雪の中での話

2016.01.31 (Sun)
去年のクリスマス前の話です。彼女と一泊でスキーに行ったんですよ。
場所は長野のほうです。ええ、はい、雪が少なくて、まだ新しいスキーにだいぶ傷がつきました。
で、この帰りのことなんです。俺の車で行ったんですが、
彼女が途中で寄りたいところがあるって言って、
それは有名な手芸の店だったんですけど、高速を通らずに下の道を戻ってきたんです。
10時にペンションを出て、まだ午前のうちだったんですけど、
急に吹雪が激しくなりました。風が強かったんですね。
だから降雪はそんなでもないんだけど、地吹雪っていうのかな、
軽く積もった新雪が風に舞って、前が見えないくらいだったんです。
路肩に退避しようとも考えたんですけど、彼女が「後続車も前が見えないから、追突されるかも」
って言って。彼女は一家で新潟から都内に引っ越してきたんで、俺より雪のことは詳しいんです。

だからライトもフォグランプも全部つけて、そろそろと進んでいったんです。
車通りの少ない時間帯だったのが幸いしました。事故には合わなかったんですが・・・
そこらの道って、降雪はそんなでもないのに、両側が1mほどの雪の壁になっていまして。
おそらく毎日の除雪で積み重ねられたものなんでしょうけど、
しばらく進むと、その雪の壁に前部を突っ込んで止まってる車があったんです。
「あ、事故か」と思いましたが、そのわりに車は潰れてるというわけでもありませんでした。
車は大型のアメリカ車のSUVでした。リンカーンのなんとかって言うやつです。
「動かないから、乗り捨てていったんじゃないか」俺がそう言うと、
「でも、ライトがついてるわよ」と彼女。
たしかにリアのフォグランプがついてました。それで、ケガ人がいたらと思って、
後ろに車をつけて停め、様子を見にいったんです。

その車はボンネットの3分の1くらいを雪の壁に突っ込んでいました。
前のウインドウから覗き込むと、運転席にも助手席にも誰も乗っていませんでした。
7人乗りのようでしたが、後ろの座席にも人の気配はなし。
ああ、これはやっぱり救援を求めに行ったんだろうと思いました。
できることはなさそうなので、車に戻ったんです。そしたら彼女が、
「誰もいなかった? でも、一番後ろの席で動いてる人がいたよ」こう言いました。
「え、そうかな」 「ほら」彼女が指差したリアウインドウを見ると、
濃いスモークが入っていてはっきりとはわかりませんでしたが、ぐっと乗り出すようにして、
こっちを見ている人がいるようでした。いえ、子どもじゃなかったです。
普通の大人より大きいようなシルエットで・・・音は聞こえないんですが、
ゴン、ゴンという感じでウインドウに頭をぶつけているように見えました。

「あれ、助けを求めているんじゃない?」彼女が言い、
「わかった、もう一度見てくる」 「私も行くから」2人で後部ウインドウに近づきました。
かなり分厚い布か毛布のようなものを被った人が横たわって動いているようでしたが、
はっきりとはわからず、また助手席のウインドウに回りました。
「えっ!」三列目の席から身を起こした形になっているのは、
毛むくじゃらの・・・たぶん大きな鹿でした。動物とは思わなかったので驚きましたよ。
さっき見えなかったのは、座席の床の部分に落ち込んでいたんでしょうか。
鹿は頭をもたげて、さらに驚かされました。頭の部分に、角隠しっていうんですか、
あの和装の花嫁衣装が被さっていたんです。それで、鹿の顔の部分は見えませんでした。
角はなかったので、雌の鹿なんだとは思います。「何だよこれ・・・」
彼女も俺の後ろから車をのぞき込んで「何、何、どしたの? あー 鹿!」と驚きの声を上げました。

それはそうですよね。動物を運搬するならそれなりの車を用意するはずで、
いくら大型のアメ車といっても鹿を運ぶのはちょっと。
それにね、角隠しのことはどう考えてもおかしいでしょう。
なんだか気味悪くなって「もう行こう」と彼女に言ったとき、
後ろの吹雪の中から「こらあ、お前ら何やってる!」という怒声が聞こえました。
振り向くと、吹雪の中から白い人と黒い人が出てきたんです。
これは普通の人間でした。黒い人というのは黒の革コートを着た背の高い男で、
40代くらいでしょうか、鋭い目つきをしていました。
もう一人、白い人というのは小柄で、対照的に柔和な顔の初老の神主さんでした。
本職の神主かはわかりませんが、その服装をしていたんです。「あんたら、人の車に何やってる」
黒い人は怒鳴り続け、神主さんがまあまあ、というようにそれをなだめました。

「その鹿は、神事に用いるものですよ。いや、車のトラブルです。もうすぐ応援が来ますので、
 ご心配なく」神主さんがそう言い、俺はそれで安心して「そうですか、じゃあこれで」
そう答えたときに、背後で彼女が「キャッ」と叫ぶ声が聞こえたんです。
俺はそっちに行って腕を引っ張り、「じゃ行きますんで、お気をつけて」こう言いました。
すると神主は「ああ、ありがとうね。ところで鹿の顔を見ましたか?」
「いや、被り物をしてたんで見えなかったですけど」
「ならいいんです。・・・ひどい吹雪ですので、そちらもお気をつけて」
こんなやりとりをして車に戻り、発進させました。
その頃には、風はおさまってきていて、視界もだいぶよくなっていたんです。
「ちぇ、心配するまでもなかったな。神事に使う鹿だって」
話しかけても彼女から返事はありませんでした。呆然と前を見つめたまま、
全身が小刻みに震えてて。「なんだ、冷えたのか?」

「わたし、鹿の顔見ちゃった。◯◯があの人たちと話をしてるとき頭の覆いがずれて・・・」
「え、そう言えば神主が、鹿の顔がどうとか話してたな。何かおかしなとことかあった?」
「・・・」 「おい、どうしたんだよ」それ以降、俺がいくら話しかけても、
返事してくれなかったんです。楽しみにしていた手芸店にも寄らず、
ずっと震えていたので、額に手をあてたらひどい熱があって、
東京に戻って病院に直行したんですが、日曜なので救急外来しかやってなくて。
熱以外に風邪の症状はなく、インフルエンザの検査も陰性でした。
2時間かけて点滴をしてさらに1時間ほど休んだら、
熱は下がったんです。詳しい検査は明日ということになり、彼女の家まで送ったんです。
翌日は俺は仕事があったんだけど、彼女は家族といるんで大丈夫だと思ってまいした。
昼休みにはメールを入れたんですが、つながってないみたいで。

夕方にスマホに連絡してもやはりつながらず、しかたなく家の電話にかけました。
彼女のお母さんが出て、ええ、俺との交際は知ってるんで問題はないんですけど、
彼女が出たくない、って言ってるってことだったんです。
で、機嫌が悪いのか聞いたらそうじゃないって。体調が悪いとも言ってないし、
むしろ上機嫌で部屋にこもって編み物をしてるって。
はい、さっき手芸店の話がちょっと出たでしょう。
彼女の趣味が毛糸の編み物なんです。暇があればいつもやってたんです。
その日はそんな感じでしたが、翌朝スマホにかけたら出て、怒ってる感じはなかったんです。
「昨日はどうしたんだよ」って聞いても、「夢中になって編み物をやってた」って言うだけで。
それからは特に前と変わったことはなかったんです。
ええ、俺のほうからも、あの雪の中で見た鹿の話はしませんでしたし。

その週の土日も、遊びに行く約束もしていたんです。
で、金曜の夜です。彼女のほうから連絡があって、明日の打ち合わせかと思ったら、
声が震えてて「もう数針で、編み物ができてしまう」みたいなことを言って泣いてたんです。
「何言ってるんだ? これから家に行くから」
「もう会えないと思う・・・あなたのお嫁さんになっりたかった、さよなら」
これで切れてしまいました。もちろん彼女の家まで飛んで行きましたよ。
でも、部屋には誰もおらず、家族にも行き先を告げていませんでした。
スマホも財布も部屋に残ってたんです。スマホを持たずに行動してるなんて考えられないし、
キャッシュカードもないんですよ。それから手をつくして探してるんですけど、
行方知れずです。あとですね、これは関係あるかわかりませんが、編み物が部屋に残ってまして。
すごく大きなものだったんです・・・ 首と手足、5つの穴があって、鹿が着れるほどにも。







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体験談としての実話怪談

2016.01.30 (Sat)
今日は時間がなく、怪談論のカテゴリに入る短い記事になります。
何度も書いているんですが、当ブログの怖い話はホラー小説の形はとっていません。
ほとんどの話は、一人称形式での語りなのですが、
最近は「聞いた話」という形のものも多くなってきました。
これはマンネリを避けるという意味合いが強いのですが、
それでも体験談であることに変わりはありません。
ホラー小説と実話怪談の違い・・・これはいろいろあるものの、
その最大の部分は、実話怪談は体験談であるということだと思います。

ま、ホラー小説でも体験談形式のものはないわけではありません。
「ホラー小説」というのは大きなくくりで、その中での自由度が高いからです。
とはいえ、多くのホラー小説は現在進行形で書かれています。
つまり小説の主人公は、今現在、恐怖のただ中にあるんですね。
駅のホームで、次から次と襲ってくるゾンビをかわして列車に跳び乗った。
ほっと一息つく間もなく、車両間の扉が開いて、さらに恐ろしいバケモノが姿を現す。
こんな感じです。このほうが臨場感があるし、先の展開が読めない分、
ハラハラドキドキ、手に汗を握る。登場人物への感情移入も強まるでしょう。

それに対して実話怪談の怪異は、すでに起こったこと、終わったことということになります。
これは当然ですよね。話をしている当人は、怪事を切り抜けてきてそれを語っているのです。
そこには一つの安心感があると言っていいかと思います。
怪談はある意味、安心感を楽しむものであるのです。
自分は安全な場所にいて「そりゃ怖かったでしょうね~、あんた助かってよかったね~」
といった形で体験談を聞く。それが当ブログの場合は怪談ルームの面々であるわけです。
よく修学旅行の部屋で怪談大会になった、などということがあります。
百物語などもそうでしょうが、これは、大勢の人がいて恐怖を共有できる安心感を楽しむ、
といった側面もあるのではないかと思います。

しかし、それだけではツマラナイと考え、
実話怪談でも、さまざまな仕掛けを話に取り入れることもあります。
その一つは、「語っている本人は助かったと思っているが、実は助かっていない」という形。
どういうことかと言いますと、その話の中で、
語り手が何らかの呪いのようなもの巻き込まれていて、
この後に必ずよくないことが起きると推測できる、といった話の作り方のことです。
「おいおい、あんたそれヤバイだろ、もう大丈夫だと思ってるかもしれんけど、
この後絶対に怖ろしいことが起きるから」そう言いたくなるような場合ですね。

自分の話にはけっこうこのパターンが多いです。
「・・・心配でならないので、ここ(怪談ルーム)の話を聞いて相談に来たんです」
最後に話し手がこう語ってるものがいくつもあります。
また、話し手はもう助かったと思って安心しているが、
聞いてるものには、はっきりとヤバイことがわかる、このタイプのもの書いています。
話のしめくくりで安心することができず、さらに不安が高まるような話にすれば、
ひと粒で2度美味しいというか w

また中には、話を聞いてしまった者にも災いが及ぶという形もあります。
これはホラー小説でもできるでしょうが、
ホラー小説がはっきり創作であると読者にわかっているのに対して、
自分の話はともかく、プロの方が書かれている実話怪談は、
「本当にあったこと」というのが建前ですので、より効果が高いと思われます。
昔、「カシマさん」という都市伝説のような話があって、
カシマさん、というのは不幸な亡くなり方をした女性なのですが、
この話を聞いた者のところへは3日以内にカシマさんがやってきて道連れに殺そうとする。
そのときに「◯◯」という対処のしかたをすれば助かるが、
少しでも間違えるとあの世につれていかれてしまう・・・  『カシマさん』Wiki

ただねえ、この形式は多くのパターンが出てしまっていて、
「ああ、これは聞いたものがヤバくなるパターンだな」とスレた読者にはわかってしまい、
かえって陳腐な印象を与えかねません。ですから、今後これをやろうとする場合は、
よほど巧妙なしかけを工夫しないといけないでしょうね。







中国の古墓の話

2016.01.29 (Fri)
これは自分の大学の師筋にあたる方からお聞きした話で、かなりデリケートな内容を含むので、
モヤがかったようにボカして書かせていただきます。
その方はある大学で教授をされているんですが、弟子の一人が日本の大学院生の身分のまま、
中国某地に滞在して、大きな博物館の客員研究員のようなことをしていました。
教授の命によって派遣されていたんですね。今から20年以上前の話です。
中国の歴史研究は、『漢書』のような正史文献を読むことから始まるんですが、
なにしろ膨大な漢籍があるため、ある時代に限っても読むだけで一生かかってしまいそうです。
文献学は進んでいましたが、考古学はまだまだ始まったばかりの状況で、
その客員研究員である、Aさんとしておきましょうか、から、
博物館のほうでも技術的なことを学んでいたんですね。
Aさんは博物館の近くに部屋を借りて、一人で住んでいました。

毎日、博物館には半日程度顔を出すんですが、まだ中国ものんびりした時代で、
やることのない日も多かったんですね。で、当然のように退屈します。
当時のテレビなどは国策番組がほとんどでしたので、中国語を学ぶ目的以外、
見てもまったくつまらないわけです。それで、その市の駅前にあった貸しビデオ屋から、
ビデオを借りてきて見ることが日課になっていました。
ビデオは欧米の映画もありましたが、検閲が入るため無難な作品ばかりで、
Aさんが借りるのはもっぱら、日本のテレビ番組を録画したものでした。
これも違法だったのでしょうが、堂々と店先に出されていたということです。
そのビデオ屋の主人とは顔なじみになりまして、
50代前半くらいの人の良さそうな親父でした。子どもが6人いたそうですが、
結婚が遅かったということで、一番上でもまだ成人していなかったということです。

ある夏の日の午後、Aさんが部屋で暑気にまいっていますと、
知り合いが2人訪ねてきまして、一人は博物館で顔見知りの警備員で、
もう一人がビデオ屋の親父だったんですね。何の用かとAさんがいぶかしがると、
警備員はやや大型の玉製品を出して、これの時代を教えてほしいと頼んできました。
Aさんは「ははあ」と思いました。そのような依頼はよくあったんです。
世界的なニュースになった秦の始皇帝の兵馬俑の発掘が40年ほど前の出来事ですが、
あそこまでいかないにしても、中国は地下遺跡の宝庫で、
裏の畑をちょっと掘れば何かが出てくるといった場所も数多いのです。
Aさんのところに持ち込まれたものも、そういう昔の墓から出たであろう副葬品のようでしたが、
かなり特殊なもので、Aさんでもその場で時代を特定することはできなかったんですね。
「ちょっとわかりかねる」と言うと、警備員が「じゃ墓のほうを見てもらえるか」と言ってきました。

中国の遺跡の盗掘は非常に数が多く、貴重な遺跡が数々破壊されているようです。
これは現代でも変わりがなく、わかっているだけで年に数百件、
被害額はおそらく百億円を超えているでしょう。ただしそれらの盗掘品は、
表のマーケットに出てくることはなく、成金と呼ばれ成功した中国人が地下取引しているんですね。
その一部は日本まで流れてきています。ただ、そのときの場合は、
Aさんは「自分のところに話がくるんだから、盗掘というわけではないんだろう。
 もし見てみて貴重なものだったら博物館に連絡して保護を求めればいい」
それくらいの考えだったそうです。ビデオ屋の親父がなぜ一緒にいるのかわかりませんでしたが、
話を聞いてみると、その墳墓が見つかった畑を、
最近買ったのがビデオ屋の親父ということだったんです。
その週の土曜の午前中に、墳墓を見に行くことを約束しました。

土曜になって、警備員、親父とが車でやってきましたが、運転をしていたのは親父の長男でした。
店でちらと顔を見たことはありましたが、そのときの長男は中国で言う黒社会、
やくざ者のような風体だったということです。
だだっ広い郊外の畑地を車で2時間ほど走り、着いた先は小高い丘の影になっているような場所で、
ビデオ屋の親父が何も好き好んでそんな僻地の土地を買うわけはないし、
「何かのわけがあるんだろう」とAさんは思いました。
粗末な小屋が建っていまして、全員でその中に入っていきました。
最近、三国志の英雄、曹操の墓ではないかと言われる遺跡が発見されまして、
これにはさまざまな意見があるようですが、あれほどの規模ではないにしても、
小屋の中には地下遺跡への入り口がありました。
日本でいうところの、横穴式石室のようになっていたわけですね。

息子を車に残して3人で入ってみると、きちんと四角に切られた石が積み重ねられた壁に、
「セン」という、タイル状のレンガが貼りめぐらされており、
また副葬品の旗竿の布がきれいに残っていて、
Aさんには一目でそう古い時代のものではないことがわかりました。宋代のあたりか。
あと、少し進むと色の違う土砂が上から落ち込んできている場所があり、
はっきりと盗掘の跡だということがわかりました。Aさんがそれらのことを話すと、
ビデオ屋の親父はがっかりした様子でしたが、警備員は無表情で、
「奥に石棺があって、その中に遺骸が残っているからそれも見てもらいたい」
墓室に入ると、盗掘されたといっても、それなりに値打ち物と見える品がいくつかありました。
棺の石蓋は半分開けられ、人骨が見えてきました。性別も年齢もわかりませんでしたが、
驚いたことに、頭蓋骨が眼のあたりで真横に切断されていたんです。

それと、口元に歯がバラバラとこぼれており、Aさんは死後にわざとやられたものじゃないか、
と判断しました。石蓋をずらしてさらに見分すると、右手と左足の骨が、
斧のようなもので断ち切られた跡が残っていました。・・・さきほど盗掘と思ったのは、
実は文字どおりの墓荒らし、つまりその墳墓の主に恨みのある人物が、何かの報復として、
墓を辱めるためにやったことのように思えました。これは異様ですが、
それ以外は中国ではどこにでもある古墓で、歴史的に貴重なものとは思えませんでした。
「これは博物館や社会科学院に報告するようなものじゃないだろう」Aさんはそう判断しました。
そのときです、墓室の奥、暗がりになっていてどこへとも続いているとは思えませんでしたが、
そこから人が出てきたんです。ぎょっとしました。人がいたことも驚きですが、
それよりもその背の高い人物が仮面をかぶっていたんです。青い楕円形の、
3cmばかりの鈍く光る玉を多数くっつけたような奇妙な仮面でした。

それを見てビデオ屋の親父が大声で叫びました。
「そういうつもりじゃなかった」という意味の中国語です。警備員がAさんの手をつかみ、
ものすごい力で入り口のほうへ引っ張りました。3人は転げるような勢いで、
遺跡の上まで逃げ、息をきらして小屋の外へと出たんです。
「今の何ですか?」Aさんがそう聞くと、警備員は「人が入りこんだみたいだな。
 まったく油断も隙もない。貴重な物をあいつに盗られてしまうだろう。悔しいけど、
 武器を持っているかもしれないからなあ」こう言い、ビデオ屋の親父は怯えた様子で首を振りました。
で、その後は不機嫌そうに押し黙ったままの親父の息子の運転で、市中へと戻ったんですね。
まあこういう体験をしまして、奇妙といえば奇妙ではありますが、
混沌としていた時代の中国ではままありそうなことでもあります。
ところがこの話には後日談がありまして。

このことがあった翌週、博物館に顔を出すと、くだんの警備員が仕事を辞めたことを聞かされました。
これは公務員ですので珍しいことです。それと、午後にビデオ屋に行ったら、
なんと経営者が代わっていたんです。新しい店主は、あの親父から経営権から商品の
一切合財を買い取ったということで、奥の住居から、大家族はすでに引っ越してしまっているようでした。
それから4ヶ月ほどたち、駅前に出かけたとき、道の両側に物乞いが数人並んでいました。
そういう人たちは手や足がなかったりするんですが、これは憐れみを乞うために親に切られたとか、
自分で切ったという話もあります。その中に、ビデオ屋の親父と思える人物がいたんです。
ただし両目は潰れているようで、醜い傷跡があり、それと右手と右足がなくなっていました。
驚きで声が出せませんでした。近寄って話しかけようとも思いましたが、Aさんは怖くなったんです。
親父の傷はすべて、あの墳墓の被葬者のものと同じ箇所でしたから。
親父の後ろに木箱に車輪をつけたのがあり、その一番上に青い仮面らしきものが載っていたそうです。







◯◯の女

2016.01.28 (Thu)
これは「恐い日本史」の分類に入る話ですが、特に怖くはありません。
「◯◯村出身の(若い)女を下働きに雇うと怪異が起きる」 こう書くと、
変な話だなあと思われるでしょうが、これは江戸時代のさまざまな文献に、
実例つきで載っている内容なんですね。しかも戯作ではなく、
武士が書いた随筆が多いですので、それなりに信憑性があります。

で、どんな怪異が起きるのかというと、これは夜中に首が伸びて行灯の油をなめる・・・
といったことではなく、家内の皿が宙に飛び出す、屋敷の屋根に石が降るなど、
現代にポルターガイスト現象と呼ばれるものが多いんですね。
これは最後に書きますが、謎解きのヒントになる気がします。

まず一例目、『梅翁随筆』寛永年間(1789~)ころの作ですが、
それなりに身分のある侍が、自分の屋敷で飯を食おうとしたところ、
ゆっくりと膳が椀皿を載せたまま宙に浮き、
だんだんと上っていって、ついには天井にまで達した。
侍は人を呼ぼうとしたが声が出ない。そうしているうちに、
膳は静かにまたもとの位置まで降りてきた。このことがきっかけとなって、
それからは家内のいろいろな物が宙に浮くようになった。

中には数人がかりでないと持ち上げられない石臼などもあったということです。
あまりに不審なので原因を探ったがわからないでいるうちに、
老人が家を訪ねてきて、「この怪事は目黒出身の人を雇ったからです」と言った。
「そんなこともあるまい」とは思ったが、雇い人の何人かに暇を出すと、
怪異はピタリとおさまった。

どんどんいきます。次は『古今雑談思出草子』1840年ころの出版で、
記されている怪異は1740年あたりのことです。
これは有名な怪異収集本『耳袋』にも同じ内容が載っており、
広く世間に知れ渡った話なのでしょう。
ある旗本が江戸郊外の池尻村(今の世田谷区)から若い娘を下働きに雇った。
すると怪事が起き始めたんです。初めは天井に大きな石が落ちたような音がし、
それから家の中の茶碗や皿が次々飛び回り始めた。

正月近くなって餅つきをしようと男を雇ったが、休憩でちょっと目を離し隙に、
重い石臼が垣根を越えて移動していた。
このようなことが毎日起こり、山伏や民間陰陽師を頼んで祈祷してもらったが、
まったく収まる様子がない。そのうちに一人の老人が家を訪ねてきて、
「これは池尻村の娘を雇ったから起きていることです。辞めさせれば収まるでしょう」
まさかと思ったが、暇を出すとぴたりと怪事は止んだ。

もう一つ、文政年間(1818~)の『遊歴雑記』から。
奉行所の与力が池袋村から若い女を雇ったが、
それが美しい娘だったので手をつけてしまった。
するとまもなく家の中に石が降った。戸棚の中の椀皿がひとりでに飛び出して割れ、
飯櫃の中に灰が入ったり、囲炉裏の湯がこぼれてもうもうと灰神楽が上がったり。
あまりのことに与力は娘をあきらめて暇を出したら、
もう二度と怪事は起こらなくなった。

まだあるんですが、これくらいで十分でしょう。
話の順序としては二番目の例がもっとも古く、
それ以降のものは類話と考えてもよさそうです。
一番目の話では、雇ったのが若い娘ではなくなっています。
欧米のポルターガイスト現象では、家族に思春期の子ども(多くは娘)がいることが多く、
共通点がありますよね。しかしながら、ポルターガイスト現象の中には、
皿などが飛び出した瞬間が目撃されたものは多くはなく、
後でその娘が起こした狂言であったと判明した事例もあります。
では、この江戸の怪異も、娘たちによる自作自演なのでしょうか。

これはそうとも考えにくい部分があります。
皿を投げたり飯櫃に灰を入れるなどなら誰にでもできるでしょうが、
重い石臼が話の中に出てくることに留意してください。
これは娘の細腕ではできる話ではない、ということが強調されているのでしょう。
また、戸締まりの厳重な(門番もいる)武士の家で、
屋根に石が降るのは、外に協力者がいないとうまくいかないのではないでしょうか。

WIKIに『池袋の女』という項があり、「江戸時代末期における日本の俗信の一つで、
池袋(東京都豊島区)の女性を雇った家では、怪音が起きる、
家具が飛び回るなど様々な怪異が起きるといわれた。」こう出ています。
江戸市中ではかなり広まっていた話のようで、「石投げをしてぼろの出る池袋」
「瀬戸物屋土瓶がみんな池袋」などの川柳が採集されています。
明治の怪異研究者である井上円了などは、これらの怪異の真相を、
「虐げられた女性たちが自由に遊べないことによる欲求不満から、
抗議行動として主人に茶碗を投げつけたこと」と切り捨てていますが、
それはさすがに身も蓋もない言い方ですね w

しかし前記した石臼や屋根に降る石など、女の力だけではできそうもないことも出てきますし、
もう一つの解釈として、池袋など江戸近在の村にあった当時の青年団のような集団が、
幼なじみの娘の動向を監視していて、主人に手をつけられるなどのことがあると、
報復としてこれらのことを行っていたとする説もあります。
もしかしたら、娘とは内通していて、家の中の怪事は娘、
外や庭で起きることは若い衆のしわざなのかもしれません。
とはいえ、警備厳重な武家屋敷での話ですし、
本当の怪異であった可能性も絶対にないとはいえないでしょう。







人間の行為、機械の行為

2016.01.27 (Wed)
今日はこの話題でいきます。
『人工知能(AI)を備えた自律型ロボットが人間を殺しながら戦場をさまよう──
そんな未来を回避するために世界は今すぐ行動する必要があると、
「世界経済フォーラム(WEF)」年次総会(ダボス会議)に集った政財界の有力者や科学者、
軍事専門家らが警鐘を鳴らした。科学者らは自律型ロボット兵器の配備が、
戦争行為の危険な新時代を象徴するようになると述べ、
そうした兵器の開発を阻止するための合意が必要だと主張した。』
(1月23日 AFP)

ふむふむ、まずこれは、単なる反戦のための声明ということではないみたいですね。
戦争自体は認めるものの・・・という話のようです。また「自律型ロボット兵器」と聞くと、
SF映画に出てくるような無差別殺人機械を思い浮かべてしまいますが、
どうやらそれだけではない、難しい問題をはらんでいるようです。
というのは記事はこう続くからです。

『米カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley)
のスチュアート・ラッセル(Stuart Russel)教授(コンピューター科学)は、
「われわれが話題にしているのは、人間のパイロットが操作する無人機のことではなく、
自律型兵器のことだ。後方で操作する人は誰もいない。AI兵器、つまり人工知能兵器だ。
非常に正確で、人間の介入なしに標的の位置を特定し、攻撃できる兵器だ」と語った。』


無人機を用いた爆撃はアフガニスタンや中東で盛んに用いられました。
自らは安全な場所にいる兵士が、コンピュータで無人機を操作してピンポイント爆撃を行う。
これは自軍の人的損失を防ぐには格好の戦術であるのですが、
作戦に従事した兵士の中には、精神的なトラウマに苦しんでいる人が多くいる、
というニュースがあったのは記憶されている方も多いでしょう。

『米軍がアフガニスタンやイラクで「テロリスト掃討」を目的に実施してきた無人機空爆作戦で、
実際に無人機を遠隔操作して攻撃に参加した元米空軍操縦士、
ブランドン・ブライアントさん(29)が毎日新聞の取材に応じた。
自宅がある米西部モンタナ州ミズーラの喫茶店で「テロとの戦い」について語った。
ブライアントさんは、「敵かどうかも分からない多数の人を殺害した。
自分の過去は変えられず、悔いても悔いきれない」と、
除隊から3年以上たつ今も自責の念にかられている。 』
(毎日新聞)

まあそうでしょうねえ。上官の命令であり兵士としての任務であるとはいっても、
自分の行為によって確実に人が死んでいくわけですから。しかも無人機のカメラによる中継で、
モニターを通して、人の体がちぎれ飛ぶ様子がはっきり見えているのです。
ピンポイント攻撃であっても、民間人を巻き込む可能性は常にあるわけで、
精神的にきついのは当然のことでしょう。
ましてこの場合、殺るか殺られるかの戦闘行為として、
自分にも相手と同様のリスクがあるわけではないですし。
しかしどうやら、この兵士が感じている良心の呵責が重要であるようです。

『西イングランド大学(University of the West of England)の
アラン・ウィンフィールド(Alan Winfield)教授(電子工学)は、
戦場での意思決定から人間を除外することが招くだろう深刻な結果を懸念し、
「それは人間から倫理的責任が奪われるということだ」と語った。
またロボットの反応は予測しがたいとも付け加え、
「混沌(こんとん)とした状況の中にロボットを置けば、
ロボットは無秩序に振る舞う」とも述べた。』

 
無人機によるピンポイント爆撃が、
倫理に反した行為ではないかと感じている方は多いと思います。
かといって有人機の爆撃がいいというわけでもないでしょうが。
こういう違和感というのは重要です。
もしも遠隔操作兵士の中で、前掲のブランドンさんのように声を上げる人が多くなれば、
無人機による攻撃にも歯止めがかかってくるかもしれません。
そういうフィードバックの作用というのは人間の中にはあると思われます。
人間が、コンピュータを通してであっても、引き金を引いて人が死ぬ、
そこには倫理的な責任があるわけです。

ところが、自立型のロボット兵器は、人工知能によって自ら判断し作戦行動を行う。
そこには倫理的な責任を持つべき人間、良心の呵責を感じる人間が不在になってしまう。
(とはいえ、自立型ロボット兵器が暴走しそうなときには、
スイッチを切る監視役の人間はいるものと思われますが)
そういう観点から、科学者のフォーラムはこの声明を出したということのようです。

確かに、ただ単に「敵の殲滅」というテーマを与えれば、
ロボット兵士は徹底して無慈悲な殺戮を行うことになるでしょう。
では、人工知能に良心回路のようなものをつければいいのでしょうか?
しかし何が善で何が悪なのか、自国の利害とのからみはどうするのか。
これはプログラミングが難しそうです。

『英航空防衛機器大手「BAEシステムズ(BAE Systems)」のロジャー・カー
(Roger Carr)会長もこれに同意し、「平和な時にせよ戦時にせよ、人間の営為から道徳や判断、
倫理を除外してしまえば、人類はわれわれの理解を超える別のレベルに至ってしまう。
同様に、正常に機能しなくなった際に、人間による制御メカニズムが利かない
極めて破壊的になり得るものを戦場に投入してはならない」と述べた。』


まあこのコメントのとおりでしょう。戦争にしろ、それ以外の社会的行為にしろ、
これまで人間が判断して、人間的に行われていたことが、
人工知能の作為によってなされるというのには、多くの懸念があると思われます。
われわれ日本人も、太平洋戦争時の特攻隊兵士の残した遺書などを読めば、
さまざまに感じ、考えることがありますよね。
そういう話なのだと思いました。

がはははいいいいってrw





奇譚 お稲荷様の話

2016.01.26 (Tue)
これ、昨日書いた内容と関連があって、急遽採集できた話なんです。
昨日は外国人の胸像の話でしたが、それをブログに載せる了解を得るために、
パートタイムで神主をしているYさんの叔父さんに、午前中に連絡を取りました。
ブログの件は快く承知していただいたんですが、そのときに自分がちょっと欲を出しまして、
他に何か面白い話はないものかと水を向けてみたんです。
そしたら電話で1時間近くかかりましたが、今回のお話をいただきまして。
これも怖いというよりは、どっちかといえば有難いようなお話です。

昨日も書きましたとおり、Yさんの叔父さんはその地域の5つの小さなお社を担当して、
縁日の祀りや季節ごとのお世話をしているのですが、
その中に一つ、お稲荷さまのお社がありました。
これは朽ちかけた鳥居はあるものの、お社自体は一間四方以下の小さなものです。
基本的には年に4回、扉を開けてお掃除をし、
祝詞をあげてお賽銭を回収する、そういうお世話をやっていたんですね。
去年の7月のある日の早朝、バケツと雑巾、短い箒とチリトリなどを車に積んでお社に向かい、
扉を開けましたところ、中は閉めきってあるのにホコリだらけで、
まあこれはいつものことなんですが、ろうそく立てのある後ろ側に、
高さ10cmくらいの小山ができていたんです。
近づいてよくみると、なんとそれは乳幼児が食べるようなビスケットでした。

ビ◯コという有名な製品であることは、後でわかりました。
それにしても、前に掃除をしたときにはそんなものはなかったんです。
扉には鍵はかかってはいませんでしたが、イタズラにしても奇妙だなあ、
もしかしてお供えなんだろうか、それにしても・・・と考えながら、
とりあえずチリトリに取って持ってきたゴミ袋に入れようとしました。
そのときに、ビスケットには完全な形のものはなく、
どれも半分かそれ以下の破片であることに気がつきました。ワゴン車の後ろを開けて、
ゴミ袋を収めようとしていたら、「あのう、ちょっと」と声をかけられたんです。
見ると、まだ30代前と思われる女性でした。
そのお社は丘の中途の林の中にあって、道はそれ以外に通じていないので、
参詣者の方だろうと思ったんですが、年寄りならともかく、

こんな名もないお社に若い人がお参りにくるなんて珍しい、と思ったそうです。
「はい、なんでしょうか?」そう答えると、「そのゴミ袋の中のものビ◯コじゃないですか」
「いや、製品名までわかりませんが、小さい子どもさんの食べるビスケットですねえ」
その女性は「ちょっと見せていただいてもいいでしょうか」と言い、
Y叔父さんが了解すると、ゴミ袋から何片か取りだし、
「ああやっぱり」と言いながらも、首をかしげていました。
Y叔父さんは仕事柄、それなりに不思議なことも体験していましたので、
これは何かわけがあるんだろうと思って、その場で話を聞いてみたんです。
こんな内容でした。その女性には、今年2歳になる息子さんがいて、
何の問題もなくすくすく育っているのですが、1歳を過ぎて歩けるようになったあたりから、
家の居間の天井の隅に向かって、にこにこ笑いかけることが多くなりました。

決まった一ヶ所の隅です。不思議だなあと思ってそちらを見ても、
特別何か変わったものがあるわけではありません。ただの鴨居と壁です。
それなのに息子さんは、そのほうを指差してけたけたと笑い出したりします。
これは四六時中ということではなく、朝の10時ころ、それと夕方の4時ころが多かったそうです。
そんなことが半年も続いて、息子さんが片言で話をし始めると、
天井の隅に笑いかけながら、「おんさちさん」と聞こえる言葉を繰り返したんです。
すると、それを聞いていた同居している旦那さんの母親が、
「おやま、おんさちさんというのは団地の坂の半ばにあるお稲荷さんのことだよ。
 ◯◯さん、あなたが教えたのかい」と言ってきたそうです。
でも、その女性は遠方から嫁に来たので、「おんさちさん」という名前も初耳でしたし、
お社のある場所も知らなかったんですね。

それでお姑さんに聞いてそのお社のこと知り、どんな場所なのか見に来たんだそうです。
それ以来、歩いて10分程度の場所ですので、
時間があるときにはお参りするようにしているとのことだったんです。
「最初に聞いたときにはちょっと心配にもなりましたけど、神様ですから、
 悪いことはなさらないだろうと。それに息子は風邪一つひかず順調に育っていますので、
 むしろ神様が見守ってくれているのかもしれないと思って、そのお礼に」
ということでした。でもいつも扉が閉まっていたので、
お賽銭をあげてお祈りするだけにしていたということだったんです。
「このビスケットに心あたりがあるんですか?」Y叔父さんがそう尋ねると、
「あ、はい。息子が奥歯が生えてから、おやつとして少しずつビ◯コを与えるようになったんですが、
何回か、手に持ったまま部屋の隅に走っていって、

笑いながらいつもの天井の隅に投げ上げるということがあったんだそうです。
まあ1歳児ですから、高くまで投げられませんし、ねらいも正確ではないのですが、
「おんさちさん にあげるの?」と聞くと、頭全体を振るようにして強くうなずいていたそうです。
それと、女性が目を離していたときにも、ビ◯コが部屋に落ちていることがあったので、
息子が一人で持ちだして投げ上げたりもしていたようです。
ここまで聞いて、Y叔父さんはウーンと考えこんでしまいました。
話の内容からして、確かに悪いこととは感じられないものの、
どうしてその女性の息子さんのところにお稲荷様が訪れるのか、
これがよくわかりませんでした。神様に気に入られるというのは、
一般的によいことばかりでもないのです。その点が少し心配でしたので、
「ははあ、なかなか興味深いお話です。よろしければ息子さんの顔を見させていただけませんか」

神職の装束をつけていたので安心感があったのでしょう。
快く承諾されまして、車で女性の家に向かったんですが、
ものの2分ほどの場所にある広い一軒家で、かなり裕福な暮らしぶりのようでした。
息子さんは起きていまして、まるまると太ったかわいい子どもでした。
お姑さんにもあいさつをしまして、居間のおんさちさんが来るという天井の隅を見たんですが、
確かに何の変哲もないとしか言いようがない。
それで息子さんに「今、おんさちさんはあそこに来ているの?」と聞くと、
ぶんぶんと首を振る。「おんさちさんは何か話をする?」と重ねて尋ねると、
息子さんは意味がわからないように首をかしげ、それは「おんさちさんはビ◯コを食べる?」
と聞いたときも同じでした。あと不思議なのは、その部屋の隅というのは、
その家から見てお社のある方角ではなかったことです。

「まあ、このぶんなら心配はなさそうだ」と思い、お宅から引き上げようとしたときです。
お姑さんの膝にのっていた息子さんが急に笑い出し、両手を強く打ち合わせ始めました。
神社のお参りの拍手のような形ではなく、何回も何回もせわしなくパチパチパチと。
そしたらですね、その天井の隅のあたりが急にモヤがかかったように、
Y叔父さんには見えました。それも虹色、シャボン玉をのぞき込んだときのような色、
とおっしゃっていました。「あれあれ」と思いましたが、
お姑さんも女性もそれに気がついてはいないようでした。
そして息子さんが拍手をやめると、虹色もふーっと消えてしまったのです。
Y叔父さんは、とりあえずそちらに向かって深々と礼をし、家を後にしました。
このことがあってから、その家庭のことは気に留めているのですが、
特に問題もなく、幸せに暮らしているようだということでした。







奇譚 ある胸像の話

2016.01.25 (Mon)
自分は創作で怪談を書く他に、実話の怖い話も収集しているんですが、
これに関しては、類型的であったり、あまりに意味不明であったりして、
なかなかブログに書けるような内容のものは少ないんです。
10話収集して、そのうちでものになるのが2つもあればいいほうでしょうか。
また、それとは別に、実に興味深い話ではあるものの、
ちょっと怪談とは言いがたいという内容のものもあります。奇譚と言えばいいのか。
今回はそういう奇妙な話を載せたいと思いますので、
怖い話を期待される方はスルーをお願いします。

大阪府内で寝具店を経営されているYさんから聞いた話

Yさんは40代の男性で、大きな寝具店を経営されている方なんですが、
それは話とは特別関係はありません。Yさんの母の弟、叔父さんの体験したことなんです。
ですから又聞きというわけですね。この叔父さんは岐阜県在住で、
神主の資格を持っています。といっても神社に常勤しているわけではなく、
畑作農家の方なんですが、その地域にある小さなお社を5つほど受け持っていまして、
季節の祀り事をとり行ったりしているのだそうです。
かなり朽ち方がひどいようなお社で、普段は固く戸が閉まってるようなところでも、
時としてロウソクが灯ったりしてることがありますが、
そういうのはYさんの叔父さんのような方がやっておられるんですね。
で、叔父さんはまた、その地域の建設会社に頼まれて種々の祈祷を担当してもいたんです。
棟上祭、地鎮祭とかああいうやつです。

その他にも、例えば工事で事故が続いたりした場合、
依頼されて祈祷しにいくなどのこともあるそうです。といっても、叔父さんいわく、
「これは霊感とかそういうもんじゃなく、たんに定まった儀式をやるだけ」
まあそうでしょうね。神主さんがお祓いをして悪霊を追い出すなんてのは、
小説や映画でしかないことだと思います。
で、その建設会社が林道工事を請け負いました。2kmばかりの砂利の林道を通すだけで、
何の難しいところのある仕事ではありません。
ただ木を伐って根を掘り返し、それらを廃棄して砂利を敷く。これだけです。
ところが、その工事がどういうわけかはかどらない。
事故が起きたわけじゃないんですが、現場監督の親族が亡くなったり、
作業員の間でインフルエンザが流行ったりしたんです。

でもこれ、親族といっても90歳過ぎの方で老衰でしたし、
インフルエンザも日本全体で流行っていたので、別に不思議というわけではありません。
それでも工事を進めていくうちに、道を通す予定の場所から重機が変なものを掘り出しました。
これ、石碑や古い墓などだったら、叔父さんの出番なのですが、
出てきたのはなんと、青銅製の外国人の胸像だったんです。ほとんど錆はありませんでした。
やや禿げ上がった額に、立派な鼻髭で、高さ1m50cmほど。
顔立ちから、年齢はおそらく50歳以上でゲルマン系に見えたそうです。
これだけで、古いものでないことはわかりますよね。
明治以降であることは間違いないでしょう。台座にはプレートがついていた跡があったそうですが、
プレート自体は見つかりませんでした。建設会社のほうで、貴重なものかも知れないと思って、
いろいろ調べたんですが、誰の像なのかまったく見当がつきませんでした。

明治時代には、有名なクラーク博士などもそうですが、
政府に雇われた外国人が、農村部にも入って文明開化の手助けをしていたので、
そういう人のものかと思って地方史を調べたものの、手がかりはなし。
そのあたりには学校も、政府の機関も、民間会社もなかったんですね。
胸像はとりあえず、工事の拠点になっているプレハブ小屋の外に置かれたんですが、
その翌日です、胸像の前に大きな狸が2匹、折り重なって死んでいるのが見つかったんです。
その狸はどちらも雌で、体に傷跡はありませんでした。近くの藪に埋めたのですが、
さらに1日おいて、また1匹狸が死んでるのが発見され、
気味が悪くなった会社の依頼で、叔父さんが呼ばれたわけです。
叔父さんとしては、経緯を聞いても意味不明でしかなかったのですが、
まあ型通りの神事を行ったということでした。

そのお祓いが効いたのかはわかりませんが、それからはおかしなこともなく、
工事はどんどんはかどって、予定通りに林道は完成したんですね。
胸像のほうは、地元の大学に預けて調べてもらうことになりました。
と、こういう話だったんですが、これを聞いて自分が思いあたったのは、
金沢の兼六園にある「日本武尊像」のことです。
これは有名な話なので、ご存じの方もおられるでしょう。
日本で一番最初に作られたといわれる銅像で、
西南の役での石川県の270名の戦死者を祀ったものだそうですが、
造られてから100年以上たった現在まで、この像にはなぜか鳩や烏が寄りつかず、
鳥の糞で汚れることがないということが知られています。
それを不思議に思った地元大学の教授が、像に使われた金属の成分分析を行ったところ、

普通は合金に2%ほど含まれるヒ素の量が、この像の場合は、
10%にも達していることがわかりました。これが原因で鳥が近づいてこなかったんですね。
ちなみに、この研究は2003年度のイグ・ノーベル賞(ユニークな研究に与えられる賞)
化学賞を受賞しているのだそうです。
ただ、鳥が近づいてこないのはヒ素の毒性によるためではなく、
微妙な異種金属の配合が、鳥が嫌がるある周波数の電磁波を発生させているからとか、
ヒ素を含む金属を分解するバクテリアが発する臭いを鳥が嫌うからとか、
そういう説が出されているようです。
この話の外国人の胸像にしても、ヒ素成分のせいで狸が死んだとはちょっと考えられません。
そのレベルの汚染でしたら、人間も無事ではいられないでしょう。
胸像を預けた大学の研究室は歴史系ですので、成分分析などはされていないようです。

ねえ、不思議な話だとは思いませんか。
自分もこれを最初に聞いたときには興味を惹かれまして、
胸像がある大学に見学させてもらいにいこうかと思ったくらいでしたが、
忙しさのせいもあってのびのびになっています。
ただ、胸像の人物については自宅でも調べることはできそうでしたので、
ネットでいろいろ検索してみたんですが、どうにもわかりません。
おそらくその地にゆかりのある人物ではないのでしょう。もともと別のところにあった像が、
その地に運ばれて、故意か事故かはわかりませんが埋められてしまった。
そう考えるしかないようです。狸が死んだのは偶然・・・なわけはないですよね。
不可解ですが、まさか狸の解剖をするわけにもいかなかったでしょうし、
これもわからないとしか言えません。ということで、もしも続報が入りましたらお知らせします。

兼六園の「日本武尊」像






見てしまう 3題

2016.01.24 (Sun)
専門学校生のTさんから聞いた話

Tさんはアクアリスト(生物の水槽飼育)養成という珍しい専門学校に通っている若い男性で、
自分とはある雑誌の編集部で知り合いました。そこに配本のバイトに来ていたんです。
このTさんが昨年の4月に体験した話です。
その日Tさんは、バイトが終わった夜中の12時少し過ぎたあたりに、
自転車でアパートに帰ろうと車道の端を走っていました。
そしたら20mほど先に、ジュースの缶が立った形で置かれているのが目に入りました。
「これはいい」と思いました。自転車で通り抜けざまに、
カキーンと蹴っ飛ばしたら気持ちいいだろうなと思ったんですね。
ただ、夜中といっても車通はないわけじゃないので、
左足で左側の茂みのほうへ飛ばしたい。そう考えて自転車の進路を、
やや道路の内側のほうにとりました。だんだんジュース缶が近づいてきて、

ペダルから足を離し、自転車の勢いも合わせてスカーンと・・・
ところが、振り出した足は確かに缶にあたったと思われたのに、
まったく手(足)ごたえがなかったんです。「!?」そのとき、対向車線に急に大型バイクが現れ、
Tさんの30mほど手前で転倒して、そのままアスファルトを擦りながら、
運転者もろともTさんのほうへと向かってきたんです。後になって考えると、
このときにバイクがこける音や地面をこする音はしなかったように思う、
と言っていました。みるみるバイクはTさんの目の前へと迫ってきて、
Tさんは急ブレーキをかけました。ところが、もう少しで自転車の前輪にぶつかるというところで、
そのバイクはふっと消えてしまったんですね。
「え、え、え?」気がつくとTさんは自転車にまたがったまま道路に両足をついていて、
左足の前にジュースの缶が立っていました。

そして、Tさんが缶を蹴り込もうと思った茂みの前に、さっきまでなかったはずの、
真新しい花束が2つ置かれていたんです。よく見ると、
道路には細かなプラスチック部品の破片が散らばっているのもわかりました。
前夜もその場所を通ったときはなかったんで、
その1日の間に死亡事故があったのだろうと思いました。
それは今さっき見えたと思ったバイクの転倒事故なんじゃないか・・・
自転車を停めて缶を拾い上げると、中身が入っていることがわかりました。
「ああ、これは花束といっしょにお供えされていたものだ」
そう思ったので、花束の前まで歩いて缶を起き、
しばらく手を合わせてから家に戻ったそうです。その後は特に、
何かおかしなことがあったということもなかったそうです。

夜店でチョコバナナ売りをしているKさんから聞いた話。

Kさんは20代で、テキ屋業をやっています。自分が前にお祭りに関する取材をしたとき、
知り合いになりました。別に強面の人ということではなく、まあ普通の青年です。
このKさんが中学校2年のときの話です。
Kさんは部活動には入っておらず、毎日早く帰宅していました。
スポーツが嫌いというわけではなく、お金の事情でやる余裕がなかったんですね。
それがあるとき、何か先生に仕事を頼まれて遅くなった日がありました。
といっても帰ろうとしたときは6時過ぎで、運動部ならまだ活動している時間ですね。
昇降口にいると同じクラスの美術部員の男子がやってきて、Kさんを見ると、
「あ、いいとこにいた。俺も今帰るんだけど、美術室に忘れ物してきちゃったんだ。
 取りに行くのつき合ってくれないか」こう言われたんですね。
別に難しい話ではないので、「ああ、いいよ」と気軽に答え、

昇降口にバッグを置いて、いっしょに校内へ戻りました。
美術室は別の棟の2階にあったんですが、そっちに入っていくと人気はなかったものの、
廊下の電灯はついていました。で、階段を登りながら、その友人が奇妙なことを言い出したんです。
「いや、もう部の活動が終わってしばらくたってるから、先生も職員室に戻っちゃったろうし、
 かといって宿題の入ったバッグ忘れたから、どうでも取りに戻らなくちゃならないし、
 誰かいないかなーと思ってたんだよ」 「何だよ怖かったのか?」
「うんまあ・・・ 美術室の前に作品を入れるショーケースみたいなのがあるだろ。
 あん中に『ぼうだま』がいるときがあるんだ」
「ぼうだま・・・棒球??」 「美術部ではそう呼んでるんだよ。坊やの坊に魂って書いて坊魂、
 先生も知ってるんだ」 「なんだよそれ?」
美術室は多目的スペースという、3クラスほどが入れる広い場所の横にあって、

その壁面が、作品を入れるガラス戸の陳列棚みたいになってるんですね。
「なんていうか、男の子どもだよ。ときどき見えるやつがいる」
「お前は見たんか?」 「いや、だけど何人も見てるんだよ。先生も否定しないから、
 たぶん見てるんだよ」 「・・・・」
こんなことを言い合いながら多目的スペースまできました。
陳列棚も見えたんですが、3学年の作品がびっしり入っていて、
人が入れるスペースなんてなかったんです。「ちょっと待っててくれ」
友人はそう言って美術室に入っていき、Kさんは何気なく陳列棚の作品を見ていたんですが、
3段になっている棚の一番下で、動いたものがあったように思えました。
「え!」その細長いせまい空間に、横になって寝そべった男の子どもがいたんです。
小学校の低学年くらいに思えました。

半ズボンを履いていて、顔もズボンからのぞいている足も土のような色をしていたそうです。
目が大きく、ほとんどが白目で、じっとKさんのほうを見つめていました。
「うわわ」そう言って跳びさがったときに、友人がサブバッグを持って美術室から出てきました。
「おい、あれ!」Kさんは陳列棚のほうを指差したんですが、
そのときには、中には男の子の姿はなく、びっしりと雑多な作品が詰まっているだけでした。
友人は「あ、お前もしかして 坊魂 見たんだろ? どんな様子だった」
こう話しかけてきたんですが、怖くなったKさんは友人を置いて走って逃げ出し、
それにつられたのか、友人も息せき切って後を追いかけてきたそうです。
このことと関係があるかはわかりませんが、Kさんが3年になったときに、
急病で美術部の顧問の先生が亡くなり、新しい先生が来て、その陳列棚にあった生徒作品はとっぱらわれ、
棚も外されて美術展のポスターが展示されるようになったんだそうです。

先輩のライター、Uさんとの話

Uさんは50代のライターで、映画評論も書かれています。
ある試写会でお会いしたときに自分と話した内容です。
Uさん「お前オカルト関係に詳しいから聞くんだけど、目の端に変な物が見えたりするってあるんか?」
自分「ああ、最近そういう話が広まってますね。目の端って視界の隅ってことですよね。
 Uさん、何か見えるんですか?」
Uさん「うん、いやまあちょっとね。小さい黒いマッチ人間みたいなのが」
自分「マッチ人間?」
Uさん「ほら、絵の上手くないやつが人を描くと手足がマッチ棒みたくなるだろ。ああいうの」
自分「黒一色ってことですか。うーんそれね、病院に行ったほうがいいと思いますよ。
 ちょっと目の横を指で押してみてください。黒い枠みたいなのが見えたら普通です。
 だけど、それが動いたりってことはないですから、目の病気かもしれませんよ」

Uさん「まあ、そうだよなあ。小さい、顔のない影みたいなもんだから、
 これが幽霊ってわけじゃないだろうし、そうするよ」
こんな会話をしたんですね。それから2ヶ月ほどしてUさんと再会したんですが、
開口一番「お前のいうとおりだった、病院に行ってよかったよ。
 緑内障の初期症状ってことだったんだよ。今、治療中だ」
自分が「大事にいたらなくてよかったですね。お大事にしてください」
Uさん「ああ、目が見えなくなったらおマンマの食い上げだからねえ、洒落にならん」
とまあ、これだけの話なんです。心霊関係を期待した方には申しわけないですが、
失明したりするのは幽霊より怖いですから。





 

中国の風水師の話

2016.01.23 (Sat)
これは自分が香港に行ったとき、日本の商社に勤務するMさんから聞いた話です。
Mさんは15年ほど前、中国南方の某地方都市に出張し、3ヶ月ほど滞在することになりました。
その当時はまだ、不動産やインフラの建設ラッシュは始まったばかりで、
Mさんはその地方の有力者に話を通して、郊外にある1軒家を借りて住んでいました。
土壁の古い家で、どのくらい昔に建てられたものかわからないものでした。
平屋建てで部屋は5つ、それと門前に牛小屋、トイレがあったんですが、
Mさんは単身でしたし、3ヶ月間のことなので、
玄関に最も近い一部屋しか使わず、その家には風呂はなかったため、
市内でなんとかシャワー室を見つけて、それで済ませていました。
そもそもバスタブのある家などというのは近辺にはなかったそうです。
ちなみに時期は4月、気温は東京より少し高く、暖房の必要はありませんでした。

食事もほぼ外食で、単に寝るだけのための家ということです。
で、2週間ほどたつと体調が悪くなってきました。まず夜によく眠れなくなりました。
ただこれは、環境が変わったせいだろうと思っていました。
Mさんは中国には何度も来ていましたが、長期滞在は初めてでしたし、
借りた家では、板の床にマットを敷き、その上に寝袋で寝ていたんですね。
だからそのせいだろうと考えたわけですが、
さらに数日たつと、夢見が悪くなりました。実に奇妙な夢を見て、
決まって午前2時ころに目が覚めてしまい、そのまま朝まで眠れないんです。
しかもその夢というのがかなり不気味で・・・ どういう内容かというと、
Mさんはその郊外の郷の道を手押し車のようなものを押して歩いていて、
手押し車の上にはライチに少し似ているものの、見たことがない果物が山と積まれている。

これを柿の木の下に埋めなくちゃいけない。そういうあせった気持ちが強くあって、
道をずっと進んでいくのだけれど、どこにも柿の木は見つからない。
ああ、困ったなあと思っていると、畑の中に一本、木が立っているのが見え、
それがどうやら柿の木らしく思える。葉がついてない裸の木なので、
自信はなかったものの、切迫しているのでとにかくその樹の下にいき、
クワを使って穴を掘り、車の果物を全部埋めてしまうんです。
すると、青黒い顔をした若い男がどこからともなく出てきて、Mさんに、
「あんた間違えたね。それは柿の木じゃないよ」こう言います。
Mさんは、しまったという気になり、胸の中が罪悪感でいっぱいになる。
男はそれを見透かしたように「あんたは償いをしなくちゃいかんね」そう言って、
Mさんの手を引っぱって、どこかに連れていこうとする。

Mさんがそのままついていくと、道の先に小さな道観が見えてきまして、
これは道教の神様を祀ったお堂のようなもので、
文革のときに壊されずに残ってたんでしょう。男に手を引かれて中に入ると、
ろうそく立てと香炉の奥に御簾がかかっていて、その奥にうっすらと神像が見える。
ここで男はMさんに「あんたは禁忌を破ったからね、あれと代わんなくちゃいかん」
こういうことを言ったんですが、意味がわからない。
問いかけようとしたとたん、いつのまにかMさんは御簾の陰にいて、体がまったく動かない。
Mさん自身が神像になってしまっているんです。顔にはお香の煙がどんどんかかってきて、
煙いけれどどうにもできない。ここで目が覚めるんです。
この同じ夢を3日間続けて見たんですね。しかも、だんだん細部が鮮明になってくる。
それで3日目は、目が覚めたときに、部屋の中でかすかにお香の匂いを感じたそうです。

ちなみに、この夢の中での会話は全部中国語だったそうです。
Mさんは外語大で中国語を専攻していて堪能なんです。
で、この日出勤しましたが、変な夢の内容が頭から離れず、昼休みに現地人の部下に話しました。
部下は興味深そうに聞いていましたが、最後のくだり、
香炉の煙が顔にかかって煙いけど動けない、この部分にきたときにやや顔色を変え、
「それはよくないです。お香が顔にかかると魂が飛ぶって言いますよ」
続けて「うちの叔父貴がちょっと風水やってるんですけど、見てもらったらどうです。
 連絡しておきますから」こう言いました。
Mさんは風水なるものは信じていなかったんですが、せっかく言ってくれるのだからと思い、
頼むことにしました。部下は電話をかけ、その日の午後には、
叔父の風水師がMさんの借家に来るように手はずを整えました。

まあ、中国ではこうてきぱき物事が進むのは珍しいんですが、
Mさんは午後は早めに会社をひけて、借家の部屋で待っていましたら、
4時過ぎにはその風水師がやってきたんです。見た目は、どこにでもいる田舎のとっつあんで、
手にズタ袋と酒の入った瓶を下げていたんです。
あいさつが済むと風水師は、袋から盃を8個取り出して、
家のまわり八方位に起き、瓶からそれに酒を注ぎ込みました。
紹興酒のような色のついた酒ではなく、透明な強いものだったそうです。
それから部屋に入って、あらためて夢の話をしました。
風水師は黙って聞いていましたが、話が終わりまでくると「これは挑生だねえ」と言いました。
挑生というのは「とうせい」と読み、日本で言うところの呪いのようなものです。
しかしMさんには誰かに呪われる心あたりはありませんでした。

そう言うと、風水師は「今のものじゃなく、古いのが残っているんだろうねえ」
立ち上がって、さきほど満たした盃を回って、一つ一つ飲み干していったんです。
Mさんが何をしているのかと聞くと「うん、よくない方角の酒は味が変わるから」
それから、部屋に戻って床の板をはがすと言い出したんです。
これは大事で、その日の仕事にはなりませんから、
次の休みの日と約束をして風水師は帰っていきました。
それから四日間、Mさんはやはり同じ夢を見ていました。やがて日曜になり、
朝から風水師は人夫を4人つれてやってきまして、
おもむろに部屋の床板を外していきました。
日本の家屋とは構造が違っていて、下は土の土台になっているんですが、
ある程度板をはがすと、おかしな物が床下にあるのがわかりました。

太さが20cmほどで長い蛇、その頭が枕ほどもある蛙をくわえていたんです。
ただこれは生きた本物ではありません。土で浮き彫りのようにしてこさえたものが、
床板の下にあったんですね。ちょうど蛙が呑まれようとしてる上で、
Mさんは寝袋で寝ていたんです。蛇のしっぽの先は途中で切れたようになって、
家の土台の土と同化していました。「こっちの方角だねえ」風水師はそう言い、
トラックにMさんを乗せ、蛇のしっぽの向いた方角に近い道を走らせました。
それから20kmほどいったところで、Mさんはあっけにとられました。
道の脇に、夢で見たのと同じ道観があったんです。
車を降りて入ってみると、中も夢とまったく同じつくりでした。
風水師は「これは清源妙道真君の御廟だね」そう言い、2人で中国式のお参りをしました。
それから家に戻って床下の蛇と蛙を人夫に命じて壊させ、床板を元通りにしつらえました。

人夫には手間賃を払って帰し、風水師と話をしました。
風水師の話は要領を得なかったんですが、どうやらその昔に、
誰かがあの道観の神様の力を借りて人を陥れようと、その家を建てたということのようでした。
おそらく夢の中でMさんの手を引いた男のしわざなのでしょう。
目的が達成されたかはわかりませんが、その後、家は住む人もなく放置され、
たまたまMさんが短期間借りることになったわけです。
そしたら眠っていた呪いの装置が再稼働してしまったということなんでしょうね。
風水師にはけっこうな額のお礼をしましたが、
その夜から、ぴたりとおかしな夢は見なくなったんだそうです。
こうしてMさんは3ヶ月間の出張を無事に終えることができましたが、風水師の勧めで、
その間に何度か、例の道観にはお参りに行ったそうです。








妖怪と科学

2016.01.22 (Fri)
ということで、今回は妖怪談義です。
科学、特に自然科学についての概念も知識もなかった昔は、
いろいろな自然現象を説明するために、さまざまな妖怪が発明されました。
有名なところでは、雷なんかがそうですよね。
雷神という形で、太鼓を背負った鬼のような神様になってる場合もありますし、
雷獣といって、イタチともカニともつかない不思議な形状で描かれたりもします。
急にドッカーンと空から落ちてくるわけですから、これは不思議だったでしょうが、
もちろん時代の識者の中には、天候との関係から、
雨などと同じ自然の現象と推測している人もいました。
関連記事 『バチバチあれこれ』

あと「山彦」なんかもそうです。下図は鳥山石燕の絵ですが、
黒い犬のような姿をしています。これは彭侯(ほうこう)という、
中国の木の精霊の姿からきているようです。
水木しげる先生の山彦は一本足の出っ歯の子ども?で、ずいぶん違った形ですが、
こっちは木霊(こだま)と関係が深いのかもしれません。
木霊は歳を経た樹木の精霊で、やはり人の声をまねするとされます。

しかしこれ、しょっちゅう山に入っている猟師などは、
自分の声が山や谷にぶつかってはね返ってくる反響音だということは気づいていたでしょう。
これをいちいち怖がっていたんじゃ、山仕事なんてできないですからね。
ちなみに、日本人の多くが山で叫ぶ「ヤッホー」という言葉は、
そう起源は古いものではないと思われますが、語源は諸説があってはっきりしないようです。

石燕と水木先生の「山彦」


けっこう意外なところでは「蜃気楼」なんかもそうです。
密度の異なる大気の中で光が屈折し、地上や水上の物体が浮き上がって見えたり、
逆さまに見えたりする現象のことをいうのですが、
なぜ蜃気楼という語を使うのか、ご存じの方は少ないようです。
「蜃」は貝のハマグリのことで、「楼」は中国でいう高層の建物です。
海にいる巨大なハマグリが気を吐いて、それが楼閣のように見えるということなんですね。
出典は古く、紀元前に書かれた『史記』にはすでに話が出てきます。
日本ではこれを元にして、ずっとハマグリの妖怪が起こす怪異として考えられてきたようで、
石燕の絵にもその姿で登場します。

豆知識として、蜃気楼で有名な伊勢湾は、また大型のハマグリが名産でもありました。
「その手は桑名の焼きハマグリ」というやつです。
あとはUMA(未確認生物)界のスターであるシーサーペント(大海蛇)
の目撃例のいくつかは、海上に首を出したオットセイなどの頭部が、
蜃気楼によって伸びて見えたものだとする説もあります。

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「蜃気楼」


あとはそうですね、「天狗礫」なども自然現象が疑われます。
山中で、石が空から突然降ってくるというもので、
どこから飛んできたのかわからないところから、
天狗が投げた石つぶてではないかなどと言われます。
これとの関連が疑われるのが、西洋でいう「ファフロツキーズ fafrotskies」で、
カエルや魚が降ったりするのですが、これなんかは竜巻で巻き上げられたものが落ちてきた、
という可能性が高いと考えられています。

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「天狗礫」
はなかいいおあう

ということで、江戸時代までは自然現象に由来する妖怪がいたわけですが、
これが明治の世になって文明が開化され、西洋科学が流入してくると、
不思議な現象を何でも科学で説明しよう、という風潮が起きてきます。
それ自体はは悪いことではないと思いますが、
中には無理な説明をして俗説化してしまったものもあります。

例えば「人魂は土葬の遺体の燐(リン)が燃えたものだ」なんかですが、
これはずいぶん無理のある説明で、人や動物の骨に含まれるリンは発光しませんし、
そんなに大量に地表に出てくることも説明がつきません。
また「カマイタチは突風が真空をつくって、それによって皮膚が裂ける」というのも、
ちょっとありえないでしょう。つむじ風くらいで真空はできないですし、
おそらく草で切れたか、アカギレのようなものが多かったんじゃないでしょうか。






魚油の話

2016.01.21 (Thu)
いやいや、大変なごぶさたです。今日からブログ再開しますが、
昨年末に実弟が逝去し喪中なので、しばらく怖い話は自粛させていただきます。
それで、ネタがないときのお約束で科学ニュースのほうを見てましたら、
「太陽系第9番惑星存在の証拠見つかる」の話題がどこでも大きく取り上げられていました。
これはそうでしょうね。冥王星が惑星メンバーから外れて以来、
ここで取り上げられているX星が新たに入ってくるかもしれないというのは、大発見です。
ただまあ、オカルトホラーとはあまり接点のない内容なので、別の話題でいきます。
「魚油」についてwです。青魚のサラサラオイルなどとも言われてますね。

『京都大学の研究グループは12月18日、魚に含まれる油分(魚油)が脂肪を分解し熱にする
「褐色脂肪細胞」の増加を促進することを証明したと発表した。
魚油の主成分のドコサヘキサエン酸(DHA)、エイコサペタエン酸(EPA)を摂取すると、
消化管の感覚神経が活性化し、ノルアドレナリンの放出が増加。
脂肪を貯め込む脂肪細胞が褐色化し、褐色脂肪細胞が増える過程で、
脂肪の燃焼とエネルギー消費が促進されるという。
近年、体内の褐色脂肪が加齢に応じて減少すると、中年太りやメタボリックシンドローム、
生活習慣病につながることが判明。疫学研究では魚油に脂肪抑制の効果がある
と報告されていたが、これまで詳細なメカニズムは分かっていなかった。』


ふむふむ、昔から魚油の成分には、記憶力を高める効果や、
贅肉を落とす効果があると経験的に言われてきましたが、
この後者のほうのメカニズムが解明されたということのようです。

バターやラード、肉類の油は「飽和脂肪酸」といって、コレステロールや中性脂肪を増やす。
これに対し、魚油やオリーブ油に含まれる「不飽和脂肪酸」は、
悪玉コレステロールを減らす働きが強いと考えられていました。
確かに魚を中心とする食生活は、肉中心よりも健康なのは間違いないと思われますが、
輸入製品の安くなった肉類に対して、魚は高いですし、
どのくらい摂取すれば効果があるのかもはっきりはわかりません。
ま、今後の研究待ちということなんでしょう。

ちなみに、自分はメタボ対策として「特保のお茶」というのを飲んでいます。
茶カテキンが多く含まれる飲料ですが、自分の場合は効果はありましたね。
もう3年以上飲んでるんですが、飲み始めた当時、84kgあった体重(身長179cm)が、
ここ最近は73kgをずっと維持していて、お腹もへっこみました。
ただし効果には個人差もあると思われますので、
けっしてお勧めするということではありません。この手のものは自己責任でしょうから。

さて、この話も、新惑星の話以上にオカルトホラーに関係がないように思われますが、
どうして取り上げたかというと、同じ科学ニュースの中に、
やはり魚油に関係したものがあったからです。
しかも当ブログの隠れテーマである「恐怖」に関係する内容です。

『チョコレートや肉などに多く含まれる飽和脂肪酸が恐怖の記憶を和らげることを、
京都産業大総合生命科学部の加藤啓子教授がマウスの実験で突き止めた。
摂取する油の種類で嫌な記憶をコントロールできるという。
うつ病などの治療薬の開発につながる成果で、このほど米科学誌で発表した。
加藤教授は、健常とうつ病の症状を示すマウスに、
通常と飽和脂肪酸を多く含む餌をそれぞれ与えて嫌な記憶がどう変わるかを調べた。
その結果、飽和脂肪酸を多く含む場合、健常なマウスでは恐怖を感じた空間の記憶が大きく減少し、
うつ病のマウスだと恐怖を感じた時に聞いた音の記憶が薄らぐことを確認した。

逆に魚などに多く含まれる不飽和脂肪酸を与えると、
健常とうつ病の両方のマウスで、恐怖を感じた空間の記憶が増強されることも確認した。
加藤教授は、不飽和脂肪酸は記憶力のアップや健康によいとされているが、
恐怖の記憶まで高めてしまうことが分かった。今後、油が記憶を変えるメカニズムを詳しく調べ、
うつや不安障害の治療薬や診断薬の開発につなげたい、と話している。』

なるほどねえ、みなさんがどう思われるかわかりませんが、
自分はたいへん面白いなあと感じました。「魚油」に含まれる不飽和脂肪酸は、
恐怖の記憶を強めてしまうということですね。
おそらくは恐怖以外の記憶も増強されているんでしょうが、
嫌なことの記憶に特に働きかける効果がある。
これに対して、飽和脂肪酸のほうが恐怖の記憶を弱める・・・
何か嫌なこと、怖いことがあったときにはチョコレートを食べるとよいということですか。

さてさて、人体というのは複雑ですねえ。
体によくないとばかり思われていた飽和脂肪酸ですが、
精神安定の効果があって、うつ病治療にも役立つ。
悪玉コレステロールや中性脂肪を減らす効果のある不飽和脂肪酸「魚油」は、
場合によっては精神に悪影響を与えることがある・・・

これってもしかしたら、同じ怖い話を聞いた場合でも、
肉が好きな人は、魚が好きな人より怖くないのかもしれませんし、
同じホラー映画を見ていた場合でも、チョコがけポップコーンを食べてた人よりも
フィッシュ&チップスを食べていた人のほうがより恐怖を感じてしまう・・・
エンタメの小説や映画は、怖さを感じるためにお金を払うものですから、
これはもったいない気もしますが、そういうことがあるのかもしれませんね!?







帰国しました

2016.01.21 (Thu)
みなさんにはたいへんご無沙汰いたしました。
実はシンガポール在住の弟が年末に急死いたしまして
あれこれが続いていたんです。
とりあえずいったん帰国しましたが、まだ投稿できるかはわかりません。

急なお知らせですが

2016.01.01 (Fri)
急遽海外に行くことになりブログをしばらくお休みします
みなさんへのご訪問も無理のようです。

いずれ再開はするつもりです。 bigbossman