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「見れば死ぬ」画像の話

2020.06.27 (Sat)
あ、ども、松本って言いまして、今年からITの専門学校に
通ってます。プログラミング言語とか、そういうやつの勉強。
いや、あんま面白くないけど、就職には役立つだろうと思って。
それでね、趣味が怪談を聞くことなんです。いまほら、
怪談師って人がたくさん出てきて、youtubeに動画あげてるでしょ。
そういうのをヒマなときに聞いてるんです。え、暗いって?
まあね、仲間にもそう言われます。あんま理解してくれる人は
多くないっていうか、怪談って嫌いな人も多んですよね。
怖いから嫌だって言うならまだしも、最初からそんなの
全部作り話じゃないかって人もいます。え、俺ですか?
いや、半信半疑ってとこですね。

俺、0感だし、生まれてこのかた、幽霊ってのは見たことが
ないんです。けど、じゃあ絶対そういうものはいないかってと、
そうとも言い切れないですよね。それで、1週間くらい前、
ネット配信の怪談を聞いてたら、「見たら死ぬ画像」の話ってのを
やってたんです。ある画像がメールに添付されて送られてきて、
それ見た人がみな死んでしまうって内容の。
それって怖いですよね。メールの画像なんて、何気に開いちゃう
じゃないですか。なのに、それだけで死んじゃうなんて、
コロナウイルスよりタチ悪いと思いませんか。
それで・・・今考えればやめればよかったんだけど、
「見れば死ぬ画像」で画像検索してみたんですよ。そしたら、

ベクシンスキって人の絵がたくさん出てくるんですよね。
椅子の上に首のところに布を巻いた人形の首みたいなのを描いた
絵が出てきて、これを3回見たら死ぬっていう。けど、
俺からしたら子どもの落書きみたいで、あんまり怖くなかったんです。
で、ずらずらっと画像一覧を見てったら、一枚ね、
アレって思うのがあったんです。いや、そんなに怖い画像じゃなくて、
街灯で照らされた夜の坂道の真ん中に何かが立ってる。
その何かは、画像ソフトで強くぼかしをかけたみたいになってて、
はっきりとはわからないんです。人のようだけど、
もしかしたら石像みたいなのかもしれない、そんな感じの。
で、何でアレと思ったかっていうと、その場所、

心あたりがあったんです。俺の地元の市の墓地公園じゃないかって
思いました。市で運営してるやつで。うちの実家の墓も
そこにあるんです。だから盆やお彼岸に何度も行ってるんで。
そこはね、丘一つを造成してて、墓地が何区画にも分かれて
続いてるんです。道は一方通行で、山を登ってって下る。
その下りの途中なんじゃないかと。それで、画像が載ってる
ウエブページを開いてみたら、個人のブログだったんです。
管理人は鉄道関係が趣味の、いわゆる「鉄」の人みたいで、
自分で撮った列車の写真をのっけて解説してる。
でも、最終更新が2年前だったんです。で、その画像の載ってる
ページが最後になってて、「見れば死ぬという画像を入手しました。

 みなさんに何かあっては困るので、ボカしておきます」
これで終わってる。いや、気味悪いなあと思いましたよ。
それで更新が途絶えてるんだから、その画像見たせいでブログが
続けられなくなったのかも、って考えちゃうじゃないですか。
でね、その画像、保存したんです。そのときはちゃんとできました。
それからどうしたかって言うと、高校時代に仲良かった
ダチ3人にメールで送ったんです。「これ、見たら死ぬ画像って
 出てるんだけど、〇〇墓地公園じゃないか」って本文をつけて。
俺が高校を卒業したのって、つい去年のことですから、
まだそいつらとやり取りがあって、地元にいるやつとは
休みに帰ったときなんか遊んだりもしてたし。

あ、俺の学校がある市と地元は同じ県内で、電車で1時間くらい
なんです。で、翌日、3人ともから返信メールが来たけど、
何か変だったんですよ。まず2人は、画像が壊れてて開けないって
書いてて、そんなはずはないと思いました。自分とこの画像を見たら
問題なく開けたし。そんな単純な操作で壊れようがないですよね。
最後の一人はもっと変で、「お前いつこんな写真を撮ったんだ?
 俺、最近、〇〇墓地公園には行ってねえぞ」っていう。
わけわかんないので、夜に電話してみました。そしたら、
「確かにあそこの墓地公園で、坂道に立ってるのは俺だ。
 けど、俺んちの墓は寺にあるから、何年もそこには行ってない。
 なのに、写真の俺は最近買った服着てる。どういことだ」

・・・どういうって言われても、俺だってわかんないですよ。
それで、その画像をメールでそのまま送り返してもらったんです。
そしたら、開けないんですよ。いろんなアプリにかけてみたけど、
不適切な画像ですとか、壊れていますとか出てきて開けない。
もしかして、他の2人もそういう状態になってるんじゃないかと思いました。
これ、気になるでしょう。あのボケたもやもやが、何であいつには
自分に見えるのか。それでね、その3人に声をかけて、
その次の土曜日、実家に帰って墓地公園に行ってみようってことに
なったんです。3人とも地元で就職してたんで夜になりました。
ちょっとした肝試しって感じです。で・・・この3人、A、B、Cって
ことにしておきます。A・Bが画像が開けないって言ったやつで、

Cが自分が写ってるって言ったやつ。駅で待ち合わせてね、
着いたらさっそく、Cにスマホに入ってる俺が送った画像を見せてもらった
んですよ。そしたら、開けなかったんです。A・Bと同んなじ状態。
けど、Cは「ついさっきまで開けて、間違いなく俺だった」って言い張って。
でね、そのとき、俺の元画像も見せたんです。ぼかしがかかってるやつ。
Cはまじまじと見てましたが、「ほんとだボケてるな、けど・・・」
納得してない様子でした。Aが車で来てたんで、駅のコンビニで
食料を買い込んで墓地公園に向かいました。地方都市ですからね、
夜は車通りも少なくて、30分もかからず前まで来ました。
お参りしてる人がいる様子はなかったです。車の中でBに、
「ここ、お前んちの墓があるんだろ。拝んでいかないのか」
 
って聞かれたんだけど、線香とか買わなかったし、それはやめといたんです。
けっこうスピード出して丘の上まで行きました。そこは草地の広場になってて、
ドームみたいなのの中に平和の鐘ってのがあるんです。
下りはゆっくり、画像の場所を探しながら行ったんですが、
俺がスマホ見ながら、「もうちょい先だ」と言ったとき、「あああ!!」
急に運転してたAが叫んでブレーキを踏んだんです。ガコッという
衝撃があって何かを轢いた?? けど、車のウインドウからは何も
見えなかったです。「動物か何かか?」BがそうAに聞いたら、
「人が立ってた、轢いちまった」って呆然とした声出して。
「そんなはずはない」路肩に車を停めてみなで出てみました。けどね、
何もなかったです。道路に血とか落ちてるわけじゃないし、

車もどこも凹んだりしてない。でも、みなイヤーな気持ちになったんです。
それでね、早々にその場を離れて、街に出て酒飲んだんです。
・・・これで済めばよかったんだけど、そうはなりませんでした。
月曜の夜、連絡が入って、Cが急死したって言うんです。交通事故。
けど、場所はあの墓地公園じゃなくて、駅前のバスターミナルです。
入ってきたバスに、ふらふらと近づいたCが、自分から体を
投げ出すようにして車輪の前に倒れたって。だから
警察は自殺と見てるみたいだってBが教えてくれたんです。これ、
どういうことなんですか。Cは、見れば死ぬ画像を見たから死んだのか。
ものすごい気になるんです。だって俺、もう一度あの画像見たんです。
そしたら、墓地公園の坂に立ってるの俺だったんです。見ちゃったんですよ。

3回見れば死ぬ画像(笑)





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橋桁の話

2020.06.24 (Wed)
あ、どうもこんばんわ。自分、増田と言いまして、塾の講師を
してます。これから話すのは、僕が小学校4年のときのことだから、
今からちょうど15年前になります。うちの実家は、
父親が県の団体職員で転勤が多かったんです。といっても、
4年か5年に一度だったし、県職員だから県内だけでした。
ですから、僕が小中学校のとき2回転校してます。
それで小学校4年のときですね、海に近いところの、人口10万人
くらいの市に移りました。それが初めての転校だったんで、
学校になじむまで時間がかかりましたよ。あと、通学距離も
長かったです。前の学校は、朝は集団登校だったんですが、
そこはそんなことはやってなくて、一人で通学してました。

でね、途中、橋を通るんです。大きな橋じゃなく、50mくらいかな。
どこにでもあるような橋で、下を流れる川の幅は20mくらい
だったろうと思います。名前は横森橋って言いました。
そこらへんの地名が横森だからです。そんなに交通量の多いとこじゃ
なかったけど、朝夕はそれなりに車通りはありました。
川の水はいつも濁ってて深さはわからなかったです。
学校への行き帰りは橋の歩道を通るんですが、欄干の隙間から下の川を
見ることが多かったんです。でも、魚が泳いでるのは一度も
見かけませんでした。で、そのうちに気がついたことがあったんです。
橋桁のことです。川の中に入ってる橋桁は2本でしたが、そのうちの
学校に近いほうにだけ、たくさんゴミが引っかかってる。

こう言うと、川の流れのせいだろうと思われるでしょうが、
僕が見たかぎりでは違いがあるとは思えなかったんです。それなのに、
片方だけたくさんのゴミが取りまいてる。ゴミは木の枝とか
草のかたまり、ビニール袋など様々でした。でね、その中に、
ときどき動物の死体が浮いてたりしたんです。犬、猫、あとは
たぶん鯉だと思うけど、大きな魚とか。汚いし気持ち悪いんだけど、
なんとなく気になって、学校の帰りは毎日見てたと思います。
で、新しい学校にもやっと慣れてきた1ヶ月後くらいのとき、
下校時に橋を通ったら、その橋桁の上の歩道から、下を見てる子が
いたんです。その顔に見覚えがあって、僕と同じ4年生の、
別のクラスの男子だと思いました。でね、その横に行って

立ち止まったんです。後で聞いたんですけど、その子、名前は
山本って言いました。「何見てるの」と聞くと、やっと僕のことに
気がついたみたいで、「ああ、あの橋桁だよ。死んだ亀がいる」
見ると確かに、腹を上にしたかなり大きな亀が、橋桁のまわりを
浮き沈みしながら、ゆっくりと回ってたんです。まあ、川の
水流がぶつかるわけだから、回るのは不思議はないんだけど、
山本くんは、「今、引き込まれるから見てろ」って言いました。
意味がわからなかったんですが、黙って見ていると、
流れに乗って浮き上がったときに、グンという感じで沈んで
いったんです。それっきり浮いてはきませんでした。
まるで何かが下にいて、引きずり込んだようにも見えたんですね。

その後、山本くんと連れ立って帰ったんですが、話をすると、
家が近くだということがわかりました。数百mくらいの距離。
それとあの橋桁の話も聞いたんです。なんでも山本くんが小2のとき、
まだ小学校前の幼児の遺体が、その橋桁付近で発見され、
けっこうな騒ぎになったそうなんです。「どうやら川の上流で
 親とキャンプに来てるときに流されたみたいだけど、
 さっき見たあの亀と同じように橋桁のまわりを回ってたらしいよ。
 俺、あの橋桁のとこの水の中には何かいるんじゃないかと
 思うんだ」こんな話をしました。「何かって、魚とか?」
「違うと思う。うまく言えないけど、もっと怖いもの」
「怖いもの・・・」 「明日、帰りいっしょに帰ろう。

 ちょっと実験してみせるから」それで、授業が終わってから
待ち合わせ、いっしょに橋まで来たんです。相変わらず川は濁ってて、
橋桁は片方だけゴミだらけ。山本くんはランドセルを下ろすと、
中から食パンを取り出しました。その日給食に出たやつです。
で、「俺、パン嫌いだからちょうどよかった」そう言って、
1枚を半分にちぎって川に落としたんです。けど、それは
橋桁の根元からは離れたところで、そのまま見えなくなりました。
「難しいな」山本くんは少し位置を変え、もう半分を落とすと、
今度は橋桁のコンクリにあたってゴミの中に落ち、いっしょに
回ってましたが、グッと沈み、それからポーンと跳ね上がったんです。
はい、水面の上1mくらいまで。でも、そんなことありえないですよね。

「ほらな、あそこにいるやつ、パンじゃ気に入らないんだ。
 たぶんだけど、肉じゃないとダメなんだよ」でも、こう聞いても
半信半疑でした。さすがに小4くらいになれば、河童とか
そういうものはマンガの中だけだってわかりますよね。
それから、山本くんとは親友になって毎日いっしょに遊んだし、
家どうしも知り合いになったんです。で、その年度が終わり、2人で、
5年生は同じクラスになれればいいなって話をしてたんですが・・・
春休み中に集中豪雨があったんです。まる2日くらい激しい雨が続き、
いつも通る橋の川もすごく水位が上がりました。避難勧告とかは
出なかったけど、僕らの学校は臨時休校になったんです。
その休みの日、山本くんが行方不明になったんです。

両親はずっと家にいると思ってたのが、夕食に下りてこない。
2階の部屋には誰もいない。外は大雨。夜の8時を過ぎても戻らず、
警察に連絡したんです。うちにも電話がかかってきました。
それで・・・雨がやんで2日後、山本くんが水死体で見つかったんです。
こう言うと、あの橋桁のとこだと思うでしょうが、そうじゃなく、
自宅近くの側溝の中です。ふだんなら10cmも水が溜まってない
ような中に、うつ伏せになって足だけが見えた・・・
はい、葬式には行きました。あんなに泣いたのは生まれて初めて
だったと思います。でね、その翌日の学校帰り、橋の上から
橋桁を見下ろしてました。相変わらずゴミが渦巻いてて、ああ、
山本くんとここで最初に知り合ったんだよな、そう考えてたとき、

「ボク、どうしたんだい」と後ろから声をかけられました。ふり向くと、
ミニバイクに乗ったお坊さんが、笑顔で路肩に停まってたんです。
「川を見てたんです」そう言うと、「ふうん」そう言って、バイクの
スタンドを立てて歩道に上がってきました。それから川を見下ろし、
少し考えるような様子で「ああ、この下の橋桁、悪いものがいるかなあ」
そう言ったんです。びっくりしました。山本くんが言ってたのと
同じだったから。それで、そのお坊さんにこれまであったことを
話したんです。お坊さんは真剣な様子で聞いてましたが、
「ああ、小さい子どもが流されて見つかったのは覚えてる。
 ここだったのか」そう言い、バイクに戻って荷台から何か印刷された
紙束を出してきました。「うちのお寺のパンフレットだよ、

 お経の説明なんかも書いてある。ちよっとゴミを増やすことになるけど」
と、そのうちの一枚をくしゃくしゃに丸め、まだ水位の高い橋桁のゴミの
上に落としたんです。そしたら、落ちた周囲のゴミがかなり広く割れて
水面が見えたんです。数秒して、何かが浮き上がってきました。
四角いものでした。1辺が1mくらいある半透明で、乳白色のゼリー
みたいな。それが半分近く水面から出てぶるぶると震え、ぐるんと
回転してまた沈みました。「あれ、何ですか?」僕が聞くとお坊さんは、
「わからない、けど、さっき言ったように悪いものだ。生き物の死を
 呼ぶもの」それから僕の頭をなで、「友だち、山本くんだったか、
 残念だったな。あれはうちのお寺でしっかり供養するから、もう
 かかわっちゃいけない。家に帰りなさい」そう言われたんです。

キャプチャ
 




轢いた話

2020.06.22 (Mon)
こんばんは、山本ともうしまして、主婦をしております。
これからお話するのは、今月の3日の夜にあったことです。
私の主人は、ある公団に勤めているんですが、先月、
勤務中に吐血して倒れたんです。大きなプロジェクトに
関わっておりまして、無理が重なったようです。
救急搬送された先の病院で、出血性胃潰瘍と診断されました。
幸いなことに、開腹手術ではなく内視鏡で出血を止めていただき、
そのまま長期入院になったんです。はい、大変驚きましたが、
連絡を受けてすぐに病院に駆けつけました。そこは国立系の
病院でしたので、付き添いなどは認められず、でも、
ほぼ毎日、一人息子を連れて見舞いに行っていました。

それで、入院して2週間ほど過ぎ、輸血などの治療の結果、
症状も落ち着いて退院が見えてきたんです。その日も、息子と
夕方の6時から見舞いに行っており、8時前に病院を出ました。
息子は5歳の幼稚園児です。自宅から病院までは車で30分ほど、
病院は郊外にあり、帰宅ラッシュ時でしたが、あまり使われない
道のため、他の車はほとんどありませんでした。
両側にまだ田んぼが残るそのせまい道を走っていると、
車の前に急に白い小さなものが飛び出してきたんです。
何だかわかりませんでしたが、大きさから人ではないと
そのときは思ったんです。とっさに急ブレーキを踏んだものの、
車の前部にゴッという小さな衝撃があったのを覚えてます。

車は軽なんですが、路肩に停めて外に出てみました。
道には何もなかったです。けど、何かを轢いたのは間違いないと
思い、周辺をよく探してみました。そしたら、道から田んぼに
降りる土手の下の用水路に白い犬が落ちてたんです。
半ば水に浸かり、腹のほうを上にして頭は見えませんでした。
ピクリとも動かなかったので、もう死んでいるのだと思いました。
車に戻ってバンパーなどを確認しましたが、凹んだり
傷がついている様子はなかったです。どうすればいいんだろう、
死んだ犬を放置はできませんよね。そういうときは保健所に
連絡すればいいと、なんとなく知ってはいたんですが、
もう終わってて誰もいないだろうと思いました。

それで、車の中から110番通報したんです。本部の人が出たので
事情を話すと場所を聞かれ、現場の近くにある交番に
切り替わったんです。年配らしい声の警察官が出たので、
もう一度話しをすると、「うーん」と考え込んでましたが、
「もう一度死体を確認してみてください。本当に犬かどうか」
そんなことを言われました。スマホを持ったまま車外に出ると、
息子が「ぼくも見に行く」とついてきました。
飛び出してきたとはいえ、自分が轢いたのは間違いないですので、
見るのは嫌でしたけど、道端から側溝を覗き込むと、
犬の体はだいぶ沈んでて、脚2本の先が見えるだけでした。
そばにいた息子が「助けないの?」と言ったので、

「もう無理よ」と答えるしかありませんでした。スマホに、
「やはり犬です。間違いありません」と話すと、少し沈黙があり、
「・・・そうですか。わかりました。こっちからも連絡しますが、
 そちらのほうからも朝イチで保健所に連絡して下さい」
と言われたんです。それからまた少し間が開いて、
「これから帰宅されるんですよね、もし何かおかしなことがあったら
 110番ではなく、こちらに連絡してください」と、派出所の
番号を言われたんです。はい、そのときはどういうことか
わからなかったんですが、その警官の言うとおり登録しました。
車を発進させ、息子に「お腹すいたでしょ」と聞くと、
息子が「あの子、水の中に落ちてかわいそうだね。

 警察が助けてくれるの」と言ました。「あの子」という
言葉が気になったので、「ええ、お犬さん、可愛そうだったね」
と答えると、息子が「えー、犬じゃなかったよ。ぼくと同じくらいの
 男の子だったでしょ」って。それを聞いてドキッとしたんです。
まさかそんなはずは、と思いました。「〇〇、何言ってるの、
 犬だったでしょ、犬」やや語気を強めると、
息子は黙り込みました。それから数分走ったら、また車の前に
白いものが・・・さっきと同じように急ブレーキを踏み、
やはり小さな衝撃を残して車が止まりました。
え、また犬を轢いた? 車の外に出て愕然としました。場所が、
さっきと同じとしか思えなかったんです。

前方に見える信号機までの距離、そして右手にあるJAの倉庫も
何もかも同じに見えました。これ、いったいどういうこと?
数分とはいえけっこうスピードを出してましたので、1km以上は
走ったはずです。それなのに・・・怖かったんですが、
土手を降りて用水路をのぞき込みました。そしたら街灯の光で、
泥の中に頭を突っ込むようにして、子どもが落ちてるのが
見えたんです。汚れてましたが、白っぽい制服のようなのを着た、
息子と同年輩に見える子どもが・・・人を轢いてしまった、
でも、そんなバカな、さっきと同じ場所で、ありえない。
パニックになりかけていたと思います。いつの間にか息子が
そばに来ていて「犬さん、死んじゃったね、かわいそうだね」って。

でも、下に見えるのは少しずつ沈んでいく子どものズックをはいた
両足でした。あ、そうだ、さっき登録した派出所に通報しよう、
そう考え、スマホをかけると、さきほどと同じと思える警官が出たんです。
起きたことを話すと、「落ち着いてください。車の中に戻って
 路肩にいてください。今すぐそちらに向かいますから。けっして
 軽はずみなことは考えないでくださいよ。いいですね」こう強く
言われました。はい、車に戻って5分もたたないうち、
サイレンを鳴らさずパトカーが一台来ました、救急車はなしで。
パトカーは私たちの車のすぐ後ろに停まり、懐中電灯を持った警官が
2人出てきて、一人は田んぼのほうに降りていき、
年配のほうの人が私の車のウインドウをコンコンと叩きました。

ドアを開けて外に出ると、用水路を照らしていた警官が、
「何もありません。前と同じです」と大きな声で叫びました。
年配の警官が、「よく確認しろ、本物の事故だったら大変だから」と言い、
私に向かって、「驚いたでしょう。心配しなくても大丈夫です。
 ここは何というか・・・おかしなことが起きる場所で」
「どういうことでしょうか」 下に行った警官が戻ってきて、
「事故ではありません」もう一度報告しました。
年配の警官は、「気になるでしょうね。警官の私がこんなことを
 言うのは何なんですが、今年に入ってあなたで3回目なんですよ。
 ここで事故を起こしたって通報をしたのは。あれ見て下さい」と、
道路上を照らすと、私がつけたものの他にも急ブレーキの跡が

あるように思えました。警官は、「これは他の人に言わないでくださいね。
 本当の事故があったのは去年の暮れです。この付近の男の子が
 ちょうどこの場所で車に撥ねられたのが。もっと早い時間でしたけどね。
 ええ、遺体が発見されたのもあの用水路です。それからね、
 変なことが起きるようになった」 「その事故の加害者は?」
「轢き逃げで、残念ながらまだ見つかってないんです」
「・・・最初に犬を轢いたと思ったのはどういうことでしょうか」
「それもわかりませんね。犬を轢いたという報告は受けてないです。
 ただ、ここは交通量の少ない道で、スピードを出す車が多いので、
 そういうこともあったかもしれません。男の子と近い場所に
 撥ねられた犬の死骸が落ちたとか」こんなことを言われたんです。

キャプチャ




マヨヒガの話

2020.06.15 (Mon)
今晩は、森田ともうします、会社役員を退職し、現在は無職です。
よろしくお願いします。これね、私の母の話なんです。今から12年前に
82歳で亡くなりました。母は大正の終わりに岩手県の造酒屋で
生まれまして、4女だったということです。その他に男の子どもが6人、
つまり10人きょうだいということですね。少子化の今では
考えられませんが、当時はそういう家はちょくちょくあったと
いうことで、6,7人なら珍しくなかった。それと母の生家は、
今は残念がら没落してしまいましたが、昔はたいへん裕福で、
母が小さいときにはずっと、子守のねえやがついていたそうです。
そのねえやに小学校に入る前、マヨヒガの話を聞いたということでした。
ま、この場のみなさんなら、マヨヒガは当然ご存じですよね。

民俗学者の柳田國男が『遠野物語』で紹介した東北、北関東方面に伝わる
伝承のことで、柳田氏の作は岩手県が舞台。カタカナで表記したのも
柳田氏です。山の中で迷ってしまった者が、いつの間にか見たことのない
大きな黒い門の屋敷の前に出た。道を聞こうとして呼びながら入って
いったが誰も出てこない。広い庭にはたくさんの鶏が走り回り、
牛小屋、馬小屋も満杯。それなのに人の姿は見あたらず、
玄関から上がると、広間の部屋にたくさんのお膳が並べてあり、
奥の座敷の囲炉裏の鉄瓶には湯が煮えたぎってる。ここでその者は
怖くなり、どれも極上の品なのに、家の物は何一つ持ち出さずに外へ出た。
ほどなくして道が見つかり、村へ帰り着くことができた。
こんなお話です。その後、この者は川に流れてきた赤い椀を

拾って裕福になります。それで、これね、母がねえやに聞いたと
言いましたが、それをまた子ども時分の私に話してくれたんです。
つけくわえて母自身の体験も。母が尋常小学校に入った年、
そのねえやはもう実家に戻っていましたが、
疫痢で亡くなったという話を使用人から聞いたそうです。
ですが、まだ子どもでもあり、また身分も違うため、母が
葬式などに出ることはなかったそうです。ただ、ねえやともう
二度とは会えないということはわかったと言ってましたね。
それで、その年の冬休み明けに学校が始まって、母は小学校まで、
朝は使用人に手を引かれて行きましたが、帰りは一人で
戻ってきていたそうです。家と学校は目と鼻の近さで、

数分しかかからなかったんです。学校の裏から雪の積もった
道を歩いていた。すると急に空が真っ暗になったんだそうです。
今の小学校1年生ですからね、そんな遅い時間に終わるはずもない。
それは一瞬のことで、またもとの明るさに戻りましたが、
見たことのない大きなお屋敷の前にいたんだそうです。
わけがわからず不安になった母は、しばらくその門の前に
立ち尽くしていました。そしたら、ギッギッと音を立てて
門がひとりでに開き始め、母は、人が出てきたら酒屋の者だと
言えば送り届けてもらえるだろうと中に入ってみた。ところが、
玄関をはじめすべての戸は開いてるが人の姿はない。
真冬なのにその家の中は暖かで、座敷の火鉢にはみな

カンカンに炭が熾(おこ)っている。「あのう、もし」母が大声で
叫んでもやはり何の反応もない。もう出ようかと考えながら
襖を開けると、やや小ぶりの座敷で文机が出ており、
そこになんと、死んだと聞いたねえやがいて、一心に習字を
してたんだそうです。懐かしく思った母はねえやの名前を呼んだものの、
母のほうを見ることもしない。母の存在に気づいてないように
思えたということです。母はまた怖くなりました。死んだねえやが
ここにいるのなら、これはあの世なのではないか。子どもながら、
そう考えあたったんですね。そのときにねえやが書いていた
字からもそう思ったと言ってました。はい、ねえやは一枚の半紙が
真っ黒になるほどくり返し、「いきてえ」と書いていたんです。

「生きたい」ということなんでしょう。母はそろそろと後じさり、
来たとおり戻って門から外へ出た。するとまた空が暗くなり明るくなると、
母は自分の屋敷の塀に向かって手をついた状態でいたんだそうです。
このことは仲のよかった年の近い姉妹には話しましたが、
両親、つまり私の祖父母には黙っていたそうです。それから・・・
ご存知のように戦争がありまして、戦後、母の生家は酒造以外の
事業に手を出して没落しました。母はそれでも女学校を出してもらって
いたので小学校の教員となり、そこで年上の教師だった
父に見初められて結婚しました。そして私と弟が生まれたんです。
父は厳格な人でしたが、50代で病に倒れ、現役の教員のまま
亡くなりました。その頃には私はもう仙台に出て就職していました。

すみませんね、母の一代記のようなことを長々と話しまして。
ここからは身内の恥のようなものですが、今からはずいぶん
以前のことです。母は実家のある市で一人暮らしをしてました。
弟もそこを離れていたので。で、あるとき、買い物に出る途中、
転倒して大腿骨を骨折してしまったんです。救急車で運ばれて
すぐ手術を受け、私や弟も呼ばれました。当時は、お年寄りの
大腿骨骨折は命の危険があったんです。なんとか手術は成功しましたが、
長いリハビリ期間があり、もとのように歩くことができなくなりました。
それで、私は妻と話し合い、母を仙台の自宅に引き取ったんです。
1階の和室を母用とし、そこに住んでもらいました。
妻とはトラブルになることもなく、仲よく暮らしていたと

思います。母は男2人の子どもでしたが、私は女の子2人で、
長女が母にとっては初孫にあたるんです。それで、次女のほうですが、
中学2年のときに不登校になってしまったんです。
私と妻で何度も学校に行きましたが、学校側ではイジメはなく、
友人間の関係のトラブル、感情の行き違いからだという説明でした。
次女は自分の部屋に引きこもって出てこなくなりました。
ええ、一切誰とも話をしないんです。食事も妻がつくって部屋の前に
置いておくだけ。無理に連れ出そうとすれば大暴れするので、
カウンセラーなどとの面会もできませんでした。
娘は母とは気が合ってよく話していたんですが、それも、
いくら母が部屋のドアの前で呼びかけても、とりつくしまもない。

そんな状態が1年近く続いたんです。それであるとき、
足のリハビリのために夕方 短い散歩に出ていた母が、
「驚いた、マヨヒガを見たよ。地元の県じゃないのに、こんな街中
 なのにマヨヒガがあるなんて」こんなことを言いだしたんです。
それを聞いて、ぎょっとしました。マヨヒガなんてあるはずもなく、
母に認知症の兆候が出たんじゃないかと考えたんです。
娘がそんな状態なのに、母まで手がっかるようになったら・・・
「へええ、中に入れた?」そんなことはおくびにも出さす
聞いてみましたら、「いや、黒い門は昔見たとおりだったけど、
 固く閉まっていて入れなかった」そういう話だったんです。
でも、その後の母の言動はしっかりしていて、

ボケたという様子はありませんでした。それから1ヶ月後くらいですか。
夕方の散歩から母が戻らなかったんです。8時を過ぎて警察に連絡しました。
事件かもしれないということで、広範囲に探していただいたんですが
その日は見つからず、翌日になって家からやや離れた廃屋の中に倒れて
亡くなってるのが発見されたんです。心臓発作でした。その廃屋は十数年も
放置され、玄関の鍵が壊れてましたが、なぜ母が入ったのかわからない。
それと不思議なことに、倒れていた部屋に真新しい習字道具と紙があり、
「〇〇が学校に戻れますように」と筆で書いてあったことです。母の字です。
母の遺体が家に運ばれてきたとき、娘が部屋から出てきました。
そして母に取りすがって泣いたんです。葬式にも出ましたし、その後
学校に戻れるまで、長くはかかりませんでした。まあ、こんな話なんです。






ある組長の死の話

2020.05.25 (Mon)
あ、じゃあ話していくから。詳しいことは聞かねえでくれ。
あれからだいぶ時間がたってるとは言え、しゃべっちゃいけねえ
ことはあるからな。あれは、昭和真っ盛りの頃よ。
当時俺はな、関東のある組で本部長をしてたんだ。
そうだな30代後半だった。いや、別に偉かねえよ。組たって
弱小勢力で人数も少ねえ。とうの昔につぶれちまってるから。
え、それからどうしたかって? ああ、別に言ってもかまわねえが、
俺は気質になったんだ。ロシアに日本の中古車を輸出する
仕事をしてる。結婚して家族もできたし、今から思えば
あれが潮時ってやつだったんだな。こう言っちゃなんだが、
筋者から足を洗ってよかったと思ってるよ。

あ、俺は話があんま上手くないから、起きたことを順に話してく。
あれは正月のことだった。親父を先頭に、組の主だった者が
揃って初詣に行ったんだよ。親父ってのは組長のことだ、
わかるよな。でな、行った先は地元の神社で、さして大きいとこでは
ねえが、それでも三が日は人手が多い。そんなとこに筋者が
ぞろぞろ行くわけにはいかねえから、期日は正月の13日か
14日のあたりだ。まだ松の内だが、参拝客はがくっと減ってる。
最初から変だったんだよ。親父が賽銭投げ入れて、神社の鈴を
鳴らそうとしたとき、下がってる紐がぶっつり切れたんだよ。
ありえねえだろ、紐とは言ったが、布を編んだかなり太いやつだった。
鈴が親父の頭にあたりそうになって、近くにいた俺がなんとか

受け止めたわけ。なあ、誰だって不吉だと思うだろ。それから、
毎年恒例になってるんだが、組員全員が奥に入ってお祓いを受けた。
筋者が変だと思うかもしれねえが、俺らは験を担ぐんだよ。
いつ何があるかわからねえし、神仏の加護は大事にする。
昔はお祭りがあれば必ず参加してたんだよ。今は彫物がどうこうって
煩くなってしまったが。で、お祓いが終わって、初穂料もだいぶ
弾んだんだが、宮司が何か深刻な顔をして親父んとこに来てな、
話があるって言う。2人で社務所の奥でだいぶん長いこと話し
込んでたよ。これもおそらく、その後の話と関係があったことだろ。
ああ、すまねえな、なかなか話が先に進まなくて。当時はな、
組の経営は順調だった。どっかと揉めてるってこともなかったし、

暴対法以前だから、楽にしのいでいけたんだ。ところが、まだ
1月のうちに、親父の体の具合が悪くなった。乾いた感じの
咳が止まらなくなったんだよ。それと痰の中に、少しだけだが
血が混じってる。こりゃいけませんってことで、大きな
病院で検査してもらうことになった。俺が車を運転して
ついってたんだ。さっき本部長やってたって言ったが、
まあ雑用係みたいなもんだから。で、まる1日かかって検査が
終わり、親父には肺真菌症って診断を言われた。ま、肺に
カビが生えたってことだな。入院してさらに詳しい検査をすることに
なった。けどよ、その日、親父が午後の検査に入ってるとき、
医者に言われたんだよ。明日の都合のいいとき、

一人でもう一度病院に来てくれませんかって。また、そのことは親父に
内緒にしてくれとも。これはどうしたって何かあると思うだろ。
その頃は、癌の告知は本人にはしないことが多かった。近い家族にだけ
告げて、それから本人に言うかどうかを決める。今はドライに、
さらっと本人に言うみたいだけど、当時はそうだっんだよ。
ただ俺は親父の親族ではないし、親父には姐さんがいる。
子ども2人は海外に出てたんだけどな。それで当日、午後にして
もらって行ってみた。そしたら・・・予想外のことでなあ。
しばらく待って診察室に入ると、親父の主治医ともう一人、
レントゲン技師だそうだが、そいつらがいて、「これ、どう見えます」
ってレントゲン写真を見せた。親父の胸部画像だが、

右の肺に白い丸いものが2つ、だるまのように重なってる。
肺の半分までを占める大きさだ。で、それな、2つの丸のどっちにも
目鼻があるように思えたんだ。そんなはずはと考えてると、
「このほうがわかりやすいでしょう」医者がそう言って
写真をひっくり返した。そしたら、明らかに顔なんだよ。
大きい顔と小さい顔が重なってて、どっちも女の思えた。
でな、底冷えするような嫌な表情なんだよ。「・・・・」俺が
言葉を継げないでいると、レントゲン技師のほうが「顔に見えますよね、
 2人分の。最初にこれが撮れたんですが、長年やっててこんなことは
 初めてです。驚いて撮り直したら、そっちは普通だったんですが」
医者が続けて、「これがもし顔だとして、見覚えがありますか」

聞いてきたんでかぶりを振った。そしたら「そうですか。じゃあ
 やはり何かの理由で撮影ミスが起きたんでしょう。
 そう考えるしかないです。それとね、さきほど普通って言いましたけど、
 肺にも問題があるんです。患者さんの奥さんに来てもらって話をしたい」
こういう話だった。で、さらにその翌日。姐さんと俺でもう一度
病院に行くと、末期の肺癌だって告げられた。姐さんが俺もいてほしい
ってことだったんで同席してたんだ。手術不能で、抗癌剤治療しかできない。
余命は半年程度ってことだった。本人に言うかを聞かれ、
姐さんは断った。病院側で、癌と本人に知られないよう、できるだけの
治療をしてほしいって。転院は考えなかった。そこの総合病院は
うちの組が昔から利用してて、いろいろ無理も効いたから。

で、あの写真の顔2つについて考えてみた。親父は若い頃、人一人
タマとってる。ただ、それは男だったし、ムショの務めも終えてる。
わからないと言うしかなかった。親父は病院の特別室に入院し、
姐さんが泊まり込んだときもあったし、俺ももちろん毎日
顔を出した。悪いことに、追検査で肺癌は骨にも転移してることが
わかった。親父はすっかり弱ってしまって、なんとか自力で便所には
行けたが、それ以外はずっと寝てたな。まあ痛み止めの麻薬の
せいもあったろうが。2ヶ月後くらいだな。姐さんから相談が
あって、親父がハジキを持ってきてほしいって言ってるって。
さすがにそんなことはできねえから、理由を聞くと、近頃は毎日、
夜中になると起きてカッと目を見開き、天井をにらみつける

て言うんだ。その様子がわが夫ながら恐ろしいし、天井には何もいないが
俺にも見てほしいって。当然そうしたよ。親父の病室は次の間に応接セット
がある豪華な部屋で、俺はそこに控えてた。夜中の3時過ぎ、
姐さんが「始まった」と言うんでベッドのそばに寄ると、
親父が怖い顔で、「ああ、また来た。今日も来た」って天井をにらみながら
指さす。いや、何もねえんだよ。殺風景な病院の天井。
けどな、ベッドの親父が「出たあ」って言ったときに、病室全体が
ぐらっと傾いだ気がしたんだ。それと強い臭い、腐臭って言うんだろうか、
肉の腐った臭い。親父は苦しみ出し、急いでナースコールして看護婦が
入ってくると臭いが消えた。毎日そのくり返しだったが、長くは続かなかった。
3ヶ月後、親父が亡くなったからだ。余命半年って宣告だったが、

その半分だったわけだ。親父が死ぬ4日前だな。やはり夜中、天井を見て
苦しみ始め、「岡山だ、岡山が来た」って叫んで悶絶した。次の日からは
集中治療室で俺は入ってない。まあこんな話なんだが、ここで終わったら
あんたらも消化不良だろ。俺もな、岡山ってのを調べてみた。
組の関係、親父の知り合い、そのあたりに岡山って名前はない。
親父がとったやつもそういう名じゃないし、岡山出身でもない。
ただな、戦前、まだ兵隊前の親父が、岡山県に疎開してたことがわかった。
似合わねえことに図書館に行って戦前の新聞も調べた。そしたら、
一つだけそれらしい記事があったんだよ。疎開してた母親とその娘が殺され、
暮らしてた納屋に火をつけられたって話。犯人は捕まってない。まあ、
そういうことがあって、俺は筋者をやめたんだよ。