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かなわぬ恋の話

2020.03.20 (Fri)
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今回はこういうお題でいきます。カテゴリは妖怪談義に入るのかな。
かなわぬ恋、片思い、片恋などとも言いますが、
これがもとになって怪異が発生する話は、日本にはいろいろあります。
女性、それも十代後半のうら若い娘からの片思いの場合が多いですね。

この理由は、男が女を見初めた場合、金や権力があれば何とかなる
ことが多かったでしょうし、そうでなくても男は行動力がありますが、
女が男を好きになった場合は、日本はずっと男尊女卑の観念があって、
その思いをかなえるのは なかなか難しかったんでしょうね。

このテーマで最も有名な話は、「安珍・清姫伝説」と呼ばれるものです。
この説話は古く、平安時代にはすでにできあがっており、
『今昔物語』などに収録されています。筋はみなさんご存知だと
思いますが、いちおう説明していきます。後醍醐天皇の御代、
奥州白河より熊野に参詣に来た安珍という名の僧がいて、

年は若く、たいへんな美形でした。熊野街道沿いの真砂の庄司の家に
宿を借りた安珍をひと目見たその家の娘、清姫は一目惚れ。
女だてらに夜這いをかけますが、安珍は、参詣途中であり、
帰りにはきっと立ち寄るからと言い残してその場を逃れ、
参拝後は、立ち寄ることなくさっさと帰ってしまいます。

蛇に化身する直前の清姫 着物の柄がウロコのようです
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だまされたことを知った清姫は怒り、裸足で後を追いかけ、紀州
道成寺までの道の途中で追いつきますが、安珍は別人だと嘘をつき、
さらには熊野権現の法力で清姫を金縛りにして逃げ出します。
ここで清姫の怒りは頂点に達し、ついに蛇となって安珍を追跡。
恐ろしい姿で火を吹きながら川を渡っていきます。

道成寺に着き事情を話した安珍は、梵鐘を下ろしてもらいその中に
隠れますが、清姫は鐘に巻きついて火を吹きかけ、安珍は
鐘の中で焼き殺されてしまいます。その後、清姫は蛇の姿のまま
入水して亡くなりますが、安珍と清姫、どちらも畜生道に堕ち、
道成寺の住持のもとに現れて供養を頼む・・・こんな話です。

それにしても、安珍は女犯戒を守り、僧として落ち度はなかったように
思いますが、どうして畜生道に堕ちてしまったんでしょう。これは嘘を
ついたから、ということではないですよね。やはり、清姫の恋心に少しも
応えようとしなかった安珍の冷たさが憎まれ、こういった話になった
と考えられるんじゃないでしょうか。

鳥山石燕の清姫
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この話には後日談があり、道成寺にはずっと鐘がなかったんですが、
400年ぶりに新調して女人禁制の供養をしたところ、清姫の怨霊が
化身した一人の白拍子が現れて儀式を妨害。蛇へと姿を変えて
鐘を引きずり降ろし、その中へと消えた。この鐘は音が悪く、
災いを招くということで山の中に捨てられます。

このあたりを見ると、仏教の女人禁制に対する批判もあるのかも
しれませんね。インドで生まれた本来の仏教にはこういう決まりは
ないので、男尊女卑の考え方と結びついた日本独自のものです。
唐で修行した曹洞宗の開祖、道元は『正法眼蔵』の中で、
「日本だけの笑い事である」と非難しています。

人肉を生で食らう酒呑童子
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さて、次の事例にいきます。これも平安時代の話で、大江山の鬼と
恐れられた、酒呑童子誕生の異説の一つです。
酒呑童子はもとは外道丸という稚児で、比叡山で修行してましたが、
その姿形は美しく、一目見た女はみな外道丸に恋い焦がれてしまう。

しかし外道丸は、修業中の身のため誰にも心を許さない。
そのうちに女たちは次々に恋の病で亡くなってしまい、外道丸が
女たちからもらった恋文を焼き捨てると、立ち込めた煙に巻かれて
気を失い、次に目覚めたときには見るも無残な鬼の姿になっていた。
しかたなく大江山へと逃げ、盗賊稼業に身をやつすようになった。

次に、江戸時代の振袖火事の由来。1657年に江戸で起きた大火で、
明暦の大火とも言います。この原因として、裕福な質屋の娘・梅乃が
墓参りに行った帰り、上野の山ですれ違った寺の小姓らしき美少年に
一目惚れ。梅乃はこの日から寝ても覚めても彼のことが忘れられず、
恋の病に寝込み、ついには死んでしまう。

明暦の大火
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両親は葬礼の日、せめてもの供養にと娘の棺に形見の振袖をかけて
やりますが、この振袖は本妙寺の寺男によって転売され、
それを買った2人の娘の命を病気で奪います。3度めに寺に
運ばれてきた振袖に因縁を感じた住職が供養しようとし、

読経しながら護摩の火に振袖を投げこむと、にわかに北方から一陣の
風が吹きおこり、裾に火のついた振袖は人が立ち上がったような姿で
空に舞い上がり、寺の軒先に舞い落ちて火を移し、まず寺が焼け、
ついには江戸の町を焼き尽くす大火となって、
10万人とも言われる大勢の人が亡くなります。

さてさて、この3つのエピソードをみると、すべて仏教に
関係しています。自分もよくはわかりませんが、昔の人々は
若い修行僧の禁欲に対して、無理を感じていたのかもしれません。
また、娘の恋心に対し、石のように心を動かされない姿に、
かえって人間的ではないと感じていたのかもしれないですよね。

「やわ肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君」
という歌が与謝野晶子にありますが、人の世の情愛を解さずに、
道を説くのは難しいだろうという意味かもしれません。
ちなみに、明治になり、1872年の法令により、僧侶の妻帯肉食は
自由となります。では、今回はこのへんで。





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「太歳 たいさい」って何?

2020.01.20 (Mon)
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台湾にある太歳星君の像

今回はこういうお題でいきます。いちおう妖怪談義に入れて
おきますが、これは中国占星術においては、きわめて重要な概念です。
さて、みなさん木星はご存知でしょう。太陽系で内側から5番目に
位置する巨大ガス惑星です。英語名は Jupiter(ジュピター)。
直径が地球の11倍程度あります。

1610年、イタリアの天文学者ガリレオが、手製の望遠鏡を用いて
木星の衛星を観察したことは有名ですが、紀元前364年、
中国人の占星術師、甘徳が、木星のすぐ脇に暗い小さな星を発見して
いるという話があります。ただし、これが事実だとしても、甘徳の
ころには衛星という概念はありませんでした。

木星


で、今回は木星の話ではありません。天球上で、木星と対になる
(線対称の位置にある)太歳という星についてです。
あれ、でも、太陽系にそんな惑星はありませんよね。
これは古代中国で、ある事情から考え出された架空の星なんです。

なぜこれが考えられたのか、事情は複雑です。木星は12年で
天球上を一周します。これを1年ごとに分けたものを十二次といい、
木星は1年で一次ずつ「西→東」と進んでいきます。
ここで、中国には十二支がありますよね。みなさんご存知の
子・丑・寅・卯・・・というやつですが、この回りは「東→西」です。

十二支と方位
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木星の動きとは逆なんです。そこで、木星とは正反対の位置にあり、
十二支を司る架空の惑星、太歳が考え出されたというわけです。
しかし面倒な話ですよね。ということで、最初は太歳は天にあったん
ですが、時代が進むとともに、天にある木星と対比して、
太歳は地面の下にあると考えられるようになってきました。

そして、だんだんに太歳は災厄を受け持つ神とされるように
なります。道教で、太歳を神格化したのが太歳星君です。
最初の画像に出てくるように、三面六臂(頭が3つ、腕6本)の
像になっていることが多いようです。

太歳で出てきた中国の画像
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さて、太歳は1年ごとに動いていきますので、太歳が地面の下に
埋まっているのは、その年の十二支の方角です。
太歳が自分で移動してるんです。古来から中国では、
新しく宮殿の門をつくったり、庶民が家を建てるときでも
太歳の方角は避けるべきだとされました。災いを招くからです。

太歳の方角の地面を掘ると、不気味な肉塊が出てくる。
中国の古書『稗海』には、わざと太歳の方角に家を建てた
金持ちの話が出てきます。土台を作るために地面を掘ると、
やはりブヨブヨした肉塊が出てきて、みなが恐れたが、

これも中国の画像 食べたんでしょうか?
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金持ちは気にせず、金属の容器に入れて家の土台にしてしまった。
特に祟りのようなものはなかったようです。ここでついに、
太歳は妖怪化してしまったんですね。ただ、この太歳を
食べると、不老長寿になるという話もあります。

さて、この太歳の正体ですが、中国の画像を検索すると
いろいろ出てきます。まずは霊芝です。マンネンタケ科の
キノコでかなり大きくなります。それから、
アメーバ様単細胞生物である粘菌という説もあります。

オオマリコケムシ 太歳にはたくさんの目があるとも言われます
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また、オオマリコケムシという群体性のコケムシ説もありますが、
おそらくは、一種類だけでなく、さまざまな生物が太歳に
なぞらえられているんだろうと思います。
スペースが少なくなってきたので、先を急ぎましょう。

前にも書きましたが、この太歳が、まだ江戸時代になる以前、
駿河にいた徳川家康の前に現れたという話があります。
江戸後期の随筆『一宵話』では、背は小さく、腕はあっても指がない
「肉人」と表現されています。みな気味悪がって、
遠くの山に運んで捨ててしまいました。後に、ある学者が、

ぬっぺっぽう
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「あれは中国の白澤図にある封(ほう)というもので、食べれば
長寿の薬になる。捨てたのは残念なことだ」と言ったとされ、
ここでの封は、太歳と同一とも考えられています。
ただ・・・ 別の解釈によれば、これはある種の皮膚病、おそらくは
ハンセン病に罹患した人間だったんじゃないかという話もあり、

常識的に考えれば、そっちのほうが正しい気がしますね。
この「封」が出てくるのが、京極夏彦氏の『塗仏の宴』です。ネタバレに
なるので詳しい解説はしませんが、作中では妖怪 ぬっぺっぽう
(のっぺらぼう)とも言われています。のっぺらぼうは、
小泉八雲の『怪談』の中の「貉」という短編にも登場します。

塗仏 この絵では黒くて魚の尾があるところから、出目金との関係も考えられる
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最初は天文関係だったのが、ここまで話が広がりました。中国から
伝わった太歳や封が、日本でぬっぺっぽうや肉人になったのか。
そこまではわかりませんが、日本の妖怪には、中国から伝わって
日本的に変質したものが多いので、その可能性は否定できません。

さてさて、最初に中国で太歳などという架空の星を考え出さなければ
ここまで話が複雑にならなかったんだろうと思いますが、
そこが文化の豊かさというもので、妖怪研究にも深みを
与えているんですね。では、今回はこのへんで。






孔子と麒麟

2020.01.17 (Fri)
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今回はこういうお題になります。これもかなり地味な内容の
話なんですが、最後は現代中国批判になるかもしれません。
さて、みなさんはキリンビールはお好きでしょうか。自分は
大好きです。特にビンのキリンは味が濃く、苦味が強くていい
ですね。ドライな味よりも、ビールらしいビールという感じがします。

さて、このキリンビールの商標になっている麒麟ですが、
中国では古代から霊獣とされてきました。その起源はかなり古く、
戦国時代までは確実にさかのぼれるようです。一般的に、
中国では「四霊」と言いまして、「麒麟、鳳凰、霊亀、応竜」が
これにあたります。そのトップにくるのが麒麟。

鳳凰
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簡単に説明すると、鳳凰はすべての鳥を産んだ空の王、
霊亀はかなり大きく、背中に蓬莱山という仙人が住む山を
背負っています。応竜は竜の一種ですが、最初はマムシで、
それが蛟(みずち)になり、角竜になりというふうに
長い年月をかけてどんどん出世していきます。

麒麟は、「形は鹿に似て大きく背丈は5mあり、顔は龍に似て、
牛の尾と馬の蹄をもち、一角があって、背毛は五色に彩られ、
毛は黄色く、身体には鱗がある」とWikiに出てきます。
麒麟もすべての陸上の獣の祖とされていて、鳳凰(あるいはその
子どもの鸞鳥)と対の形で描かれることも多いですね。

霊亀
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また、麒麟はひじょうに高い徳を持った動物で、他の動物を
けっして殺さず、その肉も食べない。さらに植物にさえ気を使って、
歩くときは草の生えていない場所を歩くと言われます。
麒麟は一本角があると考えられていますが、その角も、
他の獣を傷つけないように肉で覆われているとされます。

つまり、人間の帝王以上の徳を持った生き物なわけです。
それと、「麒麟児」という言葉がありますよね。幼い頃から才能
あふれる人物のことを言いますが、これは麒麟が人間に優れた
子どもを送り届けてくれるところからきているということです。

応竜
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あと、アフリカのサバンナにいる実在の動物、キリン(ジラフ)
との関係ですが、さすがに古代の中国人がキリンの噂を聞いて、
麒麟を考え出したということではありません。首の長さがだいぶ
違いますよね。逆に、明代、中国にアフリカのキリンが
紹介されたとき、古の霊獣の名がとられたと考えるべきでしょう。

麒麟にはまた、「瑞獣」としての性格があります。瑞獣とは、
ときの帝王が善政を敷いていると、天がそれを褒めて地上に
姿を現すとされる動物で、中国の天命思想が関係してるんですね。
中国には元号制度がありましたが、麒麟が捕獲されると改元して、
新しい元号には「狩」の字をつけるという習慣でした。

キリン


さて、次に孔子の話に移ります。みなさんご存知のとおり、
孔子は儒家の祖であり、儒教は漢の時代ころから中国では国教化
されて尊ばれました。ただ、孔子の生きていた時代には、
不遇の人という評価ができると思います。

魯の国の貧しい家庭に生まれ、下級役人から出発して52歳で
大司寇(司法長官)になりますが、朝廷内での対立に巻き込まれて
官を辞し、以後、10数年に渡る旅に出て各国を遊説して回ります。
しかし、どこにも受け入れられず、失意のまま魯に戻り、
以後は著作に専念することになります。

孔子 身長216cmだったという話があります
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このとき、魯の歴史をまとめた『春秋』(現存しない)を書いて
いたんですが、ある事件をきかっけにして一切の著述をやめて
しまいます。で、その事件に麒麟が関係してるんですね。
「獲麟 かくりん」あるいは四字熟語で「西狩獲麟 せいしゅかくりん」
という故事成語があります。日本ではあまりなじみがないですが、

「著述を中断すること、物事の終わり」といった意味で使われます。
魯の国の西方にある野で狩りが行われた際、魯の重臣の家来が、
見たことのない一本角の気味の悪い生物を捕えたが、人々はそれを
狩場の管理人に押しつけて帰ってしまいます。孔子は後にその
動物を見て、伝説の麒麟であることに気がつきます。

「獲麟」の故事
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麒麟が獲えられるのは、世の中が太平になり、帝王の徳が高い
しるしで、本来なら国をあげて喜ぶべきことなのに、人々はそれが
麒麟であることにも気づかず、気味が悪いと言って捨てて
しまったんです。孔子は完全にこの世に失望し、『春秋』を
書くのを中断。何をする気力もなくなって死を迎えます。

さて、ここでまた少し話を変えて、現代の中国では孔子は批判の
対象でした。(最近はまた再評価されてきています)文化大革命時
には、孔子および儒教は、党幹部の林彪と重ねるようにして批判され、
孔子の像も破壊されました。この理由はおわかりだと思います。

文化大革命で燃やされる神仏像
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儒教は、天命を受けた帝王が仁を持って国を治める徳治主義を
唱えましたが、共産主義中国にあって、建前上は労働者である人民が
国の主役のはずです。孔子が説く徳治主義は階級制度を肯定し、
封建主義がはびこる原因となったとされ、また上記の林彪は
現代に孔子の教えを復活させようとした人間、と批判されたんです。

さてさて、中国のことを書くとやはり辛口になってしまいます。
現代の中国こそ、ガチガチの序列主義のピラミッドじゃないですかね。
そしてその頂点に立つ習近平氏は、まさに現代の皇帝のようなもの
ですが、はたして仁徳が備わっているんでしょうか。まだ儒教時代の
ほうがマシだったような気もします。では、今回はこのへんで。

権力闘争に打ち勝ち、現代の皇帝となった習近平氏
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3人の鞍馬天狗

2020.01.11 (Sat)
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今回はこういうお題でいきます。この話のカテゴリは難しいですね。
妖怪談義と怖い日本史が混ざったような感じですが、
いちおう妖怪のほうに入れておきます。みなさんは鞍馬山に
行かれたことがあるでしょうか。自分はついこの間、仕事で
訪問しましたが、お土産として天狗の面が売られてるんですよね。

鞍馬山の名前は、馬の鞍に似た形だからということだと思いますが、
夜に真っ暗になるところから「暗部山 くらぶやま」と呼ばれ、
それが「くらま」に転じたという説があります。鞍馬山には
鞍馬寺があって、あそこは、魔王が本尊になっている
日本のお寺の中でもたいへんめずらしいところです。

金星人サナート・クマラはニュー・エイジ思想でも有名


「くらま」という名前の由来として、もう一つ、太古の昔に
サナート・クマラと呼ばれる大魔王が天空から降り立ったため、
「クマラ」が「くらま」になったとする説もあるんです。
サナート・クマラは、サンスクリット語で「永遠の若者」。

ヒンドゥー教の神の一人で、1850年前に金星から飛来した
などとも言われます。このサナート・クマラが永遠の命を持って
今でも生きており、鞍馬山に伝わる伝説の天狗、鞍馬山僧正坊と
同一視されています。で、これについて、ロマンあふれる
話があるんですね。自分のような妖怪研究者にとっては、

鞍馬寺にある金星からの隕石とされる石


「天狗=隕石」というのは基本知識の一つです。現在考えられている
天狗の姿は、山伏の格好をした鼻の長い大男ですが、もともと
天狗という言葉は中国から来たもので、文字どおり
「天を走る狗(いぬ)」なんです。中国の古書『山海経』には、
犬とも猫ともつかない動物が天狗として出てきます。

大気圏に落ちてきた隕石は、空気との摩擦を起こして燃え、
ときには爆発を起こします。中国では、この現象を天を走る狗に
見立てたわけですが、日本に入ってきてかなり違うものに
なってしまいました。これにはいろいろな理由がありますが、
今回はくわしくふれません。

『山海経』に出てくる「天狗」 日本のものとはまったく違います
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鞍馬寺の本殿正面には石が祀られていて、これは金星から落ちてきた
隕石だと説明されています。本当かどうかはわかりませんが、
古代に鞍馬山に隕石が落ち、それがもとになってサナート・クマラの
伝承につながったのだとしたら、ロマンのある話ですね。
このサナート・クマラが、まず一人目の天狗。

次に鞍馬山の天狗が歴史上に現れるのは、みなさんご存知だと
思いますが、源義経、幼名 牛若丸との関連です。
義経は、源義朝の九男として生まれますが、父が平治の乱で
敗死したことにより鞍馬寺に預けられます。後に兄の
頼朝と合流して、平家を滅ぼす立役者となります。

日本での一般的な天狗のイメージ
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この義経が、鞍馬山時代、鞍馬山僧正坊とその眷属である
烏天狗から剣術や兵法を習ったという伝承が残っています。
山を降りた義経が、京の五条橋の上で悪僧弁慶と戦ったという
話もあるものの、武蔵坊弁慶は存在そのものが怪しい人物です。

そのときの様子が「京の五条の橋の上、 大の男の弁慶は
長い薙刀ふりあげて、 牛若めがけて斬りかかる」という有名な
童謡になっていますが、今の子どもはこの歌を知らないんですよね。
義経に剣術を教えたのは、天狗 鞍馬山僧正坊ですが、

源義経
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実際は天狗ではなく、鬼一法眼(きいちほうげん)という
京都の民間陰陽師という説もあります。ただし、弁慶同様、
鬼一法眼が実在した証拠はほとんどありません。
鬼一法眼があみ出した剣術は、京八流の祖となったと言われ、

後に戦国時代になって、大野将監という人物が集大成して
鞍馬流剣術をうち立てます。鞍馬流は明治になって、一部が
警視庁に採用されますが、太平洋戦争時に鞍馬流の秘伝書、
古文書などは焼失してしまったようです。

天狗に剣術を習う義経(牛若丸)
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さて、3人目はもうおわかりだと思います。幕末の世に忽然と
現れた剣士で、桂小五郎ら勤王の志士を助け、新撰組などの
佐幕勢力と戦います。ただし、実在の人物ではなく、小説家
大佛次郎がつくり出した架空のヒーローです。

自ら倉田典膳と名のりますが、どうも本名ではないようです。
その正体は不明で、水戸天狗党の生き残りとも、京都の貴族に
仕える公家侍であるとも言われます。映画ではつねに覆面を
していますが、原作小説にはそういう描写はありません。
戦前から昭和30年ころまで、鞍馬天狗を主人公にする映画が

天狗のような姿で描かれる鬼一法眼
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たくさん作られたんですが、今はまったく流行らなくなってしまい
ました。これは何でなんでしょうね。鞍馬天狗を演じた俳優、
嵐寛寿郎のイメージが強すぎるのか、それとも幕末の知識が
広まって、架空の人物はもうお役御免なのか。もしかしたら
新撰組の人気が出て、悪役として描きにくいのかもしれません。

さてさて、ということで、今回は鞍馬山の天狗のお話でした。
自分は現在大阪に住んでいて、京都には仕事でもプライベートでも
ちょくちょく行きますが、平安京の昔から幕末まで、いろんな
歴史が詰まっていて、興味がつきません。では、このへんで。

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「本所七不思議」って何?

2018.08.05 (Sun)


今回はこういうお題でいきます。カテゴリは妖怪談義になるでしょうか。
まず、本所とはどこかということですが、これは、現在の東京都、
墨田区の南半分あたりです。開けてきたのは江戸中期のころからで、
それ以前は湿地の広がる人の住まない場所でした。

つまり、江戸の外れの地として認識されていたわけです。
余談ですが、吉良上野介が松の廊下の刃傷事件の後、市中から本所松坂町へと
屋敷が配所替えになりました。このときに「田舎に追いやられた」と書いた
上野介の手紙が残っています。うがった見方をすれば、
仇討ち騒動が起きてもかまわない場所と、幕府でも考えていたのかもしれません。

さて、この本所で起きる7つの怪異が「本所七不思議」です。
ただこれ、自分が調べたところでは、怪異の種類は倍の14くらいありますね。
ですから、あげる人によって7つの内容が違ってたりもします。
まあここでは、有名なものから見ていきましょう。

まず「置いてけ堀」。これが一番知られているでしょうか。
現在の錦糸町あたりには水路が広がっていましたが、その堀で釣りをすると、
魚籠にあふれんばかりの釣果がある。さて夕方になって帰ろうとすると、
後ろの堀から「置いてけ~」と、男とも女ともわからない不気味な声が聞こえる。

ここで獲物をすべて投げ捨てていけば問題はないが、
持ち帰ろうとすると怪異が起きて、最悪、堀に引きずり込まれてしまう。
そして釣竿と空になった魚籠だけが残っている。こんなお話ですね。
映画『妖怪百物語』に出てくるシーンが有名です。

錦糸堀公園の河童像


この怪異の正体は河童であるという説があります。
河童が釣人の獲物を横取りしようと仕掛けているわけです。
現在の錦糸堀公園の入り口には、河童像とともに「置いてけ堀」のいわれを
書いた札が立てられているようです。

次は「灯りなし蕎麦」。夜道を酒に酔った人が歩いていると、
道端に灯りの消えた蕎麦の屋台が置いてある。主人はいないが、
蕎麦の火種は残っているようだ。そこらに用足しにでも出たのだろう、
と待っていても、主人はいつまでも戻らない。

あきらめて長屋に戻ると全身に寒気がきて高熱を発する。そして朝を待たずに
死んでしまう。だいたいこんな話です。ここで少しうんちくを言わせてもらうと、
まず、二八蕎麦の屋台は車がついたものではなく、
下図のように天秤棒で肩に担ぐ形のものでした。重そうです。



それと、幽霊が出るのは丑三つ時(午前2時ころ)と言われますが、
これはそんなに遅い時間の話ではありません。
江戸市中は町内ごと長屋ごとに細かく区切られていて、
町と町の境には木戸番がいました。それが閉められるのが4つ(午後10時)どき。
そうやって、夜間の徘徊を防いでたんですね。

次「馬鹿囃子」。道を歩いていると、どこからともなく笛太鼓のにぎやかな
お囃子が聞こえてくる。神社の祭礼があるのだろうか?
そう思って探しにいくと、いつのまにかお囃子の音は遠ざかり、
また別の場所から聞こえる。で、いつしか見たこともない林の中に立っている。

狸囃子


「馬鹿囃子」は別名、「狸囃子」とも言い、怪異の正体は狸とされることが多いようです。
平戸藩主で、歌舞伎の『松浦の太鼓』で有名な松浦候がこの怪異にあい、
人に命じて音の所在を捜させたが、本所南割下水あたりで音は消え、
家来に命じて狸狩りをしたものの見つからなかった、という話が残っています。

「足洗い屋敷」。本所三笠町の旗本、味野家の屋敷に出る大きな足の化物のことです。
夜中になると、天井を突き破って血まみれの大きな足が出てきて、
「洗え、洗え」と命じる。そして下女が足を洗うともとに戻っていき、
破れたはずの天井板もいつの間にか直っている。

荒唐無稽な話ですよね。実害はないようなもんですが、味野家の下女はみな
怖がってやめてしまうので困っていたところ、同僚の設楽(したら)
という旗本が、ためしに屋敷を交換しようと言い、
住人が入れ替わったとたんに怪異も収まったとされます。

「送り提灯」。提灯を持たずに夜道を歩く者の前に、提灯のように揺れる明かりが、
あたかもその人を送って行いくように現れ、不思議に思って足を速めると消えてしまう。
そのくり返しで、いつまでも提灯との距離は縮まらない。
特に実害もないようで、これは親切な怪異ですね。

「落葉しない椎ノ木」。上で出てきた平戸藩主、松浦候の屋敷にある椎ノ木で、
落葉する姿を誰も見たことがない。椎ノ木は常緑樹ですが、
それでも葉の寿命がくれば落葉はあるはずですが、一枚も落ちない。
評判になりましたが、松浦公は気味悪がって屋敷を使わなくなったそうです。

シイノキ


さてさて、長くなったので終わります。七不思議の候補は、この他、
「送り拍子木」 「片葉の芦」 「津軽家の太鼓 」 「三つ目橋の火」 「小豆ばばあ」
「埋蔵の堀」 「夜豆腐屋」などがあります。
では、今回はこのへんで。