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中国神話と陰陽五行説

2020.01.13 (Mon)
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三皇五帝

今回はこういうお題になります。うーん、古代史研究においては
大切な話なんですが、かなり地味な内容になると思われるので、
特に興味のない方はスルーされたほうがいいかもしれません。
さて、中国4000年とも5000年の歴史とも言われますよね。
その頃の日本は縄文時代です。

縄文時代の始まりは、今から約1万6000年前とみられますが、
日本の歴史が古いとはあまり言われません。
これはどうしてかというと、一番大きな理由は、日本の縄文時代は
小集団がバラバラに生活していて、大きなまとまりがなかった
ためだと考えられます。あと、文化の程度ということもあるでしょう。

中国では、周王朝が紀元前1000年、商(殷)王朝が紀元前
1600年、夏王朝が紀元前2000年頃に成立したと
言われています。ただし、夏については詳しくはわかっていません。
また、これらの王朝は、後代とは異なり、中国の広い地域を
支配していたわけでもありません。

女媧と伏犠
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では、夏王朝以前には何があったかというと、三皇五帝が支配していた
とされます。もちろん、三皇五帝が歴史的に実在していたという
根拠はなく、現代の中国でも、この部分は神話であると考えられて
います。では、三皇五帝とは誰のことを指してるんでしょうか。

これ、いろんな説があってはっきりしないんですよね。いちおう
『史記』の説をとれば、三皇は、「 伏犠、女媧、神農 」。
五帝は、「 黄帝、顓頊(せんぎょく)、嚳(こく)、堯、舜 」
です。ただし、実際に司馬遷が書いたのは五帝の部分だけで、
しかも、存在は疑わしいという注釈までつけています。

最初の神 盤古
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それより古い三皇については、唐の時代に『史記』を補筆した
司馬貞という人物がつけ加えた新しい内容です。
おそらく、司馬遷の時代には、まだ女媧や神農のエピソードが
広まっていなかったと考えられます。

みなさんは、「加上説」という言葉をご存知でしょうか。
神話研究などに使われる用語ですが、簡単に言うと、
古い時代の神話ほど新しい時代に成立し、神話が複雑さを
増していくといった内容で、よく引き合いに出されるのが、
この中国の例なんです。

中国神話では、盤古(ばんこ)が最も古い神ですが、中国人の
研究者によれば、周代に最古の人とみなされていたのは禹であり、
春秋時代に堯と舜、戦国時代に黄帝と神農、秦代に三皇、
漢代以降に盤古が加えられたと論じられています。
これ、自分はおおむね正しいと思っています。

陰陽を表す太極図
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加上説は世界の他の地域の多くの神話にもあてはまり、
日本神話も例外ではありません。なかなか話が前に進みませんね。
さて、中国には「陰陽五行説」があり、大きな影響力を
持っていました。中国にはさまざまな宗教がありますが、
インドから伝来した仏教をのぞいて、

儒教でも道教でも、陰陽五行説は当然の真理として取り入れられて
います。中国のあらゆる思想を横断する概念なわけです。
陰陽五行説が成立したのは、中国の春秋戦国時代頃と考えられ、
陰陽説と五行説はそれぞれ別個に発生し、後代になって
一つに結びついたものであることがわかっています。

封禅の儀
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で、この陰陽五行説が、中国神話の成立にも大きな影響を与えて
いるんですね。中国の最初の神、盤古は体の大きな巨人で、
生まれたとき、天と地とは接していて区別がありませんでした。ところが
盤古が日に日に成長していくと、軽いものが上に押し上げられて
天になり、重いものが下に沈んで地になって陰陽が分かれた。

まあ、世界は最初混沌であったとする神話は各地にありますが、
中国神話の場合は、陰陽という概念から、かなり後代になって
盤古の存在が考え出されたんです。古い書物で、盤古の名前が
出てくるものはないんですね。ちなみに、陰と陽はどちらがより
重要ということはなく、互いに補完しあう関係です。

また、五帝の最初である黄帝も、五行説から生まれたもので
あるという説があります。下の図を見ていただければ
わかりますが、五行は「土、火、金、水、木」で、それぞれ季節や
方角が対応しています。また、色は、土ー黄、火ー赤、金ー白、
水ー黒、木ー青(緑)です。

五行図
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つまり、黄帝が五行説の中央に位置する神なんです。一説によれば、
黄帝は他の4人の帝、炎帝、蚩尤(しゆう)たちを戦いで倒し、
中国で最初の皇帝の座についたとされます。「黄帝」と「皇帝」は
中国でも日本でも、発音がまったく同じなんですね。

帝位についた黄帝は、中国東方の泰山に登り、封禅の儀を行って
帝位についたことを天に報告します。この儀式は、後に中国を統一した
秦の始皇帝も行っていますが、そのときには誰も儀式のやり方を
知らなかったという逸話が残っています。封禅の儀という言葉だけが
つくられて、実体はなかたっということでしょう。

最初の帝 黄帝
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さてさて、ということで、退屈な話にここまでつき合っていただいて
ありがとうざいます。結論として、中国の古い神々は新しい時代に
つくられたもので、その成立は陰陽五行説の影響を強く受けている
ということなんです。自分はこれ、日本の天照大神、神武天皇などにも
あてはまると考えています。では、今回はこのへんで。

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文献は信じられるか?2

2019.11.17 (Sun)
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前回にひき続き、こういうお題でいきますので、
興味のない方はスルーされたほうがいいかと思います。前記事は
『日本書紀』を中心に書きましたが、今回は中国文献を
論じてみたいと思います・・・というと偉そうですが、
まあ、巷の一介の占い師が書くことですので。

さて、中国の文献資料は信じられるのか? これも一般論としては、
「信じられる部分も、信じられない部分もある」で問題ないはずです。
『三国志』魏志倭人伝について、新井白石は著書『古史通惑問』で、
「魏志は実録に候」と言っています。

新井白石
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これは『日本書紀』などと対比しての言なんですが、まあね、
中国の正史には、母親がサメの人物や、8つも頭がある大蛇は
出てきませんので、日本の古文献よりも信頼性が高いのは確かです。
ですが、やはり史料批判は絶対に必要です。

まずは全体的な傾向から。中国の正史には、いくつかの
共通した特徴があります。正史は、おもに国家によって公式に
編纂された王朝の歴史書のことで、中国の場合は『史記』から
『明史』までの「二十四史」とされています。

正史という名称から「正しい歴史」の略と考えられることがありますが、
実際には、事実と異なることも記載されています。まず一つには、
中国の歴代王朝をつらぬく「易姓革命」思想からきているものです。
中国では、「正史はある王朝が滅んだ後、次の王朝に仕える
史家が記すべきである」という考え方があります。



その王朝が自らの歴史を書くと、自分たちに都合のいい内容になって
しまい信用できないという理由からですね。『三国志』は
西晋の陳寿という人物が、280年代に完成させたと考えられています。
計65巻からなる大著ですので、もっと以前から書かれていたでしょうが、

265年に魏が禅定によって晋となり、280年に孫権が興した
呉が滅んだため、そこで完成としたのだと思われます。
易姓革命の思想では、ある王朝が滅びるのは、天がその王朝を見放し、
別の人物に帝王となる使命を与えたためとされます。

ですから、どうしても前王朝の最後の王はよく書かれないんですね。
夏の桀王、商の紂王が有名ですが、それだけではありません。
また、前の王朝が天から見放されたいきさつを詳細に記述することで、
新しい自分たちの王朝の正当性を示すことができます。
まず、このバイアスがかかっています。

次は、儒教的な価値観で書かれているものが多いこと。『三国志』は     
その典型です。儒教は漢代のころから実質的に国教化され、三国時代は
どこも儒教を行動規範にしていました。ですから、例えばですが、
「◯◯という人物は清貧を貫いたため、その死後、何も財産が
残っておらず家族が困った」みたいな内容があれこれ出てきます。

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あとは、中国の正史は、前代の正史の内容を踏襲するということです。
歴代の正史はすべて一つの流れとしてつながっているという意識が
あるんです。ですから、よほど明らかな間違いでないかぎり、前代の
書の記述を否定することはありませんし、むしろ積極的に下敷きにする。

まだあります。中国正史では、基本的に女性と宦官はよく書かれません。
女性はその色香によって国を傾ける存在。また宦官は、
つねに悪巧みを行って私利私欲に走り、帝王が道を誤る原因をつくる。
いくらでもエピソードが思い浮かんできますよね。士大夫ではない
女や宦官は、絶対悪的な存在なんです。(例外もあります)

陳寿
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さて、次に内的批判について考えていきます。魏志倭人伝の場合、
撰者の陳寿が直接日本に来たわけではありません。あくまでも
文献資料をまとめたものです。関係者へのインタビューなども
してないでしょう。陳寿にとっては、当時の倭国ははるか遠い蛮夷の国です。
もし参照した資料に間違いがあったとしても、陳寿にはわかりません。

ですから、多くの錯誤、誤謬があると考えたほうが常識的です。
現代のようにネットで手軽に情報が手に入るようになった時代でも、
みなさんが例えば、ジンバブエやガンビア(特に意図があってこの2国を
出したわけではありません 笑)の地誌をまとめるのは難事ですよね。
陳寿にとっての倭国はそういった感じだったでしょう。

実際、後代の『明史』秀吉伝などを読んでみれば、その内容は              
ムチャクチャです。自分たちが戦った相手で金印まで届けたのに、
まともな情報ではないんですね。これは『宋史』 『元史』の日本伝でも同じで、
明らかな間違いはいくらでも発見できます。『三国志』の頃よりも、
情報伝達の正確性やスピードははるかに高いはずなのに。

これは日本の話ですが、江戸時代に目の前で起きた事件を、
数日後に日記に書いた。そういう文献でも他と比較検討してみると、
やはり間違いはあるんですね。文献を書くのは人間であり、
人間の認識力はかぎられています。ですから、間違いがあるのが
文献というものの宿命と言っていいかもしれません。

豊臣秀吉
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それから、中国の古書は筆写を重ねて伝えられるものです。そのどこかで
書き誤りや独自解釈があるとは当然考えられますし、もしないとしても、
時代によって字義や語法が違っています。日本でも、平安時代の文章と
江戸時代の文章では、だいぶ用字も文法も異なりますよね。
「古本(こほん)三国志」というのがあります。

これは西域で発見された晋代の『三国志』写本の一部ですが、
それを現在テキストとされる宋代のものの同一部分と比較すると、
なんと全体の3分の1に画数の異なる漢字が使われており、また、
熟語として異なるものも多数見られるんです。ですから、現在みなさんが
目にしている『三国志』は、陳寿が書いたのとは大きく違っている。

さてさて、「陳寿を信じる」とし、魏志倭人伝が一つも間違いのない
内容であると仮定して読み解くのも、方法論としてはありでしょう。
ただし、「魏志倭人伝の内容はすべて正しい」というのは、前述したとおり
あくまで仮定でしかないんです。そこを忘れてしてしまうと、
きわめて危ういんじゃないかと思いますね。では、今回はこのへんで。

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「酒池肉林」って真実?

2019.11.11 (Mon)
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今回はこういうお題でいきます。中国史の内容ですね。
まず、どのくらい昔のことかというと、今から約3100年前、
紀元前11世紀のお話です。日本だったら縄文時代です。
こんな古いことなのに現代に伝わっているのは、中国に
文字があったからですね。この当時は甲骨文字が使われていました。

さて、酒池肉林ですが、商(殷)王朝第30代の王である、
紂王(帝辛)の時代の話です。紂王は聡明で力も強く、はじめの
うちは善政をしいていましたが、妲己という美女を妃に迎えると、
情愛に溺れ、妲己の言うままになって国が乱れます。まずは自分の
気に入らない高官たちを次々に粛清するんですが、

紂王(帝辛)
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現代の北朝鮮みたいですね。宰相であり、紂王の親族でもあった
比干(ひかん)が、国が乱れていると諫言すると、妲己は、
「聖人の心臓には9つの穴があいているそうなので見てみたい」
こう紂王に告げ、比干は生きたまま心臓をえぐり出されてしまいます。

これでますます紂王の暴虐に拍車がかかり、刑罰のために炮烙(ほうらく)
という装置を考え出します。炮烙がどのようなものだったかには2つの
説があり、一つは、縦に長い銅製の筒で、それに向き合う形で罪人を
縛りつけ、中で火をたく。もう一つは、大きな焚火の上に油を塗った
銅の筒を橋のように渡し、罪人を歩かせて火の中に落ちるのを楽しむ。

妲己の正体は九尾の狐?
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自分はどっちかというと後者の説ですね。理由は後で述べます。
紂王は妲己の頼みで、商の都に鹿台という高楼をつくります。
その建築に莫大な税金を注ぎこみ、そのため国民は重税で苦しみます。
いよいよ酒池肉林の始まりです。酒のわき出る池をこしらえ、
木々の枝には干肉をつるし、間に裸の男女をはべらせる。

紂王は妲己と2人、その中を歩き回って淫蕩のかぎりをつくす・・・
ここまでが伝説であって、実際にあったことかは何とも言えません。
紂王について初めてくわしく記されるのは司馬遷の『史記』殷本紀ですが、
成立したのは前1世紀ころで、紂王の話はそれより1000年も前の時代
なんです。司馬遷が、どんな文献を参考にしたかもよくわかってません。

「歴史は勝者がつくる」という言葉がありますよね。
商は紂王の治世に、周の武王によって滅ぼされました。周代の政治は、
孔子を始祖とする儒家がたいへん高く評価していて、易姓革命の正当性を
示すために、ことさらに紂王を悪く言っている可能性は否定できません。

炮烙の刑には2つの説があります
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紂王の正式名は「帝辛」で、「紂」は後代の悪い諡(おくりな)です。
「義を残(そこ)ない、善を損なう」という意味で、また、
「しりがい、牛や馬の尻にかけるひも」という字義もあります。
これは、紂王が商の最後の王であることを表してるんでしょう。

中国には、易姓革命の典型的なパターンがあります。まず、王が
独裁をしいて賢臣を遠ざける。美女の色家に溺れ、国政を顧みなくなる。
ここで天はその王を見放し、別の姓を持つ人間を選んで、
王となる天命を授けます。そうして革命が起きる。商の前は夏王朝
でしたが、その最後の桀王(けつおう)がこの嚆矢です。

商の勢力範囲は後代の中国王朝のように広くはありません
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桀王は末喜(まっき)という美女の色香に溺れ、酒の池に船を浮かべ、
干肉を山のように盛り上げた、肉山脯林(にくざんほりん)を
行ったとされます。どうでしょう、紂王の故事とほとんどそっくり
ですよね。この他にも、中国では国を傾けた美女には、
楊貴妃、西施、架空の人物ですが貂蝉などがいます。

さらに後代になって、通俗小説『封神演義』で、妲己は千年を生きた
妖怪、九尾の狐の化身であり、商を滅ぼすために天界から遣わされた
ことになっています。ここでは、妲己は蠆盆(たいぼん)という刑を
考え出します。国民一人ひとりから蛇を供出させ、大きな穴に
数万の蛇を入れて、気に入らない女官をそこに突き落とす遊びです。

太公望呂尚の乗る車を牽く周の文王
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この『封神演義』の影響は中国ではひじょうに大きく、紂王と言えば
悪の化身、それを討った周の武王と軍師の太公望は善の象徴みたいな
イメージができあがってしまってるんですね。ですから、
紂王の故事については、かなり割り引いて考える必要があります。

さて、では実際の紂王はどういう人物だったのか。まず、妲己について。
その存在をはっきり示す資料は、考古学的にも、文献的にも
皆無なんです。ですから、つくられた人物である可能性があります。
紂王本人については、甲骨文から、祖先の祀りをきちんと行っている
ことがわかっていますし、人身御供の風習をやめさせたりもしています。

最近の説では、紂王は東の他民族に対する遠征を行っていたが、
そのスキを周につかれて滅びたのではないかというのが出ています。
酒池肉林は高台に神を降ろすための一種の儀式であり、
炮烙はそのときに肉を焼くためのグリルであったのが、
後代になって話に尾ひれがつき、悪評となって広まった・・・

殷墟
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商・周の時代は、たしかに多数の生贄、人身御供を行っていますが、
それはほぼすべて占いの結果によるもので、政治の一部でした。
また、生贄も、羌族など、他民族の戦争捕虜が多いんですね。
ですから、紂王が自らの欲望のために、勝手気ままに
臣民を殺したとは、自分は考えにくいように思います。

さてさて、この当時の中国は中央集権国家ではなく、商は、
城塞をめぐらした内部を中心とする都市国家でした。「邑制国家」と
いいますが、このような都市国家が連合して一つの国のように
なってたんです。ですから、後代の中国王朝のように考えると
間違いを起こしやすいでしょう。では、今回はこのへんで。

関連記事 『天命思想と万世一系』 『漢風諡号小考』 『妖怪談義9』

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飛行士アメリアと東京ローズ

2019.07.23 (Tue)
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アメリアの飛行予定コース

今回はこういうお題でいきます。これ、カテゴリはなんでしょうね。
いちおう「怖い世界史」に入れておきますが、どちらかというと
地味な話題ですので、スルー推奨かもしれません。
オカルト陰謀論とも多少関係のある内容です。

みなさんは、アメリア・イアハートという名前をご存知でしょうか。
カメリア・ダイアモンドじゃないですよ。多くの方は知らないと思いますが、
アメリカではすごいビッグネームというか、
歴史的な偉人と考えられていて、伝記等も多数出版されています。

これは余談ですが、アメリカでは知らない人がいないほどの有名人なのに、
日本ではほとんど無名というケースはけっこうあります。自分の仕事に
関係があるところでは、カントリーミュージックのスターなんかが
そうですね。日本ではカントリーミュージックは人気ないですが、
ロックやジャズのスターよりも知名度がある人はごろごろいます。

アメリアと愛機ロッキード・エレクトラ
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さて、アメリア・イアハートはアメリカ人の女性飛行士で、
女性として初めての大西洋単独横断飛行をしたことで知られています。
チャールズ・リンドバーグの初飛行が1927年、アメリアの快挙は、
それから遅れること5年の1932年、35歳のときです。

リンドバーグといえば、最初のうちは英雄としてもてはやされていましたが、
長男が誘拐され殺害された事件のゴタゴタで、たいへん人気を落としました。
それに対し、アメリアは知的でチャーミングな女性で、夫のプロデュースが
成功したこともあり、当時のアメリカでは絶大な人気を誇っていました。

1937年、アメリアは赤道上世界一周飛行に挑戦します。ただこれ、
無給油というわけではありません。当時の航空機は、燃料搭載量の関係から
長時間飛行は不可能だったんです。で、この最中の7月上旬、
アメリアは同乗のナビゲーター、フレッド・ヌーナンとともに、
南太平洋において行方不明になりました。

ニクマロロ島(無人島)
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7月2日、日本の委任統治領(南洋諸島)に隣接したアメリカ領の無人島、
ハウランド島を目指して離陸し、飛行支援していたアメリカの巡視船
「イタスカ」との交信を最後に消息が途絶えます。アメリカ政府は、
巨額の費用を投じてアメリアを捜索、また、大日本帝国海軍にも協力を
依頼し、海軍次官山本五十六がこれに応じました。

1937年といえば昭和12年で、太平洋戦争開戦の4年前です。
ここで旧日本海軍がアメリアの捜索に協力したことが、
戦争をはさんで、後に都市伝説的な陰謀論を生み出すことになりますが、
それについては後のほうで書きます。

アメリアがどうなったかについては、大きく4つの説があります。
一つは予定ルート周辺で海に墜落したというもの。その付近の海域の平均水深は
5500mとされていますので、この場合は跡も残らないでしょう。
2つめは、燃料補給を予定していたハウランド島の南、約560kmの
ニクマロロ島に不時着し、やがてそこで命を落としたという説です。

マーシャル諸島の岩礁での捜索
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1940年、西洋人女性と見られる遺骨が同島から発見され、
フィジーに送られてイギリス人医師の鑑定を受けますが、その後紛失しています。
3つめの説は、マーシャル諸島のミリという小さな環礁に着陸したというもので、
不時着した女性を見たという、現地人の証言が残っているということです。
ただ、マーシャル諸島は飛行コースから数千km離れています。

最近のニュースで、アメリアの捜索をDNA分析を使って行う
というのがありました。アメリアが自宅で書いた手紙から唾液を採取し、
上記のニクマロロ島で発見された骨と比較しようとする試みですが、
昔の唾液からDNAを採集するのは困難でしょうね。
続報がないところをみると、上手くいかなかったのかもしれません。

さて、最後の4つ目の説ですが、アメリアはやはり当時日本領であった
マーシャル諸島に不時着し、日本軍に捕らえれた後、サイパン島を経由して
東京に移送され、太平洋戦争が始まると、「東京ローズ」の一人として、
アメリカ軍に対する反戦放送を強要されていたとするものです。

日本軍に捕らえられたアメリアらとされる画像 しかし様々な考証から日本統治以前のものと見られる
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東京ローズはご存知だと思います。旧日本軍が太平洋戦争中におこなった
連合国向けプロパガンダ放送の女性アナウンサーにアメリカ軍将兵が
つけた愛称で、一人ではなく、複数の女性が存在していますが、
英語のできる日本人女性、強制収容された日系アメリカ人女性らだったと
考えられています。(1名だけ身元がわかっています)

その中の一人がアメリアだったとしたら、これはセンセーショナルな話題です。
そのため、日本が無条件降伏した後、GHQによる統治が行われましたが、
アメリカ人新聞記者が、GHQの制止をきかずに放送局に侵入し、
アメリアの捜索を行っています。もちろんアメリアは見つかっていません。

これは無理な話ですよね。旧日本軍の記録は詳細に調べられましたが、
アメリアに関する記述はいっさいなし。また、日本国内における
目撃証言も一つもないんです。日本を占領していたGHQには
法を超えた強大な権力があり、もし日本にアメリアの痕跡が
残っているのなら、必ず見つかるはずです。

「東京ローズ」の一人、捕虜となった日系アメリカ人
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さてさて、なぜこういう話が広まったのか。敵国日本に対する憎しみ
だけではないと思います。アメリアの人気は絶大でしたが、戦争中の
兵士にとって、東京ローズもまた隠れた人気があったんでしょう。
アメリアの行方については、毎年のように新説が出されています。
どこかで見つかるといいですね。では、今回はこのへんで。

関連記事 『環境DNAって何?』




ルドルフ2世とギガス写本

2019.04.08 (Mon)
今回はこういうお題でいきます。「怖い世界史」のカテゴリですが、
それほど怖くはないと思います。さて、ルドルフ2世は、
神聖ローマ帝国の皇帝で、1552年生~1612年没、
ハプスブルク家の出身で、ヨーロッパ中世の代表的な君主です。

ルドルフ2世
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政治的には無能という評価が一般的です。すべての国政を重臣にまかせ、
何の関心も持ちませんでした。また、どういうわけか生涯独身で、
跡継ぎがいません。このあたり、調べれば面白そうなんですが、
今回は割愛します。では、ルドルフ2世が何で評価されているかというと、
その膨大なコレクションによってなんです。

ルドルフ2世は、政治に関心がないといっても、頭が悪いわけではなく、
たいへん教養に富んだ人物でした。その王宮には、
画家、詩人、音楽家、占星術師、予言者、錬金術師・・・
さまざまな文化人が集まり、一大サロンになっていたんですね。

有名どころとしては、ジュゼッペ・アルチンボルドはご存知でしょう。
野菜や魚でできた肖像画は見たことがあると思います。
それと、当時その概念が芽生えはじめたばかりの科学も大切にし、
ヨハネス・ケプラーなどの学者もサロンに出入りしていました。

アルチンボルドの絵
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さて、その有名なコレクションの中心は絵画と工芸品で、
絵画は3000点以上あったとされます。
それと、当時の最先端科学であった望遠鏡や天球儀、機械時計など。
また、世界から珍奇な生物を集めた動物園と植物園も持っていました。

コレクションのごく一部
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このコレクションを始めた動機は、ありあまる金と物欲なんですが、
皇帝に即位する以前から収集が開始されています。
これは、ルドルフ2世はノストラダムスの予言書を持っていて、
その中に、自分が皇帝になることが予言されていたからという話があります。
ただ、どこまで本当なのかはわかりません。

また、コレクションの中には、図書館をいくつもつくることができるほど
多数の本が含まれていて、その中には魔導書と呼ばれるものもあります。
よく知られているのは、「ヴォイニッチ手稿」と「ギガス写本」です。
ヴォイニッチ手稿のほうは、前にかなり詳しく書きましたので、
今回は、簡単にふれるだけにとどめておきます。

コレクションのうち「雌雄のマンドラゴラ」
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1912年にイタリアで発見された古文書で、すべて手書きで
未解読の文字が記され、多数の奇妙な絵が描かれていることが特徴です。
その内容についてはたくさんの研究があるんですが、
いまだに解読には成功していません。

ヴォイニッチ手稿の一部
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書かれているのは、でたらめな文字列ではなく、統計的解析により、
自然言語か人工言語のように確かな意味を持つ文章列であると
判断されています。ある書簡に、この手稿をルドルフ2世が大金で
買い取ったという記述があり、コレクションの一つだったのは
間違いないようです。さらに知りたい方は下のリンクを参照されてください。

関連記事 『ヴォイニッチ手稿って何?』

さて、今回メインでご紹介するのは「ギガス写本 Codex Gigas」
のほうです。 「ギガス gigas」は巨大なという意味で、
厚い装丁の中に、310枚の手書きの羊皮紙が束ねられており、
重さは75kgを超えるんですね。大人2人でないと持てず、
読むのは大変な苦労だったはずです。

ギガス写本
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この写本、ヴォイニッチ手稿のように読めない文字で書かれてる
わけではなく、ラテン語なんですが、「悪魔の聖書 Devil's Bible」
とも呼ばれてるんですね。内容は聖書で間違いないのに、
どうして悪魔という呼び名がついているかというと、
途中に悪魔の絵が出てくるからです。

このような伝説があります。この写本は160頭分のロバの皮でつくられ、
13世紀に現在のチェコ中央部にある修道院で、ある僧侶により
作製されました。その僧侶は重罪を犯したとして幽閉されたため、
巨大な聖書を一晩で作り上げることで、修道院に栄光をもたらし、
自らの罪を消し去ってもらおうと考えたわけです。

ところが、とうてい一晩で書き上げられるはずもなく、
ついに僧侶は、悪魔を召喚して助けを求めます。そうして、
自分の魂と引き換えに、夜明けまでに聖書は完成し、
僧侶は悪魔への感謝を示すため、姿を描いてつけ加えた・・・・

悪魔の絵 変なパンツをはいています
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という話なんですが、もちろん伝説の域を出ません。キリスト教の
教義では、悪魔は聖書と十字架にはふれることができないはずで、
わざわざ自分が嫌いなものの完成に協力するわけはないですよね。
研究によれば、13世紀初め、ボヘミア(現在のチェコ)の
ベネディクト会の修道院で作られたと考えられています。

膨大な内容ですが、一人の人物の筆跡と見られています。
長い間かけて書き、製作者はどんどん年をとっていったはずなのに、
文字の変化や乱れがないことから、上記のような伝説が生まれた
のかもしれません。ですが、科学的分析の結果、宗教的情熱によって、
完成までに20年以上を要したと考えられるようになってきました。

さてさて、ということで、「ギガス写本」を中心に、ルドルフ2世の
コレクションを見てきましたが、たしかにすごい蒐集です。
このエネルギーを政治面に傾けていれば、その後の30年戦争も
起きなかっただろうと言われるくらいなんですね。
では、今回はこのへんで。