ホラー小説と怪談(怖い話)

2017.12.23 (Sat)
今回はこのお題で。どんな違いがあるのか、あらためて考えてみようと思います。

・フィクションかどうか
ホラー小説は、中には「実話を元にした」なんて惹句がついている場合も
ありますが、基本的にはフィクション、創作です。

これに対し、怪談は「本当にあった話」というのが大前提です。
これ、かなり重要なことで、怪談を掲示板などに投稿する場合、
最初に「創作だ」と明言すると、「じゃ読まない」 「嘘話はいらない」
みたいな反応が返ってくることが多いんです。
ちなみに、自分がこのブログで書いているのは実話風の創作怪談ですので、
ホラー小説、実話怪談のどちらにもあてはまりません。

・人称や文体
怪談というのは体験談ですから、一人称による語りがほとんどですね。
また、プロの先生方が書かれている、竹書房などから出ている実話怪談の場合は、
体験者から取材して書いたという形が多いです。で、どちらの場合でも、
体験者は怪異から生きのびてその話をしているわけですから、
もし人が亡くなったりするような内容なら、
それは体験者以外の人物ということになります。
あと、敬体の「です・ます調」で書かれることもあまりありません。

ホラー小説の場合は、一人称でも三人称でもどちらでもかまわないですし、
二人称でも手紙や日記形式などでも書くことができます。
結末が「そこで僕の意識は途切れていった・・・」で終わっても問題ありません。
また、途中で語り手を変えることもできます。

・長さ
ホラー小説は、長編、中編、短編、ショートショートといろんな長さに設定できます。

怪談の場合は短いものがほとんどですね。
中には2ちゃんねるで有名になった「リゾートバイト」みたいな
かなりの長さの話もありますが、よほど興味を引きつけるような内容でないと、
普通は読んでもらえません。自分が掲示板に投稿した「青いテント」程度の分量でも、
「長い」と言われてしまうことが多いんです。

・情景描写・心理描写
これもホラー小説なら自在に書くことができますね。
情景描写・心理描写が巧みに挿入されたホラーは怖いです。

これに対し、怪談の場合は情景描写で、例えば、
「街灯に照らされたポプラの木が、歩道に不気味な影を落としていた」
などと書くと、「小説ならよそでやれ」と怒られてしまいます。
ですから、話のネタ(素材)で勝負するしかないわけですが、これが難しいんです。
また怪談の場合、人物の心理を長々と書くことも好まれません。

・伏線等
ホラー小説の場合は巧妙に伏線が張り巡らされているものが多いです。
当ブログでも、シャーリー・ジャクスンの『くじ』を分析したりしてますが、
一読しただけでは気がつかないような伏線が、あちこちに埋め込まれています。

関連記事 『「くじ」を読む』

ところが怪談の場合、伏線はどんなにさり気なく入れたとしても、
「あざとい」ととられてしまいます。とにかく、ストレートなというか、
別な言い方をすれば、稚拙な書き方のほうが好まれるんです。

・方言等
ホラー小説の場合は、方言なども雰囲気を盛り上げるための重要な要素です。
岩井志麻子氏の短編『ぼっけえ、きょうてえ』は、
岡山弁が作品を成り立たせる上で重要な役割を果たしていたと思います。

怪談の場合は、方言をそのまま書くと「読みにくい」
「共通語に直して書けよ」と言われてしまいます。
また「わしはそう思うんじゃ」みたいな年寄り言葉、女言葉なども嫌われます。

・会話文
ホラー小説の場合は「」の会話文を続けて話を進めていっても問題ありません。

怪談の場合は、「」が続くと、「話した内容をそんなに詳しく覚えているわけないだろ」
みたいな批判が来てしまいます。かといって、会話を地の文に埋めて書くと、
文章が長くなってしまうんですよね。このあたりも難しいところだなあと思います。

・物語の構成
ホラー小説は、ある程度、起承転結を意識して書かれたものが多いです。
また、結末にオチ(収束)があるものがほとんどで、
作品中に出てくる謎も、ミステリーほどではないにしろ、だいたいは解決されます。

怪談の場合は、構成がゆがんでいても、それがかえって怖さを増したりします。
結末も、何のオチもなく投げ出すように終わってもいいんですね。
謎が解決されないまま残ってしまってもかまいません。
「実話」なので、語り手にはどうしても知りえない部分というのがあるわけです。

○まとめ
ホラー小説は、上記のように様々な面で自由度が高いです。
もちろん、だからといって簡単なわけではありません。
フィクションであることを前提にしつつ、読者を怖がらせなくてはならないわけですから、
たいへん高度な技術が要求されます。
細部を作り込むために書くのに時間もかかります。

怪談は、とにかく「創作臭」が嫌われます。
体験したことをそのまま伝える報告文みたいに書かなくてはなりません。
そのために様々な制約があり、文章のテクニックで怖がらせるというのは、
まずできないと考えたほうがいいと思います。話のネタがすべてなんですね。

さて最後に、自分が書いている創作怪談ですが、ホラー小説と怪談のいいとこ取りを
できないかと考えて始めたものの、イソップ物語のコウモリのように、
どっちつかずの中途半端なものになってしまっているケースも多いようです。
うーん、難しい。










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幽霊の出し方、見え方

2017.11.27 (Mon)
今日はあまり時間がなく、短めの怪談論で。
自分の書く話で、幽霊が実際に出てくる場面ってほとんどないんですね。
なんでかというと、一つには、
どういう形で幽霊を出せばいいかよくわからないからです。
幽霊の目撃談はいろいろあって、幽霊の姿というのも決まった形はないようです。

ネットから拾ってみると、
・生きている人と変わらずはっきり見える。
・青白く見える。
・カラーで透けている。
・青白くて透けている。
・部分だけ見える。(腕・顔・首・足だけ・・・)
・白い霧状に見える。(丸い・人型など)
・ピンぼけやブレた画像のように見える。
・黒い影のように見える。
・そのときは はっきり見えてた気がするが、後になるとよく思い出せない。
・何かがいるという気配だけが感じ取れる。

こんな感じで、見る人ごとにバラバラで、きちんとした法則はないように思えます。
これが困るんですよね。もし江戸時代の幽霊だったら、
白い経帷子を着せ、手をだらんと下げ、足がないように描けばいいんでしょうが、
現代ではそうもいきません。

ということで、なるべく出さない方向で書いてるんです。
ですから、自分の「青いテント」という話でも、
主人公は幽霊の姿をはっきり目撃はしていません。
見たのは、テントの内部にいて外に向けてつっぱっている黒い手の影だけです。

「・・・するとテント内に明かりがつきました。
そしてまだらになったテント内から、
二つのてのひらが黒く浮かびあがりました。
テント内の人が私のほうに向かって手を突っ張っているのです。
私は一瞬気が遠くなりかけましたが、
急いで反対側から外に出て横に回り込み、
持っていた懐中電灯でそのテントを照らしました。
そのテントの中のものはあちこち手探りをしていましたが、
ジッパーを開けて外に出ようとしています。
私は後ろも見ずに沢に入り膝までぬらして駆け下りました。」
 
関連記事 『青いテント』

もう一つの理由として、幽霊をはっきり出す怪談が、
はたして怖いかどうか疑問だからです。
例えば、心霊スポットに行った人が、
血まみれで長い髪の女の幽霊に追いかけられてあちこち逃げ回る・・・
そういうのが怪談として上等だとはあんまり思えないんですよね。
むしろギャグみたいになってしまうんじゃないかという気がします。

ですから、最初から幽霊はできるだけ出さない方向で話を作っているんです。
「ミキちゃんの人形」という話もありますが、
これでも、幽霊が出るのは最後のほうで墓の後ろから立ち上がる一瞬だけです。
しかも主人公は、自分が心の中でつくり出した幻覚じゃないかと疑ってる。
それくらいがちょうどいいんじゃないかと思ってます。

「ふっと陽がかげってセミの鳴き声が止み、
その苔むした自然石の墓の陰から黒い小さな影が立ち上がった。
そして「お兄ちゃんがんばれ」と小さな声で言った。
いや、小さな声が聞こえたような気がしただけ、
黒い影を見たような気がしただけ、
すべては俺が心の中でつくり出した幻覚だったと思う。」

関連記事 『ミキちゃんの人形』

映画の場合だと、『女優霊』みたいに幽霊の姿がぼんやりしてるものもあれば、
『リング』の貞子、『呪怨』の伽椰子みたいにはっきりしているものもあります。
ただ、映像がそのまま目に飛び込んでくる映画と、
文字でしか描写できない怪談話とではやはり違いがあるという気がします。

映画だったら、特殊メイクや ぎこちない動き、
天井から急に下がってくるなどのショッキングな出し方、効果音などで、
いくらでも怖くすることができるでしょう。
ところが、怪談話ではそうはいきません。

ですので、幽霊を怖くすることを主眼にせず、
幽霊が出るまでの段取りをしっかり作ることを重視して話を書くようにしています。
不吉で不気味な雰囲気を少しずつ盛り上げていって、
幽霊は話のキモとなる部分でちらっと出てくる・・・
そういうのがいい怪談じゃないかと思うんです。











朗読される自分の話

2017.11.17 (Fri)
今日は時間がないので、手抜き企画です。自分が書いている怖い話の前半のほうは、
巨大掲示板「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」に名無しで投稿したものです。
ですから、あちこちのまとめサイトに転載されているものが多く、
また、いろんな人が朗読をして、youtubeなどに動画をあげています。
ま、そのことについて文句を言うつもりはありません。
2ちゃんねるに投稿した時点で著作権は放棄していますし、
自分としては、誰でも気軽に利用できるところに、
ネット・コンテンツのよさがあるとも思っています。
怖い話のほうでも、あちこちで紹介されて広まっていくのは本望だろうと思いますしね。

■青いテント



上手な朗読だと思います。この話の主人公は女性なので、
女性の方に朗読してもらえてよかったです。

■クラス替えアンケート



これ、けっこう複雑な内容の話なので、朗読で意味がうまく伝わるか、
ちょっと心配でしたが、ゆっくり読んでくれているので わかりやすいですね。
BGMも効果的に入っていると思いました。

■蛇田



これは男性の朗読なんですが、再生回数が1万4千を超えてるんですね。
これだけ多くの人に聞いてもらえば、話もよろこんでるだろうと思います。
(この話の続編です) 関連記事 『蛇田2』

■土用坊主
字が小さいのでyoutubeで見ることをお勧めします。


自分のカテゴリでは「黒民話」に入る話です。
朗読ではなくスクロールで文章が出てくる形になっています。
この話は自分の中では上手く書けたと思っているので、もっと広まってほしいです。









げんなり

2017.11.02 (Thu)
※ 怖い話ではありません。

何が「げんなり」かというと、
現実世界でまた恐ろしい事件が起きてしまったからです。
これって怪談作家の書く意欲を失わせるんですよ。
プロの先生方はどうかわかりませんが、自分なんかは確実にそうです。
もう何のことを書いてるかおわかりいただけたと思います。

座間での連続殺人事件(現在のところまだ死体遺棄事件)です。
それにしても怖いですね、9人ですか。2ヶ月で9人なら週一のペースです。
ホラー映画でも、犠牲者9人は多いほうです。
しかも解体した死体といっしょに暮らしていたということなんですよね・・・
(被害者の方々のご冥福をお祈りします)

それにしても神奈川は最近、怖い事件が続きますね。
大口病院の点滴殺人事件がそうでした。
これ、被害者は2名ということになっていますが、
実際のところ、どのくらいあるかわかんないくらい闇の深いものですよね。
あと相模原市の障害者施設19人殺人事件も。

ま、当ブログは政治・経済・社会に関する話は、
基本的には扱わないことにしていますので、これ以上の論評はさけますが、
こういうことがあると、心霊スポットがーとか、
呪いがーとか、怖い話をちまちま書いているのが馬鹿らしくなってくるんです。
ほら、みなさんも口から出かかっているでしょう。
「幽霊よりも生きた人間のほうが怖い」って言葉。

それはそうなんです。まず「幽霊の話=フィクションとして楽しむ」
という暗黙の了解がある上に、怪談の多くは一種の約束事に則って書かれています。
ところが現実世界はなんでもありで、
タガの外れた人間は何をしでかすかわからないんですね。
とはいえ、同じく「恐怖」に関することであるのは変わりないので、
その点は比較されてもしかたないわけです。
ですから、どうしても「げんなり感」を覚えてしまうんです。

あと、「事実は小説より奇なり」という言葉もありますが、
これもほんとにそうだと思いますよ。
例えば、怪談とは対極にあるような恋愛小説なんかでも、
三角関係以上のことはなかなか書きにくいと思います。
でも、大学のサークルなんかの限定されたシチュエーションの中では、
五角とか六角関係ができていたなんてことも実際にあります。
あと、小説ではまず考えられないような2人がくっついたりとか。

政治小説とか企業小説、国際的スパイ小説などでも、
現実のほうが複雑で数奇だったというのは珍しくありません。
これ、小説だと、どうしても作者が考えた落ちというか大団円に向かって
話が進んでいくのに対して、現実のほうは偶然が重なり合い、
しかも人間の感情というのは揺れ動くものですから、
ときとして思わぬ行動を衝動的にとったりして、
しっちゃかめっちゃかになって収拾がつかないことが多いんです。

歴史上の大事件を詳細に調べてみると、これはよくわかります。
事件の関係者は、作者の意のままに動く将棋のコマではないので、
衝動にまかせて、明らかに自分にとって損な行動をあえてやったり、
それまでの感情と正反対のことをしてみたり、
もしこれが小説なら、とても読者を納得させられないだろうな、
ということがいくつも起きていて、全容を解明するのがたいへんに難しい。
でも、それが現実というものなんですね。

・・・とまあ、以上のことは愚痴です。
ここでちょっと偉そうなことを言わせていただきますが、
フィクションを書く者は、フィクションとしての面白さを大切にしながらも、
つねに現実に学び、現実と対峙していかなければならないと思います。
でないと書くことに深みが出ないんですよね。
ということで、今回はこのへんで。








魚のオカルトホラー

2017.10.29 (Sun)


うーん、これは難しいお題です。映画だといろいろありますが、
小説ではなかなか・・・
上田秋成の『雨月物語』の中に「夢応の鯉魚」というのがありました。
ある魚の絵が上手い僧侶が重い病気になり死んでしまったが、
胸のあたりがまだ暖かいので、弟子たちは埋葬せずそのままにしておいた。
その間、僧は夢の中で鯉になりあちこちと泳ぎ回るが、
最後に檀家の一人に釣られてしまい料理される。
ここで僧は生き返り、檀家の家に使いを出して「鯉料理を食べているだろう」
と聞くと、そのとおりだった・・・こんなお話です。

この作品では、鯉になった僧が近江八景から琵琶湖などを巡る描写が素晴らしく、
三島由紀夫から激賞されていますね。
まあ怖い話ではないですが、不思議な話ではあります。
もしかしたら中国に元ネタがあるのかもしれません。

あと、そうですねえ・・・第16回日本ホラー小説大賞の受賞作、
宮ノ川顕氏の「化身」なんかも魚の話と言えるかもしれません。
南の島を一人で訪ねた主人公が、絶対に脱出不可能な穴の底の泉に落ち、
体がだんだんに異形のものに変化していく。ありえない設定ですが、
文章の上手さで最後まで読ませるタイプの作品でした。
でもこれ、「夢応の鯉魚」もそうですが、変身の物語の要素のほうが強いですね。

魚と人間の中間的なもの?と言えば「人魚」ですが、
日本でも西洋でも、ふつうは上半身が人間で下半身が魚になっています。
人魚はUMAとしても分類することができ、日本では『日本書紀』に、
7世紀の捕獲例が載っているので、昔から知られていたものなんですね。

「八百比丘尼伝説」が有名です。これは、ある男が見知らぬ人の家に招待され、
人魚の肉を出されるが、気味悪がって食べずに家に持ち帰る。
それを知らずに男の娘が食べてしまい、それからは歳をとらなくなった。
何度も結婚したが夫はみな先に死んでしまい、知り合いもいなくなったので、
尼となって全国を放浪し、各地に木を植えて回った。
やがて800歳になったとき、若狭の地にたどりついてそこで亡くなった。

こんな話でしたが、これは仏教説話の一種ですね。
長生きしても永遠に近い生命を得られても、
それで楽しい人生が送られるわけではない。この世は虚しいものなのだ・・・
ということを知らしめるためにできたものではないでしょうか。
あと、人魚のミイラというのが各地に残っており、
猿と鯉や鮭などの体を組み合わせたもので、これをつくる専門の職人がおり、
江戸時代にはヨーロッパなどに輸出されていました。
西洋の博物館などにある人魚のミイラは日本産のものが多いんです。

人魚をテーマとした話としては、西洋では「ローレライ」の伝説とか、
アンデルセンの『人魚姫』などがあります。人魚姫は悲しい結末を迎えますが、
日本の小川未明の『赤い蝋燭と人魚』も怖くて悲しいお話でした。

さて、マンガだと楳図かずお氏に『怪獣ギョー』というのがあり、
小さい頃に海で不気味な魚を見つけた少年は、魚と友達になりギョーと名づけるが、
大人に見つかってギョーはいなくなってしまう。
大人になった少年は原子力発電所の所長になるが、原発に事故が起こり、
もうどうしようもないというとき、海から巨大化したギョーが現れ、
原発を海に引きずり込んでくれる。
あと、伊藤潤二氏に『ギョ』という作品があって、
これは歩行する魚によって日本が壊滅するパニックホラーでした。

映画だとたくさんありますね。特に「サメもの」が一つのジャンルになっています。
『ジョーズ』『ディープ・ブルー』最近の『ロスト・バケーション』
なんかが有名ですが、数えれば50作以上はつくられていると思います。
『ジョーズ』では、サメは荒々しい自然の象徴として描かれていますが、
このもともとの発想は、ハーマン・メルヴィルの原作、
グレゴリー・ペックが主演した『白鯨』からきているんでしょう。
ただ、鯨は厳密には魚ではありませんが。

さてさて、魚は水中で人間は陸上、住んでいる世界が違いますので、
恐い魚がいれば水に近づかなければいいようなもんですが、
作品として成り立たせるためには、
なんとか2つの世界を交わらせなくてはなりません。
上記の伊藤潤二作品では、魚が足を持って陸上に上がってきますし、
映画の『殺人魚フライングキラー』では、ピラニアがトビウオの羽根を持ち、
宙を飛んで人間を襲ってきます。

サメもの映画でも、『ディープ・ブルー』では水浸しになった研究室、
『ロスト・バケーション』では、主人公が取り残された小さな岩礁など、
どうしてもサメと対峙しなくてはならないシチュエーションになっていました。
『ジョーズ』でも、海水浴場として成り立っている町を守るために、
人間のほうからサメを退治しに行かなくてはならないんですね。
このあたりの工夫が一つの見所になっていると思います。