幽霊の顔

2015.08.31 (Mon)
今日は怖い話ではありません。

自分は創作の怖い話を書くほか、実際の幽霊体験談を収集しているのですが、
これでよく出てくるのが、
「何かとても怖いものを見たんだけど、それが何だったのかよく思い出せない」
「女だったことは確かだったんだけど、どんな顔だったか覚えていない」
「思い出そうとすれば頭が痛くなってくる」
このような証言です。どういうことなんでしょうねえ。

幽霊には顔を思い出させないようにする自衛装置でもついているのか、
それとも最初から顔がはっきりしたものではないのでしょうか。
前に、幽霊の目撃談は「長い黒髪、白い服の若い女」になりやすい、
という話を書きました。これは日本だけではなく、世界的な傾向です。
そのこととも何か関係があるような気がします。

さて、今回紹介するのは、分野で言えば脳科学と認知心理学にまたがる、
なかなかおもしろい実験内容です。
名古屋大学大学院で確認された「言語隠蔽効果」と呼ばれる現象で、
簡単に言えば「他人の顔の特徴を言葉にして覚えようとするのは逆効果」ということです。
言葉にすることで記憶がゆがめられてしまうんですね。
この理由として以前から2つの仮説が考えられていまして、一つは、
「人の脳は目、鼻、口の位置関係などから顔全体を捉えて覚えるが、
 言葉にすることで部分のつながりが失われ、記憶がゆがむ」という説で、
もう一つは「言葉が直接記憶分野に侵入して記憶を破壊してしまう」というものでした。

この実験の斬新なところは、人間の被験者を使って行うのではなく、
コンピュータ上の脳のシミュレーションモデルを使用し、
実験に再現性を持たせたことです。
まあ、これまで心理学は、再現性がないということで、
他の科学分野からさんざんに叩かれてきましたので、
そういうこととも関係があるのでしょう。
『実験では、目、鼻、口の特徴だけで区別される顔を64種類作製し、
うち半分をコンピューター上の脳のモデルに覚えさせ、その後、残り半分も含めて見せて、
それぞれの顔を知っているか判断させた。
このとき、新たに見た顔の特徴を脳内で言葉にさせると、特徴の似た別の顔を思い出し、
「知っている」と判断してしまうケースが増えることが確認された。』

つまり、上記の2つの仮説はどちらも関連しているということだったわけです。

もう少しわかりやすく説明すると、人間は自分が言った言葉にとらわれてしまい、
実際の顔の全体的な記憶より「高い鼻、切れ長の目、長い顎」
といった特徴だけが脳内に残ってしまう。
そしてその言葉の特徴にあてはまる、実際は見たことのない顔を提示されると、
「はい、この人だったと思います」と言ってしまうことがあるというわけですね。
これを犯罪捜査の現場にあてはめて考えると、
目撃した犯人の顔を言葉にして説明させ、それをもとにモンタージュ写真を作るより、
目撃者にさまざまな顔のパーツを自由に選ばせて、
自分で顔を構成させるほうが効果的、ということになるんでしょうか?

言葉はもちろん非常に便利なものであり、
これを用いることで人間は脳を発達させるとともに、コミュニケーション能力を深化させ、
複雑な社会を築いてきたと考えられます。
ですが、人間の能力の中には言葉に頼らないほうがかえって力を発揮する部分もあり、
そこをよく見定めて使用していかなくてはならない、ということなのでしょう。
右脳、左脳といったこととも関係があるかもしれません。

うーん、どうでしょう。
この実験は、幽霊の目撃談に何か関係があるのでしょうか。
もしも幽霊が目撃者、体験者に対して「念」のようなもの、
「恨みつらみ」なども含めた全体的なイメージをぶつけてくるのだとしたら、
言葉にするのが難しいということもあるかもしれませんが、
よくわからないですね。

自分が怪談を書いていても、幽霊に遭遇した場面をどう書いていいかはいつも迷います。
幽霊の顔や姿を、血まみれでグズグズ崩れたスプラッター場面のように書いたとしても、
それだけで怖いということにはならないですし、
目撃者の脳内の思考、例えば、
「こんなところに人がいるはずはない。
生きた人間が宙に浮かんでるはずがない、これは何なのよ~」w
というようなことを詳細に記しても、やはりあんまり怖くはならない。
それはどんな形であれ、幽霊を目撃した人は怖いでしょうが、
自分が怖がらせようとしているのは、怪談を読まれている方なんですよね。
ということで、どうすれば怖くなるのか、創作のテクニックも含め試行錯誤の連続です。
この実験の成果も、なんらかの形で役立てられたらいいんですが。

関連記事 『幽霊の肖像』







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廃路地

2015.08.30 (Sun)

こないだ、2週間くらい前です。自分は食品加工会社に勤めてるんですが、
消毒に出してた容器類を取ってくるように言われて、社用のバンで関連会社まで行ったんです。
そこの会社は行くのが2回目だったんですけど、
道がうろおぼえだったんでナビをセットして、その指示どおり運転してたんです。
けっこう遠いです。ナビの到着予定時刻が35分でしたけど、
渋滞とかを考えれば1時間近くかかるだろうなと思ってました。
社を出て20分ほどして、片側1車線のさびれた商店街に入りまして。
そういえば前もこんなとこを通ったなあ、って記憶がかすかにありました。
その道はどんどん細くなってセンターラインがなくなり、さらに10分進んだところで、
道に真ん中にカラーコーンが置いてあって、通れなくなりました。
一個だけのコーンに、ビニールに包んだ板が入ってて、マジックで「通行止」って書いてたんです。

「ありゃ」と思いました。Uターンするしかないわけですが、
転回するスペースがなくて、どっかの民家の軒先に入るしかない。
しばし躊躇してたんですが、ちょうど右脇の民家からバアサンが出てくるとこだったので、
車の窓を開けて「軒先に入って車の方向変えてもいいですか?」って声をかけたんです。
バアサンは最初、こっちの意図がわからないようでしたが、
すぐ「ああ、かまいませんよ。ここ通れなくなっちゃったから私らも不便で」こう言いました。
「前、ここたしか飲み屋街でしたよね」 「そうだったんだけど、ほとんど店閉めちゃって。
 道にビール瓶が出てきてからなんですけどね」 「ビール瓶?」 「ほらあれ」
指さしたところを見ると、入れない道の10mほど先に、
ビール瓶が横一列に、口のほうを下にして埋められていたんです。
それだと大型SUVでも乗り越えられない感じでした。

「ありゃ、あれわざわざ埋めたんですか? なんでまた?」
「いえね、飲み屋街の人の話だと、ある日、店に来てみたらそうなってたって」
「まさか。法律違反だし、イタズラとしても市のほうで直すでしょう」
「いえねえ、その道路は飲み屋街の私道だから。もともと広い空き地だったところを、
 大手の不動産屋が買って、店にして分譲したの」
「ははあ、でも全部シャッター下りてますよね」
「そのビール瓶が出てきてからね、みなバタバタと出て行っちゃって。
 今やってるのは向こう側の出口近くの1軒だけ」
こんな話になりまして。で、礼を言って車を入れさせてもらい戻ったんです。
まあねえ、今考えれば、ここで詳しいことを聞いたのがマズかったかなって。
何がマズいのかうまく言えませんけど。

でねえ、戻ったら戻ったで、ナビが前の道をしつこく指示し続けたんです。
これはよくあることなんで、無視して関連会社の方向に進んで行きまして。
ある程度の距離をきたら、普通はナビもあきらめて別ルートに切り替えるでしょ。
ところがいつまでも、さっきの道に戻れ戻れって言い続けるばかりで。
うるさいので切って自力で行きましたよ。
でね、これだけならなんということもない話ですが、
その日の夜からちょくちょく金縛りに遭うようになったんです。
自分は一人暮らしで一間のアパートです。ベッド置くのはスペースがムダなんで、
布団敷いて寝てるんですけど、夜の1時少し前に布団に入って電気消して・・・
うとうとしかけたかなというときに、まわりがものすごく眩しくなったんです。
強烈な白色光。布団に寝てるはずなのに、手術台みたいな高いとこにいる気がしました。

そう、体はまったく動かなくて、縛りつけられた感じがしまして。
首も動かなかったですが、薄目を開けることができたので、
真上を見ると、緑っぽい手術着を着た医師が見下ろしてました。
顔はマスクとゴーグルみたいなのをつけてましたから、よくわからなかったんです。
でね、どうやら医師は数人いるみたいで、自分にはわからない言葉で話してる気がしました。
その状態が・・・そうですね、20分くらいは続いたような感じがしましたね。
ときおり上のほうで金属が光ってて、医師同士で、
タバコの箱くらいの機械をやりとりしてるように見えたんです。
そんな具合で、体が自由にならないまま、いつしか眠ってしまったんです。
朝は目覚ましでいつもどおり目が覚めまして、部屋に変わった様子はなかったですねえ。
電灯も消えてたし、おかしなことは何も。

その日に会社で、休み時間に同僚に金縛りの話をしたんです。
そいつはコンビニで宇宙文明がどうしたとか怪しい雑誌を買ってるようなやつで、
何かわかるだろうかと思って。そしたら、こんなことを言ってました。
「日本だと金縛り中に見る幻覚は、心霊系のものが多い。
 典型的なのが落武者がのしかかってきたってやつね w けど、アメリカだとこれが、
 ほとんどUFO系になるんだよ。アブダクションって言うんだけど、
 睡眠中に宇宙船に拉致されて、いろいろ人体実験されたり、体内に遺物を埋め込まれたり、
 そういう証言をする人がすごく多い。まあ文化の違いを表わしてると思うけど、
 〇〇はUFO系なんだろうね。気にすることはないだろ、疲れがたまってるんじゃないか」
でもねえ、自分はUFOなんてまったく興味なかったんです。
テレビでも映画でもそういうのは見ないし。幽霊のほうがまだしも関心があるといえばある。

疲れがたまってるのは確かなんで、翌日からは早めに寝るようにしたんですが、
この金縛りの夢はその後も3回見ました。内容はほとんど同じです。
でね、一昨日4回目を見たんですが、そのときは終わりのほうが少し違ってたんですよ。
いつも自分の顔の上にいる医師ですが、最後にマスクとゴーグルをとって、
顔を近づけてきたんです。いや、人間の顔でした。
30代初めですかねえ。俺より少し若いくらい。面長で美男子でしたよ。
そこで記憶が途切れて・・・気がついたらどうなってたと思います。
自分はエンジンがかかった車の運転席にいて、真っ暗な中、ライトを消して停まってたんです。
はい、自分の軽の車です。ナビがついてて、その時間を見たら12:58。
ヘッドライトをつけて驚きました。目の前にあるのが、
あの最初に話した路地のカラーコーンなんです。「ええええ!?」これは驚くでしょう。

意識のないまま自分が車を運転してここまで来たってことでしょうか。
ありえないんですが、そうとしか考えようがないんです。
でね、13:00になったとき、それまで黙ってたナビが「目的地周辺に到着しました」
ってのを連呼し始めたんです。会社の車じゃなくて自分の車で、
しかもナビのセットなんてしてないのに。背筋がぞくぞくっとして、
すぐにナビをテレビに切り替えました。逃げ出そうとしたんですが、
ハンドルがロックの状態からもどらなかったんです。あれこれ試してもダメで・・・
これはJAFを呼ぶしかないと思ったんですが、自分は寝るときのジャージ姿でスマホがない。
どうしようもなくて車の外に出ました。あたりの家は時間が時間ですから寝静まってて、
見ると路地の奥のほうに明かりが見えたんです。
1軒だけまだ残ってる店があるって前に聞いたのを思い出して。

電話を借りようと思ったんです。気味が悪かったんですが、
それが一番早いと思って、コーンの向こうに入って行きました。
道の両側の飲食店は、どこも同じような仕様で新しく見えましたが、
みなシャッターが下りたり、中が真っ暗だったりで。街灯はついてました。
でね、道のビール瓶のところまで行って、そしたら道を横切るようにからーっと、
アスファルトに首まで埋まってたんです。几帳面にラベルのあるほうをこっちに向けて。
そのラベルに違和感を感じました。それでしゃがみ込んで見ましたら、
「SAPPORO」のロゴに赤い星がついてるはずのが、「SAPPUOU」ってなってて、
星の形もなんだか変で・・・「サップオウ? パチもんかなあ」そうつぶやいて、
乗り越えて明かりのついてる店に向かって行くと、急にネオン看板が消えたんですよ。
で、木の一枚ドアが開いて、中からすごい長身の男が出てきたんです。

身長は、179cmの自分よりずっと高く、2m近かったんじゃないでしょうか。
その顔が、寝た後に金縛りで見た医師の顔そっくりだったんです。
男は外人みたいな感じで両腕を広げて、無表情で自分のほうに近づいてきまして。
思わず固まってしまいましたが、少しずつ後じさりしました。
自分は大学まで柔道をやって3段で、体力にはそれなりに自信があったんですが、
とにかく気味悪くて。男がぎくしゃくと近づいてきて、それが突然しゃがみこんだかと思うと、
「おげーっ」と声を上げて吐き始めました。それをきっかけに、
自分は後ろを向いて走って逃げたんです。車も捨ててとにかく人のいるほうへ。
路地から出るとき振り返って見ると、男はうずくまったまま緑に光るものを地面に吐いていました。
昨日の朝ね、友だちを頼んで車を取りに戻ったら、普通に動きました。ただ・・・
ボンネットのホコリの上に大きく、ビール瓶にあるのと同じ変な星のマークが書かれてあったんです。






扇子

2015.08.30 (Sun)
私が中学1年生のときの話です。父は商社のサラリーマンで、出張が多く、
半年ほど東南アジアを回っているときもありました。
母は、自宅の和室を使って茶道教室を開いていましたが、
謝礼は実費程度のもので、十数人、生徒さんがおりました。
そのときはまだ妹がいなかったので、一人っ子で甘えてばかりいた記憶があります。
10月のある日曜日のことです。そのときは珍しく、
父は会社関係の人たちと釣りに出かけていました。
私は部屋でのんびり過ごしていたんですが、10時過ぎになって、
母が部屋にきて「ちょっと出かけるから、一緒に来なさい」と言いました。
そのとき、びしっと和服を着ていましたので、
これはきっと外で食事をするんだろうと思って、ウキウキしてついていきました。

ところが母の車は、駅前通りを過ぎて、高速に入っちゃったんです。
「ねえ、どこへ行くの」そう聞いたら、「〇〇市のお寺」って言われて驚きました。
それは同郷の両親の実家がある市で、9月のお彼岸のときに行ったばかりだったんです。
「またお墓参り?」と聞いたんですが、母は答えてくれませんでした。
それで私はずっと、車のモニターでアニメのDVDを見てたんです。
〇〇市までは2時間ほどかかりました。高速を降りてすぐのファミレスに入って、
昼ごはんを食べました。もっと高級なところに行くのかと思ってたので、
ちょっとがっかりでしたが、その後向かった先が、お寺はお寺でも、
いつも行っているお墓のあるところとは別で、初めて行くところでした。
「えー、ここ何?」って聞いたんですが、それには母は答えず、
「ご住職にきちんとあいさつしなさい」そう言って、玄関口の呼び鈴を押しました。

出てきたのは、たぶん60歳ぐらいの作務衣姿のお坊さんで、母と私がおじぎをして、
かなり広い和室に通されました。おそらくお葬式のときの控え室になるようなところです。
座卓が4つ縦に並べられていまして、その床の間に近いほうに座りました。
そこで、お茶とお菓子をいただいたんですが、母とお坊さんが長話を始めると、
私は正座してた脚がしびれてつらくなりました。
しばらくしてお坊さんが「じゃあ、持ってきますので」と言って出ていき、
すぐに木の箱を持って戻ってきました。
それで、母とお坊さんが向かい合う形で座って箱を開けました。
私ものぞき込んだんですが、中には古くなって黄ばんだ写真が、
そうですね、200枚以上乱雑に入っていました。
ほとんどがモノクロの写真で、見たことがない家族を写したものでした。

ええ、出てくる人が同じだったんです。品のよさそうな和服のおばあさん。
その人が祖母だと思いました。それと今どき見ない丸い黒縁のメガネをかけたお父さん、
お母さんはきれいな人で、お父さんよりかなり若く見えました。
それと、ちょうどそのときの私と同じくらいの女の子。
いえ、私とは顔が似ているということはなかたっと思います。
髪型も、その子はテレビのサザエさんのワカメちゃんみたいなおかっぱでしたし。
そうですね、今になって考えると、戦前、昭和一桁くらいのものだったと思います。
その写真の中で、女の子が写っている写真を一枚一枚、テーブルに敷いた和紙の上に取り出し、
母がその写真の上に右手の人差指をのせたんです。
ほとんどの写真に対して、母は「これは大丈夫です」と言いましたが、
「これはちょっと」とか「障りが残ってます」こう答えた写真は脇に寄せられました。

そういうのは10枚に一枚くらいでした。
私は、足がしびれたのと飽きてきたのとで、母の袖を引いて、
「お母さん、お庭見てきてもいい」と小声で聞いたんです。
それが聞こえたのか、お坊さんが「いいですよ。いってらっしゃい」そう言ってくださったので、
なかば這うようにして部屋を出て、廊下に座り込んで親指を引っ張ったりしました。
それから玄関を出て、本堂のまわりをぐるっと回ってみました。
いつも父母と行くお寺とは違って、どこにもお墓がなかったんです。
それと、本堂の入り口の上のほうに、大きな亀や龍の彫刻がついてて、
そういうのを見たりして時間をつぶしました。
いえ、怖いという気持ちはなかったです。さんさんと陽光が降り注いでいましたし。
30分くらい外にいて戻ってみると、あらかた写真は仕分けされていました。

二つになっていた写真の山の、少ないほうをお坊さんが和紙に包み、
「ではよろしいですね。こちらはご供養に回しますよ」
懐に入れて立ち上がり、部屋を出て行きました。母は一仕事終えたみたいに肩で息をついていて、
「今の写真は何?」って聞きたかったんですが、そうできませんでした。
これについては、今になっても何であんなことをしたのかわかりません。
私を連れていった意味も。外で日が陰ったのか、急に障子が暗くなりました。
そのとき気配を感じたんです。横を見ると、座卓が縦に4つ並んだうちの、
私から近いほう2つ目の座布団の横に、海藻のようなものが落ちていました。
もじゃもじゃで、黒っぽい緑色の。「何かな」と思って見つめていると、
それがだんだん上に浮き上がってきました。「え?」海藻の下には、
白いぶよぶよしたやわらかいもの。

あの、傷口にずっと絆創膏を貼っておくと、下の皮膚がふやけますよね。
ちょうどあんな色で、かぼちゃみたいな形の。だんだん上に出てくるにつれて、
二つ黒い眼窩があるのがわかりました。「人の頭? それが畳から生えてる?」
私は固まってしまったんですが、放心したような状態の母の袖をなんとか引っ張りました。
「あ、あれ!」母がそちらを見て、ビクンと体が震えました。
私の体をつかんで後ろに下げるようにし、自分は正座の姿勢のまま、
それのほうに出たんです。それはもう口のあたりまで浮き上がっていて、
やはり真っ黒く開いた鼻の穴、それと厚く腫れた唇。
唇はかっと開いて、やはり黒い口と、ぼろぼろになった歯が見えました。
「いやー、何あれ!!」私は叫び声を上げてしまいましたが、母が私を手で制して、
ゆっくりした動作で数寄屋袋を引き寄せ、中から茶道の扇子を取り出しました。

それはもう肩まで畳から出て、こちらに向かって腕を伸ばしていましたが、
母は自分の前の畳に扇子を横一文字に置いたんです。
それが「おああああ~~」というような声をあげると、
母は静かに、しかし強く首を振りました。
そのとき、血相を変えてお坊さんが部屋に走りこんできました。
するとそれは、上半身だけで畳にうつ伏せになり、そのまますっと消えたんです。
母が、数珠を持った手を前に伸ばしたお坊さんに向かって「まだ許されていないようです」
こんなことを言いましたが、なんとなく恥ずかしそうな響きを感じました。
怖いことはこれだけでした。その後は寺を後にして車で家に戻っただけ。
帰りの車中で、よほどさっき畳から出てきたもののことを聞こうと思ったんですが、
できませんでした。母の背中から、全身で質問を拒否してることがわかりましたから。

車を降りるときに、「今日のことはお父さんには内緒」母が言いました。
その後も、何度もこの日のことを思い出して、その度に母に質問しようと考え、
いざとなって言い出せなくなってやめる。そのくり返しでした。
あのことを聞いたら、せっかく幸せにやっている家族の関係が、
崩れてしまいそうに思えたんですよ。
畳から出てきたものは、写真の家族の誰とも似ているとは思いませんでした。
というか、あまりにも白くふやけてふくらんでいたので、
もし写真の誰かだとしても見分けられるとは思えないです。
・・・その後、震災があって、私も長く水に漬かっていたご遺体を、
いくどか目撃したんですが、それと同じ状態だと思いました。
これでほとんど話は終わりなんですが・・・

今年になって、私に妹ができることになりました。
生まれてくるわけではなくて、出張中の父が、インドネシアの孤児の女の子を、
養子に迎えることに決めたんです。2012年のスマトラ沖地震で両親を失った子どもです。
私たちも東日本大震災を経験して、幸い家族に被害はありませんでしたが、
人事とは思えなかったということです。母も手放しで賛成しています。
父の同僚のアメリカ人たちにも、現地の子を養子として育てている人は多いんだそうです。
その子は人身売買の組織から取り戻されたばかりということでした。
今、そのための手続きを、NPOにお願いして進めているところなんです。
それで、父からはその子の写真を見せてもらったんですが、
あのお寺で見た写真の女の子によく似てるんです。でも、時代も違うし、
日本人とインドネシア人だし・・・ どういうことなのか不思議でなりません。









中継

2015.08.28 (Fri)
先日は先輩方がこられてここで話をしていったということで。
はい、〇〇大学の心霊研究会の1年生です。
つい一昨日のことです。もうすぐ夏休みも終わりなんですが、1年生のグループで、
先輩方から会のレポートをつくるように宿題を出されてまして、
それをやるために、夜の9時から大学のサークル室に集まっていました。
僕たちが考えたのは、心霊スポットのライブ中継です。
ほら、単にスポットに行ってビデオを撮ってくるだけじゃありきたりですから、
ライブ映像を送れるシステムを考えようってことです。
でね、学祭のときにそれをリアルタイムで流せばうけるんじゃないかと思って。
それで、ネットで調べてみたら、けっこういろんな方法があったんです。
一番簡単なのは、動画共有サイトの会員になることでした。

大学生がテレビ電波を飛ばすのは、地上波でなくても無理があるでしょう。
だからすべてネット回線で済ませるんです。現地でビデオを撮りながら、
動画としてタブレットで共有サイトにアップする。
で、送られてくるほうもネットでそれを見るだけ。これなら簡単でしょう。
何回かやってみたんですけど、難しいことはありませんでした。
日中ならね。でも、スポットに昼間行ってもあんまりインパクトがないでしょう。
まして映像だと、よほど効果的な撮り方をしなくちゃ誰も怖がってくれません。
ですから夜間撮影に挑戦しようと思って。
で、これで問題になるのが照明なんです。暗闇ばっかり映してもしょうがないし、
けど、心霊スポットって電気が来てないとこが多いですからね。
それで、今回は実験的に、電気自動車から電源をとったんです。

ええ、山本ってメンバーの家で、電気自動車のリーフを持ってまして。
それを借りだしてもらったんです。エンジンをかけて充電しながら、
電源から投光機のコードを伸ばして撮影に使うわけです。
でね、その実験に2人が現地に行ってたんです。もう一人は柴田ってやつです。
行った先は、大学からは90kmくらい離れた廃村です。
ほら、一軒家とかだと、前に車を乗りつけてコード伸ばしてたら怪しまれるじゃないですか。
通報されるかもしれない。それで、廃村。そこはけっこう県内でも有名なスポットで、
全国発売の雑誌に紹介されたこともあるんです。
もともと過疎の集落だったんですが、昭和40年代に殺人事件があって、
放棄されちゃったんです。これも知ってる方がいるかもしれませんね。男兄弟の2番目が、
正業もなくのけものにされてて、それを恨んで本家の一家をナタと散弾銃で襲ったっていう。

そうそう、その事件の現場ですよ。ただ、殺人が起きた家はその後放火されてもうないんです。
だから、そのあたりの放棄された家々を回って、映像をライブ中継するという計画でした。
山本たちとは、携帯で連絡を取りあってました。
でね、映像は大学の大型ディスプレイを借りてきて、それをパソコンにつなげて。
9時半にライブ中継がスタートしました。でも、ビデオカメラが安物のせいで、
音声があまりよくなかったです。「今から始めます」という山本の声がして、
映像が入ってきました。第一印象は闇が深いってことでしたね。
廃村ですから、当然ながら一体に電気は来てなくて、街灯なんかもありません。
そのせいか、投光機の光があたったところは真っ白になってしまって、
何を写してるかわからなかったんです。携帯で注文をつけたんですが、
あまり改善しませんでしたね。そのあたりは工夫が必要だなって思いました。

山本がカメラを操作してて、山田が投光機を持ってるってことでした。
画面は、まず舗装されてない草地に置いてあるリーフを照らしまして、
それから投光機を板壁に向けている山田の姿。ビデオカメラを交代して、今度は山本の姿です。
2人ともウインドブレーカー姿で、真夏だけどあんまり暑くないって言ってました。
あと、投光機に蛾とか小さな羽虫みたいなのがかなり集まってきてました。
これは考えてなかったんですが、どうしようもないですよね。
でね、山本が適当にナレーションしながら、殺人があったという家の跡地に入っていきました
草ぼうぼうで、その中に焦げたように黒い板壁が残ってたんです。
ムード満点っていうか、陰から急にナタを持った男が飛び出してきても、
おかしくないような雰囲気でした。学祭の1日目は夜もありますから、
そのときにこれをやれば受けるだろうな・・・って。で、皆でワイワイ言いながら見てると、

カメラの揺れで気持ち悪くなってきました。臨場感はあるけど、これも改善点だなって。
誰かが、映画の『ブレアウイッチ』みたいだって言ってました。
ええ、あの擬似ドキュメンタリーの。で、画面が切り替わったとき、
草むらから人が立ち上がるような姿が見えたんですよ。一瞬、息を飲みました。
女子のメンバーで悲鳴をあげた子もいたんですよ。
真っ黒で、顔も服装もわからないんだけど、しゃがんでいた人が急に立ったみたいな。
もちろん携帯で確認したんですが、「誰もいるわけないだろ」って。
「よくさがせ」って返しました。心霊ってより、有名スポットですから、
他に来てるやつらがいるかもって思ったんです。トラブルになったらヤバイでしょう。
でも、「車が停まってたなんて見てない」って。ええ、かなりの郊外だし、
バスなんかもないし、車でしか行けないですから。

また画面が切り替わって、残ってる民家の玄関に向かってるようでした。
もうボロボロに朽ちちゃって、来たやつらに投石でもされたのか、
玄関のガラスも残ってないんです。「入るのか」って聞いたら、「今回はやめとく」って。
「入れ、入れ」って言うやつもいたんですが、ケガでもすれば台無しなんで、
「玄関から中だけ撮れればいい」って言ったんです。
で、投光機の光が先に入って、ホコリだらけの廊下が映り、
そこに人がうずくまってたんです。こっちは一斉に悲鳴があがって。
「おい、何だよ、人がいるじゃないか」そのうずくまってるやつは、男っぽい体つきで、
ダブダブのセーターみたいなのを着てて・・・向こう向きではっきりわからなかったんですが、
頭に黒っぽい箱みたいなのを被ってたんです。「それ誰だよ、おいふざけるな!」
心霊だとは思いませんでした。だってこんなにはっきり映るなんて。

そうじゃなく、山本、柴田の他に、やつらの友だちがいて、
僕らをおどかそうとしてるんだと思ったんですよ。そう言ったら、
携帯が柴田の声に変わって、「ただホコリだらけの廊下があるだけですよ。
 俺らを怖がらせようとしてるんでしょ。やめてくださいよ。せっかく実験してるのに」
怯えてるのを無理に強がってるような声でした。ええ、お互いに疑心暗鬼になってたんですね。
画面のやつがゆっくりふり向いて立ち上がりました。
顔にはやっぱり、いびつな四角形をした真っ黒い箱みたいなのを被ってて、
どんどんカメラに近づいてきて・・・ こっちのメンバーが皆立ち上がり、
それと同時にカメラが放り出されたような映像になって、中継が途切れたんです。
「おい、どうした、もしもし!」携帯が圏外になってました。
でもね、それもありえないんです。つながることは何回か確認してたし。

「どうしよう」 「やつら、俺らをビビらせようとしてふざけてるんだろ」
「行ってみなくてもいい?」 「車はないし、あっても向こうまで2時間近くかかるし」
「しばらく待ってれば、意気揚々と戻ってくるだろ」こんなことを言い合ってましたが、
その日は戻ってきませんでした。それで12時過ぎに解散したんですけど、
2人の携帯はずっとつながらないままで。
次の日の朝になって、山本のほうにつながりまして、
「お前らが変なことを言うんで怖くなっちゃったじゃないか。あのとき、
 投光機が急に消えて真っ暗になったんで、柴田といっしょに車に逃げたんだよ。
 同時に携帯もつながらなくなってしまって、こっちに帰ってきても調子がおかしかった。
 あの家の中には絶対に人なんていなかった。お前らを担いでるってこともないよ。
 そっちこそ、俺らを怖がらせようと思ってあんなことを言ったんだろ」

「柴田とはこっちに戻ってきて、朝までゲーセンにいて別れた。今は寝てるんじゃないか」
こういう話でした。でも、柴田の携帯のほうはまだつながらないままで。
心配だったんで、午後からアパートの部屋に行ってみたんです。
そしたら、部屋のドアが開いてたんで、入ってみました。
ええ、ノックとかしないし、勝手に入って飲んでるなんてこともありましたから。
そしたら、玄関に靴が一個もなかったんですよ。普段は乱雑に散らばってるのに。
で、部屋の中もきれいに片付いてて・・・真ん中にぽつんと、黒い箱があったんですよ。
あのビデオカメラの中のやつが被ってた・・・「これやっぱ柴田がふざけてやったのか??」
と思いまして、手にとってみると、かなり古い新聞紙でした。
箱形に組んで、外側を墨かなんかで黒く塗った。わけがわからなかったです。
内側の新聞、それが全部同じ写真で。ええ、同じ日の新聞を何枚も重ねてあるんです。

でね、その記事なんですが、昭和40年代の、前に話した殺人事件のものだったんです。
はい、次男が一家を皆殺ししたときのです。それに気がついたときには、
ゾーッと背筋が寒くなりました。それとね、机の上に柴田のスマホがあったんですが、
金づちで叩いたみたいにぐじゃぐじゃに壊れてて。
スマホを持たないで外出するようなやつじゃないんで、これは気になっています。
どういうことなんでしょうか。やっぱり柴田たちのイタズラで、
カメラ、投光機の他にこれ被ってるやつがもう一人いた・・・
でも、こんな古い新聞を何枚も集めるってたいへんですよね。
わざわざ見えないところにそんな仕掛けをしたって意味ないような。
まあ、休みがまだあるので、実家に帰ってるのかもしれません。大学が始まったら、
山本ともども詳しく事情を話してもらいますよ。洒落になんないですから。

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「崇」と「祟」

2015.08.27 (Thu)
この題名を読まれた中には「ははあ、あの話だな」と察知された方もおられるでしょう。
井沢元彦氏の『逆説の日本史』の中に出てきて有名になりましたが、
元々識者の中では知られていた内容です。
ウエブ辞書を引きますと、「崇」の字義は1、気高くたっとい 2、たっとぶ、あがめる
「祟」については、1、神のたたりをうける 
ということで、似ていますが異なる字です。

さて、昔の天皇には諡号(しごう)というものがありました。
これは天皇の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことで、
元々は中国の風習でした。諡号には国風諡号と漢風諡号とがありますが、
必ずしもすべての天皇にあるわけではありません。
平安時代の前期ころに、どちらも慣習が絶えています。
また現在言われる「昭和天皇」というのは、諡号というより追号(帝号)と言うべきものです。

今回お話するのは、この諡号の中でも漢風諡号に関することです。
『日本書紀』の本文には、
漢風諡号の神武天皇、仁徳天皇などの語が出てくることはありません。
これらは、淡海三船(皇族、漢詩人)によって、760年代に、
一括して撰進されたという説がありますが、必ずしも確証があるわけではありません。
前述した井沢元彦氏は、この淡海三船撰説を疑っておられますが、
かといって、それに有力な反証があるということでもないのです。

この漢風諡号の中で、生前に不幸な境涯に落ちた天皇に対して、
「崇」の字が意図的に与えられているという話があり、
これは自分は間違いないような気がします。
「祟る・祟られる」という意味がかけられているのだと思いますね。
ざっと見ていきますと、

崇神天皇・・・第10代天皇であり、事績が詳しく記載されているため、
それまでの天皇(欠史8代)とは違って、実在性が高いと見るむきもあります。
全体的には強権をもってよく国を治めたといった書き方をされていますが、
神のたたりを受けて疫病が蔓延した、といった話も出てきます。
この崇神天皇をして、怨霊信仰がわが国に現れた初めであると説く論もあります。

崇峻天皇・・・第32代天皇(553年?~592年)蘇我・物部戦争のころの天皇で、
聖徳太子とも同時代なのですが、なんと蘇我馬子の手によって暗殺されてしまいます。
これはわかっている中では、天皇が臣下によって弑せられた唯一の例です。
もともとは蘇我氏により擁立されたのですが、その支配を嫌って、
献上された猪に「自分が憎いものの首をこのように斬りたいものだ」そう言って、
目に刀を突き立てた。これを聞いて危機感を覚えた馬子が、暗殺者を差し向けたのです。
『日本書紀』の暗殺の記述があまりにも淡々としていること、
蘇我馬子の罪が追求された様子がないことから、さまざまな説が出されています。

崇道天皇・・・(750年?~785年)皇位継承をしていないので、
天皇の代数には含まれていません。奈良時代の人物ですが、
早良皇子、早良皇太子と呼ばれることが多いです。母親の身分が低く、出家していたところ、
諸事情により還俗して太子になりました。しかし、藤原種継暗殺事件に連座して廃太子され、
淡路国に配流される途中、絶食して憤死したと言われます。

この早良皇太子と、天皇呪詛の嫌疑で暗殺?された井上内親王の怨霊によって、
皇族・貴族の相次ぐ死、疫病の流行、洪水などが起こったと考えられ、
鎮魂の追供養を何度か行った後に、崇道天皇と追称されました。
この早良、井上両怨霊のために平安遷都が起こったとする説までありますね。

崇徳天皇・・・(1119年~1164年)第74第天皇。
崇徳上皇、讃岐帝などとも言われます。院政期でしたので、幼くして天皇になり、
若くして上皇になりますが、保元の乱に関連して、讃岐の国に配流されます。
天皇または上皇の流罪というのは、史上およそ400年ぶりのことです。
この配流先で、上皇は仏教一途の生活を送っていたようで、
極楽往生を願い、五部大乗経(これは墨で書いたという説と、
血で書いたという説があります)を写し、
完成した写本を京の寺に収めてほしいと朝廷に差し出したのですが、
後白河法皇が呪詛ではないかと疑い、突き返されてしまいました。

激怒した崇徳上皇は、その場で舌を噛み切って、
戻ってきた写本に「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」
「この経を魔道に回向す」と血で書き込み、爪や髪を伸ばし続け、
ついには生きながら天狗になったと言われます。
最期は暗殺されたとする説もあります。

まあ、このあたりのことは『保元物語』という軍記物に書かれている内容で、
『平家物語』の那須与一の扇の的なエピソードなのかもしれません。
(学問的には与一の実在すら立証できていません)
真偽に関しては諸説ありますが、後代に、
わが国に祟りをなす大怨霊として見られたことは確かです。
『太平記』には、怨霊の首魁である金色の鳶として登場しますし、
上田秋成の『雨月物語』の「白峰」の段も有名です。

さてさて、この他にも「徳」の字が諡号についた天皇も不幸な境涯を象徴されている、
とする説もあり、この崇徳天皇、顕徳天皇、順徳天皇、
平家滅亡の際に入水した安徳天皇あたりはたしかにそうかもしれませんが、
古代の懿徳天皇、民のかまどの煙が立たないのを憂えた仁徳天皇などの例もあり、
すべてがそうなっているとも考えにくい気がします。
井沢元彦氏はこの「徳」字鎮魂説も一つの論拠として、
聖徳太子怨霊説を展開しているのですが、
自分は、そこまで言えるかのなあと疑問に思いますね。

『怨霊と化した崇徳上皇』(歌川芳艶)






オカ板百物語のお知らせ

2015.08.27 (Thu)
2cオカ板恒例の百物語のお知らせと投稿のお誘いです。
昨年も当ブログで宣伝しておりまして、ネラーの一人として今年も再び。
(http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1438097765/)
上記が準備スレのURLです。直リンすればいいんでしょうが、
どうせ専用ブラウザがないと見にくいだけなので。

語り部エントリー募集中
~百話の怪談を語り終えると本物の怪異が現れるとされる……そう、あなたの一話によって~

1.開催日時
2015年8月29日(土) 19:00より開催
2.参加の形式
本人投稿・・・当日、エントリーした順番になったら
       ご自分で本スレへお話を投下していただく形式です。
代理投稿・・・当日都合や規制で参加できない場合、
       運営があらかじめお話を預かり代理で投稿いたします。
3.投稿フォームアドレス
代理投稿を希望される場合は、こちらから直接原稿を送っていただいても構いません。
http://www9.atwiki.jp/100mono2015/pages/12.html
4.参加方法
名前欄にコテトリ(※)をつけて、『このスレに』下記のテンプレートを使用し書き込んでください。
書き込めない場合は、
避難所(ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/computer/22553/1408190659/)
へお願いします。
その後の誘導に従い、エントリー表に名前が載った時点でエントリーは完了となります。

※:トリップとは掲示板の名前欄に#好きな文字列(#は半角数字)を入れることです。
(例)百物語#100物語 → 百物語◆0RMolF8aAM …書き込むとこういう表示になります。

お話投下の際の注意点  
 
◆受け付けできないお話
1.本人以外の創作話
2.すでに公開されているお話のコピペ
3.物語形式ではない「詩」や「怪文」など
4.読んだら死ぬ、呪われるなどの「自己責任系」
5.個人の特定ができるもの(個人名等)や誹謗中傷に当たるもの
6.過度のエログロ等
◆お話の長さや原稿について
1.最大4レス(1レス最大32行)程度にまとめていただけると助かります。
2.お話の最後には必ず【終わり】や【了】などを付け、終了が分かるようにしてください。
◆創作の可否について
実話っぽければ創作でもOKですが、場を白けさせない為にも、
創作であることを明かさない様にお願いします。
◆当日の注意点について
当日参加できなくなった場合は、その旨をスレか避難所にてお知らせください。
代理投稿フォームより原稿を送っていただければ代わりに投下いたします。

また、当日スレにて進行役の呼び出しがあります。
この点呼にお返事がない場合、また、お話の投下途中で5分間反応が見られなくなった場合、
「神隠し」として処理いたします。
何か投下途中で問題が生じた場合、すぐに雑談スレか避難所にご報告ください。

※:神隠しとは?
本人投稿の語り部さんが当日現れず、順番を飛ばすこと。

参加希望の方は以下テンプレの該当項目を埋め、コテトリ付で書き込んでください。
百物語当日のエントリーの方は直接このスレへどうぞ

■参加者エントリー用テンプレ
【ハンドルネーム】
【投稿形式】直接投稿/代理投稿
【投稿本数】話
【希望エントリーナンバー】話
【事前にメールフォームでの預け入れの可否】可/不可
【その他】
※希望エントリーナンバーは、ある程度余裕をもたせてください。
 また、あくまで目安なので運営側で変更する場合があります。

<簡易エントリー表>
01:★   21:◆   41:○   61:○   81:○
02:★   22:★   42:★   62:○   82:○
03:★   23:★   43:◆   63:○   83:○
04:◆   24:★   44:★   64:○   84:○
05:★   25:★   45:○   65:○   85:○
06:◆   26:◆   46:★   66:○   86:○
07:◆   27:○   47:○   67:○   87:○
08:◆   28:★   48:★   68:○   88:○
09:★   29:★   49:○   69:○   89:○
10:◆   30:◆   50:★   70:★   90:○
11:★   31:★   51:○   71:○   91:○
12:◆   32:○   52:○   72:○   92:○
13:★   33:★   53:○   73:○   93:○
14:◆   34:○   54:○   74:○   94:○
15:★   35:○   55:○   75:○   95:○
16:★   36:◆   56:○   76:○   96:○
17:◆   37:★   57:○   77:○   97:○
18:★   38:◆   58:○   78:○   98:○
19:◆   39:★   59:○   79:○   99:○
20:★   40:◆   60:○   80:◆   100:○

○=エントリー可能  ★=本人投稿  ◆=代理投稿

(2chオカルト板「百物語2015スレ」よりコピペ)

上の表は8月27日(木)のものですので、まだまだ投稿の余裕はあるようです。
当日の飛び入り参加もたぶん大丈夫だとは思いますが・・・
実は自分は話を投稿したことはないのですが、拝見させていただく予定ではいます。






面打ち師

2015.08.26 (Wed)
* ナンセンス話です。

あーどうも、バーのマスターをやってるYと言います。
こないだからの一連の出来事について、ここで話ししてこいって言われて来ました。
ええと、うちのバーなんですけど、地下にあるアクアリウム・バーなんですよ。
ほら、最近結構見るでしょ。店内に大型の水槽があって、海水魚なんかが泳いでる。
あれなんですよ。もちろんオーナーじゃなく、雇われですけどね。
地下の店の中に、何十トンも水量のあるコンクリ製の水槽があって、
それ見ながら酒飲めるってコンセプトで。
水槽や生き物の管理はバーのスタッフじゃなくて、専門の業者がやるんです。
メンテナンスを委託してて、そっちのほうには俺はノータッチ。
いやあ、そりゃ費用はかかってるでしょうが、日本全国にある水族館は採算取れてるでしょ。
例えば店にバンド入れたりする人件費に比べりゃ安いはずです。

でね、店はオープンして4ヶ月なんですが、客入りはまずまずでしたね。
赤字ってことはありません。けど、先月あたりからねえ、ちょっと問題が起きたんです。
ええ、カラフルな小魚がいるのは大きな水槽じゃないんですが、
店で一番の大水槽。これはアクリル面だけでも30平方mくらいあるんです。
そこで飼ってるのは、小型のサメやウミガメです。
テーブル席の背面ずっとに広がってまして、客が酒飲んでる横を、
1mくらいのサメや亀がスイーッと泳いでいく。
まあ店の一番の売り物なんですが、ときおりね、
妙なものを見たって言い出すお客が出てきたんです。ええ、青い照明を入れた水槽の中を、
白い着物を着た人が横切っていたっとか、サメの腹のところに子どもの顔が見えたとか。
気味悪い話でしょ。でも、そのときはまだスタッフは誰も見てなかったんです。

ところがねえ、2週間前、俺自身が見ちゃったんです。
明け方の3時ころでしたね。その日の客がはけて、
簡単なそうじゃ洗い物をして帰ろうかってとき。各テーブルを見て回ってましたら、
なんか水槽から視線を感じる。まあ、照明の具合で自分の顔が映ってるってこともあるんです。
それだと思ってたんですが、どうにも気になってアクリルの面を見ると、
でかい口を開けた女が・・・女だと思いますよ。
長い髪が海水の中でうねってましたから。客の言ってたとおりね、
白い経帷子みたいなのを着た女が、どろんと濁った目をして大口を開けたまま、
横切っていったんです。恥ずかしいですが悲鳴をあげちゃって。
それでオーナーに相談したんです。そしたら俺の言ったことを信じてもらえましてね。
しばらく店を休みにして、知り合いの霊能者を派遣するからって言われました。

それで来たのが、「面打ち師」って呼ばれるやつなんですよ。
歳は40代の初めくらいですかね。あんまり特徴のない男でしたが、
作業着を着てたんです。ねえ、霊能者って神主みたいな着物を着てるのかと思ったら、
なんかアクアリウムショップの人とあんまり変わんらないような。
ちょっと拍子抜けしました。でね、その人の経歴が変わってたんです。
面打ち師ってのは通称ですが、別に剣道とかやるわけじゃなくて、
霊能商売前の前歴が、能面を作る仕事だったんです。
ええ、般若とかああいうお面を、木から彫るわけですよ
それを「面を打つ」って言うらしいです。中学を卒業してからずっと、
先生に弟子入りして面打ちの修行をしてきたんだけど、訳あって霊能者に鞍替えした。
自分は、そっちのほうの才能があるって気がついたってことでした。

でね、その人が来てまず言ったのは、この付近の住宅地図を見せてくれってことで、
スタッフルームでそれ見てしばらくうなってましたよ。
竹製のものさしみたいなのを地図上に当てて、あっちこっちに動かしたりして。
でね、2時間ばかりして、「原因がわかった」って。
実はねその界隈は「〇〇会館」ってのがけっこう多いんです。
ほら、大型チェーンの冠婚葬祭の会社ですよ。ああいうのって、
同業会社の会館が同じ地域に立ってることが多くて、バーの近所にも3ヶ所ありました。
それがね、霊障の元になってるって言うんです。
そういうとこって、ホテルでやることが多い結婚式より、
葬式のほうがメインじゃないですか。でね、たいがいは地下に遺体安置所があるそうなんです。
うちのバーも地下ですから、霊が通って来やすいってことでしたね。

それとね、アクアリウムの水槽にある大量の水。
これが霊を引きつけるもう一つの要因だって言ってました。でもねえ、うちは全部海水水槽で、
よくマンガなんかでは、幽霊が出ると盛り塩とかするじゃないですか。
だから「幽霊は塩には弱いんじゃないんですか?」って聞いてみたら、
「それだと、海には幽霊は出ないことになるだろう」って返されましてね。
まあね、俺にはよくわからないんで、下手に口をはさまないで全部任せちゃおうと思いました。
そしたら、一方の壁を崩さなくちゃならないって言うんです。
これはかなりの出費だし、店もしばらく休まなくちゃならない。
それでオーナーに相談したら、「この際だから、やってしまおう」って。
この面打ち師、かなりの信用があるみたいなんですよ。
それで工事を入れて壁を崩しまして。立ち会ったのは、スタッフの中では俺だけです。

そしたら面打ち師はどうしたと思います。自分で彫ったという能面を6個持ってきまして。
ええと、俺はさっぱりわからない世界なんですが、
「こべしみ」っていう、鼻の短い天狗みたいな顔をした面。口をへの字にした怖い顔のやつですが、
それを5個と、あと「やせおんな」という、頬がげっそりこけた女の面を一つ。
それらをね、壁の中に埋めたんですよ。全部が外側に顔を向けるようにしてですが、
それぞれ微妙な角度がついてましてね。上下が逆になってたのもあります。
葬儀社の霊安室の方向を意識してるんだと思いましたが。
「こべしみ」の面に「やせおんな」が囲まれるような形でした。
どうせ聞いても理解できないだろうとは思いましたが、いちおう訳を尋ねたら、
「こべしみ」ってのは、地獄の鬼なんだそうですね。
それに対し、「やせおんな」は地獄であらゆる責め苦を受けて弱った女の顔。

これらが、地下を通ってきた霊には見えるらしいんです。
霊がそれを見ると、「ふらふらさまよい歩いていると地獄に落とされてしまうから、
 早いとこ成仏しなさい」みたいな意味を感じるということでした。
それで、霊安室に戻ってって、坊主の経を聞いて行くとこに行っちゃう。
こういう理屈みたいでした。どうやら、霊障のケースによって、
使う能面の種類や数を塩梅してるみたいでした。能面って何十種類もあるらしいです。
それから、俺が女の霊を見た大水槽、生き物を移し、水は全部抜いていったん乾かし、
「これはこれで大丈夫だろうけど、念のために」って、「とびで」という面を、
客に見えない側の壁にくっつけて、それから水を入れなおしたんです。
「とびで」ってのも、でかい目の玉が飛び出した不気味な面でしたが、
「船弁慶」とかいう能に使う、水に関係がある神様なんだそうで。

「もし、さまよって入ってきた霊があっても、これ見れば逃げていくから」って。
でね、改修にかかった費用は数百万、それと面打ち師への謝礼ですが、
そっちのほうは俺には金額はわかりません。
店のほうは3日前に再オープンしまして。今のところ、客からの苦情は来てません。
まあね、これだけのことをやって、
おさまらないんだとしたら詐欺みたいなもんですよね。
それで毎日、水槽の中をちらちら見てたんですよ。
そしたら、中に新しく入れたサメや亀、大型のブダイって魚なんかが、
「とびで」の面の前を泳いで通るとき、その面に対して、
ちょこっと頭を下げるような仕草をするんですよ。
「ああ、魚にも怖いもんだってっわかるんだな」って思って。ま、こんな話です。

ootobideのコピー
(左より 大飛出、小癋見、痩女)





手長足長

2015.08.25 (Tue)
ああ、ここで話せばいいんですか。介助、ありがとうございました。
ご覧のように車イスですので、座ったままでお話させていただきます。
頸髄損傷による麻痺で、交通事故でした。
まず、その話からさせていただきます。
2年前、夫と離婚しまして。これは夫が麻薬の密輸で実刑を受けたためです。
3歳の息子は私が引き取ることになり、
もちろん夫からの養育費はまったく入りませんので、私が保険セールスで働き、
息子は保育園に預けていました。ある日、もう夜に近い時間帯でしたが、
息子を園に車で迎えに行く途中で、黄色信号で止まったとき、
後ろにいた大型トラックに追突されたのです。
そのときのことはほとんど記憶がありません。

長い間意識を失っていて、ところどころ断片的に覚えていることがあるくらいです。
病院につき添ったのは私の母だけで、息子をのぞけばそれが唯一の身内でした。
治療の間、危篤状態に陥ったことが何度かあったそうですが、
よかったのか悪かったのか、その度に持ち直しまして、
完全に意識を戻したのが、事故から1ヶ月以上たってからのことでした。
先ほど申しましたように、頚椎の損傷で首から下がまるで動かない状態になっていたのです。
ええ、そのことがわかったときには絶望しました。
むしろそのまま死んでしまったほうがとよかった、と何度も思いました。
でも、母が息子を病院に連れてきてくれ、その顔を見るとやはり生きなくてはと思う、
その繰り返しだったんです。最初、私ができたことは、話をすること、自力で呼吸すること、
食べ物を飲み込むこと・・・不完全性の四肢麻痺という診断でした。

医師には回復の可能性が見えていたのか、何度も手術を繰り返し、
少しずつ、上半身を動かすことができるようになってきました。
ええ、ベッドで寝たまま腕をサイドテーブルにのせる、指先をわずかに動かす・・・
それくらいのことです。ただ、先生がたは私の気の持ちようと、
努力次第では、もっと回復すると思われているようでした。
約半年後、最後の手術を経て、リハビリが始まりました。
訓練室に通うことになったのです。
これは、本当につらいもので、とても想像はできないと思います。
まず腕と手を動かすことから始めたんですが、四角い積み木の上に三角のをのせる。
こんな1歳児にもできるようなことが、できないのです。
何度も泣き、その度に、やはり事故で死んでいたほうが・・・という思いが蘇ってきました。

訓練室の担当医は、木島先生という女性の方でしたが、
男まさりというか、男性よりも厳しいんじゃないかと思える方でした。
体格も普通の男性よりずっと大きく、リハビリが始まればいつも傍らにいて、
視線を外すことはありませんでした。ええ、陰では鬼婆と呼ばれているような方だったんです。
何度も怒鳴られ、その度に涙がこぼれました。
もう体はこれ以上動かなくてもいいから、退院したい、何度もそう思いました。
私が耐えることができたのには、2つの原因があったと思います。
一つは、それまでできなかったことができるようになったときの喜びです。
先ほどお話した積み木を積む訓練、これが40日かかってできたときは、
自分の目が信じられませんでした。そしてこれがきっかけとなったのか、
できることがだんだんに増えていったのです。

私は学生時代剣道部に所属していまして、中学校のとき、
周囲はほとんどが道場から来た経験者で、何もできないのは私だけでしたが、
それがだんだんに技を覚えていって、
何人もの同輩を追い越して団体戦にでることができるようになった、
そのときの体験と重なるものがあったんです。
もう一つは、他にリハビリに来られる患者さんの存在です。
母よりも歳が上のお年寄りが、泣きながらプールを歩いている姿。
私と同じく木島先生が担当されている小学2年の女の子が、
怒鳴られながら補助具を用いて歩いているときの顔。
自分も頑張らなければと、どれほど励まされたかわかりません。
それともちろん、ときおり見舞いに来てくれる母と息子です。

もう一度息子を自分の腕で抱きたい。
この思いがなかったら途中で挫折してしまっていたかもしれませんね。
あ、すみません。私の病気のことばかりで、ちっとも怖い話になっていないですね。
リハビリは午前中に行っていましたが、
タオルを訓練室に忘れてきてしまったのに気がつきました。
看護師さんに言えばとってきてくれるのですが、それも訓練の一つと考え、
車イスを押してもらって、人気のなくなった訓練室に戻ることにしたんです。
ドアを開けてもらって、私は車イスの上からタオルを探しましたら、
どういうわけか、私は近寄ることのないプールの手すりにかかっているのが見つかったんです。
もしかしたら、他の患者さんがかけてくれたのかもしれません。
手すり際まで車イスを押してもらい、全身の力を使ってタオルを膝の上に下ろしました。

これだけでも5分以上かかるのです。そのとき、波一つないプールの上に、
何かが浮かんでいるのに気がついたんです。最初の印象は「水すまし」でした。
でも、あの水辺の昆虫よりはずっと大きく、手のひらくらいもあるものが、
10いくつも水面にあったのです。「あれ、何でしょうか?」看護師さんに聞きましたが、
何のことを言っているかわからない様子でした。
「プールに浮かんでいる、生き物みたいなあれ」 「えー何もありませんよ」
見えないはずはない、と思ったんですが、それらはまったく動かず、
私の幻覚なのかもしれないと考え始めたとき、水すましたちは一斉に、
プールの中央に集まり始めたんです。「さあ、もう行きましょう」
看護師さんが車イスを方向転換させようとしたとき、「ちょっと待って」
私はそう言って、イスのタイヤの上に置いた手に力を込めました。

集まってきた水すましたちは、10数mのプールの中央でくっつき、重なり合い、
一つになっていったんです。長い長い骨ばった2本の手、それと同じくらい長い2本の足。
そうですね、一本が2m以上あったと思います。
それが、あの「丼」という字みたいに重なりあって・・・普通と同じ大きさの手のひらを、
握ったり閉じたり、足は足で水をかくような動きをしたり・・・
丼という字の真ん中にあたる部分は白くぼんやりとしていましたが、
そこにいくつもの顔が浮かんでは消え、浮かんでは消えして。
見たことのない顔ばかりで、みな苦しそうに表情を歪めていて、
リハビリをしているときの顔だとわかりました。
そのうちに、一つだけ見たことがある顔が出てきました。私がリハビリを始めた頃にいた、
おじいさんの顔です。でもその方はだいぶよくなって、自力で歩いて退院なさったはずです。

「あれ・・・見えないんですか?本当に?」重ねて看護師さんに聞いても、
「何もありませんよ」・・・
きっとわたしが幻覚を見たのだと思っていたはずです。おそらく主治医の先生にそういう報告も。
その後、精神的な検査がありましたから(笑)
でも、幻覚ではなかったんです。ええ、リハビリのときに、そのことを木島先生に話したんです。
木島先生は「おや」という顔をなさいましたが、すぐに笑って、
「あれが見えたんですか。そうですか、それはよかった」
「よかったって?」 「私もね最初に見たときは驚いたんですけど、
 ここの訓練室にいるものなんです。リハビリに来られているみなさんが作り出したというか」
「どういうことですか?」 「ほら、あなたもそうだけど、ずいぶん苦しいことを、
 泣きながらやってるでしょう。そのときの気持ちが凝り固まってできたものじゃないかな」

「・・・人の念ということですか」 「まあ、そうね」
「それで、よかったっていうのは?」 「いえね、あれを見た患者さんは、間違いなく、
 急速な回復が見られるんです。だから悪いものではないと考えています」
それからは訓練室に来るたび、それの姿を探しましたが、二度目は見ていません。
私は、腕に入る力がだんだんに強くなるのを感じていました。
そしてある日、ベッドから車イスに自力で乗り移ることができたんです。
それだけではなく、ハンドリムを回して動かすことができるようになってきています。
それと、つい先日ですが、足の指が少しだけ動いたんです。
ええ、希望が生まれてきました。
立って、歩く、希望です。それにはどのくらいの時間がかかるかわかりませんが、
あきらめません。・・・聞いていただいて、ありがとうございました。






魂は瞬時に

2015.08.24 (Mon)
* 怖い話ではありません。

やや古い(2014年6月)話になりますが、こんなニュースがありました。
『100%の精度で量子テレポーテーションに成功
テレポーテーションとは、ある地点から別の地点へと一瞬にして移動することをいうが、
そんな夢のような実験に100%の精度で成功したとオランダ・デルフト工科大学が発表! 
「量子もつれ」という現象を利用して、1つの粒子が3m離れた地点にある別の粒子へ、
光速を超える速さで情報伝達したのを確認した。これは100%確実に起きる。
次は1300m離れた地点での量子テレポテーションに挑む。』


これ以前は、古澤明東大工学部教授を中心とするグループによる、
完全な量子テレポーテーションは61%の成功率でしたので、
実験の精度が高まったということです。
このニュースの解説は、ネット上でもさまざまな科学系のホームページ、
ブログで紹介されていますので、
詳しくお知りになりたい方はそちらを参照していただくことにして、
当ブログでは、これに関してオカルトをからめた話をしてみます。

さて、まず量子テレポーテーションとは何かというと、
2つの粒子間にある「情報の伝達」のことを指していて、
実際に「物質」である量子が、ある地点から別地点に移動するわけではありません。
あくまで量子の持つ情報だけが移動するのです。
しかし相対性理論では、情報は光速度を超えて伝達されることはないはずです。
あれ、おかしいですね。

何から書いていきましょうか。まず「量子もつれ」ということになるでしょうが、
これを説明しようとするといくら書いても終わらないので、ここでは簡単に、
「量子Aと量子Bがもつれている。量子Aが右という性質を持てば、量子Bは必ず左になる」
実際はもっと複雑なのですが、こう理解しておくとわかりやすいでしょう。
この関係は、理論的には2つの量子A、B間の関係がどれほど離れていても生じます。
また、特別な観測しなければ右か左かということはわかりません。

この2つのうちのどちらかをロケットに乗せて月まで運びます。
で、月面上でその量子の状態を観測すると、右という性質を持つことがわかりました。
ということはAの量子ということです。
とすれば、地球上にあるのはBの左の性質を持った量子ということになります。
・・・確かに瞬時に情報が伝わったという形になりますね。
しかし、月面上で観測した結果を地球に伝えるためには、
電波を飛ばしてやるしかありません。
電波は光速ですね・・・ということで、これだけでは人間の役に立ちそうもないです。
古典的な通信手段を使用することから逃れられない。

そこで考え出されたのが、第三者であるCの量子を介在した実験です。
AとBのもつれた関係を、AとCに移してやると言えばわかりやすいでしょうか。
AとCを観測することにより、AとBと同じもつれ関係を作ってやります。
そうすると、瞬時にBの情報がCに伝わり(乗り移ると言ってもいいです)
BがCになり代わったように見えるのです。
現在の科学では、量子に個別の違いというのはありませんから、
Bが一瞬でCのある地点に移動したと言ってもよいわけですね。
つまり、実際に物質が移動しているわけではなく、
あくまで量子の持つ情報が移動したということなんです。

現在の実験では、この量子テレポテーションができるのは、
原子1個ほどの大きさまでですが、
理論的には人間のテレポテーションも可能になる、と言う人もいます。
まあしかし、できるとしても、これは遠い遠い将来の話でしょう。
人間並みの大きさを持つものをこの原理でテレポテーションするには、
はかりりしれない技術上の困難があると思われます。
自分としては、むしろ、空間を曲げるとか(ワープ)、
別の原理を使ったほうが早いんじゃないかという気がしますね。
当面は、量子コンピュータへの応用が研究されることになるんでしょう。

さてさて、ここまで読まれた方は、以前に当ブログで取り上げた
哲学の思考実験である「スワンプマン」の話に似ている、とお思いにならないでしょうか。
スワンプマンというのは「ある男が沼地を散歩している途中で雷に打たれて消滅し、
そのとき、偶然にも雷が沼地を直撃し、
死んだ男とまったく変わりない人間を作り上げてしまった。
スワンプマンは外見だけでなく、記憶や人格も完全に同一である。」
実は、量子テレポテーションでもし人間が送れるのなら、
送られた先の人間は、スワンプマンと変わりないことになると思います。

人間の体は、数えきれない量子で構成されています。
では別の量子を用いて、ある人物と寸分違わない、完全に同じものを作り上げたとして、
それは元の人物と同じなのでしょうか?
これは完全に哲学の問題になってしまいますよね。
さらに、人間には「魂」がある、と仮定します。
では、この量子テレポテーションで送られた人間には、魂はあるのでしょうか?
あるのだとしたら、魂は量子で構成されている「物質」なのでしょうか ww
皆さんはどう思われますか?

ああいあかおあお




二度衆の話

2015.08.23 (Sun)
ここで話を始めてよろしいんですか? ああ、すみませんな。
見てのとおりの婆なもので、しきたりやら作法がようわかりませんもので。
好きなように話せばよい? そうですか、では。
これは、とうに死んだうちの婆様から子ども時分に聞いた話で。
しかもわたしは、あのころの婆様よりも歳上になっていますので、記憶違いやら、
よくわからないところがあっても勘弁してくださいませ。
婆様は明治の、ええ40年台の生まれで、88歳で亡くなりました。
その婆様がまだ数え歳、8歳のときのことですよ。
婆様は、東北の山間の村の生まれで、さして広い村でもないのに、
谷ごとにいくつかの集落に分かれておりまして、婆様が生まれた集落は、
世帯数で20ほど、合計100人と少しの人口であったそうです。

そこの集落には二度衆というものがおりまして、これは家系の話なのです。
約20世帯のうち、3軒が二度衆の家だったのです。
ああ、差別ということも関係があります。
山間の地でしたので、田畑もわずかなものでしたが、田植え稲刈りなどのときには、
二度衆のところにも手伝いには入ります。
ただし、二度衆は村の氏神神社の境内には入れませんで、年大祭のときも、
その3軒だけは戸口を閉ざし、家の中を真っ暗にしておりまして。
それと、二度衆の家とは婚姻ができなかったのだそうです。
ですから、二度衆は二度衆どうしで縁組をして。
もともと人の多い村ではなかったですので、それは二度衆の血は細るばかりで。
あのようなことがなくとも、遅かれ早かれ血は絶えてしまったことでしょう。

いえいえ、二度衆といっても、見た目はなにも変わりはしません。
男衆が多少気が荒かったくらいのものだったそうです。
他の村人ともっとも異なるのは、葬式のときだったのですよ。
当時すでに、火葬は政府から奨励されておりまして、村にも小さな焼き場はありましたが、
これが火力が弱くて、遺骸が焼け残ろことが多かったのです。
それで、一般の村衆のところでは多くがまだ土葬でした。
山の斜面に埋めておりましたが、そのような畑地にならない土地ならいくらもありましたから。
ところが、二度衆の場合は必ず火葬にしなければならない定めでした。
それも焼き場の窯ではなく、薪をつみ上げまして、完全に白い灰になるまで焼くのです。
死んだ翌日の朝まで。これは何が何でも守らなければならない定めだったのですよ。
それで、婆様が8歳の年に、一軒の二度衆の家の娘が亡くなりました。

肺結核です。当時は大変多く、また治癒率も低かったので死病と言われていたものです。
まだ数えの17歳だったそうです。それはそれは、
子どもだった婆様の目から見ても、きれいな方だったということです。
でな、亡くなった知らせが入りますと、村の主だったもの総出で、
そこの家をお訪れ、遺骸を棺桶に詰めて荷車で寺まで運び入れまして。
その頃には村の衆により、小高くなった寺の敷地の下の窪地に薪がうず高くつまれておりまして、
ええ、夜明けと同時に死んだ娘を焼くことになっていたのです。
婆様は子どもでしたから、娘の通夜には10時頃まで親と一緒にいて、
その後、家に戻って寝たそうです。事件はその夜半にかけてあったんですよ。
娘の遺骸は、寺の奥の間に寝かされて村の衆がかわるがわる見張りに立っていたのですが、
もうすぐ焼き方が始まるという朝の3時過ぎ、姿が見えなくなってしまったのです。

理由はすぐに思いあたったそうです。そのときに見張り番をしておった村の若い衆も、
一緒に姿を消しておりましたから。その男は二十歳をいくつか過ぎたばかりで、
死んだ娘に懸想している、という噂があったのですよ。
まあ、今から考えればなんとも気の毒な話で、
お互いに想い合っていたとしても、村のしきたりで祝言はできず。
かといって手に手を取って逃げ出しても、当人らはいいかもしれませんが、
残された家族は家族で村八分のきつい目に合わせられる。
ですから、薄情なような話ですが、娘が結核にかかったのは、
一つの天の配剤と、村の衆の多くが思っておったそうです
すぐに寺の周囲を探しましたが、男があらかじめ支度してあったものか、
姿かたちもなし。ま、そこらここらに深い藪のある土地だったそうですから。

おろおろしている和尚を尻目に、集落の長が集まって、
山狩りの隊を組織しまして。ええ、そこいらは集団で猟をする、
鉄砲を持った方が大勢おられるところでしたから。
ただ、二度衆の場合は、獣に対する巻狩りのようなことは通用しません。
生きたものではないのですから。本能的な行動はしないのです。
息もしなければ、草で手足を切っても、転げて脚を折っても痛くもないのです。
しかし、そのときは生きた村の男も一緒に行動しておりましたから、
その男を追えば、娘の遺骸も見つけられるだろうと考えたわけです。
ところが、そのあてはすぐに外れてしまいました。
娘が死んだ翌日の夕方には、逃げた男の死体が村外れの湿地で見つかったのです。
ものすごい力で引っ張られたらしく、男の四肢の関節は外れ、首がなくなっていたそうです。

夜間はどこの家も、厳重に戸締まりをして寝ずに過ごした翌日、
次の手が打たれました。死んだ娘の両親。
・・・といっても母親はとうに亡くなっておりまして、父親だけですが、
大急ぎでこしらえた木の檻に入れられまして。
いやこれは、本人は納得ずくの行動でありましたでしょう。
山のとば口まで運ばれ、そこで檻の中から大声で娘の名を呼ぶわけです。
まわりをぐるりと鉄砲を構えたマタギ衆が囲みまして。
朝から娘の名を叫び続け、声も枯れ果てた過ぎ、山から娘が下りてまいりまして。
白い経帷子は血泥で汚れ、肌は青紫に近く変色し、片手には男の首を下げておったそうです。
もうおわかりでしょう。二度衆とは二度生きるという意味です。
それも二度目は人ではないものとして。

娘の足取りはしっかりしたもので、生前、死病で長く寝込んでいたとは、
とうてい思えないものでした。周囲のマタギ衆の銃口にも、
動じる風はなかたっということです。そこらへんの判断はできなくなっていたのでしょう。
娘は傷んだ魚のような両眼を見開き、檻に近づいていきまして。
そのときの父親の心境はいかばかりでしたか。
マタギの頭の合図で、鉄砲衆が囲んだ距離を詰め、ライフル銃が一斉に火を吹いて、
娘はその頭部のおおかたを失ってその場に倒れたのです。
マタギの何人かが散弾銃に持ち替え、近寄って娘の体を撃ちましたが、
その必要はなかったようです。三度目はないことになっていたのです。
和尚がおそるおそる近づいて経を唱えだし、傍らに放り出された男の首は回収されました。
まあ、このようなお話なのです。

これはもちろん、子どもだった祖母が目撃したことではありませんので、
大きくなって周囲の者から聞き知ったものだと思われます。
ですから、中には事実と異なっている部分もあるでしょう。
さらには、また聞きのまた聞きですからねえ。これは10歳ころ、夜寝つけなかったわたしが、
婆様に寝物語をせがんだ末に、ぽつりぽつりと離してくださったものなのです。
どうして子どものわたしに、このような怖ろしい話をなさったのかわかりませんが、
もしかしたら、その時代のこと、その娘のことが、
風化して忘れ去られるのが惜しいような気もあったかもしれません。
村のその後ですか? ええと、その娘の父親と年下の弟は、
何年か後にやはり結核にかかって亡くなったそうです。
その家は絶えてしまったわけでございますね。

残る二軒の二度衆の家ですが、太平洋戦争が始まってすぐに、
息子たちは招集され、そのまま帰ってはきませんでした。
娘らも、憲兵隊が村まで来まして、連れ去ったということです。これも行方は知れません。
ですから、それらの家も絶えてしまったのだと思われます。
それどころか、戦争の末期に、兵隊が大勢村を訪れてきて、
婆様たちは強制的に近くの村に移住させられてしまったのですよ。
なんでも、戦局を大きく好転させることができる可能性のある鉱物、毒石が、
集落の奥の山にあるかもしれないという話だったようです。
しかし、それは見つからな方かったのでしょう。戦争は負けてしまいましたからね。
・・・このような話で謝礼がいただけるのはありがたいことです。
孫たちに好きなものを買ってやることができます。では、これで。








江戸の神秘コレクター

2015.08.22 (Sat)
*怖い話ではありません。

関連記事 『史上の霊能者』

前に「史上の霊能者」という記事を書きまして、
そこでは安倍晴明、小野篁などを取り上げましたが、
これらの人物はフィクションの主人公として設定されることが多く、
いくつもの小説やマンガ作品をあげることができます。
ところが、非常に霊的な生涯をおくりながら、
これまでフィクションにはほとんど登場していない、日本史上の著名な人物がいます。

平田篤胤ですね。この人は、神秘思想家と言っていいほどの霊的な研究をしています。
それも当時としてはきわめて体験主義的なものです。
小説に登場しないのはなぜなんでしょうかねえ。
彼が生きた幕末という時代は魅力的だと思うのですが、
国学という言葉の響きが、硬さを感じさせるのでしょうか。

歴史ブログではないので、簡単に紹介しますと、1776年生~1843年没。
当時としては長生きなほうでしょう。出羽久保田藩(現在の秋田市)
に武家の四男として生まれ、20歳で郷土を出奔し、
江戸在住の山鹿流軍学者の養子となります。本居宣長の死後の門人として、
膨大な量の著作をものしました。
荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学四大人の中の一人とされ、
その思想は、幕末の尊皇攘夷の支柱となったと言われます。

さて、篤胤の学問の基本姿勢として、死後の世界や魂のゆくえについて、
確たる考えを持っていないと、根無し草のように心が安定しないと書いており、
まずそこを確固たるものとするために研究の嚆矢とする・・・
これはなかなか考えさせられる部分です。
現在では、自然科学、社会科学と、死生観は切り離されていて、
霊や魂、死後の世界などは個々人のとらえ方の問題とされることが多いと思いますが、
それとは対極にある考え方なんですよね。

その著作『幽冥論』によると、本居宣長などは死後、黄泉の国に行くという、
伝統的?な神道の考え方でしたが、篤胤は生と死は区切りあるものであるが、
生の世界と死後の世界はつながっている(というか、重なり合っている)と考察しました。
死者の魂はこの世から離れても、人々の身近なところにある幽界にいて、
現世のことを見ており、干渉することもできるというような考え方です。

まあ、ここの部分は難しいのでこれくらいにしておきますが、
篤胤の考え方によれば、この世に怪異や不可思議があっても当然なわけです。
神や物の怪、天狗などが、ひょいとこの世に現れて神秘を顕すことができるのですね。
このような考え方から、篤胤は実際にあったという怪異の収集を始めました。
次の三つの事件が有名です。

『勝五郎再生記聞』・・・いわゆる輪廻、生まれ変わりの話です。
勝五郎は現在の東京・多摩地区に住む少年でしたが、
生まれ変わりの記憶を母に話しました。それによれば、前世の名前は勝蔵で
、一里半ほど離れた別の村で暮らしていましたが、
6歳で亡くなりました。勝五郎は夜ごと、
母親に「前の両親に会いたい」と訴えました。

困った母親がその村に連れて行くと、
かつて住んでいた家をあっさり言いあてただけではなく、
「あの木は前はなかった。この屋根もなかった」と家の変化を正確に
指摘したそうです。それに驚いたその家の人たちは、
勝五郎を勝蔵の生まれ変わりと認めるしかなかったということです。
・・・篤胤は現地に赴いて詳しい調査を行い、
少なくとも勝五郎が実在の人物であるのは間違いないようですね。

『稲生物怪録』・・・これが一番有名かもしれません。篤胤の著作というより、
広く流布して世に広めたということのようです。
備後三次藩(現在の広島県三次市)の藩士、稲生平太郎が、
30日間にわたって体験したという、妖怪にまつわる怪異をとりまとめた話です。
平太郎はすべての妖怪を動じることなく撃退し、最後には魔王、
山本(さんもと)五郎左衛門から勇気を称えられて木槌を授かります。
平太郎の子孫は現在も広島市に在住、『稲生物怪録』の原本も同家に伝えられ、
なんと木槌も、国前寺に実在しています。
これはじつに奇怪な話で、水木しげる氏も漫画化しています。

『仙境異聞』・・・ 江戸市中に寅吉という15歳の少年が現れ、
不思議な術を使うと評判になり、その話によると、もともと占いに興味のあった少年は、
7歳のときから山人(仙人)に連れられて空中を飛行し、
江戸と常陸国の岩間山との間を往復し、修行して幾多の術を身につけたということです。
これを聞いた篤胤は、保護者のところから、
寅吉を半ば強引に自分の家に連れてきて数年間住まわせ、
神仙界の様子を事細かに問いただして著作としたのです。
また寅吉に書かせた神仙の姿絵を家宝とし、
自らの著作と手紙を寅吉に託して神仙の元へ届けさせました。

国学というと、本の山に埋もれて神話などの研究をしているという印象ですが、
篤胤の好奇心と行動力はたいしたものです。生涯にものした著作は百数十冊。
Wikiには『何日間も寝ずに不眠不休で書きつづけ、疲れが限界に来たら、
机にむかったまま寝て、十分に寝ると再び起き、また書きつづけるというものだった。』
このようにありますので、エネルギーの人だったんですね。

今回紹介した他にも、神薬、易、遁甲、古暦・・・なんと蘭学に関する著作もあります。
自分に関係あるところでは、九州の古墳内から筆写された神代文字(筑紫文字)
の研究も有名です。ちなみに篤胤は、最初のうちは神代文字否定論でしたが、
だんだんに肯定論へと変わっていきます。
篤胤はその晩年に、江戸幕府の暦制を批判した『天朝無窮暦』を出版し、
幕府の癇に触れ故郷の秋田に帰参するよう命じられ、以後の著述を禁止されました。
これで生きる意欲が萎えたのか、その2年後、68歳で病没するのです。

『仙境異聞』七生舞






濃霧の中で

2015.08.21 (Fri)
山の中の濃霧は、登山界ではガスと言うことも多いですね。
ひどいときには、まったく視界を失って遭難の原因となることもあります。
実際、すぐ目の前を行く人の後頭部や、
自分のはいている登山靴さえ見えなくなることもあるのです。
登山をしない人でも、飛行機が雲海に突っ込み窓の外が一面に白くなるのを、
見た経験がある方もいるのではないでしょうか。霧と雲は基本的には同じものです。
「五里霧中」という故事成語があります。
国語の試験問題に出て、「夢中」という誤答例が紹介されることがありますが、
「五里霧」は五里四方に立ち込める深い霧という意味で、
中国の正史の一つである『後漢書』に初出します。
今夜させていただく話は、こうした山中での濃霧に関するものです。

体をつかめ

山行、この場合は近代的な登山ではなく、山菜採りや渓流釣り、
猟などで山に入った場合の山人の心得ですが、一寸先も見えないような濃霧の中では、
行動をせずに晴れ間を待つのがベストです。
しかしなかなかそうも言ってはいられません。時間的な制約もあり、
どうしても先へ進まなければならない場合、
例えば4人同行であれば、リーダーが先頭に立ち、
後ろの3人は両手を空けて前の人の腰をつかんで、そろそろと行動をします。
このとき、ザイルを伸ばしたものをつかんだり、
前を行く人のザックをつかんだりするのはあまりよくないことのようです。
こういう話があります。あるとき4人の一行が、冬に集団で巻き猟をした帰り、
ひどい濃霧に出くわしました。そこらの山塊一体がつつまれてしまったのです。

リーダーの指示で、先にお話したように一列縦隊になり、前の者の腰をつかんで、
そろそろと下っていったのですが、3番目の男は手に獲物のウサギを下げておったため、
前の者の腰から手を離してザックの一部をつかんでしまいました。
そのまま20分ほど下ったところで、前の者がまったく動かなくなったのです。
視界はきかなくとも、ザックをつかんだ感触は間違いないので、
「おおい、どした。なんで止まっとる」と声かけをしても返事はなし。
今度は最後尾の者が声をかけましたが、やはり同じでウンともスンとも言わない。
そこで手探りでザックの前を探ってみると、驚いたことにザラザラとした木の感触。
立木がザックを背負っているとしか思えませんでした。
しかし、そんなことがあるはずはない。それはそうでしょう。
そこまで前の者をつかんで、立ち止まりもせずに歩いてきたんですから。

これは何かに化かされていると感じた男は、後ろの男に、
その場に腰掛けるように言い、2人でブカブカと煙草をふかし始めました。
物の怪や獣の化かしには、煙草の煙がよいとされていたのですよ。
そうして、霧が晴れるのをじっくりと待ちました。
視界が回復してびっくり仰天、やはりさきほど手さぐりしたとおりに、
大きなブナの木がザックを背負った形になっていたのです。
そして、そのザックは2人目の男のものに間違いはありませんでした。
ためすがめつ調べても仲間のザックなので、少々気味悪くとも持って山を降りました。
幸いなことに、前にいた2人もすでに山を下りて里に入っていましたが、
2人目の男のザックは当然ながら、なし。両腕を通して背負っているものが、
本人が気づかないうちにするりと脱げてなくなってしまっていたのです。

反魂

このような濃霧の中では、何かがくるとも言われます。
何か・・・とは、前の話のようにキツネやタヌキなのかもしれませんし、
あるいは人や獣どころか、この世のものではないかもしれません。
やはり猟をしていた5人組が、山中で濃霧に遭遇し、
前の者の腰をつかんで、そろそろとムカデ歩きをしていたときのことです。
最後尾の男が、「おやあ、何か来た」と声を出しました。
こういう場合、前に立つリーダーは、「何も来ねえ、気をしっかり持て」
と声をかけます。仮に他の登山者が後ろにいるのだとしても、
何もしてやることはできませんし。お話したように、
来たのがこの世のものとはかぎらないからです。
「うんだな」最後の男はつぶやきましたが、またしばらくして、

「何か来た、何か来た」と叫びました。「何かが俺の腰に取りついとる!」と。
リーダーが「何も来てねえ」とまた言い、残りの者も「んだ。何も来てねえぞ」
と復唱します。最後尾の男は黙りましたが、またしばらくして、
「来たぞ、来てるぞ。女の手だあ。こらあ俺の女房の手だろう」
これを聞いて皆はぞっと背筋が寒くなりました。
男の女房は去年の冬に肺炎で死んだのを知っていたからです。
それもちょうど今頃の時期に。「〇〇さぁ」最後尾の男はリーダーの名前を呼びました。
「俺、ここに残ってもいいかあ。女房が来てるようだども」
「ダメだあ!」リーダーが叫び、残りの者も復唱します。
「おめえの女房はもう鬼籍に入っとるだろうに。そら、おおかたメス狐だろうて」
リーダーはそう言うと4人目の男の名を呼び、

「□□が離れねえようにおめえ、手首を引いてやれ」こう指示したのです。
しばらく進むとまた、最後尾の男の声が聞こえて、
「今よう、俺の女房が隣について歩いておる」こんな内容です。
リーダーは「この霧じゃあ見えるわけがなかろう。そら、この世のもんではねえから」
そしてひときわ声を張り上げて、「オン アビラウンケンソワカ」と唱えました。
そのあたりの山はいわゆる霊山でもあり、修験者の姿を見かけることも多く、
猟師連中も真言(マントラ)を知っていたのです。一行はそのまま、
「阿 毘 羅 吽 欠 蘇 婆 訶」と地水火風空の真言を唱和しながら、
ムカデ姿のまま、ゆっくりとゆっくりと山を下ったのです。
もしもはたから見ることができれば、さぞや異様な光景だったことでしょう。
ともかく、そうしているうちに霧は晴れ、一人の脱落者も出さず戻ることができたそうです。

遊郭

前の話で、最後尾の男に働きかけてきたものは何だったのでしょう。
キツネやタヌキなど山の獣がちょっかいを仕掛けてきたのでしょうか。
そうかもしれませんし、本当に、男の死んだ女房が姿を見せたのかもしれません。
そうです。このような濃霧のときには、この世とあの世の道がつながるということも、
けしてないとは言えないでしょう。
さて、前の話ではリーダーがしっかりした山の男だったので、
無事に戻ることができたのですが、そういうケースばかりではありません。
リーダーには歳はあまり関係がなく、仲間に信頼のあるものがなるのです。
せまい集落で生まれ育ったものどうし、気性は子どもの頃から知っているわけですから。
ただし毎回そううまくいくとも限りません。
そのリーダーねらわれてしまうこともあるのです。

やはり霧の中で、4人がそろそろとムカデ歩きをしておりますと、
まったく視界がない中ながら、どうも道が違うような気がしてきました。
そこで2番めの男がリーダーに、「これはどうも道がおかしくねえか」と聞くと、
「これでええんじゃ」という答え。まあ、一本道のはずですから気のせいかと思ったものの、
やはりおかしい感がある。そのうちに下ってるはずの道が登り始め、
これは絶対におかしいと後ろの3人は確信しました。
「〇〇さあ、これで本当にええんか」とリーダーに呼びかけると、
「ええんじゃよ。もうすぐ着くし、着いたらまずはゆっくり風呂につかろう」
これを聞いて仰天「風呂って何のことだ? 温泉は山の向こうだろうが」
そう言うと、「うんにゃ温泉でねえ。△△閣だって」 「△△閣!?」
皆が絶句したのも無理はありません。

それは大正時代、そのあたりが木材の集積地だった頃にできた遊郭の名前ですが、
なくなってからもう数十年がたっていたのですから。
リーダーにしても子ども時分の話で、△△閣に入ったことがあるとは思えませんでした。
「おめえ、こら、気をしっかり持て。△△閣など、そんなものはもうどこにもねえ」
一行は止まって、リーダーを無理矢理に交代させ、
いっそうぴったりとくっつくようにして山を下ったのです。
後になってから、途中までリーダーを務めていた男に、
「おめえ、何であんなことを言った?」と聞いてみましたら、
発言そのものは覚えてましたが、そこからは自分でもわけがわからない様子で、
「△△閣はなあ、確かに子ども時分に何度か前を通ったことはあるがなあ。
 夜でもたくさん明かりがついて、きれいだったなあ」こんな述懐をしました。








2015.08.20 (Thu)
大阪で占い師をやっているBという者です。よろしくお願いします。
自分のことではなくて、友人の話なんです。いいですか? ああ、じゃあ。
実はその友人なんですが、約1ヶ月前から失踪してるんです。
いまだに見つかっていません。自分とは大学の同期なんです。学部も専攻も同じ。
彼はその後、関東の大学院で修士の資格をとりましたけどね。
まだ若いので、東京近辺のいくつかの大学の講師を掛け持ちでやってたんです。
ええ、専攻は考古学ですが、小さな大学にはそういうコースのあるところは少ないので、
古代史の講座を持ってました。そういう形だと、大学の先生と言っても、
生活は楽じゃありません。1ヶ月前に自分が東京に行った際に連絡を取り合って、
バーで飲んだんですよ。そのときにこんな話を聞かされまして。
ああそうですね。その友人の名前は真木ということにしておきます。

今ね、少子化でどこの大学も苦しいんですよ。国立でさえ学部の統廃合が進んでて、
まして私立の小さいところは。真木がいる大学の一つも、
財政難のために市民講座を始めたんです。まあ、カルチャースクールみたいなもんです。
古代史の講座を週に120分を2コマやってるって言ってました。
受講者は老人ばかりということでしたが、これはしかたないでしょうね。
邪馬台国ブームというのがあったのは、1970、80年代頃ですか。
松本清張さん、黒岩重吾さんなどの作家も参戦して来ましたし、
手塚治虫氏の『火の鳥』・・・ 在野の古代史家の本もたくさん出ました。
それと、昔の大学や高校を出た文系の人は、今の学生よりずっと、
古文や漢文の読みがしっかりしてる人が多いんですよ。
テーマは「初期ヤマト王権の成立」まあ、3、4世紀ころの話です。

その講座に、皆勤で熱心に通ってこられる男性がいたそうです。
歳は70代後半くらいと言ってました。で、4月から夏休み前までの半期で、
形だけですが小論文の試験もやって、単位も出すんです。
その打ち上げに、ささやかな飲み会を開いたんだそうです。
いやあ、お年寄りはお金がないでしょうから、居酒屋とかではなく学食の一画で。
酒やつまみもほとんどが持ち寄りだったそうで、参加者が12名。
そこで、その老人が15年熟成の大吟醸の冷酒を持って来られたそうで。
1本5万円もするやつですよ。真木は恐縮したそうですが、老人は身なりもよくて、
帰るときには黒塗りの外車が迎えに来たそうです。ま、資産家の人ってことですね。
でね、会は8時頃に終わったそうですが、その後、老人から2次会に誘われたそうです。
うーん、社会人とは言っても学生は学生ですからね。

そういうのにあんまり付き合っちゃいけないんでしょうが、
研究について聞いてほしいことがあるって言われて、行った先が会員制の高級クラブ。
でも、ホステスらは近づけないで、個室で話したって言います。
そういうとこはよくあるらしいですよ。高級料亭もそうですが、内密の商談なんかに使う。
でね、聞いた話というのが「遠津年魚眼眼妙媛」についてです。
これね、「とおつあゆめ まくわしひめ」と読みまして、第10代崇神天皇の皇妃の一人なんです。
「豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)」の母親で、
豊鍬入姫命は初代の伊勢神宮斎宮とも言われる人物・・・ああ、こういう話は端折りますね。
でね、その話というのがなんと、遠津年魚眼眼妙媛の墳墓を見つけたって内容で。
でも、ありえないと思いますでしょう。初期ヤマト王権は基本的に奈良周辺の話ですが、
その墓は関東某所にあるっていう。まあね、こういう人は自分も何人も知ってますが、

独自研究を積み重ねて、それはもう精緻な説を持ってるんです。
ま、世間に受け入れられるかは別としてですが。老人はその墓のある土地を買って、
密かに掘ってるってことでした。これねえ、ヤバイんですよ。文化財保護法にひっかかります。
古代のものとわかってて、民間人が独自の発掘はできません。
でもね、老人が言うには「あの有名な高松塚古墳は、生姜貯蔵用の穴を掘って見つかったものだし、
 中国の兵馬俑だって井戸掘りの際に出てきた。しかも高松塚なんかは行政に報告しても、
 地域の有志が働きかけしないと、発掘もなく放置されたままだった」
確かにそうなんですが、その頃とは法律も変わってるし。とにかく一度来て見てくれ、
という老人の頼みを断りきれず、翌日の午後、老人が外車で迎えにきまして、
関東某県の郊外まで行ったんです。川のそばの土地でかなりの広さだったってことでした。
真木としては、現場を一度見てから老人に行政への報告を勧めるつもりだったんです。

でね、着いた先は住宅地からは離れてまして、地盤も軟弱。
川は長い間に頻繁に流れを変えているわけだし、水田跡とかならともかく、
墳墓でそんなに古いものがあるとは思ってなかったそうです。それに関東ですからねえ。
古墳時代は遅く始まって、長く続いてるんです。現場は、古墳というには高さがなく、
何かの工事をするって名目なんでしょう。防音パネルが張り巡らされていて。
「こんな土地、と思うだろうが、ここは戦時中は高射砲台地があったところで、
 その後進駐軍によって平削されているんだよ」老人がこう説明し、
鉄の扉を鍵で開けて中に入っていきました。車の運転手の他に人はいなかったそうです。
中には・・・奈良の石舞台って知ってますか。ええそう、日本最大の方墳で、
土が失われ巨大な横穴式石室が露出してますね。蘇我馬子の墓とも言われてます。
あれほどの規模ではなかったんですが、やはりむき出しの横穴式石室でした。

ただ真木が一見したところでは、せいぜい6世紀くらいだと感じたそうです。
横穴は通路を塞ぐ石が除かれ、老人が入ってスイッチを押すと、
中に明かりがついたそうです。電気を引いて投光機を設置してあったんでしょう。
老人を先にして羨道を進むと、すぐにさして広くはない玄室に出て・・・
これはよくある関東の古墳だろうと思ったそうですが、2つ異質な点があったそうです。
一つは玄室の壁に不可思議な記号があったことです。・・・自分も実物は見ていないので、
上手く説明できませんが、ほら、数を記録するときに「正」の字を書くことがあるでしょう。
あれは5を数えるものですが、それと同じ意図で刻まれたと思われる亀甲文字のような記号。
それが20ちかくあったそうです。数としては99。いや、刻み目は古いものに見えたそうですよ。
また、壁画はなかったんですが、奇妙な傷のような跡が無数に壁面にあったそうです。
あと中央に石棺があったんですが、この時代だと、組み合わせ式の箱型のものが多いんです。

ところがそれは一枚一枚が非常に薄い石でできていて、しかも材質が瑪瑙のような光沢を持ってた。
一種のオーパーツですね。当時ではありえない加工技術です。大きさは2mに1mほどで、
上蓋はなく、工事に使うトタン板が被せられていたんです。
老人が無言でその蓋をのけ、すると中は井戸のような深さで、老人が投光機を下ろしても、
底が見えないほどだったということです。ええ、これは古代のものだとしたら、
非常に特異ですよ。だって巨大な一枚板が4枚、ずっと底まで埋まってるってことになるでしょう。
回りの石が濡れていたので、友人がそのことを問うと、
水は普段は口いっぱいまできてるということでした。午前中にポンプで抜いたのだそうです。
真木が老人にことわって、井戸の底に小さな石を落とすと、いつまでも音はせず、
20秒ほどしてからバシャーンという大きな水音。
それからギャーッという、女性の悲鳴のような音が聞こえたそうです。

ここまでが、真木からそのときに聞いた話なんですよ。
行政に連絡するよう老人を説得したのかって言ったら、それには答えず・・・
いやあ、もしかしたら、独自の発掘調査を狙っていたのかもしれません。
老人には財力があるようだし、真木には知識がある。
地方の教育委員会にいいとこどりさせることはないだろうって考えても、
そう不思議には思えません。特にその老人のほうは、
おそらく重機を入れて土を剥がしたんでしょうから、そこまでやったら毒食えば皿までって心境で。
とにかくね、自分と飲んだ2日後から、真木の連絡が絶えてしまって。
ええ、奥さんから自分のところに連絡があったんですよ。
真木んところはまだ子どもも小さいんですよ。警察にも連絡しまして、
いちおう肩書は大学の先生ですから、それなりに捜査してもらえたんですけど見つからず。

まあ自分も、友だちのことですから、その県には何度も行きまして、
警察にもこの話したんです。ところが、大学の受講者名簿からはその老人の手がかりなし。
偽名、偽住所だったらしいんです。保険証とか提示してもらってるはずですが、
それも偽造だったんでしょうか。だとしたらかなり大掛かりっていうか、
最初から真木をはめるのをねらってたって線もあるのかと。どうしようもないので、
真木の話に出てきた地形のところを調べてみたんです。郊外の川のそばで、
戦争中に高射砲台地として使われてた・・・でも、太平洋戦争中の資料ってほとんど残ってないんです。
でね、遺跡地図を調べてあちこち歩き回って。、地元の老人に高射砲台地の話をしたら、
それらしい場所はありました。けどそこには真新しい神社が建ってたんです。
神社と言ってはいけませんね。神道系の新興宗教の施設だと思いました。鎖を回して立入禁止でしたが、
遠くから見たら、拝殿らしき建物の正面に顕額があり、そこに「百」という文字が・・・






猿病棟

2015.08.19 (Wed)
小学校の臨時講師をしています。今年の4月から、院内学級の所属になったんです。
そこは、大規模な大学付属病院の小児科で開設していて、
入院している子どもたちは、大学病院のある地区の小学校、中学校に転校する形になります。
そこの教師として、小学校は私、中学校は男の先生が派遣されてきます。
これが専任なんです。だから病院内での勤務が終わればそのまま帰宅できます。
部活動の顧問もないし、面倒な事務もほとんどなく、
最初のうちは楽な仕事だと思っていました。
でも、すぐにそうではないことがわかりました。
長期入院している子どもたちの表情は暗く、勉強を教えるということよりも、
励ましたり、子どもたちの顔が明るくなるような面白い話をしたり、
そういうことが重要だとわかってきたのです。

院内学級では、小児科のある4階に専用の部屋を用意していただいています。
普通の教室の半分もない部屋ですが、そこに来て勉強できる子は多くはありません。
まず、当然ながら病院ですので、治療や検査の予定が優先されるのです。
また、病状がよくないために、ベッドから離れられない子もいます。
ですからどうしても、ベッドサイド学習と言いますが、
自学自習が多くなってしまうんです。私は、そうした子たちのベッドを回って、
漢字の書き取りの丸つけをしたり、次の学習計画のアドバイスをしたりしながら、
声をかけ、力づけるようにしています。
中学校のほうは、先生が一人で理科の免許しか持っていませんので、
ビデオ教材を活用した授業をしています。私も、教室に来られる子の学年はさまざまなので、
ビデオや教育テレビを見せることもあります。

4月の第2週のことでした。その日は朝から教室に行って、
あまり天気がよかったので、少し窓を開けようとしました。窓の下には森が見えました。
それは、病院から100mほど離れた大きな神社に付属したものです。
すると、その日病室から来ていた8人の子の一人が、
「先生、窓を開けないでください」って言ったんです。
「どうして?」と聞いたら、「ううん、なんとなく嫌だなって・・・」
まあ、病室は当然ながら空調が聞いていて、その時期は20度の室温に保たれています。
ですから開ける意味はあまりないし、その子の言うとおりにしたんですが、
その子が怯えた表情をしていたのが気にかかりました。
・・・ここの子どもたちは、あまり窓の外に関心を示さないんです。
むしろ窓際に来るのを嫌がっているみたいで、

その部屋は5人がけの机が3つありましたが、窓際には誰も座ろうとしなかったんです。
不自然なことはまだありました。小児科病棟は、入ってすぐナーステーションがあり、
その向かいに飲食もできる面会室、その隣がホールになっていて、
おそらく過去の患者さんが寄贈されたものでしょうが、
子ども向けの本が入った本棚が3つほどあったんです。
でも、そのホールに、子どもたちはほとんど入ろうとしませんでした。
理由を聞いても「なんとなく」と言うだけで、教えてくれる子はいなかったんですが、
低学年の子が一人だけ「飾ってある写真が怖い」とつぶやいたんです。
ホールには1m四方ほどの大きな額があって、中には彫刻?の写真が入っていました。
三匹の猿が横に並んで、それそれ口、耳、目を両手で押さえている木彫です。
古いものでしたが、けっして怖く見える形ではなく、私はむしろユーモラスに思えました。

親しくなった看護師さんに聞いてみましたら、その写真を撮られたのは先々代の院長さんで、
大学のほうを定年退職され、もう亡くなっているということでした。
その、いわゆる「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿は、窓下に見える神社の、
境内にある有名な彫刻で「病院から早くさる」という意味がかけられているとのことでした。
江戸時代の名人が彫ったものということで、県の重要文化財にもなっているのだそうです。
子どもたちが怖がることについては、釈然とはしませんでしたが、
子どもには大人とは違った感性があるのだろう、と思うことにしました。
病院側でも、ホールで子どもたちに騒がれるよりはいいからでしょうか。
あまり気にしている様子は見えなかったですし。
5月の連休後のことです。久々に子どもたちに会えるので、私ははりきっていましたし、
子どもたちもよろこんでくれているようでした。

病院の昼食をはさんで、午後の部が終わりました。
それから私はその日の授業記録を書き、最後に病室を回って、
教室に来れなかった子の、その日の学習を見ていました。女子の病棟で、
症状が重い子の個室に入ったときのことです。2年生の子の算数のドリルを見ていると、
その子が急に、両手を口にあてました。それから目、耳と、
あの写真の三猿の動作をものすごい速さで繰り返し始めたのです。
驚いてナースコールを押そうとした私の手をその子が押さえ、窓のほうを見て
「だめ!!」と叫び、私の手を握ったまま、タオルケットに潜り込んでしまったのです。
「看護師さんを呼ばないで、バレたら連れて行かれる」
その子は小さな声でささやき、「ばれるって、だれに?」私がそう聞きながら、
ちらと窓のほうを見たとき、ガラスにべったりと黒いものが張りついているのが見えました。

カエルが窓ガラスに張りついているのとよく似たシルエットでしたが、
もっとずっと大きく、黒く濡れた毛のゴワゴワした質感がありました。
猿、だと思いました。でも、病棟は四階です。それにいくら近くに森があるとはいえ、
猿が住んでいるなんて話は聞いたこともありません。
その猿は顔を後ろ側にのけぞらせていたのでしょう。あごのあたりしか見えませんでしたが、
私がそちらを向くとすぐ、四本の足を離して、後ろに落ちていったように見えました。
「私、だいじょうぶだから。このこと、誰にも言わないで。先生、約束して」
泣き声でそう言われ、事情がつかめないまま約束をしてしまいました。
看護師さんや、医師の先生に相談しようかずいぶん悩んだのですが、
その子との関係が壊れてしまうおそれがあったし、何か猿のようなものが窓に張りついていた、
ということを信じてもらえるとも思えませんでした。

ただ、それとなく「神社の森には猿がいるんですか」みたいなことを聞いてはみたんです。
大笑いで否定されてしまいました。まあ、そうですよね。
神社の正面は幹線道路に面していて、ひっきりなしにバスや車が通っているんです。
その後しばらく、何事もありませんでした。これは猿のことというよりも、
病状が悪化したり、退院したりする子どももいなかったということです。
7月に入って、一般の学校では夏休みに入るのですが、
院内学級はそれとは関係なく開催されます。病気の治療が最も大切で、
入院期間中に勉強が遅れてしまうのはしかたがないことですが、
退院して学校にもどったときに困らないよう、
できるだけ子どもたちに力をつけさせてあげたいと思っていました。
そんなとき、よいニュースが入ったんです。

小児ガンのために入院していた5年生の男の子が、苦しい2度の手術に耐え、
全快とはいきませんでしたが、退院して通院治療に切りかわることになったんです。
これは院内学級からも離れるということです。
そこの大学病院には県内全域から来ていますので、今、席のある私の所属する学校から、
地元へと転校することになるのです。それで、ごく簡単にですが、
当日、院内学級でも退院のお祝いをすることになりました。
院内学級に来られている子どもさんの保護者はみな仲がよく、連絡を取り合って、
前夜にはたくさんお祝いの品をもらっていたようでした。
その日、教室に出てこられた子は11名で、中には具合があまりよくないのに、
無理して来ていた子もいました。男の子が私服姿で前に出て、
たどたしくあいさつをしていたときです。急に、机にいた子たちの様子がおかしくなりました。

子どもたち全員が、イスに張りついて硬直した状態になり、背筋を後ろに反らせるようにして、
目、耳、口を順に押さえる動作を始めたんです。それもものすごい速さで。
あの2年生の子のときと同じです。思わず窓を見てしまいました。
・・・ガラス一枚に一匹、3匹の猿が、前と同じカエルのような形に張りついていたんです。
あいさつをしていた男の子が床に崩れて泣き出しました。
様子がおかしいことに気がついたのでしょう。
教室の外で待っていた男の子の両親が、中に入ってこられました。
それでも他の子たちは動作をやめず、何かに憑かれたように、目、耳、口を押さえ続けていました。
私は教室を走り出てナースステーションに連絡し、もう一度入ったときには、
窓の猿の姿は消えていて、子どもたちは机に伏せてみな泣いていました。
退院した男の子は病状が急変し、その3日後に亡くなったんです。







霊障か?(雑談)

2015.08.18 (Tue)
竹書房から出している漫画雑誌『本当にあった愉快な話ー業界人が語る心霊百物語ー
というのを買いまして。マンガまで手を伸ばしてるのか?
と思われるかもしれませんが、普段は買いません。
この号を買ったのは、おまけとして北野誠氏の「お前ら行くな」
の番外編2エピソードが入ったDVDがついていたからで、
それで490円は安いなと思ってですww

北野誠氏については、オカルトフアンの方ならご存知でしょうが、
心霊スポットや、現実に起きているとされる怪異・心霊現象に体当たりレポートし、
それをDVD等のメディアで発表している、いわゆるマルチタレントの方です。
この付録のDVDでも、埼玉県Hトンネルと、
神奈川県打越橋という2ヶ所で取材をしていて、興味深く拝見したのですが、
その後に霊障w らしきことがありました。

このDVDを見終わった後に、パソコンからディスクが取り出せなくなったのです。
でもまあ、これは自分のパソコンが安物のせいもあるでしょう。
仕事場ではなく、部屋のほうで使用しているパソコン。ノートパソコンですが、
これについては1年ほど前に大きな考え方の変化がありました。
前までは、国内メーカーの最新の製品を買って、
あれこれと市販ソフトやフリーソフト、
その他いろいろな機能を詰め込んでいたのですが、
そのために逆に不具合が起きることもよくあり、それで考え方を変えたのです。
まずパソコン自体を極端に安いものにしました。
中国製の中古品です。レノボのThinkPadで、近所のパソコン専門店で、
点検再整備したものですが、CPUはCore i5で、18000円でした。

ソフトはできるだけ入れないようにし、どうしても必要なものや、
原稿や資料画像なども、外付けHDに入れる。
その他のフリーソフトなどは、必要が生じたときだけそのつどダウンロードする。
パソコンは自分の使い方の頻度では、どうせ短期間で壊れるものと考え、
不具合がなくとも3ヶ月程度でリサイクルに回し、
新しくまた安物を買い換えるということにしたんです。

これはこれで安心感がありますw 
前よりもデータの保存に気を使うようになりました。
一番精神的にいいのは、不具合が起きたら明日買ってこようと考えればよく、
くよくよしなくて済むことですね。
ということで、このブログの記事も問題なく書けますが、
DVDはいまだに入ったままです。
機械的な故障と思われるので、買い換えするかもしれません。

まあこれだけなら、ただの偶然でしょうし、
霊障と思うこと自体おかしいんでしょうが、
取り出せなくなってすぐ、用事があって外出したんですが、
この大阪の繁華街のド真ん中で、なんと蜂に刺されてしまいました。
知人にばったり会って、信号の下で立ち話をしていたら、
突然背中の中央右のほうに激痛を感じて「あー」と叫んでしまいました。
知人が驚いた顔をしたので、硬直したまま自分の背中を指さすと、
「あれー、蜂が刺してる」・・・
幸いにしてスズメバチとかではなく、アシナガバチでしたが、
花壇などもないところで、ハチをおびやかしたわけでもないのに、
急に刺されるというのは初めての体験です。

ヒリヒリと痛み、赤くなって腫れていたんですが、
医者に行くまでもないと思って、アルコール消毒してステロイド軟膏を塗りました。
今も痛痒い感じはしますが、腫れはだいぶひいてきました。
まあねえ、これが見たDVDがアクション物とか歴史ドキュメンタリーとかであれば、
取り出せなくなろうがハチに刺されようが、
内容とかかわりがあるとは思わなかったでしょうが、
ものが心霊物なので、つながりがあるように感じてしまうんでしょうね。
ということで今日は怖い話は書けませんでした。






墓のうらに

2015.08.17 (Mon)
14の日にね、うちの墓所じゃなく親戚の墓参りに付き合わされたわけ。
そこも市内なんだけど、うちの墓とは別の寺で、
うちの墓参りは13の日にもう済んでたんだ。
親戚は老夫婦で、俺が車で送っていけって言われて。
でねえ、初めて行くとこだったから、いちおう車のナビをセットしてね。
住所入れたんだよ。市の外れのほうで、30分以上かかった。
かなり広い墓所が付属してたよ。俺はほら、一緒に墓参りするのもなんだと思って、
寺の駐車場に置いた車で待ってたんだよ。
それも30分くらいかな、年寄りだからゆっくりお参りしてきたみたいだ。
俺はその間、エアコン入れたままで運転席でうとうとしてたわけよ。
でね、異変に気がついたのは翌日なんだ。

その日もまだ盆休みで、本屋にでも行こうと思って車出したら、
ナビが前日行ったお寺を指示し始めたんだ。
そのときは、「ああ、案内解除されてなかったか」って思ったけど、
でも、冷静に考えればそんなことはないよな。
だって、案内が解除されてなけりゃ、昨日の帰り道で「次の交差点を左です」とか、
行ったばかりの寺をずっと指示してるはずだろ。
だけど、そんなことはなかったのよ。「変だなあ」と思って、案内解除を何度押しても、
これが消えなかったんだ。「あちゃー、故障だな」って嫌な気になった。
俺の車は6年目で、ナビは買ったときからついてたやつ。
でね、ナビの故障って修理に時間がかかるんだよ。
これはディーラーのメカニックに直せるものじゃないし、電機メーカに送るしかない。

それで、全部交換ってこともありえるんだ。
そんな金も時間もなかったから、音声を切ってほっといた。
ほら、連日のこの暑さだろ。もしかしたら、
暑さがおさまれば自然に直るかもって考えたのよ。
で、昨日から仕事が始まった。俺の仕事はラジオ局で、深夜番組の制作なんだよ。
番組の録音は昼にやるんだけど、放映されるまで残ってなくちゃなんない。
だから、局を出たのは夜中の2時過ぎ。その時間帯になると、
地方都市だから車通りはほとんどないんだ。でね、交差点で信号待ちにかかったとき、
何気なくラジオつけちゃったんだよ。ナビが壊れてるってことを忘れてたんだ。
今思えばそのときだと思うんだよなあ。
何がって? うん、体を乗っ取られたみたいな状態になったんだ。

ラジオが鳴らなかった時点で、音声切ってたことは思い出した。
それで音量のスイッチを数回押したら、あのお寺への案内が始まったんだよ。
「目的地までの到達予想時間、27分です」って。
そしたら、俺は自然に「はい」って答えちゃったんだよ。「次の信号を右です」「はい」
って感じで、逆らえなかったんだ。自宅へ向かう道からどんどん外れて、
14の日に行ったお寺にどんどん向かってたんだよ。
いや、頭の中ではおかしいと思ったよ。でも止まらないんだ。
ナビが指示をするたびに「はい」「はい」って返事が口から出て。
普通そんなやつはいないだろ。機械音声に答えるなんて。
それだけじゃなく、手が勝手にハンドルきってお寺の方向へ進んでいくんだよ。
でね、とうとうそこの寺の駐車場に着いてしまった。

エンジンを切って、それでナビも消えたんだけど、
もうそのときにはとり憑かれてたからね。頭の中でナビの音声が聞こえるんだよ、
おんなじ声で。「車外に出て、山門を入ってください」って。
「はい」・・・ほら、お寺だから、立入禁止の鎖とかついてるわけじゃないんだ。
お寺や神社ってのは、基本的に時間に関係なくお参りできるんだよ。
で、前に来たときは墓所にいかなかったから、頭の中でずっと指示が響きっぱなし。
「小道を真っすぐ行って、突きあたりで左に曲がります」とか。
もう墓所の真ん中まできててね。熱に浮かされた感じで、怖いとも思わなかった。
墓所自体はそこそこ明るかったよ。緑色の防犯灯が寺の蔵の壁にそっていくつかついてて。
で、俺はどんどん奥の方に入っていって・・・
さして大きくない、「〇〇家の墓」ってとこの前まできたとき、

「目的地到着です。これで案内を終了します」って頭の中の声が言って。
俺はそこで膝からへたり込んでしまったんだ。道は土になってて、
その日は細かい雨が降って濡れててね。「あれ、俺、何やってるんだろう」
少し正気に戻った気がしたんだが、体の力が抜けて動けないんだよ。
夢の中でそういうことってあるだろ。逃げなくちゃいけないのに、
体が思うように反応してくれないって。ちょうどあんな感じで。
そんときね、俺は座り込んだ状態でその墓と正対してたんだけど、
墓の裏に黒いものがちらと見えた気がした。人間の背の高さくらいで、
後ろの闇に溶け込んでるんだけど、それよりも黒いもの。女の髪というか頭だと思った。
それが少しずつ、少しずつ、俺のほうへ出てこようとしてたんだ。
ヤバイものだってわかったけど、どうやっても足に力が入らない。

目をつむることもできなかったんだ。女の頭はもう半分以上出てたんだけど、
濡れた髪が顔にかかって表情とかは見えなかった。
それがスローモーションで出てきながら、少しずつ顔を上げて・・・
そんとき、急に光が墓を照らして、「何やってるんだあんた!」男の声がして、
肩をつかまれた。それで、声が出たんだ。「助けてください。動けないんです」って。
屈みこんで俺の顔に懐中電灯を向けてきたのは若い坊さんだった。
「動けない? 肝試しにきたんじゃないみたいだな」
でね、その坊さんはかなり力が強くて、脇を抱えて立たせられ、
本堂の木の階段まで連れてかれて、そこに座らされたんだよ。
事情を聞かれたんで、とぎれとぎれにあったことを話したんだよ。ナビの故障、
体を乗っ取られたみたいになったこと。あの墓の前で案内が終了したこと。

裏側から女の頭が出てて、それから目が離せなくなったこと。
坊さんは口をはさまずに、俺の言うことを聞いていたが、
「うん、わかりました。車は駐車場に負いてあるんだね。なら寺で管理するから、
 置いてタクシーで帰りなさい。今呼んであげるから。
 それからね、ちょっと調べておくから明日、午前のうちにもう一度寺に来て」
こう言われたんだ。そのままタクシーで帰って、部屋に戻るとすぐに寝たよ。
で、翌日って今日のことだけどね。寺に行って、家屋のほうの呼び鈴を押したら、
昨夜の坊さんが出てきて、俺に預けてた車のキーを返し、
「どうすればいいかわからなかったんですけど、お経をたっぷり車の中で読んだので」
こんなことを言った。それから座敷に通されて話を聞いたんだよ。
「あなたが昨日、前に座っていたお墓は、〇〇家のものなんですが、

 そこ、お参りする人が絶えてまして。ええ、一族で誰も残ってないんです。
 都会なら、墓を取り壊して無縁様に入れてしまうようなとこもありますけど、
 当寺ではそんなことはしてません。・・・昨日、墓の裏から女の人の頭が出てきて、
 みたいな話をされてましたよね。調べましたら、最後にあの墓に入った方がいるのは、
 平成11年です。一人暮らしのおばあさんが亡くなられたんですが、その方は白髪でしたし、
 その前が若い娘さんです。昭和40年代だからずいぶん前のことですよ。
 私の前の住職の代のときです。その娘さんは、専門学校生ということでしたが、
 当寺ちょうどスクーターが流行ってましてね。それで、事故があって亡くなったんです。
 単独事故という話でしたが、詳しい事情はわかりません。
 最後に亡くなったおばあさんとは、母一人子一人の母子家庭だったんですね。
 それで墓を継ぐ人がいなくなって」

話の合間を縫って「どうして自分が呼ばれるみたいなことになったんでしょうか?」
って聞いたら、「それはこちらではわかりません。
 あなたのほうに心あたりがあるんじゃないですか?」こう答えが返ってきたけど、
その娘さんの事故って俺が生まれるずっと前の話なんだよ。心あたりもなにもねえ・・・
「とにかく、成仏なされていないとは思いたくないのですが、
 朝から入念にお経をあげさせていただきました。さっき話したようにあなたの車にもね」
ということだったので、礼を言って、いくばくかのお布施を包んで渡したんだよ。
帰りは自分の車で帰ったんだけど、ナビの異常はなかった。
でもねえ、いつまたあんな状態が起きるかわからないとなると、不安でたまらないよ。
6年目だし、ローン組んで車を買い替えることを考えてるんだ。それと、この話、
これから両親にしてみるつもりなんだ。何か心あたりがあるかもしれないし。







水に流す

2015.08.16 (Sun)
*ナンセンス話です。

不動産業の下っ端社員なんですよ。お盆期間中ね、他の社員はほとんど休みなのに、
自分だけずっと特別業務があって、今日の午後からやっと休みになったんで来たんです。
はい、ここで心霊関係の話をすればお金もらえるって聞いたんで。
業務上の秘密? まあそうなんですけど、他言しないでくれるんでしょ。
自分の名前さえ出なきゃ、あとはどうでもいいです。
で、さっそく話を初めますが、「曰くつき物件」って知ってますでしょ。
心霊マンガなんかじゃ定番のやつ。「訳あり物件」とか「事故物件」とも言いますけど、
お盆の間、これらの整理をやってたんです。
いやあ、売りさばくってことじゃなくて、除霊。
まあ自分がやるわけじゃないんですけどね。うちの社の専属の霊能者さんがやるんです。
ええ、いますよ。同業だと、専属とまではいかなくても、

何かあれば直で連絡できる霊能者さんはいるでしょう。つきものですから。
だからまあ、ホントはね苦労したのは自分じゃなく、その霊能者さんのほうなんです。
え、盆休みにまとめて曰くつき物件の除霊をするのかって?
うーん、これはね、お盆じゃないとできないんです。
お盆であれば除霊しやすいって意味ですよ。自分も、この担当になった初めは、
除霊なんて簡単だろうって思ってました。呪文を唱えてちょちょいのちょいって・・・
でも、だんだんにそうじゃないことがわかってきたんです。
これねえ、霊能者さんもの命がけなんです。危険がかなりあります。
そのあたりは、ここ心霊研究家の集まりってことだからわかるでしょ。
命会っての物種って言いますし、1件30万とか50万じゃあちょっとできない商売ですよ。
ところがね、お盆中はある方法があって、それが簡単になる。

ええ、その方法をこれからお話するわけです。
自分とこの会社でね、力を発揮してくださってるのはI先生って言って、仏教系なんです。
だから、この方法ができるのかもしれませんね。
I先生は40代で自分より十ほど歳上です。別に袈裟なんて着てないで、黒のスーツ。
細身の体にメガネで、一見して霊能者と思う人はまずいません。
銀行員か区役所の人と思われることが多いですね。
ねえ、仰々しい格好でごまかさない、こういうのが本物なんですよ。
それにね、不動産業だから、管理してる部屋に坊さんが入ってったなんて言われたら、
こりゃマズいでしょ。13日から始めましてね。その日は4件回ってもらいました。
ええ、全部曰くつき物件です。一軒屋が1ヶ所にアパートの部屋3ヶ所。
この日は軽めの霊障物件です。

15の日まで霊を溜めておく、というか、とり憑かせておくんですから、
2日間いてもらうのは軽めの霊のほうがいいでしょ。
だから、4件とも独居老人の孤独死です。幸い発見が早かったので、
リフォームはあまり行ってません。発見が死後1ヶ月なんてことになると、
臭いだけでももう大変で。まあでもね、それは死後のことだから、
死の間際の孤独感、苦しみ、悔恨なんてのは一緒なんです。
死因は、病死だったり、病気で動けなくなっての餓死だったり、いろいろですけど、
意識を失う瞬間まで、いろんなことを考えたと思いますよ。
そういう念が、物件にとり憑いちゃうんです。
えーとね、4件分全部お話しても煩雑だし、だいたい同じですから、
最初の一件だけ。まずね、部屋に入ると封印の御札を確認して。

はがしたりましません。霊を部屋の中に封印してるんです。ほら、アパートとかだと、
他の部屋に出ていかれちゃマズいでしょ。
でね、I先生がおもむろに部屋の中央に座って、お経を読み始める。
するとね、部屋の中の物がグラグラ揺れたり、照明が点滅したりして、
だんだんI先生の頭の上に白い霧のようなのが集まってくる。
霊の力が強いときは、それがはっきりと人の形になりますよ。表情までわかるようなね。
でね、先生が「喝!」と叫んで立ち上がった瞬間に、霊がスーッと頭頂部から入り込むんです。
ほら、映画の『エクソシスト』ってあったでしょ。あれはキリスト教ですけど、
最後の場面で「悪魔よ俺にとり憑け」って神父の一人が叫んで、
悪魔がとり憑いた瞬間に窓を破って階段を転げ落ちていく。霊と悪魔は違うんでしょうけど、
よく似た感じですよ。だから、4人分の霊を体内に押し込めたI先生はもうヘロヘロです。

さらに翌日はマンションを3件回りました。これは自殺が1つと殺人が2つ。
もうね、I先生は自力でお経読めなくなってますから、
事前に吹き込んでもらったテープ流すんです。でね、この日3体の霊を体内に入れて合計7体。
もうここまでくると、人としてのまともな行動はできませんよ。
ただ霊を押さえ込んでいるだけ。だから自力で食事を摂れないし、トイレにも行けない。
おむつをあててね、拘束衣を着せて、口にはさるぐつわを噛ませる。
舌を噛み切って自殺しちゃうって可能性もなくはないですから。
自分は霊能者じゃないから最初からできませんけど、もしやれって言われても絶対お断りです。
I先生は動けないし、言葉も話せないですけど、体内では7体の霊が暴れ回っててね。
顔色が青くなったり赤くなったり。痙攣したり飛び跳ねたり、天井近くまで浮いたりで、
そりゃ大変でした。一晩ついて見張ってるのも自分の業務でしたから。

で、やっと15日になった。この日の夜にね、
自分たちのほうでは「灯篭流し」って言いますけど、送り盆の行事があるんです。
川に灯籠と一緒に、お盆で使ったお供え類を流すんです。
で、これは一人ではできませんから、部下を2人連れてきました。
夜の8時頃になったら、I先生の拘束衣を脱がせて、
そのかわりに深海作業用のウエットスーツを着せるんです。あと溺れないようライフベストも。
今年はI先生、ぐったりしてましたんで仕事がやりやすかったです。
去年はね、暴れて大変でしたから。そのままの姿で車に乗せ、
灯篭流しの川の下流に行くんですよ。見とがめられないところに車を停めて、
I先生を川原に連れ出します。これがね、
ウエットスーツだと虫に刺されないでしょうけど、われわれは大変ですよ。

あと、犯罪と間違われないよう、地元の警察には内々に話を通してあります。
これは社長のほうでやってくれてるはずです。
立ってるのがやっとのI先生の体に2本のロープをかけ、川に入ってもらいます。
広い川幅じゃないから、強制的に両岸からロープで操るんですけどね。
足は立ちませんが、ライフベストをつけてますから沈みませんし、
顔が水に入って窒息するなんてこともないんですよ。
ほら、霊が7体も入ってますから、宿主に死なれたら困るでしょ。
霊もそういう暴れ方はしないって、経験からわかるんです。
でね、川に入れてだいたい30分ほど後に、川上で流した灯籠が流れてくる。
火の消えてるものが半分くらいですね。でも川の中はそこそこに明るい。
・・・この時期の川や海ってねえ、霊界までつながってるんです。

その灯籠に乗ってたくさんの霊が来てるわけですよ。
でね、I先生の体の脇を灯籠が流れていくたびに、灯籠のほうから白い手が出てきて、
I先生の体にとり憑いた霊をシュッと引っぱる。
中にはね、自分のほうから灯籠に乗り移っていく霊もあるんですよ。
あれに乗れば成仏できるって、本能的にわかるんでしょうねえ。
灯籠の行列がすべて流れ去る頃には、I先生の体はすっかり浄化されているというわけ。
でね、川から上がると、I先生も意識が戻っていて、「今年は例年にましてキツかったねえ」
とか言って笑うまでに回復してたんですよ。え? もし離れない霊がいたらどうなるかって?
それはねえ、どうしようもないですから、また元いた場所に戻ってもらうんです。
1年間浄化を待つしかないです。それでも消えない場合は、来年の灯篭流しに。
そういう物件は売ったり貸したりはしませんよ。正直な商売してますからね。

ああいこここ





サボテン園の思い出

2015.08.15 (Sat)
どこから話せばいいんでしょうか。おそらくわかりずらい話になると思いますが、
どうかご勘弁ください。ええと、多肉植物というのをご存知ですか。
はい、そうです。サボテンの仲間の。クチクラ層といって、
表面がぷちぷちした肉厚な膜で覆われているんです。
厳しい環境に生息する植物ですので、その内部に水を貯めこんでいるんです。
アロエが有名ですけど、もっと肉の一つ一つが小さなつぶつぶになったものが多くて、
一見すればかわらしい感じがします。コレクションしている方もけっこういるそうです。
私も、一種類だけですが家で育てていまして。
これが、条件が合うと爆発的に増えるんです。
まるでミニチュアのぶどうの房のようなのが、重なり合って・・・
ああ、すみません。最初からわかりにくい話をしてしまって。

その多肉植物を専門にしているサボテン園というのが、県内の郊外にありまして。
私が4歳のときに、両親に連れられて行ったそうなんです。
山のふもとに、温泉の排熱を利用した広大な温室があって、
そこでは熱帯のサボテン類の他に、小型のワニやインコ、
オウム類、小さい猿なども飼われていたようです。
でも、そのときのことはあまり覚えてなくて。
母の話だと、そのとき私が迷子になって、大騒ぎだったということでした。
ええ、その記憶だけはかすかにありました。ほんとうに、ごくかすかに。
その後すぐです。両親が離婚したのは。だから小学生の頃、母にこの話をされたときには、
私が迷子になったせいで離婚したの?って思ったんですけど、
そういうことではなかったようでした。

父の浮気のために元から夫婦仲は冷えていて、
それを取り戻すためだったのでしょうか。私を連れてひさびさに家族旅行に出たけれど、
そのサボテン園の中で両親が諍いになって、
その間に、私の姿が見えなくなって・・・ということのようでした。
まあそういう事情で、ずっと母子家庭での生活が続いたんです。
離婚の原因が父の浮気ということでしたので、慰謝料と私の養育費が入りましたし、
母の実家は資産家でしたので、生活が苦しかったということはなかったです。
でも、父がいないのと一人っ子ということで、寂しい思いをしたときもあります。
・・・母は、再婚を望んでいたということはなかったと思いますが、
私が高校生のときに現在の父が現れ、望まれて。ええ、大変よい方でしたし、
私は賛成でした。周囲からの勧めもあって、再婚したんです。

私はその後すぐ大学に合格し、家を出て一人暮らしをすることになりました。
といっても同じ県内のことでしたし、あまり不安はなかったです。
むしろ、母が新しく家庭を築くのにじゃまにならないほうがいい、
みたいなことを考えていました。それで、その大学では、
廃墟探索サークルというのに入ったんです。・・・みなさんお笑いですが、
それなりに真面目な活動をするサークルだったんですよ。
近場を中心に、廃墟を訪れて動画と写真で記録し、サークルのホームページに載せる。
それと学祭のときの発表。そうですね、私は運動関係は苦手でしたし、
廃墟という言葉になんとなくあこがれていたのだと思います。
ええ、怖いのも苦手でしたから、心霊スポットなどには行ったことはありません。
昼だけの真面目な活動だと聞いて入ったんです。

それで、2年生になった初めの頃でしたね。前にお話した、
私が小さいころ迷子になったというサボテン園、そこが経営難のために廃園され、
放置されているということを聞いて、探索の計画が持ちあがったんです。
サークルの活動のすべてに参加しているわけではありませんでしたが、
これはぜひ行かなければならない、と思いました。
私が迷子になったという、そして前の父と母が、
離婚するきっかけになったかもしれないその場所をぜひ見ておきたいと思ったからです。
ええはい、写真を掲載する関係もあって、
サークル長が事前に現在の権利者に取材の許可をいただいてありました。
地元の観光協会の所有になっているようでしたね。
ですから、違法な侵入ということではありませんでした。

訪れたのは、男3名、女2名でした。3年生の男の先輩が借りたミニバンで、
大学のある市からは2時間の距離でした。
温泉地の奥手にある山のふもとということでしたが、
温泉地自体がかなりさびれていました。少し前にあった秘湯ブームのときも、
その恩恵にはあずからなかったようです。場所はすぐにわかりました。
巨大なガラス製の温室が残っていて、それが午後の陽を受けて輝いていました。
その温室外の施設も、昔はかなりの広さだったそうですが、
そちらの土地は周囲の農家が安く買い取ったようで、ほとんど畑に変わっていました。
温室はガラスの割れた部分もなく、入り口の鍵を借りていた先輩が開け、
皆で中に入りました。全体では体育館2つ分ほどの広さがあったと思います。
中は・・・人口の池や動物の展示施設などもあったようですが、

それらが埋もれるほどびっしり、多肉植物が広がっていたんです。
温室の熱源が温泉で、それは止められてはいなかったようです。
まあ重油を燃やしたりしているのではないので、お金がかからないからなんでしょうね。
多肉植物は一種類だけでした。初めに、私が育てていると言った種類の、
小さなプチプチが盛り上がったものです。
一見すれば黄緑色ですが、よく見るとプチプチの一つ一つは、
淡いピンクや紫色に染まっていて、それはきれいでした。
でも、皆は「気味が悪い」 「人間の体内にいるみたいだ」こんな感想を漏らしていました。
リーダーの先輩が「サボテン園というくらいだから、いろんな種類の植物があったろうに、
 これ1種類になってしまってるというのは、植物同士で熾烈な戦いがあったんだろうな。
 このプチプチしたやつがうち勝って、どんどん生存範囲を奪っていったわけだ」

そう言われると確かに、日の当たらない下のほうには、
別種のサボテンがわずかに残っているのが見えました。
・・・昔ここを訪れたという記憶が甦ってくるような感じは一切なかったです。
私はカメラ担当でしたので、侵食されずに残っているコンクリの通路を、
写真を取りながら進んでいったんですが、どこもかしこも同じ多肉植物の山で、
変化のある写真は撮れそうもなかったんです。通路の右側の地面に白いものが見え、
多肉の房を持ち上げてみると、それはカラカラに乾いた鳥の骨でした。
おそらく、園で飼育していたオウムかインコのものでしょう。
しゃがみ込んでその写真を撮っていると、かすかに人の声が聞こえたような気がしました。
女の子の泣き声だと思いました。どうも多肉植物の裏から聞こえてくるような。
それで、伸び上がって後ろ側を覗こうとしましたが、人の背より高くて無理でした。

どこか入れる場所はないか・・・そしたら、
わずかに多肉の繁り方が薄そうに見えるところがあり、
そこに手を入れてかき分けてみたんです。その植物は固い枝などはなく、
全体がゴムのように柔らかいんです。ただ、圧倒的な量で。
なんとかそこから奥に入れそうでした。かきわけて前に進もうとしたら、背後から、
「こら、勝手なことをするな」というリーダーの声が聞こえました。
私は「子どもの声がする」と言って、そのまま体をねじ入れ、
するとぽっかりとした空間に出たんです。昔風のワンピースを着た幼稚園くらいの女の子が、
しゃがみ込み、両手を顔にあてて静かに泣いていました。
私は「どうしてここに入ったの?さ、お姉さんと一緒に出ましょう」そう話しかけ、
女の子が涙まみれの顔をあげました。「どうしたの?」と聞くと、

「おとうさんとおかあさんがケンカしてて・・・」ええ、もうおわかりだと思います。
そっと子どもの頃の自分の手をとると、ぼうっとにじむようにして、
その子は消えてしまいました。「こら、お前何やってる!」リーダーの怒った声がして、
肩をつかまれました。私の前にはコンクリート製の排水池のようなものがあって、
そこ半ば温水に浸かった、1m以上ある生物の骨が何体も重なってありました。
ええ、もちろん人ではありません。ワニか何かだと思いました。大型の爬虫類・・・
女の子の姿はどこにもなかったんです。これでお話は終わりです。
私が見たものは幻覚だったんだと思います。リーダーは女の子の姿は見てませんでしたし、
他に泣き声を聞いたメンバーもいません。リーダーは多肉植物を無理矢理くぐりぬけてきたのか、
体中、植物の破片だらけでした。最後に一つ、よけいなことをつけ加えさせていただくと、
大学を卒業して2年後、私はこのリーダーと結婚しまして、今に至るんです。








心霊写真の現状

2015.08.14 (Fri)
ということで、創作自粛期間もいちおう今日で最後で、
明日からはまた怖い話に戻ろうとは思っているんですが・・・
さて、デジカメ時代になって心霊写真は増えたでしょうか、減ったでしょうか。
これは実は両方の意見の人がいます。
で、自分としてはどっちの意見もよくわかるんですよね。

まず、減ったという人は、フィルムの巻き上げなどの機械的操作がなくなり、
撮影上の事故が減り、そのせいでいわゆる失敗写真が減ったと考えている人です。
確かに昔は、はっきりした2重撮影ではなくても、
おかしな光や赤い筋が入った写真が多く、
そういうのも一種の心霊写真として取り上げられることもあったんです。

テレビで騒がれた「アステカの祭壇」というのも、
まあよくある撮影ミスだと自分は思ってますが、ああいうやつです。
今のデジカメは手ぶれ補正、露出補正とかいろんな機能があり、
しかも現像の必要はないので現像時の失敗もなくなりました。
ですから、「おかしな写真」は減っているわけです。

逆に、増えたという人は「ありえない写真」のことを言っていると思います。
つまり絶対にそんな場所に人の顔が入るはずがないのに、
はっきり顔としか見えないものが写っている画像。
こういうものは増えたと思います。もう、何を言いたいかおわかりでしょう。
画像加工ソフトの登場ですね。ちなみに自分もフォトショを持ってて、
たまに時間があるときは画像の加工もやります。

ちなみに、写真術が登場したごく初期の頃から、心霊写真というのはありました。
これは写真というものの特性を考えてみれば当然で、
ありえない画像を作ることが技術的に可能であれば、
やりたいと思う人は多いでしょう。

でまあ、もし本物の心霊写真というのがあるとすれば、
これはデジカメ、フィルムにかかわらず写るのではないでしょうか。
これに特に根拠はありませんが、科学技術の違いによって、
霊が写ったり写らなかったりするというのも自分は変な感じがします。
冗談ですが、最初はVHSビデオで登場した『リング』の貞子も、
見事にデジタル化そしてブルーレイ化などに対応しているではないですかw

さて、前にも書きましたが心霊写真の一般論を少し。
デジカメであっても、フィルム撮影であっても、
どちらも物の光の反射を写しているのは違いありません。
では、心霊写真の霊は、光を反射して写っているのだから物質なのでしょうか。
ここはさまざまな議論があります。物質だという人もいますし、
霊は光を反射しているのではなく自発光しているという人も。
さらには霊が出しているのは可視光線ではない、という人まで。

また、霊は「念」によって自分の像を写し込んでいるという説もありますw
これは、その霊が撮影者に働きかけて「念写」させている、というのに近い考え方です。
ただし、霊が何らかの電波(可視光線も電波の波長のある領域)
を出しているとしたら、そこにはエネルギーが必要ですね。
撮影者に働きかけて念写させるとしても、これは情報の伝達ですから、
やはりエネルギーが必要であると思われます。
だとするとやはり、物理学にかかる物質的な現象なのだと考えざるをえないです。

さてさて、加工ではない心霊写真というのも昔からありました。
本当に「霊」とされるものが写っている場合です。実際に写っているので、
写真のプロがいくら調べても、そこにトリックの跡は見えません。
まあ、たまたま通りかかったオバサンが写っている場合もあれば、
意図的に幽霊の扮装をした人を紛れ込ませて写している場合もあります。

よく修学旅行スナップに見られる、手の数が一本多い写真や、
肩に謎の手がのっかっている写真なども、体の他の部分が写り込まないようにして、
隠れて撮っているものも多いと思われます。
これらはいくら分析しても、光のあたり具合も、
デジカメでいえば画素数などの諸条件も他の被写体と同じなので、
加工とする証拠はないのですね。

もしもです、ある人物らが集まって写した集合写真に、
霊の扮装をした人を混ぜておき、全員が口裏を合わせて、
「こんな人は絶対にこの場にはいなかった」と言ったらどうなるでしょう。
その写真に霊(というか、ありえない何か)が写っているという事実の、
世間様が信じるかどうかはさておき、証言自体は覆せなくなります。

それは、被写体になっている人物を一人ひとり呼んで、
嘘発見器(最近のものは進歩しているようです)にかけるとかすれば、
その写っているものがニセモノである、とわかるでしょうが、
心霊写真を作って広めただけでは「犯罪とはいえない」ので、
本人の承諾なしに嘘発見器にかけることは、人権無視となってしまいます。

ここで一つ、他の霊的なことにも通じるキーワードが出てきました。
「犯罪とはいえない」の部分です。現状では、
それで人を騙して金を儲けるとかでないかぎり、
(あとまあ他人の肖像権を侵したりしないかぎり・・・これは守られてないものも
多々見かけますが)面白半分に心霊写真を作ることは、
嘘であっても、とりあえずは犯罪の要件を構成しません。
ですから、世の心霊写真はなくなることはないでしょう。

逆に言えば、もし心霊写真を捏造することが犯罪(懲役20年とか)になったら、
(故意ではない失敗写真はしかたないですが)
少なくとも日本の心霊写真は激減するでしょうね。
その上でどれほどのものが残るのか? ということが問題です。

心霊に関することは、詐欺などの犯罪と紙一重の位置にあるものが多いのです。
かといって「魂とか天国とか成仏なんて嘘だから、お寺や教会、
神社は人を騙している。墓参りに行く必要はない。」
などと言ってしまうと、これはこれで世の顰蹙を買います。それは極論であり、
信教の自由は憲法で認められていて、
実際に世の中の役に立っている部分も大きいからです。

これらのことは、オカルトに関わるものとして自分もつねに自戒しています。
お釈迦様はたいへん大事なことを言われましたね。
極端を避け「中道を行く」ということです。
自分のオカルトに対するスタンスも、そうありたいと思っています。

本物のアステカの祭壇(怖いです)






自分の影に怯える

2015.08.13 (Thu)
えーお盆期間中は創作を自粛していますので、今日も脳科学的なお話です。
怖い話を期待されている方はスルーをお勧めします。
ところで「自分の影に怯える」というのは慣用句なんでしょうか。
ウエブ辞書を引いてみたんですが、はっきりしたものが見つかりませんでした。
この言葉からは自分は「ドッペルゲンガー」というものを連想しますね。
「自分とそっくりの姿をした分身」のことで、
それを見たものは死期が近いとも言われます。

さて、今回紹介する実験は、スウェーデンのカロリンスカ研究所で、
イギリスと地元の研究者が合同で行ったもののようですが、
こんな内容です。
『被験者にゴーグルを装着させ、そのゴーグルを介して被験者自らが
別の場所にいる映像を映し出しながら、被験者の身体に触れる。すると被験者は、
別の場所で何かに身体を触れられている自分を見ているような、
あたかも幽体離脱しているような感覚を体験したという。
世界初となるこの実験では、
被験者10人に1人の割合で幽体離脱の感覚を味わった。』

これだけだとわかりにくいでしょうね。実験の一例をあげると、
被験者がつけるゴーグルの中には、
自分の背中が見えるようにリアルタイム映像を入れます。
そうすると当然混乱が生じるわけですね。
自分はいったいどこにいるのだろう?
今ゴーグルをかけて映像を見ているのが自分なのか、
それとも目の前に見える背中が自分なのか? 落語の『あたま山』のようです。
その後、手に棒を持たせて、目の前に見える背中をつついてもらう。
その瞬間、実験スタッフが被験者の背中をつつくわけです。
ここで混乱は最高に達します・・・

なるほどなあ、と思いました。費用のかかる難しい実験ではないですし、
その意味は一目瞭然です。
ただ、自分が2つに分離した感覚を持ってしまう実験を、
長時間続けるのは危険なような気もします。
本当に意識が分裂してしまったりしないものでしょうか?
現在一部で流行しているヘミシンクなども、十分注意すべきだと思いますね。

この実験にかかわる脳の部位を「角回」というのだそうです。
脳の側頭葉の上端付近に位置しています。
ここを刺激されると「ぞわぞわー」とした感じを持つということです。
まるで、自分の背後にべったりと誰かがくっついているような感覚ですね。
しかし、冷静になって右手を上げてみる。すると背後の何者かも右手を上げる。
自分が座り込むと、背後の何者かも座る。そうしているうち、
だんだんに背後にいると感じられるのが、
自分自身であると理解できるようになってきます。
この部位が、体外離脱、幽体離脱と呼ばれる現象と深い関わりがある、
そう考えている研究者も大勢いるようです。

で、昨日の話に少し戻るんですが、何かの拍子に、
視覚、聴覚、嗅覚、触覚・・・いろんな感覚が刺激され、
脳内に混乱が生まれて何者かが近くにいるように感じる。
このようなことはあるのではないかと思います。
極端な話をすれば、背後に自分の脱ぎ捨てたパンツがあって、
その臭いを無意識に嗅ぎ取った自分は・・・まあこれは冗談ですが。

恐怖を感じ取った脳はまた独立に、その恐怖に対処する動きを開始します。
昨日の話に出てきた「体温を下げる」などの動きです。
これは、足に血液を集中させ、
敏捷に逃げることができるようにするためとも言われています。
また、身体は瞬時の凝固を起こし、
これは大脳にもっともその状況に応じた対処
(例えば押入れに隠れる)などを判断させるためのようです。
脳内物質が分泌され・・・集中力や行動の正確性が高まります。

また「自分の影に怯える」ためには、状況の認識も重要であると思われます。
つまり、その部屋や暗い夜道に「自分しかいないはずだ」という認識です。
あらゆる状況から考えてそうであるはずなのに、
人の気配を感じたとすれば、想定してしまうのは人外のもの
・・・幽霊となってしまうという可能性はないでしょうか。

角回という語は、自分は著名な脳生理学者である、
ラマチャンドランの本で知ったんですが、
それには実に興味深いことが書かれていました。
角回が修辞法の一つである「隠喩」を、
理解のするための一端を担っているということです。
隠喩はメタファーともいって「~のようだ、~みたいな」
という語を使わない比喩です。
「彼は超特急だ」(足が速い、飯を食うのが速い、仕事が速いなどの比喩)
のようなものですね。

左角回に損傷を受けた右利きの患者は、言語理解は正常に見えるにも関わらず、
この隠喩の二重性を理解できませんでした。
慣用的な隠喩句を呈示しても患者は文字通りの意味でしか解釈できず、
強いて解釈してもらうと、彼らは無理矢理な解釈を作り出すが、
正解からは程遠いものになったのです。

さてさて、角回が言語の2重性を理解する役割を、
担っているというのは面白いですね。
体外離脱体験というのも、ある意味では自分が2重にダブっているわけですから。
何か関係があるとしか思えません。
この方面の研究が進展していくのを期待します。
最後に「自分の影に怯える」というのも一種の隠喩と言えなくもありません。
言外に「ありもしないものを怖がってる愚かなやつ」
みたいな意味があるんでしょう。
この理解ができるのも、脳の中の角回のおかげなんでしょうか・・・







トムとジェリー

2015.08.12 (Wed)
えー今日も怖い話ではありません。世間様はお盆期間中に突入しましたので、
当ブログも創作を自粛し、やや学術的な話が続きます。
『トムとジェリー』と言えば、有名なアメリカ製のドタバタアニメなんですが、
あれに出てくるように、ネズミとネコは、
生まれながらにしてお互いを敵同士と認識しているのでしょうか。
ここでは小早川令子・高 氏夫妻の嗅覚に関する研究のご紹介です。
当ブログの隠れテーマである「恐怖」とも関係があります。

野生のネズミに天敵の臭いを嗅がせるとすぐに逃げ出します。
ネズミは多くの野生動物同様、視覚よりも嗅覚が発達しているため、
天敵動物を視認しなくても、嗅覚で察知するだけで逃げ出してしまうんですね。
そしてこれは、ネズミが生まれてから「あいつが敵だ」と学習したことではなく、
先天的に備わっている能力のようなんです。

ところが小早川夫妻の実験で、ある嗅細胞群を除去すると、
逃げないマウスが生まれました。天敵の臭いがわからなくなったのではありません。
残りの嗅細胞で臭いは十分にを嗅ぎ分けられるんですが、
それを天敵の臭いである、と認識することができなくなったわけですね。
つまり嗅上皮のある領域は、特定の臭いに対して、先天的に脳に恐怖感情を
引き起こす機能を担っていることが明らかになったわけです。
この研究は『ネイチャー』誌に発表され、下の印象的な写真とあいまって、
大きな反響を呼び起こしました。
・・・われわれも、『トムとジェリー』などによって、
ネズミとネコは仲が悪い物、という刷り込みがあるんでしょう。
ただしこれは、先天的なものとは思えませんが。

ちなみに夫妻の研究は、嗅上皮の特定細胞を外科手術によって除去したのではなく、
遺伝子操作です。
『嗅上皮では領域によって多くの遺伝子の発現が異なることに着目し、
領域による機能的な違いを研究。特定の遺伝子が発現する細胞のみを死滅させる、
遺伝子工学の技術を利用して、狙った領域の嗅細胞のみ除去する手法を独自に開発。』

とJSTニュースのホームページに出ていますが、
自分なんかは幽霊や心霊スポットよりも、
この日進月歩している遺伝子操作技術のほうが、怖いなあと感じてしまいます。

*リンクが効かないので URLを貼っておきます。
「ようこそ私の研究室へ15 小早川令子」
http://www.jst.go.jp/pr/jst-news/2008/2008-06/page08.html

さて、当ブログのテーマに戻って、この技術を幽霊に応用することはできるでしょうかw
これは嗅覚ということに関しては難しそうですよね。
幽霊には臭いがあるのかないのか、それがまず判明してはいません。
もし人間が本能的に恐怖を感じる種類の臭いがわかったとしても、
それが幽霊につながるかどうかは何とも言えないという感じがします。

では、この方面の研究は幽霊に関しては空振りなのでしょうか。
それが、そうとも言えない実験もあります。
よく心霊スポットなどで報告される現象として、
「その部屋(その一角、そのトイレなど)にはいると異様な冷気を感じた」
というのがあります。まあ、一つの建物の中を詳細に測定すれば、
空気の対流などによる温度差はあると思われます。
極端なことを言えば、エアコンの吹出し口から直接風があたる部分は温度が低いでしょう。
しかし、エアコンなど電気装置のない建物で、
一定面積の温度を下げるには、かなりのエネルギーが必要でしょう。

では見方を変えて、場所の温度ではなく、
われわれの体温のほうが下がるとしたらどうでしょう。それも恐怖によってです。
これは前述の小早川氏の研究室に『 NHKスペシャル 超常現象 科学者たちの挑戦 』
のスタッフが、イギリス、ウエールズにある「幽霊にもっとも憑かれた城」と呼ばれる
「マーガム城」で、SPR「心霊研究協会」のメンバーが採取した、
「異常な冷気とともに出現するハンチングの男」という証言を持ち込んで、
その解明のために行った実験です。ちなみにSPR「心霊研究協会」
(Society for Psychical Research)は決してうさん臭い組織ではなく、
1882年創立、世界42カ国に1万人以上の会員を持つ、国際的な研究機関です。

実験はまずネズミの背中の毛を除去し、サーモグラフィーで体温を測定しやすくします。
その上でサーモで監視しながら、ネズミにヘビなど天敵の臭いをかがせる。
これは効果てきめんでした。通常37度付近にあってオレンジ色を示しているネズミの体表が、
あっという間に34度まで下がり、サーモは黄緑に変化しました。
数秒の間のことです。しかも特に背骨の上辺部分の温度低下が大きいことがわかります。
まさに「背中に水を浴びせられる、背筋が凍る」という状態になっているわけです。
マーガム城の冷気について、小早川博士は、
「脳が知らず知らずのうちに恐怖を感じていて、それが体に信号を送って体温を下げていた。
そういう可能性はあると思います」とコメントしています。

・・・オカルティストにとっては残念な結果ではありますが、
すべての場合がそうとは言えないとも思います。
アメリカのTVゴーストハンターらの実験では、体温ではなく、
実際に部屋の一部の気温が下がっているデータも測定されているからです。
まあ、この嗅覚という方面は、味覚、触覚と並んで、
あまり研究がなされてこなかった分野ではあります。
今後もいろいろな面で期待ができそうですね。







石燕を読み解く

2015.08.11 (Tue)
鳥山石燕は江戸時代後期の画家、浮世絵師で、妖怪画を数多く描いています。
京極夏彦氏が一連の小説作品で採用したので有名になりました。
当ブログでも、数々使用させていただいているのですが、
当時の浮世絵には絵柄に、判じ物(謎かけ)、洒落、地口(言葉遊び)
などが含まれているものが多いのです。これは幕府の統制のために、
おおっぴらには言えないことを、判じ物として表現するためにも使われていました。
例えば次のアルチンボルド(右図)のような絵(左図)は石燕ではありませんが、



これは地震の神と考えられていた鯰を崇拝する?絵なんですね。
右上に神官の装束を着た鯰がいて、そこから光が差しています。
人の体が集まって顔になった男の着物は、のこぎりやカンナ、鋤などの
大工、土木工具の柄になっていて、男は手に小判百両を持っています。
つまり、地震の神のおかげで、大工や左官などが潤わせてもらっている、
というような意味になっているのです。

石燕の妖怪画もまた例外ではありません。
これと同じような判じ物が石燕の絵にも含まれていて、
大筋でわかるものもありますが、細部はよくわからないものが多いです。
これは当時の流行がそのまま洒落として取り入れられているためで、
時事性の強いものですから、一定の時期が過ぎてしまうと意味不明になってしまうのです。
また、石燕の仲間の洒落本作者や絵師などにしかわからない、
楽屋落ちが含まれている場合もあるようです。
次の絵は「岸涯小僧」という毛だらけの妖怪で、



河童にも似ていますが、頭に皿は見えないようです。
「がんぎ」という言葉にはいろいろな意味があって、
この絵で言えば、船着場における階段状の構造物を「雁木」と言います。
左図のようなものですが、



絵の中にも石段として出てきていますね。また、水木しげる氏は、
口を開けたギザギザの歯の姿が、和式の歯車である「雁木車」(右図)
に似ているところから、「雁木小僧」とも表記すると書いています。
おそらくこの絵の岸辺のギザギザした形や、夜空の星座も、
鳥の雁が渡る形(雁木)に関係があると思われます。
石燕は絵の中の背景や小道具を、テーマと関連した意味のあるものとして
描いている場合が多いんですが、これが難しくてわからない。

「泥田坊」の絵を見てみましょう。これは石燕の創作妖怪とも言われています。



『むかし北国に翁あり。子孫のためにいささかの田地をかひ置きて、
寒暑風雨をさけず時々の耕作おこたらざりしに、この翁死してより、その子、
酒にふけりて農業を事とせず、はてにはこの田地を他人に売りあたへれば、
夜な夜な目の一つある黒きものいでて、田をかへせ、かへせとののしりけり。
これを泥田坊といふとぞ。』

まあ、「田を耕せ(かえせ)」と「田を返せ」がかけられているのはわかります。
あと泥田坊の一つ目は男性性器の隠語で、「田を返せ」には、
「女房の夜の世話をちゃんとしろ」みたいな意味があるのだと言う人もいます。

妖怪研究家の多田克己氏は、
『泥田坊は石燕が言葉遊びから創作したものであり、
新吉原(遊廓)を妖怪の姿として描いたものではないか。
江戸では「北国」(ほっこく)というのは新吉原の異称であり、
吉原田圃(よしわらたんぼ)とも呼ばれていた事をはじめ、
「田を返せ」(田を耕せ)とは隠語で性交の意味、
また「泥」は放蕩の「蕩」(どろ)に通じ、翁が死んだという事は「翁亡くす」転じて、
「置なくす」すなわち「質草を流す」ということに通じる』

このように解説しています。
とにかく、いくらでも深読みが効いてしまうのです。

さて、この話をしているとキリがないので、最も正体不明の妖怪の一つとされる、
「ぬらりひょん」の絵を見てみましょう。



庭先に乗りつけた駕籠から、女の着物を着た老人が出てくるのですが、
ひじょうに特徴的な筋の入った禿頭をしています。
足元の蝋燭と燭台、家の中の物にも何かの意味があるはずですが、わかりません。
ちなみに「妖怪の総大将」と言われるのは、近代に入ってから生まれた俗説のようで、
「いつのまにか家の中に入っていて、ちゃっかり茶などを飲んでいる」というのも、
江戸時代の説話には見られないようです。

自分がありそうだなと思う解釈は、ぬらりひょんの頭がくらげを表しているというもので、
ぬらぬらしたものが海中からひょんと出てくる、
一種の海坊主の仲間であるという説なのですが、
しかし、それだとこの絵との関連はつかみにくいですよね。
海に関するものはまったく出てきてませんから。
あとは、放蕩者のことを「ぬめり者」と言ったりしたそうで、それとの関連。
ハゲ頭なのは、僧侶が医者(似たような髪型)
のふりをして女遊びをすることへの皮肉、という意見もありますがどうでしょうか。

「ぬらりひょん」という名称から思い浮かぶのは『瓢鮎図(ひょうねんず)』です。
これは有名な禅の公案で、室町幕府の第4代将軍、足利義持が考え出したものです。
「瓢箪をもって鯰の頭を押さえるのはいかに」みたいな意味で、
ぬるぬるするものを、つるつるのもので押さえるのはさぞ難しいでしょう。
次の絵は日本の初期水墨画を代表する画僧、如拙の作で国宝です。



もちろんこの絵の存在は石燕も知っていたでしょうし、
何か関係があるような気もします。背景に描かれている笹竹は似ているように思えますが、
それ以上のことはわかりませんね。

この石燕の妖怪画の解釈ですが、誰かやってくれる人はいませんかねえ。
お前がやれ、と言われそうですが、これは近世に関する広範な知識が要求され、
時間がかかります。ライフワークになってしまいそうです。
それに自分は学生時代は考古学専攻でしたし・・・
いずれにしてもこれは、博識の京極氏やお仲間の妖怪研究家の方たちでも、
判読しかねるもののようです。
みなさんも何かご存知のことがあれば、ぜひお便りください。





妖怪談義10(二口女)

2015.08.10 (Mon)
二口女というと、後頭部の髪の中に大きな口がある女の妖怪?のことを言うんですが、
話としては2つのパターンに分かれます。
どちらも因果応報譚、つまり自分のやった行為が自分に報いるという、
仏教的なお話になっているものの、軽い因果と重い因果の話があるんですね。
まず、重い因果の方は、

『ある家に後妻が嫁いだ。夫には先妻との間に娘がいたが、
後妻は自分の産んだ娘のみを愛し、先妻の子にろくな食事を与えず、
とうとう餓死させてしまった。それから49日後。夫が薪を割っていたところ、
振り上げた斧が誤って、後ろにいた妻の後頭部を割ってしまった。
やがて傷口が人間の唇のような形になり、頭蓋骨の一部が突き出して歯に、
肉の一部が舌のようになった。この傷口はある時刻になるとしきりに痛み出し、
食べ物を入れると痛みが引いた。さらに後、傷口から小さな音がした。
耳を澄ますと「 心得違いから先妻の子を殺してしまった、間違いだった 」
という声が聞こえた。』


なかなか怖いお話です。『シンデレラ』や『ヘンゼルとグレーテル』など、
世界的によく見られる、継子いじめの物語なんですね。
昔は現代よりも「家」というものが重視されていましたので、
誰が家督を継ぐのかというのは重大事でした。
子どものできない妻は離縁されたというような話もあります。
ですから、後妻などに入った先に先妻の子がいれば目障りですし、
悲劇を生む要因になったことも考えられます。

この手の話は非常にうけがよく、昔は旅芸人一座の演目の中にも、
継子いじめ物というのがあったそうです。子どもの役者が継子役になって、
舞台にしつらえた井戸に吊るされたりするんです。
で、観客の涙をしぼる。最後は、本当の親が現れたり、
継母がお上から罰を受けたりして、観客の溜飲を下げる・・・

ここでは二口女は実際の生きた人間で、妖怪ではありません。
後頭部にできた傷こそが、殺された継子の恨みがこもった、
人面瘡的な妖怪となってとり憑いているわけです。
この話の女は悔いてはいるのですが、継子を餓死させた罪は重いですので、
おそらく助からなかったのではないでしょうか。
心から神仏におすがりすれば、あるいは。

もう一つのパターンは民話系で、『食わず女房』と言われる話です。

『あるところに非常に吝嗇な男がいて、女房をもらっても飯を食わせるのがもったいない。
それで常々「飯を食わない女房ならもらってもよい」と公言していた。
すると、その望みどおりの女が山から現われて嫁になる。嫁は望みどおり働き者であったが、
不思議なことに米をはじめとした食糧が異常に減りはじめる。
仕事に出掛けるふりをして家をのぞき込んだところ、嫁が大量の飯を炊いており、
髪をかきわけ頭頂にある大きな口からそれを次から次に食べていた。
嫁の正体が人間ではないことを知った男が離縁をしようとしたところ、
嫁はおそろしい姿に戻り、男を自分の家へ連れ去る。男は隙をついて逃走、
菖蒲の生えた湿原に身をひそめることによって、追跡から逃れることができた。』


こういう話なんですが、ここでは女は山姥などの妖怪そのものです。
話の因果としては、男の吝嗇が妖異を呼び寄せ、罰を受けることになりますが、
前の話のように人を殺したりしているわけではないですので、
男は神仏の力で助かるという結末が多くなっています。
話としては日本全国に見られ、妖怪の正体も山姥の他に、
クモ、タヌキ、カエル、河童、ヘビ、山犬などがあるようです。
もちろん教訓として、吝嗇を戒めているのですが、
それ以外にも、いつまでも嫁をもらわぬ男にはやはり家を継ぐ問題が出てきますので、
そのあたりの意味も含んでいるのかもしれません。

それと、この物語には「植物の功徳」という一つの要素が含まれていることが多いのです。
菖蒲は魔除けの効果が絶大で、妖怪はこれに触ると溶けてしまいます。
また、地域によっては蓬(よもぎ)が代わりを務める場合もあります。
菖蒲も蓬も、どちらも端午の節句に縁起物として用いられていますので、
その起源を説明する起源説話にもなっているのです。

山姥から難を逃れる話には、他にも「三枚のお札」などがあります。
これは和尚にもらったありがたいお札が、山や川に変じて山姥の行く手を阻むのですが、
この原型としては、日本神話にみられる「イザナギ、イザナミの黄泉返り」の話の中で、
腐敗した死体に変じたイザナミに追いかけられたイザナギは、
髪飾りから生まれた葡萄、櫛から生まれた筍、
黄泉の境に生えていた桃の実を投げつけて難を逃れる・・・
ここでも植物の功徳が描かれています。

『絵本百物語 二口女』竹原春泉







塗仏2

2015.08.09 (Sun)
関連記事 『塗仏』

昭和30年台の初めだよ。山の中の現場で飯場の班長をやってたんだ。
ああそう、ダム工事だったが、そんな大規模なもんじゃなかったよ。
タコ部屋? 違う違う。俺は戦前の現場も少し知ってるが、
その頃には悲惨な労働もあった。
けど、敗戦のせいっていうか、まず重機がアメリカから入ってくるようになってね。
単純な人海戦術をとることはなくなったんだ。
それと進駐軍によって、労働契約、労働条件っていう考え方が入ってきて、
当時はストライキが盛んだったのよ。国鉄さんとかもね。
現代じゃ想像もつかねえだろうな。今のほうが派遣とか期間工とか、
文句一つ言わない、飼いならされた労働者が多くなったんじゃないか。
とはいえ事故はあった。これはしかたねえ、今みてえな二重三重の安全対策はなかったから。

あとまあ、喧嘩とかもあったが、これもしょうがねえ。
女っ気なしで集団生活してるわけだから。しじゅう面を合わせてりゃ、あいつ気に食わねえ、
ってなるのもしかたねえよ。けどよ、俺が班長になって博打は禁止したんだ。
仕送りをすっからかんにさせるわけいかねえし、只働きになりゃ誰だってやる気出ねえから。
でよ、秋口のことだったが、そこの飯場で雑魚寝してたんだ。
夜中を過ぎて、酒が入った人夫・・・作業員はみな泥のように眠ってた。
当然俺もだが、夜中に揺り起こされた。畑見っていう、まだ若いやつだった。
怒鳴り飛ばそうかと思ったが、口調が真剣なんで聞いたら、
「隣に寝てる木村さんが息してねえ」ときた。
でよ、他のやつを起こさないようそろそろと見にいったら、完全に死んでたんだ。
あちゃー不味いなって思ったよ。いや、人死にが出るのが不味いってことじゃねえ。

そりゃ病気も事故もあるわさ。そうじゃなくて、その日の夕刻に木村は、
元請けから様子を見に来てた前崎ってやつにシャベルで頭を叩かれて、
倒れるときさらに重機に頭ぶつけてたんだよ。その後、吐き気がするって言って、
夕飯もほとんど食わなかった。だから傷害致死ってことが頭をよぎったんだ。
前崎ってのは、いちおう籍は元請けのゼネコンなんだが、格好から物言いから何から、
はっきり筋者ってわかるやつなんだよ。ああ、昔の現場には規律を保つってことで、
そういうのがちょくちょく派遣されて来てたんだよ。
でよ、いろいろ考えた挙句、木村のやつはこっそり埋めちまおうってことにした。
ああ、ひでえと思うだろ。しかしだな、
医者呼んだところで死んだもんが生き返るわけもねえ。それに一番は、
前崎が警察に引っ張られでもしたら、工期が送れるなんてことじゃ済まねえから。

元請けと、そこに食い込んでる筋者の力は強いからな。アヤがついたってことで、
飯場全員、総とっかえってこともありえた。作業員はいくらでもいたからな。
でよ、俺の一存で、畑見には固く口止めして埋めるのを手伝わせた。
畑見に懐中電灯とシャベルを持たせて、俺が担いでいって、
現場から2kmほど離れた沼近辺の地盤が柔らかいところに埋めたんだよ。
ああ、わずかな持ち物も全部な。・・・バレやしねえよ。
みなは夜中に逃げ出したって思うだけだ。博打やってたころは、
朝になったら消えてたってやつも大勢いた。あと人間関係が不味くなったりでな。
え? いやに慣れてるじゃねえかって? ああ、まあ・・・
そこは聞かねえでくれよ。しかしな、俺は俺のやり方で筋は通してきたつもりだ。
坑は2mほど掘った。地盤が泥だからすぐだったよ。

最初に持ち物を入れて、それから木村を投げ込んだ。
土をかけて、あと1年後にはダムの底だ。ポケットから財布を抜き取ってな。
身分氏名がわかるもんは別個に捨てる。あと、金は抜き取って・・・
いや、そいつの供養に使うんだよ。着服はしねえ。
だからよ、中を改めるときには畑見にも見せたんだよ。
したら、当時の金で数千円の全財産と、写真が一枚入ってた。
それは奥さんらしい女と男の子が山を背景にして立ってる写真で、見た畑見が、
「家族いるんじゃないですか。埋めたら不味いんじゃ」って聞いてきた。
俺は「いんや、離婚したって聞いてるぜ。それに木村は、
 正月も去年の盆も飯場で寝泊まりしてたから。抜かりはねえよ」って答えた。
「そうすか。・・・この山、変わった形してるし、かなり高いんじゃないすか」

続けてこう言ったんで「おうよ、地元じゃ有名な山だ。木村とは同郷なんだよ」ってな。
翌朝、木村の姿が見えないってんでちょっとした騒ぎになったが、
俺の「荷物もねえし、逃げ出したんだろ」の一言でチョン。
特に何事もなく1週間ほど過ぎて、前崎が来たんだよ。
木村のことは話にも出なかった。もう覚えてなかったんだろ。
相変わらずシャベルの背で作業員をバッカンバッカン叩いてたな。
でよ、いつもなら5時過ぎには帰るんだが、その日は俺が無理に引き止めて、
飯場でしこたま飲ませたんだ。わざわざウイスキーまで買ってた。
前崎は10時過ぎにはぐでんぐでんになったんで、雑魚寝じゃなく、毛布一枚かけて、
事務所のほうの長椅子に寝かせたんだ。まだ寒いって時期じゃなかったからな。
あとなあ、事務所の玄関の鍵は開けておいた。

何でかって? そりゃあんな山の中で、集落まで10km以上。
物取りなんて絶対にいねえ。野生動物も鳥くらいだ。ま、普段は鍵かけとくんだけどな。
でよ、翌朝早く、前崎は二日酔いの顔で起きてきてこう言ったんだ。
「いや、昨夜は悪酔いしたんかな。変な夢見た」俺が「ほう、どんなですか」って聞いたら、
「事務所で寝てただろ。したら不気味なやつがソファの横に立っててな。
 それが真っ黒い顔をしてるんだよ。体も真っ黒だが、黒人てことじゃない。
 見たことあるような気もしたがよくわからん顔に、墨をぬったような感じでな。
 それとよ、しっぽがあるんだよ。かなりでかい、ナマズみてえなしっぽ。
 俺の方を見たまま、それを持ち上げて俺の面をびしゃびしゃ叩くんだ。
 な、変な夢だろ。その間中、生臭い臭がしてなあ」って。
俺が「そりゃ夢ですよ。だって電気つけてなかったから、何も見えんでしょ」

こう答えたら、「そらそうだな。ごちになった」って、車で帰ってった。
俺はそれ聞いて「ほう、効いてるな」って思ったんだよ。え? 何がって?
・・・後で言うよ。でなあ、翌週も前崎が来たときに、酒を勧めたんだよ。
ちょっとしぶってたが、今度は洋酒のブランデーを見せたんだ w
したら、意地汚えことに一人でまるまる一本飲みやがった。
ビールをチェイサーがわりにな。で、また泥酔して、前と同様に事務所に寝かせたんだ。
俺・・・は、夜中に起きてちょこっと細工してたんだよ。
ほら、木村と同郷って言ったろ。俺らのとこでは、塗仏ってのが信じられてて、
妖怪ってのともちょっと違うな。寺の坊主が、預かった仏さんの遺骸を粗略にあつかうと、
出るって言われてた。実際俺が子どもの頃には、
塗仏が出たってんで寺を追い出された坊主がいてな、それが俺の親父なんだよ。

だからよ、その縁でっていうか、俺は塗仏のことを少し調べてて、細工ってのはそのことだ。
夜中に「うぎゃーっ」って前崎の悲鳴が上がったが、しばらくほっておいたらまた、
「ぎゃーああああっ」って。それで事務所に行って電気をつけ、
半身起き上がってた前崎に「どうしたんです」って聞いた。
前崎は息を荒げながら「こないだの黒いやつがまた来たんだよ。しかも、前より腐ってたてか、
 生臭い臭いだったのが、人が腐った臭いに変わってた。
 俺は戦地で嗅いだことがあるからわかるんだよ。それで、しっぽで叩くだけじゃなく、
 今度は俺の顎を押さえながら顔を近づけてきて、したらそいつの目玉が片方、
 びろーんって伸びて俺の口の中に・・・」そのまま事務所の床にもどしやがった。
「前崎さん、夢ですよ、夢、夢」俺はそう言いながら、吐いたものを長靴で踏みつけて、
うがいをさせに前崎を外に連れだしたんだ。

それから茶とか飲ませて、朝イチで免許持ってる作業員に車で送らせたんだよ。
翌週は来なかったな。だから元請けの人に「前崎さん、どしたんです」って聞いたら、
具合悪くして休んでるってことでな、俺はそれ聞いて陰でにやっと笑ったんだよ。
それ以来やつの顔は見ていない。消息不明ってことだったが、
死んでるだろうと思うね、塗仏のたたりで。
ああ、木村を埋めたとこはもうダムの底だが、直前に掘り返して埋め直した。
すっかり骨だけになってたよ。位牌もこさえたし、毎年の供養もしてる。
あのとき財布にあった金じゃ全然足りないが、これも縁なんでな。
ま、死亡届も出てないから子孫の供養は受けられないだろうが、
これは勘弁してもらうしかない。俺もごらんの歳だが身寄りはねえんだ。
だからよ、木村と同じ無縁仏だ。それも近々のことだろうよ。








妖怪談義9(最凶)

2015.08.08 (Sat)
今日は怖い話ではありません。久々の妖怪談義です。
えー最強の妖怪はなにかというテーマにしようと思ったんですが、
これは言うまでもなく「ゲゲゲの鬼太郎」で決まりですよね。
なんだアニメキャラじゃないか、と思う向きもあるでしょうが、
江戸時代に黄表紙(絵入りの本)で妖怪物が流行ったときに創作されたものが、
現在では立派に?妖怪として通用していますし。

そもそも妖怪の強さというのは難しいんです。まあ「小豆とぎ」とかは弱そうです。
「ショキ ショキ ショキ 小豆洗おか、人とって喰おか」
川辺でこう言うだけのようですから。
でも、もしかしたら隠された能力があるのかもしれません。
現代のゲームキャラの能力と同じで、あれには勝つがこっちには負ける、
といったじゃんけんのような関係がありそうです。

では、最凶の妖怪というのはどうでしょうか。
人間を苦しめた度合いということですが、
これはほぼ異論なく「千年狐」ということになると思います。
「白面金毛九尾の狐」とも言われます。
文献初出は、中国の地理書『山海経』で、人をとって喰うという内容が出てきます。
かなり古い時代からの言い伝えがあるようです。歴史上では、これはお話なのですが、
『封神演義』に出てくる妲己は、この千年狐が化けたものとされます。
紀元前11世紀の古い話です。殷(商)王朝最後の帝、辛(紂王)の寵姫となり、
(本物の妲己は殺されてすり替わった)
義妹の雉の精、琵琶石の精とともに悪逆の限りを尽くします。

例えば『史記』に出てくる故事成語の「酒池肉林」も妲己が始めたことですし、
「炮烙の刑」猛火の上に多量の油を塗った銅製の丸太を渡し、
その熱された丸太のうえを罪人に裸足で渡らせ、渡りきれば免罪、釈放する。
(一説には、中で火を炊いた銅製の円筒に罪人を縛りつける。)
「蟇盆(たいぼん)の刑」殷の都、朝歌の人民一人つき蛇を数匹持ってこさせ、
これを地面に盆状に掘った坑に数千匹入れ、罪人をその中に投げ落とす。
これらの刑罰も、妲己が考えたということになっています。

紂王は妲己のために諸侯の信を失い、
周の軍師、太公望呂尚によって滅ぼされることになります。
ここで妲己も斬首されたはずですが、どうやってか生き延び、
次は天竺に姿を現すことになります。
(その前に西周、幽王の妃、褒ジになったとも言われます。
 褒ジは悪女としては小物ですが、周は滅びてしまいますね。)
 
これも紀元前ですか、西インドのマガダ国(耶竭陀)に現れた千年狐は、
太子、班足王子の后、華陽夫人となってやはり夫を操り、
「人、千人の首」をねだりますが、狐狩りによって傷を負い、
そのときにかかった名医にして仏弟子の、耆婆(きば)によって正体を見破られ、
逃げ去ったことになっています。
このときは国を滅ぼすまでには至らなかったんですね。
(チャンドラグプタ王、孫のアショーカ王の頃には、ほぼインド全域を支配します。)
 
さて、次に現れたのが日本で、玉藻の前という名前でした。
日本に来るのには、若藻(わかも)という妙齢の美女に化け、
彼女に惑わされた吉備真備の計らいによって、阿倍仲麻呂、鑑真和尚らが乗る、
第10回目の遣唐使船(753年)に乗船。
嵐に遭遇しながらも来日を果たしたとされます。
(仲麻呂はベトナムに漂着して日本に帰れず、鑑真は沖縄に漂着し薩摩へ)

玉藻の前の話はもちろん伝説なのですが、成立は古く、
すでに室町時代の文献には話が出てきています。
さて、若藻は玉藻の前と名乗り、鳥羽上皇の女官となり寵愛を一身に集めますが、
やがて上皇は病に伏せるようになり、安倍晴明の子孫である陰陽師、
安倍泰成に秘技、泰山府君祭を行わせたところ、正体がばれてしまいます。

その後がまた大変でした。千年狐が逃げた那須野で、
怪事が頻発しているという噂が宮中に伝わり、
三浦介義明、上総介広常を将軍とした、なんと8万もの追討軍を繰り出しますが、
妖術の前に敗退してしまいます。そこで、犬のしっぽを狐に見立てて馬上から射る訓練、
(犬追物、このあたりは起源説話のようです)を繰り返し、
再度攻めたときには、三浦介の弓、上総介の太刀によって、ついに絶命させられます。
ちなみに、三浦介、上総介はどちらも実在の人物で、
源平の争乱時に不幸な形で亡くなっていますので、
そのあたりの事情をよく知る武士たちによって、
能楽『殺生石』のヒーローとされているのかもしれません。

これで話は終わったわけではありません。千年狐の遺骸は巨大な毒石「殺生石」
に変じ、近くを通る旅人や鳥獣を殺傷しまました。
(硫化水素などの有毒ガスによるものとも考えられます)
多くの僧侶が鎮魂のために訪れたものの、毒のために倒れることになります。
最後は、南北朝時代の曹洞宗の名僧、源翁(げんのう)和尚の法力により、
石は四散して全国へ散りました。
「玄能(金づち)」の語源は、ここからきているようですね。

ということで、長いお話をやっと説明し終えました。
さてさて、中国ー天竺ー本邦と三国に渡った、
史実を絡めた物語のテーマははっきりしているようです。
歴史の陰に女あり、悪女は天下を滅ぼす・・・
あと、虚構は印象的な史実とからめたほうが面白いということでしょうか。

『今昔画図続百鬼 玉藻前』鳥山石燕







磯女(いそめ)

2015.08.07 (Fri)
小6のときだな。夏休みに海辺にある親戚の家に滞在してた。そのときの話。
高校に行かず17で漁師になった近所のあんちゃん、
良男さんって人に午後から浜に連れてってもらった。そこらの漁師は朝早く出て、
昼前には戻ってくるから。良男さんは、親方に殴られたって言って、
目のまわりを青く腫らしてたのを覚えてるよ。
俺は当時、あんまり泳げなくてね、学校のプールでも25mがやっとくらい。
だから良男さんはバチャバチャ泳ぎに付き合うのに退屈したみたいで、
4時頃には、もう帰ろうかってことになった。そこらは岩浜で魚もカニもたくさんいたけど、
ちょっと転んだりすると鋭い岩で皮膚がぱっくりと裂けた。
注意してたんだが、帰るってことで気が緩だんだろう。
海から上がるときに、膝をぶつけて割ってしまった。

血がかなり出て、潮が傷口にしみた。良男さんに見せると笑って、
「ここらじゃよくあることだ。タオルで傷口を押さえてな。
 海の家にいって傷バンもらってくるから」そう言って堤防を越えていき、
俺は顔をしかめて膝横を押さえてたんだよ。で、見るともなく近くの海面を見てた。
そしたら大きな岩と岩の間の海藻の上を、スッと黒い影が横切って、
魚としか考えられなかったが、いやにでかい。
こういう岩浜というのは、岩礁が切り立った崖のようになっているんで、
そのあたりはもう足の立たない深さなんだ。
それっきり姿が見えなくなったので、足の傷を押さえるのに集中した。
厚手のバスタオルを何重にも折っているので、そこまで血は染みてこなかったし、
痛みも薄らいできた気がした。したら、波とは違うばしゃんという音がしたんだ。

もう一度さっきのところを見た。やはり何か黒い影・・・いや、青っぽく見える影が、
さっきより海面に近いところを動いて、大きさは1m以上あるように思えた。
魚というより、アシカなどの海獣に近い印象があった。
「何だこれ、何かすごいものが近くにいる」立ち上がってみた。
また影は見えなくなっていたが、回遊しているのだとしたら戻ってくるかもしれない。
で、10数秒後、ほぼ同じところにそれが来たんだ。
立っているから全体の姿がわかった。海の中にいるからではなく、はっきりとした青い色。
背中に流れている黒いものは髪だろうか。俺の背丈くらいの青い人間。
きゃしゃな体つきと長い髪で、女に見えた。
しかし足のほうはどうなってるかわからなかった。
やっぱりオットセイ類の、尾びれのような形である気もしたんだよ。

「おーい、大丈夫か。べそかいてないか?」良男さんの声がした。
近くまでくるのが待ちきれなくて「でかいものがいる!」大声で叫んだ。
「あー魚か?」良男さんが応じて、岩の上を跳び伝うようにして近くまで来た。
「今見えなくなったけど、また来ると思う。このあたりをグルグル回ってるみたい」
「でかいってどんくらい」 「俺の体くらい」
「うーんサメか? いるんだろうけど、浅いとこではまず見ないぞ」
こう言い合っているうちに、またそれが戻ってきた。「来たよ」
「どこだ?」 「あの大きい岩の間」 「あー・・・」良男さんが声を飲むのがわかった。
それはこっちの存在に気がついたのか、数mに広がる黒い海藻の上で動きを止めた。
「人に見えるでしょ。何あれ、このあたりにいる生き物?」 「・・・いや」
良男さんが俺の手首をつかみ、「このまま少しずつ下がって堤防まで行く。走るなよ」

かなり緊張しているのがわかった。「何? 危険なものなの」 「しっ」
俺らはそろそろと後じさりするようにして5mほど離れ、すると海面が見えなくなった。
「足痛いか?」 良男さんが聞いたのでバスタオルをどけてみると、
傷口は白くふやけて、血は止まっていた。
「あれはたぶん、磯女(いそめ)だろ。俺もはじめて見た」
「磯女って?」 良男さんはやや間を置いてこう言った。
「亡者だよ。死んだ人、女だ。でもよ、ここらの人間には危険はないって言われてる。
 漁協に知らせなならん」 「俺はここらの人じゃないから危なかんたん?」
「・・・引かれるって言われてるな」 「どういうもんなの」
「夜に訪ねていって教えるよ」こんな会話をしながら堤防まで出たんだ。
そこまでくるとさすがに怖いという気はしなかったな。

夜9時過ぎ、お世話になっている親戚の家の夕食がすんで、
縁側で涼んでいると、土産のサザエをいくつか持って良男さんが訪ねてきた。
そこで、こんな話を聞いた。「磯女っていうのは、海で亡くなった女のタマシイだ。
 男はならない。ここらの男は漁師でなくても泳ぎは達者だから、
 浜近辺で溺れることはないし、それに漁師は覚悟があるから。
 中には北極海まで出る人もいるし、凍った海に落ちて死んだらそれはそれって覚悟は、
 みんな持ってる。磯女になるのは、浜で死んだ地元の女で、
 まだ遺骸があがっていない人なんだよ。漁協で、3年前に11歳の女の子が、
 船着場付近で海に落ちて行方が知れてないからそれだろうって、聞いてきたな」
「俺と同じ歳じだな、その子知ってる?」 「顔を見たことがあるくらいだ」
「どうするの」 「そこの家の人ったちと坊さんで浜に上げる。明日やるみたいだ」

「見に行ってもいいん?」 「まあ、かまわんと思うぞ。前葬式みたいなもんで、
 参会してはダメっていう決まりはない。別に隠し事でもないしな」
ということで、翌日の夕方、海水浴客があらかた帰った5時過ぎに昨日の場所に出てみた。
したら、あれがいた岩礁付近に大勢人が集まってた。
多くは漁協の関係者で似合わない背広を着てるものが多かったが、足元はゴム長。
4重5重に人が取り巻いて、そこの岩礁には近寄れそうもなかった。
地元の子どもも何人も出てたが、みな人の輪の最外にいた。
俺のことをどうこう言う大人はいなかったな。
人の背で何も見えず、ただうろうろしてると、「おい」と呼びかけられ、
振り向くと良男さんだった。「中にいかないの?」
「俺はまだ見習い漁師だしな。背広も持ってない。あっちの突き出た岩にいこう。

 遠くなるけど見えるだろ」こう言われて、2人で50mほど離れた、
磯女の出た岩とは平行な形で海に突き出た場所にいった。
向こうの海に面した場所が少し見え、人が半円を描いて海面を取り囲んでるのがわかった。
全面に出てる人はみな手に花束を持ってたな。
白木でできたお盆の祭壇のようなものが築かれてあった。
ずっとそのまま20分ほどたち、堤防の向こうから袈裟を着た坊さんに先導され、
喪服を来た年配の男女が歩いてきた。「亡くなった娘さんの両親だ」
良男さんが言った。「その女の子はもう来てるの?」 「わからん、が、親が呼べば来る」
「どうして3年前、海で見えなくなってすぐのときに呼ばなかったの」
「その頃は、うまく説明できんが、まだ普通に死んだ人なんだ。
 自分を見つけてもらいたくてしかたなくなったときに、磯女になって来る」

長くなったんで、ここからは簡単に話すよ。坊さんが最前に出てお経を唱え始め、
両親が大声で叫んでいるようだった。祭壇の上のもの、人形や学用品だったけど、
それらが次々に海に投げ込まれた。赤いランドセルまで。やがて人の輪が大きくざわつき、
漁師が3人出てきて、海面に投網を投げたんだ。
海面にしぶきがあがって、一瞬だけ、真っ青な手が突き出されるのが見えた。
それだけ。網があげられて、両親がしゃがみ込んで泣き崩れていた。
坊さんがまた大声でお経を唱えだし、
それが風に乗って俺らのいるところまで聞こえてきた。これで終わりだったよ。
後に聞いたところでは、投網で上がったのは頭の骨のかけらが石ころほどくっついた
髪の毛の束だけだったらしい。しかしそれだけでも、あれば、
行方不明状態で葬式もあげられなかった子の供養ができることになる。

「あの青い人に見えた姿はどうして?」良男さんに聞いてみた。
「俺もよくはわからないが、念というか、タマシイというか。
 陸に戻りたい、見つけてほしいって亡くなった人の気持が形を持ったもの、
 って言われてる。だから実際の体はないんだ」
「あのときに、よその者は引かれるって言ったよね」
「うーん、そうだな。磯女を見るのはたいがい、亡くなった人の肉親とか知人なんだ。
 そういう人は縁があるから、特に危険なことはない。
 向こうは見つけてほしいわけだからな。けども今回の場合は珍しいようだ。
 縁者でないお前に見えたわけだから。坊さんは、同じ年くらいの子どもだから
 近寄ってきたんじゃないかって言ってた」遺体の一部が上がった磯の近辺は、
ロープを張り回され、その夏中、漁も遊泳も禁止されたよ。
 







芥子(からし)人形

2015.08.06 (Thu)
こんばんは。では、私の祖母と芥子人形の話をさせてもらいます。
祖母は、これは母方の祖母のことで、
某県に住んでいてそこから出たことはありませんでした。子供のとき、
こちらから訪ねていったことは何度かありますが、典型的な昔の豪農の家の造りで、
門内には馬小屋がありましたし、家のぐるりを縁側が取りまき、
さらにその外の庭には池が巡っていました。
祖母は和服をきちんと着こなした姿勢のよい女性で、私には優しかったですけど、
なかなか心から打ちとけることはできませんでした。
これは、祖母がある神様を深く信心していたこととも関係があると思います。
奥の間にしつらえた神棚というか・・・大掛かりな祭壇の前で、
1日のうち何時間もお祈りしていることが多かったんです。

そのときの顔の真剣さといったら怖いくらいでした。
次に芥子人形のことを説明します。これは私が生まれてほどなくして、
祖母から送られてきたというもので、いつも神棚の上に置かれていました。
和紙を折ってこしらえた、紙雛のような形をした女の子の人形です。
着物の色は芥子色ということではなく、白でした。袖の細い着物の両腕を広げた、
全体として十字の形をしていました。ええ、そんなに手のかかったものではありません。
もちろん両親は大事に扱ってはいましたが、傷つけたり汚したりすれば、
何か罰があたるというようなことはありませんでした。汚れた頃合いを考えて、
数年おきに祖母のところから新しい人形が送られてきて、古いのを送り返していました。
え? 芥子人形という由来ですか。ああ、いい忘れていました。
人形は折り方によって、そうですね、胸のところが紙の鶴のような袋になっていたんです。

その中にはからし菜の種が入っていて、振るとカラカラ音をたてたんです。
祖母のところではからし菜を畑で栽培していたんです。ご存知でしょうか?
からし菜は外来種ですが、弥生時代から日本にあると言われています。
でも現在では、和がらしの原料としての菜は、ほとんどを輸入に頼っているんです。
祖母の畑で栽培しているからし菜も量としてはごくわずかで、
食用ではなく、芥子(がいし)という漢方薬を作るのに使われていました。
神経痛やリュウマチの薬になるのだそうです。それと神事にも使用されていたようですが、
これは詳しいことはよくわかりません。あと、私の4つ下に妹がいるんですが、
やはり私と同じように、妹用の芥子人形があったんです。
そうですね、両親からは「おばあさまがあなたの健康を願って作ってくださったもの」
と説明されていましたが、普段はあまり意識したことはありませんでした。

これが役に立ったのは、私が大学生のときです。
親元を離れてアパート暮らしをしていました。
そのとき・・・ストーカーの被害にあったんです。
友人に誘われ、軽い気持ちで出た合コンでしたが、別の大学の方にしつこく連絡先を聞かれ、
なんとなく陰気な感じの人でしたのでお断りしたんですが、
私の大学のほうから情報を仕入れたらしく、アパートの住所を知られてしまいました。
最初は偶然を装った形で、その後も何度も部屋の近所で出会ったんです。
声をかけられるたびに、はっきりお付き合いは断っていたんですが・・・
このままだと両親に連絡して、転居することも考えなければと思っていました。
それと警察にも相談しようかと。その矢先です。
祖母から封筒が送られてきまして、中には真新しい芥子人形が入っていたんです。

それ以外の手紙などはなかったので、はじめて祖母のところへ電話をかけました。
出てくれるか、少し心配もありました。というのは、
祖母はとにかく電気製品を嫌っていて、子どものときの記憶ではテレビも見なかったし、
電話はありましたが、祖母が出たり、自分でかけることはなかったですから。
電話には祖母とともに暮らしている長男の伯父が出まして、人形の話をしたら、
やや間があって「おばあちゃんは、人形がなにもかもよくしてくれると言っている」
という返答が返ってきました。人形の扱いについても伯父が祖母から取り次いでくださり、
「アパートの部屋には神棚はないだろうから、鴨居の煤を払って、
 そこに差しこんでおくだけでいい」と言われたんです。
それから2日後のことです。私は理系の研究室でしたので実験で遅くなり、
自転車で公園と民家の塀の間を走っていて、塀と塀の間の前を通ったとき、

急に自転車の後ろを強い力でつかまれ、引き倒されてしまったんです。
幸い頭は打ちませんでしたが、右の腿と肘を強く地面に打ちつけました。
なんとか立ち上がろうとしたときに、後ろ側にストーカーの男がいたんです。
刃物を持っているように見えました。大声で叫ぼうとしましたが声が出なかったんです。
人間、パニックになったときって、思ったような行動ができなくなるんですね。
私が見を固くすると、塀にうっすらと影が映るのが目に入りました。
ええ、遠くの街灯の光のぼんやりした影だったんですが、
それが見るまに濃く、くっきりとなって・・・
筒袖を横に広げた芥子人形の影だと思いました。
その影はぐんと伸び、ストーカー男の影に覆いかぶさっていき・・・
すると男は急に口を押さえて膝をつきました。

指の間からだらだらよだれをこぼしながら、「からい、からい」と泣き声をあげました。
私は、倒れていた自転車を起こし、全速力でこいでその場を逃げ出したんです。
体はあちこち痛みましたが、そのまま駅前の派出所まで走って被害を訴えたんです。
その後、その男はつかまり、実刑にはなりませんでしたが、
大学を辞めさせられ、親元に引き取られたようでした。
あれからは1度も姿を見かけてはいません。
警察に行った後、しばらくは友人のところを泊まり歩いていましたが、
物をとりにアパートに戻ったとき、鴨居の芥子人形の胸がカッターで切ったように、
鋭く破れていて、芥子の種子がぱらぱらと床にこぼれていました。
心配をかけたくなかったので、両親には知られたくなかったのですが、
そういうわけにもいかず、この一連の事件の最中に両親がそろってアパートに来たとき、

母から「お前は覚えてないだろうけど、3歳で事故に遭いそうになったときも、
 あの人形に助けられているんだよ」と言われ、父もうなずいていました。
だいたいこんな話ですね。はい、祖母は80歳を過ぎましたが今も健在です。
この頃はますます信心が盛んになって、一日の大半を祭壇の前で過ごしているようです。
芥子人形ですか。妹のはまだ実家に送られてきているようですが、
私のはもうありません。お役御免になったみたいです。
かわりというか・・・おととし結婚しまして、昨年女の子が生まれました。
その子用の芥子人形が、大学のときのと同じような封筒に入って、
祖母から私の新居に送られてきたんです。神棚もなかったんですけど、
さっそくしつらえて、そこにお祀りしています。振るとカラカラっと懐かしい音がして・・・
祖母にはいつまでも長生きしてほしいと思っているんです。








本の感想6

2015.08.05 (Wed)
今回は久々に本の感想です。あまり間隔が開いたので、
どういう書き方をしていたか忘れました。
『山怪 山人が語る不思議な話』田中康弘 山と渓谷社
文庫本ではなく、ハードカバー1200円+税です。
著者の田中氏は、本業は著述家ではなくフリーカメラマンです。専門は「マタギ」で、
東北地方・北海道で古い方法を用いて集団で狩猟を行う猟師のことです。
その方が、長年マタギの中に入って写真撮影した中で聞き集めた話ということで、
実話感がひじょうにあります。これは怪異の起きた場所や、
遭遇した人物がわかるように書かれているからで、
他の実話怪談本とは一線を画していて、お勧めの一冊だと思いますね。

どっちかというと採取された民話に近いような感じですが、
「座頭市の勝新太郎と戦ったマタギ」という奇妙な話も載っています。
ただこれは、状況からすればぐんでんぐでんに酔っ払って見た幻覚としか思えませんが。
書かれている主な怪異は、狐、狐火、狸、蛇、ツチノコ・・・
野生動物に関するものが多いですが、
それ以外にも人魂、神隠し、タマシイ、カーナビの異常、臨死体験、マヨイガなど、
けっこうバラエティに富んでいます。
話を取材した場所も、東北ばかりではなく、四国や奈良県、栃木県、
那須高原など全国に及んでいて、それぞれの地で同じ狐の話にしても、
共通する部分と異なる部分があったりして実に興味深いです。

あと各地で共通して出てくるのが「足のない幽霊の話」です。
足のない幽霊というと、知識として「江戸時代の幽霊画の影響を受けている」
などとしたり顔で言ってしまいがちですが、どうもそれだけではない、
と思わせられる何かがあるようです。足、下半身がなくとも歩く音だけが聞こえた、
という点も共通しています。おもしろいなあと思いました。

この山の怪異というのは、基本的に悪意のあるものではありません。
自分の書く話では、人の怨みによる祟りや呪い、嫉妬などが出てくるのですが、
山の怪異はそういうのをとっぱらった、現象そのものであることが多いのです。
このことは著者自身も後書きで書いておられます。
それと、山の怪異は静的であるということも。
これは、必死になって怪異と戦ったり、
坊さんや霊能者に頼って大々的にお祓いするというような展開ではなく、
いつのまにか始まり、知らないうちに収まってしまうということです。

自分もけっこう山行はするほうなのですが、
確かに山では不可思議な現象はあります。前にも書いたのですが、
自分が奇妙だなあと思っている現象は2つあって、
一つは、雑木林の一枚の木の葉や一枝だけが、
風もないのになぜかちらちらと揺れている現象。
他の部分はまったく動いていないのにです。

もう一つは、絶対に人が入れるはずもない藪の斜面などで、
笑い声や会話のような音が聞こえること。
これは自分以外にも体験したという人は多いんですが、
聞いてみれば絶対に鳥の声や木の枝がこすれる音ではないことがわかります。
ただ、これらの怪に遭遇したからといって命にかかわるようなことはありません。
山では、怪異以外の危険のほうが当然ながら多く、
集中していないと命にかかわる場面はいくらもあります。

上の二つの現象も合理的な説明がつくようです。
木の葉がちらちらするのは、たまたまその部分がモビールのように微妙なバランスになっていて、
他の部分が動かないようなわずかなな風でも影響を受けてしまうから。
声の方ほうは、これは本当かどうかわかりませんが、
拡声器を使用した声や、有線放送などが、
谷や山の尾根を伝ってかなり遠くまで流れてくるものであると説明する人もいます。
ヤマビコの原理を考えてみれば、声はかなりの距離を伝わっているので、
自分としてはそういうこともあるのかなあと思います。

最後に、著者の田中氏に関しては、twitterにおいての「実話怪談批判」というのが、
自分ら怪談フアンの間では話題になっています。
興味を持たれた方は検索してみてください。








実話系の話8

2015.08.04 (Tue)
高所3題

これはすべて自分が採集した話ですが、
共通点のようなものが感じられて、ここに合わせて記載してみました。

大慈恩観音

これは某市にある、仏教系の新興宗教団体が造立した巨大仏像です。
高さは108mということでしたね。ほら、大晦日につく百八つの鐘、
あれと同様に人間の持つ煩悩の数を表しているということでした。
話をしてくれたのは、その地域のタウン情報誌ほ編集員をしているSさんです。
Sさんはその月刊誌の連載企画として、地元の観光スポットを紹介するコーナーを
担当していたんですが、だんだんネタ不足になってきて。
その巨大観音を取り上げることにしたんです。
これは「やむなく」ということでしたね。なぜかというと、
やはり新興宗教関係の施設ですので、いろんなトラブルがあることも予想されたからです。
教団の広報部に所在を申し込むと、後日返事があって、
教団の慈善事業への取り組みも合わせて記載してくれという条件付きで許可が下りました。

取材当日はSさん一人で、観音像の奥手にある教団本部に行きました。
数人の幹部に囲まれて出てきた教祖様は、
まだ二十歳を少し過ぎたばかりという女性だったそうです。
そこで、教団員による河川清掃や、交通遺児募金の話を聞かされました。
特に布教めいた話はなかったそうです。その後、Sさんが自分で大観音の写真を撮り、
おいとましたそうです。Sさんはカメラの専門学校を出ているので、
それはお手のもののはずでした。デジカメなので、
もちろん撮った画像はその場で確認し、特に異常は認められなかったということでしたが、
編集室に戻ってパソコンで見てみると、
画像のうち数枚に炎の影のようなものが写っていました。
白い大観音にまだらに縦長の赤い影がかかり、それは火が揺らぐような形をしていたんです。

タウン誌には特に問題ない画像を選んで掲載したんですが、その号が出てから、
編集部に何件か苦情や質問の電話が来たんです。
それらは内容が全部一致していて、観音像の右目のところにおばあさんらしき顔が見える、
というものでした。しかも映っていたとしてもごく小さいはずなのに、
憤怒の形相がはっきりわかるという。でもね、確認したところ目は素材のコンクリの色で、
顔なんてどこにもなかったそうです。苦情してきた一人は、そのおばあさんは、
教団の前の教祖様だと言っていたそうです。
教団はそのばあさんが始めたんですけど、幹部の何人かがクーデターを起こし、
若い教祖を担ぎあげ、とうとう本部までのっとってしまったんです。
開祖のばあさんのほうは未だ生きいて、毎日悶々と、
新しい教祖と教団そのものを呪詛しているという話でした。

鉄塔の夢

これは主婦のMさんから聞いた話で、ここに書いていいか許可を得ています。
というのも、Mさんの幼い息子さんが亡くなっているんです。
Mさん家族は高層マンションに住んでいましたが、
山に面した方に何本か高圧送電用の鉄塔が立っていたんです。
それは100m鉄塔と言って、Mさんらが住んでいたマンションよりも高いんですね。
Mさんのマンションはけっこう離れてましたけど、鉄塔はよく見え、
鉄塔下の家に住んでいる人の中には頭痛を訴える人もいたそうです。
どうなんでしょうね。もちろん電力会社側では、
高圧電流、電磁波による健康への影響は否定していますし、そのようなデータもありません。
Mさんの息子さんは5歳で、近くの幼稚園に通っているんですが、
あるときから「鉄塔に上った夢を見る」と言うようになりました。

特に怖がってはいないようでしたので、そのままにしていたんですが、
2週間ほどしてから「ボク、鉄塔から落ちるかもしれない」と訴えるようになりました。
「でも、それ夢なんでしょう」と聞くと「そうだけど、すごく怖い」って。
まあでもね、これどうしようもないじゃないですか。
夢を見るなと言うわけにもいかないし、
この程度のことで、心療内科などを受診するってのも変ですよね。さらに3日後、
息子さんが寝る前に、パジャマ姿でMさんら両親の前に手をついて、
「今までありがとうございました。ボクは今日鉄塔から落ちます」って言ったんです。
さすがにぎょっとしますよね。でも、まさか寝るなとも言えないし、
ご主人のほうは「何変なこと言ってるんだお前は」というような反応だったそうです。
でね、胸騒ぎを感じていたMさんが11時過ぎに様子を見にいったときには、

もう息子さんは息をしていなかったそうです。すぐに救急車が呼ばれましたが、
どうにもなりませんでした。心停止による突然死、原因は不明です。
葬式も終わった後日、幼稚園に挨拶に行ったときに、
息子さんの上履きなどといっしょに、幼稚園で描いた絵も返されたんですが、
それは幼児の絵ながらも屋根が真上から描いてあり、
高所から見たものだとすぐにわかったそうです。
Mさんのお宅はマンションの8階でしたので、初めは、
そのベランダから見た景色を思い出して描いた絵なのかと思ったそうですが、
大きな建物の青い屋根が四角形に広がっていて、それは鉄塔のすぐ手前にある
企業の体育館に思えて仕方なかったそうです。
マンションからは屋上に上がったとしても、その屋根の上面部分は見えないということでした。

ガラス展望室

これはビル経営をしているHさんという男性の話です。微妙な話なので、
これをブログに書く許可は得ていませんが、彼とは飲み仲間ですので、まあ。
最近でもないかもしれませんが、高層ビルなどの展望台で、
床が透明になって下が見える箇所があるじゃないですか。
強化ガラスか分厚いアクリル板の上に乗るやつです。
あれも、高所恐怖症の気味がある人は怖いでしょうね。
で、その夜なんですが、Hさんは浮気をしていまして、若い女性と高級バーで飲んだ後、
その展望台にいました。夜になるとその透明な張り出しスペースは、
下が暗闇になってあまり怖くないんです。夜景がとてもきれいに見えたそうです。
その若い女性と寄り添ってうっとりしていると、突然足元のガラスに、
ぺたぺたっという感じで一対の手のひらが張りついたんです。

手のひらだけで、体の部分は見えなかったんですね。
「うっ!」と思わずのけぞりそうになりましたが、一緒に下を見ていた連れの女性は無反応。
それでHさんは「これは自分しか見えていないんじゃないか。
 変に怖がらせるようなことを言うのはやめよう」と思ったそうです。
手のひらはバンバンという感じで、下からガラス面を叩き始めました。
もちろん厚いガラスですので、音が聞こえるわけではありません。
でね、見ているとその手のひらは、片方だけ手首を返すようにして、
手の甲をぶつけ始めたんです。ここで、Hさんは心底恐ろしくなったそうです。
なぜかというと、その手の甲に見えた結婚指輪は・・・
もちろん彼が奥さんに買ったものだったんですよ。ねえ、本当だとしたらこれは怖い話ですよね。
自分が怖い話のブログをやってるのを知ってて言った、作り話ならいいんですが。

ここまで3つの話を書きましたが、どれも生霊の可能性がありますよね。
最初のは、教団を呪っている元教祖の生霊が巨大観音にとり憑いたというか。
2番目の話は本当にお気の毒ですが、息子さんは睡ったとき、
体外離脱して鉄塔にのぼっていたんでしょうか。だとしたら何のために?
それに体外離脱状態なら、もし落ちたとしても、
宙を飛ぶようにして元の体に戻ってこれるんじゃないでしょうか。不可解というしかありません。
ただまあ、われわれでも高いところから落ちる夢はたまに見ますよね。
膝を立てて寝ていたのが姿勢が崩れたせいとも言われますが、よくわかっていません。
目が覚めると心臓がドキドキしていたりしますので、体に悪そうです。
最後の話はなんというか・・・本当のことでしたら奥さんは、
Hさんの浮気に気がついていたんですかねえ。どこで何をしてるかまでわかるんでしょうか?

空中展望台から見る夜景






氷穴の話

2015.08.03 (Mon)
* 暑いので少し涼しい話を。

昭和20年台後半頃だな。俺が小学生の時分。
その頃は、こうまで暑い夏じゃなかった気がするが、今とは違ってエアコンもなかったから、
夏休み中に暑い日が続くと「氷穴に行こう」ってじいさまに願ってな。
これは1日がかりで、じいさまのその日の畑仕事をつぶしてしまうことになるんで、
なかなかうんとは言ってくれなかった。
だから行けたのは、ひと夏に一度あったかどうか。
翌朝は握り飯を持ち、水筒に水を入れて支度をし、早くに家を出るんだ。
当時の「早く」ってのは今とは違ってほんとうに早くて、夏場なら午前6時前だよ。
それから5時間ほどかけて、ふた山超えた山の奥まで分け入る。
そこまでは獣道程度だが一本道がついてて、迷う心配はなかった。
ゆっくり歩いて11時前には岩山の洞穴地帯に入る。

そこらは鍾乳穴と呼ばれる洞窟がたくさんあってな、ごく浅いのがほとんどだったが、
深いのも何本かはあった。むろんただの鍾乳穴でも中は涼しいんだが、
氷穴はそういうのとはまったく違ってたんだ。入り口はせまく、大人2人が並んで入れる程度で、
上に太い注連縄が渡してあった。ここは鍵などはついておらず、
まあ村の主だった者なら誰でも入ることはできた。むろん照明はないから懐中電灯が必要だ。
20mほど同じ幅の洞穴を進んでいくと、ぽっかりとホール状の場所に出る。
そうだな学校の教室4つ分ほどの広さで、百畳敷と呼ぶ人もいたな。
中は涼しいなんてもんじゃない。温度計を持って入ったことはないが、気温は零下だったろう。
それは普通じゃありえないさ。たいがいのところは洞内の気温は15度内外。
そこだけは特別なんだ。だから氷穴って呼ばれた。
なにせ、そこのホールの壁には厚い氷が張ってたからな。

なぜその洞穴だけ異常に温度が低いのかって?
それをこれからだんだんに説明していくんだよ。そんなに慌てなさんな。
なにせほら、来るときは真夏の格好だったろう。
その頃の小学生なら定番のランニングシャツに半ズボンだ。だから道中暑かったのが、
中に5分もいると、嘘みてえに寒くなってくる。
俺が震えだすと、じいさまは笑って「外をひとっ走りしてこい」って言うんだ。
洞穴の外はいわゆるガレ場で、大小様々の角ばった石がごろごろしている。
そこで石投げをしたり、珍しい石を集めたりしているうちに体温が上がって、
また洞穴に入る、それを何度も繰り返すわけだ。
今ならサウナに出たり入ったりしてるようなもんかな。違うか?
じいさまは、たいがいは外に出てて、煙草をふかしてることが多かったな。

あまり中にいるのが好きじゃないみたいだった。
ま、あの冷たさじゃ年寄りの関節にはよくないだろうが、それだけじゃない。
おびえているような感じがした。怖がってるのを俺に知られまいと隠しているような態度。
まあこれは、今になってそう思うんだがね。村の者を見かけたことはないな。
山道を5時間だから、もちろんちょっくらとは来れるとこじゃない。
しかしそれだけでもない。なんというか、そこらの地域ではあまり好まれない場所だったんだ。
俺とじいさまが行けたのも、村の中ではかなりの山持ちだったせいがあるんだろう。
ああ、山持ちってのは山林の所有権のことだ。
農地開放前は、小作をたくさん抱えた豪農だったんだよ。
でな、氷穴の話に戻るが、さっきのホールのところで行き止まりというわけじゃない。
また細くなった奥へと通ずる道があって、そこは鉄柵で塞がれてた。

一本一本が子どもの腕ほどもある鉄棒が岩に埋め込まれててね。
これはそんなに古いもんじゃない。戦争中に旧日本軍が造ったもんだよ。
むろん鉄柵も凍りついてて、そこに巨大な錠前がついてたんだ。
当時・・・鍵は村議会で管理してたが、
その奥に入ることは10年に1度ほどしかなかったはずだ。入ったことがあるかって?
ああ、1度だけある。その話をこれからするんだよ。
氷穴の奥に入るのは、大きな地震があった後の確認のためだ。
震度にすればだいたい4か5以上のとき、村の青年団に招集がかかって、
みなで氷穴の奥に入るんだよ。俺が青年団のとき、つまり結婚前ってことだが、
秋口に大きめの地震があって、そんときに皆と一緒に入った。その頃になると林道が通ってて、
岩山の麓までは車で行くことができるようになってたから、山登りは2時間くらいだった。

青年団は12人で、村長が団長だったな。
奥に何があるか、俺は知らなかったが知ってるやつもいた。でもこれは、
語るな聞くなの、一種の禁忌になってて。俺は22歳だったが、
団員の中には、8年前の地震の後に氷穴に入った経験者もいたはずだよ。
完全防寒した12名の団員、村長と村会議員・・・村長は高齢だったから中には入らず、
一番若手の議員が鍵をあずかり、松明を焚き、2列になって注連縄をくぐった。
すぐにホールに出て、錠に魔法瓶の湯をかけて溶かし、鍵を差し込んだ。
でもな、扉は凍りついているから、みなでノミを使って氷を落とさなきゃならなかった。
これだけで小一時間かかった。そっから先は1列でしか進めない氷の通路で、
高さも掲げた松明がつっかえるくらい。曲がりくねって吐いたが、分岐はなく一本道だった。
でな、その氷穴の凍りついた壁だが、反射する松明の明かりが全体に緑っぽくなってきた。

分厚い氷の奥が金属質に感じられた。15分ほど進むと、またホールに出た。
今度は小学校のグランドほどの広さがあった。
そこは、松明がなくても薄ら明るかった。みなの吐く息が緑色になって見えたよ。
入ったとき、団長代理の村会議員が「温度は上がってないぞ」と言った。
中央に複雑な形のチューブの束のようなものがあって、これも凍りついている。
冷蔵庫の氷のように空気が入って白くなってるわけじゃなく、
ガラスのように透明で、下になっているものがよく見えたな。
一本が人間の胴ほどもあるチューブがうねるように絡み合っていて、
それに囲まれるように、金属光沢が氷の下覗く四角い台があった。
その上に、3mほどの・・・全体として白い繭に見えるものがあり、
横に人が立っていた。むろんどっちも氷に覆われてて、つまり生きた人じゃない。

その人物は、旧日本軍の軍服を着て、軍刀を繭に突き立てた状態で凍りついていたんだ。
「整列!」議員が声をふりしぼり、俺らは2列横隊になった。
「西村大佐殿に敬礼!」掛け声に合わせ、その凍りついた人に向かって皆が敬礼をした。
後で聞いたことだが、この人は戦争中に村の高等小学校に軍事教練の訓導に来ていた、
退役した陸軍大佐ということだった。なぜ立ったまま凍りつき、
この氷穴で死んでいるのかは、今になってもよくわからない。
それと大佐殿が突き立てている凍った繭・・・これは白色だが濃淡があって、
繭の中に人型のものがいるようにも見えた。
けどよくわからない。もし人なら、2m50cm以上の身長ってことになる。
それはありえないよな。全員で四方の壁を見て回った。地震による崩落がないかどうかだ。
確認する度に、議員が「異常なし」と大声をあげた。

最後に、議員と青年団の副団長がチューブの山を滑りながら苦労して登り、
文字どおり立ち往生している大佐殿の軍刀に手をかけ、
力を入れて揺り動かした。「ゆるみなし、異常なし!」議員が叫んだ。
ま、これで終わりだ。あとはもう一度敬礼をして、みなで来た道を引き返すだけだった。
え? 繭とその中のものは何かって? 聞かないでくれ。
俺にはわからないよ。ただあの洞穴を凍りつかせている冷気は、
チューブの塊から出ているんだと思った。つまり巨大な冷凍庫ってことだな。
この後、27歳のときに俺は結婚するんで村を出たんだ。両親もよそへ引っ越した。
過疎化が進んで人口が半減しているが、青年団はまだあるみたいだ。
で、最初に言わなかったが、この氷穴がある村は東北の某県なんだよ。
だから4年前の東日本大震災の後にも、氷穴に入ったらしい。

村は山奥だから津波の被害はなかったし、地震の揺れもそこまで大きくはなかった。
こっからは昔の同級生なんかから、切れ切れに情報を集めたもんだから、
信憑性はあんたらのほうで判断してくれ。どうやら氷穴の冷却装置?
が止まってたらしいんだよ。地震の影響なのか、それとも機械の寿命かはわからんけど。
それで、氷穴の中で青年団のやつらが何人か死んだみたいなんだ。
表向きは震災の犠牲者ってことになったらしい。
氷穴は自衛隊のヘリで重機を空輸するという大掛かりなことをして、
入り口を塞いで、さらに周囲をコンクリで固めたっていう話なんだよ。
そのあたり一体は立入禁止になって、今も解除されてない。
原発事故の陰に隠れて、この話は聞こえてこなかっただろうが、わけがわからねえよな。
戦時中にあそこでいったい何が起きたんだろう? あの大佐殿は何に刀を突き立てたんだ?