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「入らずの地」について

2018.12.08 (Sat)
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今回はこういうお題でいきます。カテゴリとしては怪談論です。
さて、怪談の一つのパターンとして「入ってはいけない場所」というのがあります。
それは、裏の山だったり、集落の外れの廃屋だったり、
神社の杜だったりするんですが、典型的な筋の流れとしては、

「子どもが、入ってはいけないとつねづね言われてる場所に入り、怖ろしい体験を
して命からがら家に戻り、家人にそのことを言うと、じいさんにしこたま
殴られた上で、寺の住職のところに連れていかれて長い加持祈祷を受け・・・」
こんな展開です。ただしこれ、怪談としてはもう使い古されてしまっているので、
今さら書くとなると、よほどの工夫が必要になってきます。

ではこの、「入ってはいけない場所」のルーツはどこにあるんでしょうか?
まず一つめに考えられるのは、その昔に、朝廷や幕府、あるいは大きな寺社の
直轄領だった土地です。これだと、そこに入ってはいけないし、
草木の一本も持ち出したら厳罰に処されてしまいます。

この他に、他の藩の飛び領地や、「入会(いりあい)地」も含まれるでしょう。
入会地というのは、村が共同で所有、管理している土地で、
主に、藁屋根を葺くための茅の採取に用いられましたが、それ以外にも、
建築用材や薪炭材、馬のマグサを刈るためにも使われていました。
これらの慣習が、江戸から明治に変わっても残っている土地ということです。

次は、神社や寺の跡地。大きな寺社でも、火災や地震などのため、
ふつうは何度か建て替えられています。その場合、やや離れた場所に新しい
社殿を建てることが多く、残った土地は忌地になることがあります。
あとは、昔から古墳ではないかと言い伝えられている場所。

前方後円墳はみなさんご存知だと思いますが、これって、
けっこう削られてなくなってしまったものがあるんです。奈良の平城京の発掘で、
都地造営のために破壊された古い古墳がたくさん見つかっています。
また、小高い前方後円墳は、戦国時代に武将の山城として使われたり、
太平洋戦争時に、高射砲台地にされたりしているケースがあるんですね。

未発見の古墳もまだあると思われます。それと、古墳よりもさらに古い時代の、
山岳信仰の磐座などがある山。奈良の「大神(おおみわ)神社」の御神体は
三輪山そのもので、3ヶ所の磐座がありますが、そのあたりは禁足地で、
詳しい調査はされていません。三輪山は有名ですが、
この手のものが各地にあってもおかしくはないと思います。(下図)

結界が張られた三輪山の磐座
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あとはそうですね、鬼門思想によるものもあるでしょう。鬼門というのは、
北東(艮=うしとら)の方角のことで、鬼が出入りするとされました。
もとは中国の陰陽五行説から来たものです。大きな神社の鬼門の方角には、
竹が植えられて竹やぶになってる場合があります。

「八幡(やわた)の藪知らず」はご存知でしょうか。
千葉県市川市八幡にある森の通称で、古くから禁足地とされており、
「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という神隠しの伝承が残っています。
地図で見るとせまい土地なんですが、密集した竹林になっていますね。(下図)

「八幡の藪知らず」
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この地の伝承としては、平将門の家臣の墓所説なんかがあるんですが、
場所的に、葛飾八幡宮と葛飾神社の間にあるので、どちらかの神社の鬼門に
あたる可能性が指摘されています。または、前述したように、
建て替えられた跡地なのかもしれません。

次は、「たくさんの人が亡くなった場所」です。戦国時代の古戦場なんかが
そうですが、少し掘れば錆びた矢尻などが出てきたりします。
そういう場所には怨念が残っていると考えられても不思議はないですよね。
現代では、殺人が起きた家やアパートの部屋が「いわくつき物件」と
されますが、そのもっと大規模なものと考えればいいでしょう。

東京の有名心霊スポットである「八王子城址」なんかが好例です。(下図)
ここは16世紀の合戦で、落城時に北条方の婦女子や武将らが滝の上流で自刃し、
次々と身を投じたと言われ、麓の村では城山川の水で米を炊けば、
赤く米が染まるほどであったと伝えられています。
その祟りが現在まで残されているとされるわけです。

「八王子城址自然公園」
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長くなってきたので最後にしますが、牛馬などの解体を生業とする被差別部落が
あった場所が忌地になるケース。「新平民」という言葉をご存知でしょうか。
江戸から明治になって、四民平等の世の中になりましたが、もと一般の農民だった
平民は、旧賤民と同列にされるのを嫌がり「新平民」という蔑称をつけました。
このために「解放令反対一揆」が起きたりしているんですね。

柳田國男
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この差別はその後も長く続き、村で「入ってはいけない場所」といった場合、
その関係であることが多かったんです。少し話は変わりますが、
明治時代に『遠野物語』を書いて民俗学を確立した柳田國男は、
民話の採集にあたって、例えば「夜這い」などの性的な風俗と、もう一つ、
農村における差別問題を徹底的に排除しました。

これは、新たな学問領域を立てるにあたり、興味本位の目で見られたり、
社会問題になるのを避けるためで、ある面でしかたがなかったのかもしれませんが、
この柳田の方針により、江戸時代以前の農村の真の実態が、
よくわからなくなってしまったという批判もあるんですよね。

さてさて、このように「入ってはいけない場所」 「忌地」 「禁足地」には、
さまざまな成因があります。それらの背景を知って怪談を書くと、
内容に深みが出たりするかもしれませんよ。
では、今回はこのへんで。

被差別部落専用の、いわゆる「穢多寺」
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よい怪談を書くために

2018.11.07 (Wed)
今回はこういうお題でいきます。カテゴリは怪談論ですね。
でねえ、こういう内容を書くと、後でいろいろ言われるんですよね。
「お前は怪談のプロでも専門家でもないだろ。何を偉そうに!」
みたいなことです。まあ、たしかにそうなので、
素人の戯れ言と思って聞いていただければ幸いです。

さて、まずはじめに「よい怪談」って何でしょうか?
これはいろいろな考え方があると思いますが、怪談を読む側から考えると、
長い夜のひととき「怖い思い、ぞっと背筋が寒くなるような思いをしたい」
という場合がほとんどなんじゃないでしょうか。

ですから、怪談は、まず怖くないとダメだと思うんですね。
それはもちろん、「心温まる、感動する怪談」とか、
「派手なアクションでスカッとする怪談」などがあってもいいと思いますし、
実際に自分もそういうのを書いてもいます。

ですが、やはり怪談の本質というものを考えると「怖いかどうか」
ということが評価の軸になるのは当然だろうと思います。
感動する話とかは、例えば、オー・ヘンリーの「最後の一葉」とか、
普通小説でいくらでもできるわけで、
怪談でなければならない必然性はないですよね。

ただ、当ブログの怪談論で何度か書きましたが、「怖い」って難しいんです。
それは、人によって「怖い」と思うツボが異なってるからです。
自分の書いた話でも、仲間内で「どれが怖かったですか?」と聞くと、
かなりバラバラの答えが返ってきますし、ある人が「すごく怖い」と言ったものが、
別の人は「ぜんぜんだった」となることも珍しくありません。

この対策は難しいというか、自分は、どうにもならないと思ってます。
恐怖という感情は、その人がどういうふうに生まれ育ってきたかと、
密接に関係があるんじゃないでしょうか。ですから、「怖い」を意識しながら、
なるべくいろんなタイプの怪談を書いてくしか、手はないような気がします。

さて、では、「よい怪談」を書くにあたって、どんなことが必要でしょうか。
まず考えられるのは「文章力」ですが、自分はこれ、
そんなに必要ないんじゃないかと思ってます。何か人に見せるものを書く場合、
それは文章力があるに こしたことはないんですが、

怪談の場合、文章がたどたどしかったりしたほうが、かえってリアリティがあって
迫力が出る場合もあります。それに、ふつう怪談では、くわしい情景描写や、
登場人物の心理描写はしないものです。そういう部分を入れると、
「創作臭い、小説じゃないんだから」と言われてしまいます。

ですからまあ、読み手が、よどみなくすらすら読める程度の文章力は必要でしょうが、
そんな高いレベルが要求されることはないと思います。
自分も、当ブログの怪談を書くにあたっては、「情景、心理描写は最小限に」
ということを心がけてるつもりです。といっても、
興に乗ってだらだらと書いてしまうこともあるんですが。

次に、「オカルト知識」はどうでしょう。これはもちろん、ないよりは
あったほうがいいに決まってます。「お坊さんにお祓いしてもらった」とか、
「神社の御本尊」とか書くと変ですよね。そこで読み手が引っかかってしまうと、
それ以上読んではもらえないかもしれません。

あと、古典にある有名な怪談や世界の都市伝説。そういうものを知っていれば
いるほど、書く内容にバラエティが出てくると思います。
自分の場合も、『今昔物語』とか、中国の『聊斎志異』なんかから
ヒントをもらって書いたものがけっこうあります。

古くから伝わっている、大勢の人に広まっている怪談というのは、
それだけ怖さのツボが押さえられたものが多いんです。
ただし、あくまでヒントをもらうだけで、完全なマネではいけません。
芥川龍之介に、「鼻」 「芋粥」など、『今昔物語』を下敷きにした短編がいくつも
ありますが、どれも独自性を持った芥川文学になってますよね。

さて、長くなってきたので最後にします。「人生経験」のようなものは
怪談に必要でしょうか。これねえ、以前は特に必要ないだろうと思ってたんですが、
最近になって少し考えが変わってきました。怪談のパターンということを考えると、
一番単純なのが、「○○を見た、体験した」というものです。

例えば、「夜道を歩いていたら血まみれの女がいて追いかけてきた」とか。
これが悪いということではありません。書き方によっては怖くなりますし、
上で書いたように、怪談は怖ければいいわけですから。ただ、最近自分は、
意識して、「語り手の人生とからんだ怖さ」みたいなのを書くようにしています。

どういうことかというと、「怖ろしい体験をすることによって人生が変わった」
また逆に、「それまでの生き方が怖ろしいものを呼び込んだ」みたいな話です。
これ、なかなか難しいんですよねえ。ですが、
それだけに挑戦のしがいがあるようにも思ってるんです。

さてさて、ということで、今回は怪談論でした。ですがこれ、
一介の素人の占い師が言ってることですから、異論もたくさんあると思います。
秋の夜長の季節になってきました。みなさんも一つ、
創作怪談に挑戦されてみてはどうでしょうか。では、このへんで。






実話怪談と創作怪談

2018.09.30 (Sun)
今回はこういうお題でいきます。怪談論に入る内容です。
昨年、作家でオカルト研究家の山口敏太郎氏が、「実話怪談という名の作り話」
というような題で、ネットや著書中に文章を書いて「創作なのに実話だという
ふれこみで本を出す怪談作者」に対しての批判を展開されていました。

「武士の情けで名前は出さないが」とまで書かれていたので、
意中に実在の人物の名前があるのだろうと思います。たしかに、
自分も、「実話怪談」と銘打たれた本の中には、
実際は作者が頭の中で創作したものも多数あるのだろうと考えています。

本来の意味での「実話怪談」というのは、大変難しいものです。
まず体験者に会って取材をしなくてはなりません。それだけで数時間かかるでしょう。
喫茶店で取材を行えば飲食代はもたなくてはならず、その他に謝礼を要求する
体験者もいるかもしれません。交通費もかかりますし、録音などの機材も必要です。

しかも、そうやって集めた話が、必ずしも発表できるものとはかぎらないんですね。
怪異体験の多くは類型的です。一番多いのは、いわゆる「虫の知らせ」系の話。
「玄関に誰かが来たような気がして出てみたが誰もいなかった。それからすぐ
電話がかかってきて、離れたところにいるお祖母ちゃんが死んだという知らせだった」

こういうものです。でもこれ、文章にして本に載せてもまったく面白くないですよね。
使えない話なわけです。実際に取材して得た話の大半はこんなもので、
読者が興味を示してくれそうなのは、数十話に一つ程度だと思います。
ですから、膨大な時間と費用をかけても、年に一冊本にまとめられればいいほうです。

それなのに、年に何冊も本を出しているのは、「自分が頭の中で組み立てた話を
実話として出版してるんだろう」というのが山口氏の批判なんですね。
これはそのとおりと言えば、そうなんですが、
自分が思うのは、「体験者から聞いた話」だからといって、
本当に起きたことかどうかはわからないだろう、ということです。

例えば「ある心霊スポットに行って2階に上がったら、花嫁衣装を着て、
狐の面をかぶった女が床に伏せていた。それ見てみんな逃げ出した。」
こういう話を取材できたとして、それが本当にあったことだと、
どうすればわかるんでしょうか。

そのときスポットに行った人全員を集めて、一人ひとりから話を聞けばいいのか。
でもそれだって、口裏を合わせてる可能性もありますよね。
ここで言われる「実話怪談」というのは、「体験者から取材した話」くらいの意味で、
そのことが本当に起きたという担保がない場合がほとんどなんです。

さて、自分は最初の頃、「自分が体験した話」という形で、
怖い話をネットに投稿していました。もちろんコテハンはつけず、
「名無し」での投稿です。コテをつけないのは、同じ人物がそんなにいくつも
体験があるわけがないだろう、と言われそうだったからです。その他にも、
話によって語り手が若かったり、老人だったり、女性だったりということもあります。

しかし、そうやっているうちにだんだん限界というか、
こうやって話を書き散らしているのがもったいない、みたいな心境になってきました。
そこで、自分の話を一ヶ所にまとめて保管しようと、当ブログを立ち上げたわけです。
そしてその機会に「全部創作だよ」とカミングアウトすることにしたんですね。
プロレスのWWEみたいなもんです。(WWEを知らない方は読み飛ばしてください)

では、ネットに最初から「創作」と明言して怖い話を投稿したらどうなるでしょう。
じつは、実験として何度かやってみたことがあるんですが、
「創作なら読まなかったのに」 「怖いと思って読んでたんだけど、最後に創作って
書いてあったのでがっかりした」 「創作を書きたいなら創作板へ行け」・・・
これらは全部、自分に実際にネットで返ってきたレスです。

やはり一般的な反応としては、「創作は読む価値なし」という感じなんですね。
でも、上で書いたように、その話が実話か創作かは、投稿者が、
「本当に自分が体験した」と言ってるだけで、実際にあったという証拠も
なにもないんです。それなのに、創作と明言しただけで排斥される。

これ、どうしてなんでしょうか。考えてみたら、「実話怪談」と「創作怪談」
では、世界観がまったく違うという事に気がつきました。
「実話怪談」の世界というのは、幽霊が本当にいる世界、
不可解なことが実際に起きる世界です。それに対し「創作怪談」は、
オカルト知識を使って、話を小手先でまとめたものでしかないんですね。

で、自分はこれを理不尽だとは思いません。オカルトというものの大部分は
「信じる」ことによって成り立っています。怪談は、書く方も読む方も、
「心霊的な現象はある」ことを共通の約束事として成立する世界なんですね。
そして、成立させるためのキーが「本当にあった」です。

さてさて、長くなってきたのでそろそろ終わりますが、じゃあどうせなら、
「創作怪談」なんて中途半端なことをしないで、本格的な「ホラー小説」を
書けばいいんじゃないか、と言われそうです。
ですが、「怖いホラー小説」を書くのはすごく難しいんです。

ネットで、本業の片手間に遊びでできるようなものじゃない気がします。
相当な時間をかけてストーリを練り、登場人物に肉づけをし、
構成や伏線を工夫して書いていく必要があります。
それは、能力的にも時間的にも自分には無理です。
ということで、今後もこの形でやっていくことになると思います。







怪談の禁じ手

2018.08.25 (Sat)
今回は怪談論でいきます。さて、当ブログをご覧いただいている中には、
ミステリに造形が深い方もおられるかもしれません。
自分は、そんなに詳しいほうではないんですが、それでもいちおう、
古典的名作と呼ばれる作品群は読んでいます。

S・S・ヴァン・ダインという、創成期の推理作家の大御所がいますよね。
名探偵ファイロ・ヴァンスの生みの親で、代表作に『グリーン家殺人事件』
などがあります。で、この人、本名で出版した推理小説論で、
「ヴァン・ダインの二十則」というのを書いてるんです。

「ヴァン・ダインの二十則」

これは、推理小説を書く上での鉄則をまとめた内容で、
「1,事件の謎を解く手がかりは、全て明白に記述されていなくてはならない。」
こんな感じで20の原則論が出されていて、まあ、どれももっともな内容です。
ただこの後、わざとこれに反するトリックを使った作品も出てきています。

それについては、ここではふれませんが、怪談においても似たような原則というのは
あると思うんですよね。じゃあ、怪談で禁じ手とされるのはどんなことでしょうか。
自分はヴァン・ダインのように頭の切れる人間ではないので、
順不同、思いつくままに書いてみたいと思います。

・すべてが夢の話
これはそもそも怪談ではなくて、夢の記録ということになるでしょう。
いくら怖くても、夢は夢です。ですから、怪談に夢が出てくる場合は、
その夢が予知夢であったとか、何らかの形で現実とリンクしていないと
読む人に納得してはもらえないでしょうね。

・現実に起きてない事件を取り入れた話
これはどういうことかというと、例えば、「道路でバスがハザードを出して、
路側帯に停車した。警察がバスを調べたところ、運転手と乗客全員が
席に座ったまま心不全で亡くなっていた」こういう書き出しで始めたとして、
でも、実際にこんな事件があれば、世間が大騒ぎになってますよね。

これは極端な例ですが、ちょっと調べれば現実に起きていないとわかる事件を、
話に取り入れるのはマズイでしょう。
もちろん、フィクションであればまったくかまわないですが、
「実話怪談」としては禁じ手になると思います。

・あまりに非現実的な怪異が出てくる話
例えば、「高速道路を100kmオーバーで走っていたら、白い着物を着た
婆さんが、車に並走してどこまでもついてきた」 都市伝説の100kmババア
のことですが、これはギャグにしかならないと思います。

・伝聞だけの話
これは絶対にダメというわけではないですが、やはり怪談というのは、
本人が体験した話という形が一番いいんじゃないかと思います。
「俺の高校時代の先輩の彼女が体験した話なんだけど・・・」
これだと臨場感がないですし、そもそもその人が、
作り話をしている可能性だってあるわけです。

・あまりにも遠い昔の話
「うちの祖先はその村の庄屋だったんだけど、あるときに旅の坊さんが
宿を借りたいと訪ねてきて・・・」これは昔話になってしまいますね。
ただ、そのときの呪いが現在まで続いているとかなら、
そのかぎりではありません。

・悪い人間が罰を受ける話
どういうことかというと、例えば「DQNが神社に行って罰当たりなことをした。
そのために神罰を受けて次々に死んでいく・・・」こういう内容だと、
怖い以前に、「ザマミロ」とか「当然の報いだ」とか思いますよね。
この手の怪談もないわけではありませんが、本道からは外れてる気がします。

・宗教的に混乱している話
怪談を読んでいると、神社やお寺が出てくるものはけっこう多いんですが、
中には「お坊さんがお祓いしてくれた」みたいなのもあって、
これ、お祓いをするのは神職ですよね。こういう記述が出てくると、
そっから読む気をなくしてしまう、という人は多いんじゃないでしょうか。

・あまりにも手垢のついてしまった話
例えば「行ってはいけないと言われてた裏山に入ったら怖ろしいものを見てしまった。
家に戻ってそのことを話したら、じいさんにさんざん叩かれたうえ、
檀家になっているお寺に連れていかれて・・・」もう何十パターンも出ている
使い古された構成です。よほどの新味がないと誰も読んでくれないでしょう。

・「幽霊より生きた人間が怖い」という結論になる話
現実的な犯罪とか痴情のもつれ、あるいは精神の病気とかそういう内容のことですが、
これは「怖い話」ではあっても、「怪談」ではないんじゃないかと自分は思います。
たしかに、現実に怖い話というのはたくさんありますけど、
かといって「幽霊より生きた人間が怖い」という結論になるのは、
オカルトの敗北なんじゃないでしょうか。

・まだ風化していない出来事をあつかった話
例えば、「太平洋戦争中の空襲で焼かれた人が・・・」みたいな話はいろいろあります。
戦争の体験がある人はだいぶ少なくなり、怪談として成り立ちますが、
「東北の震災の津波で・・・」これだと、不謹慎だと考える人もいるかもしれません。
まだ記憶のなまなましい出来事は、あまり怪談にしないほうがいいと思いますね。

さてさて、書いてみたらけっこう出てきました。
まだこの他にもありそうです。長くなったのでいったん終わりますが、
またいつか、続きを書く機会もあるかと思います。
では、今回はこのへんで。







できが悪い話を改変する

2018.08.07 (Tue)
今回は怪談論です。もう5年以上前になりますが、2ch(現5ch)に
「骨董」をテーマにした次のような話を書きました。

赤いサンゴ玉

うちの父親は三年前に肺がんで亡くなったんだが、
生前は骨董集めを趣味としていた。といってもうちにそんなに金があるはずもなく、
骨董市などで買った安い小物ばかりで、値の張る皿物や掛け軸なんかはなかった。
父がもういけないというとき、病院のベッドで長男だった俺に、
「骨董は仏間の押し入れにまとめてあるから、○○(なじみの骨董屋)に
 下げ渡してやってくれ、まあいくらにもならんだろうが・・・
 それから、風呂敷に一つ小物の骨董をまとめてあるから、
 これは俺の初七日あたりにでも坊さんに渡して、お炊きあげしてもらってくれ」
と奇妙なことを言った。

俺が「どうしてだい、それはお金にならないものかもしれないけど、
 ただ捨てるだけでいいんじゃないか」と問うと、
父は、「いや風呂敷の中のものは、よくない骨董なんだ。長年かかって
 さわりを押さえる方法を覚えたんだけども、お前らには無理だろうから。
 必ずそうしてくれよ」と、病みついても冗談ばかりだったのに、
いつになく真剣な顔でそう言った。父の葬式が済んでやっと落ち着いた頃に、
骨董屋を呼んで処分を任せたが、たしかにいくらにもならなかった。

押し入れには父の言っていたとおり風呂敷包みがあり、中には煙草の根付けやら
べっこうの櫛やら時代がかった小物がいくつか入っていた。
念のためにと思って骨董屋にそれも見せると、骨董屋は少し首をかしげ
「はああ、故人もかなりこの趣味がこうじとったようですわな。
 よくわかってらっしゃった。これらはうちでも扱えまへんから、
 言われたようにお寺さんに任せるがよろしいでしょ」と言った。

俺は初七日のおりに、坊さんに事情を話してお寺に持って行ってもらったが、
一つ赤いサンゴ玉らしい煙草の根付けを風呂敷から抜いて、ポケットに入れてしまった。
そのときにどうしてそんな気持ちになったのかは、今でもわからない。
後で宝石店にでも持って行こうと思ったのか。
・・・そのサンゴ玉は仏間の金庫に入れておいた。次の日からがたいへんだった。

長く忌引きをもらっていた会社に出勤したものの、机の上は仕事の山。
そして午後、会社に小学校から電話が入り、
6年生の長男が校庭のブランコから落ちて
下あごを骨折したという連絡があった。すぐさま病院に駆けつけたが、
医者に命に別状はないものの大きな手術が必要だと言われた。

やっとのことで家に戻ったその夜、寝室にいると下の3年生の娘が、
血相を変えて飛び込んできた。仏間に女の人がいる、と言う。
トイレに行こうとして二階から降りてきたときに物音がしたので、
仏間を覗くと着物姿の昔の女の人がぼうっと白く光りながら立っていた、というのだ。
いっしょに仏間を見にいこうとしたが、娘は怖がって妻にしがみついて離れない。

そこで一人で見に行くことにした。と言っても、二間ほど離れた家の中なのだが。
仏間に入るとすぐに、ものすごく生臭いにおいを感じた。
蛍光灯をつけるとむろん誰もいなかったが、畳の上に、
なぜか金庫に入れたはずの赤いサンゴ玉が落ちていた。
それはまるで血のしずくのようにも見えた。拾い上げて金庫にしまおうとしたら、
てのひらの中でその玉がうきゅきゅっと動いたように感じた。
その朝方、娘が40度の熱を出して叫びだし、
痙攣を起こして救急車を呼ぶ騒ぎになった。

父の死に続いて、子供二人が入院するはめになり、
妻もかなりまいってしまったようだった。
長男と同じ病院に娘をうつしてもらい、内科と整形外科での治療となったが、
介護のために妻はパートをやめざるをえなかった。
その後は悪いことばかりが続いた。欠勤が続いて俺は会社に迷惑をかけ、
たまに出勤した日には大きなミスをした。

・・・そして娘は父の四十九日の日に死んだ。原因不明の熱病だった。
娘が死んだ夜、一人で自宅に戻り玄関の鍵を開けると、
真っ暗な中に和服の女が上がり口に立っていた。昔の遊女のような姿だった。
女は顔をあげてこちらを見つめ「あなたのお父様にはおさえられておりましたが、
 これでどうやらのぞみを果たせました」というようなことを言った。
耳で聞いたのではなく、頭の中に響いてきた。

そして手から何かを落として消えた。俺は呆然としていたが、
明かりをつけて見るとそれは金庫の中にあるはずのサンゴ玉で、
鮮やかな赤い色だったものが色が濃くなって、
ほとんどどす黒いといえる色に変わっていた。


で、書き終わってから「なんかダメだなあ」と思ったものの、
投稿してしまったんですね。これ、いろいろと拙いところがあるんですが、
一番はやはり、そんな危険なものなら、
病気になっても父親が処分すべきだったってところですね。

それと、骨董品に執着してとり憑かれてしまう怖ろしさも出ていない。
最後に子どもが死んでしまったのも唐突な感があります。
そこで、もっとコミカルに、骨董に憑かれるとはどういうことかを表現しようと
書き変えたのが下のリンクの話です。

「骨董」

同じような小道具を使って話をこしらえていますが、雰囲気はかなり違います。
書き直した話のほうが「骨董」そのものが中心になっていて、
自分ではできがいいと思いました。こんな感じで、
一度書いたものを書き直すことは、ごくたまにですがあります。