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ウィッチクラフト・マーダー

2020.03.12 (Thu)
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事件の被害者 チャールズ・ウォルトン

今回はこういうお題でいきます。純オカルトの黒魔術的な話です。
ただ、なにぶん古い事件ですし、自分も英語の本を何冊か読んだ
程度なので、どこまで真実なのかは、なんとも言えませんね。
そのことはご承知おきください。

さて、この事件、イギリスでは「The witchclaft murder」と
呼ばれ、訳すと「魔術殺人事件」ということになります。
事件が起きたのは、1945年の2月14日、聖バレンタインの日
なんですが、これは偶然の一致ではないと考えられています。
ちなみに、1945年は第2次世界大戦が終結した年です。

事件の現場となったメオンヒル 古代遺跡の可能性も
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殺人の現場は、イングランド、ロウワー・クイントン区の
メオンヒル。この地名をグーグルアースで見てみましたが、
たいへんな田舎ですね。農場の牧草地が広がっていて
羊が飼われています。現在でこれなので、1945年当時に
どれほど閑散としていたかは想像に難くありません。

当時74歳のチャールズ・ウォルトンは、かつて馬の調教などを
していた男性で、コテージを借りて孫娘のエディス、その友人ロアと
ともに住んでいました。近隣の農場の手伝いなどもしていたようです。
その日、夕方になっても帰ってこなかったので、エディスが農場の男性
2人と探しに行くと、メオンヒルという場所に倒れているのが発見されます。

メオンヒル
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その様子は無残なもので、スラッシュフックと呼ばれる刃物で
喉を3度切られ、また胸の上には十字型の切り傷もありました。
(スラッシュフックは首に刺さって現場に残っていました。)
それだけではなく、ウォルトンの首にはピッチフォーク(熊手)が
深々と突き刺さり、体が地面に固定されていたんです。

明らかな殺人事件であり、検死で失血死と判断されます。また、
ウォルトンは足のリウマチに悩まされて杖をついていましたが、
おそらくその杖を使って腹部、頭部を殴打され、
肋骨が複数骨折していることも判明しました。74歳の足の悪い
男性に、きわめて激しい暴行が加えられていたんですね。

ウォルトンの遺体 ピッチフォークとスラッシュフックが見えます
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この事件が伝わるとイギリス中の評判となり、派遣されたのが
スコットランド・ヤードのロバート・ファビアン捜査官です。この人物、
英文Wikiに項目が設けられているほど有名な探偵みたいなんです。
クイントン区の住民は500人ほどしかいないのもあり、
事件はすぐに解決するだろうと思われていました。

ところが、捜査は予想外に難航します。住民だけではなく、
地元警察まで捜査に非協力的だったからです。それでも被害者に対する    
証言を集めていくと、ウォルトンが「ウイッチ」であるという評判が
あることがわかってきました。彼は動物と話すことができ、
また、意のままに操るのを見たという人物まで出てきます。

スラッシュフック
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これは、ウォルトンが馬の調教師だったことを考えれば不思議では
ない気もしますが、地元では魔術によるものだと噂されていたようです。
それと、事件の前後に「黒い犬」が目撃されていたことも
住民の口を重くしていました。イングランドの伝承では、
黒い犬は不吉の象徴とされています。

シャーロック・ホームズ物の長編に、『バスカヴィル家の犬』という
作品がありますが、イングランドに伝わる魔の犬伝説が
ストーリーの中心になっています。で、捜査中のファビアン捜査官も
この犬を目撃したという記録が残ってるんですね。まあでも、
たまたま付近に黒い犬がいただけと考えても不自然でもありません。

ピッチフォーク
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ここから話はオカルトに入っていきます。捜査中にファビアン捜査官は
一冊の本を発見します。1929年(事件の16年前)に、
ジェームズ・ハーヴェイ・グルームという人によって書かれた、
『シェークスピアの国の風習と迷信』という本ですが、
以下のような驚くべき記述があったんですね。

「1875年、ジョン・ヘイウッドという青年が、近所に住む
アン・テナントという老女が魔女であり、村に呪いをかけたと信じて
殺害した事件が起きた。遺体は首をピッチフォークで刺されて地面に
固定され、胸には十字型の傷がつけられていた。これは当時の
魔女狩りの一般的な殺害方法であった・・・」

まさにウォルトンの殺害方法と同じです。さらに、「その10年後の、
1885年、一人の少年が村で黒犬を従えた首のない女を目撃している。
黒犬は不吉の象徴、首のない女は魔女と信じられた。この目撃の直後、
少年の妹は急死している。少年の名前はチャールズ・ウォルトンといった」

『バスカヴィル家の犬』
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どうでしょうか。これ、殺されたチャールズ・ウォルトンの60年前、
14歳のときのことと考えて間違いないと思われます。
彼はこのとき、魔女に魅入られてしまったのか、そこで不思議な力を
手に入れ、自身もウィッチになったのか。また、妹の死とは・・・
そしてどうして、60年もたってから殺されてしまったのか。

結局、事件は未解決に終わり、ファビアン捜査官らはロンドンに
戻ります。村の誰からも有効な証言が得られなかったんですね。
後にファビアン捜査官は回想録で「最初は魔女狩りに偽装した
単純な殺人事件だと思っていたが、今は、村人全員によって
殺されたと考えている」と述べています。

さてさて、不可思議な話ですよね。イギリスは他のヨーロッパ諸国より
キリスト教の力が弱く、土着的な信仰が残っているのは、
『ハリー・ポッター』シリーズを見てもわかります。
そんな中で起こった、本物のオカルト事件の一つなんです。
では、今回はこのへんで。

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「聖徳太子の地球儀」て何?

2020.03.12 (Thu)
アーカイブ235

今回はこういうお題でいきます。これはオーパーツと呼ばれるものですね。
いやー、ひさびさにオカルトブログらしいテーマになりました。うれしいです。
まず、「聖徳太子の地球儀」の概要を説明しますと、聖徳太子と深い関わりのある
兵庫県太子町の斑鳩寺に伝わる、ソフトボール大の地球儀のことです。
下の画像がそれですが、「何だよこれ」と思われた方が多いんじゃないでしょか。

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しょぼいというか、不格好ですよね。では、謎解きをしていきたいと思いますが、
謎は大きく2つあります。①これは聖徳太子の時代のものか?
②これは本当に地球儀なのか? まず、わかりやすいのは②のほうですね。
答えを言うと、地球儀なのは間違いありません。

表面には南北アメリカ大陸や、ユーラシア大陸などが、
レリーフのように描かれています。また、1800年代に発見された南極に
相当する大陸や、ムー大陸と言われるものも描かれているのではないか、
とするオカルト研究家の意見があります。

さて、聖徳太子は、『日本書紀』によれば、574年生ー622年没。
父親は用明天皇。そのころ日本に広まった仏教に深く帰依し、推古天皇のもと、
蘇我馬子と協力して政治を行った人物ですが、最近では、
「憲法十七条」をはじめ、聖徳太子が行ったとされる事績の多くは、
後世に作られたものだとする説が出されています。

斑鳩寺の聖徳殿
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もし、聖徳太子のころ、これらの大陸が知られていたのだとすれば、
この地球儀は立派なオーパーツになります。しかし、ちょっと待ってください。
確かに、斑鳩寺は606年、聖徳太子が推古天皇に法華経を講義したことを
記念して建てられた日本最古級の大寺院で、
聖徳太子ゆかりの品々が収められていたはずですが、

残念なことに、戦国時代真っ盛りの1541年、戦国大名、赤松氏と山名氏の
戦いに巻き込まれて、全焼してしまっているんですね。
ですから、そのときに寺宝の品々もすべて焼けてしまったと見るべきでしょう。
その後、斑鳩寺は少しずつ再建されていきます。

現在の斑鳩寺は、1500年代後半以降のものなんです。で、お寺の宝物を記録した
「斑鳩寺常什物帳」には、1856年に「地中石」という名前が出てきます。
これがおそらく「聖徳太子の地球儀」であると思われます。また、別の書物には、
1818年に「地利石」を寺の宝物として開帳したとあり、これも同じものでしょう。
とすると、記録上「聖徳太子の地球儀」は1818年までしか遡ることができません。

それ以前の記録には一切出てこないんです。さらにこの地球儀、
くわしく見てみると、表面に長方形の紙を貼っていたのが、
はがれた跡があちこちにあります。その一部は残っていて、「日本」があり、
シベリアの東部に「狗国」、南米大陸の東部に「食人国」、
南米南部に「長人国」などと書かれていたことがわかります。

で、これらの国名とまったく同じものが書かれた世界地図が存在するんです。
通称「マテオ・リッチの地図」と呼ばれるもので、正式名称は、
「坤與(こんよ)万国全図」です。ここから、「聖徳太子の地球儀」は、
「坤與万国全図」をもとに、地球儀に立体化されたものなんでしょう。

「坤與万国全図」
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さて、マテオ・リッチとはどんな人物か。16世紀に活躍した、
イタリア人イエズス会員、カトリック教会の司祭です。彼は長く中国に滞在し、
明の万暦帝に仕えて、中国名を利瑪竇(りまとう)と名乗りました。
ですから、彼が作成して献上した地図の正式名が中国語なんですね。

マテオ・リッチの地図が刊行されたのは1602年と記録に残っています。
これは、豊臣秀吉による朝鮮出兵が行われた時代です。朝鮮出兵は、
1598年、秀吉の死をもって終了し、日本軍は撤退したわけですが、 
大陸の文物が多数日本に流入してきました。この「坤與万国全図」も、
1605年の前後に、日本に入ってきたと考えられます。

マテオ・リッチ
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ここでいったんまとめると、最初に書いた、①これは聖徳太子の時代のものか?
の答えはノーです。また、②これは本当に地球儀なのか? はイエスになります。
では、「聖徳太子の地球儀」は誰が作ったのか? 
海外で作って日本に輸入された、日本人が作った、の2つのことが考えられます。

日本テレビ系列の番組「特命リサーチ200X」において、2003年、
この地球儀の材質が分析されましたが、その結果、石灰と海藻を混ぜた
漆喰(しっくい)製であることがわかりました。海藻をつなぎの糊として用いるのは
日本の技術なので、日本製と考えても矛盾はしません。

さて、最後の疑問、まだ発見されていない南極と、ムー大陸は描かれているのか?
ここからは自分の考えですが、南極大陸は描かれていると思います。
当時のヨーロッパには、南の果てにあるとされる大陸「メガラニカ」の伝説がありました。
それが「坤與万国全図」には「墨瓦蠟泥加」と出てきて、「聖徳太子の地球儀」
にもあります。つまり、伝説の想像上の大陸として南極が描かれた。

南の果ての想像上の大陸「メガラニカ」
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また、ムー大陸ですが、これはそもそも20世紀になって、イギリス人の
ジェームズ・チャーチワードによって存在が唱えられたもので、チャーチワード説では、
ムーは一つの巨大な大陸ですが、「聖徳太子の地球儀」では3つに分かれています。
ですから、おそらく太平洋のどこかの島を表すもので、ムー大陸ではないでしょうね。

さてさて、ということで、残念ながら「聖徳太子の地球儀」は聖徳太子時代の
ものではありませんでした。1603~1818年の間に日本で作られた。
しかし、ひじょうに貴重なものであることは間違いありません。
ヨーロッパ渡来の世界知識の一つとして、当時、学問の殿堂であった
斑鳩寺に納められたんでしょう。では、今回はこのへんで。

関連記事 『ヴォイニッチ手稿って何?』

関連記事 『日本の未来予言』

ムー大陸  
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新型コロナウイルスについて

2020.03.11 (Wed)
世界保健機関(WHO)は9日、新型コロナウイルスの流行がパンデミック
(世界的な大流行)になる恐れは「非常に現実的」だと警告した。
一方で、ウイルス流行の抑制はまだ可能だとも強調している。

新型ウイルス流行の前後で比較、衛星写真で見る世界の変化
世界のウイルス感染者数が10万人を超える中、WHOのテドロス
事務局長は記者会見で、「パンデミックの恐れが非常に
現実的になっている」と述べた。

それでもテドロス氏は、「たとえこれをパンデミックと呼んだとしても、
封じ込め、抑えることはできる」と強調。「史上初の抑制可能な
パンデミックになるだろう」と述べ、「われわれは、ウイルスの
なすがままになったりはしない」と明言した。
(AFP)

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みなさん、どうもおひさしぶりです。しばらくご無沙汰してましたが
帰国しました。土産話もありますが、それは後日ということにして、
やはりコロナウイルスの話をしなければいけないかな、と思います。
それにしても、マスコミ、特に地上波テレビの報道番組は酷いですね。

視聴率を稼ぐために、ことさら不安を煽っているとしか思えません。
東京オリンピックの開催が無理そうなので、こっちで視聴率を取る
方針に切り替えたのかと邪推したくなります。
見ないほうがいいと思います。厚生労働省のホームページだけ
見てたほうがマシですよ。

さて、ここから書く内容は、自分(bigbossman)が勝手に考えたこと
なので、必ずしも正しいとはかぎりません。
あくまでも、医療の専門家でもない一個人の見解ですので、
そのつもりでお読みいただけたらと思います。

クリックで拡大できます
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3月10日現在のWHOの統計では、日本の全感染者数は543人、
死亡者数は10人、死亡率が1.84%となっています。
これはクルーズ船をのぞいた数字です。これを見てどう思われる
でしょうか。他国に比べて異様に感染者数が少ないですよね。
これをもって、日本は検査数が足りないとする意見があります。

ここが難しいところで、べつに検査をすることが目的なわけでは
ありませんよね。目的は、新型コロナウイルスによる死亡者を
一人でも少なくすることだと考えます。そのためにどうするか、
大きく2つの方策があるかなと思います。一つは防疫、つまり
感染の拡大を防ぐこと。もう一つは感染者の治療です。

この2つのことは密接に関連しています。医療資源はかぎられて
いるので、検査を増やすことで治療に影響が出てはいけませんし、
逆もまたしかりです。うまくバランスをとらなくてはならないんですが、
問題は、この新型ウイルスには現在のところ確実な治療法が
存在しないということ。それと検査の確実性も7割程度と低いことです。

ではまず、どんな形の検査ができるか考えてみましょう。
① 日本国民全員を検査する ② 風邪の症状があるもの全員を検査する
③ 風邪の症状が出てる高齢者(持病のある者や妊婦)を検査する
④ 肺炎の症状があり、他の疾病による原因が考えられない者を検査
⑤ 肺炎の症状があり、他の疾病による原因が考えられない高齢者を検査

⑥ 肺炎の重症患者だけ検査 ⑦ 肺炎の重症患者で感染者と接触ある者を検査
⑧ 検査は一切しない。・・・①と⑧が論外なのは解説は不要だと思います。
現在、日本政府が全国で行っているのは⑦で、北海道は⑥です。
また、韓国は感染者数が7500人ほどで、日本の15倍近いですが、
②の形で検査を行っているため増えているんでしょう。

で、自分の考えとしては、日本政府の検査は少なすぎるし、韓国や
イタリアの検査は多すぎるということです。イタリアは検査のし過ぎで
医療崩壊を起こしてしまっています。日本の医療機器の数は
世界の中でもトップクラスですが、人的資源は多くありません。

ですから、治療と防疫のバランスを取るには、上の④レベルが妥当かと
考えます。何が何でも検査数を多くすればいいわけではありません。
世界各国の感染状況を見ると、中国人観光客やビジネスマンの訪問が
多かった国ほど感染してるので、ぶっちゃけた話をすれば、韓国の
感染者数を考慮すると、日本の感染者もかなりの数がいるんでしょう。

ただ、その感染者を特定することに、もうほとんど意味はないでしょう。
感染ルートをたどって防疫するのは不可能な段階に来てしまっています。
ですから、現在日本政府が行っている重症者だけにしぼって入院させ、
集中的に治療するというのも一つの方法ではありますが、
病院などでの大量感染を防ぐには、④レベルがいいのかなと思うわけです。

さて、ここで医療の話から少し離れますが、この新型コロナウイルス
大流行のため、株価や為替が大変動しています。イベントの中止や店舗の
休業が長くなり、入国規制のために交通業界も大打撃を受けてますよね。
コロナウイルスの死亡者は最低限に抑えたが、経済混乱のために
その何十倍もの自殺者が出た、ではダメだと思うんですね。


大きな絵を見るように、日本政府には防疫と経済、両にらみで              
政策を打ち出していってもらいたいと思います。
それが、広い意味での国民の生活を守るということでしょう。
ですが、このあたりの話をちゃんとしてるマスコミってないんですよね。
わかっててもわざと言及しない。じつに嫌らしいと思います。

さて、東京オリンピックを予定どおりに開催するのは、
さすがに奇跡でも起きないかぎり無理じゃないでしょうか。
日本で流行が収束したとしても、その時点で世界のどこかで
まだ続いてるとなれば、これはできませんよね。延期あるいは中止の
判断は適切に行ってほしいところです。

さてさて、救いがあるのは、健康で体力がある人では、このウイルス疾患は
重症化しないことです。日本は、前述したように医療資源に恵まれていますし、
社会秩序、公衆衛生、国民の栄養状態なども世界でトップクラスです。
それを信頼して、一人ひとりがパニックを起こさず、デマに惑わされず、
自分自身の身を守ることが大切だと考えます。

対策としては、通常の風邪に対するのと同じでしょうね。
十分睡眠をとり、栄養のあるものを食べ、部屋を暖かくし、
人ゴミに近づかない、不必要な外出を避ける、手洗いうがいの実行
・・・ということで、お互いにがんばって乗り切りましょう。
では、今回はこのへんで。

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アーカイブ 「幽霊がいる」話

2020.03.02 (Mon)
2週間ほど前から、昨日あった忘年会までのできごとです。
最初は、課長をのぞいた課内の中堅以下社員で居酒屋に行った夜ですね。課長が
いないのは、はっきり言って嫌われてたんです。4月からこの課に来たんですけど、
横暴だし、ミスを人に押しつけるし、女子社員はお茶くみ要員なんて言うし・・・
みんなで座敷の一角で乾杯して、しばらく課長の悪口を言ってたんですが、
それもダレてきたとき、一番若い牧野くんという男性社員がこんな話をしたんです。
「そういえばこの前、よくわかんないんですけど変なもん見たんです」って。
「ほら、会社のビルを出て一つ後ろの通りに行くと、向かい側に中華料理屋があるでしょ。
 その数件隣につぶれて店じまいしたスナックがあるじゃないですか。
 ふだんはあっち通んないんだけど、たまたまその日残業の帰り10時頃、
 むこうを通って駅に行こうとしたんです。母親から胃痛薬買ってくるようたのまれてて」

「あの通りに、遅くまでやってる薬局があるじゃないですか。
 したらそのスナックの横を通ったとき、隣のビルとの間のせまい隙間で、
 何か動くものがあった気がしたんです」
「ふうん、それで」
「あそこの隙間は50cmもあるかな。人ひとり立つのがやっとって感じ。
 のぞき込んで見たら、白い着物を着た女が立ってたんです。
 しかも前後にぶらんぶらん揺れて」 「揺れるって、どういうこと?」
「ブランコあるじゃないですか。あんな感じで大きく揺れて、
 前に来たときこっちに足の裏が見える」
「意味わかんねえな。実際にブランコがあるのか?」
「いえ、女だけです。だから曲芸見てるみたいで」
「えー壁の両側に手を突っ張って、体操みたいにしてたんてこと?

 ありえないんじゃない」 「ですよね。俺もありえないと思って怖くなって
 逃げたんです」 「女の年格好は?どんな顔してた?」
「それが覚えてないんです。印象に残ってるのは長い髪と着物の色だけで」
「うーん、幽霊なのかな、でも足の裏が見えたんだろ。足がある幽霊ってのも変だし。
・・・だったら着物の裾はどうなってた。もしかして中も見えたんじゃないか」
「いや・・・覚えてないです」 「へー、見間違いするようなこととも思えないな。
 実際に女がいて曲芸まがいのことをしてたか、それとも本当に幽霊かもな」
「興味深いな。駅まではあっち通っても距離はかわんないから、今度行って見てみよう」
「私も。7時過ぎくらいなら人通りが多いから怖くないし」

こんな会話になったんです。翌日の帰宅時ですね。
まだ7時前でした。前の夜の話を思い出し、そこの道を通って
スナック横の隙間をのぞいてみました。真っ暗で何も見えませんでした。
もちろん見えるとも思ってなかったですし、ちょっとした作り話だったんだろうと。
ところが翌日の昼休み、女子職員だけでお昼を食べに行ったんです。
そしたら先輩の佐々木さんが「あの隙間、昨日通ったら確かに何かいた」って
言い出したんです。「えー私ものぞいたけど見なかったです。ブランコ女でしたか?」
「いや、そうじゃなかった。はっきりしなかったけど、おばあさんだと思った。
 ただ黙って立ってるだけ」 「それも怖いですね。何時頃でしたか?」
「昨日はかなり仕事して帰ったから、10時半頃かな」
「じゃ牧野くんが見たのとだいたい同じ」 「そうね」

それから昼休みのたびに情報交換しました。男性社員にも来てもらって。
そしたらやっぱり見たって人がいたんです。中堅の武藤さんです。
「俺はかなり遅くなって終電前の時間だな。前に聞いてた話を思い出して、
 あの道通ったんだよ。さすがに人通りが少なくなって薄気味悪かったけど。
 で、隙間をのぞき込んで、確かに見たと思った。ブランコ女でも婆さんでも
 なかったぞ」 「何でしたか?」 「女の子だと思った、
 10歳くらいの。おかっぱ頭に赤い着物を着て、手鞠をついてた」
「・・・・」さすがにこれは嘘なんじゃないかと思いました。
だってあまりにもできすぎてますし。
・・・10日ほどで課内で見た人が5人まで増えたんです。
ただ隙間に何かいたってことが同じだけで、
見たものは年齢から恰好からてんでんバラバラでしたけど。

共通点があるのは、隙間にいたのは全部女だったってことくらいです。
それで・・・忘年会の前の日の昼休みですね。
最初に出てきた牧野くんから伝言がまわってきたんです。
「大事な話があるので、昼休みにKホテルで食事しませんか。
 女性社員のほうをまとめていただければ」って。集まったのは、
課長とその日お休みしてた一人以外、課長補佐も含めた課の全員で、13名。
Kホテルのラウンジは高いので、ふだんまず行くことはありませんでした。
食事を頼んでから、Kくんがこんなことを切り出しました。
「えーみなさん、こないだから隙間の幽霊の話が出てましたよね。
 最初は僕がしたブランコ女の話。それでみなさんが興味をもってくれて、
 見た人が増えてった。でもあれ、僕がしたのは作り話なんです」

「えー俺が見たのはホントだぞ。鞠つき少女は」と武藤さん。
「ええ、ええ、本当だと思ってます。なぜなら僕が仕掛けたんですから」
「仕掛けたって何を?」 「幽霊を見る装置です」思わず顔を見合わせました。
「僕、実は四国から出てきたんですけど、
 実家が拝み屋をやってて、その方面の知識はあるんです。
 あそこの隙間にちょっと細工をしまして、幽霊が見えるようにしたんですよ」
「・・・・」 「それが本当だとして、何のために?冗談か?」
「いえ、そうじゃありません。じつは・・・」牧野くんは声をひそめました。
「課長を排除するためです。居酒屋に行ったときに、みなさんの話を聞いてて、
 これは身につけた知識を使うときだろうと思って」
「うーん、お前の言ってることが本当だとして、どうすれば課長の排除につながる?」

「明日、会社全体の忘年会がこのホテルでありますよね。幹事は総務課で、
 2次会は有志で駅前のカラオケって決まってるじゃないですか」 「うむ」
「1次会が終わったらみなで課長を囲んで、あの隙間の前を通らせてください。
 ここの前の道を他の課の人たちは通るでしょうが、
 みなさんで課長にこないだからの幽霊話でもして、あっち通らせるんです。
 俺は1次会をちょっと早めに抜けて準備してますから」
「・・・まあ、難しいことじゃないが、それでどうなる?」
「課長が隙間をのぞき込んだら、みなさんとは違って、ちょっと怖いものを
 見ることになるでしょうね」 「それから?」 「あとは課長次第ですよ。
 課長の人格というか、人徳というか、これまでの生き方というか、それによって
 結果は違ってくるでしょうね」こう言った牧野くんの頬が少し強ばってました。

それで忘年会当日、計画は実行に移されました。
別に難しいことはなかったです。忘年会が終わって、みながエレベーターで
下に降りるときに、課長の隣で、武藤さんが幽霊の話を出しました。
私たち女子社員がそばにいて、さも怖そうな興味ありそうな様子をして・・・
課長はふだん懐かない課員たちがそばにいて嬉しかったのかもしれません。
「じゃ、そこ通って見てみようじゃないか」こう言いました。
課長を先頭にぞろぞろ、みんなであのスナックの前まで来たんです。
時間は9時半くらい。「なんだ!別にどこにでもあるただの隙間じゃないか。
 手鞠をつく女の子なんて、くだらない怪談本の読みすぎ・・・」
課長はそう言って、隙間の前に立ちました。

「ほら何も・・・、ん? んん?なんだあれ?うわ、うわ、うわわあ」
課長の膝ががくがく震えました。「そんなバカな、うわあ許してくれ、
 助けてくれ!!」課長は絶叫して、脱兎のごとく駅のほうに走り出しました。
あまりの反応に私たちは、その場で呆然としてましたが、
やがて隙間から、細長いものを抱えて牧野くんが出てきました。
「効果あったみたいですね」牧野くんは言いましたが、沈痛な響きのある声でした。
牧野くんが両手で持っていたのは、よくブティックなんかにある細長い姿見で、
街灯の明かりで、その全面に赤い字でなにやら呪文のようなのが書いてあるのが
見えました。「実家に伝わってる呪言ですよ。あまり見ないほうがいいです」
牧野くんはそう言って、くるりと裏面を向けました。それで課長なんですが、
そのまま駅まで走って、ホームから線路に飛び込んで・・・







雛祭りの話

2020.03.02 (Mon)
アーカイブ233

千体雛
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もうすぐ3月3日ということで、今回はこのお題でいきます。
みなさんの家では雛人形を飾られますでしょうか。
この日を祝うことは、もともと中国で始まったものなのはご存知だと思います。
陰陽五行説にもとづいて、陰暦の1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、
9月9日は、特別な日として祝われていました。

ただ、日本で五節句と言った場合、1月1日の元旦ではなく、
1月7日の「人日 じんじつ」が普通は入ります。この日には七草粥を食べますよね。
これらの節句は、それぞれ植物と結びついていますが、これも中国由来です。
3月は桃、5月は菖蒲、7月は笹、9月は菊で、どれも、
古来から薬効成分がある、あるいは魔除けの効果があると考えられてきました。

3月3日の節句は「上巳 じょうし」と言いますが、もともと、
陰暦3月上旬の巳(み)の日が節句でした。ですから、昔は3月3日ではない
ときもあったんです。それが、3が重なって縁起がいいということで、
だんだんに3月3日に固定されて行われるようになったんですね。

上巳の禊 中国
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で、中国では、はじめの頃は「女の子の節句」というわけではなかったんです。
春の訪れを祝う、水に関連した行事でした。
この頃はちょうど陽気がよくなって、凍った水がとける時期ですので、
人々は川で禊をし洗濯を行ったとされます。これは中国の宮廷でも行われました。

それがどうして女の子の節句になったかは、いろんな説があってはっきりしません。
まず一つめは、漢の時代、ある村に徐肇(じょちょう)という人物がいて、
3つ子の女児をもうけたが、その子らは3日以内に次々亡くなってしまい、
徐肇が嘆き悲しむ様子をかわいそうに思った村人たちが、酒を持って
家を訪れ、3人の子の亡骸を川に流してから酒宴を開いてやった。

こんな話があるんですね。もう一つは、明代の小説『西遊記』などに出てくる
伝説で、地上で大暴れした孫悟空は、天界に召し出されて斉天大聖という名をもらい、
桃園の番人という役目を与えられます。中国道教の最高位の女神である西王母は、
3月3日の生まれで、誕生祭を大々的に開きます。

蟠桃会で暴れる孫悟空
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これを「蟠桃会」と言い、天界の者はすべて招かれて、不老長寿になる桃を食べます。
乱暴者の悟空はただ一人だけ招かれなかったので、それを知って怒り狂い、
桃園の桃を盗み食いして大騒ぎを起こし、このときに不死の身体になるんですね。
その後、お釈迦様の手で五行山という山の下に封印され、
三蔵法師の弟子になる日を待つことになります。

ただ、もちろん孫悟空の話はフィクションですし、
最初の徐肇のエピソードについても、実際にあったことかは疑わしいですね。
その日の由来を説明するために、後づけで作られたものと考えたほうが
いいでしょう。では、日本の雛祭りはどうやってできてきたのか。

日本でも元来は、中国から伝わってきた水の祭祀でした。
3月といえば季節の変わり目ですので、水垢離をして無病息災を願います。
このとき、中国では「曲水の宴」を行っていました。流れる水に盃を浮かべて
酒宴を催します。353年、中国の有名な書家の王羲之が、
この曲水の宴の様子を『蘭亭序』という作品に書いていますね。

曲水の宴
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これが日本にも伝わり、宮中の行事として行われるようになりました。
ここで、水の宴が人形と結びつきます。陰陽師が「形代 かたしろ」という
紙の人形を作り、それで体をなでることによって、穢れを人形に移します。
そして、形代は身代わりとして水に流されるわけです。
現在でも流し雛の風習があるのは、その名残なんですね。

形代
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で、女の子が人形で遊ぶことを「雛(ひひな)遊び 」と言いましたが、
さらにそれが結びついて、3月3日は女の子の健やかな成長を願う儀式として、
現在まで伝えられるようになりました。「水→人形→女の子」
という流れで、できあがっていったんだと考えられます。

初期の雛人形は、形代を模した、下図のような立ち雛でした。
それが現在のような座り雛になり、だんだんに人形の数が増え、
段飾りになったり、女雛に十二単などを着せるようになりました。
ご存知のように、江戸時代の武士は、幕府も諸藩も財政が苦しかったんですが、

立ち雛
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江戸の市中には裕福な商人階級がたくさんおり、その人たちが
競うようにして豪華な雛壇を飾るようになっていったんですね。
雛人形は財力の象徴の一つだったんです。これは当然、幕府の目にふれ、
8寸(約24cm)以上の雛人形は贅沢として禁止されてしまいます。

ですが、反骨精神あふれる江戸商人たちは、この法令を逆手に取り、
芥子(けし)雛という、ごく小さい雛人形を贅のかぎりをつくして飾りつけ、
幕府の鼻をあかそうとしました。では、一般庶民はどうだったでしょうか。
俳人、松尾芭蕉の有名な『奥の細道』の旅立ちの句は、
「草の戸も 住替る代ぞ ひなの家」というものです。

左側が芥子雛
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意味がわかりにくいですが、芭蕉が旅の資金を得るために売った、
それまで住んでいた粗末な草庵の前をたまたま通りかかったら、
親子連れが越してきていて、雛人形を飾ってたよ、といったところでしょうか。
芭蕉のボロ家を買うような貧しい町人であっても、
子どもの成長を願って雛飾りをしていたんですね。

さてさて、ということで、雛祭りの歴史をざっとふり返ってみました。
けっこう書くことがあって、白酒や菱餅などにもふれようと思ってたんですが、
そこまでいかないで終わってしまいました。
まあ、またの機会もあるでしょう。では、今回はこのへんで。

関連記事 『こどもの日って怖い?』

松尾芭蕉 「草の戸も 住替る代ぞ ひなの家」
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老化のオカルト

2020.03.02 (Mon)
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今回はこういうお題でいきます。嫌な話題ですよね。
みなさんの中にも、「あー、俺も歳をとったなあ」と感じられて
おられる方はいるんじゃないかと思います。かく言う自分も
その一人で、自分は学生時代にずっと柔道をやってたんですが、
今でもたまに大学の柔道部に顔を出すことがあります。

すると、自分が衰えてることがよくわかるんですよね。
まあ、老化からきてるもの半分、稽古不足や不摂生な生活が
半分だとは思いますが。筋力はまだそれほど弱まってはいない
ものの、反射神経がダメですね。今、相手の技がくると
動きからわかっていても、体がとっさに反応できません。

さて、老化をWikiで引いてみると、「生物学的には、時間の
経過とともに生物の個体に起こる変化。その中でも特に、
生物が死に至るまでの間に起こる機能低下やその過程を指す」
と出てきます。老化はほぼすべての生物にあり、
植物でも例外ではありません。

老化テロメア説
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では、なぜ老化は起きるのか。じつはこれ、はっきりとは
わかっていないんです。多くの説があり、ざっとあげただけでも、
プログラム説、活性酸素説、テロメア説、遺伝子修復エラー説
などです。これらの自然科学の説の他、神がそう定めたから
という宗教的な原因説もあります。

代表的なものを少しだけご紹介すると、プログラム説は、
老化を引き起こす特定の遺伝子が存在するというもので、
それぞれの細胞には、分裂できる限界がはじめから設定
されており、その回数を迎えて分裂ができなくなることにより、
老化が発生すると説明されます。

アンチエイジングの顔ヨガ
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まあ、妥当な考え方かなと思います。遺伝子は種の繁栄をめざします。
そのためには個体数に適正な数があると考えられますよね。
もしなかなか人が死なず、長期間生殖ができるとしたら、
どんどん数が増えていって、やがて食糧不足などが起き、
種全体が絶滅してしまうこともありえます。

それと、老化はやがて来る死を受け入れるための準備期間である、
といった話もあります。どういうことかというと、
いつまでも若く元気なままなら、死にたくなくなりますよね。
それが、体が動かなくなり、目や耳が衰えて歯が抜け、
見た目がしわしわになれば、

シルベスター・スタローン(73歳)
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生きていくのが嫌になるということもあるんじゃないでしょうか。
インドのお釈迦様は、このことを「生・病・老・死」の四苦と
看破しました。ただ、現在、アンチエイジングの研究は盛んで、
老いの苦しみから逃れたいというのが正直なところです。

ですが、アンチエイジング商品は年々様々に出てきますが、
どんなにお金を持っていても、現状、老いから逃れることは
できません。世界の映画俳優や政治家、大金持ちでも、
ああ、この人、歳とったなあ、という写真が出てきますよね。

富士山の神でもある木花之佐久夜毘売
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さて、日本神話では、人間が歳を取るのは、日向に降臨した
天照大御神の孫、邇邇芸命(ニニギノミコト)に、
国津神である大山津見神が、姉妹である石長(イワナがガ)比売と
木花之佐久夜(コノハナサクヤ)毘売を贈ったが、邇邇芸命は
美しい木花之佐久夜毘売だけを受け取り、

醜い石長比売を返してしまったところから来ていると説明されます。   
木花之佐久夜毘売は繁栄の象徴で、石長比売は長命・長寿の
象徴だったわけです。たしかに、石はほとんど見た目が変わりません。
民話に話を移すと、秋田県に田沢湖の辰子姫の伝説があります。

田沢湖 辰子姫像
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仙北郡の村に辰子という美しい娘がたが、自分の容色が衰えるのを
おそれ、観音菩薩に百夜の願掛けをした。すると満願の日に
お告げがあり、山に登って泉の水を飲めという。そのとおりにすると、
急に激しい喉の渇きを覚え、いくら水を飲んでも渇きは癒えず、
ついに体は巨大な蛇身となり、湖に入っていった。

たしかに、爬虫類は歳をとってるかどうかわかりにくいですよね。
体の大きさでわかるものの、ウロコのある体は人間のように
しわしわにはなりにくい。この説話は、歳をとるという自然の
摂理に反することへの戒めになっているのかもしれません。

若返りの泉
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一方、民話には若返りの話もありますよね。「若返りの泉」系の
伝説は、日本だけでなく世界各地にみられます。
このあたりのことは、人間の「不老」に対する複雑な心境を
表しているんだろうと思います。

さてさて、なぜ人間は老いるのか。それは肉体を持っているためで、
病気になるのも老いるのも苦しみです。インド系の宗教は、
そこからの解脱を目的としました。肉体を離れ、精神的に
高次の存在へと昇るわけです。

ちょっと変わっているのが中国の道教で、生きたまま不老不死の
仙人になることを目指します。仙人は風に乗り、雲に乗って
自在に飛び回ることができますが、そのかわりに人間的な欲望を
捨てなくてはなりません。それだと、何が楽しいのかわからない
気もしますよね。では、今回はこのへんで。

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語りえぬ鹿の話

2020.03.01 (Sun)
bigbossmanです。今回は、ここ2週間ばかり自分の身の回りに起きている
話を書きます。どうにも説明のつかない不可解な内容で、人一人が
亡くなってるんです。2週間前の土曜日でした。吉田さんという
自分より年下の男性と、駅前の喫茶店でたまたまお会いしました。
まずはそこでの話。「あ、bossmanさん、怪談のブログをやってられ
るんですよね」 「はい、あんまり怖くはないですけど」
「僕ね、こないだ、バーでやってた怪談会に行ったんですよ」
「ははあ、そういう趣味があるとは知りませんでした」 「いやあ、
 怖いのは苦手なんですが、そのときは友人に誘われて」
「そうですか。会場はどちらでした?」 「神戸の〇〇っていう」
「ああ、知ってます。怖かったですか?」

「うーん、それがねえ、bigbossmanさんの前でなんなんですが、
 そんなに怖いとは思わなかったんです。もともと、幽霊とか
 信じてないし、もし幽霊がいるとしても、僕は生まれて一度も
 見てないですし」 「ああ、そういう方も多いですよ」
「ただ、最後の話だけは不気味な感じがしたなあ」 「どんな話でした?」
「えーとね、死んだ鹿が出てくるんです。その鹿が・・・あれ、あれ、
 何だっけ、鹿しか頭に残ってない」 「・・・最後の話って言いました
 よね。そこまでに飲みすぎてて忘れたんじゃないですか(笑)」
「いや、その日はそんなに・・・おっかしいなあ、鹿しか覚えてない」
「思い出したらメールでもください」 「あ、そうだ。今ね、そんとき
 一緒に行った友だちに電話かけて聞いてみます」 「大丈夫ですか?」

「自由業だから家にいるはず」ということで、吉田さんは友人にスマホで
連絡し、すぐに出てその怪談会のことを聞いてたんですが、
結局、最後の話の内容はわからなかったんです。吉田さんの友だちも、
「その話だけは怖かったっていう記憶があるけど、詳しい内容が思い出せない。
 鹿が出てくるのは間違いないけど」こんなふうに言ってたんです。
ここで、自分はがぜん興味を持ちまして。怪談のパターンの一つに
「語られない話」ってあるんです。ものすごく怖い、忌まわしい怪談があって、
それを話した人は死んでしまうっていう。もともとは、明治維新のときに
非業の死をとげた田中河内介という人についての話が日本では最初のはずで、
もしかしたら、これはその類のものかもしれないと思いました。
ただ、河内介の場合と異なるのは、吉田さんも友人も、

間違いなくその話を聞いてるのに内容が思い出せないということ。
吉田さんは、さらにスマホで友人と話してましたが、「友だちがね。
 その夜のパンフレットを持ってるってことなので、今、写真に撮って
 メールで送ってもらいますから」で、それを2人で見ました。
「ははあ、怪談師は全部で5人ですか。時間はどのくらいでした?」
「2時間はかからなかったですね。1時間半ちょっと」
「5人のうち3人は知ってますよ。会ってお話をしたことも。
 その鹿が出てくる話をしたのは?」 「最後に書いてある△△って人です」
「あ、それならよく知ってます。今は忙しいだろうから、
 夜にでも電話で、最後にどんな話したか聞いてみますよ」
「お願いします。どうにも気になってしかたなくなりました。

 鹿がねえ・・・もう少しで思い出せそうなんですけど」 
こんなことがあったんです。自分が吉田さんから怪談の話を聞いたはずなのに、
いつのまにか自分が吉田さんにどんな内容だったか教えるってことに
なってしまいました。ただこのときは、もちろん△△さんに聞けば
わかると考えてたんですが。自分と△△さんは、何度かイベントで
ご一緒させていただいたことがあって、その夜に出た怪談師の中では
一番親しいんです。その日の夜、10時過ぎ頃に電話してみました。
「△△さんですか、bigbossmanです。いつもお世話になってます。
 いきなり何ですが、◯日の夜にバーで怪談会をやってますよね。
 そのとき、最後にしたのはどんな話でしたか」こう聞きましたら、
「最後は・・・ちょっと待ってくださいよ。ええと、あれ、おかしいな

 記憶が飛んでる」 「思い出せないってことですか?」
「そんだはずはないんだけど、ちょっと出てこなくて」 「でも、何度か
 やってる話なんでしょ」 「いや、それが新ネタだったんです。そのときに
 始めておろした」 「鹿が出てきますか」 「あ、鹿、そういえば
 そうだったような・・・でも・・・ダメ、出てこない」
「不思議ですねえ」 「こんなことは始めてです」 「その話、取材した
 ものだったんですよね」 「そうです。聞いたのは、矢沢さんっていう、
 行きつけの美容室の男性美容師の人で、髪を切ってる途中で話して
 もらったんで、メモとか録音はないんです」 「どこの美容院?」
「梅田駅近くの〇〇〇〇」 「あ、なんとなくわかります。
 自分が行って聞いてみてもいいですよね」 「もちろん、かまいませんよ。

 後で僕も行きますから」こんなことになってしまいました。でもね、
このときはまだ、すごくワクワクしてたんです。矢沢さんは話した当人なんだから、
さすがに忘れてることはありえない・・・で、さっそく翌日、
物好きだと思われるかもしれませんが、その美容室に行ったんです。
矢沢さんを指名して髪を切ってもらいながら、いきさつを話しました。
矢沢さんはそのときのことを覚えてて、同じ怪談を語ってくれたんですが・・・
鹿なんて出てこないんです。内容も、どこにでもある、
アパートの部屋で自殺した前の住人の霊が出てくるってものだったんです。
「たしかにその話でしたか」 「はい、これ、友だちから聞いたんですけど、
 僕の知ってる怖い話ってこれくらいしかないんです」奇妙ですよねえ。
じゃあ、鹿が登場する怖い話って、いったいどっから出てきたのか。

オカルト研究家として、こりゃとことん追求してやろうって気になりました。
ですが・・・その3日後だったかな、自分はアメ車のジープに乗ってて、
その縁でオフロード雑誌にも原稿を書いてるんです。それ関係の集まりが
六甲のほうであって、夜の9時ころに車で家に戻る途中でした。
場所を書けばわかる方はわかると思うんでボカさせていただきますが、
車通りの少ない山中の道を走ってると、左手の崖の斜面から
ドドッという感じで大きなものが飛び出てきたんです。鹿だと思いました。
そこらへん、ニホンジカが増えて植生に影響が出てるんで
問題になってるんです。とっさにブレーキを踏んだんですが、
間に合うはずもなく、鹿を轢いた・・・成体の雄鹿と見えたんで、
少なくとも100kgはあるはずです。

それなのに、衝撃がほとんどなかったんです。空の段ボール箱に
ポコンと当たったような感じ。まあ、自分の車は2トン以上ですが、
それにしても変だ。高速道路ではないので、路肩に車を停めて
車外に出ました。バンパーを見ても凹みや塗装の剥げたところは
ないみたいで・・・かなり離れた前方の草の中に鹿の残骸が見つかった
んですが、血は一滴も流れてない。その鹿、カサカサに乾いてたんです。
どうやればああなるんですかねえ。剥製ってわけでもないけど、
水分をすべて抜かれてミイラみたいになった鹿。
さわってはみませんでしたが、すごい軽いんだろうと思いました。
でもね、そんなはずないんです。だって、鹿が斜面を滑り落ちてきて、
足を踏ん張って止まろうとするのも見えた・・・と思ったんですよ。

でね、それを見下ろしてるとゾーッと怖くなってきました。
他の車の障害になるところではなかったんで、鹿はそのままにして
逃げるようにして帰りました。道々、警察と保健所には連絡しましたよ。
でね、まだ続きがあるんです。その2日後ですね。最初に出てきた
吉田さんから、「話の内容を思い出しました。怖すぎです」って
メールが来たんです。おり返し連絡したら、電話では言えないような
ものだということで、翌日、また前と同じ喫茶店でお会いすることに
なったんです。ですが、吉田さん、時間になっても現れなくて、
スマホでも連絡がつかず、そのときは帰ったんですが、夜になって
事情がわかりました。吉田さん、まだ30歳前半なのに、
喫茶店にくる途中のJRの駅で、心臓発作で亡くなってたんですよ!

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「ツチノコ=鳥」説

2020.03.01 (Sun)
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当ブログの内容はいくつかのカテゴリに分かれているんですが、
一番多く書いているのが「怖い話」で、これが看板です。次が「ナンセンス話」、
現実感が薄く、怖いよりおかしいという内容のものはこちらに入ります。
続いて「オカルト論」、「怪談論」という順なんですが、

1回だけ書いてストップしているのがありまして、「UMA談義」がそうです。
オカルトの各ジャンルの中でも、自分はUMA(未確認生物)は好きなほうなのに、
「モンゴリアン・デスワーム」という巨大ミミズ状の怪物について書いて、
後が続いていません。なかなか話題がないんですよねえ。

何とかしなくては、と考えていたんですが、
昨日、よく拝見させていただいている『ひよどりblog』さんという、
野鳥の記録写真を掲載されているブログで、「アリスイ」という
鳥を取り上げているのを見て、この項の内容を思いつきました。

というか、前々から自分が持っている説(そんな大層なもんではないですが)
として「ツチノコ=鳥」というのがあります。ただし、すべてのツチノコは
鳥の誤認だ、という主張をしているわけではなく、ツチノコ目撃談のうちの
いくつかは、鳥を見間違えたのではないかというものです。
そしてその主人公となるのが、このアリスイなんです。

さて、「ツチノコ」はみなさんもご存じだと思います。
Wikiでは『日本に生息すると言い伝えられている未確認動物 (UMA)
のひとつ。鎚に似た形態の、胴が太いヘビと形容される。
北海道と南西諸島を除く日本全国で”目撃例”があるとされる。』


歴史的には、Wikiに「縄文時代の石器にツチノコに酷似する蛇型の
石器がある」という記述がありますが、これはかなり怪しいと思います。
石器で長いものを作ると折れやすいので、普通の蛇を表現して、
結果的に、ツチノコのような寸詰まりの形になった、
というのが現実的な気がしますね。

江戸時代の本草学(広義の博物学)には、ツチノコらしき生物が
記載されているものがあり、通常の蛇とは別種扱いになっています。
ツチノコは、田辺聖子さんの小説や、
『釣りキチ三平』の矢口高雄さんのマンガ等で、
1970年代に一気に有名になりました。

現在でも、ツチノコによる町興しをしている地方公共団体があり、
岡山県赤磐市でしたか、捕獲した場合の賞金は、
現在では2000万を超える高額になっているはずです。
どうなんでしょう、担当者は賞金を支払う日が来ると思っているのか・・・

ツチノコの目撃談ではいろいろな特徴があげられていますが、
自分が注目したのは3つの点、一つ目は「ジャンプする」です。
2mから10m近いジャンプの目撃例もあります。
例えば、『2008年8月31日、千葉県白井市の田園地帯において、
水平に3メートルジャンプしたツチノコらしき生物の目撃情報が寄せられた。』


二つ目は「まばたきをする」という点。三つ目は「チーなどと鳴き声をあげる」
では、いよいよアリスイを見てみましょう。
『動物界脊索動物門鳥綱キツツキ科アリスイ属に分類される鳥』で、
日本では各地で見られるようですが、渡り鳥で、

『日本では北海道、本州北部では夏季に繁殖のため飛来し(夏鳥)
 本州中部以西では冬季に越冬のため飛来(冬鳥)する。』
となっています。
自分は鳥についてはほとんど知識がないので、
ここからは間違ったことを書くかもしれません、とあらかじめ断っておきます。

この鳥は実に蛇によく似ています。特に背後から見た場合ですね。
まず、羽毛の模様が蛇の鱗に見えますし、
擬態というのかどうかわかりませんが、
蛇に似た色や形に進化していったのではないでしょうか。

動作も、体をくねらせるように動かす様子は蛇そっくりと言われます。
また、周囲を警戒して頻繁に首をかしげたり、
後ろを振り向いたりするところから、不吉な鳥と言われることも
あるようです。この鳥の和名の由来は、木の枝や地上で、
アリを吸うようにして食べるところからきています。

蛇に似ていることが、生存に何かと有利に作用するのではないかと
思われます。この鳥を、上記のツチノコの特徴と比較すると、
「飛ぶ」というところは合致しますね。もちろん羽を広げて
飛ぶわけですから、見間違いはないように思われますが、
藪の斜面や木の枝の間のような視界の悪いところならどうでしょうか。

瞬時に飛び離れるというような動作なら、誤認の可能性は
ある気がします。「まばたき」という点はどうでしょう。
蛇と鳥類の目は似ていて、基本は瞬きはしないものと思われますが、
表皮のピンと張っている蛇に比べて、羽毛に覆われた鳥は、
頭部の筋肉を動かして、瞬きに見える動作をすることがあります。

「鳴き声」これは鳥類は鳴きます。アリスイの鳴き声はyoutubeに
あがっていますので、興味ある方は検索してみてください。
ツチノコのイメージがわいてくるでしょうか?
普通の蛇は「しゅーっ」というような空気音しか出せません。

この説の弱点としては、大きさです。ツチノコは30cm~80cmくらいと
されます。それに対し、アリスイはスズメよりは大きいですが、
せいぜい20cm足らずです。ですから誤認の場合は、やはり後ろから見て、
遠近感がよくつかめなかったとき、などではないでしょうか。

さてさて、最後にツチノコの図像と、アリスイの写真をあげておきます。
見比べてみてください。どう考えられますでしょうか。
では、今回はこのへんで。

井出道貞『信濃奇勝録』




まさにアリを吸う瞬間、クチバシを隠して見てみてください


羽根の模様がもろに蛇のウロコですよね