5文字目

2016.04.30 (Sat)
香辛料の輸入代理店で働いています。よろしくお願いします。
2年前の話ですね。私の会社は東京に本社があるんですが、
神戸に支店ができまして。それで長期出張という形でそちらに行ったんです。
予定は4ヶ月、支店の業務がうまく立ち上がるまでの手伝いということで、
わりと気楽な立場ではありました。でも、新規の立ち上げなので、
電話の引き込みからネット回線、銀行口座から、備品関係から、
やることはいくらでもありましたね。はい、私は今の会社に勤めて、
当時で12年目でしたから、だいたいの業務は心得ていました。
難しいのは法律関係くらいで、基本は外国から商品を輸入して問屋に卸すだけ。
仕入れは海外に駐在してる社員がやるので、語学もあまり必要はありません。
それで、住居は、会社のほうで借りた戸建てマンションだったんです。

ほら、短期滞在専用の敷金・礼金いらずで、30日ごとに契約更新するタイプの。
これ、あんなことがあったので後で調べたんですけど、
事故物件なんかじゃなかったんです。まるっきりの新築。
それなのに、あんな怖いことが起きるなんて・・・
あ、順を追ってお話していきますね。3月末に引っ越し費用会社持ちで、
そこに越したんです。建物は平屋の4軒長屋の形をしていまして、
各家2部屋あったんです。私はその一番左端に入りました。
右隣が空きだったんです。会社の支店長さんが知ってて、そのほうがいいだろうって。
はい、こういう建物ってよく、壁が薄いって言われたりしますよね。
でもそれだったら、気を遣わないで済むだろうということで。
実際それはありがたかったんですが・・・

引っ越すとすぐに、目の回るような忙しさでした。
でも、私の仕事は事務関係限定で、問屋まわりなどはなかったですし、
接待の会に出ることもほとんどありませんでした。ですから、
遅くとも8時には部屋に戻ることができたんです。さっき話したとおり、
部屋は建材の香りがするくらい新しかったんですが、
まだ塗料のにおいも残っていまして。
できるだけ空気の入れ替えをするようにして、出勤中も換気扇を回していました。
どうせ費用は会社持ちですので。だから、においには敏感になってたはずですけど・・・
最初の3週間ほどは何事もなかったと思ったんです。何かおかしいのに気がついたのは、
ゴールデンウイークに近い4月末のことでした。マンションの部屋は2つ、
前がダイニングキッチンで、奥が寝室。もちろんベッドで、かなり早めに寝ていました。

ええ、やはり慣れない環境ですからね。疲れが溜まってたんだと思います。
その日も、11時ちょっと前にはベッドに入りました。
お酒はワインを飲んでましたが、ほんの少しだけです。
私はかなり眠りは深いほうなんですが、その日は少しうとうとしたら、
怖い夢を見ました。私が寝ているまわりをぐるっと人が取り囲んで見下ろしている、
ただそれだけなんですけど、下から見上げると顔にクマができてて、
怖く見えるでしょう。人数は8人くらいで、見たことのない男性ばかりでした。
ただ・・・一人だけ女性が混じっていて、その人は見覚えがあったんです。
問屋筋の、南米のチリから特別な香辛料を輸入してる会社にいる人だと思いました。
ただ、会ったのは1回だけなので、これは自信はないです。
夢の中で、全員が胸のところに香炉みたいなのを両手で持っていて、

すごくきつい香料のにおいがしたんです。え?チリの香辛料と同じかって?
それが・・・恥ずかしいですが、そのにおいを嗅いだことはないんです。
自分とこの商品なのにダメですね。それで、その人たちが腰をかがめて、
私に顔をぐっと近づけてきたところで目が覚めたんですが、
驚いたことに、ベッドの中にいたんじゃなかったんです。
はい、私はうつ伏せになって、キッチンのテーブルの下にもぐり込んでいました。
四つん這いの格好ということです。最初は事態が飲み込めず、
頭をぶつけそうになったくらいでした。その状態で寝てたなんてありえないんですが、
でも、自分で入り込む以外には考えられないですよね。
とにかく這い出して部屋の電気をつけようとして、そのとき、
手に赤マジックを持ってることに気がついたんです。

それは確かに私のものでしたよ。あと、強く香料のにおいが漂っていて、
これは夢の中のものと同じだったと思います。うーん、そうですね。
そのにおいがあったから、あんな夢を見たのかもしれませんが。
それと、マジックはキャップがしてなくて、探したらテーブルの下に転がってました。
それを拾おうとまた入り込んでいったとき、あちこちまわりも見たんです。
だって不思議でしょう。何か書こうとしたから、マジックのキャップを外したわけですし。
そしたら、テーブルの裏に字が書いてるように思えたんです。
暗くてはっきりしませんでしたが、手のひらの半分くらいの大きさの。
そこのマンションは、生活家具もセットで、
どれも新品に見えてたので変だなとすぐ思いまして。
テーブルをひっくり返すことはできないので、懐中電灯で照らしてみたんです。

そしたら平仮名の「し」じゃないかと思いました。ええ、単純な形なので、
何かの記号とも考えれられはしたんですが、見覚えある私の字で、
やはり自分が書いたみたいだったんです。でも、まったく覚えていません。
いえ、私はどっちかというと寝相のいいほうで、夢遊病の経験なんてないんです。
このときは怖いというより、狐につままれたといった感じでした。
それから、部屋の中のにおいで気分が悪くなってきたので、夜中でしたけど換気しました。
そのとき時計を見たら午前2時。翌日、昼休みのとき外食先で、
仲がよくなっていた女性社員のYさんに、あったことを話したんです。Yさんは、
大阪の支社から、私と同じく手伝いにこられていた豪快な感じの50年配のベテランでした。
私は冗談めかして、失敗談のような形で話したんですが、すっとその方の目が細くなりまして、
「それ・・・チリの○○って香辛料のにおいだったんだろう。よくないねえ」

と言われたんです。「何がですか?」と聞くと、首を振り、
「しの字を書いたのなら時間がないのかもしれないねえ。もし5文字目だったらね。
 今日の帰り、あなたの部屋に寄っていい?」 「あ、はい。歓迎します」
8時過ぎ、夕食を済ませてから2人で私の部屋に入ったんですが、Yさんはすぐに、
部屋の中をぐるぐる歩きまわりまして、「あった!」と言われました。
見るとキッチンのカーテンの陰になったサッシの下の金属部分に、
上下逆でしたが「わ」と読める字があったんです。「まだあるから、あんたも探して」
こう言われ、あちこちの戸を開けたりしましたら、寝室の押し入れの戸の裏に「も」、
それから玄関の靴棚の裏にまた「し」、浴室の鏡がついた収納の下の部分に「た」。
これだけ見つかったんです。全部が赤マジックで書かれ、私の字としか思えませんでした。
「やっぱり5番目だったねえ。危ないところだった」Yさんが言い、

「それはどういう」と聞くと、Yさんはメモ用紙に「わたしもし」とペンで書き、
さらにその横に、「私も死」と書き添えたんです。
「ほら、これねえ、しの字が重複してるだろう。元来はチリの言語、
 スペイン語でやるものだけど、効果はそう違わない。
 これはあと1字で完成するところだった。たぶん〈わたしもしぬ〉だろうね」
こう言われたんですが、意味がわかりませんでした。「死ぬって誰がですか?」
「あんただよ!」ぴしりとこう言われて、すると急に怖くなってきたんです。
「においの元も探さなくちゃ。これは隣の棟からだろうねえ」
Yさんはトイレとお風呂を集中的に見ていましたが、「たぶん、ここだ」と、
お風呂場の天井の隅を指し示しました。浴槽の蓋に上がってできるだけ顔を近づけ、
「やっぱりにおうね、換気扇の近くだからごまかしがきくと思ってのことだろうねえ」

「これ、呪いなんですか?どうして・・・」 「どうしてかはわからないけど、
 とにかく私から東京の本社に連絡しておく。支店長には言わないほうがいいかもしれない。
 とにかくあんたはすぐに最低限の荷物を持って、今からホテルに泊まりなさい。
 もう1回儀式やられたら取り返しがつかなくなるから」こう言われまして、
その日からホテル暮らしになったんです。それからややあって、会社のほうでは
電撃的に支店長の交代があったんです。東京の本社から私も顔を存じ上げている
部長さんが来られることになりました。部長さんは事情を飲み込んでいたらしく、
すぐに私に代わりの社宅を用意してくれたんです。それと、これも怖い話なんですけど、
私が夢の中で見たと思った、この香辛料の加工販売をしている問屋の女性、新聞に出たんです。
埠頭近くの海で、溺死しているのが見つかったということで。
大量の薬物を摂取していたそうですが、事件か事故かはいまだに不明です。

*家ものホラーを書いてみました。   関連記事 『家ものホラーについて』
indexなかこいう





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たいへんだった話

2016.04.30 (Sat)
怖い話ではありませんというか、個人的にはかなり怖かったんですが・・・
きれいな話ではないので、スルーをお勧めします。
昨晩の9時頃です。自分はだいたいブログの記事を、
夜の9時半から10時のあたりで書いてるんですが、
昨日の上げる予定の話は鉄道に関係した実話だったんです・・・
で、パソコンのメモ帳を開いて、さてとなったところで、
ツーと鼻血が出てきたんです。これ、ぶつけたりもしてないし、
ほじくったわけでもないんですよ。ただツーと。

まあでも、たかが鼻血と思いますよね。それでテイッシュを詰めたんです。
自分は、前にちょっと書きましたが、学生時代はずっと柔道をしていて、
国体にも出たりしてるんです。その間には骨折もあり、脳震盪あり、
腕ひしぎ十字固めで肘を脱臼したこともありで、
鼻血程度は日常茶飯事だったんです。
で、テイッシュを詰めたのでいいかなと思ってたら、
最初に右から鼻血が出たのに、詰めてない左のほうがムズムズする。
ん、と思ったとたん、水道の蛇口をひねったようにドーと血が出てきまして、
一瞬で服と床がびしょびしょになりました。

これは!と思って両方にテイッシュを詰め、小鼻の部分を手でつまんで圧迫しました。
普通はこれで止まるもんなんですが、どんどん喉に血が流れ込んでくる感じがあり、
テイッシュもビショビショで、詰替えようと抜くとまたドーっと。
20分たっても同じ状態なので、さすがにヤバイかもと思い、
タクシーを呼んで近くの大学病院の夜間救急外来に行ったんです。
酒は飲んでなかったんですが、自分で運転できるとは思えませんでした。
鼻を圧迫する手を離せないんですね。かといって救急車はさすがに恥ずかしい。
タクシーの中を汚さないように、バスタオルで鼻を押さえて病院につくと、
大病院なのでそんな時間でもたくさん人がいました。

ああ、これを待ってるのかと思ったら、真っ赤なバスタオルを見て危ないと思ったのか、
2番目に治療室に入れてもらいまして、診察するので鼻から手を放したら、
またドーっと。30分はたってるのに止まる気配がないんです。
で、止血剤を染み込ませたガーゼを詰めたんですが、それから30分ほどしても、
やっぱり喉に血が流れ込んでくる。担当の先生が、
「おかしいですね、これで止まらないのは普通の鼻血じゃない」と言って、
心電図をつけて血圧を測り、採血もしました。それと止血剤の点滴。

そしたら心電図はなんともなかったし、
血液検査の結果、とりあえず白血病関係もなさそうでしたが、
血圧がなんと200~150という数値が出まして・・・
たしかに毎年の健康診断では血圧は高めではありましたが、
それでも130台くらいです。先生が、
「こりゃ血圧下げないと、血は止まらないかも」と、
点滴に血圧を下げる薬も加えて、それから1時間以上鼻を圧迫してくださり、
午前0時近くなってやっと血が止まったんです。血圧も薬のせいで下がりました。

その後、血圧の上がった原因について話したんですが、じつは・・・
7時ころに自分はキムチ鍋を食べているんです。それも、辛いのが好きなので、
多量にトウガラシを足して・・・ そう言いましたら、
処置室の衝立の後ろまで聞こえてたようで、看護師がギャハハと笑いました。
まあねえ、キムチ鍋のせいかどうかはわからないと先生はおっしゃってたし、
霊障のせいでは絶対ないとも言えませんが、月曜日に、
耳鼻科ではなく血圧の検診を勧められてしまいました。

ということで、今は一眠りして服を洗濯しているところです。
詰め物をとってももう鼻血は出てきません。今日は安静にして過ごしますし、
念のため、書くはずだった話はお蔵入りにして資料も削除します。
みなさんも健康、特に食べ物には十分お気をつけください。






家ものホラーについて

2016.04.28 (Thu)
今日は怪談論とします。「家ものホラー」というジャンルがあって、
映画、小説、実話怪談のそれぞれで出てきますし、自分もいくつか書いています。
説明するまでもないでしょうが、簡単に言うと、
「ある建物に入ると、そこで怪異が起きる」という筋立てのことです。
みなさんも、あれもこれもと何本も指を折って数えることができるでしょう。
日本での歴史は古く、当ブログで何度か取り上げている『今昔物語』にも、
いくつかそれ系統の話が出てきます。

典型的なのは「三善清行(みよしのきよつら)が空き家へ引っ越す話」
というもので、三善清行は実在の人物。平安時代中期の公卿、漢学者で、
71歳という高齢で参議の地位にまで昇りました。
これは家柄を考えれば大出世と言えますが、実際に有能な人であったようで、
文章博士時代の論争は有名です。また怪異好きでもあり、
『善家秘記』という奇譚集も書き残しています。
もっと有名になってもいい人なんですけどね。

『この清行は、非の打ちどころのない人格者で学問教養が深く、
さらに陰陽道の知識もあり、善宰相(宰相は参議の別称)と民衆から呼ばれました。
清行は清貧を貫いて家がなかったので、家相が悪いといって放置されている
ボロボロの古家を見つけ、安く買って住むことにしました。
もちろん周囲の人は止めたのですが、聞き入れる様子もなく、
わざと日が落ちてからその家にいき、板の間だけを掃除させ、破れた障子の中に座り、
「明日の朝迎えに来い」と言って、供の者をみな返してしまいました。

そうして一本の灯をつけたのみで端座していると、まだ真夜中には間がある時分、
天井で何やら動く気配がします。見上げると、天井格子の一つ一つに顔があり、
それは全部別の顔でした。しかし清行が悠然と構えていると、それらはみな消え、
かわりに、ひさしの上に馬に乗った小人が四、五十人もぞろぞろと現れ、
部屋の上を渡っていきました。しかし清行はまったく怖れません。

やがて夜もふけてくると、急に戸を開いて、口元を袖で隠した女が、
座ったままにじり出てきましたが、その見えている部分はなんとも美しい。
ぜひ顔をすべて見たいものだと思っていると、女は顔をおおっていた袖を開き、
すると大きく横に開いた口の端から20cmほどの銀色の牙が何本も出ていました。
さすがにこれには清行もあきれましたが、怖いとは思いませんでした。
やがて女はまた元の場所に消え、今度は裃を着た老人が訴状を持って出てきました。

相対した清行が何事かと尋ねると、老人は、
「貴方様に住まわれては困るので訴えにきました」と言います。しかし清行は逆に、
「お前は鬼神の類であろうが、家というものは人から人に住まわれてこそ役に立つ。
それをおどかして出て行かせようとするのは物の道理に反する。
鬼神というのは、道理をわきまえているからこそ畏れられるのだ。
察するにお前は狐の類だろうから、明日にでも鷹狩の鷹を家に放してやろうか」
こう叱りつけると老人は恐縮し、

「おどしたのは家の童どもです。イタズラするなと申しつけておったのですが・・・
畏れ入りました。すぐにも出ていきます」と約束しました。
老人が声を上げると、数十人の者が声を合わせて答え、
それっきり家は静かになりました。その後、清行は家を修理して長く住みましたが、
少しも変わったことはありませんでした。このように、肝の座った賢い人には、
鬼神も何もできないものだと世の人は噂し合ったそうです。』(意訳)

こんな話なんですが、面白いと思うのは、最近「小さいおっさん」
などと言われている小人の集団や、口裂け女的な妖異が出てくるところです。
人間の想像力というのは、昔からそう変わるものではないんですね。
結局は家の怪異などというのは、住む人の人品骨柄によってどうにでもなる、
というような教訓が話に含まれているのかもしれません。

さて、次に少し現代の家ものホラーの構造について考えてみます。
まず家にいる怪異ですが、日本だと、何らかの理由でその場所に執着している、
亡くなった人間という場合が多いようです。これはさすがに、鬼神や妖怪、
狐狸などが人間と共存している実感があった平安時代などとは違います。
家に住みついた狐が、新しい住人を追い出すために悪さをするといった内容だと、
現代怪談としてはあまり怖くはならないでしょう。

これが外国だと、人間の幽霊の場合もありますが、
悪魔的な何かが原因となっている作品もあれこれ思い浮かびます。
キリスト教に力があれば、神の対立概念である悪魔も力を持つのですね。
あと、心霊スポット系の話も家ものに入る場合もありますが、
やはり一過性の訪問ではなく、一定期間住む場合を、
家ものホラーとして考えるほうがよさそうです。

家に執着する原因はさまざまですが、
①その家で孤独死をした人の念がとどまっている。
②その家をローンで買ったが、事情で手放して一家心中してしまったなど自殺関連。
③その家で殺人が行われ、犠牲者の恨みつらみが残っている。
④その家は何かのオカルトな儀式に使用され、その影響による。
⑤家の敷地や床下に墓や人の死んだ井戸などがある。
などが考えられます。『呪怨』なんかは③のケースですよね。

また、新しい住人に対する仕打ちとしては、
①たんにおどかして追いだそうとする三善清行のようなケース。
②新しい住人の生気を吸い取ったり、自殺するようにしむけて道連れにしようとする。
③新しい住人に憑依して体を乗っ取ろうとする。
④新しい住人に供養してもらいたい、何かの要求
(隠した金を発見するなど)をかなえてほしがっている。
などが考えられるでしょう。

さてさて、長くなってきましたのでまとめますが、
これは、「地縛霊」という概念が元になっている話が
家ものホラーには多いということです。
場所と人が結びついて離れることができない理由が存在するわけですね。

肉体を失った霊ならどこにでも行けそうなものですが、そうではない。
殺人の犠牲者の場合、相手の加害者に祟りに出ていかないで、
関係のない第三者に害をなすのは理不尽ではないかと思うのですが、
その家に足を踏み入れたのは地雷を踏んだのと同じというのは、現代的でもあります。
ただ、どうして霊と場所が結びついてしまったかの理由は、
それなりに考えて書き込む必要があると思われます。



 



Pranks特集

2016.04.27 (Wed)
今日はネタが思いつかなかったので、pranks の特集です。
pranksについては、前にクリスマスのときご紹介したんですが、
(たちの悪い)冗談、悪ふざけというような意味です。
youtubeなどの動画サイトで見ることができますが、
この中でも特に注目しているのが、scary pranksというジャンルで、
「怖さ」をテーマとした悪ふざけということです。
自分が怪談を書く場合、怖がって泣き叫んでいる人などが登場しますが、
その描写の参考にするという意味もあります。

さて、このscary pranksにも種類がありまして、
まずはTV番組制作チームによるもの。これは仕掛けが大掛かりになります。
それとカメラも多方向からで、照明も考えられています。
ただ、やはり国ごとに事情がありまして、日本でも昔は「どっきりカメラ」
のような番組がありましたが、今はまずやることはないですよね。
これは万が一に、おどかされた一般人が心不全でも起こした場合、
責任の取りようがないからです。後遺障害が起きることだって考えられ、
訴訟で数千万支払うリスクなどを考えると、もうできないんですね。

それに、日本はかなり肖像権意識が浸透してきているので、
うまく仕掛けが成功しても、放映を拒否する人も多いでしょう。
そういう人たちに多額の謝礼を払っていたのでは、コスト面も問題ありです。
なにより、今の日本の地上波では、企業イメージを損ねるようなものには、
当然ながらスポンサーはつきません。ですから、今ある番組というのは、
おどされるのがタレントや芸人である場合がほとんどで、
彼らの場合は、それもまた仕事のうちですから。
一般人が出てくる場合はやらせと考えてもいいと思います。
しかし、世界の国の中にはかなり過激な内容のものが放送されているところもあり、
自分が見た中では、ブラジルなんかはかなり無法でヤバイです。

これはそういう中から、zombie train pranks と呼ばれるものです。


もう一つ、elevator scary girl pranks


次は、数人がグループをつくって、動画サイトにチャンネル登録し、
お金を得る(やって面白いというのも当然あるでしょうが)ためにやってるものです。
ここに出てくるclown(道化師)たちはかなり悪質ですが、
警察に逮捕されたり、殴られたり、銃をつきつけられたりしています。
これはさすがに日本ではできないというか、何かの犯罪にあたるでしょうね。
心理学的によくできているなと思うのは、
人形の頭をつぶして血しぶきを出したりするところで、
最初は冗談と思っても、これを見ればその意識はふっとぶでしょう。
scary clown pranks


最後は girlfriend scary pranks というやつです。
自分の恋人に仕掛けるのですが、寝起き姿などのセクシーなものが
アクセス数が多くなります。下の動画は、透明スクリーンや人形を使用して
手が込んでいます。これで別れたりしなければいいのですが、
アメリカ人だと、入ってきたお金の半分やると言われれば、
かえって喜ぶかもしれませんね。










ケイちゃんと穴の話

2016.04.26 (Tue)
中学校1年生のときのことです。自分で立候補したわけじゃないんですが、
4月に入学してすぐ、学級の副委員長になったんです。
これ、同じ小学校だった女子の推薦だったんですよ。
私は中学校になったら部活動を頑張ろうと考えてたんで、
ちょっと嫌だなって思ったんですが、やってみるとたいした仕事は
ありませんでした。集会のときの入場の先導は男子の委員長がやるし、
目立つようなことはなかったんです。先生の手伝い的なちょっとした事務と、
あと、ケイちゃんのお世話と。このケイちゃんというのは、
特別支援学級のひまわりクラスに所属している子で、私とは別の小学校から来たんです。
それで交流学級というのがあって、音楽と美術の時間だけ、
ケイちゃんは私のクラスに混じって授業を受けてたんです。

こう話をすると、大変だなって思うかもしれませんけど、
ケイちゃんは自分のことはちゃんと一人で全部できました。ものすごく小さい子で、
見た目は小学校の3,4年くらいでしたね。今から考えると、
未熟児で産まれたのかもしれません。顔も小さかったですけど、
目がくりくりしてかわいい感じでした。それで、中学校の席って、
普通は男女隣り合わせに座ることが多いと思いますけど、私は最前列にいて、
隣は空いた机だったんです。ええ、ケイちゃんが来たときにそこに座ったんですよ。
そのときには私が机をくっつけてお世話をします。
といってもせいぜい、お道具袋から絵の具なんかを出すのを手伝う程度でしたけど。
ケイちゃんはほとんどものをしゃべらなかったんですが、
そのかわりいつもニコニコしていて、気まずいこともありませんでした。

というか、私は一人っ子でしたので、同じ学年なんですけど、
妹ができたみたいな感じがしてました。それから2学期に入って、
ケイちゃんは体育の授業にも参加するようになりました。といっても、
バスケやバレーなどの球技は無理で、マット運動や陸上なんかの種目のときだけです。
ケイちゃん、体が軽いせいかマット運動がすごく上手だったんですよ。
着替えは特別支援の学級で済ませてて、休み時間のときに私が迎えにいって、
体育館やグランドに連れていくんです。それで、あるときの体育の授業です。
ケイちゃんの手を引っぱって体育館にいくと、もうみんなが並んで座ってました。
それで最後尾につこうとしたら、ケイちゃんが真ん中ああたりで動かなくなったんです。
ギュッと足に力を入れて、いくら引っぱってもそこから動こうとしなくて。
「どうしたの?」って聞いてみました。そしたら「・・・穴がある」って言ったんです。

ちょっとびっくりしました。だって、4ヶ月間で言葉を聞いたのが、
それが3回目くらいでしたから。「えー、穴なんてどこにもないよ」って言いました。
そしたら体育の先生が近づいてきて。男の、けっこう怖い先生だったんですけど、
ケイちゃんには優しいというか、すごくいつも気をつかってたと思います。
私が先生に「ケイちゃん、穴があって怖いって言ってます」って報告したら、
「えー穴あ、どこに?」って先生が言いました。するとケイちゃんは、
黙って目の前の板敷の床を指差したんです。もちろん穴なんてなかったです。
体育の先生は「だいじょうぶだから、穴なんてないよ。ほら」そう言って、
ケイちゃんが指差したところを片足でドンドンと強く踏みつけました。
それでですね、これ、私の気のせいなのかもしれませんが、
そのとき先生がちょっと顔をしかめたんです。熱い鍋の取っ手にさわったような感じで。

そしたら、ケイちゃんはすっと足を踏み出し、何事もなかったようにその上を通って、
私と一緒に列の最後尾についたんです。その日は卓球の授業で、
何台も卓球台を出してペアになって打ち合ってました。私はケイちゃんと組でしたが、
レベルは同じようなものでした。先生は最初のうちは台の中を歩きまわって、
アドバイスを与えたりしてたんですが、やがてステージの下にいって立ってたんです。
そのとき、ギッギッ、ギッギッという音が上のほうでして、そっちを見たら、
普段は吊り上げているバスケットのゴールがブラーンと降りてきました。
同時に吊り下げロープが片方外れ、重い鉄パイプが先生の頭を直撃したんです。
ゴガッとすごい音がしました。先生は不意を打たれて前のめりに倒れ、
床にも顔を強く打ちつけました。生徒はみな呆然として見てたんですが、
ややあってキャーッという女子の悲鳴が重なりました。

うつ伏せに倒れた先生の顔の下に血が広がっていったからです。
ええ、その後はたいへんな騒ぎになり、救急車が学校にきました。
私は怖くなって、ケイちゃんの手を握ってました。そしたらケイちゃんが、
「穴、踏んだからだよ」って言ったんです。まとまって長くしゃべったのはこれ、
初めてでした。「穴って、さっき言ってたの?」ケイちゃんはこくんとうなずき、
それからぐるんと白目を剥きました。ものすごい早口で、
「深い穴、暗い穴、火の出る穴、穴穴穴穴あななななななななな」
こんなことを叫び続けたんです。そのときには先生方がたくさん来ていて、
異変に気がついた一人の先生が、ケイちゃんを抱きかかえて保健室に連れていきました。。
それで体育の先生は脳内出血で、運ばれた病院での手術中に亡くなってしまったんです。
こんな話なんですけど、まだ続きがあります。

このときのことがショックだったせいだと思うんですけど、
ケイちゃんはしばらく学校をお休みして、次に学校に来たのは冬になってからのことでした。
「また迎えにいってあげてね」と担任の先生に言われ、私は、
前のときは怖かったけど、もう治ったんだろうと思って、
音楽の授業の前にひまわりクラスに迎えに行きました。1年生はケイちゃんだけで、
2年生がもう2人いたはずです。入り口の戸を開けると、
ケイちゃんが走り出てきましたが、最初はそうとわかりませんでした。
すごく背が伸びてたんです。私よりは低かったですが小学生の感じはなくなってて。
それと、長くして結んでた髪が、男子みたいに短くなってました。
ケイちゃんは無言で私の手を両手で握ると、ひまわり学級の中へと引っ張りました。
学級の中には、アニメのキャラなどを切り抜いて貼りつけた衝立があったんです。

一つの学級内で別々のことをやったりするので、仕切るためのものです。
その陰に私を引っぱっていこうとしてるみたいでした。
何か見せたいものがあるんだろうと思い、そのままついてったんです。
衝立の角を曲がるとケイちゃんは私の手をつかんだままピョンと前に跳び、
私はよろけながら足元を見ると、そこに真っ黒い穴があったんですよ。
これ幻覚とかじゃないんです。後でわかったことですが、
ひまわり学級の先生が席を外してるわずかな時間に、ケイちゃんが黒いクレヨンで、
床にグルグル描いた穴だったんです。それを見た瞬間、
私はあの体育の時間のことが甦ってきて、とっさに体をひねって
穴の横に倒れたんです。そのとき、こっちは幻覚かもしれませんが、
その床の穴から、ボッと天井まで火が上がったように見えました。

私は仰向けのままケイちゃんのほうを見ると、
白い顔の中には何の表情もありませんでした。ケイちゃんはそのまま後じさりし、
壁の隅までいくと、そこで体育座りして動かなくなってしまいました。
そこへひまわり学級の先生が来て「あらあら、ケイちゃん具合悪いの?」
そう言って顔をのぞき込みました。結局、その授業にはケイちゃんは出ることができず、
交流学級もなくなってしまったんです。私はほっとしたというか何というか・・・
やっぱり怖かったんですね。というのも、その年のうちに
ひまわり学級の担任の先生が亡くなったんです。これは事故ではなく急病でしたが。
ケイちゃんはその年度の終わりに転校しました。それ以来会ってはいないんですが、
中学校を卒業するまでケイちゃんから年賀状がきました。表の宛名は大人が書いたもので、
裏はマジックをグルグル塗りつけた黒い穴・・・返事は出さなかったです。

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狸汁の話

2016.04.25 (Mon)
去年の冬のことですね。そんときはまだ大学生だったんですけど。
寮生活してたんです。お金がなかったですから。
実家の両親が、俺が高校のときに交通事故でいっぺんに亡くなりまして。
保険とか慰謝料が入るような形の事故じゃなかったんです。
親戚が家財などを整理してくれて、交通遺児の奨学金も受けましたけど、
それでは足りず朝から晩までバイトで、
その合間に大学の授業に出てるようなあんばいで。
今にして思えば、何のために大学に入ったのかって考えちゃいますよね。
そんな具合だったけど、年末年始はバイトがなかったんです。
メインが本の配送だったから。でね、短期のバイトでもないかと
寮の共有のパソコンでネット見てたら、一つ上の先輩が来まして、

「お前、正月中ヒマか?」と聞いてきたんです。「4日までバイト先、休みなんです」
って答えると、「じゃあ俺のオジさんのとこに行かねえか」って誘われて。
それ聞いたとき、お金かかるのはやだなって思ったんです。
寮にいれば晩飯は出ますから。躊躇してたら先輩は「なに、金はかからん。
 行くのは山の中だから。行き帰りとも俺の車で送るし、それになあ、
 狸汁とかうさぎ汁が毎日食えるぞ」って。・・・どういうことかと思うでしょ。
でね、詳しい話を聞いてみたんです。そしたら、その先輩のオジさんは今年58歳、
前年に大企業を早期退職したんだそうです。理由は、奥さんと息子さんを
交通事故で亡くされて仕事をする張りを失ったからってことで、ほら、
さっき話したように俺の両親も事故死してるでしょ。他人事じゃない気がしたんです。
先輩は続けて「オジさんは山のわずかな土地を買って、そこで自給自足してるんだ。

 退職する前からその麓に別荘を持ってたんだけどな。で、罠猟の免許持ってるんだ。
 休日とかよく行ってたんだよ。それが本格化したってことだな。
 よく俺の実家に、ミソ漬けの狸肉とか送られてきてるみたいだ」
こんな話だったんです。でね、熱心に誘われて心が動き、
正月の2日、3日とお世話になることにしたんです。先輩の車はスバルの中古で、
雪道に強いやつでした。長野市街から1時間半くらい。道はガラガラでした。
ただ、山麓の道の駅に車を停めて、そっからは雪山を歩いて登ったんです。
40分ほどかかりましたけど、雪がなければ15分くらいの距離だったと思います。
先輩のオジさんが始終通ってるらしく、道はついてました。
もっとね、山奥を想像してたんですけど、考えてみれば、
高いとこだと電気もなだろうし、普通の人が暮らすのは無理ですよね。

着いてみたら、小屋住みだって聞いてたけど、真新しい平屋の、
ずいぶん立派な山小屋でした。オジさんはかなり背の高い人で、ガッチリした体格。
もうすぐ60には見えませんでした。顔中無精髭でにっこり笑うと、
悪いひとには見えなかったんですが・・・ 小屋の中には囲炉裏が切ってあって、
それ以外に薪ストーブもあり、寒さは感じませんでした。
炉には鍋がかかってまして、うまそうなにおいがしてました。着いたのは昼前でしたが、
オジさんは「昨日獲ったばっかのやつだ。冬場だから脂はのってないが、臭みはない」
こう言われて、ごちそうになるとこれがトロけるように柔らかかったんです。
「獣肉は臭いって言うし、確かに狸は独特の臭いがあるけど、ウサギは違う。
 それに狸や穴熊だって、ちゃんと処理すれば立派なジビエだ。晩には、
 ミソ漬けの狸肉食わせてやっから」こう言ったんです。

それから山小屋生活の話、保存食や罠猟のことを聞きました。
外に出てみると、メインの小屋の他に二つ、作りの粗末な小屋が建ってて、
オジさんは作業小屋って言いました。「ほら、家族を事故で亡くしただろ。
 だからねえ、その供養もかねて仏像を彫ってるんだ。それやってるところ」
大きいほうの小屋の戸を開けると、中には電ノコとかいろんな機械があって、
丸木が積まれてました。あと、怖いような歯がついた、獣罠もありました。
で、奥のほうに台座を入れて2mほどの高さの仏像が2体。よくわかんないですけど、
一木彫っていうのかな。丸木の皮をはいでそのまま外から彫ってるやつ。
粗削りで、何という仏様かもわからないし、まだ未完成に見えました。そう言うと、
「ああ、2体平行して彫ってるんだ。失敗しても継ぎ足す技術はないから慎重に」
こんな話をしてたんですが、俺、なんか違和感を感じたんですよ。

だってほら、仏像って仏教のもんだから、殺生を嫌うってことでしょ。
それなのに、像の前には平然と罠が置いてあるし、
小屋の中そのものがすごく獣臭かったんです。仏像のさらに奥には木の台もあったし、
もしかしたらここで解体もしてるんじゃないかと思ったんです。
ねえ、これおかしいと思いますよね。家族の供養って言ってたから、
信心とか関係なく、彫刻の趣味でやってるってこともないだろうし。
無神経なのかなあ、と思ったんです。その後は、スノーモビルを貸してもらって、
暗くなるまで先輩と乗ったんです。戻ってみると、狸汁の他に唐揚げまで用意されてました。
オジさんは「飲めるだろ」と言って、ドブロクなのかな。
黄色く濁った酒を出してきたんですが、これが飲みやすくて、
オジさんも先輩もコップでグイグイやってたんで、ついつられて・・・

そんときに、俺の両親の話も出たんです。「気の毒だねえ、悔しかったろう」って。
酒のせいで俺も饒舌になってて、いろんなことをしゃべり、
ウンウンって聞いてくれてたんですが、そっから先の記憶が途切れてるんです。
これ、後で思ったんですけど、酒になんか入ってたんじゃないかって・・・
とにかく、次に気がついたときには真っ暗な中にいたんです。
頭がガンガン割れるように痛くて。それと自分の体の位置がよくわかりませんでした。
なんかにもたれて立ってるような感じがしたんです。手を伸ばすと、
すぐ胸の先で行き止まりになって、何か箱のようなものに立ったまま入ってる、
そういう状態なんだと思いました。これはパニックになるでしょ。
その状態ですごく暴れたんです。そしたら、そのまま入ってるものごと倒れたような
衝撃があって。前のほうが開いて、俺は外に転げ出たんです。

外は薄明るく、かなり寒かったです。作業小屋の中にいるんだと思いましたが、
昼に見せてもらったほうではなく、小さいほうの小屋。LEDの照明がついてました。
立ち上がると下は藁で、俺が入ってた箱みたいなのは仏像だったんです。
前の2体とは別のにに見えましたね。それの中がくり抜かれて、
そん中に入れられてたってことです。あと、仏像は顔を下向きにして倒れたので、
背中が見えたんですけど、その尻の部分に横に曲がるような形で、
木彫りの獣のしっぽがついてたんです。・・・こんな話信じられますか?
あと、目の前の藁の上には大きな狸だと思いますが、その死体が数匹分
積み上げられていて、血の臭いがしたんで、ごく最近獲ったもんじゃないかと思いました。
わけわかんないながらも、母屋には戻られないと思いました。逃げたほうがいいって。
そんとき俺は、昼着てたダウンのままだったんです。ただ足は靴下だけで。

でもね、小屋の中に長靴と藁沓があったんです。長靴は大きかったけどそれ履いて、
小屋の戸はかんぬき錠で中から開けられたので、そっと外に出ると、
外は雪こそ降ってなかったですが、長野の1月だから、気温は零下だったと思います。
ゾクゾクっと震えがきましたが、来たのは一本道だったから、
とにかく道の駅まで降りようと・・・もちろん街灯も何もないんですが、
雪でぼうっと先のほうが見えました。20mくらい小屋から離れたところで、
後ろで音がしたんです。振り返ってみると、母屋からオジさんと先輩が出てくるところで、
オジさんだと思いますが「逃げるなあっ!!」大声で叫ぶ声が聞こえました。
そっからは俺、転げるようにして坂を下っていったら、
背後で「バーン」という音が聞こえて、これ猟銃を撃たれたんだと思います。
何度も転びながら坂を下って、その間に銃声は3回はしたんじゃんかな。

国道に出たときは心底ほっとしましたが、通ってる車はなし。
そこでやっと腕時計見たら、朝方の5時過ぎでした。道の駅まで走って、
そしたら幸い、駐車場の管理所みたいなとこの明かりがついてたんです。
ドンドン戸を叩いたら、制服の警備員らしい人が出てきて中に入れてくれました。
そのとたん俺の全身に震えがきて、寒気がして倒れてしまったんです。
救急車を呼んでくれたようで、病院で急性肺炎と診断され、
そのまま入院ってことになったんです。救急隊員から話を聞いたのか、
警察もきて事情を聞かれました。あったことをそのまましゃべったんですが、
後になって、山小屋には誰もいなかったって聞かされました。先輩は大学に出てこず、
警察は殺人未遂で捜査したみたいだけど、そもそも先輩にそんなオジさんは
いないようでした。で、俺も人間不信みたいになっちゃって、すぐ大学辞めちゃったんです。







反則企画

2016.04.24 (Sun)
反則企画

今日は仕事が忙しく、反則企画とさせてください。
ちなみにこの話は上小阿仁村のことではありませんので、ご理解ください。

無医村

爺ちゃんは当時すごい田舎の山村に住んでて、
村にはあまり評判のよくない医者が一軒しかなかった。
それで爺ちゃんの知り合いの年配の男性が盲腸になって、
しかたなくその医者に手術してもらったんだけど、
膿の処置が悪かったとかで腹膜炎を起こしてしまったんだ。
これは市の病院に運んで腸を出して洗うしかないということになったが、
真冬で豪雪地帯なのでバスは動かないし鉄道は最初からない。

けれど運のいいことに、たまたま村に陸軍の部隊が駐屯していて、
事情を話したら馬そりにのせて市まで運んでもらえることになった。
それで鎮痛剤を打って毛布でくるんでそりにのせたんだけど、
ものすごい苦しみようで、のたうち回るようにして毛布をひっぺがしてしまう。
それですごく村の医者を恨んで悪口を言い続けていたという。
医者がちゃんと処置してればこうはならなかったのにっていう、
逆恨みに近いものだったらしい。

あまり暴れるんで道中看護兵が一人その人について様子を見てくれてたんだけど、
とうとう行軍中の夕方に亡くなってしまった。
これはその看護兵がきちんと死を確認して間違いはなかったらしい。
それでもう病院に運ぶ必要もないからということで、
途中の民家に遺体を置かせてもらい村から人を出して、
その人の家に戻すことになった。
そこで民家の人に事情を話して毛布にくるんだまま、
戸板にのせて馬小屋に寝かせて置いた。

そして朝になってその家の人がお線香をあげようとしたら、
毛布ばかりで遺体がなくなってた。
どこで見つかったかというと村の手術した医者の家の前。
カチカチに凍りついた状態で両目を見開いたまま、
医者の玄関前の雪の中につっ立った状態で死んでた。
戸をあけてすぐにそれを見てしまった医者は
仰天して腰をぬかしたらしい。それが元になったのかはわからないけど、
その医者も一年たたないうちに心臓病で亡くなった。

上に書いたように看護兵がその人の死を確認しているし、
そもそも豪雪の中を夜から朝にかけて歩いても、
とうていたどりつける距離ではなかったって爺ちゃんは強調してた。
それから後日談と言えるかわからないけど、その村はずっと無医村の状態が続いていて、
村の診療所にいくら新しい医者を迎えても、みな一年くらいでやめてしまうんだそうだ。


・上小阿仁村のことか。www

・村人が医者をいじめるからだろ。

・タイトルだけ見て真っ先に上小阿仁村連想したら違ったでござる
 そしてコメ欄に真っ先に書いてあって不覚にもワロタでござる

・腹に膿が溜まって、鎮痛剤も効かないほどの苦しみを味わった・・・
 まあ、わかるわ。だからって関係の無い現代の医者まで
 虐めて追い出したらあかんけどw

・ヤブ医者のせいで盲腸→腹膜炎 で苦しみ抜いた私が通りますよ。
 まじでほんとに七転八倒、苦しみわかります。
 私もタヒんでたらヤブんちの前に立ったさ。

・昨日、上小阿仁村のことを調べたばかりだ。
 この話が件の村のことかは分からないが、なんとタイムリーな。

・医者の腕が悪いというよりは設備や衛生状態が悪いのではないだろうか。

・それも含めて医者の腕。
 ないならないなりに、処置のしようというものがある。
 道具がないから、設備が整ってないからってのは言い訳にもならんよ。

・それは言い訳じゃなくてただの事実確認だよ。
 医療系ドラマや漫画の見すぎじゃね。
 ってまぁ、本文の医者がまともだったかどうかは知らんけど。

・設備はともかく衛生状態は医療者の心掛けだろうからやっぱヤブだろ。
 器具を充分煮沸してないとか爪の間を充分洗ってないとか。
 
・逆恨み?。筋の通った恨みの気がする。

・俺も腹に膿貯まって腹膜炎なったんだが、マジ痛いぞ。
 歩こうと足あげるだけでも腹に激痛、
 車で病院いくにも水道工事跡のちょっとした段差も超激痛、悶えるくらいだ。
 マジで地獄の苦しみだった。健康に感謝。






帰りのバスの話

2016.04.23 (Sat)
俺ね、仕事はフリーのルポライターなんだ。ああ、でも硬派な取材とかはせんよ。
かといって軟派もしないし。これほど、幅のある職種はないからね。
命がけで戦場に行ってくるやつもいるし、かと思えば、
歌舞伎町潜入だってルポだし、同業者の仕事。
俺の場合は、専門は旅行関係、観光地巡りが主なんだよ。
それで旅行のムックに記事を載せるわけ。だから写真も撮れるよ。
プロ級の腕じゃないが、今は加工ソフトがあるしね。
で、この間、あるパワースポットに行ったのよ。
ほら、そこへ行くとよい気をもらってきて、人生が好転するとか言われる場所。
例えば、有名どころでは伊勢神宮なんかがそうだが、
あれだって古いとはいえ人工物だからな。大自然のスポットにはかなわん。

でねえ、そんときの取材は、場所は伏せといたほうがいいだろ。
ある海岸だったんだよ。岩浜で、波の花で有名って言えばわかるかもしれねえな。
うんそう、波の花ってのはまあ泡だよ。波が激しくて、
しかもそれが岩にぶち当たって、泡風呂みたいになってる場所。
どうだろうねえ、海水の成分も関係あるのかもしれない。
そのフワフワで海岸線が埋めつくされてるんだ。きれいっていえばそうだけど、
なんか怖い感じもしたな。だってそこ、パワースポットと名がついてるけど、
年間20名くらい自殺者がいるんだよ。そ、崖から泡の中に飛び込む。
そういうとこだから、依頼者もちょっと怪しいオカルト系の雑誌で。
いやいや、普段はそういうとこには書かないんだけど、ちょっと事情があって。
そこの女編集者といい仲になってるんだ。

でね、今回の取材もその子と同行してたわけ。
だからね、取材費は当日分しか出てなかったけど、自腹で泊まるつもりだったんだ。
旅館も予約してあった。だけどねえ、あんなことがあって彼女がブルっちゃって。
ま、俺だってそうだよ。はっきり言って、そんときまで、
心霊オカルトなんて信じてなかったわけ。うーん、パワースポットとかはまた別だろ。
森林浴とかああいう効果があるもんだと思ってた。
誰だって大自然にふれりゃ気持ちよくなるじゃね。
でね、予定の取材は滞りなく済んで。写真もけっこういいのが取れたし、
地元の人や近くの神社、観光客からも話を聞いて、
記事一本分のネタは仕込んできたんだよ。その帰りのバスの中でのことだ。
バスはもよりのJR駅とそこの海岸を往復するシャトル便で、乗ったのは4時半頃だな。

取材は平日だったし、まだ寒い時期だったんで、
一緒に乗ったのは俺と彼女以外5~6人ぐらいだったはずだ。
だからバスの中はガラガラで、俺はちょっとバス酔いするんで、
一番後ろの席に彼女と並んで座ったわけ。バスは定時に発車して、そしたらね、
強烈に潮の臭いがしたんだよ。でも、それは外がそうだから、
臭いが入り込んできてるだけだと思ったのよ。でね、俺は彼女と手をつないで、
夜の楽しいこととか考えてたわけ。そのバスは駅まで50分くらいで走るんだ。
それで10分ほど過ぎたあたりで、運転手がマイクを取ったようで、
一つ咳払いしてから、「お乗りになってはいけないお客さんがおられますね。
 次の停留所で停まりますから、どうぞ自分の場所にお戻りください」
こんなことを言ったんだよ。もちろんそんときはどういう意味かわからんかった。

そもそも、そのバスはシャトルだから途中で停止したりはしない。でな、
俺らは最奥の席にいるから、背もたれで他の乗客の姿は見えなかったんだよ。
乗り込んだときも特に変な人はいなかったと思った。だから、
変なことを言う運転手だなあって思って。「お乗りになってはいけないお客さん」
って何なんだろうって、そりゃ当然考えるだろ。
バスは5分ほど走って路線バスの停留所で停まり、前部のドアが開いた。
誰が降りるんだろうって見てたら、これが誰も降りる人はいなかったんだよ。
ドアは2分くらいも開いててから、また閉じてバスが走りだした。
で、運転手がまたマイクを持って、「お降りになられなかったようですね。残念です。
 その他のお客様、ご迷惑とは存じますが、今からビデオを放映します。
 ご気分が悪くなられた場合は、後で申し出てください」

こうアナウンスしたんだよ。かなり慣れてる口調でよどみがなかったな。
でな、何が始まるのかって思うだろ。俺はけっこう興味津々だった。
ただ彼女はほら、つねにオカルト系に接してるから、
「これ、何かヤバイかも」って言って、俺の手を強く握り返してきたんだ。
ドーンという音とともにバスの大型テレビがついた。
あの、団体客に映画見せたりする大画面のやつだよ。思わず見ると、
どっかの寺の大法要らしき場面が映り、坊主が数十人、だだっ広い本堂に座って、
読経してたんだよ。お経ももちろん大音響で聞こえてきた。他の乗客の誰かが、
「なんですかこれは?」と言った声がかろうじて聞こえてきた。
それは俺も同じ気持だったが、すぐに「ぎええええ、がっ、がっ、がっ」
という不気味な悲鳴が上がったんだ。経の声に負けないほど大きかった。

それと、バスは普通に田舎道を走ってるのに、なぜが左右に揺れてきたんだよ。
「少し揺れますのでご注意ください」運転手が平然とした調子で言い、
そのとき彼女が「あっ、あれ」と、俺らのいた4つくらい前の席を指差した。
観光バスの背もたれだから、頭の先がちょっと見えるくらいだったが、
そこにあった白髪頭がいきなりにょーんと、天井近くまで伸びたんだよ。
ありえないだろ。頭の太さは最初はそのままだったが、
パーマに見える白髪がぶわっと横に広がって、それがバッサバッサ揺れはじめて。
それと同時にさっきからしてた潮の臭いが一段ときつくなった。
海からはだいぶん離れたのに。 「きゃーっ」これはたぶん他の一般乗客らしい悲鳴で、
その伸びた頭の近くにいた年配の女性が、通路に出て俺らのほうに走りこんできた。
前を指差して「お化け、お化け!」って騒ぐ。

乗客が少なくてよかったが、もし多けりゃ大パニックだよ、ありゃ。
運転手がボリュームを上げたようで、読経の声がますます高まり、
それに同調するように、頭が伸びたバケモノが「ギャッ、ギャッ」叫んでた。
「いいですか、次の停留所で降りてくださいね。
 でないとますます浄化が遅くなりますよ」運転手がこう放送し、
バスが停まってドアが開くと同時に、伸びてた頭がシュンと縮んで、
白い煙、そうだなあ布団袋くらいの大きさのやつが、
ひとかたまりになって出ていったんだよ・・・ 運転手が、
「お乗車のみなさま、たいへんご迷惑をおかけしました。乗車賃は今回いただきません。
 往復券をお買いになられた方は、本社のほうで払い戻しさせていただきます。
 まことに相済みませんでした」こんなことを言ったんだよ。

それからはバスは普通に走り、車内の潮の臭いもだんだん薄れていって、
JRの駅に着いたんだ。降りるときに、運転手の顔をまじまじ見たら、
「何かご質問ですか?」こう切り返されて、彼女が袖を引っぱったせいもあるが、
何も言えずじまいだったんだよ。これが俺のルポの弱い点なんだ。
あと一歩が突っ込めない。駅で彼女と「今のこと、記事にするか?」って話し合った。
彼女はかなり考えこんだ後で「やめましょう。本物すぎて誰も信じてくれない。
 それに祟りも怖いし」って。まあそうだよなあ。それと俺が、
「それにしても運転手落ち着いてたよなあ」って言うと、
「私たちの非日常が、あの人にとっては日常なんでしょうね」と、
わかったようなことを言った。うっと言葉に詰まったよ。
これって、ルポの基本の一つなんだ。ああ、俺ってつくづくダメだなと思って。

indexなかい





仙人になるには

2016.04.22 (Fri)
前に「仙道・道教について」という項を書いて、わりと評判がよかったので、
その続きです。みなさんは仙人というと何を連想されるでしょうか。
やはり「不老不死」と答える方が多いのではないでしょうか。
これ、老衰や病気では死なないということで、
仙人でも事故で死ぬことはあるようですし、殺されることもあります。

あと、仙人は不老なわけですが、これ自体はあまり意味がないようですね。
外見は、白い髭の老人であったり童子の姿であったり、
好みによって自在に変えることができまして、男性は重々しいのが好きなのか、
老人姿が多く、女性の仙人はさすがに老婆姿は好まないようで、
自分が最も美しい時代の容姿をしていることがほとんどです。

さて、仙人はすなわち道教の神として信仰されているわけですが、
特に有名な8人を八仙と言います。これはジャッキー・チェン映画の『酔拳』
に出てくる酔八仙と重なっている場合もあり、下図のような方々です。
なんか見たことがある絵柄ですが、日本の宝船そっくりですね。
女性が(日本では弁財天)が一人混じっているところも似ています。
これは『東遊記』という書物に出てくる、八仙が東海に遊びに出かける場面で、
掛け軸などで見ることが多いです。『東遊記』は『西遊記』と同じような、
荒唐無稽な話で、孫悟空(斉天大聖)も出てきます。

『八仙図』


八仙すべてを紹介している時間はないので、
今回は呂洞賓(りょ どうひん)に登場してもらいましょう。 唐の貞元14年
(794年)永楽鎮生まれ。父や祖父の役職もわかっていて、
わりに新しい時代の人です。仙人の中には、数千年前の中国の神話時代の人もいれば、
宋の時代(12世紀頃)の人もいて、新旧入り交じっています。
「邯鄲(かんたん)夢の枕」あるいは「黄粱(こうりゃん)の夢」
という故事成語はよく似た話で、日本でも有名です。その登場人物には、
さまざまな人があてられていますが、この呂洞賓もその一人です。

彼は幼い頃から聡明だということで評判だったのですが、
中国では官吏になるためには科挙を受けなくてはなりません。
これはまあ公平な制度ですが極めて難しく、二度落第してしまいます。
父親は刺史(警察長官のようなもの)にまでなった人ですので、プレッシャーは大きく、
唐の長安の酒場でヤケ酒を飲んでいると、一人の道士が話しかけてきます。
道士は呂洞賓に才能(仙骨)があるのを見て取り、修行を勧めてきたわけです。
しかし、まだ立身出世に未練があった呂はこれを断ります。

やがて、食事をしようと粥を煮はじめたところで、呂は酔いからうたた寝してしまう。
そしてその夢の中で、科挙に及第し、みるみる出世して嫁も貰い、
時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、
運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信用をとり戻ししたりしながら栄華を極め、
賢臣の誉れを得る。子や孫にも恵まれたが年齢には勝てず、
多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ・・・ここで目が覚めると、
そばには道士がいて、まだ粥の黄粱が炊きあがってはいなかった・・・

こんな話ですよね。わずか数分のうちに自分の一生を、
微に入り細にわたって見てしまったのです。でまあ当然、
人の世の儚さを悟るわけです。そこで道士に弟子入りしたいと頼み込みますが、
道士は自分で話を持ちかけたくせに、呂洞賓に十の試練を与えると言います。
このあたりは『杜子春』とよく似ているのですが、中国にはある仙人が、
どうやって仙人になったか(道心を得たか)という物語がありまして、
杜子春はその中でも失敗談に入ります。最終的に仙人になれなかったわけですから。
ただ呂洞賓の場合は、杜子春とは違って、
日常生活の中でいつ試練が来るかわからない。

この十の試練全部を書くと長くなりますので、興味を持たれた方は、
Wikiの「呂洞賓」を検索してみてください。いくつか抜き出してみると、

第一試 ある日、洞賓が外出し戻ってくると、家族全員が病死していた。
彼は嘆くことなく淡々と葬儀の準備をした。しばらくすると、
死者はみな生き返ったが、呂洞賓は全く怪しまなかった。

第五試 洞賓が山中の道舎で読書をしていると、突然、
妙齢の絶世の美女がやってきた。母の元から帰るところなのだが、
日が暮れてしまったので休ませて欲しいという。夜になると女性は何度も誘惑したが、
洞賓は最後まで心を動かさなかった。女性は三日経った後、去っていった。

第七試 ある日、洞賓は街で銅器を買って帰ったが、見るとそれはすべて
金でできていた。ただちに銅器の売り主を探し、これを返した。

第九試 洞賓は大勢の人々と共に河を渡っていた。しかし中流に至ると河が氾濫し、
風が激しく吹き荒れ、荒波がどっと押し寄せた。人々はみな恐れおののいたが、
洞賓は端坐し動かなかった。


こんな感じです。第一試は家族に対する情愛の念を捨てること。
第五試は色欲を断つこと。第七試は金銭欲をなくす。
第九試は自分の命への執着を捨てる。
なかなかできることではないですよねえ。あと面白いのは、
第二試 ある日、呂洞賓が市へ物を売りに行きその値段を決めたが、相手が前言撤回し、
値段の半分しか払わなかった。しかし、洞賓は何も言わなかった。

というやつで、これは唐の時代の話ですが、
現代でも中国の市場でよく見られるような光景です。あまり変わってないんですね。
これらの試練をはねのけ、呂洞賓は道士の弟子になって修行を開始するのです。

さてさて、これ、自分を捨て欲を捨て、命さえも惜しまないというのは、
仏教の無常観と似たところがあります。ただし違うのは、
仏教では輪廻からの解脱が目的であるのに対して、道教の場合、
あくまでも生きたままこの世にとどまり、
仙界と人界を自在に行ききすることにあります。

これらの仙人は、いまだに雲の上を飛び回っているということですが、
その永劫にも近い時間は、自分という意識や我欲があっては、
耐えることができないのです。日本の久米仙人は若い女のふくらはぎを見て
雲から落ちてしまいましたが、仙人になっても修行を怠るとそういうことになります。
不老不死は、ほぼすべてのことを捨てる見返りとしてあるわけなんです。
関連記事 『仙道・道教について』

『呂洞賓』






三日月沼の話

2016.04.21 (Thu)
これね、俺が小学生のときのこと。夏休み中に田舎のジジババの家に預けられてね。
6年生のときだったんだけどな。え、よくありがちな話だって。
まあなあ・・・でもよ、両親が共稼ぎだったし、
ガキに平日の日中、家にいられるのは心配だってことだったんだろ。
俺は一人っ子だったしな。それに、やっぱ東京もんにとっちゃ、
田舎は異界に近いようなもんだよ。夜は9時過ぎるともう寝ちゃうし、
外はまばらな林で街灯もなくて真っ暗だし。しかたなくゲームばっかやってたんだよ。
だから今から考えりゃ、ジイサンバアサンにとっても、可愛げのねえガキだったろうな。
で、だいたい8月の初めころに行って、お盆に両親が来て、
それといっしょに帰るんだよ。だから滞在は10日くらいだ。
まあでも、他にやることがないから宿題ははかどったけどな。

でね、隣の家、これが畑をはさんでけっこう離れてるんだが、
竹治って息子がいたんだよ。年は俺より2つ上で中2だった。
小さいころは向こうから誘いにきて、けっこう遊んだりもした記憶があるが、
あんまり楽しくなかった。なんかなあイジワルなやつだったんだよ。
年下のこっちを困らせて楽しんでるようなとこがあったな。
今? 今はなあ家を出て消息知れずらしいよ。東京に来てるって話は聞いたが、
会ったことはない。おおかた人聞きのよくない商売してんじゃねえか。
ああ、それで小6のときのことだ。その竹治が午後に遊びに来たんだよ。
縁側で声が聞こえて、庭に出てみたら竹の釣り竿2本持った竹治がいたんだ。
で、俺に釣りに行こうって言ってきた。ジジババはそれ聞いて、
「よかったの、気いつけていってこい、晩飯まで戻っておいでよ」こんな感じ。

だから俺も特別危険なことがあるとは思ってなかったんだよ。
竹治と話するのは2年ぶりだったから、ちょっと話しづらい感じもあったが、
俺のほうから「鮒釣りか。川でやるんか?」って聞いてみた。
したら竹治は、「いんやここらは川の場所が悪い。流れが速くてあんまり釣れないんだ。
 もっと下流だと鯉、上流だとハヤとかいるんだが、そっちまで行く時間がねえ」
で、三日月沼に行くって言ったんだ。ほら川が曲がり過ぎると、
端と端でつながってしまて、真ん中の部分が三日月型に取り残された場所だ。
そういうのが10分ほど土手を歩いた野っ原の中に、いくつもあるって話だった。
「そんな沼だと、たいして魚はいねえと思うだろうが、これが緋鯉とかいるんだ。
 ここらは度々洪水になるから、そういうときに池で飼ってる鯉が逃げるんだな。
 あまえのジイサンちの池にも鯉がいるだろ」こんなふうに言ってきた。

でな、土手から降りてその下に、また土手に沿った道があるんだが、
そこは両側から丈の高い草がかぶさってきてて、俺は体中をアブかなんかに食われた。
竹治と2人で「カイー、カイー」言いながら歩いてくと、
沼が見えてきたが、三日月型でもないし、かなり小さかった。
竹治が「お前のジイサンには聞かれたらここで釣ったて言えよ」そう言って、
ずんずん先へ歩いてった。「もうどんくらい?」 「あとちょっと」
とは言ったものの、それから15分くらいはかかったな。
その先に、伸ばせば100mくらいにはなるクロワッサンの形の、
まさに三日月沼があったんだよ。ただ、一目見て「えっ!」って思った。
というのは、水面が赤黒いような色に見えたからだ。
いや、夕焼けの時間帯じゃない。「あれ、水赤いよ」って言ったら、

「それ、角度でそう見えるだけだから。もう少し近づいてみればわかる」
こう言われて、確かにすぐそばまできたら濃い緑色の水面に変わったんだよ。
「どういう加減か知らんが、赤と緑って色としては近いらしいぜ。
 美術の先生がそう言ってた」竹治は俺に釣り竿の一本を渡して、
「餌は岸のあたりの土を掘ってミミズを探せ。それが一番釣れる。
 いなかったらこれ使え」ビニール袋に入った小エビを渡してよこした。
三日月沼のあちこちには、釣り人がつくったと思える板を敷いた釣り場があって、
竿を立てる二股になった枝が刺さってそのままになってる場所もあった。
「2人で釣れば、どうせお前糸をからませてくるだろうから、分かれて釣ろうぜ。
 それであとで、どっちが釣れたか比べよう」竹治は俺にバケツ渡し、
自分は魚籠を持って草の中を歩きながら、

「お前ここで釣れ。なんかあったら叫べ」って釣り場を指し示し、
自分は一人で先に歩いてったんだよ。ま、多少心細くはあったが、
そのときはそれよりも釣りのほうに興味をひかれてたんだな。
数年前に親父と釣り堀に行ったことがあるきりだったんだよ。
そこらを木の棒で掘り返してみたらミミズはすぐ出てきたが、太くて動きが激しく、
ちぎって針につけるのは俺には無理だった。だから小エビを出してつけ、
ぽちゃっと目の前の水に投げ込んだんだよ。したら、
黙ってると糸はどんどん沈んでいって竿の先が水についてしまう。
かなりの深さがあるんだってわかった。頻繁に竿を上げてみたが餌はついたままで、
なんか魚がいる雰囲気がなかった。それと、目の前の水の中がなんだか赤い気がした。
いやあ、濁っててよくわからんかったが、底のほうがじわーっと赤い・・・

「どんだ? 釣れたか」って竹治の声が草の中からし、「全然」って怒鳴り返すと、
「こっちもだあ」って声が返ってきた。それから1時間ばかり2人ともあたりはなし。
こりゃ魚がいないんじゃないかって飽きてきた矢先に、
クンと竿の先が引っ張られるのがわかった。「おー、何かきたぞ~!」って叫んだら、
竹治がやってきた。俺の竿を見て「かかってるが、網を使うほど大物じゃない。
 そのまま上げろ」って言ったんで、俺は泡を食って竿を上げたら、
魚は頭の上を飛び越えて後ろの草むらに落ちた。
見にいった竹治が「何だこりゃ」って言うのが聞こえ、俺もいってみると、
真っ赤な魚が落ちてたんだ。金魚とか鯉の鮮やかな赤とは違う、
黒が混じったような赤い色。形も口が尖ってて鯉とは似てなかった。
10cmくらいだった。「うーん気味悪りいな」竹治はそう言ったが、

俺はせっかく釣ったんだからと思って、手ですくって水を張ったバケツに入れた。
そしたら草の上ではピクとも動かなかったのが、スーッと中で泳いだ。
「それどうする?」って竹治が聞いたんで、
「ジイちゃんの庭の池に入れる」って答えた。竹治は黙ってたが、
「もう帰ろう」と唐突に言った。俺は、ははあ自分は釣れなかったんで、
悔しんだろうって思ったな。昔もそんなことがあったんだよ。
で、2人で来た道を引き返したが、ぞの間竹治はずっと無言だった。
ときおりバケツを見たが、魚は揺れる水の中で隅っこに固まっていたな。
で、家の近くまで来て竹治と別れるときに、10歩ほど離れたところで竹治は振り返って、
「さっきなあ、お前釣った場所。前の洪水で軽自動車が流されたとこだぞ。
 まだあそこに沈んでるんだ、赤い車」って言ったんだ。

それ聞いたら急に、ゾ~ッと怖い気がしたんだよ。
さっき話しただろ。水の底が赤いような感じがしたって。だけどなあ、まだそのときも、
竹治が悔しまぎれに嘘を言ってるのかもって思ったけどな。
バケツの魚を池に放したら、スーと沈んで見えなくなった。バアサンが出てきて、
「おや早かったねえ、まだ夕食の支度にかかってもいないよ」って言った。
それから俺は家に入って、体中に虫刺されの薬を塗ってたんだよ。
背中にかなり腫れたところが何ヶ所かあった。ボリボリ掻きながら
扇風機にあたってると、庭で「何だあ」というジイサンの声がした。「どしたん?」
出てみると、ジイサンが池から赤い布のかたまりのようなのを拾い上げてた。
土の上に広げてみたら、毛糸のティッシュカバーだったんだよ。あの箱を入れるやつ。
でな、それから3日、俺は虫刺されが化膿して高熱を出して寝込んだんだよ。







かごめ歌の謎

2016.04.20 (Wed)
本項は明智光秀についてで、カテゴリは怖い日本史にはいるんですが、
特に怖いという内容でもないです。それと、ちゃんと書くとすれば本一冊分にも
なってしまう話なのですが、歴史ブログではないので、
できるだけ端折って書きます。後半でなかなか面白いオカルトが出てきますよ。

さて、みなさんは光秀の名前を聞けば、おそらく本能寺の変という語を
思い浮かべる方が多いでしょう。主君信長に対する下克上。
これによって、日本の歴史は大きく変わってしまっただろうと思われます。
それは、後継が秀吉になり、家康になったということよりも、
信長の天下が目前まできていたのに実現しなかったのが大きいと、
自分なんかは思います。信長は世界の知識が豊富な、
古い因習にとらわれない開明的な人であったので、おそらくは国の形が代わるような、
大きな改革を実行したのではないかという気がしますね。

光秀の話に戻りまして、まず出自が不明です。名門である、
美濃源氏土岐氏出身と言われますが、実は父親の名もよくわかってはいません。
さらに青年期に何をしてたのかも不明なんですね。歴史に登場してくるのは、
朝倉義景に鉄砲の腕を認められたためですが、45mの距離から的を撃って、
ほとんど外さなかったということで、これ、当時としては驚異的な命中率です。
これにより、100人の鉄砲隊を率いる将となりますが、
この頃すでに40歳近かったと考えられます。人間五十年と言われていた頃ですから、
もう晩年と言ってもさしつかえないくらいですね。

それと、この鉄砲の腕はどこで身につけたものでしょう。関係する資料の中には、
光秀は名門でも美濃出身でもなく、若狭の鍛冶屋の次男であった、
とするものまでありまして、これが何か関係しているかもしれません。
ともかく、多芸の人であったのは間違いなく、この後は、
将軍足利義昭と信長の両属の家臣となり、両家を結ぶ役割を果たしますが、
やがて信長の家臣に専念し、さまざまに活躍が歴史の表舞台に現れます。

さて、本能寺の変が起きたのは天正10年(1582年)
光秀が54歳のときです。日本史最大のミステリーとも言われたりします。
事件の詳細はよくわかっているのですが、光秀の動機が不明だというわけです。
それと、陰で光秀を操っていた黒幕がいたのではないかという話。
動機については大きく、野望説、怨恨説、不安説などに分かれます。

まあこの手のことは、一つに絞るのはあまり実際の意味はなく、
いくつもの要因が複合されていたと見るべきでしょうが、
もしどれか一つというなら、自分は不安説を取ります。
爆発的な激情型であった信長に、いつ放逐されたり、
殺されたりするかわからないという恐怖から。黒幕説に関しては、
かつての主人の足利将軍説、正親町天皇説、堺の商人説などがありますが、
下克上があたり前であった世の中で、一人の武将が決断したことですし、
あまり詮索してもしょうがないという気がしますね。

どんどん話を進めます。本能寺のわずか13日後、光秀は山崎の戦いで秀吉に敗れ、
「三日天下」の語を残して惨死します。京都伏見の藪で、
土民の落ち武者狩りに遭い、そこで竹槍に刺されて絶命したと伝えられ、
首も遺骸も探し出されて、さらされています。で、こっからがオカルトで、
実はそこで死んだのはそっくりの影武者で、本人は西洞寺というお寺に逃れ、
さらに比叡山に登って、延暦寺東塔南光坊に入り、
天海という僧になったというものです。

そして慶長年間に家康を駿府に訪ね、相談役として信頼を集めるようになった。
・・・これしかし、時期がかなり離れていますよね。
光秀が生まれたのは1528年頃、天海が亡くなったのは1643年ですから、
116年も生きたことになります。絶対ありえないとは言えないでしょうが、
まず考えにくい。しかし、天海の出自も若い頃の経歴もほぼ不明ですので、
生年を偽っていたというのは考えられなくもないかもです。

光秀=天海説の根拠としてよく出されるのは、
・日光東照宮の多くの建物に光秀の家紋である桔梗紋が象られていること。
・日光に明智平と呼ばれる区域があり、天海がそう名付けたという伝承があること。
・学僧であるはずの天海の鎧が残っていること。
・比叡山に、1615年に「願主光秀」が寄進したと刻まれた石灯籠があること。
などです。もっと眉唾なものも含めればまだたくさんあります。

天海の家康側近としての功績は、江戸城府の霊的設計、
家康死後の神号を「東照大権現」と決定し、
遺体を久能山から日光山に改葬したことなどがあげられますが、
このとき設計した日光東照宮に、家康、家光らの御用金を隠したとする話があり、
いつか徳川家の危機が訪れたときに掘り出して使え、ということでしょうか。
そしてそのありかを暗号として「かごめ歌」を作ってその中に隠した・・・
「籠目、籠目、籠のなかの鳥は、いついつ出やる、
 夜明けの晩に、鶴と亀がすべった、後ろの正面だあれ」


籠目は上記の明智家の桔梗紋を暗示するとされ、
これは実際に日光東照宮にいくつもあります。「籠の中の鳥」が徳川埋蔵金を表し、
「夜明けの晩に、鶴と亀がすべった」の部分は、
東照宮にある鶴と亀の像に朝日があたってできた影のこと。
影の先には有名な「見ざる言わざる聞かざる」の三猿の彫刻があり、
三猿の視線の方向に眠り猫の門があります。その先は徳川家の墓所で、
「後ろの正面だあれ」これは墓の後ろに塚があって、
その上には六芒星のしるしが・・・ どう思われますでしょうか。

しかしこれ、結局は墓の後ろというあたり前すぎる隠し場所なら、
わざわざ手の込んだ暗号にする意味があるんでしょうか。
誰だってまず最初にそのあたりを探しますよね。稚気でやったのならともかく、
本気で隠すつもりだったのなら馬鹿げてると思うのは自分だけでしょうかww
ま、かごめ歌を天海が作ったという確証なんてないんですけど。
ただ、地質学上の調査では、そこには高確率で土や石ではない
何かが埋まっている、という話もあるようです。

さてさて、TBS系列『日立 世界・ふしぎ発見!』
という2000年のテレビ番組で天海と光秀の書状の筆跡鑑定を行い、
それによると、天海と光秀は別人であるが、
類似した文字がいくつかあり、2人は頻繁に接していた親子のような近親者
ではないかと推定できるということでした。
ここから、光秀の従弟、あるいは娘婿ではないかという説が出されていましたね。

日光東照宮奥の院の鶴亀の像






奇妙な遊び

2016.04.19 (Tue)
小学校の教諭をしています。よろしくお願いします。
これからお話するのは職務上知りえた秘密なんですが、
あまりに不可解なことが起きていまして、やむをえずここにお伺いしたんです。
ですから、どうか内密の話としてお聞きください。
先々週の月曜日に学年部会がありました。私は5年生を担当していまして、
大規模校なので、学年は4クラスあります。学校全体では25クラスですね。
学年部会に出るのは、学年主任の先生と所属の先生、
それにクラス担任が4人。その一人だけが男性で、あとはみな女性です。
・・・普段はお菓子なども出てなごやかなものなんですが、
その日の話題はちょっと違っていました。ある担任の先生が、
「おかしな遊びが女子の間で流行っている」ということを言われたんです。

どんな遊びかというと、階段を使った伝言ゲームのようなものということでした。
「私も最初は何やってるかわからなかったの。女の子の、仲のよい友だち同士、
 2人でやるみたいなのね。階段を上にのぼる形で」意味がわかりませんでしたが、
主任が「へえ、私はまだ見かけてないけど、どうやって遊ぶの?」先をうながされました。
「最初の子が、階段途中で立ち止まってる子を追い越しながら、
 ごく短い言葉を言うみたいです。それで2・3段先に止まる。
 すると2番めの子が駆け上がっていって、最初の子に言われた言葉を繰り返す。
 その内容が合ってればいい、みたいな感じですね」主任はふーんという反応をし、
「そういえば私が小学生の頃は、階段でじゃんけんをして勝ったら上がり、
 負けたら下がるって遊びがあったわね。その程度なら問題ないんじゃないかしら」
「でも、相手の子を追い越すときに、けっこうな勢いなんです。

 階段なので、もしぶつかって落ちでもしたら・・・」主任は、
「そうね、しばらく様子を見ましょうか。なんでもかんでも禁止がいいとは思わないけど、
 ケガが心配なおそれがあるようなら、またここで話題にしましょう」
こんな話になったんです。それで翌日、休み時間に廊下に出て、
階段を注意して見てたんですが、それらしい遊びは目撃しなかったんです。
だからたいしたことないのかなと思いました。それでもいちおう、
自分のクラスの帰りの会で、「こういう遊びがあるみたいだけど、やったことある人?」
って聞いてみました。いえ、怒ったりする調子じゃなく、何気なくという感じで。
そしたら、女子の2人が手を上げました。おとなしいタイプの子らです。
それで、この子らがやってるんなら、そう危険なことはないだろうって思ったんです。
2人を残して、どんな遊びなのかを聞いてみました。

そうしましたら、前に学年部会で出たとおりの遊び方だったんです。
「じゃあ、どんな言葉を言って追い越していくの?」と尋ねると、
「社会のテスト、100点」とかそういう内容だということでした。
まあ、この子らはどちらも成績のいい子でしたので、テストの話が出てるのかと思いましたが、
よく聞いてみるとそうでもなく、未来に関する予言みたいなことだったんです。
ええつまり、「社会のテスト、100点」と言って、
相手がそれをちゃんと聞き取って復唱すると、そのことが現実になるみたいな。
興味を惹かれたので、「へえ、それってあたる?」って聞いてみました。
そしたら2人は顔を見合わせ、「まだ始めたばっかりなのでわからないです」
「6年生の人はあたるって言ってました」って。
でも、それは自分たちで大声で聞き取れるようにやってるからだろうって思ったんです。

それに、現実離れしたことも最初から言わないんだろう、とも。
ですから、そのときは「ほんとうは階段で遊ぶのはダメなのよね。
 もしぶつかって落ちたら大変だし」決してきつくはならないよう、
やんわりたしなめました。そのときは神妙な顔をして「はい」とうなづいていたんですが。
それから2日後の木曜日です。日中は何事もなくて、すべてのクラスの掃除も終わり、
私は5年生の入っている2階の棟の見回りの登板だったんです。
窓の施錠やコンセントを確認するなどですね。特に異常はなく、
ふと思いついて、3階へ登る階段に向かったんです。
図書室では7時まで学童保育をやっていまして、5年生も何人かいるんです。
その子らの様子を見ようと思いました。そしたら、踊り場の上のほうで声が聞こえまして。
うちの学校の階段は踊り場から直角に曲がっているので、その先は見えないんです。

「時田さんが死ぬ」こんなふうに耳に入りました。
「死ぬ」なんて何だろう、と思いました。それと時田という名前は、
この学校にはいないなとも。小走りに上がっていくと、
顔を知っている6年生の女子が2人いまして、学童保育の子でした。ランドセルを持ってたので、
これから図書館に向かうんだろうと思いましたが、段差がある位置に立ってたので、
あの遊びをやってるんだろうと思ったんです。「あら、あなたたち、これから学童?」
こう声をかけたら、「そうでーす」って明るい声が返ってきました。それで続けて、
「今、誰か死ぬとか言ってなかった?」って聞いてみました。そしたら、
「え、私、そんなこと言ったかな」と下にいた子が答えたんですが、
とぼけてるようには思えませんでした。「今、予言みたいな遊びをしてたんでしょう?」
重ねて聞くと、「そうですけど、自分で言ったことを覚えてないときがあるんです」

「??? 無意識に出るってこと?」 
「そうなんです。で、友だちが繰り返して、初めて自分の言ったことがわかるっていうか。
 それで、自分が何言ったか覚えてないってことは、何十回に一度くらいしかなくて、
 それは本物なんですよ」 「本物の予言ってこと?」 「そうです」
うーん、そんなことがあるものだろうか、信じる気持ちにはなれませんでしたが、
その子らは6年生でもわりに真面目な子たちだったんです。
それで、「死ぬ」の部分は外して、「時田って人を知ってる?」と聞いたんですが、
2人とも首を振り、上にいた子が「6年生にはいません」って言いました
その子らを連れて図書館にいくと、ボランテイアの学童の先生はもう来られていて、
2人はすぐ教科書を出して宿題を始めたんです。それから何事もなく、
この遊びを見かけることもなく、週末になりました。日曜日の朝、

テレビを見ていると、地方版のニュースで一家四人焼死というのが出たんです。
はい、場所は勤務先の小学校の学区で、家が全焼して亡くなったのは、
時田夫妻と、小1の姉、3歳の妹の一家全員・・・あわてて学校に電話をかけると、
教頭先生が出まして、やはりわが校の在校生だったんです。
それも、この4月に入ってきたばかりの。電話口で、急に現実感がなくなったというか、
頭がくらくらして電話を切ってしまいました。
教頭先生はショックを受けたと思われたかもしれません。
次の週は、学校に取材が来たりしてたいへんでした。時田家の実家のほうで葬儀を行い、
校長、教頭、担任、1年生のPTA代表などが出席しました。それと、
あの階段で話をした6年女子2人が月曜の放課後、おびえた顔で私のところに来ました。
ともかく、広まってはいけない話ですので、他の子には話さないよう釘を刺し、

あらためてそのときのことを聞いたんですが、最初の子は自分の言ったことを覚えてないし、
上にいた子も聞いていないと言うんです。つまり、あの場で「時田さんが死ぬ」
って言葉を聞いたのは、私だけみたいなんです。そのときは最初の子の声だと思ったんですが、
今となっては自信がなくなってしまいました。これは上司に話すべきことなのか、
でも、とうてい信じがたい内容だし、不謹慎などと言われないだろうか・・・
ずっと迷っていたんですが、学年主任だけには話してみようと決心がついたんです。
ええ、この遊びが流行るなんて嫌ですから。そうして、今朝のことです。
私が職員室から出て教室に向かおうとしたとき、早く来た1年生の女の子が、
階段でちょろちょろと私を追い越しざま、「◯◯が死ぬ」って言ったんです。
はい、◯◯は私の名前です。その子を呼び止め、「今なんて言ったの?」と聞いたんですが、
その子はきょとんとした顔で「わかりません」と言うだけだったんです・・・







お伊勢参りあれこれ

2016.04.18 (Mon)
今日は怖い話ではありません。昔、某掲示板の日本史板で、
自分と、ある名無しの人とで、かなり長い論争になったことがありまして、
まあしょっちゅうあるんですが、そのときの論題は、
「江戸時代の封建農民は天皇について知っていたか?」というものでした。
自分は「知っていた」と主張し、いろんな事例を上げたんですが、
その中の一つがお伊勢参りだったんです。ご存知のとおり、
伊勢神宮は内宮、外宮に分かれていて、内宮の御祭神は天照大神、
現天皇家の祖先神なわけです。どんな辺地の農民だって伊勢参りは知ってたでしょうし、
そうすれば当然、その子孫である天皇についての知識もあったと思いますよね。

さて、江戸時代は農民の移動は厳しく制限されていました。
また「入り鉄砲、出女」という語を聞かれたことがあると思いますが、
女性の移動も警戒されていました。ですが、お伊勢参り、
また、その他の参詣・参拝についての制限は緩かったのです。
これは旅に出る動機が信仰心から出たものであれば、封建の世の中であっても、
名分を重んじる武士社会としては止めるわけにはいかないんですね。
ただし、費用がかかることですので、やはり誰でも行けるというわけではなく、
講(お金を積み立てて順繰りに受け取る)などを行って、
代表者が出かけていくということが多かったようです。

ここで興味深い話題を一つ。犬がお伊勢参りをすると言えば、
みなさん信じられるでしょうか。このような犬のことを「おかげ犬」と言い、
「おかげ」は、後述する「お蔭参り」から来ています。
どうしても伊勢参拝をしたい人がいたとして、しかし仕事の都合で自身は出かけられない。
そういう場合、飼っていた犬をお伊勢参りに出すわけです。
もちろん、犬が一人で伊勢神宮まで行けるわけがありませんから、
道中、見ず知らずのまわりの人が世話してくれるんですね。

まず犬の首に穴あき銅銭をひもに通して巻きつけたり、
竹筒に入れて背中に背負わせたりします。さらに帳面もいっしょにつけておく。
そうすると、各宿場や各村の人が「ああ、おかげ犬が来た」ということで、
銅銭をとって餌を与えてくれる。で、その収支を帳面に書きつけるわけです。
これは餌代をとらない人も多かったようですし、中には犬が重そうなのを見て、
銭を小粒銀に両替してやるという人もいました。そして宿場の中を引いていって、
次の宿場との境まで送り届けてやるわけです。

安藤広重『東海道五十三次』のおかげ犬


これもなかなかすごい話ですよね。ふつうに考えれば、
犬から銭を取り上げる悪人などもいそうですが、さすがにお伊勢参りの犬ですから、
そのような不届きなことをすれば神罰がたちまち下りそうでもあります。
奇特な犬だということで多くの人は大事にあつかったんでしょうね。
かなりの犬が無事成功し、参拝の証を伊勢神宮からもらって帰路についたのです。
最も遠い場所からとしては、青森県の黒石市の犬というのが記録に残っています。

また、福島県須賀川の秋田犬シロは、おかげ犬として務めを果たし、
御札をいただいて家まで帰り着いたので、これは感心な犬だということで、
死後は立派な犬塚を立てて菩提寺に葬られました。
しかしこれどのくらいの時間がかかったものでしょう。
江戸から伊勢神宮まで、人間の足で当時だと15日間くらいでしたから、
犬が東北から迷いながらいくのであれば、往復で数ヶ月もかかったに違いありません。

なでられて「ぼのぼの」のようになったシロの犬塚


それと、おかげ犬が出るのは、お蔭参りの混乱期が多かったのです。
お伊勢参りの中で、特に大規模に流行したものをお蔭参りと言います。
ほぼ60年周期で起っているようで、1650年、1705年、1771年、
1830年のものが知られていますが、小規模なものは他にもありました。
お蔭参りは抜け参りとも言われていて、
これは、奉公人は店の主人に断らなくてもよかったし、子どもは親に告げずに、
ふっと家業を抜けて出てもよかった、ということからきているようです。

それだと旅の費用はどうするのかと思われるでしょうが、
お蔭参りの流行時期には、各宿場の人が旅人に米や銭を振る舞ったために、
ほとんど無銭で旅行することができたようです。
これ、60年周期というのがよくできていますよね。
当時は人生50年と言われていましたが、幼少期に亡くならなければ、
それなりに長生きする人はいましたし、だいたい一生に一度はお蔭参りにあたる。
さらに60年に一度くらいであれば、旅人のおかげで栄えていた宿場町にも、
施しをする余裕ができているわけです。

お蔭参りが流行するきっかけとしては「天から御札が降った」というのが多いですが、
これはまさかそんなことはないので、人間が仕掛けたものでしょう。
伊勢神宮には御師(おし)がいて、これは一般的には神社に所属する社僧のことですが、
普段は全国に散らばって暦を配ったり、
参拝者の集団の案内や宿泊、遊興の世話をしていたようです。
御札を降らせたことについて、この御師たちに、
一番の疑いがかけられるのはしかたないでしょう。

さてさて、最後に「ええじゃないか運動」について。
江戸最末の1867年に発生しました。その前のお蔭参り流行が1830年ですから、
60年周期からは外れているのですが、近畿、四国、東海地方などで発生し
「天から御札が降ってくる、これは慶事の前触れだ。」という話が広まるとともに、
民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら、
集団で町々を巡って熱狂的に踊ったというものです。
伊勢神宮だけではなく、各地で信仰されている寺社の御札が降ったようで、
どこが始まりか特定するのは難しいようです。

狂信的に踊り狂うというのが特徴で、「ええじゃないか」
の歌詞は各地でバリエーションがありますが、卑猥な内容のものも多かったようです。
これはまあ、時代が明治維新直前のことで、閉塞感の高まりと、
外国からの圧迫の中で、民衆の不満が爆発したと見るのがいいのでしょうが、
謀略説というのもあります。京都が最初で、御札をまいたのは倒幕の志士。
理由は、全国の移動を行いやすくし、
民衆の狂乱にまぎれて運動をやりやすくするためということです。

これが真相ということではないんですが、文部省編『維新史』には、
「王政復古の計画は極秘を要するをもって、品川弥二郎が神符降下の奇瑞を発案し、
その喧囂(けんごう 大騒ぎ)に乗じて計画を進めた」
という内容が出てきています。品川弥二郎は長州藩出身で、松下村塾の吉田松陰門下。
薩長同盟成立に尽力し、英国公使館焼き討ちなどを実行しています。
維新後は要職を歴任し、功績によって子爵にまでなりました。
「トコトンヤレ節」(宮さん宮さん)はこの人の作詞といわれる才人ですので、
あってもおかしくない気はしますね。

ええじゃないか






怪奇トマト男の恐怖

2016.04.17 (Sun)
中学1年生です。よろしくお願いします。先週の金曜日の夜のことです。
その日は僕は部活の練習が遅くなって、帰ったらもう夕飯になるところでした。
弟は小学校5年生だからずっと早く帰ってきてるんです。
夕飯は母の手作りハンバーグで・・・あ、こういうの関係ないですね。
そのときに、弟が父に向かってこんな話を始めたんです。
「ねえ、今日ね、学校で怖い話聞いたんだよ?」 「ふーん、どんな」
「怪奇トマト男っての」これを聞いてて、
僕は思わずギャハハハって笑ってしまったんですが、父は案外真面目な顔で、
「へえ、それどんな話だった?」 「あんまくわしく聞いたわけじゃないけど、
 顔が血まみれで腫れ上がった男の人の霊の話。なんか事故で死んだみたい」
「うーん、同じ話かもしれんが、父さんも小学校のとき、

 ほおずき男って聞いたことがあるぞ」・・・父は弟と、つまり僕ともですが、
同じ小学校を出てるんです。だから大先輩ってわけですけど、
僕はそんな話、聞いたことはなかったんですよ。それで弟に、
「へえ、面白そうだ。誰に聞いたん?」 「山崎くんとか。クラスで広まってる」
「どんな?」 「とにかく頭を強烈に打って死んだ人がいて、その話を聞くと、
 その日のうちか、遅くても3日以内に聞いた人のところに夜来るんだって」
「あーそれ、やっぱり同んなじだなあ。父さんのときもそういう話だった。
 今は、ほうずきって珍しいから、トマトに変わったんだろうなあ」
ここで僕が弟に「そんな話お前信じるのか?」って聞いたら、
「いやあ・・・」って言葉を濁しました。
たぶん、怖がりだってバカにされるのが嫌だったんでしょう。

「でもね、もし来たとしても撃退できるおまじないがあるんだよ。
 それ聞いてきたから大丈夫・・・のつもりだったけど、父さんも同じ話を
 知ってるって聞いて、やっぱ怖くなってきた。ねえ、今日から3日間、
 部屋じゃなくて父さん母さんの部屋に寝ていい?」父が、
「そのおまじないの話も同んなじかなあ。父さんも当時は、実は怖かったんだ。
 寝室で寝るのは別にかまわんぞ」こういう話の流れになって、僕にも、
「お前も寝室に来るか?親子全員で寝るなんて久しぶりだ」って言ってきたんです。
「僕はいいよ。明日休みだから遅くまで起きてるし。それに僕ってこれ、
 話、聞いたことになるのかなあ?」弟が、
「細かいとこまで聞いてないから大丈夫じゃないかな」って、
あやふやな意見を出したところで、ハンバーグライスが出てきたんです。

そこでこの話は打ち切りになって、お腹が空いてたんで2杯目もおかわりして・・・
で、部屋に戻ってずっと音楽を聞きながらマンガ読んでたんです。
弟は下でテレビ見てて、そのまま両親の寝室にいって寝るみたいでした。
それで、ああ、あいつがいないと自由でいいなあ、って思って。
父が、僕が中学生になったんで改築して部屋を分けるか、って言ってた矢先だったんです。
寝たのは1時近かったと思います。僕と弟は、同じ部屋の2段ベッドで寝てるんですよ。
僕が上です。電気消して、スモールライトだけにして、
うとうとしました。どのくらい時間がたったか、
後で時計見たときには4時近かったんですけど。ベッドの下段から、
どんどん底板を蹴られる振動で目が覚めました。「ああ、弟のやつ寝ぼけてるんだな」
って思いましたが、考えたら弟はいないんです。

それでも、霊だとはまだ思いませんでした。弟がやっぱり自分の部屋で寝ようと
戻ってきたんだろうって。とはいえ、弟はいったん眠ると朝まで起きないし、
これまでベッドを蹴ったこともなかったんで、やっぱ気にはなりました。
それで、そうっと上半身を起こしたんですが、そのときかすかに、
ブンブンっていう音が聞こえてきたんです。
何か、濡れたタオルを振るような音でした。ベッドの縁から顔を出すと、
冷たいしぶきがかかった感じがしたんです。「え?」
思い切って下のベッドをのぞくと、そこに・・・
明かりが小さかったのではっきり見えたわけじゃないけど、大きな頭がありました。
普通の人の倍くらいで、すごい速さで左右に振っていたんです。
まばらな髪が束になったのが振り回され、ブンブン音を立ててました。

で、そいつが僕に気がついたのか、こっちのほうを見て・・・
真っ赤な顔だと思いました。怪奇トマト男??? どこに目鼻があるかわからないくらい、
全体がつぶれてたんです。「ぎゃーーーー」僕は絶叫し、つかまれるかもしれないので、
2段ベッドのハシゴ上段に足をかけ、できるだけ離れるようにて飛び降りたんです。
ドンッと大きな音がして、たぶん下まで聞こえたろうと思いました。
「お母さん、お父さん助けて~~」そう叫んで、後ろも見ずに部屋の戸を開けると、
廊下の先、階段の下のほうから「カン、カン、カン、カン」という声が聞こえてきました。
父と弟の声だと思いましたが、意味がわかりませんでした。
「助けて~~」階段を降りていくと、前に父、後ろに弟がいて、
二人で合わせるようにして「カン、カン」という金属的な音を出していたんです。
しかもそれだけじゃなく、手を両方脇に出してそろえ、

横から上に上げるという動作をゆっくり繰り返して。
「お父さん、お化け、トマト男がベッドの下段にいた!」
「わかってる」父がいい、後ろから弟が「だから今、おまじないやってる」って。
「???」 「ほおずき男が出たら、踏切の遮断機が上がる真似をすればいいって、
 昔 聞いた」そこからは父だけが僕らの部屋に入っていき、
カンカンと叫ぶ声がドア越しに聞こえました。やがてしばらくして出てきて、
「やー、退散したぞ」って言ったんです。
もちろん僕は部屋に戻ることができず、弟といっしょに両親の部屋で寝ました。
今もそうしてるんです。寝具とかは父が見てくれましたが、汚れなどは一切なし。
顔にしぶきがかかったと思ったけど、それも鏡を見ると何でもありませんでした。
後になって父に、「僕、トマト男にとり殺されそうになったのかな」

こう聞いてみました。すると父は「それはわからんが、ありえない話じゃないだろう」
と答えたんで、改めてゾクゾクっとしました。「あれ何なの?踏切事故で死んだ人?」
「それもわからん。ただなあ、最初はもしかしたら実態はなかったのかもしれない。
 ただのオフザケ話だったのかもな」 「だって本当に見たんだよ」
「ああ、だから話の力ってことだろう。これは俺も知ってるくらいだから、
 少なくとも20年以上は続いてる。その間に話を聞いて怖がった子も大勢いたろう。
 その思いが話の中に閉じ込められて、だんだんに怪物を作っていったとしても、
 不思議はない気がする。それと、あの遮断機のおまじないに
 すがった子も多かったろうから、バカバカしいようなことだけど、
 やっぱり力を持ったんじゃないか」こんなふうに話してくれました。
あと、叔父さんがここのことを知ってて、ぜひ報告してこいって言われました。

はなかいあおあけい





あなめの話

2016.04.16 (Sat)
これは怖い日本史のカテゴリに入る話です。登場するのは小野小町ですが、
この人もなかなかやっかいな人物で、歌は残っていて六歌仙の一人とされているものの、
実在の確証がないんですね。9世紀頃の人ですが、生没年不明です。
歌人・漢詩人であり従三位まで昇った小野篁の子、あるいは孫とされます。
小野篁自身が、昼は朝廷で執務し、夜になると六道珍皇寺の井戸から地獄に降りて、
閻魔大王の秘書官をやっていたといわれる、怖いところのある人です。
この篁の孫であるとする場合、父親は出羽の郡司を務めていたので、
秋田県の湯沢市で産まれたとする説があり、
秋田美人の語源とも言われるのですが、これも確証はありません。

さて、小野小町はたいへんな美人であったとされます。
しかしこれもよくはわかりません。実際の絵姿などが残っているわけではなく、
後世のものは、なぜかほとんどが後ろ姿で描かれているんですね。
これはどうしてなんですかね。絶世の美人を描くのはとてもできないと、
絵師が遠慮しているのでしょうか。
ともかく、小町の人生は多くの伝説に彩られています。
それは、当時の仏教的な無常観・因果応報などの考え方を色濃く反映したものです。



伝説として有名なのは、深草少将の百夜通いの話ですよね。
ただ、この深草少将も実在の人物である根拠はまったくありません。
若い少将に熱心に言い寄られて閉口した小町は、
「あなたの思いが真実なら、百夜私の屋敷にお通いください。
それがかなったなら、あなたの望み通りになりましょう。」と告げる。
それを信じて通い続けた少将ですが、百夜を目前にして病気で亡くなってしまう。
このつれない仕打ちの報いによって、後半生の落魄伝説、「あなめの話」や、
「卒塔婆小町の話」につながってくるのです。

この話のもう一人の登場人物は在原業平。これは間違いなく実在の人で、
『伊勢物語』の主人公としても有名ですね。
業平も超絶な美形であったとされ、小野小町とは美男美女コンビなわけですが、
どちらかというと、自分よりも高貴な身分の女性を好む傾向があったようで、
さまざまな問題を起こしています。『伊勢物語』の東下りも、
禁忌の恋の噂が広まって、都にいずらくなったためとされます。

東に下った業平は、みちのくのやそ島というところのあばら屋に入り、
一夜の宿としようとしました。すると、草むらの中から、
「秋風の 吹くにつけても あなめ あなめ」
というか細い声が聞こえてきます。「秋風が吹くたびに、ああ、目が痛い」
というような意です。不思議に思った業平ですが、もう暗いので、
その日はそのまま寝てしまいました。翌日、業平がもう一度草むらを探していると、
骸骨が落ちていて、その片方の目の穴からススキが生え出ていたのです。
奇異に感じて見ていると、通りかかった村人が、
「それは都から落ちてきた有名な歌人、小野小町のものだ」と教えてくれました。

歌のライバルであった小町の、はかない最後にショックを受けた業平は、
思わず、前夜聞いた歌に下の句をつけたのです。
「小野とはいわじ ススキ生いけり(小さな野、小野小町の最後の地とは言わないよ。
ただススキが生えているだけだ)」こう詠んで手を合わせ、また旅を続けました。
・・・上の句と下の句をつなげても、これはいい歌とは言えませんよね。
事情を知らなければ、意味もつかめないでしょう。
ススキを抜いてやり、小町は成仏できたのでしょうか。

この話の場合、小町と業平は同世代と考えられますので、
小町は比較的若くして亡くなったことになりますが、
一方ではかなり長生きしたという話もあります。
しかし、そっちもいい話ではないです。能の観阿弥作『卒塔婆小町』です。
旅の僧が、卒塔婆の上に腰掛けている乞食の老女を見つけて説教を始めるが、
逆に法論でやりこめられてしまう。老婆の見識に驚いた僧が事情を聞くと、
老婆は小野小町と名のり、昔つれない仕打ちをした深草少将の亡霊に
苦しめられていると訴える・・・たしかこんな筋だったと思います。

この筋は仏教の因果応報そのもので、若いころの所業が、
年をとってから返ってくるわけですが、小町作と言われる和歌、
「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」
の意を汲んでいるのだと思われます。まあ、小町にかぎらず、
美女とされる女性の晩年は寂しく描かれることが多いようですが、
さらに小町の場合は、死んでからも無常観の題材にされてしまいます。

「九相図」と呼ばれるもので、戸外にうち捨てられた死体が、
朽ちていく経過を九段階にわけて描いた仏教絵画です。どんな美しい人でも、
死ねば朽ちておぞましい姿に変わっていく。
この世の無常を仏教修行者に悟らせるためのものなのですが、
さすがに生前がむさい男であってもしょうがないですので、
小野小町や檀林皇后が題材に選ばれることが多いようです。

檀林皇后は実在の人で、深く仏教に帰依し、死に臨んで、
自らの遺体を埋葬せず路傍に放置せよと遺言し、
帷子辻において遺体が腐乱して白骨化していく様子を人々に示したとされます。
ただし、亡くなったのは当時では長生きの64歳ですので、
伝説の域を出ないものと考えられます。

さてさて、小町もえらい迷惑というか、美人だったがために、
年老いてから、また死んでからも仏教教材にされてしまいました。
これ、若いときに深草少将につれなくしなければよかったのでしょうか。
しかし百夜通いの話も事実ではないですし、伝説がひとりでに広がっていって、
みずからオチをつけてしまった例と見ればいいのか。とにかく、
小野小町の人物像のほとんどは、後世の人がつくり上げたものなであり、
実体は杳としてつかめないのです。

『九相図』







地震対策リンク

2016.04.15 (Fri)
今日は九州地方の地震のため、オカルト系の話は自粛します。
それにしても、東日本大震災で三陸沖のプレートストレスが開放され、
いびつになった関東以南の太平洋側は危ないとは思っていたんですが、
それとは別に、内陸直下型はいつどこで起きてもおかしくないわけです。
みなさんも、お住まいの地域の活断層などについて、調べられておくのもいいかもです。

リンク 『All About 暮らし』様

もしもこんな場所で地震が発生したら?場所別対処法

防災グッズは何を用意したらいいのか?全リスト

防災グッズで変わる避難生活、本当に必要なモノ

迫る首都直下地震、備えるべきは「地震火災」

リンク 『NHKオンライン』様

誰にでもすぐできる家具転倒防止対策  

リンク 『総務省消防庁』様

地震による家具の転倒を防ぐには






宇宙人の姿形

2016.04.14 (Thu)
『探査機による地球以外の天体の探査はNASAやESA(欧州宇宙機関)、
そしてJAXAによっても行なわれていますが、その調査になんとあの
スティーヴン・ホーキング博士が参戦します。ホーキング博士は、
ブレークスルー・スターショットというプログラムに参加し、
ケンタウルス座アルファ星への宇宙探査機の開発に着手すると発表しました!
 
アルファ星は地球から4.37光年の場所に位置しています。
これは、現存する最速の宇宙船でも3万年もかかります。しかし、
ホーキング博士が計画している「ナノクラフト」は光速の20%のスピードで飛行し、
アルファ星までたったの20年以内に到着できるというのです。
 このナノクラフトには通常の探査機と同じようにカメラや光子スラスター、
電源、ナビゲーションシステムと通信システムを搭載し、
さらには原子数百個分という超極薄の「光子を捉える帆」を備えます。

そしてこの帆が地球から発せられるレーザーを捉え、
探査機を時速1億6000万キロまでに加速させるのです。
そもそも、このアルファ星周辺の惑星には、生命が存在する可能性が指摘されていました。
今回の探査機プロジェクトではアルファ星の周囲で生命の痕跡を発見し、
地球にデータを送信することが目的となっています。
 ホーキング博士は「地球は素晴らしい場所だが、永遠に存在するわけではない。
いずれ、私たちは新たな星を探す必要が出てくる。ブレークスルー・スターショットは、
その旅路の楽しみな第一歩なんです」と語っています。』
(YAHOO)

今日は、この話題をお借りしまして、宇宙人の姿形に関して考察してみます。
わりと生物学的な内容になるかと思います。
しかしそれにしても、ホーキング博士の活動は、老いてますます活発ですね。
欧米では、各種のアンケート調査によると、
宇宙人は心霊よりも信じる人が多いという結果が出ています。
また、ホーキング博士のように「神はいない」とする人でも、
宇宙人からのコンタクトのようなことは信じたりする傾向があります。

さて、最初のSF作家として普通言われるのは、
ジュール・ヴェルヌかH・G・ウェルズでしょうが、ウェルズの『宇宙戦争』により、
大きな頭と、退化した四肢を持つタコのような姿をした火星人のイメージが、
世に広まったと言われていますね。
「spece squid」とか「alien squid 」と言われるものですが、(squid はイカ)
これはこれなりに科学的に考えられたものです。

大きな頭は大きくなった脳の容量を収めるためです。
体幹部分がないのは、消化器官が大幅に退化してしまったからでしょう。
食事に時間を取られないために、カプセル1錠で栄養摂取できるという具合。
四肢は、力仕事は機械がするので弱々しい触手に変化。
スイッチやボタンをポチッと押せればいいというわけですか。

Space squid


しかしこの部分はどうなんでしょうね。人間の知能が高まっていったのは、
道具を使うことで指を複雑に動かしたためだ、という説がありますよね。
実際、脳のかなりの部分が、指の繊細な操作のために割かれているのです。
赤ちゃんは手指を動かすことで脳を発達させているわけですが、
この部分が退化して大丈夫なものでしょうか。まあ、
脳だけを発達させていく学習システムみたいなのができてるのかもしれませんし、
自らの進化の方向を操ることができるようになっているんでしょうね。

次に広まった宇宙人の姿は「ベム BEM」と呼ばれるもので、
「bug eyed monster」の略です。bugは虫で、甲虫のイメージが強いようです。
これはアメリカのパルプマガジンと言われる、
紙質の悪いSF雑誌の表紙絵などからきています。(下図参照)
20世紀前半に粗製濫造されたスペースオペラ作品においては、
しばしば敵役として登場するのですが、SFは単なる舞台設定だけで、
美女あり活劇ありの荒唐無稽なものが多かったのです。

BEM


この画像に出てくるようなものですが、これはどうなんでしょうね。
はたして地球人より進化した宇宙人は、目が大きくなるものなんでしょうか。
現在の人間は、どんどん目の機能が失われていってますよね。
アフリカの大平原に暮らす部族などでは、視力3.0以上は珍しくないそうですが、
われわれはメガネをかけている人が多く、
視力が落ちても、機械でカバーする方向に進んでいるんですね。
それと昆虫的な複眼などは効率が悪いんじゃないかという気がします。

現在は「グレイ gray」と呼ばれる宇宙人像が広まっていますが、典型的な造形は、
身長は小柄な人間ほど、頭部は大きく灰色や薄緑の肌。顔は大きな黒い目に、
鼻の穴と小さな口・・・肌の色がグレイ(灰色)なので、この名がついたというわけです。
この元ネタは諸説あって、SF映画『2001年宇宙の旅』に登場する、
スターチャイルドであるとも、SFテレビドラマ『アウター・リミッツ』
に登場する宇宙人であるとも言われています。
まだ登場してから20年たってないくらいなんですね。

gray


さてさて、ウェルズの頃からイメージがどんどん常識的になっていくと思われませんか。
手が2本、足が2本は人間と同じだし、
目が二つでその下に鼻と口という配列も、人間と変わりないですよね。
では、もし本当に宇宙人がいたらどういう姿形をしてるんでしょう。
やはり、ほぼ人間と同じ形に進化が収斂していくのでしょうか。

このあたりは難しいところですが、一つ言えると思うのは、
どんな形になるかは、環境が左右するだろうということです。地球の深海魚を
考えてみればわかりますが、水深が増してどんどん光量が少なくなっていくと、
それに比して目が大きくなります。キンメダイみたいな感じです。
それを過ぎてほぼ光がなくなると、目も機能を失い、
代わりに他の感覚器が発達するわけですね。

これは光についてだけの話ですが、
空気の量(空気は酸素中心ではなく、他の気体の場合も考えられます)
温度(ある程度寒いのなら毛皮や皮下脂肪が発達するが、それを過ぎると、
鉱物の殻を持ったりするのかもしれません)
重力(大きければ地にへばりつくような平べったい生物、
小さければ跳びはねるのに適した生物)とか、さまざまな環境条件が考えられます。
もし圧倒的に光量が多ければ、歩く植物のような宇宙人がいるかもしれません。
ただ立っているだけで、光合成でエネルギーを得ることができるなら、
これは便利ですよね。働く必要がないww 
ただし植物にとっては、根から吸収する元素も重要ではあります。

また、われわれ地球人が哺乳類であるのは、隕石の衝突などの原因で、
爬虫類の恐竜が絶滅してくれたおかげですよね。
ラッキーなわけです。ですから、広い宇宙には、昆虫的な知的生命体、
鳥類的な生命体、ほとんどが液体の星なら魚類的な生命体。さらには、
肉体を捨てて、意識だけになった生命体などもいるのかもしれません。
そう考えると夢が広がりますね。






マユ玉

2016.04.13 (Wed)
2年前ですね。中部地方のある山に家族で行ったときの話です。
はい、家族は私と夫と当時4歳の娘の3人で、夫の運転で車ででかけたんです。
これは登山やハイキングということではなく、参拝と言いましょうか。
ええ、そこは500mほどでしょうか。ゆっくり2時間で登れる低山なんですが、
頂上部分に小さな神社があって、最近はお山全体がパワースポットって言われてるんです。
あ、はい、夫も私もその手のことに関心がありまして。
夫と知り合ったのが、大学の民俗学研究会でのことなんです、ですから。
9月の連休のことでした。近くの温泉に一泊して、2日目の午前に登ったんです。
そうですね、わりと人は出ていましたよ。幼い娘はかなりキツかったようでしたが、
なんとかロープウエーのある4合目までたどり着いて、そこで一休みしていました。
鉄柵のある崖の近くのベンチが空いていたので、そこに親子3人で座ったんです。

ですから、いなくなるなんてことは考えられないんですけど、それが・・・
私たち夫婦が中央広場のほうに向いて座って、
娘は崖下が見えるよう反対を向いていました。
それが急にベンチの上に立ち上がり、「キラキラしたものが降ってきた」と、
頭上に手を伸ばしました。土足でしたので、私が注意しようとして娘のほうを向くと、
娘はベンチの反対側に降りました。そしてそこで、消えてしまったんです。
そんなでしたから、私たちは娘がふざけて、どっかに隠れてるのかと思ったんです。
「出てきなさい」と呼びかけながら、ベンチや植え込みの陰などを探したものの、
どこにも見つからず、不安になってきたんです。
娘の名を大声で呼ぶのも、他の参拝者の目がありましたので、
広場にあった売店の方に事情を話しました。

そしたら、60歳を過ぎたおばさんに見える方でしたが、
「おやまあ、また悪さが始まったかいの」そう言って、携帯で電話をかけたんです。
話を聞いていると、どうやら山頂にある神社の宮司さんのようでした。
それが終わると私らのほうに向き直り、
「今、宮司さんがロープウエーで降りてこられるから、それまで私らで探しましょう。
 ただの迷子ならそれで見つからんことはないでしょう。
 もしも神さんのイタズラだったとしても、宮司さんは慣れてらっしゃるから」
そう言って、広場に放送もしてくれたんです。
ええ、娘の名を呼んで、聞こえたら中央売店に来るようにって。
広場の冊の周囲は150mくらいだったでしょうか。けっして広いところではないし、
隠れるようなところも多くはありませんでした。

ただ、もしも冊をくぐり抜けて草の繁った崖に落ちていったらと思うと・・・
その店員さん2人といっしょにくまなく探しました。
夫は斜面に降りて、そのぐるりを回ったんですが、見つかりませんでした。
そうしているうちに下りのロープウエーが着き、
神社の関係者の方が3名、降りてこられました。それが驚いたことに、
3人とも神職の装束ではなく、作業服を着ておられたんです。
一番年かさの方が宮司さんだと思ったんですが、そのとおりでした。
売店の中で、娘がいなくなったときの状況をお話しましたら、
宮司さんは「これは神さんが隠したんだろう。やれやれ、しばらくなかったことだが」
そうおっしゃって、他の2人の方もうなずかれました。
それから「上の林でマユにされとると思うから、今から探そう。なに、心配いらんから」

それで、私たちと一緒に頂上へ続く登山道を登ることになったんです。
その道は4合目までよりもずっと険しく、高さのある石段が続いていて、
絶対に娘が一人で登れるとは思えませんでした。ですから、
もしこの道を行ったのだとしたら、誰かに連れ去られたのだろうと思ったんです。
夫もそう思ったらしく「誘拐でしょうか」と宮司さんに聞きました。
宮司さんは「いやいやいや、祀ってあるのはイタズラ心のある神さんでね」
と答えられ、そのときには意味がわからなかったんです。
それから40分ほども登ったでしょうか。
道の両側は松の木が目立つ林になっていましたが、宮司さんが「ここらから入ろう」
とおっしゃり、かたわらの方が背負っていたリュックから縄と水筒を出したんです。
縄は細かったんですが、ちゃんと短いな御幣がついていて、注連縄だと思いました。

それを松の大木2本に渡して、頭上の手がやっと届く高さに張りました。
それから縦長の盃2つに水筒の中身を注ぎ、樹の根元に置いて、
宮司さんが祝詞をひとしきり唱え、それから5人で注連縄をくぐったんです。
宮司さんは作業服のポケットから白いものを取り出しました。
それ、そのときはわからなかったんですが、人形(ひとがた)ってものだと思います。
ええ、和紙を大ざっぱに人の形に切り抜いた。
それに白い糸がついてるようでした。宮司さんが何事か唱え、
糸を指にはさんで手を離すと、林の中は風もなかったのに、
それは小さな凧みたいに中に浮かんだんです。といっても高く上がるわけではなく、
宮司さんの体から数十cmほどの頭の高さに。一人の方が宮司さんの前に出て、
ナタを取り出して小枝を切り払いながらそちらの方へ進みました。

それは、歩きづらかったですよ。下草はまだ枯れるのが始まってなかったですし、
登山用のスニーカーに救われました。それより、不思議なのが人形の凧です。
フッ、フッと急に向きを変えるんですから、風の力で動いてるわけじゃありません。
その方向に木の間を抜けていくと、キーン、キーンと耳の奥で音がし始めました。
金属を金属で叩くような音で、とても耳障りでした。
最初は私しか聞こえないのかもと考えましたが、夫のほうを見ると顔をしかめていました。
それと、木の間に何かが飛んでいたんです。透明に近いような細い糸・・・なんでしょうか。
長さがどれくらいかは、はっきり見えなくてわかりませんでした。とにかくそれが、
足元から頭上高くまで、同じ方向に向けて飛んでいってるように見えたんです。
一人の方がそれを指差して、「こちらで間違いないようです」
宮司さんに話しかけ、宮司さんは「もう近い」とおっしゃられて。

すぐに、あらゆる方角からその糸が集まっている場所に出たんです。
やはり木の間に透明な糸が張りついて、蜘蛛の巣のようになっていました。
それは木漏れ日にキラキラ光って、とても美しかったのを覚えています。
中央に楕円形になった半透明の玉ができていました。広場の売店で宮司さんが、
「マユ」という言葉を出されていましたが、これのことかと思いました。
ただ、その玉は20cmほどの大きさで、
4歳の娘が入ることができるものではなかったんです。
宮司さんの持っていた人形の凧が、指を離れて玉に吸い寄せられ、ピタリと張りつきました。
そこで宮司さんは、強くたしなめるような口調で何か言いました。
意味はわからなかったんですが、「取り替えてくださるように」
みたいな内容じゃなかったかと思います。宮司さんはポケットから小刀を取り出しました。

白木の柄の昔風のものでした。それで、瓜の皮を剥くようにして、
マユ玉に切りつけたんです。すると、キーンという音がより強くなりました。
やがて、マユの中に空洞が見え、うつ伏せになって目を閉じている娘の姿が出てきました。
これは10cmほどの大きさしかないように見えましたが、
ぽろりと宮司さんの手のひらに落ちると、急激に大きくなって、
本当の娘の姿になって抱きかかえられていたんです。ええ、夫婦ともに見たんです。
宮司さんは「安心なさい、眠っているだけですよ」こうおっしゃって、夫に娘を渡しました。
マユ玉の残骸は、人形が張りついたまま、ゆっくり溶けていき、
しずくがボタポタと下に落ちていました。こんなお話です。社務所に立ち寄って、
宮司さんたちにお礼を言いましたが、詳しい説明はありませんでした。
娘はしばらくして目を覚ましましたが、何も覚えてはいなかったです。









土管3

2016.04.12 (Tue)

小学校の3年のときだと思うんだよ。夏休み前のPTAがあった日。
その日ね、家に帰るのが嫌で公園にいたんだ。
というのは、PTA前に授業参観があったんだが、教室にテストが貼りだされてて、
母親がそれ見ちゃってね。今はそんなことしないのかもしれないけど、
俺の頃はまだふつうにそういうのやってたから。
でね、俺のテストは90点だったんだよ。貼られるのは満点のやつだけだけど、
どんなテストがあったのかわかるじゃない。
家に戻ったら、テスト見せろって言われて、満点じゃないから怒られる。
そうそう、90点だっていい成績じゃない。ところが、
俺の母親はすごい教育ママで、満点以外はグチグチ小言を言われるんだ。
叩かれたりはしないけど、仏壇の前に正座させられたり。

だから家に戻るのが嫌だったわけ。俺は5時間目で終わって、
母親は学校に残って教室でPTAに参加するんだけど、
早く帰って母親が戻ってくるのを待ってるのがやだったんだよな。
かといって公園で時間をつぶして帰ってもやっぱ怒られるんだけどね・・・
家まで5分くらいの公園なんだが、そこお気に入りの遊具があってね。
コンクリの土管を複雑に組んだものなんだよ。どっかから入ると中で交差してて、
上に出たり左右に出たりする。さあね、俺が高校のときまではあったけど、
今はもうないんじゃないかな。回旋塔とか、危険がある遊具って、
のきなみ撤去されたじゃない。その土管は危険なことはないけど、
かなり古くなってたからね。てっぺんに、口を開けて山高帽をかぶった、
カバかなんかの間抜けな頭がついてて、その口から外をのぞけるようになってた。

けども、その当時から古びててかなり塗料も剥げていたし。
でね、草むらにランドセル置いて、その土管に入ってたんだよ。
暑い日だったけど、中はひんやりしてて土管も冷たくて気持ちよかった。
他の子はだれもいなくて、ひとととおりくぐると中でうとうとしてしまったんだ。
それまでそんなことはなかったんだが、その日は急に眠くなっちゃって。
どのくらい時間がたったのかなあ。目が覚めて、さすがに帰らなくちゃって思って、
一番近い穴から顔を出したら、あたりが真っ赤になってた。
夕日に染まってる・・・って思った。でもなあ、家に戻ったときは、
まだ4時くらいだったから、俺の記憶違いかもしれない。
で、穴の外のすぐ近くに、すごく太った人がいたんだよ。服装は・・・
黒っぽいスーツに白ワイシャツじゃなかったかな。あんまり印象がない。

その人が太りすぎてて、そればっかり頭にあってね。
お腹がまんまるにふくれてて、縦横が同じくらいに見えたな。
それと顔も丸くて、なんだかお月様を連想してしまった。
ほら、マンガなんかであるじゃない。月に顔が描いてあるやつ、あれによく似てた。
ああそうだ、機関車トーマスにも似てるといえばそうかな。
あっけにとられて見てたら、その人は「ぼうや~~~」と言いながら、身をかがめて、
顔を近づけてきたんだ。俺は怖くなって、後じさりして奥に下がった。
そしたら顔が土管の穴にくっつくと、そのままにゅーって頭だけが土管に入ってきたんだ。
これ、どう説明すればわかってもらえるかな。
餅をパイプに押しつけると、そのパイプの太さの分だけ入っていくじゃない。
あんな感じで頭が縦長に伸びて、にゅにゅにゅにゅって入ってきたのよ。

ああ、わかってる。そんなことふつうの人間には無理だし、
俺が想像でこしらえた記憶だって言うんだろ。まあな、俺自身そうだろうって思ってるから。
ま、続きを聞いてくれ。俺がそのときいた土管の穴は、奥が行き止まりになってたところで、
どんどん下がっていって、その顔に追いつめられてしまった。
ああ、土管はところどころが色のついたプラスチックになってて、
そっから明かりが入ってくるんだよ。だから顔の表情もわかった。
満面の笑みだったよ。で、それ以上退がれなくなった俺に向かって、
「ぼうや~ どうしたのかな~、お家にかえらないのかな~~」って聞いてきたんだ。
その声がすごい優しい響きだったんだ。そしたら怖い気持ちがふっと消えて、
なんかいい人なんじゃないかって思えてきた。それで、「家に帰ったら怒られるから」
そう答えた。「だれに~~?」 「お母さんに」

「じゃあ、お母さんがいないほうがいいのかな~~」そう聞かれたんで、
「そうじゃないけど、怒らないお母さんになってほしい」って答えたら、
「ふ~ん、そうかあ。じゃあ、そうなるようにしてあげるよ」土管いっぱいに詰まってた顔が、
すーっと後ろに引っ込んでいった。そのすきに俺は前に出て、上に登り、
反対側の口から外に出たんだよ。それで前に回ると、
その人は土管にまだ顔を突っ込んだままだったんだけど、
首からどんどん土管の中に入っていったんだ。ありえないんだよ。その土管は、
低学年の子と幼児しか入れない大きさで、5・6年生だともう苦しいんだ。
それなのに、太った体からチューブの中身を流しこむようにして、
とうとう中に全部入ってしまったんだよ、で、穴という穴が全部ふさがってしまった。
その人が土管全体に詰まってるってことだ。

穴が素通しで、向こうが見えるとこもあったんだが、
それが見えなくなってたんで、土管全体が肉で充満してしてるってことだな。
で、驚いていると、ポンって感じで顔が一番上のカバの口の中に出たんだ。
目のあたりしか見えなかったけど、にまーっと笑ってる感じで、
「ぼうや~~ もう遅いから帰りなさい。お母さんは怒らないと思うよ~~」こう言った。
もわーんと響くような声だった。それでまた怖くなってきて、
ランドセルを拾って走って家に戻ったんだよ。一軒家の門から入って庭を抜けると、
玄関の戸が開いてて、上がりかまちのところに母親が倒れてたんだ。
よそ行きの、PTAに来たときの格好のまま、上を向いていびきをかいてた。
口から白い泡が出ていたと思う。それで、よくいっしょにキャンプに行ったりしてた、
隣の家に駆け込んで、そこのジイサンに来てもらい、

ジイサンが母親の様子を見て、救急車を呼んでくれたんだよ。
脳卒中だったんだな。命は助かったけど、ずっと寝たきりになって、
リハビリを始めるようになったのは1年後のことだよ。右半身と言語に障害が残って、
たしかに太った人の言ったとおり、それ以後怒られることはなかったが、
家は俺と父親しかいなかったから、かなり苦労したんだよ。
まあそのおかげで、料理とか洗濯はひととおりできるようになったけどな。
こういう話なんだよ。どう思う、全部が俺の脳内ででっちあげた記憶なんだろうか。
けど、それから2日後にあの公園を通ったんだよ。
そしたら、作業服を着た人が何人もいて、あの土管を清掃してるみたいだった。
これは後で聞いたことだけど、土管の中全体がベトベトした液体がこびりついてて、
そのために来てたみたいだったんだ。

あとな、その太った人だが、もう何回か姿を見てる気がするんだ。
それも俺の人生の節目、節目にな。俺が高校受験のときだ。
第一志望の、ちょっと合格は厳しいんじゃないかって言われてた高校を受けたとき、
そこの会場は3階だったけど、数学で解けない問題があって、
テスト用紙から顔を上げて何気なく窓のほうを見たら、
教室の3分の1くらいもの大きさで、太った人が外に見えたんだよ。
「ええっ!」と思って見直したら、もう消えてたけどな。
それで、関係あるかわからないが、その第一志望は合格したんだ。
あとは、今の女房と結婚する前、プロポーズをしようって思ってたときにも、
小学校のときみたいに言葉はかわしてないが、見た気がするんだよな。
これ何なんだろうな? あんたらはそういうのに詳しいって話だったから・・・
関連記事 『土管』  『土管2』







電脳将棋

2016.04.10 (Sun)
えー今日はまったく仕事をせず、1日中ネットでのんびり将棋観戦でした。
自分は自由業なので土日もないようなもんですが、完全休養してしまいました。
見ていたのは第一期電王戦というイベントで、IT関連企業ドワンゴの主催。
将棋ソフト同士のトーナメントの優勝ソフト「ponanza」と、
人間のプロ棋士のトーナメント叡王戦の優勝者である山崎隆之八段の対局でした。
対局は2回行われる予定で、そのうちの1回目だったんです。
結果は、出だしから人間側の疑問手があり、調子が上がらず、
終始不利なままで終盤に突入して、あっさりと土俵を割ってしまいました。
あまりにソフトが強すぎて人間側にはチャンスがなく、盛り上がりに欠ける内容でしたね。

しかし、この結果は多くの人が事前に予想していたとおりです。
もう将棋においては、ソフトの力がプロ棋士をだいぶ上回っていて、
かつて七冠を制覇したことのある羽生名人でも、
まず勝てないだろうと見ている人が大多数です。
将棋においては、ソフトが人間の力を超えたのは3年くらい前のことだったでしょう。
それ以降は、対戦してもずっとプロ棋士のほうが分が悪いんですね。

これが囲碁だと、将棋よりも複雑なゲームであるため、まだプロのほうが強い
と考えられていたのですが、先日、googleの開発した「AlphaGo」が、
世界最強囲碁棋士の一人である韓国のイ・セドル氏との5番勝負で、
4-1と勝ち越して囲碁フアンに衝撃を与えました。
AlphaGoが内容でも圧倒してしまったんですね。
AlphaGoは、ニューラルネットワークという思考システムを用い、
これまでの囲碁ソフトととは、まったくできが違っていました。
まあしかし、いずれはこうなることではありました。

というのは、将棋も囲碁も、本質的には図形的な要素を含んだ計算であるからです。
もし桁数の多い四則計算、例えば「3245✕2647÷42」(今適当に考えた)
こんなのを100問、人間とコンピュータが、どっちが早く正確に解けるか、
という競争をしたら、これは人間が勝つと思う人は少ないでしょう。
囲碁も将棋も、計算という点ではこれと同じことなんですね。
ですから、コンピュータ(ソフト)のほうが勝つのは当然といえば当然です。

ここで、コンピュータとソフトという2つの言葉が出てきていますが、
ソフトのほうは将棋を指すための思考プログラムのことです。
これを性能の高いコンピュータにつなげば、さらに強さが増します。
コンピュータ(ハード)とソフトを合わせて、人工知能(AI)と言えばいいでしょうか。
将棋や囲碁などはAIに向いた分野であり、強さという点では人間を超えました。
思考方法も、人間をなぞるのではなくAI独自のものが出てきているようです。
しかしながら、そう単純に割り切ることができない問題がいくつかあります。

自分は何年も前からこの経緯を見ていたんですが、
いろいろと考えさせられることがありました。その一つは、
「文化」ということです。将棋の文化、例えば対局で和服を着たり、
駒を並べる作法の美しさや、礼儀作法なんかのことです。これは長い歴史から生まれ、
今のところコンピュータにはないものですが、これをどう見るか。
いくらそういう付加価値をつけても、人間はコンピュータより弱いじゃないか、
と考えるのか、それともその価値を認めるのか。なかなか難しいところですよね。

これは比較が妥当かどうかはわかりませんが、茶道の場合はどうでしょう。
もしもコンピュータにプログラムを入れて、ロボットアームをつなげ、
人間がやるよりも上手に、多くの人がおいしいと感じるお茶をたてることができたら、
これはコンピュータが人間を超えたことになるか。
(そういうプログラムは実際にあります)まあ、茶道は総合芸術ですので、
書画などの鑑賞、花を飾るセンスなども含まれますし、
何よりもてなしの心、気配りが要求されます。
これは今のところ、AIには苦手な分野とは言えるでしょう。

もう一つは「勝負」ということです。
ソフト同士の選手権も何年も前から行われていて、
ハイレベルな戦いが繰り広げられていますが、いまいち人気がありません。
見る人が少ないので、スポンサーもつきにくく商業ベースにのらない。
これはレベルが高過ぎて、多くの人には理解できないということもありますが、
最も大きな要因は、AIは人間的ではないということだと思います。

何をあたりまえのことを言ってるんだ、と思われるでしょうが、
高額賞金のかかった対局で、勝ちが見えたときに萎縮してミスをしてしまうとか、
絶対に負けたくないライバルに敗れて苦悩する姿とか、
そういう人間的な部分が勝負の醍醐味であり、見ていて面白い。
やっている個人の感情が手にとるようにわかるから、見る側も感情移入できるわけです。
これはスポーツ系でも同じことが言えるかと思います。
テニスをする機械同士の戦いを人間が見ていて、はたして面白いのかどうか。
このあたりの論点が整理されないまま、「AIが人間を超えた」
「機械が人間に勝った」と言うのは、誤解を招く気がしますね。

「電王手さん」






病院のエレベーターの話

2016.04.09 (Sat)
地下飲食店勤務のUさんの話

じゃあ話させていただきます。◯◯大学病院ですね、あそこに2年間いました。
医療関係者じゃありません。地下の食堂の従業員だったんです。
ええ、そこで体験したことをお話しするんですけど、
くれぐれも、ここだけの話ということでお願いします。
食堂は地下2回にありまして、大きな病院ですから店が2つ入ってたんです。
うどんそばの専門店と、定食の店に分かれて。
私は調理員として、うそんそば店のほうにいたんですけど。
それでですね、採用されましてから、いろいろ勤務に関する注意事項を伺いまして。
そのときに、職場への行き来はエレベーターを利用しないようにって言われて。
でも、そのときは特に深く気に留めることはなかったです。
お客さんを優先するという意味だと思ってて。

ですから、朝に通用口のほうから入って非常階段で下まで降りてました。
店は地下2階にあったんです。あ、はい、地下1階はレントゲン科とか、
病院の施設が入ってましたよ。え、霊安室ですか?
ええ、それも地下1階にあるって話は聞いたことがあります。
その階には行ったことはないんでよくわからないんですけど、
私の話とは、たぶん関係がないんじゃないかと思います。
もっと下の階に原因があるんじゃないかと。
うーん、下と言っても施設は地下2階までで、3階というのはないんですが。
同僚の方がそう言ってたんですよ。店の下にはよくないものがあるらしいって。
ずっと昔、戦争があった頃ですか。そのときには病院は別の建物で、
何か軍隊に関係のある研究所だったってことですが、それに関係があるみたいです。

あとですね、変なことに気がつきました。その、乗るなって言われた
エレベーターですけど、2つ並んでて、どっちも大きいものでしたよ。
ほら、病院ですから、ベッドなんかも入れるようになってたんです。それで、
一日中エレベーターに乗ってる人がいたんです。たぶん今もいるんじゃないかな。
病院の関係者なんでしょうね。白衣を着てましたから。50代くらいのオジサンでしたよ。
その人が、一日中どっちかのエレベーターに乗ってるんです。でも、これって変でしょう。
セキュリティの、警備員の人なのかもしれないけど、
他にそんなことしてるとこってないですよね。同僚の人はみんな知ってましたけど、
話しかけちゃいけないって店長に言われて。私が退職したのは家庭の事情からで、
特に怖い目にはあっていないんです。今から思えばもったいなかったですね。
お給料はすごくよかったですから。

エレベーターメインテナンス専門会社のOさんの話

◯◯大学病院のエレベーターですね。はい、うちでメンテを担当していました。
あそこは大きいので、エレベーターも8機あったはずです。
地下1階から8階までのが6機と、玄関ホールにある地下2階まで降りるのが2機。
ええ、奇妙だったのはその2機のことなんです。
毎年の点検は制御盤を見て、それからワイヤーと巻き上げ機の整備です。
それと5年に1回、部品の交換もします。そのときはエレベーターは停止するんですが、
全部を一気に停めることはできませんので、順繰りにやっていきます。
それがね、その2機だけは、われわれが点検した後に他の人が入るんです。
病院の関係者なんでしょうね。白衣を着てましたから。
何をやってるのかは見ましたよ。それがねえ、変な話なんです。
普通はエレベーターの床ってむき出しじゃあないですか。

ところがその2機だけにはカーペットが敷いてありまして。
でも、それっていいことはないですよね。傘なんかから水が垂れるだろうし、
掃除がしにくいじゃないですか。もしかして病院だから、滑り止めかなとも思ったんですが、
その2機だけだったんです。それをね、白衣の人が2人で剥がしてたんです。
新しいのに取り替えるのかなと思ったんですが、
剥がしたあとの床におかしなものが書かれてあったんですよ。
八角形の図柄でした。その頂点を結んで中心から線が引いてあって・・・
わかりますかね、蜘蛛の巣みたいな形って言えばいいか。
そして間、間に読めないような記号が書いてありまして。
あれ、たぶん梵字ってやつですよ。ほら卒塔婆の上なんかについてるやつ。
最初に見たときはびっくりしました。近代的な病院になんでこんなものがって。

それでですね、その2人の人がロウソクを出して、
その八角形のあちこちに立てはじめたんです。・・・何かの儀式なんでしょうね。
でね、驚いたことには、病院の管理部長だけじゃなく院長もやってきまして。
いや、それだけじゃないんです。テレビで見たことのある有名な政治家の◯◯、
ええ、ちょっと前まで官房長官だった人。その人も来てたんですよ。
ちょっと考えられないでしょ。確かにあそこの病院は、大物政治家がお忍びで検査を受けたり、
入院したりしてるところです。大腸癌の治療は日本一だって話もありますし。
それにしてもねえ、あれ何だったんでしょうかね。
そこでわれわれは帰らされるんで、その後のことはわかんないんですよ。
ただね、お経のようなのを唱えてる声は聞こえてきました。
会社の上司にはもちろん聞きましたけど、興味を持つなって一喝されまして。

IT関連会社勤務のUさんの話

ええ、◯◯病院での話です。あんな怖い目にあったのは生まれて初めてです。
今でも信じられないくらいですよ。私の妹の子どもがサッカーの試合で足を複雑骨折して、
あの病院の整形外科に2ヶ月ほど入院してたんです。
それで、何回か見舞いに行きました。土日のことが多かったんですが、
1回だけウイークデーの午後に行ったときのことです。
頼まれてたゲームソフトを持って行ったんです。それで病院の夕食の時間になって、
私は帰り際、地下の食堂で夕食を食べていこうと思ったんです。
ええ、その食堂には前に1回行ったことがありますけど、そのときは昼食時で、
かなり混んでましたが、夕食時は他のお客さんはちらほらとしかいませんでした。
ほとんどが夜勤とかのお医者さんでしたね。
7時で終了するみたいでした。そば定食を食べて、エレベーターに乗ったんです。

地下2階から1階までですから、1分くらいしかかからないんです。
乗り込んだのは私だけで、1階のボタンを押したときに、ふっと照明が消えたんですよ。
2秒くらいですかねえ。ドキッとしましたけど、すぐついたんで・・・
私はボタンのすぐ前にいたんですが、背中のほうに違和感があったんです。
あのほら、背筋に水を浴びせられるって言いますけど、
そんなゾクゾクっとする感じがして、後ろを見たら、床が変だったんです。
そのエレベーターは下にえんじ色のカーペットが敷いてあったんですが、
その上に白いものが見えました。最初乗ったときにはありませんでした。
なんだ?と思ってよく見たら、包帯を巻いた頭だったんです。
目も口も髪も隠れるようにてっぺんから包帯をぐるぐる巻きにした頭。
それが床から生えていて、すこしずつ浮き上がってきたたんです。

信じられない物を見たときって、声が出ないんですね。私もそうでした。
それと、目が離せなくなるんですよ。その物はススススと浮き上がってきて、
肩から胸まで出てきたんですが、全身に包帯が巻かれてたんです。しかも怖いことに、
あちこちが赤く染まって、血が滲んでるようにしか見えませんでした。
とにかく入り口の扉に張りつくようにしていると、
それが膝のあたりまで出てきて、その時点で私の身長くらいありましたから、
全部出てきたら2mもあったのかもしれません。それと、ほら病院のエレベーターって、
検診の案内とかいろんなポスターが貼ってあるでしょう。
それが、さわってもいないのにバサバサ剥がれて下に落ちてきたんです。
そしたらどれも裏に、びっしり御札みたいなのがついていました。
想像してみてくださいよ。とにかくパニック寸前だったんです。

チンという音がして、1階に着き扉が開いたので背中から出ようとしました。
そしたらすごい勢いで入ってこようとした人とぶつかったんです。
白衣を着た50代くらいの男性でした。その人は白衣の下から、
白っぽい木でできた像みたいなのを出して、その包帯を巻いたものに向けたんです。
どんな像かははっきりはわからなかったです。
そこでエレベーターの扉がしまったので、その後どうなったのかも。
はい、病院の受付はまだやってましたので、走っていって見たことを話しました。
怖かったので声が大きくなってたんだと思います。
なだめるような感じで別の部屋に連れて行かれ、そこで話をしたんです。
そしたら「ありえないです。お疲れのようですから、なんなら検査をしましょうか」
って言われて、それは嫌だから断って帰ったんです。







瓜生島伝説

2016.04.08 (Fri)
『昔、別府湾に瓜生島という島があった。
島の神社には木彫りの蛭子(エビス)様を祀っており、
「島民が一人でも仲違いをすれば島中の神仏の怒りに触れ島は海中に沈む。
そのときには蛭子様の顔が真っ赤になる」という言い伝えがあった。
だから島の人々は信心を深く仲良く暮らしていた。

しかし文禄5年、加藤良斎という医者が「そんな言い伝えは迷信である」として、
蛭子様の顔を丹粉で真っ赤に塗ってしまった。島民がこのことを憂えていると、
やがて改元があり、はたして1ヶ月後の慶長元年から地震が頻発するようになった。
そして白馬に乗った老人が現れ、「今すぐに逃げよ」と触れ回った直後、
巨大な地震と大津波が起き、島は何一つ残さず海に沈んでしまった。』


これがいわゆる「瓜生島伝説」ですね。TVアニメの『まんが日本昔ばなし』の
1エピソードとして、「瓜生島とえびすさま」という題で放映されていますので、
ご存知の方も多いと思われます。ただし、アニメの中では蛭子様の顔を塗るのは、
大人の医者ではなく、悪太郎という島の鼻つまみ者の少年になっていました。
この瓜生島ですが、さまざまな謎を秘めていて、
「日本のアトランティス」と言われたりもします。

さて、どのような謎があるかというと、まず、この昔話は真実か?
ということですが、それはさすがにありえないですよね。
この話にはさまざまなバリエーションがあって、
島民の恋物語がからんだバーションも存在しますし、
他県にも類似の話が点在しています。京極夏彦氏が『後巷説百物語 赤えいの魚』
で取り上げていましたが、舞台は秋田県の男鹿半島沖になっていました。
(ただし秋田県の伝承としてはないようですので、京極氏が話を改変したんでしょう。)

これ、元ネタは中国の古書からきていまして、
『捜神記』などの書物に、実際に湖に沈んだとされる中国の町の話が載っています。
その町に住む信心深い老婆が毎日城門を見にくる。
不審に思って問いただした役人が「この門が赤くなると町が沈む」という老婆の話を聞き、
イタズラ心を起こして門を犬の血で塗ると、直後に町が本当に沈んでしまったという。
これが翻案され、日本の『今昔物語集』では、門が卒塔婆に変わっていました。
瓜生島が沈んだとされるはるか以前から存在する話なんですね。
前に「うつろ舟」の項で書いたように、日本の説話、古伝承には、
元が中国の話であったものがたくさんあるのです。 関連記事 『うつろ舟小考』

次、この地震はあったのか? これはあったようです。1596年、
関ヶ原の戦いの数年前のことですが、『理科年表』には別府湾直下型の地震で、
マグニチュード7.0。津波は高さ4mで、
湾内2kmにわたって被害を受けたとなっています。
これは当時日本に来ていたルイス・フロイスなどの外国人も書き残しており、
間違いのない事実として地質学的な調査でも裏付けられています。

では、瓜生島はあったのか? ここが最も謎な部分で、諸説が入り乱れているのですが、
そもそも「瓜生島」という地名が出てくるのは、
この地震から100年以上後の書物なんですね。
1699年の『豊府聞書』という本なんですが、現存せず、
その写本と思われる『豊府記聞』というのに出てきます。
その他の後代の情報も加えると、瓜生島は大分市の沖合500mほどの別府湾内にあり、
周囲12kmほどの島で人口5000人程度。町の通りは3筋もあり、
上記の蛭子神社の他、寺院や島津家の居館も置かれたということになっています。
地震のときには島の8割が流失し、犠牲者は708人。
島の領主は被災者に衣服や米、金銭などを与えた・・・

ここまで詳しく書かれているのですから、実際に島があったと思いたいところです。
下に載せたように詳細な地図まで存在しているのです・・・が、
それにしても、それほど栄えていたのなら、地震の100年後に書かれた書物以前に、
瓜生島の名前が出てこないのは、どう考えても不自然です。
それと、後代の書物には「瓜生島は沖ノ浜とも呼ばれていた」
というただし書きが出てくるのです。

瓜生島の地図、幕末頃のもの


では沖ノ浜はあったのか? これは間違いなくありました。
前述のルイス・フロイスがイエズス会に送った書簡には、
「沖ノ浜はたくさんの船で賑わっており、秀吉の船が徴税のために来ていた。」
などと出ています。また、同じイエズス会のフランシスコ・ザビエルは、
この沖ノ浜の地で宿泊もしているんです。それと、地震で沖ノ浜が被害を受けて以後も、
その地に住んでいた人が移住した場所が沖ノ浜町としてずっと残っていたようです。
沖ノ浜はポルトガル船も来航する当時、東九州一の港だったんですね。

この沖ノ浜が瓜生島であったのは間違いないところでしょう。
では、沖ノ浜は島であったのか? これについては地質学的な調査は否定的です。
海底は深く、島があったとは考えられない。
ただし、海底斜面に土砂が厚く堆積した跡が見つかりました。
これは島ではなく、陸地部分が崩壊したものと見てよいようです。

とすれば、沖ノ浜は海岸から続く砂州のような地形ではなかったかと思われます。
それが別府湾直下型の地震と津波により、地盤の液状化現象が起き、
崩れるようにして海に飲み込まれていった・・・
どうやらこのあたりが真相ではないかと考えられるんですね。

さてさて、自分なんかは瓜生島の実在ということより、
伝承がどう変化していったかのほうに、より興味があります。
これは一種のミームなんだと思います。この手の話というのは、より大げさに、
そしてよりロマンのある方向へと、話が伝わっていく過程で改変されていくものです。
100年後の資料にはじめて「島」として出てくるのは、
ほぼ往時を知る関係者がいなくなる時期でもあります。
海岸沿いの砂州地形が流されたというより、たいへんに栄えていた島が、
一夜にして沈んだとするほうが、伝承としてドラマチックですよね。
さらに、中国の古伝承が実際にあった蛭子神社の話としてつけ加えられた、
ということなんでしょう。

『まんが日本昔ばなし』より





反則企画

2016.04.07 (Thu)
ひええ、「聞いた話(幼児期編)」というのを3分の2くらいまで書いたところで、
パソコンがクラッシュしました。原因はマルウエアなんでしょうか?
自分が書く「聞いた話」のシリーズは創作ではないものもあるので、
霊障なのかもしれませんww ということで今日は反則企画になります。
それにしても・・・自分の仕事の原稿までなくなってしまいました。

阪急宝塚線

そういえば、5年くらい前に昼過ぎの空いた電車に乗っていたら、
それまでカバンを抱えて座っていた40代後半くらいのおっさんが、
停車駅でもないのに急に立ち上がった。
おっさんは額から頭頂部まで禿げ上がっていて、
身長はかなり高く、痩せ気味ではあるものの骨格が太くいい体格をしていた。
おっさんは目を半眼のようにして、
直立不動で何やら軍歌のようなものを大声で歌い始めた。

歌い終わってから、「みなさん聞かれたことがあるかもしれませんが、
 今のはPL学園校歌です。私は在学時野球部で5番を打っていました。
 惜しくも甲子園には行けませんでしたが。
 ・・・私は昨日付けで会社をクビになりました。
 なりましたが・・・しかしめげませんよ。
野球部時代を思い出してこれからも頑張ります」と言って座った。
最後の方の声はややかすれがちだった。
まばらだった他の乗客はあっけにとられていたが、
小さい声で「そうか、ガンバレよ」と言った人が一人いた。

それで、このおっさんの態度が印象に残ってたんで、
会社の飲み会の2次会で居酒屋に行ったときに皆に話したんだよ。
そうしたらみなちょっとシュンとなって、この景気じゃ人ごとじゃないよな、
みたいな雰囲気になった。そしたら、
居酒屋のついたての向こうにいたタイガース帽のおやじが話を聞きつけて、
顔をのぞかせ「それ、阪急宝塚線だろ」と声をかけてきた。

「そうだ」と言うと、おやじは、「それ幽霊だぞ。しかも嘘つきの幽霊だ。
 会社を首になったのは何年も前だし、そのすぐ後に首を吊って死んでる。
 年に数回出るから、あの沿線じゃちょっと有名だよ」と言うんで、
「幽霊とは思えなかったな。生きた人にしか見えなかったよ。
 それで、嘘つきってどういうことだい」と聞くと、
おやじは、「最初に出たときは、PLの8番バッターと言ってたんだよ。
 それがだんだん打順が上がってきた。人間死んでからまでも見栄をはりたいんかねえ。
 次は4番バッターになってるだろうよ」と言った。

・オチで笑える話になっちゃったじゃまいかw
 見栄っ張りで嘘つきなのかw本当は万年補欠だったのかも。
 いや、PL入試に落っこちて地元の公立高生だったとかw

・とはいえ、会社をクビになって自殺して、
 それでも普段から通勤に使ってたんであろう路線に幽霊となって乗っているんだから、
 やっぱ、物悲しい話だよな。

・自分は20年ほど宝塚線に乗ってるけど見たことないなぁ。霊感もわりとあるんどけど。

・最初に出た時はスタメンだったのかも怪しくなってしまったな。

・そもそも、一体どんな未練がそのオッサンを
 そこまで現世に引き留めているのかが凄く気になる。

・乗客からコンバットマーチで声援して貰いたいんじゃね?

・何故そのおっさんが自殺した、なんて事情を知ってたんだろうか?

・しかし、自分も昔大阪住んでたが、
 阪急線にも時々どっか壊れたような人乗ってるもんな。
 ミナミの方に比べれば遥かに柄は悪くないんだが。

・そこに住んでるけどそんな噂聞いたこと無いな。

・落語かよw

・噂になっていないのは同じ人の前には一度しか現れないから。
 霊感がある人が見たことないのは、そういう人がいる時は避けているから。
 嘘だとばれるのを避けるためにこの二つを実行しているのだとしたら、
 このオッサンかなりの知能犯だよな。あるいは、否定されるのが怖いか。

・一度しかあっていない変な人の話なんて、
 あってすぐ後に飲み会とかない限り、あまり話す機会がない。
 その席で真相を知っている人に会う確率も低いし、
 そもそも一度しかあっていない変な人のことなんて、割とすぐ忘れてしまうもんだ。
 霊感が割りとある人なら、
 幽霊だと見抜かれて突っ込みいれられるかもしれない。ってなかんじで。

・見栄っ張りも死んだ程度じゃ治らないのか。
 タクシーの殿様を見習えよ。人生ずっと楽しいぜ。

・いや、嘘ついて同情もらうのがこいつの生き甲斐なのかな…?

・>いや、嘘ついて同情もらうのがこいつの生き甲斐なのかな…?
 もう死んでるってのにいまだ生き甲斐に執着ってことか

・居酒屋で会った見ず知らずのオッサンの嘘くさい話を信じるのか
 その元球児のオッサンは今頃どこかでまた、
 イチからがんばってるかもしれないではないか。

・居酒屋で会ったオッサンこそ「嘘吐きな幽霊」説。






黄金の林檎

2016.04.06 (Wed)
『国立科学博物館などは4日、2013年11月から2年以上噴火を続ける
小笠原諸島・西之島(東京都小笠原村)で採取した火山灰の分析から、
地下3~6キロに今回の噴火を起こしたマグマ溜まりがあるとする推定結果を明らかにした。
同博物館地学研究部の佐野貴司鉱物科学研究グループ長らの研究チームは
14年6月、火山灰を採取し、含まれる鉱物や元素などの組成を解析した。
その結果、輝石と呼ばれる鉱物に含まれる鉄やマグネシウムの比率などから、
今回のマグマ溜まりが地下約3~6キロにあり、
温度は970~990度と分かった。』
(時事通信)

今回はこのお話でいきます。地学関係の記事を取り上げるの珍しいんですが、
自分なんかはこれを読んで、「地下マグマ発電」に使えないのかな、
などと考えてしまいました。地下マグマ発電というのは、
地熱発電が大規模化したもので、直接、地下にあるマグマの熱を利用するわけですね。
これでお湯を沸かして蒸気をつくり、タービンを回して発電します。
現状では、エネルギーは電気の形に直して供給する以外の道はないでしょう。

マグマ溜まりは地下数十kmにある場合が多いので、そっから熱を取り出すのが難しい。
しかし、この西之島の場合のように、もし地下の低所にあれば、
それだけ技術的な困難は少なくなります。この場合、火山近くで危険ではありますが。
将来的には有望なエネルギーなのですが、これで採算がとれるようになるまでには、
あと50年はかかると言われていますね。もちろん、
火山国である日本はこの点では有利で、マグマ資源を効率的に活用できるのなら、
日本全体で必要な電力用の何倍もあるはずです。

さて、福島原発事故以来、原発の是非については多くの議論がありました。
原発は1度事故が起きてしまえば、その影響は甚大ですよね。
それは、放射能の漏洩は止められない、いったん出てしまった放射能は除去できない、
というところから来ています。実際、現在行われている除染は、
単に汚染した物質を他の場所に移すだけのことで、根本的な解決にはつながりません。
これまでは安全神話によって、原発の事故はありえないとされてきましたが、
人間のやることですから必ずミスはありますし、
何よりも、千年に1度レベルの自然災害に耐えることができるわけはないのです。

では、どうすればいいのでしょう。資源のない国日本は、
他国からずっと石油や石炭を輸入し続けなくてはならないのでしょうか。
それらが枯渇した場合には、シェールガスやメタンハイドレートなどを。
これもねえ、けしていいことではないですよね。
石油・石炭を燃やすと、どうしても2酸化炭素が発生してしまいます。
中国のスモッグの大きな原因は、官民で石炭を大量に燃やしていることでしょう。
それに、化石燃料というのは地球の膨大な時間がつくりだしてくれた
人類の資産なのですが、次から次へと使いきっていくのは、
なんだか、貯金を取り崩して生活してる家庭みたいです。

ですから、代替えエネルギー開発の必要性が叫ばれているわけですね。
この代替えエネルギーですが、
さらに再生可能エネルギーと、そうでないものとに分けられます。
再生可能エネルギーというのは、簡単に言えばいくらでもあるもの、
使う以上の量が自然界によってつねに補給され続けているもののことです。
具体的には、太陽光、風力、波力・潮力、流水・潮汐、地熱、バイオマスなどです。

バイオマスは、生物を利用してアルコールなどをつくることで、
植物や微生物などが利用されます。簡単に言えば、
焼酎やウイスキー、ラム酒をつくるのと変わりはありません。
これらは元々は太陽光エネルギーで、燃やしても、
その植物が光合成によって大気中から摂取した2酸化炭素が元にもどるだけで、
全体として見れば大気中の2酸化炭素量を増加させていないと考えられます。
あと、再生可能とは言えない代替えエネルギーとしては、
廃棄物発電(ゴミを燃やす)、燃料電池も今のところはそうですよね。

では、日本は原発をやめてこれらの代替えエネルギーに
切り替えていけばいいのでしょうか。
ここは難しいところです。長期的にはそれが望ましいのでしょうが、
さまざまな問題点はあります。まず、自然エネルギーの利用であっても、
必ずしもすべての人を幸せにするわけではありません。

例えば、波力・潮力発電は漁業に影響が出るでしょうし、
地熱発電は温泉を利用した観光業と現在でも競合が見られます。
風力や太陽光も広い面積が必要で、そこには利権も生じるでしょう。
トウモロコシなどからアルコールをつくるバイオエタノールは、
穀物価格の高騰を招いたり、全地球に食物が行き渡らないなどの問題を引き起こします。

それと、もし日本が原発を完全にやめてしまって、
すべて再生可能エネルギーに切り替えていくとすれば、
急激にやるとガクンと経済が落ちるのは間違いありません。
今でもほとんど稼働してないじゃないかと思われるでしょうが、
長期的には、企業製品の製造コストは上がり、設備投資や基礎技術の研究は滞り、
世界のライバルに遅れをとってしまう可能性はあります。新エネルギーを、
新たな産業にしていくといっても、そう簡単なことではないのですね。
これらのこととバランスをとりながら進めていく必要があるんでしょうね。

日本と同じ工業国であるドイツは、脱原発へとエネルギー政策の舵を切りましたが、
日本と単純に比較するのは難しいと思われます。向こうは大陸ですので、
石油やガスの輸送も簡単ですし、いざとなればEU諸国から電力を買うこともできます。
その点、島国である日本とは違います。また、ドイツ一国が脱原発でも、
フランスやロシアで大規模事故が起きてしまえば、
どうしてもその影響は受けざるをえないわけです。
フランスは原発大国ですが、ISなどによる原発テロの危険性はつねにあります。

さてさて、当ブログでは政治的な内容は取り上げないようにしているので、
本項も、反原発や原発擁護の意図があるわけではありません。
「塞翁が馬」という言葉がありますが、世の物事というのは複雑にからみ合っていて、
なかなかすべてがうまくいくという解決策は存在しないのです。
どこかがよければ、必ず別の場所に痛みはきます。ですから、
感情論に陥らず、短絡的に判断しないということが重要だと思いますね。

本項の題名「黄金の林檎」というのは、SF作家レイ・ブラッドベリの短編、
『太陽の黄金(きん)の林檎』からとっています。
核が冷えてしまった未来の地球で、太陽に向かってエネルギーを取りに行く、
決死の宇宙船の話でした。太陽が燃えるのは核融合の力によるものですが、
現在研究が進められている核融合発電は、最初に書いた地下マグマ発電同様、
安定的な電力供給までには、あと50年はかかりそうだということです。

はなかいしえいえい「





聞いた話 服2題

2016.04.05 (Tue)
これは実際に取材してうかがった話です。最初のは古着が関係してくるんですが、
自分はアメカジの雑誌に映画の話を書いたりしてる関係で、
古着の店にもよく行きます。これまで特に怖い目にあったということはないんですが、
この話を聞いてからは少し気持ち悪くなりました。アメカジの古着の場合、
向こうの楽しげな大学生活を感じさせるようなものも多いんですが。
2番目の話も、最初の話にどこか内容が似ています。
どっちもはっきりしたことはわからないんですが、
実際に聞いた話というのは、みなほとんどこんなもんなんです。

イラストレーターのAさんから聞いた話

Aさんはずっと雑誌のイラストを書いていたんですが、腕を見込まれて、
ハードカバーの本の装丁の仕事がはいってきまして。
「ああ、俺もいよいよデザイナーに昇格か」とうれしくなりました。
それで自分へのお祝いに服を買うことにしまして、行きつけの古着屋に行きました。
これ、古着だから安いということではなく、長く履いていい味の出たジーンズなんか、
かなりの高値で売られてたりするんです。あと、ビンテージのアワードジャケットなんかも。
日本でスタジャンと言われてるようなやつです。店は渋谷の行きつけのショップだったんですが、
春用に選んだのが俗にモッズコートと呼ばれてるものでした。
フードつきのライトなもので、イギリスのパンクロックフアンが好んで着用していて
その名がついたんですね。何十着も吊るしである中から、試着を繰り返し、
気に入ったのを選んで顔なじみの店長のとこに持っていき、2万3千円くらいだったそうです。

店長は「お、いいの見つけたね」と言いながら、ポケットから防虫剤を出してましたが、
片方のポケットからくしゃくしゃの紙片をつかみ出しまして、
「なんだこりゃ・・・あ!」と何かを思い出したように小さく叫んだそうです。
で、カウンターにいたAさんものぞき込むと、横罫が入ってメモ用紙とわかるその紙片には、
「1976 赤坂」とだけ日本語で書かれてあったそうです。
「何だそれ?」と聞いてみましたら、店長はちょっと考えこんだ顔をし、
「うーんこれね、だいぶ前に店頭で買ったんだけど、そんときにちょっとトラブルがあって。
 ま、品物自体は問題ないんだけど、それ思い出して」
こう言って、2万円までまけてくれたんですね。で、軍用コートなんて言うと、
兵士が戦場で実際に使ったものと思うかもしれませんが、そういうのは専用の店でないと
置いてなくて、Aさんが買ったのもレプリカの古着だったんです。

だからそのときは、それが怖い話につながるとは考えてなかったそうです。
部屋に持ってきたコートはクローゼットには入れず、虫干しもかねて窓際に掛け、
それから仕事の打ち合わせに出かけました。その後居酒屋で一杯のつもりが、
何軒もはしごをして部屋に帰ってきたのが12時過ぎ。
シャワーだけ浴びて寝たんですが、イヤーな夢を見ました。
特にストーリーはなく、目の前にフェンスらしき目の粗い金網があって、
そこに髪をつかまれて顔をゴリゴリ押しつけられている夢です。
夢なのに顔面に鈍い痛みを感じて目が覚めると、横向きで寝ていたので、
ベッドから窓際に掛けていた、買ったばかりのコートが見えたんですが、
なんだか揺れ動いているように思えました。全体がではなく、両腕の部分だけです。
「え?」と思って半身起き上がると、コートの両腕が腕組みするような形にスーッと動き、

両袖から手が出てきました。「薄暗かったんではっきりしないけど、
 黒人の手じゃないかと思った。小さかったので10代前半くらいの少年の手かな」
Aさんはどう言ってましたね。コートの腕は、前ならえをするようにAさんのほうへ伸び、
両手を合わせて拳銃の形をつくり、Aさんをパンパンと撃つような動きをしたそうです。
これは音はなかったそうですけど。Aさんはのけぞって壁に背中をぶつけましたが、
もう一度見返したときには腕は消え、袖はだらんとぶら下がっているだけでした。
「これだけなら、俺が夢を見たで済む話なんだけど、朝になって顔を洗うとき、
 鏡を見たら頬に変な線が赤く残ってたんだよ。まるで押しつけられた金網の跡みたいに」
それ以後は特に何事もなく、コートも着用していまして、
買った店にまた行ったとき店長にこの話をしましたら、
「うーん、そういうこともあるかもだね」とだけ答えが返ってきたそうです。
 
バイク乗りのOさんから聞いた話

これ、Oさんは20代後半の男性ですが、仕事が何かは聞いていません。
自分が行きつけのバイクショップでよくお会いするんです。
この話も、去年の暮れ頃、バイクショップの店内で整備を待っているときに、
ストーブを囲んで聞かせていただいた話です。
去年の夏、Oさんは仲間と3人、バイクで市営の墓地公園に出かけました。
夜中の1時ころだったそうです。これは肝試しとかそういうことじゃなく、
単に山全体が公共墓地になってる曲がりくねった道を、
バイクで上下するのが面白かったからで、
Oさんも仲間も幽霊や超常現象はまったく信じてはいなかったそうです。
坂道自体は車通りは皆無ですし、白い強い光の街灯が20mおきくらいにあって、
怖いと感じることはありませんでした。

ただし、その場所は長居をすると、住民から通報されてパトカーが来たりするので、
30分以内で戻るようにしていたそうです。で、お互いにタイムを計って何本も上下し、
満足して下のコンビニに行きまして、バイクを停めて店内に入ると、
仲間の一人がOさんに向かって、「あーお前、背中それどうしたんだよ?
と言いました。「あー背中? どうかしたのか」Oさんが返すと、他の仲間も、
「うわーキモい、蛾だらけになってるぞ」そのとき上に着ていたのは
革チョッキだったんですが、脇腹を引っぱっても自分では見えない。
ただし手で腰の上をさわると、ねたーっとした感触がありました。
あわててトイレに入ってチョッキを脱いでみると、
背中のしたのほうにべったりと樹液のようなものがついていて、
さらにその上に小さな白い蛾が何匹もはりついてたんですね。

背筋がゾクゾクとしたOさんは、チョッキを脱いで裏がえして丸めて出てきました。
「お前それ、木にこすったんだろ」仲間がそう言いました。夏場のことですので、
墓地公園の街灯にたくさん蛾がたかっていたのはOさんも見ているんですが、
木にこすったりした心あたりはまったくなかったんですね。
下はTシャツでしたので、チョッキはそのまま持ち帰ったものの、
部屋で出してみると青臭い嫌な臭いがしまして、蛾がくっついてることを思うと、
洗う気にもなれず、何年も着用したものだったので、
惜しくはないや、と燃えるゴミの袋に押し込んでしまいました。
翌日は仕事が休みだったので、起きたときには午前11時頃になっていまして、
腹が減ったOさんは台所にうどんをつくりに行きました。
そのときに、むき出しで置いてあるゴミ袋の中が白く光って見えたんです。

中で何かLEDライトほどの白く「光るものが、いくつも動いているように見えました。
「え、え?」と思わず跳びのきました。昨夜の蛾のことを思い出したんです。
でも、蛾は死んでるように思えたし、発光してるはずもないですよね。
離れたところから見ていると、いきなり袋の中のゴミがブワーッと
噴火したみたいに飛び出しました。天井にぶつかったのもあったと言ってましたから、
これはかなりの勢いです。そしてゴミが全部下に落ちても、
白く光る玉5つっくらいがそのまま宙を舞っていました。
ここは詳しく聞いたんですが、大きさはピンポン球よりちょっと小さいくらいで、
輪郭は、よく写真にうつるオーブと言われるものよりぼんやりしてたそうです。
Oさんの見つめる前で、それらは一斉に同じ方向に飛び、
台所の曇りガラスの窓にあたると、ジワーッと溶けるように消えてなくなったそうです。

がなはjせえr





聖徳太子をめぐる話

2016.04.04 (Mon)
今日は怖い話ではありません。聖徳太子の周辺事情ですね。
自分なんかは、昔の聖徳太子の肖像が載った一万円札をなんとか覚えてる世代ですが、
この後、聖徳太子の周辺には「虚構説」「怨霊説」が出てきました。

「虚構説」はわからないことはないです。そもそも「聖徳太子」というのが、
後世のおくり名で、それが出てきたのは死後100年以上もたってからです。
それと『日本書紀』は、仏教が隆盛している時代に成立しましたので、
聖徳太子の事績が、仏教の守護者のようにして書かれているのもうなずけます。
さらに後代の仏教関係の書物と太子信仰が、
太子に聖人伝説をどんどんつけ加えていったということなんですね。
有名な「和をもって貴しとなす」始まる十七条憲法も、使われている用語から、
後世の(おそらく日本書紀編者の)偽作であるとする疑いが強くなってきています。

しかしながら、虚構説をとる論者の中でも「厩戸豊聡耳(うまやどのとよさとみみ)皇子」
の存在までを否定している人は少ないのです。
当時そのような皇族が実在していた、ということまで否定してしまうと、
日本書紀(のその時代の記述)はまったく信用できない、
と言っているのと同じことですから、これは度胸がいります。
ただし、聖徳太子と蘇我馬子は同一人物で、崇峻天皇を弑逆した極悪人、
朝敵とされる蘇我馬子の、仏教守護などの功績面を別人格として記載している、
という説は存在します。聖徳太子=蘇我馬子 説ですね。

さて、日本書紀によれば、聖徳太子は574年、用明天皇の第二皇子として生まれ、
推古天皇のもと蘇我馬子と協調して政治を行い、遣隋使を派遣し、
大陸の制度をとり入れて冠位十二階を制定。
天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図り、法隆寺を建立するなど、
仏教を厚く信仰し興隆につとめた・・・こんな生涯だったようです。
若い頃は、有力皇族としてさまざまな改革をするとともに、物部ー蘇我戦争にも出陣し、
隋には「日出ずる処の天子・・・」で始まる国書を送って煬帝を激怒させます。
後半生は仏教への傾倒を深め、引きこもって仏典の世界にのめり込むようになり、
「世間虚仮、唯仏是真」(世間は空疎で、仏の世界のみが真)と言ったと伝えられます。

「厩戸」というのは、聖徳太子が馬小屋の前で産まれたという意味ですが、
これをキリスト誕生時の逸話が日本に伝来して重なったものだ、と説く説もあります。
西洋ではキリスト教徒の迫害も終わり、国教化する国が増えていた時代ですし、
中国にも景教として伝わっていたので、絶対にありえないという話ではないでしょう。
また「豊聡耳」とは、10人が一斉に口を開いて陳情をしたが、
聖徳太子はすべてを聞き分けて、的確な裁定を与えたという逸話からきていますが、
まあ記憶力のよい、聡明な人物であったということなんでしょうね。

「怨霊説」のほうは、前に「猿丸太夫」の項で取り上げた梅原 猛氏が、
『隠された十字架』を書いて有名になりました。概要は、聖徳太子は暗殺され、
その鎮魂のために建てられたのが法隆寺である、とするものです。
確かに、日本書紀の聖徳太子の死の記述は尋常ではありません。
推古天皇30年(622年)、聖徳太子は急病で倒れ、看病していた妃の膳大郎女と、
一日違いで相次いで亡くなったとされています。
これは伝染病によるものと解釈するのが定説ですが、怪しいと言えば怪しいですよね。
日本書紀は勝者の歴史ですから、隠された事実があっても不思議ではありません。
関連記事 『猿丸太夫について』

梅原氏は、聖徳太子が怨霊と考えられる理由として、
1、個人で神々に祀られるのは、一般に政治的敗者が多い。
2、かつそのとき、彼らは無罪にして殺害されたものである。
3、罪無くして殺害された者が、病気や天災・飢饉によって時の支配者を苦しめる。
4、時の権力者はその祟りを鎮め自己の政権を安泰にするために、祟りの霊を手厚く葬る。
5,それとともに、祟りの神の徳を褒め讃え、良き名をその霊に追贈する。
Wikiより
これらのことを説いています。一般論的には妥当であると思われますが、
聖徳太子に関する場合は否定的に見られています。
 
怨霊(御霊)信仰が始まったのは奈良時代末期からで、
聖徳太子の頃にはまだなかったであろうとする意見が主流で、
さらに御霊は個人が神と化したものであるので、神社ならともかく、
仏教寺院に封印されるのはおかしいのではないかとする考え方もあります。
あと、子孫が絶えてしまって供養するものがいなくなった霊は怨霊化する、
という説もあるのですが、山背大兄皇子が一族とともに滅ぼされたのは事実としても、
日本書紀には山背大兄皇子が聖徳太子の子であったとする記述はなく、
後代の書物にしか出てこないのです。

さてさて、長くなってきましたので、そろそろしめます。
『隠された十字架』の書名は、夢殿の本尊である「救世観音像」を指しています。
この仏像は長く秘仏とされ、法隆寺の僧侶をはじめ誰も見ることができなかったのですが、
明治に入って、イギリス人お雇い学者のアーネスト・フェノロサが、
法隆寺の僧侶たちに観音像の開帳を迫り、長い押し問答の末、
ついに分厚い布の下から、仏像が姿を現したのです。

この行為をして、フェノロサはバチあたりだと見る向きがありますが、
これはそうではありません。当時の日本は廃仏毀釈の嵐の最中で、
貴重な仏教関係の資料がどんどん失われつつありましたが、
それらの保護を強く訴えた人なんですね。ですから、日本仏教美術界の恩人、
と評価されることが多いのです。「国宝」という概念を日本に教えたのもこの人です。

このフェノロサの記述によれば、救世観音像は背中の部分が中空になっていたとされ、
これをして梅原氏は「前面からは人間に見えるが、実は人間ではない」
「人間としての太子でなく、怨霊としての太子を表現」したと解説しています。
また光背部分が釘で直接、観音像に打ちつけられているのも、
「釘をうつのは呪詛の行為であり、殺意の表現なのである」としていますが、
現在、これはどちらも否定されています。

背後が中空というのはフェノロサの誤記で、
救世観音像は一木造りですし、光背が留められているのも釘ではなく金具で、
時代が近い他の仏像にも見られるものです。
ですから梅原説は最大の根拠を失ってしまっているわけですね。

では怨霊説が完全に否定されたのかというと、そうでもなく、
1990年、法隆寺本尊の銅像3体のうち、中央の釈迦如来像の台座の内側に、
「相見丂陵面楽識心陵了時者」と墨書されているのが見つかりました。これは、
「その識心が陵にとどまることを願うならば、陵面に相まみえよ」と読むことができます。
つまり、陵に葬られた者が出てこないようにしたいなら、しっかりお祈りしなさい、
みたいな意味にもとれるんですね。下座の上面には「辛巳年八月九日作」の墨書もあり、
この辛巳年は621年、聖徳太子死去の前年である可能性が高いのです。
これ、よく考えるとなかなか怖い言葉ですよね。

法隆寺 救世観音像
はんskしえううyr





加工画像

2016.04.03 (Sun)
じゃ話していきます。まずね、自分は怖い話のまとめサイトってのをやってるんです。
ええ、ネットの掲示板に掲載された怖い話、怪談ですけど、
それを読みやすくまとめたサイト。いやあ、入ってくる金は小遣い程度なんですが、
やっぱ根が好きなんでしょうね、そういう話。え? 
本当にあった出来事だと思うかって? うーん、それはね、一種のお約束ですよ。
投稿するほうは、実際にあったことというスタンスは崩さないし、
読むほうもそれは大前提。でないと白けちゃいますからね。
それに、本当だという証拠もまずないけど、嘘だって証拠もない。
だからね、自分も頭から疑ってかかるなってことはしません。
だって、それで何一ついいことがないじゃないですか。違いますか?
それでね、自分は話がいくつかまとまって入ったページの最初に、

自分が加工した画像を入れてるんですよ。ええ、ネットから怖い画像を拾って、
でも、それを載せるだけだと著作権関係でマズいことがあるかもですから、
フォトショでより怖くなるように加工するんですよ。
そうすれば、オリジナルのコラージュ作品って言いわけができるでしょ。
今まで文句が来たことはなかったんですけどね。それで、
心霊スポットの話がいくつか集まったんで、サムネイル画像を作ったんです。
背景は日本のですね。「廃墟」で検索して暗いトーンの洋室の画像を拾いました。
うーん、このときは特に何かを意識したってことはなかったです。
ただ雰囲気がよかったから。でね、それに倒れてる人物を入れたんですよ。
これは外国の画像。別に日本のでもよかったけど、
人物はなるべく海外サイトから見つけるようにしてるんです。

そのほうがクレームがくる率は低いだろうと思って。
で、それ、後でわかったことですけど、ブラジルのサイトのものだったんですよ。
黒髪でピンクっぽいブラウスを着た女の人が、向こう向きで倒れてるやつ。
それを切って、トーンを同調させて貼りつける。
慣れてるので30分もかかりませんよ。出来はまあまあかと思いました。
特別に怖いって感じでもなかったんですけどね。
そのページをブログにアップしまして、そうすると見てくれた人がコメントを書き込んで、
その人たち同士でやりとりになるんです。だいたい30コメントくらいつきますが、
普通は数日で終わるんですよ。コメントの中には、サイト管理人の自分あてのもあって、
「今回も怖い画像見つけてきましたね」みたいに褒められたりします。
これはだいたい毎回あるんですよ。だから特別変だとも思ってなかったんですけど。

ところが、次のページをアップしても、その後も1日に2つは必ずコメントが来てたんです。
ま、遅れて読んだ人のだと思ってたんですが、内容がちょっとおかしい。
というのは、一つのコメントはひらがなで「かねこひろつぐ」ってこれだけ。
もう一つは外国語3行分で、しかも英語じゃないやつ。後で見せますから。
それ、友だちに見せたら「ポルトガル語じゃないか」って言われまして。
変だなあ、こんなこと今までにはなかったのにって思ってたんですけど。
まあ、荒らしってわけじゃないから気にしないことにしてたんですよ。
それから2週間して、ブログがかなり更新されても、
その2つのコメントは、毎日ずっとそのページに送られてきてたんです。
でね、ある日、警察から電話がかかってきたんです。
「ブログのことで話を聞きたい」って。これはあせりましたね。

いや、不法なことはほとんどないはずなんですが、
それでも著作権関係を言われるとマズイ部分もあるし。
でもね、まとめサイトって無数にあるじゃないですか。
だから自分とこだけが摘発されるような心あたりはなかったんですよ。警察は、
こっちから訪ねていくか、それとも署に来られるか聞いてきたので、
自分から出向くって答えました。何の話かってのは、電話では教えてくれなかったです。
で、警察署の一室に通されまして。何かの容疑者あつかいされてる
感じはなかったんです。パソコンで自分のブログを見せられまして、
今話してるページの画像のことについて聞かれたんです。どうやって作ったのかってことです。
もちろん正直に話しましたよ。拾った元の画像も検索して見せましたら、警察も
納得したようでした。でね、何で自分が呼ばれたのか、ダメ元で逆に尋ねてみたんです。

そしたら、はぐらかされるかと思いきや、答えてもらいまして。
なんでも、ある廃墟でかなり昔に未解決の殺人事件がありまして、
男が若い女性を他の場所で殺して、廃墟まで運んできて遺棄したっていう。
その犯人が自首してきたんだそうです。でね、その理由が、
自分のブログのその画像を見て怖くなったからってことだったんだそうで。
「うわー」と思いました。知らないこととはいえ、殺人事件現場の写真使っちゃったのかってね。
ところがです、警察の話によると、遺棄現場はその画像の場所とはずっと離れた県ということで、
「この画像のどういうあたりが怖いのか」って警察が容疑者に聞いても押し黙ってしまう。
まあ事件の本筋には関係ない話ですから、深く追求するまでもないとは思ったものの、
いちおう確認のために自分を呼んだってことみたいでした。それでね、ほら、
これって「かねこひろつぐ」のコメントと何か関係あると思うじゃないですか。

で、それも警察に聞いてみたんですが、「容疑者のことは詳しく話せないが、かねこひろつぐ、
 という名前ではないし、関係者にもそういう人はいない」こう返されました。
でね、わけがわからなくなりまして。まあでも、たいしたことがなくてよかった、
と思って家に戻りまして、その画像のコメント欄を見たんです。
そしたら「かねこひろつぐ」のは来てなかったんですが、他に、これはいつも来る常連さんから、
「このページの画像変えたんですか。芸が細かいですね。倒れてた女の人が半身起きてきてますね」
ってのがあったんです。そんなはずは・・・と思って見たら、
これが本当に、うつ伏せで胸を床につけてたのが、両手をついて起き上がる形になってまして。
「うわー」と思いました。けどねえ、そのときも本物の怪奇現象なのかは半信半疑で、
誰かがイタズラで入れ替えた可能性もあるわけだし。
ともかくその画像は削除して、あたり障りのないものに入れ替えたんです。

その日の夜ですね。前にコメント欄の話をした友人からメールがありまして。
ポルトガル語のほうのコメント、翻訳ソフトを使ったらわけわからんかったから、
ブラジル人の留学生に見せて訳してもらったって、その訳が送られてきたんです。
そのとき、自分ははじめて、ブラジルはポルトガル語を使ってるってわかったんです。
こんな内容でした。「静かに近づいてくるものが、騒がしいものよりも怖ろしい場合はある。
 鐘を鳴らせ、弔いの鐘を鳴らせ。指差す先に死がある」
ねえ、これ不気味でしょう。友人のメールには、原文はもっと詩的で、
韻を踏んであるって書いてましたしねえ。あまり気味が悪いんで、
加工した元画像も消去しようと思いまして、外づけHDのフォルダを開きまして。
画像を見てイスから落ちそうになりましたよ。画像の女が立ち上がっていたんです。
向こう向きうつ伏せから立ち上がったので、暗い中にうっすら背中が見えるんですが、

左手を後ろに投げ出すようにして自分のほう、というか撮影者のほうを指差してたんです。
それと、これははっきりしなかったんですが、背中に刃物が突き立ってるようにも見えて・・・
もちろんすぐに削除しました。それから、拾った元のネット上の画像ですね。
これを確認しようと探してもみたんです。もしかしたら、同じ人の画像が何枚もあって、
その中にうつ伏せ状態のと立ってるのもあるのかと思って。ところがね、
これがどう検索しても見つからなかったんです。
警察で見たときにはすぐに出てきたんですけどね。
でね、昨日です。家の固定電話の留守録にメッセージが入ってました。
「かねこひろつぐです。すぐに返信してください。あなたの命が危険です」って男の声で。
これ、番号は電話機に入っててわかります。どうすればいいんでしょう。
連絡したほうがいいんでしょうか。それが聞きたいのもあってここに来たんです。







恐竜をつくる

2016.04.02 (Sat)
今日はこのニュースでいきます。『国内最大の琥珀の産地として知られる、
岩手県久慈市の約9000万年前(白亜紀後期)の地層から、
小型の肉食恐竜の歯の化石が見つかったと、久慈琥珀博物館が3月31日発表した。
大学教授らでつくる調査団が発見した。
肉食恐竜の歯の化石が見つかるのは県内では初めて。
見つかった歯の化石は、根の部分を含め長さ2センチ、幅5ミリ、厚さ3ミリ。
サイズから全長2、3メートルの小型の恐竜の歯とみられる。

肉食恐竜に特徴的なノコギリのようなギザギザの溝はないが、
断面に丸みがある草食恐竜と異なり、歯が薄く、
ナイフのようなカーブがあることから、肉食恐竜のものと判断した。
よく似た形の化石は1917年にカナダで最初に見つかっており、
鳥に近い小型恐竜「デイノニコサウルス類」の可能性があるという。
発見場所は、博物館から約300メートル離れた久慈層群玉川層。
これまでカメやワニといった脊椎動物の化石1000点以上が発掘され、
2012年3月には大型草食恐竜の歯の化石も見つかった地層だ。』
(読売新聞)

自分は恐竜好きですので、こういうニュースはわくわくします。
これ、最初に「国内最大の琥珀の産地」とあるのは、ニュースでは触れられていないものの、
映画『ジュラシック・パーク』を意識してのことじゃないでしょうか。
あの映画では、恐竜を再生するための方法として、
琥珀(植物の樹液の塊が化石化したもの)の中に、恐竜の血液を吸った蚊を発見し、
その血液の中からDNAを抽出して、足りない部分はカエルのもので補い、
大型種のワニを代理母として恐竜の卵を産ませる。
だいたいこんなシステムだったと思います。
琥珀に閉じ込められた古代の生物自体は珍しいものではなく、
(下の画像参照)宝石として珍重されています。

あれはSFパニック映画のジャンルになるんでしょうかね。
空想物語なので、野暮なことを言ってもしょうがないんですが、
上記システムを実際に行うのはまあ不可能と言ってよいでしょう。
まず、大型爬虫類である恐竜DNAの修復に、なぜ小型両生類であるカエルを使うのか。
恐竜の血液といっても、それはオスかメスかのどっちかのものなわけで、
そのままでは胚(幼生に育っていく細胞)を作ることは不可能ですが、
カエルの場合は人為的な単性生殖ができます。
たしか卵子を、メス自身の血液をつけた細い針でつっつくような方法で、
幼生を得ることができたはずです。

ここでちょっと余談、イエス・キリストは聖母マリアから、
「処女懐胎」によって誕生したと、キリスト教では説かれています。
これは単性生殖と言って差しつかえないでしょう。
このため、アダムとイブの行為から発生した原罪を、聖母マリアは、
生まれながらに持っていないというわけですね。(これを「無原罪のお宿り」といい、
「ルルドの泉の奇跡」の話と深い関係があります。いつか書きます。)

人類の歴史には、単性生殖で産まれた人間が少なくとも5人はいる、
というようなオカルト話がありますし、
神話やおとぎ話では不思議な泉の水を飲んだり、太陽が落ちてきた夢を見て、
子どもをはらんでしまったといった内容のものもありますが、
実際には哺乳類では不可能と、生物学的には考えられてきました。

というのは、人間など哺乳類の場合は、両親のDNAが両方そろった中から、
決まった部分をそれぞれ取り出して、
一つの子どものDNAにする仕組みになっているからです。
ですが2004年、東京農大の研究で、世界で初めて、
雌ゲノムだけを使用して「かぐや」という単為発生マウスがつくり出されました。
(特定の遺伝子が欠損したマウスの未成熟な卵母細胞の核を卵子に移植)
また、女性の卵巣内の腫瘍で、切開してみたら歯や髪の毛の断片、
内臓部分が出てきた、などという話も聞きます。ですから処女懐胎というのも、
絶対に不可能とは言えなくなってきているようです。

さて、恐竜の話に戻って、カエルの遺伝子の作用で単性生殖の恐竜の胚をつくる、
まずここで無理がありますよね。あまりに技術的なハードルが高すぎます。
それと、モアという、ニュージーランドにかつて生息していた、
ダチョウよりさらに大きい飛べない鳥がいまして、これは絶滅してしまったのですが、
復活を試みる研究の過程で、DNAの化学物質の半量が消失する「半減期」が、
およそ500年という事実が判明してしまったのです。
ですから、6550万年に絶滅したとされる恐竜では、
血液の中のDNAの大半が壊れてしまっていることでしょう。

さらに、もし超ラッキーにも氷河の中とかから、
低温のために、ほとんど破壊されていないDNAが見つかり、
それに前述のようになんとか修復をほどこしたとしても、
代理母、つまり恐竜の卵を産んでくれるのはどの生物にすればよいのでしょうか。
これがマンモスと象であれば、かなり近い種ですし、
体の大きさも似ていますので、可能性はそれなりに高いでしょう。
(マンモスの場合は胚をつくるのにメス象の卵子を使用する。)

『胚さえ作れればマンモスは復活できる。成功すれば世界で初めてだ。
プロジェクトを率いる近畿大大学院生物理工学研究科、
入谷明教授(85)の表情は明るい。2015年7月に、
マンモス「ユカ」の細胞片を納めたサンプル100本がロシアから届いた。
チームの研究者から、たんぱく質がしっかりしていて状態も良く、
期待できるとの報告が上がっている。』


しかし恐竜の場合、ティラノサウルスの最大種は13mくらい。
カミナリ竜の仲間だと、体長30mとまで言われることがあります。
蛇をのぞけば、現存の爬虫類の最大はイリエワニの7mくらいでしょうが、
はたして恐竜の卵を産むことができるでしょうか。
さんざんに苦労を重ねたあげくに、殻を割って出てきたのが、
ちょっと大きめのカエルの変種だった、なんてことになってしまいそうな気がします。
夢を壊すような話になってしまいましたが、今日はこんなところで。
関連記事 『ターリーの周辺』







猿おどりの木

2016.04.01 (Fri)
これ、俺が中2のときのことなんだよ。俺らの中学校は裏手がちょっとした山になってて、
林の中を2km弱ほどの道が続いてた。これは今も変わらない。
そこを降りきると舗装した道路に出るんだ。運動部の連中はほとんど、
このコースを使ってランニングしてたんだ。けど、球技なんかの部は秋までがシーズンで、
冬に入って雪が積もるとあまり走らなくなる。でもな、俺は柔道部だったから、
大会は冬場に多いんだよ。それに柔道場はいつでも使えるから、
オフシーズンなく1年中練習があったんだ。
2年の冬だから、もう3年は引退して新チームに移行してた。
地区大会の2回戦突破が目標の弱小チームだったが、それなりに張り切ってたんだよな。
しかも俺は投票でキャプテンに選ばれてたし。で、ある日のランニングのときのことだよ。
部員全員で走り始めたが、どうしても1年生は遅れる。

先頭のほうは、2年のレギュラーの体重が重くないやつらになるんだ。
雪はまだ数cmってとこで、ふつうの運動靴で問題なかった。ザック、ザック走ってたら、
井川ってやつが、隣走ってたやつに林の中を指差して何かしゃべりかけたが、
俺はいちおうキャプテンだから「ラン中にしゃべらないで!」そう注意したら黙った。
ランニングが終わって道場に入り、それから2時間くらい練習があった帰り、
着替えをしながら、井川に「さっき林の中で何かしゃべろうとしてたよな?」 
って声をかけた。そういうフォローは大事だと思ってたんだよ。
でないと「あいつキャプテン風ふかしやがって」って言われるからな。
そしたら井川は「いや、俺、あそこで面白いものを見つけたんだ」
「へー何?」 「猿おどりの木だよ」 「あ? 猿・・・おどり? 猿すべりじゃなくてか?」
「ああ、俺が勝手に名づけたんだけどな」 「へええ、面白そうな話だ」

で、井川が言うには、道から少し横手に外れた林の中に、
他とあんまり変わらない木があるんだけど、
その下に入ると妙に踊りたい気分になるってことだった。
「変な話だなあ。ますどうやってその木を見つけたんだよ」
「それがなあ、俺、家近くだから日曜の練習休みの日もあのコース走ってたんだよ。
 したら、何だか呼ばれたような気がしたんだ。それで木の陰に入ってみたんだが、
 誰もいなかった。勘違いかと思って戻ろうとしたら、
 ズルっと片足が滑ったんだよ。そしたらフワーッと気持ちよくなって、
 足がバタバタ勝手に動き始めたんだ」
「勝手にって?」 「うまく言えないが、あやつり人形ってわかるだろ。 
 あんな感じでバタバタって。で、それやってるとホントに気持ちよくってなあ」

ここで井川が目をうるませたんで、俺は気味悪いやつだなとは思ったが、
調子を合わせて、「ふーん、変わったことがあるもんだな。
 さっき話をしようとした場所か?」 「そうだよ」
その日はもう6時過ぎて外は真っ暗だったから、次の日曜日行ってみようということになり、
他のやつ2人もさそって、午前の遅くに林に入ったんだよ。
「しかし自主トレしてるとかエラいよな」朝方にかなりの雪が降って、
足首くらいまで積もってたな。で、その場所に入ると、種類はわからないが松の木だな。
斜面のほうに向かって伸びてる下が、ぽっかり空いてて、
雪を踏み荒らしたあとがあったんだよ。「これか?」
「うん、昨日も練習の帰りに寄って踊ったんだ」 
「いつもやってんのかよ、それヤバくないか?」

井川がその場所に入ると、すぐ両目がぐるんと白目になったんだよ。
片足が前になり、もう一方が後ろになり、
それから両足そろえてつま先立ちになってまた開く。
それをものすごい速さで繰り返し始めた。手は胸の前で上下に動かして。
あまり激しい動作だったんで、俺らはあっけにとられて見てた。
3分くらい踊ったんだと思うが、ブツンと糸が切れるように尻から雪の上にへたり込んだ。
井川はゼイゼイ息を切らしながら、「どうだ、これが猿踊りだよ。
 お前らもやってみるか?」 「いや・・・いい、俺はいいよ」 「俺も」
一言で言えば、マズいものを見たなあって感じだった。
帰る途中で聞いてみた。「あれやってるとき、気持ちいいのか」
「ああ、頭がじんじんして、だんだんに白い光が見えてくる」

その後は、井川の家に寄って、ちょっとだけゲームをして帰ったんだが、
俺といっしょにきた渡辺ってやつが「さっきの踊りマズいよなあ。気がついたか?」
って言った。「何が?」 「足もそうだけどな、手の動き。
 猿だったらこうやって外にひっかく動きだろ」 「ああ」
「あいつ手はずっと喉をかきむしるようにしてただろ。手のひらを内側に向けて」
「・・・・」 「それと、俺よく見たんだけど。あの松の木、
 下枝が伐られてたよなあ。たぶん頭のちょっと上くらいに太い枝があったはず。
 で、1年のときに救急車の音が授業中にしたのを覚えてるか?」
「ああ、そういえば」 「あれ、後で聞いたら自殺者が出たらしいんだよ。あの山で」
「・・・・」 「場所はわからないけど、もしかしてあの木じゃないかと思うんだ」
「じゃあ、井川は、自殺したやつに呼ばれてあんなことしてるのか?」

「・・・そこまではわからん」 まあ、こんなことがあったのよ。
その後は、猿おどりの木の話はしないようにしてたが、
ランニング中に注意して見るようにはなった。したら、月曜のランニングのときには、
雪が乱れてるように見えるときがあったんだよ。
降雪でわからないことのほうが多かったけど、
ああ、井川はまだあの踊りやってるんだなって。
それから・・・少なくとも中学のときには何が起きたってことはないんだが。
俺らの新チームはそこそこ強くって、中総体は地区大会で3位になって、
県大会まで進んだんだよ。県では2回戦負けだったが、俺は十分満足だった。
でな、井川はレギュラーで大活躍してほとんど負けなかったんだよ。
得意技は寝技の絞め、柔道は中学校から絞めが認められるんだ。

井川のは、相手がまいったする暇もないくらいの強烈なやつで、
チームのポイントゲッターになってたんだ。
で、その後卒業してからは俺は普通高校に行ったけど、
井川は自動車科のある他地域の学校へ行って、それから県外に出てった。
俺は運よく地元で就職できたんだが、12年前に井川が大々的に新聞に載った。
トラックの運転手をしてたんだな。それが秋口に九州の高速道路で、
乗用車に追突する事故を起こして人が1人死んだ。
ブレーキ跡がなかったって報道されてたから、居眠りか、
じゃなきゃスマホいじって運転してたかだろう。
井川は交通刑務所に収容され、出てきてすぐに首を吊ったんだ。
もうわかるだろう、あの山のあの場所でなんだよ。