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秘密

2017.10.13 (Fri)
中学校3年のときの話だよ。俺は中高一貫校に行ってて、だから受験もなくて、
部活は引退してたから、毎日放課後は仲間と遊び暮らしてたんだ。
でな、その日、同じクラスのやつが2人俺んちに来たんだよ。親は留守だった。
一人は松井っていう部活のときの仲間で、もう一人は滋賀っていうやつだった。
この滋賀は夏休み後に転校して来たんだよ。
だから友だちもいなくて寂しいだろうってんで、その頃たまに誘ってたんだ。
で、3人で俺の部屋に入ったけど、やることはゲームしかねえ。
あとはマンガ読んだりとか、勝手にバラバラにしてたな。
今のガキだってそんなもんだろ。そのうち1時間くらいたって、
なんだか腹が減ってきたんだよ。それで2人に、
ポテチとジュース買いにコンビニ行かないかって誘ったんだ。

そしたら松井は行くって言ったけど、
滋賀は「ゲーム、今、いいとこだから」って
コントローラー離さなかったんだよ。それで2人でコンビニ行ったわけ。
ああそれで、俺んちはその頃、犬飼ってたんだよ。トイプードル。
おとなしいけど人懐っこいやつで、名前はジョンっていった。
で、俺もそれなりにかわいがってたんだ。そいつが部屋の中にいたけど、
滋賀と残して、コンビニに行ってきたんだ。
そしたら家に入った階段のところで、
ジョンがギャンギャン鳴く声が聞こえてきてな。
そんな声出すことはなかったんで、小走りに部屋に入ったら、
滋賀が小さな犬の上に馬乗りになって、両手で首絞めてたんだ。

「あ、おい何してる! やめろ!」俺はあわてて滋賀の背中に飛びつき、
後ろから手をつかんでジョンから引き離したんだ。
「何だよ! 何やってるんだ、ジョンが噛んだのか?」滋賀にそう聞いたら、
やつは息をはずませながら、
「今よう、この犬しゃべったんだ。それも俺の大事な秘密を」
こんなことを言い出した。でも、犬がしゃべるわけないだろ。
それで、滋賀はゲームのやりすぎで錯乱したんだと思うことにした。
で、その場は白けた感じになって、遊ぶのをやめて解散したんだよ。
ああ、ジョンは大事なかった。2時間くらいは喉のあたりを気にしてたけど、
夜になった頃には普通に戻ってたな。ああもちろん、
ジョンがしゃべったりすることはなかったよ。

これがあって、俺も松井も、滋賀とは遊ばなくなったんだ。
そうすると学校に友だちはいないから、いつも一人でいるようになった。
それから1ヶ月くらいたって、
俺が一人で帰ってたら道の前のほうに滋賀がいて、
横の塀を向いてなんか大声を出してたんだ。
「こら、しゃべるな。俺らの秘密をなんでしゃべるんだよ!!」って。
それでジョンのときのことを思い出したんだが、滋賀の目線の先の塀の上に、
ノラ猫が一匹いたんだよ。猫に向かって怒鳴ってるとしか見えなかった。
そうしてるうちに、滋賀は塀に走り寄って猫のしっぽをつかもうとし、
猫は向こう側に飛び降りて逃げってたんだよ。
それで「ああ、こいつはやっぱ危ないやつなんだな」って思って、

俺はその場から離れて道を変えた。動物が話をするわけはねえし、
だいいち、滋賀の秘密ってのがあるとして、
犬や猫がそんなことを知ってるはずもねえしな。
それから10日くらいして、滋賀は学校に来なくなった。
不登校になったんだよ。やっぱ精神を病んでたんだな、
くらいにしか思わなかったけど。
で、さらに2ヶ月ほどたって、次の年に入ったころ、
友だちから滋賀の噂を聞いたんだよ。あいつ猫殺しをしてるみたいだって。
そいつは滋賀の家族が入ってる市営住宅の近くに住んでたんだが、
日曜日に、滋賀が団地と団地の間のせまい通路で、
高価そうな金網のワナで猫をとってるのを見たんだ。

で、金網に入った猫を布袋に移して、猫が暴れるのもかまわず、
袋ごと何度も団地の壁に何度も叩きつけ、だんだん袋が赤く染まっていって・・・
それ以外にも、これは殺してるとこを直接見たわけじゃないけど、
そいつの家のまわりで猫のむごたらしい死体をよく見かけるようになり、
これもやっぱ、滋賀がやってるんだろうと思うって言ってたな。
え、滋賀の家族? いや、わかんねえけど、
両親はそろってたと思う。でも、市営住宅に入ってるんだから、
たいした仕事はしてなかっただろ。
でな、3月になって、もうすぐ中学は卒業ってときに事件は起きたんだ。
ホームルームで帰りの会をしてるときに、突然滋賀が入ってきて、
担任を押しのけて、教壇の前でしゃべりはじめたんだよ。

泣くようなかすれた声だったけど、何を言ってるかはわかった。
「俺と家族の秘密を知ってる犬猫がこの町でも100匹をこえた。
 秘密を知ってる犬猫が100匹をこせば人間にもばれてしまう。
 そうすればまた転校だ。こんなのは俺はもう嫌だ」
だいたいこんな内容だったな。で、滋賀はスタスタ窓のほうに近寄っていき、
サッシを開けてベランダに出ると、
あっさり手すりを乗りこえて飛び降りたんだよ。
ああ、担任もとめる隙がなかった。すぐに下でゴッツンみたいな音がしてな・・・
教室は3階だったけど、滋賀はプールの飛び込みみたいに頭から落ちたから、
助からなかった。ほぼ即死に近かったみたいだ。
それで学校中大混乱になって、警察や救急車も来たんだよ。

それで、その夜のことだよ。
夕食のときに俺が学校であったことを話したんだよ。
そのときにはソファの上にジョンもいた。
母親は他の保護者から電話がきたみたいで滋賀の自殺のことを知ってたけど、
父親のほうはかなり驚いてたな。
俺は「お前も悩みがあったら一人で困ってないで誰かに相談するんだぞ」
みたいなことを言われて、夕食を済ませて自分の部屋に行った。
んで、ベッドに寝転んでマンガを読もうとした。
したら、いつのまにかジョンが部屋に入ってて、
ベッドの俺の足元によっこらせと登ってきた。
いつものことだから、そのままにしてマンガを読み続けたら不意に、

「死んだのか、あんな秘密を持ってりゃ当然だな」こんな声が聞こえた。
なんかアニメの声優がやってるようなかわいらしい声だった。
「えっ!」思わずマンガ本をとり落としてそっち見たら、
きょとんとした顔でジョンがいるだけだったんだよ。
「え? え? 今しゃべったのお前か?」
けど、ジョンは舌を出して、甘えたそうな顔をしてるだけでな・・・
ああ、それからは1度もジョンがしゃべるのを聞いたことはねえよ。
だから俺の聞き間違いだったと思うしかないんだが・・・
ジョンはそれから10年以上生きて死んだよ。でなあ、やっぱ気になるだろ。
滋賀の言ってた秘密ってやつ。もし、もし本当にそういうのがあったんだとしたら、
いったいどんなことだったんだろうな・・・って。








機械の怪談

2017.10.13 (Fri)


えー今回のネタはこれです。機械の怪談、これって難しいんですよね。
なんでかというと、SFになってしまいやすいからです。
例えば、機械人間という語があって、これを「ロボット」と訳してしまうと、
それはSFの世界です。ホラーだったら、ここはどうしても「オート・マタ(自動人形)」
としたいところです。オート・マタはヨーロッパでは12世紀ころから長い歴史があり、
都市の広場の時計台で鐘を鳴らしたりする人形もオート・マタの一種です。
これは日本ではからくり人形といって、
お茶くみする子どもの人形などが有名ですよね。

ロボットとオート・マタの違い。自分の独断と偏見でいえば、
それは動力にあるのではないかと思います。ロボットは電力や原子力で動きますが、
オート・マタはぜひともゼンマイで動いてほしい。
ゼンマイ動力は長時間持ちませんので、切れたらまたキリキリと巻く。
そのあたりが古きよきオカルト世界を感じさせるのです。
あと、ロボットは作られた目的を果たすことができれば、
人間に似てなくてもいいわけですが、オート・マタは人間を模したもの
でなくてはなりません。そういう意味で、アンドロイドの概念のほうが近いかもです。

さて、自動人形が出てくる作品といえば、E・T・ホフマンの『砂男』です。
ちなみに砂男というのは西欧の伝説で、子どもを眠らせるために、
夜、目の中に砂を入れにやってくる妖精のようなものです。
そして砂を入れられた目はゴリゴリして目玉が取れてしまう場合もある。
ホフマンの砂男には、目玉が取れるモチーフがくり返し出てきますね。
で、その登場人物の一人が自動人形オリンピア。
主人公のナタナエルはオリンピアの姿を望遠鏡で見て恋に落ちるものの・・・
でもこれ、怪奇小説なんでしょうかねえ。たしかに怪奇小説集に入ってたりしますが、
幻想文学に近いものだと思います。

あと、オート・マタについては、ポーが『メルツェルの将棋差し』
という短編を書いていて、これも怪奇小説ではなく、
18世紀に実在したチェスを指す自動機械人形「トルコ人」を見て、
ポー自身がそのしくみを推理して論評を加えたものです。
ポーは、チェスの指し手は機械が選ぶのではなく中に人が入ってるのだと見抜き、
人がどこに隠れているかを考えます。
チェスの場合、現在、人間はAIにまったく勝てなくなってしまいましたが、
そんな未来をポーは予想できていたのでしょうか。

日本の作品にもオート・マタは出てきて、荒俣宏氏の『帝都物語』には、
「学天則」というのが登場します。地下で怪物相手に大活躍しますね。
これは、昭和3年、昭和天皇即位を記念した
大礼記念京都博覧会に大阪毎日新聞が出品したものです。
「東洋初のロボット」という評価がありますが、腕を動かしたり、
表情を変えたり、字を書いたりするなどの仕組みはオート・マタに近いものです。

機械の怪談というと、あとはそうですね、
スティーブン・キングの原作で映画になった『マングラー』。
B級なんでしょうが、自分は面白く見ました。
マングラーとは何かというと、クリーニング工場にある巨大プレス機です。
これが、ふとしたことで人間の血や胃薬の成分のベラドンナを吸い込んでしまい、
悪魔がとり憑いて人を食い始めるという破天荒な内容でした。
最後のほうで、マングラーは自分で動き出し暴れ狂います。

『マニトウ』という映画もありましたね。『エクソシスト』の大ヒットで、
それ系の映画がたくさん作られたのですが、その中では一味違ってました。
ある女性の首の腫瘍が動き出し、中にはネイテイブ・アメリカンの悪霊、
ミスカマカスが入っている。この復活を阻止するため、
主人公らは善の精霊マニトウを集めて戦うのですが、
その中には、当時出はじめたばかりのコンピュータの精霊も入っていて、
B級はB級ですが、かなり斬新な内容になってました。

なんか作品を羅列して紹介するだけになってましまいました。
日本のホラーだと、小林泰三氏がこのあたりのテーマにこだわりを持っており、
機械と人間、物と心の違いを考えさせるような作品が多いです。
短編で『少女、あるいは自動人形』というのを書かれていますが、
これは、人間とまったく変わらないほどの精巧なオート・マタを、
試験で見抜くことができるか、というお話でした。









三角縁神獣鏡と卑弥呼の鬼道

2017.10.12 (Thu)


こないだ「箸墓と倭迹迹日百襲姫」という記事を書いたら、かなりの反響があり、
古代史への一般的な関心は薄れてると思っていたので意外に感じました。
今回はこのお題でいきますが、自分は邪馬台国畿内説の立場で書きますので、
その点をお含みおきください。
まず、三角縁神獣鏡とは何か?ということですが、すべてを書くとなると、
本が一冊できてしまうので、ここでは概要だけにとどめます。

これは古墳時代初期の遺跡から多く出土する鏡です。面径は平均20cm程度。
魏の単位で9寸から1尺にあたります。この時代、中国の鏡は手でつり下げて
化粧などに用いる日用品でしたので小さく、
三角縁神獣鏡はそれよりずっと大きいことになります。葛洪が317年に書いた
神仙書『抱朴子』には、径9寸以上の鏡を用いれば神仙に出会うことができる、
といった記述があり、もしかしたらそのことを踏まえてわざと大きな鏡を
用いていたのかもしれません。多くが凸面鏡であり物を映して見るのには適しません。

三角縁神獣鏡は古墳内部の副葬品として出土することがほとんどで、
明らかに葬具(葬送に用いて墓に埋納するもの)であったと考えられます。
日本全国で現在500枚以上の出土があり、
そのうち半数以上が近畿地方です。ついで多いのが九州地方ですが、
近畿の三分の一以下の数ですね。また、はっきりした三角縁神獣鏡は、
中国では出土していません(最近、発見はありました)。  関連記事 『三角鏡中国で出土?』
そもそも三角縁の鏡自体、中国での出土は数えるほどなのです。

さて、三角縁神獣鏡の「三角」の部分は縁の断面が三角であることからきていて、
上記のように中国鏡には見られない特徴です。「神獣」は神仙界に住む想像上の動物、
その他に仙界の神である、西王母・東王父が描かれています。
三角縁神獣鏡には魏の年号(景初三年、正始元年)を銘文に持つものがあり、
(魏の年号を持つ鏡は他にもあり、景初四年の銘があるのは斜縁盤龍鏡 )
景初三年(239年)は、卑弥呼が魏に遣使したとされる年です
(卑弥呼の遣使は景初二年説もある)。

次に、卑弥呼の鬼道についてみてみましょう。
「其の国、本亦男子を以て王と為し、住(とど)まること七・八十年。
倭国乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王と為す。
名づけて卑弥呼と曰ふ。鬼道に事(つか)へ、能く衆を惑はす。
年已(すで)に長大なるも、夫壻無く、男弟有り、
佐(たす)けて国を治む。王と為りしより以来、見る有る者の少く、
婢千人を以て自ら侍せしむ。唯、男子一人有り、飲食を給し、辞を伝へ居処に出入す。
宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人有り、兵を持して守衛す。」

(その国はもとは七〇~八〇年の間、男子を王としていたが、倭国は乱れ、
長い間お互いに戦いあった。そこで一人の女性を共立して王とした。
その名を卑弥呼という。鬼道を用いて民衆をよく惑わし従えた。
年は高齢で夫はいない。男弟がこれを助けて国を治めている。
王となってから卑弥呼の姿を見たものは少ない。
侍女千人を仕えさせている。ただ、男子が一人いて飲食を給仕し、
その言葉を伝えるために王宮に出入りしている。宮室、楼観、城柵が
厳重に整備され、つねに人がいて兵として守護している。)


卑弥呼の鬼道とは何か?説は3つくらいありますね。
① 神が憑依してその言葉を伝える北方的なシャーマニズム
② 先祖の霊、首長の霊を祀る宗教祭祀
③ 初期の道教(神仙思想)

これ、昔は①説が多かったんです。②で「鬼」というのは中国では死者の霊魂
という意味もあります。③は最近、主張する人が多くなってきました。
『三国志』で他に「鬼道」という言葉は、
五斗米道(初期の教団道教)の指導者であった張魯の評伝で出てきますので、
鬼道が道教のことを指しているという意見も、十分根拠はあると思います。

ここからは前回同様Q&Aでいきます。

Q;三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏からもらった銅鏡100枚なのですか。

A;そうは思いません。1997年に発掘調査された黒塚古墳では、
画文帯神獣鏡が被葬者の頭のところに1枚置かれ、三角縁神獣鏡32枚は、
壁と棺のわずかな間に立てられていました。このあつかいの違いから、
三角縁神獣鏡の一世代前の鏡である画文帯神獣鏡のほうが、
卑弥呼の鏡にふさわしいと考えます。画文帯神獣鏡はやはり近畿地方で多く出土し、
図像も三角縁神獣鏡と多くの共通点があります。

Q;三角縁神獣鏡は中国製ですか、国産ですか?

A;昔は三角縁神獣鏡のうちでも初期の中国鏡(舶載鏡)と、
後期の国産鏡(仿製鏡)に分ける意見があったんですが、最近の研究から、
全部が中国製か全部が国産であるのではないかという見解が出てきました。
自分としては、卑弥呼の遣使後に中国から日本に渡ってきた鏡作家が、
日本国内で造ったものということもありえるのかなと思っています。
ただし、もし三角縁神獣鏡が国産であったとしても、
その配布の中心が近畿地方であることに変わりはないので、
それによって畿内説が不利になるとは考えていません。
 
Q;卑弥呼の鬼道とは何ですか?

A;これもずっと迷っていたんですが、最近は初期の道教だったのではないかと
考えるようになってきました。上で出てきた画文帯神獣鏡も三角縁神獣鏡も、
道教的な図像を用い、神仙世界的な銘文が刻まれています。
そういう鏡が当時の人々に好まれ、広い範囲に配布されていたことには、
大きな意味があると思うのです。

あと、オカルトブログらしく最後に一つトンデモをつけ加えさせてください。
画文帯神獣鏡、三角縁神獣鏡に見られる西王母はじつは卑弥呼を表し、
また東王父は卑弥呼を助けて政治を行った男弟を表しているのではないか、
ということです。これはもちろん、
卑弥呼らをモデルにして中国で鏡が造られたということではなく、
最初からあった鏡の図像が、倭国の政治形態によくあてはまっていたため、
好んで用いられたのではないかと考えるということです。
ま、最初に書いたようにトンデモなので、
あまり真面目に受け取られても困りますが。

関連記事 『黒塚古墳のU字型鉄製品』

関連記事 『箸墓古墳と倭迹迹日百襲姫』

この中に卑弥呼がいるのかもしれませんよ(笑)







水の怪談

2017.10.12 (Thu)


うーん、けっこう難しいテーマですが、これでいってみましょうか。
まず1つめは『今昔物語』から「水の精が人の顔をなでる話」
前に一度ご紹介したんですが、興味深い内容なので再録します。

もと冷泉院の邸宅のあったあたりが庶民に解放され、
池のほとりに人が住むようになったが、縁側などで昼寝していると、
身の丈3尺ほどの老人が現れて顔をなでて消える。
不気味なことであり評判になったが、ある度胸自慢の男が、
「俺が退治してやろう」と言って、わざわざそこにいって寝た。

すると夜半になって、話のとおりの老人が現れたので、
跳び起きてつかまえ、縄でぐるぐる巻きに縛りつけた。
そこで人を呼ぶと見物が大勢集まってきたので、老人に何者か問いかけると、
老人は目をしょぼしょぼさせ、憐れな声で「たらいに一杯水を汲んでくれ」と言う。

まあ逃げ出せはしまいと、言ったとおりにしてやると、
老人はたらいの前でぶるっと身をふるわせ、「自分は水の精である」と一言。
ざぶんと水の音がして、老人の姿はかき消え、たらいの水が増して、
縄がその上に浮いていた。一同はこれで恐ろしくなり、たらいの水を
こぼさないようにして、池まで運んで捨てた・・・という話。


水そのものが怪異というのはたいへん珍しいと思います。
西洋には、四大精霊の一つ、水の精ウンディーネなどというのがありますし、
妖怪の河童なども一種の水の精霊と考えられなくもないでしょうが、
これは面白いですよね。怪談というか、むしろSFの液体人間みたいな感じです。
これって元になるような話が中国にあるんでしょうか。

水辺が怪異の舞台になるというのは怪談で多いですよね。
「置いてけ堀」なんかがそうです。これは本所(現在の東京都墨田区)
あたりの水郷で釣りをして、大漁大漁とばかりに帰ろうとすると、
水の中から「置いていけ~」と不気味な声が響く。そこで魚を逃してやれば

何もないが、無視して持って帰ると怪異が起こる。
びくの中の魚がいつのまにかなくなっていたり、道に迷ったり、
水の中に引きずり込まれたりします。
この正体は狸であるとか、河童であるとか諸説あるようです。

実話怪談の本でも、釣りに行って怪異に遭うという話は
一つのパターンになっています。みなさんにお薦めしたいのは、
『水辺の怪談ー釣り人は見たー』のシリーズで、
第3巻まで出てるんじゃなかったかな。

これを出しているのは「つり人社」という、釣り専門の出版社で、
たんたんとしつつも臨場感のある体験談が多いです。
ホラー小説だと、鈴木光司氏の『仄暗い水の底から』。水をテーマとした
短編7編が収められ、「浮遊する水」は日米で映画化されています。

さて、ではどうして「霊は水辺に集まりやすい」などと言われたり
するのでしょうか?よくわからないので、ネットで検索してみたら、
① 不浄な霊は渇きをおぼえているから
② 水そのものに陰の気が宿っているから
③ 川は海につながり、海の向こうにはあの世があるから
④ 不慮の事故で亡くなった人などは「死に水」をとらせてもらってないから
⑤ 水の事故で死んだ人が仲間を呼ぶから

ざっとこんな見解があげられていました。このうち①と④は近いのかもしれません。
②はどうでしょう。中国の陰陽五行説だと、水にも陰と陽の両極が備わっていて、
たしか「壬(みずのえ)」が陽、「癸(みずのと)」が陰だったはずです。
昼なお暗い森の中の沼とかなら陰の気が集まってるというのは理解できますが、
さんさんと太陽がふり注ぐ真夏の海とかはどうなんでしょう。

③は、日本神話だと死者の国は「根の国」つまり木の根がある場所で、
地下世界と解されています。また、海の向こうには「常世の国」があって、
これは一種の理想郷として、永久不変や不老不死、
若返りなどと結びつけて語られることが多いですね。

⑤は、たしかに水難事故の死者は多いですし、戦時中、空襲の火に巻かれた
人々が逃げ場を求めて川に入って死んだ、などという話も聞きます。
まあ、水辺はそうでない場所よりも死の危険が多いのは確かでしょうし、
人間、濡れたりジメジメしたりするのは嫌なものなので、
そういうネガティブなイメージで語られているのかもしれません。

ちなみに平成28年度の水難事故は、事故発生件数が1505件 で、
死者・行方不明者の総数は816人 。
もちろん自殺者や交通事故の死者よりは少ないですが、
こうしてみるとけっこうな数ですね。

そろそろしめましょう。日本最大の海難事故といえば、
これは1954年の青函連絡船「洞爺丸」の事故ですね。
死者・行方不明者あわせて1155人。これだけの死者が出ているので、
数々の幽霊話が残っています。有名なのが、

駅の職員が宿直室で寝ていると、「トントン、トントン」となにやらノックの音がする。
どうやら、誰かが待合室の窓ガラスを叩いているようであった。
「こんな夜中に誰がノックしてるんだ?」眠い目を擦りながら、職員が見にいくと…
窓ガラス越しに、ずぶ濡れの手が見える。それは1人のものではなく、
まるでたくさんの人々が助けを求めているように、
ガラス窓をノックする無数の手があった。


あと、洞爺丸事故の翌年に起きた「橋北中学校水難事件」では、臨海学校中の
女子生徒36人が溺死していますが、ここでも心霊話が語られています。
詳しくお知りになりたい方は関連記事で。   関連記事 『心霊事件簿4(橋北中水難)』








ニューヨークの叔母の話

2017.10.11 (Wed)
これ、長い年月にわたる、しかも聞いていてあまり気持ちのいい内容じゃないんですが、
よろしいでしょうか。はい、じゃ話させていただきます。
まず、ニューヨーク在住の叔母のことですが、私の母の妹なんです。
叔母が若い頃、大学2年のときにアメリカに留学しました。1年間の予定だったんですが、
そのときに向こうで猟奇殺人事件にまき込まれてしまって。
事件は解決したんですが、それには叔母の力が大きかったようなんです。
叔母は特殊能力に目覚めてしまい、そのまま日本には帰らずにアメリカで霊媒、
向こうではミーディアムというみたいですが、それを職業にしているんです。
大物の政財界人や映画スターなんかの依頼が多くて、多大な収入があるみたいです。
私も1度だけアメリカに行って叔母の家を訪問したことがあるんですが。
ものすごい豪邸でしたよ。独身で、そこに一人で住んでるんです。

はい、私が叔母と直接会ったのは6回くらいで、子どものころが多かったんですけど、
ニューヨークからの国際電話がたまーに来るんです。
それも私が人生でピンチに陥っているときに。ええ、そのお話をするつもりです。
1回目は、私が高校2年生のときでした。そのころ私はバレーボール部に入っていて、
毎日8時過ぎまで練習がありました。それで、右足のヒザがカクカクするようになって。
家の近くの整形外科に行ったら、まあ疲労だろうから少し練習を休んで様子をみなさい、
って言われました。でも、休んでやらだんだん痛みが強くなってきて・・・
そのあたりで叔母から電話がかかってきたんです。
「あなた今、右膝が痛いんじゃない? 
 大きい病院に行ってちゃんと検査してもらったら?」そんな内容でした。
それで大学病院に行ったら、すぐに入院になっちゃったんです。

なんでもヒザのところの動脈が詰まって、内部に壊死が広がってるということでした。
最悪の場合、足の切断もありえる、もうバレーボールをするのは無理だって言われて、
私は絶望して、毎日泣き暮らしていたんです。そしたらまた、
叔母から電話がきて、私が電話口で涙ながらに病状を伝えたら、叔母は、
「・・・わかったわ。じゃあ今から鶏を送るから、毎晩9時には寝るようにしなさい」
こんなふうに言われまして。鶏?どういうことだろうと思いましたが、
その晩から夢を見るようになったんです。
私は病院のベッドに寝ていて、なんだか顔のまわりが騒がしい。
はい、ベッドの上、顔の両脇にオスの鶏が1羽ずついたんです。
鶏は「コッコッコ」と鳴きながら、だんだん足のほうに下がってきて、
クチバシで私の右ヒザを突っつきはじめ、

そして真っ白いミミズのようなのを引っぱり出すんです。
2羽が協力して何匹も何匹も・・・ええ、夢の中ですし、痛くはなかったですが、
なんとなくむず痒い感じはありました。その夢は4日間続いたと覚えてます。
だんだんに夢の中で、引っぱり出されるミミズの数が少なくなっていって。
4日めの夢では、鶏たちがいくら突っついてもミミズは出てこず、
鶏は不満げな声を上げて、飛び立っていきました。
それから足の手術の日が決まって、術前の検査をしたらなんと、
すべての数値が改善していて、CTでも壊死した部分がほとんどなくなっていたんです。
これには医師たちもびっくりしてましたっけ。
それで叔母に連絡してお礼を言ったら、「よかったじゃない。
 あの鶏たちよく働いたようね」って平然としたこたえが返ってきて。

そんな感じで、恩着せがましかったり、偉そうなところはちっともなかったんです。
はい、それで2回目はちょうど10年後、私が結婚して4年目のときでした。
そのとき長男が2歳になっていて、私は家で子育てに専念してたんですが、
何だか肩こりがひどくなって、背中に重いものが乗っている感じがつねにあったんです。
気持ちもイライラするようになって、夫と何度かひどいケンカをしたり・・・
これじゃダメだ、心療内科にでも行こうか、そう思っていた矢先にまた、
叔母から電話がかかてきました。
「あなた、ちょっとよくないことになっているみたいね。
 前身が映るような大きな鏡、家にある? なければ買いなさい。あと金魚鉢と金魚」
こんなことを言われました。わけがわからないまま準備したら、
叔母から奇妙な手順を詳しく教えられたんです。

「一人だけの夜に、ロウソクの明かりだけにして、鏡の前でイスに座って。
 手には金魚の入った金魚鉢を持って、じっと鏡を見てなさい。
 あと、カナヅチかなにかも必要ね。そしてもし、
 金魚になにか異変あったら、カナヅチで鏡の中のものを強く叩くの。
 もちろん鏡は割れるだろうから、ケガしないように気をつけて」
それ以上の詳しいことは教えてもらえなかったんです。
けっこう準備がたいへんでしたが、高校のときのことで叔母を信用してましたので、
夫が出張でいない晩にそのとおり実行したんですよ。
はい、鏡に映ってるのは金魚鉢をかかえた私。そのまましばらく何事もなくて、
そろそろやめようかと思い始めたころ、
だんだんに持っている金魚鉢が熱くなってきました。

お湯が沸騰するときみたいに、金魚鉢の中で細かい泡が立ち始め、
それにつれて金魚が暴れるように泳ぎ出して、ビョンと鉢から飛び出しました。
私はあわてて、金魚を拾い上げようとしましたが、そのとき、
鏡の中の私の肩の上に、ぼうっと女の姿が浮かんでいることに気づいたんです。
見たことのない知らない女でしたが、ものすごい険悪な目つきで私をにらんでたんです。
それで叔母から言われてたことを思い出し、とにかく夢中で、
下に置いてあったカナヅチでにらんでいる女のいる部分を叩きつけました。
そしたら「キャアッ」というような悲鳴が鏡の中から聞こえて、
鏡はバラバラになって崩れ落ちたんです。
はい、後でわかったことですが、その女、夫の浮気相手だったんです。
じつはそのとき、夫は出張ではなくて、その女と一泊旅行に出てたんです。

それで女と旅館にいるとき、とつぜんに女の額が割れて血が吹き出し・・・
はい、私はうかつにも夫の浮気にはまったく気がついてませんでした。
体調が悪かったのは、その女の生霊がわたしのとこに来てたからなんですね。
ええ、すったもんだありましたが、私は夫のことが許せなかったので、
裁判に訴えて離婚し、シングルマザーになったんです。
このことを叔母に伝えると、「・・・まあねえ、人生いいことばっかりじゃないから。
 ま、気を落とさないで頑張って」みたいに軽く言われまして。
これで叔母に助けていただいたのは2回めでしたし、
とにかく感謝を伝えました。それから私は、子どもを実家に見てもらいながら、
働く先をさがして、なんとかまた10年がたったんです。

それで、子どもはこの春に小学校を卒業して、今は元気に中学に通っています。
私のほうは、今年に入ってからまた体調が悪くなってしまいまして。
病院に行ったら、最悪の診断結果が出ました。
ええ、膵臓がんで、病状が進行してるために手術はできないって。
でも、絶望はしませんでした。私には叔母がついてて、
今度もきっとたすけてくれるだろうって思ってたんです。ところが、
いつまでも叔母からの連絡はなくて、それでこちらから電話して窮状を訴えました。
そしたら叔母は、「病気のことはわかってました。まだ子どもは中学生だし、
 あなたもここで死ぬことはできないでしょう。でも、
 今回のことはちょっと大変。あなたの病気を治すためには、
 身代わりになって亡くなる人がどうしても必要。

 手順もかなり複雑になるし、あなたそれできる?」
こんなふうに言われたんです。ええ、これはずいぶん悩みました。
だって人の死がかかってるんですから。前のときの金魚は結局死んじゃったけど、
それどころの話じゃないですよね。そんなときでした、
別れた夫からアプローチがあったんです。浮気相手とも別れて、
私とよりを戻したがってるみたいな話で・・・
ええ、私のほうは夫にはもう未練はないので、身代わりになってもらおうと決めました。
いいとか悪いとか、もうしかたがないんです。
叔母が言ったように、かなりの準備が必要なので、
今あれこれと取りそろえているところです。もちろん罪悪感がないわけじゃないです。
だからこうやって、ここに話しに来たんですよ・・・

blaのコピー







応声虫と人面瘡

2017.10.11 (Wed)


さて、今回は妖怪談義です。
まず、応声虫ですが、聞いたことがある人はあまり多くないでしょう。
中国由来のもので、古い中国の説話集にいろんな話が載っています。
応声虫が人体の中に入り込むと、本人は何もしゃべっていないのに、
腹の中から問いかけに応じた返事がかえって来るとされる。

文字のとおり「声に応える虫」ということですね。
雷丸(サルノコシカケの一種の漢方薬)を服用すれば効果があり、
虫が体外に出るという話もあります。

この応声虫は日本に入ってきて、人面瘡(人面疽)を引き起こす原因とされる
ようになりました。江戸時代の『新著聞集』や随筆『塩尻』に見られる説話では、
元禄16年、油小路に住むある男の腹に応声虫によるできものができ、
できものには目や口があり、食べ物を与えるとそのときだけ痛みや熱がひいた。
様々な種類の薬や祈祷を試したが、一向に効果がない。
ある名医が診察し、様々な種類の薬をできものの口に飲ませ、
その中でも嫌がって飲まないものを選び、
それらを調合したものを無理に口に押し込んだ。
できものは次第に弱り始め、10日ほど経つと肛門から怪虫が出てきた。
それはトカゲのようなもので、頭には1本の角があった。
逃げ出そうとしたところを滅多打ちにして殺し、患者は元気を取り戻した。


この尻から出てきたトカゲのような怪虫が応声虫であったわけです。
これは、回虫など寄生虫の病状を表しているものであり、
回虫が腹にいることによる異常な空腹感や、
虫下しを飲んで肛門から排泄された回虫の死骸を描写した、
と解されることが多いようです。

これだけだと単純な話ですが、人面瘡の場合は「人の恨みによってできる」
という要素もあります。怪異集『諸国百物語』では、
下総国に済む平六左衛門という男の父が下女に手をつけ、
妻は嫉妬のあまり下女を殺害した。以来、父の右肩にできものができ、
その数日後に妻が急死。そして左肩にもできものができ、
絶えず父に話しかけ、父が無視すると死ぬほど呼吸に苦しむようになった。
あるときにこの家に泊まった旅の僧が事情を知り、
父の両肩のできものに対して法華経を唱えると、口から蛇が現れたので、
それを引き抜いて塚に埋め経を読んで供養したところ、
ようやく父のできものは癒えた。


さて、人面瘡について、幕末の蘭方医 桂川甫賢が随筆集『筆のすさび』で
医学的に分析していて、『たんなる腫物の傷口の開いた姿が人間の口のように見え、
しわの寄った窪みや傷穴が人間の目鼻に見え、ひくひくと動く患部が、
あたかも呼吸しているように見えるのであり、怪異のものではない。

たしかにそんなケースが多かったのだろうと思われますが、
それでは当ブログ的にはつまらないので、もう少し考えてみましょう。

人面瘡はいろんな作家の方々が話に取り入れていて、谷崎潤一郎氏、横溝正史氏、
星新一氏、あとマンガの手塚治虫氏の『ブラックジャック』・・・
それぞれ内容がひとひねり、二ひねりされていて、
さすがの巨匠の作品になっています。

これらの作品に見られる人面疽の原因として、一つには、
シャム双生児(医学的には結合双生児と言われるようです)によるもの。
余談ですが、シャム双生児の語は、サーカス団員であったチャン&エン・ブンカー兄弟が、
実際は中国人とマレー人の混血であるのに、「シャム(タイ)のふたご」
と名乗って有名になったことからきています。
この兄弟は肝臓を共有した腹部での結合なのですが、それぞれ別の女性と結婚し、
2人で合計21人の子どもを持っています。
でもこれ、子作りはいろいろとたいへんだったでしょうねえ。

結合双生児にはさまざまな結合状態がありますが、中には片われが小さく、
大きなできもの程度の場合もあります。
そういったものが人面瘡として誤解された可能性もあるかもしれません。
横溝作品はこの結合双生児をあつかったものでしたし、
岩井志麻子氏の『ぼっけえ、きょうてえ』では、
遊女の後頭部の髪の中に「姉」がいるという、
人面瘡とも妖怪「二口女」とも言えるような結末でした。

もう一つが、二重人格による肉体の変形。手塚作品がこれでした。
自分の顔の上に別の顔ができるという患者を治療したブラックジャックですが、
いくら手術で顔を切除してもすぐにもとに戻ってしまう。
精神的なものが原因と判断したブラックジャックは、患者の一つの人格を殺すべく、
(致命傷にならないように)患者をピストルで撃つ・・・
精神的なことで肉体がそこまで変化してしまうのはありえないように思いますが、
人体は不思議です。子宮筋腫という病気では、
子宮内に髪の毛や歯ができてしまうこともよくあるそうです・・・

関連記事 『ブラセボと聖痕』









カニバリズム小考

2017.10.10 (Tue)


今日はこのお題でいきます。グロ注意かもしれないです。
まず、カニバリズムはご存知だと思います。簡単に言えば「人肉食・食人」
のことです。「Canibal(カニバル)」はスペイン語で、
「Canib」は西インド諸島に住むカリブ族のこと。
この部族はスペイン人船員から人肉を食べると信じられていたため、
不名誉な語源として名を残してしまいました。

カニバリズムは、じつは人類史に匹敵する長い歴史があります。
本来なら旧石器時代あたりから語っていくべきなのでしょうが、
とてもすべては書ききれません。ほんのさわりの部分しかご紹介できないです。
それで「小考」とお題に入れました。
で、世界に存在したさまざまな人肉食を分類するには、
「なぜ食べたのか」という動機の面を見ていくのがいいみたいですね。

まず、社会的慣習、あるいは宗教的儀式としての食人。文化人類学的には、
自分の仲間を食べる族内食人と、自分たちの敵を食べる族外食人にわけられます。
食生態学者であった西丸震哉氏は『さらば文明人 ニューギニア食人種紀行』
という本を出していますが、ニューギニアでかつて食人族であったフォレ族の中に、
氏が入っていって調査した内容が記されています。(詳しくは下の関連記事参照)
フォレ族の場合は、主に宗教的な族内食人でしたが、
そのためにクールー病(クロイツフェルト・ヤコブ病)が発生していました。
また、この本によって人肉は味の素の味がするなどといった話が広まりました。

関連記事 『ガイジュセクとオヤビン』

次に、緊急避難としての食人。これは食べるものがないので、
自分が生きのびるためにしかたなく食人を行ったというケースです。
世界的に有名なのが「アンデスの聖餐事件」1972年、ウルグアイ空軍機が
アンデス山中に墜落し、乗客らは死亡した乗客の死体の肉を食べることで、
救助されるまでの72日間を生きのびています。

日本では「ひかりごけ事件」1944年、
現在の北海道羅臼町で陸軍の徴用船が難破し、真冬の知床岬に食料もない
極限状態に置かれた船長が、亡くなった船員の遺体を食べたというもので、
裁判になり、船長は死体損壊罪に問われました。
作家の武田泰淳氏が、この事件をモチーフに、『ひかりごけ』という作品を書いてます。
人肉を食った人間の首のまわりはうっすらと光る・・・というのが題名の由来。

歴史的にみれば、こういう食人のケースはいろいろありました。
例えば、戦国時代の秀吉の鳥取城攻めは「鳥取の飢え殺し」とも呼ばれ、
徹底した包囲作戦により城内の食料が尽き、死体の人肉が陣中で奪い合いになるという
地獄絵図がくり広げられ「栄養価が最も高い脳味噌が真っ先に屍体から取られた」
という記録まで残っています。また、天明の大飢饉(1782年~1787年)で、
東北地方で食人が行われていたなまなましい記録を、
あの『解体新書』の杉田玄白が書き残していますね。

次が薬用としての食人、これは最近「山田家の二股商売」という項を書きましたが、
首斬りで知られた山田浅右衛門は、罪人の死体を解体し、
さまざまな人肉薬(人胆)を作って売りさばいていたという内容でした。
明治時代になっても、結核やハンセン氏病の妙薬として人肉が用いられ、
墓から死体を掘り起こした事件や、殺人事件まで起きています。
あと、現代でも胎盤などは薬品、美容品の原料になってます。

関連記事 『山田家の二股商売』

次、食文化としての食人、これ中国に多いんですよね。
人肉は古来「両脚羊」と呼ばれ、ふつうに市場で売られたりしていたようです。
斉の桓公は、紀元前7世紀、春秋時代の覇王ですが、
その料理人であった易牙は、桓公の求めに応じて、
自分の赤ちゃんを蒸し物にして食べさせたという話があります。
この他にも中国の人肉食に関しては多数の逸話が残っていますね。
あとは人肉嗜好、ゆがんだ愛情による食人。
日本人が引き起こした「パリ人肉事件」なんかがそうです。

まだまだ書くことはたくさんあってきりがないんですが、
最後に「ハイサイおじさん」の話でしめます。これは沖縄のミュージシャン、
喜納昌吉氏のデビュー曲ですが、歌のモデルとなったおじさんは喜納家の隣人。
戦後の混乱期、おじさんは女性をひんぱんに家に引っぱりこんでいて、
そのせいで妻が精神を病み、娘を「自分の子どもなんだから食べてもいいでしょう」と、
解体して鍋で煮てしまう。その後、妻は収監されるが自殺。
おじさんは事件のために村八分の状態になり、
なんとかつき合いを保っていた喜納家に酒を無心にくる・・・

それを歌にしたのが「ハイサイおじさん」で、この背景を知って歌詞を見れば、
2番の「年頃なたくと 妻小ふさぬ うんじゅが汝ん子や  呉みそうらに
(年頃だから女房が欲しいんだけど、おじさんの娘をくれないかい)

の部分など、じつにブラックで怖いものがあります・・・

※ 人肉食をあつかった、映画のレクター博士や、奇妙な味の短編 『特別料理』
 『二瓶のソース』などにも触れたかったんですが、そこまでいきませんでした。

関連記事 『食の奇譚』









ドブ川の向こう

2017.10.09 (Mon)
もう何十年も前のことだけど、俺は鉄鋼業の盛んな街にいたのよ。高校2年だった。
地元の高校までは市街地を通るとチャリで30分もかかったから、
いつも近道をして、道中のかなりの部分、土手を通ってたのよ。
そこの土手は親からは通るなって言われてて、何でかっていうと、
危険だからってことじゃなく、土手の下の3mほどのドブ川の向こうは、
「よくない人」が住んでるからってことだった。
何が「よくない」のかははっきりとはわからなかったが、
そのドブ川の向こうは真っ黒くすすけた壁のアパートが並び立っていて、
住んでいるやつらがビンボーだってことはわかった。

で、ある夏の日の放課後のことだよ。5時前くらいにそこを通ってたら、
俺の高校で1,2を争う美人の女子生徒が、自転車で前を走ってたんだよ。
これは驚いたね。俺が高校に通ってた2年間で、そいつがその土手を
通るのをはじめて見たから。同じクラスじゃなかったんで、
声もかけられなくて黙って後をついていったら、
急にドブ川の向こうのアパートの窓という窓から、
川向うの住人が一斉に顔を出したのよ。
そいつらはみな五分刈りで、やっぱりすすけたような黒い顔をしてた。

んで、女子生徒がちょうどアパートの横にかかったとき、
全員が窓から手を出して、ひらひら振るような、招くような動きをしたのよ。
そしたら急に、女子生徒の自転車が不安定になって、
ふらふらと走って道から外れ、土手を転げ落ちていった。
するとアパートの窓窓から、どっと笑い声が起こった。
あ、助けなきゃと俺が思う間もなく、アパートからわらわらと半裸の男たちが出てきて、
泥だらけになった女子生徒を自転車ごと、
ものすごい手際のよさでドブ川から引き上げた。

で、そいつらがとまっている俺のほうを見て、嫌な手振りをして叫び声を上げたんで、
俺は怖くなって、スピードを上げて帰ったんよ。
その女子生徒は翌日から学校を休んでいたらしかったが、
1週間くらい後の放課後、親に連れられて学校に来たのをたまたま見た。
口から鼻にかけて、顔の下半分が包帯でぐるぐる巻きになってた。
親は高級外車に乗ってて金持ちなんだと思った。その子はその後、
学校を辞めたみたいで、2度と登校してくることはなかったな。

それから4年ぐらいたって、俺は別の町で就職したが、
その日は仕事休みで久しぶりに里帰りしてた。で、俺のチャリがサビサビになって
まだ実家にあったから、なんだか懐かしくなって通学路だった土手を通ってみた。
それであのアパートのあるあたりまで来たとき、
ああ、そういえば高校のときに、このあたりで女子生徒が自転車で川に落ちたよなあ、
って思い出してると、アパートの一棟の2階の窓が開いて、
くしゃくしゃの髪の女が顔を出した。その女は俺に気づき、
指差して「ギャハハハハハハ」と大口を開けて笑った。
上の歯がほとんどなかった。で、かなり人相が変わってたけど、
それは、高校のときにドブ川に落ちたあの女子生徒だったんだよ。










仮面の物語

2017.10.09 (Mon)
今回はこのお題でいきます。あまり言葉を多くせず、
いろんな仮面を画像で見てもらいましょうか。
まず怪談だと、稲川淳二氏の「血を吐くお面」というのがありました。
その仮面を壁に飾り、夜中に目を覚ますと
部屋中が真っ赤になっていて、仮面が口から血を吐き続けている。
翌日になって、知り合いの家が火事になったと連絡が入る・・・
たしかそんなお話だったと思います。(下図)



それから、オカルト研究家の山口敏太郎氏が所有している「呪いの仮面」。
テレビ番組の「アンビリーバボー」で紹介されて有名になりました。
その仮面に関わった関係者が急死したり、大ケガしたりするため、
現在はお寺で封印されているようです。ちなみに、番組でこの仮面を
霊視した人は、その後わいせつ事件を起こして逮捕されました・・・(下図)



あと小説のほうでは、何といってもヒュー・ウォルポールの短編『銀の仮面』が
よく知られています。ある中年婦人のところに、貧しい青年画家とその妻子、
親戚一同までがやってきて、だんだんに生活を侵食されていき、
最後には、財産をすべてのっとられてしまう。
銀の仮面が小道具として効果的に使われていました。
短編では、ポーの『赤死病の仮面』なんかも有名です。

長編だとデュマの『鉄仮面』(ブラジュロンヌ子爵)ですかね。
これはホラーというより歴史ミステリー的な内容で、
フランスで実際に1703年までバスティーユ牢獄に収監されていた、
「ベールで顔を覆った囚人」をあつかった話。
その正体についてはさまざまな説があります。(下図)
あと、ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』なんかも仮面の物語ですね。



さて、仮面には2つの役割があると言われます。
一つは顔を隠してだれだかわからなくするためのもので、
覆面と言ってもいいかもしれません。映画だと『13日の金曜日』の
ジェイソンのマスクがこれにあたりますか。

ジェイソンのマスクといえば、
アイスホッケーのキーパーのフェイスガードを思い浮かべる人が多いと思いますが、
じつは第1作、2作目までは布袋みたいなのを被ってたんです。(下図)
そしてこの2作は殺人鬼の正体が違います。
意外な犯人を最後まで隠すために、マスクがどうしても必要だったわけです。
この理由から犯人がマスクを使用している映画は多いですね。



もう一つは、つける仮面が何かの属性を持っていて、
仮面をつけた人物がその属性になりきって役割を演じるためのものです。
これは化粧、フェイスペイントなどでもいいのかもしれません。
ペルソナという概念があります。ラテン語で仮面の意ですが、
心理学者のユングは自己の外的側面という意味で使っています。
人間はだれしも対外的な面(外づら)を持っていますが、それが仮面をつけることで、
ふだんの自分を脱ぎ捨てて、仮面の人物になりきって演技することができる。

日本では能に使われる面が好例でしょうね。種類としては、
翁(尉)・男面・女面・鬼神・怨霊とあります。
このうちで鬼神というのは、人間以外の神や天狗などの超自然的なもの、
怨霊は、人間がこの世での心残りで死霊となったもの、という違いがあるようです。
能面は能役者に一種のパワーを与える呪物の要素があるといわれ、
優れた面であればあるほど役者はいい演技をすることができます。(下図)
怪談では、逆に、呪われた面をつけてしまい、
その面の力に支配され悪事を働いてしまうなどの話もありますよね。



さて最後に、仮面の持つ魔力というのは古くから信じられていて、
日本では縄文時代から発掘例が見られます。(下図)



少し前に奈良県の纏向遺跡のことを書きましたが、そこからも木製面が出土していて、
アカガシ亜属の柾目材で作られた広鍬(工具)を転用したものです。
何らかの宗教的儀式に用いられたと考えられます。(下図)







変身譚

2017.10.08 (Sun)


今日はこのテーマでいきますが、さて、どのくらいの内容が書けますか。
というのも、なかなか現代の怪談では変身を扱ったものが見あたらないんですね。
それはそうだ、という気もします。実話怪談は「実際にあったこと」というのが
前提なのですが、「気がついたら犬になっていた」みたいな話は、
さすがに現実感がないですからねえ。ですので自分も変身譚はほとんど書いていません。
コンペティターという話がやや近いでしょうか。 関連記事 『コンペティター』

さて、変身といって思い浮かべるのは、やはりフランツ・カフカの『変身』でしょう。
ただしこれ、ホラーの要素は多少あるものの、オカルトではなくて文学、
不条理文学ですよね。筋はみなさんご存知だと思いますが、
貧しいながらも家族の生活を支えて懸命に働いていたザムザは、
ある日 目覚めると巨大なゴキブリになっていた。これによって、
それまでのザムザがどういう存在だったのかが浮き彫りになる構造をしています。
一家の担い手から、いきなり厄介者になってしまったザムザ、
家族はしかたなくザムザに頼るのをやめ、自立しようと動き出す・・・

この手法をさらに推し進めたのが、安部公房氏の『棒』です。
子どもを連れてデパートに来ていた男は、不注意で屋上から手すりを越えて落ち、
地面に達したときには一本の棒になっていた。
そこへ死者を罰する役割を持った教授とその学生2人の3人連れがやってきて、
棒になった男の人生を論評する。
「棒のように単純であるが、誠実だった」「棒ていどには役に立っていた」
「道具としては下等過ぎる」・・・で、3人の結論として、
「この男はまさに棒であった。こんなありふれた棒は罰する必要はない」と、
棒になった男をその場に残して去っていく。

さて話を変えて、西洋の変身譚は、キリスト教以前と以後では大きく違っていると
思います。ギリシャ・ローマ神話や北欧神話では、神と人間、
動物の境目があまりないんですよね。例えば、神々の王であるゼウスは、
人間の女に近づくために雄牛や白鳥に姿を変えて寝室に忍び込んだりします。
ここでは人間が動物に変身することへの禁忌がほとんど見られません。
多くの神話はアニミズムを基盤とした多神教ですから、
動物の霊も人間の霊と同じように認められていて、
ボーダーゾーンがあいまいだったのだと考えられます。

ところが、キリスト教が導入されると、人間と動物は厳然とした差があるものである、
という考え方が強まりました。神は天地創造のときに、
自分の姿に似せて人間を造り、その人間に役立つものとして動物を造った。
キリスト教(ユダヤ教)はもともとが荒れ地の漁師や遊牧民の間で発生したものなので、
こういう考え方をするのは当然といえば当然です。
ですから、人間から動物に変身するということは、
その魂が一段低い段階に落ちるということになったんですね。

さて、西洋の変身譚として有名な「狼男」について見てみましょう。
狼男は、werewolf(ウェアウルフ)ですが、このwereの語源は、
古ノルド語で、犯罪者、追放者を意味するという説があります。
狼男はふだんは人間として生活しているものの、満月になると狼に変身して
他人を襲ったりします。人間として持っていた理性が消し飛んでしまい、
獣性(本能)に支配される。ここでは理性を高いものと見て、
獣性をさげすんでいると考えていいと思います。

Wikiに面白い話が載っているので、ちょっと長いですが引用してみます。
中世のキリスト教圏では、その権威に逆らったとして、
「狼人間」の立場に追い込まれた人々がいた。
その傾向は魔女審判が盛んになった14世紀から17世紀にかけて拍車がかかった。
墓荒らしや大逆罪・魔術使用は教会によって重罪とされ、
その容疑などで有罪とされた者は、社会及び共同体から排除され、追放刑を受けた。
この際、受刑者は「狼」と呼ばれた。


当時のカトリック教会から3回目の勧告に従わない者は「狼」と認定され、
罰として7年から8年間、月明かりの夜に、狼のような耳をつけて毛皮をまとい、
狼のように叫びつつ野原でさまよわなければならない掟があった。
人間社会から森の中に追いやられた彼らは、たびたび人里に現れ略奪などを働いた。
時代が下るとこれが風習化して、夜になると狼の毛皮をまとい、
家々を訪れては小銭をせびって回るような輩が現れた。

この内容なんかは、狼男の伝説が生まれた一つの要因であったと考えられます。

もう一つ、ある種の精神疾患として、
獣に変身すると思い込んでしまう症状がありました。
これは日本でも、狐憑きとかが知られていますよね。狐憑きを治すには、
松脂でいぶして体を叩き、キツネを追い出すなどの民間療法がありましたが、
精神疾患に対するショック療法と考えてもいいでしょう。
危険な方法ですが、実際にそれで治る場合も多々あったのです。
さらに、西洋では月の満ち欠けに人間の精神が支配されるという考え方があり、
それが上記の精神疾患と結びついて、満月の夜に狼男に変身して暴れまわる、
みたいな話ができていったんでしょう。

さてさて、最後に、日本の神話や民話では、
ヤマトタケルが死んだとき魂が白鳥に変身して飛び去っていた、などはありますが、
人間が動物に変身するという話はあんまりないんです。
むしろ動物が人間に変身する話が多い。狐や狸が人間の姿になって人を化かすとか、
「鶴の恩返し」みたいなのが一つのパターンとして見られるんですよね。
このあたりは面白いなあと思います。








箸墓古墳と倭迹迹日百襲姫

2017.10.08 (Sun)
まず箸墓古墳の名称ですが、これは箸中山古墳と書かれることもあります。
史学界では、例えば昔「応神天皇陵」と言われていた古墳について、
そこに葬られているのが応神天皇かどうかの確証はないのだから、
誤解を招きやすいと、地名をとって「誉田御廟山古墳」と呼ぶようになりました。
ただ、箸墓古墳については、箸墓という名称が一般化しており、
またそれは被葬者を直接表すものではないので、
本項では「箸墓古墳」のほうを用いていきたいと思います。

概要を説明しますと、奈良県桜井市箸中にある前方後円墳で、墳丘長278m、
高さ30mです。前方部が途中から撥(ばち)型に大きく開く墳形で、
これは早期に造られた古墳の特徴です。後円部直径が約150m、
後円部は四段に築造され、幅10m前後の周濠と、
幅数10m前後の外堤の一部が発掘で見つかっています。
造られた年代については、周濠の底から布留0式と呼ばれる土器が発見されており、
研究者によって、240年~320年頃と幅のある意見が述べられています。
箸墓古墳は纏向遺跡の中にあります。

さて、ここに葬られているのが誰かというと、『古事記』『日本書紀』で、
倭迹迹日百襲姫(やまとととひ ももそひめ)という女性であるとされます。
第7代孝霊天皇の皇女で、巫女的なことを行っていたと描かれてますね。
まあエピソードを中心にいきましょう。『古事記』には事績はほとんど載っておらず、
『日本書紀』のほうに詳しい記述があります。

崇神天皇の世、四道将軍の1人、大彦命が北陸への派遣途中で、
「天皇はもうすぐ死ぬのも知らずに女遊びしているよ」と、
不吉な歌を歌う少女に出会ったため、大彦命は引き返して天皇にこのことを報告した。
そして天皇の大叔母である百襲姫の占いによって武埴安彦とその妻の謀反が発覚し、
安彦は滅ぼされた。
』これなんかは、百襲姫のシャーマン的性格をよく表している話です。
ただ、この手のは中国に類話があるんですよね。

百襲姫は三輪山の神である大物主と結婚した。大物主は夜に姫の元に通って来るので、
顔がよく見えない。百襲姫は我慢できず、「顔が見たい」と強引に迫った。
すると大物主は「朝になっても帰らずに櫛箱の中に入っている。見ても驚くなよ」
と答えた。朝になり、櫛箱をのぞいてみると、そこには小さな蛇がいた。
それを見て百襲姫が驚くと、蛇は一瞬で若者に変わった。
蛇は大物主だった。大物主は恥をかかされたと怒って三輪山へと帰って行った。
百襲姫は後悔し恥じ、箸で女性器をついて自殺してしまった。


これが百襲姫が亡くなったときのエピソードです。三輪山の神である大物主と結婚した
というのは、その祭祀を専門に司ったことの比喩でしょうか。
「箸で女性器をついて自殺」という部分は、古墳が箸墓と呼ばれる由来なんですが、
百襲姫の当時、竹を2つに折ってピンセット状にしたトングのようなのはありましたが、
はっきりした箸の発掘例はないんですよね。後代に作られた逸話である可能性があります。
また、土器を古墳上に並べていたことから、元は「土師墓(はじはか)」と言ったのが、
箸墓に変化したという説もあります。「女性器をついて亡くなった」の部分は、
子孫がいないことを強調している、と説明する人もいます。

墓は昼は人が作り、夜は神が作った。昼は大坂山の石を運んでつくった。
山から墓に至るまで人々が列をなして並び手渡しをして運んだ。時の人は歌った。
「大坂に 継ぎ登れる 石むらを 手ごしに越さば 越しかてむかも」

『日本書紀』で、古墳の造営について書かれた記述はこれが最初で、
その後にもほとんどありません。纏向遺跡には、箸墓古墳に先立つ100m級の
前方後円墳が数基ありますが、最初の巨大古墳と考えられる箸墓の
被葬者が女性であるとされることには、何か特別な意味があるような気がします。
これらのことから、倭迹迹日百襲姫を『魏志倭人伝』に登場する
邪馬台国の女王、卑弥呼に比定する研究者も多いのです。

では、こっからはQ&A方式で自分の考えを述べます。

Q:倭迹迹日百襲姫は実在の人物ですか?

A;記紀のこのあたりの人物の実在性を問うのは難しいと思います。百襲姫の父である
孝霊天皇は欠史八代と呼ばれる一人であり、実在の人物ではないとする研究者もいます。
百襲姫よりも後代の日本武尊(やまとたける)は全国を股にかけて活躍していますが、
これを、大和王権の初期に多くいた全国に派遣された皇子的人物の象徴、
と見る研究者は多いのです。百襲姫もまた、
巫女的性格の皇族女性を象徴的に表した人物である可能性があります。
結論として、実在の人物とするには問題が大きいと考えます。

Q;倭迹迹日百襲姫は邪馬台国の卑弥呼ですか?

A;その可能性はあります。というか、邪馬台国と卑弥呼の記憶が残っていて、
その記憶を元にして百襲姫の人物像が作られた、
というのなら十分ありえる気がします。ここでは詳しく書きませんが、
卑弥呼と百襲姫は、占いや神託を行った宗教的指導者である点、
その他にも似ている部分が多いと思うのです。

Q;箸墓古墳は卑弥呼の墓ですか? 

A;これも難しい質問です。卑弥呼の死後、男の王が立ちましたが、
国中がこれに従わず混乱して人がたくさん死んだため、 
台与という13歳の女王が立てられています。箸墓は、
年代的にはその台与の墓である可能性もあると考えます。

現代の日本では卑弥呼の名が有名で、台与はその陰に隠れてしまっている
感がありますが、もしかしたら、当時の人の評価は、
最終的に国の混乱を収めた台与のほうが上だったかもしれないのです。
もちろん、卑弥呼の墓である可能性は否定しません。年代も、
築造にかなりの年月がかかったのなら、なんとか届くのではないでしょうか。
箸墓の発掘がのぞまれますが、これは宮内庁指定の陵墓参考地となっているため、
不可能な現状にあります。

Q; 纏向遺跡は『魏志倭人伝』の邪馬台国ですか?

A;はい、そう思います。だだし、纏向遺跡は邪馬台国の宗教的・政治的な中心地であり、
邪馬台国自体は、大阪、四国東部、吉備、近江、東海などにまたがる
広範な地域ではなかったかと考えています。

※ この問題については、考えていることの十分の一も書けないですね。
  またそのうち続きをやります。

関連記事 『黒塚古墳のU字型鉄製品』

関連記事 『三角縁神獣鏡と卑弥呼の鬼道』

箸墓古墳から三輪山を望む

 
 
 




島の神社

2017.10.08 (Sun)
今年の5月のことだよ。連休の期間に、会社の同期4人で釣りに行ったんだ。
場所は・・・瀬戸内の某所。場所は言わないでおくよ。
ありゃ、行っちゃいけねえところだと思うからだ。
・・・ネットで釣宿をさがして予約を入れた。そこは宿のオヤジが小型の釣り船を
持ってて、客を乗せて沖へ出せるようになってたんだ。2泊3日の予定だった。
宿には金曜の夜に着いた。磯臭い漁港の、なんてことはねえ民宿だったよ。
それでその日はみなで酒飲んで寝て、翌日、早くからオヤジの船に乗った。
アジやメバルをねらって朝の8時から昼ころまで釣ったんだが、
釣果はぼちぼちもいいところだった。一番多いやつで3匹とかそんな感じ。
これにはオヤジも恐縮した様子でな。
「冷たい海流が次入ってきてるのかもしれねえ。昨日まではもちっと釣れてたんだが、

 これじゃあちょっとらちがあかねえな。昼食ったら島につけるから、
 そこで磯釣りしたほうがいいかもしれない」こう提案してきた。
「島でもいいよ。なんて名前の島?」 「いや、小さな島で無人島だよ。
 そこの船着き場で釣ればいいし」それで、飯食ってから40分ほど船を走らせて、
その島に着いたってわけ。そうだなあ、周囲4kmくらいで、
中央に低い山があって、家はもちろん一件もねえ。
ただ、船がつけられるような桟橋が長くのびてた。オヤジは、
「この桟橋から、向こうの護岸までのところで釣るといい。今日だったら。
 船に乗ってるよりなんぼかは釣れるだろう」
100mもないような山のほうを見ると、木々の間に赤いものが見えたんで、
「あれは何だい?」って聞いた。「ああ、荒れ果ててるけど神社があるんだ。

 30年ばかり前には、この島にも住んでたやつがいたからな。
 5時にはここにむかえにくるから」そう言い残して戻ってたんだよ。
で、4人がめいめい場所を決めて釣り始めたんだが、これが入れ食いで、
持ってったクーラーボックスがたちまちいっぱいになった。
みなほくほく顔でな。「これはいいとこみつけた。また秋にでもこようぜ」
そんな話も出た。そのときには、あんな目に遭うとは誰も思ってなかった。
夢中になって釣っていると、「もう5時なるぜ。そろそろオヤジがむかえにくる」
仲間の一人がそう言った。ところが、待てど暮らせどオヤジの船がやってこない。
「こねえな、5時半過ぎた。あのオヤジ、俺らをここに置いたことを忘れて
酒でも喰らってるんじゃないか」 「そんなわけねえ。俺らは泊り客だぞ」
そんなことを言ってるうちに、いくら日の長い時期といっても、

だんだんに暗くなってきたんだよ。「オヤジ、本当にこねえ。これマズくないか」
「朝まで釣ってろってか」 「寒くはないから、それはできるけど、
 風呂に入って酒が飲みてえ」 「スマホで連絡取ってみろよ」
「それがさっきからやってるんだが、オヤジも宿も出ねえ。
 それどころかどっこも圏外になってる」 「ありゃ、俺のもだ」
でな、もちろん街灯なんてない無人島だし、
そのうちに手の先も見えなくなってきたんだよ。
「こりゃもう、釣りも無理だ」 「どうすんだ、ここで寝るのか?」
「あれ、おい、雨が降ってきた」
「あ、かなり激しいな。ずぶ濡れになれば、この季節でも低体温症になりかねんぞ」
「どうする? 林の木の下に入るか?」

「まだ明るいうちに、あの鳥居のとこまで行ってみねえか。
 神社があるなら、軒先を借りれるんじゃ」 「多少登りになってるが、
 距離は200mくらいだろ、行ってみよう」 「その間に船、来たらどうする」
「俺たちがいなかったら待つか探しにくるだろ」 「ぷぷぷ。たまらん」
ってことで、俺たちは竿をたたみ、荷物をまとめて神社をめざしたんだ。
幸いなことに、獣道ていどだが道がついてて藪こぎする必要はなかった。
神社は見えてた印象よりもだいぶ近くにあって、時間にして10分ほどで着いた。
鳥居は、もとは赤かったんだろうが、すっかり塗りが剥げてて、
その後ろにある社殿は、つぶれてこそいなかったものの荒れ放題に荒れてた。
「軒下に入ろう」 「大丈夫かよ、崩れてくるんじゃないか」
「表戸を開けてみるぜ、おっ開くぞ」で、俺らが中に入ったときには、

雨雲のせいで暗さが増し、ザーザー雨が神社の屋根を叩いてた。
中の広さは8畳間くらいだったな。
「なにもねえみたいだな。誰か懐中電灯とか持ってるやついるか」
「ライターしかねえ。今、つけてみる」 「あ、この砂みたいなのはホコリか」
「端のほう雨漏りしてるんじゃねえか」 ライターはすぐ消えて、
あとは各自が持ってるスマホの明かりだけになった。
「明るくなるまでじっとしてるしかねえのか」 「さすがにそのうち来るだろ」
「あんのクソオヤジ、ぶん殴ってやりてえ」
「ま、宿代はタダにしてもらわなきゃ済まんな」 
こんな話してると、とつぜんスマホが鳴った。俺のだけじゃなく全員の。
「あ、もしもし」出て見ると、「・・・ヒ ト リ モ ラ イ マ ス」そう聞こえた。

男か女かもわからないひび割れた声だった。「え、え?」
それだけで通話は切れた。「あ、今の電話なんだった?」 
「一人もらいますっって言ったぞ」 「俺のもだ」 「同じ」
そしたら残った一人が「俺は、あなた もらいます って聞こえた・・・」こう言ったんだよ。
「ええ?」そのとき、わずかに開けてた神社の表戸から強い光が入って、
すぐドーンと音がした。「雷か。勘弁してくれよ」 「近いな」
そんときかすかに「おーい、いるんか、おーい」という声が外でして、
「ああ、やっぱりここかあ」雨合羽を来た釣宿のオヤジが入り口に立ってたんだよ。
「お、オヤジか、何やってたんだよ!」 「ああ、スマン、すまねえ、そこまで来てたんだが、
 急にエンジンの調子が悪くなって遅れた。スマン。
 ひでえ雨だが、船つけてあるから乗ってくれ」で、俺らはオヤジに口々に文句言いながら、

桟橋まで戻って船に乗ったんだ。その間にも雷の音は何度も響いてた。
でな、俺が振り返ったときにちょうど稲妻が光って、そしたら神社の前に、
何か大きな黒い獣みたいなのがうずくまってるように見えた・・・
俺らは全員ずぶ濡れで、オヤジがタオルをよこし、船室に入ってなんとか人心地がついた。
「まさか雨になるとは思わんかった、予報は見てたんだが、スマンな」こう言うオヤジを、
俺らはさらに散々ののしって、ここまでの料金をタダにさせ、
さらに晩飯もサービスさせるように交渉したんだよ。
で、船宿に戻り、風呂に入って全員に酒が回ると、みな機嫌がよくなってきた。
ま、魚自体はバカスカ釣れたわけだしな。「さっき、神社にいたときにかかってきた携帯、
 ありゃなんだったんだ?」一人が言い出して、全員が着信履歴を見たが、
誰のにも残ってなかったんだよ。これには首をかしげるばかりだったな。

でな、その次の日は快晴で、早朝からまた船で釣りに出たんだよ。
「オヤジ、エンジンいい調子だな」 「いや昨日はほんとにすまないことで」
オヤジはすっかり低姿勢になってた。で、魚のほうは誰も一匹も釣れず。
「こりゃ昨日の今日で潮がよくないみてえだ。昨日の島にまた行ってみるか。
 上陸はしねえよ。あのあたりの岩陰に入る。海から昨日の神社も見えるから」
オヤジがそう言って、船を走らせて島の下に入った。
たしかに鳥居と神社の屋根のあたりまでが見えた。
「この島ってなんで人がいなくなったん?」 
「そりゃ過疎のせいさ、まあもともと数十人しか住んでなかったけどな。
 あの神社は島の氏神みたいなもんで、それでも10年くらい前までは、
 船で来て世話をしてる神主がいたんだが、死んじまってなあ」

そこで昼まで釣ったら、入れ食いになった。もう腕が利かなくなるくらいだった。
「この島のまわりは魚が濃いんだなあ」興奮してそんなことを言ってると、
目の端で人が飛んだように見えた。「ええ?!」
かなり高い船の手すりを乗り越えて、竿を持ったまま海に落ちたんだ。
けども、トプンとも水音はしなかったと思った。「おい、落ちたぞ!!!」
オヤジがすぐ船を停めて、俺らは海面をのぞき込んだ。どこにも姿が見えない。
ライフベストをつけてたから必ず浮いてなけりゃおかしいのに。波の上を目で追ってると、
落ちたと思われるあたりから急に黒い大きなものが顔を出し、すぐまた沈んだ。
落ちたやつかもしれないし、イルカとかにも見えたが何だかわからない。
オヤジは保安庁と漁協に連絡し、それから何日も捜索が行われたが見つからなかった。
ああ、そうだよ。・・・落ちたのは「あなたもらいます」って言われたやつだ。








タイムトラベル雑想

2017.10.07 (Sat)
こないだタイムパラドックスの話を書きましたが、その続きみたいな内容です。
ちゃんとした科学のお話ではありませんので、そのつもりでお読みください。
未来にも過去にも行けるタイムマシンが完成したとします。
で、これを使って何か金もうけをしたい。

そう考えたとき、一番最初に思いつくのは、株とかロトとか競馬ですよね。
この中では、結果が短期間にわかる競馬が一番てっとり早いでしょう。
馬券もほぼ金額無制限に買えますし。
じゃあ競馬以外にはどんな金儲けの手段があるでしょう。

これ、『ドラえもん』のある回で面白い話が出ていたのでご紹介します。
さすがに子ども向けアニメですからギャンブルを出すのははばかられるので、
こんな内容になったんでしょうね。・・・自転車がほしいのび太は、
お父さんにボーナスで買ってもらえる約束をします。

ところが、お父さんの会社の業績が悪化して
ボーナスの額が減らされてしまい、お父さんは約束を無視します。
のび太はいつものようにドラえもんに泣きつき、
ドラえもんはタイムマシンを取り出します。

そしてお父さんのボーナスをこっそり拝借し、
現在の銀行で100年間の定期預金にしてしまうんですね。
これで利子が100年分つくはずです。そして100年後の未来に行って、
増えたお金を引き出してくればいいわけです。

結果、たしかにお金は増えました。ドラえもんはリュックいっぱいの
札束を持って未来から帰ってくるわけですが、もちろんその札束は、
現在の人間は誰も見たことがないもので、使いようがなかったんです。
そこでさらに知恵をしぼった二人は、
100年後の未来でも、現代のお金が古銭として売られてるだろうと考えます。

で、もう一度未来に行って、未来のお金で現在のお札を古銭として買ってくる。
しかし未来では古銭の価値が値上がりしていたので、お父さんのボーナスは、
ちょうど自転車1台分しか増えなかった・・・こんなお話でした。
しかしこれ、現実的に考えれば危ない方法です。

100年はたいへん長い期間ですし、その間に銀行の倒産、ハイパーインフレ、
デノミ、戦争、革命などが起きないとは限らないですよね。
さて、競馬の話に戻って、今日のスポーツ新聞を持ってタイムマシンで
昨日に行き、勝った馬の馬券を大買いする・・・
大きく買えば買うほど配当率は下がってしまうでしょうが、それはしかたない。

でもこれ、そんなにうまくいくでしょうか。
前回、平行世界のことを書きましたが、この手のお話は、
タイムマシンで過去に戻ったとき、時空がずれて別の平行世界に入ってしまい、
持っているスポーツ新聞のとおりの結果にはならない・・・
そういう結末になることが多いんですよね。

さて、タイムパラドックスには、前回ご紹介した「親殺しのパラドック」の他に、
「ブートストラップのパラドックス」と呼ばれるものがあります。
これは、例えば現代から『枕草子』を持って平安時代に行き、清少納言に見せる。
面白いと思った清少納言はそれを書き写し、現代にまで伝わる・・・
そうすると、『枕草子』を実際に書いた人がいなくなってしまうわけです。

これ、本でなくても、未来から来た人が有名デザイナーの服を着ていて、
それを見た過去の人がスケッチをして、そのデザインを自分のもの
として発表してしまう、なんてことも考えられます。
やはり未来の情報が過去に伝わるのはマズイようなんです。
 
この考え方を効果的に使っていたのが、映画の『ターミネーター』シリーズです。
最初のターミネーターが未来から過去にある人物を殺しにやってくる。
で、ターミネーターは撃退されたけども、その腕が過去に残ってしまい、
その未来の技術をもとにして、人類を滅亡させるスカイネットが作り出される。

『ターミネータ-2』では、人類を助けにやってきたターミネーターが、
自分の体が過去に残るのを避けるために、
溶鉱炉に入って自分を完全消滅させるという名シーンがありましたよね。
よくできているなあと思いました。

さてさて、そろそろまとめますが、原因があって結果があるという因果律は、
どうしても崩せないものであるのかもしれません。ですから、
そもそも過去に戻ることができるタイムマシンは完成しない。ホーキング博士は、
「時間順序保護仮説」で、過去に戻れるよう空間をねじ曲げるには
無限大の力が必要で、相対性理論の式が破綻してしまうと述べています。

また、もし過去に戻るタイムマシンができたとしても、
過去に未来の情報が伝わってしまいそうな場合、そこで時空にズレが生じて、
因果律に反しないような平行世界に入ってしまうとか、
もしかしたら、そういう宇宙の仕組みになっているのかもしれませんね。

関連記事 『タイムパラドックスの話』



追伸: 量子力学では二重スリット実験などで、未来の出来事が過去に影響を与える 
    「逆因果」という事象が世界的に研究されています。それについては、
    いつか機会があれば書いてみたいと思います。





琉球人形の話

2017.10.06 (Fri)
今度、結婚することになりました。ですから、
ここでお話をしたら、あのときのことはいっさい忘れてしまおうと思っています。
できるかどうかわかりませんけど・・・あれはちょうど10年前、
私が中学2年生のときのことです。その日、居間のテーブルで宿題やってたんです。
夕方、5時くらいだったでしょうか。
母は主婦だったんですけど、そのとき買い物に出かけてたんです。
それで、宿題が終わってテレビでも見ようかと思ったとき、
テレビ台の上に、液晶テレビと造花を飾った花瓶にはさまれるようにして、
人形が一体置かれていたんです。あれーって思いました。
昨日までなかったし、いつ買ったんだろうって。

それ、日本の人形じゃないように見えました。高さが15cmくらい。
髪型が日本人形とは違ってて、沖縄の人形じゃないかなって思ったんです。
そのときは、琉球人形って言葉を知らなくて。
そうしてるうちに母が「ただいま」って買い物から帰ってきて。
「おかあさん、あの人形どうしたの?いつ買ったの?」って聞いてみたんです。
「人形ってどれのこと?」 「ほらテレビ台に置いてある沖縄の人形」
そしたら母が、持ってた買い物カゴをどさっと床に落とし、
顔色を変えて居間に走り込んできて・・・
「ほらあれよ」私が指差すと、みるみる母の目がつり上がって。
「あーなんで、なんでなのよ!今ごろになってまた出て来るの!」って叫んで。

そんなとりみだした母の姿を見たことがなかったので驚きました。
母は、台所に戻ると紙袋を持ってきて、テレビの横から人形をわしづかみにし、
紙袋に放りこむと、じゅうたんの上に叩きつけ、
「なんで出てくるのよ。もう終わったはずでしょ!
 あんなにたくさんお坊さん呼んで手厚く供養したのに!」
そんなことを叫びながら、人形の入った紙袋を足で何度も何度も踏みつけて。
それから、私のほうを向いて「お母さん、この人形捨ててくるから、
 また留守番おねがい」そう言って走って家を出てったんです。
私は母の態度があまりに異常だったので呆然としてて、
そしたら電話が鳴って・・・出てみると父の会社の人からでした。

父が会社で胸を押さえて急に苦しみだし、救急車を呼んで病院に運んだ、
心筋梗塞の可能性が高く、緊急手術になるから○○病院にすぐ来てほしい、
そういう内容だったんです。わかりました、ありがとうございます、
と言ったものの、私一人ではどうにもならず、
やきもきしながら母が帰ってくるのを待ってました。
やがて母が息を弾ませて戻ってきたので、急いで電話の内容を伝えると、
「ああー、それで出てきたのね。あの人を連れてく気なんだわ!」
・・・とにかくタクシーを呼んで2人で病院に向かったんです。
そのタクシーの中で、母が携帯で父の会社の人に連絡したら、
もう手術は始まってるってことだったんです。

私はもちろん父のことが心配でしたが、母があの人形をどうしたのかも
気になったので「お母さん、人形はどうしたの」って聞いてみました。
そしたら「コンビニのゴミ箱に捨ててきた。でもこうなるんなら、
 灯油かけて庭で焼けばよかった」って・・・
病院に着いて、案内で聞いて手術室のある階に行ったら、
父の会社の人が何人もつきそって来てくださってたんです。
それから手術が終わるのを何時間も待って・・・
母は思い詰めた目をしてずっと下を見てたので、もう何も聞けませんでした。
それで手術が終わってお医者さんが出てきて、
「手術は成功しましたが、まだまだ危険な容態です。集中治療室に入ります」って。

父が管だらけになって運ばれてきて、集中治療室で1回だけ目を開けたものの、
またすぐ眠ってしまって。医師の説明の後、その晩は2人でつき添ったんです。
ほら、集中治療室ですから、あちこちで心電図の鳴る音が響いてて、
その中に2人でいるうちに、母がぽつりぽつりと話し出しまして・・・
「あの人形ね、私がお父さんとの新婚旅行から帰ってきてすぐ送られてきたものなの。
 お父さんと大学時代につき合ってた女の人から。
 これはみんな後になってからわかったことだけど、その人は沖縄の出身で、
 お父さんと別れたことをずっと恨んでたみたい・・・というか、
 お父さんに未練を持ってたのね。だから私たちの結婚式の直後に、
 崖から身を投げて自殺しちゃったの。死ぬ前にあの人形を送って。

 それでね、私はその人のことをお父さんから聞いてなくて、
 人形をふつうに飾っておいたら、いろいろと嫌な、おそろしいことがあったの。
 それでお父さんを問い詰めて事情がわかって・・・
 菩提寺に連絡してご住職に来てもらって供養していただいたのよ。
 それからあなたが産まれて、十数年何もなかったのにまた今日出てきたら、
 お父さんがこんなことになって・・・きっとあの人を連れに来たんだわ」
そのとき心電図の音が切迫して、たくさんのお医者さんや看護師さんが集まってきて、
いろいろしてくださったんだけど、かいなく父は亡くなってしまったんです。
私も母も悲しみにうちひしがれてましたが、なにしろ急なことだったので、
母は気丈に親戚などに連絡し、葬儀社を呼んで・・・

それからお通夜、お葬式となり、私の地方ではその後に火葬をするんです。
父と母の両方の祖父母や親戚と火葬場に行き、
やがて火葬が終わって、お骨上げをすることになりました。
箸で大きなお骨を拾って骨壷に入れるんですが、
父の叔父が黒くなって溶けたものを箸でつまみ出して、
「これ、お骨じゃないな、棺の中になに入れたんだ?
 焼け残るようなものは入れないように言われてただろう」って。
そんなのを入れた覚えはないんだけど、
溶け残った形から、あの琉球人形じゃないかって思ったんです。
そのことは母もすぐわかったらしく、叔父の箸を上から箸で叩いて人形を落とし、

無言のまま何度も、何度もそれを箸で突き刺すようにし、
しまいに木箸が折れちゃったんです。すると母はそれを手でつかみ、
下の床に落として足で踏んで、そのまま泣き崩れてしまったんです。
・・・どうなんでしょう。最初に人形の供養をしてから十数年たってるんだし、
人形に父をあの世に連れて行くまでの力はなかったんじゃないかと思います。
けど、父の死が近いのを知って出てきた・・・
母は悔しかったと思います。父の姿が失われる最後のときに、
あの人形が入り込んでたんですから。・・・こんな話です。え、母ですか、
それが、まだ50歳過ぎたばかりだったんですけど、昨年亡くなりまた。、
私の結婚式を見てもらえないのが残念です。








クイズ

2017.10.05 (Thu)
第1問 「走っている電車の中で真上にジャンプすれば元の場所に落ちます。
     では、走っている電車の屋根の上でジャンプすればどうなるでしょう?」

これ、ネットでよく見かける問題ですよね。
答えは「その他の条件をいっさい考慮しないとすれば、元の場所に落ちる」です。
時速60kmで走っている電車の乗っているあなたは、
やはり時速60kmで進行方向に向かって動いているのです。
これはあなたが立っていても座っていても、ジャンプして空中にいても同じです。
電車の中でも屋根の上でも、同様に慣性の法則が働いています。
地球は公転・自転していて、電車とは比べ物にならない速さで動いているのですが、
ジャンプすると元の場所に落ちますよね。

ただ、電車の中と屋根の上で違いがあるように感じるのは、
屋根の上だと風があるからでしょうね。電車の中は壁でおおわれているため、
中の空気も電車と同じ時速60kmで動いています。
ところが電車の屋根の上はそうではありません。
時速60kmは、だいたい秒速17mになります。

秒速17mの風が電車の進行方向とは逆向きに吹いているわけですが、
これ、台風なみの暴風ですよね。ですから、電車の進行方向を向いてジャンプすれば、
あなたは向かい風によって後ろに押し戻されることになります。
また、電車の進行方向とは逆を向いてジャンプすれば、
追い風によって前に吹き出されることになります。

あと、元の場所に落ちるのは、電車が等速運動(同じスピード)してる場合に限ります。
もしも、60kmで走っている電車の中であなたがジャンプした瞬間、
電車が急に70kmにスピードを上げたらどうなるでしょう。
まあ一瞬のうちに10kmもスピードを上げるのは無理なのですが、そこは思考実験。

この場合、あなたは60kmの速さで空中にいるのに、
電車(の床)は70kmで動くため、あなたはジャンプした地点より後ろに落ちます。
逆に、あなたがジャンプした瞬間に電車が急停止すると、
あなたは前につんのめっていくことになるでしょう。
また、電車がカーブを走っているとか、
起伏のある地面を走っているとかの加速度運動をしている場合、
落ちる位置は飛び上がった位置と微妙に違ってくると思われます。

第2問 「赤い絵の具がチューブに入っていてフタが閉まっています。
     では、この絵の具は何色でしょう?」

答えは黒ですが・・・この問題は反則です。なぜかというと、
フタが閉まったチューブの中は誰も見ることができないからです。
中を見るためには、光をあてなくてはなりません。
そして中の絵の具は、光をあてたとたんに黒から赤に変わるのです。
なんだか魔法みたいですね。

物には色はない、という考え方があります。では何に色があるかというと、
それは光です。光の色は?と聞くと、無色透明とか白と答える人が多いのですが、
虹は7色ですよね。また光をプリズムに通すと7色にわかれます。
光はこの7色が混ざって無色透明になっていると考えてください。

で、物の表面は電子顕微鏡で見れば分子レベルの凸凹があります。
その凸凹はある光を吸収し、ある光は反射します。
赤い絵の具は、赤い色を反射し、それ以外の光は吸収してしまいます。
そして反射した赤い光があなたの目に届いて、絵の具が赤く見えるというわけなんです。

では、光にはほんとうに色があるんでしょうか。
ここは難しいところです。色は心理物理量と言われています。
例えば、あなたの目の前にパソコンがあったとして、
その重さや縦横の長さは物理量です。それに対し、
あなたのパソコンのデスクトップの壁紙の色は心理物理量になるんですね。
これ、どこが違うんでしょうか。
それは、色というのはあなたの脳の中で作られているからです。

可視光線には波長があります。これは物理量です。
虹の色の紫は波長が短く、それより短くなると紫外線と呼ばれ人間には見えません。
赤は波長が長く、もっと長くなると赤外線と呼ばれて、やはり人間には見えません。
(紫外線の領域が見える生物は多数います)
で、みなさんはある波長の光を目にすると、視神経からその光を取り入れて、
脳の中で赤とか青とかの色を感じとっているんですね。
ですから、色はあなたの脳が作っている心理的なものとも言えるわけです。



ちょっと前に「人によって色が違って見えるドレス」というのが話題になりました。
下に画像を貼っておきますが、これが見る人によって、「白と金」 「青と黒」
に見えると意見が分かれたのです。それ以外の見え方をしたという人もいます。
なぜこれが起きるかというと、見る人の脳の中で、
ドレスのまわりの光環境をその人なりに解釈して、色の補正を行ってしまったからです。
ちなみに、自分には白と金に見えます。これなんか、
色が人間の脳内でつくられていることの、わかりやすい例だと思います。



「後ろから強い光が射していてドレスとカメラはその影に入っている」と認識した人は、
より明るく補正してドレスを見るので「白と金」に見え、
「部屋全体が明るくてドレスとカメラも明るい場所にある」と認識した人は、
より暗く補正してドレスを見るので「青と黒」に見える、ということなんだそうです。
ちなみに下の図の長方形で囲まれた部分、同じ色のシャツに見えますか?
自分はどうやっても見えません・・・
ですが、これをフォトショップに取り込んで色スポイトで確認すると、
これがまったく同じ色なんですよねえ・・・チョー不思議です。



※ 間違いがあればご指摘ください。

関連記事 『クイズ2』







霊が見える話

2017.10.04 (Wed)
じゃあ話していきます。これ、信じてもらえるかどうかわかんないですけど、
俺、霊が見えるときがあるんですよ。いや、いつもってわけじゃなくて、
体調がいいときとか、あと何かに夢中になってワクワクしてるときとか、
そういう場合、うっすらとですけど、この世のものではないものが見えて。
え、それがどうして霊ってわかるのかって。
ええ、それがね、後になってから関係者の話を聞いて、
ああやっぱり幽霊だったんだなって納得することがけっこうあるんです。
例えばこんな場合ですね。

俺、草野球のチームに次入ってるんです。いや、会社のとかじゃなくて、
いきつけの居酒屋があるんですが、そこのマスターが昔、
実業団で野球やってた人で、チームに入らないかって誘われて。
俺ですか? 俺も野球はやってましたけど、中学までです。
だからチームの中ではそんなに上手なほうじゃないんです。
でね、この間の日曜に試合をしたんです。
相手は居酒屋がある飲み屋街の別のチームでした。試合は勝ちましたよ。
9対2だったかな。うちのチームは経験者ばっかなんでけっこう強いんです。

都の大会でもたいがい4回戦ぐらいまで勝ち上がるんです。
ああ、霊の話ですよね、すいません。
そんときの相手チームに一人だけすごい選手がいて、こっちがとられた2点てのが、
その人のホームランだったんです。ソロホームランが2本。
フォームもびたっと決まってて、これは素人じゃないってひと目でわかりました、
その人は、守備はショートを守ってて、これも上手だったんだけど、
1回だけ、なんでもない平凡なフライを落としたんです。
そんときでした、霊が見えたのは。

ええ、こっちが攻撃だから俺はベンチで応援してたんですが、
その人が捕球態勢に入ったとき、体の後ろから
何か白いものが二つひらひらって出てきて、顔にぐるって巻きついたんです。
そしたらその人は、目測を失ったみたいに2,3歩後退し、
その足元にボールがぽとっと落ちてラッキーなヒットになりました。
そんときね、ああ、今のは霊だなって思ったんです。
ええ、もちろん根拠はありますよ。その試合が終わってから、
両チームで、ビアホールで打ち上げをやったんです。

けど、その人は仕事の都合があったみたいで参加してなくて、
俺、飲みながらマスターにその人のこと聞いてみたんです。
「すごいホームランでしたね。あの人ってやっぱ元プロなんすか?」って。
そしたらマスターは、「ああ、ドラフト外の練習生だったけど、いい素質してた。
 1軍のゲームにも何試合か出てるんだよ」
「その後どうなったんです? 怪我しちゃったとか?」

「それがなあ、事件起こしちゃったんだよ。女とホテルに入って
 2人でクスリやったらしくて、量を間違えたかしらんが女だけ死んじゃった。
 もちろん殺人とかじゃあないし、ちゃんと救急車も呼んだんだけど、
 プロじゃクスリ関係はご法度だからね。それで馘になってなあ。
 もったいないっちゃもったいない。クスリなんかに手を出さなきゃ、
 レギュラーに定着して、3割ねらえたかもしれなかったんだが.」

ああ、じゃあやっぱりさっきのは幽霊で、その女の霊なんだと思いました。
でもね、不思議なのは何でバッテイングのときには出てこないで、
守備のときに出てきたのかってこと。もしかしたら、
打撃のときはキャッチャーや審判がすぐ近くにいるんで
出てこられないのかもしれないですね。
それと、女の霊がその人を恨んでるのかどうかもよくわかんないです。
ええ、今にして思えばその人の後ろから抱きついて、目隠しして
ふざけてるようにも思えましたから。まあ、こんなのが人に憑いている霊なんですよ。

あ、はい、場所に憑いてる霊ってのもあります。これは地縛霊って言うのかな。
通勤の途中で見かけるんです。○○町の交差点で信号待ちしてると、
子ども用自転車に乗った男の子を見るんですよ。ええ、いつもってわけじゃないです。
2年前に実際にそこで車に轢かれて死んだ4歳の子がいて、
その事故を報道した新聞についてた顔写真とそっくりですから、
やっぱその子の幽霊としか考えられないでしょ。
うーん見えるのは1週間に1回くらいですね。

だからそういう日は、今日は体調がいいみたいだから仕事がんばろうって思います。
男の子ですか? それが、自転車で同じとこをぐるぐる回りながら、
「死んだよ~、死んだよ~」って言ってるだけです。
ためしに手をふってみたこともあるんですよ。でも全然こっちが見えてないみたいで。
え、今度は頭をなでてみたらどうかって?ああ、そうですね、やってみようかな。
どうなるんでしょうね、手がすり抜けちゃいますかね?
霊に触るってのは今まで考えたことがなかったです。やってみての結果を
また報告しにまた来ます。どうなるんだろう、なんだかワクワクするなあ。








火消婆

2017.10.04 (Wed)


今日は時間がないので、妖怪談義にさせてください。
とりあげるのは火消婆(ひけしばば)で、ふっ消し婆とも言います。
姿形が人間に近い、どちらかというと地味な妖怪です。
詞書にはこのようにありますね。
それ火は陽気なり 妖(あやし)は陰気なり
うば玉の夜のくらきには、陰気の陽気にかつ時なれば、火消ばばもあるべきにや


訳すまでもないようなものですが、「火は陽気で、妖しの者は陰気である。
夜の暗い間は、陰気が陽気に勝つ時なので、
火消婆のようなものも出てくるのだろう」くらいの意味です。
陰と陽の気がつねに争っているとする、中国の陰陽説からきているのでしょう。

これ、Wikiには「江戸時代の吉原遊郭の風刺、または性病の恐ろしさを風刺し、
年増の私娼をモデルとして創作されたもの
」という説が出てくるのですが、
自分はどうかなあと思います。ちょっと深読みしすぎなんじゃないでしょうか。
石燕の絵は、竹のれんの商家が描いてあり、横手から火消婆が出てきて、
つるそうと準備していた提灯の火に息を吹きかけて消そうとしている様子です。
火消婆は袖で顔をおおっているようにも見え、明るいのが苦手なのかもしれません。

江戸時代にはもちろん電気はありませんでしたので、
明かりは不安定なものでした。それが何かの拍子に消えてしまうのは、
日常的に珍しいことではなかったと思います。そういうとき、
あれ変だな、みたいに思う気持ちが妖怪化したんじゃないかという気がしますね。

さて、ここで江戸時代の照明事情をちょっとお話すると、
ロウソクはありましたものの高価で、一般庶民の家ではまず使われません。
火受け皿に油を入れ、それに灯心をさして火をつけ、
行灯でおおうのが一般的でした。油は菜種などの植物油は値が高く、
煙が出て臭いのきついイワシなどの魚油が使われることが多かったようです。
それも灯すのはわずかな時間だけで、暗くなったら寝るのが普通でした。

あと、江戸の街は何回となく大火を経験していましたので、
火の始末はたいへん厳重でした。放火は市中引き回しのうえ火あぶりの死罪でしたし、
失火は死罪にはなりませんでしたが、ある程度の面積を焼いた場合、
失火を出した当人の五人組(まあ近所の人です)、
家主、地主などまでが処分の対象になりました。
ですから、火は長屋ぐるみで管理されていて、
例えば、サンマを七輪で焼くのは屋外でする、などの細かなきまりがあったのです。
そういう火の用心を戒める意味も、火消婆にはあるのかなあと思ったりもします。

さてさて、では現代ではどうでしょう。照明は電気になり電灯もLED化が進んで、
もはや火消婆の出番はないのでしょうか。これ、自分はそうは思いません。
というのは、ホラー映画で、怪異が出現する前に照明がついたり消えたり
するシーンはいまだに定番ですよね。
ロウソクの火は、もし消えたとしてもそんなに不自然な出来事ではありませんが、
消えるはずのない蛍光灯がいきなり消えたとしたら、そのほうが怖い気もします。
どうやら現代の怪異は、電気設備にまで影響を与えることができるようなのです。

これがよりはっきりするのは、心霊スポット探訪などのテレビ番組、DVDなどです。
まず番組の冒頭で、ロケ隊の技術スタッフ、カメラ、照明、音声に
何かの異常が生じるのは、これも定番のお約束です。
照明が割れる、カメラが撮影できなくなる、なぜか映像がゆがむ、
音声に変な音が入る・・・そして、ある程度雰囲気が盛り上がったところで、
霊感タレントの女の子がガタガタ震えてうわ言を言い始め、
出演者の一人である霊能者の顔が険しくなってくる・・・

ここで重要なのは、完全にすべての照明が壊れてしまったり、
カメラに異常が起きて撮影できなくなるわけではないことです。
もちろんそうなったら、番組として成立しませんから、
あくまでも、ほどほどの程度で機材の異常が起きるんですね。
ということで、現代の火消婆は番組のことを考えて手加減をしてくれるわけです。

最近、オカルト研究家の山口敏太郎氏が、『超常現象のつくり方』(宝島社)
という本を出されて、自分も買って読んだんですが、
その中で、心霊番組のやらせやフェイクドキュメントを厳しく批判しておられました。
これはもちろん自分も同意見で、レベルの低いものが氾濫することで、
本質が薄まって見えなくなっていってしまうという気がします。
あれ、妖怪からなんか違う話になってしまいましたね。では、ここらへんで。








山田家の二股商売

2017.10.03 (Tue)
変な題名ですが、これが一番この文章の内容をよく表していると思われます。
とりあげる人物は山田浅右衛門で、カテゴリとしては怖い日本史に入ります。
首斬り浅右衛門という言葉は聞いたことがある方もおられるでしょう。
Wikiには、「江戸時代に御様御用(おためしごよう)という
刀剣の試し斬り役を務めていた山田家の当主が代々名乗った名称
」と出ています。

さて、まず山田家の身分ですが、これは旗本でも御家人でもなく一介の浪人です。
旗本と御家人の違いはご存知でしょう。同じ徳川の幕臣であっても、
お目見得(将軍に謁見すること)ができるのが旗本、できないのが御家人です。
山田浅右衛門に関しては、2代目浅右衛門がときの将軍吉宗の前で試し切りを
披露したりしているのに、それでも浪人なんですね。

これは、死の穢れをともなう役目のためにこうした処置が取られた、
と解釈されることが多いようですが、
それ以外にも、山田家を幕臣として世襲にすると、
子孫の中に技の至らないものが出てくる可能性があるから、という話もあります。

山田浅右衛門は初代から9代まで続いていますが、
実際、親が実子を跡継ぎにしたのは一例しかありません。
朝右衛門の名は、弟子の中で技量の高いものに譲られていました。
ですから、山田浅右衛門の名は一種の屋号みたいなものだったんですね。

ただし、浪人だからといって貧乏だったわけではありません。山田家の屋敷は広大で、
一説には、3、4万石の大名に匹敵する収入があったと言われます。
江戸の名士図鑑のようなものにも山田家は大きく取り上げられていて、
庶民からの知名度も高かったようです。ではなぜ、
このような収入を上げることができたかというと、これには表と裏があるんです。

まず表の商売としては罪人の斬首で、これが首切り浅右衛門と言われたゆえんです。
罪人の首を斬るたびに、幕府から公儀御用として金銀をもらっていました。
次は刀の鑑定料です。鑑定といっても浅右衛門が刀を見て、
「いい仕事してますね~」とか褒めるのではなく、実際に試し斬りをしてみるんです。

罪人の死体は山田家に下げ渡されていたので、
それを使ってです。試し斬りの依頼は、幕府からもありましたし、
有力大名、旗本などからもありました。新しく刀を手に入れたら、
まず浅右衛門に試し斬りを依頼、というわけです。

例えば、罪人の死体を2つ重ねて斬った場合を二つ胴、
3体なら三つ胴などと言って、その刀がどのくらいよく切れるかの証明になります。
刀の茎(なかご 柄の中に入り込んでる部分)に、
「三ツ胴、土壇マデ入ル」などと彫り込まれたものがありますが、

これは罪人の胴体を三つ重ねて斬り、
さらにその下の土壇にまで刀が食い込んだという意味です。
試し斬りの依頼はたいへん多く、罪人の死体が足りなくなると、
いったん斬った死体を縫い合わせてまた使ったりしていたようです。
・・・まあここまでが表の商売ということになります。

さて、では裏の商売は何かというと、こっからが怖くなります。
こんな逸話が残っています。
ある人が山田家の宴会に誘われて遅くなり、一晩泊めてもらった。
朝方になって、ぽたぽたと水のしたたるような音がする。

雨かと思って縁側に出てみると、軒下に人間の肝臓やら胆嚢が
たくさん干してあって、そっから液体がしみ出して
地面に落ちていたんですね。そう、山田家では人体を使って
薬を製造していたんです。裏の商売と書きましたが、
山田家では別に隠したり恥じたりしていたわけではなく、

江戸時代には、その当時の医療では治らなかった結核や梅毒の薬として、
人体の一部は珍重され、高額で取引されていました。
山田家にはこうした人体の部分を貯蔵しておくための蔵があり、
そこに入った人の話では、たくさんの大きな桶がならんでいて、

なんともいえない臭いが漂い、中には
人間の脳だけを集めた桶もあったということです。
これは、現代のわれわれから考えると薄気味の悪い話ですが、
山田家では代々の家業としてドライにやっていたのだと思われます。

この手の人体を用いた薬は人胆(じんたん)と呼ばれ、
明治になってから発売された口内清涼剤、「仁丹」
はこの名にあやかってつけられた、
という話もありますが、本当かどうかはわかりません。

さてさて、最後に山田浅右衛門に関するおもしろエピソードをいくつか。
これには歴代の朝右衛門のものが含まれています。
浅右衛門を、一部には剣豪の一人として見るむきもありますが、
罪人の首筋に米粒をつけて刀をふり下ろすと、米粒は真っ二つに切れて、
首にはいっさい傷がついていなかったそうです。

また、ある罪人の首を切ろうとしたら、首筋に「東照大権現」と入れ墨がある。
これは家康のことですよね。浅右衛門が役人に相談して、
首が斬れないので、その罪人は死一等を免じられ島送りになりました。
これを聞いた悪党どもは大喜びで、みな首筋に「東照大権現」と彫った。

しかし浅右衛門は、次からはその部分だけ皮をそぎ取り、
その上で首を斬るようにしたということです。
悪党どもは死ぬ前によけいに痛い目にあったわけです。
浅右衛門は、たくさん罪人を斬った後は、屋敷に戻って
酒を飲んでどんちゃん騒ぎをしました。

このことを聞いた江戸の庶民は、さすがの浅右衛門でも、
怨霊が怖くて寝られないんだろうと噂しましたが、
当の浅右衛門は、「今までいったいどのくらいの首を斬ったと思ってるんだ。
それがみな化けて出るんだったら、命がいくつあっても足りないよ」
と笑い飛ばしたそうです。







末路

2017.10.02 (Mon)
えー僕ですね、恥ずかしい話ですが、今年の春まで ある新興宗教に入信してまして。
いや、もうやめてます・・・というか、その教団、壊滅しちゃったんですよ。
はい、そのときの事情というか、いきさつをお話しようと思って来たんです。
そこはキリスト教系だったんですけど、今考えれば、
他にもいろんなのが混じってましたね。インド仏教とか、古神道とか、
太陽崇拝みたいなのも。要はデタラメだったってことです。どうして入信した当時に、
おかしいって気づかなかったんだろうと思いますよ。あ、僕は幹部とかじゃないけど、
教祖様の運転手をやってたんです。車はベントレーでした。
だからね、いろんな出来事を近くで見聞きすことができたんです。
そんだけ馬鹿だったんでしょうね。でね、教祖様は50歳すぎの男性で、
イギリス人とのハーフで、かなり体格が良かったんです。見た目も若々しいし、

声も堂々としてました。だから信者は多かったんですよ。
ええ、東京を中心に布教活動してたんですが、総数4000人はいました。
ただね、教団の本部がしょぼかったんです。でもこれ、しかたないですよね。
東京の土地はバブル後も目の玉が飛び出るほど高いし、
賃貸だって、ある程度大きい建物だと月、数百万しますから。
だから、近県に土地を買って教会兼教団本部を建てようってことになって。
で、不動産屋を雇っていろいろ探したんですが、
○○県で、かなり敷地の広い物件が見つかったんです。家屋つきの土地でしたけど。
そこは地元で伯爵屋敷って呼ばれてまして、なんでも大正の末まで、
当時の伯爵が住んでたというお屋敷です。そうですね、部屋数は20以上あったし、
古いわりにしっかりしてて、手入れもよかったんです。

けどね、それをそのまま使うわけにもいかないから、取り壊して更地にしたんです。
ええ、教祖様は工事の最中に何度も足を運びましたよ。
だから運転手だった僕もいっしょに行ってるんです。
でね、屋敷のまわりを囲んでた、立派な日本庭園も同時につぶしてしまいました。
で、何回目かに解体作業を見に行ったとき、横手の竹やぶの中で、
小さなお堂が見つかったんです。1m四方よりちょっと大きいくらいの。
うーん、神道のものに見えましたね。まわりが赤く塗られてたんで、
お稲荷さんかもしれません。キツネの像とかはなかったですけど。
工事の現場監督が教祖様のとこにやってきて、このお堂どうしましょうって聞いて、
そしたら教祖様は一言、「つぶしてしまえばいいよ」って。監督が、
「それでもお祀りしてたものだから、いちおう神主を呼んで・・・」って言ったら、

教祖様はカラカラと笑って、「いまここに私の教会が建つんだぞ。
 こんなさびれた社なんぞ、わたしの神のご威光でたちまちにかき消えてしまうわ」
こんなことをおっしゃって、そのままお堂は重機でつぶされちゃったんですよ。
そんときは何もなかったけど、僕は内心、まずいんじゃないかな、とは思ってました。
でね、更地にしてすぐ、教会、本部、宿舎などを建てたんですけど、
これがコンクリ造りで、あちこちに金箔を貼った、見た目はたしかに豪勢だけど、
なんとなく下品な感じのする建物だったんです。
ま、これは新興宗教にはありがちなことかもしれませんけど。
で、4ヶ月近くかかって完成しまして、主だった信者を集めて、
教会建立記念のミサを大々的にやることになったんです。
ええ、礼拝堂は千人以上入れる造りでしたから。当日はオーケストラも呼んだんです。

賛美歌を皆で歌って、それから教祖様の説教が始まったんですけど・・・
教祖様が第一声を発したとき、パーンと音がして高いとこに並んでいるステンドグラスの、
真ん中のが割れたんです。教祖様は少しも動じず、
「ああ、神がこの快挙を祝福してくださってる。今のは神のみしるしだ」って。
ええ、教祖様はそういうアクシデントをうまく利用されるんです。
で、だんだん説教が進んでいって、信者が陶然としはじめたとき、
大きなシャンデリアがドカーンとばかりに落ちてきまして。
ええ、教祖様が説教してる演壇のすぐ前です。あれ、直撃を食らったら死んでましたよ。
こんときはさすがに、教祖様も目を白黒させてました。
広範囲にガラス片が散乱してて、説教は中止にせざるをえなかったんです。
教祖様は激おこで、内装の工事をした会社に損害賠償させるって言ってました。

で、こんときからですよ。悪いことが次々と起こっていったのは。
教祖様は独身でしたけど、おそばに若い女の信者が2人ついて、
身の回りの世話をしてました。おそらく体の関係もあったと思います。
でね、まずその一人がおかしくなっちゃったんです。日に日に目つきがキツくなっていって、
夜中に四つん這いで宿舎の中を走り回るようになったんです。
でね、女の信者でそれを止めようとしたら、あたりかまわず噛みついて、
ケガ人がたくさん出ました。夜中に救急車が来てたいへんでしたよ。
はい、その娘はそのまま精神病棟に入院して、今も入ったきりです。
でね、最初のミサがシャンデリアの件でつぶれちゃったでしょう。
仕切り直しで、二度目のミサをやることになりまして。
で、そのときも礼拝堂が満員になるだけの信者が集まってました。

教祖様のありがたい説教がはじまって佳境にはいったとき、
もう一人残ってたおそばつきの女の娘が、
それまでは教祖様の汗を拭いたりしてたんですが、
ふいっと出ていってしまって。しばらくしたら手にフライパンを持って入ってきたんです。
いや、ほとんどの信者は教祖様の説教に聞きほれてて気がつかなかったじゃないかな。
で、ガーンって金属音がしたんです。そっち見ると、その娘がフライパンを振りかぶってて、
その前に幹部の一人が頭を押さえてうずくまってたんです。
頭が割れて血が盛大に流れてましたね。それからガーン、ガーンって、
その娘は幹部たちの頭を次々に殴っていって、
4人目まできたときにさすがに取り押さえられました。
でね、結局その日もミサは最後までいかなかったんです。

そっからは怒涛のような流れでした。
まず、教会の側壁に大きなひび割れができました。一晩のうちにです。
そのひび割れは高い屋根のほうまで続いてて、
集団生活してる信者が集まって騒いでいる眼の前で、ひび割れがガッと上に伸び、
教会の屋根についてた十字架の下に入って、十字架が地面に落下したんです。
これってさすがに不吉というか、なんかあるんじゃないかって思いますよね。
でね、その夕方です。宿舎には集団生活している男女の信者が400人くらいいるんですが、
そこでひどい食中毒が発生したんです。信者の食事は全部、本部の給食室で作ってましたけど、
あちこちで嘔吐する人がいるわ、腹を押さえて転げ回ってる人はいるわ。
ええ、救急車が10台以上来ました。これ、集団食中毒ってことで、
テレビでも報道されてしまいましてね・・・

幸い亡くなった人はいなかったけど、教団の信用はガタ落ちですよ。
この事件で東京にいる信者も、目が覚めた人が多かったんでしょう。
どんどん教団に入ってくるお金が目減りしはじめました。
なんでも信者の吐瀉物からは、これまでに検出されたことのない菌が出たそうです。
それでも教祖様は、ミサの3回めをやるって強がってましたね。
ええ、それが最後で次はなかったんです。
やはり教祖様が説教を始めたときですよ。一言二言しゃべったら、
教祖様はふらっと演壇から降りてしまわれ、いきなり 「わしは罰あたりじゃ!」
って大きな声で叫んだんです。そしたら教祖様の額からたらたら赤い血が流れてきて、
見ると額の両端から何かが生えてきたんです。・・・角でした。
鬼みたいな黄色っぽい角がずんずんと生えてきて、

遠くにいる信者からもわかったと思いますよ。角は1mくらいまで伸びましたんで。
でね、角は伸びきるとまた引っ込んでいって、そのころには教祖様の顔面は血だらけ、
角が完全に埋没すると同時に、教祖様はドターンと後ろに倒れたんです。
それでまた救急車を呼ぶはめになりました。これで教団はもうおしまいですよ。
教祖様は夜中に病院を抜け出して、警察にも連絡して行方を探したんですが、
朝になって、ほらあの、工事のときに取り壊したお堂のあった場所、
その前に土下座するような格好で座り込んだまま死んでたんです。
ええ、跡継ぎなんていなかったし、いてもこれだけ評判が落ちれば、
どうにもならかなったでしょうね。教団はつぶれてしまいました。
僕は運転手の仕事もなくなり、実家に戻ったんです。今は職探ししてます。
いや、もう宗教はこりごりですよ。ええ、ニセモノの宗教はね。








温羅、桃太郎、邪馬台国

2017.10.01 (Sun)
今回は比較的軽い3題話ですが、これって妖怪談義になるのか、
それとも古代史になるのかなあ。まあ古代史といっても眉唾ものの内容ですが。
古代の吉備地方(岡山県を中心とした地域)に、あるとき、
空を飛んで巨大な鬼がやってきました。真っ赤な髪をして、身長は一丈四尺
(約4,2m)もあったとされます。
鬼は温羅(うら)という名前で、現在の総社市に鬼ノ城(きのじょう)という
城を築き、近辺を荒らし回りました。

これを伝え聞いた大和朝廷は、温羅を討伐するために吉備津彦を派遣しました。
吉備津彦命は第7代孝霊天皇の皇子で、四道将軍の一人です。
四道将軍は、大和朝廷が勢力圏を広げるために全国に派遣した4人の武人。
吉備津彦は温羅との戦いに備えて、楯築(たてつき)遺跡に砦を築きました。
楯築遺跡は鬼ノ城の近くにある2世紀後半から3世紀ころの弥生墳丘墓で、
双方中円形をしています。○の両脇に□がくっついた、
腕時計のような形といえばわかりやすいでしょうか。全長72m、
2世紀当時としては最大規模の大きさで、吉備の大王の墳墓と考えられます。

さて、吉備津彦は弓矢で温羅を攻撃するものの、温羅が石を投げて
矢を撃ち落としてしまう。そこで一つの弓に2本の矢をつがえて射たところ、
一本が見事に温羅の目に突き立った。温羅は驚いて雉に姿を変えて飛び立ったが、
吉備津彦は鷹に変身して追いかける。温羅はさらに鯉になって川に逃れたが、
鵜に変身した吉備津彦によって捕らえられ、ついに首を斬られてしまう。

しかし温羅は首になっても泣き喚き、そこで吉備津彦は吉備津神社の釜殿の
釜の下にその首を埋めた。現在、この吉備津神社では鳴釜神事といって、
釜の鳴り方によって吉凶を占っていますが、これはその下に埋まっている
温羅の首の霊力によるものとされています。
そういえば時代は違いますが、同じように朝廷に反抗した平将門も、
首になっても喚き続けたと言われていますね。
これは朝廷に反逆したものの末路を表しているんでしょうか。
上田秋成の『雨月物語』には「吉備津の釜」という怪談がありますが、
吉備津神社の鳴釜神事が筋の上で重要な役割を果たしていました。

さて、温羅を見事退治した吉備津彦ですが、民話「桃太郎」のモデルである
という説があるんです。桃太郎が行った鬼ヶ島は温羅の鬼ノ城。
おともに連れた犬、猿、雉は、犬飼健(いぬかいたける)
楽々森彦(ささもりひこ)留玉臣(とめたまおみ)の3人の家来で、
キビダンゴは黍団子(とうきびの団子)ですが、これは吉備団子でもあるのです。
岡山県は現在でもトウモロコシの名産地で、また桃の産地としても有名です。

うーん、どうなんでしょう。吉備津彦は少なくみても1500年以上前の人物です。
そういう人の伝説が民話に姿を変えて現在まで残っているのだとしたら、
これはなかなかスゴイことだと思います。
ただ、古い桃太郎伝説は岡山県以外に、愛知県や香川県にもあります。

さてさて、最後に邪馬台国ですが、
ここからの話は邪馬台国畿内説にのっとったものですが、
九州説その他の方はどうかお気を悪くなさらないでください。
半分冗談みたいな内容ですから。

まず、最初のほうで出てきた楯築遺跡は、
邪馬台国の前身であった国の王のものであるとする説があります。
畿内説の邪馬台国候補地はほとんどが奈良県桜井市の纏向遺跡ですが、
卑弥呼の墓ともされる箸墓古墳(箸中山古墳)からは、
吉備で発祥した特殊器台とよばれる土器が出土しています。
纏向遺跡は2世紀最後半に突如として現れた巨大遺跡であり、
吉備の勢力が中心になって築いたというのは、あってもおかしくないと思います。

さらに、吉備津彦の姉は倭迹迹日百襲姫(やまとととひ ももそひめ)といって、
記紀では箸墓古墳に葬られたことになっています。シャーマン色の濃い女性で、
畿内説ではこの人物を卑弥呼に比定する研究者も多いのです。
それと、『魏志倭人伝』(三国志 魏書 東夷伝 倭人の条)
では、卑弥呼が魏に難升米(なしめ?)という人物を遣使していて、その後
さらに派遣されたものの中に、伊声耆(いせき?)掖邪狗(えやく?)の名があります。

倭迹迹日百襲姫には吉備津彦の他にもう一人、稚武彦(わかたけひこ)
という弟がいます。この弟2人が、
上記の伊声耆・掖邪狗ではないかとする説があるんです。
なんだ名前がぜんぜん違うじゃないか、と思われるでしょうけど、
吉備津彦の本名は、彦五十狭芹彦(ひこいさせりひこ)で、
男を表す彦を取ってしまえば「いさせり」です。
伊声耆(いせき)に似ているといえば言えなくもないでしょう。
また、掖邪狗は「ややこ」と読んで、若々しい赤子のような男子という意に取れば、
これが稚武彦ということになります。

ただの言葉遊びじゃないか・・・まあ、自分もそう思うんですが、
ちょっと面白いのでご紹介しました。あと、桃太郎の桃ですね。
纏向遺跡では、一カ所から2千個以上の桃の種が出土しました。
これは単なる食べカスではなく、同じ場所から祭祀用の土器等が出土してますので、
何らかの祭祀、神事に使われたものと見て間違いないのです。
時代もほぼ卑弥呼が活躍した年代のものであるとされます。
桃が神聖な果実として尊重されていたのは間違いないでしょう。
そして桃は桃太郎(吉備津彦)のモモであり、また倭迹迹日百襲姫のモモでもあるのです。

温羅の面








キップ・ソーン博士

2017.10.01 (Sun)
早いもので、今年もまたノーベル賞受賞シーズンになりました。
現在、日本人は3年連続で受賞していますが、初の4年連続の受賞はなるでしょうか。
さて、今回取り上げるのは、ノーベル物理学賞の最有力候補の一人である
キップ・ソーン博士についてです。昨年2月に重力波がはじめて観測されましたが、
博士はその検出プロジェクトのリーダーの一人なんですね。
ちなみに、物理学賞の発表は日本時間の10月3日です。

自分が博士の名前を知ったのは、もう10年以上前、
過去に遡るタイムマシンに関する著作を読んだときでした。
キップ・ソーン式のタイムマシンはワームホールを用いたもので、
ワームホールは宇宙の虫食い穴とも呼ばれます。
入り口から入って出口から出ると、
そこは宇宙のはるか離れた空間になっているという不思議な穴。
ただし、この宇宙に実際にワームホールがあるという証拠はまったくありません。
ですから、このタイムマシンに関する考察は思考実験です。

ブラックホールは空間に空いた一方通行の穴のようなものです。
そこに飲み込まれた物質やエネルギーは二度と出てくることはできません。
ブラックホールの中心は特異点といって、圧力や温度が無限大になります。
ブラックホールには入り口はあるものの出口はないのです。
このブラックホールを2つつなげたらどうなるか、
というのがワームホール発想の原点なんです。

博士のタイムマシン理論について、ここでは詳しく解説はしませんが、
負のエネルギーを持つエキゾチックな物質を使って特異点問題を回避し、
さらにワームホールの通路を光速に近いスピードで伸ばしてやることで、
なんとかかんとか過去へのタイムトラベルを可能にする理論を組み立てました。
ですが、これが現実にできるかというと、おそらく1000年たっても不可能でしょう。
先に書いたように、まずワームホールそのものが存在するかどうか怪しいですし、
ワームホールを準光速でビョ~ンと伸ばしてやる技術は想像を超えています。

それと、キップ・ソーン式のタイムマシンはなかなか使いにくいものです。
なぜかというと、原理的に、過去に遡るといっても、
タイムマシンが作られた以前の過去には戻れないからです。
今日は10月1日ですが、この日の昼の12時にタイムマシンが完成したとすると、
そこが基準点となって、それより昔には戻れないのです。ですから、
ジュラ紀の時代に行って恐竜を観察するとか、子ども時代の自分に会って、
人生のアドバイスをしてやるなどということは不可能なわけですね。

さて、自分は洋画に関する雑文なども書いていますが、
博士は映画界とも深いつながりがあります。話題になった2014年のSF映画、
『インターステラー』の原案を出したのがキップ・ソーン博士でした。
この映画は、特殊相対性理論、特異点問題、多次元における時間と重力など、
きわめて難解な物理学的内容が含まれていて、
その方面の知識があればあるほど面白く見られるというものでした。
また、ジョデイ・フォスター主演の1997年のSF映画『コンタクト』にも
深く関わっており、この映画ではワームホールを利用した星間旅行機が登場します。

さて、博士は量子力学の人ではなく、研究分野は相対論的重力理論です。
相対性理論の学者がノーベル賞を取るのはたいへんに難しいと言われます。
なぜなら、理論を証明する証拠が出てくることがほとんどないからです。
ノーベル賞は賞の性格として、実証的かつ実用的な研究に与えられることが多いのです。

世界的に有名な車椅子の天才科学者、ホーキング博士がノーベル賞を取れないのは、
彼の研究を証明する証拠が実験で出てこないからなんですね。
(大型加速器でマイクロブラックホールが生成され、
それが蒸発するホーキング放射が観測されたなら、あるいは・・・)
相対性理論の創始者、アインシュタインはノーベル賞を受賞していますが、
これは相対性理論に対して与えられたわけではなく、他の研究によるものです。

ですから、今回キップ・ソーン博士がノーベル賞を取れればラッキーとも言えますが、
長い間、アメリカで重力理論研究の第一人者としてやってきたからこそ、
重力波検出プロジェクトのリーダーに選ばれたのだとも言えるのです。
ノーベル賞に関しては、もし今年取れないとしても、
近い将来には必ず受賞することになるでしょう。

さてさて、最後に、博士はアメリカ人ですから冗談が好きです。
博士は研究分野が同じであるホーキング博士とはたいへん仲がよく、
ホーキング博士はイギリス人ですから賭けが好きです。

「裸の特異点」という概念があります。
宇宙の始まりのビッグバンの瞬間やブラックホールの中心が特異点ですが、
なぜ「裸の」とついてるかというと、
ホーキング博士は、これは女性の局部のように恥ずかしいものだから、
必ず奥底に隠されて見えなくなっていると主張しました。
(特異点は温度・圧力無限大になり、計算が成り立たなくなるので恥ずかしい)
それに対してキップ・ソーン博士は異を唱え、賭けが成立しました。

結果、高い次元の宇宙だと裸の特異点が存在するという計算結果が示され、
ホーキング博士はキップ・ソーン博士に、
裸を隠すための下着を贈ることになりました。
また「はくちょう座 X-1 はブラックホールか否か」という賭けも2人の間で行われ、
これにも負けたホーキング博士は、キップ・ソーン博士に、局部丸見えの、
アメリカのヌード雑誌である『ペントハウス』1年分を贈ったということです。

関連記事 『重力波観測』



※ 追伸 ノーベル物理学賞受賞おめでとうございます。