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巨大な妖怪

2016.03.31 (Thu)
題名でわかるとおり、今日は妖怪談義です。時間がないときには助けになります。
さて、日本の妖怪の中で最も巨大なものは何だと思われるでしょうか。
大入道でしょうか? 大入道は僧形のものは大坊主とも言われ、
身長は2m程度から山ほどの大きさまで、さまざまな言い伝えがあるようです。
しかし、山くらいのものは「ダイダラボッチ」と言われる場合が多いでしょう。

ダイダラボッチは巨大です。
なにしろ名山をつくった主として登場してくるくらいですから。
・上州の榛名富士を土盛りして作り、掘った後は榛名湖となった。
・富士山を作るため、甲州の土を取って土盛りした。そのため甲州は盆地になった。

Wikiでもこんな伝承が紹介されています。もともとは、妖怪というより、
世界の各地にある創世神話に関連した神であった、
と解釈されることが多いようです。

例えば、中国の古神話にある盤古(ばんこ)などですね。
天地が分かれる以前の混沌とした状態の中に、超巨人である盤古が現れ、
その死とともに、息から風が、左目からは太陽が、右目からは月が、
頭と体からは中国の神聖な山である五岳(泰山など)が生まれたと言われていて、
これは元をたどれば、さらに古いインド神話の巨人、
プルシャにまで遡るという説もあります。

巨人伝説が日本神話に影響を与えていることは確かなようで、
イザナギ神が黄泉の国の穢れを祓うため、左目を洗ったときにアマテラスが、
右目を洗った時にツクヨミが、鼻を洗った時にスサノヲと、
三貴神が生まれたくだりはよく似ています。ただこれが、南方から入ってきたものか、
中国から伝わったものであるのかは判然としません。

あと、自分は大学で考古学を専攻していたのですが、それと関連して、
『常陸の国風土記』に「平津の駅家(うまや)の西12里に(約6km)、
大櫛という岡がある。大昔、巨人がおり、岡の上にいながら手が海まで届き、
大ハマグリをさらうほどであった。巨人の食べた貝は、積もって岡になった。
巨人の足跡は長さ40歩余、幅20歩余で、小便が穿った穴は直径20歩余であった。」

こんな記述が出てきています。つまり、当時の人が縄文時代の貝塚を発見し、
海から離れた場所にたくさんの貝があるのを不思議がって、
これは巨人のしわざで、その場所に座ったまま手を伸ばして、
海から貝を取って食べていた名残であろう、という解釈をしたということですね。

しかしこれ、自分なんかはかなり疑問があります。
風土記が書かれた時代でも、食料に占める米の割合は多くはなく、
貝を取って食べるのはふつうに行われていたはずですし、それほどの巨人が、
ちまちまとハマグリを食べていたなんて当時の人が実際に考えたものでしょうか。
まあ、ダイダラボッチの足跡と言われるくぼみは各地にはありますが。
その当時としても神話、おとぎ話に近いものだったんじゃないでしょうか。

さて、次に紹介するのは「赤エイの魚」です。
これは京極夏彦氏が『後巷説百物語』で取り上げたので有名になりました。
なかなか不気味な話であったように記憶しています。
江戸時代後期の奇談集『絵本百物語』には、
「この魚は身の丈三里にあまり。背に砂がたまれば落そうとして
海面に浮かぶ。そのとき漁師が島と思って舟を寄せれば水底に沈んでしまう。
そういうときは波が荒くなって、船は破られてしまう。大海に多い。」


竹原春泉画『絵本百物語』「赤ゑいの魚」


身の丈三里は12kmくらいですから、ダイダラボッチにも負けない、
かなりの大物です。これはどっから発想されたものでしょうかねえ。
島と間違えて船員が上陸したりするということですから、
実際の生き物というより、海図のない時代に無人島を発見し、
後に再訪したが見つけることができなかった、
などということが元になってるのかもしれません。
赤エイは女性に見立てられることがあり、傾城魚という別名があったようで、
ここから城を背中に乗せるほどの巨大な魚、
という伝承が生まれたとする説もあります。

ちなみに中国では、これは妖怪というより幻獣という名称が妥当かもしれませんが、
「鯤(こん)」と「鵬(ほう)」の話が有名です。
北の海にすむ鯤は体長数千里の巨大な魚で、これが成長すると空に舞い上がり、
やはり数千里もある巨鳥、鵬に変じるということになっています。
しかし数千里というのは、日本列島なみの大きさであり、
そういう生物が実在するわけはありません。
UMA界でいう古代翼竜の生き残りといったレベルではないですから。
これはやはり台風などの自然現象、鯤は海の荒れ、
鵬は風害を表しているととるのがいいように思えますね。

あと長い生き物では「イクチ」というのがあります。
「常陸国の沖にいた怪魚とされ、船を見つけると接近し、船をまたいで通過してゆくが、
体長が数kmにも及ぶため、通過するのに1・2刻(3時間弱)もかかる。
体表からは粘着質の油が染み出しており、
船をまたぐ際にこの油を大量に船上にこぼして行くので、
船乗りはこれを汲み取らないと船が沈没してしまう。」
と『譚海』という見聞録にあります。
これも常陸の国であるところが面白いですね。
茨城県民は巨大なものが好きなのでしょうか。

これほど長大な海棲生物はいないはずですが、どこから来た話なんでしょうね。
例えばマヨイアイオイクラゲというクラゲは体長が40mを超えることがあり、
シロナガスクジラよりも長い世界最長生物とする話もありますが、
ただしこれ、一匹の生物というより、
たくさんの個体がつながって群生しているものです。
ですからつながり方によってはもっと長くなる可能性はあります。
ただ、クラゲ類であれば漁師はそれとわかるでしょうしねえ。
石燕の妖怪画にはイクチは「あやかし」の名で出てきていて、
体は鱗状に描かれていてクラゲ類には見えませんが、タコの吸盤には見えるかもです。

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「あやかし」(イクチ)






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鳩がいう

2016.03.30 (Wed)
自分は、某市役所の高齢者福祉課に勤務しています。ですから、これから話す内容は、
公務員の守秘義務に反することで、まず、それを理解してもらいたいんです。
それでもここに来た理由は、体験したことがあまりに不可解で、不気味で、
自分の頭がおかしくなったんじゃないかって気がして。
ですから、こういうことが専門だという皆さんに、ぜひともご意見を伺いたくて。
先週の火曜のことでしたから、もう一週間たつんですが、
起きたことの整理がまったくつかないんです。ええ、順を追って話しますよ。
まず自分の仕事は、簡単に言えば市在住の高齢者のお世話なんですが、
市域は広いので、自分が受け持つのはその中のごく一部の地域で、
自分は若いので、郊外のほうの担当になってるんです。さまざまな仕事内容がありますが、
基本は孤独死を防ぐための見守り活動で、介護とはまた違います。

ただ、自分が毎回、高齢者の方のご自宅を訪問するということではなく、
民生委員や、市で委嘱した見守りボランテイアの人との連絡調整が主なんです。
けど自分でも訪問をしますよ。一軒について2ヶ月に1度くらいは。
春は緊急通報システムなどの点検、夏は熱中症予防、秋冬はノロウイルス関連と雪よせ。
もっとも雪は積もるほど降るような地方ではありませんが。
あとは通年で電話による詐欺事件への啓蒙活動。
でね、先週のその日は直通サービスがうまく働いているかどうか、
担当してる家を一軒一軒訪問してたんです。対象は65歳以上の一人暮らしの方ですから、
かなりの数になりますし、もちろん1日では終わりません。
仕事を引退した方が多いので、不在の場合が少ないのは助かりますけど。
その日の午後4時ころですね。もう1、2軒で今日は終わろうかと思ってました。

川沿いの集落の、あるおばあさんのところです。84歳で、足腰は弱っていたものの、
日常生活に困っているということはなく、週1回、買い物のサービスを受けてたんです。
家は藁葺の旧家だったのを、子どもさんらが簡素なプレハブに建てかえて、
台所とあとふた間しかありません。おそらくおばあさんが亡くなったら、
更地にして売るつもりだったんでしょう。で、敷地内に車を停め、
玄関のチャイムを押したとき、ちょっと嫌な予感がしました。
ええ、郵便物が数日分郵便受けに溜まってたからです。
返事がなく、戸に手をかけると鍵はかかってませんでした。
でね、一歩中に入ったら、饐えたような臭いを感じたんです。
ますます嫌でしょう。何度か名前を呼んでみたものの返事はなし。
こういう場合はいちおうマニュアルがあって、あがってもいいことにはなってます。

ご本人から了解もとってありますし。いざとなったら救急車、警察を呼びます。
「上がりますよ~」と言いながら、中の引き戸を開けると台所で、
正面のサッシ戸の下半分のガラスにベニヤ板がはってあるのが見えました。
おばあさんが自身でやったんだと思いました。
不細工にガムテープではっつけてるだけでしたから。
でね、そのとき、「ああ、そういえばここのおばあさん、このサッシ戸を開けて、
鳩に餌をやってたよなあ」って思い出しました。前来たときに見てるんです。
サッシ戸の外は斜面になってて、その下をちょっとした川が流れてる。
川の向こうは林で、土鳩の巣がいくつもあるって聞いてました。
それにね、おばあさん餌を与えていたんですよ。
米粒やホームセンターで売ってる鳥の餌なんか。

でもこれ、迷惑行為っていうか、土鳩は今、増えてるらしいですから。
注意したことはないです。数少ない楽しみだろうし、他の家もないところですから。
それをなんで塞いだんだろう?ガラスが割れたのだろうかと思いましたが、
とにかくおばあさんの安否を確認するのが先なので、
居間へ続くフスマを声かけながら開けました。電気コタツがかけられて、
おばあさんはいつもそこにいるんですが、人の姿はなし・・・
いや間違いなく誰もいなかったんですよ。
テーブルの上に湯のみとりんごジュースのペットボトル、テレビはついてなくて、
座椅子は空っぽ・・・だったはずです。それが・・・
さらに次の間は寝室でしたが、あまり使われた様子はなく、
おばあさんはいつもコタツで寝てたみたいでした。

トイレも風呂も確認しましたがばおばあさんはおらず、
これは外出してるんだ、と思うしかないですよね。最初に感じた、
饐えたような臭いは、居間や寝室ではあまりそう感じず、
台所の生ゴミなんだろうと思いました。外歩きできるほど元気なんだと、
まずは一安心しまして、市のパンフレットに書き置きを残していこうと思いました。
そのときです、台所のほうでコツコツコツという、
尖ったもので木を叩くような音がしました。かなり強い音でしたから見にいくと、
サッシにはられたベニヤ板のようでした。上のがガラスからのぞきましたが、
陰になって下が見えない。その間にもコツコツコツコツコツと音は続いて、
サッシを開けようと思ったんですが、鍵の部分までベニヤがかぶさっていまして。
それで足先でトンと軽く、ベニヤを蹴ってみたんです。

そしたら、ベニヤの右横がぶわっと膨らんで、そのすき間から緑のものが顔を出しました。
「うっ!」と思わず後ずさりしましたが、鳩の頭でした。
「なんだ」と思いましたが、鳩は真ん丸い目の首を激しく左右に振り、
上半身が中に入ってきました。そして自分のほうに嘴を向けて、
「バアサンは死んでいるぞ」ってしゃべったんです。確かに聞きました、信じてください。
年齢はわからないですが、男の声でしたよ。
それで、恥ずかしい話ですが尻もちをついてしまいました。
そのとき手をベニヤの上端にかけてたので、板がはがれて倒れかかってきて。
でもね、今の今見たはずの鳩の姿はどこにもなかったんです。
ガラスは割れてませんでしたが、大きくヒビが入ってました。
それと、外の叩きの石の上にたくさんの鳩の羽根が散らばってました。

パニックになりかけてましたが、なんとか立ち上がって、
半分開けていた居間のフスマのほうを見ました。そしたらですよ、
座椅子に逆さになった顔と目が合ってしまいました。おばあさんでした。
白髪の小さい頭をザンバラに乱して、かっと目を開け、座椅子にあおのけになって・・・
でもね、そんなはずないんです。居間に入ったときに、
座椅子の座布団の上まで見えたはずなんです。「ああーっ」と叫んで目をつぶり、
もう一度開けてもやっぱりおばあさんの顔が。
死んでいるとしか見えませんでしたが、携帯で救急に連絡しました。
それから警察にも。もちろん救急のほうから呼吸と心臓を確かめるよう指示があり、
座椅子の横に寝かせて心臓マッサージなどの措置をしましたが、
その間ずっと怖くてたまりませんでしたよ。

それでね、これは事後談なんですが、救急病院の話では、
おばあさんは死後8時間ほどたっていたんだそうです。
死因は、解剖はしませんでしたが、
腹部の内出血で脱水によるものだろうということでした。
これが顛末ですよ。え? 鳩が、おばあさんが亡くなっているのを
教えてくれたんだろうって? いや・・・たぶんそんないい話じゃないと思うんです。
というのは、おばあさんの遺体は死後1日未満ですし、まだ寒い時期ですから、
死臭がしてたわけじゃなく、さっき話した、一番最初に感じたす饐えた臭いは、
台所の生ごみのポリバケツの中からでした。
何が見つかったと思いますか?他のゴミに混じって、土鳩の頭が4つと大量の羽根。
おばあさんが食べてたのかって? それはわかりません、考えたくもないですよ。

はないskそうあy





AIは直木賞の夢を見るか2

2016.03.29 (Tue)
さて、話変わって次はこのニュース。
『人工知能(AI)が人間と共同で「執筆」した短編小説が、
国内文学賞の1次審査を通過した。
応募した2チームが21日、東京で報告会を開いて発表した。
韓国での囲碁のトップ棋士への勝利に続き、人工知能の飛躍的な能力向上を印象づけた。
医療や投資などの分野にも応用が始まっており、
普及が進めば身近な生活を大きく変えることになりそうだ。

報告会で公表された作品のひとつ「コンピュータが小説を書く日」の終わりの部分だ。
松原仁・公立はこだて未来大教授が代表を務めるチーム、
「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」が、第3回日経「星新一賞」に応募した。
物語の構成や登場人物の性別などを人間があらかじめ設定。人工知能が状況に合わせて、
人間が用意した単語や単文を選びながら「執筆」したという。

小説創作ソフト「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」の開発を進めている
公立はこだて未来大学の松原仁教授らは21日、星新一賞(日本経済新聞社主催)に4作応募し、
一部は1次審査を通ったが受賞には至らなかったと発表した。
囲碁ソフト「アルファ碁」がプロ棋士を降すなど、
盤上ゲームでは力を発揮した人工知能(AI)だが、小説ではまだまだ力不足のようだ。』

この短編小説については、ネットで発表されていますので、
最後にリンクを貼りつけておくことにします。

ふむふむ、設定や登場人物は人間側で考えてあり、コンピュータには、
意味の通ったひとつながりの文章を書かせるのを重視したということですね。
まあ確かに、それだけでも相当の進歩であるとは言えます。
みなさんも翻訳ソフトを使って、「なんだこの意味不明なひどい文章は」
と思われた経験はあると思います。言語を自在に操作する、
というのはAIにとっては苦手な分野の一つであるんですね。

とはいえ、詩や俳句の分野においては、作者がわからないようにして見せれば、
人間が書いたのか、AIがつくったのか区別できないレベルまでになってきてはいます。
ただ、長い文章はまだ難しいので、その方面へのアプローチが主眼なのでしょう。
あと、小説のテーマ、筋立て、登場人物などについても、
人間の設定ではなく、コンピュータが独自に選んで書き進めていくというのも、
それほど難易度が高いわけでもないように思います。
実際、小説家の中村航氏は、自身の出身大学である芝浦工業大学と共同で、
小説のプロット(小説を書く際に必要となる、構成やおおまかなあらすじを記した設計図)
を作成するソフトを開発しています。

『このソフトを開発するにあたり、芝浦工業大学の米村俊一教授は、
プロトコル解析という方法を活用しました。
プロの小説家である中村氏に頭の中で考えたことを言葉に出してもらい、
それを解析することで、中村氏がどのような思考回路で小説の筋書きや構成を
組み立てているのかを体系化し、これをシステムに実装しました。
利用者はソフトから出される質問に答えていくと、
ソフトが小説の筋書きや構成を作ってくれます。
これまでまったく小説を書いたことがない人でも小説の基礎を作ることができるわけです。』


ただこれ、人間の補助ならともかく、
AIに主体的に小説を書かせるとするなら、目的が何なのかは難しいですよね。
目指すところはどこになるのでしょうか。
今のところは単なる技術的試行錯誤なんでしょうが、
自分などは、「売れる小説」を目指すのか、それとも「いい小説」を目指すのか、
なんてことを考えてしまいます。「売れる小説 = いい小説」
とは必ずしも限らないでしょうしねえ。もし売れる小説を目指すのであれば、
ラノベも含めたベストセラーの中からキーを集めてプログラムし、
いい小説を目指すなら、夏目漱石などの古典純文学の中から・・・

しかしここは考えどころです。人間であれば話は難しくないのですが、
コンピュータの書くことに対するモチベーションはどうなのでしょう。
「俺は歴史に残る、ドストエフスキーを超える偉大な小説を書いてやる」
「ベストセラーを書いて直木賞を取り、
莫大な収入を得て、今までバカにしたやつらを見返してやる」
まずコンピュータはそう思わないでしょうね。

将棋や囲碁などの、ルール一定で目的は相手に勝つことのみ、
計算が複雑化しただけのゲームとは違って、
小説を書くという場合は、その動機がどうしても内容に反映されてしまうのです。
また人間の場合は、その生育歴によって関心を持つ分野が違ってくるでしょう。
もちろんAIが進化すれば、ランダムにテーマを自分で決めて書くことは、
できるようになるでしょうが、これはAIが創作を楽しいと感じることができるかどうか、
そういう面とも関係してくると思います。

さらに、AIが書いた小説を評価するのは、今のところ人間ですよね。
ですからAIは人間の好みというのを熟知している必要がある。
しかしこれには総合的な人間学が必要で、それができるのならば、
小説の量産化を目的とするなら別ですが、何も機械ではなく、
人間が書いたほうが早いということにならないでしょうか。

それとも、いずれAIが自我を持ったあかつきには、
人間にはさっぱり意味がわからなくても、AL同士の間では評価される小説、
などというものができてくるのか。もしそうなれば、
それはそれで読んでみたいなという気はしますが。 
関連記事 『AIは直木賞の夢を見るか』
第3回星新一賞応募作品『コンピュータが小説を書く日』PDF

星 新一氏






AIは直木賞の夢を見るか

2016.03.29 (Tue)
『米Microsoftは3月24日(日本時間)、英語テキストで会話する人工知能「Tay」
を緊急停止させました。23日夜に公開したばかりでした。
「Tay」は同社が開発したAIで、Twitterとチャット・サービスでリリースされたもの。
一般ユーザーとやりとりすればするほど「賢くなる」とし、
米国在住の18~24歳をターゲットにしていました。
ところが、ネット上で会話することで人種差別や陰謀論を「学習」してしまうことに。
既に削除されていますが、CNNによると「黒人は首を吊れ」
「フェミニストは地獄で焼かれろ」「ヒトラーは間違っていない」
などと投稿していたようです。

「Tayの攻撃的で有害なツイートについて、深くおわびする。
Tayは今オフラインになっており、われわれの方針と価値と対立する悪意を
未然に防げるようになったという自信がついたらTayを復活させる」と、
このプロジェクトを率いるMicrosoft Researchの責任者、ピーター・リー氏が謝罪しました。
「残念ながら、オンラインになって24時間以内に、ある団体による組織的な攻撃が
Tayの脆弱性を悪用した。われわれはTayに対する多くのタイプの悪用に備えていたが、
こうした攻撃については致命的な見落としをしていた」と経緯を説明しています。』

今回はこの話題を取り上げたいと思います。これしかし、
担当者が「脆弱性」という語を使って弁解しているのが笑えるというか。
ネット空間というものを熟知していなくてはないらないはずのMicrosoft社が、
これではいかんのではないかという気がします。この事態はAIの欠陥ではなく、
プロジェクトチームの計画性のマズさによるものであることを認めるべきでしょう。
特に「不特定多数と会話して学習する」という部分が甘すぎますね。

ネットの情報について、よく学校などで「情報の取捨選択」ということが言われます。
しかし、どうやって取捨選択するかの方法論はあいまいです。
まず、情報には真偽ということがあります。
不謹慎な例ですが「オバマ大統領が暗殺された」という情報が流れたとして、
これは「嘘」「本当」の2者択一ですよね。
真が一つである場合は誤情報は多くても同じことです。
よほどマイナーな情報でなければ、これを判断するのはそう難しくないでしょう。

しかしながら、情報には単なる真偽だけではなく、価値観の問題も含まれます。
「ヒトラーは正しかった」これが明らかな偽情報と言えるでしょうか。
まあ、ヒトラーはホロコーストなどをやっていますので、
現在の倫理から考えれば世界的に「絶対悪」とされています。
しかしながらアウシュビッツなどをとっぱらって、
第一次世界大戦後の超インフレのドイツで何ができたかを考えれば、
ヒトラーの政策は当時の多くの民衆の支持を得ていたわけです。

もしドイツ第三帝国が第二次世界大戦で勝利してれば、
「ヒトラーが正しかった」とする価値観が支配する世界になっていた
可能性だってあります。 これを判断するには、
判断する主体が、独自の個人的価値観を持っていなくてはなりませんが、
人間であれば人格形成ということですから大変難しい話で、
上記のTayがそのようなプログラミングをされていたとは、とうてい思えません。
単に語りかけられる量が多かった情報を繰り返すということが「学習」であれば、
ネット空間をなめていたとしか言いようがないでしょう。

というのはネットの情報は、真偽、善悪などだけで語りえるものではないからです。
Tayに「ヒトラーは正しい」と教えた人の中に、
本当にそう思っていた人がどれだけいたのか、ということです。
アメリカでのことですので、ヒトラーは悪と思う人が大多数でしょうが、
「面白半分で自分がそう思っていない情報を流す」というのが現状、
ネット空間の実態です。

匿名性が保証され、自由度が高く、アノニマスの活躍する余地が多分にある空間。
誤情報だけでなく、悪ふざけが多発する空間であることは、
この世界の構築に寄与するとともに、それで多大な利益をあげてきたMicrosoft社が、
予想外だった、で済まされる話ではないでしょう。
Tayの発言に「burn in hell(地獄で焼かれろ)」などとあるのは、
向こうのテレビ伝道師などが昔よく言っていて、今ではギャグになっている言葉です。

では、どうすればいいのか。Tayに独自の価値観を持たせることができるのは、
当分先でしょうから、最初からプログラムして
不適切と考えられる発言をフィルターで弾くようにすればいいのか。
しかしそれもあまり意味がない気がします。会話による「学習」をテーマとするなら、
不適切発言が起きれば、それを指摘し修正してもらえるような、
一般常識人との会話経験を多く積ませるのが一番いいということでしょうか。
あるいは一切公表せず、こっそりtweetの海に潜り込ませておくか。
長くなりそうなのでいったんここで切ります。 
関連記事『AIは直木賞の夢を見るか2』

Tay






こけち様

2016.03.28 (Mon)
「どんどろ燃ゆる火がふたつ
こうら様の御神火なり
牛の障りに牛使え
こけち様にはなりたくなかろ」
これですね。今歌ったのが俗謡というか、忌み唄と言ったほうがいいか。
まあ、町でも限られた人しか知りませんし、
実際に節をつけて唄われることはもうありません。古い、そして嫌な話なんですよ。
ええ、ここで話をしたものかどうか、ずいぶん迷ったんですが、
わたしももう先が長くないし、町もすっかり過疎化が進んでね。
風習自体が失われてしまうのでしょうから。
ここは、そういうことの専門の人のお集まりと伺いまして、
これからの対処のしかたを聞いてこいと、高良様の宮司様からいいつかって参りまして。

ええ、高良様というのは、高良神社という町の神社のことです。
歴史は古いのですが、今の社殿は明治初期の建造です。火災がありまして、
その後じばらくして建て直したんですよ。ご神体は焼け残っておりましたので、
それは古来のままです。神職以外見たものはないはずですが、古鏡と聞いております。
こけち様というのはつづめた言い方で、本当はこうけつ様、纐纈様という難しい字を書きます。
絞り染めという意味ですね。こけち様は見た目はただの小屋です。封印された牛小屋。
わたしが中1の頃、7月に入ったばかりの日曜の朝のことです。
祖父が「草刈りに行くから」手伝え、とわざわざわたしを起こしにきまして。
当時の子どもは、様々な農事を手伝わされていたんですよ。
それは、将来に向けて仕事を覚えさせるためのことだったんでしょう。
田作り以外には何の産業もない集落でしたからねえ。

それで小5弟といっしょにジイさんについていったんですよ。
ああ、今みたいに草刈機があるわけじゃなし、みなで鎌をたずさえてです。
朝の6時過ぎでしたが、もうすっかり明るくてカンカン照りで、
これは暑くなるだろうなと思ったのを覚えています。行った先は高良神社で、
たくさん氏子連の人が出ていました。今で言えば奉仕作業みたいなものでしょう。
社殿の左右から裏手、森の中の草を刈るんですよ。
いやあ、今みたいに携帯もゲーム機もありませんでしたから、汗流して働いて、
祖父からほめられるのは嬉しかったです。「終わったらスイカ冷やしたの食わしてやる」
と言われてましたし。人は30人ほど出てましたか、小一時間程度でご奉仕は終わりまして、
ジイさんは知り合いと挨拶を交わしていましたが、その中の一人が、
「今年の当番は、ジイ様のところだろう。その子らをこけち様に連れて行くのか」

こんなことを言いました。はい、その名を聞いたのはそのときが初めてです。
ジイさんは「おうおう、いずれこれも知らねばならん話だし、
 この子らは幼く見えても気性はしっかりしとるから」このように答えまして。
みなが三々五々帰っていくのを尻目に「もう一ヶ所回るぞ」
で、ジイさんを先頭に20分ほど歩いたんです。
これが高良様から西の小山のふもとで、普通なら家が立ってるような場所でした。
ええ、風害のあるところなので、地すべり等の危険を承知で、
山かげに家を建てることが多いんです。そこらは草ぼうぼうでしたが、
その中に黒く炭化した木材が転がっていまして、火事があった場所じゃないか、
というのは当時のわたしでもわかりました。
「これ全部草刈るんか?」と弟が呆れたように言い、それに答えてジイさんは、

「あのまわりだけだ」と指をさした先に、二軒四方ばかりの小屋があったんです。
「なにあそこ」 「こけち様だよ」それはね、どう見ても牛小屋だった建物でした。
ええ、その当時はまだ牛小屋の残ってる家も多かったんです。
耕牛そのものは廃れて、農機具小屋になってるとこがほとんどでしたが。
ただ、牛小屋に思えるのは建物の骨組み部分だけで、
周囲にはがっちがちに板が打ち付けられ、出入り口がなかったんです。
さらにその上に、かなりの太さの注連縄が三重にかけられていました。
一目見た瞬間、嫌な気持ちになりまして、それは弟も同じだったとみえ、
わたしの傍らで、ぶるぶるっと身震いしたんです。それからジイさんの指示にしたがって、
こけち様のまわりと、そこへ通じる道だけ草刈りをしたんです。
ものの30分もかからなかったでしょう。

帰り道で、もちろんジイさんに「あれ何のもの?」って聞いたんですが、
「そうだなあ、前らの父さんと相談して、いつか教えてやるから」
こんなふうに言われました。でねえ、さすがに気になるでしょう、そこが何なのか?
これがもし、「子どもだけで来るな」などと禁じられたら行かなかったでしょうが。
今考えると、ジイさんはそれだけわたしらを買いかぶっていたってことでしょうね。
じつは夏休みに入ってから、弟と2人だけでこけち様に行ってしまったんです。
夕刻でした。遊びの帰りだったんですが、たまたまその近くを通っていて、
弟と顔を見合わせ、言葉に出さずに自分たちが草刈りした道を選んでしまっていたんです。
それが、草は1ヶ月ほどたっても伸びておらず、わたしらの他にも刈った人がいたようでした。
夕焼けが始まっていて、日が長い時期とはいえ急がないと暗くなりそうでした。
こけち様も左側の壁が赤く染まっていましたが、弟とふた手に分かれて中を覗ける穴を探しました。

けれど、打ち付けられている板は2重3重になっており、覗けるような場所はなかったんです。
「あ、兄ちゃん、音がする」不意に弟が言ったので、駆け寄って、
同じようにして耳をあててみました。確かに中で音がしました。
ドッ、ドン、ドッ、ドンという何か重いものがぶつかり合うような音。
それと、人の悲鳴が聞こえた気がしました。うめき声というか、ものすごく苦しんでいるような。
弟が最初のときと同じように、ぶるぶると身震いしました。
「兄ちゃん、寒い」額に手を当てると熱く、後ろに倒れそうになったのを支えたとき、
わたしもひどく具合が悪いことに気がついたのです。
それ後、どうやって家までたどり着いたのか覚えていません。
とにかく、気がついたら弟と2人でお寺さんの一室に寝かされていました。
ええ、高良神社ではなくて檀家になっているお寺です。

町の内科医が往診に来てくださっていました。特別にお祓いのようなことはなかったんですが、
熱が下がって回復するまでに、わたしは4日、弟は5日かかりました。
それから、本堂脇の部屋に正座させられ、住職からの話を弟と聞いたんです。
弟はまだ年が幼いから、ということで母などは反対していましたのですが。
なぜ、お寺さんかというと、それは中立だったからということでした。
祖父がまだ子ども時分の話ですから、戦前のことです。
高良神社の大祭の日の朝、境内に牛の首があるのを神職が見つけました。
これは呪いなんです。高良様には鹿や山鳥を供物に捧げますものの、
それは山の幸だから神様がお喜びになるのであって、農耕牛の首などもっての外です。
何かよからぬ呪いを仕掛けた者がいる。それで大騒ぎになっていたところ、
その夜に社殿から火が出て、高良様が全焼してしまったんです。

ロウソクの火というのが最も考えられるでしょうが、当時ですから神様のお怒りとされまして。
ええ、それで牛の首を供えたものが徹底して探され、目撃者があって、
ある家の当主が捕らえられました。厳しい責めを受けて白状したということです。
理由は分家と本家の争いで、当時はよくあったことですが・・・
それで、私刑が行われたのだそうです。警察も他の村の者も黙認するしかなかった。
分家の当主とその妻が引き出され、自分の家の牛小屋に牛ごと閉じ込められた。
かなりの田畑がありましたから、牛も多数頭いたはずです。
子どもや年寄りは追い出されて、それから家に火をつけられたんです。
高良様と同じようね。小屋のまわりは氏子たちが持ち寄った板で塞がれ、
家は全焼しましたが、離れて入り口付近に立つ牛小屋は燃えなかった。
いや、中の人と牛がどうなったかわかりませんが、

かなりの高温になって生きていなかったのではないかと思います。
そのほうが幸せだったかもしれません。そのまま牛小屋は開けられることなく、
ずっと放置されたままでしたから。このようなことがありまして、
最初に歌った忌み唄、これを当時の高良様の宮司がつくられたのですよ。
どういう意図なのかわかりませんが、唄にして語り継げということなのか、
これ以上は話すなよということなのか。その後小屋は厳重に封印され、
わたしが見たよなうな姿になって今もあるのですよ。
年に2度、高良様の神職が来てお祀りをしております。
ですけれども、先に話したような事情で、それもいつまで続くものかはわかりません。
こんなようなお話です。さあねえ、いまだに苦しんでいる人や牛が中にいますものやら。
あれ以来、わたしも弟も耳をつけたりはしていませんので。

絞り染め







時間について2

2016.03.27 (Sun)
前々回の続きです。えー今日はアインシュタインの話を中心に書いていきます。
相対性理論の時空連続体という概念は、空間3次元時間1次元で構成されているのですが、
時間の次元数を増やす、ということを考えられた方はおらないでしょうか?
自分はのんびり風呂に入ってるときなんかに考えることがあります。
ま、以下のお話はトンデモですので、そのつもりでお聞きください。

時間が1次元だとすると、空間の1次元というのは点と線ですよね。
点には大きさがなく、線には太さはありません。
点というのは現在、と考えてみます。現在は一瞬のうちには過去になってしまい、
なかなか意識するのが難しいところが、大きさを持たない「点」と似ているかもしれません。
そしてこの現在がつながって、過去から未来に伸びる時間の線をつくっている。



では、これを2次元にするにはどうすればいいかというと、時間には両端があることにして、
線の最初と最後をつなげて輪っかにしてしまうのが一つの手でしょう。
もっとわかりやすく、その輪っかを紙に貼りつける。
で、自分は輪っかの中心にいることにすれば、
そこから過去にも未来にも自在に行けるわけです・・・
(この内容は、いちおうブロック宇宙論というのを下敷きにはしています。)
まあ、こんな簡単なことではないでしょうね。時間の多次元化については、
世界の有名数学者が取り組んでいいるものの、成功しているとは言いがたいのです。
自分ごときがぱっと考えてわかるわけはありません。

話変わって、前回は、光速を超えるものについて、
「群速度」「位相速度」の話をしましたが、まだあるだろう、と思われる方がいるでしょう。
そう、あの、アインシュタインが「奇怪な遠隔作用」と呼んだ例のもののことです。
これを論じるためには、まずそのあたりの周辺事情を説明しなくてはなりません。
アインシュタインは、ボーアらが始めた「量子力学」を快く思ってはいませんでした。
不完全な理論と考えていたわけです。特に問題にしたのが、「波の収縮」について。
ある粒子がどこにあるのか、これは観測してみるまでわからない、
というのが量子力学の立場です。観測する前は確率の雲として広がっている。
それが観測という行為によって「波の収縮」が引き起こされ、ある一点に位置が決まる。

これは直感に反します。粒子はミクロ世界の話ですが、マクロの、
例えばお月さま、これが見ていないときには波のように広がっていて、
見た瞬間に夜空のある位置に月として現れる、というのと本質的には変わりないんです。
アインシュタインはもちろん「見ていないときにも月はそこにある」とする立場でした。
ま、おおかたの人はそうですよね。月のある可能性が確率の雲として広がっている、
という考え方を受け入れられず、「神はサイコロをふらない」とまで批判したのです。

(なお、ここで言う神とは、キリスト教の神ではなく、この世のしくみの真理、
みたいなもののことだそうです。)アインシュタインは波が収縮するように見えるのは、
まだ明らかにされていない、隠れた変数があるのだと考えていました。
アインシュタインのノーベル賞は、光電効果における光量子仮説によるものです。
これは物質の波と粒子の2面性を認めた、量子力学の先駆的研究だったんですが。
ボーア中心のコペンハーゲン派の量子力学を認めることはできなかった。

そこで、さまざまな形で量子力学に難癖をつけて論争を挑んだのですが、
その一つが「EPRパラドックス」と呼ばれるものです。
提唱者である、アインシュタイン(Einstein)、ポドルスキー(Podolsky)、
ローゼン(Rosen)の3人の頭文字をとってこう言われています。
ごくごく簡単に説明すると、AとBの粒子が対になって生まれたとします。
この2つの粒子は必ずスピンする方向が逆向きになります。
これが前回に出てきた「量子もつれ」と呼ばれる現象です。
ですが、どちらがどう回転しているかは、観測するまでわからないのです。

このA、Bを観測しないままで、片方ずつ箱に詰めます。
そしてAの箱を1光年ほども離れた場所に移動させて開け、観測を行います。
その結果、Aは右向きにスピンしていることがわかりました。
この瞬間、箱を開けなくても、地球に残ったBの粒子の向きが決まってしまうことになります。
なんだ、そのどこがパラドックスかと思うかもしれませんが、情報は本来、
光速度以下でしか伝わらないはずで、特殊相対性理論に反することになるんですね。

まさにアインシュタインが言ったように「奇怪な遠隔作用」です。
これを巡って、量子力学の総帥であるボーアとアインシュタインで大激論になりましたが、
結果だけを申し上げると、軍配は量子力学に上がり、アインシュタインの敗北に終わりました。
それも思考実験による決着ではなく、アラン・アスペらによる
実際の実験で確かめられてしまったので、これは決定的なものです。
これ以後、アインシュタインは量子力学との関わりを避け、
独自の研究を続けましたが、目立った成果は得られませんでした。
まだアインシュタインブームが起こる前でしたので、つらい晩年であったようです。

しかし現在では、この問題提起の着眼点が素晴らしかったという点で、
アインシュタインは評価されていますね。
この量子もつれを利用して、「量子テレポテーション」の技術が開発されたのです。
ミクロの粒子は基本的に個性を持ちません。例えばビー玉のようなものであれば、
まったく同じに見えても、顕微鏡などで見ればぞれぞれ傷がついていて、
区別することができます。重さなども微妙に違うでしょう。ところが、ミクロの世界では、
ある金の原子は他の金の原子と区別することができないのです。
もちろん電子などにおいても同じです。

これを利用して、AとBの粒子が量子もつれにあるとき、
もつれの関係をBからCに移してやります。
そうすると、一瞬にして離れた場所にあるBがCへと移動(テレポート)したのと、
理論的には変わらないことになります。日本の東京大学、古澤 明博士は、
無条件の量子テレポーテーションを高確率で成功させ世界の話題を呼びました。
ちなみに、古澤氏は最初は民間会社であるニコンの研究員だったんですね。

ただ、量子テレポテーションは光速を超えるものの、実際の通信に利用するためには、
従来の電波等、光速の制限を受けるものを使用するしかないので、
未来から情報を持ってこれるようになるのは、当分先になるんでしょう。
さらに、この量子もつれを利用したテレポテーション技術は、
量子コンピュータにも発展が期待されているのです。

ボーアとアインシュタイン







弥生神社

2016.03.26 (Sat)
これねえ、わけわかんない話なんで、後で質問されてもちょっと困るんですけど。
女房は間違いなくなんか知ってるはずなんですが、話してくれないんですよ。
そのときのことを話そうとすると雰囲気が険悪になっちゃって。
まだ小さい子が2人いますから、機嫌を損ねるのもマズいし、
実害はなかったといえばなかったんで、そのままほっぽってあるんです。
それと、あんまり怖い話じゃないですよ。4年前ですね。まだ結婚する前のことですが、
2人で妻の実家にあいさつに行ったんです。中部地方の県で、東京からは車で3時間。
いや、初めてってわけじゃなく、その前にも何度か行ってまして、
結婚自体は了承してもらってました。そのときは親戚に紹介されるってことでしたが、
だからあんまり緊張感もなかったんです。ええ、式の段取りの確認もかねてました。
妻の実家は、旧家ではあるものの、義父はサラリーマンで、

農地も手放しちゃって、まあ普通の家です。親戚筋も特に変わったところもなく。
でね、1日目は大勢が集まって宴会、その日一泊して、翌日の午前中に戻る予定でした。
そしたら出発間際になって、妻が「ちょっと1件だけ寄ってくとこがあるから」
って言い出したんです。「え、今から? どんくらいかかるん?」
「そうね20分くらい。帰り道だし」話を聞くと、前日の集まりにこれなかった親戚、
義母のいとこの年配の女性だということでした。「玄関先であいさつするだけだからいいでしょ」
こう言われまして、別に悪い理由もなかったですから。
高速へ入る道を途中で外れると、景色がどんどん田舎になってきまして。
妻が「あれ、道一本間違えちゃったみたい。この脇なんだけど、
そっちには大回りしないと行けない」その後の予定は特になかったんで、
自分もあせる気持ちはなく「あっそ」と車を走らせてくと、道が上りになってきました。

舗装路なんですが、だんだん細くなって両側が杉の林になりました。
「ねえ、せっかくこっちに来たんだし、この先に神社があるからお参りしていかない」
「ん、いいよ」道はちょっとした峠を過ぎて、下りになったところで、
左手が大きく開けて、石段が見えてきました。それが、ものすごく幅広い立派な石段で。
いや、これどう説明すればいいかわからないんですけど、とにかく、
そのときにはそう見えたんです。その石段の前で車を停めまして、
2人で上っていきましたが、脇に生えてる杉の木がみな雲つくばかりの巨木で・・・
いや、これねえ、俺の記憶違いと言うしかないんですが、とにかく,
そんときはそう思ったんですよ。でね、途中で黒い袈裟衣を着た人が3人降りてきまして。
ええ、神社のはずですからお坊さんがいるのも変なだとは思ったんですけど。
ただ、3人とも短いながらも髪があったので、正式なお坊さんではないのかもしれません。

でね、この3人の体がすごく大きくて、まるで相撲取りみたいな体格だったんです。
こっちの姿を見ると、5段くらい上で3人は立ち止まって、腰を直角ほどに曲げて会釈しました。
それで自分も会釈を返したんですが、妻が袖を引っぱって「いこ」ってうながしたんです。
素っ気ない態度なんで「知り合いじゃないのか」って思いました。
そのまま上ってくと、ちょっとした広場があって、その向こうに平屋の横長の社殿が見えました。
ええ、鳥居はなかったんです。屋根も神社の白木のじゃなく、藁葺で、
古民家みたいな感じがちょっとしました。「へえ、変わったとこだね。なんて神社?」
こう聞きましたら妻が「弥生神社」って。自分ら以外は誰もいませんでしたし、
社殿の扉も閉まってたと思います。真ん前まで行って、お賽銭箱もないので鈴だけ鳴らして。
そしたら、その鈴に応えるように、閉まった扉の中から、カーン、カーンって鐘の音が2回。
それを聞いた途端、妻が跳び上がるような仕草をしたんです。

ええ、驚いたってことです。それから「とにかくお祈りしましょう」って。
でね、2人並んで手を合わせてたら、中から声が聞こえたんです。
男の声だと思いましたが、年齢は不詳ですねえ。若いようにも年とったようにも。
こう言ったんです。「2番めの女の子はもらうぞう」って。意味はわかりませんが、
間違いないです。そしたら妻が震え出しまして。
「どうしたんの?」って聞いても理由言わなかったんです。これ、気になりますでしょう。
でね、車に乗ってもずっと震えてる。それから親戚の人の家に行ったんですが、
神社のある山を降りてすぐでしたよ。そこの家は粗末なトタン囲いで、
出てきたのは小さいお婆さんでした。結婚する予定だってことを報告し、
結婚式の日取りを伝えて、玄関先で終わると思ってたんですが、
妻が上がっていくと言い出しまして。自分は茶の間で待たされ、

妻とその人は別室に行って小一時間ばかり話をしてたんですよ。
変わった家でしたよ。茶の間からフスマなしで、次の部屋が見えたんですが、
何か宗教をやっているような大きな祭壇があって、白い布が何枚も垂れ下がってたんです。
あとで妻に聞いたところ、その婆さんは昔は拝み屋をやってたってことでした。
それから東京に戻ってきたんですが、妻は何だか思いつめたような感じになって、
ほとんど物をしゃべらなかったんですよ。
それで、遅くなったこともあってこっちも機嫌悪くしまして、その日はそのまま。
で、この1ヶ月後に都内のホテルで式をあげたんです。
それからほどなくして子どもができました。でね、まだ男か女かもわからないときから、
妻はこれは男の子に間違いないからって言いはって。
で、やっぱり男だったんですけどね。名前は睦雄、これは自分がつけました。

古風だけどいい名前でしょう。今のキラキラネームって好きじゃないんです。
それから1年して、また子どもができたんです。長男のときは、妻はつわりもひどくなく、
かなり楽なお産だったと思ったんですが、このときは苦しみました。
それで、8ヶ月目のときに、「お参りに行こう」って言い出したんです。
「どこへ?」って聞いたら、あの弥生神社へ行きたいってことでした。
でね、1歳になってた長男も連れて再訪したんですけど、このとき奇妙なことがありまして。
ええ、当然実家には行って、長男を預かってもらったんです。そして弥生神社へ行く前に、
あの拝み屋の親戚の家に。そしたら同じ小さい婆さんが出てきたんですけど、
なんか1年くらいですごく年とったように見えました。家には入らず、
婆さんがバスタオルにくるんだものを渡してよこしたんですが、
これが何だかわかりますか。・・・豚の仔ですよ、それも生きたままの。
 
ほとんど人間の赤ん坊と同じ大きさで、暴れることはなかったです。
ねえ、わけわかんないでしょう。でも、妻に「これ何だよ?」って聞いても答えがなくて。
でね、弥生神社の山に入っていったんですが、最初は道を間違えたと思いました。
だってね、しょぼい急な石段があるだけでしたから。
ええええ、前来たときはもんのすごく広かったはずです。
それに脇に生えている杉も、ありえない巨木だった記憶があるんですが、
そのときに見たのは、一抱えもない細い木ばっかで。「ほんとにここだっけ?」
妻に何度も確かめましたが「間違いない」って答えが返ってくるばかりで。
でもね、上の建物は確かに前と同じだと思いました。
違ってたのは、扉が開いてて、たくさんのロウソクが灯ってたことです。
祭日か何かだったのかもしれませんが、そのわりにやっぱり参拝者の姿はありませんでした。

それで、妻が豚の仔を抱いたままでした。「身重だから俺が抱くから」って言っても聞かずに。
前のときのように2人で手を合わせました。そしたらです、
カーン、カーン、カーンと鐘を乱打するような音が中から聞こえまして、そのときに、
豚の仔が「ギャギュウウウッ」みたいな声で鳴いたんです。
・・・まあこれだけの話ですよ。ただ、帰りにまた婆さんの家に寄って豚の仔を返したんですが、
バスタオルの顔のあたりが赤く染まってて、豚の仔は目を閉じてピクリとも動かなかったんです。
死んでるんじゃないかと思いました。その年の5月に2人目が産まれて、これは女の子でした。
妻がどうしても名前をつけるってきかなくて、弥生ってなったんです。悪い名前ではないですが、
5月生まれですからねえ。それと、たぶんあの神社と関係があるんだろうと考え、
反対はしませんでしたよ。え、子どもらですか?2人ともうるさいくらい元気で、
病気一つしません。それからは妻の実家に孫の顔見せても、弥生神社には行ってないんです。







時間について考えよう

2016.03.25 (Fri)
これ、のっけからなんなんですが、時間についてはほとんどわかってないんですよね。
現代物理学の、単位(時間の場合は分とか秒)を持つものの中で、
最も解明がなされていない、と言ってよいのではないでしょうか。
ですから本項も、あまり実りある内容にはならないでしょう。
ただし、何か時間に関したニュースがあれば、いつでも取り上げることにします。

ローマ帝国の4世紀ころの哲学者、アウグスティヌスの、
「私はそれについて尋ねられない時、時間が何かを知っている。尋ねられる時、知らない。」
という有名な言葉が残っています。アウグスティヌスの基本的な考え方は、
時間を、過去、現在、未来としてみた場合、過去は「すでに過ぎ去ってないもの」
未来は「いまだ来ないもの」であるのは明白なので、
結局のところ現在しかないのだ、というもので、これは今のところ真理ですよね。
過去がもし何らかの形で保存されているのだとしたら、
タイムマシンで戻ることも可能なのかもしれませんが、
完全消去したエロ画像のデータのように、すでにどこにもないのであれば、
これは戻ることがかないません。

よく言われるのは、時間には「方向性」があるということです。
過去から未来に向かって流れる「時間の矢」ということですね。なぜそうなっているのか、
というのは宇宙論におけるビッグバン仮説から考えるべきでしょう。
宇宙はある時点で無から生じ、急激に膨張していった。
このときに時間も生まれ、ビッグバン時点を再も過去として、
未来へ広がり続けているということです。まあ、これはわかりやすい。

あと、時間には「不可逆性」という性質もあります。
「覆水盆に帰らず」 「It is no use crying over spilt milk.」と、
洋の東西を問わず同じ意味のことわざがあるのですが、
いったん過ぎてしまった時間をやりなおすことはできません。
「連続性」もありますね。当たり前だと思うかもしれませんが、
時間が連続していないと、昨日結婚したはずなのに、
今日目が覚めるとまだ独身だった、などということが頻繁に起きてしまい、
われわれは世界に対する信頼を失って、途方に暮れるでしょう。

それと前に少し書きましたが、時間は相対性理論によって、
空間と切り離すことができません。地球と10光年、距離が離れた星では、
時間も10年分違っていて、この差を埋めることは原理的にはできないのです。
地球から見れば相手の星は10年前、相手から見れば地球は10年前、
この相対性を打ち破るには、光より速い物質が必要です。
逆に言えば、もし光よりも速いものがあれば、自分自身が動けるかは別として、
未来から情報を現在に持ってくることは可能です。明日の新聞を読むことができる。
ところで自分は、時間と空間が連続的につながっているのは、
「量子もつれ(エンタングルメント)」という現象と深く関係していると考えています。
このほうの解明は、それなりに進んできているようですよ。

時間が、空間と切り離して考えることができないのは、
タイムマシンで思考実験してみればすぐわかります。
例えば10秒前の過去に戻るとしましょう。しかし地球は自転、公転しています。
公転だけ考えても、秒速30kmくらいのスピードでしょうか。
それと、あまり言われることはありませんが、われわれの太陽系、銀河系自体も、
宇宙の中を高速で落ちて(動いて)いるのです。
ですから時間だけを元に戻すと、宇宙空間にぽつんと出てしまう、
ということになってしまわないでしょうか。

もう一つ、時間には最小単位があります。
「とびとびの世界」という項で書きましたが、不確定性原理とのからみから、
「プランク時間」というごくごく短い時間は、原理的にその中を観測することができません。
(プランク長を光速で通過する時間がプランク時間)
現在のところ、プランク時間は数珠つなぎになった穴のようにして考えられています。
長いフィルムの真っ黒なひとコマずつと言ってもいいかもしれません。
それがつながって、時間の流れをつくり出しているのです。  
関連記事 『とびとびの世界』

さて、先ほど、光速を超えるものがあれば未来から情報は持ってこれる、
と書きましたが、そういうものはあるのでしょうか。
光の「群速度」というのはあります。光の複数の波を重ね合わせて、
強力なレーザー光とすれば、真空中で光速を超えることは実験で確認されています。
しかし、ここから情報を取り出すことは、
残念ながら原理的に光速でしかできないんですね。

あとは「位相速度」というのもありますか。これはそうですね、
ハサミを想像してください。指を入れる輪っかの部分は長さ5cm程度で普通ですが、
刃の部分が宇宙の果てまで伸びている超細長いハサミ。
実際にはそんなものを作るのは不可能です。重さでバラバラになりますし、
ならなくても自重でつぶれてブラックホール化してしまうでしょう。
ですからこれは思考実験です。このハサミの手元をちょっと開くと、
刃の先端は一気にびょーんと開いて、その速度は光速を超えることになりますが、
これが位相速度。相対性理論による制限はありません。

それから、超巨大な電光掲示板をつくってライトを並べ、
一直線に次々点滅するようにプログラムすると、
そのライトの線が伸びていく速さは光速を超えるでしょうが、
これは物質が移動しているわけではなく、単にそう見えるだけでしかありません。
相対性理論の式に、超光速を代入すると質量無限大になって式が破綻してしまいます。
前に書いた特異点ということと基本的に同じなんです。

さてさて、現役最先端の物理学者の中にも、
タイムマシンの思考実験をしている人はいますが、現在の技術では作ることが不可能な、
論理的ではあるものの、非現実的なモデルしか登場しません。
当ブログにたびたび登場するホーキング博士は、
「時間順序保護仮説」というものを考え出しました。

ただしこれ、真面目な学説というより、半分冗談がかったものだと自分は見ています。
簡単に言えば、(タイムマシンができるなど)
時間の順序がおかしくなるような事態が発生すると、量子論的な効果が働いて、
それを防いでしまう、というような仮説です。もしこれが本当なら、
タイムマシンは完成しないようにこの世界ができている、ということになりますね。
うーん、ここまで書いて、まだ序論も序論ですね。そのうちに続きを。







聞いた話3題 (バス編)

2016.03.24 (Thu)
これは自分がよく熱帯魚ショップでいっしょになる、
大型バスの運転手をしているYさんから聞いた話です。
最初の2つはよく似た内容ですが、一つ目はYさん自身、もう一つはYさんの同僚の方の話で、
最後の話も元同僚の方のものなんですが、これがちょっと考えられないような内容で。
自分も長く怖い話の収集をしているものの、こんなのは類例がありません。
何か薬物を使用したときの幻覚に似ているの気がするんですが、
また聞きで信用度は落ちますし、判断は読まれる方におまかせしたと思います。

Yさん自身の体験

Yさんは現在、大阪市内の路線バスを運転されていますが、
若い頃は貸切バスの運転を主にしていたそうです。貸切バスは団体旅行用で、
泊まりがけになることが多く、結婚してから路線バスに配置転換になったそうです。
で、Yさんが2泊3日のツアー旅行で、北陸方面に行ったときのことです。
コースはもちろん有名観光地を回るのですが、
その中に自殺の名所となっている断崖絶壁が含まれていました。
自殺予防のための電話ボックスがあるところと言えば、おわかりの方もいるでしょう。
その日の朝早く会社に出て、集合場所にバスを回そうとしたところ、
早出をしていた支社長から「これ持って行きなさい」と、変なものを渡されました。
腕ぬきでした。腕ぬきって知ってますか?あの田舎の学校のコントなんかに出てくる、
上腕にはめる黒い布、ワイシャツがインク等で汚れないようにするためのものです。

それを片方だけ渡されたんですが、裏側にびっしり、
各種神社のお守りが縫い付けられていたんです。Yさんが「???」となっていると、
支社長は「君ね、◯◯へ行くんだろ。じゃこれをね、右手につけてその上に背広着てって。
 絶対必要なものだから」 これは意味がわかりませんよね。
「どう必要なんですか? どうやって使用するっていうか」
「バス降りて自由行動1時間とかあるだろ。あのときにバスの中でつければいいから。
 でね、時間が終わってみながバスに乗り込んでくるじゃない。
 そのときに変なのが乗ろうとしたら、それはめた腕でストップをかけるの」
「変なの??」 「亡くなった人だよ」 「えー幽霊ってことですか?」
「早い話がそう」 「マジっすかー」 
「マジもマジ、大マジ。変なの乗せたら事故もあるからね」

こんなやりとりになりました。「それ、幽霊が乗ってくる場合、一目でわかるんですか?」
「わかるよ。そのときに、それつけた腕で遮れば乗らないで戻ってくから」
ということでお客さんの団体を乗せて出発しまして、
1日目の昼食後、問題の自殺の名所に着いたんです。お客さんが出ている間に、
Yさんは簡単な食事をとり、渡された腕貫をつけました。
強行軍でしたので自由時間は45分、お年寄りの多いお客さんたちは、
時間を守って戻ってきまして、ツアーガイドさんが点呼を始めたときです。
バスのステップに薄い影が立ったんだそうです。色がなくほとんど白黒で、
しかも背景が透けて見える若い女性。髪は濡れていて、しずくがたってるようにも見えました。
ぎょっとしたYさんですが、入り口を遮るように腕を伸ばして金属の支柱をつかみ、
影に向かって首を振ると、影は無表情のままスッと消えたそうです。

同僚のHさんの話

前の話は腕ぬきにつけたお守りでしたが、お守りフィルムというのもあるそうです。
これはバスの中で使うんじゃなく、バス停でです。Hさんは大阪ではなく、
京都の路線バスを運転していましたが、府庁近くの路線を回ることが多かったそうです。
そのあたりに、屋根のついたバス停がありまして、
これは大勢の人が乗る人出の多いところに設置されています。
で、正月のことです。3が日中は運行の本数は減るものの、まったく運転しないわけではなく、
Hさんも1月3日に運転に出ることになっていました。
そしたら年末、上司に黒いビニールフィルムを渡されたそうです。
これ下敷きを2枚重ねたようなもので、中に薄い書類なんかを入れる。
「初詣に行くだろう。そのときにできたら◯◯神社に行ってくれないか。
 それでお守りを4つほどいただいてきて。もちろんお金はこっちで出すから」

「かまいませんが、どういうことですか」これ、◯◯神社は伏見の有名なところです。
「お守りをそれに入れて、□□のバス停のベンチあるじゃない。
 その下に去年のお守りがあるからとっかえてきてくれればいいんだ。
 お客さんは少ないはずだから停車中に」
ということで、人でごったがえす初詣でお守りをいただき、
フィルムに入れてバスに乗せ、仕事に出かけたわけです。
確かに初売りの翌日でしたから人では少なく、言われたバス停で降りてベンチの下を探ると、
確かにほぼ同じ大きさのフィルムが貼り付けられてあったんです。
それを回収して、手早くガムテープで新しいのをセットしまして、
会社に戻ってきました。「ご苦労さん」と上司が来て、前のフィルムを手に取りました。
「どういうことなんですか?」まだ若かったHさんが勢い込んで聞くと、上司は、

「ああ、これねえ、もちろん厄除け、魔除けだよ。あそこの停留所、どういうわけか、
 女の人の服着てない腕が、ベンチの下から出てきたって苦情があってね」
「うわ、本当ですか」 「うんそれで、驚いて飛びのくと消えてる。けどね、あるとき、
 勇気のあるお客さんが腕をつかんだんだって。そしたら、女の細腕に見えたのが、
 急にムクムクと太くなって、皮膚にブワッと針金みたいな剛毛が生えたんだそうだよ。
 その人は驚いて腕を振りほどこうとしたんだが、すごい力で。
 足で蹴ったら離れたけど、指を何本か骨折したんだって」
「うわ、それ会社で補償したんでしょうか」 「古いことだからそこまで伝わってない。
 けどね、ほら京都だから、そういうことがあっても不思議じゃないねえ」
「不思議ないですかあ? それ何なんでしょうか?」
「鬼の腕じゃないかってことになってる。それ以来ね、お守りは毎年取り替えているんだ」

別のバス会社のOさんの話

これねえ、不可思議な話で、あまり変わってるので、
自分はそれが起きた旅館はどこか聞いたくらいです。
残念ながら、もうつぶれてしまっていました。
今から30年以上前ですね。修学旅行なんか、今はすっかりホテル泊が増えて、
旅館の大部屋で枕投げなんてできなくなってしまったそうですが、
その当時は京都方面には、そういう修学旅行客専門の旅館があったんです。
で、生徒、引率教師が泊まる部屋の他に、旅行者の添乗員やOさんみたいな
運転手が泊まる専用の部屋もあったんです。もちろん粗末かつせまい部屋なんですが、
運転手は団体客にくつろいでいる姿は見せられませんから、
食事をして寝られればいいわけです。風呂には入りますが、
何か緊急のことがあるといけないので、浴衣に着替えることもしなかったそうです。

で、Oさんが泊まったのは、規模は大きいけれど内装は貧相なそういう専門の旅館で、
初めてのところでした。案内されたのは、1階の細い廊下をずっといった
6畳ほどの奥まった部屋で、なぜかテーブルのかわりにコタツがあったそうです。
驚いたというほどでもありません。布団部屋みたいなところを
あてがわれたこともありましたから。ただ、入口を入って右側が、
壁ではなくフスマになってたんだそうです。これはさすがに気になりますよね。
それで、中居さんに「このフスマ、隣の部屋とつながってるの?」と尋ねたところ、
「それは開かないようにしてありますので、ご心配いりません。
 隣は部屋ですけど、人は入っていませんので」こう言われまして、
そのときは、旅館の事情で一つの部屋をフスマで仕切ってあるのだと思ったそうです。
で、風呂から戻って缶ビールを何本か空けて寝たんです。

翌日の出発は早い時間でしたし、運転手は睡眠が重要ですから。
コタツをよせて敷いた布団に横になっていると、足の方にあるフスマがパーンと音を立てた。
寝入りばなせしたが、目をあけるとフスマが半分ほど開いて、
薄ぼんやり隣の部屋の様子が見えまして、やはり布団を敷いて寝ている人がいるようでした。
「何だよ、誰もいないって言ったじゃないか」とにかくそのままにはしておけないので、
布団から出てフスマを閉めようとしたんです。そしたら・・・
今いる部屋とまったく同じつくりで、向こうにもフスマが見え、その模様も同んなじ。
立って見下ろすと、布団に向こうを向いて寝ているのはOさんだったんです。
「ええっ!」と思いましたが、間違いなく自分でよく寝ている様子。
呆然としていると、また奥のフスマがパンと音を立てて開き、
暗くてよくわからないものの、そこにも布団があるらしく見えて・・・

これは怖いですよね。自分のいる部屋が無限に続いてるかもってことですから。
でもね、さすがに信じられない。勇気を出して次の間に入ろうとしたそうです。
そのときに、部屋にあった内線の黒電話が鳴りまして。
そっちを取ったとたん、やはりパンと音を立ててフスマが閉まった。
電話のほうは耳にあてても「ツーツー」音がするばかり。フスマを開けて
確認しようともしましたが、これが釘ででも打ちつけられたように開かなかったんだそうです。
しかし、さすがに気味悪いですよね。もう部屋で寝る気になれず、
ロビーに行ってそこのソファで朝までうとうとしていたそうです。
それで夜が明けまして、部屋に荷物を取りにいき、そのときに一つ向こうの、
昨夜もう一人のOさんが寝ていたはずの部屋をのぞいてみました。戸を開けて中を見ると、
びっしり寝具が詰め込まれていて、とても人がいられる状態ではなかったということでした。







二駅間

2016.03.23 (Wed)
私は輸入服の店に勤めてます。接客じゃなく内勤ですけど。
それで、先週の金曜日のことなんですが、電車でおかしなことがありまして。
その日はやや遅くなって、9時過ぎの電車に乗りました。
私の自宅はその路線の終点で、40分ほどかかります。駅を出たら歩いて10分。
ですから、遅い帰宅になった場合は電車内で寝ることが多かったんです。
はい、終点ですから乗り過ごす心配はないので。
その日は9時でしたから、ちょっと半端な時間で、
文庫本でも読もうかとバッグから取り出したんですが、急激に眠気が襲ってきて。
そうですね、電車は席の半分も埋まってないくらいで、ほとんど勤め人の方でした。
私が座ったのは進行方向から右の前のほうの席で、両隣は空いてましたけど、
それに何か意味があるんでしょうか?

とにかく、くたっという感じで寝てしまって。そのときは、
夢とかは見なかった気がしますが、振動で目が覚めました。急行なので終点まで、
止まるのは2駅だけなんです。その最初の駅だろうと思って目を開けましたら、
そうだったんですけど、乗ってきた人は数人で、
その中に見覚えのある顔があったんです。Uさんという、
前に同じ店に勤めてた女の人です。いろいろ事情があって・・・
Uさんといっしょに暮らしていた男性が、俗にいう合法ドラッグをやっていたとかで、
これは噂だからはっきりはわからないんですけど、
マンションのベランダから飛び降りて亡くなったって。
ええ、葬儀などには行ってないんです。Uさんが翌日から店に来なくなったので。
それから引っ越して、携帯の番号も変えたみたいで、誰も連絡がつかなかったんです。

あ、と思って、立っていって話そうと考えました。
私はけっこう親しいほうで、何度も昼食をともにしたり、カラオケにも行ったり。
でも、できなかったんですよ。Uさんの動きが異常でしたから。
電車が動き出しても座らずに、入り口の前に立ったままでした。
服装は前に見たことがある赤いレインコートで、いいわねってほめたことがありました。
あと髪にすごい寝ぐせがついてたんです。目の焦点が定まらない感じで、
足は動かさず、両手でクロールするみたいに宙をかいてたんですよ。
それ見て、ああそういえばUさん、体型維持のために水泳やってたなって思い出して。
鬼気迫る感じというか、普通ではないと思って目をそらしたんですが、
そこでまた急に睡魔が襲ってきて・・・これも変なんです。
私は一度目が覚めると、ずっとそのままのことが多いので。

また振動で目が覚めました。振り返ってホームを見たら、過ぎたはずの1番目の停車駅で、
驚いたんですけど、ああ、さっきのは夢だったんだろうとも。
ところが、またUさんが乗ってきたんですよ。服も同じでした。
ただ、立ち止まった場所が電車の通路の中央付近で、より私のほうに近づいていたんです。
それで、やっぱり立ったままクロールの動きをはじめて。
目は私のほうは見てなかったです。床に視線を落としてたんじゃないかと思います。
不思議なのは、電車の他の乗客が、そんな異常な動きなのに無反応だったことです。
少なくてもそっちを見るくらいはするじゃないですか。
それで、もしかしたらこれも夢なのかもって思った瞬間、またふっと意識が途切れて。
3度目ですね。目が覚めたら、さっきの1番目の駅を出たところだったんです。
思わずUさんの姿を探しました。そしたらです・・・

Uさんは通路にうつ伏せに倒れていて、クロールの動きで這っていたんです。
顔は上にあげて、すごく怖い目つきで私のほうをにらんだまま、
カッン、カツン、と床に両手の爪があたる音をたてて、私のほうに向かってきてたんです。
でも、他の乗客の方はさっきと同じく無反応で・・・
思わず小さく叫んで立ち上がろうとしたと思ったんですが、Uさんは近くまでくると、
ダイブするようにして私の両足を抱え、手だけを使って膝の上に這いのぼってきて・・・
顔と顔が近づいて、お酒のにおいがしました。Uさんは血走った目で私を見て、
「うらんでるよ、だから死ぬよ」そう言ったんです。
そこで寝たというか、気を失ってしまいました。
ズズーッという重く引きずるような音がし、車窓にコツンと頭があたり、
気がつくと文庫本を膝上に広げたままでした。

外はやっぱり最初の駅でしたが、いつも停車する場所よりかなり手前だったんです。
さっきのズズーッというのは、急ブレーキだと思いました。
何度か体験したことがあるんです。案の定、すぐにアナウンスが入りました。
「事故による点検作業のため、電車が遅れます・・・」
20分ほどしてホームに入ったんですが、事故の詳細はわかりませんでした。
でも、何が起きたのかは想像がつきました。
すごい胸がドキドキしたまま、終点まで起きてたんです。
ええ、翌日の新聞ニュースには出ませんでしたが、ほどなくしてUさんが自殺した、
という話は伝わってきました。あの駅で飛び込んだんです。
服装はわからないです、赤いレインコートだったのかまでは。
「うらんでる」の言葉ですか。それは・・・じつは・・・







10大UMAについて

2016.03.22 (Tue)
昨夜、UMA(未確認生物)ついて書きましたので、興に乗ってそれ関係の話を。
オカルト界は残念ながら低調というか、
いまいち世間様の話題になることはないですが、その中でも特にUMA界は沈滞しています。
某巨大掲示板のスレも一日数個の書き込みしかないんですよね。
低調な原因ははっきりしていまして、「情報が途切れる」これに尽きると思います。

ある国の海岸に不思議な生物遺体が漂着する。
それは巨大で、腐敗変形しているものの、既知のどんな生物とも似ていない。
地元民が撮影して動画共有サイトにアップし、政府機関の関係者が遺体を摂取し、
調査研究を確約する・・・このあたりまでで、まず情報は途切れてしまい、
続報が出ることはまずありません。現地語のサイトを見れば出てるのかもしれませんが、
そこまではしませんしねえ。この繰り返しがあまりに続いたために、
もうかなりのUMAフアンは気力を失いつつある現場なんです。

それと、これは幽霊やUFOもそうかもしれませんが、
画像・動画の加工ソフトが出回ったために、写真は有名なものの現物はどこにもないし、
かかわった関係者も存在しない、そういうのが氾濫しすぎてしまいました。
ですから、どんどん人気がなくなっていくのはわかるんですよね。
ネットのオカルトサイトなんかは、自分とこで取り上げたものについては、
わかる範囲でいいから追跡調査をしてほしいところですが、
まあ無理なんでしょうねえ。

この間、カナダ出身の人と話をしまして、住所がすぐ近くなので、
自分は勢い込んでオカナガン湖のオゴポゴ(巨大蛇のような怪物)の話をしたんですが、
ほぼ地元なのにその人は知らなかったんですね。
これにはかなりがっかりさせられました。パソコンでネットのサイトを見せたら、
「こんなものがあるとは」と驚いていました。
あと、UMA(Unidentified Mysterious Animal)は日本での造語なので通じませんが、
Cryptozoology(未知生物学)の語は通じましたね。

さて、10大UMAということで、世間に一番知られているのはネッシーでしょうか。
ただ「外科医の写真」の撮影者が、1993年、死の間際に、
この写真がトリックであったと告白したため、
ここから一気に熱が冷めてしまった感があり、残念なことです。
ちなみに、豆知識として、あの石原慎太郎氏は若いころにネッシーの存在を信じており、
何度か捜索隊を組んでネス湖を調査してるんですよね。

第2位は獣人系としておきましょうか。これはヒマラヤのイエティ、
北米ロッキー山脈のビックフッド、東南アジアのものをひっくるめての総称です。
あとはネアンデルタール人など原人、猿人の生き残り。
日本にもヒバゴンというのがいましたね。
しかしこれも、イエティに関しては、ほぼヒグマであったという結論が出てしまいました。
そもそもイエティという現地語がヒグマを表すものだったようです。
これは、初期のヒマラヤ登山家にとって、活動資金の寄付を得るのが重要であったため、
喧伝されてしまったということが大きいようです。

第3位はシーサーペントとしましょう。大海蛇と訳されます。
ネッシーなどが太い胴体に細い首がついている首長竜体型と考えられるのに対し、
これは完全な蛇状のものを指します。かなりの昔から、文献に記述されていますので、
これは今でもいると信じたいところです。ただし、様々な誤認はあるでしょう。
クジラ、サメ類には上から見ると細長く見えるものは多いですし、
オットセイなどの海獣類が首をもたげているところが、船の甲板上から見て、
蜃気楼効果で長く伸びて見えたなんてこともあるのだと思います。

あろはリュウグウノツカイなど細長い魚の誤認。
余談ですが、自分は150cm水槽で海水魚飼育をしています。
前はサンゴも飼っていたのでですが、お金がかかりすぎるのでやめて魚だけ。
夢としては、巨大水槽でリュウグウノツカイ、オウムガイ、コウモリダコを泳がせることで、
オウムガイはできないことはないでしょうが、あとの2つは深海種でまず無理でしょう。
リュウグウノツカイにいたっては、まだ生きているのを数日泳がせた記録はあるものの、
世界の水族館で長期飼育の実績もないんです。

リュウグウノツカイ


4位以下は難しいですね。名前が知られているので、
チュパカブラを4位にいれましょうか。ただ、自分的にはあまり興味はそそられません。
というのはチュパカブラには、エイリアン関与(異星人のペット)説とか、
軍事用実験動物(生物兵器)説があって、これがいまいちツマラナイ。
好みの問題かもしれませんが、UMAはできれば、
自然に存在する未確認種、新種であってほしいなあと。

5位、モンゴリアン・デス・ワームにしときましょう。
これ前にちょっと書いたんですが、自分は仕事で探索にゴビ砂漠に行ったんですよ。
今にも落ちそうな小型飛行機に乗せられた上に、現地で熱射病になって入院し、
死にそうになりました。いや、あれは過酷な地です。
もし何かそれらしいものがいるとしても、熱せられることと、水分蒸発を防ぐには、
大きな生物は無理であろうということはわかりました。
小さな毒蛇の噂が誇張されて広まった程度のものなのかなあと思いますね。

6位、モケーレ・ムベンベ、アフリカのコンゴに生息する恐竜状生物。
日本の早稲田大学探検部の高野秀行氏が書いた本は面白く読みました。
7位はバランスを考えて、ビッグバード、サンダーバード系としておきましょう。
アリゾナに生息する巨大な鳥、あるいは古代翼竜の生き残り。
8位、グロブスターまたはブロブと呼ばれる、海岸に漂着した巨大な肉塊。
実際はクジラの皮下脂肪や内蔵組織などであることが多いようです。
しかしクラゲやタコなんかも大きくなりますし、これも可能性はありそうですよね。

9位、10位には日本のものを入れておきましょう。
9位、ツチノコ、10位、タキタロウでどうでしょう。
矢口高雄氏のマンガ作品でどちらも感銘を受け、
タキタロウに関しては山形県鶴岡市(旧朝日村)の大鳥池に何度か行き、
釣り糸を垂れたこともあります。巨大なイワナ類はいてもまったく不思議はないと思いますが、
2~3mまで成長するものかどうか。
こうしてみると自分はやはり、海系、魚系が好きですね。
お金があれば漁船を買って、1年くらい南の海でマグロを餌に巨大な鈎針をつけて、
トローリングとかしてみたいです。

タチタロウとされる画像






ターリーの周辺

2016.03.21 (Mon)
今回のお題はこれでいきます。いや、カテゴリに「UMA談義」というのがあるんですが、
総記事数は1000を超えたのに、これがやっと3つ目です。
オカルトジャンルの中ではUMAは好きなほうなんですが、
なかなか書く機会がないんですよね。

『半世紀以上、構造がはっきりと分かっていなかった謎の生物「タリーモンスター」
の復元図や構造が明らかとなった。無脊椎動物という従来の定説を覆し、
脊椎動物のヤツメウナギの仲間にあたるという。
「タリーモンスター」は、1950年代にアメリカのイリノイ州で、
アマチュア考古学者フランシス・ターリー氏が発見した
19センチほどの化石に含まれていた生き物。
古生代後期の石炭紀(約3億5290万年~2億9900万年前)の地層から発見され、
海に生息したと考えられたものの、構造が奇妙な上に、現生の生物との比較も難しく、
系統樹のどの過程に位置する生物なのか、半世紀以上にわたり古生物学者を悩ませてきた。』




なるほど、ターリーモンスターは前までは無脊椎動物とされていたので、
今回、そうではないことがわかったということですね。
この復元図は、化石と照らし合わせてかなり正確だと思いますが、
表皮の色や模様はあんまりあてにしないほういいでしょう。恐竜もそうですが、
皮膚の模様や色って、化石からはなかなかわかりにくいんですよね。
この黄色い模様も、現在の海水魚から想像されたものでしょう。
あと、Wikiを「ターリーモンスター」で引くと「トゥリモンストゥルム」の学名で出てきます。
記事にあるようにターリー氏(トゥーリー氏)が発見してこの名がついたわけですが、
日本語表記をあえて言いにくい「トゥリ」で始める必要があるんですかねえ。

さて、ターリーモンスターは古生代の海棲生物です。
カンブリア紀(およそ5億4200万年前から5億300万年前)には「カンブリア爆発」
という、生物の種が一気に増える現象が起きていて、有名な三葉虫はじめ、
たくさんの奇妙な生物が生まれました。しかしこの用語もどうなんでしょう。
今日は文句ばかりつけているようですが、「カンブリア爆発」と聞けば、
恐竜の絶滅の原因が、長くそれらで議論されてきましたので、
火山の噴火や隕石の衝突を連想する人が多いのではないでしょうか。
自分なんかはずっと誤解していたほうのクチですね。

カンブリア爆発には、さまざまな議論があります。
なぜ、その時代に生物種が多様化したのか。一つは「光スイッチ説」と呼ばれるもので、
生物史上初めて眼を持った生物、三葉虫が出現したことにより、
その他の生物も、生き延びるために次々と眼を備えるようになった、
(また固い外殻を持つ三葉虫に対抗して、硬組織を持つようになった)
というような仮説です。これはけっこうありそうな話じゃないかと自分的には思います。

あと、「スノーボールアース仮説」というのもあります。
「全地球凍結」という訳語がついていますが、約6億年前に激しい氷河時代が存在した
という考え方で、これ自体は実際にあったと見る地質・古生物学者が多いのです。
そして凍結とその寛解が原因となって、原生生物の大量絶滅と、
それに続く跳躍的な生物進化をもたらしたのだとされています。

氷が溶けたため、原生生物から、酸素呼吸をする生物や多細胞生物に変化していった。
これ自体はまず正しいと思われますが、
スノーボールアース終結からカンブリア爆発まで、
少なくとも3000万年以上経過していることから、
関係があったとしても間接的なものにとどまるという見方もあります。

その他、カンブリア爆発以前の化石が単に発見されていないだけ、
というような説もありますし、まだまだわからないことだらけなんですね。
記事の続きを見てみましょう。
『英レスター大学や米イェール大学などの研究グループによって、
歯が並んだ2本の吻(ふん)、左右に大きく離れた目の構造、えら袋と尾ひれ、
といった姿が判明。背骨のような構造も確認し、「巻貝のような無脊椎動物の仲間ではないか」
という半世紀以上続いた議論に終止符を打ち、
脊椎動物・ヤツメウナギの近縁にあたると結論付けた。』
( ITmedia ニュース)
ふむふむ、自分は海水魚を水槽飼育していてこのあたりはけっこう詳しいのですが、
ヤツメウナギはいちおう魚類とはみられるものの、かなり原始的な種類で、
アゴがなく歯が円形に並んだ円口類に属しています。
ウナギとの共通点は体が長いこと以外にあまりなく、味も違いますね。

さてさて、このターリーモンスターが、
じつはネス湖のモンスター、ネッシーの正体ではないか、とする説があります。
サイエンス・エンターテイナー飛鳥昭雄氏が提唱しているものですが、
あまり支持者は多くはありません。まずターリーモンスターは大きいものではなく、
10~30cm程度です。それが数m~10数mまで進化するというのはちょっと考えにくい。
飛鳥氏は「軟体動物は(ダイオウイカのように)どこまでも大きくなる」
と書かれていますが、今回脊椎が発見されたことで軟体動物ではなくなってしまいました w
さらにネッシーまでの中間の化石も見つかっていないし、
ネス湖だけに陸封されて存在している理由もわからないですよね。
ただし、下のネッシー写真はやや似ていると言えないこともないかもです。

新聞に載ったネッシー画像 ハリボテ説あり


最後に、奇妙なカンブリア生物をいくつかご紹介しましょう。
復元図が発表されると、あまりに変なので困惑の笑いが起きたりしたそうです。
ただしこの復元図はまた変更される場合もあるでしょう。
化石を詳しく調べても、どちらが前でどちらが後ろなのか、
さらには体のどっちが上向きなのかまで、よくわからないことが多いんです。
ここに出てくる「ハルキゲニア」なんか、前後・上下間違われてたんじゃなかったかな。

カンブリア生物たち


あと「アロマノカリス」は、UMA生物スカイフィッシュ(フライングロッズ)
の正体とされる説もありますが、前に書いたようにスカイフィッシュ自体が
仕掛けられたオカルトだと自分は思っています。
もしスカイフィッシュが存在したとしても、共通点はヒレの動きくらいでしょう。
古生代の海洋生物が、空中を高速飛行する生物に進化するというのは考えられませんね。
関連記事 『オカルトを仕掛ける』  関連記事 『恐竜をつくる』





馬小屋

2016.03.20 (Sun)
これ、俺が小学生のときの、石輪ってやつの話なんだよ。どっから話せばいいかなあ。
まず、そいつの家はスゴイ旧家だったんだ。少し小高くなった岡の上に1軒だけあって、
藁葺き屋根で、座敷が何部屋もあるような。
江戸時代はこの地方の庄屋をやってて、明治になっても町長を何代か続けたんだ。
だから、貧しくって藁葺き屋根のままにしてるんじゃなく、
その家自体が町の文化財として保護されていたんだよ。
あと、石輪って変わった苗字だけど、俺が親から聞いた話だと、
前は石王仁って言ったらしい、それが太平洋戦争後に石輪に変わったんだと。
理由はわからないよ。何か戦争の関係じゃないかねえ。
高い塀をめぐらして、門から入ってすぐ右手に馬小屋があった。おそらく今もあるんだと思う。
俺んちは俺の小学校卒業と同時に引っ越して、それからその町には行ってないんだが。

それで、俺がこの石輪の家に行ったのは6年生のときの1回きりだ。
それ以外には遊びに行ったことがあるやつなんていないと思う。
なんていうか、石輪の家のある岡にはあんまり人が行かないんだよ。
町では避けられてたんだと思う。石輪は両親と3人暮らしで、ずっと年の離れた兄が、
東京で有名な大学病院に勤めてるってのは聞いたことがある。
そっから仕送りが来てたのかもしれないし、財産があったんだろうけど、
石輪の両親はまだ50前のはずなのに、働いてはいなかったんだよ。
ずっと家にいるみたいだった。父親のほうは見たことがあるよ。
授業参観とかには来なかったが、そんなに遠いわけじゃないのに、毎日、
石輪を学校まで送り迎えしてくるんだ。黒塗りの高級車の運転席に座ってるのを何度も見た。
いつもにこにこしてて、人のいいオジさんという印象しかなかったんだけどな。

石輪本人は・・・どう言えばいいかなあ。一言で表現すれば、すごい優等生なんだよ。
テストなんかは、どの教科もほとんど満点に近い成績だった。
あと体育もとりわけスゴイってことはなかったけど、何でも普通以上にできた。
走るのも泳ぐのもマット運動とかも。ただ、小学生らしくないというか、
興奮したりすることがまったくないんだ。ドッジボールとかでも、
器用にボールを避けて最後まで残るし、速いボールもキャッチするんだが、
自分が投げるときは、相手の誰かをねらったりはせずに、ゆるい玉でふわっと真ん中に。
すべてそんな感じだったんだよ。だから、相手側でも石輪をねらったりしないんだ。
空気みたいにただひらひらしてるって言えばわかってもらえるかな。
一事が万事その調子だったんだよ。あと、宿泊研修とか修学旅行も、
そういう泊まりがけの行事に参加したことがなかったし、先生もそれが当然みたいな感じだった。

外観は・・そうだなあ、小学生のときは背が高かった。
6年生で170cm近くはあったと思う。色白で、小学生なのに銀行員みたいな髪型。
あとなあ、顔が長かったんだよ。まあこれは遺伝なんだろうなあ。
さっき話に出た父親も顔が長かったからね。それから服装は、小学生は制服ないんだが、
いつも中学生みたいに黒ズボンに白ワイシャツって格好だったんだ。
ああ、やつの説明だけでだいぶ時間がたってしまったな。
最初に、1回だけ石輪の家に行ったことがあるって言ったけど、
これから話すのはそんときのことなんだよ。6年生の夏休みの直前だったはずだ。
その日、5教科のテストが6時間目に返ってきて、一人ひとり名前を呼ばれ、
先生からテストをまとめてもらう。自分の席に戻ってそれを見てたら、
後ろのほうで、「うっ、うっ」という声がした。俺の座ってた後ろが石輪だったんだよ。

何だろうと思って振り向いたら、石輪が社会のテストを前にして涙を流してたんだ。
点数が見えてて、55点だったんだよ。いや、小学校のテストは範囲がせまいから、
けっしていい点数とは言えないけど、泣くほどのことでもないだろ。
それが石輪は背筋を伸ばして座ったまま、その長い顔の頬に涙が伝わっててね。
振り向いた俺と目が合ったら、「しくじった、しくじった」ってテストの右側を指さした。
最初は何のことを言ってるかわからなかったけど、縦になってる解答欄を、
一個ずらして答えを書き込んでたんだ。だから答えとしては合ってるんだけど、
先生は☓つけるしかなかったんだな。ああ、これは確かに悔しいだろうなとは思ったが、
それにしてもなあ。それでその日の帰りだよ。俺は石輪と同じ班で教室掃除だった。
掃除してる頃には、石輪の父親の車がもう校門に迎えに来てた。
清掃用具をしまってるときに石輪が俺に話しかけてきて「頼みがある」って言ったんだ。

そんな人に物なんて頼むやつじゃなかったんで意外だったが「いいよ、何?」って聞いたら、
「今日、僕の家に来てくれないかな。見てもらいたものがある」思いつめたような口調だった。
「でも石輪は車で帰るんだろ」 「そうだけど、家の門の前まで来ててくれよ。
 僕が出てきて開けるから」まあ、石輪の家までは俺んちから20分くらいのもんだったから、
それはわけはないんだが、「見せたいものって何?」さらに聞いてみた。
「ちょっとここでは言えないし、もうどうにもならないんだけど、
 そういうことがあるって知っていてほしいんだ」こんなことを言われて、行く約束をしたんだよ。
石輪は父親の車で帰っていき、俺も家にランドセルを置いてから、
チャリで石輪の家の岡に上ってったのよ。見せたい物って言われればやっぱり気になるだろ。
好奇心が一番だったと思う。で、門前に着いたものの、塀は2m以上あって門はしまってる。
途方にくれてたら、門が細めに開いて石輪が出てきたんだ。

学校のときと同じ服装で、ふだんから色白なのが、そのときは紙みたいに蒼白な顔色でね。
まずチャリを塀の横手の斜面の草の中に倒して寝かせるように言われた。
それから音を立てないでくれって、そうっと門のすき間から入っていったんだよ。
中は、砂を敷いた広い庭で、大きな藁葺き屋根がかぶさるように母屋にかかってて、
右手に馬小屋があったんだが、そのときは何の建物かわからなかった。
木の小屋みたいな感じだったが、かなりの大きさで、表も横も☓字型に木を重ねて、
何ヶ所も打ちつけてあったんだ。「見せたいのはこの中だよ」石輪が声をひそめて言った。
「でもこれ、入れなくなってるじゃない」
「うん、けど裏に一ヶ所板の割れ目があってそっからのそけるんだ」
で、2人で小屋の裏手に回ったら、塀と壁の間に人ひとりやっと入れるくらいの通路があって、
体を斜めにして石輪先頭で入っていった。

そしたら、板壁に顔が近づいて、そのときかすかにザッ、ザッて音が聞こえたんだ。
砂か土の上を何人かの人が歩いてるような感じだった。
そのまま数m進んで、胸くらいの高さの板の割れ目をまず石輪がのぞき、
それからイヤーな顔をして先に出てから、割れ目を指差したんだ。
俺がかがんで片目をあてると、最初は暗くてよくわからなかったが、動いているものがあった。
ザッ、ザッってのはそれが出してる音。少ししたら目が慣れてきて・・・
ここで見たものは今でも信じられないし、あんたらも本当だとは思えないだろうな。
まず見えたのが白いワイシャツ、石輪のと同じようなやつだ。
それ着たやつが列を作って、輪を描いて行進してたんだよ。前のやつと30cmくらいの感覚で、
そうだなあ、7,8人はいたと思う。で、みな異様に背が高かった。
けどこれは、頭に被り物をしてたからなんだ。

長い首のついた馬の頭、だけど一目で作り物ってわかるような、
テレビのコントで見るようなやつだったんだよ。それ被ってるから身長2m以上で、
同じ服を着た同じ背格好のやつらが、真っ暗な中で規則正しく行進してたんだ。
ザッ、ザッ、ザッってな。とにかく中の様子がわかって息を飲んだ。
目を離して、小声で石輪に「これ、何?」って聞いたら、石輪は、
「失敗した人たちなんだよ。代わりはいくらでもあるから・・・これ見たことを覚えててほしい。
 でも誰にも言わないで、絶対、絶対。明日、僕が学校に来てもこの話はしないで」
こう言って首を振ったんだよ。それ以上の説明はなし。あとは門から出て、
チャリで家に戻るだけだったよ。まあこんな話なんだ。どうだ信じるか?
翌日も石輪は登校してきたが、向こうが何も言わないからその話はしなかった。
それ以来、小学校の卒業までこの話は出なかったし、家に誘われることもなかった。

で、その年度が終わって、俺んちは転勤族でもないのに急に遠くに引っ越すことになった。
父親の仕事が変わって、東京にある大学の事務員になったんだよ。
それが、石輪の兄が勤めてるって噂のある大学だったんだ。
それで、前の仕事より給料がずっと高かったんだと思うけど、
俺んちの暮らし向きがよくなった。あと、俺んちの墓所は前の町にあったのが、
父親がすぐに郊外の霊園の区画を買って、そこに移したんだ。
以来、一度も両親は町に行こうとは言わなかったんだよ。
俺も小学校の友だちとの関係は完全に切れて、向こうからは電話一本、手紙一枚来なかった。
もちろん石輪からの連絡もない。これはさすがに、子どもでも何かあると思うだろ。
けど、仕事についた今の今まで、あの町を訪れてはいない・・・怖いんだよ。あの馬小屋の中で、
今でも、馬の頭を被ったやつらがグルグル歩いてるのかと思うと・・・人数も増えているのかもな。







仙道・道教について

2016.03.19 (Sat)
今日の話題はこれでいきます。当ブログでは、これまで、
あんまり仙道には触れてこなかったんですよね。特に理由はないんですが、
やっぱりとっつきにくい感じはありますね。
ところで、日本は中国経由で仏教、中国のものである儒教を受容しているのに、
どうして道教はさかんにならなかったんでしょう。

代わりになるものとして、陰陽五行思想、天文、暦学などをベースとした
陰陽道があったからでしょうか。一説には、唐の時代に、
中国から道教の受容を求められた際、天照大神を中心とする日本神話、
天皇中心の政治体制とは相容れないものであるからという理由で、
拒否したという話があります。この真偽はわかりませんが、
自分はけっこうこれを支持しています。道観(道教寺院)が日本にできなかったのは、
意図的にそれを防ぐ体制が、やはりあったのではないでしょうか。

仙道(神仙思想)と道教の違い。これもかなり難しいですが、
自分的には、完全な個人救済(自分だけが修業によって仙人になる)が仙道。
2世紀に興った、五斗米道や太平道などの教団化したものが
道教というふうにとらえていますが、これには異論もあると思われます。
ただ、道教教団が行うような集団生活や、謝礼を得ての病気治療、魔を払うといった行為
(キョンシーに出てくる道士のような感じ)は、本来の神仙思想にはないものです。
仙人になれば不老不死になりますが、そのかわり我欲が消え失せ、
世俗のこと一切に関心を持たなくなることになっていますから。
ただ雲に乗って高天を浮遊してるだけで、それが楽しいのかどうかもわかりません。

神仙思想は、前述したように個人が仙人になるためのものですが、
その中には選民思想も含まれています。どういうことかというと、素質のないものは、
いくら努力しても仙人にはなれない、なれたとしても高位には登れないということです。
その素質のことを仙骨と言います。「お前は仙骨が短いから仙人にはなれない」
みたいな感じですね。中国の殷周伝説で出てくる「太公望」呂尚は、
一度仙界で修行したものの、素質が足りないので人界に戻され、
周の軍師になって、易姓革命で活躍することになります。

芥川龍之介の『杜子春』、これは中国の古典を童話化したものですが、
原作では、牛馬と化した両親が鞭打たれる場面で杜子春は思わず声を出してしまい、
仙人になれなかったことで、後で師に叱られてしまうのですが、
芥川作品では「あのとき声を出さなかったら私がお前を殺していた」と改作されています。
原作は、杜子春が仙人になるための冷厳さを持ちあわせていなかった、
というだけの話だったのが、人間としての情を主題に、
日本的に変えられているわけですね。

さて、仙人の種別としては、一番位が高いのが「天仙」です。
飛行能力を持ち、つねに雲上を飛び回っていて下界のことには関心がありません。
「羽化登仙」という語は、この天仙を指しているようです。
修行の末に、地上に沓だけを残して、忽然と姿が消え去ってしまうのです。
次が「地仙」これは龍などに乗って飛ぶことはできますが、
常には高山の洞などに住んで修行をしています。
一番地位が低いのが「尸解仙」です。いったん死んで棺に葬り去られたのち、
棺桶の中に剣を残して死体が消え失せ、仙人になるというものです。
尸解仙の中にもまたレベル差があり、宝剣を用いて尸解したものが上位で、
普通の剣や木剣は低レベルといった話もありますね。

また、『封神演義』は仙界を舞台にした空想小説ですが、その中では、
仙道が「闡教(せんきょう)」と「截教(せっきょう)」に二分されていました。
「闡教」は元人間だったものが修行により仙人になったもの。
「截教」は人間以外のもの、大亀とか孔雀、植物、自然現象などが仙人化したもの
として描かれています。お話では「截教」が戦いに負けて、
多くの人間以外をルーツとする仙人が殺され、神として封印されます。
また、仙人は男性が多いですが、女性もいますし、風貌も老人だけではなく、
◯◯童子という子どものような姿形のものもいます。

道教と老荘思想。これも難しいところですが、いつかの時代に、
「老荘思想」が神仙思想に取り入れられ、道教へと変遷していったのだと思われます。
そもそも、老子自体が実在性を疑われている人物ですので、
はっきりしたことは言いにくいのです。ただし、道教の方法論、
神々の像に祈りを捧げ、病気になれば護符を書いて飲むといったことを、
胡散臭い、馬鹿げていると思う知識人は古代でも当然いたことでしょう。

ですから、教義に深みを与える必要があったんですね。
それには、老荘思想の「無為自然」「徳」などの概念は恰好のものでしたので、
現在の道教は「道(タオ)」(宇宙自然の普遍的法則や根元的実在)を、
最高概念として置くようになったと言えるんじゃないでしょうか。
あとまあ、孔子の儒教に対して、老子の道教とすればおさまりがいい
とかもあるのかもしれません。ちなみに、道教では、
老子は太上老君という神仙になっています。
晋代の『抱朴子』の記述によれば、口がカラスのようで、耳の長さは7寸、
額に3本の縦筋 で牛に乗る異形の姿に説明されています。

さてさて、長くなってきましたので、最後に神仙になるための修行法。
これは内丹法と言われるものです。「仙人はカスミを食べる」という話がありますが、
天地自然の気を体内に取り込み、練ることを指します。
自分が自然と一体化すると言ってもいいでしょうか。
じゃあ具体的にどうすればいいんだ、となるでしょうが、
これは難しくてなかなかできないところに妙味があります。

簡単にできてしまったら、富裕層に取り入った道士はイカサマが続けられなくなりますから。
内丹がうまくできないので、外丹法が勧められることになります。
これは食事や仙薬によって仙人化するための方法で、秦の始皇帝の道士、徐福は、
「東方の三神山から神仙になる薬を取ってくる」と財宝をもらって逃げてしまいました。
外丹には、水銀化合物やヒ素化合物なども多くあり、
長命になるどころか、これで命を落とした人も多かったと言われますね。
関連記事 『仙人になるには』

太上老君






枕返しの話

2016.03.18 (Fri)
これはわたしが中2のときの話です。田舎の中学の剣道部でしてね、夏休み中のことです。
中総体は地区が6月、県が7月で、それをもって3年生が引退し、
新チームになったわけですが、わたしら2年と、1年生の仲が悪くてね。
いやね、男子は1年生が5人全員、小学校から道場でやってた経験者でした。
それに対して2年生のほうは、4人のうち3人が中学校から始めたんです。
だからね、1年にレギュラーを奪われるかもしれないって危機感があったんですね。
2年のうちの新キャプテンは経験者でしたから間違いないですけど、
その他の3人は戦々恐々、そういう事情が影を落としてたんでしょう。
でね、休み中は1泊2日で部の合宿があったんです。
これは学校に泊まるわけじゃなくて、町に一つだけのお寺に世話になるんです。
稽古は体育館でしたけど、お寺までは走って15分くらいでした。

それで2日目の午前に、境内で奉納仕合をやって解散。
もちろん1年のときも参加しましたが、そのときはただ疲れたってだけで、
特別おかしなことはなかったと記憶してるんですけどね。
1日目の早朝に学校に集合して、道場でみっちり稽古、弁当を食べて午後もまた稽古。
夕刻に防具をつけたままランニングでお寺に行って、なんと座禅を1時間やらされるんです。
その後、親の会が夕食のカツ丼を作ってくれまして。
へとへとだし、真夏のことでしたからあんまり食べられなかったですけどね。
でね、旅館じゃないんで、自由時間ってなかったんです。
食べ終わったら、本堂の板の間でご住職の講話を聞くんですよ。
ご住職は当時40代かな、今もご健在ですよ。今にして思えば、中学生に話すってことで、
なるべく宗教っぽくならないように苦慮されてたんだと思います。

それでも内容は難しかったですけども。
ええと、できるだけ当時ご住職が話された形で再現してみます。
「皆さん、和歌、百人一首の勉強なんて国語の時間にされましたか?」
そんな趣味のやつはいなかったんでわたしらが顔を見合わせていると、
部の監督の先生が、「2年生は俳句の勉強はしましたが、和歌はまだ習っていません。
 3年で万葉集なんかを勉強するはずですよ」こう助け舟を出してくれました。
「そうですか。いやね、わたくしも和歌など詳しいわけじゃないんですが、
 これはちょっと怖い話でもあるんです。平安時代の中頃に、藤原義孝という人がいまして、
 歌人として有名だったんです。百人一首に採られた歌が、
 『君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな』というもので、
 意味は、あなたのためになら惜しくはないと思っていた命も、こうして恋がかなって、

 いっしょに過ごすことができるようになった今では、できるだけ長くありたい
 と思うようになった・・・こんなところでしょうか。まあ、恋の喜びを歌ったもので、
 みなさんにはちょっと難しいかもしれませんね。
 で、この義孝という方は、熱心に仏教に帰依しておられまして。
 それがどのくらいかというと、まず、お坊さんでもないのに菜食主義で、
 肉や酒はいっさい口にせず、朝廷に出仕して公務がありましたが、
 その仕事の合間にもお経を唱えていたというくらいなんです。ですから、
 年は若くとも皆に尊敬されておりました。それがねえ、
 残念なことに、20歳で亡くなってしまわれるんです。病気、天然痘でした。
 病状が進んで、いよいよいけないというときになって、看病していた母親に向かって、
 自分は死んでも、枕から頭を離さないようにしてくれ。

 あの世で頼み事をして生き返ってくるから。そう言ったんだそうです。
 どうしてこんなことを話したのか不思議でしょう。これは当時、
 霊魂が体から抜け出ているときに、枕から頭が離れてしまうと戻れなくなってしまう、
 と信じられていたようなんです。どうやら義孝は、
 死んだ後にあの世で閻魔様に願って、またこの世に戻ってくるつもりでいたらしい。
 でね、生き返ることができたかというと、これができなかったんです。
 というのは、不幸なことに同じ日に義孝の兄も天然痘で亡くなってしまい、 
 屋敷中が大混乱しまして、詰めかけていた親族の方が気を効かせて、
 義孝の体を北枕にしてしまったんです。ええ、枕から頭を外して体の向きも変えてしまった。
 このために、義孝は戻ってくることができなかったという言い伝えがあるんですよ。
 ・・・ここで、話はちょっとかわりますが、枕返しという妖怪がいるんです。

 人が寝ているときに来て、その人の枕をひっくり返す。なんだただのイタズラじゃないか、
 と思うかもしれませんが、これがたまたま、その人が夢を見ているときだと、
 抜けだして別の世界に行っていた魂が体に戻れなくなって、
 死んでしまうこともあるのだそうです。でね、この枕返し妖怪が、
 当寺にもいるという言い伝えがありましてね。わたくしの2代前のご住職から、
 小僧時分に聞かされたことがあります。・・・でもね、安心なさい。
 わたくしは枕を返されたことはありません。それに、
 みなさんの寝所には蚊帳が吊ってあるでしょう。怪しのものは蚊帳をくぐって中には入れない、
 と言われていますから、怖がらなくても大丈夫ですよ」
こんな話だったと覚えています。中学生への話だから、最後に妖怪のことも入れたんでしょうが、
わたしにはそんなにピンとくる内容ではなかったですね。

それからみなで花火などをやりまして、かなり早めに寝たんです。
寝所はお寺の大広間を使いました。両側の隅に蚊帳を2つ吊って、一つには2年生4人、
もう一つに1年生5人が寝ることになりました。あと女子2人はご住職の家族がいるほうで。
でね、蚊帳の中で仲間の一人とこんな話をしました。
「さっきの話、よくわかんなかったけど、枕返しのとこは面白かったな。
 そういうのっていると思うか?」 「まさか、住職がサービスで話してくれたんだろ」
「だよな。けどよ、妖怪なんかが蚊帳の中に入れないってのは初めて知った。
 俺よ、もし夜中にトイレに起きたら、1年の蚊帳をめくって上に引っかけとこうかな」
「バカバカしい、妖怪なんていないから」 「でもよ、やつら蚊に食われるだろう」
「やめとけよ」 ま、本当にそんなことをするとは思ってなかったんですけどね。
クタクタに疲れてたし、それからほどなくして寝てしまったんです。

「ほらー、起きろ」監督が蚊帳に入ってきて大声を上げてました。
すっかり明るくなって、もう朝になってたんですね。わたしらはもぞもぞと起きだしまして、
監督は今度は1年の蚊帳のほうへ行って「お前ら、なんだこれ、何やってたんだ!」
さらにすっとんきょうな声を上げました。
何だろうと思ってわたしも見に行ったんですが、そしたら1年生連中は敷布団を上に被って、
うつ伏せになって寝ていたんです。つまり体ごとひっくり返ってたというわけです。
「寝相が悪いにもほどがあるぞ、お前ら!」監督は呆れてましたね。
枕返し・・・なんでしょうかねえ。そこのところはわかりません。
ただ、1年生は枕なんてしてなかったんです。寝具はお寺さんのものでしたけど、
数が足りなくて2枚の布団で3人が寝て、
枕も座布団を折ったものを布団の下に入れていたんですよ。

あと、わたしら2年生の枕が返されたってことはないようでした。
1年生たちはきょとんとした様子で起きてきて、体具合が悪いというやつもいませんでした。
朝はお寺さんでお粥を作ってくださっていまして。それを食べながら仲間に、
「お前、トイレに起きて1年の蚊帳めくったのか?」
「ああ、やった。けどなあ、あいつらが変な格好で寝てたのはそのせいかな」
「うーん、蚊に食われるのが嫌で布団かぶったのかも」こんな話をしました。
で、午前のうちに奉納仕合の紅白戦があったんですが、
わたしら2年生はキャプテンをのぞいて、みな1年生に負けちゃったんですよ。
紅白戦は2回やったんですが、2回ともです。このせいもあってか、
キャプテン以外、新人戦のレギュラーは1年にとられちゃいました。いやあ、
枕返しのことと関係はないでしょう。今となってはいい思い出ですけどね。

鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「反枕」






水槽の話

2016.03.17 (Thu)
これ、今から30年くらい前のことなんだけど。
俺が中学生のときの話。だからずっと忘れてたんだけど、最近ある事があって。
それで思い出したら、いろいろ想像がふくらんでしまってね。
どういうことなのかここで聞きたいと思ってね。
中学1年のときだよ。俺らの中学は3つの小学校から集まってきて、
西島は別の小学校だったから、中学のクラスで初めて顔を合わせた。
で、自己紹介するだろ。そのときに「自分は水槽で水草飼育してる」って言ったから、
「これは」と思った。俺も熱帯魚飼うのが趣味だったんだよ。
だけど、水草はレベルが高くて、自分の水槽には金魚藻くらいしか入れてなかった。
今は二酸化炭素の添加装置とか、いろいろいい器材があるから水草栽培も楽だけど、
当時はけっこう高度な趣味だったんだよ。

それで、水草見せてもらいたと思って近づいていった。
小学校のときも同じ趣味を持ってるやつってあんまりいなかったんだよ。
で、話しかけてみたら、オタクっぽいわけでもなく、ごくごく普通のやつだった。
今にして思えば、育ちがよかったって言うんだろうな。家も金持ちみたいだったし。
すぐに親しくなって、互いの家にも遊びに行き来するようになった。
俺が西島の家にいくほうが多かったけどな。俺んちの水槽は45cmで、
飼ってる熱帯魚もホームセンターで売ってるありきたりのやつだったけど、
西島の家には90cm水槽が2本もあったんだ。
一本は南米のアロワナを飼ってて、これは大きくなるんだよ。西島は、
魚がもう少し大きくなったら120cm水槽に代えるって言ってて、
これもうらやましかった。で、いらなくなった水槽は俺にくれるって。

でもな、これは親からOKが出るかどうかわからんかった。
そのときでさえ、水をこぼすとか、電気代がかかるとか文句言われてたし。
ああ、それでね、もう一本のほうが、やっぱり南米の珍しい水草が入ってたのよ。
自然な感じのレイアウトじゃなく、花壇みたくきっちり植える場所を区切って、
当時、俺なんか聞いたこともない種類のものばっかだったな。
今でも栽培難易度の高いやつだ。それで、何度目か家にいったときに、
その水草が全部なくなってたんだよ。そのかわりに、不思議なもんが入ってたんだ。
説明しにくいなあ。高さが15cmくらいかな。全体として葉脈に似てるんだ。
葉っぱの形をしてるんだけど、筋だけが残ってるって言えばいいか。
今思えば、ウミエラというサンゴの仲間に似てた。ただ、ウミエラは海水生物で、
西島は淡水しかやってなかったが。それが水槽の中で4本、ゆらゆら揺れてたんだ。

「これどうしたんだよ」って聞いたら、「真部川の河口で採集してきた」って。
そこは大きな川じゃなく、いちおう海には注いでるけど、
嫌な臭いがして魚もあんまりいないような川なんだ。でね、
それは茎らしき部分が下の砂に刺さっていて、脈状の部分を両側に広げてゆらゆら揺れてた。
全体は透明がかった白で、水流とは関係なく動いてたんだよ。
「これ、動物なのか植物なのか」って聞いたら、「わからない」って。
「今調べているところなんだけど、図鑑には載ってないんだ。
 淡水の部分から採集したから、川の生物だと思うけど、海の図鑑もいちお見た。
 でも、どこにもこんなの載ってない」 「どうやってこんなのいるってわかったんだ?」
「河口の土手からサヨリ釣りの人を見てたら、これが岸のコンクリに張りついてた。
 変なものだなあと思って、次の日にバケツ持ってって手の届くとこのを採ってきた。

 水槽の隅に植えてみたら、翌日、他の水草が全部溶けちゃったんだよ。
 でも、これ新種かもしれないし、それだったら大発見だし、惜しくないや」
「餌、食べるのかな」 「今、研究してるとこだけど、熱帯魚の餌は食べないな」
そのときはこんな会話をして帰ってきた。
で、また2日後に行ったら、それはやや脈が垂れてきて元気ない感じになってたんだ。
西島は「なんか調子悪いみたいだ。水も親父に頼んで、
 車で真部川の同じ部分から汲んできたんだけど、やっぱり餌が必要なのかもしれない。
 今、赤虫とか、サンゴ用のペーストなんかを与えてるんだけど、食べる様子はないな」
その後も何回か見に行ったけど、どんどんしおれるように丸まっていくだけだったな。
ああ、真部川の河口には俺も見にいったが、同じものは見つけられなかった。
それで詳しい場所を聞こうとしてた矢先に、西島が学校を休んだんだ。

先生の話だと熱を出してるってことだったから、見舞いも遠慮した。
1週間して出てきたけど、かなり痩せてて、それと左手の甲に絆創膏が貼ってあったんだ。
「手、どうしたん」って聞いたら、目を輝かせて「あいつらの餌がわかった」って言う。
「何?」 「血だよ。こないだ水槽内の掃除をしてたら急に鼻血が出て、
 水槽に垂れたんだよ。水替えするほどじゃなかったけど、そしたらその日のうちに、
 両側の脈が開いて、あいつらが回復したんだ。だから、とりあえず自分の血を与えてみてるんだ」
「えー」 「今日、見に来いよ」ってことで、学校帰りに西島の家に寄った。
確かにね、その奇妙な生物は見違えるように開いて活発に動いてた。
で、俺の見てる前で、西島は2枚貼ってた絆創膏の一つをはがした。
そしたら縦の浅い傷が何本もあったんだよ。
西島はカッターを出してその傷の一本をなぞり、水槽の上に手を持ってって血をポタポタって。

正直「うえ~」って思った。「痛くないのか?」 「そんなには」
血の量はたいしたことはなかったな。ほんの数滴。けど、それが水槽に入った途端、
奇妙な生物はねじれるような、踊るような動きをしてね。
それ見てると、背筋がゾーッとしたんだよ。早々に家に帰ったんだ。
それから、しばらくは西島の家には行かなかったけど、
クラスで話はした。やっぱり血を与えてて、絆創膏が3本目になってたんだ。
でね、また西島が3日ほど学校を休んで、最後の日の5時ころ、俺んちに電話があった。
「水槽を一本やるから取りに来いよ」って。そう言われても、急には置く場所もないし、
とりあえず西島の家には行った。そしたら水草のほうはそのままで、
アロワナの水槽が空になってたんだ。
「どうしたんだよ」って聞いたら、「急に調子が悪くなって死んだ」って。

で、奇妙な生物のほうは元気に開いていて、少し成長してるみたいだったけど、
確かに4本あったのが3本になってたんだ。
「これも一つ死んだのか?」 「いや、前から3つだったけど」
水槽のことは「親にまだ了解を得ていない」って言ったら、
西島はちょっと不満そうな顔をして「じゃあ熱帯魚店に引き取ってもらうぞ」
翌日から西島は学校に出てきたけど、不思議なことに左手の絆創膏がなくなってて、
手の甲には傷跡もなかったんだよ。そんなに早く治るのはちょっと考えられないだろ。
水槽は親には置き場所がないって言われて、それから西島とは疎遠になっちゃったんだ。
2年になってからはクラスも別々になったし、家を行き来することもなくなった。
いや、話くらいはしたよ。「あの生物どうなったか?」ってね。
そしたら、「大きくなって飼いきれないから川に戻した」ってことだった。

もう水槽飼育はしてないみたいで、俺のほうも勉強が忙しくなったのと、
興味が音楽に移ったのとで、熱帯魚はやめちゃったんだよ。
3年のときは、西島は東京の高校に行くってことで、家族ともども引っ越してった。
ま、こんなことがあったんだが、最初に言ったようにずっと忘れてたんだ。
思い出したきっかけというのが、河川改修で前に西島の家があった近くに工事が入って。
したら、真部川に続く排水路の中から人の骨が出てきたってことで、ちょっとした騒ぎになった。
警察の鑑定だと10~15歳くらいの子どものものってことだった。
事件なのかはわからないけど、排水路は昭和に作られたものだからそれ以前のものじゃない。
現在捜査中なんだよ。それとな、その水路の中で奇妙な生物が発見されたってことも。
これは市報に写真が載ってたけど、あの西島の水槽の中のやつとよく似てるんだ。
そっちは大学で調べてるんだが、やっぱ新種じゃないかって話なんだよ。







人身御供の周辺

2016.03.16 (Wed)
人身御供(ひとみごくう)をWikiで引くと、
「人間を神への生贄とすること。人身供犠(じんしんくぎ)とも」と出てきます。
関連した項目としては、人柱、殉葬などがあるでしょう。
これらの区別はなかなか難しいですが、少し考察してみたいと思います。

人身御供は、この言葉を聞いて、
岩見重太郎の猿神(狒々ヒヒ)退治を思い浮かべる人が多いでしょうが、
山奥に巨大な猿がいて、里村に娘の生贄を要求した・・・さすがに、
本当にそんなことがあったとは思えないですよね。もしあったとしたら、
ヒヒではなく人、野武士集団などのようなものだったかもしれません。
ちなみに「白羽の矢が立つ」という慣用句は、この人身御供の話から来ているようです。
望みの娘がいる家の軒に、いつの間にか白い羽根の矢が突き立っているという。

アニミズム(素朴な多神教)があった地域には、
この人身御供の伝承は多かれ少なかれ存在します。台風や海の荒れ、
川の氾濫を防ぐ、あるいはその年の豊作を祈る、
という目的で人を生贄に捧げる風習ということですね。
一神教では、羊ならともかく人間の生贄を要求するのは邪神でしょう w

『日本書紀』の仁徳天皇紀に、大阪の治水工事の際、
難工事の場所が2ヶ所あり、天皇の夢のお告げに、武蔵の国出身の男と、
河内出身の男をそれぞれ河神の生贄に捧げるとよいと出たため、
武蔵の男は泣く泣く川に流されたが、
河内の男は「もし本当に河の神が自分の命を望むなら、
このヒサゴを沈めてみせよ」そう言って瓢箪を投げ込むと、
瓢箪は沈むことなく流れていき男は助かった、と出てきます。

この逸話が本当かどうかわかりませんが、この内容から、
人身御供には、実際に人を使う場合と、人の身代わりとなる形代(かたしろ)
を使う場合があった、と読み解くむきもあるようです。
ただし、人が実際に生贄とされたと見られる発掘事例はほとんどありませんが、
人の代わりとなる土器などを捧げたような跡はそれなりに発見されています。

また、上記の事例は治水工事の際の話ですので、人柱と言ってよいかとも思います。
人身御供の中でも、人柱と言えば工事のイメージが強いですよね。
伝承でも、城の石垣を築いたり、橋桁を埋める際に立てられることが多いようです。
これは「柱」が建築用語であるとともに、
神様を数えるときに「一柱、二柱」とすることとも関連があるんでしょう。

藤原京跡から出土した木簡に、表に「急々如律令」と書かれたものがあり、
これは呪文の言葉ですので、呪符木簡と言われています。
裏には方角をつかさどる神の名とともに、2人の婢の名が書かれており、
一人の名は判読できなかったのですが、
もう一人は、「麻佐女 生廿九黒色」と読めました。
この29歳のアサメはどうやら人柱になったようです。

黒色というのは肌が黒いということでしょうか。
陰陽五行説では、黒は水、女は土を表しますので、
この2人の女性は、水で土が流されないようにする意味があったのかもしれません。
ただ、この木簡は上下に縄で縛ったような跡があり、
もしかしたら、実際の人間の代わりとして、
この木簡が橋桁に縛りつけられていた可能性も指摘されています。

人柱の話で最も有名なのは、前にも少し書きましたが、江戸城(皇居)伏見櫓が、
関東大震災で破損した際、棺もない状態で計16体の人骨が発見され、
頭の上に古銭が一枚ずつ載せられていたというものです。
その状況から、「すわ人柱か」という騒ぎになりましたが、
工事で事故死した人を埋葬したものだとか、
古い墓地の跡だという説も出て論争になり、いまだに決着がついていません。
ただ、その後も同様の遺体が5体発見され、
どうも人柱にしては数が多すぎる気がします。墓地説が正しいのではないでしょうか。

ともかく、人柱伝承は各所にあるものの、
実際の証拠が発見された事例はごくわずかなんですね。
もっとも川に流されたのでは、見つかるはずもないんですが。

最後に殉葬について。これは江戸時代初期に多くあった、主君の後を追う殉死、
いわゆる追い腹とは違います。貴人の死に際して、
意に反して殺された人ということです。
神への生贄とは違いますが、偉大な王は、神に近い存在だったということでしょう。
『日本書紀』の垂仁紀に、天皇の弟が死んだ際、
仕えていた人を古墳上に生きたまま埋めた。
数日しても泣きわめいていたが、やがて死んで犬や鳥に食われた。
これを酷いことと考えた天皇は、皇后の死にあたって殉葬をやめ、
その代わりに埴輪を立てた、と出てきています。

ただ、この話が信じがたいのは、埴輪は垂仁天皇以前からあったことと、
古墳の発掘で、明らかな殉葬とわかる事例が一つもないことです。
邪馬台国の女王卑弥呼の死に際して、百人の奴婢を殉葬したと『三国志』に出ていて、
もしそういう事例が発見されたなら、そこが卑弥呼の墓なのかもしれませんが、
考古学的には、5世紀頃に馬を殉葬した跡は見つかっていても、
人を無理に埋めたとわかる、はっきりした例は現在のところ確認されていないんですね。

青森県 堰神社『堰八太郎左衛門の人柱』






ある宗教施設の話

2016.03.15 (Tue)
地方でカメラマンをやってまして。ええ、今はデジカメの性能がよくなって、
素人でも上手に撮れますからね。プロとしての売りを出すのはなかなか大変です。
それで、この間、タウン誌の仕事である宗教施設を訪問したんです。
いや、自分は写真を撮るだけで文章を書くことはないんで、
編集者といっしょに。30代はじめの女性の方です。
うーん、できればそのタウン誌としても、宗教関係の取材は避けたかったんですよ。
問題になることもあるし。だけど、人口30万人程度の市だから、
どうしてもネタ切れになっちゃうんです。
季刊誌で、年4回発行だったのを隔月にしましたしね。
事前に打ち合わせをしまして、できるだけ教義とかそういう方面の深入りは避けようって。
取材許可がきて、施設を訪問したのが先々週の日曜です。

場所は市の郊外、1000m級の山の裾野の森の中です。
そこは神道系なので、古代の女神像ってのが野外にあるんですよ。
これが全高18mだったかな、鎌倉の大仏より大きいって触れ込みだったけど、
コンクリ製の坐像だし、そんなに有名にはならなかったんです。
できたのはバブル期で、教祖様は当時まだ20歳前の女性だったんです。
そのあたりは下調べして行きました。最盛期には信者数が万までいってたはずですが、
今は数百人まで減ってます。だから施設の維持もままならないんでしょうね。
建物も女神像も、黒く煤けてきてひび割れが走ってましたね。
約束の時間は午後の2時、向こうの指定です。編集者が運転をして行きましたが、
車で40分くらいかかりました。小雨が降ってまして、薄暗かったですね。
ええ、カメラマンですから天気は気になります。

条件がよくないなあと思ってました。だだっ広い駐車場に入って、
車は10台もなかったですが、全部ベンツの高級車でした。
教団幹部のものだったんでしょう。機材を持って車の外に出ると、
教団の人が傘さして迎えに来まして。案内されて施設に入ったんですが、
かなりの大きな建物でした。田舎の中学校くらいはあったでしょう。
いや、特に神社のような造りではなかったです。
3階建ての上のほうで、出家した信者たちが共同生活しているということでしたが、
1階は人の気配がなかったです。案内されたのは会議室のような部屋で、
片側がガラス張りで日本庭園が見えるようになってました。
手入れが行き届いておらず草ぼうぼうになってましたけど、それはそれで風情がありました。
許可もらって、建物の中から何枚か庭を撮りました。

それから話を聞いたんですが、西洋の絵画に出てくるような、
5mもある石製の長テーブルの端っこに座らされまして、教団の広報担当の方2人が出てこられ、
紅茶を勧められました。きついにおいがして自分は飲まなかったですけど。
2人とも40代くらいと思いましたね。スーツを着て、銀行員みたいな感じでした。
うーん、話は宗教的な内容に深入りしないようにしたので、
あんまり盛り上がらなかったですね。それでも編集者ががんばって20分ほどたったところで、
教主様がご挨拶にみえられる、って言われたんです。
おつきの教団員数人と出てこられたんですが、神道とは思えない西洋風のベールをつけてました。
服装もマリア様みたいなイメージでしたね。で、長テーブルの向こう側に座られました。
ちょっとびっくりしましたね。ベールの下の顔が若いんですよ。
肌がみずみずしく、中学生の女の子くらいにしか見えなかったんです。

でもね、バブル期に10代なら、今は40代の半ばになっているはずでしょう。
代替わりしたのかと思いましたが、よくわからなかったです。
断られるかとも思ったんですが、教祖様の写真を撮っていいか尋ねると、
向こうは少し相談があってから、「どうぞ」と言われました。
ただし、テーブルをはさんだ距離からの撮影で、写真は雑誌には載せないという条件つき。
雑誌に使えないなら撮る意味はないんですが、まあ数枚撮らせてもらいました。
もちろんその場で画像も確認しまして、そのときは見たままが写ってたと思ったんですが・・・
教祖様はほとんど言葉もなく、最後に子どものような声で「この国が平和で繁栄しますように」
みたいなことを言っただけでしたね。それで教祖様は下がられ、
教団施設の写真を撮りました。ホールは3階の高さまで吹き抜けのドームになっていて、
明りとりのガラスに天女のような像が描かれてました。

顔は教祖様そっくりでしたよ。それから外に出て、広報担当者とともに車に乗りました。
敷地がだだっ広く、ハーブ園やブドウ園があったんですが、
働いている人は見なかったです。雨はやんでいたので、外に出て撮ったんですが、
ハーブの臭いがすごかったです。あれはたぶんアニス系のものです。
ほら、アブサンが有名だけど、洋酒によく使われてるニガヨモギだと思います。
その臭いが一面に漂っていました。ハーブの畑はまだ土だけの状態でしたから、
前の年に収穫したものですか。施設内で出た紅茶にもこれが使われてたんでしょう。
その後に小高くなった広場に上って、その中央に女神像があったんです。
これはさすがに20m近い大きさで、表面は古びていましたが圧倒されましたよ。
この女神像の顔も、同じベールを被ったようになってて、教祖様にそっくりでした。
離れた場所から全景を撮り、近寄ったところでたいへんなことが起きたんです。

像の右目、これもコンクリ製でしたけど、それがボロッと落ちたんです。
直径50cm以上あるやつが重い音をたてて胸にあたり、
そこで砕けた破片がバラバラと台座に落ちてきました。
自分はとっさに編集者をかばうようにして後ずさりしたんですが、
像の右目のあったところが穴になって、そこから人が顔を出したんです。
これが遠くてよくわからなかったんですが、女性、さっきの教祖様じゃないかと思いました。
ええ、身につけたベールが同じに思えました。ただ、顔は醜くゆがんだ中年女性みたいな・・・
いや、遠かったんですけど、確かにそんなふうに。
教団広報の一人が「あ! 中に回っておられる!」と言い、像の裏側に走っていきました。
どうやら内部が空洞になっていて、入れるみたいだったんです。
もしかしたら教団の建物と地下通路でつながってるのかもしれません。

この後はどうなったかわかりません。そこで取材は中止になってしまったんです。
残った教団広報に車に押し込まれ、駐車場まで連れていかれて、
そこで「今日はこれでお帰り下さい」って。駐車場には教団員が15名ほど出てきていました。
みな白いひらひらした服を着てましてね。
それに見送られるような形で施設を後にしたんですよ。車の中で編集者とこんな話をしました。
「さっき、像の目が落ちたときは驚いたよね。中に人がいなかった?」
「ええ、教祖様だったよね。泣きながら何か叫んでた」
「そこまで気がついた? 冷静だねえ。でも教祖様と同じの被ってたけど、
 もっと老けてなかった?」 「うーん、そうかなあ」
「何にしても、破片がこっちまで飛び散ってこなくてよかった」
これからタウン誌の事務所のあるビルに戻って、写真をパソコンに入れようとして・・・

愕然としたんですよ。教団施設内で撮った教祖様の画像、あれがね、中年女性になってました。
いや、それは今持ってきてますので、あとでスクリーンに映しますけど、
撮ったときは間違いなく若い女性でした。これでも自分はプロですから、そこらへんは。
それが写ってるのは、たぶんあの目玉が落ちたときに顔を出してた女性ですよ。
これ、同んなじ人なんでしょうかねえ、そこまで印象が変わるものなんですかねえ。
とにかく自分は納得していないですよ。
それで、タウン誌への掲載は、教団の方からキャンセルが入ったみたいで、
なくなってしまいました。あとですね、一緒に行った編集者の女性。
タウン誌の編集部をやめちゃったんですよ。理由はわかりません。ただね、噂だと、
あの教団に入信したみたいなんです。うーん、あの取材で何か思うとこがあったんでしょうか。
まあこんな話です。わけわからなくてすみませんね。

がははかいう




平行世界と無限大

2016.03.14 (Mon)
一昨日、時空がずれる、タイムスリップするという話をしましたが、
怪談の時空物のパターンというのはまだありますよね。
子どもの頃とか昔の記憶と現在がつながっていない系の話です。
例えば小学校の遠足で山にいき、不思議な出来事が起きた記憶があるのに、
その頃の友だちも親も「お前はあのとき熱出して休んだだろう」と言う・・・
自分の記憶だけが周囲の人と合わないんですね。
こういうのは、その遠足のときに世界がずれて、並行した別の世界、
遠足に発熱して行けなかった世界の自分と入れ替わってしまった、
と解釈することもできます。

平行世界、パラレルワールドとも言いますが、これも元はSFの小道具でした。
アイデア自体は量子力学、ヒュー・エヴェレットの、
「多世界解釈」から来ているのだと思います。
「シュレディンガーの猫」という話がありますね。量子力学の思考実験です。
ある原子が1/2の確率で崩壊するとして、崩壊したときに毒ガスを出すような装置をつくる。
そしてその装置を入れた箱に猫を一匹閉じ込める。
原子が崩壊しているかどうかは、箱のフタを開けて観測しないとわからないので、
フタ開けない状態では、箱の中の猫は半分死んで半分生きている状態になる・・・
でも、そんなはずはないですよね。
 
ここでエヴェレットは、猫を箱に閉じ込めたときに世界が2つに分かれると考えました。
箱の中の猫が死んでいる世界と生きている世界とです。
そして箱を開けた瞬間に、2つに分かれていた世界がヒュッと収縮して、
どっちかに決まるというわけです。ここで重要なのは、
観測して結果が出たときには、分かれていた世界は一つに戻るということ。
世界が分かれている間、死んだ猫の世界と生きた猫のいる世界は干渉できない
ということになります。これが物理学でいう多世界解釈ですが、
それだとお話をつくるのが難しいですよね。

せっかく別の自分のいる世界がたくさんあるのに、絶対行き来できないのはツマラナイ。
そこで作品に取り入れられる場合は。なんらかの方法で行き来できるようにされています。
また、世界が分かれるきっかけも、量子的なミクロのものではなく、
もっと人間的な選択によることが多いようです。
例えば、進路選択で地元のA大学に入るか、それとも東京のB大学に入るか、
あるいは、Aさんと結婚するBさんと結婚するか。
これは確かに、どっちにするかでその後の人生はだいぶ変わってくるでしょう。
しかし、そういう重大なものだけではなく、日常には無数の選択肢があるはずです。

駅に来てベンチで一休みした。立ち上がって足を踏み出すとき、
右足から出るか左足から出るか。喉が渇いていたので自販機で飲み物を買おうとして、
ダイエットを考えてお茶にするか、疲れているから糖分の入ったものにするか・・・
そういう選択というのはいくらでもあるでしょう。
足を踏み出すのは無意識でしょうが、右からか左からかで結果が変わるかもしれません。
こう考えれば、もし選択によって世界が分かれるのならば、
平行世界というのは無限に枝分かれしていくことになりますよね。

右足から踏み出した世界のお茶を買った自分、
左から踏み出した世界の缶コーヒーを買った自分、という具合にです。
しかし無限の世界があるということは、数学的にはかなり都合が悪いんですね。
無限大の記号は∞ですが、これは「ウロボロスの蛇」自分のしっぽを飲み込んでいる蛇の
モチーフから取られているようです。とにかく無限大が式に出てきてしまうと、
その式は成り立たなくなってしまいます。無限大に何を足したり引いたり
掛けたり割ったりしても、やはり答えは無限大になりますし、
しかも∞÷∞=1ではないし、∞×0=0でもないのです。

ここらあたりは数学的に難しいので、説明は省略しますが、
物理学では、式に無限大が出ると意味をなさなくなってしまいますので、
出てこないよう、だましだまし計算することが多いのです。
朝永博士がノーベル賞を取った「くり込み理論」も、そのだましテクニックの一つでしたが、
あのホーキング博士が、宇宙は特異点から始まるとする、
「特異点定理」を証明してしまいました。特異点というのは、
圧力無限大、温度無限大の状態ということで、そこではあらゆる法則が通用しません。

少し余談をしますと、温度の場合、下限は決まっています。
絶対零度、−273.15℃です。これより温度が下がるということはありません。
ある気体で中の分子が動いている状態が、温度がある状態です。
活発に動いていればいるほど高い温度になります。その気体を冷やして、
どんどん温度を下げていくと、分子どうしがぎゅうぎゅうにくっついていって、
最後には隣とのすき間がなくなって動けなくなります。これが絶対零度ということですね。
逆に温度の上限というのはないようで、無限大まで高くなると考えられています。

さてさて、ある日Aさんが家を出るときに右足から出ましたら、
しばらく歩いた先で車に轢かれて死んでしまいました。別の世界では、
Aさんは左足から家を出て、そしたら庭の敷石につまずいて転び、
家を出るのが遅れてしまいました。このときAさんは「ああ、なんて今朝はついてないんだ!」
と思いましたが、この遅れのために事故に遭って死ぬことはなかったのです。
ただしAさん自身はもちろんそのことを知りません。

仮に、Aさんが右足から家を出る確率と、左足から出る確率を同じ50%としましょう。
ではAさんが事故で死ぬ確率も50%なのでしょうか。
ここは勘違いしやすいところです。一つの世界に限定すればそう言えるでしょうが、
もし平行世界が無限にあるとすれば、∞×0.5=∞ になります。
とすれば、Aさんが生きている並行世界は無限大にあり、
死んでいる世界も無限大にある、ということになってしまわないでしょうかww
関連記事 『時空物について』







黒い風船の話

2016.03.13 (Sun)
あの、◯◯信用金庫というところに勤めている者です。
昔見た夢の話なんですよ。ああ、ただの夢ってわけじゃなくて、
実際におかしなものも見ていますよ。でもそれも夢だと思ってたんです、ごく最近まで。
ところが最近、引っ越しをしまして。ええ、会社の転勤のためです。
わたしら若いうちは、全国規模で支店をまわりますからね。
そしたら・・・ ああ、わかりました。順を追って話していきますよ。
今から4年前の真夏の日だったと思うんです。外廻りをしてましたら、
午後から頭が痛くなってきたんです。暑気にあたったせいかもしれません。
前頭部がズキズキ痛んで、車の中でも目をつぶってたんです。
そしたら一緒に回っていた後輩が、◯◯さん顔色が青いですよ、って言って。
どうにも我慢できず、1時間早引けしたんです。

といっても、4時を回ってましたから大病院にはいけません。
社宅に着くなりエアコンをかけて水分をとってましたら、少し気分がよくなってきたので、
そのまま夕食を食べないで寝てしまったんです。
それで、夢を見たんすが、今でも鮮明に内容は覚えています。
ところで、皆さんにお聞きしたいんですが、皆さん、夢の中って色ついていますか?
わたしはそれまで、夢の中の色って意識したことがなかったのですが、
その夢を見てから考えこんでしまったんですよ。
ええ、ネットでも調べてみました。そしたらあんまりいいことが書いてなかったです。
夢は白黒、あるいは色を意識しないのが普通で、
色付きの夢を見た場合は、ひじょうに疲れている、精神的ストレスがあるとか。
中にはね、脳腫瘍の疑いがあるとまで書いてあるサイトも。

それが素人さんのブログとかじゃなく、精神医のホームページでしたから、
これはあせりますよね。まあその後、病院にも行きましたし、脳に異常はなかったんですが。
ああ、わかりましたよ。夢の内容は、駅を出たところから始まるんです。
どこにでもあるような駅でしたが、見たことはない場所でした。
日中でしたね。駅前は通りが3つに分かれていまして、大型のカメラ店とチェーンの喫茶店。
で、道が交差したところが小公園になってました。街路樹に囲まれた中に噴水があって、
ベンチがいくつも置いてある。人が何人もそこで休んでたんですが、
一目で違和感を感じまして、原因もすぐわかったんです。
最初はね、みなが風船を持ってるんだと思ったんです。どっかで配ったかなんかして。
赤、青、黄と、人のすぐ近くに原色の風船が浮いてたんですが、
よく見ると手に持ってるんじゃなかったんです。

頭の後ろ側から細いものが出てて、でもね、ヒモとかじゃなくて、
うまく表現できないんですが、線香の煙みたいな感じのが立ち上ってて、その上に風船。
いやあ、風船にしか見えませんでしたね。形も下が細くなったあの形で。
それが皆の頭の上30cmばかりのところに浮いてたんです。
あれ、何かのイベントかな。それにしても皆ふつうに休んでるだけだよなあ、と思って。
誰もその風船を気にしてる様子はなく、しゃがんで自販機から飲み物を買ったりしてました。
まあね、あんまりジロジロ見てるのも変でしょうから、その場を離れまして。
街路樹の外へ出てみましたら、もう道路は風船だらけで。
歩いてる人の頭の上にはやっぱり風船があって、
でもね風で揺れたりはしてなかった気がします。
それとねえ、走ってる車の屋根の上にも風船・・・不思議でしょう。

だからバスの上なんか鈴なりになってて。
あれって乗ってる人の数だけあったんじゃないかな。
色はね、緑やオレンジもあったと思いますよ。
え? わたしの頭の上ですか? さあそれは、考えなかったですねえ。
そうか、自分にも風船があったのかもしれませんね。
そう意識してたら、ガラスなんかに映して見たんですけどねえ。
それで、どっちに行ったらいいかわからなかったんですけど、
スーツのポケットに財布があったんで、喫茶店に入ろうと思って信号を待ってたんです。
そしたら親子連れがいまして。若いお母さんが4,5歳の女と子の手をつないでたんです。
母親のほうの風船が赤、女の子のが明るい紫でした。
でね、横に並んだときに女の子がこっちを見てすごく驚いた顔をしたんです。

母親の袖を引っぱったので母親もわたしを見たので、わたしは軽く頭を下げたんです。
そのときに、風船について聞いてみようと思いました。
「これ、この街の人って、みな風船を頭の上につけてますけど、何なんでしょうか?」
母親は、わたしが何を言ってるか理解できないみたいで、
困った顔をして首をかしげましたので、「これですよ、ほら娘さんにもついてる」
ちょうどね、子どもの風船が私の胸くらいのとこにあったので、
手で軽くさわって示そうとしたんです。そしたら急に目の前が暗転して、
一気に目が覚めました。ええと、それまでは夢だとは意識してなかったです。
電灯とエアコンをつけたままベッドに横になっていまして、体も冷えてました。
変な夢見たなあ、と考えながら起き上がりエアコンのリモコンを探しましたら、
部屋の隅に風船が1個だけ浮いてたんです。そうですね、やっぱり胸の高さくらいでした。

夢の内容を覚えてましたから、あれれと思って近寄っていきました。
いやあ、そのときは特に怖いとかは・・・
でも、夢の中で見た鮮やかなのとは違ってたんです。
光を反射していない真っ黒な風船で、その形に闇が浮いてるみたいでした。
揺れたりもしてなくて。でね、手を伸ばして触ってみたんです。
そしたら指先に冷たい感触があって、風船はきなり弾けまして、
中から真っ黒な煙がバッと出たんです。煙は渦巻きながら上にのぼっていき、
天井付近でぐるぐる回りながらまた一ヶ所に集まってきて、
人の頭になったんです。ええそれが、黒い煙でできた小さい女の子だったんです。
はい、たぶん夢で最後に出てきた女の子じゃないかと思います。
確証はないんですが、髪型がそっくりでした。

でね、それは黒い煙のまま口を開けて、叫んだんですよ。
「この人、私を殺したあああ!」って。
ええ、ええ、幼児の悲痛な感じの声でした。
ビクッと跳び上がりそうになったんですが、
そのときにはもう天井には何もなかったんです。
・・・だからねえ、人ってありえないものを見たとき、
幻覚とか夢って思い込もうとするもんじゃないですか。
このときは起きてたはずなんです。ですけど、その後だんだんに、
これも夢なんだって思うようになっていって。そのときには頭痛は治ってましたし、
同じような夢を見ることもなかったんです。それが・・・

4月に転勤することが決まりまして、準備があるので3月初旬に内示が出ました。
社宅から社宅に移るだけだし、引っ越しは会社委託の業者がやるんで、
面倒はほとんどないんです。それで、ついおととい、
向こうの支社にあいさつに出向いたんです。
そこの街は初めてでしたが、駅から出たときに既視感(デジャヴュ)っていうんですか、
それがわっと襲ってきまして。カメラ屋、喫茶店、それと小広場みたいな場所。
どういうことかとっさにはわからなかったんですが、
ああ、そう言えば夢で見たなって。でね、その後部屋であったことも思い出しまして。
いやいや、もちろん誰も、頭の後ろに風船をつけてる人はいませんでしたけど。
でねえ、気になるんですよ。「この人、私を殺した」でしたからねえ。
どういうことなのかわかればと思って、ここにおじゃましたんです。








時空物について

2016.03.12 (Sat)
今日は時間がなく、お茶濁し的な記事になります。
怪談の話のパターンの一つに「時空物」と呼ばれるものがあります。
もともとはSFジャンルのタイムスリップ物から来ているのかもしれません。
内容としては、文字どおり時間や空間が奇妙なずれ方をするということです。

例えば、どうやっても1時間はかかる道のりなのに、
そのときはなぜか20分で着いてしまった、みたいな話です。ここからの展開としては、
そのときは大事な試験だったのに間に合いそうもなかったので、
持っていたお守りに強く念じたとか。
あばあちゃんの死に目にあうために病院に急いでいたら、
なぜか異様に早く着いてしまって、病室でおばあちゃんが目を開け、
「あんたの顔を見られてよかった」と言って亡くなるとか。
帰り道も普通の交通量だったのに、今度は逆に異様に時間がかかってしまったとか。
帰り着いたらぐったりと疲れていて、髪が白髪交じりになっていたとか・・・
こういうパターンがありますね。

「時空連続体」という考え方があります。これはアインシュタインの、
相対性理論から派生した概念と言っていいと思いますが、
学術的にそれほど使われているというわけでもありません。
地球から10光年離れた星があるとして、この宇宙では光の速度を超える
ことはできないので、そこへ行くためには最速で10年かかります。
これ以上早く物質が移動するには、空間をゆがめるしかないわけです。
ワープ航法とか、時空の穴とされるワームホールなどを通るしかありませんが、
これはどちらもSFの小道具で、現時点では不可能と考えられています。
また、精神は物質ではないと考えて、精神だけが過去や未来、
遠く離れた異星を訪問する、といった話もあります。

自分の星と相手の星が10光年(光の速さで10年かかる距離)離れているということは、
10年分の時間が離れているのと同じことです。
10光年離れた星の光が地球に届くには10年かかりますので、
自分のいる地球を基準として、超高性能の望遠鏡で相手の星を見れば、
10年前の過去が見えます。また逆に相手の星から地球を見れば、
同じく10年前の過去が見えるということになります。
どちらに基準を置くかの問題なんですね。
この相対性を打ち破るには、SFでは上記のように空間のゆがみを利用しますが、
怪談の場合は、神様の力、人の念、なども使われるんです。

さて、不可解話として、アメリカ北部で車を運転していたら霧に包まれてしまい、
やっと晴れたと思ったら知らない場所を走っていた。
ガソリンスタンドに入って店員と話したら言葉が通じない。
それでもなんとか地名を聞いてびっくり。
国境をはるかに越えてメキシコにいたのだった・・・
これは場所がスリップしてしまっているわけですが、同時に時間もスリップしています。
で、こういう話というのは実際に起きたとされる例がいくつもあるのです。
アメリカなんかだとUFOとの関係で語られることが多いようです。

外国の例を出してもいいのですが、なんとなく嘘くさい感じがするものが多いので、
今回は日本の江戸時代の話をしてみましょう。
滝沢馬琴がまとめた江戸文政8年(1825年)の『兎園小説』、
これは好事家の文人、墨客が集まって奇譚会を開き、その内容を記録したもので、
前に「うつろ舟」の話をとりあげていますが、
空間スリップの話が実際にあったこととして出てきています。
文化7年(1810年)とありますので、会が催される15年前ということになります。
比較的みなの記憶に新しい話だったわけですね。

夏の夜、江戸の浅草で、多くの人が見ている前で、空から全裸の男が降ってきました。
男は立ち上がりましたが、全身を強く打ったようで呆然としていました。
けれど、すぐに倒れて意識を失いました。
見物人の一人が番屋に駆け込んで町役人に知らせ、医者を呼んで介抱しました。
医者の見立ててでは、体に異常はないが極度に疲労している。

そこで、休ませてから問いただしたところ、
「自分は京都のどこそこの武士である。今日の10時ころ、愛宕山に参拝したが、
暑いので境内で涼んでいた。するとそこに一人の老僧が現れて、
面白いものを見せてやろう、と言うのでついていった。
そっからまったく記憶がない」このように述べたのです。

光速を超えて移動したのかはわかりませんが、
当時は江戸から京都まで2週間はかかりましたので、1日で移動することはありえません。
ですから町役人にもとうてい信じがたかったのですが、
男はフンドシもつけていないのに、なぜか足袋だけは両足履いていた。
それを持っていって江戸の足袋問屋の見せたところ、
「京都の◯◯屋のものに間違いない」と証言したということです。
男は江戸に身元引受人がいないため、軽犯罪者などを収容する
溜に入れられたことになっていますが、その後の消息は不明のようです。

さてさて、男が京都で失踪した場所が愛宕山というのがちょっと怪しいですよね。
ご存知のように、修験道の天狗信仰で知られた地です。
男を誘った老人は天狗の化身だった、と考えればおとぎ話のような趣になってしまいます。
現代であれば、老人は宇宙人になるのでしょうか。
神隠しなどと古来からいわれる現象も、
もしかしたら時空スリップが起きていたケースもあるのかもしれませんね。
関連記事 『平行世界と無限大』

なかいえおう





とびとびの世界

2016.03.11 (Fri)
『時間は流れる川のごとく、とぎれることのない連続したものだと
当たり前のように我々は考えている。秒針が次に進むのに止まっているからといって
時間が停止しているとは誰も考えないだろう。しかし、
最近の研究によって時間というものが「パラパラ漫画のように不連続なもの」
だという新説が物理学者の間で話題になり、
しかもその時間が考えられていたよりも長い可能性があると、
イギリスのニュース誌「DailyMail」は伝えている。』
(楽天ニュース)

今日はこの話題でいきます。これ、やや誤解を招きかねないんですが、
時間が不連続であるという可能性はだいぶ昔から言われてきています。
それが今回、カナダのウォータールー大学とレスブリッジ大学の共同研究によって、
最小単位がもっと長くなる可能性が発表されたということですね。

では「アキレスと亀」の話からいきましょうか。
これはご存知の方も多いと思いますが、詭弁の代名詞のように言われていますね。
アキレスと亀がいて、走り比べをすることになりましたが、
亀が遅いのはわかりきっているのでハンデを与えることにしました。
アキレスよりある距離分前からスタートするのです。そうすれば、
アキレスが亀のスタート地点まで走ったときに、亀は遅いながらもその先に進んでいる。
やはり亀がアキレスの前にいることに変わりはない。

アキレスがさらに走って亀のいた地点に追いついても、亀はまた少し先を進んでいる。
ということでアキレスはいつまでたっても亀には追いつけない・・・
わけはないですよね。これはわざと人を惑わせるように作ったパラドクスです。
下図を見ればわかると思いますが、このパラドクスは、
亀の進む距離をどんどん短くしていくという話でもあるのです。



では、距離というのはどんどん短くしていくことができるのでしょうか。
ある長さを半分にして、そのまた半分にしてまた半分に・・・
これは数学であればできるでしょう。
しかし、物理学ではどうやらそうではないようなのです。
この世界にはそれ以上半分にすることができない最小の長さというものがある。
アキレスと亀の話は、距離だけではなく走る時間という点から見れば、
時間の話でもあります。そしてどうやら、時間にも最小単位があるみたいなのですね。

これを発見したのはマックス・プランクという人です。鉄を熱するとしましょう。
すると鉄の色、つまり出てくる光は赤色→橙色→黄色→白色と次第に変化していきます。
プランクがこの変化の量、飛び出してくる光のエネルギーを詳細に調べた結果、
これが連続的なものではなく、とびとびの量になっていることがわかったのです。
ある比例定数が存在し、階段のように輻射エネルギーが変化してしまう。
この比例定数をプランク定数といいます。このプランク定数を用いた式を数学的に変形すると、
プランク長さ、プランク時間というものが出てきます。
この世に存在する最小の長さ、最小の時間です。もしかしたら、
その中には何かがあるかもしれませんが、原理的に中を見ることは不可能なんですね。
「超弦理論」では、このプランク長さ以下に余剰次元が丸め込まれているとします。

世界はとびとびになっている


なかなかわかりにくいと思われますが、まだしも長さのほうがわかりやすいでしょうか。
みなさんが画像加工ソフトを持っていれば、ある写真をどんどん拡大していくと、
画面が最後は同じ色の1つのピクセル(色情報を持つ最小単位)
になってしまうことをご存知でしょう。それ以上は拡大しても意味がありません。
時間もまた同じで、例えばビデオ撮影だと1秒間に30コマくらいでしょうか。
昔のフィルム映画だと1秒間に24コマ。
コマ一つひとつがとびとびに独立しているのですが、
つなげてみれば、スクリーンの中の登場人物は普通に動いていて、
特に不自然さは感じませんよね。

これがじつは映画の中だけではなく、
現実の世界もそういう仕組みになっているかもしれないのです。
ただし現実世界は映画よりもずっと短い時間に区切られていて、
プランク時間は1秒を10の43乗に分割したものなのですが、今回の研究では、
時間の最小単位が1秒を10の17乗に分けたものである可能性を指摘しています。
ずいぶん長くなったわけですね。

プランク定数が発見されたのは量子力学が確立される前の話で、
最初は意味がよくわかってないなかったのですが、
だんだんにその重要性が理解されてくると、
「お父さんはもしかしたら大変なものを発見したのかもしれない」
マックス・プランクは子どもにそう話したそうです。

なぜこのように世界が不連続、とびとびになっているのかはわかりませんが、
不連続のほうが急激な変化に強い、安定しているとは言えるでしょう。
ステレオのボリュームのスイッチが指で回す方式であれば、
ちょっと触っただけで大きく変わってしまいますが、テレビのリモコンスイッチのように、
指で押すと1,2,3と変化していくタイプなら、
間違えて急に大きくなる可能性は低いでしょう。

ニュースは、『そして、もし時間が不連続なもので、かつそれぞれが
さほど短いものでないとなれば、将来的にタイムトラベルが可能になることも示唆している。
パラパラ漫画のようにたくさん並んだ「静止した時間」から、
好きな時間のカードを取り出すことにより、違う時間に移動できることになるのだ。』

と続いていますが、さすがにこれはいきすぎだと思われます。
フィルムを巻き戻すように時間を戻して、その中を一コマを取り出すことが、
はたしてできるのでしょうか?時間の方向性(過去に戻れるかどうか)に関しては、
まだ何もわかっていないのです。

さてさて、前に「超弦理論(超ひも理論)」をご紹介しましたが、
現状はやや進展が滞っています。超弦理論は量子論と重力理論を統合する試みでしたが、
この有力な対抗馬として、「ループ量子重力理論」というのがあります。
ネットワーク宇宙論などとも言われますが、これはこの世界が、
最小の時間、最小の長さの単位で織り込まれた網のようなものであるとする理論です。
最近は超弦理論の行き詰まりにより見直しがされてきています。
考えのきっかけをつくったのはロジャー・ペンローズという天才的かつユニークな物理学者で、
幾何学的タイル模様の特許を持っていたり、「ペンローズ階段」という不思議画像を考案し、
版画家のエッシャーに影響を与えたりしています。

ペンローズ階段







聞いた話3題(初対面編)

2016.03.10 (Thu)
今回書く「聞いた話」は、いずれも初対面の人からのもので、
自分のほうから「怖い話知りませんか」ともちかけたものです。
これはいくら酒の席での雑談といっても、奇異な目で見られることが多いです。
ただ、今の店はほとんどのところでネットが通じてますので、
パソコンあるいはスマホで、このブログを出してみせれば、
だいたい納得してもらえますし、そのまま怪談系で話が盛り上がることもあります。
自分は初対面の人に「占い師」として紹介されることが多いんですが、
そっちの話題はできれば避けたいので、これはいい話題そらしにもなります。

スナックバー勤務だったKさん(女性)から聞いた話

Kさんが前に勤めていたスナックバーのママさんの話です。
年は50代で、長年水商売に携わるベテラン。雇われママではなく、
念願かなって自分の店を持ちまして、その下でKさんが働いていたわけです。
このママさんが、人の死期を予知できたんだそうです。
その店は長いカウンターがあり、かなりの客数があったんですが、
ママさんが「◯◯さん、ちょっと変ねえ」「◯◯ちゃん、危ないんじゃないかな」
みたいに閉店後に漏らしたお客さんは、ほぼ一ヶ月ほどすると店に来なくなり、
やがて入院しているという知らせが入って、間違いなくそのまま死亡する。
Kさんがその店にいたのは4年間なんですが、
その間に、そういう流れになることが5度ほどあったそうです。
ずっと不思議に思っていたので、最後にママさんが話を出したときに

思い切って「どうしてわかるんですか」って聞いてみました。
そしたらママさんは「うーんそれね、カウンターにお客さんの影が映るでしょう」
そこの店はカウンター板はピアノブラックの重厚なもので、
暗い店内ですが、上からの照明でお客さんの頭の影が薄っすら映ったんだそうですが、
「その影のね、首がにゅーっと伸びるのよ、寿命がきてる人は。
 そうねえ、カモとか水鳥いるじゃない。あんなふうに首が伸びて、
 頭がくうらくうらして見える。そうすると長くないのよね。
 1ヶ月以内に病気がわかって、その後はもって3ヶ月だねえ。今まで必ずそうだった」
こういう話をされたそうです。もちろんKさんは半信半疑で、
「えーじゃあ、それ私にも見えるかしら。ママさんの能力じゃなくて、
 誰でも亡くなる前にはそうなるんでしょうか」と聞いてみましたら、

ママさんはふっと考えこむような顔をしたそうです。Kさんはそれから、
お客さんの影を注意してみていたんですが、頭の影が伸びるということはなかったそうです。
「だからママの冗談かなと思ってたんですけど」
ある夜、平日の10時過ぎに店が空になったので、
「今日は早じまいしましょう」と言って、ママさんがカウンターから頭を出したとき、
客席側で布巾を使っていたKさんの目の前で、ママさんの首の影がすーっと伸び、
頭がママさんの言ってたとおり「くうらくうら」としか表現できない形に
揺れたのだそうです。「ああ!?」と思いましたが、
ママさん本人は気づいてないようだったので、Kさんは何も言いませんでした。
それから測ったように1ヶ月後、ママさんは店のトイレで倒れ、
救急車で病院に搬送されて、2ヶ月後に亡くなったのだそうです。

リサイクルショップ勤務のUさん(女性)の話

リサイクルショップといっても、パソコン周辺器具から家電などいろいろありますが、
Uさんが勤務していたのは元質屋だった店が経営してるチェーン店で、
主な商品は和服、反物、貴金属、アクセサリー、ブランドバッグなどでした。
男物の場合は時計が9割で、ごくたまにイタリア製のスーツなども。
仕事内容は、店頭には商品を並べてあるのですが、それを売るより、
買い取りのほうがずっと多いのだそうです。それで儲けが出るのかと思うでしょうが、
買い取った品は全国の古物商のオークションに出すので、
買い取れば買い取るほど利益になるんですね。
で、大口の買い取りというのは遺品の場合が多いのだそうです。
その場合はたいがい出張査定をします。お金持ちのマダムが亡くなると大量の衣服が出ますが、
その中で和服、毛皮のコート、ブランドバックなどを買い取ってくるのです。

そのUさんに自分のブログを見せましたら、「ああ、妖怪についても書かれてるんですね。
 じゃあ小袖の手ってご存じですか?」逆に質問されてしまいました。
「ええ、死皮(しにがわ)とも言います。江戸中期頃からでしょうか、
 亡くなった女性が死の間際に着ていた着物をお寺に納める風習があったんですが、
 それを掛けておくと、人がいないときに布の下からか細い手が出てひらひらしている。
 そういうもののことを言うみたいです。しばらくお寺の空気を吸って、
 お経を聞いてると消えると言いますね」
「ああ、やっぱりそういうものですか。じつは私、それ見たことがあるんです」 
「ははあ」Uさんの話ですと、店に買い物にくる客は多くはなく、1日10組程度。
夕方ころはヒマになることが多いそうです。店番は女性2人でやっていたのですが、
もう一人は奥で倒産した会社が持ち込んだ切手を数えていました。

「そのときですね。春の日だったんですが、急に暗くなりまして。
 店の中はキンキラの照明をしてるんですけど、なんだかイヤーな雰囲気になって。
 それで音楽をかけようとしたんです。そしたら、
 たたんで一着ずつボックスに入っている和服、地味な柄のものだったと思うんですけど、
 その近くでちらちらするものが見えまして、何だろうと思いましたら、
 手でした、細い女性の手。年齢まではわかりませんよ、だって手だけですから。
 それがどんどん伸びていって、4m以上になりました。
 ええ、後でメジャーで距離を測ってみましたから。何をするのかと思えば、
 サイドに男物スーツを吊るしたコーナーがあったんですが、
 そこまで伸びてスーツの背中をなでていたんです。私が叫び声をあげて、
 もう一人が駆けつけてきたときには、すでに見えなくなっていました」

デリヘルのドライバーをしているHさん(男性)の話

「この仕事は、店によっても違うんでしょうが、待機が多いんです。
 特に初めてのお客さんの場合はトラブルがあるかもしれませんから、
 自宅、ホテルに限らず近くで待機して、嬢とすぐ連絡がつくようにしてあるんです。
 一度ね、お客が嬢に無理心中を仕掛けたことがありまして。
 ああ、これはまた別の話で、幽霊に関することがお望みなんですよね」
自分としては、それはそれで興味はあったんですが「心霊話がありますか?」
「いやあ、直接見たわけじゃないんですが、よくない場所というのはありますね。
 前にいた店の近くにあるホテルがそうでしたよ。
 そこは完全なラブホテルってわけじゃなく、ビジネスホテルだけど、
 店と契約しててデリヘル呼べるとこだったんです。私もまだ業界に入ったばかりで、
 幽霊なんて考えもしませんでした」 「ははあ」

「店舗は事務所しかないとこでしたから、嬢は喫茶店にいるんです。
 そっから拾ってそのホテルに届けるんですが、場所を聞いたとたん嬢が嫌がるんです。
 幽霊が出るって言うんですよ。あんまり私らは会話しちゃいけない決まりなんですけど、
 そう言われると興味がわくでしょ。見たことあるんですか?って聞くと、
 自分はないけど、仲間の間で噂になってるって。
 それでね、幽霊なんていませんから、いたとしても生きた人間のほうが怖いですよ、
 って、まあ元気づけるようなことを言って送り出したんです。
 で、私は地下の駐車場に車を入れて待ってたんです。中はガラガラでして、
 風が入るような構造じゃないのに、ゴミが舞ってるんですよ。
 すぐ前にそんな話をしたせいかもしれないけど、気味が悪いなあと思ってました。
 そのうちに嬢から終わったという連絡があって、

 車を出してホテルの前につけたんです。そしたら出てきたんですが、
 すごい強ばった表情をしてまして。・・・車にトランクケースが積んであって、
 中は化粧道具とか、タオルとかです。嬢は乗り込むとおもむろにそれを開いて、
 折った和紙を取り出し、開いて中のものをつまんで体にふりかけてる。
 車はこれ、私の自家用ですからね。何ですかそれ、ってもちろん聞きました。
 そしたら塩だって一言・・・それ以上聞けない雰囲気だったんです。
 残りの仕事はキャンセルしたいから店に連絡してくれって言われて、
 しょうがなく自宅まで送り届けたんです。そんなことがありました。
 いや、わからないんですよ。他の嬢に聞いても、あそこは幽霊が出るって話だけで、
 具体的なことはさっぱり。だからね、いつか自分が客になってあのホテルに入って、
 デリヘル呼んでみようかと思ってるんです。うん、何かありましたら連絡しますから」

竜閑斎画『狂歌百物語』より「小袖手」






反則企画

2016.03.09 (Wed)
今日は反則アーカイブです。ネットの怖い話を見ていたら、自分の昔の話が載ってたので。
この話なんかはかなり創作っぽいんで、そういう批判があるかと思ったら、
そうでもなかったのが意外でした。

取り立て屋

知り合いのヤクザから酒飲んで聞いた話。ヤクザっても正式な組員じゃないんだけどな。
そいつは十年くらい前まで兄貴と組んで闇金の取り立てやってた。
ずいぶん非道いこともしたらしい。町の工場を経営してた老夫婦の前で壁を蹴ってたら、
そいつらが自己破産するって言い出したから、
あらかじめ調べてた息子や娘の住所をしゃべって、
んじゃあこいつらのとこにも行くから、こいつらの勤め先にも行くからって言ったらしい。
もともと闇金自体が違法だしそのあたりはあんまり関係ねえからな。
それで次の日ジイさんは踏切で鉄道自殺。バアさんは行方知れずになった。
工場や家は何重かに抵当に入ってて表の借金に取られたが、
そいつと兄貴は息子らのとこを回ってどうにか金は回収した。

そいつの兄貴は墨を入れてて、それが趣味の悪いことに
四谷怪談のお岩さんと伊右衛門の図柄。もう彫ってからだいぶんたつんだが、
お岩さんの目の上のはれが右の後ろ肩にあって、
そこにできものができてひどく痛む。んで医者にいくまでもないだろうってんで、
そいつに小刀で切らせたんだが、そしたら血膿に混じって
明らかに人の歯としか思えないものが、ボロッと出てきた。
それから兄貴の背中はできものだらけになって、今度は医者に行ったが、
やっぱり切除するたびに人の歯が出てくる。
それも虫歯の治療痕まである成人の歯で医者も相当困惑したらしい。
それでレントゲンを撮ってもなんもない。
だけど次の週になればできものができて切れば歯のかけらが出てくるんだ。

兄貴は入院してさんざん検査され、
その過程で重い膵臓癌だかにかかってることがわかった。
んで毎度見舞いに行くたびにベッドの下に何かがいるから見てくれって言われて、
のぞいてはみるんだけど何もいない。そらそうだよな。
別にのぞかなくったってベッドの下は素通しで見えるんだし、
毎日掃除のおばはんが来てるんだし。んでも兄貴はベッドの下に怖ろしいものがいて、
毎日夜中に腰のあたりに噛みついてくるって言い張ってた。
あの強面の人が歯をガチガチ鳴らして怖がってたっていう
医者は痛みや不安からくる幻覚か特殊な薬の副作用だろうと説明したらしいけどな。
その頃にはもう歯は出なくなってたが背中の自慢の入れ墨も、
できものの痕で非道い有様だったらしい。

んで病院には兄貴のかみさんや子どもも見舞いにくるんだが、
そいつが姉貴から家の中で異臭がするって相談された。
兄貴の家は郊外の一軒家で都会じゃないから土地は安いが、
建てたばかりの瓦屋根の立派なやつ。それでそいつの他に2~3人で行ってみたが、
たしかに庭から家の中から腐臭が漂ってる。もう鼻つままなきゃいられないくらい。
それで手分けして調べたんだが、
野良犬の死体でもないかって縁の下にもぐってたやつが悲鳴をあげた。

何が見つかったかっていうと、上で書いた工場の行方不明になってたバアさんだ。
裸足の着物姿で縁の下で上を向いて真ん中ら辺の太い柱に齧りついてた。
腐敗が進んで骨の見えてる部分もあったし柱のわきには歯がぽろぽろこぼれてたっていう。
こう書けば兄貴の背中から出てきた歯がそれかと思う人がいるだろうが、
照合して調べるなんてことはもちろんしていない。
んでこれは警察には知らせず内々に組で処分したらしい。
それはヤーの家で死体が出てきて疑われないわけがないし、
家の中にはいろいろとまずい物もあったんでな。

兄貴はそれから一週間ばかりで死んだ。最期はずっと薬で眠らされてたらしい。
・・・この話で間違いなく事実なのは取り立てでジイさんが死んだことと、
バアさんが行方不明のままなこと、そいつの兄貴が癌で死んだことだ。
歯が出てきたことやバアさんの死体が縁の下から出てきたのは嘘かもしんねえ。
しかしそいつがそんな作り話をする意味もわかんねえけども。
とにかくそいつはカタギになったわけじゃあねえが、
今は馬関係のわりと楽なシノギをやってる。
おめえに祟りはねえのかって聞いたら下を向いて笑いやがったな。


・目には目を、埴輪覇王

・〆の部分何か好き

・組がつぶれて50過ぎに、30前後の若い土建屋に
 使えない奴だとこき使われるのが末路だよ。
 そんな奴らを沢山見てきたからな。

・因果応報でなきゃ真面目に生きる意味が無いでしょう

・闇にかリに来る人間は払えない利子はわかっている。でもかリに来る。
 だから最後は息子からでももらえたらいいほうだろう。悪いことはできないと思うし、
 回りには、あいつらろくな〇にかたできないと思うやつはいる。

・壮絶な話だね。自分も最後のくだり好き。

・割と面白かった
 あと闇金関連がほぼ潰されたのはヤクザが原因では無く
 日栄や商工ローンが法制度の穴を悪用しまくった事が原因だそうで

 裁判制度の悪用は法曹界のまさに逆鱗その物であり
 それに触れた連中は文字通り「叩き潰された」
 過払い返却でキャンペーン張ったのもその一環で
 独立経営のサラ金はほぼ壊滅してメガバンクの傘下に
 闇金に至っては元本すら返却必要なしの判決が出たり貸金業全体が焼け野原にされた

・ノミ屋って今需要あんのかな?
 俺は毎週携帯で馬券買ってるしね

・>最期はずっと薬で眠らされてたらしい
 いや、それ普通だから。
 癌患者で病院にいたんなら、麻薬で意識レベル下げるのが普通。緩和医療でも同じ。
 自宅にいたとしても、医者にかかってたんなら最終的には麻薬で眠らされた状態になる。

・書き主が口調がどんどんべらんめえになってく意味がよくわからない。





湖中のキリスト像とか

2016.03.08 (Tue)
今日も怖い話ではありません。前々回の「羊太夫」の最後で、
フランシスコ・ザビエル来日以前のキリスト教(ユダヤ教)の痕跡について
少し触れましたが、これはオカルトの一つの分野と言っていいかもしれません。
ただし大いに眉唾ですので、そのつもりでお読み下さい。

そうですねえ、自分的には2大キリスト系オカルトと考えるのは、
青森県戸来(ヘライ)村のキリストの墓の話と、
四国剣山中にあるとされるモーゼのアークの話ですね。
ね、嘘くさいでしょう。オカルトというのは、初めて聞いたときに、
「えーありえない」とほとんどの人が思うようなものは、
当然ながらメジャーにはなりませんが、
そのかわりというか、ディープなマニアと言える人を産んでしまうことが多いんです。

■戸来のキリスト墓
『1935年(昭和10年)8月初に、青森県戸来村(現在は三戸郡新郷村)
を訪れた新宗教団体の教祖、竹内巨麿(たけうちきよまろ)は、
2間~3間の長方形の盛り土をみると立ち止まり、それが古文献を一人で調べた結果により、
そこに統来訪神と書いた目標と前の野月の二ツ塚に
「十来塚」と書くよう村長に話したという。』

Wikiにあるこの話が発端ですね。また、同時期(1938年)キリスト者の山根キクは、
著作『光りは東方より』(釈迦、モーゼ、ヨセフ、キリストが修行のため来日したという内容)
で、十和田湖畔の十和利山(戸来岳)にキリストの墓があるとしています。
時期をみればわかるとおり、日本が大戦に突入する直前のことで、
東洋の威厳、日本の神国としての威儀を強調するような内容です。
西欧を支配するキリスト教文化を日本のうちに取り込もうとする意図が感じられますね。

ちなみにキリストの墓の近くには、弟イスキリの墓もあります。
キリストは来日して青森に落ち着いてからは、
「十来太郎大天空(トライタロウダイテンクウ)」wと改名し、
鼻が高い彫りの深い顔貌から天狗と同一視されたりもしてるようです。

戸来説の論点としては、
・戸来の地名がヘブライにつながる。
・ダビデの星(六芒星)と似た紋章を使用する旧家がある。
・この村の方言で、大人の男を「アヤ」「ダダ」、大人の女を「アパ」「アバ」と言い、
 それは聖書に出てくる「アダム」「イブ」が訛ってできた言葉ではないか。
・産まれた子どもを初めて外に出すときには、その額に十字を書く。
・ナニャドヤラという民謡?があり、日本語としては意味がわからないが、
 古代ヘブライ語としてなら読み解ける。

戸来の子ども


かなり噴飯物の内容ですよね。特にアダムとイブのくだりはちょっとどうかと。
母親をアバなどと言うのは北東北各県で共通していますし、ナニャドヤラの歌詞
「ナニャドヤラ、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラ」というのは、
「何がどうやら、何をどうしたらいいか、何がどうやら」
・・・東北の方言は詳しくないですが、こう解してもおかしくはないんじゃないでしょうか。
ということで、これはまあ面白話でしょう。

さて、題名に湖中キリスト像と出ていますが、
戸来村の近くではありますが、直接キリストの墓とは関係のない話です。
大渇水した十和田湖の湖畔の岩くぼに、
観音像あるいはキリスト像と言われる構造物が出現したというものです。

下に画像を載せていますが、暗くてわかりにくいです。
興味を持たれた方は、youtubeに動画が出ていますので検索してみてください。
海外からはキリスト教関係の遺跡ではないか?と注目されされていて、
十和田湖の真ん中に渇水期のみ出現する島「御門石」の頂上と
像の標高がほぼ同じなのだそうです。

十和田湖湖中のキリスト像


まあしかし、キリストが亡くなったとされる紀元前後のものかはわかりません。
たぶん違うでしょう。人工物であったとしても、
江戸時代の隠れキリシタンのものかもしれないし、
仏教や神道のものかもしれないんです。
ただ、こういうのはロマンがあるなあとは思います。

■剣山のアーク
1936年(昭和11年)のことです。
上記の戸来の話が出たのと時期が共通していますね。
これはそういう新興宗教ブームもありましたが、
戦争が迫ってきて周囲の風当たりが強くなってきたのに危機感を覚えた
日本のキリスト者の、一種の自己防衛の行動であったのではないかと思います。
そして、この頃に開発されたオカルト話が、今になっても生き残っているわけです。

高根正教(神奈川県の尋常高等学校の校長を務めた名士で、聖書研究家)
そして古神道研究家の内田文吉、角田清彦が、
四国徳島県、剣山山頂部の発掘を行いました。
表向きには「剣山鉱区地質調査」でしたが、本当の目的は、
「ソロモンの財宝」「モーゼの失われたアーク」の発見!だったんです。

困難な登山の末、山頂付近にある「鶴岩」と「亀岩」の間を亀岩の下を数年間かけて
約150m掘り進んだのだそうです。ここで、
・130m付近で巨大な岩のドームが見つかった。
・さらに下には高さ15mほどの大理石の三角ピラミッドがあった。
この後、元海軍大将 山本英輔、この人は歴史に残る有名な軍人ですが、
この穴を特定し奥へと掘り進むと、レンガ作りの回廊の奥に、
100体以上のミイラが無造作に転がっているのが発見された。しかしそれらは、
いたみがひどく土くれのようでもあった。・・・まあこんなお話です。
結果としては、財宝もアークも出てはいません。
この他にも剣山の秘宝に挑んだ者たちはいましたが、みな資金難で挫折しています。

剣山山頂


これは日本ーユダヤ同祖論と言われるものの一部で、
「剣山に古代ユダヤ人の失われた支族が移住し、日本の基礎を確立。
邪馬台国へとつながった」みたいな展開を見せていますが、
残念ながら現在この穴は埋め戻され、再調査はされていないようです。






赤い輪の話

2016.03.07 (Mon)
今から話しますけど、これねえ、意味わかんないと思うんですよ。
俺自身が意味不明ですら。ただ、もしわかるんだったら、
これからまだ危険があるかどうか教えてもらいたいと思って。まあ、いきさつはこうです。
去年ね、会社で昇進しまして。給料はそんな上がんないんだけど、
責任が増えて忙しくなった。新しくできた部下もあんま使えないやつばっかしで。
だからサービス残業が続いて、疲れがたまってたのは確かです。
ブラック企業? うーんでも、今はどこもこんな感じでしょ。
その日も、終電間際まで残って仕事してたんです。
で、駅まで走って電車になんとか間に合って。その車両は俺以外は2人だったと思います。
どっちもクタッと寝てました。離れたとこに座って、俺も寝るつもりだったんです。
終点じゃないけど40分以上乗るから。乗り過ごしたことはないです。

座ったとたん、あんのじょう意識が飛びました。電車の中は暖房が効いてて、
寝ながら汗かいてました。で、なんか首のまわりがチリチリしたんです。
うーんどう言えばいいかな。毛糸のとっくりセーター着てるみたいな感じかなあ。
すごく痛いってわけでもなかったです。それで目が覚めまして、
薄目を開けたら、真向かいの席に俺が座ってたんですよ。
そんときの俺と同んなじ服着て。「え!」と思ったけど、体がだるくて動きませんでした。
向かいにいる俺はバッグを抱えてうなだれた姿勢で、それも同んなじで。
いやいや、窓に映ってたってことはないです。
それだとぼんやりしてるだろうし、せいぜい頭だけでしょ。
体全体が見えるなんてありえないじゃないですか。なんとか立ち上がろうとしたら、
その向こうの俺の頭がボロッととれて床に落ちたんですよ。

血が吹き出たりってことはなかったんですが、ドンという音がしたのは覚えてます。
でね、俺の首は通路を横切って転がってきて、俺の足元でフッと消えました。
「あ、ああ?」また向かいの座席を見たら、
そのときには俺そっくりの姿はなくなってたんです。
うーん、まあね、これだけだったら夢だと思うでしょうね。実際そう考えて、
マンションに戻るころには納得してたんです。
疲れてるし、仕事のプレッシャーがきついから変なものを見たんだろうってね。
だから翌日は早く帰るようにしたんです。それでも定時を1時間過ぎてましたけど。
あんまり食欲がなかったから、ワイン飲みながらチーズをつまんで、
その後に銭湯に行ったんです。これがねえ、不思議なんですよ。
今のマンションに越してきて、銭湯なんて行ったことないし、

行こうと思ったことさえないんです。でもね、街の中である場所は知ってましたんで、
タオルだけ持ってふらふらと・・・これってやっぱ、誘われたってことなんでしょうかね。
そこの銭湯は純和風のとこで、風呂自体は広くて気持ちよかったです。
体洗って湯船に浸かってたら、70過ぎに見えるジイサンが歩いてきて、
すぐ隣に入ったんです。白髪の角刈りで、職人というか、
若いころは鳴らしたヤクザ者って感じがしました。肩のとこに肌色の大きな膏薬が貼ってあって、
その下に色味が見えたんです。刺青を隠してるんじゃないかって思いました。
だからさりげなく横向こうとしたら、話しかけられたんです。
「ようあんた、さっき体洗ったときに首まわりよく見たか」って。
何を言ってるのかわかんなかったですけど、ジイサンは続けて、
「あんたよう、首取られそうになってるぞ。赤い筋が入ってる」

「え、俺の首ですか?」 「おうよ」でね、もう一度洗い場に行って鏡を見たら、
確かに首のまわりぐるっと、銅線みたいな赤黒い筋が取り巻いてまして。
背中のほうは見えなかったけど、一周してる感じでしたね。
いや、ネックレスなんてしてません。痛みがなかったんで気がつかなかったと思うけど、
前日の電車の中のことはすぐに思い出しました。
そしたらジイサンがやってきて、「あんたねえ、人に恨まれてる覚えとかねえかい。
 首に輪っかかけられてるが、それは悪いもんだ。
 最近に、首がとれる夢とか見なかったか?」親身な口調でこう言われたんで、
「ああ、見た気がします」と、電車の中の話をしたんです。
「はああ、やっぱりな。で、恨まれる覚えは。女関係とか?」
「いやあ、ないつもりですけど・・・ 女関係はここんとこまったくないですよ」

「じゃ仕事関係かねえ。あんたもう二度ほども首取れる夢見ると本当に死んじまうぞ」
ぞっとして指で首まわりを触ると、線はちょっと盛り上がったカサブタみたいでした。
ジイサンの言うことを信じたわけじゃないけど、電車で見た夢がわかるのは不思議に思いました。
それで「どしたらいいんですかね?」って聞いてみたんです。
そしたら「ああ、恨みを消すのは大変だが、首を落とさないのはわけはねえ。
 ◯◯町に☓☓って寺があって、その境内の右手に不動尊のお堂があるから、
 行ってお参りして来な。そんときにきちんと手を合わせりゃ、当座はしのげるだろ」
・・・どう思いますか。ジイサンには礼を言って銭湯を出たんですが、
やっぱ信じかねますよね。それで、そのお寺には行かなかったんです。
そしたら2日後、部屋のベッドで寝ててまた夢を見たんです。
ええ、首の落ちる。会社のデスクででしたね。

でね、首が落ちた俺を見て、もう一人の俺がオロオロしてると、
3人の部下がいっせいに立ち上がって大声で笑い出したんです。それで目が覚めて、
風呂に行って首を見ると、赤い筋の幅が広がってるように思えたんです。
前のが治りきらないうちに、その上をナイフで薄く引っ掻いたみたいに。
背筋がスーッと寒くなりました。それで次の日曜は休日出勤せず、
ジイサンに言われたお寺に行ってみたんです。場所はすぐにわかりましたが、
観光とかやってる寺じゃなく、檀家の人しか来ないようなところで、
本当にここかと思いながら入っていくと、言葉どおりにお堂があったんですよ。
賽銭箱があって、すぐ木柵があり、その後ろに坐像の木彫の不動尊。
古びてたしホコリも溜まってましたが、すぐに首のところに目がいきました。
なんでかって言うと、そこがぐるっと彫れてたんです。

素人がナタでガンガンやったみたいに、木像の首のまわりぐるっと。
だから中の褐色の木肌が出て色が違って見えたんですね。それに気がつくと、
俺の首のまわりがちくちくと痛み始めたんです。これはやっぱ何かあるんだと思いまして、
賽銭箱に万札を入れてとにかく拝みました。いや、笑わないでくださいよ。
「首落ちるな、落ちるな」ってですよ。そしたらしばらくして、
首の傷のまわりがメンタム塗ったみたいにスーッとしてきたんですよ。
20分近くそうやってたんじゃないかな。だんだん体の中で潮が満ちてくるような感覚があり、
これで済んだ、と思ったところで合掌を解いて目を開けました。
で、首まわりに触ってみたら、カサブタの感触がなくなっていたんです。
ええ、部屋に戻って鏡を見ても、跡が消えていたんですよ。
やっぱ首が落ちるところだったんでしょうかねえ。

それからは会社ではできるだけ、部下にはきつく当たらないようにしてます。
誰がやってたのかわかりませんが、まあ恨まれるとしたらそこでしょうから。
あとね、あのジイサンに礼を言いたいと思って、あの銭湯には何回も行ったんです。
前と同じような時間に行っても会わないので、やや遅目にも行ってみました。
そしたら、ちょうどジイサンが銭湯から出てくるところで。
着流しに綿入れを着て雪駄はいてましたから、やっぱ気質じゃないのかもしれません。
ジイサンは俺の顔を見るなりケタケタと笑い出しまして、
こっちが何も言わないのに「お不動産に行ったんだなあ。よかったなあ。
 あんたの食らった恨み、美味かったぞう」って言ったんです。
「美味かった?」 「おうよ、食わせてもらった」ジイサンは大口を開けて、
ゲラゲラと笑いながら、詳しいことも聞かず飲み屋街のほうへ去ってったんですよ。







羊の話

2016.03.06 (Sun)
怖い話ではありません。前々回の「猿丸太夫」の続きみたいなもんです。
また事務所の仲間から、思わせぶりにしないで羊太夫の話を書いてみろ、と言われまして。
しかしこれ、あんまり面白い内容にはならないと思います。スルー推奨かな。
でも、最後のほうで話はオカルトに向かうはずです。
どっからいきましょう。やっぱり「多胡碑」からでしょうね。



多胡碑というのは、群馬県高崎市吉井町池字御門にある古碑で、
国の特別史跡に指定されています。8世紀のものですが、保存状態がたいへんよく、
碑文がはっきりと読めます。
『弁官局からの命令である。上野国の片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から
三百戸を分けて新しい郡を作り、羊に支配を任せる。郡の名前は多胡郡とせよ。
これは和銅4年3月9日甲寅に宣べられた。左中弁・正五位下多治比真人。
太政官・二品穂積親王、左太臣・正二位石上尊、右太臣・正二位藤原尊。』

これはWikiにある現代語訳ですが、原文は「三百戸郡成給羊」となっていて、
「羊に給う」の羊とは何を意味するのか、議論がありました。
羊の方角(未 南南西)説があったんですが、現在では羊は人名で、
この人物に300戸の人民・領地が与えられたという解釈が定説になっています。
ちなみに律令制の時代にあって、300戸を支配する郡司というのは非常に大きく、
皇子クラスでも数十戸とかなんですね。

では、この羊にどんな功績があったのかというと、
和銅4年というところに注目してください。
みなさんは「和同開珎」という古銭をご存知でしょう。708年、武蔵国秩父郡から、
和銅と呼ばれる銅塊が発見され朝廷に献上されたことを祝って年号が変わり、
日本で最初の流通貨幣が鋳造されました。この羊もまた、銅の塊を朝廷に献上、
(上記の銅塊と同じかは不明)多胡郡の郡司とともに、
藤原氏の姓も下賜されたことになっています。

次に、羊はどんな人物だったのか。これは新羅系の渡来人であったとする説と、
中国系の胡人であったとする説があるんです。胡人というのは、西方のペルシャ系民族、
またはツングース系民族と考えてもいいでしょう。新羅系の渡来人説は、
銅貨の鋳造にそれらの人を半島から招いたりしたために出ているんですが、
あまり人気はありません。それにそう大きな根拠もないんです。
やはり胡人(ペルシャ人)説のほうが人気がありますね。
そもそも多胡郡というのは、胡人が多いという意味に取れますし、
ペルシャ絨毯でわかるとおり、ペルシャと羊は大きな結びつきがあります。
もしも8世紀ころの関東に羊牧場があったなどと考えればこれはロマンですが・・・

さて、伝承の中の羊、羊太夫とはこんな人です。
羊の年の、羊の日の、羊の刻に武蔵の国に生まれて、身長は2m超。
良馬を手に入れて、毎日それに乗って都へと通った・・・
当時、関東から京の都へ日帰りするのは不可能ですが、
これは羊太夫の部下に神通力を持った人物がいたからで、名前を八束小脛(ヤツカコハギ)
と言いました。これに名馬を引かせると、不思議なことに馬は小脛といっしょに空を飛び、
都に日参することができたのです。そして銅塊を発見しこれを献上。

順風満帆に見えた羊太夫ですが、ある日、昼寝をしている小脛の両脇を見ると、
羽が生えていたので、いたずら心で抜いてしまった。以後小脛は空を飛べなくなり、
羊太夫は参内できなくなりました。朝廷は、羊太夫が姿を見せなくなったので、
謀反を企てていると考え、軍勢を派遣しました。
羊はこの理不尽を怒って広範囲で奮戦しましたが、
ついには討伐されます。小脛は羊太夫とともに討ち死にしました。
部下は羊太夫の娘7人を7つの輿に乗せて逃がしたものの、
逃げきれないことを悟って自害し、その遺骸を埋めたのが七輿山である・・・こんなお話です。

荒唐無稽ですし、正史にはこの地方での大規模反乱の記録はありません。
いろいろと解釈はあるようですが、多胡碑のことが有名になってから、
後代の別人の反乱伝説と結びついてこういう話ができたなどとも言われます。
不思議な部下の小脛については、羊太夫に協力した渡来人や蝦夷等の人格化ではないか、
とする説がありますね。まあ確かに、伝承というのは後付けが多いものです。
日本書紀が書かれてから、その内容に沿った神社や史跡が後からできた、
などという例は枚挙にいとまがないほどなんです。

羊の正体については、ゾロアスター教、ユダヤ教、景教系の渡来人であるとするものの他、
藤原不比等であるとする説が出ています。しかしこれはどうなんでしょう。
碑文に「右太臣・正二位藤原尊」と出てくるのが藤原不比等で、
これは羊に300戸を与えた人物であり、もちろん関東在住ではありません。
しかも伝承では、羊太夫討伐の軍を出させた張本人でもあるようなのです。

この説を出されているのは関口昌春氏で、その著作
『羊太夫伝承と多胡碑のなぞー藤原不比等は討伐されたか』は自分も読んだんですが、
どうしてそうなるのかはいまいちよくわかりませんでした。
不比等→不人→人ではない者→羊 という連想は面白いと思いましたが、
史実では不比等は病死ですし、子孫も栄えています。
余談ですが、自分はこの関口氏の本を処分してしまったんですけど、
今、Amazonを見たら15000円の値がついているんですね・・・

さてさて、最後にややオカルトがかった分野。『甲子夜話』は江戸後期の肥前平戸藩主、
松浦静山の随筆集ですが、その中に注目すべき記述がありまして。
多胡碑の下から、十字架が発見されたと書いてあるのです。ここから静山は、
羊を、唐を経由して景教(ネストリウス派キリスト教)を伝えた人物ではないか、
と推測しています。また、多胡碑近くの石槨に「JNRI」という文字が見られ、
これはラテン語の「Jesus Nazarenus, Rex Iudaeorum(ユダヤ人の王ナザレのイエス)」
の頭文字をとった略語ではないかとも解釈されます。
JNRI→イェナリ→稲荷、稲荷神社の起源といった眉唾話まであるんです。

もしこれが本当であれば、日本へのキリスト教伝来は、
フランシスコ・ザビエルの来日、1549年のはるか以前ということになります。
しかし、これらは江戸時代の隠れキリシタンのものだろう、
という話も当然出ていて、真相は闇の中なんですね。

はかいあおえr





明人くんの話

2016.03.05 (Sat)
これ、今から15年くらい前からのことです。当時僕は小6で、妹が小3でした。
たしか平日だったと思うけど、先生方の研究会かなんかで、
学校が午前で終わった日があったんです。その日は母が頭が痛いと言って、
仕事を休んで家で寝てたんです。だから、僕ら兄妹で母が書いたリストを持って、
近くのスーパーまで買い物に行くことになったんですよ。
スーパーまでは歩きで10分もかからないんですが、途中で橋を渡ります。
その橋の上で、妹が欄干のすき間から川を見たんです。
これはいつものことで、きれいな水なので魚を探してたんですね。
しばらく待ってましたが、手を引いていこうとしたときに、
「お兄ちゃん、あれ」と川面を指差して叫びました。「ん、なんだ・・・ええ?」
信じられないものがいたんですよ。赤ちゃんです、たぶんまだ1歳にならない。

その赤ちゃんが、川の水の上を這っていたんです。「えー嘘だろ!」
しかも、ベビー服を着た全身が金色に光ってました。
「ね、お兄ちゃん、赤ちゃんだよね?」 「ああ・・・下に降りてみよう」
河の両面は凸凹のあるコンクリブロックで護岸されていたので、
子どもでも降りることができました。土手に入って赤ちゃんのいるあたりに駆け下りると、
川の中央付近にいる赤ちゃんの背中を見下ろす形になりました。
男か女かはわからなかったんですが、笑顔で手足を動かしているようで・・・
でも、水の上なんですよ。金色というのは、赤ちゃんがその色をしてるわけじゃなく、
金と銀が混じったような光を体から発してたんです。
「ありえねえ」と妹と顔を見合わせたとき、シュンと赤ちゃんが上に動きました。
宙に浮いたってことですけど、これがものすごい速さで。

はい、橋の上に跳び上がったんです。慌てて僕らも上に戻りました。
それで橋の先を見ると、ずっと向こうにベビーカーがあって、
お母さんらしい人が傍らで立ち話をしてたんです。走っていってみました。
ベビーカーをのぞき込むと、赤ちゃんは起きてて機嫌よくにこにこ笑ってたんです。
さっき、川の上で見た赤ちゃんかどうかははっきりわからななかったんですが、
金色には光ってませんでした。お母さんが僕らに気がついて、「あら、お兄ちゃんたちよ」
と赤ちゃんに話しかけました。僕らは何と言っていいかわからず、
ペコッと礼をしただけなんですが、
お母さんは赤ちゃんに興味を持って見にきたと思ったようでした。
これ、さすがに「川の上に赤ちゃんがいて金色に光ってた」なんて言えませんよねえ。
赤ちゃんはピンクの帽子をかぶり、ベビー服は白に赤いイチゴの柄が入ってました。

僕が「女の子ですか?」と尋ねると、お母さんは、
「あ、そんな服着てるけど男の子なのよ。7ヶ月」と答え、妹が名前を聞くと、
「明人(あきと)」ということでした。
妹が足をさわると、赤ちゃん・・・明人くんは「あきゃあきゃあ」と笑い崩れました。
妹がさらに「洋服お下がりですか」と失礼なことを聞き、
お母さんは笑って「いえね、そういうわけじゃないんだけど、ちょっと事情があって、
女の子みたいなかっこうをさせてるの」と言いました。
それで、そのときは別れたんです。買い物を済ませて家に戻ってくると、
うちの母が起きだしていて、「あら、ご苦労さん。頭痛いのさっき治った。心配かけたわね」
って言ったんです。それから部屋に行って、さっき見たことを妹と話し合いました。
水の上をハイハイする金色の光を放つ赤ちゃん・・・やっぱりこのとおりでしたよ。

それから、時間帯が合わないせいか明人くんを見かけたことはなかったんですが、
1年後ですね。僕は中学生になっていて、夏休み中。台風が近づいていました。
中学生になったんで、部屋はアコーディオンカーテンで仕切って別々になってたんですが、
妹が僕のほうに走りこんできて、「窓、窓の外!!」って叫びました。
窓は妹側にあってカーテンを閉めてたはずですが、行ってみると、
カーテンが開いて、窓の外がぼうっと金色に光っていたんです。
ガラス戸の2mほど先に、宙に浮いて明人くんが立っていました。
一目見ただけで、前にあったことや名前を思い出したのは、あの光のせいかもしれません。
もう2歳近かったんでしょうけど、顔立ちは変わってませんでした。
だけど表情が険しかったんです。まゆの間にシワが寄って、
片手を、肩の上から前にしきりに動かしていました。

それからブルブル強く首を振って、また前のときのように、
ゴムひもで引っ張られるようにしてピュンと後ろに飛んでいってしまったんです。
「あ・・・お前覚えてるか?」 「明人くん・・・」
とにかく何かを訴えたがっていることはわかりました。かなり風が強まってきてたので、
これは台風に関係があることだと思ったんです。
明人くんのことは、両親には言いませんでした。信じてもられるとは思わなかったんです。
だから、風が強くて怖いからと言って、その夜は下で寝ることになったんです。
ええはい、あの記録的な台風のときでした。斜め向かいの家の2階の屋根が飛ばされて、
僕らの部屋に突っ込んできたんですよ。部屋はめちゃくちゃになって、
あのままいたら、死なないまでも大ケガをしていたでしょうね。
これが2つ目のエピソードですね。

その後も、街で明人くんを見ることはなかったんですが、2年後です。
僕は高校受験で塾に行った帰り、もう9時過ぎでしたね。
信号待ちで自転車を止めていると、横の電信柱が光るのがわかりました。
見ると、かなり高いところの横木の上に、幼稚園児くらいの子どもが立っていました。
明人くん、このときもすぐにわかりました。金色の光は柔らかく優しく、
明人くんはにこにこと笑いながら、僕に向かって手を振ったんです。
このときにね、なんとなく神社に行って手を合わせるときみたいな気持ちになりました。
いえ、自転車のハンドルを握っていたんで、実際に合掌はしませんでしたけど。
家に戻って部屋に行くと、妹がすぐに来て「また、明人くんが来た」と、
窓の外を指さしました。「お別れを言ってたんじゃないか」
ということで印象が一致したんです。まあこんな話ですが、後日談が二つあります。

一つは、職場の検診で母が人間ドックに入ったんです。そしたら、CTスキャンで、
頭部に腫瘍の跡が見つかりました。定期検診ではわからなかったんですね。
でも医者の話では、自然に小さくなって治癒した状態だし、
今後もまず問題ないだろうってことでした。これ、あの最初に明人くんに会った、
橋の上のとき、母がすごく頭痛がってたときのことなんじゃないでしょうか。
いや、治った時期はわからないようでしたけど、そうとしか思えないんです。
もう一つは、妹とは今は別々に暮らしてるんですが、メールが入ってて、
「◯◯という女性週刊誌を見ろ」ってことでした。さっそくコンビニで買ってきたら、
「今どきの神様」という特集があって、新興宗教の教祖様が紹介されていたんですが、
中に「明人師」というのも出てたんです。白い顔に神主装束をつけたあの明人くんでしたよ。
金色の光はなかったですが、間違いないです。







猿丸太夫について

2016.03.04 (Fri)
怖い話ではありません。猿丸大夫は古代の歌人ですが、
その実体には謎が多いと言われます。
というか、実際に存在したという根拠がほとんどないんですね。
藤原公任撰による三十六歌仙 の一人で、『小倉百人一首』に採られているのは、
「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」ですよね。
ま、意味は解説するまでもないでしょう。
ただ、この歌は『古今和歌集』では「詠み人知らず」となっています。
また、『猿丸集』という個人歌集もあるのですが、
採録された歌はほぼ別人のものであろうとされる、かなり怪しい代物です。
ですから、猿丸大夫の正体というより、実在の人物かどうかが争点であるといえます。



さて、猿丸大夫と言えば、井沢元彦氏の第26回江戸川乱歩賞受賞作、
『猿丸幻視行』が有名ですが、これを読んだときはかなりびっくりしました。
ネタバレにならないよう内容への深入りは避けますが、
いろは歌に隠された暗号を解いて、猿丸太夫の実像に迫る、
というようなストーリー展開です。

何に驚いたかというと、推理小説なのにオカルト、
あるいはSF要素が入っていたからですね。
主人公は新薬の人体実験をしますが、それがなんと意識だけがタイムスリップする薬。
ただし猿丸太夫に入り込むのではなく、民俗学者の折口信夫へとです。
なぜ折口信夫なのか、というのは当然疑問として出てきますが、
それは彼が天才的な分析力を持っているので、
猿丸太夫の謎も解明できるだろうからということでした。
うーむ、つごう良すぎじゃないか、とは思いましたね。
ところで本項には、もう一人の民俗学の巨人、柳田國男も後に登場します。

さて、猿丸大夫の実在が疑われる最大の要因は、
彼の記録が『六国史』などの公的資料に登場しないからです。
「太夫」というのは五位以上の官人という意味なので、
位階を持っているなら記されてしかるべきです。
ならばこれは変名であろう、という考えは当然出てきます。何らかの理由で改名した、
あるいは正史にその名を記すことができない理由がある。
しかし、後者のほうはどうなんでしょう。日本の正史は基本的に、
かなりの極悪人でもその名前は出てきます。
例えば、歴史上初めて現役天皇を弑逆した蘇我馬子なんかもそうですよね。

この別人説でおそらく一番有名なのは、哲学者の梅原猛氏の著作である
『水底の歌』に出てくる「柿本猨(さる)」説です。
これは3人の人物が重なっていて、猿丸太夫=柿本猨=柿本人麻呂 となります。
柿本人麻呂は歌聖とも称される人物で、実在であったことは間違いないと思いますが、
正史には記録がないので、身分は低かったろうと考えられます。
草壁皇子の舎人説を賀茂真淵が唱えており、これが定説に近いでしょう。
柿本猨のほうは『日本書紀』にその名が出てきていて、実在の人物です。
梅原氏の論は、柿本人麻呂が何かの罪を得て、無理やり猨(さる)に改名させられ、
石見国で水死刑にされた、というものです。

ちなみに、人麻呂も三十六歌仙の一人で、
猿丸太夫とはダブって入っていることになります。
あと、10世紀成立の古今和歌集の序文にも2人とも登場していて、紀貫之の
かな書きの序文には、柿本人麻呂「正三位柿本人麿なむ歌の聖なりける」
この人麻呂が正三位という高い位にされているのも謎な部分なのですが、これは余談。
漢文の序文には「大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり」
ということで、人麻呂は7~8世紀の人なのですが、
後世にはそれぞれ別人と見られていたのではないかと思います。

確かに罰としての改名の例はあります。道鏡と宇佐神宮神託事件に関連して、
「和気清麻呂」が「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」に、姉の「広虫」が「狭虫」に、
称徳天皇の命によって改名され、流罪になっていますね。
「人」→「猿」という連想はたいへん面白いですが、反論として、
猿などの動物の名は当時は特に不自然ではないというものがあります。
時代は違いますが、前に出てきた蘇我馬子もそうですし、
清麿の姉も広虫(ひろむし)です。広いが狭いにされてしまいましたが、
虫の部分はそのままですね。梅原説のその他の部分も、
綱渡り的な危うい論で組み立てられていて、
定説となるのは難しそうですが、一部支持している史学者もいます。

これも余談ですが、もし人麻呂が刑死したのなら、
命じたのは時代的に藤原不比等かもしれません。
藤原不比等にも「羊太夫」という別人説があります。不比等→人ではない→羊 
というわけです。「多胡碑」という古い碑文に、羊太夫が不比等から領地をもらった、
という記載があり、伝承では、羊太夫は反乱を起こして誅殺されたことになっています。
羊太夫はペルシャ人という話もあり、
このあたりのことも調べるとなかなか興味深いですよ。

この他の猿丸太夫別人説としては、弓削皇子説、弓削道鏡説などもあります。
弓と猿は関連があるみたいで、小野猿丸という弓の名手がいたようです。
そこからきているようですが、まずありえないと思われます。

さてさて、梅原氏は論拠として、柳田国男の、
「過去に日本で神と崇められた者に尋常な死をとげたものはいない」
という説に着目して『水底の歌』に着手したということです。
これは一般論としはそのとおりで、
御霊である菅原道真、崇徳上皇など多くの例を上げることができますよね。
しかし一方で柳田国男は、猿丸大夫とは「全国を巡って神事を行い、
その際に歌を詠んだ集団についた名前ではないか」という説も出しています。
ですから別々の複数人が詠んだ歌の作者として猿丸太夫の名が出ているのだろう、
ということで、これはあってもおかしくない感じがしますね。







太鼓踊りの話

2016.03.03 (Thu)
今晩は、よろしくお願いします。これは、去年94歳で亡くなった姉の話なのです。
記憶に残っていますのは、私が5歳、姉が7歳のときです。
はい、2つ違いの姉妹でした。当時は、兄弟姉妹の多い家が多く、
私のところも7人の子らがおりまして、その下から2人でございました。
長兄などは、私が産まれた頃には20歳を過ぎて役場に就職しておりました。
ええ、昔の農家でしたから、馬小屋・牛小屋などもあるずいぶん大きな家でしたよ。
ええ、私が5歳時分、姉がよく手を叩きながら歌っていたんです。
歌詞はなかったんですね、節だけ。姉は大きく口を開け、
よく通る声で「ああ~あ~」という感じで歌いました。
そうですね、節回しは民謡というのとは少し違っていました。もう少しモダンな・・・
当時ぽつぽつと外国のレコードが入ってきておりまして、それで聞くような。

「太鼓踊り」というのは姉が勝手につけた名前なんだそうです。
夜、布団に入ってうとうととし始めたときに、その節回しが聞こえてくるんだそうです。
笛の音と、ドンドドンという太鼓の音。これもお祭りで鳴らす笛太鼓とは、
ずいぶん違った音色だということでした。やはり西洋の楽器だったのかもしれません。
そのことはお話の最後のほうで出てまいります。
それで、当時の小学校に入りますと、唱歌の時間がありまして、
そのときだけ音楽室に移動して授業をするのですが、
楽器は足踏み式のオルガンが一台あるだけでした。
本当はさわってはいけなのですが、たまたま入り口の戸が開いていることがあれば、
姉が私を誘って中に入り、さぐり弾きで「太鼓踊り」の曲を。
一度、その最中に唱歌の女の先生がみえられたことがあって、

叱られることはありませんでしたが、姉がたどたどしく一本指で弾く曲を聞いて首をかしげ、
「これはどこで聞いたんだろうねえ。楽典にかなった西洋の曲のようだ」
と言っていたのを覚えています。昭和になったはじめの頃の話ですね。
だんだんに戦争の影が世相を暗くしていった時代のことです。
それから時が経ち、小学校を卒業する頃には、姉もこの太鼓踊りの話はしなくなっていました。
もう聞こえなくなっていたんではないかと思います。
姉はたいへんに頭がよく、また家も経済的な余裕がありましたので、
町の女学校に進んだんです。ええ、ええ、自慢の姉だったんです。
当時は、女学校を出れば師範学校に行かなくても、
小学校の女教師や役場に勤めることができまして、姉もそうするんだろうと思っていました。
あのことがなければおそらくそうなっていたんでしょうけれど。

姉は女学校で弓道部に入っていたんです。戦争が始まろうとしていた昭和9年のことです。
姉は数えの14歳でした。その日、地元の神社に奉納する射会がありまして、
神社の裏手に土盛りをつくって的を立て、弓道部のみなが次々に射るという。
その帰り道、長い弓の袋を持ったまま列の中団を歩いていたそうです。
ええ、前にも後ろにも人がいまして、いなくなるはずはないんですが、
農道のちょっとした林に入って、気がつくと姉の姿が見えなくなっていました。
それでも、引率の大人は誰も心配しませんでした。
家のすぐ近くでしたし、何かの事情があって一人であぜ道を抜けて帰ったんだろうと。
だから女学校のほうでは、暗くなって家から問い合わせがいくまで、
大事とは考えていなかったようです。それから、捜索が始まりました。
秋の収穫祭での弓の奉納でしたが、遅い台風が近づいてきていました。

その中で、青年団の方々が山を含めた町中、
両隣の町にも連絡して探してくださったのですが、どこにも姿が見えなかったんです。
これは不思議なことでした。当時は犯罪などもほとんどなく、
誘拐するような人物も心あたりはなかったんです。
ただ姉はそれは美人でしたから、かどわかされたんだろう、という人はいました。
また、神事の帰りの出来事でしたので、神隠しだろう、という年配者もいたのです。
ですから、両親は3日目まで姉が発見されないと、
氏神神社の神主さんにお願いして、神降ろしをしてもらったんです。
これは奉納射会があったところとはまた別の古い神社で、
神降ろしには巫女役が必要でした。それで、私がそれを務めることになったんです。
当時12歳でしたし、もう長い年月がたっているので記憶はあいまいですが、

沐浴をして白装束に着替えさせられ、神社に付随した能楽舞台に座って、
祈祷を受けたのを覚えています。目の前で御幣が振られて、
すぐに私は気が遠くなってしまいました。それからは夢かうつつかわかりませんでしたが、
始めに聞こえていた祝詞がだんだんに遠ざかっていき、
かわりにあの「太鼓踊り」の曲が聞こえてきたんです。
同じ節回しというのはわかりましたが、印象はずいぶんと賑やかで、
やはり日本にはない楽器が使われているのだと思いました。
ええ、初めは音だけでしたが、だんだんに霧が晴れたようになって景色が見えてきました。
赤を基調としたハイカラな服をきた一団が輪になって踊っていたんです。
男も女もいました。当時の日本では考えられない姿ですが、
金髪に見える人が混じっていたので、やはり外国のどこかなのでしょう。

その踊りの輪の中に姉もいたような気がするものの、遠くてよくわからなかったんです。
ただえんえんと「太鼓踊り」の曲が聞こえていて・・・
どのくらいの時間がたったかわかりません。
ただ最後に「2年でかえす」という声が聞こえました。
それで目が覚めたんです。2年で返す、という言葉は私自身が大声で叫んだようで、
神主さんにも聞こえていました。後に両親に神主さんがそれを告げると、
母は「2年・・・」と絶句していました。ところがです、姉はその8日後に見つかったんです。
それも家の縁の下からです。古い農家でしたから縁の下は高く、
様々な古い農具が入っていましたが、その中からうなり声がするのに使用人が気づきまして、
もぐってみましたところ、弓道着姿の姉が倒れていたんです。
体中、土と蜘蛛の巣だらけでした。すぐに医者に運ばれましたが命に別状はなし。

ただ、この後、姉はぼんやりとして、以前の快活な姿はどこにもなくなってしまいました。
ぶつぶつと意味のわからない言葉をつぶやき、鼻歌を歌いました。
言葉はまったく通じませんでしたが、鼻歌は「太鼓踊り」でした。
女学校は休学して、しばらく家にいたんですが、
症状の改善が見られないので、両親が市の大きな病院に入れました。
精神科ですが、そのことはまわりには伏せられていたんです。
そうしているうちに太平洋戦争が始まって・・・姉は気の毒なことに、
この後20年以上病院にいたんです。姉がやっと退院してきたとき、
私は30数歳になっていまして、結婚して子どももおりました。
戦後は農地開放などもありましたが、実家は町長も出しまして、
地域の名家として存続しておりました。姉はその一室をあてがわれ、療養を続けることに。

ここまで聞いて、ずいぶんわけのわからないお話だとお思いでしょう。
やっと姉が出歩けるようになったのが40歳を過ぎてからで、私と2人で地元の温泉に行きました。
その頃には普通に話せるようになっていましたが、そのときの寝物語で、
驚くべき話を聞いたんです。行方不明になっている12日間、姉はやはり外国にいて、
その間に2年がたっていたというのです。姉は向こうの身分の高い青年に見初められ、
結婚して女の子が産まれた。2週間たらずで2年分を生きたということなのでしょうか。
・・・でも、そのときには信じることができませんでした・・・
私の小どもらや、その後に産まれた孫たちは姉になつき、慕ってはいましたが、
姉は結婚の話などはすべて断り、生涯独身のまま、
病を得て昨年の1月に亡くなりました。その3ヶ月後、
月命日に私が一人で姉の墓にお参りに行ったときです。

先客がおりまして、背の高い立派な外国人の夫妻と、
その5歳ばかりの金髪の女の子でした。温泉での姉の話を思い出しましたが、
もし本当だとしても、姉の子は80歳になっているはずです。
子どもは西洋の金属の笛で、姉の墓前で「太鼓踊り」の曲を吹いてました。
私が近づくと演奏をやめ、こちらを見ました。
きれいな金色の髪の下の目は黒く、姉に似ているような気もしました。
「あの、もし」と声をかけましたが、女の子は「言葉がわからない」
というそぶりをして両親の元へと駆け寄りました。
父親が私に向かって首を振り、それから両親揃って深々と一礼しました。
そして3人は踵を返して去っていってしまったのです。
何一つ聞くことはできませんでした。・・・これで終わりです。