霊障ってあるの?

2017.10.28 (Sat)
今回はいろいろと問題のある内容です。ここでは自分の考えを述べますが、
必ずしも正しいものではないかもしれないことを、最初にお断りしておきます。
さて、日本では最近、「霊障」という言葉をよく聞きますね。
体調が悪いとか、不運な出来事が重なる、家族に不幸が続いたりする場合、
「霊障を受けている」というふうに言われることがあります。
この場合の霊障とは、うらみをのんで死んだ人が祟っている、
長い間墓参りをしていない先祖の霊が怒っている、
うらみを持つ人が生霊を飛ばしている、などのことを指しているようです。
でも、こんなことって本当にあるのでしょうか?

自分はアメリカに住んでいたことがあるので、アメリカの話をしますが、
向こうでは「幽霊が生きた人にとり憑く」「幽霊が生きた人に祟りをなす」
という話はほとんど聞きません。悪魔がとり憑く話ならたくさんあります。
まあフィクションなどで ないことはないですし、
体験談をよくさがせば見つかることもありますが、
全体としてひじょうに少ないんです。
これ、自分には3つくらいの原因が考えられます。

一つめは、宗教的な理由からです。アメリカはキリスト教国に分類され、
中でもプロテスタントの多い国です。キリスト教の神は全知全能で、
死者の魂は神の厳重な管理下にあることになっています。最後の審判のとき、
すべての死者の魂は復活させられ、天国か地獄に選り分けられる、
といった考え方もありまよね。
ですから、基本的には勝手にふらふら出歩いている幽霊
というのは宗教的に考えにくいわけです。
ただもちろん、アメリカにも幽霊の話はあります。

日本の江戸時代に広まった幽霊話は「四谷怪談」にしても「皿屋敷」にしても、
勧善懲悪の物語です。幽霊が祟るのは、悪いことをして人を死なせてしまった
人間に対してです。ですから、心にやましいことのない人は、
べつに幽霊を怖がらなくてもいいようなものですが、
やはり幼少時からこういう話を見聞きしていれば、
「幽霊は怖いものだ」という先入観を持ってしまうのかもしれません。

現代の日本では、地獄や極楽を信じる人は少なくなりましたが、
アメリカでは、まだまだ宗教が力を持っています。
キリスト教で、人間の魂を裁くのは神にしかできない行為です。
もちろん裁判で罪を裁くことはできますし、
相手に対して現実的な復讐をすることもできますが、
死者の魂を裁くのは神の専権事項なわけです。
悪いことをした人間は神が裁いてくれるという信頼感があるので、
ことさら幽霊になって祟る必要はないのかもしれませんね。

二つめは、アメリカらしい合理主義的な理由からです。
生きた人間は肉体と魂を持っています。それに対し、幽霊は魂しかありません。
幽霊は強いうらみや執念を持っている、とは言っても、生きた人間だって、
一人ひとりがそれぞれ強い精神力を持って世の中を渡っているわけです。
それなのに、なぜ幽霊にとり憑かれたり、
一方的に祟られたりしなくてはならないのか、なぜ簡単に負けてしまうのか、
こういう疑問はアメリカ人なら当然出てくるのではないかと思います。

三つめとして、19世紀の世界的な心霊ブームは、
アメリカの1848年のフォックス姉妹による「ハイズヴィル事件」
を大きな契機として始まりました。この事件についてはここでは詳述しませんので、
興味を持たれた方は検索してみてください。
アメリカでは、このフォックス姉妹をはじめ、たくさんの霊媒師が登場し、
各地で降霊会が実施されるようになったのですが、ここで、
霊を呼び出すのは特殊な力を持った霊媒師の専売特許である、
という考え方が広まりました。アメリカには今でも多くの霊媒師(ミーディアム)
がいて、犯罪捜査や行方不明人探しに関わっているようです。

このような理由から、アメリカでは「幽霊にとり憑かれる」「幽霊に祟られる」
という話が少ないのだと自分は考えています。
ですから、アメリカ人は日本の『リング』や『呪怨』
などを見れば自分たちとは異なる考え方に驚きを感じるんですね。
とはいえ、これらの映画はあくまでもフィクションです。
自分がこのブログに書いている話もほとんどが創作ですが、
創作ということを明らかにしているのは、
フィクションとしてのオカルトホラーを楽しんでほしいからなんです。

さてさて、当ブログをごらんのみなさんなら大丈夫とは思いますが、
安易に「霊障」という言葉を持ち出す人物には注意が必要です。
「水子の霊」みたいな話も、さまざまな理由で妊娠中絶した人への差別では
ないかと思うくらいです。簡単に「霊障」を持ち出す、
エセ霊媒師や嘘つきスピリチュアルには近づかないのが賢明ですね。
高価な壺を買わされたり、おかしなセミナーに参加させられたり、
いつのまにか新興宗教に入信させられていたなんてことになりかねません。

日本の心霊ブームの立役者の一人である、「あなたの知らない世界」
の放送作家、故新倉イワオ氏は、加門七海氏の対談集、
『心霊づきあい』において、「自分の仕事でもし後悔があるとすれば、
先祖の祟りみたいなのが広まってしまったことだ。先祖の霊がかわいい子孫に
祟ったりするはずがない」・・・今手元に本がないので正確ではないですが、
だいたいこんな内容のことを述べておられました。
自分もそのとおりだと思います。










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カニバリズム小考

2017.10.10 (Tue)


今日はこのお題でいきます。グロ注意かもしれないです。
まず、カニバリズムはご存知だと思います。簡単に言えば「人肉食・食人」
のことです。「Canibal(カニバル)」はスペイン語で、
「Canib」は西インド諸島に住むカリブ族のこと。
この部族はスペイン人船員から人肉を食べると信じられていたため、
不名誉な語源として名を残してしまいました。

カニバリズムは、じつは人類史に匹敵する長い歴史があります。
本来なら旧石器時代あたりから語っていくべきなのでしょうが、
とてもすべては書ききれません。ほんのさわりの部分しかご紹介できないです。
それで「小考」とお題に入れました。
で、世界に存在したさまざまな人肉食を分類するには、
「なぜ食べたのか」という動機の面を見ていくのがいいみたいですね。

まず、社会的慣習、あるいは宗教的儀式としての食人。文化人類学的には、
自分の仲間を食べる族内食人と、自分たちの敵を食べる族外食人にわけられます。
食生態学者であった西丸震哉氏は『さらば文明人 ニューギニア食人種紀行』
という本を出していますが、ニューギニアでかつて食人族であったフォレ族の中に、
氏が入っていって調査した内容が記されています。(詳しくは下の関連記事参照)
フォレ族の場合は、主に宗教的な族内食人でしたが、
そのためにクールー病(クロイツフェルト・ヤコブ病)が発生していました。
また、この本によって人肉は味の素の味がするなどといった話が広まりました。

関連記事 『ガイジュセクとオヤビン』

次に、緊急避難としての食人。これは食べるものがないので、
自分が生きのびるためにしかたなく食人を行ったというケースです。
世界的に有名なのが「アンデスの聖餐事件」1972年、ウルグアイ空軍機が
アンデス山中に墜落し、乗客らは死亡した乗客の死体の肉を食べることで、
救助されるまでの72日間を生きのびています。

日本では「ひかりごけ事件」1944年、
現在の北海道羅臼町で陸軍の徴用船が難破し、真冬の知床岬に食料もない
極限状態に置かれた船長が、亡くなった船員の遺体を食べたというもので、
裁判になり、船長は死体損壊罪に問われました。
作家の武田泰淳氏が、この事件をモチーフに、『ひかりごけ』という作品を書いてます。
人肉を食った人間の首のまわりはうっすらと光る・・・というのが題名の由来。

歴史的にみれば、こういう食人のケースはいろいろありました。
例えば、戦国時代の秀吉の鳥取城攻めは「鳥取の飢え殺し」とも呼ばれ、
徹底した包囲作戦により城内の食料が尽き、死体の人肉が陣中で奪い合いになるという
地獄絵図がくり広げられ「栄養価が最も高い脳味噌が真っ先に屍体から取られた」
という記録まで残っています。また、天明の大飢饉(1782年~1787年)で、
東北地方で食人が行われていたなまなましい記録を、
あの『解体新書』の杉田玄白が書き残していますね。

次が薬用としての食人、これは最近「山田家の二股商売」という項を書きましたが、
首斬りで知られた山田浅右衛門は、罪人の死体を解体し、
さまざまな人肉薬(人胆)を作って売りさばいていたという内容でした。
明治時代になっても、結核やハンセン氏病の妙薬として人肉が用いられ、
墓から死体を掘り起こした事件や、殺人事件まで起きています。
あと、現代でも胎盤などは薬品、美容品の原料になってます。

関連記事 『山田家の二股商売』

次、食文化としての食人、これ中国に多いんですよね。
人肉は古来「両脚羊」と呼ばれ、ふつうに市場で売られたりしていたようです。
斉の桓公は、紀元前7世紀、春秋時代の覇王ですが、
その料理人であった易牙は、桓公の求めに応じて、
自分の赤ちゃんを蒸し物にして食べさせたという話があります。
この他にも中国の人肉食に関しては多数の逸話が残っていますね。
あとは人肉嗜好、ゆがんだ愛情による食人。
日本人が引き起こした「パリ人肉事件」なんかがそうです。

まだまだ書くことはたくさんあってきりがないんですが、
最後に「ハイサイおじさん」の話でしめます。これは沖縄のミュージシャン、
喜納昌吉氏のデビュー曲ですが、歌のモデルとなったおじさんは喜納家の隣人。
戦後の混乱期、おじさんは女性をひんぱんに家に引っぱりこんでいて、
そのせいで妻が精神を病み、娘を「自分の子どもなんだから食べてもいいでしょう」と、
解体して鍋で煮てしまう。その後、妻は収監されるが自殺。
おじさんは事件のために村八分の状態になり、
なんとかつき合いを保っていた喜納家に酒を無心にくる・・・

それを歌にしたのが「ハイサイおじさん」で、この背景を知って歌詞を見れば、
2番の「年頃なたくと 妻小ふさぬ うんじゅが汝ん子や  呉みそうらに
(年頃だから女房が欲しいんだけど、おじさんの娘をくれないかい)

の部分など、じつにブラックで怖いものがあります・・・

※ 人肉食をあつかった、映画のレクター博士や、奇妙な味の短編 『特別料理』
 『二瓶のソース』などにも触れたかったんですが、そこまでいきませんでした。

関連記事 『食の奇譚』









仮面の物語

2017.10.09 (Mon)
今回はこのお題でいきます。あまり言葉を多くせず、
いろんな仮面を画像で見てもらいましょうか。
まず怪談だと、稲川淳二氏の「血を吐くお面」というのがありました。
その仮面を壁に飾り、夜中に目を覚ますと
部屋中が真っ赤になっていて、仮面が口から血を吐き続けている。
翌日になって、知り合いの家が火事になったと連絡が入る・・・
たしかそんなお話だったと思います。(下図)



それから、オカルト研究家の山口敏太郎氏が所有している「呪いの仮面」。
テレビ番組の「アンビリーバボー」で紹介されて有名になりました。
その仮面に関わった関係者が急死したり、大ケガしたりするため、
現在はお寺で封印されているようです。ちなみに、番組でこの仮面を
霊視した人は、その後わいせつ事件を起こして逮捕されました・・・(下図)



あと小説のほうでは、何といってもヒュー・ウォルポールの短編『銀の仮面』が
よく知られています。ある中年婦人のところに、貧しい青年画家とその妻子、
親戚一同までがやってきて、だんだんに生活を侵食されていき、
最後には、財産をすべてのっとられてしまう。
銀の仮面が小道具として効果的に使われていました。
短編では、ポーの『赤死病の仮面』なんかも有名です。

長編だとデュマの『鉄仮面』(ブラジュロンヌ子爵)ですかね。
これはホラーというより歴史ミステリー的な内容で、
フランスで実際に1703年までバスティーユ牢獄に収監されていた、
「ベールで顔を覆った囚人」をあつかった話。
その正体についてはさまざまな説があります。(下図)
あと、ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』なんかも仮面の物語ですね。



さて、仮面には2つの役割があると言われます。
一つは顔を隠してだれだかわからなくするためのもので、
覆面と言ってもいいかもしれません。映画だと『13日の金曜日』の
ジェイソンのマスクがこれにあたりますか。

ジェイソンのマスクといえば、
アイスホッケーのキーパーのフェイスガードを思い浮かべる人が多いと思いますが、
じつは第1作、2作目までは布袋みたいなのを被ってたんです。(下図)
そしてこの2作は殺人鬼の正体が違います。
意外な犯人を最後まで隠すために、マスクがどうしても必要だったわけです。
この理由から犯人がマスクを使用している映画は多いですね。



もう一つは、つける仮面が何かの属性を持っていて、
仮面をつけた人物がその属性になりきって役割を演じるためのものです。
これは化粧、フェイスペイントなどでもいいのかもしれません。
ペルソナという概念があります。ラテン語で仮面の意ですが、
心理学者のユングは自己の外的側面という意味で使っています。
人間はだれしも対外的な面(外づら)を持っていますが、それが仮面をつけることで、
ふだんの自分を脱ぎ捨てて、仮面の人物になりきって演技することができる。

日本では能に使われる面が好例でしょうね。種類としては、
翁(尉)・男面・女面・鬼神・怨霊とあります。
このうちで鬼神というのは、人間以外の神や天狗などの超自然的なもの、
怨霊は、人間がこの世での心残りで死霊となったもの、という違いがあるようです。
能面は能役者に一種のパワーを与える呪物の要素があるといわれ、
優れた面であればあるほど役者はいい演技をすることができます。(下図)
怪談では、逆に、呪われた面をつけてしまい、
その面の力に支配され悪事を働いてしまうなどの話もありますよね。



さて最後に、仮面の持つ魔力というのは古くから信じられていて、
日本では縄文時代から発掘例が見られます。(下図)



少し前に奈良県の纏向遺跡のことを書きましたが、そこからも木製面が出土していて、
アカガシ亜属の柾目材で作られた広鍬(工具)を転用したものです。
何らかの宗教的儀式に用いられたと考えられます。(下図)







変身譚

2017.10.08 (Sun)


今日はこのテーマでいきますが、さて、どのくらいの内容が書けますか。
というのも、なかなか現代の怪談では変身を扱ったものが見あたらないんですね。
それはそうだ、という気もします。実話怪談は「実際にあったこと」というのが
前提なのですが、「気がついたら犬になっていた」みたいな話は、
さすがに現実感がないですからねえ。ですので自分も変身譚はほとんど書いていません。
コンペティターという話がやや近いでしょうか。 関連記事 『コンペティター』

さて、変身といって思い浮かべるのは、やはりフランツ・カフカの『変身』でしょう。
ただしこれ、ホラーの要素は多少あるものの、オカルトではなくて文学、
不条理文学ですよね。筋はみなさんご存知だと思いますが、
貧しいながらも家族の生活を支えて懸命に働いていたザムザは、
ある日 目覚めると巨大なゴキブリになっていた。これによって、
それまでのザムザがどういう存在だったのかが浮き彫りになる構造をしています。
一家の担い手から、いきなり厄介者になってしまったザムザ、
家族はしかたなくザムザに頼るのをやめ、自立しようと動き出す・・・

この手法をさらに推し進めたのが、安部公房氏の『棒』です。
子どもを連れてデパートに来ていた男は、不注意で屋上から手すりを越えて落ち、
地面に達したときには一本の棒になっていた。
そこへ死者を罰する役割を持った教授とその学生2人の3人連れがやってきて、
棒になった男の人生を論評する。
「棒のように単純であるが、誠実だった」「棒ていどには役に立っていた」
「道具としては下等過ぎる」・・・で、3人の結論として、
「この男はまさに棒であった。こんなありふれた棒は罰する必要はない」と、
棒になった男をその場に残して去っていく。

さて話を変えて、西洋の変身譚は、キリスト教以前と以後では大きく違っていると
思います。ギリシャ・ローマ神話や北欧神話では、神と人間、
動物の境目があまりないんですよね。例えば、神々の王であるゼウスは、
人間の女に近づくために雄牛や白鳥に姿を変えて寝室に忍び込んだりします。
ここでは人間が動物に変身することへの禁忌がほとんど見られません。
多くの神話はアニミズムを基盤とした多神教ですから、
動物の霊も人間の霊と同じように認められていて、
ボーダーゾーンがあいまいだったのだと考えられます。

ところが、キリスト教が導入されると、人間と動物は厳然とした差があるものである、
という考え方が強まりました。神は天地創造のときに、
自分の姿に似せて人間を造り、その人間に役立つものとして動物を造った。
キリスト教(ユダヤ教)はもともとが荒れ地の漁師や遊牧民の間で発生したものなので、
こういう考え方をするのは当然といえば当然です。
ですから、人間から動物に変身するということは、
その魂が一段低い段階に落ちるということになったんですね。

さて、西洋の変身譚として有名な「狼男」について見てみましょう。
狼男は、werewolf(ウェアウルフ)ですが、このwereの語源は、
古ノルド語で、犯罪者、追放者を意味するという説があります。
狼男はふだんは人間として生活しているものの、満月になると狼に変身して
他人を襲ったりします。人間として持っていた理性が消し飛んでしまい、
獣性(本能)に支配される。ここでは理性を高いものと見て、
獣性をさげすんでいると考えていいと思います。

Wikiに面白い話が載っているので、ちょっと長いですが引用してみます。
中世のキリスト教圏では、その権威に逆らったとして、
「狼人間」の立場に追い込まれた人々がいた。
その傾向は魔女審判が盛んになった14世紀から17世紀にかけて拍車がかかった。
墓荒らしや大逆罪・魔術使用は教会によって重罪とされ、
その容疑などで有罪とされた者は、社会及び共同体から排除され、追放刑を受けた。
この際、受刑者は「狼」と呼ばれた。


当時のカトリック教会から3回目の勧告に従わない者は「狼」と認定され、
罰として7年から8年間、月明かりの夜に、狼のような耳をつけて毛皮をまとい、
狼のように叫びつつ野原でさまよわなければならない掟があった。
人間社会から森の中に追いやられた彼らは、たびたび人里に現れ略奪などを働いた。
時代が下るとこれが風習化して、夜になると狼の毛皮をまとい、
家々を訪れては小銭をせびって回るような輩が現れた。

この内容なんかは、狼男の伝説が生まれた一つの要因であったと考えられます。

もう一つ、ある種の精神疾患として、
獣に変身すると思い込んでしまう症状がありました。
これは日本でも、狐憑きとかが知られていますよね。狐憑きを治すには、
松脂でいぶして体を叩き、キツネを追い出すなどの民間療法がありましたが、
精神疾患に対するショック療法と考えてもいいでしょう。
危険な方法ですが、実際にそれで治る場合も多々あったのです。
さらに、西洋では月の満ち欠けに人間の精神が支配されるという考え方があり、
それが上記の精神疾患と結びついて、満月の夜に狼男に変身して暴れまわる、
みたいな話ができていったんでしょう。

さてさて、最後に、日本の神話や民話では、
ヤマトタケルが死んだとき魂が白鳥に変身して飛び去っていた、などはありますが、
人間が動物に変身するという話はあんまりないんです。
むしろ動物が人間に変身する話が多い。狐や狸が人間の姿になって人を化かすとか、
「鶴の恩返し」みたいなのが一つのパターンとして見られるんですよね。
このあたりは面白いなあと思います。








ブラセボと聖痕

2017.09.28 (Thu)
今日はこのテーマでいきます。ブラセボ効果というのはご存知だと思います。
ブラシーボ効果、偽薬効果などとも言います。いちおう説明すると、
でんぷんなど、薬としての効き目のないもの(偽薬)で錠剤やカプセル剤をつくり、
頭痛の患者に本物の薬として服用してもらう実験をすると、
半数くらいの人が治ってしまうこともあります。
薬を飲んだという安心感が、体にひそむ自然治癒力を引き出すのかもしれません。
これを「プラセボ効果」といいます。

上記は武田薬品のホームページから引用させていただいたのですが、
実際は病気の種類や症状によって効果は違いますし、
半数程度が治るというのは大げさのような気がします。
それでも、3割近くの患者には何らかの症状の改善が見られる場合が多いのです。

ただし、その偽薬に副作用があると事前に医師が説明した場合、
実際に副作用のような症状を起こしてしまう患者もいて、
これをノセボ効果、反偽薬効果と言うことがあります。
現在、新薬として認可を受けるための治験では、本物の薬を与えた群と、
偽薬を与えた群とに被験者を分けて実験を行うのが普通で、
本物の薬を与えた群の症状改善が、偽薬を与えた群より上回っている必要があります。

つまり、暗示によって体調に変化が起きるのですが、
これはよい方にも悪い方にも作用してしまうということなんですね。
では、この暗示はどのくらいのレベルまで体に変化をもたらすのでしょうか。
これについて、興味深い2つのお話があります。

ニューヨークのコロンビア大学医学部のハーバート・スピーゲルの実験によれば、
米国陸軍のある伍長を被験者とし、この伍長に催眠術をかけて催眠状態にした上で、
「その額にアイロンで触れる」と宣言した。しかし実際には、
アイロンのかわりに鉛筆の先端でこの伍長の額に触れただけだった。
その瞬間、伍長は「熱い!」と叫んだ。その額にはみるみるうちに火ぶくれができ、
かさぶたとなった。数日後にそのかさぶたは取れ、火傷は治った。

この実験は、その後四回くり返され、いつもまったく同じ結果がえられた。
さて、五度目の実験の時には状況はやや違っていた。
この時は伍長の上官が実験に同席していて、この実験の信頼性を疑うような言葉を
いろいろ発して被験者に迷いや疑惑を生じさせる状況のもとで行われた。
このとき、もはや伍長にやけどの症状が現れることはなかった。


ある国にブアメードという名の健康な身体に恵まれた死刑囚がいた。
この死刑囚は、ある医師から「人間の全血液量は体重の10%が定説となっているが、
私は10%を上回ると考えているので、それを証明したい」と実験を持ちかけられた。
彼はその申し出を受け入れ、目隠しをされてベッドに横たわった彼は、
血液を抜き取るために足の全指先を小さく切開された。

足元には容器が用意され、血液が滴り落ちる音が鳴り響く実験室の中で、
1時間毎に累積出血量を聞かされた。やがて実験開始から5時間が経ち、
総出血量が体重の10%を越えたと医師が言ったとき、この死刑囚は死亡していた。
ところがこの実験は、実は血液を抜き取ってはおらず、彼にはただの水滴の音を聞かせ、
体内の血液が失われていると思い込ませただけだったのである。

この2つの実験がもし本当ならすごいことですが、確実な裏は取れていません。
①の話はいろいろなところで引用されており、
ハーバート・スピーゲルなどと固有名詞も出てくるのですが、
英文で検索しても、実際にあった実験だとは確かめられませんでした。
ただし、いかにもありそうな内容ではあります。

特に注目すべきなのは、実験が催眠状態で行われていることで、催眠状態では、
暗示効果が通常の状態よりも高まることはいろいろな実験で確認されています。
例えば、催眠状態でレモンを甘いイチゴだと言って食べさせた場合、
甘い、と答える人は実際にいるのです。
②に関しては、倫理的に大きく問題のある実験ですので、
都市伝説的なものではないかと思います。でも、こちらもありえそうですよね。

さて、このような暗示は「聖痕現象」にもあてはまるかもしれません。
聖痕現象とは、熱心なキリスト教信者の体の、
イエス・キリストが磔刑となった際についたとされる傷、
イバラの冠をつけさせられた額や、釘を打たれた手足と同様の箇所に傷ができ、
出血が見られることを言います。これらはスティグマータとも呼ばれ、
カトリック教会では奇跡として考えられることが多いようです。

聖痕現象の事例はたくさんあり、日本でも秋田県の「涙を流すマリア像」の関係者に、
この聖痕現象が起こったことが知られています。
これが起きる原因として、信者自身とキリストとを同一視するあまり、
自己催眠状態をつくり出してしまったと考えられることが多いようです。
ただし、その催眠状態の中で無意識に刃物まどを用いて、
自分で自分を傷つけていたのがわかった例も数多くあるのです。

さてさて、ブラセボで体調が改善する、病気の症状が軽快する、
ということは確認済みです。ある種の宗教で「手かざし」などを行うのも、
ブラセボで説明できてしまいそうです。
では、自分の体に火傷や傷ができ、出血するまでのことが本当にあるものでしょうか。
あるとしたら、これは一種の超能力ではないでしょうか。
また、他人の体だったらどうでしょう。スーパーナチュラルな力によって、
他人の心臓を止める、などという話は超能力ものの小説にはよく出てきます。
ですが、本当に精神の力だけでそんなことができるかどうかについては、
慎重に考える必要があると思いますね。