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パラケルススとオブジーボ

2018.10.07 (Sun)
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今回はこういうお題でいきます。今年度のノーベル医学・生理学賞を、
京都大学出身の本庶佑博士が受賞されました。その受賞理由は、
PD-1受容体の発見と、これまでの抗癌剤とはまったく作用機序の異なる
免疫チェックポイント阻害薬、ニボルマブ(商品名オブジーボ)の開発です。
本庶博士、受賞おめでとうございます。

今回の受賞により、「ノーベル賞の薬オブジーボ」をぜひ使いたい、
という問い合わせが医療機関に殺到しているようです。ですが、オブジーボが
健康保険適用になるためには、さまざまな条件があります。例えば胃癌であれば、
「2つ以上の化学療法歴のある治癒切除不能な進行・再発胃がん患者」です。
適用になっていない癌種もありますし、誰でもが使えるわけではないんですね。

免疫チェックポイント阻害薬の作用機序 クリックで拡大できます
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もちろん、自由診療として自費で使うことはできますが、
その場合は非常な高額になります。また、自由診療を行っているクリニックなどには、
はっきり言って詐欺まがいのところもありますし、重篤な副作用が起きた場合、
それに対応できずに、患者が亡くなってしまうケースもあるんです。

「医療の不確実性」という言葉があります。これは、医療は他の自然科学のように
数式どおりの結果が出るわけではない、という意味です。オブジーボにしても、
病気の条件が同じ患者に投与しても、効く場合もあれば効かない場合もある。
副作用も、出る人もいれば出ない人もいる。このような点から、
「医学は数学ではなくアートである」などと言われたりしてきました。

さて、ここで話はパラケルススに移りますが、本が何冊も書けるほどの
エピソードがあります。ですから、本記事でご紹介するのは、
ほんのさわりだけです。パラケルススはスイス生まれ、16世紀に活躍した
医師、錬金術師、神秘思想家。もちろん実在の人物ですが、
「パラケルスス」は本名ではなく、ペンネームのようなものです。

パラケルスス
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パラケルススはたいへんに型破りな性格でした。その生涯は、放浪と論争に
終始しています。放浪は、ヨーロッパ全土のみならず、アジアやアフリカ大陸
にまで及びました。そしてその行く先々で地元医師と対立しているんですね。
これは、パラケルススの医学が、それまでとは別の方法論をとっていたからです。

当時のヨーロッパ医学は、古代ギリシアの前5世紀ころの医師、ヒポクラテスの
説に基づいていました。ヒポクラテスは「医学の父」と呼ばれ、現代でも、
「ヒポクラテスの誓い」が医学教育に用いられています。ヒポクラテスの説は、
「四体液説」と言われ、その後千年以上の間、医学のベースとなってきました。

ヒポクラテス
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簡単に説明すると、人間の体液には「血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁」があり、
それらの相互作用によって病気が起きるというものです。ですが、パラケルススは、
それを真っ向から否定し、「三原質説」を唱えました。三原質とは、
「塩・硫黄・水銀」ですが、これは錬金術で重要視される物質です。

「四体液説」
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また、パラケルススは、星の動きが人間の体調に影響を与えるという、
「医療占星術」も説いています。まあ、現代のわれわれの目から見れば、
「四体液説」も「三原質説」も、どっちもトンデモなわけですが、
パラケルススのすごかったのは、実際に病気を治せたところです。       

パラケルススが放浪の途中、現フランスのシュトラスブルクを訪れたとき、
人文主義者のヨハン・フローベンが重い病にかかっており、地元の医師たちは
下肢の切断を提案しましたが、それは当時、命の危険が大きい手術でした。
そこで、パラケルススは、下肢の切断をせず見事に治療してみせたんですね。

これにより、信頼を勝ちえたパラケルススは、バーゼル大学の医学教授に
推薦されました。しかし、ここでもパラケルススの反骨精神が頭をもたげ、
当時の大学教授は赤い帽子を被り、ガウンを着て講義を行う規則だったのに対し、
黒いベレー帽、薬品で汚れた服で講義を行い、権威ある医学書を
学生の面前で燃やしたりしたため、2年ほどで追放されてしまいます。

パラケルススは、放浪中、ザルツブルグで48歳で亡くなっていますが、
その死には、病死説の他に、水銀中毒説、他殺説があります。19世紀に、
パラケルススの墓が発掘され、遺骨を調べると、頭蓋骨の後頭部に外傷らしき跡が
見つかりました。これにより他殺説が有力になったんですが、
後に、くる病の後遺症と診断されました。ただ、これには異説もあります。

パラケルススには数々の逸話があります。例えば、悪魔との知恵比べに勝って、
自由自在に悪魔を使役していたとか、人造人間ホムンクルスを造ったとか、
死体蘇生術に成功したとか。たしかに、パラケルススは神秘思想的な著作を残しては
いますが、これらは、後世の人間が面白おかしくつけ加えた伝説でしかありません。

ホムンクルス
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パラケルススの本質は、当時定説とされた医学常識に疑いを持ち、
経験主義的に治療を行った、優れた医療者だったことです。その業績の一つとして、
阿片や、ヒ素などの金属化合物を初めて医薬として採用したことがあげられます。
これにより、パラケルススは「医化学の祖」と呼ばれています。

さてさて、オブジーボの話に戻って、もちろん画期的な業績ではありますが、
「どんな癌にでも効く夢の治療薬」ではありません。現代の医学は、癌どころか、
風邪やニキビ、アトピーだって完全に治せてはいないですよね。
ただし、癌とは違ってまず命に関わらないので、大きく問題視されていないだけ。
それほど病気の治療は難しいんです。

ただ、パラケルススのように、既存の説を疑い、
新しい方法論に挑戦していくことは大切だと思います。本庶博士も、
受賞の弁で、「教科書を信じるな」 「科学は多数決ではない」
と述べておられましたね。では、今回はこのへんで。





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玄奘三蔵の冒険

2018.10.03 (Wed)
今回はこういうお題でいきます。世界史のカテゴリに入る内容です。
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)は、日本において、
古代中国人の中ではかなり有名な人物です。これは、孫悟空の出てくる『西遊記』が、
アニメやTVドラマになって知られている面が大きいでしょう。

玄奘三蔵
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ただし、『西遊記』は16世紀の明の時代に書かれた荒唐無稽な伝奇小説で、
実際の玄奘は7世紀、唐の時代の人ですから、900年ほどの隔たりがあります。
あと、日本では「三蔵法師」と言われることが多いですが、
三蔵というのは尊称で、そう呼ばれる僧侶は中国に何人もいます。

三蔵の称号は、「経・律(戒律)・論(理論研究)」の3つともに優れた僧侶に
対して与えれます。また玄奘は、帰国後に『大唐西域記』を書いており、
これが『西遊記』の元になったとも言われます。ですが『大唐西域記』は
旅行の記録ではなく、唐の太宗皇帝の命におうじて、
西域の国々の地理的な情報をまとめたものです。

タクラマカン砂漠
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さて、玄奘の生涯を書いていくと長くなるので端折ります。
11歳で僧になった玄奘は中国各地で修行する過程で、僧侶たちが勝手な自説を
吹聴していることを苦々しく思い、インドにある原典に回帰する必要性を痛感しました。
そこで、27歳のときに、国禁を犯して密かに出国します。役人たちの目を
逃れながら越えた灼熱のタクラマカン砂漠の旅は、かなり苦しいものだったようです。

『大唐西域記』には、「幻覚が起こり、あちこちに怪しい化け物の姿が見えた」
といった記述があります。このことが後の『西遊記』で、金角・銀角や
牛魔王などの妖怪になったのかもしれません。ここで玄奘は、一度だけ
中国に戻ろうという気持ちを起こしました。その戒めに、玄奘は「不東」の
文字を書き、これは「東せず(東に向かわない)」ということです。

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寝るときも足を東に向けませんでした。そして、現在の新疆ウイグル自治区にあった
高昌という国に入ります。ここはオアシスのほとりにある小さな都市国家で、
高昌の王は知識に優れた玄奘を歓待し、いつまでも国から出そうとしませんでした。
これは、王がインドへの旅は危険だと考えたためです。

困った玄奘は、断食をして出発することを願いました。そこで高昌の王は、
周辺の各国に使いを出し、玄奘が通ることを知らせました。
周辺地域には30ほどの小国があり、それらの国は玄奘を歓待し、しばらく滞在
しなくてはなりませんでした。インドまでの旅に3年あまりかかっていますが、
玄奘の足を止めたのは妖怪ではなく、それらの国の王たちだったんですね。

この旅の途中のことが、『今昔物語』の「震旦の部」に出てきます。
玄奘が道をたどっていると、苦しげなうめき声が道端から聞こえてきた。
見ると、全身を瘡がおおい、膿みただれた女が倒れ伏せていた。玄奘が駆け寄って
どうしたのか尋ねると、病気のために親に捨てられたと言います。            

また、この病気が治るためには、全身の膿を口で吸わなくてはならないとも。
玄奘がためらわずそれを行うと、病人の体はだんだんに光り輝いていき、
観自在菩薩の姿となり、玄奘に一巻の経典を授けました。それが「般若心経」だった、
ということになっています。ま、よくありがちな内容です。
日本の仏寺で最も多く唱えられているのが、この般若心経でしょう。

「色即是空 空即是色」の一節が有名ですが、これは「唯識論」の真髄を表したもので、
道元、法然、親鸞らも学んで、「鎌倉新仏教」の基礎となりました。
上記の逸話はもちろん事実ではないでしょうが、
玄奘の偉業が、日本の仏教界に与えた影響はとても大きいんですね。
ちなみに、「耳なし芳一」の話で、芳一の全身に書かれたのも般若心経です。

般若心経
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この後、玄奘はヒンズークシ山脈を越えてインドに入り、現地で長い修業をした末、
16年後に中国に戻ります。唐の太宗は玄奘が国禁を破ったことを許し、
年下の玄奘を師父と呼びました。玄奘が持ち帰った経典は657部、
その中にはもちろん般若心経も含まれます。
玄奘はその後の生涯を翻訳に費やし、63歳で亡くなりました。

さて、ここからは2つエピソードを紹介して終わります。玄奘の遺骨の一部が、
日本に存在するんですね。これには驚きの経緯があります。玄奘の遺骨は長安の
仏塔に葬られたんですが、黄巣の乱の時に破壊され、行方知れずになりました。
それから およそ1300年後の昭和17年、日中戦争の最中です。

南京市を占領した旧日本軍は、郊外に稲荷神社を立てるため土台を掘っていました。
すると大きな石棺が出てきて、そこには、「宋の天聖5年(1027)、
三蔵法師の頂骨が、演化大師可政によって長安から南京にもたらされた」
と書かれていたんです。おそらく盗掘を避けるため、
残っていた玄奘の頭蓋骨が、副葬品とともに南京に移されたんでしょう。

あまりのことに、戦いを中断して南京政府と旧日本軍の協議が行われ、
遺骨の一部は日本に分骨され、現在、慈恩寺、芝の増上寺、奈良の薬師寺などに
あるようです。これ、考古学的には玄奘の本物の遺骨か明言はできませんが、
自分は信憑性は高いと考えます。中国に稲荷神社をつくるときに見つかった、
というところが面白いと思いませんか。

夏目雅子さん
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さてさて、最後に、ドラマで三蔵法師を演じた俳優として夏目雅子さんが有名ですね。
夏目さんは急性白血病で、27歳で亡くなっていますが、
この原因は、ドラマ『西遊記』でシルクロードロケを行ったときに、
現中国政府がくり返し行った核実験の残存放射能を浴びたためである、と言われました。
(最初の出典は、産経新聞社「正論」2009 中国が憎くても嘘はダメですよ)

でもこれ、完全な都市伝説なんです。ドラマのパート1では中国ロケはなく、
パート2での中国ロケには、夏目さんは多忙のために参加してなかったんですね。
ただ、夏目さんは法師役のために坊主のかつらをつねにつけており、
それがその後の運命を暗示していた、なんて話もあります。
では、今回はこのへんで。

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科挙と4人の人物

2018.08.29 (Wed)
日本はかつて古代中国から多くのことを学んだが、
すべてをやみくもに導入したわけではない。
歴史を通じて有名な官吏採用試験制度である「科挙」や「宦官」は、
日本で広まることはなかった。

日本が遣隋使や遣唐使を通して中国から多くを学んだのは事実だ。
しかし記事は、「遣明使や遣清使がなかったことからわかるように、
明や清には学ぶべき文明はなかった」と指摘。本当に進んでいた隋や唐からは学び、
進んだ文明ではなかった明や清からは学ぶことはせず、
のちに西洋から学ぶことにした日本は賢いと論じた。
(レコードチャイナ)

科挙の合格発表の様子
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今回はこういうお題ですが、科学ニュースからではありません。
中国メディアが掲載したものです。やや地味な内容になると思われるので、
スルー推奨かもしれません。さて、日本が古代中国から学ばなかったものとして、
「科挙」と「宦官」があげられていますが、
この記事、自分には少し違和感があります。

というのは、科挙と宦官ではだいぶ始まった時期が違うからです。
宦官は異民族に対する去勢として行われ、紀元前からありました。
これに対し、科挙のほうは、6世紀末の隋の時代に開始されたもので、
ずいぶん時代のへだたりがあるんですね。

さて、科挙というのは、ご存知のように、中国の官僚登用試験のことです。
それまで中国では、官僚は貴族階級から登用されていましたが、
科挙は、家柄や身分に関係なく誰でも受験できる公平な試験で、
才能ある個人を官吏に登用する制度は、当時としては世界でも画期的なものでした。

では、なぜこれを日本が学ばなかったかというと、いろんな理由があるでしょうが、
一番は、中国との国家スケールの違いかなと思います。
中国は国土が広く、また朝廷の役職の数も多く、膨大な量の官吏が必要でしたが、
日本の官僚数はその何十分の一でした。

次に、上で科挙は世界でも類を見ない制度と書きましたが、反面、
弊害もたくさんあったんです。まず、公平に人材を募集すると言っても、
当時の中国は識字率が低く、また、科挙の勉強のための書物をそろえたり、
塾に入ったりするには、やはり資産家の子弟でないと無理だったんですね。
真の意味で、社会階層をとっぱらうことはできなかったんです。

それと、科挙の試験科目が古典詩や儒教であり、実学ではなかった点です。
科挙に合格した官僚は、ともすれば「ただ読書のみ尊く、それ以外は全て卑しい」
という考えを持つようになり、治水土木や経理などを小馬鹿にした、
あまり実務に役立たない人物が多かったんですね。

さて、科挙の倍率はどの時代においても高く、3000倍になったときもありました。
ですから、合格者の陰には多数の不合格者がいて、
悲喜こもごもの物語が生まれています。ここから科挙に関わった4人の人物を
ご紹介しますが、史実としては疑わしいものが多いです。

「黄粱の夢」
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まず、一人目は盧生(ろせい)という人物です。彼は故郷の趙から都へ出て
科挙を受けましたが不合格になり、失意のうちに国に帰る途中、
邯鄲(かんたん)という地で、道士から栄華が意のままになるという不思議な枕を
借りて寝たところ、夢の中で科挙に合格して立身出世し、
子孫も繁栄して、栄耀栄華を極めた一生を終えました。

ところが、目が覚めてみると、さっき火にかけた黄粱(こうりゃん)が、
まだ煮えないほどの短い時間しかたっていません。これに虚しさを感じた
盧生は科挙をあきらめ、故郷で妻を娶ってつつましく暮らすことになります。
故事「邯鄲の枕、黄粱の夢」のエピソードですね。

鍾馗
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次は、鍾馗(しようき)。鍾馗様といえば、長いヒゲをたくわえ、剣を持った怖そうな
道教の神様で、魔除けや疱瘡除けにご利益があるとされますが、
もとは、科挙に不合格になり、それを恥じて自殺してしまった人物なんですね。
唐の第6代皇帝、玄宗が病気になって高熱に苦しんでいると、
夢の中で小鬼が現れ、イタズラをしかけてくる。

そこに、どこからともなく大鬼が現れて小鬼をつぶしてしまう。玄宗が大鬼に正体を
尋ねると、「私は鍾馗というもので、科挙に不合格になって自殺したが、
唐の高祖皇帝は、そんな自分を手厚く葬ってくれたので、恩を感じてやってきたのだ」
と答えた。玄宗が目を覚ますと、熱はすっかり下がっていた。
このような話が伝えられ、鍾馗は疫病除けの神様として祀られるようなったわけです。

次は、科挙に見事合格した李徴(りちょう)という人物です。李徴は
晴れて官吏となり、辺境の任地に赴きますが、それは労苦だけが多い下積みの生活で、
詩人として名声を得たいと思っていた李徴は、ともに語り合う人物も周囲にはおらず、
ついに発狂し、山の中に消えて行方不明になってしまいます。

人喰い虎
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もうおわかりですよね。小説家、中島敦が書いた『山月記』ですが、
中国の古典にもとになる話があります。李徴は、人喰い虎に姿を変えて友人の前に現れ、
涙を流して自らのそれまでの半生を呪い、自分が書いた詩を記録してくれと言い残して、
再び姿を消します。これをみると、科挙に合格しても、それはそれで大変だったんですね。

最後、4人目は黄巣(こうそう)。中国史に残る唐の時代の実在の人物です。
科挙に何度も落ちた黄巣は、失意から塩の密売人となり、次第に勢力を集めて、
「黄巣の乱」を起こします。これにより、全国王朝としての唐は実質的に滅び、
黄巣は皇帝を名のって斉の国を立てますが、塩賊に国が運営できるはずもなく、
10年も続かずに、ついに首をとられてしまいます。

黄巣
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さてさて、ということで、4つのエピソードを見てきましたが、
どの話からも、科挙が持っていたさまざまな問題点を読み取ることができそうです。
日本がこれを取り入れなかったのは、たしかに慧眼だったのかもしれません。
では、今回はこのへんで。

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キュリー夫人とゴーストガールズ

2018.07.14 (Sat)
福島第一原子力発電所


今回はこういうお題でいきます。東日本大震災にともなう福島第一原発の
事故により、私たち日本人は放射能の危険性を改めて認識させられましたが、
では、放射能って、いつから危険だと考えられ始めたんでしょう?
これ、じつはそんなに古い話ではないんですね。

さて、キュリー夫人はご存知でしょう。こないだエジソンについて書きましたが、
彼と同じくらい伝記でとりあげられている人ですよね。
ポーランド出身の科学者で、ノーベル物理学賞、化学賞をともに受賞しています。
1903年の物理学賞は、放射能の発見によるもので、
放射能(radioactivity)と名づけたのも彼女です。

マリ・キュリー


で、1911年の化学賞は、新元素ラジウムの発見などの業績によります。
さて、1920年代、彼女はキュリー・ラジウム研究所を立ち上げましたが、
研究員が数名、白血病、再生不良性貧血などで亡くなっていて、
その中には日本からの研究員、山田延男も含まれます。

ただ、その頃はまだ、これらの疾患と放射能の因果関係は
明らかではありませんでした。キュリー自身も、1932年に手首を骨折し、
それがなかなか治らず、さらに原因不明の体調不良に苦しむようになります。
そしてその2年後の1934年、再生不良性貧血で亡くなるんですが、
現在では長期の放射能被爆が原因であることがわかっています。

ですが、生前の彼女は、けっして研究員や自らの体調不良を、
ラジウムによるものとは認めませんでした。
それだけ、自分が発見したラジウムに対する思い入れが深かったんでしょう。
彼女の遺体は、夫のピエールと並んで埋葬されました。

現在、パリののラジウム研究所は博物館となっていますが、
実験室は、除染が行われるまで立入禁止でした。
また、彼女の自筆の論文なども、閲覧するためには防護服の着用が
義務づけられているそうで、研究所にある彼女の指紋からも放射能が検出されます。

さて、話変わって、ゴーストガールズについて。
米国イリノイ州オタワ市(カナダの首都とは別)では、1920年代、USラジウム社、
ラジウム・ダイアル社などの工場で、10代、20代の女性が、
時計の文字盤にラジウムを塗る作業をしていました。オタワ市はラジウム・シティ
とも言われ、彼女らの待遇はよく、当時の女性のあこがれの職業の一つでした。

ラジウム塗料を塗るアメリカ人女性


彼女らは「ゴーストガールズ」と呼ばれました。
なんでこんな不気味な名がついたかというと、彼女らの体は、
暗闇でぼうっと光を放ったからだと言われます。で、この若い女性らの間で、
原因不明の疾患が広がっていることがわかってきました。

病態はいろいろですが、骨が溶けたり、骨に腫瘍ができたりするケースが
多かったんですね。また、手足や腰の骨も骨折しやすくなりました。
これは、ラジウムの元素的な性質がカルシウムと似ているため、
骨に集まりやすいのが原因なんです。

ラジウム発光時計


また、アゴの骨が主にやられたのは、まだラジウムの危険性が知られておらず、
作業に使う筆の先をなめるなどして、口腔内から体内にとりこまれたためです。
若い女性にとって顔は命だと思うんですが、下アゴが完全に溶けてなくなって
しまったケースもあったようです。

下アゴに巨大な腫瘍ができた女性


合計200名ほどの女性がこのために亡くなり、さすがにおかしいと気づき始めた
被害者たちは、会社を相手に裁判を起こします。
これには長い長い年月がかかり、最終的にラジウム・ダイアル社などが、
全責任を認めたのが1938年のことです。

ということで、最後までラジウムをかばったヨーロッパのキュリー夫人のケース、
裁判で争ったアメリカのケースを考えると、放射能の危険性が知られ始めたのが
1920年代の後半、そして危険性が確定したのが、
1930年代の前半ころと考えるのがよさそうです。

ただし、このことは一般的にはなかなか広まらず、ラジウム入りの歯磨き、
ラジウム入りチョコレート、ラジウム入り座薬(男性用精力剤のようです)
などが1950年ころまで、主にヨーロッパで売られました。
また、アメリカではラドン(ラジウムからできる気体元素)入の健康飲料水が
大々的に発売され、大きな健康被害をもたらしています。

ラジウム・ラドン入り製品の数々


このことを教訓とし、現在のアメリカでは、ラジウム・ラドンを飲料に入れて
発売した場合には厳しい刑事罰が科されることになっています。それと、
上記のゴーストガールズの話は、1987年『ラジウム・シティ』という
ドキュメンタリー映画となって公開されています。

さてさて、こうしてみると、放射能が人体に及ぼす危険性が認知されたのは、
わずか90年前のことなんですね。そして、その有害性が明らかになった後、
原子爆弾が開発されて広島・長崎に投下されたんです。
では、今回はこのへんで。

原爆投下後の広島






エジソン対テスラの戦争

2018.07.07 (Sat)
今回はこのお題でいきます。なんか怪獣映画のタイトルのようですが、
そうではなく、どちらも高名な発明家である、トーマス・エジソンと
ニコラ・テスラのことです。年齢的にはテスラが10歳ほど若く、
彼はエジソンにあこがれてエジソン電灯会社に入社していますが、後に対立し、
晩年にはエジソンの名が冠せられた「エジソン勲章」の受賞を拒否しています。

エジソンとテスラ


まずエジソンですが、ご存知でない方はいないでしょう。歌にも、
「♪ エジソンは偉い人、そんなの常識~ パッパパラリラ」とあるとおりで、
子どものころに、伝記を読まれたという人も多いんじゃないかと思います。
その発明には、電話機、蓄音機、電球、映画、トースターなどがあります。

いっぽうのニコラ・テスラには、その発明品として、ラジコン、
蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなどがあります。この2人、
どちらも晩年にはオカルト研究に没頭したことでも知られています。
エジソンは、当時アメリカで大流行していた降霊会を信じていて、
スピリチュアル団体に研究資金を寄付したりしているんです。

テスラコイル


エジソンは、人間の魂を一種のエネルギーと想定し、
エネルギー保存の法則にしたがって、その力は死後も保存されると考えていました。
そこで、空気中に漂う魂のエネルギーをとらえるための
「霊界通信機・霊界ラジオ」の研究に何年も時間を費やしています。

テスラも、同じく晩年には霊界通信の研究に没頭しましたが、エジソンとともに、
成果らしい成果は出せていないのが現実的なところです。あと、
テスラの発明したテスラコイルは、アメリカのカルト団体で疑似科学的に使われ、
オカルトフアンの間で有名な、あの「フィラデルフィア実験」でも使用された
ことになっています。ただ、この話には実体がないですけどね。

フィラデルフィア実験


さて、なぜこの2人に対立が起きたかというと、
主な原因は「電流戦争 War of Currents」によるものです。エジソンは、
直流電流がアメリカのインフラとして送電されるよう推し進め、
それに対しテスラは、自分が考案した交流電流が採用されるよう画策しました。
これ、どちらが採用されるかで莫大な金額が動きますので、
まあ戦争になるのも当然です。

直流と交流の違いはおわかりだと思います。みなさんの家の壁にある
コンセントは交流電源ですし、乾電池やバッテリーは直流です。
直流は電圧は常に一定ですが、交流の電圧は波として変動しています。
下の図がわかりやすいんじゃないかと思います。

交流と直流の違い


結果からいうと、アメリカで採用されたのは交流で、テスラ側の勝ちです。
現在の日本もそうですね。なぜ交流が勝ったかの原因はいろいろあるんですが、
ここでは割愛させてください。で、この電流戦争では、エジソン側から
交流電流に対するネガティブ・キャンペーンが数々仕掛けられました。

次の動画をよろしければご覧ください。(象が感電死する閲覧注意動画です。)
出てくるのは、コニーアイランドの遊園地で飼われていたトプシーという象で、
調教師を3人殺してしまったため、薬殺処分される予定でしたが、エジソン側は、
交流電流の危険を訴えるため、公開の場で電気ショックで殺すことを提案しました。



そして、数秒で煙を出して死ぬ様子が撮影され、エジソンはその場面を
自分が発明した映画にして、全米各地で公開したんですね。
この他にも、エジソンは自分の研究所で、
犬や猫を、交流電流によって多数 殺処分しているんです。

でも、これはどう考えても非科学的だし、そもそもアンフェアですよね。
直流だって電圧が大きければ死ぬはずです。
これに対抗して、テスラ側は人体に交流電流を流し、
その安全性を人々に示すショーを企画して、全米各地を巡業して回りました。

さて、アメリカの死刑方法では電気イスが有名ですが、もちろんこれは、
電気製品が実用化されてからのもので、それ以前は絞首刑が多かったようです。
で、エジソン側は、電流戦争のネガティブ・キャンペーンの一環として、
交流電流が用いられた電気イスでの死刑を提案しました。

史上初の電気イスでの死刑は、1890年、ニューヨーク州のオーバーン刑務所で、
内縁の妻を斧で殺害したウィリアム・ケムラーに対して執行されたんですが、
悲惨きわまる結果になりました。最初17秒間通電しましたがケムラーは死に至らず、
2回目は1分以上通電され、発電機が電圧2000ボルトに上昇するまで

ウィリアム・ケムラーの死刑


ケムラーは叫び続け、肉が焼ける臭いが部屋に立ち込め、頭部から煙が上がり、
最終的には体から炎が上がりました。吐き気を催した見物人が何人も、
部屋から逃げ出したと言われています。この結果について、
「斧を使ったほうがまだましだった」とまで、後に論評されました。

さてさて、みなさんは今、さまざまな電気製品を使われていると思いますが、
その陰には、このような歴史があったんですね。あと、日本では現在、
オウム真理教の松本智津夫の死刑の話題でもちきりですが、
アメリカでの電気イスによる死刑には、こんな興味深い裏話があったんです。
ということで、今回はこのへんで。