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ルドルフ2世とギガス写本

2019.04.08 (Mon)
今回はこういうお題でいきます。「怖い世界史」のカテゴリですが、
それほど怖くはないと思います。さて、ルドルフ2世は、
神聖ローマ帝国の皇帝で、1552年生~1612年没、
ハプスブルク家の出身で、ヨーロッパ中世の代表的な君主です。

ルドルフ2世
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政治的には無能という評価が一般的です。すべての国政を重臣にまかせ、
何の関心も持ちませんでした。また、どういうわけか生涯独身で、
跡継ぎがいません。このあたり、調べれば面白そうなんですが、
今回は割愛します。では、ルドルフ2世が何で評価されているかというと、
その膨大なコレクションによってなんです。

ルドルフ2世は、政治に関心がないといっても、頭が悪いわけではなく、
たいへん教養に富んだ人物でした。その王宮には、
画家、詩人、音楽家、占星術師、予言者、錬金術師・・・
さまざまな文化人が集まり、一大サロンになっていたんですね。

有名どころとしては、ジュゼッペ・アルチンボルドはご存知でしょう。
野菜や魚でできた肖像画は見たことがあると思います。
それと、当時その概念が芽生えはじめたばかりの科学も大切にし、
ヨハネス・ケプラーなどの学者もサロンに出入りしていました。

アルチンボルドの絵
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さて、その有名なコレクションの中心は絵画と工芸品で、
絵画は3000点以上あったとされます。
それと、当時の最先端科学であった望遠鏡や天球儀、機械時計など。
また、世界から珍奇な生物を集めた動物園と植物園も持っていました。

コレクションのごく一部
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このコレクションを始めた動機は、ありあまる金と物欲なんですが、
皇帝に即位する以前から収集が開始されています。
これは、ルドルフ2世はノストラダムスの予言書を持っていて、
その中に、自分が皇帝になることが予言されていたからという話があります。
ただ、どこまで本当なのかはわかりません。

また、コレクションの中には、図書館をいくつもつくることができるほど
多数の本が含まれていて、その中には魔導書と呼ばれるものもあります。
よく知られているのは、「ヴォイニッチ手稿」と「ギガス写本」です。
ヴォイニッチ手稿のほうは、前にかなり詳しく書きましたので、
今回は、簡単にふれるだけにとどめておきます。

コレクションのうち「雌雄のマンドラゴラ」
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1912年にイタリアで発見された古文書で、すべて手書きで
未解読の文字が記され、多数の奇妙な絵が描かれていることが特徴です。
その内容についてはたくさんの研究があるんですが、
いまだに解読には成功していません。

ヴォイニッチ手稿の一部
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書かれているのは、でたらめな文字列ではなく、統計的解析により、
自然言語か人工言語のように確かな意味を持つ文章列であると
判断されています。ある書簡に、この手稿をルドルフ2世が大金で
買い取ったという記述があり、コレクションの一つだったのは
間違いないようです。さらに知りたい方は下のリンクを参照されてください。

関連記事 『ヴォイニッチ手稿って何?』

さて、今回メインでご紹介するのは「ギガス写本 Codex Gigas」
のほうです。 「ギガス gigas」は巨大なという意味で、
厚い装丁の中に、310枚の手書きの羊皮紙が束ねられており、
重さは75kgを超えるんですね。大人2人でないと持てず、
読むのは大変な苦労だったはずです。

ギガス写本
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この写本、ヴォイニッチ手稿のように読めない文字で書かれてる
わけではなく、ラテン語なんですが、「悪魔の聖書 Devil's Bible」
とも呼ばれてるんですね。内容は聖書で間違いないのに、
どうして悪魔という呼び名がついているかというと、
途中に悪魔の絵が出てくるからです。

このような伝説があります。この写本は160頭分のロバの皮でつくられ、
13世紀に現在のチェコ中央部にある修道院で、ある僧侶により
作製されました。その僧侶は重罪を犯したとして幽閉されたため、
巨大な聖書を一晩で作り上げることで、修道院に栄光をもたらし、
自らの罪を消し去ってもらおうと考えたわけです。

ところが、とうてい一晩で書き上げられるはずもなく、
ついに僧侶は、悪魔を召喚して助けを求めます。そうして、
自分の魂と引き換えに、夜明けまでに聖書は完成し、
僧侶は悪魔への感謝を示すため、姿を描いてつけ加えた・・・・

悪魔の絵 変なパンツをはいています
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という話なんですが、もちろん伝説の域を出ません。キリスト教の
教義では、悪魔は聖書と十字架にはふれることができないはずで、
わざわざ自分が嫌いなものの完成に協力するわけはないですよね。
研究によれば、13世紀初め、ボヘミア(現在のチェコ)の
ベネディクト会の修道院で作られたと考えられています。

膨大な内容ですが、一人の人物の筆跡と見られています。
長い間かけて書き、製作者はどんどん年をとっていったはずなのに、
文字の変化や乱れがないことから、上記のような伝説が生まれた
のかもしれません。ですが、科学的分析の結果、宗教的情熱によって、
完成までに20年以上を要したと考えられるようになってきました。

さてさて、ということで、「ギガス写本」を中心に、ルドルフ2世の
コレクションを見てきましたが、たしかにすごい蒐集です。
このエネルギーを政治面に傾けていれば、その後の30年戦争も
起きなかっただろうと言われるくらいなんですね。
では、今回はこのへんで。






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天命思想と万世一系

2019.01.09 (Wed)
今回はこういうお題でいきます。あんまり面白い内容にはなりそうもないので、
スルーされたほうがいいかもしれません。さて、「天命思想」というと、
中国4000年と言われる歴史をつらぬく概念です。
一方、「万世一系」は日本の天皇家の話ですよね。

傾城の美女「褒姒」
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まず、天命思想のほうから説明していきます。中国の根本的な宗教は「祭天」、
天を祭ることです。天には「天帝」がいます。じゃあ天帝って何かというと、
これが難しいんですね。というのは、道教の最高神が天帝とされるのが普通ですが、
時代によって異なるんですよね。古い時代は「元始天尊」が天帝とみられて
いましたが、後代には「玉皇大帝」に変わっています。

これ以外にも、天帝とされる神はいます。イスラム教だと、唯一神アッラーは、
絵や彫刻で描いてはならないと戒律で定められていますが、
中国の天帝も、基本的に絵で表すことはしません。
天帝というのは、頭上に果てしなく広がる天空そのものだからです。

天帝は、人界に住む人間の一人ひとりに対して「天命」を授けます。
その人間が、一生をかけてやり遂げなければならない命令のことです。
例えば、農夫として一生畑を耕すというのも天命です。また、
天帝は徳の高い人間を選び、地上の支配者である皇帝としての天命を下します。
中国の皇帝を「天子」と言いますが、天帝の子という意味なんです。

この思想は古く、殷周時代から見られます。皇帝となるべき人間は、
戦いでも連戦連勝、また、危機に陥っても、からくもそれを脱することができます。
「天は我に味方している」ということですね。そして、中国を統一した場合、
その人物は、泰山で「封禅の儀」を行い、天地に皇帝となったことを報告します。

あと、天命は必ずしも、中国の多数派の漢民族にだけ下るわけではありません。
元は、モンゴル民族のチンギス・ハーンが建てた国ですし、
清は、満洲(女真)族の愛新覚羅(アイシンギョロ)の征服王朝です。
ですが、彼らにも中原を支配すべく天命が下ったと解釈されます。
元も清も、中国の正式な歴代王朝の一つなんですね。

清の初代皇帝「ヌルハチ」
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また、天命はその皇帝の子孫にも受け継がれますが、いつまでも続くわけでは
ありません。もし、徳の低い皇帝が出た場合、天命は失われてしまいます。
これを「天人相関説」と言います。天子が善政を敷いていれば、
瑞祥(オーロラのようなもの)や瑞獣(鳳凰や麒麟)が世に現れますし、

瑞獣「麒麟」
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悪政の場合、地震や水害、彗星出現などの天変地異が起きるとされました。
そこで、各時代の中国の天子は「徳政」を行うように努めました。具体的には、
貧困者の救済や、罪人の恩赦などです。日本でももうすぐ天皇位が交代しますが、
このときに恩赦があるかもしれません。

徳政は後代になって、「徳政令」として、借金の帳消しという意味で
使われるようになります。また、皇帝の子孫が徳の高い人物ではなかった場合、
「禅譲」が行なわれるのが理想とされました。
皇帝の地位を、血縁者でない有徳の人物に譲ることですね。
ただ、実際に禅譲が行われた例は、長い中国史の中でも希少です。

では、禅譲が行われず、品性の低い人物が皇帝となったらどうなるかというと、
「易姓革命」が起きるんです。天命が別の姓を持つ人物に下り、
その人物が前王朝を滅ぼして新たな皇帝になります。
例えば、後漢の「劉」氏から、魏の「曹」氏に皇帝の姓が変わるわけです。

魏の「曹操」


あと、これは天命思想と直接の関係はないのかもしれませんが、
易姓革命が起きる原因が、女性であることが多いんです。
夏王朝では末喜、殷(商)王朝では妲己、周王朝では褒姒と、それぞれ、
美女の色香に惑わされて政治が乱れたため、易姓革命が起きることになったんです。
「亡国の美女、傾城(けいせい)の美女」などと言いますよね。

さて、これに対し、日本の天皇家の場合は、建前として「万世一系」ということに
なっています。高天原の天津神の子孫である天皇家が、途切れずにずっと続いてきた。
まあ、実際には王朝交代はあったのかもしれませんが、
そのあたり、『日本書紀』はうまく取り繕っています。

日本は、中国の「易姓革命」思想を受け入れなかったんです。
そのため、鎌倉・室町・江戸と、武士が幕府を開く時代になっても、
天皇家は細々と続いてきました。異論もあるでしょうが、
この体制は日本の優れた知恵だったと、自分は考えています。

これは宋の時代の話ですが、宋に渡った東大寺の僧、奝然(ちょうねん)は、
二代太宗皇帝に謁見し、筆談で、日本では歴史上、一系の天皇が続いており、
臣下も代々世襲であることを伝えると、太宗は日本に易姓革命がないのに驚いて、
「これ朕の心なり」と嘆息したという話が残っています。

宋の「太宗」
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さてさて、ぶっちゃけた話をすれば、中国の易姓革命は、力で政権を奪い取った者の
後づけの論理と見ることもできます。現在の中国の皇帝である習近平氏も、
政敵を粛清しながら現在の地位までのし上がってきました。
そういう意味では、中国の伝統にのっとった指導者なわけです(笑)。

日本ではもうすぐ、天皇陛下の生前譲位が平和裏に行われます。
このあたり、中国と日本の歴史の違いの重さを感じずにはいられませんね。
みなさんは、どうお思いになるでしょうか。
では、今回はこのへんで。

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殭屍(キョンシー)の話

2019.01.06 (Sun)
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今回はこういうお題でいきます。「殭屍」は別字として「僵尸」とも書き、
俗にいうキョンシーのことです。中国の共通語の発音だと、
チャンスーに近いと思います。で、これなんですが、
本を一冊書けるくらい雑多な内容を含んだ概念で、何から話し始めればいいか
迷ってしまいます。少し整理しないとダメかな。

その前に、キョンシーをWikiで見てみると、「硬直した死体であるのに、
長い年月を経ても腐乱することもなく動き回るもののことをいう」となっていて、
西洋のゾンビに近いものなんですね。また、キョンシーには生者のときの記憶や
心はなく、生きた人間を襲おうとする習性を持っています。

さて、キョンシーの概念には次の①~③のことが入り混じっています。
① 古代中国の伝説からきたもの。たぶんこれが最初の形でしょう。
② 明・清代の通俗小説からきたもの。③ 香港映画『霊幻道士』シリーズからきたもの。
・・・みなさんが持っている、官服を着て、死後硬直の両手を伸ばし、
ピョンピョン跳ねるキョンシーのイメージは③由来でしょう。

ではまず、①から見ていきましょう。時代は、中国の先史時代にさかのぼります。
「黄帝」という、中国を統治した最初期の帝がいて、いろんな超能力を持っていました。
これに反抗して戦いを挑んだのが、獣身で銅の頭に鉄の額を持つ、
「蚩尤 しゆう」という怪物です。

蚩尤


この戦いは、古代中国全土を巻き込んだものでした。蚩尤の手下には、
雨師や風伯がいて、暴風雨を巻き起こします。これに手を焼いた黄帝は、
娘の「魃 ばつ」を呼び寄せます。魃は体内に、原子炉のように大量の熱を蓄えていて、
たちまち雨風を乾かしてしまいました。これによって黄帝は勝利を得たんですが、
魃は力を使いはたして天界に帰れなくなってしまいます。

黄帝の娘「魃」
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そのため、魃が人界にいると、あたりは干魃になってしまうんですね。
魃は、日照りの神を擬人化したものでしょう。困った黄帝は、魃を遠くの山の中に
幽閉しますが、ときどき抜け出して中原に出てきます。
そうすると世の中が大旱魃にみまわれます。やがて魃の姿は、美しい女性から、
醜い猿のような形に変化して伝えられるようになりました。

で、ここから、干魃のために死んだ人間は死後も遺体が腐らず、
墓の中で100日たつと、魃の姿で地上に出てきて人間を襲うとされたんです。
そこで、通常は土葬の中国ですが、干魃で死んだ者の遺体は火で焼いたりする地方も
あったんですね。あと、魃になりかけている死体には、男児の尿か黒犬の血をかけると
崩れ去るとも言われ、この設定は『霊幻道士』にも取り入れられています。

鳥山石燕の「魃(ひでりがみ)」


これは推測なんですが、大旱魃のときに死亡した者は、
水も食物もろくにとっておらず、体中がカラカラに乾燥して、日本の即身仏と
似たような状態になっていたんじゃないでしょうか。ですから、
墓の中でも死んだときのままに見えることがあった。あと、
遺体を埋める土壌がアルカリ性だった場合、腐りにくいとも言われます。

干魃で死んで甦った死者、まさにゾンビ


さて次、②について説明します。これは道士の術によって人為的につくられるもので、
主に、中国の湘西地域で信じられていました。湘西地域から徴兵された若者が
戦争で死ぬと、遺体を故郷へ送り返さなければなりませんが、
遺体の運搬は、馬や荷車を使ったりして大変です。

そこで、道士が術をかけ、遺体を自力で歩かせて故郷まで連れていくわけです。
このような死体を「赶屍 かんし」、術は「送屍術」と言ったようです。
このとき、映画のように額に御札を貼っていたかはちょっとわかりませんが、
加持符咒した水を満たした椀を持った者が、死体についていったという話はあります。

実際にある中国の「赶屍」の風習
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最後の③は、まあフィクションなんですが、当時の香港で流行していた風水が
取り入れられた内容になっていました。『霊幻道士』の最初の映画では、
金持ちが父親の墓を改葬しようとして掘り起こしてみると、父親を恨んでいた
占い師から、わざと風水的によくない方法で葬られていたため、
20年経っても遺体は腐っていませんでした。

この「風水的によくない方法」というのがどういうことかは、映画を見てても
よくわからなかったですね。で、この父親が最初のキョンシーになり、
それに襲われた者は次々にキョンシーと化していきます。
このあたりの設定も、ゾンビ映画とよく似ています。

『霊幻道士』
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さてさて、キョンシーになってしまうと、人間の心がなくなるので、
肉親でもかまわず襲ってしまいます。ただし知能は残っているみたいでしたね。
中国の道教では、人間には肉体の他に、魂と魄があるとされ、
合わせて「魂魄 こんぱく」と言います。魂は精神を支える気で、
人間が死ぬと天に帰り、魄は肉体を支える気で、地に帰ります。

ところがキョンシーの場合は、魂のほうは天に帰したものの、
魄のほうはまだ肉体に残っているため、体が動くという理屈でした。
あと、キョンシーの姿は、辮髪(べんぱつ)で官服を着ているように描かれる
ことが多いんですが、これは清の時代の女真族の習俗ですね。

科挙に合格した官僚の制服は、当然ながら庶民は着ることはできませんでしたが、
死装束として、遺体に着用させるのは許されていました。庶民の家では、
死後の栄達を願って、官服を着せて葬ることが多かったので、
映画でもああいう姿になっているんです。では、今回はこのへんで。

清代の官人(政府の官僚) キョンシーではありません
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パラケルススとオブジーボ

2018.10.07 (Sun)
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今回はこういうお題でいきます。今年度のノーベル医学・生理学賞を、
京都大学出身の本庶佑博士が受賞されました。その受賞理由は、
PD-1受容体の発見と、これまでの抗癌剤とはまったく作用機序の異なる
免疫チェックポイント阻害薬、ニボルマブ(商品名オブジーボ)の開発です。
本庶博士、受賞おめでとうございます。

今回の受賞により、「ノーベル賞の薬オブジーボ」をぜひ使いたい、
という問い合わせが医療機関に殺到しているようです。ですが、オブジーボが
健康保険適用になるためには、さまざまな条件があります。例えば胃癌であれば、
「2つ以上の化学療法歴のある治癒切除不能な進行・再発胃がん患者」です。
適用になっていない癌種もありますし、誰でもが使えるわけではないんですね。

免疫チェックポイント阻害薬の作用機序 クリックで拡大できます
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もちろん、自由診療として自費で使うことはできますが、
その場合は非常な高額になります。また、自由診療を行っているクリニックなどには、
はっきり言って詐欺まがいのところもありますし、重篤な副作用が起きた場合、
それに対応できずに、患者が亡くなってしまうケースもあるんです。

「医療の不確実性」という言葉があります。これは、医療は他の自然科学のように
数式どおりの結果が出るわけではない、という意味です。オブジーボにしても、
病気の条件が同じ患者に投与しても、効く場合もあれば効かない場合もある。
副作用も、出る人もいれば出ない人もいる。このような点から、
「医学は数学ではなくアートである」などと言われたりしてきました。

さて、ここで話はパラケルススに移りますが、本が何冊も書けるほどの
エピソードがあります。ですから、本記事でご紹介するのは、
ほんのさわりだけです。パラケルススはスイス生まれ、16世紀に活躍した
医師、錬金術師、神秘思想家。もちろん実在の人物ですが、
「パラケルスス」は本名ではなく、ペンネームのようなものです。

パラケルスス
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パラケルススはたいへんに型破りな性格でした。その生涯は、放浪と論争に
終始しています。放浪は、ヨーロッパ全土のみならず、アジアやアフリカ大陸
にまで及びました。そしてその行く先々で地元医師と対立しているんですね。
これは、パラケルススの医学が、それまでとは別の方法論をとっていたからです。

当時のヨーロッパ医学は、古代ギリシアの前5世紀ころの医師、ヒポクラテスの
説に基づいていました。ヒポクラテスは「医学の父」と呼ばれ、現代でも、
「ヒポクラテスの誓い」が医学教育に用いられています。ヒポクラテスの説は、
「四体液説」と言われ、その後千年以上の間、医学のベースとなってきました。

ヒポクラテス
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簡単に説明すると、人間の体液には「血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁」があり、
それらの相互作用によって病気が起きるというものです。ですが、パラケルススは、
それを真っ向から否定し、「三原質説」を唱えました。三原質とは、
「塩・硫黄・水銀」ですが、これは錬金術で重要視される物質です。

「四体液説」
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また、パラケルススは、星の動きが人間の体調に影響を与えるという、
「医療占星術」も説いています。まあ、現代のわれわれの目から見れば、
「四体液説」も「三原質説」も、どっちもトンデモなわけですが、
パラケルススのすごかったのは、実際に病気を治せたところです。       

パラケルススが放浪の途中、現フランスのシュトラスブルクを訪れたとき、
人文主義者のヨハン・フローベンが重い病にかかっており、地元の医師たちは
下肢の切断を提案しましたが、それは当時、命の危険が大きい手術でした。
そこで、パラケルススは、下肢の切断をせず見事に治療してみせたんですね。

これにより、信頼を勝ちえたパラケルススは、バーゼル大学の医学教授に
推薦されました。しかし、ここでもパラケルススの反骨精神が頭をもたげ、
当時の大学教授は赤い帽子を被り、ガウンを着て講義を行う規則だったのに対し、
黒いベレー帽、薬品で汚れた服で講義を行い、権威ある医学書を
学生の面前で燃やしたりしたため、2年ほどで追放されてしまいます。

パラケルススは、放浪中、ザルツブルグで48歳で亡くなっていますが、
その死には、病死説の他に、水銀中毒説、他殺説があります。19世紀に、
パラケルススの墓が発掘され、遺骨を調べると、頭蓋骨の後頭部に外傷らしき跡が
見つかりました。これにより他殺説が有力になったんですが、
後に、くる病の後遺症と診断されました。ただ、これには異説もあります。

パラケルススには数々の逸話があります。例えば、悪魔との知恵比べに勝って、
自由自在に悪魔を使役していたとか、人造人間ホムンクルスを造ったとか、
死体蘇生術に成功したとか。たしかに、パラケルススは神秘思想的な著作を残しては
いますが、これらは、後世の人間が面白おかしくつけ加えた伝説でしかありません。

ホムンクルス
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パラケルススの本質は、当時定説とされた医学常識に疑いを持ち、
経験主義的に治療を行った、優れた医療者だったことです。その業績の一つとして、
阿片や、ヒ素などの金属化合物を初めて医薬として採用したことがあげられます。
これにより、パラケルススは「医化学の祖」と呼ばれています。

さてさて、オブジーボの話に戻って、もちろん画期的な業績ではありますが、
「どんな癌にでも効く夢の治療薬」ではありません。現代の医学は、癌どころか、
風邪やニキビ、アトピーだって完全に治せてはいないですよね。
ただし、癌とは違ってまず命に関わらないので、大きく問題視されていないだけ。
それほど病気の治療は難しいんです。

ただ、パラケルススのように、既存の説を疑い、
新しい方法論に挑戦していくことは大切だと思います。本庶博士も、
受賞の弁で、「教科書を信じるな」 「科学は多数決ではない」
と述べておられましたね。では、今回はこのへんで。





玄奘三蔵の冒険

2018.10.03 (Wed)
今回はこういうお題でいきます。世界史のカテゴリに入る内容です。
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)は、日本において、
古代中国人の中ではかなり有名な人物です。これは、孫悟空の出てくる『西遊記』が、
アニメやTVドラマになって知られている面が大きいでしょう。

玄奘三蔵
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ただし、『西遊記』は16世紀の明の時代に書かれた荒唐無稽な伝奇小説で、
実際の玄奘は7世紀、唐の時代の人ですから、900年ほどの隔たりがあります。
あと、日本では「三蔵法師」と言われることが多いですが、
三蔵というのは尊称で、そう呼ばれる僧侶は中国に何人もいます。

三蔵の称号は、「経・律(戒律)・論(理論研究)」の3つともに優れた僧侶に
対して与えれます。また玄奘は、帰国後に『大唐西域記』を書いており、
これが『西遊記』の元になったとも言われます。ですが『大唐西域記』は
旅行の記録ではなく、唐の太宗皇帝の命におうじて、
西域の国々の地理的な情報をまとめたものです。

タクラマカン砂漠
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さて、玄奘の生涯を書いていくと長くなるので端折ります。
11歳で僧になった玄奘は中国各地で修行する過程で、僧侶たちが勝手な自説を
吹聴していることを苦々しく思い、インドにある原典に回帰する必要性を痛感しました。
そこで、27歳のときに、国禁を犯して密かに出国します。役人たちの目を
逃れながら越えた灼熱のタクラマカン砂漠の旅は、かなり苦しいものだったようです。

『大唐西域記』には、「幻覚が起こり、あちこちに怪しい化け物の姿が見えた」
といった記述があります。このことが後の『西遊記』で、金角・銀角や
牛魔王などの妖怪になったのかもしれません。ここで玄奘は、一度だけ
中国に戻ろうという気持ちを起こしました。その戒めに、玄奘は「不東」の
文字を書き、これは「東せず(東に向かわない)」ということです。

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寝るときも足を東に向けませんでした。そして、現在の新疆ウイグル自治区にあった
高昌という国に入ります。ここはオアシスのほとりにある小さな都市国家で、
高昌の王は知識に優れた玄奘を歓待し、いつまでも国から出そうとしませんでした。
これは、王がインドへの旅は危険だと考えたためです。

困った玄奘は、断食をして出発することを願いました。そこで高昌の王は、
周辺の各国に使いを出し、玄奘が通ることを知らせました。
周辺地域には30ほどの小国があり、それらの国は玄奘を歓待し、しばらく滞在
しなくてはなりませんでした。インドまでの旅に3年あまりかかっていますが、
玄奘の足を止めたのは妖怪ではなく、それらの国の王たちだったんですね。

この旅の途中のことが、『今昔物語』の「震旦の部」に出てきます。
玄奘が道をたどっていると、苦しげなうめき声が道端から聞こえてきた。
見ると、全身を瘡がおおい、膿みただれた女が倒れ伏せていた。玄奘が駆け寄って
どうしたのか尋ねると、病気のために親に捨てられたと言います。            

また、この病気が治るためには、全身の膿を口で吸わなくてはならないとも。
玄奘がためらわずそれを行うと、病人の体はだんだんに光り輝いていき、
観自在菩薩の姿となり、玄奘に一巻の経典を授けました。それが「般若心経」だった、
ということになっています。ま、よくありがちな内容です。
日本の仏寺で最も多く唱えられているのが、この般若心経でしょう。

「色即是空 空即是色」の一節が有名ですが、これは「唯識論」の真髄を表したもので、
道元、法然、親鸞らも学んで、「鎌倉新仏教」の基礎となりました。
上記の逸話はもちろん事実ではないでしょうが、
玄奘の偉業が、日本の仏教界に与えた影響はとても大きいんですね。
ちなみに、「耳なし芳一」の話で、芳一の全身に書かれたのも般若心経です。

般若心経
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この後、玄奘はヒンズークシ山脈を越えてインドに入り、現地で長い修業をした末、
16年後に中国に戻ります。唐の太宗は玄奘が国禁を破ったことを許し、
年下の玄奘を師父と呼びました。玄奘が持ち帰った経典は657部、
その中にはもちろん般若心経も含まれます。
玄奘はその後の生涯を翻訳に費やし、63歳で亡くなりました。

さて、ここからは2つエピソードを紹介して終わります。玄奘の遺骨の一部が、
日本に存在するんですね。これには驚きの経緯があります。玄奘の遺骨は長安の
仏塔に葬られたんですが、黄巣の乱の時に破壊され、行方知れずになりました。
それから およそ1300年後の昭和17年、日中戦争の最中です。

南京市を占領した旧日本軍は、郊外に稲荷神社を立てるため土台を掘っていました。
すると大きな石棺が出てきて、そこには、「宋の天聖5年(1027)、
三蔵法師の頂骨が、演化大師可政によって長安から南京にもたらされた」
と書かれていたんです。おそらく盗掘を避けるため、
残っていた玄奘の頭蓋骨が、副葬品とともに南京に移されたんでしょう。

あまりのことに、戦いを中断して南京政府と旧日本軍の協議が行われ、
遺骨の一部は日本に分骨され、現在、慈恩寺、芝の増上寺、奈良の薬師寺などに
あるようです。これ、考古学的には玄奘の本物の遺骨か明言はできませんが、
自分は信憑性は高いと考えます。中国に稲荷神社をつくるときに見つかった、
というところが面白いと思いませんか。

夏目雅子さん
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さてさて、最後に、ドラマで三蔵法師を演じた俳優として夏目雅子さんが有名ですね。
夏目さんは急性白血病で、27歳で亡くなっていますが、
この原因は、ドラマ『西遊記』でシルクロードロケを行ったときに、
現中国政府がくり返し行った核実験の残存放射能を浴びたためである、と言われました。
(最初の出典は、産経新聞社「正論」2009 中国が憎くても嘘はダメですよ)

でもこれ、完全な都市伝説なんです。ドラマのパート1では中国ロケはなく、
パート2での中国ロケには、夏目さんは多忙のために参加してなかったんですね。
ただ、夏目さんは法師役のために坊主のかつらをつねにつけており、
それがその後の運命を暗示していた、なんて話もあります。
では、今回はこのへんで。

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