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百鬼夜行と水銀中毒

2020.09.18 (Fri)
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今回はこういうお題でいきます。妖怪談義ですね。
ただし、この内容は、どちらかというと歴史面白話のような
もので、実際の史実かは疑わしいです。
その点をご承知の上、お読みくださるようにお願いします。

さて、どこから説明していきましょう。まず、百鬼夜行からかな。
この言葉、「ひゃっきやこう」と読まれることが多いですが、
平安時代の頃は「ひゃっきやぎょう」ではなかったかと思います。
深夜に徘徊、行進する鬼や妖怪の群れのことですね。
この場合の百は「たくさん」という意味です。

賀茂忠行
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夜に外出して百鬼夜行に出会うと、必ず死んでしまうと言われました。
街灯もない平安時代の頃ですから、夜に出歩かなければ
いいじゃないか、と思われるかもしれませんが、当時は
通い婚でしたので、「妻問 つまどい」をするには、
夜半に牛車を歩ませなくてはならなかったんです。

『今昔物語』には、百鬼夜行に出会った話がいくつか出ています。
有名なのは、陰陽師、安倍晴明の幼少時の逸話ですね。
安倍晴明がまだ弟子入りしたばかりの頃、夜、師の賀茂忠行に
随伴して歩いていると、たくさんの鬼どもがそろって大路を
歩いてくるのが見えた。

安倍晴明
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いち早くそれに気づいた晴明は、牛車の中で寝入っていた忠行を起こし、
事態を報告。急を知った忠行は術により鬼どもを退けた。
このことで忠行は晴明の見鬼の才を知り、陰陽道のすべてを教え、
晴明もそれを瓶に水を移すように吸収した・・・こんな話です。

現代でも、いわゆる「見える人」というのが怪談には出てきますが、
それを「見鬼の才」と言い、陰陽師の重要な資質だったんです。
平安時代は、「方違え」 「物忌み」などの呪術的行為がたいへんに
流行し、百鬼夜行も、それが起きる日は決まっているとされました。

聖武天皇
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「子子午午巳巳戌戌未未辰辰」と言いまして、1・2月は子の日、
3・4月は午の日、5・6月は巳の日、7・8月が戌の日、
9・10月が未の日、11・12月が辰の日ということで、
貴族は外出を避けていたんです。また、もし百鬼夜行に
遭ってしまったらどうするか。

「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、
ワレシコニケリ」という呪文を唱えると、害を避けることができると
言われていたようです。この呪文の意味については今回はふれません。
あるいは、お経の中で特に「尊勝陀羅尼経」を唱える。覚えていない
場合は、着物の背に、書いたものを縫いつけておくだけでも効果がある。

水俣病の男児
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さて、ここで話を変えて、水銀中毒ですが、水銀は常温で凝固しない
唯一の金属です。昔の体温計には水銀が使われていましたが、
金属毒性が強いんですね。古代の中国では、水銀は不老長生の
妙薬とされてきましたが、その服用によって命を縮めた
可能性があり、かの秦の始皇帝もその一人です。

近代の日本でも、有機水銀中毒による水俣病事件が起きています。
で、これが百鬼夜行とどう関係があるかというと、
「奈良の大仏」なんです。正式名は、東大寺盧舎那仏像。
聖武天皇の国家鎮護の発願で、745年に制作が開始、
752年に開眼供養会が行われています。

東大寺盧舎那仏
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現在の奈良の大仏は、青黒い渋い色合いですが、できた当時は
塗金されていました。この塗金に使われたのが、水銀アマルガム法。
金と水銀を1:5の比率で混合してアマルガムとし、
これを塗って加熱し、塗金を完了するのに5年かかっています。
また、この工程で砒素も使われました。

これほど大量の水銀が一度に使われたのは、世界でも類例がありません。
加熱時に発生する水銀の蒸気はきわめて有毒なんですが、すでに
東大寺大仏殿ができてから塗金が行われ、換気が十分では
なかったんですね。その仕事をしていた職人、
数百人の間に不思議な病気が流行りだしたんです。

金アマルガム法による塗金
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水銀中毒の急性症状としては、急性症状としては流涎(よだれ)、
おう吐、腹痛、下痢、頭痛・・・ 慢性症状が運動失調、歩行異常、
四肢反射の異常、抹消知覚障害、感覚鈍麻など。
病気になった職人のために、これを専門に治療する救護院が設けられ
ましたが、当時の医療では治らなかったでしょう。

さて、ここで水銀中毒と百鬼夜行の関係ですが、多くの方はすでに
お気づきと思います。これらの職人や庶民にも水銀中毒者が続出し、
手足が不自由になり、忌避されて山などに籠もる。
そういった人々が、夜になって食料を求めて出歩いたのが
百鬼夜行の始まりであるという説があるんですね。

大仏の造立法
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これ、みなさんはどう思われますでしょうか。今に残る百鬼夜行図を
見れば、妖怪の多くは付喪神(つくもがみ 古くなった器物、道具)
であり、必ずしもこの説が正しいとは言い難い気もするんですが、
自分なんかは、面白い着眼点だなあと思っています。

さてさて、ということで、鎮護国家のために造立した奈良の大仏ですが、
たくさんの水銀中毒者を出したのは残念なことです。
歴史には、こういう秘話がいろいろあって興味が尽きません。
では、今回はこのへんで。





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狐狸とお寺

2020.08.26 (Wed)
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今回はこういうお題でいきます。オカルト論と迷ったんですが、
妖怪談義のほうに入れておきますね。さて、日本では、
狐や狸、それに狢(むじな)も加えて、人を化かす動物とされて
きました。平安時代にはすでにそういう話ができあがっています。

『今昔物語』には、頼光四天王の一人 卜部季武が、深夜、
肝試しのために一人で産女が出るという川を馬で渡る話が
載っています。勇敢な季武は、産女が渡した赤ん坊を返さずに
もどってきましたが、袖の中の赤ん坊は木の葉に変じていました。
産女はおそらく狐だろうと推測されて話は終わります。

卜部季武と産女
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では、なぜ狐狸が人を化かすと言われるようになったか。
まず一つには、狐狸は山と里の中間にいたからでしょう。
村人によく目撃される身近な動物であったわけです。それと、
これは意外に思われるかもしれませんが、密造酒。

ま、ドブロクなどのことですが、こっそり作っている家は
多かったと思います。で、飲みすぎて酔っぱらい、
肥溜に落ちたり、山に迷い込んでしまう。そういう失態を
狐狸のせいにすれば、八方まるく収まるというわけです。
ただ、すべてのケースがそうだったわけでもないでしょう。

さて、狐狸は神社よりもお寺関連の話が多いんですね。これは、
神社では動物を神の御使い、眷属としていたせいもあるでしょうし、
江戸時代は、すべての人がどこかの寺の檀家にならなくてはならず、
お寺のほうが日常のつき合いが深く、住職の人柄なども
よく知っていたせいかもしれません。

白蔵主
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ここからは狐狸とお寺についてのエピソードを羅列していきます。
まずは狐の「白蔵主 はくぞうす」。マイナーな妖怪だったんですが、
推理小説家の京極夏彦氏が著書で取り上げて有名になりました。
さまざまなパターンの話が残ってるんですが、一番怖いのは
甲斐(現在の山梨県)に伝わるものでしょう。

白蔵主とは、宝塔寺という寺の僧の名で、甥の猟師がキツネを
捕えて皮を売って生活していた。近くの山に老いた白狐がいて、
多くの子ギツネを猟師に捕られたため、深く怨んでいた。
そこで白狐は伯父の白蔵主に化けて猟師を訪ね、殺生の罪を
説いて狐捕りをやめさせ、かわりに金を渡して罠を持ち去った。

しかし猟師は金を使い果たし、また金を乞いに伯父の寺を訪ねようと
したので、キツネは寺に先回りして本物の白蔵主を食い殺し、自分が
白蔵主に成りすまし猟師を追い返す。それから50年以上も
住職を務め上げたが、あるときに鹿狩りが行なわれ、白蔵主も見物
していたところ、狐の正体を見抜いた犬に噛み殺されてしまった・・・

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狸のほうは「分福茶釜」が有名ですよね。こんな話です。
上野の茂林寺で、茶の湯が趣味である和尚さんが茶釜を買って寺に
持ち帰る。和尚の居眠り中、茶釜は頭や尻尾、足を生やし、
小坊主たちに見つかり騒動となるが、最初、和尚は信じない。
しかし湯を沸かそうと茶釜を炉にかけると、足の生えた正体を現す。

怪しい釜なので出入りの屑屋に売るが、その夜、茶釜はみずから
狸の化けたものだと正体をあかし、文福茶釜と名のる。狸は、
寺での扱いに文句を言い、屑屋には丁重に養ってもらいたい、
そのかわり軽業の芸を披露すると もちかける。屑屋は見世物
小屋を立ち上げ、茶釜の曲にあわせた綱渡り芸は大人気を博す・・・

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「証城寺の狸囃子」もよく知られています。木更津の証城寺では、
化け物が出るので住職が長く居つかない。そこにある日、新しい
和尚がやって来る。その晩から噂に違わず、一つ目小僧やら
ろくろ首などが現れるのだが、和尚はそれを見ても全く驚かない。
じつは化け物の正体は、この森を住処とする狸たちで、

一つ目小僧やろくろ首に化けては、訪れる人間たちを驚かして
楽しんでいた。ところが新しくやってきた和尚はまったく驚かず
平然としているので、狸たちのしゃくにさわり、親分の大狸は、
「ぜひとも和尚を驚かせてやろう」とあることを思いつく。
ある秋の晩、何者かが寺の庭で大騒ぎしている。

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寝ていた和尚は目を覚まし、外の様子に耳を凝らしてみると、それは
お囃子であった。不思議に思いこっそり庭をのぞくと、庭の真ん中で
大狸が腹を叩いてポンポコ調子を取り、それを囲むように何十匹もの
狸が楽しそうに唄い踊っていた。その様子を見ていた和尚もつい
浮かれて、自慢の三味線を持って庭に出てしまう・・・

「多聞寺の狸」現墨田区、多聞寺では、参詣の客が化け物に襲われる
ことが続いてたいへん困っていた。和尚は、近くの森にすむ狸の
しわざと疑っていて、そこに新しいお堂を建てようと、木を伐り、
池を埋め、狸の穴もふさいでしまった。すると大入道が寺の庭に
現れ、寺が立ち退かないと村人を食い殺すと和尚をおどす。

多聞寺の狸塚
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困った和尚が仏に救いを求めると、天から童子が降ってきて大入道を
叩きのめした。翌朝、お堂の前に行くと2匹の狸がそろって死んでいた。
多門寺では不動尊から毘沙門天に本尊を替えようとしていたところで、
狸夫婦は古くからいる自分たちが本尊にならないのを怒って
悪さをしていたのだ・・・ こういった話。

さてさて、あっという間にスペースがなくなってしまいました。
まだまだ話はあるんですが、またいつか機会があると思います。
オカルト的には、さすがに現在では、狐狸が化かすなんてことを信じる
子どもはいなくなってしまいましたね。では、今回はこのへんで。

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雲外鏡と照魔鏡

2020.08.23 (Sun)
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『妖怪大戦争』

今回はこういうお題でいきます。妖怪談義ですね。
さて、雲外鏡(うんがいきょう)は、鳥山石燕の『百器徒然袋』に
出てくる妖怪で、「百鬼」ではなく「百器」となっているとおり、
器物の妖怪が多く描かれています。いわゆる付喪神です。

全国の伝承には、雲外鏡という名前は出てこないので、石燕が
創作した妖怪と考えられています。また、雲外鏡はしばしば
大狸の腹に鏡がついたような妖怪として描かれることがありますが、
これは1968年の映画『妖怪大戦争』のデザインが
そうなっていたためで、石燕との関係はありません。

ちなみに、『妖怪大戦争』の場合、腹が鏡というかテレビの
ブラウン管のようになってて、敵の西洋妖怪などを映し出すことが
できました。石燕のこの絵自体を読み解くのはそう難しくは
ありません。雲外鏡は雲の外に出た鏡、つまり月のことを表して
るんでしょう。絵を見ても下部が雲形ですよね。

「雲外鏡」
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では、詞書があるので読んでみましょう。「照魔鏡(しやうまきやう)
と言へるは、もろもろの怪しき物の形をうつすよしなれば、その影の
うつれるにやとおもひしに、動き出るままにこの鏡の妖怪なりと、
夢の中におもひぬ」うーん、わかるようでわからないです。

何か日本語として変な気がします。あえて訳せば、「照魔鏡は、
さまざまな怪しいものの(真の)形を写すということなので、
その影が写ってるのかと思ったが、動き出るまま、この鏡の妖怪
なのだと夢の中で思った」やはりわかりにくい。照魔鏡が妖怪の
影を写して妖怪化したということなんでしょうか?

狐の姿を写す照魔鏡
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まあ、ここはあまりこだわらないことにします。照魔鏡というのは、
その名のとおり、魔の姿を写し出す鏡のことです。中国の古伝説では、
周の軍師 太公望が、商の紂王を惑わせた悪女 妲己の正体を
見破るために使ったという鏡のこととされています。

『封神演義』によれば、妲己の正体は千年生きた九尾の狐で、
商から周への易姓革命を達成させるため、女神 女媧が送り込んだと
されます。また日本の伝説では、この後、妲己は日本へと渡り、
玉藻前という女に化けて鳥羽上皇をたぶらかし、

最終的には退治されて殺生石になったと語られます。そして
その殺生石を法力で叩き壊したのが玄翁(げんのう)和尚。
ここから大きな金づちのことを玄能(げんのう)と言うようになった
などの話もあります。玄翁和尚は実在の禅僧です。

金毛九尾の狐
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ところで、みなさんは映画の『霊幻道士』のシリーズはご覧に
なってるでしょうか。あの中に出てくる道士は、鏡を使って
魔を見破るという術を使っていました。あれは、晋代に葛洪という
道士が書いた『抱朴子 ほうぼくし』という書物の記述が
もとになっています。やや長いので要約します。

「何であれ、物の老いたものは人の形をとって現れ、幻惑しようとする。
しかし鏡の中では本当の形を変えることはできない。そこで昔、
山に入る道士は、直径9寸以上の鏡を背中に背負った。
そうすれば老いた魍魎も近づいてはこないのである」こういう
記述が出てきます。晋代の9寸は21cm強で、当時としては

三角縁神獣鏡
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かなり大型になります。日用品として使われる鏡はもっと小さい
ものでした。で、この『抱朴子』の記述と、日本の古墳時代の鏡、
三角縁神獣鏡を結びつける説があるんですね。これも径20cmを超え、
さらに『抱朴子』には、「日月の文字を書けば、白刃の難から
逃れることができる」といった記述もあるんです。

おっと、また余談が過ぎてしまいました。鏡には呪具として、
辟邪(へきじゃ)、辟聖(へきせい)といった考え方もあります。
副葬品の鏡を棺の外に鏡面を外向きにして置けば、これは辟邪で、
外から来る魔を追い払うためのもの。逆に内向きにすれば、
棺の中の被葬者を畏れて復活を妨げるためのものとなるんです。

道教の八卦鏡

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『封神演義』では、仙人 雲中子の所持していた宝貝として,
妖怪の正体を映し出す照妖鑑という鏡が出てきますが、
これも照魔鏡の伝説がもとになってのものでしょう。あとまあ、
西洋でも、ヴァンパイアは鏡に写らないので見破ることができる
といった話もありますね。

あとはそうですね。石燕の絵の鏡の中の顔が舌を出してるのは、
地獄にあるという浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)との関係も
あるのかもしれません。これは地獄の閻魔庁の裁きの場に
置かれていて、亡者の生前の行いのすべて、
特に悪事をはっきりと写し出すとされます。

地獄の浄玻璃鏡
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強力な嘘発見器と言ってもいいかもしれません。もし嘘を
ついていることが判明した場合、獄卒たちにヤットコで舌を
抜かれてしまうという話もあります。このあたりのこともふまえ、
石燕の絵では、鏡の妖怪が舌を出してるのかもしれません。
いくら深読みしても、しすぎることはないんですね。

さてさて、ということで、だいたい読み解けたんじゃないかと
思いますが、もしかしたら月に何か関係ある意味が隠れている
のかもしれません。それは今後の課題としておきましょう。
では、今回はこのへんで。

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牛鬼の謎

2020.08.10 (Mon)
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今回はこういうお題でいきます。もちろん妖怪談義です。
さて、牛鬼はけっこうメジャーな妖怪なんですが、
その正体は何なのか。いろんな妖怪本をあたっても、
明快に説明されている本は自分は読んだことがありません。
エピソードの羅列で終わっているものばかりです。

妖怪には、ある地域だけに伝承が残っているものと、
全国に名前が広がっているものとがありますが、牛鬼の場合は
後者です。それなのに、はっきりしたことがわからない。
また、伝承の内容も少しずつ違っており、そのために、
調べれば調べるほど霧がかかったようにぼやけていくんです。

一般的には、河童や天狗など、全国区の妖怪は説明がつきやすい
ものなんですけどねえ。それと、当ブログでは、江戸の妖怪絵師
鳥山石燕の絵を中心に妖怪を読み解いてますが、
石燕の牛鬼は下図のようなもので、草陰から鋭い爪を持った
牛そのものが顔を出しています。

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この図を読み解くだけなら、そう難しくはありません。
牛鬼の近くに咲いている花は萩ですよね。これは花札の
10点札を表してるんだと思います。花札に描かれているのは
猪ですが、それが牛鬼になっている。

ただ、詞書もありませんし、さすがの石燕も、牛鬼については
よくわかってなかったんじゃないかと思います。
うーん、困りました。とりあえず、考えつく牛鬼の特徴を、
項目ごとに列挙していくことにします。

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・牛鬼は水に関係がある
牛鬼は海から海岸に出現したという伝承が多いんです。
でも、牛と海はつながりにくいですよね。水浴びしてる牛??
山陰地方では、牛鬼は海から現れ、磯女、濡れ女などの女の
妖怪とコンビを組んで人間を襲うとされています。

海岸の他、山間部、森や林の中、川、沼、湖にも現れるとされ、
特に淵に現れることが多く、近畿地方や四国にはこの伝承が
伺える「牛鬼淵」 「牛鬼滝」という地名が多く残っています。
これも不思議ですよねえ。水浴びしている鹿やカモシカの
誤認なんでしょうか。

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・絡新婦(じょろうぐも)との関係
絡新婦という妖怪は淵に棲むと言われます。滝壺の近くで休んでいた
男の足首に、いつの間にか細い糸が絡みついており、それを木の古株に
結びつけると、すごい力で滝壺に引き込まれたという話があり、
蜘蛛の姿、淵に棲むという点で関連があります。

・牛鬼の姿
牛鬼の姿には大きく2とおりあって、まずは頭が牛、体が鬼
というもの。上掲した石燕の絵もこちらの部類に入るでしょう。
もう一つは、頭が牛、体が巨大な蜘蛛の姿のもの。
また、背中に昆虫の翅が生え、空を飛ぶという伝承もあります。

蜘蛛タイプの牛鬼のほうは、水木しげる氏の『ゲゲゲの鬼太郎』で
取り上げられており、全国的にはこのほうが有名でしょう。
ただ、自分が調べたかぎりでは、前者の体が鬼タイプのほうが
伝承としては古いように思えます。

牛頭と馬頭
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・仏教の地獄との関係
上の項で書いた、頭が牛、体が鬼というのは地獄の獄卒である
牛頭馬頭(ごずめず)を思わせます。仏教において、地獄にいると
される亡者達を責め苛む獄卒で、牛の頭に体は人身の姿をした牛頭と、
馬の頭に体は人身の姿をした馬頭のことです。

インドから中国を経て日本に伝わりました。現代の中国でも、
盂蘭盆節(お盆)のときには、牛頭馬頭の扮装をした人が登場
したりします。では、牛鬼は地獄の思想から来ているのか。
自分は、どうもそうは思えないんですよね。仏教系につきものの
説教臭さが伝承にはありません。

源頼光と土蜘蛛
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・土蜘蛛との関係
上図は、有名な源頼光の土蜘蛛退治の絵巻です。土蜘蛛は、古代の
日本において朝廷・天皇に恭順しなかった土豪たちを指す名称です。
特定の一族ではなく、各地にいました。また、妖怪としての
土蜘蛛は、虎の頭、蜘蛛の体となっています。

これは、蜘蛛の中には胴体が黒と黄色のシマになっているものがいて、
それから虎が連想されたんじゃないかと思います。この全体の形が
牛鬼によく似てますよね。土蜘蛛と牛鬼は仲間で共通点があるのか。
うーん、北東の方角を鬼門といい、丑寅(牛と虎)になりますので、
関係があると言えばあるのかも。

愛媛県宇和島の牛鬼祭り
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・金属との関係
あ、もうスペースがなくなってきました。牛鬼の謎を追求していくと
一冊の本ができてしまいそうです。民俗学の柳田國男は、牛鬼は
山で祀られた金属の神が零落し、妖怪変化とみなされたものと
述べています。ただ、そこまで言える根拠があるかは疑問です。

さてさて、ではお前はどうみてるんだと言われそうです。自分は、
やはり根拠はないんですが、「ムクリコクリ」との関係を考えます。
ムクリコクリは「蒙古高句麗」のことで、元寇の際、2度にわたって
蒙古・高麗連合軍が九州を襲ったのを、「蒙古高句麗の鬼が来る」
といって怖れたことに由来します。

ムクリコクリ
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この言葉は遠く東北地方にまで伝わって恐れられ、妖怪化しました。
恐ろしいものを表す言葉として、子どもをおどすのに使われたんです。
岡山県、牛窓町の伝承では、神功皇后が三韓征伐の途中、
新羅で塵輪鬼(じんりんき)という頭が8つの大牛姿の怪物に
襲われて、弓で射殺します。

皇后の新羅からの帰途、成仏できなかった塵輪鬼が牛鬼に化けて
再度襲いかかりますが、住吉明神が現れ、角をつかんで投げ飛ばして
滅ぼすんです。蒙古軍の残虐非道が全国に伝わり、長い間に
妖怪に変化していったのが牛鬼。それだと海から現れるのも理解
できますが、この解釈に自信はありません。では、このへんで。

※ 牛鬼のことについては、みなさんから広くご意見をいただければ
  ありがたいです。





木魂と山彦

2020.08.05 (Wed)
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鳥山石燕「木魅 」

今回はこういうお題でいきます。妖怪談義です。
「こだま」という漢字は、木魂の他に木霊、木魅などがあり、
江戸の妖怪絵師、鳥山石燕は「木魅」の字を用いています。
また、絵柄も一般に考えられる妖怪としての木魂のものとは
かなり違います。どうやら石燕の独自の解釈があるようです。

さて、木魂は、ふつうは山びこという自然現象と考えられます。
登山者が高い尾根などに立って、山や谷の斜面に向かって音を
発したとき、それが反響して遅れて返って来る現象を
言いますよね。ですが、石燕には別に「山彦」という
妖怪の絵もあって、下図のようなものです。

同じく石燕の「山彦」
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ですから、石燕は木魅の絵をエコー現象とは別のものとして
表現しているわけです。自分も、大病をする前は山登りなどを
していたので、山びこは何度も聞いたことがありますが、
反響のしかたは気象状態にも左右されるんですよね。

さて、一般に、古木には神霊が宿ると言います。人間の寿命は、
現代でこそ80歳に達しましたが、江戸時代以前は短いものでした。
織田信長が今川戦出陣の前に、「人生五十年~」と謡った
とおりです。それに対し、樹木の場合、数百年の寿命を持つものは
珍しくはなく、昔の人は畏敬を持ったことでしょう。

怪談の一つに、「祟る木」というのがあります。
どこどこ神社の御神木の枝が道路通行のじゃまになるので、市の
担当者が伐ったら、慣れているはずの業者が大きな事故を
起こしたとか、そういう話は全国で聞くことができます。

祟りがあるとされる御神木


これなんかは、人間の利便性のために、他の自然物を破壊する
ことに対する違和感がからできたものだと言ってよいと思います。
古い神道の考え方では、人間の霊も古木の霊も違いはありません。
むしろ、寿命が長いだけに霊性が高いとも言えるでしょう。

実際、神社の御神木は「古多万(こだま)」と呼ばれており、
神霊が天から降り立つ道、あるいは依代(心霊が出現するための
媒体)と信じられ、木を伐ることはもちろん、落葉ひとつ
片づけるのも、神職の重要な役目だったんです。

三内丸山遺跡の巨木構造物
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樹木を神聖視する風習は、日本では縄文時代から見られます。
北日本の日本海側を中心として太い柱を立てる文化があり、
天へ通ずる道であるとか、秋に葉を落とし春にまた芽吹く
再生の象徴であるとか、世界樹信仰の一つであるとか、
いろいろな説が出されています。

また、沖縄地方では、木の精を「キーヌシー(木の主)」と言い、
木を伐るときには、キーヌシーに祈願してからという習慣が
ありました。沖縄の妖怪として知られるキジムナーは、この
キーヌシーの一種とも、キーヌシーを擬人化したものとも言われます。

沖縄の妖怪「キジムナー」
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古代において、樹木を建材として使うことはありましたが、日本では
長期間 竪穴式住居の時代が続いており、伐採する本数はたかが
しれたものだったでしょう。むしろ樹木は、木の実などの自然の
恵みをもたらしてくれるものだったんです。

さて、ここで少し話を変えて、歌舞伎のお囃子の用語に
「谺(こだま)」と呼ばれるものがあり、鼓(つづみ)で深山の
山びこを表す技法ですが、小鼓2挺を用いて「ポポン、ポポン」
と互いに共鳴するように打ち鳴らします。歌舞伎は能から発展した
ものですが、石燕の絵はどうやら能の一場面のようです。

能の演目「高砂」
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詞書は「百年の樹には神ありて、かたちをあらはすといふ」
二つに分かれて生えた松の木の前に、熊手を持った翁と
箒を持った媼がいます。これは有名な能の演目「高砂」に出てくる
老夫婦で、「相生(あいおい)の松」という伝説がもとになっています。

ちなみに、昔の結婚式では「高砂や この浦舟に 帆を上げて」という
謡曲が唄われたものでしたが、今は聞くことが少なくなりましたね。
もとになった伝承は、兵庫県高砂市の高砂神社のものでは、
「昔、播州高砂神社の境内に、幹を左右に分けた一本の松が
生えたので、これを神木霊松として大切にしていたところ、

ある日、伊弉諾・伊弉冊の二神が現れ、我らは今より神霊を
この木に宿し世に夫婦の道を示さん、と告げた」という内容です。
「お前百まで、わしゃ九十九まで、ともに白髪の生えるまで」
という ことわざ?がありますが、老齢に至るまで夫婦仲良く
長生きをする願いを意味しているんでしょう。

高砂神社の「相生の松」
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この話がもとになって「高砂人形」が作られるようになりました。
翁の熊手は財産をかき集めるため、媼の箒は邪気を払うためのもの
ですが、上記のことわざの「お前百まで(掃くまで)」で箒、
「九十九まで(熊手)」を表しているという話もあります。

さてさて、ということで、妖怪の木魂と山彦はまったく別の
意味を持ったものだったんですね。自分は「高砂の話」という
怪談も書いてますので、未読の方にはぜひお読みになってほしいと
思います。では、今回はこのへんで。

関連記事 『高砂の話』

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