火間虫入道

2017.09.26 (Tue)
今日は妖怪談義とします。鳥山石燕の妖怪画は、ほとんどが読み解くことが
難しいものばかりで、絵の中の小道具も意味不明な場合が多いのですが、
この「火間虫入道」はその中ではわかりやすいものです。
まず、火間虫入道はおそらく石燕の創作した妖怪であろうということ。

元になってるのは文字絵遊びの「ヘマムショ入道」です。
文字絵遊びというのは、例えば「へのへのもへじ」のように、
文字の配置によって意味のある絵を形づくることです。(下図参照)

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使われているのはカタカナで、「ヘ」が頭、「マ」が目、「ム」が鼻・・・
「入道」という漢字が衣の部分を表しています。
まず最初にこの「ヘマムショ入道」があって、その名前から触発されて、
石燕が「火間虫(ヒマムシ)入道」を創作したのだと思われます。

では、石燕の絵を見てみましょう。脇にある詞書はこうです。
「人生勤にあり。つとむるときは匱からずといへり。
生て時に益なく、うかりうかりと間をぬすみて一生をおくるものは、
死してもその霊ひまむし夜入道となりて 灯の油をねぶり、
人の夜作をさまたぐるとなん。
いま訛りてヘマムシとよぶは へとひと五音相通也」




いちおう意味を訳すと「人生は働くことが大切であり、働いている間は
むなしい気持ちにはならないものだ。しかし生まれてから何もせずに、
ただ暇を持てあまして人生を送った者は、死んだ後にその霊魂は
ヒマムシ入道となり、灯火の油をなめたりして夜仕事をじゃまするようになる。
今これをヘマムシ入道というのは、匕がへに訛ったものである」
つまり、一生働かずに過ごした道楽者は、
死んだ後にその罰によって火間虫入道になる、ということです。

ヒマムシの「ムシ」の部分には二つの意味が掛けられているようです。
一つは「夢死」で、これは一生の間、何も生きた証を残さないような人生のこと、
もう一つ、「虫」は昆虫のことですね。そして絵の中の小道具を読み解くと、
この虫はどうやら油虫、ゴキブリのことを表しているようです。

もちろんゴキブリは人間の歴史が始まる以前から日本にいました。
そして江戸時代の人々もずいぶんこれに悩まされていたようです。
さて、石燕の絵をよく見てください。土間に竈(かまど)があって、
その上に絵馬のようなものが立てかけてあります。

その絵には鶏が描かれているようです。これは竈の神様を祀り、
火事にならないように願うおまじないですが、
それ以外にも、ゴキブリが出てこないようにする意味もありました。
鶏がゴキブリを見つけてついばんでくれる、ということなのでしょうか。

また、鶏の絵の横に木の枝のようなものがありますが、
これはおそらく臭蓬(くさよもぎ)ではないかと思われます。
蓬には独特の臭いがあり、また薬効成分が含まれているとして、
お灸などにも使われますが、これもゴキブリよけなのだと考えられます。
もしかしたら実際にゴキブリを近づけない効果もあったのかもしれません。

ただしこの絵の場合、床下から火間虫入道が長い首を伸ばして油をなめて
いますので、残念ながらおまじないは効いていないようです。
江戸時代には虫売りがいて、秋になるとコオロギやスズムシ、クツワムシ
などの声のよい虫、またホタルなどを売りにくるのが季節の風物詩でした。
ところがゴキブリに関しては、現代と同じように徹底的に嫌われていました。

さてさて、ここまでをまとめると、火間虫入道はゴキブリ妖怪であり、
一生人の役に立つ仕事をしないで過ごして死んだ者は、
罰を受けてゴキブリになるんだよ、ということになります。
あと、もう少し深読みをすると、絵の中に竈が出てきますが、
「竈を返す」という慣用句があって、これは家が破産するという意味です。
もしかしたら、ブラブラ遊び暮らしているものがいる家は破産してしまう、
そういう寓意も込められているのかもしれません。

関連記事 『石燕を読み解く』






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桑名屋徳蔵の表と裏

2017.09.13 (Wed)
皆さんお久しぶりです。ちょっとだけ復活します。久々ですので、
今回は引用の多い軽い話題で。ます表題にある桑名屋徳蔵という人物ですが、
これは江戸時代の大阪に住んでいた北回り船の船頭の頭ということです。
日本各地に伝承があるのですが、実在の人物だったかどうかは確証が取れてはいません。
この徳蔵の逸話として最も有名なのは、海上で大入道と戦ったときのものです。
ただしこの話、表と裏があって、裏の話はなかなか怖いんですよ。

ではまず、表のほうはこんんな内容です。
桑名屋徳蔵は名だたる船乗りで、あちこちの難海をものともせず航海した男だ。
その徳蔵が言うことには、「月末の日に船を出すのは、ひかえたほうがいい」と。わけはこうだ。
ある月末の日、徳蔵がただ一人で海上を行くと、にわかに風向きが変わり逆波が立ち騒いだ。
黒雲が覆いかかって船を中空に巻き上げるようで、並の人なら魂も消え入るところだが、
したたか者の徳蔵はちっとも動ぜず、じっとうずくまってってこらえていた。
やがて目の前に、常人の倍ほどの背丈の大入道が、
血走った巨大な両眼をぎらつかせながら現れた。「どうだ。わしが恐いか」
と妖怪が言うので、徳蔵は、「世渡りのほかに、これといって恐いものはない」と返した。
すると大入道はたちまち消え失せ、波風も静かって、徳蔵は危ない命を助かったという。


もともと月末の晦日には船を出してはいけないという船頭仲間の験かつぎがあったようです。
ところが豪胆な徳像は、出てきた大入道に対して、
「世間の荒波を渡るほうがお前よりずっと怖い」そう言って追い返してしまったんですね。
また、この徳蔵の妻も賢妻として知られていて、動かないと思われていた北極星(ポラリス)が、
少しではあるが動くことを発見したことになっています。
北極星は船頭が海上で方角を知るための重要な手がかりでした。
Wikiにはこういう話が載っています。

江戸時代大坂に、日本海の北回り航路で交易をしていた桑名屋徳蔵という北前船の親方がいた。
ある夜留守を預かる徳蔵の妻は、機織りをしながら時々夫を思っては、
北の窓から北極星を見ていた。すると北極星が窓の格子に隠れる時があり、
彼女は北極星は動くのではないかと疑いを持った。
そこで次に彼女は眠らないように水をはったたらいの中にすわって一晩中北極星を観察して、
間違いなく動くことを確かめた。帰ってきた徳蔵に彼女はこのことを告げ、
この事実は船乗りたちの間に広まっていった。


まあここまでは、怖いというような内容ではないのですが、
話の裏バージョンが伝わっていまして、シチュエーションは先の話と似ていますが、
こちらの徳蔵は江戸深川の人。これがかなり怖ろしいのです。

大晦日の夜は船を出してはいけない決まりだったが、
どうしてもと頼まれた徳蔵は、心配した女房がとめるのも聞かず船に荷を積んで漕ぎ出した。
すると海の中から大きな山がぬーっとせり上がってきて、徳蔵がかまわず突っ込んでいくと、
中から海坊主が現れた。この海坊主は真っ赤な頭をしていて目も鼻も口もない。
胴体もやはり真っ赤な血の袋を突っ立てたような姿をしている。
徳蔵が棹の先で海坊主の頭を一撃すると、海坊主はケタケタと笑いながら崩れ落ち、
しかしそれと同時にたくさんの血の袋が海からニョキニョキと立ち上がり、
ケタケタと笑う。殴っても殴ってもきりがない。

こうして徳蔵が悪戦苦闘している同時刻、留守宅を守っていた徳蔵の妻が、
急に腹痛を起こして苦しみ始めた。家人が困っていると、表の通りで按摩の笛の音が聞こえた。
家人が呼んでくると、按摩は髭そり跡の青々としたいい男。
たくさんの鍼を並べて女房の体を刺すと、血がビュッと吹き出て天井の梁まで上がり、
そこで血の袋の姿をした海坊主になってケタケタと笑った。次々と鍼は打たれ、
血しぶきが飛んで天井の梁の上はケタケタ笑う海坊主でいっぱいになった。
やがて按摩は静かに出ていった。

一方なんとか仕事を終えた徳蔵が、女房の安心した顔を思い浮かべて、
意気揚々と家に帰ってきて見たものは、
全身の血を失って白蝋のような色になった女房の死体だった。

『東京妖怪地図』荒俣宏監修より要約

どうです、なかなか怖い話でしょう。特にニョキニョキ、ケタケタという擬音が効果的です。
海坊主のほうは妖怪だったとしても、徳蔵宅を訪れた按摩はいったい何者だったのでしょう。
わからないことだらけで不条理感があります。海坊主は海入道とも言われ、
海坊主を目撃してから、天候が荒れ始める、船が沈むといった怪異が訪れることが多いようです。
正体としては、アシカやマンボウなどの海の生物の他、
入道雲や大波など自然現象などが挙げられています。

桑名屋徳蔵と海坊主







燭陰と古代文明

2016.06.24 (Fri)
今回はあまり一般的ではないお話ですが、なるべくわかりやすく書きます。
石燕の妖怪画は中国にすむ妖怪も描いていて、
下図の燭陰(しょくいん)もその一体です。髭面の人面に龍の体、
身のたけ千里と詞書にあるので、たいへんな大きさです。

『今昔百鬼拾遺 雲』より「燭陰」


さて、この燭陰は、『山海経』にある燭龍(しょくりゅう)と、
同一視されることが多いようです。実際、石燕も山海経を引いています。
中国古神話に見る燭龍は下図のようなものですが、顔面の造作が違いますね。
髭のないつるんとした顔に、縦についた一つ目が特徴です。
この目は、原典に「直目正乗」とある記述を解釈したものですが、
近年、ある遺物が出土したことによって、直目正乗は、
目が前に飛び出した様子を表しているのではないか、との説も出てきました。

『燭龍』


それが下図のもので、「青銅大型 縦目仮面」と呼ばれています。
1986年、四川省の三星堆(さんせいたい)遺跡で他の青銅器とともに
複数個発見され、最も大きなもので約1m40cmあります。
四川省は、長江(揚子江)流域にあり、辛い料理で有名ですね。
自分は昔行ったことがありますが、
やはり食べ物はトウガラシ色で激辛でした。

青銅大型 縦目仮面


このあたりは『三国志』で有名な劉備玄徳が支配した蜀の地にあたります。
ただ、蜀という地域名はもっとずっと古くからあって、
上記の縦目仮面は、紀元前10世紀頃のものと見られています。
これは世紀の大発見でした。というのは、みなさんは歴史で、
「世界の四大文明」というのを勉強された記憶があると思います。
メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明ですね。

これらはどれも大河の流域に発生したのですが、この古代蜀の地も、
黄河文明ほど古くはありませんが、やはり長江流域にあります。
発掘された城壁の規模や青銅器の点数から考えても、
初期の殷(商)に匹敵する規模の国家であったようです。
世界第五の古代文明といっても、いい過ぎではないかもしれません。

それにしてもこの仮面、異様ですよね。いったい何を現しているのでしょうか?
古代蜀の地には目の飛び出た人種がいた?
それとも宇宙からの来訪者? しかし奇妙なデザインをすべて宇宙人に
結びつけるのは、自分はどうかなあと思います。古代の壁画や土偶なども、
奇妙な形をしいていても、その地の伝承を調べれば、
何であるかの考察がつく場合が実は多いのです。

中国の古文献では、古代蜀は紀元前20世紀~前9世紀ころまで続き、
蠶叢(さんそう)柏灌(はっかん)魚鳧(ぎょふ)などという名の王が
治めていたと伝えられます。縦目仮面はそのうちの、
最後の王であった魚鳧の時代のものと言われます。この文明は、
これらの青銅器を地中深く残したまま、
歴史から忽然と姿を消してしまうんです。

さて、縦目仮面は、古代蜀の始祖王であった蠶叢を表しているとされます。
この人物には、目が縦についていたという伝説が残っているんです。
そのため、古来、顔に目が縦についた形で考えられてきたのですが、
この仮面の発掘により、上記のように「飛び出した目」
という新解釈が出てきました。じゃあなぜ、目が飛び出しているのでしょう?
こんな人間はいるとは思えませんので、何らかの寓意と解釈されています。

一つは「千里眼能力」を表すのではないかという説。
古代中国の偉大な王は、玉座にいながらにして、
国中のすべてを見通すことができる。
そういう超自然的な能力がイメージ化されたというわけです。
これは十分ありえそうな話ですが、もう一つ、蚕を表すのではないか、
という説もあります。蠶叢の「蠶」は「蚕」の旧字です。
四川省は古来養蚕が盛んであり、それを統べる神が、
縦目仮面=蠶叢であったというわけですね。

また、「蜀」という字に着目してみてください。
目が横になっているものが上にきていますが、これが本来は縦です。
さらに勹(つつみがまえ)の中に虫、この虫は蚕をさしているんでしょう。
国の成り立ちがひと目でわかるように漢字が使われているわけです。

さてさて、これら三星堆の青銅器は、破壊され焼かれ、
人為的に埋められた形で出土しています。ですから、なんらかの外敵が、
古代蜀を武力で滅ぼし、敵の祭祀の品々を穴の中に投げ捨てたと
考えるのが自然です。最近の研究では、
杜宇(とう)族という集団だったのではないか、
と考えられるようになってきています。青銅器を埋めた同じ穴から、
杜宇族の用いた土器も一緒に出土しているんです。滅ぼした敵の祭祀具を
埋めた後に、自分らの儀式に使った土器を投げ込んだとみることができそうです。

この蠶叢の伝説が『山海経』の燭龍になり、それが燭陰と同一視されて、
石燕が描いた・・・こういう流れになりそうなんですが、
ただ、石燕の詞書には「北海の地に住む」という語もあり、
四川省、三星堆は中国南部で北海とはかけ離れています。
燭陰は北海に見られるオーロラを神格化したものという説もあって、
(燭は蝋燭の燭で明かりの意味があるでしょう。
巨大さもオーロラならうなずけます)
自分の解釈が必ずしも正しいとは限らないということも、
最後につけ加えておきます。

三星堆 青銅神樹






濡女と雨女

2016.06.18 (Sat)
今日は時間がなく、妖怪談義とさせていただきます。
自分のほうは今年の梅雨はけっこう雨が降ってますが、
みなさんのところはいかがでしょうか。  
下の絵は、どちらも鳥山石燕で、左が『画図百鬼夜行』から「濡女」、
右が『今昔百鬼拾遺』より「雨女」。どちらも女性の顔が右を向いていて、
wetな意味合いを持つ妖怪という点は共通しているものの、
それ以外はかなり対照的です。

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一番大きな違いは、濡女の伝承は各地にあるのに、
雨女については、伝わっている話がほとんどないことですね。
それから、濡女は蛇身で、人をとって食うという怖い存在であるのに対し、
雨女のほうは、詞書に書かれている内容が、
男女の情交を表す色っぽいものであるということです。

濡女は磯辺、海岸に棲む妖怪で、顔以外は蛇身です。
その尾の長さは300m以上あるという話もあり、見つかった場合は
まず逃げられないようです。また、濡女は牛鬼という妖怪とセットで語られる
場合もあります。波打ち際に上半身をだけ海から出した女が立っていて、
しかも赤子を抱いている。奇異に思って近づくと、
赤子を抱いてくれるように頼まれる。承知すると女は去り、
やがて海の中から牛鬼が現れる。驚いて逃げようとするが、
赤子が石のように重くなり、しかも抱きついて離れない。
どうしようもないでいるうちに、その人は牛鬼に食われてしまう。

なかなか面白い伝承ですね。共生関係の生物のように、
2体の妖怪が協力して獲物を捕らえるわけです。それとも、
見た目はまったく違いますが、濡女と牛鬼は同じ妖怪の雌雄なんでしょうかね。
あるいは鬼太郎の砂かけ婆と子泣き爺のような茶飲み友だち?
ただ、出現する場所は海辺に限定されるようですので、
この妖怪に遭いたくなかったら海に近づかなければいいわけで。

それと、「イクチ」という海蛇状の妖怪との関連も指摘されています。
イクチは、船を見つけると接近し、船をまたいで通過してゆくが、
体長が数キロメートルにも及ぶため、通過するのに12刻(約3時間)もかかる。
体表からは粘着質の油が染み出しており、船をまたぐ際に、
この油を大量に船上にこぼして行くので、
船乗りはこれをくみ取らないと船が沈没してしまう、というものです。
長さはイクチより短いですが、濡女もこの一種なのかもしれません。

雨女は、現代では雨男とともに、ある行事に参加すると高確率で雨が降る人、
というような意味で使われていますね。まあ迷信の一種でしょう。
『呪怨』シリーズの清水崇監督が、このモチーフで『雨女』という映画を
つくっています。石燕の絵にある詞書は、
「もろこし巫山の神女は、朝には雲となり、夕には雨となるとかや。
雨女もかかる類のものなりや」
となっていて、
これは中国の故事からとられたものです。

楚の懐王(屈原とのからみで有名な前4世紀頃の人)が、
巫山(ふざん 四川・湖北両省の境にある名山)に遊行したおり、
夢に神女が出てきて情を交わした。神女が立ち去ろうとするとき、
懐王が別れがたく思って袖を引くと、神女は「ここはいったん別れますが、
朝は雲に、日暮れには雨となり、朝な夕なあなたのそばにおります」
と言ったという、中国の古詩にあるエピソードです。
巫山の神女は、天帝の娘であったのが未婚のまま亡くなり、
巫山に葬られたということのようです。

この話を元に「朝雲暮雨 ちょううんぼう」という故事成語ができたそうですが、
みなさん、これご存知でしたか。自分はさっき初めて知りました。
あんまり使われることはないですよね。意味は、
「男女が愛し合い、片時も離れていられないほどの深い仲であることのたとえ。
男女の情交のこともいう」とコトバンクに出ていました。
特に怖いところのない話で、雨女は、石燕が吉原の遊女を皮肉って創作した
ものではないかという説がありますね。

あと、関係ないかもしれませんが、「ふざける」という言葉があり、
漢字で書くと「巫山戯る」です。この巫山は上の話にあるのと同じ山のようです。
ふざける には、「子供などがたわむれて騒ぐ」という意味の他に、
「男女がたわむれる、いちゃつく」というのもあるようですし、
よくはわかりませんが、何か関連しているのかもしれません。

さてさて、最後に自分は「濡女」という話を書いていて、
わりと気に入ったものの一つです。よろしければご一読を。  関連記事 『濡女』

重慶 巫山 神女峰







身近な呪具(箒)

2016.06.13 (Mon)
今日は怖い話のネタを考える時間がなかったので、やや民俗学的なお話。
われわれ日本人は島国に住んでいたため、基本的に、
外来文化がドカッと大量に流入してくることは、
明治維新までなかったと言ってもよいと思います。ですから、
身近な生活用品なんかも長い歴史を持ってるわけですね。

そういう中で、いろんないわれがくっついて、呪具としての役割を持つ
ようになったものもいろいろあります。
例えば「櫛」なんかがそうです。これは自分の 『神隠し』 という
話の中で少し触れています。

今回取り上げるのは箒(ほうき)です。昨今、室内で箒が使われることは
少なくなりました。これは電気掃除機の普及もありますし、
ハウスダストをまきあげるのが、アレルギーや喘息の原因になるからでしょう。
自分も、ちょっとした掃除のときは某社のモップを使ってます。

さて、箒の歴史は古く、古墳時代には小枝を束ねたホウキ状の物が
あったようですが、清掃用具として用いられていたかは不明です。
今でも「掃き清める」という語がありますが、
穢れる→祓う→清められる という神道的な考え方からきた
呪具であった可能性も示唆されています。

奈良時代の葬列には、箒持ち(ははきもち)と言って、
箒を持った人が加わっていたようです。酉の市の熊手なんかもそうですが、
やはり穢れを払う、掻き出すというところから来ています。
箒には「箒神」という神様が宿っていると考えられていたんですね。
下に載せたのは、石燕の「箒神」ですが、古い箒が妖怪化した
付喪神の一種と思われます。生垣の上にあるのは羽ボウキでしょうか。
本来の箒は自然の物だけでできているので、
古くなったら川に流したりするほうがいいのかもしれません。

鳥山石燕「箒神」


今やる人は少ないでしょうが、昔は菷を玄関などに逆さに立てかけると、
いつまでも居座る客を帰すことができるというまじないもありました。
マンガの『サザエさん』にも出てきてましたから、
けっこう最近まで行われていたのかもしれません。
これも客を「掃き出す」「追い払う」というところから来ているのでしょう。

前述した櫛とも関係があるのですが、では、髪を梳かしたりせず、
箒で家の中の掃除もしなかったらどうなるか。これは無精でやってるのではなく、
ある種の願掛けになります。前も一度紹介したんですが、『万葉集』の中に、
「櫛も見じ 屋内も掃かじ 草枕 旅行く君を 斎(いは)ふと思ひて 」
という歌があります。これは夫が遣唐使として航海する妻が詠んだものです。

当時の遣唐使船はたびたび難破して、鑑真和尚が盲目になったり、
阿倍仲麻呂が日本に帰ってくることができなかったり、
たいへん危険でした。そこで、妻は「櫛は使わない、家の中も掃かない、 
そうやって君の無事を祈る」という願掛けをしているんですね。
自分が穢れを払わないことにより、
他者の不運を引き受けるということなんでしょう。

箒に関した怖い話でよくあるのは、「誰もいないはずの座敷で、
ザッ、ザッと箒で掃く音がする」といったものです。
まあ、今は箒で掃く音自体が一般的ではないので、
あまり身近に感じませんし、この後、家族が不幸になったなどの展開がないと、
現代の怪談としては通用しないかもしれません。

さてさて、最後に中国の話。みなさんの地域の梅雨の状況はどうでしょうか。
昔の中国では、雨が晴れるのを願って「掃晴娘(サオチンニャン)」
の切り紙を飾っていたそうです。これは日本の「てるてる坊主」のような
晴天を祈るまじないということですね。

あるところに切り紙の上手な晴娘(チンニャン)という女の子がいたが、
あるとき大雨が降り続き、皆が困っていたところ、
天から「晴娘が身投げをしたら雨が止む」というお告げが下り、
晴娘がそうすると、そのとおり雨が止んだという言い伝えです。
一種の生贄の話と考えてもよいかもしれません。
ちなみに箒は、晴娘がいつも掃除してたというわけではなく、
切り紙の題材だったみたいですね。では、このへんで。
関連記事 『身近な呪具(櫛)』

『掃晴娘』