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中国で鍼を打つ話

2018.11.01 (Thu)
じゃあ話していきます。僕、鍼灸師をしてるんです。こう言うとなんですけど、
鍼灸って、古い、うさんくさい技術だと思われてる方が多いんですよね。
けど、今は国立大学でも鍼灸を専門に学ぶ学科がありまして、
僕も、筑波大学で4年間勉強しました。それから、もう10年たつところですが、
開業はせず、ある大学病院で理学療法としてやってます。
で、専門誌に論文出したりも。それがおそらく目に止まったと思うんですけど、
3年前の秋に、中国のある医科大学から、研究会で発表してくれないかって、
招待されたんです。ああ、大学名なんかは言わなくてもいいですよね。
いろいろ差し障りがあるかもしれませんから。
費用は、渡航費用も、滞在費もすべて向こう持ちで、毎日のように
豪華なレセプションがありました。中国式の乾杯にはまいりましたけど。

それでね、発表が終わった日の晩です。そのときの晩餐会で、
そこの大学の学長から、こんな話をされたんです。「あなたの技術を見込んで、
診断、治療してほしい患者がいる」って。これね、向こうが本場なのに、
変だと思うでしょ。けど、お灸と漢方薬はともかくとして、
鍼に関しては、中国よりも日本のほうがずっと進んでるんです。
ほら、中国から伝わってきた鍼は、日本で特殊な進化をとげまして、
江戸時代以前から、日本だと目の不自由な人たちが鍼を打つようになってたでしょう。
手探りで脈をみながら打つので、その過程で技術が進化して、
経絡の考え方も、中国よりずっと実用的なものになってるんです。
あと、鍼管っていう、鍼にかぶせて使う管も日本独自の発明です。
でもね、今はそれ、中国でも一般的に使われているんです。

でね、この話を聞いたとき、ははあ、共産党の要人か、その家族だろうと思ったんです。
党の幹部はいろんな特権がありますから。それと、西洋医学では
治せない症状なんだろうとも。ええ、慢性的なアレルギーとか、
西洋医学にも限界はあります。それを補完するのが鍼をふくめた東洋医学ですから。
翌日の8時、ホテルにいるところに迎えが来まして、
王さんっていう、大学の学部長の人でした。駐車場に大きな車が来ていて、
運転手が乗ってました。それで、最初に、その市の中心部にある
大型の漢方薬店に行ったんです。楊さんという店主を紹介され、
50代前半くらいの、背の低い人でしたね。王さんから、「必要なものがあったら、
 何でもこの店で揃えてください」そう言われたんですが、
肝心の病人の情報が何もないでしょ。向こうからは教えちゃくれないし、

聞いてはいけないような雰囲気がありまして。まあでもね、
僕はすぐ日本に戻らなくちゃならないから、継続した治療はどうせできない。
ですから、病気の診断をして、治療の指示を出すだけだと思ってました。
自分の鍼の道具は持ってきてましたので、あと、その店で、
必要と思える物をいくつか選んで、また車に戻ったんです。
楊さんも、店を店員に任せて同行しました。そのときジュラルミンの枠のついた、
頑丈そうなケースを持ってきたんです。大きさは普通のアタッシュケースくらいですが、
やや厚みがあり、でも、重そうには見えませんでした。
もう一度整理してお話すると、そのとき車に乗ってたのは、
王さん、楊さん、僕、それから一言もしゃべらない運転手の4人です。ああ、あと、
言い忘れてましたけど、僕、大学で学んで、簡単な会話くらいなら中国語できるんです。

それからが長かったです。車で4時間ほどかかりました。市内を抜け、郊外も過ぎ、
舗装してない道に入って、さらに2時間ほど走りました。
ですから、その村に着いたのは12時を過ぎた頃です。これはちょっと予想外でした。
市内にある大きな邸宅に向かうとばかり思ってたので。
でね、行った先は、その貧しそうな村の外れ、山に近い場所で、
大きなテントがいくつも張られてあり、軍用車が何台も停まってて、
肩に銃を担いだ人民軍の兵士が見張りに立ってたんです。
これは何事だろうと思って緊張しましたよ。まずテントの一つに入って、
軍の司令みたいな人と王さんが話し、それから僕に向かって、
「お腹空いたでしょうが、急ぎなもので、さっそく患者を見てもらいます」
こう言いました。テントの中には監視モニターがずらりと並んでましたね。

でね、そっからは歩いて、道の両側に兵士が並ぶ厳重な警戒の中を
山のほうに向かいました。「ここ、何ですか?」王さんに小声でそう聞くと、
王さんは「・・・遺跡なんです。おそらく漢代の。最近発掘されたばかりで、
 まだ周辺施設が整ってなくて」大きな岩の重なりに鉄扉がついてて、
僕たちの姿を見て、兵士がデジタルロックを解除しました。
「遺跡!?」ますますわけがわからないですよね。そんなとこに何で病人が・・・
中は洞窟のままで、配線むき出しの照明がたくさんついてました。
あとね、驚くようなものがあったんです。何だと思いますか?
水槽ですよ。水族館にでもあるような巨大な水槽が両側に見えてきて、
これも急ごしらえのものに思えましたが、中に、数mもある魚が何匹も泳いでたんです。
僕は魚のことよくわからないですが、チョウザメじゃないかと思いました。

ええ、あのキャビアをとる。やがて洞窟は突きあたりになり、
小さな部屋がありました。そこで僕は施術着に着替え、全員が消毒をし、
また頑丈な鉄扉を開けると、そこが病室?だったんです。壁は洞窟のままでしたが、
かなりの広さがあり、縦に長いベッドが入ってました。8mくらいでしたか。
ベッドの上は、仕切りのカーテンで3つに分けられ、入ってきた場所からは、
真ん中の部分が見えました。そしてそこに、真っ白な腹? いや、胴体?
どう表現すればいいかわからないものがあったんです。それは呼吸しているようで、
ゆっくり上下に動いてました。胴回りは人間よりかなり大きい。
「これが?!」 「ええ、患者です。お願いします。西洋医学では無理ですから」
とにかく、まず、その2mほどの胴体部分を触診しました。
肌は人間と似ていて、体温もありましたが、ところどころにギザギザの・・・

カエデの形をした鱗のようなものがあったんです。内臓も人間に似ていると思えました。
けど、大きくて長い。「CT画像なんかはありますか?」王さんに聞くと、
王さんは首を振り、「放射線関係はまったくダメです。せっかく復活させたのに、
 死んでしまう」復活? これは、この遺跡の被葬者なのか?
そこからは、全神経を指先に集中させ、経絡を探っていったんです。
人間の血圧にあたるものが弱く、血液の循環が悪いのがわかりました。
意を決して、循環器を回復させるための鍼を打っていきました。
7本目で、下半身との境のカーテンにいきあたり、僕は王さんを見て、
「めくってもいいですか?」王さんがうなずき、たくしあげると、
やはり全体が真っ白な、魚の尾部があったんです。さっき見たチョウザメによく似た。
驚いてもいられず、鍼を打ち進めていきました。14本目の鍼を打ったとき、

ビタン、尾が強く跳ねました。もしあたったら、ただですまないくらいの力でした。
それはベッドからドスンと床に落ち、ビン、ビンと何度も跳ね上がりました。
王さんが壁に駆けよって非常ボタンのようなものを押し、警告音が響きました。
床の上のものはのたうち、上半身を持ち上げ、そのときに髪の長い女の顔が見えました。
女は笑いながらずるりと床を這い、楊さんが抱えていたケースにがっと噛みつき・・・
そこで、僕はなだれ込んできた兵士に部屋の外に連れ出されたんです。
やがて、遺跡の外で王さんと合流しました。「どうなったんですか?」
「鎮静剤を撃ちました。おそらく大丈夫でしょう。いや、ご迷惑をおかけしました」
テントの中で、王さんや他の医師を交えて、僕が診たことを話し、
今後の治療についての所感を述べました。みな熱心にメモをとって聞いてましたよ。
それから、車に乗ってホテルのある市に戻ったんです。

ここからは後日談です。王さんは、僕の日本の口座に3000万円振り込むと言いました。
口止めのようなことはなかったです。それと、真っ白な鱗を一枚いただいたんです。
王さんは、「これは到底お金には変えられない、いわゆる中国の宝物です」そう言ってましたね。
その後、遺跡の中のものがどうなったかわかりません。・・・僕の勘違いなんでしょうが、
中国の要人の若い夫人の映像をテレビで見て、あの遺跡にいたチョウザメ女に似ているように
思いました。それから、去年、所用で中国を再訪したんです。あの遺跡のある場所とは
だいぶ離れた南のほうです。空港から市街に入ると、道に何人も物乞いがいて、
その人たちは道端に布を敷いて寝ていて、手足のない人が多かったんですが、
その中に、楊さんらしき人がいたんです、あの薬物商の。ただ、その物乞いは両目がつぶれ、
両手両足がなく、小さな木の車輪がついた箱のようなものに乗せられていたので、
これも違うかもしれません。もちろん、声はかけませんでしたよ。







中国の塔の話

2018.11.01 (Thu)
塔シリーズも3回目です。けっこう書くことがあるなあと、自分でも
驚いています。さて、今回は中国の塔について書きますが、これ、中国では、
「塔」という言葉はあまり一般的ではないんですよね。仏教用語というか、
仏寺の塔頭(たっちゅう)に対して使われる場合がほとんどです。

黄鶴楼
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では、高い建物のことを何というかというと、「高楼」あるいは「楼閣」
になります。この言葉は現代も使われ、高層ビルは高楼です。
楼閣の場合は、「楼」は建物の階のこと、「閣」は高い建物全体を指す、
だいたいそんな感じじゃないかなと思います。

さて、中国では、楼閣と仙人が結びついて語られることが多いんですね。
仙人は宙空を自在に飛ぶことができ、高い建物を見ると、そこに降りてくる。
そうすると、楼閣の主人は、その仙人をもてなした見返りとして、
術を使って家業を繁盛させてもらったり、
長命長寿の秘密を聞いたりすることができます。

飛天仙女
hagskdiu (6)

「黄鶴楼」という名前は聞かれたことがあると思います。
現在の中国の湖北省武漢市にある楼閣(最初の画像)ですが、唐代の詩人、
李白の代表的な漢詩「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」に詠われています。
ただし、長い年月の間に何度も焼失、倒壊しており、
現在あるのは近年に新しく建てられたものです。

こんな伝承が残っています。 あるとき、貧しい飯屋があった。そこに、
みすぼらしい身なりをした道士がやってきて、酒を飲ませて欲しいという。
主人は嫌な顔一つせず、ただで酒を飲ませ、それが半年くらい続いた。
ある日、道士は「酒代が溜まっているが、金がない」と言い、

かわりに店の壁にみかんの皮で黄色い鶴を描き、去っていった。
客が手拍子を打ち歌うと、それに合わせて壁の鶴が舞った。
そのことが評判となって店が繁盛し、巨万の富を築いた。店の主人は、
道士が仙人であると思い、黄色い鶴をかたどった楼閣を建て、
ふたたび仙人が来るのを待ったが、二度と仙人は訪れることはなかった・・・

さて、これは唐代の詩に描かれている内容なので、起源はもっと古いはずです。
はっきり史実としてたどれるのは、前漢の時代ですね。
武帝は、前漢の第7代皇帝で、前2世紀ころの人ですが、朝廷に仕えていた
公孫卿という道士に、「神仙は高楼を好む」と進言され、

漢の武帝
hagskdiu (4)

あちこちに高い建物を建てたと、『十八史略』に書かれています。
高楼の高さは20丈、その天辺に天の露を受ける銅盤を置き、さらにその上に、
天に向かって手のひらを広げている仙人の像(仙人掌)を立てました。
なぜこんなことをしたかというと、前に書いたように、仙人に来てもらって、
不老不死や長命の秘密を教えてもらうためです。

秦の始皇帝が、不老不死を求めて中国全土にお触れを出し、道士、
徐福を船に乗せて、東海に不老不死の薬を探しに出したのは有名な話ですが、
武帝のころになっても、その手の試みは続けられていたんですね。
で、これらの話は、日本にも影響を与えています。

織田信長
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織田信長が安土城を築いたことは有名で、安土城は焼失してしまったため
全貌はわかりませんが、『信長公記』には地上6階と書かれています。
信長は天守閣のことを「天主」と呼び、普段はそこに起居していました。
信長が禅僧に作らせた詩には、「宮の高きこと阿房宮より大」と出てきます。
阿房宮はもちろん、秦の始皇帝の宮殿ですね。

また、現在の仙台市を、「仙臺(臺は台の旧字)」と名づけたのは、
信長と同じ戦国武将の伊達政宗ですが、これは「仙人が下りてきて遊ぶ高台」
という意味です。こうしてみると、中国の古代思想が日本に影響を与えていることが
よくわかりますし、荒々しい面が強調される戦国武将の教養も たいしたものです。

安土城の復元模型
hagskdiu (1)

さて、だいぶ長くなってきましたので、最後のエピソードにします。
ただしこれは、『封神演義』という明代に成立した通俗怪異小説からの内容ですので、
まあ史実ではないでしょう。殷(商)の紂王(ちゅうおう 紀元前11世紀ころ)は、
さまざまな悪事を働き、結局、周に滅ぼされてしまいました。
「紂」というのは、ひじょうに悪い意味の後代の諡(おくりな)なんです。

もともとは善政をしいていた王でしたが、妲己(だっき)という女を側室にしてから
政治が乱れ始めました。妲己はじつは人間ではなく、千年生きた九尾の狐であったと
されます。紂王は妲己に「高い台をつくれば、そこに神仙や天女が舞い降りてきます」
と進言され、「鹿台 ろくだい ろだい」という高層建築を造りますが、
そのために国民を重税で苦しめ、殷が滅びた一因になりました。

そうして鹿台が完成し、紂王が妲己とともに登って待っていると、
次々に美しい天女が舞い降りてきました。しかも、この天女たちは淫蕩で、
裸になって踊り、酒を飲み、その肉体で臣下をたぶらかしました。
これが「酒池肉林」の故事なんですが、これらの天女は、

妲己の配下の狐や雉たちが化けたものだったことになっています。
周と諸侯の連合軍に攻められ、宮殿を包囲された紂王は、
全身に、あるだけの宝石を身につけ、鹿台に駆け上り、
そこから地上に身を投げて、最期をむかえているんです。

「酒池肉林」
hagskdiu (2)

さてさて、ということで、中国の神仙と高楼の関係を見てきました。
やや地味な内容になりましたが、この手のことを書く人はあんまりいないと思いますよ。
もし、中国もののホラーなどを書かれる場合、参考になるかもしれません。
では、今回はこのへんで。