髪の話

2015.10.31 (Sat)
こんばんは、よろしくお願いします。今日させていただくのは、髪の話なんです。
ええ、今は短いですけど、少し前まではロングにしてたんです。
それが「あすか様」というものの捧げ物になってしまって・・・
ええ、その顛末を詳しくお話します。ちょうど10日前のことです。
私はアパレル関係の会社にいるんですけど、その夜は業界のパーティーに参加して、
終電まで遅くなってしまったんです。やっと乗り込んだ電車はガラガラで、
座ったとたんウトウトしてしまいました。40分くらい乗るんですけど、
寝たことはほとんどなかったのに、油断してたんでしょうね。
それでどれくらいたったか・・・頭に違和感があったんです。
髪を引っぱられて、かしいでるみたいな。それで目が覚めまして傾いたほうを見ると・・・
巡礼の親子がいたんです。嘘じゃないです。

あの白装束で、笠はとってましたけど、お遍路さんって言うんですか。
時代劇に出てくるような巡礼の親子、あ、もしかしたら、
おばあさんと女の子なのかもしれません。そうですね、おばあさんは50歳代、
女の子は4、5歳に見えました。それで、おばあさんのほうが私の髪をひとつかみ手に取り、
何かぶつぶつ言いながら編むような仕草をしてたんです。
それを女の子がじっと覗きこむようにして見てる・・・
「ちょっと、何してるんですか?!」思わず抗議の声をあげてしまいました。
そしたらおばあさんがこっちを見て髪から手を離し、こんなことを言ったんです。
「ああ、スマンの。あまりいい黒髪だから、あすか様にお供えしようと思って。ご時世から、
 染めてない髪が少なくなってしまって」わけわからないでしょう。
私は気が強いほうなんですけど、きっとおかしい人か宗教関係だろうと思いました。

それで、すぐ立ち上がって、何も言わないで別の車両に移ったんですよ。
そうですね、駅員さんに報告することも考えましたが、痴漢というわけでもないし、
女の子もいましたからねえ。その子はすごい黒目がちな目をしていて、
ぬいぐるみみたいに可愛かったんです。それで、実害はなかったんだからと思ってそのままに。
まあ今考えてみると、駅員さんに話してもどうなることでもなかったんでしょうけどね。
その日は自分の部屋に戻ってシャワーだけ浴びてすぐ寝ました。
特におかしなことはなかったと思います。次の夜ですね、変なことが始まったのは。
その日は比較的早く帰って、ベッドに寝転んで雑誌を読んでたんです。
眠くはなかったんですが、急に金縛りになってしまいました。
でも、自分がそう思ってるだけで、ほんとうは少し眠りかけてたのかもしれません。
薄目を開けてたつもりだったけど、雑誌が枕元に落ちてましたから。

そうですね、子どもの頃には何回か合った記憶がありますが、
大人になってからは初めてでした。ええ、つけていたテレビの音は聞こえたんですけど、
体がまったく動かなくて・・・それで、ベッドは片側を壁にくっつけてるんですが、
そっち側に何かがいる気配がしたんです。頭が上を向いていたので
はっきりは見えなかったです。黒々とした禍々しいもの・・・それが渦を巻くようなというか、
炎が立ち昇るように動いている。そんな気がしたんです。
うーん、時間にすると10分くらいでしょうか。もっと長く感じたけど、
あとで時計を見たらそんなものでした。ふっと体が動くようになったんです。
ええ、横の壁にはなにもありませんでした。ただ、自分の髪がそっち側に片寄っていて・・・
それでこの金縛りが、次の夜も次の夜もほぼ同じ状態で続いたんです。
で、お休みの土曜日になって、その日は彼がくる予定でした。

6時過ぎにやってきた彼に、さっそく金縛りの話をすると、
「それ、睡眠麻痺ってやつで病気とかじゃないし、霊関係のものでもないから心配ないよ。
 仕事疲れてるんじゃないか。じゃあ、寝るとき俺がベッドの壁側になるから」
こう言ってくれました。その後、2人でワインを飲んだりしましたけど、
酔っ払うほどじゃなかったです。寝たのは遅くなって1時半を過ぎてました。
そのときは明かりはスモールライトと、あと電化製品があいろいろあって、
けっこう明るかったです。寝返りをうったんでしょうか、真上を向いた感覚があったとき、
半分目が覚めて、半分覚めてない状態・・・これが金縛りなんでしょうけど、
入っちゃった、ってわかりました。やはり壁側のほうに何かいる。
でもそっちには彼が寝てるんです。「うーん、うーん」という彼のうなる声が聞こえてきて、
頭が引っぱられる感じがしました。彼の声がだんだん高くなっていって・・・

「ああああああああ」という絶叫になりました。そしてガバッと上半身を起こし、
それに引きずられるように、私もうつぶせに彼のお腹の上に倒れたんです。
「ハーハー」という荒い息づかいが聞こえましたが、頭を動かせませんでした。
頭がグラグラ揺さぶられ、彼が「あつつつ、やっとほどけた。死ぬとこだったぞ」
そう言ったとき、私も頭を動かせるようになって彼のほうを見ました。
首のところが真っ赤になっていました。「今なあ、寝てたらお前の髪が顔の上でひらひらして、
 それから急に首に巻きついてきたんだ。すごい力だった。なんなんだよこれ。
 あとなあ、頭の中で、あすかさま、あすかさまって声が響いてた」
これを聞いてはっと、あの電車の中でのことに思い当たったんです。
巡礼の親子の話を彼にしたら、考えこんで「うーん、それは何か呪いみたいなものかもしれんな。
 わからないけど、髪切ったほうがいいんじゃないか」こう言ったんです。

髪を切るのは仕事に差しさわるんですけど、彼ののどが真っ赤に充血してるのを見ると
そうも言っていられず、日曜日、行きつけのヘアーサロンに行ったんです。
そしたら、私の番になって頭を手でさわった知り合いのヘアスタイリストさんが、
「これ、髪がすごく重いです。何かありましたか?」って聞いてきまして。
それであったことを全部話したんです。そしたら、
「あすか様というのはちょっとわからないけど、うちの父が床屋をやってて、
 そういうのけっこう詳しいから、これから行ってみたら」って、場所を教えられたんです。
いったん部屋に戻り、彼といっしょに電車で教えられた場所に行ってみました。
すごい古風なというか、重厚な感じの理容室で、
白衣を着た年配の方が店の前で待っててくれました。
「娘から電話があって話を聞いてるから、まあ入りなさい」

私たちの他にお客さんはいませんでした。椅子なんかは木製で、つやつや光ってましたね。
それに座らせられ、「あすか様わかるよ。昔話だと思ってたけど、今もやってるんだねえ。
 髪、短くするけどいいかい。そうしないと危険だから」こう言われたので、うなずきました。
そしたらお父さんの床屋さんは、奥の方から大きな和ばさみって言うんですか、
あの裁縫に使うのを持ってきて、ジョギッ、ジョギッと耳の横でぐるりと切られてしまったんです。
切った髪はお菓子が入っていたような白い紙の箱に全部詰めて、
フタをして軽くひもをかけ、「はい」って渡され、
「これを、◯◯町にあるあすか様の神社に持って行きなさい」こう言われました。
「あの、あすか様ってなんなんですか?」聞きましたら、
「それはねえ・・・ちょっと言えないけど、生き体様を作っているとこだな」
生き体様・・・ますますわけがわかりませんでしたが、教えられたとおり彼と行ってみました。

あすか様の神社というのは「形象神社」という額が鳥居にかかってまして、
街中というか、大型電気店の裏手の駐車場の近くにあったんです。
申しわけ程度に木が生えていました。小さなところで、
鳥居をくぐると神主さんがホウキで参道を掃いていまして、私の髪型でしょうね、
それを見ると、「ご報謝の方ですね」と言って、社殿の中に案内したんです。
中に入って息を飲みました。せまい内部の奥のほうに、
黒い人の形をしたものが立てかけられていたんです。神主さんはそれに向かって礼をし、
私たちのほうを見たので、彼と私も真似しました。彼が「これは・・・」と声を出すと、
「あすか様の分霊である生き体様です」こう答えが返ってきまして、
それ以上聞けない雰囲気がありました。あすか様、生き体様、どっちなのかわかりませんが、
それは大きな藁人形の形をしてて、全部が人の髪でできていたんです。

神主さんが、「さ、このあたりに埋めてください」と言うので、
さきほど切った髪だろうと思って、箱から出して他の髪にはさみ込むようにして埋めました。
よく見ると、黒い糸で髪束はあちこち束ねられていました。
そう時間もかからずすべて埋め込むと、神主さんは頭を下げ、
「ご奉仕ありがとうございます。しばらくは髪を伸ばされないほうがいいでしょう」
こう言いました。彼がたまりかねたように、「あすか様、生き体様って何ですか? 
 この髪の人形のことですか? ちょっとは教えてくれたっていいでしょう。
 こっちは死にかけたんだから」やや強い口調で言うと、神主さんは、
「そうですね・・・女の方の怨みを晴らすものです。
 これ以上はお聞きにならないほうがよろしいかと。古く、強く障るものですから」
こんなことを言いまして、それだけしかわからず帰ったんです。






 

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聞いた話 2題(映像)

2015.10.31 (Sat)
ダム

これは昔の国土庁、現在いうと国土交通省に勤務されていたSさんから聞いた話です。
Sさんは公務員時代はずっと転勤族で、各地のダム管理事務所を回っていましたが、
50歳手前で早期退職し、それ以後は大阪の民間建設会社に勤務しています。
ようは天下りされたんですね。京料理の店のカウンターでごいっしょして、
知り合いになりました。このSさんが、四国の某ダムに赴任して早々の話です。
そこのダムでは、定期的にフラッシュ放流というのを行っていたそうで、
これは月に6回ほど、小規模な放水をするんですね。
理由は、流域の河川の生態系維持ということでした。
自分にはよくわかりませんが、水を流すことで川の溶解酸素量を増やしたり、
藻類を押し流して富栄養化するのを防いだりする目的だそうです。

このダムは比較的小規模で、計器類や目視の他に、
9箇所に設置したモニターで管理を行っていました。
といっても、それぞれ独立したモニターがあるわけではなく、
一つのパソコン画面が9分割され、それぞれの監視カメラの画像が見えるもので、
一つ一つに切り替えできますし、大型の液晶モニターにも映すことができました。
ただ、Sさんが見せてもらったときには、9分割の画面のうち、
一ヶ所だけ黒くなって見えないところがあったんです。
「これ、カメラ故障してるの? それとも設置をやめたとか?」
まあ、当然こう聞きますよね。ところが、ずっとそこに勤続しているベテラン技師が、
「そうじゃなくて、そこのカメラだけ実際には何もないのに、変なものが映るんです」

こんな風に言ったんですが、意味がわかりませんでした。
「まあ、映して見せてよ」
パソコンを操作するとすぐに画面が入ったんですが、
それはダムの山側の水面が映っていて、特におかしな様子はなかったんです。
「なんでもないじゃない」
「はい、異常が起きるのは、放水でダムの水位が下がるときだけなんです」
月6回ですから、予定放水の日はすぐにやってきまして、
Sさんは大型モニターでその画像を見ていました。放水のサイレンが鳴って、
少しずつ水位が下がっていくと、濡れたコンクリの壁面が見えてきましたが、
白く丸いものが上向きで出てきました。

周囲と比較すると、軽自動車ほどの大きさです。
そして、だんだん白い丸いものに2つの黒い穴が見え始めました。
「ああ、これ・・・」
「ええ、骸骨に見えるでしょう。巨人というか、ゴジラクラスの大きさの」
「自然の石にしたってありえんよ、こんなの」
それで、外に出て実際のダムを目視したんですが、
ただコンクリの壁があるだけで、そんなものはどこにもなかったんです。
「カメラを通してだけ見えるんです。カメラ自体を別のに換えてもダメでしたよ」
ベテラン技師がそう言ったそうです。
モニターには骸骨の上顎の歯まで映って放水は終わったということでした。

廃理科室

これは、前の話と同じ京料理屋で、
中学校教師を教頭で退職したDさんから聞いた話です。
場所は、骸骨のダムとはかなり離れているものの、やはり四国でのことです。
そのあたりの中学校は全体的に校舎が古く、昔、子どもの数が多かった頃に
増築した教室がだいぶあまって、空き教室になっていました。
そういうところの一部は物置として使っていましたが、
それもできない場合、つねに施錠して生徒が入れないようにしていたそうです。
授業中にかったるいと言って抜け出し、隠れてたりする生徒もいるんでしょうね。
で、そういう一室に、元理科室だったところがあり、
廊下側の戸のガラス窓は黒い模造紙でふさいで、完全にないものとして扱われていました。

特に幽霊が出るとか、自殺した先生や生徒がいるとかの悪い噂はなかったそうです。
ま、学校の中では忘れられた一室というわけですね。
で、その市では、学校の夜間管理はすべて警備会社に委託されていて、
警備員が2人組で見回りに来ることになっていました。
ただし、これは月に4回ほどで、合鍵ですべての教室を点検し、
施錠ミスなどがあれば教頭に報告されることになってたんです。
その警備会社から、赴任早々の4月の報告書に、廃理科室の床に、
割れた試験管か何かのガラス片が散乱していた、という記述がありました。
しかし戸口の施錠は完璧で人が入った様子はない。Dさんがその日の午前に入ってみますと、
たしかにホコリの積もった床に試験関数本分のガラスが落ちてました。

警備会社では基本的に、特段の危険がないと判断すれば片付けたりはしないんですね。
問題解決は学校側の仕事。それでDさんが始末したわけですが、Dさんが赴任して半年の間に、
ガラスが散らばっている事態が4回あったんです。でも、最初のことがあってから、
Dさんはほぼ毎日、最終の見回りでその教室に入り、異常がないのを確認してたんです。
これは不思議ですよね。職員会議で話題にしたものの、誰も心当たりのある職員もいない。
考えたあげく、そのガラスが散らばる部分を映すよう、小さな常夜灯つきの監視カメラを
設置することにしたんです。これはモニターがあるわけではなく、毎日5時間分、
夜の8時から、警備会社が見まわる夜中の2時までを録画するようにしました。
もちろん毎日見るんではなく、ガラスが散らばっていた日があれば、
そのときの分だけ確認しようと思ったわけです。

それでも初めの何日分かは見たんですが、ただ白く照らされた床があるばかりでした。
それでついに、10月後半のある日、またガラスが散乱していたという報告がありました。
満を持してというわけでもないでしょうが、翌日Dさんが録画を早送りしながら見ましたところ、
午後の11時半過ぎに、画像に動きがあったんです。
カメラに背中を向けた状態で、骨と皮に痩せた子どもの背中がゆっくりと
床から生えるように出てきて、小学校低学年の坊主頭の男の子に見えたそうです。
子どもの姿は腰の少し上まで出てきたところで止まりました。
両手には数本の試験管を最初から握っていて、一本ずつ魚でも食うように、
ガラス片を撒き散らしながら、ガリガリと食ったのだそうです。
ちなみに、その廃理科室の真下も、何も入ってない空き教室だということでした。







聞いた話 3題

2015.10.29 (Thu)
歯科医にて

これは元3流アイドル(本人談)にして、現在は水晶球およびタロット占い師であるIさん、
ま、自分の同業者なんですが、から聞いた話です。
Iさんがアイドル時代のことです。歯列の矯正のために歯科医に通っていましたが、
そこはIさんが当時所属していた芸能事務所の専属みたいなところで、
医師は数人いまして、Iさんの主治医は50代くらいの先生でした。
で、その方ではない別の30代前半の若い先生のことです。
Iさんが治療待ちで椅子に寝て上を見ていると、
ライトの上の天井を白い煙の固まりがよぎるのが見えました。
Iさんはその手の体験を子どもの頃から数多くしているんですね。
「何だろう」と思って目で追いましたら、その煙は2つ隣で治療をしている
30代医師の上に流れていき、後頭部のあたりに溜まりはじめました。

それで、だんだん人の頭のような形に固まってきたんですね。
そしてその医師の後頭部に触れる。すると医師は体をピクンと小さく震わせ、
それで手元が狂ったということでもないんでしょうけど、
治療中の患者さんが「うっ、うっ」などと声を上げ始める。
「あ、痛いですか」医師がそう言って手を止めると、白い固まりはスッと離れる。
そういう場面を何回か目撃したんですね。
で、Iさんは「これは生霊だろう」と思っていたそうです。
Iさんが言うには、「幽霊より生霊のほうがずっと数が多いみたい。
 それと幽霊はぼんやり透けてても顔を持ってることが多いけど、
 生霊はその白い固まりみたいに形が定まってなくて、顔もなく、
 なんというかエネルギーだけになってることが多いみたいなのよ」

「それでどうなりましたか」自分が聞くと、
「気がついてから、できるだけ観察するようにしてたけど、
 ある若い看護婦さんが出てきてその先生に近づくと、
 その白い固まりの動きが激しくなるの。天井の高いところをぐるぐる回ったり、
 その看護婦さんの頭上スレスレをかすめ飛んだり」 「はあ、それで」
「まあ、なんとなく想像はつくわよね。
 たぶん若い歯科医はその看護婦と浮気してるんだろうって。
 白い固まりは医師の奥さんの生霊なのよ」 「はああ」
「まあそれだけ、その後そこには行かなくなったから、どうなったかわかんない」
「うーん、それにしてもスゴイですね。その能力で今も見えたりするんですか」
「それがね、アイドルやめて占いの勉強をし始めたら全然、見えなくなっちゃった」

お堀

これは比較的健全なキャバクラでバイトしている、専門学校生のUさんの話です。
Uさんの実家は有名な城下町にあるんですが、8歳のとき両親とお城に遊びに行った帰り、
なんと橋の上からお堀に落ちてしまったことがあるそうです。
長雨が続いてお堀も増水しており、
その短い橋から水面までは1mもなかったそうなんですが、
橋自体は8歳児の頭ほどまでの手すりがあって、
どうやっても落ちる構造じゃなかったそうです。それが両親と手をつないでいて、
気がついたらふわっと宙に浮いていたんだそうです。
で、そこのお堀は水面が見えないほど一面に蓮の葉が茂っていて、
Uさんは水面に落ちることなく、その蓮の葉の重なりの上に
立つことができたということでした。でも、これも考えにくいですよね。

いくら子どもで体重が軽いといっても、蓮の葉に立つなんてねえ。
上を見ると、Uさんの父親が非常に驚いた顔をしていて、
それから手すりから身を乗り出してUさんの片方の腕をつかみ、
一気に引っ張りあげたそうです。
Uさんは靴が足首あたりまで濡れたくらい。で、これだけなら子どもの記憶で、
動転していたために辻褄が合わなくなってるんだろうと思うところですが、
翌日から3週間ほど、Uさんは父親の妹の家に預けられ、
そこから学校に通ったんだそうです。父親の妹は何かの宗教に入っていたらしく、
家の一室には、白い布が何枚も下がった祭壇のある部屋があったそうです。
父親の妹は毎日数時間お祈りをしていたということでしたが、
Uさんはその部屋に入ったのも1回だけで、お祈りさせられたということはなかったそうです。

それでUさんはそのときのことをずっと覚えていて、
両親に何度もその話をしたそうですが、そのたびに、
「お前が転んで、手すりの下のすき間からお堀に落ちたんだよ」と言われていました。
「でもですね、中学校になってそこの城跡には何度も行って、
 欄干の手すりも見たんですけど、いくら小さい子どもでも、
 どうやっても下から落ちるようにはできてなかったんです。
 もちろん工事でつけかえたりはしてないです」
「うーん、不思議な話ですね。今ではどう思ってるんですか」
「そのときは両親に手をつながれていた記憶があるので、
 もしかしたら父母で私を橋の上から放り投げたのかもって」 「・・・何のためにです?」
「いやわかんないですけど、父の妹の家に行かせられたのと何か関係があるんじゃないかと」

スチロール箱

「不思議なことねえ・・・1回だけありますかね」こう話してくれたのは、
自分がよく行くバーで、バーテンダーの修行をしているMさん。
「たぶん小学校の3、4年くらいのときだと思うんですけど。うちの地元では、
 リバーサイドと言って、街を流れる川の両岸を芝生にして、
 バーベキュー広場にしたり、テニスコートにしたりしてたんです。
 でね、そういう施設の間に、まだ川原石が残ってる場所もあって、
 土手を通ったときには、そこに下りて石投げをしたりしてたんです。
 わかりますよね。あの平べったい石で、何回も水面をバウンドさせる」
「ああ、水切りとかとも言いますね」 「そうです、そうです」
「でね、そのときは仲間4人ぐらいで、その水切りをしたり、
 対岸に石を投げて誰が遠くまで届かせるかとかそういう遊びをしてたんです」 「はい」

「そしたら、川面の岸から2mくらいのとこを、白い発泡スチロールの箱が流れてきたんです、
 フタつきのやつ」 「それで」
「で、これは当然、小学生なら的当てを始めますよね」 「まあそうでしょうね」
「次々投げるんだけど、なかなか当たらなくて、
 箱が流れるにつれて川原をみんなで走って追いかけ、
 とうとうテニスコートのフェンスまで来ちゃったんです。でね、仲間の一人が投げた石が、
 かなりの勢いで箱の横に当たって、そしたら箱の四方がバラけたんです。
 組み立て式になってたみたいで」 「ほうほう」
「したら中にですね、家があったんです」 「え? どういうことです?」
「模型の家、なんでしょうかね。あのほら、田舎に行くと瓦屋根の大きな家があるじゃないですか、
 豪農の家みたいなやつ」 「なんとなくわかります」

「その家が白い発泡スチロールの台座に立ってまして、まわりには木も何本か立ってました」
「それジオラマってやつじゃないんですか」
「まあ、そう思いますよね。ところがです。石があたって台座が傾いたせいか・・・
 その家は川の流れる方向に玄関があったみたいですけど、
 そっから小さい真っ白な小人・・・たぶん5cmないくらいのが数人出てきて、
 慌てた様子で、パラパラと川に飛び込んだんですよ」
「うーん、それは奇妙な話です。そのときの仲間全員が見たんですか?」
「いやそれが、小人を見たって言ったやつは自分ともう一人だけなんですよ。
 家は全員が見てますけど。だから、何かの勘違いかもしれませんよ」
「で、箱はどうなりましたか?」 「バラバラに浮いたまま流れて行きました。
 ただ家は台座ごと、川の先の方で上下ひっくり返ってしまいましたけど」
 
  
 




カズラの話

2015.10.28 (Wed)
詳しいことを言うとバレてしまうんで、少しぼかしますが、
父が南九州の島にある研究所に単身赴任していまして、
小学校6年生のときの夏休みに、母とそこに遊びに行ったんです。
10日くらい滞在したんですが、その中の1泊2日で、
父が近くの離島に僕だけ連れていってくれたんです。
父が持っている大型のモーターボートで4時間ほどの距離でした。
無人島ではないんですが、集落は一ヶ所だけで人口400人ほど、
ほんとうに何もないところでした。そのかわり自然はすごく豊かで、
本土では見られない珍しい昆虫がいろいろいたんです。それを採取して、
夏休みの自由研究のかわりにする計画だったんです。
宿泊は2人用のテントを持っていきましたが、使わず、島の民宿に泊まりました。

その2日目の午前のことです。島の集落とは反対側に父のボートで回って、
森に入って捕虫網を振り回しました。南の島ですから植物も本土とはかなり違っていて、
ツタ植物のカズラの類が繁茂していましたね。
島には高い山はなく、全体が低く盛り上がった形でした。
昆虫の獲物は蝶類が多かったです。大型の採集箱に色とりどりの蝶を入れ、
そろそろ戻ろうかというときでした。人一人がやっと通れる道沿いに、
大きなオレンジ色の蝶がいたんです。 「なんだありゃ?」僕よりも先に、
父がまず声を上げました。大きさは30cm近くあったと思います。
ええ、うちわを2枚重ねたくらいもあったんです。それと色が・・・
オレンジの蝶は、いないわけではないんですが、その色の上に,
銀色の粉を吹き散らしたような模様があってギラギラ陽に輝いていたんです。

「すごいね、父さん」 「ああ、初めて見た。あれは新種かもしれないな」
「捕れるかな」 「・・・この網だと蝶を傷つけてしまうかもしれないな」
こんなことを小声で言いながら、蝶の頭と反対側に回ってそろそろ近づいていきました。
それは父の胸ほどの高さの繁みにとまって羽を閉じていました。
僕だと位置が高いのと、まんいち逃したらと思って父に捕虫網を渡しました。
父だけが前に出て、足をしのばせて蝶の真後ろに入り、網を振り下ろした・・・
そのとき、蝶が爆発したように銀色に光ったんです。銀の粉が飛び散りましたが、
音はなかったように思います。その途端、急に陽が陰って、
ザーッと音を立てて雨が降り出しました。
ええ、スコールみたいな感じですが、雲が来ている様子はなかったんです。
「うーっ」 突然、父が大声を上げてうずくまりました。

近寄ると顔の半分に銀の粉がかかっていて、それが雨に溶けてどろどろ流れていました。
「父さん、大丈夫?」 「うーっ、うっつ、胸が苦しい」
こんな会話もほとんど聞こえないほど、ダダダダと音を立てて強い雨が降ってました。
「ここの下に、地元の人が使ってる小屋がある。そこで雨をやりすごそう」
父は切れ切れにそう言うと、2人で丸くなって道を下っていきました。
さっき降りだしたばかりの雨なのに、水が滝のようになって道を流れていました。
小屋まで5分くらいだったと思います。鍵はかかっておらず、
2人でどっと土間に倒れこむようにして入りました。
そのまま父はうつ伏せの状態で、僕が立ち上がっても「うーん、うーん」と、
胸を押さえて唸っていたんです。「父さん、父さん」土間の中に炉が切ってあり、
つぶれた大きなヤカンがかかていたのを持ってきて、父に飲ませようとしました。

でも、父は目も口も強く閉じていて、荒い息を吐き出すだけでした。
それで、顔についた銀の粉がよくないかと思い、水を手ですくって洗い流していると、
小屋の戸が開いて人が入ってきました。地元のおじいさんでした。
「こらあ、どうした」みたいなことを僕に聞いたんですが、
土に流れた銀色の水を見ると、「ああ、これはいかん、お使いさんの粉がかかっとる」
って言いました。「お使いさんの粉?」
「でかいチョウチョウがおったろう。あれは島から島へ渡るお使いさんと呼ばれとる。
 人がかまってはいかんものだし、こうやってバチが当たる」
「お父さんを助けてよ」 「イキカズラを飲ませねばならんな」
「それどこにあるの? お願いします、取ってきてください」
「いやあ、この下の浜沿いにいくらもあるんだが、これはバチだから親族がとらねばならん」

おじいさんは、うつ伏せでうなっている父を仰向けに寝かせ、
心臓に手をあてていましたが、「まだ、しばらくはだいじょうぶじゃろから、いっしょに行こう」
心配でしたけど、父をそのままにして小屋の外に出ると、
雨はだいぶ小ぶりになっていました。おじいさんが先に立って、
ゆるい下りの道をずっと下りていくと、白い砂浜が見えてきました。
「ああ、あれだ」おじいさんが指差したところを見ると、浜と森の境目のところに、
生垣のようになったツタ植物の繁みが続いていたんです。
近寄って、おじいさんがひとつかみカズラの葉を握って裏返しました。
そしたら一枚一枚の葉の裏に、黒く短い毛でのたくった字のようなものが書いてあったんです。
「これがイキカズラですか?」 「いや・・・、シニカズラかもしれん」
「どういうこと?」 「同じツタにイキカズラとシニカズラが生えてる」

「同じ種類なのに?」 「そう言われてる。とにかく坊が選んで取るしかないぞ」
そう言われて、裏返っている葉をよく見たんですが、選びようがなかったんです。
「葉は一枚あればいいが、後悔のないよう取んなさい」おじいさんが改まった口調で言い、
それでますます困ってしまいました。そこら一面の葉をツタごと裏返し、
ためすがめつ見ても、やっぱりどれだか決めようがありません。
そのとき、雨とは違うザッ、ザッという音が聞こえたんです。
おじいさんが僕の腕をつかんで、体を下げさせました。
音のしたほうを見ると、30mほど離れたところに、よろよろした動きの猿が来ていました。
「ケガしとるなあ」おじいさんが小声で言いました。
猿の右半身の毛が黒く固まっていて、血が出たあとのように見えました。
猿はこちらを気にする様子もなく、カズラの葉を裏返しては何枚もむしりとり、

小脇に抱えて、ひょこひょこと歩み去っていきました。
「行ってみよう」おじいさんが言って、猿が葉をむしっていたところを見ました。
でたらめに取ったようにも見えましたが、半分に千切れた葉が何枚かあり、
その残った茎ちかくの模様になんとなく共通した感じがあるような気がしたんです。
それで、そのあたりの繁みからなるべく似たのを選んで一枚だけ取りました。
「それで、えんだな」おじいさんが念を押すように言いました。
小屋に戻ると、父はまたうつ伏せになっていて、顔が真っ白でした。
おじいさんが父の顔に手を当て「まだ息があるが急がねば」そう言って、
僕の取ってきた葉を細かくちぎってヤカンに入れました。
そしてヤカンごと持ち上げて強く何度も振り、それから父の唇の端をこじ開けて、
ヤカンの注ぎ口から歯の間に水を注ぎ込んだんです。

1分もたたず、真っ白だった父の顔に赤みが差してきて、
しわがよるほど固く閉じていた目を開けたんです。「あ、おっ、どしたんだ?えっ?」
おじいさんがドッと座り込んで、「えがったな、イキカズラだった」そう言いました。
父はわけがわからないようでしたが、僕がこれまであったことを話すと、
僕の頭をなでてから、おじいさんに何度も礼を言いました。
「あの蝶は、島の使い? ははあ、事典にも載ってない新種かと思ったけど、
 あんな大きなものがいるはずはないよなあ。
 こっちに来てもう4年になるけど、初めて知りましたよ。
 イキカズラ。シニカズラのことも。危ないところだったんですねえ。
 ほんとうにありがとうございました」 この後は何もせず、ボートで本島に戻りました。
それから住所を聞いていたおじいさん宛に、御礼の品を送ったんです。







神無月あれこれ

2015.10.27 (Tue)
ということで、今夜も怖い話ではありません。
もうすぐ10月・・・神無月が終わってしまいますので、この話題にしました。
神無月といえば「出雲大社に八百万の神々がすべて集まって会議をする。
出雲以外の他の地方では神様がいなくなるので神無月、出雲だけは神有月と呼ぶ」
こういう話が有名ですよね。まあ自分としても、特に異を唱えるつもりもないのですが、
この手のことを聞くと、歴史を専攻した者としては「へえ、いつからそうなったんだろう」
という疑問を持ってしまいます。もちろんこんなことはわからないでしょうが、
それでも少し考察してみたいと思います。

まず神無月の語源を調べると、いろいろな説があります。
1,神を祀る月なので「神の月」が「神な月」と転訛しさらに「神無月」になった。
これが現在のところ最も有力みたいですね。
水無月・・・6月が梅雨の時期なのに水が無いというのは変なのですが、
これも元々は「水の月」だったという話。この他にも、
2,「雷無月」雷の月から 3,新穀で酒を醸す月なので、醸成月(かみなしつき)から
古代は、各種穀物を口に入れ噛み砕いて保存し発酵させるというところからきています。
というふうに、Wikiだと11項目まで語源の説が紹介されていますね。
うーむ、難しい。その中には出雲大社説もあるのですが、
じつは神様が一ヶ所に集まる月という説も捨てがたい部分があるのです。

「魏志倭人伝」はご存知でしょう。
邪馬台国の女王、卑弥呼についての記述がある3世紀の中国文献で、
めんどうがらずに書けば『三国志 魏書 東夷伝 倭人の条』となります。
倭人伝というのは、東夷伝という中国から見て東の国々について書かれた部分の中にあるのです。
この東夷伝中の「高句麗伝」に、
『十月に天を祭り、国中が大いに集まる。これを東盟という。
おおやけの集会の衣服はみな錦や刺繍、金、銀を使い自分で飾る。
大加や主簿は頭に布製の頭巾を被るが、余分なところのないピッタリした頭巾である。
小加は折風(頭巾の名)を被るが形は中国の弁冠のようである。その国の東に大きな洞窟があり、
隧穴と呼んでいる。十月の国中から集まる大集会のとき、
隧神を迎えに国の東に還り、これをていねいに祭り、木の隧神を神坐に置く。』


という記述があります。高句麗は、今の中国東北部南部から朝鮮北中部にあった
ツングース系民族の国家ですが、「東盟祭」という行事が10月にあったようです。
国中から人が出てある洞窟に集まり、そこで洞穴の神を祭る大集会を行うということです。
もしかしたら、こういう10月に国中が一ヶ所に集まるという祭りの習慣が、
海を越えて日本まで伝わってきたのかも、と考えられなくもないのですね。
しかし、10月は基本的には北半球では収穫の月となります。
一昨日とりあげたハロウイーンにしても、収穫祭の側面を持っていたわけですので、
特に伝播を考えなくても、世界の各地で行われていて不思議もないわけです。
うーん、行き止まってしまいましたね。

さて、話を変えて吉田兼好の『徒然草』はご存知でしょう。
この中に、国語の教科書に取り上げられて有名な「神無月のころ」の段以外に、
神無月の由来、いわれについて触れた段があるのです。

『十月を神無月と言ひて、神事に憚るべきよしは、記したる物なし。
本文も見えず。但し、当月、諸社の祭なき故に、この名あるか。
この月、万の神達、太神宮に集り給ふなど言ふ説あれども、その本説なし。さる事ならば、
伊勢には殊に祭月とすべきに、その例もなし。十月、諸社の行幸、その例も多し。
但し、多くは不吉の例なり。』202段

(10月を神無月といって、神事を行っていけないことを記した書物はない。
しかし、この月には実際に諸神社の祭りはないので、この名がついたのだろうか?
この月にはたくさんの神々が伊勢神宮に集まってこられるという話もあるが、
根拠は見つからない。そういうことなら、
10月の伊勢神宮では特に祭りが行われていいようなものだが、その例もない。
10月には諸社への行幸は多いが、不吉なものばかりだ。)

・・・これは変ですね。吉田兼好は、
なぜ10月を神無月というかについて考察していますが、
博識の兼好にしても根拠となるべき古典は見つからないようです。
それどころか、兼好は「10月に伊勢神宮に全国の神々が集まる説」を紹介したうえで、
それに否定的な考えを述べています。
出雲大社についての言及はありません。兼好はそのことを知らなかったのでしょうか。
それとも出雲説を知っていたから、伊勢神宮説を否定したのでしょうか。
このあたりもなんともいえませんね。

神無月について、確認できる最も古い文献は、
平安時代末に藤原清輔が書いた歌学書「奥義抄」という本に
『十月、天下のもろもろの神、出雲国にゆきて、
こと国に神なきが故にかみなし月といふをあやまれり』

という記述が出てきます。ですから、遅くとも平安後期には「出雲大社に神々が集まる」
という伝承は生まれていたようです。吉田兼好は鎌倉時代の人ですし、
歌の道にも素養が深かったので、京都から離れた鎌倉にいても、
知っていたと考えたほうがよいような気がします。
ではなぜ、伊勢神宮に神様が集まる話が出てきたのでしょうか?

ここからは自分の推測ですので、話半分として聞いてください。
伊勢神宮をはじめとする各神社の「御師」はご存じの方も多いでしょう。Wikiには、
『特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、
参拝・宿泊などの世話をする者のこと。特に伊勢神宮のものは「おんし」と読んだ。
平安時代の御師には、石清水・賀茂・日吉などのものがあるが、
代表的なのは熊野三山の熊野御師である。熊野詣では平安時代末期に貴族の間で流行したが、
その際の祈祷や宿泊の世話をしたのが熊野御師であった。』

このように書かれています。
平安時代にはすでに、各神社の参拝客の誘致合戦が盛んに行われていたようです。
各神社の御師が各地に散らばって、御札や暦を配り、参拝の客を呼び集めます。
熊野の御札も伊勢の暦も有名ですよね。

この神無月の話もそんな中で出てきたのではないでしょうか。
もしかしたら鎌倉では、伊勢神宮の御師が10月に神々が伊勢神宮に集まる、
というような宣伝を行っていたのかもしれません。
その手のことに対し、兼好は「伊勢神宮も(出雲大社も)神々が集まるなどのことに、
特別な根拠はないだろう」こんな感じで皮肉っているのかもしれませんね。
実際、『日本書紀・古事記』の神話にはそのようなことは書かれてませんので。
平安時代後半頃までに、宣伝合戦の末に神々の会議の誘致は出雲大社が優勢だったのが、
伊勢神宮も巻き返しを図っていた。・・・深読みのしすぎでしょうか。
しかし本来神道家の家系で、ややシニカルな吉田兼好の性格を考えれば、
そんな感じで話を伝えていても、不思議はないような気がします。

さてさて、出雲大社に10月に神々が集まるのは縁結びのためと言われています。
「うちの担当地区の男〇〇と結びつける縁を与える女はいないか」
などと相談なさるのでしょうか。
今月も残りあとわずかです。良縁を希望されている方は、
今からでも願掛けなどされてみてはいかがでしょうか。

縁結び会議






湖と柿の話

2015.10.26 (Mon)
こないだの土日かけてのことだよ。職場の20代の男だけ3人で渓流釣りに行ったんだ。
ああ、そうそう、もてない3人組ってことでいいよ。
金曜の夜に車で出発して、土曜日は少し仮眠するくらいで朝から釣り。
その夜は民宿に泊まって、日曜の午前に帰ってくる計画だった。
場所は言わないでおくが、東北のほうの有名な渓流だよ。
釣果はあまりなかったけど、紅葉は盛りできれいだったな。
ただまあ、釣りのときの話じゃないんだよ。あそこには有名なカルデラ湖があって、
その近くの民宿を予約してあった。部屋も食い物も予算なりだったけどな。
それで、寝る前にビール飲みながら怖い話になったんだ。
幼稚だとかって言わないよな、ここ怪談ルームなんだから。俺らはもちろん素人?だから、
怖い話たってネットに出てるようなありきたりのしか知らないけどな。

で、あんまり盛り上がることもなかったんだが、
最後に民宿のバイトの女の子が部屋に顔を出したとき「このあたりに怖い話とかありますか」
って、一人のやつが聞いたんだよ。女の子は当惑顔をしていたが、
「そうですねえ、〇〇湖、カルデラ湖で深いのはご存知ですよね。
 こんなこと言っちゃあれだけど、毎年何人か行方不明者が出るんです。
 事故と・・・自殺です。今、行方不明って言いましたけど、これは死体が上がらないから、
 死亡事故にならないわけです。すり鉢のように急激に深くなっているせいみたいですね。
 それで、その湖で亡くなった方々が、湖底で踊りを踊ってるんですって」
「踊り? うわ気味悪いイメージですね。どういうことですか?」
「ええ、水深が深いので、ご遺体はほとんど腐らないらしいんです。湖底には湧き水や、
 地下に通じる洞穴もあって、ゆっくりした水の流れがあり、

 亡くなった方々がその流れに乗って、歩くように湖底をゆらゆら大きな円を描いて漂ってる」
「うわわ、これ怖い、怖いですよ」
「それにしても話上手ですね。よく聞かれたりするんですか?」
「いや、そういうわけではないですけど、地元では昔から言われてるんです。
 小学校のときに聞いた記憶があります。だから頭のなかにイメージができてるっていうか」
でね、女の子がひっこんっでから、少しだけウイスキーを飲んで寝た。
布団の中で「さっきの話どう思う?」って他のやつらに聞いたら、
「湖に沈んだ遺体が腐らないってのはあるかもしれないな。
 でも水温が低いからってことじゃなく、ここの湖は深いから底のほうはほとんど酸素がないだろ。
 つまり生き物がいないってことは、腐敗菌なんかも少ないんじゃないかな」
「それはあるかもな。だけど、まず底までいかないだろ。沈木とかに引っかかって」

「だよな。それにもし湖の底に沈んだとしても、頭が上になるとはかぎらないんじやないかな。
 胴体を抜かせば、頭が体の中で一番重いパーツだろ。
 だから漂うにしても、足を上に倒立した状態とか」
「それ想像するとあんま怖くないな」 「そうか? それはそれで逆に不気味だけどなあ」
こんな話をして寝たんだ。その夜も特におかしいことはないっていうか、
酒が入ってたから、気がついたら朝ってくらいに俺は熟睡したんだよ。
トイレに行きたくなって目が覚めたら、仲間の一人のやつが布団の上に立ち上がって、
天井のほうを見てた。「何してんだ?」ッて聞いたら、
「昨日、夜中に目が覚めたときに、ここに大きな橙色のものが下がってるように見えたんだ」
「へえ」 「全体の印象としては柿なんだけど、スズメバチの巣くらいの大きさの」
「それは夢だな」 「まあそうだけど・・・」こんな会話になったんだ。

今になって考えてみると、このことも何か関連があるのかもしれないと思って話したわけ。
でな、その日は早めに出発して、すぐに高速には乗らず、
県道を1時間くらい走ったところにある廃集落に寄って行こうって計画になってた。
これも怪談やったのと同じで、ようは物好きなんだよな。
そこは最盛期には人口300人くらいいたんだが、
外材に押されて日本の林業がダメになってから、だんだんに人が出てくようになって、
放棄されてから30年以上にもなるってところ。
まあでも、そういうところは日本のあちこちにたくさんあるらしいんだけどな。
うーん、行ってみた感想は、昼間だったせいか、集落自体はあんまり怖くなかった。
全部が昔の日本家屋で、生活用品が残ってる家が多かったけど、
都会の廃墟と違って見にくるやつらがいないから、落書きとかはないんだよ。

人の手では荒らされてない。荒らしてるのは植物だな。
家の中に侵食したカビとかコケ、それと家のまわりの雑草やツタ。
この季節だから家のありかもわかったけど、
夏場なら家ごと雑草におおわれてしまってたんじゃないか。
「うーん、怖いというか、どっちかと言えば民話の里みたいな感じがするな」
「でもよ。そこ曲がったら、鎌を持ったバアサンが立ってたりして」
「ああ、そういう話もあるよな。杉沢村だっけ?」
「聞いたことある。神社の鳥居をくぐるとその下にドクロの石があってとかなんとか」
「あれ青森県だろ、こっからそう離れてるわけじゃないな」
「この次は、そこまで足のばしてみるか」
「それだけじゃ行かねえよ、釣りできるとこがないと」

こんな話をしてたら、山の上のほうに本当に鳥居らしきものが見えて、
「あれほら、集落の神社じゃないか。行ってみないか?」 「時間あるか?」
近くまで行ったら、登り口の石段が竹垣を組んで塞がれてたんだ。
「うわ、これ封印か?」 「単に侵入者に対して管理してるだけだろ」
「横の斜面を登るのは無理だな」そこの神社の山の裾の小高くなったところに、
板塀をめぐらしたかなり大きな家があり、その塀越しに枯れた木が出てて、
枝の高いところに一個だけ、柿が成ってたんだよ。
「あれ、何て言ったっけ? 一個だけ柿の実を採らないで残しておくやつ」
「んー、木守柿とか言うんjじゃなかったっけ。俳句の季語であったような」
「すげ、よく知ってるな」 「でもよ、それって住んでる柿の木の持ち主がやるんだろ。
 ここは集落全体誰もいないってネットに出てたし、あの家だってほら二階のガラス割れてるだろ」

「だな。偶然ああなったわけか」 「変だよな、高いとこは鳥がねらいやすいだろうに」
で、一人が石を拾ってその柿に向かって投げたんだよ。
かなりの距離があるからぜんぜん届かず。「俺やってみる」って次に石を拾ったやつは、
高校野球経験者で、草野球の社内チームのエースだったんだ。
そいつはいったん後ろに下がって、外野からバックホームするように投げたら、
なんと一発で柿にあたったんだよ。したらパーンと柿が爆発したように四方にはじけ散った。
そのとき、一羽も姿が見えなかったのに、
「グワグワ」鳴き声を上げながら、たくさんのカラスが塀の中から飛び出してきて、
空に昇っていった。すげえ気味悪い感じがしたんだよ。
だから柿にあてたやつも「どうだ」とか自慢もしないで、そのまま3人で車に戻って出発した。
「ハラ減ったよな。高速のSAに入って何か食おうぜ」

そんとき乗ってたのは、レガシイの中古のワゴンだよ。
高校の野球部だったやつの車。日曜の昼前なんだけど、廃村の中だから車なんていないんだよ。
だからかなりスピードを出してたんだが、後ろでバーンと破裂音がして、
車のリアウインドウが赤黄色になった。「あ、何だ?」またバーン。「後ろから何かぶつけられてる」
「これ、それこそ柿じゃねえか」急ブレーキで車を止め、外に出てみたらやっぱ柿だったんだよ。
でかい種がガラスにこびりついてた。生の柿というより、干し柿みたいな粘っこさだった。
「誰だ、やったやつ出てこい!」 そう叫んでもあたりはシーンと静まったままでね。
「行こうぜ、早くここ出よう」車を発進させたときに俺が、
「さっき80km以上出てたよな。前からならともかく、後ろのウインドウにあてられるか?」
他のやつらは黙ったままで、そのまま逃げるようにして埼玉まで戻ったよ。
その後はこれまで、特におかしなことはないけどな。







ハロウインケーキ

2015.10.25 (Sun)
うーん、当ブログはオカルトがテーマですので、
ハロウインに向けて何か書かなくちゃいけないんですが、由来などにつては、
他にお書きになっているところが多いでしょうから、
ハロウインケーキのことでも書きます。といっても、
自分はケーキのレシピとかはちょっとわからないので、画像多めにして意匠について。

まず、かぼちゃ(pumpkin)は材料としてよく用いられますが、ハロウインの顔がついてるのは、
ジャック・オー・ランタン(Jack-o'-Lantern)と言います。Wikiには
『生前に堕落した人生を送ったまま死んだ者の魂が、死後の世界への立ち入りを拒否され、
悪魔からもらった石炭を火種にし、萎びて転がっていたカブをくりぬき、
それを入れたランタンを片手に持って彷徨っている姿』とあります。
元はヨーロッパの話で、カブで作られていたのが、
アメリカに伝わってカボチャ製に変化したようです。意外に新しいんですね。
ケーキの素材にカボチャが使われているせいか、黄褐色のケーキが多いです。
それと赤いジャムで血(blood)を表現したものも。



意匠としては、よく出てくるのが、幽霊屋敷とまわりの木々(haunted house and forest)
墓場(graveyard)と木の場合もあります。墓には骸骨(skeleton)
あるいは頭だけの頭蓋骨(skull)がつきものです。



それから、よく見られるのが、蜘蛛(spider)と蜘蛛の巣(spider('s) web)
これは、生理的に嫌いな人が多いでしょうが、
蜘蛛の巣はチョコレートなどで描きやすいということもあるんでしょうね。



あとは鬼太郎のオヤジ(eye ball)これもよく見ます。
Eye(I) see you.という洒落になっているみたいです。
魔女(witch)関係もよくあります。ほうき(witch('s) broom)
ぼうし(witch's hat)『ハリー・ポッター』シリーズで組み分けに使われていました。
鍋(witch('s)cauldron or pot) cauldronは大釜という意味ですか。



生き物関係としては、蝙蝠(bat)と黒猫(black cat) 蛸(octopus)など。
シーツおばけ(ghost or spook)最近は向こうでは、
プロに頼んでゾンビメイクなどをしてもらう子も多く、
シーツに穴を開けただけのゴーストは、単純でバカにされるかもです。





最後に、昨年もやりましたが悪趣味なケーキをご紹介。
みなさん、食べる気になるでしょうか。






* 画像は外国の見本写真から選びましたが、著作権等に不備があればご一報ください。





サン・ジェルマンの憂鬱2

2015.10.24 (Sat)
昨日の続きです。えーと、不死に対するアプローチ法は大別して3つあると言って、
そのうち2つまで書いて終わったんでしたね。
前述の2つは医学的、分子生物学的なアプローチが多かったわけですが、
最後のはこれです。

③情報工学、脳科学的なアプローチ
人間の意識をコンピュータに移すこと。マインド・アップローディングと言うようです。
工知能の権威であるレイ・カーツワイル氏(googleのディレクター)は、
最近行われた『グローバルフューチャー2045』世界会議で、
「近い将来 、脳機能を コンピュータへ移行することが可能になる」と述べています。
人間は肉体の損傷や消滅にかかわらず精神だけが生き続けられる、
と言っていいかもしれません。人間の脳の約800億のニューロンと、
それらを結ぶ何百兆ものコネクションのそれぞれをマッピングして、
このネットワークを非常に強力な計算システム上で機能させるということでしょう。

うーむ、さまざまに問題点はあるという気がします。
前にも書きましたが、人間の意識というのは、感覚器を始めとする身体各部からの
フィードバックによって成り立っています。
「ちょっと寒いな」→「早く風呂にはいろう」→「そういえばシャンプーが切れてた」
みたいな感じで、思考の流れが起きることが多いですよね。
脳以外の体の各部分が、思考や記憶を進ませてるようなものです。

マインド・アップローディングは、自分が考えるかぎりでは、
パソコンのバックアップのようなもので、
それまでの脳内記憶などを保存しておくにはいいでしょうが、
いざ意識だけをコンピュータ内で動かしてみると、
これは様々な問題が起きてくる気がします。
それと、このgoogleの人はあまり魂とかそっち方面は考えてないみたいですね。

さて、話変わりまして、もし不死が実現した場合こんな問題点が指摘されています。
これは「不老」も含んだものです。元ネタは (cracked.com)という英文サイトです。
cracked.com
1,周囲の生命が進化し、不老不死の人間は仲間はずれの状態になる。
2,不老不死であるために、普通の生活を送ることができない。
3,体は年をとらないが、精神的に確実に老いていく。
4,正気を保てないほどの早さで時間が経過していく。
5,事故や天災に遭って身動きが取れなくなる可能性がある。

1は、人類の進化ですから、数百万年レベルで生き続けないと起きないでしょう。
人間の身体や思考が変化し、それにより生活様式も変わっていくのに、
自分だけ適応できず、仲間はずれになってしまう。
2は、不老不死をずっと続けていれば、その噂は必ず広まって、
研究機関などに狙われたりするというようなことですかね。
3は、すべてのことを経験してしまっているため、
何事にも無感動になってしまうかもしれません。それに、脳の容量は一定なので、
古いパソコンのように動くのが遅くなってしまう可能性も指摘されています。

4は面白いですね。地球上の生物はさまざまな寿命の長さを持っていますが、
寿命が短い生物ほど、一瞬一瞬が長く感じられるということが、
実際に確認されているようです。その逆に、永遠の寿命を持っていれば、
時間のたつのがひじょうに早く感じられるというのもありそうなことです。
5,長く生きれば生きるほど事故に遭う確率は高くなり、
永遠に生きるとなれば、そのどこかで必ず事故に遭うでしょう。
その事故はもしかしたら、瓦礫の下に埋もれて身動きができないまま、
ずっと生きているというものかもしれないのですね。

ということで、現在における不死へのアプローチと、
その問題点をご紹介してきましたが、
次は、もう少し宗教的に考えてみたいと思います。
現世のまま、つまりこの世にいる状態で不死をめざす宗教というのはあります。
仙道、原始道教のことです。これは基本的には、
呼吸法や食餌法などの錬丹術により、羽化登仙を目指すのが目的でした。
仙人になれば雲にのって行きたまま仙界をかけ巡ることができます。

これ以外の宗教は、いったん肉体が死んでも魂は残り、
天国、極楽、彼岸、何らかの形で神の国に行くというものが多いですよね。
この場合、普通は自分の意識は死んだ後も継続するとされます。とすれば、
もしそうであるならば、この世で無理に不老不死を求める必要はないかもしれません。
天国(あるいは地獄)でも、自分というものは残るのですから。
そう考えてみると、現世で不老不死を求めるというのは、
けっこう無神論的なアプローチなのではないかと思います。
あと、輪廻を認める宗教の場合は、死ぬといったんそこで自分の人格は途切れ、
前世の記憶は失われてしまうので、これは微妙なところです。
一番よく生まれ変わった世界で不老不死を目指すというのもありかもしれません w

オカルト的な不死者といえば吸血鬼がよく知られていますね。
Wikiでは、吸血鬼になる原因として、
『死者が吸血鬼となる場合は、生前に犯罪を犯した、神や信仰に反する行為をした、
惨殺された、事故死した、自殺した、葬儀に不備があった、
何らかの悔いを現世に残している、などの例が挙げられる』と出ていました。
キリスト教が広まってからは、吸血鬼や狼男になるのは神の罰である、
という考え方が発生したようです。ですから、
彼らは不死であることが必ずしも幸せではないのですね。
本質的には「さよえるオランダ人」とか、永遠に牛を追い続ける「ゴーストライダー」
と同じようなものかもしれません。地獄のかわりにこの世で罰を受けているという。

日本の、人魚の肉を食して不老長寿になったという八百比丘尼伝説も、
けっして幸せな話ではありませんでした。
不死に対するアプローチというのは、科学的な探求としては興味深いものですが、
不死になった先に何があるのか、
それは本当に個人の、あるいは人類全体の幸せにつながるのか、
そういうことも合わせて考えてみる必要がありそうですね。

関連記事 『サン・ジェルマンの憂鬱』

サン・ジェルマン伯爵






サン・ジェルマンの憂鬱1

2015.10.23 (Fri)
* 今日は怖い話ではありません。
サン・ジェルマン伯爵は、18世紀のヨーロッパ社交界において活動したと伝えられる
実在の人物で「ヨーロッパ史上最大の謎の人」などと評されています。
ただし、そのプロフィールまでが真実であったとは考えられません。
彼がオカルト界で語られる場合、主題は「不死」についてのものがほとんどです。

ヨーロッパ社交界に忽然と現れた当時において、
すでに2000年~4000年生きてきたと言われています。
哲学者ヴォルテールはサン・ジェルマンについて、
「決して死ぬことがなく、すべてを知っている人物」であると書き、
プロイセン王、フリードリヒ2世も彼を「死ぬことのできない人間」と記しています。
彼は「自分は普通の食物は必要ない」と公言し、
人前では霊薬以外は何も口にしなかったという話があります。

しかし「不死」というのが実際にあったとは思えないですよね。
現代では、彼は当時のヨーロッパに多くいたアバンチェリエの一人と考えられています。
これは「山師」と訳されますが、身分制度の強固であったヨーロッパ社会で、
庶民が錬金術、疑似科学、擬似医療などを用いて、
社交界に取り入ってのしあがろうとした人々と解釈されています。
サン・ジェルマンの場合、表芸は錬金術でしたが、自分の周囲に不死の噂をまとわせ、
上流社会の人々の関心を買おうとしたと考えられます。

さて、今日の話は彼が主題であるというよりも、その「不死」性についてのことです。
「死なない人間」というものは今後存在することができるのでしょうか。
一般的には「不死」は「不老」とセットになって語られることが多いのですが、
それを加味すると話が複雑になりすぎますので今回は除きます。
ただし、どうしても含まれてしまう部分もあるでしょう。
あと、この話は非常に奥深いですので、項を変えて書き継いでいくことになると思います。
世界では、様々なアプローチのしかたで、不死(アンチエイジング)
について研究されていますが、大きく分けると3つくらいになるでしょうか。

①テロメアに対するアプローチ
テロメアという言葉は耳にされたことがあると思います。
生物の染色体DNAの末端にある特殊な領域(下図参照)のことです。
テロメアがあるおかげで、DNAが末端から壊れたり、DNA同士がくっついたりできません。
うーん、ジッパーの端っこの留め金のようなものとでも例えればいいでしょうか。
正常に細胞分裂をするためには必要不可欠であり、これがないと、
人は細胞分裂をすることができなくなり、すぐに寿命が尽きてしまうわけです。

こう書くと、すごくいいもののように思われるでしょうが、
残念ながら、テロメアは細胞分裂のたびに短くなってしまいます。
ワープロ文書を何回もコピーし続けていると、
だんだんに文字が劣化して読めなくなるのとも似ているかもしれません。
医学的には人間の寿命は120歳前後という話がありますが、これは、
テロメアの働きによる人間の各部の細胞の分裂回数(だいたい50回程度)
をもとにして算出されたものです。

つまり、テロメアを伸ばすことができれば不死につながっていく可能性があるんですね。
テロメアを伸ばすにはテロメラーゼという酵素が必要ですが、
普通の細胞にはありません。これを持つのは精子や卵子などの生殖細胞、
それと癌細胞です。癌細胞は基本的に自然に死滅することはありません。
このテロメラーゼを使って細胞分裂の規定回数のカウントを引き伸ばしているのです。
ですから、手術して切り取るなどの治療が必要です。

あと、バクテリア(真正細菌)はご存知でしょう。大腸菌などが有名ですね。
彼らは基本的に不死というか、無限に細胞分裂することができます。
これは彼らのDNA構造が輪っかになっていて、端っこであるテロメアを持たないためです。
ちなみに、これらバクテリアと同様に、DNAが輪っか構造になって産まれた人間が、
歴史上5人はいるというオカルト話もあります。
もしかしたらそのうちの一人が、サン・ジェルマンなのかもしれません ww
あれ、何だかテロメアというのは、よくないもののようにも思えてえきました。
しかし、永遠の生というものが本当に素晴らしいものかどうかには疑問
(後述します)があります。人間の場合は自然の摂理により、
あえて制限が設けられていると見ることもできそうです。

②その他の先端医療、分子生物学的アプローチ
ここでは3つに小分けしてご紹介します。
・無数の超小型ナノロボットを各種医療行為ごとに開発します。
人間はこれが入った錠剤を飲み、人体の各地に行きわたったナノロボットが、
機能の損傷や病気の兆候をいち早く発見して補修してくれるという方法です。

・iPS細胞。山中伸弥率いる京都大学の研究グループによって初めて作られ、
ノーベル賞を受賞しています。まだまだ課題はあるものの、自己複製能を持っており、
多くの人体部分をつくることができるため、体の傷んだ部分を随時これで補っていく。
脳にも応用することができれば、これは不死につながります。

・クローン。ある人が死にそうになった場合、
体細胞の一部からクローンをつくり出し、急速成長させます。
そして脳だけをそこに移植する。これだと完全な不死ではないでしょうが、
ある程度寿命を伸ばすことは可能でしょう。ちなみにクローン羊ドリーは有名ですが、
ドリーの染色体DNAは、上記したテロメアが短くなっていたとされます。
正規の方法以外でつくられたものには、予期しない障害が出るのでしょうか?

・・・予想はしていたものの、ここまですでにずいぶん長くなってしまいました。
個人的に現在、テロメアに興味を持っていましたので。
これは項目を分けさせていただきます。
オカルトブログですので、次回はオカルトの話に戻ります。(続く)

関連記事 『サン・ジェルマンの憂鬱2』

テロメア・・・クリップのようです






空間 3題

2015.10.22 (Thu)


これはタコ焼き屋台をやっているNさんから聞いた話です。この経験をしたのは、
もう20年以上前のことで、当時は左官業の見習いをしていたということでした。
6月の中旬に、仕事仲間と日帰りで海に行ったそうです。
最高気温はすでに25°を越えていましたが、その日は曇空で、
まだ近くの海岸では海開きは行われておらず、車から見る海岸線はガラガラでした。
ここらでいいだろうと、適当なところで防砂の松林の中に車を停め、
砂浜に出ると人っ子ひとりいない状態で、「貸し切りだー」と叫んで、
皆でシャツを脱いで海に飛び込みましたが、
やはりというか水温は冷たかったそうです。

それでも皆、意地を張ってしばらく泳いでいると、
空は雲が晴れて、だんだん海遊びらしい雰囲気になってきました。
一同は砂浜に上り。持ってきたビールを飲んだりしていましたが、
Nさんの先輩であったAさんが、砂の上に寝転んで、
「俺を埋めてくれ」と言い出しました。ま、海水浴場ではよく見かける光景なんですが、
仰向けに寝たAさんの体にどんどん砂をかけていくと、
上部は乾いた黄色っぽいサラサラの砂だったのですが、
だんだんに下から黒土のようなのが出てきました。それもすくってかけていると、
砂の中のAさんの腰が、急にガクッと沈んだんですね。

ちょうど浴槽の縁に頭と足をのっけて、体の中間が沈んだ状態のようにです。
「A、お前、下を手で掘ってるのか?」別の先輩がこう話しかけたら、
Aさんは「いや、いや、なんか引っ張られてる」とあせった声で言い、
だんだんに頭と足が接近していったそうです。ギャグで、
ドラム缶にお尻が落ち込んだような体勢になっていったということですね。
「痛い、痛い、砂どけてくれ、起こしてくれ」Aさんが叫んだとき、
松林のほうから「おい、お前ら何やってる!」という怒声が聞こえました。
ハチマキを巻いた漁師らしき人が2人、Nさんらのほうに駆けてきながら、
怒鳴っていたんです。とにかくAさんの体にかかった砂を払い、
両手、両足を持って引き上げましたら、Aさんの腰の下が深い黒い穴になっていて、
しかも何か褐色のものが大量に敷き詰められているように見えました。

でも、それは一瞬のことで、まわりの乾いた砂がどんどん中に落ちていき、
すぐに穴は埋まってしまったんです。漁師たちはNさんらのすぐそばまで来て、
「ここ、入っちゃなんねえとこだから」 「地元でも入るやつはいねえ」
すごい剣幕で怒ったので、Nさんらはとりあえず謝り、車に戻ったそうです。
Nさんは、「ちらっと見ただけだけど、
 穴の中にあったのって字みたいなのが書かれてたんだよね。それもお経みたいな。
 あれお寺さんにある卒塔婆だったんじゃないかな。それにしてもあれ、もしかして、
 あの浜の下にずっとあったのか。だとしたら気味悪いやね」こう言ってました。
その後はとくに、Nさんのグループに障りのようなことはなかったそうです。

トンネル

これは東北の某県から大阪に出てきて、商社で働いているGさんの話です。
Gさんの郷里の市には、市の中央部を鉄道線路の下をくぐって走る、
地下トンネルがあったそうです。全長は20kmにもおよぶ長いもので、
地上の交通渋滞緩和のために作られたのですが、
工事のせいで地盤沈下があって建物が壊れたり、完成までには一騒動あったそうです。
このトンネルは片側一車線で、車以外は入れません。
ただし両脇には、保守点検のための幅1.5m程度の通路があったんです。
「そこをね、落武者が走るって噂が広まってたんですよ。
 たしかにトンネルは地元の城址跡の近くを通ってますが、
 そこは各時代を通して一度も戦争もなかった、ちっぽけな砦のような城で」

Gさんは当時そちらで飲食店に勤めていて、毎日通勤でそのトンネルを通っていました。
「落武者の話はね、たぶんだけど、通路にある電気関係のボックス、
 それに車のヘッドライトが当たった影がずっと伸びるのが、
 鎧武者が走るように見えたんじゃないかと思いますけどね」こう話してくれまして、
「でも、1回だけおかしなことがあったんです。トンネルの内部に何ヶ所か、
 地上に出られる分岐がありまして、そのあたりで少し車の間隔が詰まるんです。
 その日はね、仕事の帰りだったから10時ころかな。少し渋滞しまして、
 何気なく通路のほうを見てたら、人が歩いてたんです。作業服を着てましたので、
 ま、点検関係の人なら珍しくはないです。

 その人が、自分の車の2台前あたりで立ち止まって、トンネルの壁のほうを向きました。
 するとね、上のほうでパッと緑のランプがつき、その人の全身が照らされまして、
 それもおかしなことではないと思ったんですが、
 作業服の人はそこでドアノブをつかむような仕草をし、
 壁がパカンと開いて中に入っていったんです。でも、車が動き出してそこの壁を見ても、
 ドアの枠?やドアノブなんて何もありませんでした。それ以来、気になったので、
 できるかぎり通ったときに、その場所を見るようにしてたんですが、
 やっぱりドアなんてないんです。あと、上の方に照明もないように思えました。
 これ場所を間違えてるってことは絶対ないです」こんな話でしたね。

ビルの隙間

これはRさんという自分の仕事の先輩、つまり、占星術ではないんですが、
占い師をしている方から聞いた話です。ただし、この先輩はとても、
冗談というか法螺話が好きな人なので、これはつくり話かもしれません。
ある夜、居酒屋で占い師仲間と飲んでいましたら、Rさんが、
「あのなあ、お前幽霊とかそういう関係の話を集めてるそうだが、
 そういうお化けとかは、隙間に出るって知ってるか?」こう話題を振られました。
「ああ、はい。そういう説はあります。家具と家具の隙間、
 例えばタンスとラックの間なんかには霊界への通り道ができたりするとか」
「ああ、やっぱりそうか。じゃあそれが大きくなった建物の間とかは?」

「その話もありますよ。よくはわかりませんが、遠近法が関係してるとかで、
 隙間の幅と、建物の高さ、通路の長さによって、やっぱ異界に通じちゃったりするって」
「そうか、そうか。実はこの前、朝方に酔っ払って〇〇街を歩いてたんだよ」
「あのあたりなら、けっこう遅くまでやってるでしょ」
「うんでも、さすがに4時ころになると人通りが途絶える。でな、□□第2ビル知ってるか」
「わかりますよ」  「あの右隣のビルとの間にせまい隙間があるだろ。人も通れない」
「そこまでは覚えてないです」  「あの横を通ったら、隙間に白い煙が充満してたんだよ」
「それ、換気扇の排気とかじゃ」
「俺もそう思ったけど、白く煙ってるのは人の背丈くらいまでなんだ」
「うーん、じゃあ空気より重い気体」

「その濁った上に人の手が出たんだよ、手首より先」  「はい」
「その指先が下を向いて、白い部分をぺりぺり剥がすようにして下までいったんだ。
 そうだなあ、古い本の背表紙だけ剥がすような感じ」  「・・・・」
「でな、人が2人出てきたんだが、どっちもあの黒いベールみたいなのを着たイラン人の女」
「イラン人てわかるんですか?」 「いやまあ、イスラム圏の女性だよ。
 それで、俺のほうには目を向けようともせず、並んで歩き去っていった」
「本当ですか?」 「俺が嘘を言うかよ」ま、こんな話でした。
そこは自分もよく通る話場所なので、□□第2ビルと隣の間の隙間を測ってみましたが、
幅は12cmほどで、建築法違反かもしれません。下は汚い砂利でしたね。

はかいあおあまお





鯉の町

2015.10.21 (Wed)
〇〇新報という地方新聞の記者をしている西牧といいます。
これからお聞きいただく録音は、すべてわたしが取材したものですが、
氏名のほうは仮名にさせていただいております。
それでも、ここで話すことは職業上の守秘義務違反になるでしょうね。
ですが、わたしの住んでいる市で起きている奇妙な現象について、
いろいろ調べたんですけど、どうやっても考える手がかりがないんです。
それで、ここはそういうことの専門家のみなさんがお集まりだということを聞きまして、
こうしてご訪問させていただいたわけです。どうぞよろしくお願いします。

山田氏(市民病院心療内科)

はい、わたしは市民病院の心療内科に勤務している山田と申します。
こんな小さな市ですし、他の科と比較して忙しいということはありません。
ただ、気になる患者さんというか・・・気になる症例がありまして、
他では経験したことのないもので、この地域特有のものである可能性があります。
うつ病の一種なんでしょう。それは間違いないと思います。
ただ、一般的なうつ病とはかなり違っていまして。
共通点は、無気力になるということです。何もやる気が起きない。
でもね、うつ病ではそれと同時に、自分に価値が無い、
またはすべてのことに対して、申し訳ないと感じる強い罪責感があるものです。
あと、この世から消えてしまいたいと思う気持ち、
自殺念慮といいますが、そういうことは見られません。

そういう患者さんがちょくちょく来られるんです。
仕事が手につかない、何もやる気が起きない。でも、それをマズいとも思わない。
みなさんトロンとした目をしていて、焦りもなく、むしろ多幸感が見られます。
そう、自分の今の状態を幸せだと思っているんですね。
うつ病に特有な不眠も見られません。むしろ寝てばかりいるようになります。
ええ、最初は薬物中毒も疑いました。でも、検査結果ではそれもなし。
向精神薬を投与しているんですが、ほとんど症状の改善はありません。
ほとほと困り果てまして、催眠治療というのを試みました。
それも退行催眠です。これはご存知でしょう。催眠状態において、現在の年齢から、
だんだん若返っていってもらうんです。10歳になり、3歳になり、0歳児から、
胎児へ、そして前世へと遡っていただきます。

窮余の一策ですよ。ここで少し説明させていただくと、幼児期の記憶は、
実際にあったことと、そうでないことが混じりあっています。
大きくなってから「こんなことがあったよ」と両親などに聞いた内容ですね。
それに、胎児期の記憶というのは、脳が形成されてからのことです。
お母さんのお腹の中にいて温かい、血液や内蔵などが立てる音が聞こえる。
このあたりまではみなさんほぼ同じです。
それから前世の記憶というのは、これはすべて患者さんご本人の想像ですよ。
わたしは宗教のことはわかりませんが、前世というものがあるとは思いません。
けれど、催眠中に「生まれる前に戻りました」と術者に言われると、
必死になって「前世」というものを脳内で造り出そうとします。
それで記憶に強く残っている本や映画の内容から前世を無理にこしらえるんですね。

だから患者さん本人が、催眠から覚めてから「このような前世の話をされていましたよ」
とテープを聞いていただくと「あ、前にそれに関する本を読んだ」と、
自身で思い当たられる場合が多いんです。わたしは、そういうのが、
何か精神分析の手がかりになればと、治療の一環としてやってみることがあるんです。
ところがですね、この市の患者さんの場合、前世の記憶は全員がほぼ同じなんです。
不思議でしょう。どういうものかと言いますと、「自分は今、水の中にいる。
 とても自由で気持ちがいい。食べ物も豊富だし、ここから出たくない。
 眠りに入ればここに戻ってこられる。じゃまをしないでくれ・・・」
多少言葉は違いますが、ほぼこのような内容のことをおっしゃるんです。
どう解釈していいのか、お手上げです。ユングの言う集合無意識のようなものでしょうか。
それとね、この症例を示す患者さんは全員が25歳以下という共通点もあるんです。

三木氏(市役所観光課)

ここの市役所に勤務して、もうすぐ25年になります。
まあねえ、退職へのカウントダウンを待っているようなものです。
え、水路の鯉の話ですか。そうですね、
今のところあれがこの市の観光における一番の目玉だと思います。
もう半世紀も前に始めたことが一番の目玉というのも恥ずかしいですが。
今でこそ、あちこちで同様のことをされていますけど、日本ではここが嚆矢だと思いますよ。
ここは元々、水のきれいなところだったんです。川が伏流水になってましてね。
それがろ過されてあちこちで湧いて出てくる。冷たく澄んだ水でそのまま飲むこともできます。
ええ、多くの自治体は上蓋のついたコンクリの用水溝でしょう。
ところがここは、自然の石組みによる江戸時代からの水路が残っていまして。
近代化とか言って、壊さなくてよかったですよ。

これにね、錦鯉を放したわけです。みなさん錦鯉といえば、一尾数百万もするような、
昔の田中角栄さんの池にいたようなのを思い浮かべられる方が多いんですが、
これは誤解です。高いのは選別に選別を重ねて得られたもので、
その過程で漏れた鯉たちというのは一尾が数百円で買えます。
というかね、養殖場と話がついてればただでもらってくることもできるんです。
ねえ、おかしな話でしょう。ちょっとした種類や模様の違いで、
百万以上の価値が出たり、そのまま捨てられてしまったりする。
素人であれば見た目の違いはまずわかりませんよ。
どちらもきれいですし、なにより同じ生命ですからね。それでね、お話した水路に、
そのような鯉を大量に放ちまして。それが水路内で自然繁殖して、
今、この市が「鯉の里」と呼ばれるようになっているわけです。

中国からの観光客の方などには大人気ですよ。
今のところ、捕ったりする人もいませんしね。数千万かけて大掛かりな施設を造るより、
はるかに安上がりです。え、これを始めたきっかけですか?
そうですね、25年前、市役所と商工会の合同の集まりのときに、
オサキ様の神主さんから話が出たように記憶しています。
あ、オサキ様はわかりますよね。市の南の森にある大きな神社です。
水路の水は最終的には、オサキ様の池に流れ込んでいくんです。
ですからね、あそこの神社も名物は無数の鯉が泳ぐ池です。
うーん、当初からそれを見越して話を出されたわけではないと思います。
純粋に市のために考えてくださったんでしょう。結果として、
市のためにもオサキ様のためにもよかったということで。

松村氏(〇〇警察署 刑事課)

これどこにも発表しませんよね。だったら話してもいいというか、
自分も真相がわかるものなら知りたいですよ。
わかったことがあったら情報提供たのんます。
行方不明者が出始めたのが、今年の3月からですね。
そっからたて続けに6人。これが大都市なら、家出した人というのは多いでしょう。
ところがねえ、今は市になったといっても、こんな田舎町のことですから。
でねえ、この6人が6人とも、携帯電話どころか、
ほとんど現金も持たずに消えてしまったですから。ありえない話です。
ええ、共通点は全員が25歳というのも不可解です。
同じ学年の同窓生だったってことですね。若い人は市外で就職する場合が多いけど、
この人たちは市で就職して、次々と消えてしまった。

足取りはある程度まではつかんでますよ。6人のうち5人が最終的に確認されたのは、
通称オサキ様と言われる神社の付近です。でも、あそこは駅からはかなり遠い。
ほら、鳥居前の池に赤い橋が掛かってますでしょう。あの近辺です。
いや、橋から飛び降り自殺したということはありませんよ。
あそこの池は浅いんです。深いとこでも2mないでしょう。
しかもあの透明度だから、人が沈んでれば必ずわかります。
署では池さらいをしてみようって話も出てるんですが、はっきり言って無駄だと思いますね。
ただまあ、自殺の線はないことはないでしょう。
6人が6人とも市民病院の心療内科への通院歴があるんです。
しかしねえ、中には新婚で赤ちゃんが産まれたばかりの人もいるし。
いやね、自殺であればこれは警察の管轄外になるんですけど、はっきりしてほしいんですよ。








電ビラの話

2015.10.20 (Tue)
これからさせてもらうのは電ビラの話なんだ。電チラとも言うな。
あの電信柱に貼ってある不動産の広告のことだよ。電柱ビラ、電柱チラシってこと。
もう10年以上前のことだ。俺がしがない業界誌の編集部にいたときの話。
ま、今もしがないのには変わりないけどな。
先輩編集員と取材の帰り、ぶらぶら駅前を歩いてたら、
電信柱にすげえチラシが貼られてた。『「売主」だからできるサービスでモニター制度導入。
礼金10万、手数料なし、お祝い金現金100万、100万円分の設備サービス、
月々6万円、駅近9分』・・・当時は世間知らずだったし、転居を考えてたから、
先輩に聞いてみたんだ。「こういうのどう思います? まずインチキですよね」したら先輩は、
「うん、これは電力会社の許可を得て貼ったもんじゃないだろ。違法広告だ。
 つまり『売主』とやらは法律違反をなんとも思ってないってことになる。

 しかも連絡先が固定電話じゃなく携帯番号だろ。怪しいなんてもんじゃない」こう答えた。
「ですよねえ」 「気になるのか?」 「いやあ、この条件通りだったらスゴイと思って」
「うーむ、設備サービスってのは、あらかじめついてるエアコンやガス水道のことだろ。
 お祝い金100万というのは、一軒家を買う場合、値引きって意味ではありかもしれんけど、
 賃貸アパートじゃあちょっと考えにくいなあ」「やっぱ、そうですよねえ」
「でも気になるんだろ、連絡してみたらどうだ」「え?」
「別に会社の携帯からかける分には番号知られたってかまわねえし、この経緯を一部始終、
 取材して俺らの雑誌に載せたら企画として面白そうだ。
 ま、月6万程度なら経費としても問題ない。社に戻ったら編集長に話してみるわ。
 だけどこれ、住むのはお前だからな。しかしこのビラだけだと、一軒家か部屋か、
 購入するのか賃貸なのかもわからねえな。巧妙に書いてある」

ということで、社で編集長に話したら、「ま、連絡してみたら」ってことだったので、
俺が携帯でかけてみた。したら通じたんだよ。相手は抜けたような声のオッサンで、
翌日、ビラの住所の近くの喫茶店で会うことになった。
先輩は「俺が叔父ってことでついてってやるよ。それから写真も撮る。
 それを断るようなら話はなかったってことにする。でもよ、たぶん行けば、
 タッチの差でそこは売れてしまって、別のもっと条件悪いのを紹介されるだろうな」
喫茶店に9時にやってきたのは、背の低い60代に見えるオッサンで、
人の悪い人相には見えなかった。その物件もちゃんとあった。で、これが、
2間と台所だけの平屋の一軒家だったんだよ。蔵を改造したってことで、壁は漆喰。
「だから天井は高いけど、湿気はこもります」オッサンはそう言った。
会社からはそこそこ遠いが、広告どおりに駅が近いので不便ではなかった。

先輩の言ってたとおり、設備費は既存のもののことだったが、
なんとお祝い金100万は本当だったんだ。礼金を引かれた90万を家賃と相殺して払うって。
つまり1年以上ただで住めるってことだ。だだしモニターとして、
月いちでレポート、住んでみての感想を書いて出すように言われた。
ま、文章を書くのは苦痛ではなかったからOKして、契約することになったんだ。
先輩は、明らかな詐欺ではないのが少し不満そうだったけど、
この家主には内緒で、顛末を記した連載をうちの雑誌に載せることにした。
前のアパートを解約して、荷物はほとんどなかったから、引っ越しは1日で終わった。
で、その家での暮らしが始まった。うーん、編集部の中には「事故物件じゃないか」とか、
オカルト的なことを言うやつもいたけど、その当時の俺はまったく信じちゃいなかった。
住んで10日しても、変な音が聞こえるとか、

虫や黴、壁のシミなんかが出てくるとか、そういったことは何もなかったし。
1ヶ月しても特に何も変わったことがなかったんで、社の連載の話は沙汰止みになった。
あと、近所の店や住人にさりげなく取材したけど、事件が起きたなんて話は誰もしてなかったな。
大家のオッサンがしばらく住んでいたみたいだった。
レポートはあたりさわりのないことを書いて、アンケートとともに郵送した。
あとまあ、電車通勤はおっくうなんであまり外出しなくなったな。
ほら編集の仕事、特に月刊雑誌の場合、忙しいのは月のうちの10日ぐらいなんだよ。
その間は社に泊まり込みになるが、それ以外の期間は直接取材に出るってことで、
出社しなくても大丈夫なことが多い。あとなあ、寒かったんだよ。
これが5月の話なんだが、特に床が寒い。風がスースー布団に吹き上げてくる感じ。
もと蔵ってことだたったからそうなんだろうと思っていたけどな。

これから夏場に向かうことだし、涼しい方がかえって好都合くらいに考えてた。
けど、ある朝、咳き込んで起きてしまった。
もう6月になって最高気温は20度を越えてたのに、
体がものすごく冷えてたんだ。あわてて風呂沸かして入ったら、いくらか具合がよくなった。
それまでは布団を敷いて寝てたけど、ベッドを買うことを考えたんだ。
ベッドが入ってからは体の冷えるのは止まったが、真夏だしこれは当然だろう。
で、残暑がようよう終わりかけた9月に、先輩や編集部のやつらが遊びに来たんで、
使ってないほうの部屋で車座になって酒を飲んだ。
したら、みながやっぱり、尻が冷たいって言い出したんだ。
それも「冷却装置とかが床下にあるんじゃないか」なんて言うやつもいた。
しかしそれは冗談としてもありえないよなって、そのときは思った。

10月に入ると、もう寒いなんてもんじゃなかった。
外のほうが暖かく感じられるくらい、床が冷えたんだよ。もちろんエアコンはつけたし、
それ以外にも石油ストーブを買ったんだ。けど、空気は温まるが、
足元が冷たい。それで無駄な出費とは思ったが、床暖のカーペットを買うことにした。
その月の下旬のいつかの日だ。夜ベッドに入ったら寒くて寝られない。
それで起きてストーブをつけようとしたら、体が動かなかった。
金縛りになってたんだな。なんとか目は開けることができたが、
それ以外はどうにもならない。時間は夜中の1時ころだったと思うよ。
でな、ピクピクしてると、床から何か白いものが何本も上がってきたんだ。
うーん、イカの足に似てるといえば似てるが、あの吸盤とかがないやつ。
色は今、白って言ったけど、透明がかった氷柱みたいなもの。

それが10数本、ベッドのまわりを取り囲んでウネウネ動いてたんだ。
その一本が器用な動きでかけ布団をめくり、パジャマに先端がもぐり込んで、
肩のあたりに触った。そしたらそれがしびれるほど冷たい。
体は自分の意志では動かないのに、ガチガチと全身を震えが襲ってきた。
触手は、一本、また一本と布団にもぐって来て・・・
そのときに右手の肘から先が少しだけ動いたんだ。
それでいつも目覚ましがわりにしてた携帯で、編集部への短縮ダイヤルを押した。
そこで意識が途切れた・・・気がついたら、編集部のやつらが部屋に来てて、
俺はストーブの真ん前で、半身を起こされた状態で、仲間の上着を何枚も着せられてたんだよ。
「この冷え方は異常だぞ」編集長が言った。
それから家を出てサウナへと運ばれ、やっと人心地がついた。

でな、俺の話を聞いた編集部の一同によって、畳と床板がはがされた。
一見、おかしなところのない黒土の地面が出てきたが、
床下の空間はフリーザーの中みたいに冷えてた。
それで、黒土から5つくらい石の先のようなものが出ていた。
掘り返してみたら、それは石碑のようなもので、一つにだけ「飢渇死有無縁」
という字が彫られていたんだ。誰も意味がわからなかったんで調べたら、
昔の、江戸時代のときの飢饉の無縁仏を祀った碑だってことがわかった。
おそらく他も同じだと思う。・・・大家とは連絡がつかなくなっていた。
俺は新しい部屋が決まるまで、編集部のソファで寝泊まりしていたんだ。
そこの家は、建設会社の衝立で囲まれてて、看板を見た先輩が「あれは、ヤバイ業者だ」
って言った。その後2年近くそのままになってたが、俺らはかかわらないようにしたよ。

かぁおあぁじゃかいあぁお





聞いた話2題

2015.10.19 (Mon)
コツン

美容師をしている沢村さん(仮名)という30代の独身女性から聞いた話です。
彼女は、カリスマ美容師というほどでもなかったんですが、腕がよく、
店を移るたびに年収が増えていったそうです。
今は大阪のヘアメイクサロンにいるんですが、
そこは芸能人などもちょくちょく訪れるところです。
こんぼ沢村さんが、まだ駆け出しの20代前半の頃の話です。
地元でアシスタント修行を終え、大阪に出てきてあるビューティサロンに就職しました。
それにともなって住居、アパートをさがしたところ、
職場の近くに格安の物件があったそうです。
1DKで、キッチンはせまかったものの、付属した洋室が8畳あり、
とても使い勝手がよかったそうです。

このあたり怖い話の王道のような展開ですが、沢村さん自身は、
幽霊や霊障のようなことはまったく信じていませんでした。
仕事が終わって夕飯を買って帰ると8時過ぎ、それから風呂に入って・・・
という日常にだんだん慣れてきた頃、浴槽に入っていると「コツン」
という音が聞こえるようになりました。
最初はお湯の配管か何かの音だろうと気にとめなかったんですが、
たびたびその音を聞いていると、物事をやる気力が薄れていくような感じがしました。
例えば、好きなテレビ番組があって、お酒を見なだらそれを見ようと予定を立てていても、
その「コツン」を聞いた後は、なんだかどうでもよくなって寝てしまうんです。
そのことを先輩に話したところ、「友達にそういうの見える人がいるから、
 今度連れて遊びに行くよ」そう言われました。

2週間ほどした休みの日、先輩と友達が来てくれたました。
その人はおっとりした顔立ちで、もう子どももいる専業主婦ということでした。
さっそく風呂場に案内したところ、その人はこめかみを押さえながら、
「ちょっとわからないな。バスタブにお湯を入れてみて」こう言いました。
沢村さんは、人が来るということで浴槽のお湯を抜いて掃除していたんですね。
だんだんにお湯が溜まってくると、沢村さんにも先輩にも何も見えないのに、
その人はじりじり後ずさりし始めまして、「若い女の人がいる」と言いました。
「どんな人ですか?」そう尋ねたところ、
「頭の形が崩れてて、両手でお湯の中を探してる」こう答え、さらに、
「あ、あ、頭の形が元に戻った。あ、タイルに頭をぶつけた」
このようなことを言ったんです。

詳しく聞いてみると、風呂に入っている状態の裸の女の人がいて、
最初は普通だけど、横のタイルに軽く頭をぶつけると急に顔全体がゆがんで、
両手で何かを探すようにお湯の中をかき回し始める。
それで、頭をぶつけたとき「コツン」という音が聞こえるということだったんです。
沢村さんの先輩は憤慨しまして、
「そんな幽霊が出るような住宅を世話するなんてトンデモナイ」ということで、
いろいろ事情を探ってくれたんです。そのアパートの近くは飲食店の多いところでしたので、
中でも長く営業していそうなところに入っては、話を聞いたんですね。
そうしたら、そのアパートの沢村さんの部屋には、
3代前、まだ10代と思えるカップルが入居していて、
1歳にならない赤ちゃんもいたそうです。

そこからは推測混じりということでしたが、
奥さんのほうは若い頃ヤンキーで、シンナーなどの薬物をやっており、
子どもが生まれたので、改心して?結婚し、旦那さんと暮らし始めたものの、
骨が脆くなっていたため、浴槽内でちょっと滑って、
タイルにコツンと頭をぶつけただけで、頭蓋骨を骨折し、
脳に障害を受けて亡くなってしまったそうです。
赤ちゃんは浴槽に落ちたものの、旦那さんが助けだして無事だったようです。
その後すぐ旦那さんらは越していったため、
どうなったかはわからないそうです。沢村さんの先輩はさらに憤慨して、
その部屋を世話した不動産屋に掛け合い、礼金等を返してもらい、
沢村さんは別のアパートに引っ越したんですね。

真っ黒

楽器販売店の営業をしてる50代の男性、吉川さん(仮名)から聞いた話です。
吉川さんが小学校6年生のとき、外国船の船員をやっているおじさんが家に遊びに来て、
吉川さんに南米のナイフをくれたそうです。柄もあわせて10数cmのものでしたが、
それは柄にも、革製のさやにも南国風の装飾が施されていて、
ナイフ自体は果物ナイフ程度であまり切れ味はよくなかったものの、
吉川さんはとても気に入りました。それで、翌日学校に持って行ったんですね。
その当時は持ち物検査などされたことはないと言っていましたが、
担任の先生に見つかればまずとりあげられ、親に連絡される。
そこで、学校の帰りに友達に見せることにして、ずっとズボンのポケットに持っていました。
その日は理科の時間に外に出て木の実拾いのようなことをしていたんですが、
急にトイレに行きたくなった吉川さんは、先生に断って校舎に戻ってきました。

そこの小学校は古い木造の校舎で、トイレは水洗でこそありましたが、
床はコンクリで水が溜まり、その上にスノコを掛け渡して通るようになっていて、
便所のサンダルがなければ、とても入れるようなところではなかったそうです。
小の便器で用を足していると、ポケットに入れちゃんとさやもしてあったナイフが、
なぜかスッと床に落ちた感触があったそうです。
え、と思って下を見ると、便器の台座の横に、髪の毛よりもやや太い、
真っ黒な針金で編んだ鳥の巣のようなものがあり、
そこに垂直にナイフが突き立っていたということでした。
さやから出ていたんですね。吉川さんは何だろうと思い、顔を近づけてみると、
不思議なにおいがしました。今考えると、マンゴーなどの
外国の果物に近かったかもしれない、と言ってましたね。

ナイフを抜くと、巣は紙でできているように破れ、
中から黒い綿毛に似たものがいくつも出てきました。
これは父親になってから子どもさんと見た『千と千尋・・・』
の映画のススワタリというのに似ていたそうですが、目玉や手足はなかったそうです。
まあ黒いススのようなもの。それが一つ一つくっついたりせず、
20個ほど出てきて、吉川さんがズックの先でちょんと蹴ると、
わっと散らばってスノコの下などに吸い込まれ、巣のようなのとともに見えなくなりました。
ちなみに、ポケットには穴は開いておらず、ナイフのさやもちゃんとありました。
吉川さんは、急いでみなのいるところに戻りました。
その後、古い木造校舎のトイレらしく、怖い話の一つや二つは前からあったのですが、
それに「小便をしていると足元を黒いモヤモヤが走る」というのが加わったそうです。

まあこれで終わりといえば終わりなのですが、
関係あるかどうかわからないエピソードが一つあります。
吉川さんらの卒業式の日のことです。式の前にトイレに行ってこいと先生に言われ、
吉川さんが男子何人かと連れ立ってトイレに入ると、スノコとスノコの間に、
真っ黒な肌の人が立っていたそうです。その人は上半身裸で、腰ミノをつけていました。
それと、手には長い槍を持ち、ジャラジャラした装飾具を胸に下げていたそうです。
ただ、見たのは一瞬のことで、すぐかき消すように見えなくなったということです。
もちろん騒ぎ立てましたが、誰にも信用されませんでした。
「でも、これには当時の同級生で何人も証人がいるから」と吉川さんは言っていました。
あと、話の発端?になったおじさんからもらったナイフですが、
大事にしていたものの、吉川さんが中学生のときにになくしてしまったそうです。








反則企画

2015.10.18 (Sun)
* 今日は発熱してしまいまして、前にもやった反則企画です。
まとめサイトに載った自分の話のコメントを転載するという。
今、熱を計ったら38.8°ありまして、頭が痛いです。

引っ張る

漫画家の水木しげるが書いた『のんのんばあ』の話に『引っぱる』というのが出てくるが、
数十年前まで俺の住んでいた地方でもこれに似たことがあったんで書いてみる。
当時自分はまだ小学生だった。『引っぱる』というのは、
今まさに死んでいく人間は、その死のまぎわに
生きた人を道づれにして冥土に旅立ってゆくことができる、というような話。

うちは四国の山奥の集落だったんだが、当時90過ぎのひいばあさんが肺炎になった。
ひいばあさんくらいの年代は意地の強い人が多くて、
前日まで腰を曲げて畑に出ていた年寄りが、
明くる日ぱたっと倒れて亡くなってしまうなどということがよくあったらしい。
長く寝たきりになって家族の世話を受けるという人は不思議と少なかったという。
当時は自宅療養と往診が当たり前で、入院先で亡くなるということも年寄りでは珍しかった。

ひいばあさんも肺炎と診断されてから1週間もたたずに死んでしまったが、
寝ついたという話を聞いて、近隣のばあさん連中がわらわらと訪ねてくる。
それも夜陰にまぎれるという感じで。
ばあさんらは普段は夕飯を食うともうひっこんで寝てしまうんだが、
夜の9時過ぎ頃に見舞いと称して野菜などを持ってきては、
病人の枕元で長いこと話し込んでいく。
ひいばあさんは熱も咳もあって話ができるような容態ではないんだけど、
それもかまわず病人に向かって「下の郷の○○婆を引っぱってくれ」
のようなことをくどくどと頼み込む。

その○○婆にどんなひどい仕打ちをされたかなどのこともいっしょに。
これらの声はひいばあさんが寝かされてる部屋から逐一聞こえてくるんだが、
頼む方はそういうことも気にしてられないというくらい熱心だった。
その頃はまだ一家を仕切っていた自分のじいさんは、あまりいい顔はしてなかったが、
ここらの集落の風習みたいなもんだから仕方がない、という感じだった。

ひいばあさんの葬式を出して3ヶ月以内に、集落の年寄りが2人亡くなった。
そのうちの1人は間違いなく、ひいばあさんが引っぱってくれと頼まれていた対象だった。
ただしその人は70過ぎだったんでたまたまなのかもしれず、
引っぱりの効果かどうかは何とも言えない。



・まさに死の瀬戸際で苦しんでる最中に、
他人の怨み事を連日連夜死ぬまで枕元で言われ続けるとか…ひいばぁちゃんお気の毒に
本当に嫌な風習だね。誰と誰がいがみ合っていて…と言うような、
知りたくないことを知ってしまう上に、
自分の体調を気遣って来てくれてる訳でもないなんて、二重に辛いよ。

>ひいばあさんの葬式を出して3ヶ月以内に、集落の年寄りが2人亡くなった。
あの世ヘ渡る船には一度に三人まで乗れるんだっけ・・・

・本当、同意。
人生の終わりを迎える時にそんな…
浅ましいというか寂しい因習だ。
まぁ意地の悪い言い方すると、風習ならもしかして
婆ちゃんも他の誰かに頼んだことがあるかもしれんが。

・もろ花輪さんの漫画に出てきそうな題材だな

・本当は死ぬ人が引っ張ってるんじゃなくて、
その引っ張って欲しいと願う人の怨念がそうさせてるんじゃないかな…
死ぬ人からしたら、見ず知らずの人間を道連れにするメリットなんて、あまりないだろうし

・引っ張られた二人がさらに各位二人を引っ張っていったら、ネズミ算になるのではないか。
引っ張られてしまった人はほかの二人分を連れて行けはしない法則でもあるのだろうか?

・年寄りが死ぬタイミングって重なりがちなんだよ。
大抵気温が関係してるから。暑くても寒くても弱ってぽっくりいくので、
盆暮れは病院葬儀関係も忙しい

・二人連れてったんだよね? 片方は熱心に頼んでた奴のうちの一人だったりして

・病院でもよく3人1セットのことがありますよ。
全然元気だった患者が、次の日の朝訪室したら息が止まってたことがあって、
翌日ぐらいに、そういえばその前の日に
隣の病棟の具合悪い人が亡くなってたらしいと聞かされて、
さらには別な病棟でももう一人亡くなってたなんていう偶然を何度か経験があります。
だいたい3人のことが多い気がしますね。

・引っ張るにしても腕の数は二本だからねー。
片手の人が亡くなった時にも引っ張れる数は二人なのかなー。

・死に行く人に願うのではなく、死に行く人の頭上にいる死神に願っているわけですよ

・持っていくのは身内の不幸や病気だけにしてくれ。





妖怪談義11(ろくろ首)

2015.10.17 (Sat)
* 今回はひさびさの妖怪談義です。
えー題材として取り上げるのは「ろくろ首」で、
Wikiを参照しましたところ、非常によく書かれてあり、
自分がつけ加えることもあまりないようなんですが・・・
ろくろ首の「ろくろ」の由来は諸説あってはっきりしませんが、
井戸のろくろ、これは上から吊るした滑車のことで、桶に結んだ縄を、
滑車を通して上げ下げする様子が、首が伸びるさまに似ているということですね。

うーん、これで決まりじゃないかとも思われるでしょうが、
陶芸で使用するろくろ説も捨てがたいです。あれをくるくる回して、
出来あがった茶碗がにゅーっと上に伸びていき、最後に糸でブツンと切る。
あの一連の工程が首が伸びる感触を思わせるというもので、
こっちもそれなりに説得力がある気がします。

ろくろ首と言われるものは、大別すると2種類ありまして、
一つは首が体から抜け落ちて、空を飛んで自由に行動できるタイプ。
これは「抜け首」とも「飛頭蛮(ひとうばん)」とも言います。
飛頭蛮は中国の呼び名で、東晋の時代(3、4世紀)の小説中に登場しますので、
かなり古いものです。おそらく、日本のこれ系のろくろ首は、
この中国の話が元になっているのではないかと思われます。
首の切り口は、そのまま何もない場合もあれば、
尾を引いていたり、火が出てたりするようですね。
ただこの場合、戻っていく本体(胴体)の存在がわからなければ、
いわゆる生首の幽霊、妖怪との区別がつけにくいですよね。

もう一方のタイプは、こちらのほうがマンガや映画でポピュラーでしょう。
首がにゅーっと長く伸びて胴体とつながっているもので、
ただし、江戸の戯作者連の解説によれば、
この首に見える部分は霊的な糸とされるようです。
まあ、解剖学的には人体の頚椎や筋肉組織がそのように伸びるわけはないので。
昔は、見世物小屋でこのろくろ首の出し物がよく掛けられていたそうで、
仕組みはなんとなく想像できそうです。

下図は鳥山石燕の『画図百鬼夜行』からですが、まわりの小道具が少ないため、
推測の手がかりがあまりないのですが、この絵では身分の高い女性のように見えますね。
あと、肩の中間で首が急激に細くなっており、ロウソクの芯のようでもあります。
霊的な糸というのはそうなのかもしれません。
江戸時代には戯作者による妖怪ブームがあり、
このときに考えだされたものも実は多いのですが、
このろくろ首もビジュアル的には絵心をそそりますので、
そうしたものの一種かもしれないですね。



さて、「霊的な糸」ということをキーワードに2つほど考えてみます。
まず最初はエクトプラズム説です。
エクトプラズムとは、シャルル・ロベール・リシェ(1913年ノーベル賞を受賞)
という、心霊主義では有名なフランスの生理学者の造語で、
「霊能者などが霊の姿を物質化、視覚化させたりする際に関与するとされる半物質、
または、ある種のエネルギー状態のもの」と定義されています。

ただ、心霊主義時代の霊媒でこのエクトプラズムを出すことができた人は多いのですが、
最近はほとんど話を聞かなくなってしまいました。
現代的な検証には耐えにくいのかもしれません。
分析にかけられたことありまして、その結果「唾液や爪や髪の毛に似た成分」
が検出された、という話もあります。

エクトプラズムの場合、それを出している霊媒本人のエネルギー?体なのですが、
近くにいる霊がそれを利用して自分の姿を見せたり、
昔の霊がそこに降りてきている場合もあるようです。
つまりエクトプラズムが顔状になったとしても、
それを出している本人とは別人であったりするのです。
顔のあるエクトプラズム画像をいくつか載せますが、ちょっと笑えます。
じつは、こういう画像の中には、エクトプラズム内の顔が、
雑誌に掲載された写真とそっくりであると判明している例もあります。
全体としては、残念ながらろくろ首には見えないですよね。



さてさて、もう一つの解釈としてあげられるのが「体外離脱」です。
つまりもう一人の自分が体外に抜け出して、寝床に寝ている自分の体を見た場合、
首が伸びているように体験者が錯覚するかもしれないという説ですね。
前にも紹介しましたが、脳神経学社のV・S・ラマチャンドランは、
体外離脱体験の原因として、側頭葉の上端付近に位置する回角という部分が、
それを引き起こす可能性を示しています。  関連記事 『自分の影におびえる』
この場合、本人は首が伸びてるかもと錯覚したとしても、
他の者がそれを目撃することはできないので、本人が「こういう体験をした」
と言わなければ誰にもわかりません。
うーん、これもろくろ首に結びつけるのはけっこう難しいですね。

ただ、江戸時代の随筆随筆『耳嚢』では、
「ろくろ首の噂のたてられている女性が結婚したが、結局は噂は噂に過ぎず、
後に仲睦まじい夫婦生活を送った」という話があり、これなどは、
本人が幼少時に幽体離脱体験をして、それを誰かに語ったため、
そういう噂がたってしまった、と推測できないこともないですかね。






クリオネ

2015.10.16 (Fri)
年末ジャンボが今年ももうすぐ発売になりますよね。
スゴイですよね、1等7億円で、前後賞合わせて10億ですってね。
わたしも毎回、出るたびに買ってました。それは当たるにこしたことはないですけど、
よく言われることですが、純粋にフアンとして、
わくわくする夢を買っていたって感じですね。
いやあ、今年はどうしようか悩んでるところです。
去年みたいなことがあったらと思うと・・・ええ、あれこれ実害がありましたから。
ええ、これからするのはそのときの話なんです。
クリオネってご存じですか? 流氷の天使と言われてるあの生き物です。
みなさんもご存知でしょう。テレビだと接写されて大きく見えますけど、
実際は3cmもないんですよね。しかも冷たい海でないと生息できない。

あの大きいのを見たんです。それも空中に漂っているやつを。
それだけじゃなく、しばらくの間飼ったっていうか、いっしょに過ごしたんです。
まあ聞いてください。毎年、年末ジャンボの発売って11月の下旬ですよね。
発売初日には、テレビで特集が組まれたりもします。
でも、わたしはあの人混みの中で買うのはあんまり好きじゃないんです。
それと、わざわざ過去に高額当選が出た人気売り場で買うのも。
だから毎年12月に入ってから、職場から一番近いとこで買うようにしてたんです。
そうですね、入れ込んでるわけじゃないんだよってポーズを、
自分自身に示したかったのかもしれません。
去年の12月の10日です。仕事が早く終わりまして。
宝くじ売り場って普通は7時前にはしまっちゃうじゃないですか。

けど、その日は余裕を持って買える時間がありました。
それでね、ひと駅分歩いて宝くじ売り場に寄ったんです。
大きなところじゃなく、ボックスでやってる窓口2ヶ所だけの店です。
もう買う人はおおかた買い終わってる時期なので、並んでいる人はいませんでしたね。
店に寄ろうとしたら、2番窓口の上のところにクリオネ状のものがいたんです。
でも大きさが10cm近くありました。白くてふわふわして、
一種の電球にも見えましたね。ええ、わたしも最初は飾りの一種だと思ったんです。
ところが近づいていくと、それが宙に舞い上がり、
小さな羽根をパタパタ広げて飛び回ったんです。あっ、生きなのか?? と思いましたが、
その動きが、わたしが宝くじを買うのを誘ってるように見えたんです。
そのときです。中年の男性が宝くじ売り場に向けてわたし同様に道を外れました。

あ、この人も買うんだ。そう考えて、やや小走りで窓口までいき、
タッチの差でその人の前に出たんです。
いや、別に気分を害したようには見えませんでしたよ。
体が触ったわけでもないし。でね、いつものように10枚、
3000円分買ったんです。その間、クリオネはずっといて、
ジャンプしても届かないくらいの高さをひらひら舞ってました。
でね、帰路につこうとしたら、クリオネがついてくるんですよ。
わたしの頭の真上を飛んでね。もしやこれは、幸運の天使なんじゃないかって思ったんです。
ええ、宝くじが高額当選するかもってことです。
他の人にも見えるのかと思って、自分のを買い終わったさっきの中年男のそばに寄り、
わたしの頭上を指差して、「あの、すみません、これ何でしょうかね?」って言ってみました。

中年男は眉間にしわを寄せ、不審そうにわたしが指差す上方を見てましたが、
「何もないだろ」そう言ってすたすた歩いていったんですよ。
ああ、これは他の人には見えないんだってわかりました。
で、そのクリオネを頭上に従えたまま、自分のアパートまで帰ったんです。
これがねえ、不思議な動きをしまして、例えば天井の低いところにくるでしょう。
そうするとクリオネは壁にもぐるんです。意味がわからない?
例えばアパートのドアのとこは低くなってますよね。
クリオネは下に降りてきてあれをくぐり抜けるんじゃなく、同じ高さを保ちながら、
壁の中にぱっと消える。わたしがドアの中に入ると、クリオネも入っていて天井を飛んでる。
そんな感じでした。だからやっぱりこの世のものじゃないんだろうと考えまして。
え、そんなものが見える自分の頭を疑わなかったかって?

うーん、今となってはそのとおりですけど、当時は考えもしませんでした。
でね、買ってきた宝くじ10枚は、神棚とかあればそこに上げるんでしょうけど、
ないので、クローゼットの上に文鎮で重しをして置いたんです。
そしたら、クリオネもその上のところでひらひら舞ってました。
触ろうとは考えませんでした。だって壁抜けするんだから、
手でも触れないだろうと思ったのと、それとね、逃げ出されたりしたら嫌じゃないですか。
完全に幸運の神様だと信じこんでましたからね。
ただし、観察はしましたよ。頭に猫みたいな耳があるのは本物のクリオネと同じでしたが、
その上にうっすらと輪っかがあったんです。天使の輪っかだと思いました。
それと、体の中央部がオレンジに光ってるんですが、通常の光とは違って、
それに照らされてまわりが明るくなるということはなかったです。

部屋の電気はつけても、つけてなくても同じように見えてました。
でね、場所は宝くじを置いた上をぜったいに離れなかったんです。
ねえ、どうしたって関係があると思うでしょう。それからは、部屋に帰るのが楽しみというか、
心配になってきまして。ええ、もしも戻ったときにクリオネがいなくなっていたらどうしよう、
って考えまして。それからは、できるだけ残業は断って早く帰るようにしました
彼女もいたんですけど、それで疎遠になってしまって・・・
どうしてか、人に言うとよくない気がしたんですよ。
だから教えませんでしたし、もし10億当たったら、女に不自由することもないでしょ。
部屋に入るとまずはクリオネを確認する。ええ、普通のペットよりずっと気を遣ってました。
考えてみればやっぱし、おかしくなってたんでしょうねえ。
だってクリオネがいてもいなくても、宝くじの番号が変化するなんてありえないですから。

それが、こいつがいなくなったら当選から外れるって気持ちになっちゃいましてね。
で、12月に入り、年がだんだんに押し詰まっていって・・・
宝くじの抽選は大晦日ですよね。その日は彼女から誘いがあったんですが、
それも断って、自分の部屋でクリオネが飛ぶのをみながらテレビをつけてまして。
NHKの紅白、ゆく年くる年と終わって、いよいよ年末ジャンボの抽選・・・
もうわたしは期待と興奮で、ありきたりな言いかたですが胸が張り裂けそうで。
そのとき、機嫌よさそうに飛んでいたクリオネに変化があったんです。
宙から宝くじの上に降りてきました。注視してましたら、
頭がぱかっと割れたんです。そして中から何本もタコの足のようなものが出て、
そっちを下にして宝くじの上を這うような動きをして・・・
いきなり、一直線にわたしのほうに飛んできました。

たぶん頭を貫通したんだと思います。強い衝撃があって気を失ってしまったんです。
・・・気がついたら元日の朝になっていました。
宝くじはそままありましたけど、クリオネの姿はなし。
ネットで当選番号を確認しましたが、当たったのは続き番号だったので、
最低の6等が一枚だけでしたよ。
あとねえ、クリオネがあたったと思われる右のこめかみ、
もみあげ部分の髪が焦げていまして、さわると焼けた髪の毛がパラパラ落ちました。
あと、程度はそこまでではなかったんですが、左の側頭部も。
やっぱり頭の中を通り抜けていったんでしょう。
まあこんな話です。それ以来一度も見てないんですが、なんかねえ物忘れが大きくなって、
今年は仕事でのミスが多かったんです。やはり何か関係があるんでしょうか?

クリオネの補食シーン







ゼイゴ様の話

2015.10.15 (Thu)
今晩は、よろしくお願いします。今夜話をさせていただくのは、ゼイゴ様という、
自分の郷里にある神社のことです。実家の町内にありまして、
御祭神は諏訪神社と同じなのですが、その他によくわからない神様が2柱祀られてます。
おそらく、こちらが元々の神様なんだと思います。
場所が東北ですから、アイヌ系のね。それが、明治になって国家神道が始まってから、
いろいろ難癖をつけられるのを慮って、有名な神様を勧請したってことじゃないかと。
大きなところではありません。どこの町にもありそうなごく普通の神社です。
町中にあるんですが、裏手が川になっていて杉林もあるんです。
それと、境内には榎や柏も生えてます。そのご神木のうちの一本が、
四角く縄で囲われていて、乳房榎って名前がついてるんです。
木の瘤がちょうど真横に2つ並んでいて、それが乳房に見えると言われていて。

それでなぜか、その乳房の部分だけ樹皮が剥がれているんです。
ですから夕方に遠くから見れば、
乳房だけが白く宙に浮かんでいるように見えないこともないです。
樹皮はだれか、神社の関係者か氏子連が、
評判を取ろうとして、その昔にやったのかもしれません。
これはけっこう高い位置にありまして、一般的な女性の胸より数十cmも上です。
小さなところですから、社務所もないし、ご神職も常駐はしてません。
町内の少し離れたところに、栗焼酎を造っている酒屋があって、
そこの代々の当主が資格を取り、神職を務めているんです。
今もそうだと思いますよ。ええと、ここは怖い話をする席ということでしたが、
自分の話はあまり怖いものではありません。そこはご承知おきください。

真柄小児科

神社は普通に町内にあるので、右隣は八百屋でした。
大型スーパーに押されてもうありませんけど。それで、左隣りが真柄小児科医院、
っていう個人病院だったんです。自分は小さい頃から風邪ひきの体質だったので、
よく世話になったものです。近いせいあって、中学校になっても行ってました。
まわりは赤ちゃんばっかりでしたが。
それで、あるとき・・・小学校の高学年ころに気づいたんですが、
赤ちゃんを抱えている母親は、赤ちゃんが泣き出すと立ち上がって、
待合室の窓のほうへ行くんです。そこからゼイゴ様の境内が見えました。
乳房の榎も、乳房自体は陰になってましたが、木そのものは見えましたよ。
そうすると熱があったりしてむずかっていた赤ちゃんがピタッと泣きやむんです。
これは不思議でしたね。そこに来るお母さんたちのほとんどが知っているようでした。



自分はゼイゴ様の前を通って小学校に通っていました。
通学路だったということです。あるとき、まだ8時前でしたが、
ゼイゴ様の境内に人だかりができていて、何だろうと不思議に思ったんですが、
子どもだし登校時間が迫っていたため、そのまま行き過ぎました。
その日うちに戻ってから母親に聞いたんですけど、「うんまあ、ちょっとね」という感じで、
ちゃんと教えてくれなかったんです。それで、はああこれは、
きっと子どもは知らないほうがいいことなんだろうとは思いましたが、翌日学校に行くと、
知ってるやつがいて教情報をくれたんです。境内に藁人形が釘打ちされていたということでした。
それもあの乳房榎にです。ゼイゴ様は裏手が川なので、
そっちを回れば確かに人には合わないで済むんですが、まさかねえ、
これは丑の刻参りというものでしょう。そんなのが近所であるなんて、怖いなあと思ってました。

この後も全部、情報通のやつから聞いた話なんですが、
神職はじめ主だった氏子が集まって神様にお伺いを立てると・・・
藁人形はそのままにしておきなさい、という卦が出たのだそうです。
そこでそのままにしてどうなるものかと見ていますと、釘は2日目、3日目と深くなり、
4日目には2本目の釘が、藁人形の頭部に突き立たんです。それで7日目が満願でしょう。
みな地域のものは、半信半疑ながらも死亡広告に注目してたんです。
そしたら亡くなったのが、市の助役の息子で、不思議なことに、
自宅の車庫で自分の車とコンクリ塀にはさまれてのことだったんです。
当時の車は今とは違ってコンピュータ制御はなく、機械そのものでしたけど、
それでも、警察が首をひねるような事故だったそうです。偶然かもしれませんが、
この死んだ息子は、ひじょうに女癖がよくなかったという評判だったようです。

キラキラ

これは自分が高校を卒業して、
他県の中核都市に就職に出るのが決まった3月のことでした。
たぶんそっちで結婚もして、盆正月以外はもう町には帰ってこれないだろうということで、
卒業式の翌日、晴れたので家族でゼイゴ様にお参りに行ったんです。
雪深い地方なんですが、参道はきれいに除雪されていました。
みなで拝殿に手を合わせてから、道がついていた乳房榎にも回ってそこでもお参りをしました。
そのときに、小学校のときにあった丑の刻参り騒動のことを思い出して、
よく見てみましたが、どこにも釘の跡らしいものはなかったんです。
帰ろうとしたとき、だれもぶつかったりしていないし、風もなかったのに、
グンと乳房榎が揺れたんですよ。すると枝に積もっていた雪というか氷ですね。
それが欠片になって、キラキラ光りながら落ちてきたんです。
ものすごくきれいでした。まあ、それだけのことでしたけども。

15年後

このことがあってから15年以上後です。といえば自分の歳もわかってしまいますね。
結婚しただけでなく、子どもが2人産まれまして、次男はまだ1歳です。
その間に、実家のほうでは父が亡くなりましたが、母は健在です。
もちろん盆や正月はじめ、子どもらの夏休みなどにもちょくちょく帰ってます。
しかしここいらは、町並みは多少は変わりましたが、
全体としてみれば自分が子どもの頃と雰囲気自体は同じですよ。
真柄小児科医院もあります。ただ、先代は他界していて、
今は娘さんが婿をとって跡をついでるんです。
それで、この正月に孫を見せに里帰りしたとき、次男が熱を出してしまいまして、
真柄医院に連れて行ったんです。三が日中でしたけど在宅で、開けて診ていただきました。
そのときに昔の、赤ちゃんを乳房榎のほうに向ければ泣き止む話を思い出して、

自分の息子で試してみたんですが、まったく効果はありませんでした。
乳房榎は今でもあるんですけどねえ。
こういう昔話みたいなことは、時間がたつうちに薄れていっちゃうってことでしょうか。
幸い息子はたいしたことがなく、点滴で熱が下がりました。
翌日も診察をお願いして、その帰りにザイゴ様に寄ったんです。
変わらない町の中でも、そこの境内はまったく昔のままで、
ふっと木の陰から、子ども時代の自分が飛び出してくるような錯覚を覚えました。
乳房榎の乳房部分は、多少ですけども高さが上になってる気がしました。
これは木がまだ成長してるってことなんでしょうねえ。不思議なことは何もなかったです。
ああ、話していませんでしたか。ゼイゴ様というのは、漢字で書くと在郷様、
それがなまった呼び名なんですよ。








夢の効用

2015.10.14 (Wed)
* 今日も怖い話ではありません。
自分はこの手の文章を書く場合、3つの事項を取り混ぜて書くことが多いです。
前回の「ガイジュセク、オヤビン、黒い眸」もそうでした。
取り上げる内容が2つだと、これは単純であまり面白くないですし、
4つだと複雑になってしまうからです。
ごく短い時間でブログを書いている自分には、3つくらいがちょうどいい。

そこで今回の3題は、夢を中心テーマとして、
「エリアス・ハウ」「無意識」「ビートルズ」です。
エリアス・ハウと夢(無意識)には有名な話がありますが、
ビートルズはあまり関係がありそうにないですね。3題話では、
こういった場違いに思えるものを一つだけ混ぜておくのもテクニックではあります。

エリアス・ハウはアメリカ人で、ミシンの開発者として欧米では有名人なのですが、
日本ではご存じの方は少ないようです。
ただしこの当時、ミシンは多くの者の手によって争うように開発されており、
ハウはその中でも特に使い勝手のよい物を作ったということです。
エジソンの発明も、電球にしても蓄音機にしても、ほとんどがそんな感じですよね。
多くのライバルが同じものを研究していたという。伝記にはもちろん書かれませんが、
エジソンはそれらのライバルにイジワルをして蹴落とすこともあったようです。
さて、エリアス・ハウはミシンの発明・改良にあたり、
うまく針を返す方法をずっと考え続けていました。

そしてこんな夢を見たのです。
『夢のなかでハウは、ある国の王に、
ミシンを24時間以内にミシンを作らないと死刑だと言われ、
ミシン作りに必死に励むも、現実世界でも直面していた針の目の部分の問題に直面して、
それより先に進めないまま時間切れとなってしまいました。
そして死刑にされるために連行されているところ、
兵士の持っていた槍の先に穴が空いていることに気がつき、
それを見てミシンの針の穴の位置を針の先に付けるというアイデアが閃いたのです。
ハウは、もう少しだけ時間をくれるようにせがんでいるところで目が覚めました。』

目が覚めたのは午前4時でしたがハウは飛び起きて作業場へ走っていき、
9時には簡単なモデルが完成したいたと言われています。

これは無意識の働きによるものでしょう。
では無意識とは何か、この定義が難しい。「意識以外の脳活動」とすればよさそうですが、
そうすると「じゃあ、意識とは何なんだよ」と突っ込まれてしまいます w しかし、
これには異論もあるでしょうが、脳の中で「意識」というものが作られているとすれば、
意識以外の活動を担当している領域もまたあるわけです。
どうやら脳には、「これは意識にあげてやろう」
「これはマズいから意識に上らせないようにしよう」こんな感じで、
独自の判断をしているフシが見られるのです。

さて、ハウの場合、考え詰めたあげく、針に穴を開けて糸を通すというアイデアは、
無意識の中でたゆたっていたに違いありません。ですが、どういうわけか、
それが意識の表面に浮かび上がってこなかったんですね。
夢のなかでの意識は、睡眠中は常識や規範によるコントロールが弱まっているため、
現実の制約や日常的な配慮から解放されています。
そんな中で、もやもやした塊であったアイデアが一つにまとまった、
と見るのがよいような気がします。

ですからみなさんも、もし時間があれば、枕元にノートを用意して、
夢を見て目覚めた瞬間にそれを記録する、
ということをやってみれば、何かよいことがあるやもしれません。
それから、この場合、「夢のお告げ」「神からの啓示」
であるとする意見もあるのですが、それは自分はとりません。

次に、ビートルズの話に移ります。
彼らの1965年の2作目の映画『ヘルプ!4人はアイドル』(Help!)
のエンドクレジットには、
『This film is respectfully dedicated to the memory of
Mr. Elias Howe, who, in 1846, invented the sewing machine.』

(この映画を尊敬とともに、1868年ミシンを発明したE.ハウ氏に捧げる)

という文言が出てきて、どういう意味なのかわかりませんでした。
今もよくはわからないのですが、もしかしたら有名なミシン会社のシンガー(Singer)が
Singer(歌手)とかけられているのかもしれませんし、
映画の『リンゴーがはめている新しい指輪は、中近東の宗教カイリ党にとって大切なもので、
これをはめているものは即座に生け贄にされるという掟がある・・・』
というストーリー展開が、ハウの夢のエピソードにやや似ている部分がある、
ということなのかもしれません。

いくつか英文サイトを参照したところ、「一種の高度な?冗談であろう」
みたいな解説が多かったですが、もしかしたらもっと別の意味があるのかもです。
まあ、ここで見るように、エリアス・ハウが、
冗談の種にされるほど知られた人物であったのは間違いないようですね。

さてさて、最後に、ビートルズが夢をもとに作った曲といえば、
ポール・マッカートニーの「Yesterday」が有名です。
このメロディーを丸ごと夢の中で作曲し、目が覚めたあともしっかり覚えていたため、
すぐにピアノで再現し、家族や友人達に、
そのメロディを聞いたことがないか聞いて回ったそうです。
無意識のうちに誰かの曲を真似しているだけだと思ったのです。

詩は朝食中につけたようで、
Scrambled Eggs,oh my baby how I love your legs?"
(スクランブルエッグよ、オーベイビー、なんと私はお前の足を愛していることか)
というナンセンスな韻を踏んだ部分が入っており、
曲名も『Scrambled Eggs』としていたそうですが、
これは後に変えられました。変えてよかったと思います。
うん、なんとかうまくつながりましたね.。  関連記事 『夢の活用』

『Help! よりTicket To Ride』The Beatles







ハンザキ洞

2015.10.13 (Tue)
中学校2年生です。よろしくお願いします。
1ヶ月ほど前、理科の時間に無せきつい動物の分類というのを勉強しまして、
そのとき担当の先生がいろんな世界の動物の出てくるビデオを見せてくれたんです。
その中で、僕にとって一番インパクトがあったのがオオサンショウウオだったんです。
日本にはニホンオオサンショウウオというのが固有種ですが、
これはせいぜい1m半くらいにしかならないそうです。それに対し、
外来種のチュウゴクオオサンショウウオは2m近くまでになって、
生息域で押されてるみたいなんです。そういうことを勉強したんですが、
僕が何よりも感動したのが、近くで写したオオサンショウウウオの質感です。
少し透明感があって、ゼリーみたいな感じの。
それで、放課後の生物部の活動のときに仲間に話したんです。

そしたら、竹谷さんという先輩が、「オオサンショウウオはこのあたりにもいるぞ。
 矢鷺川で何匹か見つかった記録があるな」 「ホントですか、矢鷺川なら近いですよね」
「うん、俺のおじさんが川のそばに住んでて、オオサンショウウオのいるとこを知ってる、
 みたいなことを言ってたのを前に聞いたことがある」
「うわ、いいなあ。あれでも、天然記念物だから飼えないですよね。
 でも、さわってみるだけでもできないかなあ」
「じゃあ今晩、おじさんに電話して、案内してもらえるか聞いてみる」
こんな話になりました。それで翌日、部活のときに竹谷先輩が、
「昨日の話な、今週の土曜の午後ならおじさんが時間あるって。お前行くか?」
こう聞いてきたので、「行きます、行きます」って答えました。
竹谷先輩「他に行きたいやつ」って手を挙げさせ、もう1人2年生が行くことになったんです。

で、土曜日の午後、3人が自転車で竹谷先輩のおじさんの家に行きました。
矢鷺川の直ぐ近くで、40分くらいかかりました。さっそくおじさんが出てきましたが、
30歳くらいで、県のミニコミ誌をつくる仕事をしてるんだそうです。優しそうな人でした。
「やあ、せっかく来てくれたんだけど、今ね、川の上流で工事が入ってるみたいなんだ。
 行くだけは行ってみるけど、もしかしたら見られないかもしれないよ。
 というか、工事してなくても、見られる可能性は少ないんだけどね」
こんなことを言いまして、おじさんの家に自転車を置かせてもらって、
4人で歩いて川原を遡っていったんです。おじさんは、道々こんな話をしてくれました。
「オオサンショウウオはこのあたりでは、ハンザキとも言うんだけど、
 これどういう意味でつけられたか知ってる?」
「あ、聞いたことがあります。体を半分に裂かれても、生きて再生するってことでしょう」

「うーん、いや、いくらなんでも体を半分にされたら生きてはいられない。
 サンショウウオっていうのは元々、山椒のにおいがするからってつけられてる。
 山椒はハジカミとも言うからそれがなまってハンザキになったという説が確かみたいだね」
「へーえ」 「でね、これから行こうと思ってるのは洞窟なんだ。
 矢鷺川がかなり上流のところで地下に流れこんでる洞窟があって、
 そこがオオサンショウウオの生息地らしい。ま、オオサンショウウオは夜行性だから、
 地下でもあんまり関係ないのかもしれないね」 「洞窟ですか、すごいなあ」
「うん、隠亡洞って名前がある」 「隠亡?」 「昔に火葬をしてた人たちのことだよ。
 だけど今は差別用語みたいで、地図とかにも載ってない。
 ほらあの近くに市の火葬場があるだろ。今は炉と重油で燃やすんだけど、
 江戸時代から明治の半ばまでは薪を積んで火葬してたんだ。

 その仕事をしてた人たちが、洞窟の中に住んでたとも言われてる。
 まあ、わからないんだけどね」上流までは1時間近くかかり、かなり疲れてきました。
おじさんは遠くのほうを見て目を細め「あー、もうすぐなんだけど、
 やっぱり工事してるみたいだ」こう言いました。確かに川原に何台か、
工事車両が入ってるのが見えました。近づいていくと立入禁止の札があり、ロープが張られて、
それ以上進めないようになってたんです。工事の人の姿は見えませんでした。
看板には「河岸改修工事中 半崎建設」と書かれていて
「ハンザキなんてすごい偶然だな」って、みなで言い合いました。
「これはちょっとダメかな。うーんでも、地下川の流れるルートはだいたいわかってるから、
 そこ歩いてみよう」 おじさんが土手に上がったので、みなもついていったんです。
土手の向こうは、少し小高くなった畑地で、かなり幅広い用水路がありました。

「これが地下の川ですか」 「たぶんな。地上に出たり潜ったりで、
 最終的には矢鷺川と合流するはず」それに沿って歩いて行くと、
確かに用水路が地下に潜っていくところがあり、その脇に、
下に降りていけるようになった鉄の階段があったんです。
「そう危険はなさそうだね。ちょっと降りてみようか」 おじさんが言い、
みなが一列になって、手すりにつかまりながら急な階段を降りていきました。
中は広く、水路はコンクリで、上部には蛍光灯もついてたんです。
「ふーん、洞窟に入るつもりで懐中電灯用意してきたけど、これなら必要なさそうだ」
「でも、水すごく濁ってますよね。これでオオサンショウウオが住めるんですか」
「かなり水のきれいな場所じゃないといないと思ってる人が多いけど、
 じつはそうでもないらしい。京都のほうだと大雨が降ればふつうに川から上がってくるとか」

で、そのトンネルのような水路は、せまくなるどころか少しずつ広くなっていきました。
「これはスゴイね。たぶん大雨のときに水を逃がしてやるために広げたんだろうけど、
 こんな工事してるなんて聞いたことがないな」 おじさんが言いました。
15分ほど歩いたとき、竹谷先輩が水路を指差して「何かいる、でかいもんだ」
って叫んだんです。みなが見ると、泥色に濁った水の中に人の背丈ほどの影があるようでした。
それは2mほど離れたところの水面スレスレを、スーッと先に進んで行ったんです。
「サンショウウオの動きじゃないな。でかい魚かな」速くて追いつくことはできませんでした。
さらに5分ほど進むと、巨大な鉄柵があってそれ以上進めなくなりました。
鉄柵にはゴミの他に、動物の骨がいくつも引っかかっていたんです。肋骨が針金のように細くて、
もちろん人間のものではありませんでした。それと、鉄柵の向こうが池のように広くなってて、
青い光が見えたんです。船、潜水艇といえばいいですか、そういうのがあったんです。

そうですね、鉄柵ごしだし、暗くてよくわかりませんでしたが、
トラックくらいの大きさがあったと思います。それが水の中に半分浮いてて、
バチバチ青い光を出してたんです。「すげえ・・・」
バチッと光が走ると、水面がバシャバシャ波うち、たくさん生き物がいるのがわかりました。
「なんだよこれ」僕がそういったとき、鉄柵の向こうにぼこっと黒い頭が出ました。
みな息を飲みました。最初は生物だと思ったんですが、そうじゃなく、
潜水服を着た人だったんです。その人は口に咥えたものを吐き出し、僕らに、
「◯☓◯△ ◯☓☓△ 〇〇□☓」すごい勢いでまくしたてたのが、日本語じゃなかったんです。
おじさんもあっけにとられていましたが。「◯△□」と短く言葉を返し、
僕らのほうを向いて「戻ろう」って言いました。それで、来た通路をたどって地上に出たんです。
「さっきの人なんて行ってたの」竹谷先輩がおじさんに聞くと、

「はっきりわからなかったけど、かなり怒ってたよ。韓国語は少ししかわからないんだ」
おじさんがこう答えたんです。それからおじさんの家に戻り、
「せっかくきてくれたんだけど、オオサンショウウオが見られなくて残念だったね。
 工事が終わったら連絡するから、また行ってみよう」そうおじさんが言って、
解散になりました。でも、次はなかったんです。2週間前に大雨が降ったでしょう。
最近よく言われるゲリラ豪雨です。あのとき死者が4人出たんですが、
3人は河川改修工事の現場にいた半崎建設の一人で、もう1人が竹谷先輩のおじさんだったんです。
雨が上がって2日後に、工事現場近くの川面に浮いているのが見つかりました。
それと土手の上から流れる用水路、僕たちが入っていったところですが、
すっかり泥が流れ込んで埋まってしまったみたいです。ええ、もう復旧工事に入ってますけど、
半崎建設ではなかったです。金谷工務店っていう県外の別の会社でした。






ガイジュセクとオヤビン

2015.10.12 (Mon)
* 今回も怖い話ではありません。この話題です。
ちょっと古い、今年6月のニュースですね。

『ロンドン大学神経医学研究所は、自然なヒトの遺伝的変異が、
クロイツフェルト·ヤコブ病などのプリオン病に耐性を持つと発表した。
クロイツフェルト·ヤコブ病(CJD)やウシのBSE(狂牛病)は、
異常プリオンが脳や中枢神経系に蓄積することが原因とされているが、
いまだに治療法が存在しない不治の病として知られている。

プリオン病を研究するチームは、パプアニューギニアにおける風土病
「クールー(kuru)」に着目。同地では近代まで死者を弔う儀式での食人習慣があり、
(1950年代以降は行なわれていない)
クールーはこれに起因する異常プリオンの蓄積が原因とされる。
研究チームはクールーにもかかわらず生存してきた現地の人の遺伝子を調査し、
プリオンタンパク質に対する耐性と見られる変異を発見した。』

(Newsweek 日本語版)

変な題名ですが、2人の人物についてとりあげています。
ガイジュセクはご存知でしょう。ダニエル・カールトン・ガイジュセク(ガジュセック)
アメリカの医師で、クールー病の研究により、
1976年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した人です。
ちなみに晩年、氏は児童に対する性的虐待で有罪判決を受けています。
ヤバいですね。ノーベル賞は返上しなくてもよかったのでしょうか?

クールーはクロイツフェルト・ヤコブ病と基本的には同一で、
1920年台にドイツ人医師により報告されました。
ガイジュセクはパプアニューギニアでのフィールドワークにより、
ニューギニア島南部高地に住むフォレ族の間で広まっていたこの病気が、
人肉食由来であることを論証した功績で、ノーベル賞を受けたのです。

フォレ族では1950年台まで、
葬儀のときの死者の人肉食を儀式として行っていました。
このときに脳まで食す習慣があったので、クールーが蔓延したのです。
(まれに脳とその関連以外の部位を食べても起こる場合があるようです)
特に女性と子どもに多かったと言われます。症例は、異常プリオンが脳内に侵入し、
脳組織に海綿状の空腔をつくって脳機能障害を引き起こすもので、
進行が早く、ほとんどが1~2年で死に至ります。
脳がスポンジ状にスカスカになる症状は、アルツハイマー病によく似ています。

牛が牛の脳を食べれば狂牛病になり、人間が人間の脳を食べればクールーになる。
この発症メカニズムもよく似ていますが、
自分は初めてこの話を聞いたとき、共食いの呪いみたいな禍々しい感じを受けました。
フォレ族がなぜ50年台で人肉食をやめたかというと、
これは現地に入った白人宣教師の影響が強かったためのようです。
人肉食がなくなるとクールーも収まっていったのです。

さて、2人目、オヤビンというのは、このブログによく登場していただく、
食生態学者の故 西丸震哉氏の敬称?です。
ご存知でない方はこのリンクを参照してください。
関連記事 『オヤビン西丸震哉氏について』
日本オカルト界の先駆者であり、怪談文化に寄与した功績は巨大です。
じつはオヤビンは1968年から1年近く、
パプアニューギニアに入ってフィールドワークを行っています。

その体験を書いたのが『さらば文明人ーニューギニア食人種紀行』という本で、
現在ならこの副題は変えられてしまうかもしれません。
現地に入って早々、熱帯に慣れるためと称し、
旧帝国陸軍が死の行進をしたとされるオーエン・スタンレー山脈を踏破するなど、
(オヤビンは登山家としても有名) さまざまに破天荒な行動をとっています。
ちなみに、この山行には旧日本軍の幽霊を目撃するという目的もありました。

オヤビンは、このフォレ族の中にも入って調査を行ったのですが、
彼らは人肉食をやめて10年以上たっており、
悪い過去だと思っていて、オヤビンにもそのことを隠していました。
そこでオヤビンは「俺も別のところから来た人食い族なんだ」
と嘘をついて情報を引き出した、などと本には書いてあります・・・

また「人肉は味の素の味がする」と現地人が証言したという話も出てくるのですが、
これはそもそも、現地人が味の素を食べたのも、
オヤビンによる試食会のときが初めてであって、
要は、人肉はうま味があるということなんでしょうね。
ところで、上記のガイジュセクがクールーが人肉食由来である証拠をつかんだのは、
英文文献によれば1965年のことのようです。
オヤビンの本には、フォレ族のクールーについて観察して書かれた部分もあり、
もし10年早くオヤビンがニューギニア入りしていれば、
もしかしたらオヤビンのノーベル賞受賞も・・・

まあ、これはないでしょうか。オヤビンの興味は生理学的な面よりも、
どちらかというと人肉食の倫理的な側面にあったようで、
徹底して現地人擁護の立場です。「彼らは神聖な儀式としてやっていたのだし、
人肉を食べることを罪とは思っていなかった」という論調で本は書かれています。
食べること=死者を悼み、再生させること であったわけですから。

もう一つ、クールーとは関係ない、「黒い眸」というロシア民謡にまつわる、
ガイジュセクのエピソードでを紹介します。
『パプアニューギニア地方を調査に訪れたガイジュセクは、
まだ石器を使っている未開民族と接触し、歓待を受けた。
その時、多くの伝統的な歌を聞かせてもらった返答として、
彼はロシア民謡の「黒い眸」を歌って聞かせた。

数年後、同じ地方の違う地域を訪れたガイジェセクは、
若い原住民たちが「黒い眸」を歌っているのを聞いた。しかも驚いたことに、
彼らの多くは、その歌が自分たちの先祖伝来の歌だと思いこんでいたのだ。
その後、この歌はさらに奥地まで浸透し、広く歌われていることが判明した。
外界から伝わった断片的な知識が、ほんの数年で、
原住民の伝統文化の中に定着してしまうことは十分にあり得るという典型例である。』


自分もフィールドワークで話を採集したりすることもありますし、
現在では、まったく外からの影響を受けていない
地域や部族というのはまず存在しません。
民間伝承における新しい時代の外部からの情報の侵入・・・
つねに心に留めておかなくてはならないエピソードだと思っています。

さてさて、話をクールーのほうに戻して、
現在のフォレ族で見つかった、クールーに耐性を持つ遺伝的変異というのは、
じつに興味深い話です。もし人肉食の習慣が50年代以降も続いていたら、
すべてのフォレ族にクールー病に抵抗する遺伝子が広がっていただろうと、
研究チームは推測しています。これはダーウイン進化論に合致する顕著な例なんですね。
『フォレ族から見つかった遺伝子変異をネズミに移植した。すると実験対象のネズミには、
クールー病だけでなく2つのタイプのブリオン病への抵抗力が生まれた。』

記事にはこのような報告もあり、治療法がない難病であるブリオン病、
さらにはアルツハイマー病の治療法の確立にも役立つ可能性があります。







包む

2015.10.11 (Sun)
昔の話だよ、今からウン十年前の。
最近もよ、あの世界はいろいろキナ臭いことになってるが、
当時はかなり殺伐としたもんだった。いやあ、俺は足を洗ってもうしばらくたつ。
ちょっと小金を得たんで、貸しビデオ屋をやってるんだ。まっとうな商売だよ。
当時俺はまだ20代で、ある組から盃をもらったばかりだったんだ。
で、最初のうちは相撲とか野球賭博の使い走りをしてたんだよ。
払いが滞ってる客のところに菓子折り届けに行ったりとか、そんな仕事。
ああ、チクられたら元も子もないんで、そういうことをするんだ。
でな、3ヶ月くらいして、兄貴から奇妙な仕事を命じられた。
これがホントに変な話で、今で言う心霊スポット巡りみたいなことだったんだ。
もっとも俺一人で全部行ったんだから、怖いだけで、面白いことは何一つなかったが。

ああ? 意味がわからねえ? まあそうだろうな。順序よく話すよ。
兄貴を乗せ、ミニバンを運転して、あちこちを回ったんだ。
何をするかと言えば、俺だけ夜中に兄貴の指定した廃屋に入っていく。
場所は大阪より西が多かったが、関東もあった。
もちろん泊まりがけになるが、そのためにミニバンの後部はベッドに改造されてた。
で、真夜中の12時にかかるようにして、近くの目立たないところに車を停め、
廃屋に俺一人で入るんだ。そうだなあ、新しいところもあったが、
多くは放置されてから十年以上はたってる家だったよ。
むろん玄関の鍵がかかってる場合も多かったが、
そういうときは窓を割って入るんだよ。空き巣の練習をしてるようなもんだった。
で、懐中電灯とバッグを持って入ったら、そこの家の仏間を探す。

だだっ広い農家や田舎の旧家がほとんどだったから、部屋数も多くてな。
それで仏壇を見つけたら、中を見て位牌と遺影とかの写真を全部外に出すんだよ。
で、バックに持ってきた道具、バールやペンチとかで、位牌は粉々に砕く。
遺影は額から出して、古い写真なんかと一緒に手でできるだけ細かく引き裂く。
あと、何と言うかわからねえが、故人の俗名と戒名、
死んだ年月日なんかを書いた帳面みたいなのがあるだろ、あれも同じようにする。
これ以上は細かくできねえ、ってとこまでやったら、その後はハサミを使い、
紙吹雪みたくして、最後の仕上げに、仏壇を上向きに蹴倒すんだ。
・・・もちろん罰当たりだってことはわかってたが、当時は兄貴の命令は絶対だったし、
なんとなく、この仕事の指示は兄貴よりずっと上から来てる感じがしたね。
俺の待遇がよかったんだ。兄貴から小遣いをふんだんにもらったし、

出かけるときには、食事は鰻屋とか会員制クラブとか豪勢なとこに連れてってくれた。
いや、やってることの意味はわかんなかったよ。ただその頃、
俺の組が所属してるもっと上の組が、さらに大きな組織と抗争になりかけてたんだ。
それと何か関係があるんじゃないかとは思ってた。そうそう、呪いか何か。
でもまさかな、呪いなんてものが本当にあるとも思ってなかったし、
半信半疑ってとこだったな。そうだなあ、気がついたことといえば、
どこの家の仏壇も普通のやつとはちょっと違った形で、同じ紋章が入ってたから、
もしかしたら同じ宗派のものだったんじゃねえかなあ。 え? そんな夜中に、
廃屋とはいえ、他人の所有物に侵入してサツに捕まらなかったかって?
まあな、田舎の家が多いというのもあったが、当時は携帯もない頃だったから、
無線機で外にいる兄貴と連絡をとってた。裏口から逃げたことも1回あったよ。

そうだなあ、全部で10数ヶ所でそれをやったはずだ。
だいたい1ヶ月で4軒くらい。だから4ヶ月の間のことだったんだよ。
でな、一軒終わって戻ってくると、ミニバンを乗りつけてきた兄貴が、
「お前、体の具合悪くねえか? 頭痛くねえか、肩重くねえか」って聞いてきたんだ。
最初のうちは、俺のことを心配してるのかと思ったが、
そうじゃないってことはすぐわかった。俺が「快調っス」って答えると、
がっかりしたような顔になるんだよ。な、嫌な感じだろ。
それで最後に行った家が、田舎の丘の上にあるでかいお屋敷で、庭も広くて、
干上がってたが池まであった。そこに忍び込んで仕事を済ませ、
畳2枚ほどもある巨大な仏壇を蹴倒したときに、体がズンと重くなったんだよ。
膝が震えて歩けないくらいだったが、なんとかして外に戻った。

玄関前でへたり込んでると、兄貴が来て脇を抱えて車まで連れってった。
「お前、具合悪いか?」 「ハイ、よくないっス」
「そうか、よくやったな。心配するな、今夜中に治してやる」
そう言って、自分でハンドルを握ったんだ。
俺は後ろのベッドに寝て、ずっと吐き気をこらえてた。
兄貴は3時間ほど運転して、そこに着いたのは朝方だったが、病院じゃなかったんだよ。
小さな市の駅前の飲み屋街みたいなところだった。
ごちゃごちゃした場所でミニバンが入れなくって、
兄貴に肩を貸してもらって、しばらく歩いた。朝の4時過ぎくらいだったから、
人はほとんどいなかったな。で、地下への階段を降りて入っていったのが、
鍼灸の治療所みたいなとこだったんだよ。

兄貴から連絡がいってたのか、ガラス戸に明かりがついてて、
中から小太りの婆さんが出てきた。白衣は着てたが、じつにうさん臭く見えたな。
で、治療室に入ると、上半身を裸にされて診療台にうつ伏せに寝かされた。
具合が悪かったけど、これから自分がどうなるか気になるだろ。
周りを見回したら、注射器とかガーゼとか、医者らしいものは一切なかったんだ。
そのかわり枕元の棚に、大きな葉っぱと小さな葉っぱ、
2種類が10枚くらい積み重ねられてた。大きい方は俺でもわかった。
あの餅を包む柏の葉っぱだった。もう一枚のほうはわからなかったんで、
「それ、何の葉っぱスか?」って婆さんに聞いた。
そしたら立って見ていた兄貴が、「こら、口を利くな」って怒ったんだが、
婆さんは「これは桃の葉ですよ」って子どもみたいな声で言ったんだよ。

それから、うつ伏せの後頭部に手ぬぐいをかけられたんで、
どうなったのかはわからなかったが、痛いということはなかったよ。
たぶん婆さんが、俺の背中に指圧とかマッサージみたいなことをしてたんだと思う。
ガサガサした指の感触があったからな。俺はだんだんに眠くなってきて、
夢うつつという感じだったが、ときおり兄貴が「うっ」とか「うわ・・・」
という声が聞こえた。兄貴は前科がいくつもあって修羅場をくぐってきた人なんだ。
それがそんな声をだすんだからな。なんとなく察することはできるわな。
で、時間にして30分くらいかな。「終わりましたよ」と婆さんが言って、
診療台に起きてみたら、気分がいいというわけじゃなかったが、
頭の痛さも体の重さもなくなっていたんだ。
背中も普通っていうか、後で鏡を見たら痕も何も残ってなかった。

でな、横の棚に、柏の葉っぱでくるんで紐をかけたこぶし大のもんが3つ置かれてた。
まさに少し大きい「ちまき」って感じだったんだよ。・・・それが動いてるっていうか、
微妙に震えているように見えたんだ。婆さんが兄貴に、
「とてもいいものが出ました。豊作、豊作。こっちで処理して若頭さんに渡しますから」
こう言い、兄貴は丁重に礼を返したんだ。その日はそこの街の高級ホテルに泊まり、
翌日になって組のある県に戻ったんだよ。それから俺は、
兄貴からかなりの小遣いをもらって2ヶ月ほどブラブラした。
全部パチンコですってしまった頃に、相撲賭博の仕事に復帰したわけだ。
で、組の抗争のほうだが、相手の組織のトップが急死して跡目争いのゴタゴタが始まり、
立ち消えになったんだ。いや、その後も体はなんともねえ、足を洗ったのは別の事情だよ。
そっちはそっちで、またわけわかんねえ話なんだが、聞きたいか?







聞いた話 2題

2015.10.10 (Sat)
食虫植物

これは自動車の板金塗装工場で働くMさんから聞いた話で、
Mさんとはよく行く居酒屋の飲み仲間なんです。
Mさんは高校生のときから二十歳ころにかけて、
ずっとバイクに乗ってたんですが、結婚したのを機にやめていました。
ですが最近、子どもがある程度大きくなったので再開したそうです。
リターンライダーと呼ばれるにはまだ若い年齢なのですが、
昔のような無茶なスピードは出さず、格好も渋目のファッションで、
主に晴天の通勤時に乗っていたそうです。
Mさんの家は郊外にあって、車通りの少ない県道を通るんですが、
そこは両脇が田んぼで、人が飛出す心配もまずなく、
時速50km制限のところを70kmほどで走っていました。

車もそれくらいで流れているそうです。
ある日、信号のある交差点にさしかかったところ、
左手の田んぼの中におかしなものがちらっと見えました。
赤と薄緑の色合いで植物のような感じでしたが、
3mほどの大きさがあったように思えました。でも、ふり返ってみると何もなかったんです。
ま、そのときだけだったら気のせいで済んだんでしょうが、
その後も通勤時に何度か見ました。これは朝に出社するときだけで、
帰りには一度もなかったそうです。朝の場合も、同じ場所なのに、
見えるときと見えないときがある。また、雨天で車で通勤したときにはまったく見えない。
これが不思議だったんですが、だんだんにわかってきたことがありました。
見えるのは、ある程度のスピードを出しているときだけだったんです。

どういうことかと言いますと、そこは信号機から数10mほど手前で、
信号が赤でスピードを落として停まろうとしてるときには見えない。
ところが、信号が青で赤になる前に通ってしまおうと、
80kmくらいまでスピードを上げているときには見える。
このことに気がついてからは、じっくり観察を試みました。
といっても、見えるのはその場所の真横に来たときの数秒程度で、
通りすぎてからふり向いても、ただの田んぼしかないんです。
その数秒間で観察したものは・・・ハエトリグサってご存知でしょうか?
食虫植物で、2枚貝の縁に鋭く長い棘が何本もついたものですが、
あの葉が一枚だけ、人の腕くらいの茎について縦になってるようなものだったんです。
下に画像を貼っておきましたが、イメージがわくでしょうか。

これが3mほどの長さで田んぼの中に突っ立ってたんですね。
まるで、スーパーや病院の案内看板みたいな感じだったと言ってました。
観察が進むにつれて、最初はしっかり閉じていたはずのトゲトゲの固い葉っぱが、
5月、6月と、少しずつだんだんに開いていくような気がしたそうです。
Mさんは、時間があるときに路肩にバイクを停め、
田んぼまで降りてみたんですが、やはり稲しか植えられていないただの田んぼで、
下に小さな食虫植物があるということもなかったそうです。
これは、他のバイク仲間を誘って、自分以外にも見えるかどうか確かめてみなきゃ、
そう思ってた矢先の7月初旬ですね。朝にその道を通っていくと、
いつも食虫植物が見える場所にパトカーが数台停まっていました。
バイクなので車の横をすり抜けていくと、横に入る道の前に警官がいて、

車をそちらの迂回路に誘導していたんです。
ミニバンが一台だけ路肩に停まっていたので、単独事故か、
対歩行者の事故だと思いました。Mさんも迂回せざるをえず詳細はわからなかったんですが、
その日の夕刊の地域欄に事故の内容が載っていまして、
母親と散歩していた幼児が、歩道と車道の間の鉄柵から道路側に転落し、
そこに運悪くミニバンが通りかかって頭を跳ねられ、田んぼまで飛ばされて即死したんです。
で、翌日はその道は通れるようになっていましたが、
道路脇に花束が積まれていたそうです。その横を通るとき、また例の食虫植物が見えました。
それまで少しずつ開いていたのが、最初に見たときのようにぴったりと閉じていたそうです。
その後も、ほぼ毎日その場所を通っているものの、
もう見えることはなくなってしまったということでした。

音楽室の絵

これはなんというか、怖い話の定番の一つになっている、
音楽室にかかっているクラシックの音楽家の肖像画の話です。
みなさんの小学校では、あの絵の目が動くなどの話はなかったですか?
一つここでウンチクを言うと、バッハやヘンデルが白くカールしたカツラを被ってるのは、
彼らが宮廷音楽家だったためで、そうではなかったベートーベンは、
蓬髪を振り乱しているんですね。さて、この話を聞かせてくれたのは、
やはり上の話の居酒屋の常連で、中学校時代吹奏楽部でチューバをやっていたAさんです。
吹奏楽部で男子は珍しく、彼の時代は3学年で4人だけだったそうです。
男子は力があるからということで、手に抱える楽器の中では一番重い
チューバをやるように顧問の先生から言われたんですね。
Aさんの中学校には音楽室は第一、第二と2つあり、

ふだんは各教室に分かれてパート練習をしているのですが、
最期の30分くらいは、第一音楽室に集まって全員で曲を合わせます。
第二音楽室が使われないのは、そこの床は声が響きやすいように段々になっていて、
ドラムセットや譜面台が置きにくかったからで、天井も斜めになっていたそうです。
こちらの教室のほうに、例の音楽家たちの肖像画が掲示されていたんです。
で、第二音は吹奏楽部の荷物置き場になっていました。Aさんが3年になり、
最後のコンテストも間近の9月、毎日7時過ぎまで練習していたある日のことです。
合同練習の休憩時間に、楽器を拭くタオルを忘れたことに気がついたAさんは、
第二音に一人で取りにいきました。そしたら、いつもはつけっぱなしの蛍光灯が消えていて、
Aさんが教室に入ってスイッチを押したところ、
蛍光灯はついたものの、教室の天井付近に黒い闇が残っていたそうです。

煙とはまた違う真っ黒な闇の固まりが、天井から50cmほど下まで垂れ下がって・・・
Aさんの言葉によると、マジックで紙に点々を無数に書いていったようなもの、
ということでしたが、これも想像がつきますでしょうかねえ。
その闇は少しずつ動いていて、斜めの天井を下から上に、
黒板の上に飾られた音楽家たちの肖像画に向かっていきましたが、
肖像画の近くまでくると、まるでその壁にあたるのを避けるかのように、
向きを変えたり、薄まったりしてだんんだんに消えてしまいました。
そこまで呆然と見ていたAさんですが、自分のバッグからタオルを取ると、
大急ぎで第一音楽室へと走り戻ったんですね。
で、このことはもちろん、練習が終わってから親しい仲間に話しました。
でも、翌日から何回か仲間と見にいっても、2度とそういう現象は起きなかったそうです。

なんだか嘘つきみたいになって、都合が悪かったと言ってました。
その年のコンテストは、Aさんの中学校は地区で金賞を取り県大会までいったのですが、
そこで銀賞となって引退することになりました。
その後、冬休み中に親の会が主催した部の御苦労さん会があり、
その席に、よく教えに来てくれていた地元の大学生の先輩に黒い闇の固まりの話をしたんです。
先輩はバカにする様子もなく聞いてくれていたんですが、
「うーん、なんだろうね、それは。何か悪いものが入り込んでいたってことだろうか。
 第二音楽室は、昔この中学校に合唱部があった頃はあそこで毎日練習してたんだよ。
 だんだん人が、特に男子が集まらなくなって廃部になっちゃったけど。
 あの音楽家の絵はただの紙だし、どこの学校にもあるものだよね。
 それに、ずっと昔に亡くなってる音楽家の念がこもってるなんてことはないと思うけど、

 もしかしたら、合唱部が熱心にやってたころの気が絵にこもってたのかもしれないね。
 ま、違うかもしれないし、よくわからないけど、
 その気が、たまたま入ってきた悪いものを跳ね返したってことじゃないかな。
 だから、守り神みたいなものっていうか、あんまり怖がることはないと思うよ」
こんなことをAさんに話してくれたそうです。







ワイアットがゆく

2015.10.09 (Fri)
*今日も怖い話ではありません。日曜までの3日間、自分は大変忙しく、
怖い話は書けないかもしれませんので、お茶濁し的な記事です。
さて、今日紹介するのは、ロン・ワイアットという人ですが、
日本ではあまり名を知られた人物ではありませんね。アメリカでも、
本は出しているものの、一部で有名という感じでしょうか。
これは、この人物がもう15年前に亡くなっているということもあるでしょう。
ロンは愛称で、フルネームはロナルド・エルドン・ワイアットです。
(Ronald Eldon Wyatt1933-1999)

本業は麻酔技師のようですが、アマチュア考古学者として数冊の本を書いています。
金髪でかなりの長身、きわめて格好いい人でした。
日本の「インディアナ・ジョーンズ」のWikiには書いてなかったのですが、
アメリカではそのモデルの一人として考えている人も多いです。
主な業績としては、イエス・キリストの墓と契約のアークの発掘。
ノアの箱舟の発掘、モーゼの紅海渡海の海底痕跡発見 w などです。

ロン・ワイアットの著作


キリストの墓の話もたいへんオカルト的には興味深いもの
(彼とそのグループはキリストの血痕を採取し、その染色体分析から、
 キリストが処女懐胎されたことを証明したと主張しています)ですが、
今回は、ノアの箱舟のほうを少し見てみたいと思います。
まず、ノアの箱舟(方舟)については、みなさんご存知でしょう。
旧約聖書の『創世記』で、人々の堕落に怒った神が、
善良に生きるノアとその家族以外を滅ぼすために大洪水を引き起こし、
ノアには預言を与えて巨大な箱舟を造らせ、多種の動物を乗せて洪水期間中を漂流し、
最後はアララット山付近に流れ着いた、とする伝説です。

オカルト的には、ノアの箱舟のようなものは聖遺物のジャンルに含まれます。
有名なところでは、英国のアーサー王伝説に出てくる聖杯、
ヒトラーも欲したというロンギヌスの槍(キリスト処刑時に脇腹を刺した槍)
聖骸布、聖釘などのことですね。キリスト磔の十字架にいたっては、
すべてを合計すると何十本分にもなるほど各地にあります。
・・・このあたりを説明していると、
本一冊書けるほど長くなってしまいますので、簡潔にいきます。

ノアの箱舟の漂着先の候補としては大きく2ヶ所あって、
一つはアララット山の山頂近く、標高4000mを超える氷河中に埋もれたものです。
衛星から撮影した次の画像が有名です。
測定の結果、船の各部の大きさが聖書の記述とピタリ合っているのだそうです。
ノアの箱舟伝説自体は、古代にメソポタミア地方周辺で実際にあった洪水の記憶が
元になっている可能性は高いですが、
アララット山のこの高さまで水がいくことは、科学的にはどうやってもありえません。
サイエンス・エンタテイナーを名乗る日本の飛鳥昭雄氏は、
このときの水は月から来たと主張されていますが・・・

アララット山中の氷結した箱舟?


もう一つの候補は、アララット山から約30km離れたところにある、
通称「箱舟地形」と呼ばれるもので、こちらは観光客でも行けるところです。
まあ、聖書には漂着地点が「アララットの山々」のように記されているので、
ここだから間違いだということもないのですが。
ロンが調査したのはこの箱舟地形で、巨大な石の碇(いかり)やリベットを発掘し、
箱舟の内部構造も明らかにしたとされます。

箱舟地形


箱舟地形の調査報告


ただしこれらの調査結果は、
残念ながら本国アメリカの考古学界ではまったく認められていないようです。
石の碇は個人の墓標、レーザー調査はダウジング w であった疑惑が持たれています。
英文Wikiによれば、彼はセブンスデーアドベンチスト教会という、
キリスト教プロテスタントの会派に長年所属(破門されたようです)していて、
これは有名なキリスト教原理主義団体です。
聖書にある記述はすべてが真実である、という教えを広めていて、
ロンもそれに従って精力的に活動していたわけです。

前に、「生き残るオカルト」という項で書きましたが、
アメリカには「創造科学 インテリジェント・デザイン」という考え方があり、
聖書の記述はすべてが真実である、というところから出発して、
ひじょうな熱意を持って、あらゆることをこの立場から説明しようとする人物がいます。
このロナルド・ワイアットもその一人ですし、
前記した飛鳥昭雄氏もモルモン教の信徒です。
統計によれば、アメリカでは進化論を信じる人は40%で、
信じないという人も同数程度います。

学校で進化論を教えてはいけない、とする裁判がいくつも起こされていて、
進化論を教えるなら、インテリジェント・デザインも平行して教えるべきだ、
という主張も各州で見られます。
カトリック教会では進化論はけして否定されてはいないのですが、
プロテスタントの強いアメリカでは、そういう現状があるわけです。
最近話題のノーベル賞受賞者を200人以上輩出しているアメリカですが、
このような側面も持っているんですね。

ISISによるシリアのパルミラ遺跡の破壊がありました。
これは「偶像崇拝を禁じる」というイスラムの教えによるものですが、
(ムハンマドが異教の神像を叩き壊した逸話は有名ですね)はっきり言って蛮行です。
ただ、キリスト教原理主義者の行動というのは、関心が少ないせいもあるでしょうが、
日本ではあまり報道されていません。

この項で記しているロン・ワイアットも、
その発掘の多くは合法的な許可を得ているものではありません。
自分は考古学を専攻していたので、勝手な発掘には当然反対の立場なのですが、
じつはロン・ワイアットのことは嫌いではありません。
この人には人間的な魅力があるんですね。興味を持たれた方は、
英文文献をあたってみてください。 関連記事 『生き残るオカルト』  
ロン・ワイアット公式HP

ワイアット晩年の勇姿 






怪談の本

2015.10.08 (Thu)
ええと、だいたい1週間前のことです。私は怪談の本のフアンなんです。
最初はマンガの「本当にあった怖い話」みたいなのを読んでいたんですよ。
マンガは読者の方が体験したことを編集部に投稿して、
それを漫画家さんが絵にするんです。だから実際にあったことという実感はあるんですけど、
4コマのが多いので、短くて物足りない面もあったんです。
けどその後、コンビニで小説の怪談を売っているのを発見して、
ためしに買って読んでみたら、これが面白かったんです。
「実話怪談」っていうみたいですね。私はもともと小説も読むんですけど、
実話怪談は一つ一つのお話が、長くもなく短くもなくちょうどいい感じで、
お小遣いがあるときに買って、学校に持って行って読んでたんです。
私たちの高校は朝読書というのをやってて、

マンガでなければ持って行っても怒られることはないです。
その日も昼休み、学食に行った後に時間があったから教室で読んでたら、
里美って友達が来て、「そういうの面白い? 私も読んでみたいな」って言ったので、
これは怪談好きの仲間が増やせるチャンスかも、と思って、
「うちに怪談の本けっこうあるよ。明日どれか持ってきて貸したげる」
こう答えたんです。それでその日、家に帰ってから怪談の本の中で、
百物語っていう、短い話がたくさん集まったのを一冊バッグに入れたんです。
里美とは同じクラスだったので、里美が学校に来てすぐ本を渡したら、
その朝の時間と昼休みにも夢中になって読んでました。
近くに行って「どう? 面白い?」って聞いたら、
「これ本当にあったことって書いてるけど、ホントに?」って聞いてきたんです。

これはちょっと困りました。そうですね、正直に言うと私は、
中には作ったお話もあるんじゃないかなーと思ってたんです。だけど、
そう答えるとがっかりしそうなので、「体験者の人から聞いてるんだから、
 たぶん本当のことだと思うよ。もしかしたら、中には体験者が嘘ついたり、
 大げさに言ったりしてるのもあるかもしれないけど」あたりさわりない言い方をしました。
里美は「そうだよね。書いた人には話が本当か嘘かわからないわよねえ。
 これすんごく面白いけど、読み切れないから今日借りてってもいい?」
そう聞いてきたので、「もちろんいいわよ」って答えました。
さらに次の日です。朝一に里美が本を持ってきて、
「ありがとう。家で最後まで一気に読んじゃったら、その後怖くて眠れなくなった。
 返すから、また別の貸して」こう言いました。

「いいよ、たくさんあるから、次はもう少し長めのやつ持ってこようか」
私たちが話をしてると、近くにいた美優って子が寄ってきて、
「うわ、気味の悪い表紙。でも、私もじつはこういうの好きなの。次借りてもいい?」
聞いてきたので、「うん、いいよ」って本を渡しました。
私は「すごい、この調子ならクラスに怪談フアンが広まるかも」って思ったんですが、
里美がちょっと変な顔をしたんです。
昼休みになって、里美といっしょに学食に行ってサンドイッチとか買って食べてるときに、
里美がこんなことを言い出しました。
「さっき美優があの本借りてったじゃない。でも、あの本に美優のこと出てたと思う」
「えーまさか、ないでしょ。どんな話だった?」
「たしか本の最後らへんのあたりで、体験者の名前も美優になってた」

「えーそれって、ただの偶然じゃないの? だいたい本の中の名前は仮名になってるはず」
「あ、そっか。・・・でもね、高校2年でテニス部に入ってるのも一緒だし、
 場所もこの近くの平和公園墓地が出てくるし、私、読んでる途中で、
 これ美優が投稿したものが採用されて本になってるんじゃないかって思った」
「平和公園墓地?? そんな話あった?」
「あったよ。ほら、広場の真ん中にある慰霊の塔も出てきてたじゃない」
「???えーぜんぜん記憶ない。どんな筋だった?」
「美優って子が自分の部屋で体験するの。寝てるときに布団がどんどん丸まって、
 白いかたまりになって食べられそうになるの。それで親のいる部屋に逃げたら、
 だれも家族がいなくて、布団の怪物が追っかけてくるから外に逃げた。
 そしたら道には車も人もいなくて、必死に道路を走ってったら墓地公園に着いて・・・」

「・・・そんな話ないよ」
「でも読んだもん。そのあと、自分の布団が怖くなって寝られなくなったんだから」
こういう会話になったんですけど、ぜんぜん私には内容の記憶がなかったんです。
でも、その本は一気にじゃなく何日もかけて読んだので、
もしかしたら飛ばしちゃた話かもしれないとも思いました。
「で、その話、最後はどうなるの?」
「美優は異例の塔の前で布団の怪物に追いつかれて、いよいよもうダメってときに、
 あの塔に半分彫られてる観音様が表面から抜けだしてきて、
 布団の怪物を抱きかかえて空に登って行くの。美優がぼうっと見上げていると、
 公園の管理人さんがやってきて、家まで送ってくれた。
 そのときには街の様子も普通に戻ってた・・・」

「えー、変な話」 これを聞いて、すごく違和感があったんですよ。
その本は、日常の中でさりげなく少しだけ怖いことが出てくる話がほとんどで、
怪物に追いかけられるなんてオーバーな内容は他になかったですから。
まあでも、本が美優から戻ってきたら確かめられるわけですし、
里美がそんな嘘をつく理由なんてないだろうから、やっぱ私が読み飛ばしてただけ、
と思ってたんです。その夜ですね。11時過ぎ、家に美優のお母さんから電話がありました。
「美優がまだ家に戻らないんですが、そちらにおじゃましてませんか」って。
里美はときどき家に泊まったりしてたんですが、美優はいつも部活で忙しいので、
私の家に来たことは数回しかなかったんです。どうやら美優の家では、
美優が置いてった携帯の友達らしい番号に片っ端から連絡していたみたいでした。
このことも変だなあって思ったんですよ。

だって美優の場合、携帯を持たないで外に出るなんて絶対ありえないですから。
それ聞いたときにはさすがに心配にはなりました。それから1時間半くらいして、
また美優のお母さんから電話があり、美優が見つかったって。ほっとしました。
電話は私の母が応対してたんですが、布団を抱えたまま、
平和公園墓地の中をうろうろしてたところを、管理人さんに発見されたって・・・
美優の家から、平和墓地公園は歩いて5分くらいの近くなんです。
これって、里美がしてた本の中の話とそっくりですよね。
もしその話が本にあって、しかも美優が体験したことが元になって書かれてるんだとしたら、
似たようなことがまた起きたってことでしょうか。
わけがわかりませんでした。とにかく本を見て確かめないと、と思ったんです。
翌日も学校があったんですが、美優は風邪ということで2日休みました。

さらにその次の日、昨日のことです。朝学校に行くと、ふだんは遅い美優がもう来てて、
「うちの母親、〇〇のとこにも電話したんでしょう。心配かけてごめんね」と言ってきたので、
「ううん、無事でよかったじゃない。でも、なんで布団なんか持って外に出てたの?」
「それ、お母さんの嘘。そんなバカなことするはずないじゃない。
 ・・・このことはこれ以上話せないから。あと本返すよ、面白かった」
こう言ってバッグからあの怪談本を取り出しながら、
「この本の中に、里美って子が出てくる話があるでしょ。あれ、里美のことかな?」
・・・それで、私はその日のうちに百物語の隅々まで読んだんですけど、美優も里美も、
墓地公園も布団も、そういうのが出てくる話は一切なかったんです。
全部が記憶にあるものばかりでした。あと、里美も登校してきたんですけど、
よそよそしい感じで、美優とはぜんぜん話をしないんです。・・・どういうことなんでしょうか?







ノーベルとニトロ

2015.10.07 (Wed)
* 今回も怖い話ではありません。
まずは、大村、梶田の両先生、ノーベル賞受賞おめでとうございます。
みなさまのブログでノーベル賞関連の話をいくつか拝見しまして、
自分も書いてみようと思いました。ただし当ブログの縛りにしたがって、
あくまでオカルト・ホラー的な切り口からです。

じつはノーベル賞に関しては、オカルト的な話はけっこうあるんです。
受賞者には、オカルトに関わった経歴のある人物が何人もいます。
しかしそれを羅列してもあまり面白くなりそうにないので、
ノーベル書の生みの親、ノーベル氏とニトログリセリンの話をすることにします。
ただし、この内容はすべてが史実として検証されているわけではなく、
伝記に書かれただけの伝説的なものも含みます。

さて、まずニトログリセリンとは何かということですが、
Wikiにはこのように出ていました。
『示性式 C3H5(ONO2)3 で表される有機化合物。
 爆薬の一種であり、狭心症治療薬としても用いられる』

自分は映画の感想を雑誌に書いたりしていますので、
ニトロといえば、まず思い浮かべるのが『恐怖の報酬』という映画です。

1953年フランス制作。中米を舞台に、
油田の火災をニトロの爆風で吹き消すため、それを安全装置のないトラックで運ぶ
仕事を請け負った4人の男達を追うストーリー。
主演はシャンソン歌手のイブ・モンタンで、なかなか渋い演技でしたね。
1977年にアメリカでリメイクされ、こちらの主演はロイ・シャイダー。
映画『ジョーズ』でビーチの警察署長をやった俳優、
と書けばおわかりの方も多いでしょう。自分はこの人のフアンなんです。
ご存知のようにニトログリセリンは不安定で、わずかな衝撃でも爆発してしまいます。
こちらも前作にはなかった新要素が加えられ、これはこれでスリリングな内容でした。

次はノーベル氏ですが、アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(1833~1896)
これは英語読みで、スカンジナビア語での発音はかなり難しいようです。
スウェーデンのストックホルムに産まれ、科学者というよりは、
発明技師、実業家としての側面が大きい人生を歩んだ人のようです。
彼の発明でもっとも有名なものはダイナマイトですね。
ニトログリセリンの安全な製造方法と使用法を研究していたのですが、
1864年、工場における爆発事故で弟エミール・ノーベルと5人の助手が死亡、
氏自身も怪我を負ってしまいました。

しかしこの事故によって、氏のニトログリセリンの安定化に対する熱意はかえって強まり、
ついに1866年、不安定なニトログリセリンに珪藻土を加え、
爆発の威力を落とさず、安全に扱いやすくしたダイナマイトを発明しました。
この発明は、50ヶ国で特許を得て100近い工場を持ち、
世界中で採掘や土木工事に使われるようになり、
一躍世界の富豪の仲間入りをしたのです。

氏の私生活は孤独なものだったようです。
生涯独身で子供はいませんでした。氏の最初のプロポーズは拒絶され、
長年つき合った恋人とは、女性に他の人物との間に子どもがいることが発覚し、
別れることになったと伝記には書かれています。
しかしながら、子孫がいなかったことにより、氏の莫大な財産の大部分は遺言で、
ノーベル賞のための基金として監理されることになったわけです。

さてさて、1888年、氏の兄であるリュドビック・ノーベルが死去しましたが、
このとき兄と氏とを取り違えて記載した新聞があり、
そこには「死の商人、死す」と見出しにでかでかと書かれていて、
それを見た氏は大きなショックを受けました。
これがノーベル賞創設の直接の動機につながっているようです。
このエピソードは、チャールズ・ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』
を思い起こさせるところがあります。未来の幽霊から、
自分の死に街の人々が踊って喜ぶ様子を見せられた金貸しのスクルージは、
それまでの強欲を反省し、残された生涯の時間を心優しく人に接するようになるという。

氏は健康にも恵まれませんでした。孤独な性格で、
一時期はうつ病にかかっていたこともあるようです。
また長年心臓病に苦しめられていましたが、晩年の病床において、
その頃には心臓病の特効薬としても知られていたニトログリセリン、
薬としてはたくさんの人の命を救ってきたものですが、
ノーベル氏は服用を医師に勧められたものの、これを断り、
最期は脳溢血で亡くなります。

『Betrayal』Tangerine Dream






地下食堂街

2015.10.06 (Tue)
10年ほど前のことです。僕はそのとき小学5年生でした。
まあ子どもの頃の記憶ですので、これからさせていただく話もどこまで正確かはわかりません。
もしかしたら、全体が白昼夢、あるいは僕の頭の中だけの想像の産物かもしれないんです。
僕の人生のうちでも、いろいろと環境の変化があった時期ですから。
そのことはあらかじめお断りさせておいていただきます。
場所は中国のある都市です。当時、化学技術者だった父が、
新しく立ち上げた日中の化学プラントの技師として、本社から出向していたんです。
もちろん単身赴任です。それでその年、父が向こうに渡ってから2年目のことでしたが、
初めて、母と一緒にそこを訪れたんです。
ええ、海外旅行どころか、飛行機に乗るのも初めてでしたよ。
でもね、この旅行は、何というかいい意味のものではなかったんです。

どういうことかといいますと、そのとき父母の離婚話が進んでまして、
もうどうにもならない段階まで来ていたんですね。
原因は父の浮気です。ええ、よくある話で、父の駐在中に現地の女性と関係ができ、
その女性が妊娠までしまったんです。その子は、僕にとっては妹ということになるでしょうが、
会ったことはありません。産まれてすぐに死んでしまったようで、
そのあたりの事情もよくわからないんです。
でねえ、その旅行中、観光などをした思い出はないんです。
おそらく父と母が弁護士などを中に入れて話し合っていたんでしょう。
ずっとホテルの部屋にいたという記憶しか残っていません。退屈でしたよ。
テレビをつけても、日本とはまったく違うおかしな番組しかやってませんでしたし、
母が外出している間は、部屋の外に出ることを禁じられていましたから。

ただね、僕は当時から、少しなら中国語がわかったんです。
というのは、母はいわゆる在日中国人の家の生まれで、中国国籍だったんです。
それが日本人の父と結婚しまして、そのときに国籍が変更されたんですね。
だから、幼い時から母や母の親戚から少しずつ中国語を教えられていたんです。
で、1週間ほどかかったその旅行が終わる2日前のことでした。
父と母と僕の3人で、食事に行ったんです。父の顔を見たのは、向こうの空港に着いたときと、
その2回だけでした。どちらのときも、ほとんど話らしい話はしていません。
出かけた先は、街のやや外れにある地下の食堂街でした。
これがねえ、ものすごく巨大な施設で、いくつ店が入っているか、
数えきれないくらいだったんです。入り組んだ通路が縦横に通ってて、
地下なのにその場で煮炊きする屋台がたくさん出ていました。

本格的な食事をする店は、その奥のほうにあるんですが、
これも数十軒が、境もなくびっしりと連なっていまして、
何度も来て慣れた人でないと、おそらく道に迷ってしまうんじゃないでしょうか。
ええ、その後一度も訪れたことはありません。
母が、自分が生まれた国なのに、僕が中国の話題を出すことをひどく嫌っていたんですよ。
・・・一家揃っての最後の食事はたんたんとしたもので、
父母の会話はほとんどありませんでした。
まあねえ、感情のもつれが行き着くところまでいってしまって、
何かを口に出すと言い争いが再燃してしまうことを2人とも知っていたんでしょうね。
ただただ、出された食事を口に運ぶだけ。
料理そのものは素晴らしかったですよ。最高級の宮廷料理だったと思います。

でもね、そういう中での僕の気持ちを考えてみてください。
事情はほとんど知らされていませんでしたが、
子ども心にも父母は別れるんだとわかっていました。
それと、料理の量が多すぎまして、最初の20分ほど食べると、
出てくる料理がもう子どもの胃にははいらなくなっていました。ちょっと箸をつけるだけ。
でねえ、途中で母にトイレに行きたいって言ったんです。
そしたら母は給仕の人を呼んで、その人に連れられて店外に出ました。
地下街ですから、トイレもいくつかの店が共同で使うものがあちこちにあったんです。
ああ、有名な中国式トイレではなかったです。僕は小のほうだったんですけど、
ちゃんと個室の壁もありましたよ。給仕の人はトイレのある小路まで僕を連れていって、
ドアを指差したので、中にはいって用を足しました。

それで、ここからが不思議なんですが、数分で同じドアから出たはずなんです。
そしたらです、汚い通路に出るはずなのに、そうじゃなく・・・
日本間だと12畳くらいの個室になってたんです。
子どもの目にもわかるほどの豪勢な調度が使われていました。
神仙の絵を描いた衝立を前にして、中華式の丸テーブルがあり、
4人の人がそれを囲んで座っていたんです。4人ともかなりの老齢で見たことのない顔・・・
ここがよくわからないんです。母の親戚の人で、似ている人がいたような気もしますが、
その人と会ったのはこれまでに数回ですから、断言はとうていできません。
僕がどぎまぎして、ドアから戻ろうとすると、
老人の一人が日本語で「迷ったかね、坊や」みたいなことを言ったので、
「ハイ」と答えました。そしたらその人は、テーブルの上を指差したんです。

テーブルの上には、一人ひとりに洗面器ほどの丸い大型の鉢があるだけで、
その他に料理も飲み物もありませんでした。変だなあ、と思いましたよ。
中華料理って、大皿に盛られた料理を各自が取り分けて食べるのが普通でしょう。
ところが大きな鉢が一つ、それには西洋料理のような金属製のドーム型の蓋がついてました。
「まあ、私たちの料理を見ていきなさい」別の一人が言って、鉢の蓋を持ち上げました。
すると中には満々に青い液体が入っていて、それがびしゃっと跳ねたんです。
液体の中から、鱗のある・・・太いヘビの胴のようなものが持ち上がってきました。
両隣の2人も同じく蓋を上げ、中にはやはり同じような蛇の胴体・・・
それがまだ生きていて、液体を周囲に撒き散らしながらうねうね動いてたんです。
ありえないことですが、3つの皿の中身がつながっているように思えました。
蛇の動きが同調してるように見えたってことです。

僕から一番遠いところの一人が、最後に皿の蓋を、取手をつまんで持ち上げました。
そしたら、同じ青い液体の中から、ぬっと赤ちゃんの顔が出たんです。
産まれたてで、まだ目も開いてない赤ん坊です。その子が小さな口を開けて、
「ひいいーっ」という声をあげました。・・・突っ立ってそこまで見ていた僕は、
怖くなって「失礼しました」と言ってドアから背後に戻りました。
そしたら・・・トイレの清掃用具を入れている個室の中にいて、
そこの戸を開けると、さっきのトイレの中だったんです。
トイレの外に出ると、僕を外まで案内してくれた給仕の人がまだ店の前にいて、
こちらに向かって手招きしてくれました。・・・まあ、こういう話です。
その後、10分ほどで父母の食事は終わり、店を出るときに父は僕の頭をなで、
握手をして「母さんを大切に守ってくれ」みたいなことを言いました。

それから父とは一度も会っていません。ここからは聞いた話です。
その後・・・父は引き抜かれる形で会社をやめ、中国の化学工場に再就職しました。
ですが、よくわからない事情で、父の新しい中国人の奥さんとまだ0歳の子どもが亡くなり、
それを悲観したのか、父も後を追うようにして自殺してしまったんです。
もちろん葬儀などには行ってません。僕はそれから、アパートの一室で母に育てられました。
母の華僑の実家は裕福でしたが、母はその誰とも会おうとはしなかったんです。
ただ・・・父から分けられた財産の他に、
実家から生活費のようなものは出ていたのかもしれません。
母はスーパーのパートをしていましたが、お金に困るということはなかったです。
あの地下街で見た不気味な料理の話ですか? ええ、母には何度も話しましたが、
その度に、悲しいような顔でゆっくり頭を振られただけだったんですよ。







即身成仏とミイラ

2015.10.06 (Tue)
* 今日も怖い話ではありません。
日本史上、江戸時代以前という条件で「天才」は誰か、を考えてみますと、
これはいろんな人の名前があがるのではないでしょうか。
古くは聖徳太子とか中大兄皇子(天智天皇)、新しくは坂本龍馬、
大村益次郎なども候補になるでしょうか。

自分的には、弘法大師こと空海(774年~835年)は必ず入るかと思っています。
真言宗の開祖として高野山を開き、数々の偉業をなしていますが、
その優秀さは、遣唐使の留学僧として入唐後、短期間で梵語を習得し、
さらに密教の第七祖である唐長安青龍寺の恵果和尚に師事、わずか2ヶ月ほどで、
密教の奥義伝授、大悲胎蔵、金剛界の灌頂を受けていることでもわかります。
これは史上の謎の一つとして数える人もいますね。このあたりの事情を元に、
夢枕獏氏が『沙門空海唐の国にて鬼と宴す 』を書かれています。

恵果和尚は病気のため、自分の余命の少ないことを知っていたこともあるでしょうが、
異国から来た一介の無名の僧に、短い期間で伝法阿闍梨位の灌頂を授け、
「遍照金剛」(この世の一切を遍く照らす最上の者)の名を与えたのは、
空海の天才性を証明しているのではないでしょうか。
この結果、空海は「虚しく往きて実ちて帰る」と述べ、
正式には20年の滞在予定のところを、わずか2年で日本に戻ることになります。
(このため罪を問われて、すぐには都に入れなかったようです)
また空海は能書家として、嵯峨天皇、同時期に入唐した橘逸勢とともに、
三筆の一人に数えられてもいます。

さて、お話は空海の死後のことです。
空海は835年、かねて弟子達に告げていたように、入定したと言われます。
この場合の入定は、死したということではなく、禅定(宗教的な瞑想)とされ、
つまりは現在でも高野山奥ノ院の霊廟で生きているという扱いを受けています。
今でも高野山を訪れると、奥の院の方に向かって手を合わせている
参拝者の姿を見ることができます。
高野山の人々や真言宗の僧侶には、空海が死んだと言うことはタブーとなっており、
維那(ゆいな)という役職が設けられ、
髭と髪を剃ったり、衣服と食事を給仕しているそうです。
メニューはもちろん精進料理なのですが、冷たいものではなく、
温かいカレーなどもあるそうです。また年に一度、衣服も新調されます。

ただし歴史的には別解釈もあり、『続日本後記』では、
淳和上皇が空海を弔った勅書に、
高野山は遠いので空海の亡くなった報せが伝わるのが遅く、
使者を急いで行かせたが、遅すぎて火葬の手助けができなかったと、述べています。
このことから、空海の遺体は火葬されているというほうが定説に近いようです。
つまり空海の即身成仏伝説は、その死後しばらくたってから起こったとするのです

霊廟内には、前記の維那以外入ることは許されておらず、
空海の木像があるともミイラがあるとも言われています。
代々の維那も見たことを絶対に他言しないため、「即身成仏」伝説が強化されています。
即身成仏とは、仏教で人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き仏になることです。
つまり生きているということは大前提なわけで、だから食事も摂ります。
その上で仏の境地を得た人、というのが本来の意味です。

ところがこの教義は、誤解されたとまでは言えないかもしれませんが、
後世に「即身仏」というものを生み出すことになるんですね。
即身仏は、自分も怖い話のテーマとしていくつか取り上げていますが、
簡単に言えば修行者のミイラのことですね。
僧侶が土中の穴などに入って瞑想状態のまま絶命し、ミイラ化した物が「即身仏」
仏教の修行の中でも最も過酷なものとして知られます。

ただし現在では自殺とみなされますし、これを手伝うことは自殺幇助の可能性があるため、
行われることはありません。即身仏は「入定ミイラ」とも言われ、
空海の場合と同じように、死んだのではなく肉体も精神も永遠になるという意味なので、
掘り出したときにミイラ化せず、肉体が朽ちていれば失敗とされてしまいます。
「即身成仏」と「即身仏」の微妙な違いがおわかりいただけたでしょうか。

さてさて、この空海の即身成仏に関する伝説は、
空海の没後約100年後に始まりましたが、
それが山形県の湯殿山系即身仏であるミイラ群を生んだ、一つの要因とも言われています。
後に天台宗に改修した羽黒山との宗教的な争いの中で、
湯殿山が真言宗であることを強調し、さらには修験者が厳しい修行を積んでいる証として、
即身仏が増えていったということのようです。

最後に、興味深いものをご紹介します。下の画像はオランダで展示されている、
およそ1000年前の中国の仏像なのですが、現地でのレントゲン撮影の結果、
なんと中に人間のミイラが収蔵されていることが判明しました。
『このミイラは西暦1100年頃に中国で亡くなった僧侶のLiuquanのものであると考えられている。
研究者たちによる調査で、ミイラの内臓は取り除かれ、
その空間が何かの物体で満たされているようであることが判明している。
医療センターによると、その物体が「古代中国文字が印字された紙屑」であることがわかった。』


実に興味深い話ですね。即身仏の考え方は中国にもあったようです。
このミイラはちょうど、空海の即身成仏伝説が成立したあたりの時期のものです。
このようなものは、空海の即身成仏伝説に何か影響を与えているのでしょうか?
ただし、内臓を取り除きその代わりに紙屑が存在していることから、
即身仏ではなかった可能性も考えられているようです。








幽霊画

2015.10.04 (Sun)
今晩は。では話をさせていただきます。わたしは幽霊画を収集しているんです。
いやいや、高価なものはありませんよ。円山応挙など、とんでもない。
収集のほとんどは明治に入ってからのものです。
え? 幽霊画などを集めて、何か生活に障りはないかって?
ははは、それよく聞かれるんですよ。祟られたりしないかって。
ないですね。・・・これまではなかった、と言い直したほうがいいでしょうか。
そもそも幽霊など信じちゃいなかったんです。
例えば、幽霊画のコレクションで有名なのは、怪談噺でも名を馳せた初代、三遊亭圓朝。
江戸末期から明治までの人ですが、あれだけの収集をしてても60歳過ぎまで生きてます。
今から見れば60代は若いですが、当時としては平均寿命を10歳以上超えてます。
それに、これは幽霊とは違うかもしれませんが、

西洋絵画、また音楽でも、「死と乙女」「死神と少女」と呼ばれるモチーフがあって、
エゴン・シーレはじめ、著名な画家が描いてますよね。
わたしとしては、死を意識するのは悪いことじゃないと思うんです。
そうそう、「メメント・モリ」ですよ。ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」
という意味です。古代ローマの将軍が勝利して凱旋する人生の絶頂の瞬間にも、
その背後に係官がいて、この言葉をささやきかけるっていう。
ですから、幽霊画を眺めて死を思うというのは、今を生きている自分の生を確認することだし、
それで明日への活力も生まれてくるんじゃないかと・・・
で、2ヶ月ばかり前、懇意にしている古美術商から、
幽霊画のいい出物がある、と連絡が来たんです。さっそく見に行きましたら、
これがじつに良かった。女流の版画家の作でしたが、幽霊が生き生きと描けてましてね。

ああ、幽霊が生き生きというのも変なのですが、柳の下にたたずむ若い女幽霊の、
頬から唇にかけての線なんか瑞々しくってね。逆説的ですが、生きた女の絵よりも、
むしろ生命力を感じさせるっていうか。その場で買うことを決めてしまいました。
値は◯十万ほどで、そのときは現金の持ち合わせがなかったんで、
翌月、代金と引き換えに手元に引き取ることにしたんです。
でね、自分の物になるのが待ちどうしくって、現金ができると急いで古美術商へと向かいました。
そしたらです、古美術商の表情が暗くてねえ。もしやわたしより高い値をつけた客がいて、
売りたくないのかと思ったんです。でも話を聞いてみると、それは邪推でした。
「まあ、ご覧くださればわかりますから」そう言われて、
その掛け軸を保管してある蔵へと案内されました。
古美術商とは長いつき合いでしたが、蔵に入ったのは初めてのことでした。

中は総しっくい造りで、それと合わせて、近代的な耐震防火設備も入っていたんです。
でね、その幽霊画を出してきたんですが、これが前に見たときとがらり印象が違ってまして。
いえ、贋作とすり替わってたとか、そういう意味ではないですよ。
同じ作者の同じ絵に違いはないんですが、すっかり気が抜けたというか、
初見したときに感じた絵の良さが、まったく見られなくなっていたんです。
古美術商は禿げた額をピシャっと叩いて、こんなことを言いました。
「いやあ、スマンことをしました。大事に保管してたつもりなんですが、
 どういうわけか絵の魂が抜けてしまって。・・・これじゃあ、お買いになりませんでしょう」
「ははあ、魂が抜けるなんてことがあるもんですか」わたしが答えると、
「絵の魂、これは幽霊に魂があるとかないかの話じゃなく、作者が作品に込めたもので、
 それがなくなるとこうなってしまうんです。ただの色を塗った紙に」

それから立ち上がって、蔵の壁面を指さしました。
「あれは空調機で、蔵の中の湿度その他を保ってる美術館級のものです。
 中には特殊なフィルターが入っててまして。空気や水分以外は通しません。
 それからほら」と、収納棚のあちこちにある、さまざまな大きさの透明な衝立を指さし、
「これらはメキシコ産の水晶製で、やはり収蔵品の魂を封じ込めるために特製したものです。
 だからねえ、この絵の魂も、この蔵から逃げだしたってことはないはずですよ。
 おそらく、他の作品のどこかに隠れ混じってるんでしょう。
 探して封じ直しますから、もう少し待ってくれませんか。値引きを考えます」
ま、元の通りの絵になるのなら待つのはかまいませんでしたが、疑問が沸いたんです。
「はああ、古美術の魂が抜け出すってのはいかにもありそうだけど、
 じゃあ、われわれが買ったものも、いつそうなるかわからないんじゃ」

そしたら「そこはちゃんと封じる方法があるのです。少なくとも買って数十年は保ちます。
 この道に長い商売人はみんな知ってるのですが、今回はちょっと油断しました」
「へえ、買って数十年。そうすると長く家にあるものは危ないってこと?」
「いや、それはその保管者の扱い方しだいですが、まずたいがいはその家になじみます」
「なるほどねえ、そんなこと初めて知りましたよ」
「部外秘なんですけど、今回はこうなってしまったので・・・」
こういう会話をしまして、古美術商が絵の魂を探し出し、
再封したら連絡をよこすって手はずになったんです。
それから2週間ほど待ってましたら、新聞にその古美術商の訃報が出てたんです。
急な病死となってまして、これは驚きましたよ。
葬儀は家族だけでやるとなっていたので、その2日後、ご自宅に焼香に伺ったんです。

すると、30年配の息子さんが出てきましてね。
「父からお噂はかねがね。生前は大変お世話になりました」こう言われまして、
こちらも恐縮してしまって。話によると、息子さんは勤め人で、
古美術・骨董の知識はほぼ皆無に近いそうで、もう商売は畳んでしまい、
蔵の中の収蔵品は亡くなった父親の同業者に買ってもらうことで話はついてるそうでした。
で、古美術商の亡くなったときの様子も伺ったんですが、
蔵に中にうつ伏せに倒れていたのを、遅くなって息子さんが発見し、
救急車を呼んだものの、すでに事切れていたのだそうです。死因は心不全。
「それで、父が倒れていたかたわらにあったのが幽霊画で、
 それを見てさすがにぞっとしましてねえ。父が魅入られてしまったんじゃないかって」
ああそれ、わたしが買う予定だった幽霊画ではないかと思いました。

でね、お願いして見せていただいたんです。
蔵に探しに行った息子さんが戻ってきまして、
広げたのは確かにその幽霊画だったんですが、それがねえ・・・
最初に見たときの生命感のあるものでもなければ、絵の魂が抜けたただの和紙でもなく、
口の端に浮かんだ笑みは、邪悪そのものというふうに見えたんです。
絶句しましたよ。もし前のとおりに戻ってれば、購入させていただくことも考えてましたが、
それは口には出しませんでした。・・・ああいうことってあるんですねえ。
これは推測ですが、やはり蔵の中にあった他の収蔵品の中でも、
特にたちが悪いものの気が入り込んでるんじゃないでしょうか。
だから、古美術商の急な死とも関連があるんだろうと思いました。
けど、それも口には出しませんでしたよ。

もうなんか、すっかり怖くなってしまいました。
それで、家に戻ってから、集めてる幽霊画のコレクションをすべて出してみたんです。
うーん、魂が抜けてるんじゃないかって感じのものは一幅だけありましたが、
よくはわかりませんでしたね。幸いにして、
わたしの収集してる幽霊画は寂げなものが多いですし、
家には、他に骨董というのはほとんどありません。
ですから、悪い気が入り込んでしまったものはないだろうとは思ったんですが・・・
だけど、こんなことがありますと、
収集そのものがいいのか悪いのかまで考えてしまいますよね。
ま、このような話です。うーん、その幽霊画がどうなるかはわかりません。
おそらく古美術商の仲間の手に渡って、わたしのようなコレクターの元に・・・

『病める少女』エドヴァルド・ムンク
なかいあおあかい

 



直販所

2015.10.03 (Sat)
地方公務員です。昨年度まで県庁にいたんですが、
今年の4月に農業試験場に転勤になったんです。これが自宅から遠くて。
隣の市の郊外にあるんです。片道40km以上になりますね。
ですから、少しでも早く着くように地図を見て経路を考えまして。
ええ、わたしは低血圧気味で、早く起きるのが苦手なんですよ。
なるべく朝の時間はグダグダというか、コーヒーを飲んだりして、
血圧が上がってきてから動き出したいんです。それとガソリン代のこともあります。
ただこれは、去年ハイブリット車を買っていましてね。
転勤を見越してたってわけではないんですけど。でもね、ご存知でしょうか?
お金の面で言えば、ハイブリッドのほうが割高になる可能性が高いんです。
ハイブリッド専用車種ではなく、ガソリン車とハイブリット車が併売されている場合、

ハイブリッドのほうが30万から80万近く価格が高いんです。
その価格差をガソリン代で元をとるつもりなら、年に1万km走ったとしたら、
10年以上かかってしまうんです。まあハイブリッド車のほうが下取り価格は高いですが、
長年乗るほど、それも期待できなくなりますからね。
ただ、わたしのような研究職で、しかも公務員だと、
環境に配慮してますよ、ってイメージも大事でしょう。
そんなことを考えて購入したんです・・・ あっ、スミマセン、車の話ばっかりして。
でもね、関係がないわけではないと思うんです。そのあたりを判断してほしいんですよ。
そういうわけで、転勤の内示があってから、
ネットの地図を見て試験場に行くルートを研究しました。
高速は金ががかるから使えないし国道は混雑するし、山越えのルートを見てたら、

よさそうな農道を見つけたんです。やや距離は長くなりますが、信号はほとんどない。
道幅がせまいので冬場はたいへんそうですが、おそらく交通量は少ないだろうと。
はい、それで実際に通い始めたら、けっしてとばしてるわけではないのに、
30分台で着いたんですよ。農道の中では、対向車も数えるくらいでした。
これはいいと最初のうちは思ってたんですが、なんとなくねえ、
気味の悪い道だったんです。というのは、過疎が進んだ集落の中を通るので、
人の住んでるとは思えない、荒れ果てた民家がぽつぽつとあるんです。
それと低地の部分には、休耕田というか、もと田んぼだったと思える、
草ぼうぼうの湿地が道の両脇に広がっていましてねえ。
とはいえ、せいぜいが通勤時間30数分のうちの半分程度です。
音楽なんかを聞いてれば、あっという間に抜けちゃいますからねえ。

でね、2週間ほど通ったら、燃費がすごく悪いことに気がつきました。
さっきさんざん話したハイブリッド車なんですが、
たぶんリッター10kmいかなかったでしょう。
わたしはエコラン・・・省燃費で運転するというのをやってまして、
給油量と走行距離の関係には敏感なんです。たしかに山道に入りますけど、
そんなきつい傾斜じゃありませんから、この数値はありえないです。
かといって車の故障というのも考えにくいです。
試験場からは、家族に買い物を頼まれて国道を通って帰ることもあったんですが、
そのときには渋滞にもはまるのに、納得のできる燃費だったですから。
気になったので、オイル交換をディーラーでしてもらったときに、その話をしてみました。
簡単な検査をしてくれたんですが、車のメカニックには問題は見られない。

ただね、今の車ってコンピュータ制御の部分が大きいでしょ。
それを解析したところ、やはり燃費は悪くなってるのは確かだったんです。
で、「どうします?」って聞かれて、代車を借りられるってことだったので、
詳しい検査をお願いしたんですよ。代車は、同じ車の一代古い型のものだったんです。
それで通い始めたら、まあこんなものだろうと思える燃費になりまして、
ああ、やっぱどこか悪かったんだろうと。車は買ってからまだ2年目ですので、
保証期間のうちなんです。あっ、スミマセン、また車の話ばっかりして。
でね、そこの道ですけど、山に入ると3ヶ所、無人の山菜やキノコの販売所があるんです。
たたみ2畳分くらいの粗末な木造の小屋です。お金を箱に入れて、
袋に入った山菜を持って帰るんですね。何度か開いているのは見かけましたよ。
・・・5月に入って、車は戻ってきました。

コンピュータとセンサーを少しいじったということで、工場のテストでは問題なし。
「様子見てください」と言われ、さっそく代車から乗り換えたところ、あの例の豪雨ですよ。
試験場からの帰り道に遭遇してしまいました。あんなのは生まれて初めてでしたよ。
車の中にいても、ゴウッという雨の音が聞こえたんですから。
親指大くらいの大粒の雨が叩きつけてきて、ワイパーを最強にしてても、
前が見えにくかったんです。対向車はほとんどないんですが、
まだ6時を過ぎたばかりなのに、真っ暗になってね。
ライトとフォグランプをつけて、40kmも出さないで運転してましたが、
路肩に車を停めて、雨をやり過ごそうかと思ったくらいでした。
でね、3つあるうちの真ん中の販売所にさしかかったときです。
道路に人が出ているのをかろうじて発見して、急ブレーキを踏んだんです。

車は道路を流れる雨水に乗って半回転し、その販売所のほうに突っ込んでいきました。
幸い、車の横を木の壁にごく軽くかすった程度で、修理に出すほどの傷はなかったです。
でも、その衝撃で販売所の後ろの戸が倒れちゃったんです。
車のドアを開けたら、ザザザザザザと雨が轟音を立ててまして、
路上にはね、倒れてる人などはいませんでした。
黒いシルエットの人が、ヘッドライトの中に浮かんだのも間違いないと思いました。
公務員ですからね、事故は大変な失態です。傘をさして、道のまわりの草むらも見ました。
幸いにして、傘が重くなるようなひどい雨でしたが、風はあまりなかったんです。
誰も発見することはできず、まずはほっとしました。
販売所の戸を元に戻そうと近寄って行きましたら、
その戸はただの板に取っ手がついたもので、もともと立てかけてあっただけのようでした。

これなら設置者に連絡するまでもないかなと、濡れながら戸を持ち上げたところ、
空がピカッと光って、ドーンと雷の音がしました。かなり近くです。
「危ないぞ、これは」と思ったとき2発目が光り、それにやや遅れて、
販売所の外れた戸の中も白く光ったんです。ドーン、また近くに雷が落ち、
販売所の中は白くぼんやり光ったままでしたが、そこに何かがいたんです。
平べったく、地面に張りついたような姿勢の何かです。
一番近いのが、オオサンショウウオでしょうか。1m半ほどあるそれが、
長い尻尾をこちらに向けていまして、戸が外れてから流れ込んだのか、
前から雨漏りしていたのか中は水浸しで、そこに浮かぶ巨大な生き物・・・
「うわっ」と思い、後ずさりしたとき、中の生き物はニュルッとした動きで、
頭をわたしのほうに向けてきたんです。・・・人の顔でした。

白い光の中に、ひっつめ髪の婆さんの顔が見えたんですよ。
歳は80を過ぎてるように思えましたね。生き物の体がほぼ黒なのに、顔は真っ白で、
両方の目も白目だったんです。婆さんは顔をこちらに向けた状態のまま、
「む・・・か?」何か言いましたが、雨の音ではっきりは聞こえませんでした。
わたしは抱えていた戸を放り捨て、傘もそのままにして車に走り込みました。
バックで道路に出、そのまま雨の中を走って、とにかくその場を離れたんです。
外では雷がまだ光ってました。10分ほど走って、最後の販売所の横を通りました。
そこも前のとほぼ同じような形で、窓にはカーテンが引かれてましたが、
中は白く光っているように思えました。とにかくね、その農道を出て、
他の車の姿が見えてきたときには、心の底からほっとしましたよ。
ここからは後日談ですね。雨は上がっていて、前日のことが気になったので、

その農道を朝に通りました。2つ目の販売所にも寄りましたよ。
戸は外れていましたが壊れているようには見えず、中には何もいませんでした。
まだ雨水で濡れていて、そこに焼け焦げたように見えるキノコや栗が散らばっていました。
前の年の秋のものかもしれません。百円玉などの小銭も十何枚か。
ええ、戸を元に戻して車に戻りました。でね、このときの燃費がものすごく悪かったんです。
リッター数kmくらい・・・もしかしたら、
わたしが何か勘違いしてるのかもしれませんけども。このことがあってから、
その道は1度も通っていません。国道を利用して、燃費はハイブリッド車としては普通です。
あと、あのオオサンショウウオのような生き物・・・婆さんの顔が言った言葉が気になって、
思い出そうと努力してみたんです。雨の音でほとんどかき消されていましたが、
短い言葉で「息子か?」だったかもしれません。いや、自信はないんですが。

はかおあかおあいあは






『竹取物語』小考

2015.10.02 (Fri)
*今夜も怖い話ではありません。
一昨日、スーパームーンに合わせて「月とオカルト」という項を書いたのですが、
これを読んだ事務所(自分の所属する占いの共同事務所)の仲間から、
「潮汐力とか月の裏側とか、そういう話もいいんだけど、日本で月をめぐる幻想物語
 といえば『竹取物語』だろう。これについての話がなかったのは残念」
こんなふうに言われまして、自分としては虚を突かれた感じでした。

『竹取物語』をオカルトとは思っていなかったですし、
当ブログの隠れテーマである「怖い」とも関連はなさそうでしたし。
ただまあ、友人の言うとおり「月」の話としては、
日本人でこれを思い浮かべる人は多いでしょう。
また自分は史学科を出ていますので、宇宙物理的な内容より、
この手の内容が専門だろうと言われればそうなので。

で、このリクエストを受けて何か書いてみることにしました。
ただ、この内容は急に考えたものですので、話半分程度で聞いてください。
『竹取物語』・・・日本最古の物語と伝えられ、「物語の祖(おや)」と、
『枕草子』にも出てきます。成立年については諸説あるのですが、
遅くとも平安時代初期の10世紀半ばまでにできたのは間違いないと思われます。

これを語る切り口としてはいくらもあるでしょう。
高貴な身分の者が下賤の地に流された(貴種流移譚)
竹の中から生まれたという(異常出生譚)竹取の翁が富み栄えた(致富長者譚)
求婚者へ難題を課していずれも失敗する(求婚難題譚)そして羽衣伝説・・・
説話を構成する要素が、まぜこぜになって取り入れられています。
それと随所に出てくる言葉遊びも大きな特徴ですね。
どれを語ってもブログ1回分の内容にはなりそうですが・・・

ここでは「月」を中心にしなくてはなりませんし、ジブリの映画もありましたので、
かぐや姫が元から住んでいた月の都と、
そこから追放された罪について考えてみます。
お話の最後の部分、月からの使者がかぐや姫を迎えに来たところで、
かぐや姫に薬を飲ませ、羽衣を着せかけようとします。
それを着てしまえば、心のありようが地上の者と異なり、
竹取の翁たちのことも忘れてしまうのです。

ここでかぐや姫は、「月の世界のものは不老不死で、悩みを持つこともありません」
と述べています。 一般的に、月の都と言えば「月宮殿」・・・
須弥山の中腹をめぐる月にあるという月天子の宮殿のことを言います。
月天子は仏教における天部の一人で、もともとはインド神話の神でした。

ここから考えれば、須弥山はインド神話ですし、月天子は仏教の守護で、
元をたどればバラモン教です。これらの世界における理想郷を
集約したようなものが、月の世界ということになります。
『竹取物語』の成立した平安初期は、仏教が隆盛している時期であり、
また、宮廷人は中国古典に対する素養も深かったのです。
貴公子の求婚譚には、仙界である蓬莱山に金銀宝石の枝を取りに行く話もあります。

ですから、ここでいう月の都とは、日本古来の神道とはかなりかけ離れた、
異国風のパラダイスなのですね。
迎えに来る天人の衣装も、ひれを持つ中国風に書かれることが多いですよね。
今でこそ『竹取物語』といえば、きわめて日本的な話と考える人も多いでしょうが、
さまざまな文化が流れ着く果てであったから生じた物語とも言えそうです。

さて、話の中で、かぐや姫は「月の世界で罪を犯したため」地上に流された、
と書かれています。かぐや姫は急成長しましたので、
地上で暮らした時間はさして長くはないのですが、これによって罪が消え、
月世界へと戻ることができるようになります。
では、この罪とはいったい何だったのでしょう。

ここは難しいところです。書かれてないのですから、
「わからない」が正解なのですが、無理に少し考えてみます。
律令制においては、刑罰の種類は5つありました。
笞刑(むち打ち) 杖刑(つえ打ち) 徒刑(強制労働)流刑(島流し)
死刑(しけい)で、流刑は死刑に次いで重いものです。

Wikiで流刑を引いてみますと、
『記録に残る最初の流刑は允恭天皇時代に兄妹で情を通じた
とされて伊予に流された木梨軽皇子あるいは軽大娘皇女である』と出てきます。
兄妹婚、つまり近親相姦の罪だったのですね。
また、これと関連して、伊勢の斎宮の密通事件というのも思い浮かびます。

伊勢神宮では古くから、未婚の内親王または女王から候補者が選ばれ、
亀卜により新たな斎王を定めました。
候補者は精進潔斎して斎宮に入り神の妻となるわけですが、
たびたび密通事件が起きてしまいます。
古くは、欽明・敏達紀にみる斎王2人の密通事件。
有名なところでは、同じ平安初期に成立した『伊勢物語』に記されている、
在原業平の斎宮密通事件(第69段)で、
この段のために書名が『伊勢物語』となっていると考えられます。

文徳天皇の皇女、恬子内親王は異母弟の清和天皇の即位にともなって、
伊勢神宮の斎宮に選ばれましたが、在原業平がモデルとされる男が、
勅使として恬子内親王を訪ね、人が寝静まったころに密会したと記されています。
しかも、この出会いにより恬子内親王は懐妊し、
生まれた子供は斎宮の管理者のもとに引き取られ、
養育されたということになっています。

この話が史実かどうかわかりませんが、
恋愛沙汰がそう大きな問題とはならなかった当時でも、
事実であれば大スキャンダルだったと考えられます。
このような時代背景と、女性の流刑ということを合わせ考えれば、
かぐや姫の犯した罪というのは、
何か恋愛に関係したものだったのではないでしょうか。

さてさて、『竹取物語』で大きな部分を占めるのは、5人の貴公子の求婚譚で、
仏の御石の鉢(お釈迦様の使った金の鉢)、火鼠の皮衣、龍の首の珠などを探しに
貴公子たちは駈けずり回されます。このあたりは異世界への興味や、
当時の貴族の生活に対する皮肉な目もあるのかもしれませんが、
かぐや姫はこれらの貴公子の求婚をすべて跳ね返し、
さらには時の帝の求婚も断ります。

物語の冒頭で、小さなかぐや姫が、翁の切った竹から出てくるシーンは有名ですが、
なぜ、かぐや姫は小さい赤子の姿で生まれなくてはならなかったのでしょう。
話によれば、3ヶ月ほどで一人前の女性になったわけですから、
最初から大人の姿で落ちてきてもいいようなものです。
そして、かぐや姫は金持ちや高貴な身分の男たちの求婚を断り続けるのですが、
これも物語的には重要じゃないかと思いますね。

かぐや姫がもし、貴公子の誰かや帝の求婚を受け入れてしまったら、
罪は許されず、月の世界に帰ることはできなかったのではないかという気がします。
処女性を保ち続けることで、罪を清めることができたということです。
どう思われますでしょうか?

『竹取物語絵巻より』