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燭陰と古代文明

2016.06.24 (Fri)
今回はあまり一般的ではないお話ですが、なるべくわかりやすく書きます。
石燕の妖怪画は中国にすむ妖怪も描いていて、
下図の燭陰(しょくいん)もその一体です。髭面の人面に龍の体、
身のたけ千里と詞書にあるので、たいへんな大きさです。

『今昔百鬼拾遺 雲』より「燭陰」


さて、この燭陰は、『山海経』にある燭龍(しょくりゅう)と、
同一視されることが多いようです。実際、石燕も山海経を引いています。
中国古神話に見る燭龍は下図のようなものですが、顔面の造作が違いますね。
髭のないつるんとした顔に、縦についた一つ目が特徴です。
この目は、原典に「直目正乗」とある記述を解釈したものですが、
近年、ある遺物が出土したことによって、直目正乗は、
目が前に飛び出した様子を表しているのではないか、との説も出てきました。

『燭龍』


それが下図のもので、「青銅大型 縦目仮面」と呼ばれています。
1986年、四川省の三星堆(さんせいたい)遺跡で他の青銅器とともに
複数個発見され、最も大きなもので約1m40cmあります。
四川省は、長江(揚子江)流域にあり、辛い料理で有名ですね。
自分は昔行ったことがありますが、
やはり食べ物はトウガラシ色で激辛でした。

青銅大型 縦目仮面


このあたりは『三国志』で有名な劉備玄徳が支配した蜀の地にあたります。
ただ、蜀という地域名はもっとずっと古くからあって、
上記の縦目仮面は、紀元前10世紀頃のものと見られています。
これは世紀の大発見でした。というのは、みなさんは歴史で、
「世界の四大文明」というのを勉強された記憶があると思います。
メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明ですね。

これらはどれも大河の流域に発生したのですが、この古代蜀の地も、
黄河文明ほど古くはありませんが、やはり長江流域にあります。
発掘された城壁の規模や青銅器の点数から考えても、
初期の殷(商)に匹敵する規模の国家であったようです。
世界第五の古代文明といっても、いい過ぎではないかもしれません。

それにしてもこの仮面、異様ですよね。いったい何を現しているのでしょうか?
古代蜀の地には目の飛び出た人種がいた?
それとも宇宙からの来訪者? しかし奇妙なデザインをすべて宇宙人に
結びつけるのは、自分はどうかなあと思います。古代の壁画や土偶なども、
奇妙な形をしいていても、その地の伝承を調べれば、
何であるかの考察がつく場合が実は多いのです。

中国の古文献では、古代蜀は紀元前20世紀~前9世紀ころまで続き、
蠶叢(さんそう)柏灌(はっかん)魚鳧(ぎょふ)などという名の王が
治めていたと伝えられます。縦目仮面はそのうちの、
最後の王であった魚鳧の時代のものと言われます。この文明は、
これらの青銅器を地中深く残したまま、
歴史から忽然と姿を消してしまうんです。

さて、縦目仮面は、古代蜀の始祖王であった蠶叢を表しているとされます。
この人物には、目が縦についていたという伝説が残っているんです。
そのため、古来、顔に目が縦についた形で考えられてきたのですが、
この仮面の発掘により、上記のように「飛び出した目」
という新解釈が出てきました。じゃあなぜ、目が飛び出しているのでしょう?
こんな人間はいるとは思えませんので、何らかの寓意と解釈されています。

一つは「千里眼能力」を表すのではないかという説。
古代中国の偉大な王は、玉座にいながらにして、
国中のすべてを見通すことができる。
そういう超自然的な能力がイメージ化されたというわけです。
これは十分ありえそうな話ですが、もう一つ、蚕を表すのではないか、
という説もあります。蠶叢の「蠶」は「蚕」の旧字です。
四川省は古来養蚕が盛んであり、それを統べる神が、
縦目仮面=蠶叢であったというわけですね。

また、「蜀」という字に着目してみてください。
目が横になっているものが上にきていますが、これが本来は縦です。
さらに勹(つつみがまえ)の中に虫、この虫は蚕をさしているんでしょう。
国の成り立ちがひと目でわかるように漢字が使われているわけです。

さてさて、これら三星堆の青銅器は、破壊され焼かれ、
人為的に埋められた形で出土しています。ですから、なんらかの外敵が、
古代蜀を武力で滅ぼし、敵の祭祀の品々を穴の中に投げ捨てたと
考えるのが自然です。最近の研究では、
杜宇(とう)族という集団だったのではないか、
と考えられるようになってきています。青銅器を埋めた同じ穴から、
杜宇族の用いた土器も一緒に出土しているんです。滅ぼした敵の祭祀具を
埋めた後に、自分らの儀式に使った土器を投げ込んだとみることができそうです。

この蠶叢の伝説が『山海経』の燭龍になり、それが燭陰と同一視されて、
石燕が描いた・・・こういう流れになりそうなんですが、
ただ、石燕の詞書には「北海の地に住む」という語もあり、
四川省、三星堆は中国南部で北海とはかけ離れています。
燭陰は北海に見られるオーロラを神格化したものという説もあって、
(燭は蝋燭の燭で明かりの意味があるでしょう。
巨大さもオーロラならうなずけます)
自分の解釈が必ずしも正しいとは限らないということも、
最後につけ加えておきます。

三星堆 青銅神樹






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濡女と雨女

2016.06.18 (Sat)
今日は時間がなく、妖怪談義とさせていただきます。
自分のほうは今年の梅雨はけっこう雨が降ってますが、
みなさんのところはいかがでしょうか。  
下の絵は、どちらも鳥山石燕で、左が『画図百鬼夜行』から「濡女」、
右が『今昔百鬼拾遺』より「雨女」。どちらも女性の顔が右を向いていて、
wetな意味合いを持つ妖怪という点は共通しているものの、
それ以外はかなり対照的です。

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一番大きな違いは、濡女の伝承は各地にあるのに、
雨女については、伝わっている話がほとんどないことですね。
それから、濡女は蛇身で、人をとって食うという怖い存在であるのに対し、
雨女のほうは、詞書に書かれている内容が、
男女の情交を表す色っぽいものであるということです。

濡女は磯辺、海岸に棲む妖怪で、顔以外は蛇身です。
その尾の長さは300m以上あるという話もあり、見つかった場合は
まず逃げられないようです。また、濡女は牛鬼という妖怪とセットで語られる
場合もあります。波打ち際に上半身をだけ海から出した女が立っていて、
しかも赤子を抱いている。奇異に思って近づくと、
赤子を抱いてくれるように頼まれる。承知すると女は去り、
やがて海の中から牛鬼が現れる。驚いて逃げようとするが、
赤子が石のように重くなり、しかも抱きついて離れない。
どうしようもないでいるうちに、その人は牛鬼に食われてしまう。

なかなか面白い伝承ですね。共生関係の生物のように、
2体の妖怪が協力して獲物を捕らえるわけです。それとも、
見た目はまったく違いますが、濡女と牛鬼は同じ妖怪の雌雄なんでしょうかね。
あるいは鬼太郎の砂かけ婆と子泣き爺のような茶飲み友だち?
ただ、出現する場所は海辺に限定されるようですので、
この妖怪に遭いたくなかったら海に近づかなければいいわけで。

それと、「イクチ」という海蛇状の妖怪との関連も指摘されています。
イクチは、船を見つけると接近し、船をまたいで通過してゆくが、
体長が数キロメートルにも及ぶため、通過するのに12刻(約3時間)もかかる。
体表からは粘着質の油が染み出しており、船をまたぐ際に、
この油を大量に船上にこぼして行くので、
船乗りはこれをくみ取らないと船が沈没してしまう、というものです。
長さはイクチより短いですが、濡女もこの一種なのかもしれません。

雨女は、現代では雨男とともに、ある行事に参加すると高確率で雨が降る人、
というような意味で使われていますね。まあ迷信の一種でしょう。
『呪怨』シリーズの清水崇監督が、このモチーフで『雨女』という映画を
つくっています。石燕の絵にある詞書は、
「もろこし巫山の神女は、朝には雲となり、夕には雨となるとかや。
雨女もかかる類のものなりや」
となっていて、
これは中国の故事からとられたものです。

楚の懐王(屈原とのからみで有名な前4世紀頃の人)が、
巫山(ふざん 四川・湖北両省の境にある名山)に遊行したおり、
夢に神女が出てきて情を交わした。神女が立ち去ろうとするとき、
懐王が別れがたく思って袖を引くと、神女は「ここはいったん別れますが、
朝は雲に、日暮れには雨となり、朝な夕なあなたのそばにおります」
と言ったという、中国の古詩にあるエピソードです。
巫山の神女は、天帝の娘であったのが未婚のまま亡くなり、
巫山に葬られたということのようです。

この話を元に「朝雲暮雨 ちょううんぼう」という故事成語ができたそうですが、
みなさん、これご存知でしたか。自分はさっき初めて知りました。
あんまり使われることはないですよね。意味は、
「男女が愛し合い、片時も離れていられないほどの深い仲であることのたとえ。
男女の情交のこともいう」とコトバンクに出ていました。
特に怖いところのない話で、雨女は、石燕が吉原の遊女を皮肉って創作した
ものではないかという説がありますね。

あと、関係ないかもしれませんが、「ふざける」という言葉があり、
漢字で書くと「巫山戯る」です。この巫山は上の話にあるのと同じ山のようです。
ふざける には、「子供などがたわむれて騒ぐ」という意味の他に、
「男女がたわむれる、いちゃつく」というのもあるようですし、
よくはわかりませんが、何か関連しているのかもしれません。

さてさて、最後に自分は「濡女」という話を書いていて、
わりと気に入ったものの一つです。よろしければご一読を。  関連記事 『濡女』

重慶 巫山 神女峰







身近な呪具(箒)

2016.06.13 (Mon)
今日は怖い話のネタを考える時間がなかったので、やや民俗学的なお話。
われわれ日本人は島国に住んでいたため、基本的に、
外来文化がドカッと大量に流入してくることは、
明治維新までなかったと言ってもよいと思います。ですから、
身近な生活用品なんかも長い歴史を持ってるわけですね。

そういう中で、いろんないわれがくっついて、呪具としての役割を持つ
ようになったものもいろいろあります。
例えば「櫛」なんかがそうです。これは自分の 『神隠し』 という
話の中で少し触れています。

今回取り上げるのは箒(ほうき)です。昨今、室内で箒が使われることは
少なくなりました。これは電気掃除機の普及もありますし、
ハウスダストをまきあげるのが、アレルギーや喘息の原因になるからでしょう。
自分も、ちょっとした掃除のときは某社のモップを使ってます。

さて、箒の歴史は古く、古墳時代には小枝を束ねたホウキ状の物が
あったようですが、清掃用具として用いられていたかは不明です。
今でも「掃き清める」という語がありますが、
穢れる→祓う→清められる という神道的な考え方からきた
呪具であった可能性も示唆されています。

奈良時代の葬列には、箒持ち(ははきもち)と言って、
箒を持った人が加わっていたようです。酉の市の熊手なんかもそうですが、
やはり穢れを払う、掻き出すというところから来ています。
箒には「箒神」という神様が宿っていると考えられていたんですね。
下に載せたのは、石燕の「箒神」ですが、古い箒が妖怪化した
付喪神の一種と思われます。生垣の上にあるのは羽ボウキでしょうか。
本来の箒は自然の物だけでできているので、
古くなったら川に流したりするほうがいいのかもしれません。

鳥山石燕「箒神」


今やる人は少ないでしょうが、昔は菷を玄関などに逆さに立てかけると、
いつまでも居座る客を帰すことができるというまじないもありました。
マンガの『サザエさん』にも出てきてましたから、
けっこう最近まで行われていたのかもしれません。
これも客を「掃き出す」「追い払う」というところから来ているのでしょう。

前述した櫛とも関係があるのですが、では、髪を梳かしたりせず、
箒で家の中の掃除もしなかったらどうなるか。これは無精でやってるのではなく、
ある種の願掛けになります。前も一度紹介したんですが、『万葉集』の中に、
「櫛も見じ 屋内も掃かじ 草枕 旅行く君を 斎(いは)ふと思ひて 」
という歌があります。これは夫が遣唐使として航海する妻が詠んだものです。

当時の遣唐使船はたびたび難破して、鑑真和尚が盲目になったり、
阿倍仲麻呂が日本に帰ってくることができなかったり、
たいへん危険でした。そこで、妻は「櫛は使わない、家の中も掃かない、 
そうやって君の無事を祈る」という願掛けをしているんですね。
自分が穢れを払わないことにより、
他者の不運を引き受けるということなんでしょう。

箒に関した怖い話でよくあるのは、「誰もいないはずの座敷で、
ザッ、ザッと箒で掃く音がする」といったものです。
まあ、今は箒で掃く音自体が一般的ではないので、
あまり身近に感じませんし、この後、家族が不幸になったなどの展開がないと、
現代の怪談としては通用しないかもしれません。

さてさて、最後に中国の話。みなさんの地域の梅雨の状況はどうでしょうか。
昔の中国では、雨が晴れるのを願って「掃晴娘(サオチンニャン)」
の切り紙を飾っていたそうです。これは日本の「てるてる坊主」のような
晴天を祈るまじないということですね。

あるところに切り紙の上手な晴娘(チンニャン)という女の子がいたが、
あるとき大雨が降り続き、皆が困っていたところ、
天から「晴娘が身投げをしたら雨が止む」というお告げが下り、
晴娘がそうすると、そのとおり雨が止んだという言い伝えです。
一種の生贄の話と考えてもよいかもしれません。
ちなみに箒は、晴娘がいつも掃除してたというわけではなく、
切り紙の題材だったみたいですね。では、このへんで。
関連記事 『身近な呪具(櫛)』

『掃晴娘』






巨大な妖怪

2016.03.31 (Thu)
題名でわかるとおり、今日は妖怪談義です。時間がないときには助けになります。
さて、日本の妖怪の中で最も巨大なものは何だと思われるでしょうか。
大入道でしょうか? 大入道は僧形のものは大坊主とも言われ、
身長は2m程度から山ほどの大きさまで、さまざまな言い伝えがあるようです。
しかし、山くらいのものは「ダイダラボッチ」と言われる場合が多いでしょう。

ダイダラボッチは巨大です。
なにしろ名山をつくった主として登場してくるくらいですから。
・上州の榛名富士を土盛りして作り、掘った後は榛名湖となった。
・富士山を作るため、甲州の土を取って土盛りした。そのため甲州は盆地になった。

Wikiでもこんな伝承が紹介されています。もともとは、妖怪というより、
世界の各地にある創世神話に関連した神であった、
と解釈されることが多いようです。

例えば、中国の古神話にある盤古(ばんこ)などですね。
天地が分かれる以前の混沌とした状態の中に、超巨人である盤古が現れ、
その死とともに、息から風が、左目からは太陽が、右目からは月が、
頭と体からは中国の神聖な山である五岳(泰山など)が生まれたと言われていて、
これは元をたどれば、さらに古いインド神話の巨人、
プルシャにまで遡るという説もあります。

巨人伝説が日本神話に影響を与えていることは確かなようで、
イザナギ神が黄泉の国の穢れを祓うため、左目を洗ったときにアマテラスが、
右目を洗った時にツクヨミが、鼻を洗った時にスサノヲと、
三貴神が生まれたくだりはよく似ています。ただこれが、南方から入ってきたものか、
中国から伝わったものであるのかは判然としません。

あと、自分は大学で考古学を専攻していたのですが、それと関連して、
『常陸の国風土記』に「平津の駅家(うまや)の西12里に(約6km)、
大櫛という岡がある。大昔、巨人がおり、岡の上にいながら手が海まで届き、
大ハマグリをさらうほどであった。巨人の食べた貝は、積もって岡になった。
巨人の足跡は長さ40歩余、幅20歩余で、小便が穿った穴は直径20歩余であった。」

こんな記述が出てきています。つまり、当時の人が縄文時代の貝塚を発見し、
海から離れた場所にたくさんの貝があるのを不思議がって、
これは巨人のしわざで、その場所に座ったまま手を伸ばして、
海から貝を取って食べていた名残であろう、という解釈をしたということですね。

しかしこれ、自分なんかはかなり疑問があります。
風土記が書かれた時代でも、食料に占める米の割合は多くはなく、
貝を取って食べるのはふつうに行われていたはずですし、それほどの巨人が、
ちまちまとハマグリを食べていたなんて当時の人が実際に考えたものでしょうか。
まあ、ダイダラボッチの足跡と言われるくぼみは各地にはありますが。
その当時としても神話、おとぎ話に近いものだったんじゃないでしょうか。

さて、次に紹介するのは「赤エイの魚」です。
これは京極夏彦氏が『後巷説百物語』で取り上げたので有名になりました。
なかなか不気味な話であったように記憶しています。
江戸時代後期の奇談集『絵本百物語』には、
「この魚は身の丈三里にあまり。背に砂がたまれば落そうとして
海面に浮かぶ。そのとき漁師が島と思って舟を寄せれば水底に沈んでしまう。
そういうときは波が荒くなって、船は破られてしまう。大海に多い。」


竹原春泉画『絵本百物語』「赤ゑいの魚」


身の丈三里は12kmくらいですから、ダイダラボッチにも負けない、
かなりの大物です。これはどっから発想されたものでしょうかねえ。
島と間違えて船員が上陸したりするということですから、
実際の生き物というより、海図のない時代に無人島を発見し、
後に再訪したが見つけることができなかった、
などということが元になってるのかもしれません。
赤エイは女性に見立てられることがあり、傾城魚という別名があったようで、
ここから城を背中に乗せるほどの巨大な魚、
という伝承が生まれたとする説もあります。

ちなみに中国では、これは妖怪というより幻獣という名称が妥当かもしれませんが、
「鯤(こん)」と「鵬(ほう)」の話が有名です。
北の海にすむ鯤は体長数千里の巨大な魚で、これが成長すると空に舞い上がり、
やはり数千里もある巨鳥、鵬に変じるということになっています。
しかし数千里というのは、日本列島なみの大きさであり、
そういう生物が実在するわけはありません。
UMA界でいう古代翼竜の生き残りといったレベルではないですから。
これはやはり台風などの自然現象、鯤は海の荒れ、
鵬は風害を表しているととるのがいいように思えますね。

あと長い生き物では「イクチ」というのがあります。
「常陸国の沖にいた怪魚とされ、船を見つけると接近し、船をまたいで通過してゆくが、
体長が数kmにも及ぶため、通過するのに1・2刻(3時間弱)もかかる。
体表からは粘着質の油が染み出しており、
船をまたぐ際にこの油を大量に船上にこぼして行くので、
船乗りはこれを汲み取らないと船が沈没してしまう。」
と『譚海』という見聞録にあります。
これも常陸の国であるところが面白いですね。
茨城県民は巨大なものが好きなのでしょうか。

これほど長大な海棲生物はいないはずですが、どこから来た話なんでしょうね。
例えばマヨイアイオイクラゲというクラゲは体長が40mを超えることがあり、
シロナガスクジラよりも長い世界最長生物とする話もありますが、
ただしこれ、一匹の生物というより、
たくさんの個体がつながって群生しているものです。
ですからつながり方によってはもっと長くなる可能性はあります。
ただ、クラゲ類であれば漁師はそれとわかるでしょうしねえ。
石燕の妖怪画にはイクチは「あやかし」の名で出てきていて、
体は鱗状に描かれていてクラゲ類には見えませんが、タコの吸盤には見えるかもです。

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「あやかし」(イクチ)






隠れ里の顔

2016.02.26 (Fri)
えー今日も時間がなく、妖怪談義で勘弁してください。
とは言え、この「隠れ里」は、石燕の絵の解釈はなかなか難物です。
まず、前の項で「妖怪」という語は「怪奇現象」みたいな意味でも使われる、
と書きましたが、これなんかはその典型で、
隠れ里という奇妙な現象があるということなんですね。
そしてそれはいくつもの顔を持っています。

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「隠れ里」


石燕の絵はおそらく「ねずみ浄土」または「おむすびころりん」という名で知られる、
お伽話を表しているのだと思います。縁の下にネズミがいて小判があります。
これはネズミらが、蔵に忍び込んで米をかじるついでに集めてきたものでしょうか。
正直爺さんが野原でおむすびを食おうとして転げ、草の穴に落としてしまう。
中から楽しげな声が聞こえ、のぞき込むと体が縮んですっぽり入ってしまった。
そこではネズミたちが、浄土(極楽)にいるように安楽に暮らしていた。
爺さんは歓待され、小さなつづらを土産にもらって帰ると、中には金銀財宝が詰まっていた。
この話を聞いた意地悪爺さんは、野に行って無理やり穴におむすびを押し込み、
ネズミたちをおどして大小二つのつづらを持ち帰る・・・

ま、こんな内容だったと思います。
昔話によく見られる勧善懲悪の物語ですよね。
この絵の右側にいるのは正直爺さんなんでしょうか。
なんだか大黒様みたいな神様にも見えます。前には宝が山と積まれていて、
画像左上では、料理を振る舞おうと使用人が忙しく立ち働いている。

うーん、わからないですね。これらの人物はネズミが化身したもので、
ここはネズミ穴の中なのか? 暖簾には「嘉暮里(かくれざと)」の文字が見えますので、
そうなのかもしれませんが、あるいは長者になった爺さんが、
どこぞの料亭とかで豪遊しようとしているのか・・・?
石燕作品は当時の世相を反映していますので、もしかしたら、
江戸の豪商、大金持ちを皮肉ってるなどということもあるのかもしれません。

ただ自分としては、これが隠れ里の本質かというと、ちょっと違う気がします。
Wikiで隠れ里を引くと、「平家の落人の里」「仏教の浄土思想渡来以前の素朴な山岳信仰」
「隠田百姓村」などの説が出てきますが、
自分的には「隠田百姓村」が一番近いのかなあと思ってます。
隠田は、年貢の徴収を免れるために密かに耕作された水田のことですよね。
発覚すればじつに厳しい処罰を受けました。

それと、中国の『桃源郷記』の影響を受けているものだとも思うんです。
中国の魏晋南北朝時代の詩人、陶淵明の作品ですが、
ただ鳥が歌い、花が香り、人々は仕事に精を出して夕刻には酒を飲む。
詩の中の桃源郷は、まあ理想郷と言えばそうなんですが、
あまり普通の村とも変わらないような気もします。
しかし普通の村とは違う眼目があるんですね。

これが日本ではやや形を変え、一般的な「隠れ里」になってるんじゃないでしょうか。
旅人が山中で足を滑らせて滝に飛び込んでしまう。
岩に叩きつけられるかと思いきや、滝の裏は空洞になっていて、
そこを抜けるとのどかな大地に出る。
そこで人々がおもしろ楽しく暮らしているのに出会うんですね。
まあ中には、そこの水が良質の酒だったというようなバージョンもあるものの、
基本的には他所と隔絶した、特別なこともない村です。

そこがなぜ理想郷なのかというと、
「税金がない」w これが大事なんです。もう赤字・太字で拡大して書きたいところです。
どこに話を持っていくんだと思われるでしょうが、これそうですよ。
みなさんにも多かれ少なかれこの気持はあると思われますが、
自分は自由業なので特にそう感じるんですよね。
日本の百姓は、公地公民から荘園制度、封建領主の領民と、
つねに搾取を受けてきています。収穫の半分はまず持っていかれますし、
その他にも地域の特産品を納めたり、労役に出たり・・・

これは百姓、農民にとって大きな心の負担であったと思います。
武士に対してだけではなく、収税役である庄屋や名主が威張り散らしますし、
土地も自分のものとは言えない。好きなように働いて、
自分と家族が食べていけるだけの作物をつくり、気ままに暮らす。
年貢が心にかかることのない生活へのあこがれ。
これが隠れ里の本質部分にあるんじゃないのかなあ、と昔から思っていました。
ちょっと難しい言葉を使えば、原始共産制の社会ということです。
ま、共産主義が上手くいくかというのとは別の話なんですが。

さて、こういう論調ではオカルトとは縁遠くなってしまいますので、
もう少し隠れ里の別の側面を見てみると、「迷い家」というのがありますよね。
山中に迷い込むんで困り果てていると、巨大な屋敷に出会うが、
いくら呼んでも誰も出てこない。しかたなく中に入ってみると、
料理なども支度されているが、やはり人っ子一人いない。

ここから何か品物を持ちだして出ると、
いつの間にか道は見つかり里に帰ることができる。
そして何か幸運な出来事が起きて、その人は富み栄える。
バリエーションとしては、川に、おそらく迷い家から御膳や箸などが流れてきて、
それを拾うと幸せになれる、といったものもあります。

さてさて、まとめとしますが、前の反魂香もそうでしたが、
こういう奇譚というのは民衆の願望を表しているものでしょう。
亡くなった家族に一目会えたら、年貢のない国へ行けたら・・・
しかしそれは簡単にかなわない、それこそ理想を垣間見たこともまたわかっている。
ですから迷い家も隠れ里も、再びそこを訪れようとしても、
絶対に見つからないことになっているんですね。