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プロレスをやった話

2019.01.31 (Thu)
今回は、オカルトとはまったく関係ない、自分の昔の思い出話ですので、
プロレスに興味ない方はスルーされたほうがいいかと思います。
前に、「プロレスと移動カーニバル」という記事を書きまして、
その後、仲間から「お前なんでそんなに詳しいんだ」と聞かれたんですね。

関連記事 『プロレスと移動カーニバル』

これ、じつは、自分はアメリカにいたときに、アルバイトでプロレスラーを
やったことがあるからです。そのときの話をしようと思うんですが、
もしかしたら、いまだに何か差し障りがあるかもしれませんので、
時期と場所はボカして書かせていただきます。

自分が20代の半ば頃ですね。アメリカの中西部にいたんですが、
ずっと柔道をやっていたので、体を動かしたくなりまして。
でも、球技はできないし、柔道ができる道場とかは近くになかったんで、
ウエイトトレーニングを中心とした総合的なジムに通うことにしました。

そこにはリングやサンドバッグもあって、プロのボクサーやアマレスラーが
通ってきてました。自分はアマレスラーの人たちとスパーリングをやるように
なったんですが、オリンピックのルールとは違うアメリカ特有のルールでした。
柔道の支釣込足という技をかけると、相手は面白いように吹っ飛びましたが、
それは反則だと言われましたね。

で、そのうち、夜の8時頃にジムで特別クラスをやっていて、
元プロレスラーの人が、ジム会費とは別にお金を取って、新人レスラーを
デビューさせるための、いわゆる「プロレス学校」を開いていることを聞いて、
がぜん興味を持ったんですね。ただ、月謝が高かったので、
最初のうちは、自分は見学させてくれと言って参加したんです。

そこで、まず最初に口止めをされまして、その後、受身とかロープワーク、
プロレスの基本的な動きを教えてもらいました。
自分は柔道歴が長いので、受身は簡単でしたが、ロープは上手にあたらないと、
かなり痛かったです。で、どうせ自分はプロレスラーにはならないんだから、
一通りやったら辞めようと思ってたのが、デビューしないかって話をされたんです。

面白そうなので、やりたいと言いましたが、無理だとも思いました。一番のネックは、
自分は学生ビザで滞在していて、州のコミッションからプロレスラーのライセンス
が下りないだろうと考えたんです。あと、自分は体が小さいし(当時90kgないくらい)
顔とかも特徴があるわけでもないし。ところが、2週間くらいして、
現地のプロモーターに紹介され、ライセンスは心配ないと言われ、

それから1月後に、地元開催の興行でデビューしたんです。
ただし、本物のプロレスラーではなく、あくまでもアルバイトレスラーです。
向こうの隠語でジョバー(jobber)と言うんですが、
そのテリトリーに初めて入ってきた選手を引きたたせるために、
一方的に負ける役目なんです。たしか30数戦やって、1回も勝ってません。

自分から技をかけることはほとんどなく、相手の攻撃を一方的に受けて、
3分ほどで負けるんですね。だから、相手が強く見えるよう、
体が小さいほうがいいわけです。ポジションはヒール(悪役)なんですが、
相手に塩をかけるとか、日本人悪役みたいなことはやらされませんでした。

たしか水曜日に、週1回、地元のホールでプロレス開催があり、
そのときだけ自分は出ていました。本物のプロレスラーは、あちこちの会場を
サーキットして回っていて、車で長距離を移動するので、
レスラーの交通事故ってすごく多いんです。
それで亡くなったり、大ケガをして引退になったレスラーも多数います。

あとは、TVマッチというのがありました。これは、日本の「新日本プロレス」
などの番組とはまったく違っていて、基本的には興行の宣伝です。
その興行に出るスター選手が、対戦相手をえんえんとののしるインタビューが中心で、
スタジオで観客なしでやる試合は、自分のようなジョバーが、
やはり一方的に負ける内容でしたね。

番組を見てるのは現地のプロレスマニアだけで、
面白そうだと思ったら、会場に足を運ぶわけです。あくまで興行が中心。
で、プロレスをやってみて最も難しかったのは、体の動きではなく、
声と表情ですね。ずっと声を出して動いてますし、やられたら痛そうな悲鳴を上げます。
柔道の試合では、そういうことはありません。

顔も、悲痛な表情や憎々しい表情をつくらなくてはならず、
これは鏡を見て練習しました(笑)。相手の腕をつかんだりしてるときでも、
力は全然入ってないんです。卵の殻をつかむようにそっと、と教えられました。
でも、顔はさも力を込めているようにこさえなくちゃならない。

あとそうですね、自分はどうせ負けるだけでしたが、
ごく簡単な打ち合わせはありました。「この技を出したら負けてくれ」みたいな。
細かいことはいろいろあります。チョップを打つときは寸前で手首を返して、
手のひらが相手の胸にあたって音を出すようにするとか、エルボーを打つときは、
同時にマットを足で踏み鳴らすとか。

ギャラは週に150ドルだったはずで、当時のレートで2万円くらい。
自分には貴重な収入で、実働時間は1日3分なので、いいバイトでした。
こう書いてみると懐かしいですね。そこのテリトリーは、WWEの攻勢のときに崩壊し、
今はないはずです。プロレス好きはペイパービューで見てるんでしょう。

さてさて、こんな話、面白いですかね。レスラーは8ヶ月くらいやりました。
で、このこととはまったく別の問題があって、自分はずっと、
アメリカに入国できなくなってるんです。もう一度、現地を訪れてみたいんですが、
いったんブラックリストに載ってしまうと、アメリカはすごく厳しいので、
一生無理かもしれません。では、今回はこのへんで。






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奴隷とお金の話

2019.01.31 (Thu)
安寿と厨子王の像
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今回はこういうお題でいきます。前に「金(きん)のオカルト」という
項を書きましたが、あれは金属の話でした。それに対し、
今回はお金、つまりマネーの話になります。マネーの怖い話って
いっぱいあるのはおわかりですよね。
ある意味、幽霊よりもずっと怖いものです。

わずか数千円の金額で人が殺されたりしますから。
ただまあ、あまり現実的な生々しい話はしないようにしたいと考えてます。
さて、日本で通貨として、少しずつ貨幣が使われるようになったのは、
7世紀、律令時代あたりからというのが定説です。

それ以前は物々交換の社会でしたが、古い時代においては鉄や貝殻、
鏡などの威信財、あるいは種籾や米が、交易の中心となっていたと考えられます。
『三国志』魏志倭人伝には、対馬国の記述として、
「無良田食海物自活 乗船南北市糴」と出てきます。

「よい田がないので、海産物を食べて生活している。船で南北に交易している」
おそらくですが、海産物を物々交換で米に代えるなどもあったと思われます。
その後、古墳時代に入り、米、塩、布などが貨幣のかわりをはたしていて、
こういうのを物品貨幣と言います。

さて、同じく魏志倭人伝には、卑弥呼が魏に使者を派遣し、
朝貢品を献じていますが、その中に「男生口四人 女生口六人」が含まれ、
この「生口」というのは、奴隷のことだと考えられます。(異論もあります。)
弥生後期ころの日本には、奴隷がいたと考えて間違いないでしょう。

生口は、戦争での捕虜、犯罪を犯したものなどが考えられますが、
それ以外にも、交易品としての生口がいたんじゃないかと思います。
当時の一つのクニの人口は、吉野ヶ里遺跡から推定すると、
2000人~4000人程度と見ることができます。

で、もしある集落が、天候による不作などで食べるものがなくなった場合、
交易品として、人間を出すしかなかったんじゃないでしょうか。
もちろん、塩や海産物、玉製や銅製の加工品など、
季節にかかわらず交易に出せる特産品を持っている集落は別ですが。

奴隷市場
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世界の歴史を考えてみても、貨幣を持たない物々交換社会では、
人間は重要な交易品でした。アラブでは奴隷が布などと交換されましたし、
メソアメリカでは、カカオ豆100粒で奴隷一人が買えたそうです。
その手のことが日本で ないはずはないんですが、
古代史で、あんまりこういう議論をする人がいないんですね。

日本の考古学は、世界的に見ても精密な学問内容を展開してますが、
宗教的な面、経済的な面が弱いと自分は考えてます。
なかなか、古代の交易の実態も明らかになってきません。
古墳時代から律令時代に入ると、人口のおよそ5%ほどが賤民とされ、
公奴婢(くぬひ)は官有の奴隷、私奴婢(しぬひ)は私有の奴隷で、

どちらも財産として売買の対象となりました。これが中世に入ると、
飢饉や天災などで食えなくなった人が人身売買の対象にされ、
家族や自分自身をも奴隷として売ったという記録が残っています。
いわゆる借金奴隷です。森鴎外が書いた『安寿と厨子王』
のようなことが、普通にあったわけです。

「歴史的に日本には奴隷制度はなかった」などと言う人がいますが、
けっしてそんなことはなく、物を知らないとしか言いようがありません。
戦国時代には各地で乱戦が起こり、戦いに負けた側の領民の多くが奴隷とされました。
一説には、人口の半数程度が奴隷的な身分になったと言われます。

織田信長は、ポルトガルやスペインの宣教師を優遇しましたが、
秀吉の代になって、バテレン追放令が出されました。
これは、ポルトガルの宣教師が仲介者となって、大量の日本人を買いつけて
国外に輸出していることを知り、秀吉が激怒したためです。

ポルトガルの貿易商
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さて、江戸時代になっても人身売買は続きました。
これはオカルトとも関係があるんですが、農村部では、子どもの間引きが行われ、
それがもとになって、「累ヶ淵」という怪談ができました。
女の子の場合は、ある程度まで育ててから人買いに売ることもあり、
多くは遊郭で育てられました。ここでも怖い話はいろいろあります。

葛飾北斎「花魁と禿」
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こういうことは、第2次世界大戦後も、しばらくの間続いていました。
現在、東南アジアで子どもの人身売買が問題になっていますが、
日本でそれがなくなったのも、そんな古い話ではないんです。
童謡の「花いちもんめ」や「通りゃんせ」は、
人買いに売られる子どものことを歌ったものだ、なんて話もありますよね。



さてさて、日韓の間で「慰安婦問題」が争点となって久しいですが、
いわゆる慰安婦には日本人もいましたし、日本国内でも、もちろん朝鮮内でも
人身売買は普通に行われていました。朝鮮人慰安婦のほとんどは、
親から人買いに売られた人たちです。

ですから、その手の人身売買全体が問題化するのならわかりますが、
朝日新聞が、戦争時の朝鮮人慰安婦だけに焦点をあてて取り上げたのは、
自分は、きわめて恣意的で不自然なことだと考えます。
あれ、奴隷の話をしているうち、お金の怖い話までいきませんでした。
では、今回はこのへんで。

昭和初期、東北地方
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へれいたの檻の話

2019.01.30 (Wed)
※ 長くなってしまいましたが、そのわりに面白くないので、
スルー推奨かもしれません。

今晩は。今日は本当によろしくお願いすます。
では、話を始めさせていただきます。私は、この4月、
郡部の小さな小学校でしたけれども、校長にさせていただいて退職したんです。
はい、再雇用のお話は教育委員会のほうからありましたが、
考えた末、お断りさせていただきました。10年前に夫を病気で亡くし、
自由な一人身ですし、子どもたちもそれぞれ独立して家庭をもっておりまして。
些少ながら蓄えもありますので、ゆっくりと自分の時間を
持ちたかったというのが本音でした。はい、趣味として、長年続けてきた生花を
本格的に始めたいという気もあったんです。それで・・・
学校を辞めましたら、夜になると、いろいろな出来事が、
次々と頭に浮かんでくるんですね。

これは、仕事を退職された方はみなさんそうなのでしょうか。
私が大学を卒業し、採用されてすぐに勤めた学校のこととか、もう、
40年近くも昔なのですが、つい昨日あったことのように思い出されて。
よく、思い出は美しいなどと言いますよね。
これは、記憶が美化されているという意味なのかもしれませんが、
私の場合、失敗してしまったことや、もっていた子どもたちに対して
辛くあたってしまったことなども、まざまざと思い浮かんでくるんです。
ああ、あのとき、あんな対応をしなければよかった、
あの子にはたいへんに申しわけないことをした、そんな場面ばかりが。
まあそれでも、私が出会ったたくさんの子どもたちは、
私にとっては大きな財産です。今でも、年賀状を送ってくれる子はたくさんいますし、

結婚式に呼んでくれた子も大勢おります。ですから、学年主任などになって、
学級担任を離れたときは、ほんとうに寂しい思いをしたものです。
ああ、すみません、年寄りの思い出話みたいになってしまいました。
話を戻しまして、こちらにおじゃまさせていただいたのは、
私の教師としてのキャリアの中で、どうしてもわからない、
不可解な記憶があるからです。こちらは、そういうことを専門に研究しておられる方の
集まりとお聞きしましたので、ぜひとも、解釈していただきたいんです。
あれは、私が採用されて、3校目の学校に赴任したときのことです。
齢は32歳で、もう結婚しておりました。そこは小さな学校で、
全校生徒は100人足らず、かろうじて複式学級はありませんでした。
私が担任になったのは4年生で、児童は13人だったはずです。

学級担任6人の他には、校長、教頭と養護の先生がいるだけで、
もしお休みする先生がいれば、教頭先生が代わりに授業を持ってくださっていました。
私としては、のんびりできていいなと思っておりましたが、
そうではなかったんです。というのは、男子児童の中に一人、
たいへんな問題児がおりまして。いえ、暴れたりするわけではありません。
子どもなのにすごく陰湿というか、冷酷というか、
自分が表に出す、配下の子どもを使っていろいろ悪さをするんです。
はい、そういう少人数の学校というのは、幼い頃からクラス替えもなく、
子どもたちの人間関係が固定されておりまして、いじめられっ子は変わるきっかけがなく、
ずっといじめられっ子のままなのです。その子がどんな悪さをしたかというと、
例えば、給食のワゴンが廊下に置かれてありますよね。

それを給食当番が押して運んでくるわけですが、そのときに、
ついていたゼリーなどを配下の子に取らせて、どこかに隠してしまうんです。
そうすると数が足りなくなりますよね。どれだけ探しても見つからない。
しかたなく給食室に話をします。ですが、少人数なので給食室で間違えるとも思えません。
そんなことが何度もあって、1度、全部の子の机やランドセルの中を調べたりも
したんです。でも、どこにも見つからず・・・ずっと後になって、
校内のべつの場所に隠してあったことが判明したんですが。
その持ち物を調べたときから、その子、Yくんとしておきますが、
私に対して直接、反抗的な態度を取るようになったんです。呼ばれても返事をしない、
授業で指名しても立つことすらしない。体育の時間など、マット運動なのに、
勝手にボールを持ち出して蹴り始める・・・

いろいろ心を解きほぐそうとは努めたんですよ。ですが、一言の会話もしてくれません。
もちろん、校長先生や教頭先生にも相談しました。そうしたら、
あの子は入学して以来ずっとああで、この学校の子どもたちはみんな
強い影響力を受けている。あなたが厳しく指導すればするほど、
他の子どもたちが被害を受けてしまう。あたりさわりのないようにやり過ごしてくれないか、
もうあと2年で卒業なのだし・・・こんな話をされたんです。
今なら考えられない対応ですよね。ですが、校長もYくんに厳しい対応ができないのは、
Yくんの親が町の有力者であったせいもあったんです。代々の町長を出している
昔からの家柄で、父親は政治はやっておりませんでしたが、町で一つだけの
建設会社の社長で、そこに勤めている学校の父兄も多かったんです。
それで、学校で何かあれば親が乗り込んできて、

悪いのは学校の指導のほうだと大声で騒ぎ立て、Yくんのことは徹底的にかばう。
そういうことが入学以来続いて、校長先生もほとほと困ってたんですね。
それと、Yくんは学校外でも、他の子を使って万引きをしたり、
自動販売機を壊したりしていたようなんですが、それもすべて、
父親がもみ消していたんです。そういうお話を聞いて、私もYくんを指導することは
あきらめ、大過なくやり過ごそう、そう考えるようになりました。
お恥ずかしい話で、教師失格ですよね。その年、8月になって、
私、最初の子を妊娠しているのがわかりました。そのため、5年生の子たちが
6年に進級したときには、担任になることはなくなったんです。
ほっとした気持ちでしたが、事件が起きたんです。
ただ、例によって、表沙汰にはなりませんでした。

はい、Yくんが、中学1年生の女子生徒に乱暴したという噂です。
町の中学校は、その小学校とは少し離れたところにあり、夕方に人気のない通学路で
待ちぶせていて・・・ですが、噂なので本当かどうかはわかりません。
もしそれが本当だとしても、乱暴がどの程度のことなのかも。
警察から小学校に話は来ませんでしたし、Yくんも普通に登校してきていました。
私ももちろん、そのことには触れませんでしたし、ひたすらYくんの
わがままを我慢することしか考えていませんでした。
・・・それで、9月に、学年ごとの遠足があったんです。6年生は1泊の修学旅行、
それ以外の学年は、県内のさまざまな場所に行くことになってたんですが、
急に教頭先生から話があって、5年生の旅行先が変更になったんです。
近くの市の水族館にバスで行くことになっていたのが、

町の外れの山裾にあるお寺に歩いていくことになったんです。
当然、Yくんをはじめ子どもたちは文句たらたらでしたが、
校長、教頭先生が表に出て、子どもたちをおさえてくれました。
保護者からの苦情はなかったです。遠足当日、Yくんは意外にも機嫌がよかったんです。
リュックの中に、はちきれんばかりにお菓子類が詰まっていたせいだと思います。
それと、このときの遠足の引率には、私の他に、教頭先生、それから、
水際さんという、20歳代に見える女性がついてきてくださることになりました。
はい、公立小学校の遠足に、職員以外がついていくことはまずないんですが、
水際さんは、訪問する先のお寺の関係者だということでした。
歩きの遠足でしたので、子どもたちは列をつくって行ったんですが、
Yくんと仲間たちは、勝手に列から外れてぶらぶら歩いていました。

教頭先生も注意はしませんでした。小1時間かけてお寺につき、
みんなでお参りをしました。まだ昼食には間があったので、
お寺の横手にある草地で学級レクリエーションをする計画でした。でも、Yくんたちは
それに参加せず、自分たちが持ってきたボールで遊んでいました。
私はいつものように、そんなYくんたちにつきっきりでしたが、
そこへ、ずっと子どもたちとは話をしなかった水際さんがやってきて、
「お寺の裏に、猿をたくさん飼っているところがあるから見にいかない」って誘ったんです。
「おっ、猿か、面白そうだ」Yくんはそう言い、水際さんについていきました。
私も、他の子らを教頭先生にお願いして、後を追っていきました。
ササ藪のようなところをずっと取りぬけ、お寺の裏側の屋根が見える背の高い草の中に、
教室一つぶんほどの、かなり大きな檻がありました。

檻の柵の上のほうに「へれいた」と書いた板が貼られていて、Yくんが水際さんに、
「へれいたって何だ?」と聞くと、「猿の種類の名前なの」という答えでした。
檻の中には何もいないように見えたんですが、水際さんが指笛を鋭く鳴らすと、
高く積まれていた藁束の後ろから、奇妙な生き物が数匹出てきたんです。
大きさは幼児くらい。全身に毛が生えてましたが、皮膚病なのか、栄養状態が悪いのか、
ところどころ禿げていて、どれも大きくお腹がふくらんでいたんです。
それとその顔、猿には見えませんでした。人間の子どもの髪をそり、
顔を万力にかけて押しつぶし、さらにところどころ白い粉をかけたような姿で、
顔中が膿のような液体で濡れていました。「おお、気味悪りいな」
Yくんは嬉しそうな声を上げ、ポケットからスナック菓子を出して、
檻の間からぱらぱらとへれいたに投げ与えました。

すると、へれいたたちはすぐに反応し、他を押しのけて、菓子に群がり、
貪るよいうに食べ始めたんです。Yくんはおかしくてたまらないというように笑い、
さらに菓子を投げ与え、へれいたは折り重なるようになって食いつきました。
Yくんは、今度は菓子の袋に手をつっ込み、投げるふりをしました。
その動きを見ていたへれいたたちの顔に怒りの表情が浮き出て、
檻に跳びつき、鉄棒をつかんで、Yくんに向かってギーギーと鳴き始めました。
Yくんは少しおびえたような顔になりましたが、
「もう菓子はねえよ」そう言った途端、へれいたの中の一匹が、
Yくんに向かって、緑色のどろどろしたものを吐きかけたんです。
「うああっ!」そう叫んでYくんはうずくまり、何ともいえないすごい臭いがしました。
水際さんは、「あらあら」と落ち着いた声で言い、

「先生は、他の男の子たちをみんなのところに戻してください。
 私はこの子を、お寺の手水でお清めしますから」粘液まみれでへたり込んでいる
Yくんの腕をとって立たせ、お寺のほうへと連れていったんです。
それから、Yくんが戻らないうちに昼になったので、他の子たちにお弁当を食べさせました。
その終わり頃、水際さんとYくんが戻ってきました。Yくんは白いシャツに着替えさせられ、
髪も濡れていました。Yくんは元気がなく、リュックを前に座り込んで、
お弁当は食べず、もってきたお菓子もすべて、他の子に与えてしまいました。
これで、その日の遠足での出来事は終わりです。
翌日から、Yくんは信じられないほどおとなしくなったんです。というか、
病気のようにも思えました。ずっと自分の席に座りこんだまま、休み時間になっても
トイレにも行かず、一言も口を聞きませんでした。

そして、給食の時間になると、ワゴンが来ただけでゲーゲーと声を出して吐き、
教室から逃げ出してしまうんです。はい、いっさい何も口にできませんでした。
そんなことが半月ほど続き、とうとうYくんは学校に出てこなくなりました。
親が、大きな病院に連れて行ったようです。それからまた半月ほどして、
Yくんが行方不明になったんです。家に外にふらりと出てそれっきり。
ニュースにもなりましたし、警察、消防の大規模な捜索が何日も続き、
しまいには自衛隊も出たんですが、結局見つからなかったんです。
今も行方不明のままなんです。・・・これで、だいたいの話は終わりです。
こうい言ってはなんですが、Yくんがいなくなったことで学級は平和になり、
私は翌年度に産休、育休を取り、それが終わった年にその学校を離れました。
・・・Yくんがどこに消えたのかはわかりませんが、

あの遠足のときのことと関係があるような気がするんです。
じつは、産休中に時間を見つけて、そこのお寺に車で行ってみたんです。
ですが、裏に回っても、へれいたの檻はなく、檻があった痕跡も見つかりませんでした。
これ、どういうことなのでしょうか。私の長い教員生活で、
最も気になる思い出であり、悔いが残る出来事なんです。この怪談ルームの方々なら、
何かおわかりのことがあるかと思って、今晩、お訪ねしたんですよ。

餓鬼(梵語Preta )






現代仏教はどこへいく?

2019.01.28 (Mon)
辻説法する日蓮
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うーん、この内容はあんまり書きたくないんですよね。
じゃ、書かなければいいだろうと言われそうですが、近年、お寺さんに対する
苦情を耳にする機会がすごく多いんです。それで、やはり問題提起を
しておく必要があるんじゃないかと思いました。もし、当ブログの読者に
僧侶の方がおられて、気を悪くされたら申しわけないです。

どういう苦情を聞くかというと、「戒名料が高い、ぼったくりだろう」
「毎年の檀家料がどんどん値上がりしてる」 「寺の改修費を徴収されたが、
新しくできた本堂の天井に天女の画が描かれた。あんなもの必要なのか?」
まあ、この手のお金の話は昔からあります。

永平寺の修行僧
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それ以外にも、「檀家になってる寺で、若い住職が親の跡を継いだが、
何もものを知らない。仏教の話もこっちのほうがまだ詳しいくらいだ」
「今の住職はBMWなんか乗り回して、葬式の後の会食でも、
さんざんに食って飲んで偉そうにしてるだけだ」 「あそこの寺の住職は、
悪ガキだった息子を、われわれの檀家料で学費の高い私立大学に入れた」
こういう苦情も多いんですよね。

なぜこんな話が出るのかというと、いろんな原因がありますが、
もっとも大きいのが、地域にあるお寺が世襲制になったことだと思います。
もっとも、宗派の総本山などの大きな寺は、
一般的には、代表者は世襲ではない場合が多いんですが。
あと、観光客の拝観料で成り立ってる有名寺院もまた別です。

さて、ではここでお寺の歴史を少しふり返ってみますが、
江戸時代以前のことを書くと内容が膨大になるので、江戸初期あたりからにします。
江戸時代、お寺は半官営と言ってもよく、これは役所としての役割があったからです。
江戸近辺のお寺は、幕府の寺社奉行の管轄下だったのはご存知でしょう。

女犯で晒の刑を受ける江戸時代の僧侶
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この始まりは、1612年に出されたキリスト教禁止令からです。
これ以後、棄教をした転びキリシタンに「寺請証文」を書かせました。
その元キリシタンが、あるお寺の檀家となったという証文ですね。
さらに進んで、武士、町民、農民、どの身分の人も、特定の寺院に所属して檀家になり、
住職は、彼らが自らの檀家であるという証文を発行しなくてはならなくなりました。

これを「寺請制度(檀家制度)」と言うんですが、仏教を国教とすることに
等しい政策だったんです。寺請証文がないと無宿人あつかいになります。
また、旅行や居住地の変更をするさいにも寺請証文が必要で、
江戸時代のお寺は、まさに現代のお役所だったわけですね。

では、現代と違うのはどこかというと、江戸時代は、特定の一部宗派をのぞいて
僧侶は妻帯を禁じられていたことです。また、「女犯(にょぼん)」も
厳しく取り締まられ、女犯が発覚した住持僧は遠島、その他の僧は晒しの上で、
所属する寺院・宗派から破門、追放処分になりました。
(江戸時代以前は、意外にそう厳しくはありません。)

「葬式仏教」という批判
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なぜ、女犯戒があったかはおわかりですよね。仏教というのは、
ただたんにお経を読んでいればいいというわけではなく、学問であり、
僧侶の目的は、仏教哲学的な真理の追求にあったからです。
異性へ心を惑わすことはその妨げになります。そして、
周囲に学識を認められた者だけが、住職になることができました。

これが一変したのは明治になってからです。1872年、太政官布告が発布され、
「僧侶の肉食妻帯はこの布告をもって自由である」とされました。
これはべつに、僧侶の人権に配慮してのものではありません。
明治政府が、天皇を中心とした国家神道を、国を支える基盤と決めたためです。



仏教は用済みになったわけですね。もう国では仏教の面倒は見ない。
だからお前らは勝手に事業を起こして食っていけ・・・これには、江戸後期に
隆盛した国学の影響が大きいんですが、ここで、お寺の世襲制が始まり、檀家料、
戒名料、墓地管理料、供養料などで寺院は経営されていくことになりました。

収入の保障がなくなったため、ある面ではしかたのないことかもしれません。
ですが、お寺が世襲になったため身分の保障はあり、
「学問をしない、修行をしない、奉仕活動をしない、布教をしない、説教をしない」
こういう坊さんがたいへんに多くなりました。

ちなみに、僧侶の妻帯が認められている仏教国は日本くらいです。
チベットも中国もタイも、基本的に妻帯は認められません。
また、キリスト教では、プロテスタントの牧師は結婚できますが、
カトリックの神父は原則、禁止になっています。

托鉢僧
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現在の仏教界には「葬式仏教」という批判が強いですよね。「檀家を抜ける、
墓所をお寺から移す、葬式は坊さんを呼ばず無宗教のお別れの会にする、
墓はつくらず自然葬にする、散骨する」・・・こういう家庭が増えてきたのは、
お寺にお金を払う無意味さに気がついてきたからと言えると思います。

さてさて、坊さんたちは、このような現状をどう思ってるんでしょうかね。
実際、上に書いたような歴史を知らない坊さんも多いんです。
そのくせ、葬儀のときにはふんぞり返って偉ぶってる。
これでは反感を買いますし、最初に出てきたような苦情が増えるのは当然です。
ということで、日本の仏教はきわめてヤバい状況にあります。

現在の高齢者がみな鬼籍に入る頃には、相当に衰退していることでしょう。
かといって、いまさらお寺の世襲制を廃止することもできませんよね。
坊さんは、お寺の中にばかりいないで、托鉢や辻説法でもしてみたらどうでしょう。
その手のことをしてこそ、宗教的情熱を呼び覚ませるんじゃないかな。
では、今回はこのへんで。

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再びオウムアムア

2019.01.27 (Sun)
太陽系の外から来たことが人類史上初めて確認された天体が、
実は宇宙人が送り込んだ探査機かもしれないとの説を、
米国の科学者らが論文で提唱した。もし本当なら有史以来最大の
ニュースだろう。その可能性をめぐり議論が白熱している。

この論文は米ハーバード大の研究者2人が昨年11月に発表した。
太陽系外から飛来したと確認された小天体「オウムアムア」が太陽に接近後、
謎の加速をした原因について考察したものだ。太陽光の圧力を受けて加速した
可能性を説明したのに続き、「より魅惑的なシナリオとしては、オウムアムアが
宇宙人文明によって意図して地球付近に送られた、完全に操縦可能な探査機
かもしれない」と驚きの見解を示した。
(産経新聞)

この画像は想像図で、実際に撮影されたものではありません
1280px-Artists_impression_of_ʻOumuamua

今回は、ひさびさに科学ニュースからこのお題でいきます。じつは、
オウムアムアについては、以前に当ブログの記事でけっこう詳しく
取り上げてるんです。よろしければ、下に貼ったリンクで
過去記事を参照されてください。  

関連記事 『オウムアムア騒動について』

さて、2017年10月、ハワイで初めて観測されたオウムアムアですが、
世界の天文フアンの間でたいへんな話題になりました。
というのは、オウムアムアは観測史上初の恒星間天体である可能性があった
からですね。つまり太陽系外から来た小惑星ということです。

それと同時に、あちこちから、これは宇宙のどこかにいる知的生命体が、
探査機として送り出したものではないかという声もあがりました。
なぜこういう意見が出たかというと、いろんな理由がありますが、
おそらく第一には、オウムアムアがロケットを思わせる細長い形状を
していたことが大きいと思われます。

ただ、残念ながら、アメリカNASAを中心とした積極的な観測によって、
その意見は否定されたんですね。まず、否定の根拠の一つ目としては、
オウムアムアからは、いっさいの電気的信号が出ていなかったことです。
もし探査機だとしたら、何らかの形で電気を出していると考えるのは、
大きく間違ってはいないでしょう。しかし、その痕跡はなかった。

もう一つは、スペクトル分析によって、オウムアムアの外殻が、
炭素と推定される固い物質で覆われていることがわかったからです。
SF映画などでは、宇宙船は金属でできている設定が多いですよね。
あるいはセラミックとか。炭素そのものでできているとは考えにくいんです。
ただ、この炭素は長年の宇宙の旅で付着したものでしょう。

それともう一つ、オウムアムアが回転している可能性が高いこと。
宇宙空間には上下左右はありませんが、宇宙船が飛ぶ場合、前後ができます。
そのとき、ロケットのようなペンシル型をしていれば、進行方向の星間物質などに
衝突する可能性を小さくできます。ところが、回転しているのなら、
その利点はあまり意味がなくなってしまうわけですね。

以上のようなことから、「オウムアムア=異星人の探査機説」は否定された
んですが、ここにきて、その可能性が再び取りざたされることになりました。
なぜかというと、オウムアムアが太陽に近づき、
また遠ざかるときに、謎の加速をしていることが判明したからです。

ある物体が、太陽のような巨大な重量のある星に近づくと、その重力によって
加速されます。そして、太陽から離れるにつれてじょじょに減速していく
わけですが、厳密なシミュレーション計算をしたところ、
その減速の度合が、想定よりも小さかったんですね。
ということは、何らかの原因で加速が行われた。

そこで、引用ニュースのハーバード大の研究者たちは、
オウムアムア宇宙探査機説を再燃させたんですね。その論文によれば、
オウムアムアの加速は、太陽光の圧力、つまり太陽風を受けたためとされています。
ふだんは格納してある下の画像のようなセイルを、
太陽から離れるときに広げた可能性が示唆されています。

太陽光を受けるセイル


うーん、それがもし本当ならすごいことですが、この論文に対し、
他の研究者の多くは否定的です。「面白いジョークだ」みたいな反応が多いですね。
まあ、アメリカの研究者というのは、そういうジョークを、
大真面目な顔をして発表したりするケースはありますからねえ。

NASAによれば、オウムアムアの謎の加速は「ガスの放出による」と推測されています。
太陽に近づいたための熱で表層の氷が溶け、内部のガスが噴出した。
あれ、ちょっと待ってください。だとすると、オウムアムアは小惑星ではなく、
彗星となってしまいます。彗星と小惑星の違いは、
ガスなどの物質を拡散しているかどうかによるんです。

さて、オウムアムアはかなりの高速で移動していますが、
もしこれが宇宙探査機だった場合、もっとも地球から近い恒星系から来たとしても、
5万年ほどの時間がかかっていると試算されています。それより遠くから来たのなら、
気が遠くなるほどの年月、宇宙を旅してきたことになります。

そんな長年の間、探査機の機能が持つとは思えないですよね。
また、探査機を発射した異星人が、5万年以上も成果を待っているとも考えにくい。
ですから、常識的に、探査機ではないんだと思われますが、
「死んだ探査機」である可能性がないわけではないでしょう。

つまり、燃料を使い果たし、すべての機械類は止まり、
もし中に乗員がいたとしても、全員死に絶えた状態で宇宙を漂っている。
あまりいい例えではないかもしれませんが、幽霊船のようなものかもしれません。
オウムアムアから電気信号が検出できないのもこれで説明がつくでしょう。
ハーバードの研究者たちも、太陽セイルの残骸である可能性に言及しています。

さてさて、ということで、宇宙探査機である夢は、かろうじて残っているんじゃ
ないでしょうか。オウムアムアは現在、土星軌道のあたりまで進んでいるはずで、
今年中に太陽系外に出ていくと考えられます。もはや接近して観測するのは
不可能ですし、二度と出会うこともないでしょう。
ですから、真相は謎のままということになります。では、今回はこのへんで。






死の黒い婆の話

2019.01.26 (Sat)
あの、専門学校に通ってる水島といいます。今、自分の身になんか、
すごくヤバイことが起きてる気がするんです。
それで、知り合いから紹介されて相談に来たんです。よろしくお願いします。
僕、専門学校生って言いましたよね。カメラの学校なんです。
それで1ヶ月くらい前、学校の課題があったんです。
季節の自然を撮ってくるようにって。ええ、それ年に4回やるんです。
で、みんなで撮ってきた写真を発表して、相互評価する。
そのために、カメラ持って〇〇川沿いの土手を歩いてたんですよ。
土手といっても、ちゃんと道になってて、近くの小学校の通学路です。
川にレンズを向けて、水鳥なんかを撮影しながら歩いてくと、
前のほうに小学生が5人くらい、輪になるような形で立ちどまってました。

何かあるのかな、と近づいてくと、草の中に黒っぽい生き物が伏せるように
して死んでたんです。それを囲んで小学生たちがわいわい言ってる。
生き物はタヌキだと思いました。そのあたり、タヌキが出るって話があるんです。
見たところ血とか出てないし、自然死なんだろうと思い、スマホを出して、
「今、警察に連絡するから、処理してくれるよ」って小学生たちに言いました。
そのときに、小学生と同じくらいの背丈なんで最初気がつかなかったんですが、
変な婆さんが混じってたんです。黒い服を着てて黒いベールをかぶってました。
たぶん洋装の喪服なんじゃないかと思います。下を向いて死んだタヌキに向かって、
手を合わせてました。だから、顔ははっきりしないんだけど、
見えてる首のあたりが皺だらけで。気味の悪い人だなあと思ってると、
婆さんは僕が警察に連絡を始めると、土手を川のほうに降りていったんですよ。

これが1回目です。今考えると、もしかしたらあのとき、婆さんと因縁がついちゃった
んじゃないかって思うんです。それから1週間後くらいですね。
朝、学校に行くため駅のホームで電車を待ってました。
僕が学校へ行く時間は、朝の通勤ラッシュから少しズレてるので、
そんなに人は混んでなかったですね。そしたらです、電車がホームに入ってくるとき、
わりと近くにいたサラリーマンが、急に走り出して線路に飛び込んだんです。
「自殺だ!」って思いました。その人は、電車が迫ってくる線路に四つんばいになって、
ちょっと困ったような顔をしましたが、すぐに電車の下に消えて見えなくなりました。
ええ、跳ね飛ばされたんじゃなく、下に巻き込まれたってことです。
だから、血とかは出てないし体も見えない。でも、生きてないことはわかりました。
「飛び込みだ」という声があちこちから聞こえ、

中にはスマホで電車を撮影する人もいました。「えっ!」と思ったのはそのときです。
いつのまにか、あの前に見た婆さんがいたんですよ。見間違えようがないです。
身長は小学校の高学年くらい、こないだと同じ真っ黒の喪服。
婆さんは、急停止した電車の近くまでいくと、やはり下を向いたまま、
静かに手を合わせたんです。このとき、背筋がぞくぞくしたんですよ。
それで、最初の授業はあきらめ、その駅を出てバスで学校に行ったんです。
まあでも、そのときはまだ偶然だと思ってたんです。
たまたま、タヌキの死と飛び込み自殺があって、その婆さんが近くにいただけだと。
でも、違ってたんですね。それからまた1週間後くらいです。
学校の帰りに、高田馬場にある書店に寄ったんです。そこは海外の写真集を
独自に輸入してて、カメラの勉強の参考にしようと思って。

あのあたり坂を上ってくと、それほど大きくないマンションが多いですよね。
その一つの前に人だかりがして、みな上を見てたんです。
ええ、マンションの7階か8階くらいのベランダの手すりの上に
女の人がしゃがみ込んでました。遠くてよくわからなかったですが、
両手で顔をおおってるように見えたんです。「ああ、また自殺!?」
サイレンの音が聞こえてきて、誰かが通報した警察が来たんだと思いましたが、
それと同時に女の人がパッと飛び降りて・・・現実感がなかったです。
スローモーションみたいに見えました。女の人の頭が下の階の手すりにあたり、
ぐるんと体が一回転してそのまま1階の店のアーケードに落ち、
大きく弾んで道路に投げ出されてました。ガシンという嫌な音が聞こえました。
たちまち、野次馬たちがどっと動いて女の人のところを取り囲んで・・・

僕は怖かったので、近寄らず後ろから見てたんですが、
人の輪の中に、黒い小さい後ろ姿があったんです。「あの婆さんだ。でも、まさか」
最初、見物人の中に婆さんはいなかったと思うんですよ。
それがいつの間にか現れて、落ちた人の近くに立ってる。
混乱して、その場を動けなかったんです。そしたら、婆さんがくるっと振り向いて、
僕のほうを見たんです。いや、見たといっても、
前と同じようにベールをかぶってたので、婆さんの目は見えなかったんですけど。
それでね、婆さんは、合わせていた手の片方を上げると、
僕に向かって指を3本つき出したんですよ。いや、その後どうなったかは、
走って逃げたのでわかりません。アパートに戻って、この自殺のことは
ニュースでやってました。女の人は即死だったみたいです。

一人になって考えてみたんです。まあタヌキの死はともかく、1週間間をはさんで
2件の自殺を目撃した。でもそれも、絶対にないことじゃないですよね。
日本の自殺者は年間3万人なんですから。ただ、あの婆さんがその3回とも
いたってのは、偶然じゃ片づけられないと思ったんです。
あれは何か悪いもの・・・そういうの僕、よくわからないんですけど、
死を呼ぶ悪魔みたいなものじゃないかって考えて。しかも3回目は、
婆さんのほうで、あきらかに僕のことを意識してた。
これ、もしかしたら次に自分が死ぬんじゃないか。そして、僕の死体の上で、
あの婆さんが手を合わせてる・・・そう考えると、すごく怖くなっちゃって。
でも、そういうことに詳しい知り合いはいないし、まだここのことを知らなかったので、
誰に相談していいかもわからなかったんです。

それからは、身の回りにある危険なことには注意して生活してたつもりです。
ええ、駅でも線路には近づかないようホームの後ろのほうにいるようにして。
あと、僕、今やってる勉強は面白いし、将来はカメラマンになりたいという夢があって、
自殺する気なんてまったくなかったです。それからしばらく、
おかしなことはなかったんですが、女の人の自殺から2週間後です。
僕、学費の足しに、カラオケ店のバイトをしてるんです。
その日、店が終わったのは深夜の2時過ぎですね。
飲み屋街を離れると、車通りはほとんどなくなっていました。
自転車で通ってたので歩道を走ってると、後ろから大き音の音楽が聞こえてきたんです。
ふり向く間もなく、大型のスクーターが車道を走って追い抜いていきました。
すごいスピードが出てました。そして信号を無視して交差点を左折すると、

ギーッ、ドガンとすごい音がして、「あ、今のバイクが事故った」って思いました。
チャリで角を曲がると、人も車もいない道の端の街路樹にスクーターが突っ込んで、
横転してタイヤが空回りしてたんです。運転してた人は、
大きく前方に飛んで倒れてました。うつ伏せで、まったく動かなかったです。
自転車で近寄っていくと、ヘルメットの下から地面に液体が広がってました。
血だと思いました。それで、スマホを出して警察に連絡し、
「今、事故が起きてバイクの人が倒れてます。自損事故だと思います。
 場所は・・・」警察からは、急行するからその場にいてくれと言われ、
倒れてる人に下手にさわっちゃいけないと思って、
その場で待ってたんです。そうしてるうちにも、血はどんどん流れてきて、
ああ、この人は助からないなって思ったときに・・・

僕のすぐ後ろで、「4回目だねえ」って声が聞こえました。
そっちを見ると、あの婆さんがいたんです。体が硬直したみたいに動きませんでした。
婆さんは、「これでやっと、後継ぎができるねえ」そう言いながら、
頭にかぶってたベールを脱ぎはじめて・・・
覚えてるのはそこまでです。気がついたら自分の部屋に戻ってました。
ええ、自転車も外にありましたから、それで帰ってきたはずですが、
でも、自分じゃ全然記憶がないんです。本当は警察が来るまで待ってなくちゃ
ならなかったんですけど、事故がその後どうなったのかもわかりません。
とにかく眠くて、倒れるようにベッドに入って、翌日、かなり遅くなってから
目が覚めました。それでですね、僕、寝てる間にっていうか、自分で知らないうちに、
部屋にある黒いシャツを着て黒のジーンズをはいてたんですよ。







金(きん)のオカルト

2019.01.25 (Fri)
このお題ですが、ここまでで、五行説の「火・水・木・金・土」を
すべてやったので、今回で終わりにしたいと思います。
金(きん)と入れたのは、金(かね)、つまりマネーのことではなく、
金属に関する内容だよ、という意味です。まあ、マネーについての
怖い話のほうがたくさんあるんですが、それはまたの機会とします。

さて、金属のオカルトと言えば「オリハルコン」を思い浮かべられる方が
多いと思います。ただ、オリハルコンの概念って幅広いんです。
古代ギリシアの様々な文献にこの名が登場していて、
実際にこの世に存在する金属元素、または合金と考えられます。

アトランティス
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ところが一般的には、オリハルコンは、プラトンが著書『クリティアス』に
書いた古代に海に沈んだ幻の島、アトランティスで使われていたものの
ことを指す場合が多いんですね。ゲームなんかで登場するオリハルコンも、
そのイメージを踏襲しているものがほとんどです。

ちなみに、余談ですが、「アトランティス大陸」というのはちょっと違います。
プラトンのイメージは、書かれた内容から判断すると、
それほど大きくない島みたいなんです。この点、同じようなあつかいをされる
「ムー大陸」が大陸規模の面積を持っていたのとは違うんですね。

さて、実際に存在するオリハルコンの候補としては、
・真鍮(黄銅、銅と亜鉛の合金)・青銅(銅と錫の合金)・赤銅(銅と金の合金)
・天然に産出する黄銅鉱(銅と鉄の混合硫化物)や青銅鉱など、
さまざまなものがあって、どれも決め手に欠けるんですが、

古代沈没船から発見されたインゴット
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2017年、イタリア・シチリア島の海岸から300m離れた海底で、
水深30mに沈む2600年前の貿易船から、オリハルコンかもしれない
金属のインゴットが発見されたんです。このように、古代の沈没船などを
発掘する分野を水中考古学といい、日本でも、800年以上前の
元寇のときの船が見つかって、調査されています。

上記の船から発見された金属は、分析によると、75~80パーセントの銅、
15~20%の亜鉛、わずかなニッケルと鉛と鉄が含有しているものでした。
やはり銅を中心とした合金だったんですね。自分はこれでほぼ決着がついたと
思うんですが、いくつか異論も出されています。

さて、では日本にオリハルコンのようなスーパー金属はなかったかというと、
これがあるんです。「ヒヒイロカネ」という言葉は聞かれたことが
あると思います。太古、日本で様々な用途で使われていたとされる、
伝説の金属または合金のことで、漢字では「緋緋色金」と書き、
字のとおり色は赤っぽいとされることが多いようです。

ゲームに登場するヒヒイロカネ
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ヒヒイロカネが出てくるのは、古史古伝の一つである『竹内文書』です。
この『竹内文書』というのは、じつに興味深いもので、
近代オカルトと深い関わりがあるんですが、今回は書いている余裕が
ありません。いつか項を改めてやりたいと思ってます。

で、ヒヒイロカネは、日本の初代天皇である神武天皇の世に、すでにかなり
希少な金属になっており、祭祀用の鈴や剣、装身具などに用いられたが、
時代とともに資源が枯渇し、雄略天皇の時代に鏡を2枚作ったのを最後に、
精錬・加工されなくなったと出てきます。

雑誌「ムー」に登場したオウム真理教
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ヒヒイロカネは「生きた金属」で、黄金より軽くダイヤモンドより固くて、
絶対に錆びないとされます。オウム真理教の教祖、松本智津夫は、雑誌「ムー」で、
ヒヒイロカネを持っていると主張していました。もちろんこれはヨタ話で、
何の信憑性もありません。ところで、「ムー」および学研社は、オウム真理教を
積極的に取り上げたことについて、何の反省や総括もしてませんねえ。

で、生きた金属と言われると、自分は映画の『ターミネーター』シリーズに
登場する、進化した人造人間を思い浮かべてしまいます。
あれは変形自在の液体金属でできていて、低温では凍りつくものの復活し、
最後は溶鉱炉に落ちて、完全に溶けてしまうという話になっていました。

あとはそうですね、ファンタージーゲームでは「ミスリル」というのも
出てきます。しかしこれは、完全な創作上のもので、
J・R・R・トールキンの小説、『指輪物語』などに登場します。
もしかしたら、オリハルコンをヒントにして考え出したのかもしれません。

ミスリルで作られた胴着
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外見は銀によく似ていて、銅のように打ちのばせガラスのように輝く。
銀とは違って、黒ずみ曇ることはない・・・こんな描写だったと思います。
ドワーフはミスリルを加工することを誇りにしていて、
さまざまな伝説の武器や鎧が作られました。

さてさて、ということで、こういう架空の金属には古代からの人類のあこがれが
あるんだと思います。金・銀・銅・鉄・その他、金属の性質には、
人類が道具として使用する場合、一長一短があります。例えば、金は錆びませんが、
武器にするには軟らかすぎます。そこで、空想上の完全無欠の金属が
考えられたということなんでしょう。では、今回はこのへんで。

関連記事 『歴史を変えた重金属』

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土のオカルト

2019.01.24 (Thu)
予想どおり、今回はこのお題でいきますが、後半は手抜き企画になります。
さて、土、大地に対する信仰も、世界各地で見られますね。
それで、大地への信仰は女性信仰と結びつくケースが大変多いんです。
これを「地母神」と言います。土は作物を生み出しますが、
古代において、それが子どもを産む女性と自然に合わさっていったわけです。

シュメール、メソポタミアなどの古い文明には、地母神信仰が見られますし、
ギリシア神話では、最初に混沌の中から現れたのが、
世界と神々の母であるガイアですね。ガイアにあたる英単語は「Gaia」ですが、
これは、地球そのものを一つの生命体としてみた呼称です。

大地母神「ガイア」
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「ガイア理論」は、地球と生物が相互に関係し合い環境を作り上げている状態を、
一つの「巨大な生命体」と見なす仮説で、1960年台に仮説が唱えられ、
ニューエイジ思想や環境保護団体に強い影響を与えましたが、
このもとになったのが、古代ギリシアの地母神です。

日本でも、女性の多産は大地信仰と結びつき、縄文時代の人物土偶は、
ほとんどが女性で、豊穣の象徴と考えられています。古代には、
粘土をこねて土器をつくるのは女性の役割であることが多かったんですね。
これが発展したのが、神道の「比売神 ひめがみ」で、
各地にあるんですが、有名なのは八幡社の比売大神です。

中央が比売大神、日本の地母神的な性格を持つ
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大分県の宇佐神宮の御祭神は ・八幡大神 (はちまんおおかみ)
・比売大神 (ひめのおおかみ)・神功皇后 の三柱の神が祭られていますが、
社殿の中央に祭られている比売大神の性格はよくわかっておらず、
邪馬台国の女王卑弥呼なのではないかとする説もあるんです。

自分の悪いくせで、内容が古代関連のことに偏ってしまいがちです。
少し軌道を修正して、妖怪にも土に関連したものがいますよね。
「土転び」なんかには、「土」という語がついていますが、
これ、もともとは「槌」という字だったと考えられます。

藁を打つための槌
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古代の槌は、稲わらをたたいて縄をなうのに使われたりしましたが、
土転びは、その槌とよく似た形の蛇が地面を這ってきて
人に噛みつき転ばせる。そう、これは「ツチノコ」のことなんです。
ツチノコと言えば面白いものがあるので、下の画像をご覧ください。

ツチノコ型?の装飾がついた釣手土器
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これは、長野県の縄文遺跡、札沢遺跡から出土した「釣手土器」です。
釣手土器は、中に火を入れて吊るした古代のランプですが、
蛇のような装飾が見られるケースが多く、これなんかまさにツチノコに
見えますよね。みなさんはどう思われるでしょうか。

あと、妖怪には「土用坊主」というのがいます。四季の終わりの18日間を、
土用と言いますが、その時期なると現れると言われている妖怪で、
この期間に土をいじることは、土用坊主の頭を引っかくことになるため、
土いじりも草むしりも行なってはならないとされます。

で、自分はこの妖怪をモチーフにして黒民話を書いてるんですが、
この話、自分でも気に入っているものの一つです。
短いので、今回はそれを再掲して終わりたいと思います。

土用坊主

子供の頃に住んでた地方に伝わる土用坊主の話。
土用は年に4回あって、この土用の入りから節分
(新暦2月の豆撒きが有名だがこれも年4回ある)までの約18日間は、
草むしりや庭木の植え替えその他、土いじりをすることは忌まれていた。

この風習は中国由来の陰陽五行説からきたようだが、
この土用の期間に禁を破って土いじりをすると、
土用坊主という妖怪というか土精のようなものが出てきて、
災いを為すと言い伝えられてきた。

土用坊主の姿はあいまいで、土が固まって人型になったもの、
あるいは巨大なミミズ状のものという目撃談が多いようだ。
ただ別伝承の中には土の人型がだんだんに崩れて、
その人の一番嫌いなもの、見たくないものに姿を変えるという話もある。
これはかのハリー・ポッターシリーズに出てくる「まね妖怪」に似ている。

出身地の旧村はほとんどの家が農家だったので、
実際には土用の間すべて土いじりしないのは無理がある。
だから、そこいらでは立春前の土用は慎まれていたけれど、
それ以外の期間は土にさわっても問題なしとしていた。
春の期間もおそらく田畑関係のことは除かれていたのかもしれない。

ある中程度の自作農が庭の木の下に金を入れた壷を埋めていた。
この百姓はじつに吝嗇で、嫁をもらったものの婢のようにこき使って
早くに死なせたし、実の両親に対しても年寄って弱ってくると、
ろくに飯も与えず一部屋に閉じ込めきりにして、
やはりぱたぱたと死なせていたという。

また小作や使用人への当たりもたいそう非道いものだったらしい。
そうして溜め込んだ、百姓にはそれほど必要のない金銀を、
夜中にこっそり壷から取り出しては、
暗い灯火の下で数えるのが唯一の生き甲斐だった。

まだ冬のさなかのある夜、この百姓が夢を見た。
どこか遠くのほうから土の中を掘り進んで百姓の家にやってくるものがある。
人ほどの大きさもあるミミズで頭に人の顔がついているようだが、
夢の中のせいか霧がかかったようにはっきりしない。

その化け物が生け垣の下から庭に入り込んできて壷のある場所にいき、
壷を割って中の大切な金銀をむさぼるように食べている。
そしてすべて食べ終わると、ぐるんぐるんと
土の中で輪をかいて踊るという夢だ。

この百姓にとって、これほど怖ろしいことはない。
たんなる夢とは片づけられないじつに気がかりな内容だった。
そこで次の日の夜中に、土用にもかかわらず壷を掘り出してみることにした。
龕灯と鍬を持って庭に下り掘り返すと、壷は割れた様子もなく、
もとのままで、口にした封にも変わった様子はない。

やれうれしや、と壷を手に取ると壷の下に幼い女の子の顔があった。
その顔は両目からたらたらと涙を流していて、
一気に百姓の肩あたりにまでのびあがった。
夢で見たとおりの土まみれのミミズの体をしていた。

目の前で涙を流している顔を見て百姓は、あっと思った。
それはずいぶん昔、まだ貧しい頃に、女房が死んで育てられなくなり、
人買いに渡した自分の娘の顔だった。
こういうのが土用坊主らしい。

土用坊主
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入社試験の話

2019.01.24 (Thu)
※ ホラー小説です。

あ、じゃあ、さっそく話していくから。あんまり体調がよくないんだよ。
ここ、座っていいか。立ってるのもつらいんだ。
あれは、今からもう30年以上前だな。バブル華やかななりし頃だ。
俺は高卒で東京に出てきて、パチンコ屋の店員を皮切りに、
いろんな仕事をやったんだよ。まあ、どれも長続きしねえのは俺の性分だな。
でもよ、今とはまるで違う景気のいい時代だったから、
食っていくには困らなかった。でな、キャバレーのボーイをやってたときに、
店の女とデキちまったのが半ヤクザのオーナーにバレて、
さんざんにヤキを入れられた。ほら、顔にまだ傷があるだろ。
これはそんときのものだ。で、東京に居づらくなって大阪に出てきたんだ。
ああ、大阪には知り合いがいたんだよ。中学のときの同級生。

そいつのところに転がり込めば何とかなるかと思ったんだ。
で、連絡をつけといたら、駅に迎えに来てくれた。
それがなあ、まだ30前なのに、りゅうとしたイタリア製のスーツ着て、
でかいアメ車を転がしててな。今何やってるのかって聞いたら、
不動産屋だって言う。へええと思って、俺も働けないか聞いたんだよ。
そしたら、「いや、俺はまだ下っ端だからな。ただ、会社は今いくらでも人が
 ほしい。だから上の人には紹介してやるよ。そっからはお前の才覚次第だ」
こんなふうに言われてな。で、その不動産屋の事務所に連れてかれたんだが、
たしかに、看板にこそ不動産って字は入ってるものの、
どっから見ても気質じゃないんだよな。ああ、あの頃は、
ヤクザ屋はこぞって不動産業に参入してた。

土地転がしと地上げだな。それをスムーズにやるには、多少の荒事が必要なんだ。
当時は今みたいな暴対法はなかったから、ヤクザ屋は暮らしやすかったな。
で、さっそく、その会社の人事部長ってのに面接したんだが、
これが100万超えるようなスーツ着ててな。でも、なんというか、
持って生まれた品性の低さは隠せてなかったけどな。まあ、いかにあの頃、
金あまりだったかがわかるだろ。会うなりこう言われた。
「いいねえ、あんた、強面だねえ。その顔の傷は宝もんだよ。うちも人手不足で、
 兵隊は何人いても足りないくらいだが、いちおうは会社組織だから、
 入社試験をやらせてもらうよ」これはマズいと思ったね。
試験なんて高校以来だし、自慢じゃないが、俺はあんまり頭がよくねえ。
ところが、聞いてみるとペーパー試験じゃなかったんだよ。

そこの会社が持ってる郊外の住宅地の一軒家。その中で3日間暮らして、
毎日起きたことを報告書に書くってことだった。俺が面食らってると、
「いやこの商売、頭はいらねえが適性は必要だから」って。
その翌日の午後、若いもんに車に乗せられて、その一軒屋に向かった。
着いたのは、新しく開発された住宅団地の外れにある二階家。
その家だけ、少し敷地が高くなってて、隣との距離が離れてたんだ。
築10年はたってないように見えた。若いもんが鍵を開けて中に入ると、
簡単な説明をされた。「この家の1階のリビングで3日間過ごしてください。
 他の部屋には出入りしないこと。トイレは使っていですが、
 風呂はガマンしてください。外出は何があっても禁止で、
 もし家から一歩でも出たら、試験は不合格です。

 食材は冷蔵庫に満杯に入ってますから、つながってるキッチンを使ってご自由に。
 あと、寝るときもリビングでお願いすます。ただ、ソファには寝ないでください。
 毛布用意してますから、絨毯の上に寝ればいです。今の時期は寒くはないでしょ。
 夜に、その日あった出来事をこれに記入してください。簡単にでいいですから」
それで大学ノートを渡され、若いもんは帰ってった。
その家に一人きりになって、すごい変な気になった。だってよ、こんな入社試験、
聞いたことがないだろ。何が合格基準なのかもわからない。
つまり、どう頑張ればいいのか、皆目検討がつかねえってことだ。
それにしてもいい家だったな。柱や壁材も高価いのがわかるし、
家具も高級。まず、電灯とテレビのスイッチを入れてみたらついたんで、
電気が来てることがわかった。それからずっとテレビ見てたんだよ。

他にやることがないからな。そうしてるうちに7時ころになったんで、
キッチンの大型冷蔵庫を開けてみた。食材は言ってたとおりに満載で、
3日間では食いきれそうもなかった。で、神戸牛の肉の塊を見つけて、
フライパンで焼いて食った。そんなこんなで、夜の10時ころになったのよ。
そろそろ寝ようかと思ってたときに、それは起こったんだ。
まずな、体にぞくぞくっとした寒気を感じたんだよ。それから、部屋のドアの
外でガンガンガンみたいな音が聞こえてきた。部屋の外は廊下で、
すぐ二階への階段があるんだよ。それはトイレに行くときに確かめてた。
音はどうもその階段から聞こえるように思った。しかし、
俺以外に家の中に人がいるはずはねえ。だからドアを開けて確かめようと思ったとき、
向こう側からすごい勢いでドアが開いた。でな、何が起きたと思う?

男が入ってきたんだよ。齢はそんときの俺より5つくらい上。
35歳前後かな。でな、生きた人間じゃなかったんだよ。それはすぐわかった。
体が半分透けてて、しかも青白い光を放ってたから。
その男は、ドアを開けるといったん廊下に出て、何かをかかえて戻ってきた。
子どもだよ。5歳くらいに見える男の子。でな、それも幽霊だと思った。
男と同じように体がぼうっと光ってたから。しかも、その子ども、
幽霊なのに死んでるんだ。俺はビビっちまって、リビングの反対側の壁に
はりつくようにしてたんだが、男は、まるで俺が存在してないかのように、
こっちを見ようともぜず、抱いてきた子どもをソファに座らせるように置いた。
子どもはパジャマ姿で、白目を剥いてピクリとも動かない。
首のまわりが赤黒くなって、絞められたんだと思った。

男は出ていき、今度はもう少し下の女の子を抱いてきたが、それも死んでる。
ソファに子どもの死体を2つ並べ、それから・・・男はポケットから
ネクタイを引っぱり出してな。2本を束ねて、リビングとキッチンの境にある
鴨居で首を吊ったんだよ・・・俺はそれ、一部始終見てた。
歯の根が合わないほど震えてたよ。けどなあ、今にして思えば、
現実感がなかった気がする。なんか映像臭いっていうか、やっぱり体が透けて青く
光ってたのが大きいんだろうなあ。男は激しくもがいてからガクッと頭が落ち、
しばらくブラブラ揺れてたんだが、それが収まると同時にスッと消えた。
同時に子どもらの死体も消えたんだよ。心臓がドキドキした。まあ当然だわな。
家から走って逃げ出したかったが、言われたことを思い出して、なんとか踏みとどまった。
大学ノートに記録を書いたが、その日は眠れるはずもねえよな。

電気をつけたまま、朝まで起きてた。でな、2日目も、同じ時間に同じことが起きた。
再現ビデオを見てるみたいに寸分違わず、男が首を吊って動かなくなったところでエンド。
ただなあ、3日目の夜は少しだけ違ってた。男が首を吊ったとこまでは同じだが、
ソファの子どものうち、兄の男の子の死体だけが消えなかったんだよ。
白目になってた目がぐるっと動いて俺のほうを見、かぼそい声で「助けて」、
そう言ったように聞こえた。けどな、そんとき俺は、反射的に、
「俺は関係ねえ、成仏しろやガキ!」そう叫んだら、子どももフッと消えたんだよ。
でな、4日目の朝、人事部長がじきじきに迎えに来てくれたんで、
大学ノートを渡そうとしたら、「いらん、いらん、あんた合格だよ。
 一家心中の家で3日過ごしたんだからたいしたもんだ。まあ、頑張って働いてくんな」
でな、俺はその会社の社員になり、地上げを中心にさんざん悪どいことをやった。

まあな、そういう時代だったから。けども、やがてバブルは壮大に弾け、
あらゆる物件が不良債権となって、会社は左前になり、俺は東京に戻ってきた。
それからはいいことがなかったなあ。細々と食いつないできたんで、
自分の家族は持てなかった。まあ、ホームレスに堕ちなかっただけマシか。
大阪にはずっと足を向けることがなかったが、この間、ひさびさに行く用事があって、
そんときに、入社試験のことを思い出してな、あの住宅団地に行ってみたんだ。
30年だからな、あたりの家は全体に古びてて活気がなかった。
で、一家心中の家はなくなって児童公園になってたんだ。入ってみてブランコを揺らし、
背筋がぞくぞくしたんで出ようとした。そんとき、何かが服の裾をつかんでたんだよ。
見るとあの男の子だった。子どもは、前のときと同じく、「助けて」とひとこと言って消えた。
走って逃げたが、それからだよ、体の調子が悪くなったのは。もう、歩くのも難儀なんだ。






火のオカルトと人体発火現象

2019.01.22 (Tue)
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石、木、水とオカルトシリーズを書いてきましたので、
勘のいい方なら、次は火か土だろうと思われていたんじゃないでしょうか。
正解です。今回は火のオカルトについて見ていきたいと考えてます。
さて、火は物質とは言いませんが、人類にとって根源的なものであるのは
間違いありません、ですから、世界各地に火にまつわる神話があります。

やはり有名なのは、ギリシア神話のプロメテウスの話でしょう。
主神ゼウスが、武器を作って戦争を起こすからと、人間に火の使用を禁じたのに
反抗し、神々の一人プロメテウスは人間に火をもたらし、その罰として、
3万年間、毎日肝臓を鷲に喰われることになります。

このような形で、神が人類に禁じられた何かを与える形の話を、
「プロメテウス型神話」と言います。また、プロメテウスのような人物を、
「文化英雄 culture hero」と呼ぶことがあります。
2012年公開の、エイリアンシリーズの一作であるSF映画『プロメテウス』は、
この神話を踏襲しているんですが、評判はよくなかったですね。

プロメテウス
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日本神話では、イザナギ神とイザナミ神が国産みをして、最後に生まれたのが、
「カグツチ神(火之迦具土神 ひのかぐつちのかみ)」です。
このため、イザナミは陰部を火傷して亡くなり、怒ったイザナギは
剣でカグツチを殺し、黄泉の国へ妻を取り返しに行くことになります。

とまあ、神話や古代祭祀の話を書いていくときりがないので、
ここは少し自重して、話をオカルト方面にふりたいと思います。
さて、火に関する最大のオカルトというと、やはり「人体自然発火現象」
なんじゃないかと思います。これ、最近の話題と思われる方もいるでしょうが、
オカルトとしてはかなり古くからあるものなんです。

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「人体自然発火現象」は英語で(Spontaneous Human Combustion)、
海外ではSHCと約されることが多いですね。Spontaneousは難しい単語ですが、
「自発的」という意味です。1745年、学術論文誌、
『フィロソフィカル・トランザクションズ』に、ポール・ロッリという記者が、

コーネリア・バンディ伯爵夫人が、ベッドの上で、
膝から下だけ残して炭化した状態の遺体で見つかったという内容の記事を
載せたのが最初です。これ以後、人体が自然に発火したと見られるケースは、
200例を超えて報告されています。起きた場所は世界各地なんですが、
初期の18世紀のものは、圧倒的にイギリスとアイルランドに多いんです。

1799年には、ピエール・ライアーという医師が、自然発火の事例を研究し、
その特徴を12にまとめています。まあ、これは古い話ですので、
もっと新しい研究はないかというと、1995年、ラリー・E・アーノルドが
自著の中で、犠牲者たちに共通する特徴を6つにまとめました。

・犠牲者はアルコール中毒。 ・高齢の女性が多い。
・体自体が発火したというより、火のついたなんらかの物質が接触した。
・手と足の先は残る。・体に触れている可燃性のものはほとんど損傷なし。
・燃えた後にはものすごい悪臭を放つ脂ぎった灰が残されている。

「ビーフィーター」ジン
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では、謎解きをしていきたいと思います。まず、人体は自然に発火するのか?
これはしないですよねえ。人間の体重の約60%が水分です。
人体の中には、リンや腸内のメタンガスなどの可燃性の物質がありますが、
それに簡単に火がつくとは考えられません。

たしかに、人間の体には、静電気を含めた電気的な生理現象はあるんですが、
それで火がつくのなら、人体自然発火現象はもっともっと多いはずです。
あと、オカルト雑誌では「部屋の中にはまったく火の気がないのに」という
一節がつけ加えられたりするんですが、
これはだいたいが、話を面白くするためのギミックです。

ありていに言えば、犠牲者がアルコール度数の高い酒を飲んでいて体にこぼし、
それにタバコの火、あるいは暖炉から飛んだ火がついて燃え上がったケースが
ほとんどだと思うんですね。そして、18世紀という時代背景を考えれば、
イギリスでこの現象が多いことには、理由があります。

まず、当時は酒に関する法律が未整備で、ジンなどのアルコール度数の高い
酒が無制限に売られていたこと。次に、着ているものが絹や木綿などの
液体がしみ込みやすい自然素材だったこと。それと、電気のない時代のため、
照明はランプ、暖房は暖炉や石炭ストーブ。タバコの火をつけるにも
火種が必要で、身近に火があったことがあげられるでしょう。

産業革命でブルジョワに搾取される労働者
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さらに、18世紀はイギリスが産業革命に突入する時代です。
このころは労働基準を定めた法律はなく、労働者の1日の労働時間は、
14~16時間という過酷な状況でした。これだと疲れ切ってしまいますよね。
そこで労働者は、家に帰ったわずかな自由時間に強い酒を飲んで、
泥のように眠ろうとします。そうして体に火がつく事故が起きる。
あと、上流階級の貴族などでもアルコール中毒が多かったんですね。

とまあ、こんなふうに書いてしまうと身もフタもないんですが、
人体自然発火現象とされるものの中には、実際にまったく火の気がない状況で
起きているものも、ごくわずかあります。そこで疑われるのが「球電現象」。
これは自然に発生するプラズマのことですね。ちなみに自分は、
中学生のとき、球電が空いた窓から教室に入ってくるのを見たことがあります。

球電現象
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さてさて、火のオカルトでは「人体自然発火現象」を取り上げてみました。
いかがだったでしょうか。イギリス産業革命では蒸気機関が使われましたが、
やがてそれは時代とともに電力にとって代わられ、火事などの事故件数が、
大きく減っていったんですね。では、今回はこのへんで。




水のオカルト

2019.01.21 (Mon)
今回はこういうお題でいきますが、題材が広すぎて、おそらく
まとまりのない内容になるんじゃないかな。まず、水は地球上ではごく
ありふれた物質ですよね。海水も含めれば、それこそいたるところにあります。
ですが、ありふれているからこそ、根源的なものとも考えられたんですね。

古代ギリシアでは、水は(火、空気、土)と並ぶ四大元素の一つとされましたし、
中国でも五行(木・火・土・金・水)の一つに数えられます。
また、「エリクサ」という言葉を聞かれたことがあると思いますが、
「生命の水」と訳される場合が多いです。

錬金術では、「賢者の石」と並ぶ重要なアイテムで、卑金属を黄金に変えたり、
不老不死になったり、死者を黄泉返らせる効能があるとされました。
この考え方は現在でも続いており、西洋の修道院でつくられる
各種ハーブを材料にしたリキュールは、エリクサと呼ばれることがあります。

さて、日本でも古代から水にかかわる祭祀が行われてきました。
銅鐸はご存知だと思います。弥生時代の後期を中心に出土しますが、
集落の外から、埋められた形で見つかるものが多いんですね。
これには、水源地などに埋めておき、年に何度か掘り出して水に関係した
祭祀を行っていたのではないかとする説があります。

銅鐸絵画
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銅鐸に描かれた絵画には、水鳥や亀、カエルなど水辺の生物がよく見られます。
また、古墳時代の豪族の居館がいくつも発掘されていますが、
敷地内に導水施設が見られる場合が多いんです。これは、生活用水ではなく、
水を流す祭祀が行われていたのだと考えられています。

この形はずっと後代まで続き、前にご紹介したことがある、
奈良県明日香村「酒船石」も水の祭祀遺跡でしょう。7世紀、
斉明天皇の時代のものと考えられ、同地では現在も水が大量にわき出しており、
斉明天皇が国家的な祭祀を行った場所との見方が強まっています。
この施設は、10世紀まで使用されていたようです。

奈良県明日香村の水の祭祀遺跡
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なんだ、古代の水遊びじゃないかと思われるかもしれませんが、
当時としては重要な意味を持っていました。6世紀に朝廷に対して
反乱を起こした「筑紫君磐井 つくしのきみいわい」の本拠地周辺から、
「曲水の宴 」の跡とされるものが発掘されており、

これは、流れる水に盃を浮かべて流す遊びのための施設で、
もとは上記した水の祭祀であったと考えられ、
京都の朝廷でしか行うことができないものでした。そのため、磐井が、
当時の天皇家に反抗していた証であると言われることがあるんです。

筑紫君磐井の像
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さて、話かわって、古代から「水の精」の伝説も伝わっています。
西洋では、水を司る精霊は「ウンディーネ」と呼ばれ、若く美しい女性の姿と
されます。伝説では、ウンディーネに魂はありませんが、人間の男性と結婚すると
魂を得ることができます。しかし、それによってウンディーネは不幸になるんですね。

ウンディーネの彫像
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アンデルセンが書いた童話『人魚姫』では、人魚姫は愛する王子を殺すことができず、
泡となってしまいますが、これは上記のウンディーネの伝説が下敷きになって
いると考えられます。あと、日本にも水の精の出てくる話がありますが、
これは西洋とは違って、年老いた老人の姿です。
『今昔物語』には、「水の精が人の顔をなでる話」というのが載っていて、

水辺の廃墟で人が眠っていると、小さい老人が出てきて顔をなでる。
ある豪胆な男が「俺がつかまえてやる」と言って寝たふりをし、
出てきた老人を縛り上げます。すると老人は「たらいに水を持ってきてくれ」と言い、
水に顔が映ると「われは水の精なり」と一言残し、縛られたまま水に変じて、
ざぶんとたらいに落ちます。人々は気味悪がって、たらいの水を池に捨てたということです。

『今昔物語』の水の精
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さて、あれこれ書いてきましたが、水は「悪いオカルト」に使われる
ことがあるので注意が必要です。ここで言う悪いオカルトとは、
「金儲けを目的として人を騙す」オカルトのことです。わかりやすい例で言うと、
先日死刑になったオウム真理教の教祖、松本智津夫の入った風呂の残り湯が
200ml、2万円で信者に売られていたようなケースです。

これ、当時買って飲んでいた人は、現在どう思っているんでしょうねえ。
あと、水の悪いオカルトは「波動」とからむことが多いんです。
ここでいう「波動」とは、ある種の生命エネルギーを指しますが、
科学的な根拠はいっさいない疑似科学です。

で、波動を流したとされる水が高額で売られたりしています。
まあ、買うのは自己責任でもありますが、
それで病気が治るなどと宣伝すれば薬事法に違反します。
「ホメオパシー」というのもそうですね。水の中に、ある薬剤を溶かし、さらに
それを何千倍にも薄め、砂糖玉に染み込ませたものを「レメディ」と言います。

それだけ薄めると、もはや薬剤の効果はないんですが、ホメオパシーでは、
水の分子が、その薬剤の波動を記憶しているなどの理屈がつけられています。
しかしこれ、医学的にはブラセボ効果しかありません。2009年、
ビタミンシロップの代わりにレメディが与えられ、栄養不足で新生児が死亡した
事件をきかっけに、ホメオパシーに対する批判は高まっています。

さてさて、ということで、古代史に始まった話が、最後には疑似科学批判に
なってしまいました。まあこれほど、水に関するオカルトは、
多様な内容を含んでいるんだと考えてくだされば幸いです。
では、今回はこのへんで。

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お告げの話 2題

2019.01.20 (Sun)
山のお告げ
72歳で死んだ俺のじいちゃんの話なんだけどな。じいちゃんは、
若い頃は林業をやってたんだよ。当時あった営林署の下請け作業や、
お客さんから頼まれた木の切り出しとか、下枝刈り、
そういったことを20代から40代までやってたんだが、
外材に押されて、日本の林業はすっかりだめになってしまった。
それからは町の製材所に勤めてたんだが、休みの日があると必ず山には入ってた。
春には山菜採り、秋のキノコ採り、それと罠猟と猟銃の免許も持ってたからな。
で、親父が小さい頃は、じいちゃんが山で撃ってきた獲物をよく食べさせられたそうだ。
狸の肉は臭かったが、鹿はなかなか美味かったって言ってたな。
でな、じいちゃんは、山からお告げを受けることができたんだ。
ここでいう山ってのは、実家の畑から見える山で、地元では岳山って呼んでた。

高さは800mくらいだが、近いところにあるんでかなりくっきり見える。
植林した杉林じゃなく山全体が雑木で覆われてて、
秋になれば紅葉し、やがて冬枯れして雪が積もる。
そんな山を、じいちゃんはよく眺めていたもんだ。どういうお告げかって?
そうだな、いろいろあるんだが、一番わかりやすかったのは、
近々死ぬ人がわかることだ。じいちゃんが外から戻ってきて、
「喪服を用意しといてくれ」と、ばあちゃんに言う。
すると、じいちゃんの知り合いの誰かが、2週間以内に亡くなるんだよ。
これが外れたことがない。なにも病気で療養中だった人だけじゃなく、
それまでぴんぴんしてた人でも急死してしまうんだな。嫁に来てすぐの頃、
ばあちゃんは不思議に思って、じいちゃんに「なんでわかるのかい」って聞いたそうだ。

そしたら、「山が教えてくれる」って答えが返ってきた。
これな、じいちゃんが葬式に出なきゃならないほど親しい知り合いでなくても、
町の人間が死ぬときにはやっぱりわかるみたいで、
町会議員の選挙のときに、ある議員のポスターを指差して、
「こいつは近々逝くから、投票しても死に票になるな」って言ったこともあったそうだ。
実際、その議員は、選挙期間の終わり頃に、風呂の中で卒中を起こして死んだんだよ。
不思議な話だろ。山は山で、誰が見ても同んなじなのに、
なんでじいちゃんだけにお告げがあるのか。ばあちゃんが、
「どうすればわかるんですかい」と聞いても、じいちゃんはただ「お告げがある」
としか言わなかった。それと、じいちゃんが山からお告げをもらってることは、
町の他の者に言わないように、ばあちゃんには日頃から固く釘をさしていたそうだ。

でな、じいちゃんが70歳を過ぎた頃に、ばあちゃんが、
「わたしやあんたが死ぬときも、お告げがあるもんかいの」って聞いたそうだ。
そしたらじいちゃんは、少しく考えてから、「おれもお前ももういい齢だ。
 だから、いつ死んでもべつにおかしい話ではない。もしもお前が死ぬというお告げが
 あったとしても言わんし、自分が死ぬとわかったとしてもジタバタすることもない。
 もうすっかり準備はできとる」こういうふうに答えたってことだ。
で、俺の親父なんだが、大きな都市に出て結婚したんだが、
勤めてた会社が倒産して、一時期じいちゃんのいる実家に帰ってたんだ。
そんとき、母親と俺、1歳の弟もいっしょに世話になってた。
俺はそのとき3歳だったから、あんまり記憶はないんだけどな。
だからこれは、ばあちゃんとうちの親父から聞いた話なんだ。

ある日、じいちゃんが外から血相を変えて戻ってきた、
そして、ばあちゃんに水を持ってくるように言い、ごくごくと何杯も飲んだ。
それから「山の野郎、なんてことを出しやがるんだ」そう言って、
猟銃を持ち出してきた。その足で岳山に入って、翌日の夕方まで帰らなかった。
でな、戻ってきたときには、背負えるだけの鳥獣の死骸を持ってきて、
庭に積み上げたんだそうだ。これ、まずいんだよ。
幸い、猟期のうちだったけど、岳山のほとんどは狩猟禁止区域だったから。
でも、ばあちゃんがそれを言って止めても、じいちゃんは言うことをきかなかった。
それからの1週間で、庭には鳥獣の死骸が山積みになり、
さすがに冬でも臭いを放ち始めたんだな。
親父は、じいちゃんが気が触れたと思ったそうだ。

で、10日目あたりに、じいちゃんは晴れ晴れとした顔で戻ってきて、
「やっと山が音を上げやがった。お告げを取り消した」
こんなふうに言ったそうだ。庭にあった死骸は大きな穴を掘って埋めた。
警察が家に来ることはなかった。それから半年ほどして、
親父は再就職先を見つけ、家族で実家を出た。
じいちゃんはその後10年以上生きて、最初に話したように72歳で病死し、
ばあちゃんのほうは96歳まで生きて、亡くなったのはついこの間だよ。
それでな、じいちゃんが病院で死ぬ数日間、親父が立ちあってて、
じいちゃんは苦しい息の中から、こんな話をしたんだそうだ。
「あんときはな、山が、孫が死ぬって告げたんだよ。だからな、
 そんなことがあってたまるかいって、

 山が勘弁してくれって言うまで殺生をした。殺してしまった獣たちには
 申しわけなかったが、しかたのないことだった」
・・・この孫っていうのは、俺か弟のことなんだよな。
そのどっちが死ぬってお告げが出たのかは、結局わからなかった。
だから、もしかしたら俺はじいちゃんに助けられたのかもしれない。
ばあちゃんは長生きしたから、じいちゃんが、ばあちゃんが亡くなる
お告げを見なかったのは幸いと言うしかないよなあ。
あとはじいちゃん自身のことだが、じいちゃんは癌で市の病院に長期間入院して、
何ヶ月も山を見る機会はなかったんだよ。けども、
取り乱したりすることはまったくなかったな。もしかしたら、
本当は山で死にたかったのかもしれないが。

紙吹雪のお告げ
あ、どうも、自分はbigbossmanという、占星術をやってるものです。
自分と同業の占い師に、「紙吹雪占い」というのをやってた人がいまして。
これ、変わってるでしょう。おそらく、日本で一人だけだったんじゃないかな。
なんでも、その占いの原理はシンクロニシティを応用したものだって、
話しておられましたね。シンクロニシティはご存知ですよね。
「偶然のように見えても、じつは偶然じゃない」とか「意味のある偶然」とか、
そういうふうに言われてるもので、ユングという、
昔の精神分析医が考え出した概念です。で、その人、中国製の
紙吹雪製造機を持ってるんです。いや、そういう機械って実際にあるんです。
ほら、シュレッダーってあるじゃないですか。紙吹雪製造機は、
紙束を、あれよりも大きいサイズに切り刻むものなんですね。

占いの依頼者に、なんでもいいから、自分の家にある新聞や雑誌、
広告チラシなんかを持ってこさせて、それを紙吹雪製造機にかける。
で、最初のほうに出てきた数枚を見て、占いのお告げを述べるわけです。
え、インチキ臭い? ・・・まあねえ、たしかに自分も、
最初にそれを聞いたときには、そんなんで占いになるのかって思ってました。
でもねえ、この間のことなんです。自分が、
その占いを見せていただけることになりまして。
何か字や写真がついた紙束を持参するように言われたので、
共同事務所にあった、「女性セブン」という週刊誌のかなり前の号を
持っていったんですよ。ええ、意図的に選んだわけじゃないです。
それで、ご自宅に着きまして、40歳くらいに見える女性でした。

「何を占ってほしいですか?」と聞かれたので、
「近い未来に、どんな事件が起きるかをお願いします」ってリクエストしました。
その人は、週刊誌を機械に突っ込んでスイッチを入れ、ブーンと機械がうなって、
プラスチックの紙受けにどんどん紙吹雪が溜まっていき、雑誌一冊が消えたところで
スイッチを切りました。それから、目をつぶって紙受けに手を突っ込み、
数枚の紙片を指ではさんで取り出し、テーブルの上に撒いたんです。
1枚が3cm四方くらいでしたが、そのままひっくり返したりせずに並べて、
占い師さんも自分も「あっ!」と言ったんです。1枚目の紙片が、
たまたま取材で雑誌に載った、その占い師さんの顔写真の一部、次の一枚が、
何かの事件報道だと思いますが、「死」という活字が大きく入ったもの。
フォローのしようがなかったです。で、このお告げ、大当たりしたんですよね・・・



 


木のオカルト

2019.01.19 (Sat)
デビルズ・タワー
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前回、石のオカルトをシリーズで書きましたので、今回は木でいきます。
ただ、自分の印象だと、木のオカルトは石よりも少ない気がします。
これは石と違って、木は腐ったり、虫に食われたりして、
比較的短期間に失われてしまうためじゃないかと思います。

考古学的にも、木はなかなか残らないんですね。古墳を発掘すると、
木棺が、中にあった遺体とともに、ほぼ完全に消滅してしまっているケースは
珍しくはありません。木が残っている条件としては、
砂漠のようなところで完全に乾ききっているか、
逆に、ずっと水の中に浸かっていた場合が多いんです。

水の中から木製品が出土して、そのまま乾かすと、変形したりバラバラになって
しまったりするので、しみ込んだ水分を樹脂やアルコールなどに置換する
処理を行わなくてなりません。木造建築の場合も、石製のものと違って残りにくく、
法隆寺の西院伽藍が、現存する世界最古なのはご存知だと思います。

さて、木のオカルトですが、まず最初に、最も壮大なものをご紹介したいと
思います。「雑草仮説」というのをご存知でしょうか。
これは半分冗談みたいなものですが、アメリカ発の話で、
「現在地球上に生えている木は、じつは雑草のようなもので、
古代の木はもっとはるかに大きかった」とする説です。

アメリカのワイオミング州に「デビルズ・タワー」という岩山があります。
これ、地下のマグマが冷えて固まってできたものなんですが、
ネイテイブ・アメリカンの伝承では、じつは大きな木の切り株だと
言われてるんです。最初の画像を見れば、たしかに切り株に見えます。

このデビルズ・タワーは、その神秘的な形状から、1977年の
スティーヴン・スピルバーグ監督の映画、『未知との遭遇』で、
宇宙船の降りる場所として描かれ、世界的に有名になりました。
また、超古代にあった巨木はすべてカーボンでできていて、それらはエイリアンが
全部伐って持ち去ったという話も、アメリカでは広がっているようです。

この説によれば、オーストラリアのエアーズ・ロックもやはり切り株で、
石のように思えるのは、木化石化しているためということになります。
まあねえ、話としては面白いですが、さすがに信じられません。
ですが、「世界樹」という概念は、さまざまな神話の中に登場してきます。

世界樹とは、「インド・ヨーロッパ、シベリア、ネイティブアメリカンなどの
宗教や神話に登場する、世界が一本の大樹で成り立っているという概念」
のことで、北欧神話の世界樹「ユグドラシル」は、巨大なトネリコの木で
あるとされます。世界樹の神話では、木の世話をしっかり行っていないと、
枯れて世界が崩壊してしまうという形も多いですね。

北欧神話の世界樹「ユグドラシル」
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さて、前回の石のオカルトでは、古代の信仰の対象になった岩を「磐座」と
呼ぶと書きましたが、これが木の場合は「神籬 ひもろぎ」になります。
神が降臨するための場所として、巨木の周囲に玉垣をめぐらし、
注連縄で囲ったもののことです。

現在の神道では、巨木に代えて、榊などの広葉常緑樹の枝を
八脚台という木の台の中央に立て、紙垂(しで)と木綿(ゆう)を
つけたものを神籬として用います。下図のようなものですが、
地鎮祭などの儀式で見たことがある方も多いと思います。

現在の神道で用いられる「神籬」
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このルーツは、日本では縄文時代から見られる、巨大な柱を立てる文化で、
特に、山陰から北陸、東北地方にかけての日本海側に多いんですね。
これは、世界樹信仰とも、樹木が冬に葉を落とし春になるとまた芽吹くことから、
再生の象徴として見られていたなど、さまざまな説が唱えられています。

石川県真脇遺跡の巨木建造物
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あとはそうですね、日本ではあまり聞かないんですが、世界的には、
樹人の伝説があります。J・R・R・トールキンのファンタジー小説、
『指輪物語』に登場するエントが有名ですが、
言葉をしゃべり、根っ子を使ってあちこち歩きまわったりもします。

樹人「エント」
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日本でも、植物、とくに樹齢を重ねた古い木は感情や霊力を持つという思想があり、
それは「伐ると祟る木」という話になっています。
これは全国各地にありますので、全部は紹介しきれないんですが、
有名なのは、山梨県の甲府市にある諏訪神社の朴(ほう)の木ですね。
幹を伐るどころか、落葉にさわっても祟りがあるとされています。

諏訪神社の朴の木
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あとは、東京競馬場の第3コーナーにある大欅(けやき)の話も知られています。
これ、観戦やテレビ中継のじゃまになってるんですが、伐られることはありません。
大欅の近くでは、落馬事故や馬の故障が頻発すると言われます。
また、木の下には「井田是政」という武将の墓もあり、JRA(日本中央競馬会)では、
「是政特別」というレースを設けて、墓の主に敬意を払っています。

なぜこの墓が残されているのか、たいへん面白い話があるんですが、
予定の字数が尽きてしまいました。これについては、また書く機会もあるでしょう。
さてさて、日本の建築物は、欧米とは違って木でできているものがほとんどです。
それだけに、日本人は日常的に木に接して、特別な思い入れを持っていると
言えると思います。では、今回はこのへんで。

東京競馬場の大欅(と言われているがじつは榎)
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戦国三傑と刀剣

2019.01.18 (Fri)
今回はこういうお題でいきます。自分は刀剣フアンで、
当ブログでは、刀剣についてのミニシリーズがあります。
もし興味を持たれた方がおられれば、以下の関連記事を参照されてください。
『新田義貞と3本の刀』  『頼光四天王と3本の刀』 
『妖刀村正の話』  『陰陽剣と光明子』  『名剣の話』
『始皇帝暗殺と2本の剣』  『アーサー王伝説について』

さて、日本の戦国の三傑というと、一般的には「織田信長」 「豊臣秀吉」
「徳川家康」のことを指しますよね。この中で、みなさんは誰がお好きでしょうか?
アンケートを取れば、結果はけっこうバラけるみたいですね。
それは、3人それぞれに人間としての特徴が異なっているからです。
ちなみに自分は、家康が一番好きです。

織田信長
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では、3人それぞれ、刀剣についてのどんなエピソードがあるのか、
みていきたいと思います。まず織田信長ですが、この中では最も怖い人ですね。
癇性という言葉がぴったりで、それまで穏やかだったのが、
ちょっとしたことで瞬間湯沸かし器のように怒る。
これだと、そばに仕えている人間は気が気じゃなかったと思います。

ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスが書いた『日本史』には、
彼が信長と謁見したときのエピソードが出てきますが、中にこんな記述があります。
「信長は築城を指図していたが、建築を見物しようと望む者は、男も女もすべて、
草履をぬぐこともなく彼の前を通ることが許された。

そのとき、一人の兵士が見物人の中の女の顔を見ようとして、
かぶっていた笠を少し上げた。それに気がついた信長は激怒し、
たちまち走り寄って、その兵士の首を手ずから刎ねた」・・・怖いですよね。
こんな人が主人だとしたら、家来は大変です。

国宝 「圧切長谷部」


さて、信長の佩刀と言えば、最も有名なのが「圧切(へしきり)長谷部」。
正宗の弟子の一人、長谷部国重の作刀です。こんな話が残っています。
あるとき、信長の召し抱えていた観内という茶坊主が無礼を働きました。
お茶を信長の膝にこぼしたとかなんでしょうか、そのあたりはわかりません。

信長は怒って刀を抜き、観内を手打ちにしようとしましたが、
観内は城内を逃げまわり、座敷の棚の下に隠れました。信長は長谷部を棚に押しつけ、
少しずつ力を加えていって、棚ごと茶坊主を切断した・・・
それで「圧切」という名がついたんですね。この話、本当かどうか確証はありませんが、
上記のフロイスの記述を見れば、あっても不思議はないように思います。

この圧切長谷部は、後に黒田官兵衛に与えられ、現在は博多市博物館にあります。
次に、豊臣秀吉についてみてみましょう。秀吉といえば、
低い身分から信長に取り立てられて出世したためか、たいへんな派手好きで、
黄金の茶室をつくった話は有名ですね。

豊臣秀吉
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で、秀吉が天下人になってから、各地にある名刀をことごとく召し出しました。
秀吉の所有していた刀・脇差のリストには、350本もの名刀が記録されています。
ただこれ、たんなる物欲だけで集めたわけでもないんですね。
秀吉は、刀の他に鎧や馬具、茶道具なども多数集めていましたが、
これらは、何かの褒美として家来に下げ渡す役割もあったんです。

天下が平定されてしまうと、配下に与えるための土地がなくなってしまいます。
そこで、名物(有名なエピソードを持った武具や茶道具)は、
一国と同様の価値があるとされたんです。また、少し意味合いは違いますが、
秀吉が朝鮮出兵を行ったのも、配下に与える土地を求めてのこととも言われます。

秀吉のもとに集められた刀は、すべて本阿弥光徳によって鑑定され、
本物かどうか、また、本物ならどれくらいの価値があるかを記した「折紙」が
つけられました。今でいう鑑定書です。偽物は廃棄され、刀剣史的には、
これによって日本刀の質がたいへんに向上したとされます。

「郷義弘」


秀吉自身が好んだのは、「相州五郎正宗」 「粟田口藤四郎吉光」 「郷義弘」
とされ、これらを「天下三作」と言うようになりました。
さて、最後は徳川家康です。家康といえば、「鳴くまで待とうホトトギス」
の慎重派と考えられることが多いですが、実際は武を好んでいました。

徳川家康
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柳生宗矩、小野忠明などの剣豪を指南役として召し抱え、自分でもかなり
剣術の稽古をしていたようです。その家康が秘蔵していたのが、
三池典太光世作の「ソハヤノツルギ」という刀です。謎に満ちていて、
詳細が不明なんですが、刀の茎に「ウツスナリ」と刻まれていました。

もともとソハヤノツルギは、日本初の征夷大将軍となった平安時代の武官、
坂上田村麻呂の持っていた刀で、「ウツスナリ」とは、
三池典太光世がそれを模倣して作った刀という意味なんだと思われます。
考えてみれば、田村麻呂と家康には、征夷大将軍になったこと、
死後に神として祀られたことなど、いろいろ共通点があるんですよね。

さてさて、ということで、戦国の3武将、刀に対する好みにも性格の違いが
表れていて、自分なんかには興味がつきないところです。
刀剣の話は、まだ取り上げていない西洋の剣もありますし、
今後も続けていきたいと思います。では、今回はこのへんで。

「ソハヤノツルギ」レプリカ





血を抜かれる話

2019.01.17 (Thu)
橋本と言います。ある会社で経理を担当しています。よろしくお願いします。
私、子どもの頃から、家族や近所の方から霊感があるって言われてたんです。
はい、失せ物を見つけたり、未来のことを当てたり。
そう言われるようになったのは、5歳のあたりからだと思います。
うちにくるお客さんの名字や齢を当てたんです。お客さんがうちに来て、
私が幼稚園から帰ってきてる時間だと、ごあいさつをしに行かされたんですが、
そのときに、お客さんの前に手をついて「○○様、こんにちは」って、
教えてられないのに、そういうふうに言ったんです。
そのときは、私には、特別なことをしているという感覚はなかったですね。
自然に、ほんとに自然に頭の中に浮かんできたことを口にしただけなんです。
それから、これは小学校2年のときです。

同じ学校の1年生の男の子が行方不明になったんです。
いえ、私の知らない子でしたし、家の場所もけっこう離れてました。その子は、
台風で学校が早く終わった日、家に戻ってから姿が見えなくなったんです。
その子のズックがなくなっていたので、自分から外に出たんですね。
大騒ぎになり、警察と消防でかなり広範囲を捜索しても見つからず、
2日たったときですね。学校から帰って夕飯を食べていた私が、
急に箸をとり落とし、「△△ちゃんが菜畑の地蔵様の堂にいる!」って
大声で叫びだしまして。そこは、田んぼの中にある粗末な地蔵堂なんですが、
私に霊感があるって知ってる家族が警察に知らせ、
そこを探したら、地蔵様の後ろに丸くなっている子どもを見つけたんですね。
はい、その子は衰弱してたものの、命に別状はありませんでした。

私のこと、地方版でしたけど、新聞にも載ったんですよ。
近所で評判になりましたし、親戚の中には、どこかの神社で修行させたほうが
いいんじゃないか、などと言う人もいました。ですが・・・
そういう力は、私が小学6年生になる頃には、すっかりなくなってしまったんです。
どうして、こんな話を長々としたかというと、このことが、
今、起きている出来事と関係があるんじゃないかと思うからです。
改めて、最初からお話していきますと、およそ1ヶ月くらい前ですね。
会社からの帰り、駅に向かっていたんです。時間は6時半くらいですか。
駅舎が見えたあたりで、歩いてる横から人が出てきて、
「これ、どうぞ」って何かを押しつけられたんです。はい、そのときは、
宣伝のテイッシュを配ってる人だと思いました。

で、そっちを見ると、白いローブみたいなのを着た女の人が、
通行人に混じって反対側に去っていく後ろ姿だけが目に入りました。
そのとき、少し変だなとは思ったんです、ふつうは、そういうテイッシュ配りの人って、
一ヶ所にいて、通行人に次々と配っていくものでしょう。手の中のものを見たら、
10cmうらいの、赤い布でできた巾着だったんです。けっこう高価そうに思えました。
それで、バッグに入れて、電車に乗って部屋に戻りました。
はい、アパートで一人暮らししてるんです。夕食を食べてお風呂に入り、
少しお酒を飲みながら録画してたビデオを見てたんですが、
あの巾着のことを思い出したんです。バッグから出してみました。
真っ赤な布は厚く、何か書いたりはしてませんでした。ヒモをほどいて開けると、
固い半透明のカプセルが入ってました。5cmくらいで、さらに中には、

緑の豆のようなのが見えたんです。カプセルの中央をためしにねじってみると、
固かったんですが何とか開いて、中からソファに植物の実に見えるものが落ちました。
ほら、野原を通ると、服にくっついてくる実があるじゃないですか。
ちょうどあんな大きさで、表面に毛が生えてました。指でつまもうとしたら、
チクリ、痛みを感じました。「あ、痛!」思わず放り出してしまいましたが、
指の腹にみるみる血の玉がふくらんできたので、カットバンを貼ったんです。
「何なのよ、これ!?」頭にきて、実は箸でつまんで、
巾着といっしょにゴミ箱に捨てました。その夜ですね、夢を見たんです。
いや、夢というか・・・少しずつ意識がはっきりしてきて、
目覚めた感覚がありましたが、なかなか目が開けられなかったんです。
それでもどうにか薄目を開けると、白いシーツが見えました。

私の部屋のとは違うものです。「あれ、ここどこ?」でも体が動きませんでした。
体が完全に横になってないというか、介護ベッドで、半身を斜めに起こしてるような
感覚があったんです。目に入ってくるのは自分にかかってるシーツと、
前のほうの壁。壁には色とりどりの布が垂れ下がり、
どれにも毛筆で字のようなものが書かれてましたが、私には読めませんでした。
ピーン、ピーンとゲームのような音がしていて、目の端にモニターが見えました。
あのほら、病院にある心電図なんかを記録してるやつ。
最初は、事故か急病で、私は病院に運ばれてるんだとも考えましたけど、
室内の飾りがまるで病院じゃなくて、宗教施設のように思えました。
聞こえてくる音はビーッと長くなり、カチリとドアが開く音がしました。
そっちを見ようとしたんですが、やっぱり体が動かない・・・

やがてベッドの前に、マスクをした看護師とスーツを着た年配の男性が現れ、
男性が口を開いて、「お目覚めでおられましたか、教祖様」って言ったんです。
「教祖様?」看護師が「今日もお血を抜かせていただきます」、
ベッドの脇にある点滴のスタンドの低いとこに袋をセットし、
私の胸のあたりに管をつなげようとしました。「やめて!」暴れたんですが、
やっぱり体が動かない。両方の手首が痛かったので、拘束されてたのかもしれません。
そうしてるうち、スタンドの袋にみるみる赤いものが溜まりはじめて・・・
そこで本当に目が覚めました。自分の部屋、自分のベッドです。
「ああ」安心して時計を見ると朝の5時過ぎ。指に痛みを感じました。
電気をつけて見ると、昨夜、植物のトゲが刺さったとこが腫れてたんです。
「どうしよう、会社を休んで病院に行こうか」でも、すぐに痛みは治まりました。

それで、会社には出勤したんですが、出掛けに、昨日あの実を放り込んだ
ゴミ箱の袋を丸めて大きいゴミ袋に移し、ダスターシュートに捨てたんです。
会社が終わる頃には、指の腫れは治まり、痛みはなくなっていました。
だから病院には行かなかったんですが・・・その日から、
毎晩夢を見るようになったんです。はい、あのベッドに繋がれている夢です。
ただ、その夜は血を抜かれるのではなく、輸血をされたんです。
交互だったんですね。血を抜かれ、また輸血され、血を抜かれる、不気味で、
しかもすごくリアルな夢。そのときは、誰に相談していいかわかりませんでした。
だって、夢は夢ですから。体調は、やや熱っぽい感じがすることもありましたが、
具合が悪いというほどでもなかったんです。あと、指はだんだんに治っていき、
それとともに、夢を見る回数も少なくなっていって、

ぱったりと見なくなりました。それで、一安心してたんですけど・・・
2週間ほどおいて、またあの夢の中にいました。ただ、いつものベッドでは
なかったんです。台座?のようなところに座っていて、やはり体は動きません。
私は高い場所にいるみたいで、何段も下の広間に、大勢の白いローブを着た人が
平伏していました。「ここ、どこ?」立ち上がろうとしましたが、体が引き戻され、
そのとき一斉に、平伏していた人たちが顔をあげたんです。その人たちは口々に
「教祖様!」と叫び、声をそろえてお経とも違う呪文のようなのを唱え始めました。
私はただそれを聞いているだけでしたが、だんだん頭がぼうっとしてきました。
前のほうの一人が何か四角いものを持って立ち上がり、
私のほうへと段を上ってきました。はい、それ、前に見たスーツの老人でした。
老人は私の前に来ると、うやうやしい声で、「教祖様、よくぞ復活されました」

そんなことを言って、手に持っていたものを私の顔の前に立てました。
それ、鏡だったんです。映っていたのは、宝冠みたいなのをかぶった皺だらけの老婆。
「キャーッ」大きな叫び声をあげ、そこで目を覚ましました。浴室に駆け込んで
鏡を見たら、いつもの自分だったんです。その後は、また夢は見なくなったんですが、
何かおかしいんです。妄想なのかもしれませんが、日常をずっと監視されているような
気がして。はい、電車の中、会社にいるとき、自分の部屋でもです。
部屋は、もしやカメラのようなものはないかと探したんですが、見つかりませんでした。
だから、気のせいと思い込もうとして・・・でも、一昨日の新聞をご覧になりましたか。
大きな新興宗教の女教祖が亡くなったっていう。気になってネットで検索したら、
その人、私が夢の中で鏡で見たのと同じ顔をしていたんです。怖くなって、
つてを頼ってここのことを知り、ご相談に来たんです。






石のオカルト3

2019.01.16 (Wed)
ということで、今回もしつこく石のオカルト話を続けます。
前回は海外版でしたので、本項は日本のものを中心にみていきたいと思います。
さて、日本の石に関わるオカルトで最大のものは、
なんといっても「殺生石」じゃないでしょうか。

那須の殺生石
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殺生石は、以前に妖怪談義で取り上げましたが、栃木県那須町の那須湯本温に
ある溶岩石のことです。下の画像のように、注連縄が巻かれて
結界が張られています。それほど大きいものではありません。殺生(せっしょう)は、
仏教における最も重い罪で、みだりに生き物の命を奪うことです。

この石のまわりでは、鳥獣の死骸が発見されることが多く、
付近には硫化水素、亜硫酸ガスなどの有毒ガスがたえず噴出しており、
その毒性にあたったためと考えられています。これらのガスは空気より重く、
地面を這うように広がるので、まず最初に、一帯に入り込んだネズミなどの
小動物がやられ、さらにそれを見つけて降りてきた鳥もやられてしまうんですね。

まあ、自然現象なんですが、言い伝えとして、この石は「九尾の狐」の
死骸が変じたものとされます。九尾の狐は、日本最大の妖怪とも言われ、
妲己という女に化けて古代中国の商王朝を滅ぼし、さらにインドに渡って、
耶竭陀(まがだ)国の王子の妃、華陽夫人となり、そこで暴虐のかぎりを
尽しましたが、聖人に正体を見破られて追い払われ、さらに中国から、

遣唐使船に乗って日本へ上陸したとされます。そのときは玉藻前と名乗り、
女官として鳥羽上皇に仕え、上皇をとり殺そうとします。
しかし、陰陽師、安倍泰成に九尾の狐の正体を見破られ、
関東の那須地方に逃げ出し、その地の武士たちによって討伐されます。

殺生石と玄翁和尚
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ですが、その死骸は、上記したように石と化して殺生を続けたため、
現地を訪れた高僧、玄翁(げんのう)和尚の法力によって打ち砕かれます。
今でも、金づちのことを「げんのう」というのは、この話からきてるんですね。
『奥の細道』には、松尾芭蕉がこの地を訪れたことが記されていますが、
芭蕉が九尾の狐の話を信じていたのかどうかは、興味深いところです。

天竺、中国、日本を股にかけた壮大な伝説ですが、真偽はともかく、
火山性ガスはひじょうに危険です。自衛隊の演習中に死者が出ていますし、
自分も、かなり前に秋田県の玉川温泉近くの山に入ったとき、
熊が倒れて死んでいるのを発見したことがあります。

さて、現代の話にいきます。昭和の時代の終わり頃に、
石に人が映るという話がちょっとしたブームになったのをご存知でしょうか。
まず、1つめは「新潟の童女石」。新潟県胎内市に、「越後胎内観音」という、
昭和42年に起きた羽越豪雨の犠牲者の冥福を祈るために創建された

大観音があるんですが、そこに参拝した人が帰り道で、
20cmばかりの気になる石を拾った。泥を落としてみると、
そこには少女に見える顔が浮き出ており、豪雨の犠牲者だと考えて、
観音堂に奉納したということになっています。

「新潟の童女石」
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この話は当時、週刊誌やテレビのワイドショーでも取り上げられました。
童女石は今でも、観音堂である「帰林殿」にあるようです。上の画像がそれですが、
「ただの石の模様だろう」などと言ってはいけないんでしょうね。
次は、茨城県守谷市にある「高野のお化け石」

これも、マスコミによってかなり報道されていましたね。
昭和50年の夏、高野の仲坪地区にある不動明王の石碑の前で
遊んでいた女の子が、「石碑の中に人が映っている」と言い出し、
近所の人が見にいくと、たしかにそう見えたので評判になったケースです。
見る人によって、映っているものが違うとも言います。

「高野のお化け石」
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この話には後日談があって、石碑が評判になったので賽銭箱を設置したものの、
箱ごと盗まれてしまったんですが、しばらくして、賽銭を返しに来た人がいる。
わけを聞くと、盗んだ人がその後、バイクで事故を起こして入院し、
「これはお化け石の祟りだろうから、かわりにお賽銭を返して来てくれ」
と頼まれたと言ったと、守谷市のホームページに載っています。

最後は、「京浜橋脚の女幽霊」。これ、昭和60年の読売新聞に載っています。
場所は、川崎市高津区千年の第三京浜。橘中前の交差点近くのコンクリートの
橋脚に、高さ3メートルほどの灰色のシミが現れ、女性の姿に見える。
シミが現れたのは昭和54年からで、その1年前に、同交差点近くで
少女が死亡した交通事故が起きています。

読売新聞の幽霊記事
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近所の人の話によると、深夜に問シミのある橋脚から、助けを求める女の声が
聞こえてくるという噂がだんだんに広まっていったそうです。
現在、その橋桁は塗りつぶされて新しくなっているみたいですね。
高速道路での事故の霊が壁などに映っているという話は他にもあります。

さてさて、ということで、現代の3つの事例を見てきましたが、
昭和の時代には、ワイドショーの中に心霊コーナーがあり、
一般紙も、けっこうな頻度で幽霊話を取り上げていたんです。
オカルトに寛容な時代だったんですが、オウム事件でそれが一変し、かわりに
スピリチュアルが勢力を伸ばしていくんですね。では、今回はこのへんで。

新しくなった現在の橋脚
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石のオカルト2

2019.01.15 (Tue)
前回に引き続いて石のお話ですが、今日はオカルトらしいオカルト話にします。
さて、石に関わるオカルトってすごく多いんです。なんでかと言うと、
石は動かず、壊れにくいためですね。ですから、
かなり古代からのものが、あちこちに残っているわけです。

石が関係する最大のミステリーと言えば、「ロゼッタ・ストーン」でしょうか。
ただし、これについて書いていると、それだけで本項が終わってしまいますので、
またの機会にして、もう少し下世話というか、オカルトらしいものを
取り上げていきましょう。最初はそうですね、「カブレラ・ストーン」

「カブレラ・ストーン」
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これは名前を聞いたことのある方もおられるでしょう。別名は「イカの石」。
南米ペルーの医師が1万点以上を所有するもので、中には、
恐竜と人間が共存する絵も存在し、オーパーツと見るむきもあったんですが、
実際は、現地人が石に彫刻して、古く見えるような加工を施したものだったんですね。
製作者が名乗り出ています。まあ、土産物レベルのものです。

次は何がいいでしょうか。「コスタリカの真球」がいいかな。
中央アメリカの、コスタリカの密林で発見された石の球体で、最大直径2m、
25tもあるものが見つかっています。製作年代は1500年ほど前。
日本だと、巨大な前方後円墳がつくられていた頃ですね。
すべてが真球であるとも言われましたが、そうではありません。

「コスタリカの真球」
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現地の古代人が、おそらく宗教的な目的で制作したものでしょう。
例によって、これは宇宙人が伝えた超技術であるという説もあるんですが、
そうではなく、古代人が大きな岩を一生懸命に磨いたものです。
中に黄金が詰まっているという噂が流れて多数が破壊され、
数が少なくなってしまいました。世界遺産リストに登録されています。

次、これは最近、話題になったもので、イギリスのマンチェスター博物館にある、
「動くオシリス像」。オシリスは、古代エジプト神話に登場する神です。
石像なんですが、くるりくるりと360度回転する様子が、
映像に収められています。まあでも、このタネはわかりますよね。

「動くオシリス像」 けっこう安くさい
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まず台座の底の部分が微妙に丸くなっていて、それが、
博物館周辺の交通などによる微小の振動で動かされていただけです。
監視カメラの映像は、ネットで探せば見ることができます。
次は何がいいでしょうか。あまりみなさんが知らないもの・・・うーん、
「シバプールの浮遊石」というのはどうでしょう。

これは、インドのムンバイ郊外のシバプール村にある重さ90kg程度の石で、
インドでは数少ないイスラム教寺院の所有です。
この寺院には、かつて、カマル・アリ・ダルヴィーシュという聖者がいて、
彼は死の前に、精神の力が筋力よりも優れていることを証明するため、
この石に呪をかけたとされます。

「もし11人の男が右の人差し指を石の下にさし入れ、私の名前を全員で呼んだら、
 私は石を頭上より高く上げるでしょう」下の画像がそれですが、
11人がそろってないとダメというところがミソです。観光客がぴったり11人に
なることはまずないので、中には現地人のサクラが入ります。で、その人たちが、
人差し指だけでなく、手のひらも使って持ち上げているんですね。

「シバプールの浮遊石」
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どんどんいきます。「ヘッジスの水晶髑髏」、これも有名ですよね。
通称は「ヘッジス・スカル」。イギリス人の探検家、F・A・ヘッジスが、
1927年に、中央アメリカ、ベリーズ南部の古典期の遺跡ルバアントゥンで
発見したと伝えられるもので、呪いがかかっているとも言われます。

ですが、2008年、スミソニアン研究所で精密な調査が行われ、
電子顕微鏡による検査で、スカルの表面にはダイヤモンド研磨剤による
切断跡が確認され、ドリルの跡も見つかりました。結局、19世紀末以降に、
レンズ研磨技術が発達していたドイツで加工された
ものであることが判明したんですね。残念です。

「ヘッジス・スカル」
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「ホープ・ダイヤモンド」 。現在スミソニアン博物館の附属施設のひとつである、
国立自然史博物館に所蔵されている45.52カラットのブルー・ダイヤモンドで、
所有したものは、死ぬか、それに匹敵するほどの破滅に
見舞われるという伝説がつきまとっています。

呪いの伝説では、ヒンドゥー教寺院に置かれた女神シータの彫像の目に
はめられていた2つのうちの1つを盗まれ、それに気づいた僧侶が、
あらゆる持ち主に呪いをかけたとされます。最初にダイヤを手に入れたフランス人は、
伝説では狼に食い殺されたことになっていますが、実際は84歳で老衰死です。

その後、ダイヤはヘンリー・フィリップ・ホープに買収され、
その一族に受け継がれたため、ホープ・ダイヤモンドと呼ばれるんですね。
もちろん、伝説のほとんどは真実ではありません。ただし、
たいへんに高価なものですので、その周囲にはつねに欲望が渦巻いていたため、
事件が起きるのはべつに不思議な話ではないですよね。

さてさて、そろそろ予定の字数がつきようとしています。これ以外にも、
日本の石の話もあるんですが、そこまでいきませんでした。
もし、みなさん興味があるようでしたら、続きを書きたいと思います。
では、今回はこのへんで。 

 関連記事 『石のオカルト』

「ホープ・ダイヤモンド」
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シャボン玉の話

2019.01.14 (Mon)
※ ナンセンス話です。

あの、名前は山根って言います。中学3年生です。よろしくお願いします。
今、僕、冬休みなんですけど、休みに入る前にすごく変なことが起きて・・・
12月の最初の週の金曜日に、期末テストがあったんです。
その金曜の朝です。僕、テストの日は普段より早い時間に学校へ行くように
してるんです。はい、社会の年号とか、数学の公式とか、
そういう大事なことを教室で確認するんです。
それでですね、僕、自転車通学で、いつも土手の上の道を通っていくんです。
土手って言っても、車は通れないけど、ちゃんとした舗装道路で、
通学路なんです。それで、その日の朝の7時ちょっと過ぎくらいでした。
いつもより30分以上時間が早かったから、通る人はほとんどいませんでした。
そこを自転車を漕いでいくと、前のほうがすごくキラキラしてたんです。

最初は何だかわかりませんでしたけど、たくさんの透明な丸いものが、
風にのって漂ってたんです。はい、シャボン玉だと思いました。
大きいのも小さいのもあって、どれも朝日をうけて虹色に光ってましたよ。
どっから流れてくるんだろう、と思って見てると、
土手の下から風に吹き上げられてくるんです。ただ・・・
ちょっとありえないくらい大量なので、人が吹いて飛ばしてるんじゃない
と思いました。自転車を止めて、手すりから川をのぞき込んでみると、
大量のシャボン玉が、前方の川面の上を飛んでて、
対岸のほうから流れてきてたんです。はい、対岸はくすんだ色の高い塀が
続いてて、それ、化学肥料の工場のものなんです。よく見ると、
シャボン玉はその工場の塀をのりこえて出てきてるみたいでした。

変なこともあるなあと思いながら、また走っていき、
土手の上の道の前のほうにシャボン玉が流れてるところに来ました。
このまま進めばシャボン玉に突っ込んじゃうと思いましたけど、
そのときは、たいしたことだと思わなかったんです。スピードをあて通り抜けました。
いや、体にあたった感触はほとんどなかったんですけど、
顔の前に1個大きのがきて、頭を下げてそれをよけようとしたとき、
かすかに顔にしぶきがかかった気がしたんです。特別、においとかはしませんでした。
けど、右の目がチクチクって痛んだんです。ああ、石鹸?が入っちゃたかな
と思いました。たいしたことはなかったです。そのまま学校に着いて教室に入ったら、
僕みたいに早く来て最後の確認をしようとしてるクラスメートが何人かいました。
カバンを置いて、トイレに行きました。はい、目を洗おうと考えたんです。

トイレの鏡を見ても、目は赤くなったりはしてなかったです。
冷たい水で顔を洗って、しゃきっとしたところで、教室に戻って最終チェックを
始めました。大事なところだけをまとめたノートを作ってて、
それを見てたんです。そうしてるうちに、だんだんに教室に人が増えてきて、
同じ土手の上を通ってる友だちが来たので、「シャボン玉たくさんあったよな?」
って聞きました。でも、友だちは「何だそれ?」って反応だったんです。
朝のホームルームが始まり、1時間目になりました。最初のテスト科目は
数学でしたね。僕、あんまり数学得意じゃなかったんです。
計算問題はいいけど、応用問題や図形の証明が苦手で、
いつも時間がなくなっちゃうんです。そのときも、最初に計算問題を全部やったら、
残りが20分くらいになりました。それで、応用問題はどれも難しくて、

3つ、わかんないのが残っちゃったんです。時間がないので、
ああ、これはダメだなって思ってふっと顔を上げたら・・・
前の席の生徒の頭がふくらんで見えたんですよ。ほら、テストのときって、
ふだんの座席から、出席番号に並び変えるじゃないですか。それで、僕の前の席は、
普段あまり話したことがない男子で、成績は学年でトップクラスだったんです。
その人の頭が、ゴムボールを押しつぶしたみたいに、横に広がってたんです。
「えっ!」あっけにとられて見てると、今度は少しずつ縦方向にも
ふくらんでって・・・そのときです、数学の問題の答えがわかったんです。
それも、3つとも同時にです。自分で考えたっていうより、
急に解き方が頭の中に流れ込んできた感じです。
必死になって用紙に解答を書き込んで、全部終えたときチャイムが鳴りました。

それで、テスト用紙回収のときに見たら、前の人の頭は普通だったんです。
テストは、2時間目英語、3時間目社会って進んでいきましたが、
休み時間は何でもないのに、テスト中は前の人の頭がふくらんで伸び縮みするんです。
いや、前の人だけじゃなく、テスト中だからあんまりまわりを見ちゃいけないんだけど、
他の人もそうだと思いました。夢中になってテストをカリカリ書いている頭が、
普段の倍くらいにふくらんで伸び縮みしてる・・・
もちろん変だとは思いましたけど、誰にもそれは話しませんでした。
休み時間は何でもないんだし、みんなトイレに行ったり、
参考書を見たりで忙しそうで。それと、もう一つ、変っていうか、
その日のテストはすごくよく書けたんです。いつもは、わからなくて無解答になってる
部分があるのに、そこまで全部埋めることができてて、

これが不思議なんですけど、数学のときと同じで、なんか答えが頭の中に流れ込んでくる
気がしました。社会なんか、まあ出ないだろうと考えて、
あんまり勉強してないとこが出題されたんですが、その答えが頭に浮かんだんです。
自分でも記憶にない言葉なのに・・・そういう具合で、午前中の4時間が終わり、
給食をはさんで5時間目の理科になったんです。理科は得意なほうだったんで、
どんどん書いてって、最後の問題を残して、けっこう時間があまってました。
それで、まわりの生徒なんですが、どの人もますます頭が大きくなって・・・
ほら、お祭りで売ってる宙に浮く風船があるじゃないですか。あれくらい大きくなって、
ふらふらと揺れてたんです。でね、テスト監督の先生が前にいますよね。
その先生の頭は普通で、生徒の頭が大きくなってるのに気がついてる様子がないんです。
それで、これは僕にだけそう見えるんだろうって考えました。

で、理科の最後の問題なんですが。これがなかなかの難問で、
解けなかったんです。前と同じように答えが頭に流れ込んでくることもなくて。
まあでも、1問くらいいいやと思ってました。それまでの出来がよかったので、
今回はかなり順位が上がるだろうなって考えて・・・
それで顔をあげると、前の人の頭がすごく大きくなってたんです。
いや、気球みたいで、直径1m以上あったと思います。それだけじゃなく、
両側の前のほうにいる生徒の頭も天井につくくらい大きくなってゆらゆらゆら・・・
急に、前の生徒の頭が「ボムン」みたいな音をたてて爆発したんです。
あっちでもこっちでも「ボムン」 「ボムン」 「ボムン」 「ボムン」
その音に終了のチャイムの音がかぶさって、すごく頭が痛くなりました。
それで、手で自分の頭をさわった瞬間に、ボムンって。

そっからのことは覚えてないです。気がついたら、保健室に寝かせられてたんです。
しばらくして、うちの母親が来ました。保健室の先生と担任が母親に、
「テストで緊張しすぎたのかもしれません」みたいな話をしてました。
それから母親に連れられて、総合病院の救急に行ったんですが、
検査をいろいろ受けても、特別異常はなかったんです。
後から母親に聞いた話だと、先生方が救急車を呼ぼうとしてたときに、
僕の意識が戻ったみたいでした。テストも終わったので、土日はゆっくり休みました。
そのときに、何で友だちの頭があんなふうに見えたのか、
もしかして僕の頭もふくらんでたのか考えて。でも、いくら考えてもわかりませんでした。
ただ、もしかしてなんですが、ほら、朝にシャボン玉を見たでしょう。
あのときに、変な化学成分みたいなのを吸い込んだのかもしれないって。

それで、月曜日に登校して教室にいたら、まだホームルーム前なのに、
担任が顔を出して僕を呼んだんです。職員室に連れていかれて、
テスト用紙を見せられました。はい、担任は社会の先生なので、僕の社会の答案です。
それがですね、解答欄は全部埋まってたものの、見たこともない、
日本語どころか英語でもない、ミミズののたくったようなのが書かれてたんです。
「これ、どうしたんだ? あの日、具合が悪くなって倒れたけど、
 それと関係あるのか?」って聞かれて、返事のしようがありませんでした。
後になってわかったんですが、5教科全部がそうだったんです。
必死になって、あの日に起きたことを説明しました。信じてもらえなかったですけど、
僕がふざけてるわけでもないということで、期末テストはノーカウント。
中間テストと平常点で成績をつけるってことになったんですよ。






石のオカルト

2019.01.13 (Sun)
今回はこういうお題でいきます。みなさんは普段の生活の中で、
石について意識されることってありますでしょうか?
ふつうはないんじゃないかと思います。で、自分はというと、
おそらくみなさんよりも、石に関わりのある生活をしてるんじゃないかな。

水槽の石組レイアウト
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というのは、一つには、自分がアクアリストだからです。
自分の家には大型の海水水槽がありますが、その他に、45cmや60cmの
淡水の水草水槽もあるんです。中には流木や石を入れますが、
そういうレイアウト素材を、たまにヤフオクとかで見てるんですね。
気に入ったのがあれば注文したりもします。

それと、自分は大学時代に考古学を専攻しまして、旧石器時代の打製石器から、
古墳時代の石製品まで、いろんな遺物を手にとって調べてきました。
ちなみに、歴史区分に、なんで木器時代ってないかわかりますよね。
石は、石同士をぶつければ加工できますが、
木を加工するには、石器や金属器が必要だからです。

さて、石の中には神聖なものがあり、この考え方は世界各地で見られますが、
日本では、「磐座 いわくら」という形の祭祀遺跡が多いですね。
磐座をWikiで見ると、「古神道における岩に対する信仰のこと。
あるいは、信仰の対象となる岩そのもののこと」というふうに出てきます。

古代の磐座
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これは大きく2つに分けて考えることができます。
一つは、岩そのものが神である場合。日本では、動植物だけでなく、
無生物である石なども神性を持っていると考えられてきました。
山の中などで奇岩に出会って、そこに神を感じとります。

もう一つは、石を神の「依代 よりしろ」、つまり神が降臨するものと
考える場合です。ここで少し古神道の基礎知識を述べると、
石に神が降りる場合を「磐座」、高い常緑樹に神が降りるものを
「神籬 ひもろぎ」と言うんです。どちらも、注連縄によって結界が張られます。

さて、日本神話では、石は、変わらないもの、長命なものの象徴でした。
石長姫(イワナガヒメ)は、国津神である大山祇神(オオヤマツミ)の娘で、
天から降り立った瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に、大山祇神は、姉の石長姫、
妹の木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の2人を、妃として差し出しました。

石長姫と木花開耶姫
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ですが瓊瓊杵尊は、木花開耶姫だけを受け取り、
石長姫は醜かったので返してしまったんですね。大山祇神は嘆息して、
石長姫は岩のように長い寿命の象徴、
木花開耶姫は花が咲き誇る繁栄の象徴だったのに、
石長姫を返されたので、天孫の寿命は短くなるでしょうと告げます。

ここまでは『古事記』からの話ですが、『日本書紀』では、
返された石長姫が、妊娠した妹の木花開耶姫を呪ったため、
瓊瓊杵尊との子どもである人間の寿命が短くなったとされています。
ただ、現在では、どちらも縁結びの神とされることが多いですね。

さて、ここまででだいぶ長くなってしまいましたが、石にまつわるオカルトを
ご紹介していきます。「石・オカルト」で検索すれば、
まずひっかかってくるのが「パワーストーン」です。このブーム、
けっこう長く続いてますよね。自分が知ってるオカルトショップでは、
売り上げのかなりの部分を支えています。

パワーストーン
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パワーストーンは、宝石(貴石・半貴石)の中でも、
ある種の特殊な力が宿っていると考えられている石のことで、
その石を身につけているとよい結果がもたらされると言われます。
その効果は、石の種類によって違いますし、
ペンダントや数珠に加工されて販売されることが多いです。

これ、由来はアメリカです。「ニューエイジ・ムーブメント」はご存知でしょう。
ビートルズがヒゲを生やしてインドに行ったりした、1970年代初頭の
ヒッピー文化ですが、その頃、石には特別な癒やしの効果(ヒーリング・パワー)
があるとして注目され、それが日本にも伝わってきました。

いっぽう日本でも、古代から滑石や蝋石、翡翠などを加工して玉にする技術があり、
勾玉なんかは、あの形に特別な呪力が込められていると考えられました。
まあ、パワーストーンには科学的な根拠はなく、怪しいオカルトと言われれば
そうなんですが、本格的な宝石に比べれば安価なものが多く、
持っていて悪いということもないような気がします。

あとはそうですね、「蛇石」なんてのをご存知でしょうか。
下図のようなもので、観賞用の石です。自然に蛇の模様が浮き出たと
言われるものの、加工されている場合もあるようです。縁起物として、
座敷の床の間に飾られたりしますが、効果のほどはわかりません。

蛇石
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最後は墓石。墓石の伝統は古く、遺体の埋葬地の上に石を立てたものを、
「支石墓」と言います。日本では縄文時代晩期ころから見られるようになり、
朝鮮半島経由で伝わったようです。墓石にも「墓相 ぼそう」というのがあり、
これは中国の風水からきた考え方です。
それによって、子孫の生活に影響が出たりするなどとも言われますね。

縄文時代の支石墓
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さてさて、ということで、石について見てきました。
「亡くなった子どもの顔が浮かぶ石」とか、そういうのも取り上げようかと
思ったんですが、かなり書く内容があったので、
また次の機会とします。では、今回はこのへんで。




中国の幽霊

2019.01.13 (Sun)
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今回はこういうお題でいきます。なんか最近、中国の話が続きますが、
特に他意はありません。2016年、リメイクされたアメリカ映画、
『ゴーストバスターズ』が、中国で公開を禁じられて話題となりました。
理由は、「幽霊が出ているから」です。

共産党の一党独裁下の中国では、思想統制があります。
それにはいろんな内容が含まれるんですが、その一つに、
「幽霊の話を流布することの禁止」があるんです。ですから、
中国国内でつくられる映画やテレビドラマでも、当然、幽霊は禁止です。

理由としては、「幽霊話は、人間の心理をおかしくしたり、
幻覚を起こしたり、夢に働きかけたりするから」という、
まあ、これだけ見れば納得できそうな気もする内容です。ですが、
『ゴーストバスターズ』は本格的ホラーではなく、コメディですよね。
でも、それでも原則に照らして禁止されてしまうんです。

では、中国にホラー映画はないかというと、あることはあります。
ストーリーの最初のほうで、幽霊らしきものが出てきたりもするんですが、
最後の謎解きで、それは生きた人間が扮装していたものだったり、
心理的な錯覚だったことが種明かしされてしまう作品が多いんです。
ですから、厳密にはサスペンス映画、スリラー映画なんですね。

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これ、自分は、すごく残念なことだなあと思っています。
東洋の幽霊に対する感覚は独特で、アメリカのハリウッド製ホラーとは
かなり違っています。ジャパニーズホラーは怖いと言われて、
アメリカでも有名になりましたが、東洋のホラーには独特の怖さがあります。

このことは、韓国やタイのホラー映画にも言えます。
中国にも、才能のある映画監督はたくさんいますので、
そういう人たちが、自由に幽霊をあつかった作品をつくったら、
かなりのものができると思うのに、じつにもったいない話です。

あと、中国の映画では、超能力も禁止されているみたいですね。
以前の記事で、「キョンシー」の話をしましたが、あれは香港でつくられた
イギリス映画です。『チャイニーズ・ゴーストストーリ』もそうですね。
これからは、香港でも幽霊の映画はつくられなくなるのかもしれません。

ただ、幽霊はダメでも、「妖怪」はかまわないみたいです。
中国では『西遊記』がアニメ化されていますが、あれに出てくる
牛魔王とか白骨夫人は妖怪なんです。孫悟空は中国の一大ヒーローで
たしか北京オリンピックの広報映像にも出てきてました。

さて、中国では、1966年から、毛沢東による文化大革命が行われ、
「横掃一切牛鬼蛇神 (一切の牛鬼蛇神を一掃せよ)」のスローガンのもと、
長い歴史を持っていた精神文化の多くが、迷信として破壊されてしまいました。
現在、文化大革命は共産党によって批判されていますが、
そのときの思想統制が、幽霊などでは、いまだに続いているのかもしれません。

「人民日報」の文化大革命スローガン
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うがった見方をすれば、幽霊がいるということは、
人間には魂があり、死後の世界があるということになります。
そういう精神世界を完全に否定してしまうと、信じることができるのは
この世だけ、お金と権力だけということになってしまわないでしょうか。
ですから、現在の中国では拝金主義が横行しているわけです。

では、中国の古代の幽霊の概念はどうだったでしょうか。
4世紀晋代の『捜神記』から、17世紀の清代の『聊斎志異』まで、
ふつうに幽霊の話が出てきますし、『三国志演義』では、
死んだ関羽が幽霊になって、自分を殺した相手にとり憑いたりしています。
ああいう古典作品まで否定されてしまうんでしょうかねえ。

中国の「鬼節」(お盆)
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さて、中国では「幽霊」という言葉は一般的ではありません。
歴史的には、「鬼 キ」という語がそれにあたりますが、
ただ、「鬼」という言葉を直接口に出すのは縁起が悪いとされ、
かわりに「好兄弟」と呼ばれたりしていました。

あと、古典に出てくる中国の幽霊は、大部分が若い娘なんです。
病気で亡くなった美しい娘が、恋人とふたたび会うために幽霊となって出てくる、
「牡丹燈籠」みたいな話が多いんです。まあでも、これは日本でも、
ハゲたおっさんの幽霊なんかは出てこないのと同じなんでしょうね。

若い娘の幽霊
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さてさて、ということで、まとまらない話になってしまいましたが、
現代の中国人に幽霊の話をすると、「何をバカバカしい」みたいな顔を
されます。「夜道や墓地を一人で歩くのは怖くないか」と聞けば、
「犯罪の被害に遭うのが怖い」と返されてしまいます。

これ、自分はある種の実験みたいなものじゃないかと思ってます。
魂や地獄・極楽、人の怨念などの霊的なものを一切信じない国家が、
いったいどこへ向かっていくのか。行く末を注目していきたいですね。
では、今回はこのへんで。

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猫道の話

2019.01.11 (Fri)
今晩は。じゃあ話を始めさせてもらいます。僕、小学校の教員をしてるんです。
はい、音楽をのぞいたすべての教科を教えてますけど、
大学で専攻したのは社会で、歴史が専門なんです。
ですから、趣味は地方史の研究です。ジジ臭いって言われることもありますけど、
これがねえ、けっこう面白いんです。例えば、地元にあるお稲荷さんは
いつごろできたかとか、この地域にいた戦国武将は誰で、
どんな合戦をしたのかとか、調べ始めると興味はつきないです。
研究の進め方は、まず図書館に行くことですね。
そこで、江戸時代以前の古文書を見せてもらいます。貸出不可のものです。
もちろん、変体仮名で書いてあるものが多いですが、
それは大学で勉強してだいたいは読めます。

あとは、先人が書いた地方史の本を読むことですね。これも、図書館専門です。
いや、そういう本って、目の玉が飛び出るほど高価いし、
僕の給料で買えるとしても、東京の古書店から取り寄せになってしまいます。
ですから、週末はほとんど図書館通いですね。
それならほとんどお金はかからないし、人からもいい趣味って言われます。
それで、3週間前の日曜日のことです。その日も市立図書館に行って、
郷土史本がまとまってるコーナーから、1冊を選んで閲覧室で読んでたんです。
あ、本の題名は『烏円奇譚集』という変わったもので、そのとき初めて
読み出したんです。いや、古文書じゃなく大正時代に書かれたものでしたね。
しばらく読み進めていったんですが、どうもよく意味がつかめませんでした。
おかしいなあと思って、後書きを見ようとしたとき、

はらっと、机の下に紙が一枚落ちたんです。しおりかなと思って拾い上げたら、
新しい和紙に、変体仮名が筆字で書いてたので読んでみました。
これ、昔の文章だったんで、現代語に直して話しますけど、
「一、○○神社の鳥居を一度だけ逆側から通り抜けろ 
二、△△家の板塀に沿って西に向かえ 三、☓☓公園の枡形遊具の一番下をくぐれ
そうすれば大いなる幸運が訪れるであろう」・・・こんな内容だったんです。
変だと思いますよね。変体仮名で古文で書いてるけど、☓☓公園はできてから、
まだ10年くらいしかたってないんです。で、ちょっとわくわくしました。
1から3の場所は、道はやや遠回りになりますけど、アパートに帰る途中にあるんです。
あ、はい、図書館へは自転車で来てたんですよ。
だから、書いてるとおりに行ってみようと思ったんです。

いやまあ、それで幸運が舞い込むとかは信じてませんでしたけど。
その本は意味がわからなかったので書架に返して、夕方の4時ころまで
別の本を読んでました。その帰りです。紙は本の中に戻しましたけど、
書いてたことは頭の中に入ってました。まず、○○神社だったよな、
「鳥居を一度だけ逆側から通る」ってどういうことだろう?
その神社は、ちょっと高い丘の上にあるんで、坂の下に自転車を停め、
石段を上っていきました。そしたら鳥居があったんで、わざとくぐらず、
横の藪を通って向こう側に出て、それから石段を下りて鳥居をくぐりました。
これで、1回だけ逆から通ったことになりますよね。それで、鳥居から出たときに、
何だか奇妙な感じがしたんです。うーん、うまく言葉では表現できないんですが、
あたりの空気が湿っぽく感じたっていうか・・・

で、また自転車に乗って、△△家のほうへ向かいました。△△家は、この地方で
江戸時代から続く造り酒屋なんです。敷地も大きくて、四方に黒い板塀が
たてまわしてある。西に向かうには、△△家の裏側を通らなくちゃならないので、
塀に沿って自転車でゆっくり走っていったんです。そしたら、塀の中から大きな
松の木の枝が道路に張り出してるところがあり、頭を下げてそれをくぐったら、
また、何とも言いようのない感じがしたんですよ。一瞬、体温が高くなったみたいな
感覚です。でも、熱っぽいというのとはまた違う。自転車がふらついたので、
しばらく立ち止まってたら治りました。それで、最後の場所、
☓☓公園に向かったんです。はい、かなりの広さのある公園で、
僕が勤めてる小学校の児童もよく遊んでる場所です。
ですが、日曜の夕方ということで、中には人影はありませんでしたね。

鉄柵の外に自転車を置いて、中に入ってみました。遊具はブランコや滑り台、
いろいろありましたけど、たしかあの紙には、「枡形遊具の一番下をくぐれ」
って書いてまして。これもすぐにわかりました。枡形ってのは四角いってことでしょう。
だったら、ちょうどジャングルジムがあったんですよ。ですけど、
一番下は、とうていくぐれそうにはなかったです。枠の高さがなくて、
小学校以下の幼児じゃないと体が入りそうもなかったんです。
物好きもここまでだなって思いました。まあでも、ためにし頭を低くして、
一番下の枠から向こうをのぞいてみたんです。そしたら、
どういうことか今だにわかりませんけど、そこ、するっとくぐれちゃったんです。
僕は体も大きいほうだし、ありえないんですけど。で、そっから、
夢の中にいるというか、自分が自分でないというか、そんな状態になりました。

とにかく、何かに呼ばれてる気がしたんです。公園の外に出てどんどん走りました。
はい、自転車は公園に置いたまま、自分の足で、とっとこ、とっとこ駆けてたんです。
いや、すごく体が軽い気がしました。それと、これも今にして思えばですが、
視界がなんか変だったんです。すごく低い、まるではいはいしてる赤ちゃんが
町の中を見てる感じで。それから、人の家の庭や、用水路のフタの上、
草むらなんかを通り抜けて、大きなお屋敷の庭みたいなところに出ました。
一度も来たことのない場所です。で、そこに猫がたくさん集まってたんですよ。
そうですね、20匹くらいはいました。毛並みや汚れ方からみて、
どれもノラ猫なんだと思います。そいつらがいっせいに、お屋敷の縁側に向かって、
にゃーんって鳴いてたんです。で、ややあって、
縁側の雨戸が開き、一人のおばあさんが出てきたんですよ。

たぶん70歳は過ぎてたと思いますが、若い人が着るようなドレス・・・
夜会服って言うんでしょうか、それを着てまして、あと、顔はすごい厚化粧で、
つけまつげなんかもしてたと思います。それと、金髪のかつら。
鼻の横に大きな黒いほくろもありましたね。とにかく異様としか言いようがないんです。
そのおばあさんが、「さあ、お前たち、今日もよく来たな」そう言って、
持っていたボウルから、小魚、たぶんイワシの稚魚かなんかを、
猫たちに向かって撒きはじめて。はい、猫はいっせいに群がって食べてましたけど、
それ見てて、ああ、僕もほしいなって思ったんです。
で、おばあさんは餌を全部撒いてしまうと、「お前たちの中から、今回も一人もらうよ」
優しい声でそう言って、ちょうど僕の隣りにいた白猫を抱き上げ、
家に中に入っていったんです。そこで、気がついたっていうか・・・

はい、僕、あの☓☓公園のジャングルジムの前に、寝そべるようにして倒れてたんです。
はっとして起き上がりましたけど、口の中がべちゃべちゃして生臭くて。
吐いてしまいました。そしたら、あの家でおばあさんが撒いてた小さい魚、
その尾っぽが出てきたんです・・・・公園の水飲み場で口をゆすいで、
それから自転車に乗って部屋へ戻りました。
何事が起きたのかよくわからなかったです。まあ、今でもわからないんですが。
それで、ほら、本にはさまってた紙には、「大いなる幸運が訪れるであろう」
ってあったんですけど、特にそれらしいことはなかったですね。
いやまあ、もしかってこともあるから、宝くじを買ってみようとは考えてます。
それで、先週の土曜日ですね。また市立図書館に行きました。
この間見た、『烏円奇譚集』を探しましたが、書架には見つかりませんでした。

そのときも、夕方まで地方史関係の本を読んでまして、
そろそろ帰ろうと思って、本を返しにいったんです。そしたら、
書棚のところにすごく背の高い女の人がいたんです。そうですね、
179cmある僕よりまだ高い。その人は古風なドレスを着てて、長い金髪でした。
そのときに、前にあの屋敷で見たおばあさんを思い出したんです。けど、
おばあさんは背が小さく太ってたのに、その人はすらっとした体型でした。
僕が立ち止まっていると、その人はふり返ってこっちを見たんですが、
青い目の外国人で、肌が抜けるように白かったです。あと、
あのおばあさんと同じ場所、鼻の横に黒いほくろがあったんです。
その人は、僕に目を向けると軽く会釈をし、「この間は母がお世話になりました。
 ぜひともまた、うちにお寄りください」って言ったんですよ。






天皇退位と怨霊

2019.01.10 (Thu)
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今回はこういうお題でいきます。これもけっこう地味な話になりそうです。
さて、2017年に公布された「皇室典範特例法」にのっとり、
今上陛下は、2019年4月30日に退位し、5月1日に、
皇太子徳仁親王殿下が即位して、新元号への改元を行うことが決定しています。

なんで特例法が必要だったかというと、皇室典範には、
「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」とあるためです。
つまり天皇は、崩御するまで天皇でなくてはならず、生前の退位は認められて
いなかったんですね。これは、1889年(明治22年)に、
大日本帝国憲法と同時に発布された旧皇室典範から続く規定です。

では、どうしてこういう規定ができたのか。これにはいろんな要因があります。
まず、明治期には、富国強兵政策を推し進め、欧米列強国と伍していくため、
権力の一点集中が必要とされました。明治政府は、
絶対的な天皇の権威を背景として、さまざまな改革を行っていきます。

もう少しわかりやすく説明すると、もし、天皇の生前の譲位が認められれば、
先の天皇は上皇となって、権威が分散してしまうことが危惧されたんですね。
中央政府とは別の勢力が、上皇を担いで反乱を起こす可能性があります。
そのてのことは、長い天皇家の歴史の中で、なかったわけではありません。

また、もし生前退位が認められていると、やはり外部勢力が、
現天皇が気に入らないからといって強制的に退位させたり、また天皇自身が、
自分から退位してしまう可能性もあります。江戸時代の後水尾天皇は、
「紫衣事件」など、天皇の権威を失墜させる江戸幕府の行為に耐えかね、
幕府に対する腹いせで譲位しているんです。

後水尾天皇


そのような事態を防ぐため、明治以来、天皇は、崩御されるまで
ずっと天皇位にいなくてはなりませんでした。今回の生前退位も、
皇室典範そのものの改正も検討されましたが、上記のようなことのため、
特例法で対応することになったんですね。

ちなみに、昭和天皇までの124代の天皇のうち、生前退位は、
半分に近い58回あったとされます。その最初は、645年に35代皇極天皇が、
弟の孝徳天皇に対して行ったものです。また、最後に譲位が行われたのは、
江戸時代後期の1817年で、今回はほぼ200年ぶりということになります。
今上陛下の退位後の称号は「上皇」、退位した天皇の后は「上皇后」です。

孝徳天皇(軽皇子)


さて、みなさんは「院政」という言葉を学校の歴史の授業で勉強されたと
思いますが、院政とは、「天皇が皇位を後継者に譲って上皇となり、
政務を天皇に代わり直接行う形態の政治」のことで、
1086年に、白河天皇が譲位して白河上皇となって始まりました。
上皇のことは「院」とも呼ぶので、院政という言葉ができたんです。

また、「法皇」という言葉もありますが、これは上皇が出家した場合に
用いられます。では、「治天の君」という言葉はご存知でしょうか。院政期には、
頻繁に譲位が行われ、同時に上皇3人に天皇1人がいたときもあります。
それだと世の中が混乱しますよね。そこで、天皇家のトップとして、
実質的に政務を行った人物を、治天の君と呼ぶようになりました。

治天の君は、上皇の1人だったことも、現役の天皇だったこともあり、
上皇が治天の君の場合は院政、天皇だった場合は親政と呼びます。
・・・ここまで長々と説明してきましたが、いったい何人の方が
読んでくださってるでしょうか。やっと怨霊の話に入ることができます。

怨霊と化した崇徳上皇
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保元元年(1156年)、鳥羽天皇が崩御すると、崇徳上皇と後白河天皇の
兄弟が治天の君の座をめぐって争い、後白河天皇が勝利しました。
これが「保元の乱」ですね。戦いに敗れた崇徳上皇は、剃髪して投降しますが、
讃岐国へ流罪となります。上皇が配流されるのは400年ぶりのことでした。

ここからは『保元物語』からの話です。讃岐国での軟禁生活の中、
仏教に深く傾倒した崇徳院は、五部大乗経を写経して、自らの反省と
戦死者の供養のため、写本を京の寺に収めてほしいと朝廷に差し出しましたが、
弟の後白河院は「呪詛が込められているのではないか」
と疑って受け取りを拒否、写本を送り返してよこしました。

後白河上皇(法皇)


崇徳院は激怒し、舌を噛み切った血で写本に、「われ日本国の大魔縁となり、
皇を取って民とし民を皇となさん」 「この経を魔道に回向す」と書き込み、
朝廷を呪って爪や髪を伸ばし続け、生きながら天狗になったとされています。
また、崇徳院の亡骸を収めた棺からは、
蓋を閉めていても血があふれ出てきたともあります。

一説には、崇徳院の死は、朝廷が送った刺客による暗殺だという話もあるんです。
この後、大火や源平の戦いが起きて、世の中は乱れに乱れ、
崇徳院の怨霊のしわざという噂が広まり、ついに後白河院は、
怨霊鎮魂のため、「讃岐院」の院号を「崇徳院」に改めることになります。

経文を血で染める崇徳上皇
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それでも怨霊の猛威はやまず、崇徳院が变化(へんげ)した大天狗は、
『太平記』や、上田秋成の『雨月物語』などの作品に登場しています。
明治天皇は1868年、自らの即位にあたり、勅使を讃岐に遣わし、
崇徳天皇の御霊を京都へ帰還させて、白峯神宮を創建しました。

さてさて、ということで、天皇の譲位、生前退位は、不幸な歴史を背負って、
怨霊まで生み出してしまっているんですね。
まあ、現代の世にそういうことはないとは思いますが、このような背景から、
各方面から危ぶまれていたわけです。では、今回はこのへんで。






天命思想と万世一系

2019.01.09 (Wed)
今回はこういうお題でいきます。あんまり面白い内容にはなりそうもないので、
スルーされたほうがいいかもしれません。さて、「天命思想」というと、
中国4000年と言われる歴史をつらぬく概念です。
一方、「万世一系」は日本の天皇家の話ですよね。

傾城の美女「褒姒」
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まず、天命思想のほうから説明していきます。中国の根本的な宗教は「祭天」、
天を祭ることです。天には「天帝」がいます。じゃあ天帝って何かというと、
これが難しいんですね。というのは、道教の最高神が天帝とされるのが普通ですが、
時代によって異なるんですよね。古い時代は「元始天尊」が天帝とみられて
いましたが、後代には「玉皇大帝」に変わっています。

これ以外にも、天帝とされる神はいます。イスラム教だと、唯一神アッラーは、
絵や彫刻で描いてはならないと戒律で定められていますが、
中国の天帝も、基本的に絵で表すことはしません。
天帝というのは、頭上に果てしなく広がる天空そのものだからです。

天帝は、人界に住む人間の一人ひとりに対して「天命」を授けます。
その人間が、一生をかけてやり遂げなければならない命令のことです。
例えば、農夫として一生畑を耕すというのも天命です。また、
天帝は徳の高い人間を選び、地上の支配者である皇帝としての天命を下します。
中国の皇帝を「天子」と言いますが、天帝の子という意味なんです。

この思想は古く、殷周時代から見られます。皇帝となるべき人間は、
戦いでも連戦連勝、また、危機に陥っても、からくもそれを脱することができます。
「天は我に味方している」ということですね。そして、中国を統一した場合、
その人物は、泰山で「封禅の儀」を行い、天地に皇帝となったことを報告します。

あと、天命は必ずしも、中国の多数派の漢民族にだけ下るわけではありません。
元は、モンゴル民族のチンギス・ハーンが建てた国ですし、
清は、満洲(女真)族の愛新覚羅(アイシンギョロ)の征服王朝です。
ですが、彼らにも中原を支配すべく天命が下ったと解釈されます。
元も清も、中国の正式な歴代王朝の一つなんですね。

清の初代皇帝「ヌルハチ」
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また、天命はその皇帝の子孫にも受け継がれますが、いつまでも続くわけでは
ありません。もし、徳の低い皇帝が出た場合、天命は失われてしまいます。
これを「天人相関説」と言います。天子が善政を敷いていれば、
瑞祥(オーロラのようなもの)や瑞獣(鳳凰や麒麟)が世に現れますし、

瑞獣「麒麟」
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悪政の場合、地震や水害、彗星出現などの天変地異が起きるとされました。
そこで、各時代の中国の天子は「徳政」を行うように努めました。具体的には、
貧困者の救済や、罪人の恩赦などです。日本でももうすぐ天皇位が交代しますが、
このときに恩赦があるかもしれません。

徳政は後代になって、「徳政令」として、借金の帳消しという意味で
使われるようになります。また、皇帝の子孫が徳の高い人物ではなかった場合、
「禅譲」が行なわれるのが理想とされました。
皇帝の地位を、血縁者でない有徳の人物に譲ることですね。
ただ、実際に禅譲が行われた例は、長い中国史の中でも希少です。

では、禅譲が行われず、品性の低い人物が皇帝となったらどうなるかというと、
「易姓革命」が起きるんです。天命が別の姓を持つ人物に下り、
その人物が前王朝を滅ぼして新たな皇帝になります。
例えば、後漢の「劉」氏から、魏の「曹」氏に皇帝の姓が変わるわけです。

魏の「曹操」


あと、これは天命思想と直接の関係はないのかもしれませんが、
易姓革命が起きる原因が、女性であることが多いんです。
夏王朝では末喜、殷(商)王朝では妲己、周王朝では褒姒と、それぞれ、
美女の色香に惑わされて政治が乱れたため、易姓革命が起きることになったんです。
「亡国の美女、傾城(けいせい)の美女」などと言いますよね。

さて、これに対し、日本の天皇家の場合は、建前として「万世一系」ということに
なっています。高天原の天津神の子孫である天皇家が、途切れずにずっと続いてきた。
まあ、実際には王朝交代はあったのかもしれませんが、
そのあたり、『日本書紀』はうまく取り繕っています。

日本は、中国の「易姓革命」思想を受け入れなかったんです。
そのため、鎌倉・室町・江戸と、武士が幕府を開く時代になっても、
天皇家は細々と続いてきました。異論もあるでしょうが、
この体制は日本の優れた知恵だったと、自分は考えています。

これは宋の時代の話ですが、宋に渡った東大寺の僧、奝然(ちょうねん)は、
二代太宗皇帝に謁見し、筆談で、日本では歴史上、一系の天皇が続いており、
臣下も代々世襲であることを伝えると、太宗は日本に易姓革命がないのに驚いて、
「これ朕の心なり」と嘆息したという話が残っています。

宋の「太宗」
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さてさて、ぶっちゃけた話をすれば、中国の易姓革命は、力で政権を奪い取った者の
後づけの論理と見ることもできます。現在の中国の皇帝である習近平氏も、
政敵を粛清しながら現在の地位までのし上がってきました。
そういう意味では、中国の伝統にのっとった指導者なわけです(笑)。

日本ではもうすぐ、天皇陛下の生前譲位が平和裏に行われます。
このあたり、中国と日本の歴史の違いの重さを感じずにはいられませんね。
みなさんは、どうお思いになるでしょうか。
では、今回はこのへんで。

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ブラウン管テレビの話

2019.01.08 (Tue)
どうも、よろしくお願いします。佐田って言います。仕事は、清掃会社に勤めてます。
あ、でも、僕が現場で清掃をしてるわけじゃなく、本社で営業をやってるんです。
それで、この間、テレビを買ったんです。ネットのオークションで800円。
これね、安いのは、15年前くらいのブラウン管の小型テレビだからです。
何でそんなもの買ったかっていうと、昔のゲームをやろうと思って。
スーパーファミコンです。いや、懐かしいからってわけじゃなく、
僕が生まれたときには、すでにスーパーファミコンは過去のものになってたんですが、
僕、古いゲームが好きで、雑誌で魚釣りのゲームを見て面白そうだと思って、
中古屋からゲーム機本体とソフトを買ってきたんです。けど、液晶のテレビだと
接続が難しいんですよ。だから、テレビはネットで探して。
そしたらまだあるんですよね、ブラウン管テレビ。

でね、数日してテレビが届いて、さっそくファミコンをつないでみました。
はい、ちゃんと映りましたよ。ゲームをやってみて、予想どおりなかなか面白かったです。
その日はそれだけやって寝たんです。僕、いったん寝たらまず朝まで起きないんですけど、
夜中に目が覚めたんです。枕元の時計を見たら2時過ぎ。
それで、部屋の中が青っぽかったんです。天井に光が反射してちらついてました。
「ん、何だ?」と思って上半身を起こしたら、届いたばかりのテレビがついてたんです。
でも、そんなはずはない。スイッチは切ったし、アンテナにもつないでない。
だいたい、チューナーがないから今のデジタル放送が映るはずがないですよね。
画面は青一色になってました。「ああ、古いから接触が悪いんだろう」
って思って確認したら、スイッチはやっぱりオフでした。
「800円だからしょうがないか」って電源のコンセントを抜いたんです。

そしたら、画面はいったん暗くなって消えたんですが、
ベッドに戻ろうとしたら、またパッとついたんです。「え?」これ、ありえないですよね。
だって、コンセントがつながってないんだから。画面は白一色でした。
で、グラグラ揺れてるんです。白い中に黒いものが2つ映って動いてる。
最初はなんだかわからなかったんですが、足じゃないかって思いました。
うーん、どう説明したらいいか。誰かが歩きながらビデオカメラを持って、
下向きに構えて自分の足先を写してる。その足が消えたり出てきたりするのは、
雪に埋まるから。はい、全体が白いのは、雪景色の中にいるからだと思ったんです。
いや、そのときは全然怖いとは思わなかったです。ただただ、
電源のつながってないテレビが映ってるのが不思議でした。
でね、その映像がしばらく続いて、前のほうに建物みたいなのが見えてきました。

かなり下を写してるのではっきりしないんですが、山小屋みたいな建物だと思いました。
で、氷と雪がついたドアが開いて、真っ暗な中に入った・・・そこでブツッと
画面が切れたんです。スイッチを何度も入れたり消したりしましたが、
それ以上は何も映らない。これ、不思議ですよね。でも、そのときは
翌日の仕事があるんで、ベッドに戻って寝直したんです。
次の日ですね。仕事から部屋に戻って確認したんですが、
コンセントは抜けたままだったんで、入れ直してみました。そしたらゲームの画面が出て、
ふつうにゲームができたんです。納得できないので、テレビの後ろ側のパネルを
外してみました。もしかしたら、中にビデオが内蔵されてる可能性を考えたんです。
でも、そんなものはなかったですね。あとは、考えられるとしたら、
たまたま流れてる外国の番組の電波をテレビが拾ったとか。

でも、それもねえ。まだしも、昨夜自分が夢を見てたって考えたほうが、
ありそうにも思えてきたんです。その夜はそれ以上ゲームはやらず、
普通の液晶テレビで、酒飲みながらサッカーの試合を見てました。
次の日は土曜日で休みだったんで、遅くまで起きてて寝たのは2時ころです。
でね、ベッドに入って寝つく前に、またブラウン管テレビがついたんですよ。
画面の中は暗かったんですが、わずかにオレンジの光がさしてて、
正面を向いて人の胸より上が映ってると思いました。フードを被ってて、
顔ははっきり見えなかったんですが、鼻の先がフードからのぞいてて、
外人じゃないかって思ったんですよ。はい、日本人には見えない、
とがった鼻の形でした。そのときに、前の日に見た画像を思い出して、この人、
冬山登山の装備をしてるんじゃないかって気がしてきました。

吹雪にあって山小屋の中に避難してる・・・でも、何でそんなものが映ってるのか?
とにかくずっと画面を見てたんですが、そしたら少し口が動いたんです。
何かしゃべってるけど、聞き取れない。テレビのボリュームをあげてみました。
「△○▼●△・・・・」英語じゃない、僕にはわからない外国語でした。
ボソボソした力のない声で、何かを訴えてる、あるいは助けを求めてる、
そんな調子に聞こえたんです。たえしに、また電源コードを抜いてみました。
そしたら画面はちらついて、でもすぐまた、そのフードの人が映ったんです。
でね、前と違うのは、口に何かを咥えてたんです。「え?え?」
白いひらひらしたものが見えたんですよ、。テレビの中の男は大きく口を動かして、
画面の中でぶしゅっと汁が飛び散って、そのときに男が食ってるのが金魚だって思ったんです。
男はぐっちゃぐっちゃと口を動かして、そこで画面が消え、あと何も映りませんでした。

それで・・・僕、部屋に水槽があって金魚飼ってるんです。
まさかと思ったんですが、水槽を確かめてみたんです。そしたら、5匹いたはずの金魚が
1匹いなくなってて、テレビの中の男が食ってたのと、柄がよく似てるんです。
そのときに急に怖くなったんですよ。このテレビ、何かにとりつかれてるんじゃないかって。
でね、友人の中に、大手の電機メーカーの研究所に勤めてるやつがいるんです。
そいつに、明日連絡をとってみようと考えました。
はい、翌日は休みだったんで、10時ころに電話して事情を話しました。
そしたら、信じてる様子じゃなかったんですが、そいつも独身なんで、
時間があるから見に行くって言って、午後から来てくれたんです。そのときには、
テレビはゲームしか映りませんでした。それで、僕の部屋に泊まっていくように
言ったんです。夜になればまた山小屋の男が映るかもしれないからって。

で、2人で酒飲みながら待ってたんです。夜中の12時を過ぎ、1時、2時と回ったとき、
ぱっと画面がつきました。「あ、映った!」僕がそう言いましたが、
友人は黙ったままでした。「見えるだろ、毛のついたフードを被った外人の男がいて、
 下むいたまま何かしゃべってる」 「いや・・・」
「ほら、聞こえるだろ」僕は音量をあげようとして、テレビに近づいてって・・・
そのとき、友人が「おい、やめろ、何してる」大声を出して、
立ってきて僕の手をつかんだんです。「何だよ!」 「見てみろよほら!!」
友人の怒鳴り声でわれに返ったっていうか・・・ 僕、水槽に片手を突っ込んでて、
金魚の1匹をつかんでたんです。「ええ、そんな!?」
「まず座って落ち着け」友人はそう言って僕を座らせると、
「さっきから見てたが、テレビはたしかにひとりでについたが、

 映ってたのはゲームの画面だった。外人の男とか、山小屋なんて出てこなかっぞ」
「いやでも、確かに・・・」 「昨日、その外人が金魚を食ったって言ってたよな。
 それもお前が自分でやってたんじゃないか」 「まさか?」
友人は続けて、「それにしても、このテレビがおかしいのは間違いない。
 何でひとりでに映るんだろうな。分解してもいいか?」
こう聞いたんで、「いいよ、どうせ800円だったんだ」
それで、夜中だったんですけど、テレビの後ろ側のパネルを完全に外して、
友人が持ってきたテスターを使いながら分解していったんです。
そしたら、ブラウン管を外したときに、下のほうに紙包みみたいなのがあったんです。
明らかにテレビの部品とは違う。友人は慎重にそれをつまみ上げ、
「外国語の辞書の紙だなあ、英語じゃない」そう言いながら、

すこしずつ開いていったんですが、途中で、「わあっ!」と叫んで、
放り出したんです。中に何が入ってたと思いますか? 最初は僕は何だか
わからなかったんです。黒い木の枝か、かりんとうみたいにも見えたんですが、
先のほうに爪がついてたんです。友人は、「これは人間の指だな。干からびてるけど、
 根本からきれいに切断されてる。人差し指みたいだなあ。
 かなり長いから、外人のかもしれない」こんなふうに言いました。
「そのオークションでに出した相手に、事情を聞いてみたらいいんじゃないか」
とも言ってましたが、もうかかわりたくないんで、やめておいたんです。
指はテレビの中に戻して、すぐ粗大ゴミの業者に引き取ってもらいました。はい、それからは
特におかしなことは起きてないです。でも、わけわからないですよね。あの山小屋、
本当に僕にしか見えなかったのか。もしあるんだとしたら、中にいたのは誰なのか・・・





宇宙へ行くのは人権問題?

2019.01.08 (Tue)
今回はこういうお題でいきます。今年の7月16日は、
アポロ11号による月面着陸からちょうど50年の節目となります。
アメリカでは記念行事が行われる予定です。「アポロは月に行ってない説」は、
以前に当ブログでご紹介しましたが、それはさすがにありえません。
アポロが月に行ったことを簡単に証明できる方法はいくつもあります。

月探査機「嫦娥」から放たれた探査車「玉兎」
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さて、現在、各国による宇宙探査がすごく活発に行われていますよね。
アメリカ、NASAでは、無人探査機「ニュー・ホライズンズ」が、
人類史上もっとも遠い、65億km彼方の天体天体「ウルティマトゥーレ 」
に最接近します。ウルティマトゥーレは「未知の世界」という意味です。

雪ダルマのような形の「ウルティマトゥーレ」
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それと、同じNASAの探査機「インサイト」が火星に着陸し、
どんどん映像を送ってきています。また、中国の探査機「嫦娥四号」も、
月の裏側への着陸に成功し、搭載していた探査車、
「玉兔(ぎょくと)2号」を発進させることにも成功しました。

日本も、「はやぶさ2」が小惑星リュウグウに接近し、2台の探査ロボットを
着陸させる準備に入りました。この他、探査衛星は太陽や木星に
接近していますし、インドも今月中に「チャンドラヤーン2」を打ち上げ、
月着陸に挑戦する予定です。まるで、米ソ冷戦期の
宇宙探査競争の時代に戻ったかのようですね。

小惑星「リュウグウ」
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今後、再び月に人間を到達させようとする有人探査の計画もあります。
ですが、ISS(国際宇宙ステーション)での長期滞在などから、
宇宙空間が人体に及ぼすさまざまな悪影響もわかってきました。
これも前に一度書いたんですが、宇宙飛行士の身長は無重力下で伸びます。

地球の重力から解放されるためですね。地球上のわれわれは、つねに、
1Gの力で下向きに引っぱられています。それが無重力空間でなくなり、
身長が数cm伸びることになります。ただこれは、必ずしも悪いことという
わけではなく、もしかしたら椎間板ヘルニアの治療などに使えるかもしれません。

それと、心臓にも変化が起きます。われわれの心臓は胸の位置にあって、
ポンプとして働いているんですが、頭のほうに血液を送るには力が必要です。
それが宇宙空間では必要なくなるので、長期滞在すると心臓の筋肉が
薄くなるんだそうです。地球に戻れば元に戻りますが、
けっこう長い時間が必要なようです。

「アポロ11」の月面到達
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あとは、骨の強度ですね。負荷がなくなるため、骨からどんどんカルシウム分が
失われ、骨粗鬆症のような状態になってしまいます。これを防ぐため、
宇宙ステーション内の飛行士たちは特殊なトレーニングをしています。
また、液体ががつまった袋のような構造の眼球にも、よくない影響が出ます。

ということで、無重力状態から帰ってきた場合には、
治療やリハビリが必要なんですね。では、もっと顕微鏡レベルでの人体への
影響はないんでしょうか。NASAでは、男性の双子による実験を行っています。
双子の一人、スコットは340日間宇宙ステーションに滞在し、
地上に残っていたマークとの遺伝子レベルでの比較を試みました。

その結果、宇宙滞在ではDNAメチル化が起きていることが判明しました。
自分は勉強不足でよくわかりませんが、これは、環境ストレスを克服するために
人体が用いる生化学的メカニズムなんだそうです。
また、遺伝子のテロメアの長さが伸びていることもわかりました。

双子のスコットとマーク
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テロメアはDNAの末端部にある構造で、クリップのような形をしています。
テロメアは、DNAの分解や修復から染色体を保護するための役割を持ち、
これが長くなることは、宇宙空間において、
人間が遺伝子レベルでストレスを受けていることを表します。

これらのことは、地球に帰還して数ヶ月もすれば一見回復したように見えます。
では、もっと長期的な研究はないかというと、あるんですね。
NASAでは、すでに亡くなっているアポロ宇宙飛行士7名の死因を、地上で
トレーニングを受けただけで宇宙へは行っていない飛行士と比較してみました。

その結果、宇宙へ行った飛行士の死因の43%が循環器系、
つまり心臓や血管の病気によるものだったんですね。ちなみに、
地上トレーニングだけだった群の、循環器に起因する死亡は9%でした。
まあ、7名という少ないサンプル数なので、確かなことは言えませんが、
上記したように、無重力状態が心臓に影響を与えた可能性があります。

ISS内での筋トレ


また、宇宙空間の放射線が、血管内皮細胞の機能障害を引き起こした
可能性も指摘されています。これは困りましたね。重力の問題は、
人工重力をつくることで解決できるかもしれませんが、宇宙放射線を防ぐのは
たいへんに困難です。福島原発の事故でわかるとおり、
基本的に、すべての放射線を防ぐことはできないんです。

さてさて、ということで、宇宙空間の実態が明らかになるにつれて、
その有害性がクローズアップされてきたわけです。もしかして、
宇宙に人間を送ることは、寿命を縮める結果につながる人権問題なのかもしれません。
今後、この方面の研究がどうなっていくか、注目していきたいですね。
では、今回はこのへんで。





殭屍(キョンシー)の話

2019.01.06 (Sun)
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今回はこういうお題でいきます。「殭屍」は別字として「僵尸」とも書き、
俗にいうキョンシーのことです。中国の共通語の発音だと、
チャンスーに近いと思います。で、これなんですが、
本を一冊書けるくらい雑多な内容を含んだ概念で、何から話し始めればいいか
迷ってしまいます。少し整理しないとダメかな。

その前に、キョンシーをWikiで見てみると、「硬直した死体であるのに、
長い年月を経ても腐乱することもなく動き回るもののことをいう」となっていて、
西洋のゾンビに近いものなんですね。また、キョンシーには生者のときの記憶や
心はなく、生きた人間を襲おうとする習性を持っています。

さて、キョンシーの概念には次の①~③のことが入り混じっています。
① 古代中国の伝説からきたもの。たぶんこれが最初の形でしょう。
② 明・清代の通俗小説からきたもの。③ 香港映画『霊幻道士』シリーズからきたもの。
・・・みなさんが持っている、官服を着て、死後硬直の両手を伸ばし、
ピョンピョン跳ねるキョンシーのイメージは③由来でしょう。

ではまず、①から見ていきましょう。時代は、中国の先史時代にさかのぼります。
「黄帝」という、中国を統治した最初期の帝がいて、いろんな超能力を持っていました。
これに反抗して戦いを挑んだのが、獣身で銅の頭に鉄の額を持つ、
「蚩尤 しゆう」という怪物です。

蚩尤


この戦いは、古代中国全土を巻き込んだものでした。蚩尤の手下には、
雨師や風伯がいて、暴風雨を巻き起こします。これに手を焼いた黄帝は、
娘の「魃 ばつ」を呼び寄せます。魃は体内に、原子炉のように大量の熱を蓄えていて、
たちまち雨風を乾かしてしまいました。これによって黄帝は勝利を得たんですが、
魃は力を使いはたして天界に帰れなくなってしまいます。

黄帝の娘「魃」
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そのため、魃が人界にいると、あたりは干魃になってしまうんですね。
魃は、日照りの神を擬人化したものでしょう。困った黄帝は、魃を遠くの山の中に
幽閉しますが、ときどき抜け出して中原に出てきます。
そうすると世の中が大旱魃にみまわれます。やがて魃の姿は、美しい女性から、
醜い猿のような形に変化して伝えられるようになりました。

で、ここから、干魃のために死んだ人間は死後も遺体が腐らず、
墓の中で100日たつと、魃の姿で地上に出てきて人間を襲うとされたんです。
そこで、通常は土葬の中国ですが、干魃で死んだ者の遺体は火で焼いたりする地方も
あったんですね。あと、魃になりかけている死体には、男児の尿か黒犬の血をかけると
崩れ去るとも言われ、この設定は『霊幻道士』にも取り入れられています。

鳥山石燕の「魃(ひでりがみ)」


これは推測なんですが、大旱魃のときに死亡した者は、
水も食物もろくにとっておらず、体中がカラカラに乾燥して、日本の即身仏と
似たような状態になっていたんじゃないでしょうか。ですから、
墓の中でも死んだときのままに見えることがあった。あと、
遺体を埋める土壌がアルカリ性だった場合、腐りにくいとも言われます。

干魃で死んで甦った死者、まさにゾンビ


さて次、②について説明します。これは道士の術によって人為的につくられるもので、
主に、中国の湘西地域で信じられていました。湘西地域から徴兵された若者が
戦争で死ぬと、遺体を故郷へ送り返さなければなりませんが、
遺体の運搬は、馬や荷車を使ったりして大変です。

そこで、道士が術をかけ、遺体を自力で歩かせて故郷まで連れていくわけです。
このような死体を「赶屍 かんし」、術は「送屍術」と言ったようです。
このとき、映画のように額に御札を貼っていたかはちょっとわかりませんが、
加持符咒した水を満たした椀を持った者が、死体についていったという話はあります。

実際にある中国の「赶屍」の風習
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最後の③は、まあフィクションなんですが、当時の香港で流行していた風水が
取り入れられた内容になっていました。『霊幻道士』の最初の映画では、
金持ちが父親の墓を改葬しようとして掘り起こしてみると、父親を恨んでいた
占い師から、わざと風水的によくない方法で葬られていたため、
20年経っても遺体は腐っていませんでした。

この「風水的によくない方法」というのがどういうことかは、映画を見てても
よくわからなかったですね。で、この父親が最初のキョンシーになり、
それに襲われた者は次々にキョンシーと化していきます。
このあたりの設定も、ゾンビ映画とよく似ています。

『霊幻道士』
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さてさて、キョンシーになってしまうと、人間の心がなくなるので、
肉親でもかまわず襲ってしまいます。ただし知能は残っているみたいでしたね。
中国の道教では、人間には肉体の他に、魂と魄があるとされ、
合わせて「魂魄 こんぱく」と言います。魂は精神を支える気で、
人間が死ぬと天に帰り、魄は肉体を支える気で、地に帰ります。

ところがキョンシーの場合は、魂のほうは天に帰したものの、
魄のほうはまだ肉体に残っているため、体が動くという理屈でした。
あと、キョンシーの姿は、辮髪(べんぱつ)で官服を着ているように描かれる
ことが多いんですが、これは清の時代の女真族の習俗ですね。

科挙に合格した官僚の制服は、当然ながら庶民は着ることはできませんでしたが、
死装束として、遺体に着用させるのは許されていました。庶民の家では、
死後の栄達を願って、官服を着せて葬ることが多かったので、
映画でもああいう姿になっているんです。では、今回はこのへんで。

清代の官人(政府の官僚) キョンシーではありません
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追い出し屋の話

2019.01.06 (Sun)
あ、じゃあ話、始めるから。そうだなあ、今から10年くらい前かな。
追い出し屋ってやつをやってたんだよ。俺が始めたわけじゃなくって、
その当時、仕事がなくってブラブラしてたところを、北岡さんって人に誘われてね。
北岡さんはもう死んじまったが、〇〇組に関わりのある人でな、
あの頃、俺とはパチンコ屋の開店で知り合って、いろいろ面倒を見てもらってたんだ。
それが、新しい仕事をやるからって言われて、俺も一枚噛んだわけ。
仲間は、トップが北岡さんで、もう一人、峰浜先生って人がいてな。
60代だったと思うが、背が高くていつも和服を着てた。
あとで説明するが、この人は拝み屋なんだ。ああそう、霊を降ろしたり祓ったりする。
え、宗派? 俺にはわからねえが、たぶん神道じゃないかな。
唱えるのはお経じゃなく、神社でやる祝詞ってやつだと思った。

まあ、この先生も死んで、もうこの世にはいないんだけどな。
あとは俺と、若いやつが2人。それで始めたのが追い出し屋だ。
仕事の内容はわかるだろ。店子を追い出すんだ。例えば、
賃貸マンションとかの住人で、生活態度がよくなくて、大家に嫌われてるやつとか。
あとは店舗だな。飲食店なんかで、すごく条件のいい場所にあって、いつも客がいっぱい。
誰でもそこで商売してえって思うだろうが、繁盛してるんだから出ていくわけがない。
それをな、追い出すのが仕事。ああ、金は後釜にそこに入ったやつからもらうんだよ。
けどな、暴対法ができてからこっち、荒事なんかできねえんだ。
すぐ後ろに手が回っちまう。昔みてえに、毎日その店に行って
暴れてりゃいいってわけじゃねえ。一番いいのは、そいつが自分から出ていくことだろ。
だから、そうなるように段取りをつけるのが、追い出し屋の仕事だ。

でな、俺らがやってたのは、霊を使って追い出しをかけること。
いやいやいや、そんときまでは、幽霊なんてものがこの世にいるとは思いもしなかったよ。
そういうのは、弱い負け犬野郎が、自分の心の中で作り出すもんだって考えてた。
だから、この話、北岡さんから説明を受けたときも半信半疑だったな。
けど、北岡さんは大真面目だった。じゃあ、仕事のおおまかな説明をしていく。
まず、いわゆる心霊スポットってところに行って、霊をつかまえるんだ。
そしてそれを保管しておいて、ターゲットの店に放してやる。
するとその店じゃいろいろ嫌なことが起き始めるわけ。で、最初は耐えてた店主も、
2ヶ月もしないうちに自分から貸借契約を解消して逃げていく。
ただし、そのままだと新しい借り主が入れないから、峰浜先生が除霊する。
まあこんなパターンだったな。最初の1年半くらいは上手くいって、

けっこうな稼ぎになってたんだよ。けどなあ・・・ え? もっと詳しく話せって?
ああ、まず、霊をつかまえに心霊スポットに行く。けど、世の中にある心霊スポットの
95%はニセモノなんだよ。たんに暗くて雰囲気が悪いだけの廃墟で、本物じゃねえ。
よくほら、ホテルとかの廃墟で、そこでオーナーが首を吊ったなんて言われてる
とこがあるだろ。でも調べてみると、そんな事実はない。ただの面白半分の噂なんだ。
そういう場所に幽霊がいるはずはねえよな。本物の心霊スポットってのは、
まずそこで人が死んでいること。これは大昔の戦場跡とかじゃダメだ。
古い霊はだんだんに力を失って消えてってしまうって峰浜先生が言ってた。
だからせいぜい30年以内にそこで人が死んでなくちゃなんない。
それから、これも大事なんだが、その死んだやつが、その場所に強い執着を持ってること。
そういうスポットってのは当然ながら少ない。貴重な情報なんだよ。

そうだな、まず霊を捕獲するやり方から説明する。峰浜先生は鏡を使うんだ。
古い大きな姿見だ。夜にそのスポットに行き、先生が場所を選んで姿見を設置し、
回りに奇妙な形にロウソクを並べる。そして鈴を振りながら祝詞を唱えると、
浮遊していた霊が姿見の中に取り込まれるんだ。ただ、ターゲットの店にでかい鏡なんか
持っていけねえから、俺と若いやつらが業務用の大型掃除機をかまえてるんだ。
コードレスのやつな。で、先生が杖で幽霊の入った鏡を割った瞬間に、
掃除機であたりの空気を吸い込む。それから先生が御札で掃除機を封印する。
これでいっちょうあがりだ。でな、掃除機の中の幽霊は、
空気ごと布団乾燥用の袋に詰め替える。その作業は先生が一人でやってたな。
で、あとは、客を装ってターゲットの店に袋を持っていくんだ。
いやまあ、そんなの持ってくるやつはいねえだろうが、

2人組で客として店に行き、中に入ったらナイフでぶっ刺して、
残った袋は丸めてポケットに入れる。けっこう簡単にできるし、怪しまれることもまずない。
それから、1週間に一度くらい、客になってその店に行って様子を見るわけ。
あるバーでそれをやったときのことを話すよ。1週間目、あまり変化はなし。2週間目、
金曜の夜なのに客が少なくなってる。3週目、カウンター内の女の子が一人辞めてて、
マスターが暗い顔をしてる。4週目、ボーイとかもみな辞めて、マスターの髪はボサボサ、
顔は青くて心なしか痩せてる。5週目、客はゼロで、マスターはカウンターに突っ伏し、
俺らが入っていっても、こっちを見ようともしない。6週目、営業終了の貼り紙。
まあ、こんな感じだ。どこもこれとほぼ同じ経過をたどって、
長くても2ヶ月で店はつぶれてしまうんだ。それから、峰浜先生が大家に掛け合って
そこの除霊をきっちりやる。それから、新しい店子が入るってわけだ。

そう、最初に言ったように、その新しい店子から俺らは金をもらうわけ。
数百万だが、そんなのは立地のいい店に入ったらすぐに元がとれるからな。
で、そうこうしてるうちに2年目に入り、あのことが起きたんだ。
今からその話をするよ。霊を捕獲したのは、郊外にあるラブホテルの廃墟。
そこでは、オーナーが、店の中でガソリンをかぶって焼身自殺してる。
ちゃんと調べてたんだよ。店の中はあちこち焼け焦げててひどい有様だった。
いつものように先生が鏡を使ってオーナーの霊を捕獲したんだが・・・
今思えば、少し様子が変だったんだよな。鏡を割って霊を吸い込んだ掃除機が
急に止まっちゃってな。いや、バッテリーは充電したてだったし、
故障だと思ってあれこれいじくってたら回復したが、あれがフラグだったんだなあ。
でな、霊を袋に詰め替えて行った先が、大きなキャバクラだったんだ。

駅そばで店も広くて女の子の質もいい。ありゃ、月に数千万以上の
儲けがあったはずだ。従業員も10人以上はいたな。すごい繁盛してたんだが、
俺らが霊を開放してから、たった2週間で廃業になっちゃったんだよ。
これは新記録だったよ。よっぽどのことがあったんだろうが、あまり早かったんで
詳細はわからなかった。それで、オーナーは店の設備も食器類とかも
そのままにして逃げちゃったんで、夜に、ガランとした店の中に、先生と北岡さん、
それから俺の3人で除霊をしに行ったんだよ。先生はまず最初、
四方に盛り塩をした結界をつくる。除霊の場合は鏡は使わねんだ。
あれはあくまでも霊を移動させる道具で、幽霊は先生のお祓いによって天国だか
地獄にいっちまうわけだから、もう必要はない。
先生は和服から、神主が着る白装束に着替えててな。

結界の中に入って、あの白いひらひらした紙のついた棒を振りながら祝詞を唱え始めたが、
なんか様子が変なんだよ。すごい脂汗が出て、手がぶるぶる震えだした。
声がとぎれとぎれになり、先生は祝詞を中断して、「あ、あ、これはおかしい、
 このわたしが押されている」って言ってな。その場に尻もちをついた。
そしたら、立ててあった10数本のロウソクがみないっせいに消え、
先生とは別の声が聞こえてきたんだよ。「苦しい、苦しい・・・」って。
それ、俺は女の声だと思った。それも一人じゃない。でも変だろ。
霊を仕入れた心霊スポットで自殺したオーナーは男のはずだった。
空中で赤黒い霧のようなものが渦巻きはじめて、ぐるぐるぐるぐる。
俺は頭が痛くなって吐き気がしてきた。その渦巻きは天井近くまで上がり、
そっから急降下して、先生の背中にどかっとあたった。

そしたら、先生が口を押さえ、指の間から血が溢れてきたんだよ。
「ヤバイか!?」北岡さんがそう言ってチャカを出した。赤黒い渦巻きは、倒れ込んだ先生の
頭の天辺から出てきたんで、北岡さんはそれにチャカを突きつけながら、
俺と2人して店から逃げ出したんだよ・・・ 翌朝な、店に行ってみたら、
峰浜先生が倒れて死んでた。病死だよ。どこだかの動脈が破裂したってことだった。
これでこの仕事はおしまいで仲間は解散。俺はずいぶん蓄えができてたから、
それから1年くらい遊び暮らしてたが、その間に、北岡さんが死んだって話を聞いた。
あのラブホテルの廃墟の庭に倒れてた。で、これも病死らしくて事件性はなかったんだが・・・
北岡さんはシャベルを持ってて、土を掘りかけてたんだな。
警察がそこを調べると、女の白骨死体が2つ出てきたんだ。いや、詳しくはわからねえが、
北岡さんが殺したとかじゃなく、やったのは自殺したオーナーみてえだよ。






浦島の話

2019.01.04 (Fri)
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今回はこういうお題でいきます。みなさん、浦島太郎はご存知でしょう。
「昔々、浦島は、たすけた亀に連れられて~」の童謡も聞かれたことがあると
思います。ただ、現在知られている浦島太郎の物語は中世にできたもので、
最初の頃の話とは、かなり形が変わっているんです。

書物として残っているものでは、8世紀に成立した『丹後国風土記』、
『日本書紀』 『万葉集』などに登場しますが、
ここでは太郎ではなく、「浦島子 うらのしまこ」という名前になっています。
また、亀に連れられて行く場所も、竜宮城ではなく「蓬山(蓬莱山)」です。

横山大観『蓬莱山』
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また、民話としての構成要素も違っています。まずは『丹後国風土記』の
話を見てみましょう。容姿端麗で評判の若者、浦島子は小舟に乗り釣りに出ましたが、
三日三晩まったく魚が釣れず、五色の亀だけが手に入りました。
そのうち、亀はたとえようもなく美しい女性の姿に変わります。

女は、自分は「天上の仙人の家のものです」と名乗り、浦島子に眠るように言います。
島子が目覚めると、大きな島(蓬莱山)に行き着いていました。
そこには壮麗な宮殿があり、女の両親や兄弟も出てきて島子を歓待します。
島子は女と夫婦になり、3年の月日がたちますが、島子はだんだんに、
郷里に残してきた父母のことが心配になり始めました。

浦島伝説の残る京丹後市の嶋児神社
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そこで、いったん故郷へ帰りたいと申し出ると、女は別れを悲しみながらも、
玉匣(たまくしげ)を渡し、「ここに戻ってくる気なら、これを開けてはなりません」
と言います。故郷に帰り着いた島子ですが、父母の家はなく、
あたりの様子が変わっていたので、郷の者に聞くと、
浦島子は数百年の昔に海に出たまま帰らなかった、ということになっていました。

悲しみのあまり島子が玉匣を開くと、何か美しい姿が雲をともない
天上に飛び去っていきました。そこで島子は女性と再会できなくなったことを
悟ったのでした・・・・ざっと、こういう内容なんですね。
話の骨格がずいぶん異なっていることがわかります。

まず、最も大きな違いは、「動物報恩譚」ではないということです。
動物報恩譚というのは、「鶴の恩返し」などに見られるように、
主人公によって助けられた動物が、何かの恩返しをするものですが、
その要素がすっぱり抜けています。

動物報恩譚「白鶴」
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ここでは、女性は、美しい若者である島子の評判を聞いて、自分から亀に姿を変え、
島子に会いに来たんですね。男女の恋の物語だったわけです。
それから、2つめの大きな違いは、島子が行った先が、
海の中にある竜宮城ではなく、天にそびえ立つ蓬莱山だったこと。

つまりこれ、中国的な神仙譚なんです。仙界は人間界に比べて時間の流れが遅く、
1年が100年にあたるとされます。ただし、浦島太郎の物語では、
玉手箱を開けた太郎はおじいさんになってしまいますが、
ここでは、そうは描かれていません。「見るなのタブー」を破った島子は、
二度と仙界に戻れず、女性に会えなくなって終わるんですね。

関連記事 『見るなのタブーについて』

さて、ここで古代の丹後国について考えてみましょう。
丹後地方(現在の京都府京丹後市辺り)には、大きな墳丘墓がいくつもあり、
鉄の出土量がたいへんに多いんです。また、ガラス製品の生産が盛んで、
全国の弥生時代のガラス製玉のほぼ10分の1が丹後から出土しています。

このことから、弥生時代から古墳時代前期のこの地には、
ヤマト王権や吉備国などと並ぶ「丹後王朝」があったとする説があります。
これはまず間違いないと思われ、研究者によっては、
邪馬台国の女王卑弥呼は、丹後国から擁立されたという説も出されているんです。

そのことはいずれ書きたいと思っていますが、古代の丹後国は、
独自に大陸との交易ルートを持っていたのは確実です。
丹後国からは、ガラス製の腕輪「釧 くしろ」(下図)が出土していますが、
これは中国製のカリ(珪酸塩)ガラスと見られます。つまり、丹後国は、
古い時代から中国の神仙思想を受け入れる下地があったんですね。

京都府与謝野町 大風呂1号墓出土「ガラス釧」
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それがどうして、蓬莱山から竜宮城に変わってしまったのか。
竜宮城で思い出されるのは、日本神話の「海幸彦・山幸彦」の話です。
兄の海幸彦にイジワルをされ、失くした釣針を探しに海にもぐった山幸彦は、
海神の娘、豊玉姫と結婚し、竜宮城で3年を過ごします。
ちなみに、この豊玉姫は神武天皇の祖母にあたります。

その後、山幸彦は地上へ帰らねばならず、姫から霊力のある玉をもらって、
その力で兄の海幸彦をこらしめることになります。
この話は日向神話とも呼ばれ、現在の宮崎県で、南方と交易していた
隼人族の間で伝わっていたものと考えられています。

さてさて、ということで、丹後国に伝わった中国北方系の神仙思想と、
日向国に伝わった南方系の竜神神話が中世までに合体したものが、
現在知られている浦島太郎の物語なんですね。
では、今回はこのへんで。

青木繁『わたつみのいろこの宮』部分 竜宮に降り立つ山幸彦
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冥婚の話

2019.01.03 (Thu)
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正月早々、あまり縁起のよくない内容になりますが、今回はこういうお題でいきます。
「冥婚」をWikiで見てみると、「生者と死者に分かれた異性同士が行う結婚のこと。
陰婚、鬼婚、幽婚などとも言う」と出てきます。中国をはじめ、東アジアで
広く見られる風習です。中国だと、山西省、陝西省、河南省あたりが多いですね。

中国の冥婚は、およそ3000年前からあったと考えられています。
『三国志』には、魏の曹操が、かわいがっていた八男の曹沖が13歳で未婚で
死んだため、葬儀にあたって、同時期に亡くなった甄氏の娘の遺体をもらいうけ、
妻として一緒に埋葬したという記述があります。

元来、中国の冥婚は、「未婚の死者同士を結婚させる」ものだったんですね。
では、なぜこれが行われていたのか。中国の宗教は基本的に、
儒教をベースとして、それに民間信仰である道教が混じったものです。
儒教では、祖先の霊を祀ることが重視されます。

日本の仏教では、位牌を用いる宗派が多いですが、これはインドで生まれた
原始仏教にはなく、中国の儒教の葬送儀礼が形を変えて持ち込まれたものです。
おおざっぱな話をしますと、中国の死生観では、
天界には天帝を始め天人がおり、仙界には仙人、人界には生きた人間がいる。
そして、死んだ人間は地下の冥界に行くことになります。

このとき、結婚して自分の家族を持たない人間は、
供養してくれる子孫がいないため、「鬼 キ」と化すとされます。
ここでいう鬼とは、角が生えて金棒を持った日本の「鬼 オニ」ではなく、
「幽鬼」、つまり死者の霊のことを指します。

幽鬼 その中でも「僵尸 キョンシー」は死体のまま動き回る


そこで、冥婚という習俗が行われるようになったわけですが、
死者の鎮魂を願ってのものだったんです。中国では、死者の供養として、
紙銭(冥銭)を燃やします。これは死者が冥界で使えるようにするためで、
冥婚では、あの世で一家を構えられるように、
紙の屋敷、召使い、家具、宝石なども大々的に燃やすんですね。

紙銭
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さて、冥婚には、弱い形から強い形まで、さまざまなものがあります。
最も弱い形の冥婚は、日本の山形県で行われる「ムカサリ」に見られる、
「事故や事件、病気などで子供を失った親が、絵や写真で婚儀の様子を描き、
奉納する」という形です。これは、結婚する相手が、
この世に存在しない架空の人物であってもかまいません。

ムカサリ絵馬
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それから、上記した死者同士を結婚させてから埋葬する形、
もっとも過激なのは、婚約者の男性が結婚前に亡くなった場合、女性のほうを
殺してしまうものですね。ただ、これが実際に行われたケースは、
歴史的にそれほど多くはないと考えられます。

さて、2016年、中国、陝西省の交通警察が、2名の女性の死体を乗せた
自動車を発見し、運転していた男ら3人を拘束しました。
調べによると、この2名の女性は知的障害者で、冥婚の相手となるために
殺害されたことが判明したんですね。遺体の値段は、3~10万人民元
(45万~150万円)で、中国の農村部では大金です。

冥婚の相手となる女性の遺体は、以前は公然と売買されていましたが、
2006年に、日本の死体遺棄にあたる法律ができて禁止され、
その後は、未婚の女性の墓が暴かれ、遺骨が盗み出される事件が多く発生
するようになりました。そしてとうとう、殺人が起きてしまったわけです。

このようなことが起きる背景には、中国での、女性と男性の数のアンバランスが
あります。女性のほうが数が少ないので、未婚の男性が多いんです。
これは、以前中国で実施されていた「一人っ子政策」によるところが大で、
もし子どもが一人だけなら、嫁に出さねばならない女子より、
一家を継ぐ男子がほしいのは当然ですよね。

一人っ子政策のポスター
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そこで、妊娠して女児であることがわかったら堕胎したり、
産まれた女児は間引きで殺したり、無戸籍児になったりしました。
また、中国では改革開放により、地方でも大規模な建築工事や土木工事が行われ、
若い男性の死者がたいへん多いんです。これらのことが、
冥婚をめぐっての犯罪が頻発するようになった背後にあるんです。

さて、中国本土と台湾では、冥婚の概念は異なっており、
未婚の女性が亡くなると、遺族が現金や紙銭、髪の一束、爪などを入れた赤い包み
を表に出して、男性が拾ってくれるのを待つという風習があります。
それを最初に拾った男性が花婿となるわけですが、
素通りするのは不吉とされるため、拾ってくれる男性は多いんです。

これを拾う
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このとき、男性は既婚者であってもかまわないし、未婚でも、その後に
生きている女性と結婚してもかまいません。生きた男性と、亡くなった女性は、
結婚式をあげ、その後男性は、女性の位牌を家において供養します。
一般的な結婚と同様、両家の間に関係ができて、何かにつけて援助してもらえます。
ですから、男性側にもメリットがあるんですね。

さてさて、ということで、本来若くして亡くなった者の冥福を祈って行われる習俗が、
墓暴きや殺人の犯罪を引き起こすことになってしまいましたが、
これは現在の中国が、一方に迷信深い田舎の人々、また一方には、
文化大革命後に生まれた、拝金主義でやったもの勝ちの、神も仏も信じない人間が
混在しているためなんです。では、今回はこのへんで。





綱を引く話

2019.01.02 (Wed)
あ、どうも明けましておめでとうごまいます。話をしにやってまいりましたが、
これがあまり怖いというものではなくて。それでよろしければ、
始めさせていただきます。どこの県のと、場所を言うことは差し控えさせて
いただきますが、わたしらの町では、旧正月に綱引きをやっておりまして。
はい、大綱をなって、町中が二つに分かれてそれを引くわけです。
他でもやってるところはあちこちありますな。で、その勝敗で占いを立てる。
たいがいは、片方が勝てば米の値段が上がり、もう一方が勝てば豊作になるとか、
どっちが勝っても、よい卦が出るようになっておるものですが、
わたしらのところはちょっと違ってまして、負けたほうの地域が洪水になるっていう
ものなんです。はい、変わってますでしょう。なぜそうなってるかというと、
町は川によってちょうど半分に分かれておりまして、

それぞれ西の郷、東の郷と呼ばれておるんです。でね、この2つの地域は、
だいぶ昔にさかのぼって、仲が悪いんです。江戸時代につくられた堤が
川の両岸にあったんですが、それがね、梅雨の季節になるとどちらかが決壊する。
そうして人にも田畑にも被害が出るわけです。さっき話した大綱引きは、
その川のどっち側が洪水になるかって話なんですよ。
いや、今は新しく堤防ができて、よほどの大雨でも大丈夫になりましたけども。
そういうわけで、2つ地域は昔から仲がよろしくない。
まあね、住人同士が、顔を合わせれば必ず喧嘩になるとか、
そういうわけでもないんですが、そもそも、川を渡って相手側の地域にはめったに
行かないんですよ。どちらの地域にも大型のスーパーがありますし、
生活はそれで事足りますから。ただね、役場は西の郷にあり、

県の支所は東の郷にありますから、まったく通行がないというわけでもないんです。
はい、2つの地域の仲がよくないのは、洪水のせいだけではありません。
それはまあ運ですからね。一番の理由は、西の郷の氏神神社と、
東の郷の氏神神社の御祭神が、互いに嫌い合っているという言い伝えがあるためです。
いや、御祭神はどちらも、古事記などに載っている全国的な神様ではなく、
昔からの地域の国神様です。いろいろ言い伝えは残っておるのですが、
それも西の郷と東の郷では違っておりまして、お互いに、
相手側が悪いような話になっておるんですよ。でまたねえ、
両地域とも人口は同じくらいだし、発展の度合いも大きな差がない。
これが、JRの駅があれば、それを中心に町がまとまったんでしょうけど、
残念ながら鉄道は通っていないんです。

あとね、町会議員の数も西の郷、東の郷で同じです。ただ、
今の町長は西の郷出身なんですけども。町長選挙のときは、それぞれで候補者を立てて
たいへんな騒ぎでしたし、票数もすごい僅差だったんです。
そんな具合だから、2つの地域で何事も張り合っていまして。例えば、
西の郷で温泉施設をつくると、東の郷でも、うちらもつくらなきゃならんとなるわけです。
けっして、西の郷の施設を利用しようとはならんのですよ。
だから、東の郷では東京から業者を呼んで、温泉を出すために、かなり深くまで
掘削をしてるんです。なんとも無駄な話ですよねえ。
もちろん、それぞれの神社も張り合っておりまして。
西の郷の神社が手水舎を新しくしたと聞けば、東の神社では、
特に必要はないのに、境内に石製の竜の像をこさえたりね。

でね、それが一昨年の暮れに、二つの地域の仲がいっそう悪くなる出来事が
起こりまして。さっき話した東の神社の竜の像ね、朝に神職が境内の掃除に出たら、
首が落ちてたんです。前日の夕方に確認したときはなんともなかったのに。
だから夜のうちに何かがあったことになります。
竜の壊れ方は、いかにもハンマーで叩いたかのように破片が散らばってまして、
東の郷では、夜のうちに、酒に酔った西の郷の若い者が来て、
打ち壊していったんじゃないかという話が出てね。
もちろん警察の捜査が入ったんですが、犯人はわかりません。
そうしているうちに、今度は西の郷の神社から火事が出まして。
といっても、燃えたのは社殿の外にあるロウソク立てだけでしたが、
これはねえ、どうしても東の郷のやつらが仕返しに来たって話になりますよね。

で、2つの郷がどっちも殺気立って、町議会でも、それぞれの地域選出議員どうしで、
あわやつかみ合いになりそうな場面があったということです。
そうしているうちに歳が明けまして、2月の旧正月の綱引きが近づいてきたんです。
綱引きはね、互いに120mの縄をないまして、それを一つにより合わせます。
でね、橋の上で行うんですよ。西の郷と東の郷で、いくら仲が悪いといっても、
間の川には何本も橋が架かっておりまして、ほとんどが新しいものですが、
その中に一つだけ、明治時代につくられた木の橋があります。
綱引きの勝負はその橋の上で行うんです。ちなみに、これまでの勝敗は、
ほぼ互角、いくらか東の郷が勝ち越してるはずですね。いや、
少なくとも私が知ってるかぎりでは、負けた地位域が洪水になったことはありません。
いよいよ、去年の綱引きの当日。ここまで話したような事情で、

どっちの地域も例年以上に殺気立っておりまして。詰所のテントでは、
朝からコップ酒を飲んでるものが多かったですよ。勝負は夜の8時開始です。
この町もね、例によらず過疎化が進んでいて、毎年、綱引きに参加する男衆の数は減って
るんですが、その年は異様に多かった。これはね、都会に働きに出ている者に
わざわざ連絡をして呼び集めたんです。まあね、どっちの地域も、それだけ勝ちたかった。
人数が多くて、綱にとりつけない者もいたほどです。
その夜、天気は小雪がちらついていましたが、8時前に両方の郷の男衆が綱をつかみ、
ピストルの号令を合図に綱を引き始めました。肌脱ぎをして引いている者も多かったので、
体からもうもうと湯気があがって、女衆が水をかけたりもするんです。
勝負は一進一退、西が引き込んだかと思えば、東が盛り返します。
綱の中央の印が橋を超えれば決着ですが、10分、15分とたっても勝負がつかない。

お互いに意地があって負けたくなかったんでしょうねえ。
とうとう、双方の息が上がって綱が動かなくなったときです。西の郷の空に、
紫の光、東の郷の空に橙色の光があがったんです。その2つは、すごいスピードで
ぐんぐん綱引きの橋の上に近づいてきて、橋の真上でぐるぐるとお互いに旋回を始めました。
でね、その2つの色が溶け合って真っ赤になり、ドーンという音とともに、
綱の中央部に落ちてきたんです。太い綱がぶっつりと切れ、
引いていた者たちはみな後ろにひっくり返ったんですよ。
はい、怪我をした者は多かったんですが、幸い死人は出ませんでした。
光は跡形もなく消えて、雪が吹雪になりました。まあ、こんな話なんです。
綱引きは勝負なし、初めての引き分けです。それ以降は、どちらの地域の者も、
憑き物が落ちたように落ち着いて、争いごとがなくなったんですよ。

はい、あの2つの光は、それぞれの神社の神様なのだろうという話になりました。
神様同士が和解して久しいのに、氏子同士がまだ争っているのは何事だ、
ということなんでしょうねえ。町の衆はそう噂し合っています。
実際、神社に被害が出ているわけですから、神様が怒るのも無理のないことです。
町の者には、それ以上の神罰はなかったんですが、ただ・・・
西の郷と東の郷、両方の神社の宮司が、6月になって、
1日おいて2人とも急死したんです。はい、どちらも心筋梗塞ということでした。
境内に前のめりでつっぷしてるところを見つかったんです。
救急搬送しても蘇生しませんでした。2人とも60代です。
西の郷の神社は、息子さんが神職の資格があり跡を継ぎましたが、
東の郷のほうは、後任の神職がおらず、いまだにもめているんだそうです。