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対立

2014.11.01 (Sat)
もうずいぶん前のことだ。世の中が騒がしいっていうか、今より活気があった時代。
俺らの市は南と北の地区で仲が悪かったんだよ。
これは歴史っていうよりか伝説みたいなもんなんだが、
たぶん室町時代の頃、南には偉い行者様がいて信者を集めてた。
同じように北のほうには霊験のある坊様がいて、これも門徒がたくさんいたんだ。
この2人は仲が悪くてね。ここいらの領主の法要でばったり会ったときに、
因縁がついたんだよ。信徒を巻き込んで喧嘩になったってことだな。
で、互いに呪をかけ合って2人とも死んじまった。
この2人を祀ったと言われる塚がそれぞれの地区にあるんだ。
南のほうは行者塚、北のは法師塚ってそれぞれ呼ばれててね。
どっちも鉄の柵で囲われてきれいに保たれていた。

行者塚のほうは足の病に霊験あり、法師塚のほうは眼病に効能ありって言われて、
年寄りばっかだったけど、現代でもあがめてる人がいたんだ。
地区同士が仲が悪いのは、むろんそれだけじゃない。
そんな昔のことをずっと引きずってるってのもおかしいだろ。それよりも昭和に入って、
この市のどこに国鉄の駅ができるかで揉めたのが大きいみたいだ。
市会議員とか巻き込んですったもんだがあり、
結局南地区のほうを鉄道が通ることになった。このときの怨みがずっと続いてたんだよ。
南地区のほうがはっきり発展してたのはこのためだったからな。
といって、大人は表だって喧嘩とかするなんてことはなかった。
ただ「~のやつらは罰当たりだから」みたいな感じで陰口を言うくらいだな。
だけどこの対立は地域の中学校にも及んでて、こっちのほうが激しかったんだよ。

当時は暴走族の全盛だったし、シンナーも流行ってた。
バイクで学校に乗り入れるとか、校内で消化器を撒くなんてことも普通にあったんだよ。
いちお仮に、南中と北中ってことで話を進める。
俺は南中で、2年のときの話。当時は不良グループって言われるような生徒だった。
煙草とか当たり前だったし、無免許でバイク乗るとかもよくあった。
ただ、シンナーはやんなかったよ。ボロボロになった先輩を何人も見てるし、
これはさすがにヤバイだろうって。
で、北中にも同じようなグループがあって、そっちのほうが少しだけ力があった。
これは北の地区のほうが貧しくて気が荒いのと、俺らはバックが族どまりだったのに対して、
向こうはヤクザまでついてたって違いが大きい。
決して俺らが弱かったってわけじゃあねえんだよ。
だが悔しい思いをすることが多かったのも事実だ。
で、集まってるときに、北の法師塚にイタズラしに行かねえかって話になった。

大人がよく話してたから、中学生でも地区の対立のおおもとの原因は知ってたんだな。
いや、ホントにイタズラ程度のつもりだったんだ。
その少し前に木刀とか持っての集団の殴り合いがあって、保護観察になってるやつもいたし。
北の法師塚は、人気のない寂れた神社の裏手にあってね。
そんとき集まったのは2年ばっか7人だったはずだ。もう冬になりかけの頃で、
さすがに3年は受験とか考えて大人しくなってたから。
夜の10時頃、バイク2台、チャリ3台で金槌持って行った。
いや、さすがに敵の地区に入るわけだから、できるだけ派手な音とかたてないようにしたよ。
神社の脇にバイクとか置いて、そっと裏に回る。
まあ普段から人のあんまりいねえとこだから、静かで暗かったよ。
今みたいに防犯灯とかもなかった。膝より少し高いくらいの鉄柵を乗り越えて中に入った。
でね、みな金槌とかバールとか持ってきてたんだよ。

まずは、塚の前にあった祭壇、お供えとかロウソク立てとかがあるやつを蹴倒した。
その後、腰くらいの高さの四角い法師塚を持ってきた金物で叩いた。
やっぱ室町とか言われてただけあって、もろくなってて面白いように欠けたよ。
金槌で叩くと石が大きいブロックごと崩れてきたんだ。
10分ほど叩いてると、上3分の1くらいがなくなった。
で、さすがに疲れてきたんでそこらへんでやめて、最後にみなで小便をかけて終わったんだ。
別に気分がすっきりしたなんてこともなかったし、祟りが怖いとも思わなかったよ。
だってなあ、そんなもんが本当にあるんなら、地域のどっちかは滅亡してるだろ。
帰り道。俺はチャリで、前の2人乗りのバイク2台はゆっくり走ってくれてたんだ。
その並んで走ってるバイク2台が、急にフラフラとしてちょっと接触したんだよ。
いやあ、コツン程度で倒れることもなかった。

そしたら道路にドシャーって水が撒かれたようになったんだ。
何が起きたかわからなかったってか、バイクのガソリンが漏れたんだと思ったよ。
そんとき、「あー、ねえ!!」って大声が響いた。
前のバイクに乗ってるリーダー格のやつが叫んだんだ。
何が起きたかと思ったら、そいつは「ねえ、俺の足がねえ!!」こう絶叫した。
バイクもチャリも止まって、そいつのバイクは後ろに乗ったやつがなんとか支えてたが、
近寄ってみたら左足が膝から下なくなって血が滝のように噴き出してたんだ。
「えーおい、嘘だろ」「さっきぶつかったときか?」
「いてぇ、いてえよ。あーーー」大騒ぎになった。
で、警察沙汰になるのを覚悟で公衆電話から救急車を呼ぶしかなかった。
近くを探したら、そいつの左足はブーツはいたままで路肩の草むらに立ってたんだ。
救急車はその足も持って病院に行ったんだが、結局くっつくことはなかったな。

このことがおおやけになって、保護観察中だったやつは少年院送りになった。
俺もこれをきっかけにしてグループから抜けたんだよ。
話はこれで終わりじゃねえ。法師塚を壊された北のやつらが俺らのとこの行者塚に
仕返しに来たんだ。本来なら、それを予想して塚を守ったりしてるはずだったが、
バイクの事件でその余裕がなかった。
北のやつらは俺ら以上に凶悪で、どっかから借りてきた大型のクロカン車の、
ウインチかなんかを行者塚にかけて引き倒した。
これも深夜の出来事で、さすがに中学生だけでやったんわけじゃないと思う。
で、その後すぐに北中の2年のリーダー格だったやつが入院したって話が聞こえてきた。
しかしそれ以上詳しいことはわかんなかったな。
向こうで箝口令がしかれてたんじゃないか。
そいつは3年の半ばに学校に復帰したんだけど、すぐに転校してしまったんだよ。

で、そいつと東京で20数年ぶりにたまたま会った。
仕事の関係だよ。2人ともこっちで関節会社に勤めていたんだ。
最初は誰か気づかなかった、話しているうちに同郷だってわかり、
知り合いの名を出したりしてるうちにそいつだってわかった。
懐かしかったからその晩、プライベートで居酒屋に飲みに行った。
そこで行者塚と法師塚の話も出たんだ。
でな、20年以上たってるんだからもう時効だろうと考えて、
行者塚を壊した後に何があったか聞いてみたんだよ。そしたら、こんな話だった。
行者塚を倒した後、家に帰って寝たら夢を見た。
金縛りみたいにベッドの上で動けなくなってて、上に誰かが体をまたいで立ってた。
見れば袈裟を着た位の高そうな坊さんで、手に竹筒を持ってた。

何だ?何をするんだ?と思いながら見てたら、坊さんはかがんで竹筒を左の目にあてた。
目のくぼみぴったりはまる大きさの筒の上を、おさえたまま何かでパカンと叩いたんだ。
そこで強烈な痛みを感じて目が覚めた。顔中がぬるぬる濡れてるのがわかった。
飛び起きて電気をつけたら、枕の上に目玉が一つころんとあったって言うんだ。
今思い出しても怖ろしくなるが事実だ、そいつはそう言って少し笑い、
義眼を取り出して見せてくれたよ。
その後、転校してからは心を入れ替えて真面目にがんばり、
ハンデを乗り越えて今の職についたんだそうだ。・・・それにしても不思議なのは、
俺らが壊した法師塚は目の神さんなのに俺らのリーダーは足をなくし、
そいつが壊した行者塚は足の神さんなのに、そいつは目玉をえぐり出されたってこと。
普通バチがあたるとしても反対になりそうなもんじゃねえか。

で、そいつと話した結果、神さんどうしはとっくに仲直りをしていて、
悪いことをしたそれぞれ自分の地区のクソガキの頭(かしら)に、
罰を与えたんじゃねえかって結論になった。
にしてもなあ、そういうことならわかるようにしててくれてもよかったんじゃないか。
俺らの対立は何だったんだ、ってことになる。
まあ、暴れたい衝動を神さんのせいにしてただけなんだろうけどな。
あと、そいつとの話に出た昔の仲間は、南中も北中もヒドイ状況で、
20歳前にシンナーで死んだやつ、ヤクザ屋になって死んだやつ、
消息不明のやつ・・・そんなのばっかだ。
この歳になっても安月給だが、俺とかそいつはかなりマシなほうだったんだよ。
あと、俺らの住んでた市は大手の自動車会社の工場ができてそこそこ発展してる。
2つの塚はどっちも修復され、今じゃ屋根がかかっているそうだよ。

『蘇我入鹿首塚』