クリスマスプレゼントと幼児虐殺

2015.12.15 (Tue)
今夜もしつこくクリスマスの話をします。実証主義的にみると、
旧約聖書はもちろん、新約聖書の記述もたいへんあつかいが難しいです。
これはどこまでが実際の史実であるのか、
他の資料で保証されない部分があまりに多いうえ、
細部が書かれていない場合もあるからです。

例えば、今の西暦はキリスト生誕が紀元であるとされますが、
実際には、キリストが生まれた年は紀元前8年から紀元6年ごろまで諸説ありますし、
誕生日についても聖書に記載はありません。
ですから、12月25日を生誕の日とすることに根拠はないのです。
ただ、わからないと困るので、この日にすることに決まっているというだけなんですね。

さて、下の画像はプレゼピオ(伊 Presepio)と言います。
プレゼントと語感が似ていますが、関係があります。
キリスト生誕の場面を表したジオラマのようなもので、日本では一般的ではありませんが、
フランス、イタリアなどのカトリックの多い国では普通に見られ、
とくにイタリアでは、クリスマスツリーよりもこちらのほうが主流かもしれません。
教会では実物大の場合もある大きなもの、
各家庭でも代々受け継がれたミニチュアを飾ります。
アメリカはプロテスタント中心で、ある家庭は少ないですが、
英語では最初が大文字の Nativityと言うようですね。



人形の人物は、基本的には聖家族(母マリア、父ヨセフ、幼子イエス)ですが、
これに東方の3博士や羊飼い、羊の群れやその他の動物たちが加わることもありあます。
東方の3博士というのは、新約聖書『マタイによる福音書』に出てくる人物で、
おそらくペルシア、ゾロアスター教の占星術師
(あるいは天文学者)のことと考えられます。
彼らは自分から見れば占星術の大先輩にあたるわけですね。
突如天空に出現した救世主の星に導かれ、ユダヤ人の新たな王の誕生を祝うため、
当時は寒村でしかなかったイエス生誕の地、
現パレスチナのベツレヘムにやってきたのです。

じつはこのあたりのこともよくわかっておらず、
聖書マタイ伝には博士たちの人数も書かれていません。
ただ、彼らはイエスを見つけて伏し拝み、
乳香、没薬、黄金の3つの贈り物を授けたことから、
人数は3人とされ、メルキオール(黄金)バルタザール(乳香)カスパール(没薬)
などと仮の名前がつけられているのです。
これが、クリスマスプレゼントの起源というわけです。

3博士を導いたのが救世主の星、ベツレヘムの星とも言われますが、
これについてもはっきりしてはいません。
天文学者の間では、この2000年の間にさまざまな意見が出され、
あの、ケプラーの法則のケプラーは木星と土星の接近説を出していますし、
SF作家の大御所で科学啓蒙書も書いているアイザック・アシモフも、
ベツレヘムの星として考えられる9つの説というのを提示しています。
ま、はっきりわからないのですが、もしあったとしたら彗星か超新星爆発など、
そのときにだけ見ることができた星という主張が多数派のようです。

さてさて、題名の「幼児虐殺」を行ったとされるヘロデ王は、
ローマ帝国初期にユダヤ地区を統治したユダヤ人の王です。
前述の東方の3博士は、星に導かれイエスを探す旅の途中でヘロデ王のもとに立ち寄り、
救世主誕生の事情を話しますが、王の反応から事態を察し、
イエスを見つけたことは知らせずに帰っていきます。

これにより、自分の地位がおびやかされることを怖れたヘロデ王は、
ベツレヘムの2歳以下の男児をすべて殺すように命じ、命令は実行されてしまいます。
聖書の中でもかなり残虐な場面なのですが、史実と認めるのは難しいようです。
ヘロデ王の生涯はかなり詳しくわかっていますが、幼児虐殺については、
歴史家の著作はもちろん、マタイ伝以外の他の福音書にもその記述はないのです。
ですからマタイ?によるドラマチックな創作と見るむきもあります。

ヘロデ王はかなり強権的な政治をとり行い、ユダヤ教の高位の司祭や、
自分の息子2人も処刑していますので、
そういったことがこの幼児虐殺のエピソードに反映しているのかもしれません。
また、もし幼児虐殺が史実であったとしても、
当時のベツレヘムは小さな村で、人口は1000人未満程度であったと考えられ、
2歳以下の男児はせいぜい数十人であったでしょう。
これがキリスト教の物語では人数がふくれ上がり、数万人ともされているのです。
なお、このとき殺されたとされる子どもたちは、
キリスト教 最初の殉教者として「聖嬰児」などとも呼ばれています。

ちなみに、天使がヨセフの夢に現れて逃げるように言ったため、
家族はエジプトに逃れて難を避けることになります。
父ヨセフは貧しい大工でしたので、この逃避行の資金には、
3博士がプレゼントしたという黄金が役立っているのかもしれません。
このように、聖書の記述には、詳細がわからず後世につけ加えられた部分が多いため、
物語として見ていくしかないのですね。

中央が救世主の星、クリスマスツリーの星もそうです






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クランプスとループレヒト

2015.12.13 (Sun)
12月、クリスマスシーズンですので、今日はそれに関係した話。
まず聖ニコラウスはご存知でしょう。サンタクロースのモデルになった人物です。
4世紀ころの東ローマ帝国の主教で、教区の貧しい娘たちに、
ひそかに結婚の持参金を恵んでやったとも言われます。

ほぼすべてのキリスト教宗派で聖人とされていますが、
これ聖人の認定ってかなり難しいんですよね。
殉教者は別にして、生前の他、死後に2度の奇跡を起こさないと認められません。
聖ニコラウスの場合は、死後不朽体(朽ちない体)となり、
多くの病者を癒やしたとされます。ノーベル賞を受賞したマザー・テレサも、
そろそろ死後の2度めの奇跡の話が出てもおかしくはないでしょう。

あれ、何か変ですね。サンタさんはあったかそうな白い毛糸の着いた服を着て、
トナカイの曳くソリに乗り、グリーンランドだかフィンランドだか、
寒い国に住んでいるというイメージがありますよね。
フィンランドにサンタさん宛の手紙が届くのじゃなかったでしょうか。
まあしかし、サンタクロースは古くからあったものではなく、
19世紀頃から赤鼻のトナカイや煙突などの付属イメージがくっついて広まった、
けっこう新しいものなのです。

で、今回はサンタさんの話ではありません。
ヨーロッパにおける12月の風習で、この聖ニコラウスの記念日12月6日から
クリスマスまでに、各地をサンタさんが回るわけですが、
それに同行する2人の人物?についてです。
伝承が残っているのはドイツ、オーストリア、ハンガリー近辺です。
あまり日本には入ってきていない話ですよね。

クランプス(独 Krampus)のほうは鬼といえばいいでしょうか。
下に画像を載せておきますが、いろいろな怖い姿で表現されています。
背中に子どもを投げ入れるカゴを背負い、
手には錆びた鐘や鎖、鞭を持っているともされます。
しかしこの扮装はかなり本格的で、ダリオ・アルジェント監督の映画『デモンズ』
のシリーズを思い起こさせます。

クランプス


Wikiでは『農村部では、特に若い少女へのクランプスによる鞭打ち(樺の笞による体罰)
を伴う伝統がある。クランプスは通常、悪い子供を連れ去り、
地獄の穴に投げ入れるための籠を背負ったイメージで表される。
そして、鞭を振るいながら、子供を捕まえて、
親の言うことを聞くように、勉強するのだぞと厳しくさとす。』


この名前は、鉤爪や鞭を表す古ドイツ語「Krampen」(クランペン)からきているようです。
若い女性を鞭打つのは純潔・貞淑へのいましめでしょうか。
しかしこれ、どこかで聞いたことがある話ですよね。

そう、日本の「ナマハゲ」です。秋田県の男鹿市周辺に伝わる伝統的な民俗行事。
手に出刃包丁と桶を持ち、蓑を着た鬼が「悪い子いねが、泣く子いねが」
と家々を回って子どもをおどしつける年越しの風習です。
よく似ています。「ナマハゲ」の「ナマ(モ)ミ」というのは、
冬場に何も仕事をせず、コタツにあたってばかりいるとできる低温火傷の痕で、
ナマハゲは包丁でこれを剥ぎとるとも言われます。
ドイツも昔は農業国でしたし、長い冬を持つのも日本の東北地方と似ています。
農作業の少なくなった冬の風習として似てしまっているのでしょうか。
それとも伝播があったのか、そのあたりは難しいです。

ループレヒト(独 Knecht Ruprecht)もサンタクロースといっしょに
各地を回る助手的な役割ですが、こちらはここまで怖い姿ではありません。
サンタさんがよい子をほめるのに対し、こちらは悪い子を懲らしめるため、
「黒いサンタ、影のサンタ」などとも言われるようです。
もともとは聖ニコラウスが、ほめるのと叱るのの2役をこなしていたのかもしれませんが、
人格というか役割が2つに別れたとも考えられます。

伝統的なクネヒト・ループレヒトの姿は、長い髭をもち、
毛皮を着ているか藁で身を覆ったもので、
長い棒や灰の袋を持って現れるとされるのが多いようです。
悪い子に対し、石炭の塊や棒や石などよくないプレゼントを置いていくのだそうです。
クランプスと役割は似ています。やはりよい子でないとよいプレゼントはもらえない、
という当然の摂理を表しているのでしょう w
下の画像のような感じですが、教皇服を着ているサンタさんに対し、
ループレヒトは山賊みたいに見えますね。

サンタクロースとループレヒト







ペストと薔薇

2015.11.02 (Mon)
えー今日は奥歯が痛んで、7年ぶりに歯科医に行ったのですが、
全然痛くなかったですね。これは治療技術が進歩したのか、
それとも腕のいい医者にあたったのかどっちでしょうか。
まだ麻酔が効いているようで口内に違和感がありますので、
今回は無理をせず、医療関係の怖い世界史でも。

世界史を大きく変えたもの、これはいろいろとあるでしょうが、
伝染病のペストなどもその一つであると考えられます。
世界的な大流行が何度かありましたが、最も大きかったのは、
1347年(46年説もあり)東西交易によって、
中央アジアからイタリアのシチリア島のメッシーナに上陸したもので、
毛皮についていたノミが媒介したと言われています。
ペストとは、黒死病とも呼ばれ、
『ヒトの体にペスト菌が感染することにより発症する伝染病である。
日本では感染症法により一類感染症に指定されている。
ペストは元々齧歯類(特にクマネズミ)に流行する病気で、
人間に先立ってネズミなどの間に流行が見られることが多い。』

こうにWikiに出ています。

この翌年には、早くもアルプス以北のヨーロッパにも伝わり、
ブリテン島にまで広まりました。
14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、
全世界でおよそ8500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1以上である、
2000~3000万人が死亡したと推定されています。
以後も、ヨーロッパでは18世紀まで何度かの流行が起きています。

これによって、ヨーロッパ社会はさまざまな影響を受けました。
まず死者が多すぎて農奴が不足し、穀物栽培から牧畜に産業構造が変化したりしています。
またイギリスでは、ラテン語の使用者が減り、
下位の言語であった英語が生き延びたとも言われており、もしペストがなければ、
みなさんが学校で英語を勉強することもなかったかもしれません。

ボッカチオの『デカメロン』チョーサーの『カンタベリー物語』などは、
ペストの影響下に成立した話ですし、
シェークスピアの『ロミオとジュリエット』においても、
ペストがストーリーに大きくかかわっています。(ジュリエットの手紙を託した使者が、
患者に接触したため隔離されてしまい、それがロミオの死につながる)

次の画像は何だと思われますでしょうか?


悪魔主義者の鳥人間? いえいえこれは、
イタリア語でメディコ・デッラ・ペステという、ペスト医師の仕事用の装束です。
今でいえばパンデミックで出てくる防護服のようなものでしょうね。
ペスト医師は、ペスト患者を専門とする医者のことで、
黒死病が蔓延した時代に多くのペスト患者を抱えた街から特別に雇われた者です。
報酬も街から支払われたため、ペスト医者は貧富の隔てなく、
誰であろうと治療を施したました。
しかしこれは、自らも感染の危険のある命がけの仕事です。

ですから高名な医師がその役をやることはなく、
医師としての資格も怪しい者や、
名を上げようとする若い駆け出しの医師が多かったようです。
この鳥仮面の鼻先は意味なく尖っているのではなく、
そこにはペストに対する薬効のあるとされた、香りのよい香草が詰められていました。
バームミント、ショウノウ、クローブ、 アヘンチンキ、バラの花びらなどです。

さて、このペスト医師の一人に、「恐怖の大王」予言で有名なノストラダムスがいます。
ノストラダムスの経歴はざまざまな伝説に彩られていますが、
彼が長年ペスト医師として活動していたのは事実で、
その方面の著書『化粧品とジャム論』もあります。
伝説では、ノストラダムスはペストの原因がネズミであることを見抜き、
その駆除や患者の隔離、アルコール消毒や熱湯消毒、
キリスト教で禁じられていた火葬などの先進的な改革を行ったことになっていますが、
事実ではありません。著書には、イトスギのおがくず、すりつぶしたバラ、
丁子などを治療薬にしていたと出てきますが、
もちろんそれらに画期的な薬効はありませんね。

この医師としての活動で名を成したノストラダムスは、
富を蓄え、名士となって社交界にデビューしました。
ある意味では、彼もまた当時のアバンチェリエ(山師)の一人であったわけです。
そこで預言者として、暦書や予言書を出版し、
フランス国王アンリ2世にも謁見しています。
みなさんの中にどれだけ「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」
という予言を気にされた人がいるかはわかりませんが、
あれが20世紀の日本で評判をとったのも、元をただせばペストが関係しているのですね。

さてさて、題名にしている薔薇ですが、何度か上記したとおり、
これはペストに効果がある生薬と考えられていました。
ペスト医師の鳥仮面の鼻にも詰められていたものです。
イギリスの童謡集である『マザーグース』に、このようなものがあります。
『 Ring-a-Ring-o' Roses, A pocket full of posies,
 Atishoo! Atishoo! We all fall down. 』

(薔薇の花輪を作ろう、輪になって踊ろうポケットに花束をさして。
 ハクション、ハクション、みんなが転んだ)

無邪気な女の子の遊びの歌のように思えますが、これには、
花束はペスト治療用の薬草、くしゃみは病気の末期症状、
みんなが転んだ、の部分はもうおわかりでしょうが、ペストによる村の壊滅を表している、
こういう解釈もあるようです。  関連記事 『パイドパイパー伝説』

ノストラダムス 鳥仮面をかぶっていたのでしょうか?







ノーベルとニトロ

2015.10.07 (Wed)
* 今回も怖い話ではありません。
まずは、大村、梶田の両先生、ノーベル賞受賞おめでとうございます。
みなさまのブログでノーベル賞関連の話をいくつか拝見しまして、
自分も書いてみようと思いました。ただし当ブログの縛りにしたがって、
あくまでオカルト・ホラー的な切り口からです。

じつはノーベル賞に関しては、オカルト的な話はけっこうあるんです。
受賞者には、オカルトに関わった経歴のある人物が何人もいます。
しかしそれを羅列してもあまり面白くなりそうにないので、
ノーベル書の生みの親、ノーベル氏とニトログリセリンの話をすることにします。
ただし、この内容はすべてが史実として検証されているわけではなく、
伝記に書かれただけの伝説的なものも含みます。

さて、まずニトログリセリンとは何かということですが、
Wikiにはこのように出ていました。
『示性式 C3H5(ONO2)3 で表される有機化合物。
 爆薬の一種であり、狭心症治療薬としても用いられる』

自分は映画の感想を雑誌に書いたりしていますので、
ニトロといえば、まず思い浮かべるのが『恐怖の報酬』という映画です。

1953年フランス制作。中米を舞台に、
油田の火災をニトロの爆風で吹き消すため、それを安全装置のないトラックで運ぶ
仕事を請け負った4人の男達を追うストーリー。
主演はシャンソン歌手のイブ・モンタンで、なかなか渋い演技でしたね。
1977年にアメリカでリメイクされ、こちらの主演はロイ・シャイダー。
映画『ジョーズ』でビーチの警察署長をやった俳優、
と書けばおわかりの方も多いでしょう。自分はこの人のフアンなんです。
ご存知のようにニトログリセリンは不安定で、わずかな衝撃でも爆発してしまいます。
こちらも前作にはなかった新要素が加えられ、これはこれでスリリングな内容でした。

次はノーベル氏ですが、アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(1833~1896)
これは英語読みで、スカンジナビア語での発音はかなり難しいようです。
スウェーデンのストックホルムに産まれ、科学者というよりは、
発明技師、実業家としての側面が大きい人生を歩んだ人のようです。
彼の発明でもっとも有名なものはダイナマイトですね。
ニトログリセリンの安全な製造方法と使用法を研究していたのですが、
1864年、工場における爆発事故で弟エミール・ノーベルと5人の助手が死亡、
氏自身も怪我を負ってしまいました。

しかしこの事故によって、氏のニトログリセリンの安定化に対する熱意はかえって強まり、
ついに1866年、不安定なニトログリセリンに珪藻土を加え、
爆発の威力を落とさず、安全に扱いやすくしたダイナマイトを発明しました。
この発明は、50ヶ国で特許を得て100近い工場を持ち、
世界中で採掘や土木工事に使われるようになり、
一躍世界の富豪の仲間入りをしたのです。

氏の私生活は孤独なものだったようです。
生涯独身で子供はいませんでした。氏の最初のプロポーズは拒絶され、
長年つき合った恋人とは、女性に他の人物との間に子どもがいることが発覚し、
別れることになったと伝記には書かれています。
しかしながら、子孫がいなかったことにより、氏の莫大な財産の大部分は遺言で、
ノーベル賞のための基金として監理されることになったわけです。

さてさて、1888年、氏の兄であるリュドビック・ノーベルが死去しましたが、
このとき兄と氏とを取り違えて記載した新聞があり、
そこには「死の商人、死す」と見出しにでかでかと書かれていて、
それを見た氏は大きなショックを受けました。
これがノーベル賞創設の直接の動機につながっているようです。
このエピソードは、チャールズ・ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』
を思い起こさせるところがあります。未来の幽霊から、
自分の死に街の人々が踊って喜ぶ様子を見せられた金貸しのスクルージは、
それまでの強欲を反省し、残された生涯の時間を心優しく人に接するようになるという。

氏は健康にも恵まれませんでした。孤独な性格で、
一時期はうつ病にかかっていたこともあるようです。
また長年心臓病に苦しめられていましたが、晩年の病床において、
その頃には心臓病の特効薬としても知られていたニトログリセリン、
薬としてはたくさんの人の命を救ってきたものですが、
ノーベル氏は服用を医師に勧められたものの、これを断り、
最期は脳溢血で亡くなります。

『Betrayal』Tangerine Dream






彼方からの声

2015.09.07 (Mon)


昨日の続きみたいなものです。
ちょっと思わせぶりな書き方をしてしまったので、やってしまいたいと思いますが、
この内容は、ちゃんと話をすれば本一冊以上の分量になってしまうため、
できるだけかいつまんで概略だけ記したいと思います。
「青ひげ」の話は、仏のシャルル・ペロー作の童話で有名になりましたが、
ほぼ同じ内容のものが、『グリム童話』の初版に収録されています。
ペローの童話出版が17世紀末、グリム童話は19世紀の初頭ですから、
ペローのほうが古いものです。なお、グリム童話ではこの話は2版以降では削除されます。

こんなお話です。
『金持ちの領主は、その風貌から青ひげと呼ばれていた。彼は何度も結婚しているものの、
その妻はすべて行方不明になっていた。青ひげはある兄弟の美人の妹娘に求婚し、
周囲はとめたが、ついに結婚が行われた。しばらく後、
長期の外出をしなくてはならなくなった青ひげは、新妻に鍵束を渡し、
「どこにでも入っていいが、この鍵束の中の小さな鍵の小部屋にだけは絶対に入るな」
と言い残して出ていった。しかし妻は好奇心に負け、小部屋を開けてしまう。
そこに見たものは、血の海に沈んだ先妻の死体であった。

動揺した妻は小部屋の鍵を血だまりに落としてしまう。その血は部屋の扉を閉めた後、
魔法のため、いくら洗ってもとれなかった。
やがて帰ってきた青ひげは妻に鍵束を出させたが、小部屋の鍵がない。
無理に出させると血がついていたため、妻が見てしまったことを知った青ひげは、
新妻も殺そうとする。お祈りをしたいなどと、あれこれ妻が時間を引き延ばしているうち、
間一髪兄たちがやってきて青ひげを殺してしまう。
妻は青ひげの莫大な財産を受け継ぎ幸せに暮らした。』

この話のモデルであると言われるのが、フランスの軍人・貴族であるジル・ド・レイ、
あるいは英のヘンリー8世です。ヘンリー8世については前に少し書きましたが、
16世紀のイングランド王で、6人の妻と結婚し、そのうち2人を刑死させています。
離婚のためカトリック教会から破門され、英国教会をうちたてたことで知られます。

今回は、ジル・ド・レイ(ジルドレ)のほうを取り上げます。
15世紀前半の人で、フランス王国ブルターニュ地方ナントの貴族、男爵、フランス元帥。
幼くして両親を戦禍で失い、祖父に引き取られます。
ここで少年愛の悪癖が身についたという説もありますが、定かではないようです。
領地を広げるために、近隣の領主の息女と政略結婚させられましたが、
妻はほったらかしで、狩りなどに明け暮れていました。
成人して軍人となり、百年戦争のオルレアン包囲戦で、
ジャンヌ・ダルクに協力して奮戦に継ぐ奮戦、「救国の英雄」と呼ばれ、
地方軍人としてはほぼ最高位である元帥にまで上り詰めたのです。

ジャンヌ・ダルクについては、みなさんご存知でしょうが少し書いておきます。
「オルレアンの乙女」とも呼ばれ、農夫の娘として生まれたジャンヌは、
12歳頃に神の啓示を受けます。神の声を聴いたと公言するジャンヌは17歳にして、
騎士姿でまだ即位前であったシャルル7世に謁見し、宗教諮問を受けます。
ここで認められたジャンヌは従軍を許可され、
その後はイングランドとの百年戦争の重要な戦いで連戦連勝、
はじめはジャンヌの配下に入るのを拒んでいた将軍らも従うようになり、
シャルル7世の戴冠に貢献することになります。

ジャンヌの軍事指揮能力については諸説ありますが、
男装して甲冑を身につけ先頭で旗を持つ姿が軍を鼓舞し、
神の意志と力が自分たちの元にあると思わせる効果は絶大だったのでしょう。
その後ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、
シャルル7世が身代金を支払わなかったため、イングランド側へ引き渡されます。
異端審問にかけられ、異端の判決を受けたジャンヌは19歳で火刑に処せられます。

ここで、あまり知られていないことは、ジャンヌが最終的に異端とされたのは、
「一度禁じられた男装をふたたび行った」とする罪状なのです。
異端審問に対する不服従の罪といってもよいものです。
ま、イングランドに歯向かったからという罪状はつけようがないでしょうが。
火刑になったのは、魔女に対する刑罰と同様で、
遺骸をなくして復活を禁じるという意味もあります。
実は生きていたという流言を封じるため、黒焦げになったジャンヌの遺体は公衆に晒され、
さらに灰になるまで焼かれてセーヌ川に流されました。

この後も100年戦争は文字どおりまだまだ続くのですが、
ジャンヌの死の後、領地に戻ったジル・ド・レイは、
黒魔術と錬金術に耽溺して財産を浪費、
さらに領地の少年を誘拐しては取り巻きと惨殺する行為を繰り返します。
その数は150人とも800人とも1500人とも言われます。

このジル・ド・レイを扱った文学作品で、もっとも詳しくかつ有名なのが、
仏の19世紀末のデカダン作家であるカルル・ユイスマンスの『彼方』で、
悪魔主義をテーマとしたこの著作は、
自分のようなオカルティストには必読ものの一冊とも言われています。
この本では、ジル・ド・レイの凶行に多くのページが割かれており、それによれば、
少年の首を生きながら斬る、少年を吊り下げておき、助けにきたふりをして介抱しながら、
一方で少年の体を鋭利な刃物で切り裂き、少年がふたたび絶望に陥るのを楽しむ・・・
このような状況であったようです。

ジル・ド・レイは領地争いから告発を受け、公開裁判ですべての罪状を明らかにされ、
絞首刑の後、遺体を火葬されて36歳で亡くなります。
すべてを自分から告白し、まるで刑死を待つかのような態度であったとも言われます。
いちおうレイの名誉のために述べておけば、
この裁判は領地争いの政敵によって支配されたものでした。

さて、ジル・ド・レイがこのような狂気にとり憑かれたのは、
生来の性癖、錬金術や黒魔術の流行などの時代性もあったでしょうが、
やはり、ジャンヌの死が大きなきっかけであったと考える研究者が多いのです。
ジャンヌを火刑としたカトリック世界への絶望、神の不在を感じたということでしょう。
また少年愛については、つねに男装していたジャンヌと、
行動をともにしていたことに関係がある、と見るのはうがちすぎでしょうか。
ジャンヌの名誉は、1456年に復権裁判法廷が無罪を宣告して回復され、
1920年、ローマ教皇ベネディクトゥス15世によって聖人として列せられることになります。
一方ジル・ド・レイは、西欧社会では、怖ろしい大量殺人鬼の典型として、
現代まで語り継がれてきているわけです。

さてさて、ジャンヌは「神の声を聴いた者」です。
また、ユイスマンスの『彼方』という作品題名は、
ジル・ド・レイのような所業は人間にできることではなく、
彼方からの声にしたがって行われた、という解釈でつけられているようです。
では、ジル・ド・レイが聴いたのは悪魔の声だったのでしょうか。

最後に、青ひげの童話は妻殺しの話ですので、少年を殺し続けたジル・ド・レイとは、
その点が異なっています。ヘンリー8世の逸話も取り込まれているのかもしれませんし、
他の暴虐な領主や貴族の伝承も混じっているのかもしれません。
童話の舞台になっている中世西欧社会は、
調べていくと怖ろしいものがたくさん出てくる世界なんですね。