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「〇〇man」の恐怖

2019.02.28 (Thu)
今回はこういうお題でいきます。変な題名だなと思われるでしょうが、
オカルト論のジャンルですね。ここでいう「○○man」というのは、
スレンダーマン(slenderman)、シャドーマン(shadowman)などの怪人系の
オカルトのことです。オカルトにあまり興味のない方でも、
名前は聞かれたことがあるんじゃないかな。

シャドーマンとされる画像
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で、日本でもアメリカでも、幽霊は女の目撃例が多いのに対し、
こういう怪人系は男である場合がほとんどなんですね。
怪人系で女というのは、日本の「口裂け女」くらいじゃないでしょうか。
さて、どっちからいきましょうか。まず、シャドーマン。
2006年ころから、インターネット上で話が出るようになりました。

その名のとおり、影のような真っ黒な人型のものが現れる謎の現象。
ありえないような動きをすることもあり、それを見た人間は、
体調不良になったりするとも言われます。また、シャドーマンが出現する
ときには、爆発音が聞こえたり、焦げ臭い臭いがするという話もあります。

で、このシャドーマン、動く影としか目に映らないので、
実際には男かどうかもわかりません。
あと、アメリカにはシャドウマンというアメコミのヒーローがいるんですね。
それと区別するために、「シャドーピープル」と言われることもあります。

これはアメコミの「シャドウマン」で、今回の話とは別物


典型的な目撃例としては、「2007年7月10日の朝、
カリフォルニア州フレズノの公園を散歩していた人物が、人のいないはずの
場所に人の形の影だけが現れている現象を目撃し、自宅に帰った後に
原因不明の高熱におそわれて数日間も寝込んでしまった。この現場近くの
森では後日、別の人物によって、黒い人影が携帯電話のカメラで撮影された。」

こんな感じです。これだけ見れば、空を飛んでいた鳥の影とかじゃないか、
と思われるかもしれませんが、シャドーマンについての情報が
だんだん集まってくるにつれ、その影は、つば広の帽子とコートらしきものを
身につけているという共通点があることが明らかになってきました。

シャドーマンの共通イメージ
csder (6)

画像や動画もネット上に出回っていますので、興味を持たれた方は、
「shadow people」で検索されてみてください。このシャドーマンが日本で有名に
なったのは、2014年、テレビ朝日系の番組「ビートたけしの超常現象㊙
Xファイル」で、ボリビアのラパスという町にあるサッカー場で、
「観客席を高速移動するシャドーマン」の動画が紹介されてからですね。

ただ、この動画の真偽についてはすでにネタバレしていまして、
加工などではないんですが、じつは、同じ場面を別角度から映した映像が存在し、
それを見ると、普通の観客が入り口から出てきて、通路を駆け下りてるだけ
なんです。たまたま、そのカメラ画像がブレててそう見えたわけですね。

テレビで紹介されたシャドーマン
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シャドーマンの正体としては、われわれの住む世界とは別の世界の存在が、
何らかの理由でこの世に投影されたという説が唱えられています。
宇宙論の一つである、ホログラフィック宇宙論との関連を説く人もいますし、
パラレルワールドどうしが交差したときに起きる現象であると言われたりもします。

次に、スレンダーマンにいきます。これ、不幸な殺人未遂事件が起きてるのを
記憶されている方もいると思います。 スレンダーマンはその名のとおり、
細身で身長は2m以上、黒い背広を着た男で、顔はのっぺらぼうのように
なっていて判然としません。手足は不自然なまでに長くなっています。
その行動は、子どもをさらうとされることが多いですね。

スレンダーマン
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ただ、このスレンダーマンは、はっきり創作上のキャラクターなんです。
作られた経緯もわかっています。2009年、アメリカの
「サムシング・オーフル・フォーラム」というネット掲示板で、
「フォトショップによる不自然な画像」を投稿するスレに、

ビクター・サージ というハンドルネームの利用者が、
子どもたちが遊んでいる場面に、黒い背広を着た長軀痩身の人物像を
加えた白黒の画像を投稿しました。これがすべての始まりで、
あとはどんどんいろんな情報がくっついて、ネットで拡散していったんです。
初めから創作とわかっているもののはずだったんですが・・・

2014年5月、ウィスコンシン州で、12歳の2人少女が、
同級生の少女を押さえつけ、19回も刃物で刺す事件が起きました。幸い、
刺された箇所が手足が多かったのと、通行人が止めたため、被害者は重傷で
生きのびています。警察の尋問で少女たちは、ネットで話を読んだスレンダーマンの
手下になる条件をクリアするため、人を殺そうとしたと証言しています。

殺人未遂事件の犯人の1人
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犯人の少女の一人は、スレンダーマンが彼女を監視して心を読んでいると
信じていたそうです。この事件の裁判は現在も進行中で、犯人は未成年なんですが、
2人の少女のうち1人に対して、25年間の精神病院への収容という判決が出ています。
これなんか、ネットの影響力の大きさを感じさせる、本物の怪談ですよね。

さてさて、最後に英語の話でもしますか。シャドーマンのシャドー(shadow)は、
「光によってできる影」という意味で、シェード(shade)は、
「日のあたらない陰の部分」です。また、シルエット(silhouette)は、
「影になった輪郭」ということですが、アメリカではあまり使わないと思います。

それから、スレンダー(slender)は基本的にほめ言葉で、「細身でかっこいい」
みたいな意味。スリム(slim)も「ほっそりして優美、節制している」
と肯定的に使われます。これに対し、スキニー(skinny)は「やせっぽち、ガリガリ」
と、いい意味では使われません。では、今回はこのへんで。

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雛祭りの話

2019.02.28 (Thu)
千体雛
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もうすぐ3月3日ということで、今回はこのお題でいきます。
みなさんの家では雛人形を飾られますでしょうか。
この日を祝うことは、もともと中国で始まったものなのはご存知だと思います。
陰陽五行説にもとづいて、陰暦の1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、
9月9日は、特別な日として祝われていました。

ただ、日本で五節句と言った場合、1月1日の元旦ではなく、
1月7日の「人日 じんじつ」が普通は入ります。この日には七草粥を食べますよね。
これらの節句は、それぞれ植物と結びついていますが、これも中国由来です。
3月は桃、5月は菖蒲、7月は笹、9月は菊で、どれも、
古来から薬効成分がある、あるいは魔除けの効果があると考えられてきました。

3月3日の節句は「上巳 じょうし」と言いますが、もともと、
陰暦3月上旬の巳(み)の日が節句でした。ですから、昔は3月3日ではない
ときもあったんです。それが、3が重なって縁起がいいということで、
だんだんに3月3日に固定されて行われるようになったんですね。

上巳の禊 中国
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で、中国では、はじめの頃は「女の子の節句」というわけではなかったんです。
春の訪れを祝う、水に関連した行事でした。
この頃はちょうど陽気がよくなって、凍った水がとける時期ですので、
人々は川で禊をし洗濯を行ったとされます。これは中国の宮廷でも行われました。

それがどうして女の子の節句になったかは、いろんな説があってはっきりしません。
まず一つめは、漢の時代、ある村に徐肇(じょちょう)という人物がいて、
3つ子の女児をもうけたが、その子らは3日以内に次々亡くなってしまい、
徐肇が嘆き悲しむ様子をかわいそうに思った村人たちが、酒を持って
家を訪れ、3人の子の亡骸を川に流してから酒宴を開いてやった。

こんな話があるんですね。もう一つは、明代の小説『西遊記』などに出てくる
伝説で、地上で大暴れした孫悟空は、天界に召し出されて斉天大聖という名をもらい、
桃園の番人という役目を与えられます。中国道教の最高位の女神である西王母は、
3月3日の生まれで、誕生祭を大々的に開きます。

蟠桃会で暴れる孫悟空
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これを「蟠桃会」と言い、天界の者はすべて招かれて、不老長寿になる桃を食べます。
乱暴者の悟空はただ一人だけ招かれなかったので、それを知って怒り狂い、
桃園の桃を盗み食いして大騒ぎを起こし、このときに不死の身体になるんですね。
その後、お釈迦様の手で五行山という山の下に封印され、
三蔵法師の弟子になる日を待つことになります。

ただ、もちろん孫悟空の話はフィクションですし、
最初の徐肇のエピソードについても、実際にあったことかは疑わしいですね。
その日の由来を説明するために、後づけで作られたものと考えたほうが
いいでしょう。では、日本の雛祭りはどうやってできてきたのか。

日本でも元来は、中国から伝わってきた水の祭祀でした。
3月といえば季節の変わり目ですので、水垢離をして無病息災を願います。
このとき、中国では「曲水の宴」を行っていました。流れる水に盃を浮かべて
酒宴を行います。353年、中国の有名な書家の王羲之が、
この曲水の宴の様子を『蘭亭序』という作品に書いています。

曲水の宴
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これが日本にも伝わり、宮中の行事として行われるようになりました。
ここで、水の宴が人形と結びつきます。陰陽師が「形代 かたしろ」という
紙の人形を作り、それで体をなでることによって、穢れを人形に移します。
そして、形代は身代わりとして水に流されるわけです。
現在でも流し雛の風習があるのは、その名残なんですね。

形代
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で、女の子が人形で遊ぶことを「雛(ひひな)遊び 」と言いましたが、
さらにそれが結びついて、3月3日は女の子の健やかな成長を願う儀式として、
現在まで伝えられるようになりました。「水→人形→女の子」
という流れで、できあがっていったんだと考えられます。

初期の雛人形は、形代を模した、下図のような立ち雛でした。
それが現在のような座り雛になり、だんだんに人形の数が増え、
段飾りになったり、女雛に十二単などを着せるようになりました。
ご存知のように、江戸時代の武士は、幕府も諸藩も財政が苦しかったんですが、

立ち雛
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江戸の市中には裕福な商人階級がたくさんおり、その人たちが
競うようにして豪華な雛壇を飾るようになっていったんですね。
雛人形は財力の象徴の一つだったんです。これは当然、幕府の目にふれ、
8寸(約24cm)以上の雛人形は贅沢として禁止されてしまいます。

ですが、反骨精神あふれる江戸商人たちは、この法令を逆手に取り、
芥子(けし)雛という、ごく小さい雛人形を贅のかぎりをつくして飾りつけ、
幕府の鼻をあかそうとしました。では、一般庶民はどうだったでしょうか。
俳人、松尾芭蕉の有名な『奥の細道』の旅立ちの句は、
「草の戸も 住替る代ぞ ひなの家」というものです。

左側が芥子雛
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意味がわかりにくいですが、芭蕉が旅の資金を得るために売った、
それまで住んでいた粗末な草庵の前をたまたま通りかかったら、
親子連れが越してきていて、雛人形を飾ってたよ、といったところでしょうか。
芭蕉のボロ家を買うような貧しい町人であっても、
子どもの成長を願って雛飾りをしていたんですね。

さてさて、ということで、雛祭りの歴史をざっとふり返ってみました。
けっこう書くことがあって、白酒や菱餅などにもふれようと思ってたんですが、
そこまでいかないで終わってしまいました。
まあ、またの機会もあるでしょう。では、今回はこのへんで。

関連記事 『こどもの日って怖い?』

松尾芭蕉 「草の戸も 住替る代ぞ ひなの家」
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近所の神社の話

2019.02.26 (Tue)
今晩は、よろしくお願いします。わたし、山根と申しまして、
市役所に勤めてたんですが、4年前に定年退職いたしました。
今は一人暮らしをしてます。妻は5年前に、腎臓の病気で亡くなりました。
息子が一人いて、孫も2人いるんですが、東京のほうに出ておりまして、
仕事が忙しいため、毎年お盆くらいしか帰ってこれないんです。
まあ、お金のほうは年金と、わずかながら貯金もありますので、
生活に困るということはありませんが、やはり寂しくてね。
去年から犬を飼うようになったんです。犬種はチワワで、
市役所のときの同僚から、飼うことを勧められ、子犬をゆずってもらったんです。
最初はね、生き物を飼うなんてあまり自信がなかったんですが、
飼ってみるとこれがかわいくてねえ。

オス犬で、名前は「ヨシオ」にしました。これはね、わたしの初孫と
同じ読みなんですよ。おとなしい子で、めったに吠えることもありません。
ふだんは室内飼いをしてますが、毎朝、リードをつけて散歩に連れていきました。
これは、わたしの足腰が弱らないためのウオーキングもかねてです。
そんな長い距離じゃありません。朝の7時過ぎに、家の近所2kmほどを
40分くらいかけてゆっくり歩くんです。わたしの家は郊外にありまして、
交通量もそんなに多くはないんです。家を出て、まず近くの新興住宅地がある
丘に登ります。その中をつっきって降りてくると、
大きな運動施設に出ます。ある企業の厚生施設なんですね。
そのフェンス前をぐるっと半周して自宅に戻るんです。
でね、今日の話というのは、この散歩の途中にある神社のことです。

気がついたのはいつだったかなあ。ヨシオと散歩するようになって、
2ヶ月目くらいでしょうか。さっき話した企業の運動施設ね。
サッカー場と野球場があるんです。そんな立派なものじゃなく、
ナイター照明などはありません。で、この2つの敷地の間が林になってまして、
けっこうな高さのある杉の木が生えてるんです。その日散歩をしてましたら、
杉の木の中に赤い鳥居が見えたんですよ。「え、こんなところに神社があったか」
それまでまったく気がつかなかったので、不思議な気がしました。
そこ、ほぼ毎日通ってるわけですからねえ。鳥居の近くには、
狐の像やのぼりなどは見えませんでした。お参りしてみようかと考えたんですが、
そのときはほら、ヨシオを連れてましたでしょう。動物を連れて神社の敷地に
入るのは、よくないことなんじゃないかと思ったんです。

それでもね、鳥居の近くまで寄ってみました。細い参道がかなりの奥まで続き、
杉の枝の間に、お灯明が灯っている社殿がわずかに見えました。
でね、そのときに、ヨシオがすごく嫌がったんです。
ふだんは好奇心旺盛で、何にでも近づいていく子なんですが、
そのときは足を突っぱりまして、鳥居の近くまで連れてくのが大変だったんです。
でも、何を嫌がってるのかはわかりませんでした。その翌日です。
小雨まじりでしたが散歩に出て、昨日の神社のことを思い出して
林の中を見たら鳥居がないんですよ。「あれ」と思いました。
角度が悪いのかと、あちこち場所を変えてみましたが、どうやっても、
鳥居も参道も見えない。これは不思議でしたね。場所を間違えてるはずはありません。
散歩コースの中で、ある程度まとまって木が生えてるのはそこだけでしたから。

不思議なこともあるもんだ、昨日見たのは狐に化かされたのだろうか。
そんなことまで考えました。翌日も次の日も、半月ほど鳥居は見あたらず、
そうなると、やはり最初に見たのが何かの間違いって考えますよね。
ところが、また鳥居があったんですよ。これはどうあっても確かめておこう、
そう思いました。前のときと同様に、ヨシオはそこに近づくのを嫌がったので、
短い時間ならいいだろうと考え、道の脇のガードレールの支柱にリードをつなぎ、
わたしだけ鳥居をくぐったんです。でね、変なことがあったんです。
鳥居をくぐったとたん、生臭い臭いを感じまして。これ、おかしいですよね。
鳥居なんだから、まわりの空気は外と中でつながってるはず。
それなのにすごく生臭かったんです。まあでも、ガマンできないほどではないので、
歩いていくと、わずかな林のはずなのに参道が長いんです。

10分も歩いたと思います。先のほうにたくさんの人が集まってるのが見えて
きました。そうですね、10数人の背中が見えましたが、
どの人も白い着物を着てたんです。林が切れて広い空間に出ました。
高い藁葺の社殿があり、ご灯明が灯っていて、その前にたくさん人がいる。
後ろ姿でしたが、男も女も、若い人もいたように思います。
でね、その人たちは全員、左手を高く上げ、その手に変なものをぶらさげてたんです。
生き物だと思いました。白い毛や茶色の毛が見えたので、ウサギなどの小動物でしょう。
それがすべて腐ってる・・・そう思いました。中には汁がたれてるものもあり、
とにかくひどい臭いだったんです。「ええ?!」思わず声を出してしまいました。
すると、それが聞こえたのか、その場にいた人がいっせいにこちらを見たんです。
中の一人が、「贄はどうしたぁ?」と大声を上げ、みなが次々に、

「贄はどうした?」 「贄なしでは入れんぞ?」こう叫んだんですが、
どの顔もすごく怒っていて、わたしは思わず、悪いことをしたような気がして
後ずさりしてしまいました。その人たちは、「不浄だ!」 「不浄者が!!」
わたしに詰め寄ってきたので、怖くなり、後ろを向いて逃げ出したんです。
もう齢ですから、よろよろ走っただけですが、追ってはきませんでしたね。鳥居を抜け、
林から道に出ました。息を切らしながら振り返ると、さっきくぐったはずの鳥居がない。
もうわけがわかりませんでした。あの人たち、わたしのことを不浄だと言ってましたが、
神域で腐った死骸を持ってる自分らのほうがよっぽど不浄じゃないか、
そう思ったんです。ヨシオを見ると、大人しくしていたというか、
出がけは元気いっぱいだったのが、具合が悪そうに見えたんです。
リードを引いても歩くことができませんでした。それで抱き上げて、

その足で、まだ診療時間前でしたが、いつもお世話になっている動物病院に
連れて行ったんです。先生はもう来られていて、すぐ診てくっださったんですが、
事情を話すと、何か中毒になるものを誤食したんじゃないかという診断で、
胃洗浄をしたんです。でも、害になりそうなものは出てきませんでした。
ヨシオはぐったりしたままで、そのまま入院になってしまいました。
家に戻りました。もちろんヨシオのことが心配でしたが、
人間の病人のように、ついているわけにもいきませんからねえ。
気をまぎらわそうと、あの神社について少し調べたんです。
まず、10万分の1の地図を出して、神社のある場所を見てみたんですが、
鳥居の地図記号はついてませんでした。でね、近くのコンビニに行って
顔見知りの店員から、住宅地図を見せてもらいました。

ほら、宅配業者などが使うやつです。でも、野球場とサッカー場の間は、
その企業が所有してる倉庫になってたんです。神社なんてどこにもない。
午後になって、動物病院に顔を出しました。先生の話は、栄養点滴をしているが、
元気が出てきたということだったので、ひと安心しました。
ヨシオは私の顔を見て鳴きましたので、「もうすぐ家に帰れるよ」と頭をなでました。
翌朝、一人で散歩に出たんです。ヨシオがいないのはほんとうに寂しい。
わたしの中で、ヨシオの存在がどれほど大きいものだったか、
そのときに始めてわかったんです。はい、あの林の前も通ったんですけど、
予想どおりというか、鳥居は見えず、林の中に続く道もありませんでした。
前日のことを思い出し、だんだん怒りがわいてきたんです。
それで、午前中は市役所に顔を出しました。わたしのかつての職場で、

元の部下がまだたくさん残ってます。産業振興課の資料室に行き、
すこし無理を言って、市の航空写真を見せてもらいました。
上空からなら、あの神社の詳細がわかるかと思ったんです。ですが、出てきた写真には
神社も倉庫もありませんでした。小さくてはっきりしませんでしたが、
林の上だけがなぜか黒くマジックで塗られていたんです。担当者に聞いても、
首をかしげてるだけでした。近くの食堂で昼食をとり、また動物病院に顔を出そうと
していたところ、その病院からスマホに連絡が入りました。ヨシオの容態が急変したと。
すぐ駆けつけましたが、そのときにはもう亡くなっていたんです。
ヨシオの遺骸はバスケットに入ってまだ家にあります。はい、そうです。
明日、あの林に連れて行こうと思ってるんですよ。きっと鳥居が見つかる気が
するんです。その後、どうなるのかはわかりませんけど・・・






映画にみる宇宙生命体

2019.02.25 (Mon)
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今回はこういうお題でいきます。みなさんは、宇宙生命体と言えば
どんな姿を思い浮かべられるでしょうか。やはり、映画の『エイリアン』
『プレデター』に出てくる怪物のイメージが強いんじゃないかと思います。
ちなみに、この両作、どちらも配給会社は20世紀フォックスです。

『エイリアン』の1979年の第一作は名作でしたよね。SF映画なんですが、
ストーリーの組み立ては、かなりホラー要素が強かったと思います。
なかなか怪物の正体が明らかにならず、少しずつ小出しにしていくところなんかは、
まさにホラー映画の手法です。あと、ただ怪物におびえるだけでなく、
果敢に立ち向かっていく女主人公のリプリーが斬新でした。

これに対し、1987年作『プレデター』のほうは、アクション映画と
言っていいかと思います。SF的なギミックは多くはなく、人間型異星人プレデターと、
肉体派俳優アーノルド・シュワルツネッガーの対決に主眼が置かれた
ストーリー展開でした。こちらもなかなか面白かったですが、
『エイリアン』を観たときほどの衝撃はなかったですね。

で、自分はかなり早い段階から、おそらくこの2作のシリーズはどこかで
クロスするんだろうと思ってましたが、予想どおりというか、
意外に遅かったというか、2004年に『エイリアンVSプレデター』が公開され、
それぞれのストーリーが交錯していくことになります。

さて、この2作に登場する怪物、生態のモチーフがだいぶ違っています。
エイリアンのほうは、「知的」生命体と言えるかは難しいですね。
その生態の大きな特徴は4つあると思います。
一つは「真社会性」を持つこと。真社会性というのは、同種の中に生殖能力を
持たない個体がいる場合を指します。働きアリ、働きバチなどがそうです。

フェイスハガー
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あと、エイリアンは強酸の体液を持ってますが、アリが蟻酸を持つところからの
連想かもしれません。次が、おそらく単性生殖を行っていること。
『エイリアン4』で、エイリアンクイーンが他の個体と一切接触しないまま
産卵していました。3つめの特徴は寄生です。エイリアンの卵からは、
カブトガニのような形をした「フェイスハガー」が産まれます。

これが宿主を見つけて体内に吻部を挿入し、幼生を送り込む。
ここでフェイスハガーは抜け殻になります。エイリアンの幼生は宿主の体内で
成長し、一定の大きさになると胸部を破って「チェストバスター」が飛び出します。
スプラッタ的な、映画の見所の一つでした。

チェストバスター
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まあ、ここまでは、地球上の生物にも見られる特徴ですが、
最後はちょっと違います。彼らは、遺伝子改変能力を持ってるんですね。
宿主の体内に入った幼生は、自分の遺伝子と宿主の遺伝子を合成させ、
それぞれの能力を受け継ぎます。『エイリアンVSプレデター』で、プレデターに
寄生して産まれたエイリアンは、両者の特徴をあわせ持っていました。

これはすごいことですよね。もしエイリアンよりも高い能力の生物がいたとしても
いったん寄生することができれば、その特徴を吸収します。
進化に何代も時間をかける必要がないんです。チェストバスターはほぼ
成体と同じ形で、かなりの速さで脱皮して成長していきます。

一方のプレデターを見てみましょう。こちらは明らかに知的生命体で、
地球人類よりも科学技術が進んでいます。モチーフは「ハンター+原始部族」でしょう。
彼らは戦闘というより、狩猟をしてるんですね。手強い異星人がいる星に
単独で乗り込んで狩る。基本的に、相手が武器を持っていなければ襲いません。

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このあたり、「丸腰の者は撃たない」という西部劇の掟が転用されているのかも
しれません。また、致命的な病気にかかっている者や、
妊娠した女性も襲いませんし、あと、エイリアンに寄生された者も
襲わなかったですね。そのことが後のストーリーに影響を与えています。

それと、大量殺戮兵器を使用しません。多人数と闘う場合も、
さまざまな武器を使って一人ずつ倒していきます。一度の大量殺戮を行うのは、
自分が自爆するときだけだったはずです。そして、獲物を倒した場合は、
頭蓋骨などを抜き取って記念品に加工します。人間のハンターが、
仕留めた鹿の頭を剥製にしているようなもんでしょう。

普段は迷彩を使用しても、1対1の戦いでは姿を現す
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『プレデターズ』では、ペット?の猟犬も出てきていました。
おそらく、プレデターの種族としての目的が狩りであり、
それを中心に社会が回っているんでしょう。もしかしたら、狩りで闘争本能を
発散させることで、同種間での戦いを防いでるのかもしれません。

プレデターには通過儀礼があります。人間でも、成人になるに際して、
歯を抜いたり、刺青をしたり、単独で動物を狩ったりしましたが、プレデターの
社会では、エイリアンを倒すことがそれにあたるようです。この他にも、
地球人であっても果敢に戦ったものは称賛する。戦いで仲間を助けない、
敗れた場合は自爆する、などの厳しい掟があります。

さてさて、2つの例を見てきましたが、宇宙生命体といっても、
その生態のモデルは地球にあるものなんですね。これは娯楽映画ということを
考えればしかたがありません。相手が、絶対に倒すことができない
不死の怪物だったり、あるいは実体のない精神だけの存在とかだと、
映画であつかうのは難しいですよね。

せっかく高い出演料で出てもらった有名俳優の主人公が活躍できないまま、
人類が滅ぼされてしまうことになります。ですから、
エイリアンの場合は知的な策略をあまり使わないし、宇宙航行できません。
プレデターは大量殺戮兵器を用いない、などの制約が設けられているわけです。
ということで、今回はこのへんで。

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ガンダムを歩かせる

2019.02.25 (Mon)
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今回はこのお話でいきます。平昌冬季オリンピックが始まって、
開会式を見ておられるみなさんが多いと思いますが、これ、
オリンピックと関係がなくもないんですよね。というのは、2019年までに
全長18mの、アニメの設定と同じガンダムを動かそうという計画があるんです。

それを羽田空港に設置して、日本を訪れる外国の人に日本の製造業者の
技術力をアピールするのが目的ということです。
2019年は、ガンダムが登場してから40周年になるんですが、
2020年東京オリンピックとも関連しているんだと思います。
安倍首相も、これについて「日本として支援する」とテレビで述べてましたね。

さて、ではこれ、はたしてできるもんでしょうか。
ロボット工学博士の古田貴之氏によれば、体を覆うアルミ合金が約88億円。
それらを加工、製作するのに約263億円。メインコンピューターが約2億円。
その他すべてひっくるめれば、800億円ほどかかるということです。

うーん、そうでしょうねえ。でもこれ、開発にかかる人件費も入れれば
もっとかかると思われます。はたして、1000億円近いお金をかけて、
対費用効果が得られるものなんでしょうか? ちなみに、戦車1台が約5億円、
最新鋭戦闘機の値段が200億円くらいです。

また、アニメの設定ではガンダムの重量は体重43、4トンですが、
実際につくるとなれば、その20倍の800トンを超えるのではないか
という試算もあります。この巨大な重量というのが、
ガンダムを動かす最大のネックになります。
ホンダが作った2足歩行ロボット「アシモ」は軽快に動けますし、
ある程度まで走ることもできますが、あれは重量が軽い(48kg)せいです。
動かすものの重さに比例して、重心の移動が難しくなっていくんです。

また、もしアニメの設定どおりに43トンで作れたとしても、
それが動いた場合、一歩踏み出して着地するたび、操縦席にいる人間には、
約80トンの衝撃がかかるそうです。これは、体を固定していたとしても
即死するレベルですので、人間は乗れないということになります。
まあでも、世界の兵器は無人化の方向に進んでいるので、
アニメフアンの方はつまらないでしょうが、それはそれでいいのかもしれません。

関連記事 『人間の行為、機械の行為』

では、兵器としてのガンダムは役に立つのでしょうか。うーん、これは難しい。
まず、最大の欠点は大きいことです。全長18mというと、
6階建てのビルと同じくらいです。大きいということは、
それだけ敵の攻撃の的になりやすいので、
砲撃やミサイル攻撃で簡単にやられてしまいそうな気がします。
この他にも、兵器として見た場合、いろいろな弱点があるんですね。

ということで、アニメと同じ機能を持つガンダムを作るのは無理です。
ここでは、「2足歩行する」だけにしぼって考えてみましょう。
それ以外のことはすべて無視して、ただ歩ければいい。
これだったら、できそうな気もしなくもないです。

さて、日本の自走ロボットを検索してみると、
まず出てきたのが榊原機械の「LAND WALKER」 
youtubeに動画がありますので、興味ある方はご覧になってみてください。
全長3.4mだからけっこう大きいです。重量は1トン、重くはないですね。
動く仕組みは、両足に車輪をつけ、すり足で交互に動かして前に進みます。
重心移動がほとんどないので、これより大きくなっても作れそうな気がしますが、
2足歩行と言えるかどうかは疑問です。

榊原機械 「LAND WALKER」 


次に出てきたのが、水道橋重工の「クラタス」で重量6.5トン。人も乗れます。
日米ロボット対決で話題になりました。これも動画が出ています。
下の画像だと2足に見えますが、実は4足で車輪で走行します。
多少の段差なら登れますし、かなりの高速移動もできます。
ですが、重機に頭と腕をつけたようなもので、とても歩行するとは言えません。

水道橋重工 「クラタス」


あと、世界の自走ロボットも検索してみたんですが、ある程度以上の大きさでは、
車輪やキャタピラで走行するものばかりで、足を上げ、地面を踏んで
移動するものは見あたりません。やはり、歩行というのは、
それだけ技術的にも、費用的にも難しいんだと思います。
じゃあやっぱり、歩行するガンダムって無理なんでしょうか。

これ、自分には一つアイデアがあります。ただし反則ですが(笑)。
アメリカの軍用機、オスプレイはみなさんご存知でしょう。墜落しやすいとか、
いろいろ批判が出ていますよね。操縦が難しいのは、ローターを上に向けることで、
ヘリコプターのように垂直離発着できるようにしたからです。理論上は、
ヘリと飛行機の利点を合わせ持っていることになります。

このオスプレイの全長は17.5mです。おお、縦と横の違いはありますが、
ガンダムの全長とほぼ同じです。垂直離陸時の重量は24トンとなっています。
オスプレイのローターは2つありますが、1つでも、10トンくらいのものは
浮かせることができそうですね。現在、お台場にあるガンダム像は
約50トンだそうですが、重量があるのは安定して立たせるためです。



で、そのローターをガンダムの頭につけます。ただし、空高く飛ばす必要はありません。
地上ギリギリに浮かせればいいんです。立たせる必要がないので、
なんとかガンダムの外面だけを、カーボンなどの軽い素材で10トン以内でこしらえる。
あとは、「歩いているふり」をさせる。モーター駆動で足だけを上下させます。
地面を踏まなければ、大きな反作用はこないですよね。

さてさて、ということで、自分が出した結論は、地上ギリギリの高さで空中に浮き、
形だけ足を動かして歩いているふりをするガンダム。羽田空港は平坦地ですので、
段差を越える必要もないですし、現実的にできそうな気がします。
危険なので人は乗せないで、リモコン操縦。
ただ、これでも費用は百億以上かかるでしょうねえ。

あと、もう一つ問題になるのが燃料補給です。このガンダムは一度浮いてしまうと、
自分では立てないので、地上に下ろすことができません。
(最初だけは、ロケット発射台のようなのに立たせる)
また、燃料を胴体に蓄えると重くなってしまうので、常時ホースとかで
給油を続けなくてはなりません。どんだけ燃料費がかかるんでしょう(笑)。
ということで、今回はこのへんで。






ロビンソンとガリバーの間

2019.02.25 (Mon)
アーカイブ25



変な題名だと思われるでしょうが、これ、空想冒険小説の歴史を語る上で
けっこう重要なことではないかと自分は思っています。
さて、どこから話していきましょう。
まず、「大航海時代」のことから書いていったほうがいいでしょうか。

大航海時代というのは、「15世紀半ばから17世紀半ばまで続いた、
ヨーロッパ人によるアフリカ・アジア・アメリカ大陸への大規模な航海が
行われた時代。主にポルトガルとスペインにより行われた。」とWikiにあります。
自分が前に書いたエルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロも大航海時代の人物です。
17世紀の終わり頃には、世界の隅々にまでヨーロッパ人が到達し、
定期航路が開かれるようになりました。

なぜ、大航海時代が始まったかについては、いろいろな要因があります。
技術的なものとしては、大きな船が作られるようになったこと、
天測などの航海術の発達があげられます。経済的な面では、
国際交易の発展です。黄金、香料、その他異国の珍しい物産を求め、
一攫千金をめざした人々が海へと乗り出していきました。

学問的には、地理学、博物学の進展があげられるでしょうし、
宗教的に、異教徒を改宗させ、キリスト教の勢力範囲を広げるという意図も
大きかったと思います。その中で、たくさんの発見や発明がありましたが、
残念ながら、暴力による征服、略奪、虐殺、奴隷貿易なども行われました。
明るい面と暗い面があったわけですね。

さて、『ロビンソン・クルーソー』は、子供の頃に読まれた方は
多いんじゃないでしょうか。作者は、イギリスの小説家、ダニエル・デフォー。
『ロビンソン・クルーソー』が刊行されたのは、18世紀初頭の1719年です。
主人公のロビンソンが、船乗りにとなって航海に出かけ、
無人島に漂着し、独力で生活を築いてゆく物語です。その中で現地人を助け、
フライデーと名づけて従僕とし、28年後に帰国します。

ロビンソン・クルーソーには、モデルがいるという話がありますね。
航海の途中で漂流したり、無人島に流れ着いてそこで生活したりということは、
ずいぶんあったようで、実体験の航海記もいくつも出回っていたみたいです。
大航海時代が終わってしばらくたった年代ではありますが、
まだその名残を引きずっていた頃の話なんです。

次に、『ガリバー旅行記』ですが、アイルランドの風刺作家ジョナサン・スウィフト
によって仮名で発表されたのが1726年のことです。
ガリバーは、最初は船医でしたが後に船長となり、
小人国、巨人国、空飛ぶ島の国ラピュータ、馬が支配するフウイヌム国を訪れます。
あと、ガリバーは日本にも来ているんですが、
児童向けの翻訳では、そのあたりがカットされたものも多いですね。

『ガリバー旅行記』の、特にその後半部分は風刺文学であると評価されています。
架空の国の政治や宗教を通して、現実の世界を皮肉っているわけです。
これは実際、そういう意図を持ってスウィフトが書いているのは間違いないですが、
冒険小説としての側面も忘れてはならないでしょう。

で、ここで注意してほしいのは、物語の舞台が、ロビンソンからガリバーで、
現実の世界から架空の世界に変わっていることです。
この背景には、大航海時代が終わって、世界のほとんどの地域が地図に記載され、
民族や文化の知識が広まったことがあげられると思います。
つまり、自由に空想の翼を広げることができる土地は、
想像の中の異世界にしか残されていなくなったわけです。

さて、19世紀に入って、一人の人物がフランスに生まれました。
SF小説の父とも言われるジュール・ベルヌです。
彼は、1864年に『地底旅行』、翌年に『月世界旅行』、1870年に
『海底二万哩』を刊行し、作品の舞台をどんどん、
地上以外の海底、地底、宇宙などへと広げていきました。

さらに、1865年、ルイス・キャロルが『不思議の国のアリス』で、
夢の中の精神世界への旅を描き、1895年、H・G・ウェルズが、
『タイム・マシン』で、時間旅行の可能性を提示しました。

また、1900年、アメリカのフランク・ボームが『オズの魔法使い』で、
カンザスの田舎に住む平凡な女の子が、いきなり竜巻で、
魔法が支配する国に吹っ飛ばされるというファンタジー世界を創造し、
ここまでで、空想冒険小説の舞台はほとんど出そろうことになったんです。
(ただ、これはあくまで欧米小説の流れであって、
インドや中国、中東などには独自の歴史があります。)

さてさて、現在のアニメやラノベでは「異世界もの」がたいへん流行しています。
現実の世界ではパッとしない主人公が、異世界へは勇者として召喚された、
といった筋立てのものが多いようですが、
この異世界という概念の始まりは、自分は、上で書いたように、
『ロビンソン・クルーソー』と『ガリバー旅行記』の間あたりにあるんじゃないかと
考えています。そういう意味で、『ガリバー旅行記』は、
異世界ものの元祖としても評価されていいんじゃないかなあと思うんですね。

関連記事 『黄金郷伝説』   関連記事 『ケツァルコアトル伝説』







当ブログの周辺事情

2019.02.24 (Sun)


今回は雑記ですね。最近、当ブログのアクセス数が少し増えまして、
このブログには、だいたい毎日200人くらいのお客さんが来て
くださるのですが、それが20人ほど増えた感じです。
どうしてなのかな? と思っていたんですが、どうやら、参加している
「日本ブログ村」さんのサイトがリニューアルされたためのようです。

自分はアクセス解析とかはしてないので、はっきりしたことはわかりませんが、
そっち経由でお客さんが増えているみたいです。
ただ、ブログというのは、検索経由で来てくださるお客さんが多くないと、
アクセス数は爆発的には増えないんですよね。

このブログを始めたのはもう6年も前なんですが、その当初から、
お客さんの数は多くはならないだろうと思っていました。
これはもちろん内容の問題もありますが、そもそもオカルトやホラー、
怖い話って、好みが極端に分かれるものなんです。

前に少し書きましたが、あるアンケートでは「怖い話が好き」25%、
「嫌い」が45%で、嫌いな人が好きになることはまずないと思われます。
ゴキブリが嫌いな人の気持ちは一生変わらないでしょうし、
生理的に嫌だというものはどうしようもありません。

ですから、たんにブログのアクセス数を増やすことがねらいなら、
オカルトホラーというジャンルは最初から選びませんでした。
自分は占い師をやってますが、おそらく占星術のブログをやれば、
他の占いブログの数字から考えると、
アクセス数はこの10倍以上はいくと思います。

でも、占いは本業だし、自分のは特に、依頼者の方と対面して行うのが
基本なので、占星術のブログはやるつもりはなかったんです。
とはいえ、ブログを始めて最初のうちは、いろんな方のブログを訪問したり、
お客さんを増やす努力を続けていました。

それが、病気で一時(1年2ヶ月も)中断した後から、
少し考えが変わりまして、「儀礼的な訪問のやりとりではなく、実際に
話を読んでくれるお客さんに来てほしい」と考えるようになりました。
ですから、当ブログを訪問してくださっているブロガーさんのブログも
できるだけ読むようにしています。ただ、これが時間がかかるんですよね。

自分は自由業で、原稿なども書いてますので、基本的に土日はありません。
勤務時間というものもなく、働けば働くほど収入が増えます。
そのため、このブログにあまり時間をかけるわけにいかず、
ブロ友とか相互リンクなどはお断りさせていただいてるんです。



さて、話変わって、当ブログの特徴としては、
過去記事がかなり読まれているという点があげられるでしょうか。
おそらく、最新記事よりも過去記事のほうがアクセス数が多いと思います。
当ブログでは記事への「拍手」を設定していますが、

ときどき、1日50個とかそれ以上、過去記事に拍手してくださる方が
いるんですね。これはたいへんうれしいことです。新しく書いた怪談のできが
悪くて落ち込んでいるときでも、過去記事が読まれているとほっとします。
最近、「アーカイブ」というのを始めましたが、
これも過去記事が読まれてほしいからなんです。

今後の方針として、毎日更新はできるかぎり続けていきたいと思います。
自分は旅ルポのような仕事もあるので、これはたいへんなんですが、
1日休むとダラダラ続けて休んでしまいそうな気がするので、
自動投稿を駆使して何とか工夫していきたいです。

あとはそうですね、内容面では、オカルト記事を増やしていきたいですね。
最近、オカルトホラーとは関係ない記事が多くなってるので、
自戒しまして、UFO、UMA、魔術関連の記事を多くしたいと考えてるんですが、
どうしても内容が、オカルトサイトの「tocana」さんや
「カラパイア」さんとかぶっちゃうんですよね。

海外記事を読み込んで、独自の内容になるように心がけたいです。
あと、ブログの記事の内容から、自分をオカルト否定派だと思われてる方も
いると思いますが、それは違います。本物のオカルトはあります。
ただ、ニセモノがあまりに多すぎて、オカルトの陳腐化現象が進んでる
気がするので、そのあたりの線引きはきっちりやっていきたいです。

研究対象としてのオカルト、あるいはエンターテイメントとしての
オカルトはいいんですが、中には、金儲けのために意図的に作り出された
悪いものがあるのも確かです。オカルト雑誌「ムー」では、
かつてオウム真理教を何度も特集してましたが、殺人集団を持ち上げるのは
さすがにマズかった。そういうのをしっかり見分ける目を持ちたいものです。

さてさて、ということで、あれこれ書いてきましたが、自分の願いとしては、
オカルトがもっともっと盛んになってほしいなあということで、
上に書いたことと相反してしまいますが、ゴキブリが嫌いな人に
ゴキブリのよさに目覚めさせたい(笑)ですね。では、今回はこのへんで。

関連記事 『怖い話の周辺事情』






袋の話

2019.02.24 (Sun)
今晩は、都内に住む主婦です。よろしくお願いします。
私と、2人の子どもたちに起きた出来事なんです。はい、子どもたちは、
上が息子で小学校4年生、下は娘で2歳になったばかりです。
ことの始まりは、今から考えれば、今年の1月のなかば頃ですね。
息子に「学校の工作で使うんだけど、家に紙袋ある?」って聞かれたことです。
でも、コンビニ袋はとっておいてあるけど、紙袋って今、あんまりないですよね。
私が化粧品を買ったときのデパートのがあったので、
「これでいい?」って息子に聞いたら、息子はそれを頭からかぶろうとして、
入りきらずに「これじゃ小さい」って言ったんです。
「え、何に使うの?」聞き返したら、「節分のときの鬼の面」
こういう答えでした。そういえば鬼の面は、私が子どものときも

作ったことがあるけど、それは輪ゴムで耳につける平面的なものでした。
「うーん、あんたの頭が入る大きさか、ちょっと待ってね」
あちこちの押し入れを探してみると、主人の母親が使ってた部屋に、
たくさん、大きめの紙袋を集めてヒモで束ねたのがあったんです。
はい、同居してた主人の母親は、下の子が生まれる前の年だから、
3年前に急な病気で亡くなってるんです。その部屋は整理しないままでした。
紙袋は、観光地のお土産のものが多かったですね。
義母は旅行が趣味で、国内ですけど、生前はあちこちの神社仏閣に
ちょくちょく出かけてました。その袋を一枚、自分でかぶってみたら頭が入ったので、
やや小さめのを息子に渡したんです。え、どこの紙袋だったかって?
それが、何か絵が書いてあった気がしましたが、よく覚えてないんです。

それで、そのことはすっかり忘れてたんですけど、1月の終わり頃になって、
「学校で鬼の面作ってるよ」と言ったので、「ああ、もうすぐ節分なんだ」
と思い出したんです。うちでも節分は、まねごとですが、
毎年やってたんです。福豆を使う本格的なものではなく、
殻つきの落花生を各部屋を回って一つずつ、主人と息子が投げ入れるだけ。
それから齢の数だけ豆を食べます。まあ、どこのお宅でもそんなものですよね。
それから2日後です、夜、変な夢を見たんです。
暗い部屋の真ん中に籐椅子が置いてあり、そこに人が座ってる。
男か女かもわかりませんでした。というのは、その人、
体には青いガウン・・・ガウンと言うか、病院で手術のときとかに着るものに
似てました。そして顔には袋をかぶっていたからです。

袋には何か模様があるようにも思えましたが、あたりが暗くてはっきりしませんでした。
その人は、ただ籐椅子をゆらゆら揺らし続けている。
そんな夢だったんです。それで、夢ってふつう時間の経過ってわからないですよね。
ところが、その夢の中では、起きてるときと同じ感じで時間がたっていきました。
最初は怖かったんだけど、だんだん退屈になってきました。
「いつまでこんなの見てなくちゃならないのか」じりじりしながらそう思ってたとき、
唐突に目が覚めて、朝になっていたんです。そうですね、
私の感覚だと、2時間近くその場面を見ていた気がします。
最初に話したように、私は専業主婦で、朝に主人と息子を送り出すと
ほっと一息つけるんです。娘はまだ幼稚園前でいっしょにいますが、
おとなしい、手がかからない子で、少しずつ言葉を話し始めたところでした。

午前中に掃除と洗濯をして、午後は娘を連れて買い物に行くことが多かったんですが、
出ようとした矢先、スマホに連絡が入ったんです。学校からでした。
「○○さん(息子のことです)が急に倒れたため、△△病院に搬送します。
 保険証を持ってすぐ来てください」こういう内容でした。
驚いて、娘を連れてすぐに車で向かいました。
病院の救急に着くと、小学校の担任と養護の先生がいてくださり、
息子は検査中でした。先生方の話では、学級で鬼の面づくりをしてる最中、
息子が急に、頭に袋をかぶったまま立ち上がり、
踊るように手足をばたつかせてから倒れ、頭を床に強く打った。
意識はあったが、頭部のことなのでこうやって病院に運んだ・・・
こんな話だったんです。事情はよくわからなかったんですが、

とりあえず先生方にお礼を申し上げました。30分ほどで息子の検査は終わり、
本人はケロッとした様子でした。頭部CTを撮ったんですが、特に異常はなし。
床に打った頬の部分が少し青くなってましたが、病院の先生からは、
「まあ顔だし、かぶれるといけないから、湿布などは貼らないほうがいいでしょう。
 1週間ほどでアザはとれますよ」こういうお話でした。息子に「痛い?」と聞くと、
「少し」とだけ答えました。そのまま息子を家に連れて戻ったんですが、
話を聞いても要領を得ず、ただ「自分で作ってる面の目鼻に穴を開けるところを
 合わせようとかぶってみたら、急に踊りたくなって、
 立って踊ってるうちに倒れちゃった」こんな内容だったんです。
まあ私としては、いじめやけんかがからんだことではなかったので、
それはよかったんですが・・・翌日ですね。

大事を取って息子を休ませようかとも思ったんですが、
息子が「もう治ったから学校に行く」と言って聞かず、そのまま送り出しました。
それで息子はいつもの時間に帰ってきまして、「お母さん、これ」
そう言って、ランドセルから折りたたんだ紙袋を出して広げました。
「僕が作った鬼だよ」・・・紙袋は全体が真っ赤に塗られていて、
目や鼻、口の穴が空いた部分のまわりが紫色に縁どられてました。
そして赤の地の上に、ぐるぐると黒の渦巻き模様・・・
とても子どもが作ったようには見えませんでした。息子は得意そうに、
「先生にほめられたんだよ。ものすごく怖くできてるって」そう言いました。
たしかに、怖いし、見てるだけで背筋がぞくぞくするような気がしたんです。
「これ鬼なんでしょ。ツノはないの?」やっとそう聞くと、

息子は考え込んで、「みんなツノをつけてたけど、僕はないほうがいいように
 思ったんだよ。そのほうが本物らしいし」 「本物らしいって?」
「・・・わかんないけど」息子がどうしてもと言うので、
気味が悪かったんですが、そのお面はリビングのテレビ台の横に立てておきました。
夕方になって、主人が帰ってくると、息子が「これ、僕が作ったんだよ」
その面を見せ、主人も「へええ、迫力があるなあ。先生が手伝ってくれたんだろ」
そう言うと、息子は「違うよ」とふくれました。主人は続けて、
「あした節分だから、お父さんがこれかぶって鬼をやってやるよ。
 でも入るかなあ」こんなことを言ってました。その日の夜のことなんですが・・・
ここからの内容は、ただの夢なのかもしれません。怖いことなんか何もなくて、
私が全部心の中でつくりあげたことなのかもしれないんです。

そのことをお断りしてきます。夜中に目を覚ましました。時計を見ると
3時過ぎでした。うちは寝室に私と主人が寝て、下の子のベビーベッドも
置いてあります。息子は一人で2階の部屋に寝てるんです。
そのときは夢は見なかったんですが、すごくのどが乾いてました。それで、
何か飲み物を飲もうと、そっと起き出してキッチンに行ったんです。
冷蔵庫から麦茶のペットボトルを出してコップについだとき、リビングのほうで
カサッという音がしました。ふり返ってそっちを見ると、
テレビ台の前に人が立ってたんです。前に夢で見た、袋をかぶった人です。
「え!?」声が出ませんでした。体も動かない。人って・・・
本当に怖い思いをしたとき、固まって何もできなくなってしまうんですね。
その人はゆっくり前かがみになり、自分が頭にかぶっていた袋をぬいだんです。

真っ黒い頭がありました。いえ、頭と言っていいのかどうか。
黒い雲のうずまきみたいなものだったんです。「見ぃつけた・・・」そう言ったと思います。
それから両手で、息子の作った鬼の面をかかげて自分の頭にかぶせたんです。
ここでどうにか声が出ました。立ったまま大きな悲鳴をあげて叫び続け、
ややあって、「何だ、どうした?!」主人が出てきて部屋の照明をつけてくれたんです。
リビングには誰もおらず、面の袋がカーペットの上に落ちてました。
私は主人に何をどう説明していいかわからず、すごく困ってしまいました。
翌朝です。落ちていた面は主人がテレビ台に戻してたんですが、
色や模様は同じなのに、前日に見た鬼気迫るような感じはまったくなくなってました。
子どもが塗りたくったヘタクソなお面。その夜、豆まきをしました。主人が鬼になり、
面の袋に頭が入らないのでセロテープで貼りつけて。何事も起きませんでした。






諱(いみな)の話

2019.02.22 (Fri)
今回はこういうお題でいきます。あんまり面白くないと思います。
さて、どうしましょう。最初に歴史クイズでもやりますか。難しくはないです。
① 尾張出身で、安土城を築いた戦国武将は誰か?
② 江戸時代に北町奉行を務め、その背には彫物があると噂された旗本は誰か?
③ 幕末、新選組の局長を務めた天然理心流の剣客は誰か?

①は「織田信長」、③は「近藤勇」ですよね。②もおわかりでしょうが、
みなさんはどう答えられますかね。「遠山の金さん」でしょうか、
それとも「遠山金四郎」、あるいは「遠山左衛門尉(さえもんのじょう)」・・・
「遠山景元」と答えられる人は、あんまりいないんじゃないかと思います。

織田信長
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そう、今日は武士の氏名の話をしていきたいと考えています。
まず、織田信長はフルネームで「織田・三郎・平朝臣・信長」。
読みは「おだ・さぶろう・たいらのあそみ・のぶなが」だと思います。
ここで、「織田」は家名つまり名字のことです。

「三郎」は仮名(けみょう)といって、通称・呼び名ですね。
信長は次男でしたが、家督を継いだため父親の仮名をそのまま継承して三郎。
仮名は人によっては複数あり、信長の場合は「上総介」 「弾正忠」
などとも呼ばれました。これは、戦国の覇者となってからの信長を
「三郎」と呼ぶわけにはいかないですからね。

「平朝臣」は信長の「氏 うじ」を表します。平氏の一門に連なるという意味。
最後の「信長」が諱です。諱は「忌み名」であり、信長が他人から
これで呼ばれることはなかったはずです。諱を使うのは、自分で文書などに
署名する場合や、朝廷での儀式関係のときくらいでしょう。
あと、元服前の幼名もあって「吉法師」ですね。

遠山の金さん
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このように、武士のフルネームは「家名・仮名・氏・諱」の順になっていましたが、
よほどの場合でなければ、氏を名のることはありませんでした。
もう一人、遠山の金さんも見てみましょう。これもフルネームは、
「遠山・金四郎 または 左衛門尉・景元」で、
氏は系図を調べればわかるでしょうが、面倒なのでやめておきます。

仮名が二つあるのは、朝廷から「従五位下左衛門少尉」の官位を受けていたため。
ですから、遠山より目上の者は「金四郎 殿」 、目下ならば「左衛門尉 様」と、
呼び方が違っていたと思われます。ここで、実際の官位と仮名が一致するのは、
江戸時代では珍しい例なんですね。

島津・松平薩摩守・斉彬


例えば、九州の島津家では、仮名として「薩摩守」を名のることが多かったんですが、
これは朝廷から正式に与えられた官職ではありません。また、そこらの浪人でも、
「山田左近」とか「佐々木刑部」などと、一見官職のような偉そうな仮名を
勝手に名のってる場合も珍しくはありませんでした。

③の近藤勇の場合は、勇が仮名で、諱は昌宜(まさよし)です。
ただ、「近藤昌宜」とすると、誰のことだかわからなくなってしまいます。
ですから、教科書に載っている歴史上の人物の名前は、
仮名と諱が入り混じってるんです。統一したほうがいいような気もしますが、
現実的にはどうにもならないんでしょうね。

近藤勇
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さて、諱は日常、ほんとうに使われることがなかったので、
ある武士が亡くなって、まわりの友人、知人の誰も諱を知らず、
郷里のお寺まで確かめに人を行かせたなんて話はいくらもあります。
基本的に、諱で呼んでもいいのは、その武士の主君か親だけでした。

これは、諱は、その人物の霊的な人格と強く結びついたものであり、
その名を口にすると、その霊的人格を支配することができると考えられたからです。
夢枕獏氏の『陰陽師』シリーズは平安時代の話ですが、敵に諱を知られ、
呪をかけられてしまうシーンが出てきますが、まさにああいう感じです。

他人の諱は、呪詛に使ったり、あるいは仇討ちなどで憎い相手にわざと
諱で呼びかけるとか、そういう場合にしか出てきませんでした。
さて、諱を使う風習は、中国から日本に伝えられたのは間違いありません。
例えば、三国志で有名な蜀の軍師は「諸葛・亮・孔明」です。

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ここで、諸葛が姓、亮が諱、孔明が字(あざな)ですね。
幕末の国学者、本居宣長はその著書で、「諱は中国から伝わってきた
よくない風習で、本来、日本では名前は美称であったはずだ」と述べています。
ただ、宣長は何でもかんでも中国由来のものを否定する傾向が強く、

本名を他人に知らせない習慣は中国だけでなく世界各地に見られ、
日本でも、中国から諱が入ってくる前から、
もともとそういう風習があったのだとする反論もあります。
で、明治になって戸籍法が発布され、仮名と諱を統一することになり、
ここで、日本人の氏名から呪術的な要素はなくなってしまったんですね。

さてさて、ということで、諱を中心に江戸時代の氏名について
見てきたわけですが、呼び名には上記した以外にも、松尾芭蕉の
芭蕉のような「号」、出家した場合の「法名」があって、たいへん複雑なんです。
みなさんも、歴史的な人物の氏名について、以上のようなことを頭に入れておくと
面白い発見があるかもしれません。では、今回はこのへんで。

関連記事 『漢風諡号小考』

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スペースデブリと黒騎士衛星

2019.02.22 (Fri)
地球の周りをグルグル飛んでいる、スペースデブリ問題が人類の
悩みのタネとなっている昨今。とある小さな人工衛星が、
先端にかえしの付いた銛を使い、疑似宇宙ゴミの破片を捉えました。

宇宙ゴミ除去のための様々な方法を試す衛星プロジェクトの名は「RemoveDEBRIS」。
重さ100kgの衛星で、地球の低軌道を飛んでいます。声明によれば、
これはイギリスにあるサリー大学が主導し、宇宙企業と研究機関の組合から成り、
一部の資金はEUから来ているとのことです。
(ギズモード・ジャパン)

スペースデブリのイメージ
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今回は、科学ニュースからこういうお題でいきたいと思います。
ただ、これだけだとつまらないので、少々オカルト的な話題も混ぜます。
上記のニュースは、「スペースデブリ space debris」を除去するために、
人工衛星が銛を発射して捕らえ、回収するという内容です。

これだけ見れば、たいへんいいことのように思えますが、
ただ、この方法でどのくらいのデブリが回収できるかどうか、
費用対効果の問題もあります。現在、地球の衛星軌道には、すごい数の
スペースデブリが存在しているからです。

デブリ回収用の銛
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まず、スペースデブリとは何か? Wikiによれば、「なんらかの意味がある
活動を行うことなく、地球の衛星軌道上を周回している人工物体のこと」と
なっています。地球軌道上にはもちろん、隕石片などの自然の物体もあるんですが、
それらは、「流星物質」と呼ばれて区別されています。

では、スペースデブリはどうやってできるのか? 衛星打ち上げに
使われた多段ロケット、人工衛星からはがれ落ちた破片、
宇宙飛行士が船外活動で落とした手袋や工具、そしてデブリ同士が衝突して
できる2次的な破片などなど。そういうもので成り立っています。

次に、スペースデブリはどのくらいあるのか? NASAやEUの研究所などが
試算を出していますが、1993年時に、地上のレーダー観測で、
地球軌道上に10cm以上のスペースデブリが約8000個確認されていました。
それが2017年には、約20000個に増え、
全長1m以上のものも5000個以上あると考えられています。

現在観測されているスペースデブリ
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年々増加しているんですね。ですから、引用ニュースのように、
銛を使って1個1個回収していくのが、はたして効率がいいかはかなりの疑問です。
ただ、上記のサリー大学では、以前にも網を使ってデブリの回収を試みており、
回収方法の開発に研究の主眼がおかれているようです。

網でデブリを回収する計画
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ところで、スペースデブリってどうして危険なんでしょうか?
これはデブリがただ浮いてるのではなく、高速で移動しているからです。
低軌道のものは秒速8kmほど、高軌道でも秒速3kmほどの速度を持っています。
ですから、10cm程度のものでも、宇宙船や人工衛星が衝突すれば、
完全に破壊されてしまいます。小さいものも、戦車用ライフルなみの威力があります。

デブリの中には、大型バスほどの大きさを持つものもあり、
このまま放置しておけば、早ければ30年後には人工衛星が使われなくなる、
とする意見もあるんです。気象衛星や通信衛星が使えなくなっては一大事。
ですから、世界の各国で、スペースデブリの回収が急務である
とする考えは統一されています。

これを受けて、現在、国連では宇宙空間で人工衛星を破壊することを禁じる決議が
採択されていますし、各国とも宇宙ロケット発射時に、できるだけデブリを
出さないような研究をしています。国際宇宙ステーションでも、
宇宙飛行士のウンコなどを船外に排出することをせず、
リサイクルして、すべて地上に持ち帰るようにしてるんですね。

さて、ここからはオカルトの内容に入ります。みなさんは「黒騎士の衛星」
あるいは「ブラックナイト(Black knight)衛星」という言葉を聞かれたことが
あるでしょうか。黒騎士とは、全身の鎧を黒く塗り、本来は紋章がついているはずの
盾も黒塗りにしている正体不明の騎士のことで、アーサー王伝説にも登場します。

黒騎士の衛星は、約13000年前から地球軌道に存在しているとされるもので、
宇宙人が太古に、地球文明の監視のために設置したものが、
まだ動いていると言われることが多いですね。1954年、アメリカ合衆国の日刊紙が、
「アメリカ空軍が、地球を周回する、謎の衛星の目撃報告を行った」
という記事を掲載したのがことの発端です。

UFO研究家 ドナルド・キーホー


これに飛びついたのが、UFO研究家として有名なアメリカのドナルド・キーホー
という人物です。キーホーは、以前からあった、冥王星発見者である
クライド・トンボーの自然衛星の研究とこれを結びつけて、「黒騎士の衛星」伝説を
作り上げたわけです。はじめから実体のないものなんですね。

下の画像は、インターネット上に出回っている「黒騎士の衛星」の画像ですが、
じつはこの正体は判明しています。1998年に打ち上げられたアメリカの
スペースシャトルから、誤って船外に発射されてしまった
サーマルブランケット(熱遮断用の布)で、その宇宙空間への放出の経緯も
詳しくわかっています。このブランケットは燃え尽きてしまったと考えられます。

「黒騎士の衛星」とされる画像
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さてさて、ということで、黒騎士の衛星自体は たわいのない話なんですが、
では、宇宙空間に正体不明の人工衛星がないかというと、これがあるんです。
日本のアマチュア天文家が2002年、赤道上の軌道で、
直径50m以上もある巨大な静止衛星を発見しました。

軍事偵察衛星
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これほど大きいのに、どこにも情報はない。推測では、これはアメリカの極秘
偵察衛星と考えられています。NASAおよびアメリカ軍は、この件について
ノーコメント。今後は中国も対抗して、存在の明らかにされない軍事衛星を
打ち上げてくる可能性もあります。宇宙空間における情報戦争はすでに
始まっているわけですね。では、今回はこのへんで。

関連記事 『地球発、宇宙汚染』




笛を吹く話

2019.02.20 (Wed)
※ ナンセンス話です。

あ、どうも、よろしくおねがいします。さっそく話していきますけど、
僕、音大に入っているんです。日本には、美術とかといっしょじゃない、
音楽だけの大学は少ないので、どこのことかバレちゃうかもしれませんね。
専攻は管楽器、フルートです。もちろんピアノも弾きますけど、
上手くはありません。まあ、フルートのほうも上手いってわけじゃないんですけどね。
これは音大に入ってからわかったんですが、楽譜どおりミスなく演奏できる
ってのは当たり前で、プロの演奏家を目指すには、
それプラス何かがなくちゃいけないんですよ。要は才能が足りなかったんです。
はい、才能ある同級生や先輩とは出てくる音が違うんです。
これは聞けば素人でもわかると思いますよ。まず、肺活量や腹筋なんかの、
生まれつきの体つきからして違います。

もちろん走ったり筋トレもしましたけど、音は少ししかよくなりませんでした。
がっかりしましたよ。子どもの頃から有名なオーケストラで演奏するのが
夢でしたからねえ。それで、フルートをやるかたわら、
邦楽にも手を出したんです。あの、笙って楽器知ってますか。
ええ、そう、雅楽で使われるやつです。たくさんの竹の管を合わせて息を吹き込んで
音を出します。大きさはまるで違うけど、原理は教会のパイプオルガンと
同じなんです。あ、すみません、こんなこと興味ないですよね。
それでね、大学でも笙を演奏する人は少なくて、何か就職に有利になるんじゃないかと
思って。音大を出てオーケストラに就職できない場合、中高の音楽の先生を
やる人が多いんですが、僕、子どもがあんまり好きじゃないんで、
最初から教員免許をとるカリキュラムにはしてないんです。

笙の笛は学校のを借りて練習してます。はい、すごく高価なんです。
無理ないですよね。そもそも日本に笙の演奏家なんて数えるほどだから、
どうしても高くなるんです。始めてから1年、なんとかそれなりに吹けるようになって
きたところでした。邦楽科のピロティに、アルバイト募集の紙を貼ってる
掲示板があるんですが、そこで「笙の演奏家求む」ってのがあったんです。
時間やバイト料なんかの説明はなく、「委細面談にて」と書かれてました。
お金がなかったので連絡してみようと思ったんですが、
2つ心配な点がありました。一つは、僕は「演奏家」って呼べるほど上手くないこと。
もう一つは、自分の楽器を持ってきてくださいって言われたら困ることです。
学校のを外に持ち出すわけにはいきませんから。電話したら、年配の男の人が出て、
都心にあるビルを指定されました。そこに○日の朝9時に来てくれってことで。

行ってみたらそのビル、下のほうに誰もが知ってる大銀行の大きな支店が
テナントとして入ってて、僕が指定されてたのはそこの最上階でした。
広い会議室に10人ばかり、僕と同じようなアルバイト志望の人が集まってました。
待ってると、60代に見える恰幅のいい男性が出てきて、
簡単な説明の後、一人ひとりが小部屋に呼ばれて、実技のテストをされたんです。
そのときに若い男性の係の人に「楽器がない」って言ったんです。そしたら、
「それは大丈夫ですよ」って、奥の棚から大きな楽器を出してきました。
それ、すごく古くて立派なものに見えたんですが、笙じゃなかったです。
「これ、竽(う)ですよね」竽というのは、笙より1オクターブ低い音が出る和楽器で、
ひとまわり大きいんです。大学で見たことはありますが、
さわったことなかったんです。正直に「僕、できるのは笙だけなんですが」そう言うと、

係の人は、「大丈夫です。原理は同じですから、ここで音だけ出してみてください」
それで、手にとってそっと吹いてみたんです。ボーッと船の汽笛みたいな
音が出ました。それからオクターブを確かめてから、笙で練習してた曲を
ひととおり吹いてみました。係の人は目を閉じて聞いてましたが、
「いいですね。よく吹けてる。あなたにお願いすることにしましょう」
そう言われたんです。その後、バイトの条件面の話になったんですが、
とてもいい条件なんだけど、変わってましたね。毎日、夕方の5時から7時まで、
そこのビルにある防音室で曲の練習をしてもらう。それが1日2万円。
これ、すごいでしょう。時給1万円ってことです。さらに、僕が曲を覚えたら
演奏会に出てもらうが、そのときは1日で10万円ってことだったんです。
ただ、いくつか奇妙な条件が付随してました。

まず、貸してもらえる竽は外に持ち出さないこと。貴重な楽器ですから、
これは当然です。それと、練習のための楽譜も持ち出してはならない。
最後に、その楽譜にある曲のことは、絶対に人に話してはいけないし、
他の楽器、例えば僕の場合だったら、笙やフルート、あるいはピアノで演奏しても
いけないってことです。これ、変わってますよね。ふつう、ある曲を解釈する場合、
違う楽器、特にピアノで弾いてみると、その曲想がつかみやすいんです。
ところが、それが厳禁されました。うーん、よくわからないですが、
そのときは、その曲が、いわゆる「秘曲」ってやつじゃないかと思ったんです。
邦楽曲の場合、九条家とか、ある公家の家だけに伝わる曲ってあるんです。
伝授によってのみ伝えられる。そういうものなのかなあ、ってなんとなく考えました。
翌日から、そのビルの地下に通いました。20ほど個室の防音室があったんです。

渡された楽譜は、もちろん西洋の五線譜でした。ただ、ところどころに日本語の
指示が書いてましたね。「ここで舌を上顎につけて吹く」みたいな。
曲の題名は書いてなかったです。長い曲ではなかったし、くり返しが多くて
難しいとは思えませんでした。部屋にあった竽で数小節吹いてみました。
すると、頭の中に景色が浮かんだんです。うまく説明できないですけど、
古戦場みたいなところを風が吹き抜けてる場面です。古戦場というのは、
地面に矢が刺さったり、鎧を着た人が倒れたりしてる・・・
それが見えるわけじゃないんですけど、そういうものがあるのがわかるっていうか。
クラシック音楽をやった人なら理解できると思うんですけど、演奏が興に乗ってくると、
その曲を作った人の頭の中に浮かんだものが見えるように思えるときがあるんです。
でね、その戦場、よくわからないんですが、日本じゃない気がしたんです。

それから、2週間ほど防音室で練習しました。その期間で1曲ですから、
まあわけはないし、楽譜も完全に覚えてしまってました。その地階の防音室には、
僕の他にも人が入ってるみたいでしたが、時間がずらされてるためか、
行き帰りに会うことはなかったです。それで、練習を始めて10日目くらいのことです。
僕、大学の外にフルートを持って出たとき、何気なくその曲を吹いちゃったんです。
いや、わざと条件にそむくつもりはなかったんです。ほんとに、何の気なしにふっと。
すると、2小節ほど吹いたとき、頭上でギャーって悲鳴が聞こえました。
僕の大学は、食べこぼしなんかをねらってかなりカラスが来るんですが、
その悲鳴です。最初、人間かと思うほど苦しげな声でした。
見上げると、近くの木にカラスが3羽とまって僕のほうを見てましたが、
そのうちの1羽がボタッと下に落ちたんです。近寄っていくと、

目を開いたまま、クチバシから白いものを出して死んでました。練習が始まって
20日目くらいですね。合同練習があったんです。最初に行った大ホールに、
12人、人が集まりまして、どの人もそれぞれ和楽器を持ってました。
みな性別も年齢もバラバラでしたが、僕と同じ大学生に見える人も何人かいましたね。
このアルバイトで最初に会った男性が指揮者を務めて、それぞれ練習していたのを
合わせる。それがね、異様なことに、全員が耳栓を渡されたんです。その上に
さらにヘッドホンをして演奏するんです。ありえないでしょう。
他の人の音が聞けないんだから。あ、あと、ホールの窓にはすべて、
真っ黒い、分厚いカーテンがかけられていたんです。とにかく、指揮者を注視して、
指先の動きに合わせて演奏しました。まあね、自分の出してる音は耳栓があっても
わかります。体の中にも響きますから。ただ、他の人の音は、

ごくごくかすかにしかわからなかったんです。通しで10回ほどやりました。
その日、帰るときに演奏者の一人に駐車場で会いました。他の演奏者と話をするのは
禁じられてたんですが、僕のほうからその人に「あの曲、変わってますよね。
 題名とかわかりますか」って聞いたんです。そしたら、その40代くらいの男性は、
しっと唇に指をあてる仕草をしてから、「どうやら、バラタってインドの曲らしいよ」
それだけ教えてくれたんです。さらに3日後の夜、今度は本番の演奏会がありました。
場所は同じ大ホールです。僕らはそれぞれ衣冠束帯に着付けされ、
しつらえらえれた舞台で並ぶ場所を指示されました。観客は10人ほど、
みな年配の男性でしたが、その中にテレビで見て知ってる人が3人いました。
はい、どの人も○民党の政治家です。でね、その人たちもみな、
僕らと同じくヘッドホンをつけてたんです。おそらくその下の耳栓も。

おかしいですよね。音の聞こえない演奏会って。演奏が始まりました。
事前に、絶対にミスしないようにときつく言われてたんですが、それは自信がありました。
10分もかからない曲ですし、使う音階もかぎられてる。ミスなんてするはずないです。
指揮者に集中して演奏を終えると、イスに座ってた観客たちが一斉に立ち上がって
拍手しました。僕らが口から楽器を離すのを見てのことなんでしょう。
お客さんたちは帰っていき、僕はその日のバイト料20万円をもらいました。
はい、10万という話だったのが、色をつけてもらったんです。で、翌日です。
ニュースを見て驚きました。○民党の有名な政治家が、心臓の発作で急死してたんです。
そのときは、○民党の総裁選の最中で、亡くなった人と総裁の座を争ってたのが、
演奏会に来てたお客さんの一人なんですよね。いや、たまたまのことで、
演奏会と関係があるとは思わなかったんですが・・・その人が今の総理大臣です。

それから、演奏会は半年の間に7回ありました。来られるお客さんは毎回違ってましたが、
やることは同じ。ただ、演奏するメンバーですが、最初からいた人が、
だんだん少なくなってきたんです。さっきも言いましたように、
他のメンバーとは話をすることや、会場外で会うことは禁じられてたので
事情はわかりません。単にバイトをやめただけなんだと思いたいんですが・・・
こんな話なんですけど、最近僕、体調がよくないんです。このバイトを始めた頃から、
体重は10kg以上減ってます。いや、食べる量は変わらないというか、
むしろ多くなったと思うんですが・・・なんか疲れやすくなって、朝起きられないし、
大学の授業も休みがちになってるんです。病院には行きました。
でも、検査の結果は、少し白血球が少なくなってる他は異常なかったんです。
え、今すぐバイトをやめろって? ああ、やっぱりそうですか!!






進化に抗う難しさ

2019.02.19 (Tue)
厚生労働省の専門部会は18日、iPS細胞で脊髄損傷の患者を治療する世界初の
臨床研究の計画を了承した。脊髄損傷になると、脳からの命令を
神経に伝えることができなくなり、手足や体がまひして動かせなくなったりするが、
これまで有効な治療法はなかった。国内では毎年5000人が新たに脊髄損傷に
なっていて、患者は延べ10万人以上いるとされている。
(テレ朝ニュース)

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今回はこういうお題でいきます。これも自分の手にあまる難しい内容です。
さて、上記のニュースは、iPS細胞を用いて損傷した脊髄を再生させるための
治験です。ご存知のように、脊髄は首の部分で損傷すれば、体のそれ以下の
部分が動かなくなりますし、腰で損傷すれば下半身不随になります。
この場合、上半身は動くので車イスバスケなどもできます。

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で、上記の治験ですが、大きく3つの問題点があると考えられます。
まず1つめは、今回は他人の細胞からつくったiPS細胞を使うので、
臓器移植の場合と同様に、拒絶反応が起きます。
そのため、そうとうの長期間にわたって免疫抑制剤を使用する必要がありますが、
細菌感染などの危険性が大きくなります。

2つめは、iPS細胞は他人のでも自分のでも、癌化するリスクが大きいことです。
後述しますが、そもそもiPS細胞と癌細胞はひじょうによく似たものなんです。
3つめは、中枢神経が再生したとして、他の神経とのネットワークがうまく
つながるかどうか。これも、新たなネットワークを構築するため、
長期間の苦しいリハビリが必要になると考えられます。

さて、では、どうして脊髄は自然に再生しないんでしょう。
みなさんが事故で指先をかなり深くけずられてしまったとしても、皮膚、血管や
末梢神経をふくめて再生します。ですが、指の骨の関節も切れてしまった場合、
それは再生することはありません。なぜそうなっているのか?

これは発生のメカニズムと関係があります。受精卵は細胞分裂して、
外胚葉、中胚葉、内胚葉の3つが形成されますが、このうち、神経外胚葉が
分化してできる中枢神経や脳神経は基本的に再生することができないんです。
ただし、末梢神経は再生できます。

クリックで拡大できます
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人間をふくむ哺乳類の成体では、イモリなどのように手足の再生ができないことは、
古くから知られていました。20世紀になって、この方面の研究が盛んになり、
中枢神経などには、もともと再生する能力がないわけではないことが、
だんだんにわかってきたんです。中枢神経自体は再生しようとしてるんですが、
さまざまな要因でそれにじゃまが入ります。

まず、損傷した組織から、再生阻害因子と呼ばれる物質が出て、
のびようとする中枢神経をじゃまします。また、神経の切断面にグリア瘢痕という
カサブタのようなものができて、やはり神経の成長を妨げます。つまり、
人間の体それ自体が、外側から中枢神経の再生を拒んでいるようなんですね。

なぜこういうことが起きるのか? 大ざっぱな回答になってしまいますが、
人間は進化の過程で、中枢神経を含んだ手足の再生能力を捨てたんだと
みられます。これは自分が勝手に考えたのではなく、
iPS細胞の生みの親である山中伸弥教授が言ってることなんです。

山中教授は、立花隆氏のインタビューで「再生能力というのは癌になるのと紙一重、
人間が進化の過程でイモリのような再生能力を捨てたのは、
手足を再生できるようになるか、それとも癌になりにくくなるのかの究極の選択、
そこで哺乳類は、生殖して子孫が生まれるまでは癌になりにくいほうを選んだ
のではないか」このような内容を述べています。

イモリの再生能力
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ですから、再生医療というのは、極言すれば、人間の進化に抗う形のもの
なんですね。それが簡単にいくはずはありません。
また、山中教授はあえて触れていませんが、イモリなどは、再生ができる上に、
きわめて癌にもなりにくい体質も合わせ持った、優れた生き物なんです。
進化上で獲得した能力は、ひょっとすると人間より上なのかもしれません。

また、山中教授はこのインタビューで、「iPS細胞と癌細胞は紙一重、
同じものを裏と表から見ているようなものだ」とも述べています。
さて、ここで話変わって、近藤 誠医師はご存知でしょうか。
「癌放置療法」をかかげて、数々のベストセラー本がありますよね。

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自分も近藤氏の本はたくさん読んだんですが、「がんもどき理論」は
はっきり言って詭弁というか、癌放置をした患者のまとまったデータがないのを
いいことに、読者を煙に巻く仮説です。ただ、近藤氏の書く内容から見えてくるのは、
氏が「癌は人間が死ぬための一つのプロセス」と考えていることです。ある程度まで
齢をとったら、癌になるように進化上プログラミングされている。

人間の癌は50歳を過ぎた頃から増えてきますよね。
これはちょうど子育てが終わって一段落ついた時期です。仕事から引退した人も多い。
そこで、生殖が終わった人間を「死なせるためのシステム」の一つとして癌がある。
近藤氏は上記の山中教授の談話も著書に引用していますし、
これは、けっして自分の深読みではありません。

昔、「姥捨て山」があったと言われますよね。それと比べるのは変かもしれませんが、
癌も、老化した個体を終了させるためのもの、近藤氏はそう考えているようです。
ですから「癌と戦うな」なんですね。痛みや機能障害をとるための
治療に専念すればよく、手術や抗癌剤は苦しむ上に、かえって寿命を縮める
ケースが多い。まあ、こういう論旨なんだと思います。

さてさて、ということで、「癌と闘う」 「中枢神経を再生させる」などは、
人間の進化の方向に逆らうというか、立ち向かうための研究です。
もちろん、それは多くの個人の幸福につながるでしょうが、人類全体として
どうなのかは何とも言えません。進化に抗う研究には、題名に書いたように、
大きな困難が予想されます。みなさんはどうお考えでしょうか。では、このへんで。

関連記事 『癌にならないしくみ』

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「月=人工天体説」って何?

2019.02.19 (Tue)
アーカイブ24

月の地下に延びる巨大な洞窟を発見したと、
宇宙航空研究開発機構(JAXA)などが2017年10月18日に発表した。
探査機「かぐや」の観測で突き止めた。月で洞窟が見つかったのは初めてで、
将来の有人基地の建設場所として有望という。

かぐやがレーダーで地下を観測したデータを分析した結果、
月の表側にある「マリウス丘の縦穴」付近から、
長さ約50キロにわたって洞窟が延びていることが分かった。
洞窟は縦穴につながっているとみられ、地表からの深さは最大で数百メートル。
幅は100メートル前後で、断面は崩落しにくいかまぼこ形と考えられるという。

(産経ニュース)



去年のニュースですが、今回のお題はこれでいきます。
月が人工の物体、もしかしたら巨大な宇宙船ではないかとする説は、
古くからありました。1970年代、旧ソ連の科学雑誌「スプートニク」に、
当時のソ連では著名であった2人の天文学者が連名で論文を発表。
「月=人工天体説」を唱えたんですね。

人工天体と言えば、映画『スターウオーズ』の「デススター」を
思い浮かべられる方が多いんじゃないかと思います。直径は約120km、
地球と同規模の惑星を一撃で破壊可能な「スーパーレーザー砲」が搭載されており、
安定した作動ができるよう、完全な球体になっていました。映画では、
このデススターをめぐる攻防が一つの見所でしたが、
もし月があれと同じようなものだったとしたらどうでしょう。

ただし、月は、直径が約3500kmとデススターよりもだいぶ大きいです。
また月の重力は地球の約1/6というのもよく知られていますね。
月がどうやってできたか(どうやって地球の衛星になったか)について、
かつては人間関係に例えて3つの説がありました。

①親子説 地球の一部が分裂して月になったというもの。
②兄弟説 月も地球も同じ時期に同じ場所で星間物質が凝縮してできたというもの。
③他人説 別の宇宙空間から飛来した遊星が地球の引力に捕らえられたというもの。
しかし、これらの説には一長一短があり、現在では第4の、
④巨大衝突説(ジャイアント・インパクト説)が有力視されてきています。
これは、地球と他からやってきた天体との衝突によって飛散した物質が、
地球周回軌道上で集積して月になったとする説です。

Giant impact theory


ですから、本項でご紹介している「月=人工天体説」は、
もしこれに加えてもらえるならば、第5の説ということになります。
では、なぜ月が人工天体と違われるようになったかというと、
偶然とは考えにくい、いろいろ不可解な点があるからです。

・月はいつも同じ面を地球に向けていること。これ不思議だと思いませんか?
地球は自転しており、月も自転している。もちろん、両者の大きさは違います。
それなのに、地球上から見える月の面はつねに同じでずれることがありません。
月の裏側は、長い間、見ることができないものの象徴とされてきました。

・月の地球上からの見かけの大きさがほぼ太陽と同じであること。
これも不思議ですよねえ。本当に偶然で片づけていいもんでしょうか。
日食のときには月と太陽がほぼぴったり重なります。これは、
太陽と地球との距離は、月と地球との距離の395倍であり、
太陽の直径はちょうど月の直径の395倍であることから起きるんです。

・月は地球の衛星としては大きすぎること。
月は、太陽系の衛星の中で5番目の大きさです。なんだ、
他にもっと大きいのがあるんじゃないか、と思われるかもしれませんが、
月以上の大きさの4つの衛星は、どれも木星・土星という巨大惑星のものです。
月と地球は大きさが近すぎると言うことはできると思います。

この他にも、・一般に月の石は地球上の石に比べはるかに古いこと、
・上記引用のように月の内部には空洞があると考えられること、
・月面上に見られるクレーターは、直径に比してどれも浅く、
月の表面は硬い金属でできているのではないかと推定されること、
などが根拠としてあげられています。日本の人工衛星「かぐや」は、
レーダーサウンダーという装置で、
月の地下に層状の構造があることを確認しました。

さてさて、ここまでお読みになって、どう思われるでしょうか?
もちろんすべて偶然として片づけることもできますし、
月が同じ面を地球に向けていることなどは、それが最も軌道が安定するからであり、
ごくあたり前の自然の現象だと見ることもできます。

それと、「月=人工天体説」の最大の弱点は、「誰が」「何のために」
それをこしらえたのかが説明できないことです。人工天体説でよく言われるのは、
月の宇宙船に乗ってはるばる宇宙を旅してきた異星人たちが、
地球を見つけてその重力圏内に入り込み、そこに定住するようになったという説です。

そして、まだ原始の状態だった地球にさまざまな影響を与え、
地球に生命を誕生させ、進化させ、文明の発達をうながしてきた。
その過程で、宇宙人たちは死に絶えてしまったが、
月宇宙船はそのまま残っている。

また、宇宙人たちは月の中でまだ生きていて、
アメリカのアポロ宇宙飛行士たちと会った、という説まであります。
もしこれが本当ならたいへん夢のある話ですが、
もちろん確証はありません。続報を期待したいところです。

関連記事 『安倍マリオと地球空洞説』  『地球平面説について』  『月とオカルト』
『スーパー・ブルー・ブラッド・ムーン』  『スーパームーンがやってくる』

NASAによる月面写真、写っているのは古代宇宙船とも言われる


同じく、月クレーター内の人工物とされる画像







クジラのクチバシ

2019.02.19 (Tue)
アーカイブ23

今回は超ひさびさにUMA談義です。自分はオカルトのジャンルの中では、
UMA(未確認生物)が一番好きなんですが、なかなか書く機会がないんですよね。
さて、下の画像をご覧ください。これ、オカルト好きの方は一度は
どこかで見かけられたことがあるんじゃないでしょうか。

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通称「テコルートラの怪物」と言います。1969年、メキシコ、
ベラクルス州のテコルートラと呼ばれる町の海岸で発見されました。
漂着してから何週間かたっており、かなり腐敗が進んで、
あちこちの骨がむき出しになり、なかば砂に埋れていたそうです。

特徴としては、推定体長が22~26m、幅6m.体重24トン、
頭の重さだけで1トンあり、なんと3mを超す長さのクチバシがついていた。
クチバシの重さは600kg。体は硬い皮でおおわれ、羊毛のような毛があった。
テコルートラの町長セサール・ゲレーロが当局に調査を依頼した。
さまざまな説が出され、突然変異のクジラではないかとする意見もあったが、
結局、結論は出ないままだったようです。

クチバシと思われる画像  ナガスクジラの頭部


上の画像を見るかぎりクジラには見えませんが、これはおそらくクレーンなどで
吊り上げられている状態と思われます。ですから、
首の部分があるように見える。あと、クチバシは取り外されているようです。
で、これ、自分はやっぱりクジラなんじゃないかと考えます。

ナガスクジラなのか、マッコウクジラなのかはちょっとわからないですが、
クチバシに歯があったという記録がないので、ナガスクジラの可能性が高いかも
しれません。ナガスクジラは、体長20~26m、体重30~80トンなので、
大きさの要件は十分満たしています。

ここで、「ちょっと待って。クジラにクチバシはないよね」と思われた方も
おられるんじゃないでしょうか。そういう意見は多いんです。
でも、自分は逆に、「クチバシ」という証言があるものはクジラの可能性を
疑います。次にクジラの骨格図を掲載しますが、
上がマッコウクジラ、下がシロナガスクジラです。



どうでしょう。頭骨の前の部分の形が、クチバシに見えませんか。この骨が、
肉の部分が腐敗してむき出しになり、クチバシと誤認されるんだと思います。
マッコウクジラ類は、頭の部分に「脳油」と呼ばれるワックス状の物質が
入っています。これによって浮力を調節し、深海にもぐったりするんですが、
この部分は腐敗してなくなってしまいやすいんですね。

余談ですが、マッコウクジラの油は「マッコウ油」、
ナガスクジラからは「ナガス油」が採れます。この成分には違いがあり、
マッコウ油は人間の食用にはならないため工業用に、
ナガス油は食用も含めて広く利用されました。アメリカの小説家、
ハーマン・メルヴィルの書いた『白鯨』では、19世紀後半の捕鯨の様子が
出てきますが、当時の捕鯨の最大の目的は、鯨油を採ることにあったんですね。

で、クジラが何らかの事情で死ぬと、胴体は肉厚なので、
まず、頭部が腐って鯨油が抜け、頭骨がむき出しになりやすいと考えられ、
それがクチバシ状に見えるというわけです。次の画像をごらんください。
これは、2007年に中国の海岸で発見されたものです。
くちばしだけで1メートルあり、頭全体では約3メートル。

134-kutibashi (2)

ちぎれたような首からは骨が出ています。これを、プテラノドンなどの翼竜
じゃないかとする見解もありますが、ちょっとありえないでしょう。
この頭部はかなり重そうですが、翼竜の場合、
翼長10m級のものでも、体重は50kg程度しかありません。
それはそうですよね。重ければ滑空できなくなります。

これもおそらくクジラ類の一種なんでしょう。あと、画像はありませんが、
1925年、アメリカ・カリフォルニア州で、体長15mの巨大な生物の死骸が
流れ着き、この生物にも巨大なくちばしがあったが、歯はなく、
クジラのような尾がついていたとされます。
また、下図はロシアのサハリン島に流れ着いたものです。



さて、クジラ類の中には、骨だけでなく、外から見た口吻がクチバシ状に
なっている仲間がいます。アカボウクジラ類ですね。
アカボウクジラは、体長7m、体重2~3トン、
顔つきが赤んぼうのようなことから、この和名がつけられました。
体は細長く、漂着死体がシーサーペントに見える可能性があります。
下図は、オーストラリアの海岸で見つかったアカボウクジラ科の希少クジラです。



さてさて、ということで、漂着死体というとウバザメなどのサメ類が有名ですが、
自分はクジラ類もかなりあるんだろうと思ってます。
何だか夢を壊すような内容になってしまいましたが、
「クチバシ」という証言があったら、クジラの可能性を考えたほうがいいようです。
では、今回はこのへんで。

シロナガスクジラの全身骨格






本物の話

2019.02.18 (Mon)
今晩は、Bと言います。仕事は星占いをやってるんですが、
それだけだと食っていけないので、歴史雑誌なんかに雑文を書いてます。
あとは趣味でオカルトの研究をしてるんですけど、今からする話は、
そっちのほうに関係があるんです。あの、コンビニDVDってありますよね。
コンビニでは見かけるけど、まともな本屋じゃ見つけるのが難しい。
グラドルとかが多いけど、中には心霊系もあります。ただ、心霊のDVDが出るのは、
ほぼお盆期間限定ですね。え、そんなのインチキだろうって?
・・・まあそうです。CGで雑な幽霊をつくって、心霊スポットのシーンに
埋め込めばいっちょうあがり。そういうのがほとんどなんですけど、
そんな中にもランクってのがあるんですよ。まずね、ネットで拾える
映像を集めて編集したもの。これはさすがに買う価値ないです。

次が、いちおうロケをして自分らで映像を撮ってくるんだけど、
行くのが近場の有名心霊スポットってやつ。例えば、東京だと、八王子城とか
千駄ヶ谷トンネルとか、関西だと深泥ヶ池とかね。さすがにつまんないって
わかりますよね。あと、新人の女性タレントが出てるやつもダメです。
その娘を売り出すためのプロモーションが目的になってたりして、
それだと心霊方面は期待できないのはわかるでしょ。
下手クソな演技を見せられるだけです。僕が唯一買う価値があるかなって思うのは、
編集部が自分らで調べた、人に知られてない心霊スポットでロケしてきたやつ。
そういうのは資料的な意味もあって、980円くらいなら買うようにしてるんです。
で、去年の夏ですね。その手のコンビニDVDを買いました。
そこそこ大手の出版社で出したものなので、それなりに信用できるかと思って。

全部で50分くらいで、4ヶ所の心霊スポット映像が入ってました。
なかなか面白かったですけど、最後の映像がパソコンで再生できなかったんです。
それは関東の〇〇県にある、バブルのころにできた廃遊園地が舞台でした。
何度題名をクリックしても、映像が開かないんですよ。
最初はこっちのパソコンが調子悪いのかと思ったけど、そうでもない。
で、どうしたかっていうと、そこの出版社に電話してみたんです。
「あ、どうも、コンビニで売ってた○○ってDVDを買ったんですけど、
 中に一部、再生できない映像があるんですが」 「あ、すみません。
 それ、映像制作の会社に外注したものなんです。お手数ですが、こちらに
 連絡してもらえますか」というやりとりがあって、改めてかけ直しました。
しばらく呼び出し音があって、あきらめて切ろうとしたときに相手が出ました。

「あの、○○ってDVD買った者なんですけど、最後の話が再生できなくて」
「・・・すみませんでした。こちらの手違いです。お手数ですけど、
 こちらあてに現品を送っていただければ代金をお返しします」
「え、返金してるんだ。そら大変だね。再生できるやつは送ってもらえないの?」
「それがですね、第4話は、こっちの元映像も再生できなくなっちゃってるんです」
「それ、パソコンに取り込んだ映像ってこと?」 「カメラもパソコンもどっちもです」
「へー、興味深いね。返金はいらないから、話聞かせてよ」 「いいですけど」 
「あの心霊スポットって、○○パークだよね」 「そうです」 「実際に行った?」
「はい、行きました。4時間くらいロケしてきましたよ」 「何が映ってたの?」
「それが、最後のほうに撮ったコーヒーカップ、あの乗るやつですけど、
 その中にたくさんの蛇に見えるものが映ってたんです」 「蛇?」

「いや、本物の蛇ではないですけど、なんというか、光の束みたいなのが無数に集まって
 からみあってる映像です」 「へええ珍しいね。そっちの編集部がつくったわけ?」
「いやそれが・・・ぶっちゃけた話をすれば、前の3つの話はこちらでCGを入れたんですが、
 それだけは本物というか、何の加工もしてないんです」 「ますます興味深い。
 そのカップの中には何もなかったんだよね」 「いや、カップの中はカメラマンしか
 見てないんです」 「ははあ、じゃそのカメラマンの人に話聞かせてもらえるかな。
 じつはね、こっちも同業者みたいなものなんです。会えますかね?」
「うーん、それがねえ、カメラは木山さんって言うんですけど、ここ1週間くらい
 連絡がつかないんです」 「え、携帯にも?」 「はい」
「それ、失踪ってこと?」 「いや、あの人、昔からお金が入ると、ふらっと海外に
 行ったりするし、連絡がつかないのもよくあるんで、失踪とは考えてないです。

 ただ、来週から次の撮影が入ってるんで、連絡取るのは続けます」
長々と説明しましたけど、こんな話をしたんです。ねえ、がぜん興味がわいて
きますよね。それで、次の土日をかけて関東遠征に行こうと考えたんです。
ただ、その光の束みたいなのは、単なる撮影ミスの可能性が高いだろうし、
無駄足になってもいいように、仲間を誘ったんです。僕と同じ共同事務所の
Yってイラストレーターです。この話をして、土日ヒマかって聞いたら、
ぜひ行きたいって言ったので、新幹線で大宮まで行き、そこでレンタカーを借りて、
その県に入ったのが3時過ぎくらいでした。それからさらに1時間半くらい、
途中道に迷ったりしながら、なんとか廃遊園地を見つけたんです。かなりの郊外に
あるんで、僕ら以外の車はなかったです。時間は5時近くになってましたが、
9月なのでまだ1時間は明るいだろうと思いました。

さすがに、人のいない遊園地は不気味でしたね。とにかく、鉄製のものはみな赤く
錆びてるんですよ。それが雨で流れて血みたいに見える。僕がビデオ、
Yがデジカメでそこらを撮りながら進んでったら、コーヒーカップの遊具は
入り口からわりと近いとこにありました。カップは全部で8つ。
この遊園地も、ありしころには両親と幼児がこのカップに乗って、なんて考えました。
それぞれ全部中を撮りました。何もない・・・いや、一番手前のカップに蛇の死骸・・・
だと思ったら、脱皮した抜殻が一つ入ってました。まあでも、遊園地内に植物が
侵入してきて、そこらじゅう草ぼうぼうでしたから、最初に見つけたときは
ぎょっとしたものの、不思議なことじゃないとも考えました。
でね、ここ、大事なとこなんですけど、僕らは画像も映像も全部モニターで見たんです。
光の束なんて映ってなかったし、もちろんそれ以外のものも。

1時間と少し遊園地にいて、コーヒーカップ以外も撮影しましたが、
それにも変なものは映ってなかったはずなんです。それから、僕らは車を飛ばして
東京まで戻り、一杯やってホテルにチェックイン。翌日は半日東京で遊んで、
こっちに戻ってきたんです。それでね、1日おいた火曜日の午後、共同事務所で
またYといっしょに遊園地の画像を見たんです。そしたら、ビデオ映像のほうです。
カップの一個の中に、あんまり明るくはない光の束・・・うまく説明できないんですが、
それがDVDの制作会社の人が言ってたとおりに、弱く光りながら何百本もからみあって
動いてる。それ、位置からして、あの蛇の抜殻があったカップだと思いました。
僕とYが同時に「あ!」と言ったとき、パソコンがフリーズしたんです。
まあ、マックは直りましたけど、動画のファイルは開けなくなってしまって。
はい、DVDと同じ現象が起きたってことです。

それで、今度は写真のほうを見たんです。そしたら・・・2枚目のカップの底に、
土下座するようにして倒れてる人がいたんですよ。ありえないでしょ。
そんなのがあったら、絶対にその場で気がつくはずです。
その人はザックを背負ってて、体がぐっしょり濡れてるように見え、
さらに上に草がかかってたんです。でね、この画像のほうは消えなかったんです。
今も持ってます。弱りましたよ、だって生きてるように見えないんですから。
Yと相談した結果、向こうの県の警察に通報しました。
説明に困ったんですが、「心霊スポットの撮影に行ってあちこち写真を撮った。
 そのときは気づかなかったけど、帰ってきてから見たら人が写ってた」
こう話したんです。大きくは事実と違わないですよね。で、念のために向こうの
警察が廃遊園地を捜索したら、コーピーカップの中で実際に人が死んでたんです。

もうわかりますよね。DVDの撮影をした木山っていうカメラマンでした。
死因は睡眠薬の中毒。木山さんのモバイルパソコンに、意味不明ながらも
遺書らしきものがあり、自殺って結論になったんです。僕とYは、地元の警察から
話を聞かれ、写真も見せて警察はコピーして持っていきました。
疑われてた感じはなかったです。どうやら木山さんには自殺の
動機もあったみたいで。こんな話なんですが、まったく意味がわからないですよね。
・・・でねえ、後日談とはまた違うと思うんですけど・・・
木山さんの死体画像を見つけたときから1週間後くらいですか。僕とYで、
壊れた映像ファイルをあれこれ いじってたんです。なんとか回復できないかと思って。
そしたらパソコンの上にふわっと、蛇の抜殻が落ちてきたんです。
さすがにありえないでしょう! 僕らの事務所は大阪の街中にあるのに。






金色の交差点の話

2019.02.17 (Sun)
あ、じゃあ話をしていきます。僕、ある県の地方裁判所に勤めてるんです。
いや、まさか裁判官とかじゃないですよ。それはね、僕も大学は法学部を出たから、
司法試験は受けましたけど、無理でしたね。ただの事務官です。
それで、僕が行ってる裁判所は、県で一番の大通りにあるんです。
それに面して、市役所や体育館、図書館や児童会館など、
県の施設がたくさん集まってて。で、これから話をするのは、
その道路の一つ裏にある道の交差点のことなんです。
ほら、今 話したように、大通りには大きな施設がたくさんあって、
その裏側は駐車場が並んでるんです。施設と駐車場にはさまれた道があって、
そんなに広いわけじゃないけど、けっこう人も車も通るんです。
僕もね、裁判所の駐車場に車を置いて、その通りを横切って庁舎に入ります。

それで、裁判所の真裏からやや外れたとこにある交差点。
これがねえ、そこで奇妙な出来事があったんですよ。
僕は勤務して7年目ですが、その間に3回目撃しました。でも、たぶんもう
起きないと思います。なんで起きないと思うか、そのことも含めて話していきます。

金色童子
6年前ですね。僕が採用されて赴任したばかりの頃のことです。
駐車場に車を置いて、裁判所の裏通りに出ました、そこで、1回だけ信号待ち
しなくちゃいけないんです。赤信号で、県庁に向かうために待ってる人が
けっこういました。僕がその後ろについたとき、横断歩道の向こう側がから
強い光が見えたんです、金色の。あれ、何だろう?と思って少し前に出ると、
向こうの信号機の支柱のすぐ下のあたりが、ビカビカという感じで輝いてたんです。
あまりに光が強くて、何なのかはっきりしませんでした。
まぶしくて、まっすぐ見ることができないんですね。
それで、手を顔の前にかざして光を遮るようにして見たら、
信号の支柱の横にもう一本、1mくらいのポールが立ってて、
その上に裸の赤ん坊がちょこんと座ってたんです。

で、その子が全身から強い金色の光を放ってる。いや、最初はね、
何かの宣伝のディスプレィだと思ったんです。けど、近くに店とかがあるわけでも
ないし。それに、あたりをうかがうと、信号待ちしてる誰も、
その赤ちゃんを気にして見てる人はいなかったんです。
「よ、お早う」後ろから背中をつつかれました。ふり向くと先輩の事務官だったので、
あいさつを返しました。それから、「あの、あそこにある金色の赤ちゃん、
 あれ、何のためにあるんでしょう?」って聞いてみたんです。
でも、先輩は「金色の赤ちゃん? どこに?」って。
「いや、ほら、あの信号の支柱の下です。すごく光ってる」
先輩は目を細めるようにして見てましたが、「わからんな、赤ちゃんなんていないぞ」
こんな反応だったんです。そうしてるうちに信号が変わったんで道路を渡りました。

で、先輩をやり過ごして、赤ちゃんに近づいていったんです。
すぐ前まできました。そしたら、その赤ちゃん、生きて動いてたんです。
そうですね、首が座ってたから、もうすぐ1歳ってとこじゃないですかね。
機嫌よく笑ってて、両手を動かしてました。ただこれね、すごくまぶしくて、
やっと観察したことなんです。立ち止まってる僕の後ろを、どんどん人が通り過ぎていって、
もしかして僕にしか見えないのか、って思いました。そのとき、
反対側の方から、ベビーカーを押した和服のおばあさんが来たんです。
ひと目で、ホームレスの人だって思いました。ベビーカーには、ボロ布や生活用品が
いっぱいに積まれてましたから。で、そのおばあさん、人の流れから斜めに外れて、
僕のほうというか、赤ちゃんのほうへと向かってきたんです。
あれ、もしかしてこのおばあさんには見えてるのか、そう思いました。

おばあさんは、僕の後ろまで来ると、ベビーカーに下げてた傘を取って、
僕をぐいっと横に押しのけたんです。すごく不機嫌な顔でした。
されるがまま、おばあさんのやることを見てると、まぶしい様子もなく、
傘をもどして赤ちゃんを両手で抱き上げ・・・それから、くるくる丸めるような
仕草をして・・・そしたらね、ほんとうに赤ちゃんが丸まっちゃったんですよ。
はい、ソフトボール大から卓球のボール大、そして金色のパチンコ玉になり、
おばあさんは2本指でその玉をつまむと、ふっと息を吹きかけました。
すると、金色の粉ですね。それがパーッと空中に散ったんです。
すごくきれいでした。おばあさんは僕のほうに向き直り、「今のわらしが見えて
たんだろ、けっ、あんたに幸いが来るなあ」吐き捨てるような調子で、
そう言って行ってしまいました。それから1ヶ月後ですね、妻の妊娠がわかったのは。

金色小槌
いや、その金色の赤ちゃんと関係があるかはわからないです。交差点で見た赤ちゃんは
男の子でしたが、うちで産まれたのは女の子で、顔も似てませんでしたから。
でね、毎日通る場所ですから、気になって、その日の帰り、
金色の赤ちゃんの座ってたポールを観察したんです。
交通関係のものではないと思いました。それは白い色の石製で、
一辺が10cmくらいの四角い柱だったんです。うーん、何だかわかりませんでした。
あのほら、測量の三角点ってあるじゃないですか。あの石柱にやや似てましたが、
もっと長くて高級感があったんです。なんでこんなものが、撤去もされず
こんなところにあるのか。それからは、毎日通るたびに見てたんですよ。
でも、何も特別なことはなくて、だんだんに、あの赤ちゃんのことも忘れていったんです。
それから1年以上たったある日です。夕方ですね。その日は珍しく定時で帰ることができて、

5時半ころには交差点に来ました。で、ふと柱を見ると、金色のものが載ってる。
そのときは赤ちゃんじゃなく、小さいものでした。近寄ってよく見ると、
小槌だと思いました。あの、一寸法師の話に出てくる打出の小槌みたいな。
赤ちゃんのときほどはビカビカ光ってませんでしたね。よっぽど、
手にとってみようかと思ったんですよ。でも、何だか怖い気がして・・・
そうしてるうち、ふっと小槌が浮き上がったんです。柱の上、20cmほどのとこで
くるくると回転し始め、それからビュッと飛んで、歩道を渡ってた帽子の男性の頭に
カコーンと当たって、その男、ばったりうつぶせに昏倒しちゃったんです。
キャーと近くの人から悲鳴が上がりました。これでも裁判所の人間ですから、
駆け寄ってみると完全に気を失ってたので、救急車を呼んだんです。
消防署は近くでしたから、すぐに来て乗せられていきましたよ。

金色のうずまき光線
でね、翌日、裁判所のほうに、僕を名指しで警察から連絡が来まして。
一瞬ぎょっとしたんですが、前日に救急車に乗せられていった人ね、
病院で持ち物などを確認したら、じつは指名手配の殺人犯だったことがわかった
って言うんです。警察署に行って事情を説明したら、それ以上のことはなかったです。
あ、あとね、男の頭にあたった小槌ですが、倒れた男の近くにはなかったです。
これも消えちゃったのかもしれません。で、去年のことです。
裁判所の朝の打ち合わせで、明日からその交差点のある道路が工事で通行止めになる
って連絡があったんです。はい、裁判所に勤めてる人のほとんどが、
裏の駐車場に車を置いてますから、そこが工事だと少し遠回りして
行かなくちゃならなくなるんです。翌朝、そこの道は警備員が入って
車は停められてました。あそこの交差点の部分をぐるっと囲むようにして、

養生シートが張られてるのが遠くに見えてました。
でね、それから3日後、僕は裁判所の3階の部屋を会議用にセッテイングしてました。
イスや机を並べてたんです。で、そこの窓から何気に下を見たら、
ちょうどあの交差点の斜め上だったんです。四角くシートが立て回されてましたが、
上が開いてて、中の様子が見えました。白い和服を着た人が10数人集まってましたが、
それ、神主さんに思えたんです。はい、着てるものが神社でよく見る服装で。
何をやってるんだろうと興味を持ち、しばらく見てたんです。
あの柱、そのまわりをみなで取りまいて、窓閉めてたんで声が聞こえたわけじゃ
ないんですが、全員で何かを唱えてるように見えました。
御幣って言うんですか、白いギザギザの紙がついた棒を振ってる人もいましたね。
ああ、お祓いなんだなと思って、それまで起きた不思議なことを思い出して、

妙に納得したんですよ。10分くらい見てましたかね。そろそろ行こうかとしたとき、
柱のあるあたりがギラリと光ったんです。金色の、数mもある太い光の束がそこから、
ゆっくりと出てきました。それはだんだんにバネのような渦巻き型に変わっていって、
急にドーンと、雲のある高さまで伸びたんです。でも、その状態は数秒間で、
渦巻いた光は消えてしまいました。で、2日後に道路の通行止めは解除され、
交差点を通ったときに確認したら、あの柱がなくなってたんです。
下に、穴をアスファルトで埋めた跡が残ってましたね。まあ、こんな話です。






アーカイブ22 送り番

2019.02.17 (Sun)
子どもの頃ひい爺さんから聞いた話を書きます。

ひい爺さん(以下爺さん)は明治の早い時期の生まれで、しかも山村で育ったため、
いろいろと奇妙な風習を知っていて、自分が子どもの頃によく話してくれました。
爺さんの村では送り番という役回りがあり、
これは三軒ひと組で回り番で当たる遺体の埋め役のことだそうです。
当時爺さんの村はまだ土葬で、寺で葬式を行った後に、
遺体の棺桶を荷車にのせて村はずれにある墓域まで運ぶのです。
村の顔役や男手のない家では代わりを頼むこともできましたが、
葬式では酒も振るまわれ些少の礼金も出たそうです。

ただ遺体は棺桶(これは四角い棺ではなく丸い大きな桶)ごと埋めると場所と手間、
費用もかかるので、4~5尺ほどの穴を掘って、
死装束の遺体をそのまま埋めるのだということでした。
そうするうちに村で人死にがあり、これは当時では珍しく自殺だったそうです。
五十ばかりの百姓が土地争いの裁判で負けて、
先祖代々の耕作地をすべて失ったのを苦にしてのことでした。
そして爺さんと組んでいた埋め役の一人が訴訟の相手だったのです。

これは具合の悪いことでした。遺族もその人にやってほしくはなかっただろう
と思うのですが、その人は、葬式には出ないが、
村のしきたりの埋め役はやるといって頑としてきかず、
これは後で考えると村内で弱みを見せたくない、
という虚勢や打算があったのではないかと爺さんは言っていました。

葬儀では棺の中に古銭を入れたりなど各地でさまざまな風習があるものですが、
爺さんの村では遺体の口の中に鬼灯(ほおずき)を入れるということをしていました。
表向きは死出の旅の慰めにということになっていましたが、
本当は死人が口を利いたりしないよう封じるためだったろうとのことです。
葬式が終わって、寺の外で待っていた訴訟相手の人ともう一人の人と三人で、
荷車に棺桶や鍬などの道具をのせ、街灯もない街の灯りもない月もない夜道を、
くくりつけた提灯の明かりだけを頼りに出かけていったそうです。

墓所までは三十分ばかり、さらに小一時間ほど穴を掘って遺体を桶から出し、
穴に下ろします。丁寧にやっていたつもりでしたが、
底まで一尺ばかりのところで誰かの手が滑ったのか、
遺体を頭から穴に落としてしまいました。
するとポンと音を立てて口から鬼灯が飛び出しました。

もう後は土をかけるだけでしたので、
鬼灯はそのままにして腹から土をのせていきました。
さすがに顔に土をかけるのはためらわれるので、
一番最後になることが多いのだそうです。
爺さんはこれでもう終わったようなものとやや気を緩めていたところ、
急に月が雲間から出て穴の底まで射し込み、死人の顔を照らし出しました。

すると死人はかっと目を見開き、目だけを動かして辺りをねめ回しておりましたが、
訴訟相手の人を見つけるとその顔を見据えて、
吠えるような大声で「お前が送り番か、悔しい」と叫んだのです。
もちろん三人は鍬も何もかも放り出して一目散にその場を逃げ出しました。

葬式を行った寺に駆け込んで一部始終を住職に話しましたが、
住職も怖じ気づいたのか確かめるのは日が昇ってからということになり、
爺さん達は寺の一間を借りて過ごし、住職は朝まで経をあげていたそうです。
翌朝になりますと訴訟相手の人の姿が見えなくなっていました。
無理をいって隣町から医者を呼び一同で墓所に出向いてみると、
野犬などに荒らされることもなく、
遺体は穴の中で顔だけ出した昨晩のままでした。

もちろん掘り返して医者が確認しましたが、
亡くなってからずいぶんと時間が経過しており、生き返った様子もないとのこと。
ただ当時の医学だからどれだけ信用がおけるかわからんよ、
と爺さんは笑って話してくれました。遺体の目は昨晩最後に見たままに、
かっと見開かれた状態で、閉じさせるのが大変だったそうです。

もう一度日中に埋葬が行われ、今度こそ何事もなく執り終えました。
訴訟相手の人は半年ほど行方がわからなかったのですが、
猟師が山中で首を吊っているのを見つけました。
そうして死体を下ろしたときに口からぽんと鬼灯が飛び出たのだそうです。
爺さんは作り話で子供を怖がらせるような人ではなかったと思っていますが、
この話に関しては半信半疑というところです。
もうずいぶん前のことになりますので、記憶違いなどがあるかもしれません。





アーカイブ21 水虎淵

2019.02.17 (Sun)
自分が子どもの頃に祖父に聞いたものなんでずいぶん古い話。
祖父が子供の頃は、夏になるとしじゅう川に入って遊んでいたという。
もちろん学校にプールがあるわけでもなく、今のように川の水が汚れているわけでもない。
しかも祖父が住んでいた村は山間にあり、
流れる川は渓流で水はひじょうに澄んでいて冷たく、
さかのぼっていくとちょっとした滝や淵もあり、男の子供らは休み中の暑い盛りの午後には
毎日のように川に入って過ごしていたのだそうだ。

いじめと書くと、昨今、報道で話題になる陰湿なものを思い浮かべる人が多いと思うが、
昔はいじめなどはなかったかというと、そうではなく、
祖父の話では昔のほうが今よりずっと子ども同士の間での力関係がはっきりしており、
それは腕力もそうだが、せまい村の中での親の力関係の影響も大きかったそうだ。
まだ小作と地主、本家と分家などの身分差のあった頃だから、そういうものかもしれない。
立場の弱い子どもは、同じ年、また年が上でもいわゆるガキ大将とは
けっして対等の立場にはなれず、奴隷のようなしうちを受けることもあったそうだ。

その日は、昼過ぎから仲間7人で1kmばかり山に入ったところにある淵にでかけた。
そこは水虎(祖父の地方では河童のこと)淵といって、夏でもぞくっとするほど水が冷たく、
また子どもでは潜っても底が見えないほどの深さがあり、
湧水の関係からか水中には複雑な流れがあって、泳ぐのを禁じられていた場所だった。
実際、何年かおきに村の子どもが実際に水死していたという。
そこに次々に服を脱いで飛び込んでいったんだが、今のようにボールなどの
遊び物があるわけではなく、小一時間もすると唇が紫になって泳ぐのも飽きてきた。
それでガキ大将が先頭になって、一人の子どもをからかい始めた。

その子は祖父と同じ年だったが、家は田もなく、母親だけしかおらず、
手間賃稼ぎのようなことで暮らしをたてていた。
だから分校にもめったに登校してこず普段は遊ぶこともないんだが、
その日はたまたま会った仲間の一人がさそいかけるとにこにこしてついてきたという。
その子に対して、ガキ大将が水虎様が憑いている、と言い出した。
その子が水の中でそばに来ると、手で水をかけたりみんなして逃げまわった。
祖父も潜ってその子の足をひぱったりしたというが、
そのときにはふざけているつもりしかなかったそうだ。
ところが無言で追いかけてきたその子の栄養状態の悪い脇腹のあたりが、
水中でどういう光の加減からかスイカのような緑と黒のまだら模様に見えた。

それで怖くなって河原に上がった。他の子どもも次々河原に上がって、
ガキ大将の号令でその子に石を投げ始めた。もちろん当たるように投げたわけじゃない。
だけど誰かの投げた石が、その子の水から出ていた額にあたって
血が出るのが見えたという。さすがにやりすぎたと思って黙っていると、

その子はとぼとぼと淵から上がってきて、
何も言わずに脱いでいた服を抱えて山の奥のほうに入っていったそうだ。
残った子どもらは気まずくなって、そのまま村まで戻って解散した。
夜になって、その子の母親が息子が家に戻らないと駐在に訴え出た。
夏場だったこともあって、その夜には青年団が出て捜索を始めた。

次の日の朝早くガキ大将が家にきて俺を誘い出し、
昨日あったことは大人に言うなときつく口止めした。
6人全部の家を回って歩いたんだと思ったという。
その日の午後になって、その子が水虎淵に浮いているのを青年団が発見した。
その子は仰向けに浮いていたようだが、祖父の地方では、仰向けならばただの水死、
うつ伏せになっていた場合は水虎様に取られたとされたらしい。

水虎に取られた者は成仏できないとも言われていたそうだが、
それでなぐさめになるわけでもない。そうとう水を飲んだらしく、
腹がだぶだぶにふくれて青ざめ、蛙のような姿になっていたという。

夏が終わり秋になるあたりに、祖父を含めたその6人の子どもらは次々に
自家中毒になった。食い物で心当たりはなかったという。
とくにガキ大将はひどくやられて何日も学校を休んだ。
裕福な地主だった親が、町から医者を呼んだがいっこうに良くならない。
噂では毎夜うなされて「水虎がくる、水虎がくる」とうわ言が絶えなかったそうだが、
やっと回復のきざしが見えてきたとき、家の者がちょっと目を離したすきに姿が見えなくなった。
やはり村の若い者が総出で探したが、水虎淵にうつ伏せになって沈んでいるのが見つかった。
なぜか河原に、お供えでもするようによく熟れた胡瓜が積み上げられていたそうだ。
あまり怖くなかったらスマンな。




大嘗祭と崇峻天皇暗殺

2019.02.16 (Sat)
皇太子さまが新天皇に即位されるのに伴う大嘗祭(だいじょうさい)について、
宮内庁が平成31年11月に行う方針を決め、具体的な準備に着手することが
分かった。山本信一郎長官は同日の定例会見で、ご即位が政府案の一つである
31年5月1日になった場合でも、同年11月に大嘗祭を行うことに
支障はないとの考えを示した。
(産経ニュース)

大嘗祭の様子
ssssss (3)

やや古いニュースになりますが、今回はこの話題を取り上げたいと思います。
また古代史かよ、と思われる方はスルーしてください。
さて、宮内庁によれば、天皇即位の大嘗祭は、11月14・15日のどちらかに
行われる予定のようです。この両日は、ウイークデーの木・金ですが、
休日になるんでしょうか?

平成2年の今上陛下の大嘗祭は、勤労感謝の日に行われましたので、
もともと休日でしたが、昭和3年の昭和天皇の大嘗祭はたしか休日になっています。
ちなみに、平成2年、昭和3年に行われたのは、先代天皇の崩御による
1年間の服喪期間があったためで、今回は退位ですので、
今年すぐに行うということなんですね。

では、「大嘗祭(だいじょうさい)」って何なんでしょう。
これは、「天皇即位の後、初めて行う新嘗祭(にいなめさい)」のことです。
新嘗祭は、毎年11月の中旬に行われ、その年の新穀を天皇が神に捧げ、
天皇自らも食す祭儀です。皇室による収穫祭と言っていいかと思います。

新嘗祭での今上陛下
ssssss (1)

古代においては、この毎年の新嘗祭のことを大嘗祭と言っていました。
それが、天皇が即位した最初の新嘗祭を大がかりに行って、
践祚大嘗祭と呼ぶように変化したのは、『日本書紀』によれば、
7世紀の天武天皇のころからのようです。

さて、大嘗祭ではどんな儀式が行われていたのでしょうか。
これは宮中の秘事なので、はっきりしたことはわかりませんが、
大きく2つの儀式があると考えられています。「神人共食」と「神人同衾」です。
神人共食のほうはわかりやすいですね。その年に穫れた五穀を、
神に捧げ、天皇がともに食べること。

神人同衾はわかりにくいですが、神と天皇が一つの衾(ふすま 夜具)で
一緒に寝るんですね。ただし、これは古代の話で、
現在の大嘗祭では、衾は用意されるものの、
それは神のためのもので、天皇はその中には入らないとされています。

天孫の降臨
ssssss (1)

この衾のことを、「真床覆(追)衾 まどこおぶすま」とする説があります。
民俗学者、折口信夫が唱えたもので、先帝の霊と同衾することで、
首長霊を受け継ぐという内容ですが、この説には批判もあります。
また、衾は、天皇家の先祖である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
が地上に降臨するときにくるまっていたものである、と言う人もいます。

折口信夫
ssssss (2)

さて、少し話を変えて、日本の歴史で天皇が暗殺された例は2回あります。
一つは、飛鳥時代の崇峻天皇、もう一つが、古墳時代の安康天皇です。
ただし、安康天皇は皇族である眉輪王に暗殺されているため、
臣下によって弑逆されたのは崇峻天皇だけになります。

崇峻天皇は欽明天皇の皇子で、587年に即位しています。
当時は、蘇我氏一族が権勢を誇っており、崇峻天皇も、数ある皇子の中から、
蘇我馬子の推薦によって即位したんですが、傀儡として操られるのを嫌って、
だんだんと馬子に反抗するようになります。

592年、崇峻天皇40歳頃のとき、10月に朝廷に大猪を献上する者が
ありました。天皇は、笄刀(かんざしのこと)を抜いてその目に突き立て、
「いつかこの猪の首を斬るように、自分が憎いと思っている者を斬りたいものだ」
と言い、その噂を聞きつけた馬子は、

「天皇が自分を嫌っているのだ」と考え、先手を打って部下に暗殺命令を下します。
天皇を偽って儀式に臨席させ、その席で東漢駒という人物に弑させたんですね。
余談ですが、崇峻という諡は後世につけられたもので、
「崇」の字がついている天皇は、崇道天皇、崇徳天皇など、非業の死を遂げて
怨霊化した天皇におくられるという話があります。

崇峻天皇
ssssss (4)

自分は、これは正しいだろうと考えています。 関連記事 「崇と祟」
さて、この崇峻天皇の暗殺ですが、行われたのが大嘗祭(新嘗祭)のときである、
とする説があるんですね。『古事記』では、暗殺は11月中卯
(この場合は11月13日)であり、まさに大嘗祭の当日になります。

では、なぜ大嘗祭に暗殺が行われたのか? 上記した神人同衾です。
衾に入った天皇の体から、数刻、祖先霊が抜け出すと考えることができます。
天皇を弑することは大逆で、天皇と日本の国は一心同体。
日本の国にも大きな災が降りかかることになるわけですが、
このときだけは、それを免れることができる・・・

最初にこの説を聞いたときには、うーんと考え込んでしまいました。
なるほどなあ、そういうこともあるのかもしれないと思ったわけですが、
ただ、日本の正史である『日本書紀』では、天皇暗殺の日は、
自分の干支計算だと11月3日になるんですよね。
ですから、真偽のほどはよくわからないんです。

さてさて、天皇の「即位の礼」は国事行為ですが、大嘗祭は皇室行事であり、
そこに国費を支出するのは、政教分離の原則を定めた憲法違反である
とする意見がありますね。これまでにも裁判になっていますが、自分は、
そう考える人は訴訟を起こせばいいと思います。そして判決が出たら従う。
それが法治国家というものです。では、今回はこのへんで。

関連記事 『天皇退位と怨霊』







アーカイブ20 手水鉢

2019.02.16 (Sat)
怖くはないのですが、不思議な体験をしたので投稿します。
もうだいぶ前のことになりますが、当時私は金属加工の小さな工場を経営していて、
折からの不況もあってその経営に行き詰まっていました。
そしてお恥ずかしい話ですが、自殺を考えたのです。
もう子供たちは成人しておりましたし、
負債は生命保険で何とかできると思われる額でした。今にして思えば、
何とでも道はあったのですが、精神的に追い詰められるとはあのことでしょう。
その時はそれしか考えられなくなっていました。

五月の連休の期間に、家族には告げずに郷里に帰りました。
郷里といってももう実家は存在していなかったのですが、
自分が子供の頃に遊んだ山河は残っていました。
この帰郷の目的は、裏山にある古い神社に、
『これから死にます』という報告をしようと思ったことです。

昔檀家だった寺もあったのですが、住職やその家族に会って、
現況をあれこれ聞かれるのが嫌で、そこに行くことは考えませんでした。
神社に行くまで少し坂を上りますので、鳥居をくぐったときには
だいぶ汗ばんでいました。この神社は村の氏神のようなものですが、
過疎化の進んだ昨今は常駐する神主もおりません。
例祭のとき以外にはめったにお参りする人もいないような所です。

大きな石に山水をひいた手水鉢で手を清めようとして、
ふとその底をのぞき込んだときに、くらくらと目眩がして、
水鉢に頭から突っ込んでしまいました。
深さは五十センチ程度だったと思うのですが、
私の体はストーンとそのまま手水鉢の中に落ち込んでしまいました。
そしてかなりの高さを落ちていった気がします。
ばしゃっと音をたてて、井戸の底のような所に落ち込みました。

ショックはあったのですが、そのわりには体に痛いところはありませんでした。
そこはおかしな空間で、半径1.5mほどの茶筒の底のようで、
1mくらい水が溜まった中に私は立っています。回りの壁は、
平らでつるつるしていて、しかも、
真珠のような色と光沢で内部から光っているのです。

一番不思議なのは、真上10mくらいのところに手水鉢と思われる穴があり、
水がゆらゆらとゆらいで見えることです。
しかし私自身の顔は空気中にあり、下半身は水の中にいるのです。
私が浸かっている水はまったく濁りがなく透明で、さして冷たくはありません。

底の方を見ていると、足元に20cmばかりの井守がいるのに気づきました。
それだけではありません。
井守は一匹の小さな青蛙を足の方から半分ほどくわえ込んでいます。
蛙はまだ生きていて、逃れようと手をばたつかせますがどうにもなりません。
その状態が長い時間続いているようです。

私はふと、その蛙の姿が、工場の資金繰りに行き詰まって
もがいている自分のように思えて、かがんで手を伸ばし助けてやろうとしました、
その時、頭の中に声が聞こえたのです。
『そうだ、その蛙はお前だ。ただし今のお前ではなく、
 自死したのち罰を受けているお前の姿だ』私はあっと思いました。

がつん、ばしゃっという衝撃があり、気がつくと手水鉢の縁に頭をぶつけていました。
少し血が出ました。血は神社の境内では不浄と思ったので、
ハンカチで押さえながら急いで鳥居の外に出ました。
体は少しも濡れたりはしていません。
そしてその時には、あれほど頭の中を占めていた、
自殺という考えはすっかりなくなっていたのです。

郷里から帰った私は奮闘し、工場の経営を立て直しました。
そして毎年その神社へのお参りはかかしていません。





アーカイブ19 狐

2019.02.16 (Sat)


十数年前に、96歳で大往生したうちの祖母から聞いた話です。
明治の終わりから大正の始めにかけて頃のことですね。
祖母は麹屋で生まれ、そこは酒造もしていて、
子どもの頃は、かなり裕福な暮らしをしたそうです。
使用人がたくさんおり、今となっては誰が誰やら記憶があいまいだとも話してました。
祖母が数え8歳のとき、4つほど年上の少女が子守に雇われてきていました。
その子は祖母には優しかったものの、赤ん坊のあつかいがぞんざいで、
他の女の使用人によくしかられて泣いていたそうです。
また、胸が痛いと訴えてしゃがみ込んでいるのを何度も見たことがありました。

ある秋の晴れた日だったそうです。
祖母が庭に出たところ、子守の子が赤ん坊を負ぶったまま、
うつ伏せに地面に手をついていて、赤ん坊が背中でわんわん大泣きしていました。
「だいじょうぶか」と祖母が近寄って声をかけると、なぜか顔を向こうに向けたまま、
「この赤ん坊、泣いて泣いてしょうがないから食っていいか」と言ったんだそうです。
祖母は最初、何を言ってるかわかりませんでした。
「食っていいか、赤ん坊」その子がもう一度ささやいたので、
祖母の弟を食う、という意味だと察したんです。

「だめ、そんなのだめ」祖母が慌ててとめると、
子守の子は「そうかやはり跡継ぎは惜しいか。じゃあこれを食おう」
そう言って祖母のほうを向きました。
顔が盛り上がったように浮いて、赤い筋がいくつもついていたそうです。
獣臭いにおいがしました。
子守の子は祖母の見ている前で、自分の顔の皮を下からべりべりと引き剥がし、
丸めてぱくっと一口で食べたんだそうです。
祖母は「きゃっ」と叫んでその場に倒れ、
そのとき「くけー」という甲高い鳴き声が聞こえたように思ったということです。

気がつくと屋敷の仏間に寝かされていて、まわりに人がたくさん集まっていました。
母親の顔があったので「弟は」と聞くと、別室から抱いてきて見せてくれました。
なんでも、祖母が倒れていた近くの草むらで、
ねんねこにくるまれたまま眠っていたんということでした。
子守の子は納屋の藁にうつ伏せに倒れているのが見つかり、
抱き起こすと、まあるい形に顔の皮が剥がされていたんだそうです。
ただ、その他に体に傷ついたところはなく、
医者の見立ては、心臓の病で亡くなったものということになりました。
このことは祖母には知らされず、ずいぶん後になってわかったと言っていました。
こんなのが狐です。

毛皮

この出来事があった冬です。その地で大々的に狐狩りが行われたんです。
滅多にないことだと祖母は話してました。
狐は神様のお使いだから大事にされていて、
ふだんは猟師もまず狩ることはしなかったと。
ところが先の話の子守の子の父親が猟師で、病死であったとしても、
娘の顔の皮を剥いて食った狐に悪感情を持つのは当然だったと思います。
あちこちから鉄砲撃ち仲間を集めて、集落の裏山に入りました。
この地方では犬を連れた狩りはあまり行われず、集団でやる流儀でした。
だから、山が雪に覆われて獲物の姿がよく見える冬を待っていたんです。

それは凄惨なものであったと祖母は話しました。
もちろん祖母が狩りについていったのではなく、話を聞いただけでしょうが、
雄雌関係なく、仔を孕んでいても容赦なく撃ち殺したそうです。
巣穴を見つけたら、生まれたばかりの子ギツネでも引きずり出し、
後足をつかんで立木に頭を打ちつけてみな、殺しました。
そして祖母の屋敷の納屋の前にうずたかく死骸が積み上げられたんです。
これは麹屋の当主も承知のことでしたから。
祖母もその様子は見てて、血の臭いと獣臭さでむんむんしたと言っていました。

子守の父親は、その中から毛並みのよいのを何匹か選んで防寒の毛皮用とし、
猟師仲間にも配ると、あとは野っ原に運んで大きな穴を掘って放り込み、
火をつけて燃やしてしまったんだそうです。
父親の猟師は、しばらく誇らしげに狐の毛の装束を着ていましたが、
次第に山に出ることが少なくなり、家に引きこもってしまいました。
そのうち狐の毛の装束を手に持ってその地の旦那寺を訪れ、こう言ったんだそうです。
「この毛皮、はじめのうちはあったかくてよかったが、だんだんに声が聞こえるようになった」
「どんな声ですか」と住職が聞くと。
「死んだ娘の声でよ。オラ死んで狐に生まれ変わってたのに、
 すぐまたお父に殺されたって」

あまりの話に、住職は毛皮を預かって勤行のたびに本堂で経を読みかけておりましたが、
ある朝板戸を開けたとたん、一匹の狐が飛び込んできて、
毛皮を口に咥えて植え込みの中へ消えたんだそうです。
その日の午前のうちに死んだ女の子の弟が、
父親の猟師が囲炉裏に倒れ込んで死んでいるのを見つけました。
寺に預けた毛皮を身に纏い、銃で自分の口を撃ち抜いていたということでした。
・・・猟師の死の顛末は、祖母が大人になってから聞いた話とのことです。
その地方では、経済成長期に狐はかなり減少しましたが、
今は過疎化が進んで、また増えてきているようです。





事故物件と平賀源内

2019.02.15 (Fri)
アーカイブ18

今回はこういうお題でいきます。日本史のカテゴリです。
もう1ヶ月以上過ぎてしまいましたが、みなさんは、土用の丑の日の
ウナギを食べられたでしょうか。この日にウナギを食べると夏バテしない
という俗信の始まりを作ったのが、平賀源内という説がありますね。

平賀源内
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ウナギ屋から頼まれて、宣伝として広めたということですが、
その真偽ははっきりしません。ただ、日本初とされる歯磨き粉のCMソングを
作ったり、餅菓子の広告コピーを作ったりしているのは、史実として
確認されています。今でいうイベント屋みたいな仕事もしていたんです。

源内には、本草学者、蘭学者、医師、戯作者、蘭画家など、さまざまな顔があり、
その多才を生かして、いろんなことにかかわって生計を立てていました。
源内は、讃岐高松藩の足軽身分の家の三男として生まれましたが、
そのままでは一生はたかが知れています。

そこで、江戸で本草学(博物学、薬草学)を学んだり、長崎に留学したりして、
学問で身を立てようと志したわけですね。当時の武士は、旗本などでも、
家を継ぐことができる長男でなければ生活はたいへんでしたので、
医者になったり、私塾を開いたりする人が多かったんです。
戯作者の十返舎一九や曲亭馬琴なども、身分の低い武家の出身です。

さて、源内がさまざまな形で活躍できたのは、もちろん本人の才気の賜物
なんですが、鉱石や植物標本などのブローカーとして、
物産博覧会をたびたび開いていたおりに、当時、老中として
権力の絶頂にあった田沼意次の知己を得たことも大きかったようです。

田沼意次
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田沼は、賄賂政治を展開した悪徳政治家としての評価もありますが、
新進の気に富んだ産業振興者としての面も持っていました。
ですから、多方面にわたる源内の才能を高く評価し、
何かにつけて便宜を図ってやったことが知られています。

ここで、話変わって、事故物件というのはご存知でしょう。
いわくつき物件、訳あり物件、心理的瑕疵物件などとも言い、当ブログでも、
何度か取り上げている、怪談には欠かせないアイテムの一つです。
ただこれ、じゃあどういうのが事故物件かというと、なかなか難しいんです。

事故物件公示サイト「大島てる」
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例えば、ある部屋があって、そこで住人が自殺した、あるいは殺人があった、
これは明らかに事故物件ですが、自然死ならどうでしょう。あるいは老衰でも、
孤独死で長く発見されず、遺体がぐずぐずに傷んでいた場合など。
あと、ベランダから飛び降りをしたのなら、
その部屋で死んだということにはならないですよね。

ということで、様々なケースが考えられるため、部屋を借りた人側の、
「そのことを知っていたら契約はしなかった」という判断が、
一つの告知の基準になっているようです。
まあでも、今は、事件・事故があったことを隠す不動産屋は少ないですし、
また、賃貸料が安くなっている立地条件のいい事故物件を、
積極的に借りようとする人も多くなってきています。

事故物件
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さて、源内ですが、その死について、はっきりしたことが伝わっていません。
1780年に52歳で死んだことになっていますが、
その事情がよくわからないんですね。一説には、ある家の普請をめぐって、
大工の棟梁2人と争いになり、源内が斬りつけて大工側に死者が出たため、
切腹したものの死にきれず、獄内で破傷風で亡くなったとされます。

ただ、他の説もあって、それでは、源内は一生妻帯しなかった男色家であり、
男色のもつれから殺人を犯してしまったということになっているんです。
で、源内は引っ越し好きで、生涯で十数回転居しているんですが、
最後に住んだ家が、幽霊が出るという評判の事故物件だったようです。

源内が借りたのは、もともとは旗本の屋敷だったのが、
その旗本が屋内で切腹死し、さらにその後を借りた検校
(盲人の最高位で、金貸しを営むことが許された)が、法規違反で追放され、
その家の娘が井戸に落ちて亡くなったといういわくつきの家で、
さらに源内が獄死したことで、江戸市中は大評判になったとされています。

エレキテル
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ただ、源内自身は、長崎で手に入れたエレキテル(静電気発生機)を
修理して復元するなど、近代的、合理的な考えの持ち主であったため、
幽霊などの噂はまったく信じていなかったと思われます。
まあ、たまたま不幸が重なったということなんでしょうねえ。

さてさて、最後に、これほどの有名人である源内の死のいきさつが、
はっきりと伝わっていないのは、不名誉な死に方であったためなんだと思いますが、
じつは、獄中の源内を、田沼意次が助け出したという話があるんですね。
まあ、ときの老中ですから、やろうと思えばわけはないでしょう。

その後の源内は、越後三条に隠棲したとも、田沼の領地である遠州根良で
医者をやっていたとも、長崎から大陸に渡ったなどとも言われます。
もちろんどれも確証のない話ですが、源内のあふれる才能を惜しむ声が、
このような噂となったのかもしれません。では、今回はこのへんで。

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祐天上人と生類憐れみの令

2019.02.15 (Fri)
アーカイブ17

歌舞伎で上演された「累が淵」


今回は「怖い日本史」のカテゴリの話です。けっこうこみ入った内容になるかも
しれません。まず、祐天(ゆうてん)上人とはどんな人物なんでしょうか?
祐天上人は、江戸初期の17世紀に活躍した僧侶で、当時、厄払いや
怨霊退散などの加持祈祷を行うのは密教の僧というのが普通でしたが、
祐天上人は阿弥陀仏を信仰する浄土宗の僧なんですね。

祐天上人は、怨霊に悩まされていた者たちを救済しながら全国を巡り歩き、
念仏の力で悪霊を消滅させたと言い伝えられています。
まあ、江戸時代のスーパー霊能者みたいなものです。
また、彼は難産で苦しむ女たちのもとで念仏を唱え、安産に導いたとも言われます。
このことは後で関係してくるので、覚えておいてください。

祐天上人


さて、祐天上人が解決した最大の怨霊事件として有名なのが、
「累ヶ淵」の事件です。累ヶ淵は、茨城県常総市羽生町の鬼怒川沿岸に
あったとされる地名で、事件の内容はオカルトフアンなら
ご存知とは思いますが、いちおう簡単に説明させてください。

その村に、与右衛門という百姓と、その後妻のお杉の夫婦がありました。
お杉には連れ子の娘、助(すけ)がいましたが、生まれつき顔が醜く、
足が不自由であったため、与右衛門は助を嫌っていました。
このため、夫婦仲がうまくいかず、助が邪魔になった与右衛門は、
淵に投げ捨てて殺してしまいます。

翌年、与右衛門とお杉は女児をもうけて累(るい)と名づけましたが、
累は助にそっくりの醜さであったため、村人は助の祟りと噂し、その子は、
「助がかさねて生まれてきたのだ」と「るい」ではなく「かさね」と呼ばれました。
その後、与右衛門とお杉はあいついで病死します。

孤児になり村人に育てられた累は、流れ者の谷五郎を看病し、村人に勧められて
夫婦になります。しかし、つねづね累の醜さを疎ましく思っていた谷五郎は、
別の女と仲良くなり、累を川に突き落として殺してしまいます。
はからずも、これは助が死んだのと同じ場所でした。

その後、谷五郎は後妻を迎えますが、すぐに病気で死んでしまい、
なんとその数は5人にもなります。やっと6人目の後妻、きよとの間に、
菊という娘が生まれましたが、菊は成長するにつれて狂乱するようになります。
菊は、自分は累であると名のり、谷五郎の悪事を訴えて暴れます。

これを、たまたま近くに滞在していた祐天上人が聞きつけ、
苦難の末に累の怨霊を退散させますが、菊の状態はすぐ元に戻ってしまいました。
そして今度は、自分は助であると名のります。土地の古老から事の次第を聞いた
祐天上人は、累と助、両名に戒名を授け、念仏の力で成仏させることになります。

初代 三遊亭圓朝


この話は江戸にまで伝わり、歌舞伎として上演され、また、明治になって、
初代 三遊亭圓朝が、怪談噺 『真景累ヶ淵』を作り上げて世に広まりました。
この内容がどこまで事実なのかははっきりとしませんが、
間引きや子どもを売ることが普通にあった閉鎖的な農村の中で、
起きてもおかしくない出来事と考えられたんでしょう。

徳川綱吉


さて、話変わって、生類憐れみの令はご存知でしょう。幕府の第5代将軍
徳川綱吉が制定したもので、「天下の悪法」とまで言われます。ただ、
いろいろ誤解もあって、「生類憐れみの令」という名前の法令はないんです。
綱吉が出した一連の関係法令をまとめてこう呼んでいるんですね。

で、綱吉は祐天上人に帰依していました。これは、綱吉には跡継ぎの子ができず、
綱吉の生母の桂昌院が、上で書いた、難産に苦しむ妊婦を祐天上人が
何人も助けたことを聞きつけて、江戸城に招いて法話を聞くようになったんです。
そこで、祐天上人は綱吉に対し、ご政道へのアドバイスも行ったようです。

綱吉といえば、「犬公方」と呼ばれ、過度に犬などの生き物を大切にしたことで
知られますが、一連の生類憐れみの令の中で最初に出されたのは、
人間の捨て子に対するものでした。当時、捨て子が都市でも農村でも
横行しており、それを禁止し、保護するためのものだったんです。
それがだんだんに、他の生類にも広がってエスカレートしていったわけです。

4万匹の捨て犬を収容したとされる中野の犬屋敷


この背景には、祐天上人からの影響があるのかもしれません。
また、「累が淵」の事件も、祐天上人への綱吉の帰依が厚かったことから、
生類憐れみの令とからめて子捨て、子殺しの話が作られ、
全国に広まっていったのかもしれないんですね。

大樹寺の位牌 中央が綱吉


さてさて、最後に、徳川綱吉身長124cm説をご紹介して終わりにします。
現在の愛知県にある徳川家の菩提寺、大樹寺(だいじゅじ)には、
徳川歴代将軍の位牌がありますが、この位牌は将軍が亡くなった時の身長と
同じサイズで作られているとされていて、綱吉のものは124cmです。
これはさすがに、いくら江戸時代の平均身長が低いといっても異常で、
もし本当にそうなら、低身長症が疑われます。

ただしこれ、綱吉の墓が発掘されているわけではないので、
はっきりしたことはわかりません。綱吉は母親の桂昌院にべったりのマザコンだった
という話もあり、そういったさまざまなコンプレックスから、
生類憐れみの令が出されたというのは、自分はあってもおかしくない気がしますね。
では、今回はこのへんで。







子どもを預かる話

2019.02.15 (Fri)
今晩は、今日はよろしくお願いします。私、経理代行の会社で働いています。
これは、企業からの委託を受けて経理業務だけを行う仕事なんです。
月次決算や伝票の整理、消費税計算や給料計算などなど、
その企業の経理部門を外注の形で行います。今は、自社の経理部門を持たない
企業も多いんですよ。一番のメリットは、社外委託なので不正がないことですね。
私は毎日、エクセルとにらめっこして複雑な経理計算をこなしてます。
・・・なぜ、仕事の話をしたかっていうと、今回、私の身に起こった出来事と、
何かの関係があるかもしれないからです。
2週間ほど前のことですね。その日、私の住んでるとこでは珍しく、
朝から雪が降ったんです。天気予報では、8cmの積雪ってなってました。
雪国の方なら、8cmなんてたいしたことないだろうと思われるでしょうが、

私のとこは積雪に対応できなくて、朝の電車が止まっちゃったんです。
幸い、バスは動いてましたので、急遽バスでの通勤に切りかえました。
バスはかなり混んでましたね。それで、バス停から会社まで、
けっこう歩かなくちゃなりませんでした。幹線道路の雪は解けかかってって、
路肩にシャーベット状になってたまってました。
ブーツをはいてきたものの、慣れてないので歩きにくかったです。
そろそろと歩いてると、横を宅配便の小型トラックが通ったときに、
盛大にしぶきを跳ねかけられてしまいました。はい、運の悪いことに、
頭から足先までずぶぬれになったんです。「うわーっ」と大きな声を出しちゃいました。
すぐに手でほろったんですが、それだけではどうにもならず、
氷水がブーツの仲間で入り込んでる感じがしました。

頭にきたんですけど、そのトラックはもう行ってしまってるし、どうにもならず、
いったん近くの銀行の前に避難しました。ほら、よくあるじゃないですか。
土が入った大理石のプランターがあり、常緑樹が植わってる。
そこで、まずバッグからハンカチを出して、頭や肩をぬぐいました。
でも、水はもう中の服のほうまで染みてきてました。それから、ブーツに入った
氷を出そうと、片手で木につかまりながら右のブーツを脱いで中をほろい、
手を持ちかえたとき、指先に針で刺されたような痛みを感じたんです。
「あ、あ」私はブーツを下に落とし、指を口のほうに持っていくと、
右手の人差指の腹に血の玉が吹き出ていました。
「何か木のトゲが刺さったのか」そう思ったとき、耳元でささやくような声が
聞こえたんです。「わたあし・の・こおどもを・とうかかん・あずかてくだし」

女の人の声だと思いましたが、あたりには誰もいませんでした。
妙に間のびした、外国人のような発音だったけど、
「私の子どもを10日間、預かってください」そう言ったことはわかったんです。
「あれ、おかしいな。遠くの声が流れてきたんだろうか」
指先はズキズキと痛みました。もう散々だなと思いましたが、
それ以上ぐずぐずしてると会社に遅刻してしまいそうでしたので、
テイッシュで指先をくるんで歩き出したんです。会社に着き、
更衣室に入ってコートを脱ぐと、幸い、服はそれほどよごれてませんでした。
テイッシュをとると、血は止まっていましたが、指が紫に腫れ上がっていました。
まずいな、と思いました。私の仕事はずっとパソコン作業なんです。
これだと、キーを打つのにさしつかえる。

まだ時間があったので、とにかく手当しようと思いました。
会社には医務室はないんですが、更衣室に救急箱があったので、
中からカットバンを出して指に巻きました。ああ、運が悪い日だなあと
思いながらエレベーターに乗って自分のデスクに向いました。
私の会社はかなり自由な雰囲気で、朝の打ち合わせのようなものは
ありません。社員のデスクはブースの中にあり、
自分のペースで仕事ができます。連絡などもすべて社内メールで。
ためしにキーボードを打ってみました。右手の人差指はかなり使いますし、
キーを打つとズキンと痛む。ただ、その時期、
私の担当はそう忙しくなかったんです。給料計算を始めるまで、
10日以上ありました。ひとつため息をついて、

「まあゆっくりやるか」そう考えながらエクセル画面を出しました。
そして保存してたデータを開いたとき、急に画面が動き出したんです。
はい、私が何もしていないのに。マクロの計算が始まって、
次々にディスプレィに数字が打ち出されていく。
「え、え、え!?」ほんとうにあっという間、3分ほどで給料計算が
できちゃったんです。でも・・・その計算というのは、依頼先の会社から
勤務時間などの、データが送られてこないとできないものなんです。
そもそもパソコンが勝手に動くはずがないし・・・
私の会社は、パソコンのメンテの専門の係の人がいます。
その人を呼んで見てもらったんですが、異常はないということでした。
念のため、それ以後は会社のノートパソコンを持ってきて仕事を続けました。

勝手にできたデータは、どうせ使い物にならないんだから消去しようと
したんですが、ふと思い直して保存をしておきました。
指の痛みはいつまでも消えることがなく、これは会社を早退して、
病院に行ったほうがいいかなと考えてました。昼休みになり、
私は同僚と外食することが多かったんですけど、その日は一人で外に出ました。
思えば、あのときもおかしかったんです。気がつくと、
近くのスーパーに入ってて、ニンジンを2本買ってたんですよ。
しかも、レジを済ませてすぐ、歩きながらニンジンをポリポリかじって・・・
ビルのガラス壁に映ってる自分の姿を見て我に返りました。
「え、何やってんだ私?」って。午後になって、指の痛みは我慢できなほどになり、
やはり早退して外科の開業医に行きました。年とった先生が指を見て、

「ははあ、これは化膿してるというより、中に異物が入ってますな。トゲかなんか」
切開する、ということになってしまいました。消毒して局所麻酔を打たれ、
「何、ちょっと切るだけです」と言って医師がメスを入れると、
そこからピューと緑の液体が吹き出しました。医師は驚いた顔になり、
そのとき、どういうわけか私、空いてる左手で医師の顔を思いっきり引っぱたいて、
走って処置室を飛び出しちゃったんです。そのまま部屋に戻りました。
指はもう傷まず、メスの傷はほとんど消えてました。
その上に軽く包帯を巻いて、買った残りのニンジンを食べてから寝ました。
もう、完全におかしくなっていたというか、精神を支配されていたんでしょうけど、
自分ではわからなくなってました。すごい幸福感があったんです。
どう言えばいいでしょうか、近い未来にとてもいいことが待っているみたいな。

それから、会社にはちゃんと出ていました。指は腫れているものの、
もう痛みはなかったので、仕事もふつうにできたんです。
そしてお昼休みにニンジンを買って食べる。会社の帰りにもニンジンを買い、
生のまま部屋でポリポリ食べて寝る。そのくり返しでした。
指の腫れはそれ以上は大きくならず、そのかわりと言うか、
緑と紫の混じった色に変わってきました。そして、10日目の会社帰り、
電車の駅には行かず、前に指を刺した銀行の植え込みの前に来てました。
時間は6時くらいでしたか。そうですね、そのときは、
「預かった子どもを返さないと」みたいなことを考えてましたね。
「返すのが残念」とも。植え込みに向かって、右の人差し指をつき出しました。
そのとき、指全体の皮がめくれるようにはがれ・・・

ほら、指キャップを取るみたいにです。それは少しだけカエルに似た小さな生き物の
形になって、植え込みの中に跳んで消えていきました。
そのときまた、「どうもお、ありあと・あんしたあ」という声が聞こえたんです。
・・・これでだいたい話は終わりです。人差指はなんともなかったんですが、
つめが、赤ちゃんのつめみたいに柔らかくなってました。会社に行くと、
上司に、「最近顔色が悪くて気になってたが、もとに戻ったみたいだね」って
言われました。あとですね、勝手にパソコンが動いて、保存してたデータがあったでしょう。
あれ、依頼先から資料が届いたんで出してみたら、入力されてたのがぴったり
同じだったんです。ありえない未来予知です。おかげで、その仕事はしないで
済んだんです。あとは・・・変な話ですけど、ニンジンを生で食べるのが好きになって
しまって・・・今も1日、5・6本は食べてるんです。






ネット霊能者の話

2019.02.14 (Thu)
自分はbigbossmanと言いまして、大阪で占星術をやっています。
ただ、それだけでは食べていくのが難しいので、
旅行雑誌や歴史関係のムックに原稿を書いたりしてます。で、そのときに、
自分のことを「オカルティスト」と名乗ってたんです。
これは宣伝をかねてのことなんですが、この名称はいろいろと誤解を受けまして、
夜中に床に魔法陣を書いてロウソクを立て並べ、呪文を唱えて
悪魔を呼び出したりしてるんじゃないかって思われたりします。
でもそれって、「サタニスト」ですよね。また、そこまでいかなくても、
乱交パーティとか怪しい薬物に関わってるんじゃないかと言う人もいて、
しょうがないので、最近はオカルティストをやめて、オカルト研究家にしたんです。
で、怖い話のブログも書いてますので、あちこちから怖い話が

集まってくるようになりました。中にはご自分の話ではなく、
怖い体験をした方を紹介してもらったりもします。それは大歓迎です。
あと、「霊能者」を名のる方と何人かお近づきになることができました。
今回の話は、その中で「ネット霊能者」を名のるOさんという方と、
自分が会話した内容を記していきます。Oさんを紹介してくださったのは、
ある旅行雑誌の編集者の人です。Oさんは京都在住で、京都駅近くの喫茶店で
お会いしました。で、お会いしてちょっと拍子抜けしたというか、
Oさんは40代で主婦をしておられて、化粧や服装もほんとに
ごく普通だったんです。以下、会話の形で記していきます。

SNS
「あ、どうも。占い師をしているbigbossmanと申します。本日はよろしく」
「こちらこそよろしくお願いします」 「さっそくですが、ネット霊能者とおうかがい
 しましたが、どのようなものが見えるんでしょうか」
「そうですね、10年ほど前から、ネットにこもる人の気みたいなものを
 感じ取れるようになりまして」 「ははあ、それはどんな形で?」
「信じてもらえるかわかりませんが、ネットの文章や掲載されている画像が
 よくないものの場合は、果物が腐ったような甘ったるい、嫌な臭いを感じるんです」
「へええ、嗅覚にうったえる霊能ですか、それは珍しい。
 どんな場合にそれを感じるんです」 「そうですね、いちばん鼻につくのは、
 個人のブログやインスタなんかのSNSですね」 「というと?」
「ほら、そういうのを書いてる人は、いつどこで美味しいものを食べたとか、

 家族で旅行に行ったとか、恋人にこんなに愛されているとか、
 自慢話みたいなことを書かれている人が多いですよね」 「ああ、たしかに、
 ネットですからねえ、実際のところはわからないのをいいことに、
 嘘とまでいかないんでしょうが、自分をよく見せようとしてる人は多いですね」
「ええ、それで、そういう画像が目に入ったとたん、くらくらするような強い臭い
 を感じるようになりまして」 「ネットの嘘がわかる、ということですか」
「ええ、まあ」 「耳鼻科の病院などに行かれたことはあります?」
「もちろん。でも異常なしでした」 「ははあ」
「少し前、あるブログで、少しだけ知ってる主婦の方が、同居してるお姑さん、
 つまり旦那さんの母親と仲良くお菓子作りをしている画像を見まして、
 ものすごく強い臭いを感じました」 「それで?」 

「それから2ヶ月ほどして、そこの夫婦は離婚したんです。原因は、
 奥さんがお姑さんを虐待するからということでした。階段から突き落として
 大ケガさせたんだそうです」 「・・・なるほどねえ。でもですね、
 個人のブログなんかは、ある意味、現実というより、こうありたい理想の自分を
 書いてる人が多いんじゃないでしょうかね」 「それはそうだと思います。
 でも、そういうところにネットの魔が忍び込みやすいというか」
「ネットに魔がいますか」 「確実にいますね。そうして利用者の人生を狂わせようと
 ねらっている」 「ははあ」

ネット通販
「そのネットの魔って、具体的にはどんなものです?」 「そうですね、
 はっきりとは見たことがありません。パソコンやスマホの画面を見ているときに、
 さっと視界の隅を横切る黒い影のようなものです」
「うーん、やはり個人のブログに多いんですか」 「それが、最もよく見るのは、
 意外に思われるかもしれませんが、ネット通販のサイトなんです」
「どういうことです?」 「私にもよくわかりませんが、人間の物欲が形をとって
 現れたものなんじゃないかと考えてます」 「物欲・・・」
「ネット通販による破産って多いんですよね」 「ああ、直接店に行くわけじゃなく、
 クリックひとつでほしい商品が送られてきますし、クレジットカード決算が
 多いので、あれもこれもと買いすぎて、破産してしまう人ですね」
「はい。それと、今は一人暮らしの高齢者とか、引きこもりの人とか、
 
 1日中他の人と話をしないで、ネットばかり見ている人も多いですよね。
 そういう人は、ネットで物を買うと、お買い上げありがとうございました、
 という言葉が出てきますよね」 「あ、はい」 「それに社会とのつながりを
 感じて、どんどん買ってしまう。そういう話もあるそうです」
「うーん、なるほど、ネットでつながってはいても、個人としての孤独は
 深いと」 「はい、やはり、そういうところには魔がひそんでるんです。
 bigbossmanさんもネット通販はされてますでしょう」 「・・・まあ、節度を持って」

ネットの墓
「その他には、ネットで怖い部分ってありますか」 「bossmanさん、
 ネットの墓ってご存知ですか?」 「はい、知ってます。個人のブログなんかが、
 管理人が亡くなってしまっても消されずに残ってるものですね。
 有名なのには、世界を旅行してブログにアップしてた夫婦が、
 旅先の国で2人同時に伝染病で亡くなってしまい、中断されたまま残ってるものとか。
 あと、ネットの墓のURLを集めてるような人もいますね」
「ええ、で、そういうネットの墓ブログも、強い腐臭を感じるんです」
「それは、亡くなった方の執念が残ってるってことですか」
「・・・違うんじゃないかと思ってます。悪い気はむしろ、そのブログを見てる人の
 ものでしょう」 「え、どうして?」 「ほら、亡くなった方っていうのは、
 もう2度とこの世には戻ってこない、この言い方は変ですが、

 究極の負け組って考えることができませんか」 「ははあ、死んでこの世から
 退場したのは負けってことですか」 「はい、で、ネットの墓ブログを好んで
 読む方の中には、この人はあと何ヶ月で死んでしまうけど、自分はまだ生きてるって、
 優越感を持つために、くり返し読んでる人もいるみたいなんです」
「うわ、嫌なネット利用のしかたですね」 「おそらくですが、そういう、
 まだ生きている人の気、それも一人だけじゃない。それが集まって、
 悪いものを生んでるんじゃないかと思うんです」 「うーん、なるほど」

怖い話ブログ
「ところでOさん、先ほど自分がやってるオカルトのブログを見ていただいたんですが、
 悪い気を感じたりなさいますか」 「そうですね、いくつか話を読ませていただきましたが、
 あまり悪いものは感じませんでした」 「ああ、よかった。でも、自分が書く怖い話は、
 ほとんどのもので、人が亡くなってる内容なんです。そういうのを書くことで、
 自分に悪いものが憑いてくるなんてことはないんでしょうか」
「うーん、bigbossmanさんの場合は、最初から創作とことわって書いてられますでしょう。
 それがいいんじゃないですかねえ。創作の怪談であれば、当然読む人も作り物と
 思って読むでしょうから、そんなに悪いものは溜まらない気がしますね」
「ああ、そう言っていただけるとひと安心です。やっぱりね、オカルトのブログをやってて、
 病気したりすると、変なものを書いてるせいじゃないか、なんて考えることもあるんです」
「大丈夫だと思いますよ。幽霊なんて罪のないものです。

 よく言われることですが、怖いのは生きている人間の恨みや嫉妬、
 人をおとしいれてやろうとする悪意ですから」 「たしかに」
「ネットには、病気の人を騙して変なものを買わせたり、インチキセミナーにさそい込んだり、
 巧妙な新興宗教の勧誘とか、怪しいブログが多いですよね。
 その手のに比べれば、bossmanさんのブログはぜんぜんマシなほうだと思いますよ」
「安心しました。ところで、最初から気になってたんですが、
 Oさんが嫌な臭いを感じるのは、ネットだけなんですか。実生活ではどうです?」
「それが、まったくダメなんです。これは自分でも不思議なんですけど、
 何も感じないんですよ。だから、使えない霊能ってことです」
「いや、大変参考になりました。今日は、どうもありがとうございました」
 






森有礼暗殺と八咫鏡

2019.02.14 (Thu)
アーカイブ16

これは複雑な話なので、上手く説明できるといいんですが。
まず、森有礼(もりありのり)について。日本の初代文部大臣です。
開明的な考えの持ち主でしたが、一方で急進的でもあり、
廃刀令、日本の公用語の英語化、妾制度の廃止などを主張しました。
このことから、さまざまな誤解を受け、後の暗殺につながっていきます。

森有礼


暗殺があったのは、明治22年(1889) 、2月11日の大日本帝国憲法発布の日、
元長州藩士、国粋主義者の西野文太郎が、式典の出席準備をしていた森を訪ね、
出刃包丁でその腹部を刺し、森は出血多量で翌日に死亡します。43歳。
西野は、その場で森の護衛に仕込み杖で首を落とされ、即死しています。
これは、森が廃刀令を訴えたことを考えれば、なかなか皮肉ですね。

さて、暗殺の原因はいろいろあるんですが、最も大きいと思われるのは、
「森有礼が伊勢神宮に参拝したときに不敬を働いた」という噂が新聞に書かれ、
それが全国的に広まって、西野の憤慨を誘ったことにあります。
ここから書く内容は、自分が以前に調べたものですが、誤りもあるかもしれません。

まず、森は伊勢神宮参拝以前から、神道関係者によく思われてはいませんでした。
それは、森がキリスト教徒であり、文部大臣だったことから、
日本の学校で、キリスト教を教えようとしているという噂が広まっていたことです。
しかし実際は、森はキリスト教徒ではありませんでしたし、
学校教育にキリスト教を取り入れる計画もなかったんです。

あと、著名な神社は独自に暦を発行し、それが大きな収入源になっていたんですが、
森は、暦の発行は大学に移すべきだと考えていました。
こちらは確かにそのとおりで、森有礼の存在に対し、神道関係者は大きな危機感を
持っていました。このままでは、おマンマの食いあげになるかもということです。

これらのことを背景に、森の伊勢神宮の視察・参拝が行われたんですが、
ここで、伊勢神宮の神官が、計略に森を陥れようとしたという説があります。
森は、伊勢神宮外宮の前で下車し、大勢の取り巻きをその場に残して、
案内の神官と戸張の幕の前まで進みましたが、神官は突然腰をかがめ、
「これ以上進むな」と、森の行く手を遮ったんですね。

当時の秘書官によれば、実際にあったのはこれだけのようです。
しかも、森が留められた場所は、身分の高い参拝者ならまず入ることができた
ところです。ですから、秘書官は暗殺事件の後に「神官の策略で、
森が不敬を行ったようにされてしまった」と証言しているんです。

で、このことから「森は、拝殿に靴をはいたまま上がり込んで、
ステッキで御簾を持ち上げて中をのぞき込んだ」という噂が流されました。
これはおそらく、神社側が新聞にリークしたりして意図的に広めたものです。
しかし、森は、拝殿に入ってないんですから、靴のままなのは当然で、
ステッキで簾を持ち上げていないことは秘書官が証言しています。

前述したとおり、この噂を真に受けた西野文太郎が、
単独で森の暗殺に動いたわけですね。さて、こっからはオカルトの話になりますので、
ご注意ください。森の不敬の噂には、後代になってさらに尾ひれがつき、
「森は、門外不出、天皇を含め、誰も見たことがない神器、八咫鏡(やたのかがみ)
の箱を開けて中を見た」という話に変化していきます。

そして、鏡の裏面には、ヘブライ語で、「エヘイエ アシェル エヘイエ」と、
刻み込まれており、これは『旧約聖書』に書かれている、
キリスト教の神ヤハウエが、自身のことを説明した「私は在って有る者である」
という意味だったとされます。これ、オカルト界では、「日ユ同祖論」
(日本人のルーツはユダヤの失われた部族の一つである)と言われるものです。

八咫鏡裏面のヘブライ語とされる図像


しかし・・・森が、参拝したのは伊勢神宮の外宮だけです。
八咫鏡が安置されているのは内宮のはずで、森はそこまで行っていません。
さらに、もし森が八咫鏡を見たのだとしても、古代ヘブライ語を解することが
できるはずがないです。当時のヨーロッパ人の神父でもできないでしょう。

伊勢神宮に見られるユダヤの星、しかしこれは近代に寄進されたもの
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さてさて、ということで、オカルト話はともかく、
森有礼は、あまりに急進的でした。彼の目には、当時の日本が、
欧米社会に比べて、ひどく遅れたものに見えていたのは間違いありません。
そして、旧弊を排除しようと焦って、急ぎすぎました。
そうした場合、排除される側は死にものぐるいの抵抗をします。

森にはこんな話も伝わっています。四国の金刀比羅宮を視察した際、
昼食に牛肉を取り寄せて食べたことです。これが神域において
不浄であるとされたんですが、森の考えは、西洋人に対して小さい日本人の
体位向上に、肉食はどうしても必要だというものでした。

現代の日本では肉食は一般的で、日本人の体格もよくなりましたが、
いくら合理的な考え方であっても、性急に事を運ぶのはよくないという
歴史上の教訓が、ここにはあるのかもしれません。八咫鏡については、
考古学をまじえて、いつか機会があれば書きたいと思っています。
これ、学問的にもすごく興味深いものなんです。では、このへんで。






夏目漱石とオカルト

2019.02.14 (Thu)
アーカイブ15

今回はこういうお題でいきますが、はたしてどんなことが書けますでしょうか。
さて、夏目漱石をご存知でない方はいないでしょう。
文豪と冠される日本の小説家の一人で、『坊っちゃん』『こゝろ』『三四郎』
などが代表作。その作風は理知的で「余裕派」などとも言われました。



自分は、けっして漱石について詳しいわけではありませんが、
オカルト研究の観点からすると、夏目漱石に対しては、
「オカルトに強い興味を持ちながら、その中に本気で足を踏み入れる
ことがなかった人」というイメージを持っています。

まず、漱石の子ども時代は、たいへん怖がりだったという話が残って
いますね。ただこれは、そう珍しいことでもないでしょう。
漱石が本格的にオカルトと出会ったのは、1900年からの
官費での英国留学時だと考えられます。

この頃、イギリスは心霊主義ブームの真っ最中でした。
漱石の留学は、学費が少なく、苦しいものであったようです。
大学での講義を価値のないものとして、本を読みながら、
下宿を転々と変えているうちに、神経衰弱気味になって帰国しました。

漱石は、留学中にロンドン塔を訪問しています。ロンドン塔は、
テムズ川の岸辺、イースト・エンドに築かれた中世の城塞で、身分の高い者を
収容する監獄としても使用され、現在でも幽霊の噂が絶えない場所です。
霊能者を自称する宜保愛子氏が、TV番組の企画で訪れたことも有名ですね。

ロンドン塔


漱石は帰国後、そこでの体験を『倫敦塔』という短編作品として
発表していますが、作中で、ロンドン塔に幽閉され、おそらく殺されたと
考えられるエドワード4世の2人の男児や、17歳で処刑された
イングランドの「9日間女王」ジェーン・グレイの姿を幻視します。

しかし、これはあくまでも幻視であって、実際に幽霊を見たというわけでは
ありません。漱石は、上で書いたように、そちらの側には踏み込まない人でした。
ちなみに、宜保愛子氏のロンドン塔での霊視は、漱石の書いた『倫敦塔』の
内容とほぼ一致していることが指摘されています。

さて、漱石は催眠術に強い興味を持っていました。これは、大学在学中に、
イギリスの医療ジャーナリストである、アーネスト・ハートの
『催眠術』を翻訳していることからもわかります。
ただし、催眠術への関心は漱石だけの話ではなく、
明治中期に、日本で催眠術の大ブームがあったんですね。

で、催眠術を日本に広めた立役者の一人が、オカルト界ではたいへん有名な、
東京帝国大学助教授の心理学者、福来友吉博士です。
福来博士が文学博士号を取ったのは、「催眠術の心理学的研究」でした。
ただ、福来博士は催眠術にあきたらず、超心理学の領域にまで手を伸ばします。
漱石とは違って、オカルトの闇に踏み込んでいきました。

関連記事 『精神力と物理力』

福来友吉


御船千鶴子や長尾郁子などの透視・念写の研究に没頭し、
いわゆる「千里眼事件」を起こして、大学を追放されてしまうんですね。
漱石と福来博士の間に接点があったかどうかはわかりませんが、
漱石がこの事件に興味を持っていたのは、間違いないと思われます。

漱石の催眠術に対する知識は、『吾輩は猫である』に出てきていて、
胃の不調に悩む苦沙弥先生が、知り合いの医師に催眠術をかけてもらいますが、
かかるふりをして、じつはかかっていないという笑い話として描かれています。
このあたりからも、催眠術の原理や弱点を漱石が熟知していたことがわかります。

さて、漱石は怪談も書いています。『琴のそら音』という短編ですが、
これなんか、漱石のオカルトに対するスタンスがはっきり出ている作品です。
筋は、主人公の書生が、幽霊を研究している心理学者の友人のところで、
出征している夫が持っていった鏡に妻の姿が映り、後になって、
その瞬間に、日本にいた妻が死んでいたことが判明したという話を聞かされます。

そういえば、自分の婚約者がインフルエンザにかかっていたことを思い出し、
主人公は心配になります。友人の部屋をでて夜道を帰る途中、雨がしとしと降り出し、
さらに葬式の一行に出会って、主人公は不吉な気持ちがいよいよ増し、
婚約者のことが気になってしかたがない。まあ、固定電話すらない時代の話です。

このあたりの漱石の描写はじつに巧みで、
読者も、婚約者はすでに死んでいるのではないか、という気になってきます。
主人公が家に戻ると、まかないの婆さんが迎えに出て、
今夜は犬の遠吠えが普段とは違っていると言いはります。

しかし、主人公が翌朝早朝、息せき切って婚約者の家を訪ねると、
婚約者のインフルエンザはとっくに治っていて、
なぜこんな時間に来たのか不審がられる・・・という内容でした。
最後の場面は、そこまでとはうって変わった明るい調子でしめくくられています。

さてさて、漱石はオカルトにのめり込むには、あまりに聡明すぎたのだと思います。
興味は持ちつつも、あくまで客観的・懐疑的なスタンスを崩してはいません。
漱石は、理知的であったがゆえに神経衰弱となり、それからくる胃弱に悩まされ、
最後は胃潰瘍の大吐血で命を落としてしまうんですね。
ということで、今回はこのへんで。

関連記事 『宜保愛子とロンドン塔』







旧家に住む話

2019.02.13 (Wed)
私が小学生の時分ですから、だいぶ昔のことになります。
8歳から12歳までの間、旧家に住んでいたんです。なんのためかというと、
お座敷をのぞいて、ご挨拶するお役目があったからです。
・・・こう言っても、わけがわからないでしょうね。
はじめからお話していきますが、地域や主家のことについては、
具体的な名前は伏せさせていただきます。その家は零落はしても、
まだ続いておりますから。さて、どこから話していけばいいか。
江戸時代末、ある小藩の藩主がおりました。そのお殿様は、
明治維新のときに官軍方についたため、廃藩置県後は伯爵となって、
県知事もお務めになられたんです。はい、その後も代々、県の重要な役職に
お就きになっておられたんですが、昭和に入り、

太平洋戦争の敗戦後は、農地解放ですべての小作地を手放されたんです。
ですが、そのときのご当主様は才気のあるお方で、
小売業に手を出されまして、県内のスーパー、ホームセンターの
大きなチェーンを一代でおつくりあげになったんです。
はい、政治からは手を引いておられましたが、県内の重要人物の一人で、
毎日のようにいろいろな会合に出ておられました。
そして、70歳になったとき、チェーン網の経営権をご長男にお譲りになって
引退なされたんです。ご長男はそのとき、40代のはじめくらいだったはずです。
ちょうどそのころです、私の一家がみなでご当主様のお屋敷に住むようになったのは。
私の父は、そのチェーンのホームセンターで働いておりまして、
新しいご当主様より5つほど若かったはずです。

それが、あるときご当主様からじきじきに、「今の仕事を離れて、屋敷のほうで
 秘書のようなことをやってくれないか」そんなことを言われたそうです。
父は驚きました。私の父は工業高校を出てすぐホームセンターに勤め、
木材の加工などをやっていたんです。「とても秘書などは務まりません」と
お断りしたんですが、「ただ屋敷にいてくれるだけでいい、何もしないのが嫌なら、
 近くにあるコンクリ工場の副社長をやってもらうから。
 今のホームセンターの給料の倍を出そう」とまで言われ、
引き受けることになったんです。ただ、それには条件があり、
先ほど言いましたように、一家でご当主様のお屋敷に移り住むことでした。
当時の私の家族は、父と母、子どもが8歳の私と4歳の妹でした。
今にして思えば、父とは関係なく、私をあのお屋敷に入れるためのことだったんです。

お屋敷は、県庁所在地の市から車で1時間かからない郊外にありました。
もともと、江戸時代には藩のお城があったところです。そのお城は明治維新のときに
焼けてしまい、その跡地に、大きなお屋敷が築かれたんですね。
私が入ったときには、すでに築100年を過ぎていて、
使われている木材も黒光りしておりました。2階建てで、部屋数はつごう20以上は
あったはずです。敷地には馬小屋や薪小屋などもありました。
私は・・・それまで通っていた小学校から転校することになったので、
そのお屋敷に入るのは不満がありましたが、父も母も喜んいたので、
口にすることはできませんでした。私の家族は、そのお屋敷の座敷3つを与えられました。
居間、父母の寝室、私と妹が勉強したり寝たりする部屋。
どれも見事なつくりの和室でした。あと、そうですね。

朝晩の食事は、お屋敷にたくさんいる使用人がすべて作って、
お膳で部屋に運んできたんです。父はばりっとした背広を着て、近くの、
やはりご当主様の持ち物であるコンクリ工場に通いました。私は、地元の小学校に
黒塗りの外車で送り迎えされていました。はい、いじめられたということはなかったです。
お屋敷から通ってきているということで、校長はじめ先生方の接し方が
他の子たちとは違っていました。私が、ご当主様とお会いしたのは、数えるほどしか
ありません。最初、お屋敷に入ったとき、ご当主様にのところに連れて行かれて
お辞儀をしました。ご当主様は、顔を上げた私の近くまで寄ってきて、
「ああ、この子か、新しくご挨拶をするのは。よろしく頼むぞ。
 吉を運んできてくれ」そうおっしゃって、私の頭をなでられたんです。
はい、お屋敷で、私には一つのお役目がありました。

難しいことではありません。毎日、夜の9時に2階のもっとも奥のお座敷に、
御酒を届けにいくんです。たくさんの部屋数があったために、2階のほとんどは
使われていませんでした。ただ、廊下の電気はついてました。
私は一人だけで、徳利2本を乗せたお盆をささげ、
階段を上って長い長い廊下を通り、つきあたりの奥の座敷の襖の前まで行きます。
そこで正座してお盆を置き、「御酒をお持ちしました。失礼いたします」
そう言ってから、襖を開けるんです。毎日のことでしたが、
この襖を開けるときは怖かったですよ。もちろん、お座敷には誰もおりません。
それからお座敷の電気をつけます。すると床の間に、兜から鎧の一組が武者人形のように
飾られてあったんです。これが怖くて怖くて、慣れるということはなかったです。
なんでもこの鎧は、ご当主様の遠い先祖が使ったものということでした。

私は、お盆を持って鎧武者の前まで行き、座って礼をし、「お下げいたします」
と言って、前夜の徳利を回収します。中のお酒が減っているということは
なかったと思います。それから、「どうぞお上がりください」と、
新しい徳利をお供えするんです。そうですね、時間にすれば15分もかからなかったと
思います。なぜこんなことをするのかわからず、お屋敷の使用人たちに聞いても、
誰も答えてくれませんでした。それと父母も、私が尋ねても、
「そうするようにご当主様から言われた。難しいことじゃないから、
 しっかりやっておくれ」といった調子だったんです。
たしかに、たいへんな仕事ということはありません。ですが、毎日でしたから、
私は小学校の泊りがけの旅行には行くことができなかったんです。
それで、私のこのお勤めのうちで、異変があったのは2回だけでした。

最初は、私がお屋敷に住むようになって2年目、9歳のときでした。
いつものように襖の前まで来たとき、中から何か賑やかな音が聞こえてきたんです。
私が「失礼します」と言うと、中から「お~お、入れ」と間のびした声が聞こえ、
開けると、驚いたことに、中には10人以上の人がいたんです。
御膳を前にして宴会をやっていました。それで、中にいる人はみな、
着物を着てお面をつけてたんです。学がないもので、何のお面かはわかりませんが、
どれも少しずつ異なった笑い顔の面。集まっている人はみな酔っているようで、
立って手踊りをしたり、三味線を弾いている人もいたんです。
はい、鎧はそのまま床の間にありました。そして、宴をしている一人が、
「お、御酒がきたか」と私からお盆を受け取り、「あとはいいから、お下がり」
と言ったので、そのまま下に戻ってきたんです。

私は途中から小走りになり、使用人の長の人に見たことを報告しました。
その人は番頭さん、と呼ばれていたんですが、私が、宴が開かれていたことを言うと、
「おお、それはよく見てきた。きっとお家に吉事があるぞ」そうおっしゃったんです。
私にはどういう意味かわかりませんでした。それで・・・
それから1ヶ月ほど後、ご当主様に男の子が生まれたんです。
はい、子どもはおられたんですが、女の子が2人でしたので、その子が跡継ぎという
ことになります。そのお祝いの席には両親と私も呼ばれ、ご当主様は
じきじきに私の前まで来て、「でかした。また、良いことを見てきておくれな」と、
ジュースをついでくださったんです。宴会を見た翌日からも、
もちろん御酒を上げにお座敷へは参りましたが、しんと静まり返った
いつもの座敷でした。ただ、お下げした前日の徳利は2本とも空になっていました。

・・・2度目は、私が12歳、小学6年生の秋のことでした。
襖の前で「失礼します」と言ったとき、中から「うあああああああっ」という、
男の人の叫び声が聞こえたんです。どきっとして飛び上がりましたが、
そこでやめるわけにいかず襖を開けました。すると・・・
廊下からの光で、鎧がひっくり返っているのがわかりました。
それと、畳の上が黒く濡れていることも。怖かったんですが、御酒を上げることだけは
しなくてはと思って中に入って電気をつけました。すると、畳の上の黒いものが
真っ赤に変わりました。血だと思いました。私は悲鳴を上げ、
走ってお座敷を逃げ出したんです。逃げるときに、つまずいてお盆を御酒ごと
ひっくり返してしまいました。その私の背中に、「死ぬるぞおおおお」という、
野太い声が聞こえてきたんです。走って走って、転がるように階段を降りると、

「どうした、何を見た!」異変を察したのか、下で番頭さんが待っていました。
私が、見たもののことを言うと、番頭さんは、「何だと!!!」と声を荒げたんです。
それから・・・ひと月たたないうちに、ご当主様が亡くなられました。
妾宅に行っていたところを、そのお妾さんから包丁で刺されたんです。
子どもの私には、当時はそういうことはわかりませんでした。ご当主様が亡くなって、
私が御酒を運ぶお役目はなくなりました。その後少しして、
私の家族はお屋敷を出ることになり、父は、チェーンのホームセンターの一つに
店長として戻ったんです。ですが、スーパーもホームセンターも、
すべての事業の経営がおもわしくなくなり、いくつもの店舗が閉鎖され、
ご当主様の身上はつぶれてしまったんです。父は転職を余儀なくされ、
その後、大変に苦労しました。あの、私が宴を見た後に生まれた男の子が、

今はご当主を務められているようですが、
事業は縮小して、すっかり昔の面影はありません。
お屋敷もとうに人手に渡り、解体されて、今は地域の温泉施設になっているようです。
私が4年間、毎日御酒を上げに行ったお座敷はもうないんです。
・・・あのお座敷がどういうものだったのかは、今もってわかりません。
番頭さんをはじめ、当時の使用人のほとんどは鬼籍に入っているでしょう。
ですが、事情をご存知の方は、まだどこかにおられると思います。
あとは、あの鎧兜ですが、お屋敷が解体されるときに、
さまざまなお宝とともに競売に出されたようで、
私はあれから1度も見たことはありません。まあ、こんな話なんですけど、
あのお座敷はいったい何だったんでしょう。不思議と言うしかありません。






アーカイブ14 前の家

2019.02.13 (Wed)
何ということもない話ですが、自分ではわりと好きです。

前の家

うちで前に住んでた家の話をします。そこは建て売り団地の一軒家だったんですが、
新築じゃなかったんです。とは言っても築5年くらいで新しかったですけどね。
そこでいろいろ不思議なことがあったんです。
うーん、今から考えると、ローンが払えなくなって、
追い出された人が前の住人だったんじゃないかと思いますが、
当時はそんなこと考えもしませんでした。
まだ、小学生だったし、親も言わなかったですから。
家族は両親と姉です。姉は高校生でした。もう結婚しましたけどね。
僕は今は父親が建てた別の家に住んでます。
いや、不思議なことがあったせいというわけでもないんじゃないかな。
少なくとも僕も姉ちゃんも、あんまり気にしてないっていうか、むしろ面白がってました。

天井裏
2階は2部屋で、僕と姉ちゃんの部屋だったんです、隣り合わせの。
日曜の朝でしたね。6時頃、うるさくて目が覚めたんです。
天井裏で、トッ・・・しばらくしてまたトッと音がしたんですよ。
けっこう響く音で、天井板を蹴っては跳び上がり、また降りてきて蹴るみたいな。
何かが入り込んでるんじゃないかと思いました。
起き上がったときにドアから姉が顔を出して、
「ねえ、あの音、うるさいからなんとかならない?」って言ってきました。
なんでも僕に用を言いつける、うっとおしい姉だったんですよ。
まあ結婚していなくなって、最近はさびしいなって思うときもありますけど。
「鳥じゃないかな、けっこう大きなやつ」
それで、下から懐中電灯を持ってきて見てみることにしたんです。

両親には言いませんでした。まだ寝てましたし、起こすと怒られるかもと思って。
姉の部屋にしか押し入れがなかったんです。
僕の部屋は4畳でせまくて、クローゼットだけしか置いてなかったので。
だから姉の部屋に行って押し入れの上の段に上がりました。
で、天袋って言うんでしょうか、よくわからないけど、
隅に天井裏に入れる四角い板があったんです。押すと持ち上がりました。
小学生の身長でも問題なかったです。
姉も上がってきて板を持ち上げてくれたんで、頭を入れて照らして見ました。
その瞬間「えー」と叫んで、僕はひっくり返っちゃったんです。
何を見たと思いますか?
雛飾りですよ。それもたぶん僕の頭のまわり全部ぐるっと。

どれも七段飾りくらいの、人形がたくさん並んだ豪華なやつ。
僕は「あ、あ、あ、おひな様」としか言えませんでした。
姉が「うそー」と、落ちた懐中電灯を拾ってかわりに頭を入れましたが、
「・・・なんもないよ」って下を見て言いました。
「だって」とまた頭を入れると、ホントに何もなかったんです。
考えてみれば、天井裏だし七段飾りの雛壇が入る高さなんてあるはずもない。
姉は「んーだけどこの家、不思議なことがあるから、あんたが見たならそうかもね」
その頃にはトッ、トッという音はしなくなってました。
その後2人でかわるがわる天井裏を調べたんですが、
下には厚く埃が積もってて、そこに点々と何かが跳んだ跡が残ってました。
「七段飾りなんていーなー」と姉は言いました。2月の話です。

レモン
冬の話です。その日学校から帰ってくると、試験期間だった姉が早く帰ってきてて、
居間のこたつで勉強をしていました。普段はお化粧のことしか考えてないのに、
珍しく真面目な顔をしていたんで、声をかけるのをやめ、
キッチンに行って冷蔵庫からジュースをとって自分の部屋に行こうと思ったんです。
冷蔵庫を開けたところで、居間から「きゃっ、また出た」という姉の叫びが聞こえました。
「○○、いるんでしょ。冷蔵庫からレモン切って持ってきて。早く早く」
けっこう切迫した声だったので、言われたとおりにレモンを半分に切って持ってったんです。
そしたら、コタツの上にソフトボールくらいの白い球が浮かんでたんです。
「こっち、こっち」と姉が言うので、側に行くと、
そのボールには大きな目がついてました。人の目よりずっと大きくて一つだけ。
「うわー、何これ」と思いました。

姉はあんまり怖がるふうもなく、「どうだ」と言いながら、
僕が手渡したレモンをぎゅっと両手でしぼって、その目にかけたんです。
すると目のまぶたが落ちて、ボール全体がふらふらと揺れながら、
部屋の隅まで漂って消えたんですよ。「姉ちゃん、今の何?」って聞いたら、
「さーね、妖怪かな?」平然とした感じでした。
「怖くないの?」「前に同じやつ、キッチンでも見たことがあるよ」
と言いました。「いつ?」 「3ヶ月くらい前」
「そのときはどうしたの?」 「ちょうどあったからタバスコかけてやった」
「辛いやつ?」 「そう、さっきより苦しんでたよ」
この変なボールは、引っ越すまで姉はもう3回見たそうです。
「弱っちいやつ」と言ってました。僕が見たのはあと1回だけです。

ダンボール
これは夏のことですね。学校のグランドでスポ少のサッカーをやってから、
6時頃に帰ってきたんです。するとキッチンで。
まな板に向かって何かを切ってる姉の姿がありました。
「母さんいないの?」って声をかけたら、
「今日、町会の寄り合いに出て遅くなるって。わたしが夕飯作るから」
こう答えたんで、「カレーにしてよ」と言いました。
そしたら「カレーだって?」と聞き返されたんですが、
その声がぐにょんとゆがんで聞こえたんです。
ほら、よくテレビの心霊番組なんかでテープを遅回しした音ってあるじゃないですか。
あれみたいな感じでした。
「あ、これは姉ちゃんじゃなく、なんかやばいやつかも」と思いました。

姉がくるりとこっちを向いたんですが、予想どおりというか、
体の前面が平べったくて、絵にかいたものみたいでした。
頭はカツラみたいな髪はありましたけど、顔も平たくて、
そこに「へのへのもへじ」がかいてあったんです。
こっちに近づいてきたんで逃げ出しましたが、逃げるときに片足に蹴りを入れました。
玄関から外に出ると、ちょうど姉が自転車で帰ってきたところだったので、
「姉ちゃん、ホンモノ?」と聞きました。
「なにバカなこと言ってるのよ?」それで事情を話し、2人で家に入ってみました。
玄関でそれそれ一本ずつ傘を持って。家の中には誰もおらず、
台所にたたんだダンボール箱が落ちてました。冷蔵庫が入ってた大きいやつです。
で、それの一面にマジックで「へのへのもへじ」がかかれてたんです。

6年後
姉が結婚することになって、それと同時に、
単身赴任が続いてた父が独立して会社を興すことが決まって、
この家から引っ越すことになったんです。
当面は都内で賃貸マンション生活ということでした。
引っ越しは業者に頼んで、見届けが終わってから父のミニバンで出発したんですが、
「いよいよお別れだな」って思って、家のほうをふり返ったんです。
そしたら2階の廊下・・・僕と姉の部屋があったところですが、
その2つの窓いっぱいに大きな目があったんです。一つ目でした。

「姉ちゃん、アレ」そう言って指さしたら、「何かいるの?」と姉が聞きました。
「でかい目玉」と答えると、「私にはもう見えない・・・大人になったから」
姉はそう言いながらも、懐かしそうな顔をして窓に向かって手を振ったんです。
僕もいっしょに手を振りましたよ。巨大な目がパチクリをしました。
「なんだお前たち、あの家にお別れしてるのか」父が言いましたっけ。





アーカイブ13 妻の実家

2019.02.13 (Wed)
これもファンタジーですね。

妻の実家

えー今晩は。自分は妻の実家の話をさせてもらいます。ここは怪談を語る場所だって?
いやわかってます。でも、きっとみなさん興味深いと思いますよ。
まずですね、自分が妻と結婚したのが25のときで、今から10年前です。
大学3年のときに知り合いまして。それから4年つき合ってゴールイン。
え? のろけはやめろって? いや、そうじゃなくて・・・
この妻の実家というのがね、ある県の昔からの大地主で。それだけじゃなく、
その地方の精神的な支柱というか、祀り事を代々受け継いでる家系だったんです。
自分は親は平凡なサラリーマンですし、自分もそうですから、
妻の里帰りにつき合うと、そりゃびっくりすることだらけで。
結婚のとき反対されなかったかって?うーん、それはなかったです。
妻は次女でして、向こうには跡取りの息子も婿取りをした長女もいましたから。

餅を食べる
でね、息子が生まれる前は、年に一度くらいはそっちの実家に行ってたんです。
息子ができて、もっとひんぱんになりましたけど。
もちろん妻の実家には、結婚の前後、あいさつとかで何回か行ったんですが、
そんときはわからなかったんですよ。その・・・なんというか、世間と違ってることに。
ただ蔵や馬小屋まである大きなお屋敷だってことと、親戚の数が異様に多いくらいしかね。
ところが、結婚したのが10月で、その正月のことでしたね。
大晦日までは自分の実家のほうにいて、元旦からは妻の実家に行ったんです。
ぜひ来て、正月の様子を見ていってくれって義父に言われまして。
早朝に車で出て10時頃に着いたら、なんと使用人10人以上で、
庭で餅つきをしていました。でかい臼と杵を使った、昔ながらのやり方です。
つきたてを昼餉に親戚一同で食べるということでした。

40畳以上ある大広間に通されまして、親戚が20人以上膳についてました。
結婚式のときに紹介された人もいましたが、わからない人も多く、
ご挨拶するのが大変でした。で、近くの人と世間話をしてると、
次々餅が運ばれてきたんですが、これがね、三宝にのせられた巨大な塊なんですよ。
直径40cmはあったと思います。高さが10cmほど。
信じられないことに、これで一人分なんです。
まあね、儀礼的なもんだと思ったんです。ちょっと食べるだけであとは残すんだろうと。
普通そう考えますよね。そしたら、「これより一族で餅を食べますが、
 当家の血筋でないお客様はその間、ご案内しますので、
蔵の収集物をご覧になっていてください」当主がこう言ったんです。
それで自分は他の何人かと大広間を出され、血筋をひいている妻は残りました。

蔵の中の美術品はたいしたものでしたよ。かなり古代の物もあったと思います。
昔、歴史の教科書で見た、正倉院の収蔵物に似たのもありました。
でも出してあるのはほんの一部みたいでしたけど。
15分ほどそれらを見せてもらってから広間に戻ったら、
なんとどの人の三宝の上にも餅がなかったんですよ。驚きました。
あれって、重さにしたら5kg以上あったでしょう。
だからやっぱり少し食べて、残りは片づけたんだろうと。
ところがです、後で妻に聞いたところ、「餅は全部食べたよ」って言ったんです。
「えー。どうやって?」 「どうやってって、普通に一口ずつ」
「あれ全部をか?」 「そう。残しちゃいけないしきたりなの」こんな感じでした。
べつに、会席者のお腹がふくれてるとか、苦しがってる様子はなかったですよ。

集まってくる
それとね、ひっきりなしに客が来るんです。
まあね、旧家で地域の有力者となればそんなもんなんでしょうけど、
当主はいちいち出て行かなくてはならず、たいへんそうでしたね。
お客さんは、県や市の議員さんなんかが何人も来られたんですが、
それ以上に、変わった風体の修行者の方が多かったんです。
山伏の恰好をしてホラ貝を持った人とか、尺八片手の虚無僧とか、
頭巾をかぶって鼓(つづみ)を抱え猿を連れた人とか、琵琶法師とか。
で、そういう客は、庭の一角にある一族の神社に案内されるんです。
氏神神社って言ってました。塀の内側の敷地内にあるんですが、そう大きくはないです。
2間四方くらい。ほら、旧家だと庭にお稲荷さんの社がある家ってあるじゃないですか。
あれは小さいお堂が多いですけど。

それで、そういう不思議なお客さんたちがその氏神神社に入っていくのが、
大広間でお酒をごちそうになってるとき、ガラス越しに見えたんですよ。
最初のうちは、あのせまいとこによくあの人数が入れるもんだと思ってましたが、
次々に入っていくだけで、出てくる人がいなかったんです。
これも変ですよね、さっき2間四方って言いましたが、一辺が4mない建物なんですよ。
そこに、見てるだけで30人以上入っていきましたから、
立錐の余地なしなんてもんじゃない。
ぎゅうぎゅう詰めで立ってるのがやっとじゃないですか。
でね、その日の夕方になって、巨漢のお客さんがまた一人案内されてきたんです。
それが、冬だというのにすねと腕を出した野良着のようなのを着てまして、
でかい和太鼓を背中に担いで丸太のバチを持っていました。

その人なんですが、遠目でも髭ボウボウのボサボサ髪、
むき出した手足に剛毛が生えてるのがわかりました。巨漢って言いましたが、
相撲取りなんて比じゃないくらいでかい人・・・
昔、プロレスでアンドレ・ザ・ジャイアントっていたでしょう。
youtubeで見ましたけど、あんな感じで、身長2m数十cm、
体重も300kgはあったんじゃないかな。北斗の拳の山のフドウみたいでもありました。
その人も横にまわって神社に入ってったんですよ。
で、妻に「あの氏神神社って、地下に抜け穴とかあるのか?」って聞いてみました。
「いやね、高床だって見たらわかるでしょ。子どもの頃から何度も入ったけど、
 そんなものないわよ」こういう答えが返ってきました。
まあそう言われればそうなんですが、じゃあ、あのお客さんたちは・・・

雨を止める
妻の実家には正月3日まで逗留させていただきました。でね、その3日の日に、
東方に向かって一族総出でお祈りをする儀式ってのがあったんです。
庭の東側に、数mの高さの望楼が築かれてありまして、
そこに一族が登って、日本の泰平を祈るんだそうです。
当主を先頭に20数人でやるので、望楼もそれなりにでかいもんでしたよ。
妻はその中には入ってませんでしたので、自分といっしょに下で見てました。
それを拝見してから帰る予定だったんですよ。
でね、その日は朝から冷たい雨が降ってたんです。
場所がわかると困るので言わなかったんですが、実家は南国で、
雪のほとんど降らない地方なんです。ああ、わかりますか。さすがですね。
時間になって、傘をさして出ようとしたら、妻が「いらない」って言うんです。

「雨は必ず晴れるから」ってね。でも、土砂降りとまでは言えないけど、
かなりの降りでしたから、そんなことないだろうと思ったんですが、
法衣のようなものを着た当主が一歩屋敷を出た途端、空にあった黒雲が
四方に割れたんです。そこから日の光が二筋さしてきまして、
望楼と、それから氏神神社の上にあたったんですよ。そしたら賑やかな音楽が、
氏神神社の中から聞こえてきて、屋根から鳩のような鳥がたくさん飛び立ちまして・・・
いや、形は鳩に見えましたが、金色に輝く鳥でした。
雲の裂け目は望楼のちょうど真上で、そこだけぽっかりと晴れた状態になったんです。
そこへね、当主始め一族が白衣をつけてしずしず登っていく。
儀式は小一時間もかかったでしょうか。その間じゅう音楽が響いていて、
ずっとあたりの空気の中にキラキラ光るものが漂ってた気がします。

こんなことが、実家に行くとあるんですよ。
最近は慣れたせいか、あまり不思議とも思わなくなってきましたね。
でね、結婚5年目のときに待望の息子が生まれまして、
もちろん実家には見せに連れていきました。なにやら儀式のようなことをされましたよ。
そのおかげか、病気一つすることもなくて。
去年の正月も妻の実家に行きました。息子が5歳になる年なんでぜひ連れてこいと言われて。
相変わらず、不可思議なお客さんがたくさん来てました。
でね、あの餅を食べる儀式に息子も参加させられたんです。息子はもちろん、
妻から血筋を受け継いでますし。自分は前と同じに別の場所で時間つぶしさせられましたが、
戻ってきてみると、当然のことのように、息子の前の巨大餅もなくなってました。
どうやって食べたか聞いても、「おいしかったよ」としか言いませんでしたね。