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もぐる話 2題

2018.10.20 (Sat)
布団に潜る

あれは、私が小学校4年のときだったと思うんだけど、
3年か5年だったかもしれません。中学校で部活が忙しくなる前は、
お盆と正月は両親に連れられて、新潟の田舎にある「本家」に遊びに行ってたんです。
たしか、私の父方の祖父の時代に分家したとか聞いてます。
本家はねえ、すごいお屋敷なんですよ。映画の「八つ墓村」に出てきたみたいな。
平屋だけど、部屋数がたくさんあって、蔵もありました。
それで、いとこやら親戚の子がきてたんですけど、
私がとくに仲よかったのが、岬ちゃんっていう同じ年の子でした。
男の子や小さい子が多かったので、その子とお屋敷の中を探検して回ったんです。
部屋は全部 日本間で、今から考えれば8畳以上でした。
どの部屋にも床の間があって、いろんなものが飾られてましたよ。

それでほら、よく時代劇なんかで、部屋がいくつも続いてるところを、
パーンパーンと襖を開けて人が通っていくシーンがあるじゃないですか。
あれ、岬ちゃんが言い出して、2人でやってみたんですよ。
でも、うまくいかなかったんです。襖の滑りが悪かったんですね。
その地方は豪雪地域だから、冬場の雪の重みで、建物がゆがんでたかもしれません。
それで、誰も人が来ない奥のほうの部屋へ行って、
押入れとか開けてみてました。何も入ってないとこがほとんどでしたが、
一ヶ所だけ、布団がびっしり上下段に詰まってるとこがあったんです。
それも、昔の布団じゃなくて、ふわふわの新しい羽根布団。
「ねえ、ここ潜ってみない」と岬ちゃんが言い、私も面白そうだと思って、
2人で手をつないで下段の青い布団の中に頭を突っ込んだんです。

それから手で布団をかいて前に進みました。すぐに壁に当たると思ってたんですが、
それがいつまでも布団が続いて、そうですね、1分以上は中にいました。
で、ずぼっと向こう側に頭が出て、ほとんど岬ちゃんと同時でした。
そこ、薄暗い部屋で、ぼんやりした照明があって、
行灯ってものじゃないかってわかったのは、ずっと後のことです。
それで、女の子がいたんですよ。日本髪で赤い薄い着物を着た、私たちより少し年上の。
その子は座って下を向いてたんですが、私たちの気配を感じたのか、
顔を上げて、口を開けて驚いた表情をしました。
そのとき、その子の顔に涙のあとがあったような気がします。それと、その子、
顔がすごく岬ちゃんに似てるように思ったんです。
その子は何か言おうと口を動かしましたが、部屋の入口のほうで、

「おはつ、早く出てきなさい!」という声が聞こえ、
立ち上がって部屋から出ていったんですが、戸口のところで、
ふり返ってもう一度私たちのほうを見たんです。それから、岬ちゃんが小さい声で、
「戻ろう」って言って、後じさりするような形で、元の本家の部屋に戻ったんです。
はい、ちゃんと戻れました。それから、2人で上のほうの布団をどけてみたんですが、
押入れの奥の壁は普通にあったんです。そのときあったのはこれだけです。
このことは大人には話しませんでした。うーん、怒られるというか、
話しても信じてもらえないと思ったんですね。それから、
私は中高とバレーをやって、岬ちゃんと会ったのは2回しかなかったです。
最後に会った高3のときは、岬ちゃんはすごくきれいになってて、
東京に出て美容師の学校に入るって言ってました。

それから・・・2年後に岬ちゃん、殺されちゃったんです。
テレビでも報道しましたし、週刊誌にも何週にもわたって出てたんです。
美人ホステス全裸殺人事件みたいな感じで。岬ちゃんの葬式には出ませんでした。
そういう亡くなり方だから、たぶん、近親者だけでやったんだと思います。そのころ私は、
バレーの推薦で大学に入ったものの、ケガをしてやめ、家に戻って家事手伝いをしてました。
それで、夕食の準備をしながら、母と岬ちゃんの話になって、そのとき、
本家での布団のことを思い出して話したんです。そしたら、母はけっこう真面目に
聞いてくれて、「そういえば、ずっと昔に、本家の娘さんで、事情があって炭鉱町の
 芸者さんになった人が人がいるって聞いたことがある」こう言いました。
ただ、「おはつさん」という名前なのかはわからなかったです。それと、あのときにもし、
向こうの部屋に出ちゃってたら、どうなってたんでしょうねえ。気になります。

土に潜る

これね、俺が小学校4年生ぐらいのときのことなんだよ。
すごい不思議っていうか、ファンタジーみたいでとても信じられないと思うけど、
誓って、本当にあった話なんだ。秋のある日ね、学校の帰り、一人で神社の境内に
行ったんだよ。ドングリを拾おうと思った。裏手に大きな樫の木があってね。
今から思えばたわいないけど、子どもはそういうのが好きだから。
で、ドングリはいっぱい落ちてたから、形のいいのを選んで拾ってると、
不意に木の陰から、白い着物を着た爺さんが出てきた。
真っ白な髪を変な形に結ってて、しかも白いヤギ髭が胸のあたりまで伸びてて、
ひらひらした白い着物でね。俺がびっくりしてると、爺さんは、
「坊は山根家の次男よな」変な言葉づかいだけど、聞かれてると思ったんで、
「はい」って返事すると、続けて、「坊は、このあいだの学校の走り競べで

 一等になったよの」 「はい、そうですけど」 「じゃあ、一つ頼まれてくれんか、
 礼はするから」 「何ですか」 「これをな、町の北の外れの地蔵堂、
 わかるかな。あそこまで届けてくれんか」 そう言って後ろに回してた
手を前に出すと、若鶏をかかえてたんだよ。ヒヨコではないけど、大人の鶏でもないやつ。
でね、地蔵堂には前にばあちゃんに連れられて行ったことがあるんだけど、
子どもの足だと1時間半くらいかかるんだ。けども、爺さんの声を聞いてるうち、
なんだか断っちゃいけないって気になって、「はい、やります」って、
その若鶏を受け取っちゃったんだ。そしたら爺さんは、俺の両まぶたの上を指で
すうっとなで、それから左手の指先を握ったんだよ。爺さんは、「これで、
 土の中が見えるようになった。金の杯が見えたら潜って取れ、何かあったら投げろ。
 銀の杯は坊にやる」そう言って、木の陰に引っ込み、

俺が回ってみたら、もういなくなってたんだ。で、俺はランドセル背負ったまま、
胸に鶏を抱えて町の外れのほうに歩いてったんだ。これなあ、今考えて変なのは、
かなりの道のりだったのに、その間、人一人、車一台にあってないことなんだ。
でね、とぼとぼ歩いてると、腕の中で鶏がゴッゴッ鳴いてねえ。
しばらく歩いてるうち、おかしなことに気がついた。アスファルトの道路なのに、
地面の中が透けて見えるんだよ。うーん、説明が難しいが、
透明なゼリーの上を歩いてるみたいな感じだった。で、いろんなものが見えた。
折れた刀とか、昔の本みたいなもの、かなり大きな仏像とか。
で、30分くらい進んだとき、土のかなり深いとこに、小さな金と銀の盃が並んで
埋まってるのが見えた。それで、右手に鶏をかかえたまま、左手で地面にさわったら、
ズブズブ潜ってってね。中は生暖かったし、プールの水より抵抗があった。

で、俺はあんまり泳げなかったけど、簡単に杯のあるところまでたどり着いて、
片手で2個の杯をさらって、また地面の上に出てきた。体は濡れてなかったな。
ココココッて鶏が鳴いた。また少し行くと、後ろで唸り声がして、
見ると白黒ぶちの犬が後をついてきてたんだ。「あ!」と少し足を速めると、
曲がり角ごとに別の犬が出てきて、どれも首輪とかついてなかった。
犬の数が10匹をこえたあたりで、俺は怖くなって走り出した。
でも、犬のほうが速いよな。尻に噛みつかれそうな近くまできたんで、
これも片手で、金の杯を後ろに投げたんだよ。そしたら、
ぱたりと気配が消え、犬の群れはいなくなってたんだ。やっと地蔵堂に着いて、
そこは小さな小屋で幕が張ってあり、中に地蔵さんが4つ並んでた。
その後ろから、爺さんが出てきたんだよ。

ああ、神社の爺さんとまったく同じ姿の。爺さんは「坊、よく持ってきて
 くれたの。こっちへお寄こし」そう言って鶏を取ると、
「ああ、驚いてるな。顔が似てるからだろう。神社にいたのは弟だ」
そこで、町の音が聞こえてきた。バスが走る音や人の声も。それまで、
まったく無音だったんだな。俺は地蔵堂の前に立ってて、手に銀の杯があったんだよ。
爺さんはいなくなってた。それから歩いて家に戻ったが、かなり遅くなって叱られた。
母親に杯を見せて「拾った」って言うと、それ親父が骨董屋に持ってったんだよな。
で、底に昔の殿様の名前が彫ってあるのがわかって、今は県の文化財になってる。
親父に金が出たみたいで、後で家族で洋食を食いに行ったよ。
まあこんな話だ。ああ、その神社にはその後も何回も行ったし、
地蔵堂にも行った。けど、あの爺さんには1度も会ってないな。







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顔のない看護婦の話

2018.10.18 (Thu)
今晩は。じゃあ、私の話を始めます。娘が5歳になるんです。
ええ、子どもは娘だけです・・・今のところは。一昨年の夏ころからです。
熱を出すようになって、なかなか治らなくて。近くの開業医に
連れていってたんですが、そこの先生が、「これはおかしい」って言われまして、
大学病院に紹介状を書いてくれたんです。ええ、県にある国立大学の病院。
そこで検査に2ヶ月近くかかったんです。その間にも、娘の全身に発疹が出はじめて・・・
検査の結果、後天性の免疫不全症候群ってわかりました。
20万人に1人くらいの割合で起きる難病ということだったんです。
結局、地元の病院では治療のための設備がなくて、東京の病院を紹介されました。
東京の病院には、その病気の権威の先生がいて、設備も整ってたんです。
子どものための無菌室ですね。ただ、東京に行くのは大変でした。

私は小学校の教員をしていて、娘の面倒は近くに住む母が見てくれることが
多かったんですが、さすがにこれは頼むわけにいかず、
休職せざるをえませんでした。治療費のほうは、娘の病気は難病指定でしたし、
夫が家族を含む医療保険に入っていたので、そう心配はなかったんですが、
ずっと東京に滞在しなくてはならず、病院の近くに部屋を借りるしかなかったんです。
夫は、休みの日は必ず東京まで来てくれましたので、その交通費もかかりました。
それで、娘は東京の病院の小児病棟に入院したんですが、
遺伝子治療が必要ということでした。しかも、もし治癒するとしても、
何年もかかるだろうって言われまして・・・
しかも、ずっと特殊な無菌室に入ってなくてはならなかったんです。ですから、
娘の個室に入れるのは1日に2時間だけですし、娘にふれることもできませんでした。

ええ、抱きしめることもできなかったんです。毎日病院には行きましたが、
面会の時間の終りがくると、娘はしくしくと泣き出しまして、
かわいそうでたまりませんでした。さきほど言いましたように、
いつ退院できるのかもわからず、先の見通しが持てなくて、
私自身も不安でしかたなかったんです。ただ、そこで友達ができました。
瀬田さんという、やはり無菌室に入っている娘さんのお母さんです。
年は私より4つ下で、東京に住んでて自宅から毎日病院に通ってこられてたんです。
娘さんは、先天性の免疫不全。ですから、産まれてすぐに無菌室に入り、
もう3年になるんです。娘が病気になってまだ1年足らずでこんなに大変なのに、
いつも明るくふるまっていて、芯の強い人だなあって思いました。
娘とは違う病気でしたが、その病院のことはよく知っていて、

いろいろと教えてもらいました。それだけじゃなく、
小児病棟のデイルームや、1階に入ってる喫茶店で、いろんな話をしました。
学生時代にも、こんなに一人の人と親しくなることはなかったんですよ。
それで、娘が入院して2ヶ月くらいしたときです。
やはり喫茶コーナーで瀬田さんとおしゃべりしてたとき、こんな会話になったんです。
「ねえ、この病院の小児病棟に怖い話があるんだけど、そういうの聞きたい?」
「あ、聞きたい。でも、病院ってどこでもそういうのあるんでしょ」
「他のことはわからないけど、この病院のは「顔のない看護婦」って言うんだって。
 私も他のお母さんから聞いたんだけど」 「いかにもな名前ねえ」
「でも、怖い話なのよ。この看護婦は、入院してる患者には見えないか、
 もし見えたとしても何もしないんだって」

「じゃあ、誰に見えるの?」 「つきそいをしてる家族」
「どういうこと?」 「ここの病院、長期入院してるお子さんばかりでしょう。 
 しかも、家族は泊まり込みでつきそいをしなきゃならないこともある。
 それで、疲れ切ってるときに、ふっと近くに黄色いカーディガンを着た看護婦が
 立ってる。で、見上げると顔がない」
「ええと、のっぺらぼうってこと?」 「そうね。で、その看護婦は、
 こう聞くんだって。お子さん、いりますか? いりませんか?って」
ここまで聞いたとき、急に背筋が冷たくなりました。
「・・・それで、いらないって答えたらどうなるの?」
「その子は顔のない看護婦が連れていくのよ。たぶん死んじゃうってことだと思う」
「・・・実際に見た人っているの?」 「いないと思う。だけど、この話は、

 ずっと小児病棟に伝わってるみたい。知ってる人が何人もいたから」
「・・・・」ここまで話したとき、喫茶コーナーに瀬田さんのご主人が
入ってこられたんです。ご主人は都庁に勤めてられる方で、
瀬田さんよりも年下だって話を聞いていました。
「じゃあ、またね」瀬田さんはご主人といっしょに出ていかれ、
私はその場に残って、今聞いた話を思い返して、あらためてぞっとしたんです。
それから2ヶ月がたちました。私はもちろん、毎日娘に面会に来てましたが、
病状は改善せず、どんどん痩せて小さくなっていく娘を見るのがつらくて
しかたなかったです。瀬田さんは、それまでは毎日来てたのが、
ときどき顔を見せない日があるようになりました。
ええ、会えばいつも話をしましたが、あるとき瀬田さんがぽつんと、

こんなことを言ったんです。「私、2人目ができたみたい」って。
「えー、大丈夫、産むの?」 「わからない、でも、夫は産んでほしいみたい」
でも、実際には無理じゃないかと思ったんです。それから1週間ほどして、
安定していた瀬田さんの娘さんの具合が急に悪くなったんです。
ええ、ご主人をはじめ、親族の方が何人も来られて、病室に入っていました。
私には何もできることはなかったんですが、心配で、ずっと病院に残っていたんです。
その日の夕方ころ、瀬田さんの娘さんは亡くなりました。
亡くなったのは集中治療室だったので、瀬田さんとは会うことができず、
そのことは看護師さんに教えていただいたんです。
葬儀などで忙しかったんだろうと思います。2週間ほど後、瀬田さんは病院に
あいさつにみえられて、そのときに少しだけお話しました。

私は、なんと声をかけていいかわからなかったんですが、
瀬田さんのほうから、「娘さんの治療あきらめたらダメ、必ず治るから」
こう励まされて、私はただ深く頭を下げるだけでした。
瀬田さんは最後に、「2人目産むことにした」そう言って私の腕に軽くふれ、
病院を出ていかれました。その後、1度もお会いしていません。
それから2ヶ月たって、娘の容態が悪化しました。
私は毎日、毎晩病院に詰めていましたし、夫も仕事を休んで来てくれました。
娘の容態は一進一退で、そのたびに夫婦で一喜一憂する日が何日も続きました。
疲れ切っていましたが、そんなことは言っていられませんでした。
でも夫は、私の体調のこともすごく心配してくれたんです。
夫は、1日だけどうしても会社に顔を出さなくてはならず、

私はそれを下まで見送って、1階の待合ロビーの椅子に腰を下ろしました。
面会時間を過ぎていて、ロビーに人気はありませんでした。
少し休んで娘のところに戻ろう、そう思っていたとき、
横のほうに人の気配がしました。目を移すと、黄色いカーディガンが見えたんです。
そのとき、前に瀬田さんから聞いた「顔のない看護婦」の話を思い出したんです。
「まさか」でも、おそるおそる見上げた顔には目も鼻も口もありませんでした。
長い髪と、ただ真っ白い紙粘土のような輪郭があるだけ。
私は息をのみ、声を出すこともできませんでした。
看護婦は感情のない冷たい声で、「娘さん、いりますか? いりませんか?」
私はすぐ、「いります。絶対に死なせない。治してみせます」
叫ぶようにそう言ったつもりでした。

そのとき、看護婦の顔がぐにゃりとゆがみました。
ええ、まるで粘土を上から押しつぶしたみたいに。そして、たくさんの顔が
次々にそこに浮かんできたんです。10人、20人・・・
すべて疲れ切った、悲しそうな女の人の顔。その最後に出てきたのが、
瀬田さんの顔だったんです。はっ、と我に返りました。
ええ、私の横には誰もおらず、気配もありませんでした。
疲れている中、瀬田さんから聞いた話が頭に残っていて、幻を見たんだろうと、
今では考えています。このことは夫には話しませんでした。
娘の病状は小康を得ました。ですが、いつまた悪化するかわからず、
病院側から、造血幹細胞移植の提案を受けました。生命の危険のある治療ですが、
完治する可能性もあります。夫と相談し、受けることに決めたんです。






ある家の写真の話

2018.10.15 (Mon)
今晩は。文筆業をしている元山と言います。さっそく話を始めさせてもらいますね。
この間、といってももう1ヶ月前くらいなんだけど、仕事で使ってた
パソコンがダメになっちゃったんです。中身は大丈夫だけど、キーボードが。
まあ、毎日 大量の文章を打ってるんで、しかたないと思ってます。
でね、買い換えることにしまして。そのほうが修理に出すより安いですし。
ほら、今は中古パソコンが出回ってるでしょ。
パソコン専門店に行けば、リセットしてOSを再インストールしたのが2万円くらいで。
2万円なら仕事の必要経費としてしかたないし、1年で壊れてもいいですから。
でね、近くのパソコン店で、台湾製のを買ってきまして。
いや、台湾製、悪くないですよ。ただね、不都合はないわけじゃなくて。
フォントとかですね。これが、日本語のは明朝とゴシックくらいしか入ってないんです。

まあでも、それは前のパソコンからフォルダごと移してやればいいだけで。
で、その作業をやってたら、妙なファイルを見つけたんですよ。
表題が「hemo」ってなってる。変でしょう、そんなの見たことがない。
それでクリックしてみたんですが開けない。気になったので、あれこれやってみました。
そしたら、どうやったのか忘れちゃったけど、何かの加減で開くことができたんです。
でね、中には画像が3枚だけ。ええ、もちろん見ました。かなり鮮明な大きな画像で、
1枚目は、コートを着た人が黒い傘をさしてる上半身。
顔は傘の陰に隠れてて見えないけど、長い髪がわずかに出てるので、たぶん女。
2枚目は、なんとも形容しがたいもので・・・何かの腹なんだと思いました。
人間じゃなくて、爬虫類・・・あれ、カエルは両生類でしたっけ。
とにかく、その手の生き物の水に濡れた白い腹だけ。頭は映ってませんでした。

で、3枚目が、民家を正面から撮ったものですね。前の2枚が色鮮やかなカラーなのに
対して、その画像だけが白黒で、映ってる家はまさに昭和というか、
かなり古いものでした。門の間を短い通路が玄関まで続いてて、玄関の戸は
閉まってるんですが、ガラスが割れてる部分があって、廃屋という雰囲気でした。
そういうの、興味を惹かれるじゃないですか。僕は、雑誌に推理小説の書評を
書いたりもしてるんで。でね、できることを調べてみました。
まず、exifを読みとるソフトに3枚ともかけてみたんです。
けど、これは空振り。どれもexifは消去されてたんです。
次に、グーグルの画像検索にかけてみました。これをやれば、
画像の盗用とか、まずわかりますから。けど、最初の2枚はヒットなし。
3枚目の家の写真は1件だけひっかかって、開いてみると個人のブログでした。

でねえ、その内容が奇妙だったんです。仕事を退職した60代の男性が管理人で、
最初のほうは、定年後に登山した山や、山菜の写真が載せてあって、
まあ、どこにでもある内容だったんですが、その家の画像が貼ってあるページが
今から2年前の記事。何の脈絡もなく、その画像が上げられてて、
その下に「パソコンから出てきた画像、なにか気になる家」とだけ書かれてたんです。
で、その日からぐっと更新頻度が落ちまして、
それまで週に2,3回記事を書いてたのが、1ヶ月に1度くらいになって、
しかもその内容が・・・こんな感じです。「10月○日、異物のはさまったカメラを
修理に出すが拒否される」 「11月○日、また出血した」
「12月○日、山仲間の道野さん死去、あんなことに誘わなければよかった」 
「1月○日 お祓い」 「2月○日 お祓い、熱帯魚の水槽が全滅」

「3月○日 お祓い」 「4月○日、先生死す。申しわけないことをしました。
 葬儀は2日後」それから間が空いて「7月○日、家再訪」
これで途切れ、以後の更新なし。でね、そのブログに載ってた家の画像、
僕のパソコンにあったのと微妙に違うんですよ。フォトショップに取り込んで
比較してみました。そしたら、ブログの画像のほうが広い範囲を映してて、
僕のは同じ画像なんだけど、周囲がトリミングされてたんです。
ええ、ブログの画像には門の横の電信柱が映ってて、それについてる
住居表示がはっきり映ってました。「仲王町5丁目 3-28」って。
これだと、検索すればその家の場所がわかります。それでねえ、
嫌な感じはしないこともなかったんですが、それ以上に、その家のことを調べて
みたくなって。まず、ブログのコメント欄に「家の画像の詳細を教えてほしい」

旨を書いたんですよ。でも、これには未だに返信はありません。
あと、住所で検索して、家のある場所はすぐにわかりました。
はっきり言わないほうがいいでしょうね。関東の某県、某市の
「仲王町5丁目 3-28」です。もちろん、グーグルのストリートビューでも
見てみました。ですけど、道に面した家のはずなのに、
いくらさがしても見つけられなくて。でね、もちろん、その家に行ってみる
つもりでした。ただ、仕事が忙しかったんですね。
なかなかまとまった時間ができなくて。伸ばし伸ばしになってたんです。
その間、一つだけおかしなことがありました。マンションの僕の部屋あてに来る
ダイレクトメールに、「〇〇教 東京西市部」からのものが混じるようになって、
何かの新興宗教団体のもののようでした。

開封すると、中には、「除霊、降霊のお申込みは下記へ」という
手書きの用紙が入ってて・・・この宗教団体についても調べました。
けど、ネットにはその名前のものは一切出てなくて、手がかりがなかったんです。
で、今月の話です。平日でしたけど、2日間、外での仕事がない日ができまして。
車で、その家に行ってみることにしたんです。
東京からは3時間半かかりました。そこは関東でも中核都市とは言えない
寂れた市でねえ。駅前の商店街は軒並みシャッターを閉めてました。
ナビに家の住所を入れてたんで、そのまま車で向かったんですが、
近くまで行くと、どうも路上以外に車を停めるところがないみたいで、
いったん近くのコンビニに車を置き、歩いて向かったんです。
ええ、その家はありましたよ。ありましたけど・・・

とにかく周囲が異常だったんです。その家の両隣、それと右のもう一軒が、
空地になってたんです。まるでその家が嫌で引っ越したか、でなきゃ、
住人が死に絶えた・・・なんて、そんな想像が頭の中をよぎったりしたんです。
その頃には、時間も午後3時を過ぎてましてね。空が薄暗く、今にも雨が降り出しそな
感じでした。でねえ、今考えればやめとけばよかったんですが、
僕、好奇心を押さえきれなくて、その家に入っちゃったんです。
ほら、両隣が空地になってたって言いましたよね。住宅街で、道を通る人もなく、
入っても誰もわからないだろうと考えて。門をくぐり、
ガラスの割れた戸に手をかけました。そしたら、軽く開いたんです。
中は・・・ホコリが積もってましたが、意外なことに、その上に大勢の足跡が
あったんです。で、僕も靴は脱がないでそのまま廊下に上がりました。

まだ夕方とも言えない時間でしたから、外が暗いといっても中の様子は見えました。
せまい家で、1階は3部屋にバス・トイレ。どこも靴の跡だらけでしたが、
荒らされてはいなかったんです。ええ、ふすまが倒れたり、壁を蹴ったり、
タンスの中身が引き出されてるとか、そんなことは。生活用品はほとんどそのまま残り、
カレンダーは2年前のものでした。おかしなものはなく、これでやめようかとも思いましたが、
2階へと通じる階段を上りました。そのとき、足元のホコリが、
黒い玉になってることに気がついて。ええ、何か液体がこぼれた跡だと思いました。
2階は2部屋。手前が小学生の男の子のものか、勉強机が残ってましたね。
そこを出て、突きあたりが最後の部屋。ドアを開けると、祭壇のようなものが
ありました。白い布をかぶせた壇ですが、その布のそこかしこがどす黒く汚れてて・・・
祭壇には線香立て、大きなロウソク立て。それから、何も入ってない

あまり大きくない写真立て。あと、三宝というんですか、神社で餅を乗せるような
低い台。その上に何かがあり、新しく見える白い布が被さっていました。
心の中でやめろ、やめろという声が聞こえたんですが、その布の端に手をかけて
持ち上げようとしたとき、手首に軽い痛みが走ったんです。「え?」
ロウソク立てに引っかけたんだろうか。手首にスッと筋が走り、次の瞬間
血が吹き出たんです。「あ、あ」もう片手で押さえましたが、
指の間から血がこぼれ出してきて・・・血管が切れたんだと思いました。
ハンカチを出して上から何重かに巻きつけ、部屋を飛び出し、
血を振りまきながら階段を降り、その家の外に出ました。
切ったのは左手だったので、スマホを出して右手で救急車を呼んだんです。
血はハンカチを通してポタポタと地面にこぼれ、その上から押さえながら

塀にもたれかかりました。そのとき、細かな雨が降ってるのに気がついたんです。
道の反対側、やや離れたところの電柱の後ろに、傘さした人が立ってました。
救急車はすぐに来て乗せられ、肘の上をゴムで縛られ、
病院へ向かいました。市立病院についた頃には、血は止まってて、
医者が「・・・またですか」と言いながら、14針縫われました。
「え、またって?」医者はしまった、みたいな顔をしたんですが、
「あなたみたいに運ばれてくる人がいるんです。2年前からねえ。
 あの家に行ったんでしょう」こう言われたんです。それ以上は聞けませんでした。
これでだいたい話は終わりです。車の運転ができないので、電車で帰るしか
なかったです。部屋に戻ると、また新興宗教からのチラシが来てました。
もうあの街に戻るのは嫌だったんで、車は業者に運んできてもらいました。

でね、あれから10日たって、毎日チラシが来る他には、
おかしなことはないです・・・今のところは。あの家で手首をケガしたとき、
肘があたって台の上の布がずれて、カエルの足のようなものが少し見えました。
パソコンの写真は削除しようとしたんです。1枚目の人物、2枚めの生き物の腹、
これはすぐ消せたんですけど、3枚目の家の写真はダメでしたね。
何かのソフトで使用中になってたんです。そんなはずないのに。
まだ、ほとんど何も入ってないパソコンなので、リセットしょうかと思いましたが、
考え直し、キッチンで濃い食塩水を作ってバケツに入れ、
パソコンを沈めました。傷の抜糸はこっちの病院でやるんですが、
それが終わったら、埠頭に行って海に捨てようと考えてるんです。あとね、
チラシの団体に一度連絡をとってみようかとも。やめたほうがいいでしょうかね。





                                     

石を返す話

2018.10.12 (Fri)
うちは造園業やってるんです。家族経営ですけど、この地方にはお得意さんが
たくさんいて、けっこう手広く商売してます。
社長は親父です。70に手が届く齢ですけど、バリバリの現役。
ええ、剪定で木にも登りますし、力も私より強い。
しかもね、なんとフランス語がペラペラなんです。
これは、若い頃に画家を目指してて、フランスに5年ほど住んでたことがあるからで、
まあ、画家になる夢はかないませんでしたが、そのときの縁で、
向こうから日本庭園の築造を頼まれたりするんですよ。
ええ、ヨーロッパにはけっこう日本庭園に魅せられた元貴族なんかがいて、
半年近く滞在して仕事することもあります。そんなときはね、
1回の出張でかなりのお金になるんですよ。ああ、すみません。

それでね、そのときもオヤジはフランス行ってたんですが、
出発前にこんな指示を出しまして。「月末頃、山根さんが石運んでくるから。
 それ入れることができるよう、置き場を開けておいてくれ。
 それから、運ばれてきた石には、俺が戻ってくるまで触るんじゃないぞ」
ええ、私、まだ一人前と思われてないんですよ。これでももうすぐ、
この仕事について25年になるんですけどねえ。ただまあ、
無理もないところもあります。石はいろいろと難しいんですよ。
人間の寿命って、たかだか80年くらいでしょ。ところが、石は億年のレベルです。
だから中には、神性みたいなものを持ったものもありましてね。
あと、石は古代から信仰の対象になってましたから、
間違って、磐座になってた石が採取されたりしてしまうこともあるんです。

そんな場合、いろんな障りが起きるので、うかつに触れないんですよ。
あとね、石には顔と表情があるって言われますよね。
どの面を上にして、どんな向きで置くか。これを見定めるには長い経験が必要で、
不本意な置き方をされると、石が怒ったりするんです。いやいや、ホントの話です。
でね、約束の期日に、山根さんが石を運び込んできました。
個人の持ち山から親父が買ったものです。数は大小15個ほど。
大きいのは2mもあって、クレーンで運び下ろしました。
いや、私が見るかぎりでは、どれも野面(のづら)のあるいい石でしたよ。
けど、それらの石が運び込まれてきてから、おかしなことが起こり始めたんです。
まず、私の娘ね。今、高校3年で大学受験を控え、遅くまで勉強してるんですが、
あるとき、こんなことを言ったんです。

「勉強してて12時を回った頃に、部屋の空気を入れ替えようとして窓を開けたら、
 仮植え場の中が赤く光ってた」って。まあね、植木泥棒もいますから、
仮植え場には防犯灯をつけてますけど、赤く光るってのはありえない。
それで気になって、「今度光ったら知らせてくれ」そう言っておきました。
それから3日後ですね。時間は夜の12時過ぎ。私は焼酎飲みながらテレビ見てましたが、
そろそろ寝ようかとしたとき、2階の部屋から娘が呼びにきたんです。
「庭が光ってる」って。で、2階の廊下の窓から見たら、
たしかに赤く光ってるんです。ええ、石を運び込んだあたりが。
それがなんとも嫌な赤い色でねえ。朱色に近い光がチカッ、チカッと明滅してる。
もちろん、懐中電灯片手に見に行きましたよ。でもね、けっこう広い植木の
仮置場には、光るものなんて何もなかったんです。

で、家に戻ったら、玄関口に娘が出てきてまして、「お父さんが今、庭に出たとき、
 上から見てたんだけど、石の置いてあるところで、たくさん黒いものが出てきて
 囲まれてたよ」って。でも、そんなことなかったし、
もう一度2階に上がって見てみたら、赤い光は消えてたんです。
気味悪いなあと思いましたが、それ以後、娘が何か言うことはなかったんです。
それから2週間して、今度は女房が奇妙な目に遭いました。
これ、あまりに変な話なので、信じてもらえますかねえ。
その日、私は職人を連れて外に仕事に出ていて、女房が事務と店番をしてたんです。
仕事の依頼はほとんどが口こみか電話で受けるんで、
事務所に人が訪ねてくることはめったにないんですが、呼び出しが鳴って、
女房が出てみると、振り袖を着た若い娘さんが立ってたって言うんです。

女房の話では、うちの娘よりも若くて14,5歳ぐらいだろう。
目つきが少しキツイことをのぞけば、とてもきれいな娘さんだったそうです。
でも、そんな娘が造園業を訪ねてくるのも変でしょ。
女房が「どんなご用でしょうか」って聞いたら、娘さんはもじもじしてたけど、
意を決したようにこんなことを言ったそうです。
「この家のな、庭にある石な。悪いものが混じっておるぞ。
 ああいうものが近くにあると苦しゅうてならん。どうかどこぞに持っていって
 くれぬかのう」ええ、このとおりではないでしょうが、
現代の言葉じゃなかったそうです。女房はなんと返答していいかわからず、
「副社長(これ、私のことです)が戻りましたら、伝えておきますので、
 連絡先をお書きください」こう言って紙とペンを渡しました。

そしたら、ボールペンを使いにくそうにしながら何か書いたんですが、
その途中で、娘さんの顔中から金色の毛がぶわっと吹き出したんだそうです。「あっ!」
女房が驚くと、娘さんは紙を投げ出し、振り袖をひるがえして逃げていったそうで。
でね、私が戻ってきてその話を聞いて、半信半疑でしたが、紙を見ると
ひと目では読めないような達筆の字が書いてある。草書っていうんですか、
何とか判読したところ、それ、うちから500mほど離れたところにある
小さなお稲荷さんの住所だったんです。ええ、普段は神職もいないようなところです。
でね、そのままにしておけませんので、近所の人から神職の家を聞いて、
出かけてみたんですよ。神職はわりと若い人で、この地域を担当して、
神主が常駐してないこのあたりのお社をいくつも掛け持ちして
お祀りしてたんです。私が、ともかく女房が見た出来事の話をすると、

神職は少し考え込んでましたが、「うん、それねえ、心当たりがないこともない。
 私もね、最近夢を見るんですよ。狐の面をつけた女が暗い中に座っていて、
 怖い怖いって言う。何が怖いのか尋ねると、古い古い強い荒神が近くに来てる。
 怖くてたまらないから、出ていくように言ってくれ・・・こんな夢です」
でも、その神職にも、何をどうすればいいかわからず、
そのまま放置しておくしかなかったということでした。
でね、困ってしまって、親父に国際電話したんです。
親父が出たので、あったことを話すと、「うーん、見落としがあったか。 
 ちゃんとあちこち確認したつもりだったがなあ。ともかく、まだ日本には
 戻れんから、そうだなあ、お前、面倒だろうが京都の伏見稲荷まで行け。
 そこで、仮置場にある新しい石の数だけ御札をもらってきて、

 石に貼りつけておくんだ。それで当面は収まるだろ」
こんなことを言われたんです。伏見稲荷大社は、ご存知のように全国のお稲荷さんの
総本社ですよね。とにかく、言われたとおりにしました。
そしたら、それ以来おかしなことはなかったんです。
でね、数カ月後、親父が帰ってきまして。すぐに私と職人ら数人を連れて、
仮植え場に出て、搬入された石を、大きいのも小さいのも一つずつ手のひらをあてて
調べてたんですが、「ああ、これだ」って一つの石のところで言ったんです。
それ、中では大きいものではなかったです。中くらいより少し小さいやつ。
数人がかりなら人手で転がせそうでしたが、重機を使ってひっくり返してみました。
そしたらねえ、下になってた面に何か彫られてたんです。
けど、まったく読めないし、字であるかどうかもわからなかったです。

親父は「ああ、俺としたことが。見逃してたなあ。ヤキが回ったかもしれん」
こう言ったので、「社長、これ何なんですか?」聞いたら、
「神代文字だ。お前にはわからないと思うが、古代の山岳祭祀で使われたやつ。
 時代はそうだなあ、縄文中期ころか」 「それ、どのくらい前の?」
「5000年以上だ。お前は齢ばっかり食って、何にもわからねえなあ」
こう怒られました。親父は続けて、「強い神さんの気がまだ残ってるんだな。
 それで近所のお稲荷さんが怖がった。しかしなあ、こんなのにダメ出ししなかった
 俺もヤキが回ったかなあ。かといって、お前には、まだまだ任せられねえし」
その石は元あった山に返しました。あとね、お稲荷さんには、
私と女房で何回かお参りをし、お騒がせして申しわけありませんでしたと謝って、
油揚げをお供えしたんですよ。まあ、こんな話です。






池の姫の話 3

2018.10.05 (Fri)
それから、俺は東京の大学を出て出版社に就職し、結婚して子どもも
2人できたんです。特に過不足もない生活でした。
故郷の町であった出来事は、梅崎の死とともに忘れようったってできません。
けど、あれから何十年もたって、意識にはのぼらないようになってきてたんです。
ええ、夢も見たことはないです。それでね、去年の4月、
社内での移動があって、俺、ホラー漫画雑誌の編集部に回されまして。
ほら、「本当にあった怖い話」って雑誌があるでしょ。
ああいうやつです。基本的には、読者から恐怖体験の投稿があって、
それを編集部で読んで、使えそうなのを漫画家さんに作品にしてもらう。
読者投稿って、話のつじつまが合わないものが多いんですよね。
そこは編集部のほうで手直しします。あとは漫画家さんの力で。

文章だけ読むとあんまりぴんとこない話でも、漫画家さんの絵柄と
話の内容がぴったり合うと、すごく怖くなるんです。
そういうときにはやりがいを感じてましたね。あと、企画ものってのがあるんです。
漫画家さんと霊能者の人に いっしょに心霊スポットや事故物件に
行ってもらって、その体験をマンガにするとか。
だから霊能者の人には何人もお会いしました。けどねえ、はっきりした能力って
見たことなかったんです。例えば事故物件の家に入ると、
「この部屋で自殺した人がいて、その念が残ってますね」とか言って。
でも、俺にはその場の思いつきでしゃべってるようにしか思えなかったんです。
で、今年の8月、やはり企画もので、三崎さんって霊能者の人にお会いしまして。
俺と同じ40代なかばくらいで、見た目は普通の主婦でした。

前もって下調べさせていただいて、他の霊能者の間での評判が高かったんです。
これ、珍しいことで、霊能者は他の同業者をよく言わないことが多いんです。
それが、誰に聞いても「あの人は力がある」って。
あと、俺と出身地が同じだったんです。会社のあるビルの近くの喫茶店でお会いしました。
俺が先に行って待ってたところへ、写真で見た三崎さんが入ってこられたんで、
立ち上がって合図したんです。そしたら、こっち見た三崎さんの顔が、
急に崩れて驚愕の表情になって。それでも、テーブルに近づいてこられたんで、
あいさつしようとしたら、三崎さんは、「・・・姫」そう一言。
それ聞いて驚いたし、すごくあせりました。まさか、俺があの池で姫の姿を見た
ことを知ってるわけはない、けど・・・三崎さんは席につくと、
「失礼しました。まさか東京で姫に関わる人と会うとは思ってなかったので」

こう言ったんです。俺のほうは言葉が出ませんでした。
だってこれ、言っちゃいけない話なんですから。俺がひたすら狼狽してると、
三崎さんは、「わかります。あなたは何も言わないで。ただ、こっちが言ったことに
 うなずくだけでいいですから。それなら何も起きないはずです」 「・・・」
「あなた姫を見た?」 「・・・」勝手に俺の頭が動いてました。「そう、やっぱり。
 身近な方で亡くなった人がいるんでしょう。私もそうです。」 
「・・・あれ、何なんですかいったい?」つい、そう聞いてしまったんです。
「あれは、あの地域に伝わる祟りのようなものです。たくさんの人が死んでいます」
「やはり相楽氏のお姫様の無念が祟ってるってことですか?」
「・・・いえ、おそらくそのお姫様の中身はもうほとんどないでしょう。
 ただ形だけが残り、中に他のたくさんのものが詰まってあの町にとり憑いている」

こんな話になったんです。「他のもの?」 「ええ、うまく言えませんが、
 川の橋桁にいっぱい、流れてきたゴミがからみついて溜まっていることが
 あるでしょう、あんな感じ。私はここ10年以上、たびたびあの町に戻って、
 それを解こうとしてるんです。私の力で できるかどうかわからないですけど」
「さっき、こっちを見て、姫っておっしゃいましたよね」
「・・・言いにくいんですが、あなたの体にもうほとんど姫が重なっています。
 体調が悪くはありませんか。病院で精密検査をしてもらったほうが」
これ、そのときの1ヶ月前くらいから、背中に重い痛みがあったんですよ。
そこへ漫画家さんがみえられて、この話は終わりました。
その後、上の空でなんとか仕事は乗り切りました。で、翌日休みをとって病院に
行きました。何日かかけて検査をし、胆嚢に腫瘍が見つかったんです。

広い範囲に浸潤していて、手術はできず、手がつけられないってことでした。
でね、三崎さんに連絡をとったんですが、娘さんらしい人が出て、
「母とは連絡がとれない、おそらく郷里に帰ってると思う。これまでも
 そんなことが何度もあった」あまり心配してる様子じゃなかったんです。
俺は入院して、抗癌剤の治療を受けたんですが、効果はなかったです。
でね、こないだ大きな台風が来ましたよね。
その翌日、三崎さんの娘さんから連絡が来て、「母が亡くなった」って。
あの町のJRの駅、そこの待合室のベンチに座ったまま事切れていて、
心臓の発作だったそうです。これ、姫の関係かはわかりませんけど、
もしそうだとしたら、知ってるだけで11人目ってことになります。
で、俺が12人目。これで、話はほとんど終わりですよ。

俺は、6ヶ月の余命宣告があったんで、その間に、家族のためにできるだけの
ことはしました。もう遺言も司法書士に渡してあります。
姫の話ができて、なんだかすっきりしましたよ。
ここのみなさんなら、そういうことへの対処もご存知でしょうから。
俺だけ生きのびるのも、考えてみれば死んだ梅崎に申しわけない気もします。
でね、まだ体が動くうちに、あの池に行ってみようと思ってるんです。
それでどうなるかはわかりません。ただ、なかば腐った陰気な沼地があるだけかも
しれませんけど。あとね、俺が不思議に思うのは、戦国時代の姫の姿って
誰も見たことなんかないでしょう。あの資料館にあった姫の人形って、
想像で適当に作ったものだろうに、なんで俺と梅崎は、池であれとまったく同じ姿の
姫を見たのかってことです。不思議ですよね、ここの方なら説明がつきますか?

源氏物語。2 049