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怪談の禁じ手

2018.08.25 (Sat)
今回は怪談論でいきます。さて、当ブログをご覧いただいている中には、
ミステリに造形が深い方もおられるかもしれません。
自分は、そんなに詳しいほうではないんですが、それでもいちおう、
古典的名作と呼ばれる作品群は読んでいます。

S・S・ヴァン・ダインという、創成期の推理作家の大御所がいますよね。
名探偵ファイロ・ヴァンスの生みの親で、代表作に『グリーン家殺人事件』
などがあります。で、この人、本名で出版した推理小説論で、
「ヴァン・ダインの二十則」というのを書いてるんです。

「ヴァン・ダインの二十則」

これは、推理小説を書く上での鉄則をまとめた内容で、
「1,事件の謎を解く手がかりは、全て明白に記述されていなくてはならない。」
こんな感じで20の原則論が出されていて、まあ、どれももっともな内容です。
ただこの後、わざとこれに反するトリックを使った作品も出てきています。

それについては、ここではふれませんが、怪談においても似たような原則というのは
あると思うんですよね。じゃあ、怪談で禁じ手とされるのはどんなことでしょうか。
自分はヴァン・ダインのように頭の切れる人間ではないので、
順不同、思いつくままに書いてみたいと思います。

・すべてが夢の話
これはそもそも怪談ではなくて、夢の記録ということになるでしょう。
いくら怖くても、夢は夢です。ですから、怪談に夢が出てくる場合は、
その夢が予知夢であったとか、何らかの形で現実とリンクしていないと
読む人に納得してはもらえないでしょうね。

・現実に起きてない事件を取り入れた話
これはどういうことかというと、例えば、「道路でバスがハザードを出して、
路側帯に停車した。警察がバスを調べたところ、運転手と乗客全員が
席に座ったまま心不全で亡くなっていた」こういう書き出しで始めたとして、
でも、実際にこんな事件があれば、世間が大騒ぎになってますよね。

これは極端な例ですが、ちょっと調べれば現実に起きていないとわかる事件を、
話に取り入れるのはマズイでしょう。
もちろん、フィクションであればまったくかまわないですが、
「実話怪談」としては禁じ手になると思います。

・あまりに非現実的な怪異が出てくる話
例えば、「高速道路を100kmオーバーで走っていたら、白い着物を着た
婆さんが、車に並走してどこまでもついてきた」 都市伝説の100kmババア
のことですが、これはギャグにしかならないと思います。

・伝聞だけの話
これは絶対にダメというわけではないですが、やはり怪談というのは、
本人が体験した話という形が一番いいんじゃないかと思います。
「俺の高校時代の先輩の彼女が体験した話なんだけど・・・」
これだと臨場感がないですし、そもそもその人が、
作り話をしている可能性だってあるわけです。

・あまりにも遠い昔の話
「うちの祖先はその村の庄屋だったんだけど、あるときに旅の坊さんが
宿を借りたいと訪ねてきて・・・」これは昔話になってしまいますね。
ただ、そのときの呪いが現在まで続いているとかなら、
そのかぎりではありません。

・悪い人間が罰を受ける話
どういうことかというと、例えば「DQNが神社に行って罰当たりなことをした。
そのために神罰を受けて次々に死んでいく・・・」こういう内容だと、
怖い以前に、「ザマミロ」とか「当然の報いだ」とか思いますよね。
この手の怪談もないわけではありませんが、本道からは外れてる気がします。

・宗教的に混乱している話
怪談を読んでいると、神社やお寺が出てくるものはけっこう多いんですが、
中には「お坊さんがお祓いしてくれた」みたいなのもあって、
これ、お祓いをするのは神職ですよね。こういう記述が出てくると、
そっから読む気をなくしてしまう、という人は多いんじゃないでしょうか。

・あまりにも手垢のついてしまった話
例えば「行ってはいけないと言われてた裏山に入ったら怖ろしいものを見てしまった。
家に戻ってそのことを話したら、じいさんにさんざん叩かれたうえ、
檀家になっているお寺に連れていかれて・・・」もう何十パターンも出ている
使い古された構成です。よほどの新味がないと誰も読んでくれないでしょう。

・「幽霊より生きた人間が怖い」という結論になる話
現実的な犯罪とか痴情のもつれ、あるいは精神の病気とかそういう内容のことですが、
これは「怖い話」ではあっても、「怪談」ではないんじゃないかと自分は思います。
たしかに、現実に怖い話というのはたくさんありますけど、
かといって「幽霊より生きた人間が怖い」という結論になるのは、
オカルトの敗北なんじゃないでしょうか。

・まだ風化していない出来事をあつかった話
例えば、「太平洋戦争中の空襲で焼かれた人が・・・」みたいな話はいろいろあります。
戦争の体験がある人はだいぶ少なくなり、怪談として成り立ちますが、
「東北の震災の津波で・・・」これだと、不謹慎だと考える人もいるかもしれません。
まだ記憶のなまなましい出来事は、あまり怪談にしないほうがいいと思いますね。

さてさて、書いてみたらけっこう出てきました。
まだこの他にもありそうです。長くなったのでいったん終わりますが、
またいつか、続きを書く機会もあるかと思います。
では、今回はこのへんで。







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できが悪い話を改変する

2018.08.07 (Tue)
今回は怪談論です。もう5年以上前になりますが、2ch(現5ch)に
「骨董」をテーマにした次のような話を書きました。

赤いサンゴ玉

うちの父親は三年前に肺がんで亡くなったんだが、
生前は骨董集めを趣味としていた。といってもうちにそんなに金があるはずもなく、
骨董市などで買った安い小物ばかりで、値の張る皿物や掛け軸なんかはなかった。
父がもういけないというとき、病院のベッドで長男だった俺に、
「骨董は仏間の押し入れにまとめてあるから、○○(なじみの骨董屋)に
 下げ渡してやってくれ、まあいくらにもならんだろうが・・・
 それから、風呂敷に一つ小物の骨董をまとめてあるから、
 これは俺の初七日あたりにでも坊さんに渡して、お炊きあげしてもらってくれ」
と奇妙なことを言った。

俺が「どうしてだい、それはお金にならないものかもしれないけど、
 ただ捨てるだけでいいんじゃないか」と問うと、
父は、「いや風呂敷の中のものは、よくない骨董なんだ。長年かかって
 さわりを押さえる方法を覚えたんだけども、お前らには無理だろうから。
 必ずそうしてくれよ」と、病みついても冗談ばかりだったのに、
いつになく真剣な顔でそう言った。父の葬式が済んでやっと落ち着いた頃に、
骨董屋を呼んで処分を任せたが、たしかにいくらにもならなかった。

押し入れには父の言っていたとおり風呂敷包みがあり、中には煙草の根付けやら
べっこうの櫛やら時代がかった小物がいくつか入っていた。
念のためにと思って骨董屋にそれも見せると、骨董屋は少し首をかしげ
「はああ、故人もかなりこの趣味がこうじとったようですわな。
 よくわかってらっしゃった。これらはうちでも扱えまへんから、
 言われたようにお寺さんに任せるがよろしいでしょ」と言った。

俺は初七日のおりに、坊さんに事情を話してお寺に持って行ってもらったが、
一つ赤いサンゴ玉らしい煙草の根付けを風呂敷から抜いて、ポケットに入れてしまった。
そのときにどうしてそんな気持ちになったのかは、今でもわからない。
後で宝石店にでも持って行こうと思ったのか。
・・・そのサンゴ玉は仏間の金庫に入れておいた。次の日からがたいへんだった。

長く忌引きをもらっていた会社に出勤したものの、机の上は仕事の山。
そして午後、会社に小学校から電話が入り、
6年生の長男が校庭のブランコから落ちて
下あごを骨折したという連絡があった。すぐさま病院に駆けつけたが、
医者に命に別状はないものの大きな手術が必要だと言われた。

やっとのことで家に戻ったその夜、寝室にいると下の3年生の娘が、
血相を変えて飛び込んできた。仏間に女の人がいる、と言う。
トイレに行こうとして二階から降りてきたときに物音がしたので、
仏間を覗くと着物姿の昔の女の人がぼうっと白く光りながら立っていた、というのだ。
いっしょに仏間を見にいこうとしたが、娘は怖がって妻にしがみついて離れない。

そこで一人で見に行くことにした。と言っても、二間ほど離れた家の中なのだが。
仏間に入るとすぐに、ものすごく生臭いにおいを感じた。
蛍光灯をつけるとむろん誰もいなかったが、畳の上に、
なぜか金庫に入れたはずの赤いサンゴ玉が落ちていた。
それはまるで血のしずくのようにも見えた。拾い上げて金庫にしまおうとしたら、
てのひらの中でその玉がうきゅきゅっと動いたように感じた。
その朝方、娘が40度の熱を出して叫びだし、
痙攣を起こして救急車を呼ぶ騒ぎになった。

父の死に続いて、子供二人が入院するはめになり、
妻もかなりまいってしまったようだった。
長男と同じ病院に娘をうつしてもらい、内科と整形外科での治療となったが、
介護のために妻はパートをやめざるをえなかった。
その後は悪いことばかりが続いた。欠勤が続いて俺は会社に迷惑をかけ、
たまに出勤した日には大きなミスをした。

・・・そして娘は父の四十九日の日に死んだ。原因不明の熱病だった。
娘が死んだ夜、一人で自宅に戻り玄関の鍵を開けると、
真っ暗な中に和服の女が上がり口に立っていた。昔の遊女のような姿だった。
女は顔をあげてこちらを見つめ「あなたのお父様にはおさえられておりましたが、
 これでどうやらのぞみを果たせました」というようなことを言った。
耳で聞いたのではなく、頭の中に響いてきた。

そして手から何かを落として消えた。俺は呆然としていたが、
明かりをつけて見るとそれは金庫の中にあるはずのサンゴ玉で、
鮮やかな赤い色だったものが色が濃くなって、
ほとんどどす黒いといえる色に変わっていた。


で、書き終わってから「なんかダメだなあ」と思ったものの、
投稿してしまったんですね。これ、いろいろと拙いところがあるんですが、
一番はやはり、そんな危険なものなら、
病気になっても父親が処分すべきだったってところですね。

それと、骨董品に執着してとり憑かれてしまう怖ろしさも出ていない。
最後に子どもが死んでしまったのも唐突な感があります。
そこで、もっとコミカルに、骨董に憑かれるとはどういうことかを表現しようと
書き変えたのが下のリンクの話です。

「骨董」

同じような小道具を使って話をこしらえていますが、雰囲気はかなり違います。
書き直した話のほうが「骨董」そのものが中心になっていて、
自分ではできがいいと思いました。こんな感じで、
一度書いたものを書き直すことは、ごくたまにですがあります。





世界の怪談、日本の怪談

2018.08.03 (Fri)


今回は怪談論のカテゴリに入る内容です。当ブログは「怪談」「怖い話」を
書くことをメインにしてるんですが、日本だと「怪談」と「怖い話」は、
ほとんど同じ意味で使われてますよね。「怪談≒怖い話」 
という図式があると言ってもいいと思うんですが、海外だとちょっと違うんです。

「怪談」は、英語にすると「ghost story」と訳される場合が多いんですが、
「scary story」あるいは「ghost experiences」
「paranormal experiences (超常体験)」とされることもあります。
ただこれ、自分は日本の「怪談」にぴったりあてはまる
英語の言葉はないんじゃないかと考えてます。

下のリンクは、自分がよく見ている海外の怪談投稿サイトで、
「Your Ghost Stories」と言います。怪談は、その中の「Real Ghost Stories」
という小テーマの中に収められているんですが、
なんと投稿された話の数が、現在18143話にもなります。
世界最大の怪談投稿サイトなんじゃないかな。

「Your Ghost Stories」

また、投稿者が住んでいる国も約150ヶ国。アメリカのサイトなので、
アメリカ国内のものが圧倒的に多いんですが、
中には、ココス諸島とかオランダ領アンティル諸島とか、
どこにあるのかよくわからない場所からのものもあります。
あと、イスラム圏からの投稿もありますね。

日本からの投稿も33話 載ってるんですが、
読んでみると、日本人が投稿したものは少なく、
旅行や出張、移住で日本に来ている外国人が書いたのが多いです。
まあそうですよね。日本人が海外サイトに英語で怪談話を書くのは
やはりハードルが高いでしょう。

で、自分がヒマなとき、ちらほらこのサイトの話を読んでると、
「日本の怪談とはずいぶん違うなあ」といつも思います。
主な相違点は2つあるのかな。具体的にどこが違うかというと、
海外の怪談ってこんな感じなんです。

「2014年7月28日、私は仕事の関係で、ヴァージニア州リッチモンドにある
ビジネスホテルに宿泊していた。そろそろ寝ようかと時計を見ると11:28。
そのとき私は、部屋にある間接照明のほうに何か違和感を感じた。
よく見ると、床から60cmほど上の空中に、人の頭が浮かんでいたのだ・・・」

おわかりでしょうか。日本の怪談は、いつどこで起きたことかが明らかでない
場合が多いんですが、このサイトの話は、体験した場所と日時がはっきり
書かれたものがほとんどです。また、どんなものを見たかについても
くわしく描写されています。つまり、客観的な「体験の報告」なんです。



まずそこが一番違います。2つ目は、投稿者には、基本的に、
読む人を怖がらせようとする意図はないことです。
そもそも、投稿者本人が、まったく怖がってない場合も多々あります。
ことさら文章に凝ったりもしてはいません。
自分が体験したことを、たんたんと記述してく形のものが多いんです。
じゃあ、英語圏には「怖い話」はないのか。

これはもちろんあります。ただ、そういうのは怪談とは別なんですね。
ホラー(horror story)あるいは都市伝説ということになるんでしょう。
最初から人を怖がらせる意図で作られ、読む側が、
エンターテイメントとしての恐怖を楽しむための話。

ですから、日本では「怪談≒怖い話」という図式が成り立ちますが、
海外では「怪談≠怖い話」になるんです。
じゃあ、どうしてこんなことが起きてるのかというと、海外では、
幽霊が必ずしも怖いものとは思われていないこともありますが、
最大の要因は、日本の怪談の歴史的な立ち位置にあるんだと思います。



現代の日本人はあまり意識していないでしょうが、
江戸時代には怪談が隆盛し、歌舞伎、浄瑠璃、落語など、当時の大衆文化で
「怖がるためのエンタメ怪談」が盛んに作られました。
その歴史が、しらずしらず、連綿と現在にまで受け継がれてきている。

日本での怪談の評価は「怖いか、怖くないか」によって決まることが多いですよね。
「うわー怖い」というのが最高のほめ言葉になるのは、
上記のような歴史的経緯からでしょう。これが海外の場合、
よい評価は、「詳細な報告で興味深かった」みたいな感じになります。

さらに日本の場合、怪談には「創作臭い」という、よくない評価もありますよね。
「こんなことあるわけないだろ」などと言われたりもします。
日本の怪談では、実際にありそうな話で、なおかつ怖いという、
かなり難しい要件が求められているんです。

さてさて、当ブログの話は、最初から創作であることを明示しています。
それは、一つには、日本の怪談が内包する上記のような図式から逃れようとする
意図があるんですね。だって、実際にありそうで、なおかつ怖い話なんて、
数話も書けば行き詰まってしまいますから。リアルな犯罪の話なら書けますが、
それは「怪談」とは言えないですし。では、今回はこのへんで。







ポーのベスト

2018.06.17 (Sun)
今回はこのお題でいきます。自分が好きなポーの作品を並べてみますね。
もちろんこれには異論があるかと思います。
さて、ポーは19世紀初頭に生まれたアメリカの詩人。小説家で、
優れた恐怖小説の短編をたくさん書き残しています。

他には、ナンセンス小説、それと推理小説の元になったといわれる作品群、
あと、冒険小説もあります。ポーというと、
恐怖小説を中心に論評されることが多いんですが、
じつは、かなり幅広いジャンルにまたがる話を書いてるんですよね。

エドガー・アラン・ポー


生前は、作品はそれなりに売れていましたが、アルコール中毒気味で、
つねに飲酒上のトラブルを起こして職を転々とし、
貧困のうちに、40歳で謎めいた死を遂げます。作品群が評価されたのは、
まずヨーロッパにおいてであり、本国アメリカでその名が知られる
ようになったのは、死後100年以上たってからのことです。

ベスト1、いろいろ迷いましたが、第一位にはゴシック恐怖小説の
『アッシャー家の崩壊』をあげたいと思います。
旧友アッシャーが妹と二人で住む屋敷に招かれた語り手が、
その館でさまざまな恐怖を体験するという筋立てで、
現代の「館もの」と呼ばれる怪奇小説の元祖的な作品です。

『アッシャー家の崩壊』
bb (2)

ポーの作品には、2つの大きなモチーフがあるとよく言われます。
一つは「早すぎた埋葬」、生きながら埋葬された人物、
あるいは埋葬後によみがえった人物をあつかった内容です。
もう一つは「美女再生」、若く美しいまま亡くなった女性が、さまざまな形をとって
この世に戻ってくる話。『アッシャー家の崩壊』には、この2つともが含まれています。

ベスト2、『メエルシュトレエムに呑まれて』科学恐怖小説と言えばいいでしょうか。
ノルウエーの沖にとつじょ現れる巨大な大渦、その名前が「メエルシュトレエム」です。
兄とともにその中に船から投げ出された主人公は、渦に翻弄されながらも、
冷静に渦の性質を観察し、その結果、兄は飲み込まれて死亡し自分は助かる。

『メエルシュトレエムに呑まれて』


これをSFの元祖という人もいますが、現在、一般的に考えられるSFとはだいぶ違います。
主人公は、科学的な知識によって助かるわけですが、
自分がはじめて読んだとき、ははあ、こういう内容も小説になるんだなあ、
と感心したのを覚えています。死の恐怖が迫ってきて、かなり恐い作品でもあります。

ベスト3、『赤死病の仮面』これは現実感の薄い、寓話あるいは散文詩のような作品です。
ある国で「赤死病」という疫病が広まり、人々は体中から血を流して死んでゆく。
感染を怖れた王は、貴族たちとともに城に立てこもり、出入り口を封鎖する。
その中で、王たちは享楽的な生活にふけり、
ある日、仮面舞踏会を開くことを思いつくが・・・

『赤死病の仮面』
ll (1)

この設定、どっかで見たことがあるような気がしませんか。
感染者から逃れるために、ある場所に複数人で立てこもるという筋は、
『ドーン・オブ・ザ・デッド』など、現代の映画のゾンビもので定番ですよね。
ちなみに、奇妙な味のショートショートの名手、阿刀田高氏のポーのベストが、
この『赤死病の仮面』と著書に書かれていました。

ベスト4、『モルグ街の殺人』、アマチュア探偵、オーギュスト・デュパンが登場する
推理小説の元祖と言われる作品です。パリのモルグ街のアパートメントの4階で、
二人暮らしの母娘が惨殺された事件を、デュパンと語り手である「私」が、
独自の捜査をして解いていく話で、ポーの理知的な面がよく表れています。

『モルグ街の殺人』
ll (2)

この、私とデュパンのコンビが、後のシャーロック・ホームズとワトソンの
組み合わせに大きな影響を与えたのは有名な話で、デュパンは、
史上はじめて登場した名探偵なんですね。結末は、犯人が人間ではないので、
現代の感覚からすればアンフェアと言われそうですが、
ポーが重点を置いているのは、謎を解く過程です。

ベスト5、『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』
短編作家であったポーの、唯一の長編と言われますが、実際の長さは中編くらいです。
主人公のピムは、密航した捕鯨船で船員の反乱が起こり、さらに嵐に遭遇して漂流、
生き残ったピムらは南極探検に向かうジェイン号に救助されるが・・・

『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』
bb (1)

これ海洋冒険小説ですね。当時、未知の世界であった南極に向かうにつれ、
都市伝説の「ニンゲン」のような、得体のしれない不可思議な白いものに
対する恐怖が高まっていきます。後の、H・P・ラブクラフトの作品のような趣もあります。
そして、謎の正体がはっきりしないまま、話は唐突に終わってしまうんです。

ベスト6、『黒猫』スタンダードなゴシック恐怖小説です。
西洋では不吉とされた黒猫を中心に、恐怖を高める小道具が全編にちりばめられ、
主人公の精神が崩壊していく様子が描かれます。
ひじょうに構成の巧みな話でもあります。

ベスト7、『振子と陥穽』ポーが描くところの恐怖は
心理的なものが多いんですが、これはリアルで感覚的な恐怖が出てくる作品で、
トレドでの異端審問にかけられた主人公は、地下の部屋に閉じ込められ、
落とし穴や、先端に鎌がついた巨大な振り子に襲われますが、
知恵をしぼって逃げのびる・・・映画の『ソウ』のシリーズのようでもあります。

さてさて、ベスト10までいきませんでしたが、長くなったのでここらで
終わりにします。こうしてみると、ポーの作品には、現代の恐怖小説や映画に見られる
要素がたくさん含まれていることがわかります。また、詩的な部分と知的な部分が
ほどよく入り混じっていて、そこが魅力の一つではないかと自分は考えています。
では、今回はこのへんで。






「怖い童話」について

2018.04.20 (Fri)


今回はこういうお題でいきますが、どれだけのことが書けるか、
あまり自信ないです。スルー推奨かもしれません。
さて、桐生操氏の『本当は恐ろしいグリム童話』など、西洋の童話の怖さに
焦点をあてた本が発刊され、童話の持つ怖さというのが知れ渡ってきました。
当ブログの裏テーマには、「恐怖の研究」があるので、
ここはさけて通るわけにはいきません。

たしかに、有名どころの「シンデレラ(灰かぶり姫)」なんかでも
怖いですよね。みなさん知っていると思うので、ここで詳しい筋は書きませんが、
物語の後半、王子が忘れられたガラスの靴の持ち主を探す段で、
シンデレラの義理の姉たちは、ガラスの靴に無理やり合わせようとして、
足の爪先や踵を切り落とします。ですが、靴下に血がにじんでバレてしまう。

さらに、シンデレラと王子の婚礼につき添った姉たちは、
鳩につつかれて目玉をくり抜かれてしまうんですね。ちなみに、
シンデレラの靴は、もともとはリスの毛皮(vair ヴェール 仏語)製
であったのが、転訛してガラス(verre ヴェール)になったという説があります。

ただ、元からガラスだったという説もあって、決着はついていません。
これ以外にも「白雪姫」や「ヘンゼルとグレーテル」なんかも怖い内容です。
では、どうして怖いのかというと、まず、もともとの話は「童話」ではなく
「民話 フォークロア」だったということがあげられるでしょう。

民話から、子ども向けの童話になる段階で、かなり毒が抜かれています。
グリム兄弟は、聞き書きで採集した民話をそのまま本にするのではなく、
性的な描写を取りのぞき、残酷な部分をおさえ、あと、実の母親を
継母に変えるなどして、内容を子ども向けに改変しました。

民話は、日本のものも怖いし、性的な部分も多いですよね。瓜子姫は、
あまのじゃくに裸にむかれて吊るされ、殺されてしまうバージョンがありますし、
カチカチ山では、爺が狸にだまされて「ばんば汁(婆を料理した汁)」
を食べさせられてしまいます。これをモチーフにした、曽野綾子氏の
『暗く長い冬』という恐怖小説の傑作があります。



また、柳田國男の『遠野物語』では、年寄りを山に追いやる「姥捨て」の話が
出てきますし、馬と娘が結婚する話なんかもあります。
娘の父親が怒って馬を殺し、その首を切ると、
馬の首は空に飛んでオシラサマになる。じゃあ、なんで民話は怖いんでしょうか?
いちおう三つの解答を用意してみました。

まず、一つには口承伝承であるということが大きいでしょう。
文字で書かれた原典がなく、口から口へと伝わってきた物語であるという点です。
つまり、話す人が自由に筋や細部を変えることができるわけです。
こうした場合、話の内容はどんどん過激になっていきやすいんですね。

識字率が低かった中世のヨーロッパで、物語のタネが、長い年月、
親から子へと伝えられていくうちに、極端な内容に変わっていく。
主人公の貧しい田舎娘は、王子に見初められて王妃になり、
悪役の継母などは、手ひどい罰を受けて苦しんだあげくに殺されてしまう。
そのほうが、語る側にも聞く側にもカタルシスが大きいからです。

二つ目としては、当時のヨーロッパを精神的に支配していた
キリスト教のらち外の話である、という点です。
厳しい戒律と道徳で信者を縛りつけるキリスト教の教えと教会の権威は、
民衆にとっては窮屈な面もあったんですね。しかし、魔女や魔法が登場する
民話の中では、自由に想像の羽を伸ばすことができます。

そこで、聖書の物語とは違った、残酷で卑猥な内容が盛り込まれて
いったんだと思います。押さえつけられていた土俗的な感情が、
民話の中では開放されているんでしょう。そういう意味では、
民話の研究というのは精神史的にも重要だと考えます。

三つ目として、昔は、死や血が身近なものであったことがあげられるでしょう。
これはヨーロッパでも日本でもそうでしたが、乳幼児の死亡率は高く、
10人の兄弟姉妹がいても、半数以上が子どものうちに死んでしまう
なんてことが珍しくはなかったんですね。

焼かれるペスト死者


ちょっと疫病の流行があれば、村人がバタバタ倒れ、
血膿にまみれて死んでいく。死体は山積みにされて焼かれる。
子どもを売る、間引きをする、そういうことが普通にある時代。
さらに、今のように肉がパック詰めされてスーパーで売られている
わけではなく、家族で動物を殺し、皮をはいで血を絞る・・・
民話は、そういう中でできていった物語なわけです。

さてさて、民話はなぜ怖いのかについて考えてきました。現代で生まれる
都市伝説(アーバン・フォークロア)なんかも、「テケテケ」とか
「カシマさん」とか、残酷で怖いものが多いですよね。時代が変わっても、
共通する点もあるんだと思います。ということで、今回はこのへんで。