飲酒と怨霊

2016.06.30 (Thu)
今日はかなり地味目の話です。読売の科学ニュースを見ていましたら、
日本史に関する内容が出ていて、これはかなり珍しいことです。
『関ヶ原の戦い(1600年)で戦国武将・小早川秀秋(1582~1602年)
が西軍から東軍に寝返った際、決断が遅れたのは過度の飲酒で肝硬変から発症した
肝性脳症による判断力低下の可能性があるとするユニークな説を、
兵庫県姫路市御立東の脳神経外科医、若林利光さん(63)が、
秀秋の当時の病状などを記した史料からまとめた。

戦いで西軍側の秀秋は寝返りを誘われていたがなかなか動かず、
東軍を率いた徳川家康が怒り出すほどだったとされる。戦闘開始から約4時間後、
西軍・大谷吉継を襲ったのをきっかけに西軍の武将が次々に寝返り、
東軍勝利につながった。若林さんは、安土桃山時代から江戸時代初めに活躍し、
秀秋も診た医師・曲直瀬玄朔の診療録「医学天正記」の記述に注目。
秀秋について「酒疸一身黄 心下堅満而痛 不飲食渇甚」
(大量の飲酒による黄だん、みぞおち付近の内臓が硬く痛みがあり、
飲食できずのどの渇きが激しい)の記述から、肝硬変と考えられるという。

飲酒後に嘔吐し、赤い尿が出たともあり、肝性脳症を併発するほど
悪化していた可能性が高いと判断。同脳症では指示への反応や判断が遅くなるため、
若林さんは「関ヶ原での決断の遅れの要因では」と推察する。
国立国際医療研究センター肝炎情報センター(千葉県市川市)も、大量の飲酒は、
肝硬変の原因の一つで「記述にある症状からは肝硬変が疑われる」という。』

(YOMIYRI ONLINE)

これは関ヶ原の戦いのときの話ですね。戦いが始まったのは朝の8時ころでしたが、
午前中はずっと石田三成率いる西軍が有利に戦いを進めていました。
小早川秀秋はこのとき若干19歳で、3才のとき、
実子のいない秀吉の養子として引き取られ、豊臣姓を与えられています。
その後、小早川家を養子相続し、若くして岡山藩主となりました。
このように豊臣家に対する大きな恩顧があったため、西軍に与したのは当然ですが、
実は内々に裏切りを勧められていました。

1万5千の軍を率い山の上に布陣していたため、もし小早川が裏切れば、
これは戦況に重大な影響をあたえるだろうと考えられていましたが、
小早川は西軍の一陣として働くわけでもなく、裏切り行動に出るわけでもなく、
ずっと軍を動かしません。このときのことが、
上記のニュースでは、肝性脳症によって判断がにぶり、
どちらとも決断できずにいたと推察しているわけですね。
しかしこれ、400年も前の人を解剖して調べるわけにもいかず、
確実といえる証拠は出ない話でしょう。

ただし、肝硬変か重い肝臓病であったことは事実のようで、
その原因として、過度の飲酒が取り沙汰されています。
幼少時は聡明であったものの、15歳前から飲酒を覚え、
取り巻き連中と連夜の酒盛りを続けていたということです。
この若さで肝硬変が疑われているので、たいへんな量を飲んでいたのでしょう。

いつまでも動かない小早川軍にしびれを切らした家康は、
秀秋の陣へ鉄砲を撃ちかけ、裏切りの催促をしたという話があったのですが、
これは最近、陣の地理的な条件や当時の鉄砲の音量から、
否定されることが多くなってきました。しかし家康から、
なんらかの指示はあったものと思われます。昼ころにはついに決断し、
松尾山を下り、西軍の大谷吉継の陣へ攻めかかりました。
西軍の中心的人物として少人数ながら奮戦していた大谷吉継は、
これによって自刃しています。

さて、この小早川秀秋は2年後、21歳の若さで病没するのですが、
幽霊話があります。吉継が関ヶ原の合戦において自害する際、
秀秋の陣に向かって「人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん」と言って切腹し、
この祟りによって狂乱して死亡に至ったという逸話があるんです。
それと、現代の怪談にも見られる「開かずの間」の話もくっついています。

関が原後の秀秋はいっそう飲酒の度が進み、飲む度に狂乱しました。
そして上記の大谷吉継の亡霊が見えると言って、
刀を振り回して暴れたということになっていますが、
このあたりはどこまで本当かはわかりません。
ただ、秀秋に後ろめたい思いがあったと考えるのは自然で、
アルコール依存症による妄想としてそれが出てきたのかもしれません。

さて、小早川には杉原重政という重臣がいまして、
つねづね主君の行動をいさめていたのですが、いっときの感情に支配され、
秀秋は近習の村山越中に、上意討ちとして重政を殺すように命じます。
しかしこれ、すぐに後悔して小姓に村山を止めるように言ったのですが、
小姓が両人を探しているうち、杉原は天守の一画で斬り殺されてしまいます。

そして秀秋には、吉継の亡霊の他に、この杉原の亡霊も見えるようになり、
衰弱に拍車がかかってとうとう亡くなってしまいます。
跡継ぎがいなかったため小早川家は改易です。上記のニュースにある肝性脳症、
それとアルコール依存症のダブルパンチで、
幻覚が見えていたのかもしれませんね。

さてさて、岡山城はもともと宇喜多秀家の居城でしたが、
宇喜多が流罪された後に秀秋が入り、かなりの改築をしています。
杉原が殺された天守の部屋は、いくら畳替えしても血の跡が浮き上がり、
部屋に足を踏み入れた者が何人も変死したという話もあります。
このため、その部屋はとうとう封印され、開かずの間になってしまいました。

このように、怪談のテーマの一つである開かずの間も、昔からある話なんですね。
教訓としては、もちろん過度の飲酒は慎みましょうということなんですが、
裏切りもよくはないですね。きちんと旗色鮮明にして事にあたるべきでしょう。
そうでないと勝っても喜びは少ないし、自責の念から、
このような結果になってしまわないともかぎらないですから。

戦災前の岡山城と小早川秀秋







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聞いた話(米)

2016.06.29 (Wed)
これは、自分が前に取材で知り合った霊能者さんから聞かせていただいた話です。
ある男性、40代後半の商社員の方だったそうですが、
中米の某国へ2年ほど長期出張していまして、
もちろんその年代ですから、日本に妻子を残した単身赴任です。
それが日本に帰ってきてから、いろいろとおかしなことが起こり始めました。
最初は、夜になると家鳴りがし始めました。
でも、普通の家鳴りはきしむような音がほとんどですよね。
ところがポン、ポン、ポポンパという感じの音が、夜になると家の中のどこかで聞こえる。
太鼓を平手で叩いてる音に思えたそうですが、
あちこち見まわっても特に音がするようなものはない。
それで、家の外でしてるのが聞こえてくるんだろう、と思っていたそうです。

ところが、日がたつに連れて音ははっきりとしてきて、
リビングの天井付近で鳴っているとしか思えなくなってきました。
男性の家は戸建てで、リビングは吹き抜けの天井が高い造作になっていたんです。
まあでも、これだけなら不思議ではあるものの、
実害はないですよね。その家族の4歳と6歳の子どもさんも、
「また鳴ったね」 「これ妖精かなんかが叩いてるんじゃない」
そんな無邪気な会話もあったそうです。この太鼓の音が1ヶ月ほど続いて、
それから事態が変化しました。ある日中、専業主婦をしている奥さんが
1階の廊下に掃除機をかけていると、玄関の外で何やら叫ぶ声が聞こえました。
女の人の声なのは間違いないですが、外国語と思われる言葉で
意味はさっぱりわからなかったそうです。

その付近は、電気部品の組立工場ができたばかりで、
従業員には外国人もかなりいましたので、その人たちが騒いでるのかと思いました。
それにしても、扉のすぐ前で聞こえるので、
怖くなってスコープから覗いてみたものの人の姿はなし。思い切って
ドアを開けてみました。そしたら、家の外のコンクリの三和土の隅に、
人の背丈ほどの黒い煙のようなものが立っていたんです。
それは細かく動いていて、蚊柱のようにも見えましたが、
何の音もしませんでした。2,3歩近づいてみましたら、
煙はその奥さんの横をすり抜け、すうっと家の中に入ってしまったんです。
後を追いかけたものの、直線になった廊下には見えませんでしたし、
まさか煙がドアを開けてどこかの部屋に入ったとも思えなかったんですね。

気にはなったので、夕食のときに旦那さんに話したんですが、
「何かの見間違いじゃないか」と言われてしまいました。
ま、そのときはそれで納得したんです。でも、この煙は、それからちょくちょく
家の中に現れるようになったんです。台所仕事などをしていて、
ふっと背後に気配を感じて振り向くと、
奥さんより少し低い高さで煙が渦巻いていました。ただこれ、日中よりも、
旦那さんが帰ってくる7時過ぎからのほうが出現が多かったんです。
前に太鼓の音が聞こえていたリビングの天井隅に、もやもやした形で渦巻いている。
もちろん旦那さんも気がつき、長い剪定バサミを持ちだして煙に突っ込み、
かきまわしてみたりもしたんです。すると煙はいったん散らばるものの、
しばらくするとまた集まってくる。このときに旦那さんは露骨に嫌な顔をしましたので、

奥さんは「これは何か知ってるんじゃないか」と思ったそうです。
でも、旦那さんに聞いても「俺がわかるわけないだろ」こんな調子だったんですね。
煙はだいたい3日に一度は見かけたそうです。それからまた2週間ほどして、
旦那さんが風呂に入っているときです。奥さんがたまたま風呂の前を通りかかると、
脱衣所へのドアの隙間から、あの煙がすうっと中に入っていくところだったんです。
気になったのでその前に立っていますと、ややあって中から「うわわっ!」
という旦那さんの叫び声が聞こえ、ドアを開けると、
旦那さんが脱衣所の鏡の前に裸で座り込んで両手を合わせていたんです。
そして旦那さんの顔の回りを取り巻くように煙がぐるぐる回っていました。
「あなた、ちょっとどうしたの?」そのとき、煙がぎゅっと集まったようになって
伸び上がり、そのとき鏡に映ったのを見てしまいました。

それは煙ではなく、長い髪をべったり濡らして額にはりつかせた、
色の浅黒い外国人の女性の顔だったんです。女性は血のように赤い涙を流し、
憤怒の形相をしていたそうです。・・・その日、子どもたちを寝かせてから、
奥さんは旦那さんを問い詰めまして、そして出張先であったことを
白状させたんですね。その内容は、ここでは書きませんが、
旦那さんは現地女性のひどい恨みを買っていたんです。そのことがあって、
煙はだんだんに人の姿をとるようになってきました。それで、つてをたどって、
冒頭で出てきた霊能者さんのところに話がいったわけです。霊能者さんは
50代の女性で、体格の良い、どこにでもいるようなオバちゃんなんですが、
(○○さん、すみません) 訪ねてきた夫婦を一室に招き入れて、
奥さんの前で、あらためて旦那さんに洗いざらいを話させたんです。

「あんたねえ、それで恨まれないわけがないことは、自分が一番よくわかるでしょ。
 これね、外国の呪術だよ。私にははっきりはわからないけど、
 何らかの方法で生霊をとばしているようだ。煙に見えてたのは、
 現地語の細かい文字じゃないかなねえ。日本にも似たものはある」
続けて、すっかり恐縮してうつ向いてしまった旦那さんに、
「あんたが現地に戻ってケリをつけてくるのが当然のことだろう。
 とりあえず当座は祓ってやることはできるが、それで済むことじゃない。いいね」
こう強く言いました。それから、「今すぐ呪法をやるから」
旦那さんを庭に連れだしたんです。郊外でしたので、かなりの広さの庭があり、
手入れをされた花壇があったんですが、「ここ壊すから、経費で払ってもらうよ」
旦那さんにシャベルを手渡して、そこに長方形の穴を掘らせたんです。

2m☓1m、深さも1mくらいの穴でした。それから旦那さんの袖をつかむと、
引っぱっていって近くにあった池に落としたんです。鯉の泳いでる庭の池ってことです。
「何するんですか?」旦那さんが立ち上がると、「うるさい」と叱りつけ、
旦那さんに、自分で掘った穴に仰向けに寝るように言いました。
旦那さんは躊躇していましたが、「これやらないと、あんたらの子どもにも災いが行くよ」
強くそう言われ、ミミズやらダンゴ虫の出てきている穴に、
ぐっしょり濡れた状態で横たわったんです。霊能者さんは、いったん屋内に戻り、
升いっぱいの米を持ってきました。そして呪言を唱えながら、
旦那さんの体にまんべんなくふりかけたんです。それから「このまま動いちゃいけないよ」
「いつまでです?」旦那さんが聞くと、「まあ2日、もしかしたらそれ以上かも。
 今あんたらの家にいる生霊がここ見つけるまでだね」

それで旦那さんは、まる2日ずっと穴の中に寝たきりだったんです。
その間、水だけは霊能者さんに飲ませてもらいましたが、食事はなし。
トイレも近くに置いたバケツにしてたんです。旦那さんが音を上げると、
「やかましい、これは罰なんだから黙ってやりなさいい」とまた怒られる。
で、2日目の夕方ですね。観念して寝ている旦那さんの上にあの煙がやってきたんです。
煙は旦那さんの体の上で急速に回転し、だんだん人型に変化していきました。
半裸の、現地人らしい女性の姿に変わりました。宙に浮いた状態で、
旦那さんの体と並行になり、手を伸ばして旦那さんの体に触ろうとしましたが、
散らばった米に触れたとたん、驚いたように引っ込め、放心したような目をして消えました。
それで終わりです。とりあえずは、その一家に害はなくなったということです。
ここからは、話を聞いた自分と霊能者さんの会話。

「これ、米に呪力があったってことですか? お塩をまくみたいな」
「いやいや、確かに散米といって神道では儀式にお米を使ったりするが、これは、
 そんなにいいものじゃない。出てきた外国人の女にはお米がウジ虫に思えたはずだよ」
「えっ、ウジ虫!!」 「そう。つまり旦那が死んでると思ったろうってこと。
 それで死体にウジがたかりついている」 「・・・そんなことできるんですか」
「生霊は普通の人間のように見たり聞いたりはできないから、そこをごまかす、
 一時しのぎの方策だけどね。ショックだったのか、それとも目的を果たしたと思ったか、
 生霊はいったん帰ったけど、根本的な解決にはならないから」この後・・・
中米に単身戻った旦那さんは現地で刺殺されました。犯人はわかっていません。
かなり酷い状態だった遺体は現地で火葬され、
子どもたちは奥さんとともに、実家に戻って暮らしてるんだそうです。

地鎮祭での散米


 



諜報者・晴明

2016.06.28 (Tue)
本項はいささかロマンに欠けるお話ですでので、そのつもりでお読み下さい。
日本史上の霊的な能力者で、最も多くフィクション作品に取り上げられるのが、
平安時代の陰陽師、安倍晴明ではないかと思います。映画、テレビドラマを初め、
小説でもいくつもの作品名をあげることができます。
では、安倍晴明の魅力とは何なのでしょうか?

これは様々な見解があると思われますが、
自分としては2つのことを取り上げてみたいと思います。
一つ目は武の人ではないということ。晴明が刀を振り回して暴れるという
話は珍しいですよね。夢枕獏先生の「陰陽師」でも、
武張った役割は相方の源博雅が担当することが多いです。
まあ、博雅は笛の名手でもありますが。
晴明の場合は自ら刀に手をかけることもまずしません。
武力とは異なる力で敵や妖物を鎮めてしまう能力。

二つ目は、低い官位でありながら、当時の王朝社会に隠然たる勢力を
持っていたという点。官位の最終は従四位下・播磨守ですから、
夢枕氏の作品中、人前では晴明はつねに自分よりも身分の高い博雅に
気を遣っているように描かれています。
しかし実際は、当時の摂政や太政大臣でさえも晴明の力を怖れ、
何かあれば助力を仰ごうとしています。

この力はどこから来ているのでしょうか。
陰陽道の呪力と言ってしまえばそれまでなんですが、
果たしてそのようなものが本当にあったのか?これ、安倍晴明は忍者、
さらには、現在の諜報者(スパイ)のような
存在ではなかったかという説があります。

晴明は式神を使うことで有名ですよね。十二神将を式神として使役し、
以前は家の中に置いていたが、彼の妻がその顔を怖がったので、
一条戻橋の下に置き、必要なときに召喚していたとされます。
これらはもしかして生きた人間で、晴明の命を受け、
情報収集や工作に暗躍していたのではないかというような話ですね。

晴明の不可思議な逸話は『今昔物語』をはじめ、
様々な古典に記されていますが、
上記のような仮定に立てば、はああと納得できるものが多いのです。
まず、晴明はかなり広い屋敷に住んでいたのですが、
召使や下男は一人もおかなかったそうです。かといって自分で手ずから
薪割りや剪定、掃除などをしているわけでもない。
しかも人が訪れるとひとりでに門が開いたりする。

でもそんなはずはないですよね。これは見えない形で人を配置していたか、
もしかしたらカラクリ仕掛けなどがあったのかもしれません。
とにかく、不思議な生活をしているという
噂が広まることが重要であったのでしょう。
方違えや物忌などが日常的に行われ、今よりもずっと迷信に支配されていた
平安の世にあって、神秘の人という噂が立つのは重要なことです。

『大鏡』には、晴明が花山天皇の譲位を予言した話が出ていますが、
これなども疑えば疑えそうな内容です。
花山天皇は寵愛していた女御に死なれ、がっくりと気落ちしていましたが、
藤原道兼に譲位を勧められます。
出家して共に仏道に精進しましょうというわけです。
ところが寺に入って得度すると、道兼は「父に一言あいさつしてまいります」
そう言って寺を抜け出し、宮中から神器を持ちだし
7歳の皇太子の部屋に移してしまった。皇太子は道兼の孫にあたり、
後の一条天皇です。これら一連の出来事は完全な秘密裏に行われました。

ところが、花山天皇が寺に向かう途中で晴明の門前を通りかかると、
真っ暗な屋敷の門がひとりでに開き、朗々たる声で、
「ただいま譲位が行われる。まさに門前を通られるのが花山天皇である」
と響いたということになっています。
これ、晴明が星占いで見通したとされているのですが、もし事実だとしたら、
諜報活動である可能性が高そうです。あちこちに手下の間者を潜らせ、
いち早く情報をつかんでいたというわけですね。

さらに工作活動について。晴明と当時の最高権力者であった藤原道長とは
いろいろな因縁話があります。道長はご存知でしょう。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の」と詠まれた人物ですね。
この道長がある日、法成寺の門をくぐろうとすると、
いつも連れている白犬が嫌がって動かなくなった。

怪しんだ道長が晴明を呼ぶと、晴明は「呪詛が仕掛けてあります」と言う。
晴明が占った場所を掘ってみると、
はたして朱文字が書かれた土器が出てきました。
晴明は懐紙を取り出して鳥の形に折り、呪を唱えて空へ投げ上げると、
白鷺に姿を変え、南の方角へ飛び去っていった。鷺の飛んでいった方角に、
呪詛を仕掛けた相手がいるということです。

これ、もしかしたら呪物を埋めたのは晴明自身かもしれません。
犬の嫌がるような臭いを地面につけていたかもしれませんし、
あらかじめ配下の者を藪の中に隠しておいて、白鷺を放たせたのかも・・・
と、疑えば疑えるような内容ですよね。

またこんな話もあります。物忌み中の藤原道長の所に、僧の観修、
医師の丹波忠明、源義家、そして晴明が集まっていた時の話です。
ちょうどその時、奈良から早瓜が献上されてきた。
道長が、「物忌み中に、このような物を取り入れるのはどうであろうか」
と晴明に占ってみるよう命じると、晴明は、「瓜の中に毒があります」と言い、
たくさんある瓜の中から一つを取り出した。

観修が経を唱えるとその瓜が動き出し、丹波忠明が瓜の二ヶ所に針を打ち立て、
最後に義家が腰の刀を抜いてその瓜を真っ二つに割つけた。
すると、中なはとぐろを巻いたヘビが入っおり、
義家の刀はヘビの頭を打ち切り、丹波忠明の針はヘビの両目に突き刺さっていた。
・・・これは時代の名人上手を集めた創作エピソードなのだと思われますが、
あらかじめ瓜を割ってくり抜き、蛇を入れて糊などで閉じることも
できなくはないと思われます。

さてさて、冒頭にロマンに欠ける話と書きましたが、
どうでしょう。徹底的にオカルトを排し、
スパイ小説のような趣向で安倍晴明を描いたら、これはこれで
面白い作品になるのではないかという気がします。
平安時代は貴族間の権力闘争の激しかった時代でもありますし、
どなたかシリアスなタッチでお書きになられませんかねえ。

へいえけおをw





金の蛇の話

2016.06.27 (Mon)
今晩は。では、よろしくお願いします。
これ全部、私のいとこから聞いた話なんです。ですからすべて本当かどうかは
わかりません。でも、こんな変な内容の嘘をつくわけもないですし。
3年前ですね。母の父が80歳代で亡くなりました。
それで、いきなりお金の話になってしまうんですけど、
母の実家はその地方で町長を出したほどの旧家だったのに、調べたら
遺産は多くはかったんです。田舎ですから土地は二束三文だし、
銀行預金や証券などが、想定したよりもずっと少なくて。
母は3人きょうだいの末娘でした。長男、次男、母です。
ただ、次男は早くに交通事故でな亡くなっていまして、相続者は2人。
それで、母はその相続を放棄していまいました。

というのは、結婚して以来、実家とはずっと絶縁状態でしたから。
はい、私の父との結婚に反対されたんです。で、駆け落ち同然に家を飛び出して、
それ以来、盆正月にも帰ることはありませんでした。
それでも、実の父母ですので葬儀だけは顔だけ出しました。
ええ、長男、私からみて伯父さんとも折り合いが悪かったんです。
ですから、たとえわずかな額でも遺産をもらうわけにはいかないってことです。
これは母の立場を考えれば当然だし、私も惜しい気持ちなどなかったです。
で、その伯父さんですね。県の関連団体の職員をしてましたが、
父親が死ぬと、まだ50代半ばでしたが、あっさり早期退職してしまいました。
退職金の割増で、定年まで勤めるのとあまり変わらない額が出たようです。
家族は娘さんが一人だけ、奥さんは10年ほど前に病気で亡くなっています。

娘さん、私からみていとこは、とうに結婚してて子どもが2人。
実家にわりに近いところに住んでいます。伯父さんはかなりの広さの実家で、
一人で生活してたんですが、お酒をたくさん飲んでいたようで、
半年前ですね、自宅で血を吐いて倒れ、自力で救急車を呼んだものの、
その日のうちに静脈瘤で亡くなってしまったんです。
・・・すみません、長々と親戚の話をしてしまいまして。
いちおうの関係はおわかりになったでしょうか。
その娘さんしか遺産を相続する人がいないということです。実家のほうは、
処分をどうするか迷っていたようでしたが、築120年の旧家だったため、
町で保存の話が出て、維持費も出してくれることになったんです。
でも、人が住まない家ってすぐ傷んでしまうでしょう。

それで、いとこが月に2度ほど掃除に行ってたんです。
午後から半日かけて隅々まで掃除し、一泊して翌朝帰るんです。
で、その日も居間に布団を敷いて休んでおりました。旧家ですから居間には
囲炉裏が切ってあって、その横で一人で。
12月でしたが、保存が決まってから囲炉裏に火は入れていませんでした。
少しうとうととしたところで、布団の胸の上に違和感があったんです。
冷たいものがあごのあたりに触れている感じがし、
無意識に手で触るとつるりとした感触。「え!」それで目が覚めました。
おそるおそる目を開けると、胸元に金色のものがありました。
実家は電気は通っていて、スモールライトだけつけてたのが、
そのわずかな光で金色に輝いて、しかも動いていた。

思わず手で布団を持ち上げて上半身を起こしたところ、
それはころんと囲炉裏の中まで転がり落ち、ならした灰を崩しながら
蛇が鎌首をもたげるような仕草をしたのだそうです。
立ち上がって電気をつけました。上から見下ろすとやはり蛇。
長さは60cmほどで、蛇と異なるのはウロコ状の模様がないこと。
あと、全体の太さが同じくらいで、つまり寸胴の棒状ってことです。
それと、目や口があるようには見えなかったそうです。
ですから金色のミミズと言ったほうが正確かもしれません。
ただ全体の動きは蛇そっくりだったということでした。
そのものは体をくねらせて灰を振り落とし、囲炉裏から這い出ると、

鎌首をもたげてクイ、クイと動かしました。それがまるで、
「ついてこい」と言っているように思えたんだそうです。
そして体を伸ばして部屋の隅をしゅるしゅると這い、
木の戸に潜り込むようにして消えました。いとこが戸を開けると、
もし幻覚などだったらそこで消えてしまうんでしょうが、
金色の蛇は廊下の上にいて、やはり首を動かしてから進み始めました。
ついていくと、廊下を渡りきり、ふだん伯父さんが寝室にしていた
納戸の障子の前でまた消えました。はい、納戸の中で蛇は待っていて、
奥の畳から外れた板の上で、くるくるとトグロを巻き始めたそうです。
60cmほどの長さですので、そんなに大きなトグロになりませんでしたが、
見ていると、20cmほどの高さになった蛇の体が、

どろどろ溶け始めて、なんと仏像に変わったんだそうです。
ええ、よく仏壇の中に飾られているようなお釈迦様の坐像です。
驚いていると、坐像はゆっくりと沈むようにして板の中に消えていきました。
怖いという気はしなかったんですが、ただただ不思議だったそうです。
まだ夜明けまではだいぶ間があるので、布団に戻って休みました。
そして明るくなって一番に、納戸のその板を調べてみると、
上から軽く叩いただけで、中が空洞になっているような音がしました。
それで夕方にご主人を呼び、バールで板をはがしてみると・・・
なんと中には、昨晩見た金の仏像。それに金のおりんと燭台などなど。
それと束ねられた紙幣・・・仏像は純金で仏具は18金。
現金も合わせると、総計3000万以上もあったそうなんです。

これ、どういうことかわかりますか。相続税対策ですよね。
そこに隠したのは母の父だと思います。おそらく伯父さんへの相続のために。
これは想像でしかないんですが、たぶん祖父は母が相続放棄するだろうと
考えてたんじゃないでしょうか。それで、息子が相続税で困らないよう、
現金の一部を仏具に変えて隠していた。
ええ、仏具は税控除の対象になりますから。
え? 伯父さんもそこにあることは知っていたんだと思います。
金相場を見ながら現金に戻すタイミングを図っていたんじゃないでしょうか。
もしかしたら紙幣には伯父さんのお金もまざっていたのかも。
いずれにしても、さきほど話したように母は相続放棄していたので、
うちに一銭も入るわけじゃありません。

「もったいなかったと思う?」と母に聞いたんですが、
「いいや、どんな額でも相続を受けるつもりはなかったよ」という返事でした。
きっと結婚するときに嫌なことがいっぱいあったんだと思います。
まあこんな話なんです。あ、それと、金の蛇は何で出てきたと思いますか。
私のいとこ、かわいい孫に遺産のありかを知らせたかったんでしょうか。
私はそうとしか思ってませんでしたが、これも母に聞くと、
「そうかなあ。私は違うと思う。仏像はいくら税金対策で造られたとしても、
 魂入れの開眼供養をしているでしょう。それが世俗の垢にまみれた
 札束といっしょくたにされてるのが嫌だったんじゃないかねえ」
こんなことを言っていました。これが正しいか、私にはわかりませんが、
なるほど、そんなこともあるのかなあとは思いました。







幽霊を見た反応

2016.06.26 (Sun)
今日は時間がなく、怪談論にします。変な題ですが、
これ怪談の構造に深く関わっているんですよね。
自分が収集した話、ネットにある話、プロの作家の先生方が書かれた話などから
目撃談の大ざっぱな傾向をまとめてみたいと思います。
あと、心霊画像・動画については今回は取り上げません。

まず最初にあるのは、その体験者が幽霊、怪異を見慣れているかどうかです。
いわゆる「霊能者、霊感の強い人」であれば、
すでに何度も超自然現象を経験しているでしょうから、
「ああ、まただ」と当然思われるでしょう。
この場合、超自然現象を初めて体験した人とはまったく反応が異なりますので、
ここでは取り上げません。

では、初めて不可思議を見た、あまり幽霊など信じていない人の
場合はどうかというと、これは何を見たかでだいぶ異なってくるようです。
まず、人型ではない、あるいは顔のない何かを見た場合。
どういうことかと言いますと、例えば「夜道を歩いていたら、塀の上に
20cm四方くらいの透明なゼリーが乗ってプルプル震えていた」
こういう場合、多くの人は頭の中で合理的な説明を見つけようとします。
「えっ! なにこれ、何かの化学物質だろうか?」
「見たことないけど、生き物なんだろうか」
まあ実際、イタズラで寒天を置いてるなんてこともなくはないでしょうし。

次、自分の知り合いではない「人型のもの、顔」を見た場合。
これは自分の幻覚や錯覚を疑う人が多いようですね。
「もしかしてガラスがあってそれに映ったのか」
「人が入れそうにないけど、実際はしゃがんでいる人が一瞬立ち上がったんだろう」
こんな具合で、幽霊を見たということをまず否定しようとします。
信じていない人なら、幽霊だと思うと
自分のそれまでの世界観が崩れてしまいますからね。

ただしこれにも付帯条件があります。「夜中の2時に塀の上に幼児の顔が出てきた」
「マンションの12階なのに窓の外を人がよぎっていった」
「肉がグズグズに崩れたゾンビかミイラのような顔が懐中電灯で見えた」
このようにありえない条件になるほど、幻覚かもと思う反面、
もしかしたら幽霊かも、という思いも出てくるようです。

また、目撃する前の状況とも関連してきます。
これはどういうことかというと「会社帰り、電車に乗るときに飛び込みがあった」
「さっきチャリで通った交差点に花とペットボトルがお供えされていた」
こういう体験があってすぐ血まみれの顔を目撃した場合、
「もしかして幽霊!?」という思いは自然にわきあがってきます。
これは当然といえば当然ですね。

さて次、もし見たのが友人や肉親の顔だったらどうでしょう。
学生時代あまり親しくなかった友人とかならともかく、
肉親や恋人の姿を、もしありえない状況で目撃してしまったら、
「ああこれは、あの人に何かあったのかもしれない」と思うようです。
で、その後すぐ携帯などで安否を確かめる行動をとる。
このケースは、虫のしらせということとも関連しているのでしょう。

だいたいこんな感じでしょうか。あえて書きませんでしたが、
これらの目撃例の多くは短時間、あるいは1回きりのものです。
それはそうですよね。もし塀の上に生首がずっとあって、しかも笑ったりしてる。
これは通報すべきでしょう。それで警察が来ても消えなかったら大事件です。
マスコミが取材に来るでしょうし、科学的調査も入ります。
そして「幽霊は存在する」という結論が出るかもしれません。
しかしそうはならないですよね。現象は基本的に再現性がない、
というのはお約束なのです。

あと、同じようなものを繰り返し見てしまう場合。
これはまず自分の体調を疑って医者にいくケースが多いのではないでしょうか。
そこで異常がないと診断されれば、だんだん霊現象を信じていくということも
あるかもしれないです。自分で似たような事例を調査したり、
あるいは何かの宗教団体に相談に行ったり。そうして、
一番最初に書いた「霊感のある人」になっていくのかもしれません。

なぜ、このようなことを書いているのかと言いますと、
怪談では読む人に違和感を感じさせることは避けなくてはなりません。
ですから目撃した場合の反応も自然であるのが望ましい。
「えー、ふつうこんな反応しねえよな」と読む人に思われるのは
やはり多くの場合マズイのです。ただし、「本当にあった」話の場合、
不自然とか言ってもしょうがなく、事実を受け入れるしかないわけですが。

さてさて、最後に目撃談を聞いた人の場合ですが、
ふつうは「えー、何かの見間違いだろ。疲れてたんじゃないか」
みたいに信じてもらえないケースが多いでしょう。
すぐに「それ幽霊だよ、間違いなく。怖いねー」とか言われたら変ですよね。
この場合、社会常識に照らして相手は判断するでしょう。
「昨日の夜じゅう部屋に幽霊がいて一睡もできなかったので今日は欠勤します」
会社にこういう電話をかけたら、「おいちょっと何言ってるんだ、待てよ」
となるんじゃないでしょうか。すんなり受け入れてはもらえない。

ただ、「お盆の夜にぼーっと仏壇の前の灯籠を見ていたら、
そこに去年死んだお父さんの顔が浮かんで消えた」こういう話をして、
真っ向から否定されることも少ないでしょう。
「ああそれ、きっと帰ってきてたんだよ。子ども思いの人だったから」
こんなことを言われても不思議ではないですよね。
このように怪談の場合、世間常識と怪異の内容が大きな齟齬を起こさないよう、
距離感をはかりながら成り立っている場合が多いのではないでしょうか。

へいあかおあおあ





6/24

2016.06.25 (Sat)
これ昨日あったことです。みなさん、昨日は何の日かごぞんじですか?
ああ、さすがですね。UFOの日です。いちおう説明すると、1947年のこの日、
まあアメリカの話なんで時差はあるんですけど、実業家ケネス・アーノルドが、
自家用飛行機で移動中にワシントン州レーニヤ山上空で、
機の横に強い光を目撃します。一直線に並んだ9機の飛行物体が、
ものすごい速度で飛び去っていったんです。自分の機より何倍も速かったので、
ジェット機かと思ったものの、相手は平べったい円盤状で、
主翼も尾翼もなくジェットエンジンの音も聞こえなかったんです。
アーノルドはこの物体を「空飛ぶ円盤(Flying Saucer) 」と名づけました。
ソーサーというのはカップの受け皿のことですよね。
アーノルドが新聞記者にこの話をしたため、マスコミはこの事件を大きく報道し、

直後の6月30日には、アメリカFBIの長官が調査プロジェクトを立ち上げます。
この当時、宇宙人の乗り物説はメインではありませんでした。
ナチスドイツが大戦中に円盤型飛行機を開発していたという話もあり、
他の国の新型実験機じゃないかという懸念が大きかったんです。
・・・ああ、すみません。大筋と関係のない話をしてしまいましたが、
僕は大学でUFO研究サークルを主催してるんです。うーん、これね、
聞いた人はみんな笑うんです。なに浮世離れした活動をしてるんだって。
でもね、僕はUFOってあると思ってます。日本じゃ信じる人は少ないけど、
アメリカは全然違うんですよ。ある調査では、全国民の6割が信じてるってあるし、
目撃者もすごく多いんです。・・・ああ、すみませんね。
それで昨日、UFOの日を記念して、観測会を実施したんです。

もちろん昼からです。あのね、夜って誤認が多いんです。
雲や霧がスクリーンになって、車のライトや街の明かりを反射しますし、
星も見えます。金星の誤認ってとても多いんです。
あとは飛行機のライトや人工衛星。でね、UFO研究サークルのメンバー、
僕を入れて4人だけなんですが、もちろん全員男です。いや、モテないですよ。
まるで女っ気のないやつばっかりで。午後の2時ころから、
大学の裏手にある山に集合しました。そこはちょっとした散歩コースになってて、
100mほどの頂上の草を刈ってあるんです。そこにカメラ、ビデオ、
望遠鏡を持ち込みました。一人が東西南北の一面を担当して、
観察すること2時間。はい、4例目撃しました。画像もあります。
ただねこれ、文字どおりの未確認飛行物体で、今お見せしますけど、

人工物かどうかもわからない黒っぽい点です。
でも、鳥じゃないってのはわかるでしょ。こういうのってけっこう多いんです。
ある程度時間をとれば、誰でも見つけることができます。
ただ、現代人はのんびり空を見てることってまずないから。
この画像は全部パソコンで拡大してみましたよ。うーん、やっぱわからないです。
もしかしたらビニールとか、洋凧の切れたのかもしれません。
昨日は風が強かったんで上空の気流に乗ってたのかもしれないです。
それでね、その場で、望遠鏡を覗いてたやつがこんなことを言い出したんです。
「ほら、あっちの山あるだろ。あの上から2番目の鉄塔の下に
 コンクリ製の小屋があって、壁に字が書いてあるみたいだ」暇でしたからね、
もう一度望遠鏡セットさせて、みなでのぞいてみたんです。

そしたら確かに、草に埋もれた壁に黒っぽい字で何か書いてあったんですが、
それがUFOって読める気がしたんです。「UFO・・・だよな」
「行って確認してみないか。あれ、そんなに距離ないぞ。車ならすぐだ」
ちょうどみな長袖長ズボンの虫よけになる格好してたんで、
行ってみることにしました。いったん山を降りて車で15分くらいで
向こうのふもとに着きましたが、登り口がわからなかったんです。
「でもよ、鉄塔があるんだから必ず整備用の道があるはずだ」山自体は、
僕らが登ったのよりちょっと高いくらい。それで近くに「氷」ってのれんが出てる、
昔風の雑貨屋があったんで入って聞いてみました。そしたら、
何度か呼ぶと、かなりの歳に見えるしわくちゃの婆さんが出てきまして、
「ああ、この突きあたりの道を右に行くと車で入れる道があるんじゃないかの。

 通るのは工事の人くらいだし、もしかしたら通行止めかもしらんが。
 山の名前? そんものはねえな。山というほど高くもないし」
お礼にみなで一本ずつ飲み物を買い、言われたとおり行ってみると、
砂利でしたが確かに車が入れる道があったんです。高圧電線の下になってました。
「ああ、これを目印にすればよかったんだな」15分ほどで上から2ま番目の
鉄塔に通じる横道らしいところに出たんです。
胸くらいの雑草をかきわけて進んでいくと、鉄塔の真下に出ました。
そこに、そうですね。車一台入るかどうかくらいのコンクリ製の小屋があったんです。
「こりゃ、たぶん工具とか部品を入れてあるんじゃないか」
「字があったのは向こう側だろ」斜面を落ちないように回りこんでみると、
そっちの壁に濃い緑の字で「U.F.O.ランドラ」ってありました。

「ランドラ? 何のことだ? 子どものイタズラみたいな字だな」
近寄っていったメンバーの一人が大声を上げました。「この字、点描になってる!」
どういうことかというと、一字が人の頭の倍くらいでしたが、
それがちょうどテントウ虫ほどの点の集まりでできていたんです。
「うわ、気味悪いな」 「これ剥がれてくるぜ」一人が木の枝でこすると、
確かにポロポロ下に落ちてきました。「うーむ、イタズラにしては凝ってる」
「これ、柔らかいな。ゴムみたいだ」 「素手で触って大丈夫か」
「ああああっ!」また別の一人が叫び声を上げ、「どうした?」
「お前ら腕時計してるか?」 「してねえよ。どしたんだよ?」
「これ見ろ?」そいつの時計はアナログの安いやつだったんですが、針が全部
グルングルン回ってたんです。ものすごい速さで。

「ありえねえ」 「磁力か?」 「それにしたって・・・」
そいつが鉄塔から離れて車まで戻ると、針の回転は止まりましたが、
時計自体が動かなくなってしまいました。
「スゲエ、これUFOの目撃情報にある展開だぞ。時計が壊れるってのは」
「もしかして基地なのかもしれんな」 「小屋の中、見てみようぜ」
ですが、小屋は正面に超頑丈な鉄扉があるのみで窓はなし。
鉄扉も鍵がかかっててビクともしませんでした。「だよな」
「でもよ、こんなのプレハブのほうが安上がりじゃないか」こんなことを言い合い、
一人が平たい山笹の葉を下のわずかな隙間から差し込んでみたんです。
「おあ、ちぎれた」しゃがんで差し込んでたので後ろにひっくり返り、
手に残ったちぎれた葉は、草の色とは違うベトベトした緑の液体がついてました。

「うえー、気味悪い」 「薬みたいな臭いがするな」それで小屋はあきらめ、
近くの草やヤブの斜面をみなで調べました。ほら、UFOに関係ある場所って、
着陸した跡が丸く残ってたりするでしょ。けど、不自然なものはありませんでした。
「変は変だけどやっぱりイタズラかなあ」 「もう戻ろう」
車をUターンさせるのが大変でしたが、そろそろと降りていくと、
一本道を婆さんが歩いて登ってきたんです。ええ、さっきの雑貨屋のです。
助手席に乗ってた僕が窓を開け、「どうも」ってあいさつしたんですが、
婆さんはこっちに目を向けることなく通り過ぎていきました。
「愛想わるいな」 「よくこんな道、あの歳で登れるよな」
「なんだよ、下にはいてるのは銀ラメのズボンか」
「もしかしてさっきの小屋の様子を見に行ったんじゃねw」

「まさか」 「いやいや、あの婆さん、実は姿を変えた宇宙人だったとか」
「そういうパターンだと、さっき俺らが飲んだジュースもあぶないw」
「そういえば変な味がしたなw」まあ、このあたりは冗談だったんですけど。
この後は特に何事もなく、夜にも少しUFOの観察をやり、それぞれ家に戻ったんですよ。
僕は歩きだったので、帰り道にもあの山のほうを見たんですが、
ただ真っ暗なだけで上空にも何も見えませんでした。ええ、これだけなら
なんてことない話ですが、この腕見てもらえますか。今朝になったら
内側に浮きだしてたんです。緑のブツブツでFって読めるでしょう。こんな皮膚病って
ありますか、医者に行ったら最初、「イレズミですか?」って言われました。
いや医者も見たことのない症状だって。他のやつらも同じです。UとOのやつ、
あと変な記号のやつ。僕は来週入院することになりました。今のところ痛くはないですが。







燭陰と古代文明

2016.06.24 (Fri)
今回はあまり一般的ではないお話ですが、なるべくわかりやすく書きます。
石燕の妖怪画は中国にすむ妖怪も描いていて、
下図の燭陰(しょくいん)もその一体です。髭面の人面に龍の体、
身のたけ千里と詞書にあるので、たいへんな大きさです。

『今昔百鬼拾遺 雲』より「燭陰」


さて、この燭陰は、『山海経』にある燭龍(しょくりゅう)と、
同一視されることが多いようです。実際、石燕も山海経を引いています。
中国古神話に見る燭龍は下図のようなものですが、顔面の造作が違いますね。
髭のないつるんとした顔に、縦についた一つ目が特徴です。
この目は、原典に「直目正乗」とある記述を解釈したものですが、
近年、ある遺物が出土したことによって、直目正乗は、
目が前に飛び出した様子を表しているのではないか、との説も出てきました。

『燭龍』


それが下図のもので、「青銅大型 縦目仮面」と呼ばれています。
1986年、四川省の三星堆(さんせいたい)遺跡で他の青銅器とともに
複数個発見され、最も大きなもので約1m40cmあります。
四川省は、長江(揚子江)流域にあり、辛い料理で有名ですね。
自分は昔行ったことがありますが、
やはり食べ物はトウガラシ色で激辛でした。

青銅大型 縦目仮面


このあたりは『三国志』で有名な劉備玄徳が支配した蜀の地にあたります。
ただ、蜀という地域名はもっとずっと古くからあって、
上記の縦目仮面は、紀元前10世紀頃のものと見られています。
これは世紀の大発見でした。というのは、みなさんは歴史で、
「世界の四大文明」というのを勉強された記憶があると思います。
メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明ですね。

これらはどれも大河の流域に発生したのですが、この古代蜀の地も、
黄河文明ほど古くはありませんが、やはり長江流域にあります。
発掘された城壁の規模や青銅器の点数から考えても、
初期の殷(商)に匹敵する規模の国家であったようです。
世界第五の古代文明といっても、いい過ぎではないかもしれません。

それにしてもこの仮面、異様ですよね。いったい何を現しているのでしょうか?
古代蜀の地には目の飛び出た人種がいた?
それとも宇宙からの来訪者? しかし奇妙なデザインをすべて宇宙人に
結びつけるのは、自分はどうかなあと思います。古代の壁画や土偶なども、
奇妙な形をしいていても、その地の伝承を調べれば、
何であるかの考察がつく場合が実は多いのです。

中国の古文献では、古代蜀は紀元前20世紀~前9世紀ころまで続き、
蠶叢(さんそう)柏灌(はっかん)魚鳧(ぎょふ)などという名の王が
治めていたと伝えられます。縦目仮面はそのうちの、
最後の王であった魚鳧の時代のものと言われます。この文明は、
これらの青銅器を地中深く残したまま、
歴史から忽然と姿を消してしまうんです。

さて、縦目仮面は、古代蜀の始祖王であった蠶叢を表しているとされます。
この人物には、目が縦についていたという伝説が残っているんです。
そのため、古来、顔に目が縦についた形で考えられてきたのですが、
この仮面の発掘により、上記のように「飛び出した目」
という新解釈が出てきました。じゃあなぜ、目が飛び出しているのでしょう?
こんな人間はいるとは思えませんので、何らかの寓意と解釈されています。

一つは「千里眼能力」を表すのではないかという説。
古代中国の偉大な王は、玉座にいながらにして、
国中のすべてを見通すことができる。
そういう超自然的な能力がイメージ化されたというわけです。
これは十分ありえそうな話ですが、もう一つ、蚕を表すのではないか、
という説もあります。蠶叢の「蠶」は「蚕」の旧字です。
四川省は古来養蚕が盛んであり、それを統べる神が、
縦目仮面=蠶叢であったというわけですね。

また、「蜀」という字に着目してみてください。
目が横になっているものが上にきていますが、これが本来は縦です。
さらに勹(つつみがまえ)の中に虫、この虫は蚕をさしているんでしょう。
国の成り立ちがひと目でわかるように漢字が使われているわけです。

さてさて、これら三星堆の青銅器は、破壊され焼かれ、
人為的に埋められた形で出土しています。ですから、なんらかの外敵が、
古代蜀を武力で滅ぼし、敵の祭祀の品々を穴の中に投げ捨てたと
考えるのが自然です。最近の研究では、
杜宇(とう)族という集団だったのではないか、
と考えられるようになってきています。青銅器を埋めた同じ穴から、
杜宇族の用いた土器も一緒に出土しているんです。滅ぼした敵の祭祀具を
埋めた後に、自分らの儀式に使った土器を投げ込んだとみることができそうです。

この蠶叢の伝説が『山海経』の燭龍になり、それが燭陰と同一視されて、
石燕が描いた・・・こういう流れになりそうなんですが、
ただ、石燕の詞書には「北海の地に住む」という語もあり、
四川省、三星堆は中国南部で北海とはかけ離れています。
燭陰は北海に見られるオーロラを神格化したものという説もあって、
(燭は蝋燭の燭で明かりの意味があるでしょう。
巨大さもオーロラならうなずけます)
自分の解釈が必ずしも正しいとは限らないということも、
最後につけ加えておきます。

三星堆 青銅神樹






TTRPG

2016.06.23 (Thu)
15年くらい前、私が大学生のときの出来事です。
ただ、あまりに奇妙な話なので信じてもらえるかどうか。2年生のときですね。
私はテーブルトーク・ロールプレイングゲームのサークルに入ってたんです。
おわかりになりますでしょうか?コンピュータのゲームはご存知ですよね。
ファンタジーなら、戦士、魔法使い、治療師などが共通の目的を持って
冒険の旅に出ますよね。それを、機械を使わないで会話で行うんです。
ゲームマスターという役割の人がいて、その人が大ざっぱなストーリーや、
ダンジョンの間取りなんかを考えてきて、
それにしたがってサイコロを振ってゲームをするわけです。
ルールは、ゲーム店で売られているルールブックを使うことが多んですけど、
慣れたゲームマスターだと自分で作ったルールで遊ぶこともできます。

それけっこう難しいんですよ。ルールを厳しくしちゃうと、
ゲームの序盤で登場人物がみなバタバタ死んでいったりして。
死んじゃった人はあと他の人がやるのを見てるしかできないですから。
説明すると長くなってしまうので、話の中で意味のわからない部分があったら、
そのつど質問してください。そのときは夏休み中盤の平日の日中でした。
大学の中はガランとしてましたね。メンバーは2年の男子2人、
女子2人、それに3年の男のマスター。サークルや同好会で申しこめば
自由に使える小会議室に集まって。エアコンがあったので涼みがてらってことです。
マスターは「今日は夏らしくホラーゲームを考えてきた。
 それも実際にある幽霊屋敷の間取りを手に入れたからそれを使う」
そう言って、エアコンの設定温度を18°にしたんです。

「えー、そんなのよく手に入りましたね」 
「ホラー雑誌から借用したんだけどね。その家の次男が婆さんの首を絞めて殺し、
 一家離散して廃墟になった場所らしい。心霊スポットになってるのに潜入した
 ルポが載ってたんだよ」それから、
マスターの説明を聞いてキャラクターを決めるんですが、マスターが、
「今回は臨場感を出すために、役割演技じゃなく自分をそのままやってもらうよ」
って言い出しました。これ、私が素のままの私を演じるってことです。
ただ、それだけだとゲームにならないんで、最初に20面サイコロを振って、
自分の霊感ポイントと精神ポイントを決めました。霊感ポイントが高いほど、
霊がいることを察知したり、追い払ったりする力が強いんです。
精神ポイントのほうは、何かイベントがあるたびに減っていって、

0になれば、発狂するか霊に憑依されてしまうという設定でした。
「さあ、君たち4人は草むらに車を停め、そろってその家の前に出た。
 木造2階建ての一軒家は廃墟と化して久しく、一面に蔦がからまり、
 壁の崩れ落ちている個所があちこちに見られる。侵入者に割られたのか、
 生垣の向こうの縁側のガラスがせまい庭に散乱している。時刻は夕暮れ時。
 さて、どうする?」マスターのこの説明に対して、私たち4人が
相談して応じるんです。目で見てわかることは質問してもかまいません。
「あの、玄関は開いてるんですか?」 「引き戸は閉まってるが、
 鍵がかかってるかどうかはわからない」
相談して、とりあえず玄関を調べることにしました。ああそれから、
言い忘れましたが、懐中電灯とかブーツとかの装備も最初に決めてあるんです。

コーラーという役割の人がいて、その人が次にとる行動をマスターに言います。
私はそのときマッパーをやってました。家の中がどうなってるかの情報はないので、
マスターの話を元に地図を書いていくんです。でも、ダンジョンならともかく、
一軒家ならそんなに複雑ではないだろうと思ってました。
玄関の鍵は開いていて、男A女A女B男Bの順番で入っていきました。
これ女Bが私だったんです。「玄関には靴だながあり、たたきに古い靴が散乱している。
 ほとんどが若い男物。玄関の先には細い廊下があり、右手にフスマ戸がある。
 玄関を調べるかい?」  「廊下を先へ進みます」
「廊下の突きあたりに木の扉とサッシ戸があり、どうやらトイレと風呂場に思える。
 さてどうする?」  「まずトイレに入ってみます」  「開けるのは男Aでいいんだね」
「トイレの戸がギーッと嫌な音を立てて開き・・・はい、ここで最初のチェック」

チェックというのは、怖がって精神ポイントが減ってないか、一人ずつ
サイコロを振って調べるんです。20面サイコロの6~20ならダメージなし。
それ以下だと出た目の数を引かれます。私は大丈夫でしたが、女Aの子が5を出して、
最初の22から引かれて17まで落ちてしまいました。これ現実だと、
すごく怖がってるってことです。「精神ポイントが5まで落ちたらパニック状態。
 憑依チェックをするよ」とマスター。トイレはひどい臭いがする汲み取り式で、
大の便器が赤黒く染まってるということでした。風呂場は浴槽に少し水が残り、
緑に濁ってボウフラのようなものが浮いてたということです。
そんな感じで、私たちは昔のカレンダーや領収書類が散らばった居間を抜け、
天井に焼け焦げのある台所を通り、奥の寝室と思える和室に入りました。
特別そこまでは何事も起きていません。

でも、マスターの情景説明がすごく上手で、突然掛け時計が鳴りだしたり、
本当に廃屋を探索してる気分になってました。
私たちはそれぞれ精神ポイントを減らしていましたが、女Aの子は残り4の
状態でその和室に入ったんです。「部屋の奥に大きな仏壇があり、扉は閉まっている」
相談の結果、男Aが扉を開けることになりました。「扉に手をかけた瞬間、
 ゆらゆらと仏壇が前後に動き始めた。ここでポイントチェック」
そしたら女Aの子が3を出し、残り1に精神ポイントがなっちゃったんです。
「うん、じゃまた憑依チェックをしよう。10以下が出たら憑依されてしまう。
 ただしまだ、霊感ポイントあんまり使ってないから救いもあるよ」
女Bがおそるおそる振ると、出た目は1でした。20面サイコロの1です。
「ああ、憑依されちゃったね。でも、霊感が強ければはね返すことができる。

 まだ先は長いから11以上が出れば霊を受けつけなかったことにするね」
それで振った目がまた1。「ああ、君は霊にとり憑かれた。もう自分が自分ではない。
 大きな叫び声を上げながら君は、揺れている仏壇を抱きかかえ、
 少し離れておもむろに扉を開いた・・・」 
「イヤアアッ!!!!」 女Aが絶叫しました。これゲームじゃなく、実際にってことです。
私、最初これも演技のうちだと思ったんです。こういうゲームって、
登場人物になりきってセリフも気分出して言ったほうが面白いから。
でも、そうじゃないってことはすぐわかりました。
両目に黒いところがなかったんです。眼球が裏返って全部白目だけ。
音を立ててイスを倒し、テーブルに腰をぶつけて後ろ向きになりました。そのとき、
テーブル上の飲みかけのペットボトルが、ボンボンボンって弾けたんです。

ええ、フタ空いてたのも炭酸でないものもです。「ちょっと女A、どうしたのよ」
「イアアアアア、イエアアアアアアアッ」女Aは壁にあったスチール棚、
中には同人誌とか入ってたんですが、そのガラスに両手を突っ込み、
ばっと血が飛び散りました。男子3人が寄ってきて取り押さえようとしましたが、
女Aはスチール棚の奥を血まみれの両手で引っかきまわして・・・
何かをつかみ出したんです。右手に半分、左手に半分、縦二つに割れたお位牌でした。
そんなものが大学にあるはずないんです。女Aは位牌を頭の上にあげ、
「ギャハハハハハハ」と笑うとそのまま後ろに倒れ、テーブルがあったので
頭を打たずに済みました。そのまま目を閉じて動かなくなり、
血だけがどんどん流れたので、傷口タオルなどでしばって救急車を呼んだんです。
幸いというか、血の量に比して傷は大きくなく、病院で数カ所縫っただけで。

それと意識も戻って、何かにとり憑かれた状態じゃなかったんです。
いえ、警察沙汰にはならなかったですが、
大学当局からさんざんしぼられて、サークルは解散させられてしまったんです。
あと、お位牌はマスターが保管してましたが、
後で聞いた話だと、ホラー雑誌に載ってた家の仏壇にあったものと
よく似ているということで、雑誌の写真だと字まで読めませんでしたが、
私が見ても形は同じものでした。それでどうしたかって?
マスターが雑誌の廃屋まで返しに行ったんです。車で6時間かけて。
その後マスターに会ったとき、そのときの様子を聞いたんですが、
首を振るだけで答えてくれなかったんです。いや、みんな元気ですよ。
あれ以来不幸があったって話は聞いていません。こんな話です。







身近な呪具(櫛)

2016.06.22 (Wed)
今日はこのお題です。櫛は男性も使うでしょうが、
どっちかというと女性のイメージが強い日用品です。
今は男性でポマードで髪を固める人が少ないせいもあるでしょうね。
自分はパーマをかけていてブラシ派で、櫛を持ち歩いたりはしてません。

櫛の語源については諸説あるのですが、
櫛と串が同じというのは確かでしょう。どちらも尖端が尖った棒です。
古来、そういうものには霊力があると信じられていたようです。
神道で用いる玉串なんかがそうですよね。
「奇し くし(不思議だ)」という言葉とも通じますが、
先にこちらの意味があったかどうかはよくわかりません。しかし、
不思議な呪力を持つものと考えられていたのは間違いのないところです。

前に取り上げた箒は、考古学的には古墳時代まで出土はありませんでしたが、
櫛は縄文時代にはすでに存在していました。
まあ、縄文人の髪は長く、リンスや整髪料もなかったでしょうから、
現代人よりも必要な物だったかもしれません。

さまざまな形状のものがあるのですが、下の画像は、
細く削った尖った棒をヒモで何重にもからげ、
その上に赤漆を塗って固定してあるようです。
これは割に平べったい形で、髪をくしけずることができそうですが、
細長い形のものは、髪に挿してまとめる かんざしとして使われていたようです。
装飾品の意味もあったのでしょう。

縄文櫛


『古事記』や『日本書紀』を読むと、古代の櫛の呪力に関した話がいくつも
出てきます。一番有名なのはイザナギ、イザナミの黄泉返りの部分でしょうか。
死者の国まで妻のイザナミを迎えに行ったイザナギは、
腐敗したその姿を怖れて逃げるが、イザナミは黄泉醜女など
眷属をつれて追いかけてくる。なんとゾンビ映画の元祖じゃないですか。

イザナギは、髪飾りから生まれた葡萄、櫛から生まれた筍、
黄泉の境に生えていた桃の実を投げつけ、なんとかこの世まで戻ってきます。
この櫛は竹製のものだったんでしょう。
櫛、筍、桃、それぞれに強い退魔の力を持つものとして、
現代でも尊重されていますよね。

あと、クシナダヒメの話もよく知られています。
『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では奇稲田姫と漢字表記され、
櫛=奇し が同じ意味として考えられていたようです。
スサノオは、八岐の大蛇とあいまみえる前に、
姫を呪法で櫛に変え、自分の髪に挿して戦うことになります。

でもこれ、不思議な話で、なぜスサノオは姫をその両親と同じように
安全な場所に隠しておかなかったのでしょうか。
この疑問は当然持たれていまして、
民俗学的には「妹の力」として説明されています。
戦いの場において、近親者である姉妹、あるいは恋人や妻の持ち物を
身につけることにより、男性の力が増すという考え方ですね。

これは近代まで受け継がれ、太平洋戦争のころも、母親や姉妹など、
近親の女性からやはり髪などを受け取って出征したという話もありますし、
博打場で女性の陰毛を持っていればツクというのもその類でしょう。
また、姫を他のものではなく櫛に変えたのは、
やはり櫛の呪力を信じたんでしょうね。
櫛は魔的なものに対抗する力が強いと考えられており、
イザナギ、イザナミの話からつながっているようです。

次は、ヤマトタケルの妻であったオトタチバナヒメ(弟橘媛)です。
ヤマトタケルの東征の途上、三浦半島ー房総半島間の走水海において、
タケルの暴言により海神の怒りを買って暴風雨になったとき、
船に乗っていた后のオトタチバナヒメが海に身を投げてその怒りを静める、
というお話です。前に少し書きましたが、この走水海に面した洞窟遺跡では、
刃物で解体されたとみられる人骨が出土しており、
なんらかの生贄的な儀式があったのではないかと推測されています。
その事実がこの記述に反映されているのかもしれません。

櫛はどこで出てくるかというと、海に沈んだ姫が持っていた櫛は、
7日後に海岸に流れ着き、その櫛を埋めて御陵を作り治めたのが、
当地の橘樹神社(川崎市)の由来とされています。
橘の木で作られた櫛だったのかはわかりませんが、
海神は姫の身体は受け取ったものの、
呪力を持つ櫛は返してよこしたということなんでしょう。
関連記事 『怖い古代史2(弟橘姫命)』

さてさて、こういう話をしてるときりがないのでまとめますが、
櫛は「九四」、つまり「苦死」に通ずるということで、
いろいろと扱うさいの作法があるようです。
苦死と関連したのはそれほど古い話ではないんでしょうが、

・櫛が折れると悪いことが起きる。その時はすぐ清水で洗うとよい
・櫛は落ちていても拾わない、苦を拾うに通ずるから
 もし拾う場合は一回足で踏んでから
・櫛の歯が欠けたものを男性が贈られた場合は、
 愛想が尽きたという女性からのメッセージ
・櫛を人に贈らない、もし贈る場合はかんざしと言う
などがあるようです。  関連記事 『身近な呪具(箒)』

弟橘媛






ゾロ目の話

2016.06.21 (Tue)
*これ、いちおう取材した話なんです。だから実話怪談と言っていいわけですが、
ただ・・・たいがいの実話というのは、類型的というか、
どっかで聞いたようなのが多いんですよね。本当らしいけど、
いまいち話としての展開に欠けるのものがほとんどです。
例えば、急に仏壇がガタガタ鳴って、その直後に親戚が亡くなったという電話が
かかってきたとか。ですから、せっかくご好意で話していただいたのに、
お蔵入りさせてしまったものはたくさんあります。
ですが、ごくたまに、そうですね、20話に一つくらいの割で、
なんとも評価のしようがない不可思議な内容の話があります。
まあねえ、自分が怖い話を収集してるのを知って、
作った話を聞かせてくださってるのかもしれません。

そこは疑うとキリがないんですけど、今日はそんな話です。
これ、ある市のタウン誌の取材で、
2年ほど前に地元の和太鼓グループを取材に行き、
その後の打ち上げ、居酒屋でやった飲み会で聞かせてもらった話です。
話してくれたのは、Yさんという当時20歳くらいの女性でした。
「怖い話ですか? 私、霊感もないし幽霊なんて見たことはないから。
 でも、ちょっと変なことなら、ないわけじゃないけど・・・」
「へええ、いや、どんなことでもいいです。ぜひ聞かせてください」
「これ、私が中1のときです。私は当時、一軒家に父母と高1の姉の4人暮らしで。
 で、前日の夜からちょっと熱っぽかったんですよ。それが朝になっても具合悪くて、
 熱計ったら37°少しあったんです。

 無理して学校へ行けば行けそうだったけど、テスト期間が終わったばっかだったし、
 母に話したら、休みなさいって。医者に行くか聞かれたけど、
 そこまでたいしたことなかったから、売薬飲んで寝てることにして」
「家にお一人だったってことですか」
「そう。父母は共働きだったし、姉は学校行くし。それで、薬飲んでベッドにいたら
 ことんと寝ちゃって、起きたら12時半過ぎてて、風邪は治った感じがしたんです。
 お腹空いたので、キッチンで冷蔵庫から冷凍食品出して、レンジで温めて食べて。
 もうなんともなかったけど、休んだんだから居間でテレビ見てるわけにもいかないし、
 それで、姉の部屋に寄って何か読む本探したんです。
 そしたら、面白そうな本はなかったけど、漫画雑誌がけっこうあったんです。
 本当にあった怖い話とか、恐怖体験とかそれ系の」

「ははあ、お姉さんはそういう趣味なわけですね。今日来てないんですか?
 あ、太鼓はやらない。それは残念」
「で、2時近くから寝たまま読み始めて。短い話がいくつも入ってる雑誌でした。
 私はあんまりそういうの読まなかったんですけど、怖いなー、
 でもこんなの嘘だよなーって思いながら。ああいう本って作り話なんですか?」
「いや、マンガ雑誌の場合、特に(本当にあった)って入ってるのは、
 読者の投稿を元にして描かれてるはずですよ。たくさん編集部に送られてくる
 中から、まず編集者さんが選んで、さらに作者さんが選んで」
「ああ、そうなんですか。ああいうのって、
 作り話だってわかった瞬間に興ざめしちゃいますよね」
「ええ、そうおっしゃる方が多いです」

「それで、雑誌に没頭してて、何気なくベッドの横のデジタル時計を見たんです。
 そしたら時間が3:33になってました。そういうのどう思いますか」
「うーん、よく言われるのは、実は時計は無意識で何度も見てるんだけど、 
 3:16とかだと記憶に残らずに、見たことそのものを忘れてしまうって説です」
「ああ・・・なるほどね、わかるけど、デジタル時計は高い台の上にあるから、
 半身起こして伸び上がらないと見れないんです。朝、
 自分で止めちゃわないように、わざとそうしてるんですよ」
「まあ、何か意味がある場合もあるのかもですけど」
「それで、また何話かお話を読んで、2冊目に入って、ふと時計を見たら4:44
 これはどういうことですか?」 「うーんと、人間には体内時計というのがあって、
 3:33が頭にあるために、それから4:44まで数えちゃうって説もあります」

「体内時計ですか・・・ それで、そのときに、ああもしかして、
 次、5:55を見るのかなあって考えて」 「それが意識するってことです」
「また漫画に戻って、そしたらその内容がちょうどそのときの私と同じだったんです」
「同じっていうと?」 「風邪を引いた女の子が誰もいない家の自分の部屋で本を
 読んでるって話でした。ただ、主人公は小学生みたいだったし、
 読んでるのも小公女とかそういうのだったけど」
「はい、それでどうなりました?」 「その子が玄関のチャイムが鳴るのが聞こえて、
 パジャマのまま起きていくと、玄関にその子の両親と弟が立ってて・・・
 その子に、今何時だ?ってそろって聞いたんです」
「変な話ですねえ。その子以外の家族は一緒に外出してたってことですか?」
「たぶんそうだと思います。で、その子が居間に入って時計を見たら5:55」

「はああ」 「で、その子が玄関に走り出て5時55分だよって言うと、
 3人はくちゃっと一つにくっついて体がどんどん溶け出し、
 どろどろの固まりになって。幼児の弟の顔だけ真ん中に浮き出てきて、
 5時55分だねってうれしそうに言ってニヤーッと笑う・・・」
「えー、それいくら怪談でもちょっとひどい。全然脈絡がないじゃないですか」
「そうですよね。私も変な話だなあと思ったんだけど、絵がかなり怖くて」
「漫画の場合は作画は重要ですからね」 「怖いので胸の上でいったん本を閉じて、
 そしたら横でカチッって音がしたんです。ああ、これ今、5:55になったんだ。
 って思ったんです。何でかわかんないけど、時計を見たら絶対怖いことが起きる、
 そう考えちゃって、時計見ないようにうーんと我慢してたんです」
「まあ、怖い話読んでると、妄想というか変なことが気になり出すもんですよね」

「そのときに現実に家のチャイムが鳴ったんです。
 家族3人はみんな玄関の鍵持ってるから、お客さんだ出なきゃいけないとは思うものの、
 怖くて出られなかったんです」 「わかる気がします、それで?」
「布団をかぶったまま動かないでいたら、チャイムはそれ1回きりで、
 ノックとかもなかったのでだんだん落ち着いてきて。
 一番早く帰ってくるのは母なんで、早くこないかと思いながらもう一度本を開いたら、
 さっき話した5:55の話が見つからなかったんです。
 胸の上の布団に開いたままにしてたので、絶対その本の中にある話なのに」
「変ですねえ。漫画の作者名とか覚えてますか?」
「私はあんまり詳しくないし、そのときも注意して見てなくて」
「じゃあ他の本は?」 「それにも載ってなかったんですよ」

「うーん、じゃあ全体が夢ってことじゃないですか。お昼にも薬飲んだんでしょう」
「そうですけど・・・ で、そのうちに玄関が開く音がして、
 それから階段の下で、○○いる? 具合どう?って母の声がしたんです。
 ああよかった、帰ってきたんだって思ってベッドから起き、
 そのときに気になってた時計を見たんです。そしたら・・・」
「そしたら?」 「5:54でした」 「え? じゃあさっき5:55と思ったのは
 もっと前だったわけですね」 「そういうことなんでしょうね。それで、
 私は下に降りてって、母にもう治ったって言ったんです。母はあらよかったわね、
 って答えて、そのときまだ開いてた玄関の戸から男の子が顔を出して、
 絶対見ちゃダメだよ、って言ったんです。その顔が漫画に出てきた子とそっくりで」
「お母さんも見たんですか?」 「ええ、今のどこの子?って外まで見に行きました」

「どう考えても変な話ですねえ? 今まで聞いたことがないし解釈のしようがないです」
「私だってわけわかんないですけど、絶対見ちゃダメっていうのは、
 5:55のことじゃないかと思ったんです。
 それ見るとたぶんよくないことが起きるって。
 だから部屋の目覚ましもデジタルじゃないのに変えました」
「うーん、ますます意味わからないです。その時計だけ見ちゃダメってことじゃ
 ないんでしょう。スマホだって時刻表示はデジタルだし、街頭にも時計はありますよね」
「だから、今でも意識して見ないようにしてます」 こんな話だったんです。
わけわかんないし、全部Yさんの夢って考えるのがやっぱ一番いいんでしょうけど、
男の子はお母さんも見てるってことですしねえ。これ、自分の経験だと、
作り話だとしたら複雑すぎますから。そう思われませんか?





 

動物の怪談

2016.06.20 (Mon)
えー今日は怪談論ということにさせていただきます。前に「植物怪談」という
項を書きましたが、「動物怪談」というのもありますよね。
これ、自分の話にもいくつかはあるんですが、けっして多いほうではありません。
特に意識してるわけではないんですが、やっぱり類型的な話になってしまう
おそれが強いものだと思いますね。

人間に身近な動物としては、犬猫なんでしょうが、
猫は祟り方面の話が多い気がします。化け猫騒動の話もありますし、
うっかり車ではねてしまった猫、子どもを川に捨ててしまった親猫が
祟るなどというのは定番ですよね。これに対し、犬のほうは祟りというよりは
心温まる霊の話になってる場合が多いと思います。

実家で長年飼っていた犬が死んだが、離れたところに住んでいる自分に
知らせをしにきたとか、死んだ犬の霊が、家に憑いている悪いものを
とっていってくれたとか。もちろん例外はありますが、
全体の傾向としてそういう感じなんですね。
これは、犬猫両者の性格からきているのでしょう。

ただ、じゃあ犬猫のような動物に、人間と同じような霊魂があるかというと、
これはなかなか難しい話です。犬猫は自分を人間と思い込んでる場合もあるし
霊魂はある。猿の仲間は知能が高いので霊魂はあるだろう。
じゃあ虫に霊魂はあるんだろうか? はは馬鹿だな、
一寸の虫にも五分の魂って言葉があるじゃないか。
じゃあバクテリアは一分の魂か? 植物はどうだろう?
さすがに植物に霊魂はないんじゃないか。でも、きれいな音楽を聞かせ続けた
植物はよく育つなんて話もありますよね。

こう考えていくと、どこで線引きをすればいいかわからなくなってしまいます。
まあ「すべて命のあるものは霊魂を持つ」としてしまえば簡単です。
神道の考え方はそうです。基本的には人間の霊も植物の霊も変わらない。
むしろ樹齢の長い大木は強い神性を持つ、などと言われたりしますよね。
さらには、無機物である岩なども霊性を持っていたりします。
しかしこれ、他の宗教だとなかなか難しい面があります。

特にキリスト教の場合、「犬は天国に入れるかどうか」について、
歴史的な論争があります。昔は、意識を持つものには魂はある。
しかし、犬猫などの動物は意識があるように見える場合もあるが、
命じられたことを行うだけで実際は歯車や滑車で動く機械と同じようなものだ。
魂を持たないのだから、天国の門をくぐることはできないなどと言われていました。
これ、哲学者のルネ・デカルトなども同じ見解で本を書いています。

まあキリスト教の場合、出発点に「神が自分の姿に似せて人間をつくった」
という人間を特別視する考え方があり、
教義もまた、人間の救いを中心に説かれているためなのだろうと思います。
ただしこれ、聖書にはこの問題をはっきり取り上げている記述はありませんので、
絶対に動物は天国にいけないということでもないんでしょう。
ますますペットと人間の絆が深まっている現代において、
触れないでおいたほうがよい話題として扱われている気がしますね。

仏教の場合、お釈迦様は「殺生を禁ずる」としていますが、
魂の問題については特に触れていません。畜生道に堕ちるなどという言い方は、
後代になって、インド思想に根強い輪廻の考え方が取り入れられたものです。
ただ、禅の公案に面白い話がありまして、「狗子仏性 くしぶっしょう」と言います。
ごく短いものですので、引用してみます。
『一人の僧が趙州和尚に問うた。「犬にも仏性があるでしょうか?」
 趙州和尚は答えた。「無」 』
 これだけです。

公案というのは、ごぞんじのように日本では臨済宗において、
座禅をするときに考えるためのお題で、「狗子仏性」は最初に出される課題である
場合が多いようです。仏性とは、「仏の性質、本性」のこと。
これ、仏教には「一切衆生悉有仏性 (すべての衆生はことごとく仏性を持つ)」
という言葉もあり、なかなか答えを出すのは難しそうです。

自分もあまり詳しいわけではないんですが、
禅の場合、公案に出てくる「無」について深く考察することが大切であり、
弟子は得た解答(見解 けんげ)を持って師の部屋に入室して問答します。
そこでの答えは、結局は「以心伝心、不立文字(心と心で通じ合い、
文字に書き起こすことのできないもの)」であって、
弟子の考えの軌跡が師に伝わればよく、
必ずこうだ、という正解があるわけではないのですね。ですから、
この公案が、犬に仏性はないと決めつけているわけではありません。

さてさて、現代日本の怪談は、現代日本人が読むためのものです。
犬猫動物に霊魂があっても、植物の霊が出てきても、
それほど違和感を感じないのは、やはり神道的な考え方が文化の底流にあるから
ではないでしょうか。そういう点で、いろいろバラエティーに富んだ話を
読み楽しむことができるのは幸運でもあると思うのです。
関連記事 『植物の怪談』







ある沼の話

2016.06.19 (Sun)
O・Kさん(88歳 無職 女性)

お役に立つかわかりませんが、わたくしが嫁入り前に住んでいた、
実家の裏手の沼の話をすればいいのですね。わたくしの実家は、
元はそのあたりの地主であった旧家で、わたくしが子どもの頃、農地開放の前は、
自慢ではありませんが、たくさんの奉公人が家にいたものですよ。
沼はその家から少し離れた森の中にありまして、そうですねえ、
学校の運動場ほどもあったかと思います。木々の間に一本の細い道がついてまして、
そこをまっすぐ進むと、沼のほとりの小さなお社に行き着くのです。
わたくしが行ったのは一度きりだそうです。それもほんの幼児の頃に父におぶられて。
そのときの記憶はありませんので、行ってないのと同じことでしょう。
ただ、お城の山に登りますと、上からその沼は見下ろせます。
その形でなら何度も見ました。緑とも青ともつかない不思議な色をしておりました。

あれは陽のあたり具合によって変わってくるものでしょう。それで、
子どもの頃、家の奉公人たちには、さまざまな恐い話を聞かされたものです。
今にして思えば、事故を怖れて、わたくしが沼に近づかないように
という意味があったのでしょうね。いえいえ、近づくものですか。
わたくしは虫が嫌いでしたので、森にも入りません。
そのうえ、これは聞いた話ですが沼一帯はひどい臭いであったそうで。
これは10歳頃に、わたくしの妹たちの子守と家事の手伝いをしていた、
当時14歳くらいの子から何かのおりに聞いた話です。
「嬢ちゃんねえ、あの沼は怖いんだよねえ。おらは爺ちゃんから聞いたんだが、
 昔はいらない子どもをあの沼に持ってて沈めとったそうだ。
 あの沼は泥がたまって底がねえと言われとるが、

 赤子をその泥に頭から投げ落とすんだそうだ。そうすれば泣きもできねえし、
 顔も見えねえ。少しはもがくが、すぐに動かなくなって、
 ゆっくりゆっくり沈んでいくんだとよ。だから、あの沼の底をさらってみれば、
 小さな骨がごろごろしてるとよ」
子どもには恐い話でしょう。わたくしは驚いて、その日のうちに東矢という
奉公人にこの話をしたのですよ。東矢は50代くらいでしたかねえ。
家の薪や炭の世話をしておった者です。鉄砲を持っていて、ときおり山に入っては、
兎や鴨などを家に下げてきました。東矢は「ねえ、ねえよ、猫の子じゃあるまいし、
 そんな赤子を投げるなんて、あったとしても明治の世になるずっと以前の大昔。
 しかし、やっぱ昔でもねえと思うな。子買いに売れば金になるし、
 そこそこ7つあたりまで育てば、商家に奉公に出してもいい。

 だからねえ、嬢ちゃん。そんな怖がることはねえんですよ。
 あの子守だな、嬢ちゃんによくないことを吹き込んだのは。
 奥方様に知らせねばなんねえ」このような話になったので、わたくしは、
子守が叱られては可哀想に思い、それはやめてくれるように願ったのです。
また別のときに、他の奉公人からこのような話を聞かされたこともありました。
「嬢ちゃん、あの沼ですかい。あそこは主がおるんで、大人でも近寄りません。
 主はねえ、見たものによって大蛇とも大魚とも言ってます。
 なんでも鱗一枚が茶碗ほどもあるそうで。ズッズッって泥の中を這う跡だけが見える。
 その主が怒らないように、ほとりに社を建てて祀ってあるって言いますね。
 それと、夜になればその主が顔だけ出して哭いて、
 その声は今でも聞こえるって言われます。ま、犬の遠吠えかもしれませんが」

I・Uさん(82歳 農業 男性)

あの沼ね。昔は子どもがよっく死んだもんだ。いや、魚が釣れるわけじゃあないし、
むろん泳げるわけでもねえ。あたり一面、肥よりまだひどい臭いが漂ってて、
それなのに、どういうわけか幼い子どもが死ぬ。まあね、昔のことだから、
どの家も兄弟が多かった。俺も8人兄弟の7番目なんだよ。
それでも2人、子どもの頃に伝染病で2人とられた。死んだってことだ。
まあそんなだったから、沼にはまる子がいても大騒ぎにはならねえ。
ただな、あの沼は遺骸が上がらないから、葬式はちょっと困りもんだったろう。
その子の使ってた玩具や衣類なんかを小さな棺に入れて埋めていたな。
ああ? あのお社か? 知ってるとも。一間四方のお堂みてえなもんだが、
村では大事にされてたな。年に何度かお祀りをやるんだが、
そんときには、村長はじめ長老たちも参列したんだ。

4月には、各家々の3歳になる子をおぶって沼まで連れていくんだよ。
これは全員。まあねえ、七五三の代わりみてえなもんかもしれない。
村にはお寺さんはあったが、神社はそこだけだったんでね。
で、何をするかっていうと、神主が祝詞を捧げた後に、
沼の色やら、あぶくの出方を見て、ちょいと指先で泥をすくって
子どもの額につけるんだ。嫌な臭いだからたいがいの子は泣くよ。
でな、これがそのときにいた子ども全部ってわけじゃないんだ。
神主が見て取って選んだ子だけ。まあ10人に一人もなかったんじゃないかな。
ああ、俺ももちろん行ったはずだが、覚えちゃいねえ。
親父に後で聞いたところ、泥はつけられてねえってことだった。
何でそんなことをするかはわからねえが、神事ってそういうのが多いだろ。

いや、調べたわけじゃねえが、泥をつけられた子が、
大きくなってから沼にはまってたなんてことはねえよ。まさかそんなわけはねえ。
ただなあ、俺んちで泥をつけられたっていう2つ上の兄貴が、
5歳で疫痢で死んではいる。しかしそれは偶然だよ。沼にはその後、
何度か行ったことがある。親に知られれば、死ぬほどどやされるんだけどな。
沼の主が見たかったのよ。あの広い沼をぐるんと一巻きするほどの大蛇って
話だったからな。その主が、さっき話した3歳子を連れていく神事のときに、
泥のすぐ下まで来てるって話だったし。いやあ、もちろん見たことはねえ。
大人になったからわかるが、あの沼は腐りきってて生き物は棲めやしねえよ。
お社?・・・ああ、外から中をのぞいたことはある。板の隙間から。
暗くてよくわからなかったが、こけしほどの人形がずらずらっと並んでいたな。

T.Nさん(48歳 市役所土木科勤務 男性)

ええ、5年前のことです。その、今話に出てる沼を埋め立てしたんです。
あのあたりも人口が増えて、悪臭と蚊や虻の発生についての苦情が、
数多くきてましたから。それで大々的に埋め立てをして、
もちろん軟弱地盤で宅地にはなりませんが、テニスコートくらいは
できるんじゃないかってことで。入札で、地元ではない業者が工事しました。
主・・・ああ、そういう話はありました。沼を埋めると主の居場所がなくなって、
罰が当たる、祟りがあるって。いやあ、そのときは迷信だと思ってました。
だってねえ、そんなことあるわけないじゃないですか。
実際、私が立ち会ってましたけど、ポンプで水を排出した際も、
魚一匹いなかったです。あの臭いのせいでその後、半月ほど頭痛がしましたよ。
でねえ、ご相談したいのは、そのあたりで子どもが死ぬんです。

ほんとね、こんな迷信みたいなことをお話して恥ずかしいかぎりですが、
沼があった跡地の川向こうの団地の子が次々亡くなってるんでです。
この5年間ずっと通して。それも、ちょっとありえないような形でなんです。
例えば父親とキャッチボールしていた5歳の子。その歳ですから、
グローブ使わない、ふにゃふにゃのソフトテニスのボールで。
それが、トンと軽く子どもの胸にあたってばったり倒れて・・・心臓震とうでした。
あと、土手をランニングしてた小学校のサッカー部の子が、
脱水症状で倒れて・・・でもね、脱水たって11月の話なんですよ。
川向うには市営住宅もあるんですけど、自分の家の中で亡くなった子も含めれば、
統計的にありえないほど子どもが死んでるんです。
そうですね、亡くなった子は5~9歳で、ほとんどが病死です。

ですから、沼の主の祟りとからめて、地域で変な噂が広まってしまってまして。
いやいや、市に責任なんてあるはずがないでしょう。ですけど、
こういう声って無視もできないんです。それでね、近々内密でお祓いをしようかって
話が出てて。でね、沼のそばにお社があったのが、埋め立てで、
他の大きな神社の摂社になってまして。そこの宮司さんに
来てもらおうと考えてるんです。それでいいもんなんでしょうか。
もともとのお社の神主さんは、調べたらとうの昔に亡くなってましたからね。
あと、これは関係あるかどうかわかりませんが、市営住宅から苦情があるんです。
風呂場の排水口が臭うって。しかも泥が吹き上げたりするらしいです。
これ、担当者から聞いたんですが、苦情があって行ってみたら、
風呂中臭い泥でいっぱいになってて・・・そこの家の子が翌月亡くなったんです。

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濡女と雨女

2016.06.18 (Sat)
今日は時間がなく、妖怪談義とさせていただきます。
自分のほうは今年の梅雨はけっこう雨が降ってますが、
みなさんのところはいかがでしょうか。  
下の絵は、どちらも鳥山石燕で、左が『画図百鬼夜行』から「濡女」、
右が『今昔百鬼拾遺』より「雨女」。どちらも女性の顔が右を向いていて、
wetな意味合いを持つ妖怪という点は共通しているものの、
それ以外はかなり対照的です。

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一番大きな違いは、濡女の伝承は各地にあるのに、
雨女については、伝わっている話がほとんどないことですね。
それから、濡女は蛇身で、人をとって食うという怖い存在であるのに対し、
雨女のほうは、詞書に書かれている内容が、
男女の情交を表す色っぽいものであるということです。

濡女は磯辺、海岸に棲む妖怪で、顔以外は蛇身です。
その尾の長さは300m以上あるという話もあり、見つかった場合は
まず逃げられないようです。また、濡女は牛鬼という妖怪とセットで語られる
場合もあります。波打ち際に上半身をだけ海から出した女が立っていて、
しかも赤子を抱いている。奇異に思って近づくと、
赤子を抱いてくれるように頼まれる。承知すると女は去り、
やがて海の中から牛鬼が現れる。驚いて逃げようとするが、
赤子が石のように重くなり、しかも抱きついて離れない。
どうしようもないでいるうちに、その人は牛鬼に食われてしまう。

なかなか面白い伝承ですね。共生関係の生物のように、
2体の妖怪が協力して獲物を捕らえるわけです。それとも、
見た目はまったく違いますが、濡女と牛鬼は同じ妖怪の雌雄なんでしょうかね。
あるいは鬼太郎の砂かけ婆と子泣き爺のような茶飲み友だち?
ただ、出現する場所は海辺に限定されるようですので、
この妖怪に遭いたくなかったら海に近づかなければいいわけで。

それと、「イクチ」という海蛇状の妖怪との関連も指摘されています。
イクチは、船を見つけると接近し、船をまたいで通過してゆくが、
体長が数キロメートルにも及ぶため、通過するのに12刻(約3時間)もかかる。
体表からは粘着質の油が染み出しており、船をまたぐ際に、
この油を大量に船上にこぼして行くので、
船乗りはこれをくみ取らないと船が沈没してしまう、というものです。
長さはイクチより短いですが、濡女もこの一種なのかもしれません。

雨女は、現代では雨男とともに、ある行事に参加すると高確率で雨が降る人、
というような意味で使われていますね。まあ迷信の一種でしょう。
『呪怨』シリーズの清水崇監督が、このモチーフで『雨女』という映画を
つくっています。石燕の絵にある詞書は、
「もろこし巫山の神女は、朝には雲となり、夕には雨となるとかや。
雨女もかかる類のものなりや」
となっていて、
これは中国の故事からとられたものです。

楚の懐王(屈原とのからみで有名な前4世紀頃の人)が、
巫山(ふざん 四川・湖北両省の境にある名山)に遊行したおり、
夢に神女が出てきて情を交わした。神女が立ち去ろうとするとき、
懐王が別れがたく思って袖を引くと、神女は「ここはいったん別れますが、
朝は雲に、日暮れには雨となり、朝な夕なあなたのそばにおります」
と言ったという、中国の古詩にあるエピソードです。
巫山の神女は、天帝の娘であったのが未婚のまま亡くなり、
巫山に葬られたということのようです。

この話を元に「朝雲暮雨 ちょううんぼう」という故事成語ができたそうですが、
みなさん、これご存知でしたか。自分はさっき初めて知りました。
あんまり使われることはないですよね。意味は、
「男女が愛し合い、片時も離れていられないほどの深い仲であることのたとえ。
男女の情交のこともいう」とコトバンクに出ていました。
特に怖いところのない話で、雨女は、石燕が吉原の遊女を皮肉って創作した
ものではないかという説がありますね。

あと、関係ないかもしれませんが、「ふざける」という言葉があり、
漢字で書くと「巫山戯る」です。この巫山は上の話にあるのと同じ山のようです。
ふざける には、「子供などがたわむれて騒ぐ」という意味の他に、
「男女がたわむれる、いちゃつく」というのもあるようですし、
よくはわかりませんが、何か関連しているのかもしれません。

さてさて、最後に自分は「濡女」という話を書いていて、
わりと気に入ったものの一つです。よろしければご一読を。  関連記事 『濡女』

重慶 巫山 神女峰







We apologize.下

2016.06.17 (Fri)
その玄関のところに社長初め、重役人が何人かすでに集合していました。
それから30分くらい待って、会社の幹部が全員集合し、
一人も欠けた人はいなかったです。社員でない人というのは、
夏なのに黒い紋付きを着た、宗教家のような雰囲気の70代に見える老人。
それとその配下らしい若い男が数名。その人らが普段建物を管理してるようでした。
あと部長以上ではない社員が一人。これはアメリカ人女性で、社長の秘書です。
まだ20代前半だと思います。その社長に代替わりしてからアメリカから来たんです。
社長の愛人? いや、ちがうと思います。社内の噂では、
社長の兄でアメリカ在住の人の娘さんってことでした。社長からすれば
姪にあたるってこと。いや、明るい人で、英語はもちろん日本語もペラペラ。
何度も話したことがありますが、仕事はよくできましたよ。

でね、紋付き老人の配下が鍵を開け、その全員で建物の中に入っていったわけです。
中は暗かったです。窓がほとんどないし、あってもサッシが何重にもなってる上に、
縦横の鉄格子がはまってました。まず小ホールのような場所があり、両側にドア。
そこで着替えるように言われました。中はロッカールームで、
そこで白い修行着?のようなものに全員が着替えたんです。
よっぽど他のメンバーに質問したかったんですが、誰も一言もしゃべらないんで
黙ってました。その中ではわたしが一番下っ端ですから。
それから社長の指示で、だいたい役職順に3列をつくり、やはり紋付き老人を先頭に、
防火扉からさらに奥に入っていったんです。中は・・・むき出しの土でした。
一段低くなってたので、床に土を盛ったんじゃなく、本物の地面だと思います。
あちこちから木の根が出てました。雑草がほとんどなかったのは、

手入れしてるというより、暗いせいかと思います。でね、その地面の中央に、
小ぶりの窓のない建物・・・というかトーチカのようなのがあったんです。
かなりの大きさでしたよ。中は大広間くらいあったでしょう。
あとね、わたしは仕事柄で金属関係には詳しかったんですが、
トーチカは鉛が表面に張られていると思いました。・・・コンクリと鉛って、
まるで放射能でもあるみたいですよね。隊列はしずしずとそこに向かって進んでいき、
やはり重そうな鉄扉を、これは社長が鍵を出して開きました。
それで照明をつけると、その中も下はやっぱり土だったんです。
ですが、中央に四角い大きな穴が空いてました。20m✕30mほどの長方形。
その周囲が幅2mの通路になってて、穴側は腰ほどの手すり。
やはり社長の指示で、3列になってたわたしらは分かれて、

穴の周囲をぐるっと取りまいたんです。穴の中は・・・かなり深く、
四方は5mほどの切り立った土の壁、重機で掘ったもののようでした。
その下には、かすかな照明で飛行機の残骸のようなものが見えたんです。
これ、後で調べたんですが、太平洋戦争時の米軍の爆撃機でしたね。
それがすっかり錆び朽ちて鎮座してたんですよ。
わたしの隣にいた人事部長が、低い声で「私と同じようにやって」
とささやいてきました。紋付き老人が穴の向こう側中央に立ち、
これ、意表をつかれたんですが、流暢な英語で何か唱え始めました。
いや、家語はほとんどわかりませんが、沈痛な感じの節がついた言葉だったですね。
それが終わると、社長が大声で「土下座!」と言い、
われわれ全員が穴の回りに這いつくばって「申しわけございません。

 申しわけございませんでした」って何度も何度も頭を下げて・・・
もちろんわたしもやりましたよ。やるしかないじゃないですか。
そのまま10分ほども誤り続けていたでしょうか。やがて社長が立ち上がり、
皆も遅れて立ちました。社長が何か言い出そうとしたとき、
あの、さっき話した秘書が、急に動いて社長の背中を押し、
手すりに腹を乗り上げさせた社長の両足をつかんで穴の中に落としたんです!
そのときに英語で何か叫んでましたが、
「フィニッシュ」という単語だけ聞き取れました。
そのとたん、轟音といえる大きさでサイレンが鳴り始めて、
紋付き老人が「みな、逃げろ、逃げろ」って大声を出したんです。
パニックになりかけましたが、一列でしか進めない場所ですし、

なんとか全員がトーチカ状の施設から出ました。外では紋付き老人の配下の男たちが、
泡を食った顔つきで取り囲んでて、老人が素早く指示を出し、
わたしらはその建物外に出て、さらに鉄柵の外まで小走りに避難したんです。
みな中年ですから、息を切らしながらね。その後、建物から離れた場所にいると、
バスが来て全員を回収してくれたんです。他の重役幹部たちの顔は青ざめてました。
中には頭を抱えて泣いている人もいたんです。けど、やはりわたしには説明はなし。
社長はどうなったかって? ・・・穴に落ちたとき見ていました。
社長は頭を打って動かなくなり、すると爆撃機の残骸の中から出てきたものがあり、
50cmほどの、足の長いカニかクモみたいに見えました。
それが5~6匹、社長の体にたかりついて・・・そこまでです。
それ以後、社長は人前に姿を現していません。あの秘書もです。

社長は急な海外出張に行き、現地で行方不明になったってことになりました。
会社の業務は翌日から再開されましたが、誰も「謝恩の会」の顛末について
触れる人はいませんでした。それからですね、6ヶ月のうちに、
あのときのメンバーがバタバタと死に始めたんです。
その全員が病死・・・どっかの癌だったんです。でもね、そんな全員が全員、
末期癌なのを知らずにいたってことはないですよね。
会社の健康診断だって毎年あるわけだし。それでわたしは、
辞める決心をしたんです。だってねえ、どんな秘密があるのか知らないけど、
あんな危険を社員にかぶせるなんてありえないでしょう。一言の説明もないのも、
納得できないし。ええ、それから毎月のように健康診断は受けてます。
今のところまだ、なんともないですけども。
関連記事 『We apologize.上』







We apologize.上

2016.06.17 (Fri)
*長くなったので、上・下に分けました。

ある機械関連会社にいたんです。産業機械、工作機械の会社の資材部に。
恐ろしい出来事があって辞めちゃったんですけどね。
今、退職金で株やって食ってます。稼ぎはそこそこですが、
無理しないことを第一にして。ええ、今夜はその辞めちゃう前にあった
出来事をお話するつもりなんです。
昨年度の3月ですね、それまで資材部の次長をやってたわたしのところに、
人事部長から話がありまして、ま、部長に昇進するという内示だったんです。
これは別に驚くようなことでもなく、それまでの部長が常務になるのが決まってて、
資材部一筋だったわたしがそのポストを継ぐ。
会社は比較的、年功序列を維持してるほうでしたから、
そうじゃないとおかしいというか、お定まりの路線だったわけです。

でね、人事部の応接室に行きましたら、人事部長と一緒に社長もおりました。
社長はまだ若くて、40代後半です。えー、3年ほど前に先代社長が急死しまして、
息子さんがその後を継いで。全体としてみれば一族経営ってわけでもないんですけど、
社長だけは代々創業者の血筋の人がやることになってました。
福利厚生もしっかりしてて、いい会社だったんですけどね。
それで、その場で社長から部長昇格の内示を受けたわけですけど、
ちょっと妙なことを言われたんです。
「○○さん、あなた会社に寿命を捧げるつもりありますか」って。
これねえ、すごく昔風の、モーレツ社員時代の言い回しですよね。
社長はふだんはそんなこと言うようなタイプじゃないんです。
あと「寿命を捧げる」ってのも変じゃないですか。

「命を捧げる」って言うならまだわかります。でも寿命と言われても、
わたしがいつまで生きるかわからないし、60歳で定年になったら、
すっぱり仕事は辞めて悠々自適の生活をするつもりでいましたからね。
ええ、もちろんその場は「はい、もちろんです」って答えました。
何かね、儀礼的な意味でもあるのかと思いましたから。そしたら、
次に言われたのが「会社の創立記念日には、謝恩の会に出てもらうから」
ええ、会社は創立記念日があって、それが6月の13日だったんです。
この日は全社員が特別休日になり、地方工場は動いてるとこもありますが、
本社の建物は封鎖になるんです。これも今どき珍しいでしょう。
でね、その創立記念日には、部長以上の幹部社員が総出で、
「謝恩の会」ってのを開くってことだったんです。

これねえ、わたしは勤続30年以上で、初めて知ったんですよ。
まあでも、きっと親睦のための飲み食いの会なんだろうと思ってました。
まさかそれがあんなことだったとはねえ。
もちろん取引先は、会社が6月13日は何がなんでも休むのを知ってますし、
業務に支障が出るということはありません。
派遣社員なんかには、その日1日分の給与も支払いますし。
でね、6月に入ってすぐ、社長室に呼ばれまして、「謝恩の会」の話をされました。
何があってもその日は空けておいてくれってことと、それからねえ、
これ奇妙ですけど、前日に水ごりしておいてくれって。
水ごりって意味がわからなくて聞き返してしまいました。そしたら神道とかでやる、
あのタライで水をかぶるやつのことでした。

まあね、蒸し暑い時期でしたし、風呂でやってもいいということだったんで、
難しい話ではないんですけど。やっぱ奇妙だと思うでしょう。
理由の説明もなかったし。あと、当日は朝の9時に自宅まで迎えの車を出すって。
これもねえ、社長は段取りをきちんと立てる人で、
こういうのをやる場合はしっかり書類を準備するんですが、すべて口頭での話。
しかも最後に、「これは社の最重要機密だから、外部はもちろん、
 次長以下の社員にも話してはならない」って。
さすがにこうまで言われると気になりますでしょ。だからけっこう楽しみに、
13日が来るのを待ってたんですよ。それで当日、9時ぴったりに、
高級外車のレンタカーが運転手付きで迎えに来たんです。運転手は社員じゃなく、
見たことのない若い男でした。すごく礼儀正しかったですが、

なんとなく宗教団体の人、みたいな感じがわたしにはしましたね。
でね、それから車で4時間。着いたのが富士山の裾野の森の中です。富士樹海?
そのものではなかったですが、けっこう近い場所だったと思います。
森の中を林道が通ってて、しばらく行くと急に視界が開け、
鉄条網の柵で囲まれた野球場4つ分くらいの、広大な敷地に出たんです。
門はものすごく頑丈な鉄扉で、そこにはガードマンがいました。
会社名のプレートがついてたので、会社の敷地なんだろうと思いますが、
そんな施設があるとは初めて知りました。本来ね、そういうこと資材部にいて
知らないはずはないんです。あと、そのあたりの地価は二束三文なんでしょうが、
あのあたりは、まわりは国有林のはずです。それも不思議で。
でね、中には体育館くらいのコンクリ製の建物があって、要塞を思わせるつくりでした。
関連記事 『We apologize.下』

0っだsふぇっっふぇ





ロボット社会2

2016.06.16 (Thu)
やや古い去年のニュースですが、今日はこれでいきます。
自分もよくわからない部分がたくさんある話で、
いろいろ間違いがあるかもしれません。まずそれをご承知おきください。
『サービスロボットや自動運転車、ドローンなど、ロボットが私たちの
生活の中に入ってくるにあたり、法整備や法規制のあり方について議論する
「ロボット法学会」の設立準備イベントが10月11日、都内で開催された。
イベントでは、法律の専門家や弁護士らが登壇し、
会場の参加者らとともに熱い議論が繰り広げられた。

イベントは「ロボット法学会」設立準備研究会として、
「ロボット法原則の提言に向けて」と題して、開催された。
法律の専門家らが登壇し、ロボットを活用し、
共生する社会の実現に向けた法制度の課題などについて、
会場の参加者も交えて熱い議論が繰り広げられた。
慶應大学教授の新保史生氏がロボット法についての提言をしたほか、
パネルディスカッションの司会進行を務めた。

イベントの冒頭で同研究会の慶應義塾大学総合政策学部の新保史生教授は、
ロボットが日常生活にかかわるSFのような世界が現実になりつつあり、
情報やネットワークといったバーチャルなものだけでなく、
物体を伴う存在が人間に変わって社会生活に入ってきつつあるなどとして、
ロボット法の必要性を強調した。その上で新保教授は「ロボット法 新8原則」
として提案を発表。(1)人間第一の原則(2)命令服従の原則(3)秘密保持の原則
(4)利用制限の原則(5)安全保護の原則(6)公開・透明性の原則
(7)個人参加の原則(8)責任の原則 
の8原則からなるロボット法を提言した。』
(WirelessWire News )
 
ふむふむ、少しだけ解説を加えますが、これはロボット自身を規制するというより、
現時点ではロボット開発者および利用者を規制する意味が大きいようです。
(4)利用制限の原則  というのは、簡単に言えば「オレオレ詐欺ロボット」
などを作って悪事を働くなということでしょうね。
(7)個人参加の原則 もわかりにくいですが、これはロボットの利用者の
プライバシー保護に関するものでしょう。あとはだいたい想像がつきますよね。

まあ、あくまでこれは提言であり、実際の法として制定され、
機能するのはずっと先のことになるはずで、それまでにおそらく、
新しい考え方がいろいろ生まれてくるものと思われます。
まず、この議論で一番難しい点としては、「ロボットとは何か」について、
明確な定義が存在しないことです。

人型の機械であればロボットであるのか、顔がついていればロボットなのか、
人間と会話ができればロボットか、人工知能が入ってればロボットか・・・
ガンダムのようなスーツ型で人間が運転するものはロボットか?
会話はするが、液晶画面上にしか存在しないものはロボットなのか??
最近、蒸し暑いですので、エアコンを使用しているご家庭もあるでしょうが、
例えば室内気温をセンサーで測定して、自分でスイッチを入れるエアコンがあれば、
それはロボットと言えるのか??? 難しいですよねえ。

このニュースに関して、あちこち検索してみましたが、
SF小説の巨匠、アイザック・アシモフが作品の中で構築した
「ロボット工学3原則」について触れておられる方が多かったですね。
実際、この会議の中でも触れられています。
みなさんご存知でしょうが、いちおうご紹介すると、

『第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、
    その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。
    ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、
    自己をまもらなければならない。』
(『われはロボット』より)

よく考えられえているとは思いますが、
作中では、2050年ころの未来の話だったと記憶しています。
現在の技術では、これを人工知ロボットに搭載すると、
「フレーム問題」というものを引き起こすと考えられることが多いのです。
どういうものかというと、まあ人間並みの仕事ができるロボットがあるとして、
それに上記の3原則を搭載して、
「コンビニでパンとコーヒー牛乳を買ってこい」と命令します。

そうするとロボットは、極端な話をすれば、
「外に出た自分の姿を見て驚いてショック死する人間がいないだろうか」
・・・これは第一条に反しますよね。
「自分が道路を歩いてできる微細な変化が、後で交通事故につながらないか」
ま、こんなことをえんえんと考え始めて、一歩も前に進めなくなってしまう。
そんな馬鹿なと思われるかもしれませんが、これ重要な難問なんです。

フレームというのは枠のことです。
ロボットの思考に「コンビニでパンと飲料を買う」
という枠をはめ、その中だけで考えさせたらいいと思うでしょうが、
ある危険な可能性が、当面の枠内のことと関係するかどうかを、
どれだけ高速のコンピュータで評価させも、可能性が無数にあるため、
抽出する段階で無限の時間がかかってしまうのです。
やっぱりコンビニへの第一歩を踏み出すことができません。
3原則なしで「人とぶつかるな」程度のプログラムを組んで出発させたなら、
容易に目的達成できるでしょうが、これはただの買い物ロボットです。

実はフレーム問題は人間にもあります。そして人間はある程度それを解決してる
はずなんです。だって、人様の命を危険にさらす可能性を考えて、
コンビニにパンを買いにいけないという人はいないですよね。
人間なら、ある程度のところで割りきって出発していきます。そして実際に、
コンビニで買い物をして人に危害を与える可能性はごくわずかなものです。
しかし、人間がフレーム問題をどうやって処理しているかはまだ未解決で、
単に、フレーム問題にうまく対処しているように見えるだけだ、
と唱える研究者もいるんですね。

さてさて、最初の「ロボット法 新8原則」は、もしプログラム化して
ロボットに搭載したとしても、原則が競合した場合の優先順位はどうするかとか、
さまざまな問題が発生してくると思われます。
まあでも、人工知能がフレーム問題を起こすほど、
様々な事例を考えられるようになるのは、まだまだ先のことでしょう。
みなさんは機械翻訳を使われたことがあるでしょうか。
英語→日本語でやってみればわかりますが、長年研究が続けられていても、
とうてい使い物になる現状ではないですよね。

「東ロボくん」というのがあります。国立情報学研究所が開発している、
大学入試センター試験において高得点を獲得し、東大入学を目指す
という人工知能プログラムなのですが、数学などは得意なものの、
国語や社会の記述式問題で大きく点数を落としてしまいます。

開発している研究者の方は「20年取り組んでも、記述式問題については、
30字、40字程度でもまったく進展していない。
開発の手がかりすらつかめない」と述べておられました。
フレーム問題とは直接関係はありませんが、現状はそんなものですので、
もしロボット3原則がプログラム化される(できる)としても、
アシモフの想定したように、きわめて長い時間がかかるものと思われます。
関連記事 『ロボット社会』  『AIは直木賞の夢を見るか』  
『AIは直木賞の夢を見るか2』







クワガタ

2016.06.15 (Wed)
これねえ、いろいろと変な話なんですよ。嘘だと思われるかもしれません。
謎の外国人も出てきますしねえ。ま、できるだけ
わかりやすいよう話していきますんで。去年のお盆前ですね。
夏休み中の小3の坊主を連れて虫捕りに行ったんです。
場所は山梨県で、無料のオートキャンプ場に一泊しました。
はい、車中泊です。ほら、カブトムシは昼も見つかりますけど、
クワガタ類って夜じゃなきゃ出てこないじゃないですか。
それに日中は熱中症の心配もあるから、活動は夕方から9時くらい、
あと翌日の早朝って計画を立ててました。
で、私の車はアルファードで、坊主と2人で寝るには十分過ぎる広さで。
3時前にはその山裾のキャンプ場に着きました。

お盆前だったためか、ガラッガラで私らの車しかなかったんです。
まあ、キャンプ場自体が常駐の管理人もおらず、
草ボウボウで放置されてる状態のせいもあったでしょう。
設備もトイレと水飲み場があるくらいで、屋外のかまどなんかは
使える状態じゃなかったですね。でもね、私ら親子は虫捕りがメインで、
バーベキューなんてやるつもりなかったですから。
それでね、そのキャンプ場のある山のこと、何で知ったかっていうと、
仕事の取引先の人から前の年に聞いてたんです。穴場だ!って。
大きなクワガタが、デパートに卸すほど捕れたってことでした。
でもね、その人というかその一家は、今、行方不明になってるんです。
事情はわかんないですけど、建てたばっかりの家を残して、

ある夜、一家で忽然と消えちゃった。うーん、家のローンは
残ってたでしょうけど、収入の安定した職場だったんですよ、その人。
そんなわけで、まだギンギンに明るかったんですが、
息子と準備した物や捕虫網を持って、説明されてた登山路から山に入りました。
そしたらね、カブトムシはあっちこっちですぐ見つかって、
息子は大喜びでしたよ。でね、捕りきれないから、若くてつやつやしたオスだけ
選んで虫カゴに入れまして。クワガタは小さいのしかいなかったので、
用意してきた、バナナに蜂蜜混ぜてペーストにしたやつを木に塗りつけて、
夜と翌朝に見にくることにしました。でねえ、その知り合いの人が言うには、
登山路を20分ばかり上ったところの道脇に白っぽい倒木があって、
そこでたくさん捕れたってことだったんで、探してみました。

ええ、確かにそれらしいのはありましたけど、倒木というより、何かの柱が
横倒しになってるように思えました。長さ3m、直径50cmもある白木に、
薄っすらと模様が彫ってあるように見えたんです。で、その上にペーストを塗り、
その他、手の届きそうな立木にも数か所仕掛けをし、車に戻ったんです。
そしたらバイクの人がいたんですが、これが外国人だったんです。
バイクはたぶんスーパーカブなんでしょうが、原型がわからないほど改造されて、
山のように荷物が積まれてました。で、その脇でコーヒー沸かしてたのが、
黒い長髪をべったり頭にはりつかせた、色の浅黒い人で、
年齢のわかりにくい顔つきをしてましたね。ちょっと警戒しましたが、
外国人はこっち見てニカーッと笑い、流暢な日本語で、
「こんにちは、虫捕りですか?どうです、コーヒー飲みませんか」って言ったんです。

「ああ、それはどうも」って答え、それからあれこれ話したんですが、
彼はインディアンの血を引くアメリカ人で、日本仏教、禅の研究のために来日して
4年目。今は夏休みなので、バイクで東日本一周をやってるってことでした。
笑うと目尻にシワが何本もできる人懐っこい顔つきで、日本語はペラペラ。
仏教の知識も深くて、怪しい人には思えませんでしたね。
ただ、いただいたコーヒーはやや薄かったですけども。
私らの虫捕りの話もしまして、ワナを仕掛けたって言ったら、
「それは楽しみ、大漁だといいですね」って。テントを積んでたんで、
「ここに泊まるんですか?」って聞いたら、「そのつもりだったけど、ここ、
 蚊が多くてダメみたい。国道の道の駅の近くにするよ」って言って、
コーヒーセットを片づけると、山を下ってったんです。

確かにすごく藪蚊が多くて、私らは長袖長ズボンでしたけど、ジーパンの上から
あちこち食われちゃってましたね。車に入ってエアコン全開にしました。
キャンピング仕様ではないけど、車中泊のためにサブバッテリー積んでたんです。
女房の作った弁当食べて、映画を見たりしてると8時半ころになったんで、
ヘッドランプと懐中電灯の重装備で、さっきペーストを仕掛けた場所まで上りました。
坂程度の山道でしたが、真っ暗で足元は危なかったです。
最初の立木のとこはカナブンや蛾しかいなくて、こりゃダメかと思ってたら、
あの柱みたいなのの上に、もこっと盛り上がるように甲虫が集まってたんです。
坊主が「すごい、すごい、クワガタばっか。図鑑でも見たことがないな」
興奮してました。確かに、頭についてるノコギリと足が細長く、
珍しい種類に思えました。「これ、虫カゴに入りきらない」

「最初に捕ったカブトを逃がしてやればいい」こんな感じで、
ホクホクして車に戻ったんです。その頃にはかなり気温も下がってまして、
車の窓に網戸をつけ、シートを平らにして、坊主と並んで10時前には寝たんです。
それからどれくらいたったか、パン、パンという音で目が覚めました。
拍手・・・かしわ手を打つような音でした。車の中で聞こえてるように思えたので、
ルームランプをつけました。そしたら、最初は特に変わりないように見えたんですが、
リアウインドウに動くものがあって・・・捕ってきたクワガタが逃げ出して、
窓いっぱいに たかってたんですね。坊主を起こさないように、
シートの上を這って近づくと、パンという音がしてクワガタの一匹が弾けました。
爆発したようになったってことです。「え!」 パン、パンと、
クワガタが飛び散るたび、青臭い臭いが強くなったんですよ。

「・・・お父さん、どしたの・・・」坊主が起きだしたようでした。
パン、パン、パン・・・クワガタは弾け続け、吐き気がしてきたんです。
そのとき、「これ、ダメだよお。何かの呪いかかってる」車の外から声が聞こえ、
私は手動で運転席の横のドアを開けました。さっきの外国人が立ってたんです。
エンジンがかかったままのバイクも近くに見えました。
「ちょっと胸騒ぎしたから来てみました。息子さんを外に出しましょ」
それで私が、わけわからずにいる息子を抱きかかえて外に出ると、
かわりに彼が車に乗り込み、リアウインドウに近づいて、
まだたくさん群がっているクワガタに片手のこぶしを近づけたんです。
そしたら、パパパパパパパパパと一気にクワガタが破裂し、
そのあたりに青っぽい煙が漂って見えたんです。

「これでたぶん大丈夫だと思うけど」そう言って彼が出てきました。
「あのクワガタ、何です?」 「わかりませんが、とても悪いものです」
「今、何をしました?」 「これ、使いました」
彼はそう言って、右手を目の前に突き出しまして、中指に青い石の入った
大きな指輪がしてあったんです。「・・・何ですか?」
「インディアンのパワー・ストーンです。まさか日本で使うと思わなかったけど、
 やっぱり頼りになります。後ろの窓開けて下さい」私がそうすると、
彼は後ろに回って、クワガタの残骸を下に落とし、半開きの虫カゴを取って、
草むらの闇の中に放り捨てました。そして、「車はたぶんOKだけど、
 ここ離れて、今からでも街に行ってホテルに泊まったほうがいいよ」
こんな風に言ったんですよ。ね、わけがわからない話でしょう。







廃校イベント

2016.06.14 (Tue)
今年の3月のことなんだけどね。20数年前に俺が卒業した小学校が、
学校の統廃合で廃校になったんよ。で、俺はもう県外に出てしばらくなるし、
小学校の同窓会報なんてないから、そのこと知らなかったわけ。
そしたら、地元に住んでる同級生から電話が来て、
「廃校イベントやるみたいだから、そこで会わないか?
 もし同期のやつとか、知り合いがいたら飲み会でもやらんか?」
って内容だった。その日は日曜で、夜の飲み会は無理だが、
イベントは参加できそうだったし、懐かしいんでOKしたんだよ。
でね、車で4時間かけて行ったわけ。
午前中は、在校生による閉校式だったけど、それは見てもしょうがないし、
時間的にも無理だった。昼になってPTAの有志が、

集まった人にグランドでとん汁ふるまったりしてるところに着いたんだ。
いや、やっぱ懐かしかったね。当時で学年2クラス、今は1クラスだけ。
校舎は木造で3階建ての1棟だけ。俺がいたころはそこそこ新しかったが、
もうすっかり木が黒ずんで、こりゃ廃校も無理ないって思ったよ。
車を出てうろうろしてたら、電話かけてきた昔の友人が、
もう一人の男性と一緒に、紙カップを持って「よう、よう」
言いながら近づいてきた。長い間会わなくても友人は人目でわかったが、
もう一人の顔が思い出せない。俺のそんな様子を見て取ったのか、
「おう、俺、高崎」ってその人から名字を言ってきた。
「あ!」その人は俺らの一個上の先輩で、かなりのいじめっ子だったのを
思い出したんだ。今は家を継いで、地元で建設会社を経営してるってことだった。

そう言われてみればスーツ着て、バリッとした格好だったな。
「お前も飲むか?」って聞かれ、紙コップの中は日本酒らしかった。
「車で来たから。それより他に知り合いとかいたか?」こう聞いたら、
「午前中はいたけど、女連中はほとんど昼で帰っちまったな」
まあ、俺の知ってるあたりは20代の後半から30代前半だから、
そんなもんだろうなと思った。で、この後校庭でバザーというか、
地元の特産の即売会なんかをやり、夕方から夜にかけてステージをつくって
のど自慢みたいなのをやるらしかった。そこまではつき合えないと思った。
2人も、「地元にいるやつらに連絡して飲みにいく」って言ってたし。
でな、せっかく来たんだからと思って、「学校の中、入れるのか?」
って聞いたら、「入れるよ。PTAの人の絵や手芸が展示してるけどな」

「お前らもう入った?」 「いや、まだ」ってことだったんで、
3人で入ってみたわけ。そしたらもう、昇降口から懐かしいのよな。
実際にその場に戻るってのはやっぱ違う。靴棚は新しくはなってたが、
間取りとかは同じで、ドーンと昔の記憶が押し寄せてくるんだよ。
それだけでも「来てよかったなあ」って思った。
1階は職員室と、音楽室とかの特別教室。保健室も開いてたので入ってみた。
まだベッドが残ってて、それに座ったら窓から見える景色も同じで、
膝を擦りむいて治療を受けてたことが思い出されてね。
で、2階が1~3年生。俺らのときはそうだったが、
児童数減で、ずっと教室があまってたみたいだった。
3階に上って、6年のときの教室に入ってみた。これが木の壁だから、

いたるところ、数十年分の落書きがあるのよ。落書きっても、
マジックとかじゃなく、ツメで引っ掻いたのがほとんどで、傷の上に傷がのって、
何を書いてるのかわからないものばっかだった。
あちこち見て回ったが、俺自身は落書きした記憶はないし、
俺の名前が書かれてることもなかった。さて、下に戻るかというとき、
廊下の突き当りのドアが開いてるのに気がついた。
それは鉄製のドアで、俺らの頃にはなかったものだ。
たぶん防火設備なんだろうと思ったが、その10cmばかり開いてる隙間が、
なんとなく気になったんだよ。「えー、あの向こうって何があるんだっけ」
「んー、階段なのは間違いない」 「じゃああっちから降りるか」
入ってみて、その階段には記憶があった。

廊下の両端が階段という、学校にはよくあるつくりだったんだよ。
けど、階段の向こうにまたドアがあったんだ。「あれー、こんなのあったっけ?」
「覚えてないけど、この戸は古いぞ」木の、横に引くタイプの戸で、
ガラス窓があったが、それは向こう側から黒い模造紙で塞がれてた。
「んー、用具室とかだったか」「あ、たしか、
 ここに清掃用具の予備が入ってるんだ」そう言われれば、
清掃委員のときに、モップの交換をしてもらったような気もした。
でな、その戸に大きく落書きがあったんだよ。それも、
「高崎○○ 死んでください」って。一つの字が直径5cmくらい。
高崎も気がついてて、「あーこれ、俺じゃねえか。・・・誰だこれ書いたの?
 昔から恨みを買ってたんだなあ」おどけた調子でそう言ったが、

字はよく見ると、古いものではないような気がした。
落書きのほとんどは色が変わってしまってたが、それは引っ掻いた面が白くて、
ついさっきやったようにも見えたんだ。その日のうちに、
何人も卒業生が見学に来てるんだろうが、それにしてもこれだと、
高崎が来るのがわかってて、見せつけるために書いたようにも思えた。
あと、子どもの字だったが、女が書いたようにも見えたんだ。
「ここ開くかな」高崎が取っ手に手をかけて横に引いた。
ギッギッと音がして、かなりしぶい様子だったが、
両手で引くと数cm隙間ができた。「暗いな」高崎が覗き込んでそう言ったが、
すぐ「うわーあああああーー」と叫び、俺らを残して、
転げるように階段を駆け下りていったんだよ。

「おい待てよ」 「どしたんだよ」
声はかけたが、あまりの勢いで後は追えなかった。
「なんだよ、中、どうなってるんだ」友人が隙間に手を入れてガガガと開けると、
中に人が立ってた・・・ように見えて一瞬ギョッとしたが、
それは人ではなく、戸を開けた正面に向くように、
机にモップが立てかけてあるものだった。窓は一ヶ所しかなく
それからあたった光の加減で、人のように見えたのだと思った。
「なんだ、おどかすなよ」「高崎社長はこれに驚いて逃げ出したのか?」
けど、そのモップには違和感があった。汚れた布の中に、
縮れた長い髪の毛らしきものがたくさんからまっていたんだよ。
「うわー、気持ちわる」 「もう行こうぜ」

下に降りて外に出ると、高崎がばつの悪い顔をして待ってた。
「どうして逃げたんだよ。モップが立ってるだけだったぞ」
「うん・・・いや、ちょっとな、昔の記憶がよみがえってきてな。
 モップに驚いたわけじゃない」こんな弁解をした。
もうバザーが始まってたんで、少しブラブラして、俺は特産のリンゴを買った。
それから、「また今度な、仕事ないときに泊まりがけでくるよ」
そう言って戻ってきたわけ。でな、翌日の朝、
その友人から出がけに連絡があって、内容を聞いて驚いた。
高崎が死んだっていうんだ。かなり遅くまで数人で飲んで解散し、
高崎は代行で帰ったはずなのに、夜中に自分の車で家の近くの電柱に突っ込んだ
ってことだった。いったん家に戻って、どうしてそんなことになったかは不明だ。







身近な呪具(箒)

2016.06.13 (Mon)
今日は怖い話のネタを考える時間がなかったので、やや民俗学的なお話。
われわれ日本人は島国に住んでいたため、基本的に、
外来文化がドカッと大量に流入してくることは、
明治維新までなかったと言ってもよいと思います。ですから、
身近な生活用品なんかも長い歴史を持ってるわけですね。

そういう中で、いろんないわれがくっついて、呪具としての役割を持つ
ようになったものもいろいろあります。
例えば「櫛」なんかがそうです。これは自分の 『神隠し』 という
話の中で少し触れています。

今回取り上げるのは箒(ほうき)です。昨今、室内で箒が使われることは
少なくなりました。これは電気掃除機の普及もありますし、
ハウスダストをまきあげるのが、アレルギーや喘息の原因になるからでしょう。
自分も、ちょっとした掃除のときは某社のモップを使ってます。

さて、箒の歴史は古く、古墳時代には小枝を束ねたホウキ状の物が
あったようですが、清掃用具として用いられていたかは不明です。
今でも「掃き清める」という語がありますが、
穢れる→祓う→清められる という神道的な考え方からきた
呪具であった可能性も示唆されています。

奈良時代の葬列には、箒持ち(ははきもち)と言って、
箒を持った人が加わっていたようです。酉の市の熊手なんかもそうですが、
やはり穢れを払う、掻き出すというところから来ています。
箒には「箒神」という神様が宿っていると考えられていたんですね。
下に載せたのは、石燕の「箒神」ですが、古い箒が妖怪化した
付喪神の一種と思われます。生垣の上にあるのは羽ボウキでしょうか。
本来の箒は自然の物だけでできているので、
古くなったら川に流したりするほうがいいのかもしれません。

鳥山石燕「箒神」


今やる人は少ないでしょうが、昔は菷を玄関などに逆さに立てかけると、
いつまでも居座る客を帰すことができるというまじないもありました。
マンガの『サザエさん』にも出てきてましたから、
けっこう最近まで行われていたのかもしれません。
これも客を「掃き出す」「追い払う」というところから来ているのでしょう。

前述した櫛とも関係があるのですが、では、髪を梳かしたりせず、
箒で家の中の掃除もしなかったらどうなるか。これは無精でやってるのではなく、
ある種の願掛けになります。前も一度紹介したんですが、『万葉集』の中に、
「櫛も見じ 屋内も掃かじ 草枕 旅行く君を 斎(いは)ふと思ひて 」
という歌があります。これは夫が遣唐使として航海する妻が詠んだものです。

当時の遣唐使船はたびたび難破して、鑑真和尚が盲目になったり、
阿倍仲麻呂が日本に帰ってくることができなかったり、
たいへん危険でした。そこで、妻は「櫛は使わない、家の中も掃かない、 
そうやって君の無事を祈る」という願掛けをしているんですね。
自分が穢れを払わないことにより、
他者の不運を引き受けるということなんでしょう。

箒に関した怖い話でよくあるのは、「誰もいないはずの座敷で、
ザッ、ザッと箒で掃く音がする」といったものです。
まあ、今は箒で掃く音自体が一般的ではないので、
あまり身近に感じませんし、この後、家族が不幸になったなどの展開がないと、
現代の怪談としては通用しないかもしれません。

さてさて、最後に中国の話。みなさんの地域の梅雨の状況はどうでしょうか。
昔の中国では、雨が晴れるのを願って「掃晴娘(サオチンニャン)」
の切り紙を飾っていたそうです。これは日本の「てるてる坊主」のような
晴天を祈るまじないということですね。

あるところに切り紙の上手な晴娘(チンニャン)という女の子がいたが、
あるとき大雨が降り続き、皆が困っていたところ、
天から「晴娘が身投げをしたら雨が止む」というお告げが下り、
晴娘がそうすると、そのとおり雨が止んだという言い伝えです。
一種の生贄の話と考えてもよいかもしれません。
ちなみに箒は、晴娘がいつも掃除してたというわけではなく、
切り紙の題材だったみたいですね。では、このへんで。
関連記事 『身近な呪具(櫛)』

『掃晴娘』






お面の家

2016.06.12 (Sun)
これ、わたしが幼少期に住んでた家の話なんです。借家でしたね。
父は転勤族で、そのときは一軒家の、古いですが大きな家に住んでました。
確か1階が5部屋、中2階の洋間が一1部屋、2階に2部屋あったはずです。
住んでたのは、8歳から小学校を卒業するまでの4年間でしたね。
家は、父につてがあって知り合いから借りてたはずです。
家賃は大部分が会社持ちで。ああ、そうそう、そのときの家族構成は、
会社員の父と、ときどきパートに出ていた母。
それからわたしと妹です。妹とは2卵性の双生児で、
顔もあまり似てないし、仲も悪かったんですよね。
わたしが男だったぶん、叩いたり蹴ったりしたことも多かったですし、
今となっては、それは後悔しているんですよ。

わたしにとっては最初の転校でしたから、いろいろ戸惑いがありました。
小学校は遠かったですし、最初のうちは道もわからなくて。
でもね、妹といっしょに通ってましたので、同じクラスではなかったけど、
それは心強かったです。ただ、5年生くらいから、
朝は家を別々に出るようになってましたけど。でね、この家なんですけど、
2階の2間は、それぞれわたしと妹が自分の部屋として使ってて、
特におかしいこともなかったと思うんですが、
それ以外の部屋がねえ、何か違和感があったんですよ。
こんなことを話しても退屈だと思いますが、内容にかかわりがあることなんでね。
玄関を入ってすぐが引き戸のあるキッチン。その隣が居間。
居間にはキッチンからも玄関からも行けました。

居間から廊下に出て、父母の寝室、また短い廊下に出て客間。
客間は2間続きで、透かし彫りの欄間のある凝った作りでした。
でね、違和感というか、おかしなことがときおりあったんです。まあこれは、
子どもだったわたしの記憶違いというだけなのかもしれませんが。
・・・廊下から客間に入ったはずなのに、ふすまを開けると居間だったり、
客間の突きあたりは障子の外がサッシなのに、
なぜか中2階の洋間に出てたりするんです。これ今考えても非常に不思議で、
洋間のドアはノブのある洋風のだから、障子を開けて入るなんてことは
絶対にありえないはずなんです。それが、気がつくと応接セットの前に立ってる。
それとね、うまく言えないんですが、家の中にもう一部屋ある気がしてたんです。
イメージとしては和室。最初その家に入ったころ、

部屋の多さに驚いてたので、それが尾を引いてるのかもしれませんけども。
やはり客間のあたりですね。ふすまを隔てた2部屋なんですが、
そこらへんにもう一部屋あるような気がしてならなかったんです。
だから、両親ともいないときなんか、よく家中をぐるぐる歩きまわったりして。
でね、6年生の夏です。妹が病気になったんですよ。
それも長い病名の難病。母は病院につきっきりでした。
わたしも週末はたいがい見舞いに行きましたよ。
で、あるときの土曜日、学校から直接病院に向かったんです。
妹は重篤者用の個室で、具合はいいときも悪いときもありました。
ナースセンターには顔が知られてましたので、見舞いに来ました、
と挨拶をして病室に入りました。そしたら、妹は起きてて、

母と何か話してたんです。それで、妹の手に白いお面が握られてまして。
紙製だと思います。目と口の部分が穴になってて、
たぶん子どもが絵の具で自分の好きなように顔を描くものだと思いました。
でね、わたしが病室に入ってくと、妹はそれをぱっとタオルケットの下に隠しました。
でもね、隠すようなものじゃないですよね。それで、
「今の何?」って聞いたんです。そしたら、母もいっしょに見てたはずなのに、
「え、何のこと?」ってわからないふりをして。
「今のお面みたいなやつだよ。タオルケットの下に入れたでしょう」
そしたら妹が、「何もないけど。ほら」って胸の上をめくって見せまして。
確かにね、何もなかったですが、それはいくらでも隠せますでしょう。
ただのお面だし、どうしてそんあことするのかなあ、って不思議でした。

妹だけならともかく、母までもね。ま、その場はそれだけのことだったんですが、
その3日後に夢を見たんです。手前の客間に立ってました。
まわりが薄暮っていうか、家の中に白い霧が立ち込めてる感じで、
夕暮れか夜明けの雰囲気がしました。でね、そのときふすまの前に立って、
ここ開けると隠された部屋に出るんだ、って確信めいたものがあったんです。
そろそろと引き開けると、やはり見たことのない和室でした。
調度類は一切なし、床の間もない部屋で黄土色の壁。
でね、その一方の側にお面がかかっていたんです。
全部で4つ。父母の顔、わたしの顔、そして病院で見たと思った白いもの。
父母のもわたしのも、目と口は空洞になって、髪の生え際まででしたが、
誰を表しているかははっきりわかりました。

わたしは驚いて、しばらく眺めてたんですが、やはり自分のは気味悪かったです。
ちょうど顔の高さの白いのを両手でつかみましたら、
スッと外れたんです。短い釘に上部が引っかかってるだけでした。
そのまま何気なくかぶってみたんです。そしたらヒモもないのに顔に吸いつくように。
最初はなんともありませんでした。で、鏡で見てみたいと思ったんです。
洗面所に行って鏡を見ると、ただの白い面だったんですが、
ややあってどっと自分のではない考えが流れ込んできたんです。
「死にたくない、死にたくない、なんで私が、私だけが、死にたくない、
 死にたくない、生きたい、死ぬならお前が死ねばいいのに、助けて」
こんな感じでしたが、声になって聞こえたわけじゃありません。
波が岩にあたって砕けるように、頭の中にぶつかってきたんです。

思わずお面を外そうとしましたが、とれなかったんです。
わたしは頭を抱えたまま家の中を走りまわって親を探したんですが、
誰もおらず、手すりにるかまりながら階段を上り、
自分の部屋に入って机に突っ伏し・・・そこで、電話の音がかすかに
聞こえました。当時はまだ携帯が一般的ではなかったんです。
で、目が覚めました。顔をさわってもお面はなし。
ただね、わたしはパジャマのまま妹の部屋の机にいたんです。
眠った状態でそこまで歩いてきたとしか考えられないですよね。
わけがわからないまま廊下に出ると、父が駆け上がってきまして、
「病院に行くからすぐ服を着ろ」って言いました。妹の病状が急変したんです。
それからあっという間に、明け方に妹は亡くなってしまったんですよ。

その後は、夢を見ることも、家の中に違和感を感じることもなくなりました。
小学校を卒業すると同時に、父の転勤で別の県に移ることになりまして。
妹の死から約半年、一家全員が意気消沈してましたから、
気分を変えるのにはよかったのかもしれません。
引っ越しは業者に頼んだんですが、その前に預金関係とか大事なもの、
プライベートなものは家族で荷造りしたんです。
わたしの場合は中学生になるので、小学校時代のものはほとんど捨てて、
たいした荷物もなかったんです。それらを父の車の後部に積んでいるとき、
ダンボール箱の一つのフタが浮いて、一瞬中身が見えたんです。
白いお面だと思いました。父が「あっ!」と言って手でおさえ、バッグをその上に
載せました。「今のは?」って聞いたんですが、ずっと教えてもらえてないです。







ミミズバーガーはある?

2016.06.11 (Sat)
今日も時間がなく軽めの話題で。自分は科学ニュースをよく見ているんですが、
「読売」 「Yahoo!」 「ITmedia ニュース」それぞれ特色があります。
そんな中で、最もひねったというか、
他とはかなり毛色の変わったニュースを紹介しているのが、
楽天がやっている「Infoseekニュース」ですね。

「子宮系女子だけじゃない! 女性の秘部に入れると超・危険なもの5選!」
「四肢切断を望み、自分の肉を食べ…! 恐ろしすぎる精神疾患4例」
「口からニョキニョキ、舌だけが2倍の速さで成長してしまった赤ちゃん」
ざっと1ページ目をひろい読みしただけで、こんな表題のニュースが見つかります。
今日はそこから、これをピックアップしてみました。

『食品の遺伝子テストを義務付けるのはありかもしれない。
去年、バイオテクノロジー会社であるClear Labsがホットドッグに含まれる
遺伝子チェックをしたところ、ラベルに表示されている原材料以外の物が
含まれていることが分かりました。この度、Clear Labsは同じ分子テクノロジーを
使ってハンバーガーに何が含まれているかを調べたようです。
その結果を読んでみると、うーんなかなか食欲が減る感じとなっています。

皆さんが今日のランチで食べたあのお肉、本当に牛肉だという確信はありますか?
Clear Labsの最新のレポートでは肉を使ったハンバーガーと、
ベジタリアン向けのハンバーガーのサンプル258個を遺伝子・栄養という側面で
分析しています。その結果14%のサンプルにおいて、
重大な問題が発見されたとのことです。

重大な問題とは、表記された原材料とは違うものが使われていたり、
栄養分のラベル表示からの大きな逸脱があったりというもの。
なんとネズミのDNAが発見されたサンプル、
食品に媒介する病原菌のDNAが発見されたサンプルもいくつかありました。
そしてなんと人間のDNAが含まれたものも、1つ存在していました。』


ふむふむ、食品に関する都市伝説というのもいろいろありますよね。
よく知られているのが、某大手フライドチキンチェーンのもので、
そこの調理場に入ってみると、天井から吊るされた鶏はどれも3本足だった、
というのがあります。遺伝子操作で作られた鶏ということなんでしょう。

あとはハンバーガーもネタになりやすいです。
いわく、養殖ミミズの肉を使っているとか、猫の肉を使っているとか。
ミミズバーガーに関しては、この都市伝説を元に作られた、
どうしようもない映画まであります。
ミミズのバーガーを食べるとミミズ人間化してしまうという。

これ、でも、採算面を考えればありえないですよね。
大量の肉を得るには、正規ルートから持ってくるのが、
一番コストが安いでしょう。3本足鶏を量産するには、
莫大な開発費用がかかるでしょうし、ミミズを原料とするなら、
秘密裏に養殖場や加工場を作り、従業員すべてに口止めをしなくてはなりません。
そんなふうに製造されたミミズ肉が、
普通の牛肉よりも安いとはちょっと考えられません。

しかし、人毛醤油のように実際にあったものもあります。日本では、
戦中から戦後混乱期の間に製造されていたという話がありますし、
現代の中国でも作られています。Wikiで「人毛醤油」の項を引いてみると、
ちょっとここに引用をはばかるような怖ろしいことが書いてあります。
興味を持たれた方はどうぞ。

さて、表題のニュースに戻って、ネズミのDNA検出といってもごく微量で、
ネズミ肉が使用されていたわけではないようです。
ただし不衛生な環境で製造されたようで、おそらく肉にネズミが触り、
そこで皮膚片や糞が混入したものと思われます。
また人間のDNAについても、これは手袋をしないで触るなどした人の皮膚片か、
髪の毛などだろうと考えられます。人肉を使用したわけではないでしょうw

それから病原菌類については、この試験では、検出されたDNAが
生きたものか死んだものかは判別できず、おそらくは病原菌も、
加熱調理の過程で死んだものの痕跡ではないかと推測されています。
・・・ということで、まあ大きな問題はないと言えばないのですが、
やっぱり気持ち悪い感はありますよね。ニュースを続けます。

『その一方で消費者を騙しているケースもありました。いくつかのバーガーでは、
記載されていない原材料が大量に使用されているという混ぜ物ケースが
発見されたんですね。たとえば子羊の肉やバイソンの肉を謳ったハンバーガーに
牛肉や鶏肉が混ぜられていたりというものです。
黒豆を原料にしたバーガーと表示されているのに、
全く黒豆が含まれていなかったりもしました。
ここまでくると完全に偽装表示ですね。

ベジタリアン用バーガーのうち14個はラベル表示されている原材料のうち、
何かが欠けていました。米Gizmodoの取材に対してClear Labsの共同創立者である
Mahni Ghorashi氏は「ベジタリアン製品のほうが多く問題が検知されたことに
すごく驚きました。というのも、普通ならベジタリアン製品のほうが安全だ
と考えるからです」と述べています。』


これはいけませんね。まさに羊頭狗肉の故事を地で行ってるようなものです。
しかし、ベジタリアン用ハンバーガーのほうが問題が大きいというのは、
自分は疑問に思いません。むしろ、そうだろうなあという感想です。
野菜を使用していながら、肉の食味・食感を出すのはかなり難しいと思われます。
作られる量も多くはないでしょうから、安易な加工がされているんでしょう。
そもそも、ベジタリアンならハンバーガーでなく、
サラダを食べればいいのにねえ。

あとそうですね。某ハンバーガーチェーンで出されるポテトフライは、
何年たっても腐らず、カビも生えないという話もありますよね。
これは実験が簡単なので、世界の各地で検証されていて、
動画なども出回っています。大量の防腐剤などの添加物が入っていて危険、
という人もいますが、これも自分は考えにくい気がします。

ポテトフライなんて、まずその場で食べるものだし、
家に持ち帰ってとっておくという人は少ないでしょう。
在庫にしてずっと寝かせておく、というのは考えられないこともないし、
賞味期限がきても廃棄しない前提かもしれませんが、
大量の添加物を入れるコストやリスクを考えると、ありえない気がします。

ホテトの断面積が小さいため、すぐに乾燥してしまって、
菌が繁殖しにくいという説明が最も納得できますね。
試しに、ポテトに定期的に霧吹きで水をかけていれば、あるいは、
ラップで覆って乾燥しないようにすれば、
カビは生えてくるんじゃないでしょうか。では、このへんで。







梦幻茶房

2016.06.10 (Fri)
バブル華やかなりし時代の話だよ。1990年の手前。
おれはその頃、ある不動産会社の買付部門にいたんだ。
いや、お察しのようなヤクザ絡みの会社じゃなかったが、買付けってのは当時、
要は地上げと同義語みたいなもんだった。
Fラン大学を出て就職し、3年目のことだったな。
そんなだからよ、アコギな真似をしてたくさん人の恨みも買った。
あんな時代はもうこねえだろうな。俺の給料が手取り30万で始まったのが、
3年目で60万までに増えてた。会社は俺より10ばかり年上の若い社長が
仕切ってたが、信じられねえような金回りだったよ。
でな、そういう仕事をしてると、だんだんに澱みが溜まってくるんだ。
出方は人によっていろいろだが、俺の場合は汗だった。

すげえ汗っかきになったんだよ。気温とかまるで関係なし。
首筋、脇の下からだらだら汗が流れ落ちて、数時間でシャツがびしょびしょだ。
いやあ、エアコン18度に設定しても同んなじ。
だからしかたなく、日に3回はワイシャツとっかえてた。
これは、その汗が黒いせいもあった。なんでかしらないが、
ススみてえな汗が出たんだよ。ハンカチで額を拭けば薄黒くなってる。
もちろん医者には行ったさ。けど検査の結果におかしな数値は出ねえ。
皮膚科で診てもらってもとくに問題なし。
医者の目の前でガーゼで汗を拭いて見せても、首をかしげるばかりで、
「実害はないんでしょう」ときた。たしかにめまいや頭痛ってわけじゃないから、
仕事に大きな支障はなかったんだが・・・

それで、あるとき会社の洗面所で顔洗ってたら、
ばったり社長が入ってきたんだよ。でな、黒い水が溜まったシンクを見て、
「ああ、お前、抱え込んでるなあ。それな、医者に行っても治らんから。
 ここに行ってみな。スッと悪いものが溶けてく。
 代金は会社持ちにするよう連絡しといてやる」こう言われて、
一枚の名刺を渡されたんだよ。そこには「梦幻茶房」という店の名と住所。
代表者名とか電話番号は書いてなかった。
住所は武蔵野のほうだったが、今はもうねえよ。
車で行ってみたんだが、建物はつぶされて植物園みてえなのになってたな。
で、次の休みの日に行ってみたんだ。そしたら白壁の家があってな、
「梦幻茶房」という小さな木の看板が出てた。

なんというか、白壁のアフリカの砂漠にでもありそうな建物だったな。
変わってると思ったのは、ガラスが一切使われてなかったことだ。
窓はあったが、木の両開きのやつだったんだよ。呼び鈴を押すと、
青紫のエプロンをかけた30代くらいの女性が出てきたな。あとでわかったんだが、
その人が女主人だった。中国語らしき名前を言われたが覚えてねえ。
で、俺の顔を見て「○○さんですね。社長様から伺っています。どうぞ」
流暢な日本語で中に案内された。それが床は乾いた土になっていて、
中国っぽい感じはまるでせず、やっぱりアフリカを思わせる調度が並んでた。
「ここは何をするんですか?」今考えれば間抜けた質問だが、
女主人は笑って「茶房ですから、お茶を飲んでいただきます」こう答えた。
あとな、そのときは11月だったが、中がすごく暑かったんだよ。

40度近くあったんじゃねえかな。俺が黒い汗をだらだら流しているのを見て、
女主人は、「3番房に入って着替えていてください」って言った。
奥へ続くドアを開けて、そこに長い廊下があったんだよ。
そうだなあ、両側に10部屋ずつで、全部で20ほどのドアがあった。
どのドアにも番号札がついてて、俺は手前の3番って書いてるところに入った。
中はサウナまではいかねえが、相当な暑さで、それもそのはず、
レンガを積んだかまどにガンガン火が焚かれていたんだ。そこに銅製らしき、
高さ80cmほどの蓋つき容器がのせられ、グラグラ煮え立った湯気を蓋の穴から
吹いてた。部屋自体は3畳ほどの広さで、白布のかかったテーブルに椅子が一つ。
あと、かまどの脇に脱衣かごがあり、中に白いガウンが入ってた。
それで、下着だけになってガウンをはおり、椅子にかけて待ってたら、

ややあって、女主人が手に籐製のザルみたいなのを持って入ってきた。
ザルの中には、乾いた丸い植物が入ってて、中国の花茶に近いものだと思った。
女主人は「聞いてますよ。黒い汗がでるんですよね」そう言って、
金バサミで銅製容器の蓋を開け、その大きな塊を5つ6つ中に落とし込んだ。
「しばらく待っててください」女主人は出ていき、俺は窓もない部屋で、
それから1時間以上蒸されてたんだよ。いや、信じられないほどの汗が出た。
ガウンが絞れるくらいになり、白かったのが薄墨のような色に変わって、
「ああ、これはやっぱ、サウナの一種なんだ」って思ったくらいだ。
テーブルの上の白布にも汗がぼたぼた落ち、頭がもうろうとなってきた。
でな、待っているあいだ中、なぜか俺の仕事、地上げのときにやった色んなことが、
思い出されてきたんだ。無慈悲な仕打ちとか、心ない言葉とかだな。

でな、それ思い返してるうちにダラダラ涙まで出てきたんだよ。汗より黒い涙が
テーブルに落ち、いたたまれない気分になったときに、女主人が入ってきた。
青みがった小さなガラスのグラスに、薄緑の液体が入っていたな。
女主人はかまどの火に灰をかけ、そしたら部屋の温度が少し下がった。
そして俺の前に「冷茶です。どうぞ」とグラスを置いた。
もう脱水に近かったから、一気に飲んだよ。そしたら体全体がスーッと冷えた。
そして全身がガクガクと震えだしたんだよ。お茶の味? ああ、お茶というか、
ミントみたいな味がした気がする。あんまり覚えていないが。
震えがおさまってから、「気分がすっとしました。
 ここってサウナ療法みたいなとこなんすか?」って聞いてみたんだよ。
女主人は「ええ、まあ」と言葉を濁し、続けて「釜の中をご覧になりますか?」

立って近寄ると、女主人はまた金バサミで銅釜の蓋を開け、
俺はそれを上からのぞき込む形になった。そしたら、8分目まで入ったお湯の中で、
さっきの花茶のようなものが揺れていた。それらは大きく開いてくっつき合い、
まだポコポコ沸いているお湯の中でゆっくりと回転していた。
いや、何かの植物なのは間違いなかったが、
その中に人の表情が浮かんで見えたんだ。
見覚えがある気がした。俺が地上げした農家の婆さんとかの顔だと思った。
「ふつうは、この釜の中はお客様にお見せすることはないんですが、
 社長様からそうするように言いつかっておりまして」
女主人がこんなことを言ったんだよ。「お着替えを」と言って女主人は出ていき、
俺が着替えて最初の部屋にもどると誰もいなかった。

俺はせいせいした気分で車を運転して部屋に戻ったんだよ。
あれ以来、黒い汗はまったくかかなくなった。これはあの茶房のせいだけじゃなく、
俺が会社を辞めたことも大いに関係してると思う。
辞表を書いて翌朝すぐ上司に提出したんだ。上司は驚いてたが、
社長に取り次いで、俺は社長室に呼ばれた。社長は、「あの茶房行ってきたか。
 辞めるのはいい決断だよ。もう物件はすべて売りに出して、
 俺もこの商売とはおさらばするつもりだ。
 こんなことが長く続くはずはねえから」そう言って笑い、3年勤務ではありえない
退職金をはずんでくれたんだよ。それで最後に「あんな黒い汗かくやつは、
 この手の商売には向いてない。今後は苦しいこともあるだろうが、
 地道に頑張んな」ってつけ加えた。ま、こういう話だ。




 


2枚の妖怪カード

2016.06.09 (Thu)
2枚の妖怪カード

えー、今日は妖怪談義と怖い日本史が混じったような話です。
まともに書くと1冊本ができてしまいそうな内容なんですが、
そうもいかないので、できるだけすっ飛ばしていきます。
興味を持たれた方はWiki等で検索してみてください。

さて、下に妖怪画を2枚掲げましたが、
左は竹原春泉画、『絵本百物語』より「飛縁魔(ひのえんま)」で、
右が竜閑斎画『狂歌百物語』より「小袖手(こそでのて)」です。
ではここでクイズ、ちょっとこじつけを含みますが、
この2作から連想されるものは何でしょう?



・・・答えは「火事」または「大火」でもいいでしょう。
えーと、どっちからいきましょうか。「飛縁魔(ひのえんま)」のほうが、
まだしも話としては穏当かもしれませんね。この絵を見ればわかるとおり、
とくべつ怖ろしいところもない、美しい女性の絵姿なんですが、
これは実は男の心を惑わし、身を滅ぼさせる魔性なんです。

美人が男を滅ぼし国を傾けるというのは、
中国の易姓革命思想からきているんでしょう。
ある王朝が滅ぶとき、その最後の帝には必ず悪女がつきまといます。
夏の桀王と妹喜、商の紂王と妲己、周の幽王と褒姒・・・
要は魔性の女と縁がつくと身が危うくなるよ、というような意味の妖怪です。

で、この「飛縁魔」という語は「丙午(ひのえうま)」と通じています。
丙午の年の生まれの女性は気性が激しく、
縁を持った男性の寿命を縮めるという話がありますが、その出所は、
「天和(てんな)の大火」にかかわりのある「八百屋お七」が、
1666年の丙午年の生まれだから、と言われることが多いようです。
しかし、これは俗説じゃないかと思いますね。
お七は16歳で火あぶりになったとどの資料にも出てきますが、
もし丙午生まれだとすると18歳になってしまうんです。

古代中国の鉄製品にはよく、銘として「五月丙午の日に鍛えた」と彫られていて、
これは陰陽五行説で、火の勢いが盛んになる時期なんです。
当時の江戸の人々はその手のことに大変詳しかったので、
丙午と火事が結びつけられたのかもしれません。

天和の大火は1683年、死者は最大3500名余とされています。
よく誤解されるんですが、この大火をお七が起こしたわけではありません。
『この火事で焼け出された江戸本郷の八百屋の一家は、ある寺に避難したが、
その娘お七は、寺の小姓と恋仲になる。やがて再建された店へと戻ったものの、
お七はもう一度火事が起きたら、またあの寺小姓に会えるかもと、
恋に目がくらんで自宅に放火した。火はすぐに消し止められボヤにとどまったが、
お七は捕縛され、鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処せられた・・・』


という悲しいお話があるんです。ただし、史実としてははっきりせず、
お七という娘が放火の罪で刑に処せられた、あたりまでが確かなところでしょうか。
井原西鶴の浮世草子『好色五人女』などの創作で、
細部が加えられていったと思われます。

さて、次「小袖手」のほうですが、小袖ではなく「振袖火事」というのがあります。
これは、正式には「明暦の大火」といい、1657年ですから天和の大火より、
26年前のことです。こちらは大災害で、江戸の街の大半が焼失し、
江戸城天守閣まで燃え落ちています。死者は3万~10万。
この火事が起きた原因とされるのはかなりオカルトな話で、

『麻生の裕福な質屋の娘、梅乃が本郷の本妙寺に墓参に行ったその帰り、
すれ違った寺の小姓らしき美少年に一目惚れし、恋の病で寝込んでしまう。
その寺小姓に連絡したいが身元はわからず、梅乃は晴れ着につくった振袖を
布団にかけて亡くなってしまう。葬儀の日、
両親はせめてもとその振袖を棺にかけてやる。
寺男たちはそれを当然転売するが、買った上野の町娘も病死し、
奇しくも梅乃の命日にまた本妙寺に持ち込まれる。再度、振袖は売られ、
それを買った娘もまた病死、振袖は三たび棺に掛けられ寺に運び込まれてきた。

さすがに寺男たちも因縁を感じ、住職は問題の振袖を寺で焼いて供養することにした。
住職が読経しながら護摩の火の中に振袖を投げこむと、にわかに狂風が吹きおこり、
裾に火のついた振袖は人が立ちあがったような姿で空に舞い上がると、
火の粉を振りまいて寺を全焼させ、またたく間に江戸市中を焼きつくした。』

こんな内容です。これも寺小姓と町娘の禁断の恋が出てくるあたり、
当時の世相を表してはいるのでしょうが、
史実としてはかなり怪しいと思われます。これ、実は怖い噂があるんですね。

さてさて、上の話で「本妙寺」という寺名が出てきますが、
幕府の調べで、この火事の火元は本妙寺で決着しています。
ところが、それだけの大惨事を起こして、本来なら廃寺にされて当然なのに、
元の場所に再建を許され、しかも前より寺格が上げられたりしてるんです。
それってちょっとありえないですよね。ですから、
本当は武家屋敷(老中・阿部忠秋の屋敷など)が火元なのが、
それだと幕府の権威が失墜してしまうため、
あえて本妙寺が火元を引き受けたというもの。これはありそうな話です。

さらにもっと怖ろしい説として、幕府がわざと放火したというのがあります。
1657年といえば、江戸時代の初期ですが、
街並みは無計画なまま広がっていき、ごちゃごちゃと過密化していました。
そこで都市計画を一新させるためにわざと放火したのではないかということです。
そんな非道なと思われるでしょうが、これ、わりと唱える人が多いんです。

江戸の冬は、北西の風が吹くため放火計画は立てやすかったでしょうし、
翌日いったん鎮火してから、また別の場所で火の手があがっているのも、
怪しいと見ることもできます。さらに火事の後、幕府は大金をかけて
大名・旗本屋敷の配置換えをし、遊郭を移転したり、道幅を広げたりしているんですね。
みなさんはどう思われますでしょうか。







境目

2016.06.08 (Wed)
これ、私ではなくて、大学のときの同期の子の話なんですけど、
ただ、最近、私にもちょっと変なことがありまして・・・
私は、ある県の公立の教員養成大学に入学しまして、
そこは専攻する科目ごとに研究室がわかれていたんです。
私は国語でしたけど、そこで山野さんという子と知り合いまして。
外見は、髪を短くしてスポーツができそうな感じでしたが、
行動がいろいろと変わってたんです。ほら、大学に入りますと、
新入生歓迎会とかそういう行事がありますでしょう。
その最初の歓迎会は参加しましたけど、1次会場のホテルからまっすぐに
タクシーで帰ってしまって、それ以後、夜に行われる会には一切参加せず。
それが徹底してたんです。大学の講義は、最終が午後5時で終わるんですが、

後期の、夏休み後はその最終講義を一つもとらなかったんです。
ええ、その時間帯だと、冬場は帰りが暗くなりますからね。
必修講義もありましたが、翌年の前期にとってましたね。それから、
雨の日も嫌いで、いつも明るい場所、照明の下になるような席に座るんです。
そんな感じだから、男の子の友だちはできなかったんですが、
本人はあまり気にしてる様子はなかったですね。
私には暗い場所を怖がってる、というふうに思えました。
それで興味を持ったっていうか、あるとき学食でいっしょになったときに、
聞いてみたんですよ。私はわりとストレートな性格なので、
「暗いのが苦手なの?」みたいな感じで。そしたらこんな話を聞かされたんです。
ちょっと信じられないような内容だと思いますけど。

「暗いのが嫌いなんじゃなく、明るいのと暗いのの境目が苦手だ」
こう話が始まりました。山野さんは高校は、地元の公立だったんですけど、
そこはいろんなスポーツが強いとこで、山野さんもテニス部だったんだそうです。
それが2年生の秋のことです。練習が遅くなり7時過ぎに終わって、
同じテニス部の友人と、徒歩で帰っているときでした。
その日の練習は学校ではなく近くの総合公園のコートを借りてやったので、
サイクリングコースを2人で歩いてたそうです。
あたりはすっかり暗くなっていましたが、30mおきくらいに
街灯というか、強めのスポットライトが足元を照らしていて、
怖い感じはまったくなかったということです。
そのときにふと地面を見て、「影って面白いな」って思ったんだそうです。

ライトの下にいくと、アスファルトにくっきりと影ができますよね。
それがだんだん薄れていって、光が届かない場所にくると闇の中に影が消える。
そうしてまた、次のライトに近づくにつれて薄っすらと影ができてくる。
その境目の瞬間って見えるんだろうか、そう思って一緒の友達に話してみました。
「えー、あんた面白いこと気にするんだね。ほら、次のライトの光が丸くなってるでしょ。
 あそこに入ったときに影ができるんじゃないの」
山野さんもそうだとは思ったんですが、やっぱりその境目が気になって、
下を見ながら歩いてました。そしたらライトの光がちょうど消えそうな場所で、
不意に前につんのめってしまたんだそうです。
両手には部活のバッグやラケットを持ってて、最初にラケットが地面につき、
そのまま右手を伸ばすような格好で転んじゃったんですが・・・

山野さんは、そのときにラケットを離した手が、
闇の中にはさまってしまったって言うんです。これ意味がわかりませんよね。
「どういうこと?」って聞き返したら、「うーん、うまく言えないけど、
 カーペットが敷いてある下に手をつっこんでしまったみたいな感じ。
 明るいところと暗いところの間ってこと」 「やっぱ、よくわかんない」
「なんていうか、層になって重なってるのよ。明るさと暗さの層。それは普通は、
 微妙に混じり合ってるんだけど、くっきりした明るさがあるときって、
 層もきっちりしてるの」 「・・・うーん、で、どうなったの」
「透明だけど黒っぽいビニールのシートの下に入っちゃったみたいな感じ。
 でも私もあんなことになってるとは知らなくて、ハハハ、ドジとか言いながら、
 手をついてラケットを拾い、立ち上がったのよ。そしたら・・・

 うまく表現できないんだけど、白と黒が入れ替わっちゃってたの」
「わかんない」 「ほら昔の写真で、ネガフィルムっていうのかな。白いはずの顔が、
 真っ黒に見える写真があるけど、そんな感じに。
 一緒にいた友だちが、あんた何、大丈夫?って言ったと思うんだけど、
 その声がギュンギュンとゆがんでて、すごく低くゆっくりに聞こえたの。
 テープに撮った声を遅回ししたみたいに。それでも、大丈夫って言って、
 友だちのほうを振り返ったら、顔が真っ黒だったの。あと手や制服の白い部分なんかも。
 「ダァァァイ・ジョウゥゥゥブゥゥゥ?と言いながら友だちが近づいてきて、
 真っ黒な顔が目の前にきたんだけど、顔の中が動いてたの」
「どういうこと?」 「あのね、幼虫、イモムシ・・・真っ黒いそういったものが、
 何匹も何匹も集まってその友だちの顔になってるように見えた。
 
 ううん、友だちだけじゃなく、私の手もそうだったの。たくさんの
 クロワッサンみたいな形の真っ黒い生き物が集まって手の形をつくってる
 ように見えた。それで、キャーッて叫びながら、泳ぐような格好で中腰で走ったの。
 そしたら、次のライトの光があたってるところで、
 すうっとビニールシートの下から出たみたいな感じがした。
 振り返ると、ちょっと山野、どうしたのよ~って、
 友だちがラケットを持って追いかけてきて、そのときは普通に見えたし、
 声も元に戻ってたのよ。・・・でもそれ以来、明るい場所と暗い場所の境目が
 怖くなっちゃって、部活も辞めちゃたのよね」
「うーん、何と言っていいかわかんないけど、その後もそういうことあった?」
「ないんだけど、あの黒い虫みたいなので体ができてるのは、

 もう二度と絶対に見たくない」これねえ、でも信じられませんよね。
何と答えていいかわからなかったですが、「そのとき頭とか打ったんじゃない?
 それでそう見えただけとか? あんまり気にしないほうがいいと思うよ」
って、あたりさわりのないことを言ったんです。
でも、山野さんは暗いところをやっぱり避けていて、
3年になる前に大学をやめちゃったんです。それ以後連絡もつかなくて、
今、どうしてるのかもわかりません。私は、気の毒だなあと思ってたんですけど、
教育実習や卒論なんかがあって、すっかりそのときのことを忘れちゃって。
ええ、それで私は中学校の教員になりまして、採用されて2年目です。
それで、この間地震による停電があったでしょう。
あのとき夜中だったじゃないですか。

揺れで目が覚めて、最初はついてた電気も途中で消えちゃって、
何度も余震がありましたよね。アパートだったんですけど、
あちこちの部屋で叫び声があがってるのが聞こえました。
怖かったですよ。懐中電灯があったはず、と思って机の中を手探りで探しました。
ああこれだ、と思ってスイッチを入れたら明かりがついて、
ひとまずほっとしたんですけど、そのときにまた大きな余震がきて、
机についていた手がずるっと滑りました。懐中電灯の光の中にです。
そのときに、手がズッと何かの下になったような感じがしました。
重さのないひんやりしたゼリーの中に手を突っ込んだみたいな。
不意に山野さんの言ってたことを思い出して、あわてて手を抜くような動きをしました。
停電は2時間くらいで直りましたけど、それ以来なんだか・・・
 
がんskしどあうあお
 

 


死に布団の話

2016.06.07 (Tue)
これは私が9歳のときの話です。生まれたときから体が弱くて・・・
先天性の心疾患があったんです。ですから同年代の子よりも体が小さく、
運動はいっさいできませんでした。少し動いただけで息切れしてしまうのです。
チアノーゼ症状がひどく、唇が紫になり、全身が赤くなってくると、
それは長期入院の合図でした。小学校に入ってからずっと、
母が通学の送り迎えをしてくれてたんですが、
1年のうち半分近く入院していたんですね。あ、はい。
ごらんのように今はなんともありません。運動も軽いものならできます。
その9歳の秋に手術をしたんです。まる1日がかりの大手術だったそうです。
はい、これからお話するのは、その手術の少し前に、
母の実家であったことなんです。

母の実家は、ある地方の旧家で、小高い丘の上にある、
それはそれは広いお屋敷でした。そうですね、横溝正史の映画に出てくるような、
と言えばわかってもらえますでしょうか。あの、八つ墓村の、
双子のおばあさんがいる・・・ 雰囲気もよく似ていたと思います。
そのお屋敷を訪れたことは数回しかなかったはずです。
お盆などは父のほうの実家に参りますし、お話したように、
私は体が弱かったので、長い時間乗り物に乗るのもよくなかったんです。
それが小3の夏休み、母の車の後部座席に寝た状態でそこへ向かったんですね。
はい、父ももちろんおりましたが、その時はついてはきませんでした。
母の実家は、母の年の離れた兄夫婦が継いでおりまして、
いちおうは当主ということになっておりましたが、

実際に切り盛りしていたのは、今思うと母の母、私の祖母でした。
祖父は、そのときすでに他界していたんですね。
もう昭和の終わりに近い頃でしたが、使用人も何人かいたと記憶しています。
祖母は優しかったですよ。そのときも私を、よく来たなと出迎えてくれて、
軒にたくさん吊るしてあった干し柿をふるまってくれました。
そして「おうおう、かわいそうに、小学校に入ってもまだこんなに小さいんだの。
 しに布団は蔵から出しておいたよ。使うのは十何年ぶりかの。
 まだ効験があるかわからんがのう」こんなことを言ったように思います。
はい、このときは「死に布団」という言葉の意味は、
当然ながら、わからなかったんですけども。
叔父夫婦にご挨拶しまして、夕餉をいただきました。

道中はほとんど寝てきたようなものでしたが、
8時をすぎるとすっかり疲れてしまって、母に「もう休みたい」と言ったんです。
そうしたら、パジャマに着替えさせられまして、母に手を引かれ、
広大な平屋建ての、いくつのも部屋をこえた奥の間につれていかれたんです。
そこに死に布団が敷かれていました。変哲もない白い敷布団に、
白い掛け布団でしたが、掛け布団の上に黄色と空色を基調にした振袖が
掛けられてあったんです。これはところどころが布団に縫いつけられていたようで、
動かしてもずれることはありませんでした。
枕元には水差しと、それから鈴が一個置いてありました。
私は不安になり、「ここで寝るの? 一人で?」と母に聞きました。そしたら、
「今日一晩だけ、大丈夫、お母さんたちはすぐ近くの部屋にいるから。

 ちっとも怖いことなんかないよ。もし夜中でも心配になったら、
 そこの鈴を振って鳴らしなさい」こう言われました。
そのときに、これは何か特別なことなんだろうって思ったんです。
私は素直に布団に入りました。夏のさ中でしたが、病気のせいか、
あまり暑さを感じない体質だったんです。布団にもぐり込むと、
母が私の髪を優しくなで、それから伝統を小さな灯りだけにして出ていったんです。
私は天井板の凝った文様をしばらく眺めていましたが、
すぐに眠気が襲ってきて・・・ そして夢を見たんです。
私は、実家のお屋敷の数ある座敷の真ん中に立っていました。
あたりは暗くしんとしていて、たちまち不安になり、
ふすまを開けるとまた別の座敷、それを何度か繰り返したときには、

それが夢の中だということはなんとなくわかっていたと思います。
それは、普段の私なら走ったりするのは無理だったのが、
そのときには跳ぶように軽く動いていくことができたんです。
ですから、不安半分、体が軽いのが嬉しいのが半分といった気持ちで、
次々と部屋を抜けていくと、トンとふすまを開けたとき、
小さめの座敷に布団が敷いてあったんです。私が掛けた、あの黄色い振袖の布団で、
中に寝ている人がいました。いえ、当時の私ではなく大人の、
歳とった女の人でした。お祖母さんかな、と思ったんですが、
その上を向いた顔は似ているようでもあり、そうでないようでもあり・・・
私が立ったまま上から顔をのぞき込んでいると、女の人はぱちりと目を開け、
こちらを見て「鈴を鳴らしてくれないかい」って言ったんです。

見ると、私の枕元にあったのと同じに見える鈴が置いてあり、
私はかがみこんで手に取り振ると、リンリンといい音が鳴ったんです。
そこで目が覚めました。ええ、もちろん最初に寝た部屋にいました。
私は体を起こして、水差しからコップに注いで水を飲み、
もう一度寝たんですが、今度は何も夢は見なかったと思います。
次、目が覚めたときにはもう朝になっていました。
チュン、チュン、雀が鳴く声が聞こえていて、
布団の横に母とお祖母さんが座っていました。私が目を開けたのに気がついて、
母が「おはよう、夢を見たかい」と聞いてきました。
「うん」私がうなずくと、「どんな夢だったい?」
はい、夢の内容は鮮明に覚えていました。

それで、座敷をいくつも通ってこの部屋に来たこと、そこに同じ布団があり、
歳とった女の人が寝ていたことなどを話したんです。そしたら母とお祖母さんは、
顔を見合わせてうなずき、母がもう一度、確かめるように、
「ほんとに歳とった人だった?」と聞いてきたので、
「うん、額にしわがあったよ」と答えました。
母の実家にはもう一晩泊まりましたが、そのときは囲炉裏のある居間に近い部屋で、
母といっしょに寝たんです。あの振袖の布団ではありませんでした。
3日目、また母の車で家に戻ったんですが、それから1週間ほどして、
私は大学病院に入院して心臓の手術を受けたんです。
ええ、たいへん苦しい思いをしましたが、そのことは、
死に布団の話とは関係ありませんので省かせていただきます。

・・・もうおわかりだと思います。後になって、母にあのときの布団の話を聞いても、
はかばかしくは答えてくれませんでしたので、
私が気がついたのはずっと後のことです。もう30歳近くになっていたと思います。
あるとき鏡を見ていて、不意にわかったんです。
ああ、あの母の実家で振袖の布団で寝ていたのは私だったんだということ。
おそらく、死ぬ間際の私なんだろうと思います。
死に布団とは、それに寝た人が死んだときの姿を見せるものだったんでしょう。
それと、私がそこに寝かせられた理由。もちろん心臓の手術ですよね。
成功率はかなり低かったんだそうです。ただ・・・不思議なことですよね。
もし私が手術を受けなくても、あのお婆さんになった歳まで生きたのか、
それともそういうことではないのか、考えるとよくわからなくなってしまうんです。






虫捕り

2016.06.06 (Mon)
これ1ヶ月ばかり前の話です。5月初めの連休のときの。
ええとですね、自分、この4月から社会人になったんですよ。
中学校の教員です。それでね、赴任が県北のほうに決まったんです。
一人暮らしすることになったんですが、それ自分は初めてだったんです。
実家から、車だと2時間半、電車で2時間くらいかかるんで、
ちょっくらとは帰ってこれないと思ってましたが、
若いんでバレー部の顧問になりまして、土日は練習と試合で
ほとんど全部つぶれてます。でね、去年の3月、
こっちに部屋を決めることになって、不動産屋回ろうとしてたんです。
そしたら親父が、俺もついてくって言い出しまして。ちょっとびっくりしました。
というのは、親父も教員だったんですが教頭で忙しくて、

ほとんど自分のことは放任に近いような感じだったんです。
金は出すから自分のことは自分でやれって。だから今回の準備も、
自分が電気屋回って、冷蔵庫や洗濯機買いそろえたんですよ。
それが、部屋決めのためにわざわざ休んでついてくるっていうんですからね。
赴任先は市でしたけど、人口5万人くらいで、
一人暮らしのアパートってあんまり数がなかったんです。
それで、親父と2人不動産屋に行って、学校に近いところから
部屋見せてもらったんです。自分は、そりゃ近いほうがよかったんです。
でね、最初に見せてもらったところでいいと思ったんですが、
親父がうんと言わなくて。これもねえ、普段とは違うなあと思ってました。
親父は、部屋の中よりも外を見るんですね。土の庭がなきゃダメだって。

でもね、アパートで土の庭があるところってまずありませんよね。
それで学校からだんだん離れてった5軒目です。
そこも庭というものはなかったんですが、アパートの回りが低いコンクリ塀に
囲まれてて、建物と塀の間にわずかな草地があったんですよ。
部屋そのものは2階で、角部屋が空いてるって不動産屋が言うんで、
そこがいいと思ってたんですが、親父が首を振りまして。
角部屋だと、2方向に窓があるんですけど、それじゃダメだって。
で、その隣に決めることになったんです。まあね、
隣が空きの角部屋だから、そっちには気を使わなくっていいんで、
自分は同んなじことだと思ったんですが。
それで、いよいよ引っ越すって前の日の午後になって、

親父が大事な話があるって言い出して。「何?」って聞いたら、
シャベル持って庭に来いって。実家は親父が建てた一軒家で、庭は広いんです。
そこで変な話を聞かされたんです。まずシャベルで塀に囲まれた隅を掘らされました。
「ゆっくりやさしく掘れよ」って言われ、少しずつ土をどけてたら、
カチンと何かにシャベルが当たって、掘り出してみたら蓋つきのガラス瓶だったんです。
直径10cm、高さ20cmくらいの広口の。中には透明な液体と、
バラバラになった玉が10個以上入ってたんです。「これ何?」って聞いたら、
「数珠玉だ」って言われました。でね、塀の内側四隅に同じものがあったんです。
次にやったのが、その液体を親父が用意してたラムネの瓶2本に移して、
数珠玉を一個ずつカチンカチンと入れるってことです。
もちろん液体も玉もたくさん余ったんで、蓋して同じところに埋め戻し、

それから家に戻って、こんな話を聞かされました。
「お前は変に思うだろうが、あれは今までずっとこの家を守ってたもんだ」
「守るって、何から?」 「それがなあ、よくわからんのだ。いや、俺の祖父、
 お前からすれば曾祖父さんの頃まではわかってたんだが、その後伝えられてなくてな」
「で、あの数珠玉とやらは?」 「お前がアパートに持ってくんだよ。それで、
 窓に面した塀の内側のにこのラムネ瓶2本を埋める」
「それまた、なぜ?」 「虫よけとか虫捕りって言われてる。
 詳しいことはまた明日、引っ越しのときに話すから」
でね、翌日引越し業者が来ましたが、俺の荷物は衣類とか食器わずかで、
新しく買っ電化製品のほうがかさばったくらいです。
部屋にセットしてテレビとかつないでから、親父と一緒に外に出て、

移植ベラで数珠玉が入ったラムネ瓶を塀と塀の端っこに埋めたんですよ。
それから部屋に戻り、窓枠の両端に水道水を半分くらい入れたコップを置き、
それにまた数珠玉を一個ずつ。で、荷物の間に座って話の続き聞かされまして。
「何かの怨みが我が家に取り憑いてるんだ。それも男だけにな。
 お前は今まで俺らと暮らしてきたが、これから一人暮らしになるから、
 ねらわれる可能性がある。それで守りを分けることにしたんだ」
「うーん、窓を守るってこと?」 「まあそうだな」
「俺が他の場所で宿泊したりしてるときは大丈夫なん?」
「住んでる場所がねらわれるから、それは心配ない。
 俺も修学旅行についてったりするけど、旅先では何も起こってないよ」
「うーん、じゃあ、あの窓枠のコップは? ああいうの家にはないよね」

「いや、母さんが家の中あちこちに花を活けてるだろ。あの花器の中に数珠玉が入ってる」
「えー、全然知らなかった」 「それでな、あのコップの水がもし赤く光ったら、
 窓のカーテンを閉めろ。それは怨みが来てるときだから」
「見たらマズいのか」 「いや、見ても大丈夫だろうが、怖いものが来てるから、
 なるべく見ないほうがいい」 「うーん、信じられないような話だなあ」
「冗談でこんな面倒なことをすると思うか」こう話をして親父は帰っていったんですよ。
それで4月になり、大学で教育実習を経験してるとはいえ、やっはり仕事は大変で、
毎日遅く帰る日が続いてました。歓迎会なんかもありましたしねえ。
で、学校にもいくらか慣れてきた5月の初めです。
最初に話したように、連休でしたが、バレー部の試合があったんです。
その帰り、保護者の会との飲み方があって、遅く・・・12時近くに部屋に戻りました。

そのままバタンキューで万年床になってた布団に倒れて、
いくらか眠ったんです。そしたら、ブーン、ガサガサガサという音で目が覚めました。
そこの部屋はわりと静かなとこにあって、夜はあんまり物音しないんですが。
顔上げると、窓に置いてあったコップが両方とも赤く光ってたんです。
そうですね、パトカーや救急車のランプみたいな濃い赤でした。
そして音は窓の外から聞こえてくるみたいだったんです。
ブーンというのは、ブザーに近いような機械的な音で、
ガサガサというの、新聞紙を丸めるような感じで。コップの水は、
親父の言いつけを守って4月の終わりに取り替えたばかりでした。
酔ってたせいか、あんまり怖いと思わなかったんですね。
「怨み? 呪い? 何代もたってるのにわざわざ新居を探してご苦労なこった」

そう思って、どんなのか見てやろうって考えたんです。
這うようにして窓に近づいて、コップの水をこぼさないようカーテンを引きました。
窓はすりガラスでもないんでもない普通のやつです。
カーテン開けると、全面に薄白い幕がかかったようになって、
自分のいた側のサッシに、大きな、窓一枚ほども大きな虫がいたんです。
段々なった腹や細い足は蚊みたいで、全体が枯草色してました。
虫は白い幕に引っかかったようになって、こちら向きでもがいていました。
それで頭が・・・3つに枝分かれして、赤ん坊の顔がそれぞれについてたんです。
赤ん坊は男か女かもわからず、どれも目を閉じて涙を流しながらぶんぶん頭を振って。
覚えてるのはそこまでですね。気がついたら朝になってて、自分は布団の外で
倒れてました。窓の外には何もなく、コップの水が両方空になってたんです。

がhskしあおう





地獄の冥官

2016.06.05 (Sun)
今日は時間がなく、地獄についてのわりと軽目のお話です。
ただし、キリスト教などにまで踏み込むと長くなってしまいますので、
日本の話を中心にしていきたいと思います。

さて、今の日本人というのは地獄が怖いでしょうか?
これは自分的にけっこう疑問に思っているところです。
うちの父親の話だと、子供の頃は「嘘をつくと閻魔様の前で舌を抜かれる」
と親に言われたそうですし、お寺で年に一度、地獄絵の開帳があり、
そこで「悪いことをすれば地獄に堕ちる」などの説法もあったそうで、
今も行われているところもあるでしょうが、
都会ではあまりそういう話は聞かなくなりました。

これは一つには仏教界の、お釈迦様の説いた本来の仏教に戻ろうとする風潮と
関連があるのかもしれません。もともとインドの原初仏教には、
地獄という概念はなかったと思われます。
日本で地獄のイメージができあがったのはそう古いことではないようです。
極楽往生という考え方はありましたが、
地獄という概念がはっきり出てくるのは、平安時代頃からでしょうか。

たしかに「悪いことをすれば地獄へ堕ちる」というのは、
民衆を教化するためには効果的であったと思われます。
「生前○○をしたものは針の山を登らされる」とかですね。しかし一方、
仏教が戒律で禁じている殺生を生業とする人々に対して、
差別意識が生まれてしまったという面もあると思います。
蛇捕りを職業としている猟師の子どもが鱗を持って生まれてきたとか、
そういう話が中世の文献などに見られるようになります。

さて、地獄といえば、そこを支配するのが閻魔大王ですが、
仏教よりも古くからあるインドの古代思想由来のもののようです。
それが中国を経由して道教の影響を受け、日本に伝わってきました。
ですから、日本にある閻魔大王像は、
中国の官吏のような装束を身につけています。
また、日本では閻魔大王は地蔵菩薩の化身であるという話も加わりました。

それと、面白いのは閻魔大王というのは個人名ではなく、
一つの役職と考えられていたことで、
任期があって交代で務めているという考えが、唐の時代頃にはできていたようです。
優秀・清廉な官吏と考えられていた人物が、死後、
あるいは存命中にも地獄へ召喚され、閻魔大王の役職に任せられるわけです。

日本でも、閻魔大王そのものではありませんが、
地獄の閻魔庁の官吏となって仕事していたとされる人物がいます。
ご存知の方も多いでしょうが、9世紀の小野篁(たかむら)という人です。
Wikiには、「その反骨精神から野狂とも称された」と出ていますが、
遣唐使に任ぜられたものの、乗船を拒否した上に、
時の朝廷を批判する漢詩をつくって隠岐に島流しの刑にあっています。
このときの歌が、百人一首に採られている有名な、
「わたの原 八十島かけて こぎいでぬと 人には告げよ あまのつり舟」ですね。

さて、篁と地獄の話はこんな内容です。
『篁は学生の頃、罪を犯して罰をうけることになったが、
藤原良相という当時の宰相がかばってくれたため、軽い処罰ですんだ。
数年後、良相は重病となり床に伏せっていると、
使が来て地獄に連れていかれた。いよいよ罪を定められる時、
ずらりと並んだ冥官の中に篁がいることに気がついた。
驚いていると篁は目配せをし、閻魔大王に「この方は、正直で人の為になる方です。
今度の罪は、私に免じて許していただきたい」と申し出た。

閻魔大王は「それは本来難しい事だが、篁がそう言うなら許してやろう」と答え、
そこで気がつくと、自分の布団の中に戻っていた。
やがて病気の癒えた良相が参内して篁に会い、このときの話を出すと、
篁は「以前のお礼をしただけです。 ただしこの事は誰にも言わないでください」
と平然と答え、良相は「篁はただの人ではない、閻魔王の官吏なのだ」
と知っていよいよ恐れ、「人は正しくあらねばならない」と、
会う人ごとに説いて回ったという。』
(『今昔物語』などより)

篁が座っていた位置は、冥府の第二席であったという話もあり、
かなり高い地位にいたようです。昼に朝廷で政務をとった後、
六道珍皇寺の境内にある黄泉がえりの井戸から地獄に入り、冥府で二刻ほど仕事し、
嵯峨の清涼寺横、薬師寺境内の井戸からこの世に戻ったと伝えられています。
六道珍皇寺は、京都市東山区にある臨済宗のお寺で、黄泉がえりの井戸も
現存しています。もちろん、この逸話は史実ではないでしょうが、
篁=冥府の官説 は室町時代頃までには定着しているようです。
陰陽師の安倍晴明ほどではないにしても、
篁も現代のいろいろなフィクション作品で取り上げられていますね。

六道珍皇寺『黄泉がえり之井』


さてさて、六道(ろくどう りくどう)というのは、
「天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道」の6つを指しています。
それぞれについての解説はしませんが、これらはすべて、
成仏していない者の姿とされます。天道には天人が住み、
寿命は長く、自由に空を飛べるなど楽しく一生を過ごすのですが、
仏教に出会ってはいないため、最終的な解脱はできない存在です。
よく天の羽衣などと言いますが、これは天人の着るものを指してのことです。

現代の仏教では、この六道というのは、そういう場所があるわけではなく、
その人が今置かれている心の在りようを指す、と説かれるようになってきています。
修羅道にいる人間は、つねに争いの中に身を置き、怒りに身をまかせ、
相手を倒すことだけを考えているような状態。餓鬼道にある人間は、
あれも欲しい、これも欲しいと自分の欲望に溺れている状態。
ですから、地獄道もまた、生きた人間の心のうちにあるものだと
考えてもいいのかもしれません。罪を犯し、
それによってつらい責め苦を受けている状態ということでしょうか。

閻魔大王






白面地蔵の話

2016.06.04 (Sat)
これ、私が8歳くらいのときの話なんです。ですから、記憶違いもあるでしょうし、
何より、当時はまるで意味がわかってなかったことが、
年月がたつにつれて、おいおい理解されてきたものなんです。
そのことをあらかじめご承知おきください。
何から話を始めればいいでしょうか・・・そうですね、
私の住んでた町には川をはさんで2つのお寺があり、どちらも同じ宗派でしたから、
大きな法要を営むときなどは、ご住職が互いに行き来し協力して行っていました。
私の家では川の南側のお寺が旦那寺で、そこに墓所もありましたので、
お盆やお彼岸時にはいつも親に連れられてお参りしていたものですが、
数年に一度は、川向うのお寺にも出かけました。
これは親族のお墓がそちらにあったためです。

そのときに、「黒の幕屋」というのを見かけました。
川向うのお寺は小高い岡にありまして、その崖から川原が見下ろせたのですが、
堤防の突端のところに、板屋根の細長い建物があったんです。
それが黒の幕屋と呼ばれているものでしたが、名前の由来は、
四方につねに黒い幕がかかっていたためです。
いつだったか母に、「あれは何?」と尋ねたことがありまして、
そのときに「あれは白面地蔵様をお祀りしている場所だよ」と教えられました。
「白面地蔵って?」重ねて聞くと、母はちょっと困ったような顔をしましたが、
「お顔のないお地蔵様」こう答えてよこしました。
「なぜお顔がないの?」子どもですからそう聞きますよね。
すると母は、「最初からお顔を彫らないから」とわざと見当はずれのことを言い、

この話題が出たのを後悔するかのように押し黙ってしまったんです。
それで、私の隣の家に、美咲ちゃんという3歳の女の子がいました。
私は先程言いましたように8歳でしたから、ずいぶん歳は離れていたのですが、
仲がよくて、小学校から帰った後などよくおままごとをして遊んだものです。
歳のわりに体は小さかったのですが、よくしゃべる利発な子だったと思います。
それがある日、走って門を出たところで、
配達の軽トラックに跳ね飛ばされて亡くなってしまったのです。
即死でした。ええ、完全な飛び出しによる事故ですから、
相手の車を責めることはできません。まだ20代後半だった美咲ちゃんの母親は、
葬式や火葬の間中泣いて泣いて、それは悲痛な様子だったのを覚えています。
ええ、私も泣きましたし、人の死ということを初めて身近に感じ、

ずいぶん怖ろしい思いもしたのです。あれほど跳ねまわっていた子が、
学校から帰ってきたらもうどこにもいないのですから。
49日が過ぎてから、形見分けとして美咲ちゃんの持っていた人形などを
いただいたのですが、何だか怖いような気がして、
それで遊ぶことはなく、箱にしまって部屋の本棚の上にずっと置かれてありました。
今でもありますよ。美咲ちゃんの母親は半年が過ぎても元気がなく、
まるで半病人のような状態で、家にこもったきり外に出なかったんです。
たまに私と会ったときも、すごくよそよそしい態度で、
こちらの顔を見ようとしませんでした。私の家族はもちろん心配し、
母がよく町内の行事などにさそったりしていたのですが、
出てくることはありませんでした。おそらくひどい鬱だったのだと思います。

美咲ちゃんにはもちろん父親もいましたが、忙しかったらしく、
あまり近所づき合いはなかったのですが、美咲ちゃんが亡くなって以来、
ますます帰りが遅くなり、朝に出かけるときに見かけても、
何日も同じスーツやネクタイをつけていることが多くなったのです。
ええ、隣家からは夜遅くに、怒鳴り声が聞こえてくるようになりました。
それで、美咲ちゃんの事故から1年がたとうとした頃ですね。
夕方、家の前で朝顔に水やりをしていると、隣の家の前にトラックが止まってました。
荷台のところに見たことのない紋章がついていたのを覚えています。
トラックは木組みや、祭壇のようなものを積んでいまして、
その中にお地蔵様が一体ありました。高さは8歳の私の胸までくらいでしたから、
そう大きなものではありません。ただ、普通は赤いはずの頭巾が、

黒になっていたのは子どもの目にも異様に感じられました。そのときは
後ろ姿だったので、ないと言われているお顔は見えませんでした。
やはり黒い作務衣のようなものを着た人たちが、木材をどんどん隣家に
運び込んでいまして、それを美咲ちゃんの母親が玄関先で見守っていました。
そのとき私の家から母が出てきまして、垣根ごしに近づいて、「ちょっと○○さん、
 あなた黒川衆の顔なし地蔵さんをお祀りする気? 
 悪いことは言わないからやめなさいよ。あんたまだ若いんだから、
 こう言っちゃなんだけど、子どもはまたつくれるじゃない。顔なしさんやったら、
 お墓のあるお寺から出て行かなくちゃならないし、
 旦那さんとだってうまくいかなくなるよ」正確ではありませんが、
だいたいこんな内容のことを言ったんです。

すると美咲ちゃんの母親は、「いいんです。もうこれしかないですから」
そう言って家の中に走りこんでしまいました。そして、美咲ちゃんの家の庭に、
あの堤防にある黒の幕屋の五分の一の大きさほどのものが出来上がり、
美咲ちゃんの母親は、毎日そこにこもってお祈りをしているようでした。
それからはあっという間でした。美咲ちゃんの父親が、
他所に女性をつくって家を出てしまい、離婚ということになったのですが、
美咲ちゃんの母親は慰謝料として、その家をもらいうけたようでした。
私の母は、この一連の出来事を話すつど、いつも顔をしかめて首をふっていました。
隣家とのつき合いはなくなり、美咲ちゃんの母親は、スーパーでわずかな食材と、
おそらくお供えの花や菓子を買う以外、外出することはなくなりました。
私が、隣家の庭の黒の幕屋について興味津々でしたが、

何か質問するような雰囲気ではなく、それどころか、
「あれに目を向けちゃいけないよ」とまで言われていたのです。
お盆を過ぎたあたりのころです。私の家では墓参りを済ませ、
母は毎夜、町内会の盆踊りの会に通っていました。
私は夏休み中で、ときおりは美咲ちゃんのことを思い出すものの、
プールに通ったり、同学年の子の家に遊びに行ったりと、
長期休業期間を満喫していました。そんなある夜のことです。
9時半頃でしたか。盆踊りに出ている母を迎えに出たのです。会場は、
町内にある銀行の駐車場で、夜だけそこに移動式の櫓を立て、
その回りで盆踊りが行われていまして、私は浴衣を着て、
母についていく日もありましたが、そのときは家で好きなテレビを見ていたのです。

会場にはいくつか屋台も出ていて、帰りにそこで何か買ってもらえるのを
楽しみにしていました。家を出ると、隣家の庭でちらとらと
黄色い光が揺れているのがわかりました。道路にまで光の影が落ちていたのです。
何だろう、と見ると、黒い幕の中にかなり強い黄色の光があり、
かすかに読経の声が聞こえてきました。美咲ちゃんの母親の声だと思いました。
幕の合わせ目に隙間があり、そこから光が漏れているのでした。
もう行こうとしたとき、幕の間からぬっと丸いものが出てきました。
白面様、顔なし地蔵さんでしたが、、正面から顔を見たのは、
そのときが初めてでした。もちろん石製でかなり重いはずなのに、
それを両手で抱えて、よろめきながら美咲ちゃんの母親が出てきました。
そして、やはり重さに耐えかね前のめりに転んだのですが、

そのときお地蔵様の顔がこちら向きになったのです。
目を閉じていましたが、事故で死んだ美咲ちゃんの顔だと思いました。
芝生の上に落ちた地蔵様はそのままズンと倒れて転がりました。
「美咲ー」という悲鳴を上げて、美咲ちゃんの母親がそれを起こそうとしていました。
ガリガリと石を爪でひっかく音が私のところまで聞こえ、
私は息を飲んで立ちつくしていたのです。
やがて、美咲ちゃんの母親はその上に覆いかぶさって泣き出し、
私の肩に手が置かれました。はっとして見上げると早めに帰ってきた母でした。
母は首を振り、何も言わず私の顔を持っていたうちわで覆うと、
背中を手で押すようにして家の中に入れました。私が家に入っても、
美咲ちゃんのお母さんの泣き声は、ずっと続いていたのです。 ・・・終わります。

はかかおおsじいい





矢立神社

2016.06.03 (Fri)
こんばんは、よろしくお願いします。小学校5年生です。
父は、○○神社というところで神主をしていて、これまであった出来事を、
こちらで話してくるように言われたんです。
始まりは、学校の総合学習の時間でした。そのとき、
僕たちのクラスはコンピュータ室で探求学習をしてました。
5年生のテーマは「将来の夢」で、自分がなりたい職業について調べる活動
だったんです。それで、僕は長男なので、将来、
父の跡を継いで神職になることは決まっていました。ですから、
どうやったら神主になれるかとか、神主にはどんな位があるかを、
神社本庁のホームページで調べていたんです。
そしたら、どこをクリックしたかわからないうちにリンクへ飛んで、

ドーンと大きな赤い鳥居に画面が切り替わりました。まあでも、
神社のことを調べてるんだから、鳥居が出てくるのは変じゃないですよね。
だけど、その鳥居の下に僕の名前が縦に書いてあったんです。
それは不思議ですよね。どうしてわかるのかと思いました。
鳥居には扁額がついてて、そこに「矢立神社」と書かれてました。
画面は一瞬フリーズしてたみたいで、カーソルが消えてましたが、
キーボードのあちこちを押していると、画面が動いたんです。
スーッと僕の名前が消え、同じ場所に「こよいやたてをもちていねるがよい」
こう平仮名で出てきたんです。これ、なんとなく小さな声で読んでみました。
すると、プツンと音がして電源が落ちてしまい、
どうやっても回復しないので、先生に来てもらって再起動したんです。

そしたら元に戻ったんですが、もう一度ネットにつないで、
神社本庁のさっき見てたページに入っても、
その矢立神社へのリンクを見つけることができなかったんです。
その日、家に戻りまして夕食のときのことです。
あ、僕の家は父のいる神社のすぐ近くにあって、神社に何人もいる神主さんが
一軒ずつ住んでいる官舎みたいなところなんです。
父に、矢立神社の話をしてみました。すると父は「ふーん」という顔で、
僕の話を興味深そうに聞いてたんですが、「こよいやたてをもちて・・・」
のところにくると、ますます面白そうな顔になり、
「矢立というのは、昔の人が旅先なんかで使う筆記用具で、
 細筆と墨の壺がセットになったものだ。矢立神社の話は聞いたことがある。

 それは夢の中に現れてお告げをしてくれるところだと考えられているな。
 お前、今夜寝るときに矢立を準備しておけと言われてるようだぞ。
 うーん、家に矢立はあるけれど、お前には筆字は難しいだろうから、
 紙とマジックでいいんじゃないかな。お父さんが用意しておいてやるから、
 それをベッドの手が届くところに置いて寝てみなさい。ああ、それから、
 お賽銭がいるかもしれんな」こう言って、財布から1万円札を出し、
「これをパジャマのポケットに入れておきなさい」と、
4つ折にたたんで渡してよこしました。いえ、怖いということはなかったです。
神社なんだから、悪いものだとは思えないし、本当にお告げなんてものが
あるのか、夢を見るのがすごく楽しみでした。
それで、その夜は早めの10時ころにはベッドに入ったんです。

夢を見ました。あの学校で見た大鳥居が目の前にあったんです。
パソコンに出てきたのは平面的でしたが、夢の中のは見上げるくらい高かったです。
はい、父のお仕えしてる神社の倍もあるんじゃないかと思いました。
やはり「矢立神社」という扁額がかかっていましたが、
ほとんど真上に近くまで首を上げなくてはなりませんでした。
玉砂利の真っ白な参道を歩いていき、手水場で作法どおりにお清めをしました。
そのときに、はっと気がついてパジャマのポケットをさぐると、
父がよこしたお札が入っていたんです。境内には誰一人としておらず、
ものすごく広くて、端のほうは雲がかかったようになっていました。
そこを一人で歩いていくと、境内のわりに小さい拝殿が見えてきて、
扉が開いていたんです。でも、中の様子は暗くてわかりませんでした。

お賽銭箱にお札を入れ、鈴を鳴らしてから手を打って礼をしました。
そしたら、中から1mばかりの赤い顔の人形が出てきました。
烏帽子をかぶって神主さんの服装をしてましたが、
人形だということはすぐわかりました。黙ってみていると、
人形はぎこちない動きで懐から黒マジックを取り出しましたが、
それは僕が枕元に置いたのと同じでした。さらに折った紙を取り出して広げ、
立ったままマジックで何やら書いて、僕に渡してよこしたんです。
お賽銭箱ごしにこれを受け取ったところで目が覚めました。
するともう朝になってたんです。時計を見ると午前6時ぴったり、
その日は土曜日で学校がなかったので、そんな早く起きる必要はなかったんですが、
枕元の紙が気になって起き出したんです。

ええ、マジックで前の晩にはなかった字が書かれていました。
それには、「よつのかしわのした ほうけんをもちいよ」とあったんですが、
これ、僕の字にそっくりだったんです。はい、僕は字が下手で、
父に、来年から書道習いに行けって言われてました。
紙を持って父のとこに走ってくと、父はもう装束をつけて神社に出仕する準備を
してました。ええ、土日も休みではないんです。
紙を手にとって「ほう、これがお告げか。なに、宝剣? うーむ、
 とすればあまりよいことではないのかもしれんな。ご縁があるようだから、
 お前もいっしょに来い」こう言われ、着替えて社務所についてったんです。
父はしばらく宮司さんが出てくるのを待ってから、
僕のほうを手で指して事情を話し、宮司さんに紙を見せました。

宮司さんは「はてはて、矢立神社。それはなつかしい。私も子どもの頃に、
 何度かお参りしたものだ」こう言い、続けて「よつのかしわは、杜のご神木の
 四番目の樫の木ということかな。じゃ、宝剣を用意しよう」
宝剣を社殿からとってこられたんですが、それは白木でできた木製のものでした。
宮司さんが先頭に立ち、父がシャベルを持って次に続き、その後が僕。
神社の杜入って、拝殿に近いところから樫の木を数えて4本目、
その前に立ったらなんだか背中がぞくぞくしました。
樫の木の幹の色が他のより黒っぽく感じられ、茂った葉も、
元気がない感じがしたんです。宮司さんは「ははあ、呪がかかっておるか。
 うかつにも気がつかなんだ。○○禰宜、根元を掘ってください」
そう父に言い、父が袖にたすきをかけて根元を掘りはじめました。

そうですね、20cmほども土をのけたところで、
赤い木の箱が出てきたんです。平べったくて、お菓子の箱くらいの大きさでした。
宮司さんは父に開けるように言い、父は懐から小刀を出して、
箱にかかっていた紐をブツブツと切り、ゆっくりと蓋を開けました。
中には・・・大きな毛虫が入っていたんです。そうですね、ペットボトルの500ml
くらいの長さで、黒い毛がフサフサとして、その中に真っ赤な縞が入っていました。
ものすごく気持ちが悪かったです。毛のない赤い部分と黒い毛の部分が交互になって、
毛虫は生きて左右に動いてましたから。宮司さんは「この子がお使いのようだから、
 破ってもらいましょう」そう言って僕に宝剣を持たせて祝詞を唱え始めました。
とまどっていたんですが、父が目でやれ、という合図をしたので、真上にいって、
宝剣の先をぶつりと毛虫に突き刺しました。

すると、木の剣なのにずぶずぶと刺さって、
毛虫が動くたびに、黄色い油のような汁が箱の中にこぼれたんです。
はい、すごく嫌な感触がしました。でも剣を両手で持ち、
体重をかけて押し込んでいくと、オオオーンと毛虫は鳴いて、
全体が黄色い粉になってばっとあたりに散らばったんです。
父が僕の胸に手をかけて後ろに押し、宮司さんは祝詞をやめて、
装束の袖で粉をバタバタあおぎました。やがてそれが消えると、毛虫も、
あれほど撒き散らされた黄色い油もなくなってて、ただ箱だけが残ってたんです。
「うむ、これは誰がやったのか調べねばなるまいなあ。
 困った世の中になったものだ」宮司さんはそうつぶやいてから、僕の頭をなで、
「よくやったな。が、矢立神社に行くことはまたあるかもしれんぞ」と言われたんです。








スライダーの話

2016.06.02 (Thu)
えー今日は、何に分類していいのかわかりませんが、
オカルトの話なのは間違いありません。「スライダー」という語を聞くと、
みなさんは何を連想されるでしょうか。野球フアンなら、
速いカーブ系の変化球と答えられるかもしれませんが、オカルト的には、
「Slider」は「Street Lamp Interference Data Exchange Receiver(s)」
を指す場合が多いんですね。これ、意訳すると、
「道の街灯を次々と消していく人々」とでもなりますか。
要は、電気人間ということです。

世界には、オカルト界では知られた電気人間が何人もおり、
自分の意志だけで、自在に照明をつけたり消したり、ステレオやテレビの
ボリュームを上げたり下げたり、チャンネルを変えたりできると言われています。
略さないほうで検索すると、youtubeで動画がいくつか見つかります。
(Sliderで検索すると工具が出てきます)
興味を持たれた方は参照してみてください。

「幽霊の発生する原因は、人間の発する生体的な電気力である」とする説は
昔からあります。ここでは「電気力」というあいまいな語を使いますが、
これは電気に関するさまざまな現象・概念をすべて説明しても煩雑だし、
退屈だろうと思うからで、その点はご理解ください。
人間が死ぬ間際に、強い電気力が放射され、
それが空中に残って他者に影響を与え、幽霊の姿を見せる・・・

しかしどうなんでしょう。たしかに人間は微弱な電気力を発しますが、
それを言うなら、この世は電気力に満ちあふれているわけですよね。
テレビ電波、携帯電話の電波、変電所、高圧電線などなど、
空中にさまざまな電波が飛び交ってる中でわれわれは生活しているわけです。
みなさんの目の前のPCだってかなりの電磁波を出してますし、
そもそも可視光線も電波の一領域です。

それに静電気も、目に見えないだけであちこちで発生しています。
人体にそれがあるのは、髪の毛を下敷きでこすってみればわかりますし、
金属のドアノブをつかんだときにバチッとくるのも、静電気の力です。
べつに生体でなくても、何かの部分が風でバタバタあおられて
動いてるようなところなどには、
自然の静電気がたまっていておかしくありません。
そんな中で、人間が発する微弱な電気力が、
どれだけ効果的に幽霊の姿を見せることができるかは疑問があります。

あと、怖い話を書く場合や心霊スポットを訪れた際に、
電気的、機械的な障害が起きるという話もよく聞かれます。
怖い話を書いて保存しようとしたら、ファイルごと消えてしまった。
心霊スポットで写真を撮ったスマホが、なぜか完全にブラックアウトした。
廃墟を訪れたロケ隊の照明やカメラに、原因不明の不具合が続く。
インタビューして録音したはずの話がなぜか入ってない。
ま、こんな感じのことですね。これは、偶然という場合が多いでしょうし、
話を盛ってるんじゃないかとも疑われますが、
しかし、中にはどうやっても説明のつかない現象もあるかもしれません。

さて、ご紹介するのは「江戸の電気人間」こと弥五郎です。
「抱きつき弥五郎」とも呼ばれていて、浮浪者であったという説や、
大老酒井忠勝の家臣であったとする話もあります。
とすれば江戸初期の17世紀ころの人なのでしょうが、
姓がわかっていないのは、身分の低い下人だったのでしょうか。
こんな話が伝わっています。

弥五郎が自らの電気力に目覚めたのは、少年時、
荒川の氾濫で母親が溺死してしまった。悲しんだ弥五郎は、
一夜中、母親の冷たくなった死骸に取りすがって泣いた。
すると翌朝、母親が生き返ったんですね。これ以来、弥五郎は頼まれれば
病気治療をするようになりましたが、軽い病人には医者に行くよう勧め、
生き死にの重病者でないと力を発揮することはなかったとされています。

また、「抱きつき」という名がついた由来は二つあり、
一つは、裸になって隅田川に入り、
大鯉を抱きかかえて生け捕りにしていたことから。
鯉は弥五郎にさわられると、しびれたように動かなくなってしまうのです。
もう一つは、身長2m以上の丸山という当時の相撲の関取が酒に酔って暴れ、
手がつけられない。ところが弥五郎が背後から忍び寄って抱きつくと、
丸山はぶるぶる震えだし、ばったりと倒れて気絶してしまった、
こういう話からきています。

さてさて、電気ウナギなどは、解剖して調べれば、
発電する仕組みがはっきりわかりますが、人間はそうなっていません。
ですから、これが本当ならスゴイ話なんですが、
残念ながら、これ、出典は大正時代の小説なんですね。
江見水蔭の短編小説『鯉を抱く男』に出てくる話のようです。
なーんだ、と思われたらすみません。

元ネタとしては、実際に酒井忠勝が記した『仰景記』には、
『家光将軍の治世に「抱きつき弥五郎」と呼ばれる乞食がいた。
往来で町人の女性などに抱きつき、金を無心する。
それ以外にはとくに悪いことをしないが、困り者だとして町奉行に訴えられた。
しかし適当な処分が見つからないので、将軍家光まで話が行ったところ、
「天下太平の印だ」と一蹴された。』
こういう記述があるようです。
おとがめなし、ということなんでしょうね。

これはこれで、当時の時代の雰囲気を感じさせて面白いですが。
このことをヒントにして、小説家が話を広げていったのかもしれませんし、
実際に、江戸時代にそういう噂が流れていたのかもしれないです。
どうやってこの手の逸話が生まれるのかを考えれば、
自分なんかは、興味深いなあと思いますね。では、このへんで。