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シチュー

2014.05.31 (Sat)
ではよろしくお願いします。・・・私のは夢の話でして、
もしかしたら聞いてがっかりなさるかもしれません。
みなさんは・・・くり返し見る夢ってありますでしょうか。私はあったんですよ。
何から話せばいいんでしょうかねえ。
・・・初めてその夢を見たのは小学校の高学年か中学生のときだと思います。
レストランと言えばいいんでしょうか、料理屋と言えばいいんでしょうか。
古民家みたいなところです。煤けた焦げ茶色の板壁で。
中は暗いんです。

窓があるかどうかもよくわからないんです。
なぜかというと、天井から垂れ幕のようなものが何枚もつり下がっているからです。
暗い赤や、紫、えんじ色の畳一畳くらいの幕が十数枚下がった下の、
白い丸テーブルに一人掛け分のイスがあって、そこに座ってる夢なんです。
そして目の前には料理の皿。
食器はシチューを入れる深皿で、だから店が洋風なのか和風なのかよくわかりません。
テーブルの真上に垂れ幕に囲まれた小さな照明があって、
私は料理を目の前にしてぽつねんと一人いるわけです。

ね、変な夢でしょう。これを、3年に2回くらいのペースで見るんです。
料理はたぶん、レバーのシチューです。
ざっくり大きな塊にレバーを切ってニンジンなどの野菜と煮込んだもの。
どんな味かはわかりません。・・・食べたことがないんですよ。
見た目は湯気がたって熱々でおいしそうなんですが、においが我慢ならないんですね。
え、夢の中でにおいを感じるのかって?それがそうなんです。
生ゴミとドブ泥、腐らせた魚を混ぜたようなにおいで、
しばらく嗅いでいると えずき そうになるくらいです。

だから食べられないでいると、垂れ幕のずっと奥のほうから、
「お熱いうちにどうぞ」という声が聞こえてくるんです。
これは女の声なのは間違いないです。聞き覚えがあるような気がしますが、わからない。
とても親切そうな声でね。なにか食べないと申しわけないような気になります。
でもやっぱり、においがひどくて口をつけることができないんです。
・・・この夢はかれこれ20回近くは見てるんです。
でね、その中で3回だけ、食べてしまいそうになったときがあるんですよ。

最初は大学入試の共通一次試験のときです。私は母子家庭で母一人子一人で育ちまして、
大学には行きましたが、私立ははじめから金銭面で無理でしたので、
地元の国立一本に絞ってたんです。そのね、1日目の試験のできがよくなかったんですよ。
悄然として帰ってきて寝たんですが、その夜にこの夢を見ました。
すると、いつものにおいがしなかったんです。
それどころかうまそうな肉汁の香が立ち上ってきて、皿にむしゃぶりつきそうになりました。
今まさにフォークで肉を突き刺して口に運ぼうとしたとき、
「お熱いうちにどうぞ」という例の声がかかったんです。

それを聞いたとたん、目の前に燃えさかる火の山がうつりました。
こう言うと信じてもらえないと思いますが、地獄の光景を見た、と思ったんです。
それと、この料理はけっして食べてはいけないものであることもわかりました。
無理矢理にフォークをテーブルに置きました。両手を握りしめてぶるぶる震わせていると、
「チッ」という舌打ちの音が聞こえて、そこで目を覚ましました。
・・・このときは大学は無事に合格することができましてね。
奨学金とバイトでなんとか学生生活ものりきりましたよ。
あとの2回は、出版社に就職して6年目、仕事で大きなミスをおかしてしまった夜と、
あの阪神淡路大震災で、家が倒壊して避難所にいた夜とです。

どちらのときにも食べませんでしたよ。必死の思いで我慢しました。
目が覚めたときには全身に脂汗をかいているくらい必死に。
・・・考えてみると、このシチューがですね、おししそうに感じた3回というのは、
私の人生でかなりピンチなときだったんですよ。
そのあたり何か夢の法則でもあるのかと、不思議には感じていました。
でね、私の母なんですが、震災のときに家具で強く胸を打ちまして、
岡山の病院に入院したんですが、3か月ほどして亡くなりました。

亡くなる数時間前まで意識ははっきりしていましたし、死に目にも会えたんですが、
最後の言葉がね、あの夢のことだったんです。
何か言いたそうだったので、医師のはからいで酸素マスクを外してもらいまして、
そうしたら苦しい息の下で、
「お前、夢を見ないかい。幕の下がった部屋で洋食の肉を食べる夢・・・
 いいかい、どんな苦しいつらいことがあっても食べちゃなんないよ・・食べてしまうと・・」
驚きまして「母さん」と耳元で叫んだんですが、そのまま意識をなくして、
明け方に息を引きとったんです。

そのときは不思議でした。
なぜ母が夢のことや料理を食べてはいけないことを知ってるんだろうって。
一度も話してはいないはずです。
もしかして何か隠された事情でもあるのかと思いましたが、もうどうにもなりませんでした。
それから・・・私は天涯孤独になりましたが、
30過ぎに結婚して娘が生まれました。それと時期を同じくして、
あの夢を見ることはなくなったんです。
ですからね、娘が中学生になるころには、忘れたわけではありませんでしたが、
夢のことが頭に浮かぶこともなくなっていたんです。

それで、今年のことです。一人娘は中2になりましたが、
学年が変わって、きっかけは友人とのちょっとした行き違いということでしたが、
やがて部活動とクラスの両方で無視をされるようになり、
自分の部屋で手首を切ったんです。
リスカと言われるのよりずっと深くです。
親として失格もいいところで、お恥ずかしい話ですが、
娘が血まみれになって叫びながら階段を駆け下りてきたのを見つけて、
そこまで追いつめられていたんだということがわかりました。

タオルで止血しながら、泣きじゃくる娘を抱きかかえ、救急車を呼びました。
病院では命に別条はないとは言われましたが、
何針も縫い、その晩は緊急入院することになりました。
私も深く深く反省して、その夜は妻と二人でそばにずっとついていたんですよ。
鎮静剤のせいか娘はすぐに眠りましたが、一晩中うなされていまして、
揺り起こそうかと思ったくらいです。
でね、朝の5時過ぎに目を覚ましまして、私がベッドの脇にいるのを見ると泣くんです。
イジメと、それから昨夜の出来事でショックが続いてるんだろうと思いましたが、
タオルを顔に押しつけて泣きながら「シチュー食べちゃった」って言ったんです・・・



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勝負あり

2014.05.30 (Fri)
ついこないだのことです。会社の飲み会があって、地下鉄の終電に乗ったんです。
その車両には5・6人ほどいましたが、みなぐったりした感じで目を閉じてました。
わたしは端のほうの席にいたので、中がよく見渡せたんですが、
わたしと同じようなサラリーマン風がほとんどで、女性は一人だけ。
それもOLみたいな感じでしたね。
終点まで乗るので、わたしもうつらうつらし始めましたが、
ガタンという振動で目を覚ますと、車両の中央に色鮮やかなものが見えました。

何かと思って目をしばたいてよく見ると、
相撲の行司っていますよね。
あれと同じような烏帽子と着物をつけた小さなじいさんが、ちょこんと立ってたんです。
紫の着物でね、ええ、目に痛いほど鮮やかでした。
それを見たときに・・・へええ、行司さんて、この装束で移動するんだ、
なんて考えたんです。きっと寝ぼけてたんでしょうね、そんなはずはないのに。

でね、その行司さんは・・・小さいんです。
テレビの相撲で見る行司さんも小さく見えますが、
それは大きい力士にはさまれているせいで、そう見えるということがあると思います。
ところが、通路の中央に立ってるその行司さんは本当に小さいんです。
身長は130cmくらいといったとこでしょうか。
小学校の3・4年生くらいの大きさだったんです。

あれえ、変だなあと思いましたよ。
顔ははっきりじいさんなんです。それが体にぴったり合った装束をつけ、
足を開き気味に、軍配を手にかまえてたんです。
「八卦よい」行司さんが甲高い声を出しました。
そのとたん、急にのどの奥からこみ上げてくるものがありました。
ああいけない、酔ってて吐いてしまうんだろうか、と思いましたが、体が動きません。

グッ、グッと、何か大きなものがのどから出てきて、自然に口が開いてしまいました。
体を動かせないまま自分の鼻先を見ると、風船ガムのようなのが飛び出ています。
色は日に焼けた紙のような黄色でした。
目だけを動かして他の乗客を見ると、全員がね、
わたしと同じように口から直径10cmほどの何かを飛び出させてるんです。
今、風船ガムと言いましたが、その様子は深場の魚が釣り上げられて、
口から浮き袋を出しているようにも見えましたね。

ちょうど質感が浮き袋みたいな感じだったんです。
色は・・・黄色っぽい点は同じでしたが、その濃さが人によってまちまちでしたね。
何事が起きたんだろうと、必死で体を動かそうとしていると、
行司さんは一人ひとりに近づいていき、
顔を寄せて、その浮き袋みたいなのをしげしげと見つめているんです。
一人なんかには、軍配の先で浮き袋をつついたりもしたんです。
そしたら、その人は目をつむったまま、苦しそうに身をよじらせました。

全部の乗客をまわると、私のほうにやってきて目の前に立ちました。
顔を近づけて、わたしの口から出ているものを見つめるんですが、
その目つきがまるで何かの鑑定でもしているかのようなんです。
行司さんはわたしのほうを軍配で扇ぎました。
すると口から出ているものがフワフワと動きました。
それを見ながら小首を傾げ、さきほど軍配でつついていた人・・・
わたしより10歳ほど若いサラリーマンだと思いますが、
そちらのほうへまた戻っていきました。

その人の口から出ているものをもう一度確認するように見ると、
うむ、という感じでうなずいて、車両の中央に戻ったんです。
そして足を踏ん張って、その人のほうに軍配を向け「勝負あり~」と言ったんです。
それからまたその人の方にいくと、腰にさしていた短刀を抜いて、
その人の口から出たものに軽くぷつんと突き刺しました。
ボフゥ、という感じで、
ふくれた餅がしぼむようにそれは口の中に引っ込んでいきましたよ。

ガタンと振動があり、頭を車両の壁に打ちつけました。
目を閉じて・・・また開いてみると、もう行司さんの姿は見えなくなってました。
それぞれの人の口から出ていたのも引っ込んでたんです。
やれやれ、夢か。それにしても変な夢を見たなあ、と思いました。
次の駅に止まるために電車がブレーキをかけたようでしたが、
そのとき、さきほど行司さんが短刀で突いたと思った人が、
目をつむったまま横に転げて座席に倒れ、さらに通路に転がったんです。

やや近くに座っていたOL風が、目を開けてそのほうを見ましたが、
「きゃーっ」と大きな悲鳴をあげました。
その人の口から、どっと血があふれ通路の横にひろがったんです。
悲鳴を聞いて、年配のサラリーマンが立ち上がり、
一目その様子を見ると、電車の乗員を呼ぶためか隣の車両に抜けていきました。
わたしも立ち上がって、倒れている人に近づいてみましたが、
顔は真っ白で、半ば開いた口からだらだら血がこぼれるだけで、
体はぴくりとも動きませんでした。

やがて乗員が駆けつけてき、私も手伝って担架に乗せました。
次の駅で運び出されましたので、どうなったかはわかりませんが、
あの様子は助かったとは思えませんでした。
・・・話はこれで終わりなんですが、もしわたしが見たものが夢でないとしたら、
あの乗客それぞれの口から出ていたものは何だったんでしょう?
もしかして人の魂とかいうものじゃあなかったんでしょうか。
「勝負あり」というのは、いったい何の勝負がついたっていうんでしょうねえ・・・



怖い古代史8(大黒天)

2014.05.30 (Fri)
今夜は大黒様について書いてみます。Wikiで「大黒天」を検索すると、
「ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ(摩訶迦羅)のことである」
と出ています。マハーは「大いなる」、カーラは「黒、暗黒」という意ですので、
大黒天と訳されました。これはそのとおりなんですが、
では日本人の中にどれほどヒンドゥー教のイメージがあったかというと、
歴史的に見てもそんなに大きかったとは思えないんですね。

日本の神々は仏教と習合して様々に変質してしまっていますが、
この大黒様の場合は、元々の日本の神であり、
因幡の白兎などの逸話で有名な「大国主命」
のイメージが強く残っていると思うのです。

大国主命は、『日本書紀』本文によればスサノオの息子であり、
小さな神、スクナビコナと協力して葦原中国の国作りを完成させます。
しかし高天原からの使者(天津神)に国譲りを強要され、
この世から姿を隠してしまいました。
これを「自殺した」ことの比喩とみる研究者も多いです。

また息子の一人である事代主(コトシロヌシ)も天の逆手を打って
自殺したように書かれています。この国譲りの際に大国主命は、
姿を隠す条件として自分を祀る大きな宮殿を建てて欲しいと言い、
天津神がそれを承知して、杵築大神(出雲大社)
が建てられたということになっています。

この国譲り神話は、古来から日本列島に住んでいた国津神から、
新しくやってきた天津神の一族が支配権を奪い取った、
というふうに読み解かれることが多いのですが、
ここでは政治的なこととは離れて、
少し別の角度から考えてみたいと思います。

出雲大社といえば巨大な神社建築として有名で、
現在の本殿は1744年に作られ、高さ8丈(およそ24m)です。
しかし、かつての本殿は現在よりもはるかに高く、
中古には16丈(48m)、上古には32丈(およそ96m)
であったと伝えられています。

96m説にはかなりの疑問もありますが、
48m説は、中世の史書に「地震などでたびたび倒壊した」
という記事が残っており、近年、巨大な柱跡も発掘されました。
自分は事実であった可能性が高いのではないかと思います。
建築会社の大林組がプロジェクトとして作成した、
中古48m時の復元図も有名になっていますね。

さて、縄文時代には日本海側を中心として、
巨木を立てる宗教的な文化があったと考えられています。例えば、
青森の三内丸山遺跡で復元された、巨木を用いた掘立柱遺構は有名ですし、
その他にも、島根から日本海の海岸沿い各地にその形跡が見られます。

また大国主命の息子の一人である建御名方(タケミナカタ)は、
天津神側の建御雷(タケミカズチ)に力くらべを申し出ますが、
負けて逃げ出し、諏訪方面まで追いつめられます。
建御雷が建御名方を殺そうとしたとき、建御名方は、
「もうこの地から出ない」と言い、降伏しました。
これを祀るのが諏訪神社ですが、
諏訪神社は4本の巨木を立てる御柱祭で知られています。

このように大国主命は巨柱と関係が深いのですが、
では、巨木を立てる信仰にはどんな意味があったのでしょうか。
これも諸説がありますが、一つには樹木信仰ということが言われます。
冬に葉を落とし、春になればまた新芽を吹き出す樹木に、
古代人が死と再生のイメージを読み取ったのではないかとするものです。

縄文時代の信仰は、生殖と関係の深いものが多いのです。
縄文時代の土偶の大半は女性を表しており、
女性器がはっきり刻まれているものが多いですし、
石棒と言われる男性器をかたどった石製品も多数発掘されています。

まとめとはとうてい言えませんが、大国主命と巨柱について、
何らかの性的なイメージが,
連綿と受け継がれてきているのではないかと思います。
なぜなら、大黒様には子宝や子作りに験があるという信仰があり、
大黒天の像が二つの米俵に載っているのは、
実は男性器を表すためであるとも言われます。
頭巾が男性器の先端部分をあらわし、体が男性器本体、
そして米俵が陰嚢(タマタマ)となるのです。
あれ、何だかあんまり怖くありませんでしたねw

『出雲大社 柱跡』
izumo taisha-91

『出雲大社 復元図』(株)大林組
izumo taisha-00

『石棒』縄文中期


 『大黒天像』






拝み屋

2014.05.29 (Thu)
今から30年前、私が中学生のときの話です。
祖父が地域の拝み屋をやってたんです。
といってもそれは40代くらいまでの話で、
当時は70歳を過ぎてまして、とうに拝み屋は引退してたんですよ。
父が町役場に採用になった頃に、世間体を考えてか辞めたようなんです。
ただの田舎のじいさんとしか見えませんでしたね、外見も話しぶりも。
それでも、年に何回か拝み屋としての依頼がくることもありましたが、
ほとんど断ってたんです。
「力も落ちたし、もうそんな時代じゃないから」と言って。

でも、どうしても引き受けざるを得なかった頼みもありまして、
そういうときには自分が手伝わされたりしたんです。これはそんな中の一つです。
・・・轢き逃げ事件があったんですよ。
被害に遭ったのは小学4年生でした。
学校で具合が悪くなり、昼過ぎに早退したんです。
今だったら親に連絡して学校に迎えにきてもらうんでしょうが、
どうやら連絡がつかなかったらしく、
どうせ一本道の県道だからということで一人で帰されたんですね。

いやほんと田舎でしたから、そんな時間帯だと通る車もほとんどなかったんです。
それどころか信号だって学校からその生徒の家までに、
一つもないというようなところでした。
道の脇を歩いているところを車にひっかけられ、
ガードレールを超えて3mほど下の農業用水路に落ちたんです。
即死ではなく、しばらく息があったということでした。
ただ声は出せなかったらしく、人通りもないとなって発見が遅れました。
夕刻、学校から生徒の家に連絡が入り、
まだ帰宅していないということがわかって騒ぎになりました。
死体が発見されたのが翌朝のことです。

もちろん警察の捜査がありテレビでも報道されたんですが、
3週間ほどたっても犯人が見つからなかったんです。
で、被害者の子どもの両親がそろって、夜に祖父のところへ訪ねてきたんです。
せまい町で、私もその人たちのことは知ってましたから、
家にみえられたときは、私にも、
「ははあ、あの件で犯人を見つけてほしくてきたんだろう」と察しがつきましたね。
そして2日後くらいの日曜日です。
祖父が自分に「手伝えよ」と言ったんで、
この事件のことで何かをするんだとわかりました。
祖父と二人で早朝から出かけたのが、事故のあった現場でした。

県道のガードレール脇に、まだ新しい花束やジュースの缶などが供えられていて、
その子とは面識はありませんでしたが、
中学生の私としても痛ましく感じたことを思い出します。
祖父は県道から近くの農道へ入ったところに軽トラを止め、
荷台から子ども用のドジョウ捕りの網とバケツを持ち出しました。
それから子どもが落ちていたという用水路のほうにまわって下りていったんです。
祖父は自分に網を持たせて、その子どもが落ちていたあたりの水を浚わせられました。
・・・そりゃあ気持ちが悪かったですが、
犯人を捕まえるためにいいことをしてるんだという気もあったんです。

私が網で40cmくらいの底の泥ごと持ち上げると、
水棲の昆虫やドジョウが何匹も動いてました。
祖父は「こりゃあわからんな。まあ数があればいいだろう」そう言って、
泥の中から大きめの昆虫やドジョウをつかみ取ってバケツに入れたんです。
何回か同じことをくり返しました。
「もうこれはこんくらいでいいか。・・・次はちょっと難しいぞ」
軽トラへと戻ると、今度は見たことのない道具を取り出したんです。
祖父に聞いたところ「無双網」という鳥を捕るための仕掛けということでした。
「こんなんで捕れるのか?」と聞いたら「昔、何度かやったが難しい」という返事でした。

生肉を餌にして網を張り、遠く離れたところでヒモを持って待っていると、
3時間で4羽のカラスが捕れました。
その度に、祖父はもがいているカラスのそばに寄って、何やら口の中で呪文を唱えましたが、
「ダメだな」と言って初めの3羽は逃がしてやりました。
「今日つかまえないと、明日にはカラスが覚えてしまってできなくなる、
 なんとかかかってくれい」
祖父はそう言ってややあせった顔をしていましたが、4羽目のことです。
呪文を唱えると、網の中で暴れていたカラスが硬直し、
目の玉がぐるぐる回転し始めたんです。
「・・・イダイ、イダイ、カアチャン、イデデデデ・・・」
人の・・・子どもの声が嘴の中から出てきました。「よし、これだ」祖父が言いました。

それから家に戻り、祖父は夕飯も食わずずっと納屋にこもってなにやら作っていましたが、
夜になって「できたぞ」と言って私を呼びにきました。
納屋に入ると、高さ40cmほどの竹人形が裸電球の下にありました。
祖父が削った竹ひごを粗く編んだものでした。
表面には黒い羽根が一面に貼りつけられていました。昼間のカラスのものだと思いました。
「さわってもいいか」と聞くと、
「まだ魂を入れてないからいいが、壊さんでくれよ」と答えたので、
持ち上げると軽く、羽根のすき間から中に白い濡れた和紙があるのがわかりました。
「この中の物はなに?」
「それはドジョウやらヤゴやらだよ。・・・あの子の無念を食らったもんだ」
私は黙って、立った状態で人形を下に置きました。

祖父が奥から炉を出してきて香をくべ、目を閉じて呪を唱え始めました。
何度も聞いたことがありますが、お経などとはまったく調子の違うものです。
今にして思えば、神社の祝詞とも違っていましたね。
これが10分ほど続くと、竹人形はひとりでにうつ伏せに倒れ、
それから猫がのびをするような動作をして四つん這いになりました。
祖父が目を開けて「いきなっせ」と言うと、竹人形は短い手足で進んでいきました。
祖父が目配せをしたので納屋の戸を開けると、
竹人形は一気に闇の中へと飛び出したんです・・・

あとは、つけたりのようなもので、
4日後、轢き逃げの犯人が半狂乱になって警察へ出頭しました。
だいぶ離れた市に住む会社員で、
営業車にほとんど傷がなかったため疑いもかけられていませんでした。
亡くなった子どもが夜に枕元にきて、
「痛い痛いお母さん」と言い続けたと犯人は警察で言いました。
これは新聞にも載ったんですよ。
・・・祖父の話はこの他にもありますので、機会がありましたらまた。



起子の冬

2014.05.28 (Wed)
自分が中1のときの正月の話ですから、もう30年も前の話になります。
隣の家がその年の「起子」番になりました。
「起子」番の家は自分らの住んでる地域で、
古くからある20数件の家のどこかが1年交代で務めるしきたりなんです。
単純に回り番というわけでもなくて、
例えば子どもや若い男のいる家ではできないとか様々な条件があって、
それに適う家でとり行うんですね。
それと、まる1年間「起子」を祀るということにはなっていましたが、
実質は正月の間だけが大変で、それが過ぎてしまえば、
残りの期間はそれほど手のかかるお務めはないということでした。

元日の朝に櫃に入れられた「起子」が隣家にやってきました。
・・・これは自分が見たわけではありません。この年は12月の最後の週から、
自分は遠くにある親戚の家に預けられていましたので、すべては後で聞いた話です。
「起子」の櫃は厳重に縄で縛られ、軽トラックの荷台に載せられてくるんです。
昔は輿に載せて運んでいたということでしたが、いつか軽トラに変わったのだそうです。
・・・この地区では、滅多に「起子」のことは口にしないんです。
まるで恥ずかしいことでもあるかのように隠してるんですね。
もちろん他の地区で知らないということはありませんが。
それと、どうしても「起子」のことを口にしなくてはならない場合は、
できるだけ、たいしたことのない、何でもないつまらないことのようにして言うんです。

それでも隣家に「起子」が着いたときには、町会長やら地域の氏神の神主やら、
十数人の男たちがものものしくつき添ってきたのだそうです。
・・・その年の「起子」番の家になるための条件は、まず家に年ごろの若い男がいないこと。
それから若い女もいないことです。
男の場合は「起子」に魅入られてしまうから、女の場合は嫉妬されるからということでした。
ただ若い男女がいないという条件に当てはまる家がそうそうあるわけではないので、
その正月の期間だけ「起子」番の家の若者は、
他の家の世話になって暮らすということもあったそうです。
その年の隣家は、70過ぎのじいさんと町役場勤務の50代の長男夫婦、
嫁にいかなかった40代の娘さんだけでした。

自分は正月の第2週の終わりには親戚のところから家に帰ってきていました。
次の週の月曜から学校が始まるからです。
帰ってきたとき親父からかなりキツイ調子でこんなことを言われました。
「夜には部屋の窓から隣の家のほうを見るな。あっち側の窓のカーテンを閉めていろ。
 まだテストも先だろうし、12時前に寝ろ。隣から物音が聞こえてきても一切気にするな
 絶対にかかわりを持ってはいけない」
すぐに「起子」番のことだと思いました。
・・・こうは言われたものの、
好奇心の強い年頃だったので「起子」のことは気になっていました。
だから、その晩12時少し前に部屋の電気消し、
隣家のほうの窓を細目に開けてのぞいてみたんです。

冷たい風が吹き込んできました。
自分の家は高台の奥にあって大きな道路とは離れていましたので物音はほとんど聞こえません。
何もないのか・・・と少し失望して、窓を閉めようとしたとき、
かすかに女の人の歌う声が聞こえてきました。
言葉ははっきりは聞き取れなかったんですが、古い童謡のような、子守唄のようなメロデイでした。
それがしばらく続き、突然隣のじいさんらしい声で、「寝ろ!」という叫びが聞こえました。
自分が言われたのかと思いビクッとしましたが、そうではないようでした。
歌声はやみ、「ビシッ!」というムチで何かを叩くような音。か細い悲鳴のような声。
叩く音はそれからずっと、30分あまりも続いたでしょうか。
いつの間にか悲鳴は聞こえなくなっていました。
やがて12時をだいぶまわったあたりですべての音はやみ、自分は寝ました。

その翌日です。夜の10時過ぎに町会長さんが家を訪ねてきました。
隣の家に行って様子を見てきた帰りのようでした。
ここらは町内会といっても、
町会長は1年交代ではなくこの80過ぎの地区の長老がずっとやってたんです。
11時頃、夜食を探しに台所に降りたら、
酒を燗していた母親にうながされてあいさつに出たんです。
そしたら町会長さんと父親が、深刻そうな様子で話込んでいました。
よくはわかりませんでしたが、雰囲気では、
この年の「起子」番がうまくいっていないことについて話しているようでした。
自分は簡単にあいさつして部屋に戻りました。

12時少し前、町会長さんはまだ帰っていないようでしたが、
昨日と同じように部屋の窓を開けて隣の様子をうかがいました。
その日は雪は降っておらず、月が青かったのを覚えています。
童謡のような唄、叩く音とか細い悲鳴、すべてが昨夜と同じでしたが、
大きく「ああっ、おじいさん!」という悲鳴が聞こえました。
続いて「起子が逃げたぞ!」という叫び声。隣の長男の人の声だと思いました。
「ガッシヤン!!」隣の1階のベランダの窓が割れ、中から白いものが飛び出してきました。
それは積もった雪の上を獣のような動きで駆け上がり、自分の部屋の窓に近づいてきました。
驚いて窓とカーテンをいっしょに閉めましたが、
それとほぼ同時に一気に部屋の窓が割れ、白いものが飛び込んできました。

「起子」でした。「起子」は全裸で、電気を消した部屋の中でも肌が白いのがわかりました。
長い髪が腰のあたりまで伸びていて、顔は見えませんでした。
「起子」は自分の目の前に立ち「ハハッ」と笑いながら髪をかき上げました。
「起子」は両手を伸ばして自分を抱きとめようとしました。
甘い息が顔にかかり頭がくらくらとしました。
そのとき、階段を駆け上がる音がし、
「大丈夫か?」と言いながら親父が部屋に飛び込んできましたが、
こちらの様子を見て息を呑んだようでした。
「起子」は舌を伸ばし、自分の顔を舐め始めました。
蜘蛛の網にでもかかったように、自分は動くことができませんでした。

「これは・・・大変」という町会長さんの声がしました。
町会長さんは横から、赤い着物を両手に持って広げ「起子」の頭にかぶせようとしました。
「・・・ううう、じゃまをするな」
「起子」が吠えるように言い、首を曲げて町会長さんの肩に噛みつきました。
その拍子に自分は体が動くようになり、後ろにのけぞるようにしてベッドに倒れました。
町会長さんは「起子」に噛みつかれながら、
たじろぎもせず「起子」の頭から赤い着物を被せました。
部屋の電気がつきました。親父がスイッチを押したのだと思いました。
赤い着物をかぶった「起子」は強く頭を左右に振っていましたが、
へなへなと床に崩れました。

自分はベッドから起き上がり、「起子」を見て「あっ!」と声を上げました。
さっきまで生きた人間と思っていたのが、
両手を前に伸ばし、礼拝をするような形でうつ伏せになった女性の木像に変わっていたからです。
白木の背中の木目の上に、ムチで叩いたような跡が無数に走っていました。
小柄なワイシャツの肩に血をにじませた町会長さんが「ふーっ」と大きくため息をつきました。
・・・ここから書くことはあまりありません。
隣のじいさんは救急車が呼ばれましたが、心臓発作で病院に着く前に亡くなったのだそうです。
「起子」を叩いている最中のことだったそうです。
「起子」番はうちからずっと離れたところの家に代わり、「起子」の木像はそこに運ばれて、
地域の長老総出で何とか眠りにつかせたということでした。

・・・「起子」というのは、古い古い忌みなのだそうです。
20年ごとに木像を彫ると、そこに自然に命が宿る。
これを正月にムチで叩き、子守唄を歌って眠りにつかせるのが「起子」番の家の役割です。
無事に眠ってくれれば、1年の残りは簡単なお祀りをするだけでいいのだそうです。
もし眠らなかったら?・・・それはわかりません。
これまでそういうことはなかったということでしたから。
ここまで話しても、まだ「起子」が何なのかわからないと思います。
当時は自分が子どもだから教えてもらえないのかと思っていましたが、
どうやらそうではないようです。

ただ20年ごとに木像を作って、
それを毎年眠らせるということだけが地域に伝わってるようでした。
もし木像を作ったり、祀るのを止めてしまったらどうなるかって?
それもわかりません。
・・・この地域も高齢化のためにずいぶん人口が減ってしまい、
昔からの「起子」番の家も絶えてしまったり、他の地域に越して行ったところも多いのです。
あのとき自分を救ってくれた町会長さんも、とうの昔に亡くなっています。
木像を彫れる宮大工も一人しかいないとも聞きました。
もしかしたら、「起子」番を止める年がくるかもしれないのです。
そうしたら、何が起きるのかわかるかもしれませんね。
これで終わります。



雑談(ホラーガンバ!)

2014.05.27 (Tue)
 今夜は前に描いた怖い話をコピペしたので少しヒマがあり、短い雑文など。
自分は、FC2の他に、ブログ村と人気ブログランキングの小説分野のホラー小説ランキング
に参加させていただいてますが、この分野ってブログではあまり盛んでないんですね。
実際に稼働してるところは20くらいのものでしょうか。
これは個人の創作ホラーの話で、大手のまとめサイトははまた別。
FC2だと謎分野に参加しておられるところが多いようです。

 多くの怖い話を書かれる人は、どっかの掲示板に投稿してまとめに転載されるか、
まとめに直接投稿して、そこでのコメントを見ておられるのだと思いますが、
自分としては、もっと個人サイトが増えてほしいなあと思ってます。
・・・個人サイトに話を書くと、創作だということがモロバレしてしまうので、
そういう点で躊躇しおられるのかもしれません。
実際、自分もそうでした。
これまで名無しで書き溜めた話をブログ一箇所にまとめて公開することで、
創作だったということがまるわかりしてしまいます。

 しかし逆に、創作だと明言することでしか書けない内容のものもあると思います。
そういう点では、大手まとめサイトに載るよりも話を見てくださる方の数は減ったでしょうが、
書く内容の自由度は増したと思います。
実話怪談のノウハウを守っていない実験的なものでも書けるので、
今はこのほうがやりやすくなってきました。まあ自己満足と言われればそれまでなんですが。
 新耳袋あたりから始まった怪談ブームは息長くまだ続いているようで、
月に数冊は実話怪談本が出ています。
ぜひ、個人ブログでもこの分野が盛んになってほしいなあと思っています。
「怖い話の分類」なども書いているのはそういう願いも込めてのことです。

『見捨てられた街』フェルナンド・クノップフ




雪ん子

2014.05.26 (Mon)
*前に2chの「山怖」に描いたものです。

4年前の冬、5月に山スキーをしに一人である高原に行きました。
場所はここには書かないほうがいいと思います。
3月だと雪量が多すぎ、5月だとスキーに適さないベチャベチャの雪になるような場所です。
計画は麓の温泉で一泊、雪中テントが一泊の予定でした。
幸い天候がよくて気持ちよかったんですが、
いまいちワックスが合わず行程に時間がかかりました。
2日目、林の中でテントを張る場所を探してると小雨が降って、
まだ2時過ぎなのに暗くなってきました。

それでとにかく林の近くの入り口あたりに大急ぎでテントを張って一息ついたんです。
コッヘルに湯を沸かして紅茶を飲み、
テントにあたる雨音を聞いてると眠くなってうとうとしてしまいました。
気がつくとテントの中でうつ伏せに寝てしまっていました。
気温は4度ぐらいで十分着ていたので寒いということはなかったです。
時計を見ると午後4時くらいで、ああ2時間も寝て夜中に眠れないかなと思ったりもしました。
テントの外を伺うと薄暗くなっていましたが、雨は上がってました。

外に出て立ちションしようとしたら、
林の中の10mくらい先を雪ん子が集団で歩いてたんです。
雪ん子というのは東北地方なんかの、
名前を知らないんですが三角に藁を編んだ頭からすっぽり被るやつと
雪沓を履いた姿の子供です。それが12~3人くらいでしょうか、2列になって歩いてたんです。
大きい子も小さい子もいて、小学校1年から3年くらいですか、
男女の別はよくわからなかったです。

子供はそれぞれ背中に荷を背負ってました。
妖怪とは思わなかったです。
最後に蓑を着て棒を持った男が一人と、
背の高いダウンジャケットの男がついていましたから。
何かの年中行事だと思ったんですが、それにしてもここはまず人が来ないところだし、
集落までは子供の足だと4時間以上かかると思いました。

雪ん子たちはこっちに気がついてないようでした。
ちょうどテントも陰になって見えないところにあったと思います。
見ていると、子供たちのうち中列の一人が雪に足をとられてすてんと転びました。
するとそれに合わせるようにして前後の子もよろめいて膝をついたんです。
転んだ子の蓑がぬげて顔が見えましたが、日本人とは思えませんでした。
すごく頬骨が張りだした平べったい顔で、エスキモーを連想しました。
その子が耳を押さえながら「がうちあっ!」というような響きで叫んだんです。

そのとき子供の手の間からザイルのようなのが伸びているのが見えました。
ザイルは前後の子につながってて、それで同調したように転んだんです。
最後尾にいた蓑の男が急ぎ足で子供に近づいて、棒で何度も背中を叩きました。
それから耳を押さえている子供の手を無理やり引き剥がしましたが、目を疑いました。
ザイルは子供の耳たぶの大きな穴を通されているように見えたんです。
まあ暗くなっていたので見間違いなのかもしれません、
輪にして結んでいただけかもしれないです。

蓑の男はは40代くらいだと思いましたが、
やはりエスキモーかモンゴル人のような顔立ちで雪焼けか赤ら顔でした。
男はライターを取り出して棒の先に火をつけました。松明だったんです。
それで転んだ子供を叩こうとしたんです。もちろん火のついてるほうで。
そしたらもう一人の背の高いほうが駆け寄ってきて男の手をつかみ「タカイ!」と叫んだんです。
カタカナで書いたのは日本語のアクセントではなかったからで、
スキー帽からのぞいているのは西洋人の顔でした。

その後、松明の男が先頭に立ち、西洋人は最後尾に戻って子供たちの列は進んでいきました。
大人2人がこっちに気がついたかどうかはわかりませんが、
子供たちの一人と偶然目が合ってしまいました。
もしかしたらその子が後に大人に知らせたかもしれません。
その子もやはり日本人には見えませんでした。
後ろ姿を見送って、どうも子供の何人かは片腕がないように思えました。
着物の袖がぶらぶらだったんです。

今見たものをいぶかしがりながらそこで一晩を過ごし、
翌日は早く出発して山荘まで行きそこでスキーを脱いだんですが、
そのときザックに変な穴が2ヶ所あいているのに気がつきました。
上部を何かが貫通したとしか見えません。
膝がガクガクと震えました。よくわからないんですが、銃撃されたのかもと思ったんです。
それで駅の近くの交番に寄って昨日見たことを話しました。

本署から人が来て調書をとるという形になってしまい、
電車を2本乗り過ごしてその日のうちに帰れなくなるところでした。
やっと放免されたときに、担当した私服の警察官が、
「何かわかりましたら知らせます、知らせますが・・・もうこっちには来ないほうがいいです。
山歩きは別方面にいかれたら」というような話をしました。
「何か心あたりがあるんですか?」と聞いたら、
しゃべったのを後悔したような顔で黙って首を振りました。
・・・いったい自分が何を見たのか今だに疑問です。



餅をもらう

2014.05.25 (Sun)
中学校のときに剣道部だったんですよ。
その中学校はけっこう強豪で、
毎年県でベスト4くらいにはいってたんで稽古も厳しかったんです。
剣道・柔道ってオフシーズンないでしょう。それと雨だから軽めの練習ってのもない。
体育館の部みたく時間交代で場所を使うってこともないから、毎日びっちり稽古でした。
その中でも火・金が強化メニューの日になってて、いつもより1時間くらい長いんです。
その金曜の7時過ぎのことでした。
俺は1年で、2年生の家が同じ方向の先輩2人と帰ったんです。

疲れてるから近道して帰ろうってことで、通学路指定されてない裏道を通ったんです。
そこはドブ川の傍の砂利道で、街灯もまばらでした。
変質者の噂は聞いたことなかったけど、女子とかは絶対通りませでしたね。
俺らはまったく気にしてなかったです。
男だし、竹刀袋を持ってるときもあったし、怖いと思ったことなんてなかったですよ。
その裏道に入って5分ほど行くと、超寂れた神社があるんですが、
その日は、遠くからぼんやり赤い灯りが境内にあるのが見えたんです。
先輩たちが「お祭りかな」「まさかあんなとこで」とか話してました。

上下関係の厳しい部だったんで、俺は黙って後をついてったんですが、
たしかにいつもは真っ暗なのに、鳥居の中がぼんやりと赤く明るい。
それに、白っぽい浴衣のようなのを着た人が、
せまい境内にたくさんひしめいてるような気がしました。
すぐ神社の前まで来ましたが、ボロい神社の前に赤い大きな提灯が2つ灯されていました。
人は・・・30人以上はいたでしょうかねえ。
みな白一色の着物を着て、鳥居を背に神社のほうを見て立ってたんです。
男も女もいたように思いますが、子どもの姿は見えませんでした。

お祭り・・・とはちょっと違う感じがしました。
なぜかというと、その人たちはみな無言で、
かといって拝んでるわけでもなくて、ただボーッと立ってるだけなんです。
先輩方も変な感じを持ったらしく、立ち止まって斜め後ろからそっちを見ていました。
神社の雨戸が外されて、扉が開いてました。
境内の人たちは先頭のほうで2人ずつに並んで、
礼もせず無造作に神社の中に入っていってるようでした。
列の後ろに、白い着物は同じですが、黒い袴をつけた40代くらいの男の人がいて、
俺らの方を見て寄ってきました。

「あんたたち◯◯中の子かい」気軽な感じで声をかけられました。
先輩の一人が「そうです」と答えると、
「遅い時間だねえ、部活動かい。ごくろうさん、何部なの?」と聞いてきたんで、
もう一人の先輩が「剣道部です」と答えました。
「ああ、知ってるよ。強いんだってねえ・・・ちょっと待ってて」
その人はそう言って人混みをかきわけて奥の神社のほうに入っていき、すぐに戻ってきました。
「あんたたちにこれをあげるよ。神様のだから力がつくよ」こう言って、
長方形の紙箱を先輩に渡しました。

「どうもありがとうございます」渡され先輩が頭を下げると、
「いやいや、武道をやってる人は礼儀正しいねえ。命の価値も高いよねえ・・じゃあ」
ニコニコしながら奥に引っ込んでいったんです。
そうしているうちに、境内の中の人は5・6人くらいまで減っているのがわかりました。
俺らは歩き出し、神社から100mほど離れてから、先輩が箱を開けました。
「ほら」俺にも見せてくれましたが、ビニールに包まれた紅白の餅が2個入っていました。
「結局、何やってるかわからなかったな。さっきの人に聞けばよかった」

「・・・でもよ、変だと思わねえか。あの神社4m四方くらいだよな。あんな人数が入れるか?」
「裏から出てるんだろ」「裏戸なんてあったけか。それに川だったような気がするけど」
「餅あったけえぞ、中はあんこかな」
「でもよ、3人で2個だからな・・・さっきの人も気きかして、もっとくれりゃよかったのに」
先輩たちがこんなことを言ったので、
「自分はいいっス、一番家が近いし・・・」とっさにそう言うと、
先輩たちは「そうかスマンな」と、餅を一つずつ分け、袋を開けて歩きながら食べたんです。
「ん、あったけえ・・・てか熱いくらいだな。搗きたてなんかな」
「・・・中は何も入ってないみたいだけど、これ肉の味がするぞ」「少ししょっぱいけどうめえな」

その後は特に何事もなく大通りに出て、俺は先輩方にあいさつしてから、
自分の家のある小路のほうに別れたんです。
まあこれだけの話なんですが、後にまた神社の道を通ったときに確かめたら、
やっぱり裏口なんてなかったんですよ。
そのときも変だなあ、くらいにしか感じなくて、すぐこのことは忘れました。
・・・先輩たちは全国出場を手土産に、2年後に剣道推薦で同じ高校に合格して卒業しました。
俺は中学3年間で自分が弱いのがわかったんで、普通に勉強して別の高校に進学したんです。
それで、高校在学中にこの先輩たちが相次いで亡くなったんですよ。
一人は事故、一人は事件でした。

先輩の一人は、高2の夏に、稽古の後一人で海に行って遊泳禁止の岸壁で泳ぎ、
疲れて岸壁に這い上がれないで溺れ死んだんです。
もう一人の先輩は、母親の再婚相手が気に入らなくて反抗してたみたいなんですが、
ある日、寝ているときに煮え湯をヤカンで頭にかけられて死にました。
どっちのことも新聞テレビに大きく出ましたし、
わずか2日違いで同じ高校の剣道部員が亡くなったわけですから、
地元はたいへんな騒ぎでしたよ。
自分もショックで、あれこれ先輩たちとの中学校時代のことを思い出しているうちに、
この神社のことが頭に浮かんできたんです。・・・まあ関係はないと思いますが・・・



髑髏

2014.05.25 (Sun)
私自身の話ではないんですが、それでもいいでしょうか。
今、大学1年で小説のサークルに入ってるんです。
内容は純文学に近いもので、大学でもかなり歴史のある由緒正しいサークルなんだそうです。
先輩方も文学青年ぽい人が多くて、真面目に活動してるサークルなんです。
それで、2週間ばかり前に合評会があったんです。
メンバーそれぞれが作品を持ち寄って、お互いに批評し合うんです。
・・・今だったらプリンターで印刷が簡単にできるので、
人数分原稿を用意して回し読みすれば時間の節約になるのに、と最初は思ったんですが、
私たちのサークルの伝統で、一人一人が自分の作品を朗読するんです。

合評会は土曜の9時からでした。
人数は十数人いるんですが、その日、作品を出す人は8人で、
たぶん午前中いっぱいかかるだろうと思っていました。
4人終わったら合評し、休憩を入れてまた4人という予定で、私は最初のほうで朗読をしました。
実家のある四国の港町のスケッチみたいなものでしたが、
かなり厳しい批判をいただきました・・・すみません、よけいなことですね。
それで後半の朗読の最初です。武田さんという2年生の男の先輩でした。
いつも藤沢周平風の時代物を書いてくる人なので、
今回もそういう感じのだろうと思ってたんです。

題名は『髑髏』でした。武田さんが題名を重々しい口調で言ったとき、
「ウッ」と息を飲む音が聞こえ、そちらを見ると3年生でサークル長の伊野さんで、
なんだか恐い目をしていました。
武田さんはそれに気がつかなかったようで、そのまま朗読を続けました。
田舎に住む一家のおじいさんが亡くなって遺品整理をしていたら、
茶箪笥の中から子どものような小さな髑髏が見つかって・・・という出だしで、
どうやら現代が舞台のホラー作品という感じでした。
でも、どんな話か最後まで聞くことはできなかったんです。
1分も朗読しないうちに「ちょっと武田、ストップ」と叫んで、
伊野さんの朗読を止めさせたからです。

武田さんがきょとんとした様子で「どうしたんですか」と聞きましたら、
伊野さんは「お前・・・その話どっかで読んだか」と言ったんですが、
まるで詰問するような調子でした。
「いやだなあ、盗作とかじゃないですよ。完全なオリジナルです」
と武田さんは笑いながら抗弁しましたが、そのとき伊野さんが真顔なのに気づいたようでした。
「ああ、すまん盗作と疑ってるわけじゃないんだ。ただその・・・確かめたかっただけだ」
伊野さんがややうろたえたように言いました。
「変だなあ、気になりますね。どっかで似たような話を読んだことがあるんですか」
武田さんがそう言うと、伊野さんは少し考えて立ち上がり、サークル室のロッカーの奥を探って、
かなり古めかしい文書綴りを引っぱりだしました。

「何ですかそれ?」他の2年生が聞くと、伊野さんは、
「これは歴代のサークル長に受け継がれてるもんで、これまでの合評会の記録とか、
 サークル誌を編集した記録が載ってるやつなんだが、最初のが昭和31年になってる。
 こんな分厚い記録だから俺も全部読んじゃいないが、
 サークル長に決まったときに、前の先輩からじきじきに言われたことがあるんだ。
 ・・・といっても信じられないような話なんだが」
「それが武田さんの作品と関係があるんですか?」私が聞くと、
「そうだ」伊野さんは答えました。
「いいか、その引き継ぎと関係があるとこをちょっと読んでみる」
分厚い綴りを手元で開いて読み始めました。

「警告、これは冗談ではなく本サークル員の命に関わることである。
 われわれは自分が作品を書いていると考えていて、それはおおかたは正しいが、
 そうではない場合もある。つまり話のほうに命があって、われわれにそれを書かせる場合だ。
 信じられないだろうが、そういうことはある。
 このサークルには『髑髏』という話がとり憑いている。
 自分もこのことを初めて聞いたときは信じられなかった。
 しかし合評会でこの話を耳にし、その後4人の命を失ってやっとわかった。
 最後までこの話をさせても、聞いてもいけなかった。それを後悔している。
 『髑髏』を封印することはできない。いずれまた現れるだろう。
 それを絶対に広めてはならない。最後まで聞かなければ大丈夫のようだ。
 どんなことをしてでも抹消せよ。◯月◯日 第11代サークル長 鈴木◯彦」

「マジですかあ」1年生の一人が声をあげた。
「・・・マジなんだと思う。俺もちょっと調べたんだが、
 これを書いたのは昭和40年台のサークル長で、
 そのとき確かに短期間で5人のメンバーが亡くなってる。全部事故死で、頭をやられているんだ」
「えーでも、そんなことありえないですよ」
「どうして『髑髏』っていう題だけで、それと同じ話ってわかるんです?」
「・・・いい、質問だな」伊野さんはそう言って下を向きました。
「この鈴木さんが、簡単なあらすじを書いて残してくれてるんだ。
 祖父の遺品の中から子どもの髑髏を見つけて・・・
 その後、戦死したじいさんの兄と貂の毛皮が出てくるんだろ」
伊野さんは武田さんのほうを見てそう言いました。

「・・・そうです」武田さんは愕然とした様子でうなずきました。
「でも、その鈴木という人は話を全部聞いたか、読んだかしたんでしょう」誰かが聞きました。
「もちろんそうだ・・・で、鈴木さんはこれを書いた翌日に亡くなってるんだよ」
全員が言葉も出ず、顔を見合わせました。
「大学の図書館のコンクリの階段があるだろ・・・あそこから仰向けに落ちたようだ。
 頭蓋骨骨折と新聞の縮刷版にはあった」
「あんなゆるいとこから・・・」
「武田・・・お前この話、どうやって思いついた?」伊野さんがやや口調を変えて聞きました。
「いや、夢で見たんです。夢の中に頭の大きい福助みたいな着物を着た子どもが出てきて、
 『話をさずけようぞ』と言ってしたのがこの話なんですよ」
武田さんの声は泣きそうになっていました。

「ふだんから小説の筋はあれこれ考えているんですが、夢の内容なんてほとんど覚えていないし、
 覚えてたとしても、起きてから考えれば到底使いものにならないようなのばっかりで・・・
 でもこのときは違ってたんです。
 一字一句まで覚えてたし、すごい筋だなって興奮しました。
 だからめったに書かない現代ものの、それもホラーを・・・」
武田さんの声は震えて、最後まで続きませんでした。
「とにかくだ、お前の原稿、それ俺によこせ。ぜったい誰も読めないようにして始末するから。
 それと、これパソコンで打ったんだよな。他に誰かに見せたか?」と伊野さんが聞き、
武田さんはただふるふると首を振りました。

「そのデータは何かのソフトを使って完全に消去しろ。
 いや、パソコン自体処分したほうがいいのかもしれない。・・・海に沈めるとかして。
 サークル費で新しいのを買ってやるよ。それからお前は、今後しばらく俺と行動しろ。
 ・・・高いとこに登ったり、乗り物に乗ったりするな。
 どうやら前回『髑髏』が出てきたときに、
 話を最後まで聞いたのは亡くなった5人の他にも数人いたようだが、
 その人たちが少なくとも大学時代に死亡したという記録はなかった。
 ある程度の期間が過ぎれば生き残れるのかもしれない」
会はそのままお開きになり、
伊野さんはパソコンの始末をしに、武田さんとともにアパートに出かけていきました。

残されたサークル員は口々に今の出来事を話していましたが、
信じていないメンバーがほとんどでした。
伊野さんが武田さんと組んで、みなをからかうためにやった大きな冗談じゃないかって。
でも残された綴りを見ると、さっき伊野さんが読んだ黄ばんだ罫紙が綴じ込まれていて、
内容もそのとおりでした。
私は・・・話自体はとても考えられないことだと思いましたが、
また一方で、伊野さんがそんな冗談をする人だとも思えなかったんです。
昼食をとるのも忘れて侃々諤々言い合っているうちに、あの知らせが入ったんです。
3年の先輩の携帯が鳴り、伊野さんからでした。

ビル工事の現場の横を通ったとき、さして大きくもないガラス片が十数階の高さから、
防護シートを切り裂いて落ちてきて、武田さんの頭を斜めに削いだということでした。
救急車は呼んだものの、脳がこぼれて、応急処置もできないほどの惨状だったそうです。
・・・あの合評会から、何をするにも気をつけて生活しています。
話は全部聞いてないから大丈夫だと自分に言い聞かせながら・・・です。
あの場にいたサークルのメンバーで頭痛がするという人が何人かいます。
私も、夜になると後頭部がズキズキ痛むことが何回かありました。
それよりも怖ろしいのは、夢の中に頭が大きい子どもが出てきて、
『髑髏』の話を始めないかってことなんです・・・
でも、寝ないというわけにもいきませんし・・・



やり直し

2014.05.24 (Sat)
2か月前のことです。いや変な目に遭いましたよ。
その日は会社の歓迎会があって遅くなったんです。でも自分は遠距離通勤のほうだから、
終電に間に合うように2次会の途中で失礼したんです。
それは飲んでましたけどね・・・だけど、ぐでんぐでんという状態ではなかったです。
カラオケ屋から最寄りの駅に着くと、まだ時間の余裕があったんでトイレに入りました。
少し腹の具合が悪かったんです・・・汚い話ですみませんね。

その駅のトイレは初めて入ったんですが、ふつうのトイレだったとしか言いようがないです。
ただ・・・手洗いの鏡の前に白い紙袋が置いてあったのを覚えてます。
ああ、忘れ物があるなくらいにしか思いませんでした。
4つ並んだ大のほうの個室は全部空いてたんで、手前から3つ目のに入りました。
ほら、ああいうトイレって、和式のがまず最初にあると思ったんで。
でね、電車の時間があるんで5分くらいで出ました。

ドアを閉めて・・・何か違和感があるんですよ。
自分のすぐ横の上に窓があるんです・・・つまりね、一番奥の個室から出たような気がしたんです。
「あれ、変だな」と思ってもう一度ドアを開けてみると、やっぱり洋式の便器があって、
まあ自分の勘違いだろうと思って、たいして気にも留めなかったんです、そのときは。
紙袋ですか?・・・うーん、あったかどうだか?
手を洗ったときに気がつかなかったから、なくなってたのかもしれませんね。
で、トイレから出たら、駅の構内が騒然としてました。

3年前の震災のときみたいに人があふれてたんです。
ほら、あのとき帰宅難民という言葉が流行ったでしょう。
ああいう感じであちこちにサラリーマンらしき人がたむろしてて、みな深刻そうな顔をしてるんです。
携帯で電話してる人も多かったし。
びっくりしましたよ、もちろん。トイレに入る前は閑散としてたんですから。
近くに呆然と立ち尽くすといった感じのおっさんがいたんで「何が起きたんです?」と尋ねてみました。
おっさんは驚いたようにこっちを見て「・・・あんた、知らないのか」と言いました。

「噴火だよ、大噴火・・・それに・・・トカゲ」とおっさんが話を続けようとしたとき、
「ああ、あいつだ」という大声がして、
改札のほうから数人の黒い服の男がこっちを指さしながら駆けてきました。
で、たちまち両脇に来て、左右から腕をつかまれてしまったんです。
男たちは4人でした。・・・映画のメン・イン・ブラックってわかるでしょうか?
ちょうどあんな感じの黒のスーツにサングラスをしてたんです。
それと、自分も背は高い方ですが、その男たちは全員185cm以上はあったと思います。

「何ですか?あんたたちは」自分がこう言うと、
右側の男が、ひじょうに丁寧な口調で「驚かせてすみません。じつはあなたにお願いがあるんです」
と答え、続けて、
「先ほど、トイレに入っておられましたよね。あれ、もう一度やり直してほしいんです。
 謝礼はします」と言ったんです。
自分が「??」となっていると、今度は左側の男がポケットからでかいサイフを取り出して、
中からごそっと札束をつかみ出しました。

「50万あります」そう言って、自分の上着のポケットに突っ込んだんです。
「ちょっと待ってくださいよ」そう言ったんですが、
前後左右を囲まれたまま、さっきのトイレに連れ込まれました。
「なに、ただ一番奥のトイレに入ってもらえばいいんです。
 そこで、あなたの時計で4分以上過ごしてくれれば・・・」
口調はていねいでしたが、最後は引きずるような形で自分をトイレの前まで連れて行き、
ドアを開けて中に放り込んだんです。

ドアが閉められ、その外から声が聞こえました。
「4分以上ですよ、いいですか。それ以上いてもいいんですが、終電がなくなりますから」
で、しょうがないので便器に座って考えたんです、いったい自分の身に何が起きているのかを。
・・・ドッキリカメラみたいなものなんだろうか。
このあとトイレから出たら、番組の看板を持った人がいて・・・
しかしさっき駅で見た大勢の人と、緊迫した様子はただごとではなかったとも思いました。
あれが全部エキストラなのだとしたら、なんて大掛かりな・・・

ポケットからお金を出してみました。
しわ一つない真新しい札で、数えませんでしたが50万はあるように思えました。
耳をすましましたが、トイレの外から物音は聞こえません。
それで、まあ4分はたっただろうと思ってそっと戸を開けてみると、人の姿は見えませんでした。
思い切って出てみて「あれっ」と思いました。
さっき押し込まれたのは最奥の個室だったのに、3番目のドアから出てたんです。
これは絶対間違いはないはずです。

トイレから出ると、さっきまであれほどごった返していた人の姿はかき消えていて、
あちこちの照明が落とされた、もうすぐ日付がかわる時間帯の寂しい駅に戻ってたんですよ。
自分の身に起きた出来事をどう考えればいいかわかりませんでした。
警察に行こうかとも思いましたが、実害はないし、
何より信じてもらえないんじゃないかと思ったんです。
それに・・・50万のこともありますし。
終電は間に合ったので、家に帰って風呂にも入らずそのまま寝ました。翌日は休みでしたから。

で、朝になって昨夜の50万を確かめてみました。
色合いから手触りからホンモノとしか思えなかったんですが・・・
ただ一箇所だけ、福沢諭吉さんの目がね、人間の目じゃなかったんです。
猫の目・・・というか爬虫類の目だと思いました。緑っぽい目の玉で、瞳は細い縦筋だったんです。
50万円分全部がそうでしたから、さすがにただごとではないんで、警察に持っていきました。
当然事情を聞かれましたが、細かい部分は信じてくれそうもないので、
トイレの中で黒服の男たちに押しつけられたと言ったんです。

数時間かかりましたが、なんとか解放されまして。
警察では、また話を聞くことがあるかもしれないと言ってたんですが、
1日後に呼ばれまして、なんと紙幣は全部ホンモノだったということでした。
諭吉さんの目の上に、さらに小さな爬虫類の目のシールを貼りつけてたらしいんです。
手の込んだイタズラだろうということでした。
・・・お金は拾得物ということで、警察に預かってもらうことになりました。
惜しい気もしますが、やはり気味悪いですから。
いったい一連の出来事は何だったんでしょうね。どなたかおわかりになりますか?



ケンちゃん2

2014.05.23 (Fri)
もう10年以上前、小学校のときの話だから、記憶違いがあるかもしれない。
細かいところは想像でおぎなってるから、実際とは違ってる部分もあると思う。
5年生の夏休み前だったけど、
担任の先生がPTAのバレーに参加してアキレス腱を切り入院して手術したんだ。
当時は女の先生の齢なんてよくわかんなかったけど、
卒業アルバムなんかの写真を見ると40歳前くらいだったと思う。
その先生は3ヶ月くらい休んで復帰してきたけど、
いつもトレパンでけっこう怒る先生だったような記憶がある。

で、担任が休んでいる間だけってことで、かわりの先生が来たんだ。
臨時講師ってことだな。名前は湊先生。
新しい先生も女の人で、すごく色が白かった。元の担任よりずっと若かったと思う。
そばに寄るとプーンといい匂いがして、話す調子もやわらかかった。
・・・そういう先生だと、生徒がいうことをきかないと思うだろうけど、
そうでもなかったんだな。
口調は優しいんだけど、その中にどうしても逆らえない、
有無を言わせないものがあった気がする。

授業のしかたのよしあしとか、その当時はもちろんだし今もよくはわかんないけど、
特に変わったことはしなかったと思う。
宿題をほとんど出さないんでクラスの子はよろこんでた。
ただ・・・学級活動の時間だけは少し変だった。
時間が始まると最初にみんなを立たせて、まず湊先生が
「この世界からイジメや差別をなくしましょう」と大声で言うんだ。
そして生徒がそれを復唱させられる。
このとき声が小さかったり、そろってなかったりするとやり直しになる。

でも、ほとんどの生徒は湊先生が気に入ってたから、みんな大きい声でやってたよ。
それが終わると「ケンちゃんにもお願いしましょう」って言う。
この、ケンちゃんというのは先生が持ってきたかなり大きいヌイグルミのことだ。
座った形の牛なんだけど1mくらいあった。
顔は・・・すごくリアルというわけでもないけど、可愛らしさはまったくなかった。
それが教室の後ろの生徒用ロッカーの上に置かれてるんだ。
先生はそのそばに寄っていって、生徒はみんな後ろを向く。
そしてこれも、声をそろえて「ケンちゃん、よろしくお願いします」って言うんだ。

すると先生が、ケンちゃんの頭の後ろを平手で支えて、
うんうんうなずくように頭を下げさせるんだ。
やっぱり異様だよな・・・何かの宗教だったのかもしれないって、今はそんな風にも思ってる。
先生が大事にしてるものだからって、ケンちゃんにイタズラする生徒はいなかったな。
で、夏休みも近くなったある日のこと。
6時間目が終わって家に帰る途中で、教室に調理実習の用具を忘れたことに気がついた。
・・・ふだんならそんなことは気にしないんだけど、
その前の晩に「お前は持ってったものは何でも学校に置いてくる」って母親に説教されてたんだ。
それで、まだ学校からそんなに離れてないから取りに戻ろうと思った。

5年生の教室は3階だったから、階段を上って教室のほうへ行くと、
前後の戸が閉まってって、声が聞こえてきた。湊先生だと思った。
「頭の中に見えるものを言いなさい、
よく頭の中を探して、引っかかっているものを出しなさい」
正確じゃないけど、こんな内容だったと思う。
冷たい金属みたいな声・・・そんな感じを今でも思い出せるよ。
後ろの戸の前まできて、いちおうノックしようとしたとき、今度は別の女の子の声がした。
「・・・燃えてます、熱くて苦しんでいる人が何人もいます」
苦しみながらしゃべってるように聞こえたんだ。

怒られてる子がいるんだろうかと思いながらノックすると、声はぴたりとやみ、
ややあって「どなたですか?」と湊先生の声がした。
「〇〇です。調理の道具を忘れたんで取りにきました」こう言うと、
「ああ、ちょっと待ってね。今、開けにいくから」
1分もたたずに湊先生が戸を開けてくれ、中に入ると、
教室の前のほうの机が寄せられていて、
三島というクラスの女子とケンちゃんが並ぶようにして床に座っていた。
ケンちゃんはいつも見るよりくたっとしてて、
近くに黄色いウレタンがいくつも積み上げられていた。

・・・その三島という女の子はアトピーがひどく、顔や手が赤く腫れてて、
あからさまにイジメられてたってわけじゃないけど、
なんとなく避けられがちで、友達のいない子だったんだ。家も貧しい地区にあったし。
赤い顔をさらに赤くしてぼうっとした感じでへたりこんでいた。
湊先生はロッカーから自分の調理用具の入ったコンビニ袋を出してくれ、
「これないと、お母さんに怒られるでしょうね」と言いながら手渡してくれた。
それから教室の外まで送ってくれたんだけど、別れ際に、
「ケンちゃんがさびしがっていたから、三島さんにお話ししてもらってたの。
 ケンちゃんは背中のチャックから中に入ることができるのよ」こう言ったんだ。
・・・このときは何のことかぜんぜんわからなかった。

夏休み前日、湊先生がこれで最後という学活の時間。
通知表を渡されてから、先生がお別れのお話をした。
「短い期間だけどみんなと一緒に過ごせてよかった」みたいなありきたりのものだったと思う。
その後、クラスのPTAで用意してくれた花束をクラス代表から受け取って、
湊先生は感激した様子だった。
「最後に、みんなでお願いをしましょう」先生はそう言って、
「この世界からイジメや差別がなくなりますように」大きな声を出した。
もう慣れているクラスの生徒たちが唱したとき、それに混じって、
「熱いいぃぃぃ」という悲鳴が聞こえた気がしてハッと思った。

ケンちゃんのほうからしたような気がしたんだ。
なんとなく気になって三島のほうを見ると、下を向き手で顔を覆っていた。
・・・これで話はだいたい終わり。
あとは知ってる人も多いと思うけど、
夏休み中に市で大火があって、ある集落の家が数十件焼けた。
三島の家もその中に入っていた。
親しいわけじゃないし、休み中ということもあって葬式には行っていない。
湊先生とはその後は会っていない。誰も連絡がつかないみたいだ。
・・・いまだにケンちゃんを連れてどこかの学校にいるんだろうか・・・

関連記事 『ケンちゃん』




怖い話のアイテム②

2014.05.21 (Wed)
どうも時間を置くと読みにくくなるようなので、前回の続きを書いてしまいます。
えー怖い話に登場するアイテムについて・・・だんだんマニアックな内容になっていきます。
みなさんが怖い話を書くとき、何かの参考になれば幸いです。

*仮面
仮面の役割というのは洋の東西を問わず、
被ることによって人格が変化するというのが最も大きいでしょう。
老若男女、性別や年齢を越えて、その仮面の人物になりきることができるわけです。
神の面ならば、神が宿ってしまうということも。
もし仮面の力が強ければ、自分の人格(魂?)がはじき出され仮面に体を乗っ取られてしまう。
そういう話はよくあります。あとは作った人の執念が乗り移ってしまう話なんかも。

*虫や蛇など
や蛇、その他、生き物が怖いという人は多いでしょう。
自分は蜘蛛やゴキブリはわりと平気なんですが、蛾が苦手ですね。
夏に窓を開けているときに、部屋に大きいのが入ってきたりするとパニックになります。
余談ですが、中学生のときに国語の授業で、
ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」という作品を勉強したんですが、
ドイツでは蛾と蝶はあまり区別されていないという話を国語の先生から聞きました。
本当なんでしょうか?蛾の収集とか自分には考えられません。
怖い話の中にも、小動物への嫌悪感を前面に押し出したものもありますが、
恐怖の味付け程度にはよいとしても、さすがにそれのみで話を作るのは反則という気がします。

*御札
神社系のアイテムですが、ひところホテルのヤバイ部屋には、
隠された場所に御札が貼られているという話題が流行りました。自分の知り合いの中にも、
ホテルの部屋でベッドの下や額縁の中を確かめるのが習性になったという人がいたほどです。
基本的には結界を張るという役割なのでしょうが、霊の出る部屋に御札を貼ると、
かえって霊がその部屋から出ていけなくなってしまうという話もありますね。
御札の出てくる話では落語の『牡丹灯籠』が有名ですが、
なかなかあれ以上のうまい使い方はないような気がします。

*水場
風呂のような小さな水場から、
沼、ダム湖、海に至るまで、さまざまなところで霊が出没します。
よく「水場には霊が集まる」と言われますが、理由は何なんでしょうね。
検索してみたら、人間を含む動物には、
本能的に水のある場所を感知する能力が備わっているから、
という解答があって、一面、なるほどと思いました。

あとは事故や事件の報道が意識にこびりついているせいもあるかもしれません。
夏になればほぼ毎日のように海や川での死者のニュースをやってますから。
戦争中、空襲の火災を逃れようとして、
川に入った人々が大勢亡くなったなどという話も聞きますし。

*写真や動画
動画のほうは『リング』の呪いのビデオで一躍有名になりましたが、
心霊写真はずっと以前から心霊エンターテイメントとして本やテレビで紹介されていましたね。
写真は、原理的には対象物にあたった光の反射を写していると言ってもいいと思いますが、
そうすると幽霊は光を反射することのできる物質、ということになるのでしょうか。
・・・これはなかなかそうとも言いきれないようです。

幽霊が写真を人に撮る何らかの力で働きかけて、
写真を撮る人が自分の力で幽霊を写し出しているという考え方もあるからです。
ただしこれだと念写や超能力的なことも認めなければいけなくなってしまいます。
あとyoutubeにはさまざまな心霊写真、心霊動画、
UFOや天使、妖精の動画がアップされていますが、
欧米にはそういうのを専門に作って大量にアップし、広告収入を稼いでいる人もいて、
そういう人たちの技術的なコミュニテイもあります(自分も参加させてもらっています)
動画の場合は若いCG技術者が名前を売って認めてもらうために作っている場合もあるようです。

*携帯電話、PC
これに関した話は映画の『着信あり』など、だいぶ増えてきました。
これらを持っていることで、目に見えない線で他人とつながっているわけです。
あるいは霊界や未来などとつながっている話もあります。
異界との接点という役割ですね。
そして異界に自分の個人情報がどんどん漏れ出てしまうかもしれない・・・
あと前にこのブログで『マニトウ』というホラー映画を紹介しているんですが、
あれなんかは、コンピュータなどの機械がそれ自体の精霊を持っているという話でした。
巨大なネット空間が、悪意を宿して犠牲者を求めるなどという話も書けそうです。

*絵
これも自分の話にはよく登場します。
作者の意図と執念、そして額縁の中に広がる異界というのは、
これまで出てきたアイテムと共通しています。怖い話を書く場合、
日常から非日常に切り替わるための接点が必要な場合が多いのですが、
それが鏡であったり絵であったり、携帯電話であったりするわけです。
アメリカ映画だと、いきなり殺人鬼が出てきたりする場合が多かったんですが、
ジャパニース・ホラーでは、上記したような、
この世とあの世が重なり交わる瞬間を大切にしているという気がしますね。
関連記事 『怖い話のアイテム①』






怖い話のアイテム①

2014.05.20 (Tue)
今回は、怖い話によく登場するアイテムについて書いてみます。
ここでアイテムというのは「道具」という意味ではなく「道具だて」ということで、
怖い話によく登場するもの、くらいの意味にとってください。
それから、これは自分の話だけでなく、
プロの作家の方の作品やネットで見る怖い話全般に頻出するものについて書いています。

*幼女
しょっぱなにこれかよ、と思われた方が多いでしょうが・・・
自分の話にはそんなに出てこないですが、よく見かけます。
なぜなんでしょうね・・・映画などの影響もあるのかもしれません。
典型的なのは、オカッパの髪で和服を着て、毬をついている少女とか・・・
しかしさすがにこれだとテンプレすぎて陳腐化してしまっているでしょう。

幼女に限らず子どもの霊というのは、何を考えているかよくわからないですよね。
次にどう行動するのかもつかめない。
人は、相手の感情を読み取ることができれば、たとえそれが強い怒りや恨みであっても、
どうすれば和らげられるか、対策を考えることができると思います。
それに対して、幼女の無心・無表情というのはどういうリアクションをとればいいかわからない。
そのあたりが読み手にとっては不気味で、書き手には便利ということがあるのかもしれません。

*骨董
これもよく見ますし、自分の話にもけっこう出てきます。
多くの骨董というのは、人間の平均寿命以上の年月、この世で形を保っていますし、
その間に、所有者の不幸や死を見たり、
多くの人の手に渡って家庭の秘密をのぞいたりしているわけです。
長い時を経た物には感情が宿る、と擬人化してしまうのは、
妖怪の「付喪神」のところでも書きましたが、ごく自然な感情であるのかもしれません。
また、骨董には刀などのように元々は人の命をとるために造られたものもありますし、
骨董までいかない中古でも、戦場を経験した軍用品などもあるわけです。

*鏡
これもよく怖い話には登場します。
古代から、自分の姿を映すだけでなく、光を遠くまで反射させる効果などによって、
呪具として用いられることが多かったものです。
そういう記憶がわれわれの中に残っているのかもしれませんし、
鏡像は左右が逆になってしまう(前後が逆になるともいえるでしょう)という、
不可思議な点を、無意識のうちに感じ取っているからかもしれません。
合わせ鏡の中を悪魔が通っていくとか、未来の自分の姿が見えてしまうとか、
さまざまなテンプレ話がありますね。

*トンネル
暗い、せまいトンネルはこの世と異界を結ぶ通路として考えるのがよいかもしれません。
加えて、地中を掘り進んだものであるため、
根の国、黄泉の国につながるという感覚も日本人にはあるのではないかと思います。
進行が前後方向に限定されてしまうというのも、閉所恐怖症気味の自分は怖いです。
さらに、大きなトンネルの場合は工事中の事故ということも連想してしまいます。
戦前、戦中に他国人に大きな犠牲を払わせて完成させたなどの話もありますし・・・
あと、トンネルの壁を伝ってしたたり落ちる水のイメージもありますね。

*アパート
アパートの部屋というのも、多くの怖い話に出てきますね。いわくつき物件、事故物件とか。
これは部屋自体はもちろん移動しないものの、
骨董と同じような点があって、所有者が次々に変わっているわけです。
同じ部屋に住むことによって他人の過去に触れているということですね。
自分の書く話には、アパートや団地が多く出てきます。
これにはまた別の理由があって、一軒家の怪異を書くとすれば、
登場人物も場面転換も多くなり、どうしても長くなってしまうからです。
時間の制約がなければ、一軒家と家族に起きる恐怖もじっくり書いてみたいとは思いますが。

*人形
人型のものには魂が宿るといわれます。
これは、人形そのものが命を持つ「付喪神」の場合と、
何らかの事情で他の人間の魂を宿す場合とがあるようです。
映画の『チャイルド・プレイ』では、ヴードゥー呪術によって、
グッドガイ人形に、殺人鬼の魂が封入されるというストーリーになっています。
また文化人類学者のジェームズ・フレイザーによれば、
人形に釘を打ち付けるなどの呪いは「類感呪術」に分類されていて、
日本でも平安京址から多数の呪いの木製人形が発掘されるなど、
古くから行われてきたことです。

*猫
猫ブログなんかもよく拝見させていただいていて、猫好きの方が多いのは承知していますが、
この生き物はよく怖い話に登場します。
「猫は七生祟る」などという俗信もありますが、気まぐれな
その習性にもかかわりがあるようです。
猫が登場する怖い話のパターンとしては、
猫を殺して猫の霊に祟られる、猫が飼い主の敵を討つ、などの他、
ただ残虐に殺されるという話の雰囲気づくりに利用される場合もあります。

*山
自分も山の怪異の話はいくつか書いているんですが、
考えてみれば、100年足らずで約800人が亡くなっているという魔の山、
谷川岳などの特殊な場合を除いて、
そこらの山で亡くなった人なんてけして多くはないと思います。
むしろ都会のほうが、病死・事故死・自殺・・・たくさんの人が亡くなっているはずですよね。
やはり一つには、山には闇があり人気がないという、
怖い話の舞台装置として便利だということがあるんでしょう。
それと、山は古来より聖地としてあがめられている場所も多く、
パワースポット的なイメージで話に登場してくる場合もあります。

*神社
神社も出てきますねえ・・・自分の話では特に、神社ものという分類ができるほど多いです。
そのかわりお寺はあんまり出てきません。
これは仏教の教義を考えてみれば、
多くの寺院というのは僧たちの厳しい修業と学問の場であったわけで、
歴史的には、昨今の葬式仏教とはあり方がだいぶ違います。
そうそう気軽に怪異の舞台としては使えないという気がします。
神社の場合は、日本の八百万(やおよろず)の神の中には、
人間の理解を超えた悪神・乱神もいるわけです。
また、参拝者、祀るものが途絶えて、そこの神がだんだんに恐ろしいものに変貌していった、
などという形で話に取り入れやすいと思います。
今回はこのあたりで。
関連記事 『怖い話のアイテム②』






くいたい

2014.05.19 (Mon)
えー小学校6年生のときの話です。
「こっくりさん」をやってたんです、仲のいい友だち2人とで。
学校では禁止されてたので、もちろん休み時間なんかにはやらなかったんですけど、
放課後に空いている教室に入ってちょこっと・・・10分かからないくらいです。
あのこっくりさんをやる紙は、前にみんなで作ってAちゃんがいつも持ってました。
それから10円玉は、そのときどきで持ってる人が出してたんです。
べつにその後、ふつうにおサイフに入れて持ち帰ってたんですけども・・・

その日も放課後、栄光の間というところに集まってこっくりさんをやることにしました。
時間は掃除がおわってから・・・4時前くらいだと思います。
栄光の間というのは、スポ少のサッカー野球やPTAのバレーなんかでもらってきた
トロフィー類を飾っておく部屋です。
少子化のために教室がかなりあまってて、そういうのに使われたりしてたんです。
3人で衝立の陰の見えないところに机を出して紙を広げ、
10円玉に3人で人差し指をのっけてこっくりさんを呼び出します。
それからいろいろ質問をするわけです。

いつもは呼んですぐこっくりさんが来るのに、その日はなかなか来ませんでした。
たまにそれまでもそういう日があったので、みんなで「やめよか」と話してたら、
急に10円玉がズルと動いたんです。いつもは少しずつしか動かないのに・・・
じつは・・・白状しちゃうけど、こっくりさんて霊がやってるんじゃなくて、
みんなで力を合わせて動かしてたときが多かったんじゃないかと思うんです。
こっくりさんにする質問も、だれが一番先に結婚するかとか、
小学生の女の子が関心あることばっかりだったし・・・
そのお答えもなんとなく予想してたとおりのものだったから。

ところがその日は、10円玉の動きがあきらかに異常でした。
自分では力を入れているつもりはないのに、すごいスピードでぎゅんぎゅん紙の上を走るんです。
怖くなってAちゃん、Bちゃんの顔を見たら、やっぱり不安そうにしていました。
10円玉は「く・い・た・い」この4文字をずっと往復し続けていました。
指を離そうとしました・・・が離れないんです、瞬間接着剤でくっつけたようになってて。
「きゃーどうしよう」「指、とれないよどうしよう」「こっくりさん帰って下さい!」
そうしているうちにだんだん10円玉が熱く感じられるようになってきました。
「お帰りくださーい!!」全員が涙声になってそう叫んだら、
急に指が離れて、私たちは3人とも後ろにひっくり返ってしまいました。

3人とも尻もちをつきましたが、幸い頭を打ったりはしませんでした。
人差し指の先が少し赤くなってひりひりしていました。
「今のなんだったの」「10円玉がホントに動いたよね」「きっとスゴイ霊がきたんだよ」
「食いたいってしか出なかったよね。私たち食べられるのかしら」Aちゃんがそう言ったので、
ますます怖くなってきました。
机の上の十円玉を見てますますびっくりしました。
きらきらした新しいのだったのに、黒ずんでしまってたんです。
おそるおそるさわってみると、まだ少しあたたかい気がしました。
Bちゃんが持ち上げると、下の紙に黒くススのようなのがついてました。

紙は丸めてゴミ箱に捨てました。そのとき10円玉もいっしょに捨てようとしたんですが、
Bちゃんが「お金だから粗末にしても罰があたるかも」と言ったんです。
この10円玉は私が出したんですが、持って帰りたくありませんでした。
それで「落し物の箱に入れようか」と言ったら、Aちゃんが、
「でもあれ、筆入れとか時計なんかで、お金は入ってないよ。
 それより玄関の電話でどっかに電話かけない」と提案しました。
小学校には携帯は持ってきてはいけないきまりなので、
玄関に親に電話する用の緑電話があったんです。

「どこにかけるの?」「時報とかでもいいじゃない」と話がまとまり、
ランドセルを持ってみんなで下に降りていきました。
もう低学年の子は全員帰っていて、体育館でスポ少の子が練習しているくらいでした。
私が緑電話に10円玉を入れて117を回そうとしましたが、
ダイヤルが固まったようになって動かなかったんです。受話器からも何の音もしません。
「あれ・・・壊れちゃってる」そう言って受話器を置きました。
10円玉が戻ってくるかと思ったんですが、落ちてはきませんでした。

「これでやっかい払いができたじゃない」Bちゃんが大人っぽい口調でそう言い、
帰ろうとしたときです。
突然、緑電話が鳴りだしました。
「えーっ」「こんなとこにかかってくるわけない」「なにこれ」
口々に言い合ってパニックになりかけたときに、体育専科の男の先生が通りかかりました。
「おっ、電話が鳴ってるな」先生はそう言ってこともなげに受話器をとりました。
「うん?何だって?」先生はすぐ、受話器に向かってそう言いましたが、
ややあって電話を切りました。

「変だな・・・今の電話。『くいたい』それだけ言って切れた・・・
 この電話にも番号があるんだから、かかってくることもないわけじゃないが・・・
 やっぱり変だなあ。お前たち何か知ってるのか?」
私たちはそろって首を横に振りました。先生はそれを不審そうに見ていましたが、
「もう4時過ぎてるから、用事がないんだったら帰りなさい」こう言いました。
それで3人で帰ったんです。
家に帰ってからも、さっきからのことを思い出して怖いなーと思ってたんですが、
寝るまでは何も変なことはありませんでした。

「あんた、何やってるの!!」突然大声がして、肩を揺すられました。
気がつくと冷蔵庫の前に座り込んで、手にはアイスクリームのお徳用カップを持ち、
中に指を突っ込んでいました。
目の前には、卵のカラ、ハムやベーコンのパック、生のタラが入ってた発泡スチロール!
などなどが落ちていました。お腹がパンパンに張って、すぐに吐き気がこみ上げてきました。
・・・次の日もとても具合が悪かったんですが、がんばって学校に行きました。
Aちゃんは学校に来ていましたが、Bちゃんはお休みでした。
あと、どうやらあの体育専科の先生も休んでるようでした。

Aちゃんから話を聞くと、やはり私と同じように、
夜中に電気釜に頭を突っ込んでご飯を食べているところを発見されたんだそうです。
3日後に学校に出てきたBちゃんも状況はほぼ同じだったみたいです。
それともう一つ、あの緑電話がなくなっていました。
なんでも朝早く来た子が異常を発見して職員室に知らせたらしいです。
電話の胴の部分が大きくぱっくりと裂けていたということでした。
・・・これ以来、こっくりさんは一度もやっていません。
特におかしなこともなかったです。これで終わりです。




雑談(音楽と絵)

2014.05.18 (Sun)
 当ブログはメインページにYoutubeのリンクが貼ってあって、
興味があるお客さまにはクリックして聞いていただけるようになっています。
自分はブルースが好きで、中でもシカゴあたりのアーバンブルースが一番好みなんですが、
ジャズのブルースも聞きます。
ハンドル名のBigbossmanというのも、前に少し書きましたが、
古いブルースの曲からとったものです。

 ただ、ブルースばっかりだと、たぶん興味を持たれる方が少ないんじゃないかと思い、
軽めのジャズから、フュージョン、レゲエ、古めのロックとかを中心に選曲しています。
新しいのもチェックしてはいるんですが、それはどこでも聞く機会がありそうなので、
できるだけ、今の若い人があまり聞いたことのなさそうなもので、
なるべく音質のいいものをピックアップしているつもりです。
あと、自分は日本の曲はほとんどわかりません。
せいぜいが陽水、山下達郎、最近お亡くなりになった大瀧詠一さんくらいです。
ですから、邦楽ポップ等が好きな方には申しわけなく思っています。

 自分では正式に音楽を習ったことはないんですが、
アマチュアバンドでドラムを10年くらいやってまして、
やはりブルース系の曲が多かったんですが、
ストーンズやクレイジー・ケン・バンドw なんかもやりました。
今は仲間がちりじりになってやめてるんですが、
3年ほど前、ヤマハの電子ドラムを買って練習だけはしています。
好きなドラマーはトニー・ウイリアムス、スティーブ・ガット、デヴィッド・ガリバルディなんかです。

 それから、短い記事のあとには絵が入ったりしていますが、
「象徴主義絵画」と呼ばれるものが多く、「シュールレアリスム絵画」がその次くらいにきます。
「ロマン主義」や「印象派」などは1つくらいしかないと思います。
絵も新しいものはやはり著作権が厳しいと思われるので、残念ですが載せてはいません。
抽象画は好きなんですが、なぜかあまり取り上げてはいないですね。

 実は、中学生の頃は少年劇画を描いたりしていまして、
ジャンプ賞なんかに応募したこともあります。石ノ森章太郎のマネ絵みたいなのでした。
中学校では柔道部(大学も)に所属していまして、丸坊主でガチゴチした体だったんですが、
休み時間にはマンガをノートに描いていたりする、
今思えばかなりキモイ中学生だったわけです。
これはもうまったく練習してはいないんですが、いつかお見せする機会もあるかもしれません(汗)
あとフォトショを使った画像加工は少しやります。

『傷ついた鹿、あるいは、小鹿、あるいは、私はかわいそうな野生の動物』フリーダ・カーロ




齢をくう

2014.05.17 (Sat)
建設会社に勤めてんだけど、前に林道工事を請けたことがあって、
その下見にいったときの話だ。
まだ施行計画も測量も先の話で、航空写真を片手に部下2人と下見に出かけた。
林道工事でいちばん困難なのは大量に出る残土の処理場を確保することで、
これさえ決まってればあとはたいしたことはない。
舗装の必要もないし、力技で山を切り通していくだけ。

そのときは近郷の者が通る山道があって、
そこを車が通れる程度に広げるだけだったからわけはないと思ってたんだ。
麓にプレハブ小屋は建ててあったんで、そこで寝泊まりすることにして、
1泊2日で山に入ったんだ。
朝から弁当を持ち、3人で山道を登っていった。
道幅は人ひとりが通れるくらいだったが、おおかた真っすぐで、
ほとんどこのとおりのルートで道を通せるという気がした。

バカ話をしながらゆっくり登っていくと、部下の一人が「あれ、あれ何だ?」と言って、
右前のほうを指さした。見ると、木陰に黒い球体のようなものが漂っていた。
「あー、何だあれ? 気球か?」「真っ黒だな」などと言い合ってると、
それは急に上昇した。すると黒い玉の下のほうに、色紙でこさえた七夕飾りのような、
赤、青、緑の細工物がぶら下がって揺れてるのが見えたんだ。
「子供の紙風船か、変わり凧かな」部下の一人が言った。
木立の後ろから急上昇したんで大きさがよくわからなかったが、
人工物のように見えたんで、その場はそれで終わった。

3時間ほど歩いて、高さは100mもなかったから平坦路をいくのとたいして変わりない。
湧水の出てる場所があり、近くには腰かけられる倒木があったんで、
そこで弁当を使うことにしたんだ。
湧水をくんで飲んでみると、6月だったが冷たくて美味かったのを覚えてる。
だべりながら食ってると、不意に道の向こうの草陰から小さな婆さんが出てきた。
80過ぎくらいに見えた。地元の人かな、それにしても健脚だなと思ってると、
婆さんから声をかけてきた。

「あんたら、工事の人かね?」まあ社名入りの作業服を着てたからすぐわかったんだろう。
「そうです」と答えると、「ここに林道でも通すだかね。開けちまうなあ」と言った。
別に隠すことでもないんで、
「そうですよ。お婆ちゃん、向こうの郷から登ってきたんか?
 2時間はかかるだろうに、丈夫だねえ」とほめると、婆さんはニマッと笑って、
背中の包みを下におろし「あんたらも汗かくだろうに」と言いながら、
竹筒みたいなのから漬物を出して、箸で俺ら3人の弁当箱のフタにのせてくれた。
山ゴボウの味噌漬のようだった。

「んじゃあの」婆さんは俺らの前を過ぎていったんで「気をつけて」と声をかけた。
漬物は食ってみると強烈にしょっぱかったが美味かった。
・・・で、そのあたりから記憶がないんだ。
「もしもし」肩をゆすられて気がついた。
顔を上げると若い娘さんに肩をゆすられていたんだ。
「えっ」と思ってあたりを見回すと、かなり日が落ちたような感じで、
部下2人も倒木の前に弁当箱の中身をこぼしうつらうつら居眠りしていた。
娘さんがその前にいって同じように肩をゆすった。

2人も目を覚まして、あっけにとられたようにキョロキョロしていた。
時計を見ると3時をまわっていた。「んなバカな・・・」
3時間は眠っていたことになる。・・・婆さんの漬物に睡眠薬でも入ってたのか、
しかしありえんよなあ・・・そんなこと。
娘さんは長い黒髪で和服を着ていたが、粗末な野良着のようなもので、
今どき時代劇でしか見ないようなやつだった。
なんだか婆さんが着ていたのとよく似ているような気がしたんだ。

「あれーなんだ、寝ちまったのか」「んー変だな、3時過ぎてるじゃないですか」
部下たちが口々にわめきだした。
娘さんは「みなさん気持ちよさそうに寝てらしたんでどうしようかと思ったんですが、
このままだと山を降りる前に暗くなるかもしれないので、起こしてしまいました」
と俺に言った。
「いや、助かりましたよ。なんかタヌキにでも馬鹿されたように皆で寝ちまって・・・」
こう答えると、「タヌキですかぁ」娘さんはニコッと笑い、
頭を下げて草の中に消えていったんだ。

何がなんだかわからなかったが、もう向こうに下りる時間はないので引き返すことにした。
「俺たちどうしちゃたんでしょうね」「・・・寝たんだよ、そうとしか言いようがない」
「なんであそこで急に・・・」
「わからん、とにかく3人とも体調不良で・・・とか報告書には書くしかないだろうな」
「それにしても、さっきの娘さん、あんな格好でもきれいな人でしたね」
こんなことを言い合いながら歩いていると、
頭上をふっと何かが横切ったような気がしたんだ。

見上げると、朝に見たのと同じと思える物体が上を過ぎていった。
さっきよりずっと近かったんで、黒い球体がかなり大きいものであること、
そのまわりを薄黒い霧のようなのが包んでいること、
七夕細工のようなのは6本あって、人の背丈ほどの長さがあることがわかった。
それはゆらゆらと漂っていたが、やはり急上昇して虚空に消えた。
・・・これで、話はほとんど終わりなんだが・・俺、何歳くらいに見えるかな。
60代?・・・そうだろうねえ。髪は真っ白だし、しわもあるしね。

だがね、こう見えてもまだ40前なんだよ。あのことがあってから数日で、
俺も部下2人もあっという間に齢をとってしまったんだ。
病院に行ったんだけど、原因は不明。何かの中毒とかでもなかった。
体調は悪くなかったんだ。ただ見た目だけが変わっちまった。
出張から帰ると家族が驚いていたよ・・・
何があったんだろうね、あの居眠りしている間に。
これじゃあまるで齢を盗まれたみたいなもんじゃないか・・・


*「ビジンサマ」 長野県方面にはビジンサマという名のものが住んでいるという伝承がある。
姿は球状で、黒い雲に包まれ、下には赤や青の紙細工のようなびらびらしたものが下がっており、
空中を飛ぶ。これが山を通る日には人々は山仕事をやめるという。

『ビジンサマ』



忌み名

2014.05.17 (Sat)
小学生の頃のことなので、もう50年も前の話なんですが、
わりと最近それに関連しているかもしれないことがあったので、ここで話をさせてもらます。
えー、私らの住んでた町のある三叉路のところにちょっとした林があったんです。
中は田んぼ半分くらいの広さでしたね。今もあるはずですよ。
そこに自販機くらいの小さなお堂があったんですが、鳥居もなかったし、
どうやら正式な神社ではなかったみたいです。
かといってお地蔵さんとか仏教関係でもなくて、
もっと素朴で古いものなんじゃないかと思います。
教義などで体系づけられていない古代の信仰のようなものでしょうね。

地元の古くからある家の年寄り連中が月番で掃除やお供えをしたりしていました。
それでそのお堂なんですが、名前を呼ばれることは滅多になかったんです。
いつも「林の神さん」とか「三叉路の艮(こん)さん」などと呼ばれていました。
忌み言葉みたいになってるんですね。
ちょうどほらハリー・ポッターの映画で、
悪役のことを魔法使いたちが「例のあの人」と呼ぶあんな感じです。
当時まだ生きてたいうちのばあさんに、どうして名前を言わないのか聞いたことがありますよ。
そしたらちょっと困った顔をしていましたが、
「もし、間違えて名前を言ったらその人に祟りがあるかもしれないから」と、
これだけ教えてくれたんです。

でも、絶対に口にしないというわけでもなかったんです。
お堂の横に「艮地賓」と字が彫られた石の塔が立ってまして、
秋の年に一度のお祭のときは近くの諏訪神社の神主が祝詞を捧げるんですが、
その中に「こんじびん」という言葉が出てきました。
そのお祭りのときには近所の子供らも出ていました。
終わってから篝火で焼いた餅をもらえるんですよ。
おやつなんて芋とかの時代でしたからね、これはけっこう楽しみにしていました。
で、私が小学校6年のお祭りのときです。
終わって大人たちのほとんどが帰っても、近所の子供らが何人か残ってたんですよ。

餅も食い終わりまして、どこか別のとこに行ってもう少し遊ぼうかとなったとき、
その中の一人が石塔を見ながら、「こんじびん」ってつぶやいたんです。
するとそれを聞きつけた別の子が、
「あーそれ、名前を呼んじゃいけないってうちのじっさ(爺さん)が言ってたぜ」と、
なじりました。
そう言われた最初の子は嫌な顔をしましたが、
「んじゃあ、少し変えればいいんだろ」と言うと、
「こんびんじ、こびんじん、びんこじん、じんびんこ・・・」と、
語の順番を変えてわめきだしました。

すると、何回目かに名前を変えて言ったときに、
ヒュンと鋭く風をきる音が聞こえて「あいたあっ」その子が額を押さえて膝をつきました。
拝んでいるような格好で頭を押さえている指の間から、だらだらと真っ赤な血が溢れてきました。
その前の草の中に何か赤っぽいものが落ちてたんで、よく見ると、
真ん中の穴にヒモを通して結わえられた5cmばかりの硬貨の束のようなものでした。
それも当時使われていたお金ではなかったんです。
古銭というんですか、そういうものだったと思います。
血もついてたから、その子の顔にあたったものだろうと考え、
気味が悪いんでだれも拾わなかったんですね。

まだその界隈でお祭りの後始末をしていた年寄りに向かって、
「◯◯が怪我した」と叫ぶと、寄ってきて泣きわめく◯◯の手を引きはがすと、
手ぬぐいで止血をしてくれました。
それから別の年寄りにわけを聞かれたので、あったことを話すと、
「・・・ありゃあ、呆れた」そうとだけ言って、◯◯をどこかに連れていったんです。
そのときに落ちていた古銭も焚付の新聞でくるんで持っていってしまいました。
その場では怒られるということはなかったんですが、子供らはみな気まずくなって、
それぞれ家に帰ったんです。

晩飯を食ってからばあさんに納戸に呼ばれました。
いや、怒られたというより諭されたという感じでした。
「あの艮地賓さんというのは、元々は祟り神で、なんとか今のように封じられた。
 それができたのは、だれもが本当の名前を呼ばないようにしたことも効能があったからだ。
 艮地賓というのも響きは似ているけれども本当は漢字では書けない別の名なんだよ。
 少しだけ変えてある。だからみだりに名前を口にしちゃいけないんだ」こんな話をされました。
・・・◯◯は別に死んだなどということもなくて、しばらく額に包帯を巻いてはいましたが、
体育の授業も出てましたし、けっこう元気でしたよ。
私はといえば、しばらくは「こんじびん」というのが頭から離れずに困りました。

このことでこりたせいか、私の年代の子らは林のお堂には近づかなくなり、
それ以後のお祭りにも出ませんでした。
私は◯◯とは中高と同じ学校でして、
やつは高校を卒業してから東京に出て印刷会社に就職しましたが、
十数年後に独立して印刷会社を始めまして、一時はたいそうな羽ぶりでしたが、
3年前にそれらの事業をすべて売り払って、地元の自治体に全額寄付したんです。
それから別荘のあった山に一人で入っていって、行方しれずになりました。
今もって見つかっていないんです。
・・・あんまり怖くなくてすみませんね。こんな話です。

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タイミング

2014.05.15 (Thu)
世の中にはちょっとしたタイミングで、
運命が大きく変わってしまうってことありますよね。
前に交通事故を起こしてしまった加害者の人に話を聞いたことがあるんですが、
たびたび考えることがあるんだそうです。
・・・もう1ページ新聞を読んでから家を出ていれば・・・
あの交差点で赤信号にひっかかっていたら・・・
事故は起こさなかったんじゃないかって。
これもそういうことと関係があるかもしれない話なんです。

大学1年のときのことです。当時は大学に合格したばかりで、
新入生歓迎会があったりしてかなり気分的にハイになっていました。
初めてのアパートでの一人暮らしでしたし、
大学生活を楽しんでやろうって気満々だったんです。
ある日、男3人、女3人で心霊スポット探索に行きました。
学生会館で遅くまでダベってて、勢いがついてそのまま出かけたんです。
時間は夜の9時過ぎ頃でした。キューブという車一台に男2人、女3人が乗り、
もう一人はバイクで車の後を追っかけてきました。

そのバイクの彼とは数日前にメアドを交換したばかりで、
今後おつき合いすることになるかもしれない、と思っていたんです。
行った先は、車で1時間ばかりの郊外にある廃ドライブインで、
その市ではけっこう有名な心霊スポットだったんです。
といっても何か事件にかかわりがあったというわけでもなかったんですが・・・
行ってみるとそこは県道沿いで、
街灯の光も届いて明るく、そんなに怖い感じはしませんでした。
中も広くはなく、10分もかからず全部を回りきれるようなところでした。

ちょっと拍子抜けしてしまい、ドライブインの前に集まって相談した結果、
今度は男女2人ずつの組で、
建物の中に入っていって2階の窓から手をふるということになりました。
私はバイクの彼と、他の4人も予想していたとおりのペアになりました。
私と彼とは入る順番が最後で、前の2ペアはそれぞれ5分くらいで、
「いやあ、けっこう怖かった」なんて言いながらもどってきました。
私たちの番になり、彼が懐中電灯を持ち、
私がシャツをつかむようにして後ろになって入っていきました。
私は・・・昔からあんまり幽霊なんて信じてなかったし、
そんなに怖いとは思いませんでした。

中に入って、さっき確かめていた階段を上って、
すぐに2階の窓に出て下に向かって手をふりました。
下からも手を振っているのが見えました。
そのとき急に、彼が持っていたはずの懐中電灯が窓から下に落ちたんです。
懐中電灯は屋根の上を転がって見えなくなってしまいました。
「えっ」と思って横を見ると、彼の姿がなかったんです。
ほんの一瞬のことでした。
・・・私を怖がらせようとしてしゃがんだりしてるのかもと思い、
「ちょっと、どこにいるの!?」と声をかけたんですが反応がありませんでした。

それで下にいる人たちを大声で呼んだんです。
下の仲間はすぐに上がってきてくれましたが、せまい2階にも、
1階にも彼の姿はなかったんです。4人は、彼が私と並んで窓から手を振り、
そのまま後ろの闇に引っぱられるようにして見えなくなったと言ってました。
でも・・・そのときもまだ、何か大変なことだとは誰もわかっていませんでした。
彼がふざけて裏口なんかから出て、隠れてるんだと思ってたんです。
車を停めた場所に戻ってみると、彼のバイクがなくなっていましたから。
「なにふざけてんだよ、あいつ」そう言いながら男の人の一人が彼の携帯に連絡しましたが、
電源が入っていないようでした。

どうしようもないので車であたりをしばらくうろうろしましたが、
彼の姿は見えず、そうするうちに12時を過ぎてしまったので街に戻ることになりました。
バイクがないので、もう建物の中にはいないと思ってたんです。
車の中でも携帯はつながらず、
「あいつ、なにKYなことやってんだよな」男の人たちはさんざん文句を言いながら、
それぞれのアパートの前まで送ってくれました。
もう遅かったので、シャワーを浴び寝ようとしましたが、
今夜の出来事が釈然としなかったので、彼にメールしてみようかと思いました。
そのとき、アパートの固定電話の呼び出しと携帯の着信音が同時に鳴ったんです。

この市にきてまだ1ヶ月にもならず、固定電話のほうの番号は実家くらいしか知りません。
・・・そのときはそんなことを考える余裕もなく、手近にあった携帯のほうに出たんですが、
すぐプツンと切れてしまいました。
固定電話のほうはまだ鳴り続けていましたので、そちらに出たら、
「・・・何で、こっちに先に出てくれなかったんだよ」彼の声だと思いました。
生気が感じられず、なんだか苦しそうな感じでした。
「〇〇君? さっきはどうしたの? 今・・・」こちらもそれだけで切れてしまったんです。
着信の履歴を調べましたが・・・不思議なことにどちらも残っていませんでした。
それと彼が電話をかけたんだとしても、どっちの番号も知らないはずです。

ますます釈然としない気持ちが強まりましたが、
彼にメールをして返事を待たずに寝てしまいました。
・・・朝早くに昨夜の女友達から電話があり、彼が事故死したということを聞かされました。
あのドライブインがあった県道のずっと奥のダム湖で、
バイクとともに倒れているのが見つかったんです。
管理事務所のコンクリートの建物に正面から激突して、即死だったようです。
なぜそんなとこに行ったのか、誰にもわかりませんでした・・・
いまだに何がどうなっているのか解釈できません。ただ、ときどき考えるんです。
もし、固定電話のほうに先に出ていたらどうなっていたんだろうって・・・


土管2

2014.05.15 (Thu)
中2のときですね。もう10年以上前のことになります。
僕は転校生だったんですよ。親父が転勤族で、
小中の頃は長くて2年、短くて3か月くらいで転校をくり返してました、
だから・・・記憶も混乱してて、少し親しくなったやつなんかがいても、
どの学校でのことだったかとっさに思い出せなかったりするんですよ。
ただ、中2の4月から行ってた学校と、山口というやつのことははっきり思い出せます。
強く印象に残る体験をしたんです。

僕は転校慣れしてまして、新しい学校に行ってもあんまし友達を作んなかったんです。
どうせずっとはいられないし、勉強も、授業の進度や教科書が違ってたりして、
ついてくのがやっとでしたから。部活にも入らなかったし。
だから友達ができても、
自分と同じように放課後すぐ家に帰るおとなしいやつばかりでした。
で、山口です。体の小さい口数の少ないやつでした。
最初は体育の授業で何かのペアを組まされて親しくなったんです。
それで休み時間にも話をするようになって、UFOフアンだということがわかりました。

僕もそうだったんですよ。
当時の中学生はスポーツや芸能の話題ばかりで、そういう話は流行ってなかったんです。
家の帰る方向も同じで無部どうしだったから、
それ系の話をしながらほぼ毎日一緒に帰ってました。
・・・ある日、山口が「すごい秘密を教えてやる」って言ったんです。
帰り道の途中にある児童公園にUFOが着陸するのを見たって言うんです。
「3か月くらい前の帰り道だったんだ。その日は遅くなって、7時過ぎくらいだった。
 たまたま上を見たら、緑色に光るUFOがゆっくり飛んでた。
 後をついてったらその公園に着陸したんだ。物陰に隠れて様子をうかがってたら、、
 銀色のスーツとヘルメットの人が2人出てきて遊具をいじってた。
 しばらくしてまたUFOに乗って、今度はものすごい急上昇をして、
 あっというまに消えた」

こんな話だったんです。
・・・でも、いくらUFO好きでもさすがに信じられませんよね。
たぶんその気持ちが顔に表れてたんだと思います。
「じゃあ、証拠があるからこれから公園に寄ってみよう」ってことになりました。
児童公園は脇道にそれてから5分くらいのところで、かなりの広さでしたね。
そのわりには遊具は少なく、そのときも誰もいなくてうら寂しい感じがしました。
まあ午後4時過ぎという時間のせいもあったのかもしれません。
トイレの後ろの繁みの陰に連れていかれ、「ここだよ。ほら丸く跡がついてるだろ」
と地面を指さされました。

でも、ミステリーサークルみたいにはっきりわかるわけでもないし、
言われればそうかなくらいに、草に半径3mほどの円形の跡がついているだけでした。
山口は僕が驚かないのにいらだったような感じで、
「じゃ、もっとすごい証拠を見せてやるよ。
 ただこれ、すごく危険だから絶対言ったとおりにしてくれよ」こう言いました。
そして遊具のほうに連れていかれたんです。
土管の遊具でした。直径50cmくらい、
長さ4mくらいの土管が6本積み上げられたやつです。
三段重ねで、下が3本、中が2本、上が1本、全部違う色のペンキで塗り分けられてました。

「銀色のやつらが機械を出してあれこれやってたのがこの土管なんだ。
 それを見たから、しょっちゅうここへ来ていろんなことを試してみた。
 ・・・やんなきゃよかったけどな」こんなことを言って、また説明を続けました。
「こっち側から一番下の右の赤をくぐって、向こうに出たらすぐに2段目の黄緑をくぐるんだ。
 最後、一番上の紫のやつをくぐれば終わり。そうすると違った世界に出てる」
「えー、違った世界ってどういうこと?」
「こっちの世界とよく似てるんだけど、少しずつ違う世界なんだ。物も全部が嘘の物だし、
 やつらが何かの実験に使ってるんだと思う・・・
 で、向こうに行ったらこの土管のまわりから離れるな。
 何かヤバイと思ったら、来たときと逆の順に土管をくぐれば戻ってこられるから」

「山口はいっしょに来ないの?」
「俺はいかないよ。こっちはこっちで警戒してなきゃならないんで、ここで待ってるから」
・・・難しいことでもありませんし、やってみましたよ。
バッグを置いて、言われたとおりの順番で素早く土管を下から上へとくぐっていきました。
全部で2分くらいしかかからなかったと思います。
最上段の土管から顔を出してみると、別に前とまったく変わらない風景でした。
山口の姿が見あたりません。僕を驚かそうとしてどっかに隠れてるのかもしれない。
そう思って土管を降りていきました。
自分のバッグを拾い上げて、あれっ、と思いました。何か軽いんです。
発泡スチロールみたいな重みで、チャックを開けようとしても開かないんです。

変に思ってバッグを置きました。すると足元の草も本物の植物でない感じがしたんです。
一つかみ引き抜こうとしたんですが、できませんでした。人工芝みたいなんです。
「えーっ」と思って、近くの木に触ってみました。
すると手をあてたところが少し引っ込むんですよ。
すごくよくできた書割りみたいなのになってたんです。
山口が言ってた「嘘の物」ってこれのことか、と納得しました。
公園の外の街並みも同じに見えましたが、歩いている人も車もありませんでした。
それに・・・見える家々の電気が全部ついてるんです。
これって不自然ですよね。人がいない部屋だってあるはずなのに・・・
そのとき「〇×△◇◎・・・●▼×」日本語でもない英語でもない叫び声が聞こえました。

道のほうから白衣を着た人が数人、こっちに向かって走ってきたんです。
僕のほうを指さしていました。
「あ、つかまえられる」と思って、土管に登って一番上をくぐりました。
2段目から顔を出したとき、白衣のやつらが公園の柵を乗り越えるのが目に入りました。
異様に白い、しわのない、表情もない顔をしていました。
怖くなって必死で2段目を滑り降り、下段に入ったときには、
そいつらはもうすぐ近くまで来ていました。
水泳のように手足を動かして、もがきながら土管を抜け出ると、
向こうに山口が待っていて、引っぱり出してくれました。

「どうだった?」
「白衣のやつらに追っかけられた。白い面みたいな顔をしてたよ。
 それに、何もかも言ったとおりに本物じゃなかった。これって何なんだよ?!」
僕は息を切らしながら言いました。
「・・・やっぱりそうか。ずっと向こうで何かやってるんだな・・・」
山口は声を落とし、
「な、これで信じただろ・・・一人で絶対にやるなよ。
 顔を見られたからもうここに来るのも危ない。しばらく遠回りして帰ろう」
こんなふうに言いました。

「あいつらにつかまったらどうなるんだろう?」僕が聞くと、
「向こうでどうなるかはわかなない。
 ・・・こっちの世界では存在しなかったことにされてしまうよ」
「それ、どういうこと。どうしてわかるん?」
「前に行ったときに弟がつかまって、俺だけ逃げてきたんだ。
 ・・・家に戻ったら、俺は一人っ子で弟なんて最初からいないことになってた。
 弟の物は全部なくなってたし、写真からも弟の姿は消えてたんだ」
泣きそうな声で山口はこう言ったんです。

それから公園には近寄りませんでした。
山口はこの2週間後、学校に来なくなって、
後で担任から、急な事情で転校したと聞かされました。
さらに2か月後、僕も親父の都合で引っ越しが決まってかなり離れたところに移ったんです。
それからこの街には一度も行ってないし、もちろん公園がどうなったかもわかりません。
山口とも会っていません・・・まあ、こんな話ですね。
関連記事 『土管』  『土管3』





怖い古代史7(将門の首)

2014.05.13 (Tue)
さて怖い話は一休みして、今日は古代史の話。
日本史の歴史区分は平安時代までは広い意味の古代と考えることが多いですので、
平安時代中期に亡くなった平将門も十分、古代の人と言えるでしょう。
将門は桓武5世の孫で、関東で謀反を起こし「新皇」を自称したことで朝敵とされ、
藤原秀郷、平貞盛らにより討伐されました。(940年)

えー当ブログはオカルトがテーマであり、
たいへん興味深い事件ではありますが、
歴史はこれ以上細々したとこに深入りはしません。
「将門の首」・・・
現在でも関東における最大の心霊スポットとも言われる将門首塚の話です。
『太平記』に、さらしものになった将門の首級の話が書かれており、
将門の首は何ヶ月たっても腐らず、生きているかのように目を見開き、
夜な夜な「斬られた私の五体はどこにあるのか。
ここに来い。首をつないでもう一戦しよう」
と叫び続けたので恐怖しない者はなかった、とあります。

また、将門のさらし首は関東を目指して空高く飛び去ったとも伝えられ、
途中で力尽きて地上に落下したとも言われます。この将門の首に関連して、
各地に首塚伝承が出来上がりました。
最も著名なのが東京千代田区大手町の平将門の首塚で、
この首塚には移転などの企画があると事故が起こるとされ、
現在でも畏怖の念を集めています。

関東大震災の後、無知な所員が首塚の上に仮庁舎を建てようとしたところ、
それに関わった者達14人が変死を遂げ、仮庁舎は撤去されたとか、
お笑いの爆笑問題の太田が若手の頃、
番組の取材で将門の首塚を蹴り、仕事がなくなってしまったとか、
首塚の祟りに関しては都市伝説的な様々な逸話が残されていますね。

で、関東からわざわざ京まで運ばれ、首実見の上獄門にさらされた将門の首が
宙を飛んで関東までたち帰ったなどということが実際にあるとは思えません。
ではなぜこのような話が広まったのでしょう。
一つには英雄伝説ということがあるでしょう。
非業の死を遂げ、体と離れた英雄の首を故郷に返してやりたいとする民衆的な願望が
この伝説を作ったとする、まあよくある話です。
ただ、それだけでここまで広まったのかなあ、とも思います。

将門には、これも伝説ですが影武者の話がありますね。
室町時代の『俵藤太物語』(俵藤太は将門を討った藤原秀郷の異名)では
「将門と全く同じ姿の者が六人いた」と書かれており、
同じ時期に書かれた『師門物語』では、「同じ姿の武者が八騎いた」とあります。
茨城県や山梨県などで、将門の七人の影武者伝承の残る寺や山があるそうです。

将門の影武者はまったく本人と同じ顔で、しわや傷までが同じであったとされます。
この七人の影武者伝説の背後には「妙見信仰」があると考えられていますね。
妙見信仰とは、北斗七星・北極星を神格化した妙見菩薩を祀る信仰で、
将門はこの北斗七星を守護として、妖術を使ったとまで書かれたりもしています。

さて、混乱の中で討ちとられた将門の首ですが、実際は討たれたのは影武者であり、
将門はまだ生きて隠れていて、どこかで再起を図っているなどという噂が広まれば、
これは朝廷にとって困ったことになりますね。
ですから、朝廷としては「本物の将門」が「確実に死んだ」
となってもらわねばなりません。
後代の義経や西郷隆盛のように「実は生きている」という噂を避けたい。
そこで、この首にまつわる伝承が作られたとは考えられないでしょうか。

体と離れて首だけで長期間腐りもせず生きていることができる霊力、
これはまさに本物でなくてはできないことだし、
首は関東まで飛び、満足して落ちた・・・
これを弔うことで死が確実なものとして地元にも印象づけられる。
もしこのような意図のもとに、朝廷側により伝説が作られたのだとしたら・・・・w

まあ、実際にはこの伝説がどこの時点で始まったかははっきりしないし、
影武者伝承も眉唾気味のものなので、
あくまで歴史おもしろ話として読んでもらえればというところです。
あと、将門は朝廷を恨んで怨霊化し、
酒呑童子として生まれ変わったとする話もありますね。

『将門首塚』


*横に見えるカエルは左遷などから「無事にカエル」という俗信から奉納されています。


 


リレー

2014.05.12 (Mon)
つい1週間前のことです。
月曜の午後だったんですが、少し頭が痛くて大学の講座を欠席し部屋で寝てたんです。
そしたら宅急便が来たんです。有名業者でした。
俺は大学3年なんですが、宅急便なんて年に2回くるくらいで、それも実家からです。
前にジャガイモとか送ってきたんで「いらないから」と電話したら、もうこなくなりました。
とりあえずサインして、受け取ったのは30cm立方くらいの段ボールです。
差出人のところに「宗教法人 氷魚神社」とありました。

「変だなあ、神社から物送られてくる心あたりとかないけど」と思ったんですが、
住所欄を見ると都内でした。
まだ少し頭が痛かったんで、それはうっちゃっておいてまた寝ました。
で、夜中に目を覚ましたときに荷物のことを思い出して開けてみたんです。
ガムテープをはがして段ボールの上を開くと、
中に白い硬質プラスチックみたいな箱が入ってて、
白い短冊のような紙がその上に乗ってました。

手にとって見ると、ワープロ打ちで、
「この箱は絶対に開けないでください。このまま2日以内に誰かのところへ同様に宅急便で
 送ってください。宅急便は別業者を頼んでください。
 その際にこの紙をそのまま同封してください。
 なお費用はあなた様持ちになります。どうかよろしくお願いします。氷魚神社」
こんな風に書かれてありました。・・・変な話だなあと思いましたよ。
これは新手の不幸の手紙かチェーンメールのようなものなのか。

不幸の手紙は実は裏で郵便局がやってる、なんて笑い話もありましたが、
宅配業者だってまさかそんなことはしないだろうし・・・
白箱を取り出して振ってみると、重くはなく、ガサガサと音がします。
中身がびっしり詰まっているという感じじゃなかったです。
でまあ、当然開けてみましたよ。最初はどう開けるのかわからずあちこちひっくり返しました。
どの面もつるつるで手掛かりがなかったんですが、側面を押すと斜めにへこむので、
へりに定規をこじ入れて持ち上げたら開きました。

で、中には緩衝材っていうのかな、人工繊維の詰め物と木の枝を束ねたようなのが入ってました。
それにまた白い紙・・・
「ここまで開けてしまいましたか。でもまだ引き返せます。これ以上開けないでください。
 あなたの魂のためです」
「手が込んだイタズラだなあ」と思いました。
宛名に俺の住所や携帯番号が書かれてるんだから、俺を知ってるやつだろう・・・
しかしここまでするやつは思い当たりませんでした。

白箱から木の束を取り出してみると、20cmばかりの枝を折ったものを横に10本並べ、
その上下をひもで結んでありました。下側にも同じ枝の束があって、
その間に黄色い油紙?で包まれたものが入ってました。
指で押すと柔らかい感触がありましたね。
これはハサミでヒモを切るしかないかと立ち上がったとき、
耳元で幼い女の子の声で「ダメ」というのが聞こえたんです。
あたりを見回しましたが、もちろん誰もいません。
背中がぞくぞくっとしました。悪寒が走るとか、背筋に水を浴びせられたとかそんな感じです。

・・・これは開けるとマジにヤバイ。理屈抜きにそう思ったんです。
しばらく固まってましたが、2枚の紙も元通りに入れて段ボールに最初のとおり詰め直しました。
さて、どうしようか。大学の仲間とか・・・
よくよく考えたすえ、ゼミの後輩の一人に送ってみることにしました。
住所は名簿がありましたので、次の日さっそく別業者の営業所に持っていって発送したんです。
もちろん送り主は「氷川神社」で、住所も同じで。
・・・ええ、ええ、今考えるとよくないことをしました。
警察とかに持ち込めばよかったのかもしれないですね。でなきゃ最初に受取拒否するとか・・・

ただ、そのときは中身が何なのか知りたいという思いもあったんです。
だから、後輩の中でも一番現実的というか、
こんなの気にしないで開けてしまうようなタイプのやつを選びました。
後でさりげなくさぐってみようと思ったんです。
後輩の部屋は近いので、おそらく荷物はすぐに着いたんじゃないかと思いますが、
2日後にゼミで顔を合わせたときには特に変わった様子はありませんでした。
で、バカ話のついでに「この間、実家から宅急便がきて・・・」
みたいにカマをかけてみたんです。

すると後輩はニヤッと笑って、「ああ、あのイタズラ先輩だったんスか。手が込んでましたね」
と言ったんです。「・・・いや、イタズラって何のことだよ」ととぼけましたが、
「わかりますよ。先輩の実家から送ってきたんでしょう。
 先輩の実家のあたりって、たしか有名な牛肉の産地でしたよね。
 最初はわけがわからなかったんスが、
 木の枝の束を開けると真空パック入りの牛肉味噌漬けだったスね。
 これってお裾分けなんでしょ。自分は自炊してるんで感謝です」
「いや俺じゃない・・・」とは言いましたが、信じてないようでした。

あと、女の子の声の話も少ししたんですが、何のことかわからないようでした。
・・・こんな話です。その後輩はまだ・・・っていうか生きてますけど、
最近下痢が止まらなくなったみたいな話をしてます。顔色もあんまりよくないし。
いずれにしても不幸の荷物?は止まったわけなんですが、
こういう荷物って他にも全国を回ってたりするもんなんですかねえ?
ああ、「氷魚神社」ってのは検索しても見つかりませんでした。
住所は、調べたら東京ドームのものでした。
・・・今後、なんか進展があったらまた報告しにきますよ。

『The Blair Witch Project』




指示にしたがう

2014.05.11 (Sun)
半年ばかり前のことです。アパートの部屋で試験の勉強をしていました。
大学2年の一般教養の試験です。ふだんバイトばっかりなので、
一夜漬けでかなりの量を頭につめ込まなくてはなりません。
どうせいい成績など取るつもりはないし、単位がもらえればそれでいいくらいの感覚でした。
なんとか1科目やり終えて、心理学に移りました。
教唆書に触れるのも久々だったんですが、メモを見て範囲のページを開くと、
ページの上のところにシャーペンによる書き込みがありました。

「勉強がんばってますか?リラックス法を書いておきました。軽い体操のつもりでどうですか」
こんな内容でした。
ああ、誰かふざけて書き込んだんだな、と思いました。
自分は教科書はいつも研究室のロッカーに置きっぱなしにしてるんで、
手にとってイタズラ書きすることは簡単にできるでしょう。
字は女が書いたもののように思えましたので、知り合いの誰彼の顔を思い浮かべてみました。
次のページをめくると裏にはなにもなく、右側の上部にだけ同じ筆跡の字が書かれていました。

「できるだけ長く舌を伸ばしてみてください。それから息を3回ずつ大きく吸って吐いて」
いかげん勉強も飽きてきてたところなので、その通りにやってみました。
どうせ一人のアパートの部屋で、見ている人は誰もいませんし。
次のページには「チャクラを開きます。あなたの額に第3の目があることを意識してください」
えー、チャクラってヨーガだったっけ?第3の目ねえ・・・
やってはみましたが、目ができたという実感にはほど遠い感じでした。次のページでは、
「イスにかけたまま、右手で左の、左手で右の肩甲骨を触ってください」
自分は体は柔らかいほうなのでこれは簡単でした。

5ページ目「あなたのみぞおちに太陽が落ちてきた様子をイメージしてください」
・・・まあ、書かれてたとおりに想像してみました。
すると気のせいかもしれませんが、胃のあたりが熱くなってきたような気がしました。
6ページ目「ゆっくり大きく息を吸ってから、
 口笛を吹くように口をつぼめて鋭く吐き出して下さい」
7ページ目「首の後ろに両手を回して、延髄を親指で強く押してください」
だんだん気持ちよくなってきました。体温が高くなっている感じがします。
今思えば、このあたりで術にかかってしまってたのかもしれません。

8ページ目・・・試験範囲の最後のあたりです。
「前にいる人の首筋を両手でもんであげて下さい」
自分は机に向かっていて、前にはブックラックとカーテンを引いた窓があるだけなんですが、
なぜか疑問を感じることなく両手を伸ばしました。
肩に手が触れました。柔らかい肉付きで女の人だと思いました。
10ページ目「これで最後です。目をつむって息を止め、
 60秒数えてから目を開けてください。そのときには第3の目が開いています」
書かれているとおりに息を止めて60数えました。

目を開くとそこには女の顔がありました。それも地面に叩きつけられでもしたかのような、
半分壊れた血まみれの顔です。
「うわー!!!!!!」叫んで離れようとした拍子に安いパイプ椅子が倒れ、
フローリングの床にしたたかに後頭部を打ちつけました。
気絶して朝までそのままでした。
・・・幸い頭にはコブができたくらいで済みましたが、
勉強はまったくできず、かなりテストの成績は悪かったです。

教科書の次のページには、
「どうでしたか、すてきな人に会えましたか。これはあなたの部屋の自縛霊に会う方法です」
こんなふうに書かれていました。
大学に行って、誰が書いたのかをつきとめようとしましたが、
知り合いはみな、知らないというばかりでした。結局犯人はわからなかったんですが、
これ以来ちょくちょく頭の割れた女の人を見るようになってしまいました。
夜アパートに帰ってきて、電気をつけた瞬間に部屋の中に佇んでいたりするんですよ。
とうとう引っ越ししてしまいました。えらい出費です・・・


『チャクラ図』




ビセンシブル

2014.05.10 (Sat)
俺は大学でオカルト研究会のサークル長をしてるんズよ。
もう3年なんで今年いっぱいが任期ですけどね。
ここ2ヶ月で変なことがあったんで話します。
・・・ここはオカルトに詳しい人がいろいろ来ているみたいなんで、
何かわかることがあったら教えて欲しいっス。
1月ばかり前のことです。
オカルト研究会に新入生が6人入って、男ばっかりでしたけど、
その中の一人に酒の席で質問されたんです。
・・・ああ、ここは未成年に酒飲ませちゃいけないなんて言う人はいないっスよね。

オカルト経験則のようなもんでした。
「ねえ先輩、幽霊って目には見えないで鏡にだけ映るってことはあるんスか」
「うーん難しいこと聞くなよ。俺は霊能があるわけでもないし、わかんないけど・・・
 映画なんかだと2パターンあるよな。鏡を見ると自分と一緒に霊が映ってて、
 後ろをふり向くと誰もいない、ってやつと、
 もう一つは、鏡には自分しか映ってなく、安心してふり向くと幽霊がドンといるってやつ。
 どっちもあるし、どっちもそれぞれ怖い。ただ鏡の中は異界という説もあるから、
 鏡の中だけに住んでる幽霊ってのがいてもおかしくはないと思う」
「それともう一つなんスが、幽霊はすき間にいるってのはどうですか」
「それはよく聞くな。家具のすき間とか、カラーボックスに入れた本の上とか、
 そういうせまい空間に霊は出現するという話はあるよ」

「やっぱりそうスか」
「・・・んーでもな、それって、
 すき間に顔を入れるのはフォトショで心霊写真が作りやすいからって話もある。
 すき間部分に小さくぼんやり埋め込めば粗が見えにくいとかな。
 ところで、どうしてこんなこと聞くんだ?」
「いやそれが、俺アパート暮らしを始めたばかりじゃないすか。で、風呂に鏡があるんスよ。
 こないだ洗面所の戸を開けっ放しにして歯を磨いてたら部屋の横のほうが映ってたんです。
 んで、ラックとラックの間に小さい顔が見えた気がするんです」
「スゲえ心霊体験じゃないか。で、どんな幽霊だったん?」
「幽霊かはわからないんですが、人の姿だったとは思います。
 そうスね、15cmくらいか20cmくらいの小さい人・・・」
「なんだよ、小さいおじさんの話か」

「いや、女の人だったと思います。スカートはいてるように見えましたから」
「女の幽霊か、まー小さいおじさんよりは信憑性が高い気がするな。で、美人だったか?」
「それが小さくて顔まではわからなかったんです」
「何回見たんだ?」「まだ一回だけですし、そのとき寝不足だったから見間違いかもしれないです」
「いやでも心霊アパートならすげえな。もう一度見たら必ず報告しろよ。
 みなで霊検知器を持って探索にいくから」
こんな話をしたんスよ。
いや、はっきり言って信じてはいなかったというか、
後輩が自分で言ってたように何かの見間違いじゃないかと思ったんス。
でなきゃ、テレビ画面の人がガラスに映ったとか、とにかく何か原因のあることだと。

俺らオカルト研究会といっても、実際に霊を信じてるやつなんてあんまりいないんス。
みなでホラー映画見たり、心霊スポットに行って写真撮ったりするサークルなんス。
で、このことはその場かぎりですっかり忘れてました。
そしたら1週間くらいして、その後輩から続報があったんスよ。
「また見ました。時間は前と同じ夜中12時頃でした。今回は余裕があったんでじっくり見ましたよ。
 この前みたいにすぐ消えませんでしたし・・・けっこうきれいな若い女の人でした」
「ああ、そういえばそんなこと言ってたな。でも今回も小さいんだろ。よく顔わかったな」
「それが部屋を少しもよう替えして、ラックの間を広げてたんス。
 そしたらその間にぴったりはさまるようにいたんス。30cm・・・この間の倍くらいに見えました」
「ふーん、じゃすき間を広げればその分大きくなるのかな」
「なんか遠近法が関係ある気がするんです。実験して詳しいことがわかったら知らせます」

・・・さらにこういうやりとりをしたんス。
でね、幽霊が見られると思ってワクワクしたとかそういうことじゃないんス。
それよりも、後輩があまりに真顔で話してるんで大丈夫かコイツと思ったほうが大きかったスね。
その後、この後輩はだんだんサークルに出てこなくなりました。
大学にもあんまり出席してないみたいなんス。
俺らにしてみれば貴重な新人メンバーだし、ちょっと心配したんです。
で、みなでそいつのアパートに行ってみようかとか話してた矢先に、
大学の近くの道でばったりそいつに会ったんス。
それが奇妙なことにホームセンターの台車を押してるんス。
その上には杉を小さくしたような観葉植物の鉢が10個ほどと、レンガが20個ばかり乗ってたんス。
「なんだよ、園芸でもやるのか?庭なんてないだろ」って聞いたら、
「・・・いや、第三の男をやってみるんス」と、わけわからないことを言って、
そそくさ行ってしまったんです。

「第三の男って?・・・映画か?」これはやっぱ一度アパートに行ってみようと思いました。
そいつは翌週も大学全休でした。で、土曜日の午前に一人で行ってみたんス。
チャイムを押しても、ノックしても返事がないのでノブに手をかけると鍵はかかってませんでした。
一歩部屋に入って「あっ!」と思いました。
そいつの部屋の中に街路ができてたんすよ。レンガを並べて両側に塀をつくり、
観葉植物を街路樹見みたく等間隔に並べて・・・レンガは台車で見たときよりたくさんあったから、
何回も買ったんだと思うス。
レンガはラックのあるあたりから手前側に開くようにならべてありました。
観葉植物も高さを調節して小さいものから手前に大きくなるようにしてあるんス。
「遠近法・・・とか言ってたよなあ。これのことかいな」
そう思いながら、浴室のドアを開けました。鏡の前に立つと、見下ろすような形で映ってましたが、
背後に斜めに曲がった街路があるように見えないことはなかったんス。

「んーこれをやりたかったのか。やっぱ変だし、病院を勧めるのが一番だろうなあ」
そう思ったときっス。鏡の奥にちらっと人の姿が見えました。
小さな男女がラックの間にいました。顔ははっきり見えませんでしたが、
1人は後輩、1人は女じゃないかと思いました。
2人は並んで立ち、こちらに手をふると、
くるっと後ろを向いて手をつないでラックのすき間に消えていきました。
後ろを見ましたが何もいなかったんス。もちろんラックをよけて裏側も調べました。
映画の話をしてたんでプロジェクターとかないかも探したんス。
もちろんそんなものはなくて、それ以後後輩は行方不明なんス。
いや・・・霊と一緒どっかに行ってしまったとは思いたくないスよ。
そんなことが・・・ねえ。
でも人の姿を鏡の中に見たのはたしかなんス。幻覚ってことは・・・



*題名の「ビセンシブル」は「Be sensible, Martins 」という、
映画『第三の男』の中のセリフです。下の写真の場面になる前に、
ジョゼフ・コットン((マーティンスは役名)が警察署長に
「Be sensible(理性的になれ)」と言われます。
あまりにもの名場面をこんなしょうもない話に使用して申しわけないです。

『第三の男』




かるかや

2014.05.09 (Fri)
今、中3です。受験勉強真っ最中なんで、
こんなとこにきちゃいけないのかもしれませんが、
あんまり奇妙なことがあったんで、ぜひ聞いてもらいたくてやってきました。
姉の話です・・・齢は2つ違ってて高2なんですが、
私より顔も性格もずっと派手めなんです。
この間、勉強の息抜きにCDを聞こうと思ったら、
姉に貸していたのに気づいて、姉の部屋に行ったんです。
ノックをしても返事がなかったんですが、
帰ってることはわかってたのでそのままドアを開けたんです。
姉は机に横向きに座って髪をとかしてました。胸よりずっと長く伸ばしてるんです。

その後姿が、いかにも機嫌が悪そうに見えました。
「ああ、マズイとこにきちゃったかな」と思いましたが、案の定、
「なに勝手に入ってきてるのよ」
こちらをふり向くと同時に怒鳴り声が飛んできました。
「えーでも、ノックしたよ」
姉は髪にブラシをかける手をとめず、「なに?なんの用よ」と、かなりいらついた声でした。
ああこれは、高校で何かあったんだなと思いました。
姉はまったく勉強しなくてもいい学校に行ってるので、何かあったといえば男関係です。
「こないだCD返してもらおうと思って」
「音楽聞くヒマがあったら勉強してりゃいいだろ」

・・・あー、これはダメだと思いました。
こういう状態のときは何を言ってもムダなので、あきらめて戻ろうとしました。
そのときです。姉が髪をとかしているブラシの先から、
大きな白いものがボロッと床に落ちました。
何だろうと思いましたが、床の上でゴニョゴニヨと動いています。
白い、半透明の・・・使ってない消しゴムくらいもある大きな虫でした。
背中を下にして床に落ちた虫の腹には、エビのような形に足がたくさんついてました。
それを見て思わず「キャー」と叫んでしまいました。
「デカイ声出すなよ、クソガキ」「でもお姉ちゃん虫が・・」
虫と聞いて姉もさすがに手をとめ、私が指さしてる床を見ましたが、
「虫なんてどこにいるんだ?お前勉強のしすぎでイカれてきてるんじゃないか」

虫はもがきながら起き上がり、そのまま考えられないような速さで姉の足を駆け上がり、
髪の中に入ってしまったんです。
「虫なんてどこにいるんだよ?」
「今・・・お姉ちゃんの髪の中に戻った」
姉は机の上の鏡を見ながらあちこち頭をさわってましたが、
「虫なんていないよ。帰ってからずっとブラッシングしてたんだし。
 嘘つくならもっとマシな嘘つけよな」これはダメだと思ったので、
「・・・ああ、ごめんなさい。見間違いだと思う」
こう言って部屋のドアまで後じさりして閉めました。
「たくもう、妹は嘘つきだし、カレシには浮気されるし・・・」
こんな声がドア越しに聞こえました。

部屋に戻って勉強を再開することにしましたが、
なんだか自分でも自信がなくなってきました。
さっき見たのはあまりに変な虫だったからです。
かなり大きい・・・カブト虫くらいはあったと思います。
それに半透明のジェルの固まりみたいな体だったし、足もたくさんすぎました。
今まで一度も見たことがない虫で、動きも虫というよりハ虫類とかみたいでしたし。
疲れがたまってるのかもしれないと思い、その日は早く寝ることにしたんです。
2時ころでした。大きな声が聞こえて目を覚ましました。
「チクショー、アノヤロー」姉の声でした。
いくら姉でも夜中のこんな時間にそんな声を出したことはなかったので、
寝言じゃないかと思いました。声はそれだけでおさまったので、私もすぐまた寝ました。

翌朝、朝ごはんを食べているとグシャグシャの髪で姉が起きてきましたが、
不機嫌な顔で頭が痛いと言いました。
母が「休めば」と言いましたが、「そんなわけにいかない、おとしまえをつけてやるんだ」
と言って朝シャンに行きました。いつも朝食は食べないんです。
父は単身赴任中で姉には怖いものがない状態なので、母もため息をついただけでした。
髪を濡らして戻ってきた姉の目がなんだかいつもより吊り上がっているように見えました。
きっとカレシか、浮気したという女の人を、
こらしめに学校にいくんだろう怖いなと思いました。
・・・その日姉はかなり遅く帰り、
夕飯はいらないと言って部屋に閉じこもってしまいました。

それから物音一つ聞こえてきません。
「ああ寝たのかも」と思ってその夜は勉強がはかどりました。
その夜中、また姉の大声が聞こえてきました。
「クソー、バカヤロー、ユルセネー」大声というか絶叫です。
昨夜のようにすぐおさまるかと思ったら、延々と続いたんです。
これは・・・怒られるのを覚悟で起こしにいこうと思いました。
姉の部屋はすぐ隣で、ドアには鍵はかかってないのでそっと開けてみました。
暗くて様子がわからないのでドアの近くの電気のスイッチをつけると、
ベッドが見え、姉の体がそこから半分ほど浮き上がっていました。
長い髪の毛が枝分かれして上に伸びてたんです。
そのため上半身が引っぱられてるように見えました。

髪の束の一つ一つの先に前に見たあの虫がいて、
羽もないのに宙に浮いて姉を引き上げてるんです。
「ギャー」それに気づいて絶叫しました。
姉は目をつむったままで、頭の皮膚が伸びて顔全体が上に寄ってました。
そんな姿で「コノヤロー」と叫んでるんです。
階段を上ってくる音がしました。そのとき虫の姿がいっせいに消え、
姉はベッドの木の部分にゴンと頭をぶつけてうつ伏せに倒れました。
「ちょっとあんたまでどうしたのよ?」とあきれたように上がってきた母が言いました。
姉は頭を押さえたままゴロゴロ転がっているし、
私は「虫、虫」と言いながら宙を指さして泣いていたからです。

・・・姉の頭はコブができたくらいでたいしたことはありませんでした。
その後は夜になっても何もなく、1週間くらいで姉はカレシと仲直りした・・・というか、
「土下座したから許してやった」と言ってました。
後になって考えてみたんですが、
私が見たのは・・・もしかしたら「嫉妬の虫」というものかもしれません。
だとしたら姉が自分で作り出したものなのでしょう。
姉が怖い・・・というより、
人間ってそういうものを作ってしまうほど感情が高ぶるんだってことが怖いな、
と思いました。
前に読んだことのある、ギリシア神話の髪の毛がヘビになってる怪物みたいだったんですよ。



*「かるかや」というのは「苅萱道心」を主人公にした仏教説話で、加藤という侍の家には
妻と妾が同居してたんですが、表面上は仲睦まじく見えたのに、
夜になると2人の髪が蛇になってからみ合い争ってるのに気づいてしまった。
それで世の無常を感じて「苅萱道心」と名を変え出家したというようなお話です。



雑談(発想につまる)

2014.05.08 (Thu)
 今日は旅先からなので、雑談しかできません。
怖い話をほぼ毎日書いてるんですが、さすがに発想が浮かばない日もあります。
前に途中まで書いて「ああこれはダメだ」と思って放棄したやつを取っておいてるので、
そういうのを読み返したりもしてるんですが、
調子が悪いときは、ますますダメに思えてくるんですね。
そんなときには5つくらいの方策を用います。

① 家に大量にある実話怪談やホラーの本を読む。
② 「怖い話」のまとめサイトを閲覧する。

これで、何かの着想を得られるときもあります。
ただ、マネにならないように十分気をつけてはいます。

③ Wikiの「民間信仰」の項を参照する。
Wiki 『日本の民間信仰』

 これはかなり役に立ちます。
「疱瘡神」とか「生団子」とか、名前を聞いただけで、
何か怖いイメージの芽が頭の中に生まれてくる感じがします。
子の項のテーマとは関係ないですが、この中で特に面白いなと思ったのが「池袋の女」で、
『江戸時代末期における日本の俗信の一つ。池袋(東京都豊島区)の女性を雇った家では、
怪音が起きる、家具が飛び回るなど様々な怪異が起きるといわれたもの』
という不可思議な記述があります。さすがに怖い話に取り込むことはできませんでしたが。
Wiki 『池袋の女』

④ Wikiの「日本の妖怪一覧」の項を参照する。

 千以上あるでしょうか。
ものすごい数の妖怪が収集されているので、まだ全部は読んでいません。
自分の話にはけっこう妖怪が出てきます。
「子とろ」「濡女」「蛟(ミズチ)」は最近書きましたが、その他にも、
「水虎」「亥の子」「土用坊主」なんかもそうです。
困ったときの妖怪頼み、と言えばいいでしょうか。
妖怪を使うときは、現代風にアレンジする場合も、民話的に書く場合もあります。
Wiki 『日本の妖怪一覧』

⑤ そのあたりをブラブラ散歩する。

 自分は現在関西に住んでて、しかも目の前は繁華街ですので、
夜の街が心霊的に怖いという感じはない(風俗的に怖いというのはあります)んですが、
街路樹やその下のゴミ箱なんかを歩きながら見ているうちに思いついた話もあります。
「幽体離脱実験」「もののべのはらえ」なんかはそうだったと思います。
自分の仕事時間は午後8時から午前3時くらいですので、
開いた時間にブラッと夜の中に出るだけで気分は変わりますね。

 あとは取材したことを記録しておいたのを参照するときもあるんですが・・・
「お盆のスイカ」なんかは、聞いた話をかなりふくらませて書きました。
ただ取材した話といっても、
「玄関で声がして、見にいったら誰もいなかった。
その後すぐ肉親が亡くなったという電話が入った」
こういう類型的なものが多く、「箪笥」みたいな感じに、
ひとひねりも二ひねりもしないと使えないものがほとんどです。




開ける

2014.05.08 (Thu)
ちょうど10年前のことでが、どう話していいかよくわかりません・・・
自分が20歳のときですね。
それまで年に1度か2度・・・奇妙な夢を見ていたんです。
夢というか・・・脅迫観念みたいなものですかね。あんまり具体的な内容じゃないんです。
一人で廃屋の中みたいなところに立っていて、
目の前に1m四方くらいの古びた金庫があるんです。
それを前にして足をかけてドアノブを引っぱってるんですね。
でも、鍵がかかってるみたいでぴくりとも動かない。
とにかく開けなくちゃいけない、開けないと大変なことになってしまう・・・
気ばかりあせるんですが開かない・・・そんな夢なんです。

目が覚めると冬でもびっしょり汗をかいていて、息もすごく荒くなってるんです。
寝ながらかなり力を入れていたみたいで、強く握りしめた右手の指が強ばってました。
そんな夢なんですが、だんだんに見る回数が多くなっていたんです。
2ヶ月に1度になり、月イチになり、やがては週に2度は見るようになりました。
頻度が多くなるにつれて、ぼんやりしていた夢の状況がはっきりとしてきたんです。
廃屋みたいなところは、中学校のときに一人で探検に行った鉱山事務所だと思いました。
自分の家から自転車で20分くらい行ったところにちょっとした鉱山跡があって、
坑道はふさがれていましたが、いくつかのコンクリ製の建物が残っていたんです。
そこに夏休み中なんかに何度か探検に行ったことがあるんです。

何年もかけて、だんだんに思い出してきました。鉱山事務所の最奥の部屋にある金庫なんです。
しかもです・・・この金庫を閉めたのは自分なんですね。
一人で奥の部屋まで入ったのは初めてで、そこに金庫を見つけたんです。
金庫の扉は半ば開いていて、黒々とした内部がのぞいてました。
闇がそこからわき出てるような感じがしたんです。何か入ってるんだろうかと、大きく開いてみました。
・・・そこで見てはいけないものを見たんです。何を見たかは覚えていません。
あまりに怖ろしいもので記憶が思い出すのを拒否してるんじゃないかと思います。
両方の手のひらを強くぶつけるようにして、一瞬で扉を閉めました。
そのとき、鍵がかかったようなカチりという音がしたんです。

夢の中と起きてから考えたので、ここまで思い出しました。
実際にあったこととしか思えません。
それと、そんな怖ろしいものが入ってた金庫なのに、なぜまた開けようとしているのか・・・
これも合理的な解釈が思いつかなかったんですよ、変な話でしょう。
で、夢の状況に変化があらわれました。
あれほどテコでも動きそうもなかった金庫の扉が、少しずつゆるんできたんです。
ノブを押し引きすると、ガクンガクンとあそびが感じられるようになりました。
そして最後の夢です・・・両手でノブを持ち、片足をかけてぶら下がるようにしていると、
チンという鐘の音のようなのが聞こえ、一気に扉が開きました。

ゴウと音がして、強い風と闇が金庫の中から噴き出してきました。
風の中にはたくさんの、たくさんの言葉が混じっていました。
「〇〇しっかりして」「目を覚まして」「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「ちょっと考えられない症状ですよ・・・原因が見当たらない、脳機能はすべて正常なんです」
「どうしてこんなことに・・・」
「もう1年過ぎようとしてるんですよ、何とかならないんですか。お願いします先生!」
「高校入学の年なんだよなあ」「この子はきっとよくなるって信じています」
「お兄ちゃん、あたし高校に入ったよ」「昨日母さんが亡くなったよ・・・事故でね・・・」
「もう5年になりますか、体は健康そのものと言っていいんですが」
このような言葉が渦巻き、叩きつけ、波が寄せ返すように自分を翻弄したんです。

闇の奥に白い明かりが見えてきました。
明かりはだんだん強烈になり、まぶしくて涙が出てきました。
薄目を開けていたようです。それでも時間がたつと、ぼんやりと物が見えるようになりました。
自分は寝ていて、たくさんの管が周りを取り囲んでいました。
身を起そうと頭を上げたとたん、強烈なめまいと吐き気がしました。
うつ伏せになろうとしましたが、そのとき口の中にも管が入っていることに気がつきました。
手で管を引き抜こうとして、また吐き気が・・・
そのときドアが開く音がしました。白っぽい上半身が見えました。
「助けてださい・・・」と言おうとしましたが声になりませんでした。
女の人が「あっ」と驚く声が聞こえ、
「先生、先生・・・」と叫びながら駆け去っていったようでした。

これは後で聞いた話ですが、
中学生の自分は、廃事務所の奥に倒れているのを2日後に発見されたんだそうです。
強く頭を打った様子はないのに、昏睡が続きました。・・・6年間もです。
その間、小学生だった妹は高校生になり、母は交通事故で亡くなっていました。
今は普通です、何の後遺症もありません。学業のほうはだいぶ遅れてしましましたけど。
あのとき鉱山事務所の金庫に・・・自分の時間を閉じ込めてしまったんじゃないかと思います。
そして金庫を開ける夢を昏睡の中で見たのは、・・・許されたんじゃないかと思うんです。
許してくれたのが何なのかはわかりませんが。
まだ鉱山の廃墟は残ってるそうです。もしかしたらあの金庫もいまだにあるかもしれません。
とんでもない、確かめには行ってませんよ。
そんな怖ろしいこと絶対できるはずがないじゃないですか。




星見台

2014.05.06 (Tue)
今から15年前の話で、私は高校2年生でした・・・って齢がわかっちゃいますね。
うちは・・・女だけの5人姉妹だったんです。しかも年子の。
これって、今ほど少子化が進んでなかった当時でも珍しかったんですよ。
父をこのことでからかう人もいました・・・って今もたまにいるみたいですけどね。
男が生まれるまで頑張ったんだろう、残念だったなって。
父はある自動車メーカーのディーラーを経営してます。
地方都市でしたから、メーカーから派遣されてくる店長じゃなく自前の店だったんです。
それで、ちょっと郊外でしたけど大きな家に住んでたんです。
4畳半くらいなんですけど、姉妹の5人ともがそれぞれ自分の部屋を持っていたんですよ。

実家は庭も広かったんです・・・これは自慢じゃなくて、
やっぱり田舎で土地が安いせいだったんだと思います。
その庭の一角に、「星見台」というのがありました。
そこだけ土を盛り上げて富士山のような形の台状にしてあるんです。
高さは2階の屋根とそう変わらないくらいだから2mはあるはずです。
下は芝生になっていて鉄製のすべり台みたいな階段がついてます。
そこで毎年の7月に「星見の会」というのをやるんです。
日にちは決まってませんでしたが、七夕が終わった後なので7月の第2週のどこかですね。
別に大したことをするわけじゃなくて、
夜9時になったら家族みんな・・・両親と5人姉妹でその台に上って小1時間過ごすんです。

星は出てるときも、雲に隠れて出ていないときもありました。
小雨のときもあったんですが、土砂降りでできなかったというのは記憶にないです。
だから星見というのは口実みたいなもので、実はあんまり関係ないのかなと思ってました。
台の上でみなで浴衣を着て座って、ロウソクを数本立て、
何をするかといえば、まず最初に母がお祈りみたいなことをするんです。
ごく短いのを口の中でごにょごにょという感じで、儀式めいた感じはあまりなかったですね。
それから用意してあった餡入りの焼き餅を食べ、甘酒を飲むんです。
子どもでも飲みましたよ。白い陶器のコップに一杯。
ああ、言い忘れてましたが、この星見の会に出るのは5歳からなんです。
私もそうだったし、妹たちも5歳前は星見の晩は親戚にあずけられていました。

そして星が出ていれば星を見たり、
そうでないときは父が神話や科学の星に関した話をしてくれました。
そして10時前には台を下り、家に戻って早く休むんです。
会が終わると、なんとなく両親が残念そうな感じだったんです、「ハー」と溜息をついたりして。
そのときはどういうことがわかりませんでした。星見をやる意味も残念そうな意味も・・・
何度も聞きましたし、姉や妹たちも聞いたんですが教えてはくれませんでした。
「きっとそのうちわかるから」って・・・
これを毎年続けて・・・私が高2のときです。
姉妹は全員、家の方針で小学校から大学までの一貫校に通ってまして、
高3の姉から中2の末の妹までそろっていました。

台に全員が上り、餅を食べながら甘酒を飲んでいました。
その日はよく晴れてたくさん星が見えました。
父は眼鏡でしたが、姉妹は不思議と全員視力がよかったんです。
始まって20分くらいたった頃でしょうか、突然4番目の妹が立ち上がって叫んだんです。
「星が落ちてくる、落ちてくる、こっちに来る!」って。
見上げても流れ星なんか見えませんでした。
妹はもがくようにして台から降りようとしましたが、父が後ろからそれを抱きとめたんです。
妹が転げ落ちないようにしてるのだろうと思いましたが、
父は「そうか来たか、うちに来たか、やっと来たか・・・!」こう大声で言いました。
わけがわからなくて母のほうを見ると、顔全体で笑っていたんです。

その妹は父に抱きかかえられた状態で激しく手足をバタつかせていましたが、
「来る、来る、来たっ!!」と叫んで両手で頭を抱えました。
「◯◯ちゃん!」大声で名前を呼びながら、私や他の姉妹が回りを取り囲んでいると、
妹の頭の回りがボッと光りました。理科の実験で見た静電気みたいでした。
妹は白目を剥いてそのまま父の腕をすり抜けて台の土にへたりこみました。
水色の浴衣の下半身が黒く染まっていました。
「血だ、たくさん血が出てる!」と姉妹のだれかが叫びました。
ところが父も母も妹のことをまるで心配していない様子でニコニコしていたんです。
「よかった。頑張ったかいがあったわね」と母が父に言いました。

その妹は家の布団に寝かせられましたが、医者などにいくことはありませんでした。
いえ生理とかではありません。姉妹はとっくににみんなきてましたから。
翌朝、妹は意識が戻っていたようでしたが、姉妹はだれも会わせてもらえなかったんです。
午後に家に黒塗りの高級車が来てどこかに連れて行かれたようでした。
それから・・・その妹に会ったのは全部で4回だけです。・・・ある教団の教祖になったんですね。
会ったときには、山の中ですが、それは御殿のような施設の奥の間にいて、
金無垢の調度の中でたくさんの人にかしずかれていました。
私たち姉妹はもちろん両親も、妹に会うときにはひざまずかせられました。
有名政治家なども会見に来るし、信じられないような額のお金が入ってきているみたいです。

私は6年前に教団の人と結婚して、女の子が2人生まれました。
姉も結婚していてやはり女の子が2人、
すぐ下の妹は去年結婚しましたが、まだ子どもはいません。
3人ともムコ取りで、大きく建て増しした実家に今も住んでいます。
改築の費用はすべて教団持ちでした。
星見台はいったんとり壊されていましたが、数年前に教団の人たちが来て新たに築き直しました。
・・・私の下の娘が今年5才になるんです。
姉の長女は昨年初めて星見台に出ました。
来年は姉の子と2人で上ることになります・・・そして女の子の数はだんだんに増えていって・・・
これで終わります。



死んだ

2014.05.05 (Mon)
えー今高校3年です。小学校6年と去年のお盆の話をします。
自分の父親は次男で東京に出てるんですが、
毎年お盆には田舎の実家に里帰りをします。
母親と、自分や弟もついていくんですが、
年によって1泊のときも5泊くらいしてくるときもありました。
小6のときはじいちゃん、ばあちゃんがいたんですが、
2年後にばあちゃんが亡くなって今はじいちゃんだけです。
ばあちゃんの葬式にはもちろん行きましたよ。

小6のお盆ですね。・・・このとき自分は死んだと思うんです。
いや、死ぬような怪我や病気ってことじゃなくて・・・実際に死んだんです。
その年は8月の11日には田舎に着いて、16日に帰る予定でした。
父親は公務員で、夏休みの他に年次休暇もとったみたいで、
ゆっくりできる年だったんです。
着いた翌日から、捕虫網を買ってもらって虫捕りに行きました。
弟はまだ赤ちゃんでしたから、自分一人でです。
それまでも毎年行ってたんで、裏の畑から渓流、
浅い林くらいは場所がわかってました。
カブト虫がいる木が林の中にあって、昼でも何匹かはつかまるんです。

その林に行くには、渓流を渡っていかなくちゃならないんですが・・・
渓流といっても小川みたいなもんです。
幅はけっこうありましたが、深さは膝下で流れもゆるやかでした。
だから家族も子ども一人で外に出してくれたんだと思います。
その渓流を渡り林に入り、前にカブトを捕った木を思い出して、
何本か回ってみたんですが1匹もいませんでした。
それだけじゃなくて、いつもならうるさいほどに鳴いている蝉も、
オニヤンマ一匹、蝶一匹も見つかりませんでした。

林の中を歩き回って探したんですが成果はなく、つまらなくなったし、
静かで寂しくて、なんだか怖くなってきたんです。
それで帰ろうとしました。時間は午後3時過ぎくらいじゃなかったかと思います。
とぼとぼ歩いてると、急に日が陰って暗くなりました。
背後の林の中も黒くなって、
何かがそこから追いかけてくるような気がしたんです。・・・それで走りました。
渓流を渡るときは流れから出てる石を5つ6つ踏んでいくんですが、
川の真ん中辺で苔に足がつるっと滑りました。ガーンと強い衝撃があって、
マンガみたいですが目から火花が散った感覚がありました。

右の側頭部を打ったんだと思います。
しばらく片手で頭を押さえて、半ば水に入った状態でうつぶせになってました。
そのうち少しずつ痛みが引いてきたんで、石の上に立ち上がると、
その石のすぐ横の水に自分が倒れてたんですよ。
あ然としました。半ズボンも同じでしたし、着ていた薄緑のTシャツも同じ・・・
ただ虫かごは自分が肩に下げていて、捕虫網は一つだけ流れに落ちてました。
つまり・・・服と体だけ自分が二つになってるわけです。
そのうつ伏せに倒れている自分の頭のあたりの水が赤く渦巻いていて、
出血してると思いました。

わけがわからず、走って逃げ帰りたかったんですが、
これをこのままにしておいてはいけないという気がしました。
それで、体の下に手を入れて水の中でもう一人の自分をひっくり返してみました。
顔が見えました。鏡で見る通りの自分の顔でしたが、固く両目をつむっていました。
頭の横が切れているらしく、血がごわっと浮かび上がって流れていきました。
鼻と口に手をあててみましたが、息をしてると感じませんでした。
胸に手をあてても、心臓も動いていないと思ったんです。
これを・・・このままにしててはいけない、という考えがわきあがってきました。

人に見られるとすごくマズイことになる、
そんな気がしたんで両足を持って引きずりました。
・・・重かったですよ。ひっぱるたびもう一人の自分の頭が石にあたって、
ガツンガツンという振動が手に伝わってきました。
なんとか川から上げて5・6m引きずると、
くぼみが続いてて中に葦が生えてるとこがあり、
そこにもう一人の自分・・・自分の死体を投げ込んだんです。
死体は草に隠れて見えなくなりました。
それが目の前から消えたんでホッとしました。
なぜだか、ずっと見ててはいけないものだという気がしたんですね。

この間15分はたってなかったと思います。何かにあやつられているような行動でした。
網を拾って、かなり濡れた状態で実家に戻りました。
・・・家族や祖父母には川で転んだと言いました・・・
が、あのもう一人の自分のことは口に出しませんでした。
その頃には、自分の死体を見たことや、
足に中に投げ込んだことが遠い夢のような記憶になってました。
それに自分が生きてここにいるんだから、信じてもらえないだろうとも思ったんです。
川で石に打った頭のところはまだズキズキ痛くて、それには現実感がありました。
ただ血はまったく出ておらず、少しコブになってたくらいでした。

次の朝早く渓流にいってみたんです、確かめようと思って・・・
死体を投げ込んだはずの葦の中を探してみたんですが、どこにもありませんでした。
消えてしまってたんですね。すごく安心しました。
ああやっぱり、昨日見たのは夢みたいなもんだったって。
たぶん頭を強く打ったショックで、
一時的に気が変になっちゃったんだろうと思ったんです。
翌日からはお盆に入って虫捕りはできなくなりました。
だんだんと親戚が集まってきて、花火をしたり墓参りをしたりしました。
そんなこんなで、帰る頃には渓流での出来事は気にならなくなっていました・・・

その後もほぼ毎年、両親と弟とで実家には行きました。
渓流までは10分もかからなかったんで、
虫捕りはやめましたが、毎年一人で見にいったんですよ。
もちろんなにもなかったです。そしてばあちゃんが亡くなって・・・
高校に入学した年、渓流のあたりの野原が開発にかかって、林は切られ、
川は護岸され、道路が通って家が立ち並ぶ予定だということを聞きました。
翌年、高2の去年のお盆です。
じいちゃんは1年でずいぶん齢をとった印象になっていました。
送り盆が終わって次の日帰るという夜、じいちゃんが自分を裏の小屋にさそいました。
どういう用事かわからなかったけどついていったんです。

それまで入ったことがなかったんですが、小屋は2階建ての木造でけっこう広く、
じいちゃんは何も言わずに裸電球をつけ、階段をのぼっていきました。
自分も後をついていきましたが、2階は屋根裏のようにせまく、
その4分の1を占めるほどの大きな両開きの衣装ダンスがありました。
じいちゃんは、近づこうとする自分を手で制してその鍵も開け、
おもむろに扉を開きました。薄暗い光でしたが、はっきり見たんです。
固く目を閉じ眉間にしわがよった子どもの顔、薄緑のTシャツに半ズボン・・・
小6のときの自分が、そのままの姿で藁束に囲まれるようにして立たせられていました。
肌は青白いものの、腐っている様子はなく嫌な臭いもしませんでした。
額から側頭部にかけて、白くぱっくりと口を開けた大きな傷跡がありました。

じいちゃんは「忘れてないだろう・・・あの日に死んだお前だよ。
 翌朝早く拾ってきたんだ。
 ・・・今はこうだけど、ときどき口をきくんだよ。代わりたい、早く代わりたいって・・・
 じいちゃんもそろそろ体が弱ってきてな、いつまで抑えておけるかわからん。
 だから今夜お前に見せた・・・」
こんなふうに言ったんです・・・




雑談(ナンセンス話)

2014.05.05 (Mon)
 これまで怖い話・怪談のことを中心に雑談してきましたが、
ナンセンス話も数えてみると45話になったので、これについて少し書いてみます。
ナンセンス話は、最初からナンセンスに書こうと思って発想してるわけではなく、
基本は怖い話ネタを考えてるんですが、その中で、
「お、これは怖くなくむしろバカバカしいけど、それがなんかいいな」というのが出てきます。
そういうアイデアを、さらにバカバカしいほうにねじ曲げて書いているという感じですね。
怖い話を書くときほど考えたり、調べたりすることはしていません。
怖い話のほうは、イマイチなアイデアでも文章に凝ることによって怖くすることはできますが、
ナンセンス話のほうは元アイデアがダメだと、どう書いてもダメという気がします。

 自分では作りませんが俳句や詩も好きで、
よく他の方のブログにもおじゃまさせていただいています。
関連記事 『菊理媛命』
好きな俳句の一つに、「三月の 甘納豆の うふふふふ  坪内稔典」というのがあります。
これなんか、他の方はどう思うかわかりませんが、
自分はとても好きで・・・初めて触れたときにはこんな俳句があるのか、とびっくりしました。
このナンセンスさが、一発で自分の中に入り込んできたんですね。
どうやら月ごとの甘納豆の連作になってるらしく、調べてみたらこんな調子でした。

『一月の甘納豆はやせてます  二月には甘納豆と坂下る  三月の甘納豆のうふふふふ
四月には死んだまねする甘納豆  五月来て困ってしまう甘納豆  甘納豆六月ごろにはごろついて
腰を病む甘納豆も七月も  八月の嘘と親しむ甘納豆  ほろほろと生きる九月の甘納豆
十月の男女はみんな甘納豆  河馬を呼ぶ十一月の甘納豆  十二月をどうするどうする甘納豆』


 どれも面白いですが、やはり一番有名になった3月のが思い切りカッ飛んでる気がします。
これに迫る飛び方のが11月でしょうか。
8月のあたりは、少し理が入ってる気もして自分はもう一つです。
3月ので「うふふふふ」が出てきたのは、天啓に近いものがあったんじゃないかと思います。
アイデアが稲妻のように空から降りてくる、という感じでないと、
なかなかナンセンス感というのは出ないんですね。
そこが難しいと思います。

 自分は筒井康隆さんも大好きで、怖い話の傑作も多々ありますが、
「関節話法」とか「怪奇たたみ男」とか、ナンセンスなほうの名作も多いです。
やはり怖いとナンセンスが作者の中で歌舞伎の『四谷怪談』の中の「戸板返し」のように
表裏一対になっていて、突っつき方によってどちらかの面が表れてくるのだと思います。
まあ四谷怪談の場合は表も裏も怖いんですが。
ちなみに、自分が書いた中で一番気に入ってるのは『どんたく上人』です。
関連記事 『どんたく上人』

『戸板返しーお岩と小仏小平の死体が表裏に打ち付けられた杉の戸板が、砂村隠亡堀に流れつき、
民谷伊右衛門の釣り糸に掛かる。お岩の半骸骨の死骸が伊右衛門に怨み事を言い、
驚いた伊右衛門が南無阿弥陀仏と念じて戸板を突くと、戸板がバッタリ裏返って、
小平の死骸が両眼を見開いて「薬を下され」と手を差し出す場面』





無言ルーム2

2014.05.04 (Sun)
*この話は最初に『無言ルーム』を読んでいただければ意味がわかると思います。
関連記事 『無言ルーム』


大学で地政学の講師をしてたんですが、4月に契約更新できなかったんです。
新たな口はあちこちに声をかけてますけど、見つかるかどうか・・・、
運よく見つかったとしても、同じ大学に長くいないといつまでも臨時講師のままで、
年収も300万いかないくらいなんです。
論文書いて名を上げればいいんだろうけど、これもなかなか・・・ねえ。
何のために博士号まで取ったんだろうなって思って。
あっ、すいませんね、ここ愚痴を聞いてもらうとこじゃないですよね。
それで、1ヶ月ばかり前、市の図書館で調べ物をしてたんです。

昼時になったんで、外食しようと外に出たんです。
最近胃の調子が悪いんでソバでもと考えながら歩いてました。
そしたら後ろから声を掛けられました。
名前で呼ばれたんで、誰か知り合いかと思ってふり向くと、
スーツをビシッと着た柔和そうな老紳士でした。
「前に勤めておられた大学から紹介されてきました。
 事前に連絡できなくて申しわけありません。携帯がつながらなかったもので」
仕事の話ならいつでも歓迎なので、近くのホテルの喫茶店でうかがうことにしました。
紳士からは名刺をいただきましたが、
それには「ブリギッテ記念心理学研究所」とありました。

「これからお話するのはたいへん奇妙な内容ですから、信じらないかもしれません。
 ですが、謝礼は前金で今お支払いさせていただきますから」
こんな切り出しで始まった話は、紳士の言うとおり実に不可解なものでした。
「当研究所では夢についての研究を行っています。
 あなたにその被験者になっていただきたいのです。
 何も難しいことはありませんし、期間は今晩1夜だけです。
 法に触れるようなことは一切ありません。
 報告書は後で送っていただくことになりますが、アンケート程度のものです」
CDと封筒をテーブルの上に置きました。
「このCDを今晩寝る前に聞かれて、そのままお休みになってください。
 もしプレイヤーがなければお買いください。謝礼にはその分も含まれてますから」

「その晩に見た夢の内容をこの封筒の中の用紙に記入して、投函していただきたいんです。
 ああ、もし夢を見なかったらですか? おそらくそうはならないと思いますが、
 見なかったら見ないでかまいません。それでも謝礼は満分にお支払いします」
紳士はこう言って、分厚い別の封筒をバッグから取り出して目の前に置きました。
「40万入っています。どうか引き受けていただきたい」
貯金が心細くなっていましたので願ってもない話でしたが、やはり不可解です。
「どうして自分が被験者に選ばれたんでしょう?」と尋ねてみました。
「それは当然の疑問です。
 最近の博士号取得者はすべて当研究所のデータベースにありますが、
 今回の実験では、あなたのプロフィールが最もふさわしいと考えられるんです」
紳士はこう言うと封筒を手前に押し出しました。

少しためらいましたが、引き受けることに決めました。
紳士の言うとおりならCDを聞いて寝るだけなのだから、危険があるとも思えません。
自分はあまり普段夢を見るほうじゃないんですが、
見なかった場合でも謝礼はそのままというんだから、
こんなおいしい話を引き受けない手はない、そう思ってしまったんです。
承諾したと返答し、CDと報告書の封筒、謝礼の厚い封筒をバックパックに入れると、
紳士が握手を求めてきました。乾いた冷たい手のひらだったのを覚えてますよ
その日は、午後もずっと閉館まで図書館で過ごし、スーパーに寄って食材を買ってから、
自分の部屋に戻りました。
CDプレイヤーは古いものがあったんで、それで大丈夫だろうと思い購入しませんでした。

部屋では久しぶりにステーキの夕飯にしました。胃もたれするかとも思ったんですが、
謝礼をもらって気が大きくなっていました。あと、普段は焼酎を飲んでるんですが、
実験の禁止事項としてアルコールや他の薬品の摂取は禁じられていまして、
それが少し残念でした。
まだ自分には早い時間でしたが、11時過ぎにはCDをセットして布団に入りました。
CDを事前に聞くのも禁じられていましたので、そのときが始めてでした。
スイッチを入れるとしばらく間があり「シャーッ」という雑音が流れてきました。
音楽か何かだと思ってたので、これは意外でした。
どうやらどこかの場所の音を録音したもののようです。
「ザッザッ」という何かが歩きまわるような重い音。

・・・微かに動物の唸り声のようなのが混じってましたが、
何なのかははっきりとわかりません。
「ザッ、ズッ、ウォォン、ザザッ」こんな音が数分続いてるだけでした
急に「ダムン」とくぐもっているけれど強い音がし、
「ドザッ」と大きな思いものが倒れる音・・・「ザーッ」と強い雨が屋根に当たるような音、
不思議なことに、まったく眠気を感じてなかったのに、ここまで聞くと、
吸い込まれるように眠りに入ってしまったんです。
すぐに夢が始まりました。ああ、これは夢だなとわかったんです。
その中で、自分はどこかの企業の会議室のようなところの長机に座っていました。
寝るときに着ていたジャージのままです。

4人がけの長机が縦4列に並び、十数人の性別も年齢もバラバラな人が座っていました。
自分は最後列の長机の右端で、隣はガウンを着た上品そうなおばあさんでした。
その場の人はほとんど身じろぎもせず前の黒板を見つめていました。
部屋の前のドアが相手、スーツの人が入ってきました。
昼に会った老紳士よりずっと若い、自分と変わらない年代の男性に見えました。
男性は演台に手をついて「今回も参加いただけてありがたいです。
では、いつものように無言で過ごしていただきます。席も立ったりしないでください」
それだけを言うと、そそくさと出て行きました。
あとは・・・夢の中なのに、実際にその場にいるかのような退屈な時間が続くんです。
自分は最後列なのでよくわかるんですが、みなほとんど体を動かさず、
前を見たまま時間が過ぎるのを待っているようでした。

しばらくすると気持ちが悪くなってきました。
夕飯にステーキを食べたのが悪かったのかもしれません。しかしこれは夢の中です。
キリキリと胃が痛み出しました。絶対に目が覚める、それほどの痛みなのに、
自分はまだ夢の中にいるんです。脂汗が流れてきました。
隣のおばあさんが心配そうに自分を横目で見ているのがわかりました。
気持ちの悪さが頂点に達し、胃の中のものがこみ上げてきました。
自分は机につっ伏して吐いてしまったんです。
鮮血でした。吐血は1度だけでなく、自分は体を痙攣させながら何度も何度も吐いたんです。
ガタッと音がして、隣のおばあさんが立ち上がったようでした。自分の肩に手を置き、
「誰か、誰か来てください、私は元医師です。食道静脈瘤か出血性の胃潰瘍です。
 誰か病院に連絡してください。この人は死んでしまいます」こう叫びました。

このあたりからは意識が途切れがちで記憶があいまいですが、
部屋のドアが開いて白衣の人が数人入ってきたようでした。
自分を助けてくれるのかと思ったらそうではなく、叫んでいるおばあさんを抱きかかえ、
部屋の外に連れ出していきました。自分のほうは一顧だにしませんでした。
・・・目が覚めました。自分のベッドにいて窓の外が白んでいました。
ベッドのシーツには大量の血液が飛び散っていました。
夢の中と同じに吐いたものだと思いました。貧血のせいか体に力が入りません。
転がってベッドから落ち、携帯のあるところまで這っていて、
119番へ連絡しました。
そのままうつ伏せに倒れていると救急車の音が聞こえてきました。

出血性胃潰瘍との診断で緊急入院となり、その日のうちに内視鏡手術を受けました。
麻酔で眠らされ、気がつくとベッドの脇に田舎から出てきた母親がいました。
かなりの量の失血をしているということで、輸血を受けましたが、
入院は3週間くらいで済みました。
母親にアパートの部屋からタオル類と着替えをとってきてもらいましたが、
その際、老紳士から渡された報告書の封筒なども頼んだんです。
しかし母親の話では、40万の現金はむき出しのまま見つかったものの、
報告書も、CDもどこにもなかったということでした。
部屋に戻って探してもやはり見つからなかったんです。
・・・救急車で搬送されたとき、
隊員に鍵のある場所を話して戸締まりしてもらったはずなのに・・・

その後、なんとか回復し、治療費も40万まではいきませんでした。
あのおかしな夢は一度も見ていませんし、老紳士からの連絡もありません。
サイフに入れていたはずの研究所の名刺さえもなくなってしまってるし、
連絡のつけようもありません。
今考えると一連の出来事が、長い長いひと続きの夢のようです。
それにしても気になるのは、
夢の中で自分を助けようとしてくれたあの元医師というおばあさんのことです。
夢の中の登場人物の安否を心配するというの変な話なんですが・・・
とても嫌な、底寒い感じがするんですよ・・・