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百二十の話

2019.04.30 (Tue)
あ、どうぞよろしくお願いします。医師の山根と申します。
ある老人介護施設で施設医を務めさせていただいてます。
じつは、これから語らせていただくのは、私自身の体験ではなく、
その施設の入居者の男性の方が話してくださった内容です。
はい、たいへん困惑する事態が生じておりまして、ある筋から、
ここにおられる方々なら、何かよい解決法をご存知ではないかと
うかがって、こうしてお訪ねしたわけです。
その方は1926年生まれですから、今年で93歳になられます。
はい、たいへんご長寿なのですが、現在は病気にかかっておられまして。
これからする話は、そのことともおおいに関係があるんです。
では、話していきますが、なにぶん伝聞ですので、

事実関係の間違いやつじつまが合わないところがあるやもしれません。
そのことはご承知おきください。その方、仮にUさんとさせていただきます。
東北の某地の生まれで、現在はひじょうに過疎が進んでいる地域です。
Uさんが尋常小学校5年生のときのことだそうです。
当時はどこの家も兄弟が多く、農繁期には家の手伝いで学校を休むことも
普通に認められていたそうです。まだ戦争前のことですので、
食糧事情はそう悪くはなかったのですが、田舎のこととて、
子どもの遊ぶようなものもほとんどなく、学校がおわったら、
もっぱら山野をかけまわるのが日課となっていたそうです。
そんなある日、Uさんと同じ5年生が2人、一つ上の6年生が2人、
ある神社の境内に集まっておりました。

その神社は山すそにある寂れたお社で、村で盛大なお祭りを行う
地域の氏神神社と、集落を間にはさんで向かい合うようにして
建っていたということです。神主は常駐ではなく、
年に数度の祭礼のとき以外は姿を見せず、一般の参拝客もまず見かける
ことはなかったそうです。はい、正式な名称はわかりませんが、
地元では「みくくり様」と呼ばれていたとか。
いや、字についてもわからないですね。そのときは、6年生のうちの一人、
Oが遊びのリーダーでした。初めは小学校の近くで兵隊ごっこなどを
していたのが、それに飽きてきたとき、Oが急に思い出したように
みくくり様に行こう、と言い出したということです。
Oは、「俺な、みくくり様のことで、うちのじいさんに面白い話を聞いた」

そう言って走り出し、みながそれについて境内まで来ました。
ああ、言い忘れておりましたが、季節は稲の収穫が終わった時分で、
神社の周囲の木々が赤や黄色に見事に色づいていたことを
覚えているそうです。鳥居の前まで来るとOはみなを止め、
「ここでな、あめのさかてというのを打ってから、後ろを向いた状態で
 鳥居をくぐるんだと」そう言いました。もう一人の6年生が、
「あめのさかて? そうれどうするんだ」と聞き、Oは、
「こうやるらしい」と、粗末な木の鳥居に背を向け、両手を背中に回して
パンパンと4回、柏手を打ったそうです。「なんでこんなふうにする?」
「よく知らんが、特別な作法らしい」そこでみなも真似をして、
手を打ってから後ろ向きに参道に入りました。

「こら、筋がつりそうじゃ」5年生の一人がそう言い、短い参道を
社殿の前まで駆けました。扉は閉まっており、賽銭箱も出てなかったそうです。
そこでOは鈴を鳴らし、また背を向けてあめのさかてを打ったので、
みなも続きました。「これでな、神様は尋常のお参りでないことがわかる、
 じいちゃんはそう言っておったぞ」 「じゃあ何のお参り?」
「それが、こうすれば将来のことを神様が教えてくれるそうだ」
「将来?」 「ああ、何の仕事につくかとか、徴兵に合格するかとか」
「仕事ったって、俺らみんな田んぼづくりするしかないだろ」
「まあそうだけど、寿命も神様が教えてくれるらしい」
「寿命って何か?」 「いつ、何歳で死ぬかってことだろ」
「おお、そら怖いわ、俺、聞きたくない」 

「必ずわかるとも限らんそうだ」 「で、この後どうするん?」
「こっちこいや」Oに連れられて神社の横手に回ると、
神社の高床の下の土が掘られてるとこがあったそうです。「これな、前に
 何人もが通った跡だ。ここをくぐって向こう側に出る。
 でな、神社のちょうど中央にあたる場所に、石の柱のようなもんが
 立ってるらしい」 「石の柱?」 「そう聞いた。でな、中は陽が射さんで
 暗いが、その柱を手探りで抱きかかえると、将来のことが頭に
 思い浮かんでくるらしい」 「おお、面白そうだ。やろうぜ」
「俺はちょっと怖いな」5年生の一人が言いました。
そのとき、Uさんも少し怖いと思ったそうです。「何が怖い、たかが
 四間四方の神社だぞ。出てくるまでちょっともかからん。まず俺がやるから」

Oはそう言って、みなのほうを見て笑うと、頭をかがめて床下に
入っていきました。いくら子どもで高床でも、這うような姿勢になったそうです。
そのままずんずんOは中に入っていき、ややあって、神社の後ろを回って、
体をくもの巣だらけにして戻ってきました。「どうだった?」
「いや、柱はあった。で、抱きついたら温かい気がしたな」
「将来は見えたか?」 「うーん、それがな、見えたというわけではないが、
 頭の中が真っ赤になった」 「真っ赤」 「そうだ」
こう要領を得ない答えが返ってきたそうです。それから、6年生、Uさん、
もう一人の5年生の順に入っていきました。Uさんが中に進んでいくと
暗さが増し、さらに這うと、たしかにざらざらした手触りの
柱に行きあたったそうです。子どもでも抱えられるので、そう太いものでは

ないんでしょう。Uさんが手を回すと、ドキンドキンと心臓が打つような
感覚があり、それは自分の心臓なのか、それとも石が脈動してるのか、
どっちかわからなかったそうです。すぐに頭の中で何かが弾けるように
思え、真っ赤なものが広がっている、そういう感じが
したということでした。みなが終わって集まると、Oが、
「はっきりしたことは何もわからんかったな。ツマラン」と言いました。
「戻ろうか」みなで参道を下っていると、そのとき急に、
風はなかったはずなのに、神社のまわりを囲んでいる杜の、
紅葉した木々がザザザザと音をたてて動いたそうです。
「何だ?」 「わからんが」 でも、それはすぐおさまりました。
鳥居を出たとき、6年生が「ああっ」と叫びました。

「O、お前な、額に赤い字が出とる。数が書いてあるぞ」Uさんも見たそうです。
漢数字の真っ赤な字で「二十二」とOの額に出ていました。
「お前らもだぞ」たしかに、もう一人の6年生の坊主頭には「二十三」、
5年生には「三十一」と出ていたんだそうです。ですが、その字が見えたのは
ほんの10秒ほどで、すぐまた子どもの額に戻りました。
Oは、「俺は二十二か? これが寿命なのか? いやに短いじゃねえか」
そう言って、ひきつった顔で笑ったそうです。Uさんはもちろん自分の額は
見えないので、もう一人の5年生に、「俺は何と出とった?」と聞きました。
そしたら、その子はひどく困惑した顔で、「お前な、俺には百二十と見えた」
そう言いました。「百二十・・・」Oが口をはさみ、
「ああ、たしかに百二十と出とった。これが寿命だとしたら長生きだなあ」

少しうらやましそうな声だったそうです。これでだいたいの話は終わりです。
この後、日本の大陸進出がいきづまって太平洋戦争が始まり、
村の若者は次々と徴兵され、その神社のお告げ通り、Oは22歳、
別の6年生は23歳で戦死しました。31と出た5年生は、終戦後、
シベリア抑留中にその歳で亡くなったそうです。そしてUさんです。
じつは、78歳のときに肺癌と診断され、それが骨にも転移して
現在は寝たきりなんです。苦痛はどうにかモルヒネで抑えていますが、
いつまでもつか。・・・最初のほうで話したように、Uさんは93歳なんですよ。
末期の肺癌で、そんなに命が続くなんてありえない。どういうことでしょう。
この状態でUさんは120歳まで生きるんでしょうか? 身寄りは、
奥さんはとうに亡くなっていて、70歳近い息子さんしかいないんです。




 
 
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アーカイブ 部屋の幽霊の話

2019.04.30 (Tue)
1ヶ月ほど前のことです。自分(bigbossman)の師匠筋にあたる占星術家の先生が
本を出されまして、自分たち弟子が相談して、ささやかですが、
先生の出版を記念する会を開いたんです。それが3次会まで流れて、
自分はホテルのバーで、Oさんという編集者の方と飲んでたんです。
そのとき、こんな話になりました。
「bigbossmanさんって、怖い話を集めてられるんですよね」
「ええ、いちおう収集してます。何かそういう話、ありますか?」 
「うーん、人が聞いて怖いかどうかはわかりませんが、ちょっとした体験があります」
「あ、ぜひお聞かせ下さい」 「それがね、何と言えばいいか、うまく説明できないし、
 たいしたことも起きてないんですけど、部屋の幽霊ってあるもんですか?」
「え? 幽霊が出る部屋ってことですよね」

「うーん、そうじゃなくて、部屋の幽霊としか言いようがないんですが」 
「??、興味深そうですね。くわしく教えてください」
「僕は仕事柄、今日みたいなパーテイに出ることが多いんです。それで、
 かなりお酒が入った状態で部屋に帰ると、変なことが起きるんです」
「Oさんって、マンション住まいでしたっけ?」
「いやまあ、名前はマンションですけど、アパートに毛が生えたようなとこです」
たしかOさんは、4年ほど前に奥さんと離婚されて、子どもはおらず、
今は一人暮らしをされてるんですね。「話の腰を折ってすみません、それで?」
「でね、酔っぱらって自分の部屋のドアの前に立ったときに、
 すごく嫌な予感がすることがあるんです」 「どんな?」
「このドアを開けちゃいけないって思うんですよ」

「だって、ご自分の部屋なんでしょう」 「そうなんですが・・・なんというか、
 これを開ければ、何もかもダメになってしまう・・・そういう感じがするんです」
「うーん、で?」 「もちろん朝に出てきたいつもの部屋だし、中には誰もいません。
 だから最初のときは、酔って感覚が変になってるんだろうと考えて、
 ドアを開けました。そうしないと寝る場所もないわけですし」
「どうなりました?」 「それがね、開けた瞬間、中に青っぽい煙が充満してたんです」
「火事ですか?」 「いや、僕も火事かと思って酔いがいっぺんに覚めたんですけど、
 玄関に半歩足を踏み入れたとたんに煙はかき消えまして、いつもの自分の部屋だったんです」
「ははあ」 「酔っ払って幻覚を見たと思いますでしょ」 「まあ・・・」
「いいんです、僕もそう思いましたから。中に入ってあちこち確かめたけど、
 燃えた物なんてなかったですし」 「それで?」

「でね、それから2週間くらいして、また酔っ払って夜中に帰ったときに、
 やっぱりドアの前で、強い、嫌な予感がしたんです。開けちゃいけない、
 開けたらダメだって、頭の中で非常ベルが鳴ってる感じで」 「はい」
「でも、開けないわけにいかないでしょ。毎日暮らしてる自分の部屋なんだから」
「それで?」 「開けてみたらまた青っぽい煙。だけど、このときは
 なかなか煙が消えなかったんです。ただね、焦げたような臭いとかは
 まったくなかったです。で、そこは玄関で廊下につながってるはずなんですが、
 いつもの廊下より中が広い気がしました」 「それで?」
「6畳間くらいの空間があったんです。だんだん煙が薄れてきて、
 その部屋の中の様子が見えてきて・・・ それが、いかにも昭和って感じで、
 すごく雑然としてて。だけどね、ああ、見覚えがあるとも思ったんです」

「で?」 「このときはそれで終わりました。青い煙が薄れていくと、
 部屋全体がぐらっとゆがんで、そしたら自分の部屋の廊下に立ってたんです」
「不思議な話ですねえ。その部屋、見覚えがあるって言われましたよね」
「ええ・・・でも、どこなのかはわからない。ただ、懐かしいけど、
 すごく嫌悪感もあるんです。あとね、時間がスリップしてるっていうか、
 中が何もかも昭和なんです。テレビがあったんですけど、とても古い型で、
 畳も日焼けしてたし、ずいぶん昔の部屋なんだと思います」
「見覚えがある、というのは?」 「・・・もしかしたらですけど、
 僕が子どもの頃に過ごした部屋なのかもしれないです。僕は両親が早くに離婚して、
 母に育てられたんですが、僕が幼児のときに、母は水商売をしてて、
 あちこちのアパートを移り住んでたみたいで。だから、そのとき見たのは、

 それらの部屋の一つかもしれないです」 「うーん、奇妙ですねえ。
 こういう話は聞いたことがないです。部屋に人はいなかったんですか?」
「いなかったと思います。けど、人の気配は強くあったんです」
「これは気になります。もし、またそういうことがあったらぜひ知らせて下さい」
このときは、こんな感じで別れました。翌日、昼ころに、Oさんから自分の共同事務所に
電話が入りまして。「bigbossmanさん、昨日の話、あれ、またあったんですよ。3回目が」
「あ、どうなりました?」 「電話だとちょっと言いにくいです」
「じゃあ、また昨日のホテルのバーで」ということで、続きをうかがいました。
「昨日もね、酔ってたから、またあの現象が起きるんじゃやないかと思って帰ったら
 あんのじょう。ドアの前で嫌な感じがして、前と同じように中に入ると、
 煙はなく、ストレートにあの部屋になってた」 「それで?」

「でね、中のものをいろいろ確かめたんです。かかってたカレンダーは、
 昭和の年月日で、僕が3歳のときのものでした。それと、棚の上にあった保険かなにかの
 書類に母の名前がついてたんです。だから、やはり、僕と母が昔に住んでた部屋だと
 思うんです。あとね、不思議なことに、その部屋の中のものにはさわれませんでした」
「というと?」 「その書類を取り上げようとしたら、つかめなかったんです」
「・・・」 「だから、部屋は実在してて、もしかしたら僕のほうが、
 タイムスリップして、その部屋に戻ったのかもって考えました。でも、
 そんなことってあるもんですか?」 「いやあ、オカルトは研究してますけど、
 こんな話は初めてです。で、どうなりました?」
「それで、部屋の右手にあちこち破れた襖があって、隣にも部屋があるみたいなんですよ。
 でも、僕は物にさわれないから、その襖も開けられない。

 前に立ってると、中から子どもの泣き声がかすかにしてきて」 「それで?」
「そのときに、グラグラっと、大地震が起きたみたいにすべてが揺れて、
 いつもの自分の部屋に戻ったんです。心底ホッとしました。
 あの襖の前に立ってるときの気持ちといったら・・・ 心臓がしめつけられるような、
 消え入りたいような・・・」 「うーん、これ、今後も起きるかもしれませんね」
「そうかもしれないです。だから、もうお酒を飲んで帰るのはやめようかと思ってます」
「うーん、それがいいのかもしれません。ところで、お母さんは今、
 どうされてるんですか?」 「郷里で一人暮らしです」
「これ、お母さんに連絡して、事情を話してみたらどうでしょう。
 何かわかることがあるかもしれませんよ」 「ああ、そうですね。母に話す・・・
 何で考えつかなかったんだろう。たしかに、母なら何かわかるのかも」

こういう経緯になりました。それから、おそらくOさんはお酒を控えてたんでしょう。
2週間ほど連絡がなかったんですが、ある日の夜中、自分が占星術の天測をしていると、
Oさんから携帯に連絡が来たんです。出ると、「bigbossmanさん、またあれが起きました。
 前より長い時間、あの部屋にいたし、隣の部屋にも入れたんです」
Oさんの興奮した声が聞こえてきまして。「ええ、どうなりました?」
「隣の部屋の前の襖の前で子どもの泣き声が聞こえてきたんで、
 すごく嫌だったけど、これが何なのか知りたい気持ちも強くて、思い切って襖にさわると、
 体ごと通り抜けて。そしたら・・・」Oさんはそこで絶句し、自分が待っていると、
「中は寝室で、布団が敷いてあって、中に女の人がいました。
 それ、たぶん母だと思います、若い頃の」 「Oさんには気づかなかったんですか?」
「僕がいるのはまったく見えてないみたいでした。その若い頃の母が何をしてたと思います?」

「いや、わかりません」 「赤ちゃんを抱いてて、赤ちゃんは手足をじたばたさせて、
 赤ちゃんの顔に・・・」 「顔に?」 「ビニール袋がかぶせてあったんです」
「う」 「僕はどうすることもできないし、赤ちゃんはだんだんにぐったりしてって・・・」
「うう」 「そこで、またグラグラっときて、昔の部屋は消えたんです」
「その赤ちゃん、Oさんだったってことですか?」 「いや、違うと思います。
 前に部屋のカレンダーの話をしましたよね。僕はそのときは3歳のはずですが、
 母が抱いていたのは乳児でした、まだ1歳にもなってない」
「・・・それ、ただごとじゃないです。戸籍を調べてみたほうがいいかもしれません。
 あと、やはりお母さんに連絡するべきじゃないかと」 「・・・ええ、そう、ですよね」
これで、この話は終わりです。続報はありません。何でかというと、Oさんのお母さんが
自殺されたからです。Oさんは郷里に戻ってて、こちらからの連絡に出てくれません。




 

アーカイブ 隣家の機械

2019.04.30 (Tue)
わたしは信用金庫に勤めておりまして、昨年の秋に転勤してきたんです。
家族で引っ越してきたものですから、郊外の一軒家を借りることになりまして。
築20年ほどでしたか、やや古びてはいましたが、
部屋数が多くて2人の子どもにも、それぞれ自分の部屋を用意してやれたんです。
周囲には緑が多くて、最初のうちは、
いいところに越してきたなって思ってたんです。
ええそれが、隣人に問題があったんですよ。うちの右隣は道路でしたが、
左隣がその山田さんというお宅で、夫婦2人だけで住んでいたんです。
旦那のほうはなんでも、ある機械メーカーの研究所に勤めていたということでしたが、
だいぶ前に退職して年金暮らしをしてました。そうですね、
山田さんのほうが70代で、奥さんは60代後半だったはずです。

でねえ、それがじつに意地が悪いというか、陰険なところのある人たちで・・・
引っ越した最初にまず、あいさつに行ったんですよ。まあ、ああいう片田舎では
近所づき合いが大事だと思って、引越しソバを持ってね。
そしたら山田さんが出てきたんですが、開口一番、
「うちとお宅の境にある柿の木を伐ってくれ」って言われたんです。
垣根を枝が越して伸びてるし、秋になると枯れ葉が落ちてきてたまらんからって。
もちろんその木はわが家が植えたんじゃなく、
以前からあったものなんですが、そんなことを引っ越し早々のあいさつのときに
言わなくたってよさそうなもんじゃないですか。
そのときは「そうですかわかりました」って言って、ソバを置いて帰ってきました。
それからすぐ、植木屋を呼んで柿の木は伐らせたんです。

ところがねえ、それからもいろんな難癖をつけられっぱなしで。
うちの子どもらは、上が小6の男で、下が小2の女です。
で、子どもらは庭のある家は初めてだったので、学校から帰ってくるとよく、
庭で遊んでたんですよ。そしたら垣根越しに山田さんに大きな声で怒鳴られまして。
下の子なんかおびえて泣きながら家に戻ってくるようなすごい剣幕で。
それからもね、ことあるごとにあれこれ文句を言われて。
例えば、下の娘はピアノを習ってて、家でも練習するんですけど、
その音がうるさいとか。いえね、下手くそなピアノの音が迷惑になることは
わたしだってわかりますけど、ピアノを置いてある部屋は隣家からはかなり離れてて、
わたしが庭で聞いてみても、聞こえるか聞こえないかくらいの音しかしてません。
それなのに、「うるさい、年寄りを殺す気か」ってうちまで言いにきて。

それはね、騒音問題で大事になったケースがあることも知ってますから、
「どうもすみませんでした」って謝りましたけど、
これじゃあ、家の中でちょっとも物音を立てられないなって、
妻とため息まじりに話し合ったくらいなんです。ええそれで、
山田さんのほうが瞬間湯沸かし器型に怒るとすれば、
奥さんのほうは陰湿きわまりないタイプで。
ほら、ゴミ出しのときに集積所の前で待っていて、
あれこれ文句をつけてくるタイプの人って、よく話を聞くじゃないですか。
奥さんのほうがまさにそれで、妻がゴミを出しに行くのをわざわざ待ちかまえてて、
ゴミ袋を持ち上げ、袋を振りながら中身を確認して、
例えば缶詰のフタなんかの金属が入っていたりすると、

妻に袋をぶつけるように放り投げて、一言、
「分別がなってない、やり直し」って命じたりしたんです。
それはね、たしかにきちんと分別してなかったうちが悪いんですが、
それにしてもそんなやり方ってありますか?最初からね、
隣人と仲よくしようなんて考えはまるで持ってないんですよ。それどころか、
わたしたちに何かの恨みでもあって、出ていけばいいっていうような態度なんです。
そりゃ腹もたちましたけど、向こうは地元の人だし、
うちのほうでずっと我慢してたんですよ。
それが、2ヶ月前のことです。日曜日に妻が庭に洗濯物を干していると、
向こうの奥さんが庭に出てきて、「ああ、ああ、下品な臭いがする。
 洗剤か柔軟剤か知らないけど、臭いをこっちによこさないでちょうだい」

こんな風に言ったらしいんです。さすがにこれには妻もかっとなって、
「うちの庭に干してるんだし、これくらいのことで文句を言ううちなんて
 あなたたちくらいですから!」って言い返したらしいんです。
そしたら向こうの奥さんが、さらに嫌味を言おうとして、額に青筋を立てて
垣根に近づいてきたんですが、そこで足元の草につまずいて、
転んで頭を打ったんです。うつぶせに倒れていつまでも起き上がってこない。
声をかけようと妻のほうから近づいたら、ガーガーといういびきの音が聞こえて、
これは大変だってことで、玄関に回って山田さんに知らせ、
山田さんのほうで救急車を呼んだんです。ええ、奥さんはそのまま、
脳出血で亡くなりました。でもねこれ、妻が悪いってことはないですよねえ。
たしかに言い争いのようなことはしましたが、

それも垣根をへだててのことなんだし、今まで一方的にやられてたのはうちのほう
なんですから。それで、隣家では葬式は行いませんでした。
話に聞くところでは、火葬のときに坊さんを呼んで、
そこで簡単にお経をあげてもらって済ませたみたいでしたね。
だから、気が進みませんでしたけど、香典を渡してお線香でもあげさせてもらおうと、
妻といっしょに隣家を訪ねたんです。
そしたら・・・山田さんが出てきましたが、わたしらの顔を見るなり
鬼のような形相になり、「妻はお前らのために死んだ。
 お前らが引っ越してこなければよかったんだ。この敵はかならずとってやる!!」
こう怒鳴られまして。でもねえ、敵って言われてもねえ。
ため息をつきながら妻と家に戻りましたよ。

これで山田さんの攻撃がさらに激しくなると思ったんです。ところが・・・
翌日から山田さんは朝早く庭に出ると、何か機械のようなものを組み立て始めました。
いや、わたしにはよくわからないんですが、変電所とか電柱の上にある電極?
みたいなのがたくさんくっついたやつです。そうですね、
大きさは公園のジャングルジムくらい、全体の形もそれに似ていました。
で、午後になると軽トラで出かけていって、
その機械の材料をたくさん積んで戻ってくるんです。ええ、こちらが庭に出ても、
まったく目もくれませんでした。まさに鬼気迫るって感じで、かえって怖かったです。
でね、2週間くらいたって、夜、家に山田さんが来たんです。
山田さんは玄関に入るなり、「機械が完成した。これでお前の一家は終わりだ!!」
これだけ言って出ていったんですよ。

翌朝、出勤のときに隣の庭を見ると、組み上げられた機械の上で電極がブンブン
うなりをあげ、その間に緑色の稲妻のようなのが走っていました。
で、その日から家族全員、調子が悪くなっちゃったんです。
子どもらは熱を出すし、妻は全身に蕁麻疹ができて顔が倍くらいに腫れ、
わたしは子どもらを医者に連れていった帰り、急に気分が悪くなって血を吐いたんです。
でも、子どもも妻もわたしも、病院では原因が特定できなかったんです。
・・・でもねえ、どう考えても体調悪化の原因は隣家の機械だと思うじゃありませんか。
それで、妻と相談して警察に連絡したんですよ。そしたら警官が2人来たので、
垣根越しに隣家の機械を見せたら驚いていました。
バチバチ音をたてながら緑の火を吹いてるんですからね。
それで、改めて翌日、警察が山田さん宅に事情聴取に行ったんです。

表向きは火事を起こしそうで危険だからという理由で・・・そしたらです。
警官が山田さん宅に入ると同時に、ものすごい怒鳴り声が聞こえてきて・・・
山田さんが木刀で警官たちを叩きまくりながら外に出てきました。
もちろんこれは公務執行妨害だし、警官の一人は頭から血を流してたので傷害でもあります。
山田さんは現行犯逮捕されて警察署に連行されたんですが、その日のうち、
トイレで自分の下着を飲み込んで自殺してしまったんです・・・ええそれで、
隣家の庭にはまだ動いている機械だけが残され、わたしは意を決して隣家の庭に入り、
持っていったシャベルやつるはしで機械を叩いて叩いて叩きまくりました。
機械は人間の悲鳴のような音を立てながら少しずつ壊れていき・・・最後に中心部分を
つるはしでえぐったとき、白いものが転がり落ちて割れ、中身がこぼれました。
それ骨片だったんです。ええ、おそらく山田さんの奥さんの遺骨なんだと思います・・・





 

アーカイブ 預かる

2019.04.30 (Tue)
あの、保険会社でOLをしていました。よろしくお願いします。
去年の秋のことです。その日も私は、昼休みに外の公園でパンを食べてたんです。
すごくおいしい移動パン屋さんの軽自動車が公園の前の道に回ってくるんです。
そこで調理パン2つと生野菜ジュースを買いました。
ええ、同僚と一緒に食べにいったりしてなかったんです。なんというか、私、
当時少し職場の中で浮いてたところがありまして、
いつも、やめたいなあって思ってたんです。同じ部内に、
独身の勤続35年というお局さんがいたんですが、その人とそりが合わなかったんです。
まあ、今はパワハラとかけっこう厳しいですから、
あからさまなイジメというのはなかったんですけど、
何かにつけてのけものにされてましたし、ちょっとしたミスですごく叱られたし。

それで、一人でベンチに座ってパン食べてましたら、近くの木、
種類わからないですけど、かなりの大木があったんです。
そこから何か小さいものがチョロチョロって走り下りてきて、
ベンチにトンと立ちました。「え、何?」と見たらリスだったんです。
「わ、かわいい」と思いました。リスは小脇にクルミを1個抱えてて、
まるでマンガみたいでした。私のすぐ前20cmくらいのところで、
リスは首を回して私を見つめ、「はい」という感じで、
そのクルミを渡すしぐさをしたんです。「えー、私にくれるの?」って思いました。
野生動物にそんなことされたのは初めてでしたし、おそるおそる指を出したら、
リスと目が合いました。そのときに、黒いリスの両目が、
オレンジ色にぼうっと燃え上がったように見えたんです。

ぜんぜん逃げるそぶりはなかったので、手のひらでクルミを受け取りました。
すると頭の中に「頼みましたぞ」って、おじいさんみたいな声が響きました。
「え、え?」とあたりを見回しましたが、近くには誰もおらず、
ベンチに視線を戻すと、リスの姿も消えてしまってたんです。
「変なことがあるものだなあ」と思いつつ、手の中のクルミをよく見たんですが、
特に変わったところはない気がしました。ただ、後で調べところ、
その公園内にクルミの木はなかったんです。ともかくバッグにしまい、
会社に戻りました。その日は打ち合わせもなく、
午後はゆっくり自分の仕事をする予定でした。それで3時頃でしたか、
一休みして目薬さそうと思ったんです。で、イスを引いたら机の右前の脚に、
べとーっとグリーンの蛍光スライムみたいなのがくっついてました。

「わ、何!?」と思いました。20cmくらいのもので、プルプル動いてましたね。
もう少しで叫び声をあげるとこでした。でもそのとき、「さっきのクルミ守らなくちゃ」
って頭に浮かびまして。バッグは机の下の棚に置いてあったんですが、
スライムはその方向に進んでる気がしたんです。とっさに引き出しを開け、
中からシールはがしスプレーを取り出しました。
効くかどうか自信なかったんですが、試しにスライムにシューしてみたら、
パッと消えて、べとべとしたものだったのに何の跡もついてなかったんです。
「あれ? 幻覚だったんだろうか、叫ばなくてよかったなあ」と思いました。
そうしてたら、「何、頓狂な声を出して!」って、
さっき話したお局さんに、ネチネチ絞られてたんじゃないかと思います。
バッグを開けてクルミを確認したら、ちゃんと入っていました。

それにしても、「守る」っていう意識が働いたのも変ですよね。さっき公園で、
「頼む」って声がしたのは、やっぱりこのクルミのことなんだろうか??
それでクルミはバッグから制服のポケットに移しておいたんです。
仕事を続け、時計を見たら4時30分。「あと少しで退社時間♪」
そう思って給湯室にお茶を入れにいったんです。それで戻ってきたら、
さっきから話しに出てるお局さんが、私の机のイスをのけ、
前にかがんでゴソゴソ下の棚を探ってたんです。
「あの、どうしたんですか?」って聞きました。そしたら、
「あんたね、さっき預けられたクルミどこよ?出しなさいよ?」
こっちを向いて、そう叫んで、額に縦ジワが入って目がつりあがってました。
「え、クルミって何ですか? 知りませんけど?」

「さっきお使いに預けられたでしょ。知ってるんだから、アレが届くと大変なのよ~」
こっちを睨んでた目がぼうっと緑に燃え上がったんです。
私はもう怖くて、どうしてクルミのこと知ってるのかとか、
そこまで考えが及びませんでした。「何のことかわかりません!?」
「出しなさい、キーッ!!!」そこまで言うと、お局さんの目がぐるんと裏返り、
白目になってドターンと後ろにひっくり返ったんです。
口から泡を吹いて、両手を胸の上でワナワナ震わせてました。
男性社員が寄ってきて様子を見ましたが、気がつく気配はなく、
そのまま救急車で運ばれていったんです。後になって部長から、
「さっき何話してたの? なんか揉めてた?」って聞かれたんですが、
「わかりません、急に一人で興奮されだして」と答えたんです。

その後、搬送先の病院から連絡が入りまして、
今は平常に戻って休んでるってことだったので、私も退社することにしました。
家は自宅で、電車で40分と歩き15分ほどかかるんです。
クルミはコートのポケットに移し、上から手で押さえるようにしていました。
「さっきお局さんが届けるとか言ってたけど、どうするんだろうコレ」
と思いながらです。電車は込んでたんですが、いつもの駅の2つ手前で、
ビビッとクルミが動いた気がしたんです。「あ、降りなくちゃ」って思いました。
なんでそう考えたかはわかりません。ともかく降りまして、
自然と足が東口に向きました。そこを出ると高架下の通りで、人の姿はまばらでした。
それで、私が出てややしばらくして、後ろで気配がしたので振り返ると、
山伏?修験者?みたいな格好の人が4人、私のほうを指差して何か話してから、

走ってこっちに向かってきたんです。「ああ、逃げなきゃ」そう思って走りました。
じつはですね、私こう見えても、高校時代、中距離走でインターハイに出たことあるんです。
道はまったくわかりませんでしたけど、足が自然に曲がっていくというか。
時間は6時近くなってて、すっかり暗かったです。後ろをときどき振り返ると、
追いかけてくる人たちの目が蛍光グリーンに光ってるように見えました。
でもその人たち、足は遅かったのでだんだんに引き離して、
数百mも差がついたとき、ぽっと神社の前に出たんです。
大きなところではなく、林の中にあるお稲荷さんみたいでした。
鳥居の向こうに明かりが灯っているのが見え、「やっと着いた」って思ったんです。
中に入っていくと、人の気配はなかったのに、手水場の陰から人が3人出てきました。
今、人って言いましたが、その方たちは神主さんの着物を着て、

どの人も目がオレンジ色に燃えていたので、「あのリスと同じだ」って思いました。
その中で一番年上に見える方が「ご苦労様でした。お預かりのものをお出し下さい」
そう言ったので、ポケットからクルミを出すと・・・チリンと音がして、
同じ大きさの鈴に変わってたんですよ。「えーこれ、マジック?」と思いました。
ともかく、リスと同じオレンジだから信用してもいいかと、その鈴を渡したら、
3人そろって、「成就しました、有難うございます」って深々と礼をされたんです。
だいたいこんな話なんですけど、その方たちの一人が、
「ささやかですがお礼をしたい。・・そうですなあ、年末ジャンボ宝くじ、
 あれをお買いなさいまし」こう言ったんです。
それから駅に向かい、電車に乗りなおして家に帰ったんです。
以後は特別、おかしなことは起こってないですよ。

え? 宝くじは買ったかって? はい、30枚買ったら、
4等の5万円が当たりました。それと、私会社をやめたんです。
寿退社ってことですね。この後すぐに、別の保険会社の方と知り合いまして、
それからトントン拍子に話が進んで、今年2月に式をあげました。
今は主婦業をしています。子供のころからの夢だったのでうれしいです。
え? その神社ですか? 夫にそのクルミと鈴の話をしまして、
2人でお参りにいきましたよ。だれーもいない寂しいところで、
あのときの神主さんたちも見かけませんでしたし、社殿の扉も閉まってました。
当たった宝くじから1万円を、その扉の中に差し込んでおきました。
よくわかりませんけど、何か神様同士のもめごとに巻き込まれたのかもしれません。
え? お局さんですか? 体はなんともなくまだ会社にいます、勤続36年目で。







海のオカルト(幽霊船)

2019.04.29 (Mon)

『ゴースト 血のシャワー』

今回はこういうお題でいきたいと思いますが、内容がいっぱい
ありすぎて、どれを書けばいいか迷ってしまいそうです。海のオカルト
というと、みなさんは何を思い浮かべられるでしょうか。幽霊船とかかな。
世界各国に幽霊船の話はありますが、まあこれは当然でしょう。

そもそも、船が誰も人を乗せずに漂っている例は別に珍しい
ことではないからです。沿岸から無人の船舶が波でさらわれたり、
航行中に乗組員が何らかの理由で船を放棄したり、
食中毒等で乗組員が全員死亡し、船だけになって漂流している
ケースは、現代でも普通にあることです。

また、海賊に襲われて、乗組員がすべて殺され積み荷を奪い去られて
船だけが見つかるといったこともあったでしょう。
ディズニー映画の『パイレーツ・オブ・カリビアン』ではソフトに
描かれていますが、実際の海賊は残虐無比で、
目撃者のほとんどは、証拠隠滅のために殺されました。

「北朝鮮の白骨船」
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無人で漂流している船なら、嵐や高波ですぐに沈没してしまう
だろうと思われるかもしれませんが、意外にそうでもないんですね。
「北朝鮮の白骨船」という話があります。旧態のエンジンを積んだ
ボロボロの漁船が、質の悪い燃料を積んで操業していたのが、

エンジンの故障等で漂流し、乗っていた漁船員は餓死し、
白骨を乗せた状態で日本やロシアの海岸、海域に流れ着くものです。
日本で発見されたものだけでも、5年間で300隻近くになります。
日本の漁師が見ればあ然とするようなボロ船ですが、
なかなか簡単には沈まないんですね。

北朝鮮の場合、沿岸、近海の漁業資源を捕りつくし、かといって、
遠洋漁業ができるほどの船もない。そこで、無理をして他国の経済水域まで
出てきているのが原因の一つでしょう。自分はこれをもとにして、
「白骨船の話」という怪談を書いています。  
関連記事 『白骨船の話』

「フライング・ダッチマン号」
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さて、幽霊船で最も有名なのは、「さまよえるオランダ人」の乗る船
でしょうか。船の名前は諸説あるんですが、
「フライング・ダッチマン号」と呼ばれることが多いですね。
でも、もともとはその名前ではなかったはずです。

これは、キリスト教における神の罰の話です。アフリカ大陸南端の
喜望峰近海で、オランダ人船長が神をののしったため呪われ、
船は幽霊船となり、船長はたった1人で、最後の審判の日まで
さまよい続けることになったという内容で、ワグナーのオペラでも有名です。

ただ、この船長がそれほどヒドいことをしているわけではないんですね。
風のために湾に入れなかったので、風をののしって、
「最後の審判の日までかかっても湾に入ってやる」こう言っただけです。
そのため、現在でも船はさまよい続け、悪天候の日には
喜望峰の沖合で見ることができるとされます。

あとは、昔のオカルト本によく載っていた「マリー・セレスト号」の話。
1872年、ポルトガル沖で、無人のまま漂流していたのを発見された船です。
約30m、280tほどの2本マストの帆船で、けっして大きい船
ではありません。沖合でアメリカから出港した船に発見されたんですが、
乗り込んでみると船はびしょ濡れで、浸水があるのが見つかりました。

「マリー(メアリー)・セレスト号」 かなり小さいですね
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それ以外、船には特別な故障等もなく、航行可能な状態でした。
あと、なぜか計器類が失われたり破壊されたりしていたんですね。
また、船の手すりからは3ヶ所の血痕が発見されています。
6ヶ月分の食料と水も残っていましたが、10人いたはずの乗組員は、
一人も船内にはいませんでした。

これが、海洋ミステリーとしてヨーロッパ・アメリカで評判になり、
船の中で何が起きたのかさまざまな推理が出されました。
後に、死体を乗せた救命ボートがスペイン沿岸に流れ着いたという話も
ありますが、確認されてはいません。

まあでも、常識的に考えれば、悪天候の航海で大波をくらったなどで
船内に水が入り、船底からの浸水と勘違いした船長はじめ船員たちが
船を捨て、計器類を持ち出してボートで逃げ出し、そのまま死亡した
とかですよね。オカルトとして、日本でそれほどウケたということもありません。

さて、日本の幽霊船の話では、幽霊船は2種類あるようです。
一つは、船自体は実体ですが、操縦しているのが幽霊とされる場合。
もう一つは、船そのものも含めて幽霊である場合です。出てくるのは
夜が多いんですが、昼でも霧の中から現れるという話もあります。

そして、幽霊船を見てしまった漁船は、獲物がまったくとれなくなり、
座礁したり、無事に浜に戻ることができても、乗組員は不幸な目に
遭ってしまう、こんなパターンが多いですね。あと「船幽霊」というのも
ありますが、これは、ひしゃくで水をくみ入れて船を沈没させるなどと
信じられた、妖怪に近いものです。

「船幽霊」
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さてさて、ということで、幽霊船の話を書いただけで
予定の字数がつきてしまいました。海のオカルトは、これ以外にも
「バミューダ・トライアングル」とか「海底に墜落したUFO」とか
いろいろありますので、またいつかの機会にご紹介できるでしょう。
では、今回はこのへんで。

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アーカイブ 凶

2019.04.29 (Mon)
小学校6年生のときのことです。当時、自分はいじめられていました。
自分の小学校は学年一クラスの小さなところだったんですが、
そういう学校というのは、小さい頃からの力関係がずっとつきまとっていて
ガキ大将はずっとガキ大将のまま、いじめられっ子はイジメられっ子のままなんです。
ただお互いに気心がしれているから、そんなにひどいイジメはないんです。
そのかわり、力が上の側は下のやつとの関係が逆転するのをすごく嫌がってましてね。
そういう兆候に敏感というか、下のやつが反抗しそうなそぶりを見せたときには
かなりキツくガツンとやるんです。

今のニュースなんかになるイジメともちょっと違うんです。
親分と手下の関係というか。ああ、話がそれてしまいましたね。
ガキ大将は松山ってやつでした。幼稚園にいかないでいきなり
小学校に入学して、すぐクラスを支配してしまったんです。
主に腕力ですね。親が山屋・・・林業をやってまして、
小さい頃から親について山に入っていたらしく、腕力、体力があるんです。
自分は悪いことにこいつと家が近かったから、すぐに目をつけられてしまいました。
勉強はできません。小6でも漢字がほとんど書けませんでした。
そもそも授業中に自分の席にいることなんてなかったですから。
いつも担任を困らせていましたよ。

そのくせ悪知恵は働くんです。狡猾と言えばいいんでしょうか。
松山の親は、金がないわけじゃないんだけど子どもに無関心で、
学校で悪さをして先生方が親を呼びだそうとしても、絶対に出てこないんです。
そのかわり松山にも、何か買ってやったりとか、どっかに連れてったりとか
しないんです。自分はじいちゃんばあちゃんと同居で、
可愛がられていろんなものを買ってもらってたんで、ゲームとかラジコンとか、
そういうのを松山にねらわれて巻き上げられてしまうんです。
物をとられても親には言いませんでした。そんなことをしたら、
手ひどく叩かれる上に、物は戻ってこないんだから。
さあねえ、家族もうすうすは知ってたんじゃないですか、松山に取られてることを。

ただね、最初から暴力で巻き上げるわけじゃないんです。
そのあたりは松山にもこだわりがあったんでしょうか。何か最初に恩を売って、
「お前のためにこれやってやったから、ゲームソフト貸してくれや」
とか、いろんなパターンがありました。あと賭けなんかも。
2月のことでした。松山といっしょに帰ってたんです、カバン持たせられて。
松山はランドセルを最初から持ってなくて、大人が使うようなカバンで登校してました。
雪道を歩いていると、松山が「神社にいって賭けをしようぜ」と言い出しました。
学校からの帰り道に小山に登る細い道があって、村の氏神神社に続いているんです。

神社といっても神主はただの農家のおっさんで、資格はあるんでしょうが
何かの祭事があるときしか社殿にはいません。
田舎なんで旧正月の行事があるため、1月過ぎても雪寄せして道はついてました。
神社での賭けがどういうものかわからないままついて行ったら、
鳥居をくぐって短い参道を脇道にそれました。そこは松の林になっていて、
その枝におみくじが結びつけられている場所がありました。
枝の重なった下のために、連日の雪でもくじはけっこう残っていましたね。
ほとんどがその年の初詣のものだったでしょう。

「これほどいて、どっちがいい順番かで賭けをしよう」
この順番というのは、大吉とか末吉とかああいうやつのことでしたね。
「もしお前が負けたら、◯◯のソフトをしばらく貸してもらうぜ」こう言いましたが、
松山自身が負けたら・・・ということは絶対に言わないんです。
こちらが言い出せないことを見透かしていたんだと思います。
自分はこのおみくじはとっちゃいけないものなんじゃないかと思いましたが、
それも言い出せませんでした。午後になって寒さがゆるんで、
松の木からはぽたぽた水が落ちていました。

「いっせいの、でとって、手にはさんで同時に開くんだ」
それで手近ののを一つ外して、濡れてよれたのを開いて松山のと比べました。
自分のは中吉、松山のは凶でした。負けたのがわかったんでしょう。
「今のは練習な。もう一度やろう」
二度目は自分が末吉、松山はまた凶でした。
松山は「ふん」と鼻を鳴らし、くじをもみくちゃにして足元に捨て、
「最後もう一回やろう。最後に勝ったのがホントの勝ちだ」
松山は木の下をうろうろして、時間をかけてくじを選ぶふりをしながら、
透かして字を見ているようでした。

よさそうなのを見つけたらしく、自信満々に戻ってきて開いて確認していました。
ズルですがしかたありません。それから同じように掌に入れて開いたとき、
松山の掌から長い褐色のものがこぼれ出ました。
ゲジゲジだと思いました。20cmはありました。こんな冬中にゲジゲジが
外に出ているはずはないし、そもそも子どもの掌には入らないでしょう。
それが松山の足元に落ちて雪の上で身もだえし、
また松山の足を這い上がってきました。

「うわっ、何だこれ。うわ」と言いながら松山は払い落し、足で踏みつけました。
ゲジは雪に埋もれてすぐ見えなくなり、本当にいたのかどうかも
あやふやな気になりました。松山の手にあったはずのくじも
見当たりません。松山は「何なんだよ」とつぶやき、
興味をなくしたように「もう下りようぜ」と言いました。

それでもソフトのことは諦めてなくて、雪道を下りながら「貸せよ」と言ってきました。
当分返ってこないとわかっていても「うん」と言うしかありませんでした。
もうすぐ下の道に出るというところで、パトカーのサイレンの音が聞こえました。
松山はもう神社であったことを忘れて興味津々の様子でした。
自分たちの家に近づくとサイレンはどんどん大きくなって聞こえ、
パトカーが数台、松山の家の近くに停まっているのが見えました。
向こうから車が一台近づいてきて自分らの前で止まると、
大人が出てきて「こっちやこい」と言って松山の手を引いて車に乗せました。

松山にカバンを渡そうとしたとき、
ジャンバーの背中にピタリとおみくじが貼りついているのに気がつきました。
「大凶」と書かれているようでした。
後で聞いたところによると、松山の父親が架空取引詐欺でつかまったということで、
そのまま松山もどこかに転校していってしまいましたよ。





アーカイブ 罰

2019.04.29 (Mon)
昨年の夏にダチと3人で海に行ってからの話。
目的はナンパで、昼の浜では仲良くなった地元の女の子たちもいたが、
怒らせてしまって関係を夜まで持ち込めなかったんでその点は失敗。
まあ面白かったからそれはそれでいいんだが、ちょっと妙なことになった。
ダチの一人の山本が、翌日デジカメを大学に持ってきて、
海で撮った画像をパソコンにつないで見せてくれた。
女の子と一緒に写ってるやつなんかをスライドショーでずらずらと見てたら、
翌朝、帰り際に車の前で撮ったのがお終いのほうで出てきた。
それを指さして山本がこんなことを言い出した。
「その一番最後のやつ変だと思わねえか」 「えっ、何が?」
最後の画像は乗ってきた、ダチのもう一人の西田ってやつの車の前で
3人並んで写ってる画像だ。

「だってこのとき俺ら3人しかいなかったよな。これいったい誰が撮ったんだ?」
「あれ、そうだな・・・撮影を頼んだなんてことはないな、確かに」
「だろ、不思議なんだよ」その画像の前は、2人ずつ車を前にして写ってる数枚で、
これは交替して撮ったから何の不思議もない。
つい昨日のことなんで、こんな画像があるはずがないというのは納得がいった。
「それともう一つ、変なところがあるんだよ。西田の右膝を見てみろ、何に見える?」
そう言われて短パンから出ている膝の部分を見ると、人の顔のようなものが浮き出ていた。
ぼんやりとだが、2つの目と口らしいのが膝の上にある。
「あー顔か、顔に見えるといえば見える」
「やっぱりそうか。これ心霊写真だよな。しかも写真の存在自体がオカルトだ」
「早く西田こねえかな。あいつこういうの好きだから見せてやれば喜ぶだろ」

ところが西田はその日大学に来なかった。
画像に写っているエクストレイルで事故ったんだ。
あちこちケガしたが、一番ひどいのは右膝の皿が砕けたことで、
完治は難しいらしかった。数日後、山本と病院に見舞いに行ったが、
あの画像のことはよけいな心配をかけるだろうと黙っていることに2人で決めた。
画像は加工ソフトにかけて調べてみると言って山本が持って帰っていた。
その夜に山本のアパートを訪れると、
ちょうど加工ソフトであれこれやっているところだったが、
俺の顔を見るなり「変だ、おかしいよこの画像」と興奮した口調でまくしたてた。

話によると、まずExifを調べたのだそうだ。俺はあまり詳しくないが、
Exifというのは自動的に記録される画像のデータで、
撮影の日時や使ったカメラの機種などがわかるらしい。
それによれば間違いなくあの日民宿の駐車場で撮ったもの、ということだった。
「それはいいんだけど、これ見ろよ」と山本がカーソルで
さしたところは俺の右肘だった。

顔がある、と思った。前に見たときにどうだったかは覚えてないが、
肘の内側には西田の膝にあるのと同じような顔が浮かんでいた。
しかも膝にあるのより鮮明になっている気がした。
「うーん・・・顔だよな・・・、前にもあったっけ」
「なかった気がするんだよな。これ西田のやつよりはっきり顔っぽいだろ。
こんなのがあればぜったい気づいたと思うんだよ」
「そうだ、元のデジカメのデータがあるだろ。そっちはどうなんだ?」
「それもさっき見た。やっぱり肘のところに顔がある」
「うーん」 「それより、この顔見覚えないか?」 
「え?」 山本は俺の肘の部分を拡大した。それにつれて顔も大きくなったが、
生きた人間の顔とは思えない。絵か彫刻みたいだった。
「あ、もしかして」俺は言った。

「気がついたか。これってあの海蝕洞穴の奥にあった仏像の顔に似てるだろ」
そうだった。ナンパした地元の女の子たちに案内されて、
岩が巨大なアーチ状になってるのをくぐって洞穴に入っていったんだった。
洞穴は観光地ではないらしく整備もされておらず、
20mほど入ると急にせまくなって注連縄が張られていた。
その先にはいっちゃけないと女の子たちが止めたのもきかず、
俺ら3人はくぐっていったんだっけ。奥はすぐ行き止まりになってて、
岩に仏像が彫られていた。前に平たい石の祭壇にロウソクのロウが流れた跡が
たくさんあった。その仏像の顔に、画像の顔はよく似ている気がした。
「ああ、そうだ。お前あの仏像も写真に撮ったんだよな。その画像ってあるんだろ」
「それが、いくら探してもないんだよ。撮影の枚数は合ってるから、
仏像の画像の代わりに3人が写ってるのが入ってるんだとしか考えられない」

・・・フラッシュで内部の写真を撮ったことがわかって、
怒った女の子たちと別れたんだ。「なんだよ、
 入れないんだったら、案内とかするなよ」そう文句を言ったんだっけ。
「お前、西田のこともあるし右肘、気をつけたほうがいいぞ」
「偶然だとお思うけどな・・・もちろん注意はするよ」こんなやりとりをして帰った。
また数日後、サッカーの試合で右肘を骨折した。
俺はサッカー部だが、部そのものはろくに練習もしていない弱小チームで、
その試合でケガをした。別に接触プレイもなにもなく、
ただ走っていてパタリと転び、軽く手をついただけなのにポキリと折れてしまったんだ。
幸い手術の必要はなく、その日入院するだけで済んだ。
次の日、休んでいる俺の家に山本がケガをした俺より青い顔をして現れた。

「やっぱり肘やっちまったな。たいしたことがなくてよかったが」
「こうなるとあの写真のせいとしか考えられないか・・・
 仏像の祟りと言えばいいのか。写真はどうなった?」
「それが・・・増えてるんだよ、顔が」山本がデジカメのモニター画像を見せた。
山本の顔の真上に仏像の顔が出ていた。それはこれまでよりもずっと鮮明で、
記憶は薄れているものの洞穴の仏像に違いないように思われた。
こうなると祟りとしか思えなくなった。
「これは・・・前には絶対になかったな。おい、顔はヤバイんじゃないか」そう言うと、
「もう一度あの浜辺に行って、謝ってこようと思ってるんだ」

その週の土曜日、山本と2人であの洞穴に行った。
2人とも車も免許も持ってないんで、電車とタクシーを乗り継いだ
金のかかる旅になった。駅の観光案内所で海岸の洞穴について聞いてみたが、
存在は知っていたけど、詳しいいわれを知る人はいなかった。
その土地近辺だけで信じられているもののようだった。
よくわからなかったんで、おわびの品として酒と5kg入の米の袋、菓子などを買ったが
これで許してもらえるのかどうか・・・大潮の時間が近いんで、
洞穴に急ぐと9月に入った浜は人気がなかった。
注連縄が真新しいのに変えられていた。「これ俺達のせいかな」山本が言った。

かなり躊躇したが注連縄をまたぎ越えて奥に進むと仏像があった。
あのときと同じ顔だし、画像に写っているのもこれだと確信を持った。
祭壇の石の上に酒と米などをお供えし、あとは手を合わせて祈った。
「この間は申しわけありませんでした。お許しください」これを心の中で何度もくり返した。
20分は像の前にいたが、特に変わったことは起きない。
オカルト的なことの渦中にいると、次々と不思議なことが起きるような気がしてくるが、
仏像がうなずくとか、お供えがカタカタ揺れるということもない。
最後に一礼して洞穴を出た。なんとなく説教が済んで解放されたような気分だった。
それから携帯でタクシーを呼んだが、そのタクシーが事故った。
なんと自衛隊の大型車両に追突されたんだ。
俺は骨折していた右手をさらに痛めて切断することになり、
山本は車外に投げ出されてほぼ即死だった。頭が割れて顔が潰れていた。





アーカイブ 女か熊か

2019.04.29 (Mon)
去年の夏に職場の仲間と4人で丹沢湖に行った。
車で行き、貸しキャンプ場をベースにして釣りとハイク程度の山歩きが目的。
3泊4日の3日目だったはず。そろそろ釣りも飽きてきたんで、
午後から林道の横の細い道をぶらぶら歩いてた。
林道はたぶん不老山方面に抜ける道じゃないかと思うけど、
山までは行く気がなくて途中で引き返す予定だったんだ。

しばらくして仲間の一人が「あっ、熊だ」って横の繁みを指さした。
見ると10メートルくらい向こうにいるのは確かに熊なんだが・・・変なんだよ。
普通の熊よりずっと明るい茶色をしてて、
顔はゆるキャラよりはリアルだったけどどう見ても作り物の熊。
それが四足で歩いてたんだ。

「なんだあれ、着ぐるみじゃないか。変わったやつがいるな」
程度の会話をしたけど、その熊が道のわきの藪の中を
ずっとついてくる。「何してんですかー」と、
声をかけたんだが返事はなし。何かの撮影とかしてるわけでもない。
かなりぶ厚い着ぐるみだったから声が出せないのかもしんないけどな。
それが約20分くらいにわたって俺たちの横を見え隠れしながらついてきた。
考えられないだろ。そんな草丈はなかったけど藪の斜面だし四足なんだから、
普通の人間の体力が持つわけがない。

あまり変なんで、途中で4人で走ったりもしてみたんだよ。
そしたら熊もついて走ってくる。動物の走り方とは違ってたけどな。
意を決して皆で近づいて見ようとした。
すると熊の上の方の木の葉がザザザッと揺れて、
俺らが側に行く前に、峪のほうにダイブして行ったんだ。
なんとか藪に入って上から探しても姿は見えずなんだよ。変だろ。

その夜、最後の一泊だからって、テントをやめてロッジを借りて食事も頼んだ。
実はキャンプの管理棟に行ったときに熊の話をしてみたんだが、
首を傾げられるばかりだった。10時頃かな。皆酔っ払ってかなりグダグダだったけど、
昼に見た熊の話をしてた。「ありえねえよなーあんなこと」
ばっかりだったけどな。一人が外のトイレに行くって出てったんだが、
5分くらいしてロッジに駆け込んできた。
「熊だよ、あの熊がいて正体は女だった」って言うんだよ。わけわかんねえだろ。
面白そうだからまずそいつと一緒に外に出たが、
熊がいたっていう共同炊事場には何もいない。

「なんだよ」とか言ってロッジに戻ってそいつの話を聞いたら、
「炊事場の屋根の下に、熊がうつ伏せになってた。
 うつ伏せのままかなり苦労して背中のチャックらしいのを開けた。
 んで背中から裸の女が出てきた。女は髪が長くて眉が太い、
 昭和風の?美人だった。こっちに気づくと、
 ニヤッと笑ってから着ぐるみを持ってすごい速さで走り去っていった」
こんな感じだった。

酔っ払って幻覚を見た、というのは簡単だけど、
昼間の奇妙な熊は俺らも見てるし完全否定もできない。
キャンプ場の区画の外は真っ暗闇なんで探しにいくわけにもいかんし、
そのまま1時過ぎまで酒飲んで寝た。朝まで特に何もなかったと思う。
4日目はボートで釣りをして昼過ぎに帰ってきたんだが、
女を見たやつはずっとぼーっとした、心ここにあらずという感じだったな。

そいつが、帰って来てからも土日ごとに丹沢に行くようになった。
一緒に行こうかと言っても首を振る、そのうち年休をとって山に入るようになった。
何やってんだって聞くと「あの熊・・女を探している、
 すごい筋肉の尻が忘れられない」って言うんだ。
んで12月の月曜に、職場で顔を合わせたときに「仕事辞める」って言い出した。
「山で女と暮らす」って。それで次の日から所在不明になってしまった。
アパートとかも引き払ってあるんだよ。
そいつの実家から親も出てきて警察にも捜索願を出した。
警察署に行って丹沢に始終行ってたという話はしたから、
捜索したかもしれないがよくわからん。今もって行方知れずだ。





アーカイブ 秘密

2019.04.29 (Mon)
中学校3年のときの話だよ。俺は中高一貫校に行ってて、だから受験もなくて、
部活は引退してたから、毎日放課後は仲間と遊び暮らしてたんだ。
でな、その日、同じクラスのやつが2人俺んちに来たんだよ。親は留守だった。
一人は松井っていう部活のときの仲間で、もう一人は滋賀っていうやつだった。
この滋賀は夏休み後に転校して来たんだよ。
だから友だちもいなくて寂しいだろうってんで、その頃たまに誘ってたんだ。
で、3人で俺の部屋に入ったけど、やることはゲームしかねえ。
あとはマンガ読んだりとか、勝手にバラバラにしてたな。
今のガキだってそんなもんだろ。そのうち1時間くらいたって、
なんだか腹が減ってきたんだよ。それで2人に、
ポテチとジュース買いにコンビニ行かないかって誘ったんだ。

そしたら松井は行くって言ったけど、
滋賀は「ゲーム、今、いいとこだから」って
コントローラー離さなかったんだよ。それで2人でコンビニ行ったわけ。
ああそれで、俺んちはその頃、犬飼ってたんだよ。トイプードル。
おとなしいけど人懐っこいやつで、名前はジョンっていった。
で、俺もそれなりにかわいがってたんだ。そいつが部屋の中にいたけど、
滋賀と残して、コンビニに行ってきたんだ。
そしたら家に入った階段のところで、
ジョンがギャンギャン鳴く声が聞こえてきてな。
そんな声出すことはなかったんで、小走りに部屋に入ったら、
滋賀が小さな犬の上に馬乗りになって、両手で首絞めてたんだ。

「あ、おい何してる! やめろ!」俺はあわてて滋賀の背中に飛びつき、
後ろから手をつかんでジョンから引き離したんだ。
「何だよ! 何やってるんだ、ジョンが噛んだのか?」滋賀にそう聞いたら、
やつは息をはずませながら、
「今よう、この犬しゃべったんだ。それも俺の大事な秘密を」
こんなことを言い出した。でも、犬がしゃべるわけないだろ。
それで、滋賀はゲームのやりすぎで錯乱したんだと思うことにした。
で、その場は白けた感じになって、遊ぶのをやめて解散したんだよ。
ああ、ジョンは大事なかった。2時間くらいは喉のあたりを気にしてたけど、
夜になった頃には普通に戻ってたな。ああもちろん、
ジョンがしゃべったりすることはなかったよ。

これがあって、俺も松井も、滋賀とは遊ばなくなったんだ。
そうすると学校に友だちはいないから、いつも一人でいるようになった。
それから1ヶ月くらいたって、
俺が一人で帰ってたら道の前のほうに滋賀がいて、
横の塀を向いてなんか大声を出してたんだ。
「こら、しゃべるな。俺らの秘密をなんでしゃべるんだよ!!」って。
それでジョンのときのことを思い出したんだが、滋賀の目線の先の塀の上に、
ノラ猫が一匹いたんだよ。猫に向かって怒鳴ってるとしか見えなかった。
そうしてるうちに、滋賀は塀に走り寄って猫のしっぽをつかもうとし、
猫は向こう側に飛び降りて逃げってたんだよ。
それで「ああ、こいつはやっぱ危ないやつなんだな」って思って、

俺はその場から離れて道を変えた。動物が話をするわけはねえし、
だいいち、滋賀の秘密ってのがあるとして、
犬や猫がそんなことを知ってるはずもねえしな。
それから10日くらいして、滋賀は学校に来なくなった。
不登校になったんだよ。やっぱ精神を病んでたんだな、
くらいにしか思わなかったけど。
で、さらに2ヶ月ほどたって、次の年に入ったころ、
友だちから滋賀の噂を聞いたんだよ。あいつ猫殺しをしてるみたいだって。
そいつは滋賀の家族が入ってる市営住宅の近くに住んでたんだが、
日曜日に、滋賀が団地と団地の間のせまい通路で、
高価そうな金網のワナで猫をとってるのを見たんだ。

で、金網に入った猫を布袋に移して、猫が暴れるのもかまわず、
袋ごと何度も団地の壁に何度も叩きつけ、だんだん袋が赤く染まっていって・・・
それ以外にも、これは殺してるとこを直接見たわけじゃないけど、
そいつの家のまわりで猫のむごたらしい死体をよく見かけるようになり、
これもやっぱ、滋賀がやってるんだろうと思うって言ってたな。
え、滋賀の家族? いや、わかんねえけど、
両親はそろってたと思う。でも、市営住宅に入ってるんだから、
たいした仕事はしてなかっただろ。
でな、3月になって、もうすぐ中学は卒業ってときに事件は起きたんだ。
ホームルームで帰りの会をしてるときに、突然滋賀が入ってきて、
担任を押しのけて、教壇の前でしゃべりはじめたんだよ。

泣くようなかすれた声だったけど、何を言ってるかはわかった。
「俺と家族の秘密を知ってる犬猫がこの町でも100匹をこえた。
 秘密を知ってる犬猫が100匹をこせば人間にもばれてしまう。
 そうすればまた転校だ。こんなのは俺はもう嫌だ」
だいたいこんな内容だったな。で、滋賀はスタスタ窓のほうに近寄っていき、
サッシを開けてベランダに出ると、
あっさり手すりを乗りこえて飛び降りたんだよ。
ああ、担任もとめる隙がなかった。すぐに下でゴッツンみたいな音がしてな・・・
教室は3階だったけど、滋賀はプールの飛び込みみたいに頭から落ちたから、
助からなかった。ほぼ即死に近かったみたいだ。
それで学校中大混乱になって、警察や救急車も来たんだよ。

それで、その夜のことだよ。
夕食のときに俺が学校であったことを話したんだよ。
そのときにはソファの上にジョンもいた。
母親は他の保護者から電話がきたみたいで滋賀の自殺のことを知ってたけど、
父親のほうはかなり驚いてたな。
俺は「お前も悩みがあったら一人で困ってないで誰かに相談するんだぞ」
みたいなことを言われて、夕食を済ませて自分の部屋に行った。
んで、ベッドに寝転んでマンガを読もうとした。
したら、いつのまにかジョンが部屋に入ってて、
ベッドの俺の足元によっこらせと登ってきた。
いつものことだから、そのままにしてマンガを読み続けたら不意に、

「死んだのか、あんな秘密を持ってりゃ当然だな」こんな声が聞こえた。
なんかアニメの声優がやってるようなかわいらしい声だった。
「えっ!」思わずマンガ本をとり落としてそっち見たら、
きょとんとした顔でジョンがいるだけだったんだよ。
「え? え? 今しゃべったのお前か?」
けど、ジョンは舌を出して、甘えたそうな顔をしてるだけでな・・・
ああ、それからは1度もジョンがしゃべるのを聞いたことはねえよ。
だから俺の聞き間違いだったと思うしかないんだが・・・
ジョンはそれから10年以上生きて死んだよ。でなあ、やっぱ気になるだろ。
滋賀の言ってた秘密ってやつ。もし、もし本当にそういうのがあったんだとしたら、
いったいどんなことだったんだろうな・・・って。





「アルケー」って何?

2019.04.28 (Sun)
今回はこういうお題でいきます。「アルケー」という語を聞かれた
ことがある方は少ないと思います。これは、古代ギリシアの自然哲学で
「万物の根源」を指しています。すべての自然を生み出す源、
世界をつくりだしている根源的な要素、と言っていいかもしれません。

さて、古代ギリシアからエーゲ海をはさんだ対岸(現在のトルコ)は、
イオニア地方と呼ばれ、ギリシア人の植民都市がありました。
ここでは、宇宙や生命の成り立ちを神話によらず説明しようとする
学問が生まれ、それを「イオニア学派」と言います。

イオニア学派を興したのは、タレスと言って前6世紀の人物です。
みなさんは中学生のときに、「半円に内接する角は直角である」
という定理を勉強されたと思います。これを考え出したのが
タレスであるとされています。また、天文学にも精通し、
日食が起きる期日を予言したとも言われます。

DDDDDD (2)

で、このタレスがつくりだした概念がアルケーなんですね。
タレスは万物の根源であるアルケーは水だと考えました。たしかに、
人間の体のほとんどが水分ですので、この考え方は理解できます。
川や海、雨や雲など、自然界には水が満ち満ちています。

その他、ヘラクレイトスは火を、ピタゴラスは数をアルケーとしました。
また、デモクリトスは万物の根源として「アトモス」を考え、
これは「最小の単位にして、それ以上分割できないもの」という意味ですが、
現在使われている科学用語「原子 atom」の語源になっています。

ただ、だんだんにギリシア哲学が進むにつれて、
一つのものからすべてが生まれるという考え方には無理があるのではないか
という論が出てきました。例えば、水がアルケーだとして、
石などの鉱物には水は含まれていないように見えますよね。

エンペドクレス
DDDDDD (1)

そこで出てきたのが「四大元素説」で、始めに提唱したのは、
前5世紀のエンペドクレスという人物です。
エンペドクレスが考えた四大元素は「水・火・土・空気(風)」でした。
彼はこれらの4つを「リゾーマタ rizomata」と呼び、
すべてのものは、この4つの結合と分離からできていると説明します。

ちなみに、みなさんの中には、ファンタジー小説で、火の精霊、水の精霊
などが出てくるものを読まれたことがある方がおられると思いますが、
あれも四大元素説をもとにして想像され、伝説化したものです。
四大元素説はギリシア時代に続く古代ローマ時代に受け継がれましたが、
キリスト教の登場でいったん下火になってしまいます。

古代ギリシアの四大元素説
DDDDDD (3)

その理由はおわかりだと思います。キリスト教では、
万物の根源となるものは「神」なんですね。神がすべてを創り、定め、
支配する。ということで、ヨーロッパ地方は自然哲学にとっては
暗黒の時代になってしまいました。ですが、ギリシア・ローマ時代の
考え方はイスラム社会で継承され、独自の発展をとげます。

そしてその知識が、12世紀から始まる十字軍遠征によって
再発見されることになります。何度か記事に書いたんですが、
ヨーロッパで錬金術が盛んになるのは、この十字軍遠征以降なんですね。
錬金術は、卑金属から金をつくりだそうとするもので、
基本的に、四大元素説にしたがって実験が行われました。

アントワーヌ・ラヴォアジェ
DDDDDD (2)

さて、それから長い年月がたち、はじめて四大元素説を否定したのは、
17世紀の化学者にして錬金術師、ロバート・ボイルであるとされます。
ボイルがいくら四大元素説にしたがって実験をくり返しても、
金はできなかったからです。18世紀に入ると、すべてのものは
「元素」から成り立っているということが、だんだんにわかってきました。

元素周期律表
DDDDDD (4)

アントワーヌ・ラヴォアジェが、著書で33の元素と「質量保存の法則」
を発表したことが、錬金術の終焉、近代化学の始まりとされています。
そして、元素の実質は「原子」であると考えられるようになりましたが、
原子の存在が広く認められるようになったのは20世紀の初頭、
ちょうどアインシュタインが一般相対性理論を発表した頃です。

ということで、古代ギリシアの時代から、長い長い期間をかけて、
物質は原子からできているということが判明したわけです。
さらに、原子はもっと小さく分けることができるのではないかという
考えが出てきました。ただし、これには強い批判もあったんです。

みなさんは中学校で、原子は原子核の周囲を電子が回る構造を持つ
ことを学習しましたよね。そして、原子核はさらに、
素粒子の組み合わせからできていることが判明します。
クオークやレプトンなどのことです。では、素粒子をさらに分割した
最小単位があるのか。これは現在の科学ではわかっていません。

素粒子からできている原子核
DDDDDD (1)

超ひも理論では、素粒子は振動するひもとして説明されますが、
そのひもが万物の最終単位であると言っているわけではありません。
万物の最終的な単位があるのかどうか、
プランク長という限界があるので、なんとも言えないんです。

さてさて、では、素粒子はいったいどうやってできたんでしょう。
これは、特異点から始まったとされるビッグバン直後のごくごく短い時間に
できたと考えられます。そうすると、万物の根源である「アルケー」は、
物質ではなくビッグバンだったと考えたほうがいいのかもしれません。
では、今回はこのへんで。





宇宙パワーの話

2019.04.27 (Sat)
配管工 山田洋平さんの話
俺よ、趣味が車なんだよ。あ、今乗ってるのはシーマってんだ。
日産の車。もちろん新車じゃねえよ。俺の給料じゃ新車なんか買えねえし、
それによ、これは本気で言ってるんだが、新しい車なんてツマンネエだろ。
そりゃ便利で故障しないかもしれねえが、それだけのこった。
旧車は自分でいじる楽しみがあんだよ。車高下げて、ホイール変えて、
エアロつけて・・・ああ、スマン、本題に入るよ。
こないだな、ダチのやってる整備工場に行ったわけ、
別に故障とかじゃなく、オイル入れるためだよ。オイルはマメに替えてるんだ。
したらダチが、「今よ、すげえ評判になってるチェーングッズがある」
って言うんだ。「え、何だ?」 「宇宙パワーオキニスってんだが、
 知らねえのか、お前、ヤバイだろそれ」って。

話 聞いてみると、そのグッズをエンジンルームに貼っつけると、
燃費が向上し、車のトルクも上がるってんだな。どうやらネットで評判に
なってるらしいが、俺は知らなかったんだよ。大手のカーグッズ店には
置いてなくて、通販だけで売ってるらしい。こりゃあしまった、
って思った。俺はその手のもんが大好きで、愛車にはあちこち、
いろんなもんをつけてるんだ。でな、値段聞いてみたら、そんなバカ高くない。
2万ちょっとだった。でな、いくつか取り寄せてあるって言ったんで、
思い切ってつけてもらったのよ。施工時間は10分程度、
ホントにエンジンの横っちょに小さい機械みたいなのをくっつけるだけ。
でな、工場を出てから、さっそく高速に入って飛ばしてみたわけ。
するとどうだ、80キロを超えると俺の愛車はギシギシ言い出すんだが、

それがまるでねえ。鏡の上を走ってるみてえに滑らかだったんだよ。
しかもだ、1時間以上走って戻ってきたのに、まったくガソリンが減ってなかった。
こらありえねえだろ。すっげいいものを買ったなって思ったね。
で、次の土曜日、彼女を誘ってドライブに出た。ファミレスで飯食って、
2時間くらい高速を走ってから、ラブホに入る。
まあ、いつものパターンと言うか、今の彼女とはもう4年目だからな。
ちょっとマンネリ気味なんだが。それで、車のほうは快調もいいとこで、
道路に吸いつくように安定しててな。ふっと気がついたら150キロを
超えてたんだよ。ああ、そんなにスピード出せる車じゃないんだが、
これも宇宙なんとかのパワーのせいだと思った。あと少しで高速を下りるってとき、
それまで黙ってた彼女が変な声を出した。「ギガ、ギガコガギガ」

こんなふうに聞こえた。何だ?と思って見ると、彼女が口を半開きにしてたんだが、
その中が緑色に光ってたのよ。あと、目の焦点も合ってなかった。
「お前、どうしたんだよ」俺がそう言うと、彼女の口から緑の光線が出たんだ。
これ、嘘じゃなくてホントに見たんだよ。その緑色はあっという間に
車の中いっぱいに広がって、俺は前が見えなくなった。
「ギガギゴガ、ギーコ、ギーコ」彼女が出してるらしい声が聞こえ、
俺のほうにおおいかぶさってきた感じがした。とにかく、何も見えねえんだよ。
とっさにハザードをつけて車を路肩に寄せた・・・つもりだったが、
そっからのことはよく覚えてねえんだ。何十分たったのかなあ。
ふっと気がついたら車は停まってて、俺らは高速のパーキングにいたんだ。
入った覚えはないのに。でな、彼女は助手席で眠ってるように見えたんで、

肩を揺すって起こしたら「あ、ゴメン、ちょっと眠っちゃった」って言う。
でな、そんときすげえ小便がしたかったんだよ。だから「トイレに行く」って
言ったら、彼女も行くって言うから2人で車外に出た。
でな、俺は男子便所に入って小便したら、なんと出てきた小便が緑色で
光ってたんだよ。何だこれ、って思った。けどよ、小便が変な色になったのは
そんときだけだったから、医者には行ってねえ。で、車に戻ろうとしたとき、
彼女が空を見上げて「あれ、何?」って言った。「ええ?!」UFOって言うんだろうな。
かなりでかいやつが、俺たちの真上に浮いてたんだ。しばらくそのままでいたが、
急にスピードを上げて山のほうへ消えた。ま、こんな話。え、宇宙パワー? 
それがな、車の調子がよくなったのはそんときだけで、今は普通に戻っちまったんだよ。
ああ、高い買い物だった。あとでダチに文句言っとかなきゃならん。

自動車整備工 村野憲司さんの話
ああ、宇宙パワーオキニスのことっスか。最初はうちの若いもんがネットで見つけて、
自分の車につけてみたらすげえよかったって言うんで、乗せてもらったんス。
俺ね、そんなのはただのオカルトだと思ってバカにしてるとこがあったんスが、
そしたら、そいつのはしょぼい軽なのに、ありえねえ加速をするんス。
まるでベンツのAMGに乗ってるみたいな。こりゃすげえって思ったんス。
勤めてる工場でも扱えないかって考えたんスが、ネット販売しかしてねえって言う。
それで社長に、これ連絡して卸してもらえないかって言ってみたんスよ。
そしたら、お前が言うならそうしてみっかって話になって、
1週間後くらいに発売先から10個が届いたんス。卸値で売ってもらえたが、
個数は限定してるってことみたいで。でね、役得というか、
一つわけてもらってつけてみたら、やっぱスゲえんスよ。

まるで飛ぶように走るっていうか、雲の上を滑ってるような感じで。
いや、どんなしくみなのかはわからないっス。俺はこれでも2級整備士の免許
持ってるんス。けどね、あんな小さい機械をエンジンに貼っつけるだけで、
車の性能があれほど変わるってのは、まるで魔法っスよ。
分解して調べるなんてことはしなかったっス。ああ、今思えば、
そうしとけばよかったかもしれないスね。で、すげえいいもんだと思って、
車の整備にくるダチみんなに、自信を持って薦めたんス。
ああ、その山田ってやつにも買わせました。え、俺?
いや、特別に変なものを見たってことはないっス。緑色の小便?
いやまさか、そんなことはなかったスけど、緑色ってのは何か、
関係があるのかもしれないっス。その宇宙パワーね、

残りは在庫としてガレージの奥にしまっといたんス。もちろんガレージは
鍵かかるし、それ入れてた戸棚も。それがね、取り寄せてから10日目くらい
だったんスが、工場に泥棒が入ったんス。夜中に鍵が全部開けられててね。
でも、盗られたのはその宇宙パワーだけだったんス。
まあね、工場だから現金とかは置いてないし、金目のものたって工具ぐらい
なんスけども。もちろん警察は呼びましたよ。それで、ガレージの中だけど、
緑色のゼリーみたいなもんでべちょべちょになってたんス。
鍵穴とかを中心に、あっちこっちにくっついて気味悪く光ってました。
そしたらね、そのせいか、警察とは別のチームが来たんス。
あれ、自衛隊なんじゃないかなあ。特殊部隊っていうのかな。
よくわからないスけど、防護服みたいなのをつけたやつらが特殊車両で来て、

あっちこっち棒みたいなのを突っ込んでました、ガイガーカウンター?
さあ、わかんないっスよ。そいつらは緑色のゼリーを採取して、
残ったのは火炎放射器を使って焼いてました。あとね、社長をはじめ、
俺ら工員全員が、大きな国立病院で検査を受けさせられたんス。
いや、特に異常はなかったみたいスけど。それでね、
さらに1週間後くらいっス。俺の車はアパートの駐車場に置いてあるんスけど、
朝に乗ろうとしたら、ボンネットにあの緑のゼリーがべとっとついてて、
あ、これは!と思って中を開けたら、宇宙パワーがなくなってたんスよ。
工場と同んなじやつらがやったんスかね? いや、警察には言わなかったス。
俺、警察嫌いでね。その緑のゼリーは水道のホース使って
きれいに洗い流しておいたんス。奇妙な話っスよねえ、どういうことなんスか?

陸上自衛隊 隊員 木村翔太さんの話
これ極秘なんですけど、上官のほうからここで話してこいって言われましたので。
はい、こないだ極秘の任務があったんです。夜中に、山の中にある
工場らしきところを自分ら特殊チームで急襲したんです。もちろん完全武装で。
でも、そのかなり広い工場はもぬけの空、誰もいませんでしたし、
機械類も残ってなかったんです。中は、壁といわず床といわず、
緑のゼリーみたいなものでべとべとになってました。
それ全部、火炎放射器で焼いたんですよ。まあ、負傷することもなかったし、
特殊手当も出たんでよかったんですけど。でね、作戦が終わって工場の外に出たら、
空に巨大なUFOが浮かんでたんです。いや、初めて見ました。
隊長が航空自衛隊に連絡してましたが、UFOは何度も光を明滅させながら、
ゆっくりと山の陰へと飛び去っていったんです。






天皇退位と怨霊

2019.04.27 (Sat)
アーカイブ94

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今回はこういうお題でいきます。これもけっこう地味な話になりそうです。
さて、2017年に公布された「皇室典範特例法」にのっとり、
今上陛下は、2019年4月30日に退位し、5月1日に、
皇太子徳仁親王殿下が即位して、新元号への改元を行うことが決定しています。

なんで特例法が必要だったかというと、皇室典範には、
「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」とあるためです。
つまり天皇は、崩御するまで天皇でなくてはならず、生前の退位は認められて
いなかったんですね。これは、1889年(明治22年)に、
大日本帝国憲法と同時に発布された旧皇室典範から続く規定です。

では、どうしてこういう規定ができたのか。これにはいろんな要因があります。
まず、明治期には、富国強兵政策を推し進め、欧米列強国と伍していくため、
権力の一点集中が必要とされました。明治政府は、
絶対的な天皇の権威を背景として、さまざまな改革を行っていきます。

もう少しわかりやすく説明すると、もし、天皇の生前の譲位が認められれば、
先の天皇は上皇となって、権威が分散してしまうことが危惧されたんですね。
中央政府とは別の勢力が、上皇を担いで反乱を起こす可能性があります。
そのてのことは、長い天皇家の歴史の中で、なかったわけではありません。

また、もし生前退位が認められていると、やはり外部勢力が、
現天皇が気に入らないからといって強制的に退位させたり、また天皇自身が、
自分から退位してしまう可能性もあります。江戸時代の後水尾天皇は、
「紫衣事件」など、天皇の権威を失墜させる江戸幕府の行為に耐えかね、
幕府に対する腹いせで譲位しているんです。

後水尾天皇


そのような事態を防ぐため、明治以来、天皇は、崩御されるまで
ずっと天皇位にいなくてはなりませんでした。今回の生前退位も、
皇室典範そのものの改正も検討されましたが、上記のようなことのため、
特例法で対応することになったんですね。

ちなみに、昭和天皇までの124代の天皇のうち、生前退位は、
半分に近い58回あったとされます。その最初は、645年に35代皇極天皇が、
弟の孝徳天皇に対して行ったものです。また、最後に譲位が行われたのは、
江戸時代後期の1817年で、今回はほぼ200年ぶりということになります。
今上陛下の退位後の称号は「上皇」、退位した天皇の后は「上皇后」です。

孝徳天皇(軽皇子)


さて、みなさんは「院政」という言葉を学校の歴史の授業で勉強されたと
思いますが、院政とは、「天皇が皇位を後継者に譲って上皇となり、
政務を天皇に代わり直接行う形態の政治」のことで、
1086年に、白河天皇が譲位して白河上皇となって始まりました。
上皇のことは「院」とも呼ぶので、院政という言葉ができたんです。

また、「法皇」という言葉もありますが、これは上皇が出家した場合に
用いられます。では、「治天の君」という言葉はご存知でしょうか。院政期には、
頻繁に譲位が行われ、同時に上皇3人に天皇1人がいたときもあります。
それだと世の中が混乱しますよね。そこで、天皇家のトップとして、
実質的に政務を行った人物を、治天の君と呼ぶようになりました。

治天の君は、上皇の1人だったことも、現役の天皇だったこともあり、
上皇が治天の君の場合は院政、天皇だった場合は親政と呼びます。
・・・ここまで長々と説明してきましたが、いったい何人の方が
読んでくださってるでしょうか。やっと怨霊の話に入ることができます。

怨霊と化した崇徳上皇
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保元元年(1156年)、鳥羽天皇が崩御すると、崇徳上皇と後白河天皇の
兄弟が治天の君の座をめぐって争い、後白河天皇が勝利しました。
これが「保元の乱」ですね。戦いに敗れた崇徳上皇は、剃髪して投降しますが、
讃岐国へ流罪となります。上皇が配流されるのは400年ぶりのことでした。

ここからは『保元物語』からの話です。讃岐国での軟禁生活の中、
仏教に深く傾倒した崇徳院は、五部大乗経を写経して、自らの反省と
戦死者の供養のため、写本を京の寺に収めてほしいと朝廷に差し出しましたが、
弟の後白河院は「呪詛が込められているのではないか」
と疑って受け取りを拒否、写本を送り返してよこしました。

後白河上皇(法皇)


崇徳院は激怒し、舌を噛み切った血で写本に、「われ日本国の大魔縁となり、
皇を取って民とし民を皇となさん」 「この経を魔道に回向す」と書き込み、
朝廷を呪って爪や髪を伸ばし続け、生きながら天狗になったとされています。
また、崇徳院の亡骸を収めた棺からは、
蓋を閉めていても血があふれ出てきたともあります。

一説には、崇徳院の死は、朝廷が送った刺客による暗殺だという話もあるんです。
この後、大火や源平の戦いが起きて、世の中は乱れに乱れ、
崇徳院の怨霊のしわざという噂が広まり、ついに後白河院は、
怨霊鎮魂のため、「讃岐院」の院号を「崇徳院」に改めることになります。

経文を血で染める崇徳上皇
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それでも怨霊の猛威はやまず、崇徳院が变化(へんげ)した大天狗は、
『太平記』や、上田秋成の『雨月物語』などの作品に登場しています。
明治天皇は1868年、自らの即位にあたり、勅使を讃岐に遣わし、
崇徳天皇の御霊を京都へ帰還させて、白峯神宮を創建しました。

さてさて、ということで、天皇の譲位、生前退位は、不幸な歴史を背負って、
怨霊まで生み出してしまっているんですね。
まあ、現代の世にそういうことはないとは思いますが、このような背景から、
各方面から危ぶまれていたわけです。では、今回はこのへんで。






カエルのオカルト

2019.04.26 (Fri)
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邪馬台国の有力候補地とされる桜井市の纒向遺跡で、モモの種などが
多数出土した穴(3世紀中ごろ)からカエルの骨が100点以上出土していた
ことが分かった。専門家は祭祀(さいし)で供えたのではないかとみている。

カエルの骨は117個あり、ツチガエル(94個)、
ナゴヤダルマガエル(13個)、ニホンアオガエル(10個)と分かった。
少なくとも計12個体を確認した。推定体長は4~7センチ。

これら3種は現在の遺跡周辺では生息していないという。
ただ唐古・鍵遺跡でもこの3種の骨は出土しており、当時は奈良盆地の
低地で生息していたと考えられる。
(奈良新聞)

纏向遺跡出土 傷のついたカエルの骨
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今回はこの話題を中心に、カエルに関するオカルトを取り上げてみたいと
思います。まず、纏向遺跡で多数発見される土坑は人為的なもので、
水が出てくる深さまで掘り下げられ、祭祀で使われた土器や木製品、
供献品が廃棄されている場合がほとんどです。
以前、大量の桃の種が出土して話題を集めました。

カエルの骨が見つかったのは、纒向遺跡の中枢とみられる大型建物跡
(3世紀前半)の南側で、建物の解体後に掘られたと考えられています。
また、上記した桃の種と同じ土層からの出土のため、
時代も同じ3世紀前半から中葉頃のものでしょう。

今回はカエルの骨ということですが、自然に土坑に侵入してきたものとは
考えられません。あまりに数が多いですし、もし自然に入ってきて
死んだ場合は、ほぼ全身部分の骨がつながって出土するはずですが、
そうはなっていないからです。

纏向遺跡の大型建物遺構
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また、骨には傷がついており、人為的につけられた可能性があるそうです。
これらのカエルはおそらく、神にささげられた後、
祀りの出席者が食べ、骨を穴に捨てたんでしょうね。
ただ、日常的にカエルが食用とされていたのかは、よくわかりません。

出土例が少ないんです。鳥取市の青谷上寺地では、食用と考えられる
カエルの骨が出土していますし、奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡では、
焼いて薬にしたとされるカエルの骨が見つかっています。ですが当時、
カエルは豊富にいたと考えられ、そのわりには出土例は多くはないんですね。

カエルについては、それが描かれた土器が出土していますし、
銅鐸絵画には、カメやカマキリ、水鳥などとともに描かれ、
当時の人にとっては、たいへんに身近な生物であったのは間違いないでしょう。
ただ、カエルが神聖視されていたかどうかはわかりません。
根拠はないですが、自分は、違うんじゃないかという気がします。

さて、カエルといえば、連想するのはまず「水」と「蛇」ですね。
古来から、日本では流れる水の祭祀が行われていました。纏向遺跡内では
大きな人工の水路(大溝)が見つかっていますし、巻野内では、
祭祀に使用されたと見られる導水施設が出土しています。ですから、
カエルが水と関連して祭祀に用いられたと見るのは不自然ではありません。

巻野内の導水施設遺構
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次に蛇のほうですが、纏向遺跡からのぞむ三輪山は、古来から神聖視されており、
その神の本体は蛇身であるという伝承があります。
ですから、蛇にカエルを捧げるとなると、これはぴったりなんですが、
やはり時代の異なる話なので、そう安易に結びつけるのはよくないんでしょう。

ちなみに、前にもご紹介してるんですが、邪馬台国の女王、卑弥呼ではないか
とする説もある倭迹迹日百襲姫は、『日本書紀』では、三輪山の神、
大物主の妻となったが、夫は夜、暗くなってからでないと姿を見せない。
そこで、姫が夫の姿を見たいと頼み込むと、

三輪山
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「明日の朝、櫛笥の中に入っている」と言われます。翌朝、櫛笥を開けると、
そこには小さな蛇がいたたため、姫が驚いて叫び声を上げると、
大物主は怒って空に上っていった。姫はは後悔してその場に座り込み、
そこにあった箸で陰部を突いて死んだので、葬られた墓を「箸墓」と
言うようになった・・・こういう記述があります。

箸墓には、卑弥呼の墓ではないかとする説もあります。また、
大物主は酒造りの神でもあり、考古学者の石野博信氏は、三輪山麓には
古代から聖水思想があり、纏向遺跡の井泉や導水施設は、井水を浄化して
聖水とするための施設ではないかと推測しています。

さて、古代史の話はこれくらいにして、カエルのオカルトというと、
ガマは魔力を持っているというような話がありますね。
中国では、10世紀ころに劉海蟾(りゅう かいせん)という人物がいましたが、
この本名よりも「蝦蟇仙人」として有名です。

蝦蟇仙人 歌川国芳
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蝦蟇仙人は、青蛙神という三本足の巨大な蝦蟇をつねに従えていて、
さまざまな妖術を使ったとされます。蝦蟇仙人はこの蛙を捕えるために、
金貨で釣り上げて従えたといわれ、そこから、 家の庭先にカエルがでると、
その家に金運があり、幸せが訪れるとされています。

この話が元になって江戸時代に創作された架空の忍者、
「自来也 じらいや」は、大蝦蟇に変身する妖術を使いました。
また、昭和の特撮テレビドラマ「仮面の忍者 赤影」には、
ガマ法師が出てきて、赤影を苦しめています。

さてさて、カエルで連想するものには「雨」もあります。
日照りのときに雨を呼ぶということで、岐阜県の日吉神社や、埼玉県の
姥宮(とめみや)神社では、カエルは神の使い、眷属とされています。
また、奈良県の吉野町では、県の無形民俗文化財の、
「国栖奏(くずそう)」という伝統行事で、神前にカエルが供えられます。

ということで、カエルについてみてきました。みなさんの中にも、
子ども時分にオタマジャクシを飼ったという人がいるんじゃないでしょうか。
古来から日本人にとって、身近にいる親しい生き物だったんですね。
では、今回はこのへんで。

仮面の忍者赤影と千年ガマ
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アーカイブ 猫袋

2019.04.26 (Fri)
もうだいぶ前のことになりますし、
みなさんと違って幽霊なんかが出てくる話じゃないけどいいんですか。じゃあ・・・
新婚2年目の5月のことです。前の年に赤ちゃんができて、生後半年でした。
あの頃は集合住宅に住んでいまして・・・かなり大きな団地でしたが古くて・・・
入居者も歯がかけたようにほつぽつとしか入っておらず、
子どもがもう少し大きくなったら新しくて広いところに越そうと、夫と話をしていました。

夫は食品販売の会社に勤めていたんですが、
4月から3ヶ月の長期出張で地方支店に行ってました。
週末には帰って来ましたが、平日は赤ちゃんと2人でのんびりと過ごしていたんです。
それでですね、第2週の月曜に、右隣に新しく人が越してきたんです。
事前の連絡なんかはなかったです、自治会があまり機能してなかったんですね。
私が午後に赤ちゃんを乳母車にのせて2時間ばかり買い物に出ている間に、
もう引っ越しは済んでしまっていましたから荷物はあまりなかったんだと思います。

先ほど、のんびりしたと言いましたが、やはり寂しさもありましたので、
話し相手になるような人ならいいなと思ってました。
ところがその日も、翌日もご挨拶も何もなかったんです。
こちらから伺うのもなんですし、そういうのが今風なんだと思って黙ってました。
ところがそれだけじゃなくて、通路で会ったとき私から挨拶しようとしたら、
ふいと横を向いて部屋に入ってしまったんです。
私より5歳位上でしょうか、ちょうど夫くらいの年齢だと思いました。
きれいな方だと想うんですが、
ボサボサの髪に化粧っ気はまったくありませんでした。

失礼な人、と思いましたが、どうやら一人暮らしで、
昼夜逆転の生活をしているようでした。
日中は出かける様子がないし、夜ずっと部屋に明かりがついていたんです。
どうしてわかるかというと、物干し場をかねているベランダが、
胸までの高さの仕切りはあるもののつながっていて、
そこから身をのり出すとサッシ戸がのぞけるんですが、
新しいカーテンのすき間から夜中ずっと明かりが見えてたんです。
いえ別に監視していたわけじゃなくて、なんとなく薄気味が悪いなと思ってたんです。
・・・夜の仕事というわけではなさそうでした。
ときおり深夜に出かけることもありましたがすぐ戻ってきて・・・
食料をコンビニ等で買ってたんだと思います。

そのうち土曜日になり、夫が帰ってきたのでお隣の話をしましたが、
「へえ、そう」と言ったぐらいでほとんど関心がないようでした。
翌週の月曜日、天気がよかったのでベランダに洗濯物を干していましたら、
そのお隣のベランダを白い猫がうろついていました。
動物が好きではないので種類はわかりませんでしたが、
ごく普通の日本の猫に見えました。ノラ猫ではないと思いました。
この4階のベランダに登ってくることができるとは思えませんし、
首に鈴がついてチリチリ鳴ってましたから。それに手術しているのか鳴き声もたてません。
お隣で買っている猫なんだろうか・・・
団地はペット禁止でしたが、そのときは苦情を言うつもりはなかったんです。

それが・・・数日後風を入れるためにサッシを開けていたら、
どうやらその猫が入り込んだようなんです。
寝室のほうに寝かせてある赤ちゃんのベビーベッドの布団に、
ひじょうに臭いシミがついていました。
もちろん赤ちゃんはおむつなので、赤ちゃんのおしっこというわけではありません。
いつも寝室への襖は少し開けていますので、
ベランダを通ってそこから入り込んだとしか考えられませんでした。
これは苦情を言うしかないと思い、意を決して通路に出、
隣の部屋のインターホンを押しました。
しばらく間があって「・・・何ですか」と機械のような抑揚の返事が返ってきました。

「あのお宅で飼っている白い猫のことなんですが・・・」
「・・・猫がどうしたって」
「ベランダからうちに入り込んでるみたいなんです」
「それで?」
「困るんです。うちには赤ちゃんもいますし」
ここでまた間があって、「赤ちゃん!!」と、
インターホンからあざ笑うような声が聞こえました。
「ドア開けられないからそのままベランダに出て。そこで話すから」
ベランダの仕切りごしに話をするということなんだろうか、
なにか部屋に入れられない理由でも・・・それで不承不承ベランダに出ました。

待っているといつまでも出てきませんので、そこから声をかけました。
「あのベランダに出たんだけど」
するとサッシのすぐ後ろから「今行く。準備してるんだよ」と声がして、
隣の女が両手に頑丈そうな白の布袋をひきずって出てきました。
相変わらずボサボサの髪でジャージの上下でした。
「あんたに迷惑かけたようだから猫を始末するよ・・・どっちの袋に猫入ってると思う」
わけがわからず黙っていると、
「早く選べよ、この2つの袋には猫とお前の赤ちゃんがはいってるんだよ」
「嘘!!そんなことありえない」

「・・・お前が最後に赤ちゃんを見たのはいつだよ?
 さっきこの仕切りを乗り越えて袋に入れたんだよ」
袋は下に置かれていましたが、よく見るとどちらも布を突っ張るようにして、
中で動いてるものがあります。私は思わず赤ちゃんを見に部屋へ戻ろうとしましたが、
「動くな!動くとガキを入れたほうを下に放り投げるよ!」
「早く選びな。3つ数えるうちに選びな、1 ・ 2・・・」
私は仕切りにとびついて乗り越えようとしました。でも足が上がりません。
女は片方の袋を持ってベランダの向こうの仕切りまで後じさりすると、
高笑いしながら、両手で袋を外への手すりの下のコンクリの柱に叩きつけ出しました。
「アハハハハハハハ、さあ、死ね、死ね」

袋の中で「ギッ、ギイイッ」というくぐもった声がしていました。
女はすぐに疲れて、袋をコンクリの角に立てかけて足で踏み始めました。
「ギッ、ギニャッ」 「アハハハハハハハハ」白い袋に赤く血が滲んできました。
私は仕切りを越えるのをあきらめ、寝室まで走りました。
赤ちゃんはベビーベッドですやすやと眠っていました。
「お前の赤ちゃんは声帯取ってないだろうが、アハハハハハハハア」
ベランダで女が叫び声を上げていました。
私は迷わず警察に通報しました。

ここからのことは話したくないです。
女は夫の昔の恋人だったみたいです。
あの団地のことを調べて越してきたみたいなんですね。
夫がそのことを知っていたかどうかはわかりません。
裁判のときには知らなかったとは言ってましたが・・・
離婚したんです、このことのせいで。
女のほうは動物虐待ですか・・・たいした罪にはなりません。
両親らしき人が警察から引き取って連れて帰ったはずです。
どこかの病院に入院してるんじゃないかと思いますがわかりません。
ああ、猫の袋とは別のもう一つのほうには、赤ちゃんの動くリアルな人形が入ってました。
・・・すみませんね、不愉快な話をしてしまって。次の方どうぞ。





コールセンターの話

2019.04.26 (Fri)
アーカイブ92

以前といっても、もう10年ほど前ですけど、コールセンターでアルバイトを
していたときの体験をお話します。ほんとうは思い出すのも嫌なんですけど、
納得がいかない部分があって、気にもなるんです。
それで、もしかして こちらで解決していただけるかもしれないと思いまして。
当時、私は短大を卒業したばかりだったんですが、
就職がうまくいかず、アルバイトで生活していたんです。
それで、友だちの紹介でそのコールセンターで働くことになりまして。
業務の内容はインプットといって、お客様からの電話を主にお受けするんです。
はい、こちらから電話をかけるのはアウトプットと言いますが、
それはやったことはありません。そのコールセンターは、
家庭教師派遣と学習教材の会社の委託でしたので、解約などの電話が多かったですね。

それで、ご存知かもしれませんが、イタズラ電話がすごくたくさんあるんです。
そうですね、そこの場合は、電話番号が子どもの目に触れやすいので、
子どものイタズラは多かったです。あと、ワン切りや無言電話。
無言の場合はしばらく待って、こちらから切りますので楽ですけど。
大人の場合は、いわゆる「変態電話」も多かったです。
あの・・・放送禁止用語を連発する人や、こちらの下着の色とかスリーサイズを
聞いてくる人なんかも。それから、変わったところでは、
寿司50人前をわざと注文する人や、聖書をえんえんと読みあげる人とか・・・
でも、私は神経が図太いほうでしたので、そういうのはそんなに気にならなかったんです。
対応としては、まず「この通話は録音されており、あなたの番号も記録されている」
ということをやんわりと丁寧に通告します。

それでもやめない場合は、男性のイタズラ対応スタッフに代わってもらうんですが、
こちらが代わりますと言って保留すると、向こうでも男性が出ると思って、
その間にたいがいは切れるんです。そんなでしたから、
イタズラへの応対も慣れたつもりだったんですが・・・ ある日、夜のシフトのときに、
私がとった電話で男性の方が出まして、ひとしきり教材関係の話をされ、
それからふっと間があって、「ところで占いって信じますか?」みたいに言われ、
「いいえ、あまり」と答えたんです。そしたら「じゃあ、あんたの名前を占ってみようか。
 ちょっと待ってね」それからガサゴソという音がして、
「ああ、わかったよ。あんたの名字は○○、下のほうは□□でしょ。
 違いますか?」それ、ばっちりあたってたんです。まさか、と思いました。だって、
コールセンターは回線がたくさんあるので、誰が電話を取るかはわからないはずです。

私がそこに勤めてることを知ってる知り合いが、冗談でかけてきてるのかとも考えましたが、
心あたりがなかったんです。声は・・・まだ若い、20代から30代くらいだと思いました。
もちろん聞き覚えはありません。私が言葉に詰まっていると、
「どう合ってるでしょ。じゃあ次、住所を占うよ。あんたの住所は・・・・・・・」
これもぴったり正解で、当時私が住んでいたアパートのものだったんです。
「え、何で、どうして?」と思いました。
電話は「これも正解だよね。じや、今日はこんくらいで。またかけるから」
そう言って向こうから切ったんです。頭がくらくらとしたんですが、
1人で考えてもダメだと思って、すぐSV(スーパーバイザー)さんに相談したんです。
そしたら「それ、ストーカーかもしれないな。向こうの番号はチェックされてるから、
 何度もかかってくるようだったら、君につながないようにする。
 
 それと、もし今後も何かあるようだったら、警察に相談したほうがいいかもしれない」
そんなふうにアドバイスされました。それから、2週間ほどは何事もなかったんですが、
ある日 夕方ころに取った電話が、またその人からだったんです。
ええ、声もそうだし、雰囲気で「ああ、あのときの人だ」ってすぐわかりました。
そのときは教材の話はせず、最初から自分で「もしもし、この間の占いのもんだよ。
 ああ、他の人と代わらないで。すぐ終わるから」一方的にそう言うと、
続けて「あんた、昨日の夜、部屋に彼氏が来たでしょ」って。
はい、当時 彼氏がいまして、たしかに前の晩は私の部屋に泊まりにきてたんです。
「あんたの彼、かっこいいね。結婚考えてるの? それと、
 あんたが飼ってる猫もかわいいねえ。これも占いで出たけど、猫の名前はチコだよね」
そこで、やはり向こうから電話を切ってしまいました。

これで本格的に怖くなりました。占いでそんなことがわかるわけはないですよね。
これはやっぱりストーカーだ、どっかから部屋を監視されてるんだ、って思ったんです。
私が住んでいるアパートの住人の顔も思い浮かべてみたんですが、
そういうことをしそうな人は思いつきませんでした。
もちろんこのときもSVさんに話しました。そしたら「向こうの番号をチェックして、
 ブラックリストに入れる。最初からイタズラ応対のスタッフに回るようにするよ。
 それと、やっぱり警察に連絡だな、これは」こんなふうに言われました。
それで少し安心したんですが、でも、翌日になって
「向こうの電話番号ね、公衆電話からだった。だからこっちからはどうにもできない。
 また別の公衆電話からかけるかもしれないから。
 ただ、次も君が取る確率は低いはずだと思うけど」って知らされたんです。

はい、警察には相談に行きました。けど、相手が誰なのかもわかりませんし、
調書はとられましたけど、警察ではその段階でできることはないようでした。
・・・それからまた3週間ほどして、その人からの電話を私がとってしまったんです。
「ほら、またあんたにつながった。こっちは公衆電話からだけど、
 何時何分何秒にかければあんたに回線がまわるか、占いでわかるんだよ。
 あ、切ったり代わったりしないで。俺、これから自殺するんだ、今かけてるのが、
 △△にあるいのちの電話ってやつ」・・・△△というのは有名な自殺の名所でした。
私は頭が麻痺したみたいになって、何か言い返すことも、
電話を切ることもできなかったんです。
「それでね、1人で死ぬのは寂しいから、あんたの猫ね、チコ連れてきてある。
 いっしょに死のうと思って」 え、まさか!!!と思いました。

チコは私が仕事にきている間、部屋から出られないようにしてあるんです。
「ググッ、グギャニャッ」みたいな声が電話の向こうから聞こえてきました。
「待って、嘘でしょ! やめて!!」思わず電話口で叫んでしまいました。
「じゃあもう死ぬから。まずチコに先に行ってもらう。・・・ギニャーッ!!」
猫らしき悲鳴が聞こえて、これは間違いなくチコの声だって思ったんです。
私は呆然として、ヘッドホンをつけたままデスクに倒れ込み、
頭をぶつけてゴンという大きな音を立ててしまったんです。
それに気づいたスタッフや上司が駆けつけてくれました。
そのときには電話はもう切れてたんです。抱え起こされた私が事情を説明すると、
上司がその場で警察を呼んでくれたんです。はい、上司と警官2人とで、
自分のアパートの部屋に行きました。

ドアを開けてチコが出てきたときには、ほっとして泣き出してしまいました。
ああ、あの電話で聞いた猫みたいな声はチコじゃなかったんだ・・・
それで、そのときのことがあまりにショックだったので、
コールセンターのバイトはやめることにしたんです。
あと、警察のアドバイスもあって、そのアパートはひき払うことにしました。
ええ、彼氏がいいって言ってくれたので、
彼の部屋でいっしょに住むことにしたんです。ただ、彼のところはペット禁止でしたので、
残念でしたけどチコは実家に預けることにして・・・最後のなごりを惜しもうと
チコを抱き上げたんです。そしたら・・・チコの白いお腹に、
それまで気づかなかった字のようなものがあるのが見えました。
毛ではっきりしませんでしたが、黒マジックか何かで「占いおとこ」って・・・






ウィグナーの友人と神

2019.04.25 (Thu)
去年、オーストリアのウィーン大学に在籍するCaslav Brukner氏が、
複数の粒子の量子もつれ(エンタングルメント)を同時に利用することで、
「ウィグナーの友人実験」を研究室内で再現する方法を考案しました。
Proiettiと彼のチームは、これを実行に移すことに成功したのです。

彼らはもつれの発生した6つの光子を利用して2つの現実を作りました。
一つはウィグナーを表し、もう一つは友人です。「友人」側は光子の回転軸
(上向きか下向き)を観測して結果を記録し、「ウィグナー」側はその後、
観測結果と光子が重ね合わせになっているかどうかを観測します。

量子力学上、光子の回転軸は、観測されるまで上向きと下向きの状態が
重なり合っているとされます。普通に考えれば、「友人」が観測した段階で
回転軸はどちらかに収束し、「ウィグナー」から見ても「友人」と同じ結果が
得られるはずです。しかし結果はウィグナーの予想通りで、
二つの現実は一致しませんでした。
(GIZMOD)

ssadwe (2)

科学ニュースから、今回はこういうお題でいきます。ただこれねえ・・・
難しいというか、考えても無益かもしれない内容なんですよね。
なぜ無益なのかは、後のほうで少しふれたいと思いますが、
このニュースのような物理学的内容を「解釈問題」と言います。

さて、みなさんは「シュレディンガーの猫」の思考実験はご存知でしょう。
当ブログでも何度か取り上げていますが、もう一度簡単におさらいすると、
「蓋のある箱に猫を一匹入れる。また、箱の中にはラジウムがあり、
このラジウムは1時間に50%の確率でアルファ粒子を放出する。

アルファ粒子が放出された場合、ガイガーカウンターがそれを検知し、
青酸ガス発生装置のスイッチが入って、ガスを吸った猫は死ぬ。
量子力学的には、アルファ粒子の放出は確率的に記述される。つまり、
粒子が放出された状態と放出されない状態が重なり合っていることになる。
では、猫についても、死んだ猫と生きた猫が重なり合っているのか?」

だいたいこんな内容です。まず、「量子力学的な記述」について説明します。
昔は、原子核のまわりを回る電子は下の図の左のような形で表わされました。
これをラザフォードモデルと言います。しかし、量子力学が進展するにつれ、
電子が原子核のまわりのどこにあるのかは、
確率的にしか言えないという考え方が強くなってきたんですね。

ssadwe (3)

電子は原子核の周囲のどこにあるかはわからない。ただし、電子がある確率が
高い場所と低い場所がある。これは空に雲の濃い場所と薄い場所が
あるのと似ている。だったら電子の場所は確率の雲として図示しよう。
そうして考え出されたのが、図の右側です。で、この電子の雲は、
観測された瞬間に収縮して、ある一点に定まります。

「シュレディンガーの猫」の場合も、猫の生死を蓋を開けて観測するまでは、
死んだ猫と生きた猫が、重なった状態で存在している・・・
さすがにそうは思えませんよね。ですから、この思考実験には多くの
批判が出されました。その代表的なものとして、「ミクロの世界の現象を
マクロの世界に適用してはならない」とするものです。

この場合、ミクロの世界は「アルファ粒子の放出の有無」であり、
マクロの世界は「猫の生死」です。この論は一見正しいように思えます。
「トンネル効果」という現象があります。エネルギー的に、
通常は超えることのできない領域を、粒子が一定の確率で通り抜けてしまう
ことで、それがミクロの世界では起きるんです。

ですが、例えばみなさんが野球のボールを壁に向かって投げたとして、
ボールが壁を通り抜けることはありませんよね。ボールを投げるのは
マクロの世界であり、そこにはミクロの世界の法則は通用しない。
だから、「シュレディンガーの猫」でも、生きた猫と死んだ猫が
重なり合っているなんてことはありえない。

ssadwe (5)

まあ、たしかに常識的な解釈です。ですが、「ミクロの法則はマクロには
通用しない、マクロの世界では量子的な効果は消えてしまう」ということが、
本当に正しいかどうかは証明されていないんです。もしかしたら、
たいへんに低い確率ですが、ボールが壁を通り抜けることも
起こりえるのかもしれません。

さて、引用ニュースの話に戻って、「ウィグナーの友人実験」とは、
ノーベル物理学賞受賞者のユージン・ウィグナーが、「シュレディンガーの猫」
のバリエーションとして考え出した思考実験で、「観測」ということを
より重要視しています。だいたいこんな内容です。

ユージン・ウィグナー
ssadwe (4)

「アルファ粒子が放出されると、箱の中のランプがつく。
ウィグナーの友人はそれを観測すれば、粒子が放出されたかどうかがわかる。
友人はその結果を別室から部屋に入ってくるウィグナーに伝えるが、
そのとき、友人のいる部屋は、ウィグナーにとっては
シュレディンガーの猫の箱と同じ状態になっているのではないか?」

ウィグナーが部屋に入って友人に聞くまで、当然ながらランプがついたか
どうかはわからないわけです。とすれば、ウィグナーからみれば、
いまだにアルファ粒子は、放出された状態と放出されない状態が重なり合って
いることになります。でもまあ、友人が見た結果とウィグナーが見た結果が
同じなら、それほど問題はないだろうと思いますよね。

ところが、最近の実験で、矛盾するような結果が出てきました。
わかりやすくするために極端な話をすれば、「友人はランプがついているのを見た」
「ウィグナーが確認するとランプはついていなかった」これだと、客観的な現実は
存在せず、観測者によって世界は異なる、ということになってしまいます。

引用ニュースの実験のイメージ
ssadwe (1)

また、もし、友人とウィグナーがいる研究所に別の研究者が来て、
ランプがついてるかどうかを聞いたらどうなるでしょう。その研究者にとっては、
研究所の建物が、シュレディンガーの猫の箱になってしまいます。
さらに、研究所は塀に囲まれていて、その外からまた別の研究者が・・・(笑)
という具合に、無限に続く入れ子構造を想定することもできてしまうんです。

さて、ここまで読まれて、みなさんはどうお考えになられたでしょうか。
これについて、無限の観測の上に立つ、究極の観測者を想定する論があります。
つまり、その観測者だけは、死んだ猫と生きた猫の重ね合わせなどということに
左右されず、全ての出来事を無限の視点から観測して結果がわかっている。
もうおわかりでしょう。この観測者は、神ということになります。

さてさて、最初に書いた話に戻って、量子力学では研究者に対して
「若いうちは解釈問題には立ち入るな」と言われることが多いんですね。
いくら解釈問題に深入りしても、ノーベル賞級の確たる成果は出ず、
学者として一番頭の働く時期をムダにしてしまうという意味です。
では、今回はこのへんで。





アーカイブ 長いお休みの話

2019.04.25 (Thu)
これ、昭和30年代の、私が6年生のときの小学校最後の夏休みの話です。
当時は、絵に描いたような田舎に住んでましてねえ。
ええ、ゲームなんてない頃で、子どもは外で遊ぶのが当たり前でした。
当時はほら、少子化なんてこともなく、兄弟が5人ぐらいいるのも珍しくなかった
ですから、家にいても自分の部屋はないし、小さい子のお守りをさせられるしで、
夏休み中なんかは、朝から捕虫網を持って駆け出してったもんですよ。
今とは違って虫もたくさんいたし、空き地に行けば子どもが集まってて、
鬼ごっこしたり、野球したりしてたもんです。
それに、暑くてどうにもならないときは、渓流を遡ってって泳いだりもしました。
もっともこれは、学校では危険だからと禁じられてましたが、
言うことなんか誰も聞きやしなかったです。

宿題ですか、当時もありました。ありましたけど、そんな大変だったって記憶もないです。
今のことはわかりませんが、比べれば当時のほうがずっと量は少なかったと思いますよ。
ああでも、読書感想文は大変でした。ふだん本なんて読んでなかったですから。
それでね、この話、読書感想文ともちょっと関係があるんです。
夏休みも半ばを過ぎた頃でしたね。「ちょっと○○、おいで!」
朝、起きがけに母親が私を玄関に呼んだんです。行ってみると、隣の家のご夫婦が
そろってて、後ろに大型トラックがありました。「△△さん、引っ越すんでごあいさつに   
 来てくださったんだよ。それで、お前に△△さんの息子さんが昔読んでた
 本をくださるって」そのときは、本なんて別にいらないと思ったんですが、
母親に言われて「ありがとうございます」って頭を下げました。
でね、小さな本棚にびっしり、30冊くらいあったかな。

子ども向けの世界文学全集が家に来たんです。うちは、私の下には小2の弟と、
まだ幼児の妹がいましたが、なんとか読めるのは私だけでした。
でね、読んでみるとこれがけっこう面白かったんです。
「宝島」とか「十五少年漂流記」とか、そういうのはね。
「小公女」とか「家なき子」みたいなのはダメでしたけど。ただ、昼はやっぱり
外で遊ぶことが多かったですから、読むのはもっぱら夕食後でした。
蚊帳を吊った寝床で読んでて、夢中になっていつまでも電気を消さないで
怒られたりしたこともありました。ああ、すみません、ちっとも怖い話にならないで。
で、夏休みも、残すところあと数日ってなったときに、
読書感想文を書こうと思って、「巌窟王」ってのを読んでたんです。
ああそう、モンテ・クリスト伯爵が出てくるやつですね。

今考えれば、原作はかなり辛辣な復讐譚なんですが、それを子ども向けに
書き直した内容で、なかなか面白かったんです。それで、読んでいくと、
ページの間に黄ばんだ紙がはさまってました。かすれた鉛筆の字で
何か書いてあり、地図じゃないかと思いました。米田口ってあって、
それ、近くにある山の登山口のことだとわかったんです。
ま、山っていっても高さは数百mで、子どもでも2時間かからず登れるようなの
なんですけどね。その登山口からずっと、山道をなぞるようにして線が引かれてて、    
それが頂上から少し下のところで、右に折れてたんです。
で、紙の上で2cmくらいですか。ぐりぐりと鉛筆で書いた丸があって、
「ひみつのどうくつ」ってあったんです。「おっ」と思いました。
この本、隣からもらったんだから、この地図も隣の息子さんが書いたんだろう。

それにしても、「ひみつのどうくつ」ってのは、なんとも子ども心をくすぐる
言葉じゃないですか。これ、今もあるんだろうか?
何年くらい前に書かれたんだろう? でもね、私は隣の息子さんという人に
会ったことがないんです。ええ、ご夫婦とは何度も会ってましたけど。
ですから、きっともうとっくに大人になって、別のところに住んでるんだろう
と考えました。それと同時に、この場所に行ってみよう、って強い気持ちが
わきあがってきましてね。もうないのかもしれない、
でも、秘密の洞窟には宝物があるかもしれないし。胸をわくわくさせながら、
その夜は寝たんです。翌日、朝から、親には虫捕ってくるって言って、
捕虫網を持って山に向かったんです。米田口の場所はわかってまして、
そこまで1時間くらい。汗だくだくになりながら、山に入っていったんです。

ええ、夏ですからね。草木が生い茂ってましたが、道はついてました。
かなり早足で登ったので、2時間かからず頂上に着きました。
でね、かなり注意して見てたんですが、右手に脇道なんてなかったんです。
おかしいなあ、昔あった道がふさがれちゃったのか? そう考えながら降りていくと、
ある場所で、なんか藪が薄いように思えるところがありました。
これ、昔の道の跡なんじゃないか、そう思って、木の枝を両手でかき分けると、
下に道の跡が見えました。で、体をこじ入れて無理やり入っていったんです。
体が小さい子どもだからできたんでしょうね。でね、木の枝の下を這うようにして     
進んでくと、山の斜面が灰色の岩に変わって、洞窟らしきものがあったんです。
といっても、狸の穴みたいな大きさで、大人はとうてい入れない。
しかも穴には落葉や苔みたいなのがたくさん詰まってて、

まずそれを手で掻き出しました。頭を突っ込んで中を覗きましたが、
真っ暗で、湿った臭いがしました。両手を伸ばして肩まで入ってみましたが、
それ以上はつっかえそうだ・・・そのときです。伸ばしてた手をぐんと引かれた感じがして、
「ああー」と声を上げながら下に落ちていきました。
長い時間かかった気もしましたが、どんと尻から落ちて、
息がつまりました。なんとか立ち上がると、上のほうに明るい穴が見え、
私が落ちてきたものだってわかりました。たいした高さじゃなかったんですが、
穴の中はつるっとした岩盤で、足がかりも手がかりもなく、
登りようがありませんでした。ああ、困ったと思いました。
声を出して叫んでも、まず誰にも聞こえないだろう。それは子どもでもわかったんですが、
やっぱり叫んでしまったんです。「助けてくれ~」って。

そしたら、後ろから「・・・やあ」って声をかけられ、驚いて跳び上がってしまいました。
振り向くと、ランニングシャツに半ズボンの、その頃の私と同じくらいに見える
男の子が立ってました。「あ、あ、びっくりした」そりゃそうですよね。
そんなとこに人がいるなんて思ってもみませんでしたから。
でも、すぐ聞いたんです。「どっから入ったん? 他に入り口がある?」って。
その子はぼんやりした様子でしたが、「入り口・・・ないよ、そこだけ」
と間のびした声で答えて。「じゃあ君も落ちたの? 出られないと大変だよ」そう言うと、     
その子は「いやあ、でも、ここにいればずっと休みだよ」
「そんな食べるものもないし、家の人が心配するだろ」そのとき、いい考えが浮かんだんです。
「そうだ、肩車すればあの穴に手が届く。まず一人が上がって、それから
 上から引っぱり上げるか、それがダメなら大人の人を呼んでくればいい」

するとその子は、「僕は出ないよ。ここにいる。君が出たいなら肩車するよ」
そう言いました。その子はガリガリに痩せてたので、大丈夫かと思いましたが、
出たい一心で、「じゃあ頼むよ」肩車してもらったんです。穴の縁に手をかけて、
ぐんと体を引っぱり上げました。で、地面に立つと、今度は落ちないように穴を
のぞき込んだんですが、その子の姿は見えませんでした。「おーい、おーい」
呼んでも返事はなし。それで、走って山を駆け下り、怒られると思いましたが、
近くの農協倉庫の大人の人に知らせました。「子どもが穴に落ちてる」って。
・・・農協の作業員の人たちといっしょに山に登って案内し、
なんとか穴の前に連れて行っても、中に呼びかけても返事はないし、
私が嘘をついてるって疑われてしまいました。でも、私が泣きながら言いはったので、
消防署員を呼んでくれて、穴の中をサーチライトで照らしました。

ええ、中の岩盤に、もたれるようにして座った白骨が見えたんです。
そこから作業は困難を極めました。穴は大人が入れる大きさじゃないし、
探しても他に入口はなかったしで、結局、電気ドリルを使って穴を広げ、
消防署員が中に入って遺骨を回収しました。
それ、子どもの骨で、12年前、ちょうど私が生まれた年に行方不明になってた
隣家の息子さんだったんです。大規模な捜索隊が出てたんですが、
ずっと見つからないままの。警察にも、私の両親にも、何でそんなとこに行ったか聞かれて、
「ひみつのどうくつ」の地図を見せたんです。どっちもすごく驚いてました。
ただ、穴の中で子どもに会って話をしたことは、どうやっても信じてもらえませんでしたね。
まあ、今となっては私も信じられないくらいですから。引っ越していた隣のご夫婦が
戻ってこられて、ずいぶん感謝されましたよ。







にらまれる話

2019.04.24 (Wed)
あ、どうぞよろしくお願いします。では、話をしていきます。
私、ある地方都市の神社で神職の修行をしてるんです。
そこの神社は、それほど名前は知られてはいませんが、由緒はかなり古く、
全国のあちこちから神職の卵が修行に来ていて、私もその中の一人です。
はい、代々神職の家系で、父は別の県の神社で宮司を務めていて、
ゆくゆくは私が後を継ぐことになると思います。
それで、1ヶ月ばかり前のことです。修行をしている神社の、
先代の宮司様に、私たち修行中の3人が呼び出されたんです。
先代の宮司様は90歳近い高齢で、10年ほど前に引退して、
現在は山の麓にある別宅で暮らしておられます。
もちろん面識はありましたが、そうやって呼ばれたのは初めてのことです。

はい、私は先代様が引退されから派遣されてきましたので。
先代様は足腰も弱られてて、神社のほうに顔を出されることはなかったので、
急な呼び出しは何事かと思いました。行ってみると、
先代様は眺めのいい部屋のベッドに横になっておられまして、
その枕元にかしこまった私たちに、こんなお話をされたんです。
「おお、よく来たな。じつはお前たちにやってもらいたい仕事がある。
 これはお前たちの修行にもなることだよ」私たちがうなずくと、
先代様は続けて、「じつはな、市の別の神社の神主が、
 ここ2ヶ月の間に3人、立て続けに亡くなった。まあ、みな高齢だから、
 それほど不思議なわけでもないのだが、といって、
 病気で長く寝ついていたということもない」

「その3人とも、御奉仕中に急に倒れたんだ。心臓の発作らしい。
 しかし、心臓が悪かったということもないのだよ。それで不審に思っていたが、
 1周間前、4人目が出た。われわれの神社の分社を担当していた者だ。
 ただしまだ死んではいない。○○大学病院に入院して面会謝絶中なのだが、
 そこの教授とは懇意での、来てもらって話を聞いたら、
 意識はしっかりしているが、奇妙なことを口走っているそうだ」
「どんなことですか?」 「それがな、2つの目がこの市をにらんでいる、
 憎んでいると」 「目?」 「そう。どうやら事は急を要するようだ。
 医者の話では経過は順調で、来週には面会がかなうそうだから、
 まず病院に行って話を聞いてみることだな。本来ならこの仕事、
 息子にやらせるところだが、まだしばらくローマから帰れんから」

そのとき当代の宮司様は、世界宗教会議というのがあって、その実行委員の
一人としてイタリアに長期滞在中だったんです。私たちのうちの一人が、
「先代様には、何か心あたりはおありでしょうか?」こう質問をしました。
先代様は、何でもよく見通せる方ということでしたから。
そしたら、「うん、気になってることはないでもないが、確証は持てない。
 ただ、これ以上人死にが出ないよう、守りを固めるのはやっておく。
 あとはお前たちが頼むぞ」そうおっしゃられ、疲れたように
目を閉じられたんです。こうして、私たちの調査が始まりました。
翌週、大学病院に入院している神主の方にお会いしに行きました。
先代様のおっしゃっていたとおり、かなり回復されていて、
個室の病棟で面会してお話を聞くことができたんです。

開胸手術ではなく、カテーテル治療で回復されたということで、
もうご自分でトイレにも歩くことができていました。その方は50代で、
神主は本職ではなく、あちこちにある小さな神社を5つほど受け持って、
掃除をしたり、祭事を司っておられたんです。はい、そういう方がいないと、
地方の小さな神社やお堂は、あっという間に朽ち果ててしまいます。
こんなお話でした。「その日はね、仕事が休みだったから、
 朝から受け持ちの神社を回って、お賽銭を回収したり、
 境内の枯葉を掃いたりしてたんだよ。そうしたら、3社目のお堂を
 掃き清めているときに、背中に強い視線を感じたんだ。
 痛いくらいに、まじまじと見つめられている」
「それで?」 「ふり向くのが怖いように感じたんだけど、

 思い切って後ろを見ると、空にね、大きな目が2つあったんだよ」
「顔はなく、目だけってことですか?」 「そう、それもね、ものすごい
 憎しみに満ちた目で、はっきり私を憎んでるんだってことがわかった。
 ああ、恐ろしいと思ったときに、突然胸が痛くなって倒れてしまったんだ。
 そのお堂は町中にあって、ときおり参拝者があるんで、倒れている私を
 見つけて救急車を呼んでくださった。運が良かったんだよ」
「その目、何か特徴はありましたか?」 「わからないが、なんとなくだが、
 男の目じゃないかと思った、女じゃなく」 このとき、私が思いついたことを
聞いてみたんです。「境内のお掃除をされているときということでしたよね。
 その目、どちらの方角にあったんでしょうか?」
「ああ・・・ お堂の正面は東向きだから・・・北の方角だな」

長くなってはいけないと思い、お礼を言い、お見舞いを置いて病室を
後にしました。それから、3人でファミレスに入って作戦会議を開いたんです。
そのとき、乗ってた車に入れていた市の地図を持ち出して
広げてみました。お堂のある場所から北には、ずっと果樹園が広がっていて、
やがて山につきあたります。地図の上では特に原因となるものはないと思いました。
そのとき仲間の一人が、「あ、この山の上、たしか新興宗教の施設が
 あったんじゃないか」こう言い出しました。たしかにそういう話は聞いたことが
あります。ただ、その宗教団体は3年ほど前に解散し、施設は廃墟に
なっていたはずです。それと、その施設のある山は隣の市の区域に入るため、
地図はふもとまでで切れていたんです。仲間の一人が、
「ネットの地図で調べてみましょう」そう言ったので、

いったん社務所に戻りました。あ、神社にパソコンがあってネット回線が来てるなんて
変だと思われるかもしれませんが、今は、収入や支出を経理ソフトを使って
管理してるんです。これは大きいところはどこもそうだと思います。
社務所でその山をグーグルのソフトで見てみると、中腹に施設らしきものが
ありました。ついでにその宗教団体についても調べると、
やはり3年前、2代目の教祖が信者の拉致監禁、および詐欺の容疑で
逮捕されていることがわかったんです。そのときの警察の捜査には、
私たちの神社でも協力していました。「うーん、これは現地に行ってみるしかないな」
一人がそう言いました。翌日、私たちは朝からその山に入っていったんですが、
高さは800mほどで、宗教団体の施設までは舗装された道路があり、
車で行くことができました。はい、施設には特に立入防止の柵やロープなどはなく、

厳密には不法侵入でしょうが、中に入ることができたんです。
施設は外観も内部もお金をかけたつくりでしたが、柱が金色に塗られているなど、
俗で下品な感じがしました。調度類や神像のたぐいはほとんどなく、
教団解散のときに持ち出されたんだろうと思いました。印象は、
一言で言えばガラーンとした空白で、怪事の原因となるようなものは見あたら
なかったんです。車に戻ろうとしたときです。急にめまいがしました。
思わずしゃがみ込むと、他の2人も同じでした。そして、背中に強い視線を
感じたんです。そちらのほう、山の山頂方向に何かがあるんだとわかりました。
地面にふせるような姿勢で、3人で声を合わせて祝詞を唱えたんです。
厄払いに強い験力のあるものです。そうしているうち、
だんだんに息もおさまり、立ち上がることができるようになりました。

山頂方向に何かある。3人で相談しましたが、行くしかないと決まり、
道を探すと、宗教施設の後ろ側に、やや急な山頂に続く石段があったんです。
20分ほど登りましたが、その間、やはり上から強い視線が降り注いできました。
やがて、木を伐採してつくった直径20mほどの草地が
山頂のすぐ下にあり、そこに大きな・・・7mくらいある神像があったんです。
古代の装束が大理石に彫られてましたので、日本神話の神だと思いましたが、
正統な神道では神様の像はつくりません。像の顔は1mほどもあり、
鼻が長く、目を剥いて私たちの市のほうを見下ろしていました。
「これだ、この像が私たちを憎んで、にらんでいるんだ」3人ともすぐに
わかりました。像からは強い気が出ていて、見ると体の力が抜けていき、
近くに寄ることができなかったんです。「これは手に負えない」私がそう言い、

他の2人もうなずいて、ほうほうの体で山を下りたんですよ。
その後、わかったことを先代様に報告しました。先代様は「やはり」という
顔をなさり、「よくやった。後はまかせなさい」そうおっしゃって、
翌日から、全国の主だった神社の宮司様たちが私たちの市に集まって山に登り、
その神像を封印されたんです。これでだいたい話は終わりですが、
まだわからないことがありますよね。2代目教祖逮捕、教団解散から
3年もたって、なぜこんなことが起きたのか。でも、事情はすぐ判明しました。
逮捕されて公判中の教祖が、3ヶ月前に拘置所内で自殺していたんです。
ノートにはただ、「私にはまるで教祖としての力がない」とだけ書き残されていた
そうです。それから、封印され、解体された邪悪な像ですが、その内部から
人骨が見つかったんです。その教団の、初代の教祖のものだろうということでした。

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アーカイブ 花壇の墓の話

2019.04.24 (Wed)
あ、ここで怖い話をすれば謝礼がもらえるんだよな。
いや、俺もまずったことに、金がねえんだよ。ここんとこ、何をやってもダメだ。
すべてがうまくいかねえ。ああ、秘密は厳守してくれるんだよな。
これ、漏れちゃいけねえ話なんだ。そうか、よろしく頼むよ。
そのかわりって言うか、嘘は一つもねえことだから。
あれは、俺がまだ20歳を少し過ぎたばかり。
正式に盃はもらってたが、組の中では一番下っ端のペーペーの使い走りだった頃だ。
盆暮れのつけ届けをやってたんだよ。ほら、俺らは義理ごとを大事にするだろ。
冠婚葬祭はもちろんだが、歳暮や中元、これもすげえ大切なことなんだよ。
昔はそういうのは豪勢だった。梨でも巨峰でも、採れたてのはしりを贈ってた。
あと、松阪牛とかな。それが、暴力団排除条例がしかれて、すっかりダメになっちまった。

今や、組が贈る品物も、一般の家庭とかと何も変わりねえ、
タオルとか水ようかんとかになっちまった。ああ、スマンな。
愚痴を言いに来たわけじゃねえ。でな、俺が中元を配る先に、三島さんって家があった。
これな、70歳近いジイさんが大きな屋敷に一人で住んでて、
だいぶ前に引退した組の幹部だった人なんだよ。ああそう、大先輩ってわけだ。
うーん、一人暮らしだったのは、娘さんがいるって話だったが、
自分から縁を切ってるらしい。カタギに嫁いだからなのか、
そこらへんの事情はよくわからんな。でな、最初に行ったときはずいぶん怖い人だと
思ってたが、これが優しい人でね。俺みたいなチンピラにも、
言葉遣いとか、いろいろ気を遣ってくれた。だから、苦労した人なんだって思ってね。
悠々自適の生活みたいだったから、俺も先はこうなりたいなんて考えたもんだ。

まあ、今から思えばトンデモねえ間違いだったけどよ。
三島さんの屋敷は、平屋造りの立派な日本家屋で、広い庭があった。
場所は言えねえが、もちろん都内じゃねえよ。でな、初めて俺が訪れたときに、
三島さんは庭にある洋風の花壇に水をやってたんだ。
「ご精が出ますね」って愛想を言ったら、俺みたいなもんを屋敷に上げてくれてな。
でもよ、そんときにちょっと違和感があったんだ。
というのは、庭師が入ってる立派な日本庭園なのに、
そこの水をやってた一画だけ、素人がこさえたようなブロックに囲まれた花壇でな。
でな、組に帰ってから、当時の兄貴にそのことを話したんだよ。
そしたら、俺の言うことを聞いて、兄貴はちょっと顔をしかめたが、
何も言わなかった。まあ、同じ組の人間でも話せるような内容じゃなかったんだな。

で、それから5年経ったが、それでも俺はまだ25くらいで、
やっぱり下っ端に変わりねえ。まあ、つけ届けとかは、もっと下のやつがやるようになってたが。
ある日、だいぶ上の兄貴から話があったんだよ。「お前な、三島さん知ってるだろ。
 前に歳暮とか届けに行ってたよな」 「ああ、はい」
「あの人な、一人暮らしなんだが、軽い脳梗塞やっちまって、今、体が不自由なんだ。
 それで、組のほうに話が来て、病院への送り迎えとか、買い物とかしてくれる
 若い衆を一人貸してほしいってことで。それで、お前にやってもらおうと思ってな」
「かまわないスけど、介護とかできねえスよ」 「それはいらん、三島さん、
 自費で看護婦とまかないの婆さんを雇ってるんだ。それが住み込みでつき添ってる。
 だから、お前は車の運転くらいでかまわねえ」 「わかりました」
「でな、三島さんのあの屋敷な、もし死んだら、組にゆずってもらえるような話に

 なってるんだよ。だから、絶対に三島さんの機嫌を損ねるようなことはするなよ」
「はい」 こんな感じで、三島さんの運転手をやることになったんだよ。
久しぶりに会った三島さんは、だいぶ老け込んでた。これは病気のせいが大きいんだろう。
愛想のよかった顔は表情がなくなり、話もほとんどしなかった。
あと、半身が麻痺して、看護婦の押す車椅子に乗ってた。
仕事はけっこう大変だったよ。買い物のほうは、看護師の渡すメモを見て買えばいいが、
通院は大変だった。今と違って、介護用の車両なんてなかったから。
三島さんの大きな体を抱えて車に乗せ、それから車椅子を折りたたんで乗せる。
そんな具合だ。でな、看護婦は、40代くらいの陰気な人だったが、
病院で、三島さんの診察を待ってるときに、こんな話をしたんだよ。
三島さんは、眠剤を飲んて10時前に寝るんだが、

12時過ぎ、看護婦がもう休もうとすると、急にうなされ始めるときがある。
それは毎日じゃないし、1時間ほどで収まるが、
そのときに、庭を誰かが歩き回ってるんじゃないかと思うって。
もちろん広い屋敷だから、歩いてる音が聞こえてくるわけじゃねえが、
最初にまかないの婆さんがそれに気づいたって言うんだな。
黒い影が何人かで庭を歩いてるって。まさかと思った看護婦が、
三島さんがうなされてるときに、廊下に出てガラス越しに庭を見ると、
たしかに何かが動いてるように見えたんだと。それ聞いて俺は、「いや、
 あんな高い塀だし、門の鍵も厳重。人が入るとかありえねえですよ」って言った。
けどよ、もしそういうことがあったら、俺の責任問題にもなりかねねえ。
だから、1回、俺も泊まり込んで様子見ようってことになったわけ。

でな、1日目は何もなかった。で、翌日、三島さんがうなされ始めたって聞いて、
庭を見ていると、ザッコザッコ、人が歩くような音がかすかに聞こえた。
で、俺は用意してた木刀を持って、サッシ戸を開けて庭に降りた。
すると確かにザッコザッコ聞こえてくる。「誰だ、コラ」懐中電灯で照らしたが
何も見えない。とにかく音のするほうに駆けてくと、背筋がぞくぞくっとした。
俺も商売柄、さんざんよくねえことはしたが、あんな感じは初めてだったな。
ましかし、幽霊か何か知らねえが、そんなのにブルってるわけにはいかねえだろ。
「いるなら出てこいや」そう叫ぶと、オオオオ~ンって何とも言えない音がした。
いや、人の声じゃねえ。そっちに向かって走ると、足をとられて転んだ。
下が玉砂利から、土に変わったんだな。あの、三島さんがよく水をかけてた花壇だよ。
それっきり、何の気配もしなくなった。

屋敷に戻ると、看護婦が出てきて「発作が治まりました」って言った。
でな、朝になって庭を見に行くと、花壇の柔らかい土に、俺の靴の跡の他に、
足跡とも何とも言えねえ、尖ったものを突き刺したような跡がたくさんついてたんだ。
いや、何だかわからなかった。それからもう3日泊まり込んだが、
何も起きず、三島さんの容態も安定してた。それから1ヶ月後くらいかな。
俺が街にいるとポケベルが鳴った。当時は携帯はなかったんだよ。
それで、三島さんの家にこっちから電話をかけた。看護婦が出て、
三島さんの容態が悪いって言う。これな、組から救急車は呼ぶなって言われてたんだ。
それで、少し酒が入ってたが、車で三島さんの家に向かった。
ベッドのある部屋に入ると、三島さんの顔が黒くなって、
「うあ~、うあ~」って叫び声を上げてたんだ。

これは車椅子に乗せてる暇はないと思って、俺が抱きかかえて車まで運ぼうとした。
そしたら、建物を出たときに庭に何かがいて、前に聞いた
「オオオオ~ン」って声を出したんだ。俺の足が止まったとき、
三島さんが急に正気に戻ったように、その声のするほうに向かって、
「あんだけ世話してやったろう、何で感謝しねえんだよ」
こういう意味のことを叫んだ。オオオオオオ~ン。
俺は足を早め、看護婦といっしょになんとか三島さんを車に乗せ、
いつもの病院の救急外来に運んだ。けどな、三島さんはまた脳に出血が
あったみたいで、その夜のうちに死んだんだよ。
まあ、これでだいたい話は終わりだ。俺は事務所に連絡し、
その後の処理は組のほうで全部行うことになった。

でな、私物を取りにいったときに見たら、例の花壇に、等間隔で4つ穴が空いていた。
大きなものではなく、やっと人の頭がくぐれるくらいの穴で、
その中は黒々としてたな。こっからは後で兄貴から聞いた話だ。 「三島さんな。
 引退してからは落ち着いた暮らしだったが、若い頃はずいぶんと強(こわ)い人でな。
 都合、20年以上ムショに入ってる。まあそれは、正式に罪をつぐなった分で、
 プライベートでも4人殺(や)ってたんだ。で、あの屋敷の庭に埋めてた。
 組でな、あの屋敷を遺産としてもらった後、遺体を掘り出して内々に処理した。
 その後、神職を呼んでお祓いまでしてもらったんだ。まあ、あの屋敷はつぶして、
 土地を売って今はスーパーになってるけどもな」
なんとなく、そんなことじゃないかとは思ってたが、あらためて聞くと怖いよな。
あの花壇に花を植えて水やってたのは、三島さんなりの供養だったのかね。






アーカイブ 明人くんの話

2019.04.24 (Wed)
これ、今から15年くらい前からのことです。当時僕は小6で、妹が小3でした。
たしか平日だったと思うけど、先生方の研究会かなんかで、
学校が午前で終わった日があったんです。その日は母が頭が痛いと言って、
仕事を休んで家で寝てたんです。だから、僕ら兄妹で母が書いたリストを持って、
近くのスーパーまで買い物に行くことになったんですよ。
スーパーまでは歩きで10分もかからないんですが、途中で橋を渡ります。
その橋の上で、妹が欄干のすき間から川を見たんです。
これはいつものことで、きれいな水なので魚を探してたんですね。
しばらく待ってましたが、手を引いていこうとしたときに、
「お兄ちゃん、あれ」と川面を指差して叫びました。「ん、なんだ・・・ええ?」
信じられないものがいたんですよ。赤ちゃんです、たぶんまだ1歳にならない。

その赤ちゃんが、川の水の上を這っていたんです。「えー嘘だろ!」
しかも、ベビー服を着た全身が金色に光ってました。
「ね、お兄ちゃん、赤ちゃんだよね?」 「ああ・・・下に降りてみよう」
河の両面は凸凹のあるコンクリブロックで護岸されていたので、子どもでも
降りることができました。土手に入って赤ちゃんのいるあたりに駆け下りると、
川の中央付近にいる赤ちゃんの背中を見下ろす形になりました。
男か女かはわからなかったんですが、笑顔で手足を動かしているようで・・・
でも、水の上なんですよ。金色というのは、赤ちゃんがその色をしてるわけじゃなく、
金と銀が混じったような光を体から発してたんです。
「ありえねえ」と妹と顔を見合わせたとき、シュンと赤ちゃんが上に動きました。
宙に浮いたってことですけど、これがものすごい速さで。

はい、橋の上に跳び上がったんです。慌てて僕らも上に戻りました。
それで橋の先を見ると、ずっと向こうにベビーカーがあって、
お母さんらしい人が傍らで立ち話をしてたんです。走っていってみました。
ベビーカーをのぞき込むと、赤ちゃんは起きてて機嫌よくにこにこ笑ってたんです。
さっき、川の上で見た赤ちゃんかどうかははっきりわからななかったんですが、
金色には光ってませんでした。お母さんが僕らに気がついて、
「あら、お兄ちゃんたちよ」と赤ちゃんに話しかけました。
僕らは何と言っていいかわからず、ペコッと礼をしただけなんですが、
お母さんは赤ちゃんに興味を持って見にきたと思ったようでした。
これ、さすがに「川の上に赤ちゃんがいて金色に光ってた」なんて言えませんよねえ。
赤ちゃんはピンクの帽子をかぶり、ベビー服は白に赤いイチゴの柄が入ってました。

僕が「女の子ですか?」と尋ねると、お母さんは、
「あ、そんな服着てるけど男の子なのよ。7ヶ月」と答え、妹が名前を聞くと、
「明人(あきと)」ということでした。
妹が足をさわると、赤ちゃん・・・明人くんは「あきゃあきゃあ」と笑い崩れました。
妹がさらに「洋服お下がりですか」と失礼なことを聞き、
お母さんは笑って「いえね、そういうわけじゃないんだけど、ちょっと事情があって、
女の子みたいなかっこうをさせてるの」と言いました。
それで、そのときは別れたんです。買い物を済ませて家に戻ってくると、
うちの母が起きだしていて、「あら、ご苦労さん。頭痛いのさっき治った。心配かけたわね」
って言ったんです。それから部屋に行って、さっき見たことを妹と話し合いました。
水の上をハイハイする金色の光を放つ赤ちゃん・・・やっぱりこのとおりでしたよ。

それから、時間帯が合わないせいか明人くんを見かけたことはなかったんですが、
1年後ですね。僕は中学生になっていて、夏休み中。台風が近づいていました。
中学生になったんで、部屋はアコーディオンカーテンで仕切って別々になってたんですが、
妹が僕のほうに走りこんできて、「窓、窓の外!!」って叫びました。
窓は妹側にあってカーテンを閉めてたはずですが、行ってみると、
カーテンが開いて、窓の外がぼうっと金色に光っていたんです。
ガラス戸の2mほど先に、宙に浮いて明人くんが立っていました。一目見ただけで、
前にあったことや名前を思い出したのは、あの光のせいかもしれません。
もう2歳近かったんでしょうけど、顔立ちは変わってませんでした。
だけど表情が険しかったんです。まゆの間にシワが寄って、
片手を、肩の上から前にしきりに動かしていました。

それからブルブル強く首を振って、また前のときのように、
ゴムひもで引っ張られるようにしてピュンと後ろに飛んでいってしまったんです。
「あ・・・お前覚えてるか?」 「明人くん・・・」
とにかく何かを訴えたがっていることはわかりました。
かなり風が強まってきてたので、これは台風に関係があることだと思ったんです。
明人くんのことは、両親には言いませんでした。信じてもられるとは思わなかったんです。
だから、風が強くて怖いからと言って、その夜は下で寝ることになったんです。
ええはい、あの記録的な台風のときでした。斜め向かいの家の2階の屋根が飛ばされて、
僕らの部屋に突っ込んできたんですよ。部屋はめちゃくちゃになって、
あのままいたら、死なないまでも大ケガをしていたでしょうね。
これが2つ目のエピソードですね。

その後も、街で明人くんを見ることはなかったんですが、2年後です。
僕は高校受験で塾に行った帰り、もう9時過ぎでしたね。
信号待ちで自転車を止めていると、横の電信柱が光るのがわかりました。
見ると、かなり高いところの横木の上に、幼稚園児くらいの子どもが立っていました。
明人くん、このときもすぐにわかりました。金色の光は柔らかく優しく、
明人くんはにこにこと笑いながら、僕に向かって手を振ったんです。
このときにね、なんとなく神社に行って手を合わせるときみたいな気持ちになりました。
いえ、自転車のハンドルを握っていたんで、実際に合掌はしませんでしたけど。
家に戻って部屋に行くと、妹がすぐに来て「また、明人くんが来た」と、
窓の外を指さしました。「お別れを言ってたんじゃないか」
ということで印象が一致したんです。まあこんな話ですが、後日談が二つあります。

一つは、職場の検診で母が人間ドックに入ったんです。そしたら、CTスキャンで、
頭部に腫瘍の跡が見つかりました。定期検診ではわからなかったんですね。
でも医者の話では、自然に小さくなって治癒した状態だし、
今後もまず問題ないだろうってことでした。これ、あの最初に明人くんに会った、
橋の上のとき、母がすごく頭痛がってたときのことなんじゃないでしょうか。
いや、治った時期はわからないようでしたけど、そうとしか思えないんです。
もう一つは、妹とは今は別々に暮らしてるんですが、メールが入ってて、
「◯◯という女性週刊誌を見ろ」ってことでした。さっそくコンビニで買ってきたら、
「今どきの神様」という特集があって、新興宗教の教祖様が紹介されていたんですが、
中に「明人師」というのも出てたんです。白い顔に神主装束をつけたあの明人くんでしたよ。
金色の光はなかったですが、間違いないです。







アーカイブ 金魚と人形の話

2019.04.24 (Wed)
これ、ずいぶん古い話・・・もう50年ちかくも昔になりますけど、
かまいませんでしょうか。私が子どもの頃、ある小さな町に住んでいまして、
昭和30年代のことです。今の人に想像つくかどうかわかりませんが、
まだ集団就職がありましたし、出稼ぎも盛んでした。
高度成長期に入っていたので、その小さな町もどんどん大きくなっていって・・・
現在は逆に、過疎化していく一方なんですけども。
私はずっとそこで暮らしていますので、盛衰がよくわかります。
小学校3年生のときでしたね。近所に、美緒ちゃんという同じ学年の友だちが
いたんです。幼児のころから一緒に遊んでまして、
小学校に入って違うクラスになっても、待ち合わせて帰ることが多かったんです。
秋に入った9月のその日もそうでした。

いつもの通学路を2人で歩いていると、前のほうに、リヤカーを牽いてる人がいたんです。
そういえば、リヤカーなんてほんとうに見なくなりましたね。
雪が深い地方でしたので、当時は、冬になると馬ソリが走ったりしてたんですよ。
男の子たちはその後ろにつかまって、町の中をずっと滑っていったり。
ああ、すみません、話がそれてしまいました。
そのリヤカーが角を曲がって、私たちの前に出てきたんですが、
まず目を惹いたのが、赤と白の細かな色彩でした。「何だろう?」と思って、
駆けよっていったんです。そしたら、それ、何百体もの日本人形だったんです。
大きさはさほどでもありませんでした。大きいのでも大人の手のひらくらい。
それよりも小さいもののほうが多かったです。
そしてどれも赤と白の着物を着て、顔は全部違っているようでした。

当時は、今とは違って子どもの遊ぶおもちゃといっても、
かぎられたものしかありませんでした。ですから、私たちが目を輝かしたのも
無理のないことでしょう。日本人形たちは、どれも幼い顔つきの女の子で、
袋に入ってるわけでも、紐で束ねられてるわけでもなく、
ただ無造作にリヤカーの荷台に積み上がっていたんです。
「一つほしいな」と思いました。それは美緒ちゃんも同じだったと思います。
手を伸ばせばさわれそうだったんですが、取ろうなどとは思いませんでした。
そのとき、リヤカーがぴたりと止まり、近づいてた私たちはつんのめりそうになりました。
「おじょうちゃんたち、お人形ほしいかい」声が聞こえ、
視線を上げると、リヤカーを牽いていた人がこちらに向き直っていました。
そう言われて、私と美緒ちゃんは顔を見合わせましたが、

どちらからともなくうなずいて、「ほしいです」って言ったんです。
それで、リヤカーを牽いてた人なんですが、おじいさんでした。
真っ黒に日焼けしていて、もう肌寒くなってきているのに、
白いランニングシャツを着て、首に手ぬぐいをかけた。
「そうか、お人形ほしいか。あげてもいいけど、これはダメだな。もうお役目が済んだ 
 ものなんだ。だから、わしの池までくれば新しいのをあげよう」
しわだらけの顔をさらにくしゃくしゃにして、そう言ったんです。
「行きます」2人で 声を合わせるようにして、即座にそう答えてました。
・・・今の子どもは、不審者対策で、知らない人にはついていかない、
話しかけられても答えない、そういうことが徹底されているようですが、
昔は、それほどのこともなかったんです。

まして相手は、人のよさそうなおじいさんでしたから。
それから、リヤカーの後をついて、どのくらい歩いたでしょうか。
町中を外れ、田んぼ中の舗装されてない道を通り、リヤカーはがくがく揺れて、
積んでいた人形たちが跳ね上がりました。そうして、見たことのない神社の
横手の道を入っていくと、小さな小屋と、田んぼ半分くらいの池があったんです。
おじいさんは小屋の前にリヤカーを置き、中から長い柄のついた網を出してきました。
そして無造作に荷台につっ込むと、ごそっと人形たちをさらいあげ、
勢いよく池の中に放り込んだんです。私たちは息をのみました。
人形たちはゆらめきながら、緑の池の水に沈んでいき、
おじいさんは、さも楽しげな様子で同じ動作をくり返し、
荷台の上の人形は一つもなくなってしまったんです。

喪失感・・・というのか、なんとも言えない悲しい気持ちになって、
私と美緒ちゃんはため息をつきました。
するとおじいさんは、池の縁まで歩んでゆき、何かの言葉を唱えながら、
パンパンと2回、神社でするように手を叩いたんです。
そしたら・・・緑だった水面にふうっとさざ波が立ち、
小さな泡粒がいくつも浮かんできました。池の面はたちまち赤白の色であふれ、
最初は人形が浮かび上がってきたのかと思いましたが、そうではなく、
たくさんの金魚だったんです。ええ、それは間違いないです。はっきりと見ましたから。
金魚たちは重なるようにして水面に顔を出し、おじいさんが「よしよし」
と声をかけました。そして、私たちのほうに向き直り、
「おじょうちゃんたち、金魚はたくさんいるから選べないよ」

そう言うと、さっきの網より小さいのを持ち出して、近くの金魚を、
さっと2匹すくいあげ、「ほら、あげましょ」と私たちに向かって差し出して。
金魚をもらうつもりではなかったので、少し後ろに退がると、
網の中に入ってたのは、2体の日本人形だったんです。
「さあ」おじいさんが言い、まず美緒ちゃんがおそるおそる手を出して
一つをつかみ、残ったのを私が取りました。どちらも10cmもないもので、
顔も似てはいましたが、微妙に違ってました。赤白の着物なのは同じでしたが、
美緒ちゃんのはお姫様のような感じで、私のは、そのときはよくわかりませんでした。
今考えると、巫女さんの衣装に近かったんじゃなかと思います。どちらも水から
あげたばかりなのに、まったく濡れてはいませんでした。
そのとき私は「美緒ちゃんののほうがいいな」と、ちらっと思ったんです。

おじいさんは、「遅くなるから、もうお帰り」と言い、来た道を指差しました。
私と美緒ちゃんは、それぞれ人形を持って歩いていったんですが、
さっきは何度か曲がったような気がしたのに、ずっとまっすぐな、
両側にススキが生えた道だったんです。かなり長時間歩いた気がしました。
道々、お互いの人形を見せ合ったりしましたが、私は美緒ちゃんに、
「そっちのほうがかわいいね」みたいなことを言った記憶があります。
そうして歩いているうち、唐突に見知った町の中に出たんです。
私たちの家のあるすぐ近くでした。美緒ちゃんと別れ、遅くなって怒られると思って
家に駆け込んだんですが、時計を見るとまだ4時前でした。
これも不思議なことですよね。1時間以上はたってると感じたのに。
家族に怪しまれるといけない、なんとなくそう思ったので、

勉強机の引き出しに入れておきました。翌日、美緒ちゃんと学校で、
昨日の出来事を話しました。それだけじゃなく、もう一度行ってみようということになり、
帰り道に昨日の池を探したんですが、リヤカーを最初に見た場所から、
どうやっても道を見つけることができなかったんです。その後も美緒ちゃんと、
また私一人でも、あの不思議な池への道は見つかりませんでした。
ここから、話は少し飛びます。私と美緒ちゃんは中学まで同じでしたが、
その後、私は地元の高校に、美緒ちゃんは集団就職で東京に出ることになりました。
出発の前日に、美緒ちゃんが私の家に来て別れを惜しみました。そのとき、
美緒ちゃんは、「あのときの人形取り替えない。私はそれを○○ちゃんだと思うから、
 私の人形を美緒だと思って」そう言い、私もうなずいて、交換したんです。
その後、美緒ちゃんは成人式やお盆には帰ってきて、会うことができました。

ですが、私は高校を卒業して就職、結婚し、美緒ちゃんも向こうで結婚したようで、
だんだんと疎遠になっていったんです。お互い、子育てで忙しかったですし。
でも、年賀状のやりとりは続けていましたし、数年おきくらいには顔を合わせてもいたんです。
それからまた年月がたち、ついこの間です。美緒ちゃんの訃報がはがきで届き、
急な病気と書いてありました。私は動転し、箱にしまってあった美緒ちゃんの人形を
出してみました。中に人形はなく、そのかわりに、カラカラに乾いた金魚の死骸があったんです。
私はそれをちり紙につつんで外に出ました。どうしてかわかりませんが、
じっとしていられなくて。そして、気がついたら、あの小学生のときに行った池のほとりに
立ってたんです。私は、金魚の死骸をそっと池に落としました。そのままゆらゆらと沈んで、
金魚が生き返るわけでも、お人形に変わることもありませんでした。
その翌日、電車に乗って、美緒ちゃんのお葬式に行ったんですよ。






灯りのオカルト

2019.04.23 (Tue)
今回はこういうお題でいきます。みなさんは自宅の灯りに何を使って
おられますでしょうか。さすがにランプという人はいないでしょう。
自分のとこは、ほぼすべての照明を蛍光灯等からLFDに変えまして、
初期投資はかかりましたが、電気代は安くなりました。

さて、歴史的にみると、人類は長く天然の照明を利用してきました。
太陽光のことです。日が沈めば1日の活動が終わり、日が昇るとともに
行動を始める。じつに健康的な生活だったわけです。夜に灯りをともすのは、
何かの儀式をやるなどの特別な場合だけでした。もちろん、
冬に暖をとるために焚き火をすれば、それが灯りにもなっていました。

下図は縄文時代の「釣手土器」と呼ばれるもので、中に火を入れて
吊り下げて使用する灯火具です。用途としては、篝火として使われた、
また、火の神を祀るための儀式に使用されたなどと推測されています。
この図のものは長野県出土ですが、人面が復元されています。

SDDDR (4)

この人面は女性で、日本神話に登場する「イザナミ」ではないかとする
説があります。ご存知のように、男神イザナギと女神イザナミは結婚して
日本列島とたくさんの神々を産みましたが、最後に、火の神である
火之迦具土神(カグツチ)を産んだために陰部に火傷を負って、
イザナミは亡くなってしまいます。

イザナギとイザナミ
SDDDR (1)

そのイザナミが胎内にカグツチを宿している様子が、この土器に
表わされているというわけですが、文字のない縄文時代のことでもあり、
何とも言いがたいですね。また、下図の釣手土器の蛇状の形は、
古代に生息していたツチノコではないかという話もありますが、
たんに普通の蛇を装飾的に表現しているだけかもしれません。

SDDDR (5)

さて、灯りの歴史に戻って、縄文・弥生時代の灯りは焚き火やたいまつ、
古墳時代に入って、魚油を用いた灯りが使われていたことが確認されますが、
一般的ではありません。基本的には篝火です。奈良時代に蜜を原料とした
ロウソクがつくられ、室町時代ころに現在のロウソクに近いものになりました。
ただしロウソクは特殊な灯具で、主に仏寺で用いられていたようです。

平安時代には、宮中では主に魚油やエゴマ油を用いた灯火をともし、
清少納言の『枕草子』には、官位を任命する夜に、油をさして回っていた
燈台が倒れ、大騒ぎになったことが書かれています。
また『平家物語』では、平清盛の父である忠盛が、

白河上皇を警護して夜歩いていると、前方に小槌のようなものを持った
鬼が現れ、護衛の武士が騒いで射殺そうとしたところ、一人冷静だった
忠盛がその者を捕らえ、年老いた法師が灯籠に油を注ごうと
していたのであったことがわかります。このように、平安時代には、
灯籠、燈台などの照明器具が普及してきていたようです。

平安時代の燈台 覆いはない
SDDDR (6)

江戸時代に入って、照明器具として主に行灯が使われるように
なりました(屋外は提灯)。当時の江戸は世界的な大都市であり、
裕福な商人階級がたくさん生まれ、さまざまな文化が花開きました。
その中の一つに、好事家による「百物語」があります。

前に一度書いたことがあるんですが、正式な百物語の作法は、
L字型になった3つの部屋を用い、話をする部屋は無灯、隣の部屋も無灯、
一番奥の部屋には青い紙をはった行灯に百本の灯心を入れ、
文机の上に鏡を置きます。自分の話が終わった者は奥の部屋に行き、

灯心を1本引き抜いて鏡で自分の顔を見る。そして、百話の話が
すべて終わったときに怪異が現れます。下図は鳥山石燕が描いた
「青行燈」という妖怪ですが、百物語で使われる、
青い紙を張った行灯を象徴しているのかもしれません。

妖怪「青行燈」 江戸時代の行灯のつくりがよくわかります
SDDDR (7)

また、江戸の地には吉原があり、真夜中でも明かりが消えることのない
不夜城でした。下図はやはり鳥山石燕の「火消婆」という妖怪で、
吹消婆とも言われます。これは、ロウソクや油を浪費している
吉原の遊郭を風刺したものだという説がありますね。

妖怪「火消婆」
SDDDR (3)

さて、この後明治に入って、照明はガス灯や石油ランプが
使われるようになり、やがて電線が村々まで張りめぐらされて、
暗い夜の闇はだんだんにせばまっていき、それと同時に
数々の妖怪たちも姿を消していったんですね。

さて、最近のホラー映画で『ライト/オフ』というのがありました。
照明を消して暗くなると悪霊が現れるという趣向で、
なかなかいいアイデアだったと思いますが、オチはちょっと安易だった
かもしれません。悪霊の姿はブラックライトで見て戦うことができました。

さてさて、ということで、灯りについてのオカルトをみてきました。
電気製品の進化により、暗い闇がなくなってしまいましたが、
そのかわりというか、みなさんは照明をつけて怪談本を読んだり、
ホラー映画を見たりできるわけですね。では、今回はこのへんで。

関連記事 『好きな鳥山石燕の絵』 『火消婆』

SDDDR (2)





始皇帝暗殺と2本の剣

2019.04.23 (Tue)
アーカイブ87

今回も剣のお話です。日本の草薙剣、英国のエクスカリバーときたので、
中国の話題にしますね。さて、司馬遷の史書『史記』の「刺客列伝」に、
「荊軻 けいか」という人物が出てきて、秦の始皇帝の暗殺を企てたことで有名です。
この部分に出てくる2本の剣について、少しオカルトをまじえて書いていきます。



紀元前3世紀、燕の国の太子は、日に日に強大になっていく秦をたいへんに恐れ、
また、面会した際に、後に始皇帝となる政に冷たくあしらわれたことから、
政の暗殺を決意します。そこで、刺客として選ばれたのが、燕の食客になっていた
荊軻(けいか)です。荊軻は、酔って騒ぐ様子が「傍若無人」
という故事成語の元になった遊侠ですが、冷徹な一面も持ち合わせており、
それを見込んで、刺客として白羽の矢が立ったんですね。

荊軻は、政を暗殺しても、自分が生きては帰れないことを知っていましたが、
これを快諾し、準備を始めます。まず、秦の国に行って用心深い政に会うためには、
燕の国土中でも肥沃な土地を献上すること。それと、政に諫言したため、
怒りを買って一族を処刑され、燕に逃げてきていた樊於期(はん おき)の首を、
手土産として持っていくことを考えました。

この計画を樊於期に説くと、樊は笑って「そうしてくれ」と言い、
自分の首を自分で刎ねます。次に、荊軻は武器を探しました。
そして百金を払って手に入れたのが、「徐夫人の匕首 じょふじんのあいくち」です。
ここで、一本目の剣が出てきました。

日本で匕首というと、鍔のない短刀のことですが、
中国では、手の内に隠して使うことができる暗器(暗殺用の短剣)を指します。
中国語で画像検索してみたところ、下図のようなもののようです。
刃の中央に、おそらく毒を仕込むための溝が彫られてますね。
「徐夫人」というのは男性の氏名、あるいは「徐工人」の誤記とも考えられています。

徐夫人匕首


荊軻は、この匕首に毒をもちいて焼入れをし、死刑囚で試してみると、
少しでも剣の刃に触れたものはみな死にました。こうして準備の整った荊軻は、
燕の国を出発しますが、そのときに詠んだのが、有名な、
風蕭蕭兮易水寒 壮士一去兮不復還  風 蕭々(しょうしょう)として易水寒し
壮士 ひとたび去って 復(ま)た還(かえ)らず」の詩ですね。

さて、秦の国に着いた荊軻は、計画どおり政への面会の約束を取りつけます。
そして、宮廷で壇上に政を仰ぎ見る形で平伏し、まず樊於期の首を見せて信用させます。
さらに、巻物にしていた献上する土地の地図を広げながら、中に巻き込んであった
徐夫人の匕首をつかみ、政の袖を引っぱって突き刺そうとしますが、
袖がちぎれてしまい、政は危機一髪 逃げのびます。

荊軻は壇上に登って政を追いかけ回しますが、宮廷の臣たちは、誰も荊軻を
止めることができませんでした。秦の法律では、剣を持って壇上に上がった者は
必ず死刑になる決まりがあったからです。政は柱をはさんで荊軻の襲撃をかわしながら、
自分の長剣を抜こうとしますが、気持ちがあせってなかなか抜けない。

すると、臣下の一人が、「陛下、剣を背中に背負って お抜きなさい!」と助言し、
やっと剣を抜いた政に対し、荊軻は匕首を投げつけるものの柱にあたって外れ、
政は荊軻をずたずたに切り裂きます。こうして、荊軻は目的を果たせず死に、
激怒した政は、後に燕の国を完全に攻め滅ぼすことになります。

始皇帝と荊軻


さて、ここからはオカルトです。政が持っていた長剣の名前は知られていませんが、
20世紀になって発見された兵馬俑坑から、何本もの銅剣が出土しています。
秦の後、漢の時代以降のものは、どれも緑青でボロボロになっているのに対し、
これらは、不思議なことに、まったく錆が見られないんですね。(下図)

兵馬俑坑出土 銅剣


そこで、中国科学院で分析してみると、なんと表面にクロムメッキが施されていて、
そのため、2千数百年たっても錆つかないことが判明しました、
クロムメッキの技法は、西洋では1930年代のドイツでやっと完成したもので、
これはオーパーツと言えるものだったんですね。

ここから、政が始皇帝に即位するため、泰山で封禅(ほうぜん)の儀式を行ったとき、
宇宙人が接触してきて超技術を授けた、などと言う人もいます。
これ、オカルト話としては面白いですが、実際には、古代から中国で受け継がれてきた
技術が、漢の時代以降は失われてしまったということなんでしょう。

中国では、「越王勾践剣 えつおうこうせんけん」という、およそ2500年前の剣が
出土しており、これも銅剣の表面に、硫黄とクロムの被膜が張られていて、
やはり少しの錆も見られません。ターコイズと青水晶とブラックダイヤモンドで
象嵌された見事なもので、春秋時代の越国の王、「臥薪嘗胆」の故事で有名な
勾践が自ら鍛えたものとされ、中国の国宝になっています。(下図)

越王勾践剣


さてさて、荊軻が使った、始皇帝に届かなかった毒を仕込んだ短い匕首と、
始皇帝がなかなか抜けなかった長剣と。文字どおり、武器としては
どちらも一長一短があったようです。『史記』中の屈指の名場面では、
この長短2本の剣が強い印象を残していますね。
それにしても、このとき、もし荊軻が暗殺に成功していれば、中国の歴史は、
大きく塗り替えられていたことでしょう。では、今回はこのへんで。





心霊写真作成の心理学

2019.04.22 (Mon)
アーカイブ86

今回はこのお題でいきます。ただこれ、心理学となってますが、
別に実験をしたわけでもなく、統計をとったわけでもなく、
ちゃんとした学問ということではありません。
あくまでブログ管理人の感じ方ですので、「えー、私は違う」と思われる方も
多いと思います。そこのところはご了承下さい。

さて、写真がフィルムからデジタルに変わり、手ぶれや感光、ピンボケなどの
失敗写真が減ったかわり、さまざまな画像加工ソフトが出回って、
「意図的に心霊写真をつくる」ことが簡単にできるようになりました。
この「意図的」というのは、何もその写真を使って霊能詐欺などを働くわけではなく、
せいぜい友人に見せて驚かせよう、話題にしようくらいのことです。

で、そういう心霊写真を作る場合、作成のしかたに、
ある一定の心理的な傾向が働くんじゃないかなと思うんです。
どういうことを言ってるのかは、おいおい説明していきます。
下の画像をごらんください。海外のフリー素材から拝借したもので、
著作権や肖像権は問題ないと思います。



6人のスーツでキメたビジネスマンらしい人物が、世界地図を前にして
立っている構図で、とても幽霊なんか出そうにはない雰囲気ですよね。
わざとそういう画像を選びました。ここで、もしみなさんが、
「この中に幽霊の顔を入れろ」と言われたら、どこに入れられるでしょうか。

体は入れる必要はありません。また、顔は一部分でもかまいません。
また、画像は透けさせないようにします。
それと、極端に巨大化したり、縮小したりしてもいけません。
こういう条件でいきたいと思います。

この心霊写真は、上に書いたとおり、友人に見せて驚かせるためのものです。
ですから、ひと目で心霊写真とわかてしまっては、あまり面白くないですよね。
かといって全然気づかれないのも困ります。
「あれー、よく見たらこれ、ここに変なの写ってるよ」
こんなふうに友人に言わせたいわけです。

そうすると、入れる場所は限られてくると思うんです。
まず、すぐにおかしいとわかってしまうので、画像の縦横の中心線部分(下図)
には入れたくないですね。また、生首が飛び回っているのではないので、
人物の前に重なって顔だけがあるのも変です。



そこで自分は、① 中心線からやや外れた部分に入れる。
② 人物と人物の間に入れる。これは物と物の間でもいいんですが、
この画像には物のすき間ってほとんどないんです。
③ 照明があたって明るい部分は入れない。明るい部分に顔があれば目立ちますし、
背景が暗いほうがいろんな処理をしやすいですよね。

ということで、下の画像を作ってみました。
できは悪いですが、製作時間が4分だったので、まあこんなもんでしょう。
最初に考えた候補は3ヶ所あって、向かって右端の人物の右肩の上。
でもこれだと端すぎるかなあと考えてボツ。
あとは右端と右から2番めの人物の足の間。ここでもよかったんですが、
ちょっとせまいので現在位置に決めました。



あと、ひと目で普通の人間でないとわかるよう、顔の色調とコントラストを変え、
少しボカしてあります。これもフリー素材を使わせていただきましたが、
挿入する画像にもやはり、心理的な傾向はあります。
正面向きではなくやや斜めにするが、完全な横顔や後頭部などはさける。
まあ、あたり前ですよね。幽霊の後頭部が写ってる心霊写真なんて見たことがないです。
それと、人物の目が写ってないと怖さが半減するでしょう。

さてさて、TBSの心霊番組で、加工ではないかと疑われた心霊写真がありましたが、
それが下図です。自分がここまで書いてきた法則に、
けっこう当てはまってるんじゃないでしょうか。
・写真の中心線部分はさける ・背景が暗い場所に入れる
・物と物、人と人などのすき間に入れる ・入れる顔は正面向きではなく、
彩度や明度をいじって生きた人間には見えないようにする。

クリックで拡大できます


ということで、心霊写真を意図的に作成する場合、つくる側には、
心理的な制約、技術的な制約があります。そういうことを考えながら、
ネットに出回っている画像などは、生暖かい目で
見るのがいいんじやないかと思います(笑) では、このへんで。





ワニのオカルト

2019.04.22 (Mon)
ssssae (3)
「ギュスターブ」とされる画像

今回はこういうお題でいきます。ワニは古くからいる生物で、
恐竜と同時代にはすでに存在していました。
そして恐竜がすべて消え去った大絶滅を生きのびて現在にいたります。
じつに生命力が強いんですね。なぜ、ワニが巨大隕石衝突からの
大絶滅を生きのびたのか、理由は解明されていません。

さて、ワニは世界各地にいますが、大きく3種類に分けられます。
アリゲーター、クロコダイル、ガビアルですが、
この中で、人間にとって最も危険とされるのはクロコダイルです。
最大7m、1tちかくになり、海水中でも行動できると言われる
イリエワニはクロコダイルの仲間です。

上アリゲーター、下クロコダイル
ssssae (6)

さて、日本には古代からワニはいませんでした。ですが、
『古事記』には、「ワニ」が出てくる有名な記述があります。
神武天皇の母親で海神の娘である豊玉姫が、神武天皇を産むとき、
「自分の姿を見るな」と言ったのに、夫の火折尊は言いつけを破って
見てしまいました。典型的な「見るなのタブー」ですね。

豊玉姫
ssssae (4)

そしたら、『古事記』では、姫は「八尋和邇 やひろわに」
の姿をしていました。「八尋」は長さの単位で10数m。
まあ、巨大なという意味でしょう。「和邇」について3つの説があります。
① ワニは日本にはいないのでサメのことである
② ワニはそのままワニである ③ 伝説上の生物である竜のこと

まず①ですが、日本にはワニはいないので、中国から「鰐」という漢字が
伝わったとき、当時の日本人はワニがどういうものか頭に浮かばす、
同じ水中の危険生物であるサメと混同されてしまった、というもの。
まあそうかもしれません。それに対し反論したのが、
民俗学者の折口信夫です。

折口信夫
ssssae (5)

②の折口説は、豊玉姫の出産の描写が「陸上で腹ばいになり、のたうつ」
とあることから、サメではなくワニであるとしました。
また、同じく有名なワニが出てくるエピソード「因幡の白うさぎ」で、
ウサギに騙されたのはやはりワニで、これは南方の神話が
そのまま伝わったためとしています。

最後の③説ですが、豊玉姫の父は海神で、おそらく竜神と思われるので、
その娘もまた竜だろうということです。うーん、どれもありそうというか、
どうでもいいというか、あまり本質的な議論ではないと思います。
自分は、あえて言うなら③説かなあ。

さて、ワニは危険な生物です。映画ではワニ物、サメ物のどちらもあり、
『ジョーズ』の影響でサメの危険性が知れ渡りましたが、
実際には、サメが原因で亡くなる人は、1年に世界中で10人程度です。
それに対し、ワニに襲われての死亡は1000人を越すと言われます。

アフリカコガタワニ
nisiafrica-kobitoWM (12)

これはもちろん、そもそもサメの出る海域で泳ぐ人はごく少数です。
それに対し、ワニは陸上の湖水、河川にいますし、東南アジアや
アフリカでは、水くみ、洗濯を川で行っている人はたくさんいて、
遭遇する機会が圧倒的に多いわけです。

危険なワニの伝説は各地にあります。アフリカで有名なナイルワニ、
「ギュスターブ」による犠牲者は300人、体長は6mで、
年齢は推定100歳以上。鱗は厚く固く、ライフル銃の弾をはじき、
致命傷を与えることはできないとされます、

このギュスターブですが、結局、捕獲されることはなく、
2008年を最後に目撃例は途絶えています。おそらくは、
自然死したんでしょうね。あと、300人の犠牲者と言っても、
すべてに目撃者がいるわけではないので、他のワニの被害が
ギュスターブのせいにされてる事例が多いんでしょう。

東南アジアでは、フィリピン南部のミンダナオ島で捕獲された、
「ロロン」というイリエワニが知られています。
12歳の少女の頭を喰いちぎり、成人男性2名を食べたとみられ、
捕獲されましたが殺されず、飼育中に死亡しました。
ギネスブックには、このワニが世界最大として記載されています。

捕獲された「ロロン」
ssssae (2)

ギネスといえば、世界最大の動物による被害事件として、
ギネスブックには「日本軍のワニ被害」というのが載っています。
敗戦の年、1945年、現ミャンマーのラムリー島を奪還するために
イギリス軍が上陸して日本軍と戦った戦闘において、

日本軍が撤退するときに、マングローブの沼地に、
負傷者の血の臭いにさそわれたたくさんのイリエワニが集まり、
兵士1000名以上が犠牲になったと出てきます。しかしこれ、
さすがに眉唾です。おそらくは銃撃された戦死者の死骸を
ワニが食っているのを見てできた話ではないでしょうか。

ssssae (1)

あと、youtubeなどの動画サイトには、イリエワニとホオジロザメが
戦うシミュレーション動画などが出てきますが、
実際に戦うことはまずないと思われます。出会う確率が低いですし、
たまたま遭遇しても、互いに本能的に危険を察知して
避けるんじゃないかと思いますね。

さてさて、ということで、ワニの怖い話を見てきましたが、
日本にはワニはいないので、やはり現実的な恐怖感がありません。
大陸では人食い虎の話もたくさんありますが、日本には虎もいませんし、
危険な動物はせいぜいが狼と熊といったところだったでしょう。
そういう意味でも恵まれていたと思います。では、今回はこのへんで。

関連記事 『アフリカのA子の話』 『動物ホラーについて』






アーカイブ 磯神神社

2019.04.22 (Mon)
俺が中学生時分だから、そうさなあ、昭和30年代の話になる。
うちは漁師家だったのよ。近海で、サケ、マス、サンマ漁。
当時は獲物も豊富で、それなりに暮らしは成り立ってたんだ。
漁船のローンを払いながらも生活してくことができた。それが今じゃあね。
重油も高いが、何より獲物が寄らなくなった。
ああ、でもよう、俺は漁師になったわけじゃあないんだ。
いや、もちろん親父の後を継いでなるつもりだったんだが。
俺は長男だったしよ。それが、高校は自動車科のある工業に行って、
ずっと整備工やってきたわけ。ま、夢がかなわなかったんだな。
うん、だから、何でそうなったのかって話をこれからするわけ。
磯神神社ってのにまつわる話なんだ。

場所は言わなくてもいいよな。まあ九州のどっかってことにしといてくれ。
海は磯浜で、そこらは堤防からすぐ、急速に深くなったいい漁場だったのよ。
でな、家から1kmくらいのところに、
「入らずの浜」って言われてるとこがあって、そうだなあ、
海岸線のさしわたしが100mばかり、禁足地になってたんだ。
神域の浜ってわけだ。で、そこの沖合150mばかりのところに、
磯神神社ってのがあったんだ。うん、神社って名前はついてるが、
建物があったわけじゃない。鳥居もない、賽銭箱もない・・・ただの岩なんだよ。
それが海中から水面上2mほどに突き出ていて、そこに注連縄がまいてあった。
これが磯神神社だ。うん? 人が2人立てるくらいの足場はあったが、
登ったやつはいねえな。なんたって神社だから罰あたりだ。

その岩は不思議なことに、水中から何十mも突き立ってるんだよ。
水の中で見れば大木がそびえてるようだったな。ああ、潜ったことはあるよ。
今その話をしてるんじゃねえか。満潮になるとてっぺん近くまで水没して、
注連縄もすぐダメになってしまう。2ヶ月に1ぺんくらいの割で、
漁師仲間で順を決めて、取り替えることをやっていたな。
それで、毎年の旧盆のあたり、8月の中旬だ。
このあたりの日に、地元の漁師のせがれが集められるんだよ。
15歳以下のガキがな。でなあ、この日にちってのは決まってるわけじゃあねんだ。
そこらへんの時期に、ぽっかりと凪いだ日ってのが必ずあるんだよ。
そういう日は、海の青さが色あせた感じで、ずっと深場まで見通すことができる。
浜の長老、引退した漁師だが、その人が毎日海の様子を監視してて、

これはってときに、朝の有線で放送が入って、
15歳以下の浜の男児が集められる。でな、白褌一丁に白い半纏を来て、
親に連れられて浜に行くわけよ。そうすると神主はじめ、
地域の区長とか、組合関係とか主だった人らも集まってて、
子どもら・・・全部で20人前後かなあ、が神妙に海に向かって立った前で、
神事が始まるのよ。といってもたいしたことをやるわけじゃあねえ。
神主が磯神様の岩に向かって祝詞をあげ、それから酒樽を開けて、
海に向かって流すってだけのことだ。踊りや鳴り物なんかは使われない。
それから、磯神様の岩に向かって泳ぐんだよ。
それをやるのは、10歳から14歳までの子たちだな。
いやあ、泳げないなんてやつはいねえよ。

そこらの子は、まだ幼児の自分から、親父が漕ぐ小舟に乗せられて、
沖合で海に放り込まれるとかして鍛えられているからな。
別に水泳競技じゃねえから速く泳ぐ必要もねえ。
漁師だから、万一のときのために、ゆっくり長く泳ぐことが大事なんだ。
だから、そこらの子はみな、やらせたら何kmも泳げたはずだよ。
磯神様まで往復の300mなんてわけはねえんだ。
まして海は鏡のように凪いでるんだし。念のため、大人が小舟も出してた。
でな、14歳以下のその子らは、おのおのの速さで岩まで行って、
タッチして戻ってくるだけだが、その年15歳の俺らは違うわけ。
岩まで着いたら、その手前で潜るんだよ。そうだなあ、海面から2mほどの深さに、
岩にぽっかり穴が開いてるんだ。いやいや、自然にそんなのができるわけねえ。

大昔・・・たって江戸後期ごろらしいけどな。往時の人の手で開けたものだ。
さあなあ、なぜそんなことをしたのか。いわれは伝わってねえんだ。
2mまで潜るのもわけはねえよ。そして体が完全に穴から出たところで、
沖側の海の底を見るんだ。これな、試験みたいなもんなんだよ。
何のって、そりゃ漁師になれるかどうかの。最初にそう言っただろう。
でな、その年の15歳は、俺を入れて4人。神主の合図でいっせいに海に入って、
俺がたしか2番目で岩までたどり着いた。そこで大きく息吸って、
海中の穴から向こうに出た。その間数秒ってとこだ。
それで目を開けると、見えちまったんだよ・・・
海の底数十mだから、普段ならどうやっても見えねえが、その日は見通せた。
したらそこに、かなり朽ちた沈没船があったんだ。

水車の輪みたいなのがついてたから、大昔の外国の蒸気船だ。
ほら、ペリーが日本に来たときに乗ってたようなやつ。まあでも、
ここまでは実際にあるものだから誰にも見える。でなあ、船底を下にして沈んだ
その甲板から、磯上様の岩に沿うようにして、太い綱が立ち昇ってたんだ。
ああ、今思い出してもぞっとするよ。その綱は太いところで直径4mほど。
先細りになってて、先端が海面下10mほどまで達してたが、
人間の体でできてるんだよ。海の溺死者ってことだ。人数にしたら百じゃきかねえ。
それが上に向かって這い上がる形で、びっしりとからまって綱のようになってたんだよ。
ああ、当然、実際にあるもんじゃねえ。幻覚と言えばいいのか、そのへんはわからないが、
重要なのは俺にはそれが見えちまったってことだ。息を飲んで海面に顔を出し、
磯神様を回って浜に戻ってきた。でなあ、神主に「見えました」って正直に報告した。

うん、エビス様の柱って言うんだな。どうしてこれがわかったのかは知らんが、
15の歳に磯上様の御穴をくぐって、その柱が見えたものは
漁師にはなれない定めなんだ。海に関係した職業にもつけねえ。なんでかっていうと、
将来必ず海で死ぬことになるからだよ。ああ、間違いはないらしい。
だからよ、そこらの近海で漁をしてるかぎりは、地域で死んだ漁師はずっといないんだよ。
ま、遠洋はそのらち外なんだけどもな。ない頭をしぼって考えたんだが、
あれは一種の浜の守り神なんだろう。将来海で死ぬはずのものを知らせてくれてるんだ。
だから俺は親父の後を継ぐのをあきらめて、海とは関係ない自動車の仕事についたわけ。
親父の船は弟が継いで、今もう60過ぎたけどまだ漁師をやってる。
うん、やつにはあの綱が見えなかったんだなあ。
こんな話だが、どうだあんたらの役に立ったかい?

実に興味深い? そらよかった。だけどよ、磯上様はもうねえんだ。
岩が折れちまったんだな。今から14年前に、あのあたりで地震があったろう。
その前の晩だよ。これは俺はもう町出てたから、弟から話に聞いただけだが、
夜の10時過ぎに、沖が薄ぼんやり白く光ってるって話が弟の家に伝わってきて、
急いで行ってみたら、もう浜にはたくさん人が集まってた。
磯神様の海中あたりから、白い光が出てたそうだ。何事かと思ってると、
急にそのあたりだけ波が高くなって、大きな船が浮き上がってきた。
これはほとんどの人が目撃してるんだ。海の底に200年近くあったポルトガル船。
それが完全に壊れ果てているのに、沖に向かって進んでいったそうだよ。
翌日の昼に震度5の地震。いや、被害はほとんどなかったんだが、磯神様の岩が
ぽっきり折れちまった。だから、もう神事はやっていないんだよ。

はなななかいうr




うちの町内の話

2019.04.21 (Sun)
じゃあ、話を始めさせていただきます。私が生まれ育った町内のことです。
はい、今はそこには住んでいません。高校を出てから、地方の
中核都市で就職し、今はそちらで一家をかまえてるんです。
私の両親はまだそこにいますよ。現在は退職してますが、
2人とも公務員だったので、かなりの年金があるんです。
ですから、悠々自適の生活でうらやましいです。
いや、私もね、小さい頃から両親に「お前も公務員になれば」って
言われてたんです。けど、どうも勉強が嫌いで、
大学には行かなかったんです。それと、あんな田舎町で一生暮らすのも
嫌で、もっとにぎやかな街に出たかったんですね。
今から考えると、両親の言ったとおりにしておけばよかったと思います。

弟は公務員なんです。けど、県庁の関係なんで、あちこち転勤が多くて、
やっぱりあの町内には住んでません。あ、すみません。
関係のないことをくだくだしゃべって。それで、その町内なんですが、
古くからある町ってわけじゃないんです。小高い丘を切り開いて造成した
新興住宅地。といっても、できたのはもう40年ほど前です。
その頃は、あのあたりもまだ人口が増えてましたからね。
当時、結婚して私が生まれたばかりの頃の両親が、借金して
建売を買ったんです。その団地の住人全体が、ほぼ同じ時期にそこに
住むことになったわけです。ですが、今言ったように、
新しい住人はほとんど入ってこないので、すごく高齢化が進んでるんです。
空き家になった家も何軒もあります。

造成された当時は戸数が300。いちおう1丁目から
4丁目まで分かれてますが、丘の上全体が一つの町内になってるんです。
それで、私が10歳のときかな、有線放送が始まったんです。
ラジオ受信機を町内の各家で準備したんですが、
その内容が奇妙なものでねえ。毎日、夜の10時に1回だけ放送があって、
男の人の声で、「今日は緑です。安心して生活してください」って。
ねえ、奇妙でしょう。ふざけてるんじゃないかって思うでしょうが、
うちの両親は公務員で、その時間には仕事から戻ってきてましたので、
ほぼいつも放送を聞いてました。もし、何か用事などがあって、
両親のどちらもが その時間に聞けない場合は、
外から町内の誰かの家に電話をして、その日の放送内容を確かめるんです。

これは他の家でも同じだったと思います。なんでかというと、
放送を聞かないとたいへんなことが起きるからです。
はい、順を追って話していきます。そうですね、月に2回くらいかな、
放送の内容が変わって「町内のみなさん、今日は黄色です。
 ご注意ください。くり返します。今日は黄色です。
 落ち着いて、いつもの手順通りお祀りをしてください」
となるときがありました。この「お祀り」って部分、私は子どもでしたから
よくわからなくて、ずっと「お祭り」だと思ってたんですよね。
それで黄色の日は、旅行などで一家総出で不在の場合をのぞいて、
町内の各家では、玄関の前に祭壇を組むんです。
ほら、お盆のときにやるみたいな、竹と筵でできた簡単なやつ。

その上に、お米と徳利に入ったお酒、皿に盛った塩をお供えして、
あと、香炉に松葉でつくった特別製のお香をくべまして、
そのままにして家の中に引きこもるんです。そうして、夜中の2時を過ぎる
までは誰も外に出てはいけないきまりになってました。
まあ、そんな時間ですから、たいがいの家では朝まで出ないんです。
そして翌朝早く祭壇を片づけます。でね、これが、
米が地面にばらまかれ、徳利の酒がなくなってるときがあるんです。
いや、全部の家じゃなく、20軒に1軒くらいでした。
はい、祭壇はどこの家でも玄関近くの棚の上などに用意をしてました。
あと、お酒の買い置きもね。何でそんなことをするのか、
酒を飲んだのは誰かって?まあまあ、それをお話してるんです。

これね、子どもの頃の自分にも不思議で、両親に聞いたことがあるんですが、
はっきりした答えはなかったですね。で、緑、黄とくれば、
当然赤があるだろうと思われるでしょうが、そのとおりです。
有線放送の内容が「町内のみなさん、今日は赤です。緊急事態。
 緊急事態、もし出かけている家族がいれば、必ずこのことを知らせて 
 ください。緊急事態、緊急事態、すべての扉を封印し、
 朝まで家に籠もってください」こんな感じでした。
そのときには、家の表戸、裏戸の鍵をかけて、ふだんは神棚に
あげている御札を戸の外に貼るんです。家の中も、電灯やテレビをつけず、
真っ暗なまま、朝が来るまでじっとしています。
はい、このときには、放送がサイレンの音で始まりました。

もし10時の段階で外出してる家族がいた場合は、何としても知らせて、
その日は家に帰ってこないようにさせます。これは携帯電話のない
当時はかなり大変なことでしたよ。でね、その赤の日というのは、
年に1回くらいで、ない年もあったんです。その放送が始まって、
私が高校を卒業して家を出るまで、たしか5回聞いたと思います。
そのうちの4回は、特に何事もなかったんですが、1回だけ、
夜中の12時を過ぎたあたりで、家の玄関の戸がドカンドカンと
叩かれたんです。もちろん誰も出す、家族が居間に集って息を
殺してましたよ。でね、この放送をしているのが、町内に住んでいる
高校の先生だったんです。歴史が専門で地方史の研究をしていた。
その先生が毎晩9時過ぎに家を出て、団地の丘の外れにある

お堂を監視してるんです。古いもので、大きさは1m四方くらいなんですが、
その扉を開けて中を確認する。中に何が入ってるかは、私はわかりません。
とにかく、その状況によって、今日は緑、黄色、赤というふうに、自宅から
有線放送するんです。その費用は町内会費でまかなわれていたはずです。
そのお堂は、団地が造成される前から、その丘の林の中にあったみたいです。
誰も祀る人がいなくなって朽ちていたのが、工事のときに発見された。
これは聞いた話ですが、そのお堂、当初は大きな神社の摂社として
移設されるはずだったのが、儀式をやっている最中に、
祝詞を唱えていた神職が血を吐いて倒れたんだそうです。それで、
これはふれてはいけないものだってことになったみたいなんです。
それから、私は幼児だったので、くわしくは知りませんが、

町会の主だった人たちが何人も亡くなって。さっき話した高校の歴史の先生が、
そのお堂のいわれを調べて対処法を考え出したということです。
ねえ、不思議な話だと思いませんか。私は町内から出ましたので、
今でも半信半疑のところはあります。ただ、さっき言ったように、
赤の日の夜中に何者かが来たのも事実ですし。
はい、緑、黄色、赤の連絡はつい最近までやってました。さすがに有線は
時代に合わなくなったので、携帯電話への一斉メール配信にかわりました。
それも、退職されたやはり同じ高校の先生がやられてたんですが・・・
つい10日ほど前に亡くなられたんです。78歳ということでした。
ただ、病気などはなく、朝になってお堂の前で倒れているのが発見されたんです。
その死因が、頭部の陥没骨折と脳挫傷です。

何か重い石のようなもので、頭をつぶされたってことですが、
近くには大きな石などはなかったんです。不審死とされて警察が入り、
事故と事件の両面から捜査をしているという話です。
ですから、それ以来、誰もお堂を開けてみてはいないし、連絡も来ません。
もし、赤の日があったとしてもわからないわけですよ。
そのため両親がすごく怖がってまして。今さら引っ越すのは困るが、
お堂の中のものに夜中に訪問されるのはたまらないって。
もちろん、町内会でも対策をいろいろ考えたんですね。それで、
両親を通じで私のところに連絡が来まして、こちらの会のある市に住んでいる
お前が、どうすればいいのか、もし対処法があるならお伺いしてこい、
そのように言われて、ここで話をさせていただいたんです。





アーカイブ 鳩がいう

2019.04.21 (Sun)
自分は、某市役所の高齢者福祉課に勤務しています。ですから、これから話す内容は、
公務員の守秘義務に反することで、まず、それを理解してもらいたいんです。
それでもここに来た理由は、体験したことがあまりに不可解で、不気味で、
自分の頭がおかしくなったんじゃないかって気がして。
ですから、こういうことが専門だという皆さんに、ぜひともご意見を伺いたくて。
先週の火曜のことでしたから、もう一週間たつんですが、
起きたことの整理がまったくつかないんです。ええ、順を追って話しますよ。
まず自分の仕事は、簡単に言えば市在住の高齢者のお世話なんですが、
市域は広いので、自分が受け持つのはその中のごく一部の地域で、
自分は若いので、郊外のほうの担当になってるんです。さまざまな仕事内容がありますが、
基本は孤独死を防ぐための見守り活動で、介護とはまた違います。

ただ、自分が毎回、高齢者の方のご自宅を訪問するということではなく、
民生委員や、市で委嘱した見守りボランテイアの人との連絡調整が主なんです。
けど自分でも訪問をしますよ。一軒について2ヶ月に1度くらいは。
春は緊急通報システムなどの点検、夏は熱中症予防、秋冬はノロウイルス関連と雪よせ。
もっとも雪は積もるほど降るような地方ではありませんが。
あとは通年で電話による詐欺事件への啓蒙活動。
でね、先週のその日は直通サービスがうまく働いているかどうか、
担当してる家を一軒一軒訪問してたんです。対象は65歳以上の一人暮らしの方ですから、
かなりの数になりますし、もちろん1日では終わりません。
仕事を引退した方が多いので、不在の場合が少ないのは助かりますけど。
その日の午後4時ころですね。もう1、2軒で今日は終わろうかと思ってました。

川沿いの集落の、あるおばあさんのところです。84歳で、足腰は弱っていたものの、
日常生活に困っているということはなく、週1回、買い物のサービスを受けてたんです。
家は藁葺の旧家だったのを、子どもさんらが簡素なツーバイフォーに建てかえて、
台所とあとふた間しかありません。おそらくおばあさんが亡くなったら、
更地にして売るつもりだったんでしょう。で、敷地内に車を停め、
玄関のチャイムを押したとき、ちょっと嫌な予感がしました。
ええ、郵便物が数日分郵便受けに溜まってたからです。
返事がなく、戸に手をかけると鍵はかかってませんでした。
でね、一歩中に入ったら、饐えたような臭いを感じたんです。
ますます嫌でしょう。何度か名前を呼んでみたものの返事はなし。
こういう場合はいちおうマニュアルがあって、あがってもいいことにはなってます。

ご本人から了解もとってありますし。いざとなったら救急車、警察を呼びます。
「あがりますよ~」と言いながら、中の引き戸を開けると台所で、
正面のサッシ戸の下半分のガラスにベニヤ板がはってあるのが見えました。
おばあさんが自身でやったんだと思いました。
不細工にガムテープではっつけてるだけでしたから。
でね、そのとき、「ああ、そういえばここのおばあさん、このサッシ戸を開けて、
 鳩に餌をやってたよなあ」って思い出しました。前来たときに見てるんです。
サッシ戸の外は斜面になってて、その下をちょっとした川が流れてる。
川の向こうは林で、土鳩の巣がいくつもあるって聞いてました。
それにね、おばあさん餌を与えていたんですよ。
米粒やホームセンターで売ってる鳥の餌なんか。

でもこれ、迷惑行為っていうか、土鳩は今、増えてるらしいですから。
注意したことはないです。数少ない楽しみだろうし、他の家もないところですから。
それをなんで塞いだんだろう?ガラスが割れたのだろうかと思いましたが、
とにかくおばあさんの安否を確認するのが先なので、
居間へ続くフスマを声かけながら開けました。電気コタツがかけられて、
おばあさんはいつもそこにいるんですが、人の姿はなし・・・
いや間違いなく誰もいなかったんですよ。
テーブルの上に湯のみとりんごジュースのペットボトル、テレビはついてなくて、
座椅子は空っぽ・・・だったはずです。それが・・・
さらに次の間は寝室でしたが、あまり使われた様子はなく、
おばあさんはいつもコタツで寝てたみたいでした。

トイレも風呂も確認しましたがばおばあさんはおらず、
これは外出してるんだ、と思うしかないですよね。最初に感じた、
饐えたような臭いは、居間や寝室ではあまりそう感じず、
台所の生ゴミなんだろうと思いました。外歩きできるほど元気なんだと、
まずは一安心しまして、市のパンフレットに書き置きを残していこうと思いました。
そのときです、台所のほうでコツコツコツという、
尖ったもので木を叩くような音がしました。かなり強い音でしたから見にいくと、
サッシにはられたベニヤ板のようでした。上のガラスからのぞきましたが、
陰になって下が見えない。その間にもコツコツコツコツコツと音は続いて、
サッシを開けようと思ったんですが、鍵の部分までベニヤがかぶさっていまして。
それで足先でトンと軽く、ベニヤを蹴ってみたんです。

そしたら、ベニヤの右横がぶわっと膨らんで、そのすき間から緑のものが
顔を出しました。「うっ!」と思わず後ずさりしましたが、鳩の頭でした。
「なんだ」と思いましたが、鳩は真ん丸い目の首を激しく左右に振り、
上半身が中に入ってきました。そして自分のほうに嘴を向けて、
「バアサンは死んでいるぞ」ってしゃべったんです。確かに聞きました、
信じてください。年齢はわからないですが、男の声でしたよ。
それで、恥ずかしい話ですが尻もちをついてしまいました。
そのとき手をベニヤの上端にかけてたので、板がはがれて倒れかかってきて。
でもね、今の今見たはずの鳩の姿はどこにもなかったんです。
ガラスは割れてませんでしたが、大きくヒビが入ってました。
それと、外のたたきの石の上に、たくさんの鳩の羽根が散らばってました。

パニックになりかけてましたが、なんとか立ち上がって、
半分開けていた居間のフスマのほうを見ました。そしたらですよ、
座椅子に逆さになった顔と目が合ってしまったんです。おばあさんでした。
白髪の小さい頭をザンバラに乱して、かっと目を開け、座椅子にあおのけになって・・・
でもね、そんなはずないんです。居間に入ったときに、
座椅子の座布団の上まで見えたはずなんです。「ああーっ」と叫んで目をつぶり、
もう一度開けてもやっぱりおばあさんの顔が。
死んでいるとしか見えませんでしたが、携帯で救急に連絡しました。
それから警察にも。もちろん救急のほうから呼吸と心臓を確かめるよう指示があり、
座椅子の横に寝かせて心臓マッサージなどの措置をしましたが、
その間ずっと怖くてたまりませんでしたよ。

それでね、これは事後談なんですが、救急病院の話では、
おばあさんは死後8時間ほどたっていたんだそうです。
死因は、解剖はしませんでしたが、
腹部の内出血での脱水によるものだろうということでした。
これが顛末ですよ。え? 鳩が、おばあさんが亡くなっているのを
教えてくれたんだろうって? いや・・・たぶんそんないい話じゃないと思うんです。
というのは、おばあさんの遺体は死後1日未満ですし、まだ寒い時期ですから、
死臭がしてたわけじゃなく、さっき話した、一番最初に感じた饐えた臭いは、
やっぱり台所の生ごみのポリバケツの中からでした。
何が見つかったと思いますか? 他のゴミに混じって、土鳩の頭が4つと大量の羽根。
おばあさんが食べてたのかって? それはわかりません、考えたくもないですよ。

はないskそうあy




頼光四天王と3本の刀

2019.04.21 (Sun)
アーカイブ83

今回も刀シリーズですが、この内容は史実ではありませんので、ご注意下ください。
さて、源頼光はご存知でしょう。平安時代後期、10世紀から11世紀
にかけて実在した武将で、当時権勢を誇っていた藤原道長の側近の一人です。
その生涯は、不可思議な伝説に彩られています。

源頼光と酒呑童子の首(歌川国芳)


さて、この頼光の家来の中でも、特に武勇に優れたものを四天王といい、
「渡辺綱 わたなべのつな」 「坂田金時 さかたのきんとき」
「碓井貞光 うすいさだみつ」 「卜部季武 うらべのすえたけ」の4人です。
ただし、この中で、幼名を金太郎といって、民話の主人公となっている
坂田金時に関しては、実在の人物ではない可能性が高いようです。

そして、この主従のところには、「童子切安綱 どうじきりやすつな」 
「膝丸 ひざまる」 「髭切 ひげきり」の、3本の伝説的な
日本刀が集まっていました。この中で最も有名なのが、
大江山に棲む鬼、酒呑童子を斬ったとされる「童子切」でしょう。

一条天皇の時代、京の都から若い姫君が次々にいなくなり、
安倍晴明の占いで、大江山に住む鬼の仕業とわかった。
そこで帝は源頼光らを征伐に向わせた。
頼光らは山伏をよそおって酒呑童子の棲家に入り、
八幡大菩薩から与えられた毒酒「神変奇特酒」を童子らにふるまい、

酔って寝入ったところを首を斬った。
童子は首だけになっても、頼光に噛みついたが、
頼光は家来の兜も合わせて2つかぶっていたので助かった。(上図)
一行は、首級を持って京に凱旋し、首は宇治の平等院の宝蔵に納められた。

だいたいこんなお話です。このときに、酒呑童子の首を刎ねた刀が、
「童子切安綱」ということになっています。酒呑童子が鬼だったというのは、
もちろん伝説ですが、頼光が宣旨を受けて、大江山で賊を討伐したことは
記録が残っています。事実に尾ひれがついて、こういう話になったんでしょう。

さて、現在に残る実際の「童子切安綱」は、平安時代の伯耆国の刀工、
安綱作とされる日本刀で、刃長二尺六寸五分(約80cm)、国宝として、
東京国立博物館に所蔵されています。(下図)試し切りしたところ、
6人の罪人の死体を積み重ねて斬り、さらに土壇にまで刃がくい込んだと言われます。

「童子切安綱」


ただし、製作年代に関して、大江山の酒呑童子伝説よりも後につくられた
のではないかとする説が有力ですね。もちろん、日本刀としての価値はきわめて高く、
「天下五剣」の一つで、「大包平 おおかねひら」とともに、
「日本刀の東西の両横綱」とまで言われています。

次に、「膝丸」ですが、これは筑前に住む唐国の鉄細工師が、
八幡大菩薩の加護を得て、「髭切」とそろいで作った二尺七寸の太刀とされます。
名前の由来は、死罪人の首を斬ったところ、
首と同時に膝の皿まで切り落としたということからです。

この刀も頼光が持っていたもので、もちろん伝説があります。
頼光が病にふせっていたところ、枕元に身長7尺の怪僧が現れ、縄を放って
頼光をからめとろうとした。頼光がなんとか膝丸を抜き放って、
怪僧に斬りつけると、僧は逃げていったので、翌朝、頼光が四天王と血の跡を
つけていくと、巨大な蜘蛛が死んでいた。頼光は蜘蛛を鉄串に刺して河原にさらした。
・・・このことによって、刀の名は「膝丸」から「蜘蛛切」に変えられます。

土蜘蛛


さて、3本目の「髭切」は、四天王の一人、渡辺綱の所持刀で、
上に書いたように、膝丸とセットでつくられたもので、こちらは、
囚人の首を斬ったとき、その長い髭まで斬れたことから名づけられました。

綱が、夜中に京の一条戻橋たもとを通りかかると、
美しい女性がおり、夜も更けたので家まで送ってほしい
と頼まれた。綱は怪しいと思いながらも、それを引き受け馬に乗せた。
すると女はたちまち鬼に姿を変え、綱の髪をつかんで愛宕山の方向へ飛んだ。

綱は、空中で鬼の腕を太刀で切り落とし、なんとか逃げることができた。
鬼の腕は、摂津の国の渡辺綱の屋敷に置かれていたが、
綱の義母に化けた鬼が取り戻した。この鬼は、酒呑童子の一の家来、
「茨木童子 いばらぎどうじ」とも言われています。
この事件によって、刀の名は「鬼切」と改められました。

渡辺綱と鬼


さてさて、このような伝説ができあがったのは、「源氏重代の守り刀」という
思想があるためです。武家である源氏が、代々にわたって子孫に伝える、
家門を守護するための刀ということですね。後に、膝丸は源義経、
髭切は源頼朝の佩刀になったとも言われますが、伝説の域を出ません。

あと、優れた日本刀は、多かれ少なかれ、このような伝説をまとっています。
これは、日本刀には、「名物 めいぶつ」としての役割があったからです。
名物は、著名な茶器などもそうですが、手柄を立てた家臣に、
土地を与えることができなかった場合など、その代りに下されるものでした。

いわば、ステータスシンボルとしての意味があったわけです。
それには、大げさな伝説があればあるほど価値が高いんですね。
この他にも、伝説を持っている日本刀はまだまだありますので、いつかご紹介する
機会もあるでしょう。ということで、今回はこのへんで。





車のオカルト(雑談)

2019.04.20 (Sat)
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今回はこういうお題でいきます。昨日「家のオカルト」を書いたから
今日は車、というわけではないんです。今朝、出かけようとして
車に乗ってキーを回したら、たくさん警告灯が出てエンジンがかからず、
バッテリーあがりやガス欠ではないので、
しかたなくディーラーに電話して、さっきドナドナされていきました。

まあ、車がなくても大阪市内は移動に困ることはないので、
修理されてくるまで、電車・バスで動けばいいだけですが。
あ、今回は雑談みたいな内容になるので、おヒマな方以外は
スルーされたほうがいいかもしれません。

自分はここ20年、4代にわたってJeepのグランドチェロキーを
乗り継いでまして、故障には慣れています。
初代の車は、ガソリン4700ccでOHVという原始的なエンジンを積み、
燃費は極悪でした。どのくらいかというと、
街中だとリッター4kmいかないんですね。

現行グランドチェロキー
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そのため燃料タンクが大きく、たしか20ガロンだったと思います。
75Lくらいです。ですから、給油のたびに万札が飛んでました。
今乗ってる4代目は、それよりいくらか燃費はましになりましたが、
ガソリンタンクが90Lなんですよね・・・

ちなみに豆知識として、アメリカは日本に比べてガソリンの値段が
安い(現在、約4Lで80円くらい)ので、車は最初から燃費に気を使った
つくりになってないんです。それでもあまりヒドい場合は、
「gas guzzler ギャスギャズラー ガス食い車」と言われます。

で、故障も多んです。年に1、2回はディーラーのお世話になるんですが、
いちおうアメ車の名誉のために書いておくと、エンジンやミッション、
ブレーキなどの車の基本となる部分は壊れたことはないです。
不具合が起きるのはエアコンやナビ、イモビライザーなどの電装です。
おそらく今回も、エンジン本体の故障ではないと思います。

さて、「車 オカルト」で検索すると、何が出てくるかというと、
これは車好きの方ならご存知だと思いますが、「オカルトパーツ、
オカルトグッズ」と呼ばれるものです。この液をオイルに混ぜると
燃費がよくなるとか、磁石をエンジンルーム内に貼りつけると
走りがよくなるとかの、怪しい製品。

この画像と本項の内容は関係ありません
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そういうのは、説明書に製造会社で実施したテスト結果がグラフになって
出てたりします。中には、原理的に納得できるものもないわけでは
ありませんが、結局、多少燃費がよくなったとしても、
その製品を買う値段で相殺されてしまうんですね。

原理のよくわからない「神秘の力」で車の走りを改善するという
製品も、昔はたくさんあったんですけど、最近はさすがに大手カー用品店で
取り扱われることが少なくなりました。苦情があるんでしょうね。
消えゆくオカルトと言っていいかもしれません。

医薬品でも「ブラセボ効果」があり、効果がないはずの偽薬を投与しても、
中には病状が改善する人がいます。それと同じで、
「走りがよくなる」との宣伝を真に受けて買った人には、
おそらく走りがよくなった気がするんでしょう。

さて、車のオカルトといっても、車でどこかドライブに行って
怪異に遭ったというのをのぞくと、パターンはだいたい決まっています。
その昔、白いセリカとか赤いゼットとかいろいろありましたが、
その車に乗ると事故を起こし、ドライバーや同乗者が死ぬ。

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しかし、大事故なのに不思議と車は大きく破損しない。
それで修理されて中古車屋に並ぶ。でまた、買った人が事故る。
これを何度かくり返して伝説の車になるわけです。あとは、
誰も乗ってないはずなのに、ルームミラーに人影が映るとか。しかし、
それだとありきたりすぎて怪談にはなりません。

車の怖い映画といえば、スティーブン・キング原作の『クリスティーン』
が有名です。赤の1958年型プリムス・フューリー。
この車は邪悪な意思を持っていて、買って乗る人の魂に憑依して
人格を変えてしまいます。破壊しようとすれば、
ドライバーがいなくても勝手に走って襲いかかってくる。

クリスティーンにはモデルがあると言われます。1964年に製造された、
ダッジ330特別限定車、ゴールデンイーグルの中の1台です。
14人の人間を、事故ではなく殺人で殺したとされます。
下の画像がゴールデンイーグルですが、これが呪われた車ではありません。

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問題の車は、警察用車両として採用されたんですが、
乗っていた3人の警官が次々殺され、その犯人もすべて自殺した。
悪魔の憑いたこの車を破壊しようとした教会のグループは、
凄惨な車の事故や落雷などで全員が死亡したなどと言われますが、
すべて追跡調査のできない面白半分の噂でしかありません。

さてさて、ということで、ほとんど雑談でしたが、もちろん、
車で怖いのは幽霊ではなく実際の交通事故です。悲惨な事例は
枚挙にいとまがありません。みなさんも十分お気をつけください。
では、今回はこのへんで。

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