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死体保存の方法

2018.08.31 (Fri)
今回はこういうお題でいきます。グロ画像を多数含みますので、
苦手な方はスルーしてください。さて、みなさんは、死体保存方法と
いえば、いくつ思いつかれるでしょうか。じつはこれ、
けっこうたくさんのやり方があります。

イタリア 2歳の少女のミイラ


まず、一番歴史が古いのは「ミイラ」でしょうね。古代エジプトでは、
3500年ほど前からミイラ作成が始まっています。
それと、ミイラには計画的につくられたものと、
偶然に遺体がミイラ化してしまったものとがあります。

下の画像は、中国の「馬王堆漢墓」から発掘された、紀元前2世紀の為政者の
妻のミイラです。発掘が行われたのは1972年で、
このときには、まるで生きているように見える状態だったと言われますが、
年月がたって劣化が進んでいるようです。これはもちろん、意図して
ミイラ化されたわけではなく、遺体が置かれた条件がよかったからでしょう。

「馬王堆漢墓」のミイラと復元図
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エジプトのミイラは、内臓が抜かれ、別途に壺に入れて保存されますが、
自然にできたミイラは、乾燥したり湿屍化しているものの、
内臓などの痕跡は残っています。上の馬王堆のミイラも、筋肉組織、軟骨、血管
まで、ほぼ完璧に残っていました。ちなみに、同じ墓で発掘された
夫と見られる男性の遺体は、骨の断片だけだったんです。

さて、次の方法は「剥製」です。ただ、剥製が厳密な意味での遺体保存かどうかは、
判断が難しいところもあります。というのは、一般的な剥製は、
内臓や骨はすべて取り除かれ、残っているのは皮膚や毛皮だけの
場合が多いんですね。人間を剥製にしたケースは、アメリカで、
映画『悪魔のいけにえ』のモデルとなった、エド・ゲイン事件などがあります。

次は「冷凍保存」です。ただし、昔は人工的な冷凍保存技術はありませんでしたから、
発見された遺体は、みな偶然によって保存されたものです。
有名なところでは、下の画像は「ジュジャイジャコの少女」と呼ばれるもので、
今から500年前の、インカ帝国時代の生贄の少女です。

「ジュジャイジャコの少女」
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他の2体の生贄の子どもといっしょに見つかったんですが、
発見場所が標高6800mのアンデス山中の凍土の中だったので、
冷凍保存されていたんですね。ただ、これをミイラとする意見もあり、
その判断も難しいところです。あと、アルプス山中の氷河から見つかった
「ジ・アイスマン」と呼ばれる5000年以上前の遺体もよく知られています。

「ジ・アイスマン」
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この冷凍保存ですが、現代ではビジネスとして行われるようになってきています。
「クライオニクス」といって、病気で亡くなった人物を冷凍カプセルに入れて、
医療技術の進んだ未来で蘇らせようとするもので、世界中で約400人ほどが
保存されています。ただし、高額な費用がかかる上、
当然ながら、未来で確実に生き返るという保証はありません。

次は、「ホルマリンなどの保存液に漬ける」もの。下の画像は、
19世紀ポルトガルの、ディオゴ・アルヴェスという名の犯罪者の頭部です。
農民を多数殺害し、略奪した罪に問われました。ホルマリン漬けの
医学標本は多数あり、医療の進歩に役立っています。

犯罪者の頭部のホルマリン漬け
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次は、「エンバーミング」によるもの。エンバーミングは、遺体を消毒や保存処理、
また必要に応じて修復することで長期保存を可能にする技法のことで、
西欧では早くから発達していました。下の画像は、旧ソ連のエンバーミング技術に
より保存されている、ウラジーミル・レーニンの遺体です。
現在でも、毎年定期的に手入れがなされているようです。

ウラジーミル・レーニンの遺体
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次、近年になって、「プラスティネーション」と呼ばれる画期的な遺体保存法が
登場しました。遺体を構成している水分と脂肪分を、プラスチックなどの
合成樹脂に置き換えるもので、ドイツ出身、「死の医師」の呼び名を持つ、
グンター・フォン・ハーゲンスにより考案されました。

ハーゲンスは、中国に遺体処理の工場を作り、そこで生産された標本を
世界各地で展示する興行を行いましたが、これについては、重大な人権侵害がある
という議論が起こっています。どうやって遺体を入手したのか、
遺体を展示することについての本人の意志確認はなされているのか。

いくら遺体とはいえ、性器をむき出しにし、セックスのポーズをとらせるなどの
ことはどうなのか、等々の疑問ですね。また、これは証拠があるわけではないのですが、
この展示に使われた遺体は、中国で弾圧された宗教団体「法輪功」の
処刑者なのではないかという話もあります。いずれにしても、ハーゲンスが中国に
工場を開設したのは、死体の入手しやすさが大きな要因であったのは間違いないでしょう。

「人体の不思議展」


さてさて、最後に遺体の保存法として「神の力」をあげておきましょう。
キリスト教では、神に祝福された聖人の遺体は腐敗しないとされ、
「不朽体 Incorruptibility」と呼ばれます。聖人は未来での生を先取りしているため、
神の恩寵によって遺体が不朽のものとなっているというわけです。

下の画像は、インドにある、日本でも有名な宣教師、聖フランシスコ・ザビエルの不朽体。
足の指がグズグズになっているのは、信者によって噛み切られたり、
接吻を受けたりしたためです。不朽体は、防腐処理されていてはならないのが原則ですが、
実際には、移動の際などに石灰などで処理されている場合が多いんですね。

フランシスコ・ザビエルの不朽体
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最後の画像は、フランスで奇跡の治癒力を持つ「ルルドの泉」の発見と
聖母出現に関わった、聖ベルダネッタの遺体です。彼女は35歳で亡くなりましたが、
遺体は腐敗せず、聖人として認定されました。ただし現在、遺体の露出部には
蝋製のマスクがかぶせられています。では、今回はこのへんで。

聖ベルダネッタの不朽体 顔や指など見えている部分は蝋製
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長いお休みの話

2018.08.30 (Thu)
これ、昭和30年代の、私が6年生のときの小学校最後の夏休みの話です。
当時は、絵に描いたような田舎に住んでましてねえ。
ええ、ゲームなんてない頃で、子どもは外で遊ぶのが当たり前でした。
当時はほら、少子化なんてこともなく、兄弟が5人ぐらいいるのも珍しくなかった
ですから、家にいても自分の部屋はないし、小さい子のお守りをさせられるしで、
夏休み中なんかは、朝から捕虫網を持って駆け出してったもんですよ。
今とは違って虫もたくさんいたし、空き地に行けば子どもが集まってて、
鬼ごっこしたり、野球したりしてたもんです。
それに、暑くてどうにもならないときは、渓流を遡ってって泳いだりもしました。
もっともこれは、学校では危険だからと禁じられてましたが、
言うことなんか誰も聞きやしなかったです。

宿題ですか、当時もありました。ありましたけど、そんな大変だったって記憶もないです。
今のことはわかりませんが、比べれば当時のほうがずっと量は少なかったと思いますよ。
ああでも、読書感想文は大変でした。ふだん本なんて読んでなかったですから。
それでね、この話、読書感想文ともちょっと関係があるんです。
夏休みも半ばを過ぎた頃でしたね。「ちょっと○○、おいで!」
朝、起きがけに母親が私を玄関に呼んだんです。行ってみると、隣の家のご夫婦が
そろってて、後ろに大型トラックがありました。「△△さん、引っ越すんでごあいさつに   
 来てくださったんだよ。それで、お前に△△さんの息子さんが昔読んでた
 本をくださるって」そのときは、本なんて別にいらないと思ったんですが、
母親に言われて「ありがとうございます」って頭を下げました。
でね、小さな本棚にびっしり、30冊くらいあったかな。

子ども向けの世界文学全集が家に来たんです。うちは、私の下には小2の弟と、
まだ幼児の妹がいましたが、なんとか読めるのは私だけでした。
でね、読んでみるとこれがけっこう面白かったんです。
「宝島」とか「十五少年漂流記」とか、そういうのはね。
「小公女」とか「家なき子」みたいなのはダメでしたけど。ただ、昼はやっぱり
外で遊ぶことが多かったですから、読むのはもっぱら夕食後でした。
蚊帳を吊った寝床で読んでて、夢中になっていつまでも電気を消さないで
怒られたりしたこともありました。ああ、すみません、ちっとも怖い話にならないで。
で、夏休みも、残すところあと数日ってなったときに、
読書感想文を書こうと思って、「巌窟王」ってのを読んでたんです。
ああそう、モンテ・クリスト伯爵が出てくるやつですね。

今考えれば、原作はかなり辛辣な復讐譚なんですが、それを子ども向けに
書き直した内容で、なかなか面白かったんです。それで、読んでいくと、
ページの間に黄ばんだ紙がはさまってました。かすれた鉛筆の字で
何か書いてあり、地図じゃないかと思いました。米田口ってあって、
それ、近くにある山の登山口のことだとわかったんです。
ま、山っていっても高さは数百mで、子どもでも2時間かからず登れるようなの
なんですけどね。その登山口からずっと、山道をなぞるようにして線が引かれてて、    
それが頂上から少し下のところで、右に折れてたんです。
で、紙の上で2cmくらいですか。ぐりぐりと鉛筆で書いた丸があって、
「ひみつのどうくつ」ってあったんです。「おっ」と思いました。
この本、隣からもらったんだから、この地図も隣の息子さんが書いたんだろう。

それにしても、「ひみつのどうくつ」ってのは、なんとも子ども心をくすぐる
言葉じゃないですか。これ、今もあるんだろうか?
何年くらい前に書かれたんだろう? でもね、私は隣の息子さんという人に
会ったことがないんです。ええ、ご夫婦とは何度も会ってましたけど。
ですから、きっともうとっくに大人になって、別のところに住んでるんだろう
と考えました。それと同時に、この場所に行ってみよう、って強い気持ちが
わきあがってきましてね。もうないのかもしれない、
でも、秘密の洞窟には宝物があるかもしれないし。胸をわくわくさせながら、
その夜は寝たんです。翌日、朝から、親には虫捕ってくるって言って、
捕虫網を持って山に向かったんです。米田口の場所はわかってまして、
そこまで1時間くらい。汗だくだくになりながら、山に入っていったんです。

ええ、夏ですからね。草木が生い茂ってましたが、道はついてました。
かなり早足で登ったので、2時間かからず頂上に着きました。
でね、かなり注意して見てたんですが、右手に脇道なんてなかったんです。
おかしいなあ、昔あった道がふさがれちゃったのか? そう考えながら降りていくと、
ある場所で、なんか藪が薄いように思えるところがありました。
これ、昔の道の跡なんじゃないか、そう思って、木の枝を両手でかき分けると、
下に道の跡が見えました。で、体をこじ入れて無理やり入っていったんです。
体が小さい子どもだからできたんでしょうね。でね、木の枝の下を這うようにして     
進んでくと、山の斜面が灰色の岩に変わって、洞窟らしきものがあったんです。
といっても、狸の穴みたいな大きさで、大人はとうてい入れない。
しかも穴には落葉や苔みたいなのがたくさん詰まってて、

まずそれを手で掻き出しました。頭を突っ込んで中を覗きましたが、
真っ暗で、湿った臭いがしました。両手を伸ばして肩まで入ってみましたが、
それ以上はつっかえそうだ・・・そのときです。伸ばしてた手をぐんと引かれた感じがして、
「ああー」と声を上げながら下に落ちていきました。
長い時間かかった気もしましたが、どんと尻から落ちて、
息がつまりました。なんとか立ち上がると、上のほうに明るい穴が見え、
私が落ちてきたものだってわかりました。たいした高さじゃなかったんですが、
穴の中はつるっとした岩盤で、足がかりも手がかりもなく、
登りようがありませんでした。ああ、困ったと思いました。
声を出して叫んでも、まず誰にも聞こえないだろう。それは子どもでもわかったんですが、
やっぱり叫んでしまったんです。「助けてくれ~」って。

そしたら、後ろから「・・・やあ」って声をかけられ、驚いて跳び上がってしまいました。
振り向くと、ランニングシャツに半ズボンの、その頃の私と同じくらいに見える
男の子が立ってました。「あ、あ、びっくりした」そりゃそうですよね。
そんなとこに人がいるなんて思ってもみませんでしたから。
でも、すぐ聞いたんです。「どっから入ったん? 他に入り口がある?」って。
その子はぼんやりした様子でしたが、「入り口・・・ないよ、そこだけ」
と間のびした声で答えて。「じゃあ君も落ちたの? 出られないと大変だよ」そう言うと、     
その子は「いやあ、でも、ここにいればずっと休みだよ」
「そんな食べるものもないし、家の人が心配するだろ」そのとき、いい考えが浮かんだんです。
「そうだ、肩車すればあの穴に手が届く。まず一人が上がって、それから
 上から引っぱり上げるか、それがダメなら大人の人を呼んでくればいい」

するとその子は、「僕は出ないよ。ここにいる。君が出たいなら肩車するよ」
そう言いました。その子はガリガリに痩せてたので、大丈夫かと思いましたが、
出たい一心で、「じゃあ頼むよ」肩車してもらったんです。穴の縁に手をかけて、
ぐんと体を引っぱり上げました。で、地面に立つと、今度は落ちないように穴を
のぞき込んだんですが、その子の姿は見えませんでした。「おーい、おーい」
呼んでも返事はなし。それで、走って山を駆け下り、怒られると思いましたが、
近くの農協倉庫の大人の人に知らせました。「子どもが穴に落ちてる」って。
・・・農協の作業員の人たちといっしょに山に登って案内し、
なんとか穴の前に連れて行っても、中に呼びかけても返事はないし、
私が嘘をついてるって疑われてしまいました。でも、私が泣きながら言いはったので、
消防署員を呼んでくれて、穴の中をサーチライトで照らしました。

ええ、中の岩盤に、もたれるようにして座った白骨が見えたんです。
そこから作業は困難を極めました。穴は大人が入れる大きさじゃないし、
探しても他に入口はなかったしで、結局、電気ドリルを使って穴を広げ、
消防署員が中に入って遺骨を回収しました。
それ、子どもの骨で、12年前、ちょうど私が生まれた年に行方不明になってた
隣家の息子さんだったんです。大規模な捜索隊が出てたんですが、
ずっと見つからないままの。警察にも、私の両親にも、何でそんなとこに行ったか聞かれて、
「ひみつのどうくつ」の地図を見せたんです。どっちもすごく驚いてました。
ただ、穴の中で子どもに会って話をしたことは、どうやっても信じてもらえませんでしたね。
まあ、今となっては私も信じられないくらいですから。引っ越していた隣のご夫婦が
戻ってこられて、ずいぶん感謝されましたよ。







科挙と4人の人物

2018.08.29 (Wed)
日本はかつて古代中国から多くのことを学んだが、
すべてをやみくもに導入したわけではない。
歴史を通じて有名な官吏採用試験制度である「科挙」や「宦官」は、
日本で広まることはなかった。

日本が遣隋使や遣唐使を通して中国から多くを学んだのは事実だ。
しかし記事は、「遣明使や遣清使がなかったことからわかるように、
明や清には学ぶべき文明はなかった」と指摘。本当に進んでいた隋や唐からは学び、
進んだ文明ではなかった明や清からは学ぶことはせず、
のちに西洋から学ぶことにした日本は賢いと論じた。
(レコードチャイナ)

科挙の合格発表の様子
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今回はこういうお題ですが、科学ニュースからではありません。
中国メディアが掲載したものです。やや地味な内容になると思われるので、
スルー推奨かもしれません。さて、日本が古代中国から学ばなかったものとして、
「科挙」と「宦官」があげられていますが、
この記事、自分には少し違和感があります。

というのは、科挙と宦官ではだいぶ始まった時期が違うからです。
宦官は異民族に対する去勢として行われ、紀元前からありました。
これに対し、科挙のほうは、6世紀末の隋の時代に開始されたもので、
ずいぶん時代のへだたりがあるんですね。

さて、科挙というのは、ご存知のように、中国の官僚登用試験のことです。
それまで中国では、官僚は貴族階級から登用されていましたが、
科挙は、家柄や身分に関係なく誰でも受験できる公平な試験で、
才能ある個人を官吏に登用する制度は、当時としては世界でも画期的なものでした。

では、なぜこれを日本が学ばなかったかというと、いろんな理由があるでしょうが、
一番は、中国との国家スケールの違いかなと思います。
中国は国土が広く、また朝廷の役職の数も多く、膨大な量の官吏が必要でしたが、
日本の官僚数はその何十分の一でした。

次に、上で科挙は世界でも類を見ない制度と書きましたが、反面、
弊害もたくさんあったんです。まず、公平に人材を募集すると言っても、
当時の中国は識字率が低く、また、科挙の勉強のための書物をそろえたり、
塾に入ったりするには、やはり資産家の子弟でないと無理だったんですね。
真の意味で、社会階層をとっぱらうことはできなかったんです。

それと、科挙の試験科目が古典詩や儒教であり、実学ではなかった点です。
科挙に合格した官僚は、ともすれば「ただ読書のみ尊く、それ以外は全て卑しい」
という考えを持つようになり、治水土木や経理などを小馬鹿にした、
あまり実務に役立たない人物が多かったんですね。

さて、科挙の倍率はどの時代においても高く、3000倍になったときもありました。
ですから、合格者の陰には多数の不合格者がいて、
悲喜こもごもの物語が生まれています。ここから科挙に関わった4人の人物を
ご紹介しますが、史実としては疑わしいものが多いです。

「黄粱の夢」
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まず、一人目は盧生(ろせい)という人物です。彼は故郷の趙から都へ出て
科挙を受けましたが不合格になり、失意のうちに国に帰る途中、
邯鄲(かんたん)という地で、道士から栄華が意のままになるという不思議な枕を
借りて寝たところ、夢の中で科挙に合格して立身出世し、
子孫も繁栄して、栄耀栄華を極めた一生を終えました。

ところが、目が覚めてみると、さっき火にかけた黄粱(こうりゃん)が、
まだ煮えないほどの短い時間しかたっていません。これに虚しさを感じた
盧生は科挙をあきらめ、故郷で妻を娶ってつつましく暮らすことになります。
故事「邯鄲の枕、黄粱の夢」のエピソードですね。

鍾馗
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次は、鍾馗(しようき)。鍾馗様といえば、長いヒゲをたくわえ、剣を持った怖そうな
道教の神様で、魔除けや疱瘡除けにご利益があるとされますが、
もとは、科挙に不合格になり、それを恥じて自殺してしまった人物なんですね。
唐の第6代皇帝、玄宗が病気になって高熱に苦しんでいると、
夢の中で小鬼が現れ、イタズラをしかけてくる。

そこに、どこからともなく大鬼が現れて小鬼をつぶしてしまう。玄宗が大鬼に正体を
尋ねると、「私は鍾馗というもので、科挙に不合格になって自殺したが、
唐の高祖皇帝は、そんな自分を手厚く葬ってくれたので、恩を感じてやってきたのだ」
と答えた。玄宗が目を覚ますと、熱はすっかり下がっていた。
このような話が伝えられ、鍾馗は疫病除けの神様として祀られるようなったわけです。

次は、科挙に見事合格した李徴(りちょう)という人物です。李徴は
晴れて官吏となり、辺境の任地に赴きますが、それは労苦だけが多い下積みの生活で、
詩人として名声を得たいと思っていた李徴は、ともに語り合う人物も周囲にはおらず、
ついに発狂し、山の中に消えて行方不明になってしまいます。

人喰い虎
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もうおわかりですよね。小説家、中島敦が書いた『山月記』ですが、
中国の古典にもとになる話があります。李徴は、人喰い虎に姿を変えて友人の前に現れ、
涙を流して自らのそれまでの半生を呪い、自分が書いた詩を記録してくれと言い残して、
再び姿を消します。これをみると、科挙に合格しても、それはそれで大変だったんですね。

最後、4人目は黄巣(こうそう)。中国史に残る唐の時代の実在の人物です。
科挙に何度も落ちた黄巣は、失意から塩の密売人となり、次第に勢力を集めて、
「黄巣の乱」を起こします。これにより、全国王朝としての唐は実質的に滅び、
黄巣は皇帝を名のって斉の国を立てますが、塩賊に国が運営できるはずもなく、
10年も続かずに、ついに首をとられてしまいます。

黄巣
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さてさて、ということで、4つのエピソードを見てきましたが、
どの話からも、科挙が持っていたさまざまな問題点を読み取ることができそうです。
日本がこれを取り入れなかったのは、慧眼だったのかもしれません。
では、今回はこのへんで。

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「魔除け」って何?

2018.08.28 (Tue)
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今回はこういうお題でいきます。カテゴリはオカルト論かな。
さて、魔除けというのは、まじないの一種でしょう。
まじないとは、さまざまな民間信仰が混然とした形になっているものです。
前に、当ブログでは「まじない」について考察していますので、
興味ある方は参照なさってください。  関連記事 『まじないについて』

まじないは、大きく分けると2種類あるのかなと思います。
一つは、開運です。積極的に運を自分のほうに引き寄せるためのもの。
もう一つが魔除け、つまり悪運を避けるためのもの。
これは開運に比べれば、消極的な意味にも思えますよね。

イワシとヒイラギの魔除け
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ただ、歴史的には、開運よりも魔除けのほうが古かったのではないかと思います。
みなさんは、例えば、ある石を身につけるだけで運がよくなる、
なんてことがあると思いますか。まあ、一種のブラセボ効果のようなものは
あるのかもしれません。ですが、幸福をつかむためには、
やはり自分が努力することが何よりも大切です。

これに対し、不幸はいつ襲ってくるかわかりません。
疫病とか、不慮の事故、そういうのはいくら気をつけていても避けられない場合も
あります。昨日まで隣の家の子と仲よく遊んでいた自分の息子が、
今日、流行病で死んでしまった。隣の子はピンピンしてる。

ハチの巣の魔除け


これは運不運なんですが、どうしても釈然としない気持ちが残ります。
自分の子は、魔に魅入られてしまったのではないか。
そのような偶発的な不幸を避けたい、というのが魔除けの
そもそもの発想ではないかと思います。

さて、「魔除け」に類する言葉はいくつかありますね。
「厄払い」 「邪気払い」などです。これらはだいたい同じ意味で使われていますが、
そもそもの言葉の成り立ちは少し違いがあります。
まず、そのへんをみていきたいと思います。

花火筒の魔除け
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魔除けの「魔」は、サンスクリット語の「マーラ (魔羅)」の短縮形で、
仏教的な意味合いがあるようです。マーラは、仏道の修行を妨害したり、
人の行う善事を妨げるものを指しています。「魔が差す」という言葉がありますが、
これは、「悪魔が心に入りこんだように、一瞬判断や行動を誤る。
出来心を起こす。」という意味で使われます。

ですから、魔除けとは、外からの影響によって悪い心を起こす、
人生が破滅してしまう、といったことがないよう、
自分を守るためのものだったと考えます。現代でも、女や金、あるいは酒などで
人生を棒に振ってしまうなんて話は、いくらもありますよね。

次に厄払いですが、この「厄」は、厄病神、疫病神、厄神のことで、
人間界に疫病をもたらす悪い神とされます。
厄病神が村の街道を通ってやってくるのを、注連縄などの結界を張って防ぐ。
これを「道切り」と言いました。

厄病神を通さないための「道切り」
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次は邪気払い、「邪気」とはよくない気のことです。
自分はこれ、神道の影響が強い言葉じゃないかと思います。
神道では、気を重視します。気が充実していない場合を「気枯れ」と言い、
それが「穢れ」という語に変化しました。

邪気は、「人の身に病気を起こすと信じられた悪い気」という意味で使われます。
厄と似た意味の言葉なんですね。ただ、上でも書いたように、
「魔除け」 「厄払い」 「邪気払い」は、現代では、
どれも同じような意味で考えてる人が多いんじゃないでしょうか。

ニンニクの魔除け
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さて、では、どうすれば魔を払うことができるのか。一つには、強いものの力を借りる。
「鎮西八郎為朝御宿」と書いた札を家の入口にはって、
疫病が入ってこないようにします。源為朝は剛弓の使い手として知られた
平安時代の武将ですね。この他、「鬼瓦」の怖い顔で魔を追い返すなどもそうですし、
沖縄のシーサーもこれに近いものです。

次に、魔が嫌がりそうなものを軒先に吊るす。例えば、嫌な臭いを出すイワシの頭、
ニンニクなどです。ニンニクは西洋でもドラキュラ除けとして有名ですよね。
この他、トゲトゲのあるヒイラギの葉や、ハチの巣、花火の殻、蹄鉄など、
地方によっていろいろな魔除けグッズがあります。

あと、籠や笊を魔除けとして用いる地方もありますね。
籠や笊は目(穴)がたくさんあるので、魔が怖がるとされます。
また、籠目は六芒星の形をしていて、それが魔除けになるという説もあります。
六芒星はダビデの星とも言われ、西洋でも呪術的な意味を持っています。

籠目
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さてさて、ということで、ここまで見てきましたが、
いくら自助努力をしても避けようがない不運というのは、
人生にはどうしてもあるものです。それをなんとかしたい、そういう昔の人の
気持ちが、魔除けには込められているのではないでしょうか。
では、今回はこのへんで。






拝み屋とコオロギの話

2018.08.27 (Mon)
もうだいぶ昔のことになります。昭和20年代も後半の頃。
さすがに闇市はなくなり、バラック小屋もどんどんと建て替えが進んでいた
時代の話です。私はそのとき11歳でした。
あることがあって、地方都市に住んでいた祖母のもとに引き取られていたんです。
そのあたりの半年間は、小学校にも行ってませんでした。
当時、祖母はまだ60代だったと思いますが、腰は曲がり、
髪は真っ白でした。いつも同じ着物を着て、風呂にもほとんど入ってなかった
はずですが、体からは強いお香のにおいがしていました。
小さな顔は、髪は白いのにほとんどしわがなく、
目には強い光があって、見つめられると怖かったのを覚えています。
祖母は、その町の拝み屋をしていたんです。

ええ、当時はみな貧しく、病気になっても簡単に医者に行くことはできませんでした。
また、医者に行ったとしても、治らない病気が多かったんです。
やっと結核の特効薬のストレプトマイシンが日本に入り始めた頃、
と言えばおわかりいただけるでしょうか。ですから、
まだまだ拝み屋の需要はあったんです。私が祖母の家にいた間、
2日に一人は、拝み屋のお客さんが来ていたように記憶しています。
一番多い頼み事は、子どもの疳の虫を封じることでした。
ああ、疳の虫と言っても、ご存じない方もおられるでしょう。
これは乳児の夜泣き、ひきつけ、かんしゃくなどの異常行動を総称した言葉で、
今はなんというのでしょうか。とにかく、赤ちゃんを連れてこられる方が
多かったんです。祖母が虫を封じる場面は何度か見ました。

赤ちゃんの手のひらを取って、祖母がそこに筆で何かを書くんです。
その頃はわかりませんでしたが、今思えば梵字だったんじゃないでしょうか。
それから、その手を粗塩でもみ洗いします。すると、小さな指の先から、
白く長い虫が何匹も出てくるんです。祖母はそれを細く切った和紙で
すべて取り、そのままくるんで、祭壇で燃やすんです。
ええ、祖母の家には、ひと部屋の半分ほども使った、
白木に白布をかけた祭壇が祀られてあったんです。
その他、大人の病気の相談に来られる方もいましたが、祖母は、
「わしには病気は治せんよ」と決まって答えていました。
それでも、手を引かれるようにして、病人のいる家に連れて行かれることもありました。
ただ、拝み屋なんて迷信だ、という風潮も強くなってきていて、

祖母に頼みにくるお客さんは、祖母と同年代のお年寄りの方が多かったです。
あと、失せ物探しというのもありました。指輪とか証券、土地の権利書などが
紛失した、しまい忘れした、そういうとき祖母のところに来られるんです。
そういう場合は、祖母はお客さんを後ろに座らせて、
祭壇の前で長いこと祈祷をします。それから、失せ物のありかを和紙に書き、
「ここを探してみるとよい」そう言ってお客さんに渡すんです。
祖母は、事前にお金を受け取ることはありませんでした。
疳の虫が治まった、あるいは失せ物が見つかった。そういうときだけ、
お客さんが封筒に入れたお金をもってこられるんです。
お金ではなく、箱いっぱいの野菜などというときもありましたね。
まだまだ食糧事情が悪かったので、それはそれで有難かったのですけども。

それと、特別なお客さんが来たときには、私は「外で遊んでおいで」と
祖母に言われ、小銭をもらって家の外に出されることもありました。
ただ、学校に行ってないものですから、遊ぶ友だちもおらず、
とぼとぼと町の中を歩き回っていただけでした。
ただ、私は子どもながら、その特別なお客さんが何を頼み来るのか、
気になってはいたんです。あるときです。私は縁側で昼寝をしていました。
顔にあたる風が心地よく、うつらうつらしていると、
お客さんが来た気配がしました。祖母はお客さんを招き入れると、
私の様子を見にきましたが、私が寝ているとみて起こさず、
そのままお客さんと話を始めたんです。私はそれを、聞くともなく、
断片的に耳にしてしまいました。

「悪いやつに騙された、命より大事な金をみなとられた」 「親戚だと思って
 信用していたのに」 「憎い、憎い、殺しても飽き足らない」
「なんとか報いを受けさせてほしい」こんな言葉が聞こえてきました。
祖母はそれらの話をすべて聞いてから、「ようわかった、やるだけやってみよか」
そう答え、お客さんは帰っていったようでした。
それから祖母は私のところに来ると、枕元で、「お前、起きておるな。
 ちょうどよい、わしも近頃は体がしんどうて、手伝いがいると思ちょった」
そう言って私を起こし、外に出ていっしょに裏山の方へ向かったんです。
祖母の家から200mほども離れていたでしょうか。
山に入る道がある脇手に、防空壕があったんです。当時は、まだ戦時中の
防空壕がそこかしこに残っていて、その中で暮らしている人もいました。

せまい入り口を体をかがめて入ると、9月でしたけれど、中はむっとする暑さで、
奥のほうに、ムシロが何枚も重ねられていました。そして小さなものが
その前に散らばっていたんです。祖母は「コオロギだよ。怖がらなくていい。
 かわいいものさ」そう言い、ムシロの一枚をはがしました。
すると、中にはびっしりと小さなコオロギが・・・
産卵床と言うんだそうですね。コオロギはある程度の温度があれば、
1年中卵を産んで繁殖することができるそうです。
祖母は無数のコオロギの子がうごめく前に座り込み、「見ててごらん」
そう言って、少し大きくなったコオロギの一匹一匹の背中を、
指の腹でさわり始めたんです。「お祖母ちゃん、何をしてるの?」
「魂を調べてるのさ、頼まれた御仁と似ている魂をな」

どういう意味かわかりませんでした。「おおこれか」 祖母は懐から小さな箱を出して
一匹のコオロギを入れ、私の手を引いて来た道を戻りました。
それから、「よく見ておくがよいよ」そう言って、
箱に入ったコオロギを祭壇に供え、長い間祈祷をしていましたが、
「よろしいか、取ってもよろしいか。そうか、有り難い」大きな声を出すと、
祭壇にあった懐刀をとって鞘から抜き、コオロギの箱を開けて
中を突き刺したんです。そのときに、家の中のというか、私がいる世界の
空気が変わったように感じました。なんというか、暗闇で急にマッチの火が
消えたみたいな。においもしたんです。まさにマッチを消したときにする
硫黄のにおいを何倍にも強くしたような。それから数日して、
前のお客さんがやってきて、祖母に厚い紙包みを置いていったんです。

その日以来、私はコオロギの世話を手伝わせられるようになりました。
ムシロを外して産卵床に空気を入れ、霧吹きで水をかけ、
鶏の餌と細かく刻んだ野菜くずを与える仕事です。
無数の小さなコオロギがうごめく様子は、何度見ても気味が悪く、
今でも夢に出てくることがあるほどです。・・・これで、話は終わるつもりでしたが、
もうここまで言ったのだから、最後まで話してしまおうと思います。
最初のほうで、私はある事情で祖母の家に引き取られたと言いましたが、
母が私を置いて家を出ていったんです。父は出征して、長いこと生死不明でした。
戦争が終わっても安否はわからず、大陸に出ていましたので、ソ連の捕虜になった
可能性もありました。ずっと母と私が留守を守っていたのですが、苦しい生活でした。
それが、父が死んだという信頼できる情報が入ってきた翌日、

母はふらっと家を出てそれっきり、姿を消してしまいました。残された私は、
父の母、祖母に引き取られて暮らすことになったというわけなんです。
ある日、祖母といっしょにコオロギの世話をしていたときです。
ムシロを外して水をかけていると、中くらいの大きさのコオロギが一匹、
跳ねて私の腕に乗りました。私は「キャッ」と言って腕を振り、
コオロギは祖母の首筋に落ちたんです。そのとき、シャッと祖母の腕がすごい速さで
動いて、コオロギを指の間に捕まえると、「見つけた、見つけたぞ」
私の目の前にコオロギをつまんだ指を突き出し、「これは、お前の母親だ」
憎々しくそう言って、跡形もなくなるくらい強くはさみつぶしたんです。しばらくして、
母が死んだ、という知らせが入ってきました。その頃は進駐軍ではなくなっていましたが、
アメリカ軍基地の近くで、それはそれはひどい死に方をしたということでした。







進化論と心霊主義の時代

2018.08.26 (Sun)
今回はこういうお題でいきます。カテゴリとしてはオカルト論になるでしょうか。
さて、進化論はご存知だと思います。一般的には、1859年に
チャールズ・ダーウインが『種の起源』を発表した時点が、
現在知られている進化論の始まりとされます。

チャールズ・ダーウイン
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ダーウインはそもそもが探検家でした。1831年から1836年にかけて、
ビーグル号で地球一周する航海をおこないましたが、
ガラパゴス諸島などに立ち寄り、世界の各地に、その土地特有の動植物が
生息するのを知って、「種の不変性」に疑問を持つようになりました。

「種の不変性」というのはどういうことかというと、
『旧約聖書』の創世記で、神がすべての動植物を創り、それがそのままの形で
現在に続いているというものです。ですが、ダーウインは、動植物はその地域の
気候などの環境に合わせて変化してきたのではないか、との考えを持ちました。

これは、現在からすれば当然の疑問だと思うんですが、
ダーウイン以前にそういう考えを持つ人がいなかったのは、それだけキリスト教の
影響力が強く、聖書の記述がそのまま信じられていたからです。
それに反した考えを持つことはタブーだったんですね。

ネアンデルタール人の化石人骨
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ちなみに『種の起源』発表の3年前、ドイツのネアンデル谷で人骨化石が
発見されました。後にネアンデルタール人と呼ばれるようになるものですが、
このとき、化石について学者の間では議論が分かれ、中には、
「ノアの箱舟の洪水で死んだ人間の骨である」と真面目に主張する人もいたんです。

『種の起源』では、ダーウインは人間の進化には触れていませんでした。
ですが、進化論がだんだんに浸透し始め、賛同者が増えてきた1871年に、
『人間の進化と性淘汰』を発表し、その中で、
人間は異性を巡る競争を通じて進化した、という説を述べています。

さて、ダーウインの進化論は、細かい部分はあれこれ修正されつつも、
大筋では間違いないというのが、世界的な流れだと思います。
とはいえ、現在でも「進化論は根本から間違ってる」とする学説が、
ときおり発表されることがあります。で、その多くがアメリカ発です。

アメリカでは進化論を信じない人が多いんですよね。現在でも、公教育で
進化論を教えるべきかどうかの議論があります。これは、アメリカの建国事情と
大きな関わりがあるんです。イギリスの清教徒たちが信仰の自由を求め、
メイフラワー号で渡ってきたのがアメリカの国の始まりとされています。
そのために、聖書原理主義がひじょうに強い。

アメリカのキリスト教原理主義団体が作ったノアの方舟
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一方、ヨーロッパでは、各地でネアンデルータール人、クロマニョン人の
化石が発見され、人類の進化が現実的に考えられるようになりました。
「人間は猿から進化してきた」この考え方は、
それまでのキリスト教の精神支配をかなり弱めたんですね。

で、キリスト教の縛りがゆるむと同時に、キリスト教の専売特許だった
人間の霊魂についても、科学的に研究することができるのではないか、
そう考えた学者が多数出てきたんです。こうしてヨーロッパの心霊主義が
始まったんですが、この当時、心霊は科学と対立するものではありませんでした。
むしろ最先端の科学分野だったと言っていいかもしれません。

ですから、初期の心霊研究を行った人物には、高名な科学者が多数含まれます。
1880年代に、心霊現象研究を行う最初の学術団体として
「心霊現象研究協会」が設立され、それにに参加したのが、
化学者のウイリアム・クルックス、世界的物理学者オリバー・ロッジ、
ノーベル生理学・物理学賞を受賞したシャルル・ロベール・リシェなどです。

シャルル・ロベール・リシェ
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で、どのような形で研究が進められたかというと、霊や霊界と交信できる
とする、霊媒たちが行う交霊会を通じてのものが中心でした。
上述のロベール・リシェは、交霊会で目撃した、人体から出る不思議な物体を
「エクトプラズム」と名づけています。また、キュリー夫人なども
交霊会に参加した記録が残っています。

交霊会の様子
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ただ、この当時の霊媒には、多くのアバンチュリエが混じっていました。
アバンチュリエは、「山師、詐欺師」と訳されるフランス語で、
主に上流社会に取り入って詐欺を働く人物のことです。
錬金術の昔から、伝統的にヨーロッパにはこの手の人物がたくさんいましたが、
それが霊媒師に姿を変えて、世間ずれしていない科学者たちと交流したんですね。
中には、女霊媒の色仕掛けにコロリと騙された高名な科学者もいます。

さて、現在、ヨーロッパのカトリック勢力は進化論を認めています。
1996年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、
「進化論は仮説以上のものであり、肉体の進化論は認めるが、
人間の魂は神が創造したものである」と述べました。進化論は認めても、
あくまで、霊魂はキリスト教の支配下に置いておくということです。

さてさて、長くなってきたのでそろそろ終わりますが、
「進化論の発表→キリスト教権威の弱体化→科学者の霊魂研究への参入」
この図式で、心霊主義の時代が始まったんです。今でこそ、科学と心霊は対立する
もののように言われますが、当初はそういう構図ではなかったんですね。
では、今回はこのへんで。

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怪談の禁じ手

2018.08.25 (Sat)
今回は怪談論でいきます。さて、当ブログをご覧いただいている中には、
ミステリに造形が深い方もおられるかもしれません。
自分は、そんなに詳しいほうではないんですが、それでもいちおう、
古典的名作と呼ばれる作品群は読んでいます。

S・S・ヴァン・ダインという、創成期の推理作家の大御所がいますよね。
名探偵ファイロ・ヴァンスの生みの親で、代表作に『グリーン家殺人事件』
などがあります。で、この人、本名で出版した推理小説論で、
「ヴァン・ダインの二十則」というのを書いてるんです。

「ヴァン・ダインの二十則」

これは、推理小説を書く上での鉄則をまとめた内容で、
「1,事件の謎を解く手がかりは、全て明白に記述されていなくてはならない。」
こんな感じで20の原則論が出されていて、まあ、どれももっともな内容です。
ただこの後、わざとこれに反するトリックを使った作品も出てきています。

それについては、ここではふれませんが、怪談においても似たような原則というのは
あると思うんですよね。じゃあ、怪談で禁じ手とされるのはどんなことでしょうか。
自分はヴァン・ダインのように頭の切れる人間ではないので、
順不同、思いつくままに書いてみたいと思います。

・すべてが夢の話
これはそもそも怪談ではなくて、夢の記録ということになるでしょう。
いくら怖くても、夢は夢です。ですから、怪談に夢が出てくる場合は、
その夢が予知夢であったとか、何らかの形で現実とリンクしていないと
読む人に納得してはもらえないでしょうね。

・現実に起きてない事件を取り入れた話
これはどういうことかというと、例えば、「道路でバスがハザードを出して、
路側帯に停車した。警察がバスを調べたところ、運転手と乗客全員が
席に座ったまま心不全で亡くなっていた」こういう書き出しで始めたとして、
でも、実際にこんな事件があれば、世間が大騒ぎになってますよね。

これは極端な例ですが、ちょっと調べれば現実に起きていないとわかる事件を、
話に取り入れるのはマズイでしょう。
もちろん、フィクションであればまったくかまわないですが、
「実話怪談」としては禁じ手になると思います。

・あまりに非現実的な怪異が出てくる話
例えば、「高速道路を100kmオーバーで走っていたら、白い着物を着た
婆さんが、車に並走してどこまでもついてきた」 都市伝説の100kmババア
のことですが、これはギャグにしかならないと思います。

・伝聞だけの話
これは絶対にダメというわけではないですが、やはり怪談というのは、
本人が体験した話という形が一番いいんじゃないかと思います。
「俺の高校時代の先輩の彼女が体験した話なんだけど・・・」
これだと臨場感がないですし、そもそもその人が、
作り話をしている可能性だってあるわけです。

・あまりにも遠い昔の話
「うちの祖先はその村の庄屋だったんだけど、あるときに旅の坊さんが
宿を借りたいと訪ねてきて・・・」これは昔話になってしまいますね。
ただ、そのときの呪いが現在まで続いているとかなら、
そのかぎりではありません。

・悪い人間が罰を受ける話
どういうことかというと、例えば「DQNが神社に行って罰当たりなことをした。
そのために神罰を受けて次々に死んでいく・・・」こういう内容だと、
怖い以前に、「ザマミロ」とか「当然の報いだ」とか思いますよね。
この手の怪談もないわけではありませんが、本道からは外れてる気がします。

・宗教的に混乱している話
怪談を読んでいると、神社やお寺が出てくるものはけっこう多いんですが、
中には「お坊さんがお祓いしてくれた」みたいなのもあって、
これ、お祓いをするのは神職ですよね。こういう記述が出てくると、
そっから読む気をなくしてしまう、という人は多いんじゃないでしょうか。

・あまりにも手垢のついてしまった話
例えば「行ってはいけないと言われてた裏山に入ったら怖ろしいものを見てしまった。
家に戻ってそのことを話したら、じいさんにさんざん叩かれたうえ、
檀家になっているお寺に連れていかれて・・・」もう何十パターンも出ている
使い古された構成です。よほどの新味がないと誰も読んでくれないでしょう。

・「幽霊より生きた人間が怖い」という結論になる話
現実的な犯罪とか痴情のもつれ、あるいは精神の病気とかそういう内容のことですが、
これは「怖い話」ではあっても、「怪談」ではないんじゃないかと自分は思います。
たしかに、現実に怖い話というのはたくさんありますけど、
かといって「幽霊より生きた人間が怖い」という結論になるのは、
オカルトの敗北なんじゃないでしょうか。

・まだ風化していない出来事をあつかった話
例えば、「太平洋戦争中の空襲で焼かれた人が・・・」みたいな話はいろいろあります。
戦争の体験がある人はだいぶ少なくなり、怪談として成り立ちますが、
「東北の震災の津波で・・・」これだと、不謹慎だと考える人もいるかもしれません。
まだ記憶のなまなましい出来事は、あまり怪談にしないほうがいいと思いますね。

さてさて、書いてみたらけっこう出てきました。
まだこの他にもありそうです。長くなったのでいったん終わりますが、
またいつか、続きを書く機会もあるかと思います。
では、今回はこのへんで。







胎内めぐりの話

2018.08.24 (Fri)
これな、本来は秘密のことなんだがなあ、俺ももう長いことねえようだし、
ここで話をすれば金をもらえるって聞いたから。
いや、金はあんまり関係ねえんだが、とにかくよ、この話、
誰かに聞いてもらって、覚えててほしいんだよ。
俺が生まれたのは、場所は言わねえが山間の村でな。
その当時、日本全体は高度成長期って言って、人口が増えてたんだが、
村はどんどん過疎化が進んでてな。何でかって言うと、古い時代からあった
鉱山が廃鉱になったからだ。金が採れてたんだが、全部掘り尽くしてしまって、
かといって他に産業はねえし、毎年どんどん人が出てってたんだよ。
明治の最盛期に2000人超えた人口だったのが、その頃は半分以下になってた。
でな、村には一つだけ古くからの氏神神社があって、

寺はなかったんだ。珍しいだろ。だから村の者はみんな、冠婚葬祭すべて、
神式でやってたんだよ。神社の宮司は世襲で、村の中ではすごい力があった。
でな、俺は、その神社の跡取り息子だったんだよ。
いや、今は神社も村もねえ。すべてが水の底に沈んでしまった。
ああ、ダム湖になったんだよ。それについては、最後のほうでちょっと話すよ。
で、神社では、毎年の例祭を秋にやるんだが、それはどこでもやるような
収穫感謝の祭りで珍しいもんじゃねえ。その他に、20年に一度、
神社が主催して、「胎内めぐり」って神事があったんだ。
これからするのは、そのときの話なんだよ。まあ簡単に説明すると、
さっき話した金鉱の坑道な、その深いところに脇道があって、
ふだんは注連縄を張った鉄柵で封じられている。

そこを、そんとき選ばれた男の子ども5人が通り抜ける。
こう言うと、なんだ簡単だと思うかもしれねえが、脇道の坑道は長いんだ。
抜け出るまで4時間以上かかる。それと、当然中には明かりはない。
それに、ただ岩盤を直掘りしただけで、支えも何もねえから、
いつ崩れてくるかもわかんねえ。命がけのことを子どもにやらせてたんだよ。
でな、子ども5人は全部男で、その年に13歳になった者。
うん、村の中学校の中1生の中から選ばれたんだ。
中学校は学年1学級だったから、みな同級生なんだよ。
選ぶのは俺の父親、つまり神社の宮司と、村長、各地区の区長とかが相談して決める。
その年選ばれたのは俺、それから村長の次男、あとの3人も、
村では古くからある血筋の家の息子たちだった。

村で最も大切な神事だから、有力者の子どもが選ばれるってことだったんだろう。
20年に一度のことだから、俺や村長の息子が入ってたのは偶然だとは思うが。
ただ、これもわからねえんだよなあ。もしかしたら、神事がある年に合わせて、
子どもをつくってたとかもあるのかもしれねえ。
9月1日の夜だな。坑道内に祭壇が設けられ、火が焚かれる。
村の大人が大勢集まってる中で、俺らはくじを引いたんだ。
胎内めぐりの並び順だよ。村長の息子が1番、俺が2番だった。
で、俺らは褌一丁になってな。一列に並んで、神主の俺の父親から、
酒に浸した榊で、体のあちこちを叩かれる。それから、各自が担当する物を持つ。
1番は松明、4時間以上消えねえように、たっぷり油をしみこませたやつ。
2番めの俺は、御札の束だな。これは奉納のためのもの。

3番めが切り餅、4番目が袋に小分けした米、最後が小樽に詰めた酒だったと思う。
それらを持って1列に並ぶ。胎内めぐりの脇坑の封印が解かれ、
俺らは縦一列になって、祝詞が詠まれる中を、そん中に入っていったんだよ。
中は暑くて蒸し風呂みたいだった。だから褌一丁なんだと思った。
しばらく、人一人しか通れねえせまい岩盤の裂け目を、俺らは無言で進んでった。
いや、別に口をきくことを禁じられてたわけじゃないが。
で、だいぶ進んだとき、先頭を歩いてた村長の息子が立ち止まって、
俺のほうを振り向いて、「なあ、俺、怖ええんだよ。順番代わってくれねえか」
って言った。俺が小声で「怒られるぞ」って答えると、
「わからねえ、わかるわけねえだろ。最後、出口に近くなったらまた代わればええ」
しつこく言ってくるんで、「じゃあ、ええよ」代わることにしたんだ。

でな、これ、何のための順番かっていうと、進む道のところどころに、
岩を穿ってこさえた小さいお堂があって、それにお参りする順なんだ。
そうしてるうち、道はやや広くなり、最初のお堂が見えた。
小さい神社みたいな形だったな。俺が最初になったんで、その前で手を合わせて一礼し、
後のやつらが、御札、餅、米を供え酒をふりかける。改めて全員で一礼して先に進む。
そんな感じで、順番に先頭に立ってお堂にお参りをした。
お堂はだいたい似た形だったが、大きさは微妙に違ってたな。あと、
扉はどれも閉じられてた。その前の平になったところに御札やお供えを置いてったんだ。
坑道は広くなったりせまくなったり、高さも、かがまないと進めないところや、
空まで突き抜けるような高いところもあった。で、お堂は全部で16あるって聞いてたが、
15までお参りしたんだ。あと最後の一つ。

この胎内めぐりももうすぐ終わりだってんで、みな気がゆるんで、
ガヤガヤ話をしながら進んでくと、突然広いところに出た。
中学校の体育館より広い岩のホールで、その3分の2が地底湖になってたんだ。
水は深くはなさそうに見えた。事実、点々と飛び石が続いてたんだ。
その先にお堂が立ってた。これにお参りするのは村長の息子。
本来は俺の順番だったが、最初に代わってたからな・・・
村長の息子は、おっかなびっくり飛び石を渡っていったが、足場はしっかりしてた。
俺らがそれに続いた。村長の息子は、お堂の台座に松明をたてかけ、
一礼し・・・そんとき、洞窟全体がグラと揺れた気がした。
「水に落ちる」そう思って俺はしゃがみこんだ。で、見てしまったんだよ。
前にいる村長の息子の足首を、水から出た白い腕が両側からつかんでるのを。

バシャッ、水しぶきがあがって村長の息子は地底湖に落ちた。
そしたらなあ、水からたくさんの手が出てきて、あっという間に村長の息子の体を
暗い沼に引きずり込んでったんだ。「うわあああ」俺の後ろから声が上がった。
他のやつらも今のを見たんだろう。俺はとっさに手を伸ばして松明をつかみ、
「水に落ちるな、あわてねえで下がれ」そう叫んだ。
岸まで戻ると、地底湖は静まり返ってて、村長の息子も、
水から出てたたくさんの手もどこにも見えなかった。助けるなんて無理だったよ。
俺が先頭に立ち、また細くなった道を小走りに進んで、10分ほどで先に明かりが見えてきた。
足を早め、岩に手をかけて体を持ち上げ、地上に出た。
そこには大きな祭壇があって、そのまわり中、篝火が焚かれていた。
先回りしたらしく、俺の父親の神主も村長もそこにいた。

残りの3人も地上に這い出てきた。神主も村長も、
俺が出てきたことが意外だったみたいで、動揺した様子だったな。
村長が、「息子は・・・?」と聞いてきたから、「水に落ちた」とだけ答えた。
村長は何も言わず、俺の父親はかぶりを振っていた。
まあこれで、20年ぶりの胎内めぐりは終わったんだよ。
その後、村長の息子は事故で死んだことになった。順番を代わっただろうとか、
そういう話は一切なかったな。でな、俺は親父がもともと好きじゃなかったんだが、
ことあるごとに反抗するようになった。一度なんか、
思いっきり顔をぶん殴ったこともある。で、2年後、
国策で村がダムに沈んでなくなるって話になった。村で反対はなかった。
だから、俺がやったのが最後の胎内めぐりってことになる。

それから、中卒で俺は家を出て、東京で住み込みの工員になった。
当時は今とは違って、中卒で集団就職するやつがたくさんいたんだよ。
父親とは俺のほうから縁を切って、その後一回も会ってねえ。
だいたい話はこれで終わり。地底湖から出てきた手が何だったかとか、
俺にわかるわけがねえよ。あとそうだな、一回だけ、村が沈んだダム湖を見に行ったんだよ。
国の方針で作られたダムだが、水力発電をしてるわけでもねえし、
治水たって、川の流域に大きな町や田畑があるわけでもねえ。
いったい何のためのダムなのかわからねえんだ。そんとき水は澄んでて、
うっすらと沈んだ村の地形が見えた。胎内めぐりをやった廃鉱はあのあたりだったか・・・
そしたら、青い水の中の丘の形が、巨大な人が手を伸ばして、
うつ伏せに倒れてるようにも見えたんだよ。まあこれは気のせいだと思うが。






メガロドンについて

2018.08.23 (Thu)
全長23メートル、体重20トンの超巨大ザメ“メガロドン”の恐怖を描き、
全世界興収3億ドル突破を果たした『MEG ザ・モンスター』。
200万年前に絶滅したとされるメガロドンの真実とは?
 (映画.com)

メガロドン

今回はこの話題でいきます。ひさびさのUMAのカテゴリですね。
9月7日から公開される、映画『MEG ザ・モンスター』のMEG(メグ)とは、
学名 カルカロクレス・メガロドンの略で、絶滅した古代鮫のこと。
要するに、新手のサメ映画なわけです。
ただし、メガロドンについては、絶滅していないとする意見もあります。

まず、メガロドンはいつころ生息していたのか? これは、約1800万年前から
約150万年前とされます。恐竜の絶滅が、約6500万年前ですから、
それよりもずっと新しい生物です。人類の誕生を約400万年前とすると、
時代がかぶっていることになりますが、ほとんど接点はなかったでしょう。

次に、メガロドンの大きさですが、映画の設定は体長23m、体重20t。
ただし、実在したメガロドンの体長には諸説あります。
これは、サメが軟骨魚類であり、化石は歯しか残らないためです。
かつては、体長40mあったのではないかという説もありましたが、

現在は否定され、最大でも12m程度ではなかったかと考える研究者が
多いようです。だいたいジンベイザメの最大クラスと同じくらいですね。
ちなみに、映画『ジョーズ』に登場したのは、現存するホオジロザメですが、
最大で6mほどですから、メガロドンはその倍くらいの大きさです。

メガロドンの歯の化石


あと、メガロドンの体型は、ホオジロザメの巨大版として復元されることが
多いんですが、近年になって、その近縁性は否定されるようになりました。
ですから、メガロドンがどんな姿をしていたのか、正確にはわかりません。
また、ホオジロザメがメガロドンの子孫ということでもありません。

次、メガロドンはなぜ絶滅したのか? これにはいくつかの説があります。
まず、メガロドンは4m程度の小型のクジラを餌にしていたと考えられますが、
そのクジラ類が海水の冷たい海域に適応して逃げ込んだため、
餌がなくなったから、という説。サメは魚類で変温動物なので、
冷たい海まで追いかけていけなかったということですね。

他の説として、メガロドンの絶滅の時期と、現生するシャチやホオジロザメの
登場の時期とが重なっており、メガロドンはこれらとの生存競争に負けて
絶滅したのではないかとする説です。うーん、もしこれが正しいとしたら、
メガロドンってあんまり強くなかったんですね。

少し話を変えて、動画サイトなどには、シャチとホオジロザメのどちらが強いか、
比較する映像などが出ています。体の大きさはほぼ同じですが、
戦えばシャチが圧勝します。シャチはサメを襲って食べますが、
サメがシャチを襲うことはありません。
(病気や外傷で弱った個体を、サメが食べることはあるかもしれません)

これは、魚類の中でも軟骨魚類であるサメと、哺乳類であるシャチの体の
つくりの違いが最大の原因です。下の図を見れば一目瞭然ですが、
シャチは太い背骨、強靭な肋骨を持っていて、
体当たり一発でホオジロザメを殺すことができると言われます。

サメとシャチの骨格


また、運動性能もかなり違います。シャチの最大速度は時速70km、
ホオジロザメは、大型魚類の中では速いほうですが、それでも時速30kmと、
シャチの半分しかありません。さらに、体の柔軟性も大きな差異があり、
ホオジロザメはゆっくりとしか向きを変えることができませんが、
シャチは上昇・下降、急転回など自由自在です。

水中でキリモミ状に回転したりすることもできます。これに対し、
サメは腹を上にすると動けなくなってしまいます。シャチが、
戦法としてサメを上向きにして弱らせる様子が、動画サイトには出ていますね。
さらに知能の面、サメは単独行動することが多いのに対し、
シャチは群れをつくって集団で狩りをします。

宙返りをするシャチ、サメにはこのような動きはできません
ダウンロード

このあたりのことから類推すると、メガロドンの泳ぐスピードは遅く、
動きも鈍かったのではないかと考えられます。ですから、より小回りの利く
ホオジロザメやシャチの登場によって、メガロドンが生存競争に破れて
淘汰された可能性は十分あるんじゃないかと思います。

さてさて、メガロドンは現在も生き残っているのか?
ちなみに、メガロドンはUMAではありません。UMAの定義は完全な未知生物ですが、
メガロドンは既知の絶滅生物です。うーん、どうでしょう。
メガロドンとされる写真や目撃証言はいろいろあります。

下の画像などがそうです。前にいるのがクジラで海が血に染まっていて、
後ろに背びれが見えるのがメガロドン。背びれの長さは1.8mとされていますが、
比較対象物もないですし、これだけではなんともいえないですね。
次の画像は、前にある船と比較はできますが、一匹の個体ではない可能性もあります。

メガロドンとされる画像
名称未設定 1

この他、乗っていた船が海中の何かに衝突し、後で調べてみると、
巨大な歯形がついており、ホオジロザメの何倍もの大きさの歯が刺さっていた。
そういう話もいくつかありますが、確証とはいい難いものです。
また、目撃証言の中には、オンデンザメなどの既知の巨大ザメを
メガロドンと見誤っている場合もあるでしょう。

さてさて、ここまで否定的なことを書いてきましたが、
生き残っていない、という証拠もないわけで、オカルトフアンとしては、
もちろんメガロドンが生き残っていたほうが夢があります。
いつか、動かぬ証拠が発見されるかもしれませんね。では、今回はこのへんで。







幕末の2人のスパイ

2018.08.22 (Wed)
今回はこういうお題でいきたいと思います。
カテゴリは「怖い日本史」に入りますが、特に怖い話ではありません。
時期は幕末、登場する人物は、間宮林蔵とフランツ・フォン・シーボルト。
1825年、幕府により異国船打払令が出され、日本と外国の間で、
緊張が高まっていた時代です。

間宮林蔵は偉人として知られ、伝記も出ていますし、茨城県つくばみらい市には
間宮林蔵記念館がありますが、これは彼が同地出身のためです。
農民の家庭に生まれましたが、幕府の利根川干拓事業に参加し、
ここで地理や算術の素質を見込まれて、幕府の下役人に採用されました。

間宮林蔵
ndndjdkdi (4)

さて、俳人・松尾芭蕉には幕府隠密説がありますよね。
紀行文から推測できる芭蕉の健脚ぶり、伊賀出身であること、
日本各地に弟子がいて活動拠点となっていたことなどから、
隠密として各藩の動静を探っていたのではないか、などと言われます。
しかしこれはあくまでも噂で、客観的な証拠はありません。

それに対し、間宮林蔵ははっきりと公儀隠密、御庭番であることがわかっています。
おそらくですが、幕府の下役人として採用されたときから、
隠密としての訓練を受けたのではないかと思います。林蔵は、測量による
はじめての日本全図を完成させた伊能忠敬に測量技術を学びます。

その後、幕府の命により西蝦夷地を探検し、ウルップ島までの地図を作製。
さらに、1808年から翌年にかけて樺太島を探検し、
樺太が島であることを確認しました。樺太と大陸の間の海峡は「間宮海峡」とも
呼ばれますが、世界地図に日本人の名が記されるのはこれが唯一の事例です。

間宮海峡
ndndjdkdi (1)

また、林蔵はこのとき、海峡を渡って大陸に上がり、
アムール川下流域を調査しています。本来、日本人が許可なく海外に出ることは
厳しく禁じられており、死罪に相当するんですが、隠密である林蔵には何の咎めもなく、
後に林蔵は、幕府にこのときの報告書を提出してるんですね。

このあたりの行程を調べてみると、短期間にかなりの距離を移動しており、
極寒の中での活動だったことを考えると、林蔵には超人的な体力があったようです。
また、林蔵は変装の名人としても知られていて、乞食、商人、アイヌ人など、
何にでも化けることができたと記録に残っています。

林蔵の隠密活動は研究によってかなり明らかになっていますが、
島根県の浜田藩の密貿易を暴いたときには、商人に変装して廻船問屋に潜入。
隠密に厳しく対処していた薩摩藩でも、経師屋の弟子に化けて
城内まで入り込み、詳しい城内見取り図を作成しています。
スパイとしては、実に有能な人物だったんですね。

さて、フォン・シーボルトですが、オランダ人だと思っている人が
多いんじゃないでしょうか。じつはドイツ人で、医師の資格を持っており、
博物学者としても知られていました。オランダ政府に雇われ、
オランダ商館の医師として、1823年に初来日しています。

シーボルト
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翌年、出島内において鳴滝塾を開設し、西洋医学の講義をしました。
主な門下生には高野長英などがいます。まあ、このあたりまでは歴史の教科書に
書いていることですが、シーボルトには日本の内情を調査するという役目もありました。
これもスパイの一種と言ってもいいでしょう。博物学とは関係のない、
日本沿岸の水深を測量したりしてますので、まず間違いないところです。

シーボルトと林蔵は交流がありました。シーボルトが、林蔵の樺太探検を
高く評価し、大々的にヨーロッパに喧伝したことで、
地図に「間宮海峡」の名が載るようになったんですね。シーボルトは樺太の
植物に興味を持ち、林蔵に標本を要求したりしています。

で、シーボルト事件が起きるのが1828年です。
シーボルトは帰国直前、林蔵に手紙を送りますが、林蔵はそれを幕府に提出。
その中に、幕府天文方の高橋景保と交流していたことなどが書かれており、
シーボルトの船から日本地図が見つかったことで、
景保をはじめとする多くの日本人が捕らえられました。シーボルト自身も、
帰国は中断され、一時軟禁状態となります。

高橋景保
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この後、高橋景保は獄死。その子どもらも遠島になりましたが、
景保の父、高橋至時は林蔵にとって伊能忠敬と並ぶ師であり、
恩人の息子を密告したとして、林蔵は「幕府の犬」 「冷血な忍者」と、
日本の蘭学者の中で忌み嫌われるようになったんですね。このあたり、
実情ははっきりしませんが、オランダの国際スパイと日本の公儀隠密が、
1枚の地図を巡って激突したと考えれば、
歴史の新しい側面が見えてくるかもしれません。

さてさて、この後、シーボルトは日本への再入国を禁じられ、
1830年、オランダに帰国。この事態を予測していたため、
日本地図はとうに写しが作られており、
彼が採集した数々の標本とともに、持ち出されることになりました。

帰国後のシーボルトは、日本関係の著作を多数ものにして、
ヨーロッパの日本研究の第一人者となります。日本は1854年に開国。
1858年に日蘭修好通商条約が結ばれた翌年、
シーボルトは30年ぶりの再来日を果たすんですね。

また、林蔵は農民出身であるにもかかわらず、その才能が高く評価され、
老中大久保忠真に重用され、水戸藩主徳川斉昭の招きを受け、
水戸藩邸で講義を行ったりしています。晩年は病により体が衰え、
隠密としての仕事もできなくなり、1844年、シーボルトの再来日を
待たずして亡くなりました。では、今回はこのへんで。

「伊能図」
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高砂の話

2018.08.21 (Tue)
あ、前に2度ほど おじゃまさせていただいた元骨董屋です。
ここの世話人の方に、まだ話があるだろうって言われまして。
それでまた来てしまいました。ただ、今晩する話は、あまり怖いものじゃないんです。
それでも、よろしければってことで。あれは、わたしが50代に入ったばかりの頃
でしたね。ええ、骨董屋としても脂の乗り切った時期です。
そのくらいの齢になれば、仲間内の信用もできますし、馴染みのお客さんも増え、
鑑定眼も培われて、まず贋物をつかませられるってことはないんです。
だからねえ、何であんな買い取りをしたかいまだによくわからないんです。
ある日ですね、店じまいしようかという時間に、若いお客さんが来たんです。
で、ひと目で買い取りのお客さんだってわかりました。
少し話をしたら、案の定、これはいくらで売れますかって、

バッグから、年代がかって黒くなった木彫りの人形を一体取り出しまして。
高砂人形の片割れでした。ああ、高砂人形はご存知ですよね。
翁媼(おうおう)人形とも言います。熊手を持ったおじいさんと、
箒を持ったおばあさんの人形がセットになってるものです。
これは縁起物で、おじいさんが持つ熊手には、財をかき集めるという意味、
おばあさんが持つ箒には、邪気を払うという意味が込められています。
また、2体そろって夫婦円満、長寿息災の願いが込められているんです。
で、そのお客さんが持ってきたのは、熊手を持ったおじいさんのほうだけ。
ああ、これは買えないと思いました。2体セットでないと価値がないものなんです。
ただ、ちょっと心惹かれるところもありました。
すごく彫りが精緻だったんです。たんなる土産物のレベルではない。

木彫りで、どこにも銘などは入ってなかったので、時代はわかりません。
けど、かなり手ずれで黒ずんでましたので、古いものなのは間違いない。
でね、高いお金は払えませんでしたけど、買い取ることにしたんです。
いちおういわれは聞きましたが、お客さんは「わからない」
片割れの人形はどうしましたかと尋ねても「わからない」と答えるだけで。
まあでも、犯罪がらみのものとも思えませんでしたので、それで。
店の人形などを集めてある棚の奥のほうに置いておきましたよ。
で、その日以来です。店の売り上げがぱたっと止まっちゃったんですよ。
その頃の売り上げは、サラリーマンの方の年収の3倍近くあったんです。
これ、高いと思うかもしれませんが、骨董屋の場合は、
買い取りで払う金額もそこに含まれてますから。

ええ、わたしらの商売は、売って儲け、買って儲けの2段になってるんです。
同業者の中には、「往復ビンタで儲ける」なんて言う人もいるほどで。
それが、店の品がパタリと売れなくなってしまってね。
お客さんはそれなりに来て、ケースの中の品を出して見せたりもするんですが、
最終的に買ってくれないんです。あともちろん、カタログ商売もしてましたが、
そちらのほうの注文も一切なし。それとね、店に品物を持ち込んでくるお客さん、
これが1人も来なかったんです。そんな状態が2ヶ月も続きました。
原因は、考えたんですけどわかりませんでした。
あの高砂人形のせいだなんて、思ってもみませんでしたよ。
それで、わたしらは、仲間内で市をやってるんです。
ここまで現金収入がないと手詰まりで、

ああ、いくつかの品を市に出さなくちゃならないなあ、って思ってたんです。
市に出せば、必ず買い手はつきます。ですが、お客さんに売るより、
ずっと儲けは少なくなっちゃうんです。最終手段なんですよ。
で、市に出す品を選んでいるとき、迷ったんですが、
あの高砂人形も箱に入れたんです。その夜、夢を見ました。
わたしは一人、明るい白い砂の浜辺にいて、一本の松の木を見上げてる。
その松は盆栽のように曲がりくねった枝ぶりで、
樹齢数百年はあるように思えました。松の向こうは海で、
遠くに白い帆をはった舟が一艘浮かんでまして、ちっとも怖いところのない夢で、
むしろお目出たいような心持ちでいるとき、
どこからかわたしの名前を呼ぶ声が聞こえる。何度も何度も聞こえる。

そこで目が覚めまして、居間にある電話が鳴ってるんだってわかりました。
ええ、当時は携帯電話なんてなかったですし、家族は全員寝ている。
それで、わたしが起き出して出ると、実家にいる兄貴からでした。
同居しているわたしの母親が、急に具合が悪くなって入院した。
医者は家族や親戚を呼びなさいと言ってる、お前今から来れるか、そんな内容でした。
もちろん行くしかないんですが、真夜中でしたので、
夜明けを待って家族を起こし、事情を説明して、一番の電車で出かけたんです。
兄貴が言ってた病院に着くと、母親はたくさんの管がついた状態で、
今日、明日が峠だろうって話でした。それで、兄貴の家族とともに見守ってましたら、
午後になって血圧が上がってきたんです。それと心電図の動きもよくなって、
医者は、「これは持ち直したようです」って言いました。

まあ、一安心ですよね。それから1時間ほどたって、母親はぱちりと目を開け、
酸素吸入器を振り払って、「○○いるか?」って聞いたんです。
○○は私の名前です。「ああ、母ちゃん、ここにいる」そう言うと、
「仙台、骨董市場、すぐいけ」こうつぶやいて、また寝入っちゃったんです。
わたしに言ったのは間違いないですが、意味はわかりませんでした。
それから、もう1日母親のそばについてまして、意識は戻りませんでしたが、
「容態は安定している」という医者の言葉を信じて、
いったん帰ることにしたんです。その途中、ちょうど同じ方向でしたので、
仙台に寄りました。何度か来てましたし、知ってる同業者もいたんで電話すると、
その日、人形会館というところで骨董市場が開いてるって話を聞きました。
ええ、行ってみました。その地方の同業者だけの会です。

わたしはよそ者でしたが、訳を話すと仲間に入れてくれました。
そこで・・・ここの方々ならもうおわかりかもしれませんが、
あの高砂人形の片割れらしきものを見つけたんです。箒を持ったおばあさんの人形。
値は安かったし、競り合う人もいませんでした。
で、手に入れたそれを店に持ち帰って、適当な台座を見つけ、
おじいさんの人形と並べて飾りました。するとね、気のせいかもしれませんが、
店の中がぱっと明るくなった感じがしたんです。
その夜、また夢を見ました。前に見た夢と同じ場所、
白砂の敷かれた浜辺の松の木の前に立っている。
ただ、前と違うのは、松の木の根本に小さなおじいさん、おばあさんがいて、
わたしのほうを向いて何度も何度も頭を下げる・・・そんな内容だったんです。

あと、話すことはあまりないですね。1週間ほどして、
わたしの母は意識を取り戻し、容態はどんどんよくなって、
歩いたり食事をとったりできるようになったんです。
兄貴たちもすごく喜んでました。それで、母に
「最初に病院に来たとき、俺の名前を呼んで、
 仙台の骨董市って言ったのを覚えてるか?」って聞いてみたんです。
母はかぶりを振って、「仙台なんて行ったこともないし。ただなあ、
 寝てる間、じいさん、お前の父さんが出てきて、こっちに来るなって言ったのは
 覚えてる」こんな話をしました。まあ、俗に言う臨死体験なんでしょうねえ。
ちなみに、わたしの父は当時から30年前、まだ若い50代で急死してるんです。
「まだあの世にくるなってことだな」そう笑って帰ってきました。

まあこんな話なんです。ああ、もう一つだけ不思議なことがありました。
店に飾ってあった2体の人形、ほこりをはたいてるときに気がついたんですが、
両方の足元から、細い根っこみたいなのが数本出て、つながってたんです。
うーん、何十年、ひょっとしたら100年以上も前に伐採された木ですから、
そんなことはありえないと思うでしょうが、骨董の世界では、
その程度のことは、ない話じゃないんですよ。ええ、高砂人形は、
二度と離れ離れにならないよう、蔵のほうに移動させまして、わたしが店をたたむときに、
ある神社にお預けしたんです。今もそこにあるんだと思います。
それから、店の売上は回復して、前以上に繁盛するようになりました。
母はその後、10年以上生きて92歳で亡くなりました。
父が迎えに来たんでしょうかねえ、そのあたりはなんともわかりません。

高砂や この浦舟に 帆をあげて・・・






クラゲの話

2018.08.20 (Mon)
今夏、海水浴場でクラゲに刺される被害が相次いでいる。
クラゲの出現には潮流が関係しているとされるが、今年の猛暑やそれに伴う
海水温との関係は解明されていない。ただ、長崎市内の海水浴場では
準備した塗り薬があっという間に無くなるほど被害が出ており、気が抜けない状況だ。

「せっかく家族と楽しんでいたのに…」。同市の会社員男性(43)の左腕は、
クラゲに刺されて6日たった今もみみず腫れが引かない。
ピリッと感じてすぐに海から上がると、触手の一部が巻き付いていたという。
専門家は各地で確認されるアンドンクラゲではないか、と指摘。
触手に強い毒がある厄介な存在だ。
(西日本新聞)

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今回は科学ニュースからこのお題でいきます。どんなことが書けるでしょうか。
アンドンクラゲには、小学生の頃に自分も刺されたことがあります。
上の記事に出てくるのとまったく同じ症状でした。
何よりもまず、ヒリヒリした火傷のような痛みがあります。

アンドンクラゲ
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皮膚には、ひも状の中に等間隔で赤い点がついたような跡が残ります。
まるで、トゲのついたムチで叩かれたような感じですね。
しばらく痛かったですが、医者には行かず治りました。
郷里のほうでは、お盆過ぎはクラゲが出るから海で泳いじゃいけない、
と言われてました。海流の関係でクラゲが出やすいんだそうです。

ただ、命にかかわる場合もありますので、みなさんが刺されたときには、
病院に行ったほうがいいと思います。あとそうですね、
自分は海水魚やサンゴを飼育して10年以上になるんですが、
クラゲを飼ったことはないです。

クラゲの長期飼育は水族館でも難しいと言われています。
クラゲは基本的に、泳がないで海流で漂っているので、
家庭の水槽で飼うと、どんんどん下に落ちてきて沈んでしまいます。
あと、カサの中に空気が入るのもよくない。水族館だと、
円筒形の水槽で、ぐるぐる回る水流をつけて飼ってるとこが多いですね。

さて、クラゲの一部は食用になります。中華クラゲの酢の物は有名です。
では、古代の日本でクラゲは食べられていたでしょうか。
これは、発掘された例はないんですが、おそらく食べられていたでしょう。
クラゲというのは古い言葉で、『古事記』の天地開闢神話には、

国稚(わか)く 浮きし脂のごとくして 海月なす漂へる時」と出てきます。
日本列島がまだできたばかりで、クラゲのようにふらふら漂っていた
という意味ですが、古事記が成立した712年の段階で、
すでにクラゲという言葉があり、生態も知られていたということになります。
「海月」の他に、「久羅下 クラゲ」という表記もあります。

クラゲの酢の物


また、957年の『延喜式』には、地方から朝廷に捧げる貢物として
クラゲの名前が出てきます。当時は、クラゲを細切りにして乾燥させ、
塩漬けにして保存していました。昔から、日本人の海産物への嗜好は強く、
縄文時代からタコやナマコも食べていたようです。

あと、「クラゲの骨」という言葉は、「この世にない物」という意味で使われ、
平安時代の『枕草子』には、自分が見たことがない扇をほめる貴族に対し、
清少納言が「クラゲの骨みたい」と言ったという段があります。
「この世にないものをほめているようだ」と揶揄しているわけです。

「クラゲ骨なし」という昔話がありますね。龍宮の乙姫が病気になり、
治すためには猿の肝が必要。そこで、クラゲと亀が地上から猿を連れてくる
ことを竜王様から命じられ、まんまと猿を亀の背中に乗せて海に出たものの、
猿に「どうしてこんなに親切にしてくれるの?」と聞かれたクラゲが、

「クラゲ骨なし」
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「お前の肝をとって薬にするから」と答えてしまったため、
猿に「肝は木の枝に干してあるから、戻って取ってくる」
そうやって逃げられてしまいます。乙姫の病気は猿の肝なしでも治りましたが、
クラゲは罰として、竜王様に全身の骨を抜かれてしまったというわけです。

さて、クラゲを題材にしたホラーはあるんでしょうか。
うーん、ブロブというスライム状の怪物が出てくるホラーはありますが、
クラゲそのものが出てくるのはちょっと思いつきません。
海外では、クラゲはあまりなじみのないものなのかもしれませんね。

推理小説では、シャーロック・ホームズ物に、『獅子のたてがみ』という
話があります。海水浴に出た男が瀕死の状態で発見され、
男は「獅子のたてがみ」という言葉を残して絶命する。
その体には、全身をムチで打たれた跡があった。

サイアネア・カピラータ 「獅子のたてがみ」
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ホームズが呼ばれますが、真相がわからない。そうしているうち、
もう1人犠牲者が出て、ホームズは海岸でサイアネア・カピラータと呼ばれる
巨大クラゲを見つけて退治する。このクラゲは致死性の毒を持っていて、
別名が「獅子のたてがみ」であった。たしかこんな話だったと思います。

あと、イアン・フレミングの『007』シリーズで、
海に落ちたジェームズ・ボンドが「ポルトガルの戦艦 man of portugal」を
足で蹴り飛ばすという描写があり、読んでいて、いくらボンドが超人でも
それは無理だろうと思ったんですが、これは英語でクラゲの一種を指していて、
翻訳者が、言葉そのままに誤訳してしまったということみたいです。

さてさて、どれくらいのことが書けるだろうと心配していましたが、
けっこういろんなことが連想で浮かんできました。
もしこれから海水浴に行かれる予定の方は、クラゲには十分にお気をつけください。
では、今回はこのへんで。

関連記事 『タコの話』  『クモの話』

ジェームズ・ボンド役のロジャー・ムーア 歴代ボンドの中では自分はこの人が一番好きです
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皇位簒奪の話

2018.08.19 (Sun)
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「平成」が終了するまで、あと8ヶ月ほどですか。
次の元号は何になるんでしょうね。平成31年4月30日で平成が終わり、
5月1日から新元号になるということで、混乱もありそうです。
今回は「皇位簒奪 こういさんだつ」についてのお話です。

さて、「皇位簒奪」とは、Wikiによれば、「本来、皇位継承資格がない者が
天皇の地位(皇位)を奪取すること。あるいは継承資格の優先順位の低い者が、
より高い者から皇位を奪取する事。ないしそれを批判的に表現した語」
と出てきます。ただ、皇族同士が皇位を争った場合は、
自分の感覚では、皇位簒奪とは言い難い気がします。

実際には、この語は「天皇家の血筋でない者が皇位につこうとした」場合に
使われることが多いんじゃないでしょうか。では、そういうケースがどのくらい
あったかというと、けっこうな数の人物があげられます。
ですが、その中には議論が分かれているものも多いんですね。

ところで、みなさんは皇統譜というのを信じておられるでしょうか。
初代の神武天皇から始まり、今上陛下が第125代天皇となるというもので、
自分は祖父から、戦前は「神武、綏靖、安寧、懿徳・・・」という
皇統譜を学校で暗記させられたという話を聞いたことがあります。

で、これについて、自分は古代の系譜は信じられないと考えています。
考古学的には、日本の古代において、ある一つの血統がずっと尊重されてきた
という形跡が見られないんです。例えば、天皇の跡を継ぐのは皇太子ですが、
(天皇や皇太子は後代の言葉ですが) 幼くして亡くなる場合もありますよね。

ですが、古代において、大々的に埋葬された高貴な血筋の
子どもの古墳というのは見つかっていません。
その他、さまざまな根拠から、古い時期の日本の大王は、
有力豪族による持ち回りだったんじゃないかと考えます。
これ、自分だけではなく、そう指摘する研究者は多いんです。

では、現在の天皇家につながる皇統がいつごろ生まれたのか?
はっきりとはわかりませんが、継体天皇以降ではないかと考える歴史家が多いですね。
少なくとも、第29代欽明天皇から今上陛下まで男系の血統が続いているのは
間違いないと思います。ただし、南北朝時代には皇統は混乱します。

さて、欽明天皇以後、皇位簒奪をねらったとされる人物の一番目は、
「蘇我入鹿」ですね。戦前の歴史教科書では、大悪人として取り上げられていました。
入鹿は崇峻天皇を弑逆していますし、天皇にしか許されない儀式を行ったという
話もあります。何よりも、『日本書紀』が書かれて、天皇家の血統の特別性が
周知される以前の人物であることが大きいでしょう。

蘇我入鹿
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入鹿は乙巳の変で中大兄皇子(天智天皇)や中臣鎌足に殺されますが、
血まみれの姿で皇極天皇に助けを求めた入鹿が、「私に何の罪があるか、お裁き下さい」
と言ったのに対し、中大兄皇子は「入鹿は皇族を滅ぼして、皇位を奪おうとしました」
と奏上し、それを聞いた天皇は御簾の奥へと下がられたことになっています。

次は「弓削道鏡」でしょう。一介の祈祷僧が、孝謙天皇(称徳天皇)の看病禅師として
宮中に入って寵愛を得、太政大臣、法王にまでなり、さらに孝謙天皇が、
次代の皇位を道鏡に譲ろうとしたところ、和気清麻呂が「天皇家以外の血筋を
皇位につけてはならない」という宇佐神宮の神託を持ち帰り、

功臣 和気清麻呂の十円紙幣 顔のモデルは木戸孝允とされる
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その野望は潰えたということになっています。ただ、道鏡本人に天皇になろうとする
意志があったかどうかははっきりしません。それと、道鏡は巨根で孝謙天皇を
たぶらかしたという話も有名ですが、2人が出会ったとき、
道鏡は60歳を過ぎていましたので、自分はこれは怪しいんじゃないかと思います。
伝説の域を出ないんじゃないでしょうか。

次は「平将門」。関東で反乱を起こし、自らを「新皇」と称し、
独自に文武百官を任命するなどのことをしています。ただ、この時代に、
将門が京都まで攻め上って天皇家を滅ぼすのは物理的に無理でした。実際、
短期間で、同じ関東勢力によって討たれてしまいます。オカルト的には、平将門は
日本でも特別な力を持った怨霊として『帝都物語』などに登場しますね。

将門の首塚
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さて、この他にも「足利義満」「織田信長」などの名前が上がることが多いんですが、
両名とも、天皇位に就こうとする意志を公的に表明したという資料は
残っていません。「そうであったとすれば面白い」という
色メガネ的な部分もあるんだと思います。

関連記事 『邪馬台詩と足利義満』

さてさて、ここまでざっと見てきましたが、自分は、天皇家が長きに渡って
続いた最大の原因は、天皇は武力統率者ではなく、祭祀者であったためと考えています。
日本の歴史をふり返って、天皇は直属の軍隊を持っていませんでした。
反乱が起きた場合などは、臣下に勅を下してそれを収めさせたんですね。
その形が「征夷大将軍」となって、鎌倉から江戸時代まで続きました。

もしこれが、直属の軍隊が正面からぶつかったとすれば、
天皇家の軍が負けると、天皇も殺されてしまっていたかもしれません。
ヨーロッパはそういうケースが多いんです。
もう一つ、天皇は祭祀者であり、天皇家が滅ぶと日本も同時に滅亡するといった
神格化の影響も大きかっただろうと思います。天皇家に弓を引けば、
自動的に「朝敵・賊軍」となってしまい、いかなる大義も失われてしまうんですね。

なぜこういう形になったかの原因はいろいろと考えられますが、
一番は、隣国と地続きではない島国だったせいじゃないでしょうか。
外国勢力、異民族に、徹底的に攻め滅ぼされることがなかったから。
では、今回はこのへんで。

錦の御旗をおし立てて進む長州軍
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埋める話

2018.08.18 (Sat)
これな、俺の小さいころからの話なんだよ。夢、そう夢の話なんだ。
だからよ、馬鹿臭いと思うかもしれないが、まあ聞いてくれ。
あれはそうだな、初めて見たのは小学校の6年だと思う。
ああ、たしか翌日が修学旅行だったから間違いはねえ。
その修学旅行で俺は大ケガをしたからな。でな、その夢はまず、
細い道の両側に笹みたいなのが生えた山道を登ってるとっから始まる。
夜なんだろうな。空は暗くて、けど、あたりの様子は見えるんだ。
俺の前を大きい背中の人が歩いてる。俺が子どもだったせいもあるだろうが、
プロレスラーみたいに大きい。でな、その人が肩に重そうな袋を担いでてな。
ゆっくりゆっくり山道を上っていく。俺はその後ろについていくんだが、
何か怖いような、不安な心持ちなんだよ。

で、夢の中なのにかなりの時間がたって、前の人は脇道にそれ、
落葉の溜まった地面にその袋をどんと落とす。するとな、その袋がギュッと鳴いて、
身悶えをするんだ。それで、ああ、何かの生き物が入ってるんだってわかる。
そのあたりで、俺は自分がシャベルを持ってることに気がつくんだ。
でな、袋を担いでた人が、俺に穴を掘れって命じる。
俺はシャベルを使って地面を掘ってくんだが、腐葉土みたいな柔らかい土で
どんどん掘れる。かなりでかい穴ができると、その人は袋を2、3度蹴りつけ、
袋の中のものがギャンギャン鳴くのが、布を通して聞こえてくる。
その人は袋を穴の中に蹴り落として、俺に埋めろって命じるんだ。
俺は言われるまま、シャベルでザッザッと土をかけていく・・・
まあこんな夢だ。いつもこのあたりで目が覚めるんだよ。

ああ、何度も見てるんだ、まったく同じ内容のを。
それで、さっき小学校の修学旅行の前日って言ったよな。
俺はなんか寝不足のような状態のまま集合場所に行き、バスに乗ってな。
で、昼に山の上の公園みたいなところで弁当になり、俺は仲間と草の上を走り回って
転んで、そしたら、俺が投げ出した左手のとこに割れたガラス瓶があってな。
小指が削げ落ちたんだよ。すごい血が出て、教師が来て落ちてた指を拾い、
救急車で病院に運ばれた。指は切り口がギザギザでくっつかなかった。
親が病院まで車で来て、それで俺の修学旅行は終わり。
で、このときのことは、夢の内容も含めて深く記憶に残った。
2回めに見たのは中3の3月だな。内容は最初に見たのと同じなんだが、
夢の中の俺は成長していて、穴を掘る手にも力が入ってた。

それで、このときはケガはしなかったんだが、いくつか受けてた高校が
全部不合格になった。これは今でもありえねえと思ってる。
本命の学校以外は楽に入れる滑り止めで、しかも試験のできは悪くなかった。
それが全部落ちるなんて考えられねえ。でなあ、どうにもしかたなくて、
地元でも出来の悪い不良が集まる私立に行くことになった。
ここで俺は人生を踏み外したんだなあ。その学校に入って2ヶ月後、
俺はケンカで上級生に大ケガをさせ、退学どころか家裁の保護観察処分になった。
で、あとはもうお決まりのコースだよ。家にいてもしかたねえから、
夜遊びの仲間に入って酒やシンナーを覚え、17の齢に東京に出たんだ。
ああ、住み込みでパチ屋のボーイをやってたんだが、
そこでも先輩を殴って追い出され、なんやかんやあってある組に入ったんだ。

けど、入ったっていっても、正式な組員じゃねえ。俺はまだ齢が若かったし、
準構成員ってやつだな。で、ほら、俺は小学生のときのケガで小指がないだろ。
だから組の兄貴たちには、どこで指詰めしたんだってずいぶん聞かれた。
ケガだって言ってもなかなか信じてもらえなかったよ。
で、最初のうちは競馬のノミ屋の電話番をやってたんだ。
電話番っても、客の注文をきちんと記録取って、金の計算もして、
けっこう神経を使う仕事だったんだが、そのときに3回目、あの夢を見たんだ。
その翌日、ノミ屋の事務所に警察のガサ入れがあって俺は逮捕された。
けど、まだ未成年だったし、執行猶予がついてな。
そうだな、このあたりでわかったよ。あの夢を見た後には何か、
俺にとって悪いことが起きるってことが。でも、今回は軽いほうだと思ってた。

で、その後、俺は沢木さんって兄貴の手伝いをすることになった。
執行猶予中だったから、組のほうでもそれなりに気を使ってくれて、
すぐに足がついてパクられるような仕事じゃなかったんだよ。
ただ、何をやってるのか俺にはよくわからなかったけども。
神社やお寺関係の仕事なんだ。俺と沢木さんがその地方の大きな神社や寺を回って、
組のものだってわかる名刺を出す。それで仕事を受けるんだ。
いろいろあったよ。例えば、ある海岸の松林に入って、
木にたくさん打ちつけられてる藁人形を片づけるとか。
釘抜きを使って五寸釘を引っこ抜いてな。それから、ある神社から
絵馬をコンテナ2つ分も受け取って、それを海岸で燃やすなんて仕事もあった。
沢木さんは、それがどういう意味があるのか俺には教えてくれなかったな。

ああ、沢木さんはとっつきにくい怖い人だった。
体がプロレスラーなみに大きくて、力が強かった。ただ、言葉遣いはつねに
丁寧だったし、髪型も銀行員みたいにしてて筋者には見えなかった。
だから、神社寺関係でも信用されたんだろう。
でな、沢木さんに俺はいっつも、覚悟を決めろ、墨を入れろって言われてた。
墨ってのは紋身のことだ。イレズミだよ。それが入ったら、
正式に盃をもらえるよう組にはからってやるからって言われて、
俺もその気になって、彫師のとこに通って、少しずつ墨を入れ始めた。
絵柄は、もちろん和彫で魚藍観音ってのにした。これも沢木さんの勧めだった。
観音様が大きな鯉の背中にまたがってるやつ。ただ、俺は墨が合わなかったんで、
彫るたびに熱が出て背中が腫れた。それで、少しずつ彫っていったんだ。

そうしてるうち、組の回りがきな臭くなってきた。
別の組とアヤがついて抗争になりかけたんだ。うちの組のやつが路地に連れ込まれて
袋叩きにされたり、こっちから相手の事務所に弾を撃ち込んだりした。
けど、まだ死人が出るまでにはなってなかった。
でな、その夜、俺が事務所にいると沢木さんが来て仕事だって言う。
それで沢木さんの車に乗り込んで・・・沢木さんはでかいアメ車のリンカーンの
SUVに乗ってるんだよ。車は街から郊外に出て、山道へと入ってった。
そんとき、リンカーンの荷室のほうから「うっう、うっう」って声が聞こえてな。
振り向いてみると、白い麻袋が転がってて動いてる。
それ見て俺も覚悟を決めた。これはヤバイ仕事なんだって。
沢木さんは林道の途中で車を停め、「おめえは力がねえからな」と言って、

その袋を軽々と担ぎ上げ、俺にシャベルと懐中電灯を持たせて、
人しか通れねえ脇道を登り始めた。そんとき俺は、ああ、これ夢と同んなじだ、
ってわかったんだ。小学生のときから見てたあの夢。ただ違うのは、
俺が沢木さんの前を歩いてるってことだった。でな、窪地のようなとこに
袋を転がし、命じられて穴を掘り出したのも夢と同じ。穴を掘りおわると、
沢木さんは俺からシャベルを取り、「いいか、こうするもんだあ!」と言って、
小刻みに動いてる麻袋に思い切り突き立てた。「グギョッ」と袋は叫んだが、
何度も何度も突き下ろしてるうちに静かになった。
麻袋に血がにじんで、そこここが破れ、破れの一つを沢木さんが引っぱると、
ビリビリと切れて背中が見えた・・・俺と同じ魚藍観音の紋身があった。
沢木さんが「顔も見るか」と言ったんで、俺はかぶりを振り、

沢木さんが穴に袋を蹴落としたところに何度も何度も土をかけた。
その夜はそれで終わったんだが、夢を見た。あの夢・・・けど、いろいろ違ってた。
まず山の中じゃなく、白い砂が敷かれた神社の境内みたいなところで、
俺は一人だけで、やや離れたところにある神社の社殿の扉が開いてた。
中に誰かがいるような気がしたがよくわからない。
目の前に穴があり、袋が落とされてる。袋は動いて声を出してる。
そこにザッザッと俺は白い砂をかけてって・・・もうすぐ見えなくなるというとき、
袋がはっきりした声を出した。「いいか、こうするもんだあ!」 沢木さんの声だった。
そこで俺は、びっしょり汗をかいて目を覚ましたんだ。体がだるかったが、
早い時間に事務所に顔を出した。すると偉い兄貴たちが何人も集まって殺気立ってた。
そのうちの1人が「おう、沢木が撃たれて死んだぞ」って言ったんだよ。







癌にならないしくみ

2018.08.17 (Fri)
ゾウはガンになりにくいことが知られており、
科学者たちはその仕組みを解き明かそうと長年研究を続けてきました。
シカゴ大学の研究者たちによる最新の論文によると、
ゾウは死んだ遺伝子を復活させて「ガン細胞を殺す」という
タスクを割り当てることで、腫瘍を破壊するという驚がくの
メカニズムを有していることが明らかになっています。
(AFP)

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今回は、科学ニュースからこのお題でいきます。
象の寿命はアフリカゾウとアジアゾウで違いがありますが、
だいたい50~70年くらいとされます。その中で、癌で死ぬ個体が
極めて少ないことは以前からわかっていました。

まったく癌にならないというわけではなく、癌での死亡率は5%ほどと
見られています。これは人間よりは圧倒的に少ないですよね。
日本人は現在、2人に1人が癌にかかり、3人に1人が癌で死ぬとされています。
癌が増えたのは、それだけ高齢者が増えたからです。

癌は基本的に、遺伝子の異常によって起こります。
細胞内の遺伝子が、発癌性物質や老化によって異常な変異を起こし、
まるで自分の意志を持っているかのように、
本体に制御されない自律的な増殖を行うのが癌細胞です。

そう考えれば、細胞の量が多ければ多いほど癌になりやすいと言えますよね。
細胞が多いとそれだけコピーエラーをする確率が上がる。実際、そのことは
犬では確かめられています。例えばチワワとセントバーナードでは、
見た目も体の大きさもかなり違いますが、持っているのは同じ犬の細胞です。

さまざまな犬種
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で、小型犬よりも中型犬、中型犬よりも大型犬のほうが、はっきり癌にかかりやすい。
これは人間も同じだと考えられます。細胞量と癌の関係についての人間での研究は
スウェーデンで行われ、記録を分析した結果、身長が10センチ高くなるごとに、
女性では乳がんリスクが20%上昇し、悪性黒色腫(メラノーマ)のリスクは
男女ともに30%も増えることがわかりました。

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あと、これは癌だけのことではありませんが、アメリカの研究では、
身長が1cm高くなると、0.47~0.51年の寿命の短縮があるという
統計結果が出ています。身長が175.3cm以下の男性は、
身長が175.3cm以上の男性グループに比較して寿命が4.95年長く、

身長が170.2cm以下の男性は182.9cmの男性より
7.46年長生きするという報告もあります。
低身長のほうがかなり寿命が長いんですね。
うーん、10cmで7年以上も違うというのは驚きの結果です。

また、身長が120cm以下のラロン低身長症候群の人は、
ほとんど癌にならないと言われます。あと、東洋の巨人と言われたプロレスラーの
ジャイアント馬場さんは、たしか60歳で大腸癌で亡くなられてますよね。
その他にも大腸癌は長身の人に多い印象があります。
自分も身長は高いほうですので、気をつけていきたいと思います。

さて、象は細胞量が多いのになぜ癌になりにくいのか。これは、遺伝子変異が起きた
細胞を殺すためのタンパク質「p53」を持った遺伝子のコピーバリエーションが、
人間には2つしかないのに対し、象は38個もあるからだそうです。
それを使って、癌になりかけの細胞ができたら殺していく。細胞量が多くても
癌になりにくい体内システムを、生まれながらにして持っているわけです。

この他、癌になりにくい生物としては、前に一度ご紹介したハダカデバネズミの仲間が
知られています。ここでは詳しくは説明しませんが、
ハダカデバネズミは、象とはまた違ったシステムを持っていて、
細胞の癌化を防いでいるんですね。

ハダカデバネズミ
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あと、「トカゲのしっぽ切り」などという慣用句がありますが、
イモリやトカゲなどは、再生能力が異常に高く、足や尾を切られても、
短期間でまた生えてきます。このとき、猛スピードで大量の細胞分裂が起こりますが、
それによって癌化が起きることはほとんどないようです。イモリの仲間は、
強力な発癌物質にさらしても、癌そのものを移植してもなかなか癌にならない。

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さて、少し話を変えて、 iPS細胞というのがありますよね。
ノーベル賞受賞の山中伸弥教授がつくり出した万能細胞で、髪の毛一本から、
理論的には、その人のさまざまな臓器や組織をつくることができ、
これからの再生医療の柱になると期待されているんですが、

一方で、早い時期から「癌化」の問題が指摘されていました。
iPS細胞でつくった臓器は、増殖が止まらなくなって癌になる恐れがあり、
実際、マウスを使った実験では、体組織に育つ過程で癌になるケースが
多数見つかり、なかなかうまく制御できないんですね。

山中伸弥教授
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これはつまり、イモリは急速な細胞分裂でも癌化をふせぐ機能を持っているが、
人間の細胞は持っていないということになります。
別の見方をすれば、人間の細胞‎には一定年数のうちに癌になることが
最初からプログラミングされていると言ってもいいのかもしれません。

さてさて、では、これらの癌になりにくい動物を研究することで、
人間の癌をふせぐことはできるのか。自分は、これはかなり難しいだろうなあ
と思います。なぜなら、象やイモリが癌になりにくいのは、
長い進化の過程で獲得した体のしくみであり、種族としての特性であるからです。

逆に人間が癌になるのも、もしかしたら進化上で獲得された
一つの「能力」なのかもしれません。こう書くと怒られそうですが、
人間の子育てが終わるのが、だいたい50歳くらいですよね。
そのあたりから癌になる人が増えてくるのは、繁殖がすんだ個体はお役御免。
ジジババは若い個体に道をゆずって、さっさとこの世から退場しなさい、
そのほうが人類全体としては都合がいいという、
あらかじめ定められたシステムなのかもしれない、とも思うんですよ・・・






真言立川流と後醍醐天皇

2018.08.16 (Thu)
今回は怖い日本史のカテゴリに入る内容です。
立川流(たちかわりゅう)は、オカルトフアンならご存知だと思いますが、
真言系密教の一流派で、淫祠邪教の代名詞のようにあつかわれています。
ちなみに、字は同じですが立川流(たてかわりゅう)と読むと、
故 立川談志師匠が創設した落語団体のことになります。

どっから話していきましょうか。まず、立川流の教義および儀式ですが、
これははっきりわかってはいません。というのは、立川流は徹底的に弾圧され、
独自の経典などは焚書ですべて失われているからです。
現在 残っているのは、みな弾圧した側から見た後代の文書です。

立川流 曼荼羅
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ということで、ここから書く内容は、きわめて不確かで、
後世の脚色が入ったものとしてお考えください。まず、立川流では、
男女の交合を、悟りを得るための最大の儀式としていたとされます。
これは、一般的な仏教で言われる女犯戒(にょぼんかい)にいきなり反してますね。

なぜ、立川流がこのような教義を押し立てるようになったか。
ルーツは2つあると考えられます。まず一つめは、古代インド哲学にある性愛術、
『カーマスートラ』などからの影響。もう一つは、
東洋に古くから伝わる陰陽思想でしょう。
どちらも、根源的な仏教とはあまり関係のないものです。

インド カジュラーホの性愛寺院
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女が陰、男が陽、この2つが揃ってこそ物事は完全なものになる。
だから女犯戒は間違っているというわけです。
これは立川流独自の『理趣経』の解釈とされています。また、立川流では、
邪神とされるダキニ天を拝し、「髑髏本尊」を祀ったという話も知られています。

まず、選りすぐった髑髏を探し出してきて加工する。これを祭壇に据えて、
夜ごとに香を焚き、真言を千回唱える。さらに、毎日山海の珍味を備えて、
その前で僧侶とパートナーの女が昼夜生活をともにし、交合の際の愛液をぬる。
そうして、8年の歳月を経て髑髏本尊が完成する。

こうしてできた髑髏は、人の望みをかなえたり、将来を予言したりするとされます。
また、8年間をともに暮らした男女は、その修業の過程で、
2人とも解脱して悟りをえることができる。つまり、髑髏本尊を作ることは、
目的でもあり、また手段でもあるということなんですね。

ただし、上に書いたように、これらのことが本当に立川流で行われていたかは
わかりません。そうではないだろう、という意見の研究者も多いんです。
立川流は後代、創作物などで興味本位にあつかわれることが多く、
そこでたくさんの不確かな逸話がつけ加わってしまいました。

さて、立川流を大成したのが、14世紀、南北朝時代の僧、
文観(もんかん)です。この名前は、文殊菩薩と観音菩薩の両者から
一字をとってつけたという大仰なものです。
元は一介の修行僧で、大和や播磨の国で真言律を学んでいました。

その後、文観は師の紹介で後醍醐天皇に取り入り、護持僧として重用されます。
後醍醐天皇は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての
第96代天皇にして、南朝の初代天皇。下に肖像画を掲げましたが、
両手に法具を持った密教者としての姿に描かれていますね。

密教法具を持つ後醍醐天皇
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また、後醍醐天皇に、地方の悪党であった楠木正成を紹介したのも文観
とされますが、これはどうやら間違いのないところのようです。
楠木正成は後醍醐天皇を助けて大活躍し、新田義貞などと並んで、
『太平記』中の一大ヒーローとなります。

楠木正成公
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さて、鎌倉幕府に不満を抱いていた後醍醐天皇は、
中宮安産を祈願する祈祷をすると見せかけ、
じつは鎌倉幕府を調伏するための儀式を行いました。この中心となったのが
文観ですが、ことは幕府に露見し、文観は硫黄島に流されてしまいます。
しかし、元弘の変で鎌倉幕府が滅亡すると、京都に戻り、
密教の中心であった東寺の長者、大僧正になります。

これは異例の出世であり、当時の仏教界では反発が強かったんですね。
1335年、突如、高野山の真言僧たちが山を下り、
立川流の僧の多くを殺害、経典をすべて焼き捨てるなどの大弾圧を加えました。
このとき、文観も東寺長者の地位を追われ、甲斐の国へ流されてしまいます。

加持祈祷をする文観
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この弾圧は、建武の新政中に起きたことで、
権力を掌握していたはずの後醍醐天皇にも、立川流が弾圧されて消滅するのを
止めることができなかったんです。このあたり、複雑な事情があるんだろうと
想像できますが、明らかになってはいません。

さて、この後の文観は、足利尊氏に追われて吉野へ逃れた後醍醐天皇に
つき従い、南北朝時代を生きて80歳で没することになります。
また、後醍醐天皇は1339年、満50歳で吉野で亡くなりますが、
『太平記』によれば、このとき、左手に経典、右手に剣を持ち、
自らの身体を使って北朝を呪いながら死んだとされています。

さてさて、立川流の実体はどのようなものだったのか?
なぜ弾圧されて滅んだのか? これらのことは歴史上の謎で、
自分もこつこつ調べてはいるんですが、やはり資料不足でよくわからないんですね。
ということで、今回はこのへんで。

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ダウンしました

2018.08.15 (Wed)
※ 本項は雑談ですので、スルーを推奨します

昨日の昼過ぎ、誰もいないのをいいことに、
共同事務所のソファでエアコンにあたりながら
昼寝をしてたんですが、起きるとなんか具合が悪い。
鼻水とくしゃみの風邪症状があるんですね。
ああ、夏風邪かな、でもたいしたことないだろうと思って家に戻りました。
で、自分は趣味で海水魚の飼育をやってまして、
水槽が何本かあるんですが、その中で一番大きいやつの
オーバーフロー配管から水漏れしてるのに気がつきました。

これが破損すると風呂桶の倍の海水が漏れて大変なことになるので、
しかたなく水槽のキャビネット台の中にこもって修理をしましたが、
この中は水槽用クーラーの排気でものすごく暑いんです。
水をかぶったように汗をかいたので風呂に入り、
脱力感が大きかったので2時間ほど寝たんですが、
起きてみると熱っぽい。測ってみたら39、9℃でした。
お盆期間中でかかりつけの病院は休みだし、
市販薬を飲んで寝ようとしたものの、朝まで寝られず。

で、今日はずっとダウンしてます。何も食べられないし何も書けないです。
熱は、薬を飲めばいったんは下がるんですが、何時間かすればまた
39℃台に戻る。病院が再開するのは17日からなので、
それまでビタミンCサプリと飲料を大量に摂取してしのぐつもりです。
(風邪は病院に行ったから治るというものでもないんですが)
しかし、お盆中で時期が悪いですよねえ。
自分の何かがいけなくて、ご先祖様にしかられているのかもしれません。
ということで、今回はこのへんで。
(なお、この記事は後に削除します。)






地獄から来た子どもの話

2018.08.14 (Tue)
※ 冷房風邪をひいて体調悪いです。なんか話の出来もあまりよくない。

こんばんは、じゃあ私の話を始めさせていただきます。
ただ、始めにお断りしておきたいのは、この話、今からもう20年も前の
ことなんです。わずか2日間の出来事で、しかもその後ずっと何も起きてません。
ですから、私の思い出話みたいなもので、
みなさんにはあんまり怖くないかもしれないです。
あれは、私が小学校4年生のときでした。まだ妹が産まれる前のことです。
両親と祖母と私の4人で、私の夏休み中、温泉地に行ったんです。
場所は言わないでおきますね。全国的には有名ではないものの、
私が住んでた地方ではそこそこ有名な、隣県の温泉です。
私はまだ子どもだったから、遊園地なんかのほうがよかったんだけど、
祖母がすごく温泉好きだったんです。父の車で行きました。

宿に着いたら、やはり夏休み期間だけあって、駐車場にはずらっと車が並んで、
けっこう混んでました。すぐ部屋に通され、まだ日が高かったので、
外に散歩に出ることになりました。そこは大きな一軒宿なので、
温泉街などはなく、自然の中を通る遊歩道があったんです。
硫黄のにおいが立ち込め、そこここから煙が上がってました。
夕方なので、散歩に出てるお客さんはちらほらで、
私たちは祖母に合わせてゆっくり歩いていったんです。
そしたら、横手の林が途切れて右側が崖になりました。
といっても、それほどの高さはなかったんです。5、6mくらい下に、
ぼこぼこと泡がたってる黄土色の沼がありました。
木の橋があり、そのたもとのところに「地獄沼」という看板が立ってて。

そこでたしか私が父に、「ここって地獄なの?」って聞いた気がします。
そしたら父は、「ああ、温泉地獄といって、日本のあちこちにあるんだよ。
 あの底から温泉が湧き出してるんだな」こう答えました。
橋はしっかりした作りで、手すりも高かったんですが、
こっから落ちたら助からないと思って、祖母と手をつないで恐々渡っていきました。
と、下の地獄沼の端のほうにひときわ大きな泡がわき上がってきたんです。
泡はかなりの高さまでふくらみ、びしゃっという感じで弾けましたが、
その跡に、泥の色をした人の背中が見えました。
「あ、お父さん、人がいる」思わずそう声をかけました。
「え、この沼の中にか。まさか」 「えー、だっているから。ほらあそこ」
指さしたんですが、父にはわからないようでした。

「えー、なになに?」今度は母、それで母にも下を指し示して、
「ほら、あそこに、人!」 「うーん、お母さんわからない」でもやっぱり、
母にも見えてなかったんです。そうしてるうち、私たちは沼の中央を過ぎ、
その地獄沼から生まれたものは、泥の上を這うように進んで、
ほとりの岩に上がったんです。子ども、に見えました。
全身が黄色い泥色の、そのころの私より少し年下の子ども・・・
でも、髪は泥で固まってたし、男か女かわかりませんでした。
私が歩きながら後ろをふり返ってそれを見ていると、
祖母が握ってた手に力を込めて、「おばあちゃんには見えるよ。
 けど、あれ、見ないほうがいいものだから」そう言ったように覚えてます。
だから、私は無理やりそれから視線を切って、遊歩道を進んでいったんです。

そのときの散歩は小1時間くらいだったと思います。
帰りも同じ道を通ったので、沼でさっき見たものを探したんですが、
もういなくなってしまってました。それから、夕食前に1回大浴場に行き、
夕食後は家族で、宿の中のカラオケをやったり、ゲームコーナーに行ったりしたので、
祖母にさっきのもののことを聞こうと思ってたのが、
すっかり忘れてしまってたんです。その夜は、何もおかしなことはなく、
翌日の朝になりました。朝食は、1階にある食堂でとることになってたので、
家族でそこに行きましたら、団体客や家族連れなど、
他のお客さんがたくさん入ってました。私たちの名前があるテーブルに行くと、
お膳が並んでて、私は「いただきます」を言って食べ始めたんですが、
しばらくして、むっと強い硫黄のにおいがしたんです。

その温泉は、どこもかしこも硫黄のにおいで、私ももう気にならなくなってたんですが、
とても強いにおいで、思わずそっちのほうを見たら・・・
子どもが、やや離れた通路の床に這いつくばってました。
その宿の浴衣を着てたような気がします。髪は短く、男の子だと思いました。
その子はゆっくりと立ち上がり、振り向いてこっちを見ました。
そしたら、顔が泥だったんです。黄土色の泥がぐるぐる渦巻くような、目も口もない顔。
私は「キャッ!」と叫んで立ち上がってしまいした。
「どうした?」と父が聞き、「あれ、あれ、あそこ!!」と大きな声を出すと、
父は「指さすのはやめなさい。何もいないじゃないか」そう言い、
私は、昨日と同なじだ、見えないんだって思ったんです。
その子は、ひょこひょこした動きで、ゆっくり私たちのテーブルの近くまできて、

そのとき、祖母が小さな声でその子に、「よそへ行きなさい」って言ったんです。
その声は父母にも聞こえ、「何? おばあちゃん」と母が聞きました。
祖母はそれには答えず、泥の顔をした子どもはくるっとふり向き、
全身を引きずるようにし通路を戻って、別の家族連れのほうに近づいていったんです。
「なんかすごい硫黄のにおいだなあ」って父が言ったのを覚えてます。
部屋に戻るとき、祖母に「おばあちゃん、さっきのあれ、何?」って聞きました。
祖母は、「わからないねえ、ただ悪いものだとしかわからない。
 お前にも見えるんだねえ」って言いました。
それから部屋に戻り、もう一度最後に温泉に入って、宿を発つことになりました。
駐車場の父の車に向かうと、やや離れた場所で、
やはり家族連れが車に乗り込むところでした。

そのときの私の両親よりも齢が上に見える父親と母親、中学生くらいの女の子。
それと・・・旅館の浴衣を着た子どもが、女の子の後ろにいました。
「!! あれ、さっきの」と思いました。その浴衣を着た子どもが、
車に乗ろうとしたとき、横顔が見えました。
やはり黄色い泥の固まりが動いているみたいでした。
バタンと車のドアが閉まり、その家族の車は走り出し、
私たちも出発しました。その日は、ある有名な小説家の記念館に行き、
その近くで昼食をとってから、家に戻ったんです。
翌日も父の仕事は休みでした。私は前日の旅行で疲れてたので遅く起き、
10時過ぎに下に降りていきました。
すると、ダイニングで新聞を読んでた父がこう言ったんです。

「おはよ。何か昨日行った温泉の近くで事故があったみたいだぞ。
 家族連れの車が、崖崩れ防止用のコンクリに衝突して、
 全員が亡くなったみたいだ。あの温泉の泊り客だったんじゃないかなあ」
思わず「何人死んだの?」って聞いてしまいました。
父は、「両親と女の子3人みたいだ・・どうかしたのか?」
こう聞き返してきましたが、私には答えられませんでした。
これで、終わりです。








ホームズ対ネッシー

2018.08.13 (Mon)


昨日、シャーロック・ホームズの話を書きまして、
今回はその続きのような内容です。さて、ホームズっていつごろ
活躍したことになってるんでしょう。1881年に「四つの署名」事件で
ワトソン博士と出会い、そこから探偵としての仕事を始めているので、
19世紀後半から20世紀初頭の人物という設定です。

いつ亡くなったかは書かれてないんですが、1930年頃と
考えられます。では、ホームズは、イギリス最大のオカルトの一つである
ネッシーとは接点がなかったんでしょうか。ネッシーについては
前にも一度書きましたが、いろいろ誤解があるんです。

まずネス湖ですが、日本語では「湖」の語を使っているものの、
英語で「Lake Ness」ではなく、「Loch Ness ロッホ・ネス」なんですね。
ロッホとは氷河によって削られてできた地形で、レイクとは区別されますが、
氷河のない日本には適当な訳語がありません。

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それと、ネッシー(Nessie)というのは通称で、正式?には、
ロッホ・ネス・モンスター(The Loch Ness Monster)とされます。
ネス湖は、上で書いたように氷河地形なので、長さ約35キロメートル、
幅が約2キロメートルと、川のように細長い形をしています。

では、ネッシーの名が知れ渡るようになったのはいつからかというと、
湾岸の道路が開通した1933年以以降のことなんですね。
まだ100年の歴史もありません。ですから、ネッシーの登場は
残念ながらホームズの死後のことで、接点はないんです。

ただ、ホームズはフィクションの人物ですし、まあネッシーも似たような
ものです。だったら、この二つの存在をからませたら面白いだろう、
と考える人がいても不思議ではないですよね。
そこで作られたのが1970年のアメリカ映画、『シャーロック・ホームズの冒険』。

さすがに古い映画のため、自分はビデオで見ました。
監督はビリー・ワイルダー。アメリカ映画なので、イギリス的な暗い雰囲気はなく、
冒頭から、ホームズがロシアのバレリーナに突然プロポーズされ、
とっさに、ワトソンと同性愛関係にあると言って断るという、
ホームズフアンが怒りそうなコメディタッチで話が始まります。

シリアスな推理映画というより、国際スパイ映画的な雰囲気なんです。
で、その後半にネッシーが登場します。作中では、ネッシーの存在が人々に広く
知られている設定でしたが、上に書いたようにネッシーの話が出るのは
1933年以降なので、この設定はほんとうはおかしいんです。

さらに、このネッシー、じつは本物の生物ではなく、
小型潜水艦にハリボテの首と頭をくっつけたニセモノなんですね。
悪人たちが、ネス湖に人を近づけないようにするため、
わざと怪物の噂を流していたわけです。(下図)

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で、このネッシーですが、撮影中に、背中の形が気に入らなかった
監督のワイルダーがコブを外すように命じたところ、そこから浸水して、
湖中に沈んでしまったんです。しかたなく、首から上だけをもう一度
作り直し、残りのシーンはスタジオ内の仮設プールで撮影されました。

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その5年後、1975年にボストン応用科学アカデミー研究チームが、
ネス湖を探索し、ネッシーを写したとする水中写真を公表しました。(下図)
これは、オカルトフアンの方ならご覧になったことがあるんじゃないでしょうか。
粒子が荒く、また被写体の大きさもはっきりしないですが、
首の長い生物状のものが写っていると見ることもできます。

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このとき、写真の被写体が、ホームズ映画の撮影時に水没した模型だった
のではないかとの説が唱えられ、世界的に大きな話題となりました。
この真偽は不明ですが、自分は違うんじゃないかなという気がします。
なぜなら、湖底に沈んだ模型の下半分は潜水艦型になってるはずですが、
そうは見えないですよね。

さて、次は時代がとんで、2016年、スコットランドの旅行会社と
ネッシー研究家のプロジェクトチームが、魚雷型水中ロボットのソナーで
湖底の状況を確認したところ、水深180mの地点で、
下のような画像が撮影されています。

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こっちはまず間違いなく、映画撮影用の模型だと思われます。
ソナーの画像は修正されていますが、そっくりな形です。
チームの責任者も、「これは映画で使われたネッシーのプロップだと
すぐにわかった」と述べています。

さてさて、ホームズとネッシー、映画を通じてこんな接点があったわけです。
ところで、もし、ネッシーの噂とホームズの時代が重なっていたとしたら、
ホームズはネッシーの存在を否定したでしょうか。
それとも肯定したんでしょうか。

これはもちろんわかりませんが、ホームズの作者コナン・ドイルは、
SF作品『失われた世界』で、南米アマゾンの奥地にある恐竜が生き残った
台地での冒険を描いていますので、おそらくホ―ムズは、
「恐竜が現代まで生き残ってても、何ら不思議ではないんだよ、ワトソン君」
こんなことを言ったんじゃないかという気がします。では、今回はこのへんで。

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ホームズの怖い話

2018.08.12 (Sun)
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今回はこのお題でいきます。シャーロック・ホームズはご存知でしょう。
イギリスの作家、アーサー・コナン・ドイルが生み出した名探偵ですね。
ドイルは測量技師の家庭に生まれ、大学で医師の免許を取り、
船医として職業生活をスタートさせるなど、理系の人なんですが、
副業として書いていた推理小説が大ヒットし、人気作家となりました。

アーサー・コナン・ドイル
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ホームズは長身の思索的な人物で、コカインなどの麻薬を乱用するという
人間的な欠陥もあります。金のためではなく、知的興奮を求め、
医師のワトソン博士とのコンビで、数々の難事件を解決していきます。
世界中に熱狂的なホームズのフアンがいて、
その人たちはシャーロッキアンと呼ばれます。

また、ホームズの人物像をヒントに、日本の推理作家、江戸川乱歩が
明智小五郎を生み出したのは有名な話です。ホームズが事件の捜査に
使っていたベイカー街のストリートチルドレンのグループが、
乱歩の少年探偵団にあたるんですね。

あと、ドイルはシャーロック・ホームズ物の他にSFも書いています。
『宇宙戦争』や『失われた世界(ザ・ロスト・ワールド)』は
何度も映画化されてますね。SF作品に登場する主人公はチャレンジャー教授。
ホームズよりかなり行動的で肉体派、冒険にふさわしい人物です。

さて、コナン・ドイルは晩年、心霊研究に没頭したことは有名です。
第一次世界大戦で多くの友人や身内を亡くしたことで、
「我々の愛する人は死後もなお生き続けているはずだ」
という確信を持つようになったと、その著作に書かれています。

日本に翻訳はされていませんが、かなりの数の心霊主義的な著作があります。
ドイルは、世界に心霊主義を広めるのが自分の使命と考え、
英国内だけでなく、オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパ諸国、アフリカ
などで、心霊研究に関する講演を行って回りました。

イギリスの田舎、コティングリー村で2人の少女が妖精の写真を撮ったとされる
「コティングリー妖精事件」にも関わり、その写真を本物と鑑定しています。
ただ、この事件については後年、当事者の少女2人が、
妖精は雑誌の人物を切り抜いたものであったと告白してるんです。

コティングリーの妖精写真 ひと目で絵だとわかると思うんですが・・・
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さて、前置きが長くなってしまいましたが、
ホームズが解決した事件の中で、怪奇色の強い話をあげてみます。
これら全部が傑作というわけではなく、あくまで怖い話のリスト。
ホームズ物は一種のアイデア・ストーリーですので、
ネタバレにならないように注意したいと思います。

まず、「まだらの紐」。これが一番怖いでしょうか。
作品としての評価も高く、代表作の一つと言えるでしょう。
義父ロイロットが資産を管理している女性が結婚することに決まり、
財産を相続することになったが、自室で夜に口笛が聞こえると訴えるようになり、
数日後、「まだらの紐」という言葉を残して謎の死を遂げる。

そして、死亡した女性の双子の妹がホームズのもとを訪れ、
事件の解決を依頼するのだが、その依頼人にも命の危険が迫っていることを
ホームズは察知する。ホームズ物の特徴の一つとして、強力で魅力的な
敵役が登場することがあげられますが、本作のロイロット博士もその一人です。

「まだらの紐」
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「バスカヴィル家の犬」。ホームズ物の4つの長編のうちの一つです。
自分はこれ、短くてすむ話を、無理に引き伸ばして長くしたという印象がありますね。
魔犬の呪いの伝説を持つ名家の当主が、森の中で死体で発見される。
表向きは病死と発表されたが、遺体の近くには巨大な犬の足跡があった・・・
イギリス流の伝奇推理といった趣の内容です。

「バスカヴィル家の犬」
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「サセックスの吸血鬼」。ワトスン博士の旧友がホームズのもとを訪れ、
再婚したペルー出身の妻が、自分が産んだ赤ん坊の首に噛みついて血を吸っている
場面を何度も目撃したという相談を受ける。吸血の場面を見られた妻は、
寝室に閉じこもってしまって出てこない・・・

「悪魔の足」。転地療養をしているホームズとワトソンのもとに来た依頼人は、
牧師館で、昨夜3人の兄弟と夕食をとったのだが、その後、朝になって、
3人は椅子に腰かけたまま、一人死亡、2人が発狂した状態で発見された。
依頼人は、3人のところに悪魔がやってきたのではないかと言う・・・
話の冒頭に不可解な謎が提示されるのは、現代の推理小説にも通じますね。

「覆面の下宿人」。ホームズは依頼者から、自分が部屋を貸している下宿人が
自殺を考えているのではないかと相談を受ける。その下宿人は女性で、
つねに覆面をしているが、それは、かつてサーカスのライオンに顔を
食いちぎられた有名な事件のためだった。
あまり評価は高くないですが、自分はこの話、けっこう好きです。

さてさて、だいたいこんなところでしょうか。もちろん推理小説ですから、
これらの事件の謎はすべて合理的に解決されます。
(現代の目からは、かなり無理な謎解きもありますが)ここから、
ドイルがどのような精神遍歴で心霊オカルトの領域に踏み込んでいったのか、
人はどうやって心霊主義者になるのか?
自分なんかには、大変興味深い部分です。では、今回はこのへんで。

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夢二の鏡の話

2018.08.11 (Sat)
こんばんは。この間、「さむどの屏風」の話をした元骨董屋です。
他に古物にまつわる話はないかって言われまして、今晩も来させていただきました。
でもこれ、そんなに怖い話じゃないんです。
まあ、ちょっとした事件はありましたけど。もう何十年も前のことです。
市でね、三面鏡を仕入れたんです。銅に錫メッキをした枠にガラスをはめ込んだ鏡。
化粧机の上に置いて使う小ぶりのやつでね。大正時代のものです。
品のいい金属彫刻がほどこされてまして、まさに大正ロマンを感じさせる。
それで、わたしが勝手に「夢二の鏡」って名づけまして。
竹久夢二はご存知ですよね。たおやかな美人画で有名な。
いかにも、あの夢二の絵の人物が使いそうな鏡だったんです。
ケースには入れず、店の前面の棚に飾っておきました。

ちょっと余談になりますけど、骨董の鏡って、
けっこう誤解してる方がおられるんです。例えば、江戸時代の花魁が、
大きな姿見で着物の着付けをしているとか、三面鏡を開いて化粧してるとか。
でも、江戸時代に板ガラスを使った大きな鏡なんてないんですよ。
ええ、明治以前の鏡は金属を磨いたものです。
板ガラスが輸入されるようになったのは、明治の10年ころですかね。
ですから、それ以前には手鏡ていどのものしかなかったんです。
もちろん西洋のアンティークにはありますが、うちでは扱いません。
ああ、すみません、話を続けます。まあね、簡単には売れないだろうとは思ってたんです。
だって、骨董屋に一人で来られる女の方なんてまずいません。
今はどうかしりませんが、わたしらの頃は骨董趣味の女性なんていなかった。

その鏡、商品ですから、もちろん毎日磨いてました。やはり古いものなので、
ガラスにゆがみもあったんですが、くもりはなく、物ははっきり映りましたよ。
でね、ある日、わたしの中学2年になる娘が、
店にいて、背伸びしてその鏡をのぞいてたんです。
右を向いたり、左を向いたり、すました顔をしたり、口を開けたり。
そこにわたしが入っていって声をかけました。「どうした、その鏡、気に入ったかい」
「あ、びっくりした。お父さん、おどかさないでよ!
「お前が店の品を見てるなんて珍しいと思ってね」
「この鏡、すごくきれいに映る。自分じゃないみたいに」
「うーん、ゆがんで少し凸面になってる部分があるみたいだから、そのせいかなあ。
 お前が気に入ったなら、部屋においてもいいぞ」

「あ、いらない。きれいな鏡だけど部屋の雰囲気に合わないし、
 私、今、鏡見てるようなヒマはないから」娘は中学でバレー部に入ってまして、
背も私よりかなり高かったんです。それが県の大会でチームが優勝しまして、
あと1ヶ月で全国大会があったんです。オリンピックで日本の女子バレーチームが、
「東洋の魔女」なんて言われた頃からは時間がたってましたが、
テレビのアニメでバレーボール物をやってたりした時期でした。
当時はね、スパルタ訓練はあたり前で、娘はまだ中学なのに、
帰りが9時を過ぎることもよくあったんです。
でね、それからちょくちょく、朝の登校前とか、夜に店の電気をつけて、
娘がその鏡をのぞいてることがあったんです。10分以上も鏡の前にいて、
戻ってくるとボーッとした顔をしてる。

まあでも、きつい練習の疲れや大会前の緊張を、そうやって娘なりにほぐしてるんだと
思って黙ってたんですよ。でね、ある晩です。娘が練習から戻って、
「御飯いらない」って部屋から出てこなかったことがありまして。
ちょっと驚ました。その頃の娘の食べる量はわたしよりずっと多かったですから。
で、その3日後ですか。妻からこんな話を聞かされたんです。
「○○子から相談されたんだけど、あの子、男子バレー部の3年生のキャプテンから、
 つき合ってくれないかって言われたみたい。ずっとバレー一筋にやってきた子だから、
 それでちょっとショックを受けてるみたい」
娘が妻に相談したんでしょうね。これはわたしも対処に困りましたが、
男親が口を出すのも難しい話だし、なるようにしかならんだろうと思いました。
ただ、大事な全国大会に影響が出なければいいなと。

それとですね。小さい頃から男みたいな娘でしたけど、
その頃 急に、親の私から見ても、きれいだなって思えるときがあったんです。
頬が紅をさしたような色になり、唇も化粧したみたいに赤くて。
でもね、それは年頃になったからで、あの鏡のせいだとは露も思わなかったです。
でね、これも妻から聞いたんですが、その男子のキャプテンとのことは、
とにかく全国大会が終わるまで保留、それから返事をするって、
娘がその男の子に言ったってことでした。それから1週間後くらいですね。
夜、12時過ぎ、トイレに起きまして、廊下を通るとき、
店のほうがぼうっと光ってることに気がつきました。見に行くと、
あの三面鏡が開いてて、その中から光が漏れ出てたんです。
もちろん、店を閉めるときに鏡は閉じてました。

おかしいな、と近づいていくと、不意に、鏡から人が抜け出してきました。
「えっ?」和服を着た日本髪の女性で、芸者さんみたいな感じでした。
「えっ えっ?」その女性は、すーっと滑るように店の通路を動き、
表戸の前まで行きました。そして私のほうを振り向き、それ、娘の顔だったんです。
「あ、お前!」娘の顔をした女はにこりと笑い、にじむようにして
戸の外に消えたんです。鍵を開けてみましたが、女の姿は通りにはなく、
それから心配して見に行った娘の部屋では、娘は布団をはねとばして眠っていました。
わけがわからなかったんですが、長年古物を扱ってると、
不思議なことはいくらもあるので、気になりつつも寝たんです。
・・・2時間後くらいですね、夜中の1時を過ぎてたと思います。
表戸をドンドンと叩く音がして、起き出して出てみると、

40年配に見える酔っ払いが2人いました。で、「女が今、この店に入っていったから
 出してくれ」ってことだったんです。着物姿の艶やかな女性が角に立っていて、
酔っ払いたちを誘うように流し目をした。で、後についていったら、
わたしの店の前でふっと姿が見えなくなった・・・こんな内容だったんです。
「そんな人はいませんから。警察を呼びますよ」そう言って帰ってもらいました。
まあ、こんなことがあったんです。それから2週間後、
娘のバレーの全国大会がかなり遠くの県でありまして、
わたしたち夫婦で応援に行ったんですが、2回戦で負けてしまいました。
でも、その試合は接戦で、娘のチームに勝った相手が優勝したんですよ。
大会が終わって、娘は抜け殻のようになり、店の鏡を見ることもなくなりました。
どうやら、男子キャプテンとのことも立ち消えになったみたいです。

これで話は大体終わりなんですが、後日談というか。
あの鏡はずっと売れないでいたので、そろそろ蔵にしまおうかと考えていたときに、
70過ぎの男性と、その孫かと思える20代の女性が来店しまして、
老人のほうが「ああ、ここにあった。あの鏡だ」と棚の上を指差し、
「ゆめじの鏡」をかなりの額で買っていかれたんです。
それから半年後、その老人が一人で店を訪れまして、
菓子折りのようなものを手渡してよこしまして。意味がわからず、
事情を聞きましたところ、あの鏡、なんでも縁結びの力を持ったものだ、
って話でした。前に店にいっしょに来られたのは、やはりお孫さんで、
どういうわけか縁遠く、婚期が遅れていたのが、あの鏡を前にして
毎日化粧をするようになってから、すぐに良縁がついて、

結婚が決まったので、そのお礼に来たということだったんです。
わかったような わからないような話でしたけど、「それはおめでとうございました」
そう言って、菓子折りは遠慮なくいただいておきましたよ。
・・・娘は、高校に進学しても競技は続けて、高校選抜にも選ばれたんですが、
ヒザを怪我してしまいまして、そこでバレーを断念したんです。
身長の伸びもとまってましたし。今となってはそのほうがよかったかもしれません。
高卒後に就職して、すぐ職場の人と結婚し、子どもが3人できたんです。
その長男が、わたしにとっては初孫でした。
ええ、あの鏡の力を借りなくても、良縁が見つかったってことです。
え? 鏡ですか。さあ、今はどこにあるんでしょうか。
噂は聞きませんね。世に出回ってはいないようです。







火星大接近とUFO業界

2018.08.10 (Fri)
今回はこういうお題でいきたいと思います。現在、火星大接近中ですね。
簡単にふれておくと、火星は地球の外側を回る惑星で、
直径は地球の半分よりやや大きいくらい。
そのぶん重力が小さいので、ごくごく薄い大気しかありません。

火星 赤いことからレッド・プラネットとも呼ばれる
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また、地球よりも太陽から遠いので、それだけ冷たく、
表面温度は-50℃くらいです。当然、地球よりも大きな公転半径を持っていて、
その周期は687日(1.88年)。地球からは赤く見えるので、
英語で、ローマ神話の軍神であるマーズ(Mars)の名がつけられています。

その火星が、現在地球に大接近中なわけですね。火星と地球との距離は、
最も遠いときで約3億7千万km、それが今回、5.759万kmと
7分の1ほどになります。6000万キロメートルよりも近い距離まで近づくのは、
2003年の最接近以来、15年ぶりなんですね。

これだけ近いと、明るさがマイナス等級となり、1等星よりも明るく輝きます。
もう過ぎてしまいましたが、7月31日の地球最接近のときには、
火星の明るさはマイナス2.8等級でした。
そこそこの天体望遠鏡を持っている方なら地表面の様子を観察できます。



あと、このあいだ皆既月食がありましたが、月食なんかは わずかな時間、
限られた地域でしか見られないのに対し、火星の大接近は、
今年の4月下旬から11月下旬までの半年以上にもわたって
ずっとマイナス等級なので、その間いつでも、
天候のよい日を選んで観測することができます。

自分は占星術師なので、いちおう天体望遠鏡も持っていますし、
このような天体イベントは、できるだけ観測するように心がけています。
西洋占星術では、基本的には太陽を中心に見た星座で占いをしますが、
火星を中心にしてみた星座というのもあるんですね。

さて、ここまででだいぶ長くなってしまいましたが、
本項は火星大接近の話ではありません。このような天体イベントがあるとき、
それに合わせて盛んになる、UFOや宇宙古代文明の話題についてです。
学術的なニュースに混じって、その手のものが、ここぞとばかり出てくるんです。

残念ながら日本のUFO研究は現在、あまり盛んではありません。
ところが海外、特にアメリカあたりだと、UFOや宇宙人を信じる人は、
心霊を信じる人よりも数が多いので、UFOに関するウエブページを主催したり、
本を出版することで食べていけている人が何人もいます。

スコット・ウエアリング


その中の一人である、スコット・ウエアリング(Scott・C・Waring)氏が主催する
「UFO Sightings Daily」というホームページには、火星の都市群が紹介されています。
その画像は、2006年から火星の周回軌道上で日々各種の観測を行っている
NASAの多目的探査機、マーズ・リコネッサンス・オービターが撮影したものです。

「UFO Sightings Daily」

オービターの画像は、グーグルのサービスの一つである「グーグル・マーズ」で
見ることができるんですが、氏はその画像に修正を加えたものを、
youtubeに投稿しています(下の動画)。氏によれば、
画像を修正しているのはNASAのほうだ、ということになります。
われわれの目にふれては不都合なものは、NASAがカラーリングを変えて
目立たなくしているので、元に戻したというわけです。



うーん、これを見れば確かに、どこかの都市を上空から撮影したようにも
見えなくはないですよね。みなさんはどう思われますでしょうか?
氏のサイトには、火星上で発見されたナイフ(鎌のようにも見えます)や、
拳銃も出てきています。(下図)

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このような、UFO関係の情報提供で生計を立てているアメリカの研究者には、
他に、リチャード・ホグランド(Richard・C・Hoagland)氏などもいますが、
彼らにとって、火星が大接近をして、世界的な話題になっている現在は、
まさに稼ぎどき、かきいれどきということなんです。

ただ、これらの話題を見て自分がいつも思うのは、
UFO研究家が独自の探査衛星などを持っていて、自力で画像を入手したわけじゃ
ないんですよね。ほぼすべての画像は、NASAによって一般公開されたものです。
彼らはその膨大な資料を、何人ものアルバイトを雇って精査し、
奇妙なものを見つけ出して独自に加工し、ホームページに載せる。

その上で、NASAは宇宙人や宇宙文明の存在を隠している、と主張するわけです。
しかしどうでしょう。もしほんとうにそんなものがあったら、
アメリカの国家機関であり、軍事にも深く関わっているNASAが
ほっておくわけがないと思いませんか。

さてさて、夢を壊すような話をしていますが、NASAと、
彼らのような民間のUFO研究者は、ある意味、共生関係みたいになってるの
かもしれません。NASAが、この手の民間研究家に対して、
強く抗議したなどの話は聞いたことがないです。

NASAからみれば、彼らは宇宙への一般人の興味をかきたてて
くれる存在ということで、世間の宇宙への興味関心が高まれば、
探査計画の予算もつきやすくなる、などのことがあるのかもしれませんね。
では、今回はこのへんで。

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記憶の書き換えってできる?

2018.08.09 (Thu)
自転車に初めて乗れたときの気持ちを、あなたは覚えているだろうか。
初めてキスをしたときや、初めて失恋したときはどうだろう。
そうした記憶と感情は、わたしたちの心に長い間残り、蓄積され、
わたしたち一人ひとりが形成されるもととなる。

一方、深刻なトラウマを経験した場合、恐ろしい記憶は人生を変えて
しまうほどの精神疾患の原因ともなりうる。しかし、
もし恐ろしい記憶がそれほど強烈な痛みをもたらさないとしたらどうだろうか。

人間の脳の発達に関する理解が深まりつつある今、
PTSD(心的外傷後ストレス障害)やうつ病、アルツハイマーといった疾患で、
記憶を書き換える治療法が少しずつ実現に近づいている。

(National Geographic)

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今回は科学ニュースから、この話題でいきたいと思います。
ただ、この話もかなり難しいんですよねえ。まず、「記憶とは何か?」
ということですが、Wikiには「ものごとを忘れずに覚えていること。
また覚えておくこと。」と出てきます。
 
なんだ、そんなのあたり前じゃないか?と思われたんじゃないでしょうか。
記憶についての研究が難しいのは、ある人の記憶を取り出して、
実際に見ることができないからですね。
ただ、いろいろ研究の方法はあるとは思います。

例えば被験者に、寝る前に英単語を20個暗記させる。
そして翌朝、どれだけ覚えているかを調べる。また、翌日の朝には、
どれだけ頭に残っているか、そういう形で研究することはできますよね。
ただし、これはあくまで記憶の持つ一つの面に過ぎません。



では、もっと複雑な記憶についてどうやって調べるのか?
ここで、魂がどうとか言いだすと混乱するので、
記憶はすべて脳の活動によるものであると仮定しましょう。
そうすると、ある出来事を経験する前と後では、脳内に変化があるはずです。
その変化を調べることで、記憶というものに迫ることができそうです。

このような脳の変化を、「記憶痕跡 エングラム engram」と言い、
特定の記憶に関係する脳組織の物理的な変化を指します。
最近、脳の血流や電気的な動きのスキャンによって、
記憶痕跡は、脳のひとつの領域に孤立しているのではなく、
神経組織に広く飛び散るように存在していることがわかってきました。

つまり、記憶は脳のある一部分にしまい込まれているんじゃなく、
視覚、聴覚、触覚、運動、感情などをそれぞれつかさどる脳の各部に、
まるで網をかけるように広がっているということなんですね。
記憶は、脳全体におよぶ総合的なものだということです。



これは理解しやすいと思います。みなさんは、例えば、若い頃に流行っていた、
カセットテープなんかでよく聞いていた歌をたまたま耳にして、
その頃の思い出がばーっとよみがえってきたりすることはないでしょうか。
こんなのは、聴覚による記憶が感情と結びついている例です。

ですから、PTSDなどでは、心的外傷を負うことになった出来事を思い出すと、
それと同時に、そのときの恐怖や不安なども同時によみがえってきて、
ショック状態におちいり、パニックを起こして、
まともに日常生活を営むことができなくなったりします。

さて、今回の研究はマウスを用いて行われたようです。
オスのマウスの群に、楽しい出来事と苦しい出来事をどちらも経験させる。
具体的には、楽しい出来事はケージの中でメスと1時間いっしょに過ごさせること、
苦痛な記憶は、別なケージで体を拘束するなど不快な経験をさせること。

マウスでの実験ケージ
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その後、マウスの脳でそれぞれの記憶にかかわる部位を特定し、
研究者が電気刺激などによって操作できるように手術を施します。
その上で、苦痛な記憶のケージの前にマウスを連れていき、
楽しい記憶の脳の部分を刺激して記憶の上書きをする。

すると、マウスは苦痛のケージを目にしても、
以前ほど強く恐怖を感じなくなるという結果が出たようです。
うーん、これはかなり微妙な実験ですね。
研究者はこれについて、恐怖の記憶が完全に上書きされるのか、
それとも抑制されるだけなのか、どちらかはよくわからないと述べています。

さて、では、これがどのように治療に役立つのか?
日本は、PTSDで苦しむ人は多くはないですよね。それは、治安がよく、
凄惨な事件などが少ないということもありますが、
一番の理由は、日本が戦争をしない国だからです。



アメリカでは、映画の『ディア・ハンター』などに見るように、
戦争を経験した元兵士がPTSDに苦しむケースがたいへん多いんです。
そういう人たちに対して、戦争時の記憶から、苦しくつらい感情が
呼び起こされないないよう、別の記憶で上書きしてしまう。

でも、それって倫理的な問題点はないんでしょうか。
いくら戦争で、上官の命令、兵士の義務、国のためであっても、
人を殺したりした人間が、そのことによって苦しまなくてもいいものなのか。
一生涯背負っていく必要はないのか。苦しむことにより許しがあるのではないか。
これは、キリスト教的にもなかなか難しいところがあるように思います。

さてさて、本項では記憶の書き換えを脳外科的な方法で行う事例を
見てきましたが、将来的には、化学的に合成された薬を飲むことで、
記憶の書き換えができるかもしれません。
PTSDで満足に日常生活もできないような人には、朗報になるでしょう。

みなさんもそれぞれ、人生の中で苦痛な記憶というのはあると思いますが、
ではそれ、できるものなら消してしまいたいでしょうか?
苦しいこと、つらいこと、嫌なこと。でも、それもみなさんの生きた記録
なんですよね。ということで、今回はこのへんで。

関連記事 『人間の行為、機械の行為』

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呪歌の話

2018.08.08 (Wed)
これ、最近、私の身に起こったことなんです。
はい、順を追って話をさせてもらいます。
教育大学の3年生です。小学校の教員免許を取ろうと思ってます。
それで、ピアノの演習があるんです。まあバイエル程度なんですけど。
ただ、私は子どものころに習ってたわけでもなく、
手先も器用じゃないので苦戦してました。
それで練習のために、毎日夜、大学のピアノ室に通ってたんです。
家にもキーボードは買って持ってて、ヘッドホンをつけて練習はしてますけど、
やっぱり、鍵盤の間隔やタッチがピアノとは違うんです。
1ヶ月ほど前のことでした。その日、午後4時ころからピアノ室にこもってたんです。
大学のピアノ室は、2畳もないようなせまい部屋が15ほど並んでいて、

そこにアップライトピアノが入ってます。いちおう防音にはなってるんですが、
なにぶん古い建物なので、両隣の音もかすかに聞こえてきます。
だから、私がたどたどしく弾いてる横で、
音楽専攻の人がラフマニノフなんかを演奏してたりするんです。
恥ずかしいので、なるべく目立たないように出入りしてました。
それで、ピアノ室の使用は8時までと決められてたので、
その10分前に練習を終えて、ドアが並んだ廊下を歩いてました。
そしたら、私が使ってた2つ隣の部屋から、歌のようなのが聞こえてきたんです。
ええ、それ自体は珍しくはなくて、さっき話した音楽科の人が、
声楽の練習をしてることもありました。ただ、そのときの歌は、
ピアノもいっしょに聞こえてきたので、弾き語り・・・

と言っていいのか、聞いたこともない音調でした。
うまく説明できません。日本的・・・なんですが、かといって雅楽とか、
琴で演奏するようなのとはぜんぜん違った荒々しく暗いメロデイで、
しかもズン、ズンと鍵盤を叩きつけるようなリズムがあって・・・
思わず立ち止まってしまったんです。そしたら、ピアノに合わせてこんな歌が
聞こえてきました。「ししじもの きりくわう ししじもの ひれふす きりくわうああ」
日本語のようですが、意味がまったくわからない歌詞をつぶやくように。
ああ、つぶやくって言いましたが、ドア越しに聞こえてくるんだから、
実際は大きな声で歌ってたと思うんですけど。
なんだか魅入られたようで、私はその場から動くことができなくなっちゃったんです。
「きりくわうあ ししじも ついぶし ついぶしうあ」

急に強い頭痛がしました。思わずしゃがみこんでしまうくらい。
ふつう頭痛って、どこが痛いか、後頭部とかぼんやりとしかわからないじゃないですか。
それがそのときは、額の両側の上、左右の髪の中にキリを刺したような感じでした。
私は、「痛たたた」と声を出しながら、頭を押さえてピアノ室のある棟から
出たんです。そしたら、痛みはいつの間にかなくなってて。
でも、ありえないような痛さだったので、もし次起きるようなら、
病院に行かなくちゃって思いました。そのときはそれで自転車で家に戻りました。
私、自宅通学なんです。自分の部屋で、できたばかりの彼とメールをしたりして、
11時ころです。さっきピアノ室で聞いた歌が気になってきて。
それで、キーボードを出して再現してみようと思いました。
もちろん、ちょっと聞いただけだし、私は音楽の才能はないので、

こんな感じだったかなあ、というさぐり弾きです。
低音をドン、ドンと叩くような感じで「ししじもの・・・」これも、正確に覚えてた
わけじゃないんですが、「ししじも」 「きりくわう」の言葉は記憶に残ってました。
そしたら、最初の声を出しただけで、私の頭ががくんと落ち、
鍵盤に額をぶつけてしまったんです。さっきの頭痛がまた始まって、
手で頭を抱えたら、髪の毛の中に尖った固いものが触ったんです。
「え、何??」変な例えですが、コンペイトウほどの大きさの突起が
頭の両側にあったんです。とにかくひどい頭痛で、私は倒れ込むようにベッドに
横になりました。そうして、20分くらい横になっていると、
頭痛は治まり、突起のようなのもなくなってました。
翌日、大学に行くと、友だちからこんな話を聞かされました。

さっき話した彼のことです。彼とは別の大学で、コンパで知り合ったんです。
「ねえ、こんなことを言って悪く思わないでね。あんたの彼、
 噂を耳にしたんだけど、前の彼女と別れたときに、その子がショックでおかしくなって、
 彼を刺そうとして事件になったんだって。
 それで大学をやめて、今は実家に帰ってるみたい」こんな内容でした。
でも、私は信じなかったっていうか・・・別にそうだとしても、
かまわないと思いました。だって、彼は優しいし、今は私の彼なんだし。
その週の土日は、彼とデートして思いっきり遊びました。
もちとん、友だちから聞いた話を確かめるなんてことはしなかったです。
で、翌週です。ピアノの授業は火曜なので、月曜の午後はまたピアノ室にいました。
私にしてみれば難しい曲を、悪戦苦闘して弾いてると、

あの「ししじもの」の曲が聞こえてきたんです。いえ、壁ではなくドアの外から。
歌だけです。伴奏はなしで大声で歌ってる・・・それを聞いた瞬間、
わけがわからなくなりました。ガツン、ガツン、私は何度も自分から、
ピアノの蓋に頭をぶつけてたみたいです。白い鍵盤が血に染まって、
私は床に崩れ落ち、なんとかドアを開けて部屋から這い出して・・・
「キャー」という悲鳴を覚えてます。誰か廊下を通りかかった人が血まみれの私を見つけて、
救急車を呼んでくれたんです。病院では頭を何針も縫ったみたいでした。
ただ、幸いなことに顔ではなく、髪の毛の中だったんです。
頭を包帯でぐるぐる巻きにされましたが、傷そのものはたいしたことはなく、
2日後には退院できるみたいでした。両親がその晩はついててくれましたが、
そうしてケガをしたか、問いに答えることができませんでした。

翌日の午前中、彼が病院に来てくれたので、あったことを話しました。
すると彼は、顔をくもらせて、「ああ、きりくわうって、俺の地元のほうで伝わってる
 呪いの歌の歌詞なんじゃないか」 「呪い?」 「心あたりがある。
 俺の元カノ、話してなかったけど、あんまりいい別れ方してないんだよ。
 同郷で、今は地元に帰ってるんだけど、もしかしたらお前のことを呪ってるのかも」
こう言われても信じられなかったです。けど、わけのわからない形で
ケガをしてるのも確かだし。彼はかなり考え込んだ後「あした俺のおばさんに来てもらう。
 おばさんは地元で神職をしてて、女なのに次の宮司になるかもしれないって
 言われてるんだ」 退院する日、彼がそのおばさんを連れてきてくれました。
 地味な服装の、40代くらいの方でした。髪が腰くらいまで長いのを除けば、
 ふつうの人に見えました。私がこれまでのことをすべて話すと、

おばさんは「怖い怖い、素人が呪歌を使うなんて」と言い、続けて、
「次にその歌を謳う者がいたら、そのほうに向かってこれを掲げなさい」
それで渡されたのが、絹布に包まれた鏡のかけらでした。今の鏡とは違って、
ガラスではなく全部金属でできてて、鈍い光を放ってました。一枚の丸い鏡を8つに
割ったうちの一つだそうです。おばさんは、彼に、私とできるだけいっしょにいるように言い、
帰っていかれました。退院した翌日から、彼は私の家に遊びに来てくれ、
大学の授業が終わるころに迎えに来てくれました。始終いっしょにいることで、
彼の人柄がわかり、女の子にひどいことをする人とは思えませんでした。
そうやって、10日近くがすぎ、その間おかしなことは起こらず、
頭の傷の治療も終わったんです。で、またピアノの練習があり、
彼がピアノ室についてきてくれました。下手なピアノで恥ずかしかったんですが。

8時前に終わり、彼と自転車置き場に向かっているとき、
急に傷跡が傷んでしゃがみ込みそうになりました。「ししじもの きりくわう」
歌が聞こえました。「おい、○○、やめろ」彼が叫んだほうをかろうじて見ると、
植え込みの中に白い着物の女が立ってました。女はだらんと両手を下げ、
白目を剥き、口をありえないほど開けて歌ってたんです。「ししじも きりくわうあ」
彼がそちらに駆け寄っていきました。私はいつも持ってた鏡片をバッグから出し、
その女に向けたんです。「ああああ」女は叫び、白い布を巻いた頭の中から、
ズンと角のようなものが伸びました。女は、彼がつかもうとする直前、
身をひるがえし、走って逃げていきました。そのときには、
後ろからも見えるほどに、角は長く伸びていました。これで話は終わりです。
その後、女がどうなったかもわからないし、何も起きてはいません、今のところは。 







できが悪い話を改変する

2018.08.07 (Tue)
今回は怪談論です。もう5年以上前になりますが、2ch(現5ch)に
「骨董」をテーマにした次のような話を書きました。

赤いサンゴ玉

うちの父親は三年前に肺がんで亡くなったんだが、
生前は骨董集めを趣味としていた。といってもうちにそんなに金があるはずもなく、
骨董市などで買った安い小物ばかりで、値の張る皿物や掛け軸なんかはなかった。
父がもういけないというとき、病院のベッドで長男だった俺に、
「骨董は仏間の押し入れにまとめてあるから、○○(なじみの骨董屋)に
 下げ渡してやってくれ、まあいくらにもならんだろうが・・・
 それから、風呂敷に一つ小物の骨董をまとめてあるから、
 これは俺の初七日あたりにでも坊さんに渡して、お炊きあげしてもらってくれ」
と奇妙なことを言った。

俺が「どうしてだい、それはお金にならないものかもしれないけど、
 ただ捨てるだけでいいんじゃないか」と問うと、
父は、「いや風呂敷の中のものは、よくない骨董なんだ。長年かかって
 さわりを押さえる方法を覚えたんだけども、お前らには無理だろうから。
 必ずそうしてくれよ」と、病みついても冗談ばかりだったのに、
いつになく真剣な顔でそう言った。父の葬式が済んでやっと落ち着いた頃に、
骨董屋を呼んで処分を任せたが、たしかにいくらにもならなかった。

押し入れには父の言っていたとおり風呂敷包みがあり、中には煙草の根付けやら
べっこうの櫛やら時代がかった小物がいくつか入っていた。
念のためにと思って骨董屋にそれも見せると、骨董屋は少し首をかしげ
「はああ、故人もかなりこの趣味がこうじとったようですわな。
 よくわかってらっしゃった。これらはうちでも扱えまへんから、
 言われたようにお寺さんに任せるがよろしいでしょ」と言った。

俺は初七日のおりに、坊さんに事情を話してお寺に持って行ってもらったが、
一つ赤いサンゴ玉らしい煙草の根付けを風呂敷から抜いて、ポケットに入れてしまった。
そのときにどうしてそんな気持ちになったのかは、今でもわからない。
後で宝石店にでも持って行こうと思ったのか。
・・・そのサンゴ玉は仏間の金庫に入れておいた。次の日からがたいへんだった。

長く忌引きをもらっていた会社に出勤したものの、机の上は仕事の山。
そして午後、会社に小学校から電話が入り、
6年生の長男が校庭のブランコから落ちて
下あごを骨折したという連絡があった。すぐさま病院に駆けつけたが、
医者に命に別状はないものの大きな手術が必要だと言われた。

やっとのことで家に戻ったその夜、寝室にいると下の3年生の娘が、
血相を変えて飛び込んできた。仏間に女の人がいる、と言う。
トイレに行こうとして二階から降りてきたときに物音がしたので、
仏間を覗くと着物姿の昔の女の人がぼうっと白く光りながら立っていた、というのだ。
いっしょに仏間を見にいこうとしたが、娘は怖がって妻にしがみついて離れない。

そこで一人で見に行くことにした。と言っても、二間ほど離れた家の中なのだが。
仏間に入るとすぐに、ものすごく生臭いにおいを感じた。
蛍光灯をつけるとむろん誰もいなかったが、畳の上に、
なぜか金庫に入れたはずの赤いサンゴ玉が落ちていた。
それはまるで血のしずくのようにも見えた。拾い上げて金庫にしまおうとしたら、
てのひらの中でその玉がうきゅきゅっと動いたように感じた。
その朝方、娘が40度の熱を出して叫びだし、
痙攣を起こして救急車を呼ぶ騒ぎになった。

父の死に続いて、子供二人が入院するはめになり、
妻もかなりまいってしまったようだった。
長男と同じ病院に娘をうつしてもらい、内科と整形外科での治療となったが、
介護のために妻はパートをやめざるをえなかった。
その後は悪いことばかりが続いた。欠勤が続いて俺は会社に迷惑をかけ、
たまに出勤した日には大きなミスをした。

・・・そして娘は父の四十九日の日に死んだ。原因不明の熱病だった。
娘が死んだ夜、一人で自宅に戻り玄関の鍵を開けると、
真っ暗な中に和服の女が上がり口に立っていた。昔の遊女のような姿だった。
女は顔をあげてこちらを見つめ「あなたのお父様にはおさえられておりましたが、
 これでどうやらのぞみを果たせました」というようなことを言った。
耳で聞いたのではなく、頭の中に響いてきた。

そして手から何かを落として消えた。俺は呆然としていたが、
明かりをつけて見るとそれは金庫の中にあるはずのサンゴ玉で、
鮮やかな赤い色だったものが色が濃くなって、
ほとんどどす黒いといえる色に変わっていた。


で、書き終わってから「なんかダメだなあ」と思ったものの、
投稿してしまったんですね。これ、いろいろと拙いところがあるんですが、
一番はやはり、そんな危険なものなら、
病気になっても父親が処分すべきだったってところですね。

それと、骨董品に執着してとり憑かれてしまう怖ろしさも出ていない。
最後に子どもが死んでしまったのも唐突な感があります。
そこで、もっとコミカルに、骨董に憑かれるとはどういうことかを表現しようと
書き変えたのが下のリンクの話です。

「骨董」

同じような小道具を使って話をこしらえていますが、雰囲気はかなり違います。
書き直した話のほうが「骨董」そのものが中心になっていて、
自分ではできがいいと思いました。こんな感じで、
一度書いたものを書き直すことは、ごくたまにですがあります。





宗教の起源について

2018.08.06 (Mon)
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こういうお題でいきたいと思いますが、これ、正直言って、
一介の市井の占い師には無理なテーマです。ですから、ここで書くことは、
妄想のようなものと考えてもらったほうが気楽ですね。
まず、宗教とは何か? これは、じつにたくさんの要素を内包した幅広い概念です。

みなさんが一般的に考える宗教とはどういうものでしょうか?
神様(キリスト教ならヤハウェ)がいて、経典(聖書)があり、
教義(十戒)があるものが宗教、そんなふうに考える人が多いような気がします。
ですが、これは一神教的な考え方であり、本来の宗教はもっと多様なものです。

例えば、集団で太鼓を打ち鳴らし、火を焚き、それを囲んで踊り狂い、
トランス状態を得る・・・こういうのも宗教の一つの形態です。
アフリカ大陸や太平洋の島々などには、いまだに残っていますよね。
あと、人間が集団生活を営むようになって、人のものを盗んではいけないなど、
さまざまなルールができてきました。

原始宗教
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これは道徳や法と呼ばれることが多いんですが、始まりは宗教であったと
考えることもできます。日本でも、天つ罪(田を荒らしたりすること)
国つ罪(他者を殺傷したり、近親相姦したりすること)など、
古神道から発生したルールがあります。

で、自分は今回、3つの観点から宗教について考えてみようと思っています。
まずその1つ目は、「肉体と霊魂の分離」です。
家族として共同生活していた者が亡くなり、呼びかけても返事をしませんし、
遺体はだんだんに腐敗し、骨となり、やがて土くれと化します。

これは厳然たる事実で、肉体は必ず滅びます。しかし、生きていた家族の記憶は、
残された者の中に残っているわけです。では、あの強く優しかった父、
夫はどこへいってしまったのか? 肉体ともに永遠に滅びたのか。
そうは考えたくない。ここで、肉体と霊魂の分離が起きたんだと思います。

肉体は滅しても霊魂は不滅で、別の世界へと旅立った。
それは、あの世、彼岸、霊界、天国などと呼ばれるものなのかもしれません。
そしてそこから、まだ生きている私たちを見守っている。
こういう考え方が、自然発生的に生まれてきたんではないでしょうか。

ちなみに、最古の遺体の埋葬が確認されるのは、約10万年前、
現生人類ではなく、ネアンデルタール人の事例です。
これは副葬品も見つかっているので、たんに遺体を隠すためだけでなく、
なんらかの宗教的な目的があったのではないかとみる学者も多いんです。

花を副葬して遺体の埋葬を行うネアンデルタール人
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2つ目は、「道徳的規範」ですね。上でも書きましたが、他人の所有物を盗んだり、
他人のパートナーと姦通したりすれば、争いが起きて集団生活がうまくいきません。
ですから、社会の中にルールが生まれます。では、どうしてルールはあるのか。
ルールを破ったものは、なぜ罰を受けなくてはならないのか。
これも宗教が発生した大きな要因の一つだと思います。

多くの宗教では、ルールは神が定め人間に与えたとされます。
『旧約聖書』で、モーゼが神から十戒を与えられる場面は有名ですよね。
ちなみに、キリスト教以前のユダヤ教には、日常的な事細かな戒律がありましたが、
モーゼの十戒はそれを極限までシンプルにしたものです。
そして社会のルールは、道徳、法律、理性などと名前を変えて、
現代にもつながっているわけです。

モーゼと契約の石版
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3つ目は「神」の存在です。古代文明といえば、エジプト、メソポタミア、
ギリシアなどですが、はじめはどこも多神教でした。日本でもそうですね。
人間の力が及ばない暴風雨、形のよい山、森の中の巨木、荘厳な滝、
そういったものは古代人により神として崇められ、祀りたてられました。

ご神木
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日本は、まだ多分に多神教の性格を残していますが、
西欧社会は、多神教の上に一神教であるキリスト教が上書きされた
形になっています。これはイスラム社会でも同じです。ですが、
多神教の痕跡は、様々な場面で顔を出すことがあります。

さて、では上記の3つの観点のうち、最も最初にあったのはどれなんでしょう?
時間的な順序に意味があるかどうかわかりませんし、難しいんですが、
自分は考古学的なさまざまな根拠から、1なんじゃないかと考えています。
まず、肉体と霊魂が別であるという概念が持たれるようになった。
2、3の発生はそれに遅れるんじゃないでしょうか。

ところが、多くの宗教では、神を中心に置いていますよね。
死後の霊魂を天国や地獄にふりわけるのが神。行いの善悪を定めたのも神、
それどころか、この世界を創ったのも、人間を生み出したのも神という具合に、
すべてが神中心に収斂し、宗教は社会の中で強い力を持つようになっていった。

さてさて、これには多くの異論があるでしょうし、
自分が書いていることが絶対に正しいとも思いません。
また今後、何らかの確実な証拠が出てくることも期待薄です。このことについては、
いずれ機会を改めて続きを書いてみたいですね。今回はこのへんで。

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「本所七不思議」って何?

2018.08.05 (Sun)


今回はこういうお題でいきます。カテゴリは妖怪談義になるでしょうか。
まず、本所とはどこかということですが、これは、現在の東京都、
墨田区の南半分あたりです。開けてきたのは江戸中期のころからで、
それ以前は湿地の広がる人の住まない場所でした。

つまり、江戸の外れの地として認識されていたわけです。
余談ですが、吉良上野介が松の廊下の刃傷事件の後、市中から本所松坂町へと
屋敷が配所替えになりました。このときに「田舎に追いやられた」と書いた
上野介の手紙が残っています。うがった見方をすれば、
仇討ち騒動が起きてもかまわない場所と、幕府でも考えていたのかもしれません。

さて、この本所で起きる7つの怪異が「本所七不思議」です。
ただこれ、自分が調べたところでは、怪異の種類は倍の14くらいありますね。
ですから、あげる人によって7つの内容が違ってたりもします。
まあここでは、有名なものから見ていきましょう。

まず「置いてけ堀」。これが一番知られているでしょうか。
現在の錦糸町あたりには水路が広がっていましたが、その堀で釣りをすると、
魚籠にあふれんばかりの釣果がある。さて夕方になって帰ろうとすると、
後ろの堀から「置いてけ~」と、男とも女ともわからない不気味な声が聞こえる。

ここで獲物をすべて投げ捨てていけば問題はないが、
持ち帰ろうとすると怪異が起きて、最悪、堀に引きずり込まれてしまう。
そして釣竿と空になった魚籠だけが残っている。こんなお話ですね。
映画『妖怪百物語』に出てくるシーンが有名です。

錦糸堀公園の河童像


この怪異の正体は河童であるという説があります。
河童が釣人の獲物を横取りしようと仕掛けているわけです。
現在の錦糸堀公園の入り口には、河童像とともに「置いてけ堀」のいわれを
書いた札が立てられているようです。

次は「灯りなし蕎麦」。夜道を酒に酔った人が歩いていると、
道端に灯りの消えた蕎麦の屋台が置いてある。主人はいないが、
蕎麦の火種は残っているようだ。そこらに用足しにでも出たのだろう、
と待っていても、主人はいつまでも戻らない。

あきらめて長屋に戻ると全身に寒気がきて高熱を発する。そして朝を待たずに
死んでしまう。だいたいこんな話です。ここで少しうんちくを言わせてもらうと、
まず、二八蕎麦の屋台は車がついたものではなく、
下図のように天秤棒で肩に担ぐ形のものでした。重そうです。



それと、幽霊が出るのは丑三つ時(午前2時ころ)と言われますが、
これはそんなに遅い時間の話ではありません。
江戸市中は町内ごと長屋ごとに細かく区切られていて、
町と町の境には木戸番がいました。それが閉められるのが4つ(午後10時)どき。
そうやって、夜間の徘徊を防いでたんですね。

次「馬鹿囃子」。道を歩いていると、どこからともなく笛太鼓のにぎやかな
お囃子が聞こえてくる。神社の祭礼があるのだろうか?
そう思って探しにいくと、いつのまにかお囃子の音は遠ざかり、
また別の場所から聞こえる。で、いつしか見たこともない林の中に立っている。

狸囃子


「馬鹿囃子」は別名、「狸囃子」とも言い、怪異の正体は狸とされることが多いようです。
平戸藩主で、歌舞伎の『松浦の太鼓』で有名な松浦候がこの怪異にあい、
人に命じて音の所在を捜させたが、本所南割下水あたりで音は消え、
家来に命じて狸狩りをしたものの見つからなかった、という話が残っています。

「足洗い屋敷」。本所三笠町の旗本、味野家の屋敷に出る大きな足の化物のことです。
夜中になると、天井を突き破って血まみれの大きな足が出てきて、
「洗え、洗え」と命じる。そして下女が足を洗うともとに戻っていき、
破れたはずの天井板もいつの間にか直っている。

荒唐無稽な話ですよね。実害はないようなもんですが、味野家の下女はみな
怖がってやめてしまうので困っていたところ、同僚の設楽(したら)
という旗本が、ためしに屋敷を交換しようと言い、
住人が入れ替わったとたんに怪異も収まったとされます。

「送り提灯」。提灯を持たずに夜道を歩く者の前に、提灯のように揺れる明かりが、
あたかもその人を送って行いくように現れ、不思議に思って足を速めると消えてしまう。
そのくり返しで、いつまでも提灯との距離は縮まらない。
特に実害もないようで、これは親切な怪異ですね。

「落葉しない椎ノ木」。上で出てきた平戸藩主、松浦候の屋敷にある椎ノ木で、
落葉する姿を誰も見たことがない。椎ノ木は常緑樹ですが、
それでも葉の寿命がくれば落葉はあるはずですが、一枚も落ちない。
評判になりましたが、松浦公は気味悪がって屋敷を使わなくなったそうです。

シイノキ


さてさて、長くなったので終わります。七不思議の候補は、この他、
「送り拍子木」 「片葉の芦」 「津軽家の太鼓 」 「三つ目橋の火」 「小豆ばばあ」
「埋蔵の堀」 「夜豆腐屋」などがあります。
では、今回はこのへんで。






あなたの体内に?

2018.08.04 (Sat)
数年前からある男性が、家族に恐ろしげなことを言うようになった。
自分の体内に虫がいるというのだ。その虫には硬い殻があり、
潰すとバリバリと音がするという。虫は自分の体内、
とくに鼻や陰部の中を動き回っていると男性は訴える。

当初、男性の家族は、そんなことはありえないとやんわりと本人に伝えたが、
彼はいっそう頑なに同じことを言い募るばかりだった。
実際の「標本」を集めようと、男性は鼻にピンセットを突っ込んで
組織や軟骨を引っ張り出し、しまいには鼻の隔壁に穴を開けてしまった。
検査を何度繰り返しても虫を見つけられない医者たちはお手上げだった。

これは「寄生虫妄想」あるいは「モルゲロンズ病」という病気の典型的な症状だ。
寄生虫妄想の患者は、自分の体が何かに寄生されている
という強力かつ誤った確信を抱く。
(National Geographic)

今回は科学ニュースから、こういうお題でいきます。
怖い話というより、気持ちの悪い内容ですので、そういうのが苦手な方は
スルーを推奨します。上記引用のニュースは、精神的な疾患の一種で、
「モルゲロンズ病」というみたいですね。

この疾患にかかると、自分の体が何かに寄生されているという妄想を抱き、
何度も病院を受診する。もしそこで虫がいることを否定されれば、
また別の病院に行く。そして「何で見つけてくれないんだ、医者は無能だ」
と怒る。これが典型的なパターンみたいです。

このような患者は、アメリカでは、人口10万人に対して、
約27人いることが、調査の結果 明らかになったそうです。
うーん、これは多いと言えばいいのか、少ないのか、けっこう微妙な数字です。
あと、この手の話は日本ではあまり聞かないですよね。
みなさんの身の回りにそういう人とかいます?

モルゲロンズ病患者が虫だと訴えるゴミ


で、この疾患の特徴として、自分に寄生していると患者が訴える虫は、
甲殻類、節足動物が多いみたいです。ダニやノミは節足動物ですから、
そのあたりは現実的です。あと、自分の体からほじくりだした寄生虫を
容器に入れて保管している人がほとんどだそうです。でも、顕微鏡で調べてみると、
それらは、本人の皮膚のかけらだったり、ゴミや糸くずなどなんですね。

この疾患はひじょうに治りにくく、精神科医による長期間の治療が必要で、
いったん治っても、再発する場合も多いんだそうです。
さて、では、本当に人体に何かが寄生してることはあるんでしょうか。
これはもちろんあります。

ノミやシラミがそうですし、サナダ虫やギョウ虫などもいます。
それよりも小さい微生物になると、一人の人間の体には何兆も住んでいます。
そのほとんどは細菌で、これらは人間に害を与えるものもいますが、
前に記事に書いた腸内細菌のように、人間にとって役立つものも多いんです。

サナダ虫の標本


さて、話を変えて、フジツボに関する怖い話をご存知でしょうか?
ある少年が、夏休みに岩場で遊んで、転んでヒザを切った。たいしたことがないと
思い、カットバンを貼ってたら傷はすぐ治ったが、
しばらくしてヒザの内部が痛みだし、さわると何か固いものがある。
そこで病院に行き、医師が筋肉を切開してみると、
ヒザの骨の表面にびっしりとフジツボがついているのが見つかった・・・

まあこんな内容です。ただ、これはさすがにありえない話で、
都市伝説です。フジツボの幼生は殻を持ってないですし、殻をつくるには
大量の石灰成分が必要ですが、人体から調達するのは無理です。
そもそも、人間の皮下で呼吸ができるとも思えません。
フジツボが群がり集まってるビジュアルがキモいので、
広まったんじゃないかと思われます。

フジツボ


フジツボといえば、自分は子どものころ、海の近くに住んでいましたので、
遊びで釣りをやってて餌がなくなると、そのあたりにいる貝、
フジツボやヒザラガイを石で砕いて、中身の肉をエサにしたことがありますが、
これは全然釣れないです。魚の肉も、ちょっと海水がしみるともう釣れません。

さて、では、微生物やノミ・シラミ以上の大きさの生物が体内に入り込むことは
ないんでしょうか? ここからかなり嫌な話になりますので、ご注意ください。
これはCNNで世界に配信されたニュースですが、インドのチェンナイ郊外
に住む42歳の女性が、真夜中に突然、強烈な頭痛がして目が覚め、

そのうちに呼吸困難が起こって意識が混濁してきた。
頭の中に何かがいる感覚があって、カリカリという音もしているようだ。
あわてて病院に駆け込み、医師が鼻から内視鏡検査を行ったところ、
脳の底にある膜の部分で、何かの足がうごめいているのが見えた。

体内に入り込んだ虫の摘出手術


医師団は、吸引装置と鉗子を使って女性の頭蓋骨から、
慎重にその物体を引っ張り出す処置を実施。45分ほどかけて取り出したのは、
体長約2.5センチの生きたゴキブリだったそうです。
寝ている間に鼻の穴から入り込んでいったんですね。

いや~怖いですねえ。虫が入るのは防ぎようがない気がします。
このケースでは、ゴキブリが生きていたからよかったものの、
もし頭蓋内で死んで腐敗すると、感染症を引き起こして命の危険もあったでしょう。
ゴキブリを摘出すると、女性の症状はすべて治まったということです。

この他、耳の穴にアリ、小さな蛾などが入り込むケースはかなりあるようです。
まあ、鼻ならむず痒くなってわかる場合も多いでしょうが、
耳だと、寝ているとなかなか気がつきません。こういう場合、
懐中電灯で耳の穴を外から照らすといい、などとも言われます。

ですが、蛾ならそれで出てくるかもしれませんが、アリやゴキブリは光を嫌って
かえって奥に入っていくということです。また、水や油を耳に入れることも、
中耳炎の危険があっておすすめはできないそうです。
やはり、すぐ耳鼻科を受診して、強力な吸引器でとってもらうのが一番でしょうね。

さてさて、ということで、この手の話は怖いですが、
怪談に虫を出すのは、自分はあまり好きではありません。
生理的な嫌悪感を刺激する話は、ちょっと反則なんじゃないかと思ってます。
では、今回はこのへんで。






さむどの屏風の話

2018.08.04 (Sat)
こんばんは。この間、物を食らう銅の鋺の話をしたものです。
他に骨董品にまつわる怖い話はないのか、ということでしたので、
もう一つだけお話したいと思います。屏風ですね。
「さむどの屏風」と呼ばれるものがありまして。
なんでその名で呼ばれるのかは、私にはわかりません。
それと、今どこにあるかもわからないんです。というのは、この屏風、
所有者が代わるたびに、描かれている絵も変わりますんでね。
いや、屏風絵を描きなおしてるってことではないんです。
不思議なことに、自然に絵柄が変化する。どういうことかって?
まあまあ、それをこれから話していくんですよ。
あれは、高度成長期と呼ばれた昭和40年代の始めのことでした。

ええ、日本全体が活気にあふれてたころでね。
まあ、骨董屋はそういう景気のよしあしにはあまり左右されない商売ですが、
わたしのところも少し店構えを大きくしたんです。
で、店に置く品を増やそうと思って、仕入れた中にあったのがその屏風です。
何気なく市場に出てたんです。4曲物でした。ああ、4曲ってのは、
屏風の面のことを言うんです。全体を4つに折りたたむことができるから4曲。
それと、屏風を構成する1枚1枚のことは扇と言います。
いやあ、最初はたいしたものじゃないと思ったんですよ。
時代は江戸中期頃ですかねえ。表装はよかったんです。
骨もしっかりしてたし、いい紙を使ってました。
そこを見極めて仕入れたんですが、値段のこともありました。

異様に安くてね。ただこれは、絵が悪いせいだろうと考えてたんです。
屏風絵は、墨絵で田舎の山野を描いたものでした。
山の間にさびしい道が続いてまして。秋なんでしょうねえ。
ススキらしきものが道の両側に生えてましたから。
ええ、薄墨がさらに薄くなって絵柄が消えかけ、判然としなかったんです。
まあでも、さっき話したように表具はいいから、
これ買っていって、新たに仕立て直すお客さんがいるんじゃないかと考えまして。
でね、店の奥のほうに広げて立てかけてたんですが、
特におかしなことはなかったです。で、ある日ですね。
店に2人連れのお客さんが来ました。どちらも50年配で、
顔が似てたから、兄弟なんだろうなって思いました。

そのうちの一人が「兄さん、あの屏風じゃないか」って店の奥を指さしまして。
そしたら、年上に見えるほうが、「亭主、あの屏風は売り物かね」って聞いて。
「ええ、そうですよ」 「値はいかほど?」
ここで少し考えたんですが、20万って言ってみました。
これね、仕入れ値の10倍なんです。ただ、骨董の値段なんて、
あってないようなもんですから。いくら高くてもほしい人はほしい。
まあ、まからんかって言われたら交渉に応じるつもりでしたけど。
ところが、2人は一瞬顔を見合わせてから、「買わせてもらう」って
即決したんです。これにはちょっと驚きました。わたしの鑑定眼が曇ってて、
価値のある品に安い値をつけたんじゃないかと。
でも、どう考えてもそんな高いものには思えない。

兄弟は現金でその屏風を買い、その日のうちにトラックが来て運んで
いったんです。うーん、儲けたのか、それとも儲けそこねたのか、
わたしにはよくわかりませんでした。それから・・・
1ヶ月ほどして、そのときの兄弟の兄のほうが店に来まして。
印象に残ってたんで覚えてたんです。で、開口一番、
「ここで買った屏風、引き取ってもらえないかね」って。
「ははあ、買い戻せってことですか?」 「いや、金はいらんから」
「どういうことです?」 「それが、家が手ぜまで置けなくなった」
「・・・・」こんなやりとりがあって、屏風が戻ってきました。
変な話ですよねえ。まあ、古物を買っていったお客さんが、
すぐに返しにくるってこともないわけじゃないんです。

ただ、金はいらないって言われたのが気になりましてねえ。
だって、骨董屋はいくらもいるんだし、そっちに売ればなにがしかのお金にはなるでしょう。
でね、返ってきた屏風ですが、見ると絵が変わってたんです。
よく似た絵柄ではありました。藁葺の田舎家がいくつか建ってる中を道が続いてて、
遠くのほうに歩いてる人の姿がかすかに見える。でも、男か女かもわからない。
紙は同じものが使われてるように思えました。ああ、絵をはりかえたのか、
だからただで引き取ってくれってことなのか。
でも、わたしには前の絵も新しいのも、どっちも同じツマラナイものに思えましたけども。
それから、半年くらいたったんです。屏風のほうは、ずっと売れないし、
関心を示すお客さんもいなかったから、蔵にしまってました。
で、その日、わたしは同業者の会合の帰りで、信号待ちをしてました。

そしたら、「おや、○○骨董屋さんじゃありませんか」こう声をかけられて、
そっちを見たら、見覚えのある顔で。でも、誰だかはわからなかったんです。
「ほら、お店で屏風を買った」それで、あのときの弟さんのほうだと気づきました。
「その節はどうも」 弟さんはちょっと躊躇した様子でしたが、
「これから時間ありますか、どうです、そこらでコーヒーでも」 「いいですよ」
こんな感じで、近くにあった喫茶店に入ったんです。
ここから話すのは、そこで弟さんとしたものです。
「あの屏風、お兄さんが返しに来られたんですけど、絵をお変えになった?」
「ああ、いや、なんというか、自然にああなったんです」 「どういうことです?」
「じつはですね、そのあたりのことを聞いていただきたくて、お誘いしたんです」
「ははあ」 「あの屏風、さむどの屏風って言うんですが、ご存知でしたか?」

「いえ、不勉強で」 「ここから話すのは、身内の恥になることですが、
 どなたかに聞いていただかないと心が休まらなくて」 「どうぞお話しください」
「わたしらの親父なんですが、70歳を過ぎて呆けが始まりまして」
「はい」 「ただ体のほうはなんともなく、
 体格もいいですから、暴れはじめると手がつけられなくて」
「はい」 「親父は若い頃、ある組に入っていて、背中には彫り物もあるんです」
「はい」 「だから暴れだすと、年老いたおふくろはもちろん、
 われわれ兄弟でもどうにもならなかったんです」 「施設などもありますよね」
「それが、なんとか一度入ったんですが、暴力のために追い出されてしまいまして」
「ははあ」 「それで、あの屏風がお宅の店にあることを人づてに聞いたんです」
「どういうことです?」 「あれね、昔からあるもので、

 自分の親がどうにもならなくなったときに使うんです」 「・・・」
「あの夜も、酒を飲んで荒れてた親父をなだめすかして、兄といっしょに
 どうにか寝かしつけたんです」 「はい」 「で、その枕元に屏風を立て回しました」
「?」 「朝になったら、親父がいなくなってたんです」 「??」
「もちろん警察に連絡しまして、呆けがかかってたことも話しました」
「警察が捜索したってことですよね」 「ええ。でも1ヶ月たっても見つかっていません」
「そういう話は耳にしますよ。徘徊って言うんですか、
 呆けた年寄りがふらっといなくなって、そのままっていうのを。
 おおかたは川とかに落ちたりしてるのかもしれませんが」
「それで、屏風の絵が変わってたんです」 「意味がわかりません」
「あの田舎家のある景色ね、われわれ兄弟が子どもの頃に住んでた土地なんです」

「・・・」 「遠くに向かって歩いてる人がいたでしょう」
「はい」 「あれ、親父なんです。夢の中で屏風に入っていった」
「まさか」 「ええ、そう思うのは当然です。わたしも最初、知人からその話を聞いた
 ときにはまったく信じませんでしたから。でも、見てたわけじゃないけど、
 親父が消えてしまったのも、絵柄が変わってたのも事実です」
「うーん、それが本当だとして、自分の親じゃないとダメなんですか?」
「そういう話です。あの屏風、まだお店に?」 
「ええ、蔵にしまってあります」 「そうですか・・・」
この後、コーヒーを飲み終えてすぐ別れました。その後は会ってませんね。
屏風ですか? その後しばらくして市場に出しました。え、わたしの親に使う?
いやいや、そんなことは少しも考えませんでしたよ。

※ 「さむど」は『遠野物語』の神隠し譚「寒戸の婆」から拝借しました。







世界の怪談、日本の怪談

2018.08.03 (Fri)


今回は怪談論のカテゴリに入る内容です。当ブログは「怪談」「怖い話」を
書くことをメインにしてるんですが、日本だと「怪談」と「怖い話」は、
ほとんど同じ意味で使われてますよね。「怪談≒怖い話」 
という図式があると言ってもいいと思うんですが、海外だとちょっと違うんです。

「怪談」は、英語にすると「ghost story」と訳される場合が多いんですが、
「scary story」あるいは「ghost experiences」
「paranormal experiences (超常体験)」とされることもあります。
ただこれ、自分は日本の「怪談」にぴったりあてはまる
英語の言葉はないんじゃないかと考えてます。

下のリンクは、自分がよく見ている海外の怪談投稿サイトで、
「Your Ghost Stories」と言います。怪談は、その中の「Real Ghost Stories」
という小テーマの中に収められているんですが、
なんと投稿された話の数が、現在18143話にもなります。
世界最大の怪談投稿サイトなんじゃないかな。

「Your Ghost Stories」

また、投稿者が住んでいる国も約150ヶ国。アメリカのサイトなので、
アメリカ国内のものが圧倒的に多いんですが、
中には、ココス諸島とかオランダ領アンティル諸島とか、
どこにあるのかよくわからない場所からのものもあります。
あと、イスラム圏からの投稿もありますね。

日本からの投稿も33話 載ってるんですが、
読んでみると、日本人が投稿したものは少なく、
旅行や出張、移住で日本に来ている外国人が書いたのが多いです。
まあそうですよね。日本人が海外サイトに英語で怪談話を書くのは
やはりハードルが高いでしょう。

で、自分がヒマなとき、ちらほらこのサイトの話を読んでると、
「日本の怪談とはずいぶん違うなあ」といつも思います。
主な相違点は2つあるのかな。具体的にどこが違うかというと、
海外の怪談ってこんな感じなんです。

「2014年7月28日、私は仕事の関係で、ヴァージニア州リッチモンドにある
ビジネスホテルに宿泊していた。そろそろ寝ようかと時計を見ると11:28。
そのとき私は、部屋にある間接照明のほうに何か違和感を感じた。
よく見ると、床から60cmほど上の空中に、人の頭が浮かんでいたのだ・・・」

おわかりでしょうか。日本の怪談は、いつどこで起きたことかが明らかでない
場合が多いんですが、このサイトの話は、体験した場所と日時がはっきり
書かれたものがほとんどです。また、どんなものを見たかについても
くわしく描写されています。つまり、客観的な「体験の報告」なんです。



まずそこが一番違います。2つ目は、投稿者には、基本的に、
読む人を怖がらせようとする意図はないことです。
そもそも、投稿者本人が、まったく怖がってない場合も多々あります。
ことさら文章に凝ったりもしてはいません。
自分が体験したことを、たんたんと記述してく形のものが多いんです。
じゃあ、英語圏には「怖い話」はないのか。

これはもちろんあります。ただ、そういうのは怪談とは別なんですね。
ホラー(horror story)あるいは都市伝説ということになるんでしょう。
最初から人を怖がらせる意図で作られ、読む側が、
エンターテイメントとしての恐怖を楽しむための話。

ですから、日本では「怪談≒怖い話」という図式が成り立ちますが、
海外では「怪談≠怖い話」になるんです。
じゃあ、どうしてこんなことが起きてるのかというと、海外では、
幽霊が必ずしも怖いものとは思われていないこともありますが、
最大の要因は、日本の怪談の歴史的な立ち位置にあるんだと思います。



現代の日本人はあまり意識していないでしょうが、
江戸時代には怪談が隆盛し、歌舞伎、浄瑠璃、落語など、当時の大衆文化で
「怖がるためのエンタメ怪談」が盛んに作られました。
その歴史が、しらずしらず、連綿と現在にまで受け継がれてきている。

日本での怪談の評価は「怖いか、怖くないか」によって決まることが多いですよね。
「うわー怖い」というのが最高のほめ言葉になるのは、
上記のような歴史的経緯からでしょう。これが海外の場合、
よい評価は、「詳細な報告で興味深かった」みたいな感じになります。

さらに日本の場合、怪談には「創作臭い」という、よくない評価もありますよね。
「こんなことあるわけないだろ」などと言われたりもします。
日本の怪談では、実際にありそうな話で、なおかつ怖いという、
かなり難しい要件が求められているんです。

さてさて、当ブログの話は、最初から創作であることを明示しています。
それは、一つには、日本の怪談が内包する上記のような図式から逃れようとする
意図があるんですね。だって、実際にありそうで、なおかつ怖い話なんて、
数話も書けば行き詰まってしまいますから。リアルな犯罪の話なら書けますが、
それは「怪談」とは言えないですし。では、今回はこのへんで。