家鳴とその周辺

2017.11.05 (Sun)


今回は妖怪談義です。まず石燕の絵をごらんください。
家の縁側やその下に小鬼のような風貌の妖怪が7匹いて、
柱にとりついて揺らしています。また、槌などの道具を持っているものもいます。
この「家鳴(やなり)」を言葉どおり解釈すれば、もちろん「家が鳴ること」ですよね。

石燕のころは、ほぼすべての建物が木造家屋であり、
湿度や温度の変化、また強風などでガタピシ鳴るのは珍しくなかったでしょう。
江戸時代の夜は暗く、また人々は早寝早起きであったため、
夜中に布団の中で「ピキーン」などという音を聞けば、
「ああ、これは妖怪が家を揺らしている」などと思ったかもしれません。
しかしこれ、そう単純に考えることもできないようです。

というのは、『日本書紀』『続日本紀』にもそれらしい内容があり、
太鼓や釜がひとりでに鳴ったと書かれているんですね。
ですから、「建物の中で、だれもいないはずなのに音が聞こえる現象」
と広義に解釈される場合も多いのです。
石燕の描いた妖怪たちも、そっと部屋にしのびこんで、
そこにあった太鼓を叩いたりすることもできそうです。
こう考えると、家鳴は、欧米で言われる「ラップ音」とよく似た概念になります。

さて、ラップ音をWikiで見てみると、
「ラップ現象とは、誰も関与しないまま、誰もいない部屋や、
何も存在しないように見える空間から、ある種の音が発生し鳴り響くとされる現象」
となっています。英語の「rap」は「ドンドンと叩く」という意味で、
ラップ音楽のラップと同じ語です。このラップ現象が世界的に広まったのは、
19世紀のアメリカ、「ハイズビル事件」からでした。簡単に概要を説明すると、

ハイズビルに住むフォックス家の2人の姉妹が、
夜ベッドに入ってから聞こえてくる音に興味を持ち、
音を返してみたら交信することができた。それによると、音を鳴らしているのは、
5年前にこの家に宿泊していた住人のジョン・ベルという男に殺された、
チャールズ・ロズマという名の行商人であり、地下室に埋められていると告げた。
翌日、家族で地下室を掘り返してみると、少量の骨片と毛髪、歯が出てきた。

それだけでは量が少なく、殺人とも何ともいえなかったが、
その後、地下室にこっそり入り込んで遊んでいた少年たちが、
壁の崩れたところから人骨がのぞいているのを発見し、調査の結果、
2重壁の中から行商人用のブリキ製の箱と、ほぼ一体分の人骨と発見された。

この後、フォックス姉妹はニューヨークを拠点として全米で降霊会を開き、
一家は、巨大な富を手に入れた。
ピーク時には、150万人を超える信者や支持者がいた
ともいわれ、彼女らはカリスマ的存在ともなった。

そんな中、ラップ音について、バッファロー薬科大学の調査結果が発表され、
「音の正体は、足首や膝の関節を鳴らしていた」と結論づけられた。
姉妹のうちの一人マーガレットが、調査のとおり、
「足の関節を鳴らしたもので、すべてはトリックであり詐欺だった」と告白。
しかし1年後、彼女はこの告白を撤回する・・・

この事件の真偽については、現在でもたくさんの議論があります。
ただ、これをきっかけにして、アメリカ全土で心霊ブーム、
降霊会の流行が起きたのは間違いないところです。

さてさて、ラップ音は「ポルターガイスト現象」の一つとして説明される
こともあります。ポルターガイスト現象は、単に音がなるだけではなく、
家全体が揺れたり、屋根に石が降ってきたり、ベッドが宙に浮き上がったり、
食器棚の皿が飛び出したりするものです。
世界各地でさまざまな事例が報告されていますが、原因として、

① 自然現象説、台風や竜巻、地震、磁気異常、寒暖の差などによる現象。
 また、上下水道のウオーターハンマーによる振動などもこれに含まれます。
② 心霊現象説、死者の霊がこれを引き起こしているとするもの。
③ 超能力説、ポルターガイスト現象では、事件の関係者に思春期の少年少女が
 いることが多いため、それらの子どもが超能力で引き起こしたとする説。
④ 詐欺、トリック、手品説・・・などがあげられています。

こうして見てくると、「家鳴」もまた、単なる「木造家屋のきしみ」
だけでは片づけられないものであるのがおわかりいただけるでしょう。










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目目連と囲碁

2017.10.30 (Mon)


久々になりましたが、今回は妖怪談義です。取り上げるのは目目連(もくもくれん)
鳥山石燕による詞書きには、
煙霞跡なくして むかしたれか栖し家のすみずみに目を多くもちしは
 碁打のすみし跡ならんか
」昔誰かが住んでいた家の隅々に目があるのは、
 碁打ちが住んでいたからなのだろうか。

とあります。水木しげる先生の次女、悦子さんは、中学時代の修学旅行先の
京都府の旅館で、障子の格子に目のようなものが浮かび上がって動き回る現象を、
同級生たちと共に目撃しており、家に帰って父に話すと、
水木先生はそれを「目目連だ」と語ったという話が残っています。

さて、目の錯覚の一種にバーゲン錯視というのがあり、これは黒地に白い格子
があった場合、交点の部分に黒い点が飛び回っているように見えることを
いいますが、どうでしょうか。下図で黒い点が見えるでしょうか。
これが強く見えてしまう場合、疲れがたまっているとも言われます。
目目連は、このバーゲン錯視を指しているのだという説もありますが、
ただし、バーゲン錯視の場合は格子の交点であるのに対し、
石燕の絵は格子で囲まれた障子紙の上に目が二つずつ出ていますので、
違うといえば違うかもしれません。

「バーゲン錯視」


この妖怪のテーマになっているのは、囲碁ですね。
囲碁では、ルール上、目(眼)をつくるのが重要です。
目というのは自分の石で囲まれた部分のことで、これが2つあれば、
相手に自分の石を囲まれても生きることができます。
目というのは囲碁では勝敗にかかわる重要なものなんです。

さて、囲碁や将棋では勝負にこだわるあまり争いが起きて、
人が死んだなどの例もありました。例えば怪談の「鍋島の猫騒動」では、
2代目藩主、鍋島光茂の囲碁の相手を務めていた龍造寺家の家臣が、
対局上の争いによって手討ちにされてしまうのが発端です。
この手の勝負事にはどうしても遺恨が残りやすいものなんですね。

江戸時代には、碁所(ごどころ)という幕府の役職があり、
囲碁家元である四つの家からただ一人だけ選ばれ、就任するためには同時代の
誰よりも強い、名人の技量を持っていなければなりませんでした。
これをめぐって、四家ではさまざまな確執が起こり、
対局者の一人が局後に血を吐いて倒れたとする「吐血の一局」などという話も
あります。そういった碁打ちの勝負に対する執念は、
石燕も聞きおよんでいたと思われます。

また、囲碁は古代の中国で生まれましたが、仙人が好む遊戯とされ、
別名、爛柯(らんか)というのですが、こういう話が伝わっています。
晋の時代の昔、王質という木こりが山奥の洞窟に入ると、そこで数人の童子が
歌いながら碁を打っていた。王質は腹が減ると童子にもらった棗の種を
口に入れてそれを見物していたが、童子に言われて気がつくと斧の柄(柯)が
ぼろぼろにただれ(爛)れていた。王質が山から里に帰ると、
数えられないほどの年月がたっていて、知っている人は誰一人いなくなっていた。

(南朝梁の任昉『述異記』)つまり、斧の木製の柄が腐ってしまうほどの長時間、
夢中になって仙界にいてしまったということです。

このように、囲碁には他の遊びとは違った神秘性があると思われていたわけです。
また、日本にはこんな話もあります。江戸時代の怪談本『玉箒木』から。
江戸の牛込に、囲碁の好きな清水昨庵という者がいた。
昨庵があるときに近くの柏木村円照寺を散歩していると、
色白と色黒の2人組が話しかけてきた。2人と馴染みとなった昨庵が名を尋ねると、
色黒の者は山に住む「知玄(ちげん)」色白の者は海辺に住む「知白(ちはく)」
と名乗り、それきり姿を消してしまった。
昨庵はこの後囲碁の名人となり、江戸中に敵が無くなった。

この2人は囲碁の精なんでしょうね。

さてさて、こうして考えると、囲碁の持つゲームとしての神秘性、
また、碁打ちの持っている勝負に対する執念を石燕が妖怪化してみせたのが
この目目連なのかもしれません。






応声虫と人面瘡

2017.10.11 (Wed)


さて、今回は妖怪談義です。
まず、応声虫ですが、聞いたことがある人はあまり多くないでしょう。
中国由来のもので、古い中国の説話集にいろんな話が載っています。
応声虫が人体の中に入り込むと、本人は何もしゃべっていないのに、
腹の中から問いかけに応じた返事がかえって来るとされる。

文字のとおり「声に応える虫」ということですね。
雷丸(サルノコシカケの一種の漢方薬)を服用すれば効果があり、
虫が体外に出るという話もあります。

この応声虫は日本に入ってきて、人面瘡(人面疽)を引き起こす原因とされる
ようになりました。江戸時代の『新著聞集』や随筆『塩尻』に見られる説話では、
元禄16年、油小路に住むある男の腹に応声虫によるできものができ、
できものには目や口があり、食べ物を与えるとそのときだけ痛みや熱がひいた。
様々な種類の薬や祈祷を試したが、一向に効果がない。
ある名医が診察し、様々な種類の薬をできものの口に飲ませ、
その中でも嫌がって飲まないものを選び、
それらを調合したものを無理に口に押し込んだ。
できものは次第に弱り始め、10日ほど経つと肛門から怪虫が出てきた。
それはトカゲのようなもので、頭には1本の角があった。
逃げ出そうとしたところを滅多打ちにして殺し、患者は元気を取り戻した。


この尻から出てきたトカゲのような怪虫が応声虫であったわけです。
これは、回虫など寄生虫の病状を表しているものであり、
回虫が腹にいることによる異常な空腹感や、
虫下しを飲んで肛門から排泄された回虫の死骸を描写した、
と解されることが多いようです。

これだけだと単純な話ですが、人面瘡の場合は「人の恨みによってできる」
という要素もあります。怪異集『諸国百物語』では、
下総国に済む平六左衛門という男の父が下女に手をつけ、
妻は嫉妬のあまり下女を殺害した。以来、父の右肩にできものができ、
その数日後に妻が急死。そして左肩にもできものができ、
絶えず父に話しかけ、父が無視すると死ぬほど呼吸に苦しむようになった。
あるときにこの家に泊まった旅の僧が事情を知り、
父の両肩のできものに対して法華経を唱えると、口から蛇が現れたので、
それを引き抜いて塚に埋め経を読んで供養したところ、
ようやく父のできものは癒えた。


さて、人面瘡について、幕末の蘭方医 桂川甫賢が随筆集『筆のすさび』で
医学的に分析していて、『たんなる腫物の傷口の開いた姿が人間の口のように見え、
しわの寄った窪みや傷穴が人間の目鼻に見え、ひくひくと動く患部が、
あたかも呼吸しているように見えるのであり、怪異のものではない。

たしかにそんなケースが多かったのだろうと思われますが、
それでは当ブログ的にはつまらないので、もう少し考えてみましょう。

人面瘡はいろんな作家の方々が話に取り入れていて、谷崎潤一郎氏、横溝正史氏、
星新一氏、あとマンガの手塚治虫氏の『ブラックジャック』・・・
それぞれ内容がひとひねり、二ひねりされていて、
さすがの巨匠の作品になっています。

これらの作品に見られる人面疽の原因として、一つには、
シャム双生児(医学的には結合双生児と言われるようです)によるもの。
余談ですが、シャム双生児の語は、サーカス団員であったチャン&エン・ブンカー兄弟が、
実際は中国人とマレー人の混血であるのに、「シャム(タイ)のふたご」
と名乗って有名になったことからきています。
この兄弟は肝臓を共有した腹部での結合なのですが、それぞれ別の女性と結婚し、
2人で合計21人の子どもを持っています。
でもこれ、子作りはいろいろとたいへんだったでしょうねえ。

結合双生児にはさまざまな結合状態がありますが、中には片われが小さく、
大きなできもの程度の場合もあります。
そういったものが人面瘡として誤解された可能性もあるかもしれません。
横溝作品はこの結合双生児をあつかったものでしたし、
岩井志麻子氏の『ぼっけえ、きょうてえ』では、
遊女の後頭部の髪の中に「姉」がいるという、
人面瘡とも妖怪「二口女」とも言えるような結末でした。

もう一つが、二重人格による肉体の変形。手塚作品がこれでした。
自分の顔の上に別の顔ができるという患者を治療したブラックジャックですが、
いくら手術で顔を切除してもすぐにもとに戻ってしまう。
精神的なものが原因と判断したブラックジャックは、患者の一つの人格を殺すべく、
(致命傷にならないように)患者をピストルで撃つ・・・
精神的なことで肉体がそこまで変化してしまうのはありえないように思いますが、
人体は不思議です。子宮筋腫という病気では、
子宮内に髪の毛や歯ができてしまうこともよくあるそうです・・・

関連記事 『ブラセボと聖痕』









火消婆

2017.10.04 (Wed)


今日は時間がないので、妖怪談義にさせてください。
とりあげるのは火消婆(ひけしばば)で、ふっ消し婆とも言います。
姿形が人間に近い、どちらかというと地味な妖怪です。
詞書にはこのようにありますね。
それ火は陽気なり 妖(あやし)は陰気なり
うば玉の夜のくらきには、陰気の陽気にかつ時なれば、火消ばばもあるべきにや


訳すまでもないようなものですが、「火は陽気で、妖しの者は陰気である。
夜の暗い間は、陰気が陽気に勝つ時なので、
火消婆のようなものも出てくるのだろう」くらいの意味です。
陰と陽の気がつねに争っているとする、中国の陰陽説からきているのでしょう。

これ、Wikiには「江戸時代の吉原遊郭の風刺、または性病の恐ろしさを風刺し、
年増の私娼をモデルとして創作されたもの
」という説が出てくるのですが、
自分はどうかなあと思います。ちょっと深読みしすぎなんじゃないでしょうか。
石燕の絵は、竹のれんの商家が描いてあり、横手から火消婆が出てきて、
つるそうと準備していた提灯の火に息を吹きかけて消そうとしている様子です。
火消婆は袖で顔をおおっているようにも見え、明るいのが苦手なのかもしれません。

江戸時代にはもちろん電気はありませんでしたので、
明かりは不安定なものでした。それが何かの拍子に消えてしまうのは、
日常的に珍しいことではなかったと思います。そういうとき、
あれ変だな、みたいに思う気持ちが妖怪化したんじゃないかという気がしますね。

さて、ここで江戸時代の照明事情をちょっとお話すると、
ロウソクはありましたものの高価で、一般庶民の家ではまず使われません。
火受け皿に油を入れ、それに灯心をさして火をつけ、
行灯でおおうのが一般的でした。油は菜種などの植物油は値が高く、
煙が出て臭いのきついイワシなどの魚油が使われることが多かったようです。
それも灯すのはわずかな時間だけで、暗くなったら寝るのが普通でした。

あと、江戸の街は何回となく大火を経験していましたので、
火の始末はたいへん厳重でした。放火は市中引き回しのうえ火あぶりの死罪でしたし、
失火は死罪にはなりませんでしたが、ある程度の面積を焼いた場合、
失火を出した当人の五人組(まあ近所の人です)、
家主、地主などまでが処分の対象になりました。
ですから、火は長屋ぐるみで管理されていて、
例えば、サンマを七輪で焼くのは屋外でする、などの細かなきまりがあったのです。
そういう火の用心を戒める意味も、火消婆にはあるのかなあと思ったりもします。

さてさて、では現代ではどうでしょう。照明は電気になり電灯もLED化が進んで、
もはや火消婆の出番はないのでしょうか。これ、自分はそうは思いません。
というのは、ホラー映画で、怪異が出現する前に照明がついたり消えたり
するシーンはいまだに定番ですよね。
ロウソクの火は、もし消えたとしてもそんなに不自然な出来事ではありませんが、
消えるはずのない蛍光灯がいきなり消えたとしたら、そのほうが怖い気もします。
どうやら現代の怪異は、電気設備にまで影響を与えることができるようなのです。

これがよりはっきりするのは、心霊スポット探訪などのテレビ番組、DVDなどです。
まず番組の冒頭で、ロケ隊の技術スタッフ、カメラ、照明、音声に
何かの異常が生じるのは、これも定番のお約束です。
照明が割れる、カメラが撮影できなくなる、なぜか映像がゆがむ、
音声に変な音が入る・・・そして、ある程度雰囲気が盛り上がったところで、
霊感タレントの女の子がガタガタ震えてうわ言を言い始め、
出演者の一人である霊能者の顔が険しくなってくる・・・

ここで重要なのは、完全にすべての照明が壊れてしまったり、
カメラに異常が起きて撮影できなくなるわけではないことです。
もちろんそうなったら、番組として成立しませんから、
あくまでも、ほどほどの程度で機材の異常が起きるんですね。
ということで、現代の火消婆は番組のことを考えて手加減をしてくれるわけです。

最近、オカルト研究家の山口敏太郎氏が、『超常現象のつくり方』(宝島社)
という本を出されて、自分も買って読んだんですが、
その中で、心霊番組のやらせやフェイクドキュメントを厳しく批判しておられました。
これはもちろん自分も同意見で、レベルの低いものが氾濫することで、
本質が薄まって見えなくなっていってしまうという気がします。
あれ、妖怪からなんか違う話になってしまいましたね。では、ここらへんで。








しょうけらの周辺

2017.09.29 (Fri)
今回は妖怪談義です。まず最初に石燕の絵を出しておきましょう。
説明書きはありませんが、この妖怪も石燕作の中では読み解きやすいものです。



絵には、屋根に上ったしょうけらが、
明りとりの天窓から下を覗き込んでいる様子が描かれていますが、
これは家の中の人間を見張っているのだと思われます。
なぜそんなことをするかというと、悪いことをしてないか監視するためです。
しょうけらは「庚申講(こうしんこう)」と深いつながりがあると考えられています。
庚申講は、1年のうち6~7回ある、60日に一度の庚申(かのえさる)の日に、
神仏を祀って徹夜をする行事で、庚申待とも言います。

中国の道教の影響で、人間の体の中には3匹の虫「三尸(さんし)」
が住んでいると考えられていました。
三尸は、宿主の人間から栄養分をもらっている寄生虫のようなものなのですが、
これが庚申の日に体を抜け出して、天帝(道教の最高神の一つ)のところへ、
その人間が犯した罪を報告にいくのだとされます。
天帝は、三尸が告げた罪の重さにしたがってその人間の寿命を削ります。
ただし、三尸は宿主が起きているうちは体から抜け出すことができないので、
庚申の夜には、徹夜して神仏を祀ったり飲み食いなどをしていたんですね。

三尸は、上尸・中尸・下尸の3種類で、上尸は中国の道士の姿、
中尸は獣の姿、下尸は牛の頭に人の足の姿で中国の古い書物に描かれています。
で、しょうけらはこの三尸と同一視されて考えられることが多いのです。
もしかしたら3匹が合わさってしょうけらの姿になっているのかもしれません。
さらに、三尸は単に罪の報告をするだけではなく、
宿主の人間が死ねば体から解き放たれて自由になるため、
積極的に宿主に罪を犯させようとそそのかします。

三尸


上尸は人の頭に住んでいて、頭を重たくし、耳を聞こえにくくさせます。
中尸は人の腹に住んでいて、心を惑わせます。
下尸は人の足に住んでいて、性欲を引き起こします。
3匹が協力して人間に罪を犯させ、
寿命を短くして早く自由の身になろうとしているわけですね。

また、庚申の申の字は「さる」とも読みますので、
猿を神の使いとする日本の神道とも結びつき、「見ざる・言わざる・聞かざる」
の三猿とも関連して考えられるようになりました。
下図は庚申講を記念して建てられる庚申塚と呼ばれるものですが、
猿の像の前面に「見ざる・言わざる・聞かざる」が彫られています。
これは人間が犯した罪を「見ない、聞かない、言わない」ということでしょう。

庚申塚


ということで、「しょうけら=三尸」と考えてもいいと思いますが、
これだけではつまらないので、一つ新説をつけ加えておきます。
しょうけらの「けら」の部分に着目して、虫ということを考え合わせると、
「おけら」という言葉が浮かんできます。オケラはコオロギに近い種類の昆虫で、
地下にトンネルを掘って生活しています。前脚の先がモグラとよく似ていて、
土を掘るのに適した形をしていますね。



屋根の上にいるしょうけらと、地下に住んでいるオケラは、
違いも大きいのですが、もう一度石燕の絵に戻って、
しょうけらの両手に注目してみると、なんとなく似ているような気がしませんか。
ま、これは自分の深読みのしすぎなのかもしれませんけども。

関連記事 『石燕を読み解く』