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アーカイブ168 石が見る話

2019.10.12 (Sat)
うちの座敷の床の間に飾ってあった石の話なんです。今はもうないんですけどね。
そうですね、大きさは横40cm、縦が30cmくらいでした。
やや横長の、山のような形をした自然石です。
かなり古色のついた木製の台座の上にのってました。こういうの、
水石っていうみたいですね。中国の宋の時代に始まった趣味が、
日本に伝わってきたって話です。後醍醐天皇が愛蔵していた石が、
今も美術館に遺されてるそうですね。その石、色はやや紫がかった青で、
表面がつるっとしてたんです。おそらく川の中にあって、
水流で磨かれたんだろうと思います。それで、ちょうど真ん中へんに、
そうですね、幼児の拳が入るくらいのぼこっとした凹みがあって、
離れたところから見ると、全体が目に見えなくもないっていう。

うちは新しく建ててから、まだ10年くらいで、
その石は、実家にあったものを持ってきて飾ってたってことです。
いや、私は、水石とかそういう趣味はないんですよ。古臭いし、
それにそういう石って、すごい高価みたいなんですよね。今、子ども2人が
大学生と高校生ですから、そんなお金もないですし。
じゃあ、何で置いてたかっていうと、父親の遺言で。
親父は7年前に病気で亡くなったんですが、病院で、いよいよもういけない
ってときに、私にあの石の話をしまして。ええ、「あの石は長男であるお前が
 引きうけろ。絶対に売るんじゃないぞ。お前の家の床の間に飾って、
 月の初めの日に、お神酒徳利1本に特級酒を入れてお供えしろ。
 必ずだぞ」こんな内容でした。ねえこれ、変に思いますでしょう。

だって危篤の際に言い残すことって、もっと他にありそうなもんじゃないですか。
ええ、まわりにいた親族も変な顔をしてましたよ。
でもね、親父は頭はぼけてたわけじゃないので、きっと大事なことなんだろう
と思って、言われたとおり実家からあの石を持ってきて、
新築の家の床の間に置いてたんです。はい、お神酒を供えるのもやってました。
別に難しいことでもないですからね。でね、やっぱり少し変だったんです。
お供えしたお神酒が3日くらいで空になるんです。
そんな早くに蒸発するわけないしね。それと、お神酒をお供えしてしばらくは、
さっき話した石の中央の凹み、そこだけ色が濃くなって、
さわってみると濡れてたんですよ。これ、石が酒を飲んだんじゃないかって
考えたくなりますよね。まあ、そんなことあるわけないとも思ったんですが・・・

で、3ヶ月前のことです。私、会社の接待でゴルフをやってて、
アキレス腱を断裂しちゃったんです。完全に切れてしまって、
入院して手術しました。そしたらなかなかくっつかなくて、
入院が2ヶ月におよんだんです。今はだいたい治りましたけど、もうゴルフは
無理かもしれません。でね、このときの入院騒ぎで、
石にお神酒をあげるのを1回パスしちゃったんです。そこまでまったく
気が回りませんでした。家内に言って、やってもらえばよかったんですが、
それもできなくて。手術から週間ほどしてリハビリが始まり、
そのとき病院に来てた家内が、妙なことを言い出しまして。
あの、石の置いてある座敷、ふだんは使うことはないんですが、
そっから夜中に、人の声が聞こえるって言うんです。

ぶつぶつ、ぼそぼそ、太いけど低いささやくような声が。
「お前の気のせいだろ」って言ったんですが、下の息子も聞いたって話で、
部屋に入っても誰もいない。ただ、まだ秋口なのに、
座敷の中は身震いがするくらい寒かったそうです。
そこで、「あっ!」と思い出しまして。もう月も半ばに入ってたんですが、
家内にお神酒をあげるように言ったんです。で、家内がそうしたら、
翌朝になって、お神酒徳利がつぶされたように粉々に割れてて、
中の酒が全部こぼれてたってことでした。それに、ぶつぶつ言う声は収まらず、
むしろだんだんに大きくなってきてるとも言ってました。
でね、なんとか退院することができまして、気になってたんで、
最初に石を見にいきました。そしたらねえ・・・

なんとなく色が変わってる感じがしたんです。
澄んだ青い色をしてたのが、赤い色がやや入ってるように思えました。
で、さわってみたら、何だか温かいんですよ。
そうですね、人の肌ほどではないけど、じんわり温かみが伝わってくる。
やはり変ですよね。あと、人の声が聞こえるのは夜中ってことだったから、
その座敷に布団をひいてね、私が一晩寝てみることにしたんです。
10時過ぎには布団に入ったんですが、どうにも寒くてね、
なかなか寝つけませんでした。それでもいつの間にかうとうととて、
どのくらいたったでしょうか。金縛りの状態で意識が戻りました。
目も開けられないし、指も動かない。ただ、耳は聞こえて、
ぶつぶつ、もごもごいう声がすぐ近くでしてたんです。

それと、胸の上がすごく重くて。ええ、金縛りはそういうことが多いんですってね。
どうしようもないので、そのぶつぶつ声に耳を澄ましてたら、
だんだんに言ってることがわかってきたんです。昔の言葉だったので、
そのままじゃないんですが。・・・この内容、うちの家系の恥になることですので、
なんとか他言はしないようにお願いします。
「見たぞ、見たぞ、〇〇徳治郎が死ぬのを見たぞ。徳治郎は医者に注射されて
 死んだぞ。空に手を伸ばして苦しんで死んだぞ。女狂いであちこちに妾をつくっていた
 徳治郎、家財を使い果たして女たちに捨てられ、親族にあいそをつかされた徳治郎、
 家族に暴力をふるって暴れた徳治郎は、医者に毒を注射されて死んだぞ・・・
 見たぞ、見たぞ、その息子の篤蔵は、役場の金を使い込んでいたぞ、
 金庫を開けて、溜め込んでいた金を一枚一枚数えてるのを見たぞ、見たぞ・・・」

これ、最初の徳治郎の名前は聞いたことがなかったんですが、
篤蔵というのは、うちの曽祖父です。「何の話なんだこれは?!」と思っていると、
わずかに指の先が動くのがわかりました。金縛りがとけてきてたんです。
それで、指を2本、3本と動かしてるうち、腕も大丈夫な気がしたので、
思いきって布団をはね上げたんです。ゴロリ、重いものが転げる感触がありました。
肘をついて上半身を起こすと、枕元にあの石が、ひっくり返った形であったんですよ。
床の間にもどしましたが、かなり温かくなっていて、なんだかドクンドクンという
鼓動のようなものまで手に伝わってきたんです。翌日、少し調べましたが、
曽祖父が、勤めていた役場の金を使い込んで、なんとかもみ消したのは
事実でした。徳治郎はその父親、当時の家で病死してるまではわかったんですが、
なにぶん昔のことで、それ以上は・・・

でね、これ、私の家はかなり古い旧家なんですが、その歴代の秘事を
石が知ってるということになりますよね。ああ、だから親父が、
この石はどこにも売るな、月一でお神酒をあげろって言ってたんだなって
わかりました。要は、石の機嫌をとってたってことでしょう。
それが、私が1回とだえさせてしまったためにへそを曲げた。
困りましたよ。その後は、何度お神酒をあげても、徳利が割れるばかりだし、
ぶつぶつ言う声も収まらなかったですか。あれこれ収拾策を考えたんですが、
知り合いに、古物商を引退して、今は悠々自適にくらしている人がいることを
思い出しまして。それで、その人に相談をしました。
そしたら、さすがに石のことは自分ではわからないからと言って、
水石を専門にあつかってる方を紹介してもらったんです。

ええ、大学生の息子に手伝ってもらって、その方の店舗に石を運び込みました。
店は広く、どのくらいかわからないほどの数の石が置かれてましたね。
出てきたのは、80歳すぎに見える老人で、
気難しい顔に見えたんですが、言葉は穏やかで、
「事情は聞いています。これですか」と、その数十kgある石をひょいと持ち上げ、
「ははあ、なるほどねえ、これは目を持ってる」と言って石を置き直し、
ゆっくり何度も、石の上をなでたんです。そしたら、
石にあったあの凹みのところから、だらだらと水がこぼれだしまして。
老人は「この石はわしがあずかりましょう。もう見たことを話すことはないです。
 買い取りではないから、お金は払えないですけども」こう言ったんです。
一も二もなく承知しまして、そこの店に置いてきたんですよ。

水石 石の穴は「ジャグレ、虫食い」などと言います





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サボテン園の思い出

2019.10.06 (Sun)
アーカイブ167

どこから話せばいいんでしょうか。おそらくわかりずらい話になると思いますが、
どうかご勘弁ください。ええと、多肉植物というのをご存知ですか。
はい、そうです。サボテンの仲間の。クチクラ層といって、
表面がぷちぷちした肉厚な膜で覆われているんです。
厳しい環境に生息する植物ですので、その内部に水を貯めこんでいるんです。
アロエが有名ですけど、もっと肉の一つ一つが小さなつぶつぶになったのが
多くて、一見すればかわらしい感じがします。コレクションしている方も
けっこういるそうです。私も、一種類だけですが家で育てていまして。
これが、条件が合うと爆発的に増えるんです。
まるでミニチュアのぶどうの房のようなのが、重なり合って・・・
ああ、すみません。最初からわかりにくい話をしてしまって。

その多肉植物を専門にしているサボテン園というのが、県内の郊外にありまして。
私が4歳のときに、両親に連れられて行ったそうなんです。
山のふもとに、温泉の排熱を利用した広大な温室があって、
そこでは熱帯のサボテン類の他に、小型のワニやインコ、
オウム類、小さい猿なども飼われていたようです。
でも、そのときのことはあまり覚えてなくて。
母の話だと、そのとき私が迷子になって、大騒ぎだったということでした。
ええ、その記憶だけはかすかにありました。ほんとうに、ごくかすかに。
その後すぐです。両親が離婚したのは。だから小学生の頃、母にこの話を
されたときには、私が迷子になったせいで離婚したの?って思ったんですけど、
そういうことではなかったようでした。

父の浮気のために元から夫婦仲は冷えていて、
それを取り戻すためだったのでしょうか。私を連れてひさびさに家族旅行に
出たけれど、そのサボテン園の中で両親が諍いになって、
その間に、私の姿が見えなくなって・・・ということのようでした。
まあそういう事情で、ずっと母子家庭での生活が続いたんです。
離婚の原因が父の浮気ということでしたので、慰謝料と私の養育費が入りましたし、
母の実家は資産家でしたので、生活が苦しかったということはなかったです。
でも、父がいないのと一人っ子ということで、寂しい思いをしたときもあります。
・・・母は、再婚を望んでいたということはなかったと思いますが、
私が高校生のときに現在の父が現れ、望まれて。ええ、大変よい方でしたし、
私は賛成でした。周囲からの勧めもあって、再婚したんです。

私はその後すぐ大学に合格し、家を出て一人暮らしをすることになりました。
といっても同じ県内のことでしたし、あまり不安はなかったです。
むしろ、母が新しく家庭を築くのにじゃまにならないほうがいい、
みたいなことを考えていました。それで、その大学では、
廃墟探索サークルというのに入ったんです。・・・みなさんお笑いですが、
それなりに真面目な活動をするサークルだったんですよ。近場を中心に、
廃墟を訪れて動画と写真で記録し、サークルのホームページに載せる。
それと学祭のときの発表。そうですね、私は運動関係は苦手でしたし、
廃墟という言葉になんとなくあこがれていたのだと思います。
ええ、怖いのも苦手でしたから、心霊スポットなどには行ったことはありません。
昼だけの真面目な活動だと聞いて入ったんです。

それで、2年生になった初めの頃でしたね。前にお話した、
私が小さいころ迷子になったというサボテン園、そこが経営難のために廃園され、
放置されているということを聞いて、探索の計画が持ちあがったんです。
サークルの活動のすべてに参加しているわけではありませんでしたが、
これはぜひ行かなければならない、と思いました。
私が迷子になったという、そして前の父と母が、離婚するきっかけになったかも
しれないその場所をぜひ見ておきたいと思ったからです。
ええはい、写真を掲載する関係もあって、
サークル長が事前に現在の権利者に取材の許可をいただいてありました。
地元の観光協会の所有になっているようでしたね。
ですから、違法な侵入ということではありませんでした。

訪れたのは、男3名、女2名でした。3年生の男の先輩が借りたミニバンで、
大学のある市からは2時間の距離でした。
温泉地の奥手にある山のふもとということでしたが、
温泉地自体がかなりさびれていました。少し前にあった秘湯ブームのときも、
その恩恵にはあずからなかったようです。場所はすぐにわかりました。
巨大なガラス製の温室が残っていて、それが午後の陽を受けて輝いていました。
その温室外の施設も、昔はかなりの広さだったそうですが、そちらの土地は
周囲の農家が安く買い取ったようで、ほとんど畑に変わっていました。
温室はガラスの割れた部分もなく、入り口の鍵を借りていた先輩が開け、
皆で中に入りました。全体では体育館2つ分ほどの広さがあったと思います。
中は・・・人口の池や動物の展示施設などもあったようですが、

それらが埋もれるほどびっしり、多肉植物が広がっていたんです。
温室の熱源が温泉で、それは止められてはいなかったようです。まあ重油を
燃やしたりしているのではないので、お金がかからないからなんでしょうね。
多肉植物は一種類だけでした。初めに、私が育てていると言った種類の、
小さなプチプチが盛り上がったものです。
一見すれば黄緑色ですが、よく見るとプチプチの一つ一つは、
淡いピンクや紫色に染まっていて、それはきれいでした。でも、皆は「気味が悪い」
「人間の体内にいるみたいだ」こんな感想を漏らしていました。
リーダーの先輩が「サボテン園というくらいだから、いろんな種類の植物があったろうに、
 これ1種類になってしまってるというのは、植物同士で熾烈な戦いがあったんだろうな。
 このプチプチしたやつがうち勝って、どんどん生存範囲を奪っていったわけだ」

そう言われると確かに、日の当たらない下のほうには、
別種のサボテンがわずかに残っているのが見えました。
・・・昔ここを訪れたという記憶が甦ってくるような感じは一切なかったです。
私はカメラ担当でしたので、侵食されずに残っているコンクリの通路を、
写真を取りながら進んでいったんですが、どこもかしこも同じ多肉植物の山で、
変化のある写真は撮れそうもなかったんです。通路の右側の地面に白いものが見え、
多肉の房を持ち上げてみると、それはカラカラに乾いた鳥の骨でした。
おそらく、園で飼育していたオウムかインコのものでしょう。しゃがみ込んで
その写真を撮っていると、かすかに人の声が聞こえたような気がしました。
女の子の泣き声だと思いました。どうも多肉植物の裏から聞こえてくるような。
それで、伸び上がって後ろ側を覗こうとしましたが、人の背より高くて無理でした。

どこか入れる場所はないか・・・そしたら、
わずかに多肉の繁り方が薄そうに見えるところがあり、
そこに手を入れてかき分けてみたんです。その植物は固い枝などはなく、
全体がゴムのように柔らかいんです。ただ、圧倒的な量で。
なんとかそこから奥に入れそうでした。かきわけて前に進もうとしたら、背後から、
「こら、勝手なことをするな」というリーダーの声が聞こえました。
私は「子どもの声がする」と言って、そのまま体をねじ入れ、すると、ぽっかりとした
空間に出たんです。昔風のワンピースを着た幼稚園くらいの女の子が、
しゃがみ込み、両手を顔にあてて静かに泣いていました。
私は「どうしてここに入ったの?さ、お姉さんと一緒に出ましょう」そう話しかけ、
女の子が涙まみれの顔をあげました。「どうしたの?」と聞くと、

「おとうさんとおかあさんがケンカしてて・・・」ええ、もうおわかりだと思います。
そっと子どもの頃の自分の手をとると、ぼうっとにじむようにして、
その子は消えてしまいました。「こら、お前何やってる!」リーダーの怒った声がして、
肩をつかまれました。私の前にはコンクリート製の排水池のようなものがあって、
そこ半ば温水に浸かった、1m以上ある生物の骨が何体も重なってありました。
ええ、もちろん人ではありません。ワニか何かだと思いました。大型の爬虫類・・・
女の子の姿はどこにもなかったんです。これでお話は終わりです。
私が見たものは幻覚だったんだと思います。リーダーは女の子の姿は見てませんでしたし、
他に泣き声を聞いたメンバーもいません。リーダーは多肉植物を無理矢理くぐりぬけてきたのか、
体中、植物の破片だらけでした。最後に一つ、よけいなことをつけ加えさせていただくと、
大学を卒業して2年後、私はこのリーダーと結婚しまして、今に至るんです。







アーカイブ 植物園の事故

2019.10.06 (Sun)
まだ今月中の話ですね。正月に実家に帰省した帰りのことです。
妻と、2人の娘を連れて車で行ったんです。年越しの夜から3日滞在して、
3日の午後に実家を出発しました。もう帰省ラッシュが
始まってたんで、高速を避けて下の国道や県道を通りました。
家族の住む家から実家までは車で4時間ほどのところにあり、
裏道もよく知ってるんですよ。午後の3時を過ぎてたと思います。
あまり雪の降らない地方ですが、気温は低く、薄暗い感じがしました。
車通りのほとんどない県道を走ってると、車の中に
いがらっぽい臭いが入って来ました。なにか物を燃やしてるような
臭いです。道の両脇の枯田で稲藁でも焼いているのかと思いましたが、
あたりに煙の上がってるところは見えなかったです。

車のエアコンを車内循環にすると、だいぶ臭いがやわらぎました。
幼い娘た2人は後部座席で2人とも眠っていました。しばらく走ってると、
前方に通行止めのバリケードと三角コーンが見えました。
その脇に人が2人立っていましたが、それがどうも様子が変だったんです。
警察その他の制服を着てるわけでなし、工事の人にも見えない。
道の脇に軽トラが一台止まってました。2人とも派手な蛍光色の
ダウンを着て、一人は手に長い鉄パイプのようなのを持ってたんです。
スピードを落として近づき、運転席のウインドウを開けました。
すると、さっきからのプラスチックが焦げたような臭いが強くしました。
「どうしたんですか?」と聞いたら、40年配くらいの、メガネをかけて
黄緑のダウンを着たほうが寄ってきて、無愛想な調子でこう言いました。

「スマンな。この道、通行止めになってるから引き返してくれ」
「通行止め?どうしてですか?」こう聞き返したところ、
若い、まだ20代に見えるピンクのダウンを着たほうも近づいてきて、
「どうしたもこうしたもねえから! 戻れって言ってるだろ。危険なんだよ」
こう怒鳴ったんです。それで、こっちもムッとして、「あんたら警官にも道路関係の
 人にも見えないけど、何の権限で通行止めなんかしてるんだ」やや強い調子で
言いました。そしたら、若い方が持ってた鉄パイプを振り上げかけたんです。
中年の黄緑ダウンがそれを手で制して、「いや、スマンな。緊急のことで頼まれたんだ。
 おっつけ警察が来るし、自衛隊も来るかもな。さっきから焦げ臭い臭いがしてただろ。
 この先の火力発電所で事故があったんだよ。正確には火力発電所のほうは
 何ともないんだが、その排熱でやってる熱帯植物園の事故だ」

「植物園?そんなとこでどんな事故が起きるっていうんだ?」 「それがよ、
 詳しいことは言えないんだが、見れば小さい子どもが乗ってるじゃねえか。
 下の子はまだ赤ちゃんだろ。悪いことは言わないから、こっから引き返せ。
 でないと手遅れになるぞ」これを聞いて妻が不安そうな顔をしました。
「引き返せったって、あの海沿いの火力発電所の事故なら、高速もダメだろ」
「高速は大丈夫だよ。この道よりは離れてるからな」
こんな言い合いをしているところへ、バリケードの向こうからパトカーが
一台来たんです。サイレンを鳴らさず、赤ランプも回ってませんでした。
パトカーはバリケードに接近して停車し、中からかなり大柄な警官が
一人出てきました。それが驚いたことに顔にガスマスクをつけてたんです。
「これはマジでヤバイのか?」って思いました。

警官が手で招いてダウンの2人を呼び寄せ、2人はパトカーの
後部座席に入りました。警官は窓に近づいてくると、くぐもった声で、
「すみません、今の2人はボランティアの人で、好意でやってくれてたんです。
 事故があったのは本当です。どうか引き返してください。
 今から正式に通行止めにしますから」
こう言われてはしょうがないので、車をUターンさせようとしたとき、
4歳の上の娘が目を覚まし、「ドカーンってするよ」って言ったんです。
寝ぼけてるのかと思いましたが、その直後、道の向こうでものすごい
爆音が響き、黒い噴煙が上がったんです。車のウインドウがビリビリ鳴りました。
必死で発進させて、来た道をかなりのスピードで戻りました。適当なところで車を停め、
妻が下の娘の様子を確認しましたが、変わった様子はなくよく眠っていました。

こちらに向かってくる車はありませんでした。15分ほど走ると、
上の娘が「怖かったね」と言ったので、「どうして爆発するのがわかったの?」
って聞きました。娘はそれに答えず、「あそこにダウン着た人が2人いたでしょ。
 どっちも緑色の顔をしてて、とっても怖かった」って答えたんです。
確かに奇妙な服装をしていましたが、顔は緑色ということはなかったと思いました。
きっと娘は、半分寝た状態でさっきのやつらとのやりとりを聞いていて、
そんなふうな夢を見たんじゃないかと考えました。
インターまで戻って高速にのったら、たしかに渋滞はしていましたが、
思ってたほどでもなかったんです。車のナビをテレビ設定にしましたが、
あれほどの爆音が響いたのに、事故のニュースはどの局でもやっていませんでした。
そのうちに流れがスムーズになってきて、右手に火力発電所の煙突が見えてきました。

この道は何度も通ってるんですが、普段と変わってるようには
見えなかったんです。ただ煙突からの煙は出ていませんでした。
で、その横に鉄筋を組んでガラスをはめ込んだ体育館くらいの建物があって、
それがさっきから話に出てきた植物園なんですが、どうも様子が違って見えました。
いつもならガラスの上部は透けて、空を映してるんですが、
そうじゃなく、全面が黒く染まってるように見えたんです。
「やっぱり何か事故が起きてるのか」と思いましたが、よくわかりませんでした。
植物園の脇まできたとき、ガラスが黒く染まってるんじゃなく、
内部を何かが覆っているんだとわかりました。濃い緑色をした、
蔦植物みたいなやつです。それがすごく不気味な感じがしました。
あとは特に変わったこともなく、7時過ぎに家に着きました。

下の子はずっと眠ったままだったので、そのままベビーベッドに移しました。
テレビをつけても、ネットを見ても、爆発事故らしいニュースはなかったんです。
まだ正月休みだったんで、あまり気にしないことにして、
くつろいでテレビを見てました。そしたら上の娘が入ってきて、
「○○ちゃん(これ下の娘のことです)顔が緑色になってたよ」って言ったんです。
驚いて寝室に行くと、妻が下の娘を見ていました。
べつに顔色は普通で緑ということはなかったです。
妻が「熱があるみたい。病院に連れてったほうがいいかも」と言いました。
3が日中だったんですが、救急病院はやっているようでしたので、
車で連れていくことにしました。妻が抱いて後部座席に乗ろうとしたんですが、
そのときに、下の娘が口からぷっと何かを吐きだしたように見えました。

下に落ちたものを拾い上げてみると、白く乾いた1cmばかりの丸い種の
ようでした。種からは5mmほど、薄緑の芽がのびていたんです。
すぐ側溝に捨てたんで、今は持っていないです。あれからもう1ヶ月ちかく
たつんですが、下の娘の意識が回復せず、ずっと眠ったままなんです。
さまざまな検査をしたんですが、医師にも原因がつかめていないようです。
自力呼吸はできるんですが、ずっと妻が病院につきっきりでいます。
それとね、もう一つ気がかりなことがあるんです。上の娘が毎晩夜中に
うなされて泣くんですよ。そして目が覚めたあと決まってこう言います。
「顔に変なのをつけたおまわりさんと、緑の顔をした人たちが窓からおうちを
 覗いてる」って。でも夜は厚いカーテンをしてて、寝室の窓から外は
見えないんです。ね、理解しかねる話でしょう。あの日何があったんでしょうか?






アフリカの呪術について

2019.08.17 (Sat)
アーカイブ165

weeee (5)

昨日、「アフリカのA子の話」という記事を書きましたが、
現在のオカルト界で、アフリカの宗教や呪術って盲点に
なってるんですよね。よくわからないことがたくさんあります。
その原因の一つとしては、アフリカが複雑すぎることです。
ですから、本項もおそらくまとまらない話になると思います。

いちおう国家というのはありますが、アフリカ住民の中には、
自分がどこの国に属してるのか知らないという人も多いんですね。
たくさんの部族があり、国境をまたいで居住していたり、
時期によって、国境を越えて移動したりもします。

もう一つは、ひじょうに調査が難しいということです。
アフリカは危険な地です。政情不安や治安悪化のために危険という
こともありますが、それ以前に、簡単に人が死にやすい場所なんです。
猛獣や毒を持つ生物、疫病など、さまざまな危険があります。

weeee (1)

空港があり、ビルが立ち並ぶ首都の街はそれなりに安全でしょうが、
道路が舗装されておらず、密林が生い茂っているようなところは、
衛生がいきとどいた日本から人が入っていくと、簡単に死んでしまいます。
いまだに暗黒大陸という言葉が生きているんですね。

2011年でしたか、世界中旅行してブログにアップしていた夫婦が、
アフリカに滞在した後、次の旅行地でそろって死亡しました。
2人ともマラリアに感染していたようです。
疫病の予防注射もありますが、いまだ正体の不明な熱病、
赤痢系の病気もあり、それだけではなかなか防げません。

亡くなったブロガー夫妻


19世紀から20世紀初頭、欧米の探検家が多数アフリカで
亡くなっていますし、探検家ではありませんが、日本の野口英世も
ガーナで黄熱病に倒れました。そういった事情から、
アフリカの呪術については、十分な研究がなされてないんです。
ですから、自分がこれから書く内容もごく大雑把なものですので、
そのつもりでお読みください。

野口英世
weeee (7)

さて、アフリカの呪術と言えば、まず思い浮かべるのが、
「ウィッチドクター」でしょう。神や精霊の力を借りて病気を治します。
薬草なども用いますが、どれだけ効果があるかは不明です。
これは、科学という概念が未発達の社会ではしかたのないことです。
ブラセボ効果もあるので、実際に病気が治ることも珍しくはありません。

日本でも、江戸時代の医者はオマジナイを書いた護符を患者に
飲ませたりしていましたし、昭和の時代になっても、
赤ん坊の疳の虫をとる拝み屋などがあちこちにいました。
家族が病気になると、医者にかかるお金がない人たちは、
呪術に頼るしか方策がなかったんです。

ウィッチドクター
weeee (3)

アフリカの国の多くでは、法律で人を呪う行為を禁じています。
ただし、ウィッチドクターは認められている場合もあります。
ウィッチドクターは、病気だけではなく、
部族内での人間関係のもつれをほどいたり、悩み事を解決するなど、
精神科医のような役割も果たしてるんです。

ですから、部族内での信頼は絶大です。2001年のガーナでは、
ウィッチドクターに処方された呪術的なローションを2週間使用した後、
不死身になったことを確認するため、友人に自らを銃で撃たせて死亡した
男性がいて、この人物は、その年のダーウィン賞に輝いています。

関連記事 『ブラックジョークについて』

weeee (2)

さて、アフリカの呪術の分析が難しいのは、その呪術のパワーの源が何か、
はっきりしないことです。一般的に、① 呪術の儀式そのものに力がある。
② 呪術師自身が力を持っている。 ③ 神や精霊の力で呪術が成就する。
この3つがあって、③の場合が最も多いんですが、どんな神や精霊が
いるのかは、部族ごとにまちまち、バラバラなんですね。

アフリカの部族の多くがアニミズム的な宗教のため、
調査しきれないんです。「モケーレ・ムベンベ」や「エメラ・ントゥカ」
など、UMAのカテゴリに入ると考えられている存在も、
もしかしたら実際にはいない、精霊の一種かもしれません。

コンゴのUMA「エメラ・ントゥカ」、恐竜説、サイ説、精霊説がある
weeee (8)

関連記事 『恐竜とオカルト』

さて、アフリカの呪術で、最近世界的な話題になっているのが、
「アルビノ殺し」です。アフリカ東部のタンザニアやモザンビークでは、
ウィッチドクターの作る魔法薬がいまだに広く用いられていて、
権力や幸せ、健康をもたらすポーションと呼ばれる薬を作るため、
アルビノ(先天性色素欠乏)の人間の身体の一部が使われます。

タンザニアでは、アルビノの人の死体が約900万円で取り引きされ、
これは現地の経済状況を考えれば、日本だと億の単位のお金です。
そのため、生きているアルビノの人が殺される事件が多発し、
タンザニア政府は、法律で呪術を禁止しましたが、
なかなか収束しない状況です。

政府に保護されるアルビノの子ども
weeee (4)

さてさて、ということで、アフリカの呪術を見てきましたが、
呪術で最も大切なのは、人々がそれを信じていることです。
社会の中における呪術の位置づけが大きいほど、
それが効力を発揮する場合が多いんですね。

ですから、科学的な常識が教育で広まり、西洋医学が発達した現代の
日本では、呪術の力は薄れています。ですが、
癌や難病を治すことができるという怪しい民間療法や食品も
まだまだ生き残っていて、呪術と人間は切り離せないものであることが
わかります。では、今回はこのへんで。

関連記事 『アフリカのA子の話』

weeee (6)




ゴリラの死生観は

2019.08.16 (Fri)
アーカイブ164

独特なフォームの手話を習得したゴリラとして有名になり、
ロビン・ウィリアムズやレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリー
などのセレブが会いに来ることでも知られていたココが死亡した。
ニシローランドゴリラのココが,米国時間6月19日に46歳で
永眠したと、ゴリラ財団が公表した。

同財団の声明にはこのように記されている。「ココは全ゴリラの親善大使として、
異種間の交流と共感の象徴として、何百万という人間の心に感動を与えました。
彼女は生涯愛され、今後も人々の記憶に残るでしょう」
(朝日新聞デジタル)

今回はこのお題でいきます。アメリカで、いや、もしかしたら世界で
最も有名な雌のゴリラ、ココが亡くなったというニュースですね。
46歳ということです。眠ったまま亡くなったとニュースにはありますが、
死因は書かれていません。老衰なんでしょうか。

ニシローランドゴリラの寿命は野生では30~40歳、
飼育下では50歳前後だと考えられているので、
まあ、大往生ということなのかもしれません。このゴリラのココがなんで
有名になったかというと、手話を覚えて人間と意思の疎通ができたからです。

生後3ヶ月で病気にかかっているとき、ココは発達心理学の研究者の
フランシーヌ・パターソン博士と出会い、手話を教わることになります。
2012年の時点で、使うことの出来る手話は2000語以上になり、
嘘やジョークを言う事もあったとされます。

ココとパターソン博士


これは有名になりますよね。金髪の女性学者とゴリラのツーショットは
絵になりますから。ココは数の概念を理解していたともされ、
虫歯になったときに、痛みの強さを1から10までの数字でどのくらい?
と聞かれると、9から10と答えたとも言われます。

ただ、これらの報告には批判もあります。ココが用いていた手話は、
アメリカの障害者が使用している体系的なものではなく、
パターソン博士との間でしか通じない独自のものが多いんですね。
ですから、ココが言ったとされる内容の中には、
パターソン博士による恣意的な解釈が含まれている可能性があります。
その点についてはご注意ください。

さて、では、ココのエピソードをもとに「動物はどのような死生観を持っているのか」
について考えていきたいと思います。1983年のクリスマス、
パターソン博士がココに、猫が出てくる絵本を読み聞かせていると、
ココは手話で、猫がほしいと博士に訴えました。

そこで最初、ぬいぐるみのネコを与えたが、ココは気に入らず、
手話でくり返し「悲しい」と訴えました。そこで、その年のココの誕生日に、
小さな子猫たちを連れてきて、ココに一匹選ばせました。
ココは灰色と白の混ざった子猫を選び、その猫は「ポール」と名づけられました。
ココはまるで自分の子どものようにボールをかわいがって世話をし、
赤ちゃんを抱くように連れて歩き、一時期、授乳しようとさえしました。

ココとポール


ところが、残念なことにポールは、研究所の外で、車に轢かれて死んで
しまったんですね。研究者たちは、そのことをココに手話で伝えました。すると、
ココは悲しそうになにかを訴えるような鳴き声をあげ始め、それは、
ゴリラが嫌なことがあったときの声でした。それを聞いたパターソン博士ら
研究者もココといっしょに泣いたそうです。

ここまでのところ、ココは「死」といことについて理解しているように見えます。
では、他の研究ではどうでしょうか。チンパンジーについては、
さまざまな事例が残っています。例えば、イギリスの霊長類学者、
ジェーン・グドールの研究では、母親を亡くしたオスのチンパンジーが、
悲しみのあまり、じょじょに鬱状態になって食事をとらなくなり、

やがて衰弱して死んでいく様子が克明に記録されています。
ただ、これだけだと、残された子どものチンパンジーが悲しんでいるのは、
「母親がいなくなった」からで、必ずしも「死」というものを
理解しているとまでは言えないような気がします。

また、英オックスフォード大学のドラ・ビロ率いる研究チームが、
アフリカのギニア・ボッソウ周辺の森林にあるチンパンジーコミュニティーで
行ったも研究では、子どものチンパンジーが死亡した場合、
母親のチンパンジーは、遺体を数週間から数か月にわたって持ち運びました。

ミイラ化した子どもを背中に乗せて運ぶチンパンジー


持ち運んでいる間に遺体はミイラ化してしまいますが、
母親は強烈な腐敗臭にもめげず、まるで遺体が生きているかのようにあつかい、
どこへ行くにも持ち運んでいたが、やがて、母親は徐々に遺体を手放すようになり、
他のチンパンジーが遺体をさわることを許すようになったそうです。

うーん、この例でも、どこまで「死」が意識されてるのかはわかりにくいですね。
ココの話にもどって、パターソン博士がココに、手話で「ゴリラはいつ死ぬのか?」
と聞いたところ、「年をとり 病気で」と答え、
「そのとき何を感じるのか?」という質問には、「眠る」とだけ答えたそうです。

また、「死んだゴリラはどこへ行くのか」と聞くと、
「苦痛のない 穴に さようなら (comfortable hole bye)」と答えました。
別の機会に「何がココを不安にさせるの?」と聞くと、
「埋める 穴 (stop hole)」と答えたこともあるそうです。

さてさて、これが本当だとしたら、ココは「死」を理解しているように思えます。
ココはテレビを見ていましたので、「死」が「穴」と結びついているのは、
埋葬の場面を見たことがあるのかもしれません。今ごろは、
心配や苦しみのない穴の中で安らかに過ごしているでしょうか。

ゴリラやチンパンジーは、人間と違って宗教を持たないでしょうから、
神、来世、天国、輪廻などの概念がなく、死というものをシンプルに捉えて
いるように思えます。もしかしたら、まだ宗教が発生していないころの人類も、
そんな感じだったのかもしれませんね。では、今回はこのへんで。