飛顔

2014.03.31 (Mon)
昼休みに芳美に声をかけられました。
「ねえ、秋葉(私のことです)。あの南口前に新しくできた○○○ってどうだった?」
〇〇〇〇というのは西洋雑貨とケーキのお店で、私も前から気になっていたとこです。
「どうだったって、いや、まだ行ったことないよ」
「えー、でも秋葉が入っていくの見たよ」「行ってない。いつのこと?」
「こないだの土曜の昼頃。電車で遊び行こうとしてあの前を通ったら、
ちょうど秋葉が入ってくとこだったんよ」
「顔も見た?」「見たよ、あんたその人だったよ」
「えー、でも変ね。行ってないよ。似た人がいるんだろね」
こんな会話をしました。

さらにその日、部活が終わった後、チームメイトの舞といっしょの帰り道で、
「秋葉。いつから石森先輩とつき合うようになったの?」
唐突に聞かれました。石森先輩というのは男子バスケ部の3年生で、
整った顔立ちであこがれてる人が多いんです。
「えー、何急に。つき合ってないよ」
「ホント?」「ホントだよ、何でそんなこというの?」
「見たって人がいるのよ。日曜日にあんたと石森先輩が手をつないで歩いてるとこ」
「えー、どこを?」「湾岸道路わきの遊歩道って言ってた」
「ないない、それ人違いだよ。日曜はずっと家でテスト勉強してた」

「あんたが見たわけじゃないんでしょ。だれに聞いたの?」
「・・・陸上部の美那」
「とにかくないから、そんなこと。それにしても変ねえ」
私は昼に芳美から聞いた話をしました。
「うーん、秋葉に似た人がいて芳美も見間違えたってこと?」
「いや、同じ人とは限らないと思うけど・・・私ってそんなどこにでもいる顔なのかな」
「そんなことないと思うけど・・・髪型とかはそうかも」
複雑な気分でした。実は石森先輩には私もちょっと関心があったんです。
それと、たまたまだと思いますが1日に2回も人違いをされるなんて、
何か気味が悪かったんです。

舞と別れ、「ただいまー」と言って家に入ると、
母がキッチンから出てきて、「えっ!えっ!」と言いました。
「お母さん、何驚いてるの?」
「だってあんた、さっき帰ってきてすぐ部屋に上がって行ったじゃない」
「さっきっていつ?」「ほんの10分くらい前だけど」
「・・・・」そんなことありえない、と思いましたが、
今日昼からの出来事があったため、かなり気持ちをかき乱されてしまいました。
部屋に行けば私がもう一人いるのだろうか。
その私と私が出会ってしまったらどうなるんだろう?私は消えてでもしまうんだろうか。

「えーお母さん、怖い。部屋にいっしょについてきてよ」
「今ちょっと料理の手が離せないのよ。ああ、隆あんた一緒に姉さんの部屋に行ってみて」
隆というのは中学生の弟で、剣道部です。
居間でテレビを見てたんですが、私たちのやりとりが始まってから興味津々で聞いてました。
「ねえちゃん、俺先に行くよ。今、竹刀取ってくるから」
そう言って玄関わきに立てていた竹刀を持ち階段を駆け上がっていきました。
私が後からついていくと、部屋に一歩入った状態で隆が固まっていました。
固まったというのは、言葉どおり立ったままビーンと硬直して白目をむいていたんです。

部屋は電気がついて、窓が開いていました。隆がそうする時間はなかったはずです。
机の上にお面が一枚、顔のほうを上にして置かれていました。
お面・・・にしてはいやに質感がはっきりしていて・・・
近づいて覗きこむと、それは私の顔でした。
顔はニャッと嫌ーな感じの笑いを浮かべ、それから表情が崩れました。
だんだんに色を失って紙粘土のような白になり、
私の顔形もなくなって石膏像みないな目鼻になりました。
フワンと浮き上がってひらひら宙を飛び、開いた窓からどこかに飛んでいってしまいました。

バタンと大きな音がして隆が倒れました。
駆け寄ると「うーん」と頭をさすりながら起き上がりました。
大きなコブができていたものの、それ以外に異常はないようでした。
あとで聞いたところでは、部屋に一歩入ったとたん目の前が真っ暗になり、
そこから先は記憶がないそうです。
「机の上のお面を見た?」と聞いたんですが、見てないとのことでした。
それからは特に何も変わったことは起きていません。
誰かが身に覚えのないことを言ったりすることもないし・・・
うまく言えないんですが、もしかしたらあの面は、
次々に顔を変えながらこの世を飛び回ってるんじゃないでしょうか。




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猫袋

2014.03.31 (Mon)
もうだいぶ前のことになりますし、
みなさんと違って幽霊なんかが出てくる話じゃないけどいいんですか。じゃあ・・・
新婚2年目の5月のことです。前の年に赤ちゃんができて、生後半年でした。
あの頃は集合住宅に住んでいまして・・・かなり大きな団地でしたが古くて・・・
入居者も歯がかけたようにほつぽつとしか入っておらず、
子どもがもう少し大きくなったら新しくて広いところに越そうと、夫と話をしていました。

夫は食品販売の会社に勤めていたんですが、4月から3ヶ月の長期出張で地方支店に行ってました。
週末には帰って来ましたが、平日は赤ちゃんと2人でのんびりと過ごしていたんです。
それでですね、第2週の月曜に、右隣に新しく人が越してきたんです。
事前の連絡なんかはなかったです、自治会があまり機能してなかったんですね。
私が午後に赤ちゃんを乳母車にのせて2時間ばかり買い物に出ている間に、
もう引っ越しは済んでしまっていましたから荷物はあまりなかったんだと思います。

先ほど、のんびりしたと言いましたが、やはり寂しさもありましたので、
話し相手になるような人ならいいなと思ってました。
ところがその日も、翌日もご挨拶も何もなかったんです。
こちらから伺うのもなんですし、そういうのが今風なんだと思って黙ってました。
ところがそれだけじゃなくて、通路で会ったとき私から挨拶しようとしたら、
ふいと横を向いて部屋に入ってしまったんです。
私より5歳位上でしょうか、ちょうど夫くらいの年齢だと思いました。
きれいな方だと想うんですが、ボサボサの髪に化粧っ気はまったくありませんでした。

失礼な人、と思いましたが、どうやら一人暮らしで、昼夜逆転の生活をしているようでした。
日中は出かける様子がないし、夜ずっと部屋に明かりがついていたんです。
どうしてわかるかというと、物干し場をかねているベランダが、
胸までの高さの仕切りはあるもののつながっていて、
そこから身をのり出すとサッシ戸がのぞけるんですが、
新しいカーテンのすき間から夜中ずっと明かりが見えてたんです。
いえ別に監視していたわけじゃなくて、なんとなく薄気味が悪いなと思ってたんです。
・・・夜の仕事というわけではなさそうでした。
ときおり深夜に出かけることもありましたがすぐ戻ってきて・・・
食料をコンビニ等で買ってたんだと思います。

そのうち土曜日になり、夫が帰ってきたのでお隣の話をしましたが、
「へえ、そう」と言ったぐらいでほとんど関心がないようでした。
翌週の月曜日、天気がよかったのでベランダに洗濯物を干していましたら、
そのお隣のベランダを白い猫がうろついていました。
動物が好きではないので種類はわかりませんでしたが、ごく普通の日本の猫に見えました。
ノラ猫ではないと思いました。この4階のベランダに登ってくることができるとは思えませんし、
首に鈴がついてチリチリ鳴ってましたから。それに手術しているのか鳴き声もたてません。
お隣で買っている猫なんだろうか・・・
団地はペット禁止でしたが、そのときは苦情を言うつもりはなかったんです。

それが・・・数日後風を入れるためにサッシを開けていたら、
どうやらその猫が入り込んだようなんです。
寝室のほうに寝かせてある赤ちゃんのベビーベッドの布団にひじょうに臭いシミがついていました。
もちろん赤ちゃんはおむつなので、赤ちゃんのおしっこというわけではありません。
いつも寝室への襖は少し開けていますので、
そこからベランダを通ってそこから入り込んだとしか考えられませんでした。
これは苦情を言うしかないと思い、意を決して通路に出、隣の部屋のインターホンを押しました。
しばらく間があって「・・・何ですか」と機械のような抑揚の返事が返ってきました。

「あのお宅で飼っている白い猫のことなんですが・・・」
「・・・猫がどうしたって」
「ベランダからうちに入り込んでるみたいなんです」
「それで?」
「困るんです。うちには赤ちゃんもいますし」
ここでまた間があって、「赤ちゃん」とインターホンからあざ笑うような声が聞こえました。
「ドア開けられないからそのままベランダに出て。そこで話すから」
ベランダの仕切りごしに話をするということなんだろうか、なにか部屋に入れられない理由でも・・・
それで不承不承ベランダに出ました。

待っているといつまでも出てきませんので、そこから声をかけました。
「あのベランダに出たんだけど」
するとサッシのすぐ後ろから「今行く。準備してるんだよ」と声がして、
隣の女が両手に頑丈そうな白の布袋をひきずって出てきました。
相変わらずボサボサの髪でジャージの上下でした。
「あんたに迷惑かけたようだから猫を始末するよ・・・どっちの袋に猫入ってると思う」
わけがわからず黙っていると、
「早く選べよ、この2つの袋には猫とお前の赤ちゃんがはいってるんだよ」
「嘘!!そんなことありえない」

「・・・お前が最後に赤ちゃんを見たのはいつだよ?さっきこの仕切りを乗り越えて袋に入れたんだよ」
袋は下に置かれていましたが、よく見るとどちらも布を突っ張るようにして中で動いてるものがあります。
私は思わず赤ちゃんを見に部屋へ戻ろうとしましたが、
「動くな!動くとガキを入れたほうを下に放り投げるよ!」
「早く選びな。3つ数えるうちに選びな、1・2・・・」
私は仕切りにとびついて乗り越えようとしました。でも足が上がりません。
女は片方の袋を持ってベランダの向こうの仕切りまで後じさりすると、
高笑いしながら、両手で袋を外への手すりの下のコンクリの柱に叩きつけ出しました。
「アハハハハハハハ、さあ、死ね、死ね」

袋の中で「ギッ、ギイイッ」というくぐもった声がしていました。
女はすぐに疲れて、袋をコンクリの角に立てかけて足で踏み始めました。
「ギッ、ギニャッ」「アハハハハハハハハ」白い袋に赤く血が滲んできました。
私は仕切りを越えるのをあきらめ、寝室まで走りました。
赤ちゃんはベビーベッドですやすやと眠っていました。
「お前の赤ちゃんは声帯取ってないだろうが、アハハハハハハハア」
ベランダで女が叫び声を上げていました。
私は迷わず警察に通報しました。

ここからのことは話したくないです。
女は夫の昔の恋人だったみたいです。あの団地のことを調べて越してきたみたいなんですね。
夫がそのことを知っていたかどうかはわかりません。
裁判のときには知らなかったとは言ってましたが・・・離婚したんです、このことのせいで。
女のほうは動物虐待ですか・・・たいした罪にはなりません。
両親らしき人が警察から引き取って連れて帰ったはずです。
どこかの病院に入院してるんじゃないかと思いますがわかりません。
ああ、猫の袋とは別のもう一つのほうには、動く赤ちゃんのリアリな人形が入ってました。
・・・すみませんね、不愉快な話をしてしまって。次の方どうぞ。



鏡の龍

2014.03.30 (Sun)
私の元同僚の子の話なんです。23歳でした。
新入社員研修を終えてこの課に配属されてきたんです。
それで、課長に頼まれていろいろ仕事の内容を教えてたんですが、
飲み込みの早い子でした。ただ気になることがあったんです。
ときどき・・・そんなに頻繁にでもなかったんですが、
自分のデスクの引き出しからコンパクトを出して覗くんです、
注意しようと思いましたが、化粧をするわけでもありません。
右肩の後ろのほうを鏡で確認しているんじゃないかと思いました。
なぜならコンパクトを見た後で、さらに後ろをふり向いていましたから。

変に思いましたが、癖なんだろうと思って黙っていました。
でも、数週間たつうちにだんだんコンパクトを見る回数が多くなってきて、
男性職員の目にもつき始めたんです。
これは本人が直接注意されるか、私のところに話がくるのは時間の問題だと思って、
昼休みに外に誘って事情を聞いたんです。
その子は恐縮しながら説明してくれましたが、それがとても奇妙な内容だったんです。

「そうですね・・・1ヶ月くらい前からかな、
右後ろのほうでゴーッゴーッという音が聞こえるようになったんです。
音は数秒続いて、でもふり向いてみると何もない・・・
というか友達と一緒にいたときにも聞いたことがあるので、
友達にそのことを尋ねたんです。そしたら音なんてしなかったって言うんですよ。
どうも私にしか聞こえない音みたいでした。
幻聴なのかもしれないと思って耳鼻科にも行ったんですが、
特に異常はないと言われて・・・」

「それで、音がしたときふり返ってみても特別変わったものはないんです。
ただ・・・2週間くらい前、お風呂あがりに洗面所にいたときに音がして、
そのとき鏡に写ったんす。大きな大きな龍の顔だと思いました。
よく寺院の天井に描かれたりしてるじゃないですか。
そのらんらんと光る両目が近づいてきました。それは驚きましたよ。
ええ、自分でも変だと思います。それで聞こえたときに、
コンパクトで確認するようになってしまったんです」

「数秒くらいなので、コンパクトを出したときには聞こえなくなってることのほうが多いです。
でも写るときがあります。鏡が小さくてはっきりしないんですが、龍の顔の一部が見えます。
鱗のある鼻面や渦まいた髭や、牙の一部なんかが・・・ それで、
音が聞こえる回数がだんだん多くなってきました。前は2日にいっぺんくらいだったのが、
ここ最近は1日に数回聞こえます。しかも近づいてくるんです。なんだか怖くって・・・
他の人は見てないです。実際には後ろに何もないし、
数秒なので鏡に写ったのを見せるタイミングもないし」

こんな話でした。
緊張感から少し心に変調をきたしてるんじゃないかと思ったので、
年休をとって総合病院を受診するように勧めました。
ところが・・・その休んだ日に交通事故に遭ったんです。
居眠り運転の大型トレーラーが歩道に乗り上げて突っ込んできて、
背後から跳ね飛ばされたんです。即死でした。
他には怪我人もなく、被害に遭ったのは彼女だけだったんです。
それと・・・事故の場所を聞いて驚きました。
よく知っているところなんですが、彼女が歩いてた横のビルって壁面が鏡張りで・・・

『鳴き龍』
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雑談(将棋電王戦)

2014.03.29 (Sat)
 電王戦というのをニコニコ動画でやっています。
これは将棋と囲碁のプロ棋士が、コンピュータソフトと戦うもので、
(一斉対局ではなく、週に1対局、囲碁と将棋では勝負の形態が異なる)
囲碁は今回が第1回、将棋は第3回になります。
自分はいちおう囲碁も将棋もルールはわかりますが、
囲碁のほうはまだコンピュータソフトが弱くて、プロ棋士とはハンデをもらわないと
勝負になりません。  
ですから囲碁よりも、将棋のほうが盛り上がっていると思います。

 逆に将棋のほうはコンピュータソフトが優勢で、第2回の結果は、ソフト側からみて
3勝1敗1分けでした。このため、今回はプロ棋士側がハンデをもらうという形になっています。
どのようなハンデかというと、ソフト開発者側がプロ棋士にソフトを長期間貸し出し、
そしてそのソフトの内容を変更せずに本番を戦うというものです。
つまり貸し出したものより強くしてはいけないわけです。
プロ棋士側はその貸し出しソフトと十分な練習をして、ソフトの指し癖の隙を見つけて
そこをつけば勝つことができる可能性があります。

 現在のところ3戦消化してソフト側の2勝1敗ですが、昨日はプロ棋士の豊島七段が
今回プロ側初勝利をあげました。
2ch掲示板では、プロ応援側(プロ厨という)ソフト応援側に分かれて盛り上がっていますが、
内容が将棋なので、世間様の話題にはあまりなっていないようです。
自分が見るところでは、一発勝負ではもはやプロ側が勝てないほどソフトが強くなっていると感じます。
ただし、将棋というゲームが完全解析(お互いが最善手を指し合えば、先手勝ち、後手勝ち、引き分け
のいずれになるかがわかる)は現状では不可能ですので、
プロ棋士が十分な時間をとって研究し、ソフト側の癖を見つけることができれば
今回のように勝つこともできるようです。
ちなみに豊島プロは1日10時間、数百局の練習対局をしたそうで、
公式対局(人間同士の勝負)もあるのにそれだけの努力をしたことを賞賛する声があがっています。

 自分はソフト側、プロ側のどちらを贔屓にしているわけでもないんですが、
ソフト側は今後どんどんと強くなっていくのに対し、人間の進歩というのは微々たる歩みなので、
そのうち人間側がどうやっても勝てないという時期がくるのではないかと思います。
オセロやチェスなどでは、
すでにあるスペック以上のハードに搭載したソフトに人間は勝つことができません。
これは、勝負そのものが図形的な要素を持った計算力の戦いになるので、
例えば円周率の計算なんかと同様に、
人間が計算で機械に勝つことができないのは自然であると思われます。
囲碁の場合は、勝負の形が将棋のように相手の王を追い詰めるという直線的なものではなく、
序盤・中盤では非常に選択肢が広いため、
まだソフトの計算力(というかどのように計算すればいいかの方法も含めて)が追いつかないようです。

 さて、この対決を見ていていろいろと考えたことがあります。
一つは、人間同士の勝負は心理的なものがあるから面白いということです。
大勝負になれば人間は震えて実力を発揮できない場合があるし、一歩踏み込めば勝機があるというときに
気後れから躊躇してしまって結果的に勝ちを逃すとか、圧倒的な自分の優勢に舞い上がってしまい
凡ミスを繰り返してしまうなどのことがあります。
そこが人間の人間たる所以で、見ていて面白いわけです。
これに対して、コンピュータ側は心理的な原因で指し手が狂うということはないし、
そもそもどれが大勝負かもわかってはいません。
つねに冷静であり、どんなときでも同じようにふるまうことができるのですが、
その点がかえって見る側の興味をひかないという面もあります。
コンピュータ同士のリーグ戦を繰り広げてるネットサイトもありますが、
高度な指し手の応酬にもかかわらずあまり人気がないのは
このせいが大きいと思われます。

 もう一つは、賭けているものが大きいほど勝負は面白いということです。
人間同士の対局は、タイトル戦でも順位戦でも負けてタイトルを失ったり、所属するクラスが落ちると
収入に直結し、引退が早まることもあります。
それに対して、ソフト同士の対局ではソフトの開発者どうしのメンツなどもあるでしょうが、
プロ将棋の対局ほど大きなものは賭けられていないため、どうしても興趣が盛り上がらない面があります。
勝負事は勝ったものの喜びを思い、負けたものの悔しさを察することが
観戦の醍醐味の一つとなっているのだと思います。

 最後に、ソフト開発者の中には人工知能の研究の一環として、
将棋ソフトの開発に関わっている方もおられるようですが、単に人工知能を研究するなら
将棋ソフトによる研究は悪手(あまりよい方法ではない)であると自分は思います。
現状では高度であってもただの計算にすぎないし、
ここから、何かフィードバックできるような成果も得られていないと思います。
人工知能というのは、必ずしも機械を人間に近づけるということではないのですが、
いくらソフトがプロに勝てるようになったとしても、人工知能に至る道のりは険しく遠いと思いました。



花粉症の仮面

2014.03.29 (Sat)
ひどい花粉症で、この季節はとてもつらいんです。鼻水、クシャミ、
目の痒みとすべての症状が出て、頭が変になりそうに感じるときさえあります。
その中でいちばんひどいのは鼻水で、ティッシュの箱を一日中手放せません。
会社では窓口業務なのでできませんが、
せめて通勤時はマスクをつけるようにしていました。

1週間前の通勤電車でのことです。いつものことですが、
満員で座ることができず吊り革につかまっていたら、視線を感じたんです。
顔をあげてそちらを見ると、私と同じくらいの年ごろと思える女の人が
こちらを見ていました。ハッとしました。自分に似ている、と思ったんです。

似ているといっても、よく怖い話にあるように瓜二つというわけではありません。
ただ髪型も髪の色もよく似ているし、眉や目の化粧のしかたも同じようなんです。
その人は私と同じくマスクをつけていたので、
れ以外の部分はどうなっているかわかりませんでしたが。
その人が見ていたことに私が気づいたと思ったのか、たまたまなのか、
女の人は体の向きを変え、次の駅で降りていきました。
ひじょうに違和感を感じたのですが、同じような嗜好の人が
いるんだなと思うことにしました。

次の朝、同じ電車に乗っていると、また少し離れた場所にその人がいて、
自分のほうを見ていました。今度は私が見返しても目をそむけることなく、
ずっとこちらをにらみ続けていました。そのとき、あることに気がつきました。
昨日は黒っぽいコートを着ていたと思ったんですが、今日は明るいベージュのコートで、
私が着ているのとそっくりなんです。・・・これも完全に同じもの、
というわけではなくて衿の形などが少し違っていました。
「この人、私が昨日着てるのを見て、似たようなのを買ったんだろうか」
そんな考えが頭をかすめました。
でもコートは高価なものでもないし、私の真似なんかしてもしょうがないだろうから、
きっと偶然なんだと思うことにして、私のほうで視線を外しました。

また次の日です。2日続けてあった出来事が気味が悪かったので、
その朝は家を早く出て、一つ前の電車に乗りました。
混雑はやや少ないものの満員には変わりありませんでしたが、
あの女の人はいませんでした。
ああ、明日からずっとこの電車にしようかと思ったとき、
駅に着いて、あの女の人が乗ってきました。

マスクから出ている眉根にしわを寄せて、
怒っている顔つきでずっと私から視線を外さないんです。
なんだか怖くなってきました。これはストーカーなんだろうか・・・
そのとき急にクシャミが出ました。マスクは手で押さえましたが、
かなり大きな音を出してしまったかもしれません。
するとその女の人も、少し体をかがめて同じようにクシャミをしたんです。
そしてマスクごしにニッと笑ったようでした。

完全に故意にやっているんだ、とわかりました。
薄気味が悪いのでなんとか場所を移動し、いつもの一つ手前の駅で降りました。
そこから次の電車に乗ろうと思ったんです。
鼻がグスグスして、次の電車までまだ時間があったので、
トイレに行って思いきり鼻をかもうと思いました。トイレには誰もいなかったので、
ティッシュを出しマスクを外して鏡の前で鼻をかみました。
顔を上げると、鏡にあの女の人が写っていました。
思わず身を硬くすると、その人は「見たよ、マスクを外したあんたの顔を見たよ。
 私の勝ち、あんたの存在をもらうよ-」
大きな声でこう叫び、高笑いしながら出て行きました。
・・・私はショックのあまり呆然として、
電車を乗り過ごし会社を遅刻してしまいました。

そして退勤時のことです。ホームで電車を待ちながら、
朝の出来事を考えていました。あの女が言った、
「あんたの存在をもらう」ってどういうことなんだろう・・・
突然、また大きなクシャミをしてしまいました。すると、
背後で同じようなクシャミが聞こえ、えっ、とふり返るとあの女が立っていました。
「イヤーッ」大声で叫んだと思います。女はドンと両手で私を突き飛ばし、
私は背中からホームに落ちました。

下の固い部分で頭を強く打ち、意識がもうろうとしましたが、
会社員風の男性が2人、線路に飛び降りて助け上げてくれました。
ベンチに抱えて運ばれたとき、その人たちに「変な女、女が突き飛ばした」
と言ったんですが、男性2人は顔を見合わせてから首をふり、
一人が「いや、たまたま落ちるとこを見てたけど、まわりには誰もいなかった。
あなたが一人で落ちたんだと思いますよ」こう言うと、
もう一人も「そうでしたよ」とうなずいたんです・・・






お礼

2014.03.27 (Thu)
怖い話・・・そうですねえ、あります、ありますけど・・・
ここで話すのはどうかなあ・・・亡くなった人がいるんですよ。
ええ、はい、わかりました。オフレコってことで。
中学1年生の夏のことでした。実家は南のほうの離島だったんです。
場所はちょっと・・・家は浜辺に近くて、
夏休み中は毎日のように泳ぎにいってました。
当時は紫外線なんて気にしてなかったんですね。まだホント子どもだった頃です。

仲のいいAちゃんBちゃんと待ち合わせて、午後から浜に行ってたんです。
Bちゃんのお兄さんがいる観光協会がやってる地引き網を見ていました。
これは本格的な漁じゃなくて、観光客対象のものなんです。
食べられるようなのはめったにとれないんですが、
観光客の人たちはその後用意していた食材でバーベキューになって、
私たち3人はテトラポットの上を歩いていました。
波よけとして数km続いてるところを物産館に向かったんです。

・・・女の子3人というのは具合が悪いですよね、ケンカになったりして。
そのときもちょっとしたことで気分のすれ違いがあって、私が一人になったんです。
そのとき帰ってしまえばよかったんですが、AちゃんBちゃんがテトラポットを歩き、
私が膝くらいまで海に入って10mくらい遅れてその後をついていったんです。
100mくらい行くと、異様な臭いがしてきました。
生ゴミのような・・・もっとヒドイ臭いです。
死んだ大きな魚でも打ちあがってるのかと思いました。

顔をしかめながら進んでいくと、先を行っていた2人が声を上げたようでした。
立ち止まって私を待っていたAちゃんが声をかけてきました。
「この臭いスゴくない。この場所がいちばんヒドイ。
 ねえ、そっからテトラの下見える?」
腰をかがめてテトラの間を見ると、目が合ってしまったんです。
・・・食べ物もあるとこなのにこんな話して大丈夫かな。
正確には目はなくなっていました。ぽっかりと空いた眼窩・・・
腐乱した、たぶん男の人の水死体が奥のほうにひっかかっていたんです。
フナムシが玉のようにたかっていて・・・思い出したくもないです。

私は絶叫しました。それから3人で走って大人の人を呼んで・・・
警察がきて女性警官にそれぞれ事情を聞かれましたが、
それほど長い時間じゃなかったですね。
私たちが子どもなのでショックを考えたんだと思います。
パトカーで送ってもらえることになって、ショックはもちろん残ってたんですが、
何かスゴイことをしたような気分もありました。
パトカーの後部座席で、Aちゃんがこんなことを言ったんです。
「水死体って見つけた人のところにお礼にくるんだよね。
Cちゃん(私)ところに今晩くるかもしれないよね」

「え、でもAちゃんBちゃんたちが先に気がついたんでしょ」
「私たちはただ、ここがいちばん臭いがヒドイな、何かあるのかなって思っただけ」
「でも、叫んでたじゃない」 「その場所からスゴイ臭いがしただけよね、Bちゃん」
「うん」こんな会話を聞きつけた助手席のお巡りさんが、
「発見者はあなた方3人ということになってますが、大丈夫ですよ。
 見つけてもらったのは感謝してるだろうけど、
みんなが怖がるとわかってるからお礼には来ませんよ」
それで少し気が楽になって私たちは黙り、
それぞれの家の前で降ろしてもらいました。

家では祖母が0歳の弟を抱いて外で待ってました。
警察から連絡があったみたいなんです。
両親が帰ってきて、夕食のときに漁師だった父親に「お礼」の話をすると、
「そんなバカなことはねえよ」と笑いとばされてしまいました。
それでも怖いので、両親の部屋に一緒に寝せてもらうように言おうかと
思いましたが、赤ちゃんの弟がいて泣くのでやめました。
遅くまで居間でテレビを見てから、自分の部屋で音楽を聞いて寝ました。

その夜なんだけど・・・夢じゃないと思うんですがよくわかりません。
ふっと目を覚ますと、ベッドの横に誰か立っていると思いました。見たくない、
と思って目をつぶってたんですが、目をつぶってるとかえって怖いんです。
それとお礼なんだから見ないと消えてくれない、とも感じたんです。
おそるおそる目を開けて横を向きました。
・・・そこにいたのはあの水死体じゃなくて、Aちゃんだと思いました。
Aちゃんは昼と同じ水着の格好で、
まったくの無表情でたたずみ、しばらくして消えていきました。

Aちゃんとは・・・その夏休み期間はもう遊ぶことはなかったです。
学校が始まっても、このことのせいで疎遠になってしまって・・・
私は別の女子のグループに入りました。
私は地元の高校に行ってからこっちに出てきたんですが、
Aちゃんは本土の高校を中退したというのを噂話で聞きました。
それで21歳のときに島に戻ってきて自殺しちゃったんです。
・・・恋愛関係ということでしたが詳しくはわかりません。
飛び込んだ場所はけっこう離れたところなんですが、
流れ着いたのはあのテトラポットの場所だったそうです。





女か熊か

2014.03.27 (Thu)
去年の夏に職場の仲間と4人で丹沢湖に行った。
車で行き、貸しキャンプ場をベースにして釣りとハイク程度の山歩きが目的。
3泊4日の3日目だったはず。そろそろ釣りも飽きてきたんで、
午後から林道の横の細い道をぶらぶら歩いてた。
林道はたぶん不老山方面に抜ける道じゃないかと思うけど、
山までは行く気がなくて途中で引き返す予定だったんだ。

しばらくして仲間の一人が「あっ、熊だ」って横の繁みを指さした。
見ると10メートルくらい向こうにいるのは確かに熊なんだが・・・変なんだよ。
普通の熊よりずっと明るい茶色をしてて、
顔はゆるキャラよりはリアルだったけどどう見ても作り物の熊。
それが四足で歩いてたんだ。

「なんだあれ、着ぐるみじゃないか。変わったやつがいるな」
程度の会話をしたけど、その熊が道のわきの藪の中を
ずっとついてくる。「何してんですかー」と、
声をかけたんだが返事はなし。何かの撮影とかしてるわけでもない。
かなりぶ厚い着ぐるみだったから声が出せないのかもしんないけどな。
それが約20分くらいにわたって俺たちの横を見え隠れしながらついてきた。
考えられないだろ。そんな草丈はなかったけど藪の斜面だし四足なんだから、
普通の人間の体力が持つわけがない。

あまり変なんで、途中で4人で走ったりもしてみたんだよ。
そしたら熊もついて走ってくる。動物の走り方とは違ってたけどな。
意を決して皆で近づいて見ようとした。
すると熊の上の方の木の葉がザザザッと揺れて、
俺らが側に行く前に、峪のほうにダイブして行ったんだ。
なんとか藪に入って上から探しても姿は見えずなんだよ。変だろ。

その夜、最後の一泊だからって、テントをやめてロッジを借りて食事も頼んだ。
実はキャンプの管理棟に行ったときに熊の話をしてみたんだが、
首を傾げられるばかりだった。10時頃かな。皆酔っ払ってかなりグダグダだったけど、
昼に見た熊の話をしてた。「ありえねえよなーあんなこと」
ばっかりだったけどな。一人が外のトイレに行くって出てったんだが、
5分くらいしてロッジに駆け込んできた。
「熊だよ、あの熊がいて正体は女だった」って言うんだよ。わけわかんねえだろ。
面白そうだからまずそいつと一緒に外に出たが、
熊がいたっていう共同炊事場には何もいない。

「なんだよ」とか言ってロッジに戻ってそいつの話を聞いたら、
「炊事場の屋根の下に、熊がうつ伏せになってた。
 うつ伏せのままかなり苦労して背中のチャックらしいのを開けた。
 んで背中から裸の女が出てきた。女は髪が長くて眉が太い、
 昭和風の?美人だった。こっちに気づくと、
 ニヤッと笑ってから着ぐるみを持ってすごい速さで走り去っていった」
こんな感じだった。

酔っ払って幻覚を見た、というのは簡単だけど、
昼間の奇妙な熊は俺らも見てるし完全否定もできない。
キャンプ場の区画の外は真っ暗闇なんで探しにいくわけにもいかんし、
そのまま1時過ぎまで酒飲んで寝た。朝まで特に何もなかったと思う。
4日目はボートで釣りをして昼過ぎに帰ってきたんだが、
女を見たやつはずっとぼーっとした、心ここにあらずという感じだったな。

そいつが、帰って来てからも土日ごとに丹沢に行くようになった。
一緒に行こうかと言っても首を振る、そのうち年休をとって山に入るようになった。
何やってんだって聞くと「あの熊・・女を探している、
 すごい筋肉の尻が忘れられない」って言うんだ。
んで12月の月曜に、職場で顔を合わせたときに「仕事辞める」って言い出した。
「山で女と暮らす」って。それで次の日から所在不明になってしまった。
アパートとかも引き払ってあるんだよ。
そいつの実家から親も出てきて警察にも捜索願を出した。
警察署に行って丹沢に始終行ってたという話はしたから、
捜索したかもしれないがよくわからん。今もって行方知れずだ。





UFO系と悪魔系

2014.03.25 (Tue)
 前に怖い話のパターンというのを書いてみましたが、
関連記事 『怖い話のパターン2』
あの分類にここ数回の話を当てはめてみると、
「夜景」は、心霊スポット+UFO 関連記事 『夜景』
「取り替える」は、子どもの頃の不思議な記憶 関連記事 『取り替える』
「補助線」は、悪魔の召喚 関連記事 『補助線』
「オタマ雨」は、地雷を踏む 関連記事 『オタマ雨』
に分類されると思われます。

書いてみて改めてわかったのは、「UFO」系および「悪魔」系は
難しいということです。UFO系を真面目にというか詳細に書けば、
心霊オカルトから離れてSFになってしまいそうです。
だから、この話も宇宙人による拉致なのか、それとも心霊の障りなのか、
はっきりわからないような形で書いてあります。
完全なUFO物にしてしまうと怪談として成立しない気がするんですね。

「補助線」は、数学を勉強している受験生がありえない補助線を、
図形に書き入れてしまい悪魔を呼び出してしまうという話なんですが、
これは悪魔が登場する怪談の例として無理にひねり出したものなので、
読み返してみると全然怖くないです。
日本ではキリスト教的な悪魔の話は、よほど上手に書かないとUFOと同じで
怪談として成り立たせるのは難しいと思います。

まずわれわれには、神と悪魔が激しい戦いの中で、
互いに勢力の拡大をねらっている、という概念がないですよね。
キリスト教徒であれば、心の中に自分が悪の側に堕ちていく恐怖というのがあるんだと
思われますが、日本人でそういう感覚を持っている人は少ないでしょう。
心が善と悪の間で揺れていて、悪魔のささやきによって、
悪の側に堕ちてしまうという恐怖、これを描くのは難しいと思います。

またこのことは、魂と死後の世界の問題とも関係してくる感じがします。
日本人で、魂はあるんじゃないかと漠然と考えている人は
少なくないような気がしますが、天国や地獄というのはどうでしょう。
悪いことをすると地獄で責め苦を受けるというのがどのくらい信じられているでしょうか。
明治以前においては、地獄絵図などによって民衆にも受け入れられていた
と思いますが、明治以降の天皇中心の国家神道を経験し、
さらに太平洋戦争の敗北によってその価値観を打ち壊された日本人には、
もはや地獄といってもピンとこないんじゃないかと思います。





オタマ雨

2014.03.24 (Mon)
中1のときの話だ。同じクラスに林田ってやつがいたんだ。
坊主刈りで、色が白くてひょろっとしたやつ。
こいつがホント空気みたいなやつなんだよ。誰ともしゃべらないんだ。
教師に何か言われた場合でも、ほんと必要最小限のことしかしゃべらない。
テストの答案とかチラ見した限りでは、成績はよかったと思う。
ただ授業で指名されても答えないんだ。国語の教科書を読むのさえしないで、
黙って立ってるだけ。場面緘黙というのかな。
だから教師のほうでもこいつを指名しなくなったけどな。
腫れものにさわるような扱いに変わっていった。

林田は部活にも入ってないし、友達もいない。
休み時間も一人で席に座ってて、本を読んでるんだ。
その本ものぞいたことがある。細かい漢字と奇妙な図がついてる縦長の本。
今にして思えば暦の本だったと思う。
とにかく、一人でいることがまったく苦にならないみたいなんだ。
それからよく学校行事とかで班を決めるときなんか、
入るのを嫌がられるやつがいるだろ。
ところが林田の場合はそういう行事は必ず休むんだ。
だから担任も、林田がどこにも入る班がなければ、
どうせ来ないんだから名前だけ入れといてやれよ、
みたいな感じでこっそりどこかの班に言うようになった。

クラスの他のやつらはそう思ってなかったかもしれないが、
俺は林田が気に入らなかった。一つはいろんな面で特別あつかいされてること。
こいつだけなぜか給食を食わないで弁当だったしな。
もう一つは、普通この手の波風立てないで学校生活をやり過ごそうってやつは、
おどおどした態度をとるのが多いだろ。
ところが林田はそうじゃなくて、どんなときでも平然としてるんだ。

卑屈でも傲慢な感じでもなくて、平然。それが気に食わなかったんだな。
当時の中学校は荒れててね、ケンカもイジメもそりゃあったよ。
暴走族が盛りの頃だから、先輩後輩のつながりも強くって、
3年生には族のやつらがバックにいるんだ。
んで、俺が一度「林田をシメてやろう」って話を1年の間で広めたときには、
話が聞こえていった先輩方に止められたんだ。「あいつには手を出すな」って。
理由は教えてもらえなかったけどな。

それでガマンしてたんだけども、夏休み前・・・1学期の終わり頃だったと思う。
学校の帰りに2人の仲間とつるんで歩いてたら、前に林田がいたんだよ。
下を向いてすたすた歩いてた。その姿を見たら急にムシャクシャしてきて、
足を速めて追い越しざまにドンとぶつかったんだ。
林田はトトッとつんのめるように前に泳いだが、転ばなかった。

ゆっくり振り向いてこっちを見たんで、
俺は手に持ってたバックをわざと下に落とし、
「何たらたら歩いてんだ。お前のせいでバッグ落としたじゃねえか、拾えよ」
・・・チンピラみたいだって?まあチンピラでもこんなことはしねえから
マンガに出てくるチンピラだな。俺のバッグを拾ったら、
そのまま家まで持たせてやろうと思ったんだ。
ところが林田のやつ、バッグに視線も落とさず、
平然とそのまま前を見て歩き去ろうとする。カッと頭に血が上った。

駆け寄って殴ろうとした。肩に手をかけて振り向かせようとした途端、
額に何かが強くビチッと当たった。スゴイ勢いだったが、そんなに痛くはない。
続いて、右耳と右ほほに2発、ドロリとした感触があった。
後ろを向いてかがむと、ダチ2人がバッグを頭の上に掲げて、
降ってくるものを防ごうとしていた。夏制服の白ワイシャツに、
スライムみたいな黒っぽいものと鮮やかな赤い血が染みを点々とつくっていた。
何が降ってきてるのわからなかったが、
半そでの二の腕にビシッとまた当たり流れ落ちた。

それをよく見ると、ひれのついた尻尾と小さな手足があった。
オタマジャクシだと思った。それも、もうすぐカエルになる四本足の生えたやつ。
ビチッ、ビチッ・・・オタマジャクシの雨は降り注ぎ、
たまらず俺たちは店のアーケードの下に逃げ込んだ。
最後のオタマの一匹が俺の口のわきに当たり、唇にいやーな感触を感じた。
道路を見ると、俺らがいたところ以外にオタマは落ちておらず、
林田はもうだいぶ向こうまで歩き去っていた。

体はもうぐじゃぐじゃの赤黒いまだらになってて、
あちこちに嫌な臭いのするゼリーがこびりついてた。
これが全部つぶれたオタマだと思うと気が狂いそうになった。
3人ともワイシャツを脱ぎ、近くのドブ川に捨てた。
ズボンの股にもだいぶついてたが、
脱ぐわけにもいかず児童公園まで走って水道で頭もいっしょに洗った。
信じられない・・・空は曇りだったが風もなかったし、
オタマジャクシの季節は過ぎてる。暗澹とした気分になって、
ダチ2人とは少し言葉をかわしただけで別れ、家に帰った。

夏だったのが幸いで、水風呂に入って体全体を洗った。
ズボンはどうしようか迷ったが、ヒドイ臭いだったので捨てた。
そうしてるうちに、高校にはいかず土木作業をしてる兄が帰ってきたんで、
さっきあった出来事を話した。兄貴は、
「・・・林田に何かしようとしたのか・・・バカが。これで済んでよかったほうだぞ」
こう言って、自分が中学校のときの話をしてくれた。

何でも林田の兄が、兄貴の一つ上の学年にいて、
やはり弟と同じようにものをしゃべらなかったが、からかおうとしたやつ2人が、
突然に喉をつまらせて倒れたんだそうだ。
2人とも死ぬようなことにはならなかったが、
それぞれ喉の奥から、20cm近い生きたナマズが出てきたんだそうだ。
「あいつはほら、斎八橋をわたったところに、筵を入り口にかけた家があるだろ。
 知らんか。拝み屋なんだが、そこがあの兄弟の家なんだよ。
 失せもの探しとか、呪いみたいなこともやってるらしい・・・ヤバイんだよ」
まあこんな話。・・・その後林田兄弟はどうなったかって?
兄のほうは拝み屋の後を嗣いで、今は新興宗教の教祖様だ。
公民館みたいなでかい建物を造ってまだ町に住んでる。
弟のほうは中学校卒業したらどこかに行って消息がわからない。
噂だと大物政治家の秘書をやってるってのもあるな・・・


関連記事 『解体工事』






補助線

2014.03.24 (Mon)
自分の部屋で高校受験の勉強をしてたんですよ。
そのときは数学の問題集をやっていました。図形分野です。
円周角の角度を求める問題で、わりとすらすらできてたのに、
一つの問題でひっかかってしまいました。
それはステップ2の最後のやつで、
そんなに難易度は高いはずじゃなかったのに。イラッときました。
自分は数学が得意というか、文系の教科があんまり得意じゃないんで、
ここで点数を稼がなくちゃならないんです。

図形の問題というのは、図の中に補助線を引けば解けるものが多いですよね。
これもそういう問題だと思ったんですが、どう引いてもうまくいかない。
それで計算用紙に拡大して問題を書き写し、じっくりかかることにしました。
ところがわからなかったんです。
考えているうちに何十分もたってしまいました。
本来なら5分くらいしかかけちゃいけない問題のはずなのに。
答えを見ちゃおうかな、と思いましたが、
そのとき紙を折ってみたらどうだろうとひらめいたんです。

・・・このあたりからもうおかしくなっていたんだと思います。
何かに操られていたというか。問題用紙を折って考えないと、
解けない図形の問題なんてあるはずがないのに。
ひらめきにしたがって複雑な形に紙を折り、
その上の点を結んで定規で線を引きました。
さらにそれを開くと、折って下になってた部分は線が消えてますよね。
そこを結んでみたんです。すると円の中に奇妙な五角形ができました。
あれこの形、変だなあ、見てると目がくらくらする・・・と思ったとき、
温泉の臭いが強くしました。硫黄の臭いということですね。

イスの背中の後ろに何かがいる気配がしました。
温泉と動物園の混じった臭いがする何かが。
背筋が冷たくなりました。とてもよくないものだということが
すぐにわかったんです。怖ろしさに体が震えました。
震えた右ヒジが夜食を入れていたお盆にあたり、ココアのカップが倒れました。
ココアは図形を書いた紙の上に集中的にかかり、図形が読めなくなりました。
背後で「チッ」と舌打ちの音が聞こえたと思ったら、
「バキッ」という音が響き、右腕に激痛が走りました。

「あいててて」と声をあげながら体をよじって後ろを見ました。
そこには何もいませんでしたが、
イスの真後ろの床が、少しだけ焼け焦げたように黒くなっていました。
腕は強烈な痛みでしたが、左手を使って、
ココアのかかった計算用紙を丸めゴミ箱に捨てました。
そのあと下に降りていって、親に腕を痛めたことを知らせました。
救急病院でレントゲンを撮ると、ぽっきりと上腕骨が折れていました。
その場でギブスで固めてもらい、明日詳しい検査をするということで家に帰りました。
その後は特に変なこともなかったんですが・・・
その数学の問題はもう一度やってみたら一瞬で解けましたよ。

『五芒陣』






取り替える

2014.03.24 (Mon)
雨降りで部活が早く終わったので、中学校から帰って、
居間のこたつでテレビをつけたまま数学の宿題をやってたんです。
キッチンから母が包丁を使っているトントンという音がずっと聞こえてました。
そうしたら、中国で女の人をマンホールに落として殺そうとしたのを
監視カメラがとらえた映像というのをやってて、
思わず手を止めて見入ってしまいました。
その女の人は助かったようだけど、怖いなーと思ってたら、
何か記憶に引っかかってくるものがあるんです。
そう言えば私も小さいころマンホールに落ちたことがあったような・・・

これだけ記憶があいまいなんだから小学校前のことなんだろうか。
ずっと上のほうに、ぽっかりとまるい穴が開いているのを、
途方にくれて見上げていたことが・・・あったような気がするんです。
穴の縁からはザーザーと水が流れ落ちてくるイメージ。
その穴に蓋が乗せられ、真っ暗になって泣き叫んだ記憶・・・
気になったので、キッチンの母に呼びかけました。
「ねえ、お母さん」
「なーに」

「私、子どもの頃にマンホールとか、それに似た穴に落ちたことってあったけ?」
「・・・・・・」
「ねえお母さん、聞いてるー。私、マンホールに」
「・・・あるよー」
「!」やっぱりあったんだ、と自分で聞いたのにびっくりしてしまいました。
「いつのこと?」
「お前が幼稚園に入学する前だから、4歳の始め頃だよ」
「どこに落ちたの?」
「場所わからないんじゃないかと思うけど、
 西崎の養護学校の横道のマンホールだよ。あの日はすごい雨が降っててねえ」
「何でそんなとこに落ちたの?蓋が開いてたの?」

「・・・思い出さなきゃよかったのにねえ。お母さんが落としたんだよ」
「・・・何へんな冗談言ってるの?」
「冗談じゃないから。前のお前は知恵遅れでいらない子だったから、捨てたんだよ」
「!」
「神様にお願いしてね、前のお前をそこに捨てて新しいお前をもらったんだよ。
 だけど前の記憶が残ってたんだね。・・・残念ね、
 ずっと一緒に暮らしていけると思ってたのに、
 また新しいのをもらってこなきゃいけなくなったよ」
「お母さん!」

いつの間にか料理の音が止まっていて、
キッチンからののれんをくぐって母が出てきました。
目がつり上がって、額の真ん中にシワが寄っていました。
お腹のところに両手で包丁を持って、まっすぐに私のほうに向けていました。
「ちょっと、何、お母さん本当に冗談はやめて」
「どこの家でもやってるんだよ。いらない子は取り替えてもらえるんだから。
 こんなに大きくなってから取り替えるのは恥ずかしいんだけどね。
 育て方失敗したみたいで」
母はそのまま真っすぐに私のほうに体当たりをしてきました。
包丁の先はかろうじてそれ、私は電気こたつをはさんで母と向き合いましたが、
隙をみて玄関のほうに走り出て、裸足のままで家から飛び出しました。

雨が降っている中を泣きながら夢中で駆けていたら、
「ちょっと由奈、あんたずぶ濡れでどこ行くの!」こう前から呼びかけられました。
顔をあげると、傘を傾けて心配そうに顔をのぞかせているのは母でした。
「いやーっ」私は身をよじって叫びました。
「何、何があったの?家に変な人でも来たの?」
私はその場にしゃがみこんで、泣き崩れてしまいました。
・・・その後、母に連れられて家に戻ったら、
さっき飛び出したはずの玄関は戸が閉まり、鍵までかかっていたんです。

「お母さん、さっきまで家にいて料理してたんじゃないの?」
「40分くらい前に買い物に出て、今帰ってきたところだよ。それより何があったの?」
家に入ってタオルで頭を拭きました。
その後、キッチンを見ましたが料理していた様子はありません。
でも、こたつの上に広げていた宿題はそのまま残っていました。
母にあったことをそのまま話しましたが、
「変な話ねえ、お母さんがもう一人いて、包丁でお前を殺そうとしたってことなの。
それは夢じゃないかしら。こたつでうとうとして夢を見たんじゃない」こう言われました。

・・・そうなのかもしれません。
あまりにもおかしな話なので、そう考えるしかないようです。
これで話は終わりなんですが、少し気になることがあります。
ふとしたときに、自分がお腹に包丁を突き立てられ、
血を流して倒れているイメージが頭の中に浮かんでくることがあるんです。
まさか、まさかと思うんですが、
もしかしたらあのとき、二度目の取り替えをされてしまったんじゃないかなんて・・・
でも取り替えられたのに前の記憶があるというのも変だし、
ハハ、まさかですよねえ・・・

 



夜景

2014.03.22 (Sat)
去年の秋のことなんですが、男女4人で心霊スポットに行ったんです。
心霊スポットといっても、幽霊が出るとかそういうところじゃなくて、UFOです。
UFOが飛ぶのが見られるとか、宇宙人の秘密基地が地下にあるとか、
そういう噂のあるところです。もちろんそんなのは信じていませんでした。
そこは山まではいかない、小高い丘になってて、
夜景がきれいだともいわれているんです。
だから心霊スポットを探索するというより、
みんなで夜景を見に行ったようなものです。

わたしと、カレのあつしと友だちのナミとそのカレの4人ですね。
そこは急カーブを連続して登っていくので、
昔は族なんかも来ていたということでしたが、
今はまったくそんなことはなくて、カップルで来ている人が多いです。
それで、あつしの車・・・名前は忘れたけどホンダの中古のワゴンです。
それに乗って行って、頂上の公園付近の道路に停めて、
4人で夜景を見てました。時間は9時過ぎくらいです。
初めてだったんですが、きれいでしたよ。
空も晴れていて、星もよく見えました。

ナミが空を指さして、「あれ、UFOじゃない。ほら、あそこ」
なんて言ったりしましたが、
わたしには何も見えませんでした。ふざけてるんだろうって思いました。
宇宙人なんていないと思うし、前からそういうところのある子でしたから。
カレたちも「どこどこ、・・・わからないなあ」って言ってましたよ。
それからナミがトイレに行きたいって言いだして、
トイレは公園内の200mくらい離れたとこにあるんだけど、
車に鍵をかけて全員で行くことにしたんです。

・・・ここから記憶があいまいなんですが、
警察に何度も聞かれたのでくり返し話しているうちにまとまったことを書きます。
トイレに行くまでに誰とも会いませんでした。
公園に人の姿はなかった思います。
トイレに入ってたのは数分です。それからナミといっしょに出て、
繁みの陰で待っていたあつしたちと合流して車に戻ったんです。
車の後ろのほうから近づいてったんですが、
たまたま変なことに気がついたんです。
車のナンバープレートってありますよね。あの数字が裏返っていたんです。

ほら、鏡に数字を映すと左右逆になってるじゃないですか、
鏡文字って言うのかな。あれになってたんです。それでびっくりして、
「あー、このナンバー なんか変!」って叫んだんです。
そしたら前を歩いていたナミのカレが、
「ナニ、ドウシタノ?」と言ってふり向いたんですが、
その声が機械の声だったんです。よく自動朗読する機械があるじゃないですか・・・
あんな声です。それから目と口の中が青紫に光っていました。
頭の上の方で「バチバチッ」という聞いたことのない音がしました。

「えーっ!!」と思って、その場に立ち止まりました。
あつしもふり向いて「ヘンナコト ナンテ ナイヨネ」と言いましたが、
やっぱりその目と口も青く光ってて、青い豆電球をくわえているみたいでした。
それとあつしの着ていたフライトジャケットに書かれたアルファベットも、
鏡文字になっていたと思いました。
ナミはいつのまにか自分のカレと手をつないでいて、
カレが変になってるのに気づいてないみたいだったんです。

「ぜったい変だ、これあつしじゃない」そう思って後ずさりしたんです。
するとあつしとナミのカレは顔を見合わせていましたが、
ナミの手を引っぱって車の後ろに押し込んだんです。
そのときナミが始めて不安そうな顔をしました。
「マヅ ヒトリデイイ」あつしの顔をしたものがそう言うと、
運転席に乗って車を急発進させました。
わたしは呆然と見ていたんですが、頭の上のバチバチいう音が大きくなって、
「ブーン、ブーン」といううなりに変わったんです。
急に頭が痛くなって、その場にしゃがみ込んでしまいました。

「おい、どうしたの?何かあったのか」
心配そうなあつしの声がしてわれに帰りました。
車のあるところまで戻ったと思ったのに、女子のトイレの前にうずくまっていました。
バチバチという音はまだ聞こえていました。そのほうを見ると、
電柱からトイレに引いてある電線の付け根のあたりから火花が出ていました。
ナミのカレが「ナミは?」と聞いてきたのですが、
「車に乗って行った」とも言えずどうしたらいいかわかりませんでした。

なんとか立ち上がれるようになったんで、手分けしてナミを探しましたが、
トイレ付近にはいないし、車にも戻っていませんでした。
ナンバープレートは通常のものでした。
カレのアパートにも、自宅にも、あちこち連絡した友達のところにもナミはいなくて、
朝方に警察に連絡したんです。そのときこの話もしましたが、
警官が妙な顔で聞いていたのを覚えてます。信じられないのも無理ないんですが・・・
それからナミはずっと行方不明のままで、もう半年になります。





2014.03.21 (Fri)
昨年の夏にダチと3人で海に行ってからの話。
目的はナンパで、昼の浜では仲良くなった地元の女の子たちもいたが、
怒らせてしまって関係を夜まで持ち込めなかったんでその点は失敗。
まあ面白かったからそれはそれでいいんだが、ちょっと妙なことになった。
ダチの一人の山本が、翌日デジカメを大学に持ってきて、
海で撮った画像をパソコンにつないで見せてくれた。
女の子と一緒に写ってるやつなんかをスライドショーでずらずらと見てたら、
翌朝、帰り際に車の前で撮ったのがお終いのほうで出てきた。
それを指さして山本がこんなことを言い出した。
「その一番最後のやつ変だと思わねえか」
「えっ、何が?」最後の画像は乗ってきた、ダチのもう一人の西田ってやつの車の前で
3人並んで写ってる画像だ。

「だってこのとき俺ら3人しかいなかったよな。これいったい誰が撮ったんだ?」
「あれ、そうだな・・・撮影を頼んだなんてことはないな、確かに」
「だろ、不思議なんだよ」その画像の前は、2人ずつ車を前にして写ってる数枚で、
これは交替して撮ったから何の不思議もない。
つい昨日のことなんで、こんな画像があるはずがないというのは納得がいった。
「それともう一つ、変なところがあるんだよ。西田の右膝を見てみろ、何に見える?」
そう言われて短パンから出ている膝の部分を見ると、人の顔のようなものが浮き出ていた。
ぼんやりとだが、2つの目と口らしいのが膝の上にある。
「あー顔か、顔に見えるといえば見える」
「やっぱりそうか。これ心霊写真だよな。しかも写真の存在自体がオカルトだ」
「早く西田こねえかな。あいつこういうの好きだから見せてやれば喜ぶだろ」

ところが西田はその日大学に来なかった。画像に写っているエクストレイルで事故ったんだ。
あちこちケガしたが、一番ひどいのは右膝の皿が砕けたことで完治は難しいらしかった。
数日後、山本と病院に見舞いに行ったが、
あの画像のことはよけいな心配をかけるだろうと黙っていることに2人で決めた。
画像は加工ソフトにかけて調べてみると言って山本が持って帰っていた。
その夜に山本のアパートを訪れると、ちょうど加工ソフトであれこれやっているところだったが、
俺の顔を見るなり「変だ、おかしいよこの画像」と興奮した口調でまくしたてた。
話によると、まずExifを調べたのだそうだ。俺はあまり詳しくないが、
Exifというのは自動的に記録される画像のデータで、
撮影の日時や使ったカメラの機種などがわかるらしい。
それによれば間違いなくあの日民宿の駐車場で撮ったもの、ということだった。
「それはいいんだけど、これ見ろよ」と山本がカーソルでさしたところは俺の右肘だった。

顔がある、と思った。前に見たときにどうだったかは覚えてないが、
肘の内側には西田の膝にあるのと同じような顔が浮かんでいた。
しかも膝にあるのより鮮明になっている気がした。
「うーん・・・顔だよな・・・、前にもあったっけ」
「なかった気がするんだよな。これ西田のやつよりはっきり顔っぽいだろ。
こんなのがあればぜったい気づいたと思うんだよ」
「そうだ、元のデジカメのデータがあるだろ。そっちはどうなんだ?」
「それもさっき見た。やっぱり肘のところに顔がある」
「うーん」
「それより、この顔見覚えないか?」「え」山本は俺の肘の部分を拡大した。
それにつれて顔も大きくなったが、生きた人間の顔とは思えない。絵か彫刻みたいだった。
「あ、もしかして」俺は言った。

「気がついたか。これってあの海蝕洞穴の奥にあった仏像の顔に似てるだろ」
そうだった。ナンパした地元の女の子たちに案内されて、
岩が巨大なアーチ状になってるのをくぐって洞穴に入っていったんだった。
洞穴は観光地ではないらしく整備もされておらず、
20mほど入ると急にせまくなって注連縄が張られていた。
その先にはいっちゃけないと女の子たちが止めたのもきかず、
俺ら3人はくぐっていったんだっけ。奥はすぐ行き止まりになってて、岩に仏像が彫られていた。
前に平たい石の祭壇にロウソクのロウが流れた跡がたくさんあった。
その仏像の顔に、画像の顔はよく似ている気がした。
「ああ、そうだ。お前あの仏像も写真に撮ったんだよな。その画像ってあるんだろ」
「それが、いくら探してもないんだよ。撮影の枚数は合ってるから、
仏像の画像の代わりに3人が写ってるのが入ってるんだとしか考えられない」

・・・フラッシュで内部の写真を撮ったことがわかって、怒った女の子たちと別れたんだ。
「なんだよ入れないんだったら、案内とかするなよ」そう文句を言ったんだっけ。
「お前、西田のこともあるし右肘、気をつけたほうがいいぞ」
「偶然だとお思うけどな・・・もちろん注意はするよ」
こんなやりとりをして帰った。
また数日後、サッカーの試合で右肘を骨折した。
俺はサッカー部だが、部そのものはろくに練習もしていない弱小チームで、
その試合でケガをした。別に接触プレイもなにもなく、
ただ走っていてパタリと転び、軽く手をついただけなのにポキリと折れてしまったんだ。
幸い手術の必要はなく、その日入院するだけで済んだ。
次の日、休んでいる俺の家に山本がケガをした俺より青い顔をして現れた。

「やっぱり肘やっちまったな。たいしたことがなくてよかったが」
「こうなるとあの写真のせいとしか考えられないか・・・仏像の祟りと言えばいいのか。
写真はどうなった?」
「それが・・・増えてるんだよ、顔が」山本がデジカメのモニター画像を見せた。
山本の顔の真上に仏像の顔が出ていた。それはこれまでよりもずっと鮮明で、
記憶は薄れているものの洞穴の仏像に違いないように思われた。
こうなると祟りとしか思えなくなった。
「これは・・・前には絶対になかったな。おい、顔はヤバイんじゃないか」そう言うと、
「もう一度あの浜辺に行って、謝ってこようと思ってるんだ」

その週の土曜日、山本と2人であの洞穴に行った。
2人とも車も免許も持ってないんで、電車とタクシーを乗り継いだ金のかかる旅になった。
駅の観光案内所で海岸の洞穴について聞いてみたが、
存在は知っていたけど、詳しいいわれを知る人はいなかった。
その土地近辺だけで信じられているもののようだった。
よくわからなかったんで、おわびの品として酒と5kg入の米の袋、菓子などを買ったが
これで許してもらえるのかどうか・・・
大潮の時間が近いんで、洞穴に急ぐと9月に入った浜は人気がなかった。
注連縄が真新しいのに変えられていた。
「これ俺達のせいかな」山本が言った。

かなり躊躇したが注連縄をまたぎ越えて奥に進むと仏像があった。
あのときと同じ顔だし、画像に写っているのもこれだと確信を持った。
祭壇の石の上に酒と米などをお供えし、あとは手を合わせて祈った。
「この間は申しわけありませんでした。お許しください」これを心の中で何度もくり返した。
20分は像の前にいたが、特に変わったことは起きない。
オカルト的なことの渦中にいると、次々と不思議なことが起きるような気がしてくるが、
仏像がうなずくとか、お供えがカタカタ揺れるということもない。
最後に一礼して洞穴を出た。なんとなく説教が済んで解放されたような気分だった。
それから携帯でタクシーを呼んだが、そのタクシーが事故った。
なんと自衛隊の大型車両に追突されたんだ。
俺は骨折していた右手をさらに痛めて切断することになり、
山本は車外に投げ出されてほぼ即死だった。頭が割れて顔が潰れていた。



死児

2014.03.20 (Thu)
あの橋のたもとでたばこ屋を営むようになってからもう40年にもなります。
楽な仕事と言えばそうなのですが、単調といえば単調です。
そんな中で気持ちがなごむのが、ひまわり保育園の園児さんたちのお散歩です。
車の通れない土手沿いの道がお散歩コースになってから20年くらいでしょうか。
1日の中でその時間がほんとうに楽しみなんです。
園児さんが店の前を通って、手を振って「おばあちゃん」と言ってくれるのが。
だから雨降りの日はとても残念です。

ああ、そうでした。怖い話をするんでしたね。・・・不可思議なものを見たことがあるんです。
園児さんのお散歩を見送るようになった20年で3回だったと思います。
最初に手をつないで年中組の園児さんたちが来て、その後にお散歩用のカートと言うんですか、
あれに乗った年少の園児さんが通るんです。
立てるけれども歩くのがまだおぼつかないようなお子さんですね。
5・6人が乗ったカートが2つ、それぞれ保母さんが押してくるんですが、
その中にとっても怖いものがいたんですよ。
その、何というか・・・死んだ赤ちゃんです。

最初に見たときは15年ほど前ですが、本当にいるのかと思ってとても驚きました。
カートの園児さんたちはみな外を向いていろんな表情をしているんですが、
その子だけ、隅で内側を向いて頭をがっくりと手すりの上でのけぞらせている。
その顔色が生きた人間のものじゃないんですよ。青黒いというか生気がまったくないんです。
固く目をつむって口は半開きで・・・1歳になったばかりくらいだと思いました。
他の子より少し小さいくらい・・・
着ているものも保育園のうわっぱりじゃなくて、昔の着物によだれかけをつけてるんです。

だから最初のときは保母さんに知らせようとしたんです。
そしたらそのとき、たまたま他の子が腕を振って赤ちゃんに当たった、と思ったら、
腕が体の中をすりぬけたんです。言わなくてよかったです。この世のものじゃないんですね。
よく考えれば、そんなものを保育園でのせるわけがないんです。
・・・その死んだ赤ちゃんはぴくりとも動かないんだけど、
片方の手だけは近くにいる子のうわっぱりを強く握っているんです。
握られた子は気づいている様子はなかったですね。
見たのはその1日だけで、翌日はいなかったから気のせいと思うことにしたんです。

それで、赤ちゃんにつかまれていた子なんですが、
2年後に亡くなったんです。車の事故でした。
それも不幸なことに、車庫の前にしゃがんでいてお祖父さんの運転する車に轢かれたんです。
もうね、ここいらは大変な騒ぎでした。その後ね、お祖父さんも自殺されてしまったんですから。
・・・2回めは、それから6年くらいたってからでしょうか。
同じ赤ちゃんだと思います。ああ、これは前に見たことがあるものだって、
すぐにわかりましたから。着ているものも同じだったと思います。
まったく歳をとってないんですね。死んでいるから当然なのかもしれませんが。

やっぱり動かなくて、生きている様子には見えないんですが、
今度は女の子の服のすそをつかんでいました。今回も女の子は気づいていないようでしたよ。
女の子が動けばのけぞった頭がぐらぐらと揺れます。
それでも死んでるし、手も離さないんです。いえ、保育園には言ってないです。
信じてもらえないだろうし、気味悪がってお散歩の道筋を変えてしまわれるかもしれませんし。
その子はどうなったかって・・・・やはり亡くなりました。
2年後です。夜中に突然死したということになっていますが、
実はこの近所では虐待じゃないかという噂があったんです。

冬の日にベランダに出されていたり、
叩かれて泣くような様子がアパートの隣の方に聞こえていたと言います。
・・・真相はわかりませんし、こんなことしゃべったのは内緒にしてくださいな。
最後に見たのは2年前です。・・・同じ赤ちゃんでした。
ただそのときは少し様子が違っていまして、
その女の子は赤ちゃんが服を握っているのに気づいているようでした。
赤ちゃんのほうを見るし、嫌がって何度も振り放そうとするんですが、
びっしり子どもが入っているカートの中はすき間がないし・・・

するとその子は服をにぎっている赤ちゃんの手をつかんだんです。
他の子は赤ちゃんにさわるとすりぬけてしまうのに、その子はつかめたんです。
そして保母さんに声を出したんです。でも保母さんには見えてないし、
まともな言葉にならなかったんで、保母さんは適当に答えただけのようでした。
その子はいらだった表情で、赤ちゃんの頭を平手でバシンと叩いたんです。
何回も何回も・・・そしたら、赤ちゃんが急に目を開けました。
しろめだけでしたね。どっちも瞳がなくて生の魚のはらわたのような薄赤い目・・・
そして赤ちゃんの唇が動いたんです。

大人の男のようなしわがれた声で「みんな死ね」・・・そう言ったように思いました。
呆然としていると、そのうちカートは過ぎていってしまいました。
もちろん聞き違いかもしれないし、
すべてわたくしが見たと思ったことでしかないのかもしれません。自信はないですよ。
ただ、最初のとき、二回目のときは赤ちゃんを見て2年たってから事故が起きました。
もうすぐ2年になるんですよね、このときから。
何かとんでもないことが起きるような気がしてならないんです・・・
これで話を終わります。



工場の時計

2014.03.19 (Wed)
60歳で印刷会社の定年をむかえ、その後数年は嘱託で働いていたんですが、
年度いっぱいでそれも終わって、4月から完全な年金生活に入ったんです。
長い間の念願であったし、あれもこれもとやることを考えていたものの、
いざそうなってみると、もてあます時間というのはかなりあるものです。
家の中にいても家内にじゃまにされるだけなので、
ウオーキングを始めることにしました。どちらかというとわたしはやせ気味なので、
ダイエットというわけではなく、足腰の力を落とさないようにと考えたんです。

無理なく長く続けることが目標でしたので、早朝ではなく9時半から1時間ばかり、
万歩計をつけて家の周囲を歩くことにしました。
家は新興住宅地にあって碁盤の目のように区画が整備されており、
通勤の時間帯を過ぎると車も人もほとんど通らず、歩きやすかったです。
ウオーキングを始めてみると、いろいろと気づくことがありました。
例えば橋のたもとにとても大きなイチョウの木があったり、
住宅街の中に小さな金管楽器の修理店を見つけたり、
あれっと思うようなことがあるんです。

とは言ってもね、1ヶ月を過ぎると少し飽きが出てきました。
遠出をすればいいのかもしれませんが、
1時間以内で帰ってこれる距離にはあまり面白いスポットがないんですね。
せいぜいちょっとした児童公園があるくらいです。
それで、せめてもと思って毎日歩くルートを変えてみたんです。
家の前は通常の道路で、右か左のどちらに行くか、
それと右にちょっと歩くと縦に入っていく道があり、
家を出た段階で3方向の選択肢があります。それを毎日変えてみることで、
少し気分転換にはなりました。

あと、パソコンから町内の地図をダウンロードしまして、
すべての道を通って最短距離で家まで戻ってくる方法なども考えたんですよ。
なにしろ暇ですから。当然ながら一筆書きは無理なんですが、
今日はこのルートにしようと暗記してから出かけると
それなりに頭を使ってボケ防止にもなりそうでした。そんなウオーキング中の出来事です。
その日は、縦に入る道を選んで、ここの丁目と隣との境界となる道路まで歩き、
少し歩いてから別の縦の道を折り返してみることにしました。
入っていくと、ああこの道は通ったことがない、とすぐにわかりました。

ところがしばらく行くと前方に車止めが見え、
行き止まりになっていることに気がつきました。
失敗したな、引き返さなくちゃなんないと思いましたが、
右手があまり大きくはない廃工場のようなところで、入り口の鉄扉がなくなっていました。
そしてその向こう側に裏門が見え、そこも開いていたので、
中を通っていけば一つ向こうの道路にショートカットできそうでした。
駐車場には車は一台もなく、3つならんだコンクリ製の四角い建物のシャッターも
すべて閉まっていて、稼働しているようには思えませんでした。

そこに入ってみたんです。1分もあれば抜けられそうだったし、
人の気配もありませんでしたから。真ん中の建物の前まできたとき、
「チコッ、チコッ」という聞き慣れない音がしました。
分厚いシャッターごしに聞こえてくるようなので、
もとはそうとう大きな音なんだろうと思いました。
それで・・・いらない好奇心を出しちゃったんですよ。
建物と建物の間が1mくらいのスペースになっていて、
音が聞こえてくる建物には低いところに窓があるようでした。
その隙間に入り込んで、窓から中をのぞいてみたんです。

サッシ窓は中で×字に板が打ちつけられていましたが、内部はよく見えました。
高い天井にたくさんの蛍光灯が灯り、奥に巨大な振り子時計がありました。
よくあるアンティークの柱時計、あれをとてつもなく大きくしたもので、
高さは3m以上あったと思います。ちょうど軽自動車を縦にしたほどの時計です。
さっきの「チコッ」という音はずっと続いていて、
この時計の車のタイヤほどの振り子が振れたときに出る音だとわかりました。
不思議なものがあるなあ、と思いました。何かの展示にでも使ったのだろうか・・・

見ていると、時計の裏側のほうから台車を押して人が二人出てきました。
作業服を着て帽子をかぶっていましたが、色が浅黒くどちらも外国人だと思いました。
台車の上には金属製の大きなバケツが二個のっていました。
一人が時計の横にまわりパネルを開け、
もう一人が、シャベルを取り出して一つのバケツにつっこみ持ち上げました。
シャベルの上にはピンクと赤の、
うねうねとした生き物の内臓に見えるものがのっていました。
それを無造作に、時計のパネルの中に注ぎ込みました。
片方のバケツが空になると、もう一方のバケツをすくいました。
・・・これは自分の見間違いだと思うのですが、
シャベルには乳児の頭のようなものが二つ・・・

そのとき、大時計の針が10時きっかりになり「ボーン、ボーン」と時報が鳴り始めました。
この音を聞いたとたん、急にめまいがしてきました。
それで、よろよろしながらその場を離れ、
裏門から出たところで道にしゃがみこんでしまいました。
やや離れたところに、遠ざかっていく人影が見えました。
その後ろ姿が、わたしにそっくりなんです。少なくとも、着ているものはまったく同じでした。
めまいはかなり強烈でしたがなんとか自宅にたどり着き、
家内に車に乗せてもらって病院に行きました。

診断では三半規管の不調ということで、3日ほど入院治療したらどうにか治りました。
こんな話なんですが、まだ二つほど不思議なことがあります。
一つは、退院してからこの工場を探したけれど見つからなかったことです。
あの行き止まりになった道はちゃんとあるのに、
工場のあった場所は小児科の診療所になっていました。
もう一つは、あの日の万歩計が10万歩を超えるありえない数字になっていたことです。
単に故障なのだと思いますが・・・



おとし祀り

2014.03.19 (Wed)
今はもうコンクリートの護岸とテトラポッドに埋め尽くされてしまいましたけれど、
そこらの浜がまだごつごつした険しい岩礁だらけだった頃の話ですから、
もう40年以上も前になります。
当時はあの岬の突端には小さな神社があって、かえし神社と呼ばれておりました。
この湾の有力者が代々神主でしたが、ふだんから常駐しているわけではありません。
場所が場所ですから台風の度に大破して、修理をするのは毎年のことでした。

ですから神社の社殿は、新しい木、古い木であちこちつぎはぎだらけになり
お世辞にも立派といえるものではありませんでした。
歳の例祭は一度だけ、お盆直前の8月12日の夜から未明にかけて行われました。
これに出ることができるのは限られた者だけで、
そもそも行われない年のほうが多かったでしょう。
わたしもこのお祀りに中学2年のときに一度だけ参加したことがありまして、
そのときの話をしたいと思います。

朝からばたばたと風が強く、波も高くうねっておりました。
とはいえ南国ですので、気温は高くむしむしとした日であったと記憶しています。
今回のお祀りに参加するのは、わたしのところも含めて4家族で、
人数は15人内外といったところでしたか。
朝から精進いたしまして、生臭ものは一切食べません。

それからお盆の先祖をお迎えする準備というのもいたしません。
それはこの祀りが終わってしばらくたってからになります。
昼過ぎになると神主を務める浜の網元の屋敷に一家そろって顔を出し、
酒焼けした赤ら顔に装束をつけて神妙な様子の親方に、
軽トラに積んできた酒、米、塩をそれぞれ一斗ずつさしあげ、
その代わりに護符の束をいただいてきました。
護符は今夜の祀りになくてはならないものなのです。

その帰りがけに岩場に寄りました。
父親が「ひとり十ほど、手頃な石を選んどけよ」と言ったので、
自分と母親、それに80歳を過ぎたばあさまも、握りこぶしより少し大きめの岩を拾って
それぞれ籠に入れました。祀りの手順については何度も説明を受けていたのです。
ばあさまはもちろん、母親も持てない重さになったので、
その籠は父親が持ってトラックに積み込みました。
そのあと家に戻って禊ぎをしました。当時はまだ井戸水を使用していましたので、
自分と父親は庭にたらいを出して、母親とばあさまは風呂に水をくみ入れて身を清めました。

そのまま白装束に着替え、夕飯は食べずに夜を待ちながら、
みなで石に護符を米糊で貼りつけました。
神社に向かうのは11時の予定でした。今に家族そろって座っておりましたが、
沈黙にたまりかねたように母親が泣き出したのを、
父親が短く強い言葉でたしなめました。ばあさまを見ると、声を出さずに涙を流していました。

10時半過ぎに家を出ました。朝からの風はいっそう強くなってきていましたが、
この時期に漁に出ている船はありません。岬の神社までは歩いて20分ほどでした。
父親が石の籠を二つ、わたしが一つ持ってゆっくり歩いていきますと、
神社の前に焚いた篝火が見えてきました。他の3家族の人たちはもう来られていました。
去年の冬に漁船の沈没があり8人の漁師が亡くなったのですが、
その中でまだ遺体の発見されていないご家族でした。
その他の人の姿はありません。この夜は外に出てはならないしきたりなのです。

父親はそれらの方と低い声で挨拶を交わし、岬の突端へと歩み出ました。
そこには網元が準備させた、人の頭ほどの岩が十ずつ何列かに並べられており、
父親は、その中のまだついていないものに護符をはりつけていきました。
それから30分ほどして、神主が姿を見せました。
月が出ておりましたので、15mほど下の水面がかろうじて見える程度の明るさがあり、
崖下の岩礁から少し離れた海の中に急ごしらえの小さな鳥居が立っているのが見えました。
鳥居から崖の上まで、細い石段が続いていました。

神主はこちらには目もくれず海面をにらんでいます。
網元としての豪放な顔はもうどこにも見えず、緊張で頬がひきつっているのがわかりました。
岬の先端に立って、用意してあった榊の枝を上下逆に持って何度か振り、
口に酒を含んで海面のほうに向かって吹きかけました。
おもむろに懐から呪言の書かれた和紙を取り出し、朗々と唱え始めました。
ごうごうと風が強くなってきました。わたしはずっと海の中の鳥居を見つめていましたが、
その下で渦巻く波の中に、何かが見えたような気がしました。

「きなさったぞ!」と神主が叫びました。
「きなさったがまだだ、鳥居をくぐられてからだぞ、お帰りいただくのは」
海の中から手が伸び鳥居の柱を掌で叩いていましたが、がしりとつかんで体を引き上げました。
亡くなった漁船の船長でした。水死体でもなく腐敗してもおらず、
全身ずぶ濡れになっている以外は生きたままの姿でした。

船長が腰をかがめるようにして鳥居をくぐり出ると、
その家族たちが崖の上から石を投げ始めました。
もう一人、さらにもう一人が海から出て鳥居をくぐりました。
3家族の十数人が横に広がって石を投げ、外れるものが多かったのですが、
いくつかは頭頂部や背中に当たり、血しぶきが黒く上がるのが見えました。
家族の嗚咽が聞こえてきました。
「もうお帰りください!家族の顔を見て満足されたでしょう、もうお帰りください」
神主が叫び、他のものが声を合わせました。

海面から細い手が出てきました。今年の5月に波にさらわれた9歳の妹です。
父親が半狂乱になって妹の姿を探していた姿が脳裏によみがえってきました。
姿が見えなくなったときの、黄色いワンピースを着ているようでした。
妹がするんと細長い魚のように鳥居をくぐったとき、
父親の投げつけた石が上向きの顔の真ん中に当たり、
たちまち黒く汚れて表情が見えなくなりました。
「お前らも投げろ!」父親が叫びました。母親が泣きながら石をなげましたが、
かろうじて崖から落ちただけでした。

わたしが投げた石は、斜面を何度もバウンドして妹の左手に当たりました。
ひとしきり手元の石を投げて、
4人の死者が階段の最下段に重なってしがみついた状態になっているところに、
神主が並べてあった岩を転がし落とし、みなもそれにならいました。
岩は階段とその脇を転がり落ち、死者の一人がそれを抱いた形で海に落ちました。
もう一人も二つ並んで落ちてきた岩に跳ね飛ばされ、
次におそらくわたしが転がした岩が妹の立ち上がろうとした膝下にあたり、
両手を広げてのけぞる形で真後ろに倒れていきました。

そのとき見えた砕けた顔からは、表情を読み取ることはできませんでした。
やがて最後の一人が海に落ち、海面は波ばかりとなりました。
神主がまた朗々と呪言を唱え始めました。20分ほども続いたでしょうか。
家族たちのすすり泣きがそこここで聞こえ、
神主が「ごくろうだった、よくやった」とねぎらってまわる声も耳に入りました。
こうして、この年の祀りはとどこおりなく終わったのです。



雑談というか

2014.03.18 (Tue)
 この項はオカルトとは無関係です。
えー、自分はいろんな人のブログを参考にさせてもらっているんですが、
アクアリウム関係のブログもよく拝見しています・・・
が、そのブログの管理人の方々にしてみれば、変なオカルト人間がきてるなあ
と思っているだろうと予想されますので、いちおう弁解というか説明というか・・・

 自分は昔から熱帯魚飼育をしていて、水槽が5本あります。
1、海水魚150cm水槽 レモンブダイ、クギベラ、ナンヨウハギ、イナズマヤッコ他 サンゴなし
2、金魚90cm水槽 一番大きい玉サバは40cm超
3、60cm背高水草水槽 4、60cm背高アクアテラ 5、15cmキューブベタ水草水槽

ここには3の画像を載せておきます。
魚はネオンテトラ、グーラミイ、水草はミリオフィラム、ロタラ、ミクロソリウム、ハイグロフィラ等です。





「ぶーどーちゃん」

2014.03.17 (Mon)
12年暮らした夫と離婚しました。
離婚というか向こうが女つくって出ていったんだけど・・・
子どもがいなかったから慰謝料もわずかなものだし、
早晩生活に困るだろうと思って働くことにしました。
とは言っても私は高卒で何の資格もないし、
せいぜい掃除のパートくらいしかできないだろうな、と思ってたんです。

それでもダメ元と思って親戚に相談したら、
小学生のとき以来ずっと会ってなかった少し年上のイトコの耳に入ったらしく、
仕事を手伝わないかと声をかけてくれたんです。
そのイトコはネットで怪しげな商売をしていて評判が悪く、
他の親戚ともあまりつき合いがなかったんですが、
話を聞いてみたらびっくりするような給料でした。
ネットのサイトで、呪いグッズのようなものを販売しているということでした。

迷いましたがやってみることにし、次の週から事務所に通うことになりました。
事務所は雑居ビルの6畳くらいの部屋です。
ネットで販売しているのは「わらにんにんちゃん」という藁人形を模したものと、
「ぶーどーちゃん」というブードゥー教の人形に似たものです。
どっちも布製ですが、ゆるキャラのような可愛らしさがあって、
どこまで本気の商売なのかわかりませんでした。
背中にチャックがついていて、呪いをかける相手の爪や髪の毛を入れることが
できるようになっていました。そうしてから釘で打ったり、針を刺したりするんです。

これをいくらで販売すると思いますか?
人形一体に呪いのやり方を書いた薄いパンフをつけて1万5千円なんです。
高いと思うでしょう。原価は100円くらいですから、そういう意味では高いです。
でも、これによって憎い相手が死んだり不幸になってくれれば安いもんじゃないですか?
それにこの商売は良心的で、なんと返品、返金ありなんです。しかも無期限で。
つまり呪いが成就しなかった場合はお金を返します、ってことです。
すごいでしょ。

だから仕事を初めてまず驚いたのは、その返金作業にかなりの時間をとられることです。
そうですね、返品率は9割を超えてるかもしれません。
新たな注文で人形を送るのと、
返品を受けてお金を返すのとほとんど同じくらいという感じでした。
だからけっこう忙しかったんですよ。あと、送り返されてきた人形が怖かったです。
釘で打たれてボロボロになってるくらいはまだましなほうで、
中には朱書きで「怨」とか書かれてたり、血がついたりしてるのもあったんです。
人形のチャックの中には、髪の毛や使用済コンドームなどが入れっぱなしになってる
のも多かったです。

それで、これら返品された人形は捨てちゃならないんです。
すべて箱に入れてとっていました。
イトコは趣味の悪い金のブレスレットをガチャガチャさせながら、
こんなことを言ってました。
「この返品された人形たちがこの商売のキモなんだよ。
最初に売れないのは困るが、返品率は100%でもかまわない、
というかむしろそのほうがいい」
これがどういう意味なのかわからなかったんです。最初のうちは。

人形が箱の中にだんだん貯まっていくにつれて、
事務所の雰囲気がはっきりと悪くなっていくのがわかりました。
蛍光灯をつけてても暗い感じがするし、
窓の外の電線にカラスがとまって鳴いているのを見ることが多くなりました。
しかもカラスは必ず事務所のほうを覗っているんです。
あとこれは気のせいかもしれませんが、肩が凝るようになり、
パソコンも故障がちになってきたんです。

そのことをイトコに言うと、少し顔をしかめながらも否定はせず、
「そうかもしれんなあ。こりゃなんかの対策を考えんとあんたの体に障りがあるのかも。
わかった。それはこの次考えることにして、人形をいったん煮るから見にくるかい?」
こう聞いてきました。
「煮る、って何ですか?」
「それは見ればわかるよ」
こんなやりとりがあって、処理の現場を見学させてもらうことになったんです。

その夜、イトコが人形をバッグに詰めて車で向かったのは、
街の外れにある廃寺のようなところでした。
ボロボロの衣を着て髪を伸ばした僧侶のような人がいました。
イトコが手を上げてあいさつすると、僧侶は雑草だらけの中庭に大鍋を準備し、
チャックの中のものもそのままの人形を入れ、一斗缶の焚火で煮はじめたんです。
しばらくすると、鍋の中から「にくいい」「死ね、死ねえ」
というか細い声が聞こえ出しました。
僧侶が鍋をヘラのようなのでかき回しながら何やら呪文を唱え始めました。

「見るか?」とイトコが言って鍋を指さしたので、
中を覗いて、思わず「ウソっ!」と言ってしまいました。
ぐらぐら煮え立ったお湯の中で「ぶーどーちゃん」と
「わらにんにんちゃん」がとび跳ねていました。
底に沈んでいるのも、ぐねぐね絡まり合うようにうごめいていました。
「にくいい」「なんで捨てた」「死んでしまえ」・・・
人形の小さい口が動いてこれらの語を発していたのです。
「人形が呪った本人の言葉を覚えてきてるんだよ」イトコはこともなげに言いました。

「この後、人形たちは共食いを始めるが、それは見ないほうがいいだろう。
とてもおぞましいもんだから」イトコは私をうながして本堂に連れていきました。
庭では僧侶の声が遅くまで響いていました。
翌朝、早く起きて鍋を見にいくと、底のほうに赤黒い血泥のようなものが溜まっていました。
僧侶は地面にへたり込んで眠りこけていました。
イトコは「これだよ、これ。グラムあたり金より高く売れるんだぜ。
ほしいやつはいくらでもいる」にまにましながらそう言ったんです。

そこでイトコはふと思いついたように「あんた、別れたダンナを憎んでるかい?」
と聞いてきました。「・・・ええ、当然」と答えると、
「おお、怖い顔」とおどけたように言い、
「まだダンナと暮らしてたアパートに住んでるんだよな。じゃダンナの髪の毛一本くらい
見つかるだろ。明日探してみなよ」と言いました。
その日は仕事がなかったので送られて帰り、アパートの寝室のじゅうたんをはがしてみると、
私のではない短い髪の毛が何本か見つかりました。

次の日、イトコが帰り際に事務所にやってきて「ほらこれ使ってみな。後悔はなしだぜ」
そう言って一体の「ぶーどーちゃん」を渡してよこしたんです。
それは一見新品のように見えましたが、色が赤黒く変化していました。
あの鍋に溜まった血泥で染めたんだろうと思いました。
アパートに帰って、串焼き用の金串を取り出しました。
部屋の電気を消し、ロウソクに火をともし、人形に髪の毛を入れて呪言を唱え、
念を込めて一気に串を突き刺しました。心臓、額、股間などに何度も何度も。
少しの迷いもなかったです。

最初に刺したとき、「ぐおおおおおおっ」といううめき声が聞こえたんです。。
夫の声だと思いました。そしてパアッと霧のようなものが飛び散って顔にかかりました。
手でぬぐうと、血より少しオレンジがかった液体がべっとりとついていました。
これで話を終わります。
・・・え、夫はどうなったかって・・・そうですね、それは気になるでしょうね。
でも、ここでは言わないでおきます。すみません。



露天風呂

2014.03.16 (Sun)
休みが2日とれたんで、仕事の仲間4人と温泉に行ったんです。
場所は奈良の奥のほうですね。
男ばっかりで温泉行って何が面白いのかと思うかもしれませんが、
IT関係の仕事でして、一日中根を詰めて座ってると目と肩にくるんですよ。
そういう疲れをいやすというのがいちおうの建前で、
あとね、妙にアナログが恋しくなるんですよね。具体的には麻雀です。
今はネットでオンライン対戦とかもできますけど、
やっぱり自分の手で牌に触れる感触ってのが懐かしくなります。
といっても手積みではなく、宿の自動卓を借りましたけどね。
そんなわけで、体のリフレッシュをかねて、
一泊二日で仲間と麻雀をしに行ったわけです。

旅館は、まさに秘湯というような一軒宿で、
玄関の軒先に赤い人形が吊るしてあったのが印象に残ってます。
自分らの他に客はいなかったんじゃないかな。駐車場には宿の車しかなかったし。
着いて早々にひと風呂浴びて浴衣に着替え、夕食を食べてすぐ麻雀を始めました。
戦績は・・・まあぼちぼちでしたよ。この時までは大負けってことはなかったです。
で、11時頃にいったん小休止して、また風呂に行ったんです。
屋内の風呂でしたが、源泉掛け流しでした。
そのあたりはちゃんと調べて行ったんですよ。白濁したお湯で、ややぬる目でした。
他のやつらは20分くらいで上がりましたが、
自分は長湯が好きなんでまだ湯船につかってたんです。

すると、湯気でくもったガラス戸の外に、露天風呂があるのを見つけました。
あれ、と思いました。旅館をネットで調べたときには露天があるとは載ってなかったし。
そういえば脱衣所のほうに外へ通じるらしい木戸があったなと思い、
そこに行って引っ掛け式の簡単な鍵を開けると、下駄が一足だけありました。
いったん体をふいて、浴衣だけはおった状態で出てみたんです。
葦の生えた草地を通っていくと、立派な石風呂のようなのがありましたが、
手前に膝ぐらいの高さに縄が張ってあり、紙の御幣がいくつかついていました。
それをまたぎ越えると、内湯より広いくらいでした。
中ほどに大きな岩がつき出ていてその先は見えませんでしたが、
風呂は岩陰のほうまで続いているようでした。
お湯は乳白色で、手を入れてみると内風呂よりさらにぬるかったですが、
入れないというほどではありませんでした。
もったいないなあ、と思いましたよ。なんでこれを宣伝しないんだろって。

で、入ってみることにしたんです。
簡単につくった木の棚があって、そこに脱衣籠がいくつかのってました。
いや、服とかは入ってませんでしたねえ。
照明はなかったですが、内湯の窓からの光で十分明るかったです。
入ってみると、これが深いんです。お湯が胸のあたりまできました。
これじゃ子どもははいれないし、お年寄りも危ない。
それで使ってないんだろうかと思いました。泳げるくらいなんです。
底は砂利のようで熱かったです。お湯が湧き出ているんだと思いました。
その風呂の中をゆっくり歩いていって、大岩を曲がると、あっと思いました。
数m向こうに、女の人が岩にもたれるようにして入ってたんです。

マズイかな、と思いました。ここは従業員用か、
さもなければ旅館とは別のこの地域の共同風呂とかなのかもしれないなと。
・・・女の人は20代後半くらいでしょうか。
見事な日本髪を結っていて、うつむきかげんにお湯を見つめてました。
いや、体は見えませんでした。出てるのは肩より上だし、湯が白いですからね。
・・・こっちが入ってきた音は当然聞こえてるだろうから、身を固くしてると思ったんです。
それですぐ戻ろうとしたんですが、妙なことに気づきました。
女の人の手前に丸い毛玉のようなのが浮かんでるんです。
何だろうと思ったら、それがクルッと回ってこちらを向きました。
サルです。生きた子ザルの頭でした。気持ちよさそうな顔でしたよ。
大人のサルでも背が立つ深さじゃないんで、女の人が手に乗せているんだろうと思いました。

背を向けようとしたとき、女の人がこっちを向いて、ニッと笑ったんです。
白粉なんでしょうか、真っ白な顔でした。
そして日本髪の頭からずぼっとお湯にもぐったんです。白い背中と尻が湯の外に出てきました。
子ザルは支えを失って少しもがきましたが、女の人の背に上りました。
するとね、女の人の背中が裂けたんです。肩の真ん中から尻まで縦にぱっくりと。
叫び声を上げてしまいました。数十センチの裂け目は中は赤黒いんですが血も出なくて、
そこからサメの歯のようなのが何本もせり出してきました。
一本が三角定規くらいもあったかもしれません。
その裂け目の中に背中にのってたサルが落ち込んだんです。
今でも耳に残ってますよ。「イヒーッ」という子ザル叫び声と、
骨が折れ砕かれるボキボキという音が。
白いお湯が赤く染まり、猿の毛があたりに浮いてきました。

とんとんとつま先で飛ぶようにして、深いお湯の中を逃げましたよ。
浴衣をひっつかんで裸で内湯まで逃げ戻り、戸に鍵をかけました。
追ってくるような気配はありませんでしたが、浴衣を着て急いで浴場を出ようとしました。
仲間に知らせようと思ったんです。
浴場の戸を開けると、年配の旅館の女将が平伏していました。
女将はそのまま顔を上げずにこう言いました。
「見てしまったものはしかたありません。ぜったいに口外しないでください。
申しわけありませんでした。もう十年以上出ておらなかったので油断がありました。
お願い、お願いいたします」で、足にしがみついてくるんです。
どう答えていいかわかりませんでした。
案内に載ってなかったところに勝手に入っていった自分も悪いのだし、
それに言っても信じてもらえるようなものじゃない。
「わかりました、わかりました。言いませんから」そう言うと、女将は顔を上げ、
「それがよう御座います。言えばアレが追いかけていくでしょうから」

部屋に戻って・・・仲間には言いませんでしたよ。
麻雀を再開して、結果はさんざんでした。
気持ちが動揺してただけじゃなく、早い順目で役満に振り込んでしまうとか、
運もすっからかんになっているようでした。
翌日昼ころに起きて、出立する前に仲間が一度風呂に行きましたが、自分は入りませんでした。
廊下のガラス越しに昨夜の露天風呂のほうを見ると、四方に竹ざおが立てられ、
大きく注連縄が張りめぐらされていました。
旅館を出るときに、女将が近寄ってきて目配せをすると、
軒に吊るされていた人形をはずして自分に渡してよこしました。
そしてこうささやいたんです。
「これをお持ちなさい。しばらく運気が悪いでしょうし、何より魔除けになりますから」
それがほら、これなんです。

『庚申猿』
*この人形は「さるぼぼ」といい、
猿の赤ちゃんという意味です。
自分の身代わりになって災いを受ける
魔除けの一種です。
庚申信仰と深いかかわりがあります。
庚申信仰については、
道教の「三尸説」と陰陽五行説の
入り交じってできたもので、
ここで一口に説明するのは
難しいです。










成人式の同窓会

2014.03.16 (Sun)
成人式のときのことです。そんな昔の話じゃないですよ。
たった5年前なんですから。
私の実家のあった町は田舎なので、成人式はお盆の頃にやるんです。
そのほうが休みをとって帰郷しやすいし、振り袖を着なくてもそんなにおかしくないですし。
ただ、式自体は町の体育館で日曜の午後からやったんですけど、
それには仕事の都合で参加できなかったんです。
まあ式なんてそんなに好きじゃないし、
その後でやる同窓会に間に合えばいいやと思ってました。
どうせ家族は引っ越していてそちらには住んでいないんです。
クラス会は中学校のときのです。
私もそうですが、別の市の高校に行った人も多かったですから。

その日はやっぱり仕事に時間を取られてしまって、予定してた電車を一つ遅らせてしまい、
田舎の駅に着いたのが5時過ぎでした。
クラス会の案内のハガキには5時からとあったので、少し遅れで済むかと思って、
駅でタクシーを拾ったんです。宿は駅前のビジネスホテルを前もって予約していました。
久しぶりに帰った郷里でしたが、ほとんど変わっていないというか、
むしろ寂れた印象でした。お盆中のせいもあるんでしょうけど、多くの店は閉まってました。
同窓会の会場は、案内状では「ドライブイン山根」という聞いたことのないところでした
町立の中学校は学年2クラスしかありませんでしたし、来られない人もいるだろうから、
そんな会場でも大丈夫なんだろうと思いました。
おそらく30人くらいだと思ってたんです。

運転手さんに行き先を告げると、けげんな顔をされました。
知らない、と言うんです。こんなせまい町なのに変だなと思いましたが、
向こうもそう思った様子でした。それでもハガキに書かれていた住所を言うと、
それはわかったらしく車を発進させました。
「あのあたりにそんなのあったかなあ」とつぶやいてました。
タクシーは町中を抜けて、渓流沿いを20分ほど走り林に入っていきました。
実家や中学校ともかなり離れていて、私にもよくわからない場所でした。
「ここらだよねえ・・・あ、あれかな」運転手さんが大きな声を出したので、
視線のほうを見ると「ドライブイン山根」という看板が木の間にあり、
その奥に建物の壁が見えました。
「ああ、これだ。どうもこの道は裏みたいだから表に回るね」と言う運転手さんに、
「ここでいいです」と答え、料金を払ってタクシーを降りました。

少し坂になった林の中の道を登ると、建物の正面に出ました。
夏の盛りでまだかなり明るかったと思います。
だだっぴろい駐車場がありましたが、車が一台もありませんでした。
少し変に思いましたが、みな式場から町のバスで来たのかもしれないと考えました。
新成人が酒気帯び運転で事故を起こしたりしたら大変ですから。
人気の感じられない玄関を入っていくと、せまい廊下があり、
その奥のほうから賑やかな宴会の声が聞こえてきました。
少し安心して進んでいくと、20畳くらいの広間の襖が見え、下にずらっと靴が並んでいました。
なんとなく気後れしましたが、ハンカチで汗を拭ってから襖を開けると、
宴会はかなり盛り上がっていました。
急に襖が開いたので会場の視線が集まり「ああ。◯◯ちゃんだ!」という声が聞こえて、
みんなが拍手してくれました。

茶髪に紋付き袴の男性が座っている人の後ろを抜けるように寄ってきました。
顔に見覚えがありました。当時の生徒会長です。
「やあご苦労さんです。さっそくですみませんが会費を」ということだったので、お金を払い、
席に案内されました。御膳の前で、懐かしい同級生たちが「ここ、こっちだよ」と手を振りました。
もう挨拶などの次第は済んでいるのでしょう。当時の先生方の姿を探しましたが見当たりません。
様々に着飾った新成人ばかりでした。
中学校のときよりそれぞれに大人びていましたが、ほとんどの人を覚えていました。
「遅いから来れないんじゃないかと心配してたよー」そう言って、
親しかったバスケ部の仲間がビールを注いでくれ、どうしようかと思いましたが、
喉も乾いていたので飲んでしまいました。
そこからは一気に宴会モードに突入しました。中学校時代の部活のこと、京都への修学旅行、
もっと小さなエピソードなどをずっとしゃべり続けて時間を忘れました。

「パンパカパーン」とマイクの声が聞こえ、前のほうを見ると、
さっきの生徒会長が箱のようなものを持っていました。見覚えがありました。
タイムカプセルです。卒業式の前日に、中学校の裏手にみんなで埋めたものです。
「あれ、式が終わってからこの会の幹事が掘り出してきたんだって」同級生の一人が言いました。
「今から中の手紙を配ります」そう言って幹事の人たちが一人ひとりに
封筒を手渡してくれました。開けると、表に名前を書いて三つ折にした便箋が入っていました。
便箋は少し黄ばんで湿っていました。何を書いたかまったく覚えてなかったんですが、
中を見ると自分の昔の字で、バスケの試合で県大会の3回戦で負けた悔しさと、
当時のチームメートへの感謝の言葉が書かれていました。
20歳になった自分への言葉というのはほとんどなかったです。

バスケは高校ではやらなかったので、
ああこんな気持ちでいたんだなだと、とても懐かしかったです。
他の子たちもそのときは静かになって読んでいました。
「では次に、今の手紙を右に回していってください」とマイクの声がして、
「えーいやだ!」と何人かが叫びました。
「もちろん好きな人の名前が書いてあるとかで嫌な人は回さなくてけっこうですが、
何書いてたか勘ぐられますよ」
どうしようか少し迷いましたが、回すことにしました。
当時のチームメイトが読めばあの頃の気持ちをわかってくれると思ったんです。

最初の手紙が回ってきました。同じ模様の便箋を開けると、中には赤いマジックで殴り書きに
「◯◯死ね」と書かれてありました。私の名前です。
目を疑いました。手紙は次々と回ってきて、そのどれにも「◯◯死ね」とだけ書かれてありました。
呆然としました。顔をあげると、急にあたりが真っ暗になりました。
ぞろっという音がして、人が一斉に立ち上がった気配がしました。
地面がぐらぐらと揺れる感覚があり、うつ伏せに手をついてしまいました。
暗闇の中で、同級生たちが口々に「◯◯死ね~、◯◯死ね~」と叫びだしました。
最初はそろっていなかった声が、だんだんに同調して
「◯◯死ね~」という一つの大きな響きになりました。
地獄の底から聞こえてくるような声でした。
私は倒れたまま、ここで飲んだり食べたりしたものを吐きました。
そこからは記憶がありません。

気がつくと廃墟のようなところの畳にうつ伏せに倒れており、あたりが明るくなっていました。
畳はじっとり濡れて、緑の苔に覆われ、
あたりには朱塗りのお膳やお椀がたくさん散らばっていました。
立ち上がると、スーツの胸からお腹にかけて、
私が吐いたものと苔で汚れていて、嫌な臭いのする汁が垂れてきました。
かたわらにバッグが落ちていたので拾って、光が差し込んでくるほうに歩きました。
林の中に出ました。時計を見ると朝の6時過ぎでした。
私が出てきたのは半分焼け焦げ、蔦に覆われた建物でした。
「ドライブイン山根」という看板が昨夜と同じ所にありました。
・・・これで話は終わりですが、後日談というか、携帯にたくさん着信が入っていました。
私が同窓会の会場に来ないのを心配した同窓生からのものでした。
スーツのポケットに、「二十歳の自分へ」の手紙が入っていました。
昨晩見たものと同じでしたが、同窓会の案内のハガキはどこをさがしても見つからなかったんです。



鹿ぞ鳴く2

2014.03.14 (Fri)
どっから話せばいいのかなあ。
16歳のときだけど、〇〇学園ってとこにいたんだ。
法律的には県立の児童自立支援施設って言うんだけど、
こんなこと詳しく話してもしょうがないよね。
入れられた理由はねえ、あんまり言いたくはないんだけど、
4歳の妹にケガさせたからなんだ。
幼稚園の入学の前日に、家の階段から突き落としちゃったんだ。
今から思えばねえ、何であんなことしたんだろって・・・
やっぱ頭がおかしくなってたんだろうね。

私はね、小学校5年のときから不登校になってたんだよ。
きっかけは友達とのトラブルってことになってるけど、その頃の記憶ってあいまいなんだ。
どんなトラブルかどころか、当時の友だちの顔も名前もよく思い出せない。
中学校をずっと不登校で通して、勉強してないから当然高校にもいけなくって。
その間に妹が生まれてさ、ちやほやされてるのが頭にきてたんだね。
幼稚園に入学するからって、
いろんなもの買ってもらってよかったねーって言われてるのが気に入らなくってさ。
ただ後ろから押したんじゃなくて、抱え上げて階段の上まで持ってってドーンと。
いや、今は普通に後遺症もなくやってるらしいよ。
これは反省してる、ホントだよ。

その頃は自傷もくり返してたし、夜に出歩いたりもしてたんで、
家裁の判断で入所させられたってわけ。
今思うと、そういう仲間とつき合ってたてことも大きかったのかもしれない。
○○学園は郊外にあって、場所は言えないんだけど有名な山のすそ野でね。
ずうっと林が広がった中にあるんだ。
全寮制で、いちおう授業もあるんだよ。
すんごく規律が厳しくて、入所式のときに誓いをたてさせられるんだ。
暴力をふるったりしませんとか、そんなこと。
入所式のときには父親が来たけど、母親は来なかった。
怒ってたんだろうね、妹のことで。

それでしばらくは大人しくしてたんだ。年上の先輩もいたしね。
だけどね、一日中顔をつき合わせて生活してるんだから、
中には気に入らないやつも出てくる。我慢はしてたんだけど、ある晩ね。
食堂で頭から給食をぶっかけて、髪をつかんで引きずり倒しちゃったんだ。
すぐに先生たちに止められて、そいつはたいしたケガもしなかったのに、
その夜から反省室泊まりってことになったんだ。
そこの生活はね、ペナルティがいっぱいあって、
例えば朝の点呼に起きてこなかったらどうとか。そん中で反省室は重いほうだったんだよ。
ただ私は一人が好きだったし、なんてこともなかったけど。

反省室はベッド以外何もない部屋で、一階の職員室の近くにあった。
いちおう窓はあるんだけど、外から鉄格子がついてて、外は新芽の伸びてきた林。
その日はそこで8時にはもう電気を消されちゃって、
しかたないからベッドに入っていろんなことを想像してたんだ。
けっこう空想するの好きだったんだよ。他に楽しみもないし・・・
お姫様とかそういうんじゃないけど。
そのうちにうとうとしちゃたんだろうね。
11時頃に当直の先生の見回りがあるんだけど気づかなかったから。
だからね、これから話すのはただの夢かもしれないんだよ。いちおう断っとくね。

目がさめると熱くて、寒いんだよ。わけわかんないって?
うつ伏せに倒れてたんだ。それで背中側に焚火があってそっちのほうが熱い。
体を起こすと、外にいたんだ。林の中の森に囲まれた草地みたいなとこ。
まだ4月だったからね。「気がついたかい」という声がして、そっち向くと、
神主の格好をした人が、横倒しになった朽木に座っていた。40代くらいなのかなあ。
特徴のないのっぺりした顔だったと思う。
驚いて立ち上がろうとしたけど、前のほうに転んでしまった。
片足がなくなってたんだ。ジャージのヒザの部分から左足がすっぱりない。
神主は平然とね「逃げられないように片足は切ったよ」なんて言うんだ。
それでも片足跳びで逃げ出そうとした。痛みはなかったからね。

すると神主が「ここは囲まれてる」って言う。
あたりを見回すと、林の中に焚火の照り返しで光るものがあるんだ、いくつも。
神主が懐から横笛をとりだして、「座りなさい」と言ってから、吹き始めた。
そしたら林の中のものたちが、笛の音に合わせて鳴き始めたんだ。
「びょー、びょー」って感じで。
怖くなって尻もちをつく形で後ろに倒れたら、神主が笛を置いてバンと手を強く叩いた。
すると木立の中のものがいっせいに出てきた。
鹿と鹿人間、・・・鹿は鹿だろ。ただオスの角のあるやつはいなかったと思う。
鹿人間というのは裸でね、体のあちこちが少しずつ鹿になりかかってるやつ。
背中に毛が生えてたり、後ろ足が鹿のだったり、ほとんど人間のままのもいたけど、
そいつらも四つん這いでね、こっちに近づいてきたんだ。

焚火の周りぐるっとをそいつらが取りまいて、そしたら神主が立ち上がって、
今度は手を軽くポンと叩くと、鹿人間のうちの一人・・・一匹が前に出てきた。
私より少し年下の男の子だった。
その子が四つん這いのまま、猫がやるように手を前に出して
体を伸ばした。神主はいつの間にか片手に大きな鉈を持っててね、
無造作にその子に近づくと、肩の部分から左手を切り落としたんだ。
怖くて目をつぶりそうだったよ。
だけどその子は特別痛がりもしないし、血もほとんど出ないんだ。
その子はつっかい棒が外れたようにヒザ立ちのうつ伏せになってたんだけど、
手の切り口のところから少しずつ細い鹿の足が出てきた。
神主は切った腕をつかむと焚火の中に放り込んだよ。

それから神主は不思議な動きをすると、手を胸の前に組んで、
「世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる」
こうね、朗々と歌ったんだ。もちろんそのときにはよく聞き取れなかったし、
意味もわからなかったよ。後になって調べたんだ。
今では百人一首もやるんだよ、私。
すると神主の朗詠に合わせて、鹿と鹿人間が一斉に鳴いた。
「びょー、ぴゅー、ぴゅー、びゅー、びょーん」・・・って。
その声が木々に反響して、何かものすごい音楽を聞いている感じがした。
焚火からは肉の焦げる臭いがするし、気が遠くなりかけた。
その中で神主の声が聞こえたんだ。「私といっしょに来ないか」って。

気がつくと、反省室の中にカーテンのすき間から朝の光が差し込んでた。
思わず毛布をはがして足を見たよ。両足ともちゃんとあった。
ああ、やっぱり夢だろって思うんだろうね。
でもね、それ以来、ときどき夢を見るんだ。
林の中を自分が鹿になって駆けている夢。これは本物の夢だよ。
そのときには神主が歌っていた「世の中よ・・・」の和歌が頭の中に響いている。
・・・この夢はね、私がその後、何度か道を外しそうになったときに決まって見るんだよ。
それでなんとかここまでやってこれたのかもしれないね。
それにほら、ここ見てよ。この左足、ヒザのまわりがぐるっと紫にひきつれてるだろ。
ふだんは隠してるけど、切られた足が戻ってきたからじゃないかと思うんだ。
ああ、こんなとこで足伸ばして変に思われたかもしれないね。ハハハ。

関連記事 『鹿ぞ鳴く』



ロウソクを消す

2014.03.13 (Thu)
ここ十何日も続けて、奇妙な夢を見ていました。
夢というのはおおかた奇妙な内容には違いないでしょうが、妙にリアルです。
自分は、玉砂利が敷かれた神社の参道にいて、拝殿のほうへ向かって歩いてるんです。
現実の世界で、見覚えのある場所じゃありません。
神社はお祭りでもあるのか、たくさんの幟が立っていますが、
何と書いているかは読めませんでした。
ピントがぼけたようになっていてはっきりしないんです。遠くから笛の音が聞こえていました。
そういう賑やかな雰囲気のわりには、自分が見える範囲には誰も人がいないんです。
ああ、日中です。参道にはまぶしいくらいの白い光があたっていましたから。

玉砂利に影を落としながら最後の鳥居をくぐると、
拝殿は真新しい白木で、木の香さえ漂ってきそうなほどです。
丸い柱だけが丹塗りになってました。
自分は手水鉢で口をすすぐと、鈴を鳴らし、礼をして手を打ちます。
その手の打ち方が変わっていて、肘を張り指先を下に向けた窮屈な形で4回拍手するのです。
・・・誰に教えられたというわけじゃなく、
夢の中の自分は自然にそうしてるとしか言いようがないです。
それから財布を取り出してお賽銭を投げます。
なぜか財布に入っている束になった紙幣なんですが、
見たことのないものです。昔のやつじゃないでしょうか。

拝殿の戸は大きく開いていて、木の階段を上ると戸のすぐ内に細い横木が渡してあり、
そこに小さなロウソクがずらっと並んでいます。
ここが不思議なんですが、
左右を見ると暗い中をどこまでもずっとロウソクが連なってるんですよ、
そんなに広い社殿の幅はないのに。
・・・夢を不思議だといってもしょうがないんでしょうけども。
自分は何かに導かれているように、
左右どちらかに進んでロウソクを選んで一本だけ釘から外すんです。
そして片手であおいで消す。そのときにシュンと空気がゆらぐのを感じるんです。
どう説明したらわかってもらえるでしょうか・・・
リモコンでテレビを消して瞬時にまたつけたような感じ、といえば近いかもしれません。

こんな夢ですね。だいたいこのあたりで目が覚めます。
ときには鳥居をくぐって神社から出ようとするところまで覚えていることもあります。
目が覚めると夜中の2時から3時の間ですね。
何かとても難しいことをやりとげた、といった達成感と、
それにも増して空しいような感じがあります。
急にこういう夢を見るようになったんです.
・・・さあ、きっかけといっても特にないんですね。
最近どこかにお参りにいったということもないし。
とにかくこんなような夢を2週間くらい続けて見ているんですよ。

3日前の日曜日のことです。
自分は中学校で剣道部に所属してるんですが、
隣の県で大会があって町のバスで出かけてたんです。
団体戦の午前の予選リーグを勝ち抜いて、昼食休憩になりました。
その日は天気がよかったので武道館の外の芝生に敷物をしいて仲間と弁当を広げました。
すると道の向こうのまばらな木立の中に神社があるのが見えました。
それが、夢の中でお参りをしているところによく似ているような気がしたんです。
仲間に「ちょっと向こうを見てくる」と声をかけて道着と袴のまま道路を渡りましたが、
神社に出る道が見つからず大回りしなくてはなりませんでした。

民家の中に参道に続く道を見つけて進んでいってみると、
細部は違ってるとこもあるんですが、おおかたは夢の中と同じでした。
ただ、夢の神社は砂利もきれいだし鳥居や社殿も新しいんですが、
目の前にあるのは、相当に古ぼけているんです。
参道の終わりまでくると、ちょうど拝殿の正面の戸が開いて、
神官と黒い着物の女の人がそろって出てきたところでした。
神官はきちんと装束をつけ、眼鏡をかけたかなり年配の人でした。
女の人は神官よりだいぶ背が高く、
自分の母親より若いように思えました。20代の後半くらいでしょうか。

二人はうつむいて出てきましたが、顔をあげるとまっすぐに自分のほうを見ました。
そして、まるで自分がそこにいるのがわかっていたように、
こちらに向かって手招きしました。
どっちの人の顔からも、感情のようなのは感じませんでしたね。
自分は変に思いながらも、呼ばれたのだろうと素直に近づいていきました。
階段の上から神官が声をかけてきました。
「あんた、ここに呼ばれて来たんだろう。今おつとめをしている人だよね。中学生かい?」
意味がわからなかったのですが「そうです。剣道の大会に来てるんです」とだけ答えました。

神官はうなずくと「夢で見るんだろう、ここのこと?」と重ねて聞いてきたときに、
「はい。何であの夢のことを知ってるんですか?おつとめって何ですか?
ここは何の神社なんですか?」たくさんの疑問が今度は自分の口をついて出ました。
神官は顔をゆがめて下を向きました。笑ったようでした。
「あんたは選ばれたてお役目を果たしているということだ。
神様の御使いのようなことをしている」
神官は地面まで下りてきて自分の肩に手を置くと、
「神様はちゃんと見てくださるから、あんたの剣道の成績もあがるよ。
これからは何もかもよくなるだろう」とささやきました。

続けて「今夜も夢を見るだろうが、いつもと少し違うかもしれない。
印がついているロウソクがあるだろうから、それを消しておくれ」と言いました。
自分がけげんな顔をしていたからでしょうか、
女の人が急に口を開いて「お願いします!よろしくお願いします」と叫びました。
目の焦点があわず、視線があちこちにさまよっているようでした。
神官は肩に置いた手にぐっと力を込め、高齢とは思えぬ素早さで階段を駆け上がりました。
そして女の人といっしょに社殿に入って戸をぴしりと閉めました。
最後に女の人が自分に向かって深々と礼をしたのを覚えています。
結局、疑問はまったく解決しないまま不承不承武道館へと戻りました。

大会は午後も勝ち進み、自分たちのチームは見事優勝することができました。
・・・その夜も夢を見ました。いつもと同じでしたが、
うろうろと消すべきロウソクをさがしていると、
中に一本、胴に赤い筋が入ったものがありました。
ははあ、昼に言ってたのはこれだなとわかりました。消すことに迷いはありませんでした。
むしろ今日の昼の出来事から、
神様のお手伝いをしているのだという誇らしい気持ちがありました。
それを抜き取ってあおぎ消した瞬間、夢の画像が大きくゆがみ、
耳元で絶叫が聞こえたと思いました。自分は布団に起き上がり、荒い息を吐き続けました。
びっしょりと汗をかき、心臓の音が耳に響いていました。

翌日、関東に単身赴任していた父が急死したという知らせが届きました。
布団の中で冷たくなっているのを、同僚に発見されたのです。


*「天(あめ)の逆手」というのは『古事記』に出てくる呪詛の法です。
国譲りを天孫族に迫られた大国主命の子、事代主命が国譲りを承知した後、
自らの乗っていた船を踏み傾けて沈め、
そこに青柴垣を作って隠れた(死んだ)という記事によります。
『伊勢物語』にも、この故事に倣い、
身分の高い女に振られた男が天の逆手を打って呪う場面が出てきますね。
 古神道家によって再現が試みられていますが、頭の上で打つ、背中に手を回して打つ、
手の甲を打ち合わせる、指先を下に向けて打つなど諸説あって判然としません。
自分でやってみた感じでは、指先を下に向けて手の甲を打ち合わせると
特に禍々しい雰囲気が出るような気がしました。




不条理テイスト

2014.03.12 (Wed)
 自分が書く怖い話には不条理なテイストがかなり入っています。
例えば、前に書いた『ケンちゃん』でも、なぜ産休講師の先生が小学生の児童を
ヌイグルミの中に入れて願い事をするのか理由がわかりません。
ただ単に謎ということではなく、先生は何らかの意図があってやっていると思われるのに
読む人には理解しがたい。だから不条理感が生じるのです。
ただしこの答えは、書いた自分にもよくわかってはいません。
これによって何かを文学的に明らかにしようと考えているわけではないので、
あくまで不条理なテイストです。
いわば怖い話の味つけ的なものです。
関連記事 『ケンちゃん』

 一方、不条理文学と呼ばれるものは、作者の側に明確な意図があります。
不条理文学では、アルベール・カミュの『異邦人』やフランツ・カフカの『変身』などが
古典的な代表作と言われることが多いのですが、
自分はこの2人はだいぶ違う点があると考えています。
 カミュのほうは、明晰な知性を持つ人物は、世の中とは合致しない。
なぜなら世の中というものは多くの点で不条理であり、
すべてを見通せるものは、ギャップを感じて世の中からはじき出されてしまう・・・
こんなテーマだと自分は理解しています。
カミュはこのテーマに固執したあまり、文壇から孤立していきましたよね。

 これに対してカフカのほうは、不条理を描くことで、それまで当然と考えられていたことを
改めて問い直す・・・といった手法だと思います。
 例えば、主人公は、朝起きて「朝食」を食べようとする・・・すると家族のみんなが、
朝食って何だ?と言いだす。そんなものこれまで食べたことがない、そんなことしちゃだめだ、
と言われ、頭にきて無理矢理に朝食を作って食べてしまう。
すると家族が警察を呼び、主人公はパトカーに連れていかれてしまう。
この後、取り調べがあったり裁判があったりして、
その中で「朝食」というものの持つ意味が浮かび上がってくる。
・・・今考えたのであまりいい例ではないですが、こんな感じでしょうか。

 『変身』にしてもそうですよね。一家の稼ぎ手であるグレゴールは、
ある朝毒虫に変身してしまう。それまでグレゴールを頼りにしていた家族、父や母や妹は
彼を嫌悪し、自分たちで自立する手段を探し始める。
グレゴールは失意のうちに死に、残された家族は幸せになっていく・・・
という予感を感じさせるところで話が終わります。
毒虫に変身することによって、
家族にとってグレゴールとは、あるいは家族とは何だったのかが明確に浮かび上がってくると思います。
 もしこれが、単にグレゴールが重い病気にかかってしまっただけだったらどうでしょう。
家族は、肉親の情やら世間への体面から、グレゴールを傷つけたり、
つらくあたったりすることはできなかったでしょう。
この場合、どこにでもあるような貧しい家族のエピソードになってしまい、
作品に深い文学性は生まれなかったのではないでしょうか。
日本だと安倍公房なんかに、そういった作品が多いでしょうかね。

 怖い話の場合は、文学性が入ってしまうと怖さの焦点がぼけてしまう、
ということがあると思います。あくまで味つけとして用いるのがよいのではないでしょうか。
あと、すべてが不条理的な話だと、読む側が理解を放棄してしまうので、
つじつまが(オカルト的に)合う話と混ぜながら書いていきたいと考えています。

『Die Verwandlung』




過去からくる人

2014.03.11 (Tue)
1ヶ月ばかり前のことです。
残業が長引いて、部屋につくと11時をまわっていました。
会社で大きなプロジェクトの一員となっていて、その仕事が追い込みの時期にきていたのです。
夕食は、仕事をしながらカロリータブレットのようなものを少しつまんだくらいでしたが、
空腹感はありませんでした。
このところ、まともに食事をとらないでしまうことが多いせいか、胃が慣れてきていたのだと思います。
明日も早いので、シャワーを浴びてもう寝てしまわなくてはなりません。
ここまで必死の努力で築いてきた会社内での地位を失いたくはありませんでした。
ここが踏ん張りどころだと思っていたのです。
1時少し過ぎにはベッドに入りました。そして夢を見ました。

不思議な夢でした。私は実家にいました。実家といっても何度か引っ越ししているのですが、
居間から縁側ごしにわずかな庭が見えるのは、
小学校のときに5年ほど住んでいた家のような気がしました。
父親の浮気のために家族仲は冷えきっていましたが、まだ生活には困っていなかった頃の・・・
襖が開いて、3歳くらいの男の子がよろよろと入ってきました。弟だ、と思いました。
具合が悪いのか、座卓の前の父用の座椅子に倒れ込むように座って、両足を前に投げ出しました。
弟は生まれつき心臓に欠陥があるため運動を禁じられていたのですが、
このときも軽い発作を起こしているように見えました。
すると半ば開いたままの襖から、後を追うように白っぽい服を着た女の人が出てきました。
・・・母ではありません。当時母は30代半ばくらいのはずですが、
その女の人はもっと若いように思えました。

といっても、顔かたちがはっきりと見てとれるわけではありません。
出てきたときから靄がかかったようになって、輪郭くらいしかわからないのです。
ただ、その背格好はどこか見覚えがある気がしました。
その人は、牛乳瓶半分くらいの容器とさじを持っていて、
そして弟のそばに近づくと、ぐったりしている弟の額をつついて何かを言いました。
弟がそちらを見てうっすらと口を開けました。
女の人は、その口の中にさじで瓶の中のものを二度三度とゆっくりと流し込みます。
そのとき急に、夢が映画のズームアップのようになり、さじが大きく拡大されて見えました。
さじの中には白いおかゆのようなものがありましたが、
その米粒に見える一つ一つがくにゅくにゅと動いていました。

ここで目が覚めました。あと数分で目覚ましをセットした時間になるところでした。
夢の余韻が残っていました。
全体としては懐かしい雰囲気の夢でしたが、あのさじの上のものはいったい・・・
それと女の人が誰なのか、どうしても思い出せないのです。
いつも身近にいた人だったような気はするのですが・・・
でも私の家は4人家族で、それ以外の人が一緒に暮らしていたことはなかったはずなのです。
起き上がると強い吐き気を覚えました。
ここのところずっとの、仕事での無理がたたっているようでした。
口を押さえ、バスルームに行って吐きました。
便器にはわずかな胃液が流れ落ちただけでした。

次に夢を見たのは2週間ほど前になります。
そのときは病院のベッドにいました。電車の中で倒れ、救急車で緊急入院していたのです。
極度の貧血ということで、さまざまな検査を受けさせられている最中でした。
仕事のほうは、もうこれでプロジェクトからは外されるだろうと考え、
とても悔しい気持ちになりました。これまで頑張ってきたことがすべて無駄になってしまった、
なぜもっと体に気を遣わなかったのか・・・後悔が頭の中をかけめぐりましたが、
一方では苦しみから解放されたという安堵感も少しだけありました。
そんな複雑な思いが頭の中に渦巻いていたときだったのです。
2人部屋でしたが片方のベッドは空いていて、気を遣わずにすんだのが幸いでした。

病院の消灯は早く、なかなか寝つけない日が続いていましたが、
その日は最後の検温が終わった後、吸い込まれるように眠ってしましました。
夢の中で私はせまいアパートにいました。ああこれは高校生のときだな、とわかりました。
中学校2年のときに父が急死しました。一人で林の中に入って縊死したのです。
父にはサラ金に多額の借金があることがわかり、生活はたちまち困窮しました。
そのために移ってきた二間のアパート。・・・ここで弟は病死したのです。

寝室で弟が寝ていました。弟はこの頃、心臓の具合がますます悪くなって、
学校に登校できずほとんど寝たきりの状態でした。
涙が出るような気持ちでした。私の人生の中で、最もつらく陰鬱だった時期。
弟の傍らに、またあの女の人がいました。
その人は前の夢のときと同様に手に瓶を持ち、中身を弟にさじで与えています。
一口飲ませると、弟は嫌がるように首を振りました。
その人はいらだつようなそぶりをして、さじの頭で弟の口の横をガツガツと叩きました。
そしてさじでまた瓶の中のものをすくったとき、白濁した液体の中にうごめくものが見えました。

暗然とした気分で目を覚ましました。時計をみるともうすぐ朝の検温の時間でした。
10時ころまで待って病室を抜け出し、母に電話をかけました。
母はまだ50代でしたが、あのアパートの階段で転んで両足を複雑骨折して歩けなくなり、
地元の養護施設に入所しています。・・・母には今回の入院のことは知らせていませんでした。
どうせこちらには来られないのだし、心配をかけるだけだと思ったからです。
ややしばらくして母が電話に出たので、
話のついでをよそおって夢の中に出てきた女の人について尋ねました。

母は黙って話を聞いていましたが、
「・・・そんな人はいないよ。もともと4人家族で、おとうさんが死んで3人に、
お前の弟が亡くなって2人になったじゃないか。
そしてお前も奨学金をもらって大学にいくためにケガをしたあたしを置いて出ていっただろう」
とくに皮肉な口調でもなく、こんなふうに答えました。
そう、これ以外に答えがあるはずがないのはわかっていました。

そして4日前の夜中です。
薄明るい病室でうつらうつらしていると、ベッドの横に人の気配を感じました。
看護師さんだろうかと思い起き上がりかけましたが体が動きません。
半分覚めた状態で横目で様子をうかがうと、白い服でしたがナースの制服ではないようでした。
カチカチと金属がぶつかるような音がして、目の前にさじがつき出されました。
中には夢で見たのと同じ米粒状のものが液体の中で体を伸び縮みさせています。
「さあ、飲みなさい」その人はささやいて、私の口元にさじを押しつけてきました。

私は首を振り、声を出して人を呼ぼうとしましたが、かすれたような音が喉からもれるだけでした。
「飲みなさい、あなたの弟もお父さんも飲んだ。あなたが飲む番がきたのよ」
さじの先が歯にあたり、口のわきに液体がこぼれた感触がありました。
ぐいと強い力でさじの先が歯の間にさし込まれました。
「嫌っ!ゆるして」大声で叫びながら一気に上半身を起こし、さじをふり払いました。
横を向くとその人と目が合いました。
こけた頬に落ちくぼんだ眼窩、不健康そうな青白い肌、ひっつめた髪
・・・そこにいたのはまぎれもなく私でした。

私は大粒の涙を流しながら、ベッドの上で半狂乱になって叫んでいるところを、
声を聞きつけてきた看護師さんたちにとり押さえられていました。
これで話を終わります。




ケンちゃん

2014.03.10 (Mon)
小学校の3年のときの話です。
だから記憶があいまいなので、今、卒業アルバムを見ながら書いています。
クラス替えがあって、最初の担任が30代前半くらいの女の先生でした。
名前は北見先生です。卒業アルバムは、
当然ながら6年生のときの写真が中心なんですが、
その先生方の集合写真の中に顔が見えます。転任されていなかったのでしょう。
この先生は最初の9ヶ月くらいいて、それから産休に入られたと記憶しています。
代わりの担任として、湊先生という若い女の先生がこられました。
冬休み過ぎ、3学期のことでした。

いえ、学級崩壊などといったことはありませんでした。
わりとおとなしいクラスだったと思いますよ。
新しい先生に反発したということもとくにはなかったと記憶してます。
この湊先生は今にして思えばかなり変わった人でした。
低学年の担任はジャージを着ていることも多いと思うんですが、
いつも白いスーツで来られていたんです、
小さい子ども相手で汚れることも多いでしょうに。
それから、教室に大きな牛のヌイグルミを持って来られていました。
あの牛乳をとる白黒のホルスタインじゃなくて、薄茶色の牛なんです。

授業はあまり上手ではなかったと思います。慣れていないというか・・・
田舎だったので、産休の講師がおらず急になられたせいかもしれません。
体育の時間などはジャージに着替えておられましたが、
かなりとまどってる感じがしましたね。
それで、週一回学級活動の時間というのがあったんですが、
その内容がかなり奇妙なものだったんです。

さきほど話した牛のヌイグルミですが、座った形をしていて、
かわいいというよりリアルな感じの顔でした。
・・・何か考えこんでいるような顔といったらいいか。
もしかしたら先生の手作りだったのかもしれません。
大きさは小学3年生が座るより大きいくらいです。
名前は・・・湊先生は「ケンちゃん」と呼んでいました。
どういう字を書くのかはわかりません。

そのケンちゃんは、背中がジッパーで開くようになっていて、
中には綿が詰められていました。
その綿を取り出して、中に順番に生徒が入るんです。
1時間に3人くらいでしたけど。手足の先まできちんと入ることができて、
もしかしたら最初から着ぐるみだったのかもしれません。
入った子はケンちゃんを着たまま黒板の前の教卓に座って、
それに向かってみんなでお願いをするんです。

・・・最初は先生の合図で声をそろえて、
「世界が平和になりますように、この世の差別がなくなりますように」と言います。
さらにその後、一人一人が順番に願い事を言うんですが、ルールがありました。
個人的なお願いはだめなんです。
「おもちゃがほしい、足が速くなりたい」などの、
自分だけに得のあることは言ってはいけないことになってました。

これって3年生には難しいですよね。
だからみんな「戦争がなくなってほしい」とか、
同じようなありきたりの内容だったと思います。
一人が10分くらい入ってて、3人が体験すればだいたい45分授業は終わりました。
私ももちろん入りましたよ。すごい窮屈だったのを覚えています。
ケンちゃんは、外側はふわふわですが、中の布は固くて身動きがとれませんでした。
特に顔のまわりは詰め物が厚く入っているようで、
みんなの声が遠くでしているように聞こえました。

それから、目などの穴が空いているわけではないので、
外は見えず、息も苦しかったです。
みんなが願いごとを言ったら、ウンウンとうなずくことになっていました。
今から考えれば意味があるような、ないような授業ですよね。
もしかしたら学校の管理職に聞こえたら止められたかもしれません。
でも湊先生がいたのは短い期間だったし、
保護者の間で問題になることもなかったと思います。

3月になって、もうすぐ年度が終わるというときでした。
湊先生と過ごす最後の週に、またこの授業がありました。
その時間に3人がケンちゃんに入ると、クラス全員が体験をすることになります。
最後に入ったのは山田君という子で、男子の出席番号の最後尾です。
その子は、こう言ってはなんですがとても勉強のできない生徒で、
ほとんどものをしゃべらず友達もいませんでした。
表立ってイジメられているというわけではなかったと思いますが、
遠足などの班を決めるときに最後まで残ってしまうような子だったんです。
着ているものもいつも同じで、不潔な感じもありました。
その子がケンちゃんに入って、みんなで「この世の差別がなくなりますように」
と言ったとき、急に山田君が「うーっ」と叫んで立ち上がろうとしたんです。

でもケンちゃんの中は頑丈で立ち上がることができません。
そのまま前のめりに教卓から落ちました。
頭が床にあたるボコッという音が聞こえました。
着ぐるみの詰め物がなければ大ケガをしていたかもしれません。
そのまま床の上で、机やイスを弾き飛ばしてのたうち始めました。
「あじ、あぶう、あぶあ、あぶういい」と叫んでいるように聞こえました。
もし着ぐるみごしでなければ「熱い」と言ってたんじゃないかと思います。

あわてて湊先生が駆け寄り、
山田君のうつ伏せの足の上に載って強く背中を押さえ、ジッパーを開けようとしました。
びびびっという感じで、ジッパーの横の布が大きく裂けました。
そのすき間から両脇をすくうようにして山田君を抱き上げました。
山田君は小さかったのでひっかからずに出てきましたが、
そのときにはぐったりとしていました。

外面的なケガはなかったのですが、頭を打っているので、
先生が保健室に連れていきました。このとき、
山田君を抱きかかえた先生の顔に何ともいえない笑みが広がっているのが見えました。
とくに大したこともなかったようで、次の日からも登校してきたはずです。
湊先生はまもなく、みんなにお別れを言って学校を去られました。

そして春休みに入り、町のある地区で大きな火災が起きました。
十数件の家が燃え、死者が二桁にのぼりました。
その地区はごちゃごちゃした木造の家屋が密集しているところだったので、
被害が大きくなってしまったのだと思います。
その死者の中には山田君も入っていました。家族全員が亡くなったと記憶しています。
・・・これで私の話は終わりです。
関連記事 『ケンちゃん2』






怖い古代史7(卑弥呼死す)

2014.03.09 (Sun)
 当ブログでは何度か、邪馬台国の卑弥呼のことが載っている『魏志倭人伝』
(三国志・魏書・東夷伝倭人条)の内容について触れましたが、今日もその話題でいきます。
倭人伝の中にはこんな記述があります。
『卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。』
これは、卑弥呼の死と葬儀について書かれた部分ですが、多くの問題をはらんでいます。

 まず「卑彌呼以死」の部分です。
ここは「卑弥呼、以(も)って死す」と訓読されることが多く、
その場合は「そのうちに卑弥呼は死んだので」くらいの意味になります。
特に問題はない、穏当な読み方です。
これは「卑弥呼 以(すで)に死す」と読んでもそう変わりはないと思われます。
ところが「卑弥呼 以(よ)って死す」という読み方はかなり不穏当です。
この記事の前に倭人伝には、邪馬台国が狗奴国という国と戦争をして魏に援軍を求めたことが
書かれています。つまり「戦争によって、卑弥呼は死んだ」という意味にとることもでき、
推理作家の松本清張氏はこの意見です。

 ただし氏によれば、卑弥呼は戦闘そのもので死んだわけではなく、
狗奴国との戦争に敗北し、その責任をとって臣下により殺されたという説になっています。
魏志倭人伝を含む東夷伝には、そのころ大陸にあった夫余という国の事情が書かれており、
そこには麻余という王が、天候不順による不作の責任をとって殺されたという記事があります。
松本氏は、これと同じことが倭国でも起こったと見るのです。
しかしこの説への批判は多いです。倭人伝には狗奴国との戦争に負けたとは書かれていないし、
卑弥呼が殺されたのならば、もっとそうとはっきりわかる書き方をするはずだというもので、
自分としても妥当な批判であるという気がします。
また漢文の読みとしても、「以(よ)って」というのは特殊と言えるでしょう。

 また、ちょうどこの頃(西暦248年前後)日食があり、巫女王であった卑弥呼は
日食が起きたこと(あるいは予測できなかったこと)
の責任をとって死んだとする説もあります。
さらには、このことが日本神話の
天照大神の天の岩戸隠れとして伝承されているとする考えまであります。
ただし、現在では古代の日食の場所や時間は、
ソフトによって簡単に特定できるようになっており、
それによれば卑弥呼の死の時期に近い皆既日食は日本列島では見える場所が限られており、
それと卑弥呼の死や邪馬台国の場所を関連づけるのは難しいだろうという意見が多くなっています。

 次に「大作冢徑百餘歩」の部分です。「大いに冢を作る。径百余歩」の訓読には
あまり独自の解釈はありませんが、やはり問題は多いです。
まず「冢」というのは盛り土をした墳墓のことをさしていますが、
この用字は、あまり大きな墓であるという印象を与えません。
三国志では他に「墳」という語も用いられており、
このほうが大きな貴人の墓というイメージがあるのではないかと思います。
当時の中国では、墳墓の規格の中でも特に高さが重視されていたので、
(三国時代には薄葬が美徳とされてはいましたが)
卑弥呼の墓の高さが記されていないのは不自然であるとする意見もあります。

 「径百余歩」の部分は墓の面積を表していて、「歩」というのは中国の長さの単位で
漢代だと一歩が1・5mくらいです。
つまり「径百余歩」は「直径150m程度」と見ることができるわけですが、
この部分もやっかいです。
邪馬台国の所在地候補は九州説と畿内説が二大勢力なのですが、
九州説には「短里説」というものがあり、当時の倭国(あるいは東夷の地域)では、
中国よりも5分の1から7分の1程度、
単位あたりの長さが短くなっていたとする意見が多いのです。
したがって歩の長さもそれと同じ比率で短くなると考え、
九州説によれば、卑弥呼の墓はそう大きいものではないということになるわけですね。
これに対して畿内説では、倭迹迹日百襲姫命という巫女的性格の女性の墓と伝承される
箸中山古墳(箸墓古墳ー前方後円墳)が、ちょうど後円部の直径が150m程度であり
有力候補であると見る人もいます。

 最後に「徇葬者奴婢百餘人」です。
卑弥呼の死に際して、奴婢を100人ほど徇葬したという意味ですが、
考古学的には列島内において、はっきり殉葬とわかる例はこれまでのところ出ていません。
(ただし中に何もない小古墳や、古墳上の不自然な穴などの疑わしい例はあります)
『日本書紀』にこのような記述があります。

 『垂仁天皇の母の弟の倭彦命が亡くなられたので葬った。
この時近習の者たちを集めて、全員を生きたままで陵のめぐりに埋めたてた。
日を経ても死なず、昼夜泣きうめいた。ついには死んで腐っていき、犬や鳥が集まり食べた。
天皇はこの泣きうめく声を聴かれて心を痛められた。
天皇は臣下に詔して「生きているときに愛し使われた人々を、
亡者に殉死させるのはいたいたしいことだ。
古の風であるといっても良くないことは従わなくてよい。
これから後は議って殉死を止めるように」と言われた。』

なかなか怖い話ですよね。
この後、相撲の始祖とされる野見宿禰が天皇に奏上して、
殉死者の代わりに埴輪を立てることになります。

 しかし埴輪が垂仁天皇の時代以前から存在したことは考古学的に明らかであり、
また上記したように、はっきりと殉葬とわかる例も発見されないため、
土師氏(埴輪や葬制にかかわる氏族)の祖である野見宿禰を顕彰する意図で
この説話が作られたと考える向きが多いようです。
では殉葬はなかったのでしょうか。
なかったとまでは言いきることはできませんが、100人以上がどういう形であれ
ともに埋葬されているとしたら何らかの痕跡は残ると思われます。
卑弥呼の時代には、中国では殉葬は不徳な行為として行われなくなっており、
東夷の蒙を強調するために挿入された記事、あるいは伝聞・推測記事ではないかと
考える向きもあるのです。

*追伸
 自分は古代史のブログも持っていて、そちらではかなり専門的な考古学の内容を書いていますが、
ここではできるだけ簡素化してはいるつもりですが・・・
もし難しいようならコメントをいただければ幸いです。



鹿ぞ鳴く

2014.03.08 (Sat)
もうずいぶん昔のことです。そのころ私は、和服の行商をしていましてね。
いや、荷を担いで廻ってたわけじゃありません。
カタログ販売です。むろんインターネットも携帯電話もない頃でしたから、
本社からその県のね、拠点となる場所に商品を送ってもらって、
私はカタログと生地見本を持って小さな集落を廻って歩くんです。
一軒一軒を訪ねて注文があれば代金をいただいて品物を送らせる。
今にして考えれば悠長な商売ですよね。のんびりした時代だったんです。

移動は、経費節約のため鈍行列車を使うことが多かったですよ。
集落に入ってからは、自転車を調達できればそれで、なければ徒歩で回っていました。
たいした給料ではありませんでしたが、この頃は独り身でしたし、
いろんな場所へ旅から旅の生活は楽しかったですよ。いや強がりじゃありません。
ああ、すみません。前置きが長くなってしまいました。
夜行列車に乗っていました。もちろんローカル線の各駅です。
当時は鉄道も単線の区間が多くて、急行列車を待つために駅でもなんでもないところで
数十分くらい停車しているということがよくありましてね。

夜の10時頃だったでしょうか。私は商売柄、列車の中で寝るのは得意だったんですが、
その日はどうしたわけか寝つけなくて、
4合瓶をちびちびやりながら窓の外を見てたんですよ。
他の乗客はわずかしかおらず、ほとんどの方は眠っていました。
季節は夏の終わり頃で、まだ列車の天井では扇風機が回っていましたね。
急行待ちのアナウンスがあって列車が停まったのは、線路脇に芒(すすき)、
その向こうは雑木のまばらな林となっているところでした。

ぼんやりと見ていると、その林の中をですね。白い着物を着た人が歩いていた。
暗くってはっきりとはしませんが、烏帽子のようなものも被っていました。
つまり神主さんの格好ですよ。
そういう人が20mばかり離れたところをゆっくりと歩いている。
その人がちらと、こちらのほうを見て、
そのときに顔の造作が車窓からの光で見えたんです。
いや、何の変哲もない中年男の顔でしたよ。

ただ、その人の後ろに何か動くものがありました。
鹿です。大きな鹿がたくさん、その人の後をついて歩いてたんです。
鹿は、みな一様に首をうなだれてとぼとぼと元気のない様子でした。
不思議なことがあるものだな、と思いました。
鹿を飼っていて慣れているのだろうか、
神主の格好をしているのは、どこかの神社で飼っている鹿なのだろうか・・・

ところがですね。その鹿の群れが列の後ろにいくにつれて、
別のものに変わっていったんです。夜の中で黒ぐろと見えていた鹿の地肌が、
だんだん白くなっていった。
あれっ、と思ってよく見ると・・・四つん這いの人間です、まる裸の。
鹿と人間が混ざったようなのもおりましたよ。背中だけ毛皮が生えているようなね。
人の体に顔だけ鹿というのも。
列の後部のほうはまるっきりの人間でした。男も女もいましたね。
裸で尻を高く上げた四つん這いで、頭を垂れて木立の中に消えていきました。

車窓に顔をくっつけるようにして、見ていたのは数分程度のことでしたが、長く感じました。
ああ、たしかに酒は飲んでいましたので、幻を見たという可能性はありますよ。
ただ、話には続きがあるんです。
列車はまもなく出発して次の駅に着きました。
そこで私たちの車両に乗り込んできた客が一人いたんです。
中背の勤め人のような背広を着た、40代くらいと思える男の人でした。
大きな風呂敷包みを抱えていましたね。

その人が、席はガラガラに空いているのに、私の前にきて座ったんです。
ほら昔の車両ってのは、向かい合った4人がけの席になっていることが多いでしょう。
その向かい側の席です。そのとき、その人の顔を見て驚きました。
さきほど林の中で異形の鹿の群れを連れていた神主とそっくりなんです。
あの・・・狩衣というんですかね、それと背広という違いはありましたが、
まったく同じ人だと思いました。

その人は、「ここ失礼します」と言って座り、
風呂敷包みは網棚に上げずに横の席に置きました。
様子を見ていると、「失礼ですが、どのようなご商売ですか」と、
向こうのほうから話しかけてきたんです。
それは柔らかな、笛か何かを思わせるような声でした。
それで、問われるままに行商のこと、旅のことなどいろいろ語りました。
お酒が入っていたせいか、自分でもびっくりするほど饒舌になっていました。

その人のほうはと言えば、
自分のことはほとんど語ることなく聞き役に徹していましたよ。
いや、今にして思えば上手な聞き役でした。
私は子どもに死なれたことや、それが原因で妻と別れたことまで話してしまったんですから。
その人は私の話をひととおりり聞き終えると、改まった感じで「わたしと一緒にきませんか」
というようなことを言ったんです。
どういう意味かはわかりませんでした。
もしかしたらさきほど林の中で見たことと関係があるのか、とは思いましたが。

するとそのときです。ガクンと列車が揺れ、ギィーッという長いブレーキ音ととに停止しました。
私はずいぶん長く鉄道を利用していましたので、
これは何か事故があったんだなとわかりました。
その人にもわかったようで、
額にしわをよせて、「飛び込みでしょうかね」と言いました。
そのあとでそわそわとした様子になり、「ちょっと見てきますね。野次馬趣味でお恥ずかしい」
そう言って、荷物を持つと前の車両に移っていきました。

席を立つときに、その人はつぶやくように歌うように「しかぞなくなる」と言ったんです。
・・・それからもう戻ってはきませんでした。
前の車両に席を移して、そのままどこかで降りられたのかもしれません。
列車は動き出し、私はいつしか眠ってしまいまして、気がついたら朝になっていました。
これだけの話です。・・・「しかぞなくなる」というのは、
千載集にある「世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる」
という和歌のことではないかと、だいぶ後になってわかりました。



黒いカップル

2014.03.07 (Fri)
つい先日のことです。
1歳になったばかりの息子を連れて郊外のショッピングモールに出かけました。
その日は時間があったので、近所のスーパーではなく車で少し遠出をしてみたんです。
息子をカートに乗せて食品売り場を一まわりすると汗をかきぐったりと疲れました。
家を出るときはそうでもなかったんですが、どうやら風邪をひいたみたいです。
咳が出て、体がだるくなってきました。
少し休もうと思って、トイレの近くの自販機とベンチのあるスペースに行き、
息子はカートに乗せたまま腰掛けました。
周囲に人の姿はありませんでした。

強い眠気がきて、ふっと目をつむってしまいました。
すると近くで「あーかわいい赤ちゃん」と若い女の人の声がしました。
目を開けると、ラフな格好の20代になったばかりというくらいのカップルが
息子のカートの前に並んでかがみこんでいました。
息子は起きていて、二人のほうに機嫌よく笑いかけていました。
茶髪の男の人のほうが息子の前にき出て、
「あーいい子いい子、いくちゅですか?」と言いました。
もちろん息子はまだ話はできないし、指で歳を示すこともできません。
それで私がかわりに「◯◯、ほらごあいさつしなさい。こんにちはー」と答えると
男の人はこちらを見ました。顔は笑っていましたが、
長髪の陰に見え隠れする目の底になんとなく怖いものを感じました。

「ああどうも、かわいいお子さんですね」と男の人は言い、
女の人のほうがそれに重ねて、
「ほんとプクプクしてかわいい。ちょっと抱いてもいいですか」と聞いてきました。
どう答えていいかわからなかったので、
「あっ、ちょっと」と言って立ち上がろうとしましたが、
女の人はもう息子を抱き上げてしまっていました。
女の人の抱き方は上手ではなく、今にも取り落としそうな不安定感がありました。
「もう、いいでしょう」と強めの口調で息子を取り返そうとしたら、
「あら、こんなにかわいいのに、お母さんはイジワルでちゅねー」と、
息子を男の人に手渡しました。

男の人の抱き方はもっと下手で、息子の両脇をすくった形になったので、
両足がずるっと下に落ち、靴が脱げました。
「やめてください。もう返してください」私の必死な口調がわかったのか、
それとも苦しいのか、息子がいきなり泣き出しました。
男の人は息子を片手でひっつかむようにし、
開いた手で私の体との間にカートを引き込みました。
「何するんですか!人を呼びますからね!!」
回りこんで息子を取り返そうとしたとき、焦げ臭いにおいがするのに気づきました。
さっきまでなんともないように見えたのに、男の人のトレーナーのあちこちが
黒いススで汚れていました。それだけではなく、体のあちこちから煙が出ていました。

「ほら」と男の人は言って、息子の体を後ろに下がっていた女の人のほうに投げました。
息子は1mほども宙を飛び、女の人の腕の中に落ちました。
女の人も男の人と同じように焼け焦げだらけになっていました。
顔も真っ黒に焼けただれていました。
やっとカートを越え「返してください。何よあんたたち!!」
と叫びながら女の人に走り寄ると、
「はーい」とまた息子を投げました。息子の体は大きく飛んで空中で一回転し、
逆さになった片足を男の人がかろうじてつかみました。
いつのまにかあたりに黒い煙が立ち込めていました。火事だと思いました。
その中で息子の火のついたような泣き声が聞こえていました。
「だれか来てください!助けて」と大声を出しました。

もう煙は視界がきかないほどになっていました。
わずかに、真っ黒い二つの影が、まるでバスケットボールのように息子を強く
投げ合っている様子が見えました。
「やめてください!たすけて!!」
絶叫したときに後頭部がドンと何かにあたりました。
・・・自販機前のベンチに腰をかけていました。
さっきまでの煙もカップルの姿もどこにもありません。息子はカートの中で眠っていました。
体調が悪くて居眠りをし、夢を見たんでしょうか。
息子のことを気にしていたのであんな内容の夢だったんでしょうか。
そうなんだと思うしかありません。
でも、あたりには焦げ臭いにおいが間違いなく残っていましたし、
駐車場に降り、息子をチャイルドシートに乗せようとしたとき、
ベビー服の両脇に黒いススがべったりとついていたんです。




雑談

2014.03.07 (Fri)
 これは「2ちゃんねる」というネット掲示板に関する話題なので、
詳しくない人はスルーを推奨します。

 自分の怖い話は、かなりの量をこの掲示板のオカルト板というところに書いていました。
期間はだいたい2年くらいです。
それをやめてブログを立ち上げたのが去年の夏のことです。
2ちゃんねる(以下2ch)に書くのをやめた理由はいくつかあるんですが、
そのうちの一つが他のサイトに転載されることなんです。
2chには名無し(無名投稿者)として書いていたので、基本的にこちらに著作権はありません。
それは最初からわかっているので、それで書くのをやめたわけではなく、
自分が見ていない、知らないところで話題にされるのが、
だんだん「どうもな~」という感じになってきたんです。
話は基本的にはオカルト板のスレ住人に向けて書いているつもりだったので。
ただこれも、転載されるのはハナから承知のことだろうと言われればそれまでなんですが。

 その2chで、管理者が変わり外部のサイトへの転載を禁止しようという動きが広まっています。
おそらく2chのレス(投稿)を2ch自体で抱え込んで外に出ないようにし、
現行のスレや過去ログに広告をつけたりすることで収入を得ようとしているのだと思います。
ただし管理者のスタンスとして、
転載に関してどうしたいかは各板(各ジャンル)で議論してもよいということがあり、
オカルト板でも、全面転載禁止、非営利(アフィリエイトなどで収入を得ていない)サイトは許可、
全面転載フリーという選択肢で議論が続けられています。

 他の板ではもうすでに全面転載禁止になったところもあるようですが、
オカルト板は比較的のんびりしていて、今は転載に関する議論があることを周知させるために
掲示板の名前欄を変えるかどうかということが論議されています。
「嫌儲」という2chのレスを元に外部が収入を得ることを嫌悪する集団や、
アフィリエイトまとめサイト側に立つ人などたくさんの立場が入り乱れて、
関係のない人が見ても面白いといえばいえる状況なんです。

 自分も議論に参加して積極的にレスをしているところですが、
このブログの主旨ではないので、ここで自分の考えを書くのはやめておきます。
予想としては、2chの管理側の意向が強ければ、
最終的にはその意向のとおりになるんじゃないかと思ってます。
つまり営利的なサイトへの転載禁止か、
営利サイトへ転載許可を与えるかわりに上納金をとるようなシステムの構築などですね。
 というわけで、このブログのほうも頑張って更新していきたいとは思いますが、
そちらに時間をとられて怖い話を書けない日が多くなるかもしれません。

 

 

写生大会

2014.03.05 (Wed)
中学校2年のときのことです。
最近はそうでもないみたいだけど、昔はいろんな学校行事があったんです。
マラソン大会とか鍋っこ遠足とか・・・今もやればいいのにと思いますけどね。
で、写生大会というのもあったんです。
中学校の近くに城址公園があって、歩いて20分くらいです。
2時間授業をしてから体育着に着替え、
2年生の4クラスが組ごとに並んでそこへ行きます。
スケッチブックと絵具箱、あと弁当を持ってです。
午前中2時間でスケッチをして昼を食べ、午後2時半くらいまでで色をつけて完成させる。
そんな活動でした。

俺は美術は得意でも好きでもないし「カッタルイなー」とか言いながら出かけましたが、
普通の授業よりははるかにマシでした。
クラスで仲のよかった3人ぐらいとずっとダベってても怒られる心配はないからです。
ツツジ祭りというのに合わせてやってたので、時期は5月だったと思います。
城址公園はそれほど大きくないお堀に囲まれてました。
少し坂を登ったとこにある広場で、150人の生徒が思い思いの場所に散らばり、
自分の書きたい風景を見つけてスケッチブックを広げました。
平日なので一般のお客さんは少なかったですね。

俺とあと2人のダチはもう最初から描く気はなく、
木の陰の芝生になったところに寝そべって、30分くらいゲームの話とかしてました。
ただ教師がずっと巡回してて、スケッチブックが白いままだと注意されるんで
全く何もやらないわけにもいかず、鉛筆で殴り書きのようなことはしてましたね。
その場所からは下のお堀と街路が見下ろせるんですが、
何気なくそのあたりを見てると、同じクラスの岸ってやつが、
端を渡ってお堀の向こう側に行って、体育座りで膝の上にスケッチブックを置いて
夢中になって絵を書いてるんです。
意外だな、と思いました。普段からそんなに真面目なやつじゃないんです。
むしろこんな機会ならいちばんにサボるのが定番なんです。

それと意外というか変だなと感じたのは、スケッチって普通景色を描くもんでしょ。
それが岸のやつはすぐ目の前にある雑草の生えた斜面のほうを向いてて、
しかもまだ絵の具は出さないはずなのに、絵筆で色をぬってるようなんです。
「おい、あれ何やってるんだろうな」
「草を描いてるんじゃないか。緑と黄緑だけ使って塗りつぶせば楽だし」
「にしても、いやに熱心だよな」
こんな話をしていると、こっちに西田先生がやってきました。
この西田先生というのは、教師ではなくて地元の女流画家なんです。
新聞の挿絵とかも描いてたし、なんとか展覧会にも入選したという地元では有名な人で、
好意で俺らの学校の美術の時間にときどき来てくれてました。
当時60過ぎてたと思います。

「あんたたち、さぼってないで描きなさいよ」と、西田先生が言いましたが、
目は笑ってました。俺が「でも、あれ」と下の岸のことを指さすと、
西田先生はいぶかしそうにそっちを見てましたが、
「何か変ねえ。ちょっと行ってみようか」と俺らをふり返ったんで、
4人で階段を下に降りて行きました。橋を越えて岸の近くまでくると、
「おい何描いてる?」とダチの一人が後ろから声をかけましたが、
ふり向きもしませんでした。
肩越しに絵筆を握った手がフルフルと震えているのがわかりました。
それから、岸の描いてるとこは上からはただの斜面に見えたんですが、
土がくぼんで1mくらい掘れたような形で草が生えてました。
「・・・ここ、昔は防空壕があったって話よね」西田先生が言いました。

岸の背後までくるとヒザの上のスケッチブックが見えました。
西田先生が息を呑む音が聞こえました。
スケッチブックは鉛筆の下書きの跡もなく、四隅からどぎつい赤紫で塗られ、
中央の部分だけ白く残ってましたね。
パレットには絵の具の赤、黒、青がチューブ全部絞り出されてました。
「おい岸、何やってんだ」声をかけてもこっちを見ようともしないので、
前に回って驚きました。
目が完全に据わって血走ってるんですよ。
ダチが肩に手をかけて揺さぶっても、
絵筆を持った手を宙に浮かせたままでガクガク揺れるだけです。
西田先生はじっとスケッチブックをのぞき込んでいましたが、
「あんたたち、これ何に見える?」と聞いてきました。

「赤黒い・・・渦巻きですか」俺が答えると、
「そうじゃなくて、白く残ったとこ。人の顔に見えない」
そう言われると、おかっぱの女の人、いや子どもかもしれない横顔にも見えました。
「モノそのものじゃなく、モノの周囲の空間を描くというのはたいへんなことなのよ。
すごい絵ね。念が入り込んじゃってる」西田先生はそう言うと、
目を半眼のようにして岸の正面の草のほこらを見ていましたが、
すっとしゃがんで岸の絵具箱から余ってた細筆を取ると、少しだけ水をつけて
慣れた手つきで何かを描き始めました。
それは・・・輪郭だけの仏像、今にして思えば観音像だったと思います。

西田先生がそれを描き終えたとたん、
岸が目をつむり体育座りのまま横にコテンと倒れ、
脇に落ちたスケッチブックを素早く西田先生が拾い上げました。
「ん、ん、ん」とうめいて岸がゆっくり起き上がり、
「あれ・・・俺、何してた?」と呆けたような声で言いました。
「ちょっと陽気にあたったみたいだったよ」と西田先生が答えましたが、
実際は雪国のここらはまだ肌寒いくらいでした。
「俺のスケッチブック・・・」と西田先生が小脇に抱えているのを見て岸が言いました。
「少し濡れたみたいだから、特別に新しいのをあげる」
西田先生はそう言って、俺らに向かって目配せをしました。

それから皆で上に登り、先生方の本部になっている公園の休屋に行って、
岸は先生のスケッチブックをもらいました。
「さっきのとこはもう行かないほうがいいよ。あの手すりから下を見て描いてごらん」
西田先生はポンと岸の尻を叩きました。
それから俺らを脇のほうにうながすと、
「あの顔を描いてたこと、絶対に岸くんに言っちゃダメだからね。
本当はもう帰ったほうがいいんだけど・・・」とやや強い口調で言いました。
俺が「そのスケッチブックは?」と聞くと、
「これは預かっておきます」とだけ答えてくれましたね。まあこんな話です。

関連記事 『廃屋の絵』

関連記事 『桜並木』

関連記事 『三角の家族』