うわんと火事

2018.02.25 (Sun)
今回は妖怪談義です。取り上げるのは「うわん」。
ここでまた自分は大胆な推理をしますが、これは自信ないです。
間違っている可能性がかなり高いことを、あらかじめお断りしておきます。
スルー推奨かもしれません(笑)。

まず、下の石燕の絵を見て下さい。画面上方に柳の木があります。
そっから裸の男の上半身が道に向かって乗り出すように出てきています。
今にもつかみかかりそうな、おどしかけるようなポーズですね。
男の手は3本指の鉤爪で、3本指は鬼を表すとも言われますが、
そのわりには、男はハゲ頭で角が見あたりません。



あと、石燕の絵ではわかりにくいですが、佐脇嵩之の『百怪図巻』の
「うわん」は歯に鉄漿(おはぐろ)をつけています。鉄漿は普通は、
既婚女性がつけるものですが、男がつける場合は、
身分の高い公家などに限られます。
しかし「うわん」がお公家さんとは見えないですよね。

佐脇嵩之『百怪図巻』より「うわん」


また、柳の下に出るのは幽霊と相場が決まっていますが、
この「うわん」は幽霊のようにも見えません。一般的に、幽霊は青白く
生気がない様子で描かれるものですが、
これは違いますよね。うーん、やはり難しい。

ということで、今度は画面の下方を見ると、塀が大きく崩れて穴が空いています。
これ、どういうことなんでしょうか。そして、道の草の上に壊れた塀の一部が
落ちています。この円筒形のものは、どうやら軒巴瓦(のきともえがわら)
のようです。これについては後で説明します。



さて、Wikiを見ますと、「熊本県阿蘇郡小峰村でお化けを「ワンワン」、
鹿児島県郡谷山町で化物を「ワン」ということから、
その系統の妖怪と推察されている。」こう出てきていますが、
これ、自分は関係ないんじゃないかと思います。石燕の妖怪画は仲間ウケを
ねらっている面が大きいので、もし石燕がこのことを知っていたとしても、
九州のことを出してもしょうがない気がするんです。

で、下に落ちている軒巴瓦ですが、円形の中に巴紋が入っているので、
この名がつけられています。巴紋は水が渦を巻くように見えることから、
水の象徴であり、つまり巴瓦には火災除けのおまじないの意味があったんです。
それと、上記した柳の木ですが、これも水辺に生えるものですよね。
ですから、「うわん」は何か水と関係があるんじゃないかと思うんです。

また、下図を見てもらえばわかりますが、
巴瓦は鬼瓦とセットになっているものです。鬼瓦の歴史は古く、
ルーツはパルミラにて入口の上にメドゥーサを厄除けとして設置していた文化が
シルクロードを伝わって日本に入ってきたという説もあります。

鬼瓦と巴瓦


メドゥーサはゴルゴーン3姉妹の1人で、無数の毒蛇の髪を持ち、
見たものを石に変える視線の持ち主でした。ギリシャ神話では、
英雄ペルセウスによって首を切り落とされて退治されます。
ペルセウスは、女神アテナにメドゥーサの首を贈り、
アテーナーは自分の盾にメドゥーサの首をつけて、最強の盾とします。
古代ギリシアでは、家のかまどにメドゥーサの顔を描いて魔除けとしていたそうです。

話がそれてしまいましたが、このように鬼瓦には魔除けの効果があるんですね。
怖い顔で外から来る魔を家に近づけないようにする。
鬼瓦の魔除け、巴瓦の火災除けがセットになって建物を守っていたわけです。
では、「うわん」は鬼瓦なんでしょうか?そうとも考えられそうですが、
鬼にしては、やはり頭に角がないのが気に入りません。

さてさて、こっからは大胆な推理です。
水を表す巴瓦を壊して家から外に出てくるもの。
これは当時に最も恐れられていた、火事を表しているんじゃないでしょうか。
江戸時代には何度も大火があり、そのたびに数万人が亡くなっています。

放火は重大犯罪で、犯人は火あぶりの刑でしたし、失火の場合も、
長屋の5人組や大家までが連座して刑を受けることもありました。
「うわん」はその火事の象徴なんじゃないかと考えるんです。
最後に、「うわん」の意味ですが、これは半鐘の音なのかなあと思います。

半鐘は江戸時代、火の見櫓の上部などに取りつけて打ち鳴らし、
火事を知らせるものです。町内ごとに多くの半鐘が設置されていました。
一般的には、半鐘の音は「じゃん」と表現されることが多いんですが、
下にyoutubeの半鐘の音を貼りつけておきますので、
よろしければ聞いてみてください。








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否哉と裏表

2018.02.23 (Fri)
今回はまた、妖怪談義です。取り上げるのは「否哉 いやや」。
これは、そんなに難しいところはなさそうです。詞書は、
「むかし 漢の東方朔(とうほうさく) あやしき虫をみて怪哉(かいさい)
と名づけしためしあり 今この否哉もこれにならひて名付たるなるべし」




詞書については、後ほどふれることにしまして、まずは絵を見てみましょう。
右手に水門のある川べりのようなところに、笠をかぶった女が立って、
水面に顔を映していますが、その顔は女ではなく爺さんです。
あと、近くに笹竹などが生えていますが、特に深い意味はないようです。

名前の「否哉 いやや」は「否哉 いやかな」つまり、「ああ、いやだなあ」と、
心から思うことですね。まあそれは、後ろ姿の美しい女性がいて、
声をかけてみたところ、ふり向いた顔が爺さんだったとしたら、嫌でしょう。
そういう一瞬の嫌な心持ちを妖怪化したものだと思われます。
否哉についての伝承は見つかりませんので、
妖怪研究家の多くは石燕が創作した妖怪と考えています。

後の妖怪画では、この妖怪は「いやみ」として紹介されることが多く、
「異爺味 いやみ」という漢字が当てられたりしていますが、
これはおそらく石燕の書いた「いや」(はくり返しの記号)を、
「ミ」と読み間違えたためだと思われます。

あれ、終わってしまいました。これだとあまりに短いので、
もう少しうんちくを傾けてみましょう。
「快哉 かいさい こころよきかな」という言葉がありますね。
「快哉を叫ぶ」という慣用句として使われることが多いんですが、
「大声で喜びの声を上げる」という意味です。石燕は、
おそらくこれの反対語として「否哉」という語をつくり出したと思われます。

さて、詞書に戻って、訳すと「その昔、前漢の臣、東方朔(とうほうさく)が、
不思議な虫を見つけて「怪哉 かいさい あやしいかな」
と名づけたという例がある。今、この否哉も、
これに習って名づけられたものだろう。」これくらいの意味になります。

東方朔


東方朔というのは人名で、前漢の武帝に仕えた宰相、前2世紀頃の人物です。
豪放磊落な性格で、仙人のような暮らしぶりであったとも言われ、
いろいろと不思議な逸話が多い人です。
中国の南北朝時代の殷芸(いんげい)が書いた『小説』には、
前漢の武帝が東方朔をともなって旅行に出かけた際、行く道の途中に、
頭、目、牙、耳、鼻、歯が人間のようにそろった奇妙な虫がたくさんいた。

それを見た武帝が「怪哉 あやしいかな」と言ったので、その名がつけられた。
東方朔は武帝の問いに答えて、「これは秦の時代、始皇帝が厳しい法律で
人々を縛ったので、罪を受けた者の魂が虫に変化したものと考えられます」
重ねて武帝が、「どうすればよいのか」と尋ねると、

「古来から、酒を飲めば憂いを忘れるといいます」東方朔はそう言って、
虫たちを酒の入った瓶に入れた。すると虫たちはみな、
満足した様子で散り散りにその場を去っていた。
後に、古地図を元に調べてみると、はたしてそこは、秦の時代に
牢獄があった場所であった・・・こういう故事が書かれています。

「怪哉虫」で出てきた中国の画像 カメムシでしょうか


ご存知のように、秦の始皇帝は中国全土を統一して
初めて皇帝になったわけですが、その治世は、「法家」を重用して思想基盤とし、
厳しい法律で民衆を縛りました。そのため、犯罪の少ない世にはなりましたが、
このことは、中国ではあまり評価されていません。
皇帝は徳(道徳)で世を治めるのが最上であるとされるからです。

これに対し、劉邦が築いた前漢は、前半は老荘思想、後半は儒教を国教として
国を治めたため、歴代王朝の中でも評価が高いんです。
秦が実質的に始皇帝1代で終わったのに対し、
前漢は14代、200年続いています。その最盛期の皇帝が、
前述の武帝だったんです。罰せられるから、しかたなく法律を守るというより、
自分の中の道徳にしたがって行動するのがよいのは、理想ではあります。
 
さてさて、博識の石燕は、これらの故事をすべて知っていたと思われます。
そして絵の詞書の中に、わざと東方朔の名前を出し、
後ろ姿は美しい女、表は醜い老人という裏表で、
法と徳、ということを表しているのかもしれません。
まあでも、これは自分の深読みのしすぎという可能性も高いですが。






幣六と天神様

2018.02.20 (Tue)
今回は妖怪談義です。とりあげるのは「幣六 へいろく」。
これもかなり難しいんですが、ここでは大胆な推理を述べたいと思います。
ただし、自分の大胆な推理というのはほぼ間違っていますので、
そのつもりでお読みいただけたらと思います。あくまで半分冗談ですので。

さて、下の絵が石燕の幣六です。上半身裸の毛深い人物が御幣(ごへい)を
担いで踊っています。御幣とは、神道で使われる用具の一つで、
紙または布を切り、細長い木にはさんで垂らしたものです。
これは、本来は旅に出るときに持参し、道々の道祖神などに捧げ物として
供えるものでした。幣(ぬさ)とも言います。



また「御幣を担ぐ」という言葉は慣用句になっていて、
「つまらない縁起や迷信を気に掛ける。」という意味で使われていますね。
ここにも何か石燕の意図があるような気もしますが、
やはり、はっきりしたことはわかりません。

詞書は「花のみやこに社さだめず あらぶるこころましみ 神のさわぎ出給ひしにやと」
うーん、うまく訳せません。花の都の社(やしろ)におらずに、
心が荒ぶるままに、神が騒いで出てきたのか、みたいな意味でしょうか。
この詞書も謎ですし、幣六の「六」についても、よくわかりません。

自分が最初にこの妖怪画を見たときは、石燕の絵によくある付喪神(つくもがみ)
を描いたものだと思っていました。付喪神というのは、
古くなった器物が命を持ち、妖怪となったもののことを言います。
例えば、下の「骨傘」なんかがそうです。この手の妖怪はたくさん出てきます。
ですが・・・、それにしても詞書が謎なんですね。

「骨傘」


また、石燕の絵は、室町時代の『百鬼夜行絵巻』を参考にして描かれたものも
多いんです。『百鬼夜行絵巻』には、御幣を担いで踊る赤い鬼(下図)
が出てきており、これを参考にして幣六を描いたのではないかとも言われています。
ただ、絵を見ると御幣を担いでいるところはいっしょでも、
その他の部分はずいぶん違っている気もします。浮世絵師・月岡芳年は、
錦絵『百器夜行』に、石燕の幣六を参考にしたと見られる幣六の
絵を描いており、肌は赤く彩色されています。

『百鬼夜行絵巻』


うーん、赤鬼・・・と考えていて、はたと思い当たったことがあります。
菅原道真公です。みなさんご存知だと思いますが、天神様として知られる神様で、
Wikiには「菅原道真(845~903)宇多天皇に重用されて、
寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。

しかし、左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ)され、
大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。
死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、
天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。」

というように出てきます。

この菅原道真が怨霊になったときの姿は、黒雲に乗った赤い雷神として
表されることが多いんですね。下図は鎌倉時代の『北野天神縁起絵巻』ですが、
赤い雷神になって暴れているのが菅原道真です。
このとき、930年の内裏、清涼殿の落雷では7名が死亡し、
また、惨状を目撃していた時の醍醐天皇も、
体調を崩して3ヶ月後に崩御されています。なぜ赤い鬼の姿かというと、
この手の絵の約束事として、風神は緑、雷神は赤で描かれるきまりなんです。

『北野天神縁起絵巻』


さて、では幣六は菅原道真公なんでしょうか。
この可能性はけっこうあるんじゃないかと自分は考えます。一つは「幣」です。
『小倉百人一首』に採られている菅原道真(菅家)の歌は、
「このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに」です。



この歌は、898年の秋、道真が宇多上皇のお供して吉野へ行く途中、
一行が道祖神への供え物を忘れてきたことに気づき、
その時に詠んだ和歌だと伝えられています。幣を忘れてきてしまいましたが、
この色鮮やかな紅葉をその代わりとして収めて下さい、ということでしょう。

さてさて、これらのことを考えて詞書を読むと、なんかピンと来るものがあります。
「花のみやこに社さだめず」とは、道真が京の都から、
九州の大宰府に左遷されたことを表しているのかもしれません。
そこで憤死して怨霊となり「あらぶるこころ」なわけですね。
みなさん、どう思われますでしょうか? 









おとろしと八幡神社

2018.02.18 (Sun)
今回は妖怪談義です。このカテゴリでは、比較的わかりやすいものから
書いてきましたので、だんだん難しくなっていきます。取り上げるのは「おとろし」。
これも詞書がないので、どれだけのことが言えるか自信ないです。
まず、石燕の絵を見てみましょう。



鳥居の上に毛むくじゃらの怖ろしい顔の化物がいて、鳥を咥えています。
この鳥はおそらく鳩ではないかと思われます。日本にはたくさんの神様がいて、
それぞれ「眷属 けんぞく」と呼ばれるお使いの動物を持っています。
例えば、稲荷神社の狐は有名ですね。その他、出雲大社なら蛇、
(同じ大国主命を祀る大神神社も蛇です)日吉神社なら猿、春日大社は鹿、
三峯神社が狼。では鳩を眷属とするのは何かというと、八幡系の神社なんですね。

八幡神社の祭神は八幡神(やはたのかみ)で、特に武士階級に信仰された武神です。
一般的には応神天皇と同一視されています。応神天皇は第15代天皇で、
名前は誉田別命(ほんだわけのみこと)。神功皇后が妊娠をこらえて
三韓征伐におもむいた後、九州で生まれたことになっています。

ですから「胎中天皇」という別名も持っているんですね。
後に、八幡神は仏教と習合されて八幡大菩薩になりました。
八幡神社は全国で最も数が多く、約8000社あって、
大分県宇佐市の宇佐神宮が総本社です。

では、石燕の絵に出てくるのは八幡神社なんでしょうか?
鳩の他にヒントがあります。それは鳥居の形です。鳥居には大きく分けて、
神明系と明神系があり、シンプルな形のものが神明系、代表は伊勢神宮。
八幡神社は明神系で、その中でも特徴的な八幡鳥居と呼ばれるものです。(下図)

鳥居の種類
ダウンロード

石燕の絵の鳥居は、笠木(一番上の黒い部分)の端が斜めに切られていて
反りがないので、八幡鳥居と見てもよさそうですね。
ということで、この「おとろし」は何か八幡神社と関係があるんでしょう。
ここまでは多くの妖怪研究者がたどり着いています。
じゃあ、どういう関係があるのと聞かれると、これがわからない。
悔しいですが、どうにもならないので別方面から考えてみましょう。

「おとろし」という名前に何かヒントはないか。石燕の絵には「形容詞系」の妖怪
というのがあると考えています。例えば、「狐者異 こわい」。これはもちろん
「怖い」から来ているものでしょう。また「否哉 いやや」は、
現代の「嫌だ」という形容動詞なんだと思います。

「狐者異 こわい」と「否哉 いやや」
名称未設定 1

では、「おとろし」は「怖ろしい」かというと、そうでもないようなんですね。
というのは、喜多村信節が書いた江戸時代の随筆『嬉遊笑覧』
に引かれている化物絵に、「おとろん」という妖怪が出てきており、
これを石燕が参考にした際に、「ん」を読み間違えて「し」にしてしまったという説。

それから、 佐脇嵩之という妖怪絵師の本に出てくる「おどろおどろ」が、
「おどろ~」とくり返しの記号で書かれていたため、やはり石燕が間違え、
「おとろし」にしてしまったという説があるんです。
ということで、「おとろし」は元は「おとろん」または「おどろおどろ」
かもしれないんですね。困りました。

『化物づくし』(作者不詳)から「おどろおどろ」


ただ、ヒントになりそうなことはまだあります。佐脇嵩之の『百怪図巻』、
石燕の『画図百鬼夜行』のどちらも、「おとろし」は、
「わいら」という妖怪と並べて描かれているんです。
佐脇も石燕も、この2体の妖怪をセットとして考えていたようです。
妖怪研究家の多田克己氏は、「わいら」が「怖い」、「おとろし」が「怖ろしい」で、
一対になると述べており、これは、おそらくそうなんだろうと思いますね。

「わいら」


また、「おとろし」に関する民間伝承は一切ないんですが、水木しげる御大は
「不信心者が通りかかると、鳥居の上からおとろしが落ちてくる」と述べていて、
それからすると落下系の妖怪なのかもしれません。
落下系の妖怪には「薬缶吊る」や「釣瓶落とし」などがあります。

山岡元隣著・山岡元恕編『古今百物語評判』より「釣瓶落とし」


さてさて、ここまでのことをまとめますと、
「おとろし」とは、なぜか八幡系の神社の鳥居の上にいて、不信心者が通りかかると、
上から落ちてきておどかす、怖しい毛むくじゃらの妖怪ということになります。
元の名前は「おとろん」あるいは「おどろおどろ」かもしれない。
わけわからなくてすみませんが、現状ではこれが限界ですね。









燈台鬼と人体改造

2018.02.15 (Thu)
今回は妖怪談義とします。ただ、これ、妖怪と言えるかどうかはかなり疑問です。
外見は妖怪のようですが、元来は生きた人間ですし、
ひじょうに中国的な話なんですね。



「軽大臣 遣唐使たりし時 唐人大臣に唖になる薬をのませ 身を彩り
頭に燈台をいただかしめるを 燈台鬼と名づく その子弼宰相入唐して父をたづぬ
燈台鬼涙をながし 指をかみ切り 血を以て詩を書して曰 
我元日本華京客 汝是一家同姓人 為子為爺前世契 隔山隔海変生辛
経年流涙蓬蒿宿 逐日馳思蘭菊親 形破他郷作灯鬼 争皈旧里寄斯身」


いちおう訳してみますと、
「軽(かる)の大臣が遣唐使だった時、唐人が大臣に声の出なくなる薬を飲ませ、
全身に刺青をし、頭に燭台を乗せて燈台鬼と名づけた。
その子の弼(ひつ)の宰相が、後に入唐して父の行方を探した。
(そのうちに燈台鬼と化した父と出会い)燈台鬼は涙を流し、
指をかみ切って、血でこのような詩を書いた。

私は元は日本から来た。あなたと同じ姓を持つ家族だ。子と父の前世からの契があり、
それは海山を隔てても変わらない。長年粗末な家に住んで涙を流し、
日本の家に住む親を思う。姿は怖ろしい燈台鬼になったが、
なんとか故郷に身を寄せたい。」この漢文の部分は難しいので意訳にしました。

さて、この話は『平家物語』、『源平盛衰記』、『和漢三才図会』などに出てくる
「燈台鬼伝説」と呼べるもので、実際にあったことかどうかはわかりません。
遣唐使の一覧も参照してみたんですが、軽の大臣、弼の宰相にあたる人物は
見つからなかったです。おそらく、作られた話だろうとは思うんですが、
できた背後には、中国特有の人体改造の思想があるんじゃないかと思います。

伝説では、燈台鬼は息子に再会し、弼の宰相は父の燈台鬼とともに
帰国の船に乗るが、嵐にあって難破し、
燈台鬼は日本の地を踏むことはできたものの、
家に帰り着くことなく息絶えてしまう・・・という結末になっています。

それにしても怖い話ですよね。日本から唐に文化を学びに行った使節が、
だまされて喉がつぶれる薬を飲まされ、全身に刺青されて、
頭の上に燭台を乗せて立ち続ける「燈台鬼」にされてしまうんですから。
この伝説をもとに、小説家の南條範夫氏が書いたのが『燈台鬼』で、
第35回の直木賞を受賞しています。この小説では、燈台鬼父子が、
実在の遣唐使の小野石根・小野道麻呂父子に置き換えられていますね。
 
さて、中国の人体改造といえば、まず思いつくのが宦官、それから纏足ですか。
宦官は去勢を施された官吏という意味で、中国では古代から存在し、
政治に大きな影響を与えました。宦官は性的に中性なので、
安心して皇帝の近辺や後宮に置くことができたためですが、
権勢欲の強い宦官によって政治が乱れ、中国歴代王朝の中で後漢・唐・明などは
宦官のために滅びたとまで言う人もいます。

宦官になることは、一般の庶民が宮廷内で栄達を極める近道であったため、
強制的に宦官にされる者より、自ら進んで宦官になる者のほうが
多かったようです。(自分から性器を切断することを「自宮」と言います)
明代には約10万人の宦官がいたと推定されています。
去勢した場合、出血多量や細菌感染で約3割は死んだと言われますが、
それもなかなかすごい話ですよねえ。

ちなみに、宦官になるために切断した自分の性器は「宝」と言われ、
大切に保管され、仕官の際にはそれを見せて証拠とする必要がありました。
また、宦官が死んだときには、「宝」もいっしょに墓に葬られ、
それがなかった場合はロバに生まれ変わると言われていたそうです。

纏足は、幼児期より足に布を巻かせ、足が大きくならないようにするという、
かつて中国で女性に対して行われていた風習で、かなり近代まで残っていました。
魯迅が日本で1921年に発表した『故郷』には、纏足した女性が登場しています。
纏足ができた理由は、小さい足の女性の方が美しいと考えられたからですが、
うまく走れないため、女性が逃げ出さないようにする意味もあったと思われます。

また、中国では「盲妹 まんめい」と呼ばれる、
ごく幼い頃に、人為的に視力を奪われた盲目の娼婦もいました。これは、
やはり逃げられないようにするためと、目が見えないことで集中力が増すため、
踊りや音楽などの芸が上達するといった目的もあったようです。

さらに、中国の古典を読めば、宮廷には人間椅子(体に装飾を施され、
高官が外に出た場合などに、いつどこででも椅子になることができる奴隷)や、
軽業や火を吐いたり剣を呑んだりする小人や障害者の道化師などもいたようです。
まあそんな具合で、人体改造に関する意識がかなり日本とは違っていて、
それが燈台鬼伝説の元になっているんじゃないかと思うんです。

さてさて、少し前に、中国で行われた死体の頭部移植の話を書きましたが、
それが行われた背景には、人権に対する感覚が特異で、
倫理観も他国とは違っているせいもあるんだろうと自分は考えています。
中国では、死刑囚から臓器を取り出して移植に回しているという話がありますが、
どうやら事実のようです。臓器ドナーのうち90%が死刑囚であるとも言われます。
燈台鬼から少し話がそれてしまいましたが、お隣の国はなかなか怖いところですよ。

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