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アメリアと東京ローズ

2019.07.23 (Tue)
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アメリアの飛行予定コース

今回はこういうお題でいきます。これ、カテゴリはなんでしょうね。
いちおう「怖い世界史」に入れておきますが、どちらかというと
地味な話題ですので、スルー推奨かもしれません。
オカルト陰謀論とも多少関係のある内容です。

みなさんは、アメリア・イアハートという名前をご存知でしょうか。
カメリア・ダイアモンドじゃないですよ。多くの方は知らないと思いますが、
アメリカではすごいビッグネームというか、
歴史的な偉人と考えられていて、伝記等も多数出版されています。

これは余談ですが、アメリカでは知らない人がいないほどの有名人なのに、
日本ではほとんど無名というケースはけっこうあります。自分の仕事に
関係があるところでは、カントリーミュージックのスターなんかが
そうですね。日本ではカントリーミュージックは人気ないですが、
ロックやジャズのスターよりも知名度がある人はごろごろいます。

アメリアと愛機ロッキード・エレクトラ
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さて、アメリア・イアハートはアメリカ人の女性飛行士で、
女性として初めての大西洋単独横断飛行をしたことで知られています。
チャールズ・リンドバーグの初飛行が1927年、アメリアの快挙は、
それから遅れること5年の1932年、35歳のときです。

リンドバーグといえば、最初のうちは英雄としてもてはやされていましたが、
長男が誘拐され殺害された事件のゴタゴタで、たいへん人気を落としました。
それに対し、アメリアは知的でチャーミングな女性で、夫のプロデュースが
成功したこともあり、当時のアメリカでは絶大な人気を誇っていました。

1937年、アメリアは赤道上世界一周飛行に挑戦します。ただこれ、
無給油というわけではありません。当時の航空機は、燃料搭載量の関係から
長時間飛行は不可能だったんです。で、この最中の7月上旬、
アメリアは同乗のナビゲーター、フレッド・ヌーナンとともに、
南太平洋において行方不明になりました。

ニクマロロ島(無人島)
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7月2日、日本の委任統治領(南洋諸島)に隣接したアメリカ領の無人島、
ハウランド島を目指して離陸し、飛行支援していたアメリカの巡視船
「イタスカ」との交信を最後に消息が途絶えます。アメリカ政府は、
巨額の費用を投じてアメリアを捜索、また、大日本帝国海軍にも協力を
依頼し、海軍次官山本五十六がこれに応じました。

1937年といえば昭和12年で、太平洋戦争開戦の4年前です。
ここで旧日本海軍がアメリアの捜索に協力したことが、
戦争をはさんで、後に都市伝説的な陰謀論を生み出すことになりますが、
それについては後のほうで書きます。

アメリアがどうなったかについては、大きく4つの説があります。
一つは予定ルート周辺で海に墜落したというもの。その付近の海域の平均水深は
5500mとされていますので、この場合は跡も残らないでしょう。
2つめは、燃料補給を予定していたハウランド島の南、約560kmの
ニクマロロ島に不時着し、やがてそこで命を落としたという説です。

マーシャル諸島の岩礁での捜索
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1940年、西洋人女性と見られる遺骨が同島から発見され、
フィジーに送られてイギリス人医師の鑑定を受けますが、その後紛失しています。
3つめの説は、マーシャル諸島のミリという小さな環礁に着陸したというもので、
不時着した女性を見たという、現地人の証言が残っているということです。
ただ、マーシャル諸島は飛行コースから数千km離れています。

最近のニュースで、アメリアの捜索をDNA分析を使って行う
というのがありました。アメリアが自宅で書いた手紙から唾液を採取し、
上記のニクマロロ島で発見された骨と比較しようとする試みですが、
昔の唾液からDNAを採集するのは困難でしょうね。
続報がないところをみると、上手くいかなかったのかもしれません。

さて、最後の4つ目の説ですが、アメリアはやはり当時日本領であった
マーシャル諸島に不時着し、日本軍に捕らえれた後、サイパン島を経由して
東京に移送され、太平洋戦争が始まると、「東京ローズ」の一人として、
アメリカ軍に対する反戦放送を強要されていたとするものです。

日本軍に捕らえられたアメリアらとされる画像 しかし様々な考証から日本統治以前のものと見られる
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東京ローズはご存知だと思います。旧日本軍が太平洋戦争中におこなった
連合国向けプロパガンダ放送の女性アナウンサーにアメリカ軍将兵が
つけた愛称で、一人ではなく、複数の女性が存在していますが、
英語のできる日本人女性、強制収容された日系アメリカ人女性らだったと
考えられています。(1名だけ身元がわかっています)

その中の一人がアメリアだったとしたら、これはセンセーショナルな話題です。
そのため、日本が無条件降伏した後、GHQによる統治が行われましたが、
アメリカ人新聞記者が、GHQの制止をきかずに放送局に侵入し、
アメリアの捜索を行っています。もちろんアメリアは見つかっていません。

これは無理な話ですよね。旧日本軍の記録は詳細に調べられましたが、
アメリアに関する記述はいっさいなし。また、日本国内における
目撃証言も一つもないんです。日本を占領していたGHQには
法を超えた強大な権力があり、もし日本にアメリアの痕跡が
残っているのなら、必ず見つかるはずです。

「東京ローズ」の一人、捕虜となった日系アメリカ人
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さてさて、なぜこういう話が広まったのか。敵国日本に対する憎しみ
だけではないと思います。アメリアの人気は絶大でしたが、戦争中の
兵士にとって、東京ローズもまた隠れた人気があったんでしょう。
アメリアの行方については、毎年のように新説が出されています。
どこかで見つかるといいですね。では、今回はこのへんで。

関連記事 『環境DNAって何?』




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ルドルフ2世とギガス写本

2019.04.08 (Mon)
今回はこういうお題でいきます。「怖い世界史」のカテゴリですが、
それほど怖くはないと思います。さて、ルドルフ2世は、
神聖ローマ帝国の皇帝で、1552年生~1612年没、
ハプスブルク家の出身で、ヨーロッパ中世の代表的な君主です。

ルドルフ2世
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政治的には無能という評価が一般的です。すべての国政を重臣にまかせ、
何の関心も持ちませんでした。また、どういうわけか生涯独身で、
跡継ぎがいません。このあたり、調べれば面白そうなんですが、
今回は割愛します。では、ルドルフ2世が何で評価されているかというと、
その膨大なコレクションによってなんです。

ルドルフ2世は、政治に関心がないといっても、頭が悪いわけではなく、
たいへん教養に富んだ人物でした。その王宮には、
画家、詩人、音楽家、占星術師、予言者、錬金術師・・・
さまざまな文化人が集まり、一大サロンになっていたんですね。

有名どころとしては、ジュゼッペ・アルチンボルドはご存知でしょう。
野菜や魚でできた肖像画は見たことがあると思います。
それと、当時その概念が芽生えはじめたばかりの科学も大切にし、
ヨハネス・ケプラーなどの学者もサロンに出入りしていました。

アルチンボルドの絵
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さて、その有名なコレクションの中心は絵画と工芸品で、
絵画は3000点以上あったとされます。
それと、当時の最先端科学であった望遠鏡や天球儀、機械時計など。
また、世界から珍奇な生物を集めた動物園と植物園も持っていました。

コレクションのごく一部
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このコレクションを始めた動機は、ありあまる金と物欲なんですが、
皇帝に即位する以前から収集が開始されています。
これは、ルドルフ2世はノストラダムスの予言書を持っていて、
その中に、自分が皇帝になることが予言されていたからという話があります。
ただ、どこまで本当なのかはわかりません。

また、コレクションの中には、図書館をいくつもつくることができるほど
多数の本が含まれていて、その中には魔導書と呼ばれるものもあります。
よく知られているのは、「ヴォイニッチ手稿」と「ギガス写本」です。
ヴォイニッチ手稿のほうは、前にかなり詳しく書きましたので、
今回は、簡単にふれるだけにとどめておきます。

コレクションのうち「雌雄のマンドラゴラ」
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1912年にイタリアで発見された古文書で、すべて手書きで
未解読の文字が記され、多数の奇妙な絵が描かれていることが特徴です。
その内容についてはたくさんの研究があるんですが、
いまだに解読には成功していません。

ヴォイニッチ手稿の一部
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書かれているのは、でたらめな文字列ではなく、統計的解析により、
自然言語か人工言語のように確かな意味を持つ文章列であると
判断されています。ある書簡に、この手稿をルドルフ2世が大金で
買い取ったという記述があり、コレクションの一つだったのは
間違いないようです。さらに知りたい方は下のリンクを参照されてください。

関連記事 『ヴォイニッチ手稿って何?』

さて、今回メインでご紹介するのは「ギガス写本 Codex Gigas」
のほうです。 「ギガス gigas」は巨大なという意味で、
厚い装丁の中に、310枚の手書きの羊皮紙が束ねられており、
重さは75kgを超えるんですね。大人2人でないと持てず、
読むのは大変な苦労だったはずです。

ギガス写本
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この写本、ヴォイニッチ手稿のように読めない文字で書かれてる
わけではなく、ラテン語なんですが、「悪魔の聖書 Devil's Bible」
とも呼ばれてるんですね。内容は聖書で間違いないのに、
どうして悪魔という呼び名がついているかというと、
途中に悪魔の絵が出てくるからです。

このような伝説があります。この写本は160頭分のロバの皮でつくられ、
13世紀に現在のチェコ中央部にある修道院で、ある僧侶により
作製されました。その僧侶は重罪を犯したとして幽閉されたため、
巨大な聖書を一晩で作り上げることで、修道院に栄光をもたらし、
自らの罪を消し去ってもらおうと考えたわけです。

ところが、とうてい一晩で書き上げられるはずもなく、
ついに僧侶は、悪魔を召喚して助けを求めます。そうして、
自分の魂と引き換えに、夜明けまでに聖書は完成し、
僧侶は悪魔への感謝を示すため、姿を描いてつけ加えた・・・・

悪魔の絵 変なパンツをはいています
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という話なんですが、もちろん伝説の域を出ません。キリスト教の
教義では、悪魔は聖書と十字架にはふれることができないはずで、
わざわざ自分が嫌いなものの完成に協力するわけはないですよね。
研究によれば、13世紀初め、ボヘミア(現在のチェコ)の
ベネディクト会の修道院で作られたと考えられています。

膨大な内容ですが、一人の人物の筆跡と見られています。
長い間かけて書き、製作者はどんどん年をとっていったはずなのに、
文字の変化や乱れがないことから、上記のような伝説が生まれた
のかもしれません。ですが、科学的分析の結果、宗教的情熱によって、
完成までに20年以上を要したと考えられるようになってきました。

さてさて、ということで、「ギガス写本」を中心に、ルドルフ2世の
コレクションを見てきましたが、たしかにすごい蒐集です。
このエネルギーを政治面に傾けていれば、その後の30年戦争も
起きなかっただろうと言われるくらいなんですね。
では、今回はこのへんで。






天命思想と万世一系

2019.01.09 (Wed)
今回はこういうお題でいきます。あんまり面白い内容にはなりそうもないので、
スルーされたほうがいいかもしれません。さて、「天命思想」というと、
中国4000年と言われる歴史をつらぬく概念です。
一方、「万世一系」は日本の天皇家の話ですよね。

傾城の美女「褒姒」
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まず、天命思想のほうから説明していきます。中国の根本的な宗教は「祭天」、
天を祭ることです。天には「天帝」がいます。じゃあ天帝って何かというと、
これが難しいんですね。というのは、道教の最高神が天帝とされるのが普通ですが、
時代によって異なるんですよね。古い時代は「元始天尊」が天帝とみられて
いましたが、後代には「玉皇大帝」に変わっています。

これ以外にも、天帝とされる神はいます。イスラム教だと、唯一神アッラーは、
絵や彫刻で描いてはならないと戒律で定められていますが、
中国の天帝も、基本的に絵で表すことはしません。
天帝というのは、頭上に果てしなく広がる天空そのものだからです。

天帝は、人界に住む人間の一人ひとりに対して「天命」を授けます。
その人間が、一生をかけてやり遂げなければならない命令のことです。
例えば、農夫として一生畑を耕すというのも天命です。また、
天帝は徳の高い人間を選び、地上の支配者である皇帝としての天命を下します。
中国の皇帝を「天子」と言いますが、天帝の子という意味なんです。

この思想は古く、殷周時代から見られます。皇帝となるべき人間は、
戦いでも連戦連勝、また、危機に陥っても、からくもそれを脱することができます。
「天は我に味方している」ということですね。そして、中国を統一した場合、
その人物は、泰山で「封禅の儀」を行い、天地に皇帝となったことを報告します。

あと、天命は必ずしも、中国の多数派の漢民族にだけ下るわけではありません。
元は、モンゴル民族のチンギス・ハーンが建てた国ですし、
清は、満洲(女真)族の愛新覚羅(アイシンギョロ)の征服王朝です。
ですが、彼らにも中原を支配すべく天命が下ったと解釈されます。
元も清も、中国の正式な歴代王朝の一つなんですね。

清の初代皇帝「ヌルハチ」
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また、天命はその皇帝の子孫にも受け継がれますが、いつまでも続くわけでは
ありません。もし、徳の低い皇帝が出た場合、天命は失われてしまいます。
これを「天人相関説」と言います。天子が善政を敷いていれば、
瑞祥(オーロラのようなもの)や瑞獣(鳳凰や麒麟)が世に現れますし、

瑞獣「麒麟」
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悪政の場合、地震や水害、彗星出現などの天変地異が起きるとされました。
そこで、各時代の中国の天子は「徳政」を行うように努めました。具体的には、
貧困者の救済や、罪人の恩赦などです。日本でももうすぐ天皇位が交代しますが、
このときに恩赦があるかもしれません。

徳政は後代になって、「徳政令」として、借金の帳消しという意味で
使われるようになります。また、皇帝の子孫が徳の高い人物ではなかった場合、
「禅譲」が行なわれるのが理想とされました。
皇帝の地位を、血縁者でない有徳の人物に譲ることですね。
ただ、実際に禅譲が行われた例は、長い中国史の中でも希少です。

では、禅譲が行われず、品性の低い人物が皇帝となったらどうなるかというと、
「易姓革命」が起きるんです。天命が別の姓を持つ人物に下り、
その人物が前王朝を滅ぼして新たな皇帝になります。
例えば、後漢の「劉」氏から、魏の「曹」氏に皇帝の姓が変わるわけです。

魏の「曹操」


あと、これは天命思想と直接の関係はないのかもしれませんが、
易姓革命が起きる原因が、女性であることが多いんです。
夏王朝では末喜、殷(商)王朝では妲己、周王朝では褒姒と、それぞれ、
美女の色香に惑わされて政治が乱れたため、易姓革命が起きることになったんです。
「亡国の美女、傾城(けいせい)の美女」などと言いますよね。

さて、これに対し、日本の天皇家の場合は、建前として「万世一系」ということに
なっています。高天原の天津神の子孫である天皇家が、途切れずにずっと続いてきた。
まあ、実際には王朝交代はあったのかもしれませんが、
そのあたり、『日本書紀』はうまく取り繕っています。

日本は、中国の「易姓革命」思想を受け入れなかったんです。
そのため、鎌倉・室町・江戸と、武士が幕府を開く時代になっても、
天皇家は細々と続いてきました。異論もあるでしょうが、
この体制は日本の優れた知恵だったと、自分は考えています。

これは宋の時代の話ですが、宋に渡った東大寺の僧、奝然(ちょうねん)は、
二代太宗皇帝に謁見し、筆談で、日本では歴史上、一系の天皇が続いており、
臣下も代々世襲であることを伝えると、太宗は日本に易姓革命がないのに驚いて、
「これ朕の心なり」と嘆息したという話が残っています。

宋の「太宗」
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さてさて、ぶっちゃけた話をすれば、中国の易姓革命は、力で政権を奪い取った者の
後づけの論理と見ることもできます。現在の中国の皇帝である習近平氏も、
政敵を粛清しながら現在の地位までのし上がってきました。
そういう意味では、中国の伝統にのっとった指導者なわけです(笑)。

日本ではもうすぐ、天皇陛下の生前譲位が平和裏に行われます。
このあたり、中国と日本の歴史の違いの重さを感じずにはいられませんね。
みなさんは、どうお思いになるでしょうか。
では、今回はこのへんで。

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殭屍(キョンシー)の話

2019.01.06 (Sun)
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今回はこういうお題でいきます。「殭屍」は別字として「僵尸」とも書き、
俗にいうキョンシーのことです。中国の共通語の発音だと、
チャンスーに近いと思います。で、これなんですが、
本を一冊書けるくらい雑多な内容を含んだ概念で、何から話し始めればいいか
迷ってしまいます。少し整理しないとダメかな。

その前に、キョンシーをWikiで見てみると、「硬直した死体であるのに、
長い年月を経ても腐乱することもなく動き回るもののことをいう」となっていて、
西洋のゾンビに近いものなんですね。また、キョンシーには生者のときの記憶や
心はなく、生きた人間を襲おうとする習性を持っています。

さて、キョンシーの概念には次の①~③のことが入り混じっています。
① 古代中国の伝説からきたもの。たぶんこれが最初の形でしょう。
② 明・清代の通俗小説からきたもの。③ 香港映画『霊幻道士』シリーズからきたもの。
・・・みなさんが持っている、官服を着て、死後硬直の両手を伸ばし、
ピョンピョン跳ねるキョンシーのイメージは③由来でしょう。

ではまず、①から見ていきましょう。時代は、中国の先史時代にさかのぼります。
「黄帝」という、中国を統治した最初期の帝がいて、いろんな超能力を持っていました。
これに反抗して戦いを挑んだのが、獣身で銅の頭に鉄の額を持つ、
「蚩尤 しゆう」という怪物です。

蚩尤


この戦いは、古代中国全土を巻き込んだものでした。蚩尤の手下には、
雨師や風伯がいて、暴風雨を巻き起こします。これに手を焼いた黄帝は、
娘の「魃 ばつ」を呼び寄せます。魃は体内に、原子炉のように大量の熱を蓄えていて、
たちまち雨風を乾かしてしまいました。これによって黄帝は勝利を得たんですが、
魃は力を使いはたして天界に帰れなくなってしまいます。

黄帝の娘「魃」
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そのため、魃が人界にいると、あたりは干魃になってしまうんですね。
魃は、日照りの神を擬人化したものでしょう。困った黄帝は、魃を遠くの山の中に
幽閉しますが、ときどき抜け出して中原に出てきます。
そうすると世の中が大旱魃にみまわれます。やがて魃の姿は、美しい女性から、
醜い猿のような形に変化して伝えられるようになりました。

で、ここから、干魃のために死んだ人間は死後も遺体が腐らず、
墓の中で100日たつと、魃の姿で地上に出てきて人間を襲うとされたんです。
そこで、通常は土葬の中国ですが、干魃で死んだ者の遺体は火で焼いたりする地方も
あったんですね。あと、魃になりかけている死体には、男児の尿か黒犬の血をかけると
崩れ去るとも言われ、この設定は『霊幻道士』にも取り入れられています。

鳥山石燕の「魃(ひでりがみ)」


これは推測なんですが、大旱魃のときに死亡した者は、
水も食物もろくにとっておらず、体中がカラカラに乾燥して、日本の即身仏と
似たような状態になっていたんじゃないでしょうか。ですから、
墓の中でも死んだときのままに見えることがあった。あと、
遺体を埋める土壌がアルカリ性だった場合、腐りにくいとも言われます。

干魃で死んで甦った死者、まさにゾンビ


さて次、②について説明します。これは道士の術によって人為的につくられるもので、
主に、中国の湘西地域で信じられていました。湘西地域から徴兵された若者が
戦争で死ぬと、遺体を故郷へ送り返さなければなりませんが、
遺体の運搬は、馬や荷車を使ったりして大変です。

そこで、道士が術をかけ、遺体を自力で歩かせて故郷まで連れていくわけです。
このような死体を「赶屍 かんし」、術は「送屍術」と言ったようです。
このとき、映画のように額に御札を貼っていたかはちょっとわかりませんが、
加持符咒した水を満たした椀を持った者が、死体についていったという話はあります。

実際にある中国の「赶屍」の風習
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最後の③は、まあフィクションなんですが、当時の香港で流行していた風水が
取り入れられた内容になっていました。『霊幻道士』の最初の映画では、
金持ちが父親の墓を改葬しようとして掘り起こしてみると、父親を恨んでいた
占い師から、わざと風水的によくない方法で葬られていたため、
20年経っても遺体は腐っていませんでした。

この「風水的によくない方法」というのがどういうことかは、映画を見てても
よくわからなかったですね。で、この父親が最初のキョンシーになり、
それに襲われた者は次々にキョンシーと化していきます。
このあたりの設定も、ゾンビ映画とよく似ています。

『霊幻道士』
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さてさて、キョンシーになってしまうと、人間の心がなくなるので、
肉親でもかまわず襲ってしまいます。ただし知能は残っているみたいでしたね。
中国の道教では、人間には肉体の他に、魂と魄があるとされ、
合わせて「魂魄 こんぱく」と言います。魂は精神を支える気で、
人間が死ぬと天に帰り、魄は肉体を支える気で、地に帰ります。

ところがキョンシーの場合は、魂のほうは天に帰したものの、
魄のほうはまだ肉体に残っているため、体が動くという理屈でした。
あと、キョンシーの姿は、辮髪(べんぱつ)で官服を着ているように描かれる
ことが多いんですが、これは清の時代の女真族の習俗ですね。

科挙に合格した官僚の制服は、当然ながら庶民は着ることはできませんでしたが、
死装束として、遺体に着用させるのは許されていました。庶民の家では、
死後の栄達を願って、官服を着せて葬ることが多かったので、
映画でもああいう姿になっているんです。では、今回はこのへんで。

清代の官人(政府の官僚) キョンシーではありません
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パラケルススとオブジーボ

2018.10.07 (Sun)
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今回はこういうお題でいきます。今年度のノーベル医学・生理学賞を、
京都大学出身の本庶佑博士が受賞されました。その受賞理由は、
PD-1受容体の発見と、これまでの抗癌剤とはまったく作用機序の異なる
免疫チェックポイント阻害薬、ニボルマブ(商品名オブジーボ)の開発です。
本庶博士、受賞おめでとうございます。

今回の受賞により、「ノーベル賞の薬オブジーボ」をぜひ使いたい、
という問い合わせが医療機関に殺到しているようです。ですが、オブジーボが
健康保険適用になるためには、さまざまな条件があります。例えば胃癌であれば、
「2つ以上の化学療法歴のある治癒切除不能な進行・再発胃がん患者」です。
適用になっていない癌種もありますし、誰でもが使えるわけではないんですね。

免疫チェックポイント阻害薬の作用機序 クリックで拡大できます
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もちろん、自由診療として自費で使うことはできますが、
その場合は非常な高額になります。また、自由診療を行っているクリニックなどには、
はっきり言って詐欺まがいのところもありますし、重篤な副作用が起きた場合、
それに対応できずに、患者が亡くなってしまうケースもあるんです。

「医療の不確実性」という言葉があります。これは、医療は他の自然科学のように
数式どおりの結果が出るわけではない、という意味です。オブジーボにしても、
病気の条件が同じ患者に投与しても、効く場合もあれば効かない場合もある。
副作用も、出る人もいれば出ない人もいる。このような点から、
「医学は数学ではなくアートである」などと言われたりしてきました。

さて、ここで話はパラケルススに移りますが、本が何冊も書けるほどの
エピソードがあります。ですから、本記事でご紹介するのは、
ほんのさわりだけです。パラケルススはスイス生まれ、16世紀に活躍した
医師、錬金術師、神秘思想家。もちろん実在の人物ですが、
「パラケルスス」は本名ではなく、ペンネームのようなものです。

パラケルスス
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パラケルススはたいへんに型破りな性格でした。その生涯は、放浪と論争に
終始しています。放浪は、ヨーロッパ全土のみならず、アジアやアフリカ大陸
にまで及びました。そしてその行く先々で地元医師と対立しているんですね。
これは、パラケルススの医学が、それまでとは別の方法論をとっていたからです。

当時のヨーロッパ医学は、古代ギリシアの前5世紀ころの医師、ヒポクラテスの
説に基づいていました。ヒポクラテスは「医学の父」と呼ばれ、現代でも、
「ヒポクラテスの誓い」が医学教育に用いられています。ヒポクラテスの説は、
「四体液説」と言われ、その後千年以上の間、医学のベースとなってきました。

ヒポクラテス
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簡単に説明すると、人間の体液には「血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁」があり、
それらの相互作用によって病気が起きるというものです。ですが、パラケルススは、
それを真っ向から否定し、「三原質説」を唱えました。三原質とは、
「塩・硫黄・水銀」ですが、これは錬金術で重要視される物質です。

「四体液説」
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また、パラケルススは、星の動きが人間の体調に影響を与えるという、
「医療占星術」も説いています。まあ、現代のわれわれの目から見れば、
「四体液説」も「三原質説」も、どっちもトンデモなわけですが、
パラケルススのすごかったのは、実際に病気を治せたところです。       

パラケルススが放浪の途中、現フランスのシュトラスブルクを訪れたとき、
人文主義者のヨハン・フローベンが重い病にかかっており、地元の医師たちは
下肢の切断を提案しましたが、それは当時、命の危険が大きい手術でした。
そこで、パラケルススは、下肢の切断をせず見事に治療してみせたんですね。

これにより、信頼を勝ちえたパラケルススは、バーゼル大学の医学教授に
推薦されました。しかし、ここでもパラケルススの反骨精神が頭をもたげ、
当時の大学教授は赤い帽子を被り、ガウンを着て講義を行う規則だったのに対し、
黒いベレー帽、薬品で汚れた服で講義を行い、権威ある医学書を
学生の面前で燃やしたりしたため、2年ほどで追放されてしまいます。

パラケルススは、放浪中、ザルツブルグで48歳で亡くなっていますが、
その死には、病死説の他に、水銀中毒説、他殺説があります。19世紀に、
パラケルススの墓が発掘され、遺骨を調べると、頭蓋骨の後頭部に外傷らしき跡が
見つかりました。これにより他殺説が有力になったんですが、
後に、くる病の後遺症と診断されました。ただ、これには異説もあります。

パラケルススには数々の逸話があります。例えば、悪魔との知恵比べに勝って、
自由自在に悪魔を使役していたとか、人造人間ホムンクルスを造ったとか、
死体蘇生術に成功したとか。たしかに、パラケルススは神秘思想的な著作を残しては
いますが、これらは、後世の人間が面白おかしくつけ加えた伝説でしかありません。

ホムンクルス
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パラケルススの本質は、当時定説とされた医学常識に疑いを持ち、
経験主義的に治療を行った、優れた医療者だったことです。その業績の一つとして、
阿片や、ヒ素などの金属化合物を初めて医薬として採用したことがあげられます。
これにより、パラケルススは「医化学の祖」と呼ばれています。

さてさて、オブジーボの話に戻って、もちろん画期的な業績ではありますが、
「どんな癌にでも効く夢の治療薬」ではありません。現代の医学は、癌どころか、
風邪やニキビ、アトピーだって完全に治せてはいないですよね。
ただし、癌とは違ってまず命に関わらないので、大きく問題視されていないだけ。
それほど病気の治療は難しいんです。

ただ、パラケルススのように、既存の説を疑い、
新しい方法論に挑戦していくことは大切だと思います。本庶博士も、
受賞の弁で、「教科書を信じるな」 「科学は多数決ではない」
と述べておられましたね。では、今回はこのへんで。