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沢田真里さん(仮名)の話

2020.07.09 (Thu)
アーカイブ320

小学校5年生のときのこと。毎朝、集団登校で学校に通っていた。
たしか7人のグループだったと思う。6年生の先輩の男子が先頭で、
低学年、中学年をはさんで5年生の自分が最後尾。
小学校へは住宅地から交通量の多い国道を渡っていかなくちゃならないから、
ちゃんと信号を守って横断歩道を渡る集団登校は安心だ、と親たちは言っていた。
1・2年生のチビたちも朝はおとなしいもので、とくに困ったこともない。
ただ毎日同じ道を通っていく。
それは当たり前のことだが、その時期はかなり微妙だった。
なぜかというと沢田真理さんの家の前を通らなくちゃならないから。

家から1分の小公園前で7時半に待ち合わせ、
人数を確認して一列に並んで学校に向かう。
込み入った住宅地の角を2回曲がると、沢田真理さんの家のある通りに出る。
列の最後に角を曲がった自分はそこで目をふせる。
目を足元に落として、前を歩く2年生女子のズックの後ろだけ見るようにする。
そうしないと沢田真理さんの姿が目に入ってしまうからだ。
でも、見ないようにしようと思ってもどうしても気になって見てしまう。
するとやっぱり、その朝も小さな平屋のトタン塀の家の門の前に沢田真理さんはいる。
高校の制服で、片足を上げ、顔を斜め上に向けて今にも駆け出そうとする姿で。

沢田真理さんの家と自分の家は遠い親戚だ。だから名前を知っているし、
小さい頃にはよく遊んでもらった。その頃の真理さんは男の子のように
きかん気な人だった。だけど真理さんが中2の頃からそういうことはなくなった。
両親が離婚し、真理さんは父親といっしょに住むことになって
家事をこなさなくてはならなくなったからだ。
もっともその前から、真理さんは中学校のバレー部に入って有望選手だったから、
遅く帰ることが多かった。その当時はわからなかったけど、
離婚というより、母親が一方的に男をつくって家を出て行ったということだ。
そのため真理さんは部活をやめた。

沢田さんの家の前に近づいてきているのがわかる。やっぱりそっちを横目で見てしまう。
真理さんはいつもと同じ格好で立っている。顔にはあせった表情が浮かんでいる。
家を遅く出てしまって、バスに乗り遅れるのを心配しているのだろう。
真理さんの家の戸口は門からすぐだ。戸口の上の方には「忌中」の札が貼られている。
真理さんは1ヶ月前の朝、国道のバス停にいるところを、
突っ込んできた大型ダンプに轢かれて亡くなった。即死だったという。
ダンプの運転手は疲労をまぎらわせるため、焼酎のウーロン茶割りを
飲みながら運転していたらしい。母親がそんなことを話しているのを聞いた。
自分は小学生だし葬式には行かなかったが、
次の日の朝には真理さんが家の前にいることに気がついた。

真理さんはぜんぜん動かない。彫像というか、映画のストップモーションのように
ピタリと止まってそこにいる。おそらく一日中いるんだろうと思う。
なぜ事故現場のバス停ではなく、自分の家の前にいるかはわからない。
真理さんを見るのが嫌だったんで、小学校の帰りは別の道を通るようにしてたから、
ホントに一日中いるのかはわからないが。真理さんの髪は
風が強い日でも揺れてなびかないし、雨の日でも制服は濡れない。
表情はいつも同じ。そして真理さんの姿は自分にしか見えない。
だからそこを通る人は、真理さんの体と重なって通り抜けていく。
最初に見たときはとても驚いたが、これは霊なのだろうとすぐに思った。
怖いのと悲しいのとが入り混じったどっちともつかない気持ちだった。
家では、学校から帰ると真理さんのために仏壇の前に座ってお祈りした。
家族は驚いていたが、理由は言わなかった。

初七日の日に、四十九日の法要も合わせて行ったということで、
翌日には真理さんの姿はだいぶ薄くなっていた。そしてその後は、
少しずつ少しずつ輪郭がぼやけて向こうの景色が透けて見えるようになってきた。
こうやって天国かどこか、この世とは別の世界に移っていくんだろうと思っていた。
事故から40日を過ぎると、真理さんの家の忌中の札が外された。
真理さんの父親が実家のある田舎に戻るため、家が売りに出されるということだった。
もう住むものがいなくなった家の前で、真理さんはそれでも駆け出そうとしていた。
その頃には薄く、薄くなって表情もわからない陽炎のようになっていた。
四十九日の朝には自分に見えるのは、
真理さんが持っているバッグの金属部分と上に向けた顔の一部だけだった。
その頃には、すっかり怖いという気持ちはなくなっていた。

帰り道、明日の朝には消えてしまってるんじゃないかと思って、
真理さんの家の前を通った。夕方4時に近い時間だったが、
真理さんの姿はなくなっていた。ああ行ってしまったんだと思った。
家に帰って部屋で泣いたよ。真理さんが実際に亡くなった知らせを
聞いたときは泣かなかったのに。
霊が見えるという体験をしたのはこれまででこのときだけ、あとは一切ない。
だから子どもが見る幻覚だったのかもしれない。
ただ、この体験であの世というのはあると思ってる。
近いような遠いようなそんなところじゃないかな。
・・・オチもなにもない話でもうしわけないね。

っっd






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アーカイブ サッちゃんの話

2020.07.09 (Thu)
俺がよく行ってた、あまりたちのよくない一杯飲み屋に、
「サッちゃん」って呼ばれてる人が来てたのよ。
その人は男で60代、頭が禿げて小柄で、
ガラの悪い常連の中では言葉少なく、いつもにこにこしてたな。
しゃべるときは誰に対してもていねいな口調で、
けど、バカにされてる雰囲気でもなかった。

週に2、3回はそこに来てたが、つまみはいつも関東炊き。
銚子 数本飲んで、10時過ぎには帰っていく。
堅気ではねえんだろうが、人のいいオッサンて感じだった。
その人があるとき「また山田さんが来るようになった」ってぼそっと言った。
俺は隣りにいたが、意味わからないんで黙って顔を見ると、
サッちゃんは「ほら」と言って上着を脱ぎ、シャツをずり下げて首を見せた。

すると、両肩の彫物の上の首のまわりぐるっとが、赤くアザになってたのよ。
「ひでえな、アレルギーかなんかか?」そう聞いたら。
「いや、夜中に山田さんが首絞めてくるんで」続けて、
「今晩も来るのかなあ、・・・嫌だなあ」って言い残して帰ってった。

サッちゃんは次の日も来て、また俺の隣に座ると、
「山田さんがなあ、どんだけ謝っても許しちゃくれねんだよ。困ったな、
 ああ、嫌だ嫌だ。俺も覚悟決めにゃあかんかなあ。気がのらないなあ」
って言いながら、上着をはだけて見せたのよ。
したら、内ポケットに白い木鞘が見えて、ドス呑んでるんだってわかった。

俺が「おいおい、危ねえなあ」と冗談めかして言うと、
低い声で「お前に何がわかる!」って吐き捨て、
急に立ち上がって、飲み食いせずに帰ってった。
そんときは、普段と違う、なんとも言えない迫力があったんだよ。

その翌日から、サッちゃんは飲み屋に来なくなって、
10日ほどして、死んだって噂が聞こえてきた。それも自分で頸動脈を切り、
部屋の天井まで血が飛んで酷いあり様だったらしい。
でな、マスターに前の話を少ししたら、
元ヤクザで若頭までいったマスターは半笑いで、
「あの人、なんでサッちゃんって呼ばれてたか知ってるか?」

こう聞いてきたんで、「名前に幸(サチ)がつくんじゃねえのか?」
そしたら、マスターはますます笑って「それな、サッちゃんってのは
 殺人者の略だよ。若い頃に一人殺して、長くムショに入ってたんだ。
 だから、殺ちゃん」 「ええ!? 誰 殺したんだよ?」
「ああ、飯場の元締めで、そういや、たしか山田って言ったなあ」
こう答えやがったのよ。







アーカイブ 死児の話

2020.07.08 (Wed)
あの橋のたもとでたばこ屋を営むようになってからもう40年にもなります。
楽な仕事と言えばそうなのですが、単調といえば単調です。そんな中で
気持ちがなごむのが、ひまわり保育園の園児さんたちのお散歩です。
車の通れない土手沿いの道がお散歩コースになってから
20年くらいでしょうか。1日の中でその時間がほんとうに楽しみなんです。
園児さんが店の前を通って、手を振って「おばあちゃん」と言ってくれるのが。
だから雨降りの日はとても残念です。

ああ、そうでした。怖い話をするんでしたね。・・・不可思議なものを
見たことがあるんです。園児さんのお散歩を見送るようになった
20年で3回だったと思います。最初に手をつないで年中組の
園児さんたちが来て、その後にお散歩用のカートと言うんですか、
あれに乗った年少の園児さんが通るんです。
立てるけれども歩くのがまだおぼつかないようなお子さんですね。
5・6人が乗ったカートが2つ、それぞれ保母さんが押してくるんですが、
その中にとっても怖いものがいたんですよ。
その、何というか・・・死んだ赤ちゃんです。

最初に見たときは15年ほど前ですが、本当にいるのかと
思ってとても驚きました。カートの園児さんたちは
みな外を向いていろんな表情をしているんですが、
その子だけ、隅で内側を向いて頭をがっくりと手すりの上でのけぞらせている。
その顔色が生きた人間のものじゃないんですよ。
青黒いというか生気がまったくないんです。
固く目をつむって口は半開きで・・・1歳になったばかりくらいだと思いました。
他の子より少し小さいくらい・・・着ているものも保育園の
うわっぱりじゃなくて、昔の着物によだれかけをつけてるんです。

だから最初のときは保母さんに知らせようとしたんです。
そしたらそのとき、たまたま他の子が腕を振って赤ちゃんに当たった、と思ったら、
腕が体の中をすりぬけたんです。言わなくてよかったです。
この世のものじゃないんですね。よく考えれば、
そんなものを保育園でのせるわけがないんです。
・・・その死んだ赤ちゃんはぴくりとも動かないんだけど、
片方の手だけは近くにいる子のうわっぱりを強く握っているんです。
握られた子は気づいている様子はなかったですね。見たのはその1日だけで、
翌日はいなかったから気のせいと思うことにしたんです。

それで、赤ちゃんにつかまれていた子なんですが、
2年後に亡くなったんです。車の事故でした。それも不幸なことに、
車庫の前にしゃがんでいてお祖父さんの運転する車に轢かれたんです。
もうね、ここいらは大変な騒ぎでした。その後ね、お祖父さんも自殺されて
しまったんですから。・・・2回めは、それから6年くらいたってからでしょうか。
同じ赤ちゃんだと思います。ああ、これは前に見たことがあるものだって、
すぐにわかりましたから。着ているものも同じだったと思います。
まったく歳をとってないんですね。死んでいるから当然なのかもしれませんが。

やっぱり動かなくて、生きている様子には見えないんですが、今度は女の子の
服のすそをつかんでいました。今回も女の子は気づいていないようでしたよ。
女の子が動けばのけぞった頭がぐらぐらと揺れます。
それでも死んでるし、手も離さないんです。いえ、保育園には言ってないです。
信じてもらえないだろうし、気味悪がってお散歩の道筋を変えてしまわれる
かもしれませんし。その子はどうなったかって・・・・やはり亡くなりました。
2年後です。夜中に突然死したということになっていますが、
実はこの近所では虐待じゃないかという噂があったんです。

冬の日にベランダに出されていたり、
叩かれて泣くような様子がアパートの隣の方に聞こえていたと言います。
・・・真相はわかりませんし、こんなことしゃべったのは内緒にしてくださいな。
最後に見たのは2年前です。・・・同じ赤ちゃんでした。
ただそのときは少し様子が違っていまして、
その女の子は赤ちゃんが服を握っているのに気づいているようでした。
赤ちゃんのほうを見るし、嫌がって何度も振り放そうとするんですが、
びっしり子どもが入っているカートの中はすき間がないし・・・

するとその子は服をにぎっている赤ちゃんの手をつかんだんです。
他の子は赤ちゃんにさわるとすりぬけてしまうのに、その子はつかめたんです。
そして保母さんに声を出したんです。でも保母さんには見えてないし、
まともな言葉にならなかったんで、保母さんは適当に答えただけのようでした。
その子はいらだった表情で、赤ちゃんの頭を平手でバシンと叩いたんです。
何回も何回も・・・そしたら、赤ちゃんが急に目を開けました。
しろめだけでしたね。どっちも瞳がなくて生の魚のはらわたのような薄赤い目・・・
そして赤ちゃんの唇が動いたんです。

大人の男のようなしわがれた声で「みんな死ね」・・・そう言ったように
思いました。呆然としていると、そのうちカートは過ぎていってしまいました。
もちろん聞き違いかもしれないし、すべてわたくしが見たと
思ったことでしかないのかもしれません。自信はないですよ。
ただ、最初のとき、二回目のときは赤ちゃんを見て2年たってから
事故が起きました。もうすぐ2年になるんですよね、このときから。
何かとんでもないことが起きるような気がしてならないんです・・・
これで話を終わります。

キャプチャ





ネットロアと This man

2020.07.08 (Wed)
アーカイブ317

asde (6)

今回はこういうお題でいきます。わりと地味目のオカルトの話です。
オカルトジャンルとしては陰謀論に入るのかな。
さて、都市伝説(urban legend. urban folklore)については、
当ブログでも何度も取り上げていますが、その中で、インターネットを中心に
広まるものを、特に「ネットロア netlore」と言ったりします。

Internet と folklore を合成した造語なんですが、日本だけでなく、
世界的にも使われているみたいですね。簡単に言えば、
インターネットを通じて広まる都市伝説のことで、
その伝播の速度は速く、広範囲に拡がるという特徴があります。

まあこれは当然ですよね。口コミよりも地上波テレビで情報が流れたほうが
大きく広まります。さらにインターネットの場合は、国を越えて世界中に
広まっていくわけですね。英語など他国の言語で書かれていても、
その内容が面白ければ、翻訳する人が必ずいるはずです。

さて、では、みなさんは「This Man」というネットロアをご存知でしょうか。
ここ10年くらいの間にかなり広まったもので、日本でもフジテレビ系列の、
『世にも奇妙な物語』で紹介されて話題を集めました。
2006年、ニューヨークの有名精神科医のもとに一人の女性が訪れ、
夢の中にいつも出てきて、彼女の私生活について、
さまざまなアドバイスをしてくれる男がいると訴えます。

asde (3)

夢なのに、顔もはっきり記憶に残っているんですが、彼女はその男に
会ったことはありません。よくある話だなと、精神科医は思いました。
その男は、彼女は覚えていなくても、実際にどこかで会っていて、
それが潜在意識にとどまっていたのが、夢に出てきたのだろう。
精神科医は、彼女にその男の似顔絵を描いてもらって保管しました。

ところが、数カ月後。先の女性とはまったく関係のない別の男性が来院し、
同じ話を始めました。さらに、その男性にも描いてもらった似顔絵は、
女性が描いた人物と同じ特徴を持っていたんです。下の画像が、
その夢の中の男の似顔絵に共通する特徴を集めたものです。

asde (2)

うーん、どこにでもいそうな、さえない感じの人物ですよね。太い眉、
禿げ上がった生え際が特徴で、黒髪ですが、この画だけでは国籍はわかりにくい。
年齢も、年寄りではない、程度のことしかわかりません。奇妙に思った精神科医は、
その画像を知り合いの精神医たちに送って問い合わせをしました。すると、
なんと4人もの患者が、夢の中で同じ人物を見ていることが判明したんです。

その男は「This Man」と名づけられ、世界中から情報が寄せられるように
なりました。それによると、夢の中でThis Manに会った人の総数は
2000人以上、場所も、アメリカ、ヨーロッパ、中国、南米、東南アジアと
広範囲だった・・・というのが、This Man伝説の概略です。

これが本当にある話なら、すごい不思議ですよね。自分が書いている
怪談話みたいですが、じつは真相はとっくにネタバレしています。
すべては作り話だったんです。最初の部分で出てきた精神科医は
存在しませんし、もちろん女性患者もいない。ただ、この話を聞き、
This Manの似顔絵を見た人の中には、夢でその人物に会ったという
人はいます。でもそれは、暗示効果で説明がつきますね。

このネットロアを仕掛けたのは、アンドレア・ナッテラ(Andrea Natella)
というイタリア人です。彼は「KOOK」という広告代理店を経営していて、
その会社はヴァイラル・マーケッティング(viral marketing)を
得意としています。この単語を見て、はああと思われた方が
おられると思います。viral は「ウイルスの」という意味です。

Andrea Natella This Manはある程度 自分の顔をモデルにしたという
asde (5)

ヴァイラル・マーケッティングは、消費者がある商品を、まるでウイルスが
広まるように連鎖的に求めるようになることを目的とした手法で、
This Manのプロジェクトは、そのための実験だったんですね。
This Manについて解説した同社のサイトは、20億アクセス以上を
記録していますから、実験は大成功だったと言えるでしょう。

さて、ここまで読まれて「なんだ ただのステマかよ、
バカバカしい」と思われたかもしれませんが、自分の感想は
ちょっと違って、「怖いなあ」というものです。この手の情報操作が、
思想操作につながらないという保障はないと思います。
実際、グーグルなどの世界的な大企業、あるいはアメリカ政府などは、
このような情報操作を、さまざまな形で行っていると考えていいでしょう。

asde (1)

コロンビア大学などの研究では、ネットで広まり始めたデマは、
すぐに訂正が出ても、多くの人は訂正のほうを信じず、
かえって噂が広まりやすいという結果が出ています。例えば、
ネットで美容整形で3つめの乳房を作った女性の画像は爆発的に
拡散しましたが、それがくっつけることができるオモチャである
という記事は、最初の記事の何百分の1のアクセスしかありませんでした。

また、訂正が出ても、「これは政府が関与して火消しにつとめているのだ」
とか、「真相から目をそらすためのカウンターだ」みたいに言う人も
いるんですね。かといって、デマを訂正しないわけにもいかず、
当事者は困ったことになってしまいます。これがネット社会というものです。

さてさて、ということで、ますます情報リテラシーが求められる
世の中になってきたわけです。みなさんはどうでしょう。
ネットに洪水のようにあふれる情報を鵜呑みにしてはいませんか。
その中には、悪い目的をもって意図的に広められているものも
あるかもしれません。では、今回はこのへんで。

関連記事 『アメリカの都市伝説』 『都市伝説の成立条件』 『ベッドの下には?』

asde (4)





アーカイブ ムーンチョコの話

2020.07.05 (Sun)
あ、これな、もう50年近く前になる古い話なんだ。仮面ライダーの
カードって知ってるよな。スナック菓子についてるおまけのカードで、
男の子どもらが競って集めた。カードの1枚1枚に番号がついてて、
その新しいのを持ってるやつがスゴいってんで、小遣いのほとんどを
つぎ込むやつがいたし、遠くの町まで遠征して
買いに行くやつもいた。スナックそのものはすげえマズかったから、
食べずに袋のまま捨てる子が多くて、もったいないってことで
PTAで問題にされ、社会現象にもなった。ちょっと調べたんだよ。
あのスナックが発売されたのが、仮面ライダーが放映された年で
1971年。俺がこれから話すのは、その1年ほど前のことだ。
ライダーカードとは直接の関係はねえよ。

でな、俺は流行ってたときに、ライダーカード集めてないんだ。
だから仲間はずれにされたりもしたが、気味が悪くってダメだった、
カードがトラウマになってたんだな。なんでそうなったか、
その理由を今から話すんだよ。5年生のときだ。俺は当時、
川崎のほうに住んでた。今でこそ少しはきれいになったが、
昔はなあ、工業地帯の真ん中で、大中小の工場が立ち並んでてな。
海なんかありえない色をしてて、ヒドい臭いだったな。
で、俺はそこの商店街の通りに家があった。いや、俺の家は
工場じゃなく、親父は郵便局に勤めてたから。
あの頃はゲームなんてなかったから、子どもはみんな外で遊んでた。
公園とかでボール使っても、うるさく言われることもなかったし。

あと、あちこちに駄菓子屋があった。5円とか10円で買えるものが
あったし、くじがついてて、当たればもう一個ってのも多かったな。
で、小学校の学区にある駄菓子屋は全部知ってるつもりだったんだが、
いつも遊んでる同学年の木田ってやつが、「新しい駄菓子屋見つけた」
って学校の帰りに言ってきた。「そんなのねえだろ」
「あるんだよ、これから行こうぜ」ってことで、ランドセル背負ったまま
木田についてった。通学路から外れて運河の橋をわたり、ゴミゴミした
中小の工場街に出た。あちこちからギーギーガンガン、何かを加工する
音が聞こえてくる。「こんなとこに駄菓子屋なんかねえだろ、
 子どもなんて来ないとこだ」俺はそう言ったんだが、木田は先に
立ってずんずん歩いて、金属と薬品の臭いのする小路に入ってった。

たぶん溶接とかメッキをやってたんだろう。で、「あれだ」って
指差した先に、「◯◯発動機」って看板が見えたんだ。
「駄菓子屋じゃねえじゃん」 バラックみたいな建物だったが、まだ
そういう家はけっこうあった。そこはガラス戸4枚分くらいの店で、
下がコンクリ。中は3分の2が工場みたいで、いろんな部品や
工具があって、自動車の半分くらいもあるでかい機械が見えた。
その店の右側の壁に、たしかに駄菓子が積み上げてある。
くじとか酢イカ、ふ菓子とかどこにでもあるようなのが申しわけ程度に。
ああ、ツマンねえと思った。こんな30分もかけて歩いてくるような
とこじゃねえ。「いや、ここにスゲえ菓子がある」木田はそう言い、
機械のそばにしゃがみこんでる大人に、「また来た。
 ムーンチョコおくれ」って話しかけた。そしたらその人がふり向き、

顔を見て驚いた。金属のお面をつけてたんだ。当時は
わからなかったが、溶接のときに火花が目に入らないようにするやつだ。
その人が立ち上がると、小学5年の俺らより少し大きいくらいしかなかった。
くぐもったような声で「あいよ」と言い、棚にある金属の缶を開けた。
「ムーンチョコ2つ」と木田が言って40円出した。
するとその人は、「ほら」と缶の中から銀紙で包装した10cmくらいのを
出して木田に渡したんだ。「これがスゲえうめえから、お前も買え」
いったん外に出て見せてもらったが、メーカー名とか何もついてなくて、
ただ青い字で「ムーンチョコ」とだけ書いてある。木田はせわしなく
銀紙を破ると、中のカリントウ型のチョコの半分を俺にくれた。
半信半疑で食ってみた。そしたらなあ、これがほんとうにうまかったんだよ。

いや、いまだにあんなの食ったことがねえ。チョコの中にどろっとした
液体が入ってて舌がとろけるみたいだった。「こりゃスゲえ」と思い、
俺も2個買った。で、むさぼるように食ったんだよ。木田は食いおわって
包み紙を開き、手のひらの上に何か青い切手みたいなのを2枚載せ、
1枚ずつ日に透かして見てる。「何だよ、それ」 「くじのカードだよ、
 こうやって月の景色が見えれば当たりなんだよ。な、おじさん」
鉄のお面のおじさんは僕らを見てうなずき、「そう、当たりが出れば
 月の世界にご招待」なんて言うんだ。俺も自分のに入ってたのを
透かしてみたが、ただの青いセロファンだったな。それから俺は、
おじさんがいじってった機械に興味を持ち、「それ何?」って聞いてみた。
そしたら「宇宙船だよ。もうほとんどできてるんだが、まだ心臓部がない」

そう言って、機械の中央部分を手袋の手で指した。その部分だけ金属じゃなくて、
丸い、うす青いガラスのボールがついてた。バスケットボールより
やや大きいくらいだな。「これが心臓部?」 「そうだ」
でも、宇宙船はさすがに冗談だと思った。あの頃の小さい自動車の半分くらいで、
人が乗れそうなスペースはなかったから。おじさんは続けて、「ムーンチョコ
 おいしいだろ。外国から取り寄せてるんだ。ボクたちの学校でも
 友だちに教えてあげてよね」って。それから帰ったんだが、道々、木田と
「ありゃすげえ菓子だ。外国製ってのは本当だろうな。明日から毎日こよう。
 仲間を連れてこようぜ」そう話し合った。翌日、さっそく木田と
2人連れて行ってみた。で、全員が3個ずつムーンチョコを買って食ったが、
みな大感激してな。「小遣いが続くかぎり買いに来る」って言った。

うん、仲間はどんどん増えて、20人くらいが毎日駄菓子屋に行ってた。
ムーンチョコが売り切れるのを心配したが、おじさんが缶をつぎつぎ
奥から出してきた。あと、組み上げてる機械はだんだん完成に近づいてる
みたいで、あっちこっち出っぱってた部分が滑らかになってきてた。
それから1週間後くらいかなあ。そのときも10人ほどが駄菓子屋にいた。
そしたら藤島ってやつが大声で、「ああ、月の景色だあ!」って叫んで、
あのおまけのカードを見てたんだな。俺はそばにいたんで、「見せてくれ」
ひったくるようにして透かしてみたが、やっぱただの青いセロファンだった。
「嘘つくなよ」俺がなじると、おじさんが、「ボク、月の景色って
 どんなだった?」と聞き、藤島は勢い込んで、「アメリカの旗が立ってた。
 アポロのやつ」って答えた。するとおじさんは「ああ、当たってる」

そう言って、藤島に名前と住所を紙にメモさせた。後で景品が
自宅に送られてくるってことみたいだった。で、その翌日の朝だ。
まだ夜が明けてない5時ころ、藤島が自宅から離れた湾岸道路にいて、
ひき逃げにあって死んだんだよ。トラックだったみたいで、体がバラバラに
なってたそうだ。残念ながら目撃者はなかったが、そこを通る大型車は
限られてるし、犯人はすぐつかまるだろうって、うちの父親が言ってた。
このことを担任から聞いたときはショックだった。けど、その日の放課後も
あの駄菓子屋に大勢で行ったんだよ。ムーンチョコの中毒みたいになってた
のかもしれん。けど、店の戸がぴったり閉じられてて、ガラスには黒い紙が
はってあり、「閉店しました。ごめんなさい」って札が下がってたんだ。
そこに来た全員、藤島が亡くなった知らせを聞いたときよりショックを受けた。

もうムーンチョコが食えねんだから。あと、藤島の葬式がなかなか行われず、
それは遺体の頭が見つかってないせいだって噂が流れたんだ。結局、
5日ほどたって葬式があり、同じクラスで仲が良かった俺も行ったよ。
でな、俺はムーンチョコがあきらめきれず、それからも毎日その駄菓子屋に
行ってみたが、ずっと閉まったまま。10日目くらいかなあ、今日で最後にしよう、
そう思って一人で出かけた。そしたら、店の中が何か光ってるみたいで、
ガラスにはった黒い紙がときどき白くなる。何だろう? 黒い紙の下のほうに
わずかなすき間があるんで、俺ははいつくばり、そっから中をのぞき込んだ。
・・・あの機械が見え、バッバッと光を発してた。でな、・・・前に機械の
真ん中にガラスのボールがあるって言ったろ。そん中に人の顔があったんだ。
藤島だ!と思った瞬間、俺は後も見ずに逃げ出したんだよ。

いや、せまいとこからちらっと見ただけだから、見間違いだろうと思う。
そんな馬鹿なことがあってたまるわけがねえ。それから2週間ほどして、
おそるおそるまた行ってみたが、店の建物そのものがなくなり、針金で囲まれた
空地になってたんだ。あと、藤島を轢いたトラックはいつまでたっても
見つからなかった。あれから50年になるから、とっくに時効だ。
まあ、こんな話なんだよ。それと、これは関係あるかどうかわからねえが、
そのあたりの時期に、港に近いとこの化学工場で爆発が起きて、
夜が昼間みたいに明るくなったことがあった。死傷者はいなかった
みたいだが。でな、俺はどうしても、藤島の死と、やつが月の風景の
当たりを引いたことをつなげて考えてしまってなあ。だから、
流行ってたときも、仮面ライダーのカードは買わなかったんだよ。