FC2ブログ

ばあちゃんの箪笥の話

2018.07.31 (Tue)
これ、夢みたいな話なんだけど、全部が実際にあったことだよ。
俺の親父は次男で、四国から大阪の大学を出て、こっちで就職し、
職場の同僚だった母親と結婚して、俺と妹が生まれたんだよ。
で、俺が中1のときに家を新築して、名実ともに一家の主になったんだな。
それから2年後、四国の実家を継いでた親父の兄、
長男が病気で亡くなって、その妻子は家から出てっちゃったんだな。
だから、四国では親父の母親、俺のばあちゃんが一人暮らしになった。
じいちゃんは早くに死んでて、俺は遺影の顔を見たことがあるっきりだよ。
でな、親父がばあちゃんに、せっかく家を建てて部屋もあるから、
大阪に出てきていっしょに住まないかって持ちかけたんだ。
まあでも、親父は断られるだろうと思ってたみたいだけどな。

ばあちゃんとこは四国でも古い家柄で、代々その地域の長老みたいな立場を
してたんだ。それに、じいちゃんの思い出のある家に住んでいたいって
ばあちゃんが言うと思ってたんだな。ところが、ばあちゃんは、
二つ返事で承知して、こっちに出てきて同居することになったんだよ。
つまり、家族が一人増えたわけだけど、俺の生活はあんまり変わらなかったな。
ばあちゃんの部屋は1階の奥の6畳間で、俺と妹の部屋は2階にあったから。
で、その当時、ばあちゃんはまだ70歳前だったはずだ。
実際、そんなに年寄りには見えなかったよ。
ああ、ばあちゃんとはそれまでにも何度も会ってる。
親父は盆と正月には実家に里帰りしてたからな。いや、いつもにこにこしてて、
お年玉をくれたり、優しい印象しか持ってなかった。

で、四国の家を処分して、ばあちゃんが俺んちに移ってきたんだが、
さっきも言ったように、実家はかなりの旧家で土地も広かったから、
かなりの金になったと思うが、ばあちゃんはほとんど身一つでこっちにやってきた。
持ってきたのは、黒い年代物の箪笥一つだけだった。
それから4年間、俺が大学に行くまでばあちゃんといっしょに過ごしたんだが、
この話は、そのばあちゃんの箪笥に関することなんだよ。
そんな大きな物じゃなかった。今のテレビ台くらいの高さかな。
引き出しは4段で、くすんだ銀の取っ手と、あと飾り金具がついてた。
俺にはそういうものを見る目はないが、かなりの値打ち物だったんだと思う。
え? 俺の母親とばあちゃんの関係? いや、悪くはなかったと思う。
少なくともケンカしてるような場面は見たことない。

これは、ばあちゃんがほとんど家事を手伝わなかったせいもあると思うんだ。
嫁姑のいさかいってのは、どっちが家事をやって、
味つけがどうとかで揉め始めることが多いだろ。けど、ばあちゃんはそういうのを
心得てて、自分から家事をすることはなかった。
そのかわり、庭に出て草取りとかはよくやってたな。
ああ、すまん前置きが長くなってしまった。それで、俺はときどき、
ばあちゃんの部屋にいって小遣いをもらってたんだよ。
ばあちゃんは、いつも着てる着物の懐から長い金属の鍵を取り出して、
カチカチ音をたてて箪笥の鍵穴を回し、一番上の引き出しから
1万円札を出して俺にくれたんだ。これはホントに助かった。
俺が大学生になっても、家に戻ってくると小遣いをくれたし。

妹? うーん、妹は俺よりしょっちゅうばあちゃんの部屋に出入りしてたな。
小遣いももらってたんだろうし、それにこんな場面を見たことがある。
俺がばあちゃんの部屋に行くと、当時中2だった妹がいて、
それが白い装束を着てたんだ。んで、ばあちゃんの横に並んで、
いっしょに何か呪文みたいなものを唱えてたんだよ。
いや、お経じゃない。どっちかといえば神社でやる祝詞に近いものじゃないかな。
はっきりとはわからない。俺が部屋の戸を開けると中断しちゃったからね。
よくわからないけど、ばあちゃんは妹を巫女さんみたいにしようと
考えてたのかもしれない。いや、巫女さんにはならなかったけど、
大きな神社に務める神主の人と結婚して、今は社務所の事務みたいなことをしてるんだ。
ああ、すまんすまん箪笥の話だよな。

まず不思議なことの一つめは、ばあちゃんは部屋のエアコンをつけたことがなかったんだ。
これ、冬はともかく、大阪の夏じゃありえないだろ。
ところが、ばあちゃんの部屋は夏に行けば涼しく、冬は暖かかった。
でな、夏には箪笥の2番めの引き出し、冬は3番目の引き出しが開いてたんだ。
どうも、そっから冷風や温風が出てるみたいだった。
これって、科学的にはありえないことだろ。いつだったか俺がそういう話をすると、
ばあちゃんはただ笑って、2番めの中は冬、3番めの中は夏、
みたいなことを歌うように言ったんだよ。いや、引き出しの中は見なかった。
ちょっと開いてるだけだし、ばあちゃんは俺を箪笥に近づけさせなかったから。
うん、ばあちゃんはいつも箪笥を背にしてその前に座ってたからね。
あと、ばあちゃんのところにはたまにお客さんが来てた。

ぼそぼそした話し声が聞こえてくるときもあったな
けど、おかしなことに、お客さんは玄関や廊下を通らないんだ。
いつの間にか、ばあちゃんの部屋にいるって具合なんだよ。
まあ、あのころはそんなに深く考えなかったけど、
今は何が起きてたのか、なんとなくわかるような気がする。
でな、俺が高3のときに母親が事故を起こした。
いやいや、命にかかわるようなもんじゃない。母親が買い物に出たとき、
自転車のハンドルで駐車場に停めてあった車をこすっただけ。けど、相手が悪かった。
ヤクザのベンツだったんだよ。まあ、チンピラだったんだが、そいつが
家に怒鳴り込んきて、俺らの前ですごんだんだよ。テレビに灰皿を投げつけたりもした。
親父はとにかく金で済ませようとしたみたいだが、

そんとき、ばあちゃんが部屋から出てきて、「わたくしが今、お支払いしますから、
 こちらに」って、そのヤクザを部屋に呼んだ。んで、ヤクザがついてって、
それで、ばあちゃんの部屋から出てこなかったんだ。
ばあちゃんに父親が聞いたら、すました顔で「あの方は帰られたようですよ」
そう答えてたな。まあ、そんなことがあって、時が流れ、
俺が30歳近くなったとき、ばあちゃんは具合が悪くなって入院した。
肝臓の癌で、見つかったときにはもう末期だったんだな。
何度も見舞いに行ったよ。ばあちゃんは苦しい顔もせず、
ただ静かに病院のベッドに横になってるだけだった。
病気の詳しいことは本人には言ってなかったが、ばあちゃんは、
自分の命が長くないことをわかってるみたいだったな。

で、たまたま病室に俺と妹しかいないときに、ばあちゃんが静かにこんな話を
始めたんだよ。「部屋の箪笥の一番上の引き出しに、通帳と印鑑があるから、
 わたしが死んだら出しておくれ」そう言って俺にあの箪笥の鍵を渡してよこした。
続けて、「あの箪笥なあ。値打ちのものだが、お前らの父親には話さず、
 お前ら2人で山の中に持っていって焼き捨ててくれんか」って。
俺は何を言ってるか意味がわからなかったが、妹が、
「わかりました、おばあちゃん。きっとそうします」って答えてね。
それから、10日くらいでばあちゃんは静かに息を引き取った。
葬式は四国でやったんだよ。県会議員から町長から、たくさんの参会者があった。
ばあちゃんのいた集落の人はほとんど全員が来たんじゃないかな。
それが全部終わってから、俺と妹で箪笥を持ち出した。

で、俺の車に積んで山の中に持ってったんだ。
箪笥の一番上のひきだしには、ばあちゃんの着物が何枚かと、
言ってたとおりに印鑑、通帳があった。2,3番めの引き出しには、
昔の浮世絵がぺらっと1枚ずつ入ってた。冬の景色と夏の景色を描いたやつ。
それから、4番めの引き出しを開けようとしたとき、妹が、
「見ないほうがいいかも」って言ったが、かまわず開けてみた。
そしたら・・・ミイラ、いや干し首、なんと言ったらいいか、
15cmほどの人間の干物があったんだ。ちゃんと人形の着物みたいなのを着てて、
女が3つ、男が1つ。で、そのゆがんで黒くなった男の顔がな、
前に家に来たヤクザにそっくりだったんだよ・・・ ああ、それらは全部、
言われたとおりに灯油をかけて燃やした。真っ黒な煙が上っていったっけ。






スポンサーサイト

拾ってくる話

2018.07.30 (Mon)
あの、じゃあ話していきます。俺、ある大学の3回生で、山根って言います。
これね、俺自身の話じゃなく、俺の学部仲間の西崎ってやつの身に
起きたことなんです。だから、よくわからない部分もあるんですよ。
そこ、まず、断って起きますね。始まりは、1ヶ月ほど前の夕方でした。
薄暗くなってきた中、俺が大学構内の喫煙所でタバコ吸ってたら、
山根がやってきたんです。そんときに、小ぶりだけど、やつには似合わない、
革製のスーツケースを手に下げてまして。
「お前、それどうしたんだ?」って聞いたんです。そしたら、
ベンチに置いてあるのを拾ったって言うんです。
で、いかにも高級そうな物だったんで、「それ、教授とかのじゃないのか。
 事務室に届けてこいよ」って言ったら、

「ん、ああ、そうだな」とか生返事をして、
タバコ1本吸っていなくなっちゃいましてね。まあどうせ、届けやしないで
ネコババするんだろうとは思いましたけど。で、数日して、
同じゼミに西崎がいたんで、そんときのことを思い出して、
授業が終った後に、「お前、こないだスーツケース拾ったよな。
 あれ、何か金目のもんとか入ってたか?」って聞いてみました。
そしたら西崎はだらっとにやけた顔になって、
「ああ、あれか。アパートに戻って開けてみたら、
 すげえいいもんが入ってたんだ」
って言うんです。で、「何だったんだよ」って俺が言っても、
にたにた笑うだけで答えなかったんです。

それで俺もちょっとカチンときまして、
「知らねえぞ、ネコババはたしか、占有離脱物横領って罪になるんだからな」
って言いました。そしたら、西崎はますますにやけて、
俺のほうに顔を近づけ、「首だよ、首、きれいな女の首」って答えたんです。
「コノヤロ」って思いました。だってそのスーツケース、
薄型で、人間の首なんて入るようなもんじゃなかったですから。
「嘘つくなよ!」って言ったら、西崎のやつ、少し真顔に戻って、
「じつはなあ、開けてみたら土地登記みたいな書類の束が重なってて、
 それと・・・驚くものが入ってたんだよ。何だかわかるか?」
俺が「わかんねえよ、そんなもん」って答えたら、
「位牌だったんだよ、女の」って。

「位牌!?」 「ああ、なんとか信女って書いてあったから、女のだろ」
「うええ、気味悪いな。で、それどうしたんだよ」
「部屋に飾ってる」 「何言ってんだお前、失くした人はすごく困ってるだろ。
 今からでも警察に届けろよ」 「ああ・・・けどなあ」
こんな会話になりまして。そこで、俺のサークル仲間が通りかかったんで、
西崎とは別れました。いや、位牌をスーツケースに入れて忘れるなんて、
変な話だなあとは思ったんですけど、ほら、電車の網棚に骨壷忘れてて、
しかも引き取り手が出てこないなんて話もあるじゃないですか。
まあ、そんなことがあって、それからしばらく西崎とは会わなかったんですよ。
で、1週間後くらいだったかなあ。俺、大学がある駅前で酒飲んだんです。
仲間と別れて、夜中の1時過ぎ、部屋に戻ろうと一人でぶらぶら歩いてたら、

街路樹のとこに人がいて、石崎だと思いました。
その街路樹はポプラ科かなんかなんだけど、根本のところに別の小さな植え込みが
あるやつで、西崎はそこに頭を突っ込むようにして何かやってたんです。
「おい、西崎じゃないか。何やってんだお前?」そしたらやつはこっち見て、
「あー山根いいところに来た。引っかかってて取れないんだ、手伝ってくれ」
って言いまして。見ると、植え込みの中にホースみたいなのがあったんです。
西崎はそれを両手でつかんでまして。「何だよそれ、ゴミじゃないか」
「いいから頼む、何かおごるから」それでね、俺も酔ってたから、
2人で持って綱引きみたいに引っぱったんです。
そしたら急にずるっと抜けて、俺ら2人とも尻もちついちゃって。
でね、植え込みから出てきたのは、古い掃除機のホースなのかなあ。

とにかくそういうもので、土とかゴミがついて汚らしかったんです。
でも、西崎は顔を輝かせて、「ありがてえ、これで右腕ゲット」って言ったんです。
で、大事そうにそれ抱えて歩き出したんで、「待てよ、おごるって言ったろ」
そしたらやつは、「今金ねんだよな。俺のアパート近くだから寄ってけよ。
 ビールやるから」って言って。でね、歩いて5分くらいだって言うから
ついてったんです。でね、ボロアパートの1階の部屋の前で、
西崎は鍵を出して、「ちょっとここで待っててくれ」ってドアを開けました。
部屋の中にも引き戸があって、西崎がそれも開けたとき、
ちらっと女の顔が見えたんですよ。若い・・・中学生か高校生に見えました。
それで「ああ、こいつ女引っぱり込んでるんだな」そう思いまして。
それから西崎は缶ビール数本抱えて戻ってきて、俺に渡してよこしたんです。

そのことがあって、次とその次のゼミに西崎は出てこなかったんですよ。
そのゼミは卒論と関係があるやつで、単位落とすと卒業できなくなってしまう。
まあでも、しょせん人のことだし、西崎は親友ってわけでもなかったですし。
で、その次のゼミも西崎は来なくって、さすがに担当教官が、
「あいつ、どうしてるんだ」みたいな話をして。そしたらゼミの一人が、
「西崎くん、こないだ灰皿抱えて歩いてるのを見た」って言い出して。
それがほら、喫煙所にある縦長の大きなやつだったてことで、
俺も前のホースの件を思い出してしゃべったんです。
「変な話だなあ、誰かあいつの電話番号かメアド知ってるやついるか」
でも、知ってるやつがかけてみても不在着信になるだけで。
それで、アパートの場所知ってるのが俺だけだったんで、様子見てこいって言われて。

でね、その午後に行ってみたんですよ。ドアのチャイムを押しても返答なし。
それでノブに手をかけたら開いてたんで、「おーい、西崎いるのか?」
そう言いながら中に入って、引き戸を開けたら、
若い女が立ってたんです。「あ、失礼しました」でもね、それ女じゃなかったんです。
なんであんな見間違いをしたのかわかんないですけど、
そこにあったのはガラクタオブジェでした。片足が三角コーン、
もう片足が飲み屋の看板の壊れたやつ。その上に大型の灰皿がのっかって
腕の片方が電線の束、もう一方が、俺が前に引っぱり出すのを手伝った、
あのホースみたいなので・・・・かろうじ人間のように見えるものだったんです。
それで・・・灰皿の上、人でいえば頭にあたる部分に、
位牌に見えるものがのっかってました。

それを呆然と見てたら、背後から「こら山根、お前なにやってるんだよ!!」
怒声が聞こえて、ふり向くと西崎が立ってたんです。
「何って、お前が大学来ないから様子を見に・・・」 「うるせえ、今すぐ出て行け!!」
すごい剣幕で、殴られるかと思ったんで部屋から出ました。
そりゃ、せっかく心配して来てやったのに何だよ、って思いましたよ。
でね、そんとき西崎のやつ、片手に麻袋みたいなのを持ってたんですが、
それ、動いてたんですよね。もしかしたら中に、
ノラネコか何か、生き物が入ってたかもしれません。
それにしてもね、普通じゃないですよね。授業にも出ないで
あんなガラクタ組み上げてるんですから。完全にいかれるんだと思いました。
ただねえ、一瞬だけど、あれが女の姿に見えたのが、どうもわからないんですよね。

それでね、西崎は次の回のゼミにも出てこなくて、
大学で姿を見たものも誰もいなかったんです。でね、その後、指導教官から、
「西崎が行方不明になってて、実家のご両親が学生課まで来て、 
 行方を尋ねてる。山根、お前何かわかるか」って聞かれました。
でも、「わかりません」って答えるしかないじゃないですか。
あの位牌やガラクタの話はしませんでした。
変な話ですし、関係ないだろって思うのがふつうですよね。
でね、それから2週間して西崎が見つかったんです。大学からも、やつの実家からも
ずっと離れた県の墓地で倒れて死んでたんです。体には傷とかはなくて、
ずいぶん痩せてたんで、衰弱死ってことになったみたいで。え、位牌?
いや、持ってたかどうか、そこまでは聞いてないですけど・・・








「言霊」って何?

2018.07.29 (Sun)
hahaha (4)

今回はこういうお題でいきます。「言霊 ことだま」は、古来から日本にあった
考え方で、「言葉に宿ると信じられた霊的な力」を指し、
「言魂」と書く場合もありますが、基本的には同じ意味です。
自分は、言葉の持つ霊力は、いくつかに分類することができると考えています。

さて、「言霊」という語が文献に登場するのは、『万葉集』からです。
「しきしまの やまとの国は 言霊の たすくる国ぞ 真幸くありこそ」
これは、柿本人麻呂が旅に出る人に贈った歌で、
「日本は、言霊が助けてくれる国です。ですから、私が無事に旅をしてください
と言えば、きっとそうなるはず。」こんな意味でしょうか。

柿本人麻呂
hahaha (1)

ここで、2つの考え方を読み取ることができます。
一つは、「日本は、他国とは違って、言霊が助けてくれる特別な国」
というもので、日本の言語風土に対する自負。このことは、
人麻呂の歌だけでなく、日本の古典の随所に見ることができ、
これも興味深い話題なんですが、本項では詳しくはふれません。

もう一つは、「言葉に出して言ったことは現実になる」という考え方です。
前掲の歌も、「私が無事でと言ったので、あなたは無事に過ごせるでしょう」
という意味で歌われているんですね。このように、
言葉に出して将来のことを述べることを、「言挙げ」といいます。

で、「言挙げ」は、基本的にはポジティブなものになります。
例えば、「○○大学に絶対合格するぞ!」みたいな感じです。
ただし、言挙げした内容が、自分の慢心によるものであった場合は、
神の怒りを買って、悪い結果がもたらされることになります。

ヤマトタケルと白猪
hahaha (5)

『古事記』では、伊吹山の神と戦うため山中に入ったヤマトタケルが、
白猪に出会い、「これは神の使いだろう、今は殺さず(神を討ち取った)
帰りに殺してやろう」と言挙げします。
しかし、この言葉は、ヤマトタケルの慢心から出たものだったため、
伊吹山の神の祟りによって、逆に殺されてしまうんですね。

ですから、上の大学受験の例も、本人がまったく努力しておらず、
ただ、「絶対 合格してやる!」と言っただけではダメなんです。
刻苦して、そう言うだけの実力を身につけていないと、
神に憎まれ、楽に合格できるはずの滑り止めまで落ちてしまうかもしれません。

あと、推理作家の井沢元彦氏は、著書の『逆説の日本史』の中で、
ネガティブな内容についても言霊が働く、といったことを書いておられます。
例えば、明日 遠足があるのに「雨が降る」などと言うこと、
また、太平洋戦争中に「日本は負ける」などと言うことは、
言葉に出すと現実になってしまうので、タブーとなったとしています。

たしかに、そういう面は否定できないんですが、
それは、考え方としては新しいものだと自分は思いますね。
基本的に、神社の祝詞の内容などを考えても、
古代における言挙げはポジテイブな内容のものだったはずです。
ここまでは、言霊について、言葉の意味的な面から見てきました。

ただ、言葉の霊力はそれだけではなく、もう2つほどあると考えます。
その一つが、言葉の「音 おん」に関するものです。
例えば、「ア」は明るく大きなもの、「カ」は鋭くとがったもの、といった具合に、
50音について、それぞれが固有の意味を持っているとする考え方です。

これは、文字の字面の場合もあれば、発音の響きの場合もあります。
企業が新しい商品の名前を決めるときなど、
消費者に与える印象を考えて、言葉を選んでいきますよね。
こういった考え方を「音義学 おんぎがく」といい、江戸時代の国学者、
平田篤胤などによってまとめられています。

平田篤胤
hahaha (2)

さて、意味、音ときまして、3つめは、「言葉のつながり」
つまりリズムになります。日本で古代から伝わる言語リズムといえば、
和歌の「五 七 五 七 七」。言葉をこの順に並べ、
朗々と声に出して詠みあげることで、呪術的な効果が発生する。

紀貫之が書いた『古今和歌集』の仮名序には、「力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をもやはらげ、
猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」
と出てきます。
これは、和歌の持つ力を述べたものですが、
和歌がそういった力を持つのも、リズムがあってこそです。

紀貫之
hahaha (1)


現代でも、天皇・皇后両陛下が、新年の歌会始で御製を披露されます。
2018年の天皇陛下の御歌は、
「語りつつ あしたの苑を 歩み行けば 林の中に きんらんの咲く」
というものでした。これは、けっして私的な内容ではなく、
日本国および国民に対する、霊的な祈りが込められたものなんですね。

さてさて、ということで、言霊について3つの観点からみてきましたが、
実際は、言霊にはもっといろんな要素が含まれています。
あと、なぜ日本人が「日本は言霊の国」という考えを持つようになったかについても、
機会があれば書いていきたいと思います。では、今回はこのへんで。

hahaha (3)





生きている道彦の話

2018.07.29 (Sun)
これね、俺が小5と小6のときのことがメインなんだけど、
じつはずーっと続いている話だと思う。だから、今も俺が住んでる△△市に来れば
道彦がいるから、ぜひ調べに来てくれよ。あれがどういうものなのか・・・
始まりは、最初に言ったように小5のときだ。
たしか夏休み前だったな。俺のクラスに転校生が来ることになったんだよ。
△△市は地方都市だし、ろくな産業もないから、転校生って珍しいんだ。
だから、担任から「転校生の人が来ます」って話を聞いたときは、
みな興味津々だったね。で、それから2、3日して、
朝のホームルームで、担任の後に背の高い男子がついてきて、
担任に紹介された後のあいさつで、「山田道彦です 1年間よろしくお願いします」
って名乗ったんだ。そのときの印象は、おとなしい感じで、

すごく恥ずかしそうにしてた。で、転校生って珍しいから、
最初は誰も話しかけたりしないんだよ。だから、道彦はしばらく、
休み時間とかは誰とも話をせずに自分の席に座ってた。
俺とは席が近くて同じ班だったんだよ。その週に調理実習があって、
そのときにはじめて道彦と口をきいた。やっぱおどおどした感じだったな。
でも、イジメられたりってこともなかった。
田舎の市だし、静かでのんびりした小学校だったからね。
で、そのときから、少しずつ道彦と話すようになっていった。
俺もどっちかといえば大人しいほうだったし、なんとなく気が合ったんだな。
あの頃、テレビでオカルト番組がけっこう流行ってたんだ。
俺はそういうの大好きで、子ども向けのオカルトの本なんかも買って持ってた。

で、道彦はそういうことにすごく詳しかったんだよ。
放課後、途中までいっしょに帰るんだけど、そのときに、
生まれ変わりの話なんかを道彦が教えてくれたんだ。ほら、ある町に生まれた子どもが、
自分は遠く離れた別の町で生きてた○○だ、とか言い出して両親の名前とか話す。
それに興味を持った大人が調べてみると、実際にその町で、
○○という子どもとその家族がいた記録が残ってるとか、そういうやつ。
前世の記憶って言ったらいいのかな。そういうのにすごく詳しかったんだよ。
「どうしてそんなこと知ってるの?」って聞いたら、
「興味を持って調べてるんだ。うちにはそういう本がいっぱいあるよ」って言う。
けど、道彦はオカルト以外のことはぜんぜん知らなかった。
テレビのアイドルとか、野球の選手とか、そういうのはまったくわからなかったんだ。

だから、俺がいなかったら、クラスで話す相手もいなかったんじゃないかな。
あと、道彦は昔のこともよく知ってた。例えば、子どもがみんな買う、
有名な漫画雑誌があるだろ。その頃は180円くらいだったと思うが、
「これ、20年前は40円だったんだ」みたいなこと。
だからなのか、勉強も、算数とかは普通だったけど、社会の歴史をやってるときだけは、
積極的に自分から手をあげて発表したりもしてたし、
その内容は、先生も感心するくらいだったんだよ。
でね、そのうちに夏休みになって、俺は週に一度くらい道彦と遊んだ。
ほとんど外遊びだったな。夕方、公園の林に虫捕りに行ったり、
2人で自転車で、戦争中の防空壕を探検しに行ったこともある。そのときは、
道彦が案内をして、わかりにくい道をたどって、

山裾にある防空壕の穴に入ったりもしたんだ。で、あるとき、
またオカルトの話になって、道彦がドッペルゲンガーっていうのかな。
この世にいる自分そっくりの人間のことを話し出して。
で、俺が「そんなのありえないよ」とか言ったんだと思う。
そしたら道彦がめずらしく怒って、「これ家にある本に載ってるんだから、見においでよ」
みたいに言った。それではじめて、道彦の家に行ったんだよ。
道彦の家は建売の団地みたいなとこで、古くなったけど今もある。
道彦が自分で鍵を開けて、中には誰もいなかった。
玄関からすぐの階段を上がっていくと、道彦の部屋があった。
中は壁2面が本棚になっていて、ずらっとオカルトの本が並んでた。
で、その多くが、大人が読む難しいやつで、中には英語ののもあったんだ。

あと、今から考えれば、これ大事なんじゃないかと思うけど、
本棚の上に変な機械があったんだよ。横1m、高さ30cmくらいの機械で、
電極みたいなのがたくさん上に出てた。で、前側に丸い時計みたいなのがついてるんだけど、
針が一本で、文字盤には数字はなく、全体に緑色に光ってすごく印象に残った。
「あれ、何?」って聞いたら、道彦はつまらなそうに「わからない、
 僕が生まれたときからあるんだ」って言ってた。それで、
道彦が下からジュースを持ってきて、俺は面白そうな本を棚から出して読んだ。
そうやって1時間ほどしたら、道彦が「そろそろお母さんが戻ってくるから帰って」
みたいに言って、2人で外に出て、俺が「じゃあね」って言ったとき、
大きな黒い車が道をやってきて、道彦はあわてて家に入ってったんだよ。
そんな感じで、5年生のときはちょくちょく道彦と遊んだ。

ただ、家に行ったのはその1回きりだったけどな。で、だんだん学年末が近づいて
くると、道彦はことあるごとに「時間がないなあ」みたいなことを言うようになった。
で、俺が「何の時間?」って聞いても黙ってる。あと、道彦はもともと背が高かったけど、
その頃には担任を追い越して、大人でも背が高いってくらいになってたんだよ。
それから・・・6年生に進学して、クラス替えがあったんだ。
道彦とは別のクラスになって、俺も新しいクラスに慣れるのが大変で、
道彦と遊ぶことはなくなった。で、4月がもうすぐ終わるってときに、
道彦が殺されたんだよ。下校の途中で何者かに刃物で刺されたんだ。
これは大ニュースになって、新聞やテレビでももちろん報道したし、
静かな市がマスコミでいっぱいになった。全校集会もあったんだよ。
でも、犯人はつかまらず、今もって手がかりすらないんだ。

それから、時が流れて、俺の家は印刷屋だったんだけど、大学を出てから
長男の俺があとを継いだ。で、結婚して子どもができ、そこの市にずっと住んでるんだ。
でね、去年の夏。息子は小学校5年で、俺と同じ学校に行ってるんだけど、
「クラスに転校生が来た」って話したんだ。「ふーん、どんな子だ?」って聞いたら、
「名前はさとうみちひこで、背が高くて、すごくオカルトに詳しいんだよ」
それで、俺が小学生の時の道彦を思い出してね。でもまあ、偶然だと考えた。
それはそうだろ。それから2ヶ月くらいして、息子が、
「今日、みちひこくんの家に遊びに行ってきた。オカルトの本がたくさんあったよ」
みたいな話をして、場所を聞いたら間違いなくあの道彦の家だったんだよ。
それで俺は少し怖くなってきたけど、息子に「部屋に大きな機械がなかったか?」
って聞いてみたんだよ。そしたら「あった。お父さん、何でわかるの?

 あの機械って何?」こう問い返されて、答えることはできなかったんだよ。
それから、ちょくちょく息子にはみちひこのことを聞いた。
たいがいはありきたりのことしか返ってこなかったが、
新しい年になって、「みちひこくんが最近、時間がない、時間がないって言って、
 あまり遊ばなくなった」って話したんだ。
これ、俺が小学校のときとそっくりだろ。また、もやもやした不安を感じてね。
それが決定的になったのは、息子が年度末に持ってきた児童会の文集。
全クラスの集合写真が載ってるんだよ。それを息子から借りてみて愕然とした。
最後列に並んでるひときわ背の高い子が、名前は佐藤道彦で、
俺の記憶にある道彦と、多少髪型は違ってたけど、そっくりな顔をしてたんだ。
子どもなのに目尻にしわがあるとこなんか、瓜二つだった。

で、俺は自分の記憶を確認したくて、市の図書館に行ったんだ。
地方新聞の縮刷版を見るためだよ。そこで、あの事件のときの記事を確認した。
そしたら、道彦の顔写真がついてて、やっぱり今の道彦と同じに見えた。それと、
もう一つわかったのは、俺が小学校のときの約30年前に、やはり子どもが殺されてて、
事件は未解決。写真はついてなかったが、殺された子の名前が「鈴木道彦」。
もしかしたら、その前もあるのかもしれないが、そこまではたどれなかった。
なあ、どう思う? 数十年ごとに、この市に「道彦」って子が転校してきて、
翌年に殺される・・・そんなことがあるもんだろうか?
それで、今の道彦君に会いにいこうかとも考えたんだ。いや、会ってどうするって
わけじゃないんだが。まさか、「君、もうすぐ殺されるよ」って言うわけにもいかないし、
それでもし、「はい、わかってます」って答えられたら・・・







「暦注」って何?

2018.07.28 (Sat)


今回はリクエストによる内容です。自分の仕事仲間から、
「カレンダーに一粒万倍日とか書いてるけど、あれって何?」という
質問がありまして、それについて書いてみることにします。
ただ、自分は西洋占星術をやってるので、東洋の暦学はあんまり詳しくない
んですよね。いろいろ間違いがあるかもしれません。

まず、日本の暦は、中国の干支(かんし)を基準にして作られています。
干支とは、十干 「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」
十二支 「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」を組み合わせたもので、
「甲子(きのえね)」から始まり、「癸亥(みずのとい)」で
終わる60進法になっています。



つまり、2か月(60日)周期で日付に意味づけをするものなんですね。
で、その中のそれぞれの日について、日時・方位などの吉凶、
その日の運勢なんかを、注記の形で日付の下に記したものを
「暦注」と言います。暦注にはさまざまな種類があります。

現代のカレンダーや日めくりに書かれていることが多いのは、
まず「立春・立夏・立秋・立冬」などを含む「二十四節気」です。
これは、1年を24等分して、季節の特徴を表したものです。それから、
24節気には含まれない「雑節」(土用、八十八夜、入梅など)も
記されることが多いですね。

次に記されることが多いのは「六曜 ろくよう」です。
「先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口」の6つ。これが中国でいつ始まったかは
はっきりしませんが、日本には鎌倉時代の終わりころに伝わったようです。
上に書いた先勝から始まり、6日ごとの一巡りをくり返します。



「先勝」は、「先んずれば勝つ」の意で、
何事をやるにも急ぐことがよいとされる日。
「友引」は、もとは「共引」と書き、「あらゆる勝負が引き分けになる日」という
意味だったんですが、いつの間にか「災いが自分ばかりでなく友にもおよぶ日」
というように変化し、葬式や火葬を行ってはならないとされます。

「先負」は、「先んずれば負ける」で、
この日は自分から積極的に動かないのがよいとされます。
「仏滅」は、元来は「物滅」で、「あらゆることが滅ぶ日」でしたが、
それが仏教と関連づけられて今の漢字になりました。
結婚式などの祝儀を行うのがよくない日と言われます。

「大安」は、「大いに安んずる」で、六曜の中では最も運勢がよく、
あらゆることが上手くいくとされます。この日はどこの会場でも、
結婚式の予約が混みあいますし、その他の行事も選んで行われます。
「赤口」(しゃっこう)は、火や刃物に気をつけなくてはならない。
命に危険がある日です。

ただこれ、中国では、細かく時間ごとに吉凶が決められていて、
大安でも凶の時間帯もあれば、仏滅でも吉の時間帯もあります。
でも、日本だと、博打を打つ人以外は、そこまでは気にしてないですよね。
その他、暦注には「七曜」や「二十八宿」、「九星」などがあります。

で、最初のところで書いた「一粒万倍日」というのは、暦注の中で
「選日 せんじつ」と呼ばれるものです。全部はご紹介できませんが、
代表的なものを見ていきましょう。
「十方暮 じっぽうくれ」相談事や交渉がまとまらない日とされています。

「八専 はっせん」吉はますます吉に、凶はますます凶に向かう日です。
「不成就日 ふじょうじゅび」何事も上手くいかない日で、
寺社の参詣は避けるべきと言われます。
「三隣亡 さんりんぼう」棟上げなどの建築に関することは
行ってはならない日。この日にそれをやると火災を招き、
三軒の隣近所まで滅んでしまうと言われます。



「一粒万倍日 いちりゅうまんばいび」一粒の種もみが万倍に増え、
大きな実りとなる日で、種まきを始め、すべてのことによい日とされますが、
もし借金などをした場合、それも万倍に増えます(笑)。
「天赦日」天の神様が人間を赦すとされる最大の吉日です。

では、こういうの、どこまで信じればいいんでしょうか。
これは難しいですね。というのは、本来、暦注は旧暦(太陰太陽暦)
で行うものなんです。旧暦の1年間は354日ほどで、
それを、現在のカレンダーは無理矢理に新暦(太陽暦)に合わせています。
ですから、計算がおかしくなっている部分もあるんですね。

それと、例えば仏滅と一粒万倍日など、吉日と凶日が重なったりして、
どちらを信じていいのかわからないこともあります。
そういうとき、「吉日と重なったら一粒万倍日の効果が倍増し、
凶日と重なったら半減」などと言われたりもしてますね。



さてさて、ということで、ここまで見てきましたが、
基本的に、自分は、これは迷信だと思います。ただ、迷信だからといって、
仏滅の日に、空いてるからと結婚式を強行したりすれば、
あとあとまで親戚に言われたりするかもしれません。もし離婚でもすれば、
「ほら見たことか」とか・・・ では、今回はこのへんで。







「幽霊の日」にちなんで

2018.07.26 (Thu)
jjje (1)

ということで、今日、7月26日は「幽霊の日」ですので、
それにちなんだ話を書きたいと思いますが、「幽霊」について
歴史的にきちんと考察された本って、ほとんどないんですよね。
それだけ、いろんな概念を含んだ難しいテーマなんだと思います。

さて、何で今日が幽霊の日かというと、1825年(文政8年)7月26日、
江戸の中村座にて、四代目鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』が初演されたことを
記念してのものです。じゃあ、誰がそれを定めたのか?
これがいくらネットを調べても出てきません。歌舞伎関係者なんでしょうか?
ご存知の方がおられましたら、ご教示いただければ幸いです。

jjje (2)

どこから書いていきましょうかねえ。まず「幽霊」という言葉ですが、
これはそんなに古いものではないと思います。「霊」という語は古くからあり、
平安時代の文献には「生霊」「死霊」「悪霊」などの言葉が出てきますが、
「幽霊」というのは見つけるのが難しいんです。

12世紀の公家の日記、『中右記』などには出てきますが、
一般的なものではなかったんでしょう。幽霊のかわりに、
よく物語などで使われるのが、「亡魂 ぼうこん」という言葉ですね。
文脈からは、ほとんど幽霊と同じ意味のようです。

いっぽう、江戸時代になると「幽霊」という言葉はひんぱんに見られます。
自分は、おそらくですが、「幽霊」という語が一般的になってきたのは、
室町後期の能楽が盛んになった時期じゃないかと考えてます。
このあたりで、「幽」という語が「霊」にくっついた。

あと中国だと、5世紀の『後漢書』に「幽霊」の語が出てきてたはずです。
それから、幽霊とは直接は関係ありませんが、
「心霊」という語は、明治時代に「psycho」 「spiritual」
などの外国語を翻訳して作り出された新しい言葉です。

さて、時代を追って古代の霊から考えてみます。「御霊 ごりょう」という
概念がありますよね。これは菅原道真、早良皇太子、崇徳上皇などの
怨霊を指しています。で、御霊になる条件としては、
・貴人の霊であること ・強い恨みを抱えて死去したこと
・その多くが無実の罪を着せられたものであること などです。

また、御霊は個人に祟るというより、国家に対して祟るものです。
戦乱が起きたり、疫病が流行したりするのは御霊のせいと考えられました。
天皇が病気になるのも御霊のしわざとされましたが、このころの天皇は
国家そのものでした。そこで、当時の朝廷は、位を追贈して名誉を回復したり、
大々的な鎮魂の御霊会を開いたりしています。

jjje (4)

では、古代には庶民の霊がなかったかというと、そうでもなく、
平安末期の『今昔物語』には、男に捨てられた妻が幽霊となって
男をとり殺すなどの話が出てきています。
ですから、個人に祟る霊というのもあったわけです。

次に、歌舞伎や戯作で幽霊がとり上げられることが多くなった
江戸時代を見てみましょう。江戸の幽霊の特徴は、
・名前があること ・恨みをのんで死んだものであること
・成仏していないこと などがあげられるでしょう。

名前がある、とはどういうことかというと、「四谷怪談」であればお岩、
「皿屋敷」ならお菊、「牡丹燈籠」だとお露という具合に、
幽霊になったのはどこの誰かということがはっきりしています。
また、幽霊となる理由も明確で、芝居を見た観客は、
「ああ、これなら成仏できずに化けて出るのは当然だ」と思うわけです。

jjje (6)

つまり、江戸の幽霊は、ひどい仕打ちをされて、
無念のうちに亡くなった人物が、この世にとどまって祟りをなし、
自分を害した悪人が滅びることで成仏することができるという、
勧善懲悪的な因縁物語になっているんですね。

さて、最後に現代の幽霊ですが、もう何でもありの状況です。
例えば、「心霊スポットの廃墟に行ったら白い霧のような影が浮かんでいた」
「マンションの8階で窓の外を見たら生首が宙を飛んでいた」
「肝試しに行った帰り、車を見たら手形がついていた」

こういうもののすべてが「幽霊」ということにされてしまっています。
もちろん、その場所で実際に殺された女子高生の幽霊などといった、
名前や恨みがわかる場合もありますが、多くは「それ、ホントに幽霊なの?」
と言いたくなってしまうものなんですね。

jjje (5)

まあ、これには仏教が形骸化し、成仏ということがあまり信じられなくなったなど、
さまざまな原因が考えられますが、一番大きいのは、
実在の人物の名前を出すと不謹慎だからでしょうね。
例えば、「西城秀樹さんの幽霊がテレビ局の屋上でヤングマンを歌っていた」
などと言えば、遺族の方からクレームがくることも考えられます。

さてさて、ということで、「幽霊」概念の変遷をざっとふり返ってみました。
ただ、これは自分には手にあまる大きなテーマです。京極夏彦氏とか、
荒俣宏氏あたりの、オカルトのスペシャリストが書いてくれないもんでしょうか。
では、今回はこのへんで。

jjje (3)





死んだ犬をおくる話

2018.07.26 (Thu)
バブルが終わって何年かたったころの話ですね。ほら、ちょうど貸し渋り
なんて言葉が出てきた。うちの主人は、ある銀行の支店長をしてて、
毎日帰りが遅かったんです。土日の休日出勤も多かったですね。
それで、ある日曜の午後のことです。夕方に電話がかかってきまして、
私が取ったんですが、出ると、「ご主人はいますか」って暗い声がしました。
「どちら様でしょうか?」と聞くと、「・・・山科ケンネルって者ですが、
 あなた奥さんですか?」 「はい、そうですが」
「・・・いいですねえ、生きていられて。うちの妻はついさっき死にました。
 つきましてはね、お宅に死んだ犬をおくりたいと思いまして・・・」」
こんなことを言われたんです。それで気味が悪くなって、
ソファでビデオを見てた主人に、「あなた気持ち悪い電話、山科ケンネルだって」

そう言うと、主人はちょっと顔をしかめ、「ああ、今出る」って。
それから、最初は声をひそめて話してたんですが、
だんだんにそれが大きくなって、やがて主人が怒鳴り声になり、
「やってみなさいよ!!」って言って、叩きつけるように電話を切ったんです。
「どうしたの?」 「いや、仕事上の取引先なんだが、なんなんだよ。
 家にまで電話かけてきて」 「さっき、死んだ犬をおくるって言ってたけど」
「けっこう前からつき合いのあるペットブローカー会社なんだ。
 ただ、この間、新規融資を断ったのをうらみに思って、
 嫌がらせをしてくるんだよ。困ったもんだ」
そのときは、そんな会話になって終わりました。それから、2日たって、
私は主婦なので、のんびり午後のワイドショーをTVで見てたら、

「山科ケンネル経営者が自殺遺体で発見、ブリード施設には多数の犬の死体」
こんなニュースが出たんです。「山科ケンネル? この前電話かけてきた人だ」
すぐそう思いました。それで、ニュースでは自殺の方法などは報道しなかったんですが、
死んでた犬は数十頭におよぶそうで、ほとんどが首がなくなっていたと
いうことでした。「ああ、怖い」それと、ニュースの最後のほうで、
経営者の奥さんが行方不明で、警察で捜査中って話も出たんです。
「あ、こないだの電話、妻がさっき死んだって言ってなかったっけ」
ますます怖くなって、その日遅くに主人が帰ってきたとき、
その話をしたんです。少しお酒が入っていた主人は、チョッと舌打ちをして、
「ああ、当てつけみたいに自殺しやがって。おかげでこっちにも警察が来た。
 もう何もかもバブルのころとは違うのに、

 放漫経営やってたツケだろうに。逆恨みもいいとこだよ」
こんなことを言いました。私が「TVで奥さんが行方不明って言ってたけど、
 こないだの電話では、さっき死んだみたいな話をしてた。
 これ、警察に言ったほうがいいのかしら」そしたら主人は、
「いいからほっとけ、かかわりあいになるな。どうせ死んでるんだろ」
そう言い捨てて風呂に入りにいったんです。
それから、数日は特に何事も起こりませんでしたが、ある日、
小学校から帰ってきた息子が、「隣のペスね、変なんだよ。いつもは頭を
 なでさせてくれるのに、今日はチェーンがちぎれるくらい暴れてて怖かった」
こんなことを言いました。ペスというのは、お隣が飼ってる中型犬で、
 息子はよく門から入っていって、かまったりしてたんです。

「たまたま機嫌悪かったんじゃない」そう答えましたが、
そのとき、何か気味が悪いものをちょっと感じたんです。その夜中、
1時前くらい、そろそろ寝ようかというときに、表で「ギャン、ギャン、ギャオーン」
って鳴き声が聞こえて。お隣のペスだと思いました。
翌日、主人を送り出した後くらいに、隣にパトカーが来たんです。
外に出てみましたら、隣のご主人が警官と話していて、
奥さんの姿も見えましたので、近寄って「どうされたんですか?」って聞いたんです。
そしたら、「ペスが殺されちゃって。首を切られて」こう言われたんです。
「どうして?」 「わからないですけど、警察は野犬じゃないかって言ってます・・・」
奥さんは憔悴されてました。お隣は子どもがおらず、
奥さん、朝方に、よくペスを散歩させてたんです。「野犬・・・・」

それからまた数日して、家にはせまい庭があるんですが、天気が良かったので
草取りをしてました。すると・・・不意に生臭い臭いがしたんです。
動物臭に肉の腐った臭いが混じったというか・・・吐きそうになり、
「なにこれ」と言って立ち上がったんです。そしたら、「グルルル」という
唸り声が聞こえたんです。お隣との境の塀のほうからです。
「犬?」そう思って見ましたが、何もいませんでした。
気のせいだろうか、でもこの臭いはどこから・・・そのときに、
「ワオン」という犬の鳴き声が聞こえたんですが、それが、うまく言えないんですが、
一つの声じゃなくて、何匹もの犬の声が重なったっていうか・・・
ぞーっと背筋が寒くなって、移植ベラを投げ捨てて、逃げるように家に入りました。
夜、比較的早く主人が帰ってきましたので、このことを話すと、

「気のせいだろう」と言われるかと思いましたが、主人は真顔で、
「それな、銀行に山科ケンネルからの手紙が来たんだ。俺のことを恨んでて、
 復讐してやるって内容の。上のほうと相談して警察に届けたが、
 すごく嫌な、気が滅入るような言葉が並んでた。もちろん経営者は死んでるから、
 何かするってことはないだろうが、奥さんはまだ行方が知れないし、
 気をつけたほうがいい」こんなことを言ったんです。
その夜、9時ころです。2階でガシャーンとガラスが割れる音がしました。
2階には息子しかいません。階段をかけ上がっていくと、
息子が廊下で頭を抱えていました。「どうしたの?!」
「お母さん、犬、犬、犬!」 そう言って自分の部屋を指さしたんです。
息子を落ち着かせながら、部屋のドアを開けると、

部屋の中にガラスが散乱してました。外から割れたのだと思いました。
息子から話を聞くと、要領を得ないものでしたが、部屋のカーテンを閉めようとしたとき、
屋根の上に怪物がいたということでした。「どんな怪物?」
「犬、体は一匹なのに、たくさんの頭がついた犬・・・お母さん、怖いよう」
なんとか息子をなだめて下の寝室に寝かせていると、主人が帰ってきたので、
起きたことを話すと、「銀行のほうでもおいろいろ起きてるんだ。
 だから、本店の上のほうが、そういうことに詳しい人に連絡して、
 明日、うちに来てくれることになった」こう言ったんです。
翌日、土曜日でしたが、来られたのは和服の、背の高い威厳のある老人の方でした。
老人は私たちの話を聞き、天秤ばかりのようなものを持って家の内外を歩き回りました。
そして、庭の一角を指差し「ここに祭壇を設けます」って言ったんです。

それからは早かったです。車で来ていた老人の弟子のような人たちが、
白木で、その場所に祭壇を組みあげ、その前に穴を掘って、大量の肉を埋めたんです。
「明日の朝方ですかな。そのころに来るでしょうから、あなたたちはこれを持って、
 ベランダのガラス越しに見ていなさい」そう言って、私たちに青く透明な
丸い玉を渡しました。息子は、親戚の家にあずかってもらうことにし、
老人とお弟子さんたちはその後、ずっと祭壇の前で呪文のようなものを唱えていました。
ええ、徹夜でです。私と主人は朝、4時に起き、廊下に正座してガラス越しに見ていました。
30分ほどして、きつい臭いが漂ってきました。あの獣臭と腐敗臭が混ざった臭いです。
うちのサッシは厚いのに、それごしでもひどい臭いでした。
老人は立ち上がり、いっそう声が高くなり・・・それにかぶさって、
「ウワオオオオオオウ」という叫び声。老人は香炉から灰をつかんでそのほうに投げつけて・・・

朝の光の中で、そのものの姿がはっきりと見えました。
大型犬の体に、たくさんの犬の首がついたもの。首は10以上あり、その中には
お隣のペスの頭もあったように思います。そして、たくさんの犬の首の中からぬっと突き出し、
大きく口を開けて歯をむき出しにした中年の女の人の頭。私が立って逃げ出そうとするのを、
主人が手をつかんで止めました。庭で老人が「そら、やれ!」と声をかけると、
お弟子さん2人が白鞘の短刀を抜いて、犬の化物に体当りしたんです。
「オオオオ~~~~~~~~~ン」それは崩れ去るように消え、
老人が手をパンパンとはらう仕草をしました。あっけなかったですが、これで終わったんです。
それから1ヶ月ほどして、山科ケンネルの奥さんの遺体が山中から見つかりました。
頭がなかったんですが、体の特徴や着衣、DNAなどでわかったんです。
あれ以来20年以上立ちますが、私の家におかしなことは起きていません。






「7人みさき」の謎

2018.07.24 (Tue)
jjk (5)

今回は超ひさびさに妖怪談義です。ただこれ、わからないんですよねえ。
いろんな要素がからまっていて、とてもすんなりと結論の出る話ではない。
そのことをご承知の上でお読みください。
さて、では、最初に「7人みさき」とは何か?

日本各地の伝承を合わせると、「7人の集団で行動する怨霊。これに遭遇すると
熱病などで命を取られる場合が多い。犠牲者は7人みさきの一人となり、
そのかわりに元のみさきから1人抜ける(成仏する?)」
こんな感じなんですよね。また、「7人みさき」は、
海や川などの水辺に現れることが多いとされます。

うーん、まず、自分の家にある小学館版「日本国語大辞典」を見ると、
「みさき」は「御先」と書き、3つの意味があります。① 貴人などの先頭に立って
先払いすること ② 神が使者として遣わす動物、特に烏、狐、猿などを言う。
③ 変死した者の霊魂、怨霊。人にとり憑いて引き込んだりするという。

妖怪としての「みさき」は、基本的に③の意味なんだと思いますが、
①②のことも関係してるんじゃないかと自分は考えています。
で、「みさき」伝承としてよく出てくるのが、土佐国(高知県)の戦国武将、
吉良親実(ちかざね)に関するものなんですね。

吉良親実は実在の人物で、伯父が長宗我部元親。この本家の後継者争いに関して
元親に異を唱えたため、切腹させられています。このとき親実の家臣7人も
殉死し、それ以後さまざまな怪異が起き、親実らの怨霊が「7人みさき」として
怖れられたと『老圃奇談』 『神威怪異奇談』などの古書に書かれています。

長宗我部元親
jjk (1)

ただ、これが「7人みさき」の最初の話かというと、自分はそうは思いません。
上であげた③の意味はこれ以前からあり、そこに吉良親実の事件が起きて、
「みさき」の実例の一つとして知れ渡ったんだろうと考えます。
注意してほしいのは、怨霊は吉良親実本人と重臣7人の計8人であることです。

おそらくここには、①②の意味が関係してくるんじゃないかと思います。
吉良親実が怨霊の本体であり、重臣7人の霊はその先触れ、
使い魔のようなものなんじゃないかと考えるんですね。
ちなみに、長宗我部元親は、この話を耳にして供養を行ったが効果はなく、
今に残る吉良神社を建てて、親実を祀ったことになっています。

吉良神社
jjk (6)

で、「みさき」が1人をとり殺すと入れ替わるというのは、
主人である大怨霊、吉良親実はそのままに、家臣が代がわりして
新しく雇われるようなものなのかもしれません。
苦しい説明ですが、これくらいしか言いようがないんですね。もしかしたら、
仏教のほうで、何かこの元になる説話があるのかもしれません。

次に、「みさき」が海や川に関係しているという話ですが、
これは「岬」という語との混同があったためだと考えます。
「岬」も、元々の漢字は「御碕、御先」で、海の先に突き出した陸地の意。
『日本書紀』の神代の部に出てくる古い言葉です。ここから、
水に関する怨霊が「みさき」とされるようになったんじゃないでしょうか。

さて、「みさき」が現代に起きた事件として「渋谷7人みさき」というのがあります。
これは、援助交際をして妊娠中絶をしていた女子高生らが、
水子の怨霊につぎつぎと7人とり殺されたという話ですが、
都市伝説であり、実体はありません。

八丈島火葬場
jjk (4)

ただ、実際に起きた怖い話もあって「八丈島火葬場人骨事件」と呼ばれるものです。
1994年8月11日、八丈島八丈町で、町の火葬場職員が炉を開けたところ、
炉内にぎっしり詰め込まれた人骨を発見しました。八丈島警察の調べにより、
この人骨は子供の骨も混じった約7体分と判明します。

この火葬炉が最後に使用されたのは、発見5日前の8月6日。
そして人骨が発見されたのが11日で、4日間のあいだに何者かによって
無断で使用されたということです。また、警察によって、これらの遺骨は、
死後10~40年を経過した古いものであることが判明しています。

jjk (3)

八丈島には、「改葬」という風習があり、
これは、いったん土葬した遺体を後に掘り出して火葬することですが、
島民が、無断で火葬場の炉を使用することは考えにくく、また、
島内の墓地をすべて調べても、新しく掘り出された痕跡はなかったんですね。

これらのことから、事件について、島に古くから伝わる「7人坊主」の伝承
との関連を言う人もいました。「7人坊主」とは、
その昔、八丈島の海岸に流れ着いた僧侶七人が、
島民に迫害されて死んでいったことが元になり、
その後、夜になると僧たち7人のの霊が島内を歩き回り、農作物が不作になり、

家畜は次々に死に、そこで村人たちは祟りを鎮めるため、
東山の頂上に七人坊主の塚を建てたというものです。
ただし、これが史実かどうかはわかりません。この事件に関しては、
さまざまな説が出され、島内にある新興宗教施設の関係者が
疑われたりもしましたが、結局、未解決のまま現在に至っています。

さてさて、長くなってきたのでいったん終わります。上記の事件に興味を
持たれた方は、「オカルト・クロニクル」さんが詳しくまとめられた
次のリンクを参照してください。「八丈島火葬場七体人骨事件」
あと、現代の「七人みさき」には、「熊取町7人連続怪死事件」というのも
あるんですが、これについてはまた書く機会があるかもしれません。
舌足らずな内容になってしまいましたが、今回はこのへんで。

jjk (2)





「沢野忠庵」って誰?

2018.07.24 (Tue)


今回はこういうお題でいきます。この名前、ご存知の方はよほどの日本史通かな
と思います。はっきりしませんが、これは江戸幕府によってつけられた
名前のようで、「忠」の字が入っているところが残酷ですね。
もとは、クリストヴァン・フェレイラと言いました。
こっちはおそらく、知っている人が多いでしょう。

遠藤周作氏の小説『沈黙』に登場しますが、実在の人物です。
ポルトガル出身のカトリック宣教師でイエズス会士。1609年来日。
1633年、53歳のときに長崎において捕縛され、そこで拷問を受けて
棄教します。その後は、転びバテレン、背教者などとも呼ばれました。

余談ですが、「転びキリシタン」という言葉がどこからきたかというと、
キリシタンに対する拷問に「俵責め」というのがあり、
米俵の中に体を入れ首だけを出させた上で、棒で叩いたり、
何人もを積み重ねたりして苦しめるものです。

ただ、米俵ですから、苦しければ自分の意志で出ることができます。
この拷問の最中、まわりの役人は「転べ!転べ!」と言ってはやし立て、
苦痛のあまり転げ出たものは棄教をしたとみなされました。
一般的に、日本のキリシタンに対する拷問は、自ら棄教を認めれば中断される
形になっている場合が多かったんですね。

さて、ここでいったん話を変えて、「天正遣欧少年使節」について。
1582年(天正10年)、九州のキリシタン大名らが、
その名代として少年たちをローマに派遣した使節団のことです。
伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノの4名。

「天正遣欧少年使節」


彼らはポルトガル、スペインを経由してローマにたどり着き、
教皇グレゴリウス13世に謁見。ローマ市民権を与えられています。
彼らは1590年、長崎に帰国しましたが、
そのときにグーテンベルク発明の活版印刷機を持ち帰ったことは有名です。

彼らの年齢は、はっきりしませんが、13~14歳で、
中浦ジュリアンが最年長だったと言われます。この後、千々石ミゲルは棄教、
伊東マンショは長崎で布教中に死去、原マルティノは日本を追放されてマカオで死去、
中浦ジュリアンは正式な司祭となり、1633年、長崎で殉教しています。

中浦ジュリアン像


さて、この中浦ジュリアンですが、フェレイラと同じときに捕縛され、
穴吊りという拷問を受けています。これは、足を縛った逆さ吊りで
体を穴の中に入れるという過酷なもので、全身の血が頭に溜まって苦しむものの、
すぐには死なないよう、両耳の後ろに穴を空けて血が流れ出るようにしていました。

「穴吊り」


このとき吊るされたのは、ジュリアンと3名の外国人宣教師。
フェレイラは吊るされて5時間後に棄教を表明。
中浦ジュリアンは4日間耐えて死亡しましたが、最期のときに、「私はこの目で
ローマを見た中浦ジュリアン神父である」と言い放ったと伝えられています。

2007年、ローマ教皇ベネディクト16世は、
中浦ジュリアンを福者に列することを発表し、翌年、列福式が行われました。
福者というのは、神に祝福された人という意味で、
カトリックでは聖者(聖人)につぐ序列にあたります。

さて、棄教した転びバテレンがどうなるかというと、まず絵踏みをさせられ、
誓詞に血判を押させられます。この誓詞には、
「デウスやマリアに誓って確かに棄教しました」こう、英文で奇妙な文言が
書かれていたようです。そして、その身柄は幕府に厳しく管理されます。
フェレイラも、70歳で亡くなるまでずっと幕府の監視下にありました。

「踏絵」


フェレイラは同時期に処刑された中国人の妻と同居するように幕府に命じられ、
通訳などを務めていましたが、キリスト教弾圧にも協力し、
キリシタンの墓の破壊を提案したり、反キリスト教文書である『顕疑録』
を著したとされています。フェレイラの棄教とその後の行動は、
イエズス会とヨーロッパのカトリック界に大きな衝撃を与えました。

さてさて、中浦ジュリアンと、沢野忠庵ことクリストヴァン・フェレイラ。
対照的な晩節になってしまったわけですが、
ほとんど無宗教の自分としては、ここでその是非を問うつもりはありません。
まとめとして、遠藤周作氏の『沈黙』から言葉を借りましょう。

「この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は考えていたより、
もっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、
根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。
我々はこの沼地にキリスト教という苗を植えてしまった。」

これは「キリスト教」のところを他の言葉に変えても通用しそうです。
日本は歴史的に、大陸からさまざまな文化を受容してきましたが、
けっして中国的な思考には染まっていません。海外から取り入れられたものは、
だんだんに、あまりにも日本的なものへと変質させられていくんですね。

現在、日本のキリスト教徒は1万人もいないと言われますが、
変質を許さない原理的なものは、なかなか日本では広まりません。
グローバリゼーションには、元来 不向きな国なんだと思います。
では、今回はこのへんで。






お成りの話

2018.07.23 (Mon)
10年くらい前のことですね。仕事の転勤で、ある地方都市に住むことになったんです。
会社からは1年だけって言われてました。その地方に新しくできた支店に
ノウハウを叩き込んだら戻ってきてもいいってことで。
私は家族持ちで、最初の子どもが2歳になったばかりでしたけど、
まあ、そういう期限があるんだったらってことで、転勤を受けたんです。
それで、住居のことをどうしようか考えたら、当時の上司から、
すでに会社のほうで契約してあるって言われたんです。
2LDKの賃貸マンション。子どもが小さい3人家族なら、
まずもって文句のないところですよね。それと、家賃は全額、会社で負担するとも。
これって、破格じゃないですか。家賃補助ってならよくありますが、
全額負担ってのは。あとね、引越し費用も会社持ちでした。

特別待遇だなあって思ったんです。私の会社はけっこう転勤はありますが、
家賃の全額補助なんて聞いたことがないですし。
で、引っ越した先は、その地方の支店まで車で30分ほどの、
郊外にあるマンションでした。全部で3棟の建物がありまして、
1棟に100戸ほどが入居してるんです。
行ってわかったことですが、ほとんどが家族持ちでしたね。
建物は築40年程度ですが、内装は新しかったし、
外からもそんなに古びて見えることはなかったんです。
3月中に引っ越しをして、その日の夜、両隣にあいさつにうかがいました。
そしたらどちらも、ご主人は私よりもやや年配で、小学生のお子さんがおられました。
気さくそうな方々で、まずは一安心したんです。

右隣の山根さんには、ぜひ、と言われて、部屋に招き入れてもらって
コーヒーまで出していただきました。そのときに、マンション内の決まりなど、
いろいろお聞きしたんですが、不動産屋に言われてたペット禁止くらいで、
特別に厳しいことはなかったんです。ただ・・・
「お成り」というのがあるということでした。
これは、マンションのオーナーから言い渡されている契約の条件ではなくて、
自治会のほうで自発的にやってることだから、
ぜひお宅でも趣旨に賛同して、仲間に入ってほしいって言われまして。
「どんなことですか」って聞いたら、「それはまあ、話すと長くなるし、
 4月には自治会の総会で説明があるから、
 そこで詳しいことを聞いてください」って言われたんです。

「なに、年に1回、番が回ってくるだけです。難しいことは何もないですよ」
山根さんは、こうもつけ加えられたんです。
それから、バタバタと慌ただしい日が過ぎまして、
4月の終わりだったはずです。近くの公民館の大ホールを会場にして、
マンションの棟ごとに自治会が行われ、それには私が参加しました。
さっき話しましたように、一つの棟の入居者が100戸。
その夜に参加してたのは80人くらいでしたね。
それで、会の最初のほうで、新入居ってことで皆の前で紹介され、
一言ごあいさつをしたんです。それから、ゴミ出しとか、駐車場の使い方とか、
こまごましたルールの説明があり、最後になって、
自治会長の光田さんという方から、「お成り」の話があったんです。

光田さんは、60年配の頭の禿げた男性で、「それでは、新入居の方も
 おられますから、お成りの説明をしたいと思います。
 今年度も自治会主催でお成りを実施したいのですが、みなさんよろしいですね」
そこで、参会者から拍手が起きました。「ありがとうございます。
 ずっと続いてる行事ですから、落ちなくやっていきましょう。
 よろしくお願いします」これで終わりで、私にはどういうことなのか、
さっぱり意味がわかりませんでした。それで、会が終わってから、
隣りにいた方に聞いたら「何、年に1回、お成り様をお預かりするんです」
 詳しいやり方などは、順番がくる前日にお知らせが回って、
 それにすべて書いてありますから。気楽に行えばいいですよ。
 このおかげで、破格の賃貸料で住んでられるんですからね」

こんな風に言われたんです。で、「お成り」については、
まったく要領がつかめないまま、その日の会合は終わったんです。
それから、特に何事もなく日々が過ぎていきました。
支店での仕事はやりがいがありましたし、妻は主婦でしたが、
公園デビューも無事に済ませ、特に何も問題はありませんでした。
でね、あれは9月の28日です。さきほど話に出た自治会長の光田さんが、
夜の9時ころに部屋に来られ、明日の夜、お成りの順番になりました」って、
言われたんです。「お成りって、どういうことをするんですか?」
「明日の夜8時に、この部屋にお成り様をお連れします。
 その後、ただ決まりに従って朝までお世話すればいいだけですから。
 何も難しくないし、詳細はこのチラシに書いてあります」

これだけおっしゃって帰っていかれたんです。チラシの内容は簡潔で、
「お成り様を部屋のリビングに安置する。もし、部屋に神棚、仏壇などがある場合、
 それらから最も離れた位置に置く。お成り様の前には、茶碗に山盛りの塩を
 お供えし、一本箸を立てる。そして心からの謝罪の気持ちを持って、
 家族全員で頭を下げる。交代でよいので、家族の誰かが必ずお成り様の前に
 ついていること。朝の5時になったら、一礼して塩盛りを下げて終了」
こんな感じでした。ねえ、意味がわからないですよね。で、翌日8時、
マンションの方2人がお成り様を運んでこられたんです。
ええ、場所はTVをよせて台を空けてまして、そこに安置されました。
お成り様にかかっていた布をよけると、50cm四方ほどのガラスケースで、
中に着物を着た女の子の人形が一体。「これが、お成り様・・・」

運んでこられた方々は、お茶でもというのを断られ、「よろしくお勤めください」
そう言って帰っていかれまして。はい、それで、さっそく塩をお供えしました。
それから使ってない箸を一本立て、私と妻で「申しわけございませんでした」って
頭を下げたんです。もちろん、心からのものではなかったです。
だって、こんなわけのわからないことに、心を込めれるわけがないじゃないですか。
その後、妻が1時まで、私がそれから朝までって決めて、
お成り様の前で見守りをすることにしました。といっても、ただ座ってるだけでしたが。
私は翌日会社があるのでいったん寝ました。それで妻に夜中に起こされたんですが、
妻は「お成り様ねえ、だんだん形が変わってきてる」そう言ったんです。
見ると、かわいい人形の輪郭が崩れ、着物ごと、どろどろ溶け出してるようでした。
どうしてそんなことが起きたのかはわかりませんで、

何か失敗したのかと不安になりましたよ。それから私が朝まで見てたんですが、
お成り様はどんどん溶けて・・・溶けてというか、腐敗してくように見えました。
朝の5時を迎える頃には、赤茶色の肉塊になってしまったんですよ。
妻を起こして、2人で塩の茶碗を下げ、また一礼しました。
5時を10分ほど過ぎたあたりで、前日の方々が来られて、肉のお成り様に布をかけ、
「ご苦労さまでした」と言って運んでいかれたんです。
腐ったような状態になってることについては、何の話もなかったので、
「ああ、これでよかったのか」って思いました。
まあ・・・これでだいたい話は終わりなんですが、やっぱりお成り様が何なのかは
まったくわからないままで・・・で、あと2ヶ月で地方勤務も終わる1月下旬のことです。
会社から戻ってくると、棟の東の壁に工事のシートが広範囲にかかっていたんです。

「何だ?」と思いました。壁の崩落でもあったんだろうか?
でも、地震などはなかったし。それで、部屋に入って妻に「壁、工事してるな。
 何かあった?」こう聞いたんです。そしたら、「午前中に外に出たらもうそうなってた。
 それで、ママ友だちに聞いてみたら、お成り様のおもてなしをしくじった
 家族があったからって言われた」こんな答えが返ってきました。
そして夜10時ころですね。救急車、パトカーのサイレンがわんわん聞こえだしたんです。
ええ、たいへんな騒ぎで、朝まで寝られませんでした。妻が棟のロビーまで
出ていったんですが、誰も他に出てきてる人はなく、詳細はわかりませんでした。
その後、朝になって、TVで一家の無理心中があったことが報道されました。この棟の、
ある家のご主人が奥さんと2人の子どもを殺して自殺したんです。お成り様との関係は
わかりません。聞きもしなかったです。だって、もうすぐその地方を離れるわけですし。






宇宙での身長・体重

2018.07.22 (Sun)
現在国際宇宙ステーションに滞在中の我らが日本人宇宙飛行士、
金井宣茂さんから届いた「重大な報告」に全世界から熱い注目が集まっている。
金井さんのツイートいわく「宇宙に着いてから身長が9センチも伸びていた」そうで、
「たった3週間でニョキニョキと」こんなにも伸びたのは、
「中高生のとき以来」だとのこと。
(ネイチャー)

国際宇宙ステーション


ちょっと古い話題ですが、今回はこういうお題でいきます。
まずこのニュースですが、その後、訂正が入りましたよね。ロシア人の
国際宇宙ステーション船長が、「いくらなんでもそんなには伸びない」と疑問を発し、
再計測してみたら、じつは2cmしか伸びてなかったんですね。

それでも、無重力空間で身長が伸びることはまちがいないでしょう。これは、
地球の重力から開放され、脊髄の骨と骨の間にある椎間板が伸びるからですね。
それと、地球上ではS字に湾曲している背骨も真っ直ぐになる。
あれ、もしかしたら、椎間板ヘルニアなんかの治療に役立つかも。

しかし、わざわざそのために無重力装置に入るというのも、
現状では難しいでしょう。また、宇宙に出かけたら必ず身長が伸びるというわけでも
ありません。これはあくまで無重力状態での話で、
もし地球よりも重力が大きい星に滞在したとしたら、
上から押しつぶされて、身長は縮むことになってしまいます。

金井宇宙飛行士


それでも、身長が伸びるなら無重力空間で生活したい、
と思われる方もいるかもしれませんが、残念ながら地球に帰れば元にもどってしまいます。
あと、無重力状態の中にずっといると、骨密度が低下して
骨粗鬆症のような状態になったり、筋力や視力も低下することがわかっています。

では、無重力の国際宇宙ステーション内で、どうやって身長を測っているんでしょうか。
これ、特別な身長計というのは持ち込んでいないそうです。
国際宇宙ステーションでは、スペース確保のため、不必要なものは一切置かれていません。
身長を測るのは、特に必要とされることではないんですね。

で、身長の測り方は、まず壁に背中をぴったりくっつける。その上で、
仲間に頭の上と足の下に印をつけてもらい、その間の距離をメジャーで測定する。
唱歌の「5月5日のせいくらべ」に出てくるのと同じやり方ですが、
この方法だと、誤差が出てくるのはしかたなさそうですね。

さて、金井宇宙飛行士は身長が180cmと、日本人としては長身ですが、
宇宙飛行士になるのに、身長の制限ってあるんでしょうか。
これはあります。国際宇宙ステーションの搭乗者募集要項を見ると、
身長は「158cm以上190cm以下」になっています。

うーん、これだと、日本人の女性では基準に達しない人もかなりいそうですね。
あと、宇宙服を着て船外活動を行うには165cm以上の身長が必要、
という補足も書いてあります。とすると、もし160cmの人が
国際宇宙ステーションに入っても、船外活動はできないことになります。

船外活動


みなができることをやらないというのは、負い目になるでしょうし、
実質的には、身長165cmが宇宙飛行士として国際宇宙ステーションに
入るための下限なのかもしれません。ただ、これらのことは、将来的には、
装置や設備の工夫改善で克服できるはずです。

それと、身長には上限もあり、現在使われているソユーズロケットでは、
190cm以上の身長の人は、頭を強く打つ可能性があるからとのことです。
この他にも、矯正視力が1.0以上、血圧が140以下とか、
宇宙飛行士になるための身体的条件があるようです。

さて、じゃあ、体重のほうはどうなんでしょうか。その話の前にまず、
「重さ」と「質量」の関係を考えてみましょう。
重さ(重量)は、物体に作用する重力のことです。例えば月の重力は地球の
1/6ですから、地球上で体重60kgの人は、月面上では体重10kgになります。

重さと質量


それに対し、質量のほうは物の動かしにくさ(慣性の大きさ)です。
ただ、地球上では重さと質量はだいたい同じですから、
直感的に理解しにくい。うーんそうですね、例えば、無重力の中に、
同じ大きさの発泡スチロールと鉄の玉が浮かんでいる。これを指先でちょんと
押してみると、鉄の玉のほうが動かしにくい。

これが質量ということです。え? かえってわかりにくい・・・そうですか。
で、宇宙空間で、身長とちがって、体重を測ることは必要です。
宇宙飛行士の健康状態に直結する指標だからですね。宇宙空間でいう体重は、
質量のほうです。では、どうやって質量を測っているのか?

無重力状態でのファッションショー


かつては、上で書いたように、無重力状態の人を押したときの初速を測って
質量を出していたようですが、これだと誤差が大きいので、
現在では、特殊なバネつきの板でできた質量計が、
国際宇宙ステーション内に持ち込まれています。(下図)

このバネ量りに乗ると、バネは伸び縮みをくり返しますが、
その周期を測って、加速度を計算して質量を割り出すもののようです。
これはバネ定数が一定だからできるんですね。この他に、日本では、
強力なゴムひもを使った宇宙質量計が考案されています。

さてさて、じゃあ宇宙旅行をすると体重が減ってダイエットになるのか?
これはどうなんでしょう。無重力の中では特殊な食べ物、飲み物をとりますし、
プライベート空間もないので、やせる人が多いかもしれませんね。
では、今回はこのへんで。

国際宇宙ステーションの質量計






納涼の話

2018.07.20 (Fri)


毎日、暑いですね。エアコンの効いた屋内から外へ出ると、
ドアが開いた瞬間にくらっときます。自分はけっこう寒さには強いんですが、
暑がりなので、エアコンがないと、とても生きていけません。
でも、あんまり冷風にあたってばかりいてもよくないと言いますし、
賢く利用するようにしたいものです。



熱中症による死亡者数は、平成25年が1077人で、
男性586人、女性481人。また、年齢的には65歳以上の高齢者が8割です。
それと、死亡した場所がわかっているケースの8割が、
住居内においてのものなんです。

これ、けっこう意外です。炎天下の外ってわけじゃないんですね。
で、お年寄りが室内で亡くなった場合で、エアコン未設置だったかというと
そうでもなくて、あってももったいないからと使わなかったり、
高齢のために、あまり暑さを感じなくなっていたり、リモコンの使い方が
わからなくなったり、そんなケースも多いんです。

「昔の夏はここまで暑くなかった」という話はよく聞きますよね。
実際、気象庁の発表では、100年前と現在の東京を比較すると、年間の平均気温で
3.2度上がっています。最低気温が4.4度、最高気温は1.7度上昇。
最低気温が上がるのは、地球温暖化の影響が大きいでしょうが、
夏が暑くなったのは、ほとんどヒートアイランド現象によるものです。

ヒートアイランド現象


ヒートアイランド現象とは、都市部の気温がその周辺の郊外部に比べて
高温を示すことで、日本では1950年代から言われるようになってきました。
主な原因は2つ。一つは地表から緑地や水面が失われ、
熱の冷めにくいコンクリート、アスファルトが増えたこと。

もう一つは、排熱の増加です。今、窓辺に出て外を見渡せば、
エアコンの室外機がそこらじゅうに目につきます。これももちろんそうですが、
その他にも自動車や公共交通機関、工場などが原因となって、
都会の夏を暑くしているわけです。

さて、「納涼」という言葉があります。Wikiを見ると、
「夏の盛りの暑さを避けるために、涼しさや過ごしやすさを工夫して創り出し、
味わうこと」と出てきます。浴衣を着て川に舟を浮かべ、花火を見物する。
それに生ビールと枝豆があれば、暑いのもいいなあと思いますよね。

で、納涼の催しの一つに怪談会もあります。夏になると、
TVでは怪奇心霊特集をやりますし、コンビニの書棚には、
オカルト本やDVDが並びます。ではこれ、怪談って、
どうして夏のものってことになったんでしょう。

外国では、夏と怪談が結びついてるという話は聞いたことがありません。
どっちかというと冬のものです。ヨーロッパは緯度が高く、
冬は夜が長いので、暖炉の火を前にしてひとしきり怪談を語る。
また、ハロウィンが冬が始まる10月の31日にあることとも、
関係しているのかもしれません。

では、なんで日本では怪談と夏が結びついたのか。
一つにはお盆があるせいでしょう。お盆は、仏教の「盂蘭盆会」と
日本古来からの祖霊信仰が結びついたもので、中国を経由して日本に伝わりました。
亡くなったご先祖様たちが帰ってくると言われます。

お盆の迎え火


もう一つは、文字どおり納涼のためです。怖い話を聞いて、
背筋をぞくぞくさせることで暑さを忘れる。具体的には、肝試しや
百物語会ですね。百物語会は、江戸の初期にはすでに行われていたようです。
新月の夜に人が集まって怪異を語る。99話まででやめればよいが、
100話 語ってしまうと、本物の怪異が出現する。



これは、レクリエーションでもあり、江戸の粋な文化の一つでもありました。
99話語り終わったら、部屋の行灯をともし、厄払いと称して
朝まで大いに飲み食いをする。むしろこっちのほうが
本来の目的だったのかもしれませんね。

さて、話変わって、ホラー作家で、俳句にも造形の深い倉阪鬼一郎氏が、
『怖い俳句』という本を出されています。古今の、ぞっとするような
俳句を集めたものですが、幽霊などが出てくるものばかりではなく、
人間の心の闇が覗けるような句も収録されています。

俳句といえば、「幽霊」「百物語」は夏の季語になっています。
「コカコーラ 持つて幽霊 見物に  宇多喜代子」 お化け屋敷を詠んだんでしょう。
「幽霊が 出る理科室も 夏休み  三村純也」いいですねえ。
「川に無数の 幽霊の手や 原爆忌  田川飛旅子」・・・・

さてさて、ということで、まとまらない話になってしまいましたが、
怪談はこれからの季節が本番です。背筋が凍るような話が書けるといいですねえ。
みなさんも熱中症には十分お気をつけください。
では、今回はこのへんで。







屋内神隠しの話

2018.07.19 (Thu)
じゃあ話をさせていただきます。私の娘が中学校2年生のときに起きたことです。
あれは・・・当時、このことが始まってから日記をつけてましたので、
それを見ながら話をさせてもらいます・・・4月の12日ですね。
夜の9時です。娘の好きなTV番組が始まったのに、
自分の部屋から降りてこないので、小学校4年の妹に呼びにいかせたんです。
ベッドで寝てるんだろうと思いました。それで、起きてから、
TV見損なったって文句を言うだろうと考えて。
ところが、妹はすぐに階段を降りてきて、「姉ちゃん、いなかったよ」
って言いまして。でも、そのときもまだ、たいしたことではないと思って
たんです。トイレにいるとかだろうって。でも、それから30分過ぎても
娘は出てこず、不安になって家の中を探したんです。

探す、といってもねえ、せまい家なんですよ。
どこにもいないことはすぐにわかりました。かといって、外に出てった様子もない。
ええ、夜にどっかにでかけていくなんて子じゃなかったし、
当時は、コンビニも近くにはなかったし。だいいち、家の居間と玄関はすぐ近くで、
うちは引き戸だったから、外に出ようとすればガラガラ音がしてわかるはずです。
それがそんな気配は一切なかったんです。娘が部屋の窓から出たってことも
考えました。でも、屋根は入り組んだ形をしてて、
中2の女の子がケガをせずに降りていけるとはとても考えられなくて。
もちろん、家の外も探しましたし、何人か親しい友だちの家にも連絡させて
もらいました。でも、どこにもいない。それで、12時近くなって、
「これは、警察に連絡したほうが・・・」って言ってるところで、

娘が見つかったんです。見つかったというか、気がついたら、
居間のテーブルの端に座ってました。「あー、○○、あんたどこにいたのよ?」
思わずそう叫んでしまいました。でもすぐに、娘の様子が変なことがわかりました。
いつもは正座なんてしたことがないのに、両膝をそろえて手を置き、
目をつぶってブルブル震えていたんです。「どうしたのよ、あんた大丈夫?」
肩をつかんで揺すぶりました。そしたら娘は、目を開けて、
「しごのしお、せげてのとこねを・・・」こんなことを言ったんです。
いえ、もちろんこのとおりじゃないです。娘の言葉を書き留めたわけでも、
聞き取ったわけでもないので、だいたいこんな感じの、
わけのわからない言葉を発したってことです。それからややあって、娘は、
はっと我に返ったような表情になり、「お母さん、ここ家なの?」って聞いてきて。

「あたり前じゃないの。みんなどんなに心配したかわかってるの?
今までいったいどこにいたのよ?」もう一度そう強く聞くと、
「くらかけの山の石や」そう答えたんです。これはこのとおりで間違いないです。
「くらかけ? 石や?」そのとき主人が外から戻ってきて、
居間に入ってくるなり「あー、○○、いるじゃないか!」って、
やっぱり大声を上げて。そして、私よりも強く娘を問いただしたんですが、
やはり返事は同じでした。「くらかけの石や」
そうですね、娘の様子に変わったところはありませんでした。
どこかがアザになってるとか、ケガをしてる様子もなく・・・
いくら話を聞こうとしてもらちがあかず、その日はもう遅かったので、
娘を私たちの寝室に寝かせたんです。夜の間は何も起きることはなかったです。

でも、翌日、また同じことが起きたんです。9時ころに娘の姿が消え、
12時あたりに戻ってくるという。それと、そのときは、
戻ってきた娘の手に藤の花が一房握られていました。
房にはこよりのような紙が結ばれていて、開いてみると、
字のようなものが書かれていましたが、日本語じゃないみたいで、
読むことはできなかったんです。それですね、3日目、その日の8時過ぎから、
娘を居間にいさせたんです。私たち夫婦でずっと見張っていようと考えて。
それだったらどっかに行くことなんてできないじゃないですか。
そう思ったんですが・・・結果からいうと、やっぱり娘は消えちゃったんです。
私たちは緊張して時計と娘を交互に見てました。
で、時計の針が9時10分を過ぎたあたりで、

「ああ、今日は起きないんだ」とほっとしていたとき、
娘がいなくなってたんです。ええ、ほんの一瞬前まで、目の前に座っていたのに。
私も夫も目を離すことはなかったんですよ・・・
そしてやはり12時には戻ってきたんですが、それまでのときとは様子が違ってて。
首の後ろが広く赤くなってたんです。「これ、どうしたのよ」って聞くと、
娘は「くらかけのとうあ様に遅いとしかられた」こう一言だけ言って、
前のめりに倒れたんです。すぐ病院に連れていきましたが、
病院につく前に正気を取り戻しまして、「くらかけ」も「とうあ様」も
何も覚えてなかったんです。病院では血液検査や脳のCTなどもしてもらいましたが、
深夜なのでできることは限られてましたし、異常も見つからなかったんです。
翌日、学校を休ませまして、午前中から午後にかけて、

大きな病院でもっと詳しい検査をしてもらいましたけど、それも異常なし。
その病院の医師には、変に思われることを承知で、
娘が目の前で消えた話もしてみました。やはり信じてはもらえなかったです。
それはそうですよね。娘が夜にいなくなる・・・じゃあ自分で出ていったんだろう。
見ている前で消えた?まさか・・・誰だってこう思うにきまってます。
そのときには娘の首の後ろの赤みは消えてましたが、
そうでなければ、私たちの虐待を疑われたかもしれません。
娘を家に連れて帰って、主人と顔を見合わせてほとほと困り果てました。
どうすればいいんだろう、警察? 学校? でも、どちらも何かができるとも
思えませんでした。そのとき主人が、こんなことを言い出しました。
「仕事の取引先の営業で、そういう不思議な話を好んでする人がいる。

 その人に相談してみようか」・・・その夜も、私たちの見ている前で、
9時に娘は消え、12時に戻ってきたんです。主人の動きは速かったです。
翌日にその取引先の方に連絡して事情を話し、霊能者の方に家に来てもらいました。
霊能者の方は、仰々しいようなところはどこにもなく、
服装も普通の、40代くらいに見える女性でした。その方はまず娘に話を聞きましたが、
娘のほうは、やはり何も覚えておらず、らちが開かないようでした。
霊能者の方は、かなりの間考え込んでから、「準備をします」
そう言っていったん戻られました。それから、夜の8時ころにまた来られて、
家の居間のものをすべて片付けるように言い、準備を始められたんです。
まず、畳の上にだ円形に香炉から灰を撒かれました。
ちょうど人が2人、座って入れるくらいの広さにです。

それから、その外側に土のかたまりが下のほうについた榊の枝を
何本も立てられてました。そのときには、霊能者の方は白い装束を身に着けていて、
首に大きな数珠をかけられていたんです。9時が近づいてくると、
霊能者の方は娘の両手をとり、向かい合う形で灰の中に座られました。
そして、私は詳しくないのではっきりわかりませんが、声を張り上げて、
お経のようなものを唱え始めたんです。時計が9時を回りました。
9時10分、目を閉じていた娘が急に声を張り上げて叫び始めました。
「とうあ様が怒っておられる、行かなくてはならぬ、えい、手を離せ」
でも、霊能者の方は手を離さず、むしろ力を込め、いっそうお経の声が
高まりました。9時20分、娘が「とうあ様がそこまできている~」と絶叫し、
すると、娘と霊能者の方の間の空中から片方の手が出てきたんです。

白い細い手でしたが、男のものか女のものかはわからなかったです。
霊能者の方はあわてず、娘の右手を離し、装束の懐から懐刀を取り出し、
強く振って、刃をつつんでいた和紙を外しました。そして、空中を探っているように
見える白い手をぱっと切りつけたんです。血は出ませんでした。
そのかわり白い煙があたりに散って手は消え、霊能者の方は前方に片手をつきました。
そのとき、ドガーンというすごい音が上のほうでしたんです。
後になって見にいったら、娘の部屋の屋根の上に、直径1mほどの石が落ちて、
屋根に穴が空いていました。石には何か彫つけられているようでしたが、
誰も読めませんでした。ええ、これで娘の異変は収まったんです。ただ・・・
数日後、その霊能者の方にどんなお礼をすればいいか主人と相談しているとき、
亡くなったという連絡が入ったんです。かなりひどい亡くなりかたでした・・・







祐天上人と生類憐れみの令

2018.07.18 (Wed)
歌舞伎で上演された「累が淵」


今回は「怖い日本史」のカテゴリの話です。けっこうこみ入った内容になるかも
しれません。まず、祐天(ゆうてん)上人とはどんな人物なんでしょうか?
祐天上人は、江戸初期の17世紀に活躍した僧侶で、当時、厄払いや
怨霊退散などの加持祈祷を行うのは密教の僧というのが普通でしたが、
祐天上人は阿弥陀仏を信仰する浄土宗の僧なんですね。

祐天上人は、怨霊に悩まされていた者たちを救済しながら全国を巡り歩き、
念仏の力で悪霊を消滅させたと言い伝えられています。
まあ、江戸時代のスーパー霊能者みたいなものです。
また、彼は難産で苦しむ女たちのもとで念仏を唱え、安産に導いたとも言われます。
このことは後で関係してくるので、覚えておいてください。

祐天上人


さて、祐天上人が解決した最大の怨霊事件として有名なのが、
「累ヶ淵」の事件です。累ヶ淵は、茨城県常総市羽生町の鬼怒川沿岸に
あったとされる地名で、事件の内容はオカルトフアンなら
ご存知とは思いますが、いちおう簡単に説明させてください。

その村に、与右衛門という百姓と、その後妻のお杉の夫婦がありました。
お杉には連れ子の娘、助(すけ)がいましたが、生まれつき顔が醜く、
足が不自由であったため、与右衛門は助を嫌っていました。
このため、夫婦仲がうまくいかず、助が邪魔になった与右衛門は、
淵に投げ捨てて殺してしまいます。

翌年、与右衛門とお杉は女児をもうけて累(るい)と名づけましたが、
累は助にそっくりの醜さであったため、村人は助の祟りと噂し、その子は、
「助がかさねて生まれてきたのだ」と「るい」ではなく「かさね」と呼ばれました。
その後、与右衛門とお杉はあいついで病死します。

孤児になり村人に育てられた累は、流れ者の谷五郎を看病し、村人に勧められて
夫婦になります。しかし、つねづね累の醜さを疎ましく思っていた谷五郎は、
別の女と仲良くなり、累を川に突き落として殺してしまいます。
はからずも、これは助が死んだのと同じ場所でした。

その後、谷五郎は後妻を迎えますが、すぐに病気で死んでしまい、
なんとその数は5人にもなります。やっと6人目の後妻、きよとの間に、
菊という娘が生まれましたが、菊は成長するにつれて狂乱するようになります。
菊は、自分は累であると名のり、谷五郎の悪事を訴えて暴れます。

これを、たまたま近くに滞在していた祐天上人が聞きつけ、
苦難の末に累の怨霊を退散させますが、菊の状態はすぐ元に戻ってしまいました。
そして今度は、自分は助であると名のります。土地の古老から事の次第を聞いた
祐天上人は、累と助、両名に戒名を授け、念仏の力で成仏させることになります。

初代 三遊亭圓朝


この話は江戸にまで伝わり、歌舞伎として上演され、また、明治になって、
初代 三遊亭圓朝が、怪談噺 『真景累ヶ淵』を作り上げて世に広まりました。
この内容がどこまで事実なのかははっきりとしませんが、
間引きや子どもを売ることが普通にあった閉鎖的な農村の中で、
起きてもおかしくない出来事と考えられたんでしょう。

徳川綱吉


さて、話変わって、生類憐れみの令はご存知でしょう。幕府の第5代将軍
徳川綱吉が制定したもので、「天下の悪法」とまで言われます。ただ、
いろいろ誤解もあって、「生類憐れみの令」という名前の法令はないんです。
綱吉が出した一連の関係法令をまとめてこう呼んでいるんですね。

で、綱吉は祐天上人に帰依していました。これは、綱吉には跡継ぎの子ができず、
綱吉の生母の桂昌院が、上で書いた、難産に苦しむ妊婦を祐天上人が
何人も助けたことを聞きつけて、江戸城に招いて法話を聞くようになったんです。
そこで、祐天上人は綱吉に対し、ご政道へのアドバイスも行ったようです。

綱吉といえば、「犬公方」と呼ばれ、過度に犬などの生き物を大切にしたことで
知られますが、一連の生類憐れみの令の中で最初に出されたのは、
人間の捨て子に対するものでした。当時、捨て子が都市でも農村でも
横行しており、それを禁止し、保護するためのものだったんです。
それがだんだんに、他の生類にも広がってエスカレートしていったわけです。

4万匹の捨て犬を収容したとされる中野の犬屋敷


この背景には、祐天上人からの影響があるのかもしれません。
また、「累が淵」の事件も、祐天上人への綱吉の帰依が厚かったことから、
生類憐れみの令とからめて子捨て、子殺しの話が作られ、
全国に広まっていったのかもしれないんですね。

大樹寺の位牌 中央が綱吉


さてさて、最後に、徳川綱吉身長124cm説をご紹介して終わりにします。
現在の愛知県にある徳川家の菩提寺、大樹寺(だいじゅじ)には、
徳川歴代将軍の位牌がありますが、この位牌は将軍が亡くなった時の身長と
同じサイズで作られているとされていて、綱吉のものは124cmです。
これはさすがに、いくら江戸時代の平均身長が低いといっても異常で、
もし本当にそうなら、低身長症が疑われます。

ただしこれ、綱吉の墓が発掘されているわけではないので、
はっきりしたことはわかりません。綱吉は母親の桂昌院にべったりのマザコンだった
という話もあり、そういったさまざまなコンプレックスから、
生類憐れみの令が出されたというのは、自分はあってもおかしくない気がしますね。
では、今回はこのへんで。







「惑星ティア」って何?

2018.07.17 (Tue)
7月28日の明け方、今年2回目の皆既月食を迎えます。
皆既食が始まる時の高度が東京では2.8度と低く観察が困難ですが、
大接近中の火星と一緒に楽しめるでしょう。
次の皆既月食は、約3年後の2021年5月26日です。

今回はまた、皆既食から月の入りまでの時間が短いのが特徴です。
28日午前3時24分に南西の空で欠けはじめ、
同4時30分に月がすべて隠れる皆既食に入ります。仙台市では、
皆既食がはじまってから8分後の同4時38分には月の入りとなります。

東京都港区も、皆既食の開始から19分後の同4時49分には月の入りです。
月の入りは、西に行けば行くほど遅くなります。
たとえば福岡市では、皆既食の開始から1時間2分後の同5時32分が
月の入りですので、東京よりは観察しやすそうです。
(The PAGE)

月食が起きるしくみ


今回は太陽系関係の宇宙の話題にします。28日の皆既月食は
明け方に起きるんですね。ですから、もうすぐ月が西の地平線に沈む直前
ということになります。これだと、西のほうに山などがある場合、
観測できないかもしれませんし、日本の東の地域では、
皆既月食が始まってすぐ沈んでしまうので、西の地域が観測に有利です。

7月28日 東京での観測予想図
mssssasu (2)

で、本項のメインテーマは、大いに月に関係はありますが、月そのものではなく、
「惑星ティア Theia」についてです。この名前、聞かれたことがあるでしょうか。
知ってるという方は少ないんじゃないかと思います。
「惑星ティア」は、かつて太陽系にあった可能性のある仮説上の惑星です。

何から説明しましょうかね。まず、地球ができたのはいつごろのことか。
これは、今から46億年ほど前に私たちの太陽系が形成され始め、
そして約45億4000万年前に地球が誕生したと、さまざまな根拠から
推定されています。(ちなみに宇宙の年齢は140億年程度)

約46億年前、巨大なガス雲の重力による収縮のため、まず太陽が形成され、
形成後に残ったガスや宇宙塵の円盤から、現在知られている、
地球をはじめとする、火星や金星、木星などの、
太陽系のメンバーが形成されたと考えられています。



このとき、太陽と地球の距離と同じくらいの距離に「惑星ティア」があった、
とするのが「ジャイアント・インパクト説 giant-impact hypothesis」です。
これは、地球の衛星である月が、どのように形成されたかを
説明するためのもので、比較的近年に提唱されました。

では、これ以前に、月の存在を説明するためにどんな仮説があったかというと、
原始地球は高速で回転していてその一部がちぎれて月になったとする「親子説」。
太陽系形成時に塵の円盤から地球と一緒に月が出来たとする「兄弟説」。
月は地球とは別の場所でできそれが後に地球の引力に捕らえられ、
地球の衛星となったとする「他人説」の3つです。

ところが、宇宙探査が進み、だんだんに月の地殻の化学組成が明らかになるにつれ、
地球と月の化学組成が、ひじょうによく似ていることがわかってきました。
つまり、兄弟説や他人説は候補から外れてしまったんですね。
「親子説」ならこれが説明できますが、原始地球がちぎれるほどの
巨大エネルギーがどこから来たのか、ということがはっきりしません。

そこで登場したのが、「ジャイアント・インパクト説」。
45億年前、原始太陽系には火星ほどの大きさの惑星ティアが存在し、
それが軌道の乱れによって地球に斜めに衝突し、ティアは粉砕され、
また地球も大きく破損した。その残骸は土星の輪のようになって、
地球のまわりを漂っていたが、やがて集まって月になったというものです。

「ジャイアント・インパクト説」 地球に衝突するティア


また、ティアの重い鉄のコアは、地球の引力に引きつけられて
地球に落下し、このため、地球は中心部に大きな鉄のコアを持つことになった
と説明されます。これがたしかなら、人類の歴史を大きく変えた
鉄器の存在も、ティアに由来するのかもしれません。

ただし、この説には問題点もあります。上で、月と地球の化学組成がよく似ている
と書きましたが、もしジャイアント・インパクト説が正しいなら、だいたい
月の成分の5分の1が地球に由来し、残る5分の4は衝突したティアに由来する
ことになります、そうすると、地球とティアの組成も
よく似ていなくてはなりませんが、そこが証明できないんですね。

この他にも、惑星である地球とティアが衝突するなどが起きる可能性は、
極めて低いことも指摘されています。これらの疑問を解決するために、
ごく最近出てきたのが「複数衝突説」で、ジャイアント・インパクト説のように
月は1回の大規模衝突によってできたのではなく、小さな星の衝突が
複数回くり返し起きてできたとするものです。

「複数衝突説」


これだと、複数回の衝突によって月が形成されることで、
月の化学組成は多数の小衛星の組成を平均化したものになります。
ですから、月と地球の化学組成がよく似ていても、
そう大きな問題にはならないわけです。

うーん、このうちのどれが正しいのか、世界中の天体物理学者が研究しても
結論が出ないわけですから、自分なんかが意見を言うのは無理なんですが、
複数衝突説よりは、ジャイアント・インパクト説のほうが
壮大なロマンがあるように感じますね。

さて、太陽系の惑星にはギリシア神話の神々の名がついてますよね。
では、ティアはどんな神なんでしょう。じつはティアに関する神話はあまり
残っておらず、月の女神セレーネの母であることから
名づけられたもののようです。

ティアとセレーナ


さてさて、みなさんは28日の皆既月食を観察される予定でしょうか。
自分は占星術師として、こういう天体イベントはできるだけ
観測するようにしているんですが、残念ながら最近、
どうも雨になることが多いんですよね。では、今回はこのへんで。

関連記事 『月=人工天体説って何?』





デパ屋(おく)の話

2018.07.17 (Tue)
これねえ、怖い話ということじゃないんです、それでもいいでしょうかね。
そうですか。じゃあ話していきます。あれからもう20年になりますね。
私らの父親が亡くなったときのことです。私ら、というのは、
私と弟のことです。弟といっても双子なんですけどね。
それ以外に兄弟姉妹はいません。これは、私らが生まれて4年後、
母が30歳のときに亡くなってるんです。交通事故でした。
だから、私らの下に子どもをつくることができなかったんです。
で、父と母は7歳違いだったかな。見合い結婚だったはず。
ええそれは、再婚を勧める話はたくさんあったみたいですよ。
でも、父はそれらをすべて断ってしまって、男手ひとつで私らを育ててくれたんです。
大変だったろうと思います。なんで再婚しなかったかって?

それは・・・父は造園業をしてたんです。当時は立派な庭のあるお屋敷がたくさん
ありましたから。そういうとこを回って、植木の手入れをしたり、
よい形の岩を見つけて搬入したり。でねえ、何人か職人さんを雇ってはいましたが、
人手が足りないときもあって、母が手伝いをしてました。
それでね、母は車の免許を取ったんです。今と違って、
女性が免許を取るのが珍しい時代でしたけど。で、そのときも、
母が軽トラの後ろに庭木を積んで現場に向かう途中、
車が土手で横転してしまったんです。病院に運ばれたものの、
手の施しようがなかったみたいです。さっきも言いましたように、
そのとき私らは4歳だったんですが、母の記憶はわずかにありますよ。
葬儀のときのことも断片的に覚えてます。

ただ、母の顔はねえ。もちろんわかります。わかりますけど、
それが記憶によるものなのか、それとも大きくなってから、
仏間に飾られてた母の遺影を見たからなのか、そこははっきりしないですね。
でね、父の造園業はまずまずうまくいってましたが、
それほど儲かるって仕事でもなかったんです。でも、父は私も弟も、
2人とも大学まで出してくれました。父は中卒だったんですが、
学問は大事だってつねづね言ってました。
ああ、すみません。ちっとも怖い話にも不思議な話にもなりませんで。
それで、私らは大学を出まして、どっちも中小企業のサラリーマンになりました。
ええ、造園業を継ぐことはしなかったんです。
それについて、父はなんにも言いませんでしたね。

この先、業界が先細りになるってわかってたんでしょう。
でも、父にとって造園の仕事は生きがいみたいなもので、
職人さんはみなやめてっちゃったけど、64歳で亡くなるまで一人で続けていたんです。
私も弟も、実家とは別の場所で暮らしてましたが、
父は体のほうはまだまだ元気で、あんな突然逝ってしまうなんて、
考えたこともありませんでした。それで、ある夜、夢を見たんですよ。
父が出てくる夢です。曇り空を背景にして父が立ってたんですが、
ずいぶん若かったんです。30代かなあ。でも、父だってことはすぐわかりました。
それと、父はつねに作業着を着てたのが、そのときは明るい青色の背広で。
で、その父が私に向かってこう言ったんです。
「○○デパートの屋上においで。竹彦もいっしょにおいで」って。

これね、竹彦は弟の名前で、わたしは松男です。植木にちなんでつけたんでしょうね。
夢を見たのは朝方で、目が覚めたときにはあたりは明るくなってました。
それで、この夢、すごく気がかりに思ったんです。
父の身にもしや何かあったんじゃないか。そんな気が強くして、
弟に連絡してみようか、そう思っていた矢先に、携帯が鳴ったんです。
寝床を抜けて出てみると、弟からでした。「兄ちゃん、こんな時間にすまんな。
 今、親父の夢を見てなあ・・・」 「いや、俺もだ。どんな夢だった?」
こんな会話になったんですが、2人の見たものがぴったり同じだってことが
わかったんです。ええ、「○○デパートの屋上」これも同じで。
でね、当然、親父のいる実家にも電話してみました。
けど、呼び出し音が鳴り続けるばかりで。

それでね、朝になってから実家のある町に住んでる親戚に、
親父の様子を見に行ってもらうように頼んだんです。で、1時間ほどしてその人から
連絡がきました。親父が仏間で、母の遺影の下で倒れてたってことでした。
すぐに救急車を呼んで、△△病院に搬送されたって。
会社を休んで急いで駆けつけましたよ。病院には、私よりも実家に近いところに
住んでる弟が先についてまして。ええ、急な脳溢血ということで、
すでに父は亡くなっていました。それから・・・
弟と連盟で喪主になって、なんとかその町で葬儀を済ませたんです。
けっこうな数の人が来てくださいました。それらが終わって、一息つこうと、
親父が住んでた実家の家に戻りまして。家は古いんですが、
造園業なので敷地は広んです。そこに庭石や植木のストックがありました。

その間を私と弟とその家族で歩いてましたら、
家の玄関に近いところに一本の楓の木があって、
秋でしたのですっかり色づいてたんですが、弟が木の後ろのほうに回って、
「兄ちゃん」って呼んだんです。行ってみると、幹の下のほうに手作りの
プレートがあり、そこに「芙美子」って彫られてありました。
ええ、母の名前です。それ見て、2人ともしんみりした気持ちになりましてね。
その翌日のことです。2人で、父が夢で言ってた○○デパートに行ったんです。
デパートは町の駅前にあって8階建て。私らが子どもの頃は、
町で一番高い建物だったんです。父にはよく連れてってもらいました。
当時は屋上に小さな遊園地があって、ミニ観覧車やお猿の電車なんかがあり、
夏場には金魚すくいなんかもやってたんです。

ええ、デパート自体はまだありましたよ。ただ、郊外の大型店に客を取られたのと、
地域の過疎化のせいで、すっかりさびれてしまって、
そのときも若いお客さんはほとんどいなかったです。
屋上の遊園地も、危険があるということで閉鎖されてから、
数十年たっていたはずです。弟とは「親父、なんでここに来いって言ったんだろう」
そんなことを話しながら、8階までエレベーターで上りました。
その階は、飲食店が数件入ってましたが、どこもお客さんは少なく、
これでやっていけるのかなあって思うくらいでした。
でね、屋上に向かう階段があったんです。子どもの頃、弟とそこを上ったことを
思い出しました。ヒモが張られていて、立入禁止の札が下がってましたが、
誰もいないのをいいことに、それをまたぎ越えて、

弟と上ってみました。屋上に出るための広いガラスの扉がありましたが、
そこには厳重に鍵がかけられてました。2人でその前に立って、
ガランとして何もない屋上を見てたんです。そしたら・・・
ここからの話は信じてもらえないでしょうね。突然、ガラスの向こうに
観覧車が出現したんです。その乗り場のところに父がいました。
夢に出てきた若い父で、背広を着て、私たちに手を振ってました。
で、ひとしきり手を振ると、父は観覧車に乗り込み、ゆっくりと動きはじめて、
だんだん、だんだん、上に上がっていったんです。
「おい、見えてるか」 「ああ、見えてる。兄ちゃん」
観覧車の席に座って、父はずっとこちらを見ているようでした。
そして、観覧車がもうすぐてっぺんまでくるというとき、

父の向かいに女の人の姿がありました。「母さん!」 私ら2人は同時に言い、
観覧車に乗った父と母は、ちぎれんばかりに私らに手を振り、
一番上まできたときに、そこで消えたんです・・・
「兄ちゃん」弟が私のほうを見て、その目が涙で光ってました。
ええ、私も同じでしたよ。・・・今、私も弟も、亡くなった父の年齢に近くなって
きましたが、あれを見てから、死ぬのがあんまり怖くなくなりました。
ああやって空に上っていくのなら、死ぬことは悪くないです。
それから、私はそのまま勤め人を続けましたが、弟は脱サラして、
父の造園業を継いだんです。ええ、小さい頃から父の仕事は見てましたが、
技術や資格があるわけでもなく、弟はずいぶん苦労しました。私もできるかぎり
援助をして、今はそれなりの会社になってます。ま、こんな話なんですよ。







『東海道四谷怪談』あれこれ

2018.07.15 (Sun)


今回はこういうお題でいきます。みなさん「四谷怪談」はご存知だと思います。
「皿屋敷」「牡丹燈籠」と並んで日本三大怪談の一つとなっていますね。
(三大怪談には「真景累ヶ淵」が入る場合もあります)
では、歌舞伎の『東海道四谷怪談』についてはどうでしょうか?

まず、作者ですが、歌舞伎作者の四代目 鶴屋南北です。
彼の作風はケレン味にあふれ、舞台装置を工夫して観客をあっと驚かせる
のが得意中の得意でした。それは『東海道四谷怪談』においても十分に発揮され、
後に述べる「戸板返し」のシーンなどにうかがうことができます。

鶴屋南北 なかなかの色男


次に、外題の『東海道四谷怪談』について、なんで「東海道四谷」と
ついているんでしょうか? これ、いろんな説があってはっきりとしないんですが、
東京の、つまり江戸の四谷ではない、ということを強調したいために、
「東海道」がつけられてるみたいなんですね。

今の神奈川県藤沢市あたりに、当時、四谷という地名があって、
そこで起きた話ということのようです。じゃあ、なんで江戸を舞台にできない
のかというと、『東海道四谷怪談』は独立した話ではなく、
『仮名手本忠臣蔵』の外伝、サブストーリーという形で作られたものだからです。
(『仮名手本忠臣蔵』は、浄瑠璃作者の二代目 竹田出雲ら数名の合作)

『東海道四谷怪談』の初演は、文政8年(1825年)に江戸中村座で行われました。
このとき、『仮名手本忠臣蔵』と『東海道四谷怪談』が交互に、
2日間にわたって上演されているんです。で、『仮名手本忠臣蔵』は
赤穂浪人が主君の敵である吉良上野介を討ち取った史実が元になってるんですが、
江戸幕府の手前、そのままの形では上演することができない。

そこで、時代は南北朝時代、場所は鎌倉ということにして話が作られたんです。
劇中では、浅野内匠頭が塩冶判官、吉良上野介が高師直になっています。
これ、どちらも実在の人物で、高師直は『太平記』などでは、
悪逆非道の人物として描かれる、まあ歴史的な大悪役なんです。

さて、では『仮名手本忠臣蔵』と『東海道四谷怪談』がどう関係してるかというと、
お岩さんは塩谷判官の家臣の娘で、伊右衛門はその婿で塩谷浪人です。
本来は討ち入りに加わるべきであったのに、なんと、お岩を捨て、
仇討ちをあきらめて、高師直の重臣の娘と再婚してしまいます。
もうこれだけで、観客に憎まれる要素が十分です。

で、お岩さんにはお袖という妹がいまして、その夫が、『仮名手本忠臣蔵』の
四十七士の一人、佐藤与茂七なんです。最後の場面では、伊右衛門はお岩さんの
亡霊にさんざんに悩まされたあげく、与茂七に討ち取られます。
典型的な勧善懲悪の物語になっているわけです。

円山応挙の幽霊画


さて、ここまででだいぶ長くなってしまいました。
歌舞伎のシーンに話をうつしたいと思います。日本の幽霊は江戸時代に、
足がないというイメージが定着しました。
一説には円山応挙が描いた幽霊画が元になっていると言われます。

たしかに、足がなければ足音がしませんし、宙に浮いたり、滑るように動いたり、
怖さが引き立つ感じがしますね。で、歌舞伎でもこれを踏襲して、
お岩さんの衣装には、「漏斗 じょうご」と呼ばれる特殊なものが用いられ、
腰から足にかけて先がすぼまっています。

「提灯抜け」シーンの漏斗


『東海道四谷怪談』では、「提灯抜け」のしかけでお岩の幽霊が提灯の中から
出てきた後、体が吊り上げられて、漏斗の下まで全部見えるように演出されています。
こうして足のない幽霊の姿が観客に強く印象づけられて、
現代までそのイメージが続いていたんです。

さて、『東海道四谷怪談』の最大の見せ場は、「戸板返し」の場面と言われます。
隠亡掘で、伊右衛門が流れてきた戸板をひっくり返すんですが、
戸板の片側にはお岩の死体、裏面には小仏小平がくくりつけられていて、
どちらも伊右衛門のせいで死んだ被害者です。

「戸板返し」


このシーンは、一人の役者の早変わりで行われ、戸板の両面にそれぞれの
衣装がつけられていて、板にあいた穴から顔と手を出すわけです。
こう書くと簡単そうですが、役者は瞬時にかつらをつけ替えたりしなくてはならず、
かなり大変なんです。さらに小仏小平の着物がはがれ落ち、下から白骨が現れる。

これが大変な評判を呼んで、多くの浮世絵にその場面が描き残されています。
このあたりは、舞台装置にこっていた鶴屋南北の面目躍如なんですが、
当時、不義密通を働いた男女の死体が戸板にくくりつけられて流されているのが
見つかって大騒ぎとなっていて、それを南北が芝居に取り入れたみたいです。

さてさて、ということで、今回は歌舞伎の四谷怪談のお話でした。
鶴屋南北はほんとうに才人で、現代でいえばジョージ・ルーカスみたいな
感じですか。これでもかとばかりに、観客を怖がらせるための
ギミックを積み上げています。こういう姿勢は、自分が怪談を書くときに
見習いたいと思いますね。では、今回はこのへんで。







キュリー夫人とゴーストガールズ

2018.07.14 (Sat)
福島第一原子力発電所


今回はこういうお題でいきます。東日本大震災にともなう福島第一原発の
事故により、私たち日本人は放射能の危険性を改めて認識させられましたが、
では、放射能って、いつから危険だと考えられ始めたんでしょう?
これ、じつはそんなに古い話ではないんですね。

さて、キュリー夫人はご存知でしょう。こないだエジソンについて書きましたが、
彼と同じくらい伝記でとりあげられている人ですよね。
ポーランド出身の科学者で、ノーベル物理学賞、化学賞をともに受賞しています。
1903年の物理学賞は、放射能の発見によるもので、
放射能(radioactivity)と名づけたのも彼女です。

マリ・キュリー


で、1911年の化学賞は、新元素ラジウムの発見などの業績によります。
さて、1920年代、彼女はキュリー・ラジウム研究所を立ち上げましたが、
研究員が数名、白血病、再生不良性貧血などで亡くなっていて、
その中には日本からの研究員、山田延男も含まれます。

ただ、その頃はまだ、これらの疾患と放射能の因果関係は
明らかではありませんでした。キュリー自身も、1932年に手首を骨折し、
それがなかなか治らず、さらに原因不明の体調不良に苦しむようになります。
そしてその2年後の1934年、再生不良性貧血で亡くなるんですが、
現在では長期の放射能被爆が原因であることがわかっています。

ですが、生前の彼女は、けっして研究員や自らの体調不良を、
ラジウムによるものとは認めませんでした。
それだけ、自分が発見したラジウムに対する思い入れが深かったんでしょう。
彼女の遺体は、夫のピエールと並んで埋葬されました。

現在、パリののラジウム研究所は博物館となっていますが、
実験室は、除染が行われるまで立入禁止でした。
また、彼女の自筆の論文なども、閲覧するためには防護服の着用が
義務づけられているそうで、研究所にある彼女の指紋からも放射能が検出されます。

さて、話変わって、ゴーストガールズについて。
米国イリノイ州オタワ市(カナダの首都とは別)では、1920年代、USラジウム社、
ラジウム・ダイアル社などの工場で、10代、20代の女性が、
時計の文字盤にラジウムを塗る作業をしていました。オタワ市はラジウム・シティ
とも言われ、彼女らの待遇はよく、当時の女性のあこがれの職業の一つでした。

ラジウム塗料を塗るアメリカ人女性


彼女らは「ゴーストガールズ」と呼ばれました。
なんでこんな不気味な名がついたかというと、彼女らの体は、
暗闇でぼうっと光を放ったからだと言われます。で、この若い女性らの間で、
原因不明の疾患が広がっていることがわかってきました。

病態はいろいろですが、骨が溶けたり、骨に腫瘍ができたりするケースが
多かったんですね。また、手足や腰の骨も骨折しやすくなりました。
これは、ラジウムの元素的な性質がカルシウムと似ているため、
骨に集まりやすいのが原因なんです。

ラジウム発光時計


また、アゴの骨が主にやられたのは、まだラジウムの危険性が知られておらず、
作業に使う筆の先をなめるなどして、口腔内から体内にとりこまれたためです。
若い女性にとって顔は命だと思うんですが、下アゴが完全に溶けてなくなって
しまったケースもあったようです。

下アゴに巨大な腫瘍ができた女性


合計200名ほどの女性がこのために亡くなり、さすがにおかしいと気づき始めた
被害者たちは、会社を相手に裁判を起こします。
これには長い長い年月がかかり、最終的にラジウム・ダイアル社などが、
全責任を認めたのが1938年のことです。

ということで、最後までラジウムをかばったヨーロッパのキュリー夫人のケース、
裁判で争ったアメリカのケースを考えると、放射能の危険性が知られ始めたのが
1920年代の後半、そして危険性が確定したのが、
1930年代の前半ころと考えるのがよさそうです。

ただし、このことは一般的にはなかなか広まらず、ラジウム入りの歯磨き、
ラジウム入りチョコレート、ラジウム入り座薬(男性用精力剤のようです)
などが1950年ころまで、主にヨーロッパで売られました。
また、アメリカではラドン(ラジウムからできる気体元素)入の健康飲料水が
大々的に発売され、大きな健康被害をもたらしています。

ラジウム・ラドン入り製品の数々


このことを教訓とし、現在のアメリカでは、ラジウム・ラドンを飲料に入れて
発売した場合には厳しい刑事罰が科されることになっています。それと、
上記のゴーストガールズの話は、1987年『ラジウム・シティ』という
ドキュメンタリー映画となって公開されています。

さてさて、こうしてみると、放射能が人体に及ぼす危険性が認知されたのは、
わずか90年前のことなんですね。そして、その有害性が明らかになった後、
原子爆弾が開発されて広島・長崎に投下されたんです。
では、今回はこのへんで。

原爆投下後の広島






塩水の禁の話

2018.07.13 (Fri)
※ ナンセンス話です。

これ、この夏から俺が体験した話です。でもね、ちょっと信じられないような内容で。
まあ、起きたことを順を追って話していきますよ。
俺ね、今、大学の3年なんですけど、夏休みに沖縄に行ったんです。
いや、とてもとても自腹で行ける金はないです。
同じサークルに沖縄出身のやつがいたんです。そいつね、地元の有力者の息子で、
仕送りもすごいたくさんもらってるんですよ。
でね、帰省するときに、一緒に来ないかって誘われまして。
でも、休み中はバイトの予定がびっしりあったし、さっきも言ったように金がない。
そしたらそいつ、行き帰りの飛行機代を持つって言ってくれたんです。
宿は自分の家に泊まればいいから、金なんかかかんないよって。
こりゃすごいって思いました。だからその間だけバイト休んで、

そいつの帰省に同行したんです。あ、場所ですか。これは言わないほうがいいですよね。
沖縄本島ではないってことだけ言っておきます。
でね、行ってみたら抜けるような青い空で、この世の楽園みたいな場所でした。
そいつの家はビーチに面した小高い丘の上に建ってて、
戦後に建てたものだって言ってましたけど、それだってもう70年過ぎてますよね。
昔っぽいつくりの大邸宅でしたよ。で、ご両親に紹介されて歓待され、
泡盛ととれたての刺身を振舞われて・・・ああ、怖い話ですよね。
で、着いた翌日。シュノーケリングというのをやらせてもらったんです。
いや、ダイビングじゃなくて。俺、泳げないんですけど、
大丈夫だからって言われて、ライフベストを着て、水面から筒を出して息を吸う
シュノーケルをつけて、サンゴ礁の上を泳ぐんです。

いや、きれいでしたよ。海の中にはさんさんと日が射してて、
色とりどりのサンゴの花が咲き、熱帯の魚が泳いでる。クマノミってやつもいました。
泳げなくても浮くし、足にフィンをつけてるからすいすい進むんです。
で、そうやって1時間くらい過ごしてたんですが、
深さ2mほどの底のサンゴの上に何か人工物みたいなのがあったんです。
何だろうとよく見ると、壺だったんですよ。白地に青で絵が描いてある
青磁ってやつじゃないかと思いました。でね、それは海藻や貝なんかもついてなくて、
真新しく見えたんです。その絵柄がね、中国風の着物の女の人が壺を持ってる・・・
思わず手を伸ばしました。でも、ライフベスト着てるんだし、
2mの底じゃ手が届かない。壺は海流に乗ったのか、ころころ転がってったんで、
俺も後を追いかけてったんです。ころころ、ころころ・・・

でね、切り立った海中の崖のようなとこから下に落ちてって。
ええ、急に深くなってたんです。その上に来たら、ずーんと水の色が青くなって
底は黒くて、どのくらいの深さがあるかわかりませんでした。
壺はどこにいったか見えなかったです。ああ、怖いなって思いました。
サンゴ礁へ戻ろうとしたら、白い点が2つ見えたんです。
それがどんどん大きくなってきてね。何かが崖の下から浮上してきてると思いました。
何だあれ? 魚の眼?まさか・・・だって、点と点の間は1m以上あったと思います。
でもそれって、鯨クラスの大きさってことですよね。
そいつが浮き上がるにつれて、形がだんだんわかってきました。
全体のシルエットが平べったくつぶれてて、
今思えば、アンコウに似てたんですよ。それがもう数mまで迫ってる・・・

そのときに、「おーい、そっち深いぞ、戻ってこい」って友人の声が聞こえてきて。
ええ、シュノーケリングだから、頭の半分は空気中に出てて聞こえたんです。
で、それで俺ははっと我に返って、向きを変えて全力でバタ足をして
その深みから逃れたんです。浜に上がってから友人にさっき見たことを話しました。
そしたら友人は少し考え込んで、「青磁の壺ねえ・・・
 うーん、昔、この沖で朝鮮の船が沈んだって話はあるけど、
 それは何百年も前の話だし、観光客が落としてったものじゃないかな。
 大きな魚? いや、俺は子どものころからこの浜で遊んでるけど、
 そんなものはいないよ。鯨とかサメが迷い込んだのも見たことがない」
こんな話をしたんです。で、夜にまたごちそう攻めがあって、
そのとき友人のご両親にもこの話をしたら、お父上のほうが、

「それは何か気になる内容ですね。サスに話を聞いてもらったほうがいいかもしれない」
こう言われて。サスってのは、なんでも、その島で神主みたいなことをしてる
人みたいでしたけど、俺にははっきりとはわからなかったです。
で、翌朝、そのサスが屋敷に来まして。ものすごいシワの老人でしたね。
言葉もあっちの方言で、何言ってるかさっぱりだったんですが、
友人がこんな風に通訳してくれました。「ここの浜には、昔は人を食う魚がいたが、
 戦争のときに姿を消した。それがまた戻ってきたのかもしれない。
 よそから来た者ならとって食ってもいいと考えたかも。
 壺に描かれてた女はそのしもべだろう。あんたはもう本土へ帰りなさい。
 しばらく海へ近づいてはならない。そのたぐいのものは3度襲うから。
 海だけではなく、塩水もだめだ。3度避ければそれで終わる」

こんな内容だったみたいです。でね、その地方ではサスの言うことは絶対ですから、
俺は翌日、不承不承 東京へ戻ったんです。残念でしたよ。
あんな天国みたいなとこ、もっと滞在していたかったですから。
え? その話を信じたかって・・・いや、それはねえ、
人をとって食う魚の化物なんてことは・・・でも、あの眼のようなものを見たのも
確かですし。で、それから海へ行く機会はなかったです。
塩水のほうは・・・あんまり気にしなかったですね。だって、
ラーメンの汁や味噌汁だって塩水って言えばそうでしょ。避けようがないじゃないですか。
でね、それから秋なって、やっと俺にもコンパで念願の彼女ができまして。
俺は自宅から大学に通ってたんですけど、彼女は別の大学でアパート暮らしだったんで、
半同棲みたいな形で入り浸ってたんです。

それでね、こないだの夜です。彼女と同じベッドで寝てて、夢を見たんです。
そう、沖縄の海の夢ですよ。深い底のほうから巨大な魚が上がってくる・・・
あのときは影になってはっきり見えなかったんですけど、
夢の中では魚の姿がわかりました。
やはり巨大なアンコウとしか形容できないですね。
ヒレ以外に、体のあちこちに突起があり、毛のようなものが巻きついてました。
その眼は・・・一つがソフトボールほどもあって、その歯が白くギラギラ光って。
そこで揺り起こされたんです。「ちょっと、すごいうなされてたわよ」
彼女が言いました。「あ、あ、魚、魚の夢を見てた」
「すごい汗」 ええ、10月に入ってたのに、顔中、体中汗まみれでした。
それと、強烈に喉が乾いてたんです。「あ、何か飲み物ある? 水でもいいから」

「今、持ってくる」彼女がコップに水をくんで持ってきてくれたんで、
一息に飲みほそうとしたんですが・・・コップの中に眼が見えたんです。
「あああ、眼がある」 「えー、蛍光灯が映り込んでるんじゃない」
そう言われると、眼は見えなくなってて、でも、少し口をつけると塩からくて。
「これ、塩水なのか?」 「早く飲みなさいよ!」 「ええ?」
そのとき、近づいてた彼女の顔が、あの沖縄の壺に描かれてた女に
重なって見えたんです。俺、コップを床に放り投げてしまいました。
そしたら彼女はくたくたと崩れ落ちて・・・
ええ、今度は俺が揺り起こす番でした。でね、やっと気がついて話を聞いても、
今あったことを覚えてなかったんです。「俺に塩水持ってきたのわかる?」
「全然おぼえてない」こんな具合でした。

で、その夜は、まあそれで終わったんです。
ここでね、沖縄でサスに言われたことを思い出しまして。
「そのたぐいのものは3度襲う」ってやつです。これって2度めってことでしょうか。
だとしたら、あともう1回ある? あの塩水を飲んでたらどうなってたんでしょう?
ナメクジみたいに溶けてた? はは、まあそれは冗談ですけど。
ああいう形で襲われたら避けようがないじゃないですか。
だから、ここにご相談にうかがったんです。
え、どうしても3度めをやりすごさなくちゃだめだ?
そう言われてもですね・・・ そもそもあの大きな魚って何なんですか?
こちちらのみなさんならご存知なんじゃないですか?
え、「だごん」ですか?? それって・・・






 

キングの長編ベスト

2018.07.12 (Thu)


今回はこのお題でいきます。スティーブン・キングはアメリカのホラー作家で、
SFやファンタジーも書いてますね。1947年生まれなので、
もう70歳を過ぎています。あと、息子さんもホラー作家です。
その作品の多くが映画化されていて、ごらんになった方も多いでしょう。



前に筒井康隆氏について書いたときは「短編ベスト」にしましたが、
今回、長編にしぼったのは、たんに自分が、全部の中・短編を読んでないからです。
さて、キング作品の特徴として、詳細かつ緻密な日常描写というのは
誰もが言及するところですよね。

登場人物の一人ひとりについて、話の大筋とは関係ないと思える場面での
行動が執拗に描かれます。これによって、その人物の性格はもちろん、
地域や学校、家族の中で置かれた立場が浮き彫りになります。
登場人物は筋を進めるためのたんなる駒ではなく、
存在がリアリティを持つわけです。

まあこれは、別にホラーにかぎったことではなく、優れた小説は
みなそういった面を持っているんですが、自分は、ホラーの醍醐味の一つは、
日常の中に非日常が侵入してくる瞬間にあると思っています。
で、日常が詳細に描かれていればいるほど、
それが壊れていくときの違和感・崩壊感が強まるんですね。

あと、キングの作品の多くが、平凡な田舎町を舞台にしています。
アメリカというと、ニューヨークやシカゴなどの大都市を思い浮かべる人も
多いでしょうが、あの広い土地のほとんどは、
人口数千から数万ほどの田舎の町なんです。



自分もアメリカの田舎に2年ほど住んでいたことがあるんで、
キング作品の舞台のイメージはよくわかります。日本だと鉄道が発達していて、
駅を中心に街ができますが、アメリカは車社会で、ハイウェイ沿いに点々と
家が連なっている感じなんですね。しかも、日本と違って、郊外では、
道を歩いてる人はもちろん、自転車の人さえまず見かけません。

ですから、何かあったとしても簡単に助けは呼べないし、
警察もすぐには来ません。日本のように建物が密集しているわけでもないので、
ある家で秘密のことが行われていても、おいそれとは発覚しない。
ああ、すみません。よけいな話が長くなってしまいました。

ベスト1、『呪われた町』これ、けっこう意外に思われるかもしれません。
キングのデビュー第2作目。ひじょうに古典的なストーリーの吸血鬼もので、
ひねったところがまったくありません。でもこれ、
読まれた方はわかると思いますけど、怖いんですよね。

ベスト2、『シャイニング』スタンリー・キューブリック監督の映画の
イメージが強いと思いますが、ジャック・ニコルソンの怪演が際立っていた映画とは
ストーリーがかなり違って、超能力をテーマとしたSFとも読める内容です。
たんなる館ものホラーとは一線を画しています。

ベスト3、『ペット・セマタリー』これも映画になってますが、
映画のほうはスプラッター色が濃かったのに対して、家族愛が作中の最大の
テーマだと思います。家族を愛するゆえに愚かな過ちを犯してしまう
人間の悲しさが際立ちます。



ベスト4、『 I T 』 映画のほうは、スティーブン・キング原作の中では、
1976年の『キャリー』と並んで、傑作に仕上がってるんじゃないかと思います。
小説は長いですし、やや中だるみの部分もあるんですが、
キング特有のノスタルジックな雰囲気がいいですね。

ベスト5、『ミザリー』ホラーではあってもオカルトではない、
現実的な恐怖を描いた作品ですね。この系統は他に『クジョー』などがありますが、
『クジョー』が狂犬病にかかった犬の恐怖だったのに対し、
本作ではストーカー化した人間の狂気が描かれます。

ベスト6、『痩せゆく男』 別ペンネームのリチャード・バックマン名義で
書かれた作品。別のペンネームで書いた場合どれだけ売れるか、
ためしてみようとしたとも言われます。キング名義の作より暴力描写がきつく、
やや差別的な部分もあります。最後のシーンのアイデアは、
日本の小説『リング』に影響を与えているかもです。



ベスト7、『ドリームキャッチャー』キングの作品は、筋自体はわりと単純なものが
多いと思うんですが、これはけっこう込み入った内容で、
山荘に集まった仲間が少年時代の思い出をさぐっていくうちに、
驚愕の真相に突きあたります。最後のほうで一気にSFになるんです。

さてさて、前半によけいなことを書いたために、10までいきませんでした。
異論はもちろんあると思います。デビュー作である『キャリー』を選ばなかったのは、
日本人として、キリスト教的な部分に違和感を持ったからです。
上で書いたように、映画は傑作でした。では、今回はこのへんで。







クモの話

2018.07.11 (Wed)
『ハリー・ポッター』シリーズのアラゴク


今回はこのお題でいきます。みなさん、クモはお好きでしょうか?
たぶん、あまり好きだという方はいないんじゃないかと思います。
クモは節足動物に属していて、足8本のものが多く、
エビやカニなどと近い仲間なんです。

クモは益虫と言われていますよね。狩りをして、人間にとって有害な
ハエやカを食べてくれる。でも、嫌う人が多い。
これはやっぱり、外見が奇怪な姿をしているという点が大きいんでしょう。
小さな胴体に長い足。色も、黒と黄色のまだらや、
赤い色が入っているものもいて、たしかに気持ち悪いです。

クモを嫌う人が多いのは、人間の遺伝子にそれが刷り込まれているから
という説があります。人間から見て、変わった姿や派手な色をしている生物は
毒を持っていることが多く、長い人間の進化の歴史の中で、
そのことが遺伝情報として受け継がれるようになった・・・

でもこれ、クモを嫌う遺伝子が特定されているかというと、
そういうわけでもないんです。よくわからないというのが本当のところ。
ただ、人間から見て、体のつくりがあまりに違う生物には、
本能的な恐怖感を持ってしまうということはありえる気がします。
ゲジゲジやムカデなど、足の数が多い生物は嫌う人が多いですし、
逆に、足を持たないヘビも嫌われる。

さて、このような点から、クモは数多くのホラー映画や小説に登場してきました。
「クモ恐怖症 アラクノフォビア Arachnophobia」という言葉がありますが、
この元になったのはギリシア神話です。あるところにアラクネという女性がいて、
機織り、特にタペストリーの名手でした。アラクネはそのことを自慢し、
機織りを司る女神、アテナよりも自分のほうが上だとつねづね公言していました。

アテナとアラクネの争い


これを聞きつけたアテナは怒り、姿を現してアラクネと織物勝負を
することになります。アテナは自分が海神ポセイドンと戦って勝ったシーンを
タペストリーに織り込みましたが、アテナは好色な神々の醜態をわざと主題にして
織ったので、アテナはさらに激怒し、アラクネの頭を杖で打ちすえました。

それで自分の慢心を悟ったアラクネは、恥じて首をつって死んでしまいます。
アテナはそのことを聞き、アラクネの機織りの腕を惜しんで、
トリカブトの汁をふりかけて彼女を蜘蛛に転生させた・・・こんな話です。
古代ギリシアでは、もともとアラクネはクモを表す言葉でした。

さて、クモが出てくるホラーの最高傑作は、自分は、スティーブン・キングの
『IT』じゃないかと思います。ある町で、ときおり子どもをねらった殺人事件が起き、
そのときには、下水道を通って出てくる、ピエロの姿をした怪人物が目撃される。
子どもの頃、そのピエロにおびえさせられたことのある主人公らが、
大人になって集まり、町に巣食う怪物との対決を迫られることになる。

『 I T 』


この正体が映画では巨大なクモの姿になってました。
日本だと、遠藤周作氏の『怪奇小説集』の中の短編、「蜘蛛」が印象深いです。
これには「くすね蜘蛛」という、人間の体に卵を産みつけるクモに
体を乗っ取られた?女が出てきます。まだこの他、クモをあつかった
作品はたくさんあるんですが、キリがないのでここらへんで。

さて、なんで今回、クモの話題にしたかというと、最近、科学ニュースを見ていて、
クモに関する話題が2つ取り上げられていたからです。
一つは、クモが空を飛ぶのは電場効果を利用しているという話で、
クモが糸を出して空を飛ぶ「バルーニング」は昔から知られていました。

空に散ってゆくクモの子


それが、微風すらない状況でも起きることが確認されたということで、
電場の力を利用しているのではないかという仮説が述べられていました。
これはつまり静電気力ということですね。下じきをこすって髪の毛の上にかざせば、
髪の毛がまい上がってひっつきますが、あの力です。

もう一つは、ハエトリグモの研究です。ハエトリグモは自分の体長の6倍の
高さまでジャンプすることができるんですが、その仕組みを調べている過程で、
ハエトリグモを合図に応じてジャンプするように調教することができた
というものです。これもなかなか面白いニュースですね。

あと、下の画像をごらんください。これはミズグモという種類で、
水面から空気を持ってきて、水中に泡のかたまりを作っています。
なぜこんなことをするのかというと、水中で長時間にわたって狩りをするための
空気呼吸する拠点となるものなんですね。

水中に泡の巣をつくるミズグモ


この他にも、クモの糸は太さに比してひじょうに強靭です。
天然のクモの糸は、重さあたりの強靭性が鋼鉄の340倍、
炭素繊維の15倍もあり、これを人工的に作り出すことができたら、
「夢の素材」になると言われています。
また、糸は粘り気があるのに、クモ自身はくっつかないですよね。

さてさて、ということで、このクモの不思議な力の数々を、
基礎研究で解明しようとしている企業は多いんです。
ですが、なかなか人工的には再現できない。それほど、自然の仕組みは
精巧かつ巧妙にできてるってことなんですね。では、今回はこのへんで。

関連記事 『タコの話』








ひき逃げの話

2018.07.10 (Tue)
今ねえ、困ったことになってるんですよ。でもこれ、俺が悪いんですかねえ。
もう何がなんだか自分でもわからなくて・・・ 
ああはい、順を追って話します。俺、季節派遣である工場に勤めてて。
で、こないだの夕方7時くらいですね。
今ほら、日が長いからちょうど夕暮れが迫ってきた時間帯で・・・
いや、ぼんやりしてたとか、自分ではそういうつもりはないんですけどねえ。
シフトが終わって部屋に戻るため、自分の軽自動車を運転してたんです。
人通りも車通りも少ない、長い直線の道です。
突然、ガードレールをくぐって目の前に犬が飛び出してきたんです。
白い小型犬。あわててブレーキを踏みました。でも、あれ、
誰が運転してたって、絶対避けようがないタイミングですよ。

でね、ああ轢いたって思いました。いや、俺ね、動物好きだし、
小さい頃、実家で犬を飼ってたこともあるし。
やっちまったなあ、って思って胸がドキドキして、
とりあえず確認しようと思って、車を路肩に寄せて停まったんです。
後続車はなしでした。それで、自分ではまったく衝撃とか感じなかったんです。
まず道路を見ましたけど、犬の姿はなし。でも、小さい犬だったから、
大きく遠くまで飛ばされてるかもしれないと思って、
道路端の側溝や草の中とかも見たんです。けど、やっぱ姿はどこにも見えなくて。
その次に、車のほうを見たんですけど、へこんでるところや、
血がついてるところもなくて。ホッとしました。
ああ、たぶん小さいから、車の下をすり抜けてどっか行ったんだろうなって・・・

だってそう考えるしかないじゃないですか。それでね、車に戻ろうとしたとき、
電信柱脇に立ってる看板が目に入ったんです。
あのほら「ひき逃げの目撃情報を求めてます」ってやつ。
警察が設置したものなんでしょうね。それ、ざっと読んだら、
2年ほど前に、8歳の女の子がその場でひき逃げされてたんです。
こんな直線でひき逃げねえ、あの犬みたいに、その子も飛び出したんだろうかって
思いました。え? ああ、もう2年前もだから、
その場所には、花束とかお供えとか、そんなものはなかったです。
それで、アパートの駐車場に戻ってきて、念のためにと思って、
屈んで車のバンパー下を見たんです。そしたら・・・
暗くなってはっきり見えなかったんですけど、下のところに、

何か黒いものがこびりついてて・・・「!?」
それで、車内から懐中電灯を出して照らしてみたんです。髪の毛のかたまりでした。
立ち上がって足先でこすって下に落としました。それを懐中電灯でよく見たら、
毛のついてるほうが下になって、毛が生えてるほうの部分が見えて。
それが真っ赤な肉の色をしてて、「うわっ、何だこりゃ」ってなりました。
「やっぱ犬を轢いてた?」でもですね、一瞬見ただけだったけど、
たしかに全身白い犬だったんです。あとね、さっき髪の毛って言ったけど、
人間のものにしか思えなかったんです。そんなに長くないけど、
男のではない髪の毛。そんとき、気持ちが悪いんで、足で蹴とばしちゃったんです。
うまく近くの草むらの見えないとこに落ちたんで、部屋に戻りました。
それからは、いつもどおり発泡酒飲んでテレビ見て寝たんですよ。

でね、夜中の2時過ぎでした。部屋のドアチャイムが鳴って。
それで目が覚めました。寝つきはいいほうなんですけど、ずっと鳴り続けてたんです。
指で押しっぱなしにしてるんだと考えました。でもですね、
俺ほら、季節工だからこっちに知り合いは少ないし、
それに、そんな夜中に訪ねてくるのもありえないし。ドアまで行って、
安アパートだからのぞき穴みたいな洒落たものはついてないんで、
ドアに向かって怒鳴ったんです。「何ですか?今何時だと思ってんですか?」って。
そしたら、くぐもった女の声がかすかに聞こえてきて、
でも低くて、何言ってるのかわからなかったんです。
いや、間違いなく女でしたよ。それでね、ドアチェーンはあったから、
またチャイムを連打されればたまらないと思って、

ドアを細めに開けました。アパートの外の廊下は電気ついてるんだけど、
人の姿はなし。「あれれ」と思いました。だって、
声を聞いて1秒後にドア開けたんですから。思い切ってチェーン外して
外に出ました。でもね、廊下はシーンとしてて、やっぱ人の姿はなくて。
首をひねりながら、部屋に戻って寝直したんです。それで朝・・・
お湯沸かしてお茶一杯だけ飲んで、仕事に出ようとドアを開けたら、
ドアの下に紙が一枚落ちてたんです。拾い上げて見ると、
昨日、道路脇で見た「目撃情報を探してます」のやつだったんです。
張り紙よりはずっと小さくて、文章も違ってたけど、同じ女の子のものでした。
「これ、昨晩やっぱ誰か来てて、そんときに入れたんだろうか」
廊下に出たときは下までは見なかったですからねえ。

で、朝からゾーッと嫌な気持ちになりまして。なんか俺、ひき逃げして、
それを咎められてる気になったんです。でもですよ、俺、その女の子をひき逃げした
なんてことは誓ってないですよ。だって2年前はこの街にいなかったんだから。
それに白い犬も、死体なんてなかったでしょ。でね、その紙はクシャクシャに丸めて、
部屋のゴミ箱めがけて放り捨て、仕事に出かけたんです。
車に乗るとき髪の毛のことを思い出したんですが、草の中は見ませんでした。
でね、同じ道を通るから、反対車線からあの犬が出てきた場所を見たら、
電信柱の下に、花束らしきものが置かれてたんです・・・
その日の仕事帰り、前の日とほぼ同じ時間帯でした。よっぽど道を変えてやろうかとも
思ったんですが、それもなんだか癪で、ゆっくり犬の出てきた場所を通ると、
花束はそのまま残ってて、真新しいものに見えましたね。

ね、わけわからないでしょ。でね、部屋で買ってきた弁当を食べてると、
ドアチャイムが鳴って。これは8時過ぎでした。出てみると、
隣の部屋に住んでる学生さんだったんです。でね、こんなことを言うんですよ。
「今日の3時ころ、僕、大学から戻ってバイトに行く準備してたら、
 男の人が訪ねてきて、〇〇さんのことを聞いてきたんです。どこに勤めてるのかとか。
 マズイことがあるかもしれないと思って、はっきりは教えなかったんですけど」って。
学生さんの話では、男は40代くらいで、娘さんのひき逃げ犯を探してるって
言ってたってことでした。学生さんには礼を言って、冷蔵庫の缶ビールをもたせて
帰しました。でね、朝ほら、チラシをゴミ箱に放ったでしょ。
そのことを思い出して、探してみたけど見つからなくて・・・
翌日です。まだ花束はあの場所にありました。

でね、会社の昼休みに、直属ではない上の人に呼ばれたんです。
会社の事務のほうに電話がかかってきて、俺のことを根掘り葉掘り聞いてきた人がいるって。
個人情報だってことを盾に断ったが、お前何かトラブルを抱えてるのかって聞かれて。
「いえ、何もないです」そう答えるしかなかったです。
だって俺、ホントに何もしてないじゃないですか。そんなことがあって、
帰り道、あの道を通ったら、あの電信柱の横、花束のある場所に人が2人立ってたんです。
その日はちょっと遅かったんで、はっきり見えなかったけど、中年くらいの男女が。
俺が通り過ぎるとき、男のほうがこっちを指さしてた気がします。
でね、部屋に戻るなり、固定電話に警察から連絡が入ったんです。
「ちょっとお聞きしたいことがあるから明日○○署に来てもらえないか」って。
口調は丁寧でしたけど、これ、もしかして参考人ってことか?って思って。

仕事はね、何とか休めました。俺、働かないと、その分だけ給料減るシステムなんです。
言われた警察署に顔を出したら、ある夫婦が3日前にそろって自殺をして、
現場に俺の名前、住所、電話番号を書いた紙が落ちてたって言うんです。
で、その夫婦の名字が、あのひき逃げされた女の子と同じで。3日前に自殺??
昨日会社に電話かけた人、その前の日、アパートの隣の部屋を訪ねてきた男。
さらにその前の日の夜中に来た女・・・それが自殺した夫婦? まさかそんな。
でね俺、警察に「その人たちって、前に娘さんを交通事故で亡くしましたか」って、
よっぽど聞こうかと思ったんです。でもね、疑われることになるだろうと思って
やめたんです。なんか、俺がやってもいないひき逃げの犯人にされかかってる
気がしました。理不尽ですよねえ。でね、警察が終わって会社に出て、
その帰り、俺、本当に犬を轢いちゃったんです。小さい白い犬でした・・・

ダウンロード





「怖い本」の話

2018.07.09 (Mon)
「読むと死ぬ本」――それは決してショッキングな本の比喩的呼称などではない。
文字通り、読んだだけであなたの心臓が物理的に止まってしまうかもしれない
恐ろしい本が現実に存在するのだ。デンマークの大学図書館に収蔵されている
恐怖の古書3冊について、科学メディア「Science Alert」が報じた。

先日、南デンマーク大学の図書館が保管する16~17世紀の極めて貴重な
書籍3冊について、ある興味深い発見がなされた。
なんと、その表紙に非常に高濃度のヒ素が含まれており、
取り扱いに気をつけなければ健康を害する恐れがあるという。
そう、これがまさに「読むと死ぬ本」である。
(Rakuten News)



今回はこのお題でいきたいと思います。これ、別に内容が怖いから、
あるいは呪いがかけられているから読めば死ぬということではなく、
本の表紙から、強い毒性を持つヒ素化合物が大量に検出されたということですね。
19世紀当時、緑色の顔料としてふつうに使われていたようです。

ヒ素を含んだ緑色の顔料は「パリ・グリーン」や「エメラルド・グリーン」の名で
広まっていて、顔料は印刷物だけではなく、ドレスや部屋の壁紙にまで
使われていたようです。ですから、長年の間に毒素が蓄積し、
中毒症状を起こして亡くなった人も、相当数にのぼったのではないかと思われます。

ヒ素からつくられたグリーン


ヒ素の毒性は、西洋でも日本でも古くから知られていました。
日本だと「石見銀山ねずみ捕り」の名前で、殺鼠剤として売られていましたし、
現代に起きた「ヒ素カレー事件」も記憶に新しいところです。
ヨーロッパでも、さまざまな毒殺事件に用いられ、歴史に影響を与えています。

さて、本項は毒の話ではなく、怖い本に関する内容です。
フィクションの中のものも含めて、あれこれ見ていきたいと思います。
まず、「人皮装丁本」。文字どおり、人間の皮を使って装丁された本です。
こんなのフィクションの中だけのものじゃないかと思われるかもしれませんが、
そうではなく、ヨーロッパでは17世紀にはその技術が確立し、
専門の装丁職人もいたんですね。

「人皮装丁本」


米マサチューセッツ州にあるハーバード大学の図書館で、1500万冊以上ある
蔵書について、表紙の材質が不明なものにDNA鑑定を行なったところ、
3冊の本の装丁に、99.9%の確率で、
人間の皮膚が用いられていることが判明したということです。

では、どんな場合にそれが作られたかというと、解剖された死体の皮膚で
作られた解剖学のテキスト、遺言によって作られ子孫に配られたもの、
有罪判決を受けた殺人者の皮膚を裁判記録の写しを綴じるためのもの、
などが現代にまで伝わっているようです。これもなかなか怖い話ですね。
自分ならこんな遺産はいりません。

あと、第二次世界大戦時に、ドイツナチスがユダヤ人の皮膚を用いて
さまざまな製品を作ったなどと言われていますが、これはデマのようです。
人間の皮で作ったとされるランプシェードが、戦後アメリカ軍の手で分析されましたが、
羊の皮だったことが判明しています。また、人間の脂肪で石鹸を作ったなんて
話もありますが、証拠はなく、やはりデマのようですね。

映画 『薔薇の名前』 禁書をめぐっての連続殺人


さて、怖い本の2番めは「魔導書」です。神秘的な魔術の実践法や、
召喚の呪文が書かれていて、それを手に入れると悪魔を呼び出すことができる・・・
じつは、この手の本はヨーロッパにはたくさんあります。
その多くが、中世や近世に作られたものです。

では、それらの本は本物なんでしょうか?ここは難しいところで、
すべての本について確かめるのは不可能ですが、多くはニセモノです。
何のためにニセモノが作られたのかというと、
これは王侯貴族の間で錬金術が信じられていた時代、
そういった人々を騙して売りつける目的のものが多いんですね。

これらの本には共通点があって、そこに書かれている内容が、
簡単には実行できないものであることです。例えば、ある魔術薬を作るには、
絞首刑にされた罪人の手首、魚の涙、女のヒゲが必要だなどと書かれていても、
そんなものが簡単に手に入るはずがないですよね。

本の内容を実行しようと思ってもできないので、インチキがバレずに済むわけです。
あと、魔導書に中には古代言語などの解読しにくい文字で書かれたり、
まったく未知の言語で書かれてたりするものもあり、当ブログで前にご紹介した
『ヴォイニッチ手稿』などもその一つです。「ヴォイニッチ手稿」は、
600ドゥカートという高額で売却された記録が残っています。

「ヴォイニッチ手稿」


それから、これはフィクションの話ですが、H・P・ラブクラフトが創造した、
「クトゥルー神話」の中の魔導書として、「ネクロノミコン」が有名ですよね。
狂える詩人アブドル・アルハズラットにより、730年にダマスカスにおいて書かれ、
英語に翻訳されても、それを手にした者にさまざまな怪異を引き起こします。

「ネクロノミコン」 原典はアラビア語


さて、怖い本の最後は「命を持った本」としましょう。
映画の『ハリー・ポッター』のシリーズには、「怪物的な怪物の本」というのが
出てきていて、たしか内容は「魔法生物学」のテキストだったはずです。
ガチガチ歯を鳴らして走り回る姿が印象的でした。

「怪物的な怪物の本」
ダウンロード

あと、本に化けた悪魔なんて話もありますね。その本には未来のことが
書かれてあり、金もうけができたり、災難から逃れられたりする。
そのかわり読むためには何か生贄を捧げなくてはならない。最初は小さな犠牲から
始まるが、やがては精神が本の悪魔に支配され、
ついには家族までを生贄にしてしまう・・・

さてさて、読書は楽しいですし、有益でもあります。ただしまあ、何でもそうですが、
あまりのめり込んでしまうと、怖いことが起きるかもしれない。
ヨーロッパのほうでは、本の収集家同士の殺人事件が起きたりもしているんです。
ということで、何事もほどほどに。では、今回はこのへんで。

関連記事 『ヴォイニッチ手稿って何?1』






骨董屋の始末の話

2018.07.08 (Sun)
昨年のことです。親父が亡くなったんです。で、その後に起きたことを話していきます。
ただ、こういうところで話をするのには慣れてないので、
前後関係なんかがおかしいところがあったら勘弁してください。
親父は、一人暮らしをしてたんです。母は、親父の大学の同窓生で、
学生結婚したんですが、もう14年前に乳がんで亡くなっています。
48歳の若さでした。で、親父は62歳でした。
ええ、まだ若いですよね。今は、定年延長してる会社も多いんで、
まだまだこれからって歳だと思ってたんですが・・・突然の心筋梗塞だったんです。
居間で夕食中に倒れたみたいです。発見してくださったのは、
親父と古くからつき合いのあるお客さんで、夜に会う約束があったんですね。
それが、店先で呼びかけても返事がない。けど、住居のほうでテレビがついてる音がする。

それで店から土間に入ってみたら、ガラス障子越しに親父が倒れてるのが見えて、
救急車を呼んでくださったんです。でも、そのときにはすでに事切れてたみたいで。
で、その搬送先の病院から、私ら兄弟に連絡が来まして。
はい、私と弟の2人兄弟です。2人とも結婚して家庭を持ってます。
その方のところには、葬式の前に弟とお礼にいきました。
そこで、親父の死の状況を教えていただきまして。
居間の奥にある仏壇におおいかぶさるようにして倒れてたそうです。
仏壇には、亡くなった母の位牌と遺影があったんです・・・
もちろん、その方はお葬式にも来てくださいましたよ。ああ、それで、
さっき店とか客って言いましたけど、親父は一人で骨董屋をやってたんです。
地方都市ですし、店構えもけっして大きくはないんですが、

親父一人が食っていくだけの収入は十分にあったみたいで、
私ら兄弟が親父に仕送りしたなんてことはありません。むしろ、私らの子ども、
親父から見れば孫ですが、その入学祝いとかで、ことあるたびにまとまった
お金をもらってたんです。それで・・・ここからは、
身内の恥になる話になってしまうんですが、親父には弟が一人いまして、
30代のときに、投資詐欺をやって長く刑務所に入ってたんです。
その後、出てきましたけど、何をして暮らしを立ててるのかはわかりません。
私らは一切つき合いを絶ってました。ただ・・・
親父のところにはちょくちょくやってきて、そのたびに小遣いをせびってたみたいでした。
はい、もちろん葬式にもやってきました。その通夜の席で、酒を飲んで暴れましてね。
肌脱ぎをして彫り物を見せたりもしました。

ええ、そんな程度の人間だったんです。私も弟も腹を立てましたし、
その他の親族も同様で、よほど殴ってやろうかとも思ったんですが、
どんな後ろ盾があるかもわかりませんしね、ぐでぐでに酔って立てなくなったところを、
タクシーに押し込んで帰してやったんですよ。
葬式が済んでから、弟と2人で親父の店に行って遺品整理をしました。
親父が倒れかかっていたってういう仏壇。その引き出しに、
貯金通帳と実印、それから鍵がいくつか入ってたんです。
貯金は全部で数百万ほどで、葬式代にしかならない額でした。
あと、店は借地だったんで値はつきません。すぐに賃貸契約を切る手続きをしました。
こう言いますと、まるで何の財産もないみたいですが、
そんなことはなかったんです。ええ、店にある骨董商品ですよ。

葬式のときに、親父が加入してた古物商組合のお仲間の方がたくさん来てくださいまして、
その代表の方から、「もしよろしければ、みなで手分けしてお店の品を引き取りましょう」
って申し出があったんです。私も弟も普通のサラリーマンで、
古物骨董を見る目なんてありませんし、店を継ごうとは考えていませんでした。
ですから、この申し出をありがたくお受けすることにしたんです。
その方の話では、「○○さんは金に糸目をつけず良い物を集めてなさったから、
 少なくとも3千万にはなるかと思います」ということだったんです。
それで、日を選んで組合の方々に来ていただき、店の品々を見てもらったんです。
店頭に並べてあるのは、ごく一部をのぞいて安いものばかりで、
高価な品は奥にある部屋の鍵つきケースに入ってました。
仏壇にあったのはその鍵です。それと、そのさらに奥に、蔵と呼べる一室があったんです。

はい、私も弟も親父のとこにはちょくちょく顔を出してましたから、
そういう部屋があることは知ってましたが、中に入ったことはありませんでした。
そこは鍵ではなくダイヤルロックになってまして、ええ、番号を書いた紙が、
やはり仏壇にあったんです。そこで私が先頭になって重い扉を開いてみると・・・
中は暗く、ブーンという音がしてました。空調設備が動いてたんですね。
スイッチを見つけて電灯をつけると、息を飲みました。畳の部屋でいうと6畳間くらいの
せまい空間でしたが、壁にたくさん古い絵がはりつけてあったんです。
「・・・曼荼羅だなあ」と、後から入ってきた組合の方の一人がおっしゃいました。
で、真ん中に屏風が立て回してあって、ガラスケースに入った骨董品が3つあったんです。
一つは、私には時代はわかりませんが、きれいな細工の鞘に入った脇差。
もう一つは、やはり古く、木肌が飴色になった大黒様の木彫。

3つ目は、縦長のケースに入った掛け軸で、描かれているのは、
赤子を抱いた観音様のような絵。後で教えてもらいましたが、隠れキリシタンの
マリア観音というものだそうです。これらを見たとき、また別の組合の方が、
「ああ、三すくみになってる・・・」ってつぶやかれたんです。
3つのものは、屏風の中で正三角形に配置され、その真ん中に小さい丸テーブルがあり、
上に手紙がのっていたんです。私が開封して読んでみました。
親父の字で、「これら三つの品は、形見分けとして弟に贈呈する。ただしそれには、
 次の2つの条件を守ること」こんなふうに書かれてて、条件というのは、
「この3つは同時にこの場所から搬出すること」
「売却してもかまわないが、その場合は3つすべて別の売り先に引き取ってもらうこと」
私には意味がわかりませんでした。組合代表の方に書いていた内容を告げると、

代表の方はゆっくり首を振って、「親父さん、その弟さんと仲がよくなかったんだろ。
 あの葬式で暴れた人が弟さんなんだよねえ」そう言われたんです。
それから、「これらの品は、私らの仲間では引き取れない。
 早速その弟さんを呼んで持ってってもらったらいい」こうつけ加えられました。
ためしに「これらって、どれほど価値のあるもんなんですか」って聞いて見ましたら、
「ざっと見ただけだけど、一つ数百万、掛け軸は一千万いくかもしれない・・・」
ということでした。でね、そんな高価なものをあの叔父に渡すのは癪ではあったんですが、
親父の遺言みたいなものですから、それから一週間後くらいに
連絡して来てもらったんです。話を聞いて叔父は大喜びでした。
「おお、兄貴のやつ、こんなものを俺に残してくれたのか。何、3つで2千万の値打ち?!
 そらありがたい。やっぱ持つべきものは兄弟だなあ」

嬉々としてガラスケースを緩衝材でくるんで、自分の古いベンツに積んでました。
そこで、親父が書き残した条件のことを言うと、「ああ、1つ目の条件はもう果たした。
 あとはあれだろ、この3つ、バラバラに売ればいいってことなんだろ」
これで、叔父との縁はすっぱり切れたと思ってたんですが、そうはなりませんでした。
叔父が入院したので、その保証人になってほしいって連絡が来たんです。
はい、叔父は服役したときに離婚して、身内がいなかったんです。
それで、見舞いに行った病院で、叔父はうつ伏せに寝かされて、
強い麻酔をかけられてる状態でした。もう30年も前に入れた背中の彫り物、
それが急に膿を吹いて腐りだし、激痛で暴れるので鎮静しているという医師の話でしたね。
それからほどなくして、一度も意識を取り戻すことなく、叔父は亡くなりました。
叔父の家には、あの3つの品は残ってなく、もう売りさばいてしまってたようでした。

それから・・・1ヶ月ほどして、骨董組合の方にお会いして、
こんな話を聞かせていただいたんです。「あの3つですね。・・・どれも大きな障りを
 まとったものばかりでした。まともな古物商なら絶対に手を出さない品ですよ。
 だから、買ったのは素人に毛の生えたような業者でしょ。あるいは質屋関係か何か。
 あれね、三すくみって誰かがあの場で言ってましたけど、毒をもって毒を制するというか、
 3つをあの形に配置することで、なんとか祟りが押さえられていたんですよ。
 親父さんはその手のことを研究してて、誰より詳しかったから。
 ・・・これは話していいかどうかわかりませんけど、あの弟さんね、
 親父さんは、自分が死んだ後にきっとあなたらに迷惑をかけるってわかってたんでしょう。
 それで、あの品々をわざと形見分けに残した。わたしらみんなひと目でそれが
 ピンときました。誰もあの場では口に出さなかったですけどね・・・」








エジソン対テスラの戦争

2018.07.07 (Sat)
今回はこのお題でいきます。なんか怪獣映画のタイトルのようですが、
そうではなく、どちらも高名な発明家である、トーマス・エジソンと
ニコラ・テスラのことです。年齢的にはテスラが10歳ほど若く、
彼はエジソンにあこがれてエジソン電灯会社に入社していますが、後に対立し、
晩年にはエジソンの名が冠せられた「エジソン勲章」の受賞を拒否しています。

エジソンとテスラ


まずエジソンですが、ご存知でない方はいないでしょう。歌にも、
「♪ エジソンは偉い人、そんなの常識~ パッパパラリラ」とあるとおりで、
子どものころに、伝記を読まれたという人も多いんじゃないかと思います。
その発明には、電話機、蓄音機、電球、映画、トースターなどがあります。

いっぽうのニコラ・テスラには、その発明品として、ラジコン、
蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなどがあります。この2人、
どちらも晩年にはオカルト研究に没頭したことでも知られています。
エジソンは、当時アメリカで大流行していた降霊会を信じていて、
スピリチュアル団体に研究資金を寄付したりしているんです。

テスラコイル


エジソンは、人間の魂を一種のエネルギーと想定し、
エネルギー保存の法則にしたがって、その力は死後も保存されると考えていました。
そこで、空気中に漂う魂のエネルギーをとらえるための
「霊界通信機・霊界ラジオ」の研究に何年も時間を費やしています。

テスラも、同じく晩年には霊界通信の研究に没頭しましたが、エジソンとともに、
成果らしい成果は出せていないのが現実的なところです。あと、
テスラの発明したテスラコイルは、アメリカのカルト団体で疑似科学的に使われ、
オカルトフアンの間で有名な、あの「フィラデルフィア実験」でも使用された
ことになっています。ただ、この話には実体がないですけどね。

フィラデルフィア実験


さて、なぜこの2人に対立が起きたかというと、
主な原因は「電流戦争 War of Currents」によるものです。エジソンは、
直流電流がアメリカのインフラとして送電されるよう推し進め、
それに対しテスラは、自分が考案した交流電流が採用されるよう画策しました。
これ、どちらが採用されるかで莫大な金額が動きますので、
まあ戦争になるのも当然です。

直流と交流の違いはおわかりだと思います。みなさんの家の壁にある
コンセントは交流電源ですし、乾電池やバッテリーは直流です。
直流は電圧は常に一定ですが、交流の電圧は波として変動しています。
下の図がわかりやすいんじゃないかと思います。

交流と直流の違い


結果からいうと、アメリカで採用されたのは交流で、テスラ側の勝ちです。
現在の日本もそうですね。なぜ交流が勝ったかの原因はいろいろあるんですが、
ここでは割愛させてください。で、この電流戦争では、エジソン側から
交流電流に対するネガティブ・キャンペーンが数々仕掛けられました。

次の動画をよろしければご覧ください。(象が感電死する閲覧注意動画です。)
出てくるのは、コニーアイランドの遊園地で飼われていたトプシーという象で、
調教師を3人殺してしまったため、薬殺処分される予定でしたが、エジソン側は、
交流電流の危険を訴えるため、公開の場で電気ショックで殺すことを提案しました。



そして、数秒で煙を出して死ぬ様子が撮影され、エジソンはその場面を
自分が発明した映画にして、全米各地で公開したんですね。
この他にも、エジソンは自分の研究所で、
犬や猫を、交流電流によって多数 殺処分しているんです。

でも、これはどう考えても非科学的だし、そもそもアンフェアですよね。
直流だって電圧が大きければ死ぬはずです。
これに対抗して、テスラ側は人体に交流電流を流し、
その安全性を人々に示すショーを企画して、全米各地を巡業して回りました。

さて、アメリカの死刑方法では電気イスが有名ですが、もちろんこれは、
電気製品が実用化されてからのもので、それ以前は絞首刑が多かったようです。
で、エジソン側は、電流戦争のネガティブ・キャンペーンの一環として、
交流電流が用いられた電気イスでの死刑を提案しました。

史上初の電気イスでの死刑は、1890年、ニューヨーク州のオーバーン刑務所で、
内縁の妻を斧で殺害したウィリアム・ケムラーに対して執行されたんですが、
悲惨きわまる結果になりました。最初17秒間通電しましたがケムラーは死に至らず、
2回目は1分以上通電され、発電機が電圧2000ボルトに上昇するまで

ウィリアム・ケムラーの死刑


ケムラーは叫び続け、肉が焼ける臭いが部屋に立ち込め、頭部から煙が上がり、
最終的には体から炎が上がりました。吐き気を催した見物人が何人も、
部屋から逃げ出したと言われています。この結果について、
「斧を使ったほうがまだましだった」とまで、後に論評されました。

さてさて、みなさんは今、さまざまな電気製品を使われていると思いますが、
その陰には、このような歴史があったんですね。あと、日本では現在、
オウム真理教の松本智津夫の死刑の話題でもちきりですが、
アメリカでの電気イスによる死刑には、こんな興味深い裏話があったんです。
ということで、今回はこのへんで。





殺人光線について

2018.07.06 (Fri)
中国が現在生産を計画しているのが、レーザー・アサルト・ライフル「ZKZM-500」。
これは800m先から標的を狙え、照射された可燃物は燃え、
人間は皮膚を炭にされてしまう恐ろしい武器なのです。

攻撃可能なレーザー・ビームを作るのは、軍事開発が何年も夢見た技術でした。
それが近年、アメリカ軍は船や車両に搭載する巨大レーザー砲の開発に成功。
ドローンなどを撃ち落とすことが出来るようになりました。とはいえ個々の兵士が
所持できるレーザー銃なんて、SF映画でしか実現できないような存在だったのです。

ところが、中国科学院の西安工学精密機械研究所の研究者たちから話を聞いたところ、
彼らは警察が対テロリスト用に持つ強力なレーザー銃を開発したようです。

(YAHOOニュース)



今回は、科学ニュースからこのお題でいきます。レーザー銃ということですね。
自分が子どもの頃、光線銃というのがあって、買ってもらって遊んだ記憶がありますが、
現在でもああいうのは売ってるんでしょうかね。レーザー兵器というと、
映画『スターウォーズ』シリーズのレーザー・ブラスターが有名ですが、
あれが現実のものになったんでしょうか。

下の画像が実物のようですが、おもちゃのような外観ですよね。
重量は3kgということで、一般的なアサルトライフルと変わりません。
画像を見るかぎり、ほとんどがバッテリーの重さのようです。
このバッテリーはリチウムイオン電池で、
2秒間の射撃が1000回撃てる長寿命となっているそうです。

ZKZM-500
ダウンロード

また、制作費は1丁につき166万円ということで、
現在、日本の自衛隊が使用している自動小銃が30万円くらいなので、
高いといえば高いですね。ただ、普通の銃は弾丸の値段もありますし、
充電する電力代と比べてどうなんでしょう。

さて、レーザーについて。英語で「laser」ですが、これは、
「Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation」
(輻射の誘導放出による光増幅)を略したものです。
では、レーザーとはどのようなもので、どんな利点・欠点があるのか。

太陽光などの可視光線を含むすべての電波は、波の性質を持っているのは
ご存知だと思います。波には波長があり、波の高いところ(山)と、
低いところ(谷)があります。太陽光などは、
さまざまな波長の電波の混合なので、山と谷がバラバラですが、
この山と谷がそろっている光をコヒーレント光と言います。



で、レーザー光は、気体や結晶などのレーザー媒質を通すことで、
人工的に山と谷をそろえて増幅された光で、長距離でも拡散せずに飛びます。
風や重力の影響もほとんど受けません。このような性質から、
DVDのレーザーディスクなどの工業製品、また医療などにも使われていますね。

さて、レーザー兵器に関して、アメリカが一番進んでいると考えられています。
2014年、アメリカ海軍はペルシャ湾で、輸送揚陸艦「ポンス」に搭載した
新開発のレーザー砲「LaWS ロウズ」の発射実験を行い、
無人機や小型船を破壊することに成功し、映像を公開しました。

LaWS


これにかかる電力は15~50万ワットほどと推定されています。
また、低出力で使用すれば、敵の兵士の眼を幻惑させる
非致死的兵器としても使えるとしています。アメリカ軍は、2020年までに、
艦隊や航空機にレーザー兵器を導入する計画を立てているようです。

では、レーザー兵器には欠点はないんでしょうか?
これは、まず一つには、光ですから直進性があります。つまり、そのままでは、
地平線・水平線を越える場所をねらうことができないんですね。
ただ、その解決法はあるような気がします。

もう一つは、高出力のレーザーをつくるには、高出力の電源が必要ということです。
そのような電源は重くかさばるので、ハンディな銃に使用するのは
無理があると考えられてきました。ですから、この中国のレーザー銃も、
威力はそうたいしたことがないんじゃないかと思います。

中国政府も、これは軍用ではなく、暴動鎮圧用、または対テロリスト用の
非致死的兵器と説明しています。暴れている人間を撃って「あちちち」と言わせる。
あるいは、持っている紙製のプラカードを燃やす。
とはいえ、目にあたれば失明するでしょうし、可燃性の服を着たりしていた場合、
全身が火につつまれるなんてこともなくはないでしょうね。

さて、話変わって、旧日本軍が第二次世界大戦中に、光線兵器を研究していたのは
ご存知でしょうか。ただし、当時はまだレーザーの概念は一般的ではありませんでした。
そこで、考えられたのは「マイクロ波」を使ったものです。マイクロ波というのは、
電子レンジに使われている波長のごく短い電波です。

研究は、帝国海軍の伊藤庸二大佐を中心に、「Z研究」として進められました。
1944年、海軍技術研究所島田実験所において、出力500万ワットの
「マグネトロン1号実験機」が完成し、レーダーの撹乱実験や、
ウサギなどの実験動物に対する照射も行われました。

伊藤庸二海軍技術大佐
ito (1)

ですが、この電力は、当時の駆逐艦2隻分の発電力を上回るものであり、
実用化するのはとうてい非現実的でした。そのうちに戦局はどんどん
日本軍の不利になっていって、研究は途中で中断、放棄されてしまったんですね。
(原書房1976年 『機密兵器の全貌』より)

さてさて、中国は全体主義の国ですから、国家が必要と考えた科学研究には、
優先して潤沢な資金を投入することができます。ですので、
人類全体にとって危険な破壊兵器が、秘密裏につくり出される可能性も十分考えられ、
自分は怖いなあと思っています。では、今回はこのへんで。

関連記事 『中国科学の脅威』







しみネコの話

2018.07.05 (Thu)
あんまり怖い話じゃないんですけど、いいでしょうか。一口で言うと、
しみの話なんです。あれ、いや、ネコの話かな。やっぱりしみなのかな。
自分でもよくわからなくなってしまいました。まあ、どっちにしても、
かなり長い期間にわたる話です。はじめは、父の仕事の転勤で引っ越していった社宅で、
私が小学校4年のときのことです。社宅といっても、父の会社で借りてる
一軒家で広かったです。2階建てで、2階に二間あって、
そのうちの一つが私の部屋になったんです。
それまでは一つの部屋で両親と寝てたんですが、
初めて一人で寝ることになって。やっぱり、最初のうちはちょっと怖かったです。
けっこう古い家だったので、天井にしみがあったんですよね。
ベッドに寝転んでそれを見てると、どれもこれも中に人の顔が隠れてるような気がして。

でも、ちょうど私の頭の上にあたる部分に、横に長いしみがあって、
それが、体を伸ばして走り出そうとしてるネコに見えたんです。
足が四本ありましたし、体のわりにやや小さい頭と、ピンと立った2つの耳。
「ああ、あれネコちゃんだな」そう思ったら、他のしみがあんまり怖くなくなりました。
その家には4年間いましたので、ずっとそのネコを見て眠りました。
いえ、動き出すなんてことはなかったです。しみはしみだってわかってました。
それから、父は本社に戻ることになって、役職も上がったので、
もう転勤はなくなり、そちらの市に家を建てることになりました。
それで、引っ越すときに、私はそのしみに向かって、
「ネコちゃんバイバイね」って別れをつげたんです。
そのとき、私は中学2年になってました。新しい家の自分の部屋は、

新築ですから、もちろん天井にしみなんかはありません。
私は、転校した先の中学校になじむためにあれこれと必死で、
翌年は3年生、高校受験がありました。
そんなこんなでバタバタと時間が過ぎていったんですが、
新しい家には庭があって、そこにちょくちょくノラネコが現れるようになったんです。
黒猫で痩せていましたが、毛並みはつやがよく、
前足を折り曲げて伸びをするところなんか、
前の社宅にあった天井のしみにそっくりでした。そうですね、1週間に2度ほど、
うちの庭を通ったと思います。一度、母といっしょにベランダにいたとき、
そのネコが姿を現したので、「あのネコかわいい。飼いたいな」って言ってみた
ことがあるんです。でも、母は、「ノラだし、もう大人のネコだから、

 人には懐かないでしょう」って。ええ、たしかに、いつもあたりを警戒してる様子で、
呼びかけても、一瞬身を固めてから素早く逃げていくだけでした。
ええ、一度も体に触ることはできなかったです。
じゃあ、ペットショップでネコを買えばいいじゃないかって思われるかもしれませんけど、
それは、父が反対してたんです。それはそうですよね。
何十年のローンを組んで建てた新築の家ですし、そこらにオシッコをされたり、
柱に爪で傷をつかられたりするのが嫌だったんでしょう。
その家では5年間を過ごしました。その間中ずっと、黒猫の姿は見かけていました。
両親には内緒で、通り道に餌を置いてたこともあるんです。
餌はなくなってたので、きっと夜の間に食べてたんだと思います。
それで、私が大学の受験をひかえた高3のときです。

父が急死しました。車の自損事故です。私用で高速を運転しているとき、
ハンドル操作を誤って道脇のコンクリートの高架の橋桁に衝突して、
即死だったんです。ブレーキ跡がなく、警察では居眠りが原因ということにされました。
ええ、仕事上の事故でもないし、労災にはなりませんでした。
会社からは退職金が出ましたし、少額ですが生命保険にも入ってましたが、
母は主婦だったったため、それからの暮らしには困りました。
それで、まだまだローンが残っている家からは出ることになったんです。
ええ、私は一人っ子でしたし、母と2人で暮らすには広すぎるってこともあって。
その家を引っ越すとき、ちょうど庭にあの黒ネコが来ていました。
母の運転する軽自動車の窓から、ネコに向かって手を振りましたが、
黒ネコは立ち止まったまま、ずっと私たちを見つめているだけでした。

このことをきっかけに、私は進路を変更して、コンピュータの専門学校に
行くことにしました。大学進学をあきらめたということではないんです。
もともとあんまり勉強ができるほうではなかったし、そのことにべつに悔いはありません。
2年間、しっかりエクセルなんかを勉強して、早く就職したかったんです。
アパートに引っ越して、母は老人ホームに職を見つけて働きに出るようになり、
私は学校のある街で別のアパートに、別々に住むようになりました。
学費は母が貯金を切り崩して出してくれましたが、アパート代なんかは、
私がバイトをかけ持ちして払ったんです。それで、その専門学校時代の部屋ですけど、
やっぱり天井にネコに見えるしみがあったんです。
ええ、最初に見つけた社宅のものとそっくりで、不思議だなあって思いました。
まるで、ネコを飼ってるわけじゃないのに、ずっとネコといっしょに暮らしてきたみたいな。

ああ、すみませんね。ここまでのところ、私の身の上話ばっかりで、
怖いことも不思議なことも起きてないですよね。それから・・・私は事務員として
ある会社に就職し、そこで現在の夫と知り合って結婚したんです。
新居は賃貸マンションになりました。2部屋の、マンションとは名ばかりで、
アパートに毛の生えたようなところです。そこの天井には、
さすがにネコのしみはありませんでした。
それで、幸せな新婚生活のはずでしたが、私の体調が悪くなったんです。
そのときは会社は退職して主婦のまねごとをしてたんですけど、
朝、頭が重くて起き上がることがなかなかできなかったんです。
小さい頃から健康だけが取り柄だったのに、家事もままならないありさまで。
もちろん病院に行って詳しい検査を受けたんですけど、どこにも異常はなし。

でも、食欲もなく、体重がどんどん減っていって・・・
それと、夫との仲もうまくいかなくなってきたんです。ええ、私のほうに原因がありました。
いつも重い頭痛があったせいか、夫の言うこと、やることすべてが気に入らず、
トゲのある言葉を口にしてしまって。わずか新婚1ヶ月でそうなってしまったんです。
あと、夜に夢を見てうなされるようになったんです。私が一人で鏡に向かっている夢です。
そのうち、鏡の中の自分の顔がだんだんに歪んできて、
手で押さえるとどろどろと崩れ、悲鳴を上げて目をさますんです。
ほとんど毎夜のことで、病院で眠剤や安定剤をもらっても、同じ夢が続きました。
そんなだから、夫はだんだん帰りが遅くなり、お酒を飲んでくることも多くなって、
それがまたいさかいのタネになりました。それで、ある夜のことです。
その日も夫は遅く、私は寝室のベッドで一人でうとうととしていました。

そのとき、寝ている自分の横に何かがいるような気がしたんです。
でも、そっちの側はベッドをくっつけてる壁で、そんなスペースはありません。
でも、気になってしかたがないので、そろそろと体の向きを変えていくと、
枕元にネコが一匹いたんです。「え!?」と思いました。
だって、部屋は8階で、ネコが入ってくるなんてありえない。
でも、たしかに黒ネコがいて、あの亡くなった父と住んでた新築の家の庭で見てたのと
そっくりに思えました。手を伸ばそうとしたんですが、体が動かない。
金縛り状態になってたんです。ただ眼は動きました。ネコは立ち上がって、
頭の上のあたりの壁をガリガリとひっかき出しました。
すぐにその部分の壁紙がはがれて、白い建材がむき出しになり、
それでもネコは、いつまでもいつまでも壁をかきむしるのをやめずに・・・

そこで意識が途切れたんです。「おい、どうした」という声とともに揺り起こされました。
見るとベッドの脇に夫が立っていて、「大丈夫か、手をどうした?」って聞いてきたんです。
私の手は両方とも血だらけで、爪が何枚かはがれかかってたんです。
はっとして、ネコが引っかいてた壁を見ました。やはり壁紙がはがれ、
中から断熱材が出てきてたんです。これ、私がやったのか・・・
そのとき、壁の中に何か光るものがあり、痛い手で引っぱり出してみました。
古い小さな手鏡で、鏡面はひび割れて、後ろ側に何か読めない字のようなものが
書いてあったんです。これで、話はほとんど終わりです。その手鏡は、夫と相談して、
近くの神社に持っていきました。それから私の体調は嘘のように回復し、
夫との関係もよくなりました。ええ、今は幸せです。ネコは・・・それ以来、
姿を見ていません。すみませんね、こんなとりとめもない話で。







七夕あれこれ

2018.07.04 (Wed)


今回はこのお題で行きます。前に「こどもの日」の話を書きましたが、
七夕も中国で始まった五節句の一つで、太陰太陽暦の7月7日に
行われていました。それが日本にも伝わったわけですが、
明治時代に太陽暦(新暦)に移行したとき、そのまま7月7日に設定したため
梅雨のさ中の日になってしまいました。

ですから、なかなか星が見られるような天候にならないんですね。
大阪は現在、小雨模様の天気ですし、7月7日の予報も雨です。
このあたり、なんとかならないかとも思うんですが、
今さら変えようもないでしょうしねえ。

さて、織女と牽牛のお話はご存知だと思います。中国の言い伝えでは、
天の川の東に織女がいて、天帝の命で機を織っていたが、
天帝はその独居を憐れんで、天の川の西にいる牽牛星のところへ嫁がせた。
すると、織女は機織りをやめてしまったので、怒った天帝は
織女を元の場所に戻し、1年に1度だけ牽牛に会うことを許した。

また、織女にちなんで、この日は裁縫の上達を願う日とされ、
7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて祈ったところから、
日本では、現在のように短冊に願い事を書いたものを
笹竹に下げるようになりました。奈良時代にはすでに行われていたようです。

さて、こっからは星の話をしましょうか。まず天の川ですが、
英語では Milky Wayと言い、乳の流れる川に見立てられています。
なぜ、たくさんの星々が川筋のように見えるかというと、地球を含む太陽系は、
宇宙にたくさんある銀河の中の「天の川銀河」に属していて、
その平たい円盤状の中から外側にある星を、横向きに見ているためです。
下の図がわかりやすいと思います。

天の川銀河

で、地球から見て、この天の川の東にあるのが織女星です。
英語でベガ(Vega)と言い、こと座で最も明るい一等星です。
地球からは25光年ほど離れています。
また、牽牛星は英語でアルタイル(Altair)。わし座で最も明るい星で、
やはり一等星です。地球からの距離は約16光年ですね。

では、ベガとアルタイルはどのくらい離れているのか。
これは年周視差の難しい計算をしなくてはならないんですが、
だいたい14~15光年ほどと考えられています。ですから、織女と牽牛が
会うためには、光の速さで15年もかかってしまうわけです。

夏の大三角形


もし両者が同時に出発しても、その半分の7年半かかります。
相対性理論では、光速度を超えて移動はできないことになっていますが、
まあ、そこはそれ、愛の力の前には、
物理法則は通用しないということなんだろうと思います。

で、上で書いた雨の話に戻って、過去の7月7日の天候を調べてみると、
統計のある1961年から2016年までの56年間で、
晴れていたのはわずか17回。確率は約3割しかないんですね。
もしこれが旧暦だったら、七夕の日は現在の8月26日ころになり、
それだと晴れる確率が雨の場合を上回ります。

さて、七夕の日に降る雨のことを「催涙雨 さいるいう」などと言います。
これは会うことがかなわなかった織女の流す悲しみの涙とされますが、
それだとあまりに可哀想だということで、もし雨で天の川が渡れない場合、
カササギが橋を架けて渡してくれるという話があります。

これも中国由来で、前漢時代の『淮南子』という書物には、
「カササギが河を埋めて橋となり、織女を渡した」という文章が出てきます。
カササギはカラス科で、もともと日本には生息していない鳥でした。
ですから、催涙雨には、困難を乗り越えて会うことができた2人の
嬉し涙の雨だという説もあるんですね。

カササギ


ここで少し話を変えて、百人一首に選ばれた、
『万葉集』の編者である歌人、大伴家持の歌に、
「かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける」
というのがありますが、これ、なんか変だと思いませんか。

大伴家持


「かささぎの橋」は上記伝説の七夕の橋のことで、七夕は夏の行事なのに、
なんで霜が白く降りてるんでしょうか。
これは、平城京の宮中にあった建物を結ぶ橋や階段などを、
天上に例えて「かささぎの橋」と当時 呼んでおり、武人でもあった家持が、

冬のさなか、宿直(とのい)の役目を果たしているとき、その上に、
真っ白く霜が降りているのを見て詠んだものだろうと考えられています。
自分は和歌は不勉強でよくわかりませんが、
夏の象徴である七夕の縁語を用いて冬の情景を詠んだところに
家持の技巧があり、百人一首に選ばれているのかもしれません。

さてさて、まとまらない話になってしまいましたが、
七夕に関するうんちくを少し書いてみました。自分の本業は占星術ですので、
雨が降らず、星が観測できる夜が続いてくれるとありがたいです。
では、今回はこのへんで。

関連記事 『こどもの日って怖い?』



 



山の中国人の話

2018.07.03 (Tue)
※ これ、だいぶ前に2ちゃんねるに書いたんですが、ずっと書いたことすら忘れてて
最近になって転載サイトで見つけて、ああ、自分の話だなあって思い出したものです。
あんまり怪談としていい内容ではないですが、いちおう収録しておきます。

うちのジイサンの話だが、聞いたのは親父からだ。
ジイサンの住んでた実家は北陸のほうなんだが、場所はちょっと勘弁してくれ。
ジイサンが40代の頃、自分の持ち山に入って山菜採りをしていた。
それが夕方になって青い顔をして帰ってきて、履物を脱ぐなり、
「山の中国人に目をつけられた」と言った。家のものは誰もその意味がわからなかった。
その地方には山に中国人が住んでるという言い伝えのようなものはなかったし、
見た人もいなかったから。 ほとんど外国人が住んでいるとこではなかったんだ。
ジイサンは若いころ台湾にいたことがあり、
それと何か関係があるのかもしれないと親父は思ったそうだ。

翌日からジイサンは家(藁葺き農家)の戸締まりを厳重にし、
つねに山刀を持ち歩くようになった。それと外出を避けるようになったが、
これは田仕事があるんで出ないわけにもいかない。
それでも日が落ちてからは外出しないし、
なるべく人と連れ立って歩くようになり、山には絶対に行かなかった。

2週間くらいして、家の田んぼに立てていた案山子に、
赤黒い液体がかけられている、ということがあった。
ジイサンが見つけたんだが、田んぼの中にまで流れ込んですごい量だったらしい。
獣か人間の血なのだろうとジイサンは言っていたそうだ。

このことがあってジイサンの精神状態はかなり悪化して、
夜中にとび起きて、包丁を振り回すということまであったそうだ。
それからまたしばらくして、 朝外に出たら、
家の表戸に大量の血がかけられているということがあった。
見つけたのは親父で、読めなかったが、血で汚れた戸には漢字だけで
書かれた護符のようなのが貼られていたんだと。
親父はすぐにジイサンに知らせ、ジイサンは様子を見るなり意を決したように、
竹竿の先に包丁を縛りつけた手製の槍?を持って、
家族が止めるのも聞かずに、握り飯を背負って山に入っていったそうだ。

その日は夜になってもジイサンが返ってこないんで、
家のものが村役に知らせ、翌日村の若者組による大々的な捜索があった。
家の持ち山では見つからなかったが、遅くなってから近くの谷の渓流沿いで、
大木に縛りつけられて死んでいるジイサンが見つかった。
足だけが上のほうの幹に縛られた逆吊りで、
鋭利な刃物で内蔵がすっかり抜かれていたという。
その木の周りには紙の護符がたくさん散らばっていたんだそうだ。
もちろん村の駐在で事足りる話ではなく、県の警察がきて調べ、
家族は一連のことについていろいろ聞かれたが、
まったく手がかりはなく、犯人は捕まらなかった。当時の新聞にも載った事件らしい。

親父はその後成人して、『山の中国人』につてかなり調べたらしいが、
わかったことは教えてくれなかった。






安徳天皇と八岐大蛇

2018.07.03 (Tue)
今回はこの話題でいきます。これまで当ブログでは、
天皇シリーズと呼べる記事を書いてきてて、
「武烈天皇」「天武天皇」「斉明天皇」などを取り上げてるんですが、
どちらかといえば学術的な内容になっています。それに対し、
本項はかなりオカルト色の濃いものですので、その点をご承知おきください。

安徳天皇の入水


さて、安徳天皇はみなさんご存知でしょう。12世紀後半の第81代天皇。
先代、高倉天皇の第一皇子で、母は平清盛の娘の徳子(後の建礼門院)ですので、
清盛の孫にあたるわけですね。御年8歳にして、三種の神器とともに
壇ノ浦に沈んだと『平家物語』には記されています。

ではまず、安徳帝の最期の様子を、『平家物語』の名文で見てみましょう。
「小さくうつくしき御手をあはせ、まづ東を伏し拝み、
伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、その後西に向かはせ給ひて、
御念仏ありしかば、二位殿やがていだきたてまつり、
波の下にも都のさぶらふぞ となぐさめたてまつつて、千尋の底へぞ入り給ふ。」




訳すまでもないでしょう。ここで出てくる「二位の尼」は、平時子、
清盛の正室で、安徳天皇の祖母にあたります。このとき、幼帝といっしょに、
宮中に伝わる三種の神器も、波の中に投げ沈められたとされます。
ただし、八咫鏡と八尺瓊勾玉は入っていた箱が浮いたために回収され、
天叢雲剣(=草薙剣)だけが失われたことになっています。

で、同じ『平家物語』の「剣巻」という部分に、じつに面白い記述があるんです。
「草薙剣は風水龍王、八岐大蛇と変じて、素盞鳴尊に害せられ、持つ所の剣を奪はる。
(中略)八歳の帝と現れて、本の剣は叶はねども、後の宝剣を取り持ちて
西海の波の底にぞ沈み給ひける。終に龍宮に納まりぬれば、
見るべからずとぞ見えたりける。」


天叢雲剣はもともと本体が龍王で、八岐大蛇に姿を変えていたときに、
スサノオによって殺され、尾の中にあった剣を奪われてしまったが、
時を経て、8歳の天皇に姿を変えて現れ、宝剣を取り戻して海の中に沈んだ。
天叢雲剣が失われてしまったのは、龍宮の中に収まっているからだ・・・

天叢雲剣イメージ


ここで、「本の剣は叶はねども」とあるのは、本来の天叢雲剣は
名古屋市の熱田神宮にあり、宮中にあったのは、
いわゆるレプリカだったという意味でしょう。ただしレプリカと言っても、
本体から分霊を受けているものです。

つまり、安徳天皇は龍王の化身で、天叢雲剣を取り戻すためだけに転生して
平家が奉じる天皇となり、宝剣を取り戻すために海に沈んだということで、
平家が壇ノ浦で滅亡するのは、天が定めた運命だということになるんでしょう。
それだけ、三種の神器は重要視されていたわけです。

さて、平家を滅ぼした源氏の頭領、源頼朝は、この戦いで安徳天皇と天叢雲剣を
失ったことをずっと悔やんでいたと言われます。頼朝は、落馬した傷がもとで
死んだとされますが、『北條九代記』という資料には、幼くして壇ノ浦の藻くずと
消えた安徳天皇の亡霊が現れ、頼朝は心神を喪失して馬から落ちたと出てきます。

源頼朝


この 「安徳天皇=八岐大蛇=龍王」という話をおそらく知っていて描かれたのが、
諸星大二郎氏の漫画『妖怪ハンター』中の「海竜祭の夜」ですね。
作中、平家の落人の島に「あんとく様」という、巨大な海蛇の体に
幼児の顔がついた怪物が現れます。

「海竜祭の夜」


さて、話変わって、非業の死を遂げた歴史上の人物には「生存説」
がついて回りますが、安徳天皇にもあります。瀬戸内海を秘密裏に脱出し、
鹿児島県の南方海上にある「硫黄島 いおうじま」に逃れたとするものです。
ちなみに、ここは太平洋戦争の激戦地であった「硫黄島 いおうとう」とは別です。

硫黄島は鬼界ヶ島とも言われ、鹿ケ谷の陰謀により、俊寛、平康頼、藤原成経が
流罪にされた島です。このうち、平康頼、藤原成経の2人だけが罪を許され、
一人島に取り残された俊寛が絶望のあまり足摺をした場面も『平家物語』では有名で、
これをもとに、芥川龍之介が「俊寛」という作品を書いていますね。

硫黄島の俊寛像


で、平資盛や時房らとともに南に逃れた安徳天皇は、やがて鬼界ヶ島の
長浜の浦に着き、現地で成人して資盛の娘と結婚し、
68歳まで生きたと言われています。硫黄島には、安徳天皇陵とされる
小さな墓をはじめ、その周囲に一族のものと言われる墓がたっています。

また、終戦直後には、安徳天皇の子孫を自称する人物が島に現れ、
マスコミから「長浜天皇」と呼ばれて話題を集めています。長浜家の家宝には、
「開けずの箱」があり、神器だから見ると目がつれてしまうと
言い伝えられていたという話もあります。

さてさて、最初に書いたとおり、本項の内容はオカルトですので、
本気にされても困ります。ただ、『平家物語』は仏教的な無常観を基調にした
脚色が強く、どこまでが史実なのかよくわからない部分が多いんですよね。
では、今回はこのへんで。

関連記事 『平家物語は鎮魂の書?』

安徳天皇陵?