ、絵をはりかえたのか、
だからただで引き取ってくれってことなのか。
でも、わたしには前の絵も新しいのも、どっちも同じツマラナイものに思えましたけども。
それから、半年くらいたったんです。屏風のほうは、ずっと売れないし、
関心を示すお客さんもいなかったから、蔵にしまってました。
で、その日、わたしは同業者の会合の帰りで、信号待ちをしてました。

そしたら、「おや、○○骨董屋さんじゃありませんか」こう声をかけられて、
そっちを見たら、見覚えのある顔で。でも、誰だかはわからなかったんです。
「ほら、お店で屏風を買った」それで、あのときの弟さんのほうだと気づきました。
「その節はどうも」 弟さんはちょっと躊躇した様子でしたが、
「これから時間ありますか、どうです、そこらでコーヒーでも」 「いいですよ」
こんな感じで、近くにあった喫茶店に入ったんです。
ここから話すのは、そこで弟さんとしたものです。
「あの屏風、お兄さんが返しに来られたんですけど、絵をお変えになった?」
「ああ、いや、なんというか、自然にああなったんです」 「どういうことです?」
「じつはですね、そのあたりのことを聞いていただきたくて、お誘いしたんです」
「ははあ」 「あの屏風、さむどの屏風って言うんですが、ご存知でしたか?」

「いえ、不勉強で」 「ここから話すのは、身内の恥になることですが、
 どなたかに聞いていただかないと心が休まらなくて」 「どうぞお話しください」
「わたしらの親父なんですが、70歳を過ぎて呆けが始まりまして」
「はい」 「ただ体のほうはなんともなく、
 体格もいいですから、暴れはじめると手がつけられなくて」
「はい」 「親父は若い頃、ある組に入っていて、背中には彫り物もあるんです」
「はい」 「だから暴れだすと、年老いたおふくろはもちろん、
 われわれ兄弟でもどうにもならなかったんです」 「施設などもありますよね」
「それが、なんとか一度入ったんですが、暴力のために追い出されてしまいまして」
「ははあ」 「それで、あの屏風がお宅の店にあることを人づてに聞いたんです」
「どういうことです?」 「あれね、昔からあるもので、

 自分の親がどうにもならなくなったときに使うんです」 「・・・」
「あの夜も、酒を飲んで荒れてた親父をなだめすかして、兄といっしょに
 どうにか寝かしつけたんです」 「はい」 「で、その枕元に屏風を立て回しました」
「?」 「朝になったら、親父がいなくなってたんです」 「??」
「もちろん警察に連絡しまして、呆けがかかってたことも話しました」
「警察が捜索したってことですよね」 「ええ。でも1ヶ月たっても見つかっていません」
「そういう話は耳にしますよ。徘徊って言うんですか、
 呆けた年寄りがふらっといなくなって、そのままっていうのを。
 おおかたは川とかに落ちたりしてるのかもしれませんが」
「それで、屏風の絵が変わってたんです」 「意味がわかりません」
「あの田舎家のある景色ね、われわれ兄弟が子どもの頃に住んでた土地なんです」

「・・・」 「遠くに向かって歩いてる人がいたでしょう」
「はい」 「あれ、親父なんです。夢の中で屏風に入っていった」
「まさか」 「ええ、そう思うのは当然です。わたしも最初、知人からその話を聞いた
 ときにはまったく信じませんでしたから。でも、見てたわけじゃないけど、
 親父が消えてしまったのも、絵柄が変わってたのも事実です」
「うーん、それが本当だとして、自分の親じゃないとダメなんですか?」
「そういう話です。あの屏風、まだお店に?」 
「ええ、蔵にしまってあります」 「そうですか・・・」
この後、コーヒーを飲み終えてすぐ別れました。その後は会ってませんね。
屏風ですか? その後しばらくして市場に出しました。え、わたしの親に使う?
いやいや、そんなことは少しも考えませんでしたよ。

※ 「さむど」は『遠野物語』の神隠し譚「寒戸の婆」から拝借しました。







食いたい鋺の話

2018.08.02 (Thu)
じゃあ話をさせてもらいますよ。わたしね、昔は骨董屋をやってて、
店を持ってたんです。今はいろいろあってやめちゃいましたけどね。
ほら、骨董って曰く因縁がかぶさってる物が多いでしょ。
だから、なかなか商売を長く続けるのが難しいんです。
いろいろと障りが出てきて。え? 長年やってる人を知ってるって。
まあねえ、そういう人はまっとうな商売をしてるんですよ。
危険な物にいっさい手を出さないっていう。
お前は違ったのかって? ああ、はい。私が骨董に関わったのは、
戦後の混乱期なんです。あのころはもう、何でもありで。
闇市、闇米、密造酒・・・食ってくためにはしかたなかったんです。
でね、骨董の世界では稼ぎどきでもあったんですよ。

ほら、田舎の旧家なんかがたち行かなくなって、先祖代々のお宝を売りに出す。
それを私らが二束三文で買いつける。ええ、ほんらいの値打ちの百分の一も
いかない値段でね。それで、さっき、まっとうな商売って言いましたが、
じゃあ、まっとうでない商売ってのはどういうもんかというと、
2つあるんです。ひとつは、明らかに障りのある品物を扱うこと。
ええ、ええ、それを持ってれば不幸になるってやつです。
これはね、いろいろあるんです。いかにも人の血を吸っていそうな脇差とかも
あれば、見た目はなんでもないような茶器とかもあります。
障りのあるものを、どうやって見分けるかって? 
それはね、勘というしかないですね。骨董屋って、昔は、
何代も続けて同じ商売をやってる場合が多かったんですよ。

だから、子どものころから古物に囲まれて育って、そこで、
これはいいもの、これはよくないものっていう勘が自然に養われる。
よくない物の2つ目は、盗品や盗掘品です。
お寺の仏像が盗まれたとか、今でもときおり話を聞くでしょ。
あと、これはさすがに今はないけど、古墳を勝手に掘っかえして出てきたもの。
でね、この2つは重なってることが多いんです。
ああ、なかなか話が前に進みませんね。ある夜です。
店番をしてて、そろそろ閉めようかってときに、若い男が2人、
風呂敷に包んだ古物を売りに来ました。どっちも人相がよくないやつらで、
ひと目でまっとうな人間じゃないってわかりました。
いや、そんなことはおくびにも出さず品物をみせてもらいましたよ。

まず、銅の鏡。それから鉄刀ですね。どっちも錆だらけでしたが、
鏡のほうは売り物になりそうでした。あと、5~6世紀の土器も何個かあったんですが、
これは売り物にはならない。それとね、銅の鋺(かなまり)です。
この品揃えで、古墳の盗掘品ってわからなけりゃモグリですよ。
よっぽど買い取りを断ろうかとも思ったんですが、
そいつらに暴れられても嫌ですからね。ごく安い値を言ってみたんです。
そしたら、そいつら顔を見合わせてましたが、「それでいいから、置いてく」
って言ったんです。金を受け取ると逃げるようにいなくなりました。
でね、問題はその銅の鋺だったんです。今ね、銅の鋺っていったら、
仏具しかないですよね。けど、古墳時代だと、貴人が食器に使ってた場合が多いんです。
だからそれも、故人が日常使用してたものとして、古墳に副葬したんでしょう。

持ってみるとずっしりと重く、錆がほとんどありませんでした。
色は黒ずんでましたが、少し磨いたらねっとりとした黄色い光を放って。
でもね、そのとき「ああ、これはよくない」って私の勘がささやいたんです。
でも、買い取った以上、売り物です。店の目立つところに飾って、
早めに売ってしまえばいいと思いました。でね、陳列棚じゃなく、
小ぶりのガラスケースに入れて店頭に置いたんです。
いや、売れませんでしたね。お客さんはみな関心を持つんです。
いわれを聞いたり、値段を尋ねたり。でも、値は安くしてあるのに買わない。
この世界は、客のほうも半玄人みたいな人ばかりだから、やっぱりわかるんでしょうねえ。
でね、鋺を置いて3日目でした。朝に売り物を見て回ってたときに、
鋺の中に、ころんと黒いものがあったんです。

「ん、何だ?」と思ってケースに顔を近づけてみると、コガネ虫の頭。
胴体はかじりとられたようになくなった頭だけです。
もちろん鋺を取り出して表に捨てました。・・・このときはまだねえ、
そんなに不思議には思わなかったんです。ガラスケースと言っても、
すき間はありましたからね。何かの具合で入り込んだんだろう。
それくらいにしか考えなかったんですが・・・それから3日後くらいですね。
夜中に、店のほうでガタガタ音がしたんです。でも、戸締まりはしっかりしてましたし、
ネズミだろうって思いました。昔は蝿も蚊もネズミも、どこの家にもたくさんいましてねえ。
今の人はわからないでしょうが、ネズミ捕りでつかまえたネズミを、
ドブに沈めて殺したりしてましたからねえ。でも、骨董屋ですし、
ネズミが食べるものなんてない。そう思って寝直しました。

翌朝、店に出ると、あの鋺のガラスケースの全面が赤黒く染まってまして。
血じゃないかと思いました。調べるとガラスの内側に飛び散ってて、
鋺の中には、大きなネズミの頭があったんです。
これはさすがに、おかしいと思うでしょ。すき間があるとしても、
ネズミが入ることはありえない。まして頭だけになるなんてね。
で、店の中を探しても胴体はなかったんです。そのときにふと、「鋺が食った」という
考えが頭に浮かびました。まあ、そんなことがあるはずはないんですが。
ガラスの血は拭きとって、ありえない飾り方ですが、
鋺をひっくり返して、底が見えるように置いたんです。それから、相変わらず鋺に
買い手はつきませんでしたが、おかしなことはなくなったんです。
ただ・・・あるとき、お客さん来てたんですが、その人が、

「さっき、店に立派な装束を着た、昔のお公家さんみたいな人が入ってったが、
 あれ何だい?」って聞いたんです。「いやいや、そんな人は来てませんよ」
そう答えるしかなかったです。その夜です。夢を見ました。
お客の話に出てた貴人なのかもしれませんが、それが暗い中に座っていて、
「食いたい、食いたい、もっと食いたい」ってつぶやくんです。
顔は面長で、時代劇に出てくるように眉を剃ってましたが、その額のとこから
ぼこっとネズミが頭を出したんです。ネズミは「チイチイ」と鳴き、
それに貴人の「食いたい」の声が重なって・・・そこで目が覚めました。
心臓が動悸を打ってましたが、怖いというより気がかりな夢で、
電灯をつけて店に行ったら、あの鋺がケースからなくなってたんです。
ええ、どこにも見あたりませんでした。

でも、鋺がないのを見て、なんだかほっとしたのを覚えてます。
大間違いでしたけども。でね、当時、うちには8歳の息子がいたんです。
「腹減った」って言うのが口癖の。まあ、どこの子どももそうでしたけどね。
戦時中、終戦直後よりはいくらか食糧事情はよくなってましたが、
食べるもののない時代で、金があったとしても、食品そのものがないんです。
その子が、めずらしく夕食を残しまして、「腹が痛え」って言うんです。
さわってみると、蛙みたいに胃のあたりがふくれてました。
「何か食ったのか?」 「なんも」それで、いつまでも治らないようなら医者に
連れてくしかないと思ったんですが、しばらくして「寝る」って言いまして。
「腹は?」 「よくなった」で、その夜のことです。
寝ていると、ガチャンと店で何かが割れる音がしました。

「あ、売り物が落ちたか」そう思って見に行くと、表のガラスが割れて
戸が開いてたんです。「!?」すぐ外に出ました。当時は商店街でも街灯は少なくて、
暗い中にしゃがみ込んでいる影がったんです。影は「うまし、うまし」って
言いながら、側溝に顔を近づけてて。子ども・・・息子?
「お前か? 何してる」襟首をつかんでこちらを向かせると、
顔のまわりが黒くなってたんです。手からカランと何かが落ちました。
息子は「食いたい、もっと食いたい」そう言ってて、明るいところに連れてきて見ると、
顔についてるのは泥、鋺の中にも泥。側溝の中をすくって口に流し込んでたんです。
すぐ医者に連れてきましたが、疫痢になって3ヶ月入院しましたよ。
鋺は、その日のうち市場に出しました。・・・ただねえ、あれから数十年たった今も、
噂を聞くんです。障りの強い鋺が出回ってて、何人も死んでるって話を。

松本市 南栗遺跡出土 銅鋺 奈良時代