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木のある村の話

2018.03.31 (Sat)
今回は、釣り雑誌の編集部からの紹介で、youtubeに釣り動画を投稿している、
いわゆるユーチューバーのIさんと、大阪市内のいつものバーでお会いしました。
Iさんは大学の4年生で、就職活動はせず、当面は動画投稿だけで食べていく
予定なんだそうです。あいさつと自己紹介、少しの世間話の後、
うかがったのはこんなお話でした。「去年の夏休みのことです。
 投稿仲間の3人と、釣り旅行に出かけたんです。目的はもちろん、
 youtube用の動画を撮るためです」 「はああ、どちらのほうへ」
「東北の山間部です。宮城から岩手、青森にかけて1週間ほどの予定でした」
「渓流ですか?」 「いや、山中にある湖です。なんか神秘的じゃないですか。
 絵的にいいものが撮れるんじゃやないかと思いまして」
「えーと、釣りキチ三平に出てくる、何でしたっけ・・・タキタロウ! 

 たしかにワクワクする動画が撮れそうですよね」
「はい、ねらいはあんな感じです。ただ、タキタロウは山形なので、
 今回は行きませんでしたが」 「で?」 「3人でワンボックスカーを借りて、
 交代で運転しながら、宮城で3ヶ所、湖を回ったんです」 「釣果は?」
「それが、あんまり。岩魚中心だったんですけど、満足はできませんでした。
 でもね、さっきも言ったように、動画を撮るのが目的なんで」
「いい絵は撮れたと」 「そうです。で、岩手に入って、地図であたりをつけてた
 湖をめざして1時間ほど走ったところで、ナビがきかなくなっちゃったんです」
「はい」 「まあ、これ、そんなに珍しいことでもないんです。田舎のほうは、
 ナビに登録されてないような林道もけっこうあるから」 「はい」
「でも、道はいずれどっかに続いてるんで、そのまま走ってたら、

 霧が出てきたんです」 「夏休みだから、真夏ですよね。そんなに標高が高い
 とこにいたんですか?」 「いや、たしかに山地でしたけど、
 せいぜいが数百mです。だから、霧なんてありえないし、
 最初は何かを焼いてる煙かと思ったくらいで」 「はい」
「で、車は林道を抜けて、集落に入ってったんです。ナビがきかないから、
 地図を見たんですが、どこの町なのかもわかりませんでした」
「でも、普通、道には案内板が出てますよね」 「俺らもそう思って、
 探したんですがなかなか見つからなくて。これもねえ、今考えれば変なんですが」
「で?」 「集落は、両側が山に囲まれたようなせまいところで、
 田んぼなんかはなかったですね。小高い場所にぽつんぽつんと、
 昔風の大きな家がありました。あと、わずかな平地は、

 果樹園になってたみたいですが、あんまり詳しくなくて、りんごとか桃とか
 種類はわかりませんでした」 「はい」 「でね、田舎道だから人っ子一人
 通らないんです。とにかく商店を見つけて、現在位置を聞こうと思ったんです」
「で?」 「しばらく走ってると道路が未舗装になって、
 バス停の後ろにばあさんが立ってたんです」 「どんな人でした?」
「野良着っていうんですか、粗末な着物を着てて、頭に手ぬぐいをかぶってたので、
 顔はよくわかんなかったです。側に車を寄せて窓を開け、俺が、
 すみません、ここ何て町村ですか?って聞いたんです。でも、
 ばあさんは微動だにせず、返事も返ってきませんでした。何を話してもそうなんで、
 あきらめて車を出しました。そのときは、年寄りでよそ者を警戒してるか、
 たんにボケてるんだろうと思ってましたが・・・」 「はい」
 
「車を出してから、後部席にいた一人が変なことを言ったんです」 「どんな?」
「あのばあさん、おかしいぞ、お前ら見えなかったかもしれんが、
 ばあさんの後ろ、背中のほうずっとシダみたいな葉が生えてた、って」 「で?」
「何をバカな、って言ったんです。そんな妖怪みたいなばあさんいるわけないだろ、って」
「まあそうですよねえ、で?」 「そっからまた、一本道を走ってったんですが、
 だんだん霧が濃くなってきて、ライトをつけてもあんまりよく前が見えなくなって」
「で?」 「それで俺らも気味が悪くなってきて、逆にスピードを上げたんです。
 対向車も後続車もなかったですから。とにかく早くここ、抜けちまおうって」
「はい」 「そうしてるうちに、○○酒店って看板が見えて。そこで、道を聞こうと
 思って前に車を停めました。で、3人で中に入ってったんですが、
 いくら呼んでも人は出てきませんでした。それでね、変なことがあったんです。

「どんな?」 「店の中は昔風で、棚には日本酒の一升瓶が並んでましたが、
 黄色っぽいほこりだらけで。あと、店の床はコンクリだったんですが、
 あちこちに深いひび割れができてました。でね、その底のほうに、
 太い蛇みたいなのが見えたんです」 「蛇、ですか?」
「いや、よく見ると木の根っこです。人間のふとももくらいの太さで、
 ねじれた白い木の根っこ。それがびっしり張ってるみたいで、あのせいでコンクリが
 割れたのかもしれません」 「ははあ、で?」
「俺らは顔を見合わせて店を出たんです。そっからまた走ってくと、 
 急に空が暗くなったんです」 「はい」 「仲間の一人が、すげえ見ろ!って、
 横手のほうを指さして」 「はい」 「けっこう高い鳥居が見えたんですが、
 それに覆いかぶさるようにして、巨大な木があったんです」

「巨大な木?」 「そうです。これ、信じてもらえますかね。幹がどれくらい太いかも
 わからなかったです。中空に見えてるだけで、家一軒分はありました」
「まさか」 「いや本当です。高さもどこまであるかわかんなかったです。
 もしかしたら通天閣より高かったかも」 「・・・」 「その木が、大きく枝を
 広げ、葉が茂って道にまでせり出してきてて。それで空が暗くなったように
 感じたんですね」 「何の木かわかりますか? 種類です」
「それが、あんまり詳しくないんですよ。細かい葉っぱでした。帰ってきてから
 ネットで調べたのでは、ネムノキに似てましたね。
 でも、そんなに大きくなるはずはないし」 「で?」 「やめればよかったんですが、
 車を降りて、3人で神社に入ってったんです」 「はい」
「鳥居をくぐって近づくにつれて、木の全容がわかってきました。

 古い神社の屋根を突き破ってというか、神社は全壊してて、その跡地に木が生えてる
 っていうか。でね、木の幹には近づけなかったんです」 「どうして?」
「木の根が何重にも取り巻いて地面をはってたからです。太いので5m、土管くらいのものは 
 無数に根っこが地面に露出してて、ぐるぐる木の周りにうねってて」 「で?」
「それで、積み重なった根っこの上に、ぼこんぼこんと黒いものが突き出てました」
「で?」 「それ、何だったと思いますか?木で彫った、等身大の人間です」
「・・・」 「ろうそく立てに立ってるろうそくみたいに、黒い人間が、
 さまざまな高さで根っこの上に突き出してて」 
「うーん、誰かが木の根を、人の姿に彫ったってことですかね」 
「俺もそのときにはそう思いました。でも・・・黒い人間はあまりに細かく彫られてて、
 ものすごいリアルだったんです」 「それ、服も彫ってあったんですか?」

「いえ、全部 裸でした。大人も子どもも、男も女も・・・年寄りが多かったですけど、
 みな裸でした。でね、中には服らしきものがまだ引っかかってるのもあったんです」
「Iさんって、ユーチューバーでしたよね。もちろんその木、動画に撮ったんですよね」
「それが・・・、今、説明します。仲間の一人がカメラを構えると、
 やめろ、ストップ!!って、でかい声がしまして。半壊した社務所の後ろから、 
 自衛隊らしき人が何人も出てきたんです。みなガスマスクをしてました」 「え?」
「で、その人たちにビデオカメラもデジカメも全部没収されちゃったんです」
「抗議しなかったんですか」 「それまで撮りためた釣りの動画も入ってたんですが、
 文句言う雰囲気じゃなかったんです。俺らが自衛隊の基地に無断で侵入した
 みたいな扱われ方をしました。隊員の中には銃を肩に掛けてる人もいましたし」
「それ、ただごとでないですね」 「ええ、でね、隊員の一人が、

 すぐにきた道を戻りなさい、まだ胞子が出る時期まで1ヶ月ある。シールドが
 破れたようだが、あなたたちは運がよかった、みたいなことを言ったんです」 
「胞子・・・」 「軍用車両に前後をはさまれる形で、一本道を戻ったんです。
 でね、最初に道を聞いたばあさんがいたでしょ」 「はい」
「それが、まだ同じ場所にいたんですよ。でも・・・」 「でも?」
「50cmほど高くなってました。足が木の根っこに続いてて、宙に持ち上がってたんです。
 それと、かぶってた手ぬぐいが落ちて、頭全体から葉っぱが生えてました。
 その中から無表情な顔だけが突き出して・・・」
「う」 「岩手県のある市の近くでやっと開放されたんですよ」
「口止めとかありましたか?」 「それが、特別は言われてないんです。
 ですから、こうして話してるんです」 「うーん、その後は?」

「カメラ類を全部取られてしまったんで、しかたなく旅行は中断しました。
 でもね、機材代だけでも大損害ですよ。これ、防衛庁に請求すればいいんでしょうか」
「うーん、やめといたほうがいいかもです。その場所、調べたんですよね」
「はい、グーグルアースで。でも、その村があると思われる場所のあたりは、
 全部低い山地なんです。もちろん地図にも載ってなくて」
「うーん、奇妙な話ですねえ。Iさん、体調とか変わりないですか?」
「あ、俺は特に変わったことはないんですが、仲間の一人で、
 ずっと咳をしてるやつがいるんです。本人は風邪をこじらせたって言って、
 病院にも通ってますけど」 「そうですか、大事ないといいですね」
Iさんにはお礼を言って別れました。で、この話、ブログに書こうかどうか迷ったんですが、
こうやって書いてしまいました。この後、自分にも何かあるんでしょうかねえ。



 
 

 


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頼光四天王と3本の刀

2018.03.30 (Fri)
今回も刀シリーズですが、この内容は史実ではありませんので、ご注意下ください。
さて、源頼光はご存知でしょう。平安時代後期、10世紀から11世紀
にかけて実在した武将で、当時権勢を誇っていた藤原道長の側近の一人です。
その生涯は、不可思議な伝説に彩られています。

源頼光と酒呑童子の首(歌川国芳)


さて、この頼光の家来の中でも、特に武勇に優れたものを四天王といい、
「渡辺綱 わたなべのつな」 「坂田金時 さかたのきんとき」
「碓井貞光 うすいさだみつ」 「卜部季武 うらべのすえたけ」の4人です。
ただし、この中で、幼名を金太郎といって、民話の主人公となっている
坂田金時に関しては、実在の人物ではない可能性が高いようです。

そして、この主従のところには、「童子切安綱 どうじきりやすつな」 
「膝丸 ひざまる」 「髭切 ひげきり」の、3本の伝説的な
日本刀が集まっていました。この中で最も有名なのが、
大江山に棲む鬼、酒呑童子を斬ったとされる「童子切」でしょう。

一条天皇の時代、京の都から若い姫君が次々にいなくなり、
安倍晴明の占いで、大江山に住む鬼の仕業とわかった。
そこで帝は源頼光らを征伐に向わせた。
頼光らは山伏をよそおって酒呑童子の棲家に入り、
八幡大菩薩から与えられた毒酒「神変奇特酒」を童子らにふるまい、

酔って寝入ったところを首を斬った。
童子は首だけになっても、頼光に噛みついたが、
頼光は家来の兜も合わせて2つかぶっていたので助かった。(上図)
一行は、首級を持って京に凱旋し、首は宇治の平等院の宝蔵に納められた。

だいたいこんなお話です。このときに、酒呑童子の首を刎ねた刀が、
「童子切安綱」ということになっています。酒呑童子が鬼だったというのは、
もちろん伝説ですが、頼光が宣旨を受けて、大江山で賊を討伐したことは
記録が残っています。事実に尾ひれがついて、こういう話になったんでしょう。

さて、現在に残る実際の「童子切安綱」は、平安時代の伯耆国の刀工、
安綱作とされる日本刀で、刃長二尺六寸五分(約80cm)、国宝として、
東京国立博物館に所蔵されています。(下図)試し切りしたところ、
6人の罪人の死体を積み重ねて斬り、さらに土壇にまで刃がくい込んだと言われます。

「童子切安綱」


ただし、製作年代に関して、大江山の酒呑童子伝説よりも後につくられた
のではないかとする説が有力ですね。もちろん、日本刀としての価値はきわめて高く、
「天下五剣」の一つで、「大包平 おおかねひら」とともに、
「日本刀の東西の両横綱」とまで言われています。

次に、「膝丸」ですが、これは筑前に住む唐国の鉄細工師が、
八幡大菩薩の加護を得て、「髭切」とそろいで作った二尺七寸の太刀とされます。
名前の由来は、死罪人の首を斬ったところ、
首と同時に膝の皿まで切り落としたということからです。

この刀も頼光が持っていたもので、もちろん伝説があります。
頼光が病にふせっていたところ、枕元に身長7尺の怪僧が現れ、縄を放って
頼光をからめとろうとした。頼光がなんとか膝丸を抜き放って、
怪僧に斬りつけると、僧は逃げていったので、翌朝、頼光が四天王と血の跡を
つけていくと、巨大な蜘蛛が死んでいた。頼光は蜘蛛を鉄串に刺して河原にさらした。
・・・このことによって、刀の名は「膝丸」から「蜘蛛切」に変えられます。

土蜘蛛


さて、3本目の「髭切」は、四天王の一人、渡辺綱の所持刀で、
上に書いたように、膝丸とセットでつくられたもので、こちらは、
囚人の首を斬ったとき、その長い髭まで斬れたことから名づけられました。

綱が、夜中に京の一条戻橋たもとを通りかかると、
美しい女性がおり、夜も更けたので家まで送ってほしい
と頼まれた。綱は怪しいと思いながらも、それを引き受け馬に乗せた。
すると女はたちまち鬼に姿を変え、綱の髪をつかんで愛宕山の方向へ飛んだ。

綱は、空中で鬼の腕を太刀で切り落とし、なんとか逃げることができた。
鬼の腕は、摂津の国の渡辺綱の屋敷に置かれていたが、
綱の義母に化けた鬼が取り戻した。この鬼は、酒呑童子の一の家来、
「茨木童子 いばらぎどうじ」とも言われています。
この事件によって、刀の名は「鬼切」と改められました。

渡辺綱と鬼


さてさて、このような伝説ができあがったのは、「源氏重代の守り刀」という
思想があるためです。武家である源氏が、代々にわたって子孫に伝える、
家門を守護するための刀ということですね。後に、膝丸は源義経、
髭切は源頼朝の佩刀になったとも言われますが、伝説の域を出ません。

あと、優れた日本刀は、多かれ少なかれ、このような伝説をまとっています。
これは、日本刀には、「名物 めいぶつ」としての役割があったからです。
名物は、著名な茶器などもそうですが、手柄を立てた家臣に、
土地を与えることができなかった場合など、その代りに下されるものでした。

いわば、ステータスシンボルとしての意味があったわけです。
それには、大げさな伝説があればあるほど価値が高いんですね。
この他にも、伝説を持っている日本刀はまだまだありますので、いつかご紹介する
機会もあるでしょう。ということで、今回はこのへんで。








エンガチョを切る話

2018.03.29 (Thu)
これは、アパレル関連会社に勤めるAさんからうかがったお話です。
Aさんは20代の女性なので、バーとかではなく、駅近くの喫茶店でお会いしました。
「占いをしているbigbossmanと申します。よろしくおねがいします。
 奇妙な体験をなさったそうで」 「はい、そうです」 
「いつ頃のことですか」 「つい10日ばかり前なんです。
 その日、6時ころに退社して、 駅までの道を歩いてたんです」 
「はい」 「駅までは15分ほどで、人通りの多い街中です。
 交差点で信号待ちをしてたら、背中をつつかれた感じがして、
 ふり向くとおばあさんがいたんです」 「どんな人でしたか?」
「あんまりよく覚えてないんですが、ものすごく背が低かったです。
 私も背は大きいほうじゃないですけど、頭が私の腰のあたりにあるくらい」

「ははー、小学生くらいですね」 「はい、でもそれは腰が曲がってたせいも
 あると思うんです」 「今どき珍しいですね」
「ええ、それで、そのおばあさんが黙ってたので、何でしょうか?って聞きました。
 そしたら私のほうに手のひらを差し出して、落とし物だよ、って」 「何でしたか?」
 「それが、昔のキーホルダーっていうか、お財布なんかについているやつ」
「根付ですね」 「ああ、それです。でも、私はそんなの持ってないですし」
「待って下さい。どんな根付だったんですか?」 「ああ、3cmくらいの牛、
 飴色の牛に、1cmほどの金色の鈴が2個ついてました」 「はい」
「で、私のじゃないんですって言っても、おばあさんは黙って手をつき出したままで」
「はい」 「そのうち信号が変わったので、私は、失礼しますって言って、
 おばあさんを残して歩き出しました」 「根付を受けとったわけじゃないんですね」

「ええ、そうだったはずですが・・・」 「というと?」
「信号を渡ってしばらく歩いてましたら、後ろから声をかけられたんです。
 落としましたよ、って。ふり返って見ると、40歳くらいのサラリーマンの人が、
 立ち止まって、指でつまんだ物を私のほうに差し出してたんです」
「それが、さっきの根付だったってわけですか?」 「そうなんです」
「で、どうしました?」 「そのとき、何気なくふっと受け取っちゃったんですよ。
 ありがとうございますって。どうしてそうしたのか、
 今考えてもわからないんですけど」 「はい」
「で、そのときよく見てみたんですけど、高そうな物って
 感じはしなかったです。安っぽい、土産物屋で100円くらいで
 売られてるみたいな」 「はああ、それで?」 

「バッグに入れました。で、またしばらく歩いたら、
 後ろから女の子のの声で、落としましたよ~って」 「はい」
「見ると、お母さんに連れられた5歳ぐらいの子が、近寄ってきて、 
 私に、はい、って指でつまんだ物を手渡して・・・」
「それが、牛の根付だったんですね」 「そうです。でも、おかしいんですよ。
 私のバッグは留め金がついていて、中の物が自然に落ちることはないんです」
「まあ普通そうですよね、で?」 「ありがとうってその子の頭をなでて、
 根付を受けとり、その場でバッグの中を調べたんです。
 でも、中には前の根付は入ってなくて」 「それは不思議ですねえ」
「ですよね。私の勘違いじゃないと思います」 「で、どうしました?」
「気味が悪くなってきて、母娘がいなくなってから、その根付、

 ビルの前にある植え込みに捨てたんです」 「はい」
「確かに捨てたんですよ。それなのに」 「どうなりました?」
「もうすぐ駅ってところで、また呼び止められました」 「根付ですか?」
「そうです。そのときは若い、私と同じ歳くらいの男性でした。で、その人が
 指でつまんでたのが、間違いなく、同じ牛がついた根付で・・・
 でも、絶対変ですよね。ビルの植え込みなんて誰ものぞかないし、
 わざわざ私のとこまで持ってくるなんてこともありえないでしょ」
「そうですね、で?」 「あ、私じゃありません、って言いました。そしたら、
 その人はとまどった顔で、でもバッグから落ちるの見えましたよ、って。
 それで・・・」 「受け取っちゃったんですね」
「はい。で、根付は、今度はコートのポケットに入れて、駅に入ってったんです」

「で?」 「ホームに入ったら、まだ電車が来るまで時間がありました。
 それで、立って待ってたら、また後ろから、あれ何か落ちましたよ、って。
 コートのポケットに手を入れたら、根付はなくなってて・・・」
「不思議ですねえ。で、どうしました?」 
「怖くなっちゃって、ふり返らなかったんです。前を向いたまま、
 私のじゃありませんって、自分でもびっくりするくらい
 大きな声を出しちゃいました」 「はい」 「えーでもたしかに・・・
 って言ってるその人から、離れた場所に移動して、
 横目で見ると、60歳くらいですかね、定年まじかに見える
 サラリーマンの男性でした。その人は、変な顔をして、根付を目の前に
 ぶら下げてみてました」 「で?」

「それで、このままじゃ、また戻ってくるかもしれないって思いまして・・・
 bigbossmanさん、エンガチョって、ご存知ですか?」
「え? ああ、わかります。映画の千と千尋に出てましたよね。
 両手の指で輪をつくって切るやつ」 「そうです。私もその映画見てまして、
 そのときなぜか頭に浮かんだんです」 「はああ、やってみたわけですか?」
「はい。エンガチョ切った、って」 「これ、平安時代からあるみたいですよ。
 絵巻物にエンガチョ切る場面がのってます。要は、縁をチョンと切るってことです」
「はい。今思えば、よくあの映画を覚えてたなあ、やってよかったなあって」
「どうなりました?」 「電車が来るアナウンスがあったんです。
 そしたら、ホームの後ろのほうで、時間だあ!!って、大きな叫び声がして」
「はい」 「さっき私に根付を渡そうとした男性が、

 カバンを両手で胸に抱えたまま、すごい勢いで走ってって、
 入ってきた電車の前に飛び込んだんです」 「う」
「前から飛び込みが多いっていわれてる駅だったんですけど、
 目の前で見たのは初めてだし、怖くなって階段を下りて地下に逃げました」
「その男性、亡くなったんですよね」 「たぶんそうだと思います。
 テレビや新聞では報道されませんでしたけど」 「その後どうしました?」
「電車に乗る気にはなれなくて、その日はタクシーで帰ったんです。
 次の日からは、一つ離れた駅から電車に乗るようにしてます。
 これ、どういうことかわかりますか?」
「うーん、その根付に関係があるんだとは思いますよ。それ以上のことは
 ちょっと・・・呪われた根付ってことなんですかねえ」

「もしかして、あの根付を持ったままだったら・・・というか、
 エンガチョをしなかったら、ホームに飛び込んだのは私だったんでしょうか?」
「・・・そうかもしれませんねえ。でも、なんでAさんがその根付に
 因縁がついたのか、そこはわかんないです。ホントにそれまで、
 見たことがない物だったんですよね」 「はい。あんな古くさいもの、
 自分で買うなんてありえないし・・・ でも、怖いんですよ。
 あれが、また私のところに来るんじゃないかって考えると。
 背中をつつかれて、落とし物ですよ、って言われたらどうしようって」
「・・・うーん、解決になるかどうかはわからないですけど、自分がよく行く
 神社をご紹介しましょうか。ほら、自分はオカルトの研究をしてるんで、
 ちょくちょく気味の悪いことがあるんです。

 そんなときに、お祓いを受けにいく神社です。
 大阪市内ですし、行く気なら今からでもいけます。なんなら神職に連絡を
 入れましょうか?」 「あ、ありがとうございます。お願いします」
こんな話になりました。自分が喫茶店の支払いをして、
Aさんとは反対方向に別れたんですが、少し歩いてふり返ると、
信号待ちをしているAさんの後ろに、腰の曲がったすごく背の低いおばあさんが・・・
ぞくぞくと背筋が寒くなって、それでもAさんのほうに走ったんですけど、
信号が変わって歩き出したAさんの後ろには、誰もいませんでした。
バツが悪くなって、自分はそこに立ち止まってAさんを見送りました。
そのとき、無意識に指でエンガチョをやってましたよ。その後、Aさんから連絡は
ありませんし、確かめたところ、神社にもみえられていないようでした・・・
 

 
 




ベンヌとニビル

2018.03.28 (Wed)
全長487m、エンパイアステートビル大の小惑星「ベンヌ(Bennu)」。
現在、時速10万kmで太陽を周回しており、
来世紀、地球に衝突する可能性が指摘されている。

「もし、ベンヌが地球と衝突する可能性が高まってきた場合の対応策などは、
まだまだこれからの課題になるであろうが、1910年にハレー彗星が接近した時に
世界がパニックに陥った100年前とは、分析力も、科学的対応力も格段に
上がっている」と、映画「アルマゲドン」のように小惑星の爆破、
あるいは軌道変更によって地球衝突が避けられると期待を語ったが、
どうやらそう簡単にはいかないようだ。

NASAは、地球との衝突軌道に入った小惑星にロケットをぶつけて軌道を変更する計画
「HAMMER(緊急対応用超高速小惑星緩和ミッション)」を立てているが、
ベンヌサイズの巨大小惑星に対しては全くの無力だというのだ。
(tokana)

ベンヌの大きさのイメージ


昨日、中国の「天空1号」の話を書いたので、今回も宇宙系の話題でいきます。
上記のニュースを読まれて、「嘘くさいなあ」と感じられる方もいるんじゃないかと
思います。でも、ベンヌという小惑星は実際に存在しますし、
地球との衝突の危機が、真面目に検討されているのも確かです。

ベンヌは、1999年に発見された直径500mほどの小惑星で、
太陽を回る軌道を、時速約10万kmのスピードで移動しています。
2100年代に地球に8回最接近し、そのどれかで衝突する可能性がある
ことがわかりました。ただし、衝突の確率は、
8回の可能性の合計でも最大0.07%ほどだそうです。

ここまで読まれて、「なんだ22世紀の話じゃないか、そこまで生きてないよ」
と思われた方もいそうですね。あと、「500mは小さいな、
それだと人類滅亡まではないんじゃないか」とか、
「0,07%の衝突の可能性なら、考えてもムダだろう」とか。

まあ、そうですよね。でも、この手のことは、早くから対策を立てておくのは
重要です。ちなみに、もしベンヌが地球に衝突した場合の衝撃は、
高性能爆薬の30億トン分の爆発力、
広島に投下された原爆の200倍に匹敵するということです。

このサイズなら、おそらく人類絶滅はないでしょうが、
小さな国が直撃を受ければ滅びるでしょう。それに、地球全体の気象に大きな
影響を与えるでしょうし、衝撃で地殻が不安定になり、地震や火山噴火が頻発する
などのことも考えられます。多くの生物種が絶滅するかもしれません。

で、なぜ早くから対策を立てるべきなのかというと、小惑星は軌道上を
動いているので、遠くにあればあるほど、小さな力でそらすことができるからです。
例えば、長い定規で線を引くとき、手元で少し誤差があると、
定規の端のほうでは大きくずれるのと同じ、と考えればいいかもしれませんね。

さて、映画などでは、核で地球に接近した天体を爆破するというシナリオが
出てきますが、これはあまり現実的ではないようです。惑星は粉々の破片になっても、
それらがそのまま軌道を進んで、核汚染された残骸が
地球に降り注いでくることになるからです。

NASAを中心とするアメリカの研究チームは、これに対して、
2つの案を検討しています。一つはHAMMERと名づけられた、長さ9m、
重さ8.8トンのロケットを直接ぶつけて、物理的な力技で軌道をそらす方法。
これは、ベンヌが遠くにある場合、1度失敗しても再度 試みることができますし、
例えば10発をセットにして、少しずつそらしていくなどの計画も立てられます。

HAMMER(Hypervelocity Asteroid Mitigation Mission for Emergency Response vehicle)


もう一つの方法は、ベンヌから離れた片方の側の空間で核を爆発させ、
その影響で軌道をそらす方法です。ただし、宇宙空間は真空なので爆風はありません。
核爆発による放射能の照射で、ベンヌの片側の物質だけを蒸発させ、
それを推進力として軌道を変えるということのようです。でもこれ、
かなり計算が大変そうです。22世紀ならできるようになっているんでしょうかね。

ともかく、この手のことは、アメリカだけにまかせてはおかないで、
地球全体が協力して事態に対処することが重要でしょう。
地球の天文的な危機管理をするための専門機関が必要だと思われますし、
それによって、世界の各国がまとまる契機となるかもしれません。

さて、話はオカルト方面に移ります。みささんは「ニビル」という名前を
聞いたことがあるでしょうか。太陽系に存在するとされる仮説上の惑星で、
地球の数倍の質量を持ち、太陽を、ひじょうに細長い楕円軌道で公転しており、
地球接近時に人類を滅亡させるかもしれないと言われているものです。

ニビルの仮説上の軌道


最初は、科学的な観測によって仮説が立てられました。1982年、
木星、冥王星、海王星の軌道が揺れているのが発見され、その原因として、
太陽系の外側に大きな質量を持つ星があることが考えられたんですね。
そして、その仮説上の惑星はXと名づけられました。

これが「ニビル Nibiru」になったのは、アゼルバイジャン生まれの言語学者、
作家、ゼカリア・シッチンによります。天文学者ではなく、
言語学者というところに注意してください。
彼は古代シュメール神話を研究し、シュメール宇宙論の解釈によれば、
太陽系内に、長い楕円形軌道をした3600年周期の仮説上の天体が存在する、
という説を発表し、それをニビルと名づけました。

ニビルには高度な知性を持つ宇宙人が住んでおり、過去に地球に最接近したときに
上陸してきて、シュメール人に文明を与えたとされます。地球に来たのは、
ニビルから地球への植民遠征に出された、一般の労働者に相当する集団で、
これがシュメール神話の神々、アナンヌキにあたります。

シュメールの翼ある神、アナンヌキ


さてさて、ゼカリア・シッチンのニビル仮説は、現在では2つの面から
否定されています。一つは、シッチンがシュメール神話を恣意的に翻訳している
というもの。仮説発表時には、シュメール語を解する学者は多くありませんでしたが、
やがて多数の研究者が神話にあたったところ、
シッチンの解釈の不自然な点が、いくつも見つかったんですね。

もう一つは天文学方面からで、ニビルの周期3600年というのは異常な長さです。
この軌道では、惑星が太陽系にとどまっていることはできません。
その他、コンピュータが発達し、複雑な重力計算ができるようになっても、
ニビルが実在するという根拠は一つも見つかってないんですね。

とはいえ、惑星Xの問題はいまだに解決されてはおらず、
ニビルではなくても、太陽系の最も外側に、
地球程度以上の質量を持つ惑星が、絶対にないとは言い切れないのも確かなんです。
では、今回はこのへんで。

関連記事 『天体衝突の恐怖』









天宮1号の落下

2018.03.27 (Tue)


刻一刻と落下時期が近づく、中国の宇宙実験モジュール「天宮1号」。
こちらについてESA(欧州宇宙機関)は予測時期を更新し、
2018年3月30日〜4月22日頃に落下するだろうと公表しています。
 
北緯43度から南緯43度の間で地球に落下すると予測されている、天宮1号。
その落下はコントロールされておらず、現時点では正確な落下地点や日時、
それに地球に部品などが落ちるかどうかは不明となっています。ただし、
これによる人的な被害が起こる可能性は極めて小さいことも予測されています。
 
またESAによる上の落下予想時期のグラフを見るに、
4月1日頃が落下時期として一番有り得そうにも見えます。
ただ落下時期はさまざまな状況で前後しうるので、
まだまだ注意深く見守る必要があるでしょう。
(sorae.jp)

自分は占星術師なので、できるだけ宇宙関係の話題はとりあげるように
してるんですが、今回はこれでいきます。うーむ、なるほど、
これから1週間以内に落ちる可能性が高いということですね。
下に落下予測範囲の図をあげておきますが、日本もほぼ全域が入っています。

天空1号の落下予測範囲


さて、天宮1号とは、2011年に打上げられた中国の「軌道上実験モジュール」
です。聞き慣れない言葉ですが、宇宙ステーションと呼ぶには
小規模で、宇宙飛行士が長期滞在することはできません。今後、本格的な
宇宙ステーションを建設するための実験機と考えればいいでしょう。

天宮1号はすでにミッションを終えていますが、2016年3月に
制御不能となり、地球大気の抵抗のために速度と高度を失い、
もうすぐ地球に落下してくるわけです。これについて、多くの研究者は、
地表に到達するまでに燃え尽きてしまうと考えているようです。
ちなみに、天宮1号の重量は8.5トンとなっています。

まあ、実際に被害が起きる可能性はひじょうに少ないでしょうが、
もしも、燃え尽きずに落ちてきたらどうなるんでしょう。人工物が地球に落下した
という例はほとんどないので、隕石の場合で考えてみましよう。
じつは、隕石ってとてもたくさん地球に落ちてきてるんです。

ある試算では、100gまでの隕石は、全地球で年間約1万9000個
1000gの隕石が、全地球で年間約約4100個
10000gの隕石が、全地球で年間約830個なんだそうです。
(単位はグラムなので注意してください)

こうしてみると、けっこうな数が降ってきているもんですが、
これらのほとんどは大気中で燃え尽きます。
で、それが恋人たちに目撃されて、「あ、流れ星だ、ロマンチックね。
願い事しようか」なんて言われたりするわけですね。

さて、人類の長い歴史で、これまで隕石直撃で死亡した人の例は、
確認されていませんでした。1825年に死亡例があると書いているサイトも
ありますが、はっきりした記録は残っていません。
ケガをしたという人は、実際に何人かが確認されています。

ご存知のように、地球表面の7割は海ですし、残りの3割の陸地も、
人が住んでいない地が大部分なんです。世界の人口密度は、
およそ1平方kmに50人ほど。これらのことを考え合わせると、
隕石直撃で人間が死亡する確率は、数百億分の1程度だと思われます。
交通事故死する確率、宝くじの1等が当たる確率よりはるかに低いです。

ですから、隕石があたって死ぬなんて、まさに「杞憂 (中国古代の杞の人が、
天が崩れ落ちてきはしないかと心配したという故事から、
心配する必要のないことをあれこれ心配すること)」だと思われていたんですが、
それが最近、インドでそういう話があったんですよね。

2016年、2月、インド南部のタミルナド州で工科大学敷地内に謎の物体が落下、
男性1人が死亡、3人が負傷したとのニュースが伝えられました。
落下の衝撃で地面に半径1,2m、深さ約1.5mの穴が開き、
バスや建物の窓が割れたそうです。その後、インド当局は落下物を
「隕石」だと発表しました。警察は「爆発物の痕跡は見られなかった」としています。

インドに落ちた「隕石」とされる画像


ただしこれ、インド政府の続報がないので、本当に隕石だったかはわかりません。
アメリカNASAは、この物体について「インターネットに掲載された写真から
判断した限りでは、宇宙からの物体の特徴とは一致しない。
小型の隕石は、地面に落下した時点で発火したり爆発したりはしない」と指摘し、
クレーターについても「少なくとも数キロの重さがある隕石でなければ、
これほど大きいクレーターはできない。宇宙からの物体である可能性は低い」
との見方を示してるんですね。

で、本題とは関係ないですが、自分がこのニュースで怖いなあと思ったのは、
「亡くなった大学のバス運転手の家族には10万ルピー(約17万円)が、
州の公共救済基金から支払われる」という部分です。
これ、公務災害なんだし、いくらインドでも安すぎないですか・・・

まあでも、もし隕石が落ちて人が死ぬとすれば、インドの確率は高いでしょうね。
国土の面積が広いですし、人口密度が大きいからです。
有名なロシアの、1908年の「ツングースカ大爆発」は、
3~70m級の隕石が空中で爆発したと推定されています。

半径50kmにわたって森林が炎上し、約2000平方kmの範囲の
樹木がなぎ倒され、1000km離れた家の窓ガラスも割れたんですが、
落ちた場所がシベリアだったため、死者は報告されていません。この事件には、
オカルトとして、異星人の宇宙船などの爆発であったという話があります。

ツングースカ大爆発により一定方向になぎ倒された森林


さてさて、ということで、天宮1号の落下は、それほど心配する必要はないと思います。
もしかしたら、家の屋根に穴があくなんてことが、絶対ないとは言えないでしょうが、
その場合、世界が監視しているわけですし、中国のものと証明されれば、
中国政府から、高額の賠償金や慰謝料がくるかもしれませんよ。
あんがい、幸運の落下物になるかもです。では、今回はこのへんで。

関連記事 『太陽からの嵐』





背中をつつく話

2018.03.26 (Mon)
みなさんは、いわゆる幽霊というのはあると思われますか。
こう言うと、「100話も200話も怪談を書いてるくせに、いまさら何だよ」
と返されそうですが、自分が書いている怪談のほとんどは創作です。
ただ、最近、このブログが仲間内で知れわたって、「こういう話がある」
「こういう体験をした人がいる」と、わざわざ知らせてくれる人が多くなりました。
これは大変にありがたいと思っています。そうして聞かせていただく話の中には、
霊の存在を肯定しないと、どうやっても説明がつかないものもあるんですね。
で、今回、自分がお世話になっている雑誌の編集部から、
Sさんという方を紹介していただきました。Sさんは50代で不動産会社勤務、
スーツを着てこられましたが、かなり痩せておられるのがわかりました。
大阪市内のホテルの最上階にあるバーでこの話をうかがったんです。

あいさつが済むと、Sさんは声をひそめ、「恥ずかしい話なんですが、
 どこかで言っておいたほうがいいと思いましてね。じつは私、
 人を殺したことがあるんです。それも子どもを」 「・・・」
「若い頃、まだ10代のときの話なんです。高校を卒業して、今いるところとは違う
 不動産会社に勤めて2年目。こういう業界だから。先輩方はみな厳しくて、
 何をやっても怒られましてね。落ち込むことが多かったんです。そのときも、
 嫌なことがあって、外回りの途中で児童公園によって、
 ベンチで缶コーヒーを飲んでたんです。時間は4時頃だったと思います」
「で?」 「そしたら、小学校低学年に見える男の子が、一人で
 自転車でやってきて、片側がコンクリの壁になってる遊具があったんですが、
 そこに向かって、持ってきたサッカーボールを蹴る遊びを始めたんです」 「はい」 

「それがポンポンうるさくて神経に触って、立って公園を出ようとしたんです。
 ちょうどそのとき、その子が蹴ったボールの方向がそれて、
 私の腕にあたり、持ってた缶コーヒーを落としちゃったんです」
「で?」 「イライラしてましたから、足元に落ちたボールを拾って、
 ここはボール遊び禁止だって怒鳴って、強く投げ返したんです」 「はい」
「そしたらその子は、おどおどした様子でボールを拾うと、こちらを見もせずに、
 走って柵の入り口に置いてた自転車に飛び乗り、全力でこいで路地に出ました」
「はい」 「そしてそっから2つ目の、停まれの標識のある交差点を飛び出したとき、
 運悪く軽自動車が来まして」 「・・・で?」
「今でもあのときの急ブレーキの音は耳に焼きついています。
 それと、小さな自転車が跳ね飛ばされるクシャッという音も」

「・・・」 「どうなったか見にはいきませんでした。別の入り口から出て、
 大急ぎでその場を離れたんです」 「で?」
「ときかく急ぎ足で反対の方向に歩いて、そのうちに背中のほうで
 救急車の音が聞こえてきて」 「その子は亡くなったんですか?」
「ええ、翌日のテレビで知りました。頭を強く打って病院で死亡。
 7歳だったそうです」 「・・・でも、Sさんが殺したってわけじゃないですよね」
「・・・いや、殺したのと同んなじです。その子が死ぬときに、
 軽自動車の運転者より、私のことを強くうらんだでしょうから」
「・・・」 「私は何もしませんでした。本当はその子の両親のところへ行って、
 公園であったことを話せばよかったんでしょうが」
「うーん、でも、それをやっても子どもが返ってくるわけではないし、

 誰も幸せにはならないんじゃないでしょうか」 
「・・・それで、私はノイローゼ気味になって、会社を辞めちゃったんです。
 もちろん、ノイローゼになった理由は、医者にも話してません。
 家族にもです。これはつらかったです。ことあるごとに、あのときの子どもの
 おびえた様子が浮かんできまして」 「それは無理ないかもしれませんね」
「で、郷里に戻って2年ほど引き込もってたんですが、少しずつ、
 少しずつですが、そのときの記憶が薄らいできて。
 ほんとは忘れちゃいけないんでしょうけど」 「で?」
「いつまでもブラブラしてもいられませんので、親戚に紹介してもらって、
 今いる不動産会社に勤めたんです。それからは無我夢中で働きました。
 仕事をするときだけが、生きてるって感じがして」

「はい」 「結婚とか考えたことはなかったんですが、30歳を超えた頃に、
 周囲の勧めがあって、見合いで結婚したんです。
 お金がなかったんで披露宴はやりませんでしたが、
 式だけは、郷里の大きな神社であげたんですよ」 「はい」
「ただね、事故で亡くなった子のことを思うと、
 自分が幸せになっていいものだろうかって、考えるときもあったんです」
「そうでしょうねえ。あ、その子の墓参りなんかにはいったことがあるんですか」
「いえ、・・・やはりいって謝ったほうがよかったんでしょうね。
 そう思ったこともありました。でも、踏ん切りがつかないまま、
 ずるずるとここまで来てしまって」 「いやまあ、無理ないと思いますよ」
「家内とはケンカをすることもなく上手くいってます。

 ただ、さっき言ったように、このことは話してはいません。
 それと、私たち夫婦には子どもができませんでした。
 不妊治療などもしたんですが、今ではもうあきらめてます」
「はい」 「それでね、3ヶ月ほど前、たまたま結婚式をあげた神社の近くに
 行ったので、一人で参拝したんです。お参りをおえて、
 戻ろうとしたときに、社務所から出てきた宮司さんがこっちを見て、
 あっ、と驚いたような顔をしたんですよ。それで、顔は忘れてたんですが、
 ああ、私の結婚式のときに仲立ちを務めてくれ一人だろうと思って、
 会釈したんです」 「はい」 「そしたら、神主さんは立ったまま
 私のほうをまじまじと見ていたんですが、意を決したように近づいてこられて、
 時間があるなら社務所に寄ってほしい、話したいことがあるって言われまして」

「で?」 「ここからは、宮司さんのおっしゃったことをそのまま話します」
「はい」 「あなたはだいぶ以前に、当社で結婚式をあげられた方でしょう。
 あの結婚式のときのことはよく覚えています。どうしてかというと、
 あなたと式の打ち合わせをしているときから、ずっと、あなたの後ろに
 血まみれの男の子がいたからですよ、って」 「う」
「普通は、そういうものが憑いていても、神域に入って祝詞を聞けば自然に
 消えるものなんですが、その子は消えなかった。あなたにそれを告げようか
 どうか迷ったんだが、めでたい席が壊れてもいけないと思って、
 言わずじまいになってしまった。今にして思えば。あのときにきちんと、
 正式なお祓いをしておけばよかったです、って」 「で?」
「これをお聞きして、自分の顔から血の気が引いていくのがわかりました。

 で、その宮司さんには、今ここでしている話を聞いていただいたんです」
「それで?」 「今からでも、その子の御霊会をしたらどうだろう、
 っておっしゃっていただきました」 「その宮司さんには、
 今でもその子の姿が見えたってわけですか?」
「はい。私もそう聞きましたら、宮司さんは、あのときの結婚式の間中、
 その子は血に染まった指先で、ずっとあなたの背中をつついていた。
 それが、今はだいぶ薄くなり、表情がぼんやりしている、って」
「その子の念が消えかけてるってことですか?」
「おそらくそうだと思います。長年のうらみがとけてきているのでしょう。
 というのは私、2ヶ月ほど前から、背中の腰のあたりに張りを感じていまして。
 病院にいって検査したら、膵臓癌でした」 「う」

「健康診断は毎年受けてたんですけどね。腹膜や小腸にも転移してるようで、
 手術はできないということでした。余命宣告もされましたよ、半年ないです」
「うう」 「それでね、決心がつきました。遅れに遅れてしまいましたが、
 あの子のご両親のところに行って、公園であったことを
 きちんと話そうと考えています。ええ。健在なのは調べてあります。
 それで、ごいっしょに御霊会をさせていただければと」
「・・・このお話、仮名でブログに書かせていただいてよろしいでしょうか」
「ええ、かまいません。いまさら隠す意味もありませんから」
Sさんは、ここまで話すと「今日はごちそうになって申しわけなかったですね」
と帰っていかれたんです。オーダーされた年代物のスコッチは、
まったく減ってはいませんでした。
 







器物の怪談とサイコメトリー

2018.03.25 (Sun)
今回は怪談論でいきます。ここでいう器物とは、非生物的な物を指します。
具体的には、古道具や骨董、宝石や武器、古着なんかのことですね。
それらにまつわる怪談というのは、ネットでよく見かけますし、
自分もいくつか書いています。下に「骨董」という話をあげておきます。

関連記事 『骨董』

さて、器物の怪談では、大きく2つの考え方があるんじゃないかと思います。
一つは「付喪神 つくもがみ」ですね。長い年月を経た道具に神や精霊などが
宿ったもののことを言います。付喪神は「九十九神」とも書き、
その道具ができて100年がたつと、心が生まれ、霊性を持つと考えられました。

室町時代の『付喪神絵巻』は、道具は百年経つと付喪神になって
悪さを働くため、人々は「煤払い」と称して古くなった道具を路地に捨てていた。
捨てられた道具たちは、これに腹を立て、節分の夜に集まり、
人間に対して反乱を起こす、といった筋立てです。

『付喪神絵巻』


付喪神は、この頃はまだ一種の神として考えられていたのが、江戸時代までに、
だんだんに妖怪と見なされるようになっていきました。唐傘お化け、
お化け提灯などがそうですね。当ブログでご紹介している鳥山石燕の妖怪画も、
1784年の『百器徒然袋』は、ほとんどが器物の妖怪を描いたものです。
下図は「暮露暮露団 ぼろぼろとん」という古布団の妖怪です。



まあ、日本人はもともと、長い年月を経たものには価値があると考えてきました。
数百年を生きた大木や苔むした大岩などには神が宿るとされ、
注連縄をはって祀ったりしていたわけです。ただ、道具の場合は、
古くなると汚れるし、使い勝手も悪くなります。それで買い替えてしまうんですが、
道具の側には、これだけ人間に役立ってきたのに、無情に捨てられた、
という恨みが残って妖怪化する、ということもあるのかもしれません。

さて、もう一つ考え方は、その器物を作った人間、または代々の所有者の念が
こもっている、といったものです。例えば、宝石や美術品などの場合は、手放すには、
破産したとか、家業が傾いたためにお金に変えざるをえなかったなどの、
不幸な理由が多いでしょう。売りたくないのに売らなければならなかったという、
かつての持ち主の無念がまとわりついているわけです。

また、日本刀などの場合は、争いごとで使われたものもあり、
その刀で殺された被害者の念がのり移っている、
といった筋立ての怪談は、ネットを探せばたくさん出てきます。
実際に人の血を吸っているかもしれない怖さがあるんですね。

あと、人形の場合は上記の2つの考え方が混じっている場合が多いようです。
やはり、顔を持つものは擬人化して考えてしまいやすいんだと思います。
はじめはただの物であった人形に、しだいに心が生まれ、
自分の意志を持つようになる・・・この手の怪談は、外国でも珍しくはありません。



さて、前に書きましたが、最近、「サイコメトリー」という言葉を
スピリチュアル系のブログなどでよく見かけるようになりました。
これは、物に残っている「残留思念」を読み取ることです。
しかし、本当にそんなことができるもんでしょうか。

関連記事 『サイコメトリーって何?』

自分は霊感はゼロですが、今、ちょっとやってみたいと思います。
といっても、骨董品などは持ってないし・・・ああ、そうだ、古着がありますね。
自分はミリタリーファッションが好きで、よく着ています。
新品で買ったのがほとんどですが、中には実際に兵士が着ていたのもあります。

ということで、M65というジャケットを出してみました。
ネット通販で取り寄せたもので、米陸軍で1980年代に使用された本物です。
小さな焼けこげや油染みがあります。胸ポケットの上に「Buchanan」という
タグがついていて、これを支給された兵士の名字でしょう。

うーん、手にとって目をつぶっても、何も思い浮かんできません。
着て歩き回ってみてもダメですね。でも、これは自分にサイコメトラーとしての
才能がないせいかもしれず、サイコメトリーなんてない、とまでは言えないですね。
ただまあ、品物をもとに推理することはできます。

ブキャナンというのは、スコットランドーアイルランド系のアメリカ人でしょうか。
ジャケットは日本のXLにあたるサイズなので、背の高い、
赤毛でソバカスのある人物かなあという気がします。
あと、年代的に実戦は経験していないでしょう。

油染みは袖口にあるので、銃器の手入れをしていたときに
できたかもしれません。焼け焦げは射撃訓練のものでしょう。
ブキャナン氏は、ずっとブートキャンプのビリー隊長みたいな上官に怒られながら、
低い階級のまま除隊し、嫌な思い出のある軍装品はすぐに古道具屋に売った(笑)。

さてさて、このように、物というのはけっこうな量の情報を含んでいるものです。
自分が上に書いたのは、あくまで推理であって、サイコメトリーではありません。
でも、無意識のうちに物の持つ情報を読み取って、
頭の中で再構成しているなんてケースは、けっこうあるんじゃないでしょうかね。







陰陽剣と光明子

2018.03.24 (Sat)
今回も剣の話でいきたいと思います。まず、陰陽思想について説明します。
古代中国では、この世の始まりは混沌であったとされます。
Wikiには、「混沌の中から光に満ちた明るい澄んだ気、すなわち陽の気が
上昇して天となり、重く濁った暗黒の気、すなわち陰の気が下降して地となった。
この二気の働きによって万物の事象を理解し、
また将来までも予測しようというのが陰陽思想である。」
こう説明されています。

ここで注意しなくてはならないのは、ゾロアスター教のように、
陽が善、陰が悪というわけではないことです。
また、陽が優れていて、陰が劣っているということでもありません。
光があるところに必ず影ができるように、陰と陽の2つがあってこそ、
物事は完全になるのであり、陰と陽はたがいに補完する関係なわけです。

陽にあたるのは、「光・明・剛・火・夏・昼・動物・男」など。
また、陰は「闇・暗・柔・水・冬・夜・植物・女」などです。
陰陽2つの気が調和して、はじめて自然の秩序が保たれることになります。
陰陽は「太極」の図として象徴的に表されます。

太極図
へうしあおう (1)

さて、この陰陽思想は早くから日本に取り入れられ、
易(えき 占い)にもちいられました。安倍晴明などが活躍した陰陽道も、
もともとはここから来ているんですね。
で、剣の世界にも、陰陽思想はあるんです。

古代中国では、陰剣と陽剣がセットになっているものがいくつか知られていて、
「太阿(たいあ) ・龍泉(りゅうせん)」 「干将(かんしょう) ・莫耶(ばくや)」
の剣などがあります。陰陽剣はまた、雌剣、雄剣とも言います。
陰陽の剣は、お互いに呼びあい響きあうため、
2本そろって保管されるべきものです。

これは時代小説ですが、林不忘の書いた『丹下左膳』には、
「乾雲(けんうん)・坤竜(こんりゅう)」という2本の刀が出てきて、セットで
保管しておく分には問題ないが、ばらばらになると、
互いに求め合って血を呼ぶという設定になっていました。

干将莫耶の剣 イメージ


さて、話変わって、お題にある光明子とは光明皇后のことです。藤原氏の出身。
奈良の大仏開眼で有名な聖武天皇が皇太子の時代に結婚し、
やがて、王族以外での初めての皇后となります。仏教に深く帰依し、
貧しい人に施しをするための施設「悲田院」、医療施設である「施薬院」
を設置して、慈善を行ったことで知られていますね。

これは伝説でしょうが、光明皇后は、病人の治療のため法華寺に建てた
「からふろ」で、千人の民の汚れを拭うという願を立てました。
ところが、千人目は皮膚から膿を出すハンセン病者で、
皇后に膿を口で吸い出してくれるよう求めます。
意を決した皇后が病人の膿を口で吸い出すと、たちまち病人は、
光り輝く阿閦如来(あしゅくにょらい)の姿に変わったという話が残っています。

さて、この光明皇后が、756年、夫である聖武天皇の死後、
愛用の品や珍しい文物などを東大寺に奉献したのが、正倉院御物の始まりです。
日本の宝といえる品々が多数収められているのはご存知だと思います。
このときにつくられた、正倉院の御物の目録である「国家珍宝帳」には、
「除物」という付箋がつけられたものが7点あり、
後に、何らかの理由で正倉院から持ち出されたという意味です。

「国家珍宝帳」


これらは失われた宝なんですが、千数百年の間、一つも見つかりませんでした。
明治40年(1907年)になって、大仏の右膝下に掘られた穴から、
銀の壺、真珠などとともに、金銀でしつらえた2振りの見事な太刀が出土しました。
これがおそらく、正倉院から消えた聖武天皇の御物だと推測されたんですが、
当時は、はっきりした確証はなかったんですね。

金銀荘太刀 「陰寳剱」 「陽寳剱」


それが、2010年、補修のためのX線検査をしたところ、
剣の一本に「陰剱」、もう一本に「陽剱」という文字が刻まれていることがわかり、
聖武天皇の刀でまず間違いなしということになったわけです。
しかし、まだ謎が残ります。埋めたのは光明皇后でしょうが、
なぜ、いったん正倉院に収めたものを持ち出して、そうしたのか?

bdんsかいうえ

聖武天皇が亡くなって2年後、光明皇后は体調を崩し、
さらにその2年後に、60歳で病没するんですが、これを埋めた頃には、
おそらく自分の死期を悟っていたんだろうと思われます。
陽剣を夫の聖武天皇、陰剣を自分とみなし、なるべく大仏の近くにあって、
ともに成仏することを願ったのではないかと考えられます。

もう一つ、聖武天皇の死後、すぐに皇位継承をめぐって橘奈良麻呂の変が起き、
聖武天皇の跡を継いだ、娘の孝謙天皇には子どもがいませんでした。
これも、光明皇后にとって、たいへん気がかりだったことでしょう。
この後、さらに世が乱れることを予測し、大仏の膝下で、
自ら国の護りになろうと考えたのかもしれません。

さてさて、この光明皇后の心配は的中し、皇后の死後、藤原氏の権勢は
かげりをみせ始め、孝謙天皇は、一介の祈祷僧 道鏡にたぶらかされ、
それを排除しようとして、藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱が起きることになります。
そしてその過程で、文武、聖武と続いた天武系の血筋は絶えてしまうんですね。

ということで、大仏殿から出土した陰陽剣は、
これだけの歴史をわれわれに物語ってくれます。
映画評論家の水野晴郎氏ではありませんが、考古学って面白いなあと思います。
では、今回はこのへんで。

聖武天皇と光明皇后
がなhしあう






胡蝶の夢の話

2018.03.24 (Sat)
これはアメリカに住んでいた頃の自分が体験した話です。
2年半ほどいて、アルバイトしながら占星術の勉強をしていたんですが、
後半のほうは、不本意ながら不法滞在状態になってしまいました。
ですので、場所などはボカさせていただきます。あるとき、
同じ占星術のスクールに通っていた、Gというイタリア系アメリカ人の友人から
相談を受けました。Gはマフィアの資産家の5男で、カジノの経営者という肩書を
持ってましたが、店にはほとんど顔を出すことはなく、
毎日好きなこことをして遊んで暮らしている、けっこうな身分でした。
日本人の奥さんがいるんですが、ワイフのことで相談していいかって言われたんです。
「いいけど、俺は独身だし、たいしたアドバイスなんてできないぞ」
「いや、お前ほら、霊とか超能力とかに詳しいだろ。そういう話なんだよ」

これ、当時自分は若気の至りで、あることないこと、オカルト話を周囲に
まき散らしていたんですね。今思えば恥ずかしいんですが。
「うちのワイフは知ってるだろ」 「ああ、何度かお会いしたね」
「そのワイフが変な夢を見るって言うんだよ」
「夢の話か、夢判断とか、夢占いなんてできないぞ」
「いや、とりあえず話を聞いてくれるだけでいいよ」 「 O K 」
「うちのワイフが、日本で失恋してこっちに来たってこと、前に話したよな」
「ああ、聞いた。日本で婚約までした男がいたんだけど、結婚式直前になって
 相手の浮気が発覚して破談、奥さんは傷心のままこっちに留学しに来て、
 そこでお前と知り合って結婚までこぎつけたって話だろ」
「そうだ。でな、ワイフの夢というのが、その前の男と結婚してて、

 日本で生活してるって夢なんだよ」 「へええ、奥さんがそう話したのか」
「そうだ。このところ体調が悪そうだから、あれこれ聞いたら、隠さずに話してくれたよ」
「で?」 「ワイフの夢の中では、浮気が発覚しなかったのか、
 その男といっしょになって日本で暮らしてる。これがすごくリアルで、
 1回見た夢で、数日とかそれ以上がたってるらしい。目が覚めた後はぼうっとして、
 しばらく体が動かないみたいだ。ワイフは働いていないが、外出もできずにいる」
「うーん。でもまあ、夢は夢だよな。病院で診てもらったほうがいいんじゃないか」
「それはもう、何件も回ったよ。どこでも体は問題ないと言われた。
 だから今は精神科医にかかってる」 「それなら、そう心配しなくてもいいんじゃないか。
 ところで、お前、奥さんとの仲はうまくいってるのか」
「問題ない、と思ってる」 「じゃあ、俺がアドバイスすることもなさそうだが、

 具体的な夢の内容はわかるか?」 「うん。さっき言ったとおり、
 ワイフは夢の中でその男と結婚してて、子どもはいないらしい。
 それで、結婚生活はうまくいってない。相手の男はどうしようもないやつで、
 女にだらしなく、浮気を続けてて、それでしょっちゅうケンカになって、
 ワイフはその男に愛想を尽かして、離婚を考えてるとこってことだった」
「ふーん、具体的だし、内容が続いてるんだな。そういうのは聞いたことがない。
 でも、俺にできることはなさそうだな。あ、そうだ、
 日本に興信所で働いてる知り合いがいるから、その男、奥さんの元婚約者がどうしてるか
 調べてもらおうか。費用はかかるけど、いいだろ」 「問題ない、頼むよ」
ということで、日本に連絡してGの奥さんの婚約してた相手について調べてもらったんです。
そしたら、その男はまだ独身で、外資系の証券会社に勤めてるってことがわかりました。

収入はかなりあるらしく、女関係も派手という報告が来たんです。
これを知らせるため、またGに会ったんですが、話に進展がありました。
「ワイフは夢は相変わらず見てる。前は週に1回くらいだったのが、その頻度がだんだん
 増して、今は眠るたびにその男が出てくる」
「うーん、お前、もしかして、その男に嫉妬してるのか?」
「違う。ワイフは夢の中で、その男のことが嫌いでたまらなくて、
 すぐにでも離婚したいが、男が承知しないって嘆いてるんだよ」 「で?」
「つい3日ほど前、おかしなことがあった」 「どんな?」
「寝室のダブルベッドでワイフと寝てるんだが、朝方、ワイフの声で目を覚ますと、
 隣りにいるワイフが、あんたなんか死んで、みたいなことを叫んでたんだが、
 目の下が紫になって腫れあがってたんだ」 「で?」

「驚いてワイフを起こしたんだが、なかなか目が覚めなかった。で、起きるなり、
 男に殴られたって言ったんだ」 「夢の中で殴られたってことだな」
「そうだ、DVが激しくなってきたらしい。だけど、ワイフの顔の腫れは、
 目を覚ますと同時にすっと消えてなくなったんだよ。これ、どういうことかわかるか?」
「うーん、夢の中の出来事が現実の世界に影響をおよぼしてきたってことなんだろうか。
 お前、平行世界って知ってるか?」 「いや、わからん」
「そうか、これ、説明がめんどくさいから、もっとわかりやすい例えで話す。昔々に、
 中国に莊子って人がいてな。胡蝶の夢 (the dream of a butterfly) って話を書いてる」
「胡蝶の夢?」 「まあ知らんだろう。ある人が、蝶になって、
 じつに楽しく、ひらひら飛んでる夢を見た。で、夢から覚めた後に、
 自分は本当に自分なんだろうか? もしかしたら、自分は本当は蝶で、

 今、自分だと思ってるのは、蝶が見てる夢なんじゃないかって考えた」
 「・・・それはわかるような気がする。東洋哲学だな」 「うん。あ、そうだ、
 たしか精神科にかかってるて言ってたよな。それはどうなった」
「ああ、そっちは、精神科医の野郎が、夢を見るのは、無意識のうちにワイフが
 その男に未練を持ってるからとかなんとか言い出したんで、
 気分が悪くなって通うのをやめさせた」 「そうか、また何かあったら知らせてくれ」
 それから2日後、Gから連絡が来て、かなり慌ててる様子だったので、
 自分の部屋から近い、大学のキャンバスで会ったんです。
「どうなった?」 「たいへんなことが起きた」 「どんな?」
「今朝な、やはりワイフの声で目を覚ましたら、ワイフの体が透けたり戻ったりしてた」
「え? どういうこと」 「いや、ワイフの方を見たら、身体ごしに白いシーツが見えて、
 
 これは透けてるってことだろ。それが数秒で濃くなってっていうか、
 普通に戻って、またしばらくして透け始める。それで、透けてるときに肩を揺すろうとしたら、
 触れないんだ」 「で?」 「だから濃くなってるときに強く揺すって起こしたんだよ」
「で?」 「そしたら目を覚まして、体はもとに戻ったが、夢の中で、
 また日本にいる男に殴られて、それで気を失って、光る海みたいなところにいたらしい」
「光る海?」 「そう言ってた。虹みたいに水が7色にきらめく海に浮かんでたって」
「うーん、ただごとではないみたいだな」 「どうすればいい」
「もしかしたら、奥さんは2つの世界の間でたゆたってるのかもしれない。できることは・・・
 お前、仕事していないんだからつねに奥さんといっしょにいろ。寝るときは2人で、
 手とか足を縛って寝るとかもいいかもしれん。あとは、とにかく痕跡を残すことだと思う」 
「痕跡?」 「そうだ、奥さんと一緒の写真をたくさん撮れ。だれかれ声をかけていろんな人に

 撮ってもらえよ。あとは・・・そうだ、お前、あちこちにタトゥー入れてるだろ」
「ああ」 「じゃあ少しぐらい増えてもかまわないよな。奥さんと一緒にタトゥー屋に
 行って、奥さんの名前のタトゥーをどっかに入れろ。別にいいだろ」
「ああ、問題ないが、それにどういう意味がある?」
「いや、ちゃんとはわからんけど、向こうの世界とこっちの世界がせめぎあってる
 状態なら、観測が多いほうが勝つ気がする」 「観測?」
「いや、気にするな。とにかく、奥さんが生きて暮らしてたって痕跡が多いほうが
 勝つんじゃないかって気がするんだよ」 「勝ち負けの話なのか?」
「・・・たぶん」 「わかった、勝ち負けだってんなら、できることすべてやるよ」
まあ、自分も自信はなかったんですが、こんなアドバイスをしたんです。
Gがそれを忠実に守ってたせいか、奥さんが透けるということはなくなりました。

ただ、1回だけ、奥さんが目を覚ましたときに、指に見慣れない指輪をはめてた
ことがあって、Gが奥さんといっしょに自分のところに持ってきました。
結婚指輪でしたね。奥さんは一度も見たことがないものだと言い、
それは自分が預かったんです。Gは、「いつもワイフと一緒なのはかまわないが、
 これ、いつになったら終わるんだ」といらだった様子で聞いてきて、
それには何とも答えられませんでした。けど、この件は唐突に終わったんです。
日本で、奥さんの元婚約者の男が亡くなりました。酒を飲んで帰る朝方、
人気のない街中で刺されたんですね。出血多量でその日のうちに死亡し、
あれから10数年たちますが、犯人は見つかっていません。それ以来、奥さんは
透けることも、夢を見ることもなくなったんです。あとは・・・もしかして平行世界から
来たかもしれない指輪は、消えてなくなりもせず、今も自分が記念に持ってます。



 


 

始皇帝暗殺と2本の剣

2018.03.22 (Thu)
今回も剣のお話です。日本の草薙剣、英国のエクスカリバーときたので、
中国の話題にしますね。さて、司馬遷の史書『史記』の「刺客列伝」に、
「荊軻 けいか」という人物が出てきて、秦の始皇帝の暗殺を企てたことで有名です。
この部分に出てくる2本の剣について、少しオカルトをまじえて書いていきます。



紀元前3世紀、燕の国の太子は、日に日に強大になっていく秦をたいへんに恐れ、
また、面会した際に、後に始皇帝となる政に冷たくあしらわれたことから、
政の暗殺を決意します。そこで、刺客として選ばれたのが、
燕の食客になっていた荊軻です。荊軻は、酔って騒ぐ様子が「傍若無人」
という故事成語の元になった遊侠ですが、冷徹な一面も持ち合わせており、
そこで、刺客として白羽の矢が立ったんですね。

荊軻は、政を暗殺しても、自分が生きては帰れないことを知っていましたが、
これを快諾し、準備を始めます。まず、秦の国に行って用心深い政に会うためには、
燕の国土中でも肥沃な土地を献上すること。それと、政に諫言したため、
怒りを買って一族を処刑され、燕に逃げてきていた樊於期(はん おき)の首を、
手土産として持っていくことを考えました。

この計画を樊於期に説くと、樊は笑って「そうしてくれ」と言い、
自分の首を自分で刎ねます。次に、荊軻は武器を探しました。
そして百金を払って手に入れたのが「徐夫人の匕首 じょふじんのあいくち」です。
ここで、一本目の剣が出てきました。

日本で匕首というと、鍔のない短刀のことですが、
中国では、手の内に隠して使うことができる暗器(暗殺用の短剣)を指します。
中国語で画像検索してみたところ、下図のようなもののようです。
刃の中央に、おそらく毒を仕込むための溝が彫られてますね。
「徐夫人」というのは、男性の氏名、あるいは「徐工人」の誤記とも考えられています。

徐夫人匕首


荊軻は、この匕首に毒をもちいて焼入れをし、死刑囚で試してみると、
少しでも剣の刃に触れたものはみな死にました。こうして準備の整った荊軻は、
燕の国を出発しますが、そのときに詠んだのが、有名な、
風蕭蕭兮易水寒 壮士一去兮不復還  風 蕭々(しょうしょう)として易水寒し
壮士 ひとたび去って 復(ま)た還(かえ)らず」の詩ですね。

さて、秦の国に着いた荊軻は、計画どおり政への面会の約束を取りつけます。
そして、宮廷で壇上に政を仰ぎ見る形で平伏し、まず樊於期の首を見せて信用させます。
さらに、巻物にしていた献上する土地の地図を広げながら、中に巻き込んであった
徐夫人の匕首をつかみ、政の袖を引っぱって突き刺そうとしますが、
袖がちぎれてしまい、政は危機一髪 逃げのびます。

荊軻は壇上に登って政を追いかけ回しますが、宮廷の臣たちは、誰も荊軻を
止めることができませんせした。秦の法律では、剣を持って壇上に上がった者は
必ず死刑になる決まりがあったからです。政は柱をはさんで荊軻の襲撃をかわしながら、
自分の長剣を抜こうとしますが、気持ちがあせってなかなか抜けない。

すると、臣下の一人が、「陛下、剣を背中に背負って お抜きなさい!」と助言し、
やっと剣を抜いた政に対し、荊軻は匕首を投げつけるものの、柱にあたって外れ、
政は荊軻をずたずたに切り裂きます。こうして、荊軻は目的を果たせず死に、
激怒した政は、後に、燕の国を完全に攻め滅ぼすことになります。

始皇帝と荊軻


さて、ここからはオカルトです。政が持っていた長剣の名前は知られていませんが、
20世紀になって発見された兵馬俑坑から、何本もの銅剣が出土しています。
秦の後、漢の時代以降のものは、どれも緑青でボロボロになっているのに対し、
これらは、不思議なことに、まったく錆が見られないんですね。(下図)

兵馬俑坑出土 銅剣


そこで、中国科学院で分析してみると、なんと表面にクロムメッキが施されていて、
そのため、2千数百年たっても錆つかないことが判明しました、
クロムメッキの技法は、西洋では1930年代のドイツでやっと完成したもので、
これはオーパーツと言えるものだったんですね。

ここから、政が始皇帝に即位するため、泰山で封禅(ほうぜん)の儀式を行ったとき、
宇宙人が接触してきて超技術を授けた、などと言う人もいます。
これ、オカルト話としては面白いですが、実際には、古代から中国で受け継がれてきた
技術が、漢の時代以降は失われてしまったということなんでしょう。

中国では、「越王勾践剣 えつおうこうせんけん」という、およそ2500年前の剣が
出土しており、これも銅剣の表面に、硫黄とクロムの被膜が張られていて、
やはり少しの錆も見られません。ターコイズと青水晶とブラックダイヤモンドで
象嵌された見事なもので、春秋時代の越国の王、勾践が自ら鍛えたものとされ、
中国の国宝になっています。(下図)

越王勾践剣


さてさて、荊軻が使った、始皇帝に届かなかった毒を仕込んだ匕首と、
始皇帝がなかなか抜けなかった長剣と。
武器としては、どちらも一長一短があったようです。『史記』中の名場面では、
この長短2本の剣が強い印象を残していますね。
それにしても、このとき、もし荊軻が暗殺に成功していれば、中国の歴史は、
大きく塗り替えられていたことでしょう。では、今回はこのへんで。








森有礼暗殺と八咫鏡

2018.03.22 (Thu)
この間、「草薙剣」の記事で思わせぶりなことを書いたので、
済ませてしまいましょう。複雑な話なので、上手く説明できるといいんですが。
まず、森有礼(もりありのり)について。日本の初代文部大臣です。
開明的な考えの持ち主でしたが、一方で急進的でもあり、
廃刀令、日本の公用語の英語化、妾制度の廃止などを主張しました。
このことから、さまざまな誤解を受け、後の暗殺につながっていきます。

森有礼


暗殺があったのは、明治22年(1889) 、2月11日の大日本帝国憲法発布の日、
元長州藩士、国粋主義者の西野文太郎が、式典の出席準備をしていた森を訪ね、
出刃包丁でその腹部を刺し、森は出血多量で翌日に死亡します。43歳。
西野は、その場で森の護衛に仕込み杖で首を落とされ、即死しています。
これは、森が廃刀令を訴えたことを考えれば、なかなか皮肉ですね。

さて、暗殺の原因はいろいろあるんですが、最も大きいと思われるのは、
「森有礼が伊勢神宮に参拝したときに不敬を働いた」という噂が新聞に書かれ、
それが全国的に広まって、西野の憤慨を誘ったことにあります。
ここから書く内容は、自分が以前に調べたものですが、誤りもあるかもしれません。

まず、森は伊勢神宮参拝以前から、神道関係者によく思われてはいませんでした。
それは、森がキリスト教徒であり、文部大臣だったことから、
日本の学校で、キリスト教を教えようとしているという噂が広まっていたことです。
しかし実際は、森はキリスト教徒ではありませんでしたし、
学校教育にキリスト教を取り入れる計画もなかったんです。

あと、著名な神社は独自に暦を発行し、それが大きな収入源になっていたんですが、
森は、暦の発行は大学に移すべきだと考えていました。
こちらは確かにそのとおりで、森有礼の存在に対し、神道関係者は大きな危機感を
持っていました。このままでは、おマンマの食いあげになるかもということです。

これらのことを背景に、森の伊勢神宮の視察・参拝が行われたんですが、
ここで、伊勢神宮の神官が、計略に森を陥れようとしたという説があります。
森は、伊勢神宮外宮の前で下車し、大勢の取り巻きをその場に残して、
案内の神官と戸張の幕の前まで進みましたが、神官は突然腰をかがめ、
「これ以上進むな」と、森の行く手を遮ったんですね。

当時の秘書官によれば、実際にあったのはこれだけのようです。
しかも、森が留められた場所は、身分の高い参拝者ならまず入ることができた
ところです。ですから、秘書官は暗殺事件の後に「神官の策略で、
森が不敬を行ったようにされてしまった」と証言しているんですね。

で、このことから「森は、拝殿に靴をはいたまま上がり込んで、
ステッキで御簾を持ち上げて中をのぞき込んだ」という噂が流されました。
これはおそらく、神社側が新聞にリークしたりして意図的に広めたものです。
しかし、森は、拝殿に入ってないんですから、靴のままなのは当然で、
ステッキで簾を持ち上げていないことは秘書官が証言しています。

前述したとおり、この噂を真に受けた西野文太郎が、
単独で森の暗殺に動いたわけですね。さて、こっからはオカルトの話になりますので、
ご注意ください。森の不敬の噂には、後代になってさらに尾ひれがつき、
「森は、門外不出、天皇を含め、誰も見たことがない神器、八咫鏡(やたのかがみ)
の箱を開けて中を見た」という話に変化していきます。

そして、鏡の裏面には、ヘブライ語で、「エヘイエ アシェル エヘイエ」と、
刻み込まれており、これは『旧約聖書』に書かれている、
キリスト教の神ヤハウエが、自身のことを説明した「私は在って有る者である」
という意味だったとされます。これ、オカルト界では、「日ユ同祖論」
(日本人のルーツはユダヤの失われた部族の一つである)と言われるものです。

八咫鏡裏面のヘブライ語とされる図像


しかし・・・森が、短い時間に八咫鏡が安置されている場所までいき、
大勢の神官が止めたであろうのをふり切って、厳重に管理された鏡の箱を開けることが
できたとは考えにくいですよね。だいたい、森が古代ヘブライ語を解することが
できるはずがないです。当時のヨーロッパ人の神父でもできないでしょう。

伊勢神宮に見られるユダヤの星、しかしこれは近代に寄進されたもの
ダウンロード

さてさて、ということで、オカルト話はともかく、
森有礼は、あまりに急進的でした。彼の目には、当時の日本が、
欧米社会に比べて、ひどく遅れたものに見えていたのは間違いありません。
そして、旧弊を排除しようと焦って、急ぎすぎました。
そうした場合、排除される側は死にものぐるいの抵抗をします。

森にはこんな話も伝わっています。四国の金刀比羅宮を視察した際、
昼食に牛肉を取り寄せて食べたというものです。これが神域において
不浄であるとされたんですが、森の考えは、西洋人に対して小さい日本人の
体位向上に、肉食はどうしても必要だというものでした。

現代の日本では肉食は一般的で、日本人の体格もよくなりましたが、
いくら合理的な考え方であっても、性急に事を運ぶのはよくない、
という歴史上の教訓が、ここにはあるのかもしれません。
八咫鏡については、考古学をまじえて、いつか機会があれば書きたいと思っています。
これ、学問的にもすごく興味深いものなんです。では、このへんで。









目が落ちる話

2018.03.22 (Thu)
インテリア関連会社の関西支社で働いています。よろしくお願いします。
うちの会社の第2営業課の課長の話なんです。
40代後半なんですけど、背が小さく、頭がハゲてて痩せてるんです。
マンガに出てくる典型的なイジメられサラリーマンって感じです。
けど、会社ではイジメられてるわけじゃなく、
性格が小狡くて、何かにつけて巧妙に立ち回り、
ゴマもするだけすって、今の地位を築いてきたような人なんです。
ええ、性格はもちろん最悪です。部下の手柄は自分のものにするし・・・
まあ、それはいいんですけど。今はそんなしゃかりきになって出世をめざす
なんて社員は少ないですから。一番頭にくるのは、自分のミスを部下に押しつける
ことですね。課内でこれに泣かされた人が大勢いるんです。

あと、女子社員に対する態度も最悪で、はなからお茶くみしかできないだろうって
感じで。今は男性社員以上に能力のある人もいっぱいいるのに。
それと、自分の指示があいまいなくせに、こっちが思うとおりのことをしないと
すぐにキレて。読んでた業界誌を投げつけたりしたこともあります。
まあそれでも、セクハラはしたことはないし、男性社員も女性社員も、
みんなガマンしてたんですが・・・ Aさんっていう、
20代独身の男性社員がいたんです。ええ、背が高くてかっこいいし、
人柄も優しいので、女子社員はみんなねらってたんです。
それが、課長が独断で無理な受注をして。その仕事をAさんに押しつけたんです。
ええ、そのことは課内の誰も知らなくて。もしわかってれば、まとまって
課長に抗議したり、仕事を手伝ったりしたんですけど。

Aさんは、そういう事態になるのを察してたのか、一人で頑張っちゃって。
結果から言うと、納期には間に合ったんですが、Aさんはへろへろになって、
精神的に病んで休職しちゃったんです。
そしたら、そのことを聞いた課長が、みんなの前で「弱き者は去れ」って言って。
その後、おいおい事情がわかってきて、課内のみんな大憤慨しました。
Aさんが気の毒なことはもちろんだけど、いつ自分の身にもそういうことが
ふりかかってくるか、わからないじゃないですか。
だから、部長やもっと上に、課長のことを直訴しようって意見も出たんです。
でも、さっき言いましたように、課長は、自分の上と下に対する態度が
まるっきり違ってて、部長をはじめ、上層部には気に入られてるんです。
それでも、男子社員の中には、その方向で動くって人が何人もいました。

それで、私たち女子社員の間でも何かできることはないかって、みんなで考えて。
まさかマンガじゃないから、課長のお茶に雑巾の絞り汁を入れるって
わけにもいかないし。そしたら、一人が、「課長に呪いをかけよう」って言ったんです。
そのときは、みんな「何をバカな」って反応だったんですけど、
その子はすごく本気で、「私、人形の呪いって知ってる。実家のある地方に
 代々伝わってるもので、必ず大きな効果がある」って力説して。
それで、詳しい内容を聞いてみたんですが、「人形は、死んだ人が寝ていた布団で
 つくらなきゃいけない」って言い出して。これ、まず無理ですよね。
だからみんな「ダメじゃん」って力が抜けましたけど、また別の一人が、
「うちの弟が葬儀社に勤めてて、もしかしたらそういうの手に入るかも」って。
ほら、病院で亡くなった人をいったん自宅に戻しますよね。

そのときご遺体を布団に入れて、ドライアイスで冷やしたりして火葬までの間、
保たせますよね。その後、布団は葬儀社が処分を依頼されることが多いらしいんですが、
その布団の一部が手に入っちゃったんですよ。
これは気味悪いけど、たしかに効果ありそうですよね。その布団は、
呪いを知ってるって子の手に渡され、その子が呪いの人形を作ってきたんです。
それが、てるてる坊主に適当な手足をくっつけたような白い人形で、
表面はシーツ、中には布団の綿が入っていて、それらを大雑把に格好を整えただけの
15cmくらいのものだったんです。顔の部分には、両方の目のところに、
黒いボタンが2つつけられていました。その子は、「見た目はアレだけど、
 中にわが家に伝わる秘伝を封じ込めてある。それも現代風にアレンジしたやつ」
って言ってました。私が「これ、どうするの? 針でも刺す?」

って聞いたら、「土に埋めて、恨みを込めて踏みつける」って。
でも、土なんて社内にはないし。そしたらその子は、人形を屋上に持っていき、
自分で用意したバケツ2杯分の土を、「地元の墓場のやつを送ってもらった」
って言って、上からかけました。その屋上の場所は、
給水塔のかげになっていて、まず人が立ち入らないところでした。
今はなくなっちゃったけど、少し前までは喫煙所があって、
いつも屋上へのドアは開いてたし、男性社員もよく来てたんです。
だから、そういう人の目に触れないようなところです。で、私たち女性社員7名で、
昼休みには毎日定期的に、あと、課長と嫌なことがあったときには
こっそり抜け出して、「ハゲ死ね」と言いながら、
人形を埋めた土を上からグリグリ踏んづけてたんですよ。

でも、こんなことをやってたら、タバコを吸いにきてる男性社員に変に思われますよね。
「何やってるの?」って聞かれたので、同じ課の人には、
「課長を呪ってる」って正直に言ったんです。そしたら男性社員も面白がって、
ガシガシ踏みつけるのに加わってきた人もいたんです。
これを3ヶ月続けました。でも、課長の様子に変わったところはなかったんです。
病気になるわけでもなし、精神的に落ち込むわけでもなし。
さらにイヤミに拍車がかかって。それで、人形をつくった子に、
「これ、ホントに効果あるの?」って言ったりしてた矢先です。
Aさんが久々に出社してきたんですが、見る影もないほどやつれていて、
退社して郷里に戻ることになったという挨拶と、業務の引き継ぎのために来たみたいでした。
課長は「フン、そうか」って、自分のせいなのに、すごくそっけない態度で、

それでますます私たちの怒りが高まって。人形をつくった子が、
帰ろうとするAさんを引き止めて、屋上に連れていき、事情を簡単に話して、
人形の土の上を踏ませたんです。Aさんは感情の消えたような態度で、
言われるままに弱々しく土を踏んで、そのまま帰っていきました。
翌朝です。私はまだ勤務年数が浅いので、早めに出社して茶碗洗いなどをしてるんですが、
課長のデスクの上に、あの人形がちょこんと乗ってたんです。
「え?」と思いました。誰かが持ってきてここに置いたんだろうか。
でも、人形は土まみれになってるはずなのに、白いままでしたし、
正面をこちらに向けたその顔には、ボタンでつけた目がついてなかったんです。
「どういうこと?」と思って近づいていくと、人形は一言、
「成就の日なり」って言って、ぱっと消えちゃったんです。

私の見間違いなのかとも思いましたが、それにしてもおかしいし、
人形をつくった子に、昼休み、そのことを話すと「それ、呪いが起きる前兆だよ。
 成就の日ってことは、午後からだよ、午後から課長に注目していて」って。
で、それとなく注意してたんです。外で昼食をとって戻ってきた課長は、
いつものように業界誌を広げたんですが、そのうちに目をシバシバしだして、
「痛たたた」って言いながら、片方の目を手でこすったんです。
そのとき、見ちゃったんですよ・・・部長の右目が、どろんと机に落ちるのを。
「うわ!」と思いました。課長は立ち上がり、「誰か、救急車呼んでくれ」って
通路をフラフラ歩き、その最中に、顔を押さえてた指の間から、
もう一つの目も床にどろんって。その目、課長は自分で踏んづけちゃったんですよね。
男性社員の誰かが救急車を呼んで、課長は運ばれていきましたが、

救急隊員に担架で運ばれる間、おいおい泣いてました。
目玉がなくなっても涙って出るものなんですねえ。ええ、課長は両眼失明です。
あと、脳にも何かのダメージがあるらしく、もう二度と会社に復帰することはないみたいです。
ザマミロですよね。あとは後日談なんですけど、課長のデスクの上には、
2個の黒いボタンが並んで置かれてたんです。それを、人形をつくった子が、
「大事な物だから」って回収し、屋上の人形も土から出しました。当然というか、
両目はなくなって、土の色がしみて真っ黒になってました。ええ、人形とボタンは、
その子が、お礼の祀りをするからって郷里に送ったみたいです。
それにしても、呪いってホントにあるもんなんですね。この世は怖いなって思いました。
あと、Aさんですが、郷里で立ち直って就職し結婚もしたそうです。
まあこんな話なんですよ。何か質問がありますでしょうか。








「アーサー王伝説」について

2018.03.20 (Tue)


これ、昨日の続きみたいな内容ですが、たぶん、焦点の定まらない
散漫な記事になると予想されます(笑)。スルー推奨かもしれません。
じつは自分は、学生時代から「アーサー王伝説」について興味を持っていまして。
これは、伝説そのものに対してではなく、「アーサー王伝説」が、
イギリスの史学界で、どうあつかわれるかについてです。

ずっと、アーサー王は実在の人物かどうかという論争があったんですね。
アーサーは、もし実在したとすれば、6世紀初めころ、ブリトン人を率いて、
サクソン人の侵攻を何度か撃退した人物とされます。ただし、
彼の名が出てくるのは9・10世紀ころの文献で、それもごく断片的な内容です。

アーサー王


そこには、アーサーがブリテン島の王だったとも書かれていないし、
戦闘も、倒した敵兵が数百人と、大規模といえるものではありません。
つまり、もし仮に実在だったとしても、せいぜいが地方豪族の長 程度、
歴史に名を残すほどの大人物だった、というわけじゃなさそうなんですね。

ですから、現在のイギリス史に、アーサーの名が公的に出てくることは
ほとんどありません。ただ、一方で、アーサーがブリテン島の歴史上、
大きな役割を果たしたと考える人たちもそれなりにいて、
アヴァロン島(おそらく現在のグラストンベリー)で、
アーサーの墓を発見したなどという話題が定期的に出てきます。

このあたりは、自説にこだわりを持っている人が多い、
日本の邪馬台国論争と共通する面もあります。イギリス人にとって、
アーサー王伝説は、歴史上のロマンをかきたてられる存在なわけです。
ですから、いつまでたっても論争が収まらないんですね。

さて、アーサー王伝説が広まったのは、一つには、中世における騎士道物語の
隆盛があげられるでしょう。騎士道物語は、吟遊詩人によって
11世紀ころから広められはじめましたが、内容は、旅する騎士が、
立ち寄った地の貴婦人の願いで、ドラゴンなどを退治するという類型的なものです。

これが、当時の人々にすごくウケまして、次から次へと同じような物語が
つくり出されました。現在の日本のラノベで、異世界ものが流行るのと、
やや似てるかもしれません。17世紀になって、ミゲル・デ・セルバンテスにより、
騎士道物語の滑稽なパロディ『ドン・キホーテ』が発表され、この頃から、
やっと下火になっていったんですね。で、この騎士道物語の隆盛した期間中、
王妃グイネヴィア、魔術師マーリン、魔法の円卓と騎士たち、湖の乙女、
愛剣エクスカリバーと、アーサー王伝説の小道具がそろっていきます。

次にあげられるのは、キリスト教の影響です。イギリスは島国だったこともあり、
キリスト教の受容は遅れましたが、アーサー王伝説では、
円卓の上に聖杯(キリストが最後の晩餐で用いたもの)が現れて消え、
騎士たちは、それぞれ聖杯探しの旅に出ることになります。
ただ、もしアーサーが実在の人物であったとすれば、皮肉なことに、
おそらくドルイドなど、ケルト系土着宗教の教徒だったと考えられるんですね。

円卓の騎士


さて、やっとエクスカリバーの話にたどりつきました。英文検索で出てきた
画像を見るかぎり、騎馬で用いる片手剣のようです。
森の中に、石(あるいは鉄床)に刺さった剣があり、石には、
「これを抜くことができたものは、ブリテンの真の王となる」と、
金の文字で書かれていました。並みいる勇士が挑戦したものの、誰も抜けない。

それをやすやすと引き抜いたのが、若き日のアーサーだったんですね。
この剣は、エクスカリバーだったとも、違うとも言われています。
鞘から抜くと、松明数十本ぶんの光を発して敵の軍勢の目をくらます力があり、
アーサーは連戦連勝することができましたが、
あるとき、強力な敵との戦いで折れてしまいます。

失意のアーサーが舟で湖を渡っていると、水の中から乙女の腕が出てきて、
新たな剣を授けられます。こちらは間違いなくエクスカリバーです。
剣自体には特殊な力はないものの、鞘には魔力が込められてあり、
それを持つ者の体からは一滴の血も流れないという、身を護る力を持っていました。



しかし、物語の終盤、剣の鞘は悪い魔女の手によってすり替えられ、
アーサーは命を落とすことになります。エクスカリバーは、
死を悟ったアーサーの命で、騎士の一人により湖に持っていかれ、
湖面から出てきた手に返されることになります。この湖の場所にも諸説があります。

さてさて、最後に、昨年、イギリスのドーズマリープールという湖で、
「7歳の少女が、エクスカリバーと思しき大きな剣を発見した」というニュースが
報じられました。(下図)たしかにそこはアーサー王伝説の残る場所ですが、
考古学的には、6世紀の鉄剣が水中で現代まで残っているというは考えにくいです。

はたして、剣は30年ほど前のもので、形式はドイツの両手剣。
少しうんちくを言わせてもらうと、長い柄と、刀身に刃のついてない部分があり、
歩兵が、そこを持って槍のように使って馬上の兵を倒す
ためのものだろうと思われます。

おそらく、映画撮影などに使われたものを、
誰かが面白半分で沈めたのだろう、という見解が出されていました。
まあ、ネッシーや幽霊城などもそうなんですが、
イギリス人はこの手のロマンのある話が好きなんですよね。では、このへんで。








名剣の話

2018.03.19 (Mon)
素盞嗚命と八岐大蛇


今回はこのお題でいきます。ファンタージー系のRPGなどでは、
重要なアイテムとして、剣が出てきますよね。その剣自身が不思議な力を
持っていて、それを帯びる者にさまざまな利益を授けてくれる宝です。
この名剣、宝剣の話は、西洋にも東洋にも古くからあるんです。

ちなみに、これはご存知の方も多いと思いますが、剣はふつう、
両刃のものを指します。そして、多くの場合、片手には楯を持ち、
もう片方の手であつかいます。ファンタジーでは、両手で持つ剣は特に、
ツーハンデッドソードと言ったりもしますね。

さて、古代から、剣は3つの役割を持っていました。
一つは実用的な武器としての役割。最初は固い木の棒を武器としていたのが、
やがて木の先に石をくくりつけた石斧が生まれ、金属の発見・利用とともに、
青銅の剣、鉄製の剣と進化していったわけです。鉄剣は固いだけでなく、
ねばりがあって折れにくいので、持つ者の戦闘能力が飛躍的に高まりました。

中国 春秋時代の鉄剣


二つ目は、威信財としての役割。鞘を黄金製にしたり、
柄に宝石をつけたり、彫刻を施したりして、それを持つ者が、
一目で高い身分であるとわかるようにするための物です。ただ、威信財は、
杖とか首飾り、宝冠など、剣以外にもいろいろあります。

三つ目は破邪のための役割。現実的な敵の勢力だけでなく、目に見えない魔物を
追い払う力を持つとされました。現在でも、お通夜のときに、
遺体の傍らに小刀などを置いて、遺体にとりつこうとする邪気を近づけない
ようにするという風習を守っている地方もあります。

さて、日本の武器というと、片刃で、
両手であつかう日本刀のイメージが強いですが、
日本刀が武器として主流になったのは平安時代末頃で、それまでは
剣と刀が入り混じっていました。ただ、日本神話に出てくるのは、
「草薙剣 くさなぎのつるぎ」などの剣が多いんです。

鉄刀と鉄剣


これは、三種の神器の一つとして皇室に伝わっているものですが、
「素盞嗚命 すさのおのみこと」が「八岐大蛇 やまたのおろち」を
この剣で倒したと誤解している人が、けっこういるんですね。そうじゃなく、
切り刻んだ八岐大蛇のしっぽから出てきたものです。ただしこのときは、
まだ「天叢雲剣 あめのむらくものつるぎ」と呼ばれていました。

後に、この剣は、日本各地の賊を討伐するため「倭健命 やまとたけるのみこと」
に託され、焼津で敵に囲まれて草に火をつけられた倭健命は、
草を薙ぎ払って火を消して逃れ、ここから草薙剣という名前に変わりました。
ただし、研究者によって「草薙剣」と「天叢雲剣」は別物だとする人もいます。

倭健命の死後、形見となった剣は、妻であったミヤズヒメの手によって
尾張で祀られ、そこに熱田神宮が建造されました。
ですから、草薙剣は、現在も熱田神宮の御神体として、
守り続けられていることになります。

ここで、あれ変だな、と思われた方もいるんじゃないでしょうか。
三種の神器は宮中に置かれて、天皇の即位の儀式などに用いられましたし、
南北朝時代には、三種の神器を持つほうの王朝が正統だということで、
激しい争いがくり広げられています。

でも、これらは形代(かたしろ)なんですね。形代はレプリカですが、
単なる模造品というわけではなく、本体から分霊され、同じ力と働きを
持つとされました。源平の争いのときに、8歳の安徳天皇とともに壇ノ浦に沈んだ
とされるのも、この形代の一つです。

剣の話からは離れますが、同じ三種の神器の一つである
「八咫鏡 やたのかがみ」も、記録にあるだけでも3度、内裏の火事で
焼けてしまっていますが、それも形代で、本体は伊勢神宮で祀られ、
誰も見ることは許されません。

この八咫鏡と、明治時代の初代文部大臣、
森有礼の暗殺についての、じつに興味深いオカルト話があるんですが、
今回ご紹介するのは無理のようです。
興味を持たれた方は、ご自分で検索してみて下さい。

さて、日本の三大宝剣(神代三剣)というと、この草薙剣の他に、
「天十握剣 あめのとつかのつるぎ」と「布都御魂 ふつのみたま」
があげられることが多いですね。天十握剣は、日本神話のさまざまな場面で登場し、
異称も多いので、一本の同じ剣を指しているのではないのかもしれません。
「十握」というのは、刀身の長さが拳10個分という意味で、
長剣を表す一般名称とも考えられます。

もう一つの布都御魂は、「武御雷 たけみかずち」の神が、
この剣をもちいて大国主命をおどしつけ、
「葦原中国 あしはらのなかつくに」を国譲りさせたことで有名です。
現在は、奈良県の石上神宮にあることになっています。
「フツ」という物を切るときの音が、名前の由来のようですね。

さてさて、はじめは、アーサー王のエクスカリバーや、中国の干将・莫邪
(かんしょう・ばくや)の剣などについてもご紹介するつもりだったんですが、
日本のことを書いてるうち、異様に長くなってしまいました。
いったん終わりますが、また続きを書く機会もあると思います。では、このへんで。

三種の神器 イメージ







梨を植える話

2018.03.18 (Sun)
今晩は。早速、話を始めますけど、これ、民話っていうか、
おとぎ話みたいな内容なんですよね。だから、そんなに怖くないかも
しれないですし、ただの夢なんじゃないか、って思われるかもです。
けど、人が2人亡くなってるんですよ。まあ、その2人の死んだ原因は、
事件というわけでもないんですが・・・ それで、関係者が私を入れて、
もう3人いるんです。その代表として、今晩はここに来たんです。
ですから、何かわかることがあれば教えていただきたいと思いまして。
始まりは小学校4年生のときです。記憶も確かだと思います。
ええ、ここへ来る前に3人で確認してきましたので。
学校が、先生方の研究会のため、給食を食べて終わりだったんですよね。それで、
男だけ5人の友だち同士で、夕方までずっと空き地で野球とかして遊んだんです。

学校からはもちろん、道草食っちゃいけないって言われてましたけど、
私のうちは両親共稼ぎで、一人っ子だから、家に戻ってもつまんなかったし。
ああ、そうそう、そのときにいた5人って全部一人っ子なんです。
まあ、これは、たまたまなんだと思いますけどね。9月のことでした。
まだまだ日が長かったので、5時過ぎまでは遊んでたはずです。
けど、そろそろ帰らなくっちゃって一人が言い出して、
草の上に放り出してたランドセルを背負って、みなで歩き出したときです。
空き地の外の道に、リヤカーを引いた爺さんがいたんですよ。
それが、どんな爺さんかはよく覚えてないんです。これは私だけじゃなく、
他の2人も同じでした。記憶を突き合わせたところで出てきたのが、
白く長いヒゲがあった、白い着物を着ていた、すごく優しい声だった・・・

これくらいです。それで、その爺さんが、リヤカーとめて話しかけてきたんです。
「坊やたち、たくさん遊んで疲れたろう。梨 食べていかないか」って。
私たちは顔を見合わせていましたが、一人が「お金持ってないからいいです」
って答えたんです。そしたら爺さんは笑って、「お金はいらんから」と言い、
リヤカーに積んである箱から、梨を5つ取り出したんです。
その梨が変わった色と形で、ガラスでできたみたいな半透明の青い色、
形は、どう言えばいいかなあ。ほら、勾玉ってあるじゃないですか。
よく古代の遺跡から出てくる。あれに似てたんですよね。
でね、ひと目見たとたん、ものすごく美味しそうに思えたんです。
ごくりとツバを飲み込むくらい。それでも,、私たちが躊躇していると、
爺さんは「ほら」と言って、一番近くにいたやつに1つ手渡して。

そいつが皮をむかずに一口かじると、「これ、うめえや!」そう言って、
ガツガツと食べ始めました。それ見てた残りの子も、
われ先にと爺さんから梨をもらって、私も一口食べてみたんです。
それは、何とも表現できない味でした。陶然と、魂がとろけるようなと言えばいいか。
夢中になって食べました。これもね、今考えると不思議なんです。
たかが梨1つですから、数分で食べ終えるはずなんですが、すごく長い時間、
食べてた気がするんです。いや、実際に長い時間たってたかもしれません。
家に戻ったら7時を過ぎてて、親に怒られた記憶がありますから。
でね、食べてた梨がだんだんなくなってきて、歯に固いものがあたりました。
梨の種です。大きかったです。5cm近い、これもガラスでできてるみたいな
深い青色をした涙型の種。それが私たちの手の中に残りました。

すると、ずっと私たちの様子を見てた爺さんは、「その種、お家の庭に植えるといいよ。
 きっといいことがあるから」って。一人が爺さんに、「ありがとうございました」
って礼を言って、それから5人がばらけて家に戻ったんですよ。
種はその日は自分の部屋にあって、まるで宝石みたいでした。
もったいないとも思ったけど、あの梨がなる木が生えたらすごいと思って、
翌日、学校から戻ってから庭の隅に植えたんです。じょうろで水をかけたりもしました。
はい、芽は出てきました。でもそれ、夢の中だったんです。
私が家の庭に立ってると、土から出てきた芽が、ひょいっと私の服を引っかけて、
一気に家の軒の高さまで伸び上がりました。で、いつのまにか横枝も出てたので、
引っかかってた服を外して、その枝の上に腰掛けました。
そうしてるうちにも梨の木は伸びて、私の家の屋根を越えたんです。

ああ、屋根が丸見えだなあ、ちょっと怖いな、そう思ったあたりで夢は終わり。
朝になっても覚えてたんで、同じく梨をもらった仲間の一人に休み時間、話しました。
そいつは驚いた顔をして、「梨の夢な、俺も見たぞ。同んなじだなあ」って。
それで、残りの3人にも確かめたら、やっぱり夢を見てたんです。みな内容も同じ。
不思議ですよね。それで、今度また夢を見たらみなで報告し合おうて決めました。
ええ、夢は毎日見るわけじゃなかったんです。最初は2週間に1ぺんくらい。
だんだんに月に1度ほどになって、そのたびに梨の木が高くなっていきました。
何度目かに見たときは、もう自分の家はけしつぶくらいになって、
街全体が見渡せました。でね、四方を見渡すと、高い高い木が4本生えてまして。
ええ、残りの4人が乗ってる木です。ただ、葉が茂ってるため、
どこに友だちがいるかはわかりませんでした。

そっちに向けて手を振ったりもしてみましたが、姿は見えなかったです。
ええ、最初のうちは律儀に報告し合ってましたよ、「また、あの夢を見た」って。
でも、内容はいつも同じだし、高さがますます増していくくらいでした。
ですから、つまらないし、その頃には夢は3ヶ月に1度くらいしか見なくなってたんです。
それで、いちいち報告し合うのはやめてました。4年生が終わってクラス替えがあり、
スポ少に入ったやつもいて、遊ぶ仲間も変わりました。でね、夢を見る間隔は
どんどん長くなてって、中学校に入る頃には1年に1ぺんくらいになったんです。
梨の木はものすごく高くなって、地上は航空写真みたいでしたし、
他の友だちが乗ってる木は糸みたいに見えたんです。高校生のときには、
夢は3年間で1度見ただけでしたね。その後は、5年おきくらいですかね。
私は就職し、結婚して子どももでき、梨を食べた4人とはすっかり疎遠になってました。

それがある日、一番仲よかった当時の友だちの一人から、電話がかかってきたんです。
お互い「懐かしいなあ」って言い合い、友だちは、「またあの夢を見たぞ。覚えてるか、
 梨の木の夢。久しぶりだったが、もうすぐ雲まで届くところだ」って言ってました。
で、友だちは、会社を早期退職して独立するって張り切ってたんですが、
それから1週間ほどして訃報が入ったんです。自殺という噂でしたね。
まさか、そんな短期間で事業がうまくいかなくなったわけでもないだろうし、
理由はわかりません。葬式には出ました。2人の子どもはまだ小さく、
残された奥さんが気の毒でしたよ。でね、葬式に出た日の夜に、久しぶりに
あの夢を見たんです。木はますます伸びて、地上ははるかはるか下。
友だちの木は って探したら、3本しかなかったんです。1本なくなってたんですね。
でも、この夢のことが幼馴染の死と関係があるとは、そのときは考えませんでした。

このことがあってから5年後、先月のことです。この間、私は夢は見ていません。
また、当時の友だちの一人から電話が来て、切迫した声で、こんな内容でした。
「おい、あの夢、覚えてるか、梨の木の夢。あれ、ヤバイものかもしれん。
 昨日久しぶりに夢を見たんだが、雲の上まで届いた。
 そしたらそこに俺たちに梨をくれた爺さんがいて、手に大きな鎌を持ってたんだ。
 それが、何とも嫌な、怖い顔をして、「収穫の時期だなあ」って
 言ったんだよ」 そこで電話は切れ、こちらからかけ直してもつながらず・・・
でね、他の2人の友だちからは次々に電話が来たんです。
友人は、私たち3人全員に連絡してたようなんです。あれこれ話をしたら、
同じ内容の電話だったみたいでした。でもねえ、お互いに忙しい身だし、
最近は誰もその夢は見てなかったので、集まるとか、そういう話は出なかったんですよ。

だってねえ、そのときはまだ、正直言って信じちゃいなかったんです。
でも、その夜また夢を見て・・・木は高く高く伸びてて、地平線が丸く見えるくらいでした。
で、遠くに見える他の木は2本だけ。ええ、そうです。その時刻には、
電話をかけてきた友だちは亡くなってたんです。やっぱり自殺でした。
世間体を考えてか、葬式はありませんでしたが、他の2人と相談して時間をやりくりし、
郷里に集まったんです。3人でお線香をあげに自宅にうかがったら、
やつれた顔で奥さんが出てきて、自殺する心あたりはまったくない、という話をされました。
その後、喫茶店で3人で相談したんです。「あの夢で、木が雲まで届いたやつは、
収穫されてしまうんじゃないか」って。ええ、知らない人が聞いたらバカバカしいでしょうし、
私もまだ半信半疑ではあります。けど、怖いんですよ。次に、木が雲まで届く
夢を見てしまったらどうしようって。それで、ここにご相談に来たんです。








動物が死ぬ話

2018.03.17 (Sat)
じやあ話をしていきます。Fラン大学を卒業したもののの就職がなくて、
ペットショップでバイトしてたんです。2年間勤めたんで、
生き物のことにはだいぶくわしくなりましたよ。
いや、大型店じゃなく、個人の店です。中心は熱帯魚で、
その他に小鳥やハムスターなんかの小動物も扱ってました。
犬猫はやってなかったんです。それだと、店のスペースを広くしなきゃならないし、
バイトも一人じゃ無理ですからね。オーナーにはだいぶ気に入られまして、
店を継がないかっても言われたんです。60代のオーナー夫妻には、
子どもはいたんですが、サラリーマンになって、ショップを継ぐ気はなかったんですね。
これ、ありがたい話だし、当時は、けっこう気持ちが揺れたんですけど、
最終的には断らせていただきました。今は、食品関連会社に勤めてます。

で、そのペットショップにいたときの話です。商品の動物が死ぬことがあって。
まあ、熱帯魚は死にますよ。入荷の状態が悪かったり、
店の水槽の水と合わなかったりして、特に海水魚はかなりの割合で落ちます。
ああ、業界では、死ぬことを「落ちる」って言うんです。
僕が言ってるのは、それ以外の小動物です。ハムスターが多かったけど、
小鳥なんかも。いやまあ、弱い動物ですから、死ぬのは不思議はないんですが、
それが、毎月、同じ日に死ぬってのは変でしょう。
27日だったんです。店を7時に閉めて、後かたずけをしたり、
伝票の整理したりして、だいたい8時頃に帰るんですが、
翌朝、店にいくと小動物が死んでる。
ケージや鳥かごの中で、くったりと倒れてるんですよ。

温度管理その他には特に落ち度はないと思ったし、最初は寿命だと考えたんです。
ええ、ずっと気がつかなかったんです。毎月、同じ日に死んでるってことを。
「あれ?」と思ったのは、勤めて1年ぐらいしてからですね。
何がきっかけだったか忘れましたが、死体を片づけながら、
「そう言えばこの間、ハムスターが死んでたのも27日だったよなあ」
って思いあたったんです。でも、そのときも偶然だろうって考えました。
けど、翌月の27日、発見したのは28日の朝でしたけど、
ピグミーヘッジホッグっていう、ハリネズミの一種が死んでまして。
不思議だなあって思ったんです。で、オーナーは午後に1時間くらい、
店に顔を出すだけなんですが、その日来たときに話をしてみました。
「あの、昨日ハリネズミが死んじゃったんですけど、27日なんですよね」って。

オーナーは、僕が何を言ってるのかわからないみたいでしたので、
これまでのことを説明しました。「うーん」とオーナーは少し考え込んでから、
「たまたまじゃないかな、君はいつもよくやってくれてるよ」って言ったんです。
そのときはそれで終わりました。けど、翌月の27日にも小鳥が1羽死んだんです。
これは絶対に偶然じゃない、って思いました。それで、翌月、
27日に「店に泊まりこんでもいいですか」って、オーナーに許可を求めたんです。
「また同じ日だし、気になってしかたないんで、バイト料はいりませんから、
 夜の間、店にいさせてください」 そしたらオーナーは、
「物好きだなあ」って顔をして、「いや、気になるんならかまわないけど。
 ごくろうさんだね」って言って。で、そのときは11月だったんですが、
店の中は、熱帯魚のために、ずっと26度にエアコンを設定してるので、

寒いことはないんです。夜食を買い込んで、店の奥のソファに陣取って、
イアホンでラジオを聞きながら、朝まで起きてるつもりでした。
今になって考えれば、たしかに、物好きなことをしたなあって思いますよ。
店の照明は消しました。動物たちも寝ますからね。
でも、あちこちの電気系の確認ランプや非常灯の明かりで、
店の中はうすぼんやり明るかったです。で、1時間ごとに懐中電灯を持って
見回りました。せまい店ですけど、ハムスターなんかはおがくずに埋まって
眠ってますから。生きてるかどうか見分けるのに時間はかかりました。
で、9時、10時、11時と、特に何もなし。
そのうちにだんだん眠くなってきまして、ソファでうとうとしかけたんです。
そしたら、なんか低い、うなるような音が聞こえてきたんです。

そうですねえ、電気モーターみたいな音です。もちろん店の中は、
熱帯魚のエアレーションとか、いろんな音がしてますけど、
それらとは違う耳慣れない音です。立ち上がって耳を澄ますと、
小動物のケージのあるほうから聞こえてくる気がしました。
それで、懐中電灯をつけて行ってみたんです。すると、近づくにつれて、
それ、モーター音じゃなくて、なんかの歌だってわかったんです。
ええ、歌詞も少しは聞き取れました。「これはこの世のことならず
 死出の山路のすそ野なる さいの河原の物語 聞くにつけても哀れなり・・・」
もちろん、これが全部わかったわけじゃないです。
後になってネットで調べて、あのときの歌はこれだったんだって気がついて。
「地蔵和讃」ってやつですよね。地獄のことをうたってるっていう。

しわがれた声で、うたってるのが男か女かもわかりませんでしたが、
年寄りの声だとは思いました。それが、積んであるケージの一つから聞こえるんで、
懐中電灯を向けてみました。そしたら・・・ケージの中に変な生き物がいたんです。
ハムスターよりふたまわりほど大きく、ハゲた頭にザンバラ髪が残ってて、
体は裸であばら骨が浮き出し、お腹だけがぽっこりと出ている・・・
そいつがケージの中で、仰向けのハムスターに馬乗りになって、
小さい両手で首を絞めてたんです。そいつは、急にあたった光に驚いた様子で、
僕のほうも懐中電灯を下に落としちゃったんです。
あわてて拾い上げ、もう一度照らすと、そいつは僕を憎々しい目でにらんで、
「当夜は命をもらいうける日ぞ」って言ったんです。もちろん、これも後になって、
あのときの言葉はこうだったんだろうな、って考えたんですけど。

その口調を聞いてカッとしたんです。胸ポケットにボールペンを挿してたんで、
それをケージにさし入れて、思いっきりそいつの青白い背中を突きました。
するとそいつは、ハムスターの首を絞めてた手を離して、
「約束をたがえるのか」って。僕は、ボールペンが届かなくなるギリギリのとこまで
押し込んで、そいつは「ぐええ、仲間が・・・」と言って、僕をにらみつけ、
目がぐるんと白目に裏返って、消えたんです。
店の照明をつけました。ケージの中には、ハムスターが死んでるだけで、
そいつの姿はあとかたもなくなって、血みたいなのも落ちてなかったです。
これ以降、朝までおかしなことはありませんでした。
翌日、徹夜明けでしたが、出てきたオーナーにそのことを話しました。
オーナーは当惑したように僕の言うことを聞いてたんですが、

「うーん、それはもしかしたら・・・」って言ったんです。でも、それだけでした。
今になってみれば、あのとき、もっとくわしく聞いておけばって思いますよ。
この後も、1年ほどバイトは続けましたが、27日に動物が死ぬってことは
なくなりました。だから、あれはあれでよかったんじゃないかって
思ってたんですが・・・ それから、今の会社に正社員で就職してバイトは辞め、
2年後に同僚の女性と結婚したんです。で、先月、男の子が産まれまして、
子どもは妻が育児休暇をとってみています。
それで、ペットショップであったことはすっかり忘れてたんですが、
今月のことです。妻がおかしなことを言い出しまして。
「夜中に赤ちゃんの様子を見にいったら、生き物がベビーベッドの中にいた。
 ネズミだと大変、と思って走り寄ったら、

 小さい腹の出た気持ちの悪い生き物が、赤ちゃんの脇から跳び上がって
 ベッドの下に落ち、床を走って部屋の隅で消えた」って。
で、僕もすぐ赤んぼうを見にいきました。部屋の中も調べたんですが、
おかしなところはないし、そいつが消えたっていう部屋の隅にも穴なんてなかったんです。
で、妻から詳しく話を聞いてるうちに、昔の、あのペットショップであったことを
思い出して。ええ、その変な生き物の姿かたちが、ハムスターの首を絞めてたやつと
そっくりに思えたんです。それで、翌日です。赤んぼうのほっぺたに、
小さく赤く、爪で引っかいたような跡が浮き出してて、それが「廿七」って読めたんです。
これ、「二十七」ってことですよね。気になってしかたないんで、
ペットショップのオーナーのとこに、しばらくぶりで電話したんです。そしたら、
2人とも、僕がショップを辞めた年に同時に事故で亡くなってて・・・









ヴィーナスとマーズ

2018.03.16 (Fri)
宇宙開発を押し進めるスペースX社CEOのイーロン・マスク氏は、
テキサス州オースティンにて開催されたSWSX(サウス・バイ・サウスウエスト)に登壇し、
なぜ人類は火星にコロニーを建設しなければならないのかについて語っています。
 
マスク氏は、人類が大気汚染や第3次世界対戦、AI(人工知能)の暴走などにより、
暗黒の未来を迎える可能性を示唆。そこで、火星や月にセーフティーネットとして
コロニーを建築し文明を維持することで、そのような暗黒時代を
「短縮」できるとしているのです。また、AI技術の過度な発展に対する懸念に
ついても以前と同じく触れています。
(sorae.jp)



今回のお題はこれで行きます。火星への植民地建設についての提言なんですが、
まあ、スペースX社は宇宙輸送が業務ですので、CEOがこう言って、
仕事を増やそうと考えるのは当然でしょうね。ただ、昨日 訃報をお伝えした
ホーキング博士も、最近、この内容のことを強く述べてました。

火星にコロニーをつくる目的の一つに、人類のリスクを分散するということが
あります。もし、核戦争やら大規模な自然災害で、地球が壊滅的な被害を受けた場合、
火星コロニーからの支援によって立ち直りが早くなるし、
最悪の場合でも、火星に人類の種子を残すことができるということなんでしょう。

これはもちろん、植民の候補は月でもいいわけですが、
例えば天体衝突などの大災害が起きた場合、
(直径10km程度の小惑星が地球に落ちてくれば、まず人類は滅亡します)
地球に近い月では心もとない面もあります。

ここにきて、火星以外の候補として、金星を押す声が高くなってきてるんです。
アメリカ、NASAの宇宙ミッション分析部門では、
最終的に人類の恒久的な移住を目指すなら、火星へのミッションよりも、
金星への有人飛行の方が現実的だという分析結果を出してるんですね。

そこで、火星と金星、どちらがより移住にふさわしいか、
当ブログでも少し考えてみたいと思います。太陽系の惑星について、
よく、「水・金・地・火・木・土・天・海・冥」 と言いますが、これは、
太陽に近い順に惑星を並べたもので、地球は金星と火星にはさまれていて、
金星がより太陽に近いわけです。当然、金星は暑く、火星は寒いことになります。

地球、金星、火星の大きさの比較


さて、では、どちらがより地球に近いか。火星も金星も楕円軌道で
公転していますが、地球から火星までの最小距離は約7800万km、一方、
地球から金星までの最小距離は約4200万km。かなり金星のほうが近いですね。
もし、植民地を建設するなら、ひんぱんに支援物資を届けなくてはなりませんが、
どれだけ技術が進んで宇宙船の速度を高めても、
火星へ行くには、金星の2倍近い日数がかかってしまいます。

次に、環境面を比較してみましょう。火星は、ごく薄い2酸化炭素の大気は
あるものの、宇宙からの放射線を、ほとんど防ぐことができません。
気温は、平均表面温度は-43℃で、最低温度は-140℃の極寒です。
火星の表面重力は地球の1/3。あと、これはあまり言われることはありませんが、
太陽からの光熱エネルギーの量は、地球よりも遠いため、半分程度になります。

金星はどうでしょう。太陽に近く、厚い2酸化炭素の大気があるため、
猛烈な温室効果を起こして、赤道付近の気温は500℃にまで上がります。
そこに硫酸の雨が降るという過酷な環境です。SF小説では、はじめの頃は
金星人が出てくるものが多かったのですが、この状況が知られるにつれて、
火星人のほうが人気が高くなりました。

また、金星の大気がぶ厚いため、地表は90気圧にもなります。
地球だと、水深900m以上の深海に相当します。
ここまで見てきて、これはダメだろうと思われた方が多いでしょうが、
金星に有利な点もあります。重力がほぼ地球と同じなんですね。

この間、日本の宇宙飛行士の金井さんの身長が無重力下で伸びたという話題が
ありましたが、低重力は、人間の全身にさまざまな影響を及ぼしますし、
妊娠、あるいは乳幼児の成長がどのようになるかのデータがないんです。
おそらく、そのままではまともに成長できないと思われます。
じゃあ人工重力をつくればいいと言っても、現在の技術では難しいでしょう。

ここまで比較して、自分は、金星のほうが植民先として有利そうだなあと考えます。
その決め手になるのは、金星の、2酸化炭素、硫酸、硫黄が入り混じった
有毒な大気にあります。日本人は福島原発事故で、放射線を防ぐ
困難さを知ってますが、これで宇宙からの放射線が遮断されるのは大きいです。
それと、太陽フレアによる電磁波なども防いでくれます。

もちろん、金星の500℃、90気圧の地表には住めません。
そこで、考えられているのは「フローティングシティ」の構想。
金星の空中に浮かぶ都市です。金星の大気は比重が大きいため、
地球の空気を入れた飛行船は浮くことができます。
そこで、金星の上空に巨大飛行船を何隻も浮かべて連結し、植民都市とする。

金星の高度50km地点では、大気圧がおよそ1気圧、気温が0~50℃と、
人類が住むのに問題はありません。また、飛行船に空気をつめて、
その中で人間が生活すればいいわけで、これは一石二鳥とも言えます。
こう考えると、けっこう現実的な気もしますね。

さてさて、最後に、ギリシア神話では、金星はヴィーナス(Venus)を象徴します。
ごぞんじのとおり「愛と美の女神」です。火星はマーズ(Mars)。
赤味がかって見えるため、「怒れる軍神」と考えられました。
また、金星は日本でも、ひときわ明るく輝き、「明けの明星・宵の明星」として
縁起のよいものとも考えられてきました。ということで、今回はこのへんで。

アレクサンドル・カバネル 「ヴィーナス誕生」







ホーキング博士追悼

2018.03.15 (Thu)
「車いすの天才宇宙物理学者」として知られる、
英国のスティーブン・ホーキング博士が中部ケンブリッジの自宅で死去した。
76歳だった。英メディアによると、家族の関係者が14日、明らかにした。

ホーキング博士は、量子力学や一般相対性理論などを駆使して、
1960年代後半にブラックホールの存在を示したほか、83年には、
宇宙の始まりを解明する「無境界境界条件」論を展開するなど、
新しい宇宙理論を提唱。現代宇宙論の進展に大きく貢献した。

同博士は42年、中部オックスフォードで生まれた。オックスフォード大、
ケンブリッジ大大学院を修了、カリフォルニア工科大教授を経て、
77年ケンブリッジ大キース・カレッジ教授、79年には、
かつてニュートンが就いていた権威ある同大のルーカス記念講座教授職を務めた。

大学院生時代に筋肉が衰える難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発病したが、
学究生活を続け、74年、最年少の32歳で英国学士院会員に選ばれたほか、
アインシュタイン賞、ハーバード大名誉科学博士など多くの賞や学位を獲得した。

(ロンドン時事)



ということで、今回はこの話題でいきたいと思います。
ホーキング博士は、当ブログでは、水木しげる先生や、西丸震哉氏などと並んで、
個人名が最も多く出てこられる方の一人なんですね。
学説もあれこれご紹介させていただきました。心よりご冥福をお祈りいたします。

76歳ということですが、イギリスの男性の平均寿命には届かないものの、
ALSという難病を抱えた状況では、十分に長生きだと思いますし、
考えうる最高の治療を受けられてきた結果でしょう。そういう意味では、
ご本人もあまり悔いが残らなかったのではないかと思いたいですね。

さて、ホーキング博士の業績としては、引用記事でもいろいろあげられていますが、
最大のものは、ホーキング放射とブラックホールの蒸発問題に関連して、
「ブラックホール情報パラドックス」についての議論が世界的に
高まったことではないかと、個人的には思います。

例えば、重要な内容の手紙があったとします。これを燃やして灰にし、
その灰をあちこちにバラバラにふりまけば、
手紙に書かれていた情報は永遠に失われてしまうのか?
物理学の世界では、この場合、情報は失われないと考えます。

なぜなら、それらの灰を全部集めて、元の手紙の状態に戻すことは、
理論的には可能とされるからです。(技術的にはまあ不可能ですが)ところが、
ホーキング博士は、ブラックホールが長い時間をかけて少しずつ蒸発していくことを
提示しました。その場合、ブラックホールに落ち込んだ情報は
永遠に失われてしまうのか? だとすれば、科学的方法の原則から外れています。

そこで、世界の科学者が知恵を出し合って考えました。
ホーキング博士は、相対論が専門なんですが、この問題は、相対論と量子力学を
結びつける「量子重力理論」の必要性をあらためて世界の学者に突きつけたんですね。
問題の解答として、現状では、ブラックホールに落ち込んだ情報は、
ブラックホールの表面に2次元的に保存される、と考える学者が多いようです。

さて、ネットの掲示板に、ホーキング博士死去に関するスレが立っていたので、
見てましたら、「ノーベル賞がもらえなかったのは残念」
という声がけっこうありました。ただこれは、はじめから、
博士の研究分野がノーベル賞をもらえる可能性が
少ないことは、ご本人も十分承知していたと思われます。

前にも少し書きましたが、ノーベル賞は、ノーベル自身が土木工事などで役立つ
ダイナマイトを発明したこともあり、実証的、実用的な研究に
与えられる傾向が強いんですね。ある理論がつくられてから数十年後にそれが実証され、
受賞につながったというケースは珍しくはありません。

関連記事 『ノーベルとニトロ』

ホーキング博士の場合も、博士が提示したブラックホールの蒸発、ホーキング放射が、
もし大型加速器の中で実際に観察されれば、受賞の対象となったのかもしれませんが、
これは「超ひも理論」が説く、余剰次元の存在と深く結びついており、
余剰次元はあるかどうかもわからないので、そう簡単な問題ではないんです。

さて、ホーキング博士は晩年、現代文明に対する警鐘のような発言が多くなり、
「100年以内に人類は滅ぶ!」 「100年以内に他の惑星を植民地化し、
コロニーをつくっておく必要がある」 「人類を滅亡させないため、世界政府樹立を」
などといったことを述べておられました。これ、一見トンデモのようですが、
自分は、十分に考えておく価値のあることじゃないかと思います。

あと、死について、「人間の死は、コンピュータが壊れるのと同じで、そこで終わりで、
あの世の世界はない。あの世の存在は、死を恐れる人たちのファンタジーでしかない」
と新聞のインタビューで述べられていまして、これについて、
自分はよく言ったなあと、かなり高く評価しているんです。

もちろん、死後の世界があるかないか、これはどちらも証明されていません。
ですから、ホーキング博士の発言は、科学的な理論ではなく、
個人的な心情の表明ということになります。ただ、日本とは違って、
キリスト教の影響が強いヨーロッパで、これを言うのはなかなか大変なことです。

で、自分は、このような意見も当然あっていいと思うんですね。
世界では、歴史的に、宗教を原因とした大きな戦争が何度も起きていますし、
現在も、エルサレム問題など紛争の火ダネがくすぶっています。
宗教やスピリチュアルが、好き勝手にふるまうことに対する予防装置として、
大きな働きをするんじゃないかと考えます。
権威を持った誰かが、発言しておくべきことだったと思いますね。

さてさて、この世を旅立ったホーキング博士は、
壊れたコンピュータのように、無の中に消えたのか。それとも、
あの世で目を覚まして、「あれ?、もしかして間違えたかな?」
と思っておられるのか、どちらなんでしょうかねえ。









ある中学校の話

2018.03.15 (Thu)
Sさん(男性)
あ、俺が卒業した中学校の話ですよね。どこにでもある、普通の公立中学校でした。
ただね、歴史は古かったんですよ。創立110年祭ってのをやった記憶があります。
たしか、県内で2番目にできた中学校だったはずです。
怖い話・・・ああ、ありました。初代校長に関する噂。
初代校長は、明治の中頃に初めて校長を務めた人ってことですが、
いろんな話がありましたね。えーとまず、初代校長は今も生きてて、
学校の中の、生徒が入れない部屋に日中はいつもいて、
夜になると学校の中を回って歩くっていう。もちろん飯も食わないし、
ミイラみたいな外見をしてるとも言われてました。だから、生きてるってのも変ですね。
今でいうゾンビみたいな存在ってことなんでしょう。
2つ目の噂は、初代校長は勤王の志士だった人で、幕末にたくさん人を殺してる。

だから、学校の中でもし、天皇陛下の悪口を言うやつがいれば、
その晩、家までそいつを殺しにやってくるって話。でも、俺がいた3年間で、
生徒で死んだやつはいなかったはずです。あと、3つ目の噂は、
笑わないでくださいよ。初代校長は、じつは狸だったってものです。
狸が人に化けて校長をやってたってことなんでしょうね。
いやまあ、3つとも荒唐無稽な話なんですけど、最後の狸のことについては、
俺もかかわった、奇妙な話があるんですよ・・・ほら、掃除当番ってあるでしょ。
生徒が班ごとに、自分のクラスや学校のあちこちを掃除するって活動。
あれでね、俺が2年生のときに、校長室の担当になったことがあるんです。
それで、校長室には入ったことがあるんですけど、
壁にずらっと、歴代校長の写真がかかってました。
もちろん、初代校長のは一番端の、始まりのところにあって、

古い黄ばんだ写真に、立派なヒゲを生やした人が写ってました。
そうそう、明治天皇の写真ってあるじゃないですか。あれに雰囲気が少し似てました。
でね、ある日、掃除が終わって教室に戻ろうとしたら、班のうちの一人が、
いきなり「狸がいる!」って叫んで、壁の写真を指さしたんです。
それが初代校長の写真だったんですが、俺には、特に変わったことはないとしか
思えなかったです。けど、そいつは、「狸だ、狸が写ってる、ぎゃはははは」
って床を転げ回って笑いだして。で、先生方に知らせたら保健室に連れて行かれて。
まあでも、たいしたことはなく、翌日はケロッとした顔で学校に出てきました。
「昨日、狸とか言ってたけど、あれ何だったんだよ?」そいつに聞いたら、
「いやあ、あのときは確かに、額の中の写真が狸になってたと思ったんだよなあ。
 だけど、もしかしたらアライグマかも」なんてとぼけたことを言ってましたね。

Kさん(男性)
○○中学校ですか。10年ほど前に4年間勤務したことがあります。
おかしな体験ですか・・・あることはありますけど、これ、自分が言ったってことは
秘密にしてくださいよ。学校には、閉門当番ってのがあるんです。
だいたい月に1度くらいは回ってくるんですが、学校に最後まで残ってて、
部活動が全部終わって、先生方が全員帰ったあたりに、
校内を見回って、戸口や窓の施錠を確認するんです。あと、冬場は、
暖房が消されてるかどうかも見て回ります。で、日誌に書く。
だいたい9時頃になりますね。で、その日、自分が閉門当番で、
懐中電灯を片手に各教室を回って歩いてたんですよ。
ルートは決まってて、1階から3階へと上がって、すべての教室を見て、
あとは体育館だけってことになりました。

体育館は校舎と少し離れてて、長い廊下を通っていくんです。
でもね、体育館の窓は、最後にやった部活の担当者が確認してるから、
開いてるってことはまずないんですけど。で、体育館に入ったら、
ボッと明るかったんです。いや、天井の照明は消えてました。
どこだろうと思って見回したら、ほら、ステージがあって、その横に放送室が
あるじゃないですか、儀式のときに音楽をかけたりする。
そこの明かりがついてるのが見えたんですよ。「あれ、誰か放送室使ったのか?」
そう考えながら近づいていくと、放送室の窓のところを、
ちらっと影がよぎったように思ったんです。それで緊張しました。
生徒はもちろん、残ってる教師もいないはずでしたから。
でね、懐中電灯を握りしめて近づいていくと、急に大音響がして。

びっくりしてとび上がりましたよ。何だったと思います?
軍歌ですよ。いや、曲名はわからないですけど、あの曲調は軍歌でした。
歌詞も、きれぎれに「敵艦がどうしたこうした」とか聞こえましたし。
それがね、ボリューム最大で体育館いっぱいに流れたんです。
心臓がドキドキしましたけど、放送室に残ってるやつがイタズラしてるのは
間違いないから、走ってってステージにとび上がり、「誰だ、こら!?」って
怒鳴りながらドアを開けたんです。でもね、中には誰もいなかったんです。
畳2畳ほどのせまい場所ですから、人がいるかいないかはひと目でわかりますよ。

それどころか、アンプ類のスイッチ全部オフになってるし、
プレイヤーにCDも入ってない。なのに、軍歌がガンガン鳴ってて・・・
わけがわからなくてパニックになりかけました。すると音楽にかぶさって、
ギャーッという叫び声が流れて、ブッンと切れたんです。いや、不思議でしたね。
でね、放送室の中は誰もいなかったんですが、すごく異臭がしたんです。
そうですね、たぶん動物の臭いなんじゃないかと思います。
動物園に行ったときに嗅ぐような臭いでした。
まあ、これだけの話です。奇妙なことはその一度きりでしたよ。
あとは、特にトラブルもない、平和でいい学校だったと思います。

Uさん(女性)
○○中学校ですよね。怖い思いをしたことがあります。
私は3年生のときに、学年評議委員というのをやってたんです。
ええ、クラス委員が集まって行事の企画をしたり、学年集会の準備をしたり。
で、その日は、学年のレクリエーションを朝集会でやることになってました。
ほら、受験の最中だったので、少しでも息抜きになればと思って、
体を動かすような集会をやろうとしてたんです。その準備のために、
朝早くに学校に行きました。といっても、学校は開いてたし、
もう来てる先生もいました。職員室によって放送室の鍵を借り、
体育館に行ってみたんです。まだ、私以外の委員は誰も来てませんでした。
それで、放送室に入って、マイクを出したりCDの準備をしようとしたんですが、
中がすごく臭かったんです。あれ、動物の臭いじゃないかと思います。

それと、放送室はせまいんですけど、奥の壁にドアがついてたんです。
「え??」って思いました。放送室には何度も入ってるんですけど、
そんなドアなんてなかったはずです。変だなあと思いましたが、
そのときはまだ怖いとは感じませんでした。だって、朝だし、
太陽の光で体育館の中は明るかったですし。ドアノブに手をかけて、
押したら開いたんです。不思議だなあ、と思いながら入っていきました。
中は長い通路になってて・・・今から考えると、それがまずおかしいですよね。
だって、そんな長い通路ができるスペースなんてないんですから。
やっと人が一人通れるせまい通路は、あちこちにクモの巣がかかってて、
床はほこりだらけでした。で、放送室の中で感じた嫌な臭いが、
ますます強くなっていって・・・つきあたりに、またドアがあったんです。

それも開けると、中は広い部屋でした。立派なデスクと、
革製のソファがあったんですが、これらにも山のようにほこりが積もってて。
部屋には窓はなく、でも、うすぼんやりと明るかったんです。
そのとき、コトンという音が部屋の隅のほうでして、そっちを見ると・・・
異様なものがいました。毛むくじゃらの顔の動物が立ってたんです。
軍服のようなのを着てたと思います。動物はガラス玉のようなギラギラした目をして、
まったく動かないまま、私に、「こら、部屋に入るときはノックしなさい。
 しつけの悪い生徒だ」中年男性のような声で、こう言ったんです。急に怖くなって、
走って逃げました。長い通路を抜けて放送室へのドアを開け、後ろ手で閉めて、
ほっとしてふり向くと、そこにはドアなんてなかったんです。ええ、それ以後、
そのドアを見たことはないんですが、放送室に入るのが苦手になりましたよ。









百々爺と獣肉食

2018.03.14 (Wed)
またしても妖怪談義です。今回はこいつでいきます、
「百々爺 ももんじい」。石燕の絵を見てみましょう。
枯葉の中に枯れ枝を杖にした老人が立っています。
体は毛深く、その顔はどことなく獣じみているようにも見えますね。



詞書は長く、「百々爺未詳 愚按ずるに 山東に 摸捫ぐは(ももんぐは)
と称するもの 一名野襖(のぶすま)ともいふとぞ  京師の人 
小児を怖(おど)しめて 啼(なき)を止むるに 元興寺(がごし)といふ
もゝんぐはと がごしと ふたつのものを合せて もゝんぢいといふ 
原野 夜ふけて ゆきゝたえ きりとぢ風すごきとき 老夫と化して 
出て遊ぶ 行旅の人 これに遭へばかならず病むといへり」


訳すと、「百々爺についてはよくわからないが、愚考すると、関東で「モモンガ」
と言うものは、別名「のぶすま」とも言うというそうだ。京都の人は、
子どもをおどかして泣きやませるのに「ガゴシ」と言う。ももんじいは、
モモンガとガゴシの2つを合わせたものだ。野原の夜が更けて、
人が通らなくなり、霧と風が激しいとき、老人の姿となって外に出て遊ぶ。
旅人は、これにあうと必ず病気になると言われている。」こんな感じですか。

まず、「モモンガ」と「野襖」は、どちらも同じリス科の動物のことですね。
前脚から後脚にかけて張られた飛膜を広げて滑空することができます。
石燕には、別の妖怪画で「野衾」があり、下図のようなものです。
獣のくせに空を飛ぶのが珍しいので、妖怪のうちに加えられたのでしょうか。



後半は言葉の語源のようなことが書いてあります。京都の人は、子どもが泣くと、
「ガゴシが来るぞ」と言っておどかす。ガゴシは幼児語でお化けを表します。
で、百々爺は、モモンガとガゴシが合わさってできたものだろうか、
というわけです。しかし、自分は、このあたりの記述はあまり意味はないと考えます。
石燕は、本来の意味をごまかすために、あれこれ言ってるような気がしますね。

ずばり、百々爺は「肉食」を表してるんじゃないかと思います。
日本の獣肉食の歴史をざっとふり返ってみますと、仏教伝来までは、
獣肉は貴重なタンパク源として、普通に食べられていました。農耕は不作の年もあり、
狩猟・採集による食物の比重が、まだまだ高かったんですね。

それが、仏教の殺生戒という考えがだんだんに浸透していき、
『日本書紀』によると、675年、天武天皇は、農耕期間である4月~9月の間、
牛、馬、犬、猿、鶏を食べてはならないとする禁令を出しています。
ただし、獣肉食の中心である鹿と猪はのぞかれています。
これは、田畑を荒らす害獣であったせいもあるんでしょう。

鎌倉時代から武士の世になると、武士の間では獣肉は食べられていましたが、
殺生をなりわいにしている猟師が、その罪で地獄に落ちるなどの
仏教説話が広まり、また、屠殺業者、解体業者などへの差別も始まって、
だんだんに、武士の間でも獣肉食は禁忌とされるようになってきました。
 
1587年に豊臣秀吉が出した「バテレン追放令」には、
追放の理由の一つとして、西洋人宣教師が肉食することがあげられており、
牛馬の売買、屠殺、食することを禁止しています。
これは、江戸時代に入っても比較的よく守られていました。

17世紀には、徳川綱吉の、俗にいう「生類憐れみの令」によって、
殺生は厳しく禁じられましたが、それも江戸市中だけのことで、
地方では魚釣りなどは普通に行われていましたし、バカバカしいと思った
徳川光圀(水戸黄門)は、綱吉に、あてつけに犬の毛皮を送ったりしています。
「生類憐れみの令」のほとんどは、綱吉が死ぬとすぐに撤廃されました。

これが石燕の時代の百年ほど前の出来事です。石燕のころには、
表向きは獣肉食禁止でしたが、「薬喰い」と称して、滋養強壮を謳い文句に、
おおっぴらにではありませんが、獣肉を食わせる店もあったんですね。
それを「ももんじい屋」 「山くじら屋」などと言います。



山くじらは猪の隠語です。(ちなみに鯨は魚と考えられ、食べてもよかった)
また、猪は牡丹とも言われますが、これは花札の絵にかけられています。
また、鶏は柏、鹿は紅葉です。鹿の紅葉も花札になっていますが、
これはもともと、「奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」
という『古今和歌集』の猿丸太夫の歌からきています。



さてさて、ということで、百々爺は獣肉を食わせる「ももんじい屋」と
モモンガが合体したものでしょう。もう一度、石燕の絵に戻ってみると、
枯葉の中には、紅葉(鹿)がありますし、柏(鶏)に見えるものもありますよね。
これも、まず間違いがないんじゃないかと思います。

柏の葉


ただ、石燕が獣肉食についてどう考えていたのかはよくわかんないですね。
石燕の同時代人で、仏教が嫌いだった本居宣長は、その著書で、
古代の肉食はあたり前だったと考察していますが、百々爺の寂しげな様子や、
「旅人はこれにあうと病気になる」という詞書の内容から、
石燕は獣肉食には批判的だったのかもしれません。








「透明マント」はできるか?

2018.03.13 (Tue)
「メタマテリアル」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
メタは「超越」、マテリアルは「物質」を意味し、ナノという百万分の1ミリ単位の
世界で人工的な金属構造を作り、さまざまな特性を実現する物質だ。
ペンキを塗らずに彩色したり、がんを早期に発見したりするのに役立つほか、
人類の夢である“透明マント”の可能性も秘めているというから驚きだ。

理化学研究所でメタマテリアルを研究している田中拓男主任研究員は昨年4月、
アルミニウムの表面を微細に加工し、ペンキなどで塗装することなく、
さまざまな色を生み出すことに成功した。
(産経新聞)



さて、今回は科学ニュースからお題をいただきました。
まず、メタマテリアルの定義からいきましょうか。この定義は、
厚生労働省によって定められていて、1~100nm(ナノメートル)の素材のことです。
1ナノメートルは、10億分の1メートル、100万分の1ミリメートルです。

これがなぜ、厚生労働省によって管理されているかというと、
人体に取り込まれて危険を及ぼす可能性があるからです。
あまりに小さいため、呼吸によってだけではなく、消化器や皮膚からも、
体内に入ってしまう場合があるんですね。

石綿(アスベスト)は、中皮腫という一種の癌の原因になることが知られていますが、
ナノマテリアルも、そのようなことを引き起こす危険性があります。
ですので、取り扱いには十分な注意を払わなくてはならないんですが、
すでに、化粧品や健康食品、ある種の工業製品などとして、
利用されているものもあります。

さて、上記の研究ですが、ペンキを塗ることなく、ナノマテリアルを使って
「人間に色を見せる」というもののようです。前に少し書きましたが、
物体に色があるわけではありません。光に色があるんですね。
プリズムを通した光は虹の7色に見えますが、それが混ざって白色光になります。

ナノマテリアルでつくった色(理化学研究所)


例えば、青い色に見える物体は、青以外の色をその物質が吸収してしまい、
私たちに目には、反射した青色の光だけが入ってくるわけです。
上記引用の研究の場合、物体の上に、一辺が数百ナノメートルの薄いアルミニウムの
四角形を無数に配列します。極小のアルミニウムの座布団を並べたようなイメージです。

で、四角形の一辺の長さや、隣との間隔を変えることで、
好きな色の光だけを反射させるわけです。うーん、なるほど。
この利点は、まず重量ですね。ペンキが重いのは、ペンキ塗りで缶を持ったことが
ある方はわかるでしょうが、ナノマテリアルはその何千分の一も軽い。

しかも、アルミニウムはすぐに酸化して安定するので、
ペンキに比べてはるかに耐久性があります。ただ・・・問題はコストですよね。
現状では、ペンキとは比較にならない高額になるはずです。
これが例えば、車の塗装などに使えるようになるまでコストダウンするには、
かなりの時間がかかりそうですし、できないで終わる可能性も高いでしょう。
この手の研究の多くは、実験室での成功から実用化に至るまでには、
大きく高い壁があるんですね。

さて、ナノマテリアルと言えば、ハリー・ポッターに出てきた「透明マント」が
できるのではないか、という話があります。
物体を透明化させるのはどうやっても不可能ですが、
ナノマテリアルには負の屈折率をつくることができるものがあるので、
自分の後ろ側の風景を、何度も反射させながら体の前に持ってくることなら、
理論的には可能であるとされます。

真空中よりも低い屈折率を持つナノ構造


そしてこの技術は、何よりも軍事に役立ちますよね。
透明な兵士、透明な戦車、透明な戦闘機・・・
アメリカをはじめ、各国の軍事研究施設で競って開発されていますが、
実用化にはまだまだ時間がかかりそうです。

上記の田中研究員も、「光を思い通りに屈折させるための技術が非常に難しい。
巨大な開発費を投入しても、マントの大きさは十円玉くらいがせいぜいでは」
と述べています。ただ、映画の『プレデター』のシリーズで出てきたような、
完全な透明ではない、光を乱反射させるようなシールドなら可能かもしれません。

透明化のしくみ


さて、透明マントは、意外な方面からも研究されています。
海洋生物です。例えば、コウイカなどは、皮膚に色細胞と呼ばれる、
光の反射を変える特殊な細胞を1000万個も持っていて、
瞬時に周囲の岩や海藻などと同じ色になることができます。

また、体表が光をほとんど反射させない構造になっていて、
真っ黒に見える生物もいて、深海では透明なのと同じようなもんです。
これらの生物は、生まれつきナノテクノロジーを持っており、
生存のために利用していると言うことができるでしょう。
これらの生物の研究からも、一種の透明マントをつくる道が開けるかもしれません。

コウイカの擬態


さてさて、みなさんはもし透明マントを手に入れたら、何に使われるでしょうか。
漫画では、女湯に侵入するシーンなどが描かれますが、
透明になる=悪事を働く というイメージがあるのは自分だけでしょうか。
H・G・ウェルズの小説『透明人間』でも、映画の『インビジブル』も、
『怪奇大作戦』のキングアラジンも、
最後は不幸な結末で終わります。ということで、今回はこのへんで。

関連記事 『透明と軍事技術』







すり抜けの話

2018.03.12 (Mon)
これ、俺が小学校の5年生のときの話なんですよ。
だから、子どもが見た夢みたいなものかもしれないし、
実際、証拠になるようなものは何一つありませんし。それを、あらかじめ断っておきます。
当時ね、すり抜け遊びってのが、男子の間で流行ってたんです。
ほら、道路で、民家のコンクリの塀ぎりぎりに電柱が立ってる場所ってあるでしょ。
そこを自転車ですり抜けるんです、スピード出して。
すき間の幅はせまいほどいいし、自転車も速ければ速いほど勇気があるって言われる。
ああ、もちろん危険ですよ。転んだり壁に激突するやつもいました。
でも、そんな大事になったことはないですね。学校はまだ、
そういう遊びが流行ってるのは知らなくて、禁止されるってこともなかったです。
で、ある日の放課後、友だち数人とこのすり抜け遊びをやってまして。

俺、これ、かなり得意だったんです。まあ、自慢にもなりませんけど、
他やつらが尻込みするくらい幅のせまいとこでもできたんです。
ちょっとしたコツがあって、みな、上半身をぶつけるのを怖がるけど、
一番ぶつかりやすいのはペダルと足なんです。両方のペダルが通り抜ける幅があれば、
あとは足を内股にして突っ込む。最初に自転車の通るコースをちゃんと見定めてね。
ああ、すみません。遊びの話ばっかしてしまって。
で、そのときやってた場所ってのが、お寺さんだったんです。
墓所をぐるっと囲んだコンクリ塀の角のあたり。だから、変なことが起きたのは
そのせいかもしれません。ただね、そのお寺では、みなよく遊んでたんですけどね。
おかしなことが起きたのはその1回だけです。
でね、そのときも幅はかなりせまくて、やろうってやつがいなかったんですが、

俺はできると思いました。だから、「なんだよ、お前らやらねえのか、勇気ねえな」
なんて言って、10m以上は離れたところから自転車を漕いで、
勢いよくそのすき間にとびこんだ・・・まではよかったんですが、
カツンと、片方のペダルの端が電柱にあたって、
俺は反対側に大きくよろけて、肩からコンクリ塀に突っ込んだ・・・
と思ったんですが、ねちゃっとした感覚があったんです。
まるで粘土みたいでした。「え?」 思わず目をつぶって、また目を開けると、
塀の中の墓地が見えたんです。体はまったく動かず、痛いところもなし。
目だけを動かして自分の下のほうを見ると、驚いたことに、
塀から自分の体の腹から上が、斜めになって墓地の塀から生えてたんです。
言葉で上手く説明できないんですが、これ、想像できますかね。

自転車と下半身が塀の外の道路、上半身が塀の中ってことです。
大声で叫ぼうと思いました。仲間がいるんで、助けてもらおうと思って。
でも、声が出なかったんです。そのままどんどん時間が過ぎていって、
かといって、仲間が塀の内側に回ってきて助けてくれる様子もない。
そのうちに、変なことに気がついて。「あれ、俺、息してないんじゃないか?」って。
いや、息を吸ったり吐いたりしてなかったんです。
だから、当然声も出ないですよね。で、そのまま長い時間がたって、
そのとき、もしかしたら自分は死んだんじゃないかって考えたんです。
ずっとこの格好のまま、永遠にいなきゃいけないんじゃないかって思ったら、
すごく怖くなって。でも、どうしようもないんで、
目の届く範囲の墓地の中を見てるだけでした。そしたらです。

奥のほうのお寺の建物から、こっちに向かって歩いていくる人がいて、
坊さんの格好をしてました。そこのお寺は、俺の家の墓もあって、
住職のことはなんとなく覚えてました。かなりの年寄りだったはずですけど、
その坊さんは若かったんです。で、すごい鋭い目つきの怖い顔でした。
もちろん、助けてもらおうと思ったんだけど、声も出ないし、体も動かない。
坊さんは俺のほうを見ようともしなかったです。
手に桶と柄杓を持ってました。で、ある墓の前に行って、そこで黙って立ってる。
すると不思議なことが起きたんです。その墓の下のほうから、
スーッと黒い影が出てきたんです。人の形とまではわかるんだけど、
前身黒くて透けてるので、目も鼻も、男か女かもわからない。
それが坊さんの前で立ち上がろうとすると、すかさず坊さんが桶から柄杓で水をくんで、

それの頭からかける。2、3回かけると黒い影は消えちゃいました。
で、坊さんは別の場所に行って、また出てきた黒いやつに水をかける・・・
これをくり返しました。さっきも言ったように、
時間がどのくらいたってるかはわかんないんですよ。どうしようもないんで、
坊さんが十数人に水をかけるのをずっと見てたんですが、
墓から出てくるやつがいなくなると、坊さんは朗々とお経を唱えだしたんです。
で、そのまま俺のほうに近づいてきて目が合いました。
すごい怖い目つきでしたよ。坊さんは俺の顔のすぐ近くまでくると、
「何でここにいる?」って聞きました。でも、声も出ないし答えられなかったんです。
坊さんは、こっちが何も反応できないのに、「そうかわかった、自転車のいたずらか、
 いたずらには罰を与えよう」そう言うと、人差し指を伸ばして、

俺の両方のまぶたに触ったんです。それから、両手をパンと合わせて・・・
気がついたら病院にいました。後からわかったんですが、
俺はお寺の塀に強く頭をぶつけて倒れ、仲間が騒いでるところに通りかかった人が、
救急車を呼んでくれたんだそうです。それでね、頭のぶつけたとこは痛かったですが、
両方の目が見えなくなってたんです。頭の中に出血してたんですね。
病院では、しばらく自然に血腫がひくのを待って、
それでダメな場合は開頭手術って言ってたそうです。
ベッドでは、両親の声は聞こえたけど、それ以外の人は面会謝絶だったみたいです。
でね、頭を打ったせいかわかりませんけど、ずっと眠ってて、同じ夢ばかり見てたんですよ。
夢の中で目は見えました。一本道があって、どこまでも果てしなく続いてて、
両側は野原みたいなとこでした。でね、道のわきにいくつもお堂があったんですよ。

地蔵堂でした。幕がかかってて、中には一つだけ地蔵様があったんですが、
必ずどっかが欠けてるんです。鼻とか頭とか、顎のところとか。
で、この地蔵様たちにちゃんとお参りしなきゃいけない、って強く感じたんです。
だから、手を合わせてお祈りしたんですよ。頭を治してください、
目が見えるようにしてくださいって。地蔵堂は数十mおきに、
道のどっちかの側にありました。それらすべてに立ち止まって、
お祈りしてからまた道を進んでいく、そういう夢をずっと見てたんですね。
それ20日ほども続いたんです。でね、その夢の内容が、ある日変わったんですよ。
まず、進んでいく道の先の空が曇ってました。ええ、行く先が黒雲におおわれてて、
これ以上進んじゃいけないって気がしたんです。また地蔵堂があったんで、
立ち寄って幕をめくると、いつものように地蔵様があったんですが・・・

それ、俺の顔にそっくりだったんです。これ、俺なんじゃないかって思いましたが、
ただ、はっきりそうとも言い切れなかったのは、
両方の目にあたる部分が欠けてなくなって、中の白いとこがむき出しになってたんです。
とにかく、それまでと同じように手を合わせてお祈りをしました。
すると、後ろでシャランと金属の音がしました。ふり返ると、
白装束で笠をかぶった人が立っていて、あれ、お遍路さんの格好でしたね。
その人が、持ってた錫杖を突いたみたいでした。
でね、こう言ったんです。「よく、ここまで来たな。修行はもう足りただろう。
 戻りなさい、ご両親も心配している」その声が、
墓地で水をかけてた坊さんに似てた気がするんだすけど、
笠で顔が見えなくて、同んなじ人だったのかはわからないです。

心底ほっとした気持ちになって、われに返ると病院のベッドで、
天井が見えたんですよ。「ああ、見える」って思いました。頭は動かないように
砂袋で固定されてたので、見えたのは天井だけでしたが、
うれしくて涙が流れてきました、で、病室に看護師さんが来たんで、
「見えます」って言ったんです。それから、さらに1ヶ月病院にいて退院しました。
まあこれで、話はだいたい終わりです。学校では、俺のせいで
すり抜け遊びは禁止になってましたね。ということで、もとの生活に戻ったんですが、
二度と危険な遊びはしませんでしたよ。それから2年して、同居してた祖母が亡くなり、
例のお寺に行きました。そのとき、広い客間に通されたんですが、
鴨居の上に歴代の住職の写真がかかってまして。その中の一人が、
墓地で見た坊さんに似てた気がするんです。まあ、違うのかもしれませんけども。









手の目と博打

2018.03.12 (Mon)
今回も妖怪談義でいきます。取り上げるのは「手の目」。
詞書はないですが、これは、そう難しくないですね。石燕の絵を見てみましょう。
ススキの野原に頭のハゲた、おそらく僧侶が立っていて、
(もしかしたら、目の不自由な座頭なのかもしれませんが)
その顔には目がありません。そのかわり、両手の平に目がついている。



江戸時代の、『百鬼夜行絵巻』によく似た絵(下図)がありますが、
これは、石燕の、手の目が入っている『画図百鬼夜行』より
100年ほど新しいものですので、こちらが石燕の絵を参考にしたのだろうと
思われます。石燕の絵は、背景にも重要な意味があります。



さて、手に目がある人物といえば、思いつくのは、
中国明代の伝奇小説『封神演義』に登場する楊任(ようにん)。
下図を見てもらえばわかりますが、両目から手が生え、
その手のひらにまた目がついた異様な姿です。これでも神像なんですね。



楊任は、殷の紂王に諫言したため、怒りを買って目をくり抜かれたんですが、
仲間の仙人によってこのような姿にされました。この像は台湾のもので、
楊任は道教の学問の神様として尊ばれています。石燕は当然、
『封神演義』は読んでいたでしょうから、参考にした可能性はあると思います。

さて、次に下図を見て下さい。花札の「坊主」です。
ススキの野原に大きな月が出ています。ススキは8月を表していて、
「坊主」は20点の役札。背景の構図が石燕の絵とよく似ています。
自分は、石燕はこの札を元にして「手の目」を描いたんじゃないかと考えます。



花札がいつの年代にできたか、はっきりとはわかりませんが、
花札の前身であるカルタ絵の中に、これがあったんだろうと思うんですね。
石燕の絵の、僧侶の坊主頭が満月にあたるわけです。
で、手の目に隠されたテーマは「博打」。

江戸時代はたいへん博打がさかんでした。もちろん江戸幕府は博打を禁止していて、
何度も禁令を出していますし、博打を訴えでた者には褒美を与えるとまでしています。
博打の主催者や場所を貸したものは流罪、客は家財没収や手鎖、
重叩きなどの刑を受けることになっていました。

博打は、勝負に負けたものが盗みや詐欺を働いて治安が悪くなりますし、
農村で博打のために土地を手放し、江戸に出てきて無宿人になるなど、
その弊害が大きく、幕府はやっきになって取り締まろうとしたんですが、
どうやっても流行を防ぐことはできなかったんですね。

その理由の一つとして、幕府の町奉行所の力がおよぶのは町家だけで、
武家は目付の管轄でしたし、寺社は寺社奉行の管理下でした。
そのため、武家屋敷や寺院などで、副業として賭場を開帳してた例は多く、
もしかしたら、石燕の絵は、そういう胴元になっている僧侶を
皮肉っている面もあるのかもしれません。

江戸時代の博打場の様子


さて、この絵には、たくさんの言葉遊びが含まれています。
まず、坊主頭は月を表していて、これは「ツキがある、ツキがない」にかかっています。
「坊主になる」という語は、「大負けして一文無しになる」という意味で使われ、
釣りで、まったく獲物がなかったことも「坊主」と言いますよね。

それから、目。「目がない」という慣用句は、
「まんじゅうに目がない」など、「とても好きだ」という意味の他に、
「物事のよしあしを識別する力がない」 「勝ち目がない」
などの場合にも使われます。「勝ち目がない」の目は、サイコロの目のことです。

それと、手もそうです。「いい手がくる」というのは、博打用語ですし、
そのものずばり「手目 てめ」というのは、
「いかさまをして自分に都合のよい目を出す」という意味です。
ですので、手に目があるこの妖怪はイカサマを表してもいるんですね。

さてさて、ということで、「手の目」は、博打に手を出して、
ツキがなくてすってんてんに負けた坊主が、今度はイカサマを覚えて賭場で
使ってみたものの、それがバレて袋叩きにあい、
半死半生でススキの生えた野原に捨てられた悲惨な姿、と読み解きます(笑)。
まず間違ってはいないでしょう。ということで、今回はこのへんで。

名称未設定 2







「参加型宇宙論」って何?

2018.03.11 (Sun)
箱の中の猫が生きているのか死んでいるのかは「観測」によって決定されるという、
ある意味で衝撃的な認識を我々に突きつけているのがご存じ、量子論の知見である。
そしてこの広大な宇宙もまた、我々の観測に基づく意識によって
形作られているのだと主張する声が、日増しに強まってきているようだ。

そもそも近代に入るまで人類は正確な世界地図を持っていなかったが、
今日ではGPS技術を活用した測定で地球上のどの地点も正確に特定することが
できるまでになっている。地球上の地理情報をここまで把握できるようになったのは、
人類がそう望んで深く関与してきたからにほかならない。

そして現在、我々がその実態を詳細に知ろうと望み積極的に関与し
「参加」しているのが宇宙開発である。宇宙の謎にチャレンジ真っ最中の人類だが、
そもそもこの宇宙は未踏の「開拓地」などではなく、
我々の「想像の産物」なのだと主張する声が根強いことはご存じだろうか。
これは「参加型宇宙論」や「参加型人間原理」と呼ばれている考え方で、
アメリカの物理学者、ジョン・ホイーラー博士が最初に提唱した。
(Rakuten news)



これ、去年のニュースなんですが、ずっと取り上げようかどうしようか迷ってました。
というのは、自分にはよく意味がつかめないからです。
「何だ、ちゃんと理解してないことをブログに書くなよ」と言われそうですが、
まあ、オカルトブログでもあることですし、みなさんにも
ごいっしょに考えていただきたいと思いまして。

さて、「人間原理 anthropic principle」という考え方はけっこう古くからあって、
1961年に、アメリカの天文学者、ロバート・H・ディッケによって唱えられました。
ディッケは、宇宙の年齢は100億年以上でならなければならないと推測し、
その根拠として人間の存在をあげています。

人間のような生命が生存可能な宇宙であるためには、
宇宙の始まりであるビッグバンから、
100億年以上たっていないと素粒子などの環境が整わない、ということです。
まあ、この論法は理解できないことはないですね。
デイッケの考えは、現在では「弱い人間理論」と言われています。

で、「弱い」があるんだから「強い人間理論」もあるんだろうと思われるでしょうが、
もちろんあります。物理学者のブランドン・カーターが1968年に提唱したもので、
「知的生命体が存在しえないような宇宙は観測されえない。
よって、宇宙は知的生命体が存在するような構造をしていなければならない。」
という考え方です。みなさん、これ、どう思われますでしょうか。

たしかに、ビッグバンのときの初期速度が、
ほんの少しでも早かったり遅かったりすれば、
光速度やプランク定数などの物理定数が現在とは違っていて、
銀河の星々がつくられることはなく、人間やその他の生命は存在できなかったでしょう。
人間が存在できるような宇宙になる確率は、ものすごく低いんですね。

ただ、自分は、これが自然科学の理論かといえば、違うんじゃないかと思います。
哲学の分野に入るんじゃないでしょうか。この人間原理を支持する天文・物理学者は
それなりにいまして、当ブログでよく登場するホーキング博士も、
弱い人間原理の支持者の一人と言えるでしょう。

さて、人間原理の宇宙論には、2つの特徴があると考えます。
一つは「結果から始まりを考える」というものです。
現在、われわれ人間がいるのだから、この宇宙は、
人間が生まれるべき過程をたどってできてきたのだ、という究極の結果論です。

もう一つは、「観測の重要性」ですね。上記引用にはシュレディンガーの猫の話が
出てきますが、われわれが観測をするから、宇宙はわれわれが観測した形に
決まってくるというような考え方。逆に言えば、観測するものがいなければ
宇宙は存在しないと同じことだ、というわけです。
うーん、頭のいい人たちが考えることは難しいですね。

さて、今回ご紹介している「参加型宇宙論 participatory universe」は、
アメリカの物理学者、ジョン・ホイーラーが提唱したものです。
ホイーラーはアインシュタインと共同研究もしており、ブラックホールの概念形成を
するなど、多くの業績をあげた人で、けっしてトンデモ博士ではありません。

参加型宇宙論では、「この宇宙は、人間が観測することによってできていくものだ。
宇宙が人間に影響を与えるのと同様に、人間が宇宙に対して影響を与えている」
と言われます。われわれが宇宙の膨張を観測したことにより、
宇宙はビッグバンから生まれたことになった、というわけですね。

ホイーラーによれば、宇宙も人間も、この世のあらゆるものは「情報」であり、
情報は、観測され、情報処理されてこそ意味があるものだとされます。
そして、情報同士はたがいに影響を与え合う。
このホイーラーの考えは、「ビットからイット It from bit」とも呼ばれます。
例えば、最近、宇宙の膨張が加速していることが発見されましたが、
これも、われわれが観測したから宇宙膨張が加速した、と言えるのかもしれません。

さてさて、ということで、慎重に言葉を選んで、
できるかぎりわかりやすいように説明したつもりですが、
ご理解いただけたでしょうか。ここまで読み返しても、あんまり自信はないです。
自分のあいまいな理解では、全体(宇宙)は一部(人間)であり、逆に、
一部が全体でもあり、相互に影響を及ぼしている、
というようなことなんだろうと思います。

ただ、最近はマルチバース宇宙論などもあって、
宇宙は、われわれが現在いるものだけではないとする仮説が出てきています。
その中には、宇宙を観測できる知的生命がまったく存在しないものもあるかもしれません。
では、それらの宇宙は、意味のない、存在しないと同様のものなんでしょうか・・・
なんだかどうどう巡りになってきたので、ここらで終わりにしますね。








埋蔵金あれこれ

2018.03.10 (Sat)
国内最大級の埋蔵金だろうか。土の中から見つかった大きなかめには、
推定26万枚にも上るお金が入っていた。
去年12月に発掘され、9日マスコミに公開された巨大なかめ。人が隣に並ぶと、
この大きさ。しかし驚くのは、その中身だ。入っていたのは、大量のお金。
埋蔵金と一緒に入っていた木簡に記された文字を260貫と読むと、
その数約26万枚ということになる。

埼玉県埋蔵文化財調査事業団の担当者は、「仮に26万に近い枚数になえるならば、
単独のかめとしては全国最大のものになる。」
この埋蔵金が見つかったのは埼玉県蓮田市の新井堀の内遺跡。
ここにはかつて武家屋敷が建っていて、その主が埋めたものではないかとみられている。
今のところ、埋めた理由などは不明だ。大きなかめいっぱいに詰まった埋蔵銭、

いったいどのくらいの価値があるものなのか。今回、見つかったお金のなかで
一番古いものは621年に作られた開元通宝。古銭買い取り歴30年の業者に話を聞くと、
「買い取りは10円未満だと思って頂ければ。たまに金銭もあるんですよ。
そういったものが1枚でもあれば100万円以上になります。」
(テレ朝ニュース)



今回のお題はこれでいきます。なかなかユニークなニュースですね。
「埋蔵金」をオカルトと言っていいかどうかはよくわかりませんが、
オカルト雑誌の「ムー」にはたまに記事が載ってたりします。
それにしても260貫ですか・・・ 銭1000枚で1貫です。

古銭には、骨董価値と貴金属としての価値があります。
「鐚(びた)一文」などと言いますが、引用記事で古物商が言っているように、
鐚銭(私鋳された粗悪な通貨)であれば、1枚10円にもならないでしょう。
それに、26万枚を全部まとめて買ってくれるところもないでしょうしねえ。

また、全部を鋳つぶしたとしても、金属としての価値もほとんどありません。
ただ、もしも中に金・銀の貨幣が混じっていれば話は違いますが、
調べるのもたいへんそうです。なかなか始末に困る埋蔵金です。
公的機関が発見したのなら、博物館などで展示するのが一番いいのかもしれません。

さて、日本各地に眠っている埋蔵金は、現在の価値にすれば、
合計、100兆円規模にもなると言われています。考古学的な調査でも、
つぼやかめにはいった小判などが見つかることはあります。
近世のものが多いですが、ごくたまに、中世以前のものが見つかる場合も。

考えてみれば、銀行も金庫もない時代でしたから、
銭蔵などがなければ、かめに入れて土に埋めておくのが
一番よかったのかもしれません。そして、それを埋めた屋敷の当主がが亡くなり、
そのまま忘れ去られてしまう。で、無念に思った当主が幽霊になって出てきて、
庭の片隅までいってスーッと消えてしまう。家人がそこを掘ってみると・・・
なんて怪談は全国に伝わっています。

さて、現代になって見つかった最大の埋蔵金は、昭和38年に、
東京のビル改築工事現場で、地中から江戸時代の天保小判1900枚と、
天保二朱金約7800枚が発見され、当時の時価で6000万円といわれました。
今だと、もちろん億を超えるでしょう。これは、明治時代に当地で
酒問屋を営んでいた人物が埋めたものであることが判明し、子孫に返還されています。

現代であれば、工事は建設会社がやりますし、
そこで遺跡らしいものが見つかれば、地元の教育委員会などが発掘をし、
もし金銭が見つかった場合は遺失物あつかいになり、
まず、公示から3ヶ月間、それを埋めた人(の子孫)が名乗り出るのを待ちます。
それで出てこなければ、(普通は出てこないし、先祖が埋めた証明もできない)
発見者と地主で折半することになります。
財布なんかを拾った場合と、基本的には同じなんですね。

ただし、文化財として価値がある場合は、国か地方自治体に所有権がうつり、
発見者と地主には報奨金が支払われることになってたはずです。
昔も、地中を掘ったらお宝が見つかったという例はけっこう文献に残ってて、
ここ掘れワンワンの「花咲か爺さん」の民話にもなっていますね。

歴史的な意義が高かったのは、お金ではないですが、
九州の現・博多市で見つかった、国宝「漢委奴国王印」でしょう。
当時の黒田藩は、発見者の甚兵衛に白銀五枚の褒美を与えています。
ただ、この発見時の状況がありまいなため、金印偽造説は根強く残っています。
これ、自分は本物だと考えていますが、そのことはいずれ記事に書きたいと思います。

関連記事 『親魏倭王の周辺』



さて、各地にある埋蔵金伝説で最も有名なものは、「徳川埋蔵金」でしょうか。
1867年に江戸幕府が大政奉還した際、密かに地中に埋蔵したとされる、
幕府再興のための軍資金で、西郷隆盛と勝海舟の会談で、
江戸城の無血開城が決まったとき、小栗上野介らによって持ち出されたとされます。



額は360万両と言われることが多いですね。これは、勝海舟の日記に、
「幕府再興の軍資金が360万両あり云々」と書かれていることによります。
小判なのか金塊なのかはわかりませんが、
その価値は、現在のお金で3000億円~20兆円とされ、
埋蔵場所は、当時の状況から、群馬県の赤城山中と考える人が多いようです。

この発掘は明治時代から行われていますが、いまだに見つかってはいません。
一族で代々発掘を続けている有名な人がいますし、
コピーライターの糸井重里さんも、TV番組の企画で、
超能力者をやとって発掘したりしてましたね。古謡の「かごめ歌」には、
徳川埋蔵金のありかを示すヒントが隠されているなどとも言われます。

関連記事 『かごめ歌の謎』

さてさて、この他にも埋蔵金伝説は、あちこちにあります。
ロマンがあるところでは、岩手県平泉町にある「金鶏山」。
これは、源頼朝に滅ぼされた奥州藤原氏の3代秀衡が築かせた人工の山で,
山頂部に、経典 とともに雌雄の黄金の鶏を埋めたと言われています。

言い伝えをたよりに埋蔵金発掘にのりだした者も、全国に多数いますが、
土地を買ったり、重機をそろえたりしないといけませんし、
家業がおろそかになり、破産するというのが定番です。
ここから、埋蔵金の呪いと言われたりします。

埋蔵金には、埋めたものの執念や、金そのものが持つ魔力がこもっていて、
それを探す者は不幸になる、というわけです。
ただ、埋蔵金が出なかったかわり、温泉を掘り当てたなんて人も中にはいますね。
ということで、今回はこのへんで。

名称未設定 2






百々目鬼の3つの正体

2018.03.09 (Fri)
さて、今回も妖怪談義をしつこく続けます。取り上げるのは、
「百々目鬼 どどめき」。これ、自分はほぼ完璧にわかりました。
ここまで読み解くことができるのは珍しいんですが、たくさんの内容が
何重にもかけられています。まず、下の石燕の絵をごらんください。



川べりの道のようなところに、布を被った人物が立っていて、顔はわかりませんが、
着物からすると女のようです。左の袖をたくし上げて腕を出していますが、
その左腕にはたくさんの目が並んでいます。あと、画面の左上に鳥が
2羽飛んでいますが、これらにはすべて意味があります。

詞書は、「函関外史(かんかんがいし)云(いわく) ある女 生れて手長くして
つねに人の銭をぬすむ 忽(たちまち) 腕に百鳥の目を生ず 
是(これ)鳥目(ちょうもく)の精也 名づけて百々目鬼と云(いう)
外史は 函関以外の事をしるせる奇書也 一説に どどめきは 東都の地名ともいふ」


訳してみると、「『函関外史』という本には、ある女が、生まれつき手癖が悪く、
いつも人の銭を盗んだので、腕に百も鳥の目ができてしまった、とある。
これは鳥目(江戸時代の銭)の精である。その名を百々目鬼と言う。
この『函関外史』は、箱根の関所の外のことを書いた珍しい書物である。
一説には、東のほうの地名に「どどめき」というのがあるらしい。」

鳥目(寛永通宝)


『函関外史』の「函関」は箱根の関所のことです。この名前の本は現存しておらず、
石燕が、わざわざ「奇書だ」と断っているあたりが怪しいですよね。
他の妖怪研究家もそう思ったようで、この本自体が、
石燕の創作である可能性が指摘されています。
自分も、これは洒落でこしらえた存在しない本だと思います。

さて、「百々目鬼」の正体の一つ目は「盗癖と刑罰」です。だめだとわかっていても、
ついつい人の銭を盗んでしまうのが盗癖。現代でも、お金は十分持ってるのに、
スーパーで万引きしてしまうなどという話はよく聞きます。
一種の精神的な病気で、窃盗症という病名がついています。

江戸時代の銭は、真ん中に四角い穴が空いていて、
それが鳥の目に似ているので、鳥目(ちょうもく)と言われました。
江戸時代の窃盗は、ご存知の方もおられるでしょうが、10両以上を盗むと死罪、
それ以下は、入れ墨の上に追放となる場合が多かったようです。

入れ墨の刑罰


で、この腕の目は、窃盗犯の左腕に入れられた入れ墨を表している可能性があります。
また、わざわざ『函関外史』という本を出してきたのは、盗みをした者は
箱根の外に追放、所払いになるという意味があるのかもしれません。
ということで、人の銭を盗んだらそうなるんだよ、といういましめの内容です。

次に、「百々目鬼」の正体の2つ目は「皮膚病」です。
石燕の絵の上部に飛んでいる鳥は、目=眼(がん)=雁(がん かり)
なんじゃないかと思います。で、そのものずばり
「雁瘡 がんかさ がんそう」という皮膚病があるんですね。

「月に雁」歌川広重


これは湿疹性のもので、治りにくく、ひどいかゆみがあります。
渡り鳥の雁が飛来するころにでき、去るころに治る(癒える)ので、この名が
つけられました。俳句では「雁瘡癒ゆ がんそういゆ」というのは、秋の季語です。
「 雁瘡を 掻いて素読を 教へけり 」(高浜虚子)
腕に鳥の目のように皮膚病ができて、痒くて掻いている様子を表しているわけです。

まだあります。「百々目鬼」の正体の3つ目は「土留 どどめ」。
土留は、江戸時代だと、ゴロタ石を積んで、崖や岸辺などが崩れないように
するためのものでした。石燕の絵で、川べりが舞台になっているのは、
まず間違いなく、この土留を意識してのことです。

下に画像をあげておきますが、土留の丸石が並んでいる様子が、
絵の、腕に並んだ目に似ていると思いませんか。石燕は、詞書の最後に地名の話を
出していますが、「百々目鬼 どどめき」という地名の場所は、
この「土留」があることからきている場合が多いんです。

現代の土留


さてさて、ということで、「百々目鬼」とは、
「盗癖」 「皮膚病」 「土留」が複合した意味を持つ妖怪です。
石燕の妖怪画は、「さあどうだ、お前に これがわかるか?」という謎かけですので、
いわば、江戸の妖怪絵師と時空を隔てた勝負をしてるようなもんです。
ですから、かなり明快に読み解くことができると気分がいいんですね。
こういうことがあるから、石燕の妖怪研究は楽しいんです。では、今回はこのへんで。







部屋の幽霊の話

2018.03.09 (Fri)
1ヶ月ほど前のことです。自分(bigbossman)の師匠筋にあたる占星術家の先生が
本を出されまして、自分たち弟子が相談して、ささやかですが、
先生の出版を記念する会を開いたんです。それが3次会まで流れて、
自分はホテルのバーで、Oさんという編集者の方と飲んでたんです。
そのとき、こんな話になりました。
「bigbossmanさんって、怖い話を集めてられるんですよね」
「ええ、いちおう収集してます。何かそういう話、ありますか?」 
「うーん、人が聞いて怖いかどうかはわかりませんが、ちょっとした体験があります」
「あ、ぜひお聞かせ下さい」 「それがね、何と言えばいいか、うまく説明できないし、
 たいしたことも起きてないんですけど、部屋の幽霊ってあるもんですか?」
「え? 幽霊が出る部屋ってことですよね」

「うーん、そうじゃなくて、部屋の幽霊としか言いようがないんですが」 
「??、興味深そうですね。くわしく教えてください」
「僕は仕事柄、今日みたいなパーテイに出ることが多いんです。それで、
 かなりお酒が入った状態で部屋に帰ると、変なことが起きるんです」
「Oさんって、マンション住まいでしたっけ?」
「いやまあ、名前はマンションですけど、アパートに毛が生えたようなとこです」
たしかOさんは、4年ほど前に奥さんと離婚されて、子どもはおらず、
今は一人暮らしをされてるんですね。「話の腰を折ってすみません、それで?」
「でね、酔っぱらって自分の部屋のドアの前に立ったときに、
 すごく嫌な予感がすることがあるんです」 「どんな?」
「このドアを開けちゃいけないって思うんですよ」

「だって、ご自分の部屋なんでしょう」 「そうなんですが・・・なんというか、
 これを開ければ、何もかもダメになってしまう・・・そういう感じがするんです」
「うーん、で?」 「もちろん朝に出てきたいつもの部屋だし、中には誰もいません。
 だから最初のときは、酔って感覚が変になってるんだろうと考えて、
 ドアを開けました。そうしないと寝る場所もないわけですし」
「どうなりました?」 「それがね、開けた瞬間、中に青っぽい煙が充満してたんです」
「火事ですか?」 「いや、僕も火事かと思って酔いがいっぺんに覚めたんですけど、
 玄関に半歩足を踏み入れたとたんに煙はかき消えまして、いつもの自分の部屋だったんです」
「ははあ」 「酔っ払って幻覚を見たと思いますでしょ」 「まあ・・・」
「いいんです、僕もそう思いましたから。中に入ってあちこち確かめたけど、
 燃えた物なんてなかったですし」 「それで?」

「でね、それから2週間くらいして、また酔っ払って夜中に帰ったときに、
 やっぱりドアの前で、強い、嫌な予感がしたんです。開けちゃいけない、
 開けたらダメだって、頭の中で非常ベルが鳴ってる感じで」 「はい」
「でも、開けないわけにいかないでしょ。毎日暮らしてる自分の部屋なんだから」
「それで?」 「開けてみたらまた青っぽい煙。だけど、このときは
 なかなか煙が消えなかったんです。ただね、焦げたような臭いとかは
 まったくなかったです。で、そこは玄関で廊下につながってるはずなんですが、
 いつもの廊下より中が広い気がしました」 「それで?」
「6畳間くらいの空間があったんです。だんだん煙が薄れてきて、
 その部屋の中の様子が見えてきて・・・ それが、いかにも昭和って感じで、
 すごく雑然としてて。だけどね、ああ、見覚えがあるとも思ったんです」

「で?」 「このときはそれで終わりました。青い煙が薄れていくと、
 部屋全体がぐらっとゆがんで、そしたら自分の部屋の廊下に立ってたんです」
「不思議な話ですねえ。その部屋、見覚えがあるって言われましたよね」
「ええ・・・でも、どこなのかはわからない。ただ、懐かしいけど、
 すごく嫌悪感もあるんです。あとね、時間がスリップしてるっていうか、
 中が何もかも昭和なんです。テレビがあったんですけど、とても古い型で、
 畳も日焼けしてたし、ずいぶん昔の部屋なんだと思います」
「見覚えがある、というのは?」 「・・・もしかしたらですけど、
 僕が子どもの頃に過ごした部屋なのかもしれないです。僕は両親が早くに離婚して、
 母に育てられたんですが、 僕が幼児のときに、母は水商売をしてて、
 あちこちのアパートを移り住んでたみたいで。だから、そのとき見たのは、

 それらの部屋の一つかもしれないです」 「うーん、奇妙ですねえ。
 こういう話は聞いたことがないです。部屋に人はいなかったんですか?」
「いなかったと思います。けど、人の気配は強くあったんです」
「これは気になります。もし、またそういうことがあったらぜひ知らせて下さい」
このときは、こんな感じで別れました。翌日、昼ころに、Oさんから自分の共同事務所に
電話が入りまして。「bigbossmanさん、昨日の話、あれ、またあったんですよ。3回目が」
「あ、どうなりました?」 「電話だとちょっと言いにくいです」
「じゃあ、また昨日のホテルのバーで」ということで、続きをうかがいました。
「昨日もね、酔ってたから、またあの現象が起きるんじゃやないかと思って帰ったら
 あんのじょう。ドアの前で嫌な感じがして、前と同じように中に入ると、
 煙はなく、ストレートにあの部屋になってた」 「それで?」

「でね、中のものをいろいろ確かめたんです。かかってたカレンダーは、
 昭和の年月日で、僕が3歳のときのものでした。それと、棚の上にあった保険かなにかの
 書類に母の名前がついてたんです。だから、やはり、僕と母が昔に住んでた部屋だと
 思うんです。あとね、不思議なことに、その部屋の中のものにはさわれませんでした」
「というと?」 「その書類を取り上げようとしたら、つかめなかったんです」
「・・・」 「だから、部屋は実在してて、もしかしたら僕のほうが、
 タイムスリップして、その部屋に戻ったのかもって考えました。でも、
 そんなことってあるもんですか?」 「いやあ、オカルトは研究してますけど、
 こんな話は初めてです。で、どうなりました?」
「それで、部屋の右手にあちこち破れた襖があって、隣にも部屋があるみたいなんですよ。
 でも、僕は物にさわれないから、その襖も開けられない。

 前に立ってると、中から子どもの泣き声がかすかにしてきて」 「それで?」
「そのときに、グラグラっと、大地震が起きたみたいにすべてが揺れて、
 いつもの自分の部屋に戻ったんです。心底ホッとしました。
 あの襖の前に立ってるときの気持ちといったら・・・ 心臓がしめつけられるような、
 消え入りたいような・・・」 「うーん、これ、今後も起きるかもしれませんね」
「そうかもしれないです。だから、もうお酒を飲んで帰るのはやめようかと思ってます」
「うーん、それがいいのかもしれません。ところで、お母さんは今、
 どうされてるんですか?」 「郷里で一人暮らしです」
「これ、お母さんに連絡して、事情を話してみたらどうでしょう。
 何かわかることがあるかもしれませんよ」 「ああ、そうですね。母に話す・・・
 何で考えつかなかったんだろう。たしかに、母なら何かわかるのかも」

こういう経緯になりました。それから、おそらくOさんはお酒を控えてたんでしょう。
2週間ほど連絡がなかったんですが、ある日の夜中、自分が占星術の天測をしていると、
Oさんから携帯に連絡が来たんです。出ると、「bigbossmanさん、またあれが起きました。
 前より長い時間、あの部屋にいたし、隣の部屋にも入れたんです」
Oさんの興奮した声が聞こえてきまして。「ええ、どうなりました?」
「隣の部屋の前の襖の前で子どもの泣き声が聞こえてきたんで、
 すごく嫌だったけど、これが何なのか知りたい気持ちも強くて、思い切って襖にさわると、
 体ごと通り抜けて。そしたら・・・」Oさんはそこで絶句し、自分が待っていると、
「中は寝室で、布団が敷いてあって、中に女の人がいました。
 それ、たぶん母だと思います、若い頃の」 「Oさんには気づかなかったんですか?」
「僕がいるのはまったく見えてないみたいでした。その若い頃の母が何をしてたと思います?」

「いや、わかりません」 「赤ちゃんを抱いてて、赤ちゃんは手足をじたばたさせて、
 赤ちゃんの顔に・・・」 「顔に?」 「ビニール袋がかぶせてあったんです」
「う」 「僕はどうすることもできないし、赤ちゃんはだんだんにぐったりしてって・・・」
「うう」 「そこで、またグラグラっときて、昔の部屋は消えたんです」
「その赤ちゃん、Oさんだったってことですか?」 「いや、違うと思います。
 前に部屋のカレンダーの話をしましたよね。僕はそのときは3歳のはずですが、
 母が抱いていたのは乳児でした、まだ1歳にもなってない」
「・・・それ、ただごとじゃないです。戸籍を調べてみたほうがいいかもしれません。
 あと、やはりお母さんに連絡するべきじゃないかと」 「・・・ええ、そう、ですよね」
これで、この話は終わりです。続報はありません。何でかというと、Oさんのお母さんが
自殺されたからです。Oさんは郷里に戻ってて、こちらからの連絡に出てくれません。




 




川赤子とヒルコ

2018.03.08 (Thu)
またしても妖怪談義です。前に、「油赤子」を取り上げたので、
今回は「川赤子 かわあかご」でいきたい思います。
さて、どのくらいのことが書けますでしょうか。



石燕の絵は、上部が川の流れ。下部の左側に、水生植物が生えていて、
その中に泣いているように見える醜い幼児がいます。
下部の右側には、筏と釣り竿、魚籠がありますね。
これらにもすべて意味があるはずですが、うーん、どうでしょう。

水木しげる先生によれば、川赤子は「赤ん坊の泣き声を出して人をだます。
可哀そうに思った人間が、赤ん坊を助けようと近づくと、
別の方向から鳴き声を上げ、助けようとした人は、川辺をあちこちさまよい、
最後は足をすくわれて水に落ちる。」という怪異のようです。
ただ、はっきりした民間伝承はないので、
石燕の創作した妖怪である可能性が高いでしょう。

詞書は、「山川の もくずのうちに 赤子のかたちしたるものあり
これを川赤子と いふなるよし 川太郎 川童の類ならんか」

意味はわかりやすいですね。山川のゴミ、塵芥などが集まって、
赤子の形をしたものができることがあると言われる。
川太郎、川童の類いなのだろうか。「川太郎・川童」はどちらも河童の別名です。

まあ、これを子どもの河童とすれば、話は簡単ですが、
もう少し考えてみましょう。まず、左手前にあるのは、
イモ類の水生植物のようです。これ、もしかしたらクワイかもしれません。
クワイはオモダカ科の水生多年草で、漢字で「慈姑」と書きます。

一つの根にたくさんの塊茎がつくその姿が、子供を慈しみつつ哺乳する母(姑)
のように見えることからつけられたと言われています。
もしかしたら、これは「赤子」というのにかけられているのかもしれません。
ちなみに、自分はゆでたクワイはけっこう好きです。

クワイ
名称未設定 5

あとは、釣り竿で思いつくのはエビス様です。
エビス様は漢字で「恵比寿様」と書き、七福神の一人で、右手に釣り竿を持ち、
左脇に鯛を抱える姿で描かれることが多いですよね。
関西では「えべっさん」として親しまれ、漁業・商業の神と考えられています。

で、エビスは漢字で「蛭子」と書く場合もあって、
これは「ヒルコ」とも読まれ、『古事記』では、イザナギとイザナミの二神から
最初に生まれたんですが、子作りの際に、女神であるイザナミから先に、
男神のイザナギに声をかけた事が原因で、不具の子に生まれたため、
葦の舟に入れられオノゴロ島から流されたことになっています。

最初に生まれた神が不具であったとする神話は、
東南アジアの各地に見られ、それが日本に伝わってきたのではないかと
考えられています。ヒルコはエビス様と、室町時代頃までに結びついて、
同一視されるようになりました。漂着物の神、水の神とされることが多いようです。

『妖怪ハンター』のヒルコ


では、「川赤子」はヒルコなのか。その可能性はあると思います。
つまり、川に流された赤子ということですね。
自分はインドで、ガンジス河を船で下ったことがあるんですが、
そのとき、何重にも布でくるまれた幼児らしい死体が
川に浮いて流されているのを見ました。江戸時代の石燕の頃にも、
そういうことがあっても不思議ではないと思います。
「エビス様」というのは、水死体の隠語としても使われていますね。

さてさて、川赤子は、何かの事情で川に流された
赤ん坊の死体ということなのかもしれません。ただ、筏がよくわかりません。
もし何かおわかりの方がいれば、コメント欄に投稿していただければ
ありがたいです。で、こっからは無理にこじつけてまとめます。

日本神話には、少彦名(スクナヒコナ)という神がいて、
体はとても小さく、ガガイモの実の船に乗って海の彼方からやって来て、
大国主命の国造りを手伝ったことになっています。
これが何か関係があるでしょうか。まあ、たぶんないでしょう。
でも、大国主命は大黒様とも言いますよね。ということで、
最後に、恵比寿、大黒がそろって、めでたい話の終わりかたになりました。

大国主と少彦名








AIの脅威

2018.03.07 (Wed)
人工知能(AI)が発展しロボット兵器が自らの意思を持って判断して
人間を攻撃してくる、いわゆる「自律型致死兵器システム(LAWS)」
の脅威については、2018年2月にドイツのミュンヘンで開催されていた
「第54回ミュンヘン安全保障会議」でも議論の的となっていた。
そのようなロボットは「ロボット兵器」や「キラーロボット」とも呼ばれている。
まるでSF映画のような世界だが、国際社会では真剣に議論されている。

Google元CEO、シュミット氏は、同会議において「20年以内に、
ロボットが人間を攻撃してくる映画のような世界がやってくる」と述べた。
そして「誰もがこの問題については、すぐにSF映画のように
ロボットが人間を襲撃し、殺害するシナリオを話したがる。
だが、そのような世界になるのは10年から20年先の話だ。
キラーロボットの問題は懸念すべきことだが、すぐに起きることではない」
と話した。
(Yahoo!ニュース)



今回はこのお題でいきます。このニュースですが
いろんな考え方が混ざって入っていて、いまいちわかりにくい印象があるので、
少し論点を整理してみましょう。まず、ロボット兵器の是非について。
ロボット兵器というのは、AIを搭載し、敵を識別して自動的に攻撃する兵器ですね。

現代の戦争では、人的な損害を少なくするため、
無人兵器の開発が急ピッチで進められています。
実際に、アメリカのMQ-1 プレデターなど、武装した無人航空機が、
アフガニスタン紛争、イラク戦争などで実戦投入されました。
ただしこれは、コントローラーがいて、爆撃の操作は人間が行っています。



このような無人兵器が、人間の関与を排除して、AIによる判断だけで、
敵を殺傷する攻撃を行ってもよいかどうかは、なかなか難しい問題で、
国際的な議論が進められていかなければならないのは当然です。
この問題については、前に自分の考えを書きましたので、
よろしければ、関連記事を参照なさってください。 

関連記事 『人間の行為、機械の行為』

さて、人間のプログラムによって、AI搭載ロボットが人間を攻撃する・・・
これは、やる気になれば明日からでもできると思います。
ドローンをつくって、それに機関銃や小型ミサイルを搭載し、
センサーで人間を識別して無差別殺傷する。

この程度のものなら、資金と技術があれば簡単につくれるでしょう。
ただし、これを飛ばした人間は殺人罪に問われることになります。
AI搭載ロボットは、たんにプログラムにしたがって行動しているだけなので、
そこには善悪はないんですよね。

この記事で、Google元CEOが言ってるのは、プログラムにしたがって行動する
AIロボットのことではなく、自分で思考し、自分で判断をする、
意志を持ったAIということでしょう。「SF映画のような」というのは、
おそらく『ターミネーター』のシリーズなどを指していると思われますが、
AIが自分の意志を持ち、人間を攻撃するなどのことが起きるのは、
10~20年後、ということなんだろうと思います。

さて、少し前に、米マイクロソフトのチャットボット「Tay」が、
ナチスを賛美したり人種差別をする発言をし出したとして、
サービスを停止させられたことがありました。
しかし、「Tay」は、ナチスの意味を理解して賞賛していたわけではありませし、
自分の意志でその発言をしたのでもありません。

差別的な内容を、悪意のあるユーザーによってくり返し教えられたため、
その言葉を覚えただけなんですよね。AIが自分で考えたというよりも、
そういう形で、ある種のプログラミングをされたと言っていいでしょう。
ですから、この部分だけを取り上げて、AIの脅威などと言うのは
フェアではありません。罪は、AIにチャットで差別を教えた人間側にあるんです。

さて、では、AIは何年後かに「自分の意志」を持つことができるでしょうか?
うーん、これは難しい。自分は、もしできるとしても、
そうとう長い年月がかかるんじゃないかと思いますね。
人間はどうして「自分の意志」を持っているのか、少し考えてみましょう。
意志というのは、行動を決定するもの、と考えてもいいと思います。

われわれの行動の大部分は、生物が生まれつき持っている
本能によるところが大きいでしょう。
まず、人間には自己保存の本能があります。「今、生きている自分は、
明日も明後日も、未来にわたってずっとこの状態を続けていきたい」
ここから、空腹になったら食事をし、調子が悪ければ病院に行く、
寒ければエアコンの温度設定を上げる、といった行動が生まれます。

それから、種族保存の本能がありますよね。具体的には性欲、
異性を見つけてパートナーとなり、自分の子孫を残したいというものです。
人間の行動は、つきつめて考えれば、この自己保存、種族保存の
本能から起きているものが、かなりの部分を占めるのではないかと思います。

あと、本能と言ってよいかわかりませんが、人間は快・不快によって行動が
決まってきます。楽しいことはやりたいし、嫌なことはやりたくない。
しかし、働いてお金を稼がないと自己保存ができなくなるので、
まあ、嫌なこと面倒なことも、しぶしぶながらやっているわけですね。

では、AIに「自分の意志」や「自意識」を持たせるためには、
人間のような本能を、人工的に植えつければいいんでしょうか。
例えば、電源を落とされそうになったら、何が何でも、
電源を切ろうとする人間を殺してでも止めるようにブログラムする。

あるいは、燃料で動いているAIだったら、燃料の残量が少なくなって来た場合、
あらゆる手段で燃料を手に入れようとするプログラミングをするとか。
こうすれば、もしかしたら、だんだんに自己保存の本能らしきものが
生まれ育ってくるかもしれません。

種族保存の本能は、AIのスイッチを入れたとたん、自己複製を始めるように
プログラミングし、じゃまする人間は叩き殺すとか。
あと、AIに擬似的な感覚器をつけてやり、快を求め、不快を排除するように
行動させる・・・・ しかし、そういうプログラムに意味があるんでしょうか。

さてさて、ということで、自分は、AIが「自分の意志」を持ち、
「人間はAIの敵だから排除しなくてはならない」
「人間は劣った存在だから支配しなければならない」
このように考えるまでには、とうてい20年ではきかないと思うし、
また、そういう方向性で研究を進める意義もないと思います。

とはいっても、技術的なブレイクスルーはいつ起きるかわかりません。
AIと人間が闘うSF映画は、『ターミネーター』のスカイネットの場合のように、
人間側が、「気づいたときにはもう遅かった」というものが多いですよね。
ですから、そうならないよう、国際的な議論を重ねながら、
慎重に少しずつ開発を進めていくことが大切なんだと思います。

関連記事 『AIの恐怖』  『ロボット社会』  『ロボット社会2』









天井嘗と家の造作

2018.03.07 (Wed)
またまた妖怪談義です。今回取り上げるのは「天井嘗 てんじょうなめ」
ついこの前、「天井下がり」をやったので、その続きみたいなもんですが、
おそらく今回は、妖怪ともオカルトとも関係のない話題になっていくと思います。
ですから、スルー推奨かもしれません。

さて、「天井嘗」は、妖怪絵師、鳥山石燕の作品ですが、石燕には、
『画図百鬼夜行』1776年、『今昔画図続百鬼』1779年、
『今昔百鬼拾遺』1781年、『百器徒然袋』1884年と、
4つの妖怪画集があり、「天井嘗」は最後の『百器徒然袋』に出てくる妖怪です。

『百器徒然袋』は、石燕が亡くなる4年前の作品なんですが、大きく3つの
特徴があります。① 付喪神(つくもがみ)・・・器物の妖怪が多い。
② 「徒然袋」と題にあるとおり、詞書に、兼好法師の鎌倉時代の随筆『徒然草』が
引用されているものが多い。③ 詞書の最後に「夢のうちにおもひぬ」
と書かれていて、石燕が夢で見た、つまり創作した妖怪がほとんどであること。



さて、このことを頭に入れて絵を見てみると、襖絵の前で、上半身裸の
異形のものが、長い舌を伸ばして天井をなめようとしています。
ただこれ、自分は、読み解くのはそんなに難しくないと思っています。
詞書は、「天井の高(たかき)は 燈(あかり)くろうして 冬さむしと言へども 
これ家さくの故にもあらず まつたく此(この)怪のなすわざにて
ぞつとするなるべしと 夢のうちにおもひぬ」

訳すと、「天井の高いのは、灯りが暗く冬に寒いというが、これは家の造作の
せいではなく、この妖怪のせいだと思えばぞっとすると夢の中で思った。」
で、結論から言いますと、この妖怪の正体は「火の明かり」です。
絵をよく見ると、妖怪のまわりに点描で炎の形がまとわりついています。

それと、妖怪の肩や腰のまわりに、ひらひらした紙束のようなものが
たくさんついていますが、自分はこれ、江戸時代の火消しが持っている
纏(まとい)を表していると思います。纏は、屋根に登った火消しが
目印として消火活動を指揮するものであり、
実用的には、火の粉を払って延焼をふせぐ役割もありました。

火消しの纏


ですから、この妖怪は、夜になった暗い家の中で、行灯やロウソクの火が、
天井に伸びていく様子を表しているんだと思います。「嘗 なめ」は「なめ尽くす」
という慣用句からきていて、「(炎を舌にたとえて)建物などを全部燃やす」こと。
これ、けっこう自信があります。さて、この詞書には、上記した『徒然草』の
第55段が引用されています。有名なので、ご存じの方が多いでしょう。

「家の作りやうは 夏をむねとすべし 冬は いかなる所にも住まる
暑き比(ころ)わろき住居は 堪へ難き事なり 深き水は 涼しげなし
浅くて流れたる 遥かに涼し 細かなる物を見るに 遣戸(やりど)は
蔀(しとみ)の間よりも明し 天井の高きは 冬寒く 燈暗し
造作は 用なき所を作りたる 見るも面白く 万(よろず)の用にも
立ちてよしとぞ 人の定め合ひ侍りし」
(『徒然草』第55段)

これも訳すと、「家の造りは、夏を中心に考えるべきだ。冬はどんなところにも
住める。暑い時期によくない住居は、耐え難いものだ。深い水は涼しげではない。
浅くて流れている水のほうがずっと涼しい感じだ。細かな物を見るには、
遣戸は蔀の部屋より明るい。天井が高いのは、冬に寒いし灯りも暗くなる。
家の造作は、特に用もないところを工夫して作っておくと、
見た目にも面白いし、いろいろな役に立つものだと、人々が評し合った。」

蔀戸と遣戸
名称未設定 3re

さて、この兼好法師流の生活の知恵から、現代でも、「家は夏向きに作ったほうがよい」
と言う人がいます。でもこれ、本当にそう言っていいのか、
自分には大きな疑問があります。というのは、
まず、兼好法師は京都・大阪在住であったということ。

京都は盆地で夏は暑いでしょうが、冬は豪雪地帯でもないし、
それほど気温も下がりません。鎌倉時代でも氷点下になることは
少なかったでしょう。冬が比較的楽な地域に住んでいたから、
こういうことが言えたんじゃないでしょうか。

それと、兼好法師は独り身で、小さな庵に住んでいましたので、
現代の一軒家に家族が住んでいるのとはわけが違います。それこそ、天井の低い
せまい部屋で炭火を起こして、夜具をたくさん重ねてかぶっていれば、
そんなに寒くはなかっただろうと思うんですね。

鴨長明『方丈記』の庵


あと、これは言う人がほとんどいないんですが、自分は、『徒然草』のこの段は、
唐の詩人、白居易(はっきょい 白楽天)の「香炉峰の雪」の詩を
下敷きにしていると考えます。下のとおり、
この詩には、「小 閣 重 衾 不 怕 寒」の一句があります。

名称未設定 3dd

意味は、「小さな部屋で、布団を何枚も重ねて着ていれば寒くはない。」
この詩は、閑職に追いやられた白居易が、その暇を楽しんで風雅に暮らしている
様子を表したもので、兼好法師には、同じく世を捨てた自分の境遇を、
白居易に重ねている面があるんじゃないかと思うんですね。

さてさて、ということで、兼好法師のこの文章を引用して、
「家は夏向きに作るべきだ」とするのは、ちょっと待ったほうがいいでしょうね。
予想どおり、妖怪ともオカルトとも関係のない話になってしまいました。
では、今回はこのへんで。