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モササウルスの話

2019.03.17 (Sun)
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今回はこういうお題でいきます。カテゴリはUMA談義ですが、
じつは、ネッシーはUMAですが、モササウルスをUMAと言うのは
難しいんですね。UMA(Unidentified Mysterious Animal)とは、
目撃例や画像のみがあって、正体がはっきりしていない生物のことです。

ですから、「ある水域に何か不思議な生物がいるようだ」
こういう噂が出ている時点ではUMAなんですが、
もしそれが捕獲され、モササウルスと同定されてしまった場合には、
既知の古代生物の生き残りということになってしまいます。
ま、シーラカンスと同じようなあつかいになるわけですね。

さて、モササウルスは中生代白亜紀後期の約7900万 ~
6500万年前に生息していた肉食海棲爬虫類です。
恐竜と生息していた時代がかぶっていますが、恐竜ではありません。
また、モササウルスというのは属の総称で、その中に何種類かがいます。

体長は約12~18メートルと大きく、現存するホオジロザメの4倍、
ジンベイザメの1.5倍の大きさがあります。胴体は細身で、
長い尾部を持っています。化石からはヒレの形状はわかりませんが、
現在のサメに近かったのではないかとする研究者もいますね。

映画 『ジュラシックワールド』
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性格は凶暴と考えられています。これは、発見されるモササウルスの
化石で、骨にまでケガを負っているものが大変に多いためで、
同種間での縄張り争いによるものと見られています。
食べていたのは、同時代の大型の魚類、爬虫類など。

かつては、ものかげに潜んで獲物を捕食していたという説が有力だった
んですが、最近の研究では、自分から積極的に狩りをして、
獲物を追いかけていたのではないかと考えられるようになりました。
当時の魚類などは、時速40kmほどで泳げたと考えられていて、
モササウルスはそれ以上の速度を出せたのかもしれません。

ちなみに、ホオジロザメが時速30kmほど、シャチが時速70km
程度と考えられています。白亜紀後期の海洋生物の食物連鎖の頂点に
立っていたわけですが、なぜ絶滅してしまったのかは、
他の恐竜類と同じで、約6600万年前にユカタン半島に衝突したと

考えられる巨大隕石(小惑星)による気候変動のためです。
このときには、海洋生物の約70%がいなくなるという
大絶滅が起きてるんですね。ですから、モササウルスが現在まで
生き残っている可能性は、かなり厳しいと見るしかないようです。

「動く棺桶」と呼ばれ、戦死率の高かったUボート


さて、このモササウルスを目撃したのではないかとする記録が残っています。
時は第一次世界大戦世界大戦のさなか、1915年7月30日、
場所はアイルランドのファストネット東南沖約14kmの海域、
ドイツ海軍第4潜水艦隊所属のUボート、U-28からの魚雷攻撃を受け、
イギリスの貨物船イベリアン号が沈没しました。

すると、船体の機関が爆発した衝撃で、巨大な生物が水面に浮き上がって
きました。その生物は全長が20mほどもあり、大きな4つのヒレと長い尾を持ち、
ワニの首を長くしたような姿をしていました。怪物はそのまま海に沈んだため、
写真撮影することはできませんでした・・・

モササウルスとUボート
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この話も、UMA本にはほぼ必ず載っていますね。ちなみに、Uボートの
フォストナー艦長のこの話が掲載されたのは、1933年10月19日付の
ドイツ新聞『アルゲマイネ・ツァイトゥング』です。
なんと、実際の目撃から18年もたってからのことです。

不思議ですよね。軍事上の秘密とも考えにくいし、
なぜずっと黙っていたんでしょう。これについて調査したのが、
イギリスの作家・歴史研究者であるマイク・ダッシュ(Mike dash)氏です。
この人の本は日本でも何冊か翻訳・刊行されています。

マイク・ダッシュ氏
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ダッシュ氏の調査によれば、まず、U-28号の当時の水兵で、
フォストナー艦長以外に、怪物の目撃談を話していた人物はいなかったこと。
そして、船長が新聞に目撃談を発表した1933年には、
当時の船員は一人も生き残っていなかったことが、つきとめられています。

さらに、U-28号のイベリアン号撃沈時の航海日誌が発見され、
そこには、怪物の目撃記録はまったく載っていなかったことも判明したん
ですね。これは怪しさ爆発です。残念ながら、ドイツ貴族の男爵でもあった
フォストナー艦長によるホラ話だったのではないかと、
現在は考えられているようです。

U-28号の当日の航海記録
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さてさて、では、モササウルスが実際に生き残ってる可能性は
ゼロなんでしょうか。これは難しいですね。モササウルスと並ぶ海棲の
巨大生物に、メガロドンがいますが、メガロドンはサメ、つまり魚類ですので、
空気呼吸が必要ないし、深くまで潜ることができます。
しかし、爬虫類のモササウルスはそうはいきません。

もし海面近くにいるのなら、もっと目撃例があってもよさそうなものです。
ただ、トルコのヴァン湖で目撃される「ジャノ(ジャノワール)」というUMAの姿が、
モササウルスに似ているという話もあります。ヴァン湖は塩湖で、
陸封されたモササウルスがいるのかもしれません。ぜひ生き残っていて
もらいたいものです。では、今回はこのへんで。

関連記事 『メガロドンについて』

「ジャノ」とされるUMA画像
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異空間の話 2題

2019.03.16 (Sat)
ひょっとこ空間
俺が小学5年生のときの話だなあ。こう見えても俺、ガキ大将だったのよ。
子分が何人もいてな、いろいろ悪さしてたんだよ。
あ、悪さたって、今どきのガキみたいなイジメじゃねえぞ。
あんな陰湿なものは俺らの頃にゃなかった。もっと何というか、
素朴な悪さだった。例えば夏場に畑のトマトやスイカを取って食ったりとか、
冬場は、カチカチに表面が凍った肥溜めの上を歩くとかな。
肥溜めについては、いろいろ面白れえ話があるんだが、
まあ今回はやめておくわ。でな、たしか夏休み中だったと思うが、
子分のAとB、2人を連れて裏山に登ったわけ。
山はいい遊び場だった。虫捕りはもちろん、猟師の仕掛けた罠にかかってる
獣を見て歩いたり、雨降りの後にわざと山に登って、

尻の下にビニール敷いて、登山道を下まで滑り降りてくるとかな。
で、その日もカブトムシなんかを捕って、日が暮れかけてきたんで
そろそろ帰ろうとしたとき、登山路の脇の崖下に小屋が見えたんだよ。
崖ったってせいぜいが3mくらいの高さで、その下に小屋の屋根がある。
それが木の皮で葺いたもので、夏の陽ざしに焼かれて、
じつにふかふかと柔らかそうに思えた。それでな、「飛び降りてみねえか」
って言ったんだ。AとBがうなづいたんで、まず思い切って俺から飛んだ。
・・・こういうときに子分に先にやらせるってことはしないんだよ。
何でも思い切ったことを最初にやるのがガキ大将なんだ。
ふわっと着地すると、屋根は柔らかく両足が沈んだが、破れることはなかった。
「お前らも来いよ」A、Bが続いて飛び降りてきて、

屋根がぐわっとたわんだ。それでそのまま底が抜けて、俺ら3人は小屋の中に
落っこちまったのよ。でん、でん、でん、と3人が床に落ち、
尻が思いっきり痛かったが、ガマンして「大丈夫か?」って声かけたら、
「お、おう」って返事が返ってきた。小屋の中は、まあ普通の猟師小屋だな。
下は土間で真ん中に簡単な囲炉裏が切ってある。冬場の非常時に泊まり込んだり
するときのもんで、隅のほうにマキが積み上げてあった。
中からカンヌキを開けて出ようとしたら、Aが「あ、面があるぞ」って言った。
そっち見ると、板壁に、口を尖らして目が左右に向いた木彫りの面が
かかってた。「ほう、ひょっとこだなあ」近づいてったが、
子どもでは届かない高さだった。伸ばしかけた手をさげたときに、後ろから
「ぴーぴーぴー」という音が聞こえた。「ああ、何だよ?」

そう言って振り向いたら、AとBの2人ともが、面と同じように口を尖らして、
しかも手足をでたらめに振り回して踊ってたんだよ。
「何やってんだお前ら!」と言ったつもりだったが、俺の口から出たのも、
「ぴ~ひょろら~」って音だった。そのうちに体がムズムズしてきて、
俺も踊り出してしまったのよ。・・・そうだなあ、小1時間も踊ってたか。
心臓はもうバクバクで、今にも倒れてしまいそうだったが、
体が止まらない。ああ、もうダメだって思ったときに、パンという手を叩く
ような音がして、俺は床に倒れたんだ。AとBも同じよ。
3人してゼイゼイ、ハーハー、しばらく立ち上がることもできなかった。
で、なんとか回復すると、戸口のカンヌキを外して、
ほうほうの体でその小屋を逃げ出したんだよ。

まあ、こんな話なんだが、もう少し続きがある。家に帰って、
小屋のことは親には言わなかったんだよ。屋根壊しちゃったからな。
AとBにも話をするなって口止めしといた。でな、晩飯のときだ。
俺、猫舌なんだよ。熱いものが苦手でな、かあちゃんがよそってくれた
味噌汁に息を吹きかけてさまそうとしたとき、息を吐いた口から
「ぴ~ひょろろ~~」って音が出たんだよ。弟、妹が目を丸くして
驚いてたな。親父が「ぎゃはははははははっ」って笑いだして、
それがおさまると、「お前、ひょっとこ小屋に入ったか」って聞かれた。
怖い親父に嘘はつけねえんで、入ったし、屋根を壊したことも白状した。
んで、罰として1ヶ月風呂炊きをさせられたんだ。小屋は大人たちが直した
みたいだった。口から変な音が出るのは、その罰が終わる頃になくなったよ。

神社空間
こらあ俺がまだ、ある組の構成員だったときの話だな。
ああ、もう何十年か前のことだから時効になってるだろ。
そんときはシノギとして、金貸しをやってたんだ。今でいう闇金だな。
いや、当時はそんな言葉はなかったと思う。俗にカラス金って言ってた。
日歩で、日が暮れてカラスがカーって鳴くたびに利子が増えるからカラス金。
当日金を借りたら、翌日の朝まできっちり返さにゃなんねえ。
もちろん非合法だし、そんなのに手を出すやつはまともじゃねえ、
客は博打打ちとか、芸人、その日暮らしの零細業者とかだな。
あとまあ、夜になって急にソープとか、そのころはまだトルコ風呂と言ってたが、
そんなとこに行きたくなったやつらが店に来ることもあった。
ほら、昔は今みてえなATMもなかったし、銀行が閉まるのも早かったから。

そのかわりみてえなもんだったのよ。あと、長期の高額の融資もやってた。
これも法定よりはるかに高い利息がつく。もちろん借りにくるのは、
銀行で断られた中小業者とかだよ。だから貸しが焦げつくこともあるが、
俺らは筋者だから、貸した金はどうやっても回収するんだよ。
え、娘を売らせる? いやまあ、そういうこともたしかにあった。
けどよ、そもそも年頃の娘を持ってるやつなんてそんなに多くはない。
かといって、本人をタコ部屋に叩き込んだところでたいした金にはならん。
それでな、組の幹部たちがいろいろ相談して、「神社部屋」ってのを
作ったんだよ。当時の組長に神道関係の右翼の知り合いがいてな、
その人の発案だったらしい。え、どういうものかって?
慌てなさんな、それを今から説明していくんだよ。

組の事務所が入ってるビルの地下な、そこは物置になってたんだが、改造して、
全面にコンクリを張った部屋にした。いやいやいや、拷問なんかしねえよ。
そんなことしても1銭にもならん。壁の四方のコンクリには
四角い穴を開けて、そこに神社を入れたんだ。そうだな、社殿の大きさは
実際の神社の4分の1くれえかな。ミニチュアよりは立派な造りでな。
そこに入った4つは、全部 別々の神社なんだ。選定したのは、
組長の知り合いの右翼の人。俺にはよくわからねえが、
どの神社も分霊ってのをやって、きちんと神様を入れた。だから4つとも
本物の神社なんだ。え、御祭神? そんなの俺にわかるわけねえだろ。
でな、部屋の真ん中には立派なソファを置いて、大型の冷蔵庫もあった。
中にはキャビアとかすげえご馳走が入ってる。

もちろん酒も、年代物のワインとかいろいろ用意した。それで、
借金を焦げつかせた客には、3日間その中で過ごしていただく。
まあ、そういう場所なんだよ。ただな、そこに入る前に、
健康診断を受けて生命保険に入ってもらう、かなり高額のな。
受取人は俺らだよ。あとはもうわかるだろ。その神社部屋で3日の間、
借金のことは忘れて、好きなだけ飲んで食って気楽に過ごしてもらう。
テレビもあるし、当時出たてのVHSビデオで映画を見ることもできた。
で、それが終わったら家に帰ってもらうんだが、おそろしいことに、
3ヶ月以内に確実に癌になるんだよ。それも末期で見つかる。
そして半年で死ぬ。そうすると保険金が俺らの組に入るってわけ。
いや、何一つ違法なことはねえだろ。

最初の健康診断は国立の大学病院で受けてるわけだし、そんときには
癌はねえ。俺らがその客を痛めつけたりしたわけじゃなく、ご馳走して、
酒飲ませて帰した、ただそれだけだ。何もやましいことはねえ。
ねえんだが・・・俺な、その頃は下っ端だったから、客が帰った後の
片づけとかで、その神社部屋に何度か入ったことがあるんだ。
そしたら、別に気分が悪くなるとかはないが、出た後にジンマシンに
なることがあったんだよ。体中腫れて、かゆくてたまらなかったが、
数日で治まった。そんなこともあって、そこがよくねえ場所ってのはわかってた。
でな、この神社部屋がどうなったかって言うと、地下ごと地震でつぶれちまったんだ。
震度2くらいの地震で、俺らの組以外に何の被害もなかったんだが、
あとで気象庁のやつらが来てな、震源地が組のビルの直下だって言ったんだよ。






屁の国から

2019.03.16 (Sat)
俺は配管工してんだけどよ、先週の土曜日、仲間と飲みにいったわけ。
さんざん飲み散らかしてカラオケにも行って、2時過ぎかなあ、
仲間のアパートで寝ようってなったんよ。して住宅街を4人でブラブラ歩いてたら、
右手の民家のコンクリ塀に尻が出てたんだよ。「あー何だあれ!!」
ってまず俺が見つけた。尻は街灯に照らされて白くふるふるしてたんだ。

「おい、尻じゃねえか」  「あんだ作り物か?」
でもよ、正面に回っても作り物には見えねえ。
どっから見ても本物の尻。しかし残念なことに男の尻だったんだな。
尻たぼの間から金玉袋が見えてたから。
しかもしなびて弾力のない、中年じみた尻だったんよ。

「これ本物だぜ」 「動いてるじゃね」こんなことを言い合ってたが、
一人が塀の中をのぞいてさらに大声を上げた。
「なんじゃこら、向こうに何もねえぞ!」俺も見たけど、確かに植え込みしかなくて
上半身や足は見えなかったんだ。「マジックかよ、ありえねえ」

「いや、アンドロイドとかってやつじゃねえか。人間そっくりに作った」
「尻だけのを こんなとこにくっつけてどうすんだ。
 キチガイ博士でも住んでるのかよ」
そうしてる間にも、尻はふるふると動き、肛門をひくつかせていたんだ。
仲間の一人が「俺よ、ポケットに軍手持ってるから、カンチョーしてみせるぜ」

そう言って軍手をつけ、道の端まで下がると、「うるららああああっっっ!!!」
声を上げて走り込み、中腰になって人差し指を合わせ「カンチョー!」てやった。
したらズップと手首あたりまでがめり込んで、あわてて抜いた途端、
「ぷ~~ ぶおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお~~~」って屁が出た。
でよ、屁の最後のほうは白い煙になって、あたりが見えなくなった。

俺らは、「ぷぷぷぷ、臭え」って飛び離れて、
したらだんだんに煙が消えてって、全裸のおっさんが立ってたんだよ。
年は50近いように見えた。おっさんは肩を上下させて深呼吸をくり返し、
「あああ、うめ、うめ、空気うめえ」って言った。「あんた何だよ?どっから出た」
そう聞いたら、「いや、悪いやつに魔法にかけられてよ、
 屁の国にいた」こう答えやがった。

「屁の国?」 「ああ、屁の国は飯も食わずに済むし、暑い寒いもねえが、
 ただし臭せえんだよ、とてつもなく臭せえ。新鮮な空気がねえんだ。
 俺あ、やっと出てこられてうれしい」おっさんは涙を流してたな。
で、あたりの様子がわかるようになると、壁の尻がなくなって、
それからカンチョーした仲間の姿も消えてたんだ。

「今、何年だ?」おっさんが言ったんで「2016年だよ、
 それより木村はどした?」
おっさんは、「ああ、俺は屁の国に12年いたのか。木村? 
 その人が俺にカンチョーしてくれたんか?
 ああ、ありがてえ、俺の身代わりになってくれたんだ」 「???」

「屁の国じゃ、年に3回だけ外界に尻を出させてもらえんだよ。
 そんときに運良くカンチョーするやつがいたら交代できるんだ。
 ありがてえ、ありがてえ。しかし寒みい、冬なんだな」おっさんは続けて、
「まあいいか、もともとホームレスだし、
 どっかで服 調達するか、留置所でも入るわ。
 もし木村さんが出てきたらよろしく言っといてくれ、感謝してるってなあ」

そう言い残して、チンコをぶらぶらさせたまま歩き去っていったんだよ。
あれから1週間、感謝を伝えるも何も、木村はマジで行方不明だ。
まさか屁の国なんてものがあるとも思えねえが、どういうことなんだろうな。
とにかく何か知ってたら教えてくれ。俺は木村に4千円貸してるんだよ。





アーカイブ 幽体離脱実験

2019.03.16 (Sat)
中学生のときの話なんだけど、クラスで幽体離脱ってのが流行ってたんだ。
流行ってたって言っちゃいけないかな。
この話題をするのは自分を入れて4人くらいだったから。
当時有名なオカルト漫画があって、それで幽体離脱をあつかった回の直後で、
その漫画に簡単なやり方が出てたから、
いつもその手の話をしてる仲間で、俺らもやってみようかって。

やり方はそんなに難しくはない。
部屋を薄暗くしてベッドに上向きに寝て、
自分の体から意識だけが抜け出していく場面を想像する。
目をつむっちゃいけない。それから気が散るから布団をかけてもいけない。
天井の一点を見つめて、それがだんだんに近づいてくるように念じるんだ。

4人でしめし合わせて、今日の夜にやってみて明日結果を報告しようって
ことになった。・・・時間は深夜0時を少し過ぎたくらいだったな。
部屋の電気を小さいのだけにして、俺の部屋の天井は木目なんで、
そこの節が渦巻いている部分に集中して、少しずつ体から抜け出していくように、
天井が近づいてくるように念じる。ただ、スプーン曲げみたいに力を込めちゃだめだ。
意識をできるだけリラックスさせて、瞑想的に念じるのが大切だって
漫画には書いてあった。結果は、もちろんうまくいくはずがない。
天井の木目はちっとも近づいてこなくて、いつの間にか寝てしまった。

次の日、1時間目の休み時間に集まって結果を報告し合った。
どうせ俺と同じようにみな寝てしまっただろうと思っていたが、
一人だけできたというやつがいた。
こいつをTということで話を進める。Tの話では、天井の一点に集中して、
10秒間に1ミリずつ抜けだしていくような感覚で想像していたら、
いつのまにか天井が鼻の上すれすれにきていた。
暗いけど天井のほこりや小さなクモの巣がよく見えたっていう。
それだけじゃなく、向きを変えられるかと下向きになったところを思い浮かべたら、
下に大の字になって横たわっている自分の姿が見えたっていうんだ。

自分らでやってみようと言ったくせに、あと2人の反応はあんまり芳しくなかったな。
あからさまには言わなかったが、どうせ嘘だろという冷笑したような感じで、
最終的には夢だったんだろという結論になってしまった。
Tが「自分の体が見えた後で、すぐ意識が途絶えてしまった」
と言ったのも悪かったかもしれない。その2人がいなくなってから、
Tは俺に「お前だけは信じてくれるよな。俺はもう少し続けてみる」
そう言って、「じつは俺の部屋の天井は白一色で目印になるものがないから、
黒い紙に白ペンで三角形を書いたのを貼りつけたんだ。
それがよかったのかもしれない」こう教えてくれた。

この三角形の話を聞いて、萎えかけていた気持ちがまたわくわくしてきた。
ピラミッド・パワーなんてのも知ってたから、
何か関係があるかもしれないと思ったんだな。それでその日は、
俺も紙に正三角形を書いたのを天井の頭の上にくる部分に貼って、
もう一度やってみた。そしたらできたんだよ。
いや、今から考えると夢かもしんないけど、そのときはできたと思ったんだ。

だんだんに額が熱くなってきて、天井に貼ってある三角形が、
自分の額とつながる感じがした。いつのまにか自分が軽々と宙に浮いてて、
反転すると自分の寝ている姿が見えたんだ。
そこまでだったけどね。やはり記憶がそこで途切れていて、
布団をかけないまま寝たから朝方に寒くて目が覚めた。
季節はたしか秋に入りかけた頃だったし。

翌日Tにできたことを報告したら、やつのほうはもっと進歩していた。
その幽体状態のまま部屋のドアを通り抜けて一階に降り、
玄関先まで行ったっていうんだ。体の格好はどうでも自由になるらしく、
宙に浮いた下向きの状態でも漂っていけるんだけど、
直立した形になることもできるっていう。ただし歩く必要はないみたいだった。
スーッと船が水の上を進むように滑っていけるらしい。
これを聞いて、半信半疑ではあったものの自分もそこまでできるか
確かめてみようと思った。夜になるのが待ちどおしかった。

ところが、やってはみたけど俺の場合は、天井まで浮き上がって
体を反転させるまでで、かなりの時間とエネルギーを使ってしまう。
自分を下に見ながら進み始めたあたりで気を失ってしまうんだ。
しかも目覚めたときにひじょうに体調が悪くなってる。
最初はカゼをひきかけたのかと思ったが、
そうではなくエネルギーを失っているという感じがする。
自分には向いていないのかもしれないと思った。

一方、Tのほうは、家の外に抜け出して深夜の町をかなり自在に
徘徊しているようだった。話によれば、進むスピードは歩くほどの速さにもできるし、
一瞬で数キロを飛ぶこともできるらしい。幽体離脱したとき、
自分の家の前から学校まで来るときに、左側の電柱の数を数えてみたらしいんだ。
すると、その後、実際に自転車で登校する朝に数えたのと、
本数がぴったり一致したっていう。それだけじゃなく、俺の家にもきたっていうんだ。
Tは俺の家のだいたいの場所は知っているが、中に入ったことはない。
ところが、Tの話す俺の家の間取りや、俺の部屋にあるものなんかが、
いうとおりドンピシャに合ってるんだ。これには驚いた。

俺の寝ている姿も見たのかって聞いたら、それは見ていないっていう。
生きている人の姿は幽体からは見えないらしいんだ。
それから人が乗っている車なんかも見えない。
つまり人っ子一人いない、動くもののない夜の町を自在に漂っているらしい。

それからこんなこともいってた。「人の姿は見えないけど、
 空っぽの町の中には何かがいる。ごくたまに見かけるんだ。
 最初は自分と同じように幽体離脱中の人かと思ったけど、そうじゃなかった。
 緑色をした形のはっきりしないもので、1時間くらいの間に一つは見かける。
 近くに寄ったことはないよ。なんだかすごく悪いもののような気がして・・・」

その次の日からTは1週間ほど学校を休んだ。
担任の話では体調を崩してるらしかった。
その間、俺は幽体離脱実験を続けていたが、
いつも同じところでとまってしまうんで、面白くなくてやめていた。
翌週、しばらくぶりで登校してきたTを見て驚いた。
たった1週間なのに人相が変わるほどやせていたからだ。
Tはマスクをつけ、咳き込みながらも休み時間になると俺のとこにきて、
「まだ幽体離脱の実験やってるか」と聞いてきた。

俺が「いや、自分の体を見るところから進めないんでやめたよ」と言うと、
「それはよかった。もうやめろ。モジンに気づかれたら終わりだ」
「も・・じんって何のこと」
「前に話した緑色のやつだ。モジンっていうこととかいろいろわかった。
 やつらは監視してるんだ。俺は気づかれてしまった。もうダメかもしれない」
「体調が悪いせいじゃないか。お前ももうやめてゆっくり寝るようにしろよ」
俺がなぐさめるように言うと、
「ああ、もうぜったいやらない。命を取られる」こうつぶやいて席に戻っていった。

それから2日後、Tが亡くなった。睡眠中の突然死だったということだ。
もちろん授業をぬけて担任と何人かの同級生といっしょにTの葬式にも行った。
遺影はやせこける前のふっくらとした顔のやつが使われてたな。
幽体離脱の実験は、それ以来やってない。
Tのことで怖くなった。それに・・・一度やりかけたとき、
天井を緑っぽい影がよぎったんだ。まあ気のせいだろう。気のせいだと思う。
とにかくあんたらもやらないほうがいいよ。






アーカイブ 見つからない

2019.03.16 (Sat)
こう言うとおかしいやつだと思われるかもしれないが、俺には霊感があるんだ。
やばい場所・・・やばいというのは幽霊が出る場所ってことだけど、
そういうとこに行くとピーンとわかるんだ。
零感の人にはちょっと言葉では説明しにくい感覚だけどね。
そういう力というのはあるんだよ。

この間出張で地方の支社に行った。
会議に出て新規の事業計画などを説明してもらい、
勤務が終わってから簡単な宴を開いてもらって、その地方の名物を肴に少し酒を飲み、
予約していたホテルに入ったのが9時半過ぎころだった。
大手チェーンのじゃなく、地元資本のやってるあまり大きくないホテルだ。

フロントでカードキーをもらって部屋に入ったとたんにピーンときた。
この部屋は出る。
なんというかね、自分の体のまわりに見えないクモの巣のようなセンサーが
はりめぐらされているような感じで、幽霊が出る所ってのはすぐにわかるんだ。
で、おそらく部屋のどこかに御札が貼られているだろうと思った。
あんたらも怪談本なんかで見たことがあるんじゃないかな。
ホテルはよくやるんだよ、そういうの。

自分の勘が外れたことはこれまで一度だってない。
おそらく部屋のどこかに御札があるのは間違いないが、確かめないと気になる。
それで探し始めた。定番は飾られている絵の額縁の裏だったが、
最近はそういうのを気にして確かめる人が増えてきたんで、
ホテル側も工夫するようになった。

それでも一応は絵の裏も見たし、額縁の後ろの板を外して中も調べた。
なかったが、まあ当然だろう。次はベッドの下なんかがこれまでの経験で多かったんで、
スーツのまま潜り込んで確かめた。むろんそのままでは暗くて見えないが、
こんなときのためにキーケースにペンライトをつけて持ち歩いている。
潜り込んで探したがベッドの裏には見つからず、スーツが綿ぼこりだらけになってしまった。
清掃のずさんなホテルということはわかったが、納得がいかない。

ここは絶対に出る部屋で、ホテル側も客の苦情に備えてどこかに対策を施してるはずだ。
そこでベッドのシーツをはがしてマットのすき間なんかを徹底的に探したが、ない。
クソ、絶対に見つけ出してやる。
そう思って部屋をブロックに区切り、しらみつぶしに探し始めた。
前の経験では、御札をビニールに入れて洗面所の排水管の中に
耐水パテでくっつけてたところもあった。それを見つけたときは感動したよ。

そこでボストンバッグを踏み台にして、上から下からじりじりしながら探した。
備えつけのデスクの引き出しも全部はずしてその裏も調べたし、
中に安くさい装丁の英語の聖書がはいっていたから、そのページもめくって確認した。
かなりの時間がかかったが、トイレと浴槽を探し終え、部屋も半分まで終わった。
おかしいなあ、ぜったいどこかにあるはずなんだが。

さて残りのスペースはあとわずか。
小型の冷蔵庫を開けてみたら、中に女の首が入ってた。
探すののじゃまだったんで両手で持ち上げたら、目を開いて「ぐええ」と言った。
それを後ろに置いて、中の製氷皿の底まで見たけどやっぱりない。
首を戻そうとしたらなくなっていたんで、まあいいやと次の場所に移った。

残りは外に面した窓と、カーテン付近を残すのみとなった。
もちろんカーテンのひだの中も全部見たし、窓を開けて外の壁も見たが
見つからない。これであらゆる場所を探して見落としはないはずだ。
時間はもう12時を過ぎていた。
おかしいなあ、絶対に幽霊の出る部屋で御札があると思ったんだが。
自分の霊感が外れたのは今回が初めてだ。なんか自信をなくしてしまった。
疲れたんで、風呂にはいってすぐに寝た。朝まで特に何もなかった。





ウエンディゴの影響

2019.03.15 (Fri)
タイトルなしaas

今回はこういうお題でいきます。カテゴリはオカルト論かな。
これも地味な話題で、みなさんが興味を持たれるかどうかはわかりません。
さて、「ウエンディゴ」とは、アメリカ合衆国北部から、
カナダにかけてのアメリカ先住民、オジブワ族などに信じられている
悪霊というか、一種の精霊です。

その姿はいろいろ言われますが、身長が高く痩せこけていて、
皮膚の上から骨格がわかる。目は落ちくぼみ、唇はボロボロ。肌は灰色で、
大鹿のような角を持っているともされます。また、ウエンディゴは
強い腐敗臭を放っていて、近くにくるとすぐにわかるということです。

北アメリカ大陸の北部はかなり気温が低く、ウエンディゴは、
冬、寒さ、飢餓の象徴であると見られることが多いですね。
森の中を一人で歩いていると、ふと近くにウエンディゴがいる気配を感じ、
そのうちにウエンディゴにとり憑かれてしまいます。そうすると、
その人物は自分自身がウエンディゴになったと思い込んでしまう。

そうすると、いくら食べてもお腹が一杯にならない、満足しないという
状態になり、目につく食べ物をすべて食べつくすと、
近くにいる人間を手あたりしだいに襲い、殺して食べてしまう。
このあたりは、日本の「餓鬼」や「ヒダル神」に似ているかもしれません。

ヒダル神


また、自分がウエンディゴになったと思いこむところは、
「犬神憑き」や「狐憑き」との共通点があるようです。
アメリカ先住民は、部族の誰かがウエンディゴにとり憑かれた場合、
火を焚いて太鼓の周囲を後ろ向きに回るなどの儀式を行ったとされます。

さて、このウエンディゴの名をとった精神疾患の一つに、
「ウェンディゴ症候群」があります。最初は気分が落ち込み、
食欲がなくなります。そうして、自分がウェンディゴになったと思って
他人を襲い始める。この場合、儀式で回復しなければ処刑されたようです。

ウェンディゴ症候群の有名な事例としては、カナダのアルバータ州で、
1878年 の冬、雪の中に孤立したスウィフト・ランナーと彼の家族は
食料が尽き、まず長男が餓死すると、ランナーはその遺体を食べ、
さらに妻と残りの5人の子供たちも殺して食べてしまったんですね。

ランナーが殺して食べた家族の遺骨


ランナーは春になって逮捕され、当局によって処刑されています。
この事例なんかは、ウェンディゴが人肉食のタブーと深い関係に
あることを物語っているようです。食料がなくなって、
人を殺して食べることの罪悪感が、ウェンディゴにとり憑かれたと
思い込むことで軽減されるのかもしれません。

さて、話変わって、みなさんはアルジャノン・ブラックウッドという
人物をご存知でしょうか。イギリスの短編ホラー小説家で、
「妖怪博士ジョン・サイレンス」が活躍するシリーズが有名です。
代表作として『いにしえの魔術』 『犬のキャンプ』などがあります。

アルジャノン・ブラックウッド
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太古から信じられている超自然的な存在が出現する恐怖をモチーフとする
作品が多く、「クトゥルー神話」のH・P・ラブクラフトにも大きな
影響を与えています。また彼は生涯独身で、
秘密結社「黄金の夜明け団」に所属する魔術師でもありました。

ブラックウッドは、1900年代の初めに、上記のアメリカ先住民の
伝説をもとにした『ウェンディゴ』という短編を書いていて、
これも傑作の一つと言われます。なぜイギリス人が、
アメリカ先住民の話を書いたかというと、どうもこのころ、イギリスでは
アメリカ先住民の文化に対するブームがあったみたいなんですね。

有名な「シルバーバーチの霊訓」は、イギリスの心霊主義新聞を
主催していたモーリス・バーバネルという人物が、
高位の霊である「シルバーバーチ(シラカバという意味)」
と接触して、そのメッセージを書き伝えたものです。

シルバーバーチ レッドインディアンの姿を借りている
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シルバーバーチは霊訓の中で、アメリカ先住民の体を借りていると
述べています。この時代のイギリスの文献を少し調べると、神智学協会など、
あちこちにアメリカ先住民の精神文化の影響が見られます。
インド思想の輪廻などとともに、キリスト教とは異なった叡智として
受け入れられていったみたいですね。

さて、ウェンディゴの影響のもとに書かれた作品としては、
オーガスト・ダーレスの短編『風に乗りて歩むもの』が有名です。
ここで出てくる「イタカ」という精霊は、ウェンディゴと同一視されます。
また、スティーブン・キングの長編『ペット・セマタリー』なんかも、
その系統に連なるものだと思います。

『ペット・セマタリー』には、アメリカ先住民の禁断の土地が出てきてましたが、
作品のテーマである死者の復活は、アメリカで強い勢力を持つキリスト教的には
いろいろ問題があります。そこで、太古の「インディアンの呪い」
をベースにして、小説のストーリーを組み立てているんですね。

さてさて、ということで、ここまで読んでいただいた方がどのくらい
おられるでしょうか。じつはこの話、アメリカのニューエイジ・ムーブメント
までつながっているんですが、もう余白がありません。
それはまた書く機会もあるでしょう。では、今回はこのへんで。

ペット・セマタリー
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アーカイブ 拝み屋

2019.03.14 (Thu)
今から30年前、私が中学生のときの話です。
祖父が地域の拝み屋をやってたんです。
といってもそれは40代くらいまでの話で、
当時は70歳を過ぎてまして、とうに拝み屋は引退してたんですよ。
父が町役場に採用になった頃に、世間体を考えてか辞めたようなんです。
ただの田舎のじいさんとしか見えませんでしたね、外見も話しぶりも。
それでも、年に何回か拝み屋としての依頼がくることもありましたが、
ほとんど断ってたんです。「力も落ちたし、もうそんな時代じゃないから」と言って。

でも、どうしても引き受けざるを得なかった頼みもありまして、
そういうときには自分が手伝わされたりしたんです。これはそんな中の一つです。
・・・轢き逃げ事件があったんですよ。被害に遭ったのは小学4年生でした。
学校で具合が悪くなり、昼過ぎに早退したんです。
今だったら、親に連絡して学校に迎えにきてもらうんでしょうが、
どうやら連絡がつかなかったらしく、
どうせ一本道の県道だからということで一人で帰されたんですね。

いやほんと田舎でしたから、そんな時間帯だと通る車もほとんどなかったんです。
それどころか信号だって学校からその生徒の家までに、
一つもないというようなところでした。
道の脇を歩いているところを車にひっかけられ、
ガードレールを超えて3mほど下の農業用水路に落ちたんです。
即死ではなく、しばらく息があったということでした。
ただ声は出せなかったらしく、人通りもないとなって発見が遅れました。
夕刻、学校から生徒の家に連絡が入り、
まだ帰宅していないということがわかって騒ぎになりました。
死体が発見されたのが翌朝のことです。

もちろん警察の捜査がありテレビでも報道されたんですが、
3週間ほどたっても犯人が見つからなかったんです。
で、被害者の子どもの両親がそろって、夜に祖父のところへ訪ねてきたんです。
せまい町で、私もその人たちのことは知ってましたから、
家にみえられたときは、私にも、「ははあ、あの件で犯人を見つけてほしくて
 きたんだろう」と察しがつきましたね。
そして2日後くらいの日曜日です。祖父が自分に「手伝えよ」と言ったんで、
この事件のことで何かをするんだとわかりました。
祖父と二人で早朝から出かけたのが、事故のあった現場でした。

県道のガードレール脇に、まだ新しい花束やジュースの缶などが供えられていて、
その子とは面識はありませんでしたが、
中学生の私としても痛ましく感じたことを思い出します。
祖父は県道から近くの農道へ入ったところに軽トラを止め、
荷台から子ども用のドジョウ捕りの網とバケツを持ち出しました。
それから子どもが落ちていたという用水路のほうにまわって下りていったんです。
祖父は自分に網を持たせて、その子どもが落ちていたあたりの水を
浚わせられました。・・・そりゃあ気持ちが悪かったですが、
犯人を捕まえるためにいいことをしてるんだという気もあったんです。

私が網で40cmくらいの底の泥ごと持ち上げると、
水棲の昆虫やドジョウが何匹も動いてました。
祖父は「こりゃあわからんな。まあ数があればいいだろう」そう言って、
泥の中から大きめの昆虫やドジョウをつかみ取ってバケツに入れたんです。
何回か同じことをくり返しました。
「もうこれはこんくらいでいいか。・・・次はちょっと難しいぞ」
軽トラへと戻ると、今度は見たことのない道具を取り出したんです。
祖父に聞いたところ「無双網」という鳥を捕るための仕掛けということでした。
「こんなんで捕れるのか?」と聞いたら、
「昔、何度かやったが難しい」という返事でした。

生肉を餌にして網を張り、遠く離れたところでヒモを持って待っていると、
3時間で4羽のカラスが捕れました。その度に、祖父はもがいているカラスの
そばに寄って、何やら口の中で呪文を唱えましたが、
「ダメだな」と言って初めの3羽は逃がしてやりました。
「今日つかまえないと、明日にはカラスが覚えてしまってできなくなる、
 なんとかかかってくれい」
祖父はそう言ってややあせった顔をしていましたが、4羽目のことです。
呪文を唱えると、網の中で暴れていたカラスが硬直し、
目の玉がぐるぐる回転し始めたんです。
「・・・イダイ、イダイ、カアチャン、イデデデデ・・・」
人の・・・子どもの声が嘴の中から出てきました。「よし、これだ」祖父が言いました。

それから家に戻り、祖父は夕飯も食わずずっと納屋にこもってなにやら
作っていましたが、夜になって「できたぞ」と言って私を呼びにきました。
納屋に入ると、高さ40cmほどの竹人形が裸電球の下にありました。
祖父が削った竹ひごを粗く編んだものでした。
表面には黒い羽根が一面に貼りつけられていました。
昼間のカラスのものだと思いました。「さわってもいいか」と聞くと、
「まだ魂を入れてないからいいが、壊さんでくれよ」と答えたので、
持ち上げると軽く、羽根のすき間から中に白い濡れた和紙があるのが
わかりました。「この中の物はなに?」
「それはドジョウやらヤゴやらだよ。・・・あの子の無念を食らったもんだ」
私は黙って、立った状態で人形を下に置きました。

祖父が奥から炉を出してきて香をくべ、目を閉じて呪を唱え始めました。
何度も聞いたことがありますが、お経などとはまったく調子の違うものです。
今にして思えば、神社の祝詞とも違っていましたね。
これが10分ほど続くと、竹人形はひとりでにうつ伏せに倒れ、
それから猫がのびをするような動作をして四つん這いになりました。
祖父が目を開けて「いきなっせ」と言うと、竹人形は短い手足で進んでいきました。
祖父が目配せをしたので納屋の戸を開けると、
竹人形は一気に闇の中へと飛び出したんです・・・

あとは、つけたりのようなもので、
4日後、轢き逃げの犯人が半狂乱になって警察へ出頭しました。
だいぶ離れた市に住む会社員で、
営業車にほとんど傷がなかったため疑いもかけられていませんでした。
亡くなった子どもが夜に枕元にきて、
「痛い痛いお母さん」と言い続けたと犯人は警察で言いました。
これは新聞にも載ったんですよ。
・・・祖父の話はこの他にもありますので、機会がありましたらまた。






アーカイブ中国で鍼を打つ話

2019.03.14 (Thu)
じゃあ話していきます。僕、鍼灸師をしてるんです。こう言うとなんですけど、
鍼灸って、古い、うさんくさい技術だと思われてる方が多いんですよね。
けど、今は国立大学でも鍼灸を専門に学ぶ学科がありまして、
僕も、筑波大学で4年間勉強しました。それから、もう10年たつところですが、
開業はせず、ある大学病院で理学療法としてやってます。
で、専門誌に論文出したりも。それがおそらく目に止まったと思うんですけど、
3年前の秋に、中国のある医科大学から、研究会で発表してくれないかって、
招待されたんです。ああ、大学名なんかは言わなくてもいいですよね。
いろいろ差し障りがあるかもしれませんから。
費用は、渡航費用も、滞在費もすべて向こう持ちで、毎日のように
豪華なレセプションがありました。中国式の乾杯にはまいりましたけど。

それでね、発表が終わった日の晩です。そのときの晩餐会で、
そこの大学の学長から、こんな話をされたんです。「あなたの技術を見込んで、
診断、治療してほしい患者がいる」って。これね、向こうが本場なのに、
変だと思うでしょ。けど、お灸と漢方薬はともかくとして、
鍼に関しては、中国よりも日本のほうがずっと進んでるんです。
ほら、中国から伝わってきた鍼は、日本で特殊な進化をとげまして、
江戸時代以前から、日本だと目の不自由な人たちが鍼を打つようになってたでしょう。
手探りで脈をみながら打つので、その過程で技術が進化して、
経絡の考え方も、中国よりずっと実用的なものになってるんです。
あと、鍼管っていう、鍼にかぶせて使う管も日本独自の発明です。
でもね、今はそれ、中国でも一般的に使われているんです。

でね、この話を聞いたとき、ははあ、共産党の要人か、その家族だろうと思ったんです。
党の幹部はいろんな特権がありますから。それと、西洋医学では
治せない症状なんだろうとも。ええ、慢性的なアレルギーとか、
西洋医学にも限界はあります。それを補完するのが鍼をふくめた東洋医学ですから。
翌日の8時、ホテルにいるところに迎えが来まして、
王さんっていう、大学の学部長の人でした。駐車場に大きな車が来ていて、
運転手が乗ってました。それで、最初に、その市の中心部にある
大型の漢方薬店に行ったんです。楊さんという店主を紹介され、
50代前半くらいの、背の低い人でしたね。王さんから、「必要なものがあったら、
 何でもこの店で揃えてください」そう言われたんですが、
肝心の病人の情報が何もないでしょ。向こうからは教えちゃくれないし、

聞いてはいけないような雰囲気がありまして。まあでもね、
僕はすぐ日本に戻らなくちゃならないから、継続した治療はどうせできない。
ですから、病気の診断をして、治療の指示を出すだけだと思ってました。
自分の鍼の道具は持ってきてましたので、あと、その店で、
必要と思える物をいくつか選んで、また車に戻ったんです。
楊さんも、店を店員に任せて同行しました。そのときジュラルミンの枠のついた、
頑丈そうなケースを持ってきたんです。大きさは普通のアタッシュケースくらいですが、
やや厚みがあり、でも、重そうには見えませんでした。
もう一度整理してお話すると、そのとき車に乗ってたのは、
王さん、楊さん、僕、それから一言もしゃべらない運転手の4人です。ああ、あと、
言い忘れてましたけど、僕、大学で学んで、簡単な会話くらいなら中国語できるんです。

それからが長かったです。車で4時間ほどかかりました。市内を抜け、郊外も過ぎ、
舗装してない道に入って、さらに2時間ほど走りました。
ですから、その村に着いたのは12時を過ぎた頃です。これはちょっと予想外でした。
市内にある大きな邸宅に向かうとばかり思ってたので。
でね、行った先は、その貧しそうな村の外れ、山に近い場所で、
大きなテントがいくつも張られてあり、軍用車が何台も停まってて、
肩に銃を担いだ人民軍の兵士が見張りに立ってたんです。
これは何事だろうと思って緊張しましたよ。まずテントの一つに入って、
軍の司令みたいな人と王さんが話し、それから僕に向かって、
「お腹空いたでしょうが、急ぎなもので、さっそく患者を見てもらいます」
こう言いました。テントの中には監視モニターがずらりと並んでましたね。

でね、そっからは歩いて、道の両側に兵士が並ぶ厳重な警戒の中を
山のほうに向かいました。「ここ、何ですか?」王さんに小声でそう聞くと、
王さんは「・・・遺跡なんです。おそらく漢代の。最近発掘されたばかりで、
 まだ周辺施設が整ってなくて」大きな岩の重なりに鉄扉がついてて、
僕たちの姿を見て、兵士がデジタルロックを解除しました。
「遺跡!?」ますますわけがわからないですよね。そんなとこに何で病人が・・・
中は洞窟のままで、配線むき出しの照明がたくさんついてました。
あとね、驚くようなものがあったんです。何だと思いますか?
水槽ですよ。水族館にでもあるような巨大な水槽が両側に見えてきて、
これも急ごしらえのものに思えましたが、中に、数mもある魚が何匹も泳いでたんです。
僕は魚のことよくわからないですが、チョウザメじゃないかと思いました。

ええ、あのキャビアをとる。やがて洞窟は突きあたりになり、
小さな部屋がありました。そこで僕は施術着に着替え、全員が消毒をし、
また頑丈な鉄扉を開けると、そこが病室?だったんです。壁はやはり洞窟のまま
でしたが、かなりの広さがあり、縦に長いベッドが入ってました。8mくらいでしたか。
ベッドの上は、仕切りのカーテンで3つに分けられ、入ってきた場所からは、
真ん中の部分が見えました。そしてそこに、真っ白な腹? いや、胴体?
どう表現すればいいかわからないものがあったんです。それは呼吸しているようで、
ゆっくり上下に動いてました。胴回りは人間よりかなり大きい。
「これが?!」 「ええ、患者です。お願いします。西洋医学では無理ですから」
とにかく、まず、その2mほどの胴体部分を触診しました。
肌は人間と似ていて、体温もありましたが、ところどころにギザギザの・・・

カエデの形をした鱗のようなものがあったんです。内臓も人間に似ていると思えました。
けど、大きくて長い。「CT画像なんかはありますか?」王さんに聞くと、
王さんは首を振り、「放射線関係はまったくダメです。せっかく復活させたのに、
 死んでしまう」復活? これは、この遺跡の被葬者なのか?
そこからは、全神経を指先に集中させ、経絡を探っていったんです。
人間の血圧にあたるものが弱く、血液の循環が悪いのがわかりました。
意を決して、循環器を回復させるための鍼を打っていきました。
7本目で、下半身との境のカーテンにいきあたり、僕は王さんを見て、
「めくってもいいですか?」王さんがうなずき、たくしあげると、
やはり全体が真っ白な、魚の尾部があったんです。さっき見たチョウザメによく似た。
驚いてもいられず、鍼を打ち進めていきました。14本目の鍼を打ったとき、

ビタン、尾が強く跳ねました。もしあたったら、ただですまないくらいの力でした。
それはベッドからドスンと床に落ち、ビン、ビンと何度も跳ね上がりました。
王さんが壁に駆けよって非常ボタンのようなものを押し、警告音が響きました。
床の上のものはのたうち、上半身を持ち上げ、そのときに髪の長い女の顔が見えました。
女は笑いながらずるりと床を這い、楊さんが抱えていたケースにがっと噛みつき・・・
そこで、僕はなだれ込んできた兵士に部屋の外に連れ出されたんです。
やがて、遺跡の外で王さんと合流しました。「どうなったんですか?」
「鎮静剤を撃ちました。おそらく大丈夫でしょう。いや、ご迷惑をおかけしました」
テントの中で、王さんや他の医師を交えて、僕が診たことを話し、
今後の治療についての所感を述べました。みな熱心にメモをとって聞いてましたよ。
それから、車に乗ってホテルのある市に戻ったんです。

ここからは後日談です。王さんは、僕の日本の口座に3000万円振り込むと言いました。
口止めのようなことはなかったです。それと、真っ白な鱗を一枚いただいたんです。
王さんは、「これは到底お金には変えられない、いわゆる中国の宝物です」そう言ってましたね。
その後、遺跡の中のものがどうなったかわかりません。・・・僕の勘違いなんでしょうが、
中国の要人の若い夫人の映像をテレビで見て、あの遺跡にいたチョウザメ女に似ているように
思いました。それから、去年、所用で中国を再訪したんです。あの遺跡のある場所とは
だいぶ離れた南のほうです。空港から市街に入ると、道に何人も物乞いがいて、
その人たちは道端に布を敷いて寝ていて、手足のない人が多かったんですが、
その中に、楊さんらしき人がいたんです、あの薬物商の。ただ、その物乞いは両目がつぶれ、
両手両足がなく、小さな木の車輪がついた箱のようなものに乗せられていたので、
これも違うかもしれません。もちろん、声はかけませんでしたよ。






アーカイブ コンペティター

2019.03.14 (Thu)
去年の夏・・・今年大学に進学しましたので、高3のときのことです。
子どもの頃からずっと競泳を続けてきました。
小学生のときは平泳ぎもやってたんですが、中学からは自由形の短距離だけです。
別のスイミングクラブに、同じ齢のライバルがいたんです。
学校も小中高とも別でしたけど、家自体はわりと近くだったんです。
ライバル・・・と言いましたが、成績はつねに彼女のほうがよかったんです。
今井さん、という名前にしておきます。自由形の100、200mで、
学校の大会でもスイミングスクールの大会でも今井さんが1位で、
私は2位か3位。関東地区大会のようにレベルが高くなると、
今井さんはかわらず1位でしたが、私はぎりぎり決勝に進めるくらいでした。

種目を移ろうとは考えませんでした。
・・・やっぱりライバルという言葉は変だったと思います。
中学校でも高校でも、コーチや監督は「今井に勝て!追い越せ」
とハッパをかけて指導してくださったんです。
私自身そう思っていた時期もありましたが、体格を比べても、
私は160cmぎりぎりで、今井さんはそれより10cm以上大きかったんです。
だんだんに、どうやっても勝てないものと思うようになりました。
だから、むしろあこがれの対象と言ったほうがいいのかもしれません。地区大会や
県大会の決勝で、今井さんが1位で私が2位、それで満足していたんです。
ゴールタッチしてから、先に着いていた今井さんのほうに歩み寄ってハイタッチする・・・

高校に入ってからは、私は卒業までで水泳をやめるつもりでしたし、
今井さんのほうは全日本の強化指定選手に選ばれて、
近くにいても、すっかり遠い存在になっていたんです。
ところが去年の春頃から、今井さんの姿をプールで見かけることがなくなりました。
スイミングの大会は早い時期からあるんですが、出てこなかったんです。
噂では、病気で入院しているとのことでした。
そのときは、たいしたことはないのだろうと軽く考えていたんですが、
県の水泳協会の役員をしているコーチにそれとなく話を聞くと、
脳の病気で頭を手術して、今シーズンの復帰は絶対に無理、
おそらくもう泳ぐことはできないだろうって・・・そう言われたんです。

お見舞いに行かなければいけないと思いました。
今井さんの高校の部員に聞いたら、ずっと面会謝絶の状態が続いている、
監督が行ったけれどもやっぱり会えなかったという話だったんです・・・
そして5月からシーズンに入り、
私は出た全部の大会の100mで優勝することができました。
周りのみんなは喜んでくれましたが、満足感はありませんでした。
本当なら私が泳いでいるずっと前に今井さんがいたはずですから。
タイムは平凡なもので、自己ベストでもありませんでしたし。
役員の方が「今井がいたら・・・」と話している声もあちこちで耳にしましたし、
6月に入って、今井さんが集中治療室から個室に移り、
面会にも行けるようになったという話を聞きました。

でも、そのことを教えてくれた今井さんの学校の1年生は、
「行かないほうがいいと思います」とも話したんです。
ベッドに頭を固定されて動けない状態で、
とても機嫌が悪くて周囲に当たり散らしているんだそうです。
特に水泳関係のことは見たくも聞きたくもないと言っていたということでした。
でも県大会を前にして、どうしても行かなければならないと思ったんです。
「今井さんがいなくて寂しい、もう今シーズンで水泳はやめる」そう伝えたいと・・・
前もって今井さんの家に電話してみました。
お母さんはずっと病室についているらしく、お父さんが出て、
「娘は荒れていてあなたを怒らせるかもしれないが、
来てくれれば嬉しい」こんな感じで話をされました。

日曜日の午後、果物籠を買って大学病院を訪れました。
脳神経外科の階に行ってナースステーションで病室を教えてもらい、
個室へと入りました。今井さんはベッドに半身を起こしていました。
頭にはキャップをつけ、出ているところの髪は数mm程度しか伸びていませんでした。
あんなに広かった肩幅が別人のようにやせ細っていました。
「こんにちは、髙橋です。あの、お見舞いに」ここまで言ったとたん、
今井さんが「出ていけ、帰れ、見たくない!」と、もつれた言葉で叫びました。
顔も痩せ、大きくなった目で涙を流しながら私をにらんだんです。
脇にいたお母さんが「これ、○○」と今井さんをたしなめましたが、
今井さんは点滴のチューブが何本もついた右手を振り回し、枕元から何かを投げて
よこしました。それは私の胸にあたって落ち、競泳用のゴーグルでした。

「帰れ!出ていけ!」今井さんは叫び続け、私はその勢いに押されるようにドアを出ました。
今にも起き上がって暴れ出しそうに見え、怖くなったんです。
廊下で立ちつくしていると、ややあってお母さんが出てきて、
「ごめんなさいね、あの子・・・」ここまで言って泣き出しました。
そして私の手にさっきのゴーグルを押しつけてよこしたんです。
「あの子はあんな様子だけど、これあなたにもらってほしいって昨日から言っていたの」
私はお母さんに果物籠を手渡し、そのまま帰るしかできませんでした。
エレベーターに乗るまでずっと今井さんの叫び声が聞こえていましたが、
やがてすすり泣きに変わりました。今井さんの様子は
私の学校の部員には話しませんでしたが、家で両親には言いました。
小さい頃から今井さんのことを知っている母は、黙って首を振るだけでした。

県大会の日になりました。今井さんのゴーグルはバッグに入れて持ってきていましたが、
私は目が悪く、自分用に合わせた度つきのゴーグルをしているので使うことは
できません。私は100m自由形で自己ベストを出して決勝へと進みましたが、
予選2位のタイムでした。1位は私立の学校の1年生で、見たことのない子でした。
スタートに立ったとき、誰も入れない役員席の下に、人が立っているのが目に入りました。
水着姿の今井さんだと思いました・・・そんなはずはないのに。
その姿は薄くぼんやりして、目だけが病院で見たときのように大きく見開かれていました。
ブザーが鳴りスタートしました。調子よく水に乗れている感触がありました。
50mのターンのとき、自分の前に一人いるのがわかりました。
あの1年生の子です。たいした差ではなく、私は後半型なので追い越せる
気がしてました。でも、どこまでも差が縮まりません。

「ああ、追いつけない」と思いましたが、そのとき私のコースの前を、
誰かが泳いでいる気がしたんです。そんなことはありえないのですが。
その人はゼリーのようで実体がなく、足が私の上半身に入り込んでいる気がしました。
これは集中のあまり幻覚を見たのかもしれません、本当によくわからないんです。
必死で泳いでいるうちに、前の人とだんだん体が重なってきました。
もう他のコースは目に入りませんでした。とにかく前にいる人よりも先に出たい、
それだけを考えているうちにプールの壁がみるみる迫ってきて、
少し手が前に伸びたかと思ったところでゴールでした。水から顔を上げ
頭を振ったときに、やっと1年生の手がゴールに届いたのが見えました。
電光掲示板に目をやると、ドットの文字がごちゃごちゃに乱れていました。
観客がざわざわしているのがわかりました。ドットはデタラメな点滅をくり返し、
数秒して一番上に私の名前とタイムが出ました。県の新記録でした・・・

話はこれでほとんど終わりです。電光掲示板が点滅しているとき、
ドットの乱れが I M A I となって見えたのも、幻覚だったんだろうと思います。
誰もそんなことを言っている人はいませんでしたから。
私はその後、関東大会、全国大会でも次々に自己ベストを更新して優勝しました。
県大会から1週間ほどして、今井さんは2度目の手術中に亡くなりました・・・
私は水泳をやめることはできませんでした。周囲が許してくれなかったんです。
今井さんの代わりに私が強化指定に選ばれ、大学も水泳での推薦入学になりました。
不思議なことに、中学2年のあたりから止まっていた身長が伸び始め、
ごらんのように170cmを越えました。視力も回復してきています。
昔の水泳仲間からは「どんどん今井さんに似てきてる」と言われます。
泳ぎだけでなく、外見まで・・・嬉しいような、それ以上に怖いような複雑な気持ちなんです。

*コンペティターは競合者、敵対者というような意味です。






マンモス復活!?

2019.03.14 (Thu)
シベリアの永久凍土のなかで2万8000年間にわたって眠っていた
マンモスの化石から採集した細胞核を、マウスの卵子内で細胞分裂の
直前まで目覚めさせることに近畿大学などの国際共同グループが成功した。
絶滅動物を細胞レベルで復活させる夢に結びつくとして、
世界中から注目が寄せられている。
(ハザード・ラボ)



今回は、科学ニュースからこういうお題を拝借します。
マンモスの復活ですか。これ、じつはかなり昔から出ているニュース
なんですよね。マンモスの凍結死体が発見されるのは、
ほとんどが現ロシア、シベリアの永久凍土からですから、
古くからソ連の研究チームによって復活が試みられてきました。

ですが、結果として一例も復活していません。なぜ復活できないのか、
この主な原因は、DNAに半減期が存在するからです。
オーストラリアのコペンハーゲン大学の研究チームが、モアという
絶滅巨大鳥類の残存DNAを調べた結果、DNAには521年の半減期が
あることが判明したとされています。

モア


もちろん、死体の保存状況によって、その壊れ方は違うでしょうが、
温度マイナスの環境で良好に保存されていたとしても、
その崩壊をのがれることはできないようです。
半減期間の521年って、ずいぶん短いと思われませんか。

映画『ジュラシック・パーク』では、恐竜の血を吸った古代の蚊が、
樹液の中に閉じ込められてコハク化し、その中から恐竜のDNAを
採集していました。ですが、最後の恐竜が滅びたのが6500万年前
とされているので、たとえ空気に触れないコハクの中であっても、
そのDNAはボロボロに壊れてしまっているはずです。

コハクに閉じ込められた先史時代の蚊


ですから、現状では、恐竜復活は技術的に不可能。
まさに映画の中だけの夢物語なんですよね。では、マンモスの場合は
どうでしょう。みなさんの中には、マンモスは古代生物だから、
現存のゾウより大きかったと思われている人もいるんじゃないでしょうか。

でもこれ、みなさんがイメージする一般的なケナガマンモスは、
アフリカゾウよりもやや小さいんですね。体長540cm、
肩の高さ300cm~350cmと言われます。ただ、マンモスにも
種類があって、ステップマンモスはアフリカゾウよりかなり大きいですし、
中には、肩の高さ120cmのコビトマンモスなどもいます。

左から ステップマンモス・アフリカゾウ・ケナガマンモス


さて、マンモスは約400万年前から1万年前ころまでの期間に
生息していた哺乳類で、巨大な牙が特徴です。
現在のゾウの近縁種ではありますが、直接の祖先ではありません。
ですから、もし凍土の中でマンモスが見つかったとしても、
そのDNAは壊れてしまっているはずです。

マンモスが絶滅した原因には、いろいろな説があります。
・氷河期末期の気候変動にともなう植生の変化による
・人間の狩猟の対象になり、多くが狩られてしまったため
・伝染病の蔓延による などです。この他にもあるんですが、
最近の研究では、伝染病説が有力視されてきています。

あと、マンモスはいまだに生き残っていて、隠れて暮らしているという
説もあります。最後のマンモスは、紀元前1700年ころ、
東シベリアの沖合にある北極海上のウランゲリ島で狩猟されたという説が
ありますので、そんなことは絶対にないとも言いきれません。
この話もたいへん面白いんですが、今回ご紹介するのは無理ですね。

マンモスの骨格標本


さて、では、もしマンモスのDNAが発見されたとして、
どうやって復活させるのか。これには2通りの方法が考えられます。
一つめは、マンモスの精子を現代の雌ゾウの卵子に授精して
50%雑種のマンモスを誕生させ、雌が生まれれば、
再びその卵子にマンモスの精子を授精し、75%マンモスを作出します。

これを繰り返せば、やがては100%近いマンモスが生まれてくることに
なるはずですが、まず精子が壊れず残っていることは
考えにくいですし、もしうまくいくとしても、
数十年の歳月がかかってしまい、現実的には無理だと思われます。

もう一つの方法は、体細胞クローン技術を利用した方法で、
マンモスの凍結死体からDNAが状態よく保存された細胞を取り出し、
体細胞クローン技術により胚を発生させ、雌ゾウの子宮に移植する
ことによりマンモスを誕生させます。この方法だと、
1世代で100%近いマンモスができることになります。

Yuka


上記引用のニュースは、ロシアと近畿大学による共同研究で、
2010年にシベリアで発見され、「Yuka(ユカ)」と名づけられた
若い雌のマンモスからDNAを採集しています。このDNAも残念ながら
壊れてしまっていますが、近畿大学では、マウスの卵子にマンモスの
細胞核を注入し、DNAが自動修復されることをねらっているようです。

昔から、マウスの卵子には傷ついたDNAを修復する機能が備わっている
ことが知られていましたが、その技術を応用しようというわけです。
それにしても、巨大なマンモスのDNAを小さなマウスの卵子で
修復しようとするあたり、自分は面白いなあと思いますね。



ただ、研究の現状としては、マンモスのDNAを取り込んだマウスの
細胞核の中には、細部分裂の直前の状態まで変化したものもありましたが、
いずれも最終的には途中で止まってしまったという、
ちょっと残念な途中経過報告が出ています。

さてさて、ということで、ほんとうはすべて人力で、
マンモスのDNA復元ができればいいんでしょうが、それにはまだまだ時間が
かかりそうです。期待を持って見守っていきたいと思います。
では、今回はこのへんで。




古井戸の話

2019.03.13 (Wed)
あ、じゃあ話していきます。一昨年の秋、娘を交通事故で亡くしました。
8歳になったばかりでした。日曜日に妻と買い物に行って、
妻がちょっと目を離したすきに、道の端に出て、宅配会社のトラックに
引っかけられたんです。それ自体はたいして強くぶつかった
わけじゃないんですが、倒れて頭を打って・・・
はい、それが始まりというか、どんどん人生が狂っていっちゃったんです。
娘の葬儀がすんでしばらくして、妻と毎日言い争うようになりました。
妻だけに責任を押しつけてはいけないことはわかっていたんですが、
どうしてもよけいな一言が出てしまって・・・
結局、関係は修復できないまま、離婚することになったんです。
それから、わたしは鬱になりました。何もする気にならず、

会社にも出ていかず、辞めることになったんです。
わたしは外資系の証券会社に勤めていまして、ああいうところは、
1年契約なんですよ。ですから、馘になる前に自分から退職を申し出ただけ、
まだしもよかったと思います。それと、自分ひとりだけなら、
食べていくあてはあったんです。退職前から株などの個人取引をしてまして、
そこそこの利益は出てましたから。鬱のほうは、心療内科にかかり、
薬を飲んで、少しずつよくなっていきました。
だんだん身の回りのことができるようになり、その時点で、
娘、妻と暮らしていた家を出ようって思いました。
何を見てもよかったころの思い出ばかりで、苦しくてしかたなかったんです。
田舎の町へ行って、誰もわたしのことを知らないところで暮らしたい。

ほら、今は過疎の町で、空き家をわずかな賃貸料で貸してるところが
あるじゃないですか。古民家移住ってやつです。
ネットでいろいろ調べてみたら、南関東のほうにいい物件があったんです。
そういうのって、ほとんど一軒家なんですけど、
わたし一人で暮らすんだから広くないほうがいい。ほんとうは一部屋あれば
十分なんですが、自然の中で生活を立て直したかったんです。
そしたらね、ある町の林の中にある平屋建て一軒家ってのが見つかりまして。
賃貸料は東京からしたら、タダみたいなものでした。
見に行ったら、敷地は広く、庭にちょっとした畑の跡があって、
前の住人が、家庭菜園で野菜をつくってたみたいでした。
その家の右手に、もう1軒 家がありましたが、

案内してくれた町役場の人の話では、そこも空き家で誰も住んでないって
ことだったんです。それはそれでよかったって思いました。
で、そこに住むことに決めて引っ越しをしました。
持っていったものはわずかです。デスクトップのパソコンと、
身の回りの品、それと娘の位牌。電気・ガスなどを入れてもらい、
光回線も引いてもらいました。スーパーなどには遠かったので、
それまで持ってた大型車を売り、中古で軽を買いました。
そうして、私の新しい生活が始まったんです。
家は築40年ほどということで、古いんですが、雨漏りなどもなく、
当分はもちそうでした。家にはときおり郵便配達がくるだけ。
そこに住んで、少しずつ心が回復していく感じがしたんですよ。

投資のほうもまずまず順調で、お金の心配はしないですみそうでした。
それで、去年の春、家の敷地にある家庭菜園を復活させようと思ったんです。
はい、昔からそういうことにあこがれていたこともありました。
ネットで調べて、畝をつくるところから始めたんですが、
これが思ってた以上に難しい。悪戦苦闘して、クワを持つ手にマメができました。
そんなある日のことです。いつものように午後に庭に出ましたら、
垣根でへだてられてる草ぼうぼうの隣の家の庭に、人が立ってたんです。
若い女の人でした。あ、なんていうか、そのときはそう思ったんです。
その人は、こちらに気がついたようで、わたしを見て会釈してきました。
それで、わたしのほうでもお辞儀を返して、こう声をかけました。
「そちらのお宅、空き家だって聞いてましたけど」そしたら、

「はい、長い間、人は住んでおりません。ですけど、井戸があるので、
 ときどきお祀りしているんですよ」って。「お祀り?」
「はい、井戸には神様が住んでて、お祀りをかかすとよくないので、
 お塩とお米をお供えして。よかったら見にこられませんか」
「ははあ」それで、表を回って敷地に入っていくのは不躾だと思って、
垣根の近くまで寄りました。そしたら、たしかに丸井戸の縁らしきものが見え、
その上に白いものがあがってたんです。その人は、
「井戸を残しておくなら、定期的に捧げものをしないといけませんから。
 また1ヶ月ほどしたら来ます」そんなことを言ってたと思います。
そのときはそれで終わったんですが、奇妙なのは、畑仕事が終わって
家の中に戻ったとき、女の人の顔をまるで覚えてなかったことです。

それだけじゃなく、着ていたものについてもあいまいでした。
白い着物だったような気がするけど違うかもしれない。正面から姿を見てる
はずなのに。まあでも、それほど気にはしてませんでした。
それからも毎日数時間は畑仕事をしましたが、何も起きず、
1週間後くらいですね。4部屋あるうちのひとつだけを仕事場に使って、
そこで寝起きもしてたんですが、夜、夢を見たんです。
それが、久しく見なくなっていた亡くなった娘の夢です。
その中で、娘は時間がとまったように微笑んでいて、わたしはそっちに行って、
娘を抱き上げたいが、何か間に透明な壁のようなのがあって、
どうしても行けない。夢なのに、自分が涙を流しているのがわかるんです。
娘の名前を呼びながら、唐突に目が覚めました。

そのとき、わたしの体の上に何かが乗っていたんです。
白い丸いものでした。うまく説明することができないんですが、
サンショウウオっていますよね。あれを人間ほどに大きくして、
真っ白にしたようなものの頭、とでも言えばいいんでしょうか。
そしてそれは、私が目を開けるとすぐ、何かに引っぱられるように、
びゅんと消えたんです。これ、いい例えじゃないかもしれませんが、
ゴムを引いてから手を離すと、すごい勢いで飛んでいきますよね。
あんな感じだったんです。そのときは、自分で覚めたつもりでいても、
それも夢の一部だったんだろうと思いました。娘のことを思い出してしまい、
朝まで眠れませんでした。明るくなって起き上がると、
床の畳がぬめる気がしました。指をつけるとべとっとした感触で、

何か粘液のようなものがこぼれているんだと思いました。
それと、棚の上に置いてある娘の位牌と写真、そのどちらもが倒れていたんです。
奇妙に思いましたが、もう一度立て、バケツを持ってきて
床を掃除しました。水にもぞうきんにも、色がつくことはなかったです。
そのことがあって気味が悪くなり、寝る布団だけを一つ奥の部屋にしました。
ええ、それからはおかしなことは起きませんでした。
ただ、娘の夢を続けて見るようになり、だんだん体調が悪くなっていって、
この町の病院に行かなきゃいけないと思いました。
ですが、それもおっくうで、1日のばしにしてしまいました。
それと家庭菜園のほうも、ずっとやる気が起きず、そのまま放り出して
しまって。で、あの井戸を祀ってる女の人を見てから、ちょうど1ヶ月目くらい。

真夜中でした。また娘の夢を見て目を覚ましました。「〇〇」布団の中で
娘の名を呼んだとき、「なあに、お父さん」という声が聞こえたんです。
驚いてそっちを見ると、隣の部屋のふすまが開いていて、
そこから娘が顔を出していたんです。いえ、これは夢じゃありません。
がばっと起き上がり、「〇〇!」名前を呼びながらふすまに駆け寄りましたが、
その前にふすまはタンと閉じられ、わたしが開けると、娘は笑いながら、
「お父さん、こっちこっち」と玄関のほうに駆けていきました。
それを追って、履き物もはかずに外へ出ました。外は真っ暗でしたが、
娘の体は白く光ってて・・・このあたりで、おかしいと思い始めたんです。
「これは現実じゃない、娘はもう死んでるんだ、位牌もある」って。
娘は隣家との堺の垣根を飛び越え、「お父さん、こっち来て」

と呼び続けます。わたしが垣根の前までくると、娘の体をとりまく白い光は
ますます強く、井戸の縁に腰かけて脚をぶらぶらさせました。そのとき、
「これは娘じゃない、この世のものじゃない」って、もう一度思いました。
わたしは強く垣根の竹棒を握りしめ、「わたしはいかない、
 娘はもう死んだんだよ」叫ぶようにそう言ったんです。
そのとたん、娘の顔がぐじゃっと崩れました。体も色と形を失って、
そこにいたのは、人の大きさがある、細い手足のついたナメクジのような
ものでした。前に言ったサンショウウオに似てた気もします。
その体は伸び縮みし、光も失って、ぐらりと傾いて井戸に落ちました。
ややあって、くぐもった水音がかすかに聞こえました。はい、こんな話なんです。
今はまた東京に戻って、アパートに住みながら病院に通っています。

タイトルなし




アーカイブ 猿病棟

2019.03.13 (Wed)
小学校の臨時講師をしています。今年の4月から、院内学級の所属になったんです。
そこは、大規模な大学付属病院の小児科で開設していて、
入院している子どもたちは、大学病院のある地区の小学校、中学校に転校する形になります。
そこの教師として、小学校は私、中学校は男の先生が派遣されてきます。
これが専任なんです。だから病院内での勤務が終わればそのまま帰宅できます。
部活動の顧問もないし、面倒な事務もほとんどなく、
最初のうちは楽な仕事だと思っていました。
でも、すぐにそうではないことがわかりました。
長期入院している子どもたちの表情は暗く、勉強を教えるということよりも、
励ましたり、子どもたちの顔が明るくなるような面白い話をしたり、
そういうことが重要だとわかってきたのです。

院内学級では、小児科のある4階に専用の部屋を用意していただいています。
普通の教室の半分もない部屋ですが、そこに来て勉強できる子は多くはありません。
まず、当然ながら病院ですので、治療や検査の予定が優先されるのです。
また、病状がよくないために、ベッドから離れられない子もいます。
ですからどうしても、ベッドサイド学習と言いますが、
自学自習が多くなってしまうんです。私は、そうした子たちのベッドを回って、
漢字の書き取りの丸つけをしたり、次の学習計画のアドバイスをしたりしながら、
声をかけ、力づけるようにしています。
中学校のほうは、先生が一人で理科の免許しか持っていませんので、
ビデオ教材を活用した授業をしています。私も、教室に来られる子の学年はさまざまなので、
ビデオや教育テレビを見せることもあります。

4月の第2週のことでした。その日は朝から教室に行って、
あまり天気がよかったので、少し窓を開けようとしました。窓の下には森が見えました。
それは、病院から100mほど離れた大きな神社に付属したものです。
すると、その日病室から来ていた8人の子の一人が、
「先生、窓を開けないでください」って言ったんです。
「どうして?」と聞いたら、「ううん、なんとなく嫌だなって・・・」
まあ、病室は当然ながら空調が聞いていて、その時期は20度の室温に保たれています。
ですから開ける意味はあまりないし、その子の言うとおりにしたんですが、
その子が怯えた表情をしていたのが気にかかりました。
・・・ここの子どもたちは、あまり窓の外に関心を示さないんです。
むしろ窓際に来るのを嫌がっているみたいで、

その部屋は5人がけの机が3つありましたが、窓際には誰も座ろうとしなかったんです。
不自然なことはまだありました。小児科病棟は、入ってすぐナーステーションがあり、
その向かいに飲食もできる面会室、その隣がホールになっていて、
おそらく過去の患者さんのご両親が寄贈されたものでしょうが、
子ども向けの本が入った本棚が3つほどあったんです。
でも、そのホールに、子どもたちはほとんど入ろうとしませんでした。
理由を聞いても「なんとなく」と言うだけで、教えてくれる子はいなかったんですが、
低学年の子が一人だけ「飾ってある写真が怖い」とつぶやいたんです。
ホールには1m四方ほどの大きな額があって、中には彫刻?の写真が入っていました。
三匹の猿が横に並んで、それそれ口、耳、目を両手で押さえている木彫です。
古いものでしたが、けっして怖く見える形ではなく、私はむしろユーモラスに思えました。

親しくなった看護師さんに聞いてみましたら、その写真を撮られたのは先々代の院長さんで、
大学のほうを定年退職され、もう亡くなっているということでした。
その、いわゆる「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿は、窓下に見える神社の、
境内にある有名な彫刻で「病院から早くさる」という意味がかけられているとのことでした。
江戸時代の名人が彫ったものということで、県の重要文化財にもなっているのだそうです。
子どもたちが怖がることについては、釈然とはしませんでしたが、
子どもには大人とは違った感性があるのだろう、と思うことにしました。
病院側でも、ホールで子どもたちに騒がれるよりはいいからでしょうか、
あまり気にしている様子は見えなかったですし。
5月の連休後のことです。久々に子どもたちに会えるので、
私ははりきっていましたし、子どもたちもよろこんでくれているようでした。

病院の昼食をはさんで、午後の部が終わりました。
それから私はその日の授業記録を書き、最後に病室を回って、
教室に来れなかった子の、その日の学習を見ていました。女子の病棟で、
症状が重い子の個室に入ったときのことです。2年生の子の算数のドリルを見ていると、
その子が急に、両手を口にあてました。それから目、耳と、
あの写真の三猿の動作をものすごい速さで繰り返し始めたのです。
驚いてナースコールを押そうとした私の手をその子が押さえ、窓のほうを見て
「だめ!!」と叫び、私の手を握ったまま、タオルケットに潜り込んでしまったのです。
「看護師さんを呼ばないで、バレたら連れて行かれる」
その子は小さな声でささやき、「ばれるって、だれに?」私がそう聞きながら、
ちらと窓のほうを見たとき、ガラスにべったりと黒いものが張りついているのが見えました。

カエルが窓ガラスに張りついているのとよく似たシルエットでしたが、
もっとずっと大きく、黒く濡れた毛のゴワゴワした質感がありました。
猿、だと思いました。でも、病棟は四階です。それにいくら近くに森があるとはいえ、
猿が住んでいるなんて話は聞いたこともありません。
その猿は顔を後ろ側にのけぞらせていたのでしょう。あごのあたりしか見えませんでしたが、
私がそちらを向くとすぐ、四本の足を離して、後ろに落ちていったように見えました。
「私、だいじょうぶだから。このこと、誰にも言わないで。先生、約束して」
泣き声でそう言われ、事情がつかめないまま約束をしてしまいました。
看護師さんや、医師の先生に相談しようかずいぶん悩んだのですが、
その子との関係が壊れてしまうおそれがあったし、何か猿のようなものが
滑りやすい窓に張りついていたということを、信じてもらえるとも思えませんでした。

ただ、それとなく「神社の森には猿がいるんですか」みたいなことを聞いては
みたんです。大笑いで否定されてしまいました。まあ、そうですよね。
神社の正面は幹線道路に面していて、ひっきりなしにバスや車が通っているんです。
その後しばらく、何事もありませんでした。これは猿のことというよりも、
病状が悪化したり、よくなって退院したりする子どももいなかったということです。
7月に入って、一般の学校では夏休みに入るのですが、
院内学級はそれとは関係なく開催されます。病気の治療が最も大切で、
入院期間中に勉強が遅れてしまうのはしかたがないことですが、
退院して学校にもどったときに困らないよう、
できるだけ子どもたちに力をつけさせてあげたいと思っていました。
そんなとき、よいニュースが入ったんです。

小児ガンのために入院していた5年生の男の子が、苦しい2度の手術に耐え、
全快とはいきませんでしたが、退院して通院治療に切りかわることになったんです。
これは院内学級からも離れるということです。そこの大学病院には
県内全域から来ていますので、今、席のある私の所属する学校から、
地元へと転校することになるのです。それで、ごく簡単にですが、
当日、院内学級でも退院のお祝いをすることになりました。
院内学級に来られている子どもさんの保護者はみな仲がよく、連絡を取り合って、
前夜にはたくさんお祝いの品をもらっていたようでした。
その日、教室に出てこられた子は11名で、中には具合があまりよくないのに、
無理して来ていた子もいました。男の子が私服姿で前に出て、
たどたしくあいさつをしていたときです。急に、机にいた子たちの様子がおかしくなりました。

子どもたち全員が、イスに張りついて硬直した状態になり、背筋を後ろに反らせるようにして、
目、耳、口を順に押さえる動作を始めたんです。それもものすごい速さで。
あの2年生の子のときと同じです。思わず窓を見てしまいました。
・・・ガラス一枚に一匹、3匹の猿が、前と同じカエルのような形に張りついていたんです。
あいさつをしていた男の子が床に崩れて泣き出しました。
様子がおかしいことに気がついたのでしょう。教室の外で待っていた男の子の両親が、
中に入ってこられました。それでも他の子たちは動作をやめず、
何かに憑かれたように、目、耳、口を押さえ続けていました。
私は教室を走り出てナースステーションに連絡し、もう一度入ったときには、
窓の猿の姿は消えていて、子どもたちは机に伏せてみな泣いていました。
退院した男の子は病状が急変し、その3日後に亡くなったんです。






アーカイブ なぞの入り口

2019.03.13 (Wed)
小学校の図工専科の教師をしています。今日はよろしくお願いします。
ついこの間、4月の終わりから5月にかけてあったことです。
6年生のねん土の題材に、「なぞの入り口から」というのがあるんですが、
これ、私たち図工教師の間でも、指導が難しい題材って言われてるんです。
だってほら、もし皆さんが、この題名で何か作ってみなさいって言われたら、
どんなものを作りますか? まず発想を得るのがたいへんですよね。
でも、今の図工って、そういう指導の考え方が強くなっているんです。
ねん土だったら、糸ノコで切ったり、丸めたり伸ばしたりする過程で、
自分で作りたいものを思いつくことを重視してるんですね。例えば2年生だと、
「ひみつのグアナコ」という題材がありますが、このグアナコというのは、
どこかにいるかもしれない架空の生き物です。

それを自由に想像して造形していくわけです。低学年の子だとどうしても、
アニメのキャラクターなど、自分のまわりに実際にあるものを作りたがりますよね。
でも、それだとよくないってことで、このような題材が設定されているんです。
あ、専門的な話になってしまってすみません。6年生の2組でした。
まず最初に、全員で「なぞ」ってどんなものがあるか話し合ったんです。
活発なクラスでしたので、いろいろな意見が出ました。
ロールプレイングゲームに関したものがけっこうありましたね。
それから、ねん土を配って作り始めたんですが、その時点では、ねん土をこねながら
考え込んでいる子がだいぶいました。私は子どもたちの間をまわって、
悩んでいる子にはアドバイスしますが、それも具体的なものを示したりはしません。
どうしても発想が浮かばなかったら、ねん土を糸ノコでジグザクに切ってみて、

その形から何か思いつかない?みたいな助言をするんです。
それで、A君という男子児童がいまして、昨年度も受け持った子ですが、
あまり図工は得意ではなかったんです。最初はそれなりに意欲を持って取り組むものの、
だんだんうまくできなくなって途中で投げ出してしまうことが多かったんです。
絵などでも、色つけの途中でやる気をなくしてしまったり。
このA君も、長方形のねん土を前にして考えこんでいましたので、
「思い切って上からねん土マットの上に落としてみたら。それで何か思いつくかも」
こんなふうに話しかけてみました。しばらくして、一人の子が窓の外を指差し、
「あ、火事?」って叫んだんです。見ると、グランドの向こうは
まばらな林になってるんですが、その上に一筋黒い煙が上がり始めており、
すぐ、サイレンの音が聞こえてきました。

でも、そのあたりまではグランドをはさんで数百mありましたので、
学校に危険がおよぶとは思えませんでした。ええ、校内放送が入りまして、
「特に学校に危険はないと思われますので、落ち着いて授業を続けてください。
 放送のスイッチは切らないでいてください」教頭先生の指示がありました。
そうは言ってもやっぱり小学生ですから、その時間は授業にはなりませんでしたね。
窓の外を見て手が止まってる子が多かったんです。これはしかたないと思い、
特に注意することもしませんでしたが、その中で、一番先に窓にかけ寄るようなA君が、
黙々とねん土に打ち込んでいたので、少し意外に思いました。
やがて20分ほどで煙はおさまり、後で職員室で聞いたところでは、
林の中にある神社でボヤが出が、少し焼けただけだったということだったんです。
図工の授業は2時間続きでしたので、休み時間をはさんで再開。

そのときには、ほとんどの子が落ち着き、テーマを見つけて造形を始めていました。
「入り口」という言葉から触発されたものでしょう。ねん土に穴をあけて、
壺や洞窟のような形にしている子が多かったです。ところがA君は違っていまして、
作っているのは、一口でいうとゴーヤのようなもの。微妙な曲線をえがいた
ナマコのような形に、たくさんツブツブがついていたんです。
私が「へええ、面白いわね。これのどのあたりがなぞなの?」と聞いてみますと、
「さっき火事だって騒いだときに急に思いついた。これカギだよ」って答えたんです。
「カギって?」 「なぞを開けるカギ」でも鍵にはまったく見えませんでした。
むしろ、前にお話したグアナコみたいな生物に近いものです。
すごく不気味な感じがして迫力があり、ああ、A君は造形の才能があるな、
私は評価する目がなかったなあ、って思ったんです。

イボのような突起のそれぞれ高さの違う配置も、まるで生き物のようでしたが、
図工室の中には参考にできるようなものはなかったはずです。
その時間が終わって、制作途中の作品は並べて学年ごとの棚にしまったんですが、
A君のだけが異彩を放っていました。それで、こんなことを言ってはなんなのですが、
私はそれが怖い気がしたんです。理由はちょっと説明できません。
今回は紙ねん土ではないので、色つけはしませんが、
もしこれに色がついたらと考えたら、背筋がゾクゾクっとなったんです。
ですからなるべく奥に、他の作品に隠れて見えないような形でしまいました。
翌週になって授業再開。前の1時間で完成させ、残りの1時間で、
どの部分が「なぞ」を表すのかを一人ずつ自分の作品を持って説明する予定でした。
それから、前の週の神社の火災は、半焼までもいかなかったものの、

燃えたのはロウソクを灯す拝殿ではなく、ご神体のある本殿だったようです。
でも、そこには火の気はないので、警察では、
放火の可能性も考慮して捜査しているという話を、他の先生方からお聞きしました。
しまっていた作品を出してみると、他のはなんでもないのに、
A君のだけは表面が荒れてひび割れが縦横に走っていました。今のねん土は、
いくら乾いてもそういうふうにならない素材なんですけど。
A君はひったくるように自分のを取り、すごい集中力で、
ヘラや竹串を押しつけていました。近寄ってみると、表面のひび割れはそのままで、
かえって不気味さを増していました。A君はナマコの先にあたる部分をヘラでこじり、
幾層にも重なった口?を作っていました。プロの芸術家みたいというか、
何かにとりつかれているように見え、話しかけることができなかったんです。

やがて残り10分となり、完成していない子も何人かいましたが、
次の時間にみんなに紹介するので、説明を考えておくようにと言いました。
そのときにも、A君はずっと口の部分を串で彫りつけていたんです。
その日の最後の時間です。順番を決めて一人ずつ前に出て説明を始めましたが、
かなり苦しんでいる子が多かったです。最初にお話しましたように、
この題材は大人でも難しいんです。だって、説明のしようがないから「なぞ」
ってことですよね。言葉にすることで、頭の中のイメージを具体化させるといっても、
これは小学生にはかなりきびしい課題です。
ただ、説明のよしあしは評価には含まないことにはしていました。
それぞれの子が、たどたどしいながらも自分の言葉で作品の解説をしましたが、
ほとんどの子が最後に「難しかったです」とつけ加えていました。

それで、わりと早い順番でA君の番になったんです。
A君はこういう場ではいつもにやけるんですが、そのときは口をへの字に結んで、
おごそかと言えるような顔つきをしていました。ねん土マットごと、
教卓の上に「なぞの鍵?」を上げると、ザワザワしていた図工室が
急に静かになりました。A君が甲高い声で、
「これはなぞを開けるカギです。神様のお告で作りました」こう言っても、
ふだんと違ってだれも笑いません。A君が手でマットから作品を持ち上げると、
まだ柔らかく、ぐにゃんと垂れるはずなのに、手のひらの上で魚のように跳ねた、
そう見えたんです。ええ・・・幻覚だと思いたいんですが。
「これを入れて回すと開きます」 A君がしぼり出すように言い、
空中で回すしぐさをしたとき、ビーンという大きな音がしたと思いました。

そうですね、ギターの一番低音の弦を強くつまんで離したような音。
同時に、目の前の空間がゆがんだように感じたんです。うまく表現できないですが、
図工室の中がゼリーで埋まっていて、それを横から平手で叩いたような感じとでも。
理解していただけますでしょうか。そのときに「ああ、開いてしまう」って思ったんです。
何が?と聞かれても答えられないんですが、とにかく「開く」って。
開けばすべてが終わりになってしまうことも、そのときわかったんです。
知らず知らず体が動いていました。私はA君に走り寄って作品を持っていた手をつかみ、
強く揺さぶると「なぞの鍵」は下に落ち、バシャッと形を崩して液体になったんです。
これもありえないことです。A君はその場に尻もちをつき小刻みに震えていました。
保健室に連れていき、2時間ほど休むと平常に戻りました。放課後に私のところに来て、
「先生あのとき、あれ壊してくれてよかった」こう言って帰っていったんです。






シーサーペントの話

2019.03.12 (Tue)
dgra (7)

今回はこういうお題です。UMAのカテゴリですね。
「シーサーペント(sea serpent)」は海蛇(かいだ)と訳され、
海に生息する、脚のない巨大な怪物のことです。ちなみに海蛇(ウミヘビ)は、
実在する生物で、そんなに大きなものはいませんが、
鮮やかな色をしていて、致死性の強い毒を持っている種類が多いんです。

ウミヘビ
dgra (8)

さて、歴史上で目撃されたシーサーペントについて、逸話を列挙していっても
いいんですが、すでにUMA系の立派なホームページがいくつもあるので、
ここでは、自分が好きな話を一つだけご紹介したいと思います。
「モノンガヘラ号事件」と聞くと、ははあ、あれかと
思われる方もいらっしゃるでしょう。

1852年1月13日、南太平洋の赤道付近で、アメリカの捕鯨船、
「モノンガヘラ」号の見張りが、海中を激しく動く巨大な生物を発見した。
クジラなら捕りにいくだけだが、しばらく観察しても船長にも何だかわからない。
とりあえずボートを下ろすことにした。この当時は母船から砲で銛を打つ
のではなく、小さなボートからクジラに対して手で銛を投げていたんですね。

木製ボートにある種の貝がくっついたもの
dgra (10)

くりだした3艘のボートの先頭に立ち、シーバリー船長が生き物に一番銛を
打ちこんだ。生き物はいったん海に沈んだが、すぐに3m以上ある長い頭が
海中から立ち上がり、ボートに向かってむかって突進してきた。
3艘のボートはすべて、あっという間にひっくり返り、
船員たちはなんとか泳いで母船に逃げ帰った。

最大7mになり、海に生息するモンスター イリエワニ
dgra (1)

銛にむすんだ網はどんどん伸び、300メートルになっても足りず、
つぎ足された。遠くから生き物の叫び声が聞こえてきた。
翌日の朝方、ようやく怪物の死体が海面に浮き上がってきたが、
経験のある船員でも、そのような生き物をこれまで見たことがなかった。

絶滅した?海棲爬虫類 モササウルス 全長は最大で18m


その怪物は「モノンガヘラ号」(約30メートル)よりも長く、
胴の幅は最大の部分で15メートルもあった。頭部はワニに似ていて、
長さ3メートル、口の中には24本の鋭い歯があり、
歯の大きさはおよそ8センチ、ヘビの歯に似て内側にカギ形に曲がっていた。
色は茶色がかった灰色で、幅約1メートルの明るい縞が全体にあった。

サルパの群体 数十mにもなる
dgra (4)

シーバリー船長は、怪物の首を切断し、保存のため大きな塩漬けの桶に入れ、
近くにいたレベッカ・シムズ号のガヴィット船長に託し、
ニュー・ベッドフォードへ送った。しかし、その後、モノンガヘラ号は
消息不明となり、何年かのち、「モノンガヘラ」の船名板が、
アリューシャン列島のウムネク島の浜辺に流れついた・・・

子どもの頃にUMA関係の本でこの話を読んだときにはワクワクしました。
話の内容がすごい具体的ですよね。
ニュー・ベッドフォードに送られた怪物の首はどうなったんだろうと、
世界地図で地名を調べたりしたもんです。ですが、残念ながらこの話、
海外サイトなどを調べると、どうやら創作みたいなんですね。

打ち上げられた巨大な流木
タイトルなしvvv

さて、目撃されたシーサーペントの正体としては、いろいろな説が
あげられています。まず1つめは海藻のかたまりや流木を誤認した説。
海藻は動かないだろうと思われるかもしれませんが、ゆっくり走る
船の上にいると、自分は動いておらず、相手のほうが進んでいると
錯覚することがないわけではない気がします。

50m以上になる海藻 ジャイアントケルプ
めめめm

2つ目は、既知の生物を誤認したもの。例えばクジラの誤認。
みなさんはクジラと言えば、マッコウクジラのようなゴツいのを思い浮かべ
られる方が多いんじゃないかと思いますが、クジラの種類は多く、
その中には、かなり細長い形状のものがいるんです。
中型クジラはむしろそのタイプが多いんじゃないかな。

ニタリクジラ 最大15m
dgra (2)

それから、リュウグウノツカイ誤認説。リュウグウノツカイは深海魚と
言われますが、そんなに深場にいるわけでもなく、海流などの関係で、
海面まであがってくることも多いんです。台風の後などには、
海岸に打ち上げられたものが見つかります。日本海側と太平洋側では
タイプが違い、太平洋側のは10mを超えるまで大きくなると言われます。

かなり大きなリュウグウノツカイの個体
dgra (6)

それと、シーサーペントには「背中にコブがあった」という証言もありますが、
ここから、列をつくって泳いでいるイルカ、またはアシカやオットセイ、
セイウチなどの海獣類を誤認したという説もあります。
あとは、小魚の群泳やクラゲなどの群体を見誤った可能性も指摘されています。
海洋生物の中には、蛇と見まがうような細長いものは珍しくないんです。

イワシの群れ
dgra (9)

こういうふうに書くと、海を知りつくしている船員や漁師が見間違いを
するはずはない、という意見が必ず出てくるんですが、
はたしてそうでしょうか。下の画像は、ラブカという原始的なサメですが、
ベテラン漁船員でもまず見ることはない珍しいものです。

原始的なサメ ラブカ 2mほど
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もちろん、海は広大で、神秘にあふれていますから、
未知の巨大生物がいるのかもしれません。そう考えたほうがロマンがあります。
ただ、これはネッシーなどでも言われることですが、その種が存続するためには、
ある程度まとまった個体数が必要です。数百という数だと、完全な絶滅危惧種に
なってしまいます。数千でも危ないかもしれません。

イルカの一種 スナメリ 2mほど
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まあ、古代に絶滅したと考えられ、1952年まで発見されなかった
シーラカンスのような例もあります。かつては広範囲の海域にいたものが、
だんだんに生息域がせばめられ、ある特定域だけにまとまって
隠れひそんでいる可能性はゼロではないでしょうね。人間が来ることのない
深海にいて、ときおり浮上するのかもしれません。

さてさて、ということで、シーサーペントの正体は、誤認以外に、
古代海竜の生き残り、つまり爬虫類説。巨大ウナギなどの魚類説。
未知の海棲哺乳類説、イカ・タコなどの軟体動物、クラゲ類などなど
諸説入り乱れている現状なんですね。では、今回はこのへんで。

オーストラリアの有名なシーサーペント写真、捏造の疑いが強い
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蛇のオカルト

2019.03.11 (Mon)
sdert (4)

今回はこういうお題でいきます。さて、どんなこと書けるでしょうか。
まず、蛇というのは世界の神話に登場しますよね。
それだけ古くからいて、人間に怖れられた生き物なんでしょう。
脚がなく、のたくって進むところだけでも他の生物とは異質です。
あと、毒を持っているものも多い。

神話上に見られる蛇は、聖と邪の2つの概念をあわせ持っている
場合が多いんですね。これは日本神話でもそうです。
奈良にある三輪山の神は、蛇の姿をしているという伝承があります。
「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひ ももそひめ)」は、
邪馬台国の卑弥呼ではないかという説もある古代の女性で、

倭迹迹日百襲姫命と弟の吉備津彦命(桃太郎)
タイトルなし

神の声を聞くシャーマンのような役目を果たしていたと『日本書紀』
に出てきます。百襲姫は三輪山の神である大物主神の妻となったが、
大物主神は夜にしかやってこず、昼に姿は見せなかった。
百襲姫が明朝に姿を見たいと願うと、翌朝、大物主神は櫛箱の中に
小蛇の姿で現れたが、百襲姫が驚き叫んだため、

大物主神は自分を恥じて三輪山に登ってしまった。百襲姫がこれを後悔して
座り込んだとき、箸が陰部を突いてしまい死ぬことになった・・・
百襲姫は大市に葬られ、人々はその巨大な墓を「箸墓」と呼んだ。
これが現在の「箸中山古墳」とされています。

箸中山古墳
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この話はまず、人間が蛇と結婚したという異類婚姻譚が入っています。
それもただの蛇ではなく、神の正体としてのものです。
ちなみに、百襲姫が3世紀以前に実在した人だとして、その当時、
日本には箸はなかったはずなので、どうして古墳が箸墓と
呼ばれているのかについて、いろいろな解釈があります。

そのうちの一つは、箸墓古墳には埴輪が立ち並んでいたため、
最初は、土師墓(はじはか)と呼ばれていたのが転嫁して、
「はしはか」になったとするものです。これはまあ、ありそうな解釈です。
それと、みなさんは「墓」と「陵」はどう違うかご存知でしょうか。

「陵」という言葉を使っていいのは、天皇および皇后の墳墓に対してだけです。
百襲姫はそのどちらでもないので、「箸墓」なわけですが、
この区別がつくられたのはかなり後代のことなんですね。
ですから、もともとはそう呼ばれていなかった可能性があります。
おっと、余談はこのくらいにしておきましょう。

上記の話は、蛇が神聖な場合の例ですが、日本神話には邪悪な蛇も
登場しますよね。「八岐大蛇(やまたのおろち)」です。『日本書紀』では、
各地を放浪して歩いていた「素戔嗚尊(すさのお)」が、八岐大蛇の生贄に
されそうになっていた少女「奇稲田姫(くしなだひめ)」をたすけます。

八岐大蛇 この絵だと頭が中国の龍のようです
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酒を飲んだところをずたずたに斬られた八岐大蛇の尾から、
三種の神器の一つである「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」が出てきて、
国の宝として、現在まで伝えらていることになっています。
八岐大蛇については、洪水の象徴とか、
鉄剣が体から出てきたことで、製鉄の象徴などとも言われますね。

ということで、蛇には神聖な属性と邪悪な属性の両方があるんです。
現代でも、「蛇を殺すと祟りがある」 「白い蛇は神様のお遣いで、
見ると幸運を呼ぶ」などと言われたりします。上記の百襲姫の逸話から、
蛇は大神(おおみわ)神社の眷属とされています。

ギリシア神話だと、メデューサの話が有名です。ゴルゴン3姉妹は、
みな髪の毛が無数の蛇でしたが、末娘のメデューサは不死身で、
その姿を直接見たものは石に変わってしまう力を持っていました。
これを退治することを命じられたペルセウスは、鏡にメデューサの
姿を映しながら、切られると血が止まらなくなる剣を使って倒します。

メデューサの首
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メデューサの首はペルセウスの盾につけられますが、帰路の途中、
海の岩の上に縛りつけられたアンドロメダという少女を見つけます。
この少女は、海竜のような怪物、ケートスの生贄にされるところでしたが、
怪物はペルセウスの持つメデューサの首で石に変えられ、海に沈みます。

おや、この話、上に書いた八岐大蛇とよく似ていますね。
神話がつくられた時代は、ギリシア神話のほうがずっと古いので、これも、
ユーラシア大陸を伝わって、日本まで伝播してきた可能性があります。
これ以外にも、前に何度か書いた、イザナギ・イザナミの
黄泉帰りの話もギリシア神話とそっくりです。

ペルセウスとアンドロメダ
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さて、もうここまででだいぶ長くなってしまいました。
キリスト教では、蛇は楽園にいたアダムとイブを誘惑して、
禁断の知恵の木の実を食べるようにそそのかします。この蛇は、
悪魔サマエルが姿を変えたものだったという説もあります。

このことから、キリスト教社会では蛇は忌み嫌われる生物となった、
と言われたりします。また、蛇が怖れられるのは、
人間がまだ猿で樹上にいたときの記憶が残っているからだ、
などという説もありますが、はっきりしたことはわかりません。

さてさて、蛇についてのオカルトはまだまだいくらでも思いつきます。
UMAの話もしようと思ってたんですが、そこまでいきませんでした。
まあ、またいつか取り上げる機会もあると思います。
では、今回はこのへんで。

アダムとイブを誘惑する蛇
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穴の虫の話

2019.03.10 (Sun)
アルバイト 佐々木健一さんの話
3週間前の金曜日のことだったんですよね。俺、カラオケボックスで
バイトしてるんです。その日、かなり強い雨が朝から降ってて、
ふだんはチャリでバイト行ってるのが、傘さして歩いてったんです。
それで、帰りが深夜の2時ころになって、雨はやむどころか
傘さしてても濡れるくらい激しくなってました。側溝から
ゴボゴボ水があふれ出て、道路に数cmくらいまで溜まってたんです。
そんときは駅前の大通りの一つ裏の道を通ってて、
早くアパートに帰って寝たいとしか考えてなかったです。
で、そんな時間だから車も人も通ってなくて、どの信号も黄色の点滅。
交差点を渡ろうとしたときに、足元がぐらっと揺れた気がしたんです。
最初、地震かって思いました。道路が斜めになって、

俺は道の真ん中のほうへよろけていったんです。
立っていられなくなって、傘をほうり出してしまいました。
そのとき、強い雨の中でも「ゴゴゴオッ」てすごい音が聞こえて、
俺、よつんばいになっちゃったんですよ。そしたら、目の前 数mの
ところのアスファルトが、ボコッとへこんだんです。
はい、道路が陥没したってことです。で、俺のいる場所も傾いてて、
そのままだと穴に落ちそうだったんで、とにかく穴から離れるように
這ってったんです。幸い、その穴に落ちることはなかったけど、
全身びしょ濡れになりました。それで、だいぶ離れた店のアーケードの下まで
行ってから、スマホで警察に通報したんです。「道に穴があいた」って。
そしたら、警察から、その場で待ってるように言われまして。

で、しかたなくそこにいたんです。穴はそうだなあ、直径2mくらいかな。
前に九州のどっかで、大きな道路の陥没があったでしょ。
あんな大規模なものではなかったんです。雨はやや小降りになってました。
「あーあ」と思いながら穴のほうを見てたら、
何か動くものが顔を出したんです。はい、虫、芋虫だと思いました。
ただね、長さが1m以上あって、太さは人のふくらはぎくらい。
「え、え、え?」それで、虫は1匹じゃなかったんです。
最初の1匹がアスファルト上に登ると、次から次からわらわらと出てきて。
全部で20匹近くいたと思います。それで、2種類いたんですよ、
黒い芋虫と白い芋虫が。白いのは大根みたいだったし、黒いのは、
形も大きさも同じなんだけど、色だけが違う。

そうですね、数は半々くらいだったと思います。でね、その芋虫たち、
斜面を登って平らなとこまでくると、道路の水たまりに沈むようにして、
どれも消えちゃったんです。また「え、え、え?」ですよ。
そうしてるうちにパトカーの音が聞こえてきたんで、
道に出て両手を上げて振ったんです。パトカーが停まって出てきた警察官に
穴のほうを指差すと、事情はすぐわかったみたいで、
通報したことを感謝されました。で、住所と名前を聞かれて俺は放免。
そんときには雨はやんでましたね。でねえ、虫のことを言おうかどうしようか
迷ったんですけど、結局言わなかったんです。だって、あんなのこの世に
いるわけがないし。そのままアパートに帰ってシャワー浴びて寝ました。
道路の陥没は、翌日、地元のテレビで報道されてましたね。

介護士 岸和田優子さんの話
地元の介護つき老人ホームで働いています。うちのホームは有料で、
寝たきりの入居者の方が多いんですが、車イスで動けるという人もいます。
で、佐藤さんっていう男性の入居者の方なんですが、
年齢は82歳、完全な寝たきりなんですが、酸素とか胃瘻とか
そういうのはつけてないし、頭はそんなにボケてなくて、
意思疎通もできるんです。それで、その日は私が早番で、
朝の7時半ころに、それぞれのお部屋にあいさつに回るんです。
私が入っていくと、佐藤さんはもう起きてられたんですが、
私の顔を見てほっとしたような様子で、床を指さしたんです。そして、
「ほらそこ、黒い穴が空いてるだろ、あんた落ちないようにしなさいよ」って。
でも、見ると、カーペットが敷いてある普通の床でした。

まあ、そういうことをおっしゃる入居者の方はいますし、慣れてるんですが、
佐藤さんが言うのは初めてでした。それで、そういうとき、
入居者の言うことを頭ごなしに否定したりはしないんです。
「ああ、穴ですか」私がそう答えると、佐藤さんは、
「朝方だなあ、4時か5時ころちょっと雨が降ってただろ。そんときに、
 ぼこぼこっという音がして目が覚めて、そしたら穴になってたんだ。
 変だなあと思って見てたら、中からでっかい白い虫が出てきたんだよ。
 あれはキャベツとかによくついてる芋虫だなあ。その大きいやつ」
「それで、どうなったんですか」 「いや、芋虫はそのあたりを這い回ってたが、
 いつの間にか姿が見えなくなった」こんな話をされたんです。
それで、このことは朝の打ち合わせのときに主任に話しました。

認知症の兆候かもしれませんし。とりあえず様子を見ようということになり、
その後、朝食を部屋に運んだんですが、佐藤さんはもう
穴のことは言い出しませんでしたね。それで、9時過ぎです。
ホームは郊外にあるんですけど、隣にホームと同じ法人がやってる病院が
建つことになってまして、工事が始まったんです。ガンガン音がして、
入居者の方は、さぞうるさいだろうなあと思ってましたら、
突然、ガガーンとものすごい音がして、ホーム全体がぐらぐら揺れたんです。
何が起きたかわかりませんでしたけど、工事で使ってたクレーンがホームに
倒れてきたんです。はい、直撃されたのが佐藤さんの部屋でした。
部屋は大破して、佐藤さんのベッドの足元にクレーンの先がきたんですが、
天井の破片が少しかかったくらいで、奇跡的に佐藤さんにケガはなかったんです。

主婦 山根美香さんの話
先日主人を不慮の事故で亡くしました。主人はある団体の役員を
してたんですが、その日は日曜日でゴルフのコンペがあったんです。
子どもたちはそれぞれ独立してまして、私たち夫婦で2人暮らしでした。
それで、寝るときは別々の部屋にしてたんです。私は早く寝るほうですし、
主人は映画が好きで、毎晩のように有料配信チャンネルで見てたものですから。
で、その朝です。朝食のときに、主人が妙なことを言ったんです。
「昨日な、変な夢を見たんだよな。映画見終わってベッドに入って
 電気を消そうとしたら、天井に真っ暗い穴があったんだよ。
 そうだなあ、直径2mくらいのかなりでかい穴。
 立ち上がって確かめようとしたら、体が動かなかった。目を開いたまま、
 金縛り状態になってたんだな。どうしようもなく、その穴を見つめてたら、
 
 中から動くものが出てきたんだよ。芋虫だと思った。真っ黒い、
 人の脚くらいあるようなでっかいやつ。それが天井からぶら下がって、
 頭を左右に振るんだよ。それがちょうど俺の頭の上でな。
 そのままだと、俺の顔に芋虫が落ちてくる。どうしよう、どうしようって
 考えてたら、そのうちにふっと意識が途切れてな。気がついたら
 朝になってて、電気をつけたまま寝てたんだよ。
 天井に穴なんかなかったし、部屋に芋虫もいなかった。だから夢だと
 思うしかないんだが、はっきり覚えてるし、すごい現実感があったんだよな」
その後、主人は自分で車を運転してゴルフ場へ行く途中、高速道路の
対向車線を走ってたトラックのタイヤが外れたのにフロントガラスを直撃され、
車はガードレールを突き破って路肩から転落したんです。即死ということでした。

市役所職員 三島浩さんの話
僕、○○市役所の道路管理課に勤めてまして。こないだあった道路の陥没の
ことなんです。幸い、陥没が起きたのが深夜で死傷者はなかったですし、
そんなに大規模なものでもなかったんです。
そこの道路を通行止めにして、急いで復旧工事をしたんですが、
3日くらいで完成しました。ですけど、通行止めはもう1日解かれなかったんです。
はい、これは県からの指示だったみたいです。
何をしたかっていうとお祓いですよ。大きな神社の宮司さんたちが何人も
うちの市に来まして、合同でお祓いをしたんです。僕は、そのうちの
一人の方を駅まで迎えに行きました。ほら、役所が神主さんなんかを呼ぶと、
政教分離ってうるさいじゃないですか、でも、このときは1日がかりのお祓いをして、
それから道路の開通になりました。理由はわかりません。

タイトルなし

 

「ナノ医療」って何?

2019.03.09 (Sat)
ミクロのサイズになった医療チームが、要人の手術をするため体内に
送り込まれる作戦を描いたSF映画『ミクロの決死圏』。
東京大学特任准教授の安楽泰孝氏はここで描かれた世界を
現実のものにしようと研究を進めています。

安楽氏が体内に送り込むのは米粒の10万分の1サイズの「ナノマシン」です。
体内でこのナノマシンが24時間365日検査を続け、
病気になりそうな部分を見つけるとマシンの中から
必要な薬だけを放出して治療まで行う。こんな未来を思い描いています。

(日本科学未来館)

『ミクロの決死圏』
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今回はこういうお題でいきます。上掲の記事は、
「日本科学未来館」のホームページから引用させていただきました。
さて、本題に入る前に、みなさんは1966年のアメリカ映画、
『ミクロの決死圏』はご記憶されているでしょうか。

これ、SFなんですが、スパイ映画、医療映画の要素もあわせ持った、
今考えるとかなり斬新なアイデアのストーリーなんですよね。
物質をミクロ化する技術が開発された近未来が舞台ですが、
ミクロ化は1時間が限界で、それを過ぎると元に戻ってしまいます。

アメリカは、この1時間制限を解決する技術を開発した科学者を
東側から亡命させようとします。東西冷戦が激しかった時代には、
この手のストーリーの映画は多かったですね。しかし、その科学者は、
敵側の襲撃を受けて脳内出血を起こし、意識不明となってしまいます。



そこでアメリカ側は、医療チームを乗せた潜水艇をミクロ化し、
科学者の体内に注入。脳の内部から血栓を溶かす作戦を実行します。
タイムリミットは1時間、それ以内に治療を終えないと、
科学者は死に、はっきり描かれてはいなかったんですが、
おそらく医療チームも死んでしまう・・・こんなお話でした。

さて、この映画の公開から55年がたちますが、物質をミクロ化させる
光線はいまだに開発されてはいません。ですが、そのかわり
ナノテクノロジーは大きく進展しました。「ナノ(nano 記号 n)」が
10のマイナス9乗を表す接頭語なのはご存知だと思います。

1 ナノメートル は 0.000 000 001 メートル
1 ナノ秒 は 0.000 000 001 秒 となりますが、ナノテクノロジーと言った場合
長さの単位を意味することが多いですね。このナノ単位の大きさで働く機械を、
ナノマシン、あるいはナノロボットと言ったりします。
本日のお題は、ナノマシンを用いた未来の医療についてのものです。

ナノマシンは、細菌や細胞よりもひとまわり小さい、ウイルスサイズの機械で、
大きさは10nm~100nm。この大きさだと、人間の血液やリンパ液に入って、
体内を循環するのは簡単です。体内でこのナノマシンが24時間365日
検査を続け、病気になりそうな部分を見つけると、
マシンの中から必要な薬だけを放出して治療まで行います。

ナノマシンのイメージ 実際はこんなメカニカルなものではありません
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こういう未来を思い描いて研究を進めているのが、東京大学医学系研究科
特任教授の片岡一則氏で、上記引用の安楽教授の恩師にあたります。
ちなみに、片岡教授は医学部出身の医師ではなく工学部出身。
ここまでをお読みになって、そんなことまだまだ先の話だろうと
思われるかもしれませんが、かなり実現に近づいてきてるんです。

さて、話変わって、本庶佑教授のノーベル賞受賞で、
「免疫療法」が、手術、放射線、抗癌剤に次ぐ第4の癌治療法と
言われるようになってきました。ただ、免疫療法はかなり昔から、
世界の癌研究所および大手製薬会社で研究されてきたものの、
はかばかしい成果が出せてなかったんですね。

なぜ、癌を自己免疫で治療するのが難しいのか。これは癌細胞が、
もともとある自分の細胞が遺伝子変異によって癌化したものだからです。
ですから、免疫細胞は本来の細胞とよく似ている癌細胞を見逃してしまう。
また癌細胞のほうでも、さまざまな手を使って免疫細胞をごまかそうとします。

本庶博士の開発したオブジーボは、癌細胞が、攻撃してくる免疫細胞に
ブレーキをかけようとするのをストップさせる薬です。
ただ、すべての癌に対して効果があるわけではなく、
例えば肺癌では、効果が見られるのは投与した患者の2~3割で、
しかも、完全に治癒するわけではありません。

ですが、免疫細胞のかわりにナノマシンが体内をつねに循環している場合、
ナノマシンは免疫細胞と違って、自分の体の中では異質なものですから、
癌細胞にごまかされたり、手なづけられたりすることはありません。
癌細胞から攻撃は受けますが、それを逆手にとって、
ナノマシンが破壊される際、内部にある抗癌剤を放出して癌細胞を殺します。

抗癌剤を内包したナノマシン
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現在、この治療法は臨床試験に入っており、対象は乳癌と膵臓癌です。
もし順調に治験が進めば、数年後には実用化される可能性があります。
特に膵臓癌の場合、癌が重要な血管をまき込んでることが多く、
手術でとりのぞくことができるのは、症例全体の2割以下とも言われます。

また、膵臓の構造から、手術したとしても微細な癌細胞が周囲に残ってしまい、
そこから再発・転移してしまうケースがとても多いんです。
ですから、癌細胞よりも小さいナノマシンによる治療には期待が持てます。
また、抗癌剤を使用しないナノ医療のアイデアも、次々に出てきていますね。

膵臓と周囲の血管
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さてさて、ここまで読まれて、いいことずくめの夢の医療だと思われるでしょうが、
じつは、ナノマシンには「グレイ・グー(grey goo)」という現象が懸念されています。
グレイ・グーとは、暴走による無限増殖のことで、炭素やケイ素を素材として
自己複製するナノマシンの場合、自己複製時のプログラム・エラーなどにより、
暴走して、周囲の炭素やケイ素からなる物質を素材化しての増殖が

止まらなくなる可能性が指摘されているんです。もしこれが起きると、
わずか数時間のうちに、地球全体がナノマシンの塊であるグレイ・グーに
変化してしまうなんてことも、絶対にないとは言いきれません。
SFのような恐ろしい未来です。どんなテクノロジーにも、
こういう負の面はあるんですよね。では、今回はこのへんで。
 
グレイ・グー化した地球
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錬金術とキリスト教

2019.03.09 (Sat)


今回はこういうお題でいきます。かなり地味な内容になると思いますので、
スルー推奨かもしれません。さて、何から書いていきましょうかね。
まず、ざっと錬金術の歴史をふり返ってみると、
もともとは古代ギリシアで発展した化学的な知識です。

それが、ヨーロッパと地中海をはさんだイスラム社会に広まったんですが、
ヨーロッパのほうは、次第にキリスト教が勢力を拡大していきます。
392年、ローマ帝国がキリスト教を国教化し、これ以降、
キリスト教の世界観に合わないものはどんどんヨーロッパから
排除されてしまうんですね。科学的な思考によらない神中心の時代になります。

一方、イスラム社会では、天文学や錬金術、医術などが独自の発展を
とげていました。これが、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還する目的で
派遣されたカトリックの十字軍によって、再発見されることになります。
東方の文物が西ヨーロッパに流入し、交易が盛んになり、その過程で、
中世のヨーロッパに錬金術の概念が持ち込まれるんですね。

十字軍遠征
タイトルなしcd

それがだいたい12世紀頃のことです。ですから、
錬金術は「古代ギリシア→中東イスラム社会→西ヨーロッパ」
の流れで伝播していったんです。ちなみに、自分がやっている占星術も、
この十字軍遠征によってヨーロッパに広まりました。では、中世のキリスト教勢力は、
錬金術に対してどのような態度を取っていたんでしょうか。

これは、錬金術の目的を考えるとわかりやすいと思います。
錬金術の目的は、大きく2つあります。一つは、「賢者の石」を用いて、
銅などの卑金属を金に変えること。もう一つは「生命の水 エリクサ」
によって不老不死の肉体を得ることです。
賢者の石が液体化したものが生命の水とも言われます。

ですが、この2つの行為は、どちらもキリスト教では異端とされました。
まず、キリスト教では創造は神にしか許されないことです。
それと、人間はアダムとイブが犯した原罪によって、
必ず死ななくてはいけない定めになっていて、
不老不死はそれに反するものだったんですね。



そのため、中世のキリスト教会は錬金術を表向きは禁じていました。
でも、何事にも裏と表がありますよね。
錬金術は、成功すれば、わずかな投資で莫大な利益を得ることができます。
そのため、ヨーロッパの王侯貴族の中には、こっそりと錬金術師を雇い、
密かに研究に従事させるケースが多かったんです。

その場合、錬金術師は、表向きは医師、あるいは占星術師を名乗っていました。
これらは禁じられてはいなかったからです。また、錬金術師の中には
神学の博士号を持つものもいて、後述するファウスト博士もその一人です。
錬金術師は何らかの副業?をかくれみのとしている場合がほとんどでした。

現代のわれわれは、卑金属から金をつくるのが現実的には不可能なことを
知ってますよね。錬金術師の実験はすべて失敗に終わり、
王侯貴族は結果的に大損をしています。錬金術師の中には、
金をつくることは無理だと知っていて、最初から金持ちをだます目的で
取り入っていく者も多かったんです。

キリスト教の側でも、13世紀の有名な神学者トマス・アクィナスは、
「錬金術が魔法の域にならない限り、これを合法の学問とする」と述べて、
錬金術を庇護しています。カトリックの聖職者の中にも、
密かに錬金術を研究するものは少なくありませんでした。

ファウスト博士と契約した、悪魔メフィストフェレス
タイトルなし

また、万有引力の法則を発見したアイザック・ニュートン、
惑星運動の法則の発見者、ヨハネス・ケプラーも錬金術を研究していたことは
よく知られています。まあ、これは科学という概念が定まっていない
時代においてはしかたがないことでしょう。

それと、キリスト教会でも錬金術的な行為を行っていました。
ヨーロッパにある修道院では、各種の薬草とアルコールを独自の製法で配合し、
「エリクサ」をつくって資金源とすることが多かったんです。修道院で
つくられたリキュールとしては、フランスのシャルトリューズ酒などが有名です。

シャルトリューズ酒


こうして、キリスト教は錬金術を基本的には禁じながらも、
需要が大きいため、見て見ぬふりをすることで対応してきたんですが、
決定的にダメな場合もありました。錬金術が悪魔の力を借りて行われることです。
みなさんはゲーテが書いた戯曲『ファウスト』をご存知だと思います。

あの主人公のヨハン・ファウストは、16世紀に実在した錬金術師で、
「悪魔と契約して不思議な力を身につけた」という噂が広まっていました。
最期は、ドイツ貴族に雇われて実験をしていた最中、
薬品の爆発によって五体がバラバラになったとされますが、これが、
契約していた悪魔に魂を取られたという伝説につながっていくんですね。

ヨハン・ファウスト博士
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また、医師のパラケルススも悪魔とのつながりの噂がつきまとっていた
人物です。中世ヨーロッパでは、ある人物を失脚させるために、
わざと悪魔との関係を指摘するケースも多かったんです。ここまでのことを
一言でまとめると、キリスト教はその歴史において、つかず離れず、
きわめて巧妙に錬金術を利用してきたと言うことができると思います。

さてさて、ということで、錬金術の歴史をざっと見てきましたが、
錬金術はその成果として、天文学、化学、薬学、医学、土木工学などの
基礎を生み出し、それが現代の科学につながったという面は否定できません。
では、今回はこのへんで。

パラケルススがつくり出したとされる人工生命体「ホムンクルス」





アーカイブ地獄と抗癌剤の話

2019.03.08 (Fri)
自分(bigbossman)は、旅行雑誌に、神社仏閣についての雑文を書いてますが、
その関係で、インドの仏教遺跡にツアーで行ったことがあります。
団体は、自分をのぞいてみな僧侶の方々でしたが、
そのときの行きの飛行機の中で、親しくなったご住職にうかがった話がこれです。
「あの、自分は地獄絵に興味があって、あちこちのお寺で
 拝観させていただいてるんですが、地獄や極楽って、本当にあるものなんですか?」
まだ40代に見えるご住職は笑って、「いやいや、私らの宗派では、 
 地獄や極楽があるという教えはございません。お釈迦様は、この世界を統べる
 法をお説きになったのであって、目に見えない場所の話はなさりませんでした」
「そうですよね。でも、昔からその手の話ってあるじゃないですか。
 悪行を行えば地獄に堕ちる、善行を積めば極楽に行けるって」

「それは・・・方便ですね」 「ああ、嘘も方便の方便ですか。
 じゃあ、地獄や極楽なんてものはない?」 
「はい。火宅(かたく)の例えってご存知ですか?」
「いえ、不勉強で知りません」 「これは法華経に出てくる例え話の一つで、
 ある長者の屋敷が家事になりました。ですが、屋敷は広いので、
 誰も火事に気がつかない」 「はい」 「外に出た長者は、
 煙を見て火事とわかったんですが、屋敷の中では子どもたちが夢中になって
 遊んでいて、長者が出てくるように叫んでも誰も出てこない」 「はい」
「そこで長者は、外にいいものがあるぞ、出てきたらお前たちに、
 羊の車、鹿の車、牛の車をあげよう、と呼びかけた」 「はい」
「それにつられて出てきた子どもたちは、火事から逃れて命を助かり、

 そこで長者は子どもたちに、もっと立派な車を与えた」
「うーん、どういう意味ですか?」 「子どもたちというのが、衆生、
 つまり一般の人々です。夢中になって生きている人々は、なかなか仏の教えに
 出会う機縁がない。そこで、羊の車などで釣って外に出てこさせる」
「ああ、わかってきました。それが地獄や極楽ってわけですね」
「そうです。そして出てきた子どもたちに与えた、もっと立派な車が
 真の御仏の教えということなんです」 「なるほど、縁なき衆生は度し難しって
 やつですね。勉強になりました」その後、10日ほどかけて仏跡を見て回り、
帰りの飛行機で、またそのご住職といっしょになりました。そこで、
「こんなことを聞いてはなんですが、自分は怖い話をブログに書いてまして、
 ずっとお寺さんで生活してて、何か怖い話なんてありましたか?」

これを聞いて、ご住職はちょっと困った顔をされたんですが、少し考えて、
「うん、じゃあこの話をしましょう。私の父、先代の住職なんですが、
 4年前に、60代の後半で亡くなってるんです」 「はい」
「それが、肝臓癌だったんです。ほら、私らは会社勤めの方とは違って、
 どうしても健康診断などはおろそかになってしまいまして」
「そうでしょうね」 「父も、自覚症状が出て病院に行ったときには、
 すでにお腹の中全体に癌が広がってて手術不能、余命1年と宣告されたんです」
「・・・・」 「父は僧侶ですから、たくさんの人の死を見てきましたし、
 寺のほうは、まだまだ未熟者ですが、私という跡とりもいる」 「はい」
「だから、気持ちの動揺はないつもりだったと言ってました」 「はい」
「それで、病院のほうからは抗癌剤治療を勧められたんです」 「はい」

「でも、抗癌剤って評判がよくないじゃないですか。
 たしかに数ヶ月の延命にはなる場合が多いけれど、その間、
 副作用で日常の生活に大きな影響をきたすって」 「そう聞きますね」
「ですから、これから亡くなるまで、しっかり勤行をしようと考えて、
 いったんは断ったんです。けど、あまり医者のほうで勧めるので、
 1回だけやってみて、副作用がひどいようなら、それでやめようって考えました」
「ああ、はい」 「でね、やってみたら、やっぱり強い副作用が出たんです。
 まあ坊主ですから、髪が抜けるのはかまわないでしょうが、
 味覚障害と、知覚障害っていうんですか、水を飲んでも泥のような味がするし、
 指差がしびれてうまく物がつかめない。それで、お勤めにも差し障りがでるので、
 外来の2回目の抗癌剤投与のときに、もう断ろうと考えて病院に出かけたんです」

「はい」 「父は気丈な人でしたから、私が送ろうと言っても、
 一人でタクシーで行きました」 「はい」
「で、まず血液検査と医師の診断がありますから、待合室の長椅子で待っていると、
 だんだん気分が悪くなってきました。それで目を閉じ、しばらくして目を開けると、
 目の前に大坊主がいたそうです」 「おおぼうず?」
「ええ、父の話では、袈裟を着て、髭剃り跡の青々とした、まだ若い坊主だった
 そうですが、背が高く、病院の天井に頭が着きそうだったと」
「うーん、で?」 「その坊主は、父の前でかがみこむと、
 こうささやいてきたそうです」 「何と?」 
「お前は長い間よくよく修行を積んで、見上げた徳の高さになった。
 それで、このたびは特別に命を助けることになった、って」 「で?」 

「父が、どう答えていいかわからずに黙っていると、大坊主は、
 ただし命の数は決まっているものだから、お前が助かるかわりに、
 別の命を持っていかなくてはならん」こう言ったんだそうです。
「うーん、身代わりってことですか」 「そういう意味だったようです。
 なおも父が黙っていると、大坊主は、もうあまり時間がないのだ、
 どうだ、お前の代わりになる命をこの場で選ぶことにしよう」
 そう、ささやくように言ってきたんだそうです。」 「・・・・」
「待合室は、いくつかの診療科が隣接していて、数十人の患者がいたそうですが、
 平日の午後ですから、ほとんどが父より上の年寄りばかりで」 「で?」
「父は黙ったままでした。この、今 見ている大坊主は、抗癌剤の副作用で
 出てきた幻覚に違いない、でなければ、自分が無意識に死を怖れてるのだろう、

 そう考えて、相手にしないようにしてたのだそうです」 「で?」
「すると大坊主は、いらだった声で、早くせねば、もう時間がないのだ、
 閻魔様の帳簿を書きかえるのは手間もかかる。早く選べ、早く身代わりを選べって」
「で?」 「父がなおも黙っていると、大坊主の声が変わって、
 はしゃぐような調子で、あれなどはどうだ、そう言って通路のほうを指さしたんだ
 そうです」 「で?」 「その大学病院には産科もありまして、
 大坊主の指さした先には、若い母親が押しているベビーカーが」
「う」 「生まれて1ヶ月ほどの赤ちゃんが、すやすやと眠っていたそうです」
「うう」 「父は、大坊主に向かって一言、去りなさいって言ったんです」
「・・・・」 「すると一瞬で大坊主の姿はかき消え、父は座ってた長椅子から
 前のめりに倒れまして」 「それで?」

「他の患者さんが受付に知らせて、父は応急処置を受けてその場は回復しました。
 で、2回目からの抗癌剤投与を断って帰ってきたんです」
「で?」 「父の寿命はそれから4ヶ月でした。最後の最後まで勤行をして、
 死の2週間前に緩和病棟に入りまして、そこで亡くなりました」
「・・・・」 「父は、亡くなる数日前、まだ意識があったときに、
 私にこの話をしてくれまして。あのとき病院で出てきた大坊主は、
 抗癌剤の影響もあるのだろうが、おおかたは自分の心の迷いなのだろうって」
「はい」 「もしあのとき、自分の代わりに持っていかれる命を指名していたら
 どうなっていたんだろう、それこそ地獄に落ちたんじゃないか。
 あんなものを見るようじゃ、自分では修行を積んだつもりでも、
 まだまだ足りていなかったんだな、ってね」

「・・・でも、地獄や極楽は存在しないんじゃなかったんですか?」
「ええ、場所としての地獄や極楽はありません。ですが、心のあり方としての
 地獄はあるんです。俗に、生き地獄って言いますでしょう」 「はい」
「天道、餓鬼道、畜生道、修羅道、地獄道などの六道は、この世での心の
 在り方のことを指すんです。例えば、お金がほしくてほしくてしかたがない、
 いくら資産家になっても、もっともっとほしい、こういうのは、
 生きながら餓鬼道に堕ちているということなんです」
「うーん、勉強になりました。ところで、この話、お名前は出しませんので、
 ブログに書いてもいいでしょうか」 「ええ、かまいませんですよ」
「それと・・・もう一つ、もしご住職がお父上の立場で、自分の身代わりを
 求められたら、どうされましたか?」 「それは・・・もちろん・・・」



 

 

アーカイブ 悪魔の話

2019.03.08 (Fri)
10日ほど前、漫画雑誌の仕事である霊能者の方とお会いしました。
お名前は、かりにKさん、としておきます。Kさんは50代の男性で、
本業は実業家。貸ビルや飲食店経営などを手広く展開されていて、
年収はおそらく数億はあるだろうと思われます。ですから、霊能者としての活動は
完全なボランティアなんです。とにかく、興味深い霊的な事件があれば、
日本全国どこへでも出かけていきます。で、仕事が終った後、
ホテルのバーに入って、いろいろとお話をうかがいました。
その中で、自分が前から疑問に思っていたことをいくつかお尋ねしてみたんです。

「前から気になっていたんですが、日本ってキリスト教徒は少ないですよね」
「うーん、そうだね。人口の1%くらいと言われてる」
「ええ、日本人100人に一人くらいです。それでですね、
 キリスト教の悪魔って、どう思われますか?」
「それは、神の敵対者ってことだろう。キリスト教は一神教で、神は全知全能で
 この世のすべてを支配している」 「ええ、そうですね」 
「それなのに、この世から犯罪や貧困など、さまざまな悲惨がなくならないのは変だろう」
「まあ、確かに」 「このことについて、説明が2つあるんだよ。
 一つは、神がわざと試練を与えて、人間を試してるってこと。
 その人が死後、神の国に入ることができる資格があるかどうか試しているわけだ」
「ははあ、苦しいときにこそ、その人の本性、人間性が現れるってことですか」

「ちょっと違うけど、まあ、そう考えるのがわかりやすいかもしれない。
 それともう一つが、神の敵対者としての悪魔という存在だな。
 人間が誘惑に負けやすいのは、エデンの園のアダムとイヴの話に出てくるだろう」
「ああ、イヴが蛇に勧められ、神が禁じていた知恵の実を食べてしまったことですね」
「そうだ、あの蛇の正体は悪魔サマエルとも言われている。人間を誘惑し、
 悪事を働かせて魂を奪いとる」 「魂を奪われるとどうなるんです?」
「それは、永遠に地獄の炎で焼かれるという話もあれば、
 最終戦争ハルマゲドンのときに、悪魔の手下となって闘うとも言われている」
「うーん、やはり善と悪との闘いなわけですね」
「それが一神教というものだよ。光があれば必ず影があるっていう」
「じゃあ、このキリスト教徒の少ない日本にも、悪魔は存在するんですか?」
Kさんは自分のこの言葉を聞いて少し笑い、

「悪魔にとっては日本は楽だろう。キリスト教の考え方では、
 異教徒はすべて地獄に堕ちるんだよ。
 だから、日本じゃ悪魔はあまりやることがない。キリスト教が多人数に広まるのを
 邪魔してるだけでいいんだ。仏教徒や神道を信じてる日本人はすでに悪魔のものだから」 
「はああ、そういう考え方なんですね」
ここで、自分はぐっと水割りを飲み干し、一番聞きたかったことを口に出しました。
「じゃあ、Kさん。これまでにキリスト教の悪魔がからんだ事件を経験したことは
 ありますか」 「ああ、あるよ、ずいぶん前のことだし、失敗談なんだが」
「じゃあそれ、ブログに書きますんで、ぜひ話してくださいよ。お願いします」
「・・・九州のほうに、Yさんって女性がいたんだ。両親ともキリスト教徒で、
 足繁く教会のミサに通うなどして、かなり厳格に躾けられた。

 Yさんは高校を卒業して、ミッション系の大学に入学したんだが、
 そこでテニスサークルに入ったんだよ。
 それで、サークルに外部から来てた年上のコーチと親しくなった」
「よくありそうな話ですね」 「まあね、後はわかるだろう。神様ではない、
 ただの人間を愛するようになったYさんは、
 自分の気持ちにとまどいながらも流されていった」
「うーん、でも、それって普通のことですよね」
「うん。ただ、このコーチというのが、あまりたちのよくないやつだったんだな。
 Yさんと同棲するようになり、子どもができた」
「はい」 「このことがYさんの実家に知れて両親は激怒。どうやら、
 同じ会派のキリスト教の家庭に、親同士が決めてた婚約者がいたらしいんだ」

「本人が知らないところでってことですが?」 「そう」
「えー、今どきそんな話・・・」 
「まあね。でも、そういうふうにしないと日本のキリスト教社会って維持できないんだよ」
「すみません、たびたび口をはさんじゃって。その後、どうなったんですか?」
「Yさんの両親は困った。キリスト教の教えでは中絶は悪だからね。
 とにかく、男と別れさせ、Yさんには大学を辞めさせて、
 実家でひっそりと子どもを産ませたんだ」 「ははあ」
「それから、Yさんをヨーロッパの学校に入れた。
 全寮制の、なかば修道院のようなとこだよ。あと、子どもは男の子だったけど、
 Yさんの両親が養子にして、Yさんの弟として育てることになった」
「そういう形ってできるんですか」 「あれこれ手を回したんだと思う。

 それでね、両親が育てているその子に異変が起きた」 「どんなことです?」
「両親は2人とも働いていて、かなりの資産家だったから、
 シッターを雇って子どもの面倒を見させていたんだが、そのシッターがおびえる。
 子どものベビーベッドに影が現れるって言うんだ」
「どういう?」 「壁や天井に影だけが映るんだが、それがコウモリのような翼があり、
 頭には2本の角らしきものが生えてるっていう」 「・・・まさに悪魔ですね」
「そうだ。しかし両親にはそんなものが見えたことはないんで、シッターを変えた。
 でも、前のシッターとは面識がないはずなのに、同じことを言う。
 そこで私が呼ばれたんだ」 「すごい、悪魔祓いですか」
「ははは、エクソシストの修行をしたことはないし、聖書の詩句も覚えてない。
 聖水の用意もない。だから、日本の他の場合と同じようにした。

 その子のベッドの近くでご祈祷したんだよ」
「悪魔が出てきましたか?」 「いや、その場では何も起きなかった。
 子どもの様子にも特に変化はなし。かわいい普通の赤ちゃんだったな。
「じゃあ?」 「その後すぐに、ヨーロッパにいるYさんの学校から連絡が入った。
 娘さんの様子がおかしいから、急いで来てくれないかって。
 で、両親と一緒にヨーロッパに飛んだんだよ。赤ちゃんは連れていけなかったけど」
「それで?」 「うん、そのルーマニアの学校は山深い田舎にあって、
 共同生活しながら聖書についてや、庭の手入れ、刺繍、金属細工などを習う。
 で、われわれが行ったときには、Yさんは拘束されベッドに寝かされていたんだ。
 暴れて手がつけられないからってことで。
 でね、Yさんが入っていた地下のせまい個室を見せてもらったんだが、

 その白壁に、うっすらと翼と角のあるものの姿が浮き出していた」
「うーん、それ、現地のシスターたちは何もできなかったんですか?」
「表向きは学校だし、そんな力がある人もいなかったんだろう。
 それに私も、Yさんが自分の心の中でつくり出した、罪悪感が形になったものだと、
 そのときには思ってたんだ。でね、まさかキリスト教の修道院で
 日本式の祈祷なんてできないから、どうにかしてYさんを帰国させ、
 日本の精神科の病院に入れた」 「結局、ご祈祷はしなかったんですか」
「そう、これは私の失敗だった。そのときにはキリスト教の悪魔について
 よくわかってなかったんだ。もしいるとしても、
 日本では大したこともできないだろうと思ってね」 「それで」
「Yさんは2年ほど入院して、だいぶ落ち着いた。だから両親が家に戻し、

 そこであらためて、3歳になっていた自分の子と対面したんだ」
「ああ、それはよかったじゃないですか、でも、
 自分の子どもなのに弟ってことになってるんですよね」 
「・・・それでね、私もその話を伝え聞いて喜んでいたんだが・・・
 Yさんはその子をずいぶんかわいがっていて、よく世話もしてたんだよ。
 だけど、その子が6歳になって、小学校にもうすぐ入学ってときに、
 手を引いて歩いていた橋の上から、その子を川に放り投げた」 「う」 
「本物の悪魔がYさんのところに現れたんだろうな・・・  
 子どもは亡くなり、Yさんは心神耗弱で罪にはならなかったが、
 精神科の病院に逆戻り、今も入院してる。
 私はこの件に関しては何もできなかったし、ずいぶん残念に思ってるんだよ」





白黒写真の話

2019.03.07 (Thu)
あ、どうも、よろしくお願いします。俺・・・いや、僕、ある大学の3回生で、
ミステリーサークルに入ってるんです。でね、このミステリーっていうのは、
推理小説のことじゃなく、ミステリーサークルとかに使うほうです。
つまり、謎ってことですね。これまで、いろんな活動をやってます。
テント持参で、青木ヶ原樹海の遊歩道を外れたところに泊まり込んだり、
去年の夏休みなんかは、北海道まで遠征して、UFOがよく見られると言われる
廃墟で夜明かししたりもしたんです。結果? いや、それが、
写真もビデオも撮ったんですが、おかしなことは何もありませんでした。
でね、すごく残念に思ってたんです。もうすぐ僕は就職活動でサークルを
引退しなくちゃなんないし、とうとう本物の怪異に巡りあうことは
できなかったなって思って。それで、先月の終わりごろのことです。

授業が終わってすぐ、サークル室に顔を出したんです。
僕らの大学はサークルの数が多いので、10人も入れないようなせまい部屋
なんですが、1、2回生が4人集まって、テーブルで何か見てたんです。
「何だ、面白いもんがあるのか」そう聞いたら、1人が、
「あ、○○先輩、この写真見覚えありますか?」って手渡してよこしたのが、
かなり古そうに見える白黒写真だったんです。「いや、知らんけど」
「僕がここに来たら、テーブルにあがってたんです。
でも、誰も知らないって言うし」で、その写真なんですけど、
フィルムを現像したもので、今はもうそんなことしてないですよね。
しかも白黒で、僕もよくわかりませんが、昭和の初めころのものじゃないかって
思いました。写っていたのは家の内部なんですが・・・

写真の構図が斜めにかしいでたんです。ほら、カメラをぶら下げてたときに、
間違ってシャッターが押されてしまったみたいな。
斜めに畳が写ってて、その上に箱、茶箱くらいの大きさのものが
何個かありました。画面から切れててはっきりしないけど、
見えてるだけでも3つはありましたね。「うーん、昔のもんだよなあ。
 そこの棚に、卒業した先輩たちが活動してたころのファイルが入ってるから、
 中から誰か出したんじゃないか」 「でも、こんな古いものがありますか」
「そうだなあ。あ、これでも、ちょっとしたミステリーじゃないか。
 この写真は何で、誰がどこを写したもんなのか、みなで探ってみようぜ」
・・とは言ったものの、たんなるその場の思いつきで、実際は、
その場にいないメンバーが後で、「あ、僕の忘れものです」

ってオチだと思ってたんですけど。ともかく、その写真を視聴覚室に持ってって、
コピーしてみなに配りました。で、僕だけは実物を教科書に
はさんで持ち帰ったんです。その後、居酒屋のバイトに行って、
部屋に帰ってきました。翌日は授業がなかったん缶ビールを何本か飲み、
そのときにこの写真のことを思い出して出してみました。
そしたら、違和感を感じたんです。なんか大学で見たのと違う気がする。
でも、具体的にどう違うか言えないんですね。そもそもがそんなによく見た
わけでもないので、気のせいだとも思ったんですが。
写真に写ってるのは、さっき話したように畳があるので一般家屋でしょう。
箱はかなり大きく、表面は黒い木のように見えました。
あと、背景に和ダンスらしきものがちらっと写ってて、それだけ。

これじゃあ手がかりはないも同然ですよね。あきらめてシャワーを浴びて寝ました。
翌日、大学のサークル室に行きました。やはり後輩が何人かいて、
前日いなかったやつに写真のことを聞いても、「知りません」という返事。
そのうちに前日のメンバーのうち2人が来たんで、「何かわかったか」と
言ったんですが、首をふるだけでした。今はほら、ネット時代で、
画像検索すればすぐに出てきますよね。例えば写真を加工して、
幽霊やUMAを入れても、それが入ってない元画像が特定されちゃいます。
今度の東京オリンピックの最初のシンボルマークも、
画像検索から盗作疑惑が持ち上がったわけでしょ。ところが、
こういうフィルムの白黒写真って、どうやっても調べようがないんですよね。
ネット時代になって、謎や不思議がどんどん失われていってるんです。

そんな感じで、あきらめたというか、関心をなくしたというか、
写真のことは頭から消えてったんです。でね、最初に見てから5日目かな、
後輩から、「△△が授業に出てこないし部屋にもいないみたいだ」って聞いたんです。
そいつ、1回生で、あの写真をコピーして渡した一人なんです。
1回生は、僕らと違って毎日授業があるから、いないとすぐわかるんです。
「ちょっとマズいな」と思いました。僕らの大学はマンモス校で、
田舎から出てきたやつが、馴染めないでやめちゃったりすることも珍しくは
ないんです。「田舎に帰ったかとかかなあ、スマホで連絡取れるか?」
と聞いても、「できません」ってことでした。でも、それ以上どうにもできない
ですよね。僕らは身内じゃないから、捜索願いってわけにもいかないし。
いや、あの写真と関係があるとはまったく考えませんでした。

でね、その日もバイトから帰って酒飲んでるときに、ふっと写真のことを
思い出したんです。えっと、どこにやったか。あ、そうだ確か机の引き出しに・・・
出してみて、「え!」と思いました。ほら、箱があるって言ったでしょ。
その一番手前のやつのフタが、ほんの少しだけずれてたんです。
中は暗く、何が入ってるかはわかりませんでした。でもねえ、
写真が動くなんてありえないですよね。だから、自分の勘違いかと思って。
それで翌日、朝の9時前、最初に写真を見た後輩たちに連絡をとって
招集をかけたんです、4時にサークル室に写真のコピーを持って集まれって。
その時間になって4人ともやってきたんで、まず△△のことを聞いたら、
消息不明のままでした。それから、「なあ、この写真変だろ、フタがずれてるように
 見えないか」そう言って、それぞれのコピーと比べてみたんです。

やっぱり僕の持ってる1枚だけが違ってました。でもね、
それを元にコピーしたんだから、違うはずなんてないでしょ。そしたら、
1回生の一人がこんな話を始めたんです。「じつはですね、僕、進学塾が△△と同じで、
 大学合格が決まった春休みに、心霊スポット探索に行ってて。そこ、
 郊外にある民家の廃墟なんですけど、もしかしたらその写真かもしれないです」
「え、箱があったのか」 「いえ、全部の部屋回ったんですが、こんなのはなかったです。
 ただここ、ちょこっとタンス写ってますよね。それがなんとなく見覚えあるような気も」
「うーん、お前ら、その民家、荒らしたりしたか」 「・・・僕はそうでもなかったけど、
 土足で入ったのはそうだし、△△は大学合格でテンションが上ってて、
 そこらの壁や障子、それから仏壇とかも蹴ったりしてました」 「そこ、今もあるのか」
「それが地元に連絡取ったら、もう取り壊されてなくなったみたいだって言うんです」

これだけだと何とも言えないですよね。とにかく、コピーは全部集めてシュレッダーに
かけたんです。で、手元に残ったのは僕が持ってる1枚だけ。
その後輩には、民家から写真を含めて何か持ち出したりしてないか聞いたんですが、
首を振るだけでした。・・・これでほとんど話は終わりなんです。
△△は、その後3日たっても消息不明で、僕らが大学の事務局に話をして、
実家に連絡をとってもらいました。驚いた両親が駆けつけてきて、
部屋を確認して警察に捜索願を出したんです。その過程で、僕も両親と話したんですが、
写真のことは言えなかったんです。だって、関係ないと考えるのが普通ですからね。
あとは、僕が持ってる写真だけです。その騒ぎの間にも、
フタは少しずつずれてったんです。いや、怖いは怖いですけど、
どうなるのかと思って、時間があると見てたんですよ。

僕が見てる間は写真が動くなんてことはないです。ただ、寝て起きたときに見ると、
やはり前日よりほんのわずかずれてる。で、この写真、右手のほうから光が入ってて、
フタがずれるたびに、中がぼんやり見えてきたんですよ。
これ、手に見えませんか。えーとあの、屈葬って言うんでしょうか、
両手で膝を抱えた状態で、上向きに箱の中に裸の人が入ってるような。
はい、あれからさらにずれて、もうすぐ胸の上が見えそうですよね。
これもし△△だったとしたら、僕はどうすればいいんでしょうか。
民家の廃墟のことは確認しました。たしかに解体されてて、
空地になってるそうです。だからもし、この写真がその家の中だとしても、
行くことはできないんです。え、写真をここに置いていけって。
・・・やっぱりそうですか、わかりました、後のことはよろしくお願いします。

タイトルなし




パイドパイパー伝説

2019.03.07 (Thu)
アーカイブ29



今日は少し趣向を変えて、西洋のお話です。ヨーロッパの古代から
中世にかけては、伝説なのか史実なのか、どちらとも定めがたい話が
多く残っています。これは日本でもそうだと思われるでしょうが、
向こうは多民族で土地も広大であり、国境を超えた移動や支配層の変化、
宗教的価値観の変容などのスケールが島国の日本とは違っていて、
追っていくのがかなり大変なんです。

さて、The pied piper というのは英語で「まだらの服を着た笛吹き」
ということです。まだらの服というのはピエロが着る服のことでしょうか?
そういうイメージで描かれた挿絵が多いようです。
本来これはドイツの話で、『グリム童話』でも取り上げられています。

「ハーメルンの笛吹き」といったほうが有名でしょう。
ハーメルンはドイツの町で、ざっと歴史を見ましたが、
キリスト教の影響下に中世に建設されているようです。
さて、ハーメルンの笛吹き伝説はご存知でしょうが、だいたいこんな話です。

『町でネズミが増え、その害に苦しんでいたところ、まだら服を着た男が現れて、
市長に駆除を持ちかけた。男は笛を吹きながら町を練り歩き、
するとたくさんのネズミが現れて男の後についていき、川に導かれて溺れ死んだ。
男が報酬を要求すると、市長は言をひるがえして金を出し渋った。

男は1284年6月26日に再び現れ、町の大人が教会に行っている間に、
通りを笛を吹いて歩き、その後を今度は町の子供たちがついていった。
男は子どもたちを洞窟に入れ、そのまま蓋をしてしまったので、
再び親元に帰ることはなかった。』


この話で特異なのは、事件が起きた年月日が明確に記されていることです。
民話や童話というのは、その出来事が「いつ」起きたかということが
ボカされているのが普通で、そうでない場合、
やはり何かの事件・事故が、実際に起きている可能性が高そうです。



これは、1300年頃にハーメルンのマルクト教会に設置されていた、
ステンドグラスに書かれた文章が元になっているためで、
このステンドグラスは1660年に破壊されてしまったんですが、
その内容に言及した書物は多数残っています。

『1284年、聖ヨハネとパウロの記念日6月の26日 
色とりどりの衣装で着飾った笛吹き男に
130人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され、
コッペンの近くの処刑の場所でいなくなった』

コッペンというのは「丘」を表すドイツ語で、
ハーメルン市の郊外と考えられますが、場所は特定できません。
この文章を読んで考えることは、まず「聖ヨハネとパウロの記念日」という語ですね。
この2人は4世紀頃にローマで殉教したキリスト教の聖人で、
話はキリスト教に関係があるのかもしれません。

それと、大人の多くが教会に行っていて、
子どもだけが町に取り残されていたというのは、ありそうな気もします。
「処刑の場所」という語から、子どもたちの死が連想されます。
あと、「ネズミ」について言及がないのに気づかれた方もおられるでしょう。

ネズミのことが話につけ加えられたのは16世紀末頃で、
それ以前の記録には登場しません。ですから、ネズミについての考察は、
とっぱらってしまってもいいような気がします。ヨーロッパでネズミといえば、
自分なんかは怖ろしいペストを思い浮かべてしまいます。

実際、「ペスト(やそのたぐいの伝染病)から子どもらを守るため、
離れた場所に隔離した」というような説もあるんですが、
1284年はヨーロッパのペスト大流行以前なので、
これは考慮しなくていいように思います。

ヨーロッパでのペストの蔓延はこの伝説ができた後のこと


それと、「子ども」がどのような年齢層を指しているのか、も疑問です。
童話ではかなり年齢層の低い、幼児や小学生の話として描かれていて、
そのイメージが強いのですが、もしかしたら「子ども」は比喩で、
若い世代という意味なのかもしれません。

「少年十字軍」という話があります。『フランスやドイツにおいて、
神の啓示を受けたとする少年エティエンヌの呼びかけにより、少年・少女が
中心となって結成された数千から数万と考えられる十字軍。1212年の
フランスの少年十字軍では、少年少女が十字軍として聖地奪還に向かう途中、
船を斡旋した商人の陰謀により、アレクサンドリアで奴隷として売り飛ばされた。』


少年十字軍


これだけ読めばセンセーショナルな話なのですが、現在の考察では、
少年もいたものの、大人も多く混じっていた民衆十字軍と考えられることが多いです。
後世にこれを記録した者が、少年少女が中心の話にしたほうが
感動的であると考え、その形で広まっていったわけです。ですから、
ここで書かれている「子ども」も、青年層という意味なのかもしれませんね。

この話の解釈として、代表的な説をあげてくと、
まずは事故説です。子どもらだけで何かの活動をしていたとき、
事故に巻き込まれてしまったということですね。ヴェーザー川で溺死したとする説、
土砂崩れにより死亡したとする説などがあります。

「洞窟に閉じ込められた」という童話の部分から、これもありそうな
気はしますが、それにしても130人という犠牲者の数は多いです。
それと、不幸な出来事ではあるものの、純然たる事故なら加害者はいないはずで、
個人の不名誉や高位の者に対するはばかりがないのならば、
なぜ顛末がもっと詳しく記されなかったのだろう、とも思います。

次は、笛吹き男は精神異常の小児性愛者で、子どもらはその犠牲になったとする説。
これも、130人という人数は、一人の人間の(あるいはグループだったとしても)
犠牲者としては多いような気がします。まあ確かに、
フランス15世紀のジル・ド・レイは、黒魔術的儀式と小児性愛のため、
150~1500人という数の犠牲者を出しています。

多数の領地の少年を殺害し「青ひげ伝説」を残したジル・ド・レイ
タイトルなしsd

関連記事 『彼方からの声』

しかし、ジル・ド・レイの頃とは領主権の強さも違っていたと考えられますし、
もし笛吹き男がそのような極悪犯罪者であったのならば、
そっちのほうがもっと怖ろしい伝説として残るような気がしますね。
ジル・ド・レイの青ひげ伝説のようにです。ところが、笛吹き男の場合は、
極悪人という書き方にはなっていません。

次は、何らかの巡礼行為か軍事行動、あるいは新規の少年十字軍運動に、
子どもらが自分の意志で加わったとする説。しかし十字軍的なものであったのなら、
もっと周囲の町を巻き込んでいたでしょうし、
遠征した先の記録に残っていそうなものです。

次は移民説で、これはかなり現実的な解釈で、定説と言ってよいと思います。
青年たちが、東ヨーロッパの植民地で彼ら自身の村を創建するために、
自らの意思で両親とハーメルン市を見捨てて去ったという内容です。
ハーメルンと東ヨーロッパ植民地には類似対応する地名があり、信憑性が高いです。

この当時のドイツはおそらく長子相続で、
次男三男以下は農奴のような扱いを受けていたと考えられ、
故郷を捨てて希望の第一歩を踏み出した、という解釈は妥当である気がしますね。
14世紀のペスト大流行以前の、人口が増えていた頃の話ですから。

Wikiの記述に、
『ハーメルンの旧家の壁から発見された文章の述べるところによれば、
1284年7月26日に、笛吹き男が130人の子供を街の外へ連れ去り、
おそらくはその笛吹き男はモラヴィア(現在のチェコ共和国の一地方)
への植民運動を組織していたオロモウツ(チェコの都市)の司教、
ブルーノ・フォン・シャウンブルクの代理人であったという。』
と出てきます。

原資料にはあたれませんが、いかにもありそうな話ではあります。
パイパーは移民の斡旋人、世話役のような人物であったのかもしれません。
ただ、移民が強制的なものではないのなら、一度きりではなく、
何次にもわたる流れがあったと考えるほうが自然で、このあたりのことは、
調べれば近隣の都市からも、まだ資料が出てくる可能性が高いと思われます。

最後は、超自然的事件説・・・悪魔などに連れ去られたというものですが、
オカルトブログですので、これも加えておきましょう。
さてさて、現在のハーメルンは、この「笛吹き男」の話で国際的に有名で、
市には「舞楽禁制通り」というのがあるそうです。
笛吹き男に連れられた子どもたちが歩いていった道というわけですね。
お土産の、ネズミを模った堅焼きパンも有名です。

ハーメルン名物、ネズミのパン





アメリカ オカルト裏観光2

2019.03.06 (Wed)
どうせ始めてしまったので、しつこくこの話題を続けます。
今回はどこに行きましょうかね。前にご紹介した「マダム・ラローリーの館」
と並ぶ幽霊屋敷と言われているのが、カリフォルニア州、サンノゼにある
「ウインチェスター・ミステリーハウス」です。ここは、
サンフランシスコに近く、たいへんに気候のいいところです。

sdrt (7)

さて、この屋敷ですが、実際に邸内で殺人が起きたりしたわけではありません。
屋敷そのもののつくりが奇妙で、それが話題を集めてるんですね。
この屋敷を建てたのは、サラ・ウィンチェスター。ライフル銃の製造で有名な、
実業家ウィリアム・ウィンチェスターの未亡人です。

サラ・ウィンチェスター
sdrt (6)

英語のWikiを見ると、1922年に82歳で亡くなっていますので、
まあ長生きした部類です。1866年に娘を若くして亡くし、
夫も亡くしたサラは悲嘆に暮れ、有名なボストンの霊媒師を頼ることになります。
この霊媒師について、自分は少し調べてみたんですが、
Adam Coons(アダム・クーンズ)という名前のようです。

行き止まりの階段
sdrt (2)

霊媒師と言ってもいろいろあるんですが、この人はスピリチュアル系で、
降霊会を開いていた記録が残っています。一般的に、アメリカの北部には
スピリチュアル系霊媒師が多いんです。で、サラはこの人物に、
「これまでウインチェスター銃で死んだ数多くの霊が、
あなたを不幸にしている」と言われます。

中空に開くドア
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そしてアドバイスとして、「西へ転居して家を建てろ、家の建造をずっと
続けていれば、霊たちはあなたに追いつけない」と言われるんですね。
それに従ったサラは、西海岸に土地を買い、1884年に家の建築を始め、
彼女が亡くなるまで、38年間続くんです。

家の部屋数は160とされていますが、数えるたびに違うとも言われます。
現在は4階建てで、隠し部屋や秘密通路、あるいは霊を迷わせるための、
どこにも行けない階段や、床についた窓などがあります。サラは、
一般的にアメリカでは不吉とされる13の数字が、幸運を呼ぶと信じていて、
ドアや窓、シャンデリアの灯りの数などが13個になっている場合が多いんですね。

クリストファー・チャコン
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あと、家の中には、入り口が1つ、出口が3つの部屋があり、
「seance room」と呼ばれ、彼女が霊と対話するためのものだったようです。
1990年代になって、ウインチェスター銃器製造会社の経営陣は、
Christopher Chacon(クリストファー・チャコン)という有名な心霊研究家に依頼し、
24時間体制で、300人のスッタフによる1ヶ月間の屋敷の調査が行われました。

この結果、数々の心霊現象が立証されたと言われます。
現在、屋敷は観光客に公開されており、13日の金曜日のツアーや、
深夜のツアーもあります。つねにこの屋敷に来ている観光ガイドの中には、
幽霊を目撃したという人も複数いるようです。

グルーム・レイク空軍基地(エリア51)
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次はどこにしましょう。UFO関連にしますか。これも有名な「エリア51」
アメリカ空軍によって管理されているネバダ州南部の一地区で、
正式名称は、グルーム・レイク空軍基地です。
現役の空軍基地ですので、もちろん中に入ることはできません。

つねに厳重警戒下にあり、警備兵の警告を無視して侵入しようとすると、
銃撃される可能性さえあります。アメリカのユーチューバーが
ガチで不審尋問を受けている動画が出ていますね。ホールドアップさせられ
身体検査されていました。ここでは主にステルス機の研究を行っているようですが、
数々のオカルトな噂があるのはご存知だと思います。

歩哨に銃を向けられる
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いわく、「エイリアンの遺体が密かに運び込まれて解剖された」
「グレイと言われる宇宙人が滞在していて、地球人と共同研究を行っている」
などです。サイエンスエンタティナーを自称する飛鳥昭雄氏は、
ここで、三角形のプラズマ推進による戦闘機が作られていると述べています。

ただ、これらの話のほとんどは眉唾ものです。
立入禁止区域の外はそれなりに観光化されており、レストラン、バー、
モーテルなどがあるんですが、交通機関が車だけなので、
日本人が長距離ドライブして行くのは難しいと思われます。

エリア51近くの観光施設
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もう一ヶ所くらい紹介できそうですね。日本では、ホテルを舞台とした
怪談がいろいろありますが、アメリカでも、幽霊ホテルとされる
場所はいくつもあります。ホテルは年間ののべ宿泊者数が多く、それに歴史が
古いとなれば、そこで亡くなっている人の数はたいへんなものになります。

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さて、どこがいいでしょう。日本のフジテレビ系列の番組、
「世界の何だコレ!?ミステリー」で報道された、アリゾナ州フラッグスタッフ
にある「ホテル モンテビスタ」がいいでしょうか。
かなりの歴史があるホテルですが、42室と部屋数は多くはありません。

アリゾナ州というと、サボテンとガラガラヘビのイメージがありますが、
昔は映画撮影が盛んだったんですね。その多くは西部劇です。
あと、『カサブランカ』の撮影にも使われ、そのときにハンフリー・ボガート
が泊まったという部屋もあり、彼の名前がついています。
また、ジョン・ウエィンもここで幽霊を目撃しているそうです。

ホテル モンテビスタ 『エルム街の悪夢』のフレディの部屋
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幽霊はたくさんおり、開拓時代の銀行強盗や、赤ちゃん、昔の制服を着た
ドアボーイ、シャンデリアの上から生肉を垂らしてくる肉男?
などがいるようです。ラップ音やひとりでにシーツが持ち上がる
ポルターガイスト現象が頻繁に起きているということです。
ただここも、日本からのアクセスは大変そうですね。では、今回はこのへんで。

関連記事 『アメリカオカルト裏観光』

エリア51で捕獲されたエイリアン(もちろんフィギュアで、通販で買えます)





アメリカで最も怖い都市

2019.03.05 (Tue)
今回はこういうお題でいきますが、ここでいう「怖い」は、
現実の犯罪があって怖いということではなく、オカルト的な意味です。
さて、みなさんはどこを思い浮かべられるでしょうか。
なかなか難しいんですが、アメリカ人に聞けば、
ニューオーリンズと答える人が多いんじゃないかと思います。

ニューオーリンズのヴードゥーショップ
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この間、「アメリカ裏オカルト観光」という記事を書きましたが、
あの中の、アメリカ最恐の幽霊屋敷と言われる「マダム・ラローリーの館」が
あるのがニューオリンズの街です。読まれていない方のために簡単に説明すると、
19世紀、当地の社交界の花形であったラローリー夫人が、その邸宅で、
たくさんの黒人奴隷を拷問・殺害していたのが発覚したんです。

その数は100人を超えるとも言われています。実際、邸宅が改修されたとき、
床下から75人の遺体が発掘されているんです。では、なぜラローリー夫妻は
奴隷を惨殺していたのか? 根底に、サディズムによる快楽殺人が
あるのは間違いないですが、それだけでは説明が難しい。

マダム・ラローリーの館 内部


ラローリー夫人の夫は医師でしたので、人体実験などとも言われましたが、
ラローリー医師は脊椎が曲がった患者の骨の矯正が専門で、
外科手術をしていたわけではありません。それに、奴隷の遺体の中には、
まぶたや口を黒糸でぎっちり縫われたものがあり、
これはヴードゥー人形に見られる特徴です。

ヴードゥー人形


みなさんの中には、ニューオリンズと聞けば、ディキシーなどのジャズを
思い浮かべられる方が多いでしょうが、じつは、ニューオリンズのある
ルイジアナ州は、アメリカで最もヴードゥー教が盛んな地なんですね。
ルイジアナ州の歴史は複雑です。長くスペイン、フランスの植民地であり、
1803年、ナポレオン皇帝によってアメリカに売却されました。

ルイジアナ州


その過程で、カリブ海の国ハイチから大量の移民が来ています。
そのとき、アフリカ由来の民間宗教であるヴードゥー教が持ち込まれました。
ルイジアナ州はメキシコ湾に面し、アメリカの中では
ディープサウスと呼ばれる地域です。赤道に近く、気候は高温多湿で、
たびたびハリケーンの被害を受けています。

たいへん住みにくい場所で、白人はプランテーションに入植したがらず、
黒人奴隷の労働によって発展してきた州なんですね。
州都はバトンルージュ市なんですが、日本ではあまり知られていません。
そして、最大の市がニューオリンズです。

『エンゼル・ハート』のヴードゥー儀式のシーン


さて、ジャズとヴードゥーですが、これも深いついながりがあります。
みなさんは、1987年、ミッキー・ロークが主演したアメリカのホラー映画、
『エンゼル・ハート』をごらんになったでしょうか。あの中で、
ジャズクラブで歌うのを仕事にしているヒロインが、ヴードゥーの儀式にも
参加していて、鶏の首を切って全身に血を浴びているシーンがありました。

また、ディキシーランド・ジャズのスタンダード「聖者の行進」は、
もともとは葬送のときの黒人霊歌で、ヴードゥーと関わりのあるものです。
ニューオリンズでには、ジャズクラブとともにヴードゥーショップも
たくさんあり、下の画像の「ヴードゥー博物館」は観光名所になっています。

ヴードゥー博物館
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さらに、ニューオリンズには吸血鬼伝説もあります。
ただ、ここのヴァンパイアは、普通の人間に混じってひっそり暮らしており、
自分たちのコミュニテイを持っていると言われています。
どうしてニューオリンズにバンパイア伝説があるかというと、
アメリカの他の地域と、墓地の形式が違っている点が大きいでしょう。

ニューオリンズは皿のような地形で、海面より低い場所が多いんですね。
ですから、遺体を地中に埋葬すると、洪水のときに水浸しになってしまいます。
そこで、墓地では地上に埋葬室を設け、棺はその中に収められます。
街最大の「ラファイエット墓地」も観光名所で、
アメリカで最も幽霊の姿が目撃される場所と言われます。

ラファイエット墓地
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トム・クルーズが主演した1994年のホラー映画、
『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』は、この墓地でロケが行われました。
あと、カリブ海に近いため海賊の伝説もあります。海賊といえば、
ディズニー映画、『パイレーツ・オブ・カリビアン』のシリーズが有名ですが、
実際の海賊は残虐で、上陸して都市を襲撃することもあったんです。

最後に、この地をたびたび襲うハリケーン。2005年のハリケーン、
カトリーナでは、ニューオリンズの陸上面積の8割が水没して、
1600人近くが亡くなっていますが、このときの幽霊も、
夜になると出てきて街路をさまよい歩くとささやかれます。

さてさて、ということで、ニューオリンズはジャズ、ヴードゥー、幽霊、
ヴァンパイア、海賊などが渾然となった、アメリカで最も怖い都市なんですね。
アメリカの国内旅行を調べてみると、「ニューオリンズ・ゴーストツアー」
のようなものがたくさんあります。あと、アメリカ北部の人間は、
ルイジアナのようなディープサウスに、潜在的な恐怖を持っていると言われます。

『2000人の狂人』


1964年のハーシェル・ゴードン・ルイス監督によるホラー映画、
『2000人の狂人』は、世界初のスプラッタとされますが、
その筋は、南北戦争のときに滅ぼされた南部の住民が
集団で怨霊となってよみがえり、北部からの旅行者を次々と惨殺し、
バーベキューにして食べてしまうという内容でした。

じつは、アメリカ映画にはこの手のパターンのものがけっこうあるんですね。
南北戦争と奴隷問題が、アメリカの歴史に暗い影を落としている
ことがわかります。日本からニューオリンズまでは24時間以上かかると
思いますが、機会があったらぜひ訪問されてみてください。
では、今回はこのへんで。

関連記事 『アメリカオカルト裏観光』




ケツァルコアトル伝説

2019.03.05 (Tue)
アーカイブ28

ケツァルコアトル神
はんsき

前に「ココリットリって何?」という記事を書きましたが、
その続きみたいな内容です。ただし「伝説」とあるのに留意してください。
まず、ケツァルコアトルというのはメソアメリカ文明で広く信じられていた神です。
アステカ文明ではケツァルコアトル、マヤ文明ではククルカンと呼ばれましたが、
同じ神と考えられています。その姿は羽毛を持つ白い蛇です。
人類に文明を授けた文化神であり農耕神、また風の神、金星の神など、
多様な神格を持っていました。

メソアメリカ文明


メソアメリカは多神教で、この他にもさまざまな神がいるんですが、
ケツァルコアトルのライバルとして登場するのが、テスカトリポカです。
黒いジャガーの姿で描かれ、戦闘、夜、月などを司っていました。
アステカ文明では太陽を信仰して、消滅することがないよう多数の生贄を
捧げていましたが、創世神話ではケツァルコアトルとテスカトリポカが、
交代で太陽を務めたことになっています。

ケツァルコアトルは平和の神ともされ、生贄の儀式を好まず、
人々に人身御供をやめさせたとされます。そのため、
生贄が大好きなテスカトリポカのうらみを買い、呪いのかけられた酒を飲まされ、
大暴れしたあげくに、自分の妹と近親相姦のタブーを犯してしまいます。

そしてアステカの地を追放されてしまうのですが、このとき、
自らの宮殿を焼き払って財宝を埋めた後、「自分は一の葦の年に帰ってくる」
という予言を残し、何羽もの美しい鳥となって空へ舞い上がったと言われます。
一の葦の年はアステカ暦で1519年でした。

ケツァルコアトルの使いとされるケツァール鳥


さて、アステカ帝国はモクテスマ2世の治世。アステカ第9代の君主で、
1502年、テノチティトランにおいて35歳で帝位につきました。
アステカの皇帝はみなそうでしたが、彼もまた優秀な神官でもありました。
その治世は最初のうちは平穏でしたが、1510年頃から、
北の夜空に彗星が現れたり、火山が爆発しテスココの湖が煮えたぎるなどの、
不吉な出来事が起こり、彼を悩ませていました。

そして運命の1519年、一人の男に率いられた軍勢が、キューバを経て
メソアメリカの地へと上陸します。男の名はエルナン・コルテス。
スペイン人のコンキスタドール(征服者)の一人です。
その評判は、母国スペイン以外ではあんまりよくないですね。

エルナン・コルテス


女好き、アステカ帝国を滅ぼした文化破壊者、略奪者、「黄金に飢えた豚」
とまで言われたりします。まあ、これは当たっていなくはないんですが、
コロンブスらがその価値を認めなかったカカオ豆に注目して積極的に持ち帰り、
世界にチョコレートを広めた、などという一面もあるんです。

そして、この時代のスペイン人ならあたり前ですが、
それなりに敬虔なキリスト教徒でもありました。
さて、コルテス軍はアステカと敵対していたトラスカラ王国と戦闘して
これを降伏させ、11月、首都テノチティトランへ到着しました。

これに対し、白い肌のコルテスら一行を、
白い神ケツァルコアトルの化身と考えたモクテスマ2世は、
抵抗することなく、「国をお返しします」と言って歓待し、神殿を案内して
血まみれの祭壇や、生贄の心臓をのせた銀の皿などを見せました。

モクテスマ2世


ところが、コルテスの反応は意外でした。コルテスはモクテスマに生贄のような
野蛮なことはやめるように言い、神殿の祭壇に駆け上ると、
「これは悪魔だ」と叫びながら神像をみな蹴落としてしまったんです。
呆然とするモクテスマに対し、コルテスは神殿に聖母マリアの像を祭るように求め、
モクテスマはただただ困惑するばかりでした。

このあたりは皮肉だなあと思いますね。
長い追放から帰ってきたケツァルコアトル神は、
なぜか、聞いたこともない異国の神を信仰するよう強要してきたんですから。
この後、コルテスの部下がアステカの神官や貴族を虐殺して民衆の反感を買い、
その仲裁を頼まれたモクテスマは、民衆から投げられた無数の石で頭部を負傷して
翌日に死亡。コルテス一行は命からがらテノチティトランを逃げ出します。

アステカでは新しい皇帝クィトラワクを立て、コルテス軍との対決姿勢を強めました。
トラスカラで軍を立て直たコルテスはテノチティトランを包囲。
1521年、病死したクィトラワクに代わって即位していた
皇帝クアウテモクを捕らえ、ここでアステカは滅亡します。そしてこの後、
疫病「ココリットリ」の大流行によって、当時の中央アメリカの
人口の80%にあたる1500万人が命を落とすことになるわけです。

関連記事 『「ココリットリ」って何?』

さてさて、ざっと説明してきましたが、最初に書いたようにこれは伝説です。
「一の葦の年に帰ってくる」という言い伝えによって、
コルテスらがケツァルコアトル神の化身とされ、
そのためにアステカが滅びたという話には大きな疑問符がつきます。
せいぜい初動が遅れた程度だったと思われます。
また、アステカにはケツァルコアトルへの生贄についての記録や遺跡などが多数あり、
生贄に反対する神話が書かれたのはコルテスによる征服後だと推定されています。

最後に、当時のキリスト教は苛烈な一神教であり、
改宗しない異教徒に対して厳しい態度で臨みました。ですから、
ペルーのインカ帝国を滅ぼしたフランシスコ・ピサロなどもそうですが、
征服には、キリスト教の神の勢力版図を広げていこうとする意図があったんですね。
どのみち異教徒は地獄に落ちるんだから、虐待してもかまわないというわけです。

関連記事 『黄金郷伝説』

これと同じ頃、日本にもフランシスコ・ザビエルなどの宣教師が来航していましたが、
多数の日本人子女が、奴隷としてポルトガル商人に
買い取られていったという記録が残っています。
異教の国の全ての領土と富を奪い取り、その住民を終身奴隷にしてもよいという
権利書を、15世紀にローマ教皇ニコラス5世が
ポルトガル王に発行しているんです。ご存知だったでしょうか。

異教徒の地を武力で次々征服し、奴隷貿易にも関わったキリスト教国と、
生贄の心臓を生きたまま抉りとって神に捧げていたアステカ文明と、
どっちがより野蛮で非道だったのか、これはなかなか難しいところです。
では、今回はこのへんで。

関連記事 『パイドパイパー伝説』

じぇかい





ピタゴラスと数秘術

2019.03.05 (Tue)
アーカイブ27



今回はこのお題でいきます。現代における数秘術(Numerology)とは、
数によって行う占いのことで、生年月日や名前の画数などを
使うものが知られています。この数秘術の一部分は、
自分がやっている占星術にも取り入れられているんです。
古代ギリシアにおいて、あの3平方の定理で有名なピタゴラスによって始められ、
プラトンがその内容を発展させたとも言われています。

『ハリー・ポッター』のシリーズで、ホグワーツで実施される科目の中に、
「数占い(Arithmancy)」というのがあり、ハーマイオニーが、
その内容をとても気に入っているというセリフが出てきていましたが、
この数占いも数秘術から派生したものと思われます。
数秘術はいちおう学問とされますが、宗教や魔術と深いつながりがあります。



さて、ピタゴラスは紀元前6世紀から前5世紀あたりの人で、
その頃日本はまだ弥生時代でした。
日本の弥生時代には文字はありませんでしたが、
古代ギリシアは古くから文字と著作が発展していました。

ですが、ピタゴラスについては、その思考や生涯を書いた資料って、
ほとんど残ってないんです。これはわざとそうしていたんですね。
ですから、以下に書くことはあくまでも伝説で、
学問的な根拠はありませんので、そのつもりでお読みください。

ピタゴラスは自分の教団を主催して、数百人の信徒と共同生活を送っていました。
教団は原始共産制をとっていて、入るためにはまず自分の全財産を教団に
寄付します。これは、大事件を起こしたオウム真理教もそうでしたね。
じつはピタゴラス教団って、オウム真理教事件といろいろ共通点があるんです。

まず、教団内で得られた知識は、絶対に外部に漏らしてはいけない
とされました。もし漏らした場合は死刑、
船の上から海に突き落として殺したとも言われます。
また、教団の教えを文字に書いて表すことも厳禁でした。

このため、上記したようにピタゴラスの思想は、
ほとんど現代に残っていないんです。
すべては師から弟子に口伝で継承されたんですね。
ピタゴラスの肖像画や彫像のたぐいも、当時のものは一切ありません。

さて、この宇宙は数によって支配されているというのが、
ピタゴラス教団の教えの根源で、「万物は数なり」という言葉で表されます。
何気ない自然の現象も、その裏には数の法則が隠されており、
それを明らかにしていくのが教団の使命と考えられていたんです。

例えば、理性は1、女性は2、理性+女性=1+2=3、3は男性を表します。
逆に言えば、男性から理性を引いたのが女性というわけです。
これはずいぶん失礼な話ですね。そして、3(男性)+2(女性)=5(結婚)
まあ、すべてはこんな感じで数に関連づけて考えられていたようです。
音階を発見したのもピタゴラスである、と言われたりもします。

ギリシアの音楽といえば、竪琴(ハープ)のイメージがありますが、
ピタゴラスは、弦の長さの比が簡単な整数比のときに、
発する音がよく調和することに注目し、音階の概念をつくり出したんだそうです。
ピタゴラス教団では、この世のすべては数であり、
あらゆることが、整数とその比(有理数)で表されると考えていました。

ところが、ピタゴラスの定理において、等しい辺が1である直角二等辺三角形の
斜辺の長さは√2ですよね。(下図)√2は無理数といって、1,41421356・・・
と、分数でも少数でも表すことができない数になってしまいます。
これは教団の根本原理からいって、たいへんにマズイことになるんですね。

皮肉にも、自分が発見した定理により、
教団の思想の根本が否定されてしまうわけですから。
そこで教団では、無理数を発見した弟子を処刑し、
無理数の存在を闇に葬り去ろうとしたということになっています。



さて、ピタゴラス教団は有力者の後援をえて栄えていましたが、
その有力者が政争に巻き込まれて失脚。そこで、かつて教団のテストに
不合格になって恨みを持っていた者に扇動された市民が暴徒化し、
ピタゴラスをはじめ教団員はほとんど殺されて壊滅した・・・

さてさて、もう一度おことわりしておきますが、これらは後世に広まった伝説で、
実際にあったことかどうかは、はっきりとはしていません。
ピタゴラス教団の象徴的なマークは五芒星(pentagram)でした。
これは当時ギリシアで信じられていた、
この世の源ととなる五つの元素を表しているようです。

五元素とは、「火、空気(風)、水、土、エーテル」などと言われたりしますが、
この他にも様々な説があります。五芒星は後世において魔術の象徴とされましたし、
日本でも「安倍晴明紋」として呪術的な意味を持つものとなっています。
では、今回はこのへんで。

五芒星 と安倍晴明紋(桔梗紋)






旅行の話 2題

2019.03.04 (Mon)
前にも少し書きましたけど、自分が怖い話のブログをやってることが
知られてきて、それと同時に怖い話が集まってくるようになりました。
いや、怖いというのとはちょっと違うかもしれません。
どっちかというと、どうやっても説明がつかない奇妙な話が多いんですね。
今回は、そういう話を2つご紹介していきたいと思います。

修学旅行
これは、50代の女性の服飾デザイナーの方からお聞きしたものです。
名前を聞けば誰でも知ってるような、たいへん高名な方ですので、
仮に山根さんとしておきます。JR大阪駅近くのお寿司屋さんで話を伺いました。

そうですね、そんなに怖いってわけじゃないけど、
奇妙な話なら ないこともないです。私が中学校のときだから、
もうずいぶん前になりますね。私、中学校は私立で、ミッション系の女子校
だったんです。それで2年の秋だったかな、関東方面に3泊4日で
修学旅行に行ったんです。東京で2泊して鎌倉で1泊。
その鎌倉の旅館でのことなんですよ。それでね、娘の話なんか聞くと、
今の修学旅行はホテル泊みたいなんですね。友だちと2人部屋に泊まったって
言ってました。でも、私のころは古ぼけた旅館に、1部屋8人くらいが
雑魚寝でした。今考えると、修学旅行客専用の旅館だったんでしょう。
どうなんでしょうね、ホテルはホテルでいいかもしれないけど、
大勢で枕投げしたりするのも楽しかったですね。

引率の先生方はシスターだったんですけど、消灯のときに見回りに
来ただけで、あとはうるさいことはなかったんです。ですから、
誰も寝ないでずっとだべってました。最後の1泊でしたから。
それでも、1時を過ぎたあたりから1人寝、2人寝して、起きてるのは
私と親友のYさんだけになったんです。で、私たちもそろそろ寝ようかって
なったときに、押入れから音が聞こえたんです。
はじめに気がついたのは、その押入れの一番近くに寝てたYさんです。
「なんか変な音するんだけど・・・」って言い出して。最初、私を怖がらせようと
してるんだと思ったんですが、耳を澄ますと、たしかに奇妙な音がしたんです。
押入れの中だからくぐもってるんだけど、パンパンと手を叩くような。
でもまあ、何かの振動が響いてるとかだと思いますよね。

それがだんだん、笑い声とかも混じって聞こえてきて。子ども・・・幼児の声だと
思いました。押入れの中から。さすがにありえないですよね。
怖くなったYさんが起き上がって、私をまたいで押入れから離れちゃったんです。
「ちょっと待ってよ」私も起きたんですが、そのときに、
「キャハハハ」って声が大きく聞こえました。Yさんが電気をつけて、
寝ていた他の子たちが身じろぎしはじめました。Yさんは、「幽霊だよ、
 怖い。シスター呼んでくるから」そう言って部屋から出ていき、
私も1人は嫌なのでついてったんです。先生方の部屋の戸をどんどん叩くと、
ややあって眠そうな様子のシスターが出てきました。Yさんが、
「部屋の押入れに幽霊がいます」って言うと、シスターは笑い出しましたが、
私たちと一緒に部屋まで来てくれたんです。

電気がついてても、他の子たちはみな寝てましたが、押入れが、
中から手のひらで押してるみたいにたわんでました。私が「あの中です」
と指差すと、さすがのシスターも、少し表情がこわばったように思いました。
でも、ゆっくり押入れに近づいていって、開けようとしたそのとき、
パンと、ひとりでに戸が開いたんです。中から、小さい男の子が2人
走って出てきました。シスターは驚いて後ろに尻餅をつき、
私とYさんは必死でその子たちをよけました。そうですね、小学校前くらいの
子でした。それと、昔の絣の着物を着てたのをおぼえてます。
その子たちは、部屋の縁側のほうへ走っていって消えたように見えました。
シスターがなんとか立ち上がって、縁側を見たけど何もなし。
この騒ぎで何人か友だちが起きてしまいました。

それから、シスターは押入れの中を確かめたんですが、あまった布団が
積んであるだけでした。シスターは押入れの中に向かって十字を切り、
私たちが「怖い、怖い」と言うので、朝まで部屋にいてくれました。
その後は何もなかったんですが・・・朝になって、縁側に置いてあった
私たちのお土産の入った紙袋、それが踏みつぶされたようにグシャグシャに
なってたんです。でも全部じゃなくて、これは後でわかったんですけど、
前日はグループ行動で行き先が違ってて、お土産がつぶされてたのは、
鶴岡八幡宮に行った子たちのだけだったんですよ。不思議だと思いませんか、
ミッションスクールの修学旅行、神社への参拝、押入から出てきた昔の男の子・・・
何かつながりがあるような気もしますけど、よくわからない。こういうことに
お詳しいbigbossmanさんなら、説明がつきますでしょうか。

宿泊研修
この話は、岸本さんという、経理ソフトの開発なんかをしている方から聞きました。
岸本さんは40代の男性で、自分とは仕事上のつき合いはないんですが、
アクアリスト仲間なんです。よく行く熱帯魚屋さんで知り合いました。

怖い話ねえ、ないことはないよ。しかも親子2代にわたる話なんだ。
もちろん俺が体験したことだよ。俺と親父だな。俺、出身は〇〇県の△△市
なんだが、そこの市は、小学校5年生のときに、市営の少年自然の家に1泊で
宿泊研修があるんだよ。俺と親父は同じ小学校だったからね。
親子2代でそこへ行ったわけ。でな、野外にテントが100以上あって、
そこに寝るんだ。食事も野外炊飯。で、その宿泊研修の前日、
俺が嬉々としてリュックに荷物を詰めてると、親父が変なことを言い出した。
「おー少年自然の家、懐かしいな。父さんもそこ、5年生のときに行ったぞ。
 まだあのキャンプ場あるんか。ああ、そうだ、あそこ小人がいるから」
俺は「え?」と思って聞き返したのよ。そしたら、親父がキャンプ場近くの林で
オリエンテーリングやってたときに、足元の草むらに

何か動くものがいたんで、ズックでガッと踏みつけた。すると、
柔らかい足ごたえがあって、ズックを上げてみると小人がうつ伏せに倒れてた
って言うんだ。「それで、どうしたの?」って聞いたら、
「ピクリとも動かないから死んだと思ったが、そのままほっとけば
 マズいと考えて、ポンポン足で蹴って、ブナの木の根元に穴があったんで、
 そこに蹴り込んで落ち葉をかけておいた」こんなことを言ったんだよ。
まあな、いくら小学5年生でもそれは信じなかったな。
とぼけたところのある親父だったから、俺をかついでるんだと思った。
それで、「ブナの木って、場所わかるのか?」って聞いたら、
「ああ、あそこの木は種類ごとに説明の札がかかってるが、その木にも
 ブナって木札が下がってた」こんな話でな。

で、翌日になって、学校に集合してバスで行くんだが、その頃には、
俺は浮かれてて、親父の話はすっかり忘れてたな。1日目は、とにかく友だちと
テント泊するのが楽しくて、まったく思い出しもしなかったんだが、
2日目の午前中に、俺たちもオリエンテーリングをやったんだよ。
あのほら、地図をもらって、何ヶ所かあるポイントを回ってスタンプを押し、
戻ってくるタイムを競うってやつ。でな、そこの林、たしかに親父の言うとおり、
植物ごとに説明板がついてたんだ。それ見て親父の話を思い出してな。
でも、わざわざブナの木をさがすつもりもなかったんだ。
それが、通り道にあったんだよ。「ブナ」って下がってるかなりの大木が。
しかも根元のところがウロになってた。俺は友だちに「ちょっと待って」
って言って、しゃがんでのぞき込んでみたんだ。

中は枯葉がたくさん詰まってたから、木の枝を拾って枯葉をかき出してみた。
そしたら、奥のほうに白っぽいものがあったんだよ。
暗くてはっきりはしなかったが、ひとつながりの骨に見えた。
あのほら、人骨標本ってあるじゃない。そのミニチュアって感じ。
そうだなあ、大きさは15cmくらいか。でな、その骨の前に、
小さい、マッチ箱くらいの鳥居が建てられてたんだよ。俺、それ見て気味悪く
なってな。立ち上がって足で枯葉を埋め戻しておいたんだ。まあなあ、
小人なんているわけはないから、たぶんトカゲかネズミなんかの骨だとは思うけど、
ただ、鳥居を見たのもたしかなんだ。いや、あれから見に行ったことはない。
なんだか怖くて。あ、そうだ、bigbossman、お前こういうの好きだよな。
場所教えるから行ってみたら。もう30年はたってるが、まだあるかもしれん。






殺人鬼から生きのびる

2019.03.03 (Sun)
タイトルなし

今回はこういうお題でいきます。どういう意味かというと、
あなたが、例えば『13日の金曜日』など、連続殺人鬼ものの映画の
登場人物だったとして、どうすれば最後まで生きのびることができるか
ということです。ホラー映画には一定の法則がありますので、
それを逆手に取ることができれば、なんとかなるかもしれません。

その1、これはよく言われることですが、
「絶対に一人にならないこと」です。また、カップルだけというのも、
じつに危険なシチュエーションです。こういう映画で、まず最初に殺されるのは、
エッチをしようとして、2人だけで仲間から離れたカップルです。

そういう場合、最初に男のほうが殺られ、次が女というケースが
ほとんどなんですね。しかも男のほうは、殺人鬼の存在に気がついてさえ
いない場合が多い。これはどうしてかというと、
映画を作る側が、最初のうちは殺人鬼の姿を見せたくないからです。

どんどん強力になるジェイソン


よくあるパターンとして、バンガローかなんかにしけこんだカップルの、
男がドアを閉めようとしたときに、急に外から手を引っぱられ、
額に斧の一撃を受けます。このとき、殺人鬼の姿はわざと映さず、
振り下ろされる斧と、恐怖に目を見開いた男の顔のアップというのが定番です。

女のほうはベッドで男を待ってるわけですが、
一歩一歩女のほうに近づいてくる足と、血が滴ってる斧が映されます。
まだ殺人鬼の上半身は見えません。で、女が「ねえ、早く」とか言って、
そっちを見た瞬間、「ギャー」と言う悲鳴が上がります。
どっかで見た記憶のあるシーンですよね。

アメリカは、何事にもフリーだと思われるかもしれませんが、
意外にそうでもなく、宗教的な価値観から、いきなりエッチが始まるような
映画は不道徳だと考える人もそれなりにいます。それにどうせ、
映画のR指定(15歳以上とか)の関係で、なかなかエッチは成功しません。

あとそうですね、これはホラー映画だけじゃなくミステリでも言えることですが、
鍵がかかるからといって、一人ひとりが別々の部屋に入るのはマズい。
もしそういう提案があったら、全員が一ヶ所に固まって、
交代で見張りしながら寝るように言い張ってください。

最初の頃のジェイソンはホッケーマスクではありませんでした
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その2、「品行方正にしていましょう」これはどういうことかというと、
マリファナなんかを吸ってる人物は、最初のほうで殺られちゃうからです。
観客に、「こいつは社会にとって必要のない人間だ」と思われては
いけません。殺人鬼は審判の笛みたいなもので、ファールするやつは、
すぐにこの世から退場させられてしまいます。

その3、「なるべく部屋の真ん中にいましょう」
そういう映画では、ドアはもちろんですが、窓もたいへん危険です。
B級ホラー映画には「おどかし」がつきものですので、
いきなり窓が割れて手が伸びてくるというのも定番の手法です。

その4、「列の最後にならないようにしましょう」
列の最後を歩いていた人物がいつの間にか姿が見えなくなって、
「あれ、○○はどうした?」という場面も目にされたことがあると思います。
じゃあ、真ん中へんを歩いてればいいかというと、これがなかなか難しい。
階段を登るシーンなんかがそうですね。

ギシギシきしむ古い木の階段を、主人公が最初に登っていく。
ああ、大丈夫そうだと思って続くと、いきなりステップの底が抜けて
宙ぶらりんになり、下にはチェンソーを持った殺人鬼がいて、
仲間に引っぱり上げられたときには、あなたの下半身はなくなっています。
ですから、状況をよく見極めて行動することが大切です。

その5、「殺人鬼の存在を信じましょう」この手の映画では、
登場人物の中に「そんなのいるわけないだろ、バカバカしい」と、
殺人鬼の存在をなかなか信じないキャラがいるんですが、だいたい3番目
くらいに、たっぷり殺人鬼の恐怖を味わった無残な殺され方をします。

その6、「自分から主人公になりにいきましょう」
これは意味がわかりますかねえ。みなさんはたぶん日本人ですから、
アメリカ映画ではどうしても脇役キャラにされてしまいます。
多民族のアメリカでは、グループが出てくる場合、社会的な配慮で、
必ずその中に黒人や東洋系が混じっています。

素顔のジェイソン
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で、けっこう最後のほうまで生きのびますが、最終的には殺られてしまうんです。
そのままでは、生き残るのは白人キャラになってしまいます。
そこで、リーダーとして積極的に行動し、主役の座を奪ってしまわなくては
なりません。最近は、定番の法則をわざと崩し、観客の予想を裏切る形の
映画が増えてきてるので、できないことはないでしょう。

その7、「派手に殺人鬼を倒そう」この手の映画の殺人鬼は、たいてい不死身です。
銃で撃たれた程度じゃまったくひるみません。映画のクライマックスは、
派手じゃないと盛り上がらないからですね。たんにその場から逃げるだけでは
ダメなんです。ですから、殺人鬼が燃え上がって爆発するとか、
冷凍されて粉々になるとか、そういう倒し方を必死になって考えましょう。

さてさて、ということで、今回はB級ホラー映画のお話でした。
こういう低予算映画を見る楽しみの一つは、制約がある中でどんな工夫をしてるか
ということです。キラリと光る演出をしてる監督は、後々メジャーになる
ケースが多いんですね。では、今回はこのへんで。

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アメリカ オカルト裏観光

2019.03.02 (Sat)
今回はこういうお題でいきます。みなさんはアメリカに行かれたことが
あるでしょうか。ハワイに行った方は多いでしょうね。
自分は昔、アメリカに住んでたんですが、自分のいる州から出たことが
あんまりないんです。アメリカの国土は広く、
移動は飛行機が基本で、それにはお金がかかるからです。

さて、今回はアメリカのオカルト的な裏観光名所をご紹介していきます。
といっても、自分が実際に行ったことがあるのは、
このうち2ヶ所だけですので、もしかしたら間違いとかあるかもしれません。
最初はどこにしましょうかね。「マダム・ラローリーの館」がいいかな。

マダム・ラローリー
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ルイジアナ州のジャズの町、ニューオリンズのロイヤル・ストリートにある
3階建てマンションで、1800年代、医師のラローリー博士と、
その妻、デルフィーン・ラローリーが住んでいました。
デルフィーンは美貌で知性的、社交界の花形だったんですが・・・

当時はまだ奴隷制度があり、ラローリー家では使用している奴隷が
頻繁に入れ替わる。そして、夜になると幽霊が出るとの噂が立ち始めました。
館のまわりを黒人奴隷の幽霊が歩いている。それも、
腹から腸をはみ出させたり、口と目を糸で縫いつけられた悲惨な姿です。

そしてある夜、ラローリー家が火事になり、駆けつけた消防士に、
一人の黒人奴隷が自分が火をつけたと訴え、館の屋根裏部屋を見てくれと
言います。屋根裏に入った消防士たちが見たものは、
おびただしい血の跡と、残虐な拷問具の数々。後に、この館の地下から、
埋められた75人の遺体が発見されています。

現在の「マダム・ラローリーの館」
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いくら奴隷に対するしうちといっても、これはあんまりで、
ラローリー夫妻を私刑にしようと群衆が館のまわりを取り囲みましたが、
騒ぎのどさくさにまぎれてデルフィーンは逃れ去り、パリに渡って
生涯を終えたと言われます。この館は改修されて現在もあり、
アメリカでは、「ウインチェスター・ミステリー・ハウス」と並ぶ幽霊屋敷です。

次はどこへ行きましょうか。「オレゴン・ヴォルテックス」にしましょう。
場所はオレゴン州ゴールドヒル。そこでは地磁気の異常があるのか、
ヴォルテックス(渦)が物理法則を支配しています。
そこにコンパスを持ち込むと、ぐるぐる回って止まらない。

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ボールが低いところから高いほうへ転がる。やわらかい毛の箒が立つ。
背比べをしている人の身長が変化するなどと言われます。下図の傾いた家は、
ゴールドラッシュ時代の1890年、鉱石の金の含有率を調べるため、
わざと傾けて建てられた・・と伝えられています。

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ネタバレをすると、ここは観光用のテーマパークなんですね。
ボールの動きや身長が変化するのは、錯視を利用したトリックとされてます。
上記の家も、おそらく、そのためにわざとゆがめて建てられたんでしょう。
自分は訪問したことがありますが、それなりには面白かったですけど、
ま、近くに行ったら寄ってみる程度のものですね。

次、ヴァージニア州ポイント・プレザントにある「モスマン博物館」
これは行くと激しく後悔すると思います。ただのしょぼいドラックストアですから。
モスマンはオカルトフアンならご存知でしょう。
1966年にウェストバージニア州一帯で目撃が続いた空を飛ぶ怪物で、
エイリアンのペットではないかとする説まであります。

「モスマン博物館」
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1967年、ポイント・プレザントのシルバー・ブリッジ付近で
モスマンが目撃され、その日、橋は崩落して犠牲者46人を出す大事故となりました。
これ以後、モスマンの目撃例はぱったりと途絶えます。
モスマンの話は、後に『プロフェシー』という映画になりましたが、
制作に関わった関係者の謎の死が相次いで発生したとされています。

モスマン像
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次は都会へ行きましょう。「エクソシストの階段」アメリカの首都、
ワシントンDCのMストリートにあります。1973年の映画『エクソシスト』の
ラストで、カラス神父が自分の体に悪魔をのりうつらせ、
ここを転げ落ちたシーンは有名です。ただし、撮影に使われたのは階段だけで、
近くにリーガンの住んでいた家はありません。

「エクソシストの階段」
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次、マサチューセッツ州セイラム(ダンバース)にある「セイラム魔女博物館」
1692年、セイラム村の200名近い村人が魔女として告発され、
19名が処刑、1名が拷問死、2人の乳児を含む5名が獄死した事件を記念して
建てられたものです。自分は行ったことがありますが、すごい混んでましたね。

「セイラム魔女博物館」
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町全体がこの黒歴史を観光化してまして、他にも蝋人形館などがあり、
帽子などの魔女グッズや魔女アイスが、あちこちで売られてました。
まあ、ここだけを目的にしてアメリカに渡る人はいないと思いますが、
行けば行ったでなかなか面白いと思います。

最後は、「悪魔のおもちゃ箱(Devil's toybox)」
場所はルイジアナ州北部のどこか(笑)。そこには6面が鏡張りになっている
小屋があり、その中で4分以上過ごしたものは精神に異常をきたす・・・
これはアメリカのネットロアで、日本でいうと「杉沢村」みたいなものです。
ですから、実際に行くことはできません。

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さてさて、ということで、全部で6?つのスポットを見てきましたが、
まだまだいくらでも思いつきます。これはぜひとも、続きをやりたいですね。
ただし、実際に行ってみて「なんだよ、これ」と思われても、
当ブログでは責任はとれません。では、今回はこのへんで。




弟の話

2019.03.02 (Sat)
今晩は。これから私の弟の話をしていきます。私の家は、父は公務員で、
母は主婦なんですが、ときどきパートに出たりしてました。
どこにでもあるような平凡な家庭だったんですが、
弟だけがちょっと違ってました。2人兄弟で、私と弟は3つ違いでした。
それで、私が12歳、小学校6年生の冬に、弟は亡くなってしまったんです。
はい、眠ったまま、朝になっても起きてこなかったんです。
救急車で病院に搬送して死亡が確認されました。死因は、
子どもの突然死症候群ということになったはずですが、今になって考えると、
病院でも死因の特定に困ったんじゃないかと思います。
朝に見つかったときには、顔に笑みを浮かべ、両手を胸の上に組んでました。
苦しんだような様子はまったくなく、ただ心臓が止まった・・・そんな感じでした。

それと、弟の葬儀なんですが、これもすごく異様だったんです。
そのことは最後にお話したいと思います。まず、弟の外見ですね。
私の両親は平凡な顔立ちで、それを私も受け継いでるんですけど、弟は違いました。
色が白い、ほんとうに紙みたいに白かったんです。目が大きくて、
西洋の人形みたいでした。ですから、小さいときからいろんな人に
可愛い、可愛いと言われて。私はほとんど言われることはなかったので、
いつも弟がうらやましいなあと思ってたんです。で、その目なんですが、
すごく黒目の部分が大きかったんです。角度によっては、
目全体が瞳のように見えることもあって、昆虫みたいで怖い、
そう思うこともあったくらいです。あ、こんなことを言ってるときりがないですね。
具体的な弟のエピソードをいくつか話していきたいと思います。


弟が5歳、まだ小学校にあがる前だったと思います。めったに病気することのない
弟でしたが、その日は朝から熱があって幼稚園を休んだんです。
でも、私が病気のときはすぐ医者に連れてく両親でしたが、
弟の場合は、ただ家で寝かせておくだけでした。これも今考えると、
両親は弟を医者にみせるのが嫌だったんじゃないかと思うんです。
午後になって、私が学校の帰り、家の近くの工務店の資材置き場を通りかかったら、
家にいるはずの弟が、積み上げられた土管の上に座っていたんです。
「え?」と思いました。弟は病気で寝ているはずだし、そこはフェンスに囲まれてて、
子どもが入れるとこじゃなかったし。フェンスに近寄って見ると、
下の草むらに猫がたくさんいたんです。全部で10数匹。
どれも近所のノラ猫だと思いました。で、異様なことに、

猫たちは全部、体をのばして腹を地面につけ、下を向いてたんです。
ほら、時代劇で家来たちが殿様の前で平伏したりしますよね。ちょうどあんな感じで。
弟は土管の上で足をぶらぶらさせてましたが、立ち上がってっゆっくり
降りていくと、猫たちの間に入って歩き回って。その間、猫はみなじっとしてたんです。
そのうち、一匹の毛がボサボサの白い猫の前に来ると、優しく頭をなで、
そのときに「もらうよ」と言ったと思います。私はフェンスにしがみついて見てたんですが、
そこでたまらず「○○、何やってんの?」と弟の名前を呼びました。
すると、猫たちがいっせいに体を起こして、逃げ散ったんです。
弟の姿もどこにもありません。ただ、さっき弟が頭をなでた猫だけ、
地面に伸びたままで生きてるように見えなかったんです。家に戻り、
母に「弟は?」と聞くと、「2階で寝てる」という答えでした。

走って2階の部屋に行くと、2段ベッドの下で、弟はパジャマ姿で寝ていました。
不思議でしかたなかったので、「あんた、さっき資材置き場にいなかった?」と聞くと、
弟は「知らない」とだけ答えたんです。・・・白猫の死体はしばらくそのままでしたが、
いつの間にか片づけられてなくなってました。

クローゼット
これは私が小学校4年生のときです。弟は小学校2年。その日、テレビの洋画劇場で
怖い幽霊の映画をやったんです。私は夢中になって見てましたが、
弟は夕食が済むとすぐ2階の部屋に上がりました。テレビが好きじゃなかったんです。
子ども番組やアニメもまず見ることはありませんでした。
寝る時間になって、私は2段ベッドの上だったんですが、下にいる弟に、
「起きてる?」と言うと、「うん」と答えたので、「あんた幽霊っていると思う?」
聞いてみました。そしたら、少し笑って「そんなのいないよ、お姉ちゃん信じてるの?」
バカにしたように聞き返されました。それでムッとして、少しおどしてやろうと
思ったんです。「幽霊はいるのよ。ほら、そこのクローゼット、今その中にいるから」
これはただ、そのとき思いつきで言っただけなんですけど、
弟は面白そうに笑い声をあげて、「幽霊ないないけど、つくるのは簡単だよ」って。

「え、どういうこと?」 「僕が今、幽霊つくったから、お姉ちゃん、
 クローゼット開けてみなよ」そのときに、つけていた小さい電球がふっと消えたんです。
「え?」カリカリという音がしました。クローゼットの中からです。
木製の扉を内側から引っ掻くようにカリカリカリカリ・・・
「幽霊が出てきたがってるよ。お姉ちゃん、開けてあげてよ」
引っ掻く音はますます大きくなり、ドンドン、ドカンと叩く音に変わりました。
「ほら、お姉ちゃん、出してあげなよ」弟が笑いながら言い、
暗い中でしたが、木の扉が大きく外側にたわんだんです。
私はほんとうに怖くなって、「○○、もうやめなさい!」って叫びました。
「ふふふふふふ、じゃあ、おしまい」弟はそう言い、
それと同時に、クローゼットの揺れはおさまって、音も消えたんです。

日常
弟は学校の勉強はとてもよくできました。家でも勉強してることが多かったんですが、
ドリルとかの宿題以外は、ノートに書くということはしませんでした。
ただ教科書を読んでるだけ。でも、テストはほとんど100点でした。
あと、図工と音楽も得意で、絵を描くと必ず県の展覧会で入賞してました。
亡くなる前の年に描いた絵なんかは、文部大臣賞になったんです。
それと、ピアニカやリコーダーも上手で、始めて見た楽譜も練習なしに吹けたんです。
ときどきリコーダーで、すごく不安な気持ちになるメロディを吹いてました。
私が「何、その気持ち悪い曲?」と聞くと、「僕がつくたんだよ」と言いました。
「なんて名前?」 「うーん、たましいの底をのぞく、かな」
「怖いからやめて、もう2度と吹かないで」「わかったよ、お姉ちゃん」
こんな感じでした。あと、家族で外出なんかしたとき、

弟を見て寄ってくる人がいたんです。ファミレスに行ったときですね。
新興宗教みたいな団体がいました。私たちが店に入っていくと、
「うお!」と、その人たちのリーダーらしき人が急に大声を出し、
立ち上がってぞろぞろやってきて、他のお客さんがいるのに、
弟の前に全員がひざまずいたんです。リーダーの人は「こんなところにおられるとは、
 わたしどもをお許しください」そんな内容のことを言ったと思います。
弟は「やめてよ」と言い「はっ」その人たちは立ち上がって店を出ていったんです。
また、あるときなんかは、私たち家族が信号待ちをしてるとき、
道の向こうにいたお坊さんが「あっ!」と声を上げ、
私たちのほうに向かって手を合わせ、お経を唱えだしたこともあるんです。
はい、その頃には、私も弟が「特別な人」なんだってことはわかってきていました。

死と葬儀
さっき言ったように、私と弟は一つの部屋で2段ベッドで寝ていたんですが、
弟が亡くなる直前、「僕、一人で寝たい」って言い出したんです。
両親は弟の言うことは何でも聞いてましたから、和室に弟の机と布団を運び込んで、
そこで寝るようになりました。これは私も大歓迎でした。
部屋が自分ひとりで使えるからというより、あのクローゼットのことがあってから、
弟のことが怖かったんですよ。それから数日後ですね。
最初に話したとおり、弟は朝起きてこなくて、母が見にいくと息をしてなかったんです。
こう言うとなんですが、両親は・・・悲しんでいたと言うより、
ほっとしてるように見えました。それで、葬儀ですが、うちはいつもお盆に行く
お寺があったんですが、そこの住職さんには来てもらわなかったんです。
火葬した弟の遺骨を持って、次の日曜日、家族で四国のある山に行きました。

苦労して山頂近くまで登ったら、そこに白い着物を着た人が大勢いたんです。
そうですね、今だったら修験者ということがわかります。
あのほら、山伏の格好をしてホラ貝を吹いたりする。
その人たちは、私たちの姿を見て手を合わせ、その後、父から遺骨の壺を受け取りました。
そのとき、修験者の人は「長い間ごくろうさまでした、さぞ大変だったことでしょう」
こんなことを言ってました。その山頂には、大きな休火山の火口があるんですが、
遺骨を受け取った修験者は、その中を下に降りていって、弟の遺骨の灰を中に
振りまいたんです。ドーンという音がし、白い光があたりつつみ込んで、まぶしくて
目を開けていられませんでした。私たちは目をつぶったまま、それぞれ修験者に
手を引かれて山を降りていったんです。ある程度のところまで着て後ろを振り返ると、
山頂から太い白い光の束が、天に向かって伸びていたんですよ。