FC2ブログ

壺のオカルト

2020.01.14 (Tue)
cc (2)

今回はこういうお題でいきます。前に「箱のオカルト」という
記事を書いていて、なんか似た内容になりそうな気がしますが、
なるべくかぶらないようにしたいと思います。さて、壺などの
容器がオカルトである点は3つくらいあるでしょうか。

一つは、長い年月を経てたくさんの人の手を渡っていること。
その間に呪いなどがかかってしまっているかもしれません。
もう一つは、中に何が入っているかわからないことです。
西洋では、「壺の中の悪魔」というモチーフがあります。

悪魔あるいは魔神が壺の中に閉じ込められていて、
壺の所有者になった人物に「出してくれたら願いを聞いてやる」
みたいにもちかける話ですね。童話にもなっていますが、
この起原はかなり古く、ギリシア神話のパンドラの箱や、

cc (6)

『千夜一夜物語』のアラジンの魔法のランプなどがもとに
なっていると思われます。ちなみに、アラジンのランプの中に
いるのは、童話ではランプの精となっていますが、原典では、
ジンという魔神です。ジンは中東で広く信じられており、
イスラム教の聖典もこの存在を否定していません。

で、この壺の中の悪魔と知恵比べをする人物には、歴史上の
有名人があてられたりします。一つだけご紹介すると、
誰がいいですかね。中世のスイス生まれの医師、パラケルススは
ご存知でしょう。前に当ブログでも取り上げていますし、
人工生命ホムンクルスを造ったと言われていますね。

ホムンクルスを育てるパラケルスス
cc (4)

このパラケルススは、閉じ込められていた悪魔を助けると言って
だまし、自分の持っている剣に封じ直したという話が残っています。
パラケルススの剣は「アゾットの剣」と呼ばれ、
何かことがあれば、悪魔を呼び出して使役したとされます。

さて、3つめは、壺は箱と違って口が開いていますね。
ですから、中に何かを入れるのが、多くの場合箱よりも容易です。
何が言いたいかというと、中国の『西遊記』に出てくる
金角・銀角の魔王兄弟が持っていた、名前を呼びかけた相手が
返事をすると中に吸い込まれてしまうひょうたんのことです。

金角・銀角と魔法のひょうたん
cc (7)

ひょうたんは壺じゃないと思われるかもしれませんが、
世界各地で、乾かしてから中に液体などを入れて携帯するという
壺と同じような使われ方をしていました。金角兄弟が
持っていたのは、「紫金紅葫蘆 しきんこうころ」という名前で、
時間が立つと、中の相手を消化液で溶かしてしまいます。

もしかしたら、食虫植物のウツボカズラなどがヒントになって
いるのかもしれません。このような、仙人や妖怪が持っている
不思議な力を持った宝器を、中国では「宝貝パオペエ」と
言います。『西遊記』には、他にも風を起こして火山の炎を
消すことができる芭蕉扇などが登場していました。

哪吒太子 8本の腕に8つの宝貝を持ち、さらに宝貝の円盤に乗って戦う
cc (5)

ここで少しパオペエの話をしましょうか。『封神演義』によれば
仙人はふだん、清らかで欲のない生活をしていますが、
1500年に一度、どうしても人を殺したい気持ちががまん
できなくなる「殺劫」があると説明されます。
ただし、一般人を殺してもしょうがないので、

相手も強力な仙人であると予想され、そのため、数百年から
千年以上をかけて、殺劫を破るときのための武器をつくって
るんですね。そのため、宝貝には鞭や槍なんかが多いんです。
ちなみに、孫悟空が持つ如意棒も宝貝ですが、あれはもともと
海底の深さを測る測量用具だったみたいです。

如意棒を持つ孫悟空
cc (8)

おっと、壺の話からそれてしまいましたね。少しオカルトから
離れて、壺というのは、日本では土器と考えてもいいと思います。
土器の用途は大きく2つ。一つは物を貯蔵するためのもので、
もう一つは中に食材を入れて煮炊きすることです。

そのため、火にかけても割れたりしない強度が必要ですし、
土器の肉厚が薄いほど、火の伝わり方がよく、煮炊きに時間が
かかりません。日本の考古学には土器編年というのがあり、
作られた時代時代のわずかな形式の変化を調べて
年代別に配列したたいへん精緻なものです。

縄文土器
cc (1)

他の国の考古学には、こういうのはあまりないんですよね。
年代を調べるには炭素年代が使われる場合がほとんどです。
縄文土器は、表面に縄を押しつけた模様がつけられていることから
名づけられましたが、では、弥生土器にはどういういわれが
あるかご存知でしょうか。

これはじつは、初めて発見された場所の地名がとられてるんですね。
1884年、東京府本郷区向ヶ岡「弥生町」の貝塚から、
丸みを帯びた土器が見つかったのが最初です。一般的な縄文土器と
弥生土器を比較すると、ずいぶん肉が薄くなっていることが
わかります。また火にかける方法も異なっています。

弥生土器
cc (3)

さてさて、ということで、壺のオカルトを見てきましたが、まだ
書きたりないですね。小説や映画の話題にもふれたかったんですが、
そこまでいきませんでした。また、続きを書く機会があるかも
しれません。では、今回はこのへんで。

cc (9)





スポンサーサイト



古神道は復元できる?

2020.01.10 (Fri)
dgh (7)

今回はこういうお題でいきます。オカルト論になります。
さて、まず「古神道」とは何か? ウエブ辞書などの一般的な
定義では「日本において外来宗教の影響を受ける以前に
存在していたとされる宗教」と出てきます。別の言い方として、
原始神道、神祇信仰などがあります。

また、後述しますが、「復古神道」とは異なる概念です。
自分が書いた怖い話の中には、古い神道の神が登場するものが
あります。では、古い時代の神道って復元できるもの
なんでしょうか。これ、結論から述べると、自分はかなり
難しいんじゃないかと考えてるんです。

屈葬が行われた理由は、はっきりとはわかっていません


まず、古神道が行われていたのは「いつ」の時代か。古いほうは
縄文時代、それ以前にさかのぼることができるでしょうが、
新しいほうはいつまでか。歴史の教科書では、仏教の公伝が
6世紀の半ばとされます。では、それ以前の日本の宗教が
古神道なのかというと、なかなか難しい。

中国にあっては、仏教は比較的新しい宗教で(もちろんインド
では古い)それ以前から、神仙思想、神仙思想が教団化した
道教、儒教、陰陽五行説などがありました。研究者の中には、
日本は弥生時代から、何らかの中国渡来の宗教の影響を
受けていたのではないかと見る人もいます。

三角縁神獣鏡レプリカ クリックで拡大できます
dgh (2)

例えば、邪馬台国の女王 卑弥呼は、『三国志』によれば
「鬼道につかえ、よく衆を惑わす」と書かれていますが、
この鬼道を、初期の教団道教、五斗米道などではなかったか
とする意見もあるんです。畿内を中心に、三角縁神獣鏡
という鏡が古墳の副葬品として出土しますが、

この図柄は、西王母、東王父、神獣が浮き彫りにされた、
きわめて神仙思想的なものです。では、弥生時代以前の
縄文なら、他の宗教の影響はほとんどなかったのではないか。
まあそうだと思います。しかし、縄文時代だとすると、
今度は「どこで」が問題になってくるんですね。

男性器をかたどった石棒 縄文晩期 古代の儀式は性的な要素が
大きいと考えられ、その面からも再現は難しい

dgh (4)

ご存知のように、縄文時代は狩猟採集が中心の生活で、数家族の
小集団、あるいは青森の三内丸山遺跡に見られるような
部族単位の集団で生活していたと考えられます。もちろん
他の集団との交流はありましたが、限定的で、日本全体をまとめる
ような共通した宗教などは考えられません。

まあそれでも、磐座(いわくら)や土偶、縄文土器を飾る火焔型など
ある程度共通した部分も見られるので、それらをして古神道と
言えばいいのか。ですが、考古学で発掘された遺物や墓などから、
その時代の精神性を推測するのは至難です。実際、
縄文人の霊魂観などもよくはわかっていません。

古代ツチノコ説のある釣手土器 この中で火を焚いた
dgh (6)

さて、では、現在残っている神道的な儀式から、古代の神道の
様子を復元することができるのか。これもかなり厳しいんです。
例えば、神社といえば鳥居を思い浮かべる方が多いと思いますが、
鳥居が現在見られるような形になったのは、
そう古い話ではありません。

また、現代で神道的な行事とみられているものの多くも、
他の宗教由来のものなんです。例えば「どんど焼き」というのが
ありますよね。正月15日に書き初めを燃やしたりしますが、
これはもともと、平安時代に陰陽五行説にもとづいて、宮中で
陰陽師が行っていたもので、節分の豆撒きなんかもそうです。

節分は本来、神道の行事ではありません


神職が現在着ている装束も、中国から伝わったものですよね。
そう考えると、現在の神道は他のいろいろな宗教の影響を受け、
古神道からはかなり変質してしまっているんです。
上記したように6世紀に仏教が伝来してから、神道は苦難の
連続でした。それまでバラバラだった形を、

他の宗教にのみ込まれないよう、必死になって整えてきたと
言ってもいいと思います。ですが、奈良時代から神仏習合が進み、
やがて本地垂迹説が鎌倉時代に登場します。これは、仏教の仏が
日本に教えを広めるため、神道の神の姿に化身して現れたとする
もので、天照大神は大日如来の化身といった具合です。

大日如来の垂迹(化身)が天照大神とされた


もともと、神道は創始者もいない、聖書のような経典もない
宗教です。そのため、他宗教におされて消滅してしまうのを
まぬがれるため、さまざまに他の宗教の要素を取り入れながら
形をつくってきたのが、現在の神道と言っていいと思います。
ですから、それから古代の形を再現するのは難しい。

さて、最後に復古神道について。江戸後期、国学の隆盛とともに、
異国のものである仏教を排し、日本古来の神道を復活させよう
という流れが生まれます。ただ、復古神道で参考にされた
日本神話が書かれている『古事記』は、8世紀に成立した書物です。

秋田県大湯の環状列石
dgh (5)

必ずしも正しく古代の姿が伝えられているとは言いにくい。例えば、
イザナギ、イザナミの国産みで、初めに女性神のほうから声を
かけたため不具の神が生まれたというのは、中国由来の男尊女卑的な
考えが入っているのではないか、などの議論があるんですね。

そして明治維新が起き、日本は国として仏教を保護しないことに
決めます。廃仏毀釈は地域によって程度の差があったようですが、
この時期に、爆発的に「神道的な」新興宗教が誕生しました。
そして、日本は天皇を現人神とする国家神道を精神の中枢にすえ、
近代国家をめざして邁進していくことになります。

復古神道を唱えた平田篤胤
dgh (1)

さてさて、そうは言っても、古神道に自然崇拝、祖霊崇拝が
あったのは間違いないところだと思います。ただし、
穢れと清め、ハレとケなどを古神道とできるかはわかりません。
このあたりのことは、いつか太陽暦と太陰太陽暦の違いからも
論じてみたいと考えています。では、今回はこのへんで。

dgh (8)





カラスのオカルト

2020.01.04 (Sat)
wewfe (4)

今回はこういうお題でいきます。これはけっこういろんなことが
書けそうですが、話題があちこちに飛んで まとまりがなくなるかも
しれません。さて、まずは生物学的なお話から。カラスはもちろん
鳥類で、世界には数十種類がいるようです。

ですが、日本に定着しているのは2種類だけ。ハシブトガラスと
ハシボソガラスです。名前のとおりクチバシの太さで見分けますが、
おそらくカラスに興味のない一般の人には区別できないと思います。
この他に、渡り鳥として北海道にワタリガラス、九州に
ミヤマガラスとコクマルガラスが飛来してきます。

さて、みなさんのカラスに対するイメージはどのようなものでしょうか。
まず、「不吉」という言葉が出てくるかもしれません。カラスには死の
イメージがついて回りますよね。これはその黒い色からきている
ところが大きいでしょう。喪服、鯨幕、霊柩車など、
死や葬儀が連想されてしまうんです。

ポーの『大鴉』挿絵
wewfe (2)

このイメージは欧米にもあります。英語でカラスを表す単語には
crow(クロウ)と raven(レイヴェン)ですが、特定の種類を指す
ものではなく、ravenのほうがやや大型というイメージのようです。
エドガー・アラン・ポーの代表的な詩、『大鴉』では、
ravenが「Nevermore これでおしまい」と主人公に告げます。

それから、カラスが地面に降りてきて動物の死骸をあさったり
していることも、不吉なイメージを増幅させるんでしょう。
昔はカラスも自然の中で生活していましたが、今は都会のほうが
より食料が容易に手に入るため、ゴミを散らかしているのを
見かけることが多いですね。

『イソップ物語』カラスと壺
wewfe (8)

あとは、「カラスが夜に鳴くと翌日には死人の知らせが来る」なんて
話もあります。カラスは昼行性で、夜はねぐらに帰っていて、
その鳴き声を耳にすることが珍しいため、こういう話が出てきたのかも
しれません。共同体で死者が出るのも めったにあることではないですし。

次に、「カラスは頭がいい」という話があります。これは実際にそう
みたいで、群れ全体に通じる言語を持っているとみられています。
『ハリーポッター』シリーズのホグワーツの寮の一つに、
「レイブンクロー(カラスの爪)」がありますが、「機知と叡智に優れた
者が集う寮」と作者のローリング女史は説明しています。

『ハリーポッター』レイブンクローの紋章
wewfe (3)

それと、『イソップ物語』だったと思いますが、壺の中に餌が
浮いていてクチバシが届かないため、石を何個も落として水面を高め、
餌を取るカラスの話が出てきます。現代でも、自分で砕くことが出来ない
固い食べ物を道路に落として、車などに轢かせてから食べるという
話があり、動画も出ています。

カラスは比較的大型の鳥類ですが、脳の容量はそれほどでもありません。
ただ、群れで生活しているため、他のカラスの行動をまねることができます。
イルカなんかも群れで生活していますが、そういう動物は人間から見れば
頭がいいように感じられるんですよね。ちなみに、カラスは、
最低でも41の意味のある言葉を持っているとする研究結果があります。

高杉晋作 この頃は結核のためにかなり痩せています
wewfe (5)

次に、「カラスはうるさい」というイメージ。「三千世界の鴉を殺し、 
ぬしと朝寝がしてみたい」という都々逸?で、作者は幕末の志士、
高杉晋作とされます。「ぬし」という言葉が出てくるので、これは女性、
おそらく遊女が主人公でしょう。カラスが鳴くのは朝になったためで、
そうすると客はもう帰らなくてはなりません。

先ほどから書いているように、カラスは昼行性で群れで生活して
いるので、鳴き声が一声で終わることは少なく、次々に伝わることも
多いです。あと、昔は闇金のことを「烏金 からすがね」とも言い、
日利で、夜が明けてカラスがカアと鳴くと返済しなくてはなりません。
江戸時代の行商人などが仕入れ金として利用していました。

さて、前回「もちのオカルト」でも書きましたが、中国では太陽のことを
「金鳥 きんう」と言いました。しかもこのカラスは三本足です。中国だけ
でなく、東アジア全域に見られる神話伝承で、10羽の太陽カラスが
いましたが、一斉に出てくると地上が灼熱地獄になってしまいます。
そこで、伝説の皇帝 尭が、弓の名人に命じて9つを射落とさせます。

サッカー日本代表のシンボルマーク
wewfe (7)

この話が日本に伝わり、神武天皇の東征の際、熊野国から大和国への
道案内をした三本足の八咫烏(やたがらす)の伝承になりました。
八咫は大きいという意味でしょう。サッカー日本代表の
シンボルマークがこの八咫烏なのは有名です。

また、上記の神武伝説がもとになり、熊野三山では、カラスが神の使い
として尊ばれています。熊野には、八咫烏を祀る熊野速玉大社があり、
平安時代には、蹴鞠の名人であった藤原成道が技術の向上のため、
会があるたびに熊野詣をしています。ですから、カラスとサッカーは
まったく関係がないわけではないんですね。

熊野の「牛王神符」 起請文(誓約書)として使われた
wewfe (6)

京都の八坂神社の祭神である牛頭天王は、仏教的には祇園精舎の
守護神で、日本神話の素戔嗚命にあたります。上記した
熊野三山でも牛頭天王は祀られており、その姿を烏文字で記します。
上図の「熊野牛王神符」は起請文として使用され、立てた誓いを破ると、
神の使いのカラスが一羽死に、本人も地獄に堕ちるとされました。

さてさて、おそらく高杉晋作の都々逸も、「三千世界」という仏教用語が
出てくるあたり、このへんのことを踏まえてつくられたものでしょう。
ということで、カラスのオカルトを見てきましたが、カラスは昔から人間の
身近にいる動物であり、そのためにいろんな話が出てきているのだと
思われます。では、今回はこのへんで。

wewfe (1)





もちのオカルト

2020.01.01 (Wed)
rhyhrrhy (1)

東京都内で1日から2日にかけ、餅をのどに詰まらせて
27~99歳の男女17人が搬送され、このうち80代男性と
90代女性の2人が死亡したことが2日、東京消防庁のまとめで
分かった。17人のうち、60代以上が12人だった。
同庁によると、1日、昭島市の80代の男性が雑煮の餅をのどに

詰まらせ、搬送先の病院で死亡。2日には品川区の90代女性が
餅をのどに詰まらせて心肺停止となり死亡した。東京消防庁は、
「餅は小さく切って、食べやすい大きさに。乳幼児や高齢者と
一緒に食べる際は様子を見るなど注意を払ってほしい」
と呼びかけている。
(産経新聞)

今回はこういうお題でいきます。これ、じつは去年のニュース
なんですね。正月の1、2日で、東京都だけで17人が
もちをのどに詰まらせて救急搬送され、そのうち2人が死亡。
今年のニュースは明日あたりに出るんじゃないでしょうか。

ちなみに、不慮の事故のうち「窒息」が原因となる死亡者は、
年々増加していて、現在は約1万人。2006年に交通事故の
死者数を追い抜いています。右肩上がりの原因は、もちろん
高齢化によるものですが、それにしても1万人は多いですね。
ただし、このすべてがもちによるというわけではありません。

さて、のどにもちを詰まらせた場合、掃除機で吸い出せばいい
などと言われますが、これって正しいんでしょうか。
じつは、医療関係者はこの方法は勧めてないんですね。
こういう場合、本人はもちろん、周囲の家族もあわてていて、
逆にノズルで押し込んでしまうことがある。

rhyhrrhy (6)

また、ノズルで舌を吸い込んでしまったり、気管や食道に
傷をつけて出血したり、ホコリなどのために肺炎を起こしたり
などのケースが考えられ、二次被害を起こしてしまう。
ただし、最後の手段として、細くなった吸引専用ノズルを
使って救命するのはありかもしれません。

一般的に勧められているのは「腹部突き上げ法」。両こぶしを
みぞおちにあてて押し込み、そこから上に向かって突き上げる
方法です。あとは「背中叩き法」などが推奨されています。
もちろん、救急車を呼ぶのも並行して行いましょう。

とち餅 現代のものはもち米も使われています
rhyhrrhy (3)

さて、もちの歴史ですが、なかなか難しいんです。というのは、
例によって、もちの定義がきわめてあいまいだからです。
狭義のもちは、日本の場合「もち米を蒸し、杵などで搗きあげて
粘り気を出したもの」ですが、現在のこの形になったのは、
早くても古墳時代と見られています。

それ以前には、あわ餅、ひえ餅、とち餅など、雑穀や木の実を
原料にしたもちが食べられていました。ドングリ、トチなどを
もち状にして食べるのは、縄文時代にはすでにあったようです。
トチの実を煮てからアク抜きをし、粉にしたものを練ればとち餅に
なりますが、このアク抜きにすごい手間と時間がかかります。

きびだんご これももちの一種
rhyhrrhy (4)

それでも縄文時代にあっては貴重な食料で、クリ、ナラ、トチ   
クルミなどの落葉広葉樹林が多かった東日本のほうが
縄文時代には食料が豊かで、人口も多かった。それが
水稲耕作の伝播によって弥生時代に逆転します。

さて、もちは神道では「ハレ」の場で食されるものとされ、
正月などの節句、あるいはめでたい式のときに飾って神に
ささげられ、参会者に配られるようになりましたが、
これも、起源はそれほど古いものではないようです。

上記したことと関係があるのかもしれませんが、ハレの場で
餅を食べる習慣は西日本で始まり、関東では正月には、サトイモ、
ヤマイモなどが食べられていました。芥川龍之介の短編
『芋粥』は、『今昔物語』から着想を得たものですが、

神道でもちが飾られるのは、そう古いことではありません
rhyhrrhy (2)

あのような形で、関東ではイモ類が食べられていたようです。また、
もちの形も、西日本が丸いのに対して、東日本は四角いとされます。
あと、もちの語源としては諸説あり、一つは、狩猟用のトリモチ
の原料となるモチノキという植物がありますが、粘り気があって
モチモチしたものをもちと言うようになったという説。

もう一つは、日持ちがし、保存食になるのでもちと言うようになった
という説で、よくはわかりませんが、自分的には前者かなと思います。
さて、日本は中国から多くの文化を取り入れていて、中国では、
もち米を使ったもちはありましたが、主流ではなかったんですね。

月餅という中国のお菓子がありますね。あの原料は小麦粉です。
小麦粉などの粉を使ったもちは「練り餅」と呼ばれ、
お月見をする中秋節では、中国では大量の月餅を積み上げて
お供えします。これが日本に入って、米や米粉を使った
月見団子に変化していきます。

月餅 中国でもちと言えばこちら系
rhyhrrhy (5)

さて、ぜんぜん怖い話にならないうちに終わってしまいそうです。
「月ではウサギがもちを搗いている」という話があり、
地球から見える月の地形をそのように表現しているんですが、
これも中国由来です。中国では、古代から月にはウサギが
住んでいると考えられ、これを玉兎と言います。

ただ、一般的にはヒキガエルのほうが有名です。「嫦娥奔月」
という中国の古話があり、嫦娥(じょうが)という女の仙人が
西王母から不老不死の薬を盗んで月に逃げたが、不老不死には
なったものの、体がヒキガエルに変わってしまい、
一人寂しく月宮殿で暮らしているという伝承です。

中国古代のもちを搗く月のうさぎ
rhyhrrhy (7)

さてさて、陰陽道の最高の奥義書に「金烏玉兎(きんうぎょくと)集」
があり、インドで文殊菩薩が書いたものとされます。日本では
安倍晴明が秘蔵しており、晴明は道摩法師に殺されてしまいますが、
この書物の呪力でよみがえったことになっています。
書名の金鳥は太陽、玉兎が月を表しています。

ということで、もちから月の話になってしまいました。
当ブログの読者の年齢層がどのへんかはよくわかりませんが、
もちの事故には十分お気をつけください。もち米をそのまま搗いた
もちより、もち米粉でつくったもちのほうが噛み切りやすく、
喉に詰まらないとも言われますね。では、今回はこのへんで。

「金鳥玉兎集」架空の書物です
rhyhrrhy (8)




大晦日の話

2019.12.30 (Mon)
dsdc (4)

今回はこういうお題でいきます。早いもので明日は大晦日。
明後日は元旦になります。みなさんのご予定はいかがでしょうか。
家でゆっくりテレビを見て、それから年越しそばを食べて・・・
という方もおられるでしょうし、中には、

富士登山に行って、初日の出を見るなどという方もおられるかも
しれません。富士登山は自分も10年ほど前に行ったことが
ありますが、すごい混雑で、山頂まで人が連なっていました。
現在もあんな感じなんでしょうか。

富士山 初日の出登山の行列
dsdc (1)

さて、前に5ちゃんねる掲示板の怖い話のスレに、
「年の変わる瞬間に鏡を見てはいけない」といった内容の話が
投稿されていました。先祖代々、そういう言い伝えがあるという
設定になっていましたが、でも、12月31日が大晦日とされる
ようになったのは、明治以後、太陽暦が採用されてからのことです。

大晦日、あるいは元旦というのは、江戸時代までの太陰太陽暦
でないと、本来は意味をなしません。太陰太陽暦では、
30日の大の月、29日の小の月があり、その年によって、
12月29日または30日が大晦日になっていました。

また、実際の時期も1ヶ月ほどズレていて、来年2020年の
旧正月は1月25日の土曜日で、中国をはじめ、中華文化の強い
国では、こちらのほうを大々的に祝う風習が今でも残っています。
さて、大晦日は新しい「年神様」をお迎えするための準備の
日なんですが、年神様っていったい何なんでしょうか。

江戸時代の歳徳神
dsdc (2)

これは、毎年、正月に各家にやってくる来訪神としての性格を
持っていて、日本神話では本来、男性の神様でした。それが、
中世ころからでしょうかね、年神様は女性ということにされ、
江戸時代には女性の絵姿がつくられるようになりました。
なぜそうなったかの理由はだいたいわかってるんですが、

説明すると長くなるので今回は割愛させてください。年神様は、
「歳徳神 としとくじん」とも呼ばれ、「頗梨采女 はりさいじょ」
という女性神と考えられることが多いですね。
頗梨采女は、牛頭天王のお后の母親で、龍神の娘です。

素戔嗚命と櫛名田姫
dsdc (5)

また、牛頭天王の正体が素戔嗚命であることから、
「櫛名田比売 くしなだひめ」とも考えられています。
櫛名田比売はご存知と思います。出雲の国で八岐大蛇の生贄に
されそうになっていたのを、素戔嗚命が助け、自分の妃としました。
大晦日までに、この年神様をお迎えするための準備をするんです。

大掃除(大祓)をするのもこのためですし、大晦日当日は「除夜」
といって、朝まで起きている習わしでした。また、年神様が来る
方角は毎年決まっていて、それを「恵方 えほう」と言います。
2020年の恵方は西南西の方角ですが、これは太陰太陽暦で
計算されたものなので、現代でどれほど意味があるかは疑問です。

追儺の方相氏
dsdc (3)

平安時代ころには、宮中では大晦日の日に「追儺 ついな」の
儀式が行われました。追儺は「鬼儺 おにやらい」とも言い、
手に戈を持った四つ目の「方相氏 ほうそうし」が
四方八方を回って魑魅魍魎を追い祓います。これが、
民間では大掃除になったと言ってもいいかと思います。

さて、大晦日は「おおつごもり」とも言い、江戸時代の庶民に
とっては大変な日でした。当時の生活必需品の米、薪、炭などは
掛売り、つまり借金で、支払い方法は盆と暮れの二季払い。
特に大晦日は一年の総決算で、貸したほうも返すほうも
走り回って、悲喜こもごもの話が生まれました。

2020年の恵方(64方位のため 西南西やや西より)
dsdc (1)

井原西鶴の浮世草子『世間胸算用』はお読みになったでしょうか。
ある年の大晦日の1日を年末の風物とともに描いていて、
貸し手と借り手との駆け引きが20話の短編になっています。
内容はきわめて面白く、また江戸の風俗もよくわかるので、
もっと教科書などで取り上げられてもいいと思いますね。

さて、古典落語でも大晦日をあつかったものは多く、「芝浜」
「掛取万歳」 「尻餅」なんかが有名ですね。「掛取万歳」は
大晦日に来た借金取りを、借金取りの好きな歌舞伎、狂歌、義太夫、
三河万歳などを使って煙に巻き、追い返そうとする筋で、
落語家が音曲につうじてないと演ずることができません。

江戸時代の餅屋
dsdc (6)

「尻餅」は、貧乏所帯の亭主がおかみさんに「あそこの家は貧乏で
餅屋も呼べないと思われてる。何とかしておくれ」と言われ、
夜半になって餅屋のまねを始める。やがて興が乗ってきて、
おかみさんの尻をぺったんぺったんと叩き始める・・・という
かなりバレた内容でした。

さてさて、現代では、25日にクリスマス、大晦日に仏教の除夜の
鐘を聞いてから、神道の初詣に出かけるというように、
いろんなものがごちゃまぜになっているとはよく言われますが、
自分はその原因の一つには、太陰太陽暦が西洋式の
太陽暦に変わったことがあるんじゃないかと思ってます。

七夕をはじめ、太陰太陽暦でやる年中行事を太陽暦でやると、
形だけになってしまって、天文的、暦的な呪力が
失われてしまうんですね。以前は旧暦でやるところも
ありましたが、どんどん新暦に変わっていっています。
では、今回はこのへんで。

dsdc (2)