ポーのベスト

2018.06.17 (Sun)
今回はこのお題でいきます。自分が好きなポーの作品を並べてみますね。
もちろんこれには異論があるかと思います。
さて、ポーは19世紀初頭に生まれたアメリカの詩人。小説家で、
優れた恐怖小説の短編をたくさん書き残しています。

他には、ナンセンス小説、それと推理小説の元になったといわれる作品群、
あと、冒険小説もあります。ポーというと、
恐怖小説を中心に論評されることが多いんですが、
じつは、かなり幅広いジャンルにまたがる話を書いてるんですよね。

エドガー・アラン・ポー


生前は、作品はそれなりに売れていましたが、アルコール中毒気味で、
つねに飲酒上のトラブルを起こして職を転々とし、
貧困のうちに、40歳で謎めいた死を遂げます。作品群が評価されたのは、
まずヨーロッパにおいてであり、本国アメリカでその名が知られる
ようになったのは、死後100年以上たってからのことです。

ベスト1、いろいろ迷いましたが、第一位にはゴシック恐怖小説の
『アッシャー家の崩壊』をあげたいと思います。
旧友アッシャーが妹と二人で住む屋敷に招かれた語り手が、
その館でさまざまな恐怖を体験するという筋立てで、
現代の「館もの」と呼ばれる怪奇小説の元祖的な作品です。

『アッシャー家の崩壊』
bb (2)

ポーの作品には、2つの大きなモチーフがあるとよく言われます。
一つは「早すぎた埋葬」、生きながら埋葬された人物、
あるいは埋葬後によみがえった人物をあつかった内容です。
もう一つは「美女再生」、若く美しいまま亡くなった女性が、さまざまな形をとって
この世に戻ってくる話。『アッシャー家の崩壊』には、この2つともが含まれています。

ベスト2、『メエルシュトレエムに呑まれて』科学恐怖小説と言えばいいでしょうか。
ノルウエーの沖にとつじょ現れる巨大な大渦、その名前が「メエルシュトレエム」です。
兄とともにその中に船から投げ出された主人公は、渦に翻弄されながらも、
冷静に渦の性質を観察し、その結果、兄は飲み込まれて死亡し自分は助かる。

『メエルシュトレエムに呑まれて』


これをSFの元祖という人もいますが、現在、一般的に考えられるSFとはだいぶ違います。
主人公は、科学的な知識によって助かるわけですが、
自分がはじめて読んだとき、ははあ、こういう内容も小説になるんだなあ、
と感心したのを覚えています。死の恐怖が迫ってきて、かなり恐い作品でもあります。

ベスト3、『赤死病の仮面』これは現実感の薄い、寓話あるいは散文詩のような作品です。
ある国で「赤死病」という疫病が広まり、人々は体中から血を流して死んでゆく。
感染を怖れた王は、貴族たちとともに城に立てこもり、出入り口を封鎖する。
その中で、王たちは享楽的な生活にふけり、
ある日、仮面舞踏会を開くことを思いつくが・・・

『赤死病の仮面』
ll (1)

この設定、どっかで見たことがあるような気がしませんか。
感染者から逃れるために、ある場所に複数人で立てこもるという筋は、
『ドーン・オブ・ザ・デッド』など、現代の映画のゾンビもので定番ですよね。
ちなみに、奇妙な味のショートショートの名手、阿刀田高氏のポーのベストが、
この『赤死病の仮面』と著書に書かれていました。

ベスト4、『モルグ街の殺人』、アマチュア探偵、オーギュスト・デュパンが登場する
推理小説の元祖と言われる作品です。パリのモルグ街のアパートメントの4階で、
二人暮らしの母娘が惨殺された事件を、デュパンと語り手である「私」が、
独自の捜査をして解いていく話で、ポーの理知的な面がよく表れています。

『モルグ街の殺人』
ll (2)

この、私とデュパンのコンビが、後のシャーロック・ホームズとワトソンの
組み合わせに大きな影響を与えたのは有名な話で、デュパンは、
史上はじめて登場した名探偵なんですね。結末は、犯人が人間ではないので、
現代の感覚からすればアンフェアと言われそうですが、
ポーが重点を置いているのは、謎を解く過程です。

ベスト5、『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』
短編作家であったポーの、唯一の長編と言われますが、実際の長さは中編くらいです。
主人公のピムは、密航した捕鯨船で船員の反乱が起こり、さらに嵐に遭遇して漂流、
生き残ったピムらは南極探検に向かうジェイン号に救助されるが・・・

『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』
bb (1)

これ海洋冒険小説ですね。当時、未知の世界であった南極に向かうにつれ、
都市伝説の「ニンゲン」のような、得体のしれない不可思議な白いものに
対する恐怖が高まっていきます。後の、H・P・ラブクラフトの作品のような趣もあります。
そして、謎の正体がはっきりしないまま、話は唐突に終わってしまうんです。

ベスト6、『黒猫』スタンダードなゴシック恐怖小説です。
西洋では不吉とされた黒猫を中心に、恐怖を高める小道具が全編にちりばめられ、
主人公の精神が崩壊していく様子が描かれます。
ひじょうに構成の巧みな話でもあります。

ベスト7、『振子と陥穽』ポーが描くところの恐怖は
心理的なものが多いんですが、これはリアルで感覚的な恐怖が出てくる作品で、
トレドでの異端審問にかけられた主人公は、地下の部屋に閉じ込められ、
落とし穴や、先端に鎌がついた巨大な振り子に襲われますが、
知恵をしぼって逃げのびる・・・映画の『ソウ』のシリーズのようでもあります。

さてさて、ベスト10までいきませんでしたが、長くなったのでここらで
終わりにします。こうしてみると、ポーの作品には、現代の恐怖小説や映画に見られる
要素がたくさん含まれていることがわかります。また、詩的な部分と知的な部分が
ほどよく入り混じっていて、そこが魅力の一つではないかと自分は考えています。
では、今回はこのへんで。






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「怖い童話」について

2018.04.20 (Fri)


今回はこういうお題でいきますが、どれだけのことが書けるか、
あまり自信ないです。スルー推奨かもしれません。
さて、桐生操氏の『本当は恐ろしいグリム童話』など、西洋の童話の怖さに
焦点をあてた本が発刊され、童話の持つ怖さというのが知れ渡ってきました。
当ブログの裏テーマには、「恐怖の研究」があるので、
ここはさけて通るわけにはいきません。

たしかに、有名どころの「シンデレラ(灰かぶり姫)」なんかでも
怖いですよね。みなさん知っていると思うので、ここで詳しい筋は書きませんが、
物語の後半、王子が忘れられたガラスの靴の持ち主を探す段で、
シンデレラの義理の姉たちは、ガラスの靴に無理やり合わせようとして、
足の爪先や踵を切り落とします。ですが、靴下に血がにじんでバレてしまう。

さらに、シンデレラと王子の婚礼につき添った姉たちは、
鳩につつかれて目玉をくり抜かれてしまうんですね。ちなみに、
シンデレラの靴は、もともとはリスの毛皮(vair ヴェール 仏語)製
であったのが、転訛してガラス(verre ヴェール)になったという説があります。

ただ、元からガラスだったという説もあって、決着はついていません。
これ以外にも「白雪姫」や「ヘンゼルとグレーテル」なんかも怖い内容です。
では、どうして怖いのかというと、まず、もともとの話は「童話」ではなく
「民話 フォークロア」だったということがあげられるでしょう。

民話から、子ども向けの童話になる段階で、かなり毒が抜かれています。
グリム兄弟は、聞き書きで採集した民話をそのまま本にするのではなく、
性的な描写を取りのぞき、残酷な部分をおさえ、あと、実の母親を
継母に変えるなどして、内容を子ども向けに改変しました。

民話は、日本のものも怖いし、性的な部分も多いですよね。瓜子姫は、
あまのじゃくに裸にむかれて吊るされ、殺されてしまうバージョンがありますし、
カチカチ山では、爺が狸にだまされて「ばんば汁(婆を料理した汁)」
を食べさせられてしまいます。これをモチーフにした、曽野綾子氏の
『暗く長い冬』という恐怖小説の傑作があります。



また、柳田國男の『遠野物語』では、年寄りを山に追いやる「姥捨て」の話が
出てきますし、馬と娘が結婚する話なんかもあります。
娘の父親が怒って馬を殺し、その首を切ると、
馬の首は空に飛んでオシラサマになる。じゃあ、なんで民話は怖いんでしょうか?
いちおう三つの解答を用意してみました。

まず、一つには口承伝承であるということが大きいでしょう。
文字で書かれた原典がなく、口から口へと伝わってきた物語であるという点です。
つまり、話す人が自由に筋や細部を変えることができるわけです。
こうした場合、話の内容はどんどん過激になっていきやすいんですね。

識字率が低かった中世のヨーロッパで、物語のタネが、長い年月、
親から子へと伝えられていくうちに、極端な内容に変わっていく。
主人公の貧しい田舎娘は、王子に見初められて王妃になり、
悪役の継母などは、手ひどい罰を受けて苦しんだあげくに殺されてしまう。
そのほうが、語る側にも聞く側にもカタルシスが大きいからです。

二つ目としては、当時のヨーロッパを精神的に支配していた
キリスト教のらち外の話である、という点です。
厳しい戒律と道徳で信者を縛りつけるキリスト教の教えと教会の権威は、
民衆にとっては窮屈な面もあったんですね。しかし、魔女や魔法が登場する
民話の中では、自由に想像の羽を伸ばすことができます。

そこで、聖書の物語とは違った、残酷で卑猥な内容が盛り込まれて
いったんだと思います。押さえつけられていた土俗的な感情が、
民話の中では開放されているんでしょう。そういう意味では、
民話の研究というのは精神史的にも重要だと考えます。

三つ目として、昔は、死や血が身近なものであったことがあげられるでしょう。
これはヨーロッパでも日本でもそうでしたが、乳幼児の死亡率は高く、
10人の兄弟姉妹がいても、半数以上が子どものうちに死んでしまう
なんてことが珍しくはなかったんですね。

焼かれるペスト死者


ちょっと疫病の流行があれば、村人がバタバタ倒れ、
血膿にまみれて死んでいく。死体は山積みにされて焼かれる。
子どもを売る、間引きをする、そういうことが普通にある時代。
さらに、今のように肉がパック詰めされてスーパーで売られている
わけではなく、家族で動物を殺し、皮をはいで血を絞る・・・
民話は、そういう中でできていった物語なわけです。

さてさて、民話はなぜ怖いのかについて考えてきました。現代で生まれる
都市伝説(アーバン・フォークロア)なんかも、「テケテケ」とか
「カシマさん」とか、残酷で怖いものが多いですよね。時代が変わっても、
共通する点もあるんだと思います。ということで、今回はこのへんで。







「見るなのタブー」について

2018.04.16 (Mon)
今回は怪談論です。怪談で、「夏休み、少年が祖父母のいる田舎にあずけられた。
優しい祖父母は、屋敷の中はどこにいってもかまわないが、
裏庭にある納屋の戸だけはけっして開けてはいけないと言う。
はじめは言いつけを守っていた少年も、やがて退屈してきて、
ついにある日、納屋の戸をそっと開けてしまう。

すると薄暗い中に明かりがつき、床にはたくさんの血がこぼれていた。
奥のほうから刃物を持った祖父母が出てきて、にこにこ微笑みながら、
少年に、あれほど開けてはいけないと言ったのに・・・」こういう話があります。
たいていはここで終わるので、この後どうなったかわかりませんが、
おそらく少年は殺されたんでしょう。で、そうするとこの話を語る人物が
いなくなるので、これは実話怪談とは呼びにくく、民話に近いものなんですね。

「夕鶴」


さて、「見るなのタブー」とは、Wikiによれば、「何かを、見てはいけないと
タブーが課せられたにもかかわらず、それを見てしまったために悲劇が訪れる、
または恐ろしい目に遭うこと」
」こうなっています。「見るなのタブー」は、
世界各国の神話や民話に見られ、人類共通の普遍的なテーマと言えるでしょう。

これについては、比較文化学、神話学、民俗学などで世界中で研究されていますが、
「なぜあるのか」というはっきりした答えは出ていません。
ですから、自分ごときオカルト人間が何かを言うのはおこがましいんですが、
オカルトブログらしく、最後のほうで超トンデモ解釈をしてみたいと思います。

まず、「見るなのタブー」には、どんなバリエーションがあるのか。
「後ろをふり返ってはいけない」(ギリシャ神話のオルフェウス、日本神話のイザナギ)
「この部屋を開けてはいけない」(西洋の童話の青ひげ、日本の民話、夕鶴)
「この箱を開けてはいけない」(ギリシア神話のパンドラ、日本の民話、浦島太郎)

「見たことを人に話してはいけない」(日本の怪談、雪女)
「この実を食べてはいけない」・・・これは「見るな」とは少し違いますが、
この内容は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教でそれぞれ出てきていて、
人間が原罪を持つことになった原因とされます。
ですから、現代でも社会的に大きな影響を持っているんですね。

「パンドラの箱」


ただ、世界の「見るなのタブー」と日本のものとでは、いろいろ違いがあります。
世界的には、見るなのタブーを破ってしまうのは、男の場合も女の場合もあります。
上記したエデンの園の話は、女であるイブがタブーを破ってしまいました。
これは、キリスト教の神が、まずはじめに自分の姿に似せて男を創り、
さらにその肋骨から女を創ったということと、構造的な関係があるんでしょう。

ところが、日本の場合、見るなのタブーを破るのは圧倒的に男が多いんです。
例えば、浦島太郎は乙姫様の言いつけを破ってしまうし、イザナギはイザナミに
ふり返って見るなと言われたにもかかわらず、死後の腐った醜い姿を見てしまう。
夕鶴もそうですよね。妻が鶴と化して機を織っている姿を
見てしまっては、もう夫婦でいることはできません。

また、日本の場合、見るなのタブーを破った男は、それほど大きな罰は
受けてないんですね。日本神話で、出産の様子を見るなと言われたホオリは、
好奇心に負けて妻の産屋をのぞく。すると妻は巨大なワニ(サメ)の
姿をしていました。妻のトヨタマヒメはそれを悲しんで立ち去ってしまう。

雪女でも、この話を人にした場合はとり殺す、と言われていたのに、
雪女は生まれた子どものためを思い、男を罰せず、ただその場から消える。
こんな形で、タブーを破った男が大きな罰を受けることはなく、
女のほうがその場から去ってしまうケースが多いんです。

この理由について、日本の比較文化学などでは、古代からの歴史的な
男女の立場の違いからきているとする研究が多いようです。(河合隼雄氏など)
まあ、そうなのかもしれませんが、古代の農村の婚姻の形態や、
出産を穢れとする風習など、いろんな要素が混じり合っているんだと思います。

さて、こっからはオカルトトンデモ話です。みなさんは「シュレディンガーの猫」
の思考実験をご存知ですよね。これについては前に書いたので、
ここでは説明しませんが、量子力学の世界では、
観測によって現実の結果が決まってくる、という考え方があります。

「シュレディンガーの猫」


原子核のまわりを回っている電子は、どこにあるのか確率的にしか
予言できないが、観測することによって、場所がある一点に定まる。
これを波の収縮と言います。シュレディンガーの猫にしても、
死んだ猫と生きた猫が重なり合っていたのが、人間が箱を開けたときに、
猫の生死がそのどちらかに決定するんだという説もあるんです。

このことは、前にご紹介した「人間原理の宇宙論」とも関係があります。
われわれ人間は、もしかしたら、世界を決定するための「観測者」としての
役割を持っているのかもしれません。ですから、
閉ざされた箱や扉があれば、未来がどうなるかを決定するために、
どうしても開けなくてはならないよう宿命づけられている・・・(笑)

さてさて、上で書いたように、これはトンデモ話ですので、信用されても困ります
ある地域の、一つの「見るなのタブー」話を読み解くだけでも、
かなりの研究が必要です。文系の学生のみなさんは、卒論のテーマとして
選んでみるのも面白いかもしれませんね。ということで、今回はこのへんで。

「黄泉比良坂」




『今昔物語』の怪談分析

2018.04.12 (Thu)
今回は怪談論でいきます。自分は、怪談にはパターンがあると
考えています。あるいは、構成要素と言ってもいいかもしれません。
もちろん、それはSFにもありますし、ミステリにもあるわけですが、
SFもミステリも近代になってからできたものですから、
古典作品との比較研究はできません。それに対し、
怪談は古くからあるので、考察がしやすいんですね。

さて、『今昔物語集』は、平安時代末期に成立したと見られる説話集で、
全31巻ですが、現存していない巻もあります。天竺(インド)、
震旦(中国)、本朝(日本)の三部構成になっていて、
日本の部分に載っている話は、仏教説話的なものが多いんですが、
中には純怪談としか言いようのないものもあります。例えばこんな話。

「嫉妬心から妻が箱を開ける話」(巻27 霊鬼)
今は昔、京の官吏の家に奉公していた紀遠助という男が、任期を終えて
出身地の美濃の国に帰ることになった。その途中、
瀬田の唐橋にさしかかると、橋の上に女がひとりで立っていた。

女は「どちらまで行かれますか?」と聞いてきたので、遠助は馬から降り、
「美濃の国へ参ります」と答えた。女は「お願いがあります」と、
ふところから、絹で包んだ小さな箱を取り出し「これを、片県郡の某橋のたもと
までお持ちくだされば、女房が待っておりますので、それにお渡し下さい」

遠助は面倒だと思い、「その橋にいる女房の名は何というのですか?
もしいなかったら、どうすればいいのですか?」と聞き返したが、
女はそれには答えず、ただただ頼み込んでくるばかり。
女の様子が不気味だったこともあり、遠助はついに承知してしまった。

このとき、遠助を見送った従者たちが、遠くからその様子をうかがっていたが、
従者たちには、遠助が誰もいないところで一人でしゃべってるようにしか
見えなかった。やがて、遠助は美濃の国へと着いたが、
不覚にも、女の頼みを忘れて橋を通り過ぎてしまった。

家に戻ってそのことに気づいた遠助は、「ああ、申しわけないことをした」
いずれもう一度出かけて渡そうと考え、箱を納戸の棚にしまっておいた。
ところが、遠助には妻がいたが、これがきわめて嫉妬深い女で、
遠助が持ってきたものは愛人への京土産で、自分に知られないように
隠したのだろうと考えて、箱を開けてしまった。

箱は段になっており、一段目には、人の目玉をほじくり出したもの、
二段目には、男の陰茎を切り取ったものが多数入っていた。妻はこれを目にして
悲鳴を上げ、駆けつけた遠助は、「ああ、見てはならぬと言われたものを、
困ったことをしてくれた」と、箱の蓋をしめ、元のようにヒモで結んだ。

遠助が大急ぎで言われた橋に行くと、約束どおりに女房が出てきたので、
箱を渡したが、女房は「開けて中を見ましたね。困ったことをしてくれました」と、
たいそう怒った様子であった。遠助は、「そんなことはありません」と言い、
女に箱を渡して立ち去ったが、家に戻ってすぐに具合が悪くなった。

そして、妻に向かって「ああ、開けてはいけないと約束していた箱なのに、
お前はどうして開けてしまったのか」と愚痴を言い、
そのまま病みついて、まもなく死んでしまった。・・・この話を聞いたものは、
みな、遠助の妻の嫉妬心を憎んだという。



長く引用しましたが、自分が意訳したものです。これには仏教的な要素は
ないので、怪談とみていいでしょう。話のパターンとしては、
「巻き込まれ型怪異」と呼ばれるものです。何も悪いことをしていない人物が、
たまたま、怪異に遭遇して不幸な目に遭うわけですね。
現代の怪談は、ネットで有名になった「八尺様」とか「くねくね」など、
この「巻き込まれ型」怪異が多いんです。

次に、話の構成として「解決しない謎」という形になっています。
遠助に箱を渡した女、箱を受け取った女房が何者なのか最後までわかりません。
また、箱の中になぜ人体の一部が入っているのかもわかりません。
何もわからないまま主人公が死んで話が終わるので、
不条理で不気味な印象が残ります。こういう怪談は現代でも多いですよね。

さらに、怪談らしいギミックがいくつも含まれています。
まず一つは「見るなのタブー」。見てはいけないものを見てしまうことで、
呪いや祟りが発動するんですが、この話の場合、本人ではなく、
嫉妬深い妻が見てしまうという形にひとひねりされています。

あとは、箱の中の目玉や陰茎はスプラッター的な要素にもなっていますし、
遠助が女と話をしていたはずなのに、傍から見ると、
一人でしゃべっているだけだったというのも、
怪談を盛り上げるためのギミックでしょう。

さてさて、ということで、ここまで見てきたとおり、
怪談の諸要素というのは、800年も前の『今昔物語』から、すでにもう
ほとんど出そろっているんですね。それは、怖さに対する感覚が、現代人も昔の人も
それほど変わらないということでもあります。ですから、自分が書いている怪談も、
昔からある要素をこねくりまわしているだけ、ということなんでよすね。

関連記事 『今昔物語から』







器物の怪談とサイコメトリー

2018.03.25 (Sun)
今回は怪談論でいきます。ここでいう器物とは、非生物的な物を指します。
具体的には、古道具や骨董、宝石や武器、古着なんかのことですね。
それらにまつわる怪談というのは、ネットでよく見かけますし、
自分もいくつか書いています。下に「骨董」という話をあげておきます。

関連記事 『骨董』

さて、器物の怪談では、大きく2つの考え方があるんじゃないかと思います。
一つは「付喪神 つくもがみ」ですね。長い年月を経た道具に神や精霊などが
宿ったもののことを言います。付喪神は「九十九神」とも書き、
その道具ができて100年がたつと、心が生まれ、霊性を持つと考えられました。

室町時代の『付喪神絵巻』は、道具は百年経つと付喪神になって
悪さを働くため、人々は「煤払い」と称して古くなった道具を路地に捨てていた。
捨てられた道具たちは、これに腹を立て、節分の夜に集まり、
人間に対して反乱を起こす、といった筋立てです。

『付喪神絵巻』


付喪神は、この頃はまだ一種の神として考えられていたのが、江戸時代までに、
だんだんに妖怪と見なされるようになっていきました。唐傘お化け、
お化け提灯などがそうですね。当ブログでご紹介している鳥山石燕の妖怪画も、
1784年の『百器徒然袋』は、ほとんどが器物の妖怪を描いたものです。
下図は「暮露暮露団 ぼろぼろとん」という古布団の妖怪です。



まあ、日本人はもともと、長い年月を経たものには価値があると考えてきました。
数百年を生きた大木や苔むした大岩などには神が宿るとされ、
注連縄をはって祀ったりしていたわけです。ただ、道具の場合は、
古くなると汚れるし、使い勝手も悪くなります。それで買い替えてしまうんですが、
道具の側には、これだけ人間に役立ってきたのに、無情に捨てられた、
という恨みが残って妖怪化する、ということもあるのかもしれません。

さて、もう一つ考え方は、その器物を作った人間、または代々の所有者の念が
こもっている、といったものです。例えば、宝石や美術品などの場合は、手放すには、
破産したとか、家業が傾いたためにお金に変えざるをえなかったなどの、
不幸な理由が多いでしょう。売りたくないのに売らなければならなかったという、
かつての持ち主の無念がまとわりついているわけです。

また、日本刀などの場合は、争いごとで使われたものもあり、
その刀で殺された被害者の念がのり移っている、
といった筋立ての怪談は、ネットを探せばたくさん出てきます。
実際に人の血を吸っているかもしれない怖さがあるんですね。

あと、人形の場合は上記の2つの考え方が混じっている場合が多いようです。
やはり、顔を持つものは擬人化して考えてしまいやすいんだと思います。
はじめはただの物であった人形に、しだいに心が生まれ、
自分の意志を持つようになる・・・この手の怪談は、外国でも珍しくはありません。



さて、前に書きましたが、最近、「サイコメトリー」という言葉を
スピリチュアル系のブログなどでよく見かけるようになりました。
これは、物に残っている「残留思念」を読み取ることです。
しかし、本当にそんなことができるもんでしょうか。

関連記事 『サイコメトリーって何?』

自分は霊感はゼロですが、今、ちょっとやってみたいと思います。
といっても、骨董品などは持ってないし・・・ああ、そうだ、古着がありますね。
自分はミリタリーファッションが好きで、よく着ています。
新品で買ったのがほとんどですが、中には実際に兵士が着ていたのもあります。

ということで、M65というジャケットを出してみました。
ネット通販で取り寄せたもので、米陸軍で1980年代に使用された本物です。
小さな焼けこげや油染みがあります。胸ポケットの上に「Buchanan」という
タグがついていて、これを支給された兵士の名字でしょう。

うーん、手にとって目をつぶっても、何も思い浮かんできません。
着て歩き回ってみてもダメですね。でも、これは自分にサイコメトラーとしての
才能がないせいかもしれず、サイコメトリーなんてない、とまでは言えないですね。
ただまあ、品物をもとに推理することはできます。

ブキャナンというのは、スコットランドーアイルランド系のアメリカ人でしょうか。
ジャケットは日本のXLにあたるサイズなので、背の高い、
赤毛でソバカスのある人物かなあという気がします。
あと、年代的に実戦は経験していないでしょう。

油染みは袖口にあるので、銃器の手入れをしていたときに
できたかもしれません。焼け焦げは射撃訓練のものでしょう。
ブキャナン氏は、ずっとブートキャンプのビリー隊長みたいな上官に怒られながら、
低い階級のまま除隊し、嫌な思い出のある軍装品はすぐに古道具屋に売った(笑)。

さてさて、このように、物というのはけっこうな量の情報を含んでいるものです。
自分が上に書いたのは、あくまで推理であって、サイコメトリーではありません。
でも、無意識のうちに物の持つ情報を読み取って、
頭の中で再構成しているなんてケースは、けっこうあるんじゃないでしょうかね。