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宜保愛子とロンドン塔

2018.10.31 (Wed)
地味な話題の続きです。今回はヨーロッパにおける塔の話をしたいと思います。
また、昭和の最大の霊能者であったと言われる宜保愛子氏も登場します。
さて、ヨーロッパの塔は、教会や城などの建物に付属したものが多いですね。
その他、広場の時計塔などもありますが、
もちろんこれは、機械時計が発明されて以降のものです。

ロンドン塔
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で、お城などの塔には、幽霊が出ると言われることが多いですよね。
これは、塔が、ともすれば囚人を幽閉する監獄の役割を果たしていた場合が
あるからです。塔の最上階に囚人を閉じ込め、
その下の階に見張りを配置すれば、出ることができません。

監獄の塔として有名なものには、フランス・パリ3区にあった修道院に付属する
タンブル塔があります。フランス革命時、ルイ16世一家が監禁され、
以後、監獄として使われるようになりました。あとはもちろん、
イギリスにあるロンドン塔ですね。ここは、数々の不幸な囚人を収監しており、
たくさんの幽霊話が今でも残っています。

テムズ川の岸辺に建てられた城砦で、正式名称は「女王陛下の宮殿にして要塞」。
ロンドン塔は、たんに監獄として使われるだけではなく、拷問や処刑も
行われました。現在の展示物には、甲冑や武器の他に拷問具もあります。
たくさんの王族や貴族がここで処刑されていますが、

ヘンリー8世
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よく知られているのはヘンリー8世の妻たちです。16世紀のイングランド王、
ヘンリー8世は計6人の妻を持ちましたが、
当時、カトリック教会では離婚は禁止でした。そのため、
王は、妻のうちの2人をこの塔で斬首刑にしています。えーと、
2番目の王妃のアン・ブーリンと、5番目のキャサリン・ハワードだったかな。

どちらも、密通の罪だったんですが、これは王が離婚したいための、
でっちあげの冤罪だったと現在では考えられています。
ロンドン塔には、そのアン・ブーリンの首のない幽霊が出ると言われますね。
結局、離婚をめぐってヘンリー8世はローマ法王から破門され、
しかたなく、独自に英国国教会をうちたてているんです。

アン・ブーリン 処刑してしまうには もったいない美人に思えます
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ずいぶん身勝手な話ですよね。こういう歴史があるので、
イギリスではキリスト教はあまり盛んではありません。その分、魔法や幽霊などの
オカルト話を、他のヨーロッパの国々よりも信じる(というか面白がる)傾向が
強いんですね。J・K・ローリングの『ハリーポッター』シリーズも、
そういう下地のもとに書かれているんです。

あとは、15世紀、12歳で王位についたエドワード5世。
叔父によって王位を簒奪され、弟のリチャードとともにロンドン塔に幽閉されて、
いつのまにか行方不明になってしまいました。まあ、殺されたとしか考えられませんよね。
事実、17世紀の塔の改修時、木箱に入った子どもと考えられる遺骨が発見されています。
この2人とみられる子どもの幽霊の話も、ロンドン塔にはあります。

さて、宜保愛子氏はご存知でしょう。1980年代、テレビで稀代の霊能者として
取り上げられ、たくさんのレギュラー番組を持ち、
著書も多数出版されてベストセラーになっています。4歳のとき、
左目に火箸が落ち失明寸前となり、1年ほど闘病生活を送った後、
霊能力に目覚め、霊や、過去、未来のシーンが見えるようになったということです。

宜保愛子氏
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ただし、その能力について、懐疑的な噂もつねにつきまとっていました。
この宜保愛子氏が1993年、日本テレビで放映された『新たなる挑戦II』
において、ロンドン塔におもむき、ブラディ・タワーの最上階で、
天蓋つきのベッドに座った2人の男児を霊視しています。
これが、上記したエドワードとリチャードの2人だったとされます。

ですが、じつは、2人の子どもが幽閉された当時には、その階はなく、
後年に増築された場所だったんです。さらに、宜保愛子氏の霊視内容は、
夏目漱石がイギリス留学時の体験をもとに書いた小説、
『倫敦塔』の描写に酷似していることが指摘されています。

漱石の作品のその部分を引用すると、「石壁の横には、大きな寝台が横わる。
この寝台の端に二人の小児が見えて来た。一人は十三・四、
一人は十歳くらいと思われる。幼なき方は床に腰をかけて、
寝台の柱に半ば身を倚たせ、力なき両足をぶらりと
下げている。右の肱を、傾けたる顔と共に前に出して年嵩なる人の肩に懸ける。

年上なるは幼なき人の膝の上に金にて飾れる大きな書物を開げて、
そのあけてある頁の上に右の手を置く。
象牙を揉んで柔かにしたるごとく美しい手である。」 こんな感じですが、
そもそも、この漱石の描写は、フランスの画家、ポール・ドラローシュの
「塔の中の王子」という絵画から影響を受けていると言われてるんです。

下に作品を掲載しますので、比較されてみて下さい。
ただし、何もこれは、漱石が盗作しているということではなく、
絵画をモチーフに小説化したということでしょう。
宜保氏の人気はずっと続いていましたが、1995年オウム真理教事件が起こり、
それ以降テレビ出演は激減し、2003年、胃がんのため71歳で死去しています。

ポール・ドラローシュ「塔の中の王子」
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さてさて、ということで「塔シリーズ、第2回目」でした。
あと、今回登場した宜保愛子氏については、自分はいろいろと裏の事情を
知ってますので、機会があれば書きたいと思います。
塔シリーズもまだ続けます。では、今回はこのへんで。

関連記事 『夏目漱石とオカルト』

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塔の話

2018.10.30 (Tue)
ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』
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今回はこのお題でいきます。世界各地には、さまざまな塔がありますよね。
日本だと、仏教寺院にある五重の塔を思い浮かべる方が多いでしょう。
中国だと楼閣、西洋だとお城や教会の塔、イスラム教のモスク、
まだまだ他にもたくさん、その地域独自の塔があります。

さて、塔という言葉の定義、これはあってないようなものですが、
一般的には、「接地面積に対して高さの比率の大きい建築物」に使われることが
多いでしょう。例えば、エジプトのピラミッドはかなりの高さがありますが、
底面積も大きいので、普通は塔と言われることはありません。

では、塔は何のために造られたのでしょうか?これがなかなか難しい。
実用的な面と、宗教的な面が入り混じっている場合が多いんです。
例えば、ヨーロッパの塔の歴史を遡っていくと、ギリシア・ローマ時代の
「見張り塔」に行き着きますが、これは軍事用のものです。

イスラム教寺院の塔
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また、古代のメソポタミアに見られる塔「ジッグラト」は、もともとは洪水を
見張るためのものだったと考えられています。それが後代に、宗教的な意味を
持つようになっていった。日本の場合、古代の建物はほぼ木造であったため、
柱穴だけが発掘で見つかることがほとんどで、その上部がどうなっていたかは、
想像するより方法がありません。再現が難しいんです。

吉野ヶ里遺跡の物見櫓 上部の構造は想像上のものです
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ただ、大きな柱穴の跡は、環濠の柵の近くに見つかることが多く、
軍事的な見張り塔であった可能性が高いでしょう。弥生時代の遺跡、
佐賀県の吉野ケ里でもそうでした。また、縄文時代の、
巨木を用いた建造物が日本海沿いに見られ、宗教的な遺構である可能性が
指摘されますが、はっきりしたことはわかっていません。

三内丸山遺跡の掘立柱遺構
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さて、オカルトで「塔」というと、まず思い出されるのがタロットカードの
大アルカナの一枚である「塔 The Tower」でしょうか。
このカードは、大アルカナの中でも最悪の意味を持つとされています。
下に、最も一般的なタロットカードの画像をあげておきます。

タロットカードの「塔」
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天から稲妻のような矢印が塔の上部を直撃して、炎が上がり、
王冠が吹っ飛び、2名の人物が塔から墜落していますね。
このカードの意味するところは「破綻・破滅」です。
悪い意味のタロットカードには、他にも「死神 Death」などがありますが、
タロット占いは、カードの出方が正位置・逆位置で意味が違ってきます。

「死神」の場合、正位置は、そのものずばり「死」ですが、
逆位置で出ると「再スタート、挫折から立ち直る、再生、起死回生」などの
よい意味になります。それに対して、「塔」は正位置が「破壊、破滅、崩壊、災害」、
逆位置が「突然のアクシデント、不幸、無念、屈辱」など、
どちらも悪い意味となる唯一のカードなんです。

最近の日本のタロット占いだと、「塔」が出てしまうと、気の毒なので、
「これまでの自分の悪い部分が死に、よい部分だけが再生する」
などと言ったりしますが、これは間違いで、本来はいっさいの救済のない
卦なんですね。では、このカード、何を起源としているんでしょうか。

これには2つの説があります。一つは、塔は「神の家」を表しているとするものです。
こちらのほうが、どちらかというと正統的な解釈です。もう一度画像をごらんください。
「神の家」とは、キリスト教会を表す隠語で、カトリックの頂点はローマ法王ですよね。
絵に出てくる宝冠は、そういう既存のキリスト教権威の象徴です。

神の教えが形骸化し、ただ権威と権力だけが高まり、豪華な教会建築の中に
閉じこもって、神の慈悲にすがろうとしなくなった人々に対し、神が罰を与えていると
解釈されます。ですから、このカードが出た場合の救済はないんですね。
もう一つの説は、この建物が「バベルの塔」であるとするものです。

バベルの塔もオカルトではよく登場する言葉で、日本のアニメにも
「バビル2世」というのがありました。出典は、『旧約聖書』の「創世記」です。
ノアの洪水で神が一度世界を滅ぼした後、神はノアの家族に対し、
「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と命じました。

ところが、ノアの息子ハムの孫ニムロデは、「地に満ちるように」という神の命令に
逆らい、シヌアルの地に定住し、高い塔を建設するよう人々を扇動し始めました。
天に届くほどの塔によって、その町に人を集めようとしたわけですね。
神はこれを見て、その傲慢にお怒りになり、
建設中の人々の言葉を互いに通じないようにされました。

そこで人々はしかたなく、言葉が通じる同士集まって、
各地に散らばっていったわけです。まあ、世界各地に
さまざまな言語があることの起源説話なんですが、ここで、聖書には
神が塔を破壊したとは書かれていません。これは同じく聖書に、「神はノアの洪水の後、
けして人々を洪水などで殺さないと自身に誓った」とあるからです。

エ・テメン・アン・キのジッグラト (現イラク)
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さて、バベルの塔のモデルですが、バベルはバビロンの古称で、
古代メソポタミア地方にあった神殿、ジッグラト群であると考えられています。
中でも、紀元前6世紀、バビロンのマルドゥク神殿に築かれた、
「エ・テメン・アン・キのジッグラト」をバベルの塔に比定する研究者が多いですね。
これ、紀元前20世紀?ころにシュメール人が造り始め、放棄されていたのを、
新バビロニア王国時代に完成させたと言われる、すごいものなんです。

さてさて、タロットカードの話をしていたら異常に長くなってしまいました。
タロットの「塔」は、神の怒りに関連したものなので、救済がないんだろうと
自分は考えています。やはり、塔と宗教には深い関連があるようです。
この続きはまた書く機会があるでしょう。では、今回はこのへんで。




血塊の家の話

2018.10.29 (Mon)
今晩は、じゃあ、話していきます。去年の夏休みですね。
ああ、俺、ある大学の2年生なんです。お盆過ぎたあたりでしたね。
長い休みをちょっともてあましてたところ、清田って友だちから、心霊スポット探索に
行かないかって話があったんです。「金かからんのなら行くよ」
ふたつ返事で承知しました。話を聞いてみると、なんでも心霊系の雑誌の先月号に、
関東某県にある心霊スポットが紹介されてて、そこがすごい建物の雰囲気よかったから
ってことでした。心霊スポットの雰囲気がいいってのも変ですけど、
俺ら、専攻が建築学なんですよ。だから、ただの面白半分じゃなく、
実地見学もかねてってことです・・・まあ、こじつけなんですけどね。
その建物は、バブル期に建てられ、しばらく使われた後に放置されてる別荘だったんです。
これ、後になって調べたんだけど、そういう場所ってけっこうあるんです。

別荘地っていうと、軽井沢が有名ですけど、あの周辺に、
新しく開発されて、その後放置された別荘地ってあちこちあるんです。
もう別荘で過ごすお金の余裕がなくなって、かといって売ろうとしても売れない。
そのうちに管理費用も払わなくなって、電気や水道がきれた状態で放置されてる家。
それでも固定資産税はかかるから、まさに負の遺産ってわけです。
で、隣近所の別荘もみんなそんな感じで、放置された初期の頃に泥棒が入って、
中の金目のものはみんな荒らされてる。まあ、そういう場所です。
でね、中には有名建築家に依頼して建てたのもあって、
雑誌に掲載されてたのも、そんな一つでした。
「どうやっていくんだよ?」 「1泊2日。ワンボックスのレンタカーを
 借りていく。運転は俺がするよ。あと、岸島も来ることになってる」

「その別荘に泊まるのか?」 「いや、たぶん中はホコリだらけだと思うから、 
 車中泊を考えてる。3人なのにワンボックスを借りるのはそのためだよ」
「ははあ、体、痛くなりそうだな。でも、面白そうだ」
「だろ、その家を建てたのは、〇〇競技場を設計した建築家がまだ無名だった
 ころって話だぜ」 「ふーん、たしかに勉強にもなるな。
 俺はのるけど、建物の中に入るのは違法だろ」 「そうだけど、おそらく
 雑誌社のやつらも許可なんかとっちゃいない。それに山の中でまわりの別荘も
 すべて空だ。別に問題ないだろ」 「そうだな」
こんな話になって、8月の27日、午後から車で出かけたんです。
道中は3時間半ほどかかりましたね。もっと早く行けたんでしょうが、山の中に
入ってからナビがきかなくなって。その別荘地を見つけるのに時間がかかって。

でね、その建物、けっこうな高地にあったんです。植物相が変わってましたから。
道もガードレールはありましたが、険しい崖が多かったです。やっと見つけたのは、
白い壁の洋風の建物で、そうですねえ、教会のようにも見えました。
着いたときには夕方の時間帯でしたが、夏なのでまだ明るかったです。でね、
まず建物の周囲を回って写真を撮りました。2階建てで、外から見た感じでは、
部屋数は6から7だと思いましたね。あと、変だなあと思ったのは、
2階の屋根を突き破る形で、妙なものが外に出てたんです。どう説明すればいいのかなあ。
チューリップの茎をハサミで途中で切ったような感じ。
微妙にカーブした赤い色のそれが、3mほども空に伸び上がってたんですよ。
何なのかはまったくわかりませんでしたね。それで、車を置いた草地に戻ってくると、
別の大きな外車が隣に停まってて、残ってた清田が人と話してました。

それ見てね、ああ、マズイ、何かトラブルかって思ったんです。相手はやっぱり3人で、
女が一人入ってました。それがね、3人とも俺らと同じくらいの齢に見えたんです。
俺と岸島が近づいていくと、清田が「ああ、この人たちね、別荘の持ち主なんだって」
そう言いました。すると、その中の一人が、「あ、持ち主っていうか、
 親父が持ってる別荘なんです。でもね、使わなくなってからもう15年くらいたちます。
 僕ら、東京の大学生なんですけど、僕が子どもの頃に行った別荘の話をしたら、 
 見たいっていうから、ドライブがてら来てみたんです。道に迷っちゃって、
 すごく時間かかっちゃいましたけど」ああ、俺らと同んなじだと思いました。
「話は聞きましたよ。この建物、有名な建築家が建てたものなんですってね。
 知りませんでした。僕らもね、中をひと回りしたら帰るつもりですから、
 いっしょに中を見てみませんか」こんなふうに言ってくれたんです。

でね、その3人、言葉遣いとか、あと着てるものも高そうで、
俺らとはだいぶグレードの違う大学のやつらだと思いました。
「中の写真撮ってもいいですか」そう聞くと、「ああ、ぜんぜんかまいません」ってことで。
昔はさぞ立派だったろう洋風の庭を通って玄関口まで来ると、
やはり荒らされてて、玄関の扉のガラスが全部落ちてました。
そっから入れそうだったのが、別荘の持ち主だという人が鍵を出して開けたんです。
中はね、かなりひどいホコリで、足跡もいくつかついてました。
けど、スプレーの落書きなんかはなかったです。入ってすぐ、けっこう広い
ホールになってて、ぜいたくに空間が使われてました。
でね、その中央に不思議なものがあったんです。周囲が1m以上、
一抱えはありそうな球根状のものが地面から生えてて、

それが1階の高い天井を突き破ってて。あの、2階の屋根から見えたものの
下の部分なんだろうと思いました。 「これ、何ですか?」
向こうも首をかしげて、「何だろうなあ、植物の一部に見える。こんなの前は
 ありませんでした」そんな感じだったんで、近寄ってさわってみました。
そしたら、ごつごつして見えるのに、意外に柔らかく、暖かかったんです。
ドクン、ドクンという鼓動のようなものまで感じられました。
そしたら後ろにいた清田が、「わからんけど、それ、お前にとってすごく大事なものだと思う」
「え、何で?」 「いや・・・まあ」 「変なやつだな」1階を案内され、またホールに戻って、
2階への階段を上がりました。そのときに俺、何だか頭が痛くなってきたんです。
でね、2階の床からさっきの植物が突き出て、さらに上の天井を破ってました。
色が、1階では緑がちだったのが、赤黒く変わってて、中央部分にこぶがあったんです。

「あれ、あの3人は?」俺らのすぐ先を上ってた3人の姿が見えなくなってました。
すると岸島が唐突に、「あの3人は死んだよ。死んだ人なんだ。それに俺たちも」 
「え!?」 清田が植物のこぶの裏に回り込み、「来てみろよ、これ、お前みたいだぞ」
「何だよ、お前ら、さっきから何言ってるんだ」清田のいる側に出て 指さすほうを見ると、
植物のこぶには無数のしわが寄って、盛り上がった部分に顔が浮き出てました。
それ、俺の顔だったんです。「!?」ズキン、頭の傷みが強まり、岸島が近づいてきて、
「これで切れよ」と刃物を出し、清田が、「お前には助かってほしいんだよ」
そのとき俺は頭の傷みでわけがわらなくなってて、いつの間にか受け取ってた
刃物をやみくもに振り回してたんです。「うう、痛え、痛てえよう」
植物に刃があたったのか、突き出てる俺の頭がぱっくりと裂け、
大量の血がしぶきました。「ああ、痛てええええ」俺が覚えてるのはそこまでです。

こっからは後日談になります。俺は病院で目を覚ましたんです。
開頭手術を受けてから3日後のICUでです。それから、ゆっくりと回復していき、
自力でトイレに行けるようになったのは3週間後でした。
事故にあったんですね。時間帯からすると、俺らがあの別荘を出て帰る途中のこと
だと思います。ワンボックスカーが崖から転落し、
岸島と清田は即死だったようです。俺はかろうじて生きてましたが、
発見者の連絡で救急搬送され、硬膜外血腫ってことで、
緊急の開頭手術になったんですね。かなり生存確率は低かったみたいですが、
なんとか成功して、3ヶ月後に退院しました。幸いというか、後遺症は特にないです。
でね、清田と岸島の葬式はとっくに終わってたんで、墓参りと、自宅に線香を上げさせて
もらいに行きました。運転してたのは清田だし、俺が責められるということはなかったです。

あと、別荘であったあの3人なんですが、いろいろ調べたら、
俺らが事故った場所からやや離れたところで、その2年前に転落事故があって、
3人死んでたんです。顔写真は出てなかったけど、男2人、女1人。
それから、今年の夏休み、一人であの別荘に行きました。
金かかりましたけど、電車とタクシーで。中の間取りは、
俺が夢?で見たのと同じでしたけど、あの建物を突っ切ってた植物のようなのはなく、
屋根にも穴は開いてなかったんです。まあ、こんなところなんですが、
警察から俺の持ち物が戻ってきまして。ほら、俺、あの家の中の写真を撮ったじゃないですか。
そのデジカメ壊れてなくて。でね、画像を見てみましたら、
写ってるのはどれも、赤く暗いぐちゃぐちゃしたもので、人間の体内、
もっと言えば、俺の頭の中なんじゃないかと思いました。今、ここに持ってきてますよ。





新田義貞と3本の刀

2018.10.28 (Sun)
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今回はこういうお題でいきます。日本史のカテゴリですね。
あんまり怖い話にはならないと思います。さて、新田義貞は、『太平記』に
登場する武将の中で、楠木正成、足利尊氏と並ぶ3本の柱の一人ですが、
他の2人に比べるとマイナーというか、歴史的評価もあまり高くないですよね。

『太平記』は戦前、天皇に忠義をつらぬく物語として皇国史観に利用され、
その反動から、戦後はあまり読まれなくなりました。
中学校の古典教材に『平家物語』は出てきても、『太平記』が出てこないのは、
『平家物語』のほうが文章が優れてるためだと思いますが、
そのあたりの事情もあるんじゃないでしょうか。

足利尊氏
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その分、実証的な歴史研究が進み、戦前は悪逆非道呼ばわりされていた
足利尊氏が、武士階級の利益の代弁者としてやむなく戦わざるを得なかったとか、
忠義の鏡とされた楠木正成は、「悪党」という、商業にも関わった
反体制的な集団の一員であった、などというように再評価されてきています。

ただ、新田義貞についてはあまり評価は変わらないんですね。
もちろんヒーローの一人ではありますが、育ちのよいぼんぼんだったとか、
戦いが下手だったのに、源氏の正嫡だったために総大将にされたとか、
そういう内容が多いんです。

まあこれは、鎌倉幕府を滅ぼすまでは破竹の勢いだったのが、
その後の足利高氏との戦いではいいところがなく、
湊川で楠木正成を自害させてしまったことや、最期も、流れ矢にあたるという
あっけないものだったことから、そう言われてもしかたがない面があるでしょう。

さて、この新田義貞ですが、3本の名刀を持っていたとされます。
ただし、どれも史実かどうかは疑わしい話です。まず一本目の刀は、
前にも記事に書いていますが、「鬼切安綱」と呼ばれるものです。
これは新田が、戦いに出た最初から持っていたと見られます。

鬼切安綱は、もとは坂上田村麻呂が伊勢神宮に奉納したものを、
源頼光がもらい受け、さらに配下の四天王の一人である渡辺綱に与え、
それが八幡太郎義家から新田家に伝わり、代々家宝として受け継いできたとされます。
渡辺綱がこの刀で、酒呑童子の一の家来、茨木童子の腕を斬り落とした話は有名で、
そこから「鬼切」の名前がついたわけです。

茨木童子と戦う渡辺綱
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この刀は、藤島の戦いで新田の首を上げた斯波高経の手に渡り、
足利尊氏がその刀を求めたところ、高経は偽物を渡し、
あとで尊氏がそのことを知ってたいそう悔しがった、という話が残っていますね。
高経の後は最上家に渡り、現在は北野天満宮に奉納されているようです。

もう一本の刀は「鬼丸国綱」、新田が、倒した鎌倉幕府の北条家から
奪い取ったものです。この刀にも鬼に関わるエピソードがあり、
鎌倉幕府の初代執権、北条時政が毎晩夢の中で小鬼に苦しめられており、
その後、別の夢に白ひげの老人が現れて、「私は太刀国綱である。刀身が錆びて
鞘から抜け出せないので、小鬼を退治したければ錆をぬぐってくれ」と言った。

時政がそのとおりにして、寝所の壁に立てかけておくと、夜中に倒れて
刀身が鞘からするすると抜け出し、近くにおいてあった火鉢の足を斬った。
見るとそれは銀で作られた鬼の形をしており、それ以来、
夢の中で子鬼に苦しめられることがなくなった、という話があります。

鬼丸国綱
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あと、二刀流といえば宮本武蔵が有名ですが、『太平記』には、
新田義貞は戦いに際し、この「安綱」 「国綱」の2本を両手に振り回して、
飛んでくる矢をすべてなぎ払った、と出てきます。国綱のほうは、
上記の斯波高経から尊氏の手に渡り、足利家で代々伝えられた後、
織田信長、豊臣秀吉を経て、現在は天皇家の御物になっています。

さて、最後の1本。これが最も有名でしょうが、どんな刀なのか、
名前もわからないんですね。1333年、鎌倉に大群を率いて迫った新田義貞は、
三方が山で囲まれる天然の要害である鎌倉を攻めあぐね、
海側から入ろうとしましたが、なかなか潮が引かない。
そこで、稲村ヶ崎において、腰に差していた黄金拵(こしらえ)の太刀を

龍神に祈りを捧げて海中に投じると、たちまちに潮が引いて進軍することができ、
この翌日の戦いで、鎌倉幕府と北条氏一門は滅亡することになります。
これは、『太平記』中の前半のハイライトシーンですが、
海に投じられた刀については、よくわかってないんですね。
安綱や国綱ではないことは確かです。

鎌倉 稲村ヶ崎
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まあ、史実ではないのだから、わからないのは当然と言われればそれまでですが、
それも夢のない話ですので、少し考えてみると、まず黄金拵というのは
鞘や柄のことで、刀身そのものが金でできていたわけではないでしょう。
金はやわらかく刃もつけにくいので、実用にはなりません。

それと、絵などには通常の太刀が描かれることが多いですが、それだと、
その後の戦いに困りますよね。脇差、あるいは懐刀のようなものじゃなかった
でしょうか。たしか、NHKの大河ドラマ『太平記』でも、
短い刀として考証されていたような記憶があります。

さてさて、ということで、なかなかスポットのあたりにくい新田義貞に
ついて書いてみました。もし、南朝側の総大将が、源氏の嫡流の新田ではなく、
身分の低い楠木正成になっていたら、その後の歴史は変わっていたかもしれません。
では、今回はこのへんで。






ハロウィンケーキ特集

2018.10.27 (Sat)
ブログ中断前は毎年やってました、ハロウィンケーキの特集です。
今回はモチーフ別にいきます。画像のほとんどは外国の販売見本写真から
取りましたが、著作権侵害等ありましたらご一報ください。
画像はクリックで拡大できます。

① かぼちゃ ジャック・オー・ランタン pumpkin Jack-o'-Lantern
名称未設定 1

② 墓地 cemetery
名称未設定 2

③ 目玉 eyeball
名称未設定 3

④ 頭蓋骨 skull
名称未設定 4

⑤ 蜘蛛 spider
名称未設定 5

⑥ お化け spook
名称未設定 6

⑦ 黒猫 black cat
名称未設定 7

⑧ 血 blood
名称未設定 8

⑨ 悪趣味 bad taste
名称未設定 9

⑩ 悪趣味2 bad taste 2
名称未設定 10

⑪ こんなの食べられない I can't eat it.
名称未設定 12




ゴミ屋敷の清掃の話

2018.10.27 (Sat)
特殊清掃の会社に勤めてたんですよ。体悪くしてやめちゃいましたけどね。
ええ、仕事はきつかったです。肉体的にもだけど、精神的にもね。
ああでも、特殊清掃については、誤解されてる部分もあるんです。
俺らは、基本的には遺体を扱ったりはしないですから。
例えば、ある家で孤独死があったとします。死体はグズグズに腐った状態で、
1ヶ月後に発見された。こういう場合、死体を運び出すのは警察です。
検屍、場合によっては司法解剖しなくてはなりませんから。
で、その後に死体を扱うのは葬儀社なんですよ。
だからね、俺らが直接死体を目にするってことはまずありません。
ま、肉ごと髪の毛のこびりついた畳や、人の形をした体液が死体じゃないって
言うならね。そういう仕事は、特殊なマスクしてやるんですが、気が滅入ります。

あとね、俺はできなかったけど、班長はお経知ってましたね。
まず清掃に入る前、それから片づけが終った後、作業員がみなで集まって
手を合わせてました。そんときに班長が短くお経を唱える。
それから、ゴミ屋敷の清掃もあります。これ、テレビに出てくるのは一軒家が多いけど、
じつはアパートやマンションの部屋のほうが何倍もあるんです。
まあでも、賃貸の部屋の場合は楽です。せいぜいが1部屋か2部屋だから。
けどね、田舎の一軒家だと部屋数も多いし、天井につくまでゴミが積み上がってる。
でね、その下のほうなんかはドロドロに溶けてるんですよ。
そこに虫やネズミがすみついてる。だから、虫が嫌いな人間には絶対に務まらない。
俺の同僚で、ネズミに手を噛まれたやつがいまして、もちろん分厚い手袋をして
やるんだけど、それを通して歯が刺さっちゃった。

そいつはバイ菌に感染して、あぶなく脇の下から切断ってことになりかけたんです。
あと、意外なところでは感電。ほら、電源コードの上にゴミが積み上がってるわけでしょ。
そのゴミの床部分が液状化してる。だから漏電してる場合がありまして。
そっから火事になったりもします。一人暮らしの住人が、火災で死亡って場合、
けっこうな割合でゴミ屋敷だったりするんです。いったん火が出ればゴミは燃えやすいし、
住人は気がついたとしても、ゴミに通路を塞がれてて、簡単には逃げ出せないですよね。
ああ、すみません。仕事内容の話ばっかりして。で、あるときにやった
ゴミ屋敷の清掃の話なんです。特殊なケースで、中規模の市の一軒家がゴミ屋敷と化してて、
住んでたのは高齢者の男性一人、その人はほぼ毎日、近くのコンビニで
食料とか買ってたんですが、数日姿を見せない。でね、近所の人が相談して警察に
通報したんです。これは中で死んでるかもって思ったんですね。

警察が立ち入り捜査して、中は本格的なゴミ屋敷。ええ、6つある部屋が全部、
あと風呂もトイレもゴミでいっぱいでね。でも、警察は住人を見つけられなかったんです。
でね、ゴミとはいえ、所有権のある立派な財産なんですよ。
勝手に捨てることはできない。だから、その老人の家族に連絡しました。
遠く離れたところに娘さんが一人いて、その人の許可をとって、
市役所に行政代執行してもらうことになった。で、俺らの会社が委託を受けたんです。
ゴミ屋敷の清掃の場合、まず最初に見積もりをするんですが、
その結果、ゴミの量は70L入りのゴミ袋で400袋、4トントラック3台分てことでした。
これを清掃するには、4人がかりで3日くらいかかるんですが、
この場合、清掃はいらない。とにかくゴミをまず搬出することになります。
それで、班長と俺ら作業員の計4人でその屋敷に向かいました。

ある程度事前に話は聞いてましたので、気味が悪かったですよ。
ゴミの中からその行方不明のじいさんの死体が出てくるかもしれないわけだし。
でね、班長の指示にしたがって、まず通路を確保しました。
ゴミを運び出すための動線をつくるんです。あと、一人は道路トラック内に待機。
で、1階の奥の部屋から片づけ始めましたが、そこで奇妙なことに気がついたんです。
ゴミがきれいなんですよ。ゴミがきれいというのも変ですが、
ほとんどのゴミがゴミ袋の中に入ってる。ふつうはもっと散らばってるもんなんです。
それと、臭いが少なかったんです。つまり、生ゴミみたいなものが少ない。
あとね、ゴミ袋は大きいやつでしたが、その市で使われてる回収用のとは違うもので、
白くて半透明で何も書かれていない。で、その中に妙に軽いやつがあったんです。
ふわっと持ち上がってしまうような。その袋を透かしてみると、

白い短冊みたいな紙がたくさん入ってまして。詳しくは見ませんでしたけど、
どれも黒い字が書かれてるようでした。でね、そんなんだから、
計画よりも早く片づいていったんです。1日目で階段周辺をのぞいて1階が終わりました。
畳や床板はそんなに痛んでなかったし、生活用品もほとんどなかったです。
それと、一番奥の和室が6畳間だったんですが、そこにね、でかい神棚があったんです。
部屋の半分くらいを占めるような。ええ、仏壇じゃなく神棚で、扉は閉まってました。
で、2日目、9時前にその家に着いて、まず階段のゴミを片づけだしました。
2階に上がれるようにね。俺が階段の上のほうで大きなゴミ袋を抱えたとき、
ばっと、顔に何かが飛び移ってきまして。目の端に大きなムカデの尾が見えました。
俺は、「うわあ!」って叫んで、バランスを崩したんです。悪いことに、
その階段、手すりも何もなくて、俺、横の空間に落っこっちゃってね。

ただね、階段まわりのゴミはまだ片づいてなかったんで、頭からゴミ袋の山に落ちて、
ずぶずぶって下まで潜っていって・・・ゴンって頭を固いものにぶつけました。
それ、床だと思ったんですが、そうじゃなく、天井だったんです。
あたりは真っ暗で、ただゴミ袋の感触はなし。動くとまた頭をぶつけそうだったんで、
しばらくじっとしてたら、だんだんに目が慣れてきて・・・
顔にクモの巣の感触がありました。で、ずっと向こうに白い空間が見えたんで、
そっちに向かってそろそろ這ていったんです。頭を出してみたら、
草が生えてましてね。上を見上げると古い白木の建物・・・
俺、高床の神社の床下にいたんですよ。あたりは薄暗く、夕方だと思いました。
完全に這い出て立ち上がると、かなり大きな神社だったんですが、
その形がね、ゴミを片づけてた家にあった神棚に似てたんです。

まあ、神社のつくりはどこも同じようなもんでしょうけどもね。
何が何だかわけわからず、呆然と立ちつくしてました。そしたら、ややあって、
神社の横手から、白い着物を着たばあさんが出てきたんです。
白髪を振り乱した、ホラー映画にでも出てきそうなばあさん。それが手に、
中身が半分くらい入った白いゴミ袋を持ってました。で、俺を見つけると、
口から泡を飛ばして、俺に向かって走ってきたんです。
すごい勢いで、俺は怖くなって横によけたんですが、ばあさんに着てるものを
つかまれまして。そのときにね、自分が会社の作業着じゃなく、
ばあさんと同じような白い着物を着てることに気がついたんです。
ばあさんはつかんだ着物を、ぶらさがるようにして思いっきり引っぱって、
着物は大きく破けたんです。すると、ばあさんはそれを丸めて、

持ってたゴミ袋に入れて・・・そのときに、ザワザワ音がするのに気がついて、
そっち見ると、かなり離れた神社の鳥居の下に、白いものがたくさん集まって
動いてるのがわかりました。たぶん・・・ばあさんと同じような人だと思ったんです。
ばあさんは、なおも俺にしがみついてきて、着物を引っ掻いて破ろうとして。
俺はばあさんを突き飛ばして逃げました。さっき出てきた、
神社の高床の下にもぐり込んだんですよ。どうしてそっちに逃げたか
わからないけど、何となくそうしたほうがいいような気がしてね。
でね、這ったまま砂らしい上を進んでいくと、またどーんと落ちたんです。
けっこう長い時間、落ちてたような気がしますけど。ずぼっと出た先で、
俺は身動きがとれませんでした。体がゴミ袋に埋まってたんです。
ええ、あの家に戻ったと思うでしょ。ところが違ってたんです。

俺は積み上がったゴミ袋の中をつま先立ちで移動して、窓があるところまで来ました。
でね、外を見て愕然としたんです。かなりの高さ、ビルの10階近いような場所だったんです。
幸いなことに、業務用の会社のPHSを持ってたので、なんとかゴミの上に這い上がって、
それで警察に連絡しました。ええ、「助けてくれ」って。15分ほどで警察が来ましたが、
そっから出るのに1時間はかかりました。場所は、驚いたことに、じいさんの家から
10km以上離れたマンションの一部屋だったんです。それで、現場のほうでは、
ゴミの中に落ちた俺の姿が見えなくなったって、騒ぎになってたんですね。
で、俺はその仕事から外されまして、後で聞いたら、2階でもじいさんは
見つからなかったそうです。今でも行方不明のままなんじゃないかな。あとね、
俺が行ったあの神社のある場所って何なんでしょう? ゴミを溜めた人間が堕ちる
地獄みたいなものなのか・・・ここの方なら何かわかりますでしょうかね?
                                 






ネオ・ヒューマンの誕生?

2018.10.25 (Thu)
今年の3月に亡くなった理論物理学者のスティーブン・ホーキング博士だが、
死してなお我々に影響を与える存在となっている。博士は、最近出版された
エッセイ集『Brief Answers to the Big Questions』の中で、「超人類」
の登場を予言。彼らは遺伝子編集を選択して、競争優位性を獲得するとしている。

この予言は、同書に含まれる、ブラックホール、AI、神…など、
Big Questionに対する博士のAnswerのひとつだ。
(グノシー)

sdgvsg (1)

今回はこのお題でいきます。なるほどね、この話題は「CRISPR/Cas9」という、
2012年に開発された新しい遺伝子編集システムの登場と
大きな関連があります。本題から外れますので、詳しい説明はしませんが、
これ、元になる機構は日本人研究者が発見したもので、
ノーベル賞の有力候補の一つなんですね。

これによって、遺伝子のゲノムの編集が従来より格段に簡単になりました。
DNAのゲノムが2重らせん構造になっているのはご存知だと思いますが、
その特定部分を、きわめて容易に、切り離したり、
別のゲノム構造を挿入したりすることができます。

CRISPR/Cas9システム
sdgvsg (1)

みなさんは、動画編集ソフトの「ウインドウズ・ムービーメーカー」
を使われたことがあるでしょうか。ちょうどあれと同じ感じです。
さて、故ホーキング博士は、この技術を用いて新しい人類が誕生し、
社会的な格差が広がっていくことに警鐘を鳴らしているんですね。

ただ、これは何もホーキング博士一人だけの話ではなく、
世界的に懸念されている問題で、現在のところ使用には厳しい倫理的な
制限があります。ところが、2015年、中国の中山大学の研究グループが、
ヒトゲノムを使った編集をCRISPR/Cas9で行い、その論文を発表して、
世界的な論議を呼び起こしました。  関連記事 『中国科学の脅威』

研究グループは、「人としては育たない、本来廃棄される受精卵」と
説明していますが、潤沢な資金があり、かつ倫理的な制約の低い中国の
研究ですから、世界中から危険視され、非難を浴びたわけです。
自分も、このあたりのことは怖いなあと思っています。

クリックで拡大できます
sdgvsg (2)

現在、ヒトゲノムの編集は病気の治療に使われています。
例えば、ある種のウイルスは人の免疫細胞の特定部分に働きかけて
細胞内に侵入してきたりしますが、その部分のゲノムを切り取った免疫細胞を
大量に培養して体の中に戻してやるなどの治療です。

さて、ではこの技術、大人に対して肉体や脳の改造に使用できるかといえば、
これはまず不可能ですよね。もうすでにできてしまっている、
すべての細胞のDNAを書き換えるなんて無理な話です。
ですから、使うとしたら、これから産まれてくる
赤ちゃんの受精卵のゲノムを改変することになります。

現在、長寿因子となるゲノムなどが特定されてきていますので、
その気になれば、長寿で、病気にかかりにくい赤ちゃんをつくることができます。
それだけではなく、身長、目や髪の色、さらに知能や運動神経などについても、
編集して変えてしまうことができる可能性があるんですね。

もちろん、これらのことは各国の倫理規定で禁止されています。
ヒトゲノムの編集が、どのような結果をもたらすかわからないからです。
とはいえ、世界の富裕層の中には、自分の子どもにこっそり、
そのような編集を行う場合などがないとは言えません。

かつてヨーロッパでは、貴族階級は庶民よりも体格がよく、
容貌が整っているなどと言われたりしました。でもこれは根拠のない話で、
せいぜい、いい物を食べて栄養状態がよいくらいのことでしたが、
今後、実際にそういうことが起きてくるかもしれないんですね。

富裕層の子どもは体が大きく、見た目が美しく、知能も高い。
そうすると、庶民階級との格差がさらに広がっていく。
あるいは、国策として国民に遺伝子編集を行う国が出てくるかもしれません。
これはナチスの優生学の復活とも言えます。
そういうことに、ホーキング博士は懸念を表明しているわけです。

スティーブン・ホーキング博士
sdgvsg (2)

さて、SFのジャンルの一つに「新人類物」というのがあります。
何かのきっかけで、それまでとは違った新しい世代の人類が誕生してくるという
内容で、『機動戦士ガンダム』シリーズの「ニュータイプ」
などもそれにあたるでしょう。その手のことが実際に起きるかもしれません。
そして旧人類との対立をへて、支配していくようになる。

これが夢物語とばかりは言っていられなくなったということです。
遺伝子編集技術が進めば、背中に翼を持ったり、手に水かきがあったり、
唾液に毒を持つ、トカゲのような再生能力を持つ・・・などの赤ちゃんの誕生も、
理論的には不可能ではないんですね。これまで、この手の話は原因が原子力事故
などであることが多かったんですが、人為的になされる可能性が出てきたんです。

sdgvsg (4)

さてさて、ホーキング博士はこの他にも、AIが人類に反抗し、
人間と機械との戦いが起きる未来についても言及しています。
まだまだ先のことではあるでしょうが、SFの物語が現実のものになる時代が
待っているのかもしれないですね。

ここで、人類は一度立ち止まって考えるべきなんでしょう。
何が許され、何は許されないのか。ヒトゲノムの編集も、
世界的に合意された厳しい倫理規定を設けて、違反した研究には
罰則を適用していくことが必要かもしれません。ということで、今回はこのへんで。

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「世界5分前仮説」と創造論

2018.10.24 (Wed)
vsda (3)

今回はこういうお題でいきますが、これ、あんまり面白い内容になりそうも
ないので、スルー推奨かもしれません。まず、「創造論」とは何か?
当ブログでは何度もとり上げていますが。簡単に言うと「キリスト教やイスラム教
にいう全知全能の創造主が、この世界のすべてをつくった」という説のことです。

ちなみに、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の創造主は、基本的に同じ神、
と考えられています。よく「キリスト教世界とイスラム教世界の対立」
なんて言いますが、これじつは、同じ神をいただいた上での、
神学的な解釈上の対立と見ることができるんですね。

アララット山系の「ノアの方舟」地形
vsda (6)

さて、何から話しましょうか。みなさんは思考実験の一つとして、
「世界5分前仮説」というのをご存知でしょうか?
「今みなさんが生きている世界は、つい5分前に始まった」とするものです。
こう聞けば「えー、そんな馬鹿な、ありえない」と思いますよね。

「だって、自分には5分よりも以前の記憶がある。2時間前、昼飯にそば定食を食べた」
こんな感じで反論されると思います。しかし、世界5分前仮説では、
みなさんはそれらの記憶を持った状態で、5分前にいきなり発生した
ということになります。すると、ここでまた反論したくなりますよね。

「だって、うちには自分が小さい頃の写真がある。子どもの頃に背比べをした 
柱の傷もある」とか。でも、世界5分前仮説では、それらのものも5分前に一気に
できあがったことになるんです。ここまで聞くと、たいていの人は、
「えー、バカバカしい。そんな議論は時間のムダだ」と言うと思います。

なぜなら、世界5分前仮説には、否定する材料もないかわり、
肯定する材料もないからです。こういうのを「反証可能性がない」と言います。
反証可能性がないものは科学的な議論にはなりえない、いわば反則なんですね。
では、この仮説、誰が、何のために言い出したのか、
知ってる方はおられるでしょうか。

バートランド・ラッセル
vsda (2)

まず、初めに提唱したのは、20世紀のイギリス人哲学者で、
ノーベル文学賞を受賞したバートランド・ラッセルです。
彼は、懐疑論的な立場からこの仮説を持ち出したわけですが、
もともとはキリスト教の創造論から影響を受けたものだ、と聞くと驚かれる方も
いるんじゃないかと思います。ラッセルは徹底した無神論者でした。

さて、前に「進化論と心霊主義の時代」という記事で、
「ダーウインが進化論を発表したことで、キリスト教的な宇宙観が揺らいだ」
と書きましたが、まあ、それ以前から、キリスト教的宇宙観に
疑問を持っていたインテリ層は多かったと思います。それが、
ダーウイン以降は、おおっぴらに意見を主張できるようになったんですね。

関連記事 『進化論と心霊主義の時代』

聖書の記述を解釈すると、この世界は6000年くらい前にできた、
とみることができますが、地質学から、地球はもっと古いものである
という意見が出されました。現在では、地球の年齢は約46億年と考えられています。
ちなみに、宇宙の年齢は138億年くらいのようです。



また、古生物学からは恐竜などの化石、人類学からはネアンデルタール人等の
化石が提示され、これらに対して、キリスト教側は防戦一方になったんですが、
このときにいろいろな珍説が出されたんですね。一つ目が、
「若い地球論」これは、地球ができてからせいぜい1万年もたってないという、
地質年代や科学的年代測定を全否定するものです。

もう一つは、ある程度まで地質学的年代観を認める「古い地球論」。
三つ目は「断絶論」。『旧約聖書』の創世記1章の1節と2節の間に、
じつは、書かれていない数十億年?の長い断絶があるとする議論です。
この他にも、聖書にある1日は5億年くらいのことだ、なんて説もあるんですが、
上記の世界5分前仮説のもとになったのは、「オムファロス仮説」と呼ばれるものです。

1857年、当時はまだ聖書派の勢いも強く、
「アダムは神が創り、その肋骨からイヴを創った。では、人間の胎内から
産まれたのではないアダムとイヴには、へそがあるのか、ないのか?」
なんてことが、知識人の間では真面目に議論されていたんですね。
今から思えば信じられませんが、それだけキリスト教の影響は強かったんです。

ここで、イギリスの自然学者フィリップ・ヘンリー・ゴスという人物が、
「アダムとイヴは最初からへそがあるように神が創った。さらに、地層や化石なども、
わざと古く見えるように神が創った」こう主張したんですね。
ゴスの主張は徹底していて、「アダムとイヴの腸の中には創造された初めから
排泄物があっただろうが、それも神がすべて創ったのだ」こんな内容なんです。

アメリカ「創造博物館」のアダムとイブ
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これはゴスなりに、原因があるから結果があるという因果論と、
聖書の記述をすり合わせようとしたもので、「アダムの血管に血が流れているなら、
それは摂取した食物からできたものだ。食物を摂取したなら、
腸にもウンコが詰まっているのも自然なこと」こんな感じの理論だったんですね。
ですが、残念ながらこの説、聖書派にも自然科学派にも相手にされませんでした。

それはそうですよね。神がわざわざ、なんでそんなムダことをしなければならないのか。
ただまあ、この論を聞いて面白がった知識人はかなりいたようで、
20世紀になって、ラッセルの世界5分前仮説につながっていくわけです。
ただもちろん、ラッセルの意図は、「疑うつもりなら、何でも、
いくらでも疑うことができるんだよ」みたいな主張なんです。

さてさて、ローマ・カトリックは進化論を大筋で認め、神の世界創造は、
宇宙論におけるビッグバンのことだ、みたいに柔軟に変化してきていますが、
アメリカには、今も頑なに創造論を信じる原理主義的な人が、
かなりの数いるんですよね。では、今回はこのへんで。

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扉の掛け軸の話

2018.10.23 (Tue)
今晩は。前に何度かおじゃました元骨董屋です。ほら、鋺とか屏風、鏡の話をした。
また一つ、奇妙な事件に関わったので、やってきました。
ええ、私はもう骨董屋は引退してるんですが、ときおりね、目利きを頼まれるんです。
立派な言葉で言えば鑑定ってやつです。ほら、テレビで「何でも鑑定団」なんて番組を
やってるでしょ。でもねえ、私から言わせれば、鑑定なんて言葉を使うのは、
うさん臭いやつが多いんですけどもね。それで先月、その旧家におじゃましまして。
私らが古物を仕入れる場合、方法は大きく3つあるんです。
一つは店買い。そう、お客さんが持ち込んだ品物を買わせていただく。
これはね、ピンキリですけど、あんまりいいものはありません。
それと、盗品に気をつけなくちゃならない。だから、悪いけどね、
店に来たお客さんの人品骨柄は、しっかり見定めさせてもらいます。

それはそうでしょ。貧乏くさい、骨董の知識なんてなさそうな人間が、
すごいお宝を持ってきたとしたら、やはり怪しみますよね。
次が市場買いです。ええ、仲間内の市で仕入れる。でも、これでいいものは買えません。
あたり前ですが、いい品だったら自分の店で売るでしょ。
3つ目が、宅買いです。はい、個人のお宅に出張して買い取る。
これが一番期待できます。でね、宅買いにも2種類あるんです。
まずは、亡くなった方が生前に骨董を集めていたのを、まとめて買い取る場合。
ただこれも差があって、一般のお年寄りが年金でちょこちょこ集めてたのと、
大会社の社長だった方とかのコレクションじゃまるで違います。
あと最後ね、その地方の旧家が解体されるときに、蔵にしまい込まれてたお宝を
一気に買い取る場合。これは大きな商売になりますよ。

ああ、すみません。内輪話が長くなってしまって。でね、先月、目利きを頼まれたのは、
長野のほうにある古いお屋敷で、当主の方が事故で亡くなられたんです。
狩猟を趣味にされてたみたいで、山で猟銃事故があったみたいなんですね。
で、当主の死をきっかけに、子どもたちが遺産分けをすることになり、
屋敷も、お宝類も一切現金化してしまおうってことだったんです。
私が頼まれたのは、もちろん、現役の古物商じゃないからです。
ね、自分が商いするわけじゃないから、公正な評価ができる。
そう思われたんでしょうね。でねえ、すごいお宝ばかりでしたよ。
江戸中期頃のものが多かったんですが、中には室町と思える硯箱の逸品もありました。
で、その中で一つだけ、評価に困る品物があったんです。
掛け軸でした。表装は古かったですが傷みはなく、

いい拵えでした。でも、絵柄がどうにも判断のつかないもので。
扉が描かれてあったんです。おそらくはかなり古式の、神社の扉です。
賽銭箱や鈴のようなものはなく、ただの固く閉まった扉。
でね、その前に空の三方が一つ置かれてる。ほら、神道で使う供物を乗せる台ですよ。
ねえ、おかしな絵柄でしょう。絵そのものは上手いも下手もない、
写実的なもので、正直、時代もわかりませんでした。使われてる顔料の分析をすれば
判明するかもしれませんが、そこまではねえ。もちろん署名や落款はなし。
で、値はつけられないです、って正直に言ったんです。そしたら、
お子さんの一人から、こんな話を聞かされまして。
この掛軸は、故人がとても大切にしていて、普段は厳重にしまってあるのが、
ときおり出されて、奥の和室の床の間に飾られることがあった。

故人は、株の取引、為替、先物買いなんかを手広くやられていたようで、
その掛け軸が持ち出されるのは、大きな取引の前が多かったそうです。でね、
故人は山に入って、野兎なんかを撃ってきては、その掛け軸の前に投げ出すように置く。
あと、猟期でないときは、ペット屋から小動物を買ってくる。
で、絞めてから同じようにする。畳が血で汚れたりもしたそうです。
それで、その部屋には故人が一人で籠もり、家人は朝まで絶対に入れずに一晩を過ごす。
故人は夜が明けると、憔悴した面持ちで出てきて、まず風呂に入る。
それから大飯を食ったんだそうです。ええ、中肉中背の人で、普段は晩酌をして
食事はあまりとらなかったのに、おかずなしで、おひつに山盛りの飯を平らげたそうです。
それとね、不思議なことに、その部屋に持ち込まれた狩猟の獲物の動物が、
どこにもなくなっていたんだそうです。

でね、これに関して、相続人の一人の息子さん、といっても50代くらいでしたが、
「私は一度だけ部屋をのぞいたことがある」とおっしゃられて。
その人が結婚前でまだ実家にいたとき、例によって故人が白兎を持って部屋に籠もった。
息子さんはその儀式に前々から興味を持っていたので、
夜中の3時ころに、その部屋までそっと近寄って、小さく小さく横手の襖を開け、
こっそり中をのぞいてみたんだそうです。そしたら、床の間の掛け軸を前に、
故人がきちんと正座し、目を前方に据えている。
でねえ、掛け軸の前に置かれてるはずの白兎がない。おかしいと思って見回すと、
なんとね、絵の中の三方に兎がのせられていた・・・
ええ、絵の中に入っちゃったってことですね。息子さんはひどく奇異に感じましたが、
音をしないように襖を閉め、それで戻ってきたそうです。

で、翌朝、故人が部屋から出てきたんですが、いつもと違って、手で兎の足をつかんでいて、
しかもその兎は、まだ獲ったばかりだったのが、ズルズルに腐っていたそうです。
それと、故人の額に、☓の字型の傷があり、血がしたたっていました。
故人は部屋から出てくるなり「不興をかった、何故だあ!!」
大声でそう叫ぶと、そのまま布団に入って3日3晩起きてこなかったそうです。
息子さんが責められるとかはありませんでしたが、そのときの取引は大損で、
一時は家が傾いてずいぶん困窮したそうです。ですから、それ以来、
部屋をのぞくことはしなかったということでした。
でね、故人は70歳を過ぎても、ときどき大きな取引をしてましたが、
亡くなる直前、子どもらの家族が実家に呼び集められまして。
ええ、故人からみたらひ孫にあたる幼児も何人かいたんです。

で、それまでは小さい子をかわいがることなどあまりなかった人なのに、
夕食の席で小さい子どもを一人ひとり抱きあげて、頭をなでたり頬をさわたりしたそうです。
それから、その掛け軸を出してきて、奥の部屋に飾った。
でも、その翌日、急に猟にいくと言い出し、鉄砲を持って一人で山に入り、
そこで亡くなったんですね。自分の鉄砲で頭を撃ち抜かれて。
警察は自殺も疑ったそうですが、そこは旧家ですから、猟銃事故ということにしてもらって、
葬式を終えた。でね、故人の奥さんはとうに亡くなってましたから、
最初のほうで話したように、子どもたちはその家を畳むことにして、
すべてをお金にかえて遺産分けすることになったんです。
ですが、調べてみると、現金は思いの外、少なかったんです。借金こそなかったものの、
おそらく投機の失敗が続いていたんでしょうねえ。

で、私ね、よせばいいのにスケベ心を起こしまして。その掛け軸、もっと専門的に
目利きしたいと言って、借りてきたんですよ。だってねえ、気になるじゃないですか。
これもおそらく、何かしら命を持った古物なんでしょう。
引退はしましたが、そういう興味は失っていない。でね、自分の家に持ってきて、
和室の床の間にかけてみたんです。ええ、私は今、一人暮らしで、
迷惑をかける家族はいませんから。掛け軸を前にして、つまみなしで焼酎の
ロックを飲んでました。そうやって朝まで過ごすつもりだったんです。
何が起こるか?起こらなくても、それはそれでよしと思って。
夜中の12時を過ぎても何も起きませんでした。ただのつまらない絵柄の掛け軸。
少々飽きてきまして、焼酎の杯も進みました。
それで、2時を回った頃ですか。少しうとうととして・・・

獣臭かったんです。ものすごく強い獣臭。それで目を覚まして、
反射的に掛け軸のほうを見ました。そしたら、三方はそのままでしたが、
絵の中の神社の扉が少し開いていたんです。ええ、数cmほどでしたけど。
でね、その間に目が見えたんです。人間のものではない片方の目。
黒目がちで、強い青い光を放っていると思いました。「あっ!!」そう叫んで
私が立ち上がると、「ビシャーン」大きな音をたてて絵の中の扉が閉じたんですよ。
それっきり、朝まで何事もありませんでした。でね、その掛け軸の中のもの、
それがまだ生きてることがわかりましたんで、依頼人の方たちには、
売るのはやめて、どこぞの有名な神社へ奉納するよう進言したんですよ。
まあこれで、今回の話は終わりです。え、掛け軸の中のもの?
それはわかりません。私はあくまで骨董屋で、神職とかではありませんからねえ。






空間についての一考察

2018.10.22 (Mon)
映画E38080Cube-2E38080より

今回はこういうお題でいきます。ただこれ、前半は自分がかなり勝手に考えた
内容ですので、冗談みたいなものだと思って聞いていただければ幸いです。
さて、よく「時間と空間」と言いますよね。この2つは、
古代ギリシアの昔から、哲学的な考察の対象になってきました。

ただ、時間については、カントやハイデカーなど、多くの哲学者が著書で
くわしく書いていますが、空間についてはそうでもありません。
これは、時間とは何かを考えるのが難しいのに対して、
空間は、なんとなくわかっているような気がするからかもしれません。

むしろ空間は、哲学よりも数学での考察の対象になってきました。
みなさんも学生時代に勉強して苦しめられたでしょうが、
縦・横・高さをそれぞれ軸にとった下図のような座標で、
基本的に、どのような空間も表すことができるからです。

frwef (5)

ですが、みなさんが普段、空間と認識しているのは、
じつは、あくまで「地球上にすむ人間」という条件に縛られたものなんです。
宇宙空間を無重力遊泳している場合を考えてみてください。
みなさんはどのような方向にも回転することができますし、
自由に進んでいくことができます。

とすると、縦・横・高さという区別は意味がなくなりますよね。
ただ、x・y・zという3つの座標軸があるだけ。
ですが、どのように回転しても、みなさんはたぶん、
頭がある方向を上、足の方向を下と考えてしまうと思います。
これはみなさんが、人間の体という器に縛られているからじゃないでしょうか。

また、縦を前後、横を左右、高さを上下と言い換えることもできます。
で、この中で高さは特別なもののように思いませんか。
例えば、広い野原の中に一人で立っているとしましょう。
みなさんは、前後にも左右にも自由に動いていくことができますが、
上下に動くのは難しいですよね。

上にはせいぜい1mくらいジャンプするだけで、下にいくためには、
スコップで地面を掘らなくてはなりません。なぜそうなのかと言えば、
みなさんは地球の上に立っていて、地球には重力があるからです。
もしこれが宇宙空間だったら、みなさんは頭の方向へも、
足の方向へも自由に進むことができるはずです。

どうでしょうか。みなさんが空間と考えているものは、人間の体と地球上
という条件によるところが大きいんですね。ちなみに、前後という区別があるのも、
みなさんの目が一方向についているからです。
目で見える方向が前、見えない方向が後ろというように一つの軸ができます。
そして、その軸に対して直交する軸が左右なわけですね。

ここで、面白い思考実験をしてみましょう。ある星に宇宙生物がいたとします。
その生物は完全な球形の体を持っていて、全身にびっしりすき間なく目があります。
つまり、360°の視界を持っているんです。で、体の中にはガスが詰まっていて、
フワフワと浮かんで進むことができます。(ここで、口はどこにあるのか、
などと言う人は思考実験には向いていません。)

frwef (1)

では、この生物にとって、前後・左右・上下の区別はあるでしょうか。
おそらくですが、上下の区別はあると思います。自分の星の地面が見えるほうが下。
その反対の空があるほうが上。では、前後・左右はあるのか。
ここが難しいですね。みなさんはどう思われますでしょうか。

さて、ここからは真面目な話です。じつはこの100年ほどで、
空間の概念は変化してきています。かつてニュートン力学において、
空間は、無限に広がる3次元のユークリッド空間と想定されていました。
ところが、20世紀初頭、相対性理論が登場して大きく空間の概念が変わりました。

重力でゆがめられる空間
frwef (2)

アインシュタインはまず、空間と時間は切り離すことができないとして、
空間3次元+時間1次元の時空連続体を想定しました。
それと、重力によって空間がゆがむことを発見し、
リーマン幾何学によって空間を記述することを提案したんですね。

さらに、量子力学の分野において、プランク定数が発見されました。
プランク定数とは何か、長くなるのでここでは説明しませんが、
物理学において、きわめて重要な宇宙定数です。
その式を変換することで、「プランク長さ」というものが出てきます。
これは、それ以上小さくすることができない、空間の最小単位です。

その長さまでくると、空間は原理的に、われわれには観測できなく
なってしまうんです。また、時間の最小単位である「プランク時間」もあり、
この宇宙は、プランク長さとプランク時間を単位として、
格子状に編まれているとするのが、ループ量子重力理論です。

frwef (6)

また、量子力学と相対性理論(重力理論)を統合する試みである超弦理論では、
この宇宙は、空間9次元に時間が1次元。そして、空間のうちの6次元は、
われわれに見えないプランク長さ以下に縮こまっている、と説明されます。
これを空間のコンパクト化と言います。

さてさて、ということで、この100年ほどの間に、自明のものであると
考えられていた空間の定義が、ダイナミックに変化してきました。
こういう話はすごく面白いし、こう言ってはなんですが、
オカルト的な感じがしますね。では、今回はこのへんで。







「舟」としての私

2018.10.21 (Sun)
ベリーなど実を結ぶ樹木の生存戦略は、その実を動物に食べてもらって
種子を拡散し、生育圏を拡大することだ。この生存戦略に基づき、
樹木の実は特定の動物種に向けて、「ここにいるよ! 私を食べて!」と
メッセージを発信していることが、徐々に明らかになっている。

草木と生物の絶妙な協力関係で成り立っているのが森の生態系だ。
豊かな森には実を結ぶ果物もよりどりみどりだが、
どうしてこれほどの種類があるのか。
(tocana)

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今回は科学ニュースからこういうお題でいきます。トカナからの引用ですが、
けっこう真面目な研究ですね。さて、なぜ植物の一部が果実をつけるのか。
なんで、果実はおいしいのか。どうしていろんな種類があるのか。これ、
普段はあまり考えないようなことですが、その理由はおわかりですよね。

ただ たんに種をつくるだけだと、種はその場に落ちてしまい、
そこは親の木がある場所なので、過密になって成長できませんよね。
ですから、多くの植物は、できるだけ離れた場所に種をばらまきたいわけです。
これにはさまざまな戦略があって、例えばタンポポは綿毛をつくって、
パラグライダーのように種子を遠くまで飛ばします。

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果実も同じで、食べておいしいことで、とりにくる生物がいて、
その生物が種子を遠くまで運んでくれるわけです。このとき、
種子まで食べられては困りますので、固かったり苦かったりして、
みなさんがスイカを食べるときでも、種をペッペと吐き出しますよね。

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さて、研究を行ったのは、米デューク大学の進化生態学者である
キム・バレンタ氏をはじめとする国際的な研究チームで、ウガンダと
マダガスカルの自然公園において、果樹と果実食動物の関係を、
その実の色の観点から調べてみたんですね。

植物の果実は、それを食べるお得意様の動物がいます。
木の幹はつるつるしてたり、ごつごつと枝が多く登りやすかったりしますが、
その形態は、「お得意様」の動物が果実を採りやすいようになってるんです。
これはどうやら、果物の色にもあてはまるようです。

研究では、ウガンダの公園にすむサルたちは、人間同様、光の三原色を感知できる。
それに対し、マダガスカルのサルは、赤と緑の色の区別が困難な「赤緑色盲」
の遺伝子を受け継いでるんだそうです。で、それぞれの地域の果実の色を、
光学スペクトル分析で調べたところ、果物の色は、お得意様動物に
発見されやすいよう、最適化されていることが判明したんですね。

これは、なかなかすごいことですよね。植物に、果実を食べに来る動物が、
赤緑色盲だなんてことがわかるはずがないんですが、長い間の進化の結果、
その動物が発見しやすい色と形に変化して、
自らの遺伝子を広範囲にばらまくことが可能になっている。

この手のことは、他にもさまざまにあり、そういうのを見るにつけ、
自然のしくみってすごいなと感心することになります。
この研究では、植物の果実は、熟す前と熟した後の匂いの差が大きいことも
明らかになりました。匂いに変化つけることで、「完熟したよ! おいしいよ!」
とサルや鳥たちにメッセージを送っているわけです。

さて、話を変えて、哲学の大きなテーマの一つに、
「われわれはなぜ生きるのか? なぜ死ぬのか?」というものがあります。
この答えは多面的で難しいでしょうが、生物学からの解答として、
「遺伝子を運ぶため」というのが出されています。

リチャード・ドーキンス
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つまり、自分の遺伝子を子孫に残すために、われわれは生きているということです。
「私たちは遺伝子を運ぶ舟である」という言葉がありますが、
この考え方を強く主張しているのが、イギリスの進化生物学者・動物行動学者で、
現代の世界最高の知性の一人とも言われる、リチャード・ドーキンス博士です。
博士は、「ミーム」という新概念も生み出しています。

「自然選択の実質的な単位が遺伝子である」とする遺伝子中心視点を提唱し、
「生物は遺伝子によって利用される"乗り物"に過ぎない」という比喩を
著書に書きました。この考え方は、生物学界だけではなく、自然科学界全体に
大きな衝撃を与えましたが、と同時に、強い反発もあったんですね。

「われわれは、たんに生殖して子孫を残すために生きているのではない。
人生にはもっと崇高な目的があるはずだ」みたいな反論です。
たしかにねえ、そう言いたくなる気持ちはわかります。ドーキンス博士の考え方は、
種の保存と遺伝子の伝達を重要視するあまり、個人を進化の鎖の輪のように
見ているという批判が出てくるのは当然のように思います。

アイザック・ニュートン
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例えば、プラトン、アインシュタイン、ガリレオ、ダ・ビンチとか、
人類に偉大な貢献をした人物はたくさんいます。その中で、
アイザック・ニュートンなんかは一生独身で、子孫はいなかったはずです。
だからといって、ニュートンの生涯や業績が否定されることはありませんよね。
ドーキンス博士が言っているのは、あくまでも一つの答えでしかないんです。

さて、進化ということを考えると、もし自然界の目的が種の保存であるなら、
なぜわれわれは不死にならず、生殖して子孫を残すなどという回りくどい
方法をとっているのか。これは、環境の変化にすばやく対応するためなんでしょうね。
地球は長い歴史の中で、全凍結、地軸逆転、自転速度の変化、
小惑星衝突による環境の激変など、さまざまな試練を経てきています。

そこで生き残るには、生物の世代単位の短い期間での適応が必要だった。
また、同種間で異性をめぐって競争することで、強い遺伝子、優れた遺伝子が
生き残っていくという面は否定できません。「優生学」という言葉は
差別的だとしてなくなりましたが、その考え方は大きく間違ってはいないんですね。

さてさて、ここまでお読みになられて、どんなことを感じられたでしょうか。
「人は何のために生きるのですか?」という疑問に対し、
「親よりも優れた子孫を残すため」という答えで、
みなさんは満足できますでしょうか? では、今回はこのへんで。

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もぐる話 2題

2018.10.20 (Sat)
布団に潜る

あれは、私が小学校4年のときだったと思うんだけど、
3年か5年だったかもしれません。中学校で部活が忙しくなる前は、
お盆と正月は両親に連れられて、新潟の田舎にある「本家」に遊びに行ってたんです。
たしか、私の父方の祖父の時代に分家したとか聞いてます。
本家はねえ、すごいお屋敷なんですよ。映画の「八つ墓村」に出てきたみたいな。
平屋だけど、部屋数がたくさんあって、蔵もありました。
それで、いとこやら親戚の子がきてたんですけど、
私がとくに仲よかったのが、岬ちゃんっていう同じ年の子でした。
男の子や小さい子が多かったので、その子とお屋敷の中を探検して回ったんです。
部屋は全部 日本間で、今から考えれば8畳以上でした。
どの部屋にも床の間があって、いろんなものが飾られてましたよ。

それでほら、よく時代劇なんかで、部屋がいくつも続いてるところを、
パーンパーンと襖を開けて人が通っていくシーンがあるじゃないですか。
あれ、岬ちゃんが言い出して、2人でやってみたんですよ。
でも、うまくいかなかったんです。襖の滑りが悪かったんですね。
その地方は豪雪地域だから、冬場の雪の重みで、建物がゆがんでたかもしれません。
それで、誰も人が来ない奥のほうの部屋へ行って、
押入れとか開けてみてました。何も入ってないとこがほとんどでしたが、
一ヶ所だけ、布団がびっしり上下段に詰まってるとこがあったんです。
それも、昔の布団じゃなくて、ふわふわの新しい羽根布団。
「ねえ、ここ潜ってみない」と岬ちゃんが言い、私も面白そうだと思って、
2人で手をつないで下段の青い布団の中に頭を突っ込んだんです。

それから手で布団をかいて前に進みました。すぐに壁に当たると思ってたんですが、
それがいつまでも布団が続いて、そうですね、1分以上は中にいました。
で、ずぼっと向こう側に頭が出て、ほとんど岬ちゃんと同時でした。
そこ、薄暗い部屋で、ぼんやりした照明があって、
行灯ってものじゃないかってわかったのは、ずっと後のことです。
それで、女の子がいたんですよ。日本髪で赤い薄い着物を着た、私たちより少し年上の。
その子は座って下を向いてたんですが、私たちの気配を感じたのか、
顔を上げて、口を開けて驚いた表情をしました。
そのとき、その子の顔に涙のあとがあったような気がします。それと、その子、
顔がすごく岬ちゃんに似てるように思ったんです。
その子は何か言おうと口を動かしましたが、部屋の入口のほうで、

「おはつ、早く出てきなさい!」という声が聞こえ、
立ち上がって部屋から出ていったんですが、戸口のところで、
ふり返ってもう一度私たちのほうを見たんです。それから、岬ちゃんが小さい声で、
「戻ろう」って言って、後じさりするような形で、元の本家の部屋に戻ったんです。
はい、ちゃんと戻れました。それから、2人で上のほうの布団をどけてみたんですが、
押入れの奥の壁は普通にあったんです。そのときあったのはこれだけです。
このことは大人には話しませんでした。うーん、怒られるというか、
話しても信じてもらえないと思ったんですね。それから、
私は中高とバレーをやって、岬ちゃんと会ったのは2回しかなかったです。
最後に会った高3のときは、岬ちゃんはすごくきれいになってて、
東京に出て美容師の学校に入るって言ってました。

それから・・・2年後に岬ちゃん、殺されちゃったんです。
テレビでも報道しましたし、週刊誌にも何週にもわたって出てたんです。
美人ホステス全裸殺人事件みたいな感じで。岬ちゃんの葬式には出ませんでした。
そういう亡くなり方だから、たぶん、近親者だけでやったんだと思います。そのころ私は、
バレーの推薦で大学に入ったものの、ケガをしてやめ、家に戻って家事手伝いをしてました。
それで、夕食の準備をしながら、母と岬ちゃんの話になって、そのとき、
本家での布団のことを思い出して話したんです。そしたら、母はけっこう真面目に
聞いてくれて、「そういえば、ずっと昔に、本家の娘さんで、事情があって炭鉱町の
 芸者さんになった人が人がいるって聞いたことがある」こう言いました。
ただ、「おはつさん」という名前なのかはわからなかったです。それと、あのときにもし、
向こうの部屋に出ちゃってたら、どうなってたんでしょうねえ。気になります。

土に潜る

これね、俺が小学校4年生ぐらいのときのことなんだよ。
すごい不思議っていうか、ファンタジーみたいでとても信じられないと思うけど、
誓って、本当にあった話なんだ。秋のある日ね、学校の帰り、一人で神社の境内に
行ったんだよ。ドングリを拾おうと思った。裏手に大きな樫の木があってね。
今から思えばたわいないけど、子どもはそういうのが好きだから。
で、ドングリはいっぱい落ちてたから、形のいいのを選んで拾ってると、
不意に木の陰から、白い着物を着た爺さんが出てきた。
真っ白な髪を変な形に結ってて、しかも白いヤギ髭が胸のあたりまで伸びてて、
ひらひらした白い着物でね。俺がびっくりしてると、爺さんは、
「坊は山根家の次男よな」変な言葉づかいだけど、聞かれてると思ったんで、
「はい」って返事すると、続けて、「坊は、このあいだの学校の走り競べで

 一等になったよの」 「はい、そうですけど」 「じゃあ、一つ頼まれてくれんか、
 礼はするから」 「何ですか」 「これをな、町の北の外れの地蔵堂、
 わかるかな。あそこまで届けてくれんか」 そう言って後ろに回してた
手を前に出すと、若鶏をかかえてたんだよ。ヒヨコではないけど、大人の鶏でもないやつ。
でね、地蔵堂には前にばあちゃんに連れられて行ったことがあるんだけど、
子どもの足だと1時間半くらいかかるんだ。けども、爺さんの声を聞いてるうち、
なんだか断っちゃいけないって気になって、「はい、やります」って、
その若鶏を受け取っちゃったんだ。そしたら爺さんは、俺の両まぶたの上を指で
すうっとなで、それから左手の指先を握ったんだよ。爺さんは、「これで、
 土の中が見えるようになった。金の杯が見えたら潜って取れ、何かあったら投げろ。
 銀の杯は坊にやる」そう言って、木の陰に引っ込み、

俺が回ってみたら、もういなくなってたんだ。で、俺はランドセル背負ったまま、
胸に鶏を抱えて町の外れのほうに歩いてったんだ。これなあ、今考えて変なのは、
かなりの道のりだったのに、その間、人一人、車一台にあってないことなんだ。
でね、とぼとぼ歩いてると、腕の中で鶏がゴッゴッ鳴いてねえ。
しばらく歩いてるうち、おかしなことに気がついた。アスファルトの道路なのに、
地面の中が透けて見えるんだよ。うーん、説明が難しいが、
透明なゼリーの上を歩いてるみたいな感じだった。で、いろんなものが見えた。
折れた刀とか、昔の本みたいなもの、すごく大きな仏像とか。
で、30分くらい進んだとき、土のかなり深いとこに、小さな金と銀の盃が並んで
埋まってるのが見えた。それで、右手に鶏をかかえたまま、左手で地面にさわったら、
ズブズブ潜ってってね。中は生暖かったし、プールの水より抵抗があった。

で、俺はあんまり泳げなかったけど、簡単に杯のあるところまでたどり着いて、
片手で2個の杯をさらって、また地面の上に出てきた。体は濡れてなかったな。
ココココッて鶏が鳴いた。また少し行くと、後ろで唸り声がして、
見ると白黒ぶちの犬が後をついてきてたんだ。「あ!」と少し足を速めると、
曲がり角ごとに別の犬が出てきて、どれも首輪とかついてなかった。
犬の数が10匹をこえたあたりで、俺は怖くなって走り出した。
でも、犬のほうが速いよな。尻に噛みつかれそうな近くまできたんで、
これも片手で、金の杯を後ろに投げたんだよ。そしたら、
ぱたりと気配が消え、犬の群れはいなくなってたんだ。やっと地蔵堂に着いて、
そこは小さな小屋で幕が張ってあり、中に地蔵さんが4つ並んでた。
その後ろから、爺さんが出てきたんだよ。

ああ、神社の爺さんとまったく同じ姿の。爺さんは「坊、よく持ってきて
 くれたの。こっちへお寄こし」そう言って鶏を取ると、
「ああ、驚いてるな。顔が似てるからだろう。神社にいたのは弟だ」
そこで、町の音が聞こえてきた。バスが走る音や人の声も。それまで、
まったく無音だったんだな。俺は地蔵堂の前に立ってて、手に銀の杯があったんだよ。
爺さんはいなくなってた。それから歩いて家に戻ったが、かなり遅くなって叱られた。
母親に杯を見せて「拾った」って言うと、それ親父が骨董屋に持ってったんだよな。
で、底に昔の殿様の名前が彫ってあるのがわかって、今は県の文化財になってる。
親父に金が出たみたいで、後で家族で洋食を食いに行ったよ。
まあこんな話だ。ああ、その神社にはその後も何回も行ったし、
地蔵堂にも行った。けど、あの爺さんには1度も会ってないな。







中国の人工月計画

2018.10.19 (Fri)
今月16日付の「人民日報」によると、2020年に「人工の月」を打ち上げる
予定なのは中国南西部の成都市だ。この人工衛星は「月を補完する目的」
で設計されており、太陽の光を反射して直径10〜80キロメートルの範囲を
誤差数十メートル程度で照らすことができるという。その明るさは本物の月の
およそ8倍とされ、夜の町を夕暮れ時くらいの明るさに照らすことができるという。

この壮大な計画は、今月成都市で行われた展覧会で発表された。計画によれば、
人工の月はおよそ50平方キロメートルを照らすことができ、街灯も必要なくなって
エネルギー消費の節約にもなるという。試験はすでに数年前から始まっており、
技術的にも成熟段階にあるとのことだ。
(tocana)

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今回は科学ニュースから、この話題でいきたいと思います。
ただ、自分は理系ではないですので、すごい間違ったことを言うかもしれません。
このニュース、記事はたったこれだけです。その人工衛星がどの程度の大きさで、
どのくらいの高さになるのかも書かれていません。

キーワードを拾って中国語検索してみましたら、中国の国営メディアの
記事が見つかるので、フェイクというわけではないようです。そこで、
まったく見当はずれの可能性もありますが、いったいどういうものになるのか
推理してみたいと思います。まず考えたのは、2年後の2020年打ち上げ
予定ということで、それほど大掛かりなものではないんだろうということです。

じつは、最初にこのニュースを見たときには、中国の話ですので、
でかい気球を打ち上げるんじゃないかと思いました。
でも、あらためて考えると、いろんな観点から気球では無理なことがわかります。
まず、記事に「人工衛星」と書いてありますし(笑)、
気球を高高度に上げると、上空の気象によってかなり不安定になります。

それと、気球が到達できる高度では「夜」を抜け出すことができません。
ですから、太陽の光を反射して光ることができないわけです。また、
もし電力などで気球を光らせるとすれば、莫大なエネルギーが必要になります。
ということで、これは無理ですね。

じゃあ、夜を抜け出すにはどうすればいいんでしょうか。
なぜ夜があるかはおわかりでしょう。地球が自転しているため、
太陽のある方向と反対側に、自分の住んでいる地域がきたときが夜ですよね。
下の図は、夏至のときの地球における昼夜を表したものです。

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ここで、南極や北極は白夜になります。ということは、地球の半径の高さにまで
上がれば、十分な太陽の光を受けることができるようにならないでしょうか?
地球の半径は、約6000km、これは人工衛星の高度としては中軌道。
けっして高い位置というわけではありません。
「あ!」 ・・・ここまで考えて、あることに思いあたりました。

こんなのが地球を周回してたら、軌道の下にある地域の人は迷惑ですよね。
おそらくこの人工衛星は、成都市の上空にとどまる静止衛星になると思われます。
静止衛星になるには、軌道傾斜角がゼロにならなくてはならず、その高度は
決まっていて、約36000kmです。最初に気球を思い浮かべたのは、
思考方法としては悪くなかったようです。

人工衛星の静止軌道
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この高さなら、成都市が夜であっても、太陽光を受けるのに問題はありません。
次に、どうやって太陽光を反射して地上に届けるのか。
巨大な鏡を打ち上げるというのは現実的に無理と考えられるので、
おそらく、人工衛星が、金属片を組み込んだ自動制御できる網のようなものを、
宇宙空間で広げるということになるんじゃないでしょうか。    


        
あと、記事では、「その明るさは本物の月のおよそ8倍」と出てきますが、
べつに、見た目の大きさが月の8倍というわけではないでしょう。
月は大きく、人工衛星は小さいですが、衛星の高度に比べて、
月ははるかに遠くにあるため、その光は淡いんですね。

ですから、人工の月は大きくなくても、そのぶん反射する太陽光が
強ければいいわけです。こうして考えてみると、
最初は夢物語のように感じましたが、けっこう現実的かなと思えてきました。
これは実際にできるのかもしれません。続報を待ちたいところです。

さて、ではもし人工の月ができたとして、
どのような利点ならびに欠点があるんでしょうか。
利点の一つ目は、人工の月は成都市の観光資源になるということです。
都市の上空に浮かぶ2つの月。これを目当てに旅行に来る人は増えるでしょうし、
月に関するいろんなイベントを行えば、相乗効果が期待できます。

次に、記事にあるとおり、夜間の照明を減らすことができて、
省エネルギーになるでしょう。もしかしたら、夜が明るいので、
犯罪も減ったりするのかもしれません。あとはそうですね、
何か外での仕事をするとき、夜間でもできるので突貫工事がきくとか。

欠点として最大のものは、夜が明るいと、
生物の持つ概日リズムに影響を与える可能性があることです。
まあ、人間はぶ厚いカーテンを閉めて寝ればいいかもしれませんが、
植物や野生動物、昆虫や魚などの生態系に大きな影響がある気がします。
バクテリアとかでも、昼夜を区別できるものはいますしねえ。

1日の生態リズム クリックで拡大できます
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あとは、軍事的なことなんかはどうでしょう。
中国全土は、アメリカの軍事偵察衛星によって監視されているはずですので、
夜が明るいと不利になるんじゃないかとか。
でもまあ、きっとそこまでは考えてはいないんでしょうね。

さてさて、みなさんは成都といえば何を連想するでしょうか。
四川省にあり、日本の九州よりもはるかに南方に位置する都市です。
自分は、唐の時代の詩人、杜甫が書いた「春望」の五言律詩を思い浮かべます。
国語の教科書に採用されるなど、有名なので、みなさんもご存知でしょう。

成都の杜甫草堂
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「国破山河在 国やぶれて山河あり 城春草木深 城 春にして草木深し・・・」
この詩は、戦乱によって荒れ果てた首都長安から成都に逃れてきた杜甫が、
郊外に草庵をたてて住んだときのもので、南国の美しい自然の中で、
異郷に暮らす悲しみが詠われています。その生態系が、人工物によって
破壊されることがなければいいんですが・・・では、今回はこのへんで。





「終末論」と大本教

2018.10.18 (Thu)
最後の審判 ミケランジェロ
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今回はこういうお題でいきます。カテゴリはオカルト論ですね。
終末論は終末思想とも言いますが、Wikiで引いてみると、
「歴史には終わりがあり、それが歴史そのものの目的でもあるという考え方」
と出てきます。これを見ると、哲学的な概念なんですね。

ただ、終末論は宗教で用いられることが多いですよね。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教には終末論がありますし、
北欧神話などの多神教でも終末論は言われます。あるいは、哲学に近い内容の
仏教にも終末論はありました。末法思想というやつです。

ですが、一口に終末論と言っても、その内容はさまざまです。
例えば、キリスト教では「最後の審判」において、すべての死者がよみがえり、
イエス・キリストが復活して裁きを与えます。これは世界の救済と考えられており、
この世が一度終わることによって、より高次の段階に引き上げられるということです。
ですから、世の終末は必ずしも悪いものではないんですね。

仏教の末法思想もこれに似ています。お釈迦様の入滅後、
世は正・像・末と三つの時期に分かれ、その最後を末法の世と言います。
これは、「正しい法が隠れ行われなくなる時代」という意味です。平安末期から
鎌倉初期にかけて、世の乱れとともに末法思想が流行しました。ただし、
末法の果ての未来に弥勒菩薩が現れて、すべての人を救うとされていたんです。

末法思想
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さて、現代の新興宗教でも、終末論を唱えるものは多いですよね。
あのオウム真理教もそうでした。ですが、その終末論は本来の意味から変化して、
「この世はもうすぐ終わるが、わが宗教を信じる者だけは救われる」といった、
信者獲得のための手段に変質してしまってる場合が多いんです。
この手の論法を用いるのは、はっきり言って、底の浅いインチキ宗教です。

日本の近代の歴史で、最も大きく終末論を唱えたのは「大本教」でしょうか。
大本教は、教派神道「金光教」の熱心な信者であった出口なおに、1892年、
「艮の金神 うしとらのこんじん」という神が降臨し、なおは、「お筆先」と呼ばれる
自動筆記によって、大量の神の言葉をつむぎ出したんですね。

出口なお
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艮の金神は、後に、日本神話における国常立大神とされました。それと、
なおはもともと文盲であったのに、自在に文章を書けるようになったことが、
真に神が降りた証拠と言われましたが、そのあたりの真偽はわかりません。
この出口なおに近づき、娘婿に入って2代目の教祖になったのが、近代日本最大の
霊的指導者とも言われる、出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)です。

出口王仁三郎
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王仁三郎の思想について、ここでは詳しくふれませんが、
数々の予言をして驚異的な的中率を誇ったとされます。出口の予言は、
神道の「雛形思想」が基本になっていました。これは、大本教内で起こったことが
日本でも起こり、さらに世界でも起きるとする考え方で、「3段の型」と言います。

つまり、大本教が弾圧されたりすれば、日本にも悪いことが起きるわけですね。
それから終末思想ですが、大本教の根本は、出口なおが最初にお筆先で書いた内容、
「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。
神が表に現れて三千世界の立替え、立直しを致すぞよ」に集約されます。

ここから、明治55年に「世の中の立替え」が起きる、と喧伝されました。
明治55年は、大正10年(11年説もあり)にあたりますが、
世の中立て直しの神が登場し、地上世界が新たに立て替えられるというわけです。
大本教なりの終末思想と言ってもいいでしょう。王仁三郎は、
大阪の中堅新聞社だった「大正日日新聞」を買収して、言論活動を強めていきました。

さて、ここで少し余談。昔の新聞社って、どこもすごい いい加減だったんです。
「藤田小女姫 ふじたこととめ」という女性占い師をご存知でしょうか。
この人物が小学6年生の1950年、「奇跡の少女現る」と社会面のトップで
報じたのが「産業経済新聞」。現在 保守を自称して偉そうなことを
書いている「産経新聞」だったんです。

藤田小女姫
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藤田小女姫は、産経新聞社内に一室を与えられて社長らに可愛がられ、
その予言を聞きに、小佐野賢治、岸信介、福田赳夫、田中角栄、
財界の大物らが次々と訪れたと言われます。藤田小女姫は、1994年、
北朝鮮の贋金づくりにからんでハワイで殺害されます。

当時、産経新聞のやってたことは、現在からすれば、とうてい考えられない
話ですよね。ただ、この手のいい加減さは、産経だけでなく、
朝日や毎日でも同じで、国家機密漏洩や虚偽報道、違法な取材などが
普通にまかり通っていました。朝日新聞は、慰安婦問題などを捏造しましたが、
もともと、大新聞とは名ばかりの低俗な体質のものだったんです。

さて、話をもとに戻して、まさに世の立替えが起きるとされた大正10年
(1921)に「第一次大本事件」、昭和10年(1935)に「第二次大本事件」
が起こり、最盛期には信者数300万人と言われた大本教は、
公安により徹底的に弾圧されて、ほぼ壊滅します。第二次大本事件では、
教団幹部61人が起訴され、特高警察の拷問によって16人が死亡しています。

大本教の弾圧
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王仁三郎は、死を免れて1942年に保釈され、故郷の京都府に戻って家族と暮らし、
1948年に76歳で亡くなっています。大本教の言う「世の立替え」は
起きませんでしたが、第2次世界大戦の敗戦により、
日本が大きく変わったのは、ご存知のとおりです。

さてさて、ということで、大本教は終末思想を利用して信者を集めましたが、
オウム真理教のような凶悪な暴力事件は起こしませんでした。
現在でも、終末をうたう新興宗教はいくつもありますので、
注意されたほうがいいと思いますね。では、今回はこのへんで。





顔のない看護婦の話

2018.10.18 (Thu)
今晩は。じゃあ、私の話を始めます。娘が5歳になるんです。
ええ、子どもは娘だけです・・・今のところは。一昨年の夏ころからです。
熱を出すようになって、なかなか治らなくて。近くの開業医に
連れていってたんですが、そこの先生が、「これはおかしい」って言われまして、
大学病院に紹介状を書いてくれたんです。ええ、県にある国立大学の病院。
そこで検査に2ヶ月近くかかったんです。その間にも、娘の全身に発疹が出はじめて・・・
検査の結果、後天性の免疫不全症候群ってわかりました。
20万人に1人くらいの割合で起きる難病ということだったんです。
結局、地元の病院では治療のための設備がなくて、東京の病院を紹介されました。
東京の病院には、その病気の権威の先生がいて、設備も整ってたんです。
子どものための無菌室ですね。ただ、東京に行くのは大変でした。

私は小学校の教員をしていて、娘の面倒は近くに住む母が見てくれることが
多かったんですが、さすがにこれは頼むわけにいかず、
休職せざるをえませんでした。治療費のほうは、娘の病気は難病指定でしたし、
夫が家族を含む医療保険に入っていたので、そう心配はなかったんですが、
ずっと東京に滞在しなくてはならず、病院の近くに部屋を借りるしかなかったんです。
夫は、休みの日は必ず東京まで来てくれましたので、その交通費もかかりました。
それで、娘は東京の病院の小児病棟に入院したんですが、
遺伝子治療が必要ということでした。しかも、もし治癒するとしても、
何年もかかるだろうって言われまして・・・
しかも、ずっと特殊な無菌室に入ってなくてはならなかったんです。ですから、
娘の個室に入れるのは1日に2時間だけですし、娘にふれることもできませんでした。

ええ、抱きしめることもできなかったんです。毎日病院には行きましたが、
面会の時間の終りがくると、娘はしくしくと泣き出しまして、
かわいそうでたまりませんでした。さきほど言いましたように、
いつ退院できるのかもわからず、先の見通しが持てなくて、
私自身も不安でしかたなかったんです。ただ、そこで友達ができました。
瀬田さんという、やはり無菌室に入っている娘さんのお母さんです。
年は私より4つ下で、東京に住んでて自宅から毎日病院に通ってこられてたんです。
娘さんは、先天性の免疫不全。ですから、産まれてすぐに無菌室に入り、
もう3年になるんです。娘が病気になってまだ1年足らずでこんなに大変なのに、
いつも明るくふるまっていて、芯の強い人だなあって思いました。
娘とは違う病気でしたが、その病院のことはよく知っていて、

いろいろと教えてもらいました。それだけじゃなく、
小児病棟のデイルームや、1階に入ってる喫茶店で、いろんな話をしました。
学生時代にも、こんなに一人の人と親しくなることはなかったんですよ。
それで、娘が入院して2ヶ月くらいしたときです。
やはり喫茶コーナーで瀬田さんとおしゃべりしてたとき、こんな会話になったんです。
「ねえ、この病院の小児病棟に怖い話があるんだけど、そういうの聞きたい?」
「あ、聞きたい。でも、病院ってどこでもそういうのあるんでしょ」
「他のことはわからないけど、この病院のは「顔のない看護婦」って言うんだって。
 私も他のお母さんから聞いたんだけど」 「いかにもな名前ねえ」
「でも、怖い話なのよ。この看護婦は、入院してる患者には見えないか、
 もし見えたとしても何もしないんだって」

「じゃあ、誰に見えるの?」 「つきそいをしてる家族」
「どういうこと?」 「ここの病院、長期入院してるお子さんばかりでしょう。 
 しかも、家族は泊まり込みでつきそいをしなきゃならないこともある。
 それで、疲れ切ってるときに、ふっと近くに黄色いカーディガンを着た看護婦が
 立ってる。で、見上げると顔がない」
「ええと、のっぺらぼうってこと?」 「そうね。で、その看護婦は、
 こう聞くんだって。お子さん、いりますか? いりませんか?って」
ここまで聞いたとき、急に背筋が冷たくなりました。
「・・・それで、いらないって答えたらどうなるの?」
「その子は顔のない看護婦が連れていくのよ。たぶん死んじゃうってことだと思う」
「・・・実際に見た人っているの?」 「いないと思う。だけど、この話は、

 ずっと小児病棟に伝わってるみたい。知ってる人が何人もいたから」
「・・・・」ここまで話したとき、喫茶コーナーに瀬田さんのご主人が
入ってこられたんです。ご主人は都庁に勤めてられる方で、
瀬田さんよりも年下だって話を聞いていました。
「じゃあ、またね」瀬田さんはご主人といっしょに出ていかれ、
私はその場に残って、今聞いた話を思い返して、あらためてぞっとしたんです。
それから2ヶ月がたちました。私はもちろん、毎日娘に面会に来てましたが、
病状は改善せず、どんどん痩せて小さくなっていく娘を見るのがつらくて
しかたなかったです。瀬田さんは、それまでは毎日来てたのが、
ときどき顔を見せない日があるようになりました。
ええ、会えばいつも話をしましたが、あるとき瀬田さんがぽつんと、

こんなことを言ったんです。「私、2人目ができたみたい」って。
「えー、大丈夫、産むの?」 「わからない、でも、夫は産んでほしいみたい」
でも、実際には無理じゃないかと思ったんです。それから1週間ほどして、
安定していた瀬田さんの娘さんの具合が急に悪くなったんです。
ええ、ご主人をはじめ、親族の方が何人も来られて、病室に入っていました。
私には何もできることはなかったんですが、心配で、ずっと病院に残っていたんです。
その日の夕方ころ、瀬田さんの娘さんは亡くなりました。
亡くなったのは集中治療室だったので、瀬田さんとは会うことができず、
そのことは看護師さんに教えていただいたんです。
葬儀などで忙しかったんだろうと思います。2週間ほど後、瀬田さんは病院に
あいさつにみえられて、そのときに少しだけお話しました。

私は、なんと声をかけていいかわからなかったんですが、
瀬田さんのほうから、「娘さんの治療あきらめたらダメ、必ず治るから」
こう励まされて、私はただ深く頭を下げるだけでした。
瀬田さんは最後に、「2人目産むことにした」そう言って私の腕に軽くふれ、
病院を出ていかれました。その後、1度もお会いしていません。
それから2ヶ月たって、娘の容態が悪化しました。
私は毎日、毎晩病院に詰めていましたし、夫も仕事を休んで来てくれました。
娘の容態は一進一退で、そのたびに夫婦で一喜一憂する日が何日も続きました。
疲れ切っていましたが、そんなことは言っていられませんでした。
でも夫は、私の体調のこともすごく心配してくれたんです。
夫は、1日だけどうしても会社に顔を出さなくてはならず、

私はそれを下まで見送って、1階の待合ロビーの椅子に腰を下ろしました。
面会時間を過ぎていて、ロビーに人気はありませんでした。
少し休んで娘のところに戻ろう、そう思っていたとき、
横のほうに人の気配がしました。目を移すと、黄色いカーディガンが見えました。
そのとき、前に瀬田さんから聞いた「顔のない看護婦」の話を思い出したんです。
「まさか」でも、おそるおそる見上げた顔には目も鼻も口もありませんでした。
長い髪と、ただ真っ白い紙粘土のような輪郭があるだけ。
私は息をのみ、声を出すこともできませんでした。
看護婦は感情のない冷たい声で、「娘さん、いりますか? いりませんか?」
私はすぐ、「いります。絶対に死なせない。治してみせます」
叫ぶようにそう言ったつもりでした。

そのとき、看護婦の顔がぐにゃりとゆがみました。
ええ、まるで粘土を上から押しつぶしたみたいに。そして、たくさんの顔が
次々にそこに浮かんできたんです。10人、20人・・・
すべて疲れ切った、悲しそうな女の人の顔。その最後に出てきたのが、
瀬田さんの顔だったんです。はっ、と我に返りました。
ええ、私の横には誰もおらず、気配もありませんでした。
疲れている中、瀬田さんから聞いた話が頭に残っていて、幻を見たんだろうと、
今では考えています。このことは夫には話しませんでした。
娘の病状は小康を得ました。ですが、いつまた悪化するかわからず、
病院側から、造血幹細胞移植の提案を受けました。生命の危険のある治療ですが、
完治する可能性もあります。夫と相談し、受けることに決めたんです。






祈りのパワーってあるの?

2018.10.16 (Tue)
感謝の言葉を語りかけた水の結晶は美しくなり、罵詈雑言を浴びせた水の結晶は
醜くなる。今や「疑似科学」のレッテルを貼られてしまった波動の存在。
しかし、意識や思考が物質に与える影響を真剣に取り組み、
肯定的な実験結果を得ている研究も存在するのだ。

2017年に学術誌「Explore」に公開された、国立台湾大学、高雄師範大学、
米・純粋知性科学研究所の共同研究によると、僧侶の祈りを込めた水を与えた
植物の種子は、そうでない種子よりもより成長していたという。
(tocana)

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最近、なかなか科学ニュースで、いい話題がないんですよね。
一番オカルトに関係ありそうなのがこれだったので、今回はこういうお題でいきます。
さて、人間の意識、あるいは祈りのパワーは、植物の成長に変化を与えるのか?
・・・あれ、なんか変だと思いませんか。これ変だと思わない方は、
もしかしたら少し危険があるかもしれませんよ。

実験は、市販されているミネラルウォーターをA・B2つのグループに分け、
Aはそのまま、Bには事前に、「台北市福智佛教基金会」のベテラン僧侶3人に、
「この水に浸される植物が大きく成長しますように」という願いを込めて、
祈ってもらっていたのだそうです。

そしてA・Bの水に、シロイヌナズナという植物の種子を浸し、
その成長程度の違いを測定。結果、祈りを込めた水で発芽した種子は、
普通の水を使ったものより有意に胚軸が短く、アントシアニンが増え、
若干クロロフィルも増加していたということです。
アントシアニンは、花の色を表す色素ですね。

シロイヌナズナ
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どうでしょう、この実験の怪しい部分に気がつかれたでしょうか?
当ブログの読者の方なら、実験の1段階がすっとばされていることがわかると
思います。僧侶が祈りを込めたBの水が、植物の成長に変化を与えられる
のだとしたら、Aの水とは何か違いがあるはずですよね。
そこ調べないとダメなんじゃないでしょうか。

ここで少し、水についての話をします。水がH2Oという化学式で表される
化学物質であることがわかったのは、そんなに古い話ではありません。
19世紀初め頃でしょうか。まだ、200年たったくらいです。
それまで、水については、さまざまに神秘的なことが言われてきました。

水が化学物質であると書くと、驚かれる方もいると思います。
美しい湖にたゆたい、清冽な渓流を流れる水は自然の象徴でもありますが、
一方で、分子の化合物でもあります。水素原子2個と酸素原子1個が手をつないだ形。
ですから、水を大量に飲めば中毒を起こしますし、死に至ることもあるんです。

で、水の分子同士は、他の分子と水素結合でくっついてます。
下図を見てもらえばわかりやすいでしょう。最近は、最先端の顕微鏡を使って
水分子のつながりを見ることができるようになってきました。
じゃあ、表題の研究で、どうしてAの水とBの水の比較をやらないのか。

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これは、ぶっちゃけた話をすれば、比較しても有意な差が出ないからじゃないかと
思います。どっちも、特別なところのない、ただの水なんですね。
それに対して、植物の成長に差があったとか、
葉緑素が少し増えたなんてのは、何度か実験すれば、植物の個体差とか、
置き場所の微妙な違いなどで、そういうことが起きてもおかしくはないでしょう。

もし、徳の高い僧侶の祈りのパワーが、水に明らかな変化を与えることが
できるのなら、世界中で追試が可能なんじゃないかと考えられます。
それとも、台湾のこの3人の僧侶でないとできないことなんでしょうか。
ということで、実験の段階をすっ飛ばしている研究は、
眉に唾をつけて見られたほうがいいと思いますね。

水分子を見る
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さて、僧侶の祈り、あるいは瞑想には、パワーというか、脳を活性化させる働きが
あることは実証されています。ダライ・ラマを始めとする高名な仏教僧の
脳波を測定すると、修行期間の長さにおうじて、短時間の瞑想で
強いγ波が生じました。γ波は高次の精神活動時に出る波長で、
それによって注意力が高まり、幸福感が増します。

瞑想時の脳波測定
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ここで、少し話を変えて、仏教には「小乗仏教」と「大乗仏教」があるのは
ご存知だと思います。最近は「小乗」は差別的な言い方だとして、
「上座部仏教」と言われることが多くなりました。
この「乗」という文字は、「乗り物」という意味です。

ちゃんと説明すると長くなるので、簡単に触れるだけにとどめますが、
小乗仏教は、出家者が修行をして悟りを開き、自分個人を救うための仏教です。
それに対し大乗仏教は、多くの人々を救うための大きな乗り物なわけです。
日本の仏教各派は、基本的にどれも大乗仏教です。

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さて、ここまで読まれて、自分が何を言いたいかおわかりかと思います。
優れた僧侶が祈り瞑想すれば、脳内が活性化して、自らを「悟り」の境地に
導くことができるでしょう。上で書いた実験はそれを示しています。しかし、
いくら徳の高い僧侶であっても、祈りの力が水などの物質に働くとは考えにくい。

日本で有名な僧、空海、日蓮、道元、法然、親鸞などは、
僧坊にこもって読経や座禅だけしていたのではなく、俗世間に出て、
行動と言葉で教えを広めていった人たちばかりです。
それが世の中を動かすことであり、「大乗」ということなんだと考えます。

さてさて、そろそろ終わりにしますが、疑似科学は、実験の過程を一部抜いていたり、
結果をあいまいにしているものがほとんどです。で、そのことを指摘すると、
「だって実際に植物が育ってるじゃないか!」みたいな答えが返ってくるんです。
しかしそれは、科学のふりをしていても、科学的な方法ではありません。
そこらへんを、しっかり見分ける目を持ちたいですね。では、今回はこのへんで。




「怖いもの」アンケート

2018.10.15 (Mon)
今回はこういうお題でいきます。「あなたが怖いと思うものは何ですか?」
というアンケートがあるとして、これ、設問のしかたによって、
だいぶ結果が違ってくるんじゃないかと思います。自分が怖いと思うものを
自由に書くのか、それとも、あらかじめ決められた項目から選ぶのか。

また、一つだけ答えるのか、複数回答可なのか。
あと、子どもと老人、男女でも、回答結果には当然違いが出てくるでしょう。
ですから、あくまでも一般的な傾向しか読み取ることができないのかなと思います。
それでも、当ブログは「恐怖」ということが裏テーマになってるので、
こういうアンケートは興味深いですね。

次の表は、インターネットを利用した市場調査として「ネットリサーチDIMSDRIVE」
という会社が実施したアンケートの一部です。調査年度は2005年と、
やや古いですが、調査人数は11865人と、かなりの数です。
アンケートの方法は、自分が怖いものを自由回答で一つだけ答え、
それを調査スタッフが分類するという形のようです。



ただ、ネットでの匿名調査なので、面白半分に答えてる人もいるかもしれません。
ネットでの調査って、特にバイアスがかかりやすいんです。例えば、
「幽霊は いる・いない のどちらだと思いますか?」こういう質問内容が
あったとして、これは必ず、「いる」と答える人が多くなります。

どうしてかというと、「幽霊がいる」ほうが世の中が面白いからです。
「わからない」の項目がない場合、本来ならわからないと答える人の多くが、
「いる」のほうに回答するんですね。ネットで生真面目に答えてもしかたがないので、
どうせ、幽霊がいるもいないも確たる証拠もないんだから、面白いほうを答える。

さて、本題に戻って、怖いものの第1位は男女とも「地震」。
これはそうでしょうねえ、bigbossmanも同じです。自分は東日本大震災のとき、
茨城に住んでいまして、津波被害こそ遭いませんでしたが、
ずいぶんと怖ろしい思いをしましたし、惨状を目のあたりにしました。

で、大阪に引っ越してきたんです。あの地震は、自分の人生を変えました。
第2位が、やはり男女とも「人間」です。これもそうだろうと思います。
よく、「幽霊よりも生きた人間のほうが怖ろしい」なんて言いますが、
悪意を持って陥れようとする人間から逃れるのは難しいです。

3位のところで、始めて男女が分かれます。男性の3位が「自分や家族の死」
女性は「霊」です。ちょうど男女の3位と4位が入れ替わっています。
男性よりも女性のほうが霊を怖がる傾向が強いことは、
他の調査でもはっきり表れています。あとはだいたい似たような回答ですが、
男性のほうに「お金」という回答があり、女性には「戦争」という回答があります。  

さて、次は世代別の怖いものを見てみましょう。子どもを含む「20歳未満男性」と
「60歳以上男性」の結果を並べてみました。若い世代の第1位が「死」
第2位が「霊」。高齢世代の第1位が「地震」、第2位が「人間」。
若い世代は調査数が少ないですが、回答はバラけています。

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まあこれは、齢をとるにつれて死が身近なものになっていくので、 
自分の死を現実的に見つめ、覚悟ができてくるということなのかもしれません。
若い人はあまり死に接する機会がないでしょうが、年配の人は、
肉親や友人の死からさまざまなことを学んで、
子どもほどには怖れなくなるのかもしれないですね。

あと、子どもは「霊」を怖がりますが、齢をとるにつれて、
「霊はいない」あるいは「霊がいるとしても直接自分に被害をもたらすわけではない」
と思うようになってくるんじゃないでしょうか。あと、高齢男性のほうで、
「妻」という回答が7位にきてるのが面白いですね。これくらいの齢になると、
奥さんに頭の上がらない人も多いのかもしれません。

さて、次はまた別のアンケート結果を見てみましょう。
「niftyニュース編集部」が2013年に行ったアンケートで、複数回答が可に
なっています。ここで男女とも1位は、やはり「地震、雷、火事などの災害」です。
ですが、この3つ、まとめてもいいものでしょうか?



雷を怖いという人は多いでしょうが、命にかかわるケースは少ないですよね。
あと、「ジェットコースター」が6位にきていますが、これも変な回答です。
地震に遭うことは避けられませんが、ジェットコースターは、
拷問で無理やり乗せられるなんてことはないわけですし、1度体験して
怖かったなら、あとは一生乗らなきゃいい話じゃないですか(笑)。

「蛇などの爬虫類」 「虫」は、やはり男性よりも女性のほうが怖がる人が多い。
それから「お化け、幽霊、ホラー映画」が一つの項目にまとめられていますが、
当ブログ的には、「幽霊」と「ホラー映画」の怖さは違うものだと考えてます。
あとは「歯医者」ですか。たしかにこれは怖い。

さてさて、ということで、一口に「怖いもの」といっても、
アンケートのとり方、また性別や世代によって違ってくることがおわかり
いただけたと思います。ただまあ、自分もこういうのはできるだけ参考にして、
怖い話を書いていきたいですね。では、今回はこのへんで。



                      

ある家の写真の話

2018.10.15 (Mon)
今晩は。文筆業をしている元山と言います。さっそく話を始めさせてもらいますね。
この間、といってももう1ヶ月前くらいなんだけど、仕事で使ってた
パソコンがダメになっちゃったんです。中身は大丈夫だけど、キーボードが。
まあ、毎日 大量の文章を打ってるんで、しかたないと思ってます。
でね、買い換えることにしまして。そのほうが修理に出すより安いですし。
ほら、今は中古パソコンが出回ってるでしょ。
パソコン専門店に行けば、リセットしてOSを再インストールしたのが2万円くらいで。
2万円なら仕事の必要経費としてしかたないし、1年で壊れてもいいですから。
でね、近くのパソコン店で、台湾製のを買ってきまして。
いや、台湾製、悪くないですよ。ただね、不都合はないわけじゃなくて。
フォントとかですね。これが、日本語のは明朝とゴシックくらいしか入ってないんです。

まあでも、それは前のパソコンからフォルダごと移してやればいいだけで。
で、その作業をやってたら、妙なファイルを見つけたんですよ。
表題が「hemo」ってなってる。変でしょう、そんなの見たことがない。
それでクリックしてみたんですが開けない。気になったので、あれこれやってみました。
そしたら、どうやったのか忘れちゃったけど、何かの加減で開くことができたんです。
でね、中には画像が3枚だけ。ええ、もちろん見ました。かなり鮮明な大きな画像で、
1枚目は、コートを着た人が黒い傘をさしてる上半身。
顔は傘の陰に隠れてて見えないけど、長い髪がわずかに出てるので、たぶん女。
2枚目は、なんとも形容しがたいもので・・・何かの腹なんだと思いました。
人間じゃなくて、爬虫類・・・あれ、カエルは両生類でしたっけ。
とにかく、その手の生き物の水に濡れた白い腹だけ。頭は映ってませんでした。

で、3枚目が、民家を正面から撮ったものですね。前の2枚が色鮮やかなカラーなのに
対して、その画像だけが白黒で、映ってる家はまさに昭和というか、
かなり古いものでした。門の間を短い通路が玄関まで続いてて、玄関の戸は
閉まってるんですが、ガラスが割れてる部分があって、廃屋という雰囲気でした。
そういうの、興味を惹かれるじゃないですか。僕は、雑誌に推理小説の書評を
書いたりもしてるんで。でね、できることを調べてみました。
まず、exifを読みとるソフトに3枚ともかけてみたんです。
けど、これは空振り。どれもexifは消去されてたんです。
次に、グーグルの画像検索にかけてみました。これをやれば、
画像の盗用とか、まずわかりますから。けど、最初の2枚はヒットなし。
3枚目の家の写真は1件だけひっかかって、開いてみると個人のブログでした。

でねえ、その内容が奇妙だったんです。仕事を退職した60代の男性が管理人で、
最初のほうは、定年後に登山した山や、山菜の写真が載せてあって、
まあ、どこにでもある内容だったんですが、その家の画像が貼ってあるページが
今から2年前の記事。何の脈絡もなく、その画像が上げられてて、
その下に「パソコンから出てきた画像、なにか気になる家」とだけ書かれてたんです。
で、その日からぐっと更新頻度が落ちまして、
それまで週に2,3回記事を書いてたのが、1ヶ月に1度くらいになって、
しかもその内容が・・・こんな感じです。「10月○日、異物のはさまったカメラを
修理に出すが拒否される」 「11月○日、また出血した」
「12月○日、山仲間の道野さん死去、あんなことに誘わなければよかった」 
「1月○日 お祓い」 「2月○日 お祓い、熱帯魚の水槽が全滅」

「3月○日 お祓い」 「4月○日、先生死す。申しわけないことをしました。
 葬儀は2日後」それから間が空いて「7月○日、家再訪」
これで途切れ、以後の更新なし。でね、そのブログに載ってた家の画像、
僕のパソコンにあったのと微妙に違うんですよ。フォトショップに取り込んで
比較してみました。そしたら、ブログの画像のほうが広い範囲を映してて、
僕のは同じ画像なんだけど、周囲がトリミングされてたんです。
ええ、ブログの画像には門の横の電信柱が映ってて、それについてる
住居表示がはっきり映ってました。「仲王町5丁目 3-28」って。
これだと、検索すればその家の場所がわかります。それでねえ、
嫌な感じはしないこともなかったんですが、それ以上に、その家のことを調べて
みたくなって。まず、ブログのコメント欄に「家の画像の詳細を教えてほしい」

旨を書いたんですよ。でも、これには未だに返信はありません。
あと、住所で検索して、家のある場所はすぐにわかりました。
はっきり言わないほうがいいでしょうね。関東の某県、某市の
「仲王町5丁目 3-28」です。もちろん、グーグルのストリートビューでも
見てみました。ですけど、道に面した家のはずなのに、
いくらさがしても見つけられなくて。でね、もちろん、その家に行ってみる
つもりでした。ただ、仕事が忙しかったんですね。
なかなかまとまった時間ができなくて。伸ばし伸ばしになってたんです。
その間、一つだけおかしなことがありました。マンションの僕の部屋あてに来る
ダイレクトメールに、「〇〇教 東京西市部」からのものが混じるようになって、
何かの新興宗教団体のもののようでした。

開封すると、中には、「除霊、降霊のお申込みは下記へ」という
手書きの用紙が入ってて・・・この宗教団体についても調べました。
けど、ネットにはその名前のものは一切出てなくて、手がかりがなかったんです。
で、今月の話です。平日でしたけど、2日間、外での仕事がない日ができまして。
車で、その家に行ってみることにしたんです。
東京からは3時間半かかりました。そこは関東でも中核都市とは言えない
寂れた市でねえ。駅前の商店街は軒並みシャッターを閉めてました。
ナビに家の住所を入れてたんで、そのまま車で向かったんですが、
近くまで行くと、どうも路上以外に車を停めるところがないみたいで、
いったん近くのコンビニに車を置き、歩いて向かったんです。
ええ、その家はありましたよ。ありましたけど・・・

とにかく周囲が異常だったんです。その家の両隣、それと右のもう一軒が、
空地になってたんです。まるでその家が嫌で引っ越したか、でなきゃ、
住人が死に絶えた・・・なんて、そんな想像が頭の中をよぎったりしたんです。
その頃には、時間も午後3時を過ぎてましてね。空が薄暗く、今にも雨が降り出し
そうな感じでした。でねえ、今考えればやめとけばよかったんですが、
僕、好奇心を押さえきれなくて、その家に入っちゃったんです。
ほら、両隣が空地になってたって言いましたよね。住宅街で、道を通る人もなく、
入っても誰もわからないだろうと考えて。門をくぐり、
ガラスの割れた戸に手をかけました。そしたら、軽く開いたんです。
中は・・・ホコリが積もってましたが、意外なことに、その上に大勢の足跡が
あったんです。で、僕も靴は脱がないでそのまま廊下に上がりました。

まだ夕方とも言えない時間でしたから、外が暗いといっても中の様子は見えました。
せまい家で、1階は3部屋にバス・トイレ。どこも靴の跡だらけでしたが、
荒らされてはいなかったんです。ええ、ふすまが倒れたり、壁を蹴ったり、
タンスの中身が引き出されてるとか、そんなことは。生活用品はほとんどそのまま残り、
カレンダーは2年前のものでした。おかしなものはなく、これでやめようかとも思いましたが、
2階へと通じる階段を上りました。そのとき、足元のホコリが、
黒い玉になってることに気がついて。ええ、何か液体がこぼれた跡だと思いました。
2階は2部屋。手前が小学生の男の子のものか、勉強机が残ってましたね。
そこを出て、突きあたりが最後の部屋。ドアを開けると、祭壇のようなものが
ありました。白い布をかぶせた壇ですが、その布のそこかしこがどす黒く汚れてて・・・
祭壇には線香立て、大きなロウソク立て。それから、何も入ってない

あまり大きくない写真立て。あと、三宝というんですか、神社で餅を乗せるような
低い台。その上に何かがあり、新しく見える白い布が被さっていました。
心の中でやめろ、やめろという声が聞こえたんですが、その布の端に手をかけて
持ち上げようとしたとき、手首に軽い痛みが走ったんです。「え?」
ロウソク立てに引っかけたんだろうか。手首にスッと筋が走り、次の瞬間
血が吹き出たんです。「あ、あ」もう片手で押さえましたが、
指の間から血がこぼれ出してきて・・・血管が切れたんだと思いました。
ハンカチを出して上から何重かに巻きつけ、部屋を飛び出し、
血を振りまきながら階段を降り、その家の外に出ました。
切ったのは左手だったので、スマホを出して右手で救急車を呼んだんです。
血はハンカチを通してポタポタと地面にこぼれ、その上から押さえながら

塀にもたれかかりました。そのとき、細かな雨が降ってるのに気がついたんです。
道の反対側、やや離れたところの電柱の後ろに、傘さした人が立ってました。
救急車はすぐに来て乗せられ、肘の上をゴムで縛られ、
病院へ向かいました。市立病院についた頃には、血は止まってて、
医者が「・・・またですか」と言いながら、14針縫われました。
「え、またって?」医者はしまった、みたいな顔をしたんですが、
「あなたみたいに運ばれてくる人がいるんです。2年前からねえ。
 あの家に行ったんでしょう」こう言われたんです。それ以上は聞けませんでした。
これでだいたい話は終わりです。車の運転ができないので、電車で帰るしか
なかったです。部屋に戻ると、また新興宗教からのチラシが来てました。
もうあの街に戻るのは嫌だったんで、車は業者に運んできてもらいました。

でね、あれから10日たって、毎日チラシが来る他には、
おかしなことはないです・・・今のところは。あの家で手首をケガしたとき、
肘があたって台の上の布がずれて、カエルの足のようなものが少し見えました。
パソコンの写真は削除しようとしたんです。1枚目の人物、2枚めの生き物の腹、
これはすぐ消せたんですけど、3枚目の家の写真はダメでしたね。
何かのソフトで使用中になってたんです。そんなはずないのに。
まだ、ほとんど何も入ってないパソコンなので、リセットしようかと思いましたが、
考え直し、キッチンで濃い食塩水を作ってバケツに入れ、パソコンを沈めました。
傷の抜糸はこっちの病院でやるんですが、なかなか治りが遅いんですよね。
それが終わったら、埠頭に行って海に捨てようと考えてるんです。あとね、
チラシの団体に一度連絡をとってみようかとも。やめたほうがいいでしょうかね。





                                     

「外法」って何?

2018.10.13 (Sat)
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今回はこういうお題でいきます。カテゴリはオカルト論ですね。
「外法(げほう)」というのは、簡単にいうと「外道」が使う法術のことです。
じゃあ、外道って何でしょうか。これは仏教用語です。
悟りを得るためにお釈迦様が定めた方法を「内道」と言いますが、
その道に外れたやり方、また、それを使うものが外道です。

現代でも外道という言葉は生き残っていて、「腐れ外道」などと使いますが、
「卑劣な者、人の道や道徳から外れた者」という意味です。
で、外法は外道が使う妖術なんですが、仏教以外の術って、神道とか陰陽道とか、
日本にはいろいろありますね。しかし、それらは外法とは言いません。

日本は仏教国として分類されることが多いですが、神道も仏教と並行して、
長い年月、信じられてきました。それは、多くの神社が仏教と習合しながらも、
古くから存続していることでわかると思います。
ですから、神道系の力を外法と呼ぶことはできません。

じゃあ、外法とは何かというと、基本的には、「天狗が使う力」なんです。
天狗の別名を「外法様」と言います。ここで、天狗って何かというと、
これは前に一度考察したことがありますが、いろいろな概念が混じり合った
すごく複雑で難しいものなんです。

言葉自体は中国から来たものです。ですが、中国でいう「天狗」は、
「天を疾る狗(いぬ)」つまり、流星のことを指しています。
中国の古書『山海経』に出てくる天狗は、犬とも猫ともつかない獣が、
口から蛇を吐いている姿で描かれています。

『山海経』の「天狗」
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『日本書紀』の舒明天皇9年(637年)の記事に、都の空を巨大な星が雷のような
轟音を立てて東から西へ流れる物があり、人々はその音の正体について「流星の音だ」
と言ったが、遣唐使から帰国した学僧の旻が、「流星ではない、これは天狗である。
天狗の吠える声が雷に似ているのだ」と言った、と出てきています。

ここでは、中国本来の天狗の意味で使われているようです。
ただの流れ星ではなく、地上に落ちてく途中の隕石のことを天狗と言っていた
のかもしれません。しかし、天狗という言葉は、この記事から、
平安時代まで文献の中に出てこなくなるんですね。

役小角
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で、平安時代に出てきたときには、山伏の格好をして、顔が赤く、鼻が長い、
現在の天狗のイメージに変わっていたんです。これには、
山岳信仰の隆盛が関係しているのだと思います。山岳信仰は、7世紀の呪術者、
「役小角 えんのおづぬ 」が始めたとされます。
ただ、役小角が実在の人物かどうかはかなり疑わしいですね。

ともかく、その流れをくんで成立したのが「修験道」です。
山伏として高い山の中で修行をし、岩から岩へと飛び歩く中で心身を鍛えて
不思議な力を身につけた者。このイメージが、天狗の外見として取り入れられたと
考えられることが多いんですね。それと、天狗の鼻が高いのは、
内面の高慢を表しているとされます。

現代でも、「天狗になる」 「鼻が高い」という言葉は、自慢をするときに使われます。
これは、里に下りてきた修験道の者たちが、驕り高ぶった言動をすることが
多かったところから来ているようです。まあこうして、
山の中に住む妖術使いとしての天狗のイメージが、できあがっていったわけです。

修験道
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なかなか外法にまで進まないですね。ここからは、『今昔物語』から、
外法の出てくる話をご紹介します。・・・あるところに、外法を使って人を集め、
見物料をとって暮らしている法師がいた。この法師の術は、下駄や草履を
子犬に変えたり、また立っている牛の口から入って尻から出てくるなど、
たいそう不思議なものばかりだった。

近くに住んでいる男がそれを見て、自分もやってみたいと思い、
法師に弟子入りを申し込むと、法師は「私は山の中で師匠からこれを習っているのだ。
もしお前が本気で習いたいなら、7日間精進潔斎してから、新しい桶を作って
その中に念入りに炊いたまぜご飯を入れ、もう一度訪ねてくるがよい」
男がそうすると、法師は「では、これから師匠に紹介するが、
けっして身に刃物を帯びていてはならない」こう言った。

男は承知し、飯が入った桶を背中に背負って、法師とともに山中深く入っていた。
すると、山の中とは思えない立派な僧坊があり、中にはまつげの長い、
いかにも徳の高そうな老僧がいた。法師が老僧に男を紹介すると、老僧は男を
じろりとにらみ、「まさか刃物は持っておらんだろうな」と言った。
じつは男は、何かあってはと思い、法師の言いつけに背いて、

密かに小刀を隠し持っていたので、内心あせった。
老僧は人を呼んで「この男が刃物を持ってないか調べよ」と命じ、男はこれは
見つかってしまうと思い、意を決して刀を抜き、老僧に斬りつけた。
すると老僧も、僧坊も一瞬にして消え失せてしまった。男を案内してきた法師は
「なんということをしてくれたのだ。これで私は一巻の終わりだ」と泣きわめいた。

大天狗と烏天狗


男は、法師に申しわけないことをしたと思いながら、法師は泣き泣き、
それぞれ家に戻ったが、法師は3日ほどして頓死してしまった。
男のほうには何の祟りもなかった。おそらく、この山の中にいた老僧は
天狗だったのだろう。また、天狗から術を習った法師のような者は、
「人狗 じんぐ」と言うのだ。・・・こんな話が載っています。

さてさて、現代の作家で、「外道」や「外法」という語をよく使われるのが、
夢枕獏氏です。「外法絵」とか「外法爺」なんて言葉が作品の中に出てきてますね。
ということで、だいたい外法のイメージがつかめましたでしょうか。
では、今回はこのへんで。

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オブジーボとお金と年齢

2018.10.12 (Fri)
今年のノーベル医学生理学賞は、人の体の中で異物を攻撃する免疫に
ブレーキをかけるタンパク質を見つけた京都大学の76歳の本庶佑特別教授と、
米テキサス大学の70歳のジェームズ・アリソン教授に与えられた。

受賞の理由は、免疫機能のブレーキを解除することによるがんの治療法を
確立したことだった。本庶氏の研究は、小野薬品工業が2014年に発売した
新型がん治療薬「オプジーボ」につながった。
オプジーボはがんの治療に高い効果があり、世界から注目されている。

本庶氏とアリソン氏の発見を契機に、オプジーボのような「がん免疫療法」が
次々と研究・開発されている。いまや免疫療法は手術、
放射線照射、抗がん剤に続く第4の治療となり、
これまでの治療が難しい患者に大きな希望を与えている。
(グノシー)



今回はこういうお題でいきます。オカルトの話ではないのでスルー推奨です。
さて、何から話しましょうか。癌の治療法の柱として、手術、放射線療法、
化学療法の3つがあるのはご存知でしょう。この中で、手術と放射線は、
早期の癌に対して根治を望める治療法です。

癌という病気は、転移しているかどうかで治癒への展望が分かれます。
例えば肺癌になったとして、癌が肺の中一ヶ所だけで、他に転移していなければ、
これは局所疾患と見ることができ、手術で腫瘍を摘出するか、
放射線で癌細胞をすべて死滅させることができれば、根治する可能性があります。

これに対し、癌が転移している、つまり体液の中に癌細胞が入り込んで
体の中を巡っている場合は、全身疾患となります。手術でいくら切り取っても、
次々に新しい場所に癌ができ、いたちごっこになってしまうんです。
この場合、手術は患者の体力を消耗させるだけでしかありません。

実際、大腸癌などの特別なケースをのぞいて、
転移を次々に切り取る場合と、そうしない場合を比較すると、
手術したほうが生存期間が短くなっちゃうことが多いんですね。
ですから、転移した癌に対しては基本的に化学療法、つまり、
抗癌剤治療ということになります。ですが、抗癌剤ではまず根治は望めません。

癌と共存し、延命を図ることしかできないんです。現在の医学は、
転移した癌に対してほとんど無力なんですね。そこで、癌治療の4つ目の柱として
期待されるのが免疫療法です。免疫なら、全身に癌が散らばっていたとしても、
それらをすべて消し去ることができる可能性があります。

現在 注目されている「光免疫療法」も、特筆される部分は、
近赤外線を癌細胞にあてて破壊することではなく、それによって自己免疫が
癌細胞を認識し、転移巣をも攻撃するところなんですよね。
ですが、残念ながら、その部分は今一歩うまくいってないようです。

関連記事 『光免疫療法について』

さて、前に「オブジーボは夢の新薬ではない」と書きましたが、
例えば肺癌で見ると、オブジーボの効果があるのが、全患者の2割ほどです。
その2割も、癌が根治するわけではなく、せいぜい癌が縮小し、
生存期間の延長が見られる程度の場合が多いんです。

で、オブジーボには薬価問題があります。これは国会でも取り上げられ、
議論されています。最初にオブジーボが発売されたときには、一人の患者が1年間
使用すると3500万かかりました。まあ、保険適用で自己負担は3割、
さらに高額医療費制度で、患者が実際に負担する額は年間100万円台ですが、
残りの金額は健康保険から支払われることになります。

そのため、このままでは保険医療が破綻してしまうのではないかと危惧された
わけです。当時は、オブジーボが使えるのは一部の皮膚癌だけでしたが、
現在では肺癌や胃癌に適用範囲が広がっています。例えば、年間5万人の患者が
オブジーボを使うとして、これ一つの薬代だけで年1兆7500億円になります。

これでは、たしかに日本の国民皆保険制度が破綻しかねません。また、
医療費や薬剤費の約4分の1が国費でまかなわれているので、国の予算に占める
社会保障費への影響も非常に大きなものになります。こう書くと、
じゃあ薬の値段を下げればいいじゃないか、と思う方もいるんじゃないでしょうか。
実際、オブジーボの場合は特例として、年間1000万まで薬価が下がっています。

ですが、新薬の開発には長い年月と莫大な予算が必要です。本庶博士の場合も、
PD-1の発見は1992年で、薬剤として結実するまで20年がかかってるんです。
それを安易に薬価を下げることで対応してしまうと、製薬会社の新薬開発に対する
意欲が削がれてしまうことになりかねません。画期的な薬が新しく出てこないとなれば、
それはそれで困りますよね。それに、薬の多くは外国で開発されたもので、
その値段を、日本で勝手に下げるのは無理です。

じゃあどうすればいいのか。もちろん一番いいのは、オブジーボが効く患者を
厳密に選んで投与することですが、これが難しいんです。癌という病気は
遺伝子の変異であり、患者一人一人、微妙に性質が異なっています。
ですから、投与してみないと効くかどうかわからないという面があるんですね。

次に、年齢制限をもうける。例えば75歳以上の患者にはオブジーボのような
高額な薬は使えないようにするとか。でも、それだと「老人切り捨て」という
批判が必ず起きます。今の日本は少子高齢化社会で、お年寄りの有権者が多い。
そんな政策を打ち出したら、政権が倒れるかもしれません。
どこの政党でもできないでしょう。

次、オブジーボを使う場合は自己負担額を大きくする。しかし、そうすると、
お金がない人は治療をあきらめるしかなくなってしまいます。命に値段がついて、
金持ちしか長生きできない社会というのは、無保険者の多いアメリカが
それに近いですが、本当にその形でいいのかは、大きな疑問があります。

最後は、健康保険料を大幅に引き上げることです。でも、医療保険って、
若いうちはあまり使うことがなく、中年以降に生活習慣病などで
医者にかかることが多くなっていくのが普通ですよね。それを、若い人にも
多大な負担を強いることになるのは難しいと思うんです。それでなくても、
若年層の生活困難が、少子化につながっている面があるわけですから。

さてさて、ということで、どうすればいいんでしょう。現在、日本人の2人に1人が
癌になり、3人に1人が癌で亡くなっています。けっして他人事ではないんです。
今後、画期的で、しかも薬価が高い新薬は、免疫療法の進展とともに、
次々に開発、発売される可能性があります。
みなさんは、どう考えられますでしょうか。では、今回はこのへんで。

関連記事 『パラケルススとオブジーボ』






石を返す話

2018.10.12 (Fri)
うちは造園業やってるんです。家族経営ですけど、この地方にはお得意さんが
たくさんいて、けっこう手広く商売してます。
社長は親父です。70に手が届く齢ですけど、バリバリの現役。
ええ、剪定で木にも登りますし、力も私より強い。
しかもね、なんとフランス語がペラペラなんです。
これは、若い頃に画家を目指してて、フランスに5年ほど住んでたことがあるからで、
まあ、画家になる夢はかないませんでしたが、そのときの縁で、
向こうから日本庭園の築造を頼まれたりするんですよ。
ええ、ヨーロッパにはけっこう日本庭園に魅せられた元貴族なんかがいて、
半年近く滞在して仕事することもあります。そんなときはね、
1回の出張でかなりのお金になるんですよ。ああ、すみません。

それでね、そのときもオヤジはフランス行ってたんですが、
出発前にこんな指示を出しまして。「月末頃、山根さんが石運んでくるから。
 それ入れることができるよう、置き場を開けておいてくれ。
 それから、運ばれてきた石には、俺が戻ってくるまで触るんじゃないぞ」
ええ、私、まだ一人前と思われてないんですよ。これでももうすぐ、
この仕事について25年になるんですけどねえ。ただまあ、
無理もないところもあります。石はいろいろと難しいんですよ。
人間の寿命って、たかだか80年くらいでしょ。ところが、石は億年のレベルです。
だから中には、神性みたいなものを持ったものもありましてね。
あと、石は古代から信仰の対象になってましたから、
間違って、磐座になってた石が採取されたりしてしまうこともあるんです。

そんな場合、いろんな障りが起きるので、うかつに触れないんですよ。
あとね、石には顔と表情があるって言われますよね。
どの面を上にして、どんな向きで置くか。これを見定めるには長い経験が必要で、
不本意な置き方をされると、石が怒ったりするんです。いやいや、ホントの話です。
でね、約束の期日に、山根さんが石を運び込んできました。
個人の持ち山から親父が買ったものです。数は大小15個ほど。
大きいのは2mもあって、クレーンで運び下ろしました。
いや、私が見るかぎりでは、どれも野面(のづら)のあるいい石でしたよ。
けど、それらの石が運び込まれてきてから、おかしなことが起こり始めたんです。
まず、私の娘ね。今、高校3年で大学受験を控え、遅くまで勉強してるんですが、
あるとき、こんなことを言ったんです。

「勉強してて12時を回った頃に、部屋の空気を入れ替えようとして窓を開けたら、
 仮植え場の中が赤く光ってた」って。まあね、植木泥棒もいますから、
仮植え場には防犯灯をつけてますけど、赤く光るってのはありえない。
それで気になって、「今度光ったら知らせてくれ」そう言っておきました。
それから3日後ですね。時間は夜の12時過ぎ。私は焼酎飲みながらテレビ見てましたが、
そろそろ寝ようかとしたとき、2階の部屋から娘が呼びにきたんです。
「庭が光ってる」って。で、2階の廊下の窓から見たら、
たしかに赤く光ってるんです。ええ、石を運び込んだあたりが。
それがなんとも嫌な赤い色でねえ。朱色に近い光がチカッ、チカッと明滅してる。
もちろん、懐中電灯片手に見に行きましたよ。でもね、けっこう広い植木の
仮置場には、光るものなんて何もなかったんです。

で、家に戻ったら、玄関口に娘が出てきてまして、「お父さんが今、庭に出たとき、
 上から見てたんだけど、石の置いてあるところで、たくさん黒いものが出てきて
 囲まれてたよ」って。でも、そんなことなかったし、
もう一度2階に上がって見てみたら、赤い光は消えてたんです。
気味悪いなあと思いましたが、それ以後、娘が何か言うことはなかったんです。
それから2週間して、今度は女房が奇妙な目に遭いました。
これ、あまりに変な話なので、信じてもらえますかねえ。
その日、私は職人を連れて外に仕事に出ていて、女房が事務と店番をしてたんです。
仕事の依頼はほとんどが口こみか電話で受けるんで、
事務所に人が訪ねてくることはめったにないんですが、呼び出しが鳴って、
女房が出てみると、振り袖を着た若い娘さんが立ってたって言うんです。

女房の話では、うちの娘よりも若くて14,5歳ぐらいだろう。
目つきが少しキツイことをのぞけば、とてもきれいな娘さんだったそうです。
でも、そんな娘が造園業を訪ねてくるのも変でしょ。
女房が「どんなご用でしょうか」って聞いたら、娘さんはもじもじしてたけど、
意を決したようにこんなことを言ったそうです。
「この家のな、庭にある石な。悪いものが混じっておるぞ。
 ああいうものが近くにあると苦しゅうてならん。どうかどこぞに持っていって
 くれぬかのう」ええ、このとおりではないでしょうが、
現代の言葉じゃなかったそうです。女房はなんと返答していいかわからず、
「副社長(これ、私のことです)が戻りましたら、伝えておきますので、
 連絡先をお書きください」こう言って紙とペンを渡しました。

そしたら、ボールペンを使いにくそうにしながら何か書いたんですが、
その途中で、娘さんの顔中から金色の毛がぶわっと吹き出したんだそうです。「あっ!」
女房が驚くと、娘さんは紙を投げ出し、振り袖をひるがえして逃げていったそうで。
でね、私が戻ってきてその話を聞いて、半信半疑でしたが、紙を見ると
ひと目では読めないような達筆の字が書いてある。草書っていうんですか、
何とか判読したところ、それ、うちから500mほど離れたところにある
小さなお稲荷さんの住所だったんです。ええ、普段は神職もいないようなところです。
でね、そのままにしておけませんので、近所の人から神職の家を聞いて、
出かけてみたんですよ。神職はわりと若い人で、この地域を担当して、
神主が常駐してないこのあたりのお社をいくつも掛け持ちして
お祀りしてたんです。私が、ともかく女房が見た出来事の話をすると、

神職は少し考え込んでましたが、「うん、それねえ、心当たりがないこともない。
 私もね、最近夢を見るんですよ。狐の面をつけた女が暗い中に座っていて、
 怖い怖いって言う。何が怖いのか尋ねると、古い古い強い荒神が近くに来てる。
 怖くてたまらないから、出ていくように言ってくれ・・・こんな夢です」
でも、その神職にも、何をどうすればいいかわからず、
そのまま放置しておくしかなかったということでした。
でね、困ってしまって、親父に国際電話したんです。
親父が出たので、あったことを話すと、「うーん、見落としがあったか。 
 ちゃんとあちこち確認したつもりだったがなあ。ともかく、まだ日本には
 戻れんから、そうだなあ、お前、面倒だろうが京都の伏見稲荷まで行け。
 そこで、仮置場にある新しい石の数だけ御札をもらってきて、

 石に貼りつけておくんだ。それで当面は収まるだろ」
こんなことを言われたんです。伏見稲荷大社は、ご存知のように全国のお稲荷さんの
総本社ですよね。とにかく、言われたとおりにしました。
そしたら、それ以来おかしなことはなかったんです。
でね、数カ月後、親父が帰ってきまして。すぐに私と職人ら数人を連れて、
仮植え場に出て、搬入された石を、大きいのも小さいのも一つずつ手のひらをあてて
調べてたんですが、「ああ、これだ」って一つの石のところで言ったんです。
それ、中では大きいものではなかったです。中くらいより少し小さいやつ。
数人がかりなら人手で転がせそうでしたが、重機を使ってひっくり返してみました。
そしたらねえ、下になってた面に何か彫られてたんです。
けど、まったく読めないし、字であるかどうかもわからなかったです。

親父は「ああ、俺としたことが。見逃してたなあ。ヤキが回ったかもしれん」
こう言ったので、「社長、これ何なんですか?」聞いたら、
「神代文字だ。お前にはわからないと思うが、古代の山岳祭祀で使われたやつ。
 時代はそうだなあ、縄文中期ころか」 「それ、どのくらい前の?」
「5000年以上だ。お前は齢ばっかり食って、何にもわからねえなあ」
こう怒られました。親父は続けて、「強い神さんの気がまだ残ってるんだな。
 それで近所のお稲荷さんが怖がった。しかしなあ、こんなのにダメ出ししなかった
 俺もヤキが回ったかなあ。かといって、お前には、まだまだ任せられねえし」
その石は元あった山に返しました。あとね、お稲荷さんには、
私と女房で何回かお参りをし、お騒がせして申しわけありませんでしたと謝って、
油揚げをお供えしたんですよ。まあ、こんな話です。






首を取る話

2018.10.10 (Wed)
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今回はこういうお題でいきます。カテゴリは日本史ですね。
みなさんは、「首狩り族」という言葉を聞くとどう思われますでしょうか。
ああ、未開の地の野蛮な風習だと感じられるかもしれません。
ですが、日本には古来から敵の首を取る作法がありました。

ただ、首狩り族などの場合とはちょっと違います。首刈りは、
ほとんどが宗教的な意味を持っていて、人間の頭部に霊的な力が宿るという
信仰によるものです。それに対し、日本の場合は主に、
討ち取った相手を確認・識別するために行われました。

「首級を上げる」という言葉がありますが、これは、中国の戦国時代、
秦の国の法で、敵の首を一つ取ると兵士の階級が1つ上がったことからきています。
この風習が日本に伝わったのだと考えられますが、じゃあいつから始まったか
というと、古代の戦争の様子はあまりよくわかってないんですね。

吉野ケ里遺跡の首なし人骨
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九州の吉野ケ里遺跡などでは、弥生時代の戦闘で死んだ首なし人骨が
発掘されていますが、これはおそらく、上記の首刈りに近いものでしょう。
また、処刑として首を斬ることも古くからありました。
『日本紀略』では、802年、東北遠征に赴いた坂上田村麻呂が、
蝦夷のアテルイとモレを捕虜にして、近畿地方まで連れてきました。

田村麻呂はこの両名の助命を願いましたが、平安貴族の反対にあって、
河内の国で首を落とされています。この場合は明らかに処刑ですね。
940年、関東で乱を起こした平将門は、藤原秀郷らの連合軍に破れて
首を取られ、その首が長期間かけて京都まで運ばれました。

獄門にされた平将門の首


これは、将門に影武者がいたこともあり、朝廷が確実に死んだことを
確認したかったからです。将門の首は京都で晒されることになりますが、
これが歴史上で、獄門が行われた初の事例なんですね。この様子が
恐ろしかったためか、後代に、将門怨霊説がささやかれることになります。

晒されていた将門の首は突如宙に飛び上がり、故郷の関東をめざして
消えていったとするものです。その首が落ちたとされる場所はいくつもあり、
東京の千代田区にある首塚は、騒がすと祟りがあるとされています。
荒俣宏氏の小説、『帝都物語』の影響もあって、
将門は日本最大の怨霊とまで言われるようになりました。

さて、源平の合戦の頃には、首を取ることが作法として始まっていたようです。
『平家物語』では、一ノ谷の戦いで、熊谷次郎直実が、波打ち際で平家の
武者を組み伏せ、鎧の様子から高貴な武将であると見て首を取ろうとしたが、
顔を見ると自分の息子ほどの若さ。逃してやろうとしても、
味方が近くまで来ており、泣く泣く首を斬ったという話が出てきます。

平敦盛と熊谷直実
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この武将は、首実検で、清盛の甥の平敦盛15歳とわかり、遺体の腰に
「青葉の笛」が挿されてあったことから、その風雅の心に感じて、
源氏方もみな泣いたとされます。あと、斎藤実盛という人物が、
木曾義仲追討のための北陸の戦いで討ち死にしますが、
首実検で首を洗うと、墨が流れ白髪頭が現れました。
老齢とあなどられることがないよう、髪を黒く染めていたんですね。

また、平泉で討ち取られた源義経の首も、酒に浸して鎌倉に送られました。
道中、43日間もかかったため、腐敗して判別がつかなかったと考えられます。
ここから、義経が東北を北へ落ちのびた、北海道へ渡った、
大陸でジンギスカンになった、などの話が出てくるわけです。

さて、鎌倉時代の元寇では、日本軍は多くの蒙古兵の首を討ち取りましたが、
これは敵の首が即、恩賞につながったからです。
1467年には応仁の乱が起こり、戦国時代が始まりました。
このとき以来、農民出身の者も雑兵として戦闘に参加するようになったため、
軍規が厳しくなり、首実検の作法も固まっていきました。

戦国時代の首取りの様子 首を取っている人がさらに取られている
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取られた首は、武家の婦女によって死化粧が施されました。
これは、見るに堪えない無念の形相の首が多かったためとも言われます。
武将の首は髪を結い直し、お歯黒もつけました。このとき、
「諸悪本末無明 當機実検直 義何處有南北」という呪文?を唱えると、
その首は祟らないとされたようです。

これ、いまいち意味がわからない文章です。「諸悪は本来、無明である。
機にあたり直に首実検する。義は南北のいずこにありや。」うーん、
善悪ではなく、運が悪くて死んだんだよ、くらいの意味でしょうか。当時、
戦場での死者は祟らないなどとも言われましたが、実際には怨霊は怖れられていて、
取った首を自分の城に持ち込むのはよくないとされました。

ですから、首実検は近くのお寺などを借りて行われたんですね。
実検が終わった首は、獄門にさらされる場合も、相手方に返される場合もありました。
雑兵の首などは捨てられたようですが、そのときも祟りがないよう、
北の方角に持っていきました。これは「北」を「にげる」と読むためです。

これは展示物で、本物ではありません
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織田信長は、討ち取った浅井久政・長政父子と朝倉義景の3つの頭蓋骨を磨いて、
箔を貼ったものを酒宴で披露しましたが、これは極めて異例で、
仏法を信じず、霊を怖れることがなかった信長の性情がよく表れた話です。
秀吉の朝鮮出兵では、日本軍は多くの朝鮮、明兵の首を取りましたが、
日本への輸送が困難なため、かわりに鼻や耳を削いで箱に詰めて送りました。

さてさて、大急ぎで「首を取る」歴史をふり返ってみました。
武士の歴史は残忍なものですが、切腹なども含めて、
様式化され 美化されていきました。坂口安吾の小説、『桜の森の満開の下』は、
斬られた生首の持つ魔力に魅入られた女の話です。では、今回はこのへんで。

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光の科学あれこれ

2018.10.09 (Tue)
宇宙からの電波信号を探ることだけが、地球外生命体を探す手段ではないことを、
カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)の学生らによる研究が示している。
宇宙物理学者のフィリップ・ルービン(Philip Lubin)教授らは、
「Trillion Planet Survey」というプロジェクトで、フォトニクス(光通信)
を活用した地球外生命体の探査を行っている。

「我々は地球人と同等かそれ以上の知能を持つ生命体が、
光ビームを使って存在を知らせようとしていると考えている。
その光ビームは現在地球上で開発されている”指向性エネルギー”を使ったもの
である可能性がある」とエモリー大学の研究者、アンドリュー・スチュワートは
声明の中で述べた。
(Forbes)



今回は科学ニュースから、このお題を拝借します。ただ、元記事が短いため、
詳細がよくわからないんですよね。それと、光の話は難しいので、
自分がどっかで間違えているかもしれません。もしお気づきの方がいれば、
コメントでご教示いただければありがたいです。

さて、宇宙にある地球外知的生命体の文明を探査することを、
「SETI(セティ)」と言います。これまでアメリカを中心に実施されてきましたが、
そのほとんどが電波望遠鏡による、宇宙からの電波の解析でした。
また、地球から宇宙に向かって打ち出すのも電波でしたが、
この計画は、それを光ビームで行おうとするもののようです。

うーん、何から書いていきましょうか。まず、電波と光(可視光線)
はどう違うんでしょうか。これは、どちらも電磁波の一種ですよね。
ただ、波長が違います。電波は波長が長く、可視光線はそれよりも波長が短い。
下に電磁波の波長の表を掲載しましたので、参考にされてください。

クリックで拡大できます
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では、少し思考実験をしてみましょう。あなたが、夜空に向かってLEDの
ペンライトを光らせたとします。すると、その光はどこまで届くでしょうか?
まず、光は直進していきますよね。これは光の持つ基本的な性質で、
中学校で勉強するのかな。光が直進するのは、質量がゼロで、
電気を帯びていないので、他からの影響をほとんど受けないためです。

ですから、理論的には、遮るものがなければペンライトの光はどこまでも進み、
宇宙の果てまで届くはずです。ですが、実際には、宇宙空間にはガスや塵などの
星間物質があり、光はそれらに吸収されたり、
反射、散乱したりして、だんだんに力を失っていくことになります。

じゃあ、ペンライトより強い光ならどうでしょう。例えば恒星が出す光など。
われわれの太陽系で最も強い光を出しているのは、太陽です。
光は波と粒子の両方の性質を持っていますが、太陽は大量の光子(フォトン)
を撃ち出しています。あれ、太陽の光って、どこまで届くんでしょう?

ヒッパルコス
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これは、「等級」で考えてみるといいでしょう。
われわれが夜空を見て、明るい星を1等星などと言いますよね。古代ギリシアの
前2世紀頃の天文学者、ヒッパルコスは、目安として最も明るい恒星を1等星とし、
かろうじて肉眼で見える暗い星を6等星として、間を分ける形で6段階に
定めたとされます。1等星は6等星の100倍ほどの明るさです。

うーん、今使われてる1等星という言葉は、そんな昔からあったんですね。
で、天体の明るさは距離の2乗に反比例するので、当然ながら、
地球に近い星は明るく、遠い星は暗く見えます。ですから、地球に届く星の光は、
あくまでも見かけ上の明るさなんです。

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では、客観的な基準はないかというと、これはあります。
ある天体を、地球から10パーセク(32.6光年)の距離に置いたものと
仮定したときの明るさを「絶対等級」と言います。太陽の絶対等級は、
+4.83(4等星と5等星の間)、見かけ上の等級はー26.7です。

詳しい計算は示しませんが、太陽の光が人間の目で見えなくなる6.5等星
になるのは、だいたい70光年くらいの距離だと考えられます。
これを長いと見るか、短いと見るかは難しいですが、
ともかく、太陽の光でも、届く距離は70光年程度なんです。

さて、最初のニュースの話題に戻って、どうやら宇宙からの光を解析して、
宇宙文明を見つけようとしているようです。ここでいう光ビームがどのような
ものかわかりませんが、恒星からの光よりも強力なんでしょうか。えーと、
例えば、地球からアンドロメダ銀河までの距離は、約250万光年とされます。

太陽の光はまったく届きません。太陽系から最も近いとされる星は、
ケンタウルス座の方向にあるプロキシマ・ケンタウリで、4.246光年です。
そこでなら太陽の光はかなり明るく見えますし、逆に、
もし、そのレベルの距離から指向性の強い光が発射されているなら、
地球上で見つけることはできるのかもしれません。

プロキシマ・ケンタウリ
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さて、ここまでお読みになられて、あることに気がつかれた方も多いと
思います。この内容は、あくまで地球人類を基準にした話なんですよね。
まず、光(可視光線)という定義が、地球人の目に見える電磁波という意味で、
宇宙人は、それとまるでちがう領域の電磁波を見ているかもしれません。
(映画の『プレデター』では赤外線を見てました。)

この地球上にも、人間には見えない紫外線を見ることができる昆虫などがいます。
あと、1等星とか2等星とかいうのも、地球人の目の構造を元にした考え方で、
現代では、視力1.5もあれば目がいいと言われますが、
宇宙には、もしかしたら視力100.0とかの宇宙人がいるかもしれません(笑)。
それなら、70光年以上離れていても太陽の光が見えます。

自分は、宇宙のことを考える場合、地球人の基準では
なかなか推し量れないことが多いんじゃないかと思っています。
ですから、地球外生命体が、もし何かの情報を発しているとしても、
われわれの想像を大きく超えたものなのかもしれません。

さてさて、とはいえ、上記の実験にケチをつける気はまったくありません。これまで、
宇宙からくる電波を解析しても、宇宙文明らしい痕跡は見つけられていません。
(ニコラ・テスラが宇宙からの通信をキャッチした、なんて話はあります。)
ですから、違うアプローチをするのはいいと思いますね。
続報を期待しましょう。では、今回はこのへんで。  

関連記事 『宇宙人を探せ1』






予知する話 2題

2018.10.08 (Mon)
※ ナンセンス話です。

輪になって踊る

いやあ、ひどい目にあいましてね。そのときの話をしますよ。
のっけからこんなことを言い出してあれなんですが、私ね、かなり酒を飲むんです。
毎晩、晩酌するんですよ。ビールから始めて、焼酎のロックを5、6杯。
ええ、けっこうな量です。医者にはね、肝臓の数値がよくないからほどほどにして
くださいとは言われてるけど、まだドクターストップじゃないしね。
いや、飲むなって言われたとしてもやめませんよ。
だって私、もう68歳ですよ。これからあとなんぼも生きられるもんじゃない。
というか、女房が死んでから気楽な一人暮らし。楽しみがなくて生きてたって
しょうがないじゃないですか。そんなだから、毎晩酔っ払って寝て、
夢なんて、ここ何年も見たことがなかったんですよ。
それがその晩は、妙な夢を見ましてねえ。

ふっと気がつくと、草むらみたいなところに立ってました。
でね、私を取り囲むように円を描いて人が踊ってたんですよ。
いやいや、盆踊りとかじゃなくて、音楽は何もなかったです。そのかわりというか、
カサッ、コソッと枯葉がこすれるような音がしてました。
踊ってるのは子ども、大きな子どもでしたね。大きな子どもって言い方は変ですけど、
身長が私よりずっと高かったんです。だけど、昔の野良着のようなのを着た
体つきは子どものものでね、丸々とした手足のやつらがぐるぐる踊ってる。
でねえ、顔がわからなかったんですよ。みんな笠をかぶってましたから。
あとね、踊りって言いましたが、みなバラバラな動きでね。
片足を上げたり、両手を上に挙げたり、拍子ってものがなかった。
いやあもちろん、輪から抜けて逃げ出したいと思いました。

けど、その踊ってるやつらに近づくのが怖くってねえ。
ただそこに立ちつくしてたんですよ。あ、でも、人数は数えました。
12人いたはずです。で、しばらくすると、私の頭の中に声が響いてきました。
ええ、ちゃんと覚えてます。「こいつ、俺らをとるかなあ」
「とるならとってもいいよ」 「まだまだ生えるからね」 「それよりこいつ、
 ひどい目にあうよ」 「そうだよ臭いよ」 「臭い臭い」
「臭いで済むだけならいいねえ」 そして、どーっという笑い声。
そこで目が覚めました。そしたらもう明るくなってましてね。
ああ、夢だったのか、おかしな内容だったなあ。そう考えながら起き出して。
でね、私はもうとうに仕事は引退してまして、毎日やることもないんですが、
その日は裏の持ち山の見回りに行こうと思ってたんです。

で、かごを背負って出かけました。目的は登る道に倒木とかないか、
雪が積もる前に調べることでしたけど、その道々にキノコでもあったら、
とって鍋にしてやろうと思って。でね、進んでいくと、マイタケやシメジなんかが、
かなり収穫できたんです。高い山じゃないので、1時間ほどでてっぺん付近まで
来たんですが、大きな松の木の根元に菌輪があったんです。
菌輪ってご存知ですか。キノコが輪を描くようにして生える現象。
地面の下に菌が広がってるんですね。ああ、こいつらもとってやろうと
近づいたとき、ふと前夜の夢を思い出しまして。
それで、キノコの数を数えてみたら、小さいのも入れて12本でした。
でね、なんか気味悪くなって、それはとるのをやめたんです。まあ、
シメジの一種で、毒ではないものの、それほど食べて美味いキノコでもなかったんで。

でね、夢の中で「臭い臭い」って言われてたんですよね。
あの踊ってたやつらがこの菌輪だとして、臭いってどういうことだろ?
そう考えながら山を下りていくと、ちょっとした斜面で足を滑らしちゃったんです。
ザザザザって落ちていって、手をついたところがネチャリとしました。
で、臭かったんです。あーっ、と思って飛び起きました。
それ、熊の糞だったんです。すぐにわかりました。ええ、まだ乾いてない熊の糞。
どういうことかわかりますよね。近くに冬眠前の熊がいる。
そう思うと心底ゾーッとして、警戒しながら戻ってきました。
幸い、熊の姿は見ませんでしたが、家に戻って町役場に連絡しました。
熊なんて、ここ何年も姿を見なかったのに、山伝いに移動してきたんでしょうか。
それからね、肘のあたりまでべったりついた熊の糞を洗ったんです。

電話に出る

みなさん、家にある固定電話って使うことありますか?
そりゃ、年寄りとかがいれば使うかもしれないけど、うちは使わないですねえ。
みな、スマホで用件が済んじゃう。だから、固定電話の契約を解除する家も
多いみたいです。まあ、月々の電話代がムダですからね。
うちもそうしようかと考えてたんですが・・・
その日ね、平日でしたが、私、仕事休みだったんです。
女房は仕事に出かけてました。それでね、のんびりと居間で借りてきた
ビデオを見てたんですよ。ああそれで、私、山根って言うんです。
映画はホラーでしたけど、今のホラー映画って謎があるものが多いじゃないですか。
最後のほうでそれが明らかになる。その一番いいところを見てたとき、
固定電話が鳴ったんです。何かのセールスだろう、

そう思って、舌打ちしながらビデオを止め、電話に出ました。
「山本さんのお宅ですか?」 「いえ、違います」 「あれ、山本さんじゃない?」
「うちは山根です」 「あ、間違いです、失礼しました。雨が」
それで切れたんです。まあね、間違い電話なんてよくあることですが、
なんか最後に「雨」って言ったよな。でもまあ、深くは気にしなかったんです。
ホラー映画を見おわって、もう昼近くなってましたんで、
何か食べようと冷蔵庫をあさったら、冷凍のピザがありまして。
それ、レンジにかけたんです。そしたらまた、固定電話が鳴ってる。
出てみました。「山城さんのお宅でしょうか?」 「いえ、違います」
「あ、すみません間違えました。雨が・・・降りますよ」 「え?」
ガチャン、それで電話が切れまして。変だなあ、さっきも雨って言ったような。

でも、窓の外は青空で、雨が降る様子はありませんでした。
でまあ、せっかくの休みなので、缶ビールを一本開けて、
ピザを食べてたんですよ。それから、特にやることもないので、
少し仕事しようかと思ってパソコンを開きました。私、塾の講師をしてまして、
教材のプリントでも作ろうかと思ったんです。
で、1時間くらいして、また電話です。ちょっと気味悪くなって、
おそるおそる出てみました。「山内さんのお宅でしょうか?」 「いえ、山根です」
「あ、間違えました。申しわけない。濡れちゃいますよ」 「え、何が?」
ガチャン・・・これ、さすがに変に思いますでしょ。
でもねえ、それまでかかってきた電話、最初が女の人の声で、
あとの2つが男。着信履歴も見てみたんですが、全部別の知らない番号でした。

で、気になるじゃないですか。「雨で濡れる??」その後、仕事を続けてたんですが、
電話がかかってくるのなんか待ち遠しいような気もしまして。
夕方の4時を過ぎまして、また電話が鳴りました。それっと受話器を取ると、
「山岸さんのお宅でしょうか?」 「いえ、違いますけど、雨がどうしたんでしょうか?」
「あ、スミマセン、間違いました。雨でね・・・カメラが濡れますよ」ガチャン。
あっ!!と思いました。私、マンションのベランダに水槽をおいて、
メダカを飼ってるんです。今、改良メダカってブームじゃないですか。
で、その水槽、朝に写真を撮ったんです。あわててベランダに出ると、
空が暗くなってて、ニコンのカメラが水槽のわきに置かれてました。
そのカメラ、女房のなんです。女房は雑誌社で写真撮影を担当していて、
家にもカメラ置いてたんですが、その中で一番高いのを借りたんです。

でね、カメラをとってベランダのサッシを閉めたとたん、
ザーッと強い雨が降り出しまして。危ないところでした。あのカメラ、ある程度は
防水なんでしょうが、もし壊れたりしたら女房と大げんかになってたでしょう。
もちろん置きっぱなしにした私が悪いわけです。
それにしてもねえ、不思議だと思いませんか。
うちの部屋は8階で、カメラが置いてある場所も手すりで外からは見えない。
だいたいね、その日は雨の予報じゃなかったんです。
だから、午前中の時点で雨が降るなんてわかるわけはない。これねえ、
予知ってことなんでしょうか。そうだとしても、別々の4人が女房のカメラを
心配してくれるのも変でしょう?あと、山本に山内だったかな。
みんな山が名字の最初につく間違いってのも・・・どういうことなんでしょう。







パラケルススとオブジーボ

2018.10.07 (Sun)
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今回はこういうお題でいきます。今年度のノーベル医学・生理学賞を、
京都大学出身の本庶佑博士が受賞されました。その受賞理由は、
PD-1受容体の発見と、これまでの抗癌剤とはまったく作用機序の異なる
免疫チェックポイント阻害薬、ニボルマブ(商品名オブジーボ)の開発です。
本庶博士、受賞おめでとうございます。

今回の受賞により、「ノーベル賞の薬オブジーボ」をぜひ使いたい、
という問い合わせが医療機関に殺到しているようです。ですが、オブジーボが
健康保険適用になるためには、さまざまな条件があります。例えば胃癌であれば、
「2つ以上の化学療法歴のある治癒切除不能な進行・再発胃がん患者」です。
適用になっていない癌種もありますし、誰でもが使えるわけではないんですね。

免疫チェックポイント阻害薬の作用機序 クリックで拡大できます
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もちろん、自由診療として自費で使うことはできますが、
その場合は非常な高額になります。また、自由診療を行っているクリニックなどには、
はっきり言って詐欺まがいのところもありますし、重篤な副作用が起きた場合、
それに対応できずに、患者が亡くなってしまうケースもあるんです。

「医療の不確実性」という言葉があります。これは、医療は他の自然科学のように
数式どおりの結果が出るわけではない、という意味です。オブジーボにしても、
病気の条件が同じ患者に投与しても、効く場合もあれば効かない場合もある。
副作用も、出る人もいれば出ない人もいる。このような点から、
「医学は数学ではなくアートである」などと言われたりしてきました。

さて、ここで話はパラケルススに移りますが、本が何冊も書けるほどの
エピソードがあります。ですから、本記事でご紹介するのは、
ほんのさわりだけです。パラケルススはスイス生まれ、16世紀に活躍した
医師、錬金術師、神秘思想家。もちろん実在の人物ですが、
「パラケルスス」は本名ではなく、ペンネームのようなものです。

パラケルスス
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パラケルススはたいへんに型破りな性格でした。その生涯は、放浪と論争に
終始しています。放浪は、ヨーロッパ全土のみならず、アジアやアフリカ大陸
にまで及びました。そしてその行く先々で地元医師と対立しているんですね。
これは、パラケルススの医学が、それまでとは別の方法論をとっていたからです。

当時のヨーロッパ医学は、古代ギリシアの前5世紀ころの医師、ヒポクラテスの
説に基づいていました。ヒポクラテスは「医学の父」と呼ばれ、現代でも、
「ヒポクラテスの誓い」が医学教育に用いられています。ヒポクラテスの説は、
「四体液説」と言われ、その後千年以上の間、医学のベースとなってきました。

ヒポクラテス
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簡単に説明すると、人間の体液には「血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁」があり、
それらの相互作用によって病気が起きるというものです。ですが、パラケルススは、
それを真っ向から否定し、「三原質説」を唱えました。三原質とは、
「塩・硫黄・水銀」ですが、これは錬金術で重要視される物質です。

「四体液説」
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また、パラケルススは、星の動きが人間の体調に影響を与えるという、
「医療占星術」も説いています。まあ、現代のわれわれの目から見れば、
「四体液説」も「三原質説」も、どっちもトンデモなわけですが、
パラケルススのすごかったのは、実際に病気を治せたところです。       

パラケルススが放浪の途中、現フランスのシュトラスブルクを訪れたとき、
人文主義者のヨハン・フローベンが重い病にかかっており、地元の医師たちは
下肢の切断を提案しましたが、それは当時、命の危険が大きい手術でした。
そこで、パラケルススは、下肢の切断をせず見事に治療してみせたんですね。

これにより、信頼を勝ちえたパラケルススは、バーゼル大学の医学教授に
推薦されました。しかし、ここでもパラケルススの反骨精神が頭をもたげ、
当時の大学教授は赤い帽子を被り、ガウンを着て講義を行う規則だったのに対し、
黒いベレー帽、薬品で汚れた服で講義を行い、権威ある医学書を
学生の面前で燃やしたりしたため、2年ほどで追放されてしまいます。

パラケルススは、放浪中、ザルツブルグで48歳で亡くなっていますが、
その死には、病死説の他に、水銀中毒説、他殺説があります。19世紀に、
パラケルススの墓が発掘され、遺骨を調べると、頭蓋骨の後頭部に外傷らしき跡が
見つかりました。これにより他殺説が有力になったんですが、
後に、くる病の後遺症と診断されました。ただ、これには異説もあります。

パラケルススには数々の逸話があります。例えば、悪魔との知恵比べに勝って、
自由自在に悪魔を使役していたとか、人造人間ホムンクルスを造ったとか、
死体蘇生術に成功したとか。たしかに、パラケルススは神秘思想的な著作を残しては
いますが、これらは、後世の人間が面白おかしくつけ加えた伝説でしかありません。

ホムンクルス
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パラケルススの本質は、当時定説とされた医学常識に疑いを持ち、
経験主義的に治療を行った、優れた医療者だったことです。その業績の一つとして、
阿片や、ヒ素などの金属化合物を初めて医薬として採用したことがあげられます。
これにより、パラケルススは「医化学の祖」と呼ばれています。

さてさて、オブジーボの話に戻って、もちろん画期的な業績ではありますが、
「どんな癌にでも効く夢の治療薬」ではありません。現代の医学は、癌どころか、
風邪やニキビ、アトピーだって完全に治せてはいないですよね。
ただし、癌とは違ってまず命に関わらないので、大きく問題視されていないだけ。
それほど病気の治療は難しいんです。

ただ、パラケルススのように、既存の説を疑い、
新しい方法論に挑戦していくことは大切だと思います。本庶博士も、
受賞の弁で、「教科書を信じるな」 「科学は多数決ではない」
と述べておられましたね。では、今回はこのへんで。





神と死後の世界アンケート

2018.10.06 (Sat)
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今回はこういうお題でいきます。これ、カテゴリは何に入るんでしょうね。
うーん、いちおうオカルト論ということにしておきますが、
何か違うような気もします。あと、ここに書いたのはbigbossmanの勝手な
見解ですので、異論はいろいろあると思います。

さて、下のグラフをご覧ください。これは「世界価値観調査」という、
世界の大学や研究機関が参加して、1990年から5年ごとに行われている調査の
一部分で、55ヶ国からの回答が得られています。調査対象は各国とも
18歳以上の男女1000人程度、やや古いですが、2000年の結果です。

「神は存在するか?」 ※クリックで拡大できます
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まず、「神は存在するかどうか?」について、選択肢は3つ。日本の回答は、
第1位が「存在する」で35%、2位が「わからない」で34%、
3位が「存在しない」31%と、ほとんど拮抗しています。これ、もし別の
1000人に聞いたら順位は入れ替わるかもしれません。

世界の他の国をみると、「存在する」が100%なのがエジプト。
エジプトはイスラム教国ですね。他にも上位をイスラム国家が占めています。
「存在する」が最も少なかったのがベトナムで18%。これはわかる気がします。
ベトナムは長い戦争を経て社会主義になった国です。他にも、チェコ、
エストニアなど、騒乱が続いた国が神の存在を否定する割合が高いですね。

あと、特筆すべきなのが、「わからない」の比率が世界で最も高いのが
日本だということです。これは圧倒的で、2番目に「わからない」が多い
リトアニアを10%以上上回っています。まさに「あいまいで自分の意見を
はっきり言わない国」日本の面目躍如といったところです。

みなさんはどうでしょう。「神は存在すると思いますか?」こう聞かれて
どう答えられますか。これねえ、キリスト教国やイスラム教国など、一神教の国は、
神といえばエホバやアッラーのことを指しますが、日本人だと困りますよね。
神って、近所のお稲荷さんのことなのか、それともお盆に墓参りするご先祖様か、
菩提寺の御本尊なのか、思い浮かべる対象に迷います。

他の国が「神の概念」がはっきりしているのに対し、日本はまずそこから、
それぞれの人が持っているものが異なっているわけです。
中には、まったく神のイメージを持てない人もいると思います。
そういう意味では、世界でも特殊な国なんですね。

あと、「わからない」が多いのも日本人の特徴で、「日本人に対するアンケートには
わからないの項目を入れるな」とまで言われてるんです。これは一つには、
日本には「わからないことは恥ずかしいことではない」という社会通念があるからだと
思います。他の国では「自分の意見を持たないのはダメな人間」
みたいに見られてしまうんですよね。そして様々な場面で実際に損をします。

それに対し、日本人は、こういった確たる根拠がない事例に対して、
「わからない」というのは、むしろ正直な態度だと考えるんじゃないでしょうか。
どうせ神がいるともいないとも、どちらも証拠がないんだから、
こだわるやつのほうが少しおかしい、みたいな感覚です。

さて、次は、「死後の世界は存在するかどうか?」についてです。
日本では、「存在する」が31%、「存在しない」も31%で同率2位。
ということは、「わからない」が38%でトップになります。ここでも、日本人の
「わからない」の割合は世界1位です。リトアニアが2位なのも同じ。

「死後の世界は存在するか?」
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「存在する」が100%なのがエジプト、最も低いのがベトナム
という図式も変わりません。まあ、死後の世界は神の存在と不可分の関係にあるので
これは当然でしょうね。ただ、この項目に関しては、
「わからない」の項目をのぞいたアンケートが、日本国内で行われています。

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それによれば、「死後の世界は存在する」が34%、「存在しない」が66%です。
これもそうだろうなあと思います。地獄に閻魔様がいて、
生前に嘘をついた亡者は舌を抜かれるなんてのを信じてる現代人は
ほとんどいないでしょう。今の日本人の「死後の世界」観というのは、
死後の世界があると思う人でも、おそらくもっと別のイメージなんだろうと思います。

あと、1958年と2008年を比較した調査もあります。
1958年に「死後の世界は存在する」と答えた人は20%だったのが、
2008年には、ほぼ倍の38%に増えているんです。これはなんででしょう?
スピリチュアルブームとかの影響でしょうかね。

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1958年は昭和33年ですか。日本が高度成長期に入り始めた頃ですね。
もちろん自分は生まれていませんが、当時はまだ仏教的な影響が強く、
お寺で、お盆に地獄絵の開帳などが行われていました。
ですが、科学が進んでその手のことは信じられなくなり、

現在では、マンガやアニメなどの影響もあって、
もっと多様な死後の世界観があるような気がします。
とはいえ、神や死後の世界について、はっきりしたイメージを持っている日本人は、
何かの宗教の熱心な信者でなければ、多くはないでしょう。

さてさて、ここまで見てきて、日本人が世界の中でもかなり特殊な意識を
持っていることがおわかりいただけたでしょう。日本は、神も死後の世界も
簡単には信じていない。ですが、治安がよく犯罪も少ないですよね。
そのあたりがじつに面白いと思います。このことについては、
また書く機会もあるでしょう。では、今回はこのへんで。

日本人の死後の世界観にはこの人も一役買ってる?
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池の姫の話 3

2018.10.05 (Fri)
それから、俺は東京の大学を出て出版社に就職し、結婚して子どもも
2人できたんです。特に過不足もない生活でした。
故郷の町であった出来事は、梅崎の死とともに忘れようったってできません。
けど、あれから何十年もたって、意識にはのぼらないようになってきてたんです。
ええ、夢も見たことはないです。それでね、去年の4月、
社内での移動があって、俺、ホラー漫画雑誌の編集部に回されまして。
ほら、「本当にあった怖い話」って雑誌があるでしょ。
ああいうやつです。基本的には、読者から恐怖体験の投稿があって、
それを編集部で読んで、使えそうなのを漫画家さんに作品にしてもらう。
読者投稿って、話のつじつまが合わないものが多いんですよね。
そこは編集部のほうで手直しします。あとは漫画家さんの力で。

文章だけ読むとあんまりぴんとこない話でも、漫画家さんの絵柄と
話の内容がぴったり合うと、すごく怖くなるんです。
そういうときにはやりがいを感じてましたね。あと、企画ものってのがあるんです。
漫画家さんと霊能者の人に いっしょに心霊スポットや事故物件に
行ってもらって、その体験をマンガにするとか。
だから霊能者の人には何人もお会いしました。けどねえ、はっきりした能力って
見たことなかったんです。例えば事故物件の家に入ると、
「この部屋で自殺した人がいて、その念が残ってますね」とか言って。
でも、俺にはその場の思いつきでしゃべってるようにしか思えなかったんです。
で、今年の8月、やはり企画もので、三崎さんって霊能者の人にお会いしまして。
俺と同じ40代なかばくらいで、見た目は普通の主婦でした。

前もって下調べさせていただいて、他の霊能者の間での評判が高かったんです。
これ、珍しいことで、霊能者は他の同業者をよく言わないことが多いんです。
それが、誰に聞いても「あの人は力がある」って。
あと、俺と出身地が同じだったんです。会社のあるビルの近くの喫茶店でお会いしました。
俺が先に行って待ってたところへ、写真で見た三崎さんが入ってこられたんで、
立ち上がって合図したんです。そしたら、こっち見た三崎さんの顔が、
急に崩れて驚愕の表情になって。それでも、テーブルに近づいてこられたんで、
あいさつしようとしたら、三崎さんは、「・・・姫」そう一言。
それ聞いて驚いたし、すごくあせりました。まさか、俺があの池で姫の姿を見た
ことを知ってるわけはない、けど・・・三崎さんは席につくと、
「失礼しました。まさか東京で姫に関わる人と会うとは思ってなかったので」

こう言ったんです。俺のほうは言葉が出ませんでした。
だってこれ、言っちゃいけない話なんですから。俺がひたすら狼狽してると、
三崎さんは、「わかります。あなたは何も言わないで。ただ、こっちが言ったことに
 うなずくだけでいいですから。それなら何も起きないはずです」 「・・・」
「あなた姫を見た?」 「・・・」勝手に俺の頭が動いてました。「そう、やっぱり。
 身近な方で亡くなった人がいるんでしょう。私もそうです。」 
「・・・あれ、何なんですかいったい?」つい、そう聞いてしまったんです。
「あれは、あの地域に伝わる祟りのようなものです。たくさんの人が死んでいます」
「やはり相楽氏のお姫様の無念が祟ってるってことですか?」
「・・・いえ、おそらくそのお姫様の中身はもうほとんどないでしょう。
 ただ形だけが残り、中に他のいろんなものが詰まってあの町にとり憑いている」

こんな話になりました。「他のもの?」 「ええ、うまく言えませんが、
 川の橋桁にいっぱい、流れてきたゴミがからみついて溜まっていることが
 あるでしょう、あんな感じ。私はここ10年以上、たびたびあの町に戻って、
 それを解こうとしてるんです。私の力で できるかどうかわからないですけど」
「さっき、こっちを見て、姫っておっしゃいましたよね」
「・・・言いにくいんですが、あなたの体にもうほとんど姫が重なっています。
 体調が悪くはありませんか。病院で精密検査をしてもらったほうが」
これ、そのときの1ヶ月前くらいから、背中に重い痛みがあったんですよ。
そこへ漫画家さんがみえられて、この話は終わりました。
その後、上の空でなんとか仕事は乗り切りました。で、翌日休みをとって病院に
行きました。何日かかけて検査をし、胆嚢に腫瘍が見つかったんです。

広い範囲に浸潤していて、手術はできず、手がつけられないってことでした。
でね、三崎さんに連絡をとったんですが、娘さんらしい人が出て、
「母とは連絡がとれない、おそらく郷里に帰ってると思う。これまでも
 そんなことが何度もあった」あまり心配してる様子じゃなかったんです。
俺は入院して、抗癌剤の治療を受けたんですが、効果はなかったです。
でね、こないだ大きな台風が来ましたよね。
その翌日、三崎さんの娘さんから連絡が来て、「母が亡くなった」って。
あの町のJRの駅、そこの待合室のベンチに座ったまま事切れていて、
心臓の発作だったそうです。これ、姫の関係かはわかりませんけど、
もしそうだとしたら、知ってるだけで11人目ってことになります。
で、俺が12人目。これで、話はほとんど終わりですよ。

俺は、6ヶ月の余命宣告があったんで、その間に、家族のためにできるだけの
ことはしました。もう遺言も司法書士に渡してあります。
姫の話ができて、なんだかすっきりしましたよ。
ここのみなさんなら、そういうことへの対処もご存知でしょうから。
俺だけ生きのびるのも、考えてみれば死んだ梅崎に申しわけない気もします。
でね、まだ体が動くうちに、あの池に行ってみようと思ってるんです。
それでどうなるかはわかりません。ただ、なかば腐った陰気な沼地があるだけかも
しれませんけど。あとね、俺が不思議に思うのは、戦国時代の姫の姿って
誰も見たことなんかないでしょう。あの資料館にあった姫の人形って、
想像で適当に作ったものだろうに、なんで俺と梅崎は、池であれとまったく同じ姿の
姫を見たのかってことです。不思議ですよね、ここの方なら説明がつきますか?

源氏物語。2 049






池の姫の話 2

2018.10.04 (Thu)
それで、2年になって、梅崎とは別のクラスになりました。
まあ、野球部ではいっしょでしたけど、あの池で見た巨大な人形の話は
1度もしてません。もちろん池に近寄ることもなかったです。
1年が過ぎて、その頃には、俺の中ではもう悪い夢みたいな気がしてました。
で、その秋に、総合学習の一環で2年生は郷土資料館を訪問したんです。
町役場の隣に建てられたさほど大きくもない施設です。
そこで年配の館長から、組ごとに町の昔の話を聞かされました。
つまんないし、すぐ飽きたけど、授業よりはマシだ、そんくらいでしたね。
2クラスずつミニ映写室に入って、歴史のビデオを見せられて・・・
ビデオは縄文時代から始まって、戦国時代、この地域には相楽氏という殿様がいて・・・
この殿様が、山の上に城を築いたんです。けど、戦国時代が始まってすぐ、
隣の県の武将に攻め込まれて、男は全員城を枕に討ち死に。

「なんだ、弱っちいな」って思いました。で、相手は女子供は助けるつもりだったんです。
ところが、相楽氏の姫様ですね。顔みせに引き出されたときに、
相手の武将に向かって手ひどい侮辱の言葉を発した。
それで相手は怒って、相楽氏の奥方、側室、その姫と妹たちなど、
女総勢8人を斬り殺して城の堀に投げ込んだ・・・よほど勝ち気な姫様だったんでしょうね。
ただね、このビデオを見てて「城の堀」ってところが気になったんです。
ほら、俺と梅崎があれを見た池って、もとは堀だったかもって言われてた。
映写が終わって、もう学校に戻るってとき、資料館の奥にガラスケースに入った
等身大の半分ほどの人形が何体かあったんです。俺、それ見て息を飲みました。
女の人形は真っ白い顔で、一番上に白い着物を着てて、
俺があの池で見たのと同じだったんです。「あああ」思わず声を出し、
説明の人がそれを聞いて「おや、どうしたの」って。

「あの、この人形・・・」 「それ、相楽のお姫様ですよ。さっきビデオに出てきたでしょ」
翌日の放課後です。部が終った後、梅崎といっしになりました。
話は俺から出したと思います。「お前、昨日資料館でお姫様の人形を見たか?」
「見た、見たよ。あれってあの池の」 「それ以上言うな!」
「何だよ、お前から言い出したくせに。でもよ、俺らが見たの間違いなくあれだよな。
 何倍も大きかったけど」 「やめろ」 「嫌だ、やめない。
 俺、お前には言わなかったが、あの人形、夢に出てくるんだよ。
 何回も見た、1週間くらい前も」 「俺は見てない」 「いいな、俺怖いんだよ。
 だから、人形のこと、資料館の館長さんに話してみようと思ってる」
「バカ、言えば死ぬんだぞ」 「お前は言わなけりゃいい。俺、あの夢で頭がおかしく
 なりそうなんだよ、野球も手につかない。それに、あの人なら何か
 死なない方法を知ってるかもしれない」 「やめろって!」

たしかに梅崎はその頃、練習に身が入ってない様子で監督に怒られ、
せっかく手に入りそうだったレギュラーの座を逃してたんです。
けど、そのときも俺の頭にはこびりついてました。「今見たことを人に話すな 話すと死ぬ」
なんとか梅崎に翻意させようと思ったんですが、思いつめた感じで言うことを聞かず、
「勝手にしろ、俺は関係ないからな」そうケンカ別れしちゃったんです。
いや、バカは俺でした。あのとき何としても止めればよかったのに。
それから2日後、町で2人、行方不明者が出ました。
そう、一人は梅崎です。その日の放課後、部活を休んでどこかに行き、
夜になっても家に戻らなかったんです。警察の捜査で、梅崎が郷土資料館に
立ち寄ったことはすぐにわかりました。けど・・・梅崎が会ったはずの資料館の館長。
町役場を退職した60歳を過ぎた男性だったんですが、その人の行方もわからなくなってて。

ええ、面会してそのまま2人とも消えたってことです。
これね、記憶にあるんじゃないですか。子どもの失踪に大人も絡んでるってことで、
テレビや新聞で大々的に報道されましたから。せまい町にマスコミが押しかけました。
どうやら梅崎は館長の車に乗ってどこかに出かけた。けど、それからの足取りは
たどれなかったんです。・・・・・・俺ねえ、2人であの池に行ったんじゃないかって
考えてました。正直言えば。けど、誰にも言わなかったんです。
梅崎には悪いとは思ったんだけど、死にたくなかったんです。
池の話をすれば、なんでそう考えたか必ず聞かれるでしょ。
けど、あの姫様の人形のことは絶対に言えない。ほら、その証拠に、
話をしたと思われる梅崎が消えちゃったんですから。梅崎も館長も、
その後1ヶ月たっても見つからず、マスコミは警察を責める論調が大きくなってね。

いや、その間、俺には何も起きなかったです。でね、秋が終わり、
山の木の冬枯れが始まった頃に、谷底に落ちてる車が見つかりました。
館長のです。中には腐乱した死体が2つ。もちろん館長と梅崎。
でねえ、死因が不審だったんです。これも新聞に出てました。
車が落ちてた場所は急カーブで、事故が起きやすいとこではあったんですが、
2人の体にはそれほど大きな損傷はなし。ただ、2人とも、
頭蓋骨が体から離れてたんです。首の骨に断裂ががありました。
だから一時は、殺人事件になりそうだったんです。誰かが2人の首を斬り落とし、
車に乗せ、事故に偽装して谷に落とした。でも、動機がまったくないんですよ。
一人は中学生だし、一人は温厚な町の功労者。どこを探しても殺される理由がない。
それで、やっぱり事故ってことで落ち着いたんです。

梅崎の葬式に出た夜、夢を見ました。気がつくと、目の前に顔があったんです。
真っ白い、人形の顔、相楽のお姫様の顔ですが、そのとき大きさは普通の人でした。
またあのときのように、頭の中に声が響いてきました。
「童 お前の友は言ったから死んだ 老人は聞いたから死んだ
 わたしがやっているのではない 止められない もう8人死ぬ」
人形の生気のない目からつうっと涙が落ち、冬なのに汗をびっしょりかいて
目を覚ましたんです。内容ははっきり覚えてました。
「梅崎が死んだのは、人形、相楽のお姫様のせいじゃない?
 言ったから死んだ??」 その意味はわかりませんでしたけど、
少しほっとした気もあったんです。「ああ、あのお姫様にとり殺される
 わけじゃないんだ、見たことを言わなければ自分は大丈夫なんだ」って。

ただ、「もう8人死ぬ」のところを思い出し、それに自分が入ってるかもと
考えてまた怖くなりました。それで・・・
その冬ですね、町の第3セクターが運営する老人介護施設で、
インフルエンザの施設内感染によって、お年寄りが8人亡くなったんです。
これも新聞等に大きく出ました。衛生管理が悪かったせいということで遺族と
裁判が起きましたが、町が和解金を払って決着しました。
俺は、これが夢で言ってた8人なのか半信半疑でしたけど、
翌年になっても俺には何事もなく、夢も見ませんでした。だから、
あのときに見たことは絶対に誰にも話さず、俺が墓場まで持っていくって
強く心に思ったんです。けど、それから30年以上たって、
また姫と再会することになったんです・・・






池の姫の話 1

2018.10.04 (Thu)
虻川と言います。雑誌の編集をやってます。あの、俺ね、どう見えます?
痩せてるでしょう。末期癌なんですよ。まだ、何とか自分で歩けますけど、
医者に余命半年と告げられてから、5ヶ月たってます。
・・・あのね、今からするのは、しちゃいけない話なんです。
ええ、姫様にそう言われたんです。けど俺、もう寿命もないですしね、
誰かに聞いてもらいたくて。ただねえ、この話、聞いた ここの人も無事じゃ
すまないかもしれないです。ええと、都合11人死んでるんです。
俺が死ねば12人目か・・・それとも、俺は病気で死ぬのか、
どっちなのかわかんないですけど。前置きはこれくらいにして始めます。
中学1年のときですね。俺、悪ガキだったんです。いや、不良とは違う。
イジメをしたり、タバコ吸ったり、万引きしたりとかそんなんじゃなく、

とにかく親や先生の言うことを聞かないクソガキ。あのときもそうでした。
何か先生方の会があって、中学校が午前で終わったんですよ。部活もなし。
これ、すごい開放感があるんです。俺は野球部で、グランドで何時間も球拾い
やってましたから。でね、同じ野球部の親友、梅崎ってやつと、
午後いっしょに釣りに行くことにしたんです。うちの田舎には、
○城山って小高い山があって、どうやら戦国時代の昔、そこに城があった
らしいんです。いや、今は何もないですよ。復元しようなんて話も出なかった。
そこにね、有名でない戦国武将がいたみたいで、相楽氏と言ったはずです。
でね、その山の麓に、点々と池が残ってるんです。昔、城のお堀だったと言われてる。
けど、池のまわりは雑木が生い茂って、近づく人もいないんで、
学校でそこへ行くのは禁止されてました。

何かあっても、まわりに家もなく助けてくれる大人もいないから、そういう理由でした。
でも、そんなの守らないのが悪ガキです。梅崎と2人で釣竿片手に、
藪こぎするみたいにして池まで行ったんです。道は梅崎が知ってました。
でね、2時間ほどで池が見えてきたんです。かなりの広さがありました。
湖とはとても言えないけど、向こう岸までは100m近くあったと思います。
そんな広いお堀なんてないから、何かがあって広がったか、それとも言い伝えは間違ってて、
お堀じゃなかったのかもしれません。池の岸には、植物で覆われてないところが
何ヶ所か見えました。その後ろにはうっすら道もついてて、池に来てる
人がいるみたいだったんです。その場所で釣糸を垂れた。けど、一匹も釣れない。
ふつうはね、魚が水面に上がってきたり、岸辺に小魚がいたりするでしょ。
そんな気配もまったくない。池はシーンとして、虫の声も鳥の声もしないんです。

ただ池が、周囲の木の色を映して深緑に静まってました。「こりゃ釣れそうもねえ」
「ここに来たの失敗だったか」 「場所変えよう」そう話して、
いったん山側に登ったんです。そしたら、数十m離れたところに、
木のボートがあるのが見えたんですよ。「お、ボートあるぜ」 「あれに乗ろう」
何とか近づいていくと、ボートというか、和舟ですね。
人2人が乗れるくらいの。それが岸の泥土に打ち上がってたんです。
いやあ、さすがに無謀なことをしたと思います。俺ら2人とも、ボートなんて漕いだ
こともなかったですから。あのときあそこでやめとけばよかったなあって思います。
でね、舟は乾いてて、あちこち苔も生えてました。あと、和舟だから
オールなんてなくて、3m近い竹竿が上にのってました。
まず2人で動かそうと両側から押してみたけど、ピクリともしない。

底が泥にくい込んでたんですね。「ダメだな」 「俺らの力じゃ無理だ」
で、あきらめて2人で舟の上にあがり、俺が竹竿を持って棹をさすマネをしてみました。
そしたら、スーッと滑るようにして、舟が池に入ったんです。
「あ、あ、あ」 慌てましたよ。一瞬のうちに、舟は数mも進んでたんですから。
俺も梅崎もバランス崩しましたが、なんとか体を立て直して、
俺が持ってた竿で池の底を突きました。けど、何の手ごたえもない。
岸近くなのに、そうとう深かったんでしょう。でね、池は水流なんかないのに、
舟はひとりでにどんどん池の真ん中目指して走っていく。
「おい、どうする?」 「いやこれ、向こう岸に着くんじゃないか」
けど、池のほぼ中央部でぴたりと止まってしまって。「ああ、戻れねえ」
「泳ぐか?」 「いや、もう少し待ってみよ。また動き出すかもしれん」

俺も梅崎も水泳は自信ありました。けど、服を着てたし、足の立たない深さですから、
やっぱりためらいがあったんです。でも、舟は動かない。
少しして、水面をのぞき込んでた梅崎が「あああ!」声を上げました。
「どうした?」 「顔、今 顔が通った。でかい白い顔」
「何いってんだバカ!」 そのとき舟のへ先のほうに、大きな水しぶきが上がったんです。
「ああ!!」 「ああああ!!」 俺ら、何を見たと思います?
巨大な女です。今考えると、人の身長の2倍以上、4mもある女が水上に立ってたんですよ。
ただ・・・生きた女じゃなかったんです。人形・・・巨大な日本人形。
そんときは冷静に観察なんてできなかったですけど、白っぽい着物を着てるのに、
体には藻や泥はついてませんでした。水のしずくも垂れてなかった気がする。
で、さっき言ったように、ひと目で人形ってわかったんです。

人間ならありえない真っ白の肌、眉も目も鼻も何もかも作り物の人形。
ただ・・・真っ赤な唇をした口が下アゴが外れたようにがっと開いて、
大きな鯉を咥えてたんです。ビチビチと鯉は暴れて、動くものはそれだけ。
ねえ、この光景、想像できますか? 俺と梅崎は腰を抜かして舟の上にへたり込んで・・・
そのとき、声が聞こえたんです。いや、実際の声じゃなく、
頭の中に意味だけが響いてきたんだと思います。ただ不思議なのは、
それが女の声だってわかったことですね。「童、今見たことを人に話すな 話すと死ぬ 
 人が死ぬ何人何人もも死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ」
頭の中が割れそうなくらいビンビンと響いて・・・大きな口が鯉を二つに噛みちぎりました。
そしてズボッと、一瞬で沈んだんです。「うわあああ」 
「あああ、何だよ!?」またひとりでに舟が動き出しました。

大きな波紋が広がる中を、舟は縫うように進んで向こう岸に着いたんです。
地面に舟が乗り上げると、俺と梅崎は転がるように下り、
土に座り込んで荒い息を吐きました、全力疾走したみたく心臓がバクバクしてたんです。
しばらくして、俺が「人に・・・」 梅崎が「話すな・・・・」そう言い合って、
ややあって梅崎が「俺ら同士じゃ話してもいいんだろうか?」聞いてきたんで、
「忘れろ、俺もお前も何も見なかった」 「わかった。俺は死にたくねえ」
それから家に戻ったんですが、向こう岸からだったんでずいぶん回り道になって
時間がかかりました。持ってきた釣竿とかはどっかいっちゃって。
俺も梅崎も池のほうを見ようとしなかったです。ええ、このことは親にも誰にも
話しませんでした。梅崎ともしなかったです。忘れようとしてたんですね。
ただ・・・このわずか1年後、意外なところで姫様と再会したんですよ・・・






玄奘三蔵の冒険

2018.10.03 (Wed)
今回はこういうお題でいきます。世界史のカテゴリに入る内容です。
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)は、日本において、
古代中国人の中ではかなり有名な人物です。これは、孫悟空の出てくる『西遊記』が、
アニメやTVドラマになって知られている面が大きいでしょう。

玄奘三蔵
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ただし、『西遊記』は16世紀の明の時代に書かれた荒唐無稽な伝奇小説で、
実際の玄奘は7世紀、唐の時代の人ですから、900年ほどの隔たりがあります。
あと、日本では「三蔵法師」と言われることが多いですが、
三蔵というのは尊称で、そう呼ばれる僧侶は中国に何人もいます。

三蔵の称号は、「経・律(戒律)・論(理論研究)」の3つともに優れた僧侶に
対して与えれます。また玄奘は、帰国後に『大唐西域記』を書いており、
これが『西遊記』の元になったとも言われます。ですが『大唐西域記』は
旅行の記録ではなく、唐の太宗皇帝の命におうじて、
西域の国々の地理的な情報をまとめたものです。

タクラマカン砂漠
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さて、玄奘の生涯を書いていくと長くなるので端折ります。
11歳で僧になった玄奘は中国各地で修行する過程で、僧侶たちが勝手な自説を
吹聴していることを苦々しく思い、インドにある原典に回帰する必要性を痛感しました。
そこで、27歳のときに、国禁を犯して密かに出国します。役人たちの目を
逃れながら越えた灼熱のタクラマカン砂漠の旅は、かなり苦しいものだったようです。

『大唐西域記』には、「幻覚が起こり、あちこちに怪しい化け物の姿が見えた」
といった記述があります。このことが後の『西遊記』で、金角・銀角や
牛魔王などの妖怪になったのかもしれません。ここで玄奘は、一度だけ
中国に戻ろうという気持ちを起こしました。その戒めに、玄奘は「不東」の
文字を書き、これは「東せず(東に向かわない)」ということです。

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寝るときも足を東に向けませんでした。そして、現在の新疆ウイグル自治区にあった
高昌という国に入ります。ここはオアシスのほとりにある小さな都市国家で、
高昌の王は知識に優れた玄奘を歓待し、いつまでも国から出そうとしませんでした。
これは、王がインドへの旅は危険だと考えたためです。

困った玄奘は、断食をして出発することを願いました。そこで高昌の王は、
周辺の各国に使いを出し、玄奘が通ることを知らせました。
周辺地域には30ほどの小国があり、それらの国は玄奘を歓待し、しばらく滞在
しなくてはなりませんでした。インドまでの旅に3年あまりかかっていますが、
玄奘の足を止めたのは妖怪ではなく、それらの国の王たちだったんですね。

この旅の途中のことが、『今昔物語』の「震旦の部」に出てきます。
玄奘が道をたどっていると、苦しげなうめき声が道端から聞こえてきた。
見ると、全身を瘡がおおい、膿みただれた女が倒れ伏せていた。玄奘が駆け寄って
どうしたのか尋ねると、病気のために親に捨てられたと言います。            

また、この病気が治るためには、全身の膿を口で吸わなくてはならないとも。
玄奘がためらわずそれを行うと、病人の体はだんだんに光り輝いていき、
観自在菩薩の姿となり、玄奘に一巻の経典を授けました。それが「般若心経」だった、
ということになっています。ま、よくありがちな内容です。
日本の仏寺で最も多く唱えられているのが、この般若心経でしょう。

「色即是空 空即是色」の一節が有名ですが、これは「唯識論」の真髄を表したもので、
道元、法然、親鸞らも学んで、「鎌倉新仏教」の基礎となりました。
上記の逸話はもちろん事実ではないでしょうが、
玄奘の偉業が、日本の仏教界に与えた影響はとても大きいんですね。
ちなみに、「耳なし芳一」の話で、芳一の全身に書かれたのも般若心経です。

般若心経
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この後、玄奘はヒンズークシ山脈を越えてインドに入り、現地で長い修業をした末、
16年後に中国に戻ります。唐の太宗は玄奘が国禁を破ったことを許し、
年下の玄奘を師父と呼びました。玄奘が持ち帰った経典は657部、
その中にはもちろん般若心経も含まれます。
玄奘はその後の生涯を翻訳に費やし、63歳で亡くなりました。

さて、ここからは2つエピソードを紹介して終わります。玄奘の遺骨の一部が、
日本に存在するんですね。これには驚きの経緯があります。玄奘の遺骨は長安の
仏塔に葬られたんですが、黄巣の乱の時に破壊され、行方知れずになりました。
それから およそ1300年後の昭和17年、日中戦争の最中です。

南京市を占領した旧日本軍は、郊外に稲荷神社を立てるため土台を掘っていました。
すると大きな石棺が出てきて、そこには、「宋の天聖5年(1027)、
三蔵法師の頂骨が、演化大師可政によって長安から南京にもたらされた」
と書かれていたんです。おそらく盗掘を避けるため、
残っていた玄奘の頭蓋骨が、副葬品とともに南京に移されたんでしょう。

あまりのことに、戦いを中断して南京政府と旧日本軍の協議が行われ、
遺骨の一部は日本に分骨され、現在、慈恩寺、芝の増上寺、奈良の薬師寺などに
あるようです。これ、考古学的には玄奘の本物の遺骨か明言はできませんが、
自分は信憑性は高いと考えます。中国に稲荷神社をつくるときに見つかった、
というところが面白いと思いませんか。

夏目雅子さん
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さてさて、最後に、ドラマで三蔵法師を演じた俳優として夏目雅子さんが有名ですね。
夏目さんは急性白血病で、27歳で亡くなっていますが、
この原因は、ドラマ『西遊記』でシルクロードロケを行ったときに、
現中国政府がくり返し行った核実験の残存放射能を浴びたためである、と言われました。
(最初の出典は、産経新聞社「正論」2009 中国が憎くても嘘はダメですよ)

でもこれ、完全な都市伝説なんです。ドラマのパート1では中国ロケはなく、
パート2での中国ロケには、夏目さんは多忙のために参加してなかったんですね。
ただ、夏目さんは法師役のために坊主のかつらをつねにつけており、
それがその後の運命を暗示していた、なんて話もあります。
では、今回はこのへんで。

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