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アーカイブ168 石が見る話

2019.10.12 (Sat)
うちの座敷の床の間に飾ってあった石の話なんです。今はもうないんですけどね。
そうですね、大きさは横40cm、縦が30cmくらいでした。
やや横長の、山のような形をした自然石です。
かなり古色のついた木製の台座の上にのってました。こういうの、
水石っていうみたいですね。中国の宋の時代に始まった趣味が、
日本に伝わってきたって話です。後醍醐天皇が愛蔵していた石が、
今も美術館に遺されてるそうですね。その石、色はやや紫がかった青で、
表面がつるっとしてたんです。おそらく川の中にあって、
水流で磨かれたんだろうと思います。それで、ちょうど真ん中へんに、
そうですね、幼児の拳が入るくらいのぼこっとした凹みがあって、
離れたところから見ると、全体が目に見えなくもないっていう。

うちは新しく建ててから、まだ10年くらいで、
その石は、実家にあったものを持ってきて飾ってたってことです。
いや、私は、水石とかそういう趣味はないんですよ。古臭いし、
それにそういう石って、すごい高価みたいなんですよね。今、子ども2人が
大学生と高校生ですから、そんなお金もないですし。
じゃあ、何で置いてたかっていうと、父親の遺言で。
親父は7年前に病気で亡くなったんですが、病院で、いよいよもういけない
ってときに、私にあの石の話をしまして。ええ、「あの石は長男であるお前が
 引きうけろ。絶対に売るんじゃないぞ。お前の家の床の間に飾って、
 月の初めの日に、お神酒徳利1本に特級酒を入れてお供えしろ。
 必ずだぞ」こんな内容でした。ねえこれ、変に思いますでしょう。

だって危篤の際に言い残すことって、もっと他にありそうなもんじゃないですか。
ええ、まわりにいた親族も変な顔をしてましたよ。
でもね、親父は頭はぼけてたわけじゃないので、きっと大事なことなんだろう
と思って、言われたとおり実家からあの石を持ってきて、
新築の家の床の間に置いてたんです。はい、お神酒を供えるのもやってました。
別に難しいことでもないですからね。でね、やっぱり少し変だったんです。
お供えしたお神酒が3日くらいで空になるんです。
そんな早くに蒸発するわけないしね。それと、お神酒をお供えしてしばらくは、
さっき話した石の中央の凹み、そこだけ色が濃くなって、
さわってみると濡れてたんですよ。これ、石が酒を飲んだんじゃないかって
考えたくなりますよね。まあ、そんなことあるわけないとも思ったんですが・・・

で、3ヶ月前のことです。私、会社の接待でゴルフをやってて、
アキレス腱を断裂しちゃったんです。完全に切れてしまって、
入院して手術しました。そしたらなかなかくっつかなくて、
入院が2ヶ月におよんだんです。今はだいたい治りましたけど、もうゴルフは
無理かもしれません。でね、このときの入院騒ぎで、
石にお神酒をあげるのを1回パスしちゃったんです。そこまでまったく
気が回りませんでした。家内に言って、やってもらえばよかったんですが、
それもできなくて。手術から週間ほどしてリハビリが始まり、
そのとき病院に来てた家内が、妙なことを言い出しまして。
あの、石の置いてある座敷、ふだんは使うことはないんですが、
そっから夜中に、人の声が聞こえるって言うんです。

ぶつぶつ、ぼそぼそ、太いけど低いささやくような声が。
「お前の気のせいだろ」って言ったんですが、下の息子も聞いたって話で、
部屋に入っても誰もいない。ただ、まだ秋口なのに、
座敷の中は身震いがするくらい寒かったそうです。
そこで、「あっ!」と思い出しまして。もう月も半ばに入ってたんですが、
家内にお神酒をあげるように言ったんです。で、家内がそうしたら、
翌朝になって、お神酒徳利がつぶされたように粉々に割れてて、
中の酒が全部こぼれてたってことでした。それに、ぶつぶつ言う声は収まらず、
むしろだんだんに大きくなってきてるとも言ってました。
でね、なんとか退院することができまして、気になってたんで、
最初に石を見にいきました。そしたらねえ・・・

なんとなく色が変わってる感じがしたんです。
澄んだ青い色をしてたのが、赤い色がやや入ってるように思えました。
で、さわってみたら、何だか温かいんですよ。
そうですね、人の肌ほどではないけど、じんわり温かみが伝わってくる。
やはり変ですよね。あと、人の声が聞こえるのは夜中ってことだったから、
その座敷に布団をひいてね、私が一晩寝てみることにしたんです。
10時過ぎには布団に入ったんですが、どうにも寒くてね、
なかなか寝つけませんでした。それでもいつの間にかうとうととて、
どのくらいたったでしょうか。金縛りの状態で意識が戻りました。
目も開けられないし、指も動かない。ただ、耳は聞こえて、
ぶつぶつ、もごもごいう声がすぐ近くでしてたんです。

それと、胸の上がすごく重くて。ええ、金縛りはそういうことが多いんですってね。
どうしようもないので、そのぶつぶつ声に耳を澄ましてたら、
だんだんに言ってることがわかってきたんです。昔の言葉だったので、
そのままじゃないんですが。・・・この内容、うちの家系の恥になることですので、
なんとか他言はしないようにお願いします。
「見たぞ、見たぞ、〇〇徳治郎が死ぬのを見たぞ。徳治郎は医者に注射されて
 死んだぞ。空に手を伸ばして苦しんで死んだぞ。女狂いであちこちに妾をつくっていた
 徳治郎、家財を使い果たして女たちに捨てられ、親族にあいそをつかされた徳治郎、
 家族に暴力をふるって暴れた徳治郎は、医者に毒を注射されて死んだぞ・・・
 見たぞ、見たぞ、その息子の篤蔵は、役場の金を使い込んでいたぞ、
 金庫を開けて、溜め込んでいた金を一枚一枚数えてるのを見たぞ、見たぞ・・・」

これ、最初の徳治郎の名前は聞いたことがなかったんですが、
篤蔵というのは、うちの曽祖父です。「何の話なんだこれは?!」と思っていると、
わずかに指の先が動くのがわかりました。金縛りがとけてきてたんです。
それで、指を2本、3本と動かしてるうち、腕も大丈夫な気がしたので、
思いきって布団をはね上げたんです。ゴロリ、重いものが転げる感触がありました。
肘をついて上半身を起こすと、枕元にあの石が、ひっくり返った形であったんですよ。
床の間にもどしましたが、かなり温かくなっていて、なんだかドクンドクンという
鼓動のようなものまで手に伝わってきたんです。翌日、少し調べましたが、
曽祖父が、勤めていた役場の金を使い込んで、なんとかもみ消したのは
事実でした。徳治郎はその父親、当時の家で病死してるまではわかったんですが、
なにぶん昔のことで、それ以上は・・・

でね、これ、私の家はかなり古い旧家なんですが、その歴代の秘事を
石が知ってるということになりますよね。ああ、だから親父が、
この石はどこにも売るな、月一でお神酒をあげろって言ってたんだなって
わかりました。要は、石の機嫌をとってたってことでしょう。
それが、私が1回とだえさせてしまったためにへそを曲げた。
困りましたよ。その後は、何度お神酒をあげても、徳利が割れるばかりだし、
ぶつぶつ言う声も収まらなかったですか。あれこれ収拾策を考えたんですが、
知り合いに、古物商を引退して、今は悠々自適にくらしている人がいることを
思い出しまして。それで、その人に相談をしました。
そしたら、さすがに石のことは自分ではわからないからと言って、
水石を専門にあつかってる方を紹介してもらったんです。

ええ、大学生の息子に手伝ってもらって、その方の店舗に石を運び込みました。
店は広く、どのくらいかわからないほどの数の石が置かれてましたね。
出てきたのは、80歳すぎに見える老人で、
気難しい顔に見えたんですが、言葉は穏やかで、
「事情は聞いています。これですか」と、その数十kgある石をひょいと持ち上げ、
「ははあ、なるほどねえ、これは目を持ってる」と言って石を置き直し、
ゆっくり何度も、石の上をなでたんです。そしたら、
石にあったあの凹みのところから、だらだらと水がこぼれだしまして。
老人は「この石はわしがあずかりましょう。もう見たことを話すことはないです。
 買い取りではないから、お金は払えないですけども」こう言ったんです。
一も二もなく承知しまして、そこの店に置いてきたんですよ。

水石 石の穴は「ジャグレ、虫食い」などと言います





祖母の室屋の話

2019.10.12 (Sat)
今晩は。古い話で恐縮なんですが、それでは始めさせていただきます。
私の、母方の祖母についてのことなんです。祖母は東北の某県に
住んでおりまして、もう、とうに亡くなっていますが、
その前後のいきさつも含めてお話いたしたいと思います。
祖母は拝み屋のようなことをして生計を立てていたんです。
はい、あの当時、町々にいた拝み屋はすでに需要が少なくなって
いましたが、それでも失せ物探しや良縁祈願、赤ん坊の疳の虫をとる
などのことで、祖母のところを訪れる方はまだあったようです。
拝み屋の最後のうちの一人と言っていいかもしれませんね。
もともとは裕福な家の生まれでなんだそうです。それが、
当時、町で肥料工場の社長をしていた祖父に見初められ、

嫁ぐことになったんです。そもそも恋愛結婚など珍しかった時代
でしたし、祖母の実家では反対だったのですが、強引に家を出る
ような形で結婚した。でも、祖母は幸せになれませんでした。
私の母とその兄が生まれたんですが、母が10歳くらいのときに
祖父の工場が倒産。それだけではなく、祖父は借金を多く残して
行方をくらましてしまったんです。その町の噂で、
贔屓にしていた飲み屋の酌婦と手を取り合って逃げたという
話が広まっていたんだそうです。つまり、祖母は捨てられたことに
なりますね。祖母の実家では、世間体があるため、祖母に残った
借金を片づけるのを手伝ったんですが、祖母に対しては、あくまで
出ていった娘ということで、ほんのわずかの援助しかしませんでした。

まあ、当時は兄弟姉妹が多いのが普通でしたし、実家にも祖母にも
意地があって、そういう形になってしまったのだろうと思います。
そのため、祖母は拝み屋を始めたんです。幼い頃から、今で言う
霊感があり、ときおり神がかりになったんだそうです。
そのことが町で知られていたため、拝み屋の商売も成り立って
いたのでしょう。そうやって祖母は、母と伯父を育てたんですが、
2人とも早くに祖母のところから離れてしまったんです。
伯父は中学を卒業すると、金属細工の職人のところに住み込みで
弟子入りし、今では有名な宝飾デザイナーになっています。
母も、高校卒業と同時に東京に出て寮のある会社に就職し、
そこで父と知り合って私が生まれた。え、祖父ですか。

それが、いまだに行方がしれないんです。母や伯父のところにも
連絡はありませんでしたし、失踪したの母たちがまだ幼い頃でしたので、
こちらから積極的に探すということもしなかったようです。祖父の記憶は
ほとんどない、と母は言っています。どうして早くに祖母の家を出たのかも
聞きました。そのことについては、母は話したくなかったようで、言葉少なに、
「祖母の拝み屋の仕事が嫌だったし、祖母は怖い人だったから」こう答える
だけでした。ああ、すみません、いつまでたっても話が前に進まないで。
もちろん祖母には会ったことがありますが、それは数えるほどです。
最初は、私が小学校低学年の頃に、何かの事情で
母とともに東北の祖母の家を訪れたとき。
町外れにある粗末な家でした。祖父との結婚生活で住んでいた屋敷は

借金のかたに人手に渡り、そのあばら家に移り住んだのでしょう。
祖母は結婚が早く、母を生んだのも早かったので、まだ若く、
髪も長く黒ぐろとしていました。小柄でしたが、きつい目つきをしており、
子どもの私にも怖い人に見えましたよ。祖母は孫である私には
あまり関心はないようでした。そのときに、私は、母が祖母と話している間、
祖母の拝み屋の部屋に入り込んでしまったんです。
はい、上から五色の垂れ布が下がっていて、きれいだと思ったんです。
白い布がかかった祭壇の上には、三宝や御神酒徳利、燭台や香炉、
いろんなものが置かれてましたが、その最奥に、白木造りのミニチュアの
神社のようなものがあったんです。大きさは幅も高さも20cmくらいで、
鳥居はなく、神社に似てはいましたが、少し違うようでもありました。

正面の小さな扉は、かたく閉められていました。私がそれを見ていると、
いつの間にか祖母が背後に立っていたんです。「珍しいかい、
 それは室屋といって、神様が下りてきてお休みになる場所だ。
 だから中はけっして見てはいけない。だがお参りすることはできる。
 今夜いっしょに行ってみるか」そんな内容のことを言われたのを
覚えています。ここに祖母とお参りする? どういう意味かわかりませんでした。
母は祖母との話が済むと、私を連れて宿をとっていた旅館に戻りましたから。
でも、その夜、夢を見たんです。腰までくる草がぼうぼうに生えた
河原のようなところでした。空は灰色で今にも雨が降り出しそう。
私は一人で心細く、泣き出してしまいそうでしたが、いつの間にか
手を握られ、見ると横に白い着物を着た祖母がいたんです。

祖母は長い髪を巫女さんのように束ね、無言で私の手を引いて草の中を
歩いていきました。やがて向こうに、室屋が見えてきたんです。
ミニチュアではなく、人が入れる小屋ほどの大きさでしたが、
やはり正面の扉は固く閉じられていました。室屋の前まで来ると、
祖母は地面にひざまずき、私にもそうするように命じて、
2人で長い間そうしていたんです。私は、何をお祈りするのかも
わからず、とまどっていましたし、怖かったんです。
やがて、空がゴロゴロと鳴り出し、稲妻が光って・・・
そこで目が覚めたんです。胸がしめつけられるように痛く、心臓が
ドキドキしていました。隣に寝ていた母を起こして夢の内容を話すと、
母は顔をしかめましたが、何も言いませんでした。これが最初で、

その後 私は、人生の節目節目で室屋にお参りする夢を見るようになったんです。
例えば、私の高校入試で、志望校の合格発表の前日。やはり祖母とともに
室屋の前にいました。夢の中の祖母は相応に齢をとっていて、
髪には白いものが混じっていました。わけがわからないまま祈りを
捧げているのも同じです。・・・翌日の発表は不合格でした。
それから、私が結婚して妊娠がわかり、子どもがお腹に宿っていた頃です。
唐突に室屋の夢を見たんです。祖母はもうお婆さんという外見になっていて、
前と同じように室屋の前で祈っていました。そうするのは嫌だったんですが、
夢の中では祖母に逆らえないんです。もうおわかりだと思います。
次の朝、私は具合が悪くなって病院に運び込まれ、流産が判明しました。
そんなことがあって、私は室屋の夢を見るのが怖くてしかたなかったんです。

祖母は、ずっとあの雪深い町に一人で住んでいましたが、
病気がちになり、向こうにいる伯父が介護つきの老人ホームに
入れたということでした。それが・・・入所して3日目に、祖母はベッドから
いなくなってしまったんです。近所を探しても見つからず、施設では警察に
通報しました。それから1日たっても発見できず、伯父からの連絡があって、
母と私はまたあの町を訪れました。でも、何もできることはないですよね。
警察からの連絡を待つしかありません。その夜は、伯父の家に泊まったんですが、
ひさびさに室屋の夢を見ました。ごうごうと風が鳴る草の中に一人で立っている。
そこまでは同じでしたが、祖母の姿はありません。心細いながらも前に進んでいくと、
室屋が見えてきました。ただ、いつもとは違って、室屋の扉が開いてたんです。
中に、白い着物を着た人が倒れていて、祖母だと思いました。でも、怖くて

近づけなかったんです。祖母が倒れている奥に、台座にもたれかかるように
背広を着た男性の白骨死体がありました。祖父だと直感しました。祖父と祖母の
間には、短刀が転がっていたように思います。そこで目が覚めると、伯父の
家の中が騒がしくなっていました。祖母が見つかったという連絡が入ったんです。
はい、祖母のあの拝み屋の家、警察は何度も探したんですが、その祭壇の前に
白い装束を着て倒れ、亡くなっていたんです。・・・祖母の葬儀のとき、
あの室屋をはじめ、拝み屋の道具は一切合切 棺に入れられて祖母とともに
燃やされました。それ以来、あの夢を見ることはありません。葬儀が終わって
一段落したとき、母が唐突にこんなことを言いました。「私と兄が早くに家を出たのは、
 拝み屋だけでなく、おばあちゃんが家に男の人を引っぱり込んでいたからなの。
 生活のためだったんでしょうけど、それが嫌で」と。これで終わります。




 

田道間守の話

2019.10.10 (Thu)
cmg (6)

今回はこういうお題でいきます。科学ニュースを見たら、
日本人のリチウムイオン電池開発によるノーベル化学賞受賞の話で
もちきりですね。吉野彰さん、おめでとうございます。
ただまあ、このことはみなさんご存知でしょうから、
歴史の話を取り上げることにしました。

さて、田道間守(タジマモリ)は、記紀のどちらにも登場する人物で、
垂仁天皇の臣です。垂仁天皇は崇神天皇の子で第11代の天皇ですが、
実在性ははっきりしません。『日本書紀』には140歳で亡くなった
(『古事記』だと153歳)と出てきますので、怪しさ爆発なんですが、
垂仁天皇陵(宝来山古墳)とされる227mの大型前方後円墳はあります。

橘の実
cmg (3)

もし実在していたとすると、3世紀後半から4世紀にかけての治世と
考えられています。この垂仁天皇の晩年の即位90年、天皇は
田道間守を常世国へ遣わして、食べると不死になる非時香菓を
探させます。田道間守は苦難の末にこれを持ち帰りますが、

そのときすでに天皇は亡くなっていました。これを知った田道間守は
嘆き悲しみ、半分を大后に捧げ、半分を天皇の陵の前に持っていき、
そこに供えて死んだとされます。『日本書紀』には自殺と書かれていますが、
『古事記』には死因はありません。まあねえ、これを読むかぎり、
神話伝承の類としか言いようがないですよね。

田道間守は、天日槍(アメノヒボコ)の四世孫で、天日槍は
朝鮮半島から渡ってきた新羅系の渡来人とされています。このあたり、
何か意味がありそうな気もしますが、よくわかりません。
上記のエピソードから、田道間守は忠臣の鏡とされ、
国民学校の唱歌にも歌われています。

cmg (2)

さて、どっから話していきましょうか。まず、田道間守が行った
「常世国(とこよのくに)」とは何か。これは日本神話に出てくる異界で、
海の彼方にある理想郷みたいな書かれ方をしており、この話のように
不老不死と結びつけて語られることが多いですね。また、神々がいる
天界である「高天原」とは違うようです。

「不老不死の秘薬を求めて人を派遣する」という話の構造は、
秦の始皇帝と徐福の話と似ています。ですから、これを中国系の
神話とみる説もありますし、また、南方系の話という説もあるんですが、
どっちとも定めがたいですね。複合的なものかもしれません。

田道間守の陪冢とされる土盛、整備されているのがわかります 後ろは宝来山古墳
cmg (8)

次に、「非時香菓(ときじくのかくのみ)」とは何か。これは『日本書紀』に
橘(タチバナ)と出ていて、この話がもとになって、天皇家では
橘の木が尊重されるようになったと言われます。ただ、橘だとすれば
いろいろ不自然ですよね。おそらく橘は日本に自生していたと考えられ、
わざわざ探しに行く必然性がない気がします。

それと、橘の実はミカンに似てるんですが、そのまま食べるには
酸っぱすぎます。ですから、現在知られている橘とは違うんじゃないか
という説も昔からあります。中には、バナナだったという話まで
あるんですね。うーん、バナナだと南方系ですか。

さて、この田道間守、じつは『三国志』魏志倭人伝に登場する「難升米」
ではないかとする説があります。「難升米」は邪馬台国の女王卑弥呼が
魏に派遣した人物で、便宜的に「なんしょうまい」とか「なしめ」
などと読まれています。戦前の東洋史学者、内藤湖南が最初に
唱えたんだと思います。ちなみに湖南は邪馬台国畿内説です。

中国皇帝の会見
cmg (1)

難升米は、238年(239年説あり)、卑弥呼の遣いとして大陸に渡り、
朝鮮半島から魏の都、洛陽まで行って明帝と会見、卑弥呼への制書を
授けられます。難升米は何度か倭地と大陸を往復していたようで、
245年、魏から「黄幢 こうとん・こうどう」を授けられます。

これは戦いの目印になる「はたぼこ」のことで、黄色は魏王朝を表す色です。
陰陽五行説では、赤(火)の次が黄色(土)で、漢王朝が赤、
その次の王朝は黄がイメージカラーになるんですね。
「黄巾の乱」もここからきています。魏の最初の元号は「黄初」です。
黄幢を立てた軍は、魏の支配下にあることになります。

陰陽五行説の概念図
cmg (5)

この難升米が黄幢を受けた話が、長い年月の間に田道間守の逸話に
変化した・・・うーん、何とも評価のしようがないですよね。
根拠が出せるような話ではありません。ただ、もし田道間守が難升米で、
非時香菓が黄幢なのだとしたら、それは奈良県天理市柳本町にある
黒塚古墳で発見されているのかもしれません。

自分は邪馬台国畿内説で、黒塚古墳で出土した用途不明のU字型鉄製品は、
黄幢ではないかと考えています。これについては一本記事を書いてますので
くり返しませんが、興味を持たれた方はぜひ参照されてください。
ただ、黒塚古墳と宝来山古墳はけっこう離れてますし、
そもそも垂仁天皇は卑弥呼ではありませんね。

関連記事 『黒塚古墳のU字型鉄製品』

黄幢はおそらくこういうもの
cmg (7)

ちなみに、田道間守の墓とされるものは、宝来山古墳の周濠内の小島で、
発掘調査はされてないので、はっきりしたことはわかりません。
この近くに、奈良時代に左大臣まで昇った橘諸兄の塚があったとする
話もあり、それと何か関係があるのかもしれません。

さてさて、ということで、忠臣の鏡であるとともに謎の人、
田道間守について見てきましたが、古代は果物が菓子に通じるところから
現在は菓子の神・菓祖としても信仰され、各地の菓祖神社に
祀られているようです。では、今回はこのへんで。

京都 吉田神社の摂社 菓祖神社 御祭神は田道間守他
cmg (4)




朝永博士と「深淵からの声」

2019.10.09 (Wed)
hhtrrths (5)

今回はこういうお題でいきます。ノーベル賞発表週間ですので、
それに関連したお話です。それにしても昨日の物理学賞はけっこう意外な
受賞者3人でした。ジェームズ・ピーブルズ教授は御年84歳。
ビッグバン理論が生まれた初期に、その基礎を築く重要な仕事を
数々行った人で、それらの業績が総合的に評価されたんでしょう。

亡くなる前に受賞させなければという思惑があったのかもしれません。
また、ミシェル・マイヨール氏とディディエ・ケロー氏は
観測を中心とした天文学の研究者で、太陽系外惑星を初めて
発見した功績が認められたものです。太陽系に地球その他の惑星が
あるように、太陽系外にも惑星があるだろうということは、

ずっと昔から想定されていましたが、なかなか見つけることが
できませんでした。理由はおわかりだと思います。恒星と違って、
惑星は小さいうえに自ら光を発していないからです。ちなみに、
両氏の発見は1995年でしたが、現在では観測の手法が発達して、
4000個以上の太陽系外惑星が見つかっています。

朝永振一郎博士 いかにも頭が良さそうです
hhtrrths (4)

さて、今回の記事は、日本人のノーベル賞受賞2人目である
朝永振一郎博士について書いてみたいと思います。朝永博士というと
「くりこみ理論」と反射的に思い浮かびますが、
じゃあ、くりこみって何かというとこれがよくわからない。

湯川秀樹博士の「中間子理論」はわかりやすいですよね。
原子核の中には陽子と中性子があって結びついています。
これらを束ねる力を持つ仮想上の粒子が中間子だったんですが、
湯川博士の理論は実質的に、この宇宙にある4つの力(重力・
電磁気力・強い力・弱い力)のうち、「強い力」の発見でした。

hhtrrths (1)

これに対し、くりこみ理論は式の上での数学的な手法といえるもので、
素人には理解しにくい上に、重要性もよくわかりません。
ただ、これがないと量子力学における場の理論の式の多くは
発散してしまい、進歩はずっと停滞したままだったでしょう。

よくわからない単語が出てきましたね。「場の理論」と「発散」です。
うーん、なるべくわかりやすく説明していきたいと思います。
自然界の状態を数式で表す場合、質点系として表すのと、場として表す
方法とがあります。質点系は、惑星がどう動くかとか、投げ上げたボールが
どのように落ちてくるかという、わりと単純な式になります。



これに対し、電磁場などの場合、ある時刻のある位置におけるある強さの
電場に粒子を置くとどうなるかという形で式に記述しなくてはならず、
きわめて複雑になります。また発散のほうは、式の計算中に無限大が
出てきてしまって、その式が破綻してしまうことです。量子電磁気学では
式の発散が頻繁に起きていて、理論を前に進めることができない。

なぜ発散が起きるのか。これは難しいんですが、ごくごく大ざっぱに言うと、
電磁場の中にある電子が波と粒子の両方の性質を持ってるからなんです。
現在の原子モデルは、中心の原子核のまわりを電子が存在確率の雲
としてとりまいた形で表現されることが多いですよね。
これをどうにかして式の中に一定の値として代入できないか。

経路積分の概念図
hhtrrths (3)

欧米の量子力学の研究者たちが大勢集まり、頭を絞って考えてました。
第2次世界大戦終戦直後のことです。そんな中で、アメリカの科学者
ジュリアン・シュウィンガーがどうにか解決策を見つけ出します。
また、それに遅れて、リチャード・ファインマンが「経路積分」の
手法を開発し、くりこみ理論が完成しますが・・・

ここで少し「経路積分」について。A地点からB地点へ行く最短距離は
直線になって1本しかありません。ところが、AからBへ電子が動く場合、
さまざまな経路をとることが考えられます。極端な話をすれば、
A点を出発し、宇宙の端から端までを通ってB地点に着く確率もゼロでは
ありません。上で書いたように、電子は存在確率の雲なわけですから。

スター科学者のはしり リチャード・ファインマン
hhtrrths (1)

ファインマンは、そのすべての経路を積分して一つの値として合成し
くりこみに使用しました。これって面白いと思いませんか。
自分は、つねづね記事に書いているように「多世界解釈」の
信奉者なんですが、経路積分は、無限に分岐する多世界の積分とも
考えることができると思います。

さて、1948年、ファインマンらのもとに、日本から小さな小包が
届きます。中には京都で1943年に発行され始めた物理学雑誌の
論文を英語に翻訳したものが入っていました。最初はどういう意味なのか
わかりませんでしたが、内容が明らかになって彼らは驚愕します。

経路積分は多世界と相関があります
hhtrrths (2)

日本の朝永振一郎という物理学者が、第2次世界大戦の真っ最中、
世界からの情報が完全に遮断された中、欧米の物理学者が誰も知らない
ところでシュウィンガーより5年も早く、すでにくりこみ理論を
完成させていたんですね。朝永博士の使った手法は明快で、
「超多時間論」と呼ばれ、数学的には経路積分と等価のものです。

欧米の研究者は、朝永博士の論文を見たときの驚きを、「深淵からの声
のようだった」と表現しています。1965年、朝永、シュウィンガー、
ファインマンの3名は、くりこみ理論でノーベル物理学賞を受賞します。
前述したように、理論の完成は朝永博士が最も早かったんですが、
これはしかたのないところでしょうね。

さてさて、ということで、ノーベル賞の一つ一つには物語がありますが、
この朝永博士の話もその一つなんですね。今日は化学賞の発表の日ですが、
化学と一口に言っても、あまりに領域が広いため、自分にはとても
予想は困難です。では、今回はこのへんで。

名著です





皮剥の山の話

2019.10.08 (Tue)
無職 大脇剛造さんの話
いいんかね、こんなじいさんの話で、しかもだいぶ昔のことだ。
もし話し終わってつまらなかったってなっても、謝礼は返さねえぞ。
俺は終戦の年に生まれたんだ。で、あれは俺が数えで10歳、
昭和29年の出来事だな。俺の在所は東北の貧しい村でな。
山あいにわずかな田畑があるだけ。まあ、近隣の村もそれは同じような
もんだったんだが、俺とこはその中でも特に貧しくてな。
何でかって言うと、山の物が利用できなかったのよ。
山に近い村ってのは、一般に山に依存して生きてることが多いんだ。
炭焼きをやったり、鳥獣を獲ったりしてな。ところが、俺の村は
そのほとんどが村の掟で禁じられてたのよ。
どうしてかというと、何でもその昔、その村ができたばかりの頃に、

山に棲む皮剥(かわはぎ)ってのと取り引きをしたからってことだった。
え、皮剥って何かって? 今、その話をしてるとこだろ。
あわてなさんなって。その村の掟ってのは、とにかく山の物に
手を出しちゃいけねえ、山に入っちゃなんねえってことだ。
だから、近くの村々じゃ猟銃を持ってる者がたくさんいたが、
俺のとこは一人もいなかった。山は皮剥の領分だったんだよ。
といっても、さっきわずかな田畑しかねえって言ったろ。
だから、冬場は食うものに困った。それでな、皮剥との決め事で、
春秋に決められた場所で、山菜やキノコ類を採るのは許されてたんだ。
けど、その場合も、山には必ず2人以上で入る。けっして山中に
泊まっちゃなんねえって約束で。決められた場所ってのはな、

村の背後の山に入ると、ぐるっと山頂をとり囲むようにして、
注連縄を巻いた大岩があるんだが、それよりも先に入っちゃいけねえ
ってことだった。ああ、俺もそこまでは親父に連れられて行ったことが
あるよ。そうだな50mおきくらいに、人の背丈の倍くらいの
すべすべした岩が立ってる。全部で20もあったかなあ。それらは大昔、
磐座として祀られたものらしい。あ、それとな、村には一本渓流が
流れてて、その源流はちょっとした湖になってた。そこで魚を獲るのは
自由だったんだ。尺を越す岩魚や小魚がたくさんいた。
だから、冬場のおかずはいつもそれらを塩漬けにしたもんだったよ。
あ、すまねえ、なかなか本題に入らなくて。村の街道の最奥に、
善徳寺っていう寺があって、村のもんは全員がそこの檀家だった。

寺の住職は、当時60歳過ぎたばかりくらいで、奥方を早くに亡くし、
一人で村の仏事をすべてこなしてたんだ。息子が一人いて、
曹洞宗の他の大きい寺に修行に出てた。あとな、墓の掃除なんかをする
寺男が一人いて、70過ぎのじいさんだったな。そのじいさんが、
朝方に村長の家に駆け込んできた。住職が山に入って帰ってこねえって
言うんだ。こら大事だろ、さっき言ったように、山の中で泊まっちゃ
ならねえんだ。なして山へ入ったか聞いたら、前日、一人息子が
顔を見せに帰ってくるって電報が来たらしい。それで、昼過ぎから山に
一人で入って山菜を採ってこようとしたんだな。ああ、精進料理の
材料にする。それが、夜になっても戻ってこない。とうとう朝まで
帰らなかったから、じいさんが村長に知らせに走ったってわけだ。

それからは、村長とこに村の主だった連中が集まって大騒ぎよ。
とにかく磐座の奥へは入っちゃいねえだろうから、探しに行こうって
ことになった。そういう役は青年団がやる決まりだったんだが、
ほら、戦争で村の若い者のほとんどは出征して、帰ってこないものも
多かった。青年団はほぼ壊滅してたんだよ。それで、残ってった村の男が
2人、3人で組をつくり、手に鉈を持ち、首から呼ぶ子を下げ、
麓から山に入ってったんだ。1時間ほどして呼ぶ子が鳴るのが聞こえ、
みなが集まってみると、磐座の一つの下に住職の作務衣や下着なんかが
まとめられてた。でな、鏡みたいに平らな岩に、赤黒い字で、
「約定どおり○○の皮はもろうた」と書かれてたんだ。〇〇は住職の
僧号だよ。事情はよくわからんが、住職は道に迷ったか怪我をしたかで、

山で一晩過ごさねばならず、やむなく掟を破って皮剥にとられた。
あたりは生臭い臭いが立ち込めててな。その字はたぶん住職の血で
書いたものだ。あと、磐座の後ろ側を覗き込むと、山の奥へ向かって
草の上に血肉が点々と落ちてたんだ。ああ、誰もそれより先に踏み込む者は
いなかった。そうしてるうちに、麓から息せき切って駆け上がってくる者が
いてな、帰省してきた住職の息子だ。みなからわけを聞くと呆然として、
涙を流しながら、その場で長々と般若心経を唱え、寺に住職の着物を持って
帰ったんだよ。寺は急遽、その息子が継ぐことになった。
でな、それから小一年ばかり、住職の姿が山で目撃されたんだ。
村の者が山菜採りに山へ入ると、草の陰から住職が顔を出す。
正確には住職の皮だな。見事に骨と肉を抜かれ、

皮だけになった住職が真っ裸で姿を現すんだ。見たものの話では、
住職の顔に目玉はなく、皮は伸びたりずれたりしていて、
坊主頭にかろうじて住職の面影が残ってるって状態だったそうだ。
あと、住職の腹のとこが異様にふくれ上がって、
中から赤い強い光を放ってる。その赤い光こそが
皮剥の正体だって、昔から伝えられてるんだ。
もちろん見たものは、山菜の入った籠を放り出して村へ逃げ戻る。
そうして何度かそれが姿を現し、とうとう山へ入るものは誰もいなくなった。
その話は新しく住職になった息子のとこにも伝わって、
暗然とした顔をしてたって話だな。で、その年の冬は、村では食うもんが
なくて大変だったそうだよ。まあ、だいたいこんな話なんだ。

え、その後どうなったかって? そりゃ、皮剥がかぶってるのは、
防腐処理とかされてない生身の皮だから、1年も保たず朽ちてしまっただろ。
でな、その翌年、村に県のほうから話があって、渓流の奥にある湖を
ダム湖にするってことだった。村議会ですったもんだあったが、
結局みなが賛成した。かなりの額の補償が出るってことだったから。
で、皮剥の棲んでる山は半分削られて大規模なダム湖ができ、村はその底に
沈んだんだ。村の者は親戚を頼ったり、補償金で他所で商売を始めたりしたんだ。
皮剥がどうなったかって? いや、それはわからん。まだあの山にいるの
かもしれん。・・・最初にな、この話は俺が10歳のときに起きたって
言ったよな。だから、この内容は、後になって親父から聞いたもんで、
もしかしたら、細かいとこに間違いとかあるかもしれんよ。

大学生 石川健介さんの話
ついこの間、先週の日曜にあったことです。仲間と3人で、あるダム湖に
行ったんですよ。そこは観光地とかじゃなくて、ほんとに山の奥でね。
俺らみな初めて行ったんです。一本道でわかりやすかったですけど。
献花しようと思ったんです。というのはね、俺らと同じゼミの
菅原ってやつがそこで自殺したんで。いや、理由ははっきりとは
わからないんです。失恋したともノイローゼとも言われましたが、
俺が死ぬ前に会ったときには普通の様子だったんですけど。
遺体は発見されてません。何でそのダムで自殺したかわかったかっていうと、
菅原の部屋のパソコンに遺書が残ってたんです。そのダム湖に
飛び込むっていう。これもよくわからないんですけど、どうやら、
菅原の両親がそのダムの場所にあった村の出身者みたいで。

でね、着いてすぐダムの管理施設に顔を出したんですが、誰も出てこなくて。
まあ、見回りとかに行ってるんだろうって思いました。
秋なのでダムの水は少なかったですね。3人で花束を持って、コンクリ壁の
上を歩いてって、適当なとこで花を湖面に投げ込むつもりだったんです。
あたり一面の山は紅葉で、水はその色を映してきれいだったけど・・・
ここらにしようか、って言い合ってたとき、水の中に赤く光るものが
いたんです。大きな魚だろうか。しかし、魚が赤い光を放つってことは
ないですよね。その光はだんだんコンクリ壁のほうに近づいてきて、
ぼこっと水面に頭が出たんです。・・・菅原の頭だと思いましたが、
遠くてよくわからなかったけど、目のところから赤い光がもれてたんです。
みな怖くなって逃げちゃいました。で、車から警察に通報したんですよ。






健康食品は無意味?

2019.10.07 (Mon)
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今日はノーベル医学生理学賞発表の日ですね。この記事を書いている
時点では誰が受賞したかは まだわからないんですが、
下馬評では、2012年に発表された遺伝子改変技術、
CRISPR-Cas9(クリスパー・キャス・ナイン)を開発した女性研究者
2名に注目が集まっているようです。

これはひじょうに実用的な技術で、わずか数年の間に数々の画期的な
成果を上げています。例えば、イギリスではマラリアを媒介する蚊を
遺伝子操作し、集団の繁殖能力を失わせています。応用できる分野は
いくらでも考えつきますし、人類にとって大きく貢献する
可能性が高いものであるのは間違いありません。

操作も簡単で、少し慣れれば高校生でもできると思います。
特定のDNA配列を見つけ、切断し、別の配列を挿入する。
みなさんはウインドウズ・ムービーメーカーを使って動画編集を
されたことがあるでしょうか。あれとよく似てるんですね。

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また、CRISPR-Cas9は技術としては第一世代で、今後、これを改良して
使い勝手をよくした第二世代機がどんどん出てくるだろうと
思われます。ただ、以前に当ブログでも記事にしている、
世界から批判をあびた中国のヒトゲノム編集も、
このCRISPR-Cas9技術を使ってるんです。

これまで、ノーベル賞は女性の受賞者が少なく(17人)、
選考委員会に差別があるのではないかと批判を受けているので、
今回、ジェニファー・ダウドナ、エマニュエル・シャルパンティエの
両女史が受賞する可能性は高いかもしれません。

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さて、本題に入っていきますが、みなさんは何らかの健康食品や
サプリメントを利用されているでしょうか。ネット上でも、
「○○は健康によい・悪い」という情報があふれていますが、
どうやらこれ、将来は根本的に考え方が変わってきそうなんです。

例えば、コーヒーはどうでしょうか。成分として含まれている
ポリフェノールには抗酸化作用があるので、糖尿病や心臓病、
癌の予防につながると言われる一方、やはり成分であるカフェインは、
血管を収縮させて血圧を上げ、胃の粘膜を荒らすことも知られています。

DNAの2重らせん構造
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コーヒーにかぎらず、ほとんどの健康食品には、それがもたらす
プラスの作用とマイナスの作用があると考えられます。
とはいっても、コーヒーをよく飲む人、まったく飲まない人を
大人数で比較して、どちらかの群の寿命が長い、あるいは病気の
罹患率が少ないという統計的な結果を出せば、

コーヒーが体にいいかどうかはわかると思いますよね。
でも、考えてみれば、それはあくまで一般的な傾向であって、
みなさん個人にとって、コーヒーが体にいいかどうかを保証するものでは
ありません。なぜなら、個人が持つDNAの個性は、
当然ながら一人ひとり違っているからです。

アルコールの分解能力が人によって違うのはご存知だと思います。
アルコールは肝臓でアセトアルデヒドに変わりますが、
その分解能力は個人によって違います。お酒を飲んですぐ顔が
赤くなる人は、分解能が不活性なんですね。

喫煙と飲酒は相乗効果で食道癌リスクを高める
sy,ud (4)

ちなみに、日本人などの黄色人種の場合、活性型は50%程度、
不活性型が40%程度。一方、白人や黒人はほぼ100%が活性型です。
ですから、日本人はお酒に弱い人が多いなどと言われますが、
不活性型の人がお酒を習慣的に飲んでいると、食道癌などに
なりやすいことが研究でわかってきました。

で、これ、同じことがカフェインにも言えるんです。
カフェイン分解能が高い人は、コーヒーを飲むことで心筋梗塞になる
リスクが減るのに対し、低い人は逆にリスクが高まる可能性がある
という研究結果が出されています。

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このことが端的にわかるのが、スポーツ競技におけるカフェインの
使用です。カフェインは現在、アンチドーピングの禁止薬物一覧から
外されていますが、トロント大学での研究で、100人のアスリートに
同量のカフェインを摂取させてから10kmサイクリングを実施した結果、
タイムが向上する群と、悪化する群が見られたんですね。

前者では平均7%向上したのに対し、後者は14%悪化しています。
カフェインには脳に疲労を感じさせない作用と、血管を収縮させる作用が
ありますが、向上群はカフェインを素早く分解できるので、
プラスの効果だけを受けたのに対し、悪化群は血流が悪くなって酸素の
供給が滞り、筋肉疲労が強まった。

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さてさて、このカフェインの分解能を決定するのは、DNA塩基配列の
ごくわずかな部分です。もちろん、このことはカフェインだけに言える
話ではありません。みなさんが現在使用しているサプリメント、
健康食品などは、その個人にとって効果がないばかりではなく、
健康に害になる可能性すらあるんです。

ですから、まだずっと先の話でしょうが、まずはじめにゲノム解析をし、
その結果を見て、その人に効果のある成分を摂取するという形に
なっていくんでしょう。教育界では、一人ひとりの個性を尊重した
教育が重視されてきていますが、同じことが健康面でも言われるように
なるのかもしれません。では、今回はこのへんで。




心霊スポットと「愛」の人

2019.10.06 (Sun)
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今回はこういうお題でいきます。ひさびさに「怖い日本史」の話題ですが、
最近あんまり歴史の話を書いてないのは、どうも人気がないんですよね。
今回はどうでしょうか。さて、本項で取り上げるのは、
関東でも指折りの心霊スポットとして知られる「八王子城址」です。

現在の東京都八王子市にあり、交通の便は悪くないので、
もしかしたらみなさんの中にも行かれた方がおられるかもしれません。
八王子城は、北条氏康の三男・氏照が1571年頃に築き、
堅牢な山城として知られていました。それがどうして心霊スポットに
なったのか。これは有名な話ですね。

開放された城址公園ですので夜も入れますが、探索の体験談として、
誰もいないはずなのに人の気配がする、赤い光の玉が飛んでいる、
などの報告が上がっています。城主の居住地であった御主殿近くの
滝では自害した子女のうめき声が聞こえ、観音堂には、
武士とその妻女たちの幽霊が出現するとも言われます。

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さて、豊臣秀吉は天下統一の総仕上げとして、関東の覇者
北条氏を攻め滅ぼすことを決意します。1590年の小田原征伐です。
秀吉は全国の大名に号令をかけ、部隊を大きく2つに分けます。
家康と西国大名による主力部隊と、前田利家を大将とする北国部隊。

北国部隊は、前田軍1万8千、上杉軍1万、真田軍3千など、
総勢3万5千を超える大軍だったと見られています。
これに八王子城が攻められたわけです。当時、城主の氏照らは
小田原本城に駆けつけており、八王子城内には城代とわずかの将兵、
付近から集めた農民など3千人ほどが立て籠もったようです。

北条氏直
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これは圧倒的な兵力差ですよね。のみ込まれるのは時間の問題でした。
戦国時代の籠城戦は、城主が降伏し切腹などの処分を受け入れれば
城兵は許されることが多かったんですが、八王子城合戦は
殲滅戦となります。どうしてそうなったかの理由は、
おいおい述べていきたいと思います。

さて、ここからの話は半分伝説ですので、そのつもりでお読みください。
八王子城で捕らえられた者は、兵士だけでなく婦女子までもが
首を斬られたと言われます。夫や息子などが小田原本城に出向いている
家族が多かったんですね。ですから、小田原城前に運んで首を晒せば、
北条側の戦意が削がれ、士気が下がります。

そのため、どうせ助からないのなら見せしめにはなりたくないと、
婦女子はこぞって自ら喉を短刀で突き、御主殿前の滝に身を投げたと
されます。その数、数百から千人、そのため、滝から流れる川は
彼女達の血で三日三晩赤く染まった・・・まあ、伝説なんですが、
これに近いことはあったんだろうと思います。

御主殿の滝 意外にちゃちい
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麓の村では、その川の水で米を炊けば、うっすら赤く染まるほどで
あったと伝えられ、それが元になって、現在でもその地域では
供養のために「あかまんま 赤飯」を炊いて供えるということです。
そして八王子城址は怨霊の地となったわけですが、では、八王子城の
攻め手の将は誰かというと、上杉軍の直江兼続なんですね。

直江兼続は戦国武将としては近年、たいへんに人気がありますよね。   
米沢藩上杉景勝の家老であり、独立した大名ではないのに
この人気は異例なんですが、これはおそらく、原哲夫氏の漫画
『花の慶次』など、いろんな作品で取り上げられていることが
大きいんだろうと思います。

それと、下図の「愛」を象った前立の兜の印象もあるでしょうか。
では、兼続はどうしてそんな残虐な戦いを行ったのか。
これは兼続と秀吉との深い関係が関わっているものと思われます。
1588年、上杉景勝に従って上洛した兼続は、陪臣であるにも
かかわらず、秀吉と面会して豊臣の姓と従五位下の位を授けられます。

兼続の兜
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秀吉は兼続をたいへん気に入っており、景勝の下から離れて秀吉直属の
仕官を打診しましたが、兼続は角が立たないよう、これをやんわりと
断ってるんです。また、このとき兼続は、将来呼応して関ケ原の戦いを
起こすことになる石田三成とも会っています。

八王子城合戦の話に戻って、北国部隊は埼玉の鉢形城攻略に
大苦戦します。徳川軍から援軍に出た本多忠勝らの助けを借りて
なんとか落城させるものの、手間取ったため、兼続は秀吉から
厳しい叱責を受けてるんです。そして、その次が八王子城でした。

直江兼続
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小田原征伐は最終的に、小田原城が開城し、北条氏政、氏照らが秀吉に
切腹を命じられて終わりを迎えます。当主の氏直は助命されました。
余談ですが「小田原評定」という慣用句は、このときの北条氏
における重臣会議のことで、現在では「いつになっても
結論の出ない会議や相談」という意味で使われています。

この後の八王子城は、家康によって廃城とされたものの、徳川幕府の
直轄地として明治維新まで立入禁止にしていたため、比較的遺構が
よく残っています。麓には2012年にに完成した八王子城
ガイダンス施設があり、展示解説スペースのほか、休憩、
レクチャースペースなどがあります。

さてさて、ということで、義の人、愛の人などと言われる直江兼続
ですが、戦国武将の一人であり、戦いにおいては非情に
行動するのは当然でした。でもさすがに、戦いから400年以上も
たった後、ここが心霊スポット化するとは思いもよらなかった
でしょうね。では、今回はこのへんで。

八王子城址で撮られたとされる心霊画像
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写真を撮る話

2019.10.06 (Sun)
あ、どうも、よろしくお願いします。俺、武藤といって、エクセル計算の
専門学校に通ってます。この間から、奇妙な出来事が続いてて、
なんか嫌なことが身に迫ってる気がするんです。
それで友だちに片っ端から相談したら、一人のやつに霊能者を紹介され、
その人に会って話したら、ここに行くように言われたんです。
そういう不可解な事件を専門に研究してる人が集まってるって。
さっそく話を始めます。3週間前の火曜のことです。
俺、アパートから学校まで電車で通ってるんです。その日もいつもの
駅で電車待ってました。授業は2コマ目、11時半からだったんで、
通勤ラッシュの時間帯を外れて、駅にはパラパラとしか人は
いませんでした。電車が入るってアナウンスがあって、

そのときに俺の前のほうにいた女の人、たぶん会社員だと思います。
その人がふらふらした足取りで線路に近づいてって、「あ、危ねえ」
って思ったとき、急にふり返って、俺と目が合いました。
若い人でした。たぶん20代の後半から30代くらい。
で、その人、電車が走り込んでくるとまた前を見て、
思いっきりジャンプしてホームから飛んだんです。
「うわ、自殺だ」って思いました。それまでも何度か、自殺のために
電車が遅れたのには遭遇してるんですが、実際に現場を見たのは
初めてでした。いや、大きく跳ね飛ばされたとかじゃなく
姿は見えなかったんで、すぐに電車の下に巻き込まれたんだと思います。
電車は急ブレーキをかけて、いつもの停車位置のだいぶ前で停まったんで、

俺、前のほうに見に行ったんですよ。いやあ、今考えれば悪趣味だった
って自分でも思いますけど、俺だけじゃなかったんですよ。
電車を待ってた客のかなりの人数が俺と一緒に移動してたし。
でね、電車の前に来たら、運転席のガラス窓の下のほうにヒビが
入ってたんです。電車の車輪のとこも見ましたけど、
人の姿はなかったです。で、俺、持ってたスマホで、その割れた窓の
写真を撮ったんです。・・・弁解するわけじゃないけど、
俺だけじゃなかったんですよ。わざわざその場所まで移動してきて、
写真撮ってたのは俺の他に何人もいました。だから、
どうして俺だけがこんな目に合うのかわからないんです。
で、遅れて学校に行って、授業の合間に会ったやつにその画像見せました。

けど、なんまりウケなかったんです。まあそうですよね、
死体が見えるとか血がついてるわけじゃなく、ただ割れた窓が
写ってるだけだし。だから、学校が終わってバイトに行く前に
その画像は削除したんです。これ、間違いなく消したはずなのに・・・
次の日の朝です。俺、スマホを目覚ましがわりに使ってるんです。
アラーム機能で音楽鳴るようにして。で、寝たままつかんで見て
ギョッとしました。前日の電車の写真が縦長になって
待ち受け画面になってたんです。ありえないですよね。
自分で設定しなきゃそうなるはずがないし、その画像消したんだから。
でね、縦長になってるって言ったでしょ。
けど、比率がおかしくなってるわけじゃなくて、画面の下のほうに

ブドウの房みたいに黒い丸いものがいくつも重なって写ってて。
もとの写真にはそんなのなかったし、起き上がってよく見てみたら、
人の頭なんじゃないかと思いました。何人もの頭が逆光で黒くなって
重なって写ってる。けど、俺はあのときホームの先端まで出てて、
前に人が立つスペースなんてなかった。気味悪いじゃないですか。
だからね、それもすぐ消したんです。その後、特に何も起きず1週間が
過ぎました。俺ね、夜にチェーンの居酒屋でバイトしてるんです。
その日は遅番で、片づけまで終わって店を出たのが夜中の2時半くらい
でした。原付で通ってたんです。車通りがなくなって黄信号の点滅だけに
なった道路を走ってたら、後から大音響の音楽が聞こえてきて、
400ccの大型スクーターがすごいスピードで追い越してったんです。

そのときは、ちらっとしか見えなかったけど、2人乗りで後は女。
2人ともノーヘルだと思いました。で、そのスクーター、
前の交差点をほとんど速度を落とさず左折して、俺が交差点まで
近づいたときに、曲がってったほうの道からドガッシャンって
派手な音がしたんです。「ああ、やりやがった」って思いました。
俺は本来そっちには行かないんだけど、さすがにほっておけないじゃ
ないですか。横道に入ると、30mほど先でスクーターが道の脇の
ガードレールに突っ込んで倒れてました。近寄ってくと、
女のほうが目を開けたまま仰向けに倒れて痙攣してたんです。
頭の下に血が広がって、もうすでに水たまりみたくなってました。
運転してた男のほうは、ガードレールの上に体が乗っかってて、

顔は街路樹の下の植え込みに突っ込んで表情とかわからなかったけど、
ピクリとも動きませんでした。スマホを出して警察に通報しました。
そしたら、申し訳ないが話を聞きたいからその場にいてくれって言われて。
そこはビル街だったから、かなり大きな音がしたけど、
野次馬とかは出てこなかったです。警察を待ってる間、救護とかは
しませんでした。後続車が来る様子はなかったし、下手に素人が動かすのは
よくないと思ったんで。ただ、もしかして俺が疑われるんじゃないか
とは考えました。それで、少し離れたとこから現場の写真を撮ったんです。
警察と救急車は5分くらいで来て、救急隊員は2人に呼びかけたり
してましたが答えず、テキパキと救急車に乗せて搬送していきました。
俺は警察に事情を聞かれて、起きたことをそのまま答えたんです。

2人乗りのスクーターが曲がってってすごい音がしたんで、
見たら事故ってたって。スピードを出してた話もしました。そんときに
警官が俺の原付も見てたんで、ああやっぱ疑われてるんだと思ったけど、
別に傷とかついてないし。それで、写真撮ったって話もしたら、
見せてくれって言われました。それから、この画像は消さないで、後日
もっと詳しい話を聞くときに持ってきてくれって言われ、免許証を確認されて
放免されたんです。俺としては人助けしたつもりだったけど、
やっぱこうなるんだなあって思いました。翌日、警察から連絡があって
わざわざ警察署まで行って話をしました。事故の目撃者っていうていねいな
あつかいでしたよ。まあ、向こうもプロだから、事故車が勝手に転んだんだって
わかったんでしょう。このとき、スクーターの2人はどっちも亡くなったって

知らされたんです。それと、俺が撮った現場の画像をコピーさせてくれ
って言われました。そんときはその画像もなんともなかったんですが・・・
部屋に戻ってきて、嫌な画像だから削除しようとしたら、
何か変なんですよ。現場には誰もいなかったのに、倒れてる女の前に
たくさん黒い影がある。前の電車のときと同じです。ただ、電車のは頭だけ
だったのが、立ってる人の全身が写ってて10人近くいました。
それと、その中に黒くない人が一人だけいたんです。女でした。
黒い人の集団から頭だけ出てて俺のほうを見てたんですが、
その顔・・・あの電車に飛び込んだ人だと思ったんです。そりゃあ
あのとき見たのは一瞬だけだったから、違うかもしれないけど・・・
「何だよこれ」完全にブルっちゃってすぐ削除したんです。

また次の朝です。スマホのアラームが鳴って・・・もうわかりますよね。
待ち受け画面がその画像になってたんですよ。
黒い人がいるのは同じで、電車に飛び込んだ女がいるのも同じなんだけど、
その他に、顔がわかる人が2人増えてたんです。若い男女で、
俺はちゃんと見てなかったけど、スクーターの2人じゃないかと
思いました。3人とも真っ白い顔の無表情で、ただ黒い人垣の中から
頭を出して俺を見つめてる。当然すぐ削除したんですけど、翌朝になったら
また待ち受け画面に出てるんです。これ、どうすればいいんですか。
俺、呪われたかなんかしたんですかね。え、スマホはここに預けていけって、
で、俺はお祓いを受けろって・・・やっぱそうなんですね。
わかりました、何とかよろしくお願いします。






サボテン園の思い出

2019.10.06 (Sun)
アーカイブ167

どこから話せばいいんでしょうか。おそらくわかりずらい話になると思いますが、
どうかご勘弁ください。ええと、多肉植物というのをご存知ですか。
はい、そうです。サボテンの仲間の。クチクラ層といって、
表面がぷちぷちした肉厚な膜で覆われているんです。
厳しい環境に生息する植物ですので、その内部に水を貯めこんでいるんです。
アロエが有名ですけど、もっと肉の一つ一つが小さなつぶつぶになったのが
多くて、一見すればかわらしい感じがします。コレクションしている方も
けっこういるそうです。私も、一種類だけですが家で育てていまして。
これが、条件が合うと爆発的に増えるんです。
まるでミニチュアのぶどうの房のようなのが、重なり合って・・・
ああ、すみません。最初からわかりにくい話をしてしまって。

その多肉植物を専門にしているサボテン園というのが、県内の郊外にありまして。
私が4歳のときに、両親に連れられて行ったそうなんです。
山のふもとに、温泉の排熱を利用した広大な温室があって、
そこでは熱帯のサボテン類の他に、小型のワニやインコ、
オウム類、小さい猿なども飼われていたようです。
でも、そのときのことはあまり覚えてなくて。
母の話だと、そのとき私が迷子になって、大騒ぎだったということでした。
ええ、その記憶だけはかすかにありました。ほんとうに、ごくかすかに。
その後すぐです。両親が離婚したのは。だから小学生の頃、母にこの話を
されたときには、私が迷子になったせいで離婚したの?って思ったんですけど、
そういうことではなかったようでした。

父の浮気のために元から夫婦仲は冷えていて、
それを取り戻すためだったのでしょうか。私を連れてひさびさに家族旅行に
出たけれど、そのサボテン園の中で両親が諍いになって、
その間に、私の姿が見えなくなって・・・ということのようでした。
まあそういう事情で、ずっと母子家庭での生活が続いたんです。
離婚の原因が父の浮気ということでしたので、慰謝料と私の養育費が入りましたし、
母の実家は資産家でしたので、生活が苦しかったということはなかったです。
でも、父がいないのと一人っ子ということで、寂しい思いをしたときもあります。
・・・母は、再婚を望んでいたということはなかったと思いますが、
私が高校生のときに現在の父が現れ、望まれて。ええ、大変よい方でしたし、
私は賛成でした。周囲からの勧めもあって、再婚したんです。

私はその後すぐ大学に合格し、家を出て一人暮らしをすることになりました。
といっても同じ県内のことでしたし、あまり不安はなかったです。
むしろ、母が新しく家庭を築くのにじゃまにならないほうがいい、
みたいなことを考えていました。それで、その大学では、
廃墟探索サークルというのに入ったんです。・・・みなさんお笑いですが、
それなりに真面目な活動をするサークルだったんですよ。近場を中心に、
廃墟を訪れて動画と写真で記録し、サークルのホームページに載せる。
それと学祭のときの発表。そうですね、私は運動関係は苦手でしたし、
廃墟という言葉になんとなくあこがれていたのだと思います。
ええ、怖いのも苦手でしたから、心霊スポットなどには行ったことはありません。
昼だけの真面目な活動だと聞いて入ったんです。

それで、2年生になった初めの頃でしたね。前にお話した、
私が小さいころ迷子になったというサボテン園、そこが経営難のために廃園され、
放置されているということを聞いて、探索の計画が持ちあがったんです。
サークルの活動のすべてに参加しているわけではありませんでしたが、
これはぜひ行かなければならない、と思いました。
私が迷子になったという、そして前の父と母が、離婚するきっかけになったかも
しれないその場所をぜひ見ておきたいと思ったからです。
ええはい、写真を掲載する関係もあって、
サークル長が事前に現在の権利者に取材の許可をいただいてありました。
地元の観光協会の所有になっているようでしたね。
ですから、違法な侵入ということではありませんでした。

訪れたのは、男3名、女2名でした。3年生の男の先輩が借りたミニバンで、
大学のある市からは2時間の距離でした。
温泉地の奥手にある山のふもとということでしたが、
温泉地自体がかなりさびれていました。少し前にあった秘湯ブームのときも、
その恩恵にはあずからなかったようです。場所はすぐにわかりました。
巨大なガラス製の温室が残っていて、それが午後の陽を受けて輝いていました。
その温室外の施設も、昔はかなりの広さだったそうですが、そちらの土地は
周囲の農家が安く買い取ったようで、ほとんど畑に変わっていました。
温室はガラスの割れた部分もなく、入り口の鍵を借りていた先輩が開け、
皆で中に入りました。全体では体育館2つ分ほどの広さがあったと思います。
中は・・・人口の池や動物の展示施設などもあったようですが、

それらが埋もれるほどびっしり、多肉植物が広がっていたんです。
温室の熱源が温泉で、それは止められてはいなかったようです。まあ重油を
燃やしたりしているのではないので、お金がかからないからなんでしょうね。
多肉植物は一種類だけでした。初めに、私が育てていると言った種類の、
小さなプチプチが盛り上がったものです。
一見すれば黄緑色ですが、よく見るとプチプチの一つ一つは、
淡いピンクや紫色に染まっていて、それはきれいでした。でも、皆は「気味が悪い」
「人間の体内にいるみたいだ」こんな感想を漏らしていました。
リーダーの先輩が「サボテン園というくらいだから、いろんな種類の植物があったろうに、
 これ1種類になってしまってるというのは、植物同士で熾烈な戦いがあったんだろうな。
 このプチプチしたやつがうち勝って、どんどん生存範囲を奪っていったわけだ」

そう言われると確かに、日の当たらない下のほうには、
別種のサボテンがわずかに残っているのが見えました。
・・・昔ここを訪れたという記憶が甦ってくるような感じは一切なかったです。
私はカメラ担当でしたので、侵食されずに残っているコンクリの通路を、
写真を取りながら進んでいったんですが、どこもかしこも同じ多肉植物の山で、
変化のある写真は撮れそうもなかったんです。通路の右側の地面に白いものが見え、
多肉の房を持ち上げてみると、それはカラカラに乾いた鳥の骨でした。
おそらく、園で飼育していたオウムかインコのものでしょう。しゃがみ込んで
その写真を撮っていると、かすかに人の声が聞こえたような気がしました。
女の子の泣き声だと思いました。どうも多肉植物の裏から聞こえてくるような。
それで、伸び上がって後ろ側を覗こうとしましたが、人の背より高くて無理でした。

どこか入れる場所はないか・・・そしたら、
わずかに多肉の繁り方が薄そうに見えるところがあり、
そこに手を入れてかき分けてみたんです。その植物は固い枝などはなく、
全体がゴムのように柔らかいんです。ただ、圧倒的な量で。
なんとかそこから奥に入れそうでした。かきわけて前に進もうとしたら、背後から、
「こら、勝手なことをするな」というリーダーの声が聞こえました。
私は「子どもの声がする」と言って、そのまま体をねじ入れ、すると、ぽっかりとした
空間に出たんです。昔風のワンピースを着た幼稚園くらいの女の子が、
しゃがみ込み、両手を顔にあてて静かに泣いていました。
私は「どうしてここに入ったの?さ、お姉さんと一緒に出ましょう」そう話しかけ、
女の子が涙まみれの顔をあげました。「どうしたの?」と聞くと、

「おとうさんとおかあさんがケンカしてて・・・」ええ、もうおわかりだと思います。
そっと子どもの頃の自分の手をとると、ぼうっとにじむようにして、
その子は消えてしまいました。「こら、お前何やってる!」リーダーの怒った声がして、
肩をつかまれました。私の前にはコンクリート製の排水池のようなものがあって、
そこ半ば温水に浸かった、1m以上ある生物の骨が何体も重なってありました。
ええ、もちろん人ではありません。ワニか何かだと思いました。大型の爬虫類・・・
女の子の姿はどこにもなかったんです。これでお話は終わりです。
私が見たものは幻覚だったんだと思います。リーダーは女の子の姿は見てませんでしたし、
他に泣き声を聞いたメンバーもいません。リーダーは多肉植物を無理矢理くぐりぬけてきたのか、
体中、植物の破片だらけでした。最後に一つ、よけいなことをつけ加えさせていただくと、
大学を卒業して2年後、私はこのリーダーと結婚しまして、今に至るんです。







アーカイブ 植物園の事故

2019.10.06 (Sun)
まだ今月中の話ですね。正月に実家に帰省した帰りのことです。
妻と、2人の娘を連れて車で行ったんです。年越しの夜から3日滞在して、
3日の午後に実家を出発しました。もう帰省ラッシュが
始まってたんで、高速を避けて下の国道や県道を通りました。
家族の住む家から実家までは車で4時間ほどのところにあり、
裏道もよく知ってるんですよ。午後の3時を過ぎてたと思います。
あまり雪の降らない地方ですが、気温は低く、薄暗い感じがしました。
車通りのほとんどない県道を走ってると、車の中に
いがらっぽい臭いが入って来ました。なにか物を燃やしてるような
臭いです。道の両脇の枯田で稲藁でも焼いているのかと思いましたが、
あたりに煙の上がってるところは見えなかったです。

車のエアコンを車内循環にすると、だいぶ臭いがやわらぎました。
幼い娘た2人は後部座席で2人とも眠っていました。しばらく走ってると、
前方に通行止めのバリケードと三角コーンが見えました。
その脇に人が2人立っていましたが、それがどうも様子が変だったんです。
警察その他の制服を着てるわけでなし、工事の人にも見えない。
道の脇に軽トラが一台止まってました。2人とも派手な蛍光色の
ダウンを着て、一人は手に長い鉄パイプのようなのを持ってたんです。
スピードを落として近づき、運転席のウインドウを開けました。
すると、さっきからのプラスチックが焦げたような臭いが強くしました。
「どうしたんですか?」と聞いたら、40年配くらいの、メガネをかけて
黄緑のダウンを着たほうが寄ってきて、無愛想な調子でこう言いました。

「スマンな。この道、通行止めになってるから引き返してくれ」
「通行止め?どうしてですか?」こう聞き返したところ、
若い、まだ20代に見えるピンクのダウンを着たほうも近づいてきて、
「どうしたもこうしたもねえから! 戻れって言ってるだろ。危険なんだよ」
こう怒鳴ったんです。それで、こっちもムッとして、「あんたら警官にも道路関係の
 人にも見えないけど、何の権限で通行止めなんかしてるんだ」やや強い調子で
言いました。そしたら、若い方が持ってた鉄パイプを振り上げかけたんです。
中年の黄緑ダウンがそれを手で制して、「いや、スマンな。緊急のことで頼まれたんだ。
 おっつけ警察が来るし、自衛隊も来るかもな。さっきから焦げ臭い臭いがしてただろ。
 この先の火力発電所で事故があったんだよ。正確には火力発電所のほうは
 何ともないんだが、その排熱でやってる熱帯植物園の事故だ」

「植物園?そんなとこでどんな事故が起きるっていうんだ?」 「それがよ、
 詳しいことは言えないんだが、見れば小さい子どもが乗ってるじゃねえか。
 下の子はまだ赤ちゃんだろ。悪いことは言わないから、こっから引き返せ。
 でないと手遅れになるぞ」これを聞いて妻が不安そうな顔をしました。
「引き返せったって、あの海沿いの火力発電所の事故なら、高速もダメだろ」
「高速は大丈夫だよ。この道よりは離れてるからな」
こんな言い合いをしているところへ、バリケードの向こうからパトカーが
一台来たんです。サイレンを鳴らさず、赤ランプも回ってませんでした。
パトカーはバリケードに接近して停車し、中からかなり大柄な警官が
一人出てきました。それが驚いたことに顔にガスマスクをつけてたんです。
「これはマジでヤバイのか?」って思いました。

警官が手で招いてダウンの2人を呼び寄せ、2人はパトカーの
後部座席に入りました。警官は窓に近づいてくると、くぐもった声で、
「すみません、今の2人はボランティアの人で、好意でやってくれてたんです。
 事故があったのは本当です。どうか引き返してください。
 今から正式に通行止めにしますから」
こう言われてはしょうがないので、車をUターンさせようとしたとき、
4歳の上の娘が目を覚まし、「ドカーンってするよ」って言ったんです。
寝ぼけてるのかと思いましたが、その直後、道の向こうでものすごい
爆音が響き、黒い噴煙が上がったんです。車のウインドウがビリビリ鳴りました。
必死で発進させて、来た道をかなりのスピードで戻りました。適当なところで車を停め、
妻が下の娘の様子を確認しましたが、変わった様子はなくよく眠っていました。

こちらに向かってくる車はありませんでした。15分ほど走ると、
上の娘が「怖かったね」と言ったので、「どうして爆発するのがわかったの?」
って聞きました。娘はそれに答えず、「あそこにダウン着た人が2人いたでしょ。
 どっちも緑色の顔をしてて、とっても怖かった」って答えたんです。
確かに奇妙な服装をしていましたが、顔は緑色ということはなかったと思いました。
きっと娘は、半分寝た状態でさっきのやつらとのやりとりを聞いていて、
そんなふうな夢を見たんじゃないかと考えました。
インターまで戻って高速にのったら、たしかに渋滞はしていましたが、
思ってたほどでもなかったんです。車のナビをテレビ設定にしましたが、
あれほどの爆音が響いたのに、事故のニュースはどの局でもやっていませんでした。
そのうちに流れがスムーズになってきて、右手に火力発電所の煙突が見えてきました。

この道は何度も通ってるんですが、普段と変わってるようには
見えなかったんです。ただ煙突からの煙は出ていませんでした。
で、その横に鉄筋を組んでガラスをはめ込んだ体育館くらいの建物があって、
それがさっきから話に出てきた植物園なんですが、どうも様子が違って見えました。
いつもならガラスの上部は透けて、空を映してるんですが、
そうじゃなく、全面が黒く染まってるように見えたんです。
「やっぱり何か事故が起きてるのか」と思いましたが、よくわかりませんでした。
植物園の脇まできたとき、ガラスが黒く染まってるんじゃなく、
内部を何かが覆っているんだとわかりました。濃い緑色をした、
蔦植物みたいなやつです。それがすごく不気味な感じがしました。
あとは特に変わったこともなく、7時過ぎに家に着きました。

下の子はずっと眠ったままだったので、そのままベビーベッドに移しました。
テレビをつけても、ネットを見ても、爆発事故らしいニュースはなかったんです。
まだ正月休みだったんで、あまり気にしないことにして、
くつろいでテレビを見てました。そしたら上の娘が入ってきて、
「○○ちゃん(これ下の娘のことです)顔が緑色になってたよ」って言ったんです。
驚いて寝室に行くと、妻が下の娘を見ていました。
べつに顔色は普通で緑ということはなかったです。
妻が「熱があるみたい。病院に連れてったほうがいいかも」と言いました。
3が日中だったんですが、救急病院はやっているようでしたので、
車で連れていくことにしました。妻が抱いて後部座席に乗ろうとしたんですが、
そのときに、下の娘が口からぷっと何かを吐きだしたように見えました。

下に落ちたものを拾い上げてみると、白く乾いた1cmばかりの丸い種の
ようでした。種からは5mmほど、薄緑の芽がのびていたんです。
すぐ側溝に捨てたんで、今は持っていないです。あれからもう1ヶ月ちかく
たつんですが、下の娘の意識が回復せず、ずっと眠ったままなんです。
さまざまな検査をしたんですが、医師にも原因がつかめていないようです。
自力呼吸はできるんですが、ずっと妻が病院につきっきりでいます。
それとね、もう一つ気がかりなことがあるんです。上の娘が毎晩夜中に
うなされて泣くんですよ。そして目が覚めたあと決まってこう言います。
「顔に変なのをつけたおまわりさんと、緑の顔をした人たちが窓からおうちを
 覗いてる」って。でも夜は厚いカーテンをしてて、寝室の窓から外は
見えないんです。ね、理解しかねる話でしょう。あの日何があったんでしょうか?






猿のオカルト

2019.10.04 (Fri)
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今回はこういうお題でいきます。猿のオカルトというと、最大のものは
UMA系の話になるかと思います。ヒマラヤのイエティ(雪男)、
あるいは北米のビッグフットなんかですが、これらについては、
いまいち書く気にはならないですね。

自分はオカルトのジャンルの中ではUMAが一番好きなんですが、
猿人系はそれほど興味をそそられません。もしいたとしても、
新種の猿だろうと思うからです。猿人やギガントピテクスの生き残り
というのは考えにくいでしょう。実際、マウンテンゴリラが
発見されたのは20世紀に入ってからのことです。

有名なUMA画像「モノス」 クモザルの一種の死体を無理に座らせたものと見られている
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ただこれ、よくUMAをあつかったサイトでは、ゴリラのような巨大な動物が
20世紀初頭まで発見されなかったのだから、他にも巨大生物が
生き残ってる可能性はある、みたいな書き方をされてるんですが、
未発見だったのはあくまでマウンテンゴリラ種で、ローランドゴリラ
などは19世紀からヨーロッパの動物園に入ってるんです。

さて、日本における猿のイメージは、「動物の中では賢いけれど、
やはり人間に比べれば劣っている」という感じでしょうか。
「猿真似」 「猿知恵」などという言葉がありますね。中国でも
「朝三暮四」という有名な故事成語の話に出てくるのが猿です。

いちおう説明すると、宋の狙公が宮廷で飼っていた猿に、朝に3つ、
夕方に4つ餌をやると言ったら怒ったので、朝4つ、夕3つにしたら
喜んだ。ここから「目先の違いに気をとられて、実際は同じであるのに
気がつかないこと」という意味で使われます。

日吉神社の神猿(まさる) 山王信仰とかかわりがある
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考古学的には、縄文時代、弥生時代の遺跡から猿の骨が
出土しますので、食べられていたのは間違いないでしょうが、
その数は多くはありません。これは、鹿と猪が大量にいたためと、
木の上で暮らし、すばしっこい猿は、狩るのが難しかったためで
あると思われます。猿肉が不味いからというわけではないようです。

『日本書紀』によると、675年、天武天皇が「牛、馬、犬、猿、鶏」
を食べることを禁じる法令を出しています。これは仏教の殺生戒を
重んじたためですが、4月から9月までの期間に限っていて、
農耕が行われない冬場は、そのかぎりではなかったようです。

さて、アジアでは、古くから猿を神仏の使いとしてみる文化が
ありました。中国の孫悟空、インドのハヌマーンは有名ですね。
日本でも、日吉神社では猿を眷属としていて、
神社のホームページを見ると、「神猿(まさる)」は「魔が去る」
に通じていて縁起がよいと出ています。

インドのヒーロー「ハヌマーン」 孫悟空のモデルともされる
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これは、日吉神社の御祭神の一柱が国津神である
大山咋(おおやまくい)神であることと関係があると思われます。
余談ですが、幼名が「日吉丸」、アダ名が「猿」であった豊臣秀吉は、
日吉神社への信仰が厚く、たびたび寄進をした記録が残っています。

神仏の使いとして尊ばれる一方、猿にはまた、妖怪「猿神」としての
話も残っています。『今昔物語』には、美作国(岡山県)での出来事として、
「猿神が年に一度、女を生贄に求めることが続いていて、その年は
ある若い娘に白羽の矢が立ち、両親ともども嘆いていたところ、
犬を連れた若い猟師が現れて娘のかわりに櫃に入り、

運ばれた先で大猿が100匹ほど手下の猿を連れて現れた。
猟師と犬はすべての手下の猿を倒し、大猿は二度と生贄を求めないと
命乞いしたので逃してやった」という内容が出てきます。
この類話は全国各地に見られ、戦国時代の実在の武将・武芸者、
岩見重太郎の狒々(ひひ)退治の話としてまとめられます。

岩見重太郎(薄田兼相)の狒々退治
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妖怪としての狒々は、猿に似ているがずっと体が大きく、
たいへんに力が強くて人間の女性を好み、襲ったり生贄として求めたり
するとされます。ただ、日本には大型の野生の猿はいないので、
中国から移入されたものでしょう。前4世紀の『山海経』には
狒々の話がすでに出てきていますね。

さて、ホラー小説で猿をあつかったものは、『猿の手』などがありますが、
ここでは史上初の推理小説と言われる、エドガー・アラン・ポーの
『モルグ街の殺人』をあげておきましょう。みなさんご存知でしょうが、
モルグ街のアパートメントの4階で、2人暮らしの母娘が
非人間的な方法で惨殺される。

この解決に乗り出すのが、素人探偵のオーギュスト・デュパンです。
映画だと、これもいろいろありますが、ジョージ・A・ロメロ監督作品、
1988年の『モンキー・シャイン』が印象に残っています。筋は、
ある陸上選手が交通事故に遭い、首から下が麻痺してしまいます。

『モンキー・シャイン』
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絶望した主人公に、友人の生物学者は身の回りの世話をする
ヘルパー猿、エラをプレゼントします。エラはたいへん賢く、役に
立ちましたが、これは密かに人間の脳細胞のエキスを注入されて
いたためです。うーん、映画として成功作とは言いにくいと思いますが、
ロメロ監督の密室劇は、異様な迫力はありました。

さてさて、ということで猿のオカルトについて見てきましたが、
いまいちまとまらない内容になったかもしれません。
記事としては、生物学関係で猿についてもう1本書ける
ような気がします。では、今回はこのへんで。

関連記事 『ハリ―・ハーロウの光と闇』

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「道 タオ」って何?

2019.10.03 (Thu)
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今回はこういう大それたお題でいきます。これについては、自分も
よくわかってるわけではないので、おそらく、中国哲学をガチで
研究してる方から見れば、噴飯ものの内容じゃないかと思います。
ですから、この記事はスルーされるか、読まれるにしても
眉に唾をつけてお願いしたいところです。

さて、「道」は、道家の思想の中心をなす概念です。道家は、
老子と莊子の思想を信奉する人々の集まりで、
魏晋南北朝時代に隆盛しました。また、このころにできた
教団道教も、その中心に老莊の思想を置いています。

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では、思想の大もとになった老子とはどういう人物なのか、
これについては中国でも歴史的に大きな議論があります。
生没年や詳しい生涯はまったく不明で、現在の中国社会科学院でも、
実在説と非実在説の両論が唱えられているんです。

また、老子が生きた時代もはっきりしません。大ざっぱに言って、
儒家の始祖である孔子よりも前の時代の人物、同時代の人物、
孔子以後の人物と3つの説があるかと思います。なぜこれほどわからない
かというと、老子について、ある程度まとまった記述が出てくるのは、
前1世紀ころに書かれた司馬遷の『史記』ですが、

分量が少ない上に、内容に矛盾が見られるためです。『史記』によると、
老子の姓は「李」で、周王朝の小役人を務めていたが、
周に衰退のきざしが見られると、職を持して故郷へ帰ろうとした。
そのとき、関所の役人に『老子道徳経』という上下2巻の自著を
与えて去っていったとあります。

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『老子道徳経』は実在する書物で、中国の戦国時代の墳墓から、
これが書かれた竹簡が出土していますので、少なくとも前漢以前に
さかのぼる古いものであることは間違いありません。
前述した『史記』には、「孔子が老子を訪ね、礼について教えを乞うた」
という記述があり、孔子と同時代人とも考えられます。

後世、儒教は中国の歴代の国で国教化されていましたので、
儒家はこれを屈辱的として、老子と孔子は同時代人ではないなど、
いろいろな形で否定しようとしました。ということで、老子について
論じようとしても資料が少なく、わからない、わからないの
連続になってしまうんです。

「竹林の七賢人」
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さて、主題にもどって「道 タオ」とは何か? これは幅広い概念で、
老子自身は、「名づけることはできないのだが、仮に道としておく」
と述べています。現代では、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在など、
やはり広い意味で解釈されることが多いですね。老荘思想は
近代になって西欧社会に広まり、多くの西洋人を惹きつけました。

「道」を実践するための方法が「無為自然」です。自然の法則に
逆らわず、自分から積極的に行動しない、高みをめざさないことが
よいされました。それをよく表しているのが、「上善は水のごとし」
という言葉で、水はけっして高いところには流れない。低い場所へと
地形にしたがって進んでいき、途中に障害物があってもよけて通る。

これは人間で言えば、社会の中で成功をめざさないと考えることが
できるかもしれません。地位や名誉、財産は、いくらあっても、
もっとほしいという欲が出てきりがない。ならば、最初からそれとは
かかわらない生き方をしようということです。世を捨て、山中や
竹林に入って庵を結び、簡素な生活を送るのが理想とされました。

老子と牛はセットになっています
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道家は一つには、儒家のアンチテーゼとなっています。儒家の思想は
「徳治主義」。つまり、天命を受けた皇帝や王は、徳をもって
人民を治めなくてはならない、帝王の徳が高ければ、
それが人民にも伝わって理想的な国家になるというような論理です。

これに対し、『老子道徳経』に描写される理想の国は、権力のない、
ほとんど村規模の牧歌的な小国です。隣の国とは犬の吠える声が聞こえる
ほどの近さで、船や車、武器や甲冑も必要ない。食料、衣服、住居は
すべて自給自足で、何か物事を伝達するには縄の結び目程度があればよく、
文字さえも必要ない・・・こんな感じなんです。

中央が太上老君(老子)
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さて、老子の思想と道教はどう違うのか。3世紀ころ、中国に古くからある
神仙思想をもとに成立した道教では、老子は「太上老君」という最高神の
一人になっており、崑崙山に住み、『抱朴子』などによれば、
口がカラスのクチバシ、耳の長さは7寸(18cmほど)、額に縦じわが
3本あり、牛に乗った姿で表されることが多いですね。

道教では、内丹術、外丹術を修めて最終的には不老不死の仙人に
なることが究極の目的であり、道であるとされましたが、老子が
そういうことを言ったり、書物に書いているわけではありません。
道教の権威づけに、老子の思想が利用された面があると思います。

仙人のイメージ
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さてさて、ここまで老子の思想、「道」についてみてきましたが、
何も言ってないようなもんですね。やっぱり書かないほうがよかったのかも
しれません。現代の中国は、文化革命以後、宗教をふくむ古来の価値観が
否定され、精神世界が空洞のまま、他人を蹴落としてのし上がろう、
何をやってでも儲けようとする拝金主義の世の中になっています。

しかし、いくら高みをめざしても、万人がすべて成功するわけはなく、
必ず多くの挫折があります。そういうときに、ふとふり返ると老荘思想が
あるんですね。必ずしも社会的成功だけが幸福な人生ではないと。
これは現代の日本にもつうじる面があるのかもしれません。
では、今回はこのへんで。

関連記事 『中国の幽霊』

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偉い木像の話

2019.10.02 (Wed)
あ、今晩は、また来てしまいました。引退した骨董屋です。
つい最近、新しい話があったのでご報告をしようと思いまして。
私が昔、少し世話をしたことのある後輩の骨董屋から話が持ち込まれて
きました。「この間、ちょっと変わった木像を買い取ったんですが、
 値打ちがよくわからない。それと、なんだか不気味なところもある。
 先輩がそういったことに詳しいのはよく知ってるので、
 鑑定してもらえないか」こういうことだったので、
二つ返事で引き受けました。まあ、その後輩もね、なかなかの目利き
なんですよ。簡単にまがい物、いわくつきの物をつかまされるような
人間じゃない。それが、よくわからないって言うんだから
興味を持ちましてね。2日後、私の家に後輩がやってきました。

ケースから出したのは、20cmに満たないような小さな木彫りの像。
もっと大きいものだと思ってたので、ちよっと意外でした。
仏像・・・のようでもありますが、何の仏なのかわからない。
彫刻刀で木目が浮き出るように、正座姿が荒々しく彫られていて、
像の頭は髪の毛が火炎のように盛り上がり、顔は憤怒の形相。
でも、不動明王にしてはちょっとおかしい。木の黒ずみ具合などから、
古いものであることはわかりました。おそらく江戸中期以前。
まあ、私に鑑定できるのはそのくらいでしたので、後輩に、
その像が手に入ったいきさつを聞いてみました。1週間ばかり前、
70歳を過ぎた老人が店に売りに来たということです。
自分は分家だが、その像は本家で長く家宝にしていたもので、

宮本武蔵が彫ったという伝えがあると言っていたそうです。
さすがにまさかと思いますよね。宮本武蔵は江戸初期の剣術家ですが、
画家、細工師としての顔も持っています。ただ、その生涯は伝説に
いろどられていて、どこまでが史実なのかはっきりしません。
生まれた土地がどこなのかもよくわからないんです。
たしかに、武蔵作の水墨画や馬の鞍などがありますが、
木彫で明らかな武蔵の作品というのは残ってないんです。
ですから、比較のしようもありません。「その爺さんはどう言ってたの?」
重ねて後輩に聞くと、「爺さんの本家は九州の田舎の名主を務めた
 古い家柄だったが、その家に宮本武蔵が泊まったときに、礼として
 残していったものという話でした。それから長く家宝として

 大切にしていた。でもね、その本家、昭和の初期に絶えてしまったと
 言うんです。地震のときに山津波が起きて屋敷がのみ込まれ、
 使用人ともども全滅した。どうしようもないので屋敷は掘り返さず、
 遺体のない状態で葬式を出した。でね、屋敷の瓦屋根の上部だけが
 かろうじて土から出ていて、その突端に、普段は床の間に飾っていたはずの
 この像が、ちょこんと乗っかってたのが見つかったということでした」
「妙な話だねえ、まさか像が一人で逃げ出したってわけでもないだろうが」
「それでね、分家筋の代表だった爺さんが譲り受けたんですが、
 もう爺さん、齢で長くはないだろうから、価値のわかる人に
 保管してほしいってことで、店に持ってきたみたいなんです」
「うーん、お前さんはこの像、どう思うんだ」 「宮本武蔵はさすがに

 眉唾でしょうけど、力を感じさせる彫りで、名品と言っていいと思います。    
 ただね、見つめていると、なんというか背筋がぞくぞくする感じが
 するんですよ。それで、こういうことにお詳しい先輩に見ていただこうと
 思って」 「話はまあわかった。どのくらいのことが鑑定できるか
 何とも言えんが、調べてはみるよ」ということで、その像を預かりました。
私は引退してもう店はないので、2階の仏間の箪笥の上にあげておいたんです。
それから、奇妙な出来事が連続して起こりました。像が来て2日後ですね。
ほら、私は家内を早くに亡くしてるでしょう。毎朝、仏壇にお線香と
お水をあげにいくんです。そのとき、箪笥の上の像を見たら、
その前に何か小さい黒いものがある。「え?」と思ってみると、
それが動いたんです。全体が墨の色でしたが、昔の装束、

衣冠束帯をつけた5cmくらいの人物だったんです。烏帽子も被ってました。
その小さい人物は、像に向かって平伏し、何度もお辞儀をくり返してましたが、
それが終わると、ふわっと浮かんで空中を泳ぎ、部屋の窓に向かっていきました。
窓は閉めてたんですが、カーテンはしてなかったです。
で、ガラスにあたったと見る間に、すっと通り抜けて空に消えてったんです。
いや、不思議でしたけど、怖いとは思わなかったです。
そのくらいの経験なら何度もしてますからね。むしろ、これからどうなるのか、
興味津々でした。でね、翌朝も似たようなことが起きたんです。
ただ、像の前に平伏してる人数が増えてました。5人はいたと思います。
やはり真っ黒な影の人物が並んで正座し、頭を擦りつけるような深いお辞儀を
何度もしてから、窓に向かって飛び立って消える。

どういうことなのかはさっぱりわかりませんでしたが、「ああ、この像は
 偉いんだな」とは思いました。それから、日に日に小さい人の
 人数が増えていき、最終的には20人ほどになりました。
で、お辞儀が終わると全員が立ち上がり「わーっ」と ときの声のようなのを
あげてから消えたんです。それでいったんは収まったんですが、
また3日くらいして、やはり朝、仏間に行くと、今度は像の前に蛇がいたんです。
といっても本物じゃなくて、おもちゃの蛇です。ほら、昔の玩具で
竹を短く切ったのをつないで、カクカク曲がるようにした蛇って
あるじゃないですか。あれがトグロを巻いてました。でね、やっぱり
像に向かって何度も頭を下げてたんです。私が一歩そちらに近づくと、
蛇はふり向いてこちらを見、箪笥の下に落ちて部屋の隅に向かって消えたんです。

うーん、よくわからないですが、黒い小人や竹蛇は、像に何かをお願いしに
来てるんじゃないかと思いました。でも、像そのものはそれほど悪いものだとは
感じなかったんですが・・・ また3日ほどたって、その日、像の前にいたのは
不気味なものでした。高さ10cmくらいの寒天です。四角くてぐにゃぐにゃした。
しかも色がどす赤い血の色で、よく見ると寒天の内部に目玉が一つ
浮かんでたんです。「うわ、気味が悪い」と思いました。そのとき、
頭の中に声が響いてきたんです。「何とぞ何とぞお願いいたす。つきましては、
 チロを贄として差し上げ申そう」おそらく赤い寒天の言葉です。
そして寒天はゴムのような体を2つに折り曲げるようにしてお辞儀をし、
どろっと溶けたんです。走って近寄ってみましたが、液体などはこぼれて
ませんでした。寒天が言ったことの意味は、このときはわからなかったんですが・・・

翌日、隣家の奥さんとたまたま玄関先でお会いしたとき、ひどく憔悴してたので
理由を聞くと、飼っていた室内犬のチワワが昨晩急に亡くなったということでした。
まだ4歳で寿命ではないし、病気でもなかったのに、姿が見えなくなって
さがしたら、カーテンの陰で内蔵を吐き出して死んでいた。
そのときに聞いた犬の名前が「チロ」。あっと思いました。
昨日、贄と言ってたのはこのことだったのか。犬とはいえ、そうやって
簡単に死なせてしまうのはただごとではないですよね。ですから、
その像は悪いものだと判断しました。後輩を呼んであったことを話し、
像は、私が懇意にしているお祓い専門の神社でお焚き上げしてもらうことに
したんです。そこでもね、像は燃やされるのにかなり抵抗したようですが、
詳しいことは聞いてないです。まあ、こんな話ですよ。

関連記事 『骨董屋シリーズ』






天使のオカルト

2019.10.01 (Tue)
sy (4)

今回はこういうお題でいきます。youtubeなどの動画サイト、
あるいは画像検索でもいいですが、「Angel caught on camera」
で検索してみると、さまざまな天使がカメラにとらえられています。
その大きさも、昆虫程度の小さいものから、人間くらい、
あるいは空いっぱいに大きいものまでいろいろ出てきますね。

これらは作り物ではなく、実際に撮影したと投稿者が主張する
場合がほとんどです。日本だと、心霊画像、動画の投稿が多いですが、
海外では似たようなことが天使で起きてるんですね。
では、なんで日本には天使の目撃例は上がってこないのか?

『受胎告知』に登場する中性的な天使
sy (5)

これは、日本がキリスト教国ではないから、という答えが最も正解に
近いんでしょうが、さすがにそれだと身もフタもないですよね。
天使は基本的に神の御使いです。ですから、異教徒あるいは
無神論者だらけの日本にこそ、神が天使を派遣する理由がある
と言うこともできなくはないでしょう。

さて、天使はキリスト教のもとになったユダヤ教にもいますし、
イスラム教の天使はキリスト教と重なってたりするんですが、
本項では、主にカトリックにおける天使の話をしていきたいと思います。
天使(angel)の語源は、 ギリシア語の(angelos アンゲロス)から
きていて、伝令という意味。ラテン語じゃないのはちょっと意外です。

天使はもちろん神がお創りになったもので、最高の創造物とされています。
ただし、神は全知全能ですが、天使はそうではありません。
天使は肉体を持っているのかどうか? これはキリスト教内でも
古くから議論が分かれてきましたが、基本的には肉体を持たない存在で、

ヤコブと力比べをする天使
sy (6)

必要があれば姿形をともなって人間の前に現れる、と考えられることが
多いようです。その場合、多くは白いトーガのようなものを着て、白鳥の
翼を持った中性的な姿で描かれます。ただ、初期のキリスト教絵画では
翼はありませんでした。天使が翼を持つようになったのは、おそらく、
ローマ帝国でキリスト教が国教化された頃からだと思われます。

次に、天使には性別はあるのか? これは、ないと考えられています。
多くは女性的な姿で描かれますが、天使の中には、
ヤコブと力比べをした者や、戦場に槍を持って現れた者もいますし、
やはり、その場にふさわしい姿をとることができるようです。

天国から堕ちるルシファー
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『新約聖書』のマタイ伝、最後の審判の描写には、「復活の時には、
彼ら(復活した人)は娶ったり、嫁いだりすることはない。彼らは
天にいる天使のようなものである」と出てきていて、これが天使に
性別がないことの根拠になっています。ですから、中世までの
絵画には、天使は、顔は女性的でも胸のない姿で描かれていました。

それがルネサンス期になり、ギリシア神話のエロス、ローマ神話の
キューピッドとイメージが混じりあって、現在はかなり何でもあり
になってきています。次、天使には人格や個性があるのか?
見逃されがちですが、これはたいへんに重要な論点なんです。

ローマ神話のキューピッド(クピド)
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キリスト教では、神は自分の姿に似せて人間を創りました。
そして現在ももちろん、全知全能の神は人間の社会を見守っています。
じゃあ、それなのに何で、人間社会は貧困や犯罪などの暗い部分があるのか。
「神が人間に自由意志を与えたため」と解釈されることが多いですね。
ですから、人間の中には自らの意思で悪を為すものもいます。

また、神は同じように、天使たちにも自由意志を与えました。
そのため、天使の中には神に反抗し、天国から堕ちたものもいます。
堕天使です。天使ルシファーは南極に落ち、そこでサタンになったと
されます。まあ、悪魔は堕天使だけではないんですが、
人間の心にさまざまに働きかけ、堕落の世界に引き込もうとしてきます。

漫画『デビルマン』のラストシーン
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人間に自由意志があるからこそ、最後の審判のときに神によって
裁かれるわけです。すべての死者がよみがえり、
自らの意志で善行を積み、信仰に生きた者は天国へ、
逆に、自分から悪の道に入ったものは地獄行きと決定されます。
キリスト教の教義の根幹にかかわる部分なんですね。

さて、天使をあつかった作品はいろいろありますが、小説で自分が
気に入ってるのは、SF作家フレドリック・ブラウンの短編集
『天使と宇宙船』の中の「ミミズ天使」というお話。
主人公のもとで、ありえない奇妙な出来事が連続して起きる。
例えば、ゴルフ場でミミズに羽が生えて天に昇っていったりします。

『ベルリン 天使の詩』
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ミミズは(angle)、天使は(angel)で、つづりが少しだけ違います。
ネタバレになってしまいますが、天国にある神様のタイプライターが
故障しており、4文字目と5文字目が入れ替わってしまってるんですね。
それに気づいた主人公は、修理をするために知恵を絞って
天国へと向かいます。ひじょうにアイデアの秀逸な作品でした。

映画だとそうですね。ヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン 天使の詩』。
ここでの天使は不死ですが、何の力も持たず、ただ人間世界を
見守ることしかできません。そうした天使の中には、天使の地位を捨て、 
寿命のある人間となって地上に降り立つ者もいる・・・映画の中では、
刑事コロンボを演ずる俳優ピーター・フォークも元天使という設定でした。

さてさて、ということで天使のオカルトについてみてきました。
プロテスタントと天使、あるいはイスラム教の天使、このあたりのことも
書きたかったんですが、余白がなくなってしまいました。
また機会もあるでしょう。では、今回はこのへんで。

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