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わからない話 3題

2018.02.28 (Wed)
今回は、自分が取材した話です。自分が怖い話をブログに書いていることは
知ってる人も多く、特に、いったんお休みしたブログを再開してからは、
「こんな体験をした、こんな話を聞いた」と教えてくれる人が増えてきました。
これはありがたいことですが、怪異が起きた理由なんかを聞かれても、
自分は霊能者でもないし、わからないんですよねえ。

帽子

ある重工業会社に勤めるSさんから聞いた話です。
彼が所属している工場は巨大で、製品ごとにいくつもの生産ラインがあり、
たくさんの人が部署に分かれて働いています。これは10年ほど前、
Sさんが工業用の大型換気扇をつくるラインで班長をしていたときの話。
そこでは、毎朝、体操をしてから作業を始める内規があり、
そのときに服装の点検もしていました。上から物が落ちてくるようなことは
まずありえないんですが、原則、全員がヘルメット着用だったそうです。
で、体操を始めると、班員のFさんという人が頭に変なものをかぶっている。
カーリーヘアのかつら、それもリアルなかつらじゃなく、
テレビのバラエティで芸人がつけるような、
黒い毛糸でできたモジャモジャ頭のやつです。

Sさんは体操の号令を中断して、Fさんに、
「お前、何かぶってるんだよ。ふざけてるのか」と注意しました。
するとFさんはけげんな顔で「いや、何って、ヘルメットですよ」
「へ?」と思ってもう一度見直すと、黄色い会社のヘルメット。
「あれ、おっかしいなあ」と思いましたが、Fさんは真面目な人柄だし、
まさか手品をするわけもないし、自分の見間違いだと考えたそうです。
それから作業が始まって、特に問題もなく進んでいきました。
で、Sさんが自分の仕事が一段落して工場内を見渡すと、Fさんの頭が黒い。
朝に見たと思った毛糸のかつらをかぶってる。「そんなはずは」と、
2,3歩近づいていくと、やはりかつらではなくてヘルメット。
Sさんは首をかしげましたが、午前中にもう一度同じことがあったそうです。

昼休みになり、食事は社員食堂でとる人がほとんどでした。
Sさんが食堂に入ると、先に出たFさんが定食を食べようとしてたので、
同じテーブルに座り、ずっと気になってた黒いかつらの話をしてみたそうです。
そしたら「えー、かつらなんてかぶるわけないじゃないですか。
 ああ、でもね、そう言われれば今朝方、変な夢を見たんですよ」
「どんな?」 「いや、笑われそうだけど、なんか全身が光る人が出てきて、
 お前はよく働いて関心だから褒美をやろうって言うんです。何がほしいって
 聞かれたから、じゃあ彼女がほしいスって言ったんですよ。そしたら、
 光る人は少し考えこんでから、彼女はやれんなあ、そのかわり帽子をやろうって、
 俺の頭になんかをかぶせてくれたんです。ね、変わった夢でしょ。
 俺、あんまり夢なんて見ないほうなんですけどね」

こんな話をされたそうです。でも、夢は夢だし、関係ないだろうと思いました。
昼休みが終わって作業が再開してすぐ、事故が起きてFさんが亡くなったんですね。
特殊な大型破砕機に頭をはさみ込んで粉砕され、
救急車が呼ばれましたが、床にバケツでぶちまけたような血溜まりができ、
頭部の破片が散らばって、誰がどう見ても即死の状態だったそうです。
これは考えられない事故で、Fさんはそもそもそこの担当じゃないし、
頭を突っ込むような手順もありえない。
セーフティガードやストッパーもついてる。
見ていた人に話を聞くと、Fさんはにこにこ笑いながら破砕機に近づいてきて
スイッチを入れ、自分から中腰になって、逆立ちするような、
かなり無理な姿勢で頭頂部をこじ入れたんだそうです。

この証言があったため、警察の調べは長くかかって、
結局、Fさんは自殺ということになりました。
でも、遺書があるわけでもなく、悩んでた様子もなく、動機もわからない。
Sさんは、「嫌な話でしょ。なんか全部、頭に関係があるじゃないですか。
 俺が毛糸のかつらと見間違えたこと。それとFがした夢の話ね。
 怖いなあと思いますよ。あの後しばらく、
 帽子をもらう夢を自分が見たらどうしようかって思ってたんです」
こんなふうに言ってました。それと、不思議なことに、
Fさんが本来かぶっていたはずのヘルメットが、どこにも見あたらなかったそうです。
「工場内すべて探したけどないんです。どういうことなんでしょうねえ」
Sさんにこう聞かれても、わからないと答えるしかなかったです。

猫と彼氏

これはジーンズショップに勤めているCさんから聞いた話です。
Cさんは翌日休みだったので、自分の部屋で夜更かしをして明け方に寝ました。
お酒もかなり入ってたそうです。「間違いなく一人だったはずなんですけど、
 ベッドの隣で、痛えよう、って声がしたんです。
 それが、今つき合ってる彼氏の声だったんですよ。え?って思いました。
 彼氏が部屋に来ることにはなってたけど、それは翌日の予定で、
 その夜は、いるはずがないんです。でも、隣に誰か寝ていて肩が触れてる。
 それで電気をつけたんです。そしたら、やっぱり彼氏がいて、
 両手を上に伸ばしてガクガク震えてるし、目も変だったんです。
 ええ、両方とも裏返って、白目だけになってました」
彼氏は、その姿勢のまま「俺死ぬよう、痛えよう、救急車呼んでくれよう」

苦しそうな声でくり返すので、「わかったから、しっかりして、今呼ぶから」
そう言って、スマホに手を伸ばして119番にかけようとしたそうです。
そしたら、ベッドの上の彼の姿が急に小さくなって、猫に変わったんです。
それはCさんが部屋買いしてる雑種の洋猫で、「え? え?」とまどっていると、
また彼氏の姿になり、猫になり、彼氏になり・・・・を、
10回ほどもくり返して、最後に猫の姿になって止まりました。
猫は目を開けたまま死んでいたそうです。Cさんは、
「それは悲しかったけど、彼氏が死ぬよりはねえ・・・もし救急車呼んでたら、
 怒られたかも。でもこれ、どういうことなのか、bigbossmanさん、
 こういうこと詳しいからわかるんじゃないですか?」
これももちろん、「すいません、わからないです」って答えるしかなかったです。

お葬式

森林管理局を退職されたUさんからうかがった話です。
Uさんは60代ですが、ひじょうに壮健で、山登りを趣味にしておられ、
日本百名山のうち、半数近くを制覇してるような方です。
あるときバーでご一緒しまして、自分が怖い話を集めている話題になり、
そのとき「うーん、山での怖い話ねえ。いや、それほど怖いってわけでもないけど、
 1度だけ、あることはあるよ。あれは東北の山に登ったときだね。
 そんな険しい山じゃなく、登山路も整備されててね。
 ただ、もうすぐ雪になるって季節だったから、他の登山者はいなかった。
 それで、一本道をペースあげて歩いてったら、
 前のほうからガヤガヤ声がする。ああ、グループ登山の人たちかな
 って思ったんだけど、女の声ばっかりだったんだよ。

 んで、曲がり角から姿が見えてきたのは、和装の喪服姿の女性たちだった。
 そりゃ驚くだろ。そんな格好で登山する人なんていない。
 それがせまい登山路を2列とか3列になって、ぞろぞろ下りてくるんだ。
 いや、若い人はいなかった。みな40代から60代くらいの日本髪の人たちで、
 「いいお葬式だったわねえ」なんて言いながらスタスタ歩いてくる。
 足元は草履だったよ。あんまり異様だったんで、思わず道から外れて藪によけた。
 その女性たちは、俺のことなんか目に入ってない様子で、
 がやがや喋りながら脇を通ってった。そうだなあ30人はいたと思う。
 でね、これは何かに化かされてるのかもと考えて、
 煙草に火をつけたり、眉をつばで濡らしてみたりしたんだ。
 いや、そういうの信じてるわけじゃないが・・・

 でね、首をかしげながら森林地帯を抜けると、岩場に出るんだよ。
 その目立つ大岩の下に何か黒っぽいものがいるんだ。
 その大岩は崖の上にあって、あまり近づくことはできないんだが、
 登山路から目をこらしてみると、猿だったんだよ。大きな日本猿。
 岩に背中をもたれかけて、あぐらをかいたお釈迦様みたいなポーズで、
 ぴくりとも動かない。ありゃ死んでるんだと思った。
 で、他の猿がまわりにいないかと探したんだが見あたらない。
 うん、石を拾ってぶつけてみようかとは思ったけど、
 何かあったら嫌だからやらなかった。ただね、その後頂上まで変なことはなかったから、
 あの喪服の女性たちは、その猿に関係があるんだとしか思えなかったな。
 どうだ、何だったのかわかるかい?」 「いや、すんません。わかんないです」
 



 




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消えるオカルト甦るオカルト

2018.02.27 (Tue)


前に「地球空洞説」の話を書きましたが、それと関係のある内容です。
昨年公開された『キングコング 髑髏島の巨神』ですが、みなさん、
ご覧になられたでしょうか。あのセリフの中で、地球空洞説が出てきていました。
髑髏島は南太平洋の孤島ですが、島の内部には地下に通じる穴があり、
その中にはたくさんのモンスターがひしめいているとかなんとか。

また、2008年公開の『センター・オブ・ジ・アース 』は、
やはり地球空洞説をあつかったお話で、原作はジュール・ヴェルヌの『地底旅行』。
日本全国公開された初めてのフル3D映画でした。
これも、家族向けのなかなかいい作品だったと思います。

関連記事 『安倍マリオと地球空洞説』

ただ、空想世界ならともかく、実際の地球空洞説には多くの科学者は否定的です。
その根拠としては、一つには地震波です。空洞がもし地球内部にあるなら、
地震波はいびつな伝わり方をするはずですが、
世界のどこで観測しても、結果は理論予測どおりになります。

これは、地球内部に、びっしり物が詰まっているからです。その他にも、
さまざまな面から、地球空洞説は否定されます。地底の国「アガルタ」、
「シャンバラ」など、夢のある話でしたが、
さすがにその役割を終えたようです。消えゆくオカルトと言っていいでしょう。

では、地球の内部に何があるかというと、これはマントルです。
マントルは、どろどろに溶けた岩石で、いくつかの層に分かれます。
また、地球中心部は核(コア)といって、溶けた金属でできており、
その温度は太陽の表面と同じ、約6000度にもなると言われています。

で、このマントルの発見によって、学会からオカルトとして葬り去られていた説が、
復活を果たしました。何だかおわかりでしょうか?
そう、「大陸移動説 continental drift theory」です。
提唱者は、当時32歳の若き気象学者、アルフレート・ヴェーゲナー。
彼は、ドイツ人らしい鉄のような意志を持った人物でしたが、
それが後に、彼の寿命を縮めることになります。

アルフレート・ヴェーゲナー


さて、ヴェーゲナーの着想のきっかけは、地球儀を見て、
大西洋の西、つまり南北アメリカ大陸の東海岸の地形と、
太平洋の東、ヨーロッパからアフリカ西海岸の地形が、
海をなくせば、ぴったりと重なると気がついたところからです。
ここだけ見ると子どもの発想のようですが、ヴェーゲナーは真剣でした。

ヴェーゲナーが正式に説を発表したのは1912年、
20世紀に入ってからのことなんですね。ここで、ヴェーゲナーは、
分裂する前の巨大大陸を「パンゲア」と名づけました。彼の説は緻密で、
地形学、地質学、地球物理学、生物学、古生物学と、各方面から、
公平に見て、当時としては最先端と言っていい論証を行っています。

じゃあ、ヴェーゲナーの説が世界に受け入れられたかというと、
残念ながらそうではありませんでした。アメリカを中心として、
各国の学者から感情的ともいえる批判を受けます。世界的な学術会議において、
大陸移動説は葬り去られ、オカルトあつかいされることになりました。

この最大の要因は、当時の科学の水準では、大陸が移動するための
巨大な力を説明することができなかったからですが、
大陸が動くなんてありえない! と、はなからバカにするむきもあったんです。
あと、第1次世界大戦 敗戦後のドイツに対する偏見もあったでしょう。

四面楚歌状態の中、最後まで自説が正しいことを確信していたヴェーゲナーは、
証拠集めに奔走し、グリーンランド探査中の1930年、-54度の猛吹雪の中、
過労による心臓発作で50歳で死亡します。犬ぞりで氷河を走り回るという、
植村直己さんレベルの活動をしていたようです。
その遺体はイヌイットによって雪の中に埋葬されました。(後に発見されて改葬)

ヴェーゲナーは若い頃に、気象観測用気球で空中滞在時間の当時の世界記録を
つくったりしているので、冒険家の素養があったんでしょう。グリンーランドの、
極寒のため生物が生息できない地域で、古生物の化石を見つければ、
それが大陸が南から北へ移動した証拠になると考えていたんですね。
(後に、ヴェーゲナーの予測どおり、化石は見つかります。)

ヒゲの凍りついたヴェーゲナー最後の写真


その後、大陸移動説は長い間、触れてはならないタブー、
学問ではないオカルトとしてあつかわれてきたんですが、流れが変わったのは、
ヴェーゲナーがグリーンランドの氷河で憤死してから約30年後の
1950~60年代。マントルとマントル対流の発見があったからです。

この、大陸を動かす力は、気づいてみれば何も難しいことはありません。
みなさんがお湯を沸かすとき、下のほうでガスの火で温められた水が上昇し、
逆に上のほうの水は冷えて下に戻っていきます。これと同じことが、
地球の内部で起こっていると考えられるようになったんです。

お湯の対流とマントル対流
名称未設定 3d

これらのことをまとめて、「プレート・テクトニクス理論 plate tectonics」
と言います。日本に巨大地震が起きるのも、海溝に沈み込んでいく
地殻プレートのひずみによる影響が大きいんですね。
こうして、ヴェーゲナーの名誉は回復され、現在では高く評価されています。
(日本でも小学校の国語の教科書に載ったりしていました。)

さてさて、このように科学知識の進展が、地球空洞説という一つのオカルトを消し、
大陸移動説という、オカルトとされていたものを学問として甦らせたわけです。
ですから、現在オカルトとされているもの、例えば超能力や心霊などの中にも、
将来の知見によって復活を遂げるものがないとは言えないんですね。
ということで、今回はこのへんで。







青女房と嫉妬

2018.02.25 (Sun)
今回も妖怪談義です。石燕の妖怪画はまだまだたくさんあるので、
ペースを上げていかないと追いつかないんです。
取り上げるのは「青女房 あおにょうぼう」。
これは難易度は中くらいですかね。

さて、石燕の絵を見てみましょう。衣桁を前にした後ろ姿の女性が描かれ、
鏡を見ながら白粉と鉄漿(おはぐろ)をつけて化粧をしているようです。
詞書は、「荒たる古御所には青女房とて 女官のかたちせし妖怪
ぼうぼうまゆに鉄漿(かね)くろぐろとつけて 立まふ人をうかゞふとかや」




訳すと、「荒れ果てた古御所に、青女房といって女官の姿かたちをした妖怪がいて、
ぼうぼうの眉に鉄漿をつけ、やってくる人をうかがうのだそうだ。」
こんな意味でしょうか。で、昔の風俗に詳しい人であれば、
この詞書はなんか変だなあと思われると思います。

というのは、鉄漿をつけるのは既婚女性の習慣でしたが、
それとセットで、眉毛を剃り落とす引眉(ひきまゆ)もするはずです。
ですから、「ぼうぼうまゆ」はおかしいのですが、
これにも何か石燕の意図があるのかもしれません。

青女房とは、普通は、まだ世間ずれしていない年若い女官のことを言いますが、
この絵の場合は違うようです。「青」は「青白い・青ざめた」など、
この世のものではない霊的な存在、
という意味で使われているのではないかと思われます。

石燕が参考にしたと考えられる室町時代の『百鬼夜行絵巻』


さて、日本では古墳時代から平安時代にかけて、結婚は妻問婚といって、
夫が妻の家に訪れるもので、貴人の場合、複数の妻がいるのも
珍しくはありませんでした。そして、夫の訪れがなくなった女は、
嫉妬もあるでしょうし、経済的な困難もあり、たいへん悲惨なことになりました。
青女房は、そういう女の恨みが妖怪化したものかもしれません。

また、『枕草子』を書いた清少納言や、美人で有名な歌人の小野小町などは、
宮廷を退いた後は、生活にたいへん困窮したといった話もあり、
そういった境遇におかれた元官女を妖怪化したものとも考えられます。
どちらも十分ありえそうですが、それだけではつまらないので
もう少しうんちくを傾けてみましょう。

能の演目に『葵上』というのがあり、
室町時代の猿楽師、世阿弥の作と考えられます。
ご存知のように、葵上は紫式部の『源氏物語』の登場人物ですが、
この能には葵上は出てきません。出てくるのは「六条御息所」。
六条御息所は生霊となって葵上にとり憑き、
散々に苦しめるのですが、その原因になったのは「車争い」でした。

これは、祭りの日などに牛車を出して見物によい場所を占めようとする争いですが、
六条御息所の車は、自分の娘が斎宮となって出立する晴れの日に、
葵上の車についた下人によって、何も見えないところに押し込められ、
たいへんな屈辱を受けます。そして光源氏をめぐっての嫉妬もあいまって、
六条御息所は生霊となってしまうのです。

自分が、六条御息所の話で怖いなあと思うのは、六条御息所本人は、
自らが生霊となって光源氏の他の女を苦しめていることを意識していないところです。
それがあるとき、自分の髪や衣から、悪霊退散の祈祷に用いられる芥子(けし)
のにおいがするのに気づいて、恐れおののくことになります。
この部分は『源氏物語』の名場面でしょう。

さて、能『葵上』の古式の演出では、破れ車(壊れた女車)に乗った
六条御息所の生霊の横に、「青女房」というおつきの女官の生霊も現れて、
さめざめと泣きます。(下図)
このことは石燕も知っていたのではないかと思います。
では、青女房は六条御息所の側に仕える女官の霊なのか?

能楽『葵上』より、六条御息所と青女房


これは何とも言えませんね。石燕には「朧車 おぼろぐるま」という妖怪画もあり、
詞書は、「むかし賀茂の大路をおぼろ夜に車のきしる音しけり 
出てみれば異形のもの也 車争の遺恨にや」
とあります。
絵には、点描で牛車が描かれ、簾のあるところに巨大な髪ぼうぼうの女の顔があります。
こちらは明らかに、『源氏物語』を意識して描かれたものでしょう。

「朧車」


さてさて、青女房が『源氏物語』と関係があるのかは、
はっきりとはしませんが、「青女房」を描いた石燕が、
そこからの連想で「朧車」を描いたということは考えられるんじゃないかと思います。
(「青女房」の入った『今昔画図続百鬼』は1779年、
「朧車」の入った『今昔百鬼拾遺』は1781年の刊行)
ということで、今回はこのへんで。







うわんと火事

2018.02.25 (Sun)
今回は妖怪談義です。取り上げるのは「うわん」。
ここでまた自分は大胆な推理をしますが、これは自信ないです。
間違っている可能性がかなり高いことを、あらかじめお断りしておきます。
スルー推奨かもしれません(笑)。

まず、下の石燕の絵を見て下さい。画面上方に柳の木があります。
そっから裸の男の上半身が道に向かって乗り出すように出てきています。
今にもつかみかかりそうな、おどしかけるようなポーズですね。
男の手は3本指の鉤爪で、3本指は鬼を表すとも言われますが、
そのわりには、男はハゲ頭で角が見あたりません。



あと、石燕の絵ではわかりにくいですが、佐脇嵩之の『百怪図巻』の
「うわん」は歯に鉄漿(おはぐろ)をつけています。鉄漿は普通は、
既婚女性がつけるものですが、男がつける場合は、
身分の高い公家などに限られます。
しかし「うわん」がお公家さんとは見えないですよね。

佐脇嵩之『百怪図巻』より「うわん」


また、柳の下に出るのは幽霊と相場が決まっていますが、
この「うわん」は幽霊のようにも見えません。一般的に、幽霊は青白く
生気がない様子で描かれるものですが、
これは違いますよね。うーん、やはり難しい。

ということで、今度は画面の下方を見ると、塀が大きく崩れて穴が空いています。
これ、どういうことなんでしょうか。そして、道の草の上に壊れた塀の一部が
落ちています。この円筒形のものは、どうやら軒巴瓦(のきともえがわら)
のようです。これについては後で説明します。



さて、Wikiを見ますと、「熊本県阿蘇郡小峰村でお化けを「ワンワン」、
鹿児島県郡谷山町で化物を「ワン」ということから、
その系統の妖怪と推察されている。」
こう出てきていますが、
これ、自分は関係ないんじゃないかと思います。石燕の妖怪画は仲間ウケを
ねらっている面が大きいので、もし石燕がこのことを知っていたとしても、
九州のことを出してもしょうがない気がするんです。

で、下に落ちている軒巴瓦ですが、円形の中に巴紋が入っているので、
この名がつけられています。巴紋は水が渦を巻くように見えることから、
水の象徴であり、つまり巴瓦には火災除けのおまじないの意味があったんです。
それと、上記した柳の木ですが、これも水辺に生えるものですよね。
ですから、「うわん」は何か水と関係があるんじゃないかと考えます。
ここまではまず、間違ってはいないでしょう。

また、下図を見てもらえばわかりますが、
巴瓦は鬼瓦とセットになっているものです。鬼瓦の歴史は古く、ルーツは、
古代パルミラにて、入口の上にメドゥーサを厄除けとして設置していた文化が、
シルクロードを伝わって日本に入ってきたという説もあります。

鬼瓦と巴瓦


メドゥーサはゴルゴーン3姉妹の1人で、無数の毒蛇の髪を持ち、
見たものを石に変える視線の持ち主でした。ギリシャ神話では、
英雄ペルセウスによって首を切り落とされて退治されます。
ペルセウスは、女神アテナにメドゥーサの首を贈り、
アテーナーは自分の盾にメドゥーサの首をつけて、最強の盾とします。
古代ギリシアでは、家のかまどにメドゥーサの顔を描いて魔除けとしていたそうです。

話がそれてしまいましたが、このように鬼瓦には魔除けの効果があるんですね。
怖い顔で外から来る魔を家に近づけないようにする。
鬼瓦の魔除け、巴瓦の火災除けがセットになって建物を守っていたわけです。
では、「うわん」は鬼瓦なんでしょうか? そうとも考えられそうですが、
鬼にしては、やはり頭に角がないのが気に入りません。

さてさて、こっからは大胆な推理です。
水を表す巴瓦を壊して家から外に出てくるもの。
これは当時に最も恐れられていた、火事を表しているんじゃないでしょうか。
江戸では何度も大火があり、そのたびに数万人が亡くなっています。
また、江戸時代の火消しの消火活動は、燃えている家屋を叩き壊して
延焼を防ぐものでした。塀が壊れているのはそれと関係あるのかもしれません。

放火は重大犯罪で、犯人は火あぶりの刑でしたし、失火の場合も、
長屋の五人組や大家までが連座して刑を受けることもありました。
「うわん」はその火事の恐怖の象徴なんじゃないかと考えるんです。
最後に、「うわん」の意味ですが、これは半鐘の音なのかなあと思います。

半鐘は江戸時代、火の見櫓の上部などに取りつけて打ち鳴らし、
火事を知らせるものです。町内ごとに多くの半鐘が設置されていました。
一般的には、半鐘の音は「じゃん」と表現されることが多いんですが、
下にyoutubeの半鐘の音を貼りつけておきます。
短いものですので、よろしければ聞いてみてください。








「月=人工天体説」って何?

2018.02.25 (Sun)
月の地下に延びる巨大な洞窟を発見したと、
宇宙航空研究開発機構(JAXA)などが2017年10月18日に発表した。
探査機「かぐや」の観測で突き止めた。月で洞窟が見つかったのは初めてで、
将来の有人基地の建設場所として有望という。

かぐやがレーダーで地下を観測したデータを分析した結果、
月の表側にある「マリウス丘の縦穴」付近から、
長さ約50キロにわたって洞窟が延びていることが分かった。
洞窟は縦穴につながっているとみられ、地表からの深さは最大で数百メートル。
幅は100メートル前後で、断面は崩落しにくいかまぼこ形と考えられるという。

(産経ニュース)



去年のニュースですが、今回のお題はこれでいきます。
月が人工の物体、もしかしたら巨大な宇宙船ではないかとする説は、
古くからありました。1970年代、旧ソ連の科学雑誌「スプートニク」に、
当時のソ連では著名であった2人の天文学者が連名で論文を発表。
「月=人工天体説」を唱えたんですね。

人工天体と言えば、映画『スターウオーズ』の「デススター」を
思い浮かべられる方が多いんじゃないかと思います。直径は約120km、
地球と同規模の惑星を一撃で破壊可能な「スーパーレーザー砲」が搭載されており、
安定した作動ができるよう、完全な球体になっていました。映画では、
このデススターをめぐる攻防が一つの見所でしたが、
もし月があれと同じようなものだったとしたらどうでしょう。

ただし、月は、直径が約3500kmとデススターよりもだいぶ大きいです。
また月の重力は地球の約1/6というのもよく知られていますね。
月がどうやってできたか(どうやって地球の衛星になったか)について、
かつては人間関係に例えて3つの説がありました。

①親子説 地球の一部が分裂して月になったというもの。
②兄弟説 月も地球も同じ時期に同じ場所で星間物質が凝縮してできたというもの。
③他人説 別の宇宙空間から飛来した遊星が地球の引力に捕らえられたというもの。
しかし、これらの説には一長一短があり、現在では第4の、
④巨大衝突説(ジャイアント・インパクト説)が有力視されてきています。
これは、地球と他からやってきた天体との衝突によって飛散した物質が、
地球周回軌道上で集積して月になったとする説です。

Giant impact theory


ですから、本項でご紹介している「月=人工天体説」は、
もしこれに加えてもらえるならば、第5の説ということになります。
では、なぜ月が人工天体と違われるようになったかというと、
偶然とは考えにくい、いろいろ不可解な点があるからです。

・月はいつも同じ面を地球に向けていること。これ不思議だと思いませんか?
地球は自転しており、月も自転している。もちろん、両者の大きさは違います。
それなのに、地球上から見える月の面はつねに同じでずれることがありません。
月の裏側は、長い間、見ることができないものの象徴とされてきました。

・月の地球上からの見かけの大きさがほぼ太陽と同じであること。
これも不思議ですよねえ。本当に偶然で片づけていいもんでしょうか。
日食のときには月と太陽がほぼぴったり重なります。これは、
太陽と地球との距離は、月と地球との距離の395倍であり、
太陽の直径はちょうど月の直径の395倍であることから起きるんです。

・月は地球の衛星としては大きすぎること。
月は、太陽系の衛星の中で5番目の大きさです。なんだ、
他にもっと大きいのがあるんじゃないか、と思われるかもしれませんが、
月以上の大きさの4つの衛星は、どれも木星・土星という巨大惑星のものです。
月と地球は大きさが近すぎると言うことはできると思います。

この他にも、・一般に月の石は地球上の石に比べはるかに古いこと、
・上記引用のように月の内部には空洞があると考えられること、
・月面上に見られるクレーターは、直径に比してどれも浅く、
月の表面は硬い金属でできているのではないかと推定されること、
などが根拠としてあげられています。日本の人工衛星「かぐや」は、
レーダーサウンダーという装置で、
月の地下に層状の構造があることを確認しました。

さてさて、ここまでお読みになって、どう思われるでしょうか?
もちろんすべて偶然として片づけることもできますし、
月が同じ面を地球に向けていることなどは、それが最も軌道が安定するからであり、
ごくあたり前の自然の現象だと見ることもできます。

それと、「月=人工天体説」の最大の弱点は、「誰が」「何のために」
それをこしらえたのかが説明できないことです。人工天体説でよく言われるのは、
月の宇宙船に乗ってはるばる宇宙を旅してきた異星人たちが、
地球を見つけてその重力圏内に入り込み、そこに定住するようになったという説です。

そして、まだ原始の状態だった地球にさまざまな影響を与え、
地球に生命を誕生させ、進化させ、文明の発達をうながしてきた。
その過程で、宇宙人たちは死に絶えてしまったが、月宇宙船はそのまま残っている。
また、宇宙人たちは月の中でまだ生きていて、
アメリカのアポロ宇宙飛行士たちと会った、という説まであります。
もしこれが本当ならたいへん夢のある話ですが、
もちろん確証はありません。続報を期待したいところです。

関連記事 『安倍マリオと地球空洞説』  『地球平面説について』  『月とオカルト』
『スーパー・ブルー・ブラッド・ムーン』  『スーパームーンがやってくる』

NASAによる月面写真、写っているのは古代宇宙船とも言われる


同じく、月クレーター内の人工物とされる画像







否哉と裏表

2018.02.23 (Fri)
今回はまた、妖怪談義です。取り上げるのは「否哉 いやや」。
これは、そんなに難しいところはなさそうです。詞書は、
「むかし 漢の東方朔(とうほうさく) あやしき虫をみて怪哉(かいさい)
と名づけしためしあり 今この否哉もこれにならひて名付たるなるべし」




詞書については、後ほどふれることにしまして、まずは絵を見てみましょう。
右手に水門のある川べりのようなところに、笠をかぶった女が立って、
水面に顔を映していますが、その顔は女ではなく爺さんです。
あと、近くに笹竹などが生えていますが、特に深い意味はないようです。

名前の「否哉 いやや」は「否哉 いやかな」つまり、「ああ、いやだなあ」と、
心から思うことですね。まあそれは、後ろ姿の美しい女性がいて、
声をかけてみたところ、ふり向いた顔が爺さんだったとしたら、嫌でしょう。
そういう一瞬の嫌な心持ちを妖怪化したものだと思われます。
否哉についての伝承は見つかりませんので、
妖怪研究家の多くは石燕が創作した妖怪と考えています。

後の妖怪画では、この妖怪は「いやみ」として紹介されることが多く、
「異爺味 いやみ」という漢字が当てられたりしていますが、
これはおそらく石燕の書いた「いや」(はくり返しの記号)を、
「ミ」と読み間違えたためだと思われます。

あれ、終わってしまいました。これだとあまりに短いので、
もう少しうんちくを傾けてみましょう。
「快哉 かいさい こころよきかな」という言葉がありますね。
「快哉を叫ぶ」という慣用句として使われることが多いんですが、
「大声で喜びの声を上げる」という意味です。石燕は、
おそらくこれの反対語として「否哉」という語をつくり出したと思われます。

さて、詞書に戻って、訳すと「その昔、前漢の臣、東方朔(とうほうさく)が、
不思議な虫を見つけて「怪哉 かいさい あやしいかな」
と名づけたという例がある。今、この否哉も、
これに習って名づけられたものだろう。」これくらいの意味になります。

東方朔


東方朔というのは人名で、前漢の武帝に仕えた宰相、前2世紀頃の人物です。
豪放磊落な性格で、仙人のような暮らしぶりであったとも言われ、
いろいろと不思議な逸話が多い人です。
中国の南北朝時代の殷芸(いんげい)が書いた『小説』には、
前漢の武帝が東方朔をともなって旅行に出かけた際、行く道の途中に、
頭、目、牙、耳、鼻、歯が人間のようにそろった奇妙な虫がたくさんいた。

それを見た武帝が「怪哉 あやしいかな」と言ったので、その名がつけられた。
東方朔は武帝の問いに答えて、「これは秦の時代、始皇帝が厳しい法律で
人々を縛ったので、罪を受けた者の魂が虫に変化したものと考えられます」
重ねて武帝が、「どうすればよいのか」と尋ねると、

「古来から、酒を飲めば憂いを忘れるといいます」東方朔はそう言って、
虫たちを酒の入った瓶に入れた。すると虫たちはみな、
満足した様子で散り散りにその場を去っていた。
後に、古地図を元に調べてみると、はたしてそこは、秦の時代に
牢獄があった場所であった・・・こういう故事が書かれています。

「怪哉虫」で出てきた中国の画像 カメムシでしょうか


ご存知のように、秦の始皇帝は中国全土を統一して
初めて皇帝になったわけですが、その治世は、「法家」を重用して思想基盤とし、
厳しい法律で民衆を縛りました。そのため、犯罪の少ない世にはなりましたが、
このことは、中国ではあまり評価されていません。
皇帝は徳(道徳)で世を治めるのが最上であるとされるからです。

これに対し、劉邦が築いた前漢は、前半は老荘思想、後半は儒教を国教として
国を治めたため、歴代王朝の中でも評価が高いんです。
秦が実質的に始皇帝1代で終わったのに対し、
前漢は14代、200年続いています。その最盛期の皇帝が、
前述の武帝だったんです。罰せられるから、しかたなく法律を守るというより、
自分の中の道徳にしたがって行動するのがよいのは、理想ではあります。
 
さてさて、博識の石燕は、これらの故事をすべて知っていたと思われます。
そして絵の詞書の中に、わざと東方朔の名前を出し、
後ろ姿は美しい女、表は醜い老人という裏表で、
法と徳、ということを表しているのかもしれません。
まあでも、これは自分の深読みのしすぎという可能性も高いですが。






オカルトの本質

2018.02.22 (Thu)


今回はオカルト論でいきます。さて、オカルトとは何か?
こう聞かれると、これはかなり困ります。Wikiで「オカルト」を見ると、
「オカルト(occult)は、秘学・神秘的なこと・超自然的なもの。
ラテン語: occulere の過去分詞 occulta(隠されたもの)を語源とする。
目で見たり、触れて感じたりすることのできないことを意味する。」

となっていて、まあそれはそうなんですが、
この定義はあいまいだよなあ、とも思います。

で、自分がどうしても「オカルト」を短い言葉で定義しなければならないとしたら、
「再現性がないもの」こう言うしかないんじゃないかと思っています。
例えば、そうですね。30年ほど前に「常温核融合」というのが話題になりました。
普通、核融合というのは、水素爆弾のように高温高圧で発生します。

しかし、もし室温程度の環境下でそれが起きるのなら、これはエネルギー革命に
つながりますよね。最初に常温核融合があったとされる実験は、
「重水を満たした試験管に、パラジウムとプラチナの電極を入れ、しばらく放置、
電流を流したところ、電解熱以上の発熱が得られ、
核融合の際に生じたと思われるトリチウム、中性子、ガンマ線を検出した。」


こんな具合でした。特別な準備はいっさいいらないし、実験費用もかかりません。
そこで、発表以来、世界中の研究室で追試が試みられたものの、
実施された追試の圧倒的多数では、核融合反応や入力以上の
エネルギー発生が観測できなかったんですね。
(一部にそれらしい現象が見られたという報告はあります)

このため、研究者の間では常温核融合はオカルト、
疑似科学であるという認識が広まり、世界的な権威のある学術誌は、
常温核融合に関する論文の掲載を拒否しています。
これこれ、こういう実験をすれば核融合が起きる、というレシピがあって、
それに忠実に従って実施しても起こらない、つまり再現性がないならば、
オカルトと言われてもしかたないんじゃないでしょうか。

日本でもこのようなケースはいくつもありました。
記憶に新しいところでは、小保方女史のSTAP細胞がそうでした。
世界のどこの研究室でも再現ができない。疑われてもしょうがないですよね。
この事件は自殺者まで出して、たいへん後味の悪い形で終息しています。

あと、面白いところでは、日本の東北大の研究者が、
「右回りのコマは重量が軽くなる」という論文を発表し、
これを最初に聞いたとき、自分は「ありうるかも」と思ってしまいました。
地球の自転と何か関係があるかもしれないと考えたからです。
しかし、やはり世界中の研究室の追試で否定されてしまったんですね。
ただ、これは意図的に騙そうとしたのではなく、
測定ミスであった可能性はあると思います。

さて、では「再現性がない」ことについて、オカルト界はどう扱っているのか。
まず「わざと再現を難しくする、再現のハードルを上げる」ということがあります。
魔術や錬金術では、ある目的を行うために、「死刑囚の手首」 
「女のヒゲ」「イモリのため息」など、まず手には入らないだろうという材料を、
鍋に入れてグツグツ煮なければならない、などと書かれることが多いんです。



これは中国の仙術でも同じで、4世紀の仙術指南書『抱朴子』には、
仙薬の作り方として、よく似たようなことが載っています。
材料が手に入りにくければ、再現もできませんよね。
そして嘘だとばれることもないわけです。こうして、詐欺師はいつまでも
イカサマを続けて、権力者から金を引き出すことができました。

また、心霊や超能力関係もそうです。さまざまな条件が整わないと、
霊現象や超能力現象を再現できない。中には、実験の関係者の中に、
たった一人でも能力に疑いを持つものがいれば、実感は成功しないなどと
言う人もいました。しかし、関係者の一人ひとりが、
実験についてどう思ってるかを推し量るのはまず不可能ですよね。

あと、UMAなんかはわかりやすいと思います。ネッシーはいる、いない。
これを論争しているヒマがあったら、ネッシー捕獲作戦に打って出れば
いいわけで、もしネッシーが捕まえられたら、
それは、実験で超常現象が再現されたのと同じことでしょう。
ネッシーの生物学的な特質が調査され、ネッシーはUMAを卒表して、
図鑑に採録される既知生物になるわけです。

さてさて、ということで「再現性」はオカルトを見るための重要なキーです。
もしある現象が、世界のどこでも、誰にでも再現できるのなら、
それはオカルト(隠されたもの)ではなく、世間に開かれたものになります。
例えば、最初は世界中の学者が半信半疑だった「相対性理論」なんかでも、
数多くの実験で追認され、現在では物理学の教科書に載っているんですね。








悪魔の話

2018.02.22 (Thu)
10日ほど前、漫画雑誌の仕事である霊能者の方とお会いしました。
お名前は、かりにKさん、としておきます。Kさんは50代の男性で、
本業は実業家。貸ビルや飲食店経営などを手広く展開されていて、
年収はおそらく数億はあるだろうと思われます。ですから、霊能者としての活動は
完全なボランティアなんです。とにかく、興味深い霊的な事件があれば、
日本全国どこへでも出かけていきます。で、仕事が終った後、
ホテルのバーに入って、いろいろとお話をうかがいました。
その中で、自分が前から疑問に思っていたことをいくつかお尋ねしてみたんです。

「前から気になっていたんですが、日本ってキリスト教徒は少ないですよね」
「うーん、そうだね。人口の1%くらいと言われてる」
「ええ、日本人100人に一人くらいです。それでですね、
 キリスト教の悪魔って、どう思われますか?」
「それは、神の敵対者ってことだろう。キリスト教は一神教で、神は全知全能で
 この世のすべてを支配している」 「ええ、そうですね」 
「それなのに、この世から犯罪や貧困など、さまざはな悲惨がなくならないのは変だろう」
「まあ、確かに」 「このことについて、説明が2つあるんだよ。
 一つは、神がわざと試練を与えて、人間を試してるってこと。
 その人が死後、神の国に入ることができる資格があるかどうか試しているわけだ」
「ははあ、苦しいときにこそ、その人の本性、人間性が現れるってことですか」

「ちょっと違うけど、まあ、そう考えるのがわかりやすいかもしれない。
 それともう一つが、神の敵対者としての悪魔という存在だな。
 人間が誘惑に負けやすいのは、エデンの園のアダムとイヴの話に出てくるだろう」
「ああ、イヴが蛇に勧められ、神が禁じていた知恵の実を食べてしまったことですね」
「そうだ、あの蛇の正体は悪魔サマエルとも言われている。人間を誘惑し、
 悪事を働かせて魂を奪いとる」 「魂を奪われるとどうなるんです?」
「それは、永遠に地獄の炎で焼かれるという話もあれば、
 最終戦争ハルマゲドンのときに、悪魔の手下となって闘うとも言われている」
「うーん、やはり善と悪との闘いなわけですね」
「それが一神教というものだよ。光があれば必ず影があるっていう」
「じゃあ、このキリスト教徒の少ない日本にも、悪魔は存在するんですか?」
Kさんは自分のこの言葉を聞いて少し笑い、

「悪魔にとっては日本は楽だろう。キリスト教の考え方では、
 異教徒はすべて地獄に堕ちるんだよ。
 だから、日本じゃ悪魔はあまりやることがない。キリスト教が多人数に広まるのを
 邪魔してるだけでいいんだ。仏教徒や神道を信じてる日本人はすでに悪魔のものだから」 
「はああ、そういう考え方なんですね」
ここで、自分はぐっと水割りを飲み干し、一番聞きたかったことを口に出しました。
「じゃあ、Kさん。これまでにキリスト教の悪魔がからんだ事件を経験したことは
 ありますか」 「ああ、あるよ、ずいぶん前のことだし、失敗談なんだが」
「じゃあそれ、ブログに書きますんで、ぜひ話してくださいよ。お願いします」
「・・・九州のほうに、Yさんって女性がいたんだ。両親ともキリスト教徒で、
 足繁く教会のミサに通うなどして、かなり厳格に躾けられた。

 Yさんは高校を卒業して、ミッション系の大学に入学したんだが、
 そこでテニスサークルに入ったんだよ。
 それで、サークルに外部から来てた年上のコーチと親しくなった」
「よくありそうな話ですね」 「まあね、後はわかるだろう。神様ではない、
 ただの人間を愛するようになったYさんは、
 自分の気持ちにとまどいながらも流されていった」
「うーん、でも、それって普通のことですよね」
「うん。ただ、このコーチというのが、あまりたちのよくないやつだったんだな。
 Yさんと同棲するようになり、子どもができた」
「はい」 「このことがYさんの実家に知れて両親は激怒。どうやら、
 同じ会派のキリスト教の家庭に、親同士が決めてた婚約者がいたらしいんだ」

「本人が知らないところでってことですが?」 「そう」
「えー、今どきそんな話・・・」 
「まあね。でも、そういうふうにしないと日本のキリスト教社会って維持できないんだよ」
「すみません、たびたび口をはさんじゃって。その後、どうなったんですか?」
「Yさんの両親は困った。キリスト教の教えでは中絶は悪だからね。
 とにかく、男と別れさせ、Yさんには大学を辞めさせて、
 実家でひっそりと子どもを産ませたんだ」 「ははあ」
「それから、Yさんをヨーロッパの学校に入れた。
 全寮制の、なかば修道院のようなとこだよ。あと、子どもは男の子だったけど、
 Yさんの両親が養子にして、Yさんの弟として育てることになった」
「そういう形ってできるんですか」 「あれこれ手を回したんだと思う。

 それでね、両親が育てているその子に異変が起きた」 「どんなことです?」
「両親は2人とも働いていて、かなりの資産家だったから、
 シッターを雇って子どもの面倒を見させていたんだが、そのシッターがおびえる。
 子どものベビーベッドに影が現れるって言うんだ」
「どういう?」 「壁や天井に影だけが映るんだが、それがコウモリのような翼があり、
 頭には2本の角らしきものが生えてるっていう」 「・・・まさに悪魔ですね」
「そうだ。しかし両親にはそんなものが見えたことはないんで、シッターを変えた。
 でも、前のシッターとは面識がないはずなのに、同じことを言う。
 そこで私が呼ばれたんだ」 「すごい、悪魔祓いですか」
「ははは、エクソシストの修行をしたことはないし、聖書の詩句も覚えてない。
 聖水の用意もない。だから、日本の他の場合と同じようにした。

 その子のベッドの近くでご祈祷したんだよ」
「悪魔が出てきましたか?」 「いや、その場では何も起きなかった。
 子どもの様子にも特に変化はなし。かわいい普通の赤ちゃんだったな。
「じゃあ?」 「その後すぐに、ヨーロッパにいるYさんの学校から連絡が入った。
 娘さんの様子がおかしいから、すぐに来てくれないかって。
 で、両親と一緒にヨーロッパに飛んだんだよ。赤ちゃんは連れていけなかったけど」
「それで?」 「うん、そのルーマニアの学校は山深い田舎にあって、
 共同生活しながら聖書についてや、庭の手入れ、刺繍、金属細工などを習う。
 で、われわれが行ったときには、Yさんは拘束されベッドに寝かされていたんだ。
 暴れて手がつけられないからってことで。
 でね、Yさんが入っていた地下のせまい個室を見せてもらったんだが、

 その白壁に、うっすらと翼と角のあるものの姿が浮き出していた」
「うーん、それ、現地のシスターたちは何もできなかったんですか?」
「表向きは学校だし、そんな力がある人もいなかったんだろう。
 それに私も、Yさんが自分の心の中でつくり出した、罪悪感が形になったものだと、
 そのときには思ってたんだ。でね、まさかキリスト教の修道院で
 日本式の祈祷なんてできないから、どうにかしてYさんを帰国させ、
 日本の精神科の病院に入れた」 「結局、ご祈祷はしなかったんですか」
「そう、これは私の失敗だった。そのときにはキリスト教の悪魔について
 よくわかってなかったんだ。もしいるとしても、
 日本では大したこともできないだろうと思ってね」 「それで」
「Yさんは2年ほど入院して、だいぶ落ち着いた。だから両親が家に戻し、

 そこであらためて、3歳になっていた自分の子と対面したんだ」
「ああ、それはよかったじゃないですか、でも、
 自分の子どもなのに弟ってことになってるんですよね」 
「・・・それでね、私もその話を伝え聞いて喜んでいたんだが・・・
 Yさんはその子をずいぶんかわいがっていて、よく世話もしてたんだよ。
 だけど、その子が6歳になって、小学校にもうすぐ入学ってときに、
 手を引いて歩いていた橋の上から、その子を川に放り投げた」 「う」 
「本物の悪魔がFさんのところに現れたんだろうな・・・  
 子どもは亡くなり、Yさんは心神耗弱で罪にはならなかったが、
 精神科の病院に逆戻り、今も入院してる。
 私はこの件に関しては何もできなかったし、ずいぶん残念に思ってるんだよ」









幣六と天神様

2018.02.20 (Tue)
今回は妖怪談義です。とりあげるのは「幣六 へいろく」。
これもかなり難しいんですが、ここでは大胆な推理を述べたいと思います。
ただし、自分の大胆な推理というのはほぼ間違っていますので、
そのつもりでお読みいただけたらと思います。あくまで半分冗談ですので。

さて、下の絵が石燕の幣六です。上半身裸の毛深い人物が御幣(ごへい)を
担いで踊っています。御幣とは、神道で使われる用具の一つで、
紙または布を切り、細長い木にはさんで垂らしたものです。
これは、本来は旅に出るときに持参し、道々の道祖神などに捧げ物として
供えるものでした。幣(ぬさ)とも言います。



また「御幣を担ぐ」という言葉は慣用句になっていて、
「つまらない縁起や迷信を気に掛ける。」という意味で使われていますね。
ここにも何か石燕の意図があるような気もしますが、
やはり、はっきりしたことはわかりません。

詞書は「花のみやこに社さだめず あらぶるこころましみ 神のさわぎ出給ひしにやと」
うーん、うまく訳せません。花の都の社(やしろ)におらずに、
心が荒ぶるままに、神が騒いで出てきたのか、みたいな意味でしょうか。
この詞書も謎ですし、幣六の「六」についても、よくわかりません。

自分が最初にこの妖怪画を見たときは、石燕の絵によくある付喪神(つくもがみ)
を描いたものだと思っていました。付喪神というのは、
古くなった器物が命を持ち、妖怪となったもののことを言います。
例えば、下の「骨傘」なんかがそうです。この手の妖怪はたくさん出てきます。
ですが・・・、それにしても詞書が謎なんですね。

「骨傘」


また、石燕の絵は、室町時代の『百鬼夜行絵巻』を参考にして描かれたものも
多いんです。『百鬼夜行絵巻』には、御幣を担いで踊る赤い鬼(下図)
が出てきており、これを参考にして幣六を描いたのではないかとも言われています。
ただ、絵を見ると御幣を担いでいるところはいっしょでも、
その他の部分はずいぶん違っている気もします。浮世絵師・月岡芳年は、
錦絵『百器夜行』に、石燕の幣六を参考にしたと見られる幣六の
絵を描いており、肌は赤く彩色されています。

『百鬼夜行絵巻』


うーん、赤鬼・・・と考えていて、はたと思い当たったことがあります。
菅原道真公です。みなさんご存知だと思いますが、天神様として知られる神様で、
Wikiには「菅原道真(845~903)宇多天皇に重用されて、
寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。

しかし、左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ)され、
大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。
死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、
天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。」

というように出てきます。

この菅原道真が怨霊になったときの姿は、黒雲に乗った赤い雷神として
表されることが多いんですね。下図は鎌倉時代の『北野天神縁起絵巻』ですが、
赤い雷神になって暴れているのが菅原道真です。
このとき、930年の内裏、清涼殿の落雷では7名が死亡し、
また、惨状を目撃していた時の醍醐天皇も、
体調を崩して3ヶ月後に崩御されています。なぜ赤い鬼の姿かというと、
この手の絵の約束事として、風神は緑、雷神は赤で描かれるきまりなんです。

『北野天神縁起絵巻』


さて、では幣六は菅原道真公なんでしょうか。
この可能性はけっこうあるんじゃないかと自分は考えます。一つは「幣」です。
『小倉百人一首』に採られている菅原道真(菅家)の歌は、
「このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに」です。



この歌は、898年の秋、道真が宇多上皇のお供して吉野へ行く途中、
一行が道祖神への供え物を忘れてきたことに気づき、
その時に詠んだ和歌だと伝えられています。幣を忘れてきてしまいましたが、
この色鮮やかな紅葉をその代わりとして収めて下さい、ということでしょう。

さてさて、これらのことを考えて詞書を読むと、なんかピンと来るものがあります。
「花のみやこに社さだめず」とは、道真が京の都から、
九州の大宰府に左遷されたことを表しているのかもしれません。
そこで憤死して怨霊となり「あらぶるこころ」なわけですね。
みなさん、どう思われますでしょうか? 









念の話3題

2018.02.19 (Mon)
いわゆる超能力には大きく分けて2種類あります。これについては前にも書きましたが、
サイコキネシス(念動力)とテレパシー(精神感応)です。
この違いは、物に働きかけるのがサイコキネシス、精神に働きかけるのがテレパシー。
本当は少し違うのですが、そう考えるのがわかりやすいでしょう。
例えば、手を触れないで本のページをめくったりするのがテレキネシス。
後ろを向いている人を、「ふり向け」と念じることで振り返らせるのがテレパシー。
今回は、後者のテレパシーについてのお話です。ただ、最近はテレパシーではなく、
同じような現象が「生霊」と呼ばれることが多くなってきました。
これはスピリチュアルの隆盛と関係があるんでしょう。

アパートのドアの話

これはある大都市の郊外にあったアパートに、
10年ほど前に住んでいたAさんからうかがいました。Aさんは当時20代後半で独身、
カラオケ店で働いていました。住んでいるアパートは古く、
そのぶん賃貸料は安かったそうですが、Aさんは、
早く結婚して引っ越したいとばかり考えていたそうです。アパートは2階建てで、
Aさんは2階の端部屋にいて、手すりのあるコンクリの廊下を通り、
階段を降りて外に出ていました。ある午後、出勤するために廊下を通っていると、
中程から階段寄りにあるドアの前で、ズンと頭に衝撃を受けたように感じました。
それと同時に、目の前にたくさん書かれた字のようなものが広がって見えたそうです。
「え、え?」それはすぐに治まったものの、今のは何だったろうと不思議に思いました。
目の前に見えたと思った字は、ミミズののたっくったような横書きで、

それまでAさんが1度も目にしたことがなかったものだったからです。
でも、その場所から数歩離れると、もうおかしな感じはなくなりました。
その日の深夜(というか翌日の朝方)Aさんは店から彼氏をともなってアパートに
戻りました。時間が時間だし、彼氏を連れ込むのもあまり人目よいことでもないので、
2人とも、そうっと静かに廊下を通っていましたが、
出勤のときと同じドアの前で、やはり変な現象が起きたんです。
そのドアの前を通るとパッとフラッシュが焚かれたように目がくらみ、
目の前に不思議な文字が広がる。それがAさんだけではなく、彼氏もそうだったんです。
「え、今の何だ? 目の前に変なものが見えた」 「え、あんたも?」
「光ったようにも感じたが、ここの照明ってあれだけだよな」
彼氏が指差したのは、廊下の天井にある薄黄色い電灯でした。

「うん。変なものって字みたいなもの?」 「ああ、字だと思う。んーアラブのほうの字。
 ほらイスラム教なんかで出てくるやつ」 「じゃあ同じもの見たかも」
「この部屋は?」 「そういえば外国人の夫婦と子どもが住んでる。
 国の名前はわからないけど、アラブの人だよ。でもここ最近見てないな」
彼氏だけが鉄のドアに近づいて手を触れてみました。
「う、また光った。さっきよりは弱かったけど」 「私には、光ったのは見えなかった」
その後、2人でドアをペタペタ触ってみましたが、もうその現象は起きませんでした。
彼氏が「これ、明日にでも管理人に話して中の様子を見てもらったほうがいいんじゃないか」
こう言い、Aさんは翌朝早く大家さんに電話したそうです。
で、大家さんが半信半疑ながら合鍵でドアを開けてみたところ、
中のドアに近いところでアラブ人の奥さんだけが倒れていて、まだ息がありました。

後頭部に大きな打撲の跡があり、脳内出血を起こしていたんですが、
緊急手術で一命をとりとめました。旦那さんと子どもの姿はなく、
今もって行方が知れないということです。おそらく奥さんは旦那さんに殴られたんでしょうが、
刑事事件にはなりませんでした。Aさんは、「あの奥さんが意識がない状態でも、
 神様に祈ってて、何だっけ? コーラン? あの文字みたいなのが
 私たちに伝わってきたんじゃないかしら。でも、神様に祈ったのなら、
 旦那さんはどこかで神様の罰を受けてるのかしらねえ。それも子どもがかわいそうだけど」
こんな話をしてましたね。この話が実際にあったのか、自分には何とも言えませんが、
もし事実だとしたら、Aさんと彼氏に不思議な光景を見せたのは、
アラブ人の奥さんの生霊? テレパシー?
それともアラブの神様のお力なんでしょうか。自分にはよくわかりません。

病院での話

これはある総合病院に勤めるBさんからうかがった話です。
その総合病院は救急指定になっていて、かなり重篤な患者も運び込まれ、
亡くなる人の多いところでした。そんな中でも特に激務である集中治療室に、
Bさんは配属されていました。ある夜勤の日のことです。
心臓疾患の老齢の男性が救急車で運ばれてきました。
いったんは心臓停止状態にあったのが、救命士の処置で心拍は再開していました。
急なことだったようで、救急車に同乗してきたのは、
娘さんと思われる50代の女性だけ。患者の容態を見て、
担当の医師団は顔を曇らせました。というのは、かなり心停止の時間が長く、
このまま治療しても、よくて寝たきり、植物状態になる可能性が高かったからです。
これは、命は助かっても家族にとっては大きな負担になるんです。

医師団のキャップが娘さんに「かなり呼吸機能が弱いです。どうしますか、
 人工呼吸器をつけますか?」このように聞き、
娘さんはとまどっていましたが、「ええ、取りあえず・・・」と言いかけたとき、
ベッドに寝かされていた老人が、ぎゅんと体を起こしたんです。
機械じかけのように見える不自然で異様な動作でした。そして、
両手を顔の前で開いて激しく振ったんです。「え、え?」
でも、もう一度見直すと、老人は固く目をつむってベッドに寝たきりで、
容態からいって起き上がることなんてありえません。
Bさんが「私は幻覚を見たのか?」と思っていると、
娘さんが、「父が嫌がっています。すみません、父はずっと昔から、
 コロリと逝きたいと言っていて、延命治療はいらないって言ってたんです」

このように話をし、人工呼吸器は装着しないことになりました。
それでも昇圧剤の投与などはしました。2時間ほどして、他のご家族も病院に駆けつけ、
老人の患者は朝方になって静かに息を引き取りました。
遺体の処置をし、葬儀屋さんが呼ばれて搬送されていきましたが、
娘さんは私たちに礼を述べると、「人工呼吸してもらおうと思ったんですが、
 父が急に起き上がって、いらないって手を振って訴えた・・・ように思えたものですから、
 お断りさせていただきました。でも、これで本当によかったのかはよくわかりません」
このようなことを述べて帰られたんです。それを聞いてBさんは、
「ああ、私と同じものが見えたんだな」と思ったそうです。というか、老人が
娘さんに対して訴えかけたのが、Bさんにも伝わってきたんだろうと思います。
これなんかはどうでしょう。生霊なんでしょうか、テレパシーなんでしょうか。

愛犬の知らせの話

Cさんは丸の内にある大企業に勤めていて、毎日忙しく立ち働いていました。
結婚しており、郊外の一軒家に住んでいたんですが、
なかなか子どもができず、そのかわりというか、小型の室内犬を飼っていたんですね。
ある日、その犬が夜中に吐き戻しをして、翌朝になっても調子が悪かったんです。
Cさんは大変心配したものの、重要な仕事があって会社を休むことはできず、
犬をタオルケットでくるんで出勤しました。昼には、家の近くが仕事場の旦那さんが、
戻って様子を見ることにしていたそうです。で、11時頃のことです。
コピー機を使うためにフタを開けたところ、そのガラスの中に愛犬の姿があったんです。
「え、え?」でも、見えたのは一瞬だけで、その姿はすぐに消えました。
Cさんは胸騒ぎがしたんですが、どうすることもできず、
昼休みに旦那さんからの連絡が来るのを待ちました。

そして電話があり、旦那さんが見にいくと、愛犬は亡くなっていたということです。
このケースも、難しいですよね。愛犬の姿が見えたのは、
犬が生霊になって自分が死ぬことを知らせにきたのか?
犬のテレパシーが遠くまで届いたのか? それとも、犬は死亡した後に、
幽霊になってCさんに姿を見せたのか? もちろん犬の正確な死亡時刻はわかりませんので、
どうとでも解釈できてしまうんですね。
さらに、朝から愛犬のことを心配し、気にかけていたCさんが幻覚を見ただけ、
という可能性もあります。霊などは信じない、という方なら、
この最後の解釈をされるんだろうと思います。ということで、虫の知らせ系と呼ばれる話は、
どう考えればいいのかよくわからないケースがとても多いんです。
みなさんはどのように考えられますでしょうか?








古代はわからない

2018.02.19 (Mon)
福岡県糸島市教委は1日、同市の三雲・井原遺跡で、弥生時代後期(1~2世紀)
とみられる硯の破片が出土した、と発表した。同遺跡は「魏志倭人伝」
に登場する「伊都(いと)国」の中枢遺跡。
外交上の文書のやりとりを実施したとする記述があり、同市教委は、
「文字を書くために使った」とした。

これまでは国内での文字使用は3世紀ごろともされてきた。
今回の発見は日本における文字文化の始まりを考える上で貴重な成果といえる。
弥生時代の硯が確認されたのは今回で2例目。田和山遺跡(島根県)
で出土していたが、権威の象徴とみなされていた。
現地説明会は3月5日午後2時。
(毎日新聞)

このお題でいきますが、今回は伊都国の話はしません。じゃ何の話かというと、
弥生時代における硯の出土は、これが日本で2例目なんですが、
1例目は、引用にあるとおり島根県の「田和山遺跡」というところで出ています。
この田和山遺跡については、前に祟りの話と関連して書いていますので、
興味のある方は関連記事を参照して下さい。  関連記事 『心霊スポットその三』



さて、田和山遺跡は島根県、松江市にある複合遺跡で、
縄文時代から古墳時代までの遺跡が重なっているようですが、最も特異なのは、
高さ36mの山の頂上部分が、厳重な3重の環濠に囲まれていることです。
これは出土土器から、弥生中期のものと考えられています。
実年代だと、前2世紀~1世紀頃ですかね。

下の画像を見て下さい。周囲の家などと比べても、けして広い面積ではないですよね。
いったいここに何があったんでしょうか?今回はそれを考えてみたいと思います。
まず、田和山遺跡の出土品は、弥生土器、石鏃、磨製石剣、石包丁、石斧、
多数のつぶて石、硯の破片などです。朝鮮半島系の土器もあるようです。



この磨製石剣は実用的なものではなく、儀式用と考えられています。
また、つぶて石はかなりの大きさがあります。
弥生時代の戦闘においては、投石は一般的な攻撃手段でしたが、
この石は投げるには大きく、葺石だったのではないかという説もあります。
ただ、上から下に投げ落とすため、大きくても問題ないとする意見もあります。



環濠に囲まれた頂上部には、人が住む竪穴住居跡はなく、そのかわりに
9本、5本とまとまった柱跡が見つかっています。このことから、
神殿状の建物があったのではないかとも考えられていますが、
上部の構造はわからないので、柱だけが立っていた可能性もあります。
また、竪穴式住居は環濠の外に20棟ほど見つかりました。

① 逃げ城説・・・敵の襲撃があったときに立てこもって闘うための場所。
だとすれば、つぶて石があるのはうなずけますが、
なぜ住居ごと環濠で囲まないのかわかりません。
それに、山頂部は逃げ城にしては狭い気がします。
また、柱跡がどうして必要だったのかも謎になってしまいますね。

② 見張り台・のろし台説・・・たしかに見晴らしはよく、
他に高さのある山もないので、宍道湖まで望むことができます。
ですが、そうすると環濠がある意味がよくわからなくなってしまいます。
たかが見張り台を、そうまでして守る必要があるのか。

③ 食料倉庫説・・・収穫した作物、あるいは種籾などを保管して
守っていたという説。しかし、わざわざ収穫した物を低いとはいえ山頂部まで
運び込むのは手間であるような気もします。ただ、他の地域でも、
住居のない食料貯蔵穴だけが環濠で守られていた例はあります。

④ 産屋説・・・妊娠した女性がそこで出産をしたという説。
これも前に書きましたが、『古事記』『日本書紀』に、
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」という、
日本最古とされる歌があり、スサノオノミコトが詠んだとされます。
新婚の妻の、おそらく出産を守るためにたくさんの垣根で囲んだという意味ですが、
このことを踏まえ、産屋だったのではないかという説があります。

⑤ 模擬戦闘施設・・・何らかの儀式的な模擬戦闘を行う施設だったのではないか
という説です。磨製石剣が出ているし、つぶて石のこともあるので、
その可能性は否定できないですね。石斧は戦闘指揮用かもしれません。
それにしては大がかりな気もします。うーん。

⑥ 神殿説・・・神の宿る神聖な場所だったとする説です。
後の出雲大社につながる神殿状建物があった。神が降りる依代としての柱が立っていた、
硯破片が出ているように、大陸から渡った宝器、銅鐸などをしまっていたとする説。
これらをひっくるめて神殿説としました。

さてさて、まだ他にも考えられる説はあると思います。
じゃあこれ、お前はどう考えるのか、と聞かれると困ってしまいます。
ありきたりですが、あえて言えば⑥の神殿説でしょうか。
このように、古代ってよくわからないんですね。特に宗教がからむと難しい。
地域ごとの特性もありますし、新たな遺跡が見つかるたびに、
困惑するばかりという現状なんです。







おとろしと八幡神社

2018.02.18 (Sun)
今回は妖怪談義です。このカテゴリでは、比較的わかりやすいものから
書いてきましたので、だんだん難しくなっていきます。取り上げるのは「おとろし」。
これも詞書がないので、どれだけのことが言えるか自信ないです。
まず、石燕の絵を見てみましょう。



鳥居の上に毛むくじゃらの怖ろしい顔の化物がいて、鳥を咥えています。
この鳥はおそらく鳩ではないかと思われます。日本にはたくさんの神様がいて、
それぞれ「眷属 けんぞく」と呼ばれるお使いの動物を持っています。
例えば、稲荷神社の狐は有名ですね。その他、出雲大社なら蛇、
(同じ大国主命を祀る大神神社も蛇です)日吉神社なら猿、春日大社は鹿、
三峯神社が狼。では鳩を眷属とするのは何かというと、八幡系の神社なんですね。

八幡神社の祭神は八幡神(やはたのかみ)で、特に武士階級に信仰された武神です。
一般的には応神天皇と同一視されています。応神天皇は第15代天皇で、
名前は誉田別命(ほんだわけのみこと)。神功皇后が妊娠をこらえて
三韓征伐におもむいた後、九州で生まれたことになっています。

ですから「胎中天皇」という別名も持っているんですね。
後に、八幡神は仏教と習合されて八幡大菩薩になりました。
八幡神社は全国で最も数が多く、約8000社あって、
大分県宇佐市の宇佐神宮が総本社です。

では、石燕の絵に出てくるのは八幡神社なんでしょうか?
鳩の他にヒントがあります。それは鳥居の形です。鳥居には大きく分けて、
神明系と明神系があり、シンプルな形のものが神明系、代表は伊勢神宮。
八幡神社は明神系で、その中でも特徴的な八幡鳥居と呼ばれるものです。(下図)

鳥居の種類
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石燕の絵の鳥居は、笠木(一番上の黒い部分)の端が斜めに切られていて
反りがないので、八幡鳥居と見てもよさそうですね。
ということで、この「おとろし」は何か八幡神社と関係があるんでしょう。
ここまでは多くの妖怪研究者がたどり着いています。
じゃあ、どういう関係があるのと聞かれると、これがわからない。
悔しいですが、どうにもならないので別方面から考えてみましょう。

「おとろし」という名前に何かヒントはないか。石燕の絵には「形容詞系」の妖怪
というのがあると考えています。例えば、「狐者異 こわい」。これはもちろん
「怖い」から来ているものでしょう。また「否哉 いやや」は、
現代の「嫌だ」という形容動詞なんだと思います。

「狐者異 こわい」と「否哉 いやや」
名称未設定 1

では、「おとろし」は「怖ろしい」かというと、そうでもないようなんですね。
というのは、喜多村信節が書いた江戸時代の随筆『嬉遊笑覧』
に引かれている化物絵に、「おとろん」という妖怪が出てきており、
これを石燕が参考にした際に、「ん」を読み間違えて「し」にしてしまったという説。

それから、 佐脇嵩之という妖怪絵師の本に出てくる「おどろおどろ」が、
「おどろ~」とくり返しの記号で書かれていたため、やはり石燕が間違え、
「おとろし」にしてしまったという説があるんです。
ということで、「おとろし」は元は「おとろん」または「おどろおどろ」
かもしれないんですね。困りました。

『化物づくし』(作者不詳)から「おどろおどろ」


ただ、ヒントになりそうなことはまだあります。佐脇嵩之の『百怪図巻』、
石燕の『画図百鬼夜行』のどちらも、「おとろし」は、
「わいら」という妖怪と並べて描かれているんです。
佐脇も石燕も、この2体の妖怪をセットとして考えていたようです。
妖怪研究家の多田克己氏は、「わいら」が「怖い」、「おとろし」が「怖ろしい」で、
一対になると述べており、これは、おそらくそうなんだろうと思いますね。

「わいら」


また、「おとろし」に関する民間伝承は一切ないんですが、水木しげる御大は
「不信心者が通りかかると、鳥居の上からおとろしが落ちてくる」と述べていて、
それからすると落下系の妖怪なのかもしれません。
落下系の妖怪には「薬缶吊る」や「釣瓶落とし」などがあります。

山岡元隣著・山岡元恕編『古今百物語評判』より「釣瓶落とし」


さてさて、ここまでのことをまとめますと、
「おとろし」とは、なぜか八幡系の神社の鳥居の上にいて、不信心者が通りかかると、
上から落ちてきておどかす、怖しい毛むくじゃらの妖怪ということになります。
元の名前は「おとろん」あるいは「おどろおどろ」かもしれない。
わけわからなくてすみませんが、現状ではこれが限界ですね。









そいつの後をつける話

2018.02.17 (Sat)
主婦をしております。よろしくお願いします。
ここ半年くらいの話なんです、うちの町内。私が住んでいるのは、
丘を切り開いてできた新興住宅地で、桜ヶ丘団地って言うんです。
一昨年に分譲が終わりましたので、建っている家はみな新しいものばかりです。
そうですね、住人は40代くらいの方が多いんじゃないかと思います。
子どもが小学生になったとか、2人目の子どもができたとかをきっかけに、
賃貸から1軒家を建てたっていう。ですから、みなさんのほとんどが
ローンをかかえていらっしゃるんです。もちろん、うちもそうです。
職業はざまざまですけど、公務員、公社公団なんかの方が多い感じですね。
そうですねえ、こんなご時世ですから、主婦をされている奥さんは
全体の3分の1くらいでしょうか。

それで、不気味なことは、うちの右隣の吉村さんの家から始まったんです。
ある日の朝です。私は朝食を作る前に家の門の前を掃くことにしてるんですが、
吉村さんの家の前に子どもがいたんです。男の子で、小学校低学年に見えました。
それが、何とも気味の悪い子どもで。着ているものは白い和服だったんです。
それも浴衣よりもまだ薄いような。もう11月でしょう。ですから、第一印象はまず、
寒そうだなってことでした。それと、その子が坊主頭だったせいもあって、
ますますそう感じたのかもしれません。あとですね、肌が白かったんです。
着ている着物と同じような白さでした。うーん・・・蝋人形みたいと言えばいいですか。
それで、その子は吉村さん家の鉄製の門に手をかけて揺らしてたんですが、
ふっと姿が消えたんです。目を疑いました。「え、え?」と思っていると、
その子が吉村さんの庭に現れて・・・ええ、間の塀は低いので、

ある程度中の様子が見えるんです。その子はトントンと足踏みでもするように、
吉田さんの家の玄関の前までくると、そこでまた姿が消えちゃったんです。
思わず目をこすってしまいました。今の子はいったい何だろう?
吉村さんのご主人は30代前半で、この団地の中ではお若いほうです。
奥さんはまだ20代、3歳の女の子のお子さんが一人いて、
そのとき奥さんが2人目を妊娠していたんです。ですから、
その着物の子が吉村さんの家族ということはありませんし、
もちろん急に消えたのも不思議だし・・・でも、このことはすぐに忘れちゃったんです。
それから1ヶ月ほどした夜のことでした。救急車の音が響いて・・・
まだうちでは起きてテレビを見てましたので、外に出てみました。
野次馬みたいで恥ずかしいんですが、団地に救急車が来るのって珍しいんです。

主人と一緒に玄関を出ると、救急車は吉村さんの家の前に停まってて、
救急隊員が家の中に入っていくところだったんです。ご主人がドアを開けてました。
それで、担架で運び出されてきたのは身重の奥さんです。
頭から血を流していたし、妊娠はまだ6ヶ月でしたから、
何か事故があったのだろうと思いました。で、側についていたご主人が私たちを見つけ、
「妻が階段から落ちたんです。すみませんが、この子をちょっと頼めませんか」
って言われまして。ええ、3歳のお子さんです。もちろんそれはお引き受けしました。
うちの子は2歳の男児ですが、いつもよく遊んでいただいていたんです。
それで、走り去る救急車を見送ったとき、吉村さんの門の前に、
前に見た男の子がいたんです。同じ白い着物でしたが、頭の毛が前より伸びている
ように思いました。その子は満面に笑みを浮かべていて、

舌を伸ばしてベロンと鼻の頭を舐め、そして消えたんです。
そのときに、「ああ、この子は前に見たことがある」って思い出しました。
それで、吉村さんの奥さんですが、翌日の朝方に病院で亡くなったんです。
脳出血ということでした。私どもの携帯にご主人から連絡があったんです。
階段から転落して頭を打ったのが原因、お腹の子どもも助からなかったんです。
ええ、ご主人の落ち込みようは、ほんとに気の毒でした。
離れたところにいるご主人のご両親がすぐに来られましたけど、
葬儀一式が済むまでの間、また何度かお子さんをお預かりもしたんです。
その3歳の子に聞いてみたんですよ。「あなたのおうちに、
 白い着物を着たお兄ちゃんいない?」って。そしたら考え込んでいましたが、
急に泣きそうな顔になって「お化けがお母さんを階段から落とした」って言ったんです。

「お化け!?」でも、それ以上はいくら聞いても泣き続けるばかりで・・・
もちろんお葬式には参列しましたし、わが家でもできるだけのことはさせていただきました。
他人事とは思えませんでしたから。それからまた1ヶ月くらいして、
また吉村さんの家に救急車が来ました。これは早朝です。
ええ、亡くなったのは3歳の女の子、睡眠中の突然死でした。
朝になったら息をしていない・・・ それで、その救急車が出るときに、また見たんです。
白い着物の男の子です。ただ、最初に見たときは6歳くらいだったのが、
小学校の高学年ほどに見えましたし、髪がすっかり伸びてボサボサ頭になってました。
でも、真っ白い顔色は変わらなかったので、同じ子だと思ったんです。
前と同じです。嬉しくてたまらないという顔で、舌なめずりをしてから消えました。
このことはうちの主人にも話したんですが、首をかしげられただけでした。

吉村さんのご主人の憔悴はたいへんなものでした。そうですよね。
わずか2ヶ月で家族3人を亡くされてしまったんですから。
仕事をお辞めになって1ヶ月ほど引き込もった末に、郷里に帰るってうちにご挨拶に
来られたんです。私も主人も、なぐさめの言葉もなかなか出てきませんでした。
それで、家のほうは売られたということで、空き家になりましたが、
また見ちゃったんです。夕方、買い物の帰りに、男の子が吉村さんの家の前にいるのを。
いえ、男の子という言葉はふさわしくないかもしれません。
白い着物は同じでも、すっかり背が伸びて高校生くらいに見えました。
でも、同一人物であることはわかったんです。その子・・・そいつは、
一言「ハラ減ったああ」とつぶやくと、道に出て歩き出しました。
それで・・・私はその後をつけたんですよ。

今になって考えれば、よくあんな勇気が出たなあと思いますが、
まだ暗くはなっていませんでしたし、道には人通りもありましたから。
何かあっても助けは呼べるだろうって考えて・・・ええ、そいつが何なのか、
わかるものなら確かめたかったし、あんなことになった吉村さん一家の敵を取りたい、
そんな気もあったんです。え?どうして吉村さんの家族が亡くなったのがその子のせいだと
思ったかって?それは、だって・・・とにかく、かなりの間をおいてついていったんです。
そいつはフラフラとした歩き方で、ときどき止まって電柱にもたれたりして
具合がよくなさそうでした。団地の中の通りを1kmほど歩いて、
その間に、そいつはどんどん小さくなっていったんです。
背が縮んだんですよ。ありえないと思うでしょうが、これも間違いないです。
高校生から中学生、小学校高学年、最初に見た小学校低学年・・・

ええ、ずっとよろよろした足取りでした。そして児童公園の前に来たんです。
その児童公園は、団地といっしょにできたので、まだ新しいんです。
遊具がいくつかあり、私も子どもを連れて何度か来たことがあります。
その奥のほうに古い石碑があるんです。これは団地造成の際に見つかったもので、
高さ1mほどの苔むした碑なんですけど、撤去もできずまわりを柵で囲んで、
公園内に残されていたんです。小さくなったそいつは公園内の芝生に入っていき、
私はそこで立ち止まったんです。私が公園の中に入ると気づかれると思ったんです。
その頃には、あたりがかなり暗くなっていました。
そいつは奥の石碑の前までくると、くるっと振り向いて私のほうを見ました。
それまで1度も後ろを見てないのに、そこに私がいるのがわかってたみたいに。
そしてこう言ったんです。「お前の家にも来てほしいか」

・・・子どもの声じゃなかったです、しわがれた年寄りのような声で。
私は驚きのあまり体が硬直してしまったんですが、気がついたら叫んでいたんです。
「嫌です。来ないで下さい。やめてください!!!」って。
ええ、絶叫に近かったと思います。するとそいつは、
「そうか、じゃあ後回しにしてやる」そう言うと、また前を向き、
よろよろと崩れるように、石碑の柵の中に倒れ込んで・・・
消えたんです。私は背筋がゾクゾクし、一目散に走って逃げました。
家の前まできたときには、息が切れて倒れそうだったんです。家に入ると、
早番で帰っていた主人と娘が出てきたので、抱きついて泣きじゃくりました。
もちろん、あった出来事を話したんですが、主人が信じたかはわかりません。
公園の石碑は文字も彫られておらず、何だったか近所の人は誰も知らないみたいです。










ヴォイニッチ手稿って何?2

2018.02.16 (Fri)
ヴォイニッチ手稿


前回の続きで、「ヴォイニッチ手稿 Voynich Manuscript」についてです。
ここでは、ヴォイニッチ手稿が世に現れた歴史をたどってみましょう。
最初の確実な所有者は、プラハの錬金術師ゲオルク・バレシュ。
彼が1693年に、修道士アタナシウス・キルヒャーにあてた書簡が、
この手稿に言及する最古の資料のようです。

バレシュの死後、手稿は友人の医学者ヤン・マレク・マルチの手に渡り、
数年後、手稿は彼の長年の友人であるキルヒャーに送られました。
手稿のカバーの中から発見された、1665年ないし1666年の、
マルチがキルヒャーにあてた書簡は、この手稿がかつてルドルフ2世に、
600ドゥカートで購入されたという逸話を紹介しています。
この書簡はヴォイニッチがこの手稿を入手したときにも付属していました。

キーになる人物が出てきました。この手稿を買ったとされるルドルフ2世です。
ルドルフ2世(1552~1612)は、神聖ローマ帝国の皇帝です。
また、彼が手稿を購入した600ドゥカートは、
現在の価値では1億円前後の高額です。

ルドルフ2世は、政治的手腕に対する評価は低いものの、教養に富み、
学問や芸術を手厚く保護しました。彼の宮廷は一種のサロンのようになり、
多くの文人、占星術師、錬金術師、画家などが出入りしていたんです。
例えば、画家のディントレット、ハンス・フォン・アーヘン、
天文学者のヨハネス・ケプラー、植物学者のド・レクリューズなどです。
当時のローマ帝国の首都であったプラハは、文化的にたいへん繁栄したんですね。

さて、ヴォイニッチ手稿の作者について、イギリスの学者、思想家である
ロジャー・ベーコン説がありますが、自分はこれはないと思います。
ロジャー・ベーコンが活躍したのは13世紀のことであり、前回書いたように、
ヴォイニッチ手稿の羊皮紙は、科学的年代測定で15世紀のものとされています。

ですから、ベーコンが直接書いたというのはありえません。
また、筆写をくり返して伝わったというのも考えにくいと思います。
特に挿絵の部分ですね。筆写であのように生き生きしたものが描けるでしょうか。
ロジャー・ベーコンは非常な博識であったため、ヴォイニッチ手稿の作者として
権威づけのために擬されただけじゃないかと考えます。

さて、では、作者は誰か?これは、前述のルドルフ2世に関連した人物、
ルドルフ2世の王宮サロンにいた人物が疑われます。ルドルフ2世に
高額で買わせるために、ヴォイニッチ手稿をでっちあげたというわけです。
ここで名前があげられるのが、錬金術師、エドワード・ケリーです。

エドワード・ケリーとジョン・ディー
名称未設定 3

エドワード・ケリーはご存知でしょうか。日本では、パラケルススほど
有名ではありませんが、16世紀頃の代表的な錬金術師の一人です。
ただし、イメージはよくありません。西洋で、錬金術師=イカサマ師という
図式ができあがったのは、ケリーのせいだとまで言われているんです。

ケリーはルドルフ2世に取り入って、たくさんの報酬を引き出し、
裕福な暮らしをしましたが、最終的に金を作り出すことはできず、
最後はルドルフ2世の怒りを買って投獄され、獄死したと考えられています。
その過程で、ヴォイニッチ手稿を捏造したというわけです。

また、ケリーの仲間の錬金術師の一人にジョン・ディーという人がいて、
これもオカルト的にはたいへん重要な人物です。どちらかというと
魔法的な研究が得意で、天使と会話することができるエノク語を創造したり、
水晶球を用いた占いの技術を開発したりして、近代の魔術界に大きな影響を
与えました。秘密結社「黄金の夜明け団」では、ディーの「エノク魔術体系」
は聖典の一つとされているんですね。

と、このあたりのことを書いていくときりがないので、少し端折ります。
エドワード・ケリーは、ライバルの錬金術師であったジョン・ディーを
かついで買い取らせるためにヴォイニッチ手稿をつくり出したという
説もあるんです。まあ、そうなのかもしれません。十分考えられると思います。

ですが、それだとあまり面白くないので、最後に新説を述べて終わりにします。
(面白説なので、あまり本気に受け取らないでください。)
ルドルフ2世のサロンの画家の一人に、ジュゼッペ・アルチンボルドがいます。
この人物はご存じの方も多いんじゃないかと思います。

果物、野菜、動植物、本などを寄せ集めた、珍奇な肖像画で知られていますが、
まともな宗教画もたくさん書いています。アルチンボルドがなぜ、
奇妙な絵を描いたのか。精神異常によるという説もありますが、
たんに才能を誇示しただけかもしれず、はっきりとわかってはいません。

これだけでなく、アルチンボルドは水力を使った仕掛けをこしらえたり、
楽器を発明したりするなど、レオナルド・ダ・ヴィンチを小型にしたような、
マルチ人間でした。これは当時の知識人としては珍しいことではなく、
もちろん、錬金術にも深い関心を持っていました。

さてさて、このジュゼッペ・アルチンボルドが、
ヴォイニッチ手稿の作者というのはどうでしょう。
年代は生没年が1526年~1593年で合います。また、書いた動機は、
もちろんルドルフ2世から金を引き出すためです。あとは絵が合うかどうか?

アルチンボルドの絵はたいへん精密で、それに対してヴォイニッチ手稿は、
軽くスラスラ書かれたような感じではありますが、どうでしょう?
ということで、下にアルチンボルドの作品をあげておきますので、
みなさん各自で比較してみていただけたらと思います。

関連記事 『ヴォイニッチ手稿って何?1』

アルチンボルドの描いたルドルフ2世の肖像画


アルチンボルドの描いた女性、版画
名称未設定 3






ヴォイニッチ手稿って何?1

2018.02.16 (Fri)
長年にわたり暗号解読家たちを悩ませてきた「ヴォイニッチ手稿」。
何語で書かれているかすら分からない約600年前の謎の本に、
カナダの研究者2人がAI(人工知能)を使って挑戦し、
解読方法を発見したと主張している。その論文が掲載されたのは、
学術誌「Transactions of the Association ofComputational Linguistics」。
だが、手稿の内容はまだ謎に包まれており、他の研究者たちは懐疑的だ。

(ナショナル・ジオグラフィック)



今回はこのお題でいきます。ただ、「ヴォイニッチ手稿 Voynich Manuscript」
については、ネット上にたくさんのまとめがあり、
そちらに詳しいことが書かれていますので、
自分としては、最後のほうで、いちおう新説を提示したいと思っています。

まず、ヴォイニッチ手稿とは、1912年にイタリアで発見された手書きの古文書で、
未解読の文字が記され、多数の奇妙な絵が描かれていることが特徴です。
現存する分で約240ページの羊皮紙でできており、本には綴じ直しされた
跡があるため、ページは最初に書かれた順序どおりでない可能性があります。

発見者は、ポーランド系アメリカ人の古物商、古書収集家のウィルフリッド・
ヴォイニッチで、彼の名を取ってヴォイニッチ手稿と言われてるんですね。
発見場所はイタリアのモンドラゴーネ寺院で、現在は、
アメリカ・イェール大学の図書館が所蔵しています。

書かれた時期はいつなのか?2011年にアリゾナ大学で行われた
放射性炭素年代測定では、手稿に使用されている羊皮紙は、
1404年~1438年頃に作られたという結果でした。
ただ、これはあくまで羊皮紙が作られた年代で、
書かれたのはもっと後代である可能性もあります。そういう例は珍しくはありません。

また、羊皮紙は上質のものであり、財力のある人物でないと
買えなかったのではないかという指摘もあります。インクは多色が使われ、
現在も色鮮やかですが、おそらく鉱物性のものと思われ、
こちらの放射性炭素年代測定は難しいようです。

内容は、特殊な文字によって何かの詳細な説明らしき文章が多数並んでおり、
ページの上部や左右にはかなり緻密な植物や花を思わせる彩色画が描かれていて、
植物の絵が多いが、それ以外にも、銀河や星雲などの天体図に見える絵や、
精子のように見える絵、複雑な給水配管のような絵、
プールや浴槽に浸かった女性の絵などの不可解な挿絵が多数描かれています。

ただし、天体図は一見して、占星術のゾディアックのようでもありますが、
占星術師である自分が見るかぎり、正確でもなければ、意味があるとも思えません。
また、植物の図も、ほとんどが実在しない、架空のものではないかという見解が、
植物学者から出されています。



この文字については、言語学の統計的手法で解析した結果、
でたらめな文字列ではないだろうという結果が出ています。しかし、
手書きであることもあり、何文字が使われているかさえも諸説がある現状です。
いちお3つほどの考え方があります。
① 未知の言語である。 ② 暗号によって書かれている。 
③ 文字の配列に何らかの規則性はあるが、内容はデタラメである。

ヴォイニッチ手稿の文字


①の可能性は少ないと思われます。特殊な地域の言語、古代言語などであるとして、
これだけが見つかるというケースはまずありえないと考えます。
②は、多くの暗号解読の専門家がヴォイニッチ手稿に挑んだものの、
手がかりすらつかめていないんですね。
その中には、第二次大戦中にドイツのエニグマ暗号を解読した天才、
アラン・チューリングも含まれます。

また、コンピュータによる解析も行われましたが、
これもはかばかしい結果ではありませんでした。上記の引用の研究も、
自分から言わせれば、かなり怪しいものです。ナショナル・ジオグラフィックの
記事のリンクを貼っておきますので、みなさんも判断してみてください。
「謎のボイニッチ手稿にAI、解読方法が判明?」

ということで、自分は③じゃないかと考えています。内容はデタラメであるものの、
文字の配列には何らかの方法で規則性を持たせた。
現代の暗号学はたいへん進歩していて、量子暗号などといったものまで登場しています。
ですから、15~16世紀に作られた暗号が解けないということはないと
思うんですね。解けないのは、それに意味が含まれていないせいだと考えます。
長くなってきたので、いったんここで切って、次ではその作者に迫ってみます。

関連記事 『ヴォイニッチ手稿って何?2』

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燈台鬼と人体改造

2018.02.15 (Thu)
今回は妖怪談義とします。ただ、これ、妖怪と言えるかどうかはかなり疑問です。
外見は妖怪のようですが、元来は生きた人間ですし、
ひじょうに中国的な話なんですね。



「軽大臣 遣唐使たりし時 唐人大臣に唖になる薬をのませ 身を彩り
頭に燈台をいただかしめるを 燈台鬼と名づく その子弼宰相入唐して父をたづぬ
燈台鬼涙をながし 指をかみ切り 血を以て詩を書して曰 
我元日本華京客 汝是一家同姓人 為子為爺前世契 隔山隔海変生辛
経年流涙蓬蒿宿 逐日馳思蘭菊親 形破他郷作灯鬼 争皈旧里寄斯身」


いちおう訳してみますと、
「軽(かる)の大臣が遣唐使だった時、唐人が大臣に声の出なくなる薬を飲ませ、
全身に刺青をし、頭に燭台を乗せて燈台鬼と名づけた。
その子の弼(ひつ)の宰相が、後に入唐して父の行方を探した。
(そのうちに燈台鬼と化した父と出会い)燈台鬼は涙を流し、
指をかみ切って、血でこのような詩を書いた。

私は元は日本から来た。あなたと同じ姓を持つ家族だ。子と父の前世からの契があり、
それは海山を隔てても変わらない。長年粗末な家に住んで涙を流し、
日本の家に住む親を思う。姿は怖ろしい燈台鬼になったが、
なんとか故郷に身を寄せたい。」この漢文の部分は難しいので意訳にしました。

さて、この話は『平家物語』、『源平盛衰記』、『和漢三才図会』などに出てくる
「燈台鬼伝説」と呼べるもので、実際にあったことかどうかはわかりません。
遣唐使の一覧も参照してみたんですが、軽の大臣、弼の宰相にあたる人物は
見つからなかったです。おそらく、作られた話だろうとは思うんですが、
できた背後には、中国特有の人体改造の思想があるんじゃないかと思います。

伝説では、燈台鬼は息子に再会し、弼の宰相は父の燈台鬼とともに
帰国の船に乗るが、嵐にあって難破し、
燈台鬼は日本の地を踏むことはできたものの、
家に帰り着くことなく息絶えてしまう・・・という結末になっています。

それにしても怖い話ですよね。日本から唐に文化を学びに行った使節が、
だまされて喉がつぶれる薬を飲まされ、全身に刺青されて、
頭の上に燭台を乗せて立ち続ける「燈台鬼」にされてしまうんですから。
この伝説をもとに、小説家の南條範夫氏が書いたのが『燈台鬼』で、
第35回の直木賞を受賞しています。この小説では、燈台鬼父子が、
実在の遣唐使の小野石根・小野道麻呂父子に置き換えられていますね。
 
さて、中国の人体改造といえば、まず思いつくのが宦官、それから纏足ですか。
宦官は去勢を施された官吏という意味で、中国では古代から存在し、
政治に大きな影響を与えました。宦官は性的に中性なので、
安心して皇帝の近辺や後宮に置くことができたためですが、
権勢欲の強い宦官によって政治が乱れ、中国歴代王朝の中で後漢・唐・明などは
宦官のために滅びたとまで言う人もいます。

宦官になることは、一般の庶民が宮廷内で栄達を極める近道であったため、
強制的に宦官にされる者より、自ら進んで宦官になる者のほうが
多かったようです。(自分から性器を切断することを「自宮」と言います)
明代には約10万人の宦官がいたと推定されています。
去勢した場合、出血多量や細菌感染で約3割は死んだと言われますが、
それもなかなかすごい話ですよねえ。

ちなみに、宦官になるために切断した自分の性器は「宝」と言われ、
大切に保管され、仕官の際にはそれを見せて証拠とする必要がありました。
また、宦官が死んだときには、「宝」もいっしょに墓に葬られ、
それがなかった場合はロバに生まれ変わると言われていたそうです。

纏足は、幼児期より足に布を巻かせ、足が大きくならないようにするという、
かつて中国で女性に対して行われていた風習で、かなり近代まで残っていました。
魯迅が日本で1921年に発表した『故郷』には、纏足した女性が登場しています。
纏足ができた理由は、小さい足の女性の方が美しいと考えられたからですが、
うまく走れないため、女性が逃げ出さないようにする意味もあったと思われます。

また、中国では「盲妹 まんめい」と呼ばれる、
ごく幼い頃に、人為的に視力を奪われた盲目の娼婦もいました。これは、
やはり逃げられないようにするためと、目が見えないことで集中力が増すため、
踊りや音楽などの芸が上達するといった目的もあったようです。

さらに、中国の古典を読めば、宮廷には人間椅子(体に装飾を施され、
高官が外に出た場合などに、いつどこででも椅子になることができる奴隷)や、
軽業や火を吐いたり剣を呑んだりする小人や障害者の道化師などもいたようです。
まあそんな具合で、人体改造に関する意識がかなり日本とは違っていて、
それが燈台鬼伝説の元になっているんじゃないかと思うんです。

さてさて、少し前に、中国で行われた死体の頭部移植の話を書きましたが、
それが行われた背景には、人権に対する感覚が特異で、
倫理観も他国とは違っているせいもあるんだろうと自分は考えています。
中国では、死刑囚から臓器を取り出して移植に回しているという話がありますが、
どうやら事実のようです。臓器ドナーのうち90%が死刑囚であるとも言われます。
燈台鬼から少し話がそれてしまいましたが、お隣の国はなかなか怖いところですよ。

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村の禁域の話

2018.02.14 (Wed)
これ、俺が子どもの頃に住んでた田舎の村の話なんだよ。
うーん、場所は言わないほうがいいよな。過疎ったとはいえ、
まだ人が住んでるんだし。そこはな、絵に描いたような盆地なんだ。
周囲をぐるっと、数百mばかりの低い山に囲まれた土地。
だから、他の集落に行くのがすごい不便だった。どの方角へ行くにも必ず山越えになる。
それと、そんな地形のせいで鉄道も通らなかったんだよ。
盆地の中そのものは真っ平らで小さな丘もなし。だから他の集落の人間からは、
「なべ底」って呼ばれててね。なんか馬鹿にしたような響きだったのを覚えてる。
でな、盆地の中の人間が何で食ってたかっていうと、昔は養蚕だったんだ。
そう、カイコの繭から絹糸をとる仕事。だからね、桑畑があちこちにあった。
でもね、養蚕なんて今、日本じゃ職業として成り立たないだろ。

うちの田舎のカイコからは、特別にいい糸がとれるって評判だったんだが、
一人やめ、二人やめしていって、すっかり過疎地になってしまった。
今は、あの広い土地に数十人の年寄りしか住んじゃいないよ。
え、平らな土地があるなら何で米を作らなかったって?
ああ、それがな、土地に鉄分が多いんだよ。あと、何って言ったかな?
ああそうだ、確かイリジウムって珍しい金属も多く検出されるって話も聞いたことがある。
そんなだから、作物はほとんどできなくて、桑ノ木ぐらいしか生えなかった。
でな、この土のことで、ちょっと怖い話があるんだ。
戦前、もちろん俺が生まれるずっと以前のことだけど、
帝国大学の先生方が4人、そこの土壌を調べに来たらしいんだ。
そんな偉い人が村に来るのは初めてだったんで、4人は村長の家に泊められてね。

そこを拠点にして、毎日調査に出かけてたんだが、2人が血を吐いて死んだんだよ。
体中に赤いぼつぼつができて、高熱で3日ほどのたうち回って死んだ。
医者の診断は発疹チフスだったらしい。でも、村人で感染した人はいなかったんだ。
でな、もっと怖いのは、その2人が熱で苦しんでいる最中、
残りの2人が野犬に襲われて、これも死んでしまったってことなんだ。
盆地の外れの山のふもとで朝になって遺体が見つかったが、
2人とも顔面を食われててね、駐在も最初は、どっちがどっちの人だか
見分けがつかなかったらしい。そんなことで、調査団が来てから1週間もしないうちに、
全員が死んでしまったんだよ。それ以来、調査が入ったという話は聞いてない。
でな、ほぼ円形になった盆地の中央に、古い神社があるんだ。
正式な名前はいまもってわからんが、村の者は「おきだり様」って呼んでた。

小さな神社なんだが、その後ろに、かなり広い神域の森があるんだ。
これも円形に木が生えててな。でな、昔、役所が地図を作るための航空写真を
撮ったことがあったんだよ。できた白黒の写真は、長い間役場の廊下に飾られてたが、
これ、見ると笑っちゃうんだよ。目玉そのものだったからな。
丸い盆地の真ん中に、丸い森。ほら、漫画に出てくる鬼太郎の親父そのものだよな。
それで、年に1度、そこの神社のお祭りがあった。
これが、3月の雪解けのころにやるんだよ、珍しいだろ。
ふつう神社のお祭っていえば、新年にやるか、秋の収穫祭の時期にやるかだろ。
近隣の村祭りともかなり時期がずれてたんだよ。
で、どんな祭りかっていうと、昼は特別なことはしない。
ただ、大人はみんな仕事を休んで、学校もその日は臨時休校になった。

それで、各家にある神棚にお灯明をあげて日中は静かに過ごす。
祭りの本番は夜なんだよ。それも深夜。あと、誰でも参加できるわけじゃない。
その年に数えの13歳になった男の子どもだけなんだ。
それも、よそ者っていうか、他の町から来てる郵便局員とかの息子は除外されてて、
村に古くから住んでる、しかもカイコを飼ってる家の子だけが
参加することになってた。ああ、俺も参加したんだよ。
前置きが長くなってしまったが、これからそんときの話をする。
その年に集められた男の子は7人だったな。まず全員が夜の6時くらいに
親と一緒に神社に行く。神社の横にはテントが立ってて、
そこで白装束に着替えさせられるんだよ。神主が着てるのにも似てるが
ちょっと違う。背中にふた手に分かれた布がついてて、歩くたびにひらひらした。

でな、その装束だと寒いんだよ。まだ3月中だし。大人はそれを知ってて、
俺らはお神酒を飲まされたんだ。といっても日本酒じゃない。
甘い酒だったよ。ハチミツか何かから作ったようなトロリとした酒。
それを飲むとカーッと体が熱くなって、寒さを感じなくなったんだ。
これは祭りが終わるまでそうだったな。で、7人の子どもが列になり、
村の主だった大人、村長や村会議員なんかと一緒に神社のほうへと参道を進んでいく。
親はついては来られない。けど、ほとんどの男親は自分が子どもの頃に、
この祭りに参加してるはずだから、何をやるのかは当然知ってるわけだ。
でな、神社の前方には、こんな田舎なのに小さな能舞台がしつらえてあって、
その前に座って神職たちが能を演じるのを見るんだ。
この神職たちは臨時で、本来は村でカイコを飼ってる人たちなんだよ。

その能の内容がまた変わっててね。舞台に大きな繭があるんだよ。
カイコの繭ってことだが、2mちかい大きさがあった。でな、鼓の音に合わせて、
老人の面をつけた人が2人出てきて、斧と槌でその繭を割ろうとする。
だが、どうやっても割れない。困り果てていると、舞台の後ろから丸いものが出てくる。
これは銀色でね。棒の先につけられた直径30cmほどの球。黒子が操ってるんだ。
それが斜めに落ちるような形で繭にあたる。すると繭がぱっかりと割れるんだよ。
そういう仕掛けになってるんだろうな。で、割れた繭の中から人が出てくるんだが、
被っている面が異様でね。まず目がトンボみたいに大きくてツヤツヤ光ってる。
あとは鼻も口もない。着てるものは、俺らが着せられた白装束に似てるんだが、
銀色に光ってて、背中の布がもっと大きかった。その布を羽みたいになびかせて、
ひとしきり舞い踊るんだが、なんと形容していいかわからん不思議な動きだった。

で、この能が終わると社殿の前に並んで、神主が祝詞を唱えるんだ。
20分ほどだったな。この間、俺らはじっと手を合わせているだけ。
その後、大人たちはみなテントに引き上げてしまい、俺ら子ども7人が神主を先頭に、
神社の裏手の森に入っていく。雪解けの頃だから地面はビシャビシャで、
履いていた草履や装束の裾が泥だらけになったよ。その森は、ふだんは禁域なんだ。
親からは、絶対に入ってはいけないと言われてた。いや、その付近で遊ぶこともなかった。
それくらい、きつく くどく、どこの家でも戒められてたんだ。
ああ、もちろん夜だから真っ暗だったが、神主だけが松明を持ってたんだ。
でな、森のはいり口に注連縄がはってあって、あれは結界って言うんだろ。
それを神主が懐から出した小刀で切る。すると枯れ木の中に細い道が続いててね。
そこをゆっくりと進んでいくだけで、何の物音もしない。

神主の松明が燃える、ボボボボという音だけだったな。
で、20分ほど歩いて森の中央あたりに来ると、そこだけ木が生えてない場所があった。
直径10mもなかっただろうが、中央に穴があいてたんだ。地中に通じる深い穴。
石の階段がついてた。そこを神主を先頭にしてどんどんと降りていく。
この階段はけっこう長かった。そうだなあ地下で言えば3階あたりまで降りたろうか。
だんだん中が明るくなってきた。神主の松明がなくても壁の土が見えるんだ。
ぼんやりした青緑の光が満ちている地下の大きなホールに出た。
そこに、ひしゃげた金属の固まりが突き刺さってた。大きさは大型トラック以上だが、
半分ほどが土に埋もれてた。表面には象形文字のようなのがびっしり描かれてたな。
神主が立ち止まって、「ここでのことは言わざる、言わざる」と祝詞のような調子で唸り、
俺たち7人を、その金属塊の上の1ヶ所に輪になって並べた。

神主がしゃがんで下に触ると、ビーッと音がして金属の板が横にずれ、
足下に2m四方ほどの窓ができた。ガラスなんだと思ったが、それごしに、
横たわっている人物が見えたんだ。いや、人物と言ったが人間じゃない。銀色の体に大きな目、
それと蛾のような羽。能で見た仮面にそっくりだったんだよ。それはピクリとも動かず、
死んでるんだと思った。そこで神主がまた祝詞を唱え、これは養蚕に関する内容だったな。
これで終わりだ。あとは来た道を引き返すだけ。こんな祭だったんだよ。
でな、この後、俺んちは事情があって村を離れたんだが、引っ越しのときに村長がやってきて、
祭りで見たことは誰にも言うなって、くどいほど念を押された。もちろん両親からも、
事あるごとに言われてたよ。だから、本当は言っちゃいけないんだが、
金がもらえるってんでここに来て話したんだ。あ? 俺以外の6人はみな村に残ったが、
2人が白血病、3人が癌でもう亡くなってる。うん、癌で若くして死ぬ人の多い村だったんだよ。









頭部移植と魂

2018.02.13 (Tue)
アメリカの科学技術サイト「Science Alert」は、イタリア人脳神経外科医が,
「革命的手術」に成功したと伝えている。セルジオ・カナべーロ医師は、
以前から「生きてる人間の頭部を移植することは可能で、1年以内に実現できる」
と公言してはばからなかったが、昨年末、
ついにその前段階と呼ぶような遺体を使った人体頭部移植手術を敢行したのだ。

カナベーロ医師により「HEAVEN(head anastomosis venture)」
と名付けられた頭部移植法は、海外メディアを驚愕させた。
しかし、このオペには多くの神経科学者が異議を唱えている。
なにより憂慮されているのは、科学的エビデンスが十分でないにもかかわらず、
今秋には中国で、脳死したドナー同士による頭と頭のすげ替え
手術が予定されていることだ。もちろん、前例のない大事件となるだろう。

(tocana)

セルジオ・カナべーロ医師


今回のお題はこれでいきます。前もちょっとだけお伝えしましたが、
イタリア人医師による、中国での人間の頭部のすげ替え手術について、
やっと詳細がわかってきました。昨年11月に行われたのは、
完全な「遺体」、つまり死者同士によるものだったんですね。
うーん、しかしそれだと、たいして意味があることとは思えないですねえ。
遺体を使った解剖学の実習と、ほとんど変わらないんじゃないかという気がします。

たとえ血管と血管、筋肉と筋肉、皮膚と皮膚をつなげたとしても、
ただそれだけのことです。時間はかかるでしょうが、ていねいに縫い合わせていけば
いいだけの話で、問題は脊髄や神経をつなげるかどうかですよね。
それができるかどうかは、脳死者同士の手術での結果を待たなくてはなりません。

このニュースについて、世界の医学者のほとんどは否定的な意見を述べています。
もし、脊髄や神経をつなぎ合わせて、その機能を回復させることができるのなら、
頭のすげ替えよりも先に、現在多数の患者がいる頸髄損傷(首から下が麻痺など)、
脊髄損傷(下半身麻痺など)の治療に応用することができるはずです。
ところが、そういう話は出てきていません。

この、脊髄や神経をつなぐ肝心の技術について、カナべーロ医師は、
「“接着剤”の役目をするという特殊新素材を使い、切断された脊椎間の隙間を
埋めるように、軸索と神経細胞を成長させる方法を発見した」
と述べているようですが、
怪しさ爆発というしかないです。切れた神経をつなぐ方法については、
世界中の研究機関が、iPS細胞などで再生の研究を進めていても、
いまだに、なかなか進展が見られない状況なんです。

自分の予想としては、カナべーロ医師の次の「脳死者同士の頭部すげ替え」手術は、
基本的に、血管をつなぐだけ、ということになるんじゃないかと思います。
脳死者というのは、日本では「死者」とみなされますが、体は温かいです。
これは、人工心肺や人工呼吸器を用いて、強制的に心臓を動かし、
呼吸をさせ、血液を循環させているからです。

おそらく、カナべーロ医師は、頭部をすげ替えした2人の脳死者のどちらかが
この状態を維持できていれば、それで「成功」というアピールをするんだと思います。
たしかに脳死者であっても、体の組織は生体のそれと変わらないので、
頸動脈や気管、食道などをつなぐのは技術的に難しいでしょうが、
大量の輸血をしながら行えばできないことはないでしょう。
しかし、それに何の意味があるのか? 大きな疑問がある上に、
倫理的にもさまざまな問題をはらんでいると考えられます。

カナべーロ医師は、倫理問題のために、自国イタリアではこの手術ができず、
中国医師団との合同研究(おそらく資金は中国持ち)という形で、
プロジェクトを進めているんですね。ということで、自分の評価としては、
この手術は現状では売名行為に近いんじゃないかと考えるんですが、
まあ、続報を待ちたいところです。

さて、当ブログはオカルトブログですので、医学関係はここまでにして、
話を変えます。例えばAさんから頭部を切り離し、Bさんの体につなぐ手術が
成功したとします。そして麻酔が覚めて意識が戻ったとして、
これはAさんなんでしょうか、それともBさんなんでしょうか?

多くの人は、「これはAさんだ」と答えられるんじゃないかと思います。
意識が戻ったときに本人に名前を尋ねると、
おそらく「私はAです」と言う可能性が高いと思われます。
これは、脳にはAさんの記憶や人格が詰まっているからです。
しかし、本当にそれでいいんでしょうか?

古くからの哲学・宗教の難問の一つに「魂の問題」があります。
「魂なんてものはない」、としてしまえば話は簡単なんですが、
それでは納得できない人も多いんじゃないかと思います。
もし魂なるものがあるとしたら、それはどこにあるのか?
これには、歴史的に大きく3つの考え方がとられています。
① 魂は頭部にある ② 魂は心臓のあたりの胸にある
③ 魂は肉体全体と重なっている(あるいは、肉体とは離れたところにある)

もし①だとすれば、この人はAさんということになるのか?
その場合、魂と脳の違いは何なのか? ②も昔から言われています。
英語の「heart」は心臓ですが、心や感情と訳すこともできます。
日本でも「胸が痛む」 「胸をなでおろす」などという慣用句がありますよね。

ではこの人は、自分で「Aです」と答えたとしても、本当はBさんなのか?
さらに③の場合、AさんとBさんの魂が混じり合っていることになるのか?
疑問は尽きないですよね。スピリチュアルなどをやられている方は、
これ、どのように考えられますでしょうか。

さてさて、ということで、もし遠い将来にでも頭部のすげ替え手術が成功した場合、
これは哲学界や宗教界に大きな波紋を投げかけることになると思います。
人間の歴史が始まって以来、ずっと言われてきた魂の問題が、
解決する糸口になるのかもしれません。

その結果、脳が意識のすべてを生み出しているのであり、魂などはない、
そういう結論が出ないともかぎらないですよね。そうすると、
世界中の、魂の存在を前提とする宗教は否定されてしまうのでしょうか?
このようなことからも、この手の手術は、
大きな倫理的な問題をはらんでいるんです。

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動物ホラーについて

2018.02.12 (Mon)
北海道紋別市のトウモロコシ畑で9月下旬、体重約400キロにもなる
雄のヒグマが射殺された。猟友会の男性は「40年以上ハンターをしているが、
こんなクマは見たことがない」と驚いている。

紋別市によると、8月ごろから、市内の畑や民家近くでヒグマの足跡が複数見つかり、
市や警察などがパトロールを強化。コーンの食害に悩んだ農家が猟友会に依頼。
9月26日にハンターが仕留めた。

旭山動物園(旭川市)もうじゅう館担当職員の大西敏文さんは
「駆除された中では過去最大級だろう。畑はクマにとって楽園。
冬ごもり前は食欲旺盛で、太ってしまったのでしょう」と話した。

北海道は5日、ヒグマの好物のミズナラやブナの実が今秋は不作で、
餌を求め市街地や農地に出没する可能性が例年よりも高いと発表。
事故を防ぐために生ごみの放置を避けるよう呼び掛けている。
(日経新聞)



今回はこのお題でいきます。上掲の写真を見ると、たしかにでかいですよねえ。
これが近くにいるとわかったら恐怖でしょう。幽霊どころではないと思います。
「動物ものホラー」というのはジャンルとしてあります。
ここで言う動物は、空想上の生物ではなく、あくまで実在の生き物ということです。
それに襲われる恐怖を描いたのが、動物ものホラーなんですね。
一番多いのが、『ジョーズ』などのサメものなんでしょうが、
これは海のものだし、前にも書いてますので今回はのぞくことにします。

日本だとまず思いつくのは、やっぱり熊でしょう。
それ以外の猛獣はほとんどいませんからねえ。
で。熊というと思い浮かぶのが、吉村昭氏の『羆嵐 くまあらし』ですか。
作者の吉村氏は、どちらかというと文学系の人なので、
この作品をホラーと呼ぶのは変かもしれませんが、話自体はたいへんに怖いです。

実際の事件、大正4年に起きた「三毛別羆事件」を元に取材して書かれたもので、
開拓民7名が死亡、3名が重傷を負い、巨大なエゾヒグマが、
討伐隊に射殺されて終息しました。これ、自分は北海道に行ったときに、
現地で熊の再現像を見たんですが、ちょっとありえないほど大きかったです。

それから、海外で動物ものホラーというと、自分の印象に残っているのは、
スティーブン・キングの『クージョ』ですね。
忠実だった愛犬のクージョ(セントバーナード 体重約90kg)が、
狂犬病にかかって人を襲い始めるというお話。映画にもなりましたが、
自分はなかなかよかったと思いました。特にカメラワークに迫力があったと思います。

さて、では実際に、世界にはどんな危険な動物がいるんでしょうか。
人食いワニ「ギュスターブ」の話はよく知られています。
東アフリカ、ブルンジのタンガニーカ湖に生息していたナイルワニの個体で、
全長は6m超。犠牲者は300人を超えると言われていますが、
この数字は眉唾で、実際は他のワニによる被害も、
ギュスターブのせいにされているんだと思います。

巨大ワニ


何度も駆除が試みられましたが、ギュスターブの表皮は固く、
機関銃の弾すら跳ね返したことになっていますが、これも本当かはわかりません。
結局、人間に殺されることはなく、2008年を最後に目撃証言が途絶えたと
いいますから、どこかで自然死したのだろうと思われます。
ワニを主人公にしたホラー映画はたくさんありますね。

それから巨大ヘビ、これも『アナコンダ』などの映画になってますが、
アマゾンに住むオオアナコンダよりも、アジアのアミメニシキヘビのほうが
危険だということです。最大種で約10mになります。小説だと、
『ジャングルブック』に出てくるニシキヘビのカーが印象的でした。

巨大ヘビ


あと、人食いナマズ「クノ」も有名です。これはヨーロッパオオナマズという
種類で、体長は最大で4m、400kg近くになります。
鹿を丸のみにした、人を何人も食ったなどという話がありますが、
さすがに伝説だと思われます。人間を飲み込んでも、
体の構造がヘビとは違っているので、消化できないでしょう。

巨大ナマズ


さて、世界で最も多くの人間を殺した動物は何でしょうか?
これは蚊やサソリなどの昆虫類、寄生虫やクラゲはのぞいて、
年間の犠牲者数を検索してみると、
1位 ヘビー5万人 2位 犬ー2万5千人 3位 ワニー1000人
4位 カバー500人 5位 ゾウー500人 6位 ライオンー250人
7位 スイギュウー200人 8位 シカー200人 9位 ヒョウー30人
10位 ウマー20人 11位 オオカミー10人 12位 サメー10人

こんな数値がネットに出ていました。けっこう意外ですよね。
まあ、ヘビの害のほとんどは毒によるものでしょうし、犬は狂犬病が多いでしょう。
カバやゾウ、スイギュウは、人間を食うために殺したわけではないでしょうが、
巨大な体重があるので、吹っ飛ばされれば人間は簡単に死んでしまいます。
また、サメの害って案外少ないんです。

さてさて、もちろん上記のランキングには入ってませんが、
人間を殺した数が最も多いのは人間です。2015年には、世界中で、
41万人が殺人で死亡し、17万人が戦争で死亡しています。
もちろんこの他、交通事故や死刑などもありますし、圧倒的多数なんですが、
人間の場合は動物ホラーとは普通は言いませんね。
ということで、今回はこのへんで。







猫目地蔵の話

2018.02.11 (Sun)
小学校の5年生のときの話だ。当時ね、俺は弟が嫌いでね。
2人兄弟で、弟は2年生だったんだよ。いや、まだ小さい頃はそうでもなかったんだが、
小学校に入ると急に生意気になったんだ。だからよくケンカしたし、
腕力じゃもちろん俺が勝つが、やつは泣いて母親のところに走っていくから、
結局、怒られるのは俺なんだよ。このあたりのことは兄弟がいる人ならわかるだろ。
あとまあ、俺は勉強ができなかったが、弟はそこそこできた。
そういうことが重なって、弟のことがすごく嫌いで、
いつも、いなくなってしまえばいいって考えてたんだよ。
まあなあ、今にして思えば、弟の服は俺のお下がりばっかだったし、
弟だけが親に目をかけられてたわけでもないんだが、当時はそうは思えなくてね。
あんなことをしなけりゃよかったって後悔している。
うん、だから、そのあんなことってのをこれから話すんだよ。

俺らの通ってた小学校は田舎道をずっと通った先にあって、朝は集団登校だったんだ。
帰りは5年生と2年生では終わる時間が違うし、俺はミニバスのクラブに入ってたから、
弟と一緒に帰ることはなかったが、小学校って、先生方の研究会なんかで、
給食食べて終わりって日が年に何回かあるんだ。でも、そういうときでも、
クラスの友だちといっしょに帰ることが多かったけどな。
んで、ある日曜日、弟と家の和室で遊んでて、床の間に飾ってた皿を壊しちゃったんだよ。
弟の足が当たったんだ。その皿は親父が大切にしてたもんだったから、
俺は青くなったが、弟のほうはぽかんとしてて、責任を感じてる様子じゃなかった。
で、居間にいる親父のところへ一緒に謝りに行こうとしたとき、
弟の靴下の先に血がにじんで畳に赤く跡を引いてたんだよ。
親父がそれを見つけて、俺が皿を割ってしまったことを話すと、弟が足をぶつけたのに、
俺だけが集中的に怒られたんだよ。ケガをしてたからか弟には何にもなし。

それで頭にきて、弟になんとか復讐してやろうと思ってた。
でな、俺は弟の弱点を知ってたんだよ。あいつ異常なくらいに幽霊とか怖がってた。
ほら、昔は夏休み中に心霊番組とかあっただろ。そういうのは絶対に見ないんだ。
もしそういう番組をやってるところに入ってきても、
耳をふさいで逃げてしまうくらい怖がりだった。だから、
それを利用してこらしめてやろうと思ったんだよ。その皿が割れた2日後、
前に話した、学校が早く終る日があったんだ。で、俺は弟に復讐するために立てた
計画どおりに、黒マジックを持って素早く学校を出た。
ああ、何をしたのかはおいおいわかるよ。で、そのことが終わると、
少し学校のほうに戻って、弟が帰ってくるのを待ったんだよ。
そしたら5分ほどして、弟が石を足で蹴りながら一人で歩いてきたんで、

「よ、一緒に帰ろうぜ」 「あ、兄ちゃん」そんとき俺は弟の手をつかんだが、
弟は俺が何かたくらんでるとか、怪しむ様子もなかったな。で、しばらく歩くと、
道の脇に、赤い幕がかけられた四角い小さなお堂が見えてきた。
田舎にはよくある、地蔵様を祀ってるお堂だよ。そのすぐ前まで来て俺は、
「お、ちょっと地蔵様を拝んでいこうぜ」 「じそうさま?」
「お前は知らないから、この前をただ通り過ぎるだけだったろうけど、
 地蔵様を拝むといいことがあるんだ」 「うん」
幕をぺらっとよせ、弟の手をつかんだままて並んで中に入った。
中には1m少しほどの赤いよだれかけの地蔵様が一つ、その両脇に、
30cmほどの地蔵様が数体あって、お供えのための台が置いてある。
「ほら、始めて見ただろ、この地蔵様」 「・・・あ、何か目が変だよ」
弟がおびえた声で言ったんで、俺はそこで口調を変えた。

「これなあ、猫目地蔵様って言うんだ。昔から言い伝えられてる呪いの地蔵様だよ」
「目が・・・猫の目」 「うん、だから猫目地蔵なんだ。これを見たやつのところに、
 夜に地蔵様がやってくる」 「あ、あ、見ちゃった。でも兄ちゃんも見ただろ」
そこで弟は俺のほうを向いて「あっ!」って言った。
そう、俺はそんとき固く目をつぶってたんだよ。「見たのはお前だけだ。
 だから今日の夜、この地蔵様がお前のところに来る」
「怖いよう」弟は幕の中から逃げ出そうとしたが、俺は手をつかんで離さなかった。
んで、さらに不気味な口調にして、「このことは誰にも話すな。もし話したら
 猫目地蔵様に命を取られる。ただ、話さなければそこまでのことはないんだ」
「怖いよ~」弟が泣き出したんで、俺がやっと握ってた手をゆるめると、
そのまま弟は走って、家まで一目散に逃げてったんだよ。

俺は大笑いしてな・・・もう何をやったかわかっただろ。
地蔵様の目のところに黒マジックで猫の目を描いて、そのまわりを黒く塗ってたんだ。
地蔵様は石が粉っぽくなるほど乾いてて、描くのは簡単だったよ。
俺はそのまま家に戻った。母親が家にいたが、弟が俺のイタズラのことを話した
様子はなかった。俺はランドセルを家に置くと、すぐに遊びに出かけたんだよ。
帰ってきたのは夕食前。弟は居間にいて、TVのアニメを見てたが、
俺が入っていってもこっちを見ようともしなかった。
ああ、まださっき猫目地蔵を見せたことを怒ってるんだなと思ったが、
俺はぜんぜん気にしなかった。今回のことは、弟に復讐し罰を与えるためだったからな。
夕飯が終わると、俺は弟と共有だった部屋に引っ込んだが、
弟はまだ居間にいた。おそらく怖いから寝るときまでずっと居間にいるんだろうと

思ったが、寝る段になって、怖いから一緒に寝かせてと親に言って、
それで俺のやったイタズラがバレるんじゃないかと、少し心配になってきた。
でも、9時頃には弟は部屋にやってきて、宿題を始めた。
で、俺が「さっきの猫目地蔵様のこと、言わなかったよな」と、机に向かってる
弟に話しかけると、泣きそうな顔でふり向いて、「兄ちゃん、地蔵様が来るとどうなるの?」
って聞いてきたから、「それはな、まず腕をとられる。それから足。
 最後には首も取られてしまうんだけど、助かる場合もある」と、
その頃の都市伝説で聞き知ってたことを言った。「さっき、誰にも言わなかったら
 助かるって言ったよね」 「ああ、お前は誰にも言わなかったようだから、
 助かる呪文を教えてやる。猫目地蔵様が近くまで来たら、
 ヤングマン、さあ立ち上がれよヤングマン、Y・M・C・A って唱えるんだ」

その頃は英語なんて小学校ではやってなかったから、弟はYMCAを必死で覚えて、
俺は笑いたくてたまらなかった。そして、10時半頃に寝たんだよ。
俺と弟は2段ベッドで、俺が上だった。いつも電気は小さいのをつけて寝てた。
で、布団に入ってすぐ俺は眠ったんだ。子どもだから、今と違って目をつむると
くてんと寝てしまうんだよ。朝まで起きることはなかったんだが、
その夜はなぜか、しばらくして目が覚めた。すると、下のほうでぶつぶつつぶやく
声が聞こえてきたんだ。「やんぐまん、さあ立ち上がれよ・・・」
俺は吹き出しそうになった。ああ、こいつ地蔵様が来てると思ってのか、
馬鹿なやつだ。で、ベッドの縁から頭を出して下をのぞいいてみた・・・
こっからは嘘だと思うだろうけど、そしたらいたんだよ、猫目地蔵様が。
俺のところからは石の丸い頭だけが見えた。

けど、全体が燃え上がるように赤い。びっくりして頭を引っ込めると、
背筋がぞっとするような声で「誰が目を描いた、言え、誰が目を描いた」
こう聞こえてきた。その後に、小さく弟の声で、「知りません。ごめんなさい。
 ヤングマン、さあ立ち上がれよ、ヤングマン、わい・えむ・しー・えー」
まさかと思ったけど、もう一度顔を出して見る勇気はなかった。
だからそのまま布団を引っ被ったんだ。目を描いたのは俺だし、
そのことが知れたらヤバイだろ。地蔵様の声は1度きりで、
下からは弟の声がいつまでも聞こえていた。「わい・えむ・しー・えー・・・」
気がついたら朝になってたんだよ。俺は下に降りて弟をゆさぶり、
「お前、昨日、地蔵様が来ただろ」って聞いたら、弟は目を開けて、
「うーん、来たけど、兄ちゃんが教えてくれた呪文を言ったら帰っていった。

 目を誰が描いたか聞かれたけど、兄ちゃんだとは答えなかったよ」
こんなふうに言ったんだ。俺は頭が重く、目がちらちらして熱っぽい感じがした。
で、下の洗面所に顔を洗いに行って鏡を見たら、
両方の目が赤くなってまぶたが腫れ上がってたんだ。俺は急いで台所に行き、
朝食を作ってった母親に目のことを訴えた・・・まあこれで話は終わり。
その日、病院に連れて行かれ、両目はどちらも雑菌が入ったんだろうって言われた。
熱が39度まで上がって、学校を数日休んだ。あと、ランドセルの中の
黒マジックがむちゃくちゃにねじくれた形で折れてたな。それから・・・
地蔵様だけど、かなり時間がたってから幕の中をのぞいたら、目はきれいになって、
マジックで描いた跡はどこにもなかった。その場で何度も謝ったし、
小遣いでお供えも買った。それ以来、弟とはまずまず仲良くなったよ。









平昌の人面鳥って何?

2018.02.10 (Sat)
平昌冬季五輪は9日午後8時(日本時間同)から開会式が行われた。
セレモニーには謎の巨大な“人面鳥”が登場。
ネット上でその強烈な風貌が話題となった。

選手入場前に行われたセレモニーは、
韓国の神話をモチーフとした幻想的な雰囲気で行われた。
すると突然、人間の顔をした巨大な鳥が登場した。実は、
韓国では神話に出てくる平和な時代にしか現れない不死鳥の元になっており、
平和の祭典という五輪の開会式に起用されたもの。

しかし、ネット上の話題はこの“人面鳥”で持ち切り。
「あの人面鳥はインパクト強すぎる」「人面鳥の顔がリアルすぎて怖い」などの声が
続出したほか、「絶対夢に出てくる」「怖すぎて子どもが大泣きした」
などの声が上がった。
(スポニチアネックス)

平昌冬季五輪開会式


今回はこのお題でいきます。昨夜の平昌冬季オリンピックの開会式はみなさん、
ご覧になったでしょうか。自分は見ていましたが、上記引用にあるように、
途中で出てきた「人面鳥」のインパクトは強かったですね。
では、あの正体は何なんでしょうか?

最初はまったくわからなかったんですが、「平和を象徴する鳥」という説明を聞いて、
ああ、「諫鼓鶏 かんこどり」のことかなと思いあたりました。
それだったら、確かに世の平和と関係があります。
自分は韓国の神話はよく知らないので、まあ違うのかもしれませんが、
いちおう専門の一つである中国の故事を説明していきます。

中国古代の神話的な王に「堯・舜 ぎょう・しゅん」がいます。これは2人の人物で、
まず堯が国を治め、その後、自分の息子には王位を譲らず、
優れた人物である舜を後継者に指名しました。このことから、世襲ではない人物に
譲位することを「禅譲 ぜんじょう」と言うようになりました。
堯・舜について、中国では、伝説上の人物であるとも、実在したとも言われています。
もし実在であるなら、紀元前20世紀以上も前の人です。

さて、引用に出てくる鳥の話は、堯の時代のことです。
堯は、「その仁は天のごとく、その知は神のごとく」と継承される偉人でしたが、
自分が傲慢になって、天下の政務を誤ることをたいへんに怖れていました。
そこで、もし政治が悪くなった場合、人民が打ち鳴らして知らせることができるよう、
城の門前に太鼓をしつらえ置きました。

しかし、終生にわたって善政をつらぬいたため、いつまでもその太鼓が鳴ることはなく、
やがて太鼓には苔が生え、その上で鳥が鳴くようになった。
この故事が元になって、「諫鼓苔生す かんここけむす」
「諫鼓鶏が鳴く かんことりがなく」という故事成語ができたことになっています。
「諫鼓」は、「諌(いさ)めるための太鼓」という意味です。
ですから、諫鼓鶏(かんこどり)は平和の象徴ということになるわけですね。

さて、この諫鼓鶏の話は日本にも伝わってきていて、
お祭りで引く山車の上に太鼓とともに乗っています。下図は江戸時代の神田・山王祭を
描いたものですが、太鼓の上に鳥の姿があるのがわかると思います。
これが行列の先頭だったようですが、徳川の将軍様の善政を讃えているのかもしれません。
神田・山王祭には江戸幕府からも費用が出されており、
行列は江戸城内に入って将軍の上覧を得たので、天下祭とも言われるんです。

神田・山王祭の諫鼓鶏


さて、このこととは別に「閑古鳥が鳴く かんこどりがなく」という慣用句もありますね。
「人の訪れがなく、ひっそりと静まり返っている様子。
客が来なくて商売がはやらない様子」という、あまりよくない意味で使われています。
この「閑古鳥」はカッコウを指しているようで、 カッコウの鳴き声が、
当時の人に物寂しいと感じさせたことから、カッコウ鳥が閑古鳥になった、
と語源を書いている辞典が多いですね。

カッコウ(閑古鳥)


うーん、「諫鼓鶏」と「閑古鳥」、どうなんでしょうねえ。この両者は関係あるのか?
「諫鼓鶏」という語ができたのは、紀元前のものすごく古い時代だと思われます。
前漢の武帝の頃(前1世紀頃)に書かれた『淮南子 えなんじ』には、
すでに、この言葉が出てきています。

これに対し、「喚子鳥 よぶこどり かんこどり」
というカッコウを表す語は『万葉集』にも出てきますが、
それが転じて「閑古鳥」になったのは江戸時代のことのようです。
まあ、はっきりとはわかりませんし、根拠もないんですけど、
自分の勘では、何らかの関係が少しはありそうな気がします。

さてさて、ということで、あの平昌の鳥が諫鼓鶏なのか定かではありませんが、
北朝鮮情勢の緊迫した中で始まった平昌オリンピック。
当然のことながら、戦争は起こらないほうがいいですし、
諸問題が平和裏に話し合いで解決できれば、それにこしたことはありません。
それとともに、参加している日本選手の活躍を祈りたいですね。
ベストコンディションで、自分の力を存分に発揮してほしいと思います。







ガンダムを歩かせる

2018.02.09 (Fri)


今回はこのお話でいきます。平昌冬季オリンピックが始まって、
開会式を見ておられるみなさんが多いと思いますが、これ、
オリンピックと関係がなくもないんですよね。というのは、2019年までに
全長18mの、アニメの設定と同じガンダムを動かそうという計画があるんです。

それを羽田空港に設置して、日本を訪れる外国の人に日本の製造業者の
技術力をアピールするのが目的ということです。
2019年は、ガンダムが登場してから40周年になるんですが、
2020年東京オリンピックとも関連しているんだと思います。
安倍首相も、これについて「日本として支援する」とテレビで述べてましたね。

さて、ではこれ、はたしてできるもんでしょうか。
ロボット工学博士の古田貴之氏によれば、体を覆うアルミ合金が約88億円。
それらを加工、製作するのに約263億円。メインコンピューターが約2億円。
その他すべてひっくるめれば、800億円ほどかかるということです。

うーん、そうでしょうねえ。でもこれ、開発にかかる人件費も入れれば
もっとかかると思われます。はたして、1000億円近いお金をかけて、
対費用効果が得られるものなんでしょうか? ちなみに、戦車1台が約5億円、
最新鋭戦闘機の値段が200億円くらいです。

また、アニメの設定ではガンダムの重量は体重43、4トンですが、
実際につくるとなれば、その20倍の800トンを超えるのではないか
という試算もあります。この巨大な重量というのが、
ガンダムを動かす最大のネックになります。
ホンダが作った2足歩行ロボット「アシモ」は軽快に動けますし、
ある程度まで走ることもできますが、あれは重量が軽い(48kg)せいです。
動かすものの重さに比例して、重心の移動が難しくなっていくんです。

また、もしアニメの設定どおりに43トンで作れたとしても、
それが動いた場合、一歩踏み出して着地するたび、操縦席にいる人間には、
約80トンの衝撃がかかるそうです。これは、体を固定していたとしても
即死するレベルですので、人間は乗れないということになります。
まあでも、世界の兵器は無人化の方向に進んでいるので、
アニメフアンの方はつまらないでしょうが、それはそれでいいのかもしれません。

関連記事 『人間の行為、機会の行為』

では、兵器としてのガンダムは役に立つのでしょうか。うーん、これは難しい。
まず、最大の欠点は大きいことです。全長18mというと、
6階建てのビルと同じくらいです。大きいということは、
それだけ敵の攻撃の的になりやすいので、
砲撃やミサイル攻撃で簡単にやられてしまいそうな気がします。
この他にも、兵器として見た場合、いろいろな弱点があるんですね。

ということで、アニメと同じ機能を持つガンダムを作るのは無理です。
ここでは、「2足歩行する」だけにしぼって考えてみましょう。
それ以外のことはすべて無視して、ただ歩ければいい。
これだったら、できそうな気もしなくもないです。

さて、日本の自走ロボットを検索してみると、
まず出てきたのが榊原機械の「LAND WALKER」 
youtubeに動画がありますので、興味ある方はご覧になってみてください。
全長3.4mだからけっこう大きいです。重量は1トン、重くはないですね。
動く仕組みは、両足に車輪をつけ、すり足で交互に動かして前に進みます。
重心移動がほとんどないので、これより大きくなっても作れそうな気がしますが、
2足歩行と言えるかどうかは疑問です。

榊原機械 「LAND WALKER」 


次に出てきたのが、水道橋重工の「クラタス」で重量6.5トン。人も乗れます。
日米ロボット対決で話題になりました。これも動画が出ています。
下の画像だと2足に見えますが、実は4足で車輪で走行します。
多少の段差なら登れますし、かなりの高速移動もできます。
ですが、重機に頭と腕をつけたようなもので、とても歩行するとは言えません。

水道橋重工 「クラタス」


あと、世界の自走ロボットも検索してみたんですが、ある程度以上の大きさでは、
車輪やキャタピラで走行するものばかりで、足を上げ、地面を踏んで
移動するものは見あたりません。やはり、歩行というのは、
それだけ技術的にも、費用的にも難しいんだと思います。
じゃあやっぱり、歩行するガンダムって無理なんでしょうか。

これ、自分には一つアイデアがあります。ただし反則ですが(笑)。
アメリカの軍用機、オスプレイはみなさんご存知でしょう。墜落しやすいとか、
いろいろ批判が出ていますよね。操縦が難しいのは、ローターを上に向けることで、
ヘリコプターのように垂直離発着できるようにしたからです。理論上は、
ヘリと飛行機の利点を合わせ持っていることになります。

このオスプレイの全長は17.5mです。おお、縦と横の違いはありますが、
ガンダムの全長とほぼ同じです。垂直離陸時の重量は24トンとなっています。
オスプレイのローターは2つありますが、1つでも、10トンくらいのものは
浮かせることができそうですね。現在、お台場にあるガンダム像は
約50トンだそうですが、重量があるのは安定して立たせるためです。

で、そのローターをガンダムの頭につけます。ただし、空高く飛ばす必要はありません。
地上ギリギリに浮かせればいいんです。立たせる必要がないので、
なんとかガンダムの外面だけを、カーボンなどの軽い素材で10トン以内でこしらえる。
あとは、「歩いているふり」をさせる。モーター駆動で足だけを上下させます。
地面を踏まなければ、大きな反作用はないですよね。

さてさて、ということで、自分が出した結論は、地上ギリギリの高さで空中に浮き、
形だけ足を動かして歩いているふりをするガンダム。羽田空港は平坦地ですので、
段差を越える必要もないですし、現実的にできそうな気がします。
危険なので人は乗せないで、リモコン操縦。
ただ、これでも費用は百億以上かかるでしょうねえ。

あと、もう一つ問題になるのが燃料補給です。このガンダムは一度浮いてしまうと、
自分では立てないので、地上に下ろすことができません。
(最初だけは、ロケット発射台のようなのに立たせる)
また、燃料を胴体に蓄えると重くなってしまうので、常時ホースとかで
給油を続けなくてはなりません。どんだけ燃料費がかかるんでしょう(笑)。
ということで、今回はこのへんで。







塚に落ちる話

2018.02.08 (Thu)
えと、今、大学の3年です。よろしくお願いします。
大学は京都で、専攻は民俗学なんです。いや、民俗学は面白いですよ。
ただねえ、民俗学やっても将来仕事がないと思うんで、高校の社会の免許も
取るつもりでいます。それでね、夏休み前にゼミの課題が出たんです。
郷土の伝承を一つ調べてレポートを書けっていう。地元は岡山県です。
でも、さすがに桃太郎じゃしょうがないなあと思って。
かといって、他に伝承なんて知らなくて、ちょっと困りました。
そこで、まず古書店に行ってみたんです。ほら、京都って古書店多いでしょ。
中には郷土史専門の店もあるんです。そこへ行って、
自分が住んでた町のやつを探したけど、なかったんです。
2、3軒回ってもやっぱり見つからなくて。

これは町役場がさぼってて、町史なんて出してないんだと思いました。
困ったなと考えてたら、隣町のがあったんです。隣町は山を越える県道を通って、
車なら15分ほどで行けます。でね、それ買おうと思って値段見たら、
1万5千円もしたんですよ。これ、さすがに貧乏学生には高いです。
ただね、京都のこういう店って、交渉すればまけてくれるとこもあるんです。
店主のほうを見たら、人の良さそうなおじいさんだったんで、
ものはためしと思って「あのー、これ、まかりませんか」って聞いてみました。
で、事情を話したら「学生さんが勉強に使うんだったら」と、1万円にしてくれました。
ああ、すみません、本題と関係ない話で。でもね、そのとき、
話の中に「親王様」って言葉が出てきたんです。「あの町には、
 親王様の伝承があるだろうけど、それ調べてみたらいいんじゃないか」って。

だけど、そのときは何のことかわからなかったんです。
部屋に戻って、さっそく本を呼んでみました。うーん、江戸後期から明治以降のことは
かなり詳しく書いてましたけど、それ以前の古い伝承は数ページしかなかったです。
しかも狸の総大将が住んでたとかの話で、なんだこりゃって思いました。
それ以外には、さっき古本屋で言われた「親王様」の話が載ってました。
南北朝の頃だから14世紀のことです。そのときに、南朝側の親王、
天皇の息子ってことですけど、その人が戦乱を逃れてその町に来たって話が出てたんです。
で、町の地侍の娘を嫁にもらって、一生そこで隠れて過ごしたって内容でした。
親王様は村で亡くなって、村人は「親王塚」を造って葬ったと書いてましたね。
うーん、あまり面白そうな話じゃないですよね。よくありがちじゃないですか。
田舎に貴人が流れてきてどうのこうのって。

だから、その一種だろうと思ったんですが、他にはろくな伝承ってなかったんです。
まあいいか、その親王が誰なのか、系図を調べて確認し、
塚に行って写真を数枚撮れば、それなりにレポートにはなるな、って考えたんです。
で、さっそく計画を立てました。けど、金がなかったんですよ。
だから、行き帰りは自分のバイクにして、宿泊は寝袋で野宿ってことにしました。
実家に泊まればいいだろう、って思うでしょうが、実家は兄夫婦と子どもが同居してて、
俺の部屋ももうなくなってたんですよ。京都から岡山までは3時間くらいでした。
で、町には昼ころに着いて、すぐに役場の観光課を訪ねました。
そしたら、その町史を編纂した人はとっくに退職していて、
だれも親王様について知ってる人はいなかったんです。けど、係の人は親切で、
郷土史を研究してるっていう高校の先生を退職した人を紹介してくれたんです。

電話連絡もしてくれたんで訪問してみました。町外れの古びた家に行くと、
70歳くらいの痩せたおじいさんが出てきて、中に入れてくれました。
で、新王様について調べてるって話をして町史を見せたら、
「うーん、その話は知ってるし、私も少しは調べてるんだが、塚の場所はわからんのだよ。
 町の中にはそれらしいものはないんで、○○の山中じゃないかって思うけどね」
そう言って、白黒の空中写真を見せられました。「これは冬に撮られたもんだが、
 この山のここに神社の跡がある。その後方に盛り上がって見える場所があるだろう。
 これが塚なんじゃないかって思うんだが、勝手に発掘するわけにもいかんし、
 確証はない」こんな話だったんです。でもまあ、そこに行って写真撮ってくれば、
それなりの体裁はつくなって思いまして。お礼を言って出たんですよ。
で、バイクで山のふもとまで行ってみました。

山と言っても、せいぜい100mもないようなところで、いちおう登山道がありました。
ええ、おじいさんが神社跡までの道はついてるよって教えてくれたんです。
登るのはたいへんでした。夏だからすごい草木が茂ってて、虫も多かったんです。
まあでも、30分もかからず頂上に着きました。神社跡っていうのは、
礎石がいくつかむき出しになってて、その上に古い木材が積み上げられた状態でした。
後でこの神社の由来も調べよう、そう考えながら写真を撮り、裏手に回っていきました。
写真で見たのとは違って、木がたくさん生えててよくわからなかったですが、
地面が盛り上がってるような気はしたんです。これじゃあ写真を撮ってもただの林だよな、
そう思って、いったん神社跡まで戻って遠景から撮ろうとしたときです。
足元の地面が陥没したんですよ。「うわっ!」2mほども下に落ちて、
頭を固いものにぶつけ、そのまま気を失っちゃったんです。

気がついたときには真っ暗になってました。側頭部が痛んで、
さわってみると大きなこぶになってました。それと肩から胸にかけてベトベトしてて、
触った手の臭いをかぐと血なんじゃないかと思いましたが、真っ暗でわからなかったです。
腕時計はしてたんですが、自分の手すら見えない暗闇でした。
山に登ったのが3時前・・・それがこう暗くなってるのは、
最低でも5時間以上たってるはず。考えているうち、だんだん頭がはっきりしてきて、
四方に手を伸ばすと、右側に固いものがありました。ざらざらした大きな石。
立ち上がろうとすると足元が崩れる感じがして、尻もちをついてしまいました。
やっぱり穴の底だ、どうしよう・・・でも、どうにもならないと思いました。
この暗さじゃ何もできない、明るくなるのを待とう。幸い、8月のことだったんで、
寒いとかはなかったんです。それからどのくらい時間がたったか。

頭の上に白い光があるのを感じました。見上げると、ぼんやり光る丸い玉の
ようなものが浮いていました。サッカーボールよりやや大きいくらいの。
不思議な光で、それに照らされてまわりが明るくなるということはなかったんです。
呆然として見つめていると、ボソボソと呪文のような声が聞こえてきました。
ぜんぜん意味はわかりませんでした。今になって考えれば、
あれ、古代の日本語だったんじゃないかと思います。ボソボソ、ボソボソ・・・
そのうちに不意に意味がわかったんです。言葉の内容が頭の中に直接入ってくる感じで。
「何をしにきた。なぜに眠りを妨げる」質問されてるんだって思いました。
で、どうしても答えなくちゃならないって気持ちになって、
大学のレポートのこととか、古本屋で買った本で親王様のことを知ったとか、
べらべらとしゃべってたんです。かなり必死でした。

俺が話し終わると、声は「そうか、学問は大切だ。私はもう贄はいらん。もうすぐ消える」
そういう意味が頭の中に入ってきて、見上げていた白い玉がふっと消えたんです。
ただ、消える間際、そこに真っ白い顔が一瞬浮かんだように思えました。
まあ、これでだいたい話は終わりです。石の壁にもたれかかってウトウトし、
気がつくとまわりがだいぶ明るくなってました。夜明けがきてたんです。
あたりが見えると、3mほどの深さの穴の中にいることがわかりました。
這い上ろうとしてもダメでしたよ。あと、石は巨大で、四角い人工物の一部だと思いました。
それから1時間くらいして、「おーい、おーい、いるかー」という声が聞こえてきて、
かすれた声で「ここですー」って叫んだんです。郷土史家のおじいさんと、
町の消防団の人たちでした。それからはしごを下ろしてもらったりして、
1時間後には穴から出ることができたんです。上半身は血まみれになって乾いていました。

ええ、その後、町営の病院に入院して頭のCTを撮ったりしましたが、
脳には異常はありませんでした。頭の横が7cmほど裂けてて、何針か縫いましたけど、
これもたいしたことはなかったです。俺のバイクが登山口に放置されたままの状態で見つかり、
それで町役場から郷土史家の方に連絡がいって、
その山に登ったままになっていることがわかり、朝になってから消防団といっしょに
様子を見に行ったら、神社跡の後ろの地面が陥没してて中で俺が倒れてたってことでした。
で、1日で退院できたんで、郷土史家の方の家にお礼に行ったんです。
「いや、ケガが大事なくてよかった。私もあの場所を教えた責任があるからね」
こんなことを言われました。塚の中で白い光を見たことなんかは、
信じてもらえないだろうと思って自分からは言わなかったんですが・・・
最後に気になる一言があったんです。「親王様はもう贄はいらないんだねえ」って。










ロビンソンとガリバーの間

2018.02.07 (Wed)


変な題名だと思われるでしょうが、これ、空想冒険小説の歴史を語る上で
けっこう重要なことではないかと自分は思っています。
さて、どこから話していきましょう。
まず、「大航海時代」のことから書いていったほうがいいでしょうか。

大航海時代というのは、「15世紀半ばから17世紀半ばまで続いた、
ヨーロッパ人によるアフリカ・アジア・アメリカ大陸への大規模な航海が
行われた時代。主にポルトガルとスペインにより行われた。」とWikiにあります。
自分が前に書いたエルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロも大航海時代の人物です。
17世紀の終わり頃には、世界の隅々にまでヨーロッパ人が到達し、
定期航路が開かれるようになりました。

なぜ、大航海時代が始まったかについては、いろいろな要因があります。
技術的なものとしては、大きな船が作られるようになったこと、
天測などの航海術の発達があげられます。経済的な面では、
国際交易の発展です。黄金、香料、その他異国の珍しい物産を求め、
一攫千金をめざした人々が海へと乗り出していきました。

学問的には、地理学、博物学の進展があげられるでしょうし、
宗教的に、異教徒を改宗させ、キリスト教の勢力範囲を広げるという意図も
大きかったと思います。その中で、たくさんの発見や発明がありましたが、
残念ながら、暴力による征服、略奪、虐殺、奴隷貿易なども行われました。
明るい面と暗い面があったわけですね。

さて、『ロビンソン・クルーソー』は、子供の頃に読まれた方は
多いんじゃないでしょうか。作者は、イギリスの小説家、ダニエル・デフォー。
『ロビンソン・クルーソー』が刊行されたのは、18世紀初頭の1719年です。
主人公のロビンソンが、船乗りにとなって航海に出かけ、
無人島に漂着し、独力で生活を築いてゆく物語です。その中で現地人を助け、
フライデーと名づけて従僕とし、28年後に帰国します。

ロビンソン・クルーソーには、モデルがいるという話がありますね。
航海の途中で漂流したり、無人島に流れ着いてそこで生活したりということは、
ずいぶんあったようで、実体験の航海記もいくつも出回っていたみたいです。
大航海時代が終わってしばらくたった年代ではありますが、
まだその名残を引きずっていた頃の話なんです。

次に、『ガリバー旅行記』ですが、アイルランドの風刺作家ジョナサン・スウィフト
によって仮名で発表されたのが1726年のことです。
ガリバーは、最初は船医でしたが後に船長となり、
小人国、巨人国、空飛ぶ島の国ラピュータ、馬が支配するフウイヌム国を訪れます。
あと、ガリバーは日本にも来ているんですが、
児童向けの翻訳では、そのあたりがカットされたものも多いですね。

『ガリバー旅行記』の、特にその後半部分は風刺文学であると評価されています。
架空の国の政治や宗教を通して、現実の世界を皮肉っているわけです。
これは実際、そういう意図を持ってスウィフトが書いているのは間違いないですが、
冒険小説としての側面も忘れてはならないでしょう。

で、ここで注意してほしいのは、物語の舞台が、ロビンソンからガリバーで、
現実の世界から架空の世界に変わっていることです。
この背景には、大航海時代が終わって、世界のほとんどの地域が地図に記載され、
民族や文化の知識が広まったことがあげられると思います。
つまり、自由に空想の翼を広げることができる土地は、
想像の中の異世界にしか残されていなくなったわけです。

さて、19世紀に入って、一人の人物がフランスに生まれました。
SF小説の父とも言われるジュール・ベルヌです。
彼は、1864年に『地底旅行』、翌年に『月世界旅行』、1870年に
『海底二万哩』を刊行し、作品の舞台をどんどん、
地上以外の海底、地底、宇宙などへと広げていきました。

さらに、1865年、ルイス・キャロルが『不思議の国のアリス』で、
夢の中の精神世界への旅を描き、1895年、H・G・ウェルズが、
『タイム・マシン』で、時間旅行の可能性を提示しました。

また、1900年、アメリカのフランク・ボームが『オズの魔法使い』で、
カンザスの田舎に住む平凡な女の子が、いきなり竜巻で、
魔法が支配する国に吹っ飛ばされるというファンタジー世界を創造し、
ここまでで、空想冒険小説の舞台はほとんど出そろうことになったんです。
(ただ、これはあくまで欧米小説の流れであって、
インドや中国、中東などには独自の歴史があります。)

さてさて、現在のアニメやラノベでは「異世界もの」がたいへん流行しています。
現実の世界ではパッとしない主人公が、異世界へは勇者として召喚された、
といった筋立てのものが多いようですが、
この異世界という概念の始まりは、自分は、上で書いたように、
『ロビンソン・クルーソー』と『ガリバー旅行記』の間あたりにあるんじゃないかと
考えています。そういう意味で、『ガリバー旅行記』は、
異世界ものの元祖としても評価されていいんじゃないかなあと思うんですね。

関連記事 『黄金郷伝説』   関連記事 『ケツァルコアトル伝説』









地下の不老者

2018.02.06 (Tue)
年を取れば取るほど死に近づく。当然だ。ただし、それがハダカデバネズミなら話は別。
奇妙な外見をした齧歯(げっし)動物であるハダカデバネズミが、
ほかのあらゆる哺乳動物に共通する老化の法則に逆らっていることが、
新たな研究で明らかになった。今回の発見は、人間の寿命を延ばし、
老化を食い止めるのに役立つ可能性がある。

高齢になるにつれて死亡率が高くなることに関しては、
「ゴムパーツ・メーカム(Gompertz-Makeham)法」と呼ばれる死亡率の法則がある。
これは、成人以降、年齢が上がるにつれて死亡率も上昇していくことを示す数式だ。
科学誌「サイエンス」の電子版によると、人間は30歳以降、
8年毎に死亡率が2倍になるという。哺乳動物は、人間から馬、
ネズミに至るまですべて、この法則に従う。唯一、ハダカデバネズミだけが違う。

研究者たちは今回初めて、ハダカデバネズミがこの法則に逆らっているらしいこと
を発見した。ハダカデバネズミは、年を取っても死亡率が上がらない。
バイオ技術企業キャリコの研究サイトが公表したプレスリリースによれば、
毛のないこの奇妙な齧歯動物は、記録上のどんな動物よりも死亡率が低いという。
キャリコは、カリフォルニア州を本拠とするグーグル傘下企業で、
この度の研究成果を詳しく述べた論文は科学誌「eLife」で発表された。
(Newsweek)



今回はこのお題でいきます。主役はハダカデバネズミ、漢字で書くと裸出歯鼠(笑)。
ひどい名前ですが、これ現在、大注目の生物なんです。
どういう点が注目されているかと言いますと、
① 老化しない ② 癌にならない ③ 無酸素でも長時間耐えられる
④ 痛みや暑さ寒さを感じない ・・・どうです、すごいでしょう。

ハダカデバネズミは、体調12cmほどのネズミの仲間(齧歯類)で、
群れで完全な地下生活を送り、「真社会性」を持ちます。
真社会性というのは、ハチやアリなどのように集団の中に階級があり、
役割分担して暮らすことを言いますが、
これは昆虫ならともかく、哺乳類ではきわめて珍しいんです。
1匹の女王を中心にして、地下に掘ったトンネル内で生活していて、
繁殖に関わるのは数匹のオスだけ。女王は1回で数十匹の子どもを産みます。

まず①の不老について。引用文にもありますが、
人間は年をとるほど死亡率が高くなります。これはあたり前ですね。
30歳と70歳の人で、どちらが先に亡くなるか賭けをしたら、
特殊な事情がないかぎり、誰だって70歳の人に賭けますよね。
ところが、ハダカデバネズミはどうやら老化しないようなんです。
ということは、病気や事故で死ななければ(老衰死はしないので)、
永遠に生きられる可能性があるということになります。

人間の男性の年齢別死亡率 ハダカデバネズミの場合はグラフは直線


現在、確認されているハダカデバネズミの最長寿は30歳で、
その個体は今も生きています。もしかしたら、
ある時点を過ぎると急に老化が始まったりするのかもしれませんが、
現時点でその兆候は見られないそうです。普通のネズミが、
4歳程度の寿命であるのに比べ、これだけでも異様な長寿ですよね。

しかも、いつまでも閉経せず、出産機能を失わないという不老の性質を持っています。
まあ、不老不死と考えられる生物は他にもいます。ベニクラゲというクラゲの一種や、
刺胞動物のヒドラなどです。(ベニクラゲはある程度まで成長すると若返り!?
それをずっとくり返す)しかし、哺乳類でこの性質を持っているのは、
ハダカデバネズミ以外にはいないんです。

じゃあ、何で不老なのか? Wikiには、
「生活環境が厳しい時に代謝を低下させる能力があり、
それが酸化による細胞の損傷を防いでいると考えられる」と出ています。
たしかに活性酸素による影響が老化を進めるとは言われてますが、
でも、それだけで説明できるわけでもないような気がします。
おそらく、ハダカデバネズミの生来の遺伝子プログラムが、
老化をさせないようになっているんだと思います。

さて、人間の染色体にはテロメアという末端部の構造があり、
細胞分裂するたびにそれがすり減っていきます。
そして、テロメアが一定の長さ以下になると、細胞は分裂を停止してしまいます。
このため、テロメアは「分裂時計」あるいは、
「細胞分裂数の回数券」とも言われているんです。
わたしたち人間は、はじめから死がプログラミングされていると考えていいでしょう。
ところが、ハダカデバネズミは人間とは違う進化の道を選んだみたいです。

テロメアの役割


あと、ハダカデバネズミが癌にならないというのも、
不老であることと密接な関係があると思われます。
人間が癌なるのは、細胞分裂時に遺伝子のコピーミスが生じるからです。
それが癌細胞になる。そして、人間が年をとるほどコピーミスの確率は高くなります。
ですから、癌は老化現象の一種であり、人間に最初から
プログラミングされた寿命要因と考えていいと思います。

これがハダカデバネズミの場合、一定のサイズに達した細胞群に新たな細胞を
増殖させない「過密」遺伝子として知られているp16、p27が、
二重の障壁となって、細胞の癌化を防いでいるようです。
つまり、ハダカデバネズミは、ある一定の年齢から、あまり細胞が増えることはなく、
しかもその細胞は酸化に強い。このあたりに不老の秘密があるみたいですね。

それから、ハダカデバネズミは、ある研究では、酸素がない環境で18分も耐え、
体に大きなダメージも残らなかったそうです。
無酸素状態になった際、通常の酸素呼吸とは別の仕組みで、
エネルギーを生み出したとみられています。

また、ある種のアミノ酸が、痛みや暑さ寒さを感じることを防いでいるため、
過酷な地下の環境で、ほとんど毛のない体でも生きていけるんですね。
ただし、子どものうちは痛みや寒さも感じるようで、
ハダカデバネズミの成獣の中には、赤ちゃんにかぶさって温める、
「布団係」などという役割も存在しています。

赤ちゃんの布団係
ひしめき合って寝る様子②

さてさて、ここまで見てきて、ハダカデバネズミって何てすごいんだ、
と思われたんじゃないでしょうか。では、ハダカデバネズミの遺伝子を解析することで、
人間に生かすことができるんでしょうか。人間は老化せず、いつまでも若いままで、
ケガや病気以外では死なない・・・そういうふうになるんでしょうか?

これは、自分は難しいんじゃないかなあと考えます。というのは、
人間は長い進化の過程で、「その限られた寿命の中で、だんだんに成長していき、
パートナーを見つけて子孫を残し、老化していって最後には必ず死を迎える」
という性質を、自ら選択して獲得したんじゃないかと思うんです。

ハダカデバネズミの一生は はたして、人間の基準で幸せと言えるでしょうか?
一匹のメスと限られた数匹のオス以外は、繁殖にかかわることもなく、
兵隊係や穴掘り係はずっと一生そのままです。
人間とはかけはなれた道を選んだハダカデバネズミの進化。同じ哺乳類ではあっても、
まったく別の考え方で存在している生き物であるとみたほうがよさそうですね。

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自殺団地の話

2018.02.05 (Mon)
もうずっと昔の話なんですが、いいでしょうかね、じゃあ。
あれは自分が結婚して6年目のことです。郊外にある団地に住んでたんです。
いや、公営じゃなく、企業が経営してる賃貸の団地です。
10階建てが11棟ありました。自分が住んでたのは、その7号棟の7階です。
結婚してすぐにその団地に入り、翌年に長男が生まれました。
その子が5歳になって、もうすぐ小学校だから、そろそろ引っ越そうかって
妻と話してたときに、棟の自治委員になったんです。
いや、これは順番で回ってくるんで、1年かぎりです。
回覧を回す程度の仕事しかなかったし、それもほとんど妻がやってました。
で、4月のある日のことです。自分は会社内で部署の移動があって、
新しい仕事に慣れるために、毎日帰りが遅かったんですよ。

その日も戻ってきたのは9時過ぎでしたね。エレベーターを7階で降りると、
男の泣き叫ぶような声が聞こえたんです。見ると、エレベーターから一番近い
部屋のドアの前で、コートを着た50代くらいの男性が、
「先生、先生、ごめんなさい。もうしませんから、許してください」って
子どもみたいな声の調子で、鉄のドアにすがりついて叫んでました。
これには呆気にとられましたが、「どうしましたか?」って声をかけました。
ところがその男性は、まるでこっちを見る様子もなく、
ひたすら「先生ごめんなさい、ごめんなさい」をくり返すだけで、
横顔でしたが、目からボロボロ涙がこぼれているのが見えたんです。
「あの、ちょっと」さらに声をかけると、男性は、
「わかりましたあ、僕が悪いんです。ごめんなさああああい!」と、

ひときわ大きな声で叫ぶと、外に面した廊下の手すりを、
その年齢とは思えない猿みたいな敏捷さで駆け上ると、ふっと姿が消えました。
ええ、飛び降りちゃったんです。ややあって、
下のほうからピチッという小さな音が聞こえました。自分がおそるおそる
手すりからのぞき込むと、下の地面、花壇になってたんですが、
そこに体を伸ばして横たわってるのが、街灯の光で見えたんです。
しばし動けませんでしたが、自分の部屋に行って出てきた妻に事情を話し、
警察と救急車を呼んだんですよ。ええ、それから自分らの棟は大騒ぎになりました。
それまで急病人が出て救急車が来たことはありましたけど、
自殺者なんていなかったですから。もちろん自分は警察から事情を聞かれたので、
見たとおりのことを話しましたよ。

こんなことがあったんですが、これは始まりに過ぎなかったんです。
遺体は救急車が運んでいったものの、即死だったようです。
でね、その男性は団地の住人ではなくて、同じ市内ですが、
かなり離れた場所に住んでる人だったみたいです。ええ、このあたりの話は、
7号棟の住人と仲がいい妻が聞き込んできたものです。
それから、4月中に3人自殺者があったんです。
全部7号棟からで、それも7階の同じ場所からだと思います。
落ちた場所が同じでしたから。それと、その3人は性別も年齢もバラバラだったんです。
男性が一人、16歳の高校1年生でした。女性が2人、一人は20代のOL、
もう一人は40歳過ぎの主婦。市内に住んでる以外は共通点がなかったと思います。
その3人に関しては、自分のような目撃者はいなかったんですよ。

飛び降りた時刻が日中だったせいだと思います。団地の住人は共働きが多いし、
子どもは学校に行ってるので、日中はほとんど人がいないんです。
で、このことをマスコミが嗅ぎつけて、週刊誌に大きく出たんです。
「○○団地で謎の連続転落死。死亡者に共通点はなし。自殺か、事件か?
 現代のミステリー」って。でもねえ、これってたしかに不思議な話ですよね。
団地の住人じゃない、外部の人が4人も、同じ場所で転落死してるんですから。
たまたまこの団地が選ばれたんだとしても、
道路から近い1号棟で飛び降りそうなもんじゃないですか。
それがどういうわけか、わざわざ奥まった7号棟まで来て飛び降りるんですから。
何か理由があるんだと疑いますよね。マスコミの取材の車もかなり来ましたよ。
それで、団地としても何か対策を取らないわけにいかなくて、

近くの公民館を借りて、夜に自治会の会議が開かれたんです。
司会は団地の所有者で、管理人も同席していました。で、自殺防止のために、
廊下の手すりにフェンスを設置してはどうかって話が出たんです。
あと落下防止用のネットも。でもね、自殺者が出てるのは7号棟だけですから、
他の棟の居住者はあんまり熱心な感じじゃなかったですね。
とりあえず、当面は管理人による見回りを強化するってことになりました。
で、その会が終った後に、管理人さんに呼び止められたんです。
管理人さんは2人いまして、前のほうの6棟と後ろの5棟に分かれてたんですが、
7号棟が入ってるほうの管理人さんです。60歳過ぎの嘱託の人で、
自分もよく知ってました。「明日、日曜だが会社は休みだろうか?だったら、
 701号室に入ってみるから自治委員として立ち会ってくれないか」

こんな話をされました。ええ、701号室というのは、最初の男性がすがりついていた
ドアの部屋のことです。でも、そこはしばらく人が住んでいないはずなんです。
管理人さんは続けて、「あの部屋はほら、品のいいお婆さんが一人で住んでただろう。
 けど、2ヶ月ほど前から部屋に戻ってないんだ」もちろんそのお婆さんも知ってました。
長年幼稚園の先生をしていたという人で、とても穏やかな人柄だったんです。
「お婆さんが部屋にいないことで、家族と連絡をとったんだよ。そしたら、
 賃貸料はこちらで払うから当分そのままにしておいてくれって言われてね」
ということで、翌日の午前9時に、いっしょにその部屋に入ってみる約束をしました。
ええ、自分も不思議だったんです。なんであの自殺した男性が、部屋の前で泣いてたのか。
その後、どうして3人もの素性がバラバラな人物があの部屋の前の手すりから飛び降りたのか、
何かわかることがあるかもしれないと思ったんです。

約束の時間に、管理人さんがマスターキーで鍵を開けて、2人でその部屋に入りました。
中の造りは自分ところと同じですが、入ったとたんすごいカビの臭いがしたんです。
カーテンを閉め切ってあったので電気をつけるとギョッとしました。
部屋中に絵が貼られてたんです。いや、画家とかのじゃなく、子どもの、
幼稚園児がクレヨンで書いた絵だと思いました。どれも同じ題みたいで、
出てきてるのはお父さんと母さんと子ども、という家族の絵だったんですが、
その、手を繋いだりしている子どもの顔の部分だけに、赤のマジックで☓がつけられてて。
明らかにそれだけ後に書き込んだもんです。異様な気分になって絵を見ていると、
奥の部屋でガサガサって音がしました。管理人さんが先に立って襖を開けると、
「うわっ!」と大声を出しました。部屋中がカビてたんです。
濃い緑色の、苔に近いような毛足の長いカビが壁から天井から一面に・・・

ええ、手前の部屋はなんでもなかったのに、その部屋だけがカビだらけで。
で、奥に壁いっぱいの巨大な仏壇があって、ガサガサいう音はそっちから聞こえてたんです。
「この引き出しだなあ」管理人さんが言って、扉が閉まった仏壇の下の、
横長の引き出しをひき開けました。そのとき、いっそう強烈なカビの臭がして・・・
中は緑色のカビというか泥でいっぱいで、その表面に写真が浮いてたんです。
写真は5枚ありました。全部が幼稚園と思える子どもたちの集合写真でしたが、
どれも年代が違ってみえました。かなり黄ばんだ古いのもあったし、
新しいのもあったってことです。あと、20人ほどの園児の中で、どの写真にも一人だけ、
顔が○で囲まれてる子がいたんです。前の部屋の絵に☓をつけた赤マジックと
同じだと思いました。管理人さんは1枚1枚写真をひっくり返して裏を見てました。
どれもカビで汚れてたんですが、1枚だけそれほどでもないものがあって、

そこに、やはり赤マジックで「この子は連れていく」と達筆な字で書いてあったんです。
管理人さんに「どう思う?」って聞かれたんで、「5枚ありますね」とだけ答えました。
これで話はほとんど終わりです。わけがわからないですよね。
それは自分も同じです。で、5月に入りまして、また一人外部から来た人が
7号棟の701号室の前の廊下から飛び降りて亡くなりました。
その人は30代の一流会社のサラリーマンで、悩んでる様子なんてまるでなかった、
なんで自殺したのかわからないと家族が言ってるって、週刊誌には出てました。
それで自殺者は終わりです。701号室のお婆さんの行方は結局わからないまま、
家族が部屋がカビで汚れた損料を払って契約解除になったようです。
自分は翌年、もっと都心部にある部屋に引っ越したんで、この後のことはわかりませんけど、
団地は古びて入居者は少なくなったようですが、今もまだそこにありますよ。









安倍マリオと地球空洞説

2018.02.04 (Sun)


変な題名ですが、今回はこのお話をしてみたいと思います。
早いものでリオ オリンピックはもう一昨年のことになりましたが、閉会式で、
安倍首相がマリオに変身し、ドラえもんが作った土管で地球の中心を抜けて
リオの会場に飛び出してくるというPR映像が出ていました。
あれって、本当にできるんでしょうか?・・・まあ、できませんよね。
できないんですが、考えてみるのは面白そうです。
(自分が計算機片手に思考実験しましたが、間違いがあるかもしれません。)

まず、地球の直径は12742km、これに土管を通すことができるか。
地球の内部の上のほうは、地殻という岩盤になっています。
この厚さが、だいたい30~40kmほど。検索してみると、
青函トンネルの長さは53.85km・・・おお、なんか掘れそうな気もします。

ですが、水平方向にトンネルを伸ばすのとは違って、
下向きに掘れば掘るほど、温度と圧力は高くなっていくはずです。
ちなみに、これまで掘られた最も深い穴はロシアで約12km。
このときの内部温度は180℃だったそうです。



まあでも、なんとか地殻を突破できたとしましょう。
その次にあるのはマントル、どろどろに溶けた岩石と金属の層です。
上図を見てもらえばわかりますが、温度はその上部で1000℃、
地球中心部で6000℃程度になります。(上図は華氏)
これは太陽の表面温度と同じくらいですかね。

うーん、アメリカのスペースシャトルが地球に戻ってくる大気圏再突入では、
表面の耐熱タイルは1500℃ほどになるそうです。また、日本の人工衛星、
「はやぶさ」が帰還したときには、機体の温度は3000℃まで上がりました。
では、6000℃に耐えて、しかも中の人間が無事な土管は作れるのか・・・

次に圧力を見てみましょう。地球の中心部にかかる圧力は360万気圧、
これは途方もない数値です。日本が誇る深海探査船、「しんかい6500」が
耐えられる圧力が700気圧・・・これはダメですね、文字どおりケタが違います。
温度のほうは何とかなる土管が作れたとしても、
圧力で一瞬のうちに消えてなくなってしまうようです。

ま、普通はここまで考えて終わりなんでしょうが、それだと夢がないので、
日本からブラジルのリオまで届く土管が作れたとします。
では、その中に飛び込むとどうなるのか?
これ、内部に空気があると摩擦熱で燃えてしまう上に、衝撃波も発生するので、
中は真空にするしかないでしょう。真空には熱を伝えない利点もあります。
安倍マリオには酸素ボンベを背負い、宇宙服を着てもらいましょう。
また、地球の自転の影響は無視します。

トンネルに飛び込むと、そのまま地球の重力で自由落下していくわけですが、
1分後にマッハ2、3分後にマッハ5、21分後に地球の中心に到達して
マッハ23ほどになります。およそ秒速8000mです。
これが最高速度で、そこからは地球の重力でだんだんに減速していき、
リオに着いたときは速度0になっているはずです。
日本ーリオ間の到達時間は21分の2倍、42分です。

ここでまた問題があります。人間の体ってこのスピードに耐えられるんでしょうか?
検索してみましたら、スカイダイビング競技で、
パラシュートを開かないフリーフォール中にマッハ1を超えた人はいるようです。
それでもせいぜい、秒速にすれば350mくらいです。
うーん、まあ、安倍首相は超人なので耐えられることにしましょう(笑)。

ということで、ここまで見てきたかぎり、最大の問題は地球内部の圧力、
これに耐える土管を作るのは、どうやっても不可能でしょう。
しかし、もし地球の内部が空洞だったとしたら?
これ、昔からオカルトで言われている、
「地球空洞説 hollow Earth theory」というやつです。

地球空洞説


みなさんは、「ハレー彗星」という言葉を聞いたことがあると思います。
イギリスの天文学者、エドモンド・ハレーが回転周期を発見したので、
彼の名がつけられているんですが、このハレーさん、実はオカルトの人で、
「地球空洞説」を大真面目に発表しているんですね。
彼によれば、地球内部には空気の層があって明るく、
人間の居住が可能だろうとなっています。

また、スイスの数学者、レオンハルト・オイラー。
天才というしかない頭脳の持ち主でしたが、彼も地球空洞説論者でした。
地球の内部の中心には太陽があり、高度な文明が発達しているという説です。
フランスの小説家、ジュール・ベルヌは『地底旅行』で夢のあるSFを書きました。

現在から考えれば、トンデモの極地のような地球空洞説ですが、
ハレーは17世紀、オイラーは18世紀、ベルヌは19世紀の人です。
当時の科学水準では、これも立派な仮説として認められていました。
空洞説が完全に否定されたのは、20世紀になってからのことなんですね。

さてさて、もし地球の内部が空洞で気圧も地上と変わらないなら、
安倍マリオはリオに行けるのかもしれません。
しかし、さすがにそうではないので、高速のジェット機で行くなどの現実的な方法を
考えたほうが、費用対効果の面でもよさそうですね。
マッハ2の速度の個人用ジェットで、リオまで最短距離で直行するとすれば
だいたい15時間ほどじゃないかと思います。

関連記事 『地球平面説について』









「魏志倭人伝」を読む1

2018.02.03 (Sat)


「魏志倭人伝を読む」という新カテゴリを立ち上げました。
表題のとおり、「魏志倭人伝」を少しずつ読んでいこうというわけです。
自分は考古学出身なので、その話も文献にからめて書いていきたいと思います。
で、今回は最初として、「魏志倭人伝」とは何かについて、
Q & A方式で述べていくことにします。

Q:「魏志倭人伝」という書物があるの?
A:ありません。これは『三国志』という大著の中の一部分で、
 「三国志 魏書 第三十巻 烏丸鮮卑東夷伝 倭人条」を略したものです。
 「魏志倭人伝」は古代の漢文で書かれた、およそ2000字の文章です。

Q:へー、じゃあその『三国志』って誰が書いたの?
A:陳寿(ちん じゅ 233~297年?)という人が書きました。
 陳寿は初め蜀漢に仕え、その後、西晋に仕えました。

Q:『三国志』はいつ書かれたの?
A:280年代に完成したと推定されています。
 いつから書き始められたかはわかりません。研究者によっては、
 呉が滅亡した280年から書き始めたという意見もあります。
 たしかに、中国の史書は前王朝が終わってから書かれるものではあるのですが、
 『三国志』は計65巻の大著なので、それ以前から書いていた可能性もあるでしょう。

Q:『三国志』って史書としての評価はどうなの?
A:中国の正史というと普通、「二十四史」を指しますが、
 『三国志』はその中でも評価が高いものの一つです。
 評価が高い理由は、魏・呉・蜀の三国が興亡した時代から
 それほど時を経ずに書かれたこと。それと内容が簡潔なことです。
 簡潔というのは、事実かどうかわからない怪しげな逸話(エピソード)を排し、 
 史実を中心にして書き進められているという意味です。

Q:『三国志』はどうやって書かれたの?
A;中国の史書というのは、基本的に文献資料を集めて編纂したものです。
 『三国志』も、先行する書、王沈の『魏書』、魚豢の『魏略』、
 韋昭の『呉書』などを参考にして書かれたと考えられています。
 現代のルポルタージュみたいに、陳寿自らが、
 関係者にインタビューして回ったなんてことはないと思いますよ。

Q:編者の陳寿は日本に来たことがあるの?
A:いいえ。陳寿は四川省で生まれた内陸、中国南部の人です。
 日本、当時の倭国に来たとは考えられません。
 
Q:『三国志』は皇帝の命令で書かれたの?
A:違います。中国の史書には官製のものもあるんですが、
 『三国志』の場合は、陳寿が私的に書いたものが後に正史として採用されたんです。
 『晋書』の陳寿伝では、陳寿が病のため65歳で死去した後、
 群臣の勧めにより、皇帝の命で陳寿の家に遺されていた三国志が筆写され、
 後世に伝えられたことになっています。

Q:「魏志倭人伝」以外に、邪馬台国の時代の倭国の様子が書かれたものってあるの?
A:邪馬台国と同時代の資料はこれが唯一と言ってもいいでしょう。
 他に比較検討できるような文献はありません。
 そのことが邪馬台国問題を難しくしているんです。これ以降に書かれた文献はみな、
 「魏志倭人伝」の内容をほぼ踏襲していると考えられます。
 
Q:「裴松之注」って何ですか?
A:これは、裴松之(はい しょうし)という人が『三国志』につけた注釈のことで、
 略して裴注と言います。『三国志』があまりに簡略であることを惜しんだ宋の文帝が、
 429年、裴松之に命じて作らせたものです。『三国志』本文が37万字に対し、
 この注は36万字もあります。陳寿が採用しなかった、
 信頼性の薄いエピソードなどもこれには書かれていますね。

Q:『三国志』の編集で、陳寿はどっかをひいきにしたりしてないの?
A:これはいい質問ですね。陳寿は始めに蜀に仕え、その後に西晋(魏)に仕えたため、
 どちらの君主も皇帝として書いていますが、呉に関してはそうではなく、
 一段落ちる扱いになっています。このことは頭に入れておいていいかと思います。

Q:『三国志』の編集方針はどんなものなの?
A:前に説明したように、史実性の高い内容のみを簡潔に書くことです。
 あと、三国時代には、儒教がどの国でもほぼ国教となっていました。
 ですから「○○は生前、私財を蓄えず清貧のうちに過ごしたので、
 その死後、妻子が金銭に困った」などという儒教的な価値観に基づいた話
 がいろいろ出てきます。これも重要なことですね。

Q:「魏志倭人伝」はどうして、「倭国伝」や「倭伝」じゃないの?
A:それは・・・私見を述べれば、倭国と名乗っている国は「魏志倭人伝」には
 出てきません。卑弥呼はあくまで邪馬台国の女王なんですね。
 また、卑弥呼は魏から倭王の称号を受けましたが、
 「魏志倭人伝」の中には卑弥呼に従わない国も出てきています。
 ですので、それらを総称して「倭人」としたのではないかと思います。
 
Q:最後に『三国志』ってネットで読めるの?
A:読めます。自分がよく参照させてもらっているのは、「中國哲學書電子化計劃」
 というホームページで、中国の多くの古典が原文(句読点あり)で読めます。
 さらに全文検索もできるので大変に便利です。
 右にリンクを貼っておきます。      中國哲學書電子化計劃   







雪の足跡の話

2018.02.02 (Fri)
ついこないだの土曜のことです。俺、大学生で、仲間の部屋でマージャンしてたんです。
それが夜中の1時ころにいったん中断して、外に飯食いに出ようってなって。
そんな時間だから、向かったのは郊外にある24時間営業のファミレスです。
軽だけど、車で来てたやつがいたんで、それに4人乗って。
でね、このところすごい寒波だったでしょ。
そんなに降る地方じゃないんだけど、外は薄っすらと雪が積もって冷えてたんです。
「何だよこの車、ちっともあったまらないぞ」
「ちゃんとタイヤ替えてるんだろうな」こんな話をしながら山を抜ける国道に出ました。
すれちがったのは長距離トラック1台だけでしたね。
でね、真っ白になった道を走ってると、急に運転してたやつが、
「ああっ!」と言って急ブレーキをかけたんです。

車はスピンとかすることもなく止まりました。「何だよ?」 「どうした?」
「いや、今、動物が飛び出してきて、轢いたと思う」
「動物? 冬だから動物とかいないだろ」 「いやでも、黒い影が道路脇から出てきて、
 あたった衝撃も感じた」 「えー、何もなかったぞ」
車を道路脇の街灯によせて停めました。で、運転してるやつが懐中電灯持って
降りてったんで、俺らも後に続いたんです。そいつは車の前部を照らしてましたが、
「ほら、ここ、へこんでる。うわ。血もついてる」見ると、
たしかにそうなってたんです。へこみは、ボロ車だから前からあったかもしれないけど、
右のタイヤの上のバンパーの色が変わってるのがわかりました。
でね、みなで後ろを振り返ってみたんですが、動物の死体が道路に落ちてる
とかはなかったです。脇の雪の中に飛ばされたんだろうって思いました。

でね、また車に乗り込んで、走り出したすぐのところに鳥居が見えたんです。
「あれ、こんなとこに神社あったか?」 「記憶ないな。それよりここ、
 飯食った帰りに寄らないか。お前らどうせ初詣とかしてないだろ」
「ああ、行ってない」 「俺は帰省した田舎で行った」 
それから10分ほどでファミレスに着きました。俺ら以外の客はいなかったです。
いちおう運転してるやつがいるんで、誰も酒は飲まなかったですよ。
マージャンで勝ってたやつにおごらせたりして、
3時前にはファミレスを出ました。そしたら、来るときは降ってなかったんですが、
ちらちら雪が降りだしてました。「さっきの神社、ほんとに行くのか?」
「行こうぜ、どうせ明日も休みなんだし」 「こんな時間、神社は開いてないだろ」
「まあいいじゃね」ってことで、道路脇に車を停めて、鳥居をくぐってたんです。

20mほどの参道は除雪してました。予想どおり神社の戸は閉まったんで、
鈴を鳴らし、外にある賽銭箱にそれぞれ10円玉を投げ込んで、
みなでお祈りらしい格好をしました。「何、願ったんだよ」
「マージャンの勝ちに決まってるだろ」 「戻ったら続きやるのか」
「あたり前だろ」 「朝までだな」こんな話をしながら車に戻ろうとしたとき、
「うん?」って一人が言って、参道を脇に外れてったんです。
「おい、どした?」 「ん、いや何か光った」 「何が?」
そこにはけっこう大きな木造の小屋みたいなのがあって、
外に面したほうに金網が張られてました。運転してたやつが懐中電灯を持ってたんで、
中を照らすと、木でできた馬の像があったんです。
「ああこれ、奉納された馬だな」 「俺の実家の近所の神社にもある。

 昔は本物の馬を奉納してたのが木の像にかわって、さらに絵馬になったんだろ」
「光るものなんて何もないぞ」 「おっかしいなあ。さっき、
 青白い光が2つ見えた気がしたんだが。ちょうどこの馬の顔のあたりに」
「気のせいだろ。寒いから早く車に戻ろうぜ」こんな会話をしてまた走り出しました。
もちろん俺ら以外に走ってる車はなし。でね、10分くらい走って、
そろそろ街の明かりが見えてくるかってところで、ドーンとすごい衝撃があったんです。
俺、そんとき、運悪く助手席に乗ってたんですよ。
運転席のエアバッグは開いたんだけど、古い車だったんで助手席にはついてなくて、
俺は前のほうにしたたか頭をぶつけ、一瞬気が遠くなりかけました。
運転してたやつは、エアバッグに頭をうずめてましたが、
頭上げてこっち見て、「おい、大丈夫か?」って聞いてきたんです。

額とひざがしらが痛かったんですが、大きなケガはない気がしたんで、
「ああ、何とか」そう言って後ろを見ました。後部席の2人も、
呆然とした顔はしてましたが、特に大ケガはしてないようでした。
「いでででで」 「何だよ、何にぶつかった?」でもね、俺、見てたんですけど、
車は普通に走ってて、ぶつかるものなんてなかったんです。
そんときです。「ガズン、ガズン」ってフロントガラスの上で大きな音がして、
車体がグラグラ揺れたんです。「あ、何だ?」
ボンネットの上に何かが乗ってる感じがしたんですが、
チラチラ降る雪しか見えませんでした。「ガン、ガン、ガン、ガン」
今度は屋根の上で音がしました。「外へ出よう」誰かが言って、
そんとき車は道の真ん中で止まってたんですが、4人ともドアを開けて外に出ました。

降りてみると、車の右前方、運転席の前がかなりひしゃげてました。
でね、「ガツ、ガツ」って音がいっそう大きく聞こえたんです。
やはり車の屋根のほうからです。エンジンが停まってるのに、
音がするたびに車がグラグラ動いてました。いや、何も見えないんですよ。
でもたしかに、車の上に大きな物が乗ってるのがわかりました。
「何だ?」 「見えない物がいる!」一人がスマホを出しました。
警察にかけようとしたんだと思いますが、ザンと地面が鳴って、
車の上の物が雪の上に飛び降りたと思ったんです。他のやつらもそう感じたらしく、
一人が「あ、あれ」って雪の上を指差したんです。
ええ、足跡がついてました。人間じゃなくて動物のかなり大きな。
二つに分かれたヒズメの跡で、今になって考えると鹿なんじゃないかと思います。

「フー、フー」という音も聞こえてきました。これ、たぶん鼻音です。
で、スマホを持ってたやつの手が上に弾かれ、スマホが宙を飛んだんです。
「あだっ!」そいつは肘を押さえてうずくまりました。
俺ら4人はそいつのまわりに固まるように集まって・・・
ヒタ、ヒタ、ザッ、ザッって、四方から音がしてきました。
いや、何も見えないんですが、一人が「おい、あれ!」下の雪を指差したんです。
息をのみました。街灯のある場所からは離れてましたが、雪あかりで見えたんです。
俺ら、無数の足跡で囲まれてたんですよ。大きいのも小さいのもありましたが、
それ全部、動物の足跡だと思いました。ただ、動物だとしたら鳴いたりするはずなのに、
声は聞こえなかったです。鼻息と、獣の臭いと、あと、強い気配とです。
それに俺らは囲まれて、どうすることもできませんでした。

足跡は、俺らから2mばかり離れたところまでで、それ以上は近づいてきませんでした。
ただ、俺らのうちの誰かが、スキをみて車に戻ろうとしたり、
電話をかけよとすると、そのときには、見えない獣の中の大きいやつが体当りして、
押し戻してきたんです。そうしてるうちに20分くらいが過ぎました。
時間は4時ころで、通りかかる車もなし。でね、俺が、
「何だかわからないけど、俺らに対して怒ってるんだ。おい、とにかく謝ろう!」
って叫びました。で、囲んでる動物たちのほうに土下座したんです。
残りの3人もすぐに真似しました。四方に向いて「ごめんなさい、ごめんなさい」
「申しわけありませんでした!」 「許してください、お願いです、許してください」
とにかく全員が思い思いの言葉でひたすら謝り続けて・・・
それが通じたのか、ふっ、ふっと、一つずつ気配が消えていく気がしました。

30分近くも謝ってたでしょうか。雪に座った膝のあたりの感覚がなくなってきたとき、
すべての気配が消えたように感じました。遠くからヘッドライトの光が見えてきました。
中型のトラックが来て急ブレーキをかけ、道の真ん中で止まってた俺らの車の
ギリギリのところまで来て停止しました。ややあって、トラックの運転手が出てきて、
「何だ、兄ちゃんたち、事故かあ?」って聞いてきて、
それで助かったってわかったんです。動物の無数の足跡はまだ雪の上に残ってました。
どっかから来たんじゃなく、空から降って湧いたみたいに、
足跡は俺らのいたまわりにしかありませんでした。車はレッカー移動するしかなかったです。
警察が来たころには、足跡は新雪が積もってほとんど消えてましたよ。
いまだにあれが何だったのかはわかりませんが、もしかしたら、ファミレスへ行く途中で、
何かの動物を轢いてしまったことと関係があるのかも・・・








スーパー・ブルー・ブラッド・ムーン

2018.02.01 (Thu)


東京都千代田区の複合ビル「東京ガーデンテラス紀尾井町」の3階屋外スペースで、
1月31日、月が地球の影に覆われて暗くなる「皆既月食」を
観察するイベントが開かれ、約400人が参加した。

事前の天気予報では、今回の皆既月食はきれいに見られる地域が少なく、
太平洋側でも観測は雲の切れ間からになるもよう、
とも言われていた。本番を迎えると、東京都千代田区の上空は雲が少なく、
観測しやすい空もようとなった。

午後8時48分ごろ、月が左下の方から欠け始めた。「欠けてきた」「すごい」
などという声が出始めたが、参加者たちは観察に夢中になったのか、
かえって話し声が減り、会場内は月食前より静かになった。

葛飾区から来たという保育士の小山尚美さんは、会場に設置されていた望遠鏡を
のぞき終えると、「テレビでしか月食を見たことがなかったので感動しました。
日々の疲れもいやされました」と満足げに話した。
(THE PAGE)

今回はこのニュースでいきます。みなさんはご覧になられましたでしょうか。
この皆既月食は、日本全国で見えるはずでしたが、
天候によっては、雲に隠れてしまう場合もあります。
幸いにして、自分は見ることができました。

さて、今回の皆既月食は、マスコミなどで、
「スーパー・ブルー・ブラッド・ムーン」などと呼ばれていましたが、
これは3つの現象が重なっているからです。
計算上、平均して265年に1度の出来事なんだそうです。
まず、スーパームーンについて。これ、前に書いたので、
それを参照していただければいいんですが、月が大きく見える現象のことです。

関連記事 『スーパームーンがやってくる』

ご存知のように、月は地球のまわりを回っているわけですが、
その軌道は円ではなく楕円形なので、地球に近づいている時期と
遠ざかっている時期があります。地球から月までの平均距離は約38万kmで、
近いときには約35万km、遠いときは40万kmほどになります。
現在は月が地球に近づいている時期で、その間に満月になれば、
それをスーパームーンと呼びます。

次にブラッドムーンについて。これは皆既月食にともなって、
月が血のような赤い色に染まることを言います。
月食のしくみは、何も難しいことはありません。地球が太陽と月の間に入り、
地球の影が月にかかることによって月が欠けて見えるんですね。
下の図がわかりやすいんじゃないかと思います。



このとき、光の7色(虹の色)のうち、主に地球の大気によって屈折した
赤い光の波長が月に届くので、それに照らされて赤く見えるわけです。
古来から、赤い色は警告色、危険を知らせる色と考えられ、
不吉なことが起きるとも言われていきました。

でも、月食ってけっこう多いんです。年に2回から3回起きることもあります。
21世紀の100年間では合計142回(皆既月食85回、部分月食57回)
起きると計算されています。ですので、今回もし見逃したとしても、
まだまだ見るチャンスはあるでしょう。

さて、これまで説明したスーパームーンとブラッドムーンは天体現象なのですが、
ブルームーンはちょっと違います。ひと月に満月が2回ある場合を
ブルームーンと言っているようです。2018年1月の満月は、2日と31日でした。
これは天体現象ではなく、人間側の都合によって起きるものです。
また、べつに月が青く見えるわけではありません。

月の朔望・・・朔(新月)から次の朔までの周期は約29.5日です。
これを1ヶ月とするのが太陰暦です。ところが現在は、世界のほとんどの国で、
太陽の動きで1年の長さを決める太陽暦を使っています。
太陽暦の1ヶ月の平均の長さは約30.4日なので、
ほんの少しずつですがズレていくわけです。それで1ヶ月に2度、
満月が入ってしまう月が出てきて、その満月がブルームーン。

ですから、現在でも太陰暦を使っている国には関係のない話です。
太陰暦だと、あたり前の話ですが、
1年に12回の満月が、きちんと月に1回ずつあります。
ちなみに、イスラム圏では現在も太陰暦を使用している国があるようですね。

さてさて、自分は西洋占星術師でもありますが、
西洋占星術では、月は人間の内面性を表すとされています。
つまり、仕事などで人中にいるときの自分ではなく、一人になったときの自分、
また、理性と感情で人間を分けた場合、月は感情の面を司るとも言われます。

ギリシア神話では月の神はアルテミス、ローマ神話ではディアーナ、
どちらも女神で、同じ神と考えられています。
銀の弓を手にする処女の姿で表されることが多いですね。
占星術では、太陽星座で占うのが通常のやり方ですが、
問題が微妙で繊細な場合は、女性的な月星座を使って占うこともあります。
これについて説明すると長くなってしまいますので、今回はこのへんで。

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月の女神ディアーナ