山のピエロ

2014.09.30 (Tue)
今、中学2年生なんですが、先週の土曜日、父と小5の弟と山に行きました。
地元の山で標高は千m以上ありますが、冬に登る人はいないし、
これまで遭難の話なんて聞いたことがないような場所なんです。
登山が趣味の父とこれまでにも何回か登ってますが、
山中には土産物屋とか山小屋とかそういうのはありません。弟は今回が初めてでした。
県民公園から9時に山に入って、3時間少しで頂上まで登って弁当を食べました。
うちは父子家庭なので、買ってきた弁当です。
ルートはほぼ一本道で、熊の危険はありますが迷うようなとこじゃないですよ。
自分はそんなに疲れませんでしたが、弟はけっこう大変そうでした。
明日あたり足が痛いと言い出すんじゃないかと心配してました。

山頂で1時間弱過ごして、下山を始めました。
30分ほど山肌のむき出しになった道を降りていくと森林地帯に入り、
そこからは傾斜はゆるいんです。
あちこちに湧き水があって、古い木板に「○○の泉」などと書かれてあり、
石を彫って水が溜まるようにしてあるものや、ひしゃくが用意されてるところもあります。
父は、それぞれの場所で微妙に水の味が違うと言ってましたが、
自分にはぜんぜん違いはわかりませんでした。
弟はデジカメを持ってきていて、いちいち泉の写真を撮っていました。
上りではそんな余裕はなかったんです。

1時間ほど下って小休止しました。下りは上りよりずっと楽なんですが、
「無理をすると足に負担がかかるから」と父が言ったんです。
そこは何カ所目かの湧き水があるところで、飲んでみたら、
他の場所とは違って生ぬるかったんでちょっと驚きました。
「深いところの水ではなんだろうな」と父は言ってました。
自分といっしょ倒木に座って休んでいた父が、薮陰の小道を指さして、
「その奥にもたしか湧き水があったぞ。すぐそこだ。写真撮るなら撮ってこい」と言って、
煙草を吸い始めました。ところが、すぐ戻るだろうと思ってた弟がなかなか帰ってきません。
「何やってるんだ、あいつ」と父が立ち上がりました。
自分も立とうとしたら、「お前はいいから、ここで待ってろ」と言われたんです。

数分で父と弟が戻ってきました。
弟は父の後ろでうなだれていたので、怒られたんだろうと思いました。
そっからは自分も口数が少なくなって、3人で黙々と下って行ったんです。
登山路は山を巻くようにくねっていて、葉陰から下の道が見えました。
10分ほど行くと、「エイ、エイ」というかけ声ような叫びが聞こえてきました。
剣道の練習のような調子で、これまで他の登山者には出会っていないし、
なんか場違いな感じだったんです。聞こえるほうの木立に近寄ってのぞき込むと、
だいぶ下に建物があるのがわかりました。
「兄ちゃん。人がいるな」いつの間にか側らに弟が来ていましたが、
そのまま身を乗り出すようにして足を滑らせ、薮の中を落ちていったんです。

「孝が落ちた!」と叫ぶと、父が「そこ降りるなよ!回って助けにいくから」
と怒鳴りました。
2人して大急ぎで落ちたあたりまで下って行ったら、
弟は草の上でバツが悪そうに笑ってたんです。ほんの数m落ちただけでした。
「何やってんだよ」と自分、父が「ケガないか」と聞くと、
「だいじょうぶ、それよりアレ」と話をそらすように下を指さしました。
見ると20mほど下に、ぽっかり砂地になった平らなところがあり、
鉄柵に囲まれたプレハブの建物があり、大きな電極のようなものがいくつも見えました。
「父ちゃん、何あれ」と聞いたら「変電所みたいに見えるが、こんなとこにあったかな」
いぶかしげな声を出しました。

「エイ、エイ」という声がまた聞こえ始め、
鉄柵の後ろから眼鏡をかけた男の人が出てきました。
ランニングシャツに下は作業ズボンでしたが、何か変な感じがしました。
肌がすごく白くてシャツから見えてる腕や肩は、貧弱というかぜんぜん筋肉がなかったんです。
年は40歳以上だと思いました。片手でシャベルを引きずって、
「エイエイ」言いながら柵の外にある木の小屋に入っていったんです。
男は犬小屋より少し大きいくらいのそこから、片手で何かを引きずり出しました。
それはすごく場違いなもので・・・ピエロの人形だったんです。
大きさは人間と同じくらい。三角帽子をかぶり、その下には毛糸の髪の毛、目は×印で、
丸い赤い鼻・・・その下は極彩色のサーカスの衣装でした。
距離があってはっきりわかりませんでしたが、服以外はすごく雑にできてる感じがしました。

いえ、間違いなく人形です。くたっとしてたし、重そうに見えませんでした。
「エイ、エイ」男の人はかけ声をかけ続けながら、
人形を片手で引きずって砂地の中央まで持ってくると、
そこに置いてシャベルで穴を掘り始めました。
自分たち3人は引き込まれたように呆然と見てたんですが、弟が、
「あの人形、さっき泉で見たのの大きいやつだ」と言いました。
つぶやくような声だったんですが、下の男の人が手を止めてこっちを見上げました。
父は「シッ」と弟の口を手でふさぎ、「行こう」と自分の背中を押したんです。
登山路に戻って、あとは湧き水にも寄らずに下り、
県民公園の駐車場に置いてあった車で家に帰りました。
さっき見たもののことを父に聞きたかったんですが、そういう雰囲気じゃなかったんです。

部屋に戻ってさっそくグーグルアースで、あの変電所を見てみましたが、
山のそのあたりの部分は解像度が悪くてよくわかりませんでした。
そうしてるうちに、弟が自分の部屋から顔を出して「兄ちゃん、胸が痛い」と言いました。
真っ赤な顔をして汗がダラダラ流れ、熱があるように見えました。
下に連れて行くと、父が額に手をあてて「これは病院だな」
車に乗せて救急指定病院に連れて行ったんです。
父は夜8時過ぎに一人で帰ってきて、「孝は入院することになった」と言いました。
着替えの下着やパジャマなんかをまとめて衣装ケースに入れ、
また出かけるようでした。「お前もこい、腹減っただろう。帰りに外で飯を食おう」
行った先は救急の市営病院ではなく、少し離れた私立の大学病院だったんです。

弟は個室のベッドで点滴を何本も刺して眠っていました。
看護師さんが入院の手続きの書類などを持ってきて、父が書いていました。
自分が「孝はどうなの?」と聞いても首をかしげるだけでした。
そこへ「ちょっといいですか?」個室の入り口から声がかかり、
見ると白衣のお医者さんらしい人でしたが、驚きで口がきけませんでした。
昼に山の変電所で見たランニングシャツの人とそっくりに思えたんです。
でも、父は気がついた様子もなく「ちょっとここで待ってろ、説明してもらってくるから」
それから30分くらいして父が戻ってきて、
「病院の食堂まだ開いているらしいから、飯を食って帰ろう」と言いました。
食堂にはほとんど人がおらず、カツカレーの食券を買ってテーブルに座りました。

自分が開口一番「さっきのお医者さん、山の中で見た人とすごく似てるんだけど」と言うと、
父は「うん?そんなことないだろう」と取り合おうとせず、
「主治医の先生だよ、市営病院で緊急にこっちを紹介されて、
 孝だけ救急車で来たのを車で追っかけたんだ。熱は下がったが白血球に異常があって、
 明日から当分検査が続くらしい。月曜から父さんは会社が終わったら毎日ここへ寄るから、
 しばらく家で一人飯だぞ。あとでお前らの叔母さんに来てもらう」言い聞かせる口調でした。
それは前にもあったんで「だいじょうぶだよ」とうなずきました。
今日一日のことを頭で整理しようとしてみたんですが、うまくできませんでした。
特に山の変電所でのことが・・・
食べ終わって、セルフでしたので父の後について食器を返しに行きました。
返却カウンターの端に、造花の花かごと一緒に15cmくらいの人形が置いてありました。
それが間違いなく、山で見たあのピエロと同じ姿をしていたんです。

『Stitches』







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手 3題+

2014.09.29 (Mon)
涸川

うちの近くを流れる美淀川・・・去年の夏の話です。
ここの川は毎年夏に水が少なくなるんですが、この年は特にひどく、
だいたい40mくらいある川幅が、四分の一ほどにまでせばまりました。
上流のダム湖の水もかなり減っていたらしいです。
川の両側は露出した泥が乾いて細かいひび割れが走り、かなり不気味に見えました。
僕は中学生で、夏休みは釣りに歩くんですが、
泥の上はかちかちで、歩いてもぬかるむこともありませんでした。
その日も10時頃から、釣り竿をかついで自転車に乗ってました。
川の横の土手から釣れそうなポイントを探していたんです。
土手をまっすぐ行くと、昔この地域がまだ村だった頃に、
当時の村長が私財を投じて造ったという石の橋があります。

危険なので架けかえたらどうかという話が出てるんです。
そこの橋桁が、4本のうちの2本までむき出しになってました。
岸に近い方の両端の2本です。
今日は橋桁のそばに針を落としてみようかと考えましたが、
まだ水中にある橋桁にはたくさん流木がひっかかっていて、糸が絡まりそうでした。
やっぱダメだな、と思って場所を変えようとしたとき、
急に日が陰って、あたりがスッと暗くなりました。
空は一面の青空でしたが、いつのまにか西側にだけ黒雲が出てて、
それが伸びて太陽を隠したんです。
川に目を戻すと、何の震動などもなかったのに、
僕のいる土手に近いほうの橋桁の根元の泥が急に深く陥没しました。
そこに大きな白いものが見えたんです。

巨大な・・・骨だけになった手でした。
指が上を向いて、白い骨先が何かをつかむようにすぼまってました。
恐竜の化石を東京の博物館で見たことがありますが、
あんな砂の色じゃなく漂白したような白い骨。
指の一本が大人の身長くらいあったと思います。・・・信じられないでしょうね。
ウルトラマンか大仏くらいもある骨だけの手なんて。
よく見ると動いていました。ズッズッと少しずつ下に沈もうとしていたんです。
まさかあの下に体があるんだろうか・・・怖くなって逃げだそうとしたとき、
大粒の雨が顔にあたりました。すぐに土砂降りになって、僕はずぶ濡れになりながら
近くの友だちの家に走り込んだんです。
雨は3日3晩降り続きましたが、渇水期だったせいで洪水にはなりませんでした。
骨の手のことは家族に話しましたが、古い埋もれ木だろうと鼻で笑われましたよ。

古民家

地方テレビ局でカメラマンをしています。去年の夏の話ですね。
夕方6時台の地域ニュースの取材で、美淀川ぞいの町へ古民家の取材に行ったんです。
そこらは県内でも過疎の特に進んだ地域で、
町興しの一環として放置された民家に手を入れ、
都会の人に格安で売り出そうとしてたんです。ネットでも宣伝してましたよ。
そこに初めての入居者がありました。
東京から来た夫婦で、2人とも40代で子どもはいないという話でした。
旦那さんが早期退職して、その退職金を元に、
隠れ家的な蕎麦の店を始めるという計画だったんです。
会ってみると2人とも感じのいい人でね、上手くいってほしいなと思いましたよ。

夫婦とも料理は素人でしたが、旦那さんは蕎麦が好きで、
だいぶ前から手打ちの練習をしていたそうで、実際に打つところを写したんですが、
かなり手慣れた感じでした。
あと奥さんのほうは工芸学校の出身で、石を磨いてペンダントを作る特技があり、
店に来たお客さんに体験教室を開きたいとも言ってました。
店はまだ開店してなかったんですが、二人で民家の中を改造し、
天井から昔の籠や簑をつり下げたりして古風な感じを出してました。
地元農家が自然卵をそこに卸すことも決まってたんです。
2時間以上撮りましたが編集して番組になったのは10分少しで、翌日放送しました。
そしたら苦情というか、問い合わせの電話が次々に来たんです。
全部で40本以上。キー局の番組ならともかく、
うちらが制作してこんなに来るなんて、県の高校入試問題の解説くらいです。

問い合わせの内容はみな同じで、
民家の天井を映したとき梁の上に手が見えたというものです。
それも2・3歳くらいの子どもの手。体はどこにもないのに、
ふっくらした白い手首から先だけが、梁の上をひらひらと動いていたんだそうです。
これは絶対ありえないです。編集のときに局のものが何人も見てるし、
アナウンサーも確認してます。当日だってディレクターがモニターで見てましたし。
だいたい、その録画映像が残ってるんですが、どこにも手なんて見あたらないですよ。
どういうことなんでしょう。・・・蕎麦の店のほうは残念な結果になりましてね。
町のものはちょくちょく食べに行ってましたが、都会からのお客さんは集まらず、
半年過ぎた頃に夫婦して姿を消してしまいました。
その後、奥さんのほうは近くの山中で首吊り遺体で発見されたんですが、
両手が体の後ろで縛られていたんです。警察は事件と自殺の両面で捜査をしてるようです。
旦那さんの行方はいまだに知れません。

必勝祈願

高校野球の話です。県営の美淀高校、地元なんですが、
この野球部がなんと、去年の夏の甲子園を目指す県南地区予選の決勝まで進んだんですよ。
もちろんそんなことは初めてで、有望な選手なんて一人もいないんです。
少しでも力がある子は、野球で引っぱられて地元以外の高校に行きますし、
こう言っちゃなんですが、地元中学の野球部で特に下手だったやつだけが残ってるんです。
だから1回戦を突破することもまれでね。どうしたんだろうってみな言ってました。
まあ快挙は快挙ですから、差し入れなんかもかなり集まりました。
地区予選でなので、もし決勝で負けたとしても、
県予選にはシードつきで出られることはもう決まってたんです。
試合は、町から車で30分ほどの市の球場で行われることになってましたから、
もうこっちがホームみたいなもんです。
応援に行くと言ってるやつが自分の職場でもたくさんいました。

試合場が近くのため、部員はどっかに泊まり込んでるわけじゃないんです。
朝に学校に集まって、町のバスで球場まで行くんです。こっからは聞いた話ですが、
決勝の前日が予備日になっていて、部員は学校で練習してから、
全員で午後4時過ぎに川沿いにある美淀神社に必勝祈願に行ったそうです。
ここは小さな社なんですけど、町の氏神みたいなもんで、
ロウソクをあげたり、参道脇の草を刈ったりするお年寄りも多いんです。
監督が先頭になって、部員全員がその後ろに列を作って、
お賽銭は奮発して監督が1万円出したそうです。
鈴を鳴らして柏手をパンパンと打った瞬間、
なんとですよ、信じられないことにエースとキャッチャーが2人とも、
左腕を骨折したんです・・・考えられないでしょう。

神罰なんて言うやつもいましたが、どっから見ても純朴な田舎の高校生ですよ。
罰を受けるようなことがあったとは思えませんね。
全部で12人しかいない野球部ですからね。なんとかやりくりして試合には出ましたが、
もちろん惨敗。その後の県予選も初戦でコールド負けです。
せっかくね、この過疎の地域が久々に盛り上がってたのに、
こんな結果になるとは思ってもみませんでしたよ。
子どもらも残念がってましたが、ケガは順調に回復し、
骨折した2人とも近くの市の建設会社で引っぱってくれて就職が決まりました。
ただね、そこの社長が今年の春に亡くなったんです。美淀川に水死体で浮かびまして、
遺書があったので自殺という結論が出たようですが、
これも不思議な話で、会社の経営は順調だったはずなんです。
まあそれ以外の事情なのかもしれませんがね。

捕逸

先日、主人が美淀川で亡くなりました。
警察の調べでは溺死ということで、会社のデスクに数通の遺書が残されていたため、
自殺ということで決着しました。
たしかに人に恨まれ殺されるような心あたりはないのですが、
自殺につながるような原因も同じように考えられませんでした。
会社は私が専務を務めさせていただいてるんですが、
経営は東京の大手とも関係がついて、非常に順調だったんです。
遺書を見れば何か事情がわかるかとも思ったんですが、
かえってわけのわからなくなるような内容でした。
「お前と子どもたちには迷惑をかけてすまない。手の発掘のことでしくじってしまった。
 このあたりにしばらく嫌なことが続いて、それは全部自分のせいだ。
 申し訳ないので死を選ぶ。自分が死んで許されることでもないだろうが。
 お前も子どもたちも、あと10年は絶対に美淀川と美淀神社には近づくな。
 子どもたちをよろしく頼む。死にたくはない」







写真 3題

2014.09.28 (Sun)
遺影1

引っ越し屋のバイトをしていたときの話です。全国展開の大手チェーンで、
言えばだれでも知ってる会社だと思いますよ。
そこは朝に出勤すると手配割が渡されて、当日の仕事内容がわかる仕組みになってました。
大変なのは10t車による一軒家の引っ越しで、これは5~6人で一日がかりです。
2階からタンスを下ろすとかキツくて危険な作業があるし、大型冷蔵庫やピアノ・・・
パッキングする食器やガラス類も多数あるんでうんざりします。
それに対して、アパートの部屋からの引っ越しは楽ですね。
荷物が多くないから4t車1台で済むし、パッキンする必要があるものも少ない。
ただね、現場に行ってみないとわからないこともあるんですよ。
例えば客がボデイビルダーで、計何百kgのバーベルのウエイトがあったり、
注意深く梱包しなきゃならないガンダムとかのプラモがガラスケース3つ分あったりとか w

その日は楽だと思いましたよ。一軒家ではありましたが、平屋で2部屋だけだったんです。
作業員は3人で自分がリーダーでした。客は40代くらいの男性で、髪が長く、
上下黒のトレーナーを着て、職業がよくわからなかったです。
その筋系にも見えないし、自由業の何かだろうとは思ってました。
でね、部屋に入ると客が自分で梱包したダンボール箱が3つできてて、
その他に荷物はあんまりなかったんです。
「これは商売道具が入ってて、貴重なもんだから自分でやったよ。
 あとここは仕事部屋で生活用品はほとんどないけど、
 隣の部屋に手間をかけそうなもんがたくさんあるから、よろしく頼むね」
こんなふうに言われました。
客が俺らに見せたくないものを自分で箱詰めすることはよくあるんで、
「わかりました」と言って、次の間に行って呆然としました。

四方の壁全部が、ガラス入りの額縁写真で埋め尽くされてたんです。
フレームはほとんどが漆塗りの黒で、白黒のテープがついたのまである・・・
つまり遺影なんです。全部で100枚以上はありました。
「これも大事なもんだけど、一人じゃ無理だからね。なんとか頼むよ」
会社に携帯で梱包に時間がかかると連絡してから、
3人で一枚一枚パッキンで包む作業を開始しました。10枚ほどで会社のダンボールは一杯。
もちろん事情を聞くなんて不躾なことはしませんでしたよ。
それはマニュアル違反ですから。遺影は全部違う人のもので、男女半々くらい、
老齢の人が多かったですが、若い人のもありました。ガラス部に指紋をつけないように注意して、
2時間かけてなんとか梱包を終えて、4t車に積み込んであとの2人は帰し、
自分が運転して出発しました。荷の下ろしと設置は行った先の支社のやつがやるんです。
客は自分の車で出発。行き先は県内の別の市で、ゆっくり走って1時間くらいでした。

時間は昼前でしたし、道中おかしなこともなかったと思います。
段差で揺れたとか絶対なかったです。ナビどおりに着いた先は高そうなマンションでした。
地下の駐車場で、客と支社の作業員が2人待ってました。
降りて4tトラックの後部を開けると、箱に入れてた額縁の角が、
いくつもダンボールを突き破って飛び出してたんです。・・・ありえないことですよ。
緩衝材も十分詰めて動かないことを確認してましたから。
「これは・・・すみませんです」驚いて自分が言うと、客は、
「いいんだよ。いやこれ、この人たちが自分で暴れたんだから。
 これくらい元気があってくれないと仕事にならないからね」こう答えました。
で、さっき言ったように禁じられてるんですが、好奇心を抑えかねて思わず聞いてしまいました。
「これ、何に使用されてるんですか?」客は気分を害した風もなく、
「いや俺、拝み屋だからね。御祈祷のときに使用させてもらってるんだよ。
 あんたらも憎い相手とかいたら来てよ、呪い系もやってるから。料金はサービスするよ」って。

ツーショット

先月のことです。大学の仲間に城田ってやつがいまして、
日頃から霊感があるって吹聴してるようなやつなんです。自信たっぷりというか傲慢なタイプで、
男からは嫌われてましたが、けっこう女にはモテてたと思います。
その城田が、普段は滅多に顔を出さない研究室に慌てたようにして入ってきたんです、
「やべえ、やっべえ」みたいな一人言を言いながら。手にデジカメを持ってまして、
授業の合間とかで研究室にたむろしてる誰彼をつかまえて、
自分とのツーショット写真を撮り始めました。いや、全部男とです。
城田と仲間が並んで立ってるところを、もう一人のやつに撮ってもらうんです。
で、一枚撮ったら、城田はカメラを手に戻して撮ったばかりの画像を見ながら、
「うーん、だめだな」とか言ってました。
相手を代えて何枚も撮りましたよ。俺も撮られましたよ。

後から考えると、ツーショットといっても、
城田は自分と並んだやつとの間に人一人分くらいの間隔を開けてたんですが、
そのときは気がつきませんでした。
で、研究室に来るやつ来るやつとそれをくり返してましたが、
あるやつと撮った画像を見て「お、これはいい。なびいてる、なびいてる」
とか言って、カメラを持ってどっかへ飛び出して行ったんです。
残ったやつは「何だよ、今の!?」とか言ってあきれてましたが、
まあ大学生の生活ですからね、この程度のことはそんなに珍しくもなかったんですよ。
俺もなんかの悪ふざけだと思ってましたね。
それから1週間くらいして、俺らの研究室の准教授の出版記念会があったんです。
そのとき城田と席が近くになって、
あんまり話題がなかったんで「こないだ、みなと写真撮ってたよな。あれ何だったんだ?」
と聞いてみたんです。

城田はちょっとバツが悪そうな顔をしてましたが、
「うーん、お前には関係ないから教えてもいいか」そう言って、
バッグから先日使ってたカメラを取り出しました。
「いやね、ちょっと女関係で生霊に憑かれちまったんだ。
 でね、あんまりしつこいから、他のやつを紹介してやろうと思ったんだよ。
 贅沢な女だったが、竹中が気に入ったみたいだ。
 お前には特別見せてやるから竹中には絶対に言うなよ」こう念を押され、
メモリからディスプレイに画像を再生して見せてよこしたんです。
城田と竹中が離れて立っていて・・・その真ん中に薄ぼんやりと透けた女が写ってました。
いや、学生じゃなく、どっかの奥さんみたいな年配の人でしたよ。
透けた女は竹中のほうを向いて、手を肩に伸ばしかけてましたね。
竹中には言ってないですよ、どうせ信じないと思うし。
それに何だか、今あいつ幸せそうですしね・・・

遺影2

結婚するつもりでした。あらかじめ両親には話してあり、喜んでくれてました。
私の年が年ですから、口には出さなくてもずいぶん心配してたんだと思います。
それで1ヶ月ばかり前、お相手の幸田さんを自宅に招待したんです。
父はすごく興奮してまして、上寿司やらいろんな料理を居間のテーブルに並べて待ってました。
娘の結婚相手と酒を飲むのが、昔からの念願だったらしいんです。
7時すぎにいっしょに帰宅して、スーツをビシッと決めた幸田さんは、
あんまり緊張してない感じでした。
むしろ私のほうが心配でした。幸田さんがお祖母ちゃんに気に入ってもらえるかどうかって。
で、テーブルについて、彼が挨拶をし「娘さんを・・・」と言おうとしたとき、
父が「まず、まず、それはあとで聞くからまず飲もう」ビールをついだんです。
父の隣に座った母は心配そうな様子で、
ちらちら私たちの後ろのガラス障子のほうを見てました。

居間には父の後ろに大きな仏壇があって、扉はいつも開いてあるんです。
前のほうに15cm四方くらいの祖母の無表情な遺影が飾られていました。
祖母は私をたいへんかわいがってくれていましたが、
私が中3のとき、老衰で亡くなりました。
その祖母の遺言で、遺影はつねにそうしてあるんです。
幸田さんは飲めるほうでしたので、父の話に調子を合わせてましたが、
だんだん母の顔色が変わってきて、父の機嫌も悪くなってきたんです。
これは・・・と思い、後ろをふり返ってみたんです。
後ろのガラス障子は紙を張った障子の部分が上げてあり、
黒々としたガラスに祖母の遺影が映っていました。
そしてガラスの中の祖母の顔は、ものすごい形相に変わっていたんです。
怒り心頭という感じに表情がゆがんでいました。

祖母は生前、ふだんは優しかったんですが、曲がったことが嫌いで、
怒るととても怖かったんです。仏壇にあるほうの遺影は、相変わらず無表情のままでした。
「ああ、おばあちゃんが怒っている」と思いました。
突然「あんたには娘はやれん、帰ってくれ!!」父が怒鳴り声を上げました。
「ああ、お父さん。でも・・・」と幸田さんが言いかけたとき、
父がビールのコップを投げつけました。
それはテーブルに跳ね返って割れ、幸田さんが立ち上がりました。「何するんですか!」
父も立ち上がって「母さん、バット持ってこい、バット」
母がバットのかわりにゴルフクラブを渡し、父が今にも殴りつけそうな様子でしたので、
幸田さんは逃げ出してしまいました。
父が「○美、後を追うなよ!」と叫び、玄関まで追いかけていきました。
私はその場にくずおれて泣いていたんです。それからいろいろとありましたが、
幸田さんが複数の女性への結婚詐欺の容疑で逮捕されたのは、つい1週間前のことです。




不思議なジャンル

2014.09.27 (Sat)
これは怪談論に入ると思いますが、論というほど立派な内容でもありません。
自分がこのブログを始めた動機は、
ネットの掲示板のあちこちに書き散らしていた怪談・怖い話が数十話になったので、
そのまま散逸させるにしのびず、一カ所にまとめておければと考えたからです。
だから最初の3ヶ月くらいは、
どこここに散らばっていたものをコピペして貼りつけるだけでした。
それらは全部、掲示板には実話であることを建前として書いたものです。

ネットに実話怪談を投稿するのは、やりやすい点とやりにくい点があります。
やりにくい点の一番大きなものは、
実際に体験したんなら証拠を出せと言われることです。
奇妙な手紙が来た、不思議な写真撮れたといった内容にすれば、
手紙をうpしてくれ、画像貼ってくれ、というコメントがつきます。
自分や関係者の個人情報を盾にして断ることもできますが、
断ればそれはそれでシラーっとした雰囲気になってしまいます。

特に2ちゃんねる初期のオカルト板の場合は、
わざわざ画像や手紙まで作っておいてから壮大な釣りを始める人もいたので、
なおさら証拠があるのに出さないのは、
お手軽に作った創作だからだろうという感じが出てしまうんです。
そのため自分も変なくせがついてしまい、
コメントで「~を見せてくれ」と言われないような話の筋を
最初に考えるようになりました。

書きやすいというか、楽な点としては、建前は自分の体験した実話なので、
すべての事情が自分の目から見えていないのは当然ということです。
「こんな目に遭ったが、なぜそんなことが起きたかわからない」
「その人がどうしてそういうことをしたか想像がつかない、
 でも実際にそうなったんだ」と言うことができるんです。
そして裏の事情がわからないからこそ、かえって話に不気味さが出る場合もあるんです。
よく「これは実話だから、オチはないんだ、すまんな」というレスを見かけますが、
こんな感じで結末をあいまいにして放り出すことも可能なんですね。

「創作怪談である宣言」はブログを始めた当初からする予定でいました。
自分の話はすべて1人称の語り形式です。
しかも語り手は同じ人物ではなく、話の内容にふさわしい性別・年齢に設定してあります。
これらすべて自分が実際に体験した話だ、とはどうやっても言えないわけです。
いろんな人から取材したことをまとめたもの、
とすれば実話の建前は守れたかもしれませんが、
そのためにすべての話を書き直すのは面倒で、やる気が起きませんでした。
で、創作宣言するような形で新たな話も書き加えていったわけです。

実話怪談というのは極めて特殊なジャンルです。これがホラー小説であれば、
多くの名作と呼ばれるものには起承転結のはっきりした筋立てがあり、
オチ、あるいは盛り上がる場面が仕組まれています。
登場人物の性格もしっかり書き込まれているので感情移入もしやすいというか、
最初から作り物という前提なので、
細部をきっちり描かないと、読者が話の中に入ってきてはくれないでしょう。

ところが実話怪談では、
取材者が素人の体験者の話を何度も聞き返しながらまとめ上げたという形なので、
つじつまの合わない部分や、まったく解決しない謎の部分があってもしかたないわけです。
上記したように、むしろそういう部分があったほうが、
話にザラザラした不安定な味が出てくるんですね。
このあたりは追加の話を書くにあたってけっこう考えたんですが、
基本的に2本立てでいこうと決めました。

ブログの場合はオカルト掲示板とは違って、さまざまな人が見るだろうし、
いろんなタイプの話があったほうがとっつきやすいだろう、というのもその理由の一つです。
で、基本的に当ブログでは、
筋立てがはっきりしていてオチのついている話と、わざと構成をいびつにして謎を投げ出し、
不条理感を残して終わる話の二本立てで書いているつもりです。
みなさんの拍手数を参考にさせていただいてはいますが、
どっちが受けがいいかはいまだによくわかりません。

例えば自分の最近の話の中では「テレパス」「寄付します」なんかは
前者のオチのあるショートショートのようなタイプで、
「馬頭」「牛鬼」などは後者のタイプになります。
この二本立ての形にしてよかったと思うのは、オチのある話だけ毎回書くのは
ネタを考え出すのがあまりにもしんどいので、後者を混ぜてなんとかしのげることです。

書いていて難しい点は両方のタイプともあります。
ショートショート系はアイデアを考えつくまでは大変ですが、
頭の中で筋ができあがってしまえば書くのは楽です。
そしてデキが悪くても、最初のアイデアが悪かったからとあきらめもつきます。
その日いいアイデアを思いつくかどうかは運みたいなもんですから。
後者の雰囲気系は、書いていて思うように不気味な感じを出せず、
こねまわして変なものができあがるとけっこう落ち込みます。

最後に、この項で世にある実話怪談はすべて創作であると言っているわけではありません。
その点は理解していただきたいなと思います。




心霊動画

2014.09.27 (Sat)
およそ1ヶ月前のことです。
大学の学園祭があって、俺らオカルト研究会でも催し物をしたんです。
何をやったかっていうと、小教室一つ借りてのビデオの上映会です。
しょぼいと思うかもしれませんが、
研究会はメンバーが男ばっか7人しかいないんです。
しかも俺らの大学は、教養学部と専攻学部でキャンパスの場所が違ってて、
両方で同時に同じビデオを上映したんで、二手に分かれなきゃなんなかったんですよ。
でもね、日頃の活動の成果をいちおう報告する場でもあるわけですから、
ビデオはもちろん借りてきたやつとかじゃなくて、
ナレーションも入れて自分らで編集したんです。

内容は3部に分かれてて、最初は世界の心霊写真の歴史というテーマで、
古今の有名な心霊写真をスライドショーにしたもんです。
ほら、心霊主義時代のイギリスの霊媒が霊を呼び出してるやつから始まって、
昭和の中岡俊哉さんの本からとった有名なやつ、
最近のネットから拾ったやつとかの解説。
第2部は心霊動画ですね。これはテレビのいろんな番組でやったやつが中心です。
最後が、俺らが実際に心霊スポットに行って撮ってきたもんで、
これがホントはメインだったんですが、やっぱりね、
素人が撮ったもんだから間のびしてるし、変な音声とかは入ってましたけど、
はっきりした霊の姿とかが映ってるわけではないんで、
お客さんにはあんまりうけませんでした、

でもね、俺もお客さんといっしょに見てましたが、
1部2部はそこそこ盛り上がったんですよ。
2日間で、俺らの専攻学部キャンパスは、お客さん130人くらい入りました。
教養学部は交通の便の悪いとこにあるんで、40人くらいって言ってましたね。
で、2日目の午後、学祭が終わった後に、
メンバー全員集まって打ち上げをやることになってました。
場所はこっちの学部近くのカラオケボックスです。
で、教養学部のやつら3人が車で来るまでの間、
お客さんに書いてもらったアンケートを集計してたんです。
全体の感想と、心霊写真、動画、心霊スポットの紹介のそれぞれで、
どれが一番怖かったか、なんて内容のやつです。

そしたらちょっと妙なことになりました。
「おい、このアンケート、感想で4人に1人くらい、
 面白かったが途中で入ってたグロ動画はちよっといただけないみたいに書いてるんだが、
 グロ動画ってどれのことだ?
 霊体がモロに映ってるのがほとんどだけど、さすがにグロは入ってなかったと思うけどな」
「こっちもだ。感想もそうだし、動画の投票でも最後の首がちぎれるやつが怖かったです、
 って書いてるやつが何人かいる。変だよな。後で誰かそんなの入れたか?」
「いや、俺は1回目の上映のときずっとついて見てたけど、なかったと思うけどな」
「今、ビデオあるんだから見てみようぜ。第2部の動画のとこだけでいいから」
ということで、プロジェクターは使わないで、パソコン上で再生してみたんです。

ところが、動画は13本入っててそれから心霊スポット編に移るんだけど、
13番目のが終わったところで、画面がフリーズしてしまったんですよ。
けっこう最新の機種でメモリも増量してあるから、今までそんなことはなかったのに。
「おっかしいなー」「ちょうどここで止まるなんて何か気味悪いな」
「おっ、ついにモノホンの心霊現象が俺たちにも起きたのか」
こんなことを言い合ってましたが、パソコンは完全に固まっちゃいました。
「これじゃあラチがあかねえな。
 ・・・そうだ、俺らの知り合いで見に来てたやつ何人かいたよな。
 あいつらの誰か、連絡つきそうなやつに電話して、どんなの映ってたか聞いてみないか」
「たしか資源学部の髙橋が来てたよな。番号わかるからちょっと連絡してみる」
高崎はすぐに出たようでしたが、電話したやつは5分くらいも話し込んでました。

電話が終わって、
「変な話なんだよ。2部と3部の間にお前らが作った動画入れてたろ、
 って言うんだ。いや、心霊スポットのじゃなくて、
 場所は向こうのキャンパスの近くの道路、ほら清涼飲料の工場を過ぎたあたり。
 あそこで、車の中から外を映してる映像が入ってたって言うんだよ。
 で、1分ほど走った後、急に画面が回転して、倉庫の壁に激突したらしき映像になって、
 フロントグラスにヒビが入ったって」
「で、その後、画面がしばらく止まってたが、西宮が突然画面に入ってきたんだと。
 西宮の頭が半分つぶれてて、しかも首筋から大量に血を噴き出してたって言うんだ。
 すごいリアルで、よく作ったなって感心してた。でも、そんなの作ってねえよな」
「少なくとも俺らは作ってねえよ。やったとしたら向こうの班だろ。
 俺らの知らないうちに編集に混ぜたとしか考えられんな」

こう俺が言ったとき、突然教室の照明が消えたんです。スイッチは3つに分かれてて、
全部消えるなんて考えられないんです。
同時に、パソコンから音量一杯で音声が聞こえ出しました。
雑音・・・「何かいる。何だよこれ!」「おい危ねえ、ハンドルちゃんと持て」
「うわわ、さわるな、うわああああー」絶叫。
画面も動き出してて、ほとんど高崎が言ったとおり。
後部座席から前を撮った映像で、鮮明だったんで携帯で撮ったんじゃないと思います。
ヒビどころかフロントガラスは半分割れ落ちてて、バッグとかが席の間にはさまってました。
ぬっと運転席から顔が横に出てきて・・・車の持ち主の西宮でした。
人相がわからないくらい血だらけで、頭の形が変でした。
首が切れて、血がビュッビュッ噴き出してました。
西宮が真っ赤な顔で倒れ込んで・・・そこでブツンと切れ、教室の照明がついたんです。

「なんだよ今の!」「ありえねえよ、こんなの作れるはずない」
みな立ち上がって口々にわめき散らしました。
「向こうのやつらに連絡すしてみる」一人がそう言って携帯を捜査し始めました。
俺もかけてみたんですが通じない。ずっと呼び出しになってたんです。
「あ、出た」仲間の一人が言いました。すぐに通話の口調が変わったんです。
「こちらは大学の同じサークルのメンバーです。ご苦労さんです。
 わかりました。~病院ですね」こんな感じで切り、俺らに向かって、
「警察が出た。やつら事故ったらしい。2人は○○病院に救急車で運ばれたって。
 あと1人、車内から救出しようとしてるとこだって」
大変な騒ぎになりました。

2人は即死状態でした。残った一人もいまだに意識が回復していません。
車は完全に壊れて廃車、3人の両親がこっちに出てきて2人の遺体は引き取られました。
郷里で葬式をやって、俺らももちろん行きましたよ。
車の中にビデオカメラや上映用のパソコンがあったかどうかはわかりません。
何もかもメチャクチャで、それどころじゃなかったんです。
あと、こっちのパソコンですが、完全に壊れちゃったんですよ。
まったく動かなくなって、修理もききませんでした。初期化しても直るかどうかって。
学祭の上映作品は、コピーしたものが何本かあったんですが、
それには事故の映像は入ってなかったんです。俺らが編集したとおりのもんでした。
わけわかんないでしょう。残ったメンバーはみんな頭おかしくなりそうなんですよ。


*実験的な書き方をしてみましたが、なんかダメでした。




2014.09.25 (Thu)
小学校のときの話だよ。クラス替えをした6年のことだな。
俺は今19だから、そんなに昔ってわけでもない。
ジャイアンがいたんだよ。いじめっ子ってことだ。
まあジャイアンの場合はアニメの登場人物だからか、やることがぬけてるし、
かわいげもあるよな。ところがこいつの場合、ホントに小学生とは思えない、
シャレにならないやつだったんだよ。名前は仮に武田とでもしておくか。
体がでかいし力が強い、ここまではジャイアンと同じだが、武田はそこそこ頭もよかった。
何より具合が悪いのは、こいつの親父が地元の組の幹部だったってことだ。
だから担任始め、先生らもみな腫れ物にさわるような扱いをこいつにしてた。
武田が歩いてると、不良の中学生まであいさつしてくんだから察してくれよ。

で、俺ともう2人、クラスで集中的に悪ふざけを受けてたやつがいた。
小学生のときのことだから、金取られたりはしなかったが、
そのかわりガキっぽいイタズラはさんざんやられた。
だなあ、例えば、給食に理科の実験で使ったクエン酸の結晶を入れられたりとか。
あと肉体的な暴力だな。武田はスポ少に入ってなかったが、親父に関係した道場で
空手の直接当てるやつを習ってて、よく実験台にされたもんだ。
跡がつくから顔はやられないけど、そのかわり腹や太ももを集中的に叩かれ蹴られたんだ。
俺もその頃は気が弱かったし、今もそうだが体が小さいんで、
逆らうとかまったくできなかったんだよ。
あとの2人も、ゲームとアニメしか能のないようなやつだったから、
クラスでの同情もほとんどなかったんだ。

むしろ他のやつらは、武田のイジメのターゲットが固定してるのを、
自分のほうに降りかかってこないからって、歓迎してるみたいな感じだった。
な、人間なんてそんなもんなんだよ。
・・・俺の他の2人を西山、と東村って名前にしておく。
ある土曜日の午前中、3人で集まったんだよ。その週も西山がズボン下ろされるとかの
悪ふざけがいつものようにあった。で、東村の家に集まったとき、西山が、
「武田、ガマンできねえよな」って言い出した。
俺らはその名を聞くのも嫌だったから、暗い顔でうなずいた。
「俺よ、ネットで呪いとか探してるんだ。武田に仕返しできそうな強力なやつ。
 で、いろんなサイトをみててたら『蠱毒』ってのがあったんだ」
そう言って、プリントアウトした紙を配ってよこした。

内容は小学生でも読める程度のもので、
気味悪い挿絵とともに、蠱毒についての説明が書かれてあった。
『器の中に多数の虫を入れて互いに食い合わせ、
 最後に生き残った最も生命力の強い一匹を用いて呪いを行う』
「これならできそうだろ、このあたりは虫も多いし」
「マジかよ、こんなのホントに効果あるんかな」
「それが、他に調べたとこだと、日本の昔の身分の高いお姫様で、
 実際にこの呪いをやった人がいたらしい」
「で、どうなった?」
「その人は捕まってちゃったんだ。でも、呪いは確実に効いたみたい」
「でも、その人がやったってバレちゃったわけだろ。それだと意味ないんじゃないか」
「それは昔は、陰陽師という専門家がいたからだけど、今はそんなのいないだろ」

こう相談して、やってみるだけやってみようってことになった。
東村の家にあった梅酒用のガラス瓶、
これを裏の団地の丘の斜面の土の軟らかいとこに埋めた。
そこは小山を切り崩して造成したところで、あたりは松の林になってたんだ。
「今日と明日で、これに毒虫を持ってきて入れよう」ってことになり、
割り箸を持って林の中に散らばった。なんとなくワクワクしてきたんだ。
今から考えれば、さすがに効果は信じてなかったと思うが、
どうやっても現実にはできない武田への復讐を少しでもやってるんだってことと、
あとは「呪い」自体に対する興味もあったんだろうな。
とはいえ、6月だったけど虫・・・それも毒虫なんて見つからないんだよな。
瓶の中に溜まっていったのは、小さなクモ、やはり小さなムカデとハサミ虫、
毒も何もないただのカエル・・・そんなのばっかだった。

1時間ほどで飽きてきて瓶の前に集合した。
「なんだよこれ、しょぼいな。せめてヘビとかいないと効果ないんじゃないか」
「ヘビなんてここらで見ないし、いても気味悪くてつかめないよ」
「しょうがないから、量でいこうぜ。
 とにかく瓶半分くらいになるまで、虫を詰め込んでみよう」
で、その日と、翌日の日曜で量だけはそれなりに集まったんだよ。
ただ、瓶の半分まではいかなかった。三分の一くらいだったな。
底が見えなくなって、毛虫やなんかが重なってうごめいてる様子は、
なかなか気味が悪かったよ。
「呪文とかないのか?」「どこにもそんなの書いてなかった」
「でもよ、これ武田を呪ってるもんだとわかんないじゃないか」
「じゃあ後で武田の名前を書いた紙を入れておく」家が一番近い東村が言った。

西山が「来週の土曜日に掘り出してみよう」と言って、瓶の蓋を閉めて軽く土をかけた。
で、俺らにとってはハードな一週間がまた過ぎて、
同じように、土曜日の午前中に集まった。
「あれから蓋開けてないよな」「うん、武田の名前を書いた紙を入れてからさわってない」
表面の土をほろうと、すぐ赤い瓶の蓋が出てきた。開けて、中をのぞき込んでみた。
・・・不思議なことは何もなかったよ。気温は高かったが、瓶が密封状態だったかせいか、
虫は腐らないで、そのままの形でカサカサに乾燥してるのが多かった。
食い合いしてる様子はぜんぜんなかったな。
割り箸で細長い紙を引っ張り出してみた。
マジックで武田の名が書いてある東村が入れたやつだ。
それにぽつ、ぽつと白いものが10個ほどついてたんだ。大きさは3mmくらい。
前にアリの巣の観察ってのをやったが、あの卵みいな感じで透明感があり柔らかかった。

「何だこれ?」「虫の卵だな」「アリのみたいだ」
「でかいアリは入れたけど、女王とかじゃないし中で卵を産むとは思えないな」
「どうする?」
「武田の給食のスープに入れてみないか、俺、来週当番だし絶対わかんないから。
 これ一個筆箱に入れて学校へ持ってって、手の甲とかにつけて盛りつけして、
 武田が来たらスープの椀に落としてやればいいんだ」西山が言った。
「よし、じゃあまかせた」
小さい卵を二個、近くに落ちてたペットボトルの蓋につけて持って帰ったんだよ。
瓶はそのまま掘り出さず、中身ともどもうっちゃっておいた。
で、月曜日に計画を実行したんだよ。
西山は盛りつけを自分から買って出て、武田がお盆を持ってきたときに、
親指につけていた卵をスープの中に入れて具を多く盛った。
卵は白ゴマみたいに小さいから、具にまぎれればわかるとは思えなかった。

どうなったかって?武田は5時間目に「腹が痛え」と言い出して早退した。
俺ら3人は目配せしあって喜んだよ。罪悪感なんてまるでなし。
放課後に集まって「このままずっと休めばいい」「死ねばいい」って言い合ったくらいだ。
・・・その夜のことだ。俺は部屋に弟と2人で寝てたが、
猛烈に顔がかゆくなって目が覚めた。額の真ん中のところだけ集中してかゆい。
暗い中でさわってみると、異様な手触りがした。虫に刺されて腫れてるとかじゃないんだ。
起き出して洗面所に行って電気をつけた。鏡を見てひっくり返りそうになったよ。
額から生え際にかけて、あの卵そっくりのものが数百、いやもっとか、くっついてたんだ。
「あー」と言いながら、テイッシュをとってこすった。
そしたら強烈な痛みがあって、テイッシュが血だらけになった。
額の皮がべろんと剥けたんだよ。

俺は絶叫して、そしたら親が来て夜中だけども救急指定病院に連れてかれた。
医者の診断では虫さされ、それを掻きすぎて皮が剥けたということだった。
でもよ、さわったのは少しだけで、強く掻いた覚えはなかった。
医者は、「さっきも似たような患者さんが来てましたね」みたいなことをちらっと言った。
で、次の日遅れて学校に行くと、東村も同じように頭に包帯を巻いてたんだ。
休み時間話を聞くとまったく俺と同じことが起き、
俺より1時間ほど早く同じ病院に行ってたみたいだった。西山は何でもなかった。
あと、武田のやつだが、普通に朝から学校に来ててぴんぴんしてた。
額は俺は2週間ほどで直ったが、東村のほうはヒドくて、1ヶ月以上かかったはずだ。
でね、イジメはずっと続いたんだが、
中学校になって、やつは私立に入ったからそれで終わりになった。

武田は高校を中退して、もう組員になってるらしい。
俺は高校を卒業して、大きめの市に出て働いてるから会うこともない。
あと・・・一人だけ皮が剥けなかった西山な。
あいつは死んだんだよ。中3のときだ。
受験間近の2月頃だったな。夜になっても家に帰らず、翌朝に凍死体で発見されたんだ。
それが、あの蠱毒の瓶を埋めた場所だったんだよ。
近くに懐中電灯が転がってたっていう話だったから、自分でそこに行ったんだろう。
何があったかは、俺は違うクラスだったからよく事情はわからない。
悩みでもあったのか、蠱毒をもう一度やろうとしたのか、それも・・・
まあこんな話なんだ。
不思議なことがあるような、そうでもないような感じであんまり面白くなかっただろ。
でも、しゃべることができてすっきりしたよ。


*話に出てくる、「蠱毒を使ったお姫様」というのは、
井上(いのえ)内親王のことで、奈良時代の有名な御霊です。
伊勢神宮の斎王から後の光仁天皇の后となりますが、
772年、夫の天皇を呪詛(巫蠱大逆の罪)したかどで廃后され、
子の他戸親王と共に庶人に落とされて幽閉先で同日に死去することになります。
この死は自殺あるいは暗殺説があります。
 天皇呪詛については藤原氏の陰謀という説が強く、
罪なくして死んだ廃后は龍と化してさんざんに
祟りをなしたという伝説があります。(藤原百川を蹴爪にかけて殺した)
後に罪はえん罪であったとされ、名誉回復されています。
平安遷都が行われたのは、この井上内親王、早良皇太子、藤原広嗣らの御霊が跋扈したせいと
まで言われることもあります。

『蠱』香港道教HPより
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狸(一勝一敗?)

2014.09.24 (Wed)
ガーン

うちのじいさんの話。畑もやっていたが、
1年のうちの何ヶ月かは山暮らしだったんだよ。
生計が半分、趣味が半分って感じでね。あちこちの山に簡易的な小屋を建てて、
そこを泊まって歩く。その間、食料はむろん山の中で調達するんだ。
いやいや、冬場でなければ山は豊かだ。
今の植林した杉林ではどうにもならんが、雑木が濃い山なら、
木の実、山菜、キノコに獣肉・・・じいさんは鉄砲持って歩いてたからね。
だが職業的な猟師ってわけじゃなかった。
兎や山鳥を撃って自分で食べるくらいで、炭焼きが主だったな。あとは薪の切り出し。
どこも国有林の今とは違って、じいさんの当時は山の奥の奥に分け入れば、
誰のもんでもない場所だったんだ。

ある山に入った晩のことだ。当然、夜間に行動なんて厳禁なんだが、
そのときは、どういうわけだか行程の計算を間違えてね、
次の拠点小屋に入るのが遅れちまったんだ。それでもまだ8時過ぎだった。
雨でも降ってれば適当な場所で野宿したんだろうが、
空は晴れてたし、小屋まであと1時間足らずってとこだったから、
松明を灯して先を急いだんだ。
で、林の中を抜けて尾根に出たとき、妙に空が明るいことに気づいた。
見ると、桃の実のような大きな満月が向こうの山の端にかかってた。
赤っぽい色の見事な月でね、しばらく見とれてたんだが、
そのうちにその日が二十夜過ぎだってことに思いあたった。

二十夜を越えると下弦の月だよな。俺はあんまり詳しくないが、
満月じゃないし、そもそもまだ月が出る刻限じゃない。
これはおかしいと思ったとたん、つぶてが足下に降ってきた。
それも不思議なんだよ。森の中ならともかく、そのときいたのは見晴らしのいい尾根で、
石を投げれば投げた場所がわかるはずだ。
それがまるで中空から湧いて出るように2発目、3発目が飛んできた。
4発目、大人の握り拳大のが頭をかすめたとき、じいさんは飛び退って斜面に伏せた。
でね、背負ってた鉄砲を抜いて、慎重にねらいを定めて撃ったんだ。
何を撃ったかって? もちろん、空にかかる満月だよ。
ガーンと鉄砲の音がし、そしたら空のほうでもガーンという音が響いたんだ。

目をぱちくりさせると、月はなくなってた。
で、さっき出てきた森の中から「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ」と、
大勢の笑い声が重なったような音がした。ぞーっと怖くなったが、
じいさんは鉄砲を収めると立ち上がって胸をはり、腰の山刀を見せつけるようにして、
ゆっくり歩いて小屋へと向かったんだ。
で、小屋について入り口の筵をめくると、土間に大きめの銅鍋が転がってた。
拾い上げると、底がへこんで大きな穴が開いていた。鉄砲の穴だとわかった。
それでじいさんは合点がいったんだよ。
鍋は、前にその小屋に山仲間と入ったときに狸汁を煮るのに使ったもんだったから。
夜っぴて寝ず、囲炉裏の火を絶やさないよう警戒して過ごしたせいか、
その後はおかしなことはなかったらしい。

くるくる

これもじいさんから聞いた話。
そんときは長期の山入りじゃなく、町まで買い物に出て峠越えの近道で帰るところだった。
だから鉄砲はもちろん山刀も持ってなかった。
町にはなんと、かんざしを買いに行ったってことだった。
娘、俺の母親だな・・・にくれてやるためと言ってたが、これは怪しいもんだと思ったね。
ずいぶんと浮気をしてばあさんを泣かせたって話も聞いてたから。
それはともかく、昔の人は1日歩きづめでもまったく平気だったらしいな。
じいさんが提灯を下げて林の中を歩いてると、
いつの間にか道の前に人の姿がある。あでやかな着物を着た娘っ子のようだ。
こんな夜更けに若い女が一人で歩いてるなんてありえない話で、
じいさんは「ははあ、狸か狐だろう」ってすぐに察したそうだ。

でね、面白くなって、相手がどう出るか見てやることにした。
化かしにきたんだろうが、夜道の退屈しのぎに逆にこらしめてやろうと思ったらしい。
足を早めて娘に追いつき横に出ると、娘はなぜか手に風車を持ってた。
娘がじいさんのほうを見てしなを作ったときには、笑いをこらえるのに苦労したそうだ。
で、「夜道は心細いので、御同道してもらえれば心強い」みたいなことを言う。
じいさんは「いいすよ」と答えて、しばらく並んで歩いた。
そのうちに娘が、じいさんに「刃物は持っておりますか」と聞いたそうだ。
じいさんが「持ってない」と答えると、娘は心なしか笑って、
「この風車、弟にやろうと思って買ってきたものの、回りが悪くて。
 ちょっと見ていただけませんか」と言ってきた。

立ち止まってじいさんが風車を手に取ろうとしたが、娘は離さない。
娘がじいさんの顔に風車を向けると、くるりくるりと回って、
それを見ているうちに頭がぼうっとなってきた。
じいさんは「これはいかん、化かされてしまう」と思い、
懐に入れたかんざしは紙に包んであったが、そのまま先っぽで自分の腿のあたりを突いた。
その痛みで我に返ったじいさんは、手を伸ばしてぐっと風車をつかんだんだ。
「ぴー」という鳴き声がして、じいさんの手には、ぼうぼうの狸のしっぽが握られていたんだ。
まだ若い雌の狸だったそうだ。
じいさんは、「俺の目を回そうったってそうはいかん。お前のほうが目が回れ」
そう言って、二、三度狸を振り回してから脇の薮に放り捨てたんだ。

ザザッと逃げていく音がしたそうだ。
じいさんは一人で大笑いしながら、足取りを早めて村に入ったんだ。
家に着いたときは明け方近くになってた。
で、懐から紙包みを出し、開けて見て驚いた。いつの間にか赤い珊瑚の飾りのかんざしが、
ごていねいに一つ実をつけた木の枝に変わっていたんだそうだ。
「いや、このときはやられた。始めからこれをねらってたんだな。
 それにしてもずる賢いもんだ。お前も覚えておけ。
 狸ってのは自分のしっぽを回して人を術にかけようとする。
 だけどもよ、俺は酒飲まなかったからこの程度で済んでたんだ。
 酒好きなやつは、もっと手ひどい化かされかたをしたぞ」こんなふうに話した。
じいさんも年とって山へ行かなくなってからは酒を飲むようになり、
それからしばらくして卒中で死んだよ。

 
 

眼 3題

2014.09.23 (Tue)
*ナンセンス話です。



歴史の研究者です。この間、あるお寺に行って経蔵の古文書を見せてもらったんです。
門外不出の、国宝になっても不思議じゃない秘蔵品でした。
そのとき右目に虫かゴミが入ったみたいで、帰ってもずっとチクチク痛んでました。
それだけじゃなく、視界の隅に何か黒い物が見えるようになってきました。
いつも痛いってわけじゃないし、そんな生活に支障をきたすほどでもなかったんです。
同僚にちょっと話したら、「それ飛蚊症じゃないか。医者に行ったほうがいいぞ」
と言われました。気になったのでネットで調べたら、こんなふうに出てました。
『視界に糸くずや黒い影、蚊のようなものが見え、
 視点を変えるにつれそれが動き回るように感じる。眼科の受診が必要』

で、午後から年次休暇をとって何十年ぶりかで目医者に行ったんです。
今はスゴイ機械があるんですね。ベテランの眼科医がカメラでわたしの目をのぞき込んで、
「ありゃ、これは」と驚きの叫びを発したんです。
不安に思っていると、「これね、当院じゃダメです。紹介状を書きましょう」
そう言って、デスクで手書きしたのを入れた封筒を渡されました。
住所を教えられて行ってみた家は、民家の造りでしたが、玄関先に2mほどの観音像があり、
さらには「霊能者 高村 ○△」と書かれた小看板まであったんです。
「なんだこれは」と思いながらも呼び鈴を押すと、
和服着流しの小さな爺さんが出てきて、和室に通されました。

爺さんは紹介状を読むと「うんうん、わかりました。あなた最近お寺さんに行ったでしょう」
「そうです。何でわかるんですか」
「いやあ、この手紙でわかりますから。
 目医者さんには字の意味はわからなかったでしょうが」
こんなやりとりをしてから、爺さんは奥へ引っ込んで金属の洗面器に水を張ったものと、
小ぶりな木づちを持ってきたんです。
「あなた、悪いのは右目でしたよね。この洗面器に顔をつっこんで、水中で目を開けてください。
 そしたら、わたしがあなたの左後頭部を、この木づちで叩きます」
「ええ!それはちょっと・・・」
「なに軽くですよ。これくらい」爺さんは木づちで私の肩をポンと叩きました。
まったく痛くはなかったので、まあダメ元と考えて洗面器に顔を突っ込み目を開けました。

スコーンと頭を叩かれ「いってぇー」と叫んで顔をあげました。
「何するんですか!さっきの10倍強く叩いたでしょ!!」わたしが抗議するのに取り合わず、
爺さんは「あ、出た、出た」と言って洗面器を指さしました。
するとそこには、水の上に墨を流したようになって字が浮かんでたんです。梵字でした。
「あなた、お寺さんに行ったとき、何かの拍子にこれもらってきちゃったんだね。
 まあ悪い物じゃないから簡単に出ましたけど。あなたなら、これ意味わかるでしょ?
「ええまあ。えー 『塵垢』 の字義を持つものですね」
「うんそう、だからわけなく出たんですよ。
 これが『怨対』やら『諦念』『縛』なんかなら、なかなかやっかいでした」
こんなふうに言われたんですよ。

『梵字』
名称未設定 1

目無

今年の春だね。ワラビ採りに山に行った。なに、そんな高いとこじゃないよ。
午前いっぱい採って、昼飯を食おうと思って頂上まで登った。
そこは草地になってて見晴らしがいいんだ。
3つ持ってきた握り飯のうち2つまで食って、残りは3時にとっておこうと思った。
陽気がよくてね、いい風が吹いてて、ごろっと横になったら寝ちまった。
どんくらい寝たかなあ、肌寒くなってきて起き上がったんだが目が開かなかった。
目が見えないってんじゃない、まぶたが上と下くっついちまってたんだ。
慌ててね、手でひっぺがそうとしたんだが、膠で貼りつけたみたいになってる。
こりゃ困ったと思ったね。
いくら山に慣れてる俺でも、目があかないんじゃどうやっても帰れねえ。

草地だから立ち上がったけども、林に入れば頭を横枝にぶつけるだろうし、
峪に転げ落ちちまうかもしんねえ。途方に暮れていたら、
脇に下ろしてた掌に柔らかい感触があったんだよ。子どもの手だと思った。
俺の親指と人差し指をまとめて握ってる。
それと同時に「おじいさん、こっちだよ」って声が聞こえた。
男の子だったな。でな、不思議に怖いとは思わなかったんだよ。
その子に指をつかまれたまま「頭を下げて」とか「丸太があるよ」と指図されながら、
確かに山を下っていったんだ。
ただね、方向がおかしい、里への道とは違うってことは、
目が見えなくてもわかったよ。

で、平地に出てしばらく行ったら、いつのまにか指をつかんでる感触が消えた。
おそるおそる目をあけてみたら、これがひらいたんだよ。
まわりを見回して驚いたね。山の反対側、隣村の外れだったんだ。
子どもの姿なんてどこにもなく、そのかわりに目の前にお堂があった。
隣村の目無地蔵さんだったんだよ。なに、怖いもんじゃない。
眼病除けのありがたい地蔵さんだが、最近は信心する人が少なくなってさびれてる。
「ははあ」すぐにわかったね。「こらあ、地蔵さん、俺の握り飯が食いてえんだろう」って。
でな、残ってた飯をお供えして拝んで。
村に戻るまで半日かかったし、せっかく採ったワラビもどっかになくしちまったけど、
まあ功徳を積んだとは思ってるよ。

目目連

営業の帰り、急に土砂降りになったが、念のために傘を持ってきてたんで助かった。
駅へ向かっていると、曲がり角の側溝のとこで変なことをしてるやつがいた。
傘を持ってるのにそれをつぼめて、
ずぶ濡れになりながら側溝の蓋を先っぽでつついてたんだ。
かかわらないようにしようと思って離れて通ったが、なんとなく横顔に見覚えがある。
さりげなく近づいていったら、やっぱり知ってるやつだった。
俺は大学時代、囲碁部で活動してたんだが、そこの後輩で、
こいつとは団体を組んで戦った仲だった。
「おい、何やってるんだ?」と聞いたら、一瞬、誰かわかないようだったが、
「ああ、先輩、お久しぶりです」と我に返ったように答えた。
「何、そんな蓋つっついてるんだよ。何かいたのか?」

側溝の中をのぞくと、動く物がいるような気もしたが暗くてよくわからなかった。
「いやそれが先輩、変なものが見えるんですよ。格子になった部分に」
意味不明だったんで、駅の喫茶で事情を聞いた。
「俺、囲碁はいまだに続けてるんです。でも将棋と違ってできる人が少ないから、
 もっぱらネットでオンライン対局です。そこそこ勝てるもんだからはまってしまって、
 毎日遅くまでやってたんです。そしたら、最初はパソコンでした。
 画面上の碁盤の目の中に眼が見えるんです。
 すんません、なに言ってるかわかんないですね。
 本物の二つの眼(まなこ)です。それがたくさんたくさん・・・自分を睨んでるんですよ」
「・・・・」やっぱりおかしくなってる、と思わざるをえなかった。
「ところがだんだんに、四角がたくさんあるものの中にも目が見えるようになりました」

「四角は、細長い長方形だと大丈夫なんです。
 でも、障子の四角くらい正方形に近くなると、やっぱり目が出てくるんです。
 さっきの側溝の蓋も、穴が細いやつじゃなかったから小さな目がいっぱい・・・」
可哀想だがこりゃダメだ、と思った。
「それは幻覚だな。根をつめて見つめてたせいじゃないか」
「でも、囲碁は学生時代のほうが真剣にやってましたよ」
「じゃ、パソコンのせいだ。ディスプレイのバックライトとかが関係してるんじゃないか。
 で、そのことを気にするあまり、今度はパソコン画面以外でも見えるようになった。
 そんなとこだろ。いいから医者に行け、心療内科がいいんじゃないか」
こう勧めて別れたんだ。
それから数日後の夜に、アドレス交換した後輩からメールが来た。

内容は「おかげさまで、医者へ行ったら見なくなりました」というもので、
「まあそうだろう、早く直ってよかったじゃないか」と思い、いいことをした気分になった。
少し仕事をして寝たが、夜中、嫌な夢を見て起きてしまった。
明日は早いんで、ウイスキーでも飲んで寝直そうと思った。
俺はベッドで壁のほうを向いて寝てるんだが、立ち上がって電気をつけようとした。
そのとき、いつも昔の優勝トロフィーとかと一緒に飾ってる碁盤、
部屋がせまいんで縦にして置いてるんだが、そこに・・・無数の小さな目が光ってたんだよ。
「引っ越してきましたよ、碁を打ちましょう。あなたのほうが強そうだ」
こんな声が聞こえたような気がしたが、後のことは覚えてない。
気がついたら朝になってたんだ。

『目目連』







封印

2014.09.22 (Mon)
2年前、中学校2年のときの話です。私は陸上部で、長距離をやっていました。
それで、短距離やフィールドの部員は学校のグランドで練習するんですが、
長距離のメンバーだけ、市の陸連からきているコーチと、
香坂山スポーツフィールドというところに行って練習してたんです。
そこのことを私たちは「山」と呼んでいましたが、実際の高さは40mくらいで、
ほんとうは丘と言ったほうがいいくらいのところです。
学校からはジョギングで15分くらいでした。
市民のスポーツ振興を目的に20年ほど前につくられ、土の400mトラックがあり、
そ外側は林になっていて、1kmのジョギングコースがとりまいています。
他にもウエート・トレーニングのできるジムとシャワー施設があります。
ここで夏場はだいたい6時半まで練習していました。
トラックに夜間照明がついてるんです。

思い出深い場所ではあるんですが、
中学生当時はここに行くのがあんまり好きじゃなかったんですよ。
私たちのの部は伝統があって毎年強かったので、練習が厳しいせいもありましたが、
それ以上に怖かったんです。
なぜかと言うと、幽霊が出るという噂があったんです。
そんなのはどこにでもあると思われるかもしれませんが、
その場所に出ると言われている幽霊は、名前まで特定されていたんです。
K彩さんということにしておきます。
K彩さんは私の中学校の先輩で、10数年前に行方不明になっています。
ここからの話はかなりの部分噂が混じっているので、それはご承知ください。
K彩さんの家は、この山の裏側の町で「拝み屋」みたいなのをやっていました。
失せ物、失せ人、先祖の障りとか、そういうのです。
ずっとK彩さんのお母さんがやっていたんですが、当たらなくなって、
力を失ったという評判が立ち、K彩さんが代わりを務めるようになった矢先のことでした。

白い着物を着て、家の奥の間にある「おん馬様」という神様の祭壇の前で拝むんです。
前に「死国」という映画のビデオを見たことがありますが、
あんな感じじゃなかったかと思います。
これがK彩さんが、巫女さんですか、それをやるようになってからお客さんが増え、
そのためにずっと学校を休んでいたということでした。
で、K彩さんが私と同じ中2になった春のことです。
拝み屋をやっていたK彩さんの一家が突然失踪したんです。
詳しいことは誰もわかりません。地元の暴力団が関わっているとか、
大阪にある大きな宗教団体が指図したことだとか、いろいろ言う人はいたみたいです。
朝、お客さんがK彩さんの家を訪れたら、中が荒らされていて、
一家・・・母親とK彩さん、それとK彩さんのお祖母さんですね。
女だけの家族だったんですが、
大事にしていた祭壇も放置されたまま、みな消えていたということだったんです。

・・・これだけなら、一家で夜逃げということも考えられなくはないですよね。
ところが、さっき話したように、巫女役がK彩さんに代替わりしてから、
拝み屋の商売はずっと繁盛していたんです。
それに決定的なことがありました。失踪が明らかになった日の前夜に、
K彩さんの姿が目撃されていたんです。それも、とても異常な形でです。
場所は、先ほどから話題に出している香坂山のトラックです。
9時過ぎということでした。その時間にはレストハウスなどは閉まっているんですが、
夜間のウオーキングをしている人はけっこういるんです。
ここだと警備員が常駐してますし、街中と違って不審者と疑われることもないですから。
目撃談によれば、走る方向が決められているジョギングコースを、
かん高い叫び声を上げながら逆走してくる者がいる。
何事かと見ると、白い和服姿の若い女がものすごい勢いで走ってくる。

かといって後を追いかけてくる者がいるわけではない。
あまりの勢いに、止めることも声をかけることもできず、
道を避けるのが精一杯だったということでした。
それがK彩さんだったんです。たまたま見知っている人が目撃者の中にいたんですね。
息をきらしてあえぎ、よろけながらK彩さんはコースを2周走り、
そのまま木立の中に消えてしまったんです。
ちょうどコース脇にトイレのあるあたりだったということです。
警察ではこの証言を重視して、単なる夜逃げとしてではなく捜査をしました。
その結果、K彩さんの家の祭壇の前の畳から、
大量の血痕を拭き取った跡が見つかったんです。
でも、その後の捜査でも一家の消息はまったくつかめませんでした。
K彩さんが消えた付近にあるトイレ、幽霊の目撃談はそこがほとんどなんです。
ああ、目撃という言葉はよくないですね。音を聞くんです。

そのトイレはジョギング中の人のためのもので、木造で小さいんです。
女子のほうで個室が4つです。レストハウスに広いのがあるので、
そっちを使う人は少ないんですが。
夜にその女子トイレに入ると、ドンドンとノックの音が聞こえるんです。
いいえドアじゃなく、聞いた人はみな横の壁か中空からと言ってたらしいです。
それと、一番奥のトイレに入った人は声も聞いています。
女の人・・・女の子の声でか細く、
「閉じられている、ここから出たい」という意味のささやき。トイレはもちろん水洗です。
それに失踪騒ぎがあったときに、警察があたりを厳重に調べてるんです。
聞いた人の証言がみなほとんど同じというのが怖いなと思っていました。
私ですか?ええ、1回だけ入ったことがあります。

ただ怖いから何人かでいっしょについてきてもらったんですよ。
ドンドンというノックは聞こえました。
でも、そのときは外で待ってた仲間がイタズラしたんだと思いました。
ドアからだったか、壁からだったかはよく覚えていません。
トイレを済ませ外に出て、「変なイタズラやめてよ-」と文句を言いました。
仲間はみんな「やってない」て否定してましたけど、
中に笑みを浮かべてる子がいたんで、やっぱり悪ふざけだと考えたんです。
声を聞いたおぼえはないですし。
それで、冬になってたいへんなことが起きたんです。
香坂山の近くに、乗馬クラブがあるんです。
私の住む地方はほとんど雪が積もらないので、そこは冬でも活動しています。
馬は寒い地方の動物で、冬場のほうが調子がいいという話も聞いたことがあります。

その乗馬クラブで始めて香坂山に馬を乗り入れ、
デモンストレーションをやることになりました。土のトラックを使って、
飛越というんですか、馬がジャンプをしたりする競技会をやったんです。
日曜日でしたし、私も見に行きました。
馬は近くで見ると大きくて、全身の筋肉がすごかったです。競技が終わった後、
観客の中の希望者を馬に乗せてジョギングコースを引いて回るというイベントもありました。
私も希望して2番目になりました。
もちろん自分で走らせるんじゃなく、乗馬クラブの人に手綱を引いてもらうんです。
少し前には小学生の男の子の乗った馬、それに続いてコースに乗り入れました。
で、あのトイレの近くにさしかかったとき、前の馬が暴れて男の子を振り落とし、
トイレのほうに突っ込んでいきました。そして横向きにトイレの壁を強く蹴りました。
バーンという音が響き、私の乗った馬も引いている人をふりほどいてそっちに突進したんです。
必死でしがみついてましたが、トイレ直前で落ちてしまいました。

前の馬が蹴ってあけた穴が壁にあり、私の馬はそこに肩から突っ込んでいったんです。
馬がぶつかった瞬間、トイレの横壁の木材が四散し、
そこから埃とも煙ともつかないものが爆発したようにまき散らされました。
オ、オ、オ、オ、という音が聞こえ、煙の後に藁束がたくさん落ちてきました。
そして、壁の穴から着物を着た細い女の人が出てきたんです。
女の人は二、三度踊るように回ると、私の目の前にぱたりと倒れました。
そのときすぐ近くでその顔を見てしまったんです。
骨と皮だけになったミイラの顔でした。
私は絶叫しながら四つん這いの姿勢で後ずさりし、
集まってきていた大人の人たちに助けられたんです。
・・・女の人はK彩さんでした。遺体は死後10年以上経過していて、
胸に刃物で刺された傷跡があり、それが致命傷だということでした。

出てきた藁束は30ほどあり、すべて細紐でゆわえられていて、
中からは細い和紙に筆でなにやら書かれたもの、それと長い毛です。
後で調べたところ、人間の髪の毛と馬の尾の毛が束ねられたもの、ということでした。
そのトイレの奥の個室は、前に話したように天井裏も含めて捜索されているんです。
死体を隠しておけるスペースなんて絶対にないはずです。
K彩さんの事件は、殺人に切りかえられて捜査は続けられています。
警察では、その日か前日にミイラ化した遺体が、
その他のものといっしょに押し込まれたのだろうと考えているようです。
でも、幽霊の話を知ってる人はそう考えてはいないみたいです。私もです。
K彩さんは、どうやってかわかりませんが、
トイレのあの個室に封印されていたんだと思うんですよ。
藁束なんかはそのための道具なんじゃないかって・・・
みなさんはどう考えられますか?

『映画 死国より』







因縁果

2014.09.22 (Mon)
これは怪談論に分類されるのかな?
仏教用語が出てきますが、解釈を間違えてボロが出る可能性がありますのでw
短く書きたいと思います。
「因縁果」とは、Wikiのまとめを借りると、
「因」とは、結果を生ぜしめる内的な直接原因。
「縁」とは外から「因」を助ける間接原因(条件)のことで、
この二つが組み合わさって、「果」つまり結果が決まるわけです。
例えば、ナスを育てようと思ってタネを撒きます。これを「因」とすると、
何もしないでいれば、ナスは育たないで枯れてしまいますよね。

水や肥料をやる他に、日照量や気温などの条件が適合してなければナスは育ちません。
これらの条件を「縁」と考えます。
だから「縁」によっては、意に反して、
ナスが途中で枯死するという「果」となる場合もあるわけです。
で、前項の「日本四大怪談」のところで少し書きましたが、
江戸時代頃に成立した怪談は、
仏教の影響を受けて因果応報物になってる場合が多いのです。
因果応報とは「悪いことをすれば悪い結果が帰ってくる、善いことをすれば(以下同じ)」
という考え方です。

これは現世に限っていえばまず当たっているといえると思います。
悪いことばかりする人には誰も近づきたくはないし、犯罪が露見すれば刑罰を受けます。
また善い人、正しい人のまわりには慕って人が集まってくる。
ただしこれに輪廻転生という考え方がからむと、たちまち話は複雑化します。
「親の因果が子に報い~」というのはことわざなんでしょうか?よくわかりませんが、
昔は祭りの見せ物小屋などで、
ろくろっ首の娘の横で口上師が節をつけて歌っていたというイメージがあります。
(もちろん見たことはありません)
これは親が何か悪いこと、あるいは仏教の戒を破るようなことをして、
その報いで首の長い子どもができたという意味です。

まあ現在は、「親の因果が~」と言えば、
「あんな親を見て育ったから、こんな子どもが」のように使われるのかもしれませんが、
元は昔の仏教説話からきているものです。
例えば、つねに殺生戒を犯している漁師の子に鱗が生えて生まれた・・・みたいな話ですが、
これはさすがに現在では職業その他の差別となってしまいます。
あとは先祖の悪業の報いという系統の話。
昔、庄屋だった先祖が旅の僧を騙して殺したために、子孫代々男が早死にするとか、
この類もよく見かけます。

で、自分はこの手の因果話はほとんど書きません。
理由は、個人的に書いてて面白くないからです。
まず、先祖の悪業の報いというのが古くさく感じられます。
それに、絶対に動かすことのできない、
生まれながらの宿命のようななものがあるとは、個人的に信じにくいとも思ってますし。
(ただしSFなどで、人類がある使命を果たすように進化させられているなどの話は好きです)
それから人や動物を残酷に殺した人が祟られて死ぬような話。
これも『四谷怪談』の項で触れましたが、悪人が自分の悪業のために滅びるような話は、
怖いというよりむしろ小気味いいという感じを持ちます。

『今昔物語』などでも、因果応報でない話に面白いものが多いと思います。
たとえば「水の精が人の顔をなでる話」とか。
これは1mに満たない小さな爺さんが昼寝をしてると出てきて顔をなでる。
策略を使って縛り上げると、水を入れたたらいを持ってきてくれと言う。
縛ったままたらいを前に置くと、「われは水の精なり」と言って溶けて消える。
「水の精」はいいとしても、なぜ人の顔をなでるかの説明がまったくありません。
全体のイメージは中国的ですが、現代でも不可思議系の怪談として通用しそうです。

あとは「羅城門」のような生々しい犯罪譚。
羅城門上で死女から髪を抜く白髪の老婆は、
妖怪変化ではなく毛をカツラにして売ろうとする生きた人間で、
そのことがわかった盗人は、老婆の着物をはぎ取って闇に消えます。
芥川龍之介が「羅生門」として小説化していますが、
さらにテーマを深めて文学性を増していますね。

関連記事 『日本四大怪談』








石 3題

2014.09.20 (Sat)


時間の順を追って話していきたいと思います。
うちは父が農業用機械の販売会社を経営しておりまして、
私が幼い頃は羽振りもよかったんです。
郊外でしたが、庭付きの大きな家に住んでいまして、
黒い大理石の塀で囲まれていました。
この塀は当時、親父の自慢の種の一つでした。
それと、家の周囲をぐるっとめぐった庭の、北の隅に石があったんです。
いや、石自体は大きな庭石が広い部分にいくつもあったんですが、
その石はホント、漬け物石のような質感と色合いでね。
漬け物石よりは少し大きかったんですが、高価なものにはまったく見えませんでした。

でも、親父も母親もその石をとても大切にしてまして、
会社から帰ってくると、どんなに遅くても酔っぱらっていても、
ガレージにあるバケツを持って、必ずその石のところに行って拭き清めていたんです。
私は、物心ついた頃から絶対にその石の近くに近寄るな、ときつく言い含められていました。
それどころか、庭の北隅に近づこうとしただけで、えらい剣幕で怒鳴られたんです。
だから小学校のときはそれに近寄ることはありませんでした。
親父も怖かったし、特に興味もなかったですから。
中学校に入学した日の夕刻ですね。
入学式に参加した親父が、晩飯前に私をその石の前に連れて行きました。
よく見たのはそのときが始めてじゃないかと思います。

さっき言いましたように、漬け物石のような丸さをもった、青っぽいざらざらした石です。
親父は「これなあ、命運なんだよ」と言いました。「命運って?」
「わが家を司るものだよ」こんな感じで、会話が成り立ちませんでした。
親父は「お前が大きくなったらこの石を祀ることになる。
 それまでに少しずついろいろ教えてやるから」そう言って私の頭をなでたんです。
でもね、教えてもらうことはできませんでした。
私が中2になった夏の夜のことです。台風が近いという予報があって風が強まってきてました。
9時過ぎくらいです。2階の部屋で勉強していると、北側の窓が一瞬緑色に染まりました。
その直後、「ドーン」とものすごい音がしました。
窓を開けて下を見ると、あの石のあるあたりを中心に、
見える範囲中に緑色の液体がまき散らされていました。
暗くても見えたんです。光ってましたから。

雷ではなかったんです。風は強くても、雷になる天気ではありませんでした。
音もあれ一発だけ。下でダダッと人が走ってくる音が聞こえました。
そしてすぐ、「ダメだーっ」という叫び声が聞こえたんです。親父の声でした。
そっからは急な展開です。学校の教科書類をまとめさせられました。
あとは服をダンボール一箱くらい、それが私の分の荷物で、
親父のワゴン車に積んで、音と緑の閃光から1時間もたたずに出発したんです。
夜中ずっと高速を走って、翌日の10時頃に海辺の市の温泉旅館にチェックインしました。
徹夜で運転していた親父は、ワゴン車を駐車場に置いたまま、
タクシーを呼んで出かけてしまいました。そして父の顔を見たのはこれが最後です。
・・・何日か母親とその旅館に逗留し、そのままその市にアパートを借りて住み始めたんです。
学校も転校することになりました。あまりにも急に生活が激変したので大変でしたよ。
父のことも石のことも、緑の閃光のことも、いくら母親に聞いても教えてもらえませんでした。

銀行のアンモナイト

その市の中学校に転校して、幸いイジメなどには遭いませんでした。
小さなアパート暮らしでしたが、2人家族でしたしせまいとは感じませんでした。
母は働いてはいませんでしたが、どこからか生活費が送られてくるらしく、
お金に困るということもなかったんです。
その転校した先の中学校で友人ができました。後藤って名前にしておきます。
そいつは生物部で、恐竜の話なんかが好きだったんです。
あるとき私に、駅前の銀行に化石を見に行かないかと言ってきました。
「博物館でもあるのか?」と聞くと、
「そうじゃない、壁に使われてる大理石に、
 古生代に封じられたアンモナイトが化石化して埋まってる」という話。

日曜日に待ち合わせをしてバスで行ってみたんです。確かにありましたよ、アンモナイト。
ブロック状の大理石の切断面にたまたま化石があればその輪郭が見えるんです。
用もないのに銀行の中にも入りました。
エレベーター横に、わざわざ壁面を額縁で囲った部分があって、
ネームプレートまでつけて展示してるんです。
「ふつうは外国産の褐色の大理石に多いんだけど、
 ここのは黒い石なのに見えるのはすごく珍しいんだよ」
後藤は自分のでもないのに自慢そうに言いました。
「そういえば俺の前の家も、黒い大理石の塀だったけど、知ってりゃさがしてみたのにな」
こんな会話をして、それからベレムナイトとか、他の化石もいろいろ教えてもらったんです。
その後、銀行の裏手の駐車場に回りました。
そこも壁は大理石で、二手にわかれて何か出てないか探したんです。

かなり広い面積でしたが、頭の高さを中心に1mほど離れて見て回りました。
あまり近づくとわからないんです。で、銀行の裏口に曲がる角にそれはありました。
・・・顔ですよ。黒い石の中の白い顔、無表情でお面みたいでした。
正面から見ると大きく目を見開いていて、口はしっかり結ばれています。
曲がり口でしたので、横からは頬の側面と耳が見えました。
知り合いの誰でもない、見たことのない顔です。
・・・今だから冷静に話していますが、見つけたときはそりゃびっくりしましたよ。
大声を出して後藤を呼んだんです。
そしたら顔が黒い壁面から顔がグググッという感じで浮き上がってきました。
顔の口が動きましたが・・・声は頭の中で聞こえたんじゃないかと思います。
「お前の親父はしくじった。命運は変わった」そう響いて顔はひっこんでいき、
後藤が走ってきたときには、何もない壁面に戻っていたんですよ。

銘石展示会

話は10年以上とびます。私は社会人になっていて、25歳でした。
あの海辺の市からほど近い別の街で一人暮らしをしていたんです。
営業に出た帰りでした。
急な雨に降られて、あるホテルの前で雨宿りをしていたんです。
営業車は少し離れた駐車場にあって、傘を持っていませんでした。
走り出したらずぶ濡れになるようなひどい降りでした。
やみそうもないので、ぶらりとホテルのロビーに入ってみました。
地階での催し物の案内看板があり、そこに「銘石展示即売会」と書かれていました。
面白そう、というわけでもなかったんですが、他にやることもないので行ってみました。
その頃は金もなくてね、ホテルの喫茶に寄るなんてできませんでしたし。
それに、石に縁のある人生だと思っていたんですよ。
階段を下りていくと、場所はすぐわかりました。

20畳ほどのスペースに白布をかけたテーブルがいくつもあり、
その上に木や金属の台座がつき、
あるいは布の上にのせられて様々な石が並べられていました。
見ている人は私も含めて3人。展示期間の末期らしく、
歯が欠けたように場所が空いてるのは、そこにあった石が売れたんでしょう。
売約済み、の札がついているものもありました。
石の値段は数千円から、高くても5万以内。
結晶が浮き出たもの、横筋が入ったものなど種類は豊富で、
中には確かに、床の間に飾っておけば様になるだろうなと思えるようなものもありました。
奥のほうにアクリルのケースがあり、その横に主催者らしき中年の男が立っていました。
上の段から見ていくと、どうやら十万以上の高価な石を納めているようでした。

そこの最下段に目をやったとき、衝撃が走りました。
昔の家にあった庭の石だと思いました。いや、正確にはその半分だけ。
石は真っ二つに割れていて、なんと400万の値がついていたんです。
断面は横向きでしたが、ガラスに映って中に白いものが埋まってるように見えました。
私が値段の高さに驚いていると思ったんでしょう。
中年男が眠そうな声で、
「それね、ただのそこらの石に見えるだろうけど大変な値打ち物なんだよ。
 残念なことに半分になってしまったけど、完品なら一千万でも買えないよ」
長年の疑問がとけるかもしれないと思い、
「これってどういうものなんですか?」と尋ねました。
「興味があるかい、でも買えないだろう。それは・・・」と男が答えようとしたとき、
急に地震が起きたんです。立っていられないほどの揺れ。

中年男は必死になってケースにしがみつき、
私は逆にガラスが割れるのが怖くて、その前を離れました。
地震は長く続き、階段をのぼって外に出ようか迷っていると、頭の中に声が響いたんです。
銀行のアンモナイトのときと同じだと思いました。
声はこう言ったんです。「お前の親父は、今、死んだ」それだけでした。
やっと揺れが治まり、後で聞いたところでは震度5強ということでした。
展示されていた石は、重さのせいか転げ落ちているものは少なく、
アクリルケースも倒れてはいませんでした。
ただ・・・あの庭にあった石の片割れは、それほどの衝撃を受けたとも思えないのに、
ケースの中で粉々に割れていたんです。思わず中年男の顔を見ました。
男は悲しそうに頭を振り、「・・・命運だよ」と一言だけつぶやいて、
あとはいくら聞いても口を開いてはくれませんでした。

『人面石』






桜並木

2014.09.20 (Sat)
長くなりますが、よろしくお願いします。
今年の2月の終わりのことです。地元の新聞に「伊沢川堤の桜が咲かない!?」
という記事が載りました。伊沢川堤は、私が通っていた中学校の近くにあり、
橋から橋までの400mほどの堤防の両側が桜並木で、
私たちの市では名所といえる場所です。川の側はコンクリートで護岸されており、
反対側にはテニスコートやバーベキュー広場があります。

私は中学校時代ソフトテニス部に所属しており、
ここの河川敷には毎日のように通ったものでした。
ただ春の桜の時期は花見の人が多いため、校内で練習しましたが。
読んでみると、桜は前年から蕾をつけており鳥や虫の害に遭っているわけでもない。
テングス病など樹木の病気の兆候もない。
それなのにこの時期になっても蕾に成長する様子が見られない、と書かれていました。

この冬から春先にかけての天候不順の影響かもしれず、
市の公園課では、樹木医に依頼して調査を開始する予定だ、と記事は結んでありました。
気にかかる内容でした。私は今、この市のデザイン専門学校で学んでおり、
この春は堤の様子をスケッチする計画を立てていたからです。
「明日は日曜だし、見に行ってみよう」と思いました。
もちろん、私が行ったところで何ができるわけでもないのですが。

翌日は好天で、コートの必要のない陽気でした。午前10時過ぎに自転車で出かけました。
堤防の土手に人通りはなく、中学校の後輩たちが、
少し離れた下のテニスコートで練習する声が聞こえていました。
桜の蕾は記事にあったとおり、なくなったりしているわけではありません。
素人目にはわかりませんでしたが、なんとなく小さく固く感じられました。
100mほど離れた川側の桜の木の根元に、しゃがみこんでいる人の姿がありました。
女の人のようでした。

近づいてみると、知っている方でした。西田先生です。西田先生は地元では有名な
女流の日本画家で、現在も新聞小説の挿絵などを描かれているんです。
もうお歳は70歳に近く、ずっと独身で過ごしておられています。
私の専門学校にも客員教授として日本画を教えにきてくださっていたため、
お顔を存じ上げていました。側らまでくると、
西田先生は立ち上がって、1本の桜の木の根元に花束を立てかけられました。
向こうを向いているので表情はわかりませんでしたが、
沈鬱な雰囲気が感じられ、お声をかけるのがためらわれました。

でも、一本道で知らないふりをするわけにもいかず、
「先生、おはようございます」と後ろから挨拶しました。
先生ははっとしたようにふり返り「あら、おはよう・・・ええと、あなたは?」
「○△専門学校の生徒です」
「ああ、そう」先生は微笑みましたが、どことなくぎこちない感じがしたんです。
先生の手には、もう一つ花束がありました。

「あなた、昨日の新聞を見てここへ来たの?」こう聞かれたので、「そうです」と答えました。
「ここの桜が好きなのね」
「はい、じつは春からスケッチを始めようかと思っていたところなんです。
 でも、新聞でああいう報道をされたので心配になって」
「そうね、心配よね。・・・新聞といえば、
 この土手が去年の秋にも記事になってたの知ってる?」

「・・・ああ、もしかして子どもが溺れて亡くなった事故のことですか」
「そう、その子どもが落ちた現場にもう一度お花を供えたいんだけど、
 歳で足下があぶなっかしくて、下に降りるのを手伝ってくれない」
「ええ、わかりました。体力には自信があります。
 ほらあそこのテニス部、中学校のときはあれに入ってたんです」
「まあそう、じゃあ心強いわね」
花束を置いた桜の木から少し離れた場所のコンクリの斜面を、
西田先生の手を引いてゆっくりと降りていきました。

川は水かさが少なく、護岸の下は泥がむき出しになっていました。
子どもが落ちた場所はすぐにわかりました。缶ジュースなどのお供えが残っていたからです。
そこまで行って、西田先生はそっと花束を置かれました。
「こんなに水が少ない場所で溺れたんですか」
「たまたま、その前の数日雨が降ってたの。運が悪かったとしか」
西田先生が手を合わせたので、私もそれにならいました。
しばらくして目を開けると、西田先生はまだお祈りされていました。

それからまた、私がお手伝いをして2人で斜面を登りました。
「ありがとう、来てはみたものの一人じゃ無理かもしれなかったね。
 歳はとるもんじゃないわ」」西田先生が息を弾ませながらおっしゃいました。
「あの、亡くなった子供は先生のご関係なんですか?」ぶしつけと思いましたが聞いてみました。
「ええ、面識はないけど、知ってました」屈託したところのない声でしたので、
ぶしつけついでに、もう一つ疑問を口にしたんです。

「さきほど、あの桜の木にも花を供えられていましたが・・・」
「それは新聞には出なかったけど、あの木のところでも人が亡くなってるの。
 川で溺れた子のおじいさん」
「どういうことですか」
「それが、事故はそのおじいさんが孫の男の子をつれてここに来ていたときに起きたの。
 おじいさんのほうには面識があるのよ。昔、同じ美術大学の先輩だった人。
 その人は事情があって美術の道には進まなかったけれど、ときどき絵は描いてたの。
 で、そときも孫と一緒にここでスケッチをしてた。
 それがきっと、描くのに夢中になってしまったのね。
 叫び声で気がつくと、孫の姿がなく、声のしたほうの川から水しぶきがあがっていた。
 さっきのあの斜面でしょう。降りるのにてまどっているうち、孫は沈んで流され・・・」

「・・・」
「引き上げられたときには子どもの意識はなく、2日後に病院で亡くなった。
 おじいさんのほうは責任を感じて、さらにその数日後あの木の枝で・・・」
ああ怖い、聞かなければよかったと思いました。
先生は「ここであなたに会ったのも何かの縁かもね。
 あなたには絶対に勉強になるから。もう少し手伝わない。今日の午後、何か予定がある?」
「いいえ、手伝わせてください」

「それからね、たぶんだけど、あなたが心配していたここの桜が咲かないこととも
 関係があるかもしれないから」
「どういうことですか」
「あなたも絵の勉強をしてる人だから言うけど、優れた絵はとても強い力を持ってるの。
 自然の営みさえとどめてしまうほどに」
私は自転車で来ていたんですが、駐輪場に置いたままにして、
タクシーで先生のアトリエに向かいました。
アトリエは2室続きで広く、さまざまな画材が整然と置かれていました。
「こっちよ」ついていくと、木机にかけられた白布を先生がめくられました。

ただのスケッチブックに描かれた水彩です。ですが、信じられない作品でした。
手前から奥へと遠近法が強調されて葉の落ちた桜並木が続き、
道を駆けていく男の子の姿が小さく描かれていました。画面の左に切れ切れに光る川。
「・・・すごいです」私は思わず声をもらしました。
「そうでしょう。子どもの絵の具で短時間で描いたのにね」
「この絵はどうされたんですか」
「内々の葬儀に顔を出させてもらって、そのときにお借りしてきたのよ。
 先輩が・・・おじいさんが亡くなったときに、木の下に置かれてあったんだって」

ここでまた、後から考えると余計な質問をしてしまいました。
「これだけの才能のある方が、どうして絵を続けなかったんでしょうか?」
先生はそれには答えず、小さな子ども用のパレットを取り出し、
赤と白の絵の具をとき始めました。
「絵に勝ち負けなんてないんだけど、負けられない。桜の木を救うためにもね」
こうおっしゃって、慎重に色をつくり、寒々した桜の枝に花の色をぽつぽつと置きだしました。

筆先が流れては止まり、色を微妙に変えてはまた流れ・・・
止まった時間の中を、先生の腕だけが動いている。
ただ私は、息をのんで見つめるばかりでした。
2時間ほどもたったでしょうか。先生は淡く色を置いていっただけなのに、
絵にはすっかり春の雰囲気が満ちていました。
川には手を加えなかったのに、鈍色の晩秋の川がまるで印象が違って見えたんです。
先生は大きくため息をつき、
「どう春らしくなった?冬に向かう気配は消えたかな」と聞かれました。

「ええ、ええ、すっかり春です」
「水彩を描いたのは何年ぶりかしら、でもまだ仕上げが残ってる」
先生は机の引き出しから封筒を出し、中から1枚の写真をひき出しました。
「恥ずかしいけど、私が大学のときのなの。
 最近の写真をご遺族からお借りすることもできたんでしょうけど、こっちがいいかと思って」
先生は少し照れたように笑いました。

満開の桜並木を走っていく男の子、
その向こうに小さく、先生はこちら向きの人物を描き上げました。2分もかかりません。
その人は両手を広げ、男の子を迎えて抱き上げようとするかのようでした。
「完成・・・」西田先生がおっしゃり、どっと倒れ込むように椅子に座り、
引き出しに写真をしまわれました。先生の大きなレンズの眼鏡の奥がキラリと光りました。
「・・・この絵、どうされるんですか」
「明日、堤防の土手に行って、これを見せようと思ってる。
 ああ、また川に降りなくちゃならないのね。あなた明日・・・」

「時間を空けます。お供させてください」
「ありがとう、たすかる。それが終わったら、絵を墓前に捧げて、
 ・・・これでうまいこと自然のしくみがまわってくれるといいんだけどね」
こうおっしゃって、ほほえまれたんです。
桜に関してはご存じのとおりです。
例年にない花の多さで、地元新聞もあきれた調子で書き立てていました。

これで話は終わりですが、最後に秘密というか、一言つけ加えさせてください。
亡くなったおじいさんの姿を描き込むときに西田先生が見ておられた写真。
手の中に入る小さなものでしたが、何度かちらっと見えたんです。
背の高い男の人が、ずっと小さな女の人の肩に手を回していて、
女の人は若い頃の西田先生だったんですよ。

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日本四大怪談

2014.09.19 (Fri)
 今日は少し趣向を変えて、日本四大怪談について雑感でも書いてみます。
よく言われるのは「日本三大怪談」で、
普通は『四谷怪談』『番町皿屋敷』『牡丹灯籠』ですが、
自分は『累ヶ淵』が怖いし、興味深いと思っているので、これも入れさせて下さい。
この項は前に書いたものと少し重なります。

『四谷怪談』
 実話とされる元話がある、と言われています。実際にいくつか文献も残っているのですが、
内容は文献によって微妙に異なっています。
ここでは混乱をさけるため、
鶴屋南北の歌舞伎狂言『東海道四谷怪談』の筋を元にして話します。
これは日本で最も知られた怪談ではないでしょうか。
現代でも芝居や映画、小説などさまざまなジャンルで扱われ、
関係者はお祓いをうけないと祟りがあるなどとも言われます。
ただ、どうでしょう。怪談としてみた場合、二つの点から、
そんなに怖いのかなあという疑問が自分にはあります。

 一つは、前半部分は生きた人間の愛憎劇であるということです。
伊右衛門に嫌われたお岩は薬と偽って毒薬を飲まされ、髪が抜け顔が腫れて死にます。
お岩の心情を思いやるとなんとも気の毒なのですが、
このあたりはあくまで、生きた人間の犯罪劇としての怖さです。
二つ目、後半部分は、お岩の亡霊によって伊右衛門が苛まれ果ては狂い死にするという、
因果応報の劇となります。因果応報は仏教の言葉ですので、
必然的に勧善懲悪劇となります。悪が栄えるという結末にはできないのです。
そう考えたとき、戸板返しなどの芝居的な趣向を抜きにすれば、
怖いというより「伊右衛門ザマミロ」という感のほうが見ていて強いんですね。
悪い人間が自らの罪業によって滅び去るのですから。
江戸の観客も、お岩の亡霊に感情移入をして快哉を叫んだ部分があったのではないでしょうか。

『牡丹灯籠』
 明代の小説集『剪灯新話』に収録された小説、
『牡丹燈記』が元になって作られたと言われています。
他の怪談諸作が因果物であるのに対し、これは中国の説話が元になっているため、
仏教的な因果応報物ではありません。
お露にたまたま見初められた浪人、新三郎が一方的に害を受けるという話です。
ここに出てくる中では最も現代的というか、
ストーカー犯罪などに通じる部分があります。
まあ、お露側からみれば、焦がれ死んだほどの恋が成就したのに、
死人とわかって離れていった信三郎が憎いという理屈は成り立つのかもしれませんが、
やはり理不尽さはぬぐえません。

 例えばこれを、『耳なし芳一』と比較したらどうでしょう。
芳一も何の罪もないのに平氏一門の亡霊に目をつけられてしまうのですが、
とはいえ芳一は平家の滅亡劇である平曲を生業としていましたし、しかも上手い。
そこで因縁がついてしまっているわけです。
このような死女に一方的に見初められてしまう話は中国には多いのですが、
『牡丹灯籠』の場合は、印象的な赤い牡丹の灯籠、カランコロンという駒下駄の音
(この幽霊に足があるのも中国話のせいでしょうか)
御札はがしの場面など、
怪談として印象的な小道具がふんだんにちりばめられています。
坊さんではなく、むしろ『チャイニーズ・ゴーストストーリー』『霊幻道士』のような
中国の道士が出てきたほうが似合いそうです。

『番町皿屋敷』
 播州姫路が舞台の『播州皿屋敷』と、
江戸番町が舞台の『番町皿屋敷』があり混乱しています。
播州ーのほうはお家騒動が絡んだ複雑な筋で、『鍋島猫騒動』などもそうですが、
単にお家騒動を芝居とするのは武士の世では難しかったため、
わざと怪異を絡めて筋が作られているという意味合いがあるようです。
ここでは番町皿屋敷について述べます。
下女のお菊が家宝の皿を割ったため、主人の青山主膳に責められ井戸に身を投げる。
夜な夜なその亡霊が現れ、それが世に知れて主膳の家はおとりつぶしになるという、
典型的な因果応報物ではあります。

 ただ、現代から見ての感覚とは少し違う面もあります。
現在なら人権意識が浸透していますので、
「たかが皿ごときと人命ではしょせん重さが違う」
と考える人が多いでしょうし、もちろんそれがあたり前なのですが・・・
しかし時代背景を考えれば、身分の高い武士が使用人の小者を
手討ちもふくめて処罰する権限はありましたし、
また主家からの拝領の宝物(この場合は皿)などであれば、
紛失破損した場合は大きな処分を家の当主が受ける可能性もあったのです。
だから、当時の武士側からすればそれほど無理無体な話でもないのですが、
やはり人命より物が重いということ、武士と町人の身分差など、
本質的に隠しきれない時代の矛盾はにじみ出てしまい、
こういう怪異の形で現れているのだと思われます。 
(自分は、民衆に広まる怪異現象は時代矛盾の現れの一つという説をとっています)

『累ヶ淵』
 この話は最も典型的な因果応報物です。
百姓、与右衛門の後妻お杉の連れ子、助は足が悪く顔も醜かったので、
与右衛門は川に投げ落として殺してしまいます。
この無個性かつほとんどしゃべりもしない、か弱い子どもであった助が、
この後、腹違いの妹である累、その夫の谷五郎の5人の後妻、さらには6人目の後妻の娘、
菊にとり憑いてさんざんに祟りをなし、たくさん死人が出ます。
最後に当時の浄土宗の大立て者、江戸時代を代表する呪術師である祐天上人が現れ、
すべての因業を消滅させることになります。

 この話のポイントは、他とは違って、田舎の百姓家が舞台であること、
代々祟るのが、無個性に描かれた子どもという点です。
「累ヶ淵」は、茨城県常総市羽生町の法蔵寺裏手辺りの鬼怒川沿岸の地名ですが、
この手のことは、当時の農村ではどこにでもあったのではないでしょうか。
おそらく、間引きや口減らし、子売りなど、子どもに対して後ろめたい点の多々あった
当時の農村社会の闇を凝縮して、このような話ができたのだと思われます。
助、累の背後には、無辜にして死んでいった無数の子どもの霊が積み重なっているのでしょう。
そういう点が怖いなあと思います。

*今、累ヶ淵の風景画像を入れた瞬間にブラウザがクラッシュしました(マジです)
  怖いです。
*ブラウザは引用した画像を削除したら直りました。しかしこんなのにウイルスが・・・

『怪談 かさねが渕』






鉄塔

2014.09.18 (Thu)
6年前、自分が中2だったときの話です。9月の土曜日だったと思います。
出かけていた母が夕刻に戻ってきて、居間でテレビを見ていた自分に、
「ほら、あんたの同級生って言ってた佐々木さんのうち、ご近所だしね、
 お線香上げに行ってきたよ」と声をかけてきました。佐々木さんというのは、
その2ヶ月ほど前に中学校の同じクラスに転校してきた女子のことです。
うちとは田んぼ8枚くらい隔てた近くの、
こんもりと木が茂った島のようになった場所に家があるんです。
そこは新築ではなく、昔からある壁が黒ずんだ家に入居したという話は聞いてました。
転校してきたばかりだし、ほとんど人と話をしない暗い感じの子だったから、
「あ、そう」とだけ答えました。

そういえば、その佐々木さんは木曜のあたりから、
お祖母さんが亡くなったということで学校を休んでいました。
「それにしても変な感じだったわよ。家の中はがらんとして、
 まだ納骨もすませてない祭壇に骨壺と遺影があるだけ。
 向こうのお母さんが一人でぽつんとその前にいたのよ」
「・・・それがなんで変なの?」と聞いたら、
「あそこの家のすぐ脇に送電の鉄塔があるでしょ。
 あの下にね、喪服を着た人が十人近くもいて、
 がやがや何かをやっていたのよ。お葬式はもう終わってるはずだし、変な感じだった」
「えーでも、あそこ鉄塔なんてないだろ」「あるわよ」

「ないよ。田んぼの中を通ってる鉄塔はもっと後ろにずれたとこにあるじゃない」
「あの家のすぐそばだったよ。お母さん今見てきたばっかりだもの」
「そんなはずないって」
「じゃあ外に出て見てみなさいよ。まだ暗くなってないからわかるでしょ」
こう言われて、家に外に出てみたんです。
そしたら、確かに母の言うとおり、夕暮れの空を背景に、
シルエットになった林と家のすぐ近くに、並ぶように鉄塔が立ってたんです。
鉄塔の下に、かなりの人数の人が入り込んで動いているのもわかりました。
「おっかしいなー」とつぶやきながら家に戻りました。
自分の記憶では鉄塔はもっと島とは離れたところにあったような気がしてたんです。

気になったので、次の日の日曜日、午前中に見に行ったんです。
家からは道路を通ればけっこう距離があるんですが、
あぜ道を渡っていくと5分くらいでそこに出るんです。
確かに島のすぐ近くに鉄塔がありました。でも、変なんです。
それの他の鉄塔は自分の記憶どおりの場所にあって、
その鉄塔だけが直線の列からずれてるんです。
電線も不自然に曲がって伸びてました。でも、そんなことありえないですよね。
その鉄塔だけ急な工事で場所を変えるとか考えられないです。
意味がないし、家からすぐ近くだから、いくらなんでも工事してればわかるはずです。
やっぱり自分の記憶違いで、最初からこうだったんだろうか・・・

鉄塔に近づくと、その下は低い柵だけで簡単に人が入り込めるようになってました。
神社にあるしめ縄のようなものが4本の足の2mほどの高さに張り巡らされていたんです。
入っていくと、地面のの土が黒く焼け焦げ、
中央の高いところから下に、1本の太い綱が下りてきていました。
やはり神社の、鈴を鳴らす綱を長く伸ばしたような感じです。
その先に透明ファイルではさまれた写真がついてて、風でくるくると回ってました。
手で止めて見ると、公民館の掲示板にあるような犯人の手配写真だったんです。
「何だこれ?」と思いました。読んでみると、
「○崎△男 ○歳、殺人容疑で指名手配、この男を見かけたら110番」とありました。
ただ、写真の部分は半分ほど焼け焦げ、透明ファイルも溶けかけてたんですよ。

わけがわからず、気味が悪くなってきたので家に駆け戻ったんです。
また庭から見ても、やはり鉄塔は島のすぐ近くでしたので、
ずっと自分が勘違いしてたんだろうと思わざるをえませんでした。
鉄は錆が浮いてて、新しいものには見えませんでしたし。
夕食のとき、家族に鉄塔に行った話をしました。
すると聞いていた父が、変な顔をして考え込んでいましたが、
「そういうことがあったんなら話しておこうか。あそこの家が空き家になってたのは、
 家族が夜逃げしたからなんだよ。お前が生まれる10年以上前の話だ。
 なんで逃げたかっていうと、そこの次男坊が人を殺したからだ。
 場所はこの県じゃなかったけどな。
 それで、農協に勤めていたそこの親父もこの土地に居づらくなって、一家で消えた」

「でも、見た写真は焦げてたけど、そんなに古い物じゃなかった気がしたけど」
「もうその手配書はないはずなんだ。殺人は時効になってるからな」親父はこう続け、
「何か嫌な感じがするなあ。わからんけど、母さんやお前が言ってることが本当なら、
 そこには近寄らないほうがいいな」
「鉄塔の位置が変わってるってのは、父さんどう思うの?」
「いやそれは、昔からそこにあったように思うけどな。
 お前の言うとおり、理由もなく鉄塔の移動なんかしないし、工事してればわかる」
こんなやりとりをしました。
親父は最後にこうつけ加えました。
「今あの家に住んでるの、佐々木って人だってな。
 ・・・確か、殺された人も佐々木だったような気がするな。よくある名字ではあるが」

それから3日後の夜中、すぐ近くでサイレンが鳴っているので目が覚めました。
家族はみな、すでに起きて外に出ているようでした。
ジャンパーをはおって後を追うと、あの島の家が燃えていました。
消防車が集まっていましたが、田んぼ中で車が入れる場所が少なく、
かなり遠くから水をかけているようでした。
夜空が赤くなって、鉄塔もその色に染まっていました。
鉄塔の、前に写真がつり下がっていたあたりに人がぶらさがっているように見えたんです。
それを並んで見ていた父親に言うと、
「人?わからんなあ。暗くて見えんよ。そう言われればそうかなあ」
母が「そんなことより、あんた佐々木さんが心配じゃないの」と怒ったので、
その話は終わりました。

で、どうなったかというと、家は全焼しましたが死傷者はなかったんです。
家の中には誰もおらず、家具類もほとんど空だったということでした。
お祖母さんの葬式以来ずっと学校を休んでいた佐々木さんは、
火事のときにはもう一家して消えてたんです。その後の消息もまったくわかりません。
ただ・・・お祖母さんの骨壺が焼け跡から見つかったという話は聞いたことがあります。
噂なので本当かどうかはなんとも・・・
火事の原因は消防署の調査で、これははっきり漏電と決まりました。
火元が送電線が家とつながっている場所だったんです。
火花が、壁に塗ってあったタールに燃え移ったんだそうです。
鉄塔に人がいたように思ったのは自分の見間違いだったんでしょう。

家のあった場所は更地に戻され、今は島も削られて空き地になっています。
何度も行ってみましたが、土が焼けたせいか草がまばらに低く生えて、
虫とかの生き物がほとんどいないんです。
そのあたり一帯は再開発にかかるらしく、数年後には大きな病院が建つという話です。
家族は便利になると言って喜んでます。
鉄塔は火事の影響を受けて焼け焦げ、機能に支障はないようでしたが、
しばらくして離れたところに建て替えられました。
新しく建ったのは、自分が以前からそこに鉄塔があったと思っていた場所なんです。
送電線も曲がったりせず、きれいに伸びてつながってます。
・・・不思議なような、ぜんぶ合理的に説明がつくような話なんですが、
みなさんどう思われますか?

『送電鉄塔』





ワシコフの庭

2014.09.18 (Thu)
IT関係の企業に勤めています。よろしくお願いします。
この夏、2週間ほどバカンスをとりまして。ええ、ええ、うちの社は休みが長いんです。
仕事はヨーロッパと関連が深いですから、向こうに合わせて休みます。
でね、とある避暑地にある別荘に行ったんです。
・・・場所は言わなくてもいいんでしょう、察しはつかれると思います。
そこはバブル期にできた別荘地で、今はあまり使われてはいないんです。
持ち主が手放して不動産屋の管理に入った空き家ばっかり。
その一つを私が買い取りまして、かなり手を加えて改修したんです。
妻、10歳になる長男、愛犬のコリーのトムも連れて、
私がワゴンを運転して行きました。

12時前には着いて鍵を開けると、
管理会社の手が入っているとはいえやはり黴臭くなっており、
すべての窓を開け放って空気の入れ換えをしなくちゃなりませんでした。
その間に私は家の外を見回って修繕箇所を探し、妻はキッチンまわりの掃除、
息子はトムの小屋の清掃をしました。家の前庭に犬小屋をしつらえてあるんです。
なんとか過ごせるようになるまで半日かかりましたね。
・・・別荘の右手はちょっとした林があって、その下は崖になっています。
左側との境に塀と櫟の植え込みがあり、たいそう立派な石造りの洋館が建っています。
ここはロシア人のワシコフ氏という人が住んでいるんですが、つきあいはありません。

別荘ではなくて、やはりバブル後に手に入れた家に1年を通して住んでいるんです。
見かけたことは何度もありますよ。60年配の大柄な男性です。
言葉をかわしたことはないんですが、
自分で買い物などをしているようなので、日本語はできるんでしょう。
何の仕事をしているのかはわかりません。もう引退した人じゃないかと思ってました。
噂は聞いたことがありますね。ずいぶん若い日本人の奥さんをもらったものの、
数年前に病気で亡くされているということでした。
運転と大工仕事で疲れたので、早めの夕食にしました。庭でバーベキューです。
その後、書斎に使っている2階の部屋を片づけようと階段をのぼったとき、
廊下の窓からワシコフ氏の庭が見下ろせました。

時刻は7時少し前ぐらいで、まだ薄暮の状態でした。
櫟の木の枝の切れ目に、黒いスエットの上下を着たワシコフ氏の姿があり、
手に籠を持って大きな体でちょこまか動き回ってました。
櫟の陰の背の低いイチジクの木から実をもいでいたんです。
なんとなく興味をひかれて見ていました。
籠が一杯になると、ワシコフ氏は庭の隅のほうに向かって歩いていき、跪きました。
その奥に何があるかは葉陰になっていて見えませんでした。
籠を前に置き、手を組み合わせてお祈りをしているようでしたので、
墓でもあるのかと思ったんですが、屋敷内に墓というのも変です。
祭壇か何かかもしれないとも考えました。
ワシコフ氏は組み合わせていた手をほどき、右手を伸ばしスエットをまくり上げ・・・

ナイフか何かを出して、右の手首を切ったように思えたんです。
どっと血がこぼれました。薄暮の中で液体は黒い色になって見えました。
ぞっと背筋が冷たくなりました。跪いたまま、ワシコフ氏が真上に顔を上げました。
こちらの様子が見えたとは考えられませんでしたが、その場を離れて書斎に入りました。
胸がドキドキしていました。今のは自殺なのだろうか、警察に知らせるべきなのか・・・
でも、そうでなかった場合、大変失礼なことになってしまいます。
それで20分ほどしてからもう一度廊下に出て、さっきの場所を見ました。
すっかり暗くなっていましたが、かろうじて人が倒れたりしていないのはわかりました。
やはりさきほどのは見間違いなんだろうと思い、
書斎に戻ってネットの回線をつなぐなどの作業をしたんです。

翌朝、早く起きて散歩に出ると、大型のSUVが隣家の前の道に止まっていました。
ワシコフ氏が中から出てきましたので、ああ、やはり昨夜のは勘違いだったかと、
ほっとしかけたんですが、氏の右手首には厚く包帯が巻かれていたんです。
ワシコフ氏は車のバックドアを開け、そのときにふり向いて私と目が合いました。
無言で、顔には何の表情も浮かんでいませんでした。
私はあわてて小さく会釈をし、その場を離れたんです。
車の荷台に、大き目の帆布の袋がいくつも入っているのが見えました。
数日して、家族を連れて下の街に降りました。
そこは観光地になっていて、他所から来た客が土産物屋に溢れていました。
妻と息子が、ショッピングモールで買い物をすると言ったので、
人ごみが苦手な私は、モールの玄関で待ち合わせることにして散髪に出かけました。

床屋は、この別荘地に来る度にいつも寄っている古い店で、年配の主人とは知り合いです。
待ち時間もなく散髪が始まり、その間に話し好きの主人とあれこれこの街のことを話題にしました。
観光客は昔より少なくなったがうるさくなくていいとか、そういったことです。
その中で、奇妙な話を聞かされました。街の住人の飼い犬が盗まれているらしいんです。
つながれていた番犬が、朝になるとリードと首輪を残して姿が消えている。
しかし夜中に鳴き声や音を聞いた者はいない。
もう5・6匹は被害に遭っているだろうとのことでした。
つながれていたのなら野犬狩りではないし、高価な犬がねらわれているのかとも思いましたが、
すべて成犬なんだそうです。それなら新しい飼い主になつくとは思えませんし、不思議な話でした。
買い物をおえた家族と合流し別荘に戻ってみると、まさにさっき聞いたとおりに、
首輪を残してトムがいなくなっていました。

息子が泣いて騒ぎ立てたので、この地に住んでいない者がわずらわせるのも
申しわけないとは思ったんですが、警察に連絡しました。
警察が到着するまでの間、近所をうろうろしながらトムの姿を探しました。
隣家の前を通ったとき、塀が切れて生垣になったところからワシコフ氏が顔を出しました。
「どうしましたか」流ちょうな日本語で聞かれましたんで、ざっと事情を話しました。
すると氏は「それはお気の毒です、見つかるといいですね」と言いましたが、
それ以上話は続かなかったんで、礼をして家に戻ろうとしました。
ワシコフ氏が最後に「まだ・・・足りない」と言ったので、ふり返るとあらぬ方を向いていました。
独り言だと思いました。やがて警察が到着し、親切な対応でトムの特徴を聞いていきました。
そのときには、下の街で話題になっている犬の盗難の話も出たんです。
同じ犯人かもしれないが、はっきりしない・・・警官の口ぶりは慎重でしたね。

その夕刻です。ワシコフ氏の庭を2階の窓のカーテンに隠れてずっと見ていました。
・・・ここまでの話でおわかりだと思いますが、トムの件に関してワシコフ氏を疑っていたんです。
別荘に来た日と同じ時間帯にワシコフ氏が現れました。
ここからは見えない何かの前に跪き、祈りを捧げました。
それは20分以上も続き、暗さが増してきました。ワシコフ氏は立ち上がり、いったん姿が消え、
灯油缶を手にして戻ってきました。蓋を開けて両手で持ち、
傾げて中身を振りかける・・・そんな動作をしました。
やがて・・・ワシコフ氏の庭に霧が立ちこめてきたんです。
ワシコフ氏のまわりだけ、白く濃く発光したような霧が・・・それは渦巻きながら凝縮し、
ベールを被った人の姿のように変わっていったんです。
ワシコフ氏が叫んだのが厚いサッシ戸ごしに聞こえました。
私は怖ろしくなって部屋に戻たので、その後どうなったかはわかりません。

ここからは、皆さんご存じのとおりです。1週間後、地元の警察から、
別荘地の街の幼い女の子が行方不明になっているという発表がありました。報道協定をやめ、
公開捜査に切り替えたんですね。このときには私たち家族は東京に戻ってました。
情報があったのでしょう、警察はワシコフ氏の家を急襲しましたが、
中はもぬけの空で、庭の小屋からたくさんの犬と、行方不明の女の子の遺体が発見されたんです。
みな血を抜き取られたのが死因だったそうです。
トムもその中に入っていましたので、私も東京で事情聴取されました・・・
あと、これは報道されていないことですが、別荘地の知り合いから電話で聞いたんです。
ワシコフ氏の庭にはロシア十字架の立った墓?のようなものがあり、
その土は大きく掘られていて、中には何もなかったそうです。
ワシコフ氏の行方は今もって知れないのも、知ってのとおりです。


*敬愛する俳人、西東三鬼氏の作品から啓発されて書きましたが、
 話がうまく転がらなかった気がします。三鬼先生、もっと頑張ります。
 『 露人ワシコフ  叫びて石榴  打ち落す  西東三鬼 』

『ロシア十字』





狐 

2014.09.16 (Tue)


十数年前に、96歳で大往生したうちの祖母から聞いた話です。
明治の終わりから大正の始めにかけて頃のことですね。
祖母は麹屋で生まれ、そこは酒造もしていて、
子どもの頃は、かなり裕福な暮らしをしたそうです。
使用人がたくさんおり、今となっては誰が誰やら記憶があいまいだとも話してました。
祖母が数え8歳のとき、4つほど年上の少女が子守に雇われてきていました。
その子は祖母には優しかったものの、赤ん坊のあつかいがぞんざいで、
他の女の使用人によくしかられて泣いていたそうです。
また、胸が痛いと訴えてしゃがみ込んでいるのを何度も見たことがありました。

ある秋の晴れた日だったそうです。
祖母が庭に出たところ、子守の子が赤ん坊を負ぶったまま、
うつ伏せに地面に手をついていて、赤ん坊が背中でわんわん大泣きしていました。
「だいじょうぶか」と祖母が近寄って声をかけると、なぜか顔を向こうに向けたまま、
「この赤ん坊、泣いて泣いてしょうがないから食っていいか」と言ったんだそうです。
祖母は最初、何を言ってるかわかりませんでした。
「食っていいか、赤ん坊」その子がもう一度ささやいたので、
祖母の弟を食う、という意味だと察したんです。

「だめ、そんなのだめ」祖母が慌ててとめると、
子守の子は「そうかやはり跡継ぎは惜しいか。じゃあこれを食おう」
そう言って祖母のほうを向きました。
顔が盛り上がったように浮いて、赤い筋がいくつもついていたそうです。
獣臭いにおいがしました。
子守の子は祖母の見ている前で、自分の顔の皮を下からべりべりと引き剥がし、
丸めてぱくっと一口で食べたんだそうです。
祖母は「きゃっ」と叫んでその場に倒れ、
そのとき「くけー」という甲高い鳴き声が聞こえたように思ったということです。

気がつくと屋敷の仏間に寝かされていて、まわりに人がたくさん集まっていました。
母親の顔があったので「弟は」と聞くと、別室から抱いてきて見せてくれました。
なんでも、祖母が倒れていた近くの草むらで、
ねんねこにくるまれたまま眠っていたんということでした。
子守の子は納屋の藁にうつ伏せに倒れているのが見つかり、
抱き起こすと、まあるい形に顔の皮が剥がされていたんだそうです。
ただ、その他に体に傷ついたところはなく、
医者の見立ては、心臓の病で亡くなったものということになりました。
このことは祖母には知らされず、ずいぶん後になってわかったと言っていました。
こんなのが狐です。

毛皮

この出来事があった冬です。その地で大々的に狐狩りが行われたんです。
滅多にないことだと祖母は話してました。
狐は神様のお使いだから大事にされていて、
ふだんは猟師もまず狩ることはしなかったと。
ところが先の話の子守の子の父親が猟師で、病死であったとしても、
娘の顔の皮を剥いて食った狐に悪感情を持つのは当然だったと思います。
あちこちから鉄砲撃ち仲間を集めて、集落の裏山に入りました。
この地方では犬を連れた狩りはあまり行われず、集団でやる流儀でした。
だから、山が雪に覆われて獲物の姿がよく見える冬を待っていたんです。

それは凄惨なものであったと祖母は話しました。
もちろん祖母が狩りについていったのではなく、話を聞いただけでしょうが、
雄雌関係なく、仔を孕んでいても容赦なく撃ち殺したそうです。
巣穴を見つけたら、生まれたばかりの子ギツネでも引きずり出し、
後足をつかんで立木に頭を打ちつけてみな、殺しました。
そして祖母の屋敷の納屋の前にうずたかく死骸が積み上げられたんです。
これは麹屋の当主も承知のことでしたから。
祖母もその様子は見てて、血の臭いと獣臭さでむんむんしたと言っていました。

子守の父親は、その中から毛並みのよいのを何匹か選んで防寒の毛皮用とし、
猟師仲間にも配ると、あとは野っ原に運んで大きな穴を掘って放り込み、
火をつけて燃やしてしまったんだそうです。
父親の猟師は、しばらく誇らしげに狐の毛の装束を着ていましたが、
次第に山に出ることが少なくなり、家に引きこもってしまいました。
そのうち狐の毛の装束を手に持ってその地の旦那寺を訪れ、こう言ったんだそうです。
「この毛皮、はじめのうちはあったかくてよかったが、だんだんに声が聞こえるようになった」
「どんな声ですか」と住職が聞くと。
「死んだ娘の声でよ。オラ死んで狐に生まれ変わってたのに、
 すぐまたお父に殺されたって」

あまりの話に、住職は毛皮を預かって勤行のたびに本堂で教を読みかけておりましたが、
ある朝板戸を開けたとたん、一匹の狐が飛び込んできて、
毛皮を口に咥えて植え込みの中へ消えたんだそうです。
その日の午前のうちに死んだ女の子の弟が、
父親の猟師が囲炉裏に倒れ込んで死んでいるのを見つけました。
寺に預けた毛皮を身に纏い、銃で自分の口を撃ち抜いていたということでした。
・・・猟師の死の顛末は、祖母が大人になってから聞いた話とのことです。
その地方では、経済成長期に狐はかなり減少しましたが、
今は過疎化が進んで、また増えてきているようです。

狐調査

狐狸、狢の類に化かされるという話は、今はほとんど聞かなくなりましたが、
明治期にはその手のことが新聞にも出ていましたし、
戦前までは信じる人も多かったと思われます。
面白いのは、明治時代、
維新後の新政府の招きで外国人技術者が農村部にも入ってきましたが、
村の住人はちょくちょく狐狸に化かされて奇行を演じたりするのに、
それらの外国人は騙されたりすることはなかったという話です。

ウエブでは、狐狸が化かすのはなぜ?という疑問に対して、
それらは賢い動物だから擬人化して扱われることが多かった、みたいな解答をよく目にしますが、
実際はもっと深い部分があるのではないかと考えています。
おそらく狐のほうを調べても、生物学的にわかる以上のことは出てこないでしょう。
原因は村社会のほうにあると思われます。
今、上記したような雇われ外国人技術者が、
1880年代に日本に来て狐狸についての見聞をまとめた英語の文献を
ウエブで見つけて読んでいるところです。
もし面白い事実が見つかり、考えがまとまりましたならこのブログに載せたいと思ってます。
Bigbossman

『狐の花嫁』
1398148971123のコピー





テレパス

2014.09.15 (Mon)
えー、ゲーム関係のプログラマーをやっていて、年は28歳になります。
あ、個人情報はいらない?・・・そうですか。
私の職場はわりと自由な雰囲気で、仕事場も仕切りで個人ブースに分かれてます。
忙しいときは何日も徹夜が続きますが、
暇なときは遊んでてもいいし、早く帰ってもいいんです。
そのときは他社の製品を解析してたんですが、期限もないような仕事で、
そろそろ切り上げて帰ろうかと思ってたところです。午後4時頃だったですね。
何杯目かのコーヒーを紙コップに入れて持ってきて、パソコンを打ってると、
つい鼻歌が出たんです。

えー「森の熊さん」です。あの、「♪ある~日、森の中~」というやつ。
あ、歌わなくてもいい?・・・そうですか。
自分でも滅多にないことだと思うんですが、そのときは無意識でした。
「いいご機嫌ね」仕切りの入り口から声をかけられました。
先輩の高崎女史です。この人は事務のほうをやってて、自分より4つか5つ年上です。
神霊関係や予言なんかのムーっぽいことが好きで、
飲み会ではいつもそんな話をします。
この間も、超能力の有無について、自分と少し議論になったんですよ。
もちろん自分のほうが「ない」派でした。

「あんた今、鼻歌歌ってたでしょ」こう言われたんで、
「すんません、聞こえましたか」と答えました。
「いや、そんな外まで響くような声じゃなかったけど、森の熊さんでしょ。
 みんなの歌とか好きなん?」
「そんなわけじゃないんだけど、なんとなく出ちゃって・・・」
「パソコンのキーボードの下を見てごらんよ」
何かイタズラでもされたかと思って持ち上げてみると、ピンクのメモシートが入ってました。
そこには赤いマジックで『森の熊さんを鼻歌で歌う PM15:30』
と書かれてあったんです。
「・・・何これ、手品ですか?」

「いえいえ、超能力。この前少し話した西丸震哉って人の本に出てくる、
 テレパシーの方法を試してみたん」
「うー高崎さんが、俺にテレパシーで森の熊さんを歌わせたってことすか」
「そ。本にはね、人が忙しく集中してない午後のあたりに、誰でも知ってるアップテンポの曲、
 ノリがいい曲っていうか、
 それを頭の中でくり返し歌いながら歌わせたいと思う人に念を送る。
 そうするとかなりの確率で、その人も同じのを鼻歌でうたうようになる、って書いてた。
 西丸さんの本は昔のだから『お猿のかごや』が最適ってなってたけど、
 さすがに今じゃ知ってる人は少ないし、それで森の熊さんにしたん」
「えー、やっぱ信じがたいです。俺の鼻歌を聞いて、
 その間になんとかしてここに紙入れたんでしょ。時間のほうは何とでもなるし・・・」

「そう言うと思った。ウエブで○○掲示板の△スレッドちょっと見てごらん。
 そこにも書いてあるから」
で、見てみたら確かに書いてあったんです。俺の名前はわからないように
『会社のMが森の熊さんを鼻歌で歌う』みたいなのが。
この掲示板は書き込み時間が表示されるので、
さすがに何かトリックができるとは思えません。
「スゲエな、マジっすか!」
「あんた今プロジェクト終わったばっかで、たぶんヒマしてるだろうし、
 そういうときってかかりやすいのよ」勝ち誇った感じで言われたんですが、
まだ半信半疑でした。
「んー、じゃ、こういうの俺でもできるんですか?」

「才能が必要みたいだから、誰でもってわけじゃないけど。
 才能があるかどうか試してみる方法はあるよ」
「へえ、どんなですか?」
「人がたくさんいて、あんまり集中して何かをしてないとき・・・うーん駅のホームとか、
 満員電車の中がいいかな。そこで、頭の中で何かを強く念じるのよ。
 人にショックを与える強い言葉がいいみたい。口に出しちゃ意味ないから、
 あくまで心の中でよ。すると、超能力傾向のある人がやると、
 必ず何人かがはっとした顔でこっちを見たりするの」
「試してみたんですか?」
「もちろん」「で、どうでした?」「満員電車中で5・6人だったな」

・・・どう思いますか?森の熊さんのことはアレですが、やっぱ信じられないですよね。
で、ダメ元で退社時の電車で試してみることにしたんです。
単に心の中で念じるんだから、何のリスクもないし、誰にも迷惑をかけません。
・・・結果は、全然でした。心の中で「脱線するぞ!」と念じてみたんですが、
列車内には何の変化もなし・・・
翌日、そのことを高崎さんに話しました。そしたら、
「それは単に才能がなかっただけか、もしかしたらその言葉に念がこもってなかったか」
「念がこもってないって、どういうことですか?」
「実際に列車が脱線する、と思って念じたわけじゃないでしょ。違う?」
「そうです」「だったら、言葉は他人の心に響かないわよね。口に出しても出さなくても」

何となく納得させられてしまって、少し手段を考えました。
でね、会社では午後ずっと映画のDVDを見てたんです。
ほら、ハリウッド製のアクション映画とか悪役が出てきますね。
で、主人公が絶対絶命のピンチに落ちて悪役が勝ち誇る・・・
この後、敵役はたいてい悲惨な死に方をするんですが、勝ち誇ってるとこまでを、
いろんな映画を早送りして見たんです。『アナコンダ』のシリーズとか。
そして、悪に対する憎しみの心で胸をいっぱいにしてから退社するようにしたんです。
会社でなに遊んでるんだって? いやまあ、別にうちはいいんです。
そのかわり、忙しい時期は残業代なしで連続徹夜ですから。

憎しみを胸に抱いてw 電車に乗りました。
まだ退社のラッシュには早い時間だから、超満員というわけでもなかったです。
確かにねえ、「脱線する」と俺自身が信じてないことを言ってもそりゃね。
理に適ってるなとも思いましたから。電車の中って、観察してみるとみんな、
他人に視線を向けないよう無意識に気を遣ってるんですね。
立ってる人は斜め上や足下を見たり、
座ってる人は目の焦点をぼかして一つのものを注視しないようにしてる人ことが多いんです。
トンネルに入る直前に念じてみようと思いました。
それだと外を向いてる人も車窓に顔が映るじゃないですか。
トンネルの入り口でガタンと車両が揺れました。
そのタイミングで、「死ねこのやろう!!お前は世の中の敵だ!死ね死ね死ね死ね・・・」

強く強く念じてみたんです。もちろん、乗客じゃなくて映画の悪役に対してですが。
・・・でね、はっきりした反応はなかったです。
向こう向いてた人が振り返ったとか、あからさまにこっちに視線を向けたとか、
そういう目立ったことはなし・・・2日続けてこの結果ですからね、
ああ、やっぱり俺には超能力の才能はないのか、というより超能力自体ないんだろう。
「森の熊さん」はやっぱ何かのトリック・・・そう考えたんです。
大きめの駅に着きまして、乗車口近くに立ってた俺は体をどかしました。
ぞろぞろ降りる人が横を通っていきましたが、よれたコートを着たサラリーマン風のおっさんが、
俺の前でしばし歩みを止め、目を下に落としたままこう言ったんです。
「ありがと、おかげで死ぬ決心がついた」って。
その後ですか・・・そこの駅で自殺者が出たのは聞きました。
そのおっさんかどうかは確かめてないです、怖くて。

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『telepathic communication』
テレパシー





すねこすり

2014.09.14 (Sun)
岡山県に住んでる中学校1年生です。
夏休み前に、郷土学習で地元の歴史を研究しているおじいさんが学校に来られて、
体育館で昔の市内の様子や、不思議な話などをしてくださったんです。
最初は退屈かなと思ってたんですが、
プレゼンソフトで写真もたくさん見せてもらったし、けっこう面白かったです。
その中で印象に残っているのが、地元につたわる妖怪「すねこすり」の話です。
すねこすりは雨の降るくらい夜に現れ、
夜道を歩いている人足のを毛皮でこするんだそうです。

多くの絵が残っているそうですが、イヌの姿で描かれることが多く、
漫画家の水木しげるさんもイヌのイメージでマンガにしてるということでした。
ただ「すねこすり」という言葉の中には「ねこ」という語が入っていて、
ネコとイヌが混ざったような姿で描かれたものもあるともおっしゃってました。
その講演会があった日の帰り、友だちと妖怪の話をあれこれしたんです。
「すねこすりなんて、本当にいたんだろうか」
「うーん、でも雨が降る暗い夜にしか出てこないってのが怪しいよな。
 これって、本物の犬猫が走りぬけたのを、驚いた人が大げさに言って広まったのかも」

「・・・そうかも。今みたいに街灯も懐中電灯もない昔だしね」
「だけど、妖怪っていろいろ他にもいるよな。
 幽霊の話は今でも信じる人はけっこういそうなのに、
 妖怪はアニメだけにしか出てこなくなちゃったのはどうしてだろう」
「妖怪は幽霊みたいに怨みを持ってなくて、あんまり怖くないからじゃないか」
「そっか、妖怪は幽霊みたいに復讐するなんかの目的がないから、
 夜が明るくなると山の中に引っ込んでいったとか」
「ゲゲゲの鬼太郎でもそんな話になってたよな」
こんな会話をしました。

僕たちは2人とも、運動が苦手で部活動に入ってなくて、
その代わりというか、週に3日いっしょの塾に行ってるんです。家もすぐ近くです。
「妖怪でも、すねこすり程度のやつなら出たとしても怖くはないような気がする」
「あの絵のとおりならむしろ可愛いよな」
「転んで鼻の頭をぶつけたって子どもの話があるけど、せいぜいその程度みたい」
「じゃ今日の塾の帰り、裏通りの神社のある道を通って帰ってみないか」
「あそこだって街灯はあるし、そんなに暗いわけでもないけどな」
「あの神社はときどきロウソクがついてるのが道から見えるって話もあるし、
 けっこう怖いよ」

「人通りはたしかに少ないな。じゃあ、あの鳥居の前あたりで、
 すねこすりさん出てきてください、とかお願いしてみたらどうだろ」
「それバカバカしいけど面白いな・・・でもお前んち、母さんが車で迎えにくるだろ」
「おまえんとこで来るって聞いたから、乗せてもらうって言ってみる」
こんな風に相談がまとまりました。
塾が終わったのは9時半で、いつもは大通りを帰るんですが、
住宅地のほうに入って裏道に出ました。ここは堰に沿った細い道で、
途中舗装されてない砂利のとこがあって、神社もそのあたりにあるんです。

そっちに回ったのは久々で、ぜんぜん人は通ってませんでした。
でも距離的には家まで15分ちょいくらいしかかからないんです。
「明るいよな、これだと出そうもないな」
「携帯持ってきてるよな。何かあったら写真撮ろう」
足下はザクザクした砂利に変わって、神社の鳥居が見えてきました。
いくつも鳥居が連なった奥に建物が少しだけ見えるんですが、
ぼうっとオレンジ色に明るかったんです。
「あれロウソクあげる人がいるんだって」
「そうかなあ、電気がついてるんだと思うけど」

立ち止まって携帯を取り出し、
2人でいっせいので「すねこすりさん出てきてください」と言うことにしました。
でもやっぱりアホみたいなので、心の中でです。
「いっせいの-」と小声で言ったとき、近くの街灯がふっと消えたんです。
「ああ、何だ!」
あまりにタイミングが合ってたので驚きましたが、でも真っ暗ということはありません。
街の空は明るいし、携帯も光ってます。
そのとき足のあたりに何かいるような気がしました。
僕はズボンをはいてたのではっきりしませんでしたが、
「毛がこすれてる、何かいる」と短パンの友だちが叫びました。

でも、目をこらしても砂利の地面があるとしか見えませんでした。
「写真撮ろう!」2人で小さなものの感触があるあたりを何度も写しました。
そのうち、立ち止まってるのが怖くなってきて、どちらからともなく走り出しました。
次の街灯のとこで横道に入って、大通りに出たんです。
車がたくさん走ってて、さっきの怖さが嘘みたいに消えました。
「写真見よう、ぜったい何かいた感触があったよな」
ところが、2人の携帯のどっちにも何も写ってなかったんです。
真っ黒でした。「やっぱダメか」
「でもこんな真っ黒になるってのも意味わからないし。
 帰ってからソフトで画面を明るくしてみる」友だちが言いました。

僕の携帯は、家に戻るとなぜか電話もメールもできなくなってました。
電源自体が入らないし、いくら充電してもダメだったんです。
父さんにそれを言うと、修理に出すといって預かられました。
次の日学校で友だちにどうなったかを聞いたら、
やっぱり携帯の調子が悪いということでした。
その日は塾がなかったんで、寄り道になるけど友だちの家に寄ったんです。
携帯を見せてもらうと、電源は入りましたが動きがすごく遅くなってました。
しばらく時間がかかって、なんとか真っ暗な画像を1枚だけパソコンに取り込みました。
それを画像ソフトに入れようとしたら、パソコンの動きも悪くなったんです。

ようやっとソフトに入れて、画質調整から明度を上げると・・・
ひどいノイズが走ってましたが、白いズックの足下が見えました。友だちの右足です。
そしてそのまわりを囲むように、黒い丸いものがいくつもあったんです。
変な例えですが、スイカ畑の中にいるみたいな。
何が写っているかがわかって、僕たち2人ともパソコンから跳びのきました。
かわいいすねこすりではなく、坊主刈りやボサボサ頭の子ども・・・
幼児の頭がたくさん地面から生えてたんです。
幸い・・・顔は見えませんでした。え、その画像はどうなったかって?
この後すぐ、友だちのパソコンも携帯も壊れちゃったんですよ・・・
今修理中なんですが、もし直ってきたらどうすればいいんでしょうか?

『すねこすり』
すねこすり




牛鬼

2014.09.14 (Sun)
小学校5年生のときですね。浜辺に住んでまして、
もうほんとに、家から通り一本隔てたとこに堤防があって、その先が砂浜でした。
夏休み中です。6時過ぎにノートを持って浜に出ました。
7月の終わりで、まだ明るかったです。
浜へは用がなくてもちょくちょく出てましたが、
そのときは夏休みの自由研究で、夕日の様子をスケッチしようとしてました。
夕焼けの色と次の日の天気を比較したりしたんです。
波打ち際に放置された小舟がいくつかあり、
その縁に日記帳を置いて、クレヨンで夕焼けを描こうと思って色を選んでました。

そしたら波打ち際に近い砂が、小舟ほどに高く盛り上げられてるのを見つけたんです。
回っていって見ると、砂を固めて牛の首の形に作られていました。
「何これ、スゲエ」と思いました。
大きさは縦横1mで、高さも80cm以上あったと思います。
雄牛の肩より上が、ものすごく写実的にできていたんです。
表面を濡らして、てらてらになるまで何かでこすったような感じ。
首の正面は海を向いて、2本の角が上に突き出てました。
壊さないようにそっと角にさわってみると、
流木か何かの固い芯が入ってるようでした。

前に回り、後ろに回ったりしてしげしげと見て感心していると、
海から2人中学生が上がってきました。ゴムボート遊びをしてたみたいです。
そいつらとは同じ小学校だったので知ってましたが、
あんまり柄のよくない、評判の悪いやつらだったんです。
2人は砂の牛を見つけて近寄り、
「何だよこれ、スゲエな。お前が作ったのか?」と聞いてきたので、首を振って、
「ううん、今来てみたらあった」と答えました。
2人はあたりを見回して、「海水浴の客かな。これだと何時間もかかったんじゃないか」
とか言って、自分のように角をさわったりしてました。

そのうちに、1人が角をもぎとっちゃったんです。
先を持って振ると、やっぱり中に白い芯が入ってました。
「お、これ骨だぞ。中に骨入れて角を作ってた」1人が言い、もう1人がそれを見て、
「細いな。から揚げの骨じゃないか」と応じました。
「なんだ、くだらねえ。じゃ中にも何か入ってるのか?」
最初の1人がそう言って、おもむろに牛の後頭部に腕を突っ込みましたが、
「なんもねえな」そう言って腕を抜きました。
それから2人で足で踏んで像を壊し始めました。
蹴ったり、足を深く突っ込んで砂を跳ね上げたりしたんです。

よくできてるのにもったいないな、と思いながらも黙って見てました。
首本体の中には何もなかったようで、しばらくしてそこは平らになり、
砂だらけになった2人は、海に体を洗いに入ったんです。
それから2人して、岩陰に浮いてたゴムボートを浜に引っぱり上げようとしました。
そのときいきなり、2人の背後の海から牛が顔を出したんです。
砂の牛とそっくりでしたが、大きさは何倍もあり、
子どもだった自分の目には漁船半分くらいにも思えました。
ただ・・・水しぶきがあがった記憶もないし、音も覚えてないんで、
これは自分の幻覚だったのかもしれません。

巨大な牛がすぐ近くに顔を出してるのに、
中学生たちはぜんぜん気づいてない様子でしたが、そんなことありえないですよね。
それと今から考えれば、海の深さは中学生の腰ぐらいだったんで、
そんな大きな牛の体が水中にあるはずもないんです。
牛の顔は陸を向いていて、しわが寄った額の下の両方の目は白く濁ってました。
黒い毛が濡れてごわごわの束になって見えました。
その首の前で、角1本よりも小さい中学生がボートを引っぱってるという異様な記憶・・・
やっぱり幻覚なんだろ思います。
2人が浜に上がろうとしたときには、いつのまにか首は消えてました。
ちょうど夕日が海に落ちるところで、
自分から2人は逆光になって黒いシルエットに見えました。

その1人がいきなり「モーウ、モモーゥ」と牛の鳴き真似をしたんです。
もう1人も合わせるようにして「モモーモモー」
鳴きながら自分に近寄ってきました。
さっきからの出来事で怖くなってたんで、日記帳もクレヨンも放りだして逃げました。
走ってる後ろから「ぎゃははは」と笑い声が聞こえてきたんで、
やっぱりふざけてたんだろうと思います。
・・・ここまでは、そんな怖いことでもないですよね。
砂の牛はヒマな海水浴客が時間をかけて作ったもので、海の中の巨大な首は自分の幻覚、
中学生の鳴き真似は自分をビビらせようとしただけ・・・

2人がこの後、溺れて死んだなんてこともありません。
ただやっぱ地元の高校に入っても素行が悪く、退学になって大阪に出ていきました。
暴力団に入ったという噂もありましたが、現在はどっちも消息がよくわからないみたいです。
で、今年の夏です。自分は結婚して別のとこに住んでるんですが、
嫁と5歳の息子とで里帰りしてたんです。
一泊した13日の朝方、息子を連れて浜に出てみました。
お盆のせいか、時間が早かったためか人の姿はほとんどなかったです。
波打ち際まで行くと、息子が「うし、うし」と言いながら、
つないでいた手を振り払ほどいて走っていきました。

その先を見ると、子どもの頃に見たあの砂の牛の首があったんです。
記憶にあるものとまったく同じでした。
実家には何度も里帰りして海にも出ましたが、こんなことは・・・
思わず「さわるな、壊すなよ」と声をかけました。
息子は小躍りするように首のまわりを飛び跳ね、そのときふと予感がして沖のほうを見ました。
もしや昔のように巨大な牛の首が出ているかと思ったんです。
・・・キラキラ光る穏やかな波の重なりがあるばかりでしたね。
「まさかだよな」とつぶやいて息子の片手をつかまえました。
そのときです、息子が「モーウ、モモー」って言ったんですよ。
小さくつぶやいただけでしたが、昔聞いたあの2人の声そっくり・・・

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『牛鬼』






重なる2

2014.09.13 (Sat)
でね、結局まともな就職がなくってね。まあ不景気な時代だったし俺に能力もなかった。
その倉庫のバイトをある程度続けた後、不動産屋の会社の正社員になったんだよ。
・・・筋者じゃなかったが、法律すれすれの商売だったな。
倉庫のと少し似てる、こんな話があるんだ。
マンションだった。せまい宅地面積の4階建てのマンション。そこの話をしてみる。
いや、よくある事故物件の話じゃない、
新築なんだが、初入居そうそう幽霊騒ぎが起きてしまったんだ。
その頃にはね、俺は霊感があるって評判が会社内で立ってたから、
事情を聞きに派遣されたんだ。

苦情が出てたのは、各階に4部屋あるうちの南側の1号室だった。
1階に101、102、103、104と部屋があるんだよ。2階以上も同じ間取り。
そのうちの201号と401号の部屋の住人から、幽霊が出るって苦情が来てたんだ。
で、それらの部屋の住人が在宅してる日曜の午前に出かけて行ったんだよ。
最初に4階から回ったら、まだ若い旦那と奥さんがそろっていて、大声でまくし立ててきた。
毎晩10時過ぎになると、寝室の天井から幽霊が降ってくるって。
若い女の幽霊で、頭を下にして叫びながら落ちてくるんだそうだ。
最初に天井から垂れ下がった髪の毛が現れ、
女の全身が出てきてフローリングの床に消える。

もちろん信じたよ。そのマンションに入ったときからよくない気配を感じたしね。
一通り訴えを聞いて、そんなんじゃ寝られないし、
その時間だけ部屋を空けるってのも納得できないだろうし・・・
ここは賃貸じゃなく買い取りだから、なんとかしてやらなきゃと思った。
301からは苦情は来てないんだが、いちおう寄ったら、
水商売らしい30過ぎの女が眠そうに出てきた。
理由はふせといて、「不動産会社の者ですが、ご要望はございませんか」と聞いた。
どうでもいいような細々したことを言われたが、幽霊話は出なかったんで安心したね。
次が201・・・ここも若い夫婦だったが、3歳くらいの女の子が一人いた。

話を聞くと、天井から女の幽霊が落ちてくるのは同じだが、
場所が少し違ってて、寝室の壁際に現れるらしい。
頭を下にしてるのも同じなんだが、その頭が半分に割れ、
血を振りまきながら床に消えていくんだそうだ。むろん後になれば血はどこにも残ってない。
そんなのが見えたら、怖ろしいだろうなーと思ったが、
4階の夫婦は頭が割れてるとは言ってなかった。
そんな凄惨な様子ならもっと厳しく責められただろうから・・・
あと家族では旦那さんはまるっきり見えてないようだったな。
「手数をかけて申しわけありません。そんなのいないって何度も言ったんですが、
 妻と娘があまり騒ぐもんで・・・」

事情がなんとなくわかった気がしたんで、「早急に善処します」と約束して社に戻った。
ネットと付近の聞き取りで調べると簡単に判明したよ。
近くのビルから2年前に飛び降り自殺があったんだ。若い女で、原因は不倫関係らしい。
どうやら4階、2階の住人はその霊を見てるんだと思った。
その飛び降り自殺があったときには、マンションはまだ更地で、
おそらくそのときも幽霊は出ていたんだろうが、見るやつがいなかっただけなんだろう。
それが、マンションが建っても霊は同じコースを落ちてきているわけだ。
運悪くというか、4階の夫婦はそろって霊が見える、
2階の家族は奥さん娘さんが見える人ってわけだな。
1,3階の住人は見えないか、さもなきゃその時間、部屋にいないのかもしれない。

いずれ対策はマンション全体にしなきゃならないようだ。
あと、霊が4階はまあ普通?の外見なのに、2階で頭が割れてるってのは、
落ちる途中でビルの壁の張り出しかなんかにぶつけたんだろう。それで落ちるコースも変わった。
でね、どうしたかっていうと、懇意にしている霊能者のとこに対処を聞きに行ったんだ。
その人はその地方全体の不動産屋の顧問みたいなもんで、
金はかかるけど有効な手立てを教えてくれる。
俺が事情を説明したら、霊能者は一言「馬の小便」って言った。
「はああ?」って聞き返すと、
「霊はなぜか馬の小便を嫌うんだよ。だから小便が染みついた馬小屋の壁は通れない。
 聖徳太子やキリスト様が馬小屋で生まれたのもそのためだ」

いまいち納得はできなかったが、社長に話したら「わかった」と言って、
岩手の山奥の牧場から馬小屋の壁板をひっぱがして買い取り、大量に運んできた。
あとは工事費を会社とマンションの所有者で出し合って、
飛び降りコースにあたる屋上に、馬小屋の壁を敷き込んだんだよ。
口止め料も必要だったから、完全な赤字物件になってしまったが、これは仕方ない。
こっちの調査不足でもあったんだよ。
で、工事が終わると幽霊話もすっかりなくなった。
これで一件落着・・・なんだが、疑問が残るだろ。
屋上の馬の小便板によってはね返された幽霊ってどうなるんだろ。
どうして霊を成仏させるんじゃなく、はね返してしまうんだろうって・・・
そんな感じで、わからないことはいまだに多々あるんだよ。

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重なる1

2014.09.13 (Sat)
Fラン大学を出たが、就職がなくてしばらくバイトをしてた。
大学時代から出入りしてたバーで皿洗いに雇ってくれたんだ。
ただ、そこも経営があんまりよくなくてね、勤めてから4ヶ月で店を閉めちまった。
アパートを引き払って田舎に帰るかってとこまで追い込まれたんだが、
出入りしてた客の一人に別のバイトを紹介された。
その客は不動産業と言ってたが、
なんかもっと柄の悪いほうの人じゃないかと思える、服装や口調だったね。
贅沢は言ってられない。
仕事は、市の郊外に貸倉庫があってそこの管理人ってことだった。

管理人って言ったけど、仕事は夜間だけで荷は運ばれてこないんで、
警備員のほうが正確かもしれない。ほとんどやることはなくて仮眠もとれる・・・が、
拘束時間が長かった。夕方6時から、翌日の9時まで15時間もあったんだよ。
深夜勤務だし、その分給料はよかったけどな。
倉庫は2つあって、どっちも小学校の体育館ほどの広さで背中合わせに建ってた。
その片方が俺の担当で、もう一方には別のバイトが入ってる。
でもよ、これってすげえ経費のムダだと思わないか?
初期投資はかかっても、
監視カメラや赤外線センサをつけて警備会社と巡回契約したほうが、
バイト2人をずっと雇うよりコストは安いはずだろ。

でも、そのときはあんまり深く考えなかった。世間知らずだったんだな。
建物の前方に管理人室があって、空調、固定電話や机、仮眠のベッドがある。
さすがにネットは引いてなかったが、
テレビもあって一晩中見ててもいいっていう楽さだった。
ただ・・・変なことを指示されたんだよ。
倉庫に通じる大扉の横手に台がしつらえてあって、そこにガラスコップがのってたんだ。
毎日、バイトに来たらまずそれを飲むように言われた。
飲んで美味かったら通常どおり仕事続行、冷蔵庫から四号瓶を出して酒をつぎ足しておく。
ただし・・・もし不味かった場合は、倉庫内の見回りはしなくてもいいことになってた。
さすがにこれを聞いたときは、頭の中が「?」だらけになったけどな。
理由は教えてもらえなかった。

始めて2週間ほどはなんということもなかったよ。
酒の味見?と入れ替えもきちんきちんとやってたんだ。
俺は日本酒でもまあ味はわかるほうだと思う。
1日置いても変になってるってことはなかった。
ところがある日、やってきてコップをあおるなりむせて吐き出してしまった。
「不浄な味」としか形容のしかたがなかったな。
ドブ水に血と腐った卵でも混ぜたよりずっとヒドイ・・・まあ想像してくれ。
トイレでしばらく吐き、それからコップを洗って酒を入れ替えた。
本当なら2時間おきに倉庫内の見回りをすることになってたが、今夜は免除ってことになった。
でもよ、やっぱり不思議だろ。それと暇だったから、たびたび大扉に耳をつけたり、
小窓から中を覗いたりしてたんだよ。

12時過ぎだったな・・・もう仮眠してもいい時間だったが、テレビを見てた。
そしたら倉庫のほうから異国の音楽みたいな音が聞こえてきたんだ。
倉庫内から分厚い扉を通して聞こえるんだとしたら、かなりの大音響だ。
そんなに怖いとも思わず近寄って耳をつけてみたら・・・お経だったよ。
窓を覗くと、倉庫の真ん中の通路の中空で何か青く光るもんがくるくる回転してる。
俺はね・・・あんまり幽霊とか信じないほうだったんだ。
それで、禁じられてはいたけど鍵を出して入ってみたんだよ。
お経はエコーがかかったように鳴り響いてた。
中は非常口のランプとかあって完全に真っ暗じゃないし、
何より3mほどの高さに青い光があった。
かなり離れていたが座ってる人に見えたんだ。
それがゆっくりと回ってこっちを向いた・・・坊さんだと思った。

座った姿勢の坊さんが回転しながら経を唱えてるんだ・・・と、こっちに気がついたように、
宙に浮いたままスーと俺のほうに近づいてきた。そんなに速くはない。
だが、だんだん坊さんが迫ってくるにつれ顔がはっきりしてきた。
カッと目を見開いて血みたいな涙を流してたんだ。
それが見えたとたん、怖ろしくなって逃げた。
ガーンと扉を閉めたときには、すぐ後ろまで近づいてた気配がしたよ。
小窓に中から坊さんの顔がひっついて、スゴイ恨めしそうな顔で睨んでるとこまでは見た。
震える手で鍵をかけ、よっぽど職場放棄したかったんだが、
管理室に戻って電話をかけた。ここを紹介してくれた不動産屋にだ。
まだ1時前だったんで不動産屋はすぐ出た。
今見たことを話したら、こんな返事が返ってきたんだ。

「あー見たのかよ。そうか、大丈夫だ。
 もう一つの倉庫と違って害が出たってやつはこれまでいねえ。
 倉庫内からは出てこねえから心配するな」
「何なんですか?あれ」
「見たとおりの坊主だよ。・・・そこの倉庫はな、前は寺の本堂だったんだ。
 ただ建物は壊し、土地は借金のかたに頂いた。坊主はどうなったかって?
 知らんが、死んだんじゃないか。霊になって出てくるくらいだからな」
俺が呆然としてると、
「もう一つのほうの倉庫じゃなくてよかったと思いな。あっちは墓所だったんだ。
 むろん骨壺とかは掘り出して移転したが・・・まあな、残ってるのもあったんだろう。
 だから、あっちの倉庫はバイトも1ヶ月しか保たねえ。まあ消耗品だな・・・
 お前は前から知ってたからそっちにしてやったんだぜ。だから、せいぜい頑張ってくれや」
こう話して電話は切れたんだよ。
 
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山の怪 3題

2014.09.12 (Fri)
ぺらぺら

これは俺が子どもの頃じいさんに聞いたから、昭和初期あたりの話かな。
じいさんは猟師専業ってわけじゃなかったけど鉄砲を持ってて、
ときどき山で兎や雉を仕留めてきた。
自分ちで喰う場合もあったし、売って金に換える場合もあった。
その日もじいさんは山へ鉄砲を持って行った。
このときは春で、山菜採りが目的だったそうだ。
そしたら慣れた山道なのになぜか道に迷ってしまい、薄暮になった。
それでもなんとか道を見つけ、「やれやれ夜道になるな」と下っていったところ、
突然横手の薮から警笛が聞こえたそうだ。

仰天してそちらを見ると、
ムリムリと雑木を押し分けて蒸気機関車が出てこようとしていた。
これは絶対にあり得ない話で、まだかなりの山の高所で、
当然ながら線路も敷かれてない。
呆然としているうちに、蒸気機関車は煙を吐きながら眼前に迫ってきた。
体を草に投げ出すようにして避けたんだが、通っていく機関車を横から見ると、
ぺらっとした薄い正面があるだけで、横には車体も車輪もなかったんだそうだ。
「これは」と思い起き上がると、
機関車は谷の直前で向きを変えてまたじいさんに迫ってきた。

じいさんは腰を落とし、機関車の正面をねらって鉄砲を撃った。
「ポーッ」という警笛がまた鳴ったが、
最後のほうは「オーン」という獣の鳴き声に聞こえたそうだ。
はたして蒸気機関車の姿はかき消え、山道には額を撃ち抜かれた獣の死体が転がっていた。
それは、じいさんでも見たこともないほど大きな狸で、
口には重い当時の機関車のプレートを咥えていたんだそうだ。
あまりの大きさに持って帰ることはできず、
たたりがありそうで解体もできなかったと言ってたな。
そのままにして帰ったが、2日後に見に行ったときにはなくなっていたそうだ。

お釜

これもじいさんから聞いた話で、前のよりもっと若い頃のことではないかと思う。
ある日、山仲間といっしょに渓流を下っていたそうだ。
水源に近いところだから、流れは浅く速い。
じゃばじゃば水音を立てて歩いていると、
川の中程を緑色をしたお釜のようなものが流れてきたんだそうだ。
ただ、正確にはお釜ではなく、水の中に3本の器の足が見えた。
材質は金属、青銅じゃないかと思った。
蓋がついてて、中に空気が入っているので浮いているんだと思ったという。

じいさんより年配の山仲間が近寄って手で器を止め、
蓋をとって中を覗いたとたん「ほわーっ」というような声を上げた。
じいさんも近寄って中を見たが、乾いて錆が浮いた底が見えただけだったという。
「何を驚いてるんだ?」とじいさんが聞くと、
「これ見えねえのか。宮殿の中だ。天蓋のついた寝台があってきれいな女が寝ている。
 まわりで女官たちが衣笠でその女を扇いでいる」
じいさんは、連れの気が違ったんじゃないかと思ったそうだ。
「なに言ってんだ」と嗤ったところ、いきなり横っ面を張り飛ばされた。

気がついたら、じいさんは河原の石の上に寝かされていて、
連れの姿も、お釜のような器もどこにもなかったんだそうだ。
山を降りても仲間は家に戻っておらず、そのまま行方知れずになってしまった。
家族はかなり悲嘆に暮れて、じいさんもしばらく後味が悪かったという。
ずっと後年になって、中国と国交回復し、
この地方にも中国の博物館の移動展示が来たんだが、
その展示品の中に、川を流れてきた器とよく似たものがあったらしい。
「青銅有蓋鼎」という名だったそうだ。



これもじいさんから聞いた話。
じいさんが猪を追って長期間山に入っていたときのことだ。
猪はずいぶんな金になるんで、
稲の収穫後などに何日も泊まりがけで山に籠もることがあった。
そのときも初日の弁当だけ持って、あとの食い物は山の中で調達しながら大猪を追っていた。
ところがある崖の上にきたとき、急に全身の力が抜けて、
へたへたと地面に崩れ落ちてしまった。
これは「ひだる神に憑かれた」と自分らの地方ではいい、
「ひだる神」というのは山の中で餓死した人の霊とも考えられている。

まあ、今の言葉でいえばハンガーノックというやつだと思われる。
体内のエネルギーがきれて、全身に力が入らなくなった状態。
こういうことはじいさんも十分承知はしていたんだが、
そのときはあまりに急にきたんでどうにもできなかった。
崖の突端でうつ伏せに倒れ込んだまま、だんだん意識が遠のいてきた。
かすれていく視界の先に何か動くものがあった。
見ると、崖から張りだした木の枝に蜘蛛の巣がかかり、
一匹の白い蝶が捕らえられてもがいていた。
葉陰から獲物を覗う蜘蛛の姿がわずかに見えた。

死ぬ前に少しでも功徳を積もうとでも思ったんだろうか、
じいさんは握りしめていた鉄砲でもって、蝶を助けようとした。
力が入らない手を一杯に伸ばし鉄砲で網をひっかけると、蝶は網から外れたが、
じいさんの手から鉄砲が離れ、カランカランと音をたてて崖を落ちていったんだそうだ。
蝶はまるで礼でもいうかのように、
しばらくじいさんの顔の上を回って飛び去った。
何となく力が少し戻ったように感じられ、起きてみると立てたし歩けた。
ほうほうのていで里まで戻ったということだ。
その後じいさんは新しい鉄砲は買わず、猟はやめてしまったんだよ。

『青銅有蓋鼎』





字霊

2014.09.11 (Thu)
こんばんわ。日本語学校の講師をしています。
といっても海外のではなく、日本国内で留学生その他に日本語を教える仕事です。
初級を終了した方の担当ですから、授業はほとんどが日本語で、
少しだけ英語を交えて行っています。
生徒は、東南アジア出身の人が多いんですが、
その他にも南米や中東の方もいますよ。
・・・これはその中で、メキシコから来た社会人留学生の身に起こった話なんです。
4ヶ月ほど前のことです。

外国語の学習は、簡単に言えば「話す・聞く・読む・書く」の4つの内容に分かれます。
日本語の場合は「話す、聞く」も困難はありますが、
「読む・書く」のほうで苦戦される方が多いんです。特に漢字ですね。
表音文字を用いている国であれば、「話す・聞く」ができるようになるにつれて、
「読む・書く」も平行して上達してくるものなんですが、
表意文字である漢字の場合はそうはいきません。
だから、ひれがな、カタカナが書けるようになったあたりで、
もう十分とやめてしまうケースもけっこうあるんです。

日常を過ごすだけでしたらそれでもいいわけですが、
ビジネスや学業で書類を作成するなどとなればそうもいきません。
私のクラスの生徒は1週間でノート一冊使い切ってしまうほど、必死に勉強してますよ。
で、メキシコ人の生徒です。2人いまして、どちらも留学生でした。
政府関係ではなく、自費で来られた友人同士で、
東京は物価が高いとこぼしながら皿洗いのバイトなどもやってたんです。
メキシコ人は一般的に背があまり高くなくて、
平均身長も日本人より低いくらいなんですが、
2人のうちの一人は、190cm以上はある大柄な生徒だったんです。
名前は仮に、ペドロとしておきます。

ある日、授業の終わりにこのペドロから奇妙な相談をされたんです。
彼らは外国人ばっかりが住んでいるアパートにいるんですが、
夜中に目を覚ましたら、押し入れの襖の上を動くものがあった。
小さい電球をつけて寝ていたんで見えたわけですが、
それが手のひらくらいの大きさの漢字だったんだそうです。
黒い習字のような字、と言ってましたから筆文字なんでしょうが、
それがヤモリみたいに、伸び縮みしながら白い襖を這い回っていったっていう・・・
でもね、そのときはそれほど驚きはなかったんです。
外国人が漢字の勉強の最中にその夢を見るのはよくあることなんです。
それほど苦しめられているんでしょうね。

だから「夢じゃないかな」って言ったら、
「そうじゃない、ぜったい起きてた」ってきかないんです。
「どんな漢字だった?」とためしに聞いてみました。
近々授業で習ったものなら、夢で間違いないでしょう。
そしたら「這ってたのは2つの字で、一つは読めた。それは『死』という漢字。
 もう一個は『魚』が左についた見たこともない難しい漢字で読めなかった」って答え。
でね、見たと思ったものを書かせてみたんです。
そしたら黒板にチョークで、たどたどしく『鰐』って字を書いたんですよ。
いや、正確にこのとおりではなく画数も変でしたが、全体としては鰐としか読めない字。
さすがに漢検を受けるわけじゃなし、そんな字は勉強してませんから。

「ふーん」とは思いましたが、でもやっぱり夢だろうと思ったんです。
「死」というのは気になりましたが、
「鰐」と一緒にたまたまどこかで目にしたものが頭に残ってたんだろうとね。
もう一人のメキシコ人、この人はチコという名前にしておきましょうか。
相部屋で住んでいるんで、「君も見たのか?」と聞いてみましたら、
「いえ、見てません。こいついつもグウスカ寝てますよ」と笑ってましたし。
でもね、ペドロのほうはこの後2回くらいこの話をしてました。
「襖の上だけだった漢字が、そこを離れて壁に移り、
 だんだんベッドの自分の足のほうに近づいてきた、すごく怖ろしい感じがする」って。
で、その後夢はどうなったかっていうと、
ペドロは日本語学校をやめてしまったので、よくわからないんです。

チコは「悪い人にスカウトされた」って言ってました。
皿洗いのバイトは深夜にわたるんですが、そのメキシコ料理店に来た暴力団ですね、
いえ、ペドロは母国では普通の機械技師だったらしいですが、
ヒゲが濃いし、あの身長ですから。強面がするって雇われたんじゃないでしょうか。
そのあたりのことは推測でしかありませんがね。
ええ、私としては一応は教師ですからね、心配はしたんですがどうしようもありません。
それまで住んでいたアパートも引き払ってしまったんですが、
チコにはある程度情報が入ってくるらしく、
「○○の店で用心棒みたいなことをしている」とか「取り立てをやってる」
などと話してくれました。

でもそれも2ヶ月前までで、その後は消息が完全に途絶えました。
・・・それから1ヶ月して、ペドロと会ったんですよ。
私の所属する学校は、昼に学校や仕事をしている生徒が多いため授業は3部制になってて、
最終が終わるのは夜の11時過ぎだったんです。
繁華街に近い学校から出て、やや離れた駐車場に向かってました。
するとね、いきなり駐車場の管理棟の陰から、
しゃがんでいた大きな男が立ち上がったんです。
ペドロでした。ゴールドに近い色の派手な背広からシャツを出していましたが、
その右肩から胸にかけて黒く染まっていたんです。血じゃないかと思いました。

「先生、私ヘマやった。国にお金を送りたかったから悪い金盗んだ。
 でも、もうダメかもしれない、さよならです」一気にそれだけ言って、
こっちが答える暇も与えず、走り去っていったんですよ。
跡を追うこともできずぼんやり立っていると、
駐車場の向こう側のフェンスを乗り越えて、男が2人駆けてきました。
いかにもその筋という風体で、息を切らしながら一人が、
「あれだけ刺してやったのに、逃げ足が速ええな」と言い、それに答えるようにもう一人が、
「駅は固めてるから逃げられやせんよ。親分の鰐の餌にしてやる」
確かにこう言ったんですよ。

2人は私に気がついてじジロジロ見ていましたが、何も言いませんでした。
で、ほうほうのていで車まで行き、一目散に家に戻りました。
警察に行ったほうがいいだろうとはもちろん思いましたが、
ペドロの滞在資格のこともあるし、一晩じっくり考えようと思ったんです。
それにしても「親分が飼ってる鰐」って・・・ その夜、あれこれ思い悩んでいるうちに、
夢を見ました。自分では目を開けていた気がしたんですが、夢です。
夢でないとしたら、あまりに怖ろしすぎます。
寝室の天井に「死」と「鰐」という筆文字が浮き上がり、
ぐるぐる追いかけっこするみたいに回って、その中心にペドロの顔が浮かんだんです。
ペドロは、見たこともないような苦悶の表情をして大きく口を開け・・・消えたんですよ。






怪片 3題

2014.09.10 (Wed)
一呼吸半

小学生の時分だな。
もうとうに亡くなった、当時でも70過ぎのじい様と裏山に行った。
近かったし、何度も行ってるんだ。家の持ち山だったしな。
斜面のほとんどは杉を植えてたんだが、頂上近辺だけ雑木林が広がってて、
もっと高い山の裾のせいか、日当たりが悪くて低木が多かった。
だからじい様には、いつも「頭をかがめて歩けよ」って注意されてた。
その日もそこを通ってたんだが、じい様の注意を忘れて、
ドングリを拾って立ち上がったときに、張りだしてた太い枝に頭をぶつけたんだ。
見事に仰向けにひっくり返った。

思わず口を開けたんだと思うけど、何かが飛び出たんだよ。
今で言えばグミに似た白い半透明の楕円形のもんで、3cmくらいだったな。
熊ん蜂のような羽があって、小刻みに動かして飛び、
俺が頭をぶつけた朴の枝の脇の幹に止まった。
「息止めろ!」とじい様が叫び、
「息止めたまま立って、それを吸い込むんだ」普段出したことのない大声で続けた。
わけがわからなかったものの、立ち上がって幹に近づいた。
俺の口から出た不思議な虫は、幹の上で透明な羽をわずかに上下させてた。

気持ち悪いとも思わず、言われたとおり大きく口を開けて吸い込もうとした。
唇に羽が触れたが、虫はジジッという音を立てて横に逃げた。
「もっと口を開けろ。息吐いて、もう一回吸い込め。これが最後だぞ」
じい様の声が切迫してたんで、緊張しながら正面から虫にかぶりついた。
すると口の中で溶けた感触があって、喉には何の引っかかりもなく虫が消えたんだ。
じい様は「よかった」と言い、
「一息半で戻さないとダメなんだ。昔からそう言われてる」
心底ほっとした声でこうつけ足した。

「どういうこと?」頭を押さえながら俺が聞くと、
「いやあ、このあたりの言い伝えでな。
 魂が出ちまったときは一息半で戻さないと死んじまうって。
 そんなことになったらお前の父ちゃん、母ちゃんに申し開きできん。
 危なかったんだぞ。よかったなあ」こう答えて、俺の後頭部のほうをなでたんだ。
額は少しこぶになってたくらいで、全然たいしたことはなかったよ。
びっくりしたことで飛び出てしまったらしい。

太鼓人形

小学校3年のときの話です。高学年の兄と共同で使ってる部屋に、
太鼓を叩く猿の人形があったんです。兄が幼児のときに買ってもらったもので、
自分もおさがりで遊んだ記憶があります。
ただ、もうその頃には遊ばなくなって、
おもちゃ箱に放り込まれっぱなしになってたはずです。
ある日、遅く返ってきた兄が、「ほら、これ直ったぞ」と言って、
ベッドでマンガを読んでた俺に人形を投げてよこしたんです。

三角帽子をかぶった布製の猿は、自分の枕元で横になり、ジージー音をさせながら、
そのままの姿勢で胸の前に抱えている小太鼓を2本のバチで叩いたんですが、
昔はトテトテと単純なリズムだったのに、タガラッタ、タタタタンと複雑な音を立てました。
「何これ、スゴイ」自分が言うと、兄は得意そうに、
「スゲエだろ。それ電池も入ってないんだぞ。・・・ほら裏山にUFO跡ってあるだろ。
 あそこの丸い焼け焦げの中心に置いてたらそうなったんだ」
こう答えました。

UFO跡というのは、神社のある丘の斜面に、
なぜか、かなりの大きさの円形に草が禿げてるとこがあって、
むき出した地面が焼け焦げたように黒いんです。
同じ小学校の子どもはそこのことをUFO跡って呼んでました。
「嘘、電池ないって?」と自分が半身を起こしたとき、
マットが持ち上がったのか、人形が床にうつ伏せに落ちたんです。
人形はそのまま円を描くように動き出したんですが、
人形から2cmくらい離れた床が、人形の動きに合わせて丸く黒く焦げだし、
煙が上がったんです。「あ、あ、火事になっちゃう」兄がそう言って、
人形といっしょに床を靴下で踏み始めました。

自分が「これ!」と飲みかけのペットボトルを渡すと、
兄が人形にジャーッとかけ、人形は緑の火花を出して動かなくなったんです。
「やべえなあ」兄がそう言い、人形を拾い上げて背の側を開けてみせたんです。
言ってたとおり電池は入ってませんでした。
「俺、もう一回人形UFO跡に置いてくる」兄はそう言って人形を持って出て行きました。
床の焼け焦げはマットをずらして隠してましたが、すぐに親に見つかりました。
兄が全部俺のせいだと言ったんで、自分はおとがめなしでした。
人形は「次の日見に行ったらなくなってた」と兄は言ってました。
UFO跡の近くで落雷があって2人の子が亡くなったのは、その2年後のことです。

鬼の手

中学校2年生のときです。学区の保育園に職場体験で行ったんです。
私の班は女子ばっかり4人で、
年長組の子どもたちを中学生一人で3人担当させられることになりました。
幼年組は機嫌を悪くして泣き出すとどうしようもないし、
年長組だって保育士さんたちがいつもそばで見ててくれました。
夏休み直前の行事だったので、
その日の午後は年長さんたちをプールに入れる活動があったんです。
けっこう大き目でしたけど、本物のプールじゃなくてビニールプールです。

私たちはズックを脱いで短パンに裸足でプールに入り、
子どもたちを遊ばせてたんですが、私が担当しているさとし君という子が、
いきなりプールの中に顔を突っ込んで泣き出したんです。
それで引っぱり上げてバスタオルで体を拭いてあげたんですが、
「鬼がいた、鬼の手が出てきて水に引っぱった」そう叫んで泣きやみませんでした。
保育士さんの一人が「節分で鬼のお面をつくったけど、ずいぶん前なのにねえ」
と言いながら、さとし君にさわって「あら熱があるみたい」
それで測ってみたら38度あったんです。

お母さんの仕事先に連絡して迎えにきてもらうことになり、
しばらくして軽自動車でお母さんがやってきて、さとし君を車にのせて帰って行きました。
そのときには優しそうな人に見えたんですが・・・
3日間の職場体験が終わり、学んだことをプレゼンにまとめることになりました。
保育園の許可を得てたくさん写真も撮っていたので、
デジカメからパソコンに移して選んでいると、
私の班の別の子が撮ってた、あのビニールプールの画像もあったんです。

ずっと見ていくと、プールの中でさとし君が片足を上げているのがあり、
異様なものが一緒に写ってたんです。
プールの40cmくらいの高さの縁の奥から毛むくじゃらの鬼のような腕が伸び、
今にもさとし君の足をつかもうとしている・・・
さらにその腕が出ているあたりの水面が何となく変な色をしていたので、
画像ソフトで拡大してみると、腕ほどはっきりしてないけど人の顔に見えました。
しかも、迎えに来ていたさとし君のお母さんに似ている気がしたんです・・・




芋虫

2014.09.10 (Wed)
ここ1ヶ月ばかりの話ですね。大学に入って四国から大阪に出てきたんです。
仕送りは期待できない境遇なんで、もうバイトバイトの毎日です。
今2年なんですが、4年で卒業するのはもうあきらめました。
1ヶ月前、バイトに向かう途中、駅前で新興宗教のチラシ配りがいたんです。
ほら白い服を着た集団、たまに見かけますよね。
無視して通り過ぎようとしたんですが、「○○じゃないか」って名前を呼ばれて、
そっちを向くと、なんとなく顔に見覚えのあるやつがいたんです。
「俺だよ、高島」それですぐ思い出しました。
中学校のとき、そこそこ仲のいいやつだったんです。
その教団に所属してるらしく、やはり白いだぶだぶの服、
トーガっていうんですかね、あれを着てました。

そのときは時間がなかったんで、とりあえずメアドを交換して別れたんですが、
いや、失敗しました。そっから変なことが始まっちゃったんです。
ま、世間ではよくあるのかもしれませんが、その宗教への勧誘です。
最初は互いに空いてる時間を見つけて居酒屋で会ったんですが、
話したのは中学校時代のあれこれだけだったんです。
楽しく飲んで、帰りがけに名刺を渡されまして、
「解脱研究会 理学研究部所属 □□大学」と肩書きが書いてありました。
いやあ詳しいことは聞きませんでしたよ、もちろん。
ただ、高島は俺とは別の大学に入ってて、
そこのサークル活動としてその宗教団体の支部があるってことはわかりました。

それからですね、高島からちょくちょく連絡が来たんですが、
それが全部、いつ、どこそこでセミナーが開かれるっていうお知らせ。
無視してもよかったんですが、行けないという返事はしました。
そのうちあきらめるだろうと思って。ところが場所は教えてなかったのに、
午後の4時頃、俺のアパートまで訪ねてきたんです。
大学のほうから調べたんでしょうが、なかなかすごい調査力だと思いました。
高島は一人じゃなく、10代後半と思える女の子を2人連れてきてまして、
あの宗教の変な服じゃなく、スカートの短い私服だったんです。
まあねえ、やっぱそれに目がくらんだってのもあると思います。
「東京の本部から教祖が来られる重要なセミナーだから、ぜひ体験参加してくれ。
 金はいっさいかからない」こう言われ、後ろで女の子たちがうんうん頷いて・・・

参加することになっちゃたんですよ。それでも1回だけ、と思ってました。
教祖の話を聞いて、それでも断ればそれ以上は誘われないだろうと考えたんです。
アパートを出ると車体のサイドに変なマークを書いたハイエースが路上にいて、
すでに何人か乗ってました。若い人ばっかりでしたね。
かなりの距離を走って府外に出ました。それから山の中に入って、
3時間ほどかけて着いたのは、かなり大きな、そこそこ新しく見える宗教施設でした。
といってもお寺や神社風の外観をしてるわけじゃなくて、企業の研究所みたいな感じ。
コンクリの四角い建物でした。あとで話に出てきたところでは、
やはりどっかの会社から買い取ったものみたいでした。
その大会議室みたいなとこに40人ちかい人が集まっていて、
年配の人はちらほら、やっぱり大学生くらいに見える若い人が多かったんです。

まもなくセミナーが始まりました。
出てきた教祖様は、30代くらいの男性できちんとスーツを着てました。
印象としては予備校の講師の先生って感じだったんです。
登場のしかたも、おどろおどろしい儀式めいたところは何もなくて、
むしろよくある啓発セミナーのようでしたね。
プロジェクターで、大スクリーンにプレゼンソフトで作ったのを映して、
声を張り上げることもなく、たんたんと教義を説明したんですよ。
ただ、内容はかなり奇妙なものでした。
まず太陽と思われる恒星が爆発して巨大化し、太陽系が滅ぶ映像から始まったんです。
おぼろげに理解したところでは、もうすでにこの世界は消滅してて、
地球人類はすべて死んでいる。

わかりにくいのは、これは何十億年も未来の話で、
俺らはそこから見るとずっと過去の人だってことです。
普通に生き、事故や病気で死んでいて、それから遥か未来に太陽系が滅んだ。
で、俺らはいわゆる死後の世界にいるんですが、天国でも地獄でも輪廻でもなく、
同じ人生をくり返している。意味わかるでしょうか・・・
つまり俺らはもう死んでるんだけど、そうは思ってなくて、
自分の一生の中に閉じ込められているってことです。
最初の1回で生きたとおりの人生を無限にくり返し、どこで結婚するかも、
自分の子どもがどうなるのかも、いつどうやって死ぬのかも、
寸分の狂いもなくすべて未来は決まってる。
ただ自分ではそれがわかっていないってことみたいでした。
そして、その繰り返しから抜け出すことが解脱であり教団の目的だとも・・・

怖い話だなあ・・・とは思いました。もちろん信じたわけじゃないですけど。
一通り説明が終わって、あの白い服を着た信者4人が教祖の前の演台に、
長さ1mくらいの白い箱を運んできたんです。
照明が落とされ上蓋が信者の手で開かれると、ドライアイスらしい煙が上がり、
中にあったのはサツマイモの色をした巨大な芋虫のようなものでした。
直径20cmほどの表面には血管が張り巡らされ、全体がピクンピクン動いていたんです。
教祖が「これはあなた方、一人一人の人生の全体像です。人生の芋虫です」そう言って、
ポケットから小さめのナイフを取り出し、右手側の端に突き立てました。
ブジュッと赤黒い液体がこぼれ、ドブのような臭いがすぐに立ちこめました。
鼻を押さえたんですが、そのときに四国の昔の家が頭に浮かんだんです。
小学校低学年まで住んでたボロ屋です。まだ若い俺の父親の姿が見えました。

教祖がナイフを抜き、今度は中ほどを突き刺すと、別の像が頭に浮かびました。
どっかの河原です。ブルーシートが木に張ってあって、
その前で一斗缶で何かを煮ている俺の姿が見えました。
髪はぼうぼうで顔は汚れ、ホームレスになってるみたいでした。
40過ぎくらいに思えました。
さらに教祖が反対の端を突き刺すと、暗い路上に倒れてる俺の姿が見えたんです。
前の姿から何年もたっていないようでした。
唇や手の先がピクピク動いたんで、まだ生きていると思いました。
ドブの臭いがますます強くなって、机に突っ伏して吐いてしまったんです。
脇にいた高島と女の子が俺を抱えてトイレまで連れてってくれたんで、
個室にこもって吐き続けたんですよ。

やっとトイレから出てくると、高島が待っていてくれました。
会議室では、十数人の人が教祖を取り囲んで熱心に話をしてました。
あの芋虫のようなのは片づけられて見えなくなってましたね。
それから来たときと同じハイエースで府内までまで送られたんです。
高島は道中何も言いませんでした。感想を聞くとかそういうことも一切なし。
車を降りるときに、小冊子のようなのを渡されました。
教団のマークが表紙についてて、
始めのほうにセミナーで見た教義が画像つきで書かれてました。
「一生の繰り返しから抜け出せ、解脱せよ」っていう・・・
それにしても、あの場で見た過去や未来は本当のものなんでしょうか・・・
それとも集団催眠かなんか、まさか薬物とか・・・

俺は将来ホームレスになって、路上で野垂れ死ぬんでしょうか。
しかもそれを永久にくり返し続ける・・・
ありえないですよね、騙されてるんですよね。どう思いますか?
あれ以来、夢を見るんです。
あの教祖がナイフを突き立てた芋虫が胸の上に載っていて、
重くて苦しいまま、ただただ時間だけが過ぎていく夢。
それだけじゃなく、現実に見えたと思ったときもあります。
明け方のキッチンの隅や、バイト帰りの遅い時間の駅のホームのベンチの下・・・
その小冊子に次のセミナーの予定を書いた紙がはさまってました。
2日後です。あれ以来高島からはメールも来ません。
どうすればいいでしょうか、セミナーに参加すればいいのか、
それとも病院に行くべきなのか・・・アドバイスをお願いします。

yun_12010のコピー




コンペティター

2014.09.09 (Tue)
去年の夏・・・今年大学に進学しましたので、高3のときのことです。
子どもの頃からずっと競泳を続けてきました。
小学生のときは平泳ぎもやってたんですが、中学からは自由形の短距離だけです。
別のスイミングクラブに、同じ齢のライバルがいたんです。
学校も小中高とも別でしたけど、家自体はわりと近くだったんです。
ライバル・・・と言いましたが、成績はつねに彼女のほうがよかったんです。
今井さん、という名前にしておきます。自由形の100,200mで、
学校の大会でもスイミングスクールの大会でも今井さんが1位で、私は2位か3位。
関東地区大会のようにレベルが高くなると、
今井さんはかわらず1位でしたが、私はぎりぎり決勝に進めるくらいでした。

種目を移ろうとは考えませんでした。
・・・やっぱりライバルという言葉は変だったと思います。
中学校でも高校でも、コーチや監督は「今井に勝て!追い越せ」
とハッパをかけて指導してくださったんです。
私自身そう思っていた時期もありましたが、体格を比べても私は160cmぎりぎりで、
今井さんはそれより10cm以上大きかったんです。
だんだんに、どうやっても勝てないものと思うようになりました。
だから、むしろあこがれの対象と言ったほうがいいのかもしれません。
地区大会や県大会の決勝で、今井さんが1位で私が2位、それで満足していたんです。
ゴールタッチしてから、先に着いていた今井さんのほうに歩み寄ってハイタッチする・・・

高校に入ってからは、私は卒業までで水泳をやめるつもりでしたし、
今井さんのほうは全日本の強化指定選手に選ばれて、
近くにいても、すっかり遠い存在になっていたんです。
ところが去年の春頃から、今井さんの姿をプールで見かけることがなくなりました。
スイミングの大会は早い時期からあるんですが、出てこなかったんです。
噂では、病気で入院しているとのことでした。
そのときは、たいしたことはないのだろうと軽く考えていたんですが、
県の水泳協会の役員をしているコーチにそれとなく話を聞くと、
脳の病気で頭を手術して、今シーズンの復帰は絶対に無理、
おそらくもう泳ぐことはできないだろうって・・・そう言われたんです。

お見舞いに行かなければいけないと思いました。
今井さんの高校の部員に聞いたら、ずっと面会謝絶の状態が続いている、
監督が行ったけれどもやっぱり会えなかったという話だったんです・・・
そして5月からシーズンに入り、
私は出た全部の大会の100mで優勝することができました。
周りのみんなは喜んでくれましたが、満足感はありませんでした。
本当なら私が泳いでいるずっと前に今井さんがいたはずですから。
タイムは平凡なもので、自己ベストでもありませんでしたし。
役員の方が「今井がいたら・・・」と話している声もあちこちで耳にしましたし、
6月に入って、今井さんが集中治療室から個室に移り、
面会にも行けるようになったという話を聞きました。

でも、そのことを教えてくれた今井さんの学校の1年生は、
「行かないほうがいいと思います」とも話したんです。
ベッドに頭を固定されて動けない状態で、
とても機嫌が悪くて周囲に当たり散らしているんだそうです。
特に水泳関係のことは見たくも聞きたくもないと言っていたということでした。
でも県大会を前にして、どうしても行かなければならないと思ったんです。
「今井さんがいなくて寂しい、もう今シーズンで水泳はやめる」そう伝えたいと・・・
前もって今井さんの家に電話してみました。
お母さんはずっと病室についているらしく、お父さんが出て、
「娘は荒れていてあなたを怒らせるかもしれないが、来てくれれば嬉しい」
こんな感じで話をされました。

日曜日の午後、果物籠を買って大学病院を訪れました。
脳神経外科の階に行ってナースステーションで病室を教えてもらい、個室へと入りました。
今井さんはベッドに半身を起こしていました。
頭にはキャップをつけ、出ているところの髪は数mm程度しか伸びていませんでした。
あんなに広かった肩幅が別人のようにやせ細っていました。
「こんにちは、髙橋です。あの、お見舞いに」ここまで言ったとたん、
今井さんが「出ていけ、帰れ、見たくない!」と、もつれた言葉で叫びました。
顔も痩せ、大きくなった目で涙を流しながら私をにらんだんです。
脇にいたお母さんが「これ、○○」と今井さんをたしなめましたが、
今井さんは点滴のチューブが何本もついた右手を振り回し、
枕元から何かを投げてよこしました。それは私の胸にあたって落ち、競泳用のゴーグルでした。

「帰れ!出ていけ!」今井さんは叫び続け、私はその勢いに押されるようにドアを出ました。
今にも起き上がって暴れ出しそうに見え、怖くなったんです。
廊下で立ちつくしていると、ややあってお母さんが出てきて、
「ごめんなさいね、あの子・・・」ここまで言って泣き出しました。
そして私の手にさっきのゴーグルを押しつけてよこしたんです。
「あの子はあんな様子だけど、これあなたにもらってほしいって昨日から言っていたの」
私はお母さんに果物籠を手渡し、そのまま帰るしかできませんでした。
エレベーターに乗るまでずっと今井さんの叫び声が聞こえていましたが、
やがてすすり泣きに変わりました。
今井さんの様子は私の学校の部員には話しませんでしたが、家で両親には言いました。
小さい頃から今井さんのことを知っている母は黙って首を振っていました。

県大会の日になりました。今井さんのゴーグルはバッグに入れて持ってきていましたが、
私は目が悪く、自分用に合わせた度つきのゴーグルをしているので使うことはできません。
私は100m自由形で自己ベストを出して決勝へと進みましたが、予選2位のタイムでした。
1位は私立の学校の1年生で、見たことのない子でした。
スタートに立ったとき、誰も入れない役員席の下に人が立っているのが目に入りました。
水着姿の今井さんだと思いました・・・そんなはずはないのに。
その姿は薄くぼんやりして、目だけが病院で見たときのように大きく見開かれていました。
ブザーが鳴りスタートしました。調子よく水に乗れている感触がありました。
50mのターンのとき、自分の前に一人いるのがわかりました。
あの1年生の子です。たいした差ではなく、私は後半型なので追い越せる気がしてました。
でも、どこまでも差が縮まりません。

「ああ、追いつけない」と思いましたが、
そのとき私のコースの前を誰かが泳いでいる気がしたんです。そんなことはありえないのですが。
その人はゼリーのようで実体がなく、足が私の上半身に入り込んでいる気がしました。
これは集中のあまり幻覚を見たのかもしれません、本当によくわからないんです。
必死で泳いでいるうちに、前の人とだんだん体が重なってきました。
もう他のコースは目に入りませんでした。とにかく前にいる人よりも先に出たい、
それだけを考えているうちにプールの壁がみるみる迫ってきて、
少し手が前に伸びたかと思ったところでゴールでした。
頭を振ったときに、やっと1年生の手がゴールに届いたのが見えました。
電光掲示板に目をやると、ドットの文字がごちゃごちゃに乱れていました。
観客がざわざわしているのがわかりました。ドットはデタラメな点滅をくり返し、
数秒して一番上に私の名前とタイムが出ました。県の新記録でした・・・

話はこれでほとんど終わりです。
電光掲示板が点滅しているとき、ドットの乱れが I M A I となって見えたのも、
幻覚だったんだろうと思います。誰もそんなことを言っている人はいませんでしたから。
私はその後、関東大会、全国大会でも次々に自己ベストを更新して優勝しました。
県大会から1週間ほどして、今井さんは2度目の手術中に亡くなりました・・・
私は水泳をやめることはできませんでした。周囲が許してくれなかったんです。
今井さんの代わりに私が強化指定に選ばれ、大学も水泳での推薦入学になりました。
不思議なことに、中学2年のあたりから止まっていた身長が伸び始め、
ごらんのように170cmを越えました。視力も回復してきています。
昔の水泳仲間からは「どんどん今井さんに似てきてる」と言われます。
泳ぎだけでなく、外見まで・・・嬉しいような、それ以上に怖いような複雑な気分なんです。

*コンペティターは競合者、敵対者というような意味です。






ショッカーシーン

2014.09.07 (Sun)
前回は、スプラッターという表題でしたが、残虐、拷問系の話が多かったので、
今日はショッカーについてちょっと書いてみます。
ショッカーと言っても、もちろん昔のヒーロー物に出てくる悪の組織のではなく、
映画の1ジャンルのことです。
この用語は実は混乱があって、もともとはスリラー映画という言葉ができる前に
その手の映画を称してショッカーと呼ぶことがあったようです。
自分の場合はこけおどし的なショッキングシーンを含んでいる映画、
という意味で使っています。

血の美学系、拷問系というか、被害者の苦痛を長時間映すようなタイプの映画は、
どちらかと言えばヨーロッパに多いです。
これは、ヨーロッパのほうがアメリカのハリウッド映画より規制がゆるいことや、
パゾリーニなどからの伝統も関係していると思われます。
それに対し、アメリカの場合は独立系には様々なものがありますが、
いわゆるハリウッド映画はショッカー系ホラーが多いようです。
つまり、音響や怪物の登場のしかたなどで観客を驚かすタイプです。

殺人鬼物でも、多くの場合、被害者は一瞬で頭を割られたり首を切られたりして、
その場面自体は怖いといえば怖い(というか笑いも出ます)ですが、
むしろそこまでの持っていきかたにハリウッドは多くのノウハウを持っています。
これは昔のスリラー映画(ヒッチコックのような)の全盛時代から、
長い時代をかけて培われてきたものなんですね。
その当時は、オカルトホラーはまだ市民権を得てませんでしたが、
むしろ最近は逆転?が起きて、オカルト要素のないスリラー、サスペンス映画でも、
ホラーと呼ばれることが多くなってきています。

前にも少し書きましたが、人を驚かすためには心理学が必要です。
観客の精神の緊張と弛緩が巧みに操られているんですね。
例えば、主人公が部屋に一人でいるとドアが何度も強くノックされる。
やがてノックの音はやみ、時間がたって主人公がおそるおそるドアを開けてみると、
そこには誰もいない。ほっと一安心して部屋に戻ろうと背中をむけたとたん、
上から化け物が落ちてくる・・・
まあ、これはわかりやすい一例ですが、この手のお化け屋敷のように人を怖がらせる
(縮みあがらせる)テクニックが映画では蓄積されています。

では、この手のテクニックは小説のほうでうまく使えるでしょうか?
自分でやってみた限りではなかなかこれも難しいんですね。
まず視点の問題があります。映像のカメラは、遠く引いて登場人物を映したり、
あるいは登場人物の視線になったり(ドアノブを持つ手を映したりする)
自在に切り替えることができ、違和感があまりありません。
ところが、小説では3人称から1人称に切り替えたとしてもそんなに効果的とは思えないし、
「ぎゃああああああああああああ」なんて書いても、まず驚いてはくれません。
あと、映画の場合は無意識に耳に入っている効果音や音楽の影響も大きいですし。

「背を向けたとたん、
 いきなりクローゼットの扉が開いて、斧を振りかざした殺人鬼が飛び出した」
こう書いて縮みあがる人はまずいないでしょう。
実際の怪談ではよく、「そして彼がそのドアを開けたとき・・・」ここまで話してから、
おもむろに聞いている人の耳元で「ワッ!!」と叫ぶなんてのがありますが、
これも映画に近い手法wです。

・・・違う物だと言ってしまえばそれまでなんですが、
やはり文字表現の特性を生かした怖さ、というのを工夫していかなくてはならないようです。
特に自分のようなショートショートに近い短い話の場合は、
人物に感情移入させるための十分な描写もできませんし、
やはり読者が深層意識に元々持っている恐怖のつぼを刺激して、
怖さを引き出すという手法を工夫していかなくてはならないかなと思っています。

関連記事 『スプラッター考』

『Black Christmas(暗闇にベルが鳴る)』





寄付します

2014.09.06 (Sat)
しがない雑文書きをしています。
この間、1週間ばかり前に、雑誌の取材でとある心霊スポットに行ったんですよ。
わりとマニアの間では有名な廃鉱山跡です。
ただ今回は、鉱山そのものがメインじゃなく、
その近くにある特殊な旅館の廃墟が取材の対象でした。
特殊なというのは、遊郭みたいにして使われてたとこなんです。昔々の話ですけど。
で、自分はね、あんまり文章の才能ってないんです。
ただ、すこーし、ほんの少しですけど霊感があるんです。
自分が取材メンバーに加わっていれば何かしらの怪異が起きるって評判になりまして、
この手の仕事が多く入るようになったんです。

いや、行ってみるとなかなか大変なところでしたが、
今夜は心霊スポットの話じゃないんです。その後のことですね。
首尾よくやらせではない映像や音響が撮れまして、
取材のメンバーが出版社前で夕方5時頃に解散になったんです。
家まで送ろうかと言われましたが、断って電車で帰りました。
そのときにはズーンという感じで肩が重くなっていました。
「ははあこれは、何か憑けてきちゃったな」ってわかったんです。
そういうことはよくあるんですよ。今回はモノホンの場所でしたしね。
でも、これまではたいがい、2・3日くらいで自然に抜けてったもんでしたが、
電車の中で、これはちょっと様子が違うなって思ったんです。

なんでかっていうと、これまでもらってきた霊は、
せいぜいが肩の重さ、だるさ、頭痛くらいだったんですが、今回は触感があったんです。
ゾゾーッという感じで、右頬に触れてくるものがある。
髪の毛の感触です。ボサボサに髪が伸びた頭が自分の右肩の上にあって、
その髪の束が、自分の首筋から頬にかけて触れるのがはっきりわかるんです。
で、そこから、強い恨みの念が流れ込むようにして伝わってくる。
電車は混んでなかったので、もうすぐトンネルに入るというときに、
席を立って自分の姿を暗くなった車窓に映してみました。
ええ、いましたよ。もつれまくった髪の毛の固まりの中に、
濁った白い目が一つ見えたんです。
実体化して見えたのは今回が2度目で、ヤバイなあと思いました。

霊は危険なんです。幽霊は生きた人には危害を加えないって言う人もいるんですが、
そんなことはありません。
霊障としかいいようがない形で亡くなった方を何人も知ってますよ。
ああそれは、商売柄、霊能者の人は数人知己を得ています。
でもね、簡単にお祓いなんて頼めない。
モノホンの霊能者ってのは、自分の寿命を削ってやってるようなもんです。
だからね、御祈祷料も1回に何十万レベルでかかります。
知り合いだからってまけてくれるようなものじゃないんです。
どうしようかと思いました。
・・・一つには、パワースポットと言われる場所を巡るという方法があります。
これまでの経験では、
神社仏閣よりも修験道の山のようなところのほうが効果がありました。

でも、自分にしては珍しく仕事のスケジュールが詰まってまして、
旅行する日程が立てられなかったんです。
そうしてるうちにも、肩の重さだけじゃなく息苦しくなってきたんですよ。
首に手の感触があって、後ろから絞められているんだと思いました。
そのときね、家にこういう霊を封じる水晶があったのを思い出したんです。
それは2年前にメキシコに行ったときに、
向こうの政府関係者をひょんなことで助けて、お礼にもらったものだったんです。
いやいや、霊を成仏させることはできませんよ。
ただ分離してその中に封じ込めるだけ。方法は細かく教わってました。
でね、部屋に戻って水晶を取り出し、
準備をして近所の公園のトイレで試してみたんですよ。
自分の部屋ではできませんからね。

どんな方法かって?うーんそれはちょっと、ここでは勘弁してください。
大量の血液が必要だったので、手首を切らなくちゃなりませんでしたよ。
でね、見事に霊を封じることはできました。
ましたが・・・この水晶玉をどうするかの問題が残ってました。
そんなの捨てちゃえばいい、と思うかもしれませんが、そうはいきません。
封じられたことで霊はかなり怒ってるはずです。
何かの拍子に封印が解けて出てきてしまったら、近くにいる人はまず死にます。
それだけ強力な霊だったんです。
でも、とりあえずの危険は脱しましたので、手首の治療をしてから、
袱紗に包んだ水晶玉を持って、やはりパワースポットまで行かなくちゃなんないか、
とか考えながらブラブラ歩いていたんです。

そしたら、とある大きな家の門の前に、自転車が2台停まってて、
痩せて背の高い外国人2人が門扉を開けてその家に入っていくのが見えたんです。
ああ、これはと思いました。見覚えがあったんです。
労をいとわずはるばる日本まで来て布教してる外国の人たちです。
彼らは菜食で、酒もタバコもやらず実に謹厳な生活をしていることを知ってましたからね。
そこらの生臭坊主よりはるかに力を持ってます。
でね、まことに申し訳ないとは思ったんですが、
自転車のカゴにあった革カバンのチャックを開けて、袱紗ごと水晶玉を入れたんです。
いや、心配はしてませんでしたよ。彼らの力を信じていましたね。
宗教は違っていても、信じる心というのは一緒です。
それに彼らは彼らなりのノウハウをちゃんと持ってますから。

やれやれひと安心、こんな短時間で片がついてラッキーと思って部屋に戻ったんです。
で、心霊スポットの原稿を2日がかりで書いてメールで送ったときは、
とにかくほっとしました。徹夜した午前中でしたが眠る気にもなれず、
サウナに行くことにしたんです。
マッサージをしてもらっていい気分で出てきたときに、
後ろでキッという自転車のブレーキの音がしました。
そして「ミツケタ!」という片言の日本語の声。
ふり向くと外国人2人が立っていて、大声でまくし立てられたんです。
「アナタ ヒドイ ヒトネ。ドシテ アンナ コトシタ」
「ワタシタチニ ゴースト イレタデショ。ダメヨ ソンナノ フェアジャ アリマセン」

あ・あ・あ、何で自分がやったってわかったんだろう、さすがだなあと思いました。
外国人の1人は短く刈った頭があちこち円形に禿げてましたし、
もう1人は自分と同じように右手首にぐるぐる包帯を巻いてました。
かなりの壮絶なバトルをしたんでしょう。
なんといってもジャパニーズゴーストは強力ですから。
でね、どうしようもないんで平謝りに謝って、寄付を申し出たんです。
さすがに改宗はできませんからね。
金額は・・・今回の原稿料の半分でしたよ。
もうね、こんなことばっかりなんです。
でも、お金のことはともかくとして、今の仕事も霊に関わることもやめる気はありません。
霊がいるからこそね、生きている実感もわくってもんですから。





怪片 3題

2014.09.05 (Fri)
空飛ぶ・・・

私が大学生のときの話ですから、かれこれ30年も前のことですよ。
地元の国立大に入って親元から通ってたんですが、
なかなか厳しい親でね、20歳を過ぎた途端、
もう大人だからって小遣いをくれなくなったんです。
そっからはバイトバイトの毎日でした。一番長く続けたのはエレベーターボーイ。
これはね、当時駅前にできた12階建てのデパートでやったんです。
営業時間は夜の6時までで、そこまでは正社員のエレベーターガールがいます。
その時間を過ぎると12階にある飲食店しか営業しなくなって、
で、店内は警備会社の管理に入るんですが、
その警備会社に雇われて1階と12階を往復するのがエレベーターボーイの仕事。

6時から10時までの勤務で、1日3千円いかないくらいでした。
でも当時としては高額なほうだったんですよ。
行ったらまずブレザーの制服に着替えて、エレベーターのパネルを操作する。
これで1階と12階以外はドアが開かなくなります。
ただ各階には止まることはできましたね。
いつも2階か3階に待機していました。
何で1階にいないかっていうと、客が来ないときはマンガ本読んでるんです。
いつ中断してもいい4コママンガが都合よかったです。
で、1階から呼び出されると、マンガ本をブレザーのポケットにしまって降りていく。
1階のドアが開いたときは、ぎこちない笑みを浮かべて、
「いらっしゃいませ、12階にまいります」と言う。こんな仕事でした。

ああ、言い忘れていましたが、
そのエレベーターはガラス張りで外が見える展望エレベーターでして、
今じゃどこにでもありますが、当時としては珍しかったんですよ。
で、4時間の間に客は50組くらい来たんですが、時期によっては暇なときもあって、
そういう日は意味なくエレベーターを上下させて遊んでました。
いや、怒られることはなかったです。警備会社の人は皆バイトには優しかったですよ。
ある夜ですね。暇なほうの日で、10階くらいにいたんです。
マンガを読んでいたら、何か視界を動いたものがあったんです。
顔をあげると、ガラス越しに白い丸いものが見えたんです・・・人の尻でした。
「ええっ!」とガラスに近寄りました。
ネオンで明るい夜空をね、ホウキが飛んでたんです。
いやいや魔女の宅急便とかのずっと前の話ですよ。
後ろに跨ってたのが素っ裸で金髪の女、その前にスーツを着たサラリーマンのおっさん。

間違いなく見たんです。わざとこっちに見せつけるように何度も前を横切りましたから。
どうやらホウキを運転?してるのは裸の女のほうで、
前のサラリーマンは目を閉じてこっくりこっくり居眠りしてるみたいでした。
女は・・・正面からはっきりとは見てないんですが、体つきは日本人離れしてましたね。
それにその時代、日本人で金髪に染めてる人はいなかったです。
「あ、あ、あ」とあっけにとられてる間に、ホウキは向こう向きに方向を変え、
女が尻を高く掲げたかと思うと、
ロケット花火のようなスピードで夜空に飛んで消えたんです。
・・・いや、誰にも話しませんでしたよ。キチガイと思われそうだったんで。
でね、翌日話に聞いたんですが、小遊園地みたいになってるそのデパートの屋上から、
フェンスを乗り越えての飛び降り自殺があったらしいんです。
デパートの役員ということでした。あのサラリーマンかは確かめようがなかったです。
それから2ヶ月くらいして、デパートの営業時間がのび、
飲食店街は映画館になって、バイトもなくなっちゃったんですよ。

3大仏

小学生のときの話です。地元のお寺は禅宗で、もうとうに亡くなりましたが、
子ども好きの住職さんがいて、
子どもらが境内で遊んでも怒ったりしなかったんです。
だから小学校の中学年まではよく友だちと遊びに行きました。
ただ、生き物をとることは禁止でしたね。
直接言われたわけじゃないんですが、
「当山で殺生するなかれ」という立て札がありました。
いやこれは、親父と来たときに意味を教えてもらったんです。
今から思えば、境内の中に浅いけどけっこう広い池があって、
子どもが落ちたりするのを防ぐ意味もあったんだと思います。
あと、境内は墓所と続いていて、
そっちで遊んでも何か言われるってこともなかったです。
ただ子ども心にも、墓所にはあんまり行っちゃだめだとはわかってました。

ある夏の日ですね、同級生2人とそのお寺で遊んでたんです。
そしたら1人のやつが、ワクワクすることを言い出したんです。
そこの墓地には3体の大仏像があって、
その3つをある順番に回ると不思議なことが起きるって。
不思議なこと・・・というのが何かは、
言い出したやつにもわかってないみたいで、
もしかしたらその場で思いついた出まかせだったかもしれません。
この大仏像というのは、地元の市の有力な家系の墓所です。
他と差をつけるためなんでしょう。
広い墓所の中に、墓石とは別に石彫の大仏が造られてたんです。
結跏趺坐というんですか、台座の上に蓮の花があって、それに座った形の。
「すげえ、やろうぜ」ってことになり、「ある順番」というのがわからないんで、
ひととおり全部試してみることになりました。

3体の大仏がA、B、Cとすると、
A-B-C、A-C-Bという具合に6通りになりますよね。
で、Aから始めて広く入り組んだ墓所の中を大急ぎで走って回った・・・んですが、
そこは小学生なんで、途中でわけがわからなくなっちゃったんです。
まあ、算数が得意というやつもいませんでしたし。
それで今度はCから始めて、その大仏の前の細かい砂利に、
小枝で通った順番を書いておくことにしたんです。
で、Bを最初にしたときだったから3回目か4回目のことです。
「いっせいの」で、B大仏にタッチして走り始めた・・・んですが、
最初に走ってたやつがせまい墓所の通路で急に転んで、
残り2人もそれにつまずく形で折り重なって倒れました。
そのとき、空が急に真っ暗になったんです。
ずっと向こうまで続いていた墓は見えなくなってて、夜みたいでした。

ただ、ずっと遠くに山があって、その上に赤い火が燃えてたんです。
いえ、火山という感じはしませんでしたね。黒と血のような赤い色の世界です。
声が聞こえたんです・・・「ヒイイイィ」という悲鳴が、
いくつも重なって聞こえるような。
すごく怖ろしい気持ちになって立ち上がりました。
すると、あたりは明るくなって蝉の声が聞こえる・・・元に戻ったんです。
友だち2人も立ち上がってきょろきょろしていました。
「お前ら今の見たか」と言うと、「見た、赤かった」「見た見た、声も聞こえた」
こう口をそろえました。「何だったと思う?」「地獄!」3人が同時に言いました。
このお寺の本堂には有名な地獄絵があって、
お盆の公開のときに3人とも見たことがあったんですが、
それと色合いがそっくりの世界だったんです。
もちろろん大仏巡りはそこでやめにして帰りました。大人には言いませんでしたよ。

ベランダ

マンションの8階に住んでいます。高いところなので、
夏場は両側の窓を開け放しておくと、
風が通って涼しく、エアコンをつけることはほとんどないんです。
ただ、鳩が来て糞の害があるので、ベランダには鳥避けネットを張ってあります。
だから物干しには使えなくて、そこは不便ですね。
ダイニングキッチンと寝室の2部屋で、一人暮らしには十分な広さです。
ある朝ですね。寝室で目が覚めると、レースのカーテンが少しめくれていて、
外で黒く動くものが見えたんです。鳥みたいでした。
名前はわかりません。後日ネットで検索もしてみたんですが、
似たようなのが見つからないんです。
小さな黒い鳥で、ネットをすり抜けて入ってきたんだと思いました。
あの大きさならガラスにあたっても割れることもないし・・・
そのときは特に気にかけることもなかったんです。

鳥の姿はちょくちょく見かけました。いつも朝方です。
ベランダの手すりの上をちょこまか歩く姿がか可愛いなあ、
くらいにしか思ってなかったんですが、
ある日曜の朝、目が覚めるとガラスの外にやっぱりその鳥がいて、
いつもと違ってたのはクチバシに何かを咥えていたんです。
白っぽい、細長いもので・・・かなり大きな芋虫に見えました。
「ああ、嫌だ」と思いました。
鳥は芋虫をぽとりという感じでベランダの内側に落としたんですよ。
そのまま鳥は手すりの端にいて、じっとベランダの床を見ているようでしたが、
やがて飛び去っていきました。
・・・ほっとけばよかったんでしょうが、気になったんです。
窓を開けたときに今の芋虫が入り込んでこないかって。

それで、テイッシュとビニール袋を持って出ていきました。
寝室からは行けないんで、ダイニングを回ってです。
寝室のほうのベランダは、ダイニングのより少し低くなっていて段差があります。
そこを越えたら、排水溝の近くに芋虫が7・8匹散らばっていました。
いえ・・・動いてたので芋虫と思ったんですが、それは人の指だったんです。
親指はなくて小指か薬指・・・全部違う手のものだと思いました。
あたりに血は落ちてませんでした。
でも、切り取られたばっかりだとしても動くなんてありえませんよね。
それらは自分で這うように動いて、一カ所に固まったんです。
全体として手のひらには見えませんでした。それよりも肉色の蜘蛛に見えました。
指の蜘蛛はひとかたまりになった状態で、
ベランダのコンクリの壁を這い上って私に近づいてきました。

「キャーッ」と叫んで飛び退きましたが、それ以上足が動きませんでした。
指の蜘蛛は私のすぐ近くまでくると、手すりをのり越えて下に落ちたんです。
おそるおそる覗いてみると、
下の階の部屋のベランダの鳥避けネットにひっかっかっていました。
モゾモゾと動いてネットをかいくぐり、下の部屋のベランダに入っていったんです。
顔見知りでしたので、よほど下の住人に知らせようかと思ったんですが、
信じてもらえないだろうとためらっているうちに、
「ギャーッ」という、私と同じような悲鳴が下の部屋から聞こえてきたんです・・・
・・・マンションは賃貸ではなく買ったもので、まだローンも残ってるんです。
どうすればいいんでしょうか。とりあえず自費になりますが、
鳥避けのネットをもっと目の細かいものに交換しようとは考えているんですが。




馬頭

2014.09.04 (Thu)
今年のお盆の話。俺は親が転勤族だったんで、小中での転校が多かった。
まず1年ごとといっていいような具合。
だから親しい友だちもあんまりできなかった。
今は東京で大学生をしているんだが、同窓会の案内の通知がきた。
これは中学2・3年のときに在学していた土地からの葉書で、
当時の生徒会長が幹事になって出してよこしたんだ。
そこでは、お盆に成人式をやるらしく、
その後にホテルの大会場を借りて行うとあった。
その学校にいたのは2年間で、俺には最長記録。
成人式は参加できないが、懐かしかったんで同窓会には出ようと思った。

それで、今親が住んでる場所にある俺の部屋から、
中学校のときの卒業アルバムを送ってもらった。
どんなメンバーだったか名前と顔を確認しようと思ったんだ。
俺はほら、転校をくり返してあんまり想い出がないかわり、
こういうアルバムや行事の集合写真なんかはこまめにとってある。
小学校のときは6年生1年間しかいない学校だったけど、それも持ってるんだ。
宅急便で部屋にアルバムが送られてきたんで、さっそく開いてみた。
1ページ見開きで1クラスが載ってて、真ん中が大きな集合写真。
横にそれぞれの名前がわかるように、写真と位置を同じくして氏名が書かれている。

A組、B組と見ていって・・・俺はEまであるうちのD組だったんだが、
自分のクラスのページを開いて集合写真を見た。そして違和感を感じたんだ。
並んでいるやつらのほとんどは顔を覚えているし、男子はだいたい名字までは言えた。
俺は背が高かったから男子の後列の中央に近いほうに並んでいたが、
俺と反対側の写真の左端に、後列から1人おいて異様なものが写っていたんだ。
そいつと言えばいいか・・・それだけが列から高く飛び出ている。
身長にすれば2m以上で、全体のシルエットは首の長い馬の頭だった。
ただ、はっきりしない。なぜかというと、その馬の首は焦げたように黒くなってて、
その黒いのは背景になってる空にも染みだしているんだ。
うまく言えないが、煤が飛び散ってるように首の周囲の空間がぼんやり黒ずんでいた。

「何だこれ!」と思った。
アルバムを開いたのは数年ぶりだが、前にも何度も見てるはずだった。
そのときにはこんなものは映ってなかった・・・と思った。
あれば当然気がつくはずだし、
そもそもこんな変な写真をアルバムに使うはずもない・・・
その馬の首がある部分に立ってるはずのやつの名前を確認すると、
「長友洋一」とあった。
記憶にあるような気もしたが、他に写ってるやつらほどはっきりしたものじゃなかった。
他のやつは顔がわかるからなのかもしれない、と思って、
アルバムの他のページで、長友というやつがいないか探したが見つからなかった。
もう一度集合写真に戻って、黒い馬の首をじっと見つめていると・・・
吐き気がしてきた。後頭部もずきずき痛む。

貧血のときのように目の前がスーッと暗くなって、強い焦げ臭さがした。
パチパチという音、焦げ臭いにおい・・・その中で、
「お前のせいだ」という声を聞いたように思ったが、そのまま気が遠くなった。
気がついたら朝になって、ベッドに倒れていた。下にアルバムが転がってたんだ。
幸い、頭痛はなくなっていたのでなんとか起きてバイトに出かけた。
帰ってきて、アルバムをもう一度開くことはしなかった。
昨夜のようなことになれば大変だと思ったからだ。
だれかに連絡して事情を聞きたかったが、
このときの同級生で連絡先のわかるやつはいない。
高校は遠く離れた場所に行ったし、アルバムにも電話番号まではついていない。
当時俺は携帯も持っていなかったし・・・

同窓会開催の葉書に幹事役の携帯番号が書いてあったと思いあたった。
時間は夜の8時過ぎで、問題ないだろうと思ってかけてみたんだよ。
すぐに通じて、明るい声が帰ってきた。
電話の向こうは居酒屋のようなところなのか、賑やかな音が聞こえていた。
「今いいかな」と言って自分の名前を言ったら、幹事の生徒会長が黙った。
「もしもし、聞こえてる?」こう呼びかけると、
固い口調に変わった声で、
「同窓会の葉書は手違いでした。同窓会は行われません。来ないでください」
これだけ言って切れてしまったんだよ。
それから、何度もかけ直しても出ることはなかった。
電源が切られていたんだと思う。

な、変な話だろ。勇気を出して、アルバムをもう一度見ようと思ったんだが、
少し開くと、あの焦げ臭いにおいがしてくる。
それでやめるということをくり返して・・・
で、思い切って同窓会の当日に、アルバムを持って会場のホテルに行ってみたんだよ。
成人式をやるのはネットで調べたかぎり間違いなかったんで、同窓会もあると思った。
何かの事情で俺に来てほしくないから、あんな反応をしたんだろうと考えたんだ。
東京からはかなり離れた場所なんで、時間がかかった。
ホテルは駅のそばで、新成人らしい振り袖の女やスーツの男の姿がちらほらあった。
中に入って催し物の案内を見ると「○○中学校第23期卒業生同窓会」と書かれていた。
エスカレーターで会場に向かった。
他の中学校の同窓会もあるらしく、ホールは人でごった返していた。
受付を見つけて近づいていくと、女の間に座っていた生徒会長が立ち上がった。

「帰ってくれ!」開口一番、こう言われたんだ。
俺は「いや、会には出ないよ。ただ教えてほしいことがあって来たんだ」こう言って、
アルバムを上にかざした。生徒会長の顔色がはっきり変わるのがわかった。
「それを開くなよ。そのアルバムは卒業式のあとに回収されて、誰も持ってるやつはいない」
なんとなく顔を覚えている男たちが近づいてきて、俺を取り囲んだ。
「○○だろ、よく来れたな。会場には入れないぞ」
「帰れよ、顔も見たくないから」今にも殴られそうな雰囲気になった。
こんな扱いをされる心あたりはなかったから、
「何だよお前ら!俺が何をしたっていうんだ」こう叫んだら、
「お前、長友と2人で、卒業式の前に神社の馬頭観音の社から火事を出しただろ」
意外な言葉が返ってきた。
そんなことまったく記憶になかった。

「ちょっと待ってくれよ。知らんぞそんなの」
同窓生らは、俺の腕をつかみ、腹を押してエスカレーターのほうへ押していこうとした。
「わかったよ、帰る。帰るから一つだけ教えてくれ。長友ってやつはどうなったんだ?」
聞いたら、生徒会長は「・・・長友は死んだ馬になった」こう言い、
続けて、「それだけじゃない、そのアルバムを持ってたやつらも、
 死にはしなかったがだいぶ迷惑したんだ。誰もお前の顔は見たくない。帰ってくれ」
とりつくしまもない感じで拒絶されたんだ。
・・・しかたなくホテルを出て、駅に向かった。
俺の記憶では、馬頭観音も火事も、長友すらまったく覚えていない。
何がなんだかわからなくなった。もしかしたら俺はひどい事件を起こしていて、
その記憶が飛んでるのかもしれないと考えたんだよ。

それにしても、アルバムが回収されたというのは、
俺は卒業式後にすぐ引っ越したからわからないんだろうが、
アルバムを持ってたやつまで迷惑って・・・死んだ馬、どうすれば人が死んだ馬になれる?
駅の待合室に座って、なんとか気持ちを落ち着けてからアルバムを開いてみた。
クラスの集合写真の、黒い馬の首はなくなっていた。
それだけじゃなく、俺の姿も消えていたんだよ。
俺がいたと思った場所は空いてるんじゃなく、列がつまってて、
最初からそうだったようにしか見えない。
名前も、俺も長友のもなかったんだ・・・
焦げ臭いにおいがした。アルバムがくすぶっていたんだ。
熱くて手を離すと、イスの下に落ちたアルバムから火があがった。
周りの人が立ち上がって飛び退き、こっちに駅員が走ってくるのが見えたんだ。