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海の怪談

2016.07.01 (Fri)
7月に入っていよいよ夏らしくというか、本格的に暑いですね。
みなさんは海などに行かれるご予定はあるでしょうか。
自分は昔は遠泳なら数時間はできたんですが、今はぜんぜんダメです。
素潜りもダメになってしまいました。
さて、海の怪談は大きく釣り系と海水浴系にわかれるようです。

釣りだと、後ろから声をかけられたが振り向くとだれもいないとか、
女物の靴が何度も針にかかるとか。
海水浴だと、泳いでる最中に水中から足を引っ張られ、
なんとか浜にたどりついて足を見ると紫色の手形が浮き出ていた・・・

まあこんな話が多いのですが、さすがに単純すぎますよね。
かといってあんまりひねりすぎると現実味がなくなってしまう。
類型的にならないようにするのはなかなか難しいです。
海の話にかぎったことではないのですが、怪談を書くのは、
「ありきたり」と「ありえない」の2つの「あ」の間をさまよってるようなもんです。

漁師村の古いしきたりや因習をからめて書くとか。
漂着物の話もありますよね。海から流れつくものはエビス様と言われて
忌まれていました。エビス様とは、イザナギ・イザナミの2神が産んだものの、
不具であったために海に流して捨てた蛭子(ひるこ)のことです。
自分も漂着物をテーマにして、「持衰の像」という話を書いています。
よろしければご一読ください。  関連記事 『持衰の像』

ただ、現実の海は怖いです。素潜りのできる人ならわかるでしょうが、
沈んだ岩にはびっしりと様々な海藻が生えて揺れ動いている。
海の中では物の色が薄くなって、まるで髪の毛がざわめいているみたいです。
足のたたない場所では何かあっても逃げられないし、
助けを呼んでもすぐには来れない。オカルト的な怖さというより、
死の可能性がすぐ隣にあるんですね。

自分は水難救助の講習を受けたことがあるんですが、
溺れている人を引っぱって安全な場所へ連れて行くのは至難です。
実際、2次災害が起きてしまう可能性は大きいでしょう。
孫や自分の子どもが溺れた家族が助けに行って共倒れになってしまう、
そういうケースはほんとうに気の毒です。

実際にあった事件で、港の護岸から飛び込んだ中学生2人が溺死した
ということがあったんですが、飛び込んだまではいいものの、
船が接岸するための垂直の岸壁ですから、這い上がることができなかった。
泳いで回り込もうにも岸壁は数百m続いていて、
すぐ目の前に陸があってトラックが通ったりするのも見えているのに、
とうとう2人とも力尽きてしまった。

印象に残っってる海の怪談としては、稲川淳二氏の「サーファーの死」
ですね。有名なので、怪談好きならご存知の方も多いでしょう。
サーファー仲間が海にいき一人が暗くなっても戻ってこない。
みなで心配していると、夜遅く警察から連絡があり、
その友人の遺体を収監しているとのこと。身元確認のために警察署へ行くと、
遺体に布がかけてあって、それがなぜか異様に長い。
端をめくると友人の変わり果てた顔が出てきたが、
釈然とせず、警察に布が長い理由を尋ねるとまくってみせた。
友人の足に見ず知らずの婆さんががっしりとしがみついており、
その婆さんは4日前に身投げした人ということだった・・・

これは不思議な話ですよね。なぜ警察は婆さんを引きはがさなかったのか。
それが無理なほど強い力でしがみついていたのか、
それとも証拠保全のためか、そのあたりはわかりませんが。
足に婆さんがしがみついているビジュアルを想像すると、
なんとも不気味な感じがします。怪談というのは、緊密な構成よりも、
この手の感覚に訴えかける部分が怖いんです。

海に関したホラー小説だと、短編はあまり多くはないですね。
小説家になる前に海員をしていた
ウィリアム・H・ホジスンがいくつか書いています。
「夜の声」が有名ですが、ちょっと古い印象があるかもしれません。
映画の『マタンゴ』の原作になった話です。
日本のものでは、鈴木光司氏の『仄暗い水の底から』中の
「夢の島クルーズ」がお薦めです。これはかなり怖い話でした。
まとまらない話になりましたが、今日はこのへんで。







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幽霊を見た反応

2016.06.26 (Sun)
今日は時間がなく、怪談論にします。変な題ですが、
これ怪談の構造に深く関わっているんですよね。
自分が収集した話、ネットにある話、プロの作家の先生方が書かれた話などから
目撃談の大ざっぱな傾向をまとめてみたいと思います。
あと、心霊画像・動画については今回は取り上げません。

まず最初にあるのは、その体験者が幽霊、怪異を見慣れているかどうかです。
いわゆる「霊能者、霊感の強い人」であれば、
すでに何度も超自然現象を経験しているでしょうから、
「ああ、まただ」と当然思われるでしょう。
この場合、超自然現象を初めて体験した人とはまったく反応が異なりますので、
ここでは取り上げません。

では、初めて不可思議を見た、あまり幽霊など信じていない人の
場合はどうかというと、これは何を見たかでだいぶ異なってくるようです。
まず、人型ではない、あるいは顔のない何かを見た場合。
どういうことかと言いますと、例えば「夜道を歩いていたら、塀の上に
20cm四方くらいの透明なゼリーが乗ってプルプル震えていた」
こういう場合、多くの人は頭の中で合理的な説明を見つけようとします。
「えっ! なにこれ、何かの化学物質だろうか?」
「見たことないけど、生き物なんだろうか」
まあ実際、イタズラで寒天を置いてるなんてこともなくはないでしょうし。

次、自分の知り合いではない「人型のもの、顔」を見た場合。
これは自分の幻覚や錯覚を疑う人が多いようですね。
「もしかしてガラスがあってそれに映ったのか」
「人が入れそうにないけど、実際はしゃがんでいる人が一瞬立ち上がったんだろう」
こんな具合で、幽霊を見たということをまず否定しようとします。
信じていない人なら、幽霊だと思うと
自分のそれまでの世界観が崩れてしまいますからね。

ただしこれにも付帯条件があります。「夜中の2時に塀の上に幼児の顔が出てきた」
「マンションの12階なのに窓の外を人がよぎっていった」
「肉がグズグズに崩れたゾンビかミイラのような顔が懐中電灯で見えた」
このようにありえない条件になるほど、幻覚かもと思う反面、
もしかしたら幽霊かも、という思いも出てくるようです。

また、目撃する前の状況とも関連してきます。
これはどういうことかというと「会社帰り、電車に乗るときに飛び込みがあった」
「さっきチャリで通った交差点に花とペットボトルがお供えされていた」
こういう体験があってすぐ血まみれの顔を目撃した場合、
「もしかして幽霊!?」という思いは自然にわきあがってきます。
これは当然といえば当然ですね。

さて次、もし見たのが友人や肉親の顔だったらどうでしょう。
学生時代あまり親しくなかった友人とかならともかく、
肉親や恋人の姿を、もしありえない状況で目撃してしまったら、
「ああこれは、あの人に何かあったのかもしれない」と思うようです。
で、その後すぐ携帯などで安否を確かめる行動をとる。
このケースは、虫のしらせということとも関連しているのでしょう。

だいたいこんな感じでしょうか。あえて書きませんでしたが、
これらの目撃例の多くは短時間、あるいは1回きりのものです。
それはそうですよね。もし塀の上に生首がずっとあって、しかも笑ったりしてる。
これは通報すべきでしょう。それで警察が来ても消えなかったら大事件です。
マスコミが取材に来るでしょうし、科学的調査も入ります。
そして「幽霊は存在する」という結論が出るかもしれません。
しかしそうはならないですよね。現象は基本的に再現性がない、
というのはお約束なのです。

あと、同じようなものを繰り返し見てしまう場合。
これはまず自分の体調を疑って医者にいくケースが多いのではないでしょうか。
そこで異常がないと診断されれば、だんだん霊現象を信じていくということも
あるかもしれないです。自分で似たような事例を調査したり、
あるいは何かの宗教団体に相談に行ったり。そうして、
一番最初に書いた「霊感のある人」になっていくのかもしれません。

なぜ、このようなことを書いているのかと言いますと、
怪談では読む人に違和感を感じさせることは避けなくてはなりません。
ですから目撃した場合の反応も自然であるのが望ましい。
「えー、ふつうこんな反応しねえよな」と読む人に思われるのは
やはり多くの場合マズイのです。ただし、「本当にあった」話の場合、
不自然とか言ってもしょうがなく、事実を受け入れるしかないわけですが。

さてさて、最後に目撃談を聞いた人の場合ですが、
ふつうは「えー、何かの見間違いだろ。疲れてたんじゃないか」
みたいに信じてもらえないケースが多いでしょう。
すぐに「それ幽霊だよ、間違いなく。怖いねー」とか言われたら変ですよね。
この場合、社会常識に照らして相手は判断するでしょう。
「昨日の夜じゅう部屋に幽霊がいて一睡もできなかったので今日は欠勤します」
会社にこういう電話をかけたら、「おいちょっと何言ってるんだ、待てよ」
となるんじゃないでしょうか。すんなり受け入れてはもらえない。

ただ、「お盆の夜にぼーっと仏壇の前の灯籠を見ていたら、
そこに去年死んだお父さんの顔が浮かんで消えた」こういう話をして、
真っ向から否定されることも少ないでしょう。
「ああそれ、きっと帰ってきてたんだよ。子ども思いの人だったから」
こんなことを言われても不思議ではないですよね。
このように怪談の場合、世間常識と怪異の内容が大きな齟齬を起こさないよう、
距離感をはかりながら成り立っている場合が多いのではないでしょうか。

へいあかおあおあ





動物の怪談

2016.06.20 (Mon)
えー今日は怪談論ということにさせていただきます。前に「植物怪談」という
項を書きましたが、「動物怪談」というのもありますよね。
これ、自分の話にもいくつかはあるんですが、けっして多いほうではありません。
特に意識してるわけではないんですが、やっぱり類型的な話になってしまう
おそれが強いものだと思いますね。

人間に身近な動物としては、犬猫なんでしょうが、
猫は祟り方面の話が多い気がします。化け猫騒動の話もありますし、
うっかり車ではねてしまった猫、子どもを川に捨ててしまった親猫が
祟るなどというのは定番ですよね。これに対し、犬のほうは祟りというよりは
心温まる霊の話になってる場合が多いと思います。

実家で長年飼っていた犬が死んだが、離れたところに住んでいる自分に
知らせをしにきたとか、死んだ犬の霊が、家に憑いている悪いものを
とっていってくれたとか。もちろん例外はありますが、
全体の傾向としてそういう感じなんですね。
これは、犬猫両者の性格からきているのでしょう。

ただ、じゃあ犬猫のような動物に、人間と同じような霊魂があるかというと、
これはなかなか難しい話です。犬猫は自分を人間と思い込んでる場合もあるし
霊魂はある。猿の仲間は知能が高いので霊魂はあるだろう。
じゃあ虫に霊魂はあるんだろうか? はは馬鹿だな、
一寸の虫にも五分の魂って言葉があるじゃないか。
じゃあバクテリアは一分の魂か? 植物はどうだろう?
さすがに植物に霊魂はないんじゃないか。でも、きれいな音楽を聞かせ続けた
植物はよく育つなんて話もありますよね。

こう考えていくと、どこで線引きをすればいいかわからなくなってしまいます。
まあ「すべて命のあるものは霊魂を持つ」としてしまえば簡単です。
神道の考え方はそうです。基本的には人間の霊も植物の霊も変わらない。
むしろ樹齢の長い大木は強い神性を持つ、などと言われたりしますよね。
さらには、無機物である岩なども霊性を持っていたりします。
しかしこれ、他の宗教だとなかなか難しい面があります。

特にキリスト教の場合、「犬は天国に入れるかどうか」について、
歴史的な論争があります。昔は、意識を持つものには魂はある。
しかし、犬猫などの動物は意識があるように見える場合もあるが、
命じられたことを行うだけで実際は歯車や滑車で動く機械と同じようなものだ。
魂を持たないのだから、天国の門をくぐることはできないなどと言われていました。
これ、哲学者のルネ・デカルトなども同じ見解で本を書いています。

まあキリスト教の場合、出発点に「神が自分の姿に似せて人間をつくった」
という人間を特別視する考え方があり、
教義もまた、人間の救いを中心に説かれているためなのだろうと思います。
ただしこれ、聖書にはこの問題をはっきり取り上げている記述はありませんので、
絶対に動物は天国にいけないということでもないんでしょう。
ますますペットと人間の絆が深まっている現代において、
触れないでおいたほうがよい話題として扱われている気がしますね。

仏教の場合、お釈迦様は「殺生を禁ずる」としていますが、
魂の問題については特に触れていません。畜生道に堕ちるなどという言い方は、
後代になって、インド思想に根強い輪廻の考え方が取り入れられたものです。
ただ、禅の公案に面白い話がありまして、「狗子仏性 くしぶっしょう」と言います。
ごく短いものですので、引用してみます。
『一人の僧が趙州和尚に問うた。「犬にも仏性があるでしょうか?」
 趙州和尚は答えた。「無」 』
 これだけです。

公案というのは、ごぞんじのように日本では臨済宗において、
座禅をするときに考えるためのお題で、「狗子仏性」は最初に出される課題である
場合が多いようです。仏性とは、「仏の性質、本性」のこと。
これ、仏教には「一切衆生悉有仏性 (すべての衆生はことごとく仏性を持つ)」
という言葉もあり、なかなか答えを出すのは難しそうです。

自分もあまり詳しいわけではないんですが、
禅の場合、公案に出てくる「無」について深く考察することが大切であり、
弟子は得た解答(見解 けんげ)を持って師の部屋に入室して問答します。
そこでの答えは、結局は「以心伝心、不立文字(心と心で通じ合い、
文字に書き起こすことのできないもの)」であって、
弟子の考えの軌跡が師に伝わればよく、
必ずこうだ、という正解があるわけではないのですね。ですから、
この公案が、犬に仏性はないと決めつけているわけではありません。

さてさて、現代日本の怪談は、現代日本人が読むためのものです。
犬猫動物に霊魂があっても、植物の霊が出てきても、
それほど違和感を感じないのは、やはり神道的な考え方が文化の底流にあるから
ではないでしょうか。そういう点で、いろいろバラエティーに富んだ話を
読み楽しむことができるのは幸運でもあると思うのです。
関連記事 『植物の怪談』







顔のあるもの

2016.05.29 (Sun)
今日は怪談論・・・なのかなあ、どれかに分類するとすればそうでしょうが、
たぶんあっちこっちに飛ぶ、まとまりない話になると思います。
「顔のあるものには命が宿るから、買うときにはよく考えなさい」
という言葉を耳にすることがあります。とはいえ、雛人形や五月人形を始め、
みなさんの中で、家の中に人形やヌイグルミがまったくない、
という方はおられないのではないでしょうか。

ああいうものは、買うときはいいですが、
処分するときに困る場合が多いですよね。
うちの母親は「木目込み人形作り」というのを趣味でやっていて、
亡くなった後に数十体が残されて、処分に大変困りました。
結局、少なくない金額を支払って人形供養をしてもらったんです。
プロの怪談作家の先生方の作品でも、
人形やヌイグルミにまつわる怪異はよくみかけられますね。

さて、世界の宗教を見渡すと偶像崇拝を禁じているものがあります。
もっとも厳しいのがイスラム教でしょうか。
これは、630年の預言者ムハンマドのマッカ(メッカ)侵攻のときに、
カアバ神殿に祭られる数百体の神像・聖像を自ら叩き壊した事績を
重視しているためです。ですから、偶像崇拝の禁止は徹底しています。
下の画像は、ムハンマドの誕生の場面ですが、左側の天使の顔は描かれていますが、
中央の赤子のムハンマドの顔には白いベール?のようなのがかかっています。
基本的に、こういう表現のしかたしか許されないんですね。



ですから、イスラム国以外でムハンマドの風刺画などが新聞に掲載されると、
大きな問題になり、絵の作者の暗殺指令が出されたりするわけです。
偶像を描くのが禁止されたため、イスラムの宗教的な情熱は、
もっぱら「カリグラフィー」に向けられました。
これはイスラム書道(Islamic Calligraphy)とか、アラビア書道とも言います。
下図のようなものですが、これはちゃんと意味のある文章(クルアーン=
コーランの一節が多い)がデザイン化されたもので、イスラムのモスクの中は、
これでびっちり装飾されている場合が多いのです。

『Islamic Calligraphy』


あと、キリスト教では偶像崇拝は基本的には禁止なのですが、
「聖画像」(キリストやマリアの像 Icon)は偶像ではないと考えられるものの、
カトリックとプロテスタントではこれも違いがあります。
特にプロテスタントはさまざまな宗派に分かれていますので、
多様な考え方があります。自分が住んでいたことのある、
アメリカの田舎町のプロテスタント教会は、十字架があることをのぞけば、
外観はほぼ普通の民家でしたし、中も装飾や偶像らしきものはなし。
そこで信者の代表であり、身分的には一般信徒と差異のない牧師さんが、
(カトリックでは人々を導く聖職者である神父さん)
日曜日には、信者の前で聖書の一節を引いて説教をしていました。

余談ですが、自分はアメリカのテレビ説教師(伝道師 Televangelists)
のスピーチを、たまにyoutubeで見ることがあります。
自分はキリスト教徒というわけではないんですけど、なんで見るかというと、
彼らの英語はたいへんわかりやすく、話もゆっくりなので、
錆びついてきたヒアリングのおさらいをするのにちょうどいいんですね。

さて、アメリカ映画には、有名な『チャッキー』シリーズをはじめ、
人形が命を持って暴れるような作品がありますね。これは本来、
キリスト教の考え方とは相容れないものですので、そういうのを出すときには、
アメリカホラー映画の三種の神器を使います。これ、何かというと、
1つ目が、『ハリー・ポッター』に見られるような西洋魔術、魔法。
2つ目は、アメリカ先住民の呪法・・・(ここでまた余談ですが、
アメリカ先住民をインディアンと呼ぶのは差別用語にあたるようです。
かといって、ネイテイブ・アメリカンといっても怒られる場合もあり、
大変難しいんです。自分は実際に向こうで怒られた経験があります)

3つ目は、アフリカ由来のブードゥーです。それらを出すことで、
「これはキリスト教のらち外にある娯楽映画だよ」みたいな意味を持つようです。
ちなみにチャッキーは、本来の商品名は「グッドガイ人形」だったと思いますが、
「アディ デュイ デンベラー」という怪しげなブードゥーの呪文で、
「湖畔の絞殺魔 チャールズ・レイ」の魂が人形に乗り移っているものです。
早く人間に乗り換えないと、体がだんだんに人形と同化してしまう
という設定になってましたね。ブードゥ-では有名な人形の呪いがありますが、
あのあたりから発想が出ているのでしょう。

悪魔が出てくる映画『エクソシスト』なんかは、キリスト教の神との戦いを描いて、
どうしても宗教的な意味を持ってしまうものですので、
上記のとはまた違います。そういう映画で、悪魔が勝利を得てしまう内容にすると、
やはり社会的な批判を受けてしまうことになります。
映画『エンゼル・ハート』の原作『堕ちる天使』などは、廃刊運動まで起きています。

さてさて、仏教寺院だとまずどこでもご本尊の仏像がありますし、
偶像崇拝と言われることはあまりありませんね。ブッダのころの
原初仏教とはまた違ったものになっているのだと思われます。
特に日本の場合、仏像とともに仏教が伝来してきたので、
このあたりはしかたのないところかもしれません。

神道だとどうなんでしょう。あまり考えたことはないのですが、
神様の画像はないわけではないものの、それがご神体とされることはないですよね。
普通は、山や岩、滝や木などの自然物や、鏡、石、剣などがご神体となります。
積極的に偶像崇拝を否定してる感じもないですが、
やはり八百万の神・・・あらゆるものに神が宿るという考え方からすれば、
絵姿や像をつくる意味はあまりないのかもしれません。
このあたりお詳しい方がおられれば、ご教示願いたいところです。







実際に怖い話を書いてみる

2016.05.24 (Tue)
えー今日はやや緊張気味でこの項を書いてます。
というのは、この時間までまったくネタを考えてないからで、
実況に近い状態の、ぶっつけ本番なわけです。
こういうときはまずシチュエーションを決めてしまいます。
何がいいでしょうか・・・なるべく調べなくても済む身近なもので・・・
そうだ、風呂、これでいきましょう。

ということで、風呂に関する怖い話をひととおり思い出してみます。
よくあるのは、目をつぶって髪を洗っているときに、
背中に手を回してリンスを取ろうとしたら、乾いた髪を握ってしまった・・・とか。
なぜ思い出すかというと、一つには人の話のマネにならないようにするためで、
もう一つは、風呂場での怖さにはどんなのがあるか再確認してみるんです。
何が怖いんでしょうねえ、うーん、ありきたりですが、時間もないので、
タイルのカビってことにしましょうか。これでお話を書きます。

カビ

ある会社の会計士をしています。この仕事、短期の出張が多いんです。
長くてひと月程度ですね。各支店を回って監査の対策をしたり、
経理業務の効率化をアドバイスしたり。
ですから、私のような女性って珍しいんですよね。
出張の間は、もちろんホテル暮らしなんて贅沢はできませんから、
短期契約で敷・礼金なしの、俗にいうマンスリーマンションです。
昔は壁が薄いとかいろいろいわれてましたが、今はだいぶよくなってます。
それで、そこは3月の初旬に入ったんですが、2週間の予定でした。
一部屋に簡単なキッチンと、バス・トイレ。家具付きですが、
どれもまだ新しく、清掃業者を入れてるのでキレイなものでした。
お風呂も、最初に見たときには何でもなかったと思ったんですが・・・

入居して2日目のことです。お風呂に入っていました。私はかなり長湯なほうで、
1時間は入ります。体を洗って、湯船に浸かっていたときのことです。
頭を蛇口と反対側の浴槽にもたせかけていたんですが、ちょうど顔のすぐ横の、
薄いブルーに白い目地のタイルが薄暗くなって見えたんです。
頭の影だと思ったんですが、指を伸ばしても影はできません。
おや、と触ってみましたらベトッとした感触。指先を見ると、
数mmほどの短い毛のようなのがたくさんついていました。
ええ、指先にヒゲが生えたみたいに。気持ち悪いと思い、
浴槽から出て手先を洗いました。それからあらためてタイルを見ると、
私が頭をもたせかけてた真横が、直径20cmばかりの円形に黒ずんでました。
「えー」と思いましたよ。入ったときはまったく気がつかなかったんです。

近づいてよく見ると、そこだけ全面に短いヒゲが生えたようになってて、
カビだ、と思いました。いったん上がってキッチンペーパーを取ってきて拭くと、
ひと拭きで取れたものの、紙がかなり黒ずみました。嫌だなあと、
タイルの他の場所も見たんですが、何でもなかったんです。そこだけ。
これ不思議ですよね。お風呂には最初の日も入ったので、
もしかしたら私の髪がそこに触れて、人の脂でカビが生えたのかなあ、
なんてことも考えたんです。でも、たった1日くらいのことでねえ。
それで、業者が清掃のときに拭き忘れたのかな、ってそう思うことにしました。
翌日、遅く帰ってきてお風呂に入る前に、タイル全体を確認しました。
何でもなかったので、昨日のはたまたまだったんだろう、
と考えることにしました。ところが、やはり湯船に浸かっていて横を見ると、

細かいカビが同じ場所にびっしり。「キャー」と叫んで、
まだ頭も体も洗ってなかったんですが、出てしまいました。それにしても、
私が入って数分のうちにカビが生えるなんてありえないですよね。
服を着ると、近くのコンビニに行って消毒液を買ってきました。
テイッシュをほとんど一箱空にしてそこのタイルを熱湯で拭いたら、
やっぱり細かなヒゲ・・・他の場所はやはりなんともなかったんです。
怖くなってきましたが、何か化学的な理由があるんだろうとも思いました。
それで次の日は、早めに社を出てドラックストアで「カビキラー」を買い、
丹念にタイル掃除をしたんです。そのときはカビは生えていませんでした。
それでも、その日お風呂に入るときには警戒して、いつもと反対、
蛇口のある側に頭が来るようにしたんです。

ええ、それでお湯に浸かりながら、タイルのその部分を見ていました。
1分、2分とカビは生えてきませんでした。「あたり前だよね」
なんとなく安心しましたら、ふっと眠気・・・ちょっと違うかもしれません。
私は経験ないですけど、首をしめられて気が遠くなるような・・・
そんな感覚があったんです。頭がゆらゆらと揺れてる感覚がかすかにあり、
ブクッと、口がお湯の中に沈んで気がつきました。「えええ!?」
立ち上がろうとしたとき、タイルに頬をこすりつけました。
ザラッ、「えっ、えっ!?」私は入ったときと体の向きが反対になってて、
あのカビのタイルに顔をこすりつけてしまったんです。
湯船を飛び出して鏡を見ると、右の頬にヒゲのようなカビがたくさんついてました。
「いやー」タオルで拭き取り、すぐゴミに捨てました。

それから、おそるおそる浴室の中を見たんですが、
やはりその部分だけタイルが黒くなっていて、私の頬でこすれたところも、
みるみるうちに同じカビで覆われていったんです。
しかもそのカビ全体の形が、うつ伏せになって浴槽の縁に頭の先をもたせかけてる、
短髪の人の頭に見えてきたんです。「これはダメ、こんなとこにはいられない」
そう考えましたが、あと10日程度のことですし、
支店に部屋を代えてくれと言うのはためらわれました。
それでネットで探して、バスで15分程度の健康ランドに行くことにしたんです。
部屋では寝るだけ。食事もすべて外食にしました。
その間、お風呂のドアはずっと閉めたままでした。残りの出張期間が過ぎ、
部屋を出る日に、不動産業者立ち合いで部屋の確認をしました。

そのとき不動産屋の方が、しばらくぶりでお風呂のドアを開けました。
「おや、お湯が残ってますね」不動産屋の方が言い、「えー、流したはずですけど」
そう答えてのぞいたら、あのカビの部分に人の後頭部がありました。
やはり短髪の男性で、体は見えなかったです。「いやー、頭、人の頭!」
「え、何です? どうかしましたか?」私が後ずさりしながら指差しても、
業者の方には見えてないようでした。「そこに人の頭が」 「ええ、どこですか?」
そうしてるうちに頭はぐるんと裏返り、真っ白になった両目で、
にやっと笑って消えた・・・そう思いました。「ああ、ここだけなんか
カビが生えてますね。清掃業者に言っときます」不動産屋の方はそう言いました。
今は自分の部屋に戻ってるんですが、カビのことが気になりまして、
お風呂は1時間以上掃除してから入るんです。人にはおかしく思われるかもしれません。

と、だいたい15分くらいで書き上げました。
これ主人公は女性ですが、お風呂の話なので、男だとあんまり
読む気はしないですよね。そういうことも考えて登場人物は決めてるんです。
この部屋はひんぱんに居住者が代わるタイプなので、
すぐ前でなくても、数代前に何かがあったのかもしれません。
自宅の風呂では難しい話なので、主人公は短期出張を繰り返す職種、
ということにしまして、最初はそのあたりの説明。

あと怖さの点に関しては、カビの生理的な恐怖を取り入れることにしまして、
短い毛のようなカビって気持ち悪いですよね。
さらにすぐ取れて、自分の体にくっついてくるようだとなおさら。
風呂場は清潔になるところなのに、汚れてしまうのは嫌です。
あと、そのカビが、風呂に浮いている人の頭にシンクロするような形で書き進め、
知らないうちに自分の体が逆を向いているシーンなども入れました。
どうでしょう、怖くなったでしょうか?