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牛のオカルトと差別

2019.10.13 (Sun)
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たいへんな台風でしたね。被害に遭われたみなさまへお見舞いを申し上げます。
今回はオカルト論で、テーマは「牛」にしました。牛は、日本史の中でも
特異な存在です。なぜそう言えるのかは、おいおい説明していきたいと
思います。まず牛そのものの歴史から見ていきましょうか。

牛は、西アジアとインドに原生していたオーロックスという
哺乳類を、人間が家畜化したものだと考えられています。
それが全世界へと広まっていったわけですが、原種のオーロックス
自体は、17世紀に最後の一頭がヨーロッパで死に、
絶滅してしまっています。

オーロックス 目がかわいい
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日本にはオーロックスはいませんでしたので、当然、牛はどこかの時点で、
大陸から移入されたものです。3世紀の『三国志』魏志倭人伝には、
「其地無牛馬虎豹羊鵲」と出てきていて、虎や豹はもちろん、
牛馬もいませんでした。日本に牛が入ってきた時期は、古墳時代前期。
骨は発見されていないものの、牛らしき埴輪が出土しているので、

少数ながら飼育が始まっていたんでしょう。古墳時代後期(5世紀)からは、
牛の骨も出土するようになります。牛は農耕や土木工事等に
使われていましたが、この頃はまだ肉も食べられていたでしょうね。
それが、仏教の殺生戒の影響が強くなり、『日本書紀』には、675年、
「天武天皇が牛、馬、犬、猿、鶏の肉食を禁じた」と出てきます。

また、牛を去勢する習慣も一般的ではありませんでした。
これは余談ですが、戦後に唱えられた江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」は、
各方面から批判されていますが、その反論の一つに、日本では牛馬や羊を
去勢するなど、家畜の管理・品種改良をおこなう畜産民的な文化や習慣が
まったく見られないことがあげられています。

『ローハイド』 野性的で勇敢、田舎者などカウボーイのアメリカでのイメージは多様
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ただし、現在は違っていて、肉牛のオスのほとんどは去勢されています。
そうしないと肉質が柔らかくならないんですね。余談ついでに、
英語の話もしましょうか。英語(特にアメリカ英語)では、牛を表す単語は
多種類ありますよね。少し調べてみました。

「cow」は「乳牛」で、当然ながら雌牛です。オカルトで、家畜の牛が
血を抜かれた状態で死んでいるとされたキャトル・ミューティレーションで
有名になった「cattle」は、家畜として飼われている「畜牛」のこと。
アメリカには野生のバッファローもいますからね。「bull」は、「去勢して
いない雄牛」で、乱暴者、荒くれ者といった意味でも使われます。

キャトル・ミューティレーション
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これに対し、「ox」は、「去勢した雄牛」になります。
「calf」は、「仔牛」のことで、特に生後1年未満の牛に使います。
あとまあ、「beef」というのもありますが、これは「牛の肉」。
開拓者が牛を資源として さまざまに利用していたアメリカでは、
牛の雌雄や年齢、去勢の有無により多くの単語ができました。

ところが、日本だと独立した単語としては「牛」だけで、その他は
「仔牛、雌牛」などの合成語になります。さて、これは牛ではなく、
馬の話なんですが、妖怪譚の一つに「塩の長司」というのがあります。
加賀国(現・石川県)に塩の長司という長者がいて、自宅に300頭もの
馬を飼っていたが、死んだ馬の肉を味噌漬けや塩漬けにして、

塩の長司
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毎日のように好んで食べていました。まあ、死んだ馬を食べるわけですから、
まだ許されていたんでしょうが、あるとき、どうしても馬肉が食べたくなり、
長司は役に立たなくなった老馬を打ち殺して食べてしまいます。その夜、
長司の夢の中にその老馬が現れ、長司の喉に食いつき、

腹の中に入り込んでさんざんに荒らし回ります。その日から、長司が老馬を
殺した時刻になると、老馬の霊が現れて腹の中を荒らし、その苦痛は耐え難く、
長司は苦しまぎれに自分が今までにしでかした悪事を白状し、
もだえ続けました。医者を呼んでも役に立たず、長司は死にますが、
その死にざまは、まるで重い荷物を背負った馬のようだった・・・

かなり謎な妖怪「牛鬼」
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殺生戒と獣肉食を戒める仏教的な説話で、これは馬だけではなく、
牛についても同じことが言えます。獣を殺したり、獣肉を口にすることは
仏教の五戒にふれ、殺生を行なった者は地獄に堕ちるという
説教になってるんですね。農耕民族の日本人としては、ともに田畑を耕した
牛馬を口にするのは感性的にも難しかったかもしれません。

でも、死んだ牛馬をそのままにしておくわけにもいかず、処理する人は
必要ですよね。ここで、差別が生まれます。牛馬の肉、皮を処理する者は
賤業とされ、「穢多」などと呼ばれました。仏教だけでなく、
神道的にも、死骸を処理する職業は穢れが多いとみなされたんです。
被差別民はかたまって住み、職業は世襲されました。

ただまあ、何事にも裏の面はあります。武士が使う武具馬具には、
牛馬の皮革を使ったものも多いですよね。その手の加工業者は、
武士直属の職人集団として保護されたりもしていたんです。
江戸時代には、幕府は長吏頭 弾左衛門という人物に穢多および
非人身分の支配権を与え、皮革の製造加工の権利を独占させました。

第13代弾左衛門
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弾左衛門は10万石の大名なみの財力があるとも言われていたんです。
やがて明治になり、身分解放令が出されて四民平等の世の中になった
わけですが、解放令反対一揆が起きたりして、被差別民は「新平民」
と呼ばれ、差別は続いて現在に至るんですね。

さてさて、ということで、もともと農耕民族としての側面が強かった
日本に大陸から牛馬が移入されて役牛として使われるようになり、
さらに仏教が伝来して、獣肉食、解体業などへの差別が始まりました。
こうしてみると歴史の流れは不思議だなあと思います。
では、今回はこのへんで。

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猿のオカルト

2019.10.04 (Fri)
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今回はこういうお題でいきます。猿のオカルトというと、最大のものは
UMA系の話になるかと思います。ヒマラヤのイエティ(雪男)、
あるいは北米のビッグフットなんかですが、これらについては、
いまいち書く気にはならないですね。

自分はオカルトのジャンルの中ではUMAが一番好きなんですが、
猿人系はそれほど興味をそそられません。もしいたとしても、
新種の猿だろうと思うからです。猿人やギガントピテクスの生き残り
というのは考えにくいでしょう。実際、マウンテンゴリラが
発見されたのは20世紀に入ってからのことです。

有名なUMA画像「モノス」 クモザルの一種の死体を無理に座らせたものと見られている
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ただこれ、よくUMAをあつかったサイトでは、ゴリラのような巨大な動物が
20世紀初頭まで発見されなかったのだから、他にも巨大生物が
生き残ってる可能性はある、みたいな書き方をされてるんですが、
未発見だったのはあくまでマウンテンゴリラ種で、ローランドゴリラ
などは19世紀からヨーロッパの動物園に入ってるんです。

さて、日本における猿のイメージは、「動物の中では賢いけれど、
やはり人間に比べれば劣っている」という感じでしょうか。
「猿真似」 「猿知恵」などという言葉がありますね。中国でも
「朝三暮四」という有名な故事成語の話に出てくるのが猿です。

いちおう説明すると、宋の狙公が宮廷で飼っていた猿に、朝に3つ、
夕方に4つ餌をやると言ったら怒ったので、朝4つ、夕3つにしたら
喜んだ。ここから「目先の違いに気をとられて、実際は同じであるのに
気がつかないこと」という意味で使われます。

日吉神社の神猿(まさる) 山王信仰とかかわりがある
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考古学的には、縄文時代、弥生時代の遺跡から猿の骨が
出土しますので、食べられていたのは間違いないでしょうが、
その数は多くはありません。これは、鹿と猪が大量にいたためと、
木の上で暮らし、すばしっこい猿は、狩るのが難しかったためで
あると思われます。猿肉が不味いからというわけではないようです。

『日本書紀』によると、675年、天武天皇が「牛、馬、犬、猿、鶏」
を食べることを禁じる法令を出しています。これは仏教の殺生戒を
重んじたためですが、4月から9月までの期間に限っていて、
農耕が行われない冬場は、そのかぎりではなかったようです。

さて、アジアでは、古くから猿を神仏の使いとしてみる文化が
ありました。中国の孫悟空、インドのハヌマーンは有名ですね。
日本でも、日吉神社では猿を眷属としていて、
神社のホームページを見ると、「神猿(まさる)」は「魔が去る」
に通じていて縁起がよいと出ています。

インドのヒーロー「ハヌマーン」 孫悟空のモデルともされる
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これは、日吉神社の御祭神の一柱が国津神である
大山咋(おおやまくい)神であることと関係があると思われます。
余談ですが、幼名が「日吉丸」、アダ名が「猿」であった豊臣秀吉は、
日吉神社への信仰が厚く、たびたび寄進をした記録が残っています。

神仏の使いとして尊ばれる一方、猿にはまた、妖怪「猿神」としての
話も残っています。『今昔物語』には、美作国(岡山県)での出来事として、
「猿神が年に一度、女を生贄に求めることが続いていて、その年は
ある若い娘に白羽の矢が立ち、両親ともども嘆いていたところ、
犬を連れた若い猟師が現れて娘のかわりに櫃に入り、

運ばれた先で大猿が100匹ほど手下の猿を連れて現れた。
猟師と犬はすべての手下の猿を倒し、大猿は二度と生贄を求めないと
命乞いしたので逃してやった」という内容が出てきます。
この類話は全国各地に見られ、戦国時代の実在の武将・武芸者、
岩見重太郎の狒々(ひひ)退治の話としてまとめられます。

岩見重太郎(薄田兼相)の狒々退治
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妖怪としての狒々は、猿に似ているがずっと体が大きく、
たいへんに力が強くて人間の女性を好み、襲ったり生贄として求めたり
するとされます。ただ、日本には大型の野生の猿はいないので、
中国から移入されたものでしょう。前4世紀の『山海経』には
狒々の話がすでに出てきていますね。

さて、ホラー小説で猿をあつかったものは、『猿の手』などがありますが、
ここでは史上初の推理小説と言われる、エドガー・アラン・ポーの
『モルグ街の殺人』をあげておきましょう。みなさんご存知でしょうが、
モルグ街のアパートメントの4階で、2人暮らしの母娘が
非人間的な方法で惨殺される。

この解決に乗り出すのが、素人探偵のオーギュスト・デュパンです。
映画だと、これもいろいろありますが、ジョージ・A・ロメロ監督作品、
1988年の『モンキー・シャイン』が印象に残っています。筋は、
ある陸上選手が交通事故に遭い、首から下が麻痺してしまいます。

『モンキー・シャイン』
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絶望した主人公に、友人の生物学者は身の回りの世話をする
ヘルパー猿、エラをプレゼントします。エラはたいへん賢く、役に
立ちましたが、これは密かに人間の脳細胞のエキスを注入されて
いたためです。うーん、映画として成功作とは言いにくいと思いますが、
ロメロ監督の密室劇は、異様な迫力はありました。

さてさて、ということで猿のオカルトについて見てきましたが、
いまいちまとまらない内容になったかもしれません。
記事としては、生物学関係で猿についてもう1本書ける
ような気がします。では、今回はこのへんで。

関連記事 『ハリ―・ハーロウの光と闇』

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「道 タオ」って何?

2019.10.03 (Thu)
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今回はこういう大それたお題でいきます。これについては、自分も
よくわかってるわけではないので、おそらく、中国哲学をガチで
研究してる方から見れば、噴飯ものの内容じゃないかと思います。
ですから、この記事はスルーされるか、読まれるにしても
眉に唾をつけてお願いしたいところです。

さて、「道」は、道家の思想の中心をなす概念です。道家は、
老子と莊子の思想を信奉する人々の集まりで、
魏晋南北朝時代に隆盛しました。また、このころにできた
教団道教も、その中心に老莊の思想を置いています。

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では、思想の大もとになった老子とはどういう人物なのか、
これについては中国でも歴史的に大きな議論があります。
生没年や詳しい生涯はまったく不明で、現在の中国社会科学院でも、
実在説と非実在説の両論が唱えられているんです。

また、老子が生きた時代もはっきりしません。大ざっぱに言って、
儒家の始祖である孔子よりも前の時代の人物、同時代の人物、
孔子以後の人物と3つの説があるかと思います。なぜこれほどわからない
かというと、老子について、ある程度まとまった記述が出てくるのは、
前1世紀ころに書かれた司馬遷の『史記』ですが、

分量が少ない上に、内容に矛盾が見られるためです。『史記』によると、
老子の姓は「李」で、周王朝の小役人を務めていたが、
周に衰退のきざしが見られると、職を持して故郷へ帰ろうとした。
そのとき、関所の役人に『老子道徳経』という上下2巻の自著を
与えて去っていったとあります。

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『老子道徳経』は実在する書物で、中国の戦国時代の墳墓から、
これが書かれた竹簡が出土していますので、少なくとも前漢以前に
さかのぼる古いものであることは間違いありません。
前述した『史記』には、「孔子が老子を訪ね、礼について教えを乞うた」
という記述があり、孔子と同時代人とも考えられます。

後世、儒教は中国の歴代の国で国教化されていましたので、
儒家はこれを屈辱的として、老子と孔子は同時代人ではないなど、
いろいろな形で否定しようとしました。ということで、老子について
論じようとしても資料が少なく、わからない、わからないの
連続になってしまうんです。

「竹林の七賢人」
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さて、主題にもどって「道 タオ」とは何か? これは幅広い概念で、
老子自身は、「名づけることはできないのだが、仮に道としておく」
と述べています。現代では、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在など、
やはり広い意味で解釈されることが多いですね。老荘思想は
近代になって西欧社会に広まり、多くの西洋人を惹きつけました。

「道」を実践するための方法が「無為自然」です。自然の法則に
逆らわず、自分から積極的に行動しない、高みをめざさないことが
よいされました。それをよく表しているのが、「上善は水のごとし」
という言葉で、水はけっして高いところには流れない。低い場所へと
地形にしたがって進んでいき、途中に障害物があってもよけて通る。

これは人間で言えば、社会の中で成功をめざさないと考えることが
できるかもしれません。地位や名誉、財産は、いくらあっても、
もっとほしいという欲が出てきりがない。ならば、最初からそれとは
かかわらない生き方をしようということです。世を捨て、山中や
竹林に入って庵を結び、簡素な生活を送るのが理想とされました。

老子と牛はセットになっています
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道家は一つには、儒家のアンチテーゼとなっています。儒家の思想は
「徳治主義」。つまり、天命を受けた皇帝や王は、徳をもって
人民を治めなくてはならない、帝王の徳が高ければ、
それが人民にも伝わって理想的な国家になるというような論理です。

これに対し、『老子道徳経』に描写される理想の国は、権力のない、
ほとんど村規模の牧歌的な小国です。隣の国とは犬の吠える声が聞こえる
ほどの近さで、船や車、武器や甲冑も必要ない。食料、衣服、住居は
すべて自給自足で、何か物事を伝達するには縄の結び目程度があればよく、
文字さえも必要ない・・・こんな感じなんです。

中央が太上老君(老子)
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さて、老子の思想と道教はどう違うのか。3世紀ころ、中国に古くからある
神仙思想をもとに成立した道教では、老子は「太上老君」という最高神の
一人になっており、崑崙山に住み、『抱朴子』などによれば、
口がカラスのクチバシ、耳の長さは7寸(18cmほど)、額に縦じわが
3本あり、牛に乗った姿で表されることが多いですね。

道教では、内丹術、外丹術を修めて最終的には不老不死の仙人に
なることが究極の目的であり、道であるとされましたが、老子が
そういうことを言ったり、書物に書いているわけではありません。
道教の権威づけに、老子の思想が利用された面があると思います。

仙人のイメージ
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さてさて、ここまで老子の思想、「道」についてみてきましたが、
何も言ってないようなもんですね。やっぱり書かないほうがよかったのかも
しれません。現代の中国は、文化革命以後、宗教をふくむ古来の価値観が
否定され、精神世界が空洞のまま、他人を蹴落としてのし上がろう、
何をやってでも儲けようとする拝金主義の世の中になっています。

しかし、いくら高みをめざしても、万人がすべて成功するわけはなく、
必ず多くの挫折があります。そういうときに、ふとふり返ると老荘思想が
あるんですね。必ずしも社会的成功だけが幸福な人生ではないと。
これは現代の日本にもつうじる面があるのかもしれません。
では、今回はこのへんで。

関連記事 『中国の幽霊』

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天使のオカルト

2019.10.01 (Tue)
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今回はこういうお題でいきます。youtubeなどの動画サイト、
あるいは画像検索でもいいですが、「Angel caught on camera」
で検索してみると、さまざまな天使がカメラにとらえられています。
その大きさも、昆虫程度の小さいものから、人間くらい、
あるいは空いっぱいに大きいものまでいろいろ出てきますね。

これらは作り物ではなく、実際に撮影したと投稿者が主張する
場合がほとんどです。日本だと、心霊画像、動画の投稿が多いですが、
海外では似たようなことが天使で起きてるんですね。
では、なんで日本には天使の目撃例は上がってこないのか?

『受胎告知』に登場する中性的な天使
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これは、日本がキリスト教国ではないから、という答えが最も正解に
近いんでしょうが、さすがにそれだと身もフタもないですよね。
天使は基本的に神の御使いです。ですから、異教徒あるいは
無神論者だらけの日本にこそ、神が天使を派遣する理由がある
と言うこともできなくはないでしょう。

さて、天使はキリスト教のもとになったユダヤ教にもいますし、
イスラム教の天使はキリスト教と重なってたりするんですが、
本項では、主にカトリックにおける天使の話をしていきたいと思います。
天使(angel)の語源は、 ギリシア語の(angelos アンゲロス)から
きていて、伝令という意味。ラテン語じゃないのはちょっと意外です。

天使はもちろん神がお創りになったもので、最高の創造物とされています。
ただし、神は全知全能ですが、天使はそうではありません。
天使は肉体を持っているのかどうか? これはキリスト教内でも
古くから議論が分かれてきましたが、基本的には肉体を持たない存在で、

ヤコブと力比べをする天使
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必要があれば姿形をともなって人間の前に現れる、と考えられることが
多いようです。その場合、多くは白いトーガのようなものを着て、白鳥の
翼を持った中性的な姿で描かれます。ただ、初期のキリスト教絵画では
翼はありませんでした。天使が翼を持つようになったのは、おそらく、
ローマ帝国でキリスト教が国教化された頃からだと思われます。

次に、天使には性別はあるのか? これは、ないと考えられています。
多くは女性的な姿で描かれますが、天使の中には、
ヤコブと力比べをした者や、戦場に槍を持って現れた者もいますし、
やはり、その場にふさわしい姿をとることができるようです。

天国から堕ちるルシファー
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『新約聖書』のマタイ伝、最後の審判の描写には、「復活の時には、
彼ら(復活した人)は娶ったり、嫁いだりすることはない。彼らは
天にいる天使のようなものである」と出てきていて、これが天使に
性別がないことの根拠になっています。ですから、中世までの
絵画には、天使は、顔は女性的でも胸のない姿で描かれていました。

それがルネサンス期になり、ギリシア神話のエロス、ローマ神話の
キューピッドとイメージが混じりあって、現在はかなり何でもあり
になってきています。次、天使には人格や個性があるのか?
見逃されがちですが、これはたいへんに重要な論点なんです。

ローマ神話のキューピッド(クピド)
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キリスト教では、神は自分の姿に似せて人間を創りました。
そして現在ももちろん、全知全能の神は人間の社会を見守っています。
じゃあ、それなのに何で、人間社会は貧困や犯罪などの暗い部分があるのか。
「神が人間に自由意志を与えたため」と解釈されることが多いですね。
ですから、人間の中には自らの意思で悪を為すものもいます。

また、神は同じように、天使たちにも自由意志を与えました。
そのため、天使の中には神に反抗し、天国から堕ちたものもいます。
堕天使です。天使ルシファーは南極に落ち、そこでサタンになったと
されます。まあ、悪魔は堕天使だけではないんですが、
人間の心にさまざまに働きかけ、堕落の世界に引き込もうとしてきます。

漫画『デビルマン』のラストシーン
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人間に自由意志があるからこそ、最後の審判のときに神によって
裁かれるわけです。すべての死者がよみがえり、
自らの意志で善行を積み、信仰に生きた者は天国へ、
逆に、自分から悪の道に入ったものは地獄行きと決定されます。
キリスト教の教義の根幹にかかわる部分なんですね。

さて、天使をあつかった作品はいろいろありますが、小説で自分が
気に入ってるのは、SF作家フレドリック・ブラウンの短編集
『天使と宇宙船』の中の「ミミズ天使」というお話。
主人公のもとで、ありえない奇妙な出来事が連続して起きる。
例えば、ゴルフ場でミミズに羽が生えて天に昇っていったりします。

『ベルリン 天使の詩』
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ミミズは(angle)、天使は(angel)で、つづりが少しだけ違います。
ネタバレになってしまいますが、天国にある神様のタイプライターが
故障しており、4文字目と5文字目が入れ替わってしまってるんですね。
それに気づいた主人公は、修理をするために知恵を絞って
天国へと向かいます。ひじょうにアイデアの秀逸な作品でした。

映画だとそうですね。ヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン 天使の詩』。
ここでの天使は不死ですが、何の力も持たず、ただ人間世界を
見守ることしかできません。そうした天使の中には、天使の地位を捨て、 
寿命のある人間となって地上に降り立つ者もいる・・・映画の中では、
刑事コロンボを演ずる俳優ピーター・フォークも元天使という設定でした。

さてさて、ということで天使のオカルトについてみてきました。
プロテスタントと天使、あるいはイスラム教の天使、このあたりのことも
書きたかったんですが、余白がなくなってしまいました。
また機会もあるでしょう。では、今回はこのへんで。

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耳のオカルト

2019.09.30 (Mon)
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今回はこういうお題でいきます。耳なんかで記事が1本書けるのか、
自分もかなり疑問がありますが、どうなることでしょうか。
前に、「音のオカルト」という項を書いてますので、
それとかぶらない内容にしようとは思うんですが、これもどうだか。

うーん、耳ね。「耳から白い糸」という都市伝説がありますよね。
ピアスの穴を自分で耳たぶに開けようとしたところ、
中から白い糸が出てきたので、引っぱって切ったら、急に周囲が
真っ暗になり、そのときにはすでに失明してしまっていた。

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・・・さすがにありえない話でしょう。そもそも耳に視神経は
通ってないですし、視神経は一般的な糸よりもずっと太いんです。
あと、血糖値測定のために耳たぶから少量採血したりしますよね。
もし耳たぶにそんな危険があるなら、
ああいう医療行為は行われないはずですよねえ。

余談ですが、自分は10年ほど前に仕事で「霊術」の治療家を取材
したことがあります。その人は資格を持った鍼灸師とは違って、
先が曲がったフニャフニャの針を使うんです。あまりに細いので、
刺されてもほとんど痛みを感じず、体内に入っていきます。

治療の様子を見せてもらったんですが、その針を患者の首筋に
ちくりと当て、くいっと手首を返すと、透明に近い釣糸のようなのが
針に絡まって引っぱり出されてきました。
治療家は、「これが肩の凝りのもとになってる古い神経線維です。
切ってやれば楽になります」と言って、プチッと切ったんです。

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これは不思議でしたね。でも、そんなことがあるはずはない。
事務所に戻って考えてみたら、トリックはわかったような気がします。
針に一種の接着剤をあらかじめ少量つけておいて、
肩に刺して引くと、接着剤が糸を引くんだろうと思いました。
まあ、証拠があるわけではないですけど。

さて、耳のオカルトというと他にどんなものがあるでしょうか。
「福耳」というのがあるかな。耳たぶの肉が厚く、
下に垂れ下がっている場合にそう言われることが多いですね。
金運に恵まれ福運があるとされています。
大黒様、恵比寿様はどちらも福耳の相をしています。

福耳 布袋様でしょうか?
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これはもともと、仏教のお釈迦様の姿からきてるんだろうと思います。
「釈迦三十二相 八十種好」と言って、普通の人とは異なる32の
大きな体の特徴があり、さらに80の部分に違いがある。
福耳はその一つです。これも余談ですが、お釈迦様の頭の天辺が
盛り上がってるのは髪型ではなく、あの中に肉が詰まってるんです。

これを肉髻(にくけい)と言いますし、尊勝仏頂とも言います。
なぜ盛り上がってるかというと、その霊験で、あらゆる罪業、
障害などを粉砕する力を持っているからとされます。
この肉髻をほめたたえたお経が「尊勝陀羅尼経」。これを唱える
ことで百鬼夜行から逃れられた話が、『今昔物語』に出ています。

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さて、アフリカのある部族では、耳には勇気や叡智が宿っているとされ、
幼い頃に穴を開け、そこに木の輪っかなどをはめ込んで
どんどん大きくしていく風習があります。
みなさんも写真をご覧になったことがあるんじゃないでしょうか。

また、別の部族では下唇に穴を開けて大きくしたり、
体中に盛り上がった火傷の痕をつくったりもします。
まあ、呪術的な意味合いもあるのかもしれませんが、美の基準は、
時と場所によって代わってくるという好例ですね。

アフリカ人女性
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さて、耳のオカルト、ここからは嫌な話になります。
耳の穴からゴキブリその他の虫が入っていったという事例は、
アメリカ、中国、インド、世界中にあります。まあ、生き物のほとんど
いない極寒の地なら大丈夫かもしれませんが。耳に虫が入った場合、
光をあてるとそれに向かって出てくるといった説もあるものの、

走光性のある虫ばかりではないし、効果は薄いそうです。
また、水や油を入れるのも危険。もし虫が中で死に腐敗した場合、
感染症を起こして命にかかわる可能性もあります。すぐ専門医に行くのが
一番いいでしょう。でもこれ、寝てる間に入ってくるのは防ぎようが
ないですよね。このためだけに耳栓をして寝るのもちょっと。

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さてさて、ということで、雑多な話題をご紹介してきましたが、最後に
少し学術的な話を。耳垢には湿性と乾性があるのはご存知でしょうか。
これはメンデル遺伝をするため、はっきりと出ます。湿った耳垢は顕性、
乾いた耳垢は潜性。日本人全体では、湿性耳垢の割合は少数、
乾性耳垢が多数となっています。

湿った耳垢の人は体質的に体臭が強い傾向にあり、これは生理学的に
間違いはありません。日本人では湿性耳垢の人は約16%。
ちなみに白人の90%が湿性、黒人はほぼ100%湿性。
長崎大学の研究では、耳垢が湿性か乾性かは
遺伝子一ヶ所だけの違いなんだそうです。

で、北海道や沖縄に湿性耳垢の人が多いのは、日本にはもともと
湿性耳垢の縄文人が居住しており、やがて九州から本州に
乾性耳垢の弥生人が流入し、それが北海道などには及ばなかったために
残っていると説明されることが多いですね。でも、そんな単純なものでも
ないだろうと自分は思います。では、今回はこのへんで。

関連記事 『音のオカルト』  『目のオカルト』

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