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気合術と松山主水

2019.12.04 (Wed)
アーカイブ190



今回はこのお題でいきます。よく「気合をかける」とか「気合を入れる」
と言われますよね。このときの「気合」って何でしょうか?
ネット辞書を見ますと「 1、精神を集中させて事に当たるときの気持ちの勢い。
また、そのときの掛け声。2、 呼吸。いき。」
と出てきます。
では、気合術とは何なのか?

ここでひとまず「気合術」を定義しておくと、「相手に直接ふれることなく、
声や動作を用いて、行動を自由に制御する方法」こんな感じですかね。
では、こういうことは実際にできるんでしょうか?youtubeには、
中国の気功師が、声をかけただけで遠くにいる人を転倒させる
ような動画が出てきていますが、自分から見ればかなり怪しいものなので、
今回、中国関係のものはのぞいて考えてみます。



さて、自分は小学校では道場、中高では部活動で柔道をやっていて、
団体戦ですが、国体に出たこともあります。
柔道だと、声を出して試合することはあんまりないですね。
ただ、小学校のときの道場の師範には、技をかけるときに「ヤー」などと
声を出しながら行うと、そうしないときよりも力が入るというのは教わりました。

これは科学的にも実証されていて、特に重量挙げなどの力を使う種目では、
大声を出しながらバーベルを挙げた場合と、そうでない場合では、
はっきりと数値に違いが表れています。ある研究では、出す声が「うー」
のときが一番 成績がよかったそうです。

ただし、柔道の場合、技をかけるときは相手の道着をつかんでいるので、
上に書いた気合術の定義からは外れています。あと、道場の先生には、
組みながら相手の呼吸をはかって、相手が息を吐いたときに技をかけるとよい
とも教わりましたが、それは、どうやっても自分にはできなかったですね。

気合を入れる松本薫選手


さて、自分が通っていた中学校の道場はひじょうに古い建物で、平屋建ての
右側が柔道場、左側が剣道場になっており、間に壁がなかったんです。
で、柔道部はたんたんと練習してるんですが、剣道部はつねに、
「きえ~~~」とか「あぎょ~~」とか叫びながら稽古していて、
それがうるさくて、練習の後に頭が痛くなることがありました。

これ、剣道部のやつらは防具の面をつけてるので、それが耳栓になって、
横で聞いている柔道部よりうるさく感じないんですよね。
剣道のこの叫び声を「気勢」と言うんだそうです。なぜ声を上げるかというと、
大きな声を出すと、自分の体内でこの声が反響し、特に頭蓋骨内で、
脳が活性化され、集中力が高まるということらしいですね。

ここまで、重量挙げと柔剣道を例にして、「声を上げる効果」について
見てきましたが、あくまで自分の力を十分に発揮するためのもので、
相手に対する効果というわけではありません。もちろん、多少は
威嚇する効果もあったでしょうが、それは相手もやってるので同じです。
では、相手を支配する気合術というのはないんでしょうか?

さて、松山主水(もんど)という人物をご存知でしょうか。
あまり知られていないと思いますが、江戸時代初期の剣豪の一人です。
江戸初期は、たくさんの浪人があふれ、その中で、剣技によって身を立て、
名を高めて仕官をめざそうと、全国を武者修行にまわる者がいました。
有名な、二刀流の宮本武蔵もその中の一人です。



松山主水は、めでたく熊本細川藩の江戸屋敷に採用され、
藩主の細川忠利に重用されて、千石という知行を得ます。
主水の剣の流派は「二階堂剣法」といい、
源義経から伝わるものとされ、その奥義は「平兵法」と呼ばれました。
あれ、義経が元祖なのに、平というのは変ですよね。

これは、初伝を「一文字」、中伝を「八文字」、奥伝を「十文字」とし、
これら「一」「八」「十」の各文字を組み合わせると「平」の字になることから
きているようです。また、主水は「心の一方」あるいは「すくみの術」という
技も使い、これが今回のテーマである気合術と関係がありそうなんです。

江戸時代には参勤交代の制度ができましたが、百を超える藩の
行列が江戸城を目指して、たいへんに混み合いました。
そこで幕府の下士が交通整理にあたりましたが、
主水が細川藩の行列の先頭に立ち、

fdb (2)

列の前に来るものに対して、短く声を発し、手のひらを下向きに
前に突き出すと、みな身がすくんで動けなくなったり、
ひっくり返ったりしたと書き残されています。このため、細川藩の
行列だけは、いくら混雑してても、すいすいと進むことができました。

どうやら、「心の一方」は、瞬間催眠術のようなものだったんですね。
主水の働きを目撃した諸大名家の人々は、「主水はまるで魔法使いのようだ。
細川家はとんだ重宝な術者を持ったものだ」と噂し合ったそうです。また、
主水は気合術だけでなく、体術にも優れ、七尺(2、2m)の塀や、
二十二尺(6、6m)の堀を、助走なしで跳びこえることができたということです。

さて、これほどの力を持った主水ですが、病気で高熱を発して
寝込んでいるところを、恨みを持った刺客に襲われます。
布団の上から刺されたものの、刺客に、「心の一方」をかけて
動けなくしてから斬り殺し、その後、自分も息絶えたと言われます。
(動けないところを、主水の小姓が斬ったという説もあり)

宮本武蔵


さてさて、最後に、細川藩といえば、晩年の宮本武蔵が客分として
招かれていましたが、主水と武蔵には、接点はなかったようです。
ただし、主水の一番弟子であった吉之丞という人物が、細川家に
仕官を求めた宮本武蔵に試合を挑んだところ、武蔵は恐れて
逃げたという逸話が残っていますが、どこまで本当かはわかりません。

ということで、主水の話が真実ならば、気合術のようなものは
あったことになりますが、残念なことに現代には伝わって
いないようです。これについては、機会があればさらに調べて
みたいと思います。では、今回はこのへんで。

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廃屋の絵

2019.11.30 (Sat)
アーカイブ189

3年前のことです。そのころ私は、ある小学校で図工専科の講師をしていました。
これは担任を持たず、各学年、各クラスの図工を専門に教えるんです。
もともと画家を目指していた私にとっては楽しい仕事でした。
その日は5年生の授業が3・4校時にありました。
題材は水彩絵の具を用いての風景画です。

外に出て、校地の回りを囲む柵から出ないようにして好きな場所を選び、
構図を決めてスケッチするんです。天候は曇りでしたが、雨にはならない感じでした。
「自分が気に入った場所を描くんですよ」と子どもたちには言いましたが、
やはり親しい友だちと数人グループで同じ場所を描く子が多かったです。
今日の2時間で鉛筆の下書きを完成させ、来週2時間が彩色の予定でした。

男の子も女の子もそれぞれ熱心に描いていて、
子どもたちの間を回りながらアドバイスをし、2時間はあっという間に過ぎました。
午後になって、集めた絵の下描きをばパラパラ眺めていると、
なんとなく違和感が感じられる作品がありました。
ほとんどの子は、学校の周囲から内向きに校舎の建物を描いていたんですが、
その絵は柵の外側、おそらく学校の裏手から見た街の様子を描いたものでした。
そこはさびれた商店街の通りで、多くの店のシャッターが閉まっています。

絵の構図は前面に金網の柵、
その後ろの道と向かい側の数軒の家並みが描かれていました。
特に変わったものではないのに、この違和感はなんだろうと思い、
よく見ると、自動販売機とかつてのタバコ屋の屋根の後ろに
一軒の民家があり、その二階の窓が開いているようでした。

下書きは2Bの鉛筆で輪郭のみ描かれているのに、
その窓だけが黒ぐろと塗りつぶされていたんです。
そしてその奥に小さな顔のようなものがありました。
人間の顔とは思えません。あちこち盛り上がって膨らんで・・・
ライオンの頭といえば近いかもしれません。その窓と顔が
異様な印象を投げかけてくるんです。いったいこれは何なのだろう?
毒気にあてられたような気分になりその絵を下にすると、
次の絵もまったく同じ構図でした。

民家の窓は同じように鉛筆を力いっぱいこすりつけて黒く塗られ、
やはり中に白い顔が浮かび上がっていました。こちらの絵のほうが
稚拙なタッチでしたが、顔はより克明に描かれていました。
ライオンのように盛り上がった額とざんばらに広がる髪、
黒い目の穴とたれさがった頬。なぜ全体の中でこの部分だけが
これほど詳しく書く必要があるのかわかりません。
窓は消しゴム半分くらいの大きさなんです。

他の絵も見ましたが、その場所を描いたのはこの2枚だけでした。
名前を見ると、普段から仲のよいおとなしいし女子生徒たちで、
2人で連れだって描く場所を決めたんだろうと思いました。
翌週の図工の時間の前に、この子たちに顔のことを聞いてみよう・・・
ところが、次の日出勤しますと,、生徒の欠席黒板に、
2人の名前がそろって書かれていたんです。

担任に話を聞くと、前夜から急に熱を出したと保護者から
連絡があったとのことでした。風邪が流行っていた頃なので、
昨日の外での活動がよくなかったのかと少し心配になりました。
午後になるとその子たちの保護者から連続して電話がかかってきて、
どちらも、どうしても40度の熱が下がらず、
とうとう入院することになったという内容でした。
これを聞いたとき、もしかしたらあの絵に描かれた窓の中のものに
関係があるんじゃないかと思ったんです。私もその2枚の絵を見てから、
背筋がぞくぞくするような感じがしばらく続いていましたから。

学校からの帰り、6時少し前くらいに自分の車で裏手の道に回ってみました。
人通りはなく、ときたま車が通り過ぎるくらいの忘れ去られた場所です。
車内からは例の窓は見えませんでしたので、
いったん車を停めて外に出、窓のある家を見上げると、築何十年になるか
わからないほど古びていて、人が住んでいるとは思えませんでした。
実際、家の中に明かりのついている様子はなく、
二階の窓もサッシが閉じられ、暗い空を映しているだけです。

・・・そのとき、薄闇の中でゆっくりと窓が開きはじめました。
遠くて、手が窓枠にかかっているのかはっきりはわかりません。
「ああ、ダメ」と思いました。このままでいると何かを見てしまう、
絶対に見てはいけないものを。とにかくそんな気が強くしたんです。
窓の奥のほうにぼんやりと白いものが浮かんだように思えました。
私は無理やり視線を切ると、車にかけもどって発進させ、
バックミラーも見ずにその場を後にしたんです。

翌週、2人の女の子の容態が悪化しているという話を
担任からうかがいました。1人は個人病院から転院させられ、
今はどちらもこの県の大学病院に入院して、
相変わらず高熱が続いているんだそうです。
脳炎が疑われており、面会もできなかったということでした。
空き時間に、この2人の絵をもう一度見ました。線だけのデッサンの中で、
そこだけ力を込めて塗られた小さな窓、そしてその中の獅子のような顔・・・
それは不幸な運命をたどった画家たちの絵のように、強く死を予感させました。

・・・西田先生に相談しよう、と思いました。先生は60歳を過ぎた女流画家で、
新聞小説の挿絵なども描いて、この地方では有名な方です。
子ども好きのたいへん気さくな人柄で、学校の写生会に来てくださった
こともあります。ご自宅もこの近くなので、相談してみようと考えました。
電話で連絡をすると先生はご在宅でした。
一連のことは学校の上司に話しても理解してもらえるとは思えず、
午後から年次休暇をとり、2人の描いた絵を持って出かけたんです。

ある程度事情は電話で話してありました。西田先生が絵を見たいと
おっしゃったので、2枚を重ねて渡すと顔色が変わりました。
「この家のことは知っています。もう十数年も前のことだけど、
 両親と小学校前の小さな子ども2人の家族が住んでいたはず。
 それが初めに母親が失踪し、その後、
 父親と2歳ほどの女の子もどこかに越していったと記憶していますよ。
 それにしてもこの絵は・・・恐ろしいです。・・・入院中の生徒たちは、
 2階の窓の中のものを見て、自分たちもまた
 それに見られてしまったんでしょう」

先生が、「この後、時間ありますか」と聞かれましたので、
「休みをとっています」と答えると、「今から行ってみましょう」とおっしゃられ、
「この家を管理しているのはXX不動産と聞いたことがあります。
 幸いに経営者を知っているので、事情を話して合鍵を貸してもらいましょう」
先生はスケッチ用具の入ったアートバッグを肩にかけると、
私の車に乗り込みました。不動産屋の前でいったん降り、
ものの10分ほどで「ほらぁ」と、笑顔で合鍵を持って戻ってこられました。

時間は4時近くになっていましたが、まだ日は高かったはずです。
学校の裏道の道路脇に車を停め、その家の前に出る小路をたどりました。
先生が先に立って鍵を開けると、
ホコリだらけの玄関のガラス戸がきしみを立てて開きました。
「あなた、上着を脱いだほうがいいわよ」先生がそうおっしゃったので、
上着を脱ぎブロック塀の下に置きました。その短時間に、
先生は小さなスケッチブックを取り出してクレパスで何かを描かれました。

「・・・観音様です」先生は私にスケッチを見せておっしゃいましたが、
仏画ではなく、◯に△、その上にまた小さな◯を重ねた記号のようなものでした。
先生が先に立ち、それを目の前に掲げるようにして家に中へと入って
いかれたんです。カビ臭さがひどく、私はハンカチを出して鼻を押さえました。
玄関脇の板敷の廊下からすぐ横に、2階に通じるせまい木の階段がありました。
「下には何もないでしょうね。これがあの部屋に通じる階段・・・上りますよ」

ホコリだらけの階段を、靴下のままでギチギチ音を立てて上がっていくと、
短い廊下があり、二間和室が並んでいるようでした。
魚の干物みたいな臭いがかすかにしました。先生は、
「奥へは手前の部屋を通らないといけないみたいね」そうおっしゃって、
片手でスケッチブックを掲げたまま部屋の襖を勢いよく開いたんです。
薄暗い部屋の中央にベビーベッドが置いてありました。

ベッドの上には小さな女の子用の服、赤ちゃんの上に天井からつるすおもちゃ、
アヒルのオマルなどが、薄汚れた状態で積み重ねられてたんです。
それと部屋の奥にはよく見慣れたもの・・・何枚かのカンバスが、
どれも絵の面を壁に向けて立てかけられていて、
先生がその一枚を裏返すと、女性の肖像が暗い色調で描かれていました。
女性は30代くらいに見え、強く悲しみをこらえるような表情をしてたんです。

先生は、「ここの奥さんは絵を描く人だったみたい・・・これは自画像かな。
 それとこの子ども用品。・・・偶然だと思うけど、
 これらが死者の念を閉じ込めてしまったのかもしれない」と、
私には意味のわからないことをおっしゃいました。
「次の部屋にははわたくし一人で行きます。あなたはここで待ってて。
 危ないことはありませんから」先生はスケッチブックを掲げ、
静かに襖を開けて部屋に入り、後ろ手で閉められました。

襖ごしに先生の咳払いの音が聞こえました。押入れの戸を開けるような音。
それからシュッ、シュッという小さな音も。静かな音は
いつまでも続きました。私は・・・テレビの見過ぎなのでしょうか、
・・・恥ずかしい話ですが、先生がお経でも唱えられるかと思っていたんです。
数十分の時間がたち、なんだか家の中の空気の質が
変わったように感じられました。「入ってもいいわよ。全部済みましたから」
襖の中から先生の声が聞こえました。四畳半の部屋には何もなく、
薄汚れた畳の真ん中に先生が立っておられました。

水彩の用具や水の入ったペットボトルが下に並べられ、押入れの襖の一枚に、
それは見事な・・・信じられないほど見事な仏画が描かれていました。
短時間だったためか粗いタッチではありましたが、どこかで見たことのある
仏様の絵・・・狩野芳崖の悲母観音に似た構図でしたが、
仏様の顔はさっきの女性の肖像画にそっくりで、ただ違うのは、
おだやかな笑みを満面にたたえていることでした。仏様の足元には
幼子が一人。私も一度は画業を志した身ですので、
それがどれほどのものかはすぐにわかりました。
「人を呼びましょう。不動産屋と、それから警察」先生がおっしゃいました。

ここから話すことはあまりありません。その家の押入れの天井裏から、
ブルーシートと布団袋で厳重にくるまれた遺体が発見されました。
十数年前に失踪したとされた奥さんです。遺体はほとんど
腐敗しておらず、ミイラに近い状態だったと後で聞きました。
なぜか顔全体が腫れ上がって、ライオンのように見えたそうです。
首に絞殺の跡があったそうで、現在、
警察では夫と子どもの行方を追っているようですが、
なにぶんずいぶん昔のことなので、見つかるかどうか・・・

学校の2人の女の子は、その日のうちに熱が下り数日中に
退院しました。幸い後遺症などもありませんでした。
私は・・・この出来事を経験して、深く考えることがあり、
学校をいったん退職して、もう一度筆をとってみることに決めました。
まだまだとても食べていけるような状態ではありませんが、
西田先生が美術関係のアルバイトなどを紹介してくださっています。
これで話を終わります。

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『悲母観音』狩野芳崖






シンデレラとモモの時間

2019.11.29 (Fri)
アーカイブ188


『モモ』

今回はこういうお題でいきます。まず、「シンデレラ」のお話は
ご存知でしょう。ヨーロッパ全土に類話があります。
これは、その話の起源が古いことを表しています。
紀元前1世紀、古代ギリシャの歴史家ストラボンが記録した話に
なんとすでに原型が見られるんですね。

舞台はエジプト、ある屋敷に白人の女奴隷ロードピスが仕えていて、
まわりの召使いにいじめられていました。ある日たまたま、主人はロードピスの
踊りが上手なのを見て、薔薇の飾りがついたサンダルを与えますが、
それに嫉妬した仲間から、ロードピスはますますいじめられることになります。

ある日、エジプト王が神のお告げによって大きな宴会を開き、
他の召使いたちはみな出かけていったが、ロードピスだけは山のような
仕事をいいつけられて川で洗濯をしていました。そのとき、濡れて乾かしていた
サンダルを1羽のハヤブサがくわえて飛んでいき、王の足もとに落とします。

『シンデレラ』
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ハヤブサはホルス神の使いなので、王はそのサンダルの持ち主と結婚すると宣言し、
エジプト内すべてをさがした結果、ロードピスにサンダルを履かせると
ピッタリ合ったため、王は約束どおりロードピスと結婚した・・・
2000年以上前の話なんですが、すでに原型ができあがっています。
ないのはお城の時計ですが、もちろん古代エジプトに機械時計はありません。

さて、本題に入る前に、シンデレラについてのうんちくを少しお話します。
まず、主人公の娘の名前がシンデレラではない、と言えば驚かれるかも
しれません。シンデレラの話は、別名「灰かぶり姫」とも言いますよね。
いつも継母と連れ子の姉たちにこき使われていて、
かまどの灰まみれだったからです。

シンデレラの本名は「エラ ella」で、それに英語の「灰まみれ cinder」という
単語がくっついて「灰まみれのエラ Cinderella」になってるんです。
また、ガラスの靴についても、これみなさん、変に思われませんでしょうか。
ガラス製ならたしかにきれいでしょうが、がちがちに固くて、
果たしてダンスを踊ることができるもんでしょうか。

シャルル・ぺロー
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もとはフランス語で「vair リスの毛皮」の靴だったのが、この話を採集した
フランスの詩人シャルル・ぺローが、発音を聞き間違えて「verre ガラス」の靴に
してしまったという説があります。うーん、なんとも言えないところですが、
ガラス製の靴は簡単には変形しないでしょうから、ピッタリ合う足の持ち主を
探すには好都合だったのかもしれません。                       

あと、シンデレラのお話には大きな疑問がありますよね。かぼちゃの馬車や
ネズミの馬、シンデレラのドレスは深夜12時を過ぎると魔法が解け、
もとに戻ってしまうのに、なんでガラスの靴だけはそのままなのか(笑)。
この疑問を持った人は世界中にいたようで、アニメと実写でシンデレラを
映画化しているディズニー・プロダクションが解答編をつくっています。

それによれば、ドレスはもとは灰まみれの汚い服、馬車はかぼちゃといった
具合に魔法をかける前のものがあるのに、靴だけはそうではなく、
何もないところから新しくつくったからとされてるんです。
うーん、なんか苦しい言いわけだなあという気がしませんか。

シンデレラが王子の前に靴を残さないとその後のストーリーが続かない
ですからねえ。でも、おそらくこれ、最初にあった原話にお城の
時計の話が後からつけ加えられたため、そこだけ接合がうまくいかず、
不自然になってるんだろうと思われます。



さて、本題のお話に入ります。シンデレラの魔法は12時を少しでも過ぎると
解けてしまいます。ペローがこの話を採取したのは17世紀後半、
日本だと江戸時代の前期にあたります。その当時からシンデレラの話は
昔話なので、原話はもっと古いと思われますが、
この時代に、すでにヨーロッパでは時計が普及していたんでしょうか。

これは、だいたい不定時法から定時法へ変わる過渡期だったと考えられています。
不定時法とは、日の出から日没までを12等分して時間を決める方法で、
当然ながら日の長い時期には1時間の長さも長くなります。      
逆に冬場は1時間が短い。これに対し、定時法は機械時計で正確に
時間を計測するため、季節にかかわらず1時間の長さは同じです。

現存する日本最古の機械時計 徳川家康所蔵
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ここで、不定時法を守ろうとしたのがキリスト教会です。日の出や日没は
神が定めたものだというわけですが、当時新しく勃興していた商人階級は、
定時法を進めようとしました。正確な時間があれば、賃金や借金の利子を
決めるのに便利だからですね。そのうち、ヨーロッパでは機械時計が普及し、
街の広場には時計塔がつくられるようになりました。

不定時法は定時法にとってかわられてしまうんです。では、定時法は
人々にとっていいことだったのか。ここが難しいですね。この後、ヨーロッパは
産業革命に突入しますが、当時の労働時間は1日14時間を超えていました。
時給は細かく法律で決められ、労働者は時間に追われて日々を過ごすことになり、
その苦しさをまぎらわそうとジンなどの強い酒を飲み、アルコール中毒が増えます。

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スイス ベルン 1530年に初めてつくられた時計塔
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それまで自然の時間の中で生活してきたものが、時計に追いまわされ、
機械に使われる日々が始まったというわけです。その中で、労働者階級と
資本家ブルジョアの対立が深まり、カール・マルクスにより『資本論』が
書かれて共産主義の概念が誕生します。人々の暮らしの中に、
「時間どろぼう」がしのび込んできたんですね。

さてさて、そのあたりのことをテーマにして書かれたのが、
ドイツの作家ミヒャエル・エンデの『モモ』です。ローマのとある街に現れた
「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって、人々から時間が盗まれてしまい、
みなの顔から笑顔と余裕が消え、優しさを失い、あくせくとした日々が始まります。

産業革命 ムチで打たれる少年労働者
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その盗まれた時間をとり戻そうとしたのが、貧しいみなしごですが、
不思議な力を持った少女モモだったんです。ということで、自分は自由業で比較的
楽に過ごしていますが、どうも最近、異常に忙しい、時間に追われて息づまると
感じておられる方は、近くに時間どろぼうが潜んでいるのかもしれませんよ。
では、今回はこのへんで。

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アーカイブ 病院のヒルの話

2019.11.21 (Thu)
先月のことです。むち打ち症になっちゃったんです。いやあの、
追突とかじゃなく、自損事故でした。コンビニで買い物してから
車を出そうとしたとき、シートの位置が気に入らなかったんです。それで、
ブレーキ踏んで直そうとしたんだけど、そんときアクセル踏んじゃったんですね。
急発進して通りに出そうになり、あわててハンドル切ったらコンビニの横の壁にドーンと。
いや、コンクリの壁が少し崩れた程度で、そんなに強くぶつかったわけじゃなく、
エアバッグも開かなかったんです。けど、シートに後頭部を打ちつけちゃって。
はい、弁償も車の修理も全部保険で済んだんですが、やっぱ首が痛くて。
でも、そのうち治るだろうとそのままにしてて、翌朝起きたとき、
右腕がしびれたんですよ。それで病院に行って検査をしてもらったら、
外傷性頸部症候群、つまりむち打ち症ってことです。

MRIを撮ったら、頚椎の一部がずれて神経を圧迫してるって言われて、
そのまま入院になっちゃったんです。はい、ずれた位置が悪かったみたいです。
それで、ある大学病院の整形外科病棟に入院しました。
治療は手術とかじゃなく、首をサポーターで固定して牽引するんです。
会社に報告したら、「何やってるんだ」みたいな目で見られたんですが、
まあ、10日程度ってことでしたのでなんとか。最初のうちは、右手がしびれて
物を持てなかったんだけど、毎日牽引してるうちによくなってきました。
首の痛みもとれてきたんで、どうせだから入院期間はゆっくり休むつもりでした。
俺、会社はIT関連で、ブラックとまではいかないけど、かなり激務でしたから。
でね、俺のつけてた首サポーターはかなり長くて硬いやつで、
首がいっさい動かせなかったんです。だから、横のほうを見るときには

体全体を動かさなきゃならない。サポーターは、退院してからもしばらくつけて
ないとダメということでした。整形外科の病棟は7階で、若い人がけっこういました。
ほら、高齢化社会で、内科とかは老人ばっかりなんだそうですが、
整形の場合、ゴルフで靭帯を切ったり、作業中に足を複雑骨折したとか、
そういう人が多いんですよ。ああ、すみません、話を進めます。
朝7時に1階に入ってるコンビニが開くんです。
入院中は毎日新聞を買いにいってました。で開店時間を待ってたように、
入院してる年寄りがたくさんきて、点滴のスタンドを
押してる人も多かったんです。でね、コンビニを出ようとして、
体ごと入り口のほうを向いたとき、「あっ!」と声を上げてしまいました。
少し前に入院着のジイさんがいたんですが、その背中に大きな緑色のものが

はりついてたんです。そうですね、長さは4、50cm。
ちょうど背中に背負うバッグくらいの大きさ。
でも、バッグでないことはすぐにわかりました。動いてたからです。
それは濃い緑とやや薄い緑がまだらになった色で、
上下にゆっくりと伸び縮みしてたんです。第一印象はヒルですね。
ほら、沼とか田んぼにいる。けど、そんな巨大なヒルはいないと思うし、
病院内で背中にしょって歩いてるなんてねえ。しかもそのジイさん、
すごい痩せてよれよれで足取りもおぼつかない感じだったんです。呆然として
立ち止まって見てたので、どんと後ろからぶつかられ、俺が悪いんで「すみません」
そう言ってもう一度前を見たら、そのジイさんの背中のヒルはなくなってたんです。
まあ・・そのときは幻覚だと思いましたよ。だってそんなのいるはずないし。

次に見たのは翌日の午後でした。課長が病室に見舞いに来てくれて、
それを送って1階の外来まで行ったときです。玄関のところで課長に頭を下げて、
体ごと振り向いたら・・・ほら、病院ってその時間だと、外来の患者の診察は
ほとんど終わって、支払いと処方箋を待ってるんだけど、
その背中に緑のヒルを背負ってる人がいたんです。一人じゃなく何人も。
俺のところからは、ずらっとイスに座ってる上半身の上のほうが見えるんだけど、
イスの背もたれからはみ出すようにして、緑のくねくねしたものが動いてました。
いや、全員じゃないです。5、6人に一人って割合くらい。
色合いが同じだったので、前にコンビニで見たのと同類じゃないかって思いました。
気持ち悪かったけど、もっと近くで見ようと思って、
待合席のほうに近づいていったんです。そしたら、そのヒルたちは、

俺の動きを察したみたいにして、スススッと潜って消えてったんです。
はい、潜ったのは、イスの背もたれの下のようにも、その人の首筋のようにも見え、
どっちかわかんなかったんです。ただね、そのときに気がついたのは、
ヒルが背中に見えた人は、年寄りで、病気が重そうな人ばかりだったんですよ。
車イスをつき添いが押してる患者には、たいがい見えた気がします。
でねえ、これ、そんなのが現実にいるより、俺自身の病気のせいで見えてるんだ、
って思いますよね。ましてほら、痛めた箇所が首だから、何か神経に影響が
あってとか。だから、翌日の朝の回診のときに、主治医に話したんですよ。
「変なものが見えます」って。主治医は黙って話を聞いてて、
すぐにその日、脳のMRIを撮る予約を入れてくれました。それまで頭部は、
レントゲンしか撮ってなかったんで。でね、そのときに気になることが

あったんですよ。俺が「緑色のヒルみたいなのが・・」って話をしたとき、
主治医は「うーん、たしか前にもそんなことを言ってた人がいたなあ」
って、つぶやくように言って。でね、その日の夕食の時間です。3回目を見たんです。
そこの病院は、食事のトレイは、動ける人は自分でワゴンから取るんです。
俺は自分の分を持ってきて、隣のベッドの患者ののも取りました。隣はアメリカ人で、
地元のバスケチームに所属してる黒人選手だったんです。俺、少しだけど
英語できるんで、いろいろ話とかしてたんです。その人は試合で足を骨折して、
自分で動けなかったんですよ。でね、トレイを持って振り向いたときに、
足を吊って寝ている黒人の背中の下から、あの緑のヒルが
顔を出してたんです。ああ、顔と言っても、目も口もないんですが。
それが、俺がトレイを持って近づいてくと、

ササッという感じで、大きな黒人選手の体の下に潜っていって。
けど、ベッドと体の間にそんな隙間なんてないし。
で、MIRの結果は、脳はなんともなかったんです。あとね、その黒人選手、
数日後の夜中に胸が痛いって騒ぎ出し、
ベッドごと運ばれて帰ってこなかったんです。いや、
足自体は命に関わるようなケガじゃないから、心臓の発作だと思います。
何日か後に、テレビで訃報が流れてました。
さすがにね、このあたりで気がつくじゃないですか。
いろいろ実験してみました。で、わかったのは、左側から体ごと振り向いたときに、
人の背中にヒルが見える場合があるってことです。もちろん全員じゃなく、
命の危ない人ほど大きなヒルが背中にいる。何でそれがわかったかっていうと、

整形だと、そんな命にかかわる病気の人は少ないですよね。けど、他の科だと
毎日のように亡くなる人がいる。でね、そこの病院、ひとつ下の階のデイルームに、
入院患者が読んだ本や漫画を置いてった、
他の階からきて借りられる書棚があるんですよ。
そこに行ったとき、左から振り向いて、デイルームの中をのぞいてみたんです。
そしたら、いるわいるわ。2人に一人以上の割合で、背中にヒルをついてました。
たぶん、癌患者とかが多いんでしょう。あとですね、
トイレの鏡で、自分のことも見てみたんです。動きが不自由で、
はっきりはわかんなかったですが、そのときはいないように思いました。
で、首のほうは、毎日牽引してたおかげで、腕のしびれはとれてきました。
退院して、あとは通院治療になる前の夜です。夜中にトイレに起きたんです。

トイレは病室にあるけど、ドアの開け閉めや水を流す音がするんで、
いつも廊下にある共同トイレに行ってたんです。
トイレを済ませて戻ろうとしたとき、廊下の端に、何か動くものがいたんです。
オレンジの照明で色ははっきりしませんでしたが、あのヒルに思えました。
小学生の子どもくらいにまで育ったやつです。人の背中に乗ってないのを見たのは
初めてで、かなりの速さで這ってました。
いや、そのときは怖いとは思わなかったです。
後をついていくと、ヒルはナースステーションの横手で曲がって、
非常階段に入っていったんです。その病院は、非常階段にはドアがなく、
緊急時に患者を下ろせるようにかなりの広さがありました。
その階段を2段飛ばしに転がるような感じで、ヒルはどんどん降りていく。

6階、5階・・・でね、その次の階の階段の踊り場に、低いベンチがあったんです。
そこに座ってる人がいました。子どものように小さい体で、
頭から毛布を被ってて顔が見えない。俺がギクッとして立ち止まると、
その人は、「よしよし、よく育った」って言って、
その声で女じゃないかって思いました。
その人は、足元までやってきたヒルを赤ん坊のように両手で抱き上げ、
口をつけて吸うような仕草をして・・・俺は怖くなって、後退りするように
階段を数段上ったところで、その人が頭を俺に向けて、「お前もこれが
 ほしいのか」って、しわがれた声で言ったんです。走って逃げましたよ。
翌朝、検温に来た看護師に、非常階段の踊り場のベンチの話をしたら、
「避難のじゃまになるから、そんなのはないはず」って言われました。

実際、見にいったらやっぱりなかったです。俺は退院し、
首のサポーターがとれて、少しずつ動かせるようになりました。
でね、あの病院を出てから、ふり向いてもヒルは見えなくなったんですよ。







アーカイブ 土用坊主

2019.11.16 (Sat)
子供の頃に住んでた地方に伝わる土用坊主の話。
土用は年に4回あって、この土用の入りから節分
(新暦2月の豆撒きが有名だがこれも年4回ある)までの約18日間は、
草むしりや庭木の植え替えその他、土いじりをすることは忌まれていた。

この風習は中国由来の陰陽五行説からきたようだが、
この土用の期間に禁を破って土いじりをすると、
土用坊主という妖怪というか土精のようなものが出てきて、
災いを為すと言い伝えられてた。

土用坊主の姿はあいまいで、土が固まって人型になったもの、
あるいは巨大なミミズ状のものという目撃談が多いようだ。
ただ別伝承の中には、土の人型がだんだんに崩れて、
その人の一番嫌いなもの、見たくないものに姿を変えるという話もある。

出身地の旧村はほとんどの家が農家だったので、
実際には土用の間すべて土いじりしないのは無理がある。
だから、そこいらでは立春前の土用は慎まれていたけれど、
それ以外の期間は土にさわっても問題なしとしていた。
春の期間もおそらく田畑関係のことは除かれていたのかもしれない。

ある中程度の自作農が庭の木の下に金を入れた壷を埋めていた。
この百姓はじつに吝嗇で、嫁をもらったものの婢のようにこき使って
早くに死なせたし、実の両親に対しても年寄って弱ってくると、
ろくに飯も与えず一部屋に閉じ込めきりにして、
やはりぱたぱたと死なせていたという。

また小作や使用人への当たりもたいそう非道いものだったらしい。
そうして溜め込んだ、百姓にはそれほど必要のない金銀を、
夜中にこっそり壷から取り出しては、
暗い灯火の下で数えるのが唯一の生き甲斐だった。

まだ冬のさなかのある夜、この百姓が夢を見た。
どこか遠くのほうから土の中を掘り進んで百姓の家にやってくるものがある。
人ほどの大きさもあるミミズで頭に人の顔がついているようだが、
夢の中のせいか霧がかかったようにはっきりしない。

その化け物が生け垣の下から庭に入り込んできて壷のある場所にいき、
壷を割って中の大切な金銀をむさぼるように食べている。
そしてすべて食べ終わると、ぐるんぐるんと
土の中で輪をかいて踊るという夢だ。

この百姓にとって、これほど怖ろしいことはない。
たんなる夢とは片づけられないじつに気がかりな内容だった。
そこで次の日の夜中に、土用にもかかわらず壷を掘り出してみることにした。
龕灯と鍬を持って庭に下り掘り返すと、壷は割れた様子もなく、
もとのままで、口にした封にも変わった様子はない。

やれうれしや、と壷を手に取ると壷の下に幼い女の子の顔があった。
その顔は両目からたらたらと涙を流していて、
一気に百姓の肩あたりにまでのびあがった。
夢で見たとおりの土まみれのミミズの体をしていた。

目の前で涙を流している顔を見て百姓はあっと思った。
それはずいぶん昔、まだ貧しい頃に、女房が死んで育てられなくなり、
人買いに渡した自分の娘の顔だったのだ。
こういうのが土用坊主らしい。