秦始皇帝と不老不死

2017.12.31 (Sun)


中国で2002年に見つかった大量の木簡の中に、
秦の始皇帝(Qin Shihuang)が国内各地で不死の薬を探すよう命じた布告や、
それに対する地方政府からの返答が含まれていることが最新の調査で明らかになった。

中国国営の新華社通信が24日に伝えたところによると、
3万6000枚に上る木簡は湖南省の井戸の底から発見されていた。
同省の考古学者らが調べたところ、「不老不死の薬」を探せ、
との始皇帝の命令が記されていたものがあった。
布告は辺境の地域や僻(へき)村にも通達されていたという。

また、この指示に当惑した様子がうかがえる地方政府からの
返信が書かれたものも確認された。例えばある村は、
そのような妙薬はまだ見つかっていないが引き続き調査していると報告。
別の村は、地元の霊山で採取した薬草が不老不死に効くかもしれないと返している。
もっとも、不死を求めた始皇帝の願いはかなわず、
始皇帝は即位から11年後の紀元前210年に死去している。
(AFP)

今回はこのお題になります。カテゴリとしては世界史の分野ですね。
それにしても3万6000枚の木簡ですか・・・
自分のように考古学を専攻したものにとっては、
すごい夢のある話だなあと思います。これらを解読することで、
古代の政治や生活の様子をかなり的確に再現できるようになるでしょう。
また、始皇帝時代の文字や語法についても新知識が得られることと思います。

さて、秦の始皇帝とは何か?みなさんご存知でしょうが、いちおうWikiを見ますと、
「始皇帝(紀元前259年 - 紀元前210年)は、中国戦国時代の秦王。
姓は嬴(えい)、氏は趙(ちょう)、諱は政(せい)。
現代中国語では、秦始皇帝と称する。紀元前221年に史上初の中国統一を成し遂げると、
最初の皇帝となり、紀元前210年に49歳で死去するまで君臨した。」


こんなふうに出てきます。49歳で死去というのは、現代からみれば若いですが、
当時としてはそれほど早死にということはなかったでしょう。
始皇帝が不老不死を求めてさまざまな活動をしていたことは、
司馬遷による史書『史記』で有名ですが、
それが今回の木簡の記述で実証されたわけです。

当時の不老不死の霊薬といえば、まず水銀があげられるでしょう。
水銀は常温で凝固しない金属です。このような物質は他にはないので、古代から珍重され、
霊薬として、西洋では錬金術、東洋では神仙術の材料として用いられてきました。
水銀が固体として採取される場合は、辰砂(しんしゃ 硫化水銀)の形を取ります。
辰砂を熱していくと水銀になりますが、それをさらに熱するとまた辰砂に戻ります。
この物質が循環する様子が、不老不死のイメージに重なるという話もあります。

始皇帝は水銀が大好きだったようです。日頃から服用していただけではなく、
生前に築いた自分の墓(秦始皇帝量 中国陝西省西安北東30kmの驪山北側)の地下、
始皇帝の棺の近くには水銀を流した人工の山河がつくられていたと、
前述の『史記』に出てきます。実際に始皇帝陵の土壌調査では、
表土から大量の水銀が検出されているんです。
ですから、この記述も史実である可能性が高いように思えます。

ちなみに、現在の中国では始皇帝陵発掘の計画はありません。
これは、まだ発掘するための技術的な基盤が整っていないと見ているためでしょう。
この判断は自分は正しいと思います。緊急発掘されたあの兵馬俑も、
空気に触れた酸化作用のために短期間で退色してしまいました。
始皇帝陵発掘の準備ができるまでには、まだまだ時間がかかるでしょうね。

水銀のような霊薬を飲んで寿命を延ばすことを、中国の神仙術で「外丹法」と言います。
(これに対し、自分の体の中で「気」を練るのが「内丹法」)
でも、水銀って毒なんですよね。日本の水俣病は、水銀中毒の悲惨な事例の一つです。
秦の始皇帝の死因は、皮肉なことに水銀中毒であったという話もあります。
ただし実証はされていません。その後も、中国の歴代皇帝には水銀薬を服用していた
という人が多く、また日本でも、飛鳥時代の女帝 持統天皇が、
若さと美しさを保つために水銀薬を飲んでいたと言われていますね。

さて、ここで話を変えて、始皇帝は中国全土から不老不死の薬を求めるだけでは
飽き足らず、徐福(じょふく 別名 徐巿 じょふつ)という方士を、
東方の三神山「蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅう)」へと、
霊薬を探すために派遣しました。

徐福は、3000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、
五穀の種を持って東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て王となり、
中国には戻らなかった、と『史記』は書いています。
この徐福がたどり着いたという伝承は日本の各地にありますが、
どれにも、確証と呼べるほどのものはないようです。
この他、徐福が王となった地については、台湾、海南島などさまざまな説があります。

1982年、中国の江蘇省連雲港市贛楡(かんゆ)県にある「徐阜(じょふ)村」が、
以前は『徐福村』と呼ばれていたことがわかり、
現地で徐福伝説が伝承されていることが確認され、徐福の出身地発見と話題になりました。
ただし、村の旧家には「明代に先祖がこの地に移住した」という話も伝わっており、
観光のための村おこしなのではないかという評判もあるようです。

さてさて、最後に一つ苦言を呈しておきましょう。
秦始皇帝といえば「焚書坑儒」と呼ばれる弾圧を行ったことで悪評が高いですよね。
「書を燃やし、儒学者を生き埋めにする」という意味ですが、
現代の中国における共産党による情報統制と言論弾圧はどうでしょうか。
例えば、中国のネットでは「天安門事件」は検索できないようになっているなどですが、
始皇帝の時代から2200年を経て、はたして進歩していると言えるのかどうか、
自分としては疑問を感じずにはいられません。

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「兵馬俑」




 



 
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部屋の天井の隅の話

2017.12.30 (Sat)
今晩は、よろしくお願いします。僕は大学生で、
クラシックギター同好会っていう地味なサークルに入ってるんですけど、
そこの1年下の後輩に起きた話なんです。発端はですね、
授業の空き時間にサークル室で本を読んでたら、その石塚って後輩が近づいてきて、
「先輩って、オカルトとかそういう方面に詳しいですよね?」
って聞いてきたんです。「オカルト? いや、そんなでもないけどな」
「でも、今読んでるの、超常現象の本じゃないですか」・・・たしかにそのとき、
その手のコンビニ本を読んでました。「まあ、興味はあるよ」そしたら石塚は、
「自分のアパートの部屋、ちょっと変なことがあるんで見えもらえませんか」
って言ってきて。「何がどんなふうに変なんだ?」
「それが、口ではうまく説明できないんです。見てもらえばわかりやすいんですけど」

それで、授業が終わってから石塚の部屋に行ってみたんです。
入るのは初めてでしたが、比較的新しいアパートの1階の一室でした。
「いい部屋じゃないか、しかも片付いてるし。で、どこが変なんだ?」
「あそこです。あの天井の隅っこ」指差した真下に行って見上げると、
たしかに変でした。外に面した窓がある左上の天井部分なんですが、
そこだけ三角のガラスがはまってるように見えたんですよ。
イメージできますでしょうか。「うーん、なんだこれ? ガラス?」 
「ええ、ガラスっぽいですよね」 「いつからこうなってたんだ?」 
「それがですね、この部屋に入って半年過ぎたくらいですが、
 最初はこうjではなかったと思うんですよ。気づいたのが3日前です」
「うーん・・・」 「猫がいましてね」 「猫?」 

「ええ、ノラ猫です。この窓の下をいつも通る白猫がいまして、
 餌でつったら部屋に入ってくるようになりました。
 体は触らせてもらえなかったですけど。その猫がですね、
 あの天井の隅に向かって立ち上がり、手でひっかくような
 真似をよくやってたんです。変なやつだなあと思ったんですが、
 でも、そのときはガラスみたいになってなかった」 「うん、それで?」
「その猫が部屋に入ってるとき、ちょっと外に出て戻ってきたらいなくなってて、
 それ以来姿を見せないんです。ほぼ毎日、この窓の下を通ってたのに」
「ノラなんだろ。どっかで車に轢かれたとか保健所につかまったとかかも」
「ええ、そうかもしれません。でね、ベッドに寝っ転がって、そういえば
 あいつが来てたとき、よくあの天井のほうを引っ掻いてたよなあって見たら、

 こうなってるのに気づいたんです」
「うーん、ガラス、でもあんなとこにガラスをはめる意味なんてないよな。
 とにかく調べてみよう。棒かなんかないか?」
「棒ですか・・・あ。外にホウキがあったと思います」石塚がホウキをとってきたので、
手を伸ばしてそのガラスに見えるとこに差し入れてみました。
そしたら、けっこう高い天井でぎりぎり先端が届いたんですけど、
それがガラスを通り抜けて、しかも屈折してるように見えたんです。
ほら、プールの水に足だけ突っ込むと、
水の上からは角度が曲がって見えるじゃないですか。
あんな感じで。「やっぱガラスじゃない。向こう側に通り抜ける。それにしても・・・」
でね、石塚に肩車をさせて、その天井の隅に近づいたんです。

そしたら・・・なんと言えばいいのかなあ。
そこだけ透明なゼリーがはまってるっていうか。
手を突っ込んでみたら、やっぱ巨大なゼリーに手を入れるとこんなんだろうな、
って感触があって、手のひらが暖かく感じられたんです。
あと、シャボン玉って、日に当たると虹色に輝いてますよね。
ガラス面にあたる部分がそんなふうになって、色が渦を巻いてたんです。
その状態で壁や天井板も触ってみました。
すると、手のひらが何かをつかんだんです。
うーん、向こうからするっと手の中に入ってきたような気がしました。
いったん肩車から下りて、つかんだのを見ると、球根みたいなものだったんです。
これも言葉ではうまく言い表せないんですが、ドラゴンフルーツってありますよね。

あれを四分の一くらいの大きさにして、色を白くしたようなもの。
木の実かもしれませんが、球根という印象が強かったです。
「あー、なんだこれ、こんなのどこにもなかったよな」僕がそう言うと、
石塚が「あ、先輩、天井がもとに戻ってます」それで見ると、
たしかにさっきまでガラスがはまってたようだったのが、なくなってたんです。
「うーん、不思議だ? これが原因だったのかねえ」
「かもしれないですけど・・・どうしましょう、これ」
「ここ、芽みたいなのが出てるから、こっちを上にして植えてみたらどうだろ」
「外にですか?」 「いや、植木鉢みたいなののほうがいいかもだな」
「じゃあ、ホームセンターで買ってきてやってみます」
その日はこんな感じで終わったんです。

で、翌日、石塚に会って話を聞いたら、安い植木鉢を買ってきて中に入れ、
腐葉土をかけてかるく水をやったって言ったんです。
ええ、どうなるかの興味はありましたけど、
それから1ヶ月くらい変化なしということで、
僕もだんだんそのことは忘れていったんです。でね、秋近くなったある日、
石塚が「先輩、あの植木鉢、芽が出ました」って言ってきて。
「天井のほうはどうだ?」って聞いたら、「それは元に戻ったままです」って。
発表会に向けてギターのほうが忙しくなってたので、
「やっぱ植物だったんだな。もっと伸びたら見に行くよ」って言いました。
それから2週間くらい、石塚の姿を見かけなかったんです。
石塚は1年なんで、アンサンブルのメンバーには入ってなかったんですけど、

どうしてるか気になったので、電話してみたものの連絡がつかず、
練習の帰りにふらっとアパートに寄ってみたんです。
インターホンを鳴らしても返事がなく、ドアノブを回して押したら、
鍵はかかってませんでした。それで「いないのか、入るぞ」って言いながら、
中に入ると、石塚はぼんやりした顔でベッドにもたれて床に座ってたんです。
「なんだいるのか。どした、体の調子でも悪いのか?」そしたら石塚は、
気怠いような動きで、机の上を指差しました。鉢植えがあって、
そっから50cmくらいの植物が生えてたんです。
植物の葉はチューリップに似てて、でも茎はもっと左右にねじ曲がってて、
先端に青くて硬そうな大きなつぼみがついてましたね。
「これ、あれか? うわ、すごい伸びたなあ」

机に近寄って鉢を持ち上げると、かなりの重さがありました。
顔を近づけると、ほんの少しだけですが、生臭いような臭いがしたんです。
「これ、花が咲くんだろうなあ」 「・・・ええ、たぶん」
やっぱり調子が悪そうな声だったので、
「お前、どっか悪いんだと思うぞ、明日病院に行ってこい」 「あ、はい、そうします」
こんなやりとりをしてその日は終わったんです。
でね、翌日から石塚は練習に来ましたし、まずまず元気もあったので、
これは大丈夫だろうと思ったんですが・・・それから5日目に石塚はまた練習を休んで、
その日の夜遅くにメールが来たんですよ。それがほらこれです。
『 鉢植えの花が咲きました。大輪の猫でした。かわいいけど怖いです 』
・・・変な内容でしょう。で、こっちから返信しても返事は返ってきませんし、

電話も不在で通じなかったんです。気になったので翌朝早く行ってみました。
そしたら、前と同じにドアが開いてまして、中に入ると、
ベッドにもどこにも石塚の姿はなかったんです。はい、机の上に植木鉢はありましたけど、
あれほど大きく育ってた植物はなくなって、鉢の土の上にワラみたいに乾いた切れっ端が
数枚落ちてるだけでした。でね、気になったので部屋の天井の隅を見てみたんです。
そしたら、前に一度見たのと同じように、またガラスがはまったようになってて・・・
それから石塚はずっと行方不明です。ご両親が捜索願を出して警察が探してるんですが、
見つかってはいません。ええ、この話は警察にもしましたよ。メールも見せたものの、
あんまり取りあってもらえなかったです。部屋の隅は・・・
あれから入ってないんですが、たぶんあのままなんじゃないかと思います。
え? また球根があるかもしれない?? ・・・それって、もしかして???

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日本書紀成立の3事情

2017.12.29 (Fri)
※ 日本史についてのかなり硬い内容ですので、興味を持たれない方はスルーされた
ほうがいいかもしれません。



今回も古代史関連の内容です。これは前回のアマテラスの話とは違って、
自分の独自の考えがかなり含まれていますので、そのつもりでお読みください。
『日本書紀』についてWikiを見ますと、こんなふうに書かれています。
「『日本書紀』は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史で、
六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。
神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体にて記述されている。全30巻。
系図1巻が付属したが失われた。」


さて、できるだけかいつまんで書きます。
お題に「3事情」と入れてますが、成立事情はもっと他にもあると思いますが、
その中から特に3つにしぼって考察するということです。3事情とは、
① 南九州の隼人と呼ばれる人々に対する配慮。
② 天武朝の正当性を国内に知らしめる。
③ 中国(唐)に対し、天智朝とは別政権であることを強調する。

まず①について。『日本書紀』が成立した時期は、九州で「隼人の乱」と呼ばれる
激しい戦乱が起きていました。これ、あまり知らない人が多いんですが、
1000人以上の死者が出ています。当時の南九州は、
大和朝廷による中央集権を嫌い、班田収授の法を受け入れませんでした。
これに対し、朝廷側はいろいろな懐柔策を試みたものの、
結局は戦闘となり、戦いは1年半近くにわたって隼人側の敗北で終結しました。

このことを踏まえ、『日本書紀』の天孫降臨から神武天皇までの部分は、
南九州に配慮した内容になっています。それが「日向三代」と呼ばれる部分ですね。
天孫ニニギが宮崎県と鹿児島県の県境に位置する高千穂の峰に降臨し、
ホオリ(山幸彦)ーウガヤフキアエズと代がつながって、
ウガヤフキアエズの子である神武天皇が大和に向けて東征に出発します。
当時辺境であったと考えられる南九州が、なぜ天孫降臨の場所として選ばれたのか? 

自分はこの隼人の乱の影響が大きかったためと考えています。
じつは天皇家の故地は南九州であったとすることで、
戦乱の目がくすぶっていた南九州を懐柔し、日本をまとめようとしたのでしょう。
中村明蔵、鹿児島国際大教授は、これについて次のように述べています。
「隼人の神話を取り込んだうえで、隼人を朝廷に服属させることを正当化するための
造作を加えたものが記紀の日向神話。そこには記紀編さん時の、
南九州、南島の領域化という朝廷の政治的関心、意図が強く反映している。」

②について。みなさんは「壬申の乱」をご存知ですよね。
天武天皇元年(672年)に起こった古代日本最大の内乱です。
天智天皇が崩御した後、その子で皇太子の大友皇子と、天智天皇の弟の大海人皇子
との間で戦闘が起き、大海人皇子が勝利して天武天皇として即位します。

このとき、『日本書紀』の記述では、大海人皇子側が初期の戦闘に負け、
ちりぢりになった軍兵を集めていると、将軍の一人が神懸りとなり、
事代主の神がのり移って「神武天皇陵に、馬および種々の兵器をたてまつれ」
と神意を告げたことになっています。そこで大海人皇子は神武陵に数々の供え物をし、
戦況を打開して勝利することになります。

このあたりの記述は、まさに天武天皇こそが、
初代の天皇である神武の系譜を継ぐものであることを示しているわけです。
つまり、『日本書紀』には、天武天皇が正統の皇統であることを
国内に知らしめる役割があったんですね。『日本書紀』の天武紀の冒頭には、
「天命開別天皇同母弟也 幼曰大海人皇子 生而有岐㠜之姿 及壯雄抜神武 能天文遁甲」
とあり、天武天皇を神武天皇になぞらえようとする意図がはっきりうかがえます。

③について。天智2年(663年)、朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で、
倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争が起こりました。
これを「白村江の戦い」と言うのはご存知だと思います。
戦闘は日本軍の大敗北に終わり、百済は滅亡し、天智天皇は唐の国内侵攻をおそれ、
対馬や大宰府に水城、西日本各地に朝鮮式山城を造り、九州に防人を配備し、
667年に都を難波から内陸の近江京へ移して日本国内の守りを固めました。

それから壬申の乱を経て、天武天皇の時代になったわけですが、
天武朝としては、完成した『日本書紀』を唐に見せることを考えていました。
その意図の一つとして、唐に反抗して白村江で戦った天智朝と、
現政権は別物であることを強調したかったのだと思います。

『日本書紀』の天武紀には、大海人皇子が、まだ天智天皇が存命の際、
大友皇子に即位をゆずって吉野山に入り出家したという記述が出てきますが、
このとき群臣の一人は「或曰、虎着翼放之」(虎に翼をつけて放つ)と評しています。
これは、韓非子や周書などの中国の書物に見られる表現で、
ここでははっきりと中国の易姓革命が意識されています。
つまり、天智朝と天武朝は別物なんだということを唐に向けて強調したいわけです。
また、このことをきっかけに、国号を「倭」から「日本」へと変更することになります。

中国の史書である『旧唐書』には「日本伝」と「倭国伝」の両方が立てられ、
当時の中国は「日本」と「倭国」の関係についてよく理解していない様子が見られます。
また、日本から唐に来たものに質問をしても、その態度は尊大で問いに答えず、
彼らの言うことが、どこまで真実を伝えているのか疑わしいと記されています。
このあたりのことは、日本からの遣唐使が
わざと天智朝と天武朝の関係をあいまいにしているのであり、
そしてそのねらいは成功していると自分は考えます。

さてさて、やはり長くなってしまいました。『日本書紀』は勝者である天武朝側
が書いた歴史書です。日本国内においては、
天武朝が正統な天皇系譜を受け継ぐものであることを諸豪族に知らしめ、
対外的には、天智朝と天武朝は易姓革命で入れ替わった別政権であるように思わせる。
隼人対策も合わせ、この3つの大きな意図によって書かれたのが『日本書紀』だと、
自分は考えているんです。

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自分とオカルト

2017.12.28 (Thu)


自分の本業は、原稿を書いてお金をいただくライターです。
書いているジャンルは旅行や歴史、神社仏閣などが中心ですが、その他に洋画や洋楽、
美術、AI、科学技術、将棋、アメカジ、アメ車・・・と多岐にわたります。
もちろん占星術についても書いてます。
あと、このブログを始めてからオカルト関係の依頼がかなり増えました。
これについては素直に喜んでいます。

さて、自分はオカルティストと自称していまして、
これはオカルトを研究している人間という意味なんですが、
この呼称はいろいろと誤解を生みます。
まず、オカルティストと聞くと、夜中に床に五芒星を書いてロウソクを立て、
悪魔を召喚したりしてるんじゃないかと思う人がそれなりにいます。
これはまあ、オカルトという言葉の響きにはどうしてもそういうイメージが
含まれてしまいますので、しかたがないとは思ってます。
ある程度、神秘的なイメージを持たれたほうがいい場合もありますし。

オカルトを研究するにあたっては、中立的な立場をとって行うのが大原則です。
つまり、信じる側に立って研究してもいけないし、
かといって、最初から絶対にインチキだ、
という見方をするのもよくないんですね。でないと先入観によって目が曇ります。
ですから、みなさんもオカルトサイトや本をご覧になる際には、
その著者やサイトの管理人が、どういうスタンスでオカルトに臨んでいるのか
注目してみるのがよいのではないかと思います。

あと、最近は霊障の相談のようなのが友人や出版社を通じて来ることがあり、
怖い体験談をお寄せいただくのは歓迎なんですが、
これにはちょっと困っています。自分は霊体験はないですし、
宗教的な知識は詳しいほうだと思いますが、いわゆる霊感などもありません。
ですから当然、霊を祓うなどといったこともできないんです。
もしそういう相談があった場合には、
自分には常識的な対応策程度しか話すことはできません。

さて、では、お前は心霊体験などについてどう思ってるのか?
と聞かれると、これも困るんですよねえ。いちおう怪談を書く人間ですし、
「この世に心霊現象などはない」と言い切ることはできません。
というのは、どう考えても不可解だとしか言いようのない現象も、
たしかに存在することはすると思うんです。

これは前にも一度書いたことがありますが、
自分は19世紀から20世紀前半にかけての心霊主義時代の、
欧米の降霊会や霊媒の画像を収集して、外付けのハードディスクに保存してます。
これが、全部で4000をこえるくらいの枚数があるんですが、
中に一枚だけ、画像表示ソフトなどで立ち上げると、
コンピュータが壊れてしまうものがあるんです。

なんだウイルスが入ってるんだろう、と思われるでしょうが、
それは各種のアンチウイルス、アンチマルウエアソフトでチェックして、
そうではないことを確認しています。
ただの画像でしかないはずなんですが、自分のコンピュータ2台の他、
共同事務所のもの、某出版社の編集部のものと、
合計4台のコンピュータを壊した実績があるんですよ。

ここまで書くと、どういう画像なのか興味を持たれると思います。
それは、1860年代のアメリカで、ある女性霊媒師が降霊会で
ネイティブ・アメリカンの霊を呼び出している場面を写したもので、
ネットから入手したのではなく、アメリカ人の愛好家からメールでいただいたんです。
ちなみに、そのアメリカの方は昨年、狩猟中の事故で亡くなっているんですね。
あと、自分も去年大病をしましたし・・・

まあ、偶然なのかもしれないですし、ぜひにもそう思いたいところですが、
やはり怖いので、そのファイルは完全にお蔵入りということにしています。
・・・これほどハードな例ではないにしろ、
不可解と思えることはまだ他にもいくつかあるので、
「心霊現象などといったものはない」と言い切る自信も自分にはないんです。

ただまあ、世の中にある霊能相談、霊視鑑定、霊的な治療、霊的なお守り、
開運商品などにインチキなものが多数存在するのは事実です。
それで、高額な金銭を失って訴訟になっている例もたくさん見聞きしています。
これは金額の多寡でみるのがいいかもしれませんね。
数百円、数千円程度のことなら、洒落として、ダメ元と思って買ったりしても
大きなダメージを受けることはないでしょう。
それ以上になるものには、近づかないようにするのが賢明なのではないでしょうか。










首きりの木の話

2017.12.28 (Thu)
電力会社の系列企業に勤めてるんです。それで、去年、1年間だけってことで、
東北地方にある支社に転勤になったんです。ええ、別に嫌ということもなかったです。
自分は独身ですし、面倒なことはなにもなかったですから。
行った先の支社でも特に問題はありませんでした。
まずね、仕事量が関東にいたときと比べて半分になったんです。
給料は手当がつく分だけ増えましたし。支社のメンバーもみな気持ちのいい人たちでした。
でね、その中に山田さんって人がいたんです。
自分より年上で、年齢は36歳って言ってましたね。山田さんも独身で・・・
バツイチなんですよ。子どもができる前に奥さんと離婚したってことでした。
東北のほうだと、離婚する人ってあんまりいないみたいなんですね。
だから、バツイチってわかると体裁が悪いって、飲みに行ったときに言ってました。

そのときに、再婚は考えてないんですか?って聞いたら、
「女はもうこりごりだよ」って笑ってましたね。よく飲みに連れてもらってたんですよ。
平日、会社が終わってからは、部屋に戻っても待ってる家族もいないですから。
でね、その山田さんに、5月の連休のときに山に行かないかって誘われたんです。
場所は八幡平のほうです。自分は体力にはあまり自信はないんで、
「登山はちょっと・・・」って答えたら、「いや、トレッキング程度のもんだ。
 山頂を目指すような山登りはしないし、メインは温泉だよ。
 温泉に浸かって、若葉を見ながら一杯飲むんだ」こう言われて、
それならと、一緒にいくことにしたんです。麓まで車で行き、
車を置いて徒歩で山に入り、山中で一泊、さらに温泉宿まで下ってもう一泊って計画でした。
自分は山の道具なんて一つも持ってませんでしたけど、

テントなんかは全部、山田さんが用意してくれました。天候が心配でしたが、
2泊3日の道中ずっと晴れてて、山田さんが自分に合わせてゆっくり歩いてくれたんで、
疲れることもなく、気持ちがよかったです。特に原生林の中を歩いているときには、
空気が甘く感じられまして、ああ、これが森林浴効果ってやつかと思いました。
でね、一日目の昼過ぎになったとき、山田さんが、
「初めてだけど、ちょっと別ルートをとってみるか」って言ったんです。
自分が「道に迷うなんてことあないですか?」って聞くと、
「いやそれは大丈夫、どうせ下るだけだから、どうやっても温泉地には出るよ」
それで、林の中の分かれ道を細いほうの道を選んで進んでいったんです。
日の長い季節でしたが、4時をまわって、そろそろテントを張る場所を決めなきゃけない
って頃です。林の中ですごいものを見つけたんです。

巨木ですよ。幹の太さは大人が3人手を回してもとどかないくらいの木があったんです。
林の中に、ぽっかり木の生えてない草地があって、
真ん中にドーンとその木がそびえてました。
でね、1mほどの高さのところで、その木が二股に分かれて伸びてたんです。
山田さんは「ふーん、こんな木があるとは知らなかった。
 これほどの大木なら地元では有名になってるはずだが」こんなふうに言い、
自分が「何の木ですかね?」って聞いたら、
「これはブナだな。この大きさだと樹齢は200年、それくらいは いってる」って。
木ノ下のほうには枝はなくて、見上げる高さに、
二股になった木をまとめるようにして、ボロボロの注連縄が巻かれていました。
「ご神木とかですか?」と重ねて尋ねると、山田さんは首をかしげてました。

でね、その木に手のひらをあててみました。そしたら温かかったんです。
ちょうど人間の肌くらいの感じに。まあでも、1日中日に照らされてたせいなんだろうと、
そのときには思いました。で、ちょうどいい草地だったんで、そこにテントを張り、
焚き火をして酒を飲みました。ちゃんとした食事はとらなかったんですが、
酒のつまみはたくさん持ってきてたんです。
飲みながらあれこれ話しているうちに日が暮れてきて、
すると、あたり前の話ですが、街の夜とは違って真っ暗になるんですね。
ランタンを持ち出してさらに飲み続け、2人でウイスキーを1本以上いきました。
それでも、10時ころには寝たんです。で、朝、目が覚めて寝袋から這い出したのが6時ころ。
あたりは完全に明るくなってて、自分の隣に寝ていたはずの山田さんの寝袋が空になってました、
外で火を起こしたりしてるんだろうかと、テントの外に出てみましたが、

見渡しても草地には姿はなし。でね、巨木のほうを見て「あっ!」と思いました。
山田さんが二股になってたところにはさまってたんです。
それも頭を下にした逆さまの形で。近寄ってみると、山田さんは固く目を閉じて
眠ってるみたいでした。揺り動かすと落ちそうだったんで、胸のあたりをトントンと叩くと、
山田さんは身じろぎしながら目を開けましたが、すごい目ヤニがこびりついてました。
山田さんは最初、何がどうなってるかわからないみたいでした。それはそうですよね、
自分の姿が逆さに見えるわけですから。山田さんがぐっと腰を折ると、
木の間にはさまっていた足が抜けて、ずどーんと下に落ちてきました。
支える暇もなかったんです。「大丈夫ですか?」と自分が言うと、
山田さんは腰をさすりながら座った形に起きあがり、
「なんだあ? どうなったんだ?」って。

自分が木にはさまった状態で見つけたことを説明すると、妙な顔をしてましたが、
あちこち体を動かして「ケガはしてないようだ。・・・俺が木にはさまってた??」
しばらく考え込んで、「夢を見てた」ってぽつりと言ったんです。
「夢は二つ見た。どっちも嫌な夢でなあ。ほら、俺が離婚したって言っただろ。
 あれは、原因は女房の浮気なんだよ。それが発覚してからいろいろと揉めて、
 結局は裁判になって離婚したんだが、そんときのことを一つ一つ細かく思い出したんだ。
 あの頃の気持そのまんまにな。」山田さんはしばらく間を置いて、
「もう一つの夢はな。この木の前に人が何人も立ってて、服装はありゃ古代人だろう。
 そいつらが縛られた女を連れてて、そのあたりに穴を掘って、
 ひざまずかせた女の首を刀で刎ねたんだよ。女の首と、
 すごい量の血がザーッと穴の中に落ちてな。そんな夢だった。

 ああ、どっちの夢も今思い出してもぞくぞくってくるよ」
こんなふうに言ったんです。なんでテントを抜け出して、木の股にはさまってたのかは
本人もよくわからないようでした。自分はなんとも反応のしようがなかったんですが、
「古代人って言いましたよね。でも、この木の樹齢は200年くらいなんでしょう。
 そうすれば、せいぜい江戸時代くらいまでしか遡れませんよね」って聞いてみました。
山田さんは気分が悪そうに「・・・ああ、そうだな」って答えだけだったんです。
それからテントを片付けて山を下っていったんですが、昼食のときも、
温泉宿に着いてからも、山田さんはずっと無口で不機嫌そうだったんです。
ええ、温泉に入って酒を飲んでからも同じでしたね。いや、
酔うと目が座ったような感じになって、宙の一点をずっと睨んでたので、
怖くなってしまったくらいでした。

その状態は車に乗って街に戻るまで続いていましたね。
でね、山から戻ってから2日後のことです。まだ連休中でしたけど、
あの事件が起きたんです。はい、山田さんが別れた奥さん、もう再婚してたんですが、
その家に行って、鎌で元奥さんの首を切っちゃったんです。
殺人なんてめったに起きないような地域だったんで、これは大事件になりました。
テレビや新聞で連日報道されたので、ご存知ですよね。
山田さんは元奥さんの首を持ったまま行方をくらまして、
いまだに見つかっていないんです。うーん、地元の噂では、
人知れずどこかで自殺してるんじゃないかって言われてましたね。
あとね、山田さんが離婚したのは6年前のことで、それからは元奥さんとはずっと
没交渉だったんで、なんで急にこんな事件になったのか不思議だって話が出てました。

・・・ええ、自分はあの木のせいじゃないかって思ってます。
山田さんの見たっていう夢にぴったり符合するじゃないですか。
奥さんと別れることになった経緯をこと細かく思い出して、そのときの怒りが再燃した。
それと、古代人の首切りの儀式・・・生贄かなんかの。
それも関係があってその事件になったんじゃないかと思うんですよ。
でね、もしかしたら、山田さんは元奥さんの首をあの木の根元に埋めたんじゃないかって。
いえ、警察には話してないです。そのかわり、一人であの木を探しにいってみたんです。
はい、あの日のルートを通って、細いほうの分かれ道に入って。
でも、見つけることはできませんでした。だからもしかしたら、
あの木は時間を超えて、あのときだけそこにあったのかもしれないです。
まあ想像のしすぎかもしれませんが、そんなふうに思ったんですよ。








またまた反則企画

2017.12.26 (Tue)
※ 自分が書いた「阪急宝塚線」という話があって、これは落語に想を得たんですが、
これについて、外部のまとめサイトから感想を転載させていただきました。
途中で大阪弁の「おっさん」の話になってるのは笑いましたが、
無理に共通語で書いたのが誤解を与えたかもしれません。

「阪急宝塚線」

そういえば、5年くらい前に昼過ぎの空いた電車に乗っていたら、
それまでカバンを抱えて座っていた40代後半くらいのおっさんが、
停車駅でもないのに急に立ち上がった。
おっさんは額から頭頂部まで禿げ上がっていて、
身長はかなり高く、痩せ気味ではあるものの骨格が太くいい体格をしていた。
おっさんは目を半眼のようにして、
直立不動で何やら軍歌のようなものを大声で歌い始めた。

歌い終わってから、「みなさん聞かれたことがあるかもしれませんが、
今のはPL学園校歌です。私は在学時野球部で5番を打っていました。
 惜しくも甲子園には行けませんでしたが。・・・私は昨日付けで会社をクビになりました。
 なりましたが・・・しかしめげませんよ。
 野球部時代を思い出してこれからも頑張ります」と言って座った。
最後の方の声はややかすれがちだった。
まばらだった他の乗客はあっけにとられていたが、
小さい声で「そうか、ガンバレよ」と言った人が一人いた。

それで、このおっさんの態度が印象に残ってたんで、
会社の飲み会の2次会で居酒屋に行ったときに皆に話したんだよ。
そうしたらみなちょっとシュンとなって、この景気じゃ人ごとじゃないよな、
みたいな雰囲気になった。そしたら、
居酒屋のついたての向こうにいたタイガース帽のおやじが話を聞きつけて、
顔をのぞかせ「それ、阪急宝塚線だろ」と声をかけてきた。

「そうだ」と言うと、おやじは、「それ幽霊だぞ。しかも嘘つきの幽霊だ。
 会社を首になったのは何年も前だし、そのすぐ後に首を吊って死んでる。
 年に数回出るから、あの沿線じゃちょっと有名だよ」と言うんで、
「幽霊とは思えなかったな。生きた人にしか見えなかったよ。
 それで、嘘つきってどういうことだい」と聞くと、おやじは、
「最初に出たときは、PLの8番バッターと言ってたんだよ。
 それがだんだん打順が上がってきた。人間死んでからまでも見栄をはりたいんかねえ。
 次は4番バッターになってるだろうよ」と言った。



・オチで笑える話になっちゃったじゃまいかw
 見栄っ張りで嘘つきなのかw本当は万年補欠だったのかも。
 いや、PL入試に落っこちて地元の公立高生だったとかw

・とはいえ、会社をクビになって自殺して、それでも普段から通勤に
 使ってたんであろう路線に幽霊となって乗っているんだから・・・
 やっぱ、物悲しい話だよな。

・自分は20年ほど宝塚線に乗ってるけど見たことないなぁ。霊感もわりとあるんどけど。

・最初に出た時はスタメンだったのかも怪しくなってしまったな。

・そもそも、一体どんな未練が、そのオッサンをそこまで現世に引き留めているのかが、
 凄く気になる。

・乗客からコンバットマーチで声援して貰いたいんじゃね?

・何故そのおっさんが自殺した、なんて事情を知ってたんだろうか?

・しかし、自分も昔大阪住んでたが、阪急線にも時々どっか壊れたような人乗ってるもんな・・・
 ミナミの方に比べれば遥かに柄は悪くないんだが。

・そこに住んでるけどそんな噂聞いたこと無いな。

・落語かよw

・噂になっていないのは同じ人の前には一度しか現れないから。
 霊感がある人が見たことないのは、そういう人がいる時は避けているから。
 嘘だとばれるのを避けるためにこの二つを実行しているのだとしたら、
 このオッサンかなりの知能犯だよな。 あるいは、否定されるのが怖いか。

・一度しかあっていない変な人の話なんて、あってすぐ後に飲み会とかない限り、
 あまり話す機会がない。 その席で真相を知っている人に会う確率も低いし、
 そもそも一度しかあっていない変な人のことなんて、割とすぐ忘れてしまうもんだ。
 霊感が割りとある人なら、幽霊だと見抜かれて突っ込みいれられるかもしれないってな感じで。

・見栄っ張りも死んだ程度じゃ治らないのか。
 タクシーの殿様を見習えよ。人生ずっと楽しいぜ。

・いや、嘘ついて同情もらうのがこいつの生き甲斐なのかな・・・?

・>いや、嘘ついて同情もらうのがこいつの生き甲斐なのかな…?
 もう死んでるってのにいまだ生き甲斐に執着ってことか。

・居酒屋で会った見ず知らずのオッサンの嘘くさい話を信じるのか。

・その元球児のオッサンは今頃どこかでまた1からがんばってるかもしれないではないか。

・居酒屋で会ったオッサンこそ「嘘吐きな幽霊」説。

・「おっさん」ていう言い方はやめろ。こういう話でよくあるが、すぐおっさん呼ばわりする、
 上から目線で侮辱してるのがよくわかる、失礼すぎて下品や。
 「男性」「年配の男性」という言い方が普通 。

・細かいことは気にするなよおっさん 。

・少し落ち着けよ年配の男性。
 何か厭な事でもあったのか年配の男性。 年末なんだし酒でも飲んで忘れようぜ年配の男性。

・おっさん涙目wwwwwww

・そんなんだからおっさんて言われるんだよ。

・おっさんにおっさんって言ったら上から目線とか頭おかしい 。
 おっさんはおっさんであってそれ以上でもそれ以下でも無いだろ 。
 訳判らん俺ルールを押し付けんなよおっさん。
 まあおっさんの俺が言うのもアレだがw

・そうだそうだ。おっさんはおっさんらしく胸はって生きろ。
 ウジウジしたおっさんはキモイだけだぞ。

・※欄に関西人が少ないようなので少しフォロー
 関西、特に大阪では「おっちゃん」が標準で「おっさん」だと蔑称というか、
 やや喧嘩腰な物言いになる 投稿者は会話を標準語に直してるから、
 「おっちゃん」も「おっさん」に変換して書いたんだろうけど、
 関西脳だと違和感ある人もいるかもね。 その辺の温度差を汲んでもう許してあげて 。
 皆さんも大阪でうっかり「おっさん」呼ばわりしてトラブルにならんように注意してね。
 でも「年配の男性」には笑っちゃったけどなww

・あえて言いたい。 47歳までは、お兄さん或いはお兄様だ。

・よう47才 。

・47歳は初老 。

・中村監督時代のPLなら8番でも滅茶苦茶凄いよな。見栄張るなよおっちゃん・・・

・関西住みの三十代後半、女ですが、
 年配の男性に対しては、旦さん(旦那さんの略した関西弁)てお呼びすることが多いです。

・年配のご婦人には、姉さん呼びが角がたたなくて、よく使います。

・絶対30代後半とかウソw 旦さんとか言わへんし。

・おっちゃん、おばちゃんまたはお姉さん 、これがほんま。
 年齢詐称疑惑w

・大阪育ちの30歳後半の女ですが、「旦さん」なんて言ったらびっくりします。
 普段聞いたことないし。姉さんも同じ。

・新喜劇とか吉本の芸人さんなら言うかも…?

・一口に大阪と言っても広いし言葉も変わるし・・・
 そうねぇ、「旦さん」と言う人は古くからの商家が多い船場の育ちと見た。

・レベルの低い書き込みばかりだな。まんま民度の低さを表してるわ。

・おかしいと思ったぜ PL学園が甲子園でれねーわきゃねーもんな。

・私は30なったばっかりだけど旦さんって言うおばちゃんと会ったことあるし、別に変だと思わない 。

・こういう人から見たらたまにだけどおじさんやおっちゃんとかではなく、
 おいちゃんと言ってる私も変人扱いなの? そっちのが怖い。

・まじレベルひくいね・・・(´-ω-`)

・見栄なのか? 1番までいったら何か起こるのでは?

・そこ期待したいとこだね。

・次の出現時ついにキャプテンへ昇格。

・祖父の代から宝塚沿線住まいで、小学校から沿線の学校に電車通学してるから、
 同じ地域住まいの幼馴染もいっぱいいるけど、こんな話聞いたことないなー
 そもそもタイガース帽かぶるようなおじさん自体、まず目にすることないような土地柄なんだが。
 居酒屋のおじさんの方が幽霊という可能性も・・・?

・阪神宝塚線だろ?それ清原だよ。

・居酒屋のおっさんが幽霊もしくは嘘つきだった場合、
 小耳に挟んだ話を瞬間的に落語に変えた能力を評価したい。

・「旦さん」の人は大阪じゃなく関西住みなんだな。
 京都方面の一部なら「旦さん」「姉さん」はあり得る気がする 。

・生まれも育ちも大阪の私は年上女性はいくつでも「お姉ちゃん(さん)」








アマテラス 2つの疑惑

2017.12.26 (Tue)


今日は古代史と日本神話の話でいきますが、
けっこう小難しい内容ですので、興味のない方はスルーしてください。
まず、お題に出てくる「アマテラス」とは、天照大神のことです。
なぜカタカナで書くかというと、比較神話学などでそうする習慣があるからです。
日本の神々の名前は、同じ神でも『古事記』と『日本書紀』で
漢字表記が異なる場合がほとんどですし、
また、漢字で書くとその字の持つイメージに影響されてしまいがちです。

ですから、一つ一つの神格を記号的にとらえて、
カタカナ表記にするのが通例となっているんです。
あと、今回の内容は、詳しく書くと本何冊分もの量になってしまいますので、
今回はほんのさわりだけにとどめておくことにします。
最後に参考文献をあげておきますので、
興味を持たれた方はそちらをお読みください。

さて、アマテラスについて辞書をみますと、
『日本神話に登場する太陽を神格化した女神で皇室の祖神、日本総氏神ともされる。』
こんな解説が記されていることが多いのですが、
お題にあるように、2つの疑惑が持たれています。
一つは、「じつはもともとは皇祖神ではなかったのではないか?」で、
もう一つが、「じつは男性神だったのではないか?」というものです。
どちらも辞書の定義をまっこうから否定した内容ですが、
これ、自分はどっちもおおむね正しいのではないのかと思っています。

まず、皇祖神ではなかったとする説ですが、
歴史学者 溝口睦子氏の『アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る 』
という本によって広まりました。題だけみると、古代史に多いトンデモ本
のように思えますが、けっしてそうではありません。
精緻な論証を重ねた、かなり説得力のある内容だと思います。
辛口の多いamazonのレビューでも、好意的にとらえている書評がほとんどです。

では、アマテラスが皇祖神でなかった場合、本来の皇祖神は何だったかというと、
タカミムスビ(『日本書紀』では高皇産霊尊と書かれ、高木神とも呼ばれる。)
という神だったと溝口氏は説いています。
その論拠としては、天武天皇以前には皇室でタカミムスビは祀られていたが、
アマテラスが祀られていた形跡がないこと。日本神話の天孫降臨の部分で、
タカミムスビが支配的な役割を果たしていることなどです。
これは客観的にみてまったくそのとおりですね。

次に、アマテラスが男神だったことについて。
これは溝口氏が書いているわけではなく、また別の研究なのですが、
平安時代の儒学者 大江匡房は、伊勢神宮に奉納するアマテラスの装束一式が
男性用の衣装であることを指摘しており、
江戸時代の伊勢外宮の神官も、アマテラスが男性であろうと言及しています。
この他、アマテラスを男性として表現した彫塑や絵画は、
各地に数多く残されているんですね。

伊勢神宮は、現在はアマテラスを祀る日本で最も格式の高い神社とされますが、
元来は伊勢の一地方神を祀る神社であったと考えられます。
地元の豪族である度会氏が祀っていた「伊勢大神」の祠に、
持統6年(692年)持統天皇が行幸しました。
歴史学者の大山誠一氏は、このとき、大和に祀っていた太陽神を伊勢に移したと
考えているようです。これも自分は同意見です。

このとき移された神が、太陽神であった男神「アマテル」だったという説は、
神話学者の松前健氏などが提唱されています。
うーん、ここは難しい。そこまで断言できる根拠はないように思うのですが、
あっても不思議ではない気もします。それほど唐突に、
7世紀になって、それまで知られていなかった神アマテラスが姿を現したのです。

さてさて、予想どおり、ここまででだいぶ長くなってしまいました。
ではなぜ、持統天皇の時代になって、いきなりアマテラスが皇祖神とされ、
女神であることが強調されたのでしょうか。

天武天皇の皇后であった持統天皇は、一人息子の草壁皇子を若くして病気で失い、
大津皇子を排斥するなど無理を重ねて、草壁の子である15歳の軽皇子
(後の文武天皇)に譲位しますが、15歳の天皇即位は当時としては異例であり、
また孫への譲位も先例のないことでした。
ですから、これを正当化するため、アマテラスが孫のニニギに地上を支配させた
天孫降臨神話がつくられ『日本書紀』に記載された・・・

持統天皇をアマテラスに、文武天皇を天孫ニニギになぞらえたということなんですが、
さらにタカミムスビを、藤原鎌足の子であり、天武、持統、文武天皇に仕えた、
当時の実力者であった藤原不比等とみる人もいます。
これはあくまで一つの仮説ですが、自分はかなりの説得力があるように思います。
ここで、アマテラスは女神でなくてはならず、
また、皇祖神であるのは必然であったわけです。

ふー、なんとか大急ぎでここまでまとめましたが、ぜんぜん舌足らずです。
もっとお知りになりたい方は以下の本を参照なさってください。

参考文献
『アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る』溝口 睦子著  (岩波新書)
『伊勢神宮の謎を解く アマテラスと天皇の「発明」』武澤 秀一著 (ちくま新書)
『アマテラスの誕生』筑紫 申真著 (講談社学術文庫)
『天孫降臨の夢』大山 誠一著 (日本放送出版協会)
『謎解き日本神話』松前 健著 (大和書房)
『激変!日本古代史』足立 倫行著 (朝日新書)

関連記事 『日本書紀成立の3事情』








フリマの絵の話

2017.12.25 (Mon)
主婦をしております。よろしくお願いします。私がお話するのは、
今年の6月にフリマで買った絵のことなんです。
あまり怖い内容ではないんですが、そこはご容赦ください。
そのフリマは、うちの近くの児童公園で1ヶ月に1度ほどのペースで開催されてまして、
自治体の主催なので、出店される方も見知った地域の人が多いんです。
ですから、気軽にのぞくことができまして、私もこれまで、
いろんなものを買ってるんです。ええ、日用品などの安いものがほとんどです。
それと、人形や古着などは買ったことはありません。
だって、なんとなく怖いじゃないですか。顔のあるものは命を持つっていうし、
古着も、前に着ていた人の思いがこもっているような気がして。
ああ、すみません、絵の話でしたね。

その絵は、顔見知りになっていた古書店のご主人が出品していたんです。
自分のお店でふだんは売っている本を持ってきているんだと思います。
美容の本などの新古書を何度か買ったことがありました。
そのスペースをのぞいてましたら、ダンボールに詰められた本の後ろのほうに、
額入りの油絵が置かれていたんです。描かれていたのは、
前のほうに、満開の桜の木々が両脇に並んだ道。そして桜の花の中から顔を出すように、
寺院らしき建物の上部が見えている、そんな構図でした。
じつは私、大学で美術を専攻しているんです。
ですから、ひと目でその絵がいいものだ、ってわかりました、
かなり力のある画家の先生のお作なのだろうと思ったんです。
でも、絵の中に署名などはなかったんです。

あと、絵の入ってる額縁、これもかなり高価なもののように見えたんです。
それで、ためしに値段を聞いてみたら、4000円ということでした。
それを聞いて考え込んでしまったんです。この金額はフリマで使うにしては高いんですが、
でも、おそらく額縁だけでもそれ以上の値がつくんじゃないかと思いました。
で、玄関に飾るのにいいかなと考えて、思い切って買っちゃったんです。
大きさは12号くらい、だいたい60cm四方ですね。
ですから、家まで持って帰るのが大変でした。え、その絵の元の持ち主ですか?
それが、そのときはそこまで思いがまわらなくて聞いてないんですよ・・・
その日の夜、主人が帰ってきたときに絵を見せ、買ったことを話して、
玄関の靴だなの上の壁に飾ったんです。そしたら、
殺風景だった玄関が、桜のピンク色でぱっと華やいだように思えました。

でも、翌日からおかしなことが続くようになったんです。
はい、朝ですね。私たち夫婦には小学校の子どもが2人おりまして、
バタバタと朝食を食べさせて学校へ送り出したんですが、玄関で上の娘が「キャーッ」と
大きな悲鳴をあげたんです。何事かと思って見にいくと、
その絵のほうを指差しておびえていました。「お母さん、蛾、蛾がいる!」
ひと目ではわからなかったんです、桜の花の色に溶け込んでましたから。
ええ、10cm以上もある大きな蛾が、絵の中央にべったり張りついていたんです。
それに気づいて私も青ざめました。蛾はもちろん、虫が大っ嫌いなんです。
そしたら、下の小3の息子が、「僕、平気だよ」と、
古新聞を持ってきて、両手で蛾の上にかぶせて絵からとったんです。
それから息子は新聞紙の中をのぞき込み、「動かないや、これ死んでる」って言ったんです。

これ、今から考えると不思議ですよね。まだ蛾が出てくるには早い季節なんです。
それに、ピンク色の蛾なんて見たことがないし、とまったまま死んでるのも変ですよね。
まあ、そのときはそれで終わりました。子どもたちが家を出てから、
額縁のガラスをウエットテイッシュでふくと、赤黒い鱗粉がついてきました。
それから、ちょくちょく虫の死骸を玄関で見かけるようになりました。
蛾もそうでしたが、コガネムシや大きな蜂なんかも。
どれも絵の真ん前の靴だなの上に転がって死んでいました。
でも、これまでそんなに家の中で虫を見ることはなかったんです。
玄関から入ってくるとしか考えられなかったんで、特に息子には、
扉を開けっ放しにしないように言いました。それとです、
私がお昼過ぎ、居間でテレビを見てましたら、何か玄関のほうで音が聞こえたんです。

最初は、外で音楽を流してるんだろうと思ったんですよ。
ええ、長く続く、音楽的な響きの音だったんです。
聞いていると変に眠くなってくような・・・そのうち、あ、これもしかしてお経?
って気がつきました。それで、玄関まで出ると音はしてなかったんです。
ええ、外も見てみましたが、何事もなかったんです。
それから、その音はたびたび聞きました。私が家事を終えてぼんやりしているときに
よく聞こえたんです。でも、見にいくとぱたっと音はやんでて。
で、耳が慣れてくると、たんなるお経とは違うように思えてきました。
うーん、私はあんまり詳しくはないんですが、御詠歌?
そういった感じで節がついてるんです。物悲しいようなメロディです。
そのときには、まだ、それが絵と関係があるとは考えませんでした。

はい、ですからどうにもしようがなかったんです。そのうち毎日聞こえるようになって、
私はいつしか、その歌に心が惹かれるようになっていきました。
ええ、無意識にその歌をいっしょに口ずさんでしまってたんですね。
歌詞はわかりませんので、メロデイだけハミングをするみたいにです。
すると、すごく心が軽くなる気がしたんです。
いえ、日々の暮らしで悩みなどはなかったつもりです。主人の仕事は順調ですし、
子どもたちも、成績はともかく素直に育っていて・・・
そのうち、歌の聞こえる時間は長くなり、私もそれに合わせてずっと歌うようになって、
ええ、家事のほうがおろそかになってしまいました。
家のあちこちにホコリが目立ち始め、お気に入りの服がまだ洗濯してないって
子どもたちに文句を言われるようになって・・・

それと、主人は気が弱いくらいの穏やかな人柄なんですが、夜帰ってきてから、
ささいなことで口論するようになりまして。ええ、ぜんぶ私に原因がありました。
そのたびに、ああ、ちゃんとしなきゃって思うんですが、
歌が聞こえてくるともうダメなんです。何をやっていても途中で投げだして、
いっしょに声を合わせていると、心の中に光が満ち満ちてくるようで・・・
私は麻薬などやったことはないんですが、今にして考えれば、
薬物中毒みたいになっていたんだと思います。あ、絵のほうですか。
その歌が聞こえるようになってからあまり見てなかったんですが、
あるとき額縁のガラスをふこうとしましたら、前と印象が違うように見えたんです。
前方にある桜の花のボリュームが減って、後ろに上部だけ出てた建物が、
より見えるようになったっていうか。

屋根の合わさるところに、金色に光る紋章のようなものが見えたんです。
前に見たときはたしかこんなものはなかったはず。
でもまさか、絵の中の桜が散ってるなんてことがあるわけはないですし。
それでです、絵を買って2ヶ月たったくらいのときのことなんです。
そのときもやはり、聞こえてくる歌に陶然となって、
テレビの前に座り込んだままいっしょに口ずさんでいたんです。そのときです。
玄関で、強く手を叩いたような、「パン、パン」という音が聞こえました。
それに後ろから平手で頭を叩かれたような衝撃を感じて我に返りました。
玄関に出て見ると、いつの間にか扉が開いてて、男の人が立っていたんです。
そうですね、60歳代に見えました。黒のスラックスに白い開襟シャツ。
白髪を後ろになでつけて銀縁のメガネをかけた上品で小柄な人だったんです。

その人は、私を見るなり軽く頭を下げ「唐突ですけど、この絵を譲っていただけませんか?」
絵のほうをあごで指してそう言ったんです。「ええ、あ、はい」私は頭がぼんやりして、
うまく受け答えできなかったんですが、その人は続けて、「いくらで買われました。
 よろしければ、買った値段に1万円プラスして引き取らせてもらいます」
それが、静かでしたけども有無を言わせない調子がこもっていて、
私は「いいです」って言っちゃったんです。。その人は「ああ、これでまた一枚回収きた」
そう言って、大型のスーツケースに絵を外して入れ、お金を支払って帰っていきました。
それ以来、あの不思議な歌が聞こえることはなくなり、また平凡な日常が戻ってきました。
これでだいたい話は終わりなんですが、気になって、あの絵に見えた紋章をインターネットで
調べてみました。そしたらそれ、ある新興宗教のマークだったんです。あの建物は、
富士山の麓にある、その宗教の総本部の神殿だったんですよ。









ホラー小説と怪談(怖い話)

2017.12.23 (Sat)
今回はこのお題で。どんな違いがあるのか、あらためて考えてみようと思います。

・フィクションかどうか
ホラー小説は、中には「実話を元にした」なんて惹句がついている場合も
ありますが、基本的にはフィクション、創作です。

これに対し、怪談は「本当にあった話」というのが大前提です。
これ、かなり重要なことで、怪談を掲示板などに投稿する場合、
最初に「創作だ」と明言すると、「じゃ読まない」 「嘘話はいらない」
みたいな反応が返ってくることが多いんです。
ちなみに、自分がこのブログで書いているのは実話風の創作怪談ですので、
ホラー小説、実話怪談のどちらにもあてはまりません。

・人称や文体
怪談というのは体験談ですから、一人称による語りがほとんどですね。
また、プロの先生方が書かれている、竹書房などから出ている実話怪談の場合は、
体験者から取材して書いたという形が多いです。で、どちらの場合でも、
体験者は怪異から生きのびてその話をしているわけですから、
もし人が亡くなったりするような内容なら、
それは体験者以外の人物ということになります。
あと、敬体の「です・ます調」で書かれることもあまりありません。

ホラー小説の場合は、一人称でも三人称でもどちらでもかまわないですし、
二人称でも手紙や日記形式などでも書くことができます。
結末が「そこで僕の意識は途切れていった・・・」で終わっても問題ありません。
また、途中で語り手を変えることもできます。

・長さ
ホラー小説は、長編、中編、短編、ショートショートといろんな長さに設定できます。

怪談の場合は短いものがほとんどですね。
中には2ちゃんねるで有名になった「リゾートバイト」みたいな
かなりの長さの話もありますが、よほど興味を引きつけるような内容でないと、
普通は読んでもらえません。自分が掲示板に投稿した「青いテント」程度の分量でも、
「長い」と言われてしまうことが多いんです。

・情景描写・心理描写
これもホラー小説なら自在に書くことができますね。
情景描写・心理描写が巧みに挿入されたホラーは怖いです。

これに対し、怪談の場合は情景描写で、例えば、
「街灯に照らされたポプラの木が、歩道に不気味な影を落としていた」
などと書くと、「小説ならよそでやれ」と怒られてしまいます。
ですから、話のネタ(素材)で勝負するしかないわけですが、これが難しいんです。
また怪談の場合、人物の心理を長々と書くことも好まれません。

・伏線等
ホラー小説の場合は巧妙に伏線が張り巡らされているものが多いです。
当ブログでも、シャーリー・ジャクスンの『くじ』を分析したりしてますが、
一読しただけでは気がつかないような伏線が、あちこちに埋め込まれています。

関連記事 『「くじ」を読む』

ところが怪談の場合、伏線はどんなにさり気なく入れたとしても、
「あざとい」ととられてしまいます。とにかく、ストレートなというか、
別な言い方をすれば、稚拙な書き方のほうが好まれるんです。

・方言等
ホラー小説の場合は、方言なども雰囲気を盛り上げるための重要な要素です。
岩井志麻子氏の短編『ぼっけえ、きょうてえ』は、
岡山弁が作品を成り立たせる上で重要な役割を果たしていたと思います。

怪談の場合は、方言をそのまま書くと「読みにくい」
「共通語に直して書けよ」と言われてしまいます。
また「わしはそう思うんじゃ」みたいな年寄り言葉、女言葉なども嫌われます。

・会話文
ホラー小説の場合は「」の会話文を続けて話を進めていっても問題ありません。

怪談の場合は、「」が続くと、「話した内容をそんなに詳しく覚えているわけないだろ」
みたいな批判が来てしまいます。かといって、会話を地の文に埋めて書くと、
文章が長くなってしまうんですよね。このあたりも難しいところだなあと思います。

・物語の構成
ホラー小説は、ある程度、起承転結を意識して書かれたものが多いです。
また、結末にオチ(収束)があるものがほとんどで、
作品中に出てくる謎も、ミステリーほどではないにしろ、だいたいは解決されます。

怪談の場合は、構成がゆがんでいても、それがかえって怖さを増したりします。
結末も、何のオチもなく投げ出すように終わってもいいんですね。
謎が解決されないまま残ってしまってもかまいません。
「実話」なので、語り手にはどうしても知りえない部分というのがあるわけです。

○まとめ
ホラー小説は、上記のように様々な面で自由度が高いです。
もちろん、だからといって簡単なわけではありません。
フィクションであることを前提にしつつ、読者を怖がらせなくてはならないわけですから、
たいへん高度な技術が要求されます。
細部を作り込むために書くのに時間もかかります。

怪談は、とにかく「創作臭」が嫌われます。
体験したことをそのまま伝える報告文みたいに書かなくてはなりません。
そのために様々な制約があり、文章のテクニックで怖がらせるというのは、
まずできないと考えたほうがいいと思います。話のネタがすべてなんですね。

さて最後に、自分が書いている創作怪談ですが、ホラー小説と怪談のいいとこ取りを
できないかと考えて始めたものの、イソップ物語のコウモリのように、
どっちつかずの中途半端なものになってしまっているケースも多いようです。
うーん、難しい。










またしても反則企画

2017.12.22 (Fri)
今回は、これも自分が昔書いた「絵馬の検索」という話についての、
あるまとめサイトで見られた感想です。これはいろいろ謎の多い話なので、
みなさん様々に想像をめぐらして下さっているようです。

「絵馬の検索」

俺は便利屋業をしてるんだけど、この間じつに奇妙なことがあったんで書いてみるよ。
便利屋といっても俺が所属してるのはけっこうな大手で、
担当はネット・パソコン関係全般。引っ越しでのインターネット接続や、
マルウエアの駆除といった簡単なことから、
アクセス解析やデータ修復などのやや面倒なことまで何でもこなす。
どこか教えてはもらえなかったが、
某所から依頼があって約1ヶ月派遣のような形で仕事をした。

俺と年下の同僚と2人で一戸建ての貸事務所のようなところに連れて行かれ、
一室を与えられた。部屋にはデスクトップが2台あって、
百枚ほどの絵馬が運び込まれている。かなり違和感があったが、
担当者の説明でどうやら何かを検索する仕事だとわかった。
ふつう絵馬というのは出している神社の名前がどこかに書かれているもんだけど、
その部分が黒く焼かれたり削られていたりしてわからなくなってる。
大きさや屋根のところの形なんかが違ってるんで、
複数の神社のが混ざってるんだと思った。
もしかしたら縁切り神社と言われるところから集めたのかもしれない。

共通してる点は、1年以内のものであることと、
すべて奉納した人の実名が記されていること、それから書かれた願い事の内容が、
何というか、とうてい神様が聞いてはくれないだろうと思われる、
身勝手なものであることだ。例えば、
「不倫相手の妻が早く死んで、自分が晴れて結婚できますように」とか、
「夫がどうかこの世から消えてくれますように」とかそういうやつばかり。
中には写真が入っているものや、
赤ボールペンで細かくびっしり書き込まれたのもあって、
嫉妬や憎悪が立ち上ってくるようで、見てるだけで嫌な気持ちになる。

仕事はというと、これらに書かれている実名や住所を手がかりに、
ネットを使って願いがかなったもの、かなわなかったもの、
わからなかったのに仕分けするという内容だ。
これは検索のセンスもあるだろうが実に難しい話で、
直接関係者に電話をかけたりするのは禁じられているんで、
8割がた以上が「わからない」になってしまう。
残りもほとんどが「かなわなかった」になるのは当然だと思うが、
それでも1日に数枚、「かなった」に分類されるものがあった。
つまり、「死んでほしい」と書かれている人と、
住所や名前の一致する死亡広告を見つけたなんて例だ。

なぜこんなことをするのかまったくわからないまま、
同僚とだべったりしながら仕事を進めた。9時から5時までで、
昼休みには外に出て飯が食える。部屋には飲み物もあったし、
成果に苦情を言われることもなかったから、
絵馬に書かれてることで気が滅入るのをのぞけば、楽といえる内容だった。

事務所には俺ら以外にも数人いるようで、顔を合わせれば話などもするが、
他の部屋には入らせてもらえなかったな。仕分けした絵馬は、
それぞれ木箱に入れておくと、翌朝には新しいのにかわっている。
あと箱の中につねに少量のおがくずが落ちているようになった。
もしかしたらこの絵馬を加工しているのかもしれない。

仕事を始めてから体調が悪くなった。俺は独身で毎晩焼酎を飲んでたんだが、
一口飲むとむせるようになり吐き気がしてくる。飯もほとんど食えない。
それに夜更かしのほうだったんだが、10時ころになるとストンと落ちるように寝てしまう。
しかもまったく夢を見ないんで、寝て数秒後に朝がきてしまうという感じなんだ。
トイレにも起きない。恥ずかしい話だが、朝起きると
寝小便してしまっていたことが2度あった。子どものころでさえなかったのに。
昼、同僚と飯を食いにいっても軽いものしか受けつけないんでソバとかになる。
俺と同じように食が進んでない同僚と話をしたら、
家ではほとんど俺と同じ状態だということがわかった。
で、この仕事の間、俺らはどんどん痩せていった。

その他にも奇妙なことがあって、
出退勤の電車の中などで馬のいななきが聞こえてくる。
競馬をやるんで馬の声は知ってるが、それとはまた違った大きな音が耳元近くでする。
俺は思わずビクッとしてしまうが、他の乗客の様子に変わったところはないので、
俺だけに聞こえる幻聴なんだと思う。
同僚にこの話をしたら、最初は聞こえませんよと言ってたが、
数日したら、自分にも聞こえるようになりました、に変わった。

しかもどうやら俺より回数多く聞いているらしかった
あと2日で契約の期間が終わるという段階で、俺は5kgくらいだったが、
同僚の場合は10kg以上体重が減っているかもしれず、
頬がこけて別人のようになっていた。
たまに本社に顔を出すと、俺らの変わりように皆驚いた。

最後の日に担当者の若い人が出てきて「ご苦労様でした」
と言って封筒に入った金を渡そうとした。
「給料が出ていますので」といちおうは断ったが、「たいへんだったでしょうから」
と押しつけてくるんで、同僚と目配せしてもらっておくことにした。
そのとき担当者が「どちらかに届けてもらうんですから」と歌うようにつぶやいた。
俺らがけげんな顔をしていると、笑いながら頭を下げた。
この仕事が終わったとたんに体調がもとに戻った。封筒には20万入ってたんで、
いくらかを競馬の元手にしたらバカヅキ状態になった。

寝てから夢も見るようになった。この仕事が終わって2日後の夜、
その同僚が木でできた馬に乗って空を飛んでいる夢を見た。
馬は紙粘土か何かで作ったような不細工な形だ。
ものすごく真剣な表情で、小脇に大きめの茶封筒をかかえ、
手綱も持たずに前を見ていた。

声をかけようとしたがあっという間に遠ざかってしまった。
次の日同僚は予定されていた場所に出社してこず、連絡もつかなかった。
夕方に上司が独身アパートを訪ねてみたら、部屋の鍵が開いていて、
入ってみると布団の上に同僚が立膝のまま前にのめるように倒れていた。
呼びかけても返事がなく、目がかっと見開かれていたんで、
ただ事ではないと思い救急車を呼んだが、
昨晩のうちに亡くなっていたということだった。


1. 何度も読んだ話だけど、毎回センスあるなって感心しちゃう。
とくに同僚が馬に乗ってってのくだり、素敵だわ。

2. 仕事内容から同僚の死までずっと薄気味悪い感じがとても怖い・・・

3. 自分はこの話はじめて読んだけど、怖いというか、
 気味わるいというか、とにかくひきこまれる話だった。よかった!

4.報告者が生き残った理由&同僚が亡くなった理由がよく分からないんですが…

5. ※4どちらでもよかったんだけど報告者は臨時収入を幾らか競馬につぎ込み
 同僚はそうしなかったから同僚が運ぶ人に選ばれたのかなと思う
 結構な額のあぶく銭掴んだら一部を寄付したりわざとギャンブルに
 使ったりして運勢のバランスとることあるでしょ。

6. これは怖い。実話だろうがフィクションだろうがよく出来てる。後日譚ぜひ。

7. ※5仰ってる意味は分かるんだけど、同僚の亡くなり方が、
 馬の騎乗を連想せるんだけど、目的と言うか因果関係がやっぱよく分かりませんわ。

8. 担当者の「どちらかに届けてもらうんですから」
 ってなに????同僚は届けさせられて逝ってしまったの??

9. ※7だから怖いんじゃん。余韻を楽しむ、行間を読むんだよ。

10.※7報告者と同僚が扱ってたのは神社名を削ってわからなくした絵馬ですよ
 もともと神社に祈願する人は生きた馬を奉納したが、
 次第に薄板に描いた馬を奉納するようになったそれが絵馬。
 報告者と同僚の会社は、検索の仕事だけでなく、
 検索終了後に神社名が分からず迷子になっている絵馬=木の馬と
 祈願の内容=腕に抱えた紙束を神様のところに返却する仕事まで請け負ってた。
 返却は2人のうちのどっちかが運べばよかったから、
 ちょっとした運命のバランスで同僚が選ばれて運んでいったんですよ。

11. ※10すごく納得。ところで依頼者の目的って、
 悪意ある願いを叶えてくれる神社を探すことだったのかな。神社の名前削ってたのは
 依頼者で、報告者や同僚にどこの神社がそうなのか知らせないためか。

12. 依頼者って一体何者なんだ。なぜこんな仕事を頼んだんだ。
 判らないことばっか。

13. やっぱ働いたら負けだなあってつくづく感じしたw

14. 馬に乗っている同僚の姿を想像したら笑ってしまった(笑)

15. すらなづきやったっけ?これ届けるの書いた子やで。

16. 今も他の人に仕事の依頼があるんだろうね。毎回亡くなっているのかなあ。

17. ※10の博識ぶりに草

18.京都某所にある神社に行ったら、こんな絵馬だらけだった事がある。
「彼氏が奥さんと別れて私のものになりますように」
「私の好きな人を奪った○○がタヒにますように」
 等々悪意だらけな絵馬がわんさかあった。

19. やたらと神様に願掛けなんかするものじゃないと言うよね。
 特に人の不幸を願うなんて問題外だよな。

20. ※18縁切り寺かな?

21.人が書いた絵馬読むの好きなんだけど、たまに気味悪い内容のもあるな。








「虫の知らせ」って何?

2017.12.22 (Fri)
前回にひき続き、今回も、どちらかといえば超能力系のお話です。
まず、「虫の知らせ」という言葉の意味ですが、
一般的には、「悪いことが起きる予感がすること」というようなものです。
では、ここにいう「虫」って何でしょうか?

これは諸説あるんですが、中国由来の「三尸(さんし)」
から来ているとする説があります。
道教に由来する、人間の体内にいると考えられていた虫で、
60日に一度めぐってくる「庚申(こうしん)」の日に眠ると、
この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、
その人間の寿命を縮めると言い伝えられていました。
そのため、庚申の日には、寝ないで一晩中酒宴をしたり、
あるいはお経を読んで過ごすなどのことが、江戸時代には広く行われていました。
三尸については、下の記事に詳しく書いてあります。

関連記事 『しょうけらの周辺』

また、上記の三尸とは関係なく、日本にほもともと、人間の体内に虫が住んでいる、
とする発想があったという説もあります。
やはり江戸時代には、人間の体には9匹の虫が、
それぞれ臓器ごとに分かれて住んでいたという話があるんです。

汚い話ですみませんが、衛生環境のよくなかった時代には、
人間の体から出た蟯虫や回虫などの寄生虫を目にすることは珍しくなかったでしょうし、
こういう考えがあっても不思議ではありませんよね。「腹の虫がおさまらない」
などという慣用句の虫も、「虫の知らせ」の虫と同じものなのかもしれません。

さて、虫の知らせには大きく分けて2つのパターンがあるようです。
一つは、下記の体験談にあるように、肉親や知人の死を予感するケースです。
「私の大好きな叔母は九州に、私は遠く離れた神奈川県に住んでいました。
ある時、なぜか急に会いたくなり、
せめて声だけでも聞きたいという思いに突然駆られました。
が、あいにくタイミングがなく、そのまま電話できず数日経ったとき、
叔母の訃報が入りました。あれは、絶対に虫の知らせだったと思います。」


こういうのが典型的なケースなんですが、オカルト的には、
これが起きる原因として、さらに3つのことが考えられています。
① 体験者の予知能力(第六感、千里眼などともいいます)によって叔母の死を知った。
② 叔母の霊魂が体を抜け出して遠距離を飛び、体験者に知らせた。
  (または叔母が超能力のテレパシーで知らせた。)
③ 体験者の守護霊が、叔母の死を知らせてくれた。

①②は昔から言われているもので、①は体験者の能力、
②は亡くなった人の能力なのですが、どちらでも解釈できるようなケースが多いですね。
③は最近、スピリチュアルで言われることが増えてきています。
また、虫の知らせ自体が、「嫌な予感がした、胸騒ぎがした」程度の心理的な場合と、
物理的な現象をともなう場合とがあるようです。

物理的な現象には、「家族の写真を入れている写真立てが急に倒れた直後、
おばあちゃんが亡くなったという知らせの電話が入った」
「玄関のチャイムが鳴ったが、行っても誰もいなかった」
「急に家族全員の肩がズーンと重くなった」
「ペットの犬が天井の一角に向かってほえた」などといった話があります。

次、2つ目は、事故などの予兆を感じ取って回避するケースです。
この話などが典型的でしょう。
「父は退職が決まっており、残務整理に大手町まで千代田線を使って通勤していました。
あの日、いつものように起きた父を母が「もう、残務整理も終わってるんでしょ?
あと1週間だけど、もう行かなくても良いんじゃない? 
行ってもすることがないんじゃ、邪魔なだけよ。」
父もその日は素直に「そうだな」と、その後2人でめずらしく2度寝したそうです。

そして、事件のことは何も知らずに昼頃起きてお茶を飲んでいる所に、
私から「お父さんは!!今日会社??えっ?!家に居る!本当?!」という電話。
そこでTVをつけて大事故のことを知ったそうです。
事件のあった時間、車両、路線は正にいつもの父の通勤経路。
父母ともに、「何故あの日は2度寝をしたのか未だにわからない」と話しています。」

この場合は、亡くなった人が知らせるということはないですから、
上の①か③が原因ということになるのかもしれません。
また、虫の知らせは悪いことだけともかぎらないようです。例えば、
「ふだんは宝くじなんて買ったことがないのに、その日はたまたま売り場の前を
通りかかったら、なぜかどうしても買わなくちゃいけないような気持ちになり、
10枚だけ買ってみたら、高額賞金が当たった」みたいなケースもあります。
こういうのはやはり、守護霊様のお導きなんでしょうかねえ?

さてさて、虫の知らせは実際にあるのか、それともないのか、
なんとも言えないところですが、一つの虫の知らせの裏には、
膨大な数の空振りしたケースがあると思うんです。空振りというのは、
「嫌な予感、胸騒ぎがした → でも何も起こらなかった」
「写真立てが倒れた → でも何も起きなかった」
「当たりそうな予感がして宝くじを買った → すべて外れだった」

というような場合のことですが、これらのケースはすぐに忘れ去られてしまいます。
当たったケースだけが話として世間に広まっていくわけですね。
下の過去記事は今回の記事と内容がかぶりますが、
虫の知らせに関するユニークな計算式を載せてありますので、
ごらんになっていただけたら幸いです。

関連記事 『虫の知らせ系』

関連記事 『視線とゾロ目について』










間欠熱の話

2017.12.21 (Thu)
これ、怖い話じゃないんですけど、いいですか。じゃあ話していきます。
ちょうど3週間前ですね。彼女と日曜にデートに行きまして、
始まったのはその夜からです。寝たのは0時前後だったと思いますが、夢を見たんです。
それが、荒れ地に一人で立ってる夢なんですね。日本じゃないと思いました。
土が赤っぽく乾いてひび割れてて、砂ぼこりが舞い、ヒューヒュー風の音が聞こえる、
そんな場所でした。そこに僕がぽつんといて、それだけの夢です。
ええ、なにも起きないんです。目の前の景色も変わらないし、ただ風が吹いてるだけ。
で、たまらない孤独感があったんです。世界の中で自分がひとりぼっちみたいな。
あと、長い長い時間が経過している感覚がありました。
・・・目を覚ましたときには朝になっていて、
タオルケットがびっしょり汗で濡れていました。

僕は電気毛布なんかは使ってないんです。タオルケットに毛布に布団だけ。
ちろん下着もびっしょりで、でももう冬ですから、
そんなに汗をかくわけないですよね。それと、ものすごく喉が乾いてたんです。
それで冷蔵庫から500mlのミネラルウオーターを出して飲み干し、
それだけじゃ足りなくて水道の水をコップで3杯も飲んだんです。
汗をかいたからだろうって?ええ、そうだと思います。いつも朝食は食べないんですが、
出勤まで時間があったので熱を計ってみたら、平熱でした。
でね、風邪をひいた兆候もなかったんです。咳・鼻水はないし、頭が痛くもだるくもない。
だから普通に会社に行きました。ええ、会社でも具合が悪くなることはなかったです。
でも、これが、それから4日間続いたんです。
荒れ地の夢を見て目覚めると汗びっしょりで、喉が渇いてたまらないっていう。
でね、金曜の午後に近くの開業医に行きました。

そしたら「外国に行ったりしませんでしたか?」って聞かれまして。
でも僕、生まれてから一度も海外旅行したことがないんです。
そう答えると、その日は血液と尿をとられ、胸のレントゲンをやって終わりました。
検査の結果は来週の火曜日に出るということで、それで帰ったんですが、
その日の夜も同じでした。ええ、その夢です。で、翌日の土曜日に彼女と会って、
その話をしました。彼女は心配してくれて、
「大きな病院で見てもらったらいいんじゃない」
って言ってくれたんですが、とりあえず検査の結果を待とうと思ったんです。
でね、その日は彼女が僕の部屋に泊まっていくことになって、
夜更かしして夜中まで、ソファで2人でビデオを見てたんですよ。
そしたら、1時を過ぎたあたりで、ポタポタ額から汗がしたたり落ちてきて、

体がガクガク震えだしたんです。体温計で計ってみたら39度を超えていました。
で、体の不調よりも気持ちのほうがひどかったんです。
はい、ものすごい孤独感があったんです。自分はこの世でひとりぼっちで、
長い長い時間をずーっとそのまま過ごさなきゃいけないみたいな。
これも変ですよね。たしかに一人暮らしをしてますけど、
そのときは彼女がすぐそばについててくれたんですから。僕はガチガチ歯を鳴らしながら、
怖い、怖い、一人は嫌だって叫んだみたいで、彼女が救急車を呼んだんです。
それで、運ばれたのが市営病院です。病院で熱を計ると、
41度に近くなっていました。肺炎が疑われましたが、レントゲンに影はなし。
大きな病院でしたから血液検査の結果もすぐに出て、
炎症反応などはないが、脱水で血液が濃くなってるって言われました。

でね、熱は3時ころになってだんだん下がってきて、
だいたい4時には平熱に戻ったんです。
そのときには言いようのない孤独感もおさまっていましたので、
ひどい寝汗をかいて目覚めるのがずっと続いていることを、救急の先生に話したんです。
そしたら入院の手続きをとってくださいました。急に会社を休まねばならず、
いろいろ大変でしたが、それから病院では検査、検査の毎日でした。
でもね、特に悪いところは見つからなかったんです。病院のほうでは、
マラリアなんかの熱帯病を疑ってたみたいでしたけど、さっき話したように、
僕は外国に行ったことはないですし、血液からも病原虫やウイルスの類は
見つからなかったんです。ええ、その間も夜中に熱は出ました。
時間帯は1時から4時まで、図ったように同んなじで、最高で41度を超えました。

でね、寝ている分には夢を見るだけなんですが、その時間帯に起きていると、
さっき言ったように、すごい孤独感があって叫び出してしまうんです。
ですから、夜は鎮静剤を注射してもらって眠らされるようになりました。
彼女は毎日のように見舞いに来てくれてました。
でも、彼女が来ている時間はなんともないんです。熱は平熱だし、精神状態も普通。
・・・病院側はほとほと困り果てているようでした。だって、
いくら検査しても原因がわからないし、熱だけは夜中に命が危険な状態まで上がるし。
それで、県で一番大きな大学病院に転院するって話になったんです。
そこだったら原因がつきとめられるかもしれないって。
で、そのために一旦退院したんです。そのときに、ずっとついててくれた彼女が、
「ねえ、信じないかもしれないけど、

 私、評判がいい気功の先生がいるって聞いてきたの。ダメ元で明日行ってみない?」
こう言ったので、気功なんてさすがに信じてはいなかったんですけど、
せっかく彼女が探してくれたんだしと思って、
彼女の車で別の市にあるその施療院に行ってみたんです。
すごいたくさん患者さんがいて何時間も待たされ、やっと僕の番になって、
出てきたのは60代くらいの気功師の先生でした。施療台に服を脱いで寝かされ、
先生があちこち体に手をあててましたが、「植物の気を感じる」って言われたんです。
「え、植物ですか?」 「そう、おそらく異国の植物。
 どこかでそういうものに触れませんでしたか?」・・・考えてみると、
この熱が出はじめる前の日、彼女とデートで熱帯植物園に行ってたんです。
はい、そこは火力発電所が地域サービスのために運営しているところで、

発電所の排熱を利用して熱帯植物を育ててるんですね。
デートのコースとしては地味な場所でしたが、彼女は喜んでくれてました。
そのことを話すと、先生は熱心に僕の全身に手をあてたりかざしたりしてたんですが、
「あ、ここだ、見つけた」って言われて、毛抜きのようなものを出して、
僕の右のふくらはぎの肉を引っぱったんです。
「あ、痛っ!」でも、それは一瞬だけでした。先生は、毛抜きの先にある
数ミリの白い毛ののようなものを僕に見せ、「植物のトゲだね。その熱帯植物園で
 刺さったんだろう。とても細いので痛みを感じなかったんだろうね。
 サボテンか何か、植物のことは詳しくないからわからないけど」
こう言ったんですよ。それでですね、その日の夜、熱が出なかったんです。
ええ、それ以来ずっと大丈夫です。

いちおう大学病院のほうには入院して検査をしました。
でもやっぱり何の異常もなく、熱も出ないので3日ほどで退院しました。
それで会社にも復帰しまして普通に仕事をしてます。
まあ、こんな話なんです。ここからのことは付けたりですね。
先日の日曜日、前に行った植物園に、彼女とまた行ってみたんです。
もちろん今回は、絶対にトゲなんかが刺さらないよう、
僕も彼女も十分に気をつけましたよ。もう12月に入ってまして、
植物園の中にもクリスマスのイルミネーションが飾られ、
不思議な熱帯植物の姿とあいまって、幻想的なムードになってました。
お客さんの数は、いつ来てもそんなに多くはないんですが、
そのときは、あるコーナーに十数人ほどの人だかりができていまして。

何でも、アガベという種類の植物、これはお酒のテキーラの原料になる竜舌蘭の
仲間らしいんですが、その一種が、生まれて数十年たって
はじめての花を咲かせたってことが地方新聞に紹介され、
それでお客さんが集まったようでした。僕らも近づいてみましたら、
前に見た記憶がありました。そのときはひょろりとした地味な植物だという
印象しかなかったんですが、それが細い枝の先に、
なんとも奇妙な形の黄色い花を咲かせていたんです。
「これが、何十年も育って初めて咲かせる花か。面白い形だね」
僕がそう言うと、彼女が、「ねえ、葉の一枚一枚の先に針みたいな白い毛が生えてるけど、
 あれ、あなたの足に刺さったのと似てるんじゃない」こう答えました。
そう言われてみると、たしかにそんな感じに見えたんですよ。









視線とゾロ目について

2017.12.20 (Wed)
当ブログはオカルト全般についてあつかっていますが、
どちらかといえば超能力関係が少ないと思っていたので、
今日はそれ系の話をしていきます。
みなさんは、「誰かに見つめられている気がして」または
「なんとなく背後が気になったので」ふり向いてみたら、
やはり自分をじっと見つめている人がいた、などという経験はないでしょうか。
こういうのは「第六感」と言ったりもします。

これ、どう思われますか? 人間には他人の視線を感じ取る能力があるのか。
ある、という人もいますね。人間は、まだ道具や火を使わない時代には
か弱い存在だったので、危険回避のために他人や他の動物の存在を
感知する能力が備わっていてそれが現代でも残っている、みたいな意見です。
しかし、もしそうだとしたら、人間の体のどこかにそういう役割をするセンサーが
あるはずですが、いまだに見つかってはいません。

また、否定的な意見としては、じつは人間は無意識のうちに何度もふり向いたり、
あたりの様子をうかがったりしているのだが、それで何事もなければ、
そのまま記憶に残さないで忘れ去ってしまう。
しかし、実際に見つめている人がいた場合、そのことが強く印象に残り、
「私は人の視線を感じ取ることができる」と思い込んでしまう・・・

このことについて、初期の興味深い心理学実験があり、
スタンフォード大学の心理学者ジョン・エドガー・クーヴァーが1917年に
出版した『心霊研究実験』という本で、彼の大学の学生を被験者として、
「見つめる実験」をしてみたことが書かれています。

クーヴァーは机の上でサイコロを振り、奇数が出た場合には見つめる、
偶数なら見つめないとしました。そしてクーヴァーに背中を向けて座っている
被験者に、そのたびごとに見つめたと思うかどうかを記録させたのです。
これ、答えは「見つめた」「見つめない」の2択ですから、
適当に答えても半分は当たりますよね。
で、この実験を1000回くり返した結果、学生が正解したのは502回でした。
確率的には「偶然に当たった」の域を超えなかったわけです。



さて話を変えて、デジタル時計のゾロ目について、最近、スピリチュアルで
いろいろ言われたりしいていますね。スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏が、
これについて、「ゾロ目をよく見るのは感が冴えている時期です」と述べたことで、
話題になったようです。では、これはどうなんでしょう?
いくつか意見を紹介します。

① 思い込み説
実は人間は無意識のうちに何度も時計を見ているのだが、
それが3:46などだと、印象には残らない。
ところが3:33だった場合、そのことに特別な意味があるように感じてしまって、
強く印象づけられるのだという説。
これは、視線に関する否定的な意見とよく似ています。

② 生活リズム説
たまたまその人がゾロ目を見やすい生活環境にあるのだ、という説。
例えば、ある人は毎日、3時20分頃に学校から帰ってきて自分の部屋で着替えをし、
3時40分には塾に出かけるとします。そうすると部屋にいる時間は20分で、
その間に1回だけ時計を見た場合、1/20の確率で3:33を見てしまう。
まあこんな感じの話ですね。

③ 体内時計説
ある人がゾロ目ということをいったん意識すると、
無意識のうちに体の中で時間を計ってしまい、次に時計がゾロ目になるような
時刻に時計を見てしまうのだという説です。人間の体内時計(概日リズム)
というのは生物学的にも存在が確認されていますので、
この説もそれなりに説得力があるような気がしますね。

さてさて、これについてお前はどう思うんだ? と聞かれたら、
自分は①~③の3つともが複合して、「ゾロ目を見やすい」
という現象が起きているんじゃないかと思います。

あとまあ、自分が考えるのは、
ゾロ目に何か特別な意味があるんだろうか?ということです。
3:33と3:34の間に、時刻としての特別な意味の違いはないでしょう。
3:33という数字の並びに意味があるように感じるのは人間のほうです。
もしこれがデジタル時計ではなくアナログ時計だったとしたら、
長針と短針が3時33分を指していたとしても、
特別な意味を感じる人は少ないと思います。気にもとめないんじゃないですかね。

関連記事 『ゾロ目の話』

関連記事 『虫の知らせ系』









サブリミナル映画の話

2017.12.19 (Tue)
今晩は、じゃあ話をしていきますね。僕、大学2年生で映画研究会に入ってるんです。
鑑賞するだけじゃなくて、撮るほうのやつです。でね、この夏休み、
映画を1本つくったんです。大学祭で上映するやつです。
内容は、ホラー映画っていうか、ゾンビ映画ですね。時間は34分でした。
3年生の吉崎って先輩が監督をやって、僕は音声担当だったんだけど、
ゾンビ役で映画にも登場してます。僕らの研究会は全員で11人しかいないんで、
みながカメラや小道具、照明なんかと兼業で演技もするんです。
筋はありきたりです。宇宙から飛んできた隕石がある大学の映画研究会の
部室の近くに落ちて、その影響で部員がゾンビ化してしまうっていう。
まあ内輪ネタですよ。純ホラーじゃなくてギャグシーンなんかも入った。
ただ、特殊効果はけっこう凝ったんです。

ほら、ゾンビ映画って、大勢のゾンビに襲われた登場人物が生きながら腹を裂かれて
食われたりするシーンってあるじゃないですか。
あれを撮るために豚の内臓を買ってきたりして。それで、撮影は夏休みいっぱいで終わって、
その後は10月の大学祭に向けて編集作業をやってたんです。
吉崎先輩のアパートでやりました。そこへ何人かずつ手伝いにいく形で。
でね、大学祭まであと1週間くらいになったとき、
夜の8時ころに先輩の部屋に行ったんです。そしたらその日 顔を出したのは僕だけで、
先輩が一人でパソコンに向かって、黙々と作業をしてたんです。
「いや、先輩、ご苦労様です」って僕が言ったら、
「ああ、最後の仕上げとして、これにサブリミナル入れてるところだ」って先輩が答えて。
「はあ、サブリミナルですか」 「お前知ってるよな」 「はい。まあ」

みなさんはご存知でしょうか?
サブリミナルっていうのは、19世紀からアメリカで研究が始まりました。
映画のフィルムの中に、ほんの一瞬、本筋とは関係のない映像を入れる技法です。
ええ、ひとコマかふたコマだけなので、見た人は自分が見たって意識できないんです。
有名な話がありますよ。アメリカのある映画館で、
西部劇のフィルムにコカ・コーラを飲んでる映像をサブリミナルで数カット入れたら、
そこの売店のコーラの売り上げが普段よりも何十%も上がったなんて。
「でも先輩、サブリミナルって禁止されてるんじゃないですか」僕が聞くと、
「ああ、でもそれはテレビ放送だけの話だ。俺らみたいなノンプロが作ってる映画に
 入れたところで誰もわかんないし、ペナルティもないだろ」
「まあそうですね。で、どんなのを入れるんです?」

「ほら、俺らの映画、あんまり怖くないだろ」
「正直そうですね。半分ギャグみたいな感じで」
「だろ。だからな、ネットで拾った怖い画像を11枚入れることにしたんだ」
「ははあ、心霊写真ってやつですか」 
「うん。心霊写真もあるし、実際の殺人現場の写真もある。34分の映画だから、
 だいたい3分に1度、サブリミナル映像が入るってことだ」
「わかりました。手伝いますか?」 「いや、いい。もうほとんどできたんだ。
 それより疲れたから酒、つき合えや」そう言われて、その夜は酒盛りして終わりました。
2日後、部室に顔を出したら先輩がいたんで、
「こないだはごちそうだまでした。サブリミナル完成しましたか?」って聞いたら、
先輩は「うん、まあできた。最初から見直してみたけど、ぜんぜんわからないよ。

 ただなあ、俺が見るかぎりでは、前より怖くなったようにも思えない」
「それはサブリミナルが入ってるって知ってるからじゃないですか」
「うーん、そうなのかもしれんが、いまいち物足りないんだよ。でなあ、
 最後の仕上げに自分で撮った画像を入れようかと思ってるんだ」 「何の写真です?」
「ほら、市の駅裏で数年前に女子高生が殺された地下道があるだろ」
「ああそれ、僕が中学生のときの話です。腹部を刃物で刺されたんですよね。
 通り魔殺人じゃないかって言われて、まだ犯人はつかまってなかったはず」
「そうだ。あの地下道を夜に撮って、それを入れようと思ってる」
「じゃあこれから行くんですね。僕もついてっていいですか?」
「いいけど、すぐ終わるぞ」で、その夜です、
2人で10時ころにその地下道に行ってみました。

事件後しばらく閉鎖されてたんですけど、
今は普通に使われてます。ただ、事件のことを知ってる人が多いんで、
あんまり地元の人は利用しないんです。その夜も誰も通る人はいませんでした。
「場所どこで刺されたかわかんないんだよな」 
「ええ、噂だと壁に血の手形がべたべたついてたっていうけど、
 それもどこまで本当かわかんないですし」 「じゃあ、真ん中へんで壁を何枚か撮ろう」
ってことで、先輩がデジカメで地下道の壁を撮って戻ってきたんです。
いや、そのときは何も変なことはなかったですよ。
でね、先輩の部屋で、撮ってきたばかりの一枚を、映画の中に挿入したんです。
入れた部分は、ちょっと悪趣味ですけど、登場人物がゾンビに襲われて腹を裂かれ、
豚の内臓がこぼれる手前のあたりです。「よ~し、これで完成」

それで、その日も酒をごちそうになって先輩の部屋に泊まったんです。
それから数日して、学祭2日目になりました。
僕らの映画を上映する日です。場所は大学側から中ホールを借りてまして、
1日で4回上映したんです。ええ、最初の2回までは人はそこそこ入ってましたけど、
これは僕らが宣伝して来てくれた知り合いが多かったです。
午後からは一般のお客さんもちらほら来てくれましたが、人数は少なかったです。
でね、3回目の上映までは何事もなかったんです。
うーん、映画の反応はいまいちでしたね。あんまり怖がってくれる
お客さんはいませんでした。どっちかっていうとシラーッとした雰囲気で。
でも素人映画なんてそんなもんなんです。楽しいのは作るほうだけって感じでね。
ただ、サブリミナルが入ってることも一切わかりませんでした。

それで、3時からの4回目の上映のときのことです。
そのとき僕は少ホールの外で、借りた長机の片付けをしてたんですが、
映画が始まって半分くらいしたとき、ホールの中で「キャーッ」と悲鳴が上がったんです。
「ん?」と思って中に入ってみました。そしたらです、
大スクリーンに僕らが撮ってない変な映像が出てたんですよ。
あの地下道の壁が大きく映って画面が止まってたんです。
最初はプロジェクターの不具合で、たまたまそこで止まっちゃったのかと思ったんですが、
よく見たら、壁に真っ赤な手の跡がいくつもついてて・・・
ええ、もちろんそんなものはなかったはずです。ホールの中を目で探したら、
スクリーンの横に吉崎先輩が立ってたんです。
近づいていって「先輩、これ・・・」って言うと、

先輩は青ざめた顔で「こんなの撮ってないよな、何だよこれ」って小声で答えて。
そしたら画面が急に切り替わって、画面に新聞が出てきたんです。
はい、女子高生殺害の記事が載った新聞の大写しです。「これ先輩が入れたんですか?」
「まさか、んなわけねだろ」画面はそれから、血の手形の壁、新聞と何度か切り替わって、
ゾンビのシーンに戻りました。その後は普通に流れたんですが、
おびえた顔で帰ってったお客さんが多かったです。もちろん後でみなで調べましたよ。
でも、入ってたのは地下道の何もない壁だけで、
血の壁と新聞の映像なんてどこにもなかったです。
それでですね、学祭から4日後、女子高生殺人事件の犯人が逮捕されたんですよ・・・
え、そのときの観客の中に犯人がいたんじゃないかって?
いや、それはないと思います。犯人は年配の男でしたし、そんな人は会場には・・・






 


反則企画です

2017.12.18 (Mon)
今回は、自分が書いた「貸しボートにて」という話を再録し、外部のまとめサイトに
出ていた話の反応を載せてみます。自分としては、この話はよく書けたなあと思ってて、
またこういうのを書きたいです。

「貸しボートにて」

子どもの頃の話なんで幻想が入り混じってるのかもしれないけど、
妙に記憶に残ってる出来事。ただ、
文章にするために無理に記憶を掘り起こして話を組み立てたから、
実際とは違ってる部分もあるかもしれない。
たぶん小学校の中学年ぐらいだったと思うけど、親父とボートにのってた。
今は半分以上埋め立てられてしまったけど、
当時は城跡公園をぐるっとお堀がとりまいていて、貸しボート屋があった。

親父は県庁に勤めていたから、おそらく日曜のことだと思うが、
母親はそのときはいなかった気がする。日差しがまぶしく暑かった日だった。
親父は意外にボートを漕ぎ慣れてて、自分はぼんやり緑色の水面を眺めていた。
天気がいいせいか他にもボートはたくさん出ていて、
今にして思えば親子連れよりカップルが多かったんじゃないかな。

お堀の円周を石壁を見ながらほとんどのボートが同じ方向に漕いでて、
自分は後ろを見てたけど、親父と話すんで前を向いたら、
すぐ先に親子三人ののったボートがいた。
両親は若くて、子どもは幼児で母親に抱かれていて見えない。
それが水路がゆるい曲がりにさしかかったときに、
母親の陰になっていた子どもが頭をのぞかせた。

頭は異様に大きくて、玉ねぎを逆さにしたように天辺がふくらんでる。
上を向いていたその子が奇声をあげて自分のほうを見た。
見たといっても両方の眼の焦点があってなくて、口から大量によだれを流している。
子どもながら、ああかわいそうな子なんだなと思って横を向いた。

お堀はいちばんカーブのきついところに来てて、
岸からヤナギの木がしだれたその影になったところが、
黒い泥溜まりで、ぽこぽこあぶくがわいている。
何気に見ていると、その泥の中から何かが出てくる。
魚だろうと思ったら、緑がかった黒い泥で汚れた指先なんだ。
それがゆっくりゆっくりなんかをつかむような形で両手が突き出されてくる。

そのあたりは水がにごっていて、水面下に何があるか見えなかった。
前のボートの母親らしい人もその手に気づいてるみたいで、
ずっとそっちのほうを見ている。手はもうひじを過ぎて二の腕まで出ていて、
指を小刻みに動かしている。前のボートが手の脇を抜けようとしたとき、
母親が「はい」という感じで、おばあちゃんにでもあずけるような動作で、
その抱いていた子どもを泥の手に渡そうとしたんだ。

するとそれに気づいた若い父親がばしゃっと泥の手の上をオールでたたいた。
手はその一瞬で消えるように見えなくなった。
若い父親が母親に向かって強い口調で何か言った。

記憶はこれだけ。ボートから降りその人たちと離れてから
見たことを親父に話したら、親父は微笑みながらも、
自分が早口でまくしたてるのをけっこう真顔で聞いていた。
ボートの中で自分の様子が変化するのを見ていたからだろうか。
「うーん、お前は・・・人の心を見たんじゃないかな」と一言、
それ以上何も言わなかった。・・・そういえば、来年は親父の7回忌になるな。



1. ちょっといい話 

2. ボートを漕ぐ時、進行方向にはかなり注意を向ける。
 狭い堀で先行する船がカーブのきつい個所で「ナニカ」を注視してるなら、なおさら
 危険なのか?貴重な植物でもあるのか?
 なのでこのお父さんの返事には違和感が・・・

3. 子供の言動を頭ごなしに否定しない、優しい父親の解釈にちょっとほっこりした

4. なんかいい。

5. 微笑みながらも真顔で聞く器用な父親。

6. ※2お父さんには水の手が見えてなかったんだと思う。

7. 子供が永沢君で脳内再生されてしまって、なんかダメだ・・・

8. ※7 子供は"逆さタマネギ"だ。
 カマキリみたく上部が膨らんでて顎が細いんだよ。
 永沢君は"タマネギ"だから全然違う。

9. ※7 ふいてしまったじゃないか!w

10. 水頭症のお子さんて幼児まで生きられなかったような気がする。

11. すごいお父さんだなぁ。

12. 恐らくその水面から出てきた手のみならず親子三人ともに既に人ではなき者達であろう。
 とは言え元は真っ当な人達の残した残像、それを投稿主が再生したまでの話。
 しかしその投稿主に再生させるほど強い残像を残したこの親子の現世での苦労辛苦は
 相当なものだったのだろう。醜く憎く愛する我が子を手放したい、無かったことにしたい、
 永遠に自分の元で愛したい、一緒に死んでしまいたい、絶対に誰にも渡しくない醜きわが子、
 これら全ての絶望を抱えようとする母親とそれに付き添う事しか出来ない父親。
 それらが刻まれたお堀の水辺でその残像記録を再生してしまった多感で敏感な投稿主。
 それを何となく直観的に理解した投稿主の父親。という話だろ?

13. 水頭症の子かな。

14.父親の一言が良いね。この話に深さを与えてる。
 この話は解釈のしようによっては現実的な怖い話だね。
 リアリストな私の解釈だと、水面から飛び出る手は母親の手が
 水面に反射して見えてた物なんじゃないかな、と思う。
 状況から察するに、投稿者が見たのは障害児が生まれてしまって鬱状態の母親と、
 そんな母親の気晴らしの為に行楽に誘った父親だったんじゃないか?
 そんな中、母親は水面を見てる内にこの水の中に我が子を棄てられたなら・・・
 と言う欲求が表れて、って話じゃないの。
 父親の一言は、投稿者の体験を私と同じ様な見方で解釈してると思う。

15. 面白かった。不気味な話だな。

16. エレファントマン思い出した。

17. 米12はちゃんと読んだ?

18. 米12はトンチンカンな解釈だけど、私は好きだよ。








片輪車と母子の関係

2017.12.18 (Mon)
今回はひさびさに妖怪談義です。これも謎の多い妖怪なんですね。
「片輪車(かたわぐるま)」のもともとの意味は、
片方しかない大八車、あるいは牛車などの車輪ということです。
この片輪が、障害者を表す「カタワ」の語源であるのは間違いないでしょう。
ですから、現代では差別用語として使われることがなくなり、
テレビなどでこの妖怪が取り上げられる場合は「片車輪(かたしゃりん)」と
名前を言い換えられたりしています。

妖怪の姿としては、片方だけの火に包まれた車輪が転がっていて、
その上に若い女が乗っている姿として描かれます。
さて、下図は鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』のものですが、
次のような話が書かれています。



「近江国(滋賀県)甲賀郡のある村で、片輪車が毎晩のように徘徊していた。
それを見た者は祟りがあり、そればかりか噂話をしただけでも祟られるとされ、
人々は夜には外出を控えて家の戸を固く閉ざしていた。しかしある女が興味本位で、
家の戸の隙間から外をのぞき見ると、片輪の車に女が乗っており、
「わたしを見るよりお前の子を見よ」と告げた。
すると家の中にいたはずの女の子どもの姿がない。

女は嘆き「罪科は我にこそあれ小車のやるかたわかぬ子をばかくしそ」
(罪はわたしにあるのだから、何もわからない子どもを隠さないでくれ)
と一首詠んで戸口に貼り付けた。すると次の日の晩に片輪車が現れ、
その歌を声高らか詠み上げると「やさしい心の者かな、ならば子を返してやろう。
わたしは、人に見られたのでもうここにはいられない」と言って子どもを返した。
片輪車はそのまま姿を消し、人間に姿を見られてしまったがため、
その村に姿を現すことは二度となかったという。」
(『諸国里人談』)

まず、ここは「見るなのタブー」と言われるものが出てきています。
「見るなのタブー」とは、世界各地の神話や民話に見られるモチーフの一つで、
何かを「見てはいけない」とタブーが課せられたにもかかわらず、
それを見てしまったために悲劇が訪れる、または、見てはいけないと
言われた物を見てしまったため、怖ろしい目にあうというものです。

日本では、この典型的なものが「鶴の恩返し」という民話ですね。
鶴が化けた妻が、機織りをしているところを見てはいけないと言ったのに、
好奇心にかられた夫が約束を破って見てしまい、別れが訪れるという内容です。
怪談でも、夏休みに遊びにいった祖父母の家で、見てはいけないと言われた
裏の作業小屋の中を見てしまい、怖ろしいことが起きる・・・なんて話があります。

また、「見るなのタブー」の類型として「言うなのタブー」というのもあり、
これは小泉八雲の『雪女』などがそうです。
「このことは絶対に口に出してはいけない」と言われていたのに・・・
というやつですね。

さて、鳥山石燕には。これと似た妖怪として「輪入道」というものもあります。
絵としては片輪車によく似ていますが、
輪の中心には坊主頭の恐ろしげな男の顔がついています。



この詞書には、「車の轂(こしき)に大なる入道の首つきたるが
かた輪にてをのれとめぐりありくあり これをみる者魂を失う
このところ勝母の里と紙にかきて家の出入の戸におせば あへてちかづく事なしとぞ」

(車の中心に大きな坊主の首がついたものが、片方だけの車輪でひとりでに動き回る。
これを見てしまったものは魂を失う。「ここは勝母の里」と紙に書いたものを
家の戸口に張っておけば、輪入道は近づいてこないという。)とあります。

この「輪入道」と「片輪車」はもともとは同じものであったというのが、
妖怪研究家の間では定説になっています。初期には男の顔であったものが、
だんだんに女の姿に変わっていったということのようで、
石燕もそのことは知っていて、あえて二つの絵に分けて描いたのだと考えられます。

で、詞書に出てくる「勝母の里」とは何かというと、中国の儒家、孔子の弟子に
曾子(そうし)という人がいて、親孝行なことで有名でした。
それを孔子に見込まれて『孝経』を著したという説があります。
この曾子が「母に勝つ」という地名を嫌って、
勝母の里という場所に足を踏み入れなかったという逸話が『史記』あるんですが、
それを指しているんだと思われます。

さてさて、片輪車と輪入道の話で共通しているのは、「見るなのタブー」と、
もう一つは「母子関係」ということになります。
片輪車のほうは、自分の子どもを取られてしまった母親が、
歌を詠んで なんとか子どもを取り戻す話ですし、輪入道のほうには、
母親孝行で有名な曾子の故事が出てきます。

このあたりのことは、自分もいろいろ文献をあたって調べたんですが、
なぜ、片方だけの車輪と母子の関係が結びついているのかはわかりませんでした。
おそらく、現代には伝わっていない元になる物語があって、
石燕はそれを知っていて描いたんだと思いますが、残念ながら詳細は不明です。
「片方だけの車輪」ー「見るなのタブー」ー「母子関係」
このようにいろんなものが結びついて一つの妖怪ができあがっているので、
妖怪研究は難しくもあり、また楽しみでもあるんですね。








「サイコメトリー」って何?

2017.12.17 (Sun)
今回はこのお題でいきます。最近、テレビやスピリチュアル系のブログなどで、
この言葉を聞くことが多くなったと思われませんか。
もっともこれは、自分がオカルト系の話題にいつも注目しているので
そう感じるだけなのかもしれませんが。
では、Wikiで「サイコメトリー」という項目を見てみましょう。

「サイコメトリー(Psychometry)とは、超能力の一種。
サイコメトリーという能力の範囲の厳密な定義はないが、最も主な特徴は、
物体に残る人の残留思念を読み取ることである。」

こんなふうに出てきます。でもこれ、そもそもの言葉の成り立ちからすると、
自分はちょっと違う気がするんです。そのことは後で説明します。
では、このWikiの記述に出てくる「残留思念」って何なのでしょう。

「残留思念とは、超常現象、精神世界、スピリチュアリティなどで
用いられる用語の一つで、人間が強く何かを思ったとき、
その場所に残留するとされる思考、感情などの思念を指す。」

これもWikiから引用したものです。

さて、「幽霊」現象が起きる原因として、捏造や創作、幻覚や勘違い、
そういうものをのぞいて、大きく2つあると考えられることが多いんです。
その一つが「霊魂原因説」です。人間には霊魂があり、それが肉体の死後も残って、
生きている人に目撃されるという説です。

そしてもう一つが「残留思念説」。これは事故などで亡くなった人が、
その死の間際に持った、無念や恐怖などの強い感情が空間に放出され、
それが何らかの原因で記録・保存されて、
生きている人に感知されてしまうというものです。
で、この2つ。どちらかというと日本では「霊魂説」のほうが強いんですね。
これは、やはり「四谷怪談」などに見られる、成仏していない人間の魂が幽霊になる
という歴史的、伝統的な影響が大きいのだと考えられます。

ところが、アメリカの超心理学界などでは、
幽霊は「残留思念説」を念頭に置いて研究されている場合が多いんです。
超心理学というのは、心と心、心と物の相互作用を研究する分野で、
テレパシーや念力(サイコキネシス)など、人間の心にはパワーがあるのではないか
ということを最大の仮説にしています。ですから、
人間の精神力が幽霊の形となって残る残留思念説とは親和性が高いんです。
また、霊魂説のほうは、アメリカで主流のキリスト教プロテスタントの考え方と
いまいち合わないんですね。これはけっこう重要な問題で、
「霊魂を研究しています」とすると、うさん臭く思われて予算がつかなかったりします。

さて、残留思念が場所につく場合は地縛霊と呼ばれたりします。
また、物につく場合もあり、古着や骨董品などには前の持ち主の残留思念が
残っているなどと言われたりもしますね。
この場合、前の持ち主が亡くなっていなくても、
残留思念を読みとることはできるようです。

ちなみに、日本では残留思念を読みとることができる能力の持ち主を、
サイコメトラー(Psychometrer)と言ったりしますが、これは「少年ジャンプ」
に連載されていた漫画の影響が大きいようです。英語としては、サイコメトリスト
(Psychometrist)のほうが正しいようで、英語版Wikiもそう書かれています。

さて、最初のほうで自分は、サイコメトリーについてのWikiの定義に疑問を呈しましたが、
サイコメトリーという言葉は、アメリカの医師で神霊研究家でもある、
ジョセフ・ローズ・ブキャナン(Joseph Rodes Buchanan)という人が、
19世紀に最初に定義したということになっています。
この人物について、面白い逸話があるんです。

彼は自分が勤める医学校の生徒を被験者としてこのような実験をしました。
「まず中味がなんであるか分からないように包んだいくつかの薬を、
学生たちに手渡し、そして学生たちの反応を見守りました。
すると不思議なことに、その内の何人かは、
それを内服したときと同様の反応を示したのです。
例えば、吐剤を手渡された学生は、それを飲んでいないにも関わらず、
しかもそれが吐剤であることを知らないまま、吐き気を感じたと報告されています。」

ここでは、被験者は人の残留思念ではなく、薬の性質を読みとっているわけです。
ですから、人間の精神とは関わりのない物質からも何らかの力が発散しているんですね。
ブキャナンはこれを「神経オーラ(nerveaura)」と名づけました。
そして、それを読みとることができる能力を、サイコメトリーとしたのです。
ですから、サイコメトリーは人間の残留思念だけではなく、
当初は、物質が本来持つオーラも読みとれるものだったようなんです。

さてさて、まだまだ書き足りないのですが、長くなってきたのでいったん終わります。
「心霊考古学」という分野があるようです。過去を知る手段として、
霊能者のサイコメトリーや透視などの能力を使用する考古学研究のことですが、
これはどうなんでしょうね。例えば、福岡県で出土した「漢委奴国王」の金印。
あれを手にするだけで、霊能者には当時の状況がわかるものなんでしょうか。
大学で考古学を専攻した自分としては、大きな疑問を持たざるをえませんね。










古墳の電気霊の話

2017.12.16 (Sat)
今年の夏休みの話です。古墳の発掘の手伝いをしていたんです。
あ、僕は学生で、地元の国立大学の人文学部で考古学を専攻してるんです。
ええ、専攻科の1・2年生はほとんど強制的に参加させられました。
3年生以上は自由参加だったんですけど、もうすぐ就職活動が始まるし、
僕は、いい思い出になるだろうと思って自主的に加わったんです。
この発掘は計画的なもので、地元では15年ぶりのことでした。
はい、発掘調査には緊急調査と計画調査があって、
全体の9割以上が緊急調査です。これは道路工事や家屋、工場を建てる際とかに、
地下から遺跡が出てきたときにやるもので、文化財保護法で決められてます。
比較的新しい時代の遺跡が多く、調査が終わった破壊されてしまうことも多いんですね。
でも、今回参加したのは計画調査で、県や市の予算を使って計画的にやるんです。

調査対象は市の郊外の山の麓にある60m級の方墳でした。
古墳というと、鍵穴みたいな形の前方後円墳を思い浮かべる人が多いと思いますが、
方墳というのは正方形の形をしています。
時代としては5・6世紀頃のものが多いようですね。
その古墳は地元では「にえご塚」って呼ばれていました。意味は不明です。
地元の人でもわからないようで、かなり昔から言い伝えられていた名称のようです。
発掘は、まず上にある樹木などをすべて伐り倒し、それから綿密な測量をします。
重機を使って一定の深さまで表土をはがし、あとは遺跡全体を碁盤の目に区切って、
ほとんど手作業で発掘していくんです。
でね、3日目に横穴式石室の入り口が見つかりました。
中は未盗掘で、小ぶりの石棺が出てきたんです。

はい、残念ながら中には遺体はありませんでした。朽ちてしまってたんです。
ただ、被葬者のものと思われる爪が何個か見つかりました。
あと、副葬品はほとんどなかったですが、棺の中に青い管玉がありまして、
これは古代の装身具です。ええ、それで被葬者は女性かもしれないです。
でね、僕は夜間警備を担当していたんです。古墳の横に建てたプレハブに泊まり込んで、
夜間に異常なことが起きないか見回る役目ですよ。
同じ専攻科の2年生と2人でやってまして、いくらかバイト料ももらえたんです。
警備といっても、侵入者なんて来るはずがないですよ。
田舎だし、大学で調査してることは周囲の人はみな知ってますから。
だから見回りのときには、古墳内部のものが崩れ落ちたりしてないか
確認するのことが中心でしたね。

それで、泊まり込むようになった2日目のことです。発掘は6時前には終わりまして、
その後、10時、2時、朝の6時と3回見回るだけです。
それ以外の時間は仮眠をとったり雑誌を読んだりしてればいいんで楽なもんでした。
でね、その日の午前2時前、ソファでうとうとしていたのを後輩に起こされまして、
懐中電灯を持って見回りに行ったんです。
怖いなんてことはなかったです。けっこう明るいですからね。
はい、自家発電をしていて、あちこちにスポットライトがつけられてたんです。
古墳の内部も終夜 照らされてました。2人で外を見回りましたが、異常なし。
1辺が60m程度の方墳なんで10分もあれば回れるんです。
それから入り口の石を取り除いてシートをかけてある石室の中に入っていきました。
真夏でしたが中は気温が低く、ひんやりしてましたね。

石室といっても、奥行きが8mくらいですか、せまいもんです。
ひと目見て異常がないのはわかりました。いちおう奥までいって、
さあ戻ろうかとしたとき、後輩が地面にある石にけつまずいてよろけたんです。
それで転ぶまいとして石壁に手を伸ばし、
外から引いてある自家発電の電線をつかんじゃったんです。
ええ、簡単に設置してあるだけですから、電線は大きくたわんで、
上から吊るしてある照明灯が激しく揺れたんです。
それから、ちょうど蓋をのけた石棺の上にあったやつが、
電線がついたまま石棺の中に落下して、パリンとガラスが砕ける音がしました。
「ああ、ヤバイ」と思いました。でも暗くはなりませんでした。
照明灯は他にもあったし、僕らも懐中電灯を持ってましたから。

「あーあ、何やってんだよ」僕がそう言って、石棺に近づき、
電線をつかんで照明灯を引っぱり上げようとしました。そのときです。
石棺の上でバチバチバチと弾けるような強い音がして、緑色の電光が立ち上ったんです。
うーん、うまく説明できないんですが、クリスマスのイルミネーションってありますよね。
街路樹なんかを飾るやつ。あれの強烈な緑色のやつが石棺の上でチカチカ光ったと言えば
一番近いかもしれないですね。「あ、危ない!」僕は持っていた電線を離し、
バチバチいう音はますます強くなって、緑の電光はまぶしいほど強くなりました。
そしてですね、その光の中に女の人の姿が浮かんだんです。「え、え、え?」 
女の人も全身緑色で、埴輪なんかで見るような古代の服装をしてるようでした。
若い・・・たぶん10代、現代なら中学生くらいに見えました。
女の人は緑の顔に苦悶の表情を浮かべてて、こちらを向いたまま叫んだように見えました。

ええ、声は聞こえなかったです。ただ、バチバチという音が強くなって、
それからテレビを消すようにブツッと消えたんです。
僕らはしばらく呆然としていましたが、ややあって僕が「今の見たか?」
って後輩に聞きました。「ええ、緑の光ですよね。すごかったですね」
「光の中に女の人がいただろ」 「え、女? いや、見ないです。光だけですよ」
こんな会話をしましたが、女の人の姿を見たのは僕だけのようでした。
それで、そのときは幻覚を見たのかと思っていちおう納得はしたんです。
石棺内のガラスなんかを片付けなきゃと思ったんですが、
感電したら危険だし、相談して自家発電の電源を落とすことにしました。
朝になったら、発掘責任者の教授にわけを話して謝ろうと考えたんです。
プレハブ小屋に戻ってきて朝を待ったんですが、僕は頭が痛くなってました。

それと、キーンという音が耳の奥で鳴っていて、いつまでも消えなかったんですよ。
6時の見回りのときはもう明るくなっていて、籍室内は懐中電灯だけで十分見えました。
照明灯は石棺の中に落ちたままで、危険な様子はないようでした。
8時になって、市の責任者や大学の教授陣が来たんで、
後輩と2人でわけを話して謝りましたが、怒られることはなかったです。
「片付けはこっちでやっておくから」と言われて、僕らは帰ることにしました。
幸い、その後輩が車で来ていたんで、市内にある僕のアパートまで送ってもらったんです。
アパートに着いてジャンバーを脱いだ時、背中にチクッとした痛みが走りました。
手で触ってみると、小さく鋭いガラス片がありまして、
ああ、昨夜、照明灯が割れたときに背中に飛び込んだんだろうって思いました。
つまんでゴミ箱に捨てようとしたら、そのガラスが緑色に光ったんです。

はい、そっから、石室内で見た緑の光が野球のボールくらいの大きさになって、
部屋中を飛び回ったんですよ。バチッバチッという音が強くなって、
頭が割れるように痛くなりました。緑の光の球はアパートの壁で何度も跳ね返り、
最後に部屋の小型テレビの液晶画面に飛び込んだんです。
そしたら、スイッチを入れてなかったテレビがぼうっと光ました。
でね、映ったんですよ。石室で見た女の人の顔です。
胸から上が大写しになっていて、やはり十代前半くらいに思えました。
女の人は緑に染まった歯をむき出しにして、テレビの中で叫びに叫んでいました。
僕はよろけてベッドに尻もちをついたまま、ずっとそれを見ていたんです。
・・・どれくらい時間がたったでしょうか。
バチバチいう音がおさまり、それとともにテレビ画面の女の人の姿も

だんだんに薄くなっていって、ついには消えてしまったんです。
そのとき、残念だって思いました。もっとその人のことを見ていたかったって・・・
変な話ですよね。そのときの古代人に見える女の子に恋をしたなんてことじゃないです。
僕には彼女もいますし、そんなんじゃないんです。ただ・・・
それで、古墳のほうなんですが、重大な発見があったんです。
ほら、照明灯が落ちた石室内ですね。人体が朽ちたものが土となって残ってたんですが、
その中から鉄製の矢じりが見つかったんです。これは考古学用語で鉄鏃って言います。
で、はっきりとはわからないんですが、石棺の被葬者が生前に射ち込まれたものじゃないか、
って推測されているんです。はい、矢を胸のあたりに射込まれた後に、
石棺に葬られたってわけです。生贄・・・そこまではわかりませんけど、
あの大きく口を開けて叫んでいる顔は忘れられませんよ。まあこんな話なんです。










神社の神聖装置3

2017.12.15 (Fri)
今回は「手水舎」について書きます。この記事は長くなるかもしれません。
なぜなら、2つの考え方が混じり合っているからです。
手水舎というのは、神社の参道の傍らにある、参拝者が身を浄めるための手水
(ちょうず)を使う施設で、水盤舎(すいばんしゃ)や
御水屋(おみずや)とも呼ばれます。

神社の手水舎


冒頭に書いたように、ここには2つの思想が読み取れます。
その一つは「水の祭祀」で、もう一つが「禊(みそぎ)」です。
どっちからいきましょう。水の祭祀を最初に書いたほうがわかりやすいでしょうか。
日本には古来から、水、特に湧水や流れる水を尊ぶ思想がありました。

水の祭祀を行う古代の人々


みなさん、銅鐸はご存知だと思います。
弥生時代中期から後期にかけて盛んに製造された釣鐘型の青銅器で、
中には舌(ぜつ)と呼ばれる金属製の錘りが入っていて、
振り鳴らして音を聞くことができました。ただ、銅鐸はだんだんに大型化して、
音を聞くためのものから、目で見るためのものへと変化していきます。

この銅鐸の多くは土に埋納された形で発見されますが、
集落から離れた場所で見つかる場合が多いのです。
銅鐸は、水への信仰のため水源地近くに埋められ、年に何度か掘り出されて
祭祀に使用されたとする説があります。
下図は「流水紋銅鐸」と呼ばれるものですが、
線刻で流れる水が精緻に表現されています。

流水文銅鐸


また、邪馬台国の候補地とも言われる奈良県の纏向遺跡では、
土坑と呼ばれる、水が湧き出る地点まで縦穴を掘った遺構が多数、
中に土器や木製品などが埋められた状態で見つかっており、
これらの出土品は、後代の新嘗祭で使われたものと共通点があります。

古墳時代に入ると環濠集落が消滅し、集落には豪族居館と呼ばれる、
その地域の首長や豪族がすむ館が建てられるようになります。
下図右は「囲型埴輪」と呼ばれるもので、高い囲いが立てられ、
外から中がのぞかれないようになっています。
では、中で何をやっていたかというと、水の祭祀であったと考えられています。

下図左は、囲いの中にある導水施設です。湧水から樋で水を引き、
一ヶ所に溜めて上澄みのきれいな水をつくり、
それを何らかの儀式に使用していたと考えられています。
これはもちろん個人的なものではなく、集落全体の繁栄を願うための儀式で
あったわけです。この水の祭祀は後代ますます盛んになり、
7世紀の斉明天皇の時代にピークを迎えました。

古墳時代の囲形埴輪と導水施設
名称未設定 1agr

下図は、奈良県明日香村にある「酒船石」と呼ばれる遺物で、
酒や薬をつくるのに使われたなどという説もありますが、
自分は水の祭祀に使用されたものではないかと考えています。
このように、日本には古代から水を尊び、祀る習慣があったんですね。

飛鳥時代の酒船石


さて、話を「禊」のほうにうつします。禊とは、身体に罪や穢れのあるとき,
または神事の前に,川や海の水につかって,身体を洗い清めることです。
神道では穢れ(気枯れ)が強く忌まれます。
もし穢れを受けてしまった場合には清めなくてはなりません。

禊の始まりは、伊弉諾(いざなぎ)が、死んだ妻を追って黄泉の国へ行き、
帰ってきた後、その体についた穢れを落とすため、
「筑紫日向の橘の小戸 (おど) の檍原 (あはぎはら) 」の流れで禊を行いましたが、
このときにたくさんの神が生まれ、最後に、左眼から天照大神、
鼻から須佐之男命、右目から月読命が生まれたということになっています。

寒中禊


禊はもちろん現代でも行われます。「垢離(こり)」という言葉がありますが、
これは水垢離(みずごり)、水行(すいぎょう)とも言って、
禊の一種です。大きな仕事をする前、あるいは神社やお寺での行事がある前に、
家で井戸水をくんで水をかぶったり、あるいは山にこもって滝に打たれ、
その成就を願うわけです。水垢離は、それが苦しいほど効果があるともされ、
寒中に雪の舞う中で行われることもあります。

さてさて、このように神社の手水舎は、
「水そのものへの信仰」と「禊」という2つの考え方が混じり合った場なのです。
神道では、体が清められるのと心が清められるのは同じとみなします。
ですから、しっかりと作法にしたがって、手水舎で身を清め、
心をすがすがしくして神様にお会いしたいものですね。

関連記事 『神社の神聖装置1』

関連記事 『神社の神聖装置2』








神社の神聖装置2

2017.12.15 (Fri)
前回は鳥居について書きましたが、自分の専門である考古学的な内容だったため、
思わず長くなってしまいました。
今回はできれば2つのものに触れたいと思っています。
まず一つめが「狛犬」について。

狛 犬


これ、「犬」という言葉が入っていますが、実際には獅子、ライオンのことです。
ライオンを聖なるシンボルとするのは、古代オリエント、
エジプトにまで遡るというのが定説になっています。
百獣の王と呼ばれる力強い姿が、王家を守護するのにふさわしいと
考えられたんですね。その代表的なものがスフィンクスです。

スフィンクス


この考えが日本に入ってきたのは、おそらく中国の唐の時代だと思います。
当時の日本人はもちろん獅子を知らなかったので、
身近にイメージしやすい「犬」と呼び名が変わりました。
(ちなみに、犬は日本では縄文時代からペットとして飼われていたようで、
家族同様に埋葬された犬の遺骸が発掘されています。)
朝鮮半島を伝わってきたので、「高麗の犬」これが、外来動物を表す「狛」
という語を当てられて「狛犬」になったというわけですね。

インドの狛犬


狛犬については、平安時代の清少納言の随筆『枕草子』中の
「めでたきもの」という話の中で触れられています。
また、吉田兼好が鎌倉時代に書いた『徒然草』の中の「丹波に出雲といふ所あり」
という話にも狛犬のことが出てきます。面白い内容ですので、ご紹介しましょう。

「聖海上人という偉いお坊さんが、出雲という神社に大勢で参詣したところ、
一対の狛犬が、向き合っているのではなく、お互いに背中を向け合っていた。
上人は「これにはきっと深い仔細があるのだろう。」
と言って感動の涙を流した。しかし、社の神官に理由を聞いてみると、
神官は「子どものイタズラですよ、困ったものです。」
と答えて、すぐに直してしまった。」
 こんな話です。
神社に狛犬を立てる風習は、遅くとも平安時代にはあったと考えられます。

さて、世界の狛犬も一対になっていることが多いのですが、
同じものが2つ造られるのが普通です。ところが日本の狛犬は片方が口を開け、
片方は閉じている場合が多く、これは「阿吽(あうん)型」と言われます。
阿吽の形になっているのは寺院の門にある仁王像などもそうですが、
仏教的な考え方が元になっています。

「阿」は梵語(サンスクリット語)で宇宙の始まり、
「吽」は同じく宇宙の終わりを意味します。
そしてその間の空間が一つの結界のようになっているわけです。ここには、
日本庭園などでも見られる、左右非対称をよしとする文化があるという人もいます。

さて、このようなことはいくらでも書けるんですが、少し端折ります。
狛犬は、その神社の神の使いでもあるわけですが、
神社によっては、猿や鹿などが神のお使いとなっているところもあります。
それらの神社では、狛犬ではなく狛猿や狛鹿が置かれたりします。
また、稲荷神社では、ご存知のように狐が神のお使いです。

狛鹿と狛猿
名称未設定 1

次、「注連縄」にいきます。
上記のように、狛犬は外国から入ってきたものですが、
注連縄は日本古来のものと考えてもよいと思います。これまで説明した、
鳥居や狛犬も一種の結界の役割を果たしているものですが、
注連縄は完全な結界そのものと言ってよいでしょう。
注連縄を張ることで、外の穢れを中に入れないようにするのです。
そして注連縄の中の清浄な場所には、神が訪れます。

結界 この岩の上に神が降りる


日本神話の天照大神の岩戸隠れの際、
他の神々が天照大神をひきずり出した後の天の岩戸には、
二度と入ることができないようにと、「尻久米縄(しりくめなわ)」という
縄を張ってふさぎました。これが注連縄の起源と、神道的には考えられています。
また、注連縄の多くは稲藁で作られていますが、これは古来からの農耕文化と
深い関わりがあります。相撲の横綱が注連縄を腰に巻き、
これを締めて四股を踏むことも、大地を踏んで地の邪気を払い、
豊作・幸運を招き寄せるという農耕に関係のある儀礼です。

結界 富士山の登山道を注連縄でふさぎ禁足地とする


『日本書紀』には、注連縄の正式な作り方として
藁を左巻きにすると出てきますが、現在の神社では、
自分が見たところでは、右巻きになっている場合も多いようです。
注連縄には、普通の縄と区別するために白い紙を下げますが、
これを「紙垂(しで)」と言います。

注連縄の巻き方(種類)には、前垂注連、牛蒡注連、大根注連などがあります。
大きな注連縄としては、島根県の出雲大社のものが有名ですが、
日本最大のものは、福岡県、宮地獄神社(みやじだけじんじゃ)にある、
長さ13m、重さ5tのもののようです。自分はここには行ったことがありませんが、
下の画像を見ると、これはかなりの大きさですね。

宮地獄神社の大注連縄


さてさて、注連縄は庶民の家庭でも飾りますね。お正月の注連飾りのことですが、
これは正月に迎える年神を祀るための依り代とするものですので、
玄関先に飾るのが普通です。12月の28日に飾るのがよいとされ、
29日、31日に飾るのは縁起が悪いとされる地域もあるようです。
もうすぐお正月ですが、注連飾りを飾る際には、
以上のようなことを思い浮かべていただけたらと思います。

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神社の神聖装置1

2017.12.14 (Thu)
このお題にある「神聖装置」という語は自分が作ったものです。
どういう意味かといいますと、みなさんは神社に入ると
厳粛で清明な気分になりませんか。これは神社の構造、
まず入り口に鳥居があり、掃き清められた参道がずっと続いていて、
手水舎で手と口を清め、狛犬の間を通り、拝殿に向かってお賽銭を投げ入れ、
鈴を鳴らす。周囲をよく手入れされたご神木が取り囲み、木の香をただよわせる・・・
自分は、これらの一つ一つが神聖な雰囲気を高めるための装置となっている、
と考えているんです。

厳島神社の大鳥居


では、これらの神聖装置それぞれについて見ていきたいと思います。
まず「鳥居」から。
鳥居を一言で表現するなら「神域への入り口を示すための門」でしょうね。
鳥居(とりい)は「通り入る」が変化したものだと言われたりもします。
この鳥居のルーツについてはさまざまな説があります。
古代インドから来た、古朝鮮から来た、東南アジアから来た・・・

鳥居の起源とも言われるインドのトーラナ


しかし、これらの説を自分は採りません。なぜかというと、鳥居は門であり、
門の形というのは限られていると思うんです。
ですから、各国に似たものがあるのは当然だと考えます。
海外に似たものがあるから、それがルーツだろうと短絡的に考えるのは危険です。

鳥居はどこから始まったのか。自分は日本古来の「巨木信仰」と「鳥信仰」
が結びついてできたのではないかと考えます。
巨木信仰というのは縄文時代からありました。下図は青森県、三内丸山遺跡の
「六本柱建物跡」と呼ばれるものですが、建物であったかどうかはわかりません。
というのは、発掘では柱の穴しか出てこないので、
上部の構造がどうなっていたかは想像するしかないのです。
研究者の中には、ただ柱が立っていただけなのではないかという意見もあります。

三内丸山遺跡の「六本柱建物跡」


実際、縄文時代の巨木を立てたであろう柱穴の跡は。
日本海側を中心にあちこちから発見されています。
下図は、石川県、真脇縄文遺跡の柱列です。柱を立てるといえば、
諏訪神社の御柱祭(おんばしらさい)を思い浮かべる方もおられると思いますが、
あれも古代の巨木信仰の形を今に伝えているものなのでしょう。

真脇遺跡の列柱群


古式の鳥居の形態としては、日本最古級の神社と言われる、奈良県の大神神社
(おおみわじんじゃ)に見られるようなものだったのではないかと思います。
下図のように、2本の巨木の間に注連縄を張った形です。
神域を示す結界としての役割を果たしていたのではないでしょうか。
これが、だんだんに変化していって現在のような形になったのは、
奈良時代から平安時代のことだと思われます。

大神神社の古式の鳥居


さて、次に鳥信仰について。
みなさんは八咫烏(やたがらす)や金鵄(きんし)という言葉を
聞いたことがあると思いますが、八咫烏は、日本神話の神武東征の際、
タカミムス匕の神によって神武天皇のもとに遣わされた導きの鳥です。
3本足であったとされ、日本サッカー協会のマークになっていることは有名ですね。
また金鵄は、神武天皇がナガスネヒコと戦っているとき、
金色のトビが天皇の弓に止まり、その体から発する光で敵の軍勢の目がくらみ、
勝利することができたとされます。日本には、古代からの鳥信仰があったのです。

鳥居の語源の一つとして、天照大神の岩戸隠れの際、
天照大神を洞窟からおびき出すため、
岩戸の入り口で、宿り木に乗せた「常世の長鳴鶏(とこよのながなきどり)」
を鳴かしたという伝説からきているという説があります。
鳥居は、言葉どおり鳥のいる場所ということですね。

下図をごらんください。これは佐賀県、吉野ヶ里遺跡に復元された門ですが、
上部に3羽の鳥のようなものがとまっているのがわかると思います。
弥生時代の土器等に描かれた高床建物などの屋根の棟飾りや軒飾りには、
鳥の姿が描かれていることがあります。また弥生時代の遺跡からは
鳥形の木製品が出土しており、当時の宗教的なシンボルであったと考えられます。

吉野ヶ里遺跡の鳥形木製品のある門


弥生時代は水稲耕作が始まっており、穀物の霊が尊重されましたが、
それとともに、穀霊を運ぶ生物としての鳥を崇拝する観念が生まれたことが、
この鳥形木製品や鳥の扮装をしたシャーマンの描かれた土器などから
推察できるとする意見があるんです。

土器絵画から復元された鳥装のシャーマン


さてさて、鳥居のことを書いただけでだいぶ長くなってしまいました。
自分は上記のように、日本に縄文時代からあった柱を立てる信仰と、
弥生時代に始まった鳥への信仰が結びついたものが鳥居のルーツだと考えます。
鳥居をくぐるときには、これから神域に入らせていただくのだという気持ちで、
身を引きしめることが大切だと思いますね。
今後、狛犬や注連縄などについても書いていく予定です。

古墳時代の鳥形木製品


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蛇と温泉の話

2017.12.13 (Wed)
わたしは長年、東京電力の関連会社に勤めていまして、去年の3月に退職したんです。
はい、嘱託で再雇用するという話もあったんですが断りました。
というのは、妻は4年前に病気で亡くなってますし、
子どもは2人いるんですが、どちらも独立していて、
退職金と年金で十分暮らしていけるゆとりがあったんです。
独り身で気楽なもんですし、老後はゆっくり趣味のことをやろうと思いまして。
趣味は水源地めぐりです。水源地は源流とも言いますね。
海に向かって流れる川の元になる地点のことですよ。
変わった趣味だと思われるでしょうが、子どもの頃から川が好きでして、
これを上流までたどっていけば、
どんなところに行き着くんだろうって、興味を持ってたんです。

それで、水源地の様子は川によってまちまちです。
それほど大きくない二級河川なら、最後まで車で行けるところもあるんです。
さすがに一級河川ともなれば、山登り、沢登りをしなければならないところが
ほとんどですけど。まあでも、体力には自信がありました。
大学のときにはワンダーフォーゲル部でしたし、妻がまだ存命だった頃には、
近場の低山でしたが、よく二人でハイキングにも出かけたものです。
ああ、前置きが長くなってしまいましたね。
先月、ある川の水源地まで一人で出かけたときの話です。1泊の予定でした。
テント泊じゃありません。水源地近くの町まで車で行って、
車中泊する予定だったんです。朝早く出発したので、その町に着いたのが午後1時頃。
道の駅に車を置いて、そっからはリュックを背負って歩きです。

渓流が流れていまして、それをたどって沢登りしていきました。
2時間ほど歩くと、だいぶ流れが細くなってきました。もう少しで水源だろうと、
歩みを早めますと、目の前に滝があったんです。
高さは3mほど、けして大きな滝ではないんですが、両脇が藪になっていまして、
迂回することはできそうにありませんでした。
1度は中断しようかとも考えたんですが、ええい、これくらい登ってやれ、
と思って、慎重に足場を定めながら、少しずつ登っていったんです。
水苔でつるつるしていましたが、見た目よりは簡単に登れました。
それで、あと少しで滝上に出るというところで、わたしの右手が何か、
岩ではない柔らかいものをつかんだんです。「え」と思って、
つかんだまま手を目の前に出すと、それが蛇だったんです。

模様のほとんどない、濡れて銀色に光る蛇でした。「うわっ!」と思わず放り出し、
蛇はぬめった光を残し、何度か岩にあたってから滝壺に落ちていったんです。
ほっと気を抜いたとたん、片足がずるっと滑りまして、
わたしもそのままズルズル落ちていきましたが、
なんとか滝壺の手前で腹ばいになって止まりまして。
でも、全身びしょ濡れになってしまったんです。
幸いどこもケガはありませんでしたが、ああ、これ以上は無理だな、と思いました。
秋も深まっていましたし、このまま進めば風邪をひいてしまうだろうと考えたんです。
ですから、沢登りはそこで中断、車のある道の駅まで戻ることにしました。
で、とぼとぼ歩いていくと、全身にガクガクと震えがきたんです。
低体温症になってしまうかもしれないと思いました。

着替えは持ってきていましたが、さっきのことでリュックごと濡れてしまってて。
河原を出て集落のあるほうに歩いていくと、道の脇の畑で、
老人が作業をしていましたので、声をかけ、どこか体を乾かせるようなところ、
あるいは下着を売っている店がないか聞いてみました。
老人はわたしを見て、「ああ、すっかり濡れて、震えているの。
 そうか、滝から落ちたか。うーん、
 まだどこもストーブを焚いてるようなとこはないが、
 ここから少し行った先に集落の共同温泉がある。そこで暖まればよいでないか」
こう答えたんです。ああ、ありがたいと思いました。
それで、そちらの方向に歩いていくと、
10分ほどで温泉施設らしきところが見えました。

木造の小屋があり、その後ろの広い面積が高い竹垣で囲まれていました。
ああ、露天風呂なんだなと思いまして、小屋に入ってみると、
中は脱衣所で、人はだれもいませんでした。
「入浴料 300円」と書かれた木箱があったので、お金を入れ、
濡れた服を脱ぎ、リュックから出したタオルを持って湯船のほうへと進みました。
湯船は岩造りで、お湯の色は白く、もうもうと湯気があがっていました。
体にお湯をかけてから湯船に入りましたが、これがかなり熱めの湯だったんです。
しかも浴槽の中が深く、わたしが立った胸のあたりまでお湯がきたんです。
大きな岩にもたれかかるようにして入っていると、
さっきまでの冷えがどんどんとれていくのがわかりました。
その姿勢であたりを見回しますと、広い露天風呂の中央に1mほどつき出た岩があり、

そこに人がいるように見えました。湯気ではっきりしませんでしたが、
女の人のように見えたんです。ああ、ここは混浴なんだなと思いました。
まあね、わたしもいい歳ですから、恥ずかしいという気持ちはありません。
むしろ、後から男性が入ってきたので、
向こうの方のほうが困惑してるかと思ったんです。
それで、そちらに向かって軽く頭を下げますと、
女の人のほうも少し頭を下げ返しました。で、しばらくして、
その人は岩から離れ、湯船の縁に向かって歩いていきましたので、
上がるんだなと思って目をそらそうとしました。でも、目が離せなかったんです。
岩に手をかけて上がろうとしているその人の背中が、一面、赤黒かったんですよ。
「え!」はじめ刺青をしているのかと思いましたが、そうではありませんでした。

背中の肉がごっそりとなくなっていて、赤黒い肉と、
ごつごつした白い背骨がむきだしになってたんです。
ひどいケガをしているんだろうか、でも、骨が見えるほどのケガ人が、
温泉なんかに入ってるわけがない。女の人は這うような姿勢で
湯船の外に出ようとしていて、その腰から下が蛇だったんです。
ええ、とてつもなく太く長い蛇の体です。それが、ズッズッと少しずつ、
白いお湯から出てきました。数mも蛇の体が出たところで、
女の人は顔だけくるりとこちらを向き、少し笑ったように見えましたが、
その両目が金色で、瞳が黒い点のようで・・・
そこでわたしは意識を失ってしまったんです。
「おい、あんた大丈夫か。こんなとこで寝るとのぼせちまうぞ」

肩を揺すられて意識を取り戻しました。目を開けて見ると、30歳過ぎくらいの男性で、
地元の人のようでした。「え、え?」どのくらい意識を失っていたかわかりませんが、
そんなに長い時間ではなかったはずです。なんとか湯から上がると、お湯が熱いため、
わたしの体は茹でられたように真っ赤になっていました。
その人に、さきほど見た、背骨がむき出しになった蛇の体の女のことを話したんですが、
首をかしげられただけでしたね。それから歩いて車のある道の駅まで戻り、
車中泊はあきらめて家に戻ったんです。運転中も気分が悪く、
家に着くとすぐに寝てしまいました。翌朝起きると体がだるく40度近い熱がありました。
そのまま4日ほど寝込んでしまったんです。なんとか熱が下がってから、
あの日持っていったリュックを開けてみると、中のものはみな濡れていて、
底のほうに、半分にちぎれた蛇の下半身が入っていたんです・・・

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宇宙人と地球外知的生命体

2017.12.12 (Tue)
今回はこの話題で。この「宇宙人」と「地球外知的生命体」という日本語について、
自分はどっちも問題があるなあと考えています。
まず「宇宙人」のほうですが、「人(ヒト)」という言葉は、
生物学的には、いわゆる人類「学名 Homo sapiens(ホモ・サピエンス)」
のことを指しています。でも、宇宙人はホモ・サピエンスじゃないと思うんですよ。
地球人類じゃないものを「人」と呼んでいいのか、これは大いに疑問です。
宇宙人にあたる英語は「alien」ですが、こっちはあまり問題はないんじゃないかな。

次に「地球外知的生命体」ですが、自分が疑問に思うのは「生命」の部分です。
生命とは何か、というのはいまだに多くの議論がある生物学的な課題ですが、
いちおう「生命」と呼ばれるには次の3つの条件があると考えられています。
① 自己と外界との境界がある。
② エネルギーと物質の代謝がある。
③ 自己複製することができる。

①は簡単に言えば、細胞でできているということでしょう。
例えば、単細胞生物であるアメーバを考えてみればわかりやすいですが、
アメーバの体のまわりは細胞膜によって囲まれていますよね。
もしそれがないと、自分の体と外の世界の区別がなくなってしまうわけです。

②は、人間の場合だと、食物を食べてエネルギーに変えるということです。
③は、自分と同じものをつくることができる能力です。
人間だったら子どもを産むことですし、細胞分裂による増殖もこれにあたります。
インフルエンザなどのウイルスは生命かどうかという議論が昔からありますが、
ウイルスは非細胞性で、単独では増殖できないことから、
生物ではない、と考える研究者も多いのです。

で、もし「地球外知的生命体」が発見されたとして、それはもしかしたら、
地球上の生命の定義である①~③にあてはまらないものかもしれないわけです。
ですので、自分は「生命」という言葉にひっかかってるんです。
ちなみに、地球外知的生命体は英語で「extraterrestrial life 略称 ET」です。
こちらにも「life」という語が入っていますが、
日本語の「生命」とはややニュアンスが異なる気もします。

さて、alienがもし存在するとしたら、そのタイプは5つほどに分けれられると
考えられています。
A ヒューマノイド タイプ(人間型)地球人類に似た形をしているということですね。
これはグレイと呼ばれるalienを考えてみればわかりやすいでしょう。
身長が地球人よりずっと大きいかもしれないし、小さいかもしれない。
また体毛はないかもしれない。もしかしたら体の裏側、
人間だったら後頭部にあたる部分にも目があるかもしれませんが、
そういうのをひっくるめて、地球人類に似ているものを、
ヒューマノイドタイプのalienとします。

B アニマリアン タイプ(動物型)これは地球人類とは大きくかけはなれた
姿のalienです。タコのようなもの、ナメクジのようなもの、カニのようなもの・・・
いろんなタイプのアニマリアンが考えられるでしょう。
ただし、映画の『スターウォーズ』に出てくるチューバッカのような獣人型は、
Aのヒューマノイド タイプに分類されることが多いですね。

C ロボット タイプ(機械型)体が人工的な機械でできているalienのことです。
また、脳も人工知能であるかもしれません。
機械や人工知能を「生命」と呼ぶのは難しいですが、
そのようなalienが栄えている星がないとはかぎりません。

D エキゾチック タイプ(異型)これは、地球人が考える生物の概念から
大きくかけ離れたもののことを言います。例えば全身が岩(鉱物)でできているalien。
きわめて重力が大きい星には、固い体を持ち、ほとんど動かず、
地表にへばりつくようにして生活しているalienがいてもおかしくない気がします。
あとは、液体のようなalien、プラズマになっているalienなども考えられます。

E アパリッショナル タイプ(幽霊型)
これは、明確に体といえるものを持たないalienです。
肉体がなく精神だけが漂っているような存在、あるいは電気信号のような情報だけの存在、
そういうのがこのタイプに入ります。もしかしたら、高度に文明が発達する過程で、
不自由な肉体という殻を脱ぎ捨てて、精神だけを進化させたようなalienが、
宇宙のどこかにいるかもしれませんよ。

さてさて、こうして見てくると、自分が「人」や「生命」という言葉に
疑問を感じている理由がおわかりいただけるかと思います。
宇宙は果てしなく広大で、無数の星々があります。
その中には、われわれがまったく想像できないようなタイプのalienが
存在しているかもしれません。ですので、それらを表す
何かもっといい日本語がないのかなあと、自分なんかは考えているわけです。

関連記事 『恒星間航法について』

関連記事 『宇宙人を探せ1』

関連記事 『宇宙人を探せ2』

ヒューマノイドタイプのalien








剥製の家(ホラー小説)

2017.12.11 (Mon)
※ 前に書いた「剥製の家」という怪談をホラー小説化してみました。
素材としてホラー小説のほうが向いていると思ったんです。長いです。

今からはもうだいぶ前、私が二十歳そこそこだった頃の話です。
そのとき私は、美術系の専門学校を卒業したばかりで、
さらにデザインを深く学ぶためにその地方の中核都市へ出ていこうとしていました。
学校への編入手続きはすぐに済みましたが、アパートを探さなくてはなりません。
私は父親のいない家庭で育ちましたので、実家からの仕送りには期待できません。
専門学校も、いくつものアルバイトを掛け持ちしてやっと卒業したような状態でした。
そのため、3月中あちこちの不動産屋を回り、
少しでも条件がよく家賃の安い物件を探していました。

そして数軒目の不動産屋で、ありえないような格安の物件を見つけたんです。
それはアパートではなく、一部屋にバス・トイレがついた平屋で、
大家さん夫妻が、自分の家の庭に離れとして建てたものでした。
その家賃がちょっと考えられないほど安かったんですよ。

なぜこのような物件がいつまでも残っていたのかというと、不動産屋からは、
「大家さんたちは老夫婦で、だいぶ前に息子さんを亡くされている。
 その思い出がやっと薄らいできたので、息子さんが使っていた離れを改築して
 人に貸そうという気持ちになった。ただ母屋と同じ敷地内にあるものなので、
 できれば、女性の方に借りてもらいたいと思っている」このような話を 聞かされました。
さらに「大家さんたちは借り手と事前に面会して、
その人が気に入ったら決めると言っている」ということでした。

その場所は私の学校からは二駅しか離れておらず、通学にも便利でしたし、
なんといっても格安の家賃が魅力で、ぜひともここに決めたいと思いました。
それて不動産屋にセッティングをしてもらい、大家さん夫妻との面接に臨んだんです。
不動産屋の車で大家さんの家へ行き、玄関のチャイムを鳴らしました。
大家さんの家は瓦屋根の日本家屋で、部屋数がたくさんありそうに思えました。

出てこられたのは、ご主人が70歳代、奥さんが60代半ばといったところでしょうか、
どちらも白髪の上品な人たちです。 「さあ、お上がりなさい」と、
私たちは和室に案内されました。 そこは裏の山側に面した瀟洒な一室でしたが、
床の間に大きな鳥が今にも羽ばたこうとしている剥製があり、
鋭い目を光らせているのが少し異様に感じられました。

私がちらとそちらを見ると、ご主人が微笑んで、
「ああ、それは鷹の剥製だ。もう引退したが、わたしは剥製師をやっていてね。
 よくできて気に入ったので、売らずに残してあるもんだよ」こうおっしゃったんです。
それから、私は家族のことや趣味などについて、ご主人に問われるままに語りました。
奥さんのほうはずっと、やんわりと微笑んでおられるだけでした。

ただ、私が美術を志していることを話したときに、
奥さんが「これは」というような顔をされ、
ご主人に目配せしたのを覚えています。 ご主人は話の最後に、
「しっかりした夢を持っておられるようだし、これは立派なよいお嬢さんだ、
 どうだねお前、この方に決めようじゃないか」
「ええ、それがよろしゅうございますね」
・・・こうして、私は夫妻の家の離れに住むことになったんです。

それから、離れの部屋を見せていただきました。
そこは夫妻の家から10mばかり離れた庭の中にあり、外観はまだ新しいものでした。
「ここは元々は息子が作業をするための部屋として使っていた場所なんだが、
 外装・内装ともにすっかり新しくしてある。人が住むのはあなたが初めてだよ。
 息子が亡くなってから今年でちょうど10年になるんだ。
 急な病気でな。まだ結婚前の一人息子だけに、ずいぶん悔やんだもんだが、
 いつまでも引きずっていてもしかたないと思い切って、
 ここを建てかえて人に貸すことにしたんだよ。
 だから、あなたのような人に住んでもらうことになってよかった」とご主人。

「ほんに。息子はとても生き物の好きな優しい子でしてねえ」と懐かしむように、奥さん。
それを「これ」とご主人がたしなめ、「あなたが都合のよいときに引っ越してきてください、
 いつでもかまいませんよ」とおっしゃってくださったんです。
それで、私が、お愛想のつもりで息子さんの仕事について尋ねますと、
ご夫妻は顔を見合わせていましたが、ご主人が、

「なに、わたしの後を継いでやはり剥製師をしていたんです。 あなたも美術を
 おやりになるそうだから、息子が生きていたら気が合ったかもしれませんね」
と答えられました。 部屋は6畳の一間に台所、バス・トイレと普通のアパートと
大きな違いはありませんでした。畳も壁紙も新しくすっきりとしていました。
ただそのとき・・・どことなく違和感があり、それは建物の外観からみて、
内部の部屋がせますぎるように感じたことでした。
でも、壁などを厚くしていねいに造っているのだろうと解釈したんです。

それから1週間後、学校の始まる直前に引っ越しをしました。
荷物は布団や小型冷蔵庫など最小限で軽トラック1台分、
さほど時間はかかりませんでした。 その時は私の母も一緒でしたが、
大家さん夫妻は満面の笑みで出迎えてくださいました。
「何か不都合なことがあったらいつでも言ってきなさい」とご主人がおっしゃり、

「これはこの地方でとれる蕗の煮物だよ」と、
奥さんからはお料理までいただきました。
これは、冷蔵庫の中身はまだ買っていなかったのでありがたく思いました。
母は翌日も仕事があるためすぐに帰り、スーパーなども近くにあったので、
とりあえず買い物をして荷物の整理をしているうち、早くも日暮れとなりました。

その日は疲れていたので、スーパーで買った出来合いのお総菜と、
いただいた蕗の煮つけを食べて早く寝ようと思いました。
その蕗の煮物を一口食べて奇妙な味がするのに気がつきました。
不味いというわけではないのですが、
これまでかいだことのない不思議な香りがしたんです。
西洋ハーブに似ている気もしましたがわかりません。この地方特有の味つけかと考え、
せっかくのご厚意にこたえないのも失礼と思い、全部食べてしまいました。

それから学校のパンフレットなどを読んでいるうちに、
耐えきれないほどの眠気が襲ってきて、布団を敷いて横になりました。
どのくらい眠ったでしょうか。夜中にふっと目を覚ましたんです。
物音が聞こえていました。バサッ、バサッ、何かが羽ばたくような音です。

その音は足元のほうにある押し入れの中から聞こえてくるようでした。
気になったので電気をつけ、押し入れを開けてみました。
でも、特に変わった様子はなく、
私が入れた荷物が段ボール箱に入ったまま収まっているだけでした。
ただ、背中が金色に光る小さな虫が一匹、
カサコソと音を立てて後ろの壁のほうへ逃げていくのが見えました。

音は私がふすまを開けると同時に消えたので、布団に戻って寝直しました。
それっきり、聞こえてくることはなかったんです。
翌朝、私が部屋を出ると、ご主人が庭木の手入れをしていたので、
「おはようぎざいます」と挨拶しました。
ご主人はほほえんで、「よく眠れましたか」こう聞かれました。

その日は学校でカリキュラムの説明会や新入生歓迎行事があり、
戻ってきたときには夕方になっていました。大家さんの家の前には奥さんがいて、
私の帰りを待っていたかのように、「学校、どうだった」と聞かれ、
またいろんなお惣菜をいただいたんです。
それから一週間ほどは部屋では特に何事もありませんでしたが、
私は新しい学校に慣れようと気を張っていたので、かなり疲れが溜まっていました。

まだアルバイトは入れていませんでしたので、
学校から出された課題をこなし、食事をしてお風呂に入り寝るだけの生活でした。
奥さんからはお惣菜を毎日のようにいただきました。
たいへん料理の上手な方だと思いましたが、
どうも蕗の煮物の香りだけは慣れることができませんでした。

その夜、夢を見ました。気がつくと、
私は田舎のお屋敷の大広間のようなところにいたんです。
大勢の人が集まっているようで、男性は紋付袴、女性は黒い和装でしたが、
一人ひとりの顔ははっきりとはわかりませんでした。
ただ、ガヤガヤとした中から、「祝言」 「めでたい」といった言葉が聞こえましたので、
誰かの結婚式があるんだろうと思いました。その夜はそこで目が覚めたんです。

いえ、そのころの私に結婚願望はなかったと思います。
まだ二十歳になったばかりでしたし、学校で技術を身につけ、
早く仕事で独り立ちして母に楽をさせたい、それくらいしか考えてはいませんでした。
ですから、不思議な夢を見たものだなと思ったんです。

この夢は、4日ほど続けて見ました。内容はほとんど毎回同じでしたが、
うすぼんやりしていた夢の中の景色が、カメラのピントが合うように、
少しずつ鮮明になっていくような気がしました。大広間のつきあたりに金屏風があり、
その前に花嫁、花婿が座っているようでした。
ただ、どちらの顔もはっきりとは見えません。
お膳がずらりと並べられ、たくさんの客が席についていました。

ガヤガヤとした談笑が高まり、そこで目を覚ましましたが、
体中にびっしょりと汗をかいていました。
その朝、部屋を出るとき、ご主人がまた庭に出ておられました。
そして私の顔を見るなり挨拶をする間もなく、
「いよいよだねえ」とおっしゃって家に戻っていかれたんです。
そのときは、何のことかはわかりませんでした。

その日はコンパがあって少しお酒が入っており、部屋に戻ったのは9時過ぎでした。
私はお酒が苦手でしたので頭が痛く、お風呂に入ってすぐに寝ました。
そして、また夢の続きを見たんですが、
前日までのものとはかなり内容が違っていました。私自身が花嫁になっていたんです。
夢の中なのに花嫁衣装がずっしりと重く感じられました。
「え、どうして?」と思いましたが、体が動きません。ふと手を取られました。

見ると大家さんの奥さんが満面の笑みをたたえており、
その隣にはご主人もおられました。
そして私は、手を引かれるままに大広間へと入っていきます。
そこで息を飲みました。ずらりとお膳を前にして並んだ客たちがみな、
頭に黒い頭巾のようなものを被っていたからです。客たちがいっせいに拍手をし、
私は花嫁の席に座らされました。そして金屏風の陰から、
すっと背の高い紋付袴姿の人が出てきました。
ああ、この人が花婿なんだと思いましたが、やはり顔は黒い頭巾で覆われていました。

花婿が私の横の席に座ると、むっとした臭いが鼻をつきました。
それは黴臭くもあり獣臭くもありました。花婿が座って私の手をとりました。
冷たい手でした。頭巾の中のガラス玉のような眼が私を見ました。
いつしか私の前には古風な盃が置かれてあり、
三三九度の儀式をしようとしているのだとわかりました。

黒頭巾の一人が花婿にお酌をし、
花婿はゆっくりゆっくりと自分の頭巾をとっていきました・・・
そこには真っ白な、人間とは思えない無表情な顔があったんです。
盃を飲み干した花婿が、私に盃を持たせようとしましたが、
私は絶叫し、いやいやをするようにして放り出してしまったんです。
すると、その場の結婚式の光景がすべて、ガラガラと壊れ、崩れ落ちていきました。

そこで目が覚めたんです。枕の上で頭を動かすと強い頭痛がありました。
それでも、夢だったのかとほっとしていると、
部屋の中に異様な臭いが漂っているのに気がつきました。
夢の中で嗅いだ臭いです。布団のまわりに何かがいる気配がしました、それもたくさん。
人間ではない気がしました。獣、鳥・・・おびただしい動物たちの群れ。

なぜそう思ったかはわかりません。私はそれらに囲まれ、
布団の中で身じろぎもできなかったんです。そうして何時間が過ぎたでしょうか。
カーテンごしに朝日があたり、部屋の中が明るくなってきました。
すると、私を取り囲んでいたたくさんの気配は少しずつ消えていったんです。

光が差し込んだ部屋の中はすっかり朝の雰囲気となり、
それとともに、昨夜のことはどこまでが夢で、
どこまでが事実だったのかわからないような心持ちになってきました。
おそるおそる時計を見ると、まだ6時を過ぎたばかりです。
起き上がると、ふすまの戸が大きく開いているのに気がつきました。

昨日、開けたまま寝たんだろうか。近づいてみると、
押し入れの中には、私が入れた段ボール箱とわずかの寝具があるだけでしたが、
突きあたりの板が前とは違ってごわごわしているようでした。
一歩前に出て手で押してみると、後ろになにか柔らかいものがあって、
それに板が当たっているような感触がしました。
そこで押すのをやめ、てのひら全体をあてて横にずらそうとしてみたんです。
するとそれほどの力ではないのに板が大きく動きました。

押し入れの後ろに同じほどの広さの空間があり、
そこに見たものは、重なるようにして置かれたたくさんの剥製でした。
うずくまったもの、立ち上がって吠えかかろうとしているもの、翼を拡げたもの・・・
私は大きく悲鳴をあげ、パジャマのまま転がるようにしてして部屋の外に飛び出しました。
離れの外に出ると、少し離れたところに大家さん夫妻が並んで立って
刺すような冷たい目で私を見ていました。

夢で見たとおりの黒の紋服姿でした。 ご主人が口を開き、
「あなたなら息子の嫁にふさわしいかと思ったのに残念だ」
奥さんが「杯を交わすまであと少しだったのに」さも心惜しそうにつけくわえました。
私はそのまま家の門を走り抜け大通りに出ました。
そしてその日一日を大勢の人にまぎれて駅で過ごしたんです。

それからしばらくたって、荷物などは男性の友人に無理に頼んで取りに行ってもらいました。
その人の話では、離れは取り壊されてすでになく、母屋も引っ越しをしたらしく、
中はがらんとした状態で、私の荷物だけがそっくり玄関先にまとめられていたということです。
あれからずいぶんたちますが、
今でもあの押し入れの奥でちらと見たもののことを思い出します。
たくさんの剥製に囲まれるようにして、真っ白な顔の紋付袴姿の男性が、
一番奥にひっそりと佇んでいた気がするんです・・・








遅れる部屋の話

2017.12.11 (Mon)
俺、ある大学の3回生なんだけど、今年の夏前の話だよ。
その日は授業が午前中だけだったんで、昼飯食ってからサークル室で居眠りしてたんだ。
何のサークルかっていうと、笑わないでくれよ。
「心霊現象探求会」って言うんだ。いや、うさん臭いだろ。
俺もそう思う。よく大学側もこんなのに部屋を割りあててくれたもんだって思うわ。
で、いい気持ちでウトウトしてたら、ドカドカっと人が入り込んできて起こされちまった。
目を開けて見ると、1学年下の後輩たちだったんだっよ。
「何だよ、うるせえな!」ちょっと声を荒げたが、そいつらはかなり興奮してる様子で、
「先輩!大発見、大発見!!」って言うんだ。「何がだよ!」
「心霊現象! 本物ですよ」で、詳しく聞いてみると、こんな話だったんだよ。
この2人と、もう1人の1年生との3人組で、ある廃屋に探索に行った。

そこは市の郊外に出る国道沿いにある民家で、元は石屋だった家らしい。
ほら、墓石なんかを売る店だよ。そこがつぶれて、住人は引っ越してったが、
見本の墓石なんかはまだだいぶ残ってあるらしい。で、その家にビデオを持って
入っていったら、一カ所、おかしな部屋があったってことだった。
「へえ、どこがおかしいんだよ」
「それが・・・その部屋だけ時間が遅れると思うんですよ」
「時間が遅れる? 意味わかんねえな、どういうことだい?」
「ちょっと口じゃうまく説明できないんです。行ってみればわかると思うんだけど」
「あー、じゃあ今から行ってみるか。お前らどっちか車で来てるか?」
「はい、俺が乗ってきてます」・・・ってことで、
後輩2人に案内させて、その廃墟へ行ってみたんだよ。

うん、車で30分ほどかかったから、けっこうな距離だった。
行ってみたらたしかに石屋で、建物の前に広いスペースがあり、
そこにポツンポツンと墓石が置かれてあった。
「ふーん、これだと空き家になって10年以上はたってるな。お前らどうやって入った?」
「いや、玄関が開いてるんですよ。そっから普通に」
「もちろん、許可なんて取ってねえんだろ」 「はい、不法侵入です」
後輩らは悪びれもせずにそう答えたんだ。まあしかし、それはいつものことだ。
心霊スポットに行くのに、そこが他人の敷地でも許可なんて取ったことはないよ。
で、3人で入っていったんだが、中はすごいホコリまみれだった。
ただ、家具などは荒らされた様子はなかったし、落書きもない。
うん、中にはカレンダーや食器類なんかも残ってて、けっこう生々しい廃屋だったな。
2階建てで、部屋数もかなり多かった。

「それで、時間が遅れる部屋ってどこだ?」
「この突きあたりの和室ですよ。でかい仏壇があるんで、仏間ってことでしょう」
せまい廊下の横に、和室が縦に3つ並んでいて、その最奥が問題の仏間だった。
後輩の1人が先に行って、その部屋のふすまを開け放った。
中はやっぱりホコリとクモの巣まみれで、畳は黄色く焼けていて、
部屋の右手側に、壁の半分を占めるほどの大きな仏壇があり、その扉は固く閉じられていた。
それ以外の家具はなく、ただし欄間の部分にこの家の先祖と思える和服姿の老人の写真が
数枚飾られてて、不気味な印象だったな。あと、縦長の大きい古時計が柱の上部にかかってた。
「時間が遅れる・・・この部屋の中がってことか?」 「そうです」
「どうしてわかった?」 「今、やってみます。俺の声、聞いててください」
そう言って、後輩の1人が敷居を越えて部屋の中に入り、「先輩!」って大声で叫んだ。

そしたらだよ。その声が変だったんだよ。うまく説明できるかなあ。
エコーがかかったみたいに、声がギャウンとゆがんで、
「セ・ン・パゥ・アゥアゥア~~~~イ」って感じに聞こえたんだ。
「え、声が変だ」俺がそう言うと、部屋の中の後輩は、
「こっちから聞くと、先輩の声が変なんですよ」って、その間のびした言う。
それで、その部屋に一歩踏み込んでみた。そしたら、そのとき実に奇妙な感じだしたんだ。
うまく表現できないけど、透明なゼリーの固まりの中に入り込んだような、
空気がプルプルって揺れたみたいな。でもそれは一瞬だけで、
まあ後は普通だったけどな。中にいた後輩が、まだ部屋の外にいるもう一人に向かって、
「おい、なんかしゃべってみろよ」って言った。そしたら、そいつが、
「どうですかぁ」って声を出したんだが、それがやっぱり変なふうに聞こえたんだよ。

声がゆがんでるんだが、外から聞いたのとはちょっと違うゆがみ方だった。
で、そいつも中に入ってきたんで、「いや、おかしいのはわかった。この中から外へも、
 外から中への声もゆがんで聞こえるな、間違いなく。でもよ、
 この原因が時間が遅れてるせいだって、どうやってわかったんだ?」
「それがですね、いろんなことを試してみたんですよ。そしたら、部屋の外から見ると、
 中のやつの動きもゆっくりになってることがわかったんです」
「動きがゆっくりねえ・・・」 「先輩、1回外へ出てみてくれますか」
で、言われたとおりにしたら、中のやつの1人が、その場でドカドカと足踏みを始めた。
アメフトの練習なんかでやる、その場ダッシュってやつだが、
そう言われれば、なんとなくスローモーションぽくも見えたんだよ。
「先輩、もう一回入ってきてください」こう言われてムニュンと中に入り、

「じゃあ今と同じ動きをもう一度やってみますよ」すぐ目の前で同じ動きをしたら、
さっき見たよりもずっと速く感じたんだ。「あーたしかに、外から見たより速い」
そしたら、もう1人の後輩が、「もっとはっきりわかることもあるんです。
 先輩、時計持ってますよね?」 「ああ」
「じゃあ、また部屋の外に出て、こっちが手をあげて合図しますから、
 それから10秒たったら、先輩が手を上げてください。俺も10秒計って手をあげます」
でな、やってみたところ、部屋の外の俺が10秒で手を上げてから、
3秒ほどたって中のやつらが手を上げた。これ、どういう意味かわかるかな。
つまりその部屋の中は、外にくらべて10秒につき3秒、時間が遅れるってことになるわけだ。
「おもしれなあ、お前ら、よく気がついたな。これもしかして大発見じゃないか」
「ですよね、どうすればいいんですかね。テレビ局に連絡するとか?」

「ああ、それもありだけど、俺ら不法侵入してるからなあ。まずその前に、
 この部屋の中だけ時間が遅れる原因を考えてみないか」
「そうっすね」 「この部屋にあるのは昔の時計、仏壇、あと欄間の写真だろ。
 これらが何か関係してるのかもしれない。けど、時計は止まってるし・・・
 あ、お前らこの仏壇開けてみたか?」 「いえ、まだです。なんとなく気味悪くて」
「じゃあ開けてみようぜ」 ということで、幅1・5m、高さが2m近い
巨大な仏壇の両脇に立って、観音開きの扉を両側から引っぱってみたんだよ。
「うわ、固いですね。開きませんよ」 「でも鍵なんてついてねえよな、
 もう少し力を入れてみろ」 「あ、たわんできました。開きそうな感じがします」
で、下のほうに足をかけて3人で思いっきり引っぱったら、
突然バーンと扉が開いて、俺たちは後ろにひっくり返ってしまったんだ。

俺がまず立ち上がって中をのぞき込んだ、そしたら・・・ 
中がスクリーンみたいになってて、全体が銀白色に光ってたんだよ。
「何だよ・・・これ」後輩2人も立ち上がってきて、いっしょに中を見た。
銀白色に光るスクリーンは、ジジジジジジという音を立てながら、
明るくなったり暗くなったりし、10秒ほどそのままでいてから、ブツンと消えたんだ。
そのとき、仏壇の奥に俺たちの姿が見えた。ああ、仏壇に顔を突っ込んでこっち見てる
3人の顔が。・・・でもそれはほんの一瞬だけだったな。
あとは、中はガランとした何もない木の箱。ロウソクや仏具なんかも何も入ってなかった。
「ああ、びっくりした。今の何だったんですかねえ」 「俺たちが見えたよな、最後」
「鏡見てるみたいだったけど、中に鏡なんてないですよねえ」こんなことを言い合ってると、
突然、ボーンボーンという音が聞こえてきた。

そのほうを見ると、壁にかかってた、止まってたはずの古時計が動き出してたんだよ。
誰もさわったりしていないのに。まあ、こんな話なんだ。
それで、仏壇を開けた後は時間が遅れる現象もなくなって、
ただのホコリまみれの部屋に戻ってしまったんだ。それでな、
その廃屋なんだけど、俺らが行った翌日、火事になって全焼しちゃったんだ。
いや、原因はわからない。俺たちがやったんじゃないよ。人が住んでないんだから
放火としか考えられないけどな。俺らが警察に調べられたなんてこともないよ。
でなあ、変なことがあるんだよ。そのときの俺と後輩2人、しゃべり方がゆっくりに
なっちまったんだよ。自分じゃわからないけど、人からはかなり間のびした
しゃべり方に聞こえるらしいんだ。これなあ、困ってるんだ。ほら、後輩はともかく、
俺はもすうぐ就職活動を始めなくちゃならないだろ。けど、このままだと面接とか心配で・・・










キリストの墓3+1

2017.12.10 (Sun)
今回もクリスマスに向けて、キリスト教のお話。
まず、キリストの墓について話す前に、
イエス・キリストは実在していたのか、という議論は当然あるでしょう。
何しろ2000年も前の人物ですから、実在しなかった可能性もあるとは思います。
とはいえ、そこまで疑ってしまっては話が進みませんので、
ここは実在していたということを前提にして考察していきます。

で、キリストの墓についてなんですが、3つほどの考え方があります。
① キリストは処刑から3日後に復活し、40日後に天に昇ったとする考え方。
  この場合、キリストの復活はその肉体も含みます。
  ですから、キリストの墓には遺骸は残されていないわけです。
② キリストは復活したが、それは霊魂だけであり、
  肉体は墓に残されているとする考え方。
③ ②と似ていますが、実在するキリストは人間であり、
  死後の復活などはなく、当然、墓にはその遺骸があるとする考え方。

これ、キリスト教の教義的には、もちろん①が正統です。
②はグノーシス主義的な考え方であり、異端であるとされます。
③は宗教から離れ、「ナザレのイエス」という人物は実在していたが、
「神の子」ではなく、普通の人間であったとするものですね。

さて、キリストの墓のとして、有名な2つの候補がエルサレムにあります。
一つは、「聖墳墓教会」です。これはエルサレム旧市街にあり、
ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世によって、
4世紀頃に建てられたと考えられています。
当時そこはヴィーナス神殿でしたが、発掘によって聖釘や聖十字架が見つかり、
その場所がゴルゴダの丘と比定され、神殿を取り壊して
建設されたことになっています。キリストのものとされる石墓の上には、
「エディクラ」と呼ばれる小さな聖堂がつくられています。

この「聖墳墓教会」については、最近ニュースで取り上げられていました。
「今回、教会の中にある埋葬用の洞窟(横穴)から採取された残留物が
科学分析にかけられ、その結果がナショナル ジオグラフィックにもたらされた。
それによって、墓はやはり古代ローマ時代にはすでにあったことが確認された。
分析にかけられたのは、本来の墓とされている岩と、
それを覆っていた大理石の板の間から採取された漆喰で、
西暦345年のものと測定された。」
(ナショナル ジオグラフィック)

約200年ぶりにキリストの墓の科学的調査が行われて、
その年代測定が行われたということです。
年代測定は放射性炭素によるものだと思われますが、西暦345年という
細かい年代まで特定できるのかどうか、自分には疑問があります。
まあ、今回の調査でわかったのは、墓自体がコンスタンティヌス1世時代のもので
あるということですが、キリストはそれよりも300年も前の人です。

「聖墳墓教会」のエディクラ


さて、2つ目の候補地として、「園の墓」と呼ばれる場所が、
エルサレム内城のすぐ北あります。上記の「聖墳墓教会」は
エルサレムの城壁内にあるんですが、
聖書の記述から、ゴルゴダの丘は城壁の外にあったのではないかと
考える人々によって疑問が出され、この場所がキリストの墓として整備されました。
プロテスタントの中には、こちらが本物だと考える人もいます。

ここで注意していただきたいのは、
「聖墳墓教会」も「園の墓」も、そこがキリストの処刑地と考えられて
墓の候補地にあげられたのであって、墓は自体は後世に作られたものです。
ですから、当然、その中にキリストの遺骸はありません。

エルサレムの「園の墓」


さて、3つ目の候補ですが、映画『タイタニック』や『ターミネーター』シリーズで
有名なジェームズ・キャメロン監督が、2007年にテレビ番組のドキュメンタリー
で紹介したものです。1980年代、イスラエルは建設ラッシュで、
それにともなって多くの遺跡が発掘されたのですが、
エルサレムのタルピオットで発見された墳墓には10体分の石灰岩の骨壷が見つかり、
それぞれに、イエス、マリア、マタイ、ヨゼフ、マグダラのマリア
という名前がアラム語で書かれていたというのです。

タルピオットのキリストの墓とされるもの


さらに、6つ目の骨壷にはなんと「ユダ、イエスの息子」と記されていました。
これは驚きですよね。新約聖書に登場する、
キリストの周辺の人物の名前がほとんどあり、
しかもイエスの息子の名前まで出てくるのですから。
もしこれが本当にキリストの墓であるとしたら、大変なことになります。
しかし残念なことに、考古学的にはこれらの骨壷の年代の特定は難しいようです。
この、結婚して子どもまでいるキリストの人間像は、ダン・ブラウンの小説、
『ダ・ヴィンチ・コード』に大きな影響を与えていると思われます。

この放送に対して、熱心なキリスト教徒から多くの批判が寄せられました。
これは当然ですね。上に書いた①のように、
多くのキリスト教徒は、キリストの肉体は復活して昇天し、
この地上に遺体は残されていないと考えているわけですから。
さらに、キリストに息子がいたなどというのはとんでもない話なんです
当時のユダヤ人にとって、ヨゼフ、マリア、イエスはありふれた一般的な名前でした。
ですから、単なる偶然の一致だろうと批判されたわけです。

さてさて、題名に3+1とあるのは、じつは日本にもキリストの墓とされる場所が
あるんですね。ご存知の方も多いと思いますが、
青森県、戸来村(現在は三戸郡新郷村)にある塚に、昭和初期、
新宗教団体の教祖であった竹内巨麿が「十来塚」と名づけ、
日本に渡ってきたキリストの墓であるとしたものです。
戸来(へらい)の名がヘブライに通じるなど、いろいろもっともらしいことが
言われていますが、これがキリストの墓であるというまともな根拠はありません。

関連記事 『聖遺物の話』







透明になる話

2017.12.09 (Sat)
1ヶ月ほど前の出来事です。その日の朝、犬を散歩させに出かけたんです。
はい、犬は比較的小型の雑種ですが、見た目は柴犬に似ています。
名前はチロと言います。いつも朝の6時から、出勤前に私が
散歩に連れていってるんです。それで、その日はシフトの関係で
出勤が遅かったので、ちょっと散歩の時間を伸ばして、
いつもとは違うコースに行ってみようと思いました
それに、私が最近体重オーバー気味だったので、
2時間くらいゆっくり歩いてみよう考えたんですね。
コースは家の裏にある山に入ってみることにしました。
高さは200mもないような山で、道がついているのは知ってました。
はい、天気は晴れていて、ちょっと寒かったですが気持ちのいい朝でしたよ。

チロは散歩のコースがいつもとは違うので、ちょっととまどった様子でしたが、
山に入ると、平たい石が埋め込まれた土の道がずっと続いていました。
勾配は急ではなく、ゆっくりと登れば疲れるようなことはありませんでした。
10分ほど登ったところで、チロがリードを引っぱり、
道脇の枯れ草の中に入っていきました。そして崖になった端のところで、
足を上げておしっこをしたんです・・・ まあでも、
めったに人の通ることのないところですし、
そんなに気にすることもなかたんです。
それから20分ほど登って、裏山の頂上に着きました。
そこは平らに草が刈られていて、古い木のベンチが4つほどありましたが、
人は誰もいませんでした。さて、降りようか、そう思って、

私がチロを引っぱるような形で来た道を戻ろうとしました。
そのとき、「ん?」って思ったんです。
なんだかチロの姿全体がかすんで見えたんですよ。
目をこすってみましたが、元に戻りませんでした。
うまく説明できないんですが、茶色い毛の色をしているチロが、
なんだか薄くボケて見えたんです。でも、チロ自身は何も感じてないみたいで、
リードを引っぱって私の前をどんどん降りていきました。
「え、えっ?」一瞬、チロの姿が見えなくなったんです。
でも、私の手にはチロの引っぱる力は伝わってきていました。
「どういうこと?」私は足を止めて、リードを引き寄せました。
そしたら、チロの姿が見えなくなっていて、首輪だけが宙に浮いていたんです。

思わずしゃがみ込んで、チロの体を抱いてみました。
すると、柔らかい毛の感触がいつもどおりに感じられたんです。
でも、姿は見えない・・・そうです、チロが透明になってしまったとしか
言いようがなかったんです。よくよく目をこらすと、
ぼんやりとした犬の輪郭はあるようでしたが、
その向こうに草などが透けて見えていて・・・
ああ、さっきも言いましたように、首輪やリードは見えるんですよ。
はい、もちろん、何でそんなことになったか見当がつきませんでした。
でも、犬が透明になるなんてありえないじゃないですか。
だから、私の目がおかしいのかもって半分くらいは考えていたんです。
私が抱きとめていた手を離すと、見えないチロは道をどんどん下っていったんですが、

20mほど下りると、「キャン」と鳴いて、そこで止まったんです。
「キャン、キャン、キャン」倒れて苦しがっているような感じでした。
「チロ、どうしたの?チロ」そのときです。
私がリードを握っているほうの手がずんと重く、熱くなるのを感じたんです。
「あ、あ」自分の手を見ると、指の先のほうが透けてしまっていました。
熱さは、がまんできないほどのものではありませんでしたが、
急に体の力が抜けて、その場にへたり込んでしまったんです。
チロの鳴き声が弱々しくなり、私が見ている眼の前で、
どんどん透明な部分が私の指先から腕のほうまで伸びてきて・・・
そのときです。後ろのほうから「あーあ、大変なことになってるなあ」
というのんびりした声が聞こえてきました。年配らしい男性の声でした。

首だけ回してそちらを見ると、和服を着た品のいいおじいさんが立っていました。
おじいさんは「これは大変だよ。バチがあたっとる。
 このままだとどんどん姿が見えなくなってってしまう」こう言って、
私のほうをしげしげと眺め、「あんたが立ち小便をするはずはないか。
 じゃあ犬のほうだな。どこか道の途中でオシッコしたんじゃないか?」
そう聞いてきたので、私はうなずいて、「登ってくる途中でしちゃいました。
 この道の下、50mほどのところの道の脇で」
こう答えると「じゃあオナヅキ様のバチだろう。あんた歩けるかね?」
「はい、なんとか」 「じゃあ、いっしょに行ってみよう」
それで、倒れてしまった透明のチロを抱きかかえ、
おじいさんの後についていったんです。

しばらく降りると「オシッコをしたのはここじゃろう」
おじいさんが道の脇を指し示しました。ええ、たしかにそのあたりだと思ったので、
私がうなずくと「もう時間がないな、見なさい」おじいさんはそう言って、
私の腕を指差しました。見ると、透明な部分が二の腕よりも上まできていて、
じんじんと熱さが増していました。おじいさんは、
「この草むらの下に、ここらでオナヅキ様と呼ばれている古い碑がある。
 戦国時代の武士の墓とも言われているが、はっきりとはわからん。
 おそらく犬のオシッコが草を伝って下に落ち、その碑にかかってしまったんだろうな。
 とにかく降りていって謝るしかない。透明な部分が体まで来てしまうと、
 動けなくなるだろ」そう言って、器用な動きで草をかき分けて崖を降りてったんです。
「ついてきなさい」そう言われましたが、体がだるくて、

おじいさんが降りたところから一歩踏み出すと、
そのまま下まで滑り落ちてしまったんです。はい、そこは登ってきたのとは別の道で、
1mほどの石の碑がありました。苔むしていて、そうとう古いものだと思いました。
私はあちこち擦りむいて打ち身もありましたが、
碑の前に立っているおじいさんの横にいくと、おじいさんは、
「犬は謝ることはできないだろうし、わしもいっしょに謝ってやろう」
そう言って目をつぶって手を合わせたので、透明なチロを下の地面に置き、
私も同じようにしてお祈りの格好をしました。
でも、片手が透明になってるので、手を合わせたときには変な感じでしたよ。
それから10分以上も、心の中で真剣に「ごめんなさい、ごめんなさい」
と唱え続けていると、ふうっと涼しい風が吹き抜けた感じがしました。

「キャン、キャン、ウーッ」とチロの声がしました。
それで目を開けたんですが、見ると、チロの姿が元に戻っていたんです。
はい、私の手も、透明になってた部分が指先まで見えるようになっていました。
おじいさんは、「おうおう、謝ったのが効いたようじゃな。
 だが完全に許してもらったわけでもない。まだ手の色が変わっとる」
はい、たしかに、さっきまで透明になっていた部分は、
ちょっと黒ずんでいるように見えたんです。それと、チロの毛の色も、
前よりも濃くなっているように思えました。おじいさんは、
「この碑に、しばらく間お参りすることが必要だな。お供えは酒と菓子でいいかな。
 とにかく1ヶ月はそれを続けなさい。
 そうすれば残った色もだんだん消えてくるじゃろう。

 ただ、色が消えても、1ヶ月に1度くらいの間隔でお参りはしたほうがいい」
はい、それからは毎日、チロの散歩とはべつに、
オナヅキ様の碑にお参りするようにしました。そしたら手の色もチロの毛も、
もうほとんどわからないくらいまで元に戻ったんです。
はい、こんな話なんです。もし、あのときおじいさんに会わなかったら
大変ことになっていたかもしれません。
おじいさんは「まあなあ、完全に透明になって消えてしまうということは
 なかったと思うが、2・3日はそのままだったかもしれん。
 そうしたら、山の中だから、体力が尽きて死んでしまうことだって十分にありえる。
 このオナヅキ様は、それくらい力を持った古霊なんじゃ」
そんなふうに言っていたんですよ。









祝詞って何?

2017.12.08 (Fri)
前回、おみくじについての記事を書きましたが、
今回は神道の祝詞(のりと)のお話。
祝詞はみなさんも一度は聞かれたことがあるんじゃないかと思います。
まず、神式の結婚式でやりますよね。それから地鎮祭や棟上式など、
あと七五三や厄年の祓いで聞かれた方もいるかと思います。
場所は、神社でやる場合もあれば、
神職が来てくださって自宅などでやる場合もあります。

祝詞ができた背景には、2つの考え方があると自分は思っています。
その一つは「言霊(ことだま)信仰」です。
これは日本に古くからあったもので、
「言葉には霊的な力が宿る」という考え方です。
言葉に出したことが現実に影響を与える、と言ってもいいでしょう。
良い言葉を発すれば良いことが起こり、悪い言葉を発すれば悪いことが起きる。
そういう力が言葉にはあるということです。

例えば、「雨が降る」と口に出して言えば、
その言葉の持つ霊力が発動して実際に雨が降ってしまう。
この場合、「雨が降る」と言葉に出すことを言挙げ(ことあげ)と言います。
現代でも「結婚式で切れるなどの言葉を使ってはいけない」などという禁忌があり、
この忌み言葉というのも言霊思想からきているものなんですね。

ですから、祝詞を奏上する場合、読み間違えるのは大変にマズイわけです。
いい例えではないかもしれませんが、コンピュータのプログラミングと同じで、
一カ所でも間違えると効果がないんですね。
それと、言霊は文字にして書いたもの、口に出して言ったもの、
どちらにも宿ります。祝詞の場合は、まず必ず紙に書き、
それを読み上げるという形で行われます。
また、ネットに出ている祝詞は漢字ひらがな混じりで書かれたものが多いですが、
本来は下図の右のように漢字だけで書くのが正式です。

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もう一つの考え方は、「神との交感(対話)」です。
祝詞の「のり」は神様が「のりうつる」という意味を含んでいる、
という説もあります。神様とは簡単に交感することはできません。
ある一定の形式に従わなければ対話はできないのです。

祝詞には2つの形式があります。人々に神の言葉を説き聞かせるのが、
「宣命体(せんみょうたい)」で、人々が神に言葉を聞いていただくのが、
「奏上体(そうじょうたい)」です。この見分け方は難しくありません。
宣命体は文末が「宣う」になっていて、奏上体は「申す」になっています。
宣うが尊敬語で、申すが謙譲語というわけですね。

さて、祝詞の始まりはとても古いものと考えられています。
日本神話の中では、言霊の神、天児屋根(あめのこやね)が、
天照大神を称える祝詞「太祝詞言」を奏上したところから始まるとされます。
現在の祝詞の元となっているのは、平安時代中期に編纂された
『延喜式』に出てくる27編です。祝詞は古来のものを用いる場合もあれば、
目的に合わせて神職が自分で書く場合もあります。

祝詞の中で最も有名なのは「大祓詞(おおはらえのことば)」でしょう。
これは民衆すべての穢れを祓うためのもので、
毎年、6月と12月の最後の日に奏上されることになっています。
神道の基本は穢れを祓うことですので、年に2回これを行うことにより、
世の中を穢れのない清らかな世界にリセットすることを目的としています。
「大祓詞」は前に出てきた天児屋根の子孫の中臣氏が奏上する役割を務めていたので、
「中臣の祓(なかとみのはらえ)」と言われることもあります。

さて、では神職ではない一般の人は祝詞を上げることはできるのでしょうか。
これはかまわないと思いますが、神社に行ってやる人は少ないですね。
もし上げるのであれば、自宅の神棚に向かってやるのがいいんじゃないでしょうか。
ただ、祝詞を上げる場合には「精進潔斎(しょうじんけっさい)」が必要です。

祝詞は、食物に気をつけ、行いを慎んで身を清めてから上げるものですので、
食事の前に、お風呂に入ってからやるのがいいのかもしれませんね。
作法としては、まず二拝し、祝詞を上げてから、
二拝二拍手一拝するのが一般的(神社本庁の作法)です。

自宅の神棚に上げるのにふさわしい祝詞としては「神棚拝詞」があります。
下に掲載しておきます。



さてさて最後に、実話怪談では、心霊スポットなどで霊障を受けた人が
神社でお祓いを受けるというシーンがよく出てきます。
これってどうなんでしょうね。神社に参拝して社務所で、
悪い霊が憑いているから祓ってほしいと言えば、普通は困惑されるでしょうが、
お祓いはもちろんやってもらえます。
お礼の初穂料・玉串料もけっして高いものではありません。
ということで、今回はこのへんで。

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卵が先かニワトリが先か?

2017.12.07 (Thu)
モンゴル・ゴビ砂漠で、白鳥のような細長い首と、ペンギンの翼のような前脚を持つ
新種の恐竜の化石が見つかった。陸では2本の後ろ脚で歩き、
水中では前脚で泳ぐ水陸両生だったとみられる。
イタリアなどの研究チームが6日付の英科学誌ネイチャーに論文を発表する。

この恐竜は肉食の獣脚類で、体長は推定約80センチ。
約7500万~7100万年前の白亜紀に生息した。化石は盗掘されたが、
フランスの化石商がヨーロッパで発見してモンゴルに戻した。
こうした経緯から、モンゴルの恐竜研究に貢献したポーランドの古生物学者と
化石商の名前にちなんで「ハルシュカラプトル・エスクイリエイ」と名付けられた。

上あごに魚食に適した多数の細かい歯が確認できることや、
前脚の骨がペンギンと水鳥の中間にあたる形をしていることなどから、
前脚を泳ぎに使って魚を捕食していたとみられる。
(朝日新聞デジタル)

ハルシュカラプトル・エスクイリエイ


今回はこのニュースを取り上げます。これ、復元された画像を見ると
たしかに水鳥にそっくりですよね。特に、
長く伸びた首のあたりは白鳥などを思わせます。
ただし、化石からは表皮の色などは復元できません。ですから、
この画像のように白い色をしていたかどうかはわからないはずです。

さて、恐竜が鳥に似ているというのは驚くにはあたりません。
「恐竜が鳥に進化(分化)した」 「鳥の祖先は恐竜である」というのは、
今や定説になっていると言えると思います。
一口に恐竜といっても、いろいろな種類があるんですが、
その中で獣脚類と呼ばれるものが鳥の祖先だと考えられています。

現在の鳥の骨格と、獣脚類の骨格とを比較すると、
なんと100ヶ所以上もの共通点が見つかるのです。
また、羽毛の痕跡が化石記録で確認される恐竜が次々に発見され、
復元図が変わってきています。

羽毛のある恐竜の復元モデル


獣脚類の代表的なものは、みなさんご存知のティラノサウルスですが、
あれが鳥に分化していったというのも、ちょっと意外な気はします。
あと、注意しなくてはならないのが、プテラノドンなどの翼竜類。
これらは鳥と同じように空を飛べた(滑空した)と考えられていますが、
だからといって鳥の直接の祖先というわけではないようです。

さて、ここで話を変えて、みなさんは「ニワトリが先か卵が先か」という
議論を聞いたことがあると思います。自分も子どもの頃には不思議に思い、
頭を悩ませたものですが、どちらが先だとお考えになられるでしょうか。

これにはいろんな説があるんですが、自分としては「卵が先」かなと考えます。
これからその理由を述べていきます。まず、ずーっと昔から、
「ニワトリ」という生物が存在していたわけではないですよね。
Wikiを見ますと、現代のニワトリ(学名 Gallus gallus domesticus)は、
野生種であるセキショクヤケイ(学名 Gallus gallus)
を祖先としているようです。

セキショクヤケイは漢字で書くと赤色野鶏で、
羽根の色が赤っぽい、東南アジアの森にすむ鳥のようです。
これが突然変異によってニワトリになったということですが、
突然変異というのは遺伝子DNAの複製ミスなどによって起こります。

では、この突然変異はどこで起きるのかというと、受精の段階です。
ニワトリではないセキショクヤケイの体内で卵ができ、
そこで突然変異が起こって、卵からニワトリが生まれた。
(セキショクヤケイ→卵→ニワトリ)・・・このように考えると、
やはり卵が先なんじゃないかと思うわけです。

ただし、現代のニワトリになるまでには、何度かの突然変異の
段階があったかもしれないですし、どの時点で現代のニワトリが
生まれたかを調べるのは困難な気がしますね。
ということで、ニワトリはセキショクヤケイから生まれた。
そのセキショクヤケイは、先祖をずーっとたどっていくと恐竜にいき着く、
進化論的にはそういう形になっているんだと思います。

さてさて、「ニワトリが先か卵が先か」というのは、英語で、
「Which came first, the chicken or the egg? 」などと言うようです。
日本語とほとんど同じですね。また「chicken or egg question(problem)」
などとも表現されます。これは「結論の出ないどうどうめぐりの議論」
といった意味で使われることもあるようです。

ただ、聖書の記述に忠実なプロテスタントの多いアメリカの場合、
聖書には神は鳥をおつくりになったとはありますが、
卵をおつくりになったとは書かれていません。
「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」創世記)
ですから、キリスト教原理主義的には、
「ニワトリが先」ということになるのかもしれませんね。

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ある掲示板の話

2017.12.06 (Wed)
今晩は。私は、外資系の会社で経理事務をやってます。
さっそく話を始めさせていただきます。
あの、みなさんはインターネットで自分の名前を検索されたことがあるでしょうか。
私は、自分の部屋にあるパソコンでネットを見ているときに。
何の気なしに自分の名前を打ち込んでみたんです。
はい、私の名前は○○○○です。名字はごくありふれたものだし、
名前のほうも珍しくはないですよね。ですからきっと、
同姓同名の人がたくさん出てくるだろうと思ってました。
そしたら予想どおり、Facebookで同姓同名の人がたくさん出てきたんです。
ああ、やっぱりこんなにいるんだな、って思いました。
あとはスポーツの大会とか、何かの会議のメンバーなんかで出てきてましたね。

でも、それらはみな別人で、私本人のものはなかったんです。
まあそうだろうな、って思いました。私はごく平凡なOLですので、
いいことでも悪いことでも名前が出るようなことは何もしてないはずです。
ただ・・・ 一つだけ、ちょっと変わったブログがあったんです。
はい、「○○○○に捧げる掲示板」っていう名前でした。
中を見てみると、リンゴとかカメなどというハンドルネームをつけた常連数人が、
ときおり集まって会話をするような内容だったんです。
投稿の数は、数日おきに5つくらいでした。読んでみたらこんな感じです。
「○○○○、昨日の夕食にカレーを作ったよ」
「うーん、もっさりしたカレーだよね。まず、タマネギ入れすぎ、
 あれだと甘くなっちゃうよね。それにカレーにジャガイモ入れるのは田舎もんだよ」

「だよね。それでできたカレーはドロドロ。あれで美味しいんだろうか?
 カレーはもっとサラッとしてなきゃダメじゃない?」
それで、その日付を見てみたら、ちょうど私がカレーをこしらえた日だったんです。
はい、カレーにはジャガイモを入れてます。ええでも、
このときは偶然だろうと思ってたんです。だって私がカレーを作ったことや、
その材料なんてわかるはずがないですから。
でも、興味をひかれまして、毎日チェックするようになったんです。
それから数日は書き込みがなく、こんなふうに再開されたんです。
「○○、昨日会社の飲み会があったみたいだね」
「会社のじゃなくて合コンじゃない」 「そう、系列の外資系の会社との合コン」
「でもぜんぜんモテなかったよね」

「うん、声かけてくれる男がいなかったから、1次会で帰っちゃった」
「スタイルもよくないし、服装もダッサイから当然でしょ」
・・・これには驚きました。はい、たしかにその前日、合コンに出席したんです。
えー、これって私のことなんだ、誰かが私の行動をブログにあげてるんだな、
って思ったんです。でも・・・会社の同僚で
そんなことをする人がいるとはちょっと考えられませんでした。
けど、合コンがあったことを知ってるのは同僚だけだし・・・
もし同僚の誰かがやってるんだとしても、そんなことをする意味がわかりません。
とにかく、そのブログから目が離せなくなり、
毎日部屋に戻ったら一番に見るようになったんです。
それで、また数日して、こんな書き込みがありました。

「○○○○のやつ、お昼休み△△さんに誘われたよ」
「んー、まあ たまたまでしょ。△△さんがこいつに気があるわけないから」
「だよね、この2人ができちゃうなんてありえないよ」
「でも男女のことってわかんないよ。もしできちゃったらどうする?」
「そのときは猿とお花を送ればいいし」
「ああ、あの方法ね。あれってよく効くよね。猿とお花」
はい、これもたしかに、その日の昼に△△という人とご飯を食べにいきました。
だから、完全に監視されてるんだって思いました。
このときは本気で、会社の同僚の誰彼を思い浮かべて、
こんなことをしてるのは誰だろうって考えたんです。
でも、やっぱり、そんなことをやりそうな人はいなくて・・・

あと、話の中で出てきた「猿と花」って何だろうとも思いました。
花はまだわかりますけど、猿を送るってどういう意味なのか・・・
それからまた数日書き込みがなく、私は会社の帰りに△△さんから食事に誘われたんです。
はい、もちろんうれしかったです。これから本格的におつき合いが始まるんだなって。
翌日、ブログを見るとたいへんな量の書き込みがありました。
「○○のやつ、△△さんとできちゃったよ」
「えーダメ、○○が幸せになるのは許せない」 「許せないよね」
「猿と花やろうよ」 「やろう」それからずっと同じ書き込みが続いてました。
「○○○○に猿と花を送ります」 「○○○○に猿と花を送ります」
・・・これと同じのが30くらいも続いたんです。
その翌日の朝です。なんというか、ものすごい鬱になってたんですよ。

はい、体調が悪いというのとは違って、鬱としかいいようばないんです。
何もする気が起きないし、ベッドから起き上がって会社に行く気にもなれない。
それどころか、自分が生きてるのが申しわけない気持ちになっちゃって・・・
なんとかスマホを取って、とりあえず会社には休むって連絡しました。
その後は食事をする気にもなれず、ずっとベッドに横になってたんですが・・・
私なんて生きる価値のないダメな人間だ、もう会社も辞めちゃおう、
ずっと部屋にこもって人に会わないようにして過ごそう、そんな気持ちになって、
胸が締めつけられるようで、布団の中で縮こまってたんです。
そしたら、ベッドの足のほうの下でカタカタ音がしました。
見ると、小さな黒いものがうずくまってたんです。
猿・・・一見猿のようにも見えましたが、体は真っ黒で、

ガリガリに痩せて、お腹だけがポコンと出ていました。それが一匹だけじゃなく、
何匹も何匹も、後ろのほうに折り重なるように詰まってたんです。
それらはみな、胸の前で両手を合わせ、一本ずつ花を持ってました。
何の花かわかりません。黄色かったので菊かもしれないです。
猿たちは、私が見ていることに気がついたみたいで、
「ギイ」と言っていっせいに立ち上がり、ベッドの上にのぼってこようとしました。
ほとんど重さは感じませんでしたが、生臭い嫌なにおいがしました。
猿たちは、私の体の上まで登ってくると、持っていた花を布団にのせ始めました。
ああ嫌だ、私は力をふりしぼってベッドから転がり落ち、
四つんばいの姿勢で、猿たちをかき分け、かき分け、
パソコンを置いてあるところまで行ったんです。

それでイスによじ登って、あのブログを開きました。そしたら・・・
「○○○○に捧げる掲示板」は、ずーっと、どこまでもどこまでも、
「○○○○に猿と花を送ります」が続いていたんです。
しかも、見ている間に書き込みはどんどん増えていってるんです。
はい、千や二千ではきかないくらいたくさん。それを見て吐き気がこみ上げてきました。
チイチイという音がして、後ろを見ると黒い猿たちが私を追って、
玉みたいになりながら近づいてきていました。
私はキーボードにすがりつくようにして、掲示板の書き込み欄に、
「猿を送るのはやめてください」と打ち込み、送信しました。
そしたら、私の書き込みの後に「見つかった」 「○○に見つかった」とすぐに出て、
「○○○○に猿と花を送ります」はぱったりと止まりました。

それと同時に、部屋の中に充満していた生臭い臭いが消え、
ふり向いてみたら、部屋いっぱいになっていた黒い猿は一匹もいなくなっていたんです。
私は、イスから降りて、床に倒れ込みました。
そのとき、あれほど落ち込んでいた気分がかなり回復しているのがわかりました。
はい、朝起きたときは、今すぐにでも死なないと申しわけないみたいだった気持ちが、
ずっと軽くなっていたんです。1時間くらいそのままでいて、
立ち上がってパソコンを見ると、ブログの書き込みは
「○○に見つかった」のところで止まったままでした。
はいそれで、いったんパソコンを切って次に立ち上げたときには、
「○○○○に捧げる掲示板」はなくなっていました。どうやっても見つからなかったんです。
ええ、今は大丈夫です。会社にも行ってますし、普通に生活しています。