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実話怪談と創作怪談

2018.09.30 (Sun)
今回はこういうお題でいきます。怪談論に入る内容です。
昨年、作家でオカルト研究家の山口敏太郎氏が、「実話怪談という名の作り話」
というような題で、ネットや著書中に文章を書いて「創作なのに実話だという
ふれこみで本を出す怪談作者」に対しての批判を展開されていました。

「武士の情けで名前は出さないが」とまで書かれていたので、
意中に実在の人物の名前があるのだろうと思います。たしかに、
自分も、「実話怪談」と銘打たれた本の中には、
実際は作者が頭の中で創作したものも多数あるのだろうと考えています。

本来の意味での「実話怪談」というのは、大変難しいものです。
まず体験者に会って取材をしなくてはなりません。それだけで数時間かかるでしょう。
喫茶店で取材を行えば飲食代はもたなくてはならず、その他に謝礼を要求する
体験者もいるかもしれません。交通費もかかりますし、録音などの機材も必要です。

しかも、そうやって集めた話が、必ずしも発表できるものとはかぎらないんですね。
怪異体験の多くは類型的です。一番多いのは、いわゆる「虫の知らせ」系の話。
「玄関に誰かが来たような気がして出てみたが誰もいなかった。それからすぐ
電話がかかってきて、離れたところにいるお祖母ちゃんが死んだという知らせだった」

こういうものです。でもこれ、文章にして本に載せてもまったく面白くないですよね。
使えない話なわけです。実際に取材して得た話の大半はこんなもので、
読者が興味を示してくれそうなのは、数十話に一つ程度だと思います。
ですから、膨大な時間と費用をかけても、年に一冊本にまとめられればいいほうです。

それなのに、年に何冊も本を出しているのは、「自分が頭の中で組み立てた話を
実話として出版してるんだろう」というのが山口氏の批判なんですね。
これはそのとおりと言えば、そうなんですが、
自分が思うのは、「体験者から聞いた話」だからといって、
本当に起きたことかどうかはわからないだろう、ということです。

例えば「ある心霊スポットに行って2階に上がったら、花嫁衣装を着て、
狐の面をかぶった女が床に伏せていた。それ見てみんな逃げ出した。」
こういう話を取材できたとして、それが本当にあったことだと、
どうすればわかるんでしょうか。

そのときスポットに行った人全員を集めて、一人ひとりから話を聞けばいいのか。
でもそれだって、口裏を合わせてる可能性もありますよね。
ここで言われる「実話怪談」というのは、「体験者から取材した話」くらいの意味で、
そのことが本当に起きたという担保がない場合がほとんどなんです。

さて、自分は最初の頃、「自分が体験した話」という形で、
怖い話をネットに投稿していました。もちろんコテハンはつけず、
「名無し」での投稿です。コテをつけないのは、同じ人物がそんなにいくつも
体験があるわけがないだろう、と言われそうだったからです。その他にも、
話によって語り手が若かったり、老人だったり、女性だったりということもあります。

しかし、そうやっているうちにだんだん限界というか、
こうやって話を書き散らしているのがもったいない、みたいな心境になってきました。
そこで、自分の話を一ヶ所にまとめて保管しようと、当ブログを立ち上げたわけです。
そしてその機会に「全部創作だよ」とカミングアウトすることにしたんですね。
プロレスのWWEみたいなもんです。(WWEを知らない方は読み飛ばしてください)

では、ネットに最初から「創作」と明言して怖い話を投稿したらどうなるでしょう。
じつは、実験として何度かやってみたことがあるんですが、
「創作なら読まなかったのに」 「怖いと思って読んでたんだけど、最後に創作って
書いてあったのでがっかりした」 「創作を書きたいなら創作板へ行け」・・・
これらは全部、自分に実際にネットで返ってきたレスです。

やはり一般的な反応としては、「創作は読む価値なし」という感じなんですね。
でも、上で書いたように、その話が実話か創作かは、投稿者が、
「本当に自分が体験した」と言ってるだけで、実際にあったという証拠も
なにもないんです。それなのに、創作と明言しただけで排斥される。

これ、どうしてなんでしょうか。考えてみたら、「実話怪談」と「創作怪談」
では、世界観がまったく違うという事に気がつきました。
「実話怪談」の世界というのは、幽霊が本当にいる世界、
不可解なことが実際に起きる世界です。それに対し「創作怪談」は、
オカルト知識を使って、話を小手先でまとめたものでしかないんですね。

で、自分はこれを理不尽だとは思いません。オカルトというものの大部分は
「信じる」ことによって成り立っています。怪談は、書く方も読む方も、
「心霊的な現象はある」ことを共通の約束事として成立する世界なんですね。
そして、成立させるためのキーが「本当にあった」です。

さてさて、長くなってきたのでそろそろ終わりますが、じゃあどうせなら、
「創作怪談」なんて中途半端なことをしないで、本格的な「ホラー小説」を
書けばいいんじゃないか、と言われそうです。
ですが、「怖いホラー小説」を書くのはすごく難しいんです。

ネットで、本業の片手間に遊びでできるようなものじゃない気がします。
相当な時間をかけてストーリを練り、登場人物に肉づけをし、
構成や伏線を工夫して書いていく必要があります。
それは、能力的にも時間的にも自分には無理です。
ということで、今後もこの形でやっていくことになると思います。







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「ブロック宇宙論」って何?

2018.09.29 (Sat)
時間は矢のように一方向に流れているように感じられる。
未来を覗き見ることはできず、過去に再び訪れることもできないように感じられる。
日々の全ての瞬間は自らの死に向かって進んでいるように感じられる。
これが月並みな時間経験というものだろう。しかし、これから紹介する理論では、
過去・現在・未来が全て同時に実在し、
時間は流れ去らないと考えることもできるという。

「ブロック宇宙論」では、宇宙は4次元時空のブロックとして見られ、
全ての出来事はその中にすっかり納まっていると考えられている。
豪「ABC NEWS」(9月23日付)の記事で、シドニー大学哲学科の
クリスティ・ミラー准教授が詳しく説明している。
(tocana)

今回はこのお題でいきます。ふむふむ「ブロック宇宙論」ですか。
これ、直感的に理解しにくいんですが、できるだけわかりやすく書きたいと
思います。まずこれは、相対性理論から導き出された宇宙論です。
相対性理論では、この宇宙全体を4次元の時空連続体として見ています。

この場合、4次元とは、空間3次元+時間1次元ですが、
相対性理論からつくられたミンコフスキー空間では、時間軸も
空間軸と同じような形で数学的に操作することができるんですね。
ちなみに下の図は、本来は空間3次元なのを、2次元に落として表現されています。

ミンコフスキー空間
jsdjsksi (1)

さて、この宇宙はビッグバンで始まったと考えるのが、現在の定説ですよね。
そのときに、過去から未来までの時間のすべてができてしまった、
とするのがブロック宇宙論です。これ、意味わかるでしょうか。
もうすでに、過去も未来も完全な形で存在してるんです。
これは、最近に出てきたホログラッフィック宇宙論の元になる考え方です。

この例えとして、映画のフィルムを考えればわかりやすいでしょう。
その映画はもうすでにフィルム化されていて、みなさんはフイルムを巻き戻したり、
早回ししたりして、どこでも好きなシーンを見ることができます。
それと同じで、この世界の過去も未来も、すべてがすでに完成している・・・ 

さて、ブロック宇宙論が成り立つ条件の一つとして、この宇宙がビッグクランチで
終わることがあげられます。あれ、ビッグクランチって何でしょう?
この宇宙が最終的にどのようになるかについては、
大きく3つの説があります。一つは、宇宙はどこまでも膨張を続けていき、
いつまでもなくなることはない、とするものです。

最近、宇宙の膨張が加速していることが観測されましたよね。
で、その膨張を加速する力として、「ダークエネルギー」が言われ始めました。
どちらかといえば、この考えを支持する物理学者は多いようです。
2つ目は、ビッグクランチによって宇宙はいつか終わるとする考え方です。

ビッグバンからビッグクランチへ
jsdjsksi (2)

クランチは収縮という意味で、膨張している宇宙はいつの時からか収縮に転じ、
だんだんに小さくなっていって、最後は一つの点にまで縮こまって終わる。
3つ目は、宇宙の「熱的死」という考え方です。宇宙空間そのものはなくならないが、
膨張が停止し、地球や太陽など、すべての物質が同じ温度になって動きがなくなる。   

例えば、温度が40度と80度の同じ量の水を一つのビーカーに混ぜ入れた
とします。すると水は60度になります。ですが、そのビーカーのある
部屋の気温が20度だった場合、60度のお湯はだんだん冷めていって、
部屋の気温と同じになりますよね。部屋の気温は、
前よりもほんの少しだけ上がることになります。

これと同じことが宇宙規模で起きるのが、宇宙の熱的死です。
すべてのものが同じ温度になり、つまりエネルギーの移動がなくなり、
エントロピーが最大になって、あらゆる動きが完全に止まります。
もちろん生物は存在できません。で、前に書いたように、ブロック宇宙論では、
この3つの宇宙の終わり方のうち、ビッグクランチでなくてはならないんですね。

宇宙の熱的死では、星の光は消え、銀河の回転は止まる
jsdjsksi (1)

なぜなのかは、もうおわかりだと思います。映画のフィルムには終わりがありますよね。
それと同じで、未来がもうすでに存在しているのなら、
いつまでも終わらないのはマズイわけです。時間と空間は、始まりという口と、
終わりという肛門があるナマコのようなものとして、ドデンとそこにある。 

jsdjsksi (3)

さて、最初のほうで、相対論では空間と時間は同じように操作できると書きました。
ただし、空間を移動するにはそれなりの困難がありますよね。例えば、
アンドロメダ銀河に行くのは現在の科学では難しい。それと同様に、時間も、
本来は過去にも未来にも行けるものの、人類はまだその手段を見つけていないだけ、
というのがブロック宇宙論の考え方です。

でも、じゃあ、どうしてわれわれは、現在しか認識することができないんでしょうか。
過去は記憶の中にあり、誰も未来を知ることはできないとされますよね。
これについて、ブロック宇宙論では、はっきり説明されていませんが、
「時間が流れる」と感じるのは、脳による錯覚である、と主張する研究者もいます。

「時間が流れる」と感じるのは脳の錯覚?
jsdjsksi (4)

あと、気をつけなくてはならないのは、ブロック宇宙論での過去や未来への移動は、
SFなどでいうタイムトラベルとはかなり違うことです。例えば30歳の人が
20年前の過去に戻るということは、30歳のままで過去に現れるのではなく、
10歳のときの自分に戻るんです。これは未来についても同じで、
30年後の未来に行くのは、60歳の自分になることなんですね。        

ですから、タイムパラドックスは起きません。まず、自分が
2人同時に存在することにはならないですし、過去に戻って自分の親を
殺すこともできなないんです。未来も過去も、どうやっても変えようがない。
これは、すでにできている映画のストーリーを変更することができないのと同じです。

あなたは映画の主人公?
jsdjsksi (5)

さてさて、ここまで読まれて、当ブログの読者の方なら、
あることに気がつかれたんじゃないかと思います。
そう、ブロック宇宙論では、「自由意志」がないように見えます。
ただ、このあたりのことはよくわからないですね。

もしかしたら、みなさんは、自分の意志で進路を選択し、人生の岐路に立って
決断をしていると思っていても、じつは、すでに終わりまでの
ストーリーが完全に決まった中を歩んでいる、映画の主人公なのかも
しれませんよ。そう考えると、ちょっと怖いです。では、今回はこのへんで。

関連記事 『タイムパラドックスの話』





死人潜りの話

2018.09.28 (Fri)
※ 最初に投稿したものから、少し手直ししました。

えー、うちの実家に昔から伝わってる話をします。ジイさんから親父に、
で、僕がついこないだ親父から聞いたんです。代々そうやって伝わってるんです。
たぶん明治の始め頃だと思います。江戸時代から明治維新で時代が変わって、
まだいろいろな制度が整っていない時期に、地方の農村で起きたことです。
当時は廃仏毀釈と言って、神道を国家の柱とし、
仏教は外国から来たものとして排斥されたりしたんですが、
その地方では、檀家の結束も強く、あまり盛んではなかったようです。
うちの先祖は寺の小僧をやってたんですね。その頃は、
疫病などで両親が亡くなった子どもは、寺が引き取って育てたりしてたんです。
でね、その地方では独特の風習があって、村で亡くなった人が出ると、
葬式までの間、寺に運び込んで一室に寝かせておくんです。

それで、その傍らに親族が一人ずっとついてて、遺体を見守ってるんです。
これは、ちょっとでも目を離すと遺体が「死人潜り」に使われてしまうから。
死人潜りに使われた遺体は、もうどうやっても成仏できないんです。
あと、死人潜りがこないように、遺体の頭のほうには鏡を立て、
遺体の胸の上に小刀を乗せておくんです。これね、今でもやってるとこも
あるみたいですよ。え、死人潜りって何かって? それは、後のほうで話します。
あるとき、村の大百姓が死んだんです。小作人をたくさん使ってる大地主の。
60歳過ぎてたということで、当時なら寿命ですよね。
それで、遺体が寺に運び込まれてきて、そのわきには大百姓の次男がついた。
長男は葬式の準備で忙しかったんです。寺の住職が「朝まで仏様から目を
離してはいけません。線香の煙をたやさないように」こう次男に言いおいて、

自分は本堂で勤行してました。ときおり見に行ったけど、
その次男は生真面目に座ってたそうです。「これなら大丈夫だろう」
そう思って勤行を続けてると、夜半にドーンというすごい音が
その部屋のほうからして、住職が見に行くと、次男が驚いた顔であたりを
見回してて、住職の顔を見ると「ああ、申しわけありません。うたた寝してしまって」
こう言いました。住職が確かめると、線香の火は消え、遺体の胸に置かれてた
小刀がなくなってたんだそうです。「ああ、死人潜りか?」
住職はそう思いました。ただ、その頃には、死人潜りは村でも信じる人が少なくなり、
住職もただの昔からの言い伝えだと思ってたみたいです。住職が遺体の顔に
かけてあった布をめくると、閉じさせていたはずの遺体の目がカッと見開かれ、
握りこぶしが入るほど大きく口が開いてました。これ、その口から、

死人潜りが体内に入り込んだんです。「まさか」そう思った住職は、
遺体を裏返して下帯を解き、尻を見ました。そしたら遺体の肛門も、
口と同じくらいの大きさに開いてたんだそうです。はい、死人潜りというのは、
文字どおり、死んだ人の体を通り抜けるんです。すると力が増すんです。
「これは大変だ」と思った住職は、村の主だった人たちを集めました。
当時の村長や地主連中です。で、早朝に集まった人たちに事情を説明した。
でも、みな死人潜りに関しては半信半疑だったみたいです。
何十年も、そんな事件は起きてなかったですから。
ただ、亡くなった大百姓の長男はカンカンに怒って、居眠りをしていた次男を、
皆のいる前でさんざんに叩いたんだそうです。その当時は、財産は長男が
すべて相続して、次男以下は使用人みたいな扱いだったらしいです。

で、善後策を話し合ったんですが、なにしろみな初めてのことで、
どうすればいいかわからない。とりあえずは、大百姓の葬式を済ませてしまおう
ってことになりました。遺体は、亡くなってまだ1日なのに、
しなびたように縮んで、口と肛門はどうやっても閉じることはできなかったそうです。
で、なんとか葬式と土葬が終わって、すぐ最初の犠牲者が出ました。
寺男っていうんですか、寺の雑事をやってる老人がいたんですが、
その人が朝になって、墓所の通路で倒れてるのが見つかったんです。
その口と肛門は大百姓と同じように開いてたそうです。
はい、昔からの言い伝えでは、死人潜りはいったん外に出ると、
何度も何度も死体の中をくぐって、そのたびに力をつけていくんです。
住職は、これといった対処も思い浮かばず、ただ毎日、

本堂で経をあげるしかできなかったそうです。
それから1週間ほどして、2人目の犠牲者が出ました。
住職その人ですよ。勤行の最中だったんでしょう。本尊の祭壇にもたれかかる
ようにして倒れているのが見つかり、やはり口と肛門がぱっかり開いていた。
死人潜りは、最初の遺体を入れて、3人目を潜ったわけです。
村はもう大騒ぎですよ。だって死人潜りにはご本尊の力も効かないんですから。
また檀家たちが集まって、とにかくこの事態を、そこの寺の総本山に連絡しようって
ことになりました。はい、当時はまだ電話もなく電報で知らせたんです。
そうしてるうち、また死人が出たんです。
ただ、これは死人潜りのせいじゃなかったんです。ほら、最初の大百姓の次男。
これが山中で首を吊ったんです。はい、自分のしくじりを恥じてのことだと思います。

それから数日、何事もなかったんですが、村中が戦々恐々としてて、
雰囲気がすごく悪かったそうです。そうしてるうち、連絡していた宗派の総本山から、
僧侶の一団が村にやってきました。総勢10数人という規模だったということです。
僧たちは詳しい話を聞き終えると、大法会を行うから村の者をできるかぎり
集めるように言いました。そうして寝ついている年寄り以外、
数百人の村人が寺に集まりました。せまい本堂には入りきらず、
玄関をぶち抜いて、前庭まで人が座れるようにして大法会が始まったんです。
それはそれはすごいものだったそうです。十数人の僧侶が声を合わせて経を唱え、
護摩壇に香木を投げ込んでもうもうと煙が上がって・・・
それが10分ほど続いたときに「ギャーッ」って大きな声が上がったんです。見ると、
寺の10歳ばかりの小僧が庭にいたんですが、地べたに倒れてのたうってました。

「そこか」僧侶の一人が言い、すごい速さで僧たちが集まってきて、
小僧を取り囲み、声を張り上げて経を唱えました。「ギャーギャー」
小僧は悲鳴を上げ、転げながらうつ伏せになったときに、
薄い着物がびりびりと破けました。背中が盛り上がってたんです。
背中の皮の下に、何か生き物が入り込んでいるように
見えたそうです。それは小僧の背中の皮を破るほどにぐるんぐるん暴れました。
僧の中の4人が、経を唱えながら小僧の手足を押さえつけ、
囲んでいた僧たちの輪がせばまり、いつのまにか錫杖を抱えていた年長の僧が、
小僧の背中の盛り上がりに、どしっと錫杖の先を打ち下ろしました。
ゴーンと鐘をついたような音がしたそうです。何度も錫杖を打ち下ろすたび、
小僧の背中の盛り上がりは、のたうちながら小さくなり、

やがて平らな子どもの背中に戻ったんです。背中には丸く錫杖のアザがついてるだけ。
やがて、固く目をつぶっていた小僧は四つん這いに体を起こし、
ゲロゲロと紫色のものを、とめどなく吐き続けたそうです。
この後、小僧は一月ほど寝つきましたがどうにか回復しました。
総本山の僧侶が小僧から話を聞いたところ、最初の遺体が寺に運び込まれる少し前、
寺の境内を掃除していたときに、何者かに呼び止められた気がして植え込みの中を
のぞき込み、それから記憶がないということでした。
おそらく、そのときに死人潜りが体の中に入り込み、宿り木にしていたのだろう、
そういう話になりました。そのことを裏づけるように、
最初の遺体から消えてた小刀が、小僧の部屋の行李の中から見つかりました。
はい、死人潜りはもう出なくなりました。

寺には、総本山から新しい住職が派遣され、小僧はまだ体も本調子ではなく、
死人潜りの障りも残ってるだろうからと、総本山に連れていかれることになりました。
それから、小僧は総本山での厳しい修行に耐え、
一人前の僧侶になり、その後に結婚もしたんです。
当時は僧の妻帯はできるようになってました。
ただ、その人の子どもたちは誰も坊さんにはならず、都市部に出て暮らしました。
子どもたちの長男の息子が、うちのジイさんなんです。
でね、これ見てください。背中の真ん中に黒いアザがあるでしょ。
これ、親父にもジイさんにもあります。見たことはありませんが、
その前の先祖にもあったという話です。ええ、うちの家系の長男にあるんです。
さっき話した、小僧が錫杖で背中を打たれた跡なんですよ。






太陽常温説とオカルトの闇

2018.09.27 (Thu)
太陽の表面温度が約6000度もの高温であることは現代物理学の常識とされる。
しかし、当然ながら過去に太陽まで出向いて表面温度を直接計測した人間など
いるはずもなく、これはあくまでも計算のうえで導き出される値ということになる。

そして、この誰も疑うことのない常識に真っ向から対峙し、
驚くべき結論を導き出した研究者がいる。電気工学博士であり東京工業大学を
はじめとする数々の有名大学で教壇に立った関英男その人である。
関博士は、なんと「太陽の表面温度は26度程度の常温で、
黒点には植物さえ生えている」という太陽常温説を提唱したのだ!
(tocana)

sadre (2)

今回はこのお題でいきます。上記の引用は、2018年9月25日、
tocanaというオカルトサイトに載ったのを、Rakuten newsが転載しています。
太陽の表面温度が摂氏26度ほどとする「太陽常温説」は、
今から20数年前に主張されて話題になったものです。

これをなぜ、今頃になってtocanaが取り上げたのか?
自分はまずそれが疑問ですね。おそらく何かが、オカルトの闇の底でうごめいている
のだと思います。さて、地球常温説ですが、最初に主張したのは日本人ではなく、
かの「アダムスキー型円盤」で有名な、アメリカ人UFO研究家、宗教指導者、
コンタクティでもあるジョージ・アダムスキーです。

アダムスキー型円盤
sadre (3)

アダムスキーが亡くなったのは1965年ですから、だいぶ古い話になります。
彼が1953年に発表した『空飛ぶ円盤実見記』では、
金星人に連れられて円盤に同乗し、さまざまな惑星を回った体験が
書かれていますが、その中で「水星人に出会った」という記述があります。

しかし、水星は太陽系の惑星の中で最も太陽に近く、
「熱くて生物は住めないのではないか」という反論が出てきました。
そこで、アダムスキーが再反論したのが「太陽常温説」だったんですが、
でもこれ、苦しまぎれの感が強いですよね。

さて、引用に出てきた関英男博士は、1905年に生まれ2001年に
96歳で亡くなっています。たいへんな長寿の方だったんですね。
で、70歳を過ぎたあたりから、「日本サイ科学学会」に関わるようになり、
さまざまなトンデモ説を主張し始めました。   

動く禅「腕振り体操」を指導する 故 関英男博士
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例えば、「エイズは心の歪みで起きる」 「陽子が歪むと癌になり、
中性子が歪むとエイズになる」などなど。その方面の著書も多数あります。
その珍学説のうちの一つが「太陽常温説」です。
関博士は、若い頃の電波受信に対する研究で、
勲三等瑞宝章を受章していますが、この頃からボケ始めたんでしょうか。

関博士の学説では、太陽は熱を発しておらず、T線(天波)という放射線を
発しているだけであり、このT線が地球の大気に触れて初めて、
光線と熱に変換されるということになっています。また、関博士は、
人間などの知的生命体が発する物を「念波」、
宇宙を創造した高次の生命体が発するものを「天波」とも言っています。

まあたしかに、太陽常温説は直感的には理解しやすいかもしれません。
大気中では上空にいくほど温度が下がります。また、宇宙空間は-270度程度です。
しかし、長くなってしまうので、ここで物理的な詳しい説明はしませんが、
これは、輻射ということをまったく計算に入れていない考え方です。

さて、tocanaからの引用を続けましょう。
なんと、成蹊大学で素粒子の理論物理学を専攻し、NASAの関連研究機関に属していた
川又審一郎(本名:川又信一)氏も太陽常温説を支持し、
「太陽に氷が存在する」とまで主張している。

川又氏は1977年から8年にわたりNASAに留学し、帰国後の講演会にて
「本来の太陽は26~27度の常温で、水星は0度以下の氷の惑星である」と発表した。
そして実際、2012年には灼熱の太陽光線にさらされているはずの水星に
大量の氷があることが確認されている。


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まず、ここで名前が出てくる川又氏ですが、科学者ではなく健康食品会社の代表です。
以前は、東大理工学部卒とプロフィールに書かれていましたが、
成蹊大学卒と経歴詐称がバレてしまいました。NASA留学の実績もありません。
この人なんかは、オカルト界の闇を代表するような人物ですね。

もともとは「加江田塾」という新興宗教団体で顧問のようなことをしていました。
加江田塾は、代表の東純一郎が、自らを創造主「タオ」の代理人であるとして、
1995年に宮崎県に設立したものです。2000年に「加江田塾子どもミイラ事件」
を起こしており、記憶されている方もいると思います。    

「加江田塾子どもミイラ事件」についての朝日新聞のコラム クリックで拡大できます
sadre (1)                

加江田塾内において、6歳男児と超未熟男児の2体のミイラ化した
遺体が発見され、検視ではどちらも病死でした。代表の東と塾幹部の女が逮捕され、
「復活させるためにお清めを続けていた」と主張しましたが、両被告ともに、
死体遺棄罪、保護責任者遺棄致死罪で、懲役7年の判決がくだされています。

さらに川又氏は、1999年に1億8000万円あまりの脱税容疑で
在宅起訴されています。学歴詐称がばれ、脱税が発覚したためか、
このころに本名から、川又審一郎と名前を変えていますね。
ちなみに彼が代表を務める健康食品会社は現在もあり、
こちらも何度か名称を変更し、現在は「バイオセル株式会社」のようです。

川又審一郎氏の著作
sadre (5)

さらにtocanaから引用します。
医師で心霊研究家の塩谷信男(1902~2008)も著書『健康・長寿と安楽詩』
(東明社)にて太陽常温説の支持を表明している。さらに驚くべきは、
米国の権威ある科学雑誌「Science」までもが1995年と1997年に。
「太陽に氷が存在する」可能性を指摘する論文を掲載しており、
科学界を騒然とさせているのだ。

ここで名前が出てくる塩屋氏も、関博士の同類で、トンデモ著書多数の人物です。
あと、科学誌「Science」の2つの論文では、太陽に氷が存在する可能性は
指摘されていません。論文内の言葉をわざと曲解しているだけです。
この両論文ともネットで参照できるはずです。

さらに、オカルト・スピリチュアル界の重鎮である船井幸雄氏も、
著書の中で太陽常温説にふれています。さて、みなさんはどう思われますでしょうか。
関博士の天波説から、さまざまな「波動」効果のある商品が開発され、
バカ高い値段で売られています。太陽常温説は、金になるオカルトなんです。
一般に、製薬会社が新薬を開発するには3000億円かかると言われますが、
健康サプリなんて、ボロ儲け商売ですよ。

一つのトンデモネタに、怪しげなオカルト界の人物が群がって、
利益を生み出そうとしている構図。これはオカルト界の闇の部分ですね。
ただ、上でも書いたように、自分が解せないのは、こんな古いネタをなぜ、
今さらtocanaが取り上げたのか?ということです。何かこれから動きがあるのか??

さてさて、オカルトがうさんくさいとか、反社会的であるとか世間から言われるのは、
こういう人たちの活動の賜物なんです。お金儲けの手段としての
オカルトを見分ける目を持つことは大切です。ところで、当ブログのこの記事、
削除要請とか来るんでしょうかねえ(笑)。では、今回はこのへんで。





ブログ再開1周年

2018.09.26 (Wed)
今回は雑談ですので、スルーされたほうがいいかもしれません。
まず、ブログを始めたのが2013年の7月です。
動機は、自分がネットの掲示板に書き散らしていた怖い話を
一ヶ所にまとめて保管しておこう、というものでした。
最初の月に84回更新していますが、これはネットから自分の話をコピペして
貼りつけただけです。翌月もそんな感じだったと思います。

で、いよいよ怖い話のストックがなくなって、新しく書き始めたのが
2013年の9月からですね。この頃は3日に1回ていどの更新でした。
毎日更新するようになったのが11月からです。
やっぱりブログを始めて最初の頃は、アクセス数を増やしたいと考えますよね。
で、そのためには毎日書くのがいいだろうと思ったわけです。

ですが、毎日1話ずつ怖い話を書くのは大変でした。
無理やりアイデアをひねり出しているような感じで、話の質は落ちました。
ただ、やってみてわかったのは、毎日ブログを書くようにしていると、
生活のリズムが安定するということです。自分は自由業で、
占星術のために夜中に天体観測をすることが多いんです。ですから、
どうしても生活が不規則になってしまう。

あと、毎日晩酌というか、夜中にお酒を飲んでたんですが、
酒量はかなり減りました。これは酔っ払ってブログを書くと、
読むに耐えない記事ができてしまうからです。それで、ブログを書き終わるまでは
お酒に手をつけないようにしてたら、あんまり飲まなくてもよくなったんですね。
こういうのは、ブログの効用の一つだなあと思ってます。

で、それからはほぼ毎日、怖い話を書いていきました。
書くこと自体は30~40分程度しかかからないんですが、怖い話のネタは
四六時中考えてましたね。自分の場合、占星術の面談を予約制で
やっているので、どうしても1日のうちに何回か空いてる時間が出てきます。
それを活用してアイデアを考えました。

あとは、自分は映画の感想を雑誌に書いたりしているので、
よく試写会に行くんですが、映画を見ながら、
この内容は怖い話に使えないだろうか、などと考えたりもしてましたね。
生活のあらゆる場面がネタ探しになるという(笑)。

話の出来は、いいものも悪いものもあります。書き始めて「ああ、これはダメだ」
と思っても、そこでやめちゃうと、その日の更新ができなくなってしまいます。
ただ、平均打率を上げようとは思ってました。
毎日、そこそこの話が書けて、ときおりなかなかいいものができる、みたいな感じ。
そんなふうに2016年の7月まで、3年間続けてきました。

あと、当ブログはアフィリエイト等を入れてないので、
ブログからくる収入というのはありません。参考にする本を買ったりするので、
むしろ持ち出しになってます。それと、書籍化しないかなどというお話を
何度かいただいたんですが、考えた末にお断りさせていただきました。
これは、自分が書いているのは「実話怪談」ではなく、
「創作怪談」だということが大きいですね。

創作の怪談に、あんまり需要はないだろうと考えたからです。
「本当に起きた話」でないものはツマラナイと思う人が、世の中には多いんですよね。
あとまあ、お金をいただけるレベルの内容でもないです。
それと、怖い話を書くのはあくまで自分の趣味であって、
これを仕事にする気がなかったんです。

あとはそうですね、ネットラジオなどで当ブログの怪談を朗読したいとかいう
申し入れが何件かあり、それは了承しています。ネットコンテンツですので、
著作権はなかば放棄しています。無断では困りますが、
連絡をいただければ、転載されるのは問題ありません。

で、安定して怖い話が書けるようになってちょうど3年が過ぎた2016年の6月に
命に関わる病気が発覚して入院、13時間の手術を受けてどうにか生還しましたが、
もうブログどころではなかったです。その後も入退院をくり返していました。
今でも完全に元の調子に戻ったわけではなく、後遺症もあるんですが、
なんとか再開にこぎつけたのが去年の7月で、それから1年たったわけです。

この間に、心境は少し変化していまして、
アクセス数を増やそうとは思わなくなりました。
それよりも、少数でいいので、オカルト好きの人に読んでもらいたい、
という気持ちが強くなったんですね。それと、怖い話を毎日ではなく、
3日に1回程度にして、あとはオカルト的な話題を取り上げるようにしています。

オカルトの定義はいろいろあるでしょうが、自分としては「謎と不思議」
がある話題は、だいたいオカルトの範疇に入るのではないかと思ってます。
あとは、僭越ですが、オカルト界を盛り上げたいという気持ちもあるんです。
昔に比べれば、オカルトがマスコミで取り上げられることが少くなっています。

これは様々な要因があるんでしょうが、一つには、
あまりに子どもだまし的な内容が増えて、バカバカしいと世間に思われたせいが
大きいんじゃないでしょうか。ですので、できるかどうかわかりませんが、
大人の鑑賞に耐える、硬派なオカルトの話題を書いていけたらと思ってます。

とまあ、ここまで偉そうなことを言ってきましたが、
自分にとってオカルトは趣味ですので、飽きたらやめちゃうと思います。
ですから、もし更新が途絶えた場合、オカルトに飽き飽きしてやめたか、
あるいは死んだか、と思っていただければ(笑)。
ということで、今後ともよろしくおねがいします。







見える話 2題

2018.09.25 (Tue)
緑の餅

これ、去年の正月の話です。うちに、いとこの正也君が遊びに来てて。
ああ、正也くんっていうのは、母の妹の子どもで、一人っ子なんですよ。
僕が当時、中2で、正也くんは小5だから4つ下ってことになります。でね、
一晩うちに泊まった後の1月10日が、近所にある龍王神社の例大祭だったんです。
そこの神社は大きくはなくて、どこの地域にもあるようなところです。
お祭りは年に何回かあって、秋のが一番大きいですね。
お神輿をかつぐし、ずらっと商店街に夜店も出るんです。
それに比べると正月のは地味っていうか、夜は何もないから、
屋台も少ししか出ないんです。ただ、餅まきをやります。
ええ、社殿の上から神主さんが、袋に入った紅白の餅をまくんです。
これね、僕、小学校前から参加してるんですよ。

餅は、とれた年もとれなかった年もあります。どっちかというと、
とれない年のほうが多かったかな。参加する人は数十人ですね。
年々少なくなっていく気がします。まあ、過疎地域だからしょうがないです。
でね、餅まきのときのお年寄りのパワーがすごいんですよ。
人を突き飛ばすしたり、地べたにふせるようにして、体で餅を押さえたり。
ああ、すみません、話を続けます。その日は、うちの両親は参加できなくて、
僕と小3の弟、それから正也くんの3人で行きました。
天気はよかったです。まず神社にお参りして少し待ってると、
境内にいる人たちがザワザワしてきて、「始まるぞ」って。
毎年同じです。社殿で神主さんが何かを読みあげてから、
3人くらいが出てきて餅をまきます。15分ほどしかかかりません。

で、餅まきが始まって、僕は餅をとるよりも、弟と正也くんがケガしないよう
気をつけてました。だからとれなかったんですが、
弟が2つもゲットしたんです。一袋2個入りで、そのままでも食べられるけど、
焼くとおいしいんですよ。でね、正也くんはとれなかったと思ったんだけど、
見ると手に餅の袋を持ってたんです。けどそれ、1個しか入ってないし、
緑色だったんです。ああ、草餅はわかります。けど、あんな色じゃなく、
もっと濃い、毒々しい緑で。それでも、今年からそういうのを混ぜたんだと思って、
「よかったね」と言って、帰ったんです。それが、うちに着くと、
正也くんが餅を持ってなかったんで、「あれ、どうしたの?」って聞いたら、
「食べちゃった」って。でも、いっしょに歩いてきたんだし、
道路で食べればわかると思うのに、まったく気がつきませんでした。

まあでも、そのときは特に気に留めなかったです。うちの母がさっそく
紅白餅を焼いたんですが、正也くんは、「なんかお腹の調子が悪い」って
食べなかったんですよ。で、夜になって、正也くんは明日帰っちゃうんで、
2階の僕の部屋に集まって、弟と3人でゲームしたりしてたんです。
冬休み中でしたから、多少遅くなっても怒られなかったし。
でね、夕方ころから雨になってたんです。それがだんだん激しくなって、
とうとう雷が鳴り出して。僕は怖くないですが、弟がすごい雷が嫌いで、
ピカッと光るたびに耳を押さえて。それで、「お前怖がりだなあ」
って笑ってたんですが、急に正也くんが立ち上がって、「お通りになる!!!」
って、強い調子で言ったんです。「え、何が?」正也くんは答えず、
僕の部屋の窓を開けました。「ああ、ダメ、雨が入ってくるから」

でも、正也くんは窓の前に立って、「来られる、来られる」と言って、
体をぶるぶる震わせました。ただごとじゃないので、僕は弟に、
「お父さん呼んでこい」って言いました。それから雨に濡れてる正也くんを
座らせようと肩をつかんだとき、稲妻が光って部屋の中が真っ白になりました。
ドーン、すごい音がして、うちの屋根全体が青白く光ったんです。
正也くんは、「ああ、通られたあ」と叫び、目をつぶって倒れました。
ええ、なんとか頭を打たないように抱きとめました。正也くんはしばらく
目をつむったままだったけど、急に目を開けて「今の見た?すごかったね」
って言いました。「見たって、何を?」 「龍だよ」・・・雷はうちの屋根に
落ちたみたいですが、被害はなかったです。あと、翌日、正也くんが帰るとき、
急に具合が悪くなって、緑色のものをゲロゲロと吐いたんですよ。

死の亀

これ、イジメの話なんです。だから聞いてて気分が悪いところがいろいろあると
思います。私が中1のとき、今から40年も前のことですよ。
私の行った中学校は、地域の3つの小学校から生徒が集まってきて、
1年のときには、勢力争いみたいなのがあって気が抜けませんでした。
ええ、今とは違って、高度成長期で生徒の数もすごく多かったんです。
幸いというか私のいた小学校は3つの中で一番大きく、
新しいクラスでも知ってるやつらが何人もいたので、
そんなに不安はなかったですけど。ただ、私は小6のときにクラス委員をやってて、
中学校の委員を決めるときに推薦されて、学級委員長になっちゃったんです。
正直、嫌でしたよ。私はクラブチームで野球をやってたので、
練習にさし障るんじゃないかと思ったんです。

案の定、朝集会の企画や司会とか、いろいろ仕事はありました。
そんな感じで2ヶ月くらいがバタバタ過ぎていったんですが、
クラスの中でイジメがあることに気がつきました。
イジメられてるのをYとしましょう。Yは体が小さくて動作ものろく、
いかにもイジメを受けやすいタイプでしたね。
イジメてたのは、A、B、Cとしましょうか。この4人ともが、私とは別の小学校の
出身でした。A、B、Cは3人とも、特に体が大きいわけでも、
勉強やスポーツができるわけでもなかったです。だから、
クラスの中でも影響力は大きくなくて、イジメるのはYだけでした。
原因はわかりません。おそらく、小学校の時からイジメがあったんでしょう。
でね、当時の学校は荒れてたんです。

その街ごとに暴走族があって、「集金」といって、中学校にも司令が回ってくるんです。
一人100円ずつ集めろっていう。ええ、中学校で中心になるのは、もちろん3年です。
でね、悪いことにAのやつが3年とつながりがついて、急に態度がでかくなりまして。
それと同時に、Yに対するイジメもひどくなりました。それまで、
昼食のパンを買いに行かせるとか、帰りにカバンを持たせるくらいだったのが、
肩のあたりを全力で叩いたり、「犬」をやらせたり。ああ、犬ってのは、
他の地域にあるかわかりませんが、私らの地域ではみな知ってます。
ボールを投げて取りに行かせるんです。校舎の隅のゴミ置き場に投げたり、
女子トイレに投げ込んだり。それをYが四つん這いになって取りに行くわけですね。
え、お前は委員長だったのに、どうして止めなかったのかって?
・・・それはねえ、当時を知ってる人ならわかると思いますが、無理だったんです。

Aは3年生のバックがついた状態だし、その上には暴走族の卒業生がいます。
あとね、担任に言うのもねえ・・・当時の担任は、大学を出てから数年の若い女の
先生でしたが、イジメを知ってて見て見ぬふりをしてたんです。
これねえ、自分に力がないと思ったら、学年主任なんかの男の先生に
相談すればいいのに、自分のクラスで問題が起きてるのを知られるのが
嫌だったんでしょうかねえ。でね、Yはとうとうイジメに耐えかねて学校に来なくなりました。
当時は「不登校」っていう言葉もなかったんです。でも、AたちはYの家まで行って、
いろいろちょっかいをしかけてたみたいです。で、新しい年の1月、
Yが自殺したんです。学校でも教育委員会でも、特に問題にはなりませんでした。
でね、私は委員長だったので、担任とYの葬式に行ったんです。
葬式は葬儀社の会館でやったんですが、祭壇の棺の横に水槽があったんです。

そんなの見たことがないでしょう。水槽には半分ほど水が張ってて、
中に何かがいるようでした。ご焼香のときにちらっと見て、亀だと思いました、
20cmほどの。やがて喪主のあいさつになり、Yの父親はかなり年配でした。
最初は参会のお礼から始まったんですが、最後にこんなことを言ったんです。
「うちの息子は自殺でした。この地域では、そういう場合 葬式はしないもの
 だとうかがいましたが、あえて行わせていただきました。
 息子は遺書を残しておりまして、3人の生徒と、大人一人の名前が書かれていました。
 ですが、私としてはことを荒立てるつもりはありません。ただ、息子が飼っていた
 ものですが、これを見ていただきたく」そう言って、水槽から亀を抱えて取り出し、
甲羅を見せたんです。そこには大きく「死」と彫られていて、
白い色がさらに上から塗られていました。

それを見たとき、隣りにいる担任がガタガタ震えているのがわかりました。
「私なりのやりかたで息子の無念をはらさせていただきます」父親がそう言って、
異様な雰囲気で葬式は終わりました。でもね、こんなことがあっても、
警察が学校に来るとか、そういうこともなかったんですよ。3月の春休み前、
クラスが解散になるホームルームですね。担任が1年間のまとめのようなことを
話してましたが、誰も聞かず騒いでました。でね、あと少しで終わるってときに、
担任が黒板を見て、「あーっ」って大声で叫びました。
「亀、亀がいる!!」いや、でも、私には何も見えませんでしたよ。

担任は狂ったように指し棒で黒板を叩きはじめ、ガタッという音とともに
A、B、Cの3人が立ち上がったんです。
3人とも、顔が真っ青で小刻みに震えてました。
ただ、そのときに何を見たのか、3人とも後になってもしゃべりしませんでした。
あと、ここから話すことはあまりないです。騒ぎを聞きつけた先生方に
担任は連れていかれ、そのまま入院になって2ヶ月後に自殺しました。
A、B、Cは自殺はしませんでしたが、それぞれ事件と事故で、
時期はずれていたものの、20歳になる前に死んでるんです。
あのYの父親が呪いのようなことをしたんでしょうか。
担任と3人は死の亀を見たんでしょうか。私にはなんともわかりません。







The lunatic is on the moon

2018.09.24 (Mon)
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今夜は中秋の名月ですね。これは旧暦の8月15日の夜の月をさします。
それが新暦でいつになるかは、毎年ずれるんですが、
今年は今日になるということです。この風習は、他の多くの年中行事同様、
古代の中国からきたものです。ただし、月を信仰する行為自体は、
日本にも古くからありました。

さて、お題を見て、ロックフアンの方なら、イギリスのプログレバンド、
ピンク・フロイドの『狂気 原題 The Dark Side of the Moon』の中の一曲、
「Brain Damage」を思い浮かべられるんじゃないでしょうか。
歌詞の冒頭が「The lunatic is on the grass」です。

月の女神ルナ
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英語で月は moon ですが、luna という言い方もありますよね。
これはローマ神話の月の女神からきています。
では、lunatic がどういう意味になるかというと、「狂った、狂気の」となります。
(名詞としても使われます)月の女神ルナは狂っていたんでしょうか?

これは、そんなことはなくて、ローマ神話では月の女神はもう一人、
ダイアナがいますね。で、ルナとダイアナは同一視されてしまい、
ダイアナの神話は数多く残っていますが、ルナに関するものはほとんどないんです。
ただ、古来から月は人間の精神に影響を与えると考えられてきました。

もう少し英語の話を続けます。「狂った」という意味の英単語は、
mad、crazy、insane などがあります。mad は「怒る」という意味で使われる
(日本だと、「キレる」という感じ)ことも多いですし、
crazy は「~に夢中」という使い方があります。
また、insane は、sane(正気の)の対義語です。

ところが、lunatic に関しては、他の意味ってほとんどないんです。
なぜなのかは自分にはよくわかりませんが、この言葉、
どちらかといえば「躁鬱」という意味が強いのかなと思います。
感情が時期によって不安定になることが、
月の満ち欠けに似ていると言うこともできそうです。  

狼男への変身
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では、月は人間の精神に本当に影響を与えているんでしょうか?
西洋では「狼男伝説」があります。狼男は、ふだんは普通の人間として生活しているが、
満月の夜になると狼に変身し、人間を襲ってしまう。また、狼男は銀の弾丸でないと
倒せないなどとも言われますが、銀は月を象徴する金属です。

さて、満月の日(新月も)には大潮になります。これは月の引力が地球に与える影響
なんですが、ここから、「人間についても月の満ち欠けによる影響がある」という説
があり、「バイオタイド理論」と呼ばれます。1984年、アメリカの精神科医、
アーノルド・L・リーバー(Arnold・L.・Lieber)が、著書『月の魔力』の中で
提唱したものです。この時代、アメリカはニューエイジ思想が流行しており、
バイオタイド理論はかなりの注目を集めました。

満月と新月の大潮
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バイオタイド理論の主な主張は、「地球の80%が海で、20%が陸であるように、
人間も80%が水分で構成されている。だから、海の満ち引きが月によって
もたらされるように、人間の体内の水分が、月によって若干の移動をすることで、
人間の行動にまで変化があるのではないか。」だいたいこんな感じだと思います。

うーん、大きく間違ってはいないでしょうが、自分から見れば、
誤解されそうな部分もあるかと思います。まず、月と地球の相互の引力は天体全体の
質量で起きるのであって、大地にも力がかかっていますが、
大地は動かず、海の水だけが動くわけです。

それと、大潮になるのは海の水に巨大な質量があるためであり、
それに比べれば、人間一人の質量は微々たるものです。  
さらに、地球上の海はつながっていますが、人間の体内の水の大部分は、
それぞれ細胞壁によって隔てられていますよね。

バイオタイド理論では、「満月の日に事件や事故が起きやすく、それが統計結果に
表れている」と主張されます。ただ・・・これについては批判も多くあります。
まずは、統計の手法があいまいだったり、結果が操作されたりしているという、
統計そのものに対する批判です。疑似科学では、
有意な結果を出すべく、複雑な統計の操作が行われることが多いんです。

また、もし統計結果が事実だったとしても、満月の日に事件や事故が多いのは、
夜が明るく、出歩く人が普段より多いためじゃないかとか、
太陰暦を採用している国では、満月の日は祭りや何かの記念日になっていることが多く、
飲酒したり、気持ちが高ぶって事件が起きることもあるだろう、とする意見があります。

「切り裂きジャック事件」
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そう、たしかに他の要因もあるので、
「満月の日に事件・事故が多い=月の引力が人体に影響を与える」
とまでは言えないと思います。この因果関係を立証するのは困難そうです。
あと、バイオタイド理論では、「切り裂きジャック事件」 「ボストンの絞殺魔事件」
などが満月の日に起きているなどとも主張されます。

しかし、満月の日に起きていない残忍な事件も、もちろんいっぱいあるわけです。
ですから、恣意的に事例を選んでいるという批判があるのは当然です。
ただまあ、満月による引力が人間の体に、計測できないレベルの、
ごくごく微量の力をおよぼしていることも、否定はできないんですよね。

さてさて、ここまで読まれて、みなさんはどう思われたでしょうか?
人間の行動が月によって影響を受ける・・・こういう考え方はロマンがありますが、
完全に信じ込むのもどうなのかなと、自分は思います。
では、今回はこのへんで。

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盗人の系譜

2018.09.23 (Sun)
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今回はこういうお題でいきますが、これ、書く気になれば、
ぶ厚い本の何冊分にもなるような内容を含んでるんですよね。ですから、
ほんのさわりを紹介するという形にしかならないと思います。
さて、「売春は世界貴古の職業」という言葉がありますが、盗みというのも、
人間の歴史が始まったごく初期からあったものと考えられます。

古代日本についての、最初のまとまった資料である『三国志』「魏志倭人伝」には、
不盗竊少諍訟 其犯法 軽者没其妻子 重者没其門戸及宗族」と出てきます。
(倭人は)盗みをせず、訴訟は少ない。法を犯した者については、
軽い場合は妻子を没し(奴隷とし)、重い者は一族を没する。

ここでは、当時の倭国は犯罪の少ない社会であったように書かれています。
中国の史書が他の蛮夷の国について記述する場合、その道徳性を評価した
内容が記載されることが多いんですね。ただまあ、
これが実際の当時の様子を表しているかどうかは、はっきりしません。

さて、やや時代が下って、古墳時代の528年、九州の地方豪族が
ヤマト王権に反旗を翻した「磐井の乱」が起こります。
この磐井の墓と見られる岩戸山古墳は全長約130m、北部九州最大の前方後円墳で、
墳丘上に多数の石人・石馬が立てられていました。討伐された磐井の墓が
残っているのは、おそらく生前から造られていたためでしょう。

岩戸山古墳の石人
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奈良時代に編纂された『筑後国風土記』には、「イノシシを盗んだ裸の罪人が
裁かれる場面を石人で現していた」と書かれています。磐井は国造(こくぞう)で、
その土地出身の裁判権・警察権を持った豪族でした。これがだんだんに、
中央集権の官である国司(こくし)に変わっていくのが、ヤマト王権の歴史です。

さて、個人として名前が通った盗賊は平安時代に出ます。袴垂(はかまだれ)
保輔ですね。この人物、藤原氏に連なる下級貴族ではなかったかと
見られています。公的な宴で傷害事件を起こして逃げ、その後も強盗を重ねて、
朝廷から、捕らえたものには恩賞を与えるという賞金首となりました。

袴垂保輔
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『今昔物語』には、袴垂のエピソードがいくつか出てきますので、
ご紹介しましょう。袴垂が金がなくなって、裸になって道で死んだふりをしていたところ、
馬にまたがった立派な武士が、大勢の家来をつれてやってきたが、
横たわった袴垂の姿を見ると、まず従者に様子を見に行かせた。

従者が戻ってきて「死人でございます」と答えると、武士は馬から下り、
弓をつがえて寝ている袴垂に向け、狙いをそらすことなく、そろそろと通り過ぎていった。
これを見た往来の人々は、「なんて臆病な武士だ」とあざ笑った。
そこへまた別の武士が騎馬でやってきて、「何で死んだのか、哀れなものだ」
と言いながら、弓の先で袴垂をちょんちょんとつついた。

すると急に袴垂は起き上がり、弓をつかんで相手を馬から引きずり落とし、
武士の刀を抜いて刺し殺し、着物や武器を奪うと、馬にまたがってどこへともなく
逃げていったという話が載っていて、最初に通りかかった武士は、
武名高い源頼光四天王の一人、碓井貞光だったということになっています。

で、この袴垂保輔ですが、捕らえられた後、牢獄の中で自殺を図り、
自分の腹を刀で突いて内臓を引きずり出し、翌日に死んだとされます。
これが、日本での最初の切腹だったという話があるんですが、
真偽のほどはよくわかりません。

石川五右衛門
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さて、日本で最も有名な盗賊というと、石川五右衛門じゃないでしょうか。
安土桃山時代、豊臣秀吉の治世の頃の人物で、辞世の句として、
「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」と詠んだとされます。
石川の浜の砂がすべてなくなったとしても、いつの世になっても盗みや盗人が
なくなることはないだろう、という意味ですが、もちろん後世の偽作と考えられます。

石川五右衛門は、歌舞伎や講談で有名になりましたが、実態はよくわかっていません。
ペドロ・モレホンという宣教師が「石川五右衛門という盗賊が、家族10人あまりと
釜茹での刑になった。その他20人ほどの仲間が磔になった」と書き残しています。
これが史実のすべてで、伊賀忍者の総帥、百地三太夫の弟子だったとか、
秀吉の持つ千鳥の香炉をねらって伏見城に忍び込んだとか、

釜の中で油が煮えてくると、自分の子を頭上にさし上げていたが、
熱くなって油に引火し釜が火につつまれると、子を沈めて死なせてしまった。
観衆が、「命が惜しくて自分の子を下にするのか」とあざ笑うと、
「馬鹿者が、子どもが苦しまないよう早く死なせてやったのよ」と答えた・・・
などなど、これらはみな、根拠のない作り話なんですね。

鼠小僧次郎吉
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あとは、鼠小僧次郎吉が有名ですか。江戸時代後期の盗賊で、
義賊伝説が残っています。盗んだ金を貧しい人に分け与えたというものですが、
そういう公的な記録はありません。これも歌舞伎で創作されたものでしょう。
ただ、次郎吉は徒党を組まず、つねに単独犯だったこと、

人を殺傷しなかったこと、盗みに入ったのは武家の屋敷だけで、
合計3000両以上を盗んだと見られることなどから、義賊としての
話ができあがったものと考えられています。次郎吉は捕らえられ、市中引き廻しの上、
打ち首、獄門となりましたが、多数の野次馬が押しかけた記録が残っていますね。

さてさて、やっぱり長くなってしまいました。こうして見ると、
袴垂保輔、石川五右衛門、鼠小僧次郎吉、3人とも捕まって刑死(自死)しています。
昔から、日本の警察力は なかなかたいしたものだったんですね。
ということで、今回はこのへんで。







食べる話 2題

2018.09.22 (Sat)
緑の魚を食べる

小学校の6年のときだなあ。いっつも遊んでる3人組がいたんだよ。
山田っていう粉屋の子と、西村ってやつ。西村は父親が勤め人だったな、たしか。
で、あるとき山田がおもしれえ話を仕込んできたんだ。
護国神社の裏にある池に、緑の魚がいるって。
ああ、小学校の男子の間で噂が出てたみたいなんだ。
で、これ聞いて興奮してね。だって緑の魚なんて見たことがないだろ。
ああ、いないわけじゃないよな。海の魚とか、あとヤマメなんかも、
体側に緑の斑点がある。けど、山田の話じゃ、そういうのじゃなく、
魚の体の内側から、緑の電灯で照らしたみたく光るってことだった。
それ聞いて、俺はお祭りのときに夜店で吊るす電球を思い浮かべたね。
「釣ったやついるのか」当然そう聞くわな。けど山田は首を振って、

「それは聞いてない」って答えたんだ。で、さっそくその日の放課後、
3人で釣竿を持って池に行ってみたわけよ。まあ、釣竿ったって、
そこらの笹竹を適当に切ったものなんだが。仕掛けは駄菓子屋で売ってるやつ。
そしたら、池のまわり中、同じ小学校のやつらがいるんだよ。
もちろん男子だけだったが。どうやら噂はかなり広まってたらしい。
同じクラスのやつもいたから、「緑の魚、取りにきたんか?
 誰か釣ったやついるか?」こう聞いたら首を振って、
「うんにゃ、俺はおとといから来てるけどザッコしか釣れん」
「見たやつとかもいねえのか?」 「聞かんなあ」
こんな感じで、人が多いわりには盛り上がってなかったんだな。
俺ら3人も、空いてる場所を見つけて釣り糸を垂れたものの、

誰もザッコ1匹釣れなかった。まあそりゃ、これだけ池のまわりがうるさきゃ、
魚だって警戒するわな。それで、暗くなってきたんでみな家に帰ったのよ。
翌日、学校で噂の出どこを確かめたけど、わからんかった。
その日も釣りには行ったよ。けど、前日の半分以下しか人はいなくて、
やはり釣れたやつはいない。で、バカバカしくなってやめた。
ただ、西村のやつはまだ心残りだったみたいで、
「日曜日、朝から釣りに来ないか」って言った。こいつ、生き物を飼うのが好きで、
家で水槽でオタマとかタナゴなんかを飼ってたんだ。
「ああ、どうせやることないから、ええよ」日曜の朝、かなり早くに集まって
池に行った。誰もいなかったな。んで、2時間ほど釣ったが、
小ブナがときおりかかるだけだった。飽きてきて「帰ろうぜ」って言ったら、

西村が、「もう1時間だけ」って粘った。でな、それからしばらくして、
少し離れたとこで釣ってた西村の声が上がった。「ああ、かかった。緑だ」
竿を放り出して行ってみると、まだ糸がついた魚を西村が顔の前に吊り下げてた。
それが、緑だったんだよ。「すっげ、すげえ」魚は、10cm少しかな。
細長くて、頭から尾の先まで緑。それも、体が透き通ってて、
その内側から緑の光がにじみ出してる感じだった。山田も来て、
「すげえ、それどうする?」って言った。けど、西村は、ピクリとも動かない
魚を目の前でゆらゆら揺らして・・・ばくっと食っちまったんだよ。
「あ、何する!」 「吐き出せ!」俺らは口々に叫んだが、西村はもう一口、
魚の残った半分も食っちまった。それから急に我に返ったように
「ああ、俺、食っちまったなあ」って言ったんだよ。

でなあ、今思い出してみても変なのは、西村が最初の半分を食ったとき、
魚は暴れもしないし、血とかも出なかったことだ。それに、骨や鱗があると
思うんだが・・・ 俺が西村に「なして食った?」と聞いたら、西村はのんびりと、
「ああ、あの魚な、見てたら練り切りみたいでうまそうでなあ」こう答えたんだ。
練り切りってわかるよな。結婚式の引出物で出る、鯛の形をした菓子だよ。
たしかに、あの魚の色艶は、緑なのをのぞけば似てた気もする。
その日はもう何も釣れず帰った。その後、西村が病気になったなんてこともない。
小学校卒業まで、池にはもう何回か行ったが、緑の魚は釣れなかった。
で、中学校進学のとき、西村は父親の仕事の都合で転居し、
県庁所在地の市の学校に行った。やつから手紙とか来なかったし、
俺も部活で忙しくなって、西村のことはすっかり忘れてたんだ。

でな、中3のときに、新聞に西村の名前が載った。やつは市の中学校で
水泳部に入ってて、県の大会で優勝し、全国大会でも2位に入ったって記事。
俺と山田は、「これ、あいつだよな、すげえな」こんな話をした。
けど、それから西村が活躍したってニュースもなかったんだ。で、さらに時がたって、
俺らの成人式のときだな。田舎だから盆の時期にやるんだよ。俺はその頃はもう就職してて、
羽織袴で出席した。でな、西村を見かけたんだ。背がひょろ高くなってたが、
顔は小学校のときとほとんど変わんなかった。式の後に近づいてって、
「西村だよな、俺のこと覚えてるか?」って聞いたら、「ああ」って一言。
それから言葉が続かなかったが、「お前、水泳で活躍してたよな。新聞で見た」
そしたら西村は、「水泳は目をケガしてやめた。こっちの目から緑の魚が出てきたから」
そう言って、自分でぐいっと指を突っ込んで、義眼をつまみだして見せたんだよ。

婆さんを食べる

俺は婆ちゃん子だったんだよ。俺が小3の頃、婆ちゃんはまだ60代だったはず。
で、お盆の最中で、テレビで怖い話をやってたんだよな。
あの頃は、再現ドラマとか言って、気味悪い音楽つきで幽霊の特集とかしてた。
それを見てしまった俺はすっかりぶるって、婆ちゃんにいっしょに寝ようって言ったんだ。
当時、爺ちゃんはもう死んでいなくて、婆ちゃんは一人で自分の部屋で寝てた。
その布団に俺がもぐり込んで寝ることも、ときどきあったんだよ。
でな、婆ちゃんが部屋に行くときにいっしょについていった。
婆ちゃんの部屋は縁側に近く、きれいに蚊帳を吊り回してた。
昔だからエアコンなんてないし、雨戸を開けてないと暑くて寝られたもんじゃなかったんだ。
婆ちゃんと布団に入ったとき、俺はテレビのシーンを思い出して、
「婆ちゃん、幽霊っているんかな。俺、怖いよ」って言った。

そたら婆ちゃんは、「心配ない。幽霊はいるかもしらんが、出てきたら婆ちゃんが
 食ってやるから」って笑ったんだよ。俺はすぐに寝入ったが、
その日はスイカ食ったり、サイダー飲んだりしてたんで、
夜中に便所に起きてしまった。で、一人で行くのは怖いんで、
婆ちゃんを起こそうとしたら・・・蚊帳の外に何かがいたんだよ。
最初わからなかったが、だんだん目が慣れてきて、
婆さんが座って、蚊帳の中をにらめてるんだってわかった。
俺はびっくりして小声で「婆ちゃん、蚊帳の外にだれかおる」そう言って、
婆ちゃんを揺すった。そしたら婆ちゃんは起きてて「わかっちょる。さっきから迷った者が
 来ておるなあ」って言った。それから、蚊帳の外を向いて、
「およねさんやあ、あんた、わしがなんぼ憎いゆうても、

 もうたいがいにせいよ。あんた3年も前に死んどるんやから」
それ聞いて、「死んでる」ってとこだけ耳に入った俺は、婆ちゃんに抱きついて、
「幽霊なんか? 怖い、怖い」って言った。
婆ちゃんは、「大丈夫じゃ。今、話つけちゃるから、お前は動かんでな」
俺を手で布団に押しつけて、そろそろと起き出して蚊帳を手でたぐり上げた。
「死んだもんは死んだもんだ。なんぼお盆やても、たいがいにしとき」
婆ちゃんが顔を蚊帳の外につき出してそう声を出したとき、
外にいた婆さんの形がぶわっと崩れて、霧のようになって婆ちゃんの顔にまとわりついた。
「げほん、ごほん、げほん、げほん」婆ちゃんはしばらく咳き込んでいたが、
幽霊の姿はなくなってたんだ。婆ちゃんは自慢げな口調で、
「どうだ、幽霊を食ってやったぞ」俺にそう言った。

その後に、ばあちゃんと便所に行ったが、おかしなことはなかったよ。
でな、朝になって、大きな声がして目を覚ました。俺の母親が蚊帳の中に入ってて、
悲鳴を上げてた。婆ちゃんが、目をかっと見開いたまま、
両手を布団の外につき出して死んでたんだ。
俺はずっと、その隣に寝てたってことになる。いや、婆ちゃんがいつの時点で
死んだのかはわからないよ。とにかく、その後はてんやわんやだった。
でな、これはずっと後になってわかったことだが、
婆ちゃんが「およねさん」と呼んでたのは、近くに住んでた婆さんで、
その3年前に病死してるんだが、生きてる時分、うちの婆ちゃんとはすごく
仲が悪かったらしい。いや、原因まではわからないがね。
とにかく、うちの婆ちゃんはその婆さんを食って死んじまったんだ。







イグノーベル賞2018結果

2018.09.21 (Fri)
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今回はこのお題でいきます。去る9月14日、今年度の受賞者および
受賞研究が発表されています。今回も日本人が受賞しており、
これで12年連続になるのだそうです。うーん、どうなんでしょう。
名誉と言っていいものかどうか。

まず、イグノーベル賞(Ig Nobel Prize)とは何かというと、
「1991年に創設された(人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究)に
対して与えられるノーベル賞のパロディー」とWikiには出てきます。
科学雑誌が始めたもののようですが、現在はアメリカの
大学研究者が中心になって運営されています。

賞金は特になし。年ごとに違う、価値のない冗談みたいな副賞が贈られます。
また、授賞式参加のためのアメリカへの交通費、滞在費は受賞者持ちなので、
受賞しても、式に現れない人もたくさんいるみたいですね。しかもこの賞、
核実験の実施に対してなど、皮肉として授与される場合もあるので、
そういう受賞者が自分から参加することはないでしょう。

「イグ ig」というのは、例えば「ignore 無視する」なんて言葉がありますが、
英単語につく否定的な接頭語です。アメリカは、本家のノーベル賞を圧倒的多数
受賞している国ですが、もらえたかどうかで研究者間の嫉妬や対立などもあり、
本家に対して、複雑な感情があるのかもしれません。

さて、ではさっそく今回の受賞を見てみると、日本人で「医療教育賞」
を受賞したのは、昭和伊南総合病院 内科診療部長、
消化器病センター長の堀内 朗先生。
研究は「座った状態で行う大腸内視鏡検査方法の開発」うーん、なるほど。
でもこれ、自分はけっこう重要なことじゃないかと思います。

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みなさんは、大腸内視鏡検査を受けられたことがあるでしょうか。
自分は2年前、大きな病気したときに、全身検査の一つとして受けまして、
良性のポリープが2つ発見され、内視鏡切除しています。
で、あれ、恥ずかしいし、苦しいですよね。

まず、肛門のところに穴が空いた変な下履きをはくのが恥ずかしいし、
検査は、大きな痛みはないですが、お腹の中に強い異物感があります。
さらに腸を空気でふくらませると、膨満感というのかなんというのか、
じつに嫌な苦しさがあり、検査が終わった後、大量のオナラが出ます。
自分のときは横向きに寝て、ヒザを抱えた状態で検査しましたが、
あの姿勢が本当にベストなのかどうかはわからないですよね。

日本の医療は、検査であれば、まず確実に検査結果が得られること。
次に、重篤な合併症などを起こさないことが重視されます。
これはもちろん大切なんですが、そこで止まってるんじゃないか、とも思います。
ある検査について、「もっと楽に受けることができるんじゃないか」

「もっと羞恥心を持たせないよう検査する方法はないのか」
このあたりの研究が足りない気がします。日本で女性の大腸癌患者が多いのは、
この大腸内視鏡検査を受けるのが恥ずかしいから
受けない人が多いためだ、という説もあるんですよね。

ですから、この研究のように、少しでも楽な方法を模索するというのは、
意味があると思います。堀内先生は、何通りもの方法を自分の体で試して研究し、
一番楽な形として論文にまとめたわけです。堀内先生は授賞式に参加された
ようですが、改めておめでとうございますと言いたいです(笑)。

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さて、イグノーベル賞は年ごとに10の研究に対して与えられるので、
今年は、他にどんな研究があるか見てみましょう。
【医学賞】「ジェットコースターに乗ることによって腎臓結石を取り除く」
なるほど、ビンを振って中に詰まってる物を出す感じですか。理にかなっています。

【人類学賞】「動物園で人間がチンパンジーの真似をするのと同じくらい、
チンパンジーも人の真似をしている証拠を集めた」これはそうでしょう。
人間は気づかないかもしれませんが、猿にかぎらず、動物はすごく人間のマネをしています。
小さい頃から飼ってる犬なんか、自分が人間だと思ってるかもしれません。

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【生物学賞】「ワインの専門家はワイングラスに入ったたった1匹のコバエでも
確実に匂いでかぎ分けることを示した」これ、前に書きましたが、
人間は訓練によってかなり嗅覚を高めることができます。香水の調香師、ウイスキーの
ブレンダーなんかも、信じられない能力を持ってるんです。  
関連記事 『においとオカルト』

長くなってきたので、最後にもう一つだけご紹介します。
【経済学賞】「パワハラ上司に対する仕返しとして、
ブードゥー人形を使う呪術を行うことの効果の研究」
これ、オカルトに関係ある内容です。気になって受賞論文を読んでみましたら、  
これが長くて本格的、ちゃんとした論文の体裁を備えています。

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しかし、いつまでたっても「ブードゥー人形の呪いは成功するかどうか」
についての話になりません。職場環境における精神衛生、どうパワハラを防止するか
みたいな社会学的な内容だと解釈しましたが、
まあ、自分は短時間で斜め読みしただけなので、
興味を持たれた方は、下のリンクをあたってみてください。  

「The Leadership Quarterly」

さてさて、ということで、イグノーベル賞について見てきました。
で、自分が思うのは、こういう「変な」研究を大真面目で進める学問的な余裕は
大切だということです。どんなところから、人類史を一変させるような、
画期的な成果が出てこないともかぎりません。すぐにお金に結びつく研究だけでは
ダメなんだと思いますね。では、今回はこのへんで。 

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蟹神社の話

2018.09.20 (Thu)
これはうちの祖父が子どもの頃に体験したことで、それを数十年前、
私に話してくれたものです。だから、時代も100年近い昔になります。
なので、あんまり怖くないでしょうし、本当にあったことかもわかりません。
それをまずご承知おきください。それと、祖父が子どもの頃に住んでた村、
父が生まれた頃には町になってましたが、そこはもう過疎化が進んで、
ほとんど人が住んでないらしいです。隣村も同じです。
そうですね、私がまだ小学校前に、父に連れられて1度だけ行ったことが
あります。その当時は、父の生まれた家はなくなっていたものの、
親戚が二軒ほどありました。今は、その人たちも別の場所に越してますけども。
ええ、草深い田舎です。山がどんどん麓まで下りてきて、
さまざまな植物に覆いつくされていくみたいな。

これからは日本全体で、そういう場所が増えていくんでしょうね。
なかなか都市部に住んでいればわからないことです。
ああ、すみません、話を始めます。祖父が子どもの頃は、
学校は田植え休みがあったくらいで、上の学校に進学する余裕もなく、
勉強なんて一切したことがなかったそうです。
じゃあ、毎日遊び暮らしていたかというと、そうでもなく、
田植え、稲刈り・・・何かあれば農作業にかり出されたと言ってました。
あとは毎日の薪割りや水くみ。水は井戸水で、夏でも冷たいことだけは
よかったって。あとは持ち山の手入れ。ええ、山って放っておくと、
すぐダメになるんだそうですね。まず入る道がなくなってしまう。
それと、下草刈りや枝打ち。ただそれは、田んぼ仕事に比べれば面白く、

手伝うのはそう嫌ではなかったってことです。ああ、あと、
祖父は長男で、ひとつ下に妹がいて、その子がもっと下の弟や妹の面倒を
いっさんに見ていたので、それだけは助かったとも言ってました。
たしか、7人兄弟だったはずです。で、秋の日、祖父は父親、
つまり私から見れば曽祖父に連れられて、山仕事に出かけました。
といっても、これから冬枯れに向かう時期ですから、
肉体的につらい仕事はなく、キノコ採りが中心の楽しいものだったそうです。
で、午前中、ヒラタケやマイタケをカゴいっぱいに採って、
昼の休みになりました。祖父は握り飯をすぐに食ってしまい、
単独行動に出かけました。サルノコシカケを探すつもりだったそうです。
ええ、あれは薬になるってことで、当時は高く売れたんです。

祖父の父親が町で売るんですが、その後には、祖父も多少の小遣い銭が
もらえたそうで、前に見つけたところを覚えていて、
どんどん山の斜面を下りていった。けど、その場所にはもう生えてなかったそうで、
しかたなく周囲をぶらぶらしてると、谷に下りていく小道を見つけました。
「あれ、こんなところに道があったか」そう思って、躊躇せず下りていきました。
前に来たのは春だったから見つけられなかったのか。どんどん下りていくと、
道は細くなり、杭を立て回して鉄条網を張った箇所に出ました。
それ見てね、祖父の心にむらむらとわきおどるようなものが・・・
あの、爆弾三勇士ってご存知でしょうか。日中戦争のときに爆弾を抱え、
自爆して鉄条網を突破した3人の兵士・・・祖父の子供の頃はそういう
勇ましい話ばっかりで、「これ、乗り越えてやろう」そう考えたそうです。

でも、まさか爆弾を持ってるわけはなく、くぐり抜けも飛び越えも無理。
少し考えた祖父は、長い倒木を何本も拾い集め、立てかけて斜めの橋をこさえたんですね。
その上を器用に上って、ケガをすることもなく向こうに降り立った。
で、人ひとりが通れるほどの道をしばらく進むと、急に目の前が開けて、
崖に出たそうです。ええ、かなりの高さで、下はずっとクマザサの茂みが広がってて、
その中に、建物の屋根みたいなものが半分ほど見えました。
それはなかり朽ちていて、大きなものではなく、ちょっとしたお堂ほどで。
下には下りようがないので戻ろうとしたとき、「チッチカ、チッチカ」と、
瀬戸物を打ち鳴らすような音が聞こてきました。「ん?」
チッチカ、チッチカ、チッチカ、チッチカ・・・それを聞いていると、
祖父は自分が何をしてるのかわからなくなり、下の茂みに飛び込んでいきたい、

その思いで心の中がいっぱいになって、崖を飛び降りかけたとき、
首根っこをつかんで引き戻されたそうです。「こんガキ、何をやっちょる」見ると、
鉄砲を持ったヒゲだらけの男で、われに返った祖父は、
「ああ、隣村のマタギだ」そう思いました。マタギというのは里に住んで
集団で狩りをする猟師で、祖父は前に何度か見かけたことがあり、山住みの者とは違って、
怖いもんだと思ったことはなかったそうです。「お前、もうすぐ落ちるとこだったぞ」
そう言われて祖父は下を見ました。たしかに高さはありましたが、
地面はササが生い茂り、そう大きなケガをするとも思えませんでした。
そのときまた、例の「チッチカ、チッチカ」という音がして、それを聞くとマタギは顔をしかめ、
「おお、蟹どもがさわいじょる」と言い、「カニって何ぞ?」祖父が聞くと、
マタギは祖父をしげしげと眺め、「お前、齢なんぼになる?」と聞いてきたそうです。

祖父は「十(とお)だあ」と答えました。これ、満にすると9歳です。
マタギはにやりと笑い、「十かあ、なら聞かしてもええだろ、まあ座れや」
草を踏み固めて祖父をそこに座らせ、こんな話を始めました。「あの屋根な、蟹の神を祀る神社だ」
「カニの神?」 「んだ。流行り病って知っちょるか?」 「ああ、熱出るやつか」
「んだ。熱出たり腹下したりする」 「それがなした?」 「おらが村ではな、
 流行り病が出ると、蟹の神に蟹子をたてまつる」 「カニコ?」 
「ああ、両親(りょうおや)とも疫病で死んだ子どもだ。親類縁者がいなければ村で育てる。
 でなあ、流行り病の兆候(しるし)が見えるとな、その子の出番だ」
「カニコは何をする?」 「良い着物を着せられてな、良い物を食わせられる」
「ええな、で?」 「病が広まるまであまり時間がないからな。もてなしをするのは2晩だけだ」
「んで?」 「下の神社な、こっちは後ろ側なんだ。木の枝が重なって見えねえが、

 向こう側はもう少しゆるい坂になっちょる」 「・・・・」
「でなあ、蟹子はよい着物のまま、裸馬に乗せられる」 「んで?」
「その姿で、村の隅から隅、辻から辻、街道へ出るとこまで
 村長から神主から、村の主だった者が総出でついて練り歩く」
「ほう」 「でな、蟹子は齢にもよるが、わけもわからずニコニコしててな。
 それから村の氏神神社で祝詞を受ける。で、この場所に来て、
 裸馬から下ろされ、蟹の神社の前に落ちるよう、坂を投げ落とされるわけよ」
「ひでえな。そしたら どうなる?」 そこでマタギはちょっと考え、
「話しても信じねえだろうからなあ」そう言って、傍らに置いてあった袋から、
毛が白くなりかけの野兎をつかみだしたそうです。
「まあ、これだけ離れとれば障りもあるまい。よく見ちょれ」

マタギは耳を握った兎をぶんぶんと振ると、最後はふうわりと、下の屋根めがけて
投げ下ろしました。わら屋根の上で兎は軽く弾み、
そのまま、しなりと寝そべるようにうち伏せました。「さあ、来るぞ」
マタギが言い、またしても「チッチカ、チッチカ」という音。
神社のわら屋根から青いハサミがいくつも出てきたんだそうです。カニのハサミに見えました。
でも、カニの本体は姿を見せず、神社の屋根の上に、兎を取り囲むように
百本以上のカニのハサミが生え、互いにぶつかり合いながら、
兎の毛皮を切り刻み始めたということでした。「チッチカ、チッチカ、チッチカ、チッチカ」
赤い色が見えたとき、祖父は「うええ!」と言って立ち上がり、そしてそのまま、
後ろを見ずに逃げ出しまして。背中で、マタギが高笑いしているのが聞こえたそうです。
祖父は走りに走り、鉄条網のところまで戻ると、

それを無理やり乗り越えたため、あっちこっちに傷をつくって父親らのいる場所に戻りました。
父親が「なした?」と聞いても答えられず、ずっと息を切らせてましたが、
やっと「マタギに会った」とだけ言ったそうです。
「・・・ほうか、マタギか。お前をからかってきたんじゃろ?」
「ああ」 「向こうの村の山へは二度と入るんじゃないぞ」 「わかった」
それで会話は終わり、もう何かを聞かれることはなかったそうです。
祖父はこんなことを言ってましたね。「たしかになあ、当時は流行り病は誰もが怖れとった。 
 でもなあ、村ではカニの神社とか、カニコとか、そういう話は聞いたことがない。
 隣村の秘事だったんだろうか。それとも、あのマタギが俺をからかったのか。
 それにしてもなあ、あの青いハサミを見たのはたしかなことだよ」ま、こんな話だったんです。
いや、私にはわかりません。判断はこちらのみなさんにおまかせしますよ。







江戸の隠居パワー

2018.09.19 (Wed)
今回はこういうお題でいきます。オカルトとはあまり関係のない内容です。
スルー推奨かもしれません。前に少し書いたんですが、
自分は最近、「江戸学」というのを勉強していまして、
その関係の本が目についたら買って読むようにしてます。

なぜこれを始めたかというと、江戸の絵師、鳥山石燕の「妖怪」を読み解くにあたって、
江戸時代全般に関する知識がどうしても必要だと気がついたからです。
で、少しずつうんちくが増えていくと、これが妖怪やオカルトを
抜きにしても面白いんですね。江戸時代には、それ以前を全部合わせた
何十倍、何百倍もの文献資料が残されているんです。

さて、「隠居」といえば、落語の長屋物で住人の八五郎や熊五郎が、
何か困ったことがあれば相談に行くのが、「裏のご隠居」です。ご隠居は、
知恵者だと思われてましたが、どこかズレたところもあって、
だんだん話がおかしくなっていくというのが、定番の筋ですよね。

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ところで、明治から戦前までの旧民法に「隠居」という公式な制度があったのを
ご存知でしょうか。これは戸主が生前に、自分の意志で家督を他の者に
譲ることで、原則として満60歳以上でしたが、
戦後になって、戸主制とともに廃止されました。

さて、江戸時代にはさまざまな文化が花開きましたが、その担い手の多くが
「ご隠居」によるものだったんですね。ご隠居には裕福な町人もいましたが、
大部分は武士身分だった人物でした。当時の武士のほとんどは、
早く隠居することが念願だったんです。

江戸時代の平均寿命は、はっきりした統計は出ませんが、30歳から40歳の間
くらいだったと考えられます。現代から見ればずいぶん短いですが、
これは乳幼児死亡率が高かったためと、定期的に疫病の流行があったこと、
結核が不治の病だったことなどのせいで、
50歳を超えてしまえば、それから長生きする人も多かったんです。

戯作者の井原西鶴は52歳で亡くなっていますが、『日本永代蔵』の中で、
「45歳くらいまでに、一生困らないだけの財産を溜め込み、
その後は面白おかしく遊び暮らすのが、理想の人生ってもんだ」みたいなことを
書いています。ただ、西鶴の場合、45歳からの時間はあまりなかったようですが。

井原西鶴
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さて、当時の幕臣あるいは藩士でも、お役目(仕事)はなかなか大変でした。
例えば「お畳奉行」という役職についていたとして、仕事はまあ畳替えのとき
しかありません。畳替えなんて、そう頻繁にやるもんではないので、
基本的にヒマでしたが、仕事がないからといって家で休んでいるわけにもいかず、
毎日ではないものの、お城に出仕して座っていなくてはなりません。

勝手にタバコを吸ったり、足を崩したりなんてできないんですね。
で、お城勤めをしてると、上役や同僚の冠婚葬祭、盆暮れのつけとどけ、
回り番で開催する慰労会など、けっこうな金と時間がかかり、
気づかいも多かったんです。しかも、大きな落ち度があれば切腹です。
なんかこれ、現代のお役所と似ている気がします。

ですので、後継ぎの心配のない武士は、とにかく早く家督を譲って隠居したいと
考えてました。俳人の松尾芭蕉は、36歳で隠居し俳諧の選者を始めました。
弟子たちには、40代でもう「芭蕉翁」 「翁 おきな」などと呼ばれてたんですが、
まあこれは、尊敬の意味もあるんでしょう。
今の40代なんて中堅バリバリですので、隔世の感があります。

葛飾北斎の「於岩」
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ただ、人間、自分が何歳まで生きて死ぬかはわからないので、
隠居前に「これで十分だ」と思えるだけの金を貯め込むのは至難でした。
ですから芭蕉のように、自分の好きなことをやって、しかも人に尊敬され、
金も入ってくるというのは、理想の隠居生活だったんです。

現代でも、「貧困老人」なんて言葉があり、週刊誌を見れば、
老後の資産運用などについての記事がたくさん出ています。
悠々自適の生活というのは、今でもなかなか難しいものです。ですから、
江戸の隠居たちは、現役時代よりもはるかに頑張って、
歴史に残る仕事をした人が多いんです。

例えば、伊能忠敬は49歳で隠居した後、千葉から江戸に出て晩学で測量を学び、
日本各地を歩いて72歳まで測量を続け、「日本全図」を完成させています。
また、浮世絵師の葛飾北斎は90歳まで生きて亡くなりましたが、
最期の言葉が、「あと5年生きられたら、真の画工になれたのに」だったそうです。

伊能忠敬
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この他、長生きした人では、読本作家の滝沢馬琴が82歳、
医師・蘭学者で『解体新書』を翻訳して名を上げた杉田玄白が85歳、
『養生訓』で有名な儒学者の貝原益軒も85歳。
益軒なんかは、今でいう健康法の元祖みたいな人ですが、
自分が書いた「腹八分目」などの訓戒を、しっかり守っていたんでしょうね。

貝原益軒
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また、彼ら隠居は、年取っても子どもの世話になることを潔しとしませんでした。
『翁草』という、200巻を超える膨大な随筆を、京都町奉行所を引退してから
書いた神沢杜口という人は、89歳まで生きましたが、
子どもたちと同居することはせず、雑踏の中でひとり暮らすのを楽しみました。
孤独死なんて怖れてはいなかったんですね。

さてさて、年金の支払いが基本65歳からとなり、その分、再雇用や、
定年延長の話が出てきています。ですが、日本人男性の健康寿命って
72歳くらいなんですね。65歳で定年して、あと7年しかありません。
自分は自由業なので まあ関係ないですが、みなさん、65歳まで働きたいですか?
このあたりのことも、江戸時代から何か学べるんじゃないかという気がします。
では、今回はこのへんで。

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イレズミの話

2018.09.18 (Tue)
今回はこういうお題でいきます。ニュースで、格闘家であった
山本 KID 徳郁氏が亡くなられたという話が出て、情報が錯綜していたんですが、
どうやら胃癌で、2年ほど闘病を続けておられたようです。
ネットでは「イレズミのせいだ」みたいなレスが多かったですが、
まあ、さすがにそれは違うだろうと思います。ご冥福をお祈りします。

何で「イレズミ」と書いたかというと、使われる字がたくさんあるからです。
文身、紋身、刺青、彫物、入墨、紋々・・・当て字が多いですが、
これみんな「イレズミ」と読むんですよね。
ただ、どんな場合にどの字を使うという、厳密な区別があるわけではないようです。

土偶と埴輪の文身 クリックで拡大できます
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さて、イレズミは日本には古代からありました。
卑弥呼や邪馬台国のことが書いてある『三国志』の「魏志倭人伝」には、
男子無大小 皆黥面文身(中略)文身亦以厭 大魚水禽(中略)
 諸國文身各異 或左或右 或大或小 尊卑有差」と出てきます。

「男子はみな顔と体にイレズミをしている。イレズミによって(水に潜ったときに)
危険な魚の害を避けることができる。倭の各国のイレズミはそれぞれ異なっており、
大きかったり小さかったり、右にあったり左にあったりするのは、
身分の尊卑の差を表している」だいたいこんな意味になるでしょうか。

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顔にしているイレズミを「黥面 げいめん」。
体にあるものを「文身 もんしん」と考えればいいかもしれません。
このあたりの記述からは、倭国の風俗が南方よりであること。
また、身分の差の大きい階層社会であったことが読みとれそうです。

邪馬台国は3世紀の話ですが、それ以前の弥生時代、縄文時代の土偶にも、
イレズミをしているとみられるものは多数あります。あの、宇宙人説もある
青森県出土の「遮光器土偶」も、全身にイレズミをしている姿だという
説があるんです。自分もまあ、宇宙人説よりは信憑性があると考えています。

さて、イレズミは古墳時代の埴輪にも多く見られ、あたり前の風習だったようですが、
だんだんに少なくなっていき、6世紀頃には一般的な貴族はイレズミをしなくなって
いたと思われます。顔にイレズミをした聖徳太子とか天智天皇とか、
さすがに、想像するのが難しいですよね。

で、この頃から、イレズミは刑罰に用いられるようになりました。
『日本書紀』の第17代履中天皇紀には、反乱に加担した阿曇野連浜子という人物に、
罰として黥面させた、という記述が出てきます。
履中天皇は、もし実在していたとすれば5世紀頃の人物と考えられます。

この刑罰としてのイレズミはこの後も長く続き、江戸時代には、
江戸、大阪では罪人の腕に、2本、3本と輪になる形でイレズミを入れ、
前科がわかるようにしていました。このイレズミがある者がさらに罪を犯した場合、
刑が重くなるわけですね。イレズミの形は地方によって違い、
額に入れるところもあったようです。

刑罰としての入墨
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広島では、初犯の場合は額に「一」、2回目は「ナ」、3回目は「大」
4回目は「犬」とイレズミの画数が増えていき、5回目は死罪となりました。
さすがに前科5犯では救いようがないと見なされたわけです。こういう刑罰としての
イレズミは墨刑と言いましたので、「入墨」の字を使えばいいかもしれません。

さて、刑罰としての入墨は不名誉なものですが、江戸の職人や飛脚、
火消し、鳶職などが彫るイレズミはこれとはまったく別の、粋でいなせなものと
考えられていました。これは町人文化であり、武士でイレズミをしている人は
多くはありませんでしたが、「武家彫り」というのもあったようです。

飛脚の見事な彫物
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時代劇の「遠山の金さん」遠山景元は桜吹雪のイレズミをしていたという
話がありますよね。この真偽はわかりませんが、遠山が若い頃に
町人の侠客と交わっていたこと、町奉行になってから着物の袖を気にし、
肌を見せるのを嫌がっていたのは事実のようで、
あってもおかしくないかもしれません。

このような江戸文化としてのイレズミは「彫物」と呼ぶのがいいでしょう。
絵の図柄は、日本の神話や軍記、『水滸伝』などの中国物、
「不動明王」など仏教関係のもの、竜や虎、唐獅子や鯉などの生き物と
多岐にわたって採用され、様式化していきます。

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ここまでをまとめて、古代のイレズミは「文身」、
刑罰としてのイレズミは「入墨」、粋な文化としてのイレズミは「彫物」と
自分なりに分類してみました。また、イレズミ全般をまとめて「刺青」。
最近の洋彫りのものは「タトゥー」とすればわかりやすいですね。

さてさて、刺青が出てくる怖い話はいろいろありますが、
谷崎純一郎の書いた『刺青』が最も有名でしょうか。元浮世絵職人の主人公は、
理想の女の背中に精魂込めた刺青を彫りたいと日頃念願していたが、
ついにそれにふさわし女を見つけ、眠り薬で眠らせ、

背中にすさまじい女郎蜘蛛の刺青を彫る。すると、眠りから覚めた女は、
怖ろしい魔性のものに变化(へんげ)していた・・・というお話です。
山本KID氏も、刺青を重ねるたびに新しい自分を発見していたのかもしれませんね。
では、今回はこのへんで。

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禁食の話

2018.09.18 (Tue)
最初にお断りしておきますけど、これ、証拠と言えるものが
ほとんどないんです。ですから、全部が、私の頭の中で作り上げられた
内容なのかもしれません。それでよければ、話を始めていきたいと思います。
もうずっと前のことになります。私が大学の3年生だったときです。
夏が終わり、9月の半ばに入って、だんだんに肌寒くなってきた頃ですね。
夜の7時過ぎ、私は自転車でバイト先のカラオケ店に向かってました。
当時、週4で、8時から12時までそこで働いてたんです。
その時間、人通りが多く、私は車道の端をゆるゆる走ってたんですが・・・
道の反対側で、ガツン、ガツンという音がして、
そっちを見ると、黒いヘルメットをかぶった人が、
自分の頭を何回も銀行の壁にぶつけてたんです。ガツン、ガツン、ガツン。

「あいつ、何やってるんだ?」って思いました。その人に見覚えあったっていうか、
当時つきあってた彼です。いつもバイクに乗ってて、
私は何度も後ろに乗ったことがありました。その彼のヘルメットだし、
全体のシルエットも間違いなく彼だと思ったんです。
それで、そっちに行こうと、車通りがきれたすきを見て、
自転車で通りを渡りました。「ねえ、何やってるの」
ヘルメットごしに聞こえるよう、かなりの大声で叫びました。
そしたら、私が来るのがわかったはずなのに、彼は、
こっちに顔を向けないまま、ビルの横の路地に走り込んでいってしまって。
「変なの? 何やってるんだ?!」ちょっとカチンときました。
そのせまい路地をのぞき込むと、ガランとして人は誰もいなかったんです。

「???」バイトの時間があるので、それより先には行かず、
さっきヘルメットを打ちつけてた銀行の塀のところに戻ると、
ちょうど人の頭の高さあたりの部分に、はり紙があったんです。
そうですね、A4より少し大きいくらいで、
全体が黄色で、黒い枠で囲まれた中に、やはり黒のゴシック体で「禁食」
と書かれてたんです。ええ、銀行でそんなはり紙をするとは思えないし、
彼がわざわざそこに貼ったのか?でも、そんなことをする意味もわからないし、
なんで逃げて行ったのかも。いつも、会えばすぐに肩を抱いたりするのに。
わけがわからないまま、頭の中を?でいっぱいにして、
仕事場のカラオケ店に着きました。いつものように制服に着替え、
働き始めました。私の役割は、注文された飲食物をカラオケの個室に

運んだり、お客さんが出た後の片づけをしたりで、
何も難しいことはないものでした。で、2時間くらいして、
同僚の子と2人で、部屋のかたずけに入ったんです。私がグラス類をトレイに
乗せてると、同僚の子が食べ物の皿を重ねてましたが、
急に「ほら、これ」って言ったんです。
「え、何?」そっちを向くと、フォークをお客さんが食べ残した
盛り合わせのウインナーの一つに突き刺し、私のほうに差し出してて。
ええ、私より年下の真面目な子で、そんなことをするなんて、
ふだんは考えられなかったんです。で・・・そのマスタードがついた
太いウインナーを見たとき、一瞬「食べたい」って思っちゃったんです。
でも、それまでそんなことしたことはないし、

「何言ってるのよ」って、肩で押し返しました。するとその子は、
怒ったように眉の間にたてじわが寄って、すごい怖い顔になったんですが、
「あ、そう。じゃあ」って言って、自分でそのかなり大きいウインナーを
一口で食べちゃったんです。「!?」さっきも言ったように、
そんな行儀の悪い子じゃなかったので、頭の中が違和感でいっぱいになりました。
・・・その場はそれで済んで、その後は何もなく、時間まで働きました。
で、閉店の時間になり、着替えをして「お疲れ様でした、お先します」
って店を出ようとしたとき、マネージャーに「あ、ちょっと」
って呼び止められたんです。「はい」マネージャーは、私より2・3歳若いくらいの
男性で、何度かプライベートで飲みに行こうとか誘われたことがありましたが、
そのたびに、あれこれ理由をつけて断ってたんですよ。

だから、そのときも、そういう話なのかとちょっと構えたんですけど、
マネージャーは紙箱を出して、「これね、○○のピザ、みんなの分注文したんで、
 食べていかない」こんなことを言いました。
それで、さっきの違和感がまた出てきて・・・そんなこと、初めてでしたから。
だから「いえ、今、ちょっと胃の具合が悪くて、申しわけありません。
 ありがとうございます」こんなことを言ったと思います。
そしたら、さっきの子と同じように、マネージャーの額に縦じわが寄り、
目が吊り上がってすごく怖い顔になって私を睨んでたんですが、
ふっと元の顔にもどり、「そうか、じゃあこれ、持って帰るといい」
そう言って、ピザの箱を押しつけてよこしたんです。
・・・その箱を持っていって自転車のかごに入れたんですが、

すごくお腹が空いてました。やっぱりちょっと食べちゃおうか。
そのとき、さっきビルの塀にあった「禁食」というはり紙が頭に浮かんできて・・・
それで、ピザは箱ごと植え込みの中に捨てたんです。
自転車で走りながら、それまでにあったことを思い返しました。
「おかしい、今日はおかしい、何もかも変だ」って。
で、アパートの自分の部屋に近づいてきたんです。
すると、防犯灯の下にヘルメットの人が立ってました。彼です。
私の部屋に来て、鍵がかかってて入れないので、
待ってたんだと思ったんですが、さっきのこともあったし、
今日バイトがあるのは彼も知ってたはずです。「ちょっとさっきから何なの?」
彼に向かって、思わず大きな声を出してしまいました。

すると彼は、ヘルメットの頭を大きくブンブンと振り、
おかしな踊るようなポーズをすると、後ろを向いて走り去っていったんです。
「あ、何、待ってよ」それにしても、いつも乗ってるバイクがないのも不思議でした。
「わけわかんない」そうつぶやいて、アパートの階段に近づいていくと、
やっぱりはり紙があって、はい、前と同じ「禁食」の。
頭にきてその紙をはがそうとしてみたんですが、何というか、
壁と一体化してるみたいで、はがしようがなかったんです。
部屋に入ると、1時近くになってました。彼の携帯にメールをしたんですが、
返信はなし。風呂に入り、そしたら お腹が空いてたまらなかったので、
冷蔵庫を開けました。自炊してるので、食材はいろいろ買ってました。
何かつくろう。お湯をわかしてパスタを茹で、鶏肉をトマトピューレで炒めて・・・

そのときに、またさっきの「禁食」のはりが紙が頭に浮かんできました。
「ああ、やっぱ食べちゃダメよね」それで、ナベをかけたコンロの火をとめました。
そのとき、ドーンというすごい音がして、四方の部屋の壁が崩れたんです。
「食べろよお、何か食べろよお。ここのものを食えよう」
誰ともわからない大きな声が聞こえ、それとともに壁と天井が崩れて、
私の上に降りかかってきたんです。そこで目が覚めました。
白い光が目の中ににじんで、私は起き上がろうとしたんですが、
体が動きませんでした。「あ、気がついた。動かないで」
女の人の声がしました。そこは病院の集中治療室で、声を出したのは
看護師の人だったんです。何がなんだかわかりませんでしたが、
頭の中がひっくり返るように痛かったんです。

すぐに注射が打たれ、私の意識は再び消えました。
次に目を覚ましたとき、ベッドの回りに実家にいるはずの両親や、
高校生の妹が立ってました。私の記憶は途切れ途切れで、
なぜ病院にいるのかわかりませんでした。頭は動かすことができず、
それ以外にも体のあちこちにケガをしているようでした。
私が質問すると、「それより、今は生きることを考えなさい」
そう、医師の一人が言いました。1ヶ月以上、ずっと寝たきりで家族に介護され、
そのときの話で、開頭手術を受けたんだってことがわかりました。
やっとベッドに起き上がれるようになり、医師の立ち会いのもと、
警察の事情聴取を受けました。私は彼のバイクの後ろに乗っていて、
銀行の壁に衝突し、彼が即死していたのがわかったのはそのときだったんです。






晒しの話

2018.09.16 (Sun)
今回はこのお題でいきます。後半でグロい話が出てきますが、
まあ、あくまで噂話ですので、そのつもりでお聞きください。
さて、晒しというのはもちろん、木綿なんかを漂白した、ヤクザ映画で高倉健さんが
腹に巻いている布のことではなく、ここでは刑罰の一種を指します。

この言葉、現在でも使われますよね。ネット用語で「晒し」といえば、
対象者の住所氏名、電話番号なんかの個人情報をネット上に公開して、
第三者の攻撃目標にしようとする嫌がらせのことです。
当然ながら、これは違法になりますのでご注意ください。

鋸挽
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で、この元になったのが、江戸時代の刑罰であった「晒し」です。
罪人の名誉や社会的地位を奪う目的で、一定の手続きのもとで公衆に晒すことを
言いますが、日本だけではなく、世界各国で行われていました。
公開処刑というのも、晒しの一種といっていいかもしれません。

獄門
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江戸時代の晒しは、基本的には「生き晒し」でした。
生きたまま日本橋高札場にある柱に縛りつけ、見物人に晒すんですね。
また、市中引き回しというのもありました。これらは付加刑で、
この後、罪状に応じて「磔」や「鋸挽 のこぎりびき」の死刑にされるわけです。

また、死後も死体をさらされる「死に晒し」もあり、
首だけを晒されるのが「獄門」です。また磔された死体も、獄門と同じく
3日間にわたって晒されるのがきまりでした。これらの死体は、遺族に下げ渡される
ことはなく、試し斬りに使用され、その後 解体されて薬として売られたりしました。 


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あと、死体に対する刑罰も行われ、例えば未決の罪人が獄中で死んだりした場合、
死体は桶に塩漬けにされ、仕置(判決)が出たら、取り出して磔にしたりしてました。
19世紀に乱を起こした大塩平八郎は、隠れているところを捕り方に囲まれ、
自ら爆死していますが、幕府はそのズタボロの遺体を塩漬けにして保存し、
わざわざ大阪の飛田刑場で磔にしているんです。

さて、ここから本題に入ります。前に「死体保存法」について書きましたが、
そのときに「プラスティネーション」という方法をご紹介しました。
死体を構成している水分と脂肪分を、プラスチックなどの合成樹脂に置き換えるもので、
ドイツ人のグンター・フォン・ハーゲンス博士により考案されました。 

関連記事 『死体保存の方法』

で、この方法で処理された死体は、「人体の不思議展」として、
世界各国で興行、展示されました。死体を加工する工場は中国大連市にあり、
現在でも、大量の死体標本が製造されています。これらの死体の入手先は不明ですが、
死刑囚のものが使われているのではないかとの噂があります。

下の画像をご覧ください。妊婦の死体を加工して「人体の不思議展」に展示されたもので、
腹中に胎児の姿が見られますよね。常識的に、いくら中国でも、妊娠した女性を
そのまま死刑にするとは思えないので、これは死刑囚ではないんでしょう。また、
死体を加工する際、死んですぐ、死後硬直が起きる前にポースを取らせる必要があります。

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この内容は、最初に書いたように、あくまで噂ですので、そのつもりで。
張偉傑(チョウ イケツ)という中国人女性がいまして、大連のテレビ局の
人気アナウンサーでしたが、1998年に失踪して現在も見つかってはいません。
で、この女性、当時、大連市の市長であった薄熙来
(ハク キライ)と愛人関係にありました。

張偉傑
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この薄熙来は、中国共産党の中で順調に地位を上げていきましたが、
2012年、イギリス人実業家の殺人事件に端を発した「薄熙来事件」によって失脚、
多額の賄賂による蓄財も明るみに出て、公職追放され、
刑事訴追されて無期懲役の判決が確定しています。

法廷に立つ薄熙来 薄は180cmをかなり超える長身で、中国当局は、
後ろの警備員をバスケ選手にして、背を低く、みずぼらしく見せているそうです。

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前述の張偉傑ですが、失踪前には薄熙来と愛人関係にあることを
マスコミに公言していて、妊娠8ヶ月だったんです。
で、これらのことは当時の薄熙来の妻であった、
谷開来(コク カイライ)の神経を逆なでしたことは想像に難くないですよね。
谷は米国で名を馳せた弁護士で、大連の死体加工工場に資金を提供していました。

この人、かなり怖い人物で、イギリス人実業家の殺人事件にも深く関与しています。
また、中国の宗教団体である法輪功弾圧に、夫とともに関わったとも言われます。
「人体の不思議展」は1995年から始まりましたが、
「薄熙来事件」が起きた2012年に、閉幕と事務局の解散が宣言されています。

この年、中国のネットである噂が流れ始めました。「張偉傑は、失踪時妊娠8ヶ月、
人体の不思議展の呼び物の妊婦の死体も妊娠8ヶ月、顔がそっくり、特に唇の形が、
加工工場は大連、元市長の妻が工場の出資者で、妊婦の死体のDNA鑑定を拒否している」
などなど。・・・みなさんは、どうお思いになりますでしょうか。

さてさて、現代日本では、死刑者の遺体はもちろん遺族に引き渡しになります。
死体に人権はないでしょうが、単なる物体ではなく、尊厳はあるはずですね。
そのような考えから、日本の刑罰から晒しはなくなったんです。
では、今回はこのへんで。





「若返り」あれこれ

2018.09.15 (Sat)
今月7日付の英紙「The Daily Mail」によると、加齢が原因となる病で苦しむ
患者に、若者の血液を輸血する例が増えているという。まるでヴァンパイアが
若さを保つために乙女の血を求めるかのような野蛮な行為にも思えるが、
最近の科学的な研究でも次第にその効果のほどが明らかになりつつあるという。

英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの遺伝学者リンダ・パートリッジ氏らが
今月、科学誌「Nature」に発表した論文によると、
若者の血液の輸血によって、ガンや認知症、心疾患などの病に苦しむことなく
人生を送れることを示唆するデータが出ているそうだ。

パートリッジ氏らによるマウス実験では、若い個体の血液を輸血された
老齢のマウスは、加齢による病気を発症せず、認知機能を高く維持していたのに対し、
逆に老いた個体の血液を与えられた若いマウスは、
老化して病気になりやすくなったという。
(Rakutenニュース)

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今回はこのお題でいきます。「若返り」というのは難しい概念です。
何をもって「若返り」というのか? 多くの人は、外形的なことを頭に浮かべる
んじゃないでしょうか。つまり、白髪がなくなり、しわやシミが消え、
みなさんが20歳のときのようなみずみずしい外見に戻る。

しかし、若さ、というのはそれだけではありませんよね。
体力面のこともあります。例えば、20歳の頃はいくら動いても疲れず、
100mを11秒台で走れた。徹夜もできたし、お酒も強かった。
あの頃に戻りたいなあ みたいなことは、自分もときどき考えます。

それから、「気持ちが若い」という言葉に見るように、
精神的な若さというのもあるでしょう。若いときは失敗を怖れず、
何に対してもチャレンジできた。今は老成して、冒険ができなくなった。
ジジ臭くなってしまった、なんてことですね。

「若返り」を求める心境には、「齢をとるのはよくないことだ」という、
老化を否定する考え方があるんだと思います。これは無理のないことで、
歳をとるほど、できないことが増えてきます。関節が痛んだり、
生活習慣病になったりして、どんどん死に近づいてくいくわけですね。

「血の伯爵夫人」バートリ・エルジェーベト
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さて、上記のニュースですが、オカルトフアンなら、「血の伯爵夫人」の
異名を持つ、16世紀のハンガリー貴族、バートリ・エルジェーベトの事例を
思い浮かべる方が多いんじゃないでしょうか。彼女は後に告発され、
死刑を宣告されましたが、高い身分のために刑は実施されず、
塔に幽閉された後、1日1回だけ食事が与えられて3年半で死亡しています。

裁判で確認された殺人件数は80人ほどでしたが、実際には300人以上を殺したと
見られており、その多くは領地の若い娘で、拷問により惨殺されています。
肉体を切断したり、処刑具「鉄の処女」を使って集めた
若い娘の血を満たした風呂に入り、その肉を食べたりしたのは、
永遠の若さを保つためであったとも言われますね。

さて、若者の血を輸血するだけで、本当に若返り効果があるものでしょうか。
自分はこれ、かなり怪しいんじゃないかと思います。
日本でも「アンチエイジング」ということが言われるようになって久しいですが、
世界的に、ある物質に若返り効果が発見されたというニュースは、
毎年、いくつもが大々的に発表されます。

これって、すごいお金になるんですよね。少しでも若返り効果がありそうな研究には、
飛びついて高いお金を支払う富裕層が、世界中にたくさんいます。
ですから、大手製薬会社からベンチャー企業まで、かなりの研究費をかけて
若返り研究を行っているところがあちこちにあります。

ですが、画期的な効果があったという事例は、いまだに見られてはいません。
世界のセレブを思い浮かべてみてください。彼ら彼女らは、
若返り医薬や整形手術に多額のお金をつぎ込んでいますが、
いくつになっても化物のように若いという人はいないですよね。

実際、上記の「若者の血の輸血」についても、科学ニュースメディア「Science Daily」
によると、高齢者(平均66歳)に17~20歳から提供された血液が輸血された場合、
40~50歳から提供された血液の場合に比べ、輸血単位あたりで8%、
死亡のリスクが高かったという調査結果が報告されたりもしているんです。

プエルトリコのポンセ・デ・レオン像
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さて、話変わって、「若返りの泉」の伝説は世界各地にあります。最も有名なものは、
16世紀、スペイン人の征服者の一人、ファン・ポンセ・デ・レオンが
探したとされるものでしょう。この人物、日本ではあまり知られていませんが、
彼が現在のプエルトリコを征服した際、現地の人々から、
北アメリカにあるという若返りの泉の話を耳にしました。

征服を重ねるたび、どんどん物質的に豊かになっていったポンセですが、
肉体の衰えを感じ、泉を探し求めてフロリダ半島に初上陸します。
伝説では、彼はついに泉を見つけることはできず、先住民族との戦いで毒矢を受けて
死亡します。彼が最初に上陸したフロリダ州セントオーガスティンには、それを記念し、
「若返りの泉 国立遺跡公園」が作られました。この話、アメリカではかなり有名なんです。

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この他、世界の「若返りの泉」伝説ですが、じつは、若返ることによって幸せになった
という話ってあんまりないんですよね。日本の「若返りの水」の民話では、
最初にじいさんが若返りの泉を山中で見つけ、20歳の青年になって家に戻ってきた。
そこで、ばあさんが場所を聞いて山に出かけるものの、いつまでも帰ってこない。

じいさんが探しに行くと、泉のほとりで赤ん坊の泣き声がした。
ばあさんが、もっともっと若くなりたいと泉の水を飲み続けた結果、
とうとう赤ちゃんに戻ってしまったんですね。しかたなく、若者のじいさんは、
赤ん坊を一人で育てなければならなくなった・・・こういう結末でした。

松尾芭蕉
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さてさて、「老いを受け入れる」というのは、大切なことだと思います。
それは、自然の摂理を受け入れることでもあります。江戸時代は平均寿命が短く、
俳聖、松尾芭蕉は50歳で亡くなっていますが、40代で「翁 おきな」と門人から
呼ばれました。芭蕉は老境の中で「わび・さび」の美意識を構築していきましたが、
齢を重ねることによって、見えてくるものもあるんだと思いますね。
では、今回はこのへんで。

『若返りの泉』部分 ルーカス・クラナッハ 
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バイトをする話

2018.09.14 (Fri)
工業高校を卒業して、実家を出て自動車修理の会社に就職したんです。
そこで10年近く働いたんですが、運の悪いことに、
つぶれちゃったんですよね。しかたなく再就職を探したんですけど、
なかなか見つからなくて。でも、ある会社で期間工を募集してるのに
申し込んだら採用されて。それでひとまずほっとしたんですが・・・
ほら、期間工って、最初に会社で健康診断を受けさせるじゃないですか。
そのレントゲンで、肺に影があるって言われて、
要生検になっちゃったんです。いや、自覚症状はなかったんですけども・・・
それで、大きな大学病院に行ったら、肺癌って診断だったんです。
タバコは吸ってないんですけどね。それで仕事のほうはパーになっちゃいました。
困りましたよ。肺癌ですからねえ、まだ死にたくないです。

けども、治療するとなれば金がかかるでしょ。
貯金はあったけど、わずかなもんでしたから。それで、癌っていろいろ検査する
じゃないですか。そこの大学病院で、脳のMRIと、骨シンチってのを受けたんですが、
悪いことに、どっちにも転移しちゃってたんです。
ええ、ステージⅣってやつです。だから、手術はできなくて抗癌剤治療しかないって。
でも、抗癌剤で癌が治るってことはないんでしょ。
すごいお金がかかって、それで運が良ければ数ヶ月延命するだけ。
ああ、ツイてないなあって思いました。まだ30歳になったばかりですから。
もちろん結婚とかもしてませんし。これで死ぬんだなあと思うと やるせなくてね。
その診断を受けた日、川の近くにある公園でぼーっとベンチに座ってたんです。
そしたら・・・後ろから急に話しかけられて、驚いてふり向きました。

爺さんでしたね、70歳過ぎてるくらいの。異様にやせてて背が高く、
まつげが真っ白で長かったのを覚えてます。あと、妙に古臭い黒の背広を着てましたね。
その爺さんが「なにか困ってるようだね」と言ってきたんで、
「ええ、まあ」って答えたんです。詳しいことを説明する気にはなりませんでした。
まあ、向こうもそれは聞かず、「もしヒマがあるなら割のいいアルバイトをしないかね」
こう言ってきたんです。「え、どのくらいの期間ですか?」
「そうだな、3日、4日かな」 「割がいいって?」 「20万払うよ」
これってすごくないですか。4日だとして1日、5万ってことになります。
ほら、治療費の足しになるじゃないですか。だから「話を聞かせてください」
って言ったんです。でも、その場では爺さんは詳しいことは教えてくれなかったんです。
「体を使う仕事だけど、肉体的にキツイってことはない。

 もちろん、法律に違反するようなことでもない」それで、「やります」って言いました。
そしたら爺さんは、明日の夕方5時に○○駅の北口を出れば、
この印のいついたバンが待ってるからって、一枚の紙を渡していなくなっちゃったんです。
で、翌日行ってみました。そしたらね、10人以上乗れるワンボックス車がいて、
車体の横にそのマークがついてて。俺が前に行くと、運転手が目で合図をして、
スライドドアを開けてくれたので、乗り込んだんです。
中には俺の他に7人人がいました。みんな男で、年齢はバラバラ、
俺より若そうな人も一人いたけど、50代くらいの人が多かった。
でね、運転手が「バイトの人ですね?」って聞いてきたから、「そうです」って答えました。
車は出発し、2時間ほど走って隣の県との境にある山地に入りました。
林道の途中で車は停まって、一人ひとりにヘッドランプとシャベルが渡され、

運転手が先に立って山道を登ったんです。その運転手は若かったですね。
俺と同じか、もっと若いくらい。すっかりあたりは暗くなってて、
誰も話をする人はいませんでした。山を登ったのは15分くらいかな。
傾斜もそんなではないし、キツイということはなかったです。
だから高さもせいぜい数百m程度のとこだったんだと思います。急にね、
足元が岩場になって、巨大な岩が重なり合ったような場所でした。
その裂け目の一つに、運転手が入っていき、俺らが続いたんです。
半洞窟って言うんですかね。天井は岩だけど、向こう側まで穴が通ってるんですね。
岩壁は、ヘッドランプの光があたると銀色に輝いてました。
そこの中央がちょっとした広場になってて、50cmくらいの石が円を描いてました。
俺、学がないんでよくわからないですけど、

ストーンサークルってののミニチュア版みたいな感じ。「どのくらい?」って、
バイトの一人が聞くと、運転手は「さあ? これを掘るのは1400年ぶりくらいですから、
 私もわかりませんけど、そんなに深くはないでしょう。何か出たら光るからわかります。
 強く掘っても大丈夫ですから」そんなことを言って、俺らは、
囲んでる石の内側に散らばって、めいめいが中央を目指して掘り下げていったんです。
土は固かったですけど、10分ほど掘ると、土の中からじんわりと、
白い光が立ち上ってきて・・・一人のふり下ろしたシャベルが、
ぼよんという感じで何かにはね返されたんです。運転手が「ああ、出ましたね。
 あとは土をのける感じで」でね、だんだんに白い光を放つものが出てきたんです。
うーん、蚕のマユというのがいちばん近いですかね。
長さ1m半くらいのだ円形のマユです。銀色の極細の糸で編まれてるように見えました。

それが強靭で、シャベルの歯を弾力ではじくんです。
すっかりまゆの形が出てくると、運転手は「ここからのことは他言しないでください」
そう言って、俺らを下がらせ、スーツの内ポケットから白木の刀を出したんです。
さやを抜くと、マユに馬乗りになる姿勢で、一文字にすーっと切れ目を入れ、
裂けた部分を両手で広げて・・・中に何があったと思います?
子どもですよ。5歳くらいかなあ、小学校前くらいの男の子、
それが固く目をつぶって横たわってたんです。いや、死体ではないと思います。
色は白かったけど、頬は赤みがありました。あと、身につけてるものは、
神主が着てるのと似た白装束でしたね。うーん、1400年ぶりに掘り出した
マユから出てきた子ども・・・今思い出しても信じがたい話ですけど、
そのときはそんなに異常な感じはしなかったんです。運転手はその子を両手で抱え、

来た道を車まで戻ったんです。ボックスカーの後部には、白木の箱があり、
運転手がふたを開けてその子を中に寝かせました。
で、車は出発して、途中違う道を通り、ある大きな神社に寄ったんです。
車が駐車場に入ると、神職の人が数人待っていて、
子どもが入った箱を鳥居の中、社殿のほうに運び込んでいきました。
それから、最初に集合した駅について解散。そのときに、「明日は9時にここへ」
って言われたんです。で、そのとき、同じバイトをした年配の人と少し話したんです。
「あの子ども、何なんでしょうね?」 「わからん、気にしないほうがいいと思うね。
 違法ではないって言ってたし、金さえもらえりゃ」
「20万でしたよね」 「ああ、俺は今、病気だから、そんだけもらえりゃありがたい」
そのときに、「俺も病気で」って言おうかと思ったんですが、やめておきました。

翌日、9時に集まると、直行であの神社に行ったんです。子どもが運び込まれた。
そこで白い着物を着せられ、1日中、お祓いを受けたり、
水垢離って言うんですか、頭から桶で水をかけられるやつ。
あれをやられたりしました。いや、みんな文句を言うこともなく従ってましたよ。
そのお祓いは3日間続き、バイトは終了したんです。
ですから、実際に働いたのは、最初に子どもを掘り出したあの数時間くらいなんですよね。
で、最後の日のおわりに、紙包みに入った20万円をもらいました。
まあこれで、話はおわりですけど・・・その後、検査のために病院に行ったら、
血液検査の数値、腫瘍マーカーっていうんですか。それがすごく改善してたんです。
ほぼ正常値で、医者が驚いていろいろ再検査したところ、
転移してた癌が全部見えなくなってたんです。

それと、肺にある原発の癌もすごく小さくなってて。手術で摘出して、
今のところ再発の兆候はありません。ええ、癌が小さくなったのは、
あの子どもを掘り出したことと何か関係があるんでしょうか。
それについては、思いあたることがあるんです。一度ね、正月に実家に戻ったとき、
母親に頼まれて神棚にお神酒をあげたんです。そのとき、正面に置いてある
御札に、あのバイトのときに車についてたのと同じ印を見つけたんです。
母親に聞くと、それは俺が生まれたとき、へその緒を納めた神社だって言われて。
うちの田舎じゃ、そういう風習があるんですよ。で、ちょっと調べてみると、
俺の田舎にあるのは末社で、その本社が、あの3日間もお祓いを受けた神社だった
みたいなんです。それでね、あのバイト、もしかしたら俺の病気をなんとかするために
産土の神様がはからってくれたのかなあ、なんて考えたりするんですよ。






太陽と「775ミステリー」

2018.09.13 (Thu)


今回はこの話題でいきます。自分は占星術師でもありますし、当ブログでは、
これまでにも宇宙の話をだいぶ書いていますが、月や火星、
金星などを取り上げた記事が多く、太陽についてはあまりふれていませんでした。
そこで、ちょっと書いてみようかと思ったわけです。

それにしても、今年の夏は暑かったですね。まさに猛暑で、エアコンがなければ
死んでいたかもしれません。太陽をうらみたくなりますが、
この暑さは、太陽のせいというより、地球側に原因があります。
「ダブル高気圧」が起きていたためと言われていますね。

ダブル高気圧
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さて、では、もし太陽がなくなったとしたらどうでしょう。
太陽は水素を燃料として核融合で燃えています。ですから、当然、
燃料がなくなるときが来るはずです。ただそれは、現在から100億年後ほどと
考えられています。太陽や地球ができて46億年くらいですから、
まだ、その倍以上の時間があるわけです。

ですから、太陽がなくなるよりも、人類が絶滅するほうがずっと早いでしょう。
心配してもムダ、まさに「杞憂」です。ちなみに、杞憂という語は、
その昔、中国の杞の国のある人が、天が崩れ落ちてきはしないかと心配したという
故事からきています。「心配する必要のないことをあれこれ心配すること。
取り越し苦労。」という意味で使われます。

さて、では、突然太陽が爆発するなんてことはないんでしょうか。
これ、光の速度を考える上でたいへん面白い思考実験ができます。
あるとき、太陽が大爆発を起こしました。で、太陽と地球の間の距離は、
光の速度で約8分かかります。ということは、太陽が爆発して8分後でないと、
地球では太陽が爆発したことを知ることができないんですね。

太陽フレア
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あらゆる情報は、光の速度以下で届きます。ですから、太陽が爆発して8分後、
熱波やら放射線やら、さまざまな電磁波が降り注ぎ、
その後に衝撃波も襲ってきて、地球はあっという間になくなってしまうでしょう。
じゃあ、8分前の爆発を、もっと早く知ることはできないんでしょうか。

もし太陽を超強力望遠鏡で見ていたら? しかし、望遠鏡は物を拡大して見るだけで、
光の速度を高めることはできません。じゃあ、光より速いものがあったら?
それなら、太陽の爆発を8分後以前に知ることができるかもしれません。光速より
2割ほど速ければ、太陽の爆発後、6分台でその情報を知ることができます。

ただ、現時点では光より速いものは見つかっていませんよね。
光速より速く情報を伝達するということは、未来を見るのと同じなんです。
それに、もし太陽の爆発を2分前に知ることができたとして、
地球で何か対策がとれるとも思えないです。ということで、これは無理。

さて、話変わって、「775年のミステリー」というのをご存知でしょうか。
2012年、名古屋大の研究チームが、樹齢1900年の屋久杉の年輪を検査した結果、
西暦775年にあたる年輪から、炭素14などの放射性物質が大量に検出されました。
これは、そのとき地球に、ありえない量の放射線が降り注いだということになります。

『アングロサクソン年代記』
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この発表を受け、世界中で古文書を精査したところ、英国の『アングロサクソン年代記』
という本に、「西暦774年に、空に赤い十字架と見事な大蛇が現れた」
という記述が見つかりました。また、ドイツの修道書には、「西暦776年に、
教会の上を燃え盛る2枚の楯が動いていくのを目撃」と記されていました。 
うーん、何らかの異常な天体現象が起きたのは、間違いなさそうです。

さらに、中国の『新唐書』には、天体観測記事として、
「太陽の脇に青色と赤色をした気が現れた」という記述が出てきます。
ただこれは、767年のものなので関係ない可能性もありますが、
その頃から太陽活動が活発化していたのかもしれません。

日本だと、775年は奈良時代、光仁天皇の治世です。何かそれらしい記述がないか、
『続日本紀』をあたってみましたが、特に天変地異の記事は見つかりません。
ただ、この年には、井上内親王が巫蠱によって呪詛を行うという事件が起きています。
この事件はでっちあげの冤罪で、殺されたと思われる井上内親王は怨霊化し、
平安遷都の遠因になったとも言われていますね。

光仁天皇
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さて、上記の大量の放射線の原因ですが、① 超新星爆発 ② ガンマ線バースト
③ 巨大太陽フレアの発生 の3つの説が出されています。でも、①だと近くに
星の残骸が見つかってないですし、②は一つの銀河系で数万年に一度しか起きない
きわめて珍しい現象です。ですから、③の太陽フレア説が最も支持されています。

太陽フレアは、太陽表面で起きる爆発で、小さいものは頻繁に見られます。
これまでの観測上、最大と考えられるものは、1859年の「キャリントンフレア」で、
世界中でオーロラが見られ、夜なのに昼のように明るくなり、
本を読むことができたそうです。では、775年の放射線異常は太陽フレアによるものか。

オーロラ
garths (1)

ここは異論もあります。というのは、検出された放射性物質の量を考えると、
上記の「キャリントンフレア」の10倍以上の規模になるんですね。
ですから、もし太陽フレアだとすると、現代で起きれば大変なことになります。
1859年当時は電気製品などほとんどなかったでしょうが、現在は、
通信、交通、医療機器、マネー管理、あらゆるものが電子制御で動いています。

さてさて、1000年に一回程度の頻度で、超巨大フレアが起きるものなのか?
それに人類は対処できるのか? これはまず無理で、もし発生したら大惨事になりそうです。
「775年のミステリー」は、もっと研究される必要があると思いますね。
では、今回はこのへんで。





地震あれこれ

2018.09.12 (Wed)
fdsjiuid (1)

今回はこのお題でいきます。ただ、地震とオカルトというと、
「人工地震説」というのが出てきますよね。ある国が、秘密裏に開発された
特殊兵器を使って、実験的に地震を引き起こしているみたいな。
オカルトの中でも陰謀論というカテゴリに入る内容ですが、今回は取り上げません。

さて、地震が最初に史書に出てくるのは、『日本書紀』の允恭紀です。
允恭天皇の5年(416年?)に、ただ「地震があった」という記述が出て、
すぐに別の記事になっています。次が、推古天皇7年(599年)4月27日。
ここには「地動 舎屋悉破 則令四方 俾祭地震神」と書かれています。

推古天皇
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「地が揺れ、建物はことごとく壊れ、全国に勅令を出して、地震神を祭らせた」
注意しなくてはならないのは、日本神話では地震の神というのは、
名前が特定されていないことです。ここに出てくる「地震神」というのは、
海の神や山の神と同じく、一般的な名称なんですね。

古くは地震のことを「なゐ」と言ったので、「地震神」は「なゐのかみ」と
読まれるんだと思います。で、面白いなあと思うのは、この記事の直後に、
「秋に百済の使節が来日し、ラクダ、ロバ、羊、白い雉を献上した」
と出てくることです。『日本書紀』は中国の「天命説」の影響を受けているので、

天変地異が起きるのは、その天皇の徳が至らないため。また、外国から
使節が来て珍物を献じるのは、天皇の徳が周囲に満ちていることを表すことになります。
ですから、相反する内容が続けて出てくるんですよね。
これには何か意味があるのか、それともたんに事実を列挙しただけなんでしょうか?

あと、天武紀には地震の記事が十数回出てきます。
小さな地震も、すべて細かく記録されているようです。これは一つには、天武天皇が
中国式の天文遁甲に通じていて、自ら式盤をとって占いを行っていたため、
特に地震などの天変地異が重視されているんだと思います。

また、天武13年(684年)には、「白鳳地震」と呼ばれる巨大地震が起きていて、
これは、マグニチュード8~9クラスの南海トラフ地震と考えられ、
甚大な被害があったことが記されています。ですから、天武紀に地震の記述が
多いのは、地殻変動の活性期に入っていたためかもしれません。

さて、古代において地震はどのように捉えられていたのか?
これがよくわからないんですね。日本では、地震は「地中にいる巨大なナマズが
暴れ動くため地震が発生する」という話もありますが、
天武天皇の頃に、そういう考え方があったとは、自分は思いません。 

香取神宮の要石
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話変わって、現在の茨城県には鹿島神宮、千葉県には香取神宮があり、
両者は中央構造線をはさんで向かい合うようにして建っていますね。
鹿島神宮の主祭神は武甕槌神(タケミカズチ)、香取神宮は経津主神(フツヌシ)です。
どちらも、国譲りの際に活躍した武神で、剣を擬人化した神格と言われます。

で、この両神宮には「要石(かなめいし)」があります。これは、もともと、
日本列島を「金輪(こんりん)」につなぎとめておくためのものと考えられていました。
金輪は仏教の宇宙観で、この世界の底となる部分のことで、
「金輪際(こんりんざい)=地の底の底」という語の語源になっています。
この話は、神仏習合した平安時代以降に出てきたものでしょう。

仏教的宇宙観


それがいつからか、鹿島神宮の要石は地中の大ナマズの頭を押さえ、
香取神宮の要石はしっぽを押さえているというように伝承が変化していきました。
余談ですが、水戸藩主の徳川光圀が、鹿島神宮の要石の下を掘らせてみたところ、
7日7晩掘っても、石は地下に広がっていたという話があります。

さて、では、いつから「地震は大ナマズが起こしている」という考えが出てきたのか。
これはおそらく、室町後期頃ではないかと思います。豊臣秀吉の手紙に、
「なまつ大事=ナマズ大事」と出てきますが、天正13(1585年)
の大地震を受けて、部下に地震対策を指示したもので、
地震とナマズが結びつけられている最古の文献です。

豊臣秀吉
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この後、江戸時代には、地震とナマズの関係が一般庶民にも広がり、
「鯰絵」が大流行しました。鯰絵は地震から身を守るための護符ですが、
天然痘を防ぐためのものに変化していきます。下図は、鹿島神宮の武甕槌神が、
ナマズの頭に剣を突き刺して押さえている様子を表しています。

「鯰絵」
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ここまでをまとめると、古代には、地震は地震神(なゐのかみ)によって、
起こされるものと考えられていたのが、中世には、仏教や中国からの影響で、
地中にいる竜などが暴れ、金輪を揺るがして起きるものとなり、さらに江戸時代以前に、
ナマスが地震を引き起こすというように変化した、ということのようです。

さてさて、ナマズが地震を起こすというのは俗信ですが、ナマズは地震の発生を
予知できるんでしょうか。ナマズは水中の泥に潜んでいるので、
微弱な振動や電気的な変化を感知できる可能性はあります。かといって、
ナマズが暴れたから近々地震が起きる・・・と、そこまでは言えないようですね。
ということで、今回はこのへんで。





さぐめさんの話

2018.09.11 (Tue)
ある町役場の福祉課に勤めています。よろしくお願いします。
今晩、ここに来させていただいたのは、今現在、町で起きている事件について、
どうすればいいのか話を聞いてこいと言われたからです。
その指示は、僕は直接は課長から受けたんですが、もっとずっと上から、
おそらく町議会から出ているものだと思います。
僕が住んでいる町は、平成の町村大合併からわざと外れて、
独自路線を歩んでいるんですが、これといった産業や観光地があるわけでもなく、
いろいろうまくいかないことも多いんです。その一番が、
過疎化、高齢化の問題ですね。まあ、どこでもそうだとは思いますけど、
うちの町は、独居の高齢者の方が多いのが特に問題なんです。
ええ、子どもさんが市部に移住しても、町に残ってるお年寄りです。

うちの町は、歴史が古く、昔から土地を大切にしてる方が多く、
子どもさんのほうで一緒に住もうともちかけても、それを断って、町に残るお年寄り。
で、町の中心部よりも、周辺部の集落に、そういう方が多くて。
わずかな山間地を水田にして、苦労して耕作してきた思い出が残ってるんでしょう。
そういうご夫婦の、どちらかが先に亡くなると、いわゆる独居老人になります。
そんな方が、一昨年の調査で200名近くおられたんです。
今はかなり減ってしまいましたけどね。ええ、それは、昨年度、
その方たちのうちの40名ほどが亡くなられたんです。
周囲に誰も看取る人がいない、いわゆる孤独死の状態で。
幸い、近所の方や民生委員、郵便配達などが見つけて、
長い間、遺体が放置されていたというケースはなかったんですが。

亡くなったのは男性も女性もいますが、やや女性のほうが多いかな。
死因に不審な点はありません。老衰、あるいは急な心臓や脳血管の病気です。
それも、前日まで元気にしてたという方が多く、ピンピンコロリってことです。
ですから、僕としてはけっして悪いことじゃないと思うんですけど、
町議会のほうで問題になりまして。福祉課のほうで対応策を求められたというわけです。
で、課では課長を中心にプロジェクトチームをつくり、他の自治体の施策を参考にして、
「高齢者見守りプロジェクト」というのを立ち上げたんですよ。
この施策の中心になるのが、福祉課に直結するテレビ電話です。
テレビ電話は特注したもので、字が大きく、操作も簡単になっています。
ええ、お年寄りですから、パソコンはもちろん、携帯もスマホも使えないという方が多くて。
それで、独居の高齢者の自宅の居間に電子センサーもつけて、

一定時間動くものがなければ課に連絡が入って、こちらから連絡を取ります。
その他、2週間に1回、定期連絡をしますし、お年寄りから相談があった場合、
他地域にいるご家族、町の介護センター、消防署、町営病院などと連携して、
できるだけご要望に答えるようにしています。あと、月に1度は、われわれ福祉課の職員が
直接訪問もします。ね、このシステムなら、孤独死を防げるし、
もし急病などが起きても、救命できるケースが多いと思ってたんですが・・・
それで、ここからは、僕が今年になってから体験した内容です。
4月からプロジェクトがスタートし、お年寄りとのテレビ通信が始まりました。
中には、なかなかテレビ電話の操作に慣れない方もおられたんですが、
そういう場合、訪問をくり返して、なんとか全員の方と通信ができるようになりました。
でね、僕の方でも、担当しているお年寄りの方の情報を調べまして、

会話が弾むように心がけていたんです。Yさん、としておきましょうか。
この方は、72歳になる女性の方で、独居ですが、デイサービスにも通われていますし、
お友だちも多く、健康上の問題もなくて、まず当面は心配ないと思っていたんです。
それが、あるときの通信で、「昨日の夜、さぐめさんが来られてね」という話になりまして。
「ははあ、お友だちの方ですか」 「あら、いやだねえ。さぐめさんは神様だよ」
「神様・・・」 「わたしのような者のところに来ていただけるなんて、もったいなくて」
「はあ、どんなことをなさったんですか」 「すごろくだよ」 「すごろく・・・」
「それがねえ、とっても楽しくって、こんな楽しい思いをしたのは何十年ぶりかねえ」
「それはよかったですね」 こんな会話になったんです。
どう思われます? まず神様というとこが気になりますよね。
Yさんには認知症の診断はなかったんですが、それが心配になりました。

あと、高齢者相手の詐欺というのも気になります。一人暮らしの高齢者の方に
近づいて、不必要な家の改築をさせたり、高価な布団やら空気清浄機を販売したり・・・
でも、町では長年、そんな事件が起きたことはなかったんですけど。
Yさんとの2回目の通信で、また、さぐめさんの話が出ました。
「昨晩もさぐめさんが来て、すごろくの続きをやったよ。もうすぐどっちかが
あがりになりそうだね」そう話すYさんの顔は血色がよく、
しわも消えて、なんだか若返ったような感じに見えたんです。
それで、そのときも「さぐめさん」についてあれこれ尋ねたんですが、
具体的なことは何もわからずじまいでした。で、課長に相談してみたんです。
そしたら、課長も「さぐめさんねえ・・・」と首をかしげていましたが、
「何か聞いたことがある気がするなあ。町史編纂室の岩谷さんなら知ってるかもしれない」

そういう話になって、課長が連絡してくださって、岩谷さんに話を聞きに行ったんです。
岩谷さんは、長年役場に勤めていて、定年退職の後も嘱託として週に数回、
編纂室に来ていただいてたんです。僕が「さぐめさん」の話をすると、
岩谷さんは「うーん、それ、中根畑の神社でお祀りしていた神様じゃないかな」
「あの、山裾にあった神社ですか」 「そう、君、よく知ってるね。あの神社が廃社になり、
 さぐめさんが八幡神社に合祀されたのは去年のことだったね」
「さぐめさんは、やっぱり神様だったんですね。どういう神様なんです?」
「うーん、『古事記』に断片的に出てくる神格だったはず。高天原から
 地上に派遣された天若日子(アメノワカヒコ)からの音信が途絶えたので、天照大御神が
 雉を地上に放ち、天若日子の真意を試そうとしたとき、「あれは悪い雉です」と、
 天若日子に告げたのが天探女(アメノサグメ)、つまり、さぐめさんだ」

「ははあ」 「でね、それを聞いた天若日子は、雉に矢を放って射殺し、
 その矢は高天原まで届いた。そこで、その矢を拾った高御産巣日(タカミムスヒ)神は、
 天若日子に悪心があるならこの矢還れ、と言って投げ返し、
 天若日子は矢に胸を貫かれて死んだという話になってる」
「つまり、天探女は天若日子に、高天原から離反するように勧めたってことですか」
「そう。だから、天探女は悪い神ということになってて、尊(みこと)という
 語がついてないんだ。また、天探女は「あまのじゃく」の元になったという 
 説もある」 「じゃあ、そういう悪い神を中根畑の集落では祀ってたと」
「そう、理由はわからないけどね」 この中根畑の集落は、十数世帯まで減ってたんですが、
去年、豪雨による山崩れがあって、集落ごと土にのまれてしまったんです。
全員が亡くなったというわけじゃなく、地域を離れた方が多かったんですけど。

でも、この話でも何もわからないですよね。で、それから3日後の午後です。
Yさんのほうからテレビ電話の通信が入ったんです。はじめてのことでした。
僕は庁舎にいたんで出たんですが、テレビ画面に映ってるのが女の子だったんです。
おかっぱの8歳くらいの。「あれ、Yさんのお孫さん?」こう聞くと、
女の子は、「いやだねえ 私はYだよ」そう子どもの声で答えまして。
でも、そのときは、Yさんがふざけて孫か親戚の子を出してるんだとしか思わなかったです。
その子は、「さぐめさんとねえ、すごろくをしたんだけど、負けちゃった。
 だからね、もう根の国に行くよ」 「ねのくに?」 「ええ、あんたにも世話になったねえ」
「ちょっと、Yさんと代わってくれる」このとき、背筋にぞくぞくっと寒いものが走りました。
「だから私がYだって」 そう言うと、女の子は倒れ込むように画面から消えたんです。
その背後で・・・何とも形容しがたい不定形の緑色のものが、踊るように動いていました。

「さぐめさん?! まさか」画像は乱れて消え、確認したら、
Yさんの家のセンサーに動いてるものはなかったんです。すぐ消防署に連絡して
救急車を出してもらいました。ややあって救急隊員から連絡が入り、
Yさんが倒れた状態で見つかり、町営病院に搬送するってことだったんです。
ええ、蘇生措置を試みましたが、Yさんは亡くなりました。心不全という診断でした。
後で聞いた話では、テレビ電話の前に平伏するような形で倒れていたということでした。
あと、Yさん宅から、おかしな物も見つかってはいません。
・・・で、ですね。つい5日前、やはり僕が担当しているUさん、
77歳の女性の方ですけど、テレビ通話でこんな話が出ました。
「さぐめさんが来られてねえ、すごろくをやってるよ」それを聞いて目眩がしました。
すぐに課長にすべてのことを話し、前に言ったように、指示を受けてここに来たんです。







将棋電王戦の話

2018.09.10 (Mon)


ドワンゴは8月、将棋の最強コンピューターソフトを決める大会、
「将棋電王トーナメント」について今年は開催せず、昨年の大会を持って
終了させることを発表しました。同大会優勝ソフトとプロ棋士代表が対決する
将棋「電王戦」もすでに2017年に終了しており、
これに伴って同トーナメントも幕を閉じた形です。
(THE PAGE)

今回はこのお題でいきます。科学ニュースに載っていたものですが、
内容が科学かというと、ちょっと違うような気がします。
自分は、下手くそで弱いですが、将棋を指すので、
プロ棋士VSコンピュータ将棋ソフトについては、ずっと前から注目していました。

昔の将棋ソフトも使ったことがありますが、詰将棋をのぞいて、
1990年代はじめころの将棋ソフトはとにかく弱かったのを覚えてます。
弱いというか、プログラム上の欠点が多かった。ある局面にこちらから
誘導すれば、おかしな手を指して勝手に負けてくれるんですね。

ただ、その頃から自分は、近い将来、将棋ソフトはプロ棋士よりも
はるかに強くなるだろうとは思ってました。というのは、
将棋は、麻雀などとは違って、それまでに起こっている情報をすべて把握する
ことができる完全情報ゲームです。ですから、正しい方向で計算をすれば、
より正確な答えが出てくるはずです。将棋は、図形的な要素を含む計算ですから、
速度や正確性で、人間が機械に勝てるはずがありません。

ところが、2000年代に入っても、将棋ソフトはなかなか強くなりませんでした。
将棋ソフトの制作は、個人でやってる人が多かったんですが、自分は、
これもし、大手企業が本腰を入れ、お金をかけて研究すれば、もっと早く
人間を凌駕するものができるんじゃないかとも考えていました。Googleが制作した
囲碁ソフト「アルファ碁」は、あっという間に人間のプロを超えましたよね。

このあたりのことを思い返してみると、自分の心境も複雑でしたね。
人間が機械には負けてほしくないと思う半面、圧倒的な強さを誇る
将棋ソフトの登場も見てみたいという、相反した気持ちがあったんです。
それでも、将棋ソフトは少しずつ強くなっていき、2000年代の後半には、
自分(bigbossman)の力ではソフトに勝てなくなりました。

では、将棋ソフトが、人間の最高峰であるプロ棋士を超えたのはいつのことか。
それまで、将棋ソフトとプロ棋士の公的な対局は、
当時の日本将棋連盟会長、米長邦雄氏が禁止したこともあり、
なかなか行われませんでしたが、非公式には、「プロ棋士の○○がどうやら
ソフトに負けたらしい」といった噂が流れることもありました。

で、初めて公式対局が行われたのは、2007年の大和証券杯特別対局で、
将棋ソフトBonanzaと、当時竜王だった渡辺明プロとのものでした。
この将棋はひじょうにもつれた内容となり、いったんはソフトが優勢な
局面もありましたが、最終的には渡辺竜王が辛勝しました。

その翌年、情報処理学会が制作した「あから2010」というソフトと、
清水女流王将が戦い、ソフトが勝利しました。
「あから2010」は、4つのプログラムの合議制で、
多数決で次の指し手を決めるというユニークな特徴を持っていて、
内容は「あから」の完勝に近いものでした。



その後、68歳の米長会長の対局をはさんで、2013年、ドワンゴの主催で、
ソフトとプロ棋士の5対5対局、「電王戦」が行われ、
ソフト側の3勝1敗1持将棋(引き分け)の勝ち越しで終わりました。
この経緯を考えると、2011~12年ころには、
すでにソフトの力がプロ棋士を上回っていたんじゃないかと思います。

で、これらの対局のほとんどを、自分は中継で観戦したんですが、
見ていて、「ああ、ソフトが人間の力のはるか上をいくようになっても、
人間の将棋がなくなることはないな」という確信を持ったんですね。
なぜそう思ったかというと、例えば、サッカーのすごい試合なら、
サッカーを一度も見たことがない人にも、スピードや技術は伝わると思います。

ところが将棋の場合、頭脳競技ですから、プロ同士の対局をアマチュアが見ても、
よほどの高段者でないと、本当の意味はわかりません。まして、
プロより強いソフト同士の対局を、その場で理解できる人間はいません。
そういう意味で、観る将棋というのは、
対局内容以外のファクターが重要になってきます。



ところが、将棋ソフトには基本的に個性がありません。
いや、例えば振飛車ばかりやるソフトとか、個性はプログラミングによって
作ることはできるでしょうが、それに意味があるとも思えません。
じゃあ、対戦型ゲームでよくあるように、ソフトに、女の子の顔のイラスト、
名前、年齢などを決めてキャラづけすればいいのか。

でも、その女の子は、考えているふり、苦しんでいるふりをするだけで、
実際はそうではないのは誰でもわかります。AIが感情を持つのは
まだまだ先のことでしょう。また、将棋ソフト同士が戦って、
勝って得るもの、負けて失うものがないんですね。これがプロ同士だったら、
負けたら「あいつは弱い」といことになって、仲間内の評価は落ちるし、
収入も減ります。家族に責められるなどもあるかもしれません。



つまり、人間同士の勝ち負けには、その人の人生がかかってるから面白いんですね。
あまりいい言い方ではないですが、人の人生を左右するような勝負ほど、
見世物としても価値が高いわけです。ですから、ソフト同士の対局で、
プログラムの製作者が横に出てきて、互いに年収の何分の1かを賭け、
一手指すごとに一喜一憂する。これなら、見て面白いものになるかもしれません(笑)

ということで、勝負事は相撲なんかでも、われわれは競技を通して、
人の人生を観ているんだと思います。ですから、人間のエンタメとして、
現在のところは、人間の範疇を超えた戦いにはなかなか興味を示せないんですね。
ただ、将来的にどうなるかは何とも言えません。

さてさて、上記のニュースは、「将棋電王トーナメント」の開催についての話ですが、
これが終わっても、「世界コンピュータ将棋選手権」のほうは、
まだ続いていきます。さて、その先には、負けたら怒って爆発するような、
感情を持ったソフトなども出てくるでしょうか。では、今回はこのへんで。






雨とオカルト2

2018.09.09 (Sun)
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おととい、このお題で書いていって中途半端な終わり方をしたので、
その続きです。怖い話以外の記事でも、それなりに構想を練ってから書く
ものもあるんですが、雨が題材ならいろいろ書けるだろうと思って
始めたら、雨乞いと龍の話が長引いて終わってしまいました。

さて、日本の怪談の最高傑作と言われるものの一つに、
読本作家で歌人の上田秋成が書いた『雨月物語』がありますよね。
ただ、日本の怪談というには、内容は中国からの翻案ものも多いです。
これは、秋成が漢学にも通じていたためで、当時、朝鮮通信使との
漢文での筆談に参加したという記録が残っています。

題名の「雨月」ですが、ネット辞書を見ると2つの意味があり、
「① 5月の別称 ② 満月が雨雲で隠れた状態」となっています。
①の5月の旧称は「皐月」のほうが競馬などでも有名ですが、
『雨月物語』の序文に、「雨は霽れ月朦朧の夜、窓下に編成」とあるので、
②の意味で使われているのは確かだと思います。

さて、もうすぐ中秋の名月になりますが、これは旧暦の8月15日のことで、
今年は9月24日にあたるようです。この日はお月見をしますが、
残念ながら、秋の長雨のために月が見えない場合も多いんですね。
そこで、月のかわりに飾られるのが月見団子です。

月見団子は、表面には何もつけず つるつるしていますが、これはもちろん、
月に見立てているわけです。本物の月よりも、雲影にある月を
想像するほうが、美しく価値が高いという日本人の感性があります。
ですから、「雨月」には、そのあたりの意味も込められているのかもしれません。

さて、前回、「雨乞い」のことを書きましたが、雨乞いってどういうものでしょうか。
世界各地に、古くから雨乞い話があります。基本的に、
「雨は神や天が恵みとして降らせるもので、それが降らないのは、
何かの原因で神が怒っているから」という考え方がありました。

インド、ヒンズー教の雨乞いだそうです 何で棒を足の指ではさんでるんでしょう?
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もともと雨が少ない国では、旱魃は深刻な被害をもたらすので、
牛の首を斬って生贄にするなどの雨乞いが行われていました。
日本は世界的には雨の多い国ですが、水稲耕作を中心にしていたので、
雨は多くても少なくても困りました。

前回、少し書いたんですが、日本の初期の雨乞いは、
神道的なものでした。それが、仏教が入ってきて隆盛した7世紀ころから、
僧が集まって読経をするのが雨乞いの中心になっていきます。
そして、弘法大師空海の登場によって、雨乞いは仏教の中でも、
密教による加持祈祷で行われることが多くなりました。        

歴史書には、成功した記録も失敗の記録も残っていますが、
11世紀の真言宗の僧、仁海という人は、9回雨乞いの祈祷を命じられて、
9回とも雨を振らせたので、当時の人から「雨僧正」と呼ばれて尊敬されたそうです。
ただし、これは国家的なもので、村々などの民衆レベルでは、
いろいろな形の雨乞いが行われていたようです。

京都随心院の仁海僧正の墓所
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さて、話変わって、「雨女」という妖怪がいます。
下の図は、鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』からのものですが、「雨女」についての
民間伝承はほとんどなく、「悪天候が続いて客足が悪いので、吉原の遊女が
嘆いている(あるいはつらい仕事がないので喜んでいる)のを風刺したもの」
と言われることが多いですね。  関連記事 『濡女と雨女』

妖怪「雨女」
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むしろ現代で「雨女」と言えば、「結婚式や旅行など、大切な行事のときに、
その人がいると雨になることが多い女性」こんな意味で使われることが多いですよね。
もちろん「雨男」もいますし、反対の「晴男」や「晴女」もいます。
まあしかし、これは明らかにたまたまだと思うので、
「雨女」とか呼ばれるのは気の毒です。

さて、そろそろ長くなってきたので、最後は、当ブログによく登場する
西丸震哉氏に〆てもらいます。『山だ原始人だ幽霊だ』という本では、
氏がグループで登山した際、向こうから激しい雷雨が迫ってくるのが見えたので、
両手を広げて、雨雲に向かって「待ってくれ~」と叫ぶと、
一行の数m前で雨が停まった、ということが書かれています。

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このときは西丸氏も自分のやったことに半信半疑でしたが、後年インドに行ったとき、
高名なヨーガの導師に会い、「ここで何か能力を一つ身につけていけ」と言われて、
上記の体験を述べると、本格的に修行をさせられて「雨やみの術」を
会得することができたと、『裏返しのインド』という本に出てきます。

で、氏はつねづねこの能力を仲間に自慢していたんですが、友人の結婚式が屋外で行われる
ことになったものの、悪いことに台風が近づいてきている。そこで前日の夜、
雨やみの術を試みると、台風は急激に速度を早めて通り過ぎ、
結婚式当日の朝には、抜けるような晴天になっていたそうです。
こんな能力があれば便利この上ないですが、まあ、西丸氏特有の大ボラなのかもしれません。

さてさて、自分は大阪在住で、この間の台風も大変でした。
停電中も工夫してブログの更新はしましたが、台風を制御する技術があればいいですよね。
ですが、一つの台風全体のエネルギーは水爆何百発分にもなるそうで、
それができるまでには100年以上もかかりそうです。では、今回はこのへんで。

関連記事 『雨とオカルト』

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乗る話 3題

2018.09.08 (Sat)
肩に乗る

当時ね、高校出て就職した缶詰工場が震災で倒産して、
しかたなく別の土地に行ってバイトしてたんです。ええ、警備員の。
でね、やってみればわかるけど、警備員の仕事って、楽なのと苦しいのじゃ
天と地ほどの違いがあるんです。一番つらいのが、工事現場の交通誘導ですね。
まず、ずっと立ち詰めで、時間内は休みなしでしょ。
しかも暑くても寒くても大変だし、トイレの問題もあります。
だから、警備会社から交通誘導って言われると憂鬱でね。
反対に、楽なのは倉庫とか、デパートとかああいう建物の夜間警備です。
2時間おきに決められたコースを回るだけで、それ以外の時間は、
スマホでゲームしてても、本読んでてもいいんですから。
まあ、自分はやったことないですけど、目覚まし時計を持ち込んで、

定時の見回り以外は寝てたっていいんです。わかりっこないし。
それに、夜間手当もつきますしね。だから、短期間だったけど、
その工事現場の夜警が割りふられたとき、ラッキーて思ったんです。
ええ、自分ひとりだけで、交代要員とかもなし。夜の7時に現場に入って、
朝の7時までの12時間勤務。14階建てのマンションができる予定で、
俺は1階のプレハブの中にいました。建物全体は養生シートに覆われてて、
出入り口は厳重でした。ほら、最近は物騒で、外国人が工事の資材を盗みに入って
くることだって、ないわけじゃないですから。
でねえ、最初の2週間ほどは何もなかったですよ。
その頃には、昼夜逆転の生活にはもう慣れてました。
3週間目に入ってすぐ、事件が起きちゃったんです。

ええ、そのビルのできかけの最上階から飛び降り自殺したやつがいたんです。
まだ若い男で、外資系の商社員だってことしか俺には教えてもらえなかったです。
何事もなく朝になってね、俺が工事の現場監督に引き継ぎをしてから、
養生シートの内部で自殺者が見つかったってわけです。
ほら、まだあちこち鉄骨とかがむき出しですから、落ちながらそれに
次々ぶつかって、遺体は原型をとどめてなかったそうです。
で、当然ながら警備会社の責任問題になりまして。
俺はずいぶんいろいろ聞かれたんです。でも、夜間に出入り口から入ったことは
絶対ないって言い張りました。だから、昼のうちに現場に入って、
夜になるまでどっかにずっと隠れてたんだろうって。工事現場ですから、
隠れようと思えば場所はいろいろあります。あとね、俺が定時の見回りを

ちゃんとやってたかどうかも、かなりしつこく聞かれました。
もちろんやってたし、何の異常もなかったです。でね、自殺があってから、
2日後、あっさりその問題は終わっちゃったんです。
警備会社の上司に「あれ、建設会社やビルのオーナーと話がついたから」って。
で、俺が「やっぱずっと隠れてたんですよね」って言うと、
上司は少し考えてましたが、「お前もこの業界にこれからもいるんだから、
 知ってたほうがいいだろう」そう言って、一室に連れてかれたんです。
「これな、あの工事中のビルの階ごとについてる監視カメラだ。
 お前が見回りするとこも映ってる」その映像を見せてもらって絶句しました。
画質はよくなかったですが、2時間ごとに懐中電灯持って見回りする俺が
映ってました。でね、午前2時の見回りのときの映像です。

8階のカメラの前を俺が通っていくんですけど、縦に長いんですよ。
「ええ!? これ・・・」よく見ると、曲芸みたいに俺の肩の上に人が立ってたんです。
「どうだ、覚えがあるか?」 「あるわけないですよ、何ですかこれ?」
「ほら、お前の上に立ってるやつの顔、なんとか判別できるだろ。
 警察が入って確認したけど、自殺した商社のやつだよ」
「・・・ありえないスよ、これ、生きてるものなんですか、死んでるものなんですか?」
「わからん。まあなあ、この業界に長くいると、
 不思議なことは特に珍しくもない。ただ、これ見ちまって、
 お前、明日からもこの現場続けるか?」少し考えて、「続けます」って言いました。
その後は工期が終わるまで何もなかったです。ただほら、そいつが落ちた場所、
そこが簡単な祭壇になってお供えもあったんで、毎日お参りはしてましたよ。

バスに乗る

これ、俺が子どもの頃の話なんだけどね。すごい田舎に住んでたわけ。
山の中でね。もちろん都会にあるようなものは何もなかったけど、
子どもにしたら楽しい場所だった。水遊び、山菜採り、キノコ採り、
クワガタなんかも大きいのがたくさんいてね。
駆け回って遊んでたもんだ。で、あれは秋のことだったな。
道に落葉がたくさん積もってたのを覚えてるから。
村役場の前を通る村で一番広い道路、そこを街へ行くバスが通るんだ。
2時間に一本くらい。でも、乗る人は少なかったな。
みんなどこの家も車を持ってたから。でないと生活が成り立たない。
バスに乗るのは、街の病院に通う年寄りがほとんどだった。
けど、俺はそのバスに一度乗ってみたいなあって、いつも思ってたんだ。

でね、その秋の夕方だよ。俺が遊び疲れて家に戻る途中、
バスが誰もいない停留所にすーっと停まってね。「あ、乗ろうか」って思った。
小遣いは持ってたし、停留所ひとつ分だけでも乗ってみようかって。
で、バス停まで走ったんだ。ただね、今考えると変なのは、
乗る人も降りる人もいないのに、バスがずっと停車してたこと。
でね、バスを見上げると、真っ黒な窓に婆ちゃんの顔が見えてね。
うちにいるはずの婆ちゃんがバスに乗ってる。しかも婆ちゃんはすごく固い顔をしてて、
俺に向かって首を振るんだよ。で、バスのドアが開いて、
俺がステップに足を乗せようかどうか迷ってるとき、バスはふっと消えちゃったんだよ。
足でなんか柔らかいものを踏んだ感触があった。「ん!?」
持ち上げてみると、かなり大きな山ビルがつぶれてて、

しかもそのヒル、何かの獣の血を吸ったばかりらしく、地面が赤くなってた。
「うえ~」足の裏を何度も落葉でこすって、それから家に戻ったんだ。
そりゃ、バスが消えたのは不思議だったけど、まだ子どもだったからな。
家に入ると、父親はまだ仕事の時間だったが、いるはずの爺ちゃんも婆ちゃんも、
母親も誰も姿が見えない。弟が一人でテレビを見てて、
「兄ちゃん、俺がもどったときから誰もいねえよ」って言った。それから1時間くらいして、
父親が車で来て、俺と弟を乗せて街の病院へ連れてった。
病室に家族と、あと親戚が何人か病室に集まってて、
婆ちゃんが体中に管をつけて寝てたんだよ。風呂を焚いてる途中で倒れて、
救急搬送されたってことだった。婆ちゃんは意識が戻らないまま、
朝方に亡くなってね。いや、バスのことは誰にも言わなかったよ。

タクシーに乗る

会社の飲み会があって、それから2次会、3次会と回って終電を逃してしまった。
しかたなくタクシーで帰ることにして、駅前の乗り場に並んでたんだよ。
これ、けっこうな出費になるんだ。むしろ、帰らないでサウナとかに泊まったほうが
安いくらい。でも疲れてたし、家で寝たいから。
で、タクシー乗り場はいつも長い行列なんだ。俺みたいなやつがけっこういるんだな。
30分くらい待って、タクシーに乗り込んで行き先を告げた。
運ちゃんは陽気そうな人でね、すぐに話しかけてきて、
「私らの業界も新規参入で、素人みたいな運転手が増えちゃって」みたいな話になった。
「お客さんの一つ前に並んでたの、あれ幽霊ですよ」
「!?」どんな人が前にいたっけ。たしか女だった。
赤いコートを着てて、背が低かったような。とにかくコートの色は覚えてた。

「運転手はわからないんだろうねえ、幽霊だって。今ごろ、ぬかよろこびしてるだろ」
「喜んでるわけ?」 「ええそう、幽霊は○○空港とか、長距離を言うんですよ。
 でもね、今の時間、空港がやってるわけないじゃないですか」
「うーん、それはそうだけど、よくある話みたいに消えちゃう?」
「ええ、そうです。だから時間もムダになりますしねえ」
「・・・でもねえ、順番に並んでるわけだから、幽霊を避けるってできないんじゃ」
「いや、これも経験なんです」運ちゃんはそう言うと、無線の下を片手でごそごそ探って、
大きな板状のものを俺に見せたんだよ。「これね、特別なお守りです。
 会社で一括していただいたものでね。これがあれば、幽霊のほうで避けてくれます。
 うちの会社は、新人運転手には幽霊対策の研修もちゃんとやってますから。
 そこらへんがご新規さんとの違いで」そんなことを言ったんだよ。






雨とオカルト

2018.09.07 (Fri)
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今回はこういうお題でいきたいと思います。はたしてどんなことが書けますか。
まず、怪談についてですが、雨などの湿気の多い日には、
霊が出やすいという話がありますよね。霊は水辺に集まりやすいなどとも
言われます。ですが、ネット上の有名な怪談で、
雨の日に起きているものって、ほとんどないんです。

自分が書いた話でも、雨の中での出来事は少ないです。
これ、どうしてなんでしょう。いろいろ考えてみましたが、雨の日には
五感が阻害されるからなんじゃないかと思いました。どういうことかというと、
室内で起きる出来事なら、外が雨でもあまり関係ないですよね。

ところが、雨の日の野外は、まず雨音で他の音がよく聞こえなくなります。
あと、雨そのもので視界も悪い上に、傘をさしています。
ですから、怪異があっても気がつきにくいのかもしれません。
怪異というのは、五感が研ぎ澄まされて感じ取れるものなのに、
その感覚がうまく働いていないわけです。

あとまあ、ぶっちゃけた話をすれば、雨の日の描写って大変ですよね。
いちいち傘をたたんだとか、しずくをタオルでぬぐったとか、
そういう描写を入れなくてはならず、
書くのが面倒だというのも、少なからずあると思います。

さて、オカルト的には、雨は龍神が降らせるとされる場合が多いですね。
これは中国の道教が、仏教と習合してできた考え方だと思います。
鎌倉幕府の第3代将軍、源実朝の歌に、
「ときにより すぐれば民の 嘆きなり 八大竜王 雨やめたまへ」
(『金槐和歌集』)というのがあります。

源実朝
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まだ20歳前の若き将軍が、洪水の被害を目にして、一人、仏寺の本尊の
前で詠んだ歌とされています。この場合は、雨が多すぎるので、
降らせるのをやめてくれと祈願しているわけですが、
この反対に、日照りの際に、雨乞いの儀式をすることもありました。

雨乞いは、農作物の不作に直結するため、国家的行事として行われました。
『日本書紀』には、一番最初に行われた雨乞いとして、
皇極天皇元年(642年)に記述がありますが、
この内容が、自分なんかには じつに興味深いものなんですね。

その年は長い期間雨が降らず、村々では水の神に生贄を捧げたが、それでもダメ。
そこで、蘇我大臣(蘇我蝦夷)が、仏僧を集めて大乗経を読ませたものの、
微雨が降っただけ。その後、当時の皇極天皇が、四方に跪拝して、
天を仰いで祈りを捧げると、5日間も続く大雨になり、
万民は天皇の徳を讃えて万歳したと記されています。

蘇我氏の台頭
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この記述が、蘇我氏に対する天皇家の優越を示すために書かれたと見るのは、
深読みのしすぎでしょうか。史実として、乙巳の変で、
蝦夷の子の蘇我入鹿が、皇極天皇の目前で首をはねられています。
蝦夷も館に火を放って自害しますが、その伏線と考えられなくもないですよね。

もう一つ、蘇我氏は仏教的に雨乞いをしたんですが、
天皇は仏僧にも経にも頼らず、身一つで祈願をして雨を降らせたようです。
このあたりも、天孫としての天皇家の神格化が進んでいるという
ことなのかもしれません。とはいえ、この後、雨乞いは主に
仏教にのっとって行われることになります。

弘法大師空海
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『今昔物語』には、弘法大師空海が京の神泉苑において、
雨乞いをした話が出てきます。大師が神泉苑で7日間にわたって請雨経法を
誦したら、壇の右に五尺ばかりの金色の蛇が現れた。
しかしそれは、仏僧以外には見えなかった。他の僧に聞かれた大師は、

「この蛇は天竺から来た善如龍王で、雨が降る験(しるし)だ」と答え、
はたして、にわかに空が暗くなって雲がわき出し、
長い間、雨が降り続いて、旱魃の害を避けることができたと書かれています。
これ以来雨乞いは、時の高僧が神泉苑において行うことになりました。

あと、同じ『今昔物語』には、「雨を降らせて死んだ龍」の話も出てきます。
昔、ある僧が奈良の龍苑寺で熱心に法華経が唱えられていると、
人間の姿になって毎日のようにこれを聞きに来る龍がいた。
じきに僧と龍は親友となり、ある年に国中が旱魃に見舞われると、

天皇が僧を呼び、寺に来る龍に雨を降らせるようにと命じた。
事情を知った龍は、「それは本来はできないことだが、自分は法華経によって
罪を救われたので、雨を降らせてみよう。ただ、
それによって自分は死ぬので、どうか弔ってほしい」と言った。

龍が棲むとされる京都の神泉苑
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やがて、激しい雨が降り出して地上は潤い、天皇も人々も喜んだが、
雨のやんだ後に、地上に切り刻まれた龍の死骸が落ちてきた。
僧は約束どおり、龍のなきがらを埋葬し、その場所に龍海寺を建てた・・・
こんな話が載っていますね。

さてさて、ここまでで すごく長くなってしまいました。本当は上田秋成の
『雨月物語』や『春雨物語』、妖怪の「雨女」の話もするつもりでしたが、
残念ながら、またの機会にまわすしかないようです。
では、今回はこのへんで。

関連記事 『雨とオカルト2』

龍を担ぐ雨乞いの祭り
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日本の未来予言

2018.09.06 (Thu)
台風に引き続き、北海道の大きな地震・・・被災者の方々にお見舞い申し上げます。
今回はこういうお題ですが、オカルトフアンの方なら、
「預言」「予言」「予測」の違いはおわかりでしょう。
「預言」は、神の霊感を受け、神託、つまり神の言葉そのものを述べることです。

預言者 イザヤ
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また、「予言」は、普通なら見通せない未来の出来事・ありさまを言うこと。
「予測」は、一般的には、何らかの根拠をもとに将来を推し量ることです。
さらに日本語には「予知」という語もありますが、
これは予言と意味が似ていると思います。経験則や情報による
確定的な予測と異なり、超能力などの神秘的な力で未来を見通すことですね。

さて、西洋では「ノストラダムスの大予言」が有名ですが、
日本には、未来を予言した書ってあるんでしょうか。これについては、
聖徳太子が記したとされる、『未来記』という本の内容が「ムー」などの
オカルト雑誌で取り上げられることが多いですね。

聖徳太子が書き、大阪市天王寺区の「四天王寺」に収められたとされます。
その内容は、さまざまに言われていますが、「2021年に聖徳太子が復活する」
「2068年、人類が滅亡する」などと記されているという説があります。
そして、四天王寺では、この書を門外不出にして誰にも見せないとも。
あれ、変ですね。誰も見ていないのになんで内容がわかるのか?

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『未来記』の名前が日本史上に現れるのは、室町時代に編纂された
軍記物語『太平記』においてです。楠木正成が天王寺合戦で鎌倉幕府軍を破った後、
四天王寺の「未来記」を閲覧しました。そこには、「後醍醐天皇は、
いったん敗れて流罪となるが、やがて幕府が倒れて天皇による統一が実現し、
その政権も三年で尊氏に倒される」という未来が予見されていたそうです。

じゃあこれ、史実なんでしょうか。まず考えられませんよね。『太平記』は、
同じ軍記物の『平家物語』と比較すると、荒唐無稽、怪力乱神が語られる場面が
多いという評価があります。さらに『太平記』には、その主人公の一人である
楠木正成が、朝廷への忠義を立てて、負けるとわかっている戦いへ
突き進んでいくという大きなストーリーの流れがあります。

おそらく、この一節も、その流れの上に立って書かれたものと考えられます。
正成は足利尊氏に負けるのを承知で天皇の命を受け、湊川で散ることになります。
さらに、四天王寺の所蔵する文化財は、重要文化財、大阪府指定の文化財として
ほとんど網羅されており、また寺院側でも、そのような書物の存在を否定しています。
ですから、この話には実体がないんですね。



さて、次に予言書として知られるのは、『をのこ草子』です。みなさん、
ご存知だったでしょうか。TV番組「たけしの禁断の超常現象(秘)Xファイル」で
取り上げられて有名になりました。江戸時代、将軍、徳川吉宗が享保の改革を
行っているころ(1730ころ)に書かれ、世間に流布したとされます。

内容は、「今から5代も時が過ぎると、世の中の様子も変わり果て、
キリスト教圏の思想が日本に流入し、空を飛ぶ人もでてくる。地に潜る人もでてくる。
風雨を動かし雷電を利用する者もいる。死んだ人を生き返らせる手術も成功する・・・」
などなど。うーん、一部あたっている部分もあります。

『をのこ草子』
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ただこの本、現存していないんです。また、江戸の当時に、この本の書名や
内容にふれた資料も見つかりません。じゃあ、どこで出てきたかというと、
この写しが「神道天行居」という復古神道的な新興宗教の教祖である、
友清歓真が書いた宗教書、『神道古義地之巻』に一部引用されているだけなんです。

これは誰でも怪しいと思うでしょう。実際には『をのこ草子』などというものはなく、
新興宗教の教祖が、あたかも古書から引用したように見せかけて、
自分の考えを述べたものであるとみて問題ないと思います。
『神道古義地之巻』が書かれたのが1905年、第一次世界大戦の10年前です。
ですから、その時代から見た未来予知ということでしょう。

東郷元帥の死を報じる明治の「報知新聞」号外
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さて、では、日本に未来予言はなかったのか? 確実なところは、
1901年(明治34年)、新世紀を記念して「報知新聞」に載ったものです。
ただし、「予言」ではなく「予測」です。全部で20項目あり、スペースの都合、
全部は無理ですが、その一部をご紹介しましょう。
① 無線電話で海外の友人と話ができる。② 野獣が滅亡する

③ 機械で温度を調節した空気を送り出す ④ 電気の力で野菜が成長する。
⑤ 写真電話で買い物ができる ⑥ 人の身長が180cm以上になる
⑦ 葉巻型の列車が、東京ー神戸間を2時間半で走る。
⑧ 台風を1か月前に予測して、大砲で破壊できる

東海道新幹線
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①は国際電話、③はエアコン、④は温室栽培、⑤はアマゾンなんかのネット通販、
⑦ これはすごいですね。新幹線じゃないですか。時間もほぼぴったり。
②は外れですが、明治のころは、野獣は人に害を与える悪いものとされていました。
ですが、現在では野生動物保護、生態系保全という考えが浸透しています。
⑥も外れ、明治時代は日本人の平均身長は男性で160cm以下でしたが、
それからはだいぶ伸びたものの、180cmを超えることはなさそうです。

さてさて、ここで特筆したいのは⑧です。台風を予測し、人為的に破壊する。
つい先日、自分が住む大阪は大型台風により甚大な被害を受けましたが、
人類が、地震や台風などの自然災害を制御するには、まだまだ時間がかかりそうです。
では、今回はこのへんで。




花壇の墓の話

2018.09.05 (Wed)
あ、ここで怖い話をすれば謝礼がもらえるんだよな。
いや、俺もまずったことに、金がねえんだよ。ここんとこ、何をやってもダメだ。
すべてがうまくいかねえ。ああ、秘密は厳守してくれるんだよな。
これ、漏れちゃいけねえ話なんだ。そうか、よろしく頼むよ。
そのかわりって言うか、嘘は一つもねえことだから。
あれは、俺がまだ20歳を少し過ぎたばかり。
正式に盃はもらってたが、組の中では一番下っ端のペーペーの使い走りだった頃だ。
盆暮れのつけ届けをやってたんだよ。ほら、俺らは義理ごとを大事にするだろ。
冠婚葬祭はもちろんだが、歳暮や中元、これもすげえ大切なことなんだよ。
昔はそういうのは豪勢だった。梨でも巨峰でも、採れたてのはしりを贈ってた。
あと、松阪牛とかな。それが、暴力団排除条例がしかれて、すっかりダメになっちまった。

今や、組が贈る品物も、一般の家庭とかと何も変わりねえ、
タオルとか水ようかんとかになっちまった。ああ、スマンな。
愚痴を言いに来たわけじゃねえ。でな、俺が中元を配る先に、三島さんって家があった。
これな、70歳近いジイさんが大きな屋敷に一人で住んでて、
だいぶ前に引退した組の幹部だった人なんだよ。ああそう、大先輩ってわけだ。
うーん、一人暮らしだったのは、娘さんがいるって話だったが、
自分から縁を切ってるらしい。カタギに嫁いだからなのか、
そこらへんの事情はよくわからんな。でな、最初に行ったときはずいぶん怖い人だと
思ってたが、これが優しい人でね。俺みたいなチンピラにも、
言葉遣いとか、いろいろ気を遣ってくれた。だから、苦労した人なんだって思ってね。
悠々自適の生活みたいだったから、俺も先はこうなりたいなんて考えたもんだ。

まあ、今から思えばトンデモねえ間違いだったけどよ。
三島さんの屋敷は、平屋造りの立派な日本家屋で、広い庭があった。
場所は言えねえが、もちろん都内じゃねえよ。でな、初めて俺が訪れたときに、
三島さんは庭にある洋風の花壇に水をやってたんだ。
「ご精が出ますね」って愛想を言ったら、俺みたいなもんを屋敷に上げてくれてな。
でもよ、そんときにちょっと違和感があったんだ。
というのは、庭師が入ってる立派な日本庭園なのに、
そこの水をやってた一画だけ、素人がこさえたようなブロックに囲まれた花壇でな。
でな、組に帰ってから、当時の兄貴にそのことを話したんだよ。
そしたら、俺の言うことを聞いて、兄貴はちょっと顔をしかめたが、
何も言わなかった。まあ、同じ組の人間でも話せるような内容じゃなかったんだな。

で、それから5年経ったが、それでも俺はまだ25くらいで、
やっぱり下っ端に変わりねえ。まあ、つけ届けとかは、もっと下のやつがやるようになってたが。
ある日、だいぶ上の兄貴から話があったんだよ。「お前な、三島さん知ってるだろ。
 前に歳暮とか届けに行ってたよな」 「ああ、はい」
「あの人な、一人暮らしなんだが、軽い脳梗塞やっちまって、今、体が不自由なんだ。
 それで、組のほうに話が来て、病院への送り迎えとか、買い物とかしてくれる
 若い衆を一人貸してほしいってことで。それで、お前にやってもらおうと思ってな」
「かまわないスけど、介護とかできねえスよ」 「それはいらん、三島さん、
 自費で看護婦とまかないの婆さんを雇ってるんだ。それが住み込みでつき添ってる。
 だから、お前は車の運転くらいでかまわねえ」 「わかりました」
「でな、三島さんのあの屋敷な、もし死んだら、組にゆずってもらえるような話に

 なってるんだよ。だから、絶対に三島さんの機嫌を損ねるようなことはするなよ」
「はい」 こんな感じで、三島さんの運転手をやることになったんだよ。
久しぶりに会った三島さんは、だいぶ老け込んでた。これは病気のせいが大きいんだろう。
愛想のよかった顔は表情がなくなり、話もほとんどしなかった。
あと、半身が麻痺して、看護婦の押す車椅子に乗ってた。
仕事はけっこう大変だったよ。買い物のほうは、看護師の渡すメモを見て買えばいいが、
通院は大変だった。今と違って、介護用の車両なんてなかったから。
三島さんの大きな体を抱えて車に乗せ、それから車椅子を折りたたんで乗せる。
そんな具合だ。でな、看護婦は、40代くらいの陰気な人だったが、
病院で、三島さんの診察を待ってるときに、こんな話をしたんだよ。
三島さんは、眠剤を飲んて10時前に寝るんだが、

12時過ぎ、看護婦がもう休もうとすると、急にうなされ始めるときがある。
それは毎日じゃないし、1時間ほどで収まるが、
そのときに、庭を誰かが歩き回ってるんじゃないかと思うって。
もちろん広い屋敷だから、歩いてる音が聞こえてくるわけじゃねえが、
最初にまかないの婆さんがそれに気づいたって言うんだな。
黒い影が何人かで庭を歩いてるって。まさかと思った看護婦が、
三島さんがうなされてるときに、廊下に出てガラス越しに庭を見ると、
たしかに何かが動いてるように見えたんだと。それ聞いて俺は、「いや、
 あんな高い塀だし、門の鍵も厳重。人が入るとかありえねえですよ」って言った。
けどよ、もしそういうことがあったら、俺の責任問題にもなりかねねえ。
だから、1回、俺も泊まり込んで様子見ようってことになったわけ。

でな、1日目は何もなかった。で、翌日、三島さんがうなされ始めたって聞いて、
庭を見ていると、ザッコザッコ、人が歩くような音がかすかに聞こえた。
で、俺は用意してた木刀を持って、サッシ戸を開けて庭に降りた。
すると確かにザッコザッコ聞こえてくる。「誰だ、コラ」懐中電灯で照らしたが
何も見えない。とにかく音のするほうに駆けてくと、背筋がぞくぞくっとした。
俺も商売柄、さんざんよくねえことはしたが、あんな感じは初めてだったな。
ましかし、幽霊か何か知らねえが、そんなのにブルってるわけにはいかねえだろ。
「いるなら出てこいや」そう叫ぶと、オオオオ~ンって何とも言えない音がした。
いや、人の声じゃねえ。そっちに向かって走ると、足をとられて転んだ。
下が玉砂利から、土に変わったんだな。あの、三島さんがよく水をかけてた花壇だよ。
それっきり、何の気配もしなくなった。

屋敷に戻ると、看護婦が出てきて「発作が治まりました」って言った。
でな、朝になって庭を見に行くと、花壇の柔らかい土に、俺の靴の跡の他に、
足跡とも何とも言えねえ、尖ったものを突き刺したような跡がたくさんついてたんだ。
いや、何だかわからなかった。それからもう3日泊まり込んだが、
何も起きず、三島さんの容態も安定してた。それから1ヶ月後くらいかな。
俺が街にいるとポケベルが鳴った。当時は携帯はなかったんだよ。
それで、三島さんの家にこっちから電話をかけた。看護婦が出て、
三島さんの容態が悪いって言う。これな、組から救急車は呼ぶなって言われてたんだ。
それで、少し酒が入ってたが、車で三島さんの家に向かった。
ベッドのある部屋に入ると、三島さんの顔が黒くなって、
「うあ~、うあ~」って叫び声を上げてたんだ。

これは車椅子に乗せてる暇はないと思って、俺が抱きかかえて車まで運ぼうとした。
そしたら、建物を出たときに庭に何かがいて、前に聞いた
「オオオオ~ン」って声を出したんだ。俺の足が止まったとき、
三島さんが急に正気に戻ったように、その声のするほうに向かって、
「あんだけ世話してやったろう、何で感謝しねえんだよ」
こういう意味のことを叫んだ。オオオオオオ~ン。
俺は足を早め、看護婦といっしょになんとか三島さんを車に乗せ、
いつもの病院の救急外来に運んだ。けどな、三島さんはまた脳に出血が
あったみたいで、その夜のうちに死んだんだよ。
まあ、これでだいたい話は終わりだ。俺は事務所に連絡し、
その後の処理は組のほうで全部行うことになった。

でな、私物を取りにいったときに見たら、例の花壇に、等間隔で4つ穴が空いていた。
大きなものではなく、やっと人の頭がくぐれるくらいの穴で、
その中は黒々としてたな。こっからは後で兄貴から聞いた話だ。 「三島さんな。
 引退してからは落ち着いた暮らしだったが、若い頃はずいぶんと強(こわ)い人でな。
 都合、20年以上ムショに入ってる。まあそれは、正式に罪をつぐなった分で、
 プライベートでも4人殺(や)ってたんだ。で、あの屋敷の庭に埋めてた。
 組でな、あの屋敷を遺産としてもらった後、遺体を掘り出して内々に処理した。
 その後、神職を呼んでお祓いまでしてもらったんだ。まあ、あの屋敷はつぶして、
 土地を売って今はスーパーになってるけどもな」
なんとなく、そんなことじゃないかとは思ってたが、あらためて聞くと怖いよな。
あの花壇に花を植えて水やってたのは、三島さんなりの供養だったのかね。






台風と日本

2018.09.04 (Tue)
今回はこういうお題でいきます。現在、台風21号が日本列島を通過中ですが、
大きな被害がないように祈りたいと思います。さて、台風についてですが、
どのくらいのことが書けるか、ちょっと自信がないですね。
まず、台風とは何か? Wikiを見ると「北西太平洋に存在する熱帯低気圧のうち、
低気圧域内の最大風速が約17m/s以上にまで発達したものを指す。」

うーむ、その異常気象が台風かどうかは、最大風速で決まるんですね。
これはちょっと意外です。自分は中心気圧かなと思ってました。
台風はもちろん古代からあり、日本各地に大きな被害をもたらして
怖れられてきました。ただ、昔の地震についてはいろんな文献に残ってるんですが、
台風について書かれた資料って少ないんですよね。

日本神話としては、スサノオ神は台風の擬人化なのではないかとする説があります。
スサノオは、三貴神(黄泉の国から帰ってきたイザナギが禊をしたときに
生まれ落ちた三柱の神々。アマテラス、ツクヨミ、スサノオ)
の最後に生まれた神です。アマテラスが太陽、ツクヨミが月ですので、
スサノオも何かの自然物を表しているのではないかとする説は、当然出てきます。

スサノオ
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で、一般的には、スサノオは海を司る神と考えられてきましたが、
台風の擬人化ではないかとする説も昔からあるんですね。
スサノオの「スサ」は「荒れすさぶ」から来ていて、
その激しい行動は暴風雨を表しているとするものです。

確かに、スサノオは高天原で乱暴を働きますが、その内容は、
田の畦を壊し、溝を埋めたりするものです。さらに、屋根を壊して皮を剥いだ馬を
機屋の中に投げ込んだりします。このあたりの描写が、
水田に被害をもたらす台風と重なるとも言えそうです。

ちなみに、農家のお年寄りが台風の日に、田んぼの様子を見にいって、
風に飛ばされたり、水に落ちて亡くなるというニュースをよく聞きます。
また、漁師が自分の船を港に見に行ったりとか。心配なのはわかりますが、
命あっての物種ですので、外出は避けたほうがいいと思いますね。

さて、みなさん、神功皇后はご存知でしょう。この人物についても、
台風の人格化なのではないかという説があります。「神功」というのは
後代につけられた諡(おくりな)で、本名は、『日本書紀』では、
「気長足姫尊(おきなが たらしひめのみこと)」です。

神功皇后
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この「気長(おきなが)」の部分が、強い風を表しているという説があります。
神功皇后は、三韓征伐をしたことで有名ですが、神功皇后の乗った船は
ものすごい勢いで進み、新羅の国の半分が水に飲まれてしまい、
新羅の王は、戦わずして降参したという話になっています。

このあたりの描写が、台風を表していると言えなくはなさそうです。
ただ、「気長(おきなが)」は「息が長い」という意味で、海に長時間
潜っていられる海女を指しているとする説や、ふいごを吹くことを指していて、
製鉄に関係があるとする説もあります。

元寇の神風
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さて、日本史上で最も有名な台風といえば、元寇の際の「神風」ではないでしょうか。
鎌倉時代、モンゴルと高麗、宋の連合軍が日本に攻め寄せてきた事件ですが、
このとき、神風が吹いて蒙古の船団を海に沈めたとされます。
蒙古軍は日本に2回来ていますが、2回目の「弘安の役」のときに、
台風と遭遇したのは間違いないことのようです。

この国難にあたって、各寺院、神社は、蒙古退散のための祈祷を行いました。
ときの亀山上皇は、自ら伊勢神宮と熊野三山で祈願するなど、
敵国調伏のための活動を積極的に行っています。
ただ、台風が日本軍の勝因というより、1ヶ月以上も蒙古軍を
日本に上陸させなかった鎌倉武士の奮戦を褒めるべきでしょう。

この史実が元になって、「日本は神に護られた国であり、危機のときには神風が吹く」
「神国日本」という伝説が生まれました。これは、太平洋戦争まで続き、
国威発揚に利用されて、「神風特攻隊」を生むことになったんですね。
歴史のつながりの不思議さを感じさせる話だと思います。

筥崎宮の亀山上皇像
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さて、大きな被害が出た台風はいくつもあります。近代に日本を襲った台風で
最大のものは、1828年9月の「シーボルト台風 (これによりシーボルトの
日本地図持ち出しが発覚した)」ではないかと考える人が多いようです。
中心気圧は935hPa、最大風速は55m/s程度と推定され、
高潮により、佐賀藩だけで1万人以上の死者を出しています。
ただ、上に書いたように、昔の台風についてはよくわかってないんです。

関連記事 『幕末の2人のスパイ』

あと、日本最大の海難事故「洞爺丸沈没事故」も、台風の影響によるものでした。
1954年、青函連絡船洞爺丸が、海上でその年の第15号台風
(洞爺丸台風 国際名マリー)に遭遇し、転覆沈没。
死者・行方不明者あわせて1155人という大惨事になりました。

沈みゆく洞爺丸
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このような大きな事故には幽霊話がつきものですが、目的地の青森駅では、
職員が宿直室で寝ていると、ドンドンと窓ガラスを叩く音がし、
水に濡れた多数の手が見えたとか、また、この後に建造された連絡船の
スクリューに、原因不明のひっかき傷がついていることがあり、
洞爺丸事故で海中に沈んだ犠牲者によるのではないか、などの話が残っています。

さてさて、日本は災害の多い国です。古代からくり返し襲ってきた地震や台風が、
日本という国柄や、日本人の心性を培ってきたのは間違いないでしょう。
自分が住んでいる近畿地方では、大規模な停電も起きているようです。
みなさんも十分お気をつけください。では、今回はこのへんで。

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事故物件と平賀源内

2018.09.03 (Mon)
今回はこういうお題でいきます。日本史のカテゴリです。
もう1ヶ月以上過ぎてしまいましたが、みなさんは、土用の丑の日の
ウナギを食べられたでしょうか。この日にウナギを食べると夏バテしない
という俗信の始まりを作ったのが、平賀源内という説がありますね。

平賀源内
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ウナギ屋から頼まれて、宣伝として広めたということですが、
その真偽ははっきりしません。ただ、日本初とされる歯磨き粉のCMソングを
作ったり、餅菓子の広告コピーを作ったりしているのは、史実として
確認されています。今でいうイベント屋みたいな仕事もしていたんです。

源内には、本草学者、蘭学者、医師、戯作者、蘭画家など、さまざまな顔があり、
その多才を生かして、いろんなことにかかわって生計を立てていました。
源内は、讃岐高松藩の足軽身分の家の三男として生まれましたが、
そのままでは一生はたかが知れています。

そこで、江戸で本草学(博物学、薬草学)を学んだり、長崎に留学したりして、
学問で身を立てようと志したわけですね。当時の武士は、旗本などでも、
家を継ぐことができる長男でなければ生活はたいへんでしたので、
医者になったり、私塾を開いたりする人が多かったんです。
戯作者の十返舎一九や曲亭馬琴なども、身分の低い武家の出身です。

さて、源内がさまざまな形で活躍できたのは、もちろん本人の才気の賜物
なんですが、鉱石や植物標本などのブローカーとして、
物産博覧会をたびたび開いていたおりに、当時、老中として
権力の絶頂にあった田沼意次の知己を得たことも大きかったようです。

田沼意次
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田沼は、賄賂政治を展開した悪徳政治家としての評価もありますが、
新進の気に富んだ産業振興者としての面も持っていました。
ですから、多方面にわたる源内の才能を高く評価し、
何かにつけて便宜を図ってやったことが知られています。

ここで、話変わって、事故物件というのはご存知でしょう。
いわくつき物件、訳あり物件、心理的瑕疵物件などとも言い、当ブログでも、
何度か取り上げている、怪談には欠かせないアイテムの一つです。
ただこれ、じゃあどういうのが事故物件かというと、なかなか難しいんです。

事故物件公示サイト「大島てる」
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例えば、ある部屋があって、そこで住人が自殺した、あるいは殺人があった、
これは明らかに事故物件ですが、自然死ならどうでしょう。あるいは老衰でも、
孤独死で長く発見されず、遺体がぐずぐずに傷んでいた場合など。
あと、ベランダから飛び降りをしたのなら、
その部屋で死んだということにはならないですよね。

ということで、様々なケースが考えられるため、部屋を借りた人側の、
「そのことを知っていたら契約はしなかった」という判断が、
一つの告知の基準になっているようです。
まあでも、今は、事件・事故があったことを隠す不動産屋は少ないですし、
また、賃貸料が安くなっている立地条件のいい事故物件を、
積極的に借りようとする人も多くなってきています。

事故物件
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さて、源内ですが、その死について、はっきりしたことが伝わっていません。
1780年に52歳で死んだことになっていますが、
その事情がよくわからないんですね。一説には、ある家の普請をめぐって、
大工の棟梁2人と争いになり、源内が斬りつけて大工側に死者が出たため、
切腹したものの死にきれず、獄内で破傷風で亡くなったとされます。

ただ、他の説もあって、それでは、源内は一生妻帯しなかった男色家であり、
男色のもつれから殺人を犯してしまったということになっているんです。
で、源内は引っ越し好きで、生涯で十数回転居しているんですが、
最後に住んだ家が、幽霊が出るという評判の事故物件だったようです。

源内が借りたのは、もともとは旗本の屋敷だったのが、
その旗本が屋内で切腹死し、さらにその後を借りた検校
(盲人の最高位で、金貸しを営むことが許された)が、法規違反で追放され、
その家の娘が井戸に落ちて亡くなったといういわくつきの家で、
さらに源内が獄死したことで、江戸市中は大評判になったとされています。

エレキテル
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ただ、源内自身は、長崎で手に入れたエレキテル(静電気発生機)を
修理して復元するなど、近代的、合理的な考えの持ち主であったため、
幽霊などの噂はまったく信じていなかったと思われます。
まあ、たまたま不幸が重なったということなんでしょうねえ。

さてさて、最後に、これほどの有名人である源内の死のいきさつが、
はっきりと伝わっていないのは、不名誉な死に方であったためなんだと思いますが、
じつは、獄中の源内を、田沼意次が助け出したという話があるんですね。
まあ、ときの老中ですから、やろうと思えばわけはないでしょう。

その後の源内は、越後三条に隠棲したとも、田沼の領地である遠州根良で
医者をやっていたとも、長崎から大陸に渡ったなどとも言われます。
もちろんどれも確証のない話ですが、源内のあふれる才能を惜しむ声が、
このような噂となったのかもしれません。では、今回はこのへんで。

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長い子どもの話

2018.09.02 (Sun)
先週の金曜のことでした。会社の帰りです。私はふだん電車で通勤してるのを、
その日はバスで帰ることにしたんです。ええ、仕事がたて込んですごく疲れてて、
バスだと定期は使えないんですが、混んでないので座っていけるし、
バス停も住んでる部屋の近くにあるんです。歩きたくなかったんですね。
それで、バスに乗ってみると、予想どおり座席は3分の1も埋まってませんでした。
長く乗るので、後ろのほうに座りました。
そしたら、そのときになってはじめて、熱っぽい感じがするのに気がつきました。
風邪だろうか。でも幸い、土日は休みだし。そう思って目をつむりました。
どのくらいたったか。うつらうつらしていると、顔に風があたる感じがして
目を開けました。そしたら、なんだかバスの中の空気が変な気がしたんです。
うまく説明できないです。空気がよどんでる・・・にごってる・・・

どっちもちょっと違いますね。ふるふるした寒天ゼリーの中に入り込んでるみたいな。
とにかく空気が重かったんです。でも、風邪のせいだろうと思いました。
もう病院はやってないし、部屋についたら薬を飲んですぐ寝てしまおう。
そう考えて一度目を閉じ、また目を開けると、通路に変なものがいたんです。
「え!」と思いました。だって、ほんの一瞬前、何もなかったのに。
しかも、すごく違和感のあるものだったんです。
子ども・・・ですね。身長の感じからは小学2,3年くらい。
後ろ姿だったので、そのときは顔はわかりませんでした。
頭は坊主で、しかも着物を着てたんです。青っぽい地に細かい模様が入った。
いえ、浴衣なんかじゃなく、もっと地味な・・・
そうですね、野良着って言えばいいのかもしれません。

ぱっと見の印象は昔の子どもです。それと、手に虫かごみたいなのを持ってました。
竹で編んだものです。で、その中が光ってたんです。黄緑と青の光。
それがゆっくりと明滅して、まるでホタルみたいに。
でも、そんな2種類の色のホタルなんていませんよね。
その子は、バスの通路の中央付近にまでいくと、胸の前に虫かごを持っていって、
フタを開けたみたいでした。ええ、それは見えなかったんですが、
車内に黄緑と青の光がふわっと舞ったんです。本物のホタルみたいに
不規則に飛んで・・・ここで、おかしいことに気がつきました。
席はあちこち空いてるんだし、子どもが通路に立ってるのなら運転手さんが
注意するだろうって考えたんです。でも、運転手さんどころか、
乗客の誰もその子に気がついていないみたいで。

それから、急にバスの照明が暗くなった感じがしました。
ホタルのように見えるものは空中で散らばって八方に分かれていき、
もちろん座席でよくはわからなかったですが、私には、そのときの乗客の一人ひとりに、
ホタルが一匹ずつ近づいていったように思えたんです。
あと、そうですね。思い出してみると、黄緑のホタルが多くて、
青が少なかった気がします。で、私のほうにも一匹の青いホタルがゆっくり飛んできて、
肩に降りようとしたので、とっさに手で払いのけました。
そしたらホタルは手にはあたらず、振った手のひらの勢いで床に落ちました。
でも、ほんとうにホタルか確かめることはできませんでした。
淡雪みたいに消えちゃったんです。するとそのとき、子どもが振り向いたんです。
顔に横のしわがたくさんあって、小さな目と口がしわに埋もれるようにして・・・

思わず、「キャッ!」と小さく悲鳴をあげてしまいました。頭の中に声が響いてきました。
いえ、意味だけが伝わってきたっていうか。「せっかくの恵みをムダにするものでないよ」
こんな内容だったと思います。それから、私のほうに子どもが歩み寄ってきて、
顔が急に伸びたんです。上にも下にも伸びて、身長と同じくらいになった頭が、
ゆらんゆらんと揺れて・・・それが限界でした。私は近くの降車ボタンを押し、
目をつむって頭を抱えました。しばらくして、バスが停まったので、
目を開けると、それはまだいたんです。頭はバスの天井につき、
アゴは床について、その分というか、体が細くなってました。私は、
「降ります」と叫んで立ち上がり、そのものの脇を目をつむってすり抜け、
途中のバス停におりました。そこからバスのほうを見上げると、
窓際に座ってる乗客のところで、青や黄緑の光がまたたいていました。

ますます熱が上がったみたいで、立ってるのもやっとだったので、
そこからはタクシーで部屋まで戻りました。部屋で熱を測ったら39度を超えてて、
そのまま薬を飲んで寝たんです。ものすごく具合が悪くて、
土曜日は1日中ダウン。なんとか水分だけは摂ってましたが、
やっと熱が下がったのが日曜の午後だったんです。
・・・私の乗っていたバスが事故を起こしてるってわかったのは月曜日でした。
ニュースで続報をやってたんです。あの金曜日、私が降りた後、
運転手さんが心臓の発作を起こし、バスが横向きになったところに後続車が追突、
さらに対向車も衝突して、死者が4人出る大事故になっていたんです。
あのおかしな子どもとホタルのせいなのか?でも、もうそのときには、
あれが現実にあったこととは思えない気もしたんです。

ええ、ここまでなら、私が熱にうかされて見た夢かもしれないですよね。
バスの事故はたまたまで、私は運がよかった・・・でも、続きがあるんです。
私の会社の同僚に、ある神社の娘さんがいるんです。
あれは水曜かな、その人と昼休みに食事をしに出ました。
そのとき、バスの中での話をしたんです。そしたら、最初は黙って聞いてたんですが、
子どもの顔が伸びたというところで、私の話をさえぎって、
「それ、悪いものだよ。私ほら、神社育ちだから知ってるけど、
 顔が伸びるものって、すごくよくないもののけだから。昔、見たことがあるんだ」
こんなことを言い出したんです。「お祓い受けなきゃダメだよ。それ、また来るよきっと」
でも、その実家の神社は遠くて、すぐに行けるところじゃなかったんです。
それを言うと、「じゃあ、実家から連絡してもらうから、

 明日の午前、年休とって○○神社でお祓いしてもらってきなよ」
この○○神社というのは、会社のある街の郊外の、わりに大きな神社なんです。
私が「でも、そんなことで」と言うと、「そんなこと、じゃないよ。
 バスの事故、4人も亡くなってるんでしょ。命にかかわるから」そう説得されて。
それで、朝、○○神社に行き、社務所に顔を出すと、「話は伺ってますから」
社殿に上って、かなり長いお祓いをしていただきました。その帰り、
「当社は龍神様を祀ってますから、これを当分肌身離さずお持ちください」
青銅製の龍の置物をいただいたんです。それから2日後の土曜日です。
それまで何事もなかったんですが、龍の置物はバッグに入れて持ち歩き、
寝るときはベッドの枕元に置いておきました。
その夜です。胸が重くて目を覚ましました。といってもまだ目はつむったままです。

ゆん、ゆん、と何かを揺らすような音が聞こていました。
金縛りっていうんですか、体は動かず、でもなんとか目は開けられそうでした。
ですが、たぶん目を開ければ、見たくないものを見てしまう・・・
ゆん、ゆん、ゆん、ゆん、思い切って目を開けると、真ん前に長いものがありました。
長さ2mもある、しわのよったバナナ・・・もちろん、目に入ったのはその一部だけですが、
頭の中に全体像が浮かんだんです。「食べなよ、食べなよ」声が流れ込んできて、
バナナの横についた短い手が、青く光るものをつまんでいました。
バスの中で見たホタル!? 「食べなよ、食べなよ、食べなよ」
手はそのホタルを私の口元に押しつけ、ゆん、ゆん、と長い頭全体を揺らしました。
唇がめくれ、生米のような感触が歯にあたって・・・
「そうだよ、食べなよ、食べなよ、食べなよ」そのとき、私の頭のほうで、

カツーンという大きな音が聞こえました。何が起きてるのかわかりませんでしたが、
ぐんと私の上にせり出してきたのは、巨大な龍の頭だったと思います。
カツンというのはアゴを打ち合わせた音で、「俺が食べられたあ!」という声を残し、
長い子どもの頭をくわえ込んだ龍が、そのまま上昇して天井板に消えたんです。
「あ、あ、あ」 私は声をだすことができ、指、手、腕という具合に、
少しずつ金縛りが解けていきました。上半身を起こすと、
部屋の中に嫌な気配はまったくなかったんです。それでも怖かったので、
枕元の龍を持ってファミレスで朝まで過ごしました。これで話は終わりですが、
部屋に戻ると、布団の中に骨のようなものがありました。20cmほどの長さで、
中がえぐられて、和紙を丸めたのがたくさん詰まっていました。それは、
〇〇神社に持っていってお焚き上げしてもらったんです。






においとオカルト

2018.09.01 (Sat)
ニオイの科学的研究が進んでいる。視覚や聴覚と並ぶ五感の一つながら、
あまり重視されていない嗅覚。だが近年、人間には驚くほど鋭敏な嗅覚が
存在することが明らかとなり、他の五感と同じように、
幻のニオイを感じている人が意外に多いことも分かってきた。

実際にはそこにあるはずがないニオイ、例えば、ゴムの焼けるニオイ
や生ゴミが腐ったようなニオイなどを感じたことはないだろうか。
本当は存在しない「幻臭」を、40歳以上のアメリカ人の6%が体験しているという。
今月16日付の科学メディア「Live Science」が報じている。
(GIZMODO)

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今回は、科学ニュースからこの話題でいきます。どんなことが書けるでしょうか。
まず、幻覚や幻聴という言葉はときおり耳にしますよね。
ところが、幻臭というのはあまり聞きません。
じゃあ、幻臭ってほとんどないのかというと、そうでもないようだというのが、
このニュースのポイントみたいです。

アメリカの政府系の調査で、40歳以上の約7300人の回答を分析した結果、
そのうち6.5%が幻臭を感じていると推計され、その中で女性が3分の2を
占めていることがわかったそうです。さらに、歳をとるほど、
幻臭を訴える人は少なくなっていくということです。

また、幻臭を感じる人には、① 頭部にケガをしている ② 口の中が乾く
③ 経済的に苦しい といった傾向があるんだそうです。
うーん、なるほど、①②の意味はわかる気がします。
においというのは、揮発性の化学物質を鼻の中にある受容体がとらえ、
神経を介して脳に信号を送り、それが脳内で「におい」として認識されます。

ですから、その場にあるはずのないにおいを感じた場合、
鼻の中に不具合があるか、脳内に不具合があるかのどっちかでしょう。
①の頭にケガをしているというのは、脳の不具合。②の口の中が乾くは、
風邪などで、鼻の中が不具合を起こしていると考えることができそうです。

③の経済的に苦しい、というのはよくわからないですが、
経済的に苦しい人は、栄養状態が悪かったり、体調を崩してても
病院に行けなかったりすることが多いでしょうから、
それによって幻臭のリスクが高まっているのかもしれません。

あと、このアンケート、どのくらいの信頼度が高いのか、ちょっと疑問な点も
あります。本当に周囲に何のにおいもなかったのかどうか、わからないですよね。
もしかしたら、建物の陰でタバコを吸ってる人がいたり、
体臭の強い人が近くにいたのかもしれません。

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ところで、やや話がそれますが、「スメハラ(スメルハラスメント 
臭いを原因として、周囲に不快な思いをさせる行為)」とか「加齢臭」とか、   
最近、においに関する話題が多くなってきています。
毎日、朝シャンをするという人もいますし、今の日本は、
驚くほどにおいに敏感な社会になってきているんですよね。

海外に行った方はわかると思いますが、日本は世界の中でもにおいの
少ない国です。ある国など、空港に着いただけで、
その国独特のにおいが押しよせてくるところもあります。
これ、どうなんでしょう。清潔嗜好と言えば聞こえはいいですが、自分は、
日本人は、あまりに神経質になりすぎているんじゃないかという気もします。

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さて、においに関するオカルト的な話題はいろいろあります。
例えば、「何もないはずの場所で、ふっと線香のにおいを感じたときには、
近くに霊がいる」とか、「下級霊がいる場合は、獣臭いにおいがする」とか、
「生霊は生ゴミやドブのようなにおいがする」とか、
ネットを調べてみると、「霊臭」という言葉まであるようです。

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どうでしょう、みなさんはそういうの信じられますか?
自分はあんまり信じてないです。ですから、自分の書いた怖い話でも、
においが中心になってるものは、ほとんどないんですよね。
ただ、実際にあるにおいの場合はまた別です。

ある研究では、人間は1兆以上のにおいを嗅ぎ分けることができるとされます。
ウイスキーや香水のテイスターには、伝説的な逸話がいろいろありますよね。
ある高名なブレンダーは、ウイスキーにあるはずのない花のにおいを嗅ぎとり、
調べてみたら、醸造用の水をとっている川の上流に、
わずかにその花が咲いているのを見つけたとかなんとか。

ジョー・マローン ブランドの香水


また、有名な調香師で、10万分の1に希釈した水溶液中の化学物質を
特定できるといわれるジョー・マローンさんは、夫の体臭がいつもと違って
いることに気がつき、病院に行くことを勧めたところ、
はたして、命にかかわる病気が早期発見されたなんて話もあります。

これは訓練によるものなんですが、一般の人でも、
親しい人や家の中に、ふだんと違うかすかなにおいが
あるのに気づくことができるのかもしれません。
ただ、それが何かわからないので、不安な思いだけが頭の中に残ってしまう。
そういうことは、あっても不思議はない気がしますね。

最近のニュースで、体長1mmほどの線虫を用いて癌検診を行うというのが
ありました。この線虫には人間の100万倍以上の嗅覚があり、
尿一滴から、胃がんや大腸がんなど10種類のがんについて、
その有無を判別でき、検査の精度は9割以上にもなるそうです。
これが実用化されると、癌検診に革命が起きるかもしれません。

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さてさて、最初の幻臭の話に戻って、上記の調査では、幻臭を感じても、
そのために病院に行ったという人は、全体の11%しかいなかったそうです。
これが幻覚なら、ほとんどの人は受診するでしょうが、においの場合は、
「ま、いいか」で済まされるケースが多いようです。ですが、もしかしたら
重大な病気にかかっている可能性も否定できません。やはり、
病院には行ったほうがいいと思いますね。では、今回はこのへんで。