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アフリカの呪術について

2019.08.17 (Sat)
アーカイブ165

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昨日、「アフリカのA子の話」という記事を書きましたが、
現在のオカルト界で、アフリカの宗教や呪術って盲点に
なってるんですよね。よくわからないことがたくさんあります。
その原因の一つとしては、アフリカが複雑すぎることです。
ですから、本項もおそらくまとまらない話になると思います。

いちおう国家というのはありますが、アフリカ住民の中には、
自分がどこの国に属してるのか知らないという人も多いんですね。
たくさんの部族があり、国境をまたいで居住していたり、
時期によって、国境を越えて移動したりもします。

もう一つは、ひじょうに調査が難しいということです。
アフリカは危険な地です。政情不安や治安悪化のために危険という
こともありますが、それ以前に、簡単に人が死にやすい場所なんです。
猛獣や毒を持つ生物、疫病など、さまざまな危険があります。

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空港があり、ビルが立ち並ぶ首都の街はそれなりに安全でしょうが、
道路が舗装されておらず、密林が生い茂っているようなところは、
衛生がいきとどいた日本から人が入っていくと、簡単に死んでしまいます。
いまだに暗黒大陸という言葉が生きているんですね。

2011年でしたか、世界中旅行してブログにアップしていた夫婦が、
アフリカに滞在した後、次の旅行地でそろって死亡しました。
2人ともマラリアに感染していたようです。
疫病の予防注射もありますが、いまだ正体の不明な熱病、
赤痢系の病気もあり、それだけではなかなか防げません。

亡くなったブロガー夫妻


19世紀から20世紀初頭、欧米の探検家が多数アフリカで
亡くなっていますし、探検家ではありませんが、日本の野口英世も
ガーナで黄熱病に倒れました。そういった事情から、
アフリカの呪術については、十分な研究がなされてないんです。
ですから、自分がこれから書く内容もごく大雑把なものですので、
そのつもりでお読みください。

野口英世
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さて、アフリカの呪術と言えば、まず思い浮かべるのが、
「ウィッチドクター」でしょう。神や精霊の力を借りて病気を治します。
薬草なども用いますが、どれだけ効果があるかは不明です。
これは、科学という概念が未発達の社会ではしかたのないことです。
ブラセボ効果もあるので、実際に病気が治ることも珍しくはありません。

日本でも、江戸時代の医者はオマジナイを書いた護符を患者に
飲ませたりしていましたし、昭和の時代になっても、
赤ん坊の疳の虫をとる拝み屋などがあちこちにいました。
家族が病気になると、医者にかかるお金がない人たちは、
呪術に頼るしか方策がなかったんです。

ウィッチドクター
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アフリカの国の多くでは、法律で人を呪う行為を禁じています。
ただし、ウィッチドクターは認められている場合もあります。
ウィッチドクターは、病気だけではなく、
部族内での人間関係のもつれをほどいたり、悩み事を解決するなど、
精神科医のような役割も果たしてるんです。

ですから、部族内での信頼は絶大です。2001年のガーナでは、
ウィッチドクターに処方された呪術的なローションを2週間使用した後、
不死身になったことを確認するため、友人に自らを銃で撃たせて死亡した
男性がいて、この人物は、その年のダーウィン賞に輝いています。

関連記事 『ブラックジョークについて』

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さて、アフリカの呪術の分析が難しいのは、その呪術のパワーの源が何か、
はっきりしないことです。一般的に、① 呪術の儀式そのものに力がある。
② 呪術師自身が力を持っている。 ③ 神や精霊の力で呪術が成就する。
この3つがあって、③の場合が最も多いんですが、どんな神や精霊が
いるのかは、部族ごとにまちまち、バラバラなんですね。

アフリカの部族の多くがアニミズム的な宗教のため、
調査しきれないんです。「モケーレ・ムベンベ」や「エメラ・ントゥカ」
など、UMAのカテゴリに入ると考えられている存在も、
もしかしたら実際にはいない、精霊の一種かもしれません。

コンゴのUMA「エメラ・ントゥカ」、恐竜説、サイ説、精霊説がある
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関連記事 『恐竜とオカルト』

さて、アフリカの呪術で、最近世界的な話題になっているのが、
「アルビノ殺し」です。アフリカ東部のタンザニアやモザンビークでは、
ウィッチドクターの作る魔法薬がいまだに広く用いられていて、
権力や幸せ、健康をもたらすポーションと呼ばれる薬を作るため、
アルビノ(先天性色素欠乏)の人間の身体の一部が使われます。

タンザニアでは、アルビノの人の死体が約900万円で取り引きされ、
これは現地の経済状況を考えれば、日本だと億の単位のお金です。
そのため、生きているアルビノの人が殺される事件が多発し、
タンザニア政府は、法律で呪術を禁止しましたが、
なかなか収束しない状況です。

政府に保護されるアルビノの子ども
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さてさて、ということで、アフリカの呪術を見てきましたが、
呪術で最も大切なのは、人々がそれを信じていることです。
社会の中における呪術の位置づけが大きいほど、
それが効力を発揮する場合が多いんですね。

ですから、科学的な常識が教育で広まり、西洋医学が発達した現代の
日本では、呪術の力は薄れています。ですが、
癌や難病を治すことができるという怪しい民間療法や食品も
まだまだ生き残っていて、呪術と人間は切り離せないものであることが
わかります。では、今回はこのへんで。

関連記事 『アフリカのA子の話』

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ゴリラの死生観は

2019.08.16 (Fri)
アーカイブ164

独特なフォームの手話を習得したゴリラとして有名になり、
ロビン・ウィリアムズやレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリー
などのセレブが会いに来ることでも知られていたココが死亡した。
ニシローランドゴリラのココが,米国時間6月19日に46歳で
永眠したと、ゴリラ財団が公表した。

同財団の声明にはこのように記されている。「ココは全ゴリラの親善大使として、
異種間の交流と共感の象徴として、何百万という人間の心に感動を与えました。
彼女は生涯愛され、今後も人々の記憶に残るでしょう」
(朝日新聞デジタル)

今回はこのお題でいきます。アメリカで、いや、もしかしたら世界で
最も有名な雌のゴリラ、ココが亡くなったというニュースですね。
46歳ということです。眠ったまま亡くなったとニュースにはありますが、
死因は書かれていません。老衰なんでしょうか。

ニシローランドゴリラの寿命は野生では30~40歳、
飼育下では50歳前後だと考えられているので、
まあ、大往生ということなのかもしれません。このゴリラのココがなんで
有名になったかというと、手話を覚えて人間と意思の疎通ができたからです。

生後3ヶ月で病気にかかっているとき、ココは発達心理学の研究者の
フランシーヌ・パターソン博士と出会い、手話を教わることになります。
2012年の時点で、使うことの出来る手話は2000語以上になり、
嘘やジョークを言う事もあったとされます。

ココとパターソン博士


これは有名になりますよね。金髪の女性学者とゴリラのツーショットは
絵になりますから。ココは数の概念を理解していたともされ、
虫歯になったときに、痛みの強さを1から10までの数字でどのくらい?
と聞かれると、9から10と答えたとも言われます。

ただ、これらの報告には批判もあります。ココが用いていた手話は、
アメリカの障害者が使用している体系的なものではなく、
パターソン博士との間でしか通じない独自のものが多いんですね。
ですから、ココが言ったとされる内容の中には、
パターソン博士による恣意的な解釈が含まれている可能性があります。
その点についてはご注意ください。

さて、では、ココのエピソードをもとに「動物はどのような死生観を持っているのか」
について考えていきたいと思います。1983年のクリスマス、
パターソン博士がココに、猫が出てくる絵本を読み聞かせていると、
ココは手話で、猫がほしいと博士に訴えました。

そこで最初、ぬいぐるみのネコを与えたが、ココは気に入らず、
手話でくり返し「悲しい」と訴えました。そこで、その年のココの誕生日に、
小さな子猫たちを連れてきて、ココに一匹選ばせました。
ココは灰色と白の混ざった子猫を選び、その猫は「ポール」と名づけられました。
ココはまるで自分の子どものようにボールをかわいがって世話をし、
赤ちゃんを抱くように連れて歩き、一時期、授乳しようとさえしました。

ココとポール


ところが、残念なことにポールは、研究所の外で、車に轢かれて死んで
しまったんですね。研究者たちは、そのことをココに手話で伝えました。すると、
ココは悲しそうになにかを訴えるような鳴き声をあげ始め、それは、
ゴリラが嫌なことがあったときの声でした。それを聞いたパターソン博士ら
研究者もココといっしょに泣いたそうです。

ここまでのところ、ココは「死」といことについて理解しているように見えます。
では、他の研究ではどうでしょうか。チンパンジーについては、
さまざまな事例が残っています。例えば、イギリスの霊長類学者、
ジェーン・グドールの研究では、母親を亡くしたオスのチンパンジーが、
悲しみのあまり、じょじょに鬱状態になって食事をとらなくなり、

やがて衰弱して死んでいく様子が克明に記録されています。
ただ、これだけだと、残された子どものチンパンジーが悲しんでいるのは、
「母親がいなくなった」からで、必ずしも「死」というものを
理解しているとまでは言えないような気がします。

また、英オックスフォード大学のドラ・ビロ率いる研究チームが、
アフリカのギニア・ボッソウ周辺の森林にあるチンパンジーコミュニティーで
行ったも研究では、子どものチンパンジーが死亡した場合、
母親のチンパンジーは、遺体を数週間から数か月にわたって持ち運びました。

ミイラ化した子どもを背中に乗せて運ぶチンパンジー


持ち運んでいる間に遺体はミイラ化してしまいますが、
母親は強烈な腐敗臭にもめげず、まるで遺体が生きているかのようにあつかい、
どこへ行くにも持ち運んでいたが、やがて、母親は徐々に遺体を手放すようになり、
他のチンパンジーが遺体をさわることを許すようになったそうです。

うーん、この例でも、どこまで「死」が意識されてるのかはわかりにくいですね。
ココの話にもどって、パターソン博士がココに、手話で「ゴリラはいつ死ぬのか?」
と聞いたところ、「年をとり 病気で」と答え、
「そのとき何を感じるのか?」という質問には、「眠る」とだけ答えたそうです。

また、「死んだゴリラはどこへ行くのか」と聞くと、
「苦痛のない 穴に さようなら (comfortable hole bye)」と答えました。
別の機会に「何がココを不安にさせるの?」と聞くと、
「埋める 穴 (stop hole)」と答えたこともあるそうです。

さてさて、これが本当だとしたら、ココは「死」を理解しているように思えます。
ココはテレビを見ていましたので、「死」が「穴」と結びついているのは、
埋葬の場面を見たことがあるのかもしれません。今ごろは、
心配や苦しみのない穴の中で安らかに過ごしているでしょうか。

ゴリラやチンパンジーは、人間と違って宗教を持たないでしょうから、
神、来世、天国、輪廻などの概念がなく、死というものをシンプルに捉えて
いるように思えます。もしかしたら、まだ宗教が発生していないころの人類も、
そんな感じだったのかもしれませんね。では、今回はこのへんで。






アーカイブ 感傷旅行の話

2019.08.09 (Fri)
今晩は、よろしくお願いします。この春、高校を卒業して大学に入学しました。
といっても、エスカレーター式だったので、受験勉強はなかったんです。
だから、春休みもヒマでやることがなくて。
それが、女子校だったので、彼氏とかいないんですよ。部屋でゴロゴロしてたら、
親が見かねたのか、「旅行にでも行ってきたら」ってお金をくれたんです。
大学の入学祝いのつもりなんだと思います。でも、旅行といっても、
一人でデズニーランドとか行ってもつまらないじゃないですか。
かといって、温泉なんて趣味もないし、ちょっと困りましたが、
あれこれ行き先を考えてみたら、小学校6年生のときに1年間だけ過ごした、
地方都市はどうだろうって思いついたんです。そこは、父の仕事の都合で、
その年だけ一家で引っ越したんです。

私にとっては、初めての転校だったので、緊張して過ごした1年間でした。
だから、あんまり友だちもできなかったし、そのときの同級生で、
今も連絡を取り合ってるような人はいないんです。名前もよく覚えてないです。
かといって、いじめられたってこともなかったし、
いい思い出も、悪い思い出もないような場所だったんですよ。
じゃあ、何でそんなところに旅行に行こうと思ったのかって?
うーん、それは、思いつきとしか言いようがないです。
母に行き先を決めたことを言うと、「ああ、○○市、懐かしいわねえ」
こんな反応が返ってきました。ネットで調べて、
駅前のビジネスホテルに宿泊することに決め、1泊2日で出かけたんです。
その市までは電車で3時間ほどかかるので、朝に出発して、

着いたのがお昼少し前ぐらいでした。駅から下り立って、
ああ、何か見たことがある場所だとはすぐに感じました。
でも、私の頭の中にあったイメージよりも、ずっとせまくて閑散としてたんです。
まあ、過ごしたのは小学校のときだったし、転校した不安感で、
その当時の私には大きく広く感じていたのかもしれません。
あと、過疎化が進んでいるせいもあるんだと思います。駅の隣の旅行案内所で、
レンタサイクルをやっていたので、自転車を借りました。
まず、私の家族が住んでた社宅に行ってみようと思いました。
なんとなくですが、道はわかるような気がしたんです。
駅前の商店街はのきなみシャッターが下りてて、たまに年寄りが歩いてるだけ。
若い人の姿はほとんど見かけなかったですね。

自転車で10数分、見覚えのあるような、ないような景色の中を川沿いに走ると、
大きな橋に出ました。この橋を渡った先に、確か社宅の団地があったはず・・・
でも、それはどこにも見あたらなかったんです。
たしかにこのあたりだと思った場所には、新しいコンビニが建ってました。
そこに入って飲み物を買い、そのときに社宅の話を出してみましたが、
店員さんはわからないようでした。無理ないかと思いましたが、
だんだんつまらなくなってきて、この旅行は失敗だったかなあと考えながら
橋を渡っていくと、道沿いにバス停があったんです。
「あー、あれ覚えてる」そこの街はかなり雪が降るところで、
小学校の学区の外れに社宅があった私は、冬場にバスを利用してたんです。
はい、そのバス停は木とサッシでできた、人が中に入れるものでした。

やっと懐かしいものを見つけたので、自転車を停め、サッシ戸を開けて入ってみました。
中にはベンチが2つあり、座ってみると、自分でもびっくりするくらい、
小学校6年のときの気分に近づいたんです。ああ、たしかに、
この街で1年間過ごしたんだよなあって。ベンチは柔らかい木でできてて、
シャーペンの先で引っかいたような落書きがたくさんありました。
今も子どもたちが利用してるのかもしれません。それらを見ていると、
中に、「松野由希子 死ね」と書かれたものがあって、それが記憶に引っかかったんです。
「え、松野由希子、覚えてるかも」それと、その字なんですが、
私の字によく似てたんですよ。「えーこれ、子どもの頃に私が書いたんだろうか」
で、松野由希子のことを思い出したんです。クラスは違ってましたが、
たしか委員会がいっしょで、そこの小学校で過ごした中で一番親しかった子です。

「あれー、何で、今のいままで忘れてたんだろう。それに、これ書いたの私だとして、
 どうして、死ねなんて・・・」でも、それ以上のことは思い出せなかったです。
その落書きは、かなり深く彫られていて、その上に重なるようにして、
細い字で別の落書きがあったんですよ。何て書いてるかわからず、
顔を近づけてみると、「この子 殺してあげる」と読めました。
「えっ!」胸がドキッとしました。でも、私の落書きに反応して書いた、ただの
イタズラ書きだろうって考え、それでも気味が悪いので、松野さんについて、
とにかく思い出そうとして・・・「ああ、そうだ、この子の家、写真屋さんだった」
小学校への途中にある小さい街の写真館で、何度か一緒に帰ったときに、
松野さんがバイバイと手をふって写真館に入ってった記憶があるんです。
それで、また自転車に乗って、小学校への道を進んでいきました。

でも、道の両側のどこにも写真館なんてなかったんです。
小学校はありましたが、これも自分の記憶にあるよりずっと小さくて、
子どもたちの歌声がかすかに聞こえてました。「おっかしいなあ」 写真館は、
たしか学校から5分ほどのとこにあったはずで、でも、町並みは古いのに、
どこにも見つからず、このあたりだと思うところには、神社がありました。
けっこう新しい神社です。もしかしたら写真館がつぶれて、
その跡にこれが建ったのかもしれない。自転車を停め、小さな鳥居をくぐってみました。
お社も小さく、使われてる木は白くて、やっぱり新築のものでした。
とりあえずお賽銭を入れて鈴を鳴らし、手を合わせると、急にめまいがして、
地面に手をついてしまいました。心臓がドキドキして立ち上がれず、
そのままでいると、おみくじを売る建物から白い着物の人が出てきました。

年寄りだったか若かったかも覚えてません。その人はしゃがみ込んでいる私の横に立つと、
「なんでここに来た! すぐに帰りなさい、神様が怒っている!」って言ったんです。
その剣幕に押されて私が立ち上がると、その人は口調を変え、諭すように、
「ここはねえ、あんたのために死んだ子を祀ってる神社だ。
 そのあんたがここに来るなんて、とんでもないことだから」その言葉で、
心臓を手でつかまれたような気がして、私は反射的に立ち上がりました。
それで、具合は悪かったんですが、神社を走り出て、自転車に乗って
駅まで逃げたんです。はい、もうその街にいる気にはなれませんでした。
ホテルはあとでキャンセルすることにし、自転車を返して電車に乗って戻ったんです。
体調は相変わらず悪く、電車のトイレの中で何度も吐きました
ぐったりした状態で自分の街に着き、タクシーで病院に行くと、

あれこれ検査をされましたが、特に異常は見つからず、
両親に迎えに来てもらって家に帰ったんです。両親には、
具合が悪くて旅行を中断した、と言い、あの1年間についていろいろ聞きました。
「私があの街にいたとき、殺された女の子っていた?」
「松野由希子さんて覚えてる?」 「小学校に行く途中に、神社ってあった?」
でも、父も母も、どの問いにも「覚えてないなあ」って言うだけでした。
ですから、自分でもあの街であったことが、本当に起きたことなのかあいまいになって、
神社でのことや、もしかしたらバス停の落書きも、
体調が悪くて見た、夢みたいなものなんじゃないかって思えてきたんです。
家について、どうしても気になったので、怖かったけど、
その小学校の卒業アルバムを押し入れから探し出し、

おそるおそる見てみました。でも、自分のクラスはもちろん、
他の3クラスにも、松野由希子って子はいなかったんです。それなのに、
松野さんのことは思い出すんです。図書委員会で、2人で残って遅くまで
図書カードを整理したり、本の破れを修繕したり・・・本の好きな優しい子だった
気がするんですが、ただ、松野さんの顔がどんなだったかは記憶に残ってなくて。
その後、3日ほどたってから、インターネットでも調べてみました。
何かの犯罪の被害にあった、松野由希子って子どもはいません。
事故や自殺まではわかりません。そこでもう、考えるのをやめようと思ったんです。
もしかしたら、小学校に連絡すれば何かわかったかもしれないんですが・・・
最後に、あの街の地図を出して神社を見てみました。たしかに道ぞいに鳥居のマークは
ありました。でも、ホームページなどもなく、神社の名前はわからなかったです。








P・T・バーナムとオカルト

2019.08.04 (Sun)
アーカイブ162

今回はこういうお題でいきます。カテゴリはオカルト論です。
昨年、『グレーテスト・ショーマン』というアメリカ映画が公開されましたが、
みなさんの中で、ご覧になった方はおられるでしょうか。この映画、
なかなか評価の難しい内容で、アメリカでの評論家の意見も分かれています。

P・T・バーナム
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さて、映画の主人公になったP・T・バーナムは、19世紀に活躍した
アメリカの興行師です。アメリカの国土はひじょうに広いですよね
しかも、ふだんは娯楽がほとんどない田舎町が数多く点在しています。
かつてアメリカの興行師は、自分の目玉となる展示物をかかえて、
そういう町々を興行して回ることが多かったんです。

そのような見世物の中には、インチキなものがかなり混じっていました。
バーナムが最初に手がけた興行もその類で、1835年、彼は、
年老いた黒人奴隷の女性ジョイス・ヘスを、安価な値段で買い取りました。
これはもちろん、リンカーンによる奴隷解放宣言以前の話です。

バーナムが創始した「リングリングサーカス」


で、バーナムはどうしたかというと、「ジョイス・ヘスは今年で160歳になり、
アメリカ初代大統領、ジョージ・ワシントンの乳母をしていた」というふれこみで、
アメリカ全土を興行して回り、たいへんな成功を収めたんですね。
ちなみに、ジョイス・ヘスが亡くなった後、その年齢が調査され、
70歳を超えていないことが判明しています。

こういう形で、何もないところからネタを作って金を産み出すのが当時の興行なんです。
これは日本でも同じでした。日本の見世物の伝統は古く、江戸時代以前からあります。
「大イタチ」という話は有名なので、ご存知の方も多いでしょう。
見世物小屋の宣伝書きに、「○○山中でつかまえた大イタチ」と書かれていて、
木戸銭を払って入ってみると、大きな板があり真ん中にべったりと血がついている。

つまり「大板血」なわけです。小屋の中に入ってそれを見た人は、
最初は「騙された」と憤慨するものの、やがてその洒落っ気に笑いだしてしまう。
もし、どうしても納得しない客がいれば「お代は見てのお帰り」。
木戸銭を取らなければいいわけで、元手はタダみたいなものなので、
それでも商売が成り立つんですね。

「カーディフの巨人」
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「カーディフの巨人」という、この手の有名な話があります。
ジョージ・ハルという人物が、カーディフという町の郊外に身長3mの石膏像を埋め、
自分で掘り出して、井戸掘削のときに見つかった「巨人の化石」として展示を始めました。
誰が見ても、ひと目で人工物とわかるずさんなものでしたが、いったん興行を始めると、
全米各地から、毎日数百人の見物人が訪れたといわれます。

これに目をつけたのがバーナムです。バーナムはハルに、巨人の貸出を持ちかけ、
断られると、自分で、石、粘土、乾燥卵などを混ぜて第二の巨人を制作、
それを用いて全米で興行を始めました。当然、この巨人について、
アメリカの考古学者などから、本物ではないというクレームがつきましたが、
バーナムは、「世間は騙されたがっている」という言葉を吐いて平然としていました。

この話は、オカルトのある一面を表していると言えます。「ミネソタ・アイスマン」
というのを、オカルトにくわしい方なら知っておられるかもしれません。
1967年、ベーリング海峡の氷塊の中から氷漬けのまま発見されたという、
謎の類人猿型未確認生物がミネソタ・アイスマン(下図)。

「ミネソタ・アイスマン」
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この正体は、じつはハリウッドで制作された着ぐるみなんですが、全米各地で
巡回興行されて大評判になりました。もちろん疑いを持つ専門家も多かったんですが、
バーナムの言葉どおりの結果になったんですね。この手のオカルトは、
手を変え品を変え、現在でもいろんなものが出回っています。

「巨人ネフィリム」の生きた化石(笑)


さて、バーナムにはもう一つの名言が知られていて、「どんな人にでも当てはまる
要点というものがある」というものです。アメリカの心理学者ポール・ミールが、
このことを証明しようとして実験を行い、結果を「バーナム効果 Barnum effect」
と名づけました。これは現在でも、心理学用語の一つになっています。

どんな実験が行われたのか。フォアという心理学者が行ったものを見てみましょう。
フォアは、学生たちを被験者にして、簡単な心理テストを行い、その結果として、
「あなたは他人から好かれたい、賞賛してほしいと思っており、
 それにかかわらず自己を批判する傾向にあります.」

「あなたは弱みを持っているときでも、それを普段は克服することができます」
「あなたは使われず生かしきれていない才能を、かなり持っています」
「あなたは人前では自制的ですが、内心ではくよくよしたり不安になる傾向があります」
などの分析結果を示しました。ですがこれ、心理テストとは何の関係もない、
雑誌などに載っている占いの内容を、適当に組み合わせただけのものです。

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ところが、学生たちにこの結果が自分に当てはまっているかどうかを
5段階評価させると、学生たちの平均は4.6。つまり、ほとんどの学生が、
「このテスト結果はよく当たっている」と考えたことになります。
バーナム効果はくり返し追試され、その正当性が認められています。

その後の実験で、バーナム効果は、
・被験者がその分析は自分にだけに適合すると信じている
・被験者が評価者の権威を信じている ・分析が前向きな内容ばかりである
という3つの条件を満たすときに、最も強く発揮されることがわかっていて、
じつは、これを利用している占い師は多いんですよ。

さてさて、ここまで見てきたように、興行師バーナムは心理学者ではありませんでしたが、
人間がどういうものか、たいへんよく理解していました。それがあったから、
数々の興行を成功させ、現在のオカルトにつながる源流を作っていったわけですね。
では、今回はこのへんで。

関連記事 『リーディングの話2』

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アーカイブ 冥婚の話

2019.07.28 (Sun)
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正月早々、あまり縁起のよくない内容になりますが、今回はこういうお題でいきます。
「冥婚」をWikiで見てみると、「生者と死者に分かれた異性同士が行う結婚のこと。
陰婚、鬼婚、幽婚などとも言う」と出てきます。中国をはじめ、東アジアで
広く見られる風習です。中国だと、山西省、陝西省、河南省あたりが多いですね。

中国の冥婚は、およそ3000年前からあったと考えられています。
『三国志』には、魏の曹操が、かわいがっていた八男の曹沖が13歳で未婚で
死んだため、葬儀にあたって、同時期に亡くなった甄氏の娘の遺体をもらいうけ、
妻として一緒に埋葬したという記述があります。

元来、中国の冥婚は、「未婚の死者同士を結婚させる」ものだったんですね。
では、なぜこれが行われていたのか。中国の宗教は基本的に、
儒教をベースとして、それに民間信仰である道教が混じったものです。
儒教では、祖先の霊を祀ることが重視されます。

日本の仏教では、位牌を用いる宗派が多いですが、これはインドで生まれた
原始仏教にはなく、中国の儒教の葬送儀礼が形を変えて持ち込まれたものです。
おおざっぱな話をしますと、中国の死生観では、
天界には天帝を始め天人がおり、仙界には仙人、人界には生きた人間がいる。
そして、死んだ人間は地下の冥界に行くことになります。

このとき、結婚して自分の家族を持たない人間は、
供養してくれる子孫がいないため、「鬼 キ」と化すとされます。
ここでいう鬼とは、角が生えて金棒を持った日本の「鬼 オニ」ではなく、
「幽鬼」、つまり死者の霊のことを指します。

幽鬼 その中でも「僵尸 キョンシー」は死体のまま動き回る


そこで、冥婚という習俗が行われるようになったわけですが、
死者の鎮魂を願ってのものだったんです。中国では、死者の供養として、
紙銭(冥銭)を燃やします。これは死者が冥界で使えるようにするためで、
冥婚では、あの世で一家を構えられるように、
紙の屋敷、召使い、家具、宝石なども大々的に燃やすんですね。

紙銭
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さて、冥婚には、弱い形から強い形まで、さまざまなものがあります。
最も弱い形の冥婚は、日本の山形県で行われる「ムカサリ」に見られる、
「事故や事件、病気などで子供を失った親が、絵や写真で婚儀の様子を描き、
奉納する」という形です。これは、結婚する相手が、
この世に存在しない架空の人物であってもかまいません。

ムカサリ絵馬
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それから、上記した死者同士を結婚させてから埋葬する形、
もっとも過激なのは、婚約者の男性が結婚前に亡くなった場合、女性のほうを
殺してしまうものですね。ただ、これが実際に行われたケースは、
歴史的にそれほど多くはないと考えられます。

さて、2016年、中国、陝西省の交通警察が、2名の女性の死体を乗せた
自動車を発見し、運転していた男ら3人を拘束しました。
調べによると、この2名の女性は知的障害者で、冥婚の相手となるために
殺害されたことが判明したんですね。遺体の値段は、3~10万人民元
(45万~150万円)で、中国の農村部では大金です。

冥婚の相手となる女性の遺体は、以前は公然と売買されていましたが、
2006年に、日本の死体遺棄にあたる法律ができて禁止され、
その後は、未婚の女性の墓が暴かれ、遺骨が盗み出される事件が多く発生
するようになりました。そしてとうとう、殺人が起きてしまったわけです。

このようなことが起きる背景には、中国での、女性と男性の数のアンバランスが
あります。女性のほうが数が少ないので、未婚の男性が多いんです。
これは、以前中国で実施されていた「一人っ子政策」によるところが大で、
もし子どもが一人だけなら、嫁に出さねばならない女子より、
一家を継ぐ男子がほしいのは当然ですよね。

一人っ子政策のポスター
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そこで、妊娠して女児であることがわかったら堕胎したり、
産まれた女児は間引きで殺したり、無戸籍児になったりしました。
また、中国では改革開放により、地方でも大規模な建築工事や土木工事が行われ、
若い男性の死者がたいへん多いんです。これらのことが、
冥婚をめぐっての犯罪が頻発するようになった背後にあるんです。

さて、中国本土と台湾では、冥婚の概念は異なっており、台湾で未婚の
女性が亡くなると、遺族が現金や紙銭、髪の一束、爪などを入れた赤い包み
を表に出して、男性が拾ってくれるのを待つという風習があります。
それを最初に拾った男性が花婿となるわけですが、
素通りするのは不吉とされるため、拾ってくれる男性は多いんです。

これを拾う
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このとき、男性は既婚者であってもかまわないし、未婚でも、その後に
生きている女性と結婚してもかまいません。生きた男性と、亡くなった女性は、
結婚式をあげ、その後男性は、女性の位牌を家において供養します。
一般的な結婚と同様、両家の間に関係ができて、何かにつけて援助してもらえます。
ですから、男性側にもメリットがあるんですね。

さてさて、ということで、本来若くして亡くなった者の冥福を祈って行われる習俗が、
墓暴きや殺人の犯罪を引き起こすことになってしまいましたが、
これは現在の中国が、一方に迷信深い田舎の人々、また一方には、
文化大革命後に生まれた、拝金主義でやったもの勝ちの、神も仏も信じない人間が
混在しているためなんです。では、今回はこのへんで。