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事故物件の話

2016.03.02 (Wed)
今日も怪談ではありません。自分が某掲示板でコテをつけていたときの話。
久々の「心霊事件簿」カテゴリです。
最初はニュース速報という板じゃなかったと思いますが、
1枚の画像が掲示され、某不動産屋のHPに霊が写っているんじゃないか、
という内容でした。この頃もうすでに、
オカルト板はだんだん人が少なくなってきていたんですが、
これはそれなりに盛り上がりました。場所は岡山県の一戸建てで、
築29年とかじゃなかったかな。屋根が瓦ですから、
もしかしたら蔵を改築したのかもしれません。外観はかなり古びていますが、
内装はぴっかぴかです。バス・トイレ付きで12畳のLDKと、6畳の洋室。



家賃は4万7000円でした。これ、岡山県の賃貸住宅の相場も確か調べたんですが、
特に安いということはないようでしたね。
事故物件というのは、基本的にそこの入居予定者の直前の入居者が、
自殺したり、殺害されたり、病死等でも長期発見されなかたりした(孤独死)の場合、
「心理的瑕疵」とみなされて、不動産屋には告知義務があるということになっています。

でも、これってけっこうあいまいな部分があって、
ほんの短期間でも事件・事故との間に第三者がはさまっていれば、
告知する義務はないという噂もあったんです。 (実際は違います)
ですから怪談本では、怪しい業者に依頼されて、
告知義務を消すために短期間そこに住むアルバイトの話、
などという内容がけっこう書かれたものです。

しかし、実際にはそういうことはまずないようです。むしろ、
相場より家賃が極端に安い場合は人気になって、入居権の抽選になったり、
などということも報道されていました。
とはいえ、実際に住むには勇気がいりますよね。

『首都圏に住んでいる20~30代の男女に聞いたところ「事故物件に住んでもいい」
と答えたのは18.7%、「住みたくない」が47.5%であることが、
オウチーノ編集部の調査で分かった。
「住んでもいい」と答えた人を男女別でみると、男性25.0%、女性12.3%と差が出た。

家賃がいくら安くなったら、事故物件に住んでもいいと思いますか? この質問に対し、
「1万円」が6.3%、「2万円」が6.9%、「3万円」が10.0%、「4万円」が4.0%、
「5万円以上」が14.5%、「いくら安くなっても住みたくない」が48.4%だった。
合計すると、40.8%の人が家賃が安くなるなら事故物件に住んでもいい
と思っていることが分かった。』


じつは、事故物件専門の不動産関連団体がありまして、
これは民間企業もあるし、東京都の場合は公社としてもあります。
興味を持たれた方は、「JKK(東京都住宅供給公社)特定物件」で検索してみてください。
ま、自殺だけに限ってみても、年間3万人を超える自殺者のうち、
半数以上の亡くなった先は自宅・自室ですので、
毎年膨大な数の事故物件が生まれているわけです。
その中には諸条件がいい場所もあるでしょうから、
それで安いとなったら、住みたいと考える人がいても不思議ではないと思います。

ただこれは、住居として買ったり借りたりする場合の話で、
店舗として使用する場合はまた違うかもしれません。
幽霊が出る出ないの問題ではなく、悪い評判が地域に広まっていて、
そのために客がつかないなどのこともあるんですね。
これは裁判になった事例もあります。

『2008年の事です。埼玉県日光市でラーメン屋を営んでいた男性が、
店舗の大家だ度を相手取って損害賠償訴訟を起こしました。
訴状の内容は、客や知人から、この店舗に幽霊が出ることを聞き、
自分自身も白い影を見たり、無人なのに足音を聞いたり、奇怪な現象にあった。
契約の時に幽霊の話は聞いていないし、聞いていたら契約しなかった。
敷金や礼金などの契約書経費と慰謝料、諸々含めて502万円払え、というものでした。』


もちろん裁判では、幽霊が実際にいるかどうかの争いにはなりません。
それは法律になじむものではないからです。
もし幽霊がいて、人間と同じように感じ、考えることができるのなら、
そこに人権が発生して法律の不備があらわになってしまうかも・・・
これは冗談ですが、不動産屋が客集めに不利な場所、ということを知っていながら
それを告知していなかったとすれば、
損害賠償請請求が認められることもありえるでしょう。

さて、一般論が長くなってしまいましたが、某掲示板に出た画像はこれです。
押し入れの中に髪の長い女性らしき人物がいるように見えます。
レスの中には、「ダンボールか布団の影が映ってそう見えるのだろう」
という意見もありましたね。



そこで自分が画像の明度を上げて拡大してみましたら、
これは人に見えますよねえ。やはり女性で、
笑顔で床に手をついているという感じがします。
この物件は内装が新品で、しかもしきり戸が中折れの観音開き、
押し入れの戸が3段スライドと、かなりこった造りをしています。
これを売りとしてアピールしたい。そこで押し入れに視線が集まるように、
写真のテクニックとして少し開けてあるのだと思われます。



そのときに従業員の女性が片付け・清掃等で中に入ったまま撮影してしまった、
というのはありえるかなと思います。
この後、その不動産屋のHPをよく見ましたら、従業員紹介のコーナーがあって、
それらしき女性がいたような気もしましたが、もちろん特定することはできませんでした。
この画像は現在は消去されています。某掲示板では、
物件の近くに住んでるやつが内部の写真を撮って上げたり、
会社に直接電話して質問したりして、
この不動産屋にとってはかなりの騒動だったことでしょう。





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うつろ舟小考

2015.04.21 (Tue)
今日も軽い話題で。「うつろ舟」というのは、オカルトフアンには有名ですが、
一般の方でどれだけ知っておられる方がおられますか。
「うつぼ舟」とも言いますし、漢字にすれば「虚舟」と書くようです。
発端は、『兎園小説』という本を『南総里見八犬伝』で知られる江戸後期の作家、
曲亭馬琴がまとめたことからで、内容は、江戸の文人や好事家の集まり、
「兎園会」「耽奇会」で語られた奇談・怪談(今でいう百物語のようなもの)です。
その中の一つに「うつろ舟の蛮女」の話があり、享保3年(1825年)
茨城県大洗町(北茨城市とも語られる)付近の海岸「はらやどりの」の浜に、
不可思議な舟が漂着したとされます。

『兎園小説』には色つきの挿絵が入っていて、それを見ると、
空飛ぶ円盤のような乗り物(舟)と、その傍らに立つ箱を抱えた異国風の女性、
右上には奇妙な文字のようなものが添えられていますが、
これは舟に記されていた文字のようです。下図参照

クリックして拡大




この挿絵にはいくつかのバリエーションがあります。
なんともロマンのある話で「はらやどり」の浜の場所が特定されないこともあり、
UFO説からヨーロッパの女性漂着説、謎の神の伝説、
単なる創作といろいろな説が出されています。
自分としては、これに2つの解釈を付け加えてみたいと思います。
一つは文字についてで、これは同時代の浮世絵に見られる、
「蘭字枠」というものにひじょうによく似ています。
蘭字枠とは、文字通りオランダ語の書かれた浮世絵を囲む枠ということで、
下図のようなものですが、これが入っている作品は、
江戸の馬喰町の版元、江崎屋吉兵衛という人物が出したものです。

クリックして拡大




一見アルファベットのようにも思えますが、じつはデタラメで、
実際にこのようなオランダ文字はありません。
絵を見てもわかるとおり、浮世絵版画なのですが、
西洋絵画のように遠近法が強調されていて、
当時にあってはバタ臭いというか、異国情緒を売り物にした作品です。

享保3年(1825年)は、その前年に大津浜事件というのがあり、
(1824年5月28日に水戸藩領の大津(北茨城市大津町)の浜に、
イギリス人12人が上陸し、水戸藩が尋問した後彼らを船に帰した事件)
それを受けて異国船打ち払い令が出された年です。
同じ現在の茨城県の浜で起きた事件というのが興味深いところですが、
そのような幕末の混乱した世相の中で出されたものなのです。
この挿絵にある文字については、蘭字枠から借用していると思われます。

さて、この手の話は実は古くから各地で言い伝えられていました。
例えば、こういうものがあります。
『千葉県安房郡和田町(現南房総市)花園の伝説。
「子の神由来記」と呼ばれる掛け軸に記されているそうです。
花園天皇(即位1308年)の時代に、
一人の姫がうつろ舟に乗ってこの地に漂着しましたが、村人達の介護もむなしく、
姫は亡くなりました。姫の墓には、姫が大切に持ってきた一本の花木(ハマボウの花)
を植え、村人達は、それを花園の花の木と名付けて庭に植えて伝えてきました。
また村の名も、西条村から花園村に変わりました。』


この話が花園天皇にさかのぼる古い時代のものかはわかりませんが、
馬琴の『兎園小説』よりは古いのではないでしょうか。
ここでは、乗ってきた姫は村人の介護にもかかわらず亡くなりましたが、
姫を発見したものの、対処のしかたがわからず、
また元の舟に乗せて海に流してしまったという結末の話も多いようです。
さてさて、自分の解釈の二つ目です。
あまり話題として触れられることはないのですが、
この蛮女の大事そうに抱えている箱に入っているものはいったい何でしょうか。
自分は男の首、と想像します。

なぜそう思うかというと、中国の古民話にこのようなものがあるからです。
『あるところに金持ちの権力者の男がいたが、
大事にしていた娘が未婚のうちに妊娠しているのが発覚した。
娘を問い詰めると、相手は信心している寺の若い僧侶ということであった。
怒った男は、僧侶を捕まえて首を斬った。
また、いったん入ると出ることのできない舟を作り、その中に自分の娘を閉じ込め、
箱に収めた僧の首とわずかな食料を入れて密閉し、川へ流した』


どうでしょう、この話にも元となるものがあるのかもしれませんが、
博覧強記の馬琴らも知っていたのではないかという気がします。
幕末という混乱した世相にあって、エキゾチックな西洋と、
古来から影響を受けていた中国古譚のぶつかったところから、
出現した話なのではないでしょうか。
ただ、この中国の話、いろいろと検索したんですが出典が見つからない。
どなたかご存知であればご教示いただけたら幸いです。







心霊事件簿5(何かがいる)

2014.01.07 (Tue)
 今回はこれです。
『26日午後0時20分ごろ、京都府宇治市槙島町のヤクルト本社京都工場から
「見学の中学生が気分が悪いと訴えている」と119番があった。
宇治市消防本部などから救急車が出動し、
過呼吸の症状を訴えていた堺市立三国丘中学校2年生の男女生徒11人を2病院に搬送した。
いずれも軽症。工場到着前、バスの中で一部生徒が「幽霊が見える」などと言って騒ぎになったといい、
周りの生徒も不安感などで連鎖反応的に過呼吸になった可能性がある。
府警宇治署の調べなどによると、同校では、2年生214人が体験学習や職場見学のため、
24日から2泊3日の日程で福井県や宇治市などを訪れていた。
毎日新聞 2007年5月26日 』


 この後、この記事を扱ったブログに当事者(三国丘中生徒)と名乗る人物からコメントが寄せられ
そのブログは紛糾しました。
『これの被害にあったバスに乗っていました。バスの中で怪談話はしていません。
一人が私の座っていた席の上に「気持ちの悪いものが見える」といい、
そのあとも何人もがそういって泣きながら過呼吸になっていました。
見える場所を綺麗に拭いてきれいにしても見える、といい、
怪談話で泣くぐらいの子じゃない気の強い男子までもが泣いてか呼吸になっているんです。(5/27)』

同じニュースを取り上げた他の二つのブログに寄せられたコメント。
『それに、怪談話してないし、病院にいって、
バスに戻ったらまた過呼吸で病院に戻った親友も居る。(5/27)』
『俺の友達は怪談話なんかしていない。あたりに過呼吸の人がたくさん出てる。
そんなのが可愛いと思う?幽霊を見た、怖い。気持ちが悪い。
そういって過呼吸になって、しかも泣いてるんだよ?』


 これらのコメントが本当に当事者たちのものであるかは、ネットですのでわかりませんが、
本物であると仮定すれば、怪談話ではなく、一人の生徒が「座席に気持ちの悪いものが見える」
と言いだし、そのパニックがどんどん他の生徒にも伝染していったともとれます。
大阪の堺から京都の宇治までバスで1時間ちょいくらいでしょうか。
これから工場見学をするという午前中に車内で怪談話というのもないかなという感じがします。
霊感の強い子がいて、その言動が他の生徒に影響を与え、集団パニック状態になったのかもしれません。
校外での活動、バスの車内という閉塞した環境、振動や特有のにおいなども
パニック誘発の要因としてあげることもできるでしょう。
似たような事件が昨年起きました。

 『19日午前11時45分ごろ、兵庫県上郡町大持の県立上郡高校で、
1年の女子生徒が休み時間中に「気持ち悪い」と体調不良を訴え、過呼吸を起こした。
その様子を見た別の生徒らが正午過ぎにかけ、次々と過呼吸などの症状を訴え、
1年生17人と3年生1人の女子生徒計18人が隣接する赤穂市内2カ所の病院に搬送された。
いずれも意識があり、命に別条はないという。
兵庫県警相生署によると、最初に体調不良を訴えた女子生徒は、
生徒の間で「霊感が強い」と言われていたという。
その生徒は泣きわめくなどパニック状態になっていたといい、
同署は他の生徒も同様にパニックを起こしたとみている。産経新聞 2013年6月19日 』

 一般的に過呼吸は伝染する事例があることは知られています。
進化心理学で「個人の恐怖反応は、他者に迫り来る危険を警告するという利他的な意味を有している。」
という考え方があります。
シグナル性の高い過呼吸は、他者からの助力を求めるメッセージを伝えるだけでなく、
他者に迫り来る危機を警告する意味も持つ可能性があるのだそうです。
・・・その場の多くの人が過呼吸になってしまったら、危機が迫っても対処できないのではないか
とも思うのですが・・・このような事態は起こりうるもののようです。
ただし当ブログ的には、実際に何かが見えた(何かがいた)
という可能性も否定はできないと言いたいところです。
いくら集団ヒステリー、パニックという言葉を使っても、その部分の解明はできないのですw


集団ヒステリー Neverまとめ



心霊事件簿4(橋北中水難)

2014.01.05 (Sun)
この話は書くのがいまいち気乗りしないんですよね。
理由の一つは、古い事件(事故)ですがたいへんに痛ましい内容であること。
もう一つはWikiの編集者が実に詳細に書いているため、
そっち見ればほとんどわかってしまうことです。
まあしかし、新聞に載った怪異事件を網羅して
収集するのも当ブログの目的の一つですので、とりあえず進めます。
ちなみに前は自分も古代史関係のWikiをよく書いていたんですが、
このブログを始めてそのヒマがなくなり、今はご無沙汰しています。

事故が起きたのは1955年7月28日、戦後10年ほどたった頃のことです。
三重県津市の津市立橋北中学校の女子生徒36人が、
同市中河原海岸での水泳訓練中に溺死しました。
参加生徒約660名は、男女別、水泳能力の別によって班に分けられ、
訓練は7月18日から10日間の予定で行われました。事故が起きたのは最終日です。
当日は水泳能力のテストがあり、午前10時から、
大半が泳げない組の女子生徒約200名(他に男子生徒も)が海に入りました。

ところが海に入ってから数分後、女子生徒100名前後の者が、
水泳場東北隅附近で一斉に身体の自由を失い、
溺れ始めました。懸命な救助が行われましたが、最終的に36名が亡くなったのです。
現場の水深は1m足らずでしたが、多くの証言で急に水位が増し、
足が立たなくなったとあります。この原因について
は推測するしかありませんでしたが、沿岸流(ロングショアカレント)説など
多数の説があげられています。

この事故が起きてほどなく「戦死者の霊が女生徒たちをひっぱりにきた」
という噂が地元では広まっています。
事件が起きてから1年後の7月29日付の『伊勢新聞』には
『…当時おぼれて助かった女生徒の一人は
そのとき海の底からたくさんの女の人がひっぱりに来たといっている。
…終戦の年の同月同日、津市中心部が一夜にして灰燼に帰した空襲時に、
この文化村海岸の松原に避難して爆死した、
多くの難民たちの無縁仏がひいたのだという伝説も
想いおこされる。』
という記述があります。

事故のちょうど10年前の1945年7月28日に、
同市で大規模な空襲があったのは事実ですし、
それとの関連性も事件当時から指摘されていました。
『…身元不明の遺体は砂浜に埋葬されたと聞きました。
それから十年後同じ日、中学生の水難事故がありました。
遺体の埋められた場所の近くです。生存者の話によると、
防空頭巾をかぶったおばさんが呼んだと云います。
(戦争の爪跡、三重県戦後50年体験文集、三重県戦争資料館)』


ただ全部で7回、うち大規模なもの3回の空襲は、
どれも現場の中河原海岸には及んではいません。
しかし津市郊外の郵便局長の話として、
『7月28日の空襲で警察署の地下室に逃げ込んだ人々が皆、
煙にまかれて窒息死した。死者は250名をこえていただろう。
その処理に困った市当局は海岸へ捨てることに決めたが、
漁師たちが反対したので、一部は油をかけて焼き、
残りの大部分は砂浜に穴をほって埋めてしまったのだ。』
という記述があります。

これが中河原海岸に遺体を埋めたという伝説の元になっているのは
間違いないと思われます。さらに同市の「爆死者調査」によれば、
『中河原海岸、津署地下室死者、無縁確認36…』という記述があり、
この津署地下留置場の無縁仏は中河原海岸に仮埋葬されたとも解釈できるのです。
これは7月24日の空襲時のことという説もありますが、
埋葬された無縁仏は奇しくも36体です。

事故の被害にあった女生徒の手記「私は死霊の手から逃れたが…」
(『女性自身』昭和38年7月22日号)が発表されたのは事件の8年後で、
これにより噂は全国的に有名になりました。
『黒いかたまりは、まちがいなく何十人という女の姿です。
しかも頭にはぐっしょり水をすいこんだ防空頭巾をかぶり、モンペをはいておりました。
白い顔が近づいて、夢中で逃げようとする私の足をその手がつかまえたのは、
それから一瞬のできごとでした。思いきり足をばたばたさせて、
のがれようとしましたが、足をつかんだ力はものすごく、
下へ下へと引きずりこまれてゆきます。』(一部抜粋)

亡霊が呼んだのかはともかく、この事故の責任をめぐって長い裁判となり、
県内の中学校にプールが設置される契機となりました。

橋北中学校水難事件Wiki

『海の守り』(事件の殉難碑)
「海の守り」女神像





心霊事件簿3(幽霊ボート)

2013.12.23 (Mon)
昭和29年(1954年)1月だからもうかなり古い話です。
徳島県の鳴門競艇場のゴール判定写真に、
あるはずのないボートが写っていると話題になる事件がありました。
その前年の12月24日に、佐賀県の唐津競艇場で、
レースの練習中に横溝幸雄選手が事故死しており、
場所は違いますが、鳴門競艇場も横溝選手の遠征先であり、
無念の思いからか幽霊になって現れたのではないか、と騒ぎになったのです。

これは徳島新聞にも記事として掲載されましたし、
公営ですので市議会でも議論されました。
2ヶ月後の同年3月、同じ鳴門競艇場で、さらに5月今度は丸亀競艇場で
やはり幻のボートが判定写真に写るということが起き、
それぞれ徳島新聞、四国新聞に記事が掲載されています。
その後事件はいったん忘れ去られましたが、昭和32年に内外タイムス、
昭和35年に東京毎夕新聞がこの事件を特集して話題を集めました。

可能性としては、光線の屈折による蜃気楼のようなものが実際にあり、
写真に撮られた。当時採用されたばかりのスリットカメラの構造上の問題・・・
スリット以外にすき間があった場合他のボートも写ってしまう場合があること、
またフィルムを巻いて現像する際に2重写しになる可能性があることも判明しました。
日付台に水がかかり、その水がひくときに鏡面のようになって、
そこに写りこんだ像が写真に撮られたのではないか、との説もあります。

これらの説に対する反論として、『もし日付台が原因ならば、
昭和29年から今まで1万回以上のレースが開催されているのに、
その間に同じような写真が全く撮られていないのはおかしい』
 (全国モーターボート競走連合会・業務部長の中北氏)
のようなコメントも出ました。
 昭和38年7月24日、横溝選手と同郷の小笠原政敏選手が、
鳴門競艇場でレースの際中に、不可解な写真を撮影した写真判定柱に
激突して死亡するという事故が起こったのです。これは偶然と思いたいですが、
横溝選手の霊が連れていったのではないかという噂もあったそうです。

自分は新聞に載った心霊話を中心に収集しているのですが、
地方紙ではありますが、掲載された回数では、
この話が一番多いのではないかと思われます。
下のリンクのサイトがよくまとまっていますので、よろしければ参照してみてください。
それから動画も見つけましたが、ここに出てくる写真はかなり微妙ですね。

競艇場で起こった「幽霊ボート騒ぎ」
7台目の幽霊ボート
心霊事件簿1  心霊事件簿2