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月とオカルト

2015.09.30 (Wed)
えー先日スーパームーンがあり、
自分が拝見させていただいているブログの皆さんで、
写真をあげておられる方も何人かおられました。
そこで今回は、月をめぐるオカルトの話題を書いてみたいと思います。
まず一番先に出てくるのは何でしょうね?
狼男でしょうか・・・満月が近づくにつれて人格が変貌し、凶暴性が増し、
ついには外見まで狼のような毛むくじゃらに変身してしまう・・・
これは有名ですが、書いていくと長くなってしまうので、
今回はあえて取り上げません。ただ、狼男に変身するとまではいかなくても、
満月の夜には犯罪の件数が多いというような話も昔からありますね。

実際に統計を見ても、満月=事故や犯罪が多い、というデータはあるようです。
しかし、この原因については、オカルトでなくても説明がつきそうです。
まず満月の夜は当然ながら明るいですよね。
夜に出歩く人も普段より多いかもしれません。
月の明るい夜のほうが、かえって車からの視界は悪くなるという話もあります。
さらに、太陰暦を採用している国では、給料日やお祭りなどが、
満月、新月と重なる場合が多いのです。統計に有意なデータが見られる理由としては、
まずこれらのことを疑ったほうがいいと思われます。

眉唾話としては、月の引力というか潮汐力、
これが人間の体内の水分にも作用して、精神に影響を与える・・・
「バイオタイド理論」と言い、アメリカ精神科医アーノルド・L・リーバーが提唱しました。
これを説明するためのよく引かれる話として、
「地球の巨大な海にまで影響を与えるのだから、人間に影響がないはずがない」
しかし、おかしいですよね。
海水の質量は巨大だからこそ、影響を受けるのです。
それに対して、人間一人分の持つ水分など微々たるものでしかありません。

さらに、もし潮汐力が原因で人間の行動に変化が出るなら、
月の見えにくい新月のときも、満月時と同じ潮汐力が働いているはずです。
(実際には太陽の潮汐力も加わるため、新月のほうが合計した力は大きい)
やはり心理的なものは別として、人間の精神に与える物理的な影響は、
ないと考えたほうが合理的でしょう。
それとも、スーパームーンでも潮汐力は強まりますので、
先週の日曜日は犯罪が多かった、などのデータがいずれ出てくるでしょうか。

あとはそうですね。月はつねに同じ面を地球に向けていて、
裏側が見えるということはありません。
これは月の自転と公転の周期が一致しているためで、やはり潮汐力が関係しています。
まあ簡単に言えば、それが月にとっても地球にとっても一番軌道が安定するからです。
この「見えない月の裏側」を巡って、様々なオカルト説が展開されてきました。
いわく、「月の裏側には地球人から見えないように隠された都市がある」
これは前に「オカルトを仕掛ける」という項で紹介した、
アメリカの科学ジャーナリスト、宇宙遺跡と異常構造物の権威 w
リチャード・C・ホーグランド氏がさまざまな画像をあげて紹介してくれています。
下図のようなものです。 関連記事 『オカルトを仕掛ける』



こういうのは夢があります。ただ・・・
地球上の何もないとわかっている岩山や砂漠で解像度のよくない写真を撮れば、
人工物にも見えてしまうものって、いくらも見つかるんですよね。
これは、アポロ20号が撮影したとされる、月の裏側の宇宙都市 w です。



まあねえ、夢があるのは確かですし想像が膨らみますよね。
これで詐欺にあうような事例も少ないでしょうし、
自分としては「いいオカルト」として見てるんですけども。
あと、ここまでの内容は地球から見た月の潮汐力のことですが、
月面上で受ける地球重力の影響のほうが、それよりはるかに大きいでしょうし、
それを使って何かSF短編とか書けそうな気もしますね。

「月の裏側」は今でこそ、日本の月周回衛星「かぐや」が撮影した画像などで
見ることができますが、昔は「見ることができないもの」の代名詞のような対象でした。
なんと日本には、その見えない月の裏側を「念写」した写真が存在するんです。
撮影者三田 光一は、御船千鶴子、長尾郁子らとともに福来友吉博士によって発掘された
「超能力者」の一人です。撮影は1931年(昭和6年)、福来博士の発案で行われました。
その結果は、アメリカの探査機が撮影を行うまで何十年も検証できなかったのですが、
対照してみたところ、部分的には似てる部分もあったものの、
全体としてはほとんど一致してはいませんでした。

これはまあそうでしょう。念写自体がありえないもの、
と言ってしまえばそれまでですが、
もし念写的なことが可能であったとしても、
自分の未知のもの、自分の心に思い描けないものを念写するというのは、
オカルトを認める立場からも、理論の構築は難しいのです。
下に三田氏の念写写真と、月の裏側の最新画像を対比して掲載しています。
また、ネットでは「福来研究所」における比較対照の論文がPDFで読めます。



さて、月をテーマにした作品は、SFならともかく怪談は少ないですね。
実話怪談作家の松村進吉氏のに「メリエスの末裔」というのがあって、
竹書房ホラー文庫から出ていますが、これがなかなかの傑作でした。
少年時代に自転車で隣町まで冒険に出かけたはずが、
いつのまにか月面に来ている・・・月面には書割のような家々が並び、
中には薄っぺらい人が・・・体験者は地球に戻ってはこられましたが、
怪しい男につきまとわれることになる・・・という内容です。
ちなみにメリエスというのは、1920年の映画『月世界旅行』を監督した、
フランスの映画製作者で、現代にもさまざまな影響を与えています。

『月世界旅行』







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石碑の話

2015.09.29 (Tue)
今年の5月の話です。俺、居酒屋でバイトしてたんです。
その日は遅いほうのシフトで店の片付けまでやって、帰ったのが朝の3時過ぎでした。
チャリで通ってたんですが、これがアパートまで小1時間くらいかかってね。
とにかく眠くて、もうろうとしながらチャリ漕いでたんです。
そのときは止んでたんですけど、雨が降ったようで道路が濡れてまして、
部屋まであと数百mってところで、石とかにつまずいたわけでもないのに、
スコーンって転んじゃったんです。そんな時間ですから車通りはまったくなく、
軽く頭を打ったのと、両手のひらをすりむいただけでした。
「痛ってえなあ!」そう思って立ち上がり、チャリを起こしたときに、
横手のほうに光が反射する四角いものが見えたんですよ。
車止めが設置されてて、人とチャリしか通れない砂利道があって、

その奥に光るものがあったんです。「あれ、おっかしいな。こんなとこに道があったっけ」
そう思ってチャリを乗り入れてみると、どうもそこを通れば近道になりそうでした。
蓋なしの側溝があったので、それをチャリを降りて越えると、
光ってるのは道の傍らにある石碑のようなものでした。
近寄ってみました。そうですね、御影石って言うんですか、
お墓に使うつるつるした石があるじゃないですか。
あれを使ってこさえた1mばかりの石碑でした。街灯の光を反射してたんですね。
「こんなのあったかなあ?」その近くはバイトの行き帰りによく通るんですけど、
ぜんぜん記憶にありませんでした。まあ、そのあたり自体、
大学に入学してから越してきたところで、住んでから3年目なんで、
知らない脇道があってもおかしくはないですけど。

でね、石碑自体は丸い台石の上に、細長い六角柱がのった形で、
近寄って裏も見てみましたけど、字とかは書いてなかったんです。
さっき話したようにつるつるの黒い石で、そう古いものには見えなかったんです。
墓というような印象は受けませんでしたね。何かの記念碑みたいな感じでした。
そうしているうちにパラパラ雨が落ちてきたんで、
「あ、やべえ」って、アパートに急ぎました。それで、シャワーだけ浴びて寝たんです。
その3日後ですね、やっぱりバイトがあった帰り、同じような時間帯でしたが、
その石碑のことを思い出したんです。石碑のことっていうか、
そこ通れば少しだけ近かったよなって。でね、入る道を探したんですが、
どうやっても見つからなかったんです。「おっかしいなあ」って思ってると、
携帯電話にメールの着信があったんです。

チャリにのったまま出して見ると、「石碑を探すんでない」文面はこれだけで、
差出人の宛先がどうやってもわからなかったんです。
それも不思議ですけど、石碑のことは誰にもしゃべってなかったし、
俺がそんな時間に石碑を探してるなんて他人にわかるわけないじゃないですか。
それと「探すんでない」って言い方は、俺の郷里の方言に似てるんですよね。
実家には母親しかいないんですけど、電話ならともかくメールなんてできないです。
それで気味悪くなって、急いでいつもの道を帰ったんです。
でね、翌日大学で、つき合ってる子にこの話をしたんです。
そしたら、「ふーん、見つからない小道に隠された石碑ねえ、面白そうじゃない。
 今日、あなたの部屋に寄るから、そのとき一緒に探してみましょう」
こう言われまして。彼女はそういうオカルトみたいな話が大好きだったんです。

部屋に来てくれるのは嬉しいので、大学の帰り一緒にスーパーに寄って、
食材とかワインを買い入れて、いっしょにチャリでその道に入りましたが、
やっぱり石碑のあった脇道が見つからなかったんですよ。
4時過ぎで、まだ明るい時間帯だったんですけど。
「スマン、このあたりだと思ったんだけど・・・」
「ううん、面白いじゃない。ますます見つけたくなってきた」彼女はそう言って、
それからその道を中心に、平行して住宅街を通ってる前後の道も、
1時間以上2人で探したんです。でもね、どうやっても見つかりませんでした。
あきらめて戻ろうとしたとき、俺の携帯にまた着信があったんです。
前回同様、差出人不明のメールで「5月13日、AM3:30、花」って・・・
彼女に見せたら大興奮しまして、

「スゴイ、ほんとにメール来た。これ、どうやっても発信先わからないのも変よね。
 あとでDocomoに問い合わせしてみてよ。うーん花って何だろ?
 石碑だからお供えする花が必要ってことかな。13日は土曜だよね。
 ねえ、一緒にこの時間に来てみようよ」こう言いました。
で、その日は彼女はアパートに泊まって帰ったんです。
Docomoのほうには、後で問い合わせしてしてみたんですが、
「お教えはできません」って断られて。でもね、メールは消さないで残してますから、
ここで調べてもらってもかまいませんよ。
でね、5月12日の夜というか、13日の午前ですね。彼女が俺のアパートに来てて、
3時に2人で買っていた花束を持ち、歩きでその道に入りました。
そしたら、そんな時間なのにちらちら人の姿が見えました。

2人連れは老夫婦みたいな人とかで、一人の人のほうが多かったんですが、
みんな花束を持ってたんですよ。それで、誰も言葉を発しないで下を見て歩いてました。
彼女が俺の脇腹をつついて「これってスゴくない。なんかの儀式とかあるのかも」
小声でこう言いました。それで、その人たちについていったら、
あっけなくあの車止めが見つかったんです。石碑もありました。
でもね、その表面が見えないほど花束が積み上げられてて。
でね、花束を持った人は石碑の前にいって、お祈りとかする様子もなく、
ただ黙って花束を置いて、一礼だけして戻っていくんです。
いやもちろん、不思議だなあと思いましたよ。彼女もそんな顔をしてましたが、
誰も話す人がいないので、俺らも黙って花を置いて礼だけして帰ってきたんです。
ねえ、おかしな話でしょう。

その後アパートに戻ってから、まだ暗いのに、彼女は用事を思い出したって言って、
俺が送っていくと言ったのを断って帰っちゃったんですよ。
翌日、俺一人でまた石碑を探したんですが、
つい何時間か前、あんなに簡単に見つかったのが、また道がわからなくなってました。
で、大学に行くと、彼女が寄ってきて、
「なんであんなとこに連れてったのよ。何もかもダメじゃない」ってスゴイ怒ってたんです。
「なんだよ、自分で見たいって言ったんじゃないか」
俺がそう返してケンカになっちゃったんです。それ以来、向こうからは連絡してこないし、
俺も意地になっちゃって、授業に出ても顔を向けない、
視線を合わせない・・・まあ、別れちゃったってことです。
まさかねえ、こんなことになるとは思ってもいませんでしたよ。

でね、それからも帰り道のたびに探してるんですが、
石碑もその道も、一度も見つからないんです。もしかしたら来年の5月13日まで無理なのかな、
って気がしてきました。ええ、何か記念日とか命日とかじゃないかって考えまして。
それで、つい一昨日のことです。風邪気味だったので、近くの内科医院に行ったんです。
待合室に入ると、長椅子に座って雑誌を読んでたジイサンが、
あの石碑に花束をあげに夫婦できてた人のように思えました。顔に特徴があったんです。
ジイサンが雑誌から顔を上げたとき、「あのスイマセン、
 前に〇〇町の石碑に夜中に花束を上げに来てませんでしたか」こう聞いてみたんです。
ジイサンは「・・・ああ、そうだが、ここでそんな話するな」と不機嫌な声で言い、
「あれって、何なんですか?」重ねて聞いた俺に、「御縁切り様だよ」これだけ答えて、
それから雑誌から顔を上げてはくれなかったんですよ。

縁切りの石






雪洞体験

2015.09.28 (Mon)
今年の3月のことです。雪洞ピバーク体験というのに参加したんです。
主催は、現在住んでいる県の社会人山岳会でした。
わたしは大学のときにワンダーフォーゲル部に所属していて、
その大学には登山部もありましたので、ワンゲルの活動はやや軟弱でしたが、
それでも八ヶ岳縦走なんかもこなしたんですよ。
その後就職しまして、新しい環境に慣れるのが精一杯で山はずっとやめてたんですが、
この県の支社に転勤してからは仕事にも余裕が出てきまして、
何か余暇活動をしようと思って参加したんです。
まあ社会人のクラブですからね、活動を強制されることはありません。
様々なイベントが企画されているうちで、自分のレベルや、
休みの都合に合うものを選んで参加すればよかったので、これはありがたかったです。

ビバークというのは、山登りでなくても野外活動をされた人ならご存知でしょう。
緊急的に野営するという意味です。ほとんどの場合は、宿泊の予定がなかったのに、
悪天候などのせいで泊まらざるをえなくなってしまうことを言いますが、
あらかじめ予定していたテント泊などが何らかの事情でできなくなり、
岩陰や雪洞ですごさなければならなくなった場合にも使うんです。
ええ、ワンゲル部のときにはテント泊も何度も経験していますが、
自分で雪洞を掘ってそこに泊まるというのは初めてでしたので、
参加を申し込んでから、ずっと楽しみにしていたんです。
期日は、3月中旬の土日、土曜日の昼に集合してマイクロバスに乗り市の郊外まで行きました。
はい、あくまでも雪洞体験が目的なので、山登りはなかったんです。
でも県の自然の家に車を停めてから、2時間ほど森を歩きましたけどね。

リーダーは佐々木さんという、その県の山岳会の中堅リーダーの方で、
その方がいろいろと教えてくださったんです。
参加者は自分を入れて8名で、全部が男性でした。
年齢層は20代から50代までさまざまです。それでね、森に入ってからは、
互いに話をすることは一応禁じられたんです。というのは、その回はあくまでも技術講習でして、
「単独で山に入り、悪天候のために雪洞泊をしなければならなくなった」
という想定だったので、互いに助け合ったりすることはできなかったんですね。
この地方は豪雪地帯もあり、森の中は3月とはいえ2m近い雪が残っていました。
木の間が開けたところに出たのが2時過ぎくらいでしたね。
天候は晴れていて、気温も5、6度はあったと思います。
おそらく夜間でもマイナス2、3度くらいのものだったでしょう。

研修で事故があってはいけないということで、季節や場所が考えられていたんです。
それは体験中に凍死なんてことがあれば洒落になりませんからね。
皆が集められて、1時間ほど雪洞掘りのしかたを実際に見せてもらいました。
あの、雪洞といえば、秋田県の「かまくら」って知ってますよね。
あそこまで大掛かりなものではありません、山中で吹雪にはばまれ、
一泊するための簡易なものを掘るという設定ですから。
とは言え、手だけで作業するのも無理があるので、
登山携帯用の軽量な折りたたみスコップを貸していただきました。
長さが短くて使いづらいものでしたが、そんなことは言ってられません。
説明が終わると、参加者はバラバラになって自分の場所を決め、
教えられたとおりに雪洞を掘り始めました。まず雪の深く積もった風の当たりにくい場所を探して、
そこの雪をある程度手で固めます。それをしないと崩れてくるんです。

それから入り口を掘るんですが、穴はやっと頭と肩が入る程度の大きさです。
風が吹き込まないようにするため、小さいほうがいいんです。
あの、茶道の茶室の入り口ってせまいですよね。あんな感じを想像してもらえれば。
で、1mほど掘ったら直角に曲がって体を横たえるスペースを掘ります。
高さは1mなかったと思います。だから、しゃがんだ状態だと頭が天井に当たります。
窮屈だと思うでしょうが、あくまで緊急用ですから、
そんなに掘る時間をかけることはできませんし、目も開けてられないくらいの吹雪かもしれません。
それに、せまいほうが内部が温まりやすいんですよ。
講習のメンバーは、互いに離れたところに雪洞の場所を決めましたから、
もう単独行と同じでした。とは言っても、
2時間おきくらいに佐々木さんが様子を見に来てくれましたけどね。

しっかり天井を固め、寝ている間に落ちてこないようにしました。
それから、足の側の壁に切り込みを入れて棚を造り、そこに太いロウソクを立てました。
これは暖をとるのと、中の酸素の状態を確かめるためです。酸欠だと消えます。
中では登山用ストーブで煮炊きもしますからね。
空気は、ウインドブレーカーをカーテン代わりにした入り口の他に、
2ヶ所天井に空気穴を開けていたので、酸欠の危険はなかったはずなんですが。
マットを敷き、さらに寝袋を伸ばして入ってみると、
寒さは全く感じませんでした。天井は30cmくらいの厚さなので外の光を通しますし、
ロウソクの火が反射して中は明るかったですよ。
そうしていると、入り口から佐々木さんが顔を出して中を見回し、「うん、合格だね。
 学生時代に経験してる人はやっぱり違う」こう褒められました。

それから、中でストーブを使って肉入りラーメンを作って食べ、
その頃には外はすっかり暗くなっていました。8時ころになって、また佐々木さんが来て、
「ここは快適だねえ。まだ早いけど、寝るのも訓練の一つだから、早めに寝てください。
 夜中には何度か見回りに来ますから、安心して」こう言われました。
気温はだいぶ下がっていて、昼は溶けて汗をかいたようになっていた雪洞の壁が、
固くしまって、崩れ落ちてくる可能性はなさそうでした。
でもね、この夜を楽しみに参加したんですし、翌日はハードな山登りもないので、
持ってきたウイスキーを雪で割ったのをちびちびやりながら、
寝袋の中で本を読んでたんです。その頃にはロウソクは消して電気ランタンを使ってました。
その本がねえ、怪談ものだったんですよ。ああはい、お恥ずかしいですが、
いい歳して怪談が好きなんですよ。でもね、それが怪異を呼びこんだとは思ってはいません。

怪談って環境が変わったときとか、例えば学生のキャンプなんかでよく語られるでしょう。
だから、余裕のある山行にはよく持っていくんです。
枕元の紙コップのウイスキーをちびちびやりながら、1冊めの終わりあたりまで読みました。
そのとき、足のほうでガサガサという音がしました。
雪洞の中は、外の音はほとんど聞こえません。そのかわり内部の音はよく響くんです。
すぐに気がついてそちらを見ました。そしたら、雪の壁から少しずつ何かが出てきたんです。
白く、細長いものでした。ええ、壁が白い雪なのでそれと比較して色がわかりますが、
皮を向いた木の枝のような白さで、最初は実際に木の枝だと思ったんです。
森のなかですからね、埋もれた藪の低木の枝が、何かの拍子につきだしてきたのかと。
黙ってみているとそれは30cmほども中に出てきて、ころんと落ちたんです。
「骨?」そういう形に見えました。それで、拾い上げようと体を起こしたとき、

骨が落ちたあたりの壁から目の前にズッと、動物の顔が出てきたんです。
それもぐずぐずに腐った・・・ 「ああああっ」くぐもった声をあげてしまいました。
タヌキ。イタチ・・・種類は今もわからないです。それほど形が崩れていました。
パニックになりますよね。半身を起こした体の数十cm先にそんなものが飛び出したんですから。
寝袋に入った両足を上げてとっさに蹴ろうとしたんです。
雪洞内なので走って来げ出すわけにいかず、攻撃に出たんだと思います。
でも、たしかに蹴ったはずなのに、動物の顔はそのままで。
いや、少しずつ変化していました。腐汁で固まったゴワゴワ毛がつるんとなっていって・・・
人の顔に変わりました。ジイさんの顔だと思いましたが、これもやはり腐って、
頭蓋骨に肉がへばりつき、両目は落ちて黒い穴になっていました。
「あわわわわ」うつ伏せになり、這って逃げようとしたとき、背後のものが叫びました。

「マゴは元気か~、生きているか~」こう聞こえました。
「うわーああああ」わたしは絶叫して立ち上がったので、雪洞の天井が破れ、
どさどさと雪が落ちてきました。雪崩状態です。何がなんだかわからない状態で叫び続けていると、
「おーい、どうした大丈夫か」佐々木さんの声が聞こえ、わたしはまもなく掘り出されたんです。
佐々木さん引っ張りだされた状態で、見たことを話したんです。
そしたら佐々木さんは黙って聞いてくれてたんですが、「マゴは元気か」という声のことを言ったとき、
「うむ、それは・・・」と何か心当たりがあるようにうなずいたんです。・・・後で聞いたことですが、
5年前、そのあたりに孫の男の子を連れて山菜採りに来ていたジイさんが行方不明になり、
男の子だけは無事で見つかったんだそうです。雪が消えてから近辺を捜索し、
ジイサンの遺体が発見されましたが、もうすっかり骨だけになっていました。
それと、ジイサンの骨と交じるようにして、小動物の骨も見つかったんですよ。







黒衣(くろご)

2015.09.27 (Sun)


今晩は、よろしくお願いします。では、お話をさせていただきますが、
内容は8年前に他界した母と、それから私に関することなんです。
母の死因は膵臓がんでした。私が高校3年生のときのことです。
あの、それで、黒衣(くろご)ってご存知でしょうか?
歌舞伎や浄瑠璃で、観客からは見えないという約束のもとに舞台上に出てきて、
役者さんの着替えを手伝ったり、物を渡したりする役の人のことです。
ええ、一連のことがあってから調べたんです。
これって最初は黒子(くろこ)って言うんだと思ってました。
ところが、そうじゃないんですね。それは当て字というか、正式名称じゃなくって。
これ、字で書けば黒子(ほくろ)って読んじゃう場合もありますよね。
黒衣はいつも黒の着物を着ているわけじゃなく、舞台で目立たないように、

背景によって衣装を替えると百科事典には出ていました。
海や水辺の場面には青装束の波衣(なみご)雪の場面には白装束の雪衣(ゆきご)
と言うんだそうです。それで、母のときは私には見えませんでしたが、
黒衣だったんじゃないかという気がするんです。
ああ、すみません。意味がわかりませんよね。順を追ってお話します。
私は高校のときは、通学に時間がかかったために部活動はやらなかったんです。
だから早く帰ったときには、母が夕食を作るのを手伝っていました。
その日、私が魚を焼いていて、母はまな板に向かって大根を切ってたんですが、
急に、包丁の背でシンクの上を叩きだしたんです。自分で位置を移動して何回も。
「お母さん、どうしたの?」 「ネズミが来たよ。この家でネズミなんてはじめて見た。
 顔が茶色で体の黒いネズミ」

「えー、ネズミなんてどこにもいないよ」
「今、あたしが叩いたからね。下に落ちて洗濯機のほうに走っていった」
「・・・・」でも、そう言われても私にはまったく見えなかったんです。
そのときは、それで済んだんです。私の目に入らなかっただけで、本当にいたのかもって。
でも、それから3、4日した夜のことです。
私が居間の机で勉強していると、先に寝室に入っていた母が、
寝間着のまま起きてきて台所に行き、包丁を持ってきたんです。
「あら、お母さん、包丁なんてこんな時間にそうするの?」
「これね、寝てると体の中にネズミが入り込んでくるから、
 布団にのったときに首を切ってやろうと思って」 「えー何言ってるの?
寝室にはネズミの食べるものなんてないじゃない。何かの見間違いよ」

そう言って包丁を取り上げ、いっしょに寝室へ行って調べてみました。
でも、布団はきれいなままで、足跡も、フンなんかも落ちてなかったんです。
これは心配でした。ネズミがということじゃなく、
もしかしたら母がボケたかもしれないと思ったんです。ええ、認知症ということです。
そのとき母はまだ40代前半でしたが、父に早死なれて、
私と妹をかかえてずっと苦労のし通しでしたので、年齢より老けて見えました。
それで翌週、嫌がる母を無理に病院に連れていき、
人間ドックの手続きをとってもらったんです。
そこで認知症ではないとわかりましたが、膵臓がんが見つかって・・・
このがんは特に進行が早いんだそうです。それから1年立たずに母は亡くなりました。
私は元々大学は志望していませんでしたので、高卒で就職したんです。



その後のことです。私の入った会社はある業界誌を出版しているところで、
最初は一般事務をやっていたんですが、学生時代から描いていたマンガの腕を買われて、
誌面のレイアウトやカット描きを手伝うことになりました。
それがけっこう評判になって、会社のほうで、夜間、
デザインの専門学校に通わせてくれることになったんです。
7時から10時過ぎまででしたので、部屋に戻って寝るころには1時を回っていました。
あの、母と住んでいた家は売ってしまって私も妹もアパートを借りて住んでました。
でも、その年から妹が高校を卒業してやはり就職たので、
経済的にはかなり楽になっていました。
ある夜の1時半ころのことでした。まだ起きていて、
ものすごく眠かったんですけど、トレス台で学校の課題を描いていたんです。

そしたら背後のほうでカサカサという音がしました。
何だろう、と思って振り向くと。本棚の下からネズミが顔を出していたんです。
「きゃっ」と小さく悲鳴をあげてしまいました。
なんとかして追い出さなくちゃと考えましたが、どうすればいいかわかりませんでした。
いなくなっていて、と願いながら、台所からとりあえずホウキを持ってきたんですが、
相変わらずネズミの顔は本棚の陰から出ていて・・・
でも、それが変だったんです。ネズミの顔は乾いた感じで表情がなく、
目も真っ白でした。そして少しずつ、本棚の陰から出てきて・・・
「えー、嘘」と叫んでしまったんです。なんでかと言うと、
ネズミなのは頭だけで、体は人間の体でしたから。15cmくらいだったと思います。
それで、白い着物を着ていたんですよ、忍者みたいな。

そのネズミの頭をしたものは、素早い動きで机の脚を駆け上がり、
トレス台の上に敷いてあったケント紙の上まで、あっという間にきました。
私はベッドの前まで跳びはなれて、どうなるのか見ていたんです。
そしたら、それは人間と同じ動きでネズミの頭を脱ぎ捨てケント紙の上に置きました。
下には着物と同色の頭巾を被っていたんです。ありえないですよね。
思わずベッドの上に座り込んでしまいました。
その白装束は片膝立ちの姿勢になりって、そのとき頭のなかに声が聞こえてきたんです。
「あんたの母親のときは知らせようとしたがダメだった。
 あんたも体の中、胃のほうに病気があるから、すぐに病院に行きなさい」
このとおりの言葉ではなく、そういう意味だけが頭の中に入ってきたんです。
その後ものすごく眠くなり、私はそのままベッドに倒れて寝てしまいました。

・・・これだけなら夢だと思われるでしょうね。
翌朝、目覚ましで起きたら部屋の電気がついたままでした。
前の夜のことを思い出そうとして、白装束の小人?のことに思い当たり、
トレス台を見たら、ネズミの頭の皮がのっていたんです。
ええ、隣から苦情が来るくらい大きな悲鳴をあげてしまいました。
それはすっかり乾いた、頭だけのネズミの干物のようなものだったんです。
・・・その日は会社のほうには体調がわるいと連絡し、
母が亡くなったのと同じ病院で胃の精密検査を受けました。
そしてがんが見つかったんです。幸い早期でしたので腹腔鏡手術で取り除くことができました。
医師からは、まだ油断できないと言われていますが。・・・こんな話なんです。
それ以来あの黒衣、私の場合は雪衣でしたが、姿を見かけたことはありません。







あなたはパーフェクト?

2015.09.26 (Sat)
* 今日も怖い話ではありません。
『中国の科学者がヒト受精卵に世界初の遺伝子操作──タブーを冒したこの実験について、
欧米では学術誌からマスメディアまで、その是非をめぐり大論争となっている。
世界を驚愕させたその実験は今年4月に生物学・生物医学の学術誌「プロテイン&セル」
に掲載された論文で明らかになった。
中国広東省にある中山大学の黄軍就副教授らの研究チームが、
ヒト受精卵の「ゲノム編集」を行ったというのだ。』


この話題について考えてみます。
「デザイナーベビー」という概念があります。
人間の遺伝子配列を人工的に操作することにより、
目や髪の色といった特定の身体的特徴を持つ子供の生まれる確率を上げる、
技術的アイデアのことです。これは外見だけではなく、
知能や体格、運動神経まで操作することも論理的には可能です。
しかし倫理的には強い批判があり、積極的な実験を行っている専門機関は、
表向きにはありませんでした。
それが、この中国における実験が発表されて論争を呼んでいるんですね。

中山大学の研究者は、批判を予期していたのでしょう。
使った受精卵は、子宮に戻しても育たない異常なものである、
ということを論文につけ加えています。
うーん、受精卵を使って研究する場合は世界的に規制は少ないのですが、
倫理的な問題のため、やはり行っている機関は多くはありません。
ですから、もしある国が本気でこれをやろうと考えた場合、
技術レベルで他国を大きくリードできる可能性があります。中国は全体主義国家ですので、
このような実験は他の国よりも行いやすい面があると思われます。
世界的な制限はどうしても必要でしょうし、
抜け駆け的な研究は評価されるべきではないような気がしますね。

さて一方、これを強く批判しているアメリカはどうでしょうか?
実は10年ほど前から、バイオ系の会社で遺伝子を解析して、
結果を有料で依頼者に知らせるサービスが存在しています。
これは本人自身の遺伝病にかかるリスクもそうなのですが、
親となる男女のサンプルを提出して、生まれてくるだろう赤ちゃんの病気のリスク、
目や髪の色、知能などを知らせることができます。
アメリカでは、20年以上も前から精子バンク、卵子バンクが定着しており、
優れた子を持ちたい男女が、高額な費用を出して、
有能な人の精子や卵子を買うということが行われているのです。

デザイナーベビーは、パーフェクトベビーに結びつきやすいのですね。
完璧な子どもを持ちたい、背が高く、肥満にはならず、将来ハゲることもなくw
長生きし、運動神経は世界トップアスリート並み、知能は天才科学者並み・・・
そのような子どもを得たいと考える親はそれなりに多くいるのだと思われます。
上記のアメリカの事例は、ただ遺伝の可能性を知らせるだけでしたが、
これに遺伝子操作を組み合わせれば、パーフェクトベビーができあがってしまいます。

つまり、商売になるということです。
米国最高裁判所は2013年、
「自然界に存在する遺伝子自体には特許は認められない」が、
「遺伝子であっても人工的に作出されたものならば特許が認められうる」

とする判決(Myriad最高裁判決)を出していますが、
これはかなり危うい話だなあと自分は思います。
特許を得るために、とりあえず危険そうなものでも作ってしまおう、
とはならないでしょうか。

どうでしょう? もし倫理的に許されるなら、
みなさんはパーフェクトベビーを望まれるでしょうか。
完璧であるものの、親である自分にはほとんど似ていない、
先祖代々伝わっているものを受け継いでいない赤ちゃんの誕生をです。
このあたりは、アメリカは日本とは事情が異なっていて、
向こうは能力主義的な傾向、つまり優れた素質を持つものが社会で上に行く、
という考え方が日本よりも強いですし、
さまざまな民族が混在する人種のるつぼ社会でもあります。

日本では、他人より突出しない、目立たず大勢にしたがう、
こういうこともある種の美徳として見られる面があるのですが、
アメリカはそうではないのですね。
しかし現状、パーフェクトベビーが認められたとしても、
おそらく高額な費用が必要でしょうし、富裕層しか利用できないのであれば、
社会的にはますます貧富の差が増大するかもしれません。

では、このような事例はどうでしょう?
『英紙「Telegraph」によると、イギリスに住むカルメンさんは、
自身の妊娠を知った時非常に不安を感じたという。なぜなら、
彼女は父から珍しい型の筋ジストロフィー難病「シャルコー・マリー・トゥース病」
を遺伝しているからだ。幸いにも、カルメンさんは軽度の症状で済んでいるが、
もし出産する場合、子どもに遺伝する可能性は50%だと専門医から警告されていた。』


このケースでは、彼女の母親、そしてガブリエルさんのDNAサンプル採集、
遺伝子コードの染色体の30万ヵ所で遺伝子配列の比較を行い、
変異の原因を突き止めました。そして、
体外で培養した胚で両親から受け継いだ遺伝的欠陥の有無をチェックし、
正しい数の染色体を持つ健康な胚だけを選りすぐり子宮に移植、結果、
息子のルーカス君が生まれました。彼は病気もなくすくすくと育っているようです。

子どもを持ちたいが、深刻な病気が懸念されるため出産を躊躇していた母親が、
念願の健康な子どもを持つことができたわけです。
しかもこのケースは、遺伝子操作ではなく、
欠陥のない自分の遺伝子を選んで胚とするという方法でしたので、
倫理的な問題点は少ないです。これを行ったことによって、
不幸になった人は赤ちゃんの周囲にはいないように思われます。
このようなケースの場合は許されるのでしょうか?
これもなかなか難しいところです。

さてさて、自分が思うのは、この遺伝子操作はあくまで個人の観点から考えられていて、
人類という種全体についての発想があまり見られないことです。
遺伝子というのは、基本的には種全体が繁栄する方向で動いています。
とすれば、ハゲの人がいることも、知能に高い低いがあるのも、
極論すれば遺伝病があることも、人類全体にとって、
われわれには計りしれない、何らかの意味があるのかもしれないのです。

例えば弱者がいることで、社会全体の人権意識が高まり、弱者保護や、
障害を個性として見る方向に動いていくとか・・・
突然変異にしても、バリエーションがあるから適者生存につながります。
ですから、自然のまま、あるがままのにしておくほうが、
人類全体に対するリスクは少ないのではないかという気がしますね。
世界的な議論の進展が望まれます。







古代史掲示板

2015.09.25 (Fri)
古代史フアンなんです。それで暇があるときは、
某巨大掲示板の邪馬台国スレというところを見たり、自分でも書き込んだりしています。
日本史板という区分けの中にあるんですが、中では一番人気があります。
それぞれ持論を持っている人が多くて、九州北部の博多のあたり、
中部の熊本近辺、南部の宮崎方面とか・・・様々な説の人がいますよ。
わたしですか? わたしは畿内説です。
奈良の桜井市にある纏向遺跡が邪馬台国の中心地であったろう、という意見なんですが、
ネットでは九州説・・・九州のどっかだったろう、という人のほうが多いです。
専門の学者では畿内説の人のほうが圧倒してますけどね。
みな頑固なので、自説を攻撃されれば猛然と反撃します。
でもね、基本的には年寄りが多いので、そう殺伐としたことにはなりません。

で、ときどき、九州や畿内以外の比定地を持ってくる人がいるんです。
大阪とか、滋賀県、四国あたりはそれでも絶対ありえないこともないでしょうが、
関東とか、東北とかね。そういう人は基本的には無視されます。
だってねえ、コメントしようがないですから。
多くの場合は、その人も自分の主張をただ述べるだけで、
議論にまで発展はしません。関東では古い遺跡や出土品があまりないし、
まして東北ではねえ。やっぱり物証がないと、多くの人から賛同を得られませんよ。
ところが、この間から東北の某所=邪馬台国を主張する人が掲示板に現れて、
いろいろ騒ぎになっているんです。
その話をするつもりで来たんですけど、現在進行中なので、
できればアドバイスとかしてもらえればありがたいです。

ええ、その人が初めて掲示板に現れたのは2週間くらい前で、
邪馬台国=東北某所説の書き込みをしました。
けどね、そのときは前に話したような事情で、誰もレスつけなかったんです。
内容も、あきらかな偽書とされているものを引用したりして、
トンデモの典型のようなものでしたから。
それでね、反応がないことに腹を立てたんでしょう。
「これから独自に卑弥呼の墓を発掘する」ってきたんですよ。
これにはたくさん否定的なレスがつきました。だって法律違反になりますから。
もしそこが他人の土地だったとしたら、まず不法侵入になるでしょうし、
自分で買って所有してる土地だとしても、
素人が勝手に発掘するのは文化財保護法に違反するんです。

あのほら、シュリーマンって知ってますよね。トロイ戦争は史実だったと言い張って、
自分でそれらしい遺跡を発掘した金持ちの人です。
あの人も、一般的には偉人として伝記も出てるんですけど、
専門家の間では、素人発掘で貴重な遺跡を破壊したとか、
出てきた遺物が保存されず散逸してしまったとか、大きな批判があるんです。
ですからね、どこまで本気なのかわからなかったですけど、
皆が「やめろ、やめろ」の大合唱でした。
何らかの遺跡だという自信があるんだったら、地元の大学とかに話すべきことですよ。
そしたら今度は、どんどん画像をアップし出しまして。
自分でデジカメで撮ったものだと思います。
最初に出てきたのが、小高い丘の上の草地に四角い石がゴロゴロしてるものでした。

「これが卑弥呼の墓だ」って言うんです。
でもね、確かに石は自然のものではないことはわかるんだけど、
邪馬台国は1700年も前の話で、そんなに古いものには見えなかったんです。
小高い丘の上は、戦国時代の山城になったりしてることもあり、
そういう類じゃないかと誰もが思いました。
それと画像は接写したものばかりで、遺跡の全景がわからなかったんです。
これ、そこが円墳なのか前方後円墳なのか、そういうのが重要ってことです。
ところがその人は「遺跡の全景がわかれば場所が特定されてしまう」と言い出しまして。
たしかに画期的な発見という自信があるなら、隠しておくのも理解できますが、
皆、「これはちょっと違うだろう」と思ってました。
古墳じゃなく自然の丘とかだから、全体を見せられないんだろうってね。

それから数日その人は姿を見せなかったんで、
もう諦めたんだろうと思ってたら、また現れてどんどん写真をアップし出したんです。
これが工事してる写真だったんです。
自分でユンボ、小型のショベルカーのことですね。あれを操作して、
積み重なった石を取りのけている場面でした。
その人は、自分の顔が出る場合にはモザイクをかけてましたので、
どんな人かわからなかったんですが、体つきは中年くらいに見えました。
それと、手伝っている人が2人くらいいましたね。
こっちもモザイクがかかってましたが、工務店とかのプロには見えませんでした。
知り合いかなんかだと思います。この頃になるとコメントはほとんどなくなって写真の連投です。
だんだんに上に積まれてる長方形の石が取りのけられていって、四角い一枚石が出てきました。

3m☓3mくらいでしょうか。でもねえ、卑弥呼の時代にそこまで大きい石を切り出して、
移動させるのは無理だと思いますよ。だから遺跡だとしても後代のものだろうって。
2日後の夜に、「いよいよ明日、石室の天井石を取りのける。
 卑弥呼の墓の中が拝めるぞ。スマホで中継してやるから楽しみにしていろ」
こういう書き込みがありまして、翌日は日曜だったので、
投稿が始まるのをパソコンの前で待ってたんです。ええ、スレの他の常連も注目してましたよ。
もちろん邪馬台国なわけがないですけど、画像自体は興味深かったですし。
で、日曜の昼です。重機は2台になってました。
ワイアーをかけて、石蓋を釣り上げようとしてたんです。
スレには「いよいよだぞ。よーく見てろよ」という自慢気な書き込み。
それから20分ほど間が空いて「蛇だ 蛇蛇蛇蛇蛇蛇蛇蛇蛇蛇蛇蛇蛇蛇蛇蛇蛇」・・・

次の画像がアップされまして、見た途端「あっ」と驚きの声をあげてしまいました。
石室の蓋がのぞかれていて、中に無数の蛇がいたんです。
「ありえねえ、石室で生きてるわけがねえ」 「これ日本の蛇じゃあないだろ」
「フォトショに決まってる」等々、さまざまな意見が飛び交いました。
そうですね、見えるだけでも数百匹の蛇がいました。間違いなく日本の蛇じゃないです。
すべて同じ種類で赤と黒のまだらだったんです。うーん、そうですね。
わたしも加工だと思いましたよ。どっか外国の画像を組み込んだものだろうって。
見てて損したという気持ちが半分、もう半分がここまで準備をしてよくやるよな、
って感じでした。で、次の画像が・・・
投稿主らしい体型の人がその蛇の固まりの中にうつ伏せに突っ込んでるものでした
だから撮ったのは投稿主じゃないんです。

続けて10分おきくらいに画像が3枚アップされ、
だんだんにその人が蛇のプールに沈んでいくものだったんです。
手足を振り回してもがいてるように見えました。
ええ、画像は自然そのもので、冗談にしてもあまりに出来過ぎですよね。
最後のはもう片足しだけしか蛇の中から出ていませんでしたよ。
「気持ち悪すぎる」 「これ、本物かな?」 「そんなわけはねえだろ!」
「警察に通報したほうがいいんじゃないか」こんな意見まで出ましたが、
やるという人はいなかったんです。まだたちの悪い冗談だと思ってた人が多かったでしょう。
このときはすごいスレの勢い、アクセス数になってましたから、
見たという人は大勢います。でも、レスはそのままでしたけど、
画像は最初のから、すべてが削除されてしまったんです。

ええ、外部のアップローダに投稿してたのを消したんでしょう。
リンク切れになってしまいました。わたしもね、その人が言ってた東北某所については、
それなりに調べましたよ。うーん、邪馬台国ということはないでしょうけど、
いろいろと古いものが出ているところではありましたね。
邪馬台国は弥生時代の話だけど、それ以前の縄文時代には東北のほうが人口が多く、
栄えていたんですよ。 ・・・それで昨日です。その人のハンドルネームで、
また画像がアップされまして。あの石室を同じ構図で真上から撮ったものです。
それが、ライトを入れているのか、竪穴の奥のほうまで見えてまして。
蛇はもう一匹もいなくなっていて、人がうつ伏せに倒れていました。
ええ、あの人だと思います。その横に、体は陰になっていて見えなかったんですが、
髪の長い真っ赤な唇の若い女の人が、仰向けにカメラを見て微笑んでいたんです・・・








12のシナリオ

2015.09.24 (Thu)
*今日は怖い話ではありません。
今年2月に発表され、世界的な話題を呼んでいる「12のシナリオ」の話です。
ただ、これを詳しく書いていくと大変長くなると思われるので、紹介程度で。

『ポートが公表されたのは今年2月中旬。作成者にはオックスフォード大や、
傘下のフューチャーヒューマニティ研究所の科学者、
スウェーデンのグローバルチャレンジ財団の専門家、
ビジネス分野の将来リスク分析などを手掛ける専門職「アクチュアリー」
らそうそうたるメンバーが名を連ねた。』

人類滅亡に至るシナリオというのは下表のようなことで、
10の対処法も発表されています。



少し説明すると、(5)の国際的なシステムの崩壊というのは、
基本的には経済の話のようです。
世界経済のグローバル化により、経済危機や貧富の差の拡大が起こりやすくなり、
大きな社会混乱や無法状態をもたらす可能性ですね。
(8)合成生物学は、(3)のパンデミックとも関係がありますが、
映画の『バイオハザード』のような状況でしょう。
対処法のない、あるいは常に変異し続ける人工的な病原体の蔓延。
(9)のナノテクノロジーに関しては、ナノレベルの超小型核兵器の開発など。
そういうのができれば容易に他国に持ち込むことができるでしょうし、
大陸間弾道弾とか必要ありません。滅ぼしたい国に100個ほど置いといてw
起爆装置は現地で作ってもいいわけですし。

(10)はSF等でおなじみの人工知能の反乱系の話、
『ターミネーター』のスカイネットシステムのようなことです。
(11)その他の全く未知の可能性というのは、例として、
「人類を不妊にする超汚染物質の開発」や
「人工ブラックホールが開発され、地球を飲み込む」
「動物実験により、人類を超える知能をもつ生物が出現」
「誰かが地球外生命(ET)にコンタクトし、危険な異星人の注意を呼び寄せる」
などが挙げられています。

うーむ、この間量子加速器で、マイクロブラックホールができるかもしれない
可能性がある実験が行われてましたよね。
これに関して、地球消滅の危険にまで言及する人もいました。
もし極小ブラックホールができて、その蒸発(ホーキング放射)が確認されれば、
ホーキング博士のノーベル賞もあったかもしれません。

あと、ETへのコンタクトですが、SETIのことを言ってるのでしょうかね。
地球外知的生命体探査(Search for Extra-Terrestrial Intelligence)のことで、
これは加速器ほど大きな予算は必要ではないため、世界の各地で行われています。
アクティブSETIとパッシブSETIがあり、
パッシブは宇宙を観測して知的生命の痕跡を探すこと、
アクティブは地球から宇宙に向かってメッセージを打ち出してやることです。
これらの活動がアダとなって、
悪い宇宙人が地球を発見して攻めてくるかもしれませんよ~というw
「人類を不妊にする超汚染物質の開発」というのは、なんとなくありそうで怖いですね。

まあねえ、人類滅亡の危険というのはつねにあると思います。
自分は恐竜が好きで、その関係のブログなども拝見させていただいているのですが、
恐竜の時代は2億年近く続いています。それに対し人間は、
約400万年前にその祖先が生まれたとされていて、
文明を持つようになってまだ1万年にも達していませんよね。
宇宙の年齢が130億年台という話もあり、
それから考えれば、恐竜の栄えた2億年というのは驚異的な長さです。
人類が恐竜ほどの時間を繁栄し続けられるかを考えれば、大きな疑問符がつくでしょう。

ここで「外因的なリスク」としてあげられている、
(6)巨大隕石の衝突 (7)大規模な火山噴火
というのは、現在の技術ではどうやっても防げそうもないですし、
火星とか地球外に脱出するほうが、対処法としては早く完成するかもしれないですね。
ただまあ考えてみれば、人間個人にとっても予期せぬ不幸、
例えば寝ている間に家にトラックが突っ込んでくるなどということもありますし、
そうなったらあきらめるしかないのかもしれません。

さて、多くの専門機関やマスコミがこの提言に対して分析しているように、
重要なのはリスクの種類よりも、対処法のほうでしょう。
これらのリスクのほとんどは、単一国家、単一企業、
個人レベルでは防ぎようがないものです。
当然ながら国家間の協力の重要性ということが指摘されているわけです。
このところ日本は安保法案でだいぶ混乱していましたが、
個別的、集団的自衛権というのも国家があっての話です。

さてさて、もし地球レベルの危機が起きたとして、
人類は国家を超えて対処できるでしょうか?
国家とは人類の社会的な進歩の上での一時的、便宜的なシステムで、
いずれは解体されて、地球全体が一つにまとまったりするでしょうか。
まあ、そういうことを考えるよいきっかけになるものだと思います。




見るなの話

2015.09.23 (Wed)
えーと警備保障会社に勤めてます。まだ7年目の若輩なんスけどね。
一昨年、配置換えがあって、ここの市に移ってきたんス。若いやつらがね、
内陸の市から、どんどん海沿いの地域に回されて来てるんスよ。
なんでかって言うと・・・まあねえ、若いうちは苦労しろってことだと思うっス。
でね、俺らの仕事って、「見る」ってのが重要じゃないスか。
「監視する」って意味なんスけど、こっちに来てから見るなって言われることが多いんス。
んー何と言ったらいいか。この世にはね、見ないほうがいいものがあるってことっス。

交通整理

夜間の道路工事のための交通整理のときのことっス。
むろん夜は工事はしないんスけど、障害物やら穴ぼこはあるわけで、
道路は片側通行になるっスよね。よく見かけるでしょう。
あれってね、大変そうに思えるかもしれないけど、
実は昼のほうが楽なんスよ。ええそう、やることがあるから。
赤く光るバトンと無線機を使って車の流れをコントロールする作業ってのは、
それなりに気を張るし、やりがいもあるっス。
ところがね夜間ってのは、場所によるんスけど、郊外の現場とかだと、
1時間に数台しか車が通らないような場所があって、そういうときはもう眠気との戦いっス。
いくら暇だからって、座って休むなんてわけにもいかないし、
まして冬とかだと、寒いし体に雪が積もるしでね・・・

去年の冬のことっス。その日も強い吹雪で、昼の工事は中止になったんス。
けど、道路が塞がれている以上、俺らに休みはなしで。
8時に交代して、朝までだったんス。
それでも11時頃までは、そこそこ車通りはあったスが、そっから暇になって。
防寒着着て、分厚い手袋してても骨の髄まで冷たさが染みてくる頃っス。
たしか2時を回ったあたりっスね。コンビを組んでる先輩から無線が入って、
「今よ、人が入ったんだけど、そっち出たときに見るなよ。礼とかもいらないから」
「え、どういうことっスか?」 「あのな、人って言ったけど、人に似たもんだよ。
 もしかしたら途中で消えて、そっちまで行かないかもしれんけど、
 もしな何かが通っても、それ見るなってことだ」 「どういう意味っスか」
「・・・これからもあることだが、世の中には見ないほうがいいもんがあるんだよ」

「・・・了解しました」ねえ、こんなことを言われたら、構えちゃうじゃないっスか。
現場自体はそう暗くはないんスよ。工事現場には種々の警告灯があって、
多くは赤い光を放ってるんス。ただねえ、その夜は吹雪がひどくて、
フードの雪をつねに払ってなくちゃならなかったんス。
先輩のいるとこから歩いてくるとすれば、2分もかからずこっちから見えるはずなんで、
「見るな」とは言われたんスけど、緊張してたんスよ。
したら、横から吹きつける雪の中を、よろよろした歩き方の影が出てきたんス。
車さえも通らない郊外の道で、夜中の2時っスよ。
まわりにはコンビニも何もないし、歩行者なんて通るはずがないんス。
思わず無線機で「今、なんか来ました」こう連絡入れちゃったんス。
「バカ、いちいち報告すんな。いいから目そらしてろ。見んなよ」
その黒い影は今にも倒れそうな歩き方で、赤ランプの横を通っても服装もわからなかったんス。

俺はだから、見るなって言われたんで、少し横向きかげんにして、
フードでそっち見えない角度に立ったんス。風のために音はぜんぜん聞こえないっス。
さっき見えたのが30mくらい手前だから、今もう俺の脇を通るってときに、
どうしてかなあ、やっぱ好奇心があったってことっスかね。
チラとそっち見ちゃったんスよ。・・・体はね、びっしり泥で覆われて、
不思議なことに上に雪がくっついてなかったんス。
顔だけが真っ白で・・・それが目に入ったとたんに、俺、ぶわっと涙が出てきちゃって。
とにかく悲しみの塊みたいなものだったんス。
顔は一つじゃなくて、うまく言えないんスけど、たくさんの若い人も年寄りも、
男も女も重なってて。無数の顔がめまぐるしく入れ替わってる・・・
それが行き過ぎてから無線が入って「見ただろ」 「はい」 「泣くなよ。次は見るな」って。

鹿が渡る

俺らの会社はそこの市の教育委員会と契約して、全市の小中学校の見回りを担当してるんス。
まず学校の施錠に俺らのシステムを使ってもらって、
最後に出る人がロックした後に、侵入者があれば、
会社の管理センターに自動通報されることになってるんス。
そういうときは緊急出動なんスが、土日や長期休業中なんかはけっこうあります。
ほら、部活動があって生徒が早く来たのに、監督の先生が来てない場合、
生徒が開いてる窓から中に入ったりするんスよ。そうすっとセンサーが作動して・・・
ま、ほとんどの場合がその手のことで、不審者の侵入ってのはまずないんス。
見回りは、1校につき月に2回くらいっスね。
ローテーションを決めてて、月2で夜中に校内に入って、
すべての施錠を確認するんですよ。ええ、窓の一つ一つを見るんス。

で、書類にチャック入れて、その学校の教頭と教育委員会に報告を出す。
まあ楽な仕事なんスけどね。ただ・・・何校か嫌なとこがあるんスすよ。
全部、海の見える学校っス。先輩と2人組で行動するんス。夜中2時過ぎ、
車を学校の前に停めて、合鍵は学校側から渡されてあるんで、システムを解除して中に入って、
一室一室すべての施錠をチェックするんス。内陸の市にいたときも同じことやってたんスが、
怖いことなんて一つもなかったんス。よくほらテレビドラマなんかで、
警備員が懐中電灯つけて暗い中を回ってるシーンとかあるけど、
あれは特殊な場合で、普通は廊下も部屋も照明をつけてから見回るんス。
男2人でやってれば怖いなんてことはないんスよ。
でねえ、初めてこっちで見回りをしたときに、先輩からこう言われたんス。
「1、2階は問題ないが3階の窓からは海が見えるから、そっち見ないで施錠だけチェックしろ」

俺が不審そうな顔をしてたんしょうね。
「あんな、とにかく見ると精神をやられるおそれがあるから。うちの社でも何人かいるんだよ。
 だから自分のために見るなってこと。いいか?」 「ハイ」って。
で、1階、2階と見て回って、俺が確認して「異常ありません」って声を出し、
先輩が書類にチェックを入れるんス。この繰り返しで3回まで上がって、
教室と廊下の窓から堤防の向こうの海が見えまして。震災があってから船はほとんど出てないっス。
「も一度言うけど、海見るなよ」 「ハイ、わかりました」
でもね、そう言われてもどうしたって目が行くじゃないスか。
「異常ありません」 「OKです」そうやって3つ教室を回り、廊下に出ました。
したらね、海の表にぽつんぽつんと小さい白い光が浮いて、
波なんでしょうか、光る尾を引きながらゆっくり動くのが見えたんスよ。

俺が身を固くしたのが先輩にも伝わったんでしょう。
先輩はチェック用紙に目を落としたまま、「あれ鹿だから。鹿が海を渡ってるんだ。
 とにかくそう思って見ないようにしろ」 「ハイ、了解です」
とは言え、どうしたって目に入っちゃうスよね。白く光るものはだんだん数を増やして、
10、20・・・100近くにもなったんス。
それがゆっくりと一ヶ所に集まってきて、でも集まってるのに光は強くならないんス。
たしかに鹿がときどき海を泳いで渡るって話は聞くっスけど、
そんな群れになって夜中に泳ぐ鹿なんているわけないじゃないスか。
こんとき、この仕事に入って初めて怖く思ったんス。
そっからは施錠だけに目をやって、最後まで回り終えました。
白い光は数百、千もあるかもしれないっスね。寂しく光りながら浜に上がってきたんスよ。




 


白い石の話

2015.09.22 (Tue)
うちの親父が先年亡くなりましてね。齢(よわい)93ですよ。
とすれば、わたしの歳も推して知るべしで、今年63になります。
無職です。60で退職して、その後は親父の介護を女房と2人でずっと。
だからこう言っちゃあ何だが、親父が死んでね、何か解放されたような気分になりまして。
女房も同じでしょう。ま、それでね、わたしもこの後どれだけ生きられるかわかりませんが、
親父ほど長生きしなくてもいいような気がしますよ。
子供らに迷惑をかけたくないし、女房より後に逝くのも嫌だしね。
親父は、長い間趣味として骨董集めをやっていたんです。
いえ、高いものはありません。どれも近くの神社の境内の骨董市で買ってきたもので。
だから売っても二束三文だとは思ってました。
本職の古物商を呼んでためしに値をつけてもらったら、やはり予想どおりで。

でね、その古物商に「お気に召さないでしょう。これら、骨董市から買ってきたのなら、
 市に戻せばいいのじゃないですかね。こういうものは買う人次第のところがありますから、
 私がつけた値よりは高く売れるかもしれませんよ」
こんなアドバイスを受けたんです。それでね、時間だけはたっぷりあるもんですから、
主催者にお願いして、毎月市の日に、ゴザを敷いて売りに出てたんです。
値段は適当というか、どうせ価値がわかりませんので、
相場よりだいぶ安いんだと思います。けっこう売れましたから。
そうして、だんだんに親父の骨董は少なくなっていきまして。
それで、3ヶ月前のことです。その日曜も骨董市に出ていまして、
日が暮れてきたんで帰ろうと、品物を片付けていました。
そしたら、わたしより10ほど歳上に見える品のいいジイさんが来まして、

「この石ちょっと見せてくれるかね」って言ったんです。「ああ、どうぞ」
それは骨董とはまた違うもので、天然石ですから、美術品てことでしょう。
ちょっと見栄えのいい木製の台座もついてました。なんていう種類かはわかりませんが、
20cm四方ほどで、白く透きとおるロウソクみたいな質感のものでした。
老人は手にとってしばらく眺めてから、「ふうん、これねえ上下逆さまだよ」
「どういうことです?」 「この台座を向いてるほうが本当は上だよ」
「ああ、でも、そうすると安定しないんじゃないかな」
老人の言うとおりに、石を逆さに置いてみましたが、やはりグラグラしたし、
しかも趣もあんまりよくなかったんです。「やっぱり前のほうがいいでしょう」
「観賞用としてはそうかもしれんが、顔があるのはこっちだな」
「え? 顔?」このときはもちろん、本物の顔のことだとは思わなかったんです。

本来鑑賞すべき向きとか、そういう意味だと理解したんですが、老人は、
「これね、こっち側を、そうだなあ、和服の端布がいいかな、絹の。
 それで磨いてごらんよ」こう続けました。
「磨く? はあ、石を磨いてる趣味の方もおりますね」
「うんまあ、光らせるというわけではないが、磨いてれば何か出てきそうだ。
 端布は近くの和裁屋で売ってるだろうから、ぜひやってみてごらん」
「何が出てくるんですか?」 「まあ磨いてのお楽しみだろう」
こう言って、老人から石を磨く方法を習いました。
世間一般に行われている石磨きとは違って、グラインダーなどの機械はおろか、
磨き粉のようなのも一切っ使っちゃならないそうで、ただひたすら絹の端布でこする。
その間、無念無想になるのが醍醐味だと言ってましたよ。

「高く売れるようになりますかねえ」わたしがそう言うと、老人は懐から名刺を出し、
手渡してよこしました。それには「古美術商」の肩書がありまして。
「まあね、何か出たら、もし手に負えないことがあったら、連絡して」
「え、手に負えないことって?」 「まあまあ」
こんなやりとりをして老人は帰って行きましたよ。「ふーん、石を磨く・・・ね」
老後の、時間はあるが金はないわたしにはうってつけの趣味だと思いまして、
老人から教えてもらった和裁屋で、絹の端布を買って帰ったんです。
翌日の午後からですね。その石を磨き始めました。
下になっていた面を上に向け、ひたすら端布でこする。
力を入れてもどうにかなるわけでもないので、ゆっくりと優しく。
女房が「何をやってるのか」と聞いてきたので、

老人から言われたとおり答えたら、「高く売れるといいねえ」と笑いまして。
で、その午後中磨き続けましたが、目に見える変化はありませんでした。
ただ、やってる間はすごく落ち着いた気分でしたね。
それが、1日1時間半ほど毎日磨いてましたら、少しずつ変化が現れはじめました。
まず光沢が出てきて、白さの透明感が増したような気がしたんです。
それと老人が言っていたように、中に何かがあるように思えてきました。
でね、10日ほど磨いてますと、形が浮き出てきたんです。
これは立体感があるものじゃありません。わたしは平らにこすってるだけですから。
何と言えばいいですかね。横向きから45度ほど前に向いた女の顔・・・
それを水の中を通して見ているような。日本髪で昔の人のような感じがしました。
もちろん本当の人の顔の大きさはありません。実際の半分よりやや大きいくらいでしたか。

でね、それが見えてきてから、面白くなって午後のずっとを磨きにかけてたんです。
女房に見せましたら、「顔かねえ? そう言われればそんなような気もするけど、
 これは動物の顔じゃないかしら」 「そんなはずはない。これが額でここが鼻で・・・」
とうとう、朝起きたらすぐに石を手にとって磨き始めるという、
何かの中毒者みたいなことになってしまったんです。
ええ、女の顔はだんだんはっきりしてきまして。
歳は20代後半くらいですかねえ、なんとなく憂い顔に見えるところがよかったんです。
和裁屋にはその後2度行って、端布を買い足してきました。
飯もあまり食わなくなって、少し痩せましたから女房も心配し始めてね。
「あんたが夢中になってることをとやかく言うのもあれだけど、
 私には虎とかああいう動物に見えるよ。もう売っちまったほうがいいんじゃないかい」

でもね、その頃には売るという考えはすっかりなくなっていたんですが・・・
ある日です。縁側でそのときも石を磨いてたんですが、
陽気がいいので少し手をとめて うとうとしていました。そしたら外にシロがきまして。
ええ、このシロというのは猫です。家で飼ってるわけではなく野良猫なんですが、
人に慣れてまして、ときおり姿を現したときに餌をやったりしてたんです。
縁側にひょいと跳び上がり、わたしの手の中にある石に近づいて、
顔の出ている部分をぺろりと舐めたんですよ。
その途端、「ヒンギャー」という声を上げて垂直にジャンプし、
下に転げ落ちて一目散に逃げていったんです。わたしはそれで一瞬でうたた寝から覚めまして、
見ると床板が血だらけになっていたんです。シロの血ですよ。
その中にまだピクピクと動く肉塊・・・

シロの舌でした。唖然としながら石のほうを見ますと、
白い中に赤い、血の色の筋が2ヶ所入ったようになり、それは内部にあるもののようで、
いくらこすってもとれなかったんですよ。いいえ、すぐ前まではありませんでした。
でね、その筋が入ったのが、石の中にある女の顔の口唇の部分です。
ちょうど紅をさしたようで、女の表情が妖艶とも酷薄とも見えるように変わったんです。
ぞくぞくっとしました。それで夢中になっていたのが一気に冷めてしまって、
同時にね、あの老人が言っていた「手に負えなくなったら連絡して」
という言葉を思い出したんです。名刺はとってありましたし、
電話したらすぐに老人が出ましたので、事情を話しますと、
「ははあ、やはりそういうものでしたか。今から引取りに伺いましょう」
でね、夕方になって老人はひじょうに古い車を自分で運転してやってきまして。

そこ頃にはシロの血はぬぐってありまして、縁先で石を見せると老人は唸り、
「これはまた、怖いねえ。怖いものを出した。
 この素性のものとまでは思わなかった。でもねえ、あなたのような人が磨いたから、
 これで済んだんだろう。若い人だったらとり込まれていたろうに」
こう言って値をつけたんですが、それが100万の桁にのぼるもので。
ええ、恐ろしいので買っていただきましたよ。その後はとくに変わったことはなしです。
憑き物が落ちたというか、あの夢中で磨いていた時間は何だったのだろうかって。
老人にはあれから会っていませんし、連絡もありませんよ。
あとですね、この2日後に、散歩に出ようと家の前の道を歩いていたら、
シロが側溝の中で死んでいました。保健所には連絡せずわたしが庭に埋めましたが、
いや、気の毒なことをしましたよ。






3Dの肖像

2015.09.21 (Mon)
えー今日は時間がなく、怖い話ではありません。お茶濁し記事です。
ところで、ここ2週間ばかり当ブログのアクセス数が増えていまして、
最初はグーグル・ボットかと思いましたが、そうでもないようです。
訪問者履歴にも、2週間前あたりから、自分が訪れたことがない(かなり畑違いの)
ブログの方のお名前が混じっていますし、???という感じです。

もちろん訪問者が増えるのは歓迎ではありますが、
どこか自分の知らないところでブログの紹介でもされているのか?
と考えると不安もないわけではありません。
自分は基本的に、訪問履歴のある方には訪問のお返しをして、
記事もできるかぎり読まさせていただいていますが、
あまり数が増えると対応できそうもないです。

もともとオカルト・ホラーのブログなので、万人向きのものではないし、
アフィリエイトなども入れてないので、アクセス数を増やすことや、
ネットで話題になるということは目指してはいませんでした。
TwitterやFacebookは仕事では使いますが、これはものすごく時間をとられてしまうので、
ブログ関係の話は一切出したことがないのです。
ただまあ、オカルトの振興ということを考えれば、
同好の士以外にも情報を発信していくことは有効でしょうし、
今ちょっと悩んでいるところではあります。

さて、今日の話題は地元大阪の「パナソニックセンター」が
7月から始めた人形作成サービス「3Dプレミアムフィギュア」についてです。
これはみなさんの中にはすでに体験した方もおられるのかもしれません。
自分も近日中に見学してきたいとは思っているんですが、
撮影を申し込むということはないと思います。

『円筒形のスタジオの壁には120台のカメラが360度にわたり取り付けられている。
このカメラが一斉に作動し、それぞれの角度から被写体を撮影する。
この画像を基に3Dイメージを作り込み、10分の1のサイズで、
石膏製のフィギュアを作成するのだ。
フルハイビジョンの4倍の解像度を持つ「4K」に対応した最新のデジタルカメラで、
1000分の1秒の瞬間を捉える。じっとするのが苦手な小さな子供の撮影に向き、
野球の投球フォームなどにも対応できる。』
(元記事 産経新聞)
(安元雄太氏 撮影)
なるほど、フィギュアが出来上がるまでには
時間はかかるでしょうが、撮影そのものは一瞬なのですね。
ぐるっと360度自分をとりまいたカメラで、
パノラマ画像をつくってデータ化する。
1000分の1秒ということは、
かなりの動きに対応できますね。
例えば、ジャンプをした瞬間の髪や衣服の動きなども
ある程度まで再現できるんでしょう。
10分の1といえば、置き物としてもぴったりサイズで、
将来は孫のサッカー姿の3Dフィギュアとかが、
祖父母の実家とかに送られたりするんでしょうか。
で、すでに故人となった人のフィギュアが残っていて、
それを巡る怪異が起きる・・・

おやこれは、人形物と心霊写真物を足して2で割ったような、
新たな怪談の素材になるではありませんかww
昔は写真に写ると魂が抜かれて早死する、などとも言われていましたが、
さらに、人型のものには念がこもりやすいという話もあり、
数々の人形系ホラーが生まれています。

この2つのことが合成されると、もし呪いでもかけたらより強力になるかもしれません。
神社のご神木に釘付けされている3Dの生き人形・・・w
とはいえ、普通の写真を盗み撮りするのとは違って、
3次元データの元になるパノラマ写真を盗撮するというのは、
さすがに不可能でしょうね。

これ、色はどうしているんでしょうね?
後付けで塗っているのでしょうか。それともフルカラー化されているのか、
そのあたりも聞いてきたいところです。
3Dプリンターに色付けする技術は、今、各社が競って研究していますね。
形ができてからノズルで色を吹きつけるタイプが一般的ですが、
最初から色のついた樹脂素材を使用し、
それを混ぜあわせて多色を造り出すという方法もあるようで、
これは造形と着色が同時にできるということです。
透明素材を使って、例えば透けたマントを着て、
その下の部分が見えるような技術も開発されているようです。

どうなんでしょう。3Dによる自分の肖像が流行ったりなどするんでしょうか。
2Dの写真と違うところは、なかなか修正が効きにくいということ。
このパナソニックのものだと体型がもろに出てしまいますね。
自信がある方なら望むところでしょうが、世の中にはそうでない人もいますし・・・
それとも8割方スリム化して造形するとか、
人工知能が贅肉部分を判断して、あらかじめ除去修正するようなプログラムができますかw
あとまあ写真だと「奇跡の一瞬」と言われる、
自分とは思えないようないい写真が撮れることもあって、
そのあたりはカメラマンの腕が関与する部分でもあるのですが、
そういうことも3Dで起きるんでしょうかねえ。

マント部分も3Dプリンター製







室屋の話

2015.09.20 (Sun)
じゃ、始めさせてもらいます。ご覧のように私は僧侶でして。寺は真言宗です。
大きなところじゃないんです。歴史だけは古いんですが、ただの村のお寺で。
今は市町村合併で、市の一部にはなってますが、檀家は数十世帯ですよ。
それでね、私の寺の裏山の入り口に、室屋と呼ばれるものがあるんです。
上は粗末な木造の小屋で、江戸時代に建てられたのを修理に修理を重ねてあります。
中は土間で、中央に相撲の土俵ほどの大きな穴があるんですよ。
これは何かというと、その昔に即身成仏された上人様が埋められた場所なんです。
掘り出された遺物は、大学の先生の話では室町末期ということでした。
ええ、古い古いものなんです。でね、この穴には不可思議ないわくがありまして、
今夜させていただくのはそのお話です。
即身仏はご存知ですよね。行者が生きながら仏になり、死後に上人と呼ばれる。

これはね、即身仏になるのは位階の高い僧侶ではないんです。
名もなき修行者が即身成仏を志し、五穀断ち、十穀断ちの苦行をして骨と皮ばかりの体になり、
漆を煎じた茶を飲んで嘔吐を繰り返す。体内の水分をさらに絞り出すためです。
そして、ついには生きながら土中に入る。このあたりの方法は様々ですが、
私らの地方では、土が崩れないようにしっかりと壁を固め、天井板を渡し、
上から土をかぶせたら、一ヶ所、節を抜いた竹筒を通す。
即身仏の修行者は、土中で鉦を叩くか鈴を鳴らし、その音が聞こえなくなったら、
御入定というわけです。それから3年3月後に掘り出して、
見事体がミイラ化していれば完成。御上人様と呼ばれて未来永劫尊崇を受けます。
ところがね、当時のその穴・・・室屋と呼んでおりますが、
これがね、ひじょうにおかしなことが起きたんです。

ええ、3年後に掘ってみたところが、中はもぬけのからだったのです。
え? その修行者が途中で逃げ出したんだろうって。
まあ、そう思いたいところですが、記録が確かならばそうではないようですよ。
何人もの者が、竹筒を通して鉦が鳴る音を聞いていたようですし、
とてもじゃありませんが、やせ衰えた修行者が、
土中から外に逃れることができるような土の量ではありません。それにその3年の間、
寺の僧が、朝夕欠かさず室屋の前で読経をしておったとありますから、
土が崩れたりしていればわかるはずです。
ということで当寺には上人様のミイラはないのです。いえ、話はこれで終わりではありません。
そうじゃなくて、不思議はつい最近まで続いておりましたし、
これからもあるかもしれないのです。

この話は、私が20歳過ぎのころに、先代の住職から聞いたことなんです。
先代の住職というのは私の父親ですよ。これが血のつながった親ではないんですが、
それも話の内容に関係があるんです。
おかしな出来事の、記録に残っている初めは江戸後期ということでした。
それ以前のことはちょっとわかりません。どうなんでしょうねえ。
もちろんその当時は、私の祖父よりずっと昔です。ただいま話しました室屋の跡、
つまりは掘った穴ですね。考えてみれば、それがずっと長い間埋められもせず、上に、
粗末ながら雨風をしのげる小屋が建てられていたのは、やはり何かがあったのかもしれません。
ある朝、寺の小僧が外回りの清掃をしておりますと、
小屋の戸を中からどんどんと叩くものがある。
しかし中に人がいるはずもない。小僧は当時の住職を呼んできて、
小屋に掛けた南京錠を開けてみた。

そしたらですね。出てきたのは、年の頃40ばかりになる町人風の男だったのです。
言葉もそのあたりの地方とはまったく違っていまして、本人から話を聞くと、
なんと、自分は近江の生糸商人だと名のったそうです。
そんなものがどうして、辺鄙なみちのくの小寺にいるのか、重ねて問うても、
本人の話はさっぱり要領を得ない。昨晩は琵琶湖畔まで旅に出て商人宿に泊まった。
酒を少しやっていい機嫌で寝たことまで覚えているが、
朝目が覚めると、土中のしかも蓮華座の上にいて体があちこち痛い。
とにかく起きて穴を上り、木戸から出ようとしたが鍵がかかっているようだった。
それで戸を叩きながら声をかぎりに叫んでいた。そういう話だったのです。
むろん寺のほうではにわかにそんな話は信じがたい。しかし商人の、
今いるところが陸奥と聞いて仰天していた姿に嘘があるとも思えない。

商人の衣服や持ち物も本人の言を裏付けるばかりで、双方とも考え込んでしまったそうです。
ともかく帰ると言って、商人は寺から路銀を借り、翌朝には近江へ出立しました。
律義者だったようで、きちんと金子を送り返してきたということが記録に残っています。
ねえ、不可解な話でしょう。 次は、明治の10年代だったそうです。
その頃には前の話も忘れられ、小屋には鍵もかけてなかったそうですが、
やはり朝になると、その小屋のそばに異様な風体の者がいるのを小僧が見つけまして。
それがね、紅毛碧眼、色が抜けるように白い洋装のご婦人で、
木の陰にうずくまって泣いておった。住職が声をかけると、
ただ異国の言葉が返ってくるばかりでどうにもならない。
それで当時の県庁に連絡をいたしまして役人が参りましたが、やはり言葉がわからない。
数日してやっと、ロシア人であるということが判明いたしましてね。

まだ日露戦争前のことでしたから、ともかく失礼がないようにと丁重に扱って、
政府の船に乗せてウラジオストクまで送ったそうです。
どういうことかわかりますでしょうか。室町時代?の御上人様の遺骸の紛失。
江戸時代の近江商人、そして明治のロシアのご婦人。その穴は、
うまくは言えませんが、いろんな場所とつながっているということになるのでしょうか。
ええ、何度も入って調べましたよ。いやただの土の穴です。
横穴のようなのもありませんし、土もそこらの畑のものといっしょで。
でね、3度目があったんですよ。これは先代住職が話の最後で、
「お前も二十歳を過ぎて、いよいよ本山に修行に行く前だから教えるが、
 じつはお前はわしの実子ではないのだ」こう言われたときは驚きましたよ。
昭和25年の夏、私は素っ裸でその室屋の穴に転がって泣いているところを発見されたそうです。

手をつくして調べたそうですが、身元の手がかりとなるものはなにもなし。
それで先代住職は、その穴に伝わる話を思い出しまして。
ええ、両親には子がなかったんです。それだと寺は世襲できません。
そこでこれは天からの授かりものと考えて、養子の手続きをとったのだそうです。
私には誰も、檀家の衆もそのことを教えてはくれなかったんですね。
ですから、この話を聞いたときには本当に驚愕したものです。
え? ああ、私が見つかったときも小屋には鍵がかかってなかったそうです。
ああ、私の事例は何も不可思議事ではなく、単なる捨て子の可能性もあるだろうって?
ええ、もちろんそれは考えましたよ。たしかにね、
戦後すぐの苦しい時期でしたから、寺なら子は育ててくれるだろう、
そう考えて近郷の母親が室屋の底に私を捨てた可能性はありますよ。

江戸や明治の室屋での話はそこらには広まっていましたからね。
まあ、そのあたりのことははっきりとはわからないですよ。
ただね、私は先代住職に育てられ、僧侶として過ごしてきた人生には満足しています。
あとですね、この間ニュースでやってましたでしょう。
南米、ペルーの山中の未盗掘の遺跡から発見されたミイラのことです。
かなり状態がよく、遺骸のみならず衣服や持ち物まで残っていた。
それがね、どうも昔の日本のもののようだということでしたでしょう。
ミイラ化の方法も現地とはかなり違ってます。
あのテレビに出てきた鉦鼓は、間違いなく日本の仏教のものですよ。
しかもかなり古い。あれねえ、もしや室屋から消えた即身仏の御上人様なんじゃないでしょうか。
これから時代なども調べるんでしょうが、何かわかるのを楽しみにしてるんですよ。








カワガラスの湯

2015.09.19 (Sat)
俺が大学のときの話だから、もう10年も昔になるな。
名前は言えないが、ある大学の地球環境科学科ってとこにいたんだ。
この学部がある大学は少ないんで、わかるかもしれないけど。
少数の学生はみんな夢を持っててね。火山学者とか地震学者になりたい、
深海潜水艇で海底地形調査をしたいとか。ああ、特殊な学部だから進路もかぎられてる。
研究職になったやつも多いよ。俺も科学技術庁でね、火山の噴火活動の監視を担当してる。
ほら、御嶽山やら阿蘇山、最近話題になることが多くて、俺んとこにもマスコミは来るよ。
でもよ、これ、普段はほんとに単調なデータ取り中心の仕事だから、好きじゃないとできないよ。
で、そこの学部では、夏休みになると恒例フィールドワークがあったんだ。
火山帯の中に分け入って、地質とか地層とか、そういったものの記録を取ってくるわけ。
いや、もちろん勉強の一端なんだが、酒を持ってくるのは公認でね。

基本はテント生活だが、火山地帯というのは温泉地帯でもある。
少し前に秘湯ブームってあったけど、あれで有名になったのは、
ちゃんとした宿泊棟があるとこだよな。俺らからすればそれはちょっと甘いんだよ。
山の中には、建物も何もなく、湯船だけしかないってとこはたくさんあるんだ。
地元の猟師が沢登りしてたら、川原で湯気が噴き出てる。
温泉なんだが、湯量は少ないし、車のアクセスができないんで、
宿をつくっても採算が合わない。そういうところには、山歩きするやつが岩を組んだ、
湯船だけの温泉がある。素っ裸になって浸かり、沢水で割ったウイスキーをぐっとやる。
これがねえ、ホント楽しみで、フィールドワークが待ちどうしかった。
まあね、危険はあるよ。まず第一は熊だけど、熊は山の中どこにでもいる。
何度か見かけたけど、向こうから人に近づいてくることはまずない。

次が滑落とか、落石、まあいわゆる山の事故だな。
それと硫化水素ガス。火山帯にはつきもので、特にこもってるところが危ない。
空気よりも重いから、窪地とかに溜まりやすいんだ。
演習中の自衛隊や森林管理局の作業員なんかが何人もやられてるんだよ。
とはいえ、少なくとも5人以上で出かけたし、
夏休み中の話だから、いくら高山といっても積雪時の登山とは違う。
それまで深刻な事故が起きたことはなかったんだよ・・・
で、「カワガラスの湯」だ。まず、 この鳥のこと知ってるか?
カラスじゃなく、スズメの仲間で渓流にすんでる。本物のカラスよりだいぶ小さく、
カワセミとかと近い生活形態なんだ。俺が2年のときに行ったフィールドワークでは、
その山地を流れる渓流にいるカワガラスが入る湯ってのがあったんだよ。

正確には、そういう地元の話があったってことだな。
実際に鳥が湯に入ることはないだろうから、たまたま川原の源泉近くにいるのを見て、
そう名づけられたんだろ。でもよ、そういう話、俺なんかはけっこうわくわくするんだよ。
だからそこの沢に入るのが楽しみだったんだ。
で、フィールドワークの計画は4泊5日で、その4日目のことだ。
山頂から中腹での調査を終えて、あとは沢沿いに下るだけ。
そのときの仲間は5人だった。この日まで助教授が指導に来てくれてたんだが、
午前のうちに一人林道に下りて、車の迎えで帰ったんだ。
でな、すっかり自由な気分になった。その夜の泊まりは何の遠慮もないから。
うん、山の怖さへの油断があったんだろうなあ。
気を張ってたのが開放されて、隙ができちまったんだな。

5人が縦列になって、藪を下ってた。木の間から数十m下に渓流が見えた。
かなりの速さで水量も多いようだ。それと、かすかに硫黄臭いにおいがして、
温泉地帯が続いてることがわかった。「この川原に温泉があるんか」
「そうみたいだな」 「肉残ってるか? 今夜は盛大に焚き火しようぜ」
「あんま身を乗り出すなよ」3年のリーダーがそういった声が終わらないうちに、
三崎ってやつが足を滑らせて渓流のほうに落ちたんだよ。
そこは崖というか、木や草が生い茂った斜面で、
バキボキ枝折れの音を残して姿が見えなくなった。「あっ、落ちたぞ」
「やべえ、どっかで引っかかっててくれよ」 「どうします? ここ下りて探しますか」
一瞬で状況を判断したリーダーが、「ダメだ、2次遭難になる。いったん川原に降りて、
 そっから上ろう」俺らは急ぎ気味に、獣道に近い道を下っていった。

数分行くと林の切れ間があって、そっから川原が見えた。
三崎がうつ伏せに倒れていてピクリとも動かず、下の石に赤いものが広がっていた。
それと、その付近の岩の間からもうもうと湯気が上がってたんだ。
「やべえ、下まで落ちてる」 「かなり血が出てるぞ」
「とにかく降りてくしかないだろ。急ぐなよ、慎重にな」
また木が茂って三崎の姿が隠れた。さっき見た様子だと大量の出血で、
命に関わるのは間違いなさそうだった。川原まで数mの高さまで来て、
リーダーが、「木の間を行くぞ」そう言って藪に入り、俺らも後に続いた。
川原の石は日に照らされてカラカラに乾いてて、熱が足に伝わってきた。
三崎が倒れてたとこから50mほど先に出たので、
倒れてたあたりの様子をうかがったが、三崎の体があるようには見えなかった。

「おかしいな。あのあたりに倒れてたよな」 「とにかく行ってみよう」
そしたら、川原と斜面の境目のとこに三崎がしゃがんでたんだよ。
「おい! お前大丈夫か?」 「すいません、大丈夫っス」見ると、顔色は白いが、
血が出たあとは見えなかったんだ。 「さっきうつ伏せで倒れてただろ。血も出てたし」
「いえ、お尻で滑ってきたんで、あちこち擦り傷はあるけど、基本、自分は大丈夫です」
ありゃあ、さっき大量出血してるように見えたのは、なんかの間違いなのかって、
俺らは安堵したんだ。「お前、しゃがみこんで何やってる。どっかまだ痛いのか?」
「いえ、このあたりから温泉が出てるんですよ。それとほら」
三崎が指差したほうには、適当に大きめの川原石を組んでこさえた深さ1mほどの湯船があり、
その山側に小さい、50cmほどの赤い木組みの鳥居が立てられていたんだ。
「これが、話に出てたカワガラスの湯なんじゃないスかね」

「湯がたまってないぞ」リーダーが言うと、三崎は湯が湧き出てる石の間を指さし、
「入るときだけ、こっから溝をつくって湯を引くみたいです。前の跡が残ってます」
リーダーは、「大丈夫なようだな。じゃ、俺らが野営用の薪を集めてくっから、
 お前心配させた罰として、ここで湯船に湯を入れてろ」
まあこれは、三崎のことを心配して動かさないように配慮したんだろうね。
石を組むだけなら座ったままでできるから。それから、今なら怒られるだろうが、
川原で焚き火をし、夕飯を食い、酒を飲んで歌なんかも歌った。
釣りをするには上流すぎるし、登山コースでもないからあたりに人はいないんだよ。
で、騒ぐだけ騒いで温泉にも入った。湯船には源泉と沢の水が両方引かれた掛け流しで、
やや熱めの湯加減だったが、真夏なのでそれも気持ちよかった。
ただ三崎は酒飲んでる間元気がなく、リーダーにずっと、お前大丈夫かって聞かれてた。

自分でつくった温泉にも入らなかったんだよ。
10時過ぎくらいには火をオキだけにして、山中に張ったテントに戻った。
3人用が2つだったな。俺はかなり飲んでたからすぐに寝てしまった。
目が覚めたのが5時すぎたあたりで、これはフィールドワーク中ずっとそうだったから、
習慣になってたんだろう。仲間はまだ寝ていて、外はしらじら明るかった。
口の中に酒の味が残ってたんで、渓流でうがいしようと思った。
あと、まだ時間があるなら、昨日の湯船で一汗流そうかとも。
テントを出て川原に下って行くと、灰褐色の鳥がたくさん下に降りてきて、
湯船のあたりを囲んでた。気味が悪かった。これがカワガラスだろうけど、
前の日は一羽も見なかったし、そもそも縄張りがあって、集団行動する鳥じゃないはずだ。
俺が近づいていっても鳥は動かない。けど、集まってる湯船の中に何かがあるようだった。

石を拾って、軽く鳥の中に投げたんだよ。そしたらカワガラスは一斉に飛び立ち、
人が服を着たままの状態で、頭を鳥居の中に突っ込み、
体は湯にうつ伏せに浮かんでいるのが見えた。
それと、掛け流しの湯が止まってるのか、湯船の水が真っ赤に濁ってた。
一瞬体が動かなかったが、「おい!」大声を出して駆け寄り、
両脇の下に手を入れてひっくり返した。体は湯の中で重くはなかった。
三崎だったんだよ。顔色は真っ白で、額から髪の毛の中まで大きな傷があり、
頭蓋骨が見えてた。脈をとるとか冷静な行動はできなかったが、
一目で生きていないのはわかった。とりあえず湯船から出し、
川原に仰向けにして仲間を呼びに行こうとした。俺がその場を離れると鳥がまた集まってきた。
三崎の死体じゃなく湯船の周りに。そして小さな鳥居に向かって一斉に頭を垂れたんだよ。







ナビ2

2015.09.18 (Fri)
うちのジイちゃんの話なんだ。今年78歳で亡くなったんだけど、その死に際のことだよ。
ええと、どっから話せばいいかな。・・・ジイちゃんは、うちの両親と同じ市内に住んでて、
車で15分ほどの距離だな。親父はジイちゃんに、うちに来て一緒に暮らせよって、
いつも言ってたけど、ジイちゃんは「体が効くうちは一人のほうが気楽だ」って、
誘いに応じようとはしなかったんだ。
実際、ジイちゃんは達者で、犬を飼ってて毎日1時間以上散歩させてたし、
俳句の会とか、カルチャースクールで陶芸の勉強をしたり、
退職金と年金で自由気ままに暮らしてたんだ。
これはね、俺はまだ就職したばっかりなんだけど、うらやましいというか、
年取って仕事を引退したら、ああやって悠々自適に暮らしたいなって、
理想を体現してるように思えてたんだよ。

車も運転してたんだよ。10年落ちくらいのカローラ。
だけどこれは、俺の両親も少し危ぶんでたんだ。
目も体もとくに問題はないジイちゃんだけど、
やっぱ歳のせいで判断力とかは鈍ってるだろうし、
万が一のことがあったら大変だから、運転免許の返納を勧めたほうがいいんじゃないかって。
とは言っても、ジイちゃんはあちこち出かけるのに車を使ってるわけだし、
そこらは都会と違って電車やバスの便はあまりよくないんだ。
だから免許がなくなると、うちの親が送り迎えしたりする機会が多くなるだろうし、
何より、ジイちゃんの生きる気力が萎えちゃうんじゃないかって、
言い出せずにいたんだよ。はっきりボケの兆候とかが見えないうちはいいだろうって、
お茶を濁してたってことだよな。

ただ、半年くらい前にジイちゃんが家に来たとき、
「この頃、なんだか道を間違えるようになった。若いときは地図だけでどこでも行けたもんだが」
こんなことをこぼしてたんで、今年の4月、俺が就職した初給料で、
ジイちゃんにナビを買ってプレゼントしたんだよ。
ジイちゃんのカローラは旧型で、カーラジオのとこにナビは入らないから、
ダッシュボードにのせるやつだ。もちろん高いもんじゃない。
でも、ジイちゃんはすごく喜んでくれたよ。でもなあ、今になってみればこれがよかったのかどうか。
ナビは中古なんだよ。8万くらいのがリサイクルショップで3万になってた。
その前がどこで使われてたなんてわかんないよ。
買った店に行けばある程度わかるかもしんないけど・・・とにかく不可思議な話なんで、
あんたら信じられないって言うかもしれないな。でもほら俺の右手、肘より先が動かないんだ。

神経が断裂してるんだよ。あんときの事故でやったんだ。
今はリハビリ中で、指が少しずつ動いてきてはいるけど、完全に元通りになるかは、
医者にもわからないみたいだ。だから、こんなことで嘘ついたってしかたないだろ。
で、そのナビをジイちゃんの家に持ってたとき、
やっぱ年寄りだから使い方がわからないだろうと思って、
俺が一緒に車に乗って、操作法を細かく説明したんだよ。
まあ、ジイちゃんは機械はけっこう強い。
昔は8ミリカメラや、写真の現像なんかも自分でやってたって話も聞いてた。
だからそう心配はしてなかったけど、すぐに要領を飲み込んで、
自分でナビをセットして、俺んとこまでくることができたんだ。
ナビの音声が案内をしゃべるたびに「スゴイ、スゴイ」って喜んでね。

ああ買ってよかった、いい金の使い方をしたって俺も思ったわけ。
で、3ヶ月前の話。俺が仕事から帰ってきたら、ジイちゃんが車で来てたんで、
ナビの調子を訪ねてみた。そしたら、「こりゃいいもんだ。あの案内してくれるネエちゃんの声が、
 ほれぼれするほどいい。だから道がわかるとこでも、どこに行くにも使ってるんだよ」
こんな話をし、続けて「それにしてもスゴイな。交差点に入るたびに、
 そこであった事故を教えてくれたりするとか、昔じゃ考えられない」
「えー、事故の件数ってこと? あれにそんな機能とかあったっけ」
「件数だけじゃなく、亡くなった人の年齢とか、ケガの状況まで教えてくれるんだよ」
「それはない、いくらなんでもそれはムリだよ。ジイちゃんラジオを一緒につけてて、
 ごっちゃになってるんじゃないか」 「いやいや、すごく詳しく知ってる」
さすがにこれは考えられないって思うだろ。数年前ので衛星通信機能はついてない。

というか、最新の数十万のでも、過去の事故の情報を教えてくれるナビなんてないだろ。
それで、ジイちゃんの家まで乗せてもらって、本当かどうか確かめてみることにしたんだ。
もしかしたらボケの始まりかも、とも思ったしね。
で、ジイちゃんの車に乗った。時間は7時過ぎでもう暗くなってた。
ジイちゃんが自分の家をナビに入力し、
「これから案内を開始します。目的地までの到達予想時間は・・・」まあ普通に始まった。
でね、どこの交差点に入っても「右に曲がります」とか言うだけで、
事故のことなんて言ったりはしない。やっぱジイちゃんの勘違いだと思った。
「ジイちゃん、ただ普通に案内してるだけじゃない」
「それは向こうが忙しいからだろう。この間は、ここに入ったとき、ええと、
 死亡事故が3件、最新のは去年で、27歳の母親と4歳の女の子が死んだって。

 母親は頚椎骨折が死因で、女の子はフロントガラスを割って車外に飛び出し、
 対向車に轢かれたため。そんな話だったな」
「そんなのしゃべるわけないよ。ところで、ジイちゃん「向こうが忙しい」
 って言ったよね。それどういう意味なん?」
「このナビってのは、本部につながってて、そっから係のネエちゃんが話をしてるんだろ」
「えー、なに言ってるんだ。これは全部、録音した声を合成して出してて、
 どこかに通じてるわけじゃないよ」
「じゃあ、今話しかけてみるからな。次の信号のとこでで事故は起きてますか、
 教えてください」ジイちゃんがこう言ったが、ナビは無言。
そりゃそうだよな。これで答えが返ってきたら未来の車だよ、って思った。
「ほら、ジイちゃん、返事なんてしないだろう」

「おかしいなあ、いや、今まで何度もしゃべってるんだよ。ほとんど夜のときだな。
 その時間帯は本部が忙しくないから、答えてくれるんだと思ってたが」
「やっぱラジオだよ」俺がそう言ったとき、ナビが急に、
「次の交差点での過去10年間の事故発生件数3件」こうしゃべりだした。
「ほらみろ、どうだ」とジイちゃん。
ナビは続けて、「最新の事故は7月4日、死亡者0重傷者1名。重傷者は顔面の裂傷と、
 右手神経の断裂」7月4日ってのはその日のことだよ。
俺が驚いてナビ画面をいじくろうとしたとき、
ジイちゃんが「ううううっ」とうなってハンドルに突っ伏した。
俺は助手席だったから、とっさにハンドルをつかもうとしたがジイちゃんの体の下で、
うまくいかなかった。それで、思いっきりサイドブレーキを引いたんだ。

フロントガラスの前の景色が回転して、コンクリの塀が目の前に迫ってきて、ドッガーン。
俺の意識はそっからとぎれとぎれだよ。救急隊員に呼びかけられたときに気がついたんだが、
右手の肘に大きなガラス片が刺さってるのが見えた。
ジイちゃんのことを気遣う余裕はなかった。
でね、このときジイちゃんは亡くなったんだが、死因は心筋梗塞だって。
もちろんジイちゃんにもガラスがたくさん刺さってたけど、
致命傷になるようなケガはなし。あのハンドルに突っ伏したとき、
もう命はなかったってことだったんだ。なあ、信じられない話だろ。
あんときナビは「死者0、重傷者1」って言ってたけど、そのとおりだったんだよ。
ジイちゃんのカローラはそのまま廃車。ナビもスクラップだと思う。
まさかまた、どっかの中古店に回ってるなんてことは・・・

関連記事 『ナビ』







谷を越える

2015.09.17 (Thu)
* 怖い話ではありません。
「不気味の谷」と言われる現象についての内容です。
これ、ネットで検索するといろんな人がブログに書いていて、
様々な意見が出てるんですが、なかなか「これは明快だ」
というものが少ないように、自分には思えました。
じゃあお前がビシッと書けるのか、と言われるとその自信もないんですが、
「不気味」というのは、当ブログの隠れテーマである「恐怖」と関連していますので、
ま、考察するだけしてみたいと思います。

まず、「不気味の谷」とは何かというと、
Wikiには『人間のロボットに対する感情的反応について、
ロボットがその外観や動作において、より人間らしく作られるようになるにつれ、
より好感的、共感的になっていくが、ある時点で突然強い嫌悪感に変わる現象』

というふうに出てきます。
ロボットが人間に似ていないのであれば、つまり機械部分が見えるなど、
『スターウオーズ』のロボットコンビのようならば、
それはそれで嫌悪の対象とはなりませんが、
ある程度まで人間に似て、しかし人間でないことははっきりわかるあたりに、
多くの人が「ああ気持ち悪い」と嫌悪感を持つ、感情の谷間があるということです。
ロボット工学者の森政弘東京工業大学名誉教授が、
1970年に提唱したロボット工学上の概念とされます。

この原因としてよくあげられるのが、
『対象が実際の人間とかけ離れている場合、
人間的特徴の方が目立ち認識しやすいため、親近感を得やすい。
しかし、対象がある程度「人間に近く」なってくると、
非人間的特徴の方が目立ってしまい、観察者に「奇妙」な感覚をいだかせる』

こんな内容ですね。

また、この現象についての論には批判があります。
「(不気味の谷のアイデアは)実際には疑似科学なのだが、
人々がそれを科学であるかのように扱っている」といったものですね。
これはわかる気がします。Wikiではロボット工学上の概念と書いてますが、
測定にかかるのは、好感を持つか、嫌悪感を持つかという人間の心理ですよね。
ですから、心理学上の問題としてみることができるわけです。

心理学はずっと実験に再現性が乏しいということで批判されてきましたが、
おそらくこの「不気味の谷」をめぐる測定結果は、
大きな傾向はあるでしょうが、バラつきもあるものと思われます。
不気味に思うか、好感を持つかには個人差があるからです。
さらには、まったく外見が人間と変わらないロボットができたとしても、
「これはロボットです」と言われただけで、
嫌悪感を感じる人がいるといった問題もあるでしょう。

自分は映画についての雑文なども書いています。
CG映画やアニメの製作者の多くは「不気味の谷」ということをある程度意識して、
キャラクターの造形を(動作の作成も)行っています。
キャラクターの外見にかぎれば、これは2次元でありますが、
「不気味の谷」現象が働くのはロボットだけではないのです。
興行収入を上げるためには、
アニメの主人公に嫌悪感を持たせないための工夫が必要です。

「ファイナル・ファンタジー」シリーズや、ディズニーアニメの主人公は、
もちろん観客に好感を感じさせるべく、
多くのスタッフが科学的分析を重ねて造形しているのですが、
やはり観客の中には「なんかちょっと気持ち悪かったわね」
という感想を持つ人は少数でも必ずいます。
多様な人間が対象なのですから、これはしかたありませんね。

さらに問題を複雑にしているのは、「外見」にプラスして「動き」の存在です。
カリフォルニア大学の研究チームが次のような実験を行いました。
『大阪大学が開発した「リプリーQ2」を使用。被験者にリプリーQ2と、
そのモデルとなった女性、そして機械部分がむきだしになったリプリーQ2
(要するに一目でロボットとわかる状態)の3パターンの映像をそれぞれ見せ、
その際の脳の反応をfMRIにて測定した。
実験は20~36歳の男女20名を対象に行われ、その結果、むき出し状態の映像および、
モデルになった女性の映像を見た場合はいずれも大きな反応がなかったのに対し、
リプリーQ2の映像を見た場合のみ、脳に強い反応が見られた。』

この結果について、チームは「外見」と「動き」のギャップを指摘しています。

『私たちの脳は、ロボットがロボットのような動きをする場合や、
人間が人間のような動きをする場合には違和感を感じません。
しかし外見が人間そのものであるにもかかわらずロボットのような動きをした場合、
脳は予測と違った結果に違和感を感じるのです。』

これは人間の脳の中に「ロボットのような動き」という固定概念ができているためでしょう。
引退した相撲の高見盛が、ロボコップと言われていたようなものです。
困りましたね。CGならばともかく、
3次元のロボットで、毛穴の一つ一つ、肌のシミなども再現して、
外見は限りなく人間に似せることができたとしても、現在のロボット工学では、
あらゆる場面において人間と同じ動きをすることができるロボットの建造は不可能です。
ホンダ・アシモなどの現状を見るかぎり、数十年レベルではできそうもありません。

また、人間のすべての骨や筋肉や腱の動き、皮膚の盛り上がりなどを再現させるのは、
ムリであるばかりでなく、現状ではムダもあるのです。
なぜなら、例えば介護ロボットのようなものを考えたとして、
これは介護ができればいいのですから、人間と同じ動きをする必要はありませね。
むしろ人間にできない動きや力があることに、
存在価値があるとも言えるわけです。

SF映画などでは、人間と外見がまったく変わらないロボット、
アンドロイドが出てくるものも多いのですが、
工学上の研究課題として、人間の動きに似せるというテーマは重要ではあるものの、
はたして人間そっくりのロボットが必要なのか、という問題が出てくるでしょうね。
これには搭載するAI(人工知能)も関係してくるでしょうし、
さまざまな倫理的な論点が浮上してくると思われます。

さてさて、「不気味の谷」は、個人差はあるにしても存在するとは思います。
ですが、これも単なる一研究課題としてではなく、
将来の人間とロボットの関わりはどうあればよいのか、
という大きな視野の中に位置づけていかなければならないことでしょう。
たくさんの有識者から意見を募集し、集約しておいてもよい時期です。
でないと、画期的な技術を開発しても商売に結びつけることができない、
という日本の負の特性が、またまた発揮されてしまうかもしれませんよ。
あれ、オカルトとあんまり関係ない結びになってしまいました w






網(あみ)

2015.09.16 (Wed)
私が5年前、寿退社した会社であった出来事です。
そこは、健康食品を開発・販売している会社で、私が当時所属していたのは経理部です。
女子社員は全部で5人、えーと既婚者が2人でした。
独身者の中で、真理さんという人がいて、その人の話です。
もちろんこれは仮名にさせてもらっています。
その、真理さんなんですが、研究開発部から移動してきたんです。
といっても研究職ではなく、向こうでは特許関係の事務をしてたそうです。
それで、来た当初は25歳だったんですが、ちょっともっさりした感じの子だったんです。
天然パーマの髪を無造作に束ねてるだけで、化粧は最小限。
小太りで背が低く、歩き方がよちよちしていました。
父親の介護をしているということで、ほとんど残業はせず、いつも定時に帰ってました。

昼休みも、私たちが外に食事に出るのにもつき合わず、
自分で作ってきた弁当を食べ、残りの時間は文庫本を読んだりしてました。
そういう子だと、職場のイジメの対象になったりするんですが、
それはなかったです。その一番の理由は仕事ができたことです。
経理部では外部ソフトを使ってのパソコンワークが中心ですが、
研究開発部だったのにすごく詳しかったんです。
エクセルでマクロを組んだりするのも得意で、みなPC関係でよくわからないことは、
彼女の世話になってたんですよ。それと、男性社員には一切関心がないって感じで、
男性社員のほうからも関心を持たれない、そんな人だったんです。
彼女が4月に転属してきて、7月に介護中だったお父様が亡くなられたんです。
まだ60代だったんですが、難病で長期入院中だったということでした。

お葬式は平日だったので、上司が出席したはずです。
同僚で参会したものはいませんし、自宅にお線香をあげにいったということもないです。
それからですね。彼女が変わったのは。
どう変わったかというと、キレイになってきたんです。
最初は体型からでしたね。小太りだったのが少しずつスリムになってきて。
まあ、これだけならダイエットか、介護から開放されて精神的なストレスがなくなり、
食生活も変わったってことでしょうけど、
なんだか背まで伸びてきたような気がしたんです。
でも、それってありえないですよね。私なんか、中学生で成長が止まりましたし。
体型もすごくよくなったてきたんです。2ヶ月ほどしたら、
ちょっと小柄だけど、モデルさんでも通用するようなスタイルになって。

次がというか、体型が変わるにつれて、肌が白くなってきたんです。
これは化粧で白くしてるのとは違います。
そういうのは見ればわかりますが、そうじゃなく肌の内側から輝きが出てきたっていうか、
赤ちゃんみたいなすべすべでみずみずしい感じです。
それと顔も小顔になって、野暮ったい髪型がまったく似合わなくなりました。
もともと美人だった人が、わざと見栄えのしないようにしてるみたいな。
そういうことって、女子にはすごく関心が高いんです。
みんなに聞かれたはずですよ。どんな化粧品を使ってるのかとか、
どこのエステに行ってるのかって。
でも、彼女の答えは決まっていて、化粧は前とまったく変わってないし、
エステにも行ったりしてない、ただ・・・

お父様が亡くなった後に何気なく申し込んだ、漢方サプリのモニターにあたって、
無料でもらった大瓶の漢方薬を毎日飲んでいるってことでした。
これは送られてきたものではなく、中国服を着た人が自宅まで届けに来て、
最初の数回は鍼治療のようなこともしたんだそうです。
でもね、これも変な話でしょう。そんな効果もよくわからないことに、
いくら自宅でとはいえ簡単に身をまかせるなんて。
だから、私がそれを聞いたときは、本当かなあって疑う気持ちもあったんです。
それでも、キレイになっているのは事実なので、その漢方薬まだ買えるのって聞いたら、
そこの会社とは連絡がとれなくなってしまい、薬は大瓶にあと数週間分残ってるだけだって。
まあ、これでも健康食品会社にいたんですから、漢方系はそういうことがあるのはわかります。
これって使用する当人の体質に大きく関わってるんですよね。

つまり効くかどうかはその人次第ってことで。
彼女はお酒も飲まないようなので、ことさらよく効能が現れてるのかもって思いました。
ある日のことです。昼休み、私は急ぎの事務があり、
サンドイッチをつまみながら仕事をしてたんです。そしたらソフトが動かなくなって、
真理さんに聞こうと思ったんです。彼女は弁当を食べ終わって、
自分の机でうとうとしてましたが、耳の横がキラキラ光っていたんです。
ええと、右の耳ですね。うまく説明できませんが、クモの糸があるでしょう。
あれくらいの細さで光る糸が、耳の中から外に15cmくらい、放射状に伸びてたんです。
何十本、いえ、何百本もあったと思います。最初は空中に何かが飛んでて、
真理さんの近くに漂ってきてるのかとも思ったんです。気味悪かったので、
反対から近づいて肩をつつくと、その糸は一瞬でピャッと耳の中に戻ったように見えました。

真理さんが起きてもその話はしなかったですよ。だって私の見間違いかもしれないし、
もしそうでなかったとしても、本人が気持ち悪がるだろうし。
それから2週間くらいしてです。部署のコピー機が新しいのに変わったんです。
いろいろと新機能がついたもので、メーカーの人が来て説明を受けました。
その日の午後です。私が印刷室にコピーを取りに行くと、
真理さんが新しいコピー機の横扉を開けて、中の部品を引っ張りだそうとしてました。
どうしたのか聞いたら、紙詰まりだって。私はわからないので黙って見てたんですが、
かがみこんでいる真理さんのコピー機に近いほうの耳から、
前に見たあの光る糸がワッと出たんです。それはコピー機の内部に吸い込まれて・・・
そしたら真理さんが白目を剥きました。頭をガクンガクン縦に揺らして、
「アガガガガガガガガ チャイ チュイ チョイ チョナナナ チョイナナナ」

中国語みたいな言葉をしゃべり出したんです。
私があっけにとられて見ていると、コピー機に吸い込まれて伸びている無数の糸が、
赤く光り始めました。真理さんは中腰のまま頭と膝をガクガク揺らして、
「チャイ チュイ チャイ チョホホホホホホホホホホホ」って、自分が壊れた機械みたいに。
そのときです。糸の出てる耳の穴から、さらに黒いハサミのようなのが出てきました。
あの、文具じゃなく昆虫とか蟹のハサミってことです。鉛筆ほどの太さの赤黒いハサミ。
それが2、3度空を切る動作をして、それから耳から出ている糸の束の、
根本をチョキンと切りました。糸は瞬間に消滅したように見えましたよ。
やや遅れてハサミが引っ込み、真理さんは何事もなかったように立ち上がって、
「これはダメみたい。新しいものが必ずしもいいわけじゃないわね。
 メーカーの人に来てもらわないと」こう言ったんです。

もしかしたら本当に本人は覚えてないのかもしれないです。
あまり真理さんの反応が普通だったので、
私のほうが幻覚を見たのかと、このときも思いそうでした。
でも、床には真理さんが変な言葉をしゃべって揺れてるとき、
コピー機も一緒に揺れてついた跡が残っていたんです。これは後になって確認しました。
それからです、私は真理さんを避けるようになりました。
さらに2週間ほどして、真理さんが朝出社してきたとき、
みなは本当にびっくりしました。おそらく高い美容院に行ったんだと思います。
髪がストレートパーマになり、色も明るく変わって、
もう芸能人と言ってもおかしくないほどの美人になっていたんです。
相変わらず化粧は最小限でしたけど、それは目の覚めるような・・・

その日から真理さんの仕事ぶりは、心ここにあらずというか、上の空というか、
ほとんど実質何もやってないのと同じで。でも長くは続きませんでした。
真理さんが婚約して退社するって発表があったからです。
相手は、うちとはライバル関係にある健康食品会社の社長の息子でした。
このニュースは社内をかけ巡って、しばらくは大騒ぎでしたよ。
・・・この1年後、私も結婚することになり退社したんですが、その頃には、
真理さんが嫁いだ息子さんの会社に、販売実績でかなり押されるようになっていました。
ええ、ボーナスカットやリストラがあって、私は社内結婚ではなかったし、
やめるにはいい時期だったと思います。真理さんの夫のいる会社が実績を伸ばしたのは、
漢方関係の美容サプリ開発のためで、製品の名前は聞かれたことがあると思います。
大変評判がよいようですが、私は絶対に買いませんし使いません。







呪術的な日本

2015.09.15 (Tue)
* 今日は怖い話ではありません。
前にも1度取り上げたことがある、井沢元彦氏の『逆説の日本史』シリーズ
についての話です。現在は「幕末年代史編1 - 黒船来航と開国交渉の謎」
まで刊行されていて、総数400万部近いベストセラーになっているそうですが、
今夜はこの話題です。

Wikiによれば、
『日本の歴史を創るのは「言霊、和、怨霊、穢れ」への無意識の信仰に基づく
非論理的な日本人の行動と分析し、史料絶対主義を排し、その書かれた、
書かれなかった背景をも深く考察すべきこと、
時代で常識とされていたことは記録されなかったこと、および通史的考察の重要性を強調し、
シリーズ全体を貫くテーマとしている。』

このように特徴がまとめられています。
自分は歴史好きなので、全巻読ませていただいてますが、
内容には共感する部分もあれば、「いくらなんでもそれはないだろう」
と反発する部分もあり、研究としてはともかく、読み物としては理想的とも言えます。

井沢氏は、現在のアカデミズムによる歴史研究の欠点として、
① 日本史の呪術的側面の無視・軽視
② 史料至上主義
③ 権威主義
の3点をあげておられます。

①については、全面的にというわけではありませんが、それなりに同意できますね。
日本の歴史は、呪術という点からとらえれば違った面が見えてくるのは確かでしょう。
例はいくらでもあげることができそうですが、
例えば、中国の正史の一つある『隋書』 これは聖徳太子?が国書に、
「日出ずるところの天子、書を日沒するところの天子に致す。恙なきや。」
と書いたということが記されていて有名ですが、
当時の日本の政治について次のような記述も出てきます。
『上(煬帝)は役人に日本の風俗を尋ねさせた。使者が言うには、倭王は天を以て兄となし、
日を以て弟となす。天が未だ明けない時、出でて聴政し、結跏趺坐し、
日が昇ればすなわち政務を停め、我が弟に委ねるという。
高祖が曰く「これはとても道理ではない」ここに於いて訓令でこれを改めさせる。』


つまり当時の日本の大王は、太陽を弟と見なしていたので、
夜が明けない暗いうちは自分が政務をとり、太陽が昇ると、
弟が出てきたので仕事をやめ、世の中のことをまかせて(たぶん)寝てしまう。
これを聞いた煬帝はあきれて「とんでもない話だ」となり、
上記の「日出ずる」の部分の無礼をも合わせて糺すために、
裴世清という人を使者として日本に派遣するわけです。

この後、使者であった小野妹子が、隋からの返書を、
(たぶん叱りつけるような、朝廷には見せられない内容のため、わざと?)
紛失するというゴタゴタもあり、古代史の中でも面白い部分です。
確かにこのようなやりかたで政治を行っていたなら、現代人の目からは噴飯ものです。
『隋書倭国伝』では、当時の日本の風俗・習慣が詳しく記され、
おそらく政治についての部分もほぼ正しいだろうと思われますが、
こういうことは教科書にはあまり出てきません。600年頃の話です。

また、平安時代の陰陽道による「物忌み、方違え」などもあります。
これは天皇も含めた当時の貴族の生活習慣で、
物忌みは、日が悪いので何もしないで家にこもることで、
方違えは、方角が悪いので一旦別の場所に出かけてから本来行きたかった場所へ行く、
というものです。このために何日間か、場合によっては1ヶ月以上もつぶれてしまい、
政治を行うにはたいへんに効率が悪いわけですが、
逆に言えば当時の政治は、そんなことをしていてもできてしまうようなレベルであった、
とも見ることができそうです。

また、これは『逆説の日本史 - 平安建都と万葉集の謎』にも出てくるのですが、
平安京への遷都は、早良皇太子や井上内親王などの怨霊の祟りを怖れたためである、
という論が展開されていて、それは確かに間違いではないと思いますが、
自分としては、それがすべてであると見るのもどうかなあという気がします。
藤原氏による他氏排斥のため、応天門の変や昌泰の変(道真の左遷)が起こり、
菅原道真をはじめとする敗者が怨霊化して、
後に神と祀られたりすることになるわけですが、いくら怨霊が暴れたからといって、
排斥された氏族が政治の中心に返り咲いているということもありません。

権勢欲や力による支配など、人間の基本的な部分は、
現代と古代でそう変わるわけではないでしょう。
確かに歴史における呪術的な側面は、井沢氏の言うように、
教科書に書かれる歴史では軽視されていると思いますが、
それだけで世の中が動いているわけでも、もちろんないのです。

②の史料至上主義について
これはしかたのないことだと思いますね。史料、つまり根拠がなくてもいい、
情況証拠でいいというなら、何だって言えてしまうことにならないでしょうか。
井沢氏の「時代で常識とされていたことは記録されなかった」という考え方も、
歴史を面白おかしく語るための方便と見られてもしかたのない部分もあると思います。
歴史における実証主義というのは、戦前・戦中の皇国史観の反省をもとに、
現在の日本の史学が柱として掲げるものであり、
楠木正成や足利尊氏などの人物像が史料によって見直されてきています。
この方向性を変えていくことは退歩ではないかと自分は考えます。

③の権威主義、例えば大学で学んだ恩師の〇〇先生がこういう説だから、
それに逆らってはいけない、将来の出世に差し支える、
などということは自分が専攻した考古学の分野でもあり、
そのために弥生時代の年代観がずいぶん長い間混乱していたのですが・・・
歯切れは悪いですが、そのようなことはだんだんになくなってきていると思いますよ。







福笑い

2015.09.14 (Mon)
ちょっと前の話になります。会社の新年会の日だったので1月9日の金曜のことでした。
私が幹事の一人をしていたんです。大人数の支社ですので、
1次会の会場はホテルの3階の大広間を予約して、
2次会は同じホテルの15階の展望ラウンジでした。バーなんですけど、
多少騒いでもかまわないところだったんです。2次会は自由参加でしたが、
ほとんどの方が来ていただいて、盛り上がったんですが・・・
その1次会と2次会の間のことなんです。私は1次会での精算のために、
移動がみなより15分くらい遅れてしまったんです。
エレベーターに入りましたら、私の他に女の人が一人乗ってました。
和服にコートを着て、足元が草履なのにすらりと背が高かったんです。
175cmはあったと思います。

そこのエレベーターは、市街に面した壁が透明で、左右の2面はミラーになってました。
その人は外のほうを向いてましたので、私から横顔が見えましたけど、
鼻が高く目元のくっきりした、すごくきれいな人だったんです。
7階のボタンが押されていたので、そこで降りるんだろうと思いました・・・というか、
このあたりは全部後になって思い出したことで、
そのときは多少お酒も入っていまして、それほど注意を払っていたわけではありません。
7階はホテルの宿泊階ですので、おそらく泊り客だったのでしょう。
雪はほとんど降らない地域なんですが、その日はみぞれで、
床は多少濡れていたかもしれません。
私が乗ってエレベーターが出発すると、その人が急に横によろけて、
頬のあたりをミラーの壁にぶつけたんです。

強くではなく、コツンくらいでしたし、転んだりもしなかったんです。
その音でそっちを見たら、日本髪の下の顔がずれてたんですよ。
うまく説明できないんですけど、福笑いで目、鼻、口を全部右側に片寄らせたら、
あれと似たものになるかもしれません。
そのときは見間違い、目の錯覚だと思いました。横が鏡ですので、
それに映ってるのとごっちゃになったのかと。
でも、そうじゃなかったんです。その人はパーツが片側によった顔で、
私のほうを見てニヤーッと笑ったんです。不気味なんてものじゃなかったです。
その後、自分の手をこぶしに握って、軽くですけど、
ぽん、ぽんと片側の頬を叩き始めました。
そしたら、少しづつ寄っていた顔が元に戻っていって・・・

鼻なんかはつまんで、ミラーを見ながら揺さぶって直したんです。
私はとにかく驚いて、反対側の壁にひっついて、
でも、その人から目を離すことができなかったんです。
そうしてるうちエレベーターは7階に着いて、扉が開きました。
その人は後ろ向きになり、扉がしまらないように押さえながら私を見て、
「今の内緒よ。人に話したらひどいから」ささやくような声でそう言い、
コートの下からスマホを出して、カチャッ、私を撮ったんです。
顔を隠すような余裕はありませんでした。
その人が出て行って、心臓がすごくドキドキしてることに気がつきました。
展望ラウンジの階に降りると、新年会のシーズンなので、
あちこちの店から音楽や笑い声が聞こえていて従業員の姿も見え、ほっとしました。

すると、さっき目にしたことが、ありえないという気になってきました。
だって顔が横に寄る、ずれるなんて人はいないじゃないですか。
もし病気なんかだったら、もっとその・・・
わかんないですけど、プロテクターみたいなのをつけてるんじゃないかと思います。
それに顔の肉が、あんなにゴムやスライムみたいに伸びるはずもないし。
こういうありえないことが起きると、脳が理解を拒否するってよく言いまですしょう。
それが私にも起きたんだと思います。
なかったこと、見なかったことにしよう。もう考えるのをやめようって。
2次会の会場はすっかり賑わっていて、席につくなり飲み物を聞かれて。
でも、やっぱり楽しめなかったです。同僚に話そうかともちらっと考えたんですが、
「人に話したらひどいから」という言葉が気になって。それと写真を撮られたこともです。

それでずっと誰にも話さずにいたんですが、夏前に彼氏ができたんです。
前の人と別れてから2年ぶりでした。
同業の別会社の人で、仕事でお会いしてから急速に親しくなりまして。
すごい優しい人なんです。こっちの言うことはなんでも聞いてくれるような。
土日の休みには、私の部屋に泊まりにきてくれるようになりました。
それで、お盆休の前の休みも一緒にいてテレビを見てたんです。
ちょうど夏定番の心霊番組をやってて、私はそういうのは苦手なんですが、
彼が好きで、見よう、見ようって。
でも、視聴者から送られてきたビデオを流してましたけど、ピントがぼけてたり、
動きが不自然だったりで、私にはどれも嘘くさい作りものにしか思えなかったんです。
ホントに怖いことはもっとはっきりしてるし、見ると固まって何にもできなくなる。

そう言いたくなって、意識しないまま言葉が出てしまっていました。
「今年の会社の新年会で〇〇ホテルのエレベーターに乗ったら・・・」
あの顔がずれた人の話を全部しゃべってしまったんです。
途中で、「人に話したらひどいから」を思い出しはしたんですが、
最後に私が写真に撮られたことも、なにもかも。
でも、あれから半年以上たって、もちろんその人には二度と会っていないし、
危険なことや気味の悪いこともなかったんです。だから、
あれがおどしだったとしても、私にとってもう効果が薄れてたんだと思います。
彼は、茶々を入れたりしないで最後まで聞いて、
「うーんすごい。その人、幽霊って感じじゃないよな。透けたりもしてなかったんだろ。
 何なんだろう? いまほら、会社の受付のアンドロイドとかもあるじゃない。

 もしかしてそういうのじゃないかな? どっかの企業が密かに実験してたとか」
こう、私がまったく考えもしなかったことを言い始めたんです。
「でも、声も機械の声じゃなかったし、動作も人間にしか見えなかったけど」
「じゃあ、医療用かなんかのお面みたいなやつ。
 ほら事故とかで顔に怪我した人とか用に開発して、
 それをつけて実地に反応を見てたとか」こう言われるとわからなくなってきました。
でも、その人は日本髪で額が出てましたが、生え際も自然だったし、
何よりも小顔で、何かを本来の顔の上に被ってるとは考え難かったんです。
私がそう言うと、「うーん、それにしてもすごい体験だよ。
 俺もそういうの目撃してみたいけど、全然機会がないんだよな」って。
彼はその日泊まって、仕事があるからと翌日の朝早くに帰ったんです。

私は次の日も休みでしたので、10時過ぎに起きて郵便物を取りにいったら、
業務用のA4版の封筒が入っていました。住所はなく、私の宛名だけで、
切手も貼ってませんでした。ということは、
誰かがわざわざ私のマンションまで来て投函したということです。
前夜の話もあり気味が悪かったんですが、開けてみると、
中にはデジカメのカラープリントと思われる写真が2枚だけ入ってました。
一枚は和服姿のあのエレベーターの女の人の正面姿で、新年会のときと同じ着物でした。
それが、顔がなかったんです。目も鼻も口もないのっぺらぼう。
真っ白い、形の良い顔の輪郭があるだけでした。
それで、もう一枚は私があのとき撮られたものかと思ったら、
そうじゃなかったんです・・・

彼の、スーツ姿の正面写真でして、
顔はありましたが、子どもがふざけて福笑いをしたようにすべてがバラバラ・・・
背景はどこかの公園のような屋外で、彼の体だけ赤い色が覆っていまして、
見覚えのある紺のスーツが濃い紫色になってたんです。
驚いて連絡しようとしたんですけど、携帯はつながらなかったんです。
隣県まで出張という話だったので、車で移動中なんだと思いました。
それから1時間後、かけなおしましたら彼の両親が出て、
隣県との境に近い市の病院にいるということでした。
彼が事故に遭ったということで、とても取り乱していました。
私は免許も車もないので、電車を乗り継いでいくしかなかったんですが、
彼は亡くなっていました。フロントガラスに顔から突っ込んで、即死に近かったそうです・・・







聞いた話(某国にて)

2015.09.13 (Sun)
これは自分の知人で、輸入雑貨の卸をしているSさんから聞いた話で、
ほぼ実話というか、聞いたとおりの内容です。
触れないほうがいいかとも思ったんですが、Sさんのひととなりを説明すると、
若いころはあるところの正式な組員になってまして、
懲役、刑務所暮らしも経験しています。
今はカタギなんですけど、日本ではカラシ色のスーツに雪駄、金縁眼鏡で、
金のブレスをつけてます。ところが仕事で東南アジアに行ったときには、
地味な、どっから見ても現地の貧乏人という格好で、
髪も脂ぎった黒に染めなおして、すっかりまぎれ込んでしまってるんです。
学歴とかはわかりませんが、東南アジアの現地語を数か国語、日常会話程度できます。
自分とはインドネシアで知り合ったんですよ。

某国でのことです。午後から、Sさんは屋台に出かけ、
イスでココナッツミルクをアルコールで割ったものを飲んでいると、
通りでドガーンという音がして、ふり向いて見ると、通行人が宙に舞っていました。
せまい通りを無茶なスピードで飛ばしてきた車に轢かれたんですね。
その人は布のアーケドの上で一回バウンドし、さらに地面に落ちて激しく転がり、
やっと回転が止まってうつ伏せのままになりました。
血は流れていなかったんですが、ピクリとも動きません。30代くらいの男でした。
轢き逃げではなく、車は停まって(トヨタだったそうです)
小金持ちそうなやつが降りてきましたが、
被害者を介抱するなどのそぶりはまったく見せず、壁にもたれて携帯で話し始めました。
で、動き出したのは屋台村のSさんのそばで飲んでいたやつらです。

倒れている人のところに数人が駆け寄ると、うつぶせのものを仰向けにし、
なおかつ一人が上半身を抱き起こし、揺さぶり始めました。
Sさんは、「あちゃー、あんだけ頭打ってるのに動かすなよ」と思いましたが、
そういうときはかかわらないことが最善の選択なので、
だまって見ていました。そしたら、白目を剥いている被害者に平手打ちをするわ、
無理やり口をこじ開けて水か酒!を飲ませようとするわで、
「こりゃ、黙ってれば助かるかもしれないものを、こいつらが殺してるよな」
と思ったそうです。ま、現地人は善意でやってたんでしょうけども。
そのうちに派手なマークの入った救急車が来ました。
が、救急隊員が降りてくる前に加害者の男が駆け寄って、
運転席に向かって何やら言い、救急車は引き返しちゃったんです。

これは、その救急車はおそらく目撃してた通行人が呼んだもので、
私設のというか、大病院に付属してて、契約者しか助けにこないやつ。
つまり有料だし、車体に入ったマークの高級病院に搬送されることになります。
加害者の男はそれを嫌って返したんでしょう。
それから10分ほど見ていても、警察も公営の救急車も到着せず、
その間、被害者はまったく動かず、加害者は見下ろしながら煙草を吸い出しました。
「これはアカンだろうな」さすがに胸が悪くなってきて、
Sさんはそこの屋台を離れて、もう一つ奥の通りに入って飲み直しました。
10時頃まで飲んで、そのとき根城にしてたビジネスホテルに戻りました。
安ホテルですが、これは有名な大ホテルであっても、
従業員が悪いやつと結託している場合もあるので、危険の度合いはそう変わりません。

Sさんは貧乏旅行者を装って、あらゆることを値切ったりして、
悪いやつにマークされないようにしてたんです。
それと、2日か3日かでホテルも変えていました。
さらにベッドの下には、知人宅に預けてあった、その国では非常に珍しい、
(野球をやる人は希少)ケース入りの金属バットを転がしておきまして。
何かあったらそれでぶん殴ろうというわけです。
鍵をかけた上に、ドアの前に旅行バックを置いて、12時過ぎに寝たんですが、
夜中に目が覚めて、そしたら体が動かなかったそうです。
最初に考えたのは、縛りあげられたとか、クスリを飲まされたってことですが、
そのわりには体は痛くない。薄目が開いて、
電気はつけっぱなしにしてたので自分の体が見えましたが、おかしな様子はない。

それで、「これは金縛りというやつか?」と初めて考えがいきました。
それまで経験したことはなかったそうです。とにかく指先に少しずつ力を入れて、
なんとか脱出しようとしていると、
足元のほうのクローゼットの中がカタカタいい始めました。
それでも、「幽霊だったら怖くはない。何にもできねえからな」と言ってました。
むしろ、隣の部屋とかから穴を開けて侵入されることを怖れてたそうです。
ま、そのくらいでないと東南アジアを渡り歩くのはできませんが。
やがて、両開きのクローゼットがバーンと開いて、
中にはSさんの上着しかかかっていないのが見えました。
扉はバタンバタン、バタンバタン、何度も何度も強く開閉して、
Sさんのほうに風が漂ってきたそうです。生臭い血のニオイがしました。

「あ、もしかしてさっきの事故のやつか。血は出てなかったけどな」と思いましたが、
Sさんには恨まれる心あたりはまったくなかったので、心の中で、
「俺は何の関係もねえだろ、車のやつと介抱した野次馬を恨めよ。俺、関係ナシ」
こう何度も唱えました。体はやっと指が動き始め、右手の肘も曲げることができたそうです。
Sさんは「これはもしや、昔の組時代の俺を恨んでるやつかもしれない」
そうも考えたので「ありゃしかたねえことだった。お互い様で恨むのは筋違い」
そのうち、体が動く感じがしたので、
「俺を舐めるな、クソ野郎!!」と絶叫してベッドの上に跳ね起きました。
そのとたん、クローゼットの扉がバターンと閉まりました。
Sさんはベッドの下から金属バットを引っ張りだすと、
持ったままクローゼットを開けて中を確かめ、

そのときは何もおかしな物は見つからなかったので、クローゼットの前で、
「舐めるんじゃねえ、コノヤロウ!」と叫びながら、
何度も何度もバットを振り回したそうです。
そのうちに他の部屋から苦情がいったのか、従業員が来まして、
Sさんは着替えてホテルのロビーに行き、そこで朝まで過ごしたということでした。
で、8時ころにチェックアウトしたんですが、そのときクローゼットをしっかり調べると、
一番下の引き出しに、ホコリにくるまった小さな頭蓋骨、たぶんネズミの仔のもの、
があったそうです。結局、クローゼットが夜中に開閉した原因はわからずじまいでした。
こういう話を聞かされまして、Sさんは、「ずっとヤバイ橋を渡って、
 海外も何度も行って、不可思議なことはこれだけ。やっぱホテルの客か従業員が、
 何かたくらんでた可能性が一番高いよな」と言ってましたね。

ねどろいあうk





ロケ隊2

2015.09.12 (Sat)
関連記事 『ロケ隊』

2年前の夏の話だよ。いわゆる霊感タレントを2人連れてロケにでかけた。
ああ、俺らはテレビの製作会社じゃなく、出版社系で、
コンビニ売りの心霊ムックを作ってたんだよ。
ほら、付録のDVDがついてるやつ。だからそんな本格的なものじゃない。
霊感タレントというのも、小さなプロダクションの新人の子たちで、
別に霊感とかあるわけじゃないんだよ。ただそういう設定だから、
こっちのいうとおり演技してくれればいい、って事前に言い含めておいたわけ。
演技って言っても、怖がったり泣いたりしてくれればいいだけの話で、
幽霊なんかは後に編集したとき、CGで入れることになってたんだ。
それでもロケは2日間になったし、1日目は心霊スポットだったけど、
2日目はそうじゃなくて、有名な神社だったんだよ。

もちろん2日とも心霊現象なんて一つも起こっちゃいない。
まあそれがあたり前、霊的な現象なんてあるわけがないと思ってたんだ。
けどよ、2日目のロケが終わって東京へ戻る途中、
変なことがあったんだ。いや、偶然とか気のせいで片づくようなレベルじゃない。
車に乗ってた全員が体験してるんだよ。ただし幽霊でもない。
あれは生霊って言うんだろうか。それとも離魂現象?
ドッペルゲンガーって言葉もあるな。その手の体験だったわけよ。
それを今から話していくんだよ。
で、時間は夜の9時過ぎだったな。東京に着けば11時を回るだろうって時間帯、
ミニバンで高速を走ってたんだよ。ロケの全員が一台に乗ってたんだ。
総勢は俺を入れて9人だな。朝から3ヶ所を回って、みんな疲れてたのは確かだ。

だが、それだけじゃなかったんだよ。最後の富士山近くの神社を出たあたりで、
全員、何か様子がおかしかったんだよな。
ろれつが回ってなかったし、元気がない。俺もかなりの脱力感があったが、
今思えばそこの神社の鳥居を出たところで急にそうなった気がする。
でもよ、俺以上にADの疲れが目に見えてたんで、
帰りは俺が運転していく、ってことにしたのよ。
いちおうタレントさんを乗せてるんだし、事故こしちゃマズい。
それでコンビニで眠気覚ましのドリンク剤を買って、それから高速にのった。
平日の夜だったから、車ど通りは少なかった。
山の中の道を一定速度でたんたんと走ってたつもりだよ。
車中は会話もほとんどなくてな。タレント2人は2列目の席でうとうとしてたよ。

スタッフはディレクターの俺が運転してるもんだから、
寝るやつはいなかったが、みな言葉少なでな。
でよ、あと30分ほどで首都高に入るってあたりで、霧が出てきて。
あとで気象庁に確認したが、この霧はもちろん本物で、霊障とかじゃなかった。
突然、ほんとに突然、目の前20mほどに車が出てきたんだよ。
合流があったわけじゃなく、見落としてたんでもないとないと思う。
さっきも言ったように、事故起こしちゃイカンとかなり慎重に運転してた。
だからスピードもずっと100km前後。高速で20mったら目の前だよ。
あわててブレーキを踏んで車間距離を取ろうとしたが、向こうもスピード落としたのか、
かえって近づいた気がした。はたからは、
こっちがあおってるように見えたかもしれないが、そうじゃない。

それで、その車は俺らと同じ車種の11人乗り仕様のミニバンだったのよ。
まあ、珍しいってほどのものじゃない。だけど、
その車のリアハッチの右に貼られてるステッカー、これに見覚えがあったんだ。
そう、俺らの車に貼られてるのと同んなじなんだよ。
どこにでもあるやつじゃなくて、俺らの出版社で出してる一番売れ筋の雑誌の。
だからその同じステッカーを同じとこにつけた車なんてあるわけない。
俺がそれに気がついて動揺していたら、助手性に乗ってたカメラマンも気がついたらしく、
「あの車、これと同じ車種だし。あのステッカー見えてますか?」
「ああ、見えてる」 「どういうことッスかね。あれ、俺らの車なわけはないんだけど?」
「わからん、俺だけなら幻覚かとも思うんだが、お前も見えてるんだからな」
「気味悪いスね。離れられないんですか?」

「さっきから減速しようとしてるんだが、間にロープでもついてるみたいに、
 この車間距離から外れないんだ」
「止まっちゃったらどうスか?」 「それでもいいけど、これってもし本物の超常現象なら、
 いいチャンスだと思わないか。お前ハンデイカメラ準備しといたら」
「マジすか」こんな会話をした。で、そんとき、抜いてみたらどうだろうって思った。
追い越すときに並べば、運転してるやつが見えるだろう。
ハンドルを握ってるのは俺なんだろうか、確かめてみたくなったわけよ。
で、追い越し車線に出てアクセルを踏んだ。
最初から速い車じゃないし、多人数乗車だからあまり加速しなかったが、
少しずつ近づいていって、これなら追い抜けるって思った。
したら、「やめてー」って絶叫が車内に響いたんだよ。

寝ていると思ったタレントの一人が叫んだんだ。
「その車越しちゃダメ、戻って戻って!!」反射的にスピードを緩め、
こっちは右車線だが、車間距離は10mほどに戻った。
カメラマンが後ろを向いて「どうしてです?」って聞いた。
そしたら、「わかんないけど、けどあれを越しちゃうと大変なことになる」って。
「じゃあどうすればいいと思う」 「うーん、もう一回真後ろについて」
言われたとおりにしたら、やっぱり車間距離が変わらなくなった。
他のメンバーも何が起きてるのか全員気がついてて、その子を注目してた。
「ヤバイ、ヤバイ、このままじゃ事故る。前の車といっしょにならなきゃ」
「どうやって? のりでくっついたみたいにこの距離が変わらないんだよ。次のPAに入る?」
「それ、信じてないからだよ。元に戻るって心から念じれば、たぶん大丈夫」

そうは言っても、目の前の車に突っ込んでいくなんてできないじゃない。
そしたら、メイクさんが「この子、息してない」って切迫した声を上げて。
もう一人のタレントの頬に手をあててたんだよ。「顔が真っ白だし、冷たい」
で、試しにアクセルを踏み込んでみたら、前の車のリアがぐんと迫ってきて、
そのとき反射的にブレーキを踏んじまったんだ。「ダメもう一回やって。この子死んじゃうわよ」
心理状態自体が異常だったのかしれないが、信じることにした。
それでカメラに「撮ってるか?」って聞いたら、
「撮ってます」って答え。目をつむるつもりで、思いっきりアクセル踏んで・・・
車内のやつらは「ワー、ギャー、ぶつかるー」それぞれすごい悲鳴をあげた。
でね、ギリギリまで迫った途端、前の車がふっと消えた。
走ってるのが俺らだけになった。で、ボーッとしてた俺の意識もシャキッとなってね。

「重なったのか? 何だったんだよ、今のは?」 「わかんないけど、これでたぶん大丈夫」
「あ、息が戻った」それから数分で、そのタレントの子も意識を取り戻して、
まだ具合悪そうだったけど、「追いかけっこしてる夢を見てた」って言ったんだ。
そっからは安全の上にも安全運転して東京に戻り、念のためにその子は病院にも連れてったんだよ。
こっからは後日談だな。まずカメラマンが撮った映像は、社に戻ってすぐ見てみたが、
車の前に濃い霧があるだけで、具体的なものは何も映ってなかった。
とても使えるもんじゃなかったってことだ。そんときのメンバーにも異変はない。
ただ、具合を悪くした女の子はタレントをやめて実家に帰っちゃったな。
それと、俺らを前の車、もう一つの俺らに突っ込ませた子は、
名前をあげれば誰かわかるだろうけど、芸能じゃなく霊感のほうで売れに売れて。
そう、その子だよ。もうね、俺らの半端仕事を頼めるような身分じゃないんだ。






黄色い粉の話

2015.09.11 (Fri)


最近やっと涼しくなったので、図書館通いはやめ、公園で過ごすことが多くなりました。
退職しまして、やることがないんですよ。
女房とは早くに死に別れまして、子供らはみな独立しています。
幸い健康的な問題は今のところないですので、
しばらくはのんびりした生活を続けられそうです。
もしかしたら、わたしの人生の中では一番いい時期なのかもしれません。
なにしろ悩むことがほとんどないですから。
明日の予定が何もない、というのが特にいいんですよ。
好きな時間に起きて、いいものをちょっとだけ食べ、
気が向いたらぶらりと外へ出る。公園でなくても、サウナでも映画でもいいし、
そうしてるうちに夕暮れがくる。年寄りの1日はあっという間ですよ。

ああ、すみません。関係ないことですね。つい3日前、公園でおかしなことがあったんです。
天気がよく、気持ちよい風が吹いてまして、ベンチに座って、
ぼんやり地面を眺めてたんです。そしたら鳩が数羽来てましてね。
餌やりは禁止されているんですが、子どもがこぼしたのか、
あるいは誰かが巻いたのか、パンくずが散らばってまして、
頭を寄せ合うようにしてそれを食べていたんです。そこらの鳩は人に慣れてまして、
足元まで寄ってくるんですよ。「ああ、今日もいい日だなあ」と思ってましたら、
脇の繁みから黄色い霧が出てきまして。それがねえ、ちょっと変わってるというか、
まず地面を這うようにして動くんです。縦が1mで横50cmくらいの細長い固まりになって。
でね、ガスか何かかと思ってよく見ると、その中で無数の黄色い粉が舞っていました。
1mm以下なんでしょうけど、目には見えたんです。

不思議なものだなあと思う反面、毒があるかもと危惧して体をずらしました。
そしたら、わたしのスネの前を横切り、3羽並んでいた鳩にかぶさっていったんです。
最初のうちは、鳩は気にもとめず餌をついばんでいましたが、
やがて1羽が頭をあげると、急に飛び上がって近くの立木に頭をぶつけたんです。
音がわたしのところまで聞こえてきました。鳩はバサッと樹の下に落ち、
羽を立てた状態で痙攣して・・・これだけじゃなく、2羽目、3羽目も同じでした。
飛び立つ方向こそ違え、やはり自分から目指していったかのように木に激突し、
下に落ちてピクピク。怖くなって立ち上がりました。
霧はまだ鳩のいた地面にとどまっていましたが、ゆっくりと動き出して、
わたしのいたベンチのほうに・・・跳んで逃げましたよ。
離れたとこから見ていたら、ベンチの下に生き物のように潜り込んで消えました。



今年のお盆の話です。実家へ墓参りに行きまして。
妻と息子を乗せて、私の車で。ステップワゴンなんです。
それで実家の父母と私の弟も乗せて墓所へと向かったんです。
田舎なもので、墓は集落からも寺からも離れた山の斜面にあるんですよ。
ええ、集落ごとの墓ですから30もあるかどうか。
斜面に竹の棚を据えつけて、そこへお供えの品を載せるんです。
で、墓には子供の頃から何度も来てまして、車だと10分ほどです。
でね、山道に入ってすぐ、林の中に頭を突っ込むようにして、小型のセダンが停まってました。
えーとアリオンでしたか、トヨタのカローラのひとつ上のやつ。
でね、車は木にあたってなかったので、事故ではなさそうだし、
山菜採りの人のかなって思ったんですよ。

ところが、車の全部のウインドウに中からダンボールが貼られてて、
それっておかしいでしょう。で、もっとヤバイのが、マフラーから蛇腹の太いホースを伸ばして、
車の中に引きこんであったことです。これって排ガス自殺?
そう思ったんで車をできるだけ路肩に寄せて停め、
自分だけ降りて近づいていったんですよ。ダンボールはかなり大きめのを貼り付けてて、
覗きこむ隙間がなかったです。エンジンがかかってて、ドアは開きませんでした。
それでとりあえず、アルミテープでとめてあるホースを蹴って、
マフラーから外したんです。それから携帯で警察に連絡しました。
110番に状況を説明して、ウインドウを割ったほうがいいかどうかも聞いたんです。
そしたら、そのままにしててください、って言われて。
でもねえ、中に人がいたらガスを逃して助かるかもしれないじゃないですか。

だから独断で、手近にあった石をぶつけてリアガラスを割ろうとしたんです。
でも表面が欠けるくらいで。これはだめだと思って、自分の車からバールを出してきて、
思いっきり叩きつけました。ガラスにヒビが入ったところに、今度は真っ直ぐに突っ込んで。
そしたら、割れ目から黄いろい霧が出てきたんです。有毒ガスだと思って身を避けました。
それがね、不思議なことに、ガスはひと固まりで空中にとどまってたんです。
中で小さな黄色の粉がくるくる回っていました。その粉が集まって、ガスの形になってたんです。
リアの割れ目にバールを入れたとこのダンボールに穴が開いて人の背中らしきものが見えました。
そうしてるうちにサイレンが聞こえてきて、パトカー、救急車がほぼ同時に到着したんです。
ええ、中にいたのは4人、全員死亡です。排ガスの他に練炭の七輪も使ってたようで、
自分が見つけたときにはもう亡くなっていたということでした。
黄色い霧は、警察と話してて気がついたときには見えなくなってましたよ。

〇〇の婆

これなあ、人の名前、仮名にしてもいいんだよな、死人が出てるんで。
8月中のさかり暑かった中のことだよ。俺が郵便局へ用足しに行く途中、
畑に〇〇の婆が出てたんだ。これはいつものことで、働き者の婆さんなんだが、
陽気が陽気で、テレビでも連日熱中症の話をしてた時期だから、
「無理しねえで家さ戻れ」って一言かけていこうと思ったわけよ。
道から外れて畑の畦に入って歩いてたら、婆が急に、持ってたクワを放り出して、
阿波踊みてえな動きをし出したんだ。空中に交互に手をあげて引っ掻くような仕草でな。
「ありゃ、やっぱり暑気中りか」そう思って小走りになったら、
なんか様子がおかしい。婆の顔のあたりが黄色く曇ってたんだ。
うーん、何だかわからんかった。わからんかったが、もしかしたら虫の群れかとも。
ほら、蚊柱みたいな羽虫の集団ってあるだろ。それに包まれてるのかと思ってなあ。

近寄ってみたら虫じゃなかったが、なんかのガスみてえなのが婆の顔をとり巻いてて、
それで近くの丈の高い雑草を何本か引き抜いて、
「〇〇婆、大丈夫か?」そう言いながら、ガスの中に突っ込んだんだよ。
そこまで近づいて、ガスは黄色い粉で出来てるってことがわかった。
砂より細かく、かろうじて目で見えるくらいなのが舞ってたんだ。
雑草の束じゃどうにかなりそうもなかったんで、「婆、しゃがめ」って叫んだ。
ガスは顔のあたりにしかなかったからな。だが、婆はこっちの声が聞こえてねえみたいで、
手を振り回して阿波踊りを続けてる。それで俺が下に潜って、婆の野良着を引っ張ったんだよ。
婆はたわいなく転んで、そしたら黄色い霧はまとまった形で、
畑の島・・・数本、木のかたまったほうへ流れていったんだよ。「何だありゃ?」そう聞いても、
婆は荒い息を吐いてるだけで、らちが明かんと思っておぶって家に連れてった。

おぶさった状態で婆の息がおさまってきたから、
「あの霧どっから来た?」って聞いたら、婆はぼそぼそと、
「しらね。気がついたら頭の回り全部が黄色くなってた。でよう、中に仏様がいた」
「仏様って?」 「わしもわがんねが、お寺にあるありがてえ仏様みてえな金色の体で。
 だけんど顔はわがんねがった。いいもんだどは思ったが、息がでぎねえんで、
 ひとまず手で払おうとしでたわげさ」こんな調子だったんだよ。
婆の家まではたいした時間もかからねえし、家には孫の嫁がいて赤ちゃんを抱いてた。
〇〇婆にとってのひ孫だな。わけを話して婆を下ろしたら、感謝しきりでな。
俺はそういうのは苦手だから茶も断り、一言二言話して、また郵便局へと出たわけだ。
したら戻ってくる途中、やけにサイレンがうるさくって、店に入って聞いたら、
〇〇婆の家に来てたんだ。後でわかったんだが、婆が鎌でひ孫の喉を掻っ切ったんだよ。







選り分ける

2015.09.10 (Thu)
神職養成所に在学中です。あれ、在学って言葉でいいのかな。
ええ、女子ですが、巫女さんじゃなくて正式な神主を目めざしているんです。
アルバイトの巫女さんなら、ちょっと研修を受ければなれますけど、
正式な神職の資格は、養成所で2年間学ばなくては取れないんです。
そうですね、専門学校みたいなものですね。
うちの場合は、跡継ぎの男子がいなかったため、
長女の私が神社をまかせられる予定でなんです。
養成所で学んでいる人の数自体が少ないんですが、私の他に女子はいますよ。
先日、夏休みの間でしたけど、私を含めた女子3人でアルバイトをしたんです。
ここで話しても大丈夫かって? いえ、別に禁じられたりはしてませんし、
どうせ話しても誰も信用しないような内容ですから。

ほら、全国的に有名な花火大会があるでしょう。そうそう、それです。
あれに関したバイトでした。毎年うちの養成所に依頼が来るんです。
それで、中から私たちが選ばれて派遣されたということです。
特殊能力? うーん、たぶん必要なんでしょうね。
私自身は特別なことをしたとは思いませんが、養成所のメンバーはほとんどが、
何らかの普通の人は持たない力を備えていますので。
3人とも今回の参加が初めてでした。新幹線のチケットをいただきまして、
花火大会が行われる前日の朝に、そこの土地に着いたんです。
それですぐ、県の神社庁に顔を出しました。
大会には神社庁も総出で協力しているんですよ。それから世話役の神職さんの車で、
会場に近い山の中の小さなお社に向かったんです。

薄がぼうぼうに生えた中に、朽ちかけた細い鳥居が立っていて、
その奥には拝殿はなく、注連縄が上部にかかった洞窟がありました。
そこの前の草が四角く刈ってありまして、そこで仕事をしたんです。
巫女さんの装束に着替えさせられましたよ。
道具はですね、まず御神鏡、これは古式の銅の鏡で、紐で吊るして使います。
それと丸三宝といって、ほら御供物などをのせる台がありますでしょう。
あれは四角いのが多いんですけど、その丸型のものです。
これが2つで、それぞれ一人が担当します。
陰・陽とあるうちの、私は陰のほうを受け持ちましたが、
これが一番重要な御役目なんですよ。いえ、本来は陽のほうが大切なんでしょうけど、
陰のほうがさまざまな危険があるんです。どういうことかは、これからお話します。

バイト料ですか? あ、はい、奉仕料は一人10万円でした。
実働3日間ですから、これは多いと思われるかもしれませんが、
古来から行われている御役目ですので。うまくできないと花火大会に影響しますから、
けっこう必死でしたよ。さっき危険があるって言いましたけど、
20年ほど前には食べられてしまった子もいたという話です。
誰に食べられたのかって? それを今、順を追って説明してるとこです。
あわてないでください。それで、夕闇のころになるまで、その場で待機してたんですが、
ヤブ蚊などの虫が多くて嫌でした。巫女さんの装束は虫にはさされにくいんですけど。
私たちの他に、地元の位の高い神職の方々が10人ほど詰めておられました。
何かご無礼などの問題が起きたときに対処してくださるためです。
7時を過ぎまして、そろそろ最初のお客様が見えられてもいい時刻です。

3人で緊張して待っていました。私は丸三宝を草の上に置きまして、
いつでも持ち上げられるように、準備していたんです。
三宝の上に何があがっていたと思いますか? さすがにここの方でもわからないでしょうね。
陽の三宝には御神餅で、これはそうですね、八ツ橋というお菓子にやや似ています。
私の持っているほうは、ナマズの干したものだったんですよ。
ええ、あの川とか沼にいる魚のナマズです。その細長く乾いたやつが20尾ほど。
「そろそろ来られるようだぞ」神職の方が声をかけられまして、
そうしたら、注連縄のかかった洞窟の入口が、貝の裏側みたいな虹色に変わったんです。
普段は奥行き5mくらいの、洞窟というより洞穴みたいなところで、
奥に祭壇があるだけなんですが、その高さ2mほどの入り口が、
ベールがかかったようになりまして。

そこを通られて、最初のお客様がご出現になったんです。
背の高いお方で、3m近くはあったと思います。緋色の長絹姿で、
これは神職の水干とやや似ていますが、もっと古式のものを召していらっしゃいました。
お顔も真っ赤で、猿田彦様の面にそっくりのお姿でおられたんです。それは緊張しましたよ。
なにしろ神様なんですから。前もって説明を受けていたとおり、
御神鏡を持った一人が前に回って、やや離れたところに立ちまして、
三宝を持った私たちが、近づいて両脇に。ええ、神様の身長が3mなので、
私の頭は腰のあたりまでしかないんです。
その神様はちょっと逡巡したような素振りでしたが、右手を伸ばされて、
2つの三宝のうちから御神饌のほうを取られたんです。
鏡を持っていた仲間が中を覗き込んで、神職の方にうなずきかけました。

それで、その神様は神職の方のご案内で川向うの花火会場のほうに連れられていったんです。
何のためにそんなことをするのかって? だからそれを今説明して・・・
その後、1時間のうちに3柱の神様がご到着されまして、
どのお方も三宝は御神饌のほうをお選びになられたんですよ。
そして4柱目のお方です。これは背の低い神様で、小学校1・2年生の身長でしたが、
でっぷりと太られていて、存在感はおありになりました。
三宝を出しますと、初めて御神饌ではなくて私の奉じていたナマズを取られたんですよ。
下から手を伸ばされたときに、生臭い臭いがぶわっとしました。
手にとったナマズを、その場でベロンと舌を伸ばして舐められまして、
そのとき猫に似たお顔の両頬から、ピンと長いヒゲが伸びてきたんです。
それが私の腕に触って、ぴりぴりと電気が走った感触がありました。

そしたら御神鏡を持った仲間がまたうなずきましたので、
神職の方が寄ってきて深々と礼をいたしまして。
この神様は花火会場にはご案内はされないんです。すぐ近くに別の洞窟がありまして、
その中に宴席が用意されているんです。御神酒が何十樽も、
それから撃ちとめられた鹿が数十頭、それをお供え申し上げるんです。
その後、零時までに20柱ほどの神様がお見えになりました。
キリンのように首が長い方、紙雛としか見えないお顔の方、海老の顔の方、
牛を連れた方かと思いましたが、牛に似たほうが神様で、
その手綱を引いているのが従者・・・とにかく様々な神様がご到着なされまして、
その中で花火会場ではなく洞窟に案内された方が2割ぐらいでしたね。
御神鏡は何のためにあるのかって? あ、説明し忘れていました。

神様の中には正体を隠されて、わざとナマズを取らずに御神饌のほうを取られる方がいて、
そういうときには御神鏡が汗をかいて曇るんです。
そのための役目でしたが、今回それはなかったんです。
こうして到着された神様方は、花火会場に案内されたり、洞窟の宴席に案内されたり、
その選り分けのお手伝いをするのが私たちの役割だったんです。
え、何のために選り分けるのかって? それは、宴会場に案内された神様が、
邪悪だとか位が低いとか、そういうことではないんですよ。
ただ・・・その神様が会場におられますと、雨が降るんです。
これは花火大会には大敵でしょう。それで、別におもてなしするということです。
ええ、翌日は神様方のお世話をしながら、私たちも大会を見物させていただきまして、
それはきれいでしたよ。3日目に神様方をお送りして、それで御役御免になりました。

あいあかおかお





『くじ』を読む

2015.09.09 (Wed)
今回は怖い話ではないのみならず、ネタバレですので、
この短編を未読の方にはスルーをお勧めします。
最近、英語の復習のために、海外の有名な短編作品で著作権が切れているものを、
ネットで見つけて脳内翻訳するということを、暇を見てやっています。
もともと翻訳で読んでストーリーを知っているので、辞書に頼らずだいたい読めます。
とりあえずは、スタンリイ・エリン『特別料理』 ロアルド・ダール『南から来た男』
そしてシャーリー・ジャクスン『くじ』の3編を読みましたが、
いろいろと新しい発見がありました。

ちなみにこの3編とも、オカルトではなく「奇妙な味」と言われる分野のもので、
どちらかと言えばミステリー寄りです。超自然的な物や出来事は作中には出てきません。
『特別料理』と『くじ』はホラーとは言えるかもしれません。
『南から来た男』はオチのひねりが強烈な、賭けを主題とした話です。
英語としては『特別料理』が図抜けて難しく、あとの2つはそれほどではありません。
『南からー』では賭博じいさんの言葉が南米なまり?で書かれていて、最初とまどいますが。
自分はアメリカに2年ほど住んでいたことがあるのですが、
『特別料理』では、日常会話ではまず使わない単語がたくさん出てきて、
これは作者がわざとそうしているようです。
言葉を選び抜いて組み立てられているんですね。

シャーリー・ジャクスンは心理的な残酷さが持ち味の女流作家です。
『山荘綺談』などの純ホラーも書いていて、映画化もされています。
『くじ』はザ・ニューヨーカーという雑誌に発表されたものです。
ここに書かれる作品は、どちらかといえば洒落た都会的なものが多いのですが、
『くじ』は異色で、アメリカ開拓時代の名残を残す小集落が舞台となった、
土着的とも言える内容です。発表された当時「恐ろしすぎる」「胸が悪くなる」等、
たくさんの投書があったということです。

ここからネタバレなのですが、筋は、
「ある300人ほどの集落で全員参加のくじ引きが行われるが、
その目的は最後まで明らかにされない。家族単位で当主がくじを引いていき、
ハッチンスン家が当たりになる。さらに幼い子供を含めた一家全員でくじを引き、
奥さんが丸印を引き当てる。集まった集落の全員は、ハッチスンの奥さんめがけ、
集めていた丸石を投げつける」

だいたいこんな内容です。この行事は集落が入植・開拓された当初から、
毎年行われてきたもののようです。

トウモロコシの収穫前の6月に、くじで選ばれた一人を全員で石を投げつけて殺す。
・・・どういうことでしょうか? 生け贄?
トマス・トライオンの長編『悪魔の収穫祭』ではそうでしたね。
かつては集落の人口を増やさないため行われてきたのかもしれません。
家族よりも集落全体の団結を深めるためなのかもしれません。
そのあたりは明らかにされないのですが、目的が形骸化してしまった現在でも、
伝統を守るためにくじ引きが行われているのです。

さて、ここで、くじが当たるハッチンスン夫人は、
この人物が選ばれるのが当然であるように話が構成されている、
ということはいろんな人が書かれています。もちろん自分もそう思います。
まず、くじを引く集会に遅れてきますし、
あれこれ文句をつける自己中心的な人物のように描かれています。

There's Don and Eva, Mrs. Hutchinson yelled. Make them take their chance!
Daughters draw with their husbands' families, Tessie,
Mr. Summers said gently. You know that as well as anyone else.
It wasn't fair, Tessie said.
「ドンとエヴァがいるでしょ」ハッチンスン夫人が叫んだ。「あの娘らにも、運命を選ばせなきゃ」
「娘はその夫の一族として引くんだよ、テシー」サマーズ氏は優しく言った。
「あなたも他のみんなと同じように、そのことはよくわかっているだろう」
「こんなの、フェアじゃないよ」


この場面は、一家がくじに当たったと知ったハッチスン夫人が、
自分の嫁いだ2人の娘にもくじを引かせろとわめいているところです。
確実に誰かが死ぬくじびきに、結婚して出してやった実の娘も加えろと言っているわけですね。
これではなかなか読者の同情は得られないでしょう。
ハッチスン家は、現在はハッチスン夫妻の他に、大きな息子ハッチスンジュニア、
12歳のナンシー、幼児のデイヴィの5人です。跡継ぎの息子や、
この後に家事を担当するであろう娘もいて、ハッチスン夫人がここでくじに当たっても、
まあ、それほど困らないであろう家族構成に描かれています。
このあたりも作者の作為なのでしょう。

The children had stones already.
And someone gave little Davy Hutchinson few pebbles.
子どもたちはすでに石を持っていた。そして誰かが小さなデイヴィにも小石を持たせた。


ジャクスン一流の残酷さが出ている一文で、家族も石を投げなくてはならないのですね。
事態が把握できないでいる幼児にも、母親に投げつけるための小石を誰かが握らせた・・・
集落の全員が石打ちに加わることに意味があるのでしょう。

さてさて、今回再読して改めて気がついたのは、登場する2人の人物のことです。
まず、くじ引きの進行役をやっているサマーズ氏について。
この役は決まっているものというより、サマーズ氏が自ら買って出て、
ボランティアのような形でやっているように描かれています。
このサマーズ氏に対して、

(Mr. Summers)who had time and energy to devote to civic activities.
He was a round-faced, jovial man and he ran the coal business,
and people were sorry for him.
because he had no children and his wife was a scold.
サマーズ氏は、市民活動に費やす暇と活力を持った、丸顔の陽気な男で、
石炭の店を経営している。そしてみなは、彼に子どもがなく奥さんが口やかましいため、
彼を気の毒に思っている。


こういう描写が初めのほうで出てくるのですが、
自分は初読のときにはまったく意識せず読み過ごしていました。
また、伝統を守る(くじを存続させる)側に立つ、頑固なワーナーじいさん。
彼は77回くじ引きに出たことを自慢気に公言しているのですが、
北の村で、くじ引きをやめようとしているという話を聞いたとき、こう言います。

Old Man Warner snorted. Pack of crazy fools, he said.
Listening to the young folks, nothing's good enough for them.
Next thing you know, they'll be wanting to go back to living in caves,
nobody work anymore, live hat way for a while. Used to be a saying about
'Lottery in June, corn be heavy soon.' First thing you know,
we'd all be eating stewed chickweed and acorns. There's always been a lottery,
ワーナーじいさんは鼻を鳴らして「馬鹿どもの集まりが」と言い、
「若いやつらの言うことを聞いても何一ついいことはない。あんたもわかるだろう、次には、
洞窟暮らしに戻りたい、働きたくない、こうなるに決まってる。
昔からこう言われてる。『六月にくじ引き、とうもろこしはじきに実る』
もしやめてしまったなら、はこべとどんぐりのシチューを食わなきゃならなくなるぞ、
くじはいつまでもあるもんだ」


まあ、自分の深読みのしすぎという可能性もあるもしれませんが、
サマーズ氏に子どもがないのはなぜなんでしょう?
たまたま子宝に恵まれなかったのでしょうか。そうかもしれませんが・・・
77回くじを引いた(77歳の)ワーナーじいさんが一人暮らしなのはなぜなのでしょう?
ずっと独身だったというのは考えにくいようです。
集落のみなはどこの家にどんな子どもがいるかをよく知っていて、
年頃になったら嫁を世話してやる、そんな雰囲気で集団は描かれています。
例えば、この少年の父は数年前にくじに当たったのでしょう。

A tall boy in the crowd raised his hand.
Here, he said. I'm drawing for my mother and me.
He blinked his eyes nervously and ducked his head as several voices
in the crowd said things like
“Good fellow, Jack.” and “Glad to see your mother’s got a man to do it.”
一人の背の高い少年が「ここです」と手を上げ、「俺が母と自分の分を引きます」
と言った。彼は神経質そうに瞬き、群衆の「いいぞジャック」
「お前の母親が一人前にできる男に育てたのを見て嬉しいよ」といった声に、
首をすくめた。


じいさんの家族はじいさんより先にみな逝ってしまったのでしょう。
彼が頑迷にくじに固執する理由は、たんに年寄りだからではなく・・・
300人の集落ですから、一家が5人として約60家族、
確率的にはくじ60回(60年)に1回は、自分の家に当たることになるわけです。
これは作品に描かれた集落の人の寿命とおそらく同じくらいでしょう。
そして家族の中でまたくじを引いてその年の犠牲者が決まる。
もしかしたらサマーズ氏の子どもたちも、ワーナーじいさんの家族も・・・
このあたりが、集落の人間みながそれなりに食えるようになった今でも、
くじ引きをやめることができない理由の一つなのかもしれません。
おそらく意図的に書かれているのでしょう。
ジャクスンは上手いですね。

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はかいあおあおあか





赤の浜

2015.09.08 (Tue)
今週の月曜のことですよ。あの、うちは主人がJRを退職して5年目です。
子どもたちはとうに独立しておりまして、同居はしていません。
ときおり孫の顔を見せには来てくれますが、
夫婦2人の生活ではやはり寂しいですので、2年前に犬を飼うことにしたんです。
主人が知り合いからもらってきたもので、
ダックスフンドに似た体型をしているんですが、血統書も何もない雑種です。
オスで「鉄郎」って名前を主人がつけました。よく言われるんですけど、
これはほら、アニメで「銀河鉄道999」というのがあったでしょう。
その主人公と同じ名前なんですよ。主人がJRでしたから、
鉄道の鉄を名前につけたいということだったんですが、後で気がついたら同じに。
最初からアニメにあやかったわけではないんです。

世話は、食事は私が準備しますけど、散歩は毎日主人が連れていくんです。
それも早朝の夜明け頃です。主人は、仕事が現役の頃から早起きの人でしたが、
退職しましたらますます早くなり、5時には起きて、鉄郎をつれて1時間ほど歩くんです。
私は寝ていましたよ。朝食は7時過ぎで、そんなに早く起きてもやることがないですから。
でも、月曜の日は主人と同じ時間に起きたんです。
どうしてかといいますと、かかりつけの整形外科のお医者さんから、
体重を少し減らしたほうがいいと言われまして、それで毎日ではなくとも、
週に2、3度は主人と一緒に家を出て歩こうと思いまして。
主人もいいと言ってくれましたので。
家を出たのが5時15分でした。まだ夜明け前ですよ。
ええ、今頃は5時40分ぐらいみたいですね、ここらで日が昇るのは。

鉄郎は2歳ですが、元気なもので、短い足でとっとことっとこ歩くんです。
リードを持つ主人が早足にならなければいけない勢いで、
ついていく私は小走りですよ。ああ、これはいい運動になるなとは思いましたが、
一方、このペースだとはたして続くものかと、不安な気持ちもあったんですよ。
散歩のコースは、海沿いの堤防の往復です。
ええ、海岸に住んでいまして。やや離れたところには漁港もあるんですが、
私らの住んでいるとこは何のへんてつもない砂浜でして。
海水浴に来る人もおりませんよ。海はほとんど波もなく凪いでいました。
なんとか鉄郎と主人についていきましたところ、だんだん日が昇ってまいりまして、
海が赤く染まり始めて、ああ、きれいだなって思いました。
もしかしたら主人は、これを見るために早起きしてたのかもしれないな、と。

20分ほど歩いて、「そろそろ引き返すポイントだな」と主人が言ったとき、
100mほど向こうの砂浜が赤く染まっていたんです。
「あれ、何かしら。あそこだけ朝日があたっているとか?」
「そんなはずはあるまい。どこも同じ続きの浜なんだし」
「じゃあ、この間から漁協の人が話していた赤潮というのがあれかしら?」
「うーん、それもないな。だいたい赤潮はこのあたりのことじゃないし、
 なるにしても海の中のものだ。あれは砂の上だろう。
 とはいえ奇妙なもんだ、初めて見た」
「ねえ、あそこまで行って何なのか確かめてみましょうよ」 「そうだな」
こんなことを言い合って堤防の上を進んでいったんです。私たちの他に人はいませんでした。
近くまでくると、そこの浜一帯、そうですね30mほどですか、砂が赤く光っていたんです。

「変なものだなあ。これは初めて見た。ちょっと近くまで行ってみよう」
主人がそう言って、鉄郎のリードを持ったまま浜へ続く石段を下り始めました。
でもこれ、ほら鉄郎は足が短いので、石段を下りるのがたいへんなんですよ。
嫌がるそぶりを見せましたので、主人が抱き上げて、私がその後をついていきました。
不思議な感じがしましたよ。浜のその部分だけ、線を引いて区画をつくり、
その中の砂にペンキを吹きつけたみたいに赤かったんです。
炭が燃えているような赤さで、地面の下から光っているようにも見えました。
「変だなあ。何だろうこれは」主人が普通の砂との境のところまで行って、
しゃがみ込んで地面に顔を近づけました。
「別に熱いとかはないな。色をつけたとも思えんなあ」
立ち上がってその境を越えようとしましたが、

そのとき抱かれていた鉄郎が体をよじって暴れたんです。
それで主人がよろけまして、どっと赤い砂の上に倒れこみました。
「あなた、大丈夫?」 転んだ拍子に鉄郎のリードを離してしまって、
鉄郎が砂の上で自由になりました。でも、走ったりしないで、
砂の感触を確かめるように前足を上げたり下ろしたり、
鼻をつけて砂の臭いを嗅いだりしました。
主人が立ち上がって、何か言いました、でもそれが「ムニャムニャムニャニャニャ」って、
言葉にならないように聞こえんたんです。ええ、外国の言葉みたいでした。
私は外国語どころか英語もできないんですけど、英語のようには聞こえませんでしたね。
しゃべった主人も驚いたような顔をして「ムニャムニャムニャ」
また何か言ったんですけど、それがやっぱりわからない言葉で。

それでこの後、もっと驚くことがあったんですよ。
さっきから地面を調べるような動作をしていた鉄郎が、顔を上げて私のほうを見、
こう言ったんです。「これ、ダメですよ。よくないものです。戻りましょう」って。
びっくり仰天でしょう。犬が口を利くなんてねえ。流暢な、人間の若い男の声でした。
私なんか腰を抜かして後ろに倒れこみそうになりましたよ。
主人のほうを見ますと、やっぱり驚いた顔をしていまして。
鉄郎がまた、さも賢そうな口調で「海に何かいます。このまま海を見ないで帰りましょう」
それで主人が、リードを拾い上げ、鉄郎を引っぱって赤い砂の外に出たんです。
「聞いたか、今、鉄郎がしゃべったのを?」その砂から出たら主人の言葉が普通に戻りました。
「海を見ないようにって言ってましたよね」 「ああ、ここはおかしいから、
 こいつの言うことを聞いたほうがいいかもしれない」

それで主人も私も海から顔をそむけ、堤防のほうだけ見て、
階段に向かって歩きました。そしたら、さっきの浜のあたりで、ガボッガボッという、
どう説明したらいいかわかりませんけど、海の水がかき回されるような大きな音が聞こえて、
背中で赤い光が強く差している感じがしたんです。
朝日ではありません。そのときはほとんど昇りおえていましたから。
振り向くことはせずに、主人がまた鉄郎を抱えて石段を上っていったんです。
堤防の上に出たとき、主人がちらっと海のほうを見て、
「あ、あの赤いのなくなってる」こう言いましたので、もうだいぶ離れて大丈夫かと、
私も見てみましたら、さっき赤かった砂の色がすっかり普通に戻っていたんです。
海面には、その浜の部分の沖10mほどに大きな渦巻きができていました。
ですがそれも、すぐに消えてなくなったんです。

主人も私も、言いたいことは山ほどあったんですが、
どう口に出していいかわかりませんでした。それで押し黙って家まで戻ってきたんですよ。
その日は、浜に異変がなかったか、普段は聞かない地元の有線放送をつけてたんですが、
特におかしなことはなかったようです。ただ・・・私と主人は、
その日のお昼ごろに、そろって鼻血を出してしまったんですよ。
2人ともなかなか止まりませんでした。私たちがそうでしたから、
心配になって鉄郎を見にいきましたら、のんびり昼寝をしていました。
それ以後、鉄郎が人間の言葉を話したということはありません。
元々が、ほとんど吠えない犬ではあるんですが。 あれはいったい何だったんでしょう。
主人も月曜以来、散歩のコースを変えまして、街のほうに出ているんです。
私は早起きも散歩もやめてしまって、体重を減らすのはどうしたらいいものでしょうねえ。







彼方からの声

2015.09.07 (Mon)


昨日の続きみたいなものです。
ちょっと思わせぶりな書き方をしてしまったので、やってしまいたいと思いますが、
この内容は、ちゃんと話をすれば本一冊以上の分量になってしまうため、
できるだけかいつまんで概略だけ記したいと思います。
「青ひげ」の話は、仏のシャルル・ペロー作の童話で有名になりましたが、
ほぼ同じ内容のものが、『グリム童話』の初版に収録されています。
ペローの童話出版が17世紀末、グリム童話は19世紀の初頭ですから、
ペローのほうが古いものです。なお、グリム童話ではこの話は2版以降では削除されます。

こんなお話です。
『金持ちの領主は、その風貌から青ひげと呼ばれていた。彼は何度も結婚しているものの、
その妻はすべて行方不明になっていた。青ひげはある兄弟の美人の妹娘に求婚し、
周囲はとめたが、ついに結婚が行われた。しばらく後、
長期の外出をしなくてはならなくなった青ひげは、新妻に鍵束を渡し、
「どこにでも入っていいが、この鍵束の中の小さな鍵の小部屋にだけは絶対に入るな」
と言い残して出ていった。しかし妻は好奇心に負け、小部屋を開けてしまう。
そこに見たものは、血の海に沈んだ先妻の死体であった。

動揺した妻は小部屋の鍵を血だまりに落としてしまう。その血は部屋の扉を閉めた後、
魔法のため、いくら洗ってもとれなかった。
やがて帰ってきた青ひげは妻に鍵束を出させたが、小部屋の鍵がない。
無理に出させると血がついていたため、妻が見てしまったことを知った青ひげは、
新妻も殺そうとする。お祈りをしたいなどと、あれこれ妻が時間を引き延ばしているうち、
間一髪兄たちがやってきて青ひげを殺してしまう。
妻は青ひげの莫大な財産を受け継ぎ幸せに暮らした。』

この話のモデルであると言われるのが、フランスの軍人・貴族であるジル・ド・レイ、
あるいは英のヘンリー8世です。ヘンリー8世については前に少し書きましたが、
16世紀のイングランド王で、6人の妻と結婚し、そのうち2人を刑死させています。
離婚のためカトリック教会から破門され、英国教会をうちたてたことで知られます。

今回は、ジル・ド・レイ(ジルドレ)のほうを取り上げます。
15世紀前半の人で、フランス王国ブルターニュ地方ナントの貴族、男爵、フランス元帥。
幼くして両親を戦禍で失い、遺言で禁じられていた祖父に引き取られます。
ここで少年愛の悪癖が身についたという説もありますが、定かではないようです。
領地を広げるために、近隣の領主の息女と政略結婚させられましたが、
妻はほったらかしで、狩りなどに明け暮れていました。
成人して軍人となり、百年戦争のオルレアン包囲戦で、
ジャンヌ・ダルクに協力して奮戦に継ぐ奮戦、「救国の英雄」と呼ばれ、
地方軍人としてはほぼ最高位である元帥にまで上り詰めたのです。

ジャンヌ・ダルクについては、みなさんご存知でしょうが少し書いておきます。
「オルレアンの乙女」とも呼ばれ、農夫の娘として生まれたジャンヌは、
12歳頃に神の啓示を受けます。神の声を聴いたと公言するジャンヌは17歳にして、
騎士姿でまだ即位前であったシャルル7世に謁見し、宗教諮問を受けます。
ここで認められたジャンヌは従軍を許可され、
その後はイングランドとの百年戦争の重要な戦いで連戦連勝、
はじめはジャンヌの配下に入るのを拒んでいた将軍らも従うようになり、
シャルル7世の戴冠に貢献することになります。

ジャンヌの軍事指揮能力については諸説ありますが、
男装して甲冑を身につけ先頭で旗を持つ姿が軍を鼓舞し、
神の意志と力が自分たちの元にあると思わせる効果は絶大だったのでしょう。
その後ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、
シャルル7世が身代金を支払わなかったため、イングランド側へ引き渡されます。
異端審問にかけられ、異端の判決を受けたジャンヌは19歳で火刑に処せられます。

ここで、あまり知られていないことは、ジャンヌが最終的に異端とされたのは、
「一度禁じられた男装をふたたび行った」とする罪状なのです。
異端審問に対する不服従の罪といってもよいものです。
ま、イングランドに歯向かったからという罪状はつけようがないでしょうが。
火刑になったのは、魔女に対する刑罰と同様で、
遺骸をなくして復活を禁じるという意味もあります。
実は生きていたという流言を封じるため、黒焦げになったジャンヌの遺体は公衆に晒され、
さらに灰になるまで焼かれてセーヌ川に流されました。

この後も100年戦争は文字どおりまだまだ続くのですが、
ジャンヌの死の後、領地に戻ったジル・ド・レイは、
黒魔術と錬金術に耽溺して財産を浪費、
さらに領地の少年を誘拐しては取り巻きと惨殺する行為を繰り返します。
その数は150人とも800人とも1500人とも言われます。

このジル・ド・レイを扱った文学作品で、もっとも詳しくかつ有名なのが、
仏の19世紀末のデカダン作家であるカルル・ユイスマンスの『彼方』で、
悪魔主義をテーマとしたこの著作は、
自分のようなオカルティストには必読ものの一冊とも言われています。
この本では、ジル・ド・レイの凶行に多くのページが割かれており、それによれば、
少年の首を生きながら斬る、少年を吊り下げておき、助けにきたふりをして介抱しながら、
一方で少年の体を鋭利な刃物で切り裂き、少年がふたたび絶望に陥るのを楽しむ・・・
このような状況であったようです。

ジル・ド・レイは領地争いから告発を受け、公開裁判ですべての罪状を明らかにされ、
絞首刑の後、遺体を火葬されて36歳で亡くなります。
すべてを自分から告白し、まるで刑死を待つかのような態度であったとも言われます。
いちおうレイの名誉のために述べておけば、
この裁判は領地争いの政敵によって支配されたものでした。

さて、ジル・ド・レイがこのような狂気にとり憑かれたのは、
生来の性癖、錬金術や黒魔術の流行などの時代性もあったでしょうが、
やはり、ジャンヌの死が大きなきっかけであったと考える研究者が多いのです。
ジャンヌを火刑としたカトリック世界への絶望、神の不在を感じたということでしょう。
また少年愛については、つねに男装していたジャンヌと、
行動をともにしていたことに関係がある、と見るのはうがちすぎでしょうか。
ジャンヌの名誉は、1456年に復権裁判法廷が無罪を宣告して回復され、
1920年、ローマ教皇ベネディクトゥス15世によって聖人として列せられることになります。
一方ジル・ド・レイは、西欧社会では、怖ろしい大量殺人鬼の典型として、
現代まで語り継がれてきているわけです。

さてさて、ジャンヌは「神の声を聴いた者」です。
カトリックでの解釈はわかれますが、3人の聖人の姿を見たという証言記録もあります。
また、ユイスマンスの『彼方』という作品題名は、
ジル・ド・レイのような所業は人間にできることではなく、
彼方からの声にしたがって行われた、という解釈でつけられているようです。
では、ジル・ド・レイが聴いたのは悪魔の声だったのでしょうか。

最後に、青ひげの童話は妻殺しの話ですので、少年を殺し続けたジル・ド・レイとは、
その点が異なっています。ヘンリー8世の逸話も取り込まれているのかもしれませんし、
他の暴虐な領主や貴族の伝承も混じっているのかもしれません。
童話の舞台になっている中世西欧社会は、
調べていくと怖ろしいものがたくさん出てくる世界なんですね。





パイドパイパー伝説

2015.09.06 (Sun)


今日は少し趣向を変えて、西洋のお話です。
ヨーロッパの古代から中世にかけては、伝説なのか史実なのか、
どちらとも定めがたい話が多く残っています。
これは日本でもそうだと思われるでしょうが、
向こうは多民族で土地も広大であり、国境を超えた移動や支配層の変化、
宗教的価値観の変容などのスケールが島国の日本とは違っていて、
追っていくのがかなり大変なのです。

さて、The pied piper というのは英語で「まだらの服を着た笛吹き」ということです。
まだらの服というのはピエロが着る服のことでしょうか?
そういうイメージで描かれた挿絵が多いようです。
本来これはドイツの話で、『グリム童話』でも取り上げられています。
「ハーメルンの笛吹き」といったほうが有名でしょう。
ハーメルンはドイツの町で、ざっと歴史を見ましたが、
キリスト教の影響下で中世に建設されているようです。

さて、ハーメルンの笛吹き伝説はご存知でしょうが、だいたいこんな話です。
『町でネズミが増え、その害に苦しんでいたところ、まだら服を着た男が現れて、
市長に駆除を持ちかけた。男は笛を吹きながら町を練り歩き、
するとたくさんのネズミが現れて男の後についていき、川に導かれて溺れ死んだ。
男が報酬を要求すると、市長は言をひるがえして金を出し渋った。
男は1284年6月26日に再び現れ、町の大人が教会に行っている間に、
通りを笛を吹いて歩き、その後を今度は町の子供たちがついていった。
男は子どもたちを洞窟に入れ、そのまま蓋をしてしまったので、
再び親元に帰ることはなかった。』

この話で特異なのは、事件が起きた年月日が明確に記されていることで、
やはり何かの事件・事故が起きている可能性が高そうです。

これは、1300年頃にハーメルンのマルクト教会に設置されていた、
ステンドグラスに書かれた文章が元になっているためで、
このステンドグラスは1660年に破壊されたのですが、
その内容に言及した書物は多数残っています。
『1284年、聖ヨハネとパウロの記念日6月の26日 
色とりどりの衣装で着飾った笛吹き男に
130人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され、
コッペンの近くの処刑の場所でいなくなった』

コッペンというのは「丘」を表すドイツ語で、
ハーメルン市の郊外と考えられますが、場所は特定できません。
この文章を読んで考えることは、まず「聖ヨハネとパウロの記念日」という語ですね。
この2人は4世紀頃にローマで殉教したキリスト教の聖人で、
話はキリスト教に関係があるのかもしれません。
それと、大人の多くが協会に行っていて子どもが町に取り残されていたというのは、
ありそうな気もします。「処刑の場所」という語から、子どもたちの死が連想されます。

「ネズミ」について言及がないのに気づかれた方もおられるでしょう。
ネズミのことが話につけ加えられたのは16世紀末頃で、それ以前の記録には登場しません。
ですから、ネズミについての考察はとっぱらってしまってもいいような気がします。
ヨーロッパでネズミといえば、自分なんかは怖ろしいペストを思い浮かべてしまいます。
実際「ペスト(やそのたぐいの伝染病)から子どもらを守るため、離れた場所に隔離した」
というような説もあるのですが、1284年はペスト大流行以前なので、
これは考慮しなくていいかもしれません。

あと「子ども」がどのような年齢層を指しているのか、も疑問です。
童話ではかなり年齢層の低い、幼児や小学生の話として描かれていて、
そのイメージが強いのですが、もしかしたら「子ども」は比喩で、
若い世代という意味なのかもしれません。

「少年十字軍」という話があります。
『フランスやドイツにおいて神の啓示を受けたとする少年エティエンヌの呼びかけにより、
少年・少女が中心となって結成された数千から数万と考えられる十字軍。
1212年のフランスの少年十字軍では、少年少女が十字軍として聖地奪還に向かう途中、
船を斡旋した商人の陰謀によりアレクサンドリアで奴隷として売り飛ばされた。』

これだけ読めばセンセーショナルな話なのですが、現在の考察では、
少年もいたものの、大人も多く混じっていた民衆十字軍と考えられることが多いです。
後世にこれを記録した者が、少年少女が中心の話にしたほうが感動的であると考え、
その形で広まっていったわけです。
ですから、ここで書かれている「子ども」も青年層という意味なのかもしれませんね。

この話の解釈として、代表的な説をあげてくと、
まずは事故説です。子どもらだけで何かの活動をしていたとき、
事故に巻き込まれてしまったということですね。
ヴェーザー川で溺死したとする説、土砂崩れにより死亡したとする説などがあります。
「洞窟に閉じ込められた」という童話の部分から、
これもありそうな気はしますが、それにしても130人という犠牲者の数は多いです。
それと、不幸な出来事ではあるものの、純然たる事故なら加害者はいないはずで、
個人の不名誉や高位の者に対するはばかりがないのならば、
なぜ顛末がもっと詳しく記されなかったのだろう、とも思います。

次は、笛吹き男は精神異常の小児性愛者で、子どもらはその犠牲になったとする説。
これも、130人という人数は一人の人間の(あるいはグループだったとしても)
犠牲者としては多いような気がします。まあ確かに、フランス15世紀のジル・ド・レイは、
黒魔術的儀式と小児性愛のため、150~1500人という数の犠牲者を出しています。
(この原因は、一説には百年戦争でともに戦ったジャンヌ・ダルク処刑による
心の傷とも言われます。いつか取り上げてみたい話ではあります。)

しかし、ジル・ド・レイの頃とは領主権の強さも違っていたと考えられますし、
もし笛吹き男がそのような極悪犯罪者であったのならば、
そっちのほうがもっと怖ろしい伝説として残るような気がしますね。
ジル・ド・レイの青ひげ伝説のようにです。ところが、笛吹き男の場合は、
極悪人という書き方にはなっていません。

次は、何らかの巡礼行為か軍事行動、あるいは新規の少年十字軍運動に、
子どもらが自分の意志で加わったとする説。しかし十字軍的なものであったのなら、
もっと周囲の町を巻き込んでいたでしょうし、
遠征した先の記録に残っていそうなものです。

次は移民説で、これはかなり現実的な解釈で、定説と言ってよいと思います。
東ヨーロッパの植民地で彼ら自身の村を創建するために、
自らの意思で両親とハーメルン市を見捨てて去ったという内容です。
ハーメルンと東ヨーロッパ植民地には、類似対応する地名があり、信憑性が高いです。
この当時のドイツはおそらく長子相続で、
次男三男以下は農奴のような扱いを受けていたと考えられ、
土地を捨てて希望の第一歩を踏み出した、という解釈は妥当である気がしますね。
14世紀のペスト大流行以前の人口が増えていた頃の話ですから。

Wikiの記述によれば、
『ハーメルンの旧家の壁から発見された文章の述べるところによれば、
1284年7月26日に、笛吹き男が130人の子供を街の外へ連れ去り、
おそらくはその笛吹き男はモラヴィア(現在のチェコ共和国の一地方)
への植民運動を組織していたオロモウツ(チェコの都市)
の司教ブルーノ・フォン・シャウンブルクの代理人であったという。』

原資料にはあたれませんが、いかにもありそうな話ではあります。
パイパーは移民の斡旋人、世話役のような人物であったのかもしれません。
ただ、移民が強制的なものではないのなら、一度きりではなく、
何次にもわたる流れがあったと考えるほうが自然で、このあたりのことは、
調べれば近隣の都市からも、まだ資料が出てくる可能性が高いと思われます。

最後は、超自然的事件説・・・悪魔などに連れ去られたというものですが、
オカルトブログですので、これも加えておきましょう。
さてさて、現在のハーメルンは、この「笛吹き男」の話で国際的に有名で、
市には「舞楽禁制通り」というのがあるそうです。
笛吹き男に連れられた子どもたちが歩いていった道というわけですね。
お土産の、ネズミを模った堅焼きパンも有名です。

* 今後は世界史の話題も機会があれば取り上げていきたいと思いますが、
 もちろんオカルトに関係したこと限定です。





年髪様の話

2015.09.05 (Sat)
これは5年前、88歳で亡くなった祖母から聞いた話です。
祖母は大正の終わりごろの生まれで、戦争が終わるまである村で過ごし、
その後、市部のほうへ出てきたんです。大陸での戦火が激しくなる昭和10年代以前は、
比較的裕福で、のどかな村だったということです。
また、そこには曹洞宗のお寺があり、夏休みには子どものほとんどがお寺に集められて、
2日間の座禅講を行ったそうです。ただし男女は別々の日で、女の子は全部で15人ほど。
これは学校の行事ではなく、その寺のご住職が善意で実施していたもののようです。
メインは座禅でしたが、そこは子どものことであり、
長い時間はとうていもちません。それで、途中でお習字をしたり、
墓所の草むしりをしたり、子ども向けに易しくした法話を聞かされたりしたということでした。
まあ、田舎にあっては楽しい行事と呼べるものですが、怖いことが2つあったそうです。

その一つは、法話の途中で六道絵を見せられることで、
あの餓鬼道、畜生道、地獄道、天道・・・という。その中でも、
やはり子ども心に強烈に印象に残るのは地獄絵で、毎年のことでも、
6年生になっても、火で焼かれたり鬼に煮え湯を飲まされる人の姿は、やはり怖ろしかったそうです。
もう一つは、夜に行われる肝試しです。夜は広い本堂の板の間のあちこちに、
各家から持ち寄った蚊帳を吊って寝るのですが、その前に行われるのです。
まず、夕餉をいただいた後の6時ころに、みなが本堂に集められて怖い話を聞かされます。
これはまさかご住職がするわけにはいかないので、
村に住んでいる退職した小学校の先生の役目でした。元とはいえ学校の先生ですから、
そうおどろおどろしい話はしません。そのあたりに伝わる怪しの話が中心で、
毎年中身は違っていたそうです。これからお話するのは、祖母が5年生のときのことです。

その年のお話は「年神様」についてのものでしたが、
他の地域で言われている、正月にやってくる神様とはかなり違っていました。
祖母の話では判然としなかったのですが、
もしかしたら「年髪様」という字を書いたのかもしれません。
そこのお寺は、神仏習合の名残があって、お寺の裏山に50段ほどの石段が続き、
それを上ると小さなお社が建っていたそうです。子どもたちは話を聞き終わると、
年長の子と年下の子、例えば6先生と1年生という具合でペアをつくり、
ロウソクを一本持たされて、手をつないで石段を上っていきます。
そうして、お社の前のロウソク立てで燃えている火をそれに移し、お供えしてくる。
これだけのことで、時間にすれば1ペア10分もかからなかっただろうということでしたが、
それはそれは怖かったそうです。

というのも、その年のお話は、山の上のお社に関係したものだったからです。
こんな内容でした。・・・夜になってから、そこのお社にお参りする場合、
行きは何も問題ないが、帰りに石段を下りるときは、
どんな気配を感じたとしても、下りきるまで絶対に後ろを見てはならない。
なぜなら、年髪様が後をついてこられるからです。
その姿は、顔も体もない、ただ長い髪だけが宙に浮き、漂っているというものでした。
・・・これだけなら、どこにでもありがちな話なのですが、
わたしが変わってるなと思ったのは、もしもふり向いてしまった後のことです。
そういう者は、宙に漂っている髪が顔におおい被さってきて、
なんと寿命を吸われてしまうということでしたが、死ぬまでではありません。
運がよければ3年、長いと8年、寿命が短くなってしまうのです。

ええ、口もないその髪のかたまりが「◯年いただき申した」と女の声でささやくんだそうです。
これを聞かされてから、夜のお社に行かされるのはたまったものではないでしょう。
でも、そこは事故が起こってはいけませんし、まして火を使うのですから、
石段の途中の藪や山の上のお社の陰に、子どもたちの父母が数人潜んでいて、
危ないことがないか見張っていたということでした。
まあ大人は大人で、子どもたちをだしにした納涼の楽しみごとであったのかもしれません。
祖母は2番目で、2年生の子とペアにさせられました。
その子は無邪気にはしゃいでいて、これは歳上の自分が怖がってるところは見せられない、
と思ったそうです。祖母たちが石段前の鳥居の横に着いたとき、
1番目の子らのタタタという足音が聞こえ、すぐにその子らが駆け下りてきました。
祖母は世話役の大人から真新しいロウソクを渡され、

左手に握り、右手は年下の子の手を取って、そろそろと石段を上っていきました。
真っ暗ということはなかったです。お社の前には篝火があり、
その灯りが石段まで届いていたのですね。
祖母は「怖くない、何もいない」と心のなかで唱えながら、急がぬように段を登っていきました、
それでもわずかの時間でお社に着き、すでにロウソク立てで燃えているロウソクから火を移し、
落ちぬようにしっかりと立て、また手をつないでそろそろと戻ってきたのです。
本来なら、行きよりも帰りのほうが怖くないはずです。
上りではお社は見えませんが、下りは登り口の鳥居がまるまる見えましたから。
でも、年髪様がついてくるのはその下りなのです。
「急がぬよう、急がぬよう」わざとゆっくりと下って、踊り場のようになった場所をこえ、
半分を過ぎたあたりでです。「後ろに何かいるよ」と年下の子が緊張した声で言いました。

そう言われればそんな気もしましたが、ふり向いてはいけない。
そう考えて、握った手に力を込めたとき、ばっと突然、
祖母の顔の横に黒い髪の毛のかたまりが現れました。「ぎゃー」と祖母は叫び、
年下の子も叫びました。そのまま走り下りようとしたところ、
足がもつれて2人一緒に転んでしまいました。急な石段ではないので、
何段も落ちるということはなく、ケガもしなかったのですが、
着ていた浴衣が汚れてしまいました。すぐに「何やってるお前ら!」という男の怒鳴り声、
それから「大丈夫だ、〇〇子、動くなよ」と女の人の声がして、
祖母と年下の子のところに大人の女の人が駆け寄ってきました。
ええ、隠れていた大人の人たちですね。すぐに藪の中から、大人の男が、
男の子ども2人の首根っこを押さえて現れたんだそうです。

一人の男の子の手には竹の棒が握られ、その先には糸がついていて、
さらにその糸には鬘(かつら)のようなものが・・・ 
ええ、どちらも祖母と同じ小学校の6年生の男子でした。
女の子たちの肝試しでおどかしてやろうと思ってそっと家を抜け出し、
夕刻から潜んでいたものの、大人もいるのでタイミングがつかめず、
一番目のペアには何もできずに、祖母たちが戻ってくるときに初めて、
通り過ぎた後ろに鬘を垂らしたのです。
まあねえ、子どものイタズラなんでしょうが、石段から転落するおそれもありますし、
その子らは寺に連れて行かれて、大人たちに囲まれて大目玉を食らったそうです。
まあ、こういう話で、ええ、これだけなら祖母らは怖かったでしょうが、
怪異は何も起きてはいません。ですが、この話にはなんとも言えない後日談があるんですよ。

いよいよ時局が押し詰まって、大陸での戦いが激しくなり、
その男の子らも他の子とともに出征することになりました。
でね、イタズラをした子の一人が出征する数日前に祖母の家の裏の畑に来ていて、
祖母が用事で出てくると、やや離れたところから大声で、
「俺、戦争に行ったら帰ってこられんから。あのお社の肝試しの後、年髪様にそう言われた」
これだけを叫んで駆け去っていったんだそうです。
ええ、その子は南方に行って帰ってきませんでした。
輸送艦に乗っているところを撃沈されたので遺品もなしです。
もう一人のイタズラした子も南方のジャングルで戦死。
もちろん村からの出征者で、亡くなったのはその子らだけではないのですが、
このときのことはずっとずっと、祖母の心に残ったそうです・・・ 

あじゃじゃきうあ




温泉の亀

2015.09.04 (Fri)
えっと俺が小学校5年で兄が中2のときです。
これは親に聞いて確かめたんで間違いないです。
秋の連休に、家族で温泉に1泊の旅行に行きました。九州某県のです。
でねえ、そのときの記憶ってあんまりないんですよね。
どんな風呂だったかとか、食事がどうだったかなんてのは覚えてないんです。
ただ鮮明に残ってるのが、2日目の午前中、もう帰るって前に見学した「地獄」のことです。
ほらよく、いろんな温泉地にあるじゃないですか。
硫黄が地面から露出してて、卵が腐ったような臭いがして、
あちこちから蒸気が吹き上がっているような地形。
そういうとこを〇〇地獄とか名づけて、公開してるところがあるでしょ。
あれってけっこう危険なんですよね。

窪地に致死量の硫化水素が溜まってるなんてこともあるそうです。
で、その温泉地の地獄なんですが、崖下にあったんです。
それを上の遊歩道から見下ろす形で見学する。崖は30mくらいの高さがあったようなんで、
これだとガスを吸ってしまうおそれはほとんどないわけです。
ただ、落ちてしまう危険はありますけどね。
でね、そのときは、宿の従業員が宿泊客を案内して、
「あれが血の池、あれが針の山」と説明してくれました。
今でもありますよ。ネットで検索したら画像もあって、けっこうちゃちいもんでした。
広く感じたのは、やっぱ自分が子どもだったからなんでしょうね。
それで、手すりギリギリのとこから下を見てたら、亀の甲羅みたいな石があったんです。
大きさは1mくらいかな。水族館で見たウミガメよりは小さいけど、

それでも亀としてはかなり大きいですよね。ただ、本当に亀かは自信がなかったんです。
まず甲羅にあの、亀甲模様がなかったし、それに色が薄緑で、
周囲の岩や瓦礫と同んなじだったんです。だから、単に亀に似た石かもしれないって。
ええ、手も足も頭も出してない、甲羅だけの形ですよ。
で、そばにいた兄に聞いたんです。「兄ちゃん、あれもしかして亀じゃないか」って。
「どれだよ?」兄は小煩そうな感じで答えまして。
うーん、兄弟仲が良くないってことはなかったですけど、
とにかく兄は忙しくって。中学校の野球部でピッチャーをやってて豪速球を投げ、
中2の段階ですでに高校のスカウトとかが見に来てるレベルでした。
だから合宿や試合であんまり家にいることがなくて。
家にいるときは飯食って寝るだけだったから、ほとんど話もしなかったんです。

その旅行も、大きな大会で兄のチームが優勝して、監督が休みをくれたんで、
急遽家族で計画したものなんです。
「ほら、ここの俺が立ってるところの真下」亀は崖にぴったりくっつくようにして、
こっちに首があるほうを向けてるように見えました。
「お前な、この下は地獄なんだぞ。温度高いし、有毒ガスも出てるし、生き物がいるわけない」
「んーじゃ、亀に似た石かもしれない。この下だよ。わかる?」 「ぜんぜんわからん」
それで、案内の人の目を盗んで小石を拾い、そっと手すりから落としました。
で、すぐ近くに落ちたんですが、亀は微動だにせず、やっぱ石かなあって思って。
だけど、そっから落とせば近くにいくことがわかったんで、
今度は石のかわりに、そのとき食べてたハイチュウ、アメの一種ですけど、
それを包み紙をとって落としてみたんです。

そしたら、やっぱ亀のすぐ前に落ち、瓦礫にまぎれて見えなくなりました。
「あ、もったいないことしたな」って思ったとき、亀の首が出るはずのところから、
白い細い手が出たんです。間違いなく見たと思います。
でね、前の石の間をさぐってハイチュウを見つけたのか、こぶしを握った形で引っ込みました。
俺はもう大興奮して、「兄ちゃん、兄ちゃん、今の見たか? 手、手が出たぞ」って。
「あー、お前が石落としたのは見たけど、手? 人の手のことか?
 見てないし、そんなの出るはずないだろ」こんなふうに言われて。
当時はね、兄の言うことは絶対でしたから。
母親も兄の試合や強化合宿のたびに車で送り迎えして、家族全体が兄中心に動いてたようなもので。
そのうちに、案内の人が先に進んで、その場を離れたんです。
俺は最後までその亀の甲羅から目を話しませんでしたけど、

もう手は出なかったし、なんだか見たことに自信もなくなってきたんですよ。
ま、そんなことがあったんですけど、これはずっと忘れてたんです。
今年になって、あの台風の日のことがあってから思い出したんです。
・・・順を追って話していきますね。兄は中3のときは、全国大会まで行って準優勝したんです。
それで、他県の甲子園の常連校にスカウトされて家を離れちゃいました。
寮生活ってことです。母親はついていきたいような感じでしたけど。
でもね、高校に入って伸びなかったんです。うーん、野球の力がってより、
体が大きくならなかったんですね。170cm台の前半くらい。
たまに帰省してきたとき、比べたら俺のほうが大きかったですよ。
だから高校のチームでは2番手ピッチャー止まりで、チーム自体も、兄の代は県予選で負けて、
甲子園には行ってないんです。それでも、大学でも野球を続けて、実業団に入りました。

でね、今年の7月のことです。俺が小5のときから15年たってます。
仕事で外回りをしてたんですが、台風が近づいてるってことで、
かなりの雨が降ってました。風もだんだん強くなってきて、傘があおられて役に立たなくなり、
どっか屋内に入って雨宿りしようと、住宅街を小走りに急いでたんです。
空が一段と暗くなって、稲妻が光りました。ドザッと音を立てて雨も激しくなり、
そしたら、俺がいた5mほど前の側溝の蓋がバカンと跳ね上がったんです。
コンクリ製の何十kgもあるやつが、その一枚だけ。
穴になったところから、どっと泥水が吹き上げてきました。
靴が水浸しになりそうなんで、道路の中央寄りによけたんですが、その穴から、
ズッと亀の甲羅が出てきたんです。模様のない、岩みたいな質感の。
ただ、小5のときは上から見たんでわからなかったですが、首のところに黒い穴があって。

そこから、坊主頭の子どもが顔を出したんです。見覚えがあるというか、
すぐにわかりました。中学校のときの兄の顔です。野球で全盛期だった頃の。
雨に濡れた真っ白な顔で、白目を剥いてました。何も見えないだろうに、
俺のほうに顔を向けて、「今、死んだ」って言ったんです。
激しい雨と風の中でも聞こえたんで、実際の声じゃなく、
頭のなかで響いたのかもしれません。俺はその場に立ち尽くして、
そしたら兄の顔は引っ込み、甲羅自体も下に潜っていって、真っ黒い水がどっと吹きあげて。
怖くなって走りました。で、やっとコンビニを見つけてそこに入って、
傘がダメになってたんで、ビニール傘を買って、トイレを借り、
今見たもののことを考えたんです。このときもまだね、温泉の記憶は戻ってはいなかったです。
「死んだ」って、兄が死んだってことなんだろうか、それとも・・・

その後、1時間くらいして携帯に実家から電話がありまして、
「兄が大変なことになって病院に運ばれた」って内容でした。
もう兄は野球は引退して、地元に戻って建設会社で働いてたんですよ。
とにかく上司に連絡し、電車で地元に戻ったんですが、途中で「兄が亡くなった」って。
病院に駆けつけましたら、両親がベッドの脇で泣いていました。
兄は体にはまったくケガはなかったんですが、顔色が紫に変色し、血管がドス黒く浮き出ていて・・・
兄の会社の責任者らも来てて、その説明によると、水道管を通すために地下に入っていたところ、
こっちでも台風の影響で風が強まってきて、作業を中止して引き上げるという矢先に、
ガスが発生して倒れたということでした。兄の他にも2人が影響を受けたものの、
その2人は比較的軽く、現在治療中だって。しばらく兄の遺体の脇に立ち尽くして、
その間に、あの温泉地獄の亀のことがだんだんに頭によみがえってきたんです。







聞いた話(ロウソク)

2015.09.03 (Thu)
大阪の近県在住の主婦のBさんの話。この方は自分の知り合いでもなんでもなく、
不思議な話を持っているとのことで紹介され、取材してうかがったお話です。
Bさんは40代で、その当時、中3の受験生の母でした。
ご主人は地元の建機販売会社に勤めていて、ご自身は週3回の清掃のパート。
こう言ってはなんですが、どこにでもいるごく普通の主婦の方で、
おかしなものが見えたりしたという体験は子供の頃からないそうですし、
それに、この方だけの体験でもないんです。
買い物をするとき、Bさんはほとんど、
お住まいの近くにある巨大しショッピングモールに行くことにしていました。
そこは食品から衣類、家電までなんでも揃うし、何でもかなり安いんだそうです。
それに距離も自転車で10分程度。

息子さんが中3になった年の10月から、おかしなことが起こり始めました。
だいたい2週に3回くらい、そのショッピングモールに行くのですが、
そのたびになぜかロウソクを買ってきてしまったんだそうです。
箱に2本入った太いやつですね。家には仏壇、神棚はあるんですが、
毎日ロウソクを灯しているわけでもなく、
そもそもそんな太いロウソク立ては持ってない。
それが、気がつくとショッピングバックの中に同じロウソクが入っているという。
「買うときの記憶はなかったですか?」と聞いてみたところ、
「それがねえ、あるにはあるんだけど、夢のなかで行動してるような感じなのよ。
 買い物の最後に地下の食品売り場に行って、そこで一番物を買うんだけど、
 その後1階に戻ってきたとき、なぜか仏具のコーナーでロウソクを買ってしまったの」

「おかしな話ですねえ。それ、あ、ロウソク買ってるって気がついたときに、
 やめることってできないんですか?」
「それがねえ、その数分くらいの間は、頭の中で、これ必要なものだから、
 って考えがあって、レジでお金を払って外に出るまでどうにもならなかったのよ」
「ははあ、じゃあ後になって返品するって考えは?」
「うん、それはね、ショッピングバックを見て何度も考えた。包装は開けてないし、
 習慣的にレシートは財布に入れてるから、できないことはないの。
 でもねえ、毎回それを買ってしまうことに何か意味があるような気がして」
これが12月頃まで続いたそうです。その間に溜まったロウソクが10箱、
20本分ってことになります。それでその月に、
息子さんの進路を決める最終の三者面談が学校であったそうなんです。

Bさんの家庭では、長男なので大学まで入れたいと考えていたものの、
私立に行かせる余裕はない。息子さんの学業のできはよかったので、
その地域の効率で一番の進学校に行かせたいと思っていて、
本人の希望も同じだったそうです。
最初に学年の全体会があって、その後各教室に分かれて面談だったんですが、
控室で待っているときに、知り合いの方に何気なくそのロウソクの話をしたそうです。
そしたらその方は心底驚いた顔をして「私も買ってしまってる」って。
まあ、住宅密集地でせまい学区なので、
ほとんどの家で同じショッピングモールを利用しているそうですが、
その方も、やはり同じショッピングモールで無意識にロウソクを買ってしまっている。
ちょっと偶然とは思えないでしょう。何かの導きという感じがしますよね。

で、12月も押し詰まり、学校が冬休みになって息子さんの勉強もラストスパート、
という頃、町会の回覧板が回ってきて、地域の神社に新しく摂社を建てることになった、
という記事が載っていました。その経緯が不思議で、
例のショッピングモールには巨大な倉庫が付属しているのですが、
そこに大がかりな清掃を入れたとき、なんと冷凍庫の奥から、
等身大より大きいエビス様の石像が、表面がカチカチに凍りついた状態で見つかったそうです。
あの釣竿と鯛を持ったやつですね。ショッピングモールの支店長が地元の大学に見せたところ、
はっきりとはわからないが室町くらいまでさかのぼる様式で、
粗い彫りで美術的な価値は大きくはないだろうが大変珍しい物、と鑑定されたそうです。
でも、なぜそんな像があるのかは古株の社員の誰にもわかりませんでした。
海には近いですが、ショッピングモールができたのが、そもそも18年前だったんですね。

ということで、困ってしまった支店長は地域の神社に相談して、
幸いにそこの御祭神とぶつかるような神様ではないので、
摂社として神像を祀ってもらうことになった、そういうお知らせが載っていたわけです。
それを見て、Bさんにはピンとくるものがあったそうです。
買い溜めたロウソクはここで使うべきなんじゃないか、って。
で、新年になり初詣には息子さんと一緒に、そこの神社に行きました。
拝殿にお参りしてから寄った、エビス像をおさめたお社は、
大きなものではありませんでしたが、白木の香りも新しくいかにもご利益がありそうでした。
木柵ごしににこやかなエビス様の顔が見えまして。お賽銭を入れて、
ロウソク立てに買ってあったものを2本お供えしようとしたとき、
同じくロウソクをお供えしようとした人があり、それが息子さんと同級のお母さんだったんです。

前に面談のとき、ロウソクを買ってしまうとおっしゃっていた方とは別の人です。
話を聞いてみると、やはりBさんと同じように無意識に近い状態で、
ショッピングモールでそれを買っていた。
なんとなくここにお供えすればいいんじゃないかという気がして持ってきた。
そういう話でした。でね、後日Bさんは電話をかけまわして情報を仕入れまして、
同じようにロウソクを買っていたらしき人が、同じ中学校の保護者で、
5人ほどいたということがわかりました。それで全員ではなかったんですけど。
その人たちには共通点があって、自分たちの代の前から地域に住んでいた人で、
地域の公立高校を志望する中3の息子(娘さんはいなかったそうです)さんがいたこと。
さらに今度は、それらの人に直接連絡をとってみると、
全員がエビス堂にロウソクをお供えしているということが判明しました。

でね、Bさんは社交的な方でしたので、どうせなら皆で一斉に行こうということにして、
会をつくったそうです。全員一緒にいくのは、十日えびすという言葉があるので、
2月と3月の10日に2回実施して、それ以外は各自でということで。
日曜などに息子さんも連れてお参りしロウソクをあげてくる。
その間に、前の5人とは別にロウソクをあげにくる2人のお母さんとも知り合いました。
最終的には9人の同じ中学校の受験生のお母さんが会に入りましてね。
と、ここまで話すと入試の結果はおわかりでしょう。
そのお母さん方の息子さんは、全員、第一志望の高校に合格することができたんです。
3つの高校にわかれましたが、どれもそこの市にある公立です。
それ以来、ロウソクもショッピングモールで意識して買うようになり、
会は、息子さんが高3になった今でも続いているということでした。

あいい





例大祭

2015.09.02 (Wed)
先週の日曜のことです。朝から犬の散歩をさせてまして。
6時過ぎころです。前日も仕事の接待で飲み会がありましてね。
せっかくの日曜、もっと寝てたかったんですが、
普段その犬の世話をしている中2の娘が、金曜の日から熱を出してまして。
病院には行って、インフルエンザではなくただの風邪だってことでしたし、
熱も高くはなかったんで、そう心配はしてなかったですけどね。
散歩のコースは自宅の近所ですよ。団地の裏手のほうに小高くなった森があり、
そのまわりをぐるっと。そこは、地元では古墳じゃないかって言われてるとこですが、
県の大学では自然の地形だって。だから史跡とかにはなってなくて、
誰でも自由に立ち入りができるんです。100mほどの森の周囲が、
人しか入れないアスファルトのジョギングコースか遊歩道みたくなってまして。

そこを、リードを伸ばして歩く犬まかせにして進んでたんです。
犬?  うーん、柴犬の雑種だと思いますね。
5年前、子犬のころに車庫にいたのを拾って飼ってたので、
犬種とかよくわかんないです。和犬の形をした、どこにでもいるような小型犬。
オスでペロって名前で、これは娘がつけたはずなんです。
でねえ、片道20分ほども散歩させたら、わたしのほうが疲れてきて。
普段からの運動不足を実感しましたよ。
その遊歩道も2周しましたし、「もう帰ろう」みたいな感じでリードを引いて・・・
そしたら、向こうの角を曲がって、おかしな風体の人が歩いてきたんです。
巫女さんじゃなくて、そうですね、巡礼って言うんですか、あの白装束を着た娘さん。
歳は娘より少し上、せいぜい高校生くらいに見えました。

でね、手に大きな四角いものを持ってたんです。何かはわからなかったんですよ。
縦横80cm四方くらいで、高さはもう少し小さい。
白い布でくるまれてまして、けっこう重そうにして抱え持ってたんです。
そのあたりはね、朝方はウォーキングのお年寄り夫婦や、
ジョギングの人がけっこう出てるようなんですが、さすがに変な感じがしました。
かといって若い娘さんをじろじろ見るのもあれなので、軽く会釈してすれ違おうとしたら、
「あの」向こうから話しかけてきたんです。
「ここらへんに、きのうた(こう聞こえました)神社というところはございますか?」
しばし考えましたが、神社なんてなかったと思いました。一番近いとこでも数km離れてます。
そう答えたら、「5年ごとの例大祭が9時からあるのですが、場所がわかりませぬ」って。
「せぬ」なんていやに古風で、不自然じゃないですか。

ちょっと気味悪くなりまして、「勘違いされてるんだと思いますよ」こう答え、
頭を下げて行き過ぎようとしたら、それまで静かだったペロが急に吠え出しまして。
白布に包まれた荷物に向かってです。立ち上がって飛びつこうとしたのをあやうく押さえて、
頭を下げて脇の草地に入ったんですよ。
まあ、そんなことがあって家に戻ると、妻が朝食の支度をしてましたので、
「ここらに神社なんてあったかなあ」聞いてみました。
「さあねえ、ないんじゃないんですか。見たことありませんよ」
妻は専業主婦でして、自転車であちこちのスーパーにバーゲン品を求めて出かけてるんで、
あるのなら知らないはずはないんです。「だよなあ、じつは今さっき・・・」
おかしな格好の娘さんに会ったことを説明したんですが、「ふうん」くらいの返事でした。
そのとき、ドン、ドンと太鼓のような音が聞こえました。

外みたいでしたけど、部屋はかなり防音性がよかったので、
昼花火とかでもないかぎり、そんな音が聞こえることはないんです。「あの音なんだろ?」
「何も聞こえませんよ」 「えー太鼓みたいな音してるじゃないか」 「いえ、何も」
変に思ってリビングのベランダのサッシを開けたんですが、
その途端、音は聞こえなくなって・・・
朝食を食べ、ゆっくり新聞を読んでましたら、9時を過ぎて、
「ああ、例大祭とやらが始まるのかな。さっきの人、間に合ったかねえ」
こんなことを考えていると、娘がリビングに顔を見せて、
「お母さん、お腹すいた」って大声で叫びまして。「お前、具合いいのか?」と聞いたら、
「もう熱下がった。今計ったら、35度1分」って。
「それは低すぎじゃないか。計り直してみなさい」とは言ったんですが、

元気そうだったので、まずは安心しました。妻が出したハムエッグとトーストを、
ばくばく食べてましたし。まあね、娘には今日一日は無理しないように言いまして、
天気がよかったので、「昼飯はいらんから」そう声をかけて、車で出かけたんです。
まず書店に行き、それから道具をあずけてあるゴルフの打ちっぱなしに行き、
クラブハウスでラーメンを食べて・・・ ああ、こんな話をしててもしょうがないですね。
でね、休みの一日が終わって、夕飯前に晩酌をしてたんですよ。
芋焼酎のロックです。娘は普通に飯を食って、明日から学校に行くってはりきってました。
バレー部なので、風邪で休んでる間も気になってたみたいなんです。
でね、ロックの2杯目を飲んでるところから、家での記憶がないんです。
だから、ここからの話は全部夢なのかもしれないです。・・・気がつくと、上空にいました。
夜空に漂ってたってことです。幽体離脱? 生霊? まあ、そんな感じですか。

そうですねえ、数十mは高いとこにいたんでしょうか。驚きましたが、一方で、
はああ、これは現実じゃない、ってわかる気もあったんです。下は縦長になった森で、
あの朝に行った古墳の上にいるんじゃないかって思いました。
周囲にぐるっと遊歩道が見えましたから。森のちょうど真ん中へんが赤く光っていて、
何だろう?って思った瞬間に、わたしの体がぐーんとそこに近づいて行って・・・
飛んでるという感覚じゃなく、映画を見てて画面がズームしていったみたいな。
篝火が丸く焚かれていて、その中は草地になってたんです。
15人くらいの白装束の女性が、2軒四方のお堂を囲んで平伏していました。
それぞれが地面につけた額の前には、白木でできた檻がありましたね。
皮を剥いだ丸木を組んだもので、中には何か生き物が入っているように思えました。
朝に聞いた、ドン、ドンという太鼓の音もしていましたが、叩く人の姿は見えません。

やがてお堂の扉が開いて、人が出てきました。貫頭衣?
古代の衣服を着た女性のように見えましたね。顔は・・・
赤黒い入墨かペイントが全体にあって、年齢はもちろん、美人かどうかもわからなかったです。
太鼓の音がやみ、平伏していた女性たちが顔を上げました。
ええ、なぜか全員の顔が見えたんです。切れ長の目の古風な顔立ちで、
みな10代に見えました。でね、朝に遊歩道で会った女性の顔があったように思うんです。
これははっきりしませんでしたが、驚いたのは、中に娘の顔があったんですよ。
仰天しました。もっと近づこうとしたんですが、上空10mほどのところからは、
降りることができないんです。・・・お堂から出てきた女性は、四つん這いになりまして、
まわりを囲んだ者たちが一斉に檻を開けたようでした。
中から一斉に動物が走り出てきまして、娘のからは、もちろんペロです。

そこからのことは言いにくいです。入墨の女性は狼のような動きをして、
その十数匹の動物をまたたく間に食い散らしたんです。いや、食ってるわけじゃなく、
ただ殺してたんですね。宙に投げ上げたり、首筋を噛んで叩きつけたり。ペロも一撃でした。
四方に散った動物が、一匹として逃げられませんでしたよ。
もっとも中には、すくんだように動けなくなっていたのも何匹かはいましたけど。
女性の口からは白い牙がのぞいていて、入墨の顔は動物の返り血で、
もう目鼻立ちもわからないくらいに汚れてました。
すべてを殺し終わると、女性は四つん這いのまま伸びをし「ウォーン」と、
まさに狼の雄叫びをあげ、まわりの女たちもそれに唱和するようにして「ウォーン」
ここで、目が覚めました。わたしはロックのグラスを持ったまま、
座椅子にもたれていまして。妻と娘は夕飯が済んで、テレビの芸能番組を見てましたね。

時間は10時過ぎ。今見た夢のことは言い出せませんでした。だってねえ、
内容が内容ですから、頭がおかしくなったと思われかねないでしょう。
そそくさ飯を済ませて、早く寝たんですよ。
でね、翌朝です。わたしは通勤時間が長いんで、かなり早く家を出るんですが、
庭に出てみて驚きました。昨日まであったペロの小屋がなかったんですよ。
「ええ、え!」家に戻って妻に聞いたところ、「何言ってるんですか、
 もとから犬なんて飼っていないでしょう」心底不思議な顔をしてそう言われまして。
でもねえ、この5年間間違いなく・・・ 娘が学校の支度をして降りてきましたので、
「お前、子犬のペロ拾ったよな。家で飼ってくれって泣いて・・・」
「何のこと? あ、お父さん、もしかして子犬買ってきてくれるの? うれしい!
 私、犬ほしい。柴犬がいいなあ」 こうだったんです・・・







基礎科学はいつか

2015.09.01 (Tue)
* 今日も怖い話ではありません。

オカルトでもないような気がします。
自分はときおり「最新 科学 ニュース」で検索して、
読売とか日経、あるいはヤフーの科学サイトを読んでいまして、
昨日の記事も、そこで見つけたニュースをもとにして書いたものです。
脳科学、心理学、ロボット工学などの記事はオカルトに結びつけやすく、
原発関連、火山や気象(つまり地学系)サイバー関係などは、
オカルトの話題に振っていくのは難しいです。
無理やり書いて書けないことはないでしょうが、
そうすると怖い話を書くより時間がかかってしまいそうです。

さて、昨日の「他人の顔、言葉にすると忘れる?コンピューターで初めて再現 名古屋大」
(発信元は時事通信)の記事のすぐ隣に、
「クラゲ毒針長いほど刺されたら痛い…東京海洋大」(発信元 読売新聞)
という記事があり、興味をひかれて読んでみました。
だいたいこんな内容です。

『東京海洋大の永井宏史教授らのチームが、
日本近海に多い4種のクラゲの毒針を顕微鏡で観察して比較。
刺されると激痛があるハブクラゲとアンドンクラゲの毒針は、
長さ0・2ミリ以上のものが多かったのに対し、
刺されても傷が軽いアカクラゲでは0・1ミリ前後、
刺される被害がほとんどないミズクラゲでは0・05ミリ程度だった。
永井教授は、人間の皮膚の表面「表皮」の厚さは約0・2ミリなので、
表皮を突き破る長さの毒針をもつクラゲで、被害が大きくなるのではないか、と説明する。』


これを読んでどんな感想をお持ちになるでしょうか?
「何だそりゃ、あたり前だろ」と思った方はおられないでしょうか?
別にクラゲにかぎらず、注射針だって太くて長いほうが痛覚点を刺激しやすく、
それは痛いにきまってますよね。
まして、ここではクラゲの持つ毒の種類についての言及はないのですから、
「これで果たして研究?」という疑問が出るのもしかたないような気がします。
最近は、出した論文の数量で大学や学術機関、研究者が評価されることが多いので、
「こんなものが?」と思われるような内容のものを目にすることも多くなりましたが、
まあしかし、こういう基礎研究というのは思わぬ分野で役に立つ場合もあります。

自分が思い浮かべるのは自動車会社のトヨタの事例で、
研究開発チームは「アネハヅル」というツルの研究に取り組んでいたそうです。
この鳥は、ツルの仲間の中でも最小の部類なのですが、
渡りをするときに、高度5000~8000mの上空を飛んでヒマラヤを越えます。
12000mでジェット機のエンジンに吸い込まれたという記録もあるそうです。
高高度の気温は-30° 気圧が低いですし、強い気流もあると考えられるのですが、
それをものともせず飛ぶのですね。
低気圧への対応は、体内にある気嚢(きのう)という、
横隔膜を利用した吸気・排気の強化システムを利用しているそうですが、
それ以外にも強い骨格や、空気力学にかなった体の形状を持っていると考えられます。

トヨタがこれについて研究したのは、
なにもホンダのように、パーソナルジェットを開発するということではなく、
一には車の軽量化技術に役立てるためだったようです。もちろん車体が軽くなれば、
それだけ燃費がよくなるわけです。
まあ何十年も前の車は、今と比べれば驚くほど軽かったのですが、ペラペラの外板で、
エアバックはもちろん、現在のような衝突安全や運転支援システム、
環境対応などもなかったため、これは当然のことです。

どんどん車が重くなっていかざるをえない中で、軽量化を進めるのはたいへんです。
それはカーボン、チタンなどの素材を使えば車は軽くはなりますが、
その分どうしても高価になってしまうのです。
そこで、このアネハヅルの、軽くて強い骨格に注目すると同時に、
循環器のシステムも効率的な内燃機関の参考とする・・・

というような感じで、基礎研究は積み重ねておけばおくほど、
いつかどこかで役に立つ可能性が高まるのですね。
ちなみに、日本は学問を志す人にとっては大変に恵まれた国です。
明治維新以後、先人が苦労を重ねて、外国の専門書をガンガン翻訳してくれたために、
各分野の有名な著作を日本語で読める場合が多いのです。
このあたりは日本の大きなアドバンテージといってよいと思います。
新興国はこれが大苦労です。英語圏の国ではないのに、
日本が多数ノーベル賞を獲得している一因であると考えられます。

先ごろ「文科省が文系学部の規模縮小や統廃合を全国の国公立大学に要請へ」
という話がありまして、これは様々な理由があるでしょうが、
一番は少子化対応なのだと思います。
少子化で日本人の学生の数が減れば、当然ながら理系研究者も減り、
産業に活かすことができる新技術の開発も滞り、国際競争で負けてしまう・・・
という考え方が根底にあるのでしょう。
ただし英語教育は小学校段階から強化・・・

これについては多様なご意見があるでしょうが、
自分は、しかたがないことかもしれないなあ、とも思いますね。
日本が工業立国するという大勢は変えようがないでしょうから。
ちなみに自分は大学で考古学を専攻して、これは文系分野ですが、
地質学はやりますし、発掘前には測量しますし、遺物の保存に化学薬品も使います。
c14などの理化学年代もあり、けっこう理系にも近いものでした。

さてさて、話が思わぬ方向に進んできましたが、
自分がやっているようなオカルト分野というのはどうなんでしょう。
友人の中には「幽霊や魂、霊界のことなんていくら調べても、
確証は出てこないのだから、時間のムダだろう」という人もいます。
自分でもそう思わないこともないのですが、
やはり、やっていると面白いので続けているという感じです。ネット上でも、
地方史などでは、頭の下がるような精緻な研究をされている方もおられて、
それに比べれば、自分の書いてるのはただの趣味のお遊びなのですが、
ま、いつか何かの役に立つようなことがあればいいかなあと。

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