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富来沢の話

2019.10.26 (Sat)
これは去年の3月、自分(bigbossman)が、ある地方国立大学教授の
退官記念の謝恩会に招かれていったときの話です。
教授の専門は東洋史なんですが、趣味として妖怪を研究されてまして、
自分は雑誌の特集のために話をお聞きしに行ったことがあるんです。
そのご縁で、自分のような者でも親しくおつき合いさせていただいてます。
教授はたいへんにお酒が好きで、また強く、そのときも3次会の
バーまで自分はお供しまして、そこで「冨来(とみき)沢」のことを伺いました。
最初、マタギについての話から始まったと記憶しています。
「bigbossmanさん、マタギって知ってるよね」
「ああ、はい。おもに東北地方で、古式の方法で集団で鳥獣を狩る
 猟師集団のことですよね。独自の掟やしきたりがあって、

 それを守って狩りをする。熊を狩る秋田の阿仁マタギが有名ですね」 
「ああ、さすがだね。けど、じゃあ西日本にはマタギみたいなのは
 なかったと思うかい」 「いや、それは考えたことがなかったです。
 うーん、鉄砲の数は東北より西日本のほうが多いでしょうし、
 なかったはずはないですが、あまり聞いたことがありません」
「そうだろうね、一種のタブーだったんだよ。仏教の殺生戒のために、
 殺生をする山の民は差別されてたんだが、その意識は特に西日本の
 ほうで強かった」 「どうしてでしょうか?」
「それは、東北の気候は冷厳で不作が多く、まあ貧しかったからだよ。
 田畑の作物だけでは暮らしが成り立たない。だから、山の恵みは
 どうしても必要で、狩りの獲物も例外ではなかった。

 だから、マタギであっても恥じるところはなかったんだが、
 西日本は違ってた。それで、そういう話があまり残ってないんだね」
「ははあ、いつもながら勉強になります」 「これはね、山陰のある県の
 老猟師から40年ほど前に聞いた話だ。その当時ですでに80歳を
 こえた人だったから、下手すれば今から100年近くも前のことだよ」
「ぜひ、お聞かせください」 「山と山の間の谷には渓流が流れてることが
 多く、そういう地形を沢というよな」 「はい」 「そこの県のある沢は、
 呼び名を冨来沢と言って、地元の村人はもちろん、山の民も
 入ってはならない禁足の地となっていたそうだ」
「どうしてですか?」 「古来から、そこの地ではよくないことが起きると
 されていてな。麓の村では、冨来沢からくる渓流の水は、

 田んぼにも引かないし、もちろん生活用水にも使わないと徹底してたそうだ」
「うーん」 「その猟師の話では、沢にはいくつも滝があって、
 そのうちの一つの大岩に、大きな仏像が彫られていたそうだ。
 それも剣を持った厳しい姿の不動明王」 「磨崖仏ってやつですかね」
「そうだろう。もし残ってるのなら、ぜひとも調査に出かけたいとこだったが、
 残念ながら昭和初期の地震で崩れてしまい、今はないんだそうだ」
「ははあ」 「それで、その猟師が30代のころ、仲間2人とともに
 猟に出た。獲物は猪を撃つつもりだったが、山中で熊の姿を見かけた。
 まだ冬眠に入ってない雄の熊で、かなり気が立ってる様子だった。
 いつもなら熊は避けるんだが、猟師はその熊を撃ちたかった。
 女房に子どもが産まれたばかりで、熊の肝や掌、毛皮は里へ持っていけば

 大きな金になる。それで仲間2人と相談し、その熊の後をつけて
 なんとか仕留めた。毛皮に傷つけたくなかったから、前に回った仲間が
 額に一発で殺すつもりだったが、しくじって熊の爪を受け、
 肩にかなりの傷を負ってしまったそうだ」 「ははあ、それで」
「骨まで達する傷だったが、命に別条はなさそうだ。応急で血止めをし、
 大きな熊を橇にのせて山腹を引いていったが、だいぶ下まで降りたところで
 橇の引きヒモが切れ、笹薮を冨来沢のほうに転落してしまったんだな」
「それで」 「入っちゃいけないとこだが、熊はどうしても惜しい。
 猟師は仲間を説き伏せて沢に入っていった」 「で」
「橇はひっくり返ってたが、幸い川へは落ちず滝の上の岩に乗っかってた。
 ただ、これを下ろすのはかなり難儀だ。日も傾いてきてたし、
 
 それは明日の朝にしようってことで、河原で野宿することにしたんだそうだ」
「はい」 「で、岩の下に降り立つと、川に面した側に不動明王像があった。
 顔の長さが人の背丈くらいと言えば、大きさがわかるだろう」
「うーん、もったいない話ですね。今残ってれば観光名所になったかも」
「それでね、食料は持ってきてたから、焚火をしてその回りで朝を待った」
「え、寝ないんですか」 「当時の猟師は、雪の中に一晩立って獲物を待つのも
 平気だった。今とは違うんだよ。まあ、うつらうつら くらいはしたろうが」
「すみません、何度も話の腰を折ってしまって。それで」
「夜が更けて月が出、肩がうずくと言ってた仲間も静かになり、
 渓流の流れる音しか聞こえなかったんだが、突然大声がした。大岩のほうだ。
 みなががばっと起き、そっちを見ると、岩の上に大きな影が立ってた。

 はっきりしないが、熊のような影だった」 「え、どういうことです。
 熊が生き返ったってことですか?」 「まさか、熊は止めをさされて血も
 抜かれてる。しかも縄できつく橇に縛りつけてあって、
 立ち上がるのは不可能だ。だが、その影は間違いなくあって、
 しかも人間の男の声で吠えたてていた」 「なんと?」
「死んだあ、俺は死んだあ、悔しいぞ、口惜しいぞ、恨んでやる、祟ってやる、
 人間どもが、死んだ死んだあ~ って」 「うわ、それで」
「3人とも恐ろしくなって、誰も確かめに行こうとはしない。
 互いに顔を見合わせてるうち、音はやんで影も消えたようだった」 「で」
「明るくなって岩の上がはっきり見えるようになると、熊は前夜のまま
 だったんだよ。そんなことがあったから、そこに放置して

 山を降りてしまおうって話も出たが、やはりその猟師がみなを説いて、
 苦労して岩から下ろし、もう里に出るってとこまで挽いてきた」
「それで」 「ただ、熊に傷を受けた仲間の具合が悪かった。
 息を荒くし、冬だというのに玉の汗を浮かべてる。高熱があるようだった。
 これはいかんと、仲間の一人がそいつを背負って一足先に里へ下りる
 ことになった。後で来るからと、猟師は熊の橇とともに残され、
 一人で挽いてみたがやはり重い。心細くなり、前夜のことを思い出して、
 この熊、悔しいと口をきいたようだったが、そう考えたときに、
 熊はぱちりと目を開け、そうだ、と一言だけ言った。
 猟師は大声を上げ、橇を残したまま、後も見ずに逃げ帰ったそうだよ」
「それで」 「後に、仲間を連れて見に行ったら、橇も熊もそのまま残ってた。

 ただ、話を聞いた猟師連中は気味悪がって、誰も手をつける者はなく、
 結局、寺まで挽いてって供養してもらったそうだ」
「そうでしょうね。あ、ケガをした仲間はどうなったんですか」
「熱が出て1ヶ月ほど寝ついたが、回復したということだ」
「それはよかった。・・・まだ続きがあるんですよね」
「ああ、冨来沢の不動像の岩が地震で崩れたって言ったろう。
 その後、県から調査が来て、猟師が案内をしたんだ。大岩は見事に転げて、
 不動像を下にした状態で渓流をせき止めてたそうだ。
 それで、崖にぽっかり開いた岩の跡に、化石の骨のようなのが見えたという 
 ことだ」 「化石・・・恐竜とかですかね。それもすごい話です。
 どうなったんですか」 「残念なことに、数日後に大きな余震が来て、

 それも崩れて川に落ちてしまったらしい」 「もったいないですね」
「まあね、でも戦前のことだし、どうしようもなかったんだろう。
 それでね、このとき調査官に、老猟師は県収蔵の古地図を
 見せてもらったそうだ。江戸時代のものらしい」 「ははあ」
「普通、その手のものは山中の細かい地名なんか書いてないんだが、
 その地図では、冨来沢のところが、『とむらい沢』になってて、
 上のほうに大きく『禁』の文字が残っていたそうだ」
「うーん、興味深い話ですね。ぜひ行ってみたいです。今はどうなって
 るんでしょうか」 「それが、さっき話したように、渓流の流れが
 変わってしまって、そこまでたどり着くのが難しいみたいだ。
 藪の中をこいでけば、行けないことはないだろうけどね」 「・・・」
 
 

 
 

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聞いた話 伝承編

2015.12.26 (Sat)
印刷会社役員のKさんから聞いた話

Kさんは50代の男性で、自分とは直接仕事上のつながりはありませんが、
自分は前にアメ車のjeepに乗っていて、そこのディーラーで何度か顔を合わせました。
そのときの点検の待ち時間に聞いた話です。
Kさんは東北某県の生まれで、山間部のその集落は今もありますが、
かなりの過疎地で、現在では年寄りだけの家数十件しか残っていないそうです。
そこで子ども時代を過ごしたんですが、今から40年前の日本の経済成長時代でも、
店は集落に一軒しかなく、海のものを生で食べることはまずなく、
行商人がときたまエイの干物?を持ってくるくらいだったそうです。
農業以外の仕事はせいぜい炭焼きくらいしかなく、
昼は人の歩く姿を見かけない、というようなところでした。

その集落は、山の斜面に墓地はありましたが寺はなく、
寺の用事はかなり離れた他集落まで行かなければならなかったため、
仏教はあまり活発ではなかったそうです。その代わりに信仰されていたのが、
村で唯一の神社で、「いやしき様」と言ったそうですが、どういう字を書くかは、
今もってわからないとのことでした。その神社はまだあり、
年寄りが細々と維持しているそうです。年に一度、秋の収穫の後にお祭りがありましたが、
お神輿を担ぐとか夜店が出るとかの賑やかなことは何もなく、
ただ境内に集落の主だったものが集まって新穀を捧げ、
神主、これも常駐しているわけではなく、昔からの集落の大家の当主が、
そのときだけ神主の格好をして務めたそうです。
正式な資格があったかもわからないということでした。

それで、祈祷が済むと、全員が声を張り上げてその神社の忌み言葉である、
「きよねお(を)わ(は)かえい」というのを唱和し、
その後に手を打ってお神酒を回し飲みして終わりというものだったそうです。
今はどうなんでしょうね。少なくなった集落の家々でもやっているのかどうか。
この忌み言葉は、自分の手帳にメモが残っていますので、これで間違いないと思うんですが、
でも「忌み」と言っても、こんな言葉、間違って言ってしまうことなんてないですよね。
自分が知っている忌み言葉の多くは、日常ごく普通に使用されるもので、結婚式で、
「別れる、切れる」などと無意識に言ってしまうことを諌めるものですが、
こういう例はめずらしいと思います。だってまず覚えるのが困難なわけですから。
自分もメモを見ないとここに書けなかったです。Kさんによると、この言葉にはいわれがあって、
アナグラムといいますか、もとの言葉の並びは違っているのだそうです。

「きよねお(を)わ(は)かえい」を並べ替えると、何か別の語になるということですね。
昔、おそらく江戸時代に、集落には「いやしぎ様」の神主一族の他に、
もう一軒大百姓がいて栄えていたんですが、その何代目かの当主が馬肉が好きで、
死んだ農耕馬を買い取ったり、遠くから取り寄せたりして鍋にして食っていたそうです。
むろん江戸時代は殺生は禁じられていましたが、前に書いたとおり、
その集落には寺がなかったため禁制も緩かったのかもしれません。
その当主の跡取り息子が他の村から嫁を迎えることになったのですが、
婚礼の前の夜、当主が夢を見たのだそうです。
自分は縛られた状態で草の上に転がされており、まわりを紋付きを着た人が取り囲んでいたが、
どの人もみな馬の長い頭をしていたんだそうです。
焚き火に鍋がかかっており、当主は「これは自分が煮て食われるんだな」と思いました。

まあ、現代の解釈では無意識に馬を食うことの罪悪感が生じて、
そんな夢を見たということになりそうですが、その馬人間たちは当主を足で転がしたり、
火の加減をみたり、鍋に野芹を入れたりしながら、
同じある言葉を大声で叫んでいたのだそうです。馬人間の一人が大きな包丁を持ち出してきて、
もう体を切り分けられるというところで、当主は汗をびっしょりかいて目を覚ましました。
そのときには、夢の中でとても怖い目にあったことは覚えていたけれど、
細部は忘れてしまっていたということです。
息子の婚礼は自分の屋敷の何間かをぶちぬいて行われたのですが、
いよいよ固めの三三九度が終った後、息子が盃から口を離し、
「◯◯◯・・・」という語を発すると同時に血を吐き、
前のめりに倒れて亡くなってしまったのです。

当主はそれを聞いて夢の出来事を思い出し、
その言葉が馬人間がしきりに叫んでいたものであることに気がつきました。
急遽医者を呼んだのですが、息子はそのまま事切れてしまい、
もちろん縁談はなくなりました。その年のうちに、息子の弟たちも次々に突然死し、
娘はいなかったために養子を迎えざるをえなくなりました。
また、同じ年には村の農耕馬も、まだ若いものも次々に倒れて死んでいったそうです。
当主だけはその後もしばらく生きていまして、どう考えても馬の祟りだろうから、
この出来事を忘れないようにと、息子が叫んだ言葉の語の順を並べ替え、
養子に忌み言葉として伝えたんだそうです。その後、家は傾きだし、
養子の代に、もう一方の勢力である神主の家に屈する形で取り込まれてしまいました。
それで、その忌み言葉が神社に代々伝えられているのだそうです。

まあ、昔の伝承ですからどこまでが真実なのかはわかりませんが、念のため、
みなさんもここで出てきた忌み言葉の並べ替えなどは、なさらないほうがいいと
思いますよ。もう一つ、「いやしき様」に関してKさんから聞いた話があります。
ある家に子どもが生まれて、1・2歳の言葉を話し始める時期になって、
家の天井、昔は二階はなく高い藁ぶき屋根の場合が多かったんでしょうが、
そのどこか一角を見つめて視線をそらさなくなるということがあったそうです。
それで、その子に「何がいるの、何が見える?」と聞くと、
子どもはにこにこ笑いながら「いやしき様が来ている」と答えまして、
そうなると一大事です。なぜなら「いやしき様」が見えてしまった子は、
七つの歳を迎える前に亡くなることが多かったからです。
この「いやしき様」が見えるのはほとんどが男の子だったということでした。

家族は、「大変だ、とられてしまう」ということで、
急いで神社に出かけて神事を行い、自分の子をどうかとらないでくれとお願いする。
それから家に戻って、その子が「いやしき様」が来ていると言った天井の方角に、
梁から笊を吊るしたんだそうです。農具のザルということですね。
そうするとその子は、その方角を見なくなり、
見ても「いやしき様」が来ているとは言わなくなる。
その場合、その子は長らえることができたということでしたが、
笊を吊るしても、別の方角に「いやしき様が来ている」と言うことも稀にあり、
その場合は、神様にそれほど気に入られているなら、と親はあきらめたものだということです。
むろん、Kさんが子ども時分には、これは単なる伝承として伝えられるだけで、
「いやしき様」を見た子がいたり、笊をかけたりなどのことはなかったそうです。







濃霧の中で

2015.08.21 (Fri)
山の中の濃霧は、登山界ではガスと言うことも多いですね。
ひどいときには、まったく視界を失って遭難の原因となることもあります。
実際、すぐ目の前を行く人の後頭部や、
自分のはいている登山靴さえ見えなくなることもあるのです。
登山をしない人でも、飛行機が雲海に突っ込み窓の外が一面に白くなるのを、
見た経験がある方もいるのではないでしょうか。霧と雲は基本的には同じものです。
「五里霧中」という故事成語があります。
国語の試験問題に出て、「夢中」という誤答例が紹介されることがありますが、
「五里霧」は五里四方に立ち込める深い霧という意味で、
中国の正史の一つである『後漢書』に初出します。
今夜させていただく話は、こうした山中での濃霧に関するものです。

体をつかめ

山行、この場合は近代的な登山ではなく、山菜採りや渓流釣り、
猟などで山に入った場合の山人の心得ですが、一寸先も見えないような濃霧の中では、
行動をせずに晴れ間を待つのがベストです。
しかしなかなかそうも言ってはいられません。時間的な制約もあり、
どうしても先へ進まなければならない場合、
例えば4人同行であれば、リーダーが先頭に立ち、
後ろの3人は両手を空けて前の人の腰をつかんで、そろそろと行動をします。
このとき、ザイルを伸ばしたものをつかんだり、
前を行く人のザックをつかんだりするのはあまりよくないことのようです。
こういう話があります。あるとき4人の一行が、冬に集団で巻き猟をした帰り、
ひどい濃霧に出くわしました。そこらの山塊一体がつつまれてしまったのです。

リーダーの指示で、先にお話したように一列縦隊になり、前の者の腰をつかんで、
そろそろと下っていったのですが、3番目の男は手に獲物のウサギを下げておったため、
前の者の腰から手を離してザックの一部をつかんでしまいました。
そのまま20分ほど下ったところで、前の者がまったく動かなくなったのです。
視界はきかなくとも、ザックをつかんだ感触は間違いないので、
「おおい、どした。なんで止まっとる」と声かけをしても返事はなし。
今度は最後尾の者が声をかけましたが、やはり同じでウンともスンとも言わない。
そこで手探りでザックの前を探ってみると、驚いたことにザラザラとした木の感触。
立木がザックを背負っているとしか思えませんでした。
しかし、そんなことがあるはずはない。それはそうでしょう。
そこまで前の者をつかんで、立ち止まりもせずに歩いてきたんですから。

これは何かに化かされていると感じた男は、後ろの男に、
その場に腰掛けるように言い、2人でブカブカと煙草をふかし始めました。
物の怪や獣の化かしには、煙草の煙がよいとされていたのですよ。
そうして、霧が晴れるのをじっくりと待ちました。
視界が回復してびっくり仰天、やはりさきほど手さぐりしたとおりに、
大きなブナの木がザックを背負った形になっていたのです。
そして、そのザックは2人目の男のものに間違いはありませんでした。
ためすがめつ調べても仲間のザックなので、少々気味悪くとも持って山を降りました。
幸いなことに、前にいた2人もすでに山を下りて里に入っていましたが、
2人目の男のザックは当然ながら、なし。両腕を通して背負っているものが、
本人が気づかないうちにするりと脱げてなくなってしまっていたのです。

反魂

このような濃霧の中では、何かがくるとも言われます。
何か・・・とは、前の話のようにキツネやタヌキなのかもしれませんし、
あるいは人や獣どころか、この世のものではないかもしれません。
やはり猟をしていた5人組が、山中で濃霧に遭遇し、
前の者の腰をつかんで、そろそろとムカデ歩きをしていたときのことです。
最後尾の男が、「おやあ、何か来た」と声を出しました。
こういう場合、前に立つリーダーは、「何も来ねえ、気をしっかり持て」
と声をかけます。仮に他の登山者が後ろにいるのだとしても、
何もしてやることはできませんし。お話したように、
来たのがこの世のものとはかぎらないからです。
「うんだな」最後の男はつぶやきましたが、またしばらくして、

「何か来た、何か来た」と叫びました。「何かが俺の腰に取りついとる!」と。
リーダーが「何も来てねえ」とまた言い、残りの者も「んだ。何も来てねえぞ」
と復唱します。最後尾の男は黙りましたが、またしばらくして、
「来たぞ、来てるぞ。女の手だあ。こらあ俺の女房の手だろう」
これを聞いて皆はぞっと背筋が寒くなりました。
男の女房は去年の冬に肺炎で死んだのを知っていたからです。
それもちょうど今頃の時期に。「〇〇さぁ」最後尾の男はリーダーの名前を呼びました。
「俺、ここに残ってもいいかあ。女房が来てるようだども」
「ダメだあ!」リーダーが叫び、残りの者も復唱します。
「おめえの女房はもう鬼籍に入っとるだろうに。そら、おおかたメス狐だろうて」
リーダーはそう言うと4人目の男の名を呼び、

「□□が離れねえようにおめえ、手首を引いてやれ」こう指示したのです。
しばらく進むとまた、最後尾の男の声が聞こえて、
「今よう、俺の女房が隣について歩いておる」こんな内容です。
リーダーは「この霧じゃあ見えるわけがなかろう。そら、この世のもんではねえから」
そしてひときわ声を張り上げて、「オン アビラウンケンソワカ」と唱えました。
そのあたりの山はいわゆる霊山でもあり、修験者の姿を見かけることも多く、
猟師連中も真言(マントラ)を知っていたのです。一行はそのまま、
「阿 毘 羅 吽 欠 蘇 婆 訶」と地水火風空の真言を唱和しながら、
ムカデ姿のまま、ゆっくりとゆっくりと山を下ったのです。
もしもはたから見ることができれば、さぞや異様な光景だったことでしょう。
ともかく、そうしているうちに霧は晴れ、一人の脱落者も出さず戻ることができたそうです。

遊郭

前の話で、最後尾の男に働きかけてきたものは何だったのでしょう。
キツネやタヌキなど山の獣がちょっかいを仕掛けてきたのでしょうか。
そうかもしれませんし、本当に、男の死んだ女房が姿を見せたのかもしれません。
そうです。このような濃霧のときには、この世とあの世の道がつながるということも、
けしてないとは言えないでしょう。
さて、前の話ではリーダーがしっかりした山の男だったので、
無事に戻ることができたのですが、そういうケースばかりではありません。
リーダーには歳はあまり関係がなく、仲間に信頼のあるものがなるのです。
せまい集落で生まれ育ったものどうし、気性は子どもの頃から知っているわけですから。
ただし毎回そううまくいくとも限りません。
そのリーダーねらわれてしまうこともあるのです。

やはり霧の中で、4人がそろそろとムカデ歩きをしておりますと、
まったく視界がない中ながら、どうも道が違うような気がしてきました。
そこで2番めの男がリーダーに、「これはどうも道がおかしくねえか」と聞くと、
「これでええんじゃ」という答え。まあ、一本道のはずですから気のせいかと思ったものの、
やはりおかしい感がある。そのうちに下ってるはずの道が登り始め、
これは絶対におかしいと後ろの3人は確信しました。
「〇〇さあ、これで本当にええんか」とリーダーに呼びかけると、
「ええんじゃよ。もうすぐ着くし、着いたらまずはゆっくり風呂につかろう」
これを聞いて仰天「風呂って何のことだ? 温泉は山の向こうだろうが」
そう言うと、「うんにゃ温泉でねえ。△△閣だって」 「△△閣!?」
皆が絶句したのも無理はありません。

それは大正時代、そのあたりが木材の集積地だった頃にできた遊郭の名前ですが、
なくなってからもう数十年がたっていたのですから。
リーダーにしても子ども時分の話で、△△閣に入ったことがあるとは思えませんでした。
「おめえ、こら、気をしっかり持て。△△閣など、そんなものはもうどこにもねえ」
一行は止まって、リーダーを無理矢理に交代させ、
いっそうぴったりとくっつくようにして山を下ったのです。
後になってから、途中までリーダーを務めていた男に、
「おめえ、何であんなことを言った?」と聞いてみましたら、
発言そのものは覚えてましたが、そこからは自分でもわけがわからない様子で、
「△△閣はなあ、確かに子ども時分に何度か前を通ったことはあるがなあ。
 夜でもたくさん明かりがついて、きれいだったなあ」こんな述懐をしました。








室屋の髪

2015.05.03 (Sun)
室屋の髪という話をいたします。
「髪」は神様の「神」ではなく、髪の毛の「髪」です。
これはわたしらの集落に昔から伝わる古習というか呪法のようなものですが、
もう行われなくなってから20年以上もたちます。
なにせこの過疎ですから、集落に子どもがおりません。
それどころか、もはや集落の存亡さえあやういような状態なのです。
もちろん昔はこうではありませんでした。
廃校になって久しいのですが、集落の小学校もありましたし、
最盛期にはどの学年も1クラスずつあったのですよ。
昭和の30年代のあたりです。ああ、すみませんね。
話が逸れてしまいました。

室屋というのは、集落から少し山に入った水源地にある小屋のことです。
わたしらの集落は、田んぼも少しはやっておりましたが、
その水源のことではあありません。
まあ言ってみれば、どこにでもあるような湧水のことですよ。
その流れ出ている付近に建てたのが室屋です。
中は12畳ほどの広さの土間でして、窓も何もない。
入口をのぞく三方はびっしりと棚でして、そこに泥人形の頭が並んでおったのです。
ええ、頭だけです。実際の人の頭よりは2回りほど小さい子どもの頭ですが、
それに目鼻はついておりません。どのみち頭は板壁のほうを向いておりますんで、
目鼻をつける意味がないのです。ずらずらと並んだ泥色の後頭部には、
一束の、長さ12cmばかりの髪が植えられて垂れておりまして、それで室屋の髪。

この集落の独特の習わしなのですよ。
男の子が生まれますと、5歳になるまで後ろ髪の一部分だけ伸ばしておく。
それは、伸びすぎたら切りそろえますがね。
で、小学校に入る前の年になると、それを切りまして、
新しくこしらえた泥の頭に植えて室の中に納めます。
なぜそんなことをするのかって? いえね、これがいろいろと重宝したのです。
ええ、今からお話しますよ。そうですね、
金次という子どもがおったと思ってください。
これは仮名ですが、実際の名前も近いものです。
親は二人とも分別のある者でしたが、この子はやんちゃでして、
さまざまな問題を引き起こしました。今となっては懐かしい話ですがね。

小学校5年のときでしたか、日暮れになっても家に戻らなかったのです。
それで、父親が青年団の会所に相談にみえまして、
常に山に入って駆け回っておった子どもでしたから、
その日も山にいて、何かあったに違いない。みながそう考えました。
夜になっても戻らないので、これは夜明けと同時に山に捜索に入るべきと、
相談がまとまったのですが、まずは室屋にお伺いしてみようということになりました。
ええ、室屋に入れるのは氏神さんの神主だけで、
行って金次の髪を植えた頭を見ますると、
整然と並んだ泥の頭の中で、金次のものだけがなぜかそっぽを、
西のほうを向いておった。それを見て神主は、
「ははあ、西の山に入りおったな」そう考えて、髪の先をつんつんと引いた。

その後ね、神主は金次の両親とともに西の山の登り口に向かったんですが、
そうしましたら、真っ暗な中を金次が両腕に何かを抱えて下りてくるのに出会った。
金次の話は「夢中になって鹿の子を追いかけとったら、暗くなってしまった。
 道を失ってしまい、朝を待とうと思って枯草の中に寝たんだが、
 後ろ髪が引っぱられる感じがして、その方に少し歩いたら登山路に出た」
こういうことでした。ええ、腕に抱いておったのはその夏に生まれた鹿の子でしたよ。
逃がしてやりましたが、それにしてもよく捕えることができたものです。
まあ、このような形で室屋の髪は役に立っておったのです。
金次の話を続けます。中学は集落にはありませんでしたので、
自転車で町に通うことになりまして、
そしたらどうも町の子どもらと折り合いが悪くて、ケンカばかりしておったようです。

これは、集落の子どもは田舎者ということで、
どうしても町では馬鹿にされる傾向がありまして、
金次が代表格として、そういう子らに向かっていったせいでしょう。
そこまでは理解できるというか、むしろ褒めてやりたいくらいですが、
金次は町の年上の連中と関係がついてしまったようで、
いわゆる悪い仲間に入ってしまったのです。
当時はね、どこの中学も荒れておりまして、暴走族もこんな田舎にもあったのですよ。
シンナーなども流行っておりまして、その関係でしょう。
金次は夜遊びして朝方帰り、学業を怠るようになりました。
体の大きな子でしたし、力も強かったですからねえ。
そこで困り果てた両親が神主のところに伺い、窮状を訴えた。

神主は室屋に入りまして、金次の頭の髪をずんずんと引っぱるわけです。
そうしますと、夜遊びをしていた金次が、
激しい頭痛を感じて家に戻ってくる。
そこへ神主が室谷から戻ってまいりまして、
頭を抱えて寝込んでいる金次を正座させて、こんこんと説教をする。
このようなことが何度かあったようです。
ええ、室屋の髪は、その子の守り神としてあるのですから、
こういう用い方は本来のことではないのです。一般に、
集落の子はみな大人しかったのですが、その金次という子は特別でしたから。
ですからねえ、最期はあんなことになってしまったのです。
それを今からお話しますよ。

金次はね、勉強が嫌いでしたので、中学を出て町で就職いたしました。
メッキ工場であったと思います。16歳ですね。
初給料から親に小遣いとしていくらか手渡したようで、
それには両親も涙を流さんばかりに喜んでましたが・・・
同時にね、免許をとり、ローンを組んでバイクを買いました。
ええ、先ほどお話した暴走族の関係です。で、金次は工場の寮に住んでおったのですが、
両親の元に工場の上役から、金次が月曜になっても寮に戻らない、
という連絡が入りました。そこでね、また神主を頼ったわけですが、
神主も室屋の髪がどれほど効力があるかはわからなかった。
といいますのは、その子が16歳を終えると、頭は泥に戻し、
髪は集めてお焚き上げをすることになっておりまして、その期限の直前であったのです。

室屋の髪は子どもが幼いときほど効力を発揮し、
大人に近づくにつれて力を失っていくものであったのです。
まあ、まじないというのはそういう面を持っておるのでしょう。
神主が室屋に入りまして、金次の頭を見ますると、
なんと、頭は真っ二つに割れて、髪はばらばらにほどけて棚に散らばっておったそうです。
そのようなことは初めてであり、これは只事ではないと、
両親に話して警察に届けさせました。でね、その日の遅くになって、
金次が発見されたのです。ダム湖へ行く峠のがけ下にバイクと一緒に転落しておりまして、
即死であったということです。ええ、今でもわずかですが集落には子どもらはおります。
でも、後ろ髪を伸ばさせたり、切って泥の頭に植えるなどのことはしておりませんよ。
別にそのようなことをしなくても、普通に育っていますからねえ。








こちけさま

2015.03.17 (Tue)
中学校1年生でしたね。田舎だったんで、
学校の裏にロープリフトを張ったスキー場があったんです。
山の斜面の草を刈って、農機をばらしたエンジンでロープを回すやつです。
両手でつかまってると、上まで引っぱりあげられるんです。
学校の保護者会でやってるやつで、もちろん無料でした。
その日は、学校が先生方の会で早く終わったのと、
天気がよくてなかなか暗くならなそうだからってんで、仲のいい友達と2人で行きました。
スキーはそこの山小屋に冬中ずっと昔はいてたのを置いてあるんです。
2時から5時くらいまで滑ったんですが、
油断しててゴーグル持ってかなかったんで、雪目になっちゃったんです。
目のまわりが赤くなって、シクシク痛み、それと猛烈にかゆいんですよ。

でも、かくと悪化して病院にいかなくちゃならないんで、
ガマンしいしい帰ってきました。
紫外線で目の表面が焼かれたってことなんですってね。
久しぶりの太陽が斜面に当たって、照り返しが強かったですから。
いっしょに行った友達はならなかったんで、運が悪かったんだろうと思います。
で、目をしばたかせながら帰ってくるとき、
変なものが見えたんですよ。うーん、そのときははっきりした姿を見たわけじゃなくて、
ただ、影になった暗がりの部分に何かいるような気がしたんです。
大きさは2~3歳の子どもくらいですね。
それくらいの子どもって、体に比較して頭が大きいでしょう。
4頭身とか5頭身っていうやつです。

ところが、見えたのはもっといびつで3頭身くらいしかないと思いました。
そいつの黒い影が、ちょこまかって、影の部分から出てくるんです。
「あれ、今なんかいたな」と思って、目を凝らそうとするんだけど、痛くてできない。
でも、陰になった部分を通るたび、何かが走り出してくる気がする。
友達にそのことを話したら「えー、なんもいないぞ」って言われました。
それで、雪目になったために見える錯覚なんだろうと思いました。
家に着くころには日も暮れてきて、影自体なくなって、
そうすると見えることもなかったんです。
家に入って、爺ちゃんに「目が痛い」って言いました。
するとテレビで相撲を見ていた爺ちゃんは、こっちを見ないで、
「かくなよ、かけば病院に行かなくちゃならなくなるから。

 ぬるま湯で目を洗って、薬箱の目薬さしとけば明日まで治る。
 明日は吹雪に戻るみたいだから、もうまぶしいことはないだろう」って言いました。
それで、言われたとおり台所で目を洗いながら、
「来るとき変なものが見えた」って言ったんです。
爺ちゃんは相撲に夢中だったので、生返事でした。
目薬をさしているうち相撲が終わったんで、
ひいきの横綱が負けて呆けた顔をしている爺ちゃんに、
「目が痛くなってから、暗がりの中から子どもみたいなのが走り出てくるのが見えた」
ってもう一度言ったんです。
すると爺ちゃんは、なんだか面白そうな顔になって、
「ほうほう、それは『こちけさま』じゃないか」って答えました。

「こちけさまって?」
「爺ちゃんも子どものときに見たことがある。
 このあたりでは雪目になると見えるもんだったが、道路もよくなって、
 もういないのかと思ってた。ほうほう、懐かしいな」
「へえ、あれ本当にいるもんなんだ。それで、こちけさまって何?」
「なんだかはわからんよ。えーほら、鬼太郎のマンガなんかに出てくるやつ。
 あれの仲間かもしれんな」
「・・・妖怪ってこと? でも、そういうのって想像上のもんでしょう」
「いんや、お前の学校の教科書にも載ったと思うがなあ。
 昔々、ふるーい時代から、人間と共存してるもんだ。
 悪さをしたって話は聞いたことがない。今は、向こうが人間に遠慮してるんだろう」

「どういう姿をしてるかわかるの?」
「だから、教科書に載ってるとおりだよ。
 もしかしたら、昔の人は誰でもちゃんと見えてたのかもしれない。
 ひじょうによく似せて造ってる」
「わけわかんないな。何の教科書に載ってるの? 理科?」
「社会だろう。爺ちゃんも昔、小さいころに見たことがあるぞ。
 あれは、やっぱりお前と同じで雪目になったときだったな。
 しかし、雪目はむしろ大人になって山仕事に行ったときのほうが多かったが、
 そんときには見なかったから、子どもにしか見えないのかもしれん。
 明日吹雪なのが残念だな。もし晴れてたらスゴイもんが見られたかもしれんのにな」
「スゴイものって?」 「だから、こちけさまたちだ」

こんなやりとりをしてるうちに、両親が帰ってきたので夕食を食べ、
目のことを口実にして勉強しないで早く寝たんです。
目には濡れタオルを上からあててました。
翌朝、カーテンの隙間から日差しがさしてきて目が覚めました。
どうやら天気予報は当たらなかったみたいです。
目はもう痛くなかったですが、かゆみはまだ残ってました。
時間は6時前だったんですが、昨夜早く寝たんで起き出しました。
下に降りていくと、爺ちゃんがストーブをつけてましたが、こっちを見て、
「どうだ、目は治ったか?」って聞いてきたので、
「痛みはないし、涙も出なくなったけど、まだかゆい」って答えたら、
「そうか、かくなよ。たぶん今日中には治るだろ。

 それと、天気がよくなったんで、面白いものを作っておいたぞ」
こう言って、変なものを見せてよこました。
それは横長のボール紙に細い切れ目をやはり横長に入れたもので、
両端に15cmほどのひもがそれぞれついていました。
「こうやって目につけて、頭の後ろでひもを結ぶんだ」
「へえ、なんかかっこいい気もするな。何に使うもの?」
「こちけさま、が見えるかもしれん。天気予報は外れたし、
 朝は日差しもそう強くないから、目のほうは大丈夫だろう」
爺ちゃんはそう言って、裏口から外に出るように言いました。
それでヤッケをひっかけて、長ぐつで爺ちゃんの後に続いたんです。
夜の間に雪はほとんど降らなかったようでした。

固くしまった雪を踏んで裏庭に出ると、田んぼに積もった雪に、
ところどころにある杉の木がくっきり影を落としてました。
目が少し痛んだので爺ちゃんに言うと、
「さっきのメガネをつけて田んぼ見てみろ」
それで、ひもを結んで、細長い隙間から田んぼを見てみたんです。
何か小さいものが杉の影から走り出、短い手足で半ば雪を泳ぐようにして、
ちょこちょこと別の影に入っていきました。あちこちにいるみたいでした。
「見えるか?」爺ちゃんが聞いたので、
「昨日よりはっきり見える。あ、こっち向いた。
 わかった、確かに社会の本に出てるやつだ。目が、今俺がつけてるのに似てるね」
「そうか、さっき試してみたが、やはり爺ちゃんにはもう見えん。

 しかし、いるってことは何となく感じる」こう言いました。
しばらく、こちけさまたちを見てたんですが、
そろそろ両親が起きてくる時間になったので家に戻りました。
「このメガネをつければ、また見えるのかな」
「いや、たぶんダメだろう。雪目になったときじゃないと無理かもしれん。
 爺ちゃんもそうだったしな」
確かにそれ以後、はっきりした姿は見てないんです。
わざと雪目になるわけにもいかないですしね。
でも、冬になると存在を感じることはありますよ。ああ、今走ったんじゃないかってね。
・・・「こちけさま」が何かもうおわかりでしょう。
そう、これのことです。