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義民伝説の周辺事情

2020.03.31 (Tue)
CCCCC (1)

今回はこういうお題でいきます。怖い日本史のカテゴリですが、
すごい地味な内容で、たぶんツマラナイと思います。
さて、どっから話していきましょうか。江戸時代初期、
堀田正盛という大名がいました。けして高い身分ではなかったのが、
義祖母である春日局が乳母をつとめた徳川家光が3代将軍になると、

異例の出世を重ね、下総佐倉藩の初代藩主となります。佐倉藩は
10万石程度ですが、江戸に近く参勤交代も楽です。
で、この正盛、家光の死の後すぐ殉死してるんですね。これは
おそらく、家光と衆道関係にあったためでしょう。そこで、
長男であった堀田正信が家督を継ぐことになります。

堀田正信
CCCCC (6)

ここからは伝説です。正信は藩主になったものの、後ろ盾であった
家光はすでに亡く、春日局も大奥を出てしまいます。
何もかも一人で裁量しなければならなくなったわけですが、
正信にはその器量はありませんでした。農民に対しては増税、増税、
年貢の取り立ても厳しく、藩内は暗くよどんでいきました。

名主たちが集まって話し合い、藩には何度も訴状を出して
困窮を訴えましたが、正信は聞く耳を持たず、そこで名主の一人であった
佐倉惣五郎は、直接江戸の老中に密書を送ったんですね。しかし、
一月たっても何の音沙汰もなし。ついに惣五郎は直訴の覚悟を決め、
一人江戸へと旅立ちます。1653年のことです。そして機をうかがい、

歌舞伎になった惣五郎


4代将軍、家綱が上野へ参詣する途上に潜み、訴状を掲げて
籠の前に走り出ます。直訴は死罪の定めですが、家綱は刀を抜いた
護衛を止め、訴状を取り上げます。かくして企ては成功し、
惣五郎にはお咎めなし。佐倉藩に年貢減免の命が幕府から
下されました・・・まあ、ありえない話ですがあくまで伝説ですので。

面目を失った正信は激怒、戻ってきた惣五郎の目の前で
4人の男児を惨殺。惣五郎夫妻は磔の刑としたんです。
それから、堀田家に怪異が起き始めます。正信の寝所に磔された姿の
惣五郎が現れ、とうとうと恨みを述べる。しかしお付きの小姓らには
見えません。正信は精神的に追い詰められ錯乱します。

佐倉惣五郎
CCCCC (2)

惣五郎の死から7年後、正信は江戸城内にて幕政を批判、
その内容は「幕府の失敗のために旗本・御家人、農民が窮乏しており、
自分は領地を返上する」というものでした。これは史実で、
正信は参勤交代を待たずに佐倉へ帰城してしまいます。切腹に
あたいする大きな罪でしたが、老中らは乱心のためとします。

堀田家は自ら述べたとおり領地を没収され、正信は信州の同族に
お預けとなります。うーん、寛大な処分で、何か裏がある気がします。
その後も、狂気の正信は何かと事件を起こしますが、処分から20年後、
将軍家綱の死にともない、正信はハサミで喉を突いて自害します。
お預けの身で切腹が認められなかったからですね。

ということで、惣五郎の死から27年がたって祟りが完了したと
見ればいいんでしょうか。それから90年たち、再興された堀田家は
再び佐倉の藩主となります。このあたりも何か事情がありそうに
思いますが、調べてもよくわかりませんでした。

将門口の宮神社(口の明神)
CCCCC (4)

1752年、佐倉藩藩主、堀田正亮は、惣五郎の百回忌にあたり、
「口の明神」という神社を創建し、惣五郎の魂を祀っています。
これも史実で、口の明神の御祭神は平将門と佐倉惣五郎。
つまり怨霊鎮めの社と見て間違いはないのではないかと思います。

これでだいたい伝説は終わりです。神社創建で、佐倉藩が
惣五郎伝説を認めた形になったので、その後、義民伝説は芝居や講談、
読本で取り上げられて江戸市中に広まったんですね。
さて、残り字数は少ないですが、少し考証してみます。

まず、惣五郎は実在の人物か? これ、以前は架空説があったんですが、
1715年に成立した『総葉概録』には、佐倉城下近辺に「総五」という
農民がいて、何らかの罪を得て処刑されたこと。冤罪であると主張して
城主を罵りながら死んだこと。堀田家の改易がその祟りと
噂されたことが記されています。

田中正造
CCCCC (5)

ただ、総五が一揆を企てたり、まして将軍に直訴をしたという資料は
残っていません。いくらなんでも直訴は無理だと思います。
警備が厳しくてできなかったでしょうし、もしそういうことが
あったら、必ず資料として書かれたものが残っているはずです。

総五が罪を得た理由にはさまざまな説があります。千葉氏の再興問題、
隠し田摘発、利根川治水工事・・・しかし確証となる資料は
見つかっていません。惣五郎の訴状なるものが残っていますが、
これは明らかに後代につくられたものです。

直訴する田中正造
CCCCC (7)

さてさて、ここまで見てきたように、惣五郎伝説は言葉どおり伝説の
域を出ないんですが、後代に影響を与えました。1901年、
衆議院議員を辞職した田中正造は、帝国議会開院式から帰る
明治天皇の馬車に、足尾鉱毒事件について直訴。警備の警官に
取り押さえられますが、狂人がよろめいただけとされ、

即日釈放されて罪にはなりませんでした。ちなみに直訴状は
幸徳秋水が書いたもので、その内容は新聞に取り上げられ、東京市中は
大騒ぎになり号外も出ました。直訴の前に正造の盟友石川半山は、
「君はただ佐倉惣五郎たるのみ」と励ましたと伝えられています。
では、今回はこのへんで。

※ 千葉県の郷土史などを研究されている方で、何かご教示いただければ幸いです。

CCCCC (3)




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アーカイブ 嘘つき

2020.03.31 (Tue)
小学校のときのことなんだけど、たいして怖い話でもないのでここに投下。
3年生のときの同級生でよく嘘をつくやつがいたんだよ。
そいつとは家が近かったんで、
低学年の頃は何度かいっしょに外で遊んだ記憶もある。
小学生は意地をはったり見栄をはったりして、
他愛もない嘘をつくことがあるけど、そいつのはいかにも突飛で、
しかも確かめればすぐばれるようなのばかりだった。

例えば虫取りが流行ってたときには、
15センチもあって角が三つに分かれたカブト虫を
山で捕まえたとか言う。今にして思えば、
図書館で図鑑に載ってる外国のカブトを見たとかなんだろうけど、
空の水槽に入れて飼ってるというんで、このときは信じた子供もいた。
放課後、見せてもらおうと後をついてそいつの家に行くと、
先に家に入ったそいつが、
いかにもがっかりした顔で出てきて目尻をぴくぴくさせ、
そこ以外は無表情に「逃げられてたよ」と言う。まあそんな感じ。

他にも、そいつは片親でボロい木造家屋に母親と住んでるんだけど、
実は親父は外国に長期出張してる有名な会社の社長だとかなんとか。
しかしそうでないことは、いくら小学校3年生でもすぐわかった。
勉強もスポーツもできず、
小遣いを持ってることも少なく話しても何も面白くない。

それに母親が夜の仕事で忙しいせいか、
そいつのことをろくにかまってなくて、
毎日忘れ物はするし同じシャツを着てきて汗臭いしで、
まずクラスの女子がそいつを嫌がり、
男子もだんだんと話をするやつがいなくなって孤立状態になった。
ただし、いじめられてるというわけでもなかったけどな。
子供なりにそいつが自分のヘマや嘘で、
追いつめられたときに見せる無表情さに、
一種の不気味さを感じていたんだと思う。

4年生になってクラス替えがあり、俺はそいつとまたいっしょの
クラスになった。俺の行ってた小学校は大規模校だったんで、
それまで同級だった子よりも知らない子のほうが多く、
春休み明け始業式の日は子どもなりに緊張して迎えた。
朝ちょっと早めに登校すると、そいつのまわりに
何人か人が集まり「うえー」「本当かよー」とか言ってる。
そいつが何かの紙切れを、寄ってくるやつに見せてるんだな。

それで、俺も近づいてみると、「◇◇(俺のこと)この写真見て、
 今まで一人っ子だと思ってただろうけど
 じつは小さい頃は双子だったんだ」と言ってくる。
そいつが持ってる紙には、シャム双生児というのかな、
体がくっついてて手が4本、
足はどうなってるのかわからないような幼児が写っている。
頭は一つで奇妙にねじ曲がっていて片目がつぶれてて、残った
片一方の目で、悲しいような恨めしいような感じにこっちを見ている。

「これオレなんだよ。弟といっしょにくっついて産まれたけど、
 小さい頃手術して切り離したんだ」しかしそうは言うものの、
手に持ってるのは写真ではなく、
雑誌か何かから切り抜いたと思われる紙切れだし、
写ってる顔はどう見ても日本人じゃない。
ああいつもの嘘だな、と思って俺はその場を離れた。
これ以降、そいつもクラス替えで精神状態が高ぶっていたのか、
毎日のように様々な嘘をつき、
そして3年生のときのようにあっという間に孤立した。

ただし今回は学年で鼻つまみのいじめっ子がクラスにいたこともあり、
たんに孤立では済まないようだった。
俺はそのイジメには加わっていなかったし、
そいつの味方をしたこともない。クラスではただひたすら離れていた。
それに4年生からはスポ少に入ることができ、
俺は野球部になって放課後は遅く帰ることが多くなった。
そいつは運動は苦手で、用具などをそろえる金もなかったの
かもしれないが、下校時間になると一人で帰っていた。

その日は練習がなかったんで俺が普通の下校時間に一人で歩いてて、
角を曲がるとそいつが前にいた。
どうやら帰りの掃除の時間にでもイジメを受けたらしく、
いかにもとぼとぼとした感じで歩いてる。
ちょっとかわいそうになったので追いついて、
「いっしょに帰ろう」と言うといつもの無表情でこっちを見た。

けど何の話題もない。そのままただ歩いていると、
唐突に「オレ転校するんだよ、明日からこの学校には来ない」と言う。
でも、転校するなら必ず先生がそのことを言うはずだし、
今までは転校する子が出ると簡単なお別れ会を開いてた。
そういうことがなかったので、ははあまた嘘だなと思った。
リアクションを返せないまま押し黙って歩いてそいつの家の前まで来ると、
そいつがやはり無表情のまま、
「今までありがとうな」と言って玄関に入っていこうとした。

そいつが後ろを向いたとき、ランドセルの蓋がパンと強くはね上がり、
中から幼稚園児くらいの大きさで細長くねじけた頭が飛び出した。
頭は俺のほうを見ると、苦しそうに顔をゆがめ、
いくつにも切れた唇からしぼりだすような声で「あ・り・が・と」と言った。
始業式の日にそいつが持ってきた切り抜きに写っていた、
シャム双生児の顔だと思った。

次の日そいつは学校には来ず、数日して先生が、
「◯◯君は急な事情で転校しました、
 みんなにお別れが言えずにとても残念がっていました」と説明した。
親たちの噂話では、どうやら夜逃げのようだった。
それから今まで一度も会っていないし消息もわからない。






UMA学の基本その1

2020.03.30 (Mon)
合成の可能性大の漂着UMA
明らかな深海魚の合成画像

今回はこういうお題でいきます。カテゴリはUMA談義。
じつは自分はオカルトに興味を持ったきっかけがUMA(未確認生物)
だったので、この分野はたいへん好きなんですが、いかんせん
話題がありません。どこそこの海岸に不可思議な物体が流れ着き、
〇〇政府で分析中・・・ここで情報が立ち消える。

十年一日のように同じことをくり返し、知識の集積ということが
ないんです。まあ、世界的なUMAの研究機関があるわけでも
ないので、しかたないことなんですが。マスコミの姿勢もよくない
ですよね。画像を載せ、煽りのキャプションを入れてそれで終わり。
ただうさん臭さだけが積み重なっていくという。

さて、本項では、自分がこれまでに研究してきたUMA学の
基本について書いていきます。ただ、過去記事と多少かぶるところが
あるかもしれません。では、基本その1、「〇〇には見えない」を
信用してはいけない。このバリエーションとして、「〇〇に△△はない」
というのがあります。要は見た目にだまされないこと。

どういうことかは、おいおい説明していきます。下の画像を
ごらんください。これは2017年、フィリピンのディナガット・
アイランズ州の海岸に打ち上げあられた巨大な生物組織。白い毛の
固まりで、ある種の犬の顔みたいにも見えます。地元では話題騒然、
こんなのは漁師でも見たことがないと評判になりましたが・・・

vvvv (4)

フィリピンの自治体が出した結論はマッコウクジラの死体。
今は簡単にDNA分析ができますので、まず間違いはないでしょう。
毛のように見えるのは、腐敗した筋肉組織がくり返し波で洗われたため。
ぶっちゃけた話、地球上でここまで巨大な生物はクジラしかいません。

次の画像は、UMAフアンには有名なもので、1896年、アメリカ・
フロリダ州セント・オーガスティンに近いアナスタシア島の海岸に
打ち上げられたもので、後に「セント・オーガスティンモンスター」
と名づけられました。最初にこれを分析した地元医師は、
ハーバード大学に鑑定を依頼します。

vvvv (5)

動物学、頭足類の権威であったハーバードの教授が出した結論は
巨大タコ。2ヶ月後、その物体は、オクトパス・ギガンテウス
(Octopus giganteus)と命名されました。重さは5トンほどもあり、
タコの全長は30m級と推定されました。ですが、タコは寿命が短く、
そこまで大きくなれるかの疑問もありました。

その後、死骸は失われてしまいます。おそらく腐敗がひどいので
埋めたか海に還されたかしたんでしょう。ただし標本は残っていて、
1970年代に行われた分析でも結論はタコ。ですが、1995年、
再度分析が行われ、電子顕微鏡の進歩により、肉塊は皮膚下の
タンパク質構造であるコラーゲンであることが判明したんです。

もちろんクジラのものです。次に行きます。下の画像は、
1969年、メキシコ、ベラクルス州のテコルートラ町の海岸で発見
されたもので、漂着してから何週間かたっており、かなり腐敗が進んで、
あちこちの骨がむき出しになり、なかば砂に埋れていたそうです。

vvvv (6)

通称「テコルートラの怪物」と言います。これについては以前に
詳しく書きましたが、自分の結論はクジラ、おそらくナガスクジラです。
画像の左は恐竜の頭のようにも見えますが、これはクレーンで
持ち上げられ、さらに前のクチバシ部分を切り取られているからです。

ここで、クジラにクチバシはないと思われるかもしれませんが、
そもそもクチバシではなく、頭骨の一部ですね。
調査団が来て調べた結果は、おそらくクジラだろうが、突然変異かも
しれないというもの。まあ、DNA分析のなかった当時としては
いたしかたないでしょうね。

次、これも前にご紹介したかな。2007年、アフリカのギニアの海岸に
漂着したもので、巨大な亀ではないかとも言われましたが、
自分の見るところではやはりクジラです。
横から見た画像ではっきりしますが、このヒレはクジラのものです。

vvvv (7)vvvv (8)

それが何でこうなったかと言うと、爆発(笑)したからでしょう。
クジラの死体はふつうは沈みますが、腐敗ガスがたまって浮き上がって
くることがあります。(下の画像)そして爆発するんですが、
火薬的なものではないので、破裂と言ったほうがいいのかな。
上部の模様を比べてみれば、そっくりなのがわかるでしょう。

腐敗したクジラ わかりにくいですがヒレも同じです
vvvv (1)

次、2007年に中国の海岸で発見されたものです。やはりクチバシ状の
骨があり、その部分だけで1メートル、頭全体では約3メートル。
一部では、プテラノドンなどの翼竜の生き残りではないかと
言われましたが、ただ似ているだけです。

vvvv (2)

この頭は100kg以上はゆうにありそうですが、それでは翼竜は
滑空できません。翼竜は翼長12m級の大型のものでも、
骨が中空になっていて、体重は70Kgまでもいかなかったと考えられて
います。これはザトウクジラなどの中型クジラでしょう。
あ、基本その1を書いてるうちに終わってしまいました。

さてさて、ということで、UMAの死体の場合、見た目が何かに似ている
といって、結論を急いではいけません。あと、「経験の深い漁師が
クジラではないと言っている」などの証言があっても、その漁師は
クジラの解剖や腐敗過程の観察はしたことがないはずです。
では、今回はこのへんで。





山の怖い話

2020.03.30 (Mon)
bigbossmanです。みなさんは山へ行かれるでしょうか。
自分は登山の趣味はありませんが、10年ほど前までは渓流釣りを
していたので、沢を登ったりすることはありました。
さて、山の怖い話というと、怪談の中でも一つのジャンルを形成
しています。もちろん山は怖いですが、それは実際に遭難する
怖さですよね。ちなみに、去年1年間で山で遭難した人は約3100人。
遭難死が350人ほど。日本全体の死亡者が140万人くらいですから、
それからすればわずかな数と言えます。では、山は霊的に怖いんでしょうか。
ここも難しいところです。例えば単位面積あたりの死者は
都会のほうが何百倍も多い。もし幽霊がいるとして、山で遭遇する
確率はかなり低いはずですよね。このあたりのことは昔から疑問でした。

そこで今回は、高卒で某県の営林署に採用後、40年間山の現場で過ごして、
退職されたばかりのAさんに、そのあたりのことをインタビューさせて
いただきました。Aさんには、この場であらためて御礼を言わせて
いただきます。ありがとうございました。場所は、東京のスポーツバーです。
「じゃあ、さっそく伺いますけど、山って怖い場所ですか?」
「うーん、冬場は間違いなく怖いよ。吹雪で視界がきかなくなったり、
 いつツルッといくかわかんないし、夏ならなんでもない山でも
 死と隣り合わせの場所に変わる」 「あ、そうでしょうねえ」
「それとね、これは山が怖いとはちょっと違うけど、知識のない人は怖い」
「山の素人ってことですか」 「そう、日帰りハイキングでもね、
 高尾山だって遭難する人はいるから。知識と装備は大切」

「なるほど、登山人口が増えるとともに、そういう人も多くなった」
「うん」 「それでですね、じつは自分は、オカルト・・・幽霊なんかの
 研究をしてるんです。そういう意味での怖い話ってありますか」
「山で幽霊を見たかってこと?」 「はい」 「いやそれはない。
 遭難死した人の遺体を運んだことあるし、遺体と山小屋に泊まった
 こともあるけど、はっきりした幽霊は見たことないな」
「ああ」 「ごめんね、期待にそえなくて」 「いやいや、いいんです。
 あの、自分も前はよく山に行ったんですが、絶対に人がいるはずの
 ないとこで、笑い声とか歌みたいなのが聞こえたりしませんか」
「それはあるよ。私も最初は不思議だったけど、どうやら風みたいだね。
 風に乗って遠くの声が聞こえてくる。ほとんどの場合、

 低地の声が上昇気流で上に昇ってくるみたい」 「ははあ」
「まあ、科学的に証明できることじゃないけど」 「あとですね、ヒダル神って
 ご存知ですか?」 「いや、知らない」 「あの、山を登ってるとき、
 急にお腹が空いて動けなくなったりする」 「ああ、それはハンガーノックの
 ことだろう。長時間激しく動いてて極度の低血糖になる」
「医学的なものなんですね」 「うん、山登りだと、大学の山岳部の新人訓練で
 入ったばかりの子がなることがあるね。要は自分のペースで登れてないとき。
 ある程度慣れてくれば、この計画だったら食事は何カロリー必要か、
 計算しなくてもだいたいわかるし、私はなったことがないね」
「ヒダル神は餓鬼が取り憑くので、そうなったときのために弁当を少し
 残しておくなんて話もあります」 「アメやチョコなんかはいつも持ってるけど」

「なるほど、じゃあ、これまで怖い目に遭ったことはない?」
「うーん、40年も山で過ごしてきたから、怖いというか不思議なことは
 いくつかある」 「あ、ぜひお聞かせください」 「私が署に入った頃は、
 それこそ豪傑みたいな先輩がたくさんいてね。戦争をくぐってきた人たち。
 酒は一升じゃきかないくらい飲むし。けどね、化け物みたいな体力があったなあ」
「なんとなく想像できます」 「でね、中村さんって先輩がいて、私が
 20歳のときに50代だった。その人がね、木の声が聞けたんだ」
「木の声?」 「そう。といっても木がしゃべるってことじゃなく、
 こう、木の肌に手をあててね、すると木が考えてることがわかるらしい」
「木って考えるんですか?」 「いや、知らんけど中村さんはそう言ってたし、
 実際にそれで遭難者見つけたり」 「遭難者?」

「そう、私らの仕事とは違うんだけど、管轄してる山で山菜採り、キノコ採りの人が
 遭難したら駆り出されるわけ。そんなとき、中村さんと組むと高確率で
 見つけてしまうんだ」 「見つけてしまう」 「そう。中村さんは
 道々で木に手をあてて、そのうち人が倒れてるとこに行きあたる」
「木に聞いてる?」 「そうみたい。私はまったくできなかった」
「どんな木でもいいんですか」 「うーん、まず手のひら全体をあてられる
 太さのある木。あとね・・・松とかああいう皮の固い木ではあんまり
 やってなかったな。ブナなんかが多かった」 「ははあ」
「いつだったか、中村さんが何気なく木に手をあて、それから血相を
 変えて駐在を呼んできて、藪の斜面を掘ったことがあった」 「で?」
「どんぴしゃで その場所から出てきたんだよ。遭難じゃなく、殺人の被害者」

「うわ」 「なにしろピンポイントだったから、信じないわけにいかんのよ」
「それ、まさか中村さんが埋めたんじゃないですよね」 「まさかまさか。
 東京のヤクザ者の抗争だったらしいね」 「うーん、すごい話です。
 Aさんご自身では、何かないんですか」 「そうだな、じゃあこの話するか。
 けど、どういうことなのか説明とかはできないから。
 あれは私が30代はじめの頃、秋口だったな。紅葉が始まる前。
 一人で山登ってたけど、そこは里山で危険も何もない。測量してる仲間に
 合流するとこだったの。のんびり歩いてたら、道脇の木の陰に
 白いものが見えた。何だろうと立ち止まると、神主さんなんだよ、
 黒い烏帽子をつけた。変だなあと思って見てたら、神主さんが一人で
 着物にたすきをかけて、手斧で枝を払ってたんだ」

「で?」 「長く伸びた横枝が一本むき出しになって、神主さんは下に
 置いてあった縄をそれにかけたんだよ」 「で?」
「これが国有林だったら何してるか訊くんだけど、私有地だったし、
 神社で何かに使うのかと思った。まあでも、どうしましたか?って
 声はかけた」 「で?」 「そしたら木の間で振り向いてこっち見たんだけど、
 その顔が真っ黒でね」 「黒い?」 「黒人さんってことじゃないよ。
 そうだなあ、かぶってる烏帽子よりも黒い、穴みたいな顔」
「穴」 「そうとしか言いようがなかった。でね、それ見て私、
 思わず神社でするみたいに拝んじゃったの。両手合わせて。
「で?」 「そこから記憶がないのよ。気がついたらその場所を過ぎた
 山道を登ってて」 「その後は?」 「仲間と合流してからも、

 そのことは言わなかった。何でなのかなあ、口から出なかった」
「で?」 「仕事が終わって、日が暮れる前に山を降りようってことで、
 皆で下ってたら、さっきの場所に今度は赤いものが見えた。
 女の人が首を吊ってたのよ」 「う」 「こりゃ大変だって、当時は
 携帯なんてなかったから、一人が駐在のとこに走って、
 残りで木に駆け寄った。まだ生きてるなら助けなきゃいけない。
 でも、完全に死んでた。目がぐるっと裏返って真っ赤に充血しててね」
「どうしました?」 「駐在が医者といっしょ来るまでその場で待ってた。
 事情を聞かれたけど、そんときも神主の話はしなかったよ。
 できなかったって感じ」 「それは怖い話ですねえ。その女の人は?」
「後でわかったとこでは、麓の集落の若い娘さんで、まだ20代だった。

 東京で就職したのが、仕事が上手く合わなくて実家に戻ってきてた
 みたいだな。結局、自殺ってことになった」 「うーん、まだありますか」
「・・・あるけど、信じちゃもらえないだろうな」 「ぜひ」
「私らの仕事は空中写真てのもあるんだよ。地図用にヘリから撮影する。
 もちろん写真はプロが撮るんだけど。最初にヘリに乗ったときは怖かったけど、
 それもだんだんに慣れて、4人乗りのヘリである山地を飛んでた。
 そしたら、カメラマンがあっ!!って大声で叫んでね。私も下を覗いたら、
 真っ黒な蛇が尾根にいたんだ。けどね、周囲との縮尺を考えたら
 100m以上ある蛇だよ。ありえないだろ。カメラマンが、
 あれは撮りませんから!って叫んで、見てるうちに蛇はずるっと 
 谷に落ちて消えたんだよ。な、信じられないだろ」 「・・・・」


 





1796年の免疫学

2020.03.28 (Sat)
dddd (4)

今回はこういうお題でいきます。医学的な記事ですが、
オカルトとも多少関係があります。ただ、いかにも
地味な内容なので、スルーされたほうがいいかもしれません。
さて、1796年にあった画期的な出来事というと、
何だかおわかりになりますでしょうか。

イギリス人の医師、エドワード・ジェンナーが天然痘に対するワクチン
である種痘を実施した年なんですが、ジェンナーの業績にはいろいろ
誤解があります。まず、ジェンナー以前にも種痘(人痘)は
行われていたこと。オリエント世界での話です。

エドワード・ジェンナー
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オスマン帝国駐在大使夫人だったメアリー・モンタギューが
現地で人痘法を知り、イギリスに持ち帰って自分の娘に接種しました。
天然痘に対するワクチンとして、人間の感染者の膿疱から抽出した
液を接種するのが人痘法です。

ただ、これはひじょうに危険で、接種を受けた者のうち2%が
重症化して死亡したとされます。うーん、抗癌剤の副作用死が
そのくらいと言われてますね。ジェンナーは、牛の世話をしていて
自然に牛痘にかかった人間は、その後天然痘にかからないという
農民間の言い伝えに興味を持ち、研究を開始。

牛痘は人痘に比べて弱毒であり、より安全という感触を得ました。
そこで1796年、最初の牛痘が行われたわけですが、
ジェンナーが自分の息子で試してみたというのは間違いです。
ジェンナーの息子はそれ以前に人痘を受けており、
牛痘を始めて受けたのは、使用人の息子の8歳の少年でした。

偏見や迷信との戦いであった種痘法
dddd (5)

結果、少年は若干の発熱と不快感を訴えたものの深刻な症状は出ず、
6週間後にジェンナーは少年に天然痘を接種しましたが、
少年は天然痘にはかからず、牛痘による天然痘ワクチンは
成功しました。いや、でもこれ、使用人の息子を実験台にして
大丈夫だったんですかねえ。失敗した場合のことを考えると怖い話です。

その後、牛痘法は次第にヨーロッパに広まっていきましたが、
「接種すると牛になる」と忌避する傾向もありました。そこで、
「これは神が乗った聖なる牛の液である」と住民に告げてから行うなど
苦心の跡が見られます。牛痘が日本で始めて実施されたのは1823年。

日本での種痘の実施
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ドイツ人医師シーボルトによってですが、このときは成功せず、
1849年、佐賀藩での実施が最初の成功例のようです。
あ、もう半分まできてしまいましたね。じつはメインはこれから書く
話なんです。同じ1796年、ドイツ人の医師、
ザムエル・ハーネマンがホメオパシーに関する論文を発表します。

ホメオパシーとは、その病気や症状を起こしうる薬や物を使って、
病気や症状を治すことができるとする医療体系です。
ハーネマンは、自身がマラリアの治療薬であるキニーネを
試飲したところ、マラリアと同じような症状が出たことから
これを考えついたと言われています。

ザムエル・ハーネマン
dddd (1)

うーん、今の知識では、そんなことはありえないだろうと思うんですが、
その時代の医学は呪術と紙一重のものでした。ハーネマンを擁護
すると、彼は当時一般的に行われていた瀉血(人体の血液を抜くことで
毒素を排出し、症状の改善を求める治療法)に対し、
迷信であり効果のないものだと述べてるんですね。

一般的なホメオパシーの施術法としては、さまざまな物質を大量の 
水で希釈し、それを砂糖玉に染み込ませて(レメディと呼ばれます)
患者に経口で摂取させる。希釈は大量であればあるほどよく、
水の中にもとの物質の分子が1個もなくなってもかまわない
とまで言われています。

ホメオパシーの多種多様な希釈液
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その後、ホメオパシーもヨーロッパ全土に広まっていきます。
これに目をつけたのがナチスドイツで、ハーネマンがドイツ人で
あることから、ドイツ医学の基礎にしようとさまざまな実験を
試みました。ユダヤ人収容所では、わざとマラリアや敗血症に
感染させたユダヤ人に対し、ホメオパシーが実施されたものの、

症状は改善せず多くの者はそのまま死亡し、ホメオパシーに
対する関心は薄れていきました。現代医学の見解では、
ホメオパシーにはブラセボ以上の効果はないとされています。
まあそうですよねえ。ただし、砂糖玉ですから副作用もありません。

レメディ
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ホメオパシーの問題点は、それにより実際に効果のある治療を
受けられなくなってしまうことでしょうね。ホメオパシーでは、
現代医学の治療を受けるのはよいことではない、とされることが多く、
ワクチン接種全般に対しても批判的です。

「山口新生児ビタミンK欠乏性出血症死亡事故」という事件が日本で
ありました。助産師によって出産した女性の女児が、生後2ヶ月で
硬膜下血腫で死亡したんですが、原因はビタミンK不足と考えられました。
助産師は「ホメオパシー医学協会」に所属しており、ビタミンKの代わりに、
「ビタミンKの記憶を持った」レメディを与えていたんですね。

さてさて、ジェンナーとハーネマンの現代での評価は大きく分かれて
しまいました。ジェンナーは「近代免疫学の父」と呼ばれ、
ホメオパシーは現代医学から見れば、うさん臭く危険な代替療法です。
ただ、1796年の当時には免疫という概念もなく、分かれ道は
ちょっとしたものだったんじゃないかという気もするんですね。
では、今回はこのへんで。

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鴨島伝説について

2020.03.27 (Fri)
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今回はこういうお題でいきます。日本史の話なんですが、かなり地味な
内容になりそうなので、スルーされたほうがいいかもしれません。
さて、みなさんは柿本人麻呂の名前はご存知だと思います。
『万葉集』を代表する歌人であり、長歌の完成者とされ、
後の時代には、山部赤人とともに「歌聖」と呼ばれました。

生没年や出自などは不明。なぜかというと、当時の歴史書である
『続日本紀』に記載がないからです。定説では、人麻呂は
7世紀後半から8世紀初頭にかけての人物で、
身分の低い(六位以下)の下級官吏とされてきました。ただ、
歌が巧みであったため、宮廷歌人として大きな行事などに参加していた。

正史である『続日本紀』には、五位以上のものの事績については
必ず記載されるので、この説は当然ではあるんですが・・・
じつは謎もあるんです。905年に紀貫之らによって編纂された
『古今和歌集』の仮名序は、貫之が書いてるんですが、そこに、

紀貫之
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「いにしへよりかく伝はるうちにも、ならの御時よりぞ広まりにける。
かの御代や歌の心をしろしめしたりけむ。かの御時に、正三位柿本人麿
なむ歌の聖なりける。これは、君も人も身を合わせたりと
いふなるべし。」と出てくるんです。

要約すると「柿本人麻呂は なら帝(平城天皇)の時代の人で、
正三位であった」ということなんですが、上記したように、まず正三位
ではありませんし、平城天皇の時代からは100年も古い人です。
それなのに、なぜこのようなことが書いてあるのか。

まあ、紀貫之の時代には、人麻呂の正確な情報は失われていて、
言い伝えだけが残っていたというのは考えられるでしょう。
また、君臣一体で和歌が隆盛した時代があったという
貫之の理想が語られているのだろうという説もあります。
正直、自分にもよくわからない部分です。

柿本人麻呂
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で、この謎に食いついたのが哲学者の梅原猛氏で、著書『水底の歌』で、
柿本人麻呂は身分の高い人物であったのが、何かの事件に連座して、
「柿本猨(さる)」と名前を変えられ、石見国(島根県)現益田市の
益田川の河口沖合にあった鴨島という場所で水死刑にされた。また、
柿本猨は猿丸太夫と同一人物である、という説を発表しました。

ちなみに、柿本猨は正史に記述があり、従四位下で死去しています。
まあねえ、人麻呂→猨(猿)という連想は面白いと思います。
後代、道鏡事件で、女帝称徳天皇の不興を買った和気清麻呂が
別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させられた例があり、
清麻呂の姉の広虫は狭虫(さむし)とされました。

梅原猛氏
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ただ、この説の一番の弱点は、人麻呂が関与した事件が何か
ということがまったくわからないところです。大事件なら必ず正史に
書かれているはずですが、そういう記述はありません。
もともとそんな出来事はなかったと考えるべきですよね。
それと、水死刑というのも、当時の刑罰にはありません。

さて、では何でこの話が出てきたかというと、人麻呂の辞世の歌とされる
「鴨山の 磐根し枕(ま)ける 吾をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ」
の歌によるところが大きんです。この説は梅原猛氏のオリジナルではなく、
刑死ではないものの、石見国の鴨島で亡くなったという話は古くから
伝わっていました。故郷に戻って病気になった人麻呂は、自ら鴨島という
孤島に渡り、そこで死んだ。これだったら可能性はなくもないでしょう。

石見国 鴨山
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では、鴨島はあったのか。そこには人麻呂を祀る神社が建てられていたが、
大地震による津波で水没し、人麻呂の木像は現島根県松江市松崎に
流れ着き、その地に新たに人丸神社が建てられたという地元伝承が残っています。
鴨島が水没したのは、1026年の「万寿地震」で、この地震があったこと、
津波が起きたのは事実であろうと考えられるようになってきました。

鴨島について、1972年に梅原猛氏自らが調査隊を率い、
プロダイバーによって、鴨島の沈んだ跡とされる大瀬と呼ばれる地形の
調査が行われました。また、その20年後の1993年、
地球物理学者の松井孝典氏を団長として海底調査が実施されたんです。

結果としては、海底に地殻変動による横ずれ断層が確認され、
万寿地震があったのはまず確実だろうが、鴨島が実際にあったとまでは
言えないというものだったんですね。もし鴨島あったのだとしても、
ほんとうに島であったのか、砂州地形だったのかもわからない。

法隆寺 救世観音菩薩像
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ということで、鴨島で人麻呂が亡くなったということまでは否定
できないものの、人麻呂が事件に関与して猨と改名させられ、
流刑にされた上で水死刑に処されたというのは、さすがに
根拠のない話であり、学会に受け入れられてはいません。

さてさて、ここまで読まれて、自分が梅原説を批判していると思われる
かもしれませんが、そうではありません。すごい着想だなあと
感心しています。梅原氏には、この他にも聖徳太子は殺害され、
その怨霊を封じるために法隆寺が建てられたのであり、
秘仏、救世観音菩薩像は聖徳太子の姿であるとする

『隠された十字架』の著作もあります。これ、自分は学生時代に読んで
強い感銘を受けました。とにかく論証がスリリングなんですね。
聖徳太子の死の周辺事情についてはよくわからない部分があり、
また法隆寺の建造目的についても謎が多いんです。
では、今回はこのへんで。

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ルルドの泉と無原罪の御宿り

2020.03.27 (Fri)
アーカイブ245

今日はクリスマスですので、それらしい内容にしたいと思いますが、
なにぶん、地味なキリスト教の話なので、スルーされたほうがいいかも
しれません。さて、キリスト教の教義の根本になっている概念の一つに、
「原罪 original sin( 英語) peccatum originale(ラテン語)」
というものがあります。

フランス ルルドの泉
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原罪は、ひとことで言うと「アダムとイヴから受け継がれた罪」のことです。
『旧約聖書』の創世記では、神が創った初めての人間、アダムとイヴを楽園におき、
あらゆるものを食べてよいと命じましたが、善悪を知る「知識の木の実」だけは、
「取って食べると死ぬであろう」として禁じました。しかし、蛇にそそのかされた
イヴが木の実を食べ、イヴに勧められたアダムも食べてしまいます。

これによって、アダムとイヴは楽園を追放されてしまうわけですが、
その罪は、神に命じられたことに背いた「不服従の罪」なんですね。
ここでイブは、あくまで蛇に食べることを勧められただけであって、
強制されたわけではありません。また、アダムも同じで、
自らの意志で神の言いつけに背いてしまったと、一般的には解釈されます。

楽園からの追放
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このため、われわれ、アダムとイヴの子孫である人間は、
等しく原罪を背負うことになってしまうわけです。ただまあ、それだと、
キリスト教徒ではない人間も原罪を持つことになってしまいますが、
そのあたりのことは、あいまいにして避けられる場合が多いですね。

さて、救い主イエス・キリストは原罪を持たないのはご存知だと思います。
イエスは、神の意志によってこの世に送られたのであり、
形としては聖母マリアの「処女懐胎」ということになります。現在では、
イエスの存在は、「父・子・精霊」の三位一体説がとられています。

大工であったヨセフは、婚約者のマリアが結婚前に身ごもっていることを知り、
当時のユダヤ法にしたがえば、マリアを不義姦通として世間に公表し、
石打ちの刑にしなくてはなりませんでしたが、マリアの話を聞いて
すべてを受け入れ、マリアと結婚します。

マリアへの天使ガブリエルによる受胎告知
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ということで、キリスト教の初期には、原罪を持たないのは
イエスだけだったんですが、カトリック派において、だんだんにマリアに対する
聖母信仰が高まってきました。9世紀頃から、マリアもまたイエスと同じく
無原罪で生まれたという説が唱えられるようになりました。

ですが、その説については否定的な意見が多かったんですね。
13世紀の神学者トマス・アクィナスも、はっきりと否定しています。
マリアも無原罪だったとすれば、イエスの特別性が失われるからです。
しかし、イタリアやスペインなどのラテン地方では、ますますマリア信仰が高まり、

ついに1854年、教皇ピウス9世の回勅によって、
マリアの無原罪説が認められました。マリアもまた、
神の特別なはからいによって母親の胎内に宿ったのであり、マリアのことは、
「無原罪の御宿り Immaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae(ラテン語)」
と呼ばれるようになったんです。 

さて、「ルルドの泉」の話に移ります。1858年、フランス・ルルド村の14歳の少女
ベルナデッタ・スビルーが、郊外の洞窟のそばで薪拾いをしているとき、
若い女性が出現したとされます。ベルナデッタは最初、
自分の前に現れた女性を聖母とは思わず、「あれ(アケロ)」と呼んでいました。

ルルドの泉の水質 かなりの硬水
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当然ながら、この話を聞いた、教会関係者はじめ多くの人々は疑いを持ちました。
その女性はベルナデッタにしか見えなかったからです。ベルナデッタが、
「あれ」がここに聖堂を建てるよう望んでいると伝えると、
神父はその女性の名前を聞いて来るように命じます。

そして、何度も名前を尋ねるベルナデッタに、「あれ」は自分を「無原罪の御宿り」
であると告げたとされます。これを聞いて周囲は驚きました。ベルナデッタは、
ラテン語どころか母国フランス語の読み書きも満足にできなかったからです。
このことを証拠として、聖母出現は真実とされることになりました。

聖母は、ベルナデッタに「顔を洗いなさい」と言い、近くに水がなかったので、
聖母が洞窟の岩を指さすと、そこから水が湧き出し、最初は泥水であったのが、
だんだんに澄んできて、飲めるようになりました。そこに聖堂が建てられ、
次第に多くの参拝者が訪れるようになり、やがて重病人が泉の水を飲むと、
病気が治る「奇跡」が起きると言われるようになっていったんです。

この奇跡の認定基準はかなり厳しく、「医療不可能な難病であること、
治療なしで突然に完全に治ること、再発しないこと、
医学による説明が不可能であること」となっていますが、現在まで
68例が奇跡としてローマ教皇から公認されています。
その中には、1879年(明治12年)、悪性腫瘍で余命いくばくもないと
医師に宣告された、弘前市に住む新谷雄三少年が快癒した例も含まれます。

聖ベルナデッタの不朽体
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ベルナデッタは修道女となり、肺結核35歳で亡くなります。
自分には泉の効果がなかったのか。それとも神が早くに天に召されたのか・・・
遺体は聖人として保存されており、腐敗しないとも言われます(不朽体)。
ただし、上の画像では、遺体の顔と手指にには
ロウ製のマスクが被せられています。

さてさて、ここまで読まれてどう考えられたでしょうか。
1854年に、「無原罪の御宿り」の教義ができ、そのわずか4年後に
ルルドの泉の聖母出現が起きる。不信心な自分なんかは、かなり怪しいなあと
思ってしまいます。まるで新教義の宣伝みたいじゃないですか。
とはいえ、ルルドの泉の治癒例には、現代医学で説明ができないものが
あることも確かなんですね。では、今回はこのへんで。

エステバン・ムリーリョ『聖母マリア』
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ウエンディゴの影

2020.03.27 (Fri)
アーカイブ244

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今回はこういうお題でいきます。カテゴリはオカルト論かな。
これも地味な話題で、みなさんが興味を持たれるかどうかはわかりません。
さて、「ウエンディゴ」とは、アメリカ合衆国北部から、
カナダにかけてのアメリカ先住民、オジブワ族などに信じられている
悪霊というか、一種の精霊です。

その姿はいろいろ言われますが、身長が高く痩せこけていて、
皮膚の上から骨格がわかる。目は落ちくぼみ、唇はボロボロ。肌は灰色で、
大鹿のような角を持っているともされます。また、ウエンディゴは
強い腐敗臭を放っていて、近くにくるとすぐにわかるということです。

北アメリカ大陸の北部はかなり気温が低く、ウエンディゴは、
冬、寒さ、飢餓の象徴であると見られることが多いですね。
森の中を一人で歩いていると、ふと近くにウエンディゴがいる気配を感じ、
そのうちにウエンディゴにとり憑かれてしまいます。そうすると、
その人物は自分自身がウエンディゴになったと思い込んでしまう。

そうすると、いくら食べてもお腹が一杯にならない、満足しないという
状態になり、目につく食べ物をすべて食べつくすと、
近くにいる人間を手あたりしだいに襲い、殺して食べてしまう。
このあたりは、日本の「餓鬼」や「ヒダル神」に似ているかもしれません。

ヒダル神


また、自分がウエンディゴになったと思いこむところは、
「犬神憑き」や「狐憑き」との共通点があるようです。
アメリカ先住民は、部族の誰かがウエンディゴにとり憑かれた場合、
火を焚いて太鼓の周囲を後ろ向きに回るなどの儀式を行ったとされます。

さて、このウエンディゴの名をとった精神疾患の一つに、
「ウェンディゴ症候群」があります。最初は気分が落ち込み、
食欲がなくなります。そうして、自分がウェンディゴになったと思って
他人を襲い始める。この場合、儀式で回復しなければ処刑されたようです。

ウェンディゴ症候群の有名な事例としては、カナダのアルバータ州で、
1878年 の冬、雪の中に孤立したスウィフト・ランナーと彼の家族は
食料が尽き、まず長男が餓死すると、ランナーはその遺体を食べ、
さらに妻と残りの5人の子供たちも殺して食べてしまったんですね。

ランナーが殺して食べた家族の遺骨


ランナーは春になって逮捕され、当局によって処刑されています。
この事例なんかは、ウェンディゴが人肉食のタブーと深い関係に
あることを物語っているようです。食料がなくなって、
人を殺して食べることの罪悪感が、ウェンディゴにとり憑かれたと
思い込むことで軽減されるのかもしれません。

さて、話変わって、みなさんはアルジャノン・ブラックウッドという
人物をご存知でしょうか。イギリスの短編ホラー小説家で、
「妖怪博士ジョン・サイレンス」が活躍するシリーズが有名です。
代表作として『いにしえの魔術』 『犬のキャンプ』などがあります。

アルジャノン・ブラックウッド
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太古から信じられている超自然的な存在が出現する恐怖をモチーフとする
作品が多く、「クトゥルー神話」のH・P・ラブクラフトにも大きな
影響を与えています。また彼は生涯独身で、
秘密結社「黄金の夜明け団」に所属する魔術師でもありました。

ブラックウッドは、1900年代の初めに、上記のアメリカ先住民の
伝説をもとにした『ウェンディゴ』という短編を書いていて、
これも傑作の一つと言われます。なぜイギリス人が、
アメリカ先住民の話を書いたかというと、どうもこのころ、イギリスでは
アメリカ先住民の文化に対するブームがあったみたいなんですね。

有名な「シルバーバーチの霊訓」は、イギリスの心霊主義新聞を
主催していたモーリス・バーバネルという人物が、
高位の霊である「シルバーバーチ(シラカバという意味)」
と接触して、そのメッセージを書き伝えたものです。

シルバーバーチ レッドインディアンの姿を借りている
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シルバーバーチは霊訓の中で、アメリカ先住民の体を借りていると
述べています。この時代のイギリスの文献を少し調べると、神智学協会など、
あちこちにアメリカ先住民の精神文化の影響が見られます。
インド思想の輪廻などとともに、キリスト教とは異なった叡智として
受け入れられていったみたいですね。

さて、ウェンディゴの影響のもとに書かれた作品としては、
オーガスト・ダーレスの短編『風に乗りて歩むもの』が有名です。
ここで出てくる「イタカ」という精霊は、ウェンディゴと同一視されます。
また、スティーブン・キングの長編『ペット・セマタリー』なんかも、
その系統に連なるものだと思います。

『ペット・セマタリー』には、アメリカ先住民の禁断の土地が出てきてましたが、
作品のテーマである死者の復活は、アメリカで強い勢力を持つキリスト教的には
いろいろ問題があります。そこで、太古の「インディアンの呪い」
をベースにして、小説のストーリーを組み立てているんですね。

さてさて、ということで、ここまで読んでいただいた方がどのくらい
おられるでしょうか。じつはこの話、アメリカのニューエイジ・ムーブメント
までつながっているんですが、もう余白がありません。
それはまた書く機会もあるでしょう。では、今回はこのへんで。

ペット・セマタリー
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心霊写真の話

2020.03.27 (Fri)
bigbossmanです。つい昨日のことですね。いつもお世話になっている
ボランティア霊能者のKさんと、大阪市内のホテルのバーでお会い
しました。Kさんは50代、本業はビルのオーナーで、いろんな会社を
経営する実業家なんですが、霊能者としての活動もされてて、
全国を飛び回ってるんです。ただ、それはあくまで人助けなので、
交通費さえ受け取ったことはないと思います。以下はそのときの会話です。
「なあ、bigbossman、お前、心霊写真についてどう考える。
 オカルト研究家としての意見を聞かせてほしいんだが」 
「うーん、心霊写真ですか。オカルトとしてはけっして古いものでは
 ないですよね。そもそも実用的な写真の発明が1840年頃です。
 だから180年くらいの歴史しかありません。

 それに、心霊写真と言われるものの中には、たんなる撮影ミスの
 場合もたくさんあります。感光してしまったり、フイルムの巻きが
 うまくいかなかったり、手ブレだったり」 「まあそうだな」 
「あとは、撮影ミスではないけど、被写体に問題がある場合」
「どういうことだ?」 「足がないように見える写真とかあるじゃないですか。
 あれなんかは、写ってる人がヒザから下を後ろに跳ね上げてることが
 多いんです。それがたまたまスナップとして撮られて、
 足が切れてるように見える。写ってる人も、そんなことは覚えてないから、
 気味が悪いと言って、しばらく足を気にしてたりする」
「ああ」 「あとは悪ふざけですね。旅行で学生さんがたくさん
 いっしよに写ってるのがあるでしょ、旅館の部屋なんかで。

 で、身を寄せ合ってるんだけど、一人の肩に誰のものでもない手が
 のってるってやつ」 「ああ、あるね」 「ああいうのは、誰かが
 仲間の体の陰に隠れて、イタズラで手だけ出してる場合が多いんです。
 でね、困るのは、そういう写真って現像段階で手を加えてるわけじゃ
 ないから、プロが見ても、加工の跡は見られないって言う。
 もちろんプロだからイタズラってわかるんだけど、確たる証拠はない
 ってことです」 「それくらいは知ってるよ」 「ですよねえ」
「ズバリ聞くが、本物の心霊写真てあるのか」 「うーん、困りました。
 これまで話したような撮影ミスとか、偶然とか、イタズラとか、
 そういう可能性をすべて除いても、どうしても説明できない写真は
 ありますよ。心霊写真全体の1割以下ですけど」

「なるほど」 「じゃあこっちからKさんに聞きますけど、霊って
 写真に写るんですか」 「写らない」 「あ、あっさり言い切りましたね」
「いや、これはあくまで俺の体験だから、他の霊能者はまた違った
 考えを持ってるのかもしれない。俺がこれまで取り扱ったケースでは、
 写真に変なものが写ってる場合、それは撮影者が作り出してるもんだ」
「・・・念写ってことですね」 「そう、人間はほら、見たいものと
 見たくないものが、どっちも心の中にある。無意識って言うらしいが、
 それが写真の中に浮き出してくる」 「うーん、Kさん、何かそういう
 事件を扱ったんですね。聞かせてくれるんですよね」
「もちろんそのつもりだが、その前に、昔のフィルム写真と、
 今のデジタルカメラとでは、心霊写真の傾向に違いがあるか」

「そうですね。デジタルになって、心霊写真は減ったという人と、
 前よりも増えたって人がいるんですが、これはどっちの言うことも
 間違いではないんです」 「どうして」 「はい、昔のカメラは自動ピントも
 手ブレ補正もないし、さっき話した失敗写真って多かったんです。
 それがデジタルになってほとんどなくなった。だから心霊写真は減った。
 逆にね、今はフォトショップなんかの加工ソフトが出回ってて、
 心霊写真を作る気なら誰でもできます。そういう意味では心霊写真は増えた。
 それも、霊の姿がはっきりしたものが。もちろフィルムカメラでも
 加工はできますけど、家に暗室がある人って多くなかったでしょ。
 ほとんどは写真屋さんに現像を頼んでた。」 「そうだな」
「あ、これって、聞かせていただける話と関係があるんですか」

「ああ、ちょっとこれを見てくれ」Kさんはそう言って、
オロビアンコのバッグから一冊のミニアルバムを取り出して開き、
「これなんだが、わかるかな」 「ええと、これはフィルム写真ですね。
 かなり古そうだ。結婚式のですね。時代はいつごろです?」
「昭和50年代」 「神前結婚式ですか。花嫁さんはきれいな人だな。
 で、どれが心霊写真なんですか、よくわからないです」
「これ、新郎新婦が2人で社殿の前に立ってる」 「うーん、あ!
 上のほうからビームみたいなのが出てますね。新婦にあたってる。
 こんなの始めて見ました。光のイタズラかなんかでしょうか」
「いや、こんな光学現象はないだろ。細いけど銀色の光が、
 定規で引いたように真っ直ぐ花嫁に向かってる。それと花嫁の胸のあたり、

 よく見てみろよ」 「え? ああ、字が浮かんでる」白無垢の花嫁衣装の
胸の下、手を組んだ上に薄っすらと銀色の字が見えてて、「否」と
読めました。大きさは片手より少し小さいくらい。「どういうことです」 
「この2人、俺の大学の同期でな、この結婚式には俺も呼ばれてたんだ。
 もっとも花嫁のほうは面識がなかったが。大学を出てすぐ結婚したんだよ」
「すごいな、東大生のカップルですか」 「旦那は当時の大蔵省に入省して、
 その後すぐ子どもが生まれたんだが・・・ この2人、もうこの世には
 いないんだよ」 「え!?」 「子どもは男の子で、3歳になったとき、
 旦那が奥さんを殺してしまった。けど、故殺じゃない。突き飛ばしたのが
 テーブルの角に頭をぶつけて硬膜下出血。手術したがダメだった」
「どうしてそんなことに」 「子どもがだんだん育ってきたら、
 
 顔立ちが旦那に似てなかったんだ。それと、奥さんの浮気も発覚した。
 大学時代につき合ってた男との関係がまだ続いてたんだな」 「うーん」
「で、当時は遺伝子解析なんてなかったから、子どもの血液型を調べたら、
 旦那との子でないことがはっきりした。それで言い争いになってな」
「ひどい話ですね。それで?」 「旦那のほうは傷害致死だが、
 情状はくみ取れても執行猶予はつかない。刑務所に入って、
 その子は奥さんの実家に引き取られ、そこで育てられた。
 旦那の子じゃないんだから、そうなるしかなかった」 「で?」
「旦那のほうは、もちろん大蔵省は懲戒免職。すべてのことを悲観
 したんだろうな、刑務所内で自殺したんだ。聞いた話では、
 衣類を丸めて飲みこんでの窒息死ということだった」 「う」

「で、不幸なことだなあとは思ってたが、俺には直接は関係ない話だったのよ。
 ところが、ほら、俺が神戸でやってる不動産屋があるだろ。そこに大学を
 出て採用されたのが、その子なんだ。もちろんそんなことは
 知らなかったし、俺が採用の面接をしたわけじゃない。
 採用後の身元確認でわかったんだ」 「ははあ。それで?」
「もちろん俺が両親の事情を知ってることは、その子には言ってない。
 いろいろやりにくいだろうと思ったし、俺からすればたくさんある会社の
 一つでしかないから。特に目をかけてたということもないよ」
「で?」 「その子自身は、祖父母に育てられたにしてはというか、
 曲がったところもない素直な子で、仕事もそれなりにこなしてる」
「で?」 「先月、その子の結婚式があったんだ。関連会社の女性社員との」

「Kさんが仲人ですか」 「いやいや、俺はそんなの一度もやったことはない。
 柄じゃないから。もちろん式は出席したよ」 「で?」
「式はホテル付属の神社で挙げた。ホテル内神前式ってやつだ」 「で?」
kさんはバッグからタブレット端末を出し、「ほら、これがそのときの
 写真なんだが・・・わかるか」 「えーと、ああ! 光の筋がありますね。
 最初の写真と同じだ。それに否の文字も」 「そう、ただ前と違ってるのは
 新郎のほうにあることだな」 「これ、デジタル写真なんですよね」
「そうだ。それなのにフィルムカメラと同じものが写ってる」 
「うーん、前途多難ということですか」 「まあ、注意してみていくつもりだよ」
「・・・一ついいですか」 「何だ?」 「怒らないでくださいよ。最初の話で、
 奥さんの浮気相手ってKさんじゃないすよね」 「バカなこと言うな!!」

 
 
 


無言ルーム

2020.03.26 (Thu)
アーカイブ243

この1ヶ月ばかりの間にすごく気味の悪い出来事があったので、
その話をしたいと思います。
あの、私は30代の主婦で、週2日ビル清掃のパートもやっています。
夢を見るんです。ずっと同じ夢・・・
あ、同じというのは場所や出てくる人が同じという意味で、
もちろん夢の中での時間は進んでるんですよ。 

最初に見たのは正確には29日前です。日記に見た夢の記録を
つけているんです。だから間違いはないです。 
・・・夢の中で、学校の教室みたいなところにいるんです。
あ、学校じゃないかな。座ってるのが個人個人の机じゃなくて長机でしたから、
カルチャースクールか何かのセミナーみたいな感じですね。
夢はいきなり講師の先生の説明を聞いているところから始まったんです。

講師の先生は30代くらいの男の人でした。
・・・夢の中のことなので顔まではっきりおぼえてませんが、
なんとなく30代って気がしたんです。
先生が「ここは無言ルームです。絶対に話をしないでください。
 一言でも声を出すとたいへんなことになりますよ。それから席を立つのも
 やめてください」こうおっしゃったんです。

まわりを見ると、部屋には10人以上の人がいました。4人がけの
長机が4つあってイスは16人分なんですが、ところどころ空いていましたから。
私は前から2列目の右から2番めの席で・・・右隣りは中学生くらいの
ボサボサの髪の男の子、左は70代かなあ・・・上品そうなおばあさんでした。
他の席を見回すのは禁じられてなかったですから、後ろを向いて確認したんですが、
女の人・・・私のような主婦に見える人が多かったと思います。

講師の先生はそれだけ言って出ていかれ、あとは席に座ったまま無言で
過ごすんです。それで・・・不思議なことに夢の中なのに退屈なんですよ。
ふつうは夢の中の時間ってとびとびになってますよね、伸び縮みするというか。
ところがこの夢だと、何もしないでただ座ってる時間が長いんです。変ですよね。
あたりには荷物もないしパンフレット類なんかも置いてない。
自分の指を見たりしてただただ退屈な時間が続くんです。・・・2時間くらいに感じました。

それはものをしゃべりたかったですよ。
でも、言いつけを守らないと大変なことになるのも、なんとなくわかっていました。
そのうち最初の講師の先生がまた部屋に入ってきて、
「時間になりました。みなさんご苦労さんでした」こう言うんです。
するとすぐ目がさめるんですね。いつも決まった時間で朝の5時です。
私は毎日6時半に起きてますので、そこからたいがい2度寝をします。
2度寝したときは夢は見ないんです。見たとしてもぼんやりとした普通の夢・・・

この夢を3日おきに見ていました、正確に3日。これも日記につけてるんです。
だから全部で9回見ているわけです。体調ですか?・・・特に変化はなかったですねえ。
疲れやすいとか病気になるなどのことはありませんでした。
ただ目が覚めたときに「ああ、やっと終わった。退屈だった」と思うくらいです。
それで退屈のあまりに、夢の中のメンバーをずっと観察していました。
私を含めて18人いたはずです。

・・・さっき席が16といいましたが、日によってこない人がいるんです。
私は毎回出席していると思ってましたが、後で考えてみると
夢は3日ごとにしか見ていないので、私が夢を見ない夜も
会は開かれてるのかもしれないんです・・・変ですか、こう考えるのは?
だからのべにして18人。顔はぼんやりしてても、それぞれの特徴が
頭に入ってくるんです。ああ、この人は40代で私と同じように主婦をしている・・・とか。
あと服装はみな普段着で、ジャージとかの人もいました。

それと・・・その場にいる人の共通点がなんとなくわかったんです。
おそらく・・・ですが、この人たちは日中家にいる人たちなんじゃないかって。
隣の中学生の男の子は、不登校って気がしました・・・
おとといのことです。はじめて夢に変化が起きました。
そのときも退屈な時間を我慢していると、急に隣の男の子が立ち上がったんです。
「もうガマンできない。これっていつ終わるんだよ。なんでこんなとこに
 いなくちゃならないんだ。しゃべったっていいだろ。もうこんな夢見たくないよ!」

部屋の前のドアが開いて講師の先生が入ってこられました。白衣を着ていたと思います。
他にそれまで見たことのない白衣の人たちが何人かいました。
「実験の一段階目は終了しました。みなさんご苦労様でした。今日の朝6時です。
6時に◯◯公園のジョギングコース、スタート地点に集合してください、いいですね」
講師の先生がこう叫んでいる間に白衣の人たちが私の席に近づいてきて、
暴れる男の子を抱きかかえてドアの外に連れ出していきました。

目を覚ますと5時きっかりでした。いつものように夢の内容は
はっきり覚えていました。今日の6時に公園にいかなくちゃいけない、どうしても。
そのことが頭に強くありました。
夫も子どももまだ寝ていましたので、そっと起きだして着替えました。
◯◯公園というのは総合運動場で、林の中にジョギングコースがあります。
私の家からは歩いて20分くらいでしょうか。
コーヒーを沸かして頭をすっきりさせてから出かけました。

ジョギングコースに入ったのは6時に5分前、
ゆっくりスタート地点に向かうと人だかりがしていました。
ほとんどが夢の中で知っている人たちでした。パトカーと救急車がきていて、
ちょうど毛布をかけた担架が救急車に運び入れられるところでした。
6時になりました。夢の中の私以外の16人が集まってきているとわかりました。
その他に早朝ジョギングの人たち。

その中の一人が「かわいそうに首を吊ったんだって。中学生みたいよ」と、
誰にともなくつぶやきました。制服の警官が人だかりの前に出てきて、
「何でもないです。みなさんもうお帰りください」と言いました。その警官は
夢の中の講師の先生に似ている気がしました。あまり自信はありませんが・・・
夢の中のメンバーはまるで夢の続きとして禁じられているかのように、
一言も言葉をかわさず、そのままちりじりになって家に戻りました。

・・・それで、気になることが2つあるんです。
一つは、あのジョギングコースはふだんあの時間にあんなに人がいるとは
思えないので、警察が変に疑いを持ったんじゃないかということです。
もう一つは、今晩はあの夢を見る予定の日です。
今日も夢を見るのか・・・夢の中がどう変化しているのか・・・
何よりも私はあの男の子のように叫びだしたりしないだろうか・・・
気になってしかたがないんです。






ミーちゃんの話

2020.03.26 (Thu)
アーカイブ242

この住宅地に越してきてもう半年近くになります。
できるだけ早く地域になじもうと、
3歳の息子ともども行事には積極的に参加してきましたので、
今では友だちと呼べる親しいお母さん方も何人かできました。
その一人に、絵本の読み聞かせ会に誘われました。
なんでも日曜日の夕刻に、公民館にプロの劇団員の人がボランティアで来てくださり、
1時間ばかり2~4歳児を対象に紙芝居の読み聞かせをしてくれるということでした。
これはよい企画だと思い参加してみることにしました。

会は6時からでした。時間少し前に行ってみると、会場の公民館の図書スペースには
世話役のお母さん方と劇団員の人たちが集まって準備をしているところでした。
お誘いを受けたお母さんも娘さんを連れてもうみえていました。
劇団の人たちは若い人が多かったのですが年輩の方もおり、全部で8名でした。
この地域よりもっと大きな市を本拠地としているのだそうですが、
ここでやった公演で多数のお客さんがきてくれたので、
そのお礼をかねてのボランティアということだそうです。

他に知り合いのお母さんも何人かみえましたので、
立話などしていると開始時間になりました。
図書スペースの黒板を前にかなり大きな木製の紙芝居枠が組み立てられ、
その後ろに役者さんたちが入って台本を読むという本格的な形です。
お母さん方は十数人おられ、みな子どもをひざの上に抱いて
その前に並んで座りました。始まって、とても驚きました。
やはり役者さんだけあって声の張りがまったく違うのです。
しかも登場人物ごとに違う人が演じてくださるので、
幼児にも話がわかりやすいと思いました。

紙芝居の絵のほうは市販品を使っているようでしたが、
ふだんはあまり落ち着きがなく、じっとしていることの苦手な息子でも
すぐに興味を引きつけられ、身を乗り出すようにして見入っていました。
プログラムは5分ほどの短い話をいくつも並べた形で、男の子向けの
ダンプとショベルカーが出てくるものや、女の子向けのお菓子屋さんのお話、
昔話を現代風に書き直したものなど、内容が多彩で子どもたちを飽きさせませんでした。
子ども向けのお話のため、感情移入して読む部分はそう多くなかったのですが、
子どもたちの夢中になっている様子から劇団の実力がわかるような気がしました。

休憩を途中途中で入れながらプログラムは進み、最後の話になりました。
始まる前に、ひげをたくわえた年輩の劇団員の方が出てこられて、
この紙芝居はオリジナルで、絵も劇団の美術担当者が描いたということを説明されました。
たしかに既成のものとは違って、色が厚く塗られ立体感がありました。
しかし内容は難しくはなく、家の中で幼児が5人でかくれんぼをするというお話でした。
ターちゃんという男の子が鬼になり、残り4人の子を次々と見つけていきます。
メノンちゃんは空のバスタブの中で、キーちゃんは2階の押入で、
フミンちゃんはベッドの下で見つかりました。残りはミーちゃんという女の子だけです。
おそらく最後の絵がめくられたとき、急に会場の図書スペースが暗くなりました。

最初は演出かとも思いましたが、劇団の方もあわてている様子です。
暗いのにおびえて叫んだり、泣き出す子が出てきました。
パタタタッという足音も聞こえ、親の手を離れて走り回っている子もいるようでした。
・・・30秒ほどして電気がつき、世話役の方の一人が
「すみません、ブレーカーが落ちたようです」と説明されました。
この出来事で、最後の話はあいまいなまま終わってしまいましたが、
そこはさすがにプロの劇団員で、
子どもたちが参加できる簡単な体操をしてくれ、よい雰囲気で会は終わりました。
ただ、息子は電気が消えたときから口をぽかんと開けていて、
体操もやらず固まっていました。暗くなったショックが残っているのだろうかと思いました。

家に戻ると7時をまわっていて主人も帰ってきていました。
今日この会に行くことを話していたので気をきかせて弁当を買ってきてくれていました。
それを温めようとキッチンに入ると、息子がついてきました。
お弁当をレンジに入れようとしたら「ダメだよ!」と大声で叫びました。
「どうしてダメなの?」と聞くと、「ミーちゃんはレンジの中に
 かくれてるんだから、チンすると死んじゃう」と言うのです。
「まさかこの中にいくら小さい女の子でも入らないでしょ」と言うと、
「最後の絵に描いてあったもん。レンジの中からミーちゃんが外を見てた」
と涙声で叫びます。そういえばちらっと見えた最後の絵は台所の場面のようでしたが・・・
「でも、そうだとしてもお話の中の家のレンジで、うちのとは違うでしょ」
「ダメったらダメ!!」

声をききつけて主人がやってきたので、ざっと事情を説明すると、
「変な話だなあ」と笑いながら、息子を抱き上げてレンジの中を見せていました。
手を取って中をさわらせたりもしたので、息子も不承不承納得したようでした。
スープだけこしらえて温めたお弁当を食べましたが、
息子はせっかく買ってきた子ども用のをだいぶ残しました。
その夜のことです。ぼそぼそとした話声で目が覚めました。うちは私と主人が
それぞれ別のベッドで、息子は同じ部屋のベビーベッドで寝ているのですが、
声はそちらから聞こえてきますした。薄明かりの中で見ると、
ベビーベッドの上に息子が膝立ちになっていて、足元に黒い塊がありました。
息子はその頭をなでて何かをささややいているようでした。

「ごめんね、痛い?ごめんね、ごめんね」耳をすますと息子のこんな声が聞こえました。
そっとベッドから抜け出てベビーベッドの横に立ちました。
息子が気配に気づいてこちらを向き「ママ、ミーちゃんを病院に連れてって!」
と言いました。ベビーベッドの上の塊が、ゆっくりと起き上がりました。
顔・・・なのでしょうか。黒い厚紙をクシャクシャに丸めたようなものがそこにありました。
その一部がぱっくりと開き「アウア」と声を出しました。両方の目にあたる部分も開き、
そこからだらだらと液体がこぼれ出しました。私は絶叫しました。
・・・私が錯乱している声を聞いて主人が起き、明かりをつけました。
ベビーベッドには何もおらず、息子もきちんと布団をかけて眠っていました。

すべて夢だったのでしょうか・・・
この夜以来、私は精神が不安定になりしばらく病院に通いました。
電子レンジが使えなくなりました。
息子は、以前よりおとなしくなったような気はしますが、
それほど大きな変化は感じられませんでした。
息子が「ミーちゃん」という言葉を口にすることはなく、
1ヶ月ほど後、私のほうから「紙芝居のミーちゃんって覚えてる?」
とおそるおそる聞いてみました。
息子は何かを思い出すように目をしばたかせながら、
「ママのせいで死んじゃったよ」とぽつんと答えたんです。






グローバリズムの終焉?

2020.03.25 (Wed)
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今回はこういうお題でいきます。新型コロナウイルス関係の内容ですね。
ついさっき、今日の記事を書こうとヤフーの科学ニュースを見たんですが、
コロナ一色でした。まあ、東京オリンピックも延期と決まりましたし、
都知事が首都封鎖にも言及し、これはしかたないところかもしれません。

さて、何から書いていきましょうか。まずは防疫について。防疫とは、
疫病を予防し、またその侵入を防ぐことです。しかし、自分は日本への
侵入はどうやっても防げないと思います。1、2月には、春節もあり、
大勢の中国人観光客やビジネスマンが来てましたよね。あの段階で、
すでに日本人にも相当数の感染者が出てたと考えて不思議ないでしょう。

中国だけでなく、世界の各国から日本に人が来てますし、逆に
日本人も数多く海外に出ていっています。日本は島国で四方を海に囲まれ、
国境を接している国よりは有利かもしれませんが、それでも、
ウイルスの侵入を完全に防ぐのは現実的には無理な話です。

では、どうするのか。3月13日でしたか。日本と同じ島国である
イギリスのジョンソン首相が、対コロナウイルス「集団免疫」戦略を
演説で発表し、学校の休校はしないと述べました。
これで世界に衝撃が走りましたね。この集団免疫って何なんでしょうか。
こっからは数字が出てきますが、難しくはありません。

新型コロナウイルスのイメージ
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ある疫病(感染症)にかかった人が1人いるとします。
その人が、まったく免疫等を持たない人々の中に入っていくと、何人に
感染させてしまうのか。この数を基本再生産数(basic reproduction
number)と言います。ここからは、R0と表していきます。
R0は、その感染症の種類によって個々に違います。

少し調べてみましたら、最も高いのが麻疹で12~17。
日本でよく知られているものでは、風疹が5~7、百日咳が5.5、
インフルエンザ(スペイン風邪)が2~3、エボラ出血熱が1.5~2.5。
この数字が大きいほど、感染力が強いというのはおわかりだと思います。
インフルエンザって、案外たいしたことはないんですね。

一般的に、R0<1、つまり1人の感染者が1人未満にしかうつさない場合、
その感染症は自然に収束していくと考えられます。また、R0≒1の場合は、
患者が一定数いて、増えも減りもしないということになります。
この新型コロナウイルスの場合、R0はどのくらいかというと、
まだはっきりとはわかりませんが、2~3と予測されています。

イギリスのジョンソン首相
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つまり、1人の感染者が2~3人にうつしてしまう。では、R0を下げる
にはどうすればいいかというと、ワクチンで免疫をつけるのが最も
いいのは当然ですが、現状、ワクチンは完成していません。治験等が
ありますので、できるとしても最短1年はかかるんじゃないでしょうか。

次に、感染して治った場合に免疫ができるので、それに期待する。
ですから、ジョンソン首相は学校を休校にせず、施設等の閉鎖も行わないと、
当初は言っていたわけです。さて、R0<1 をエンデミック(endemic)
と言い、e の記号で表します。疫病が自然に収束していく状態。

これに達するには (1–e)R0<1、式を変形して e>1-(1/R0)
ここで仮にR0を3とすると、右辺は0.67ということになります。
難しいでしょうか。国民の3分の2にあたる67%が感染し、
免疫を獲得すれば、エンデミックに至るというわけです。

猖獗するイタリア
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さて、ここで、新型コロナウイルスは無症状、軽症の人が全体の80%、
20%が重篤になり、2~3%が死亡するとします。死亡するのは
主に高齢者か基礎疾患のある人です。イギリスの人口は6600万人で
日本の半分ほど。その67%の4400万人が感染する。さらに
2%が88万人、3%で120万人を超えることになります。

集団免疫戦略では、それだけの人数が死亡するという試算なんです。
これを発表した後、非難轟々になりましたよね。国民に、年寄り、弱者
切り捨て政策と思われるのは当然です。ジョンソン首相をバットマンの
ジョーカーになぞらえた似顔絵なども登場し、さすがに方向転換せざるを
えなかったようです。社会隔離策にシフトしたようにみえます。

イギリスはインフルエンザのワクチン接種で成功しており、
最初にこの方針が出てきたのだと思いますが、やはり国民感情として
納得できなかった。ただ・・・自分が思うに、現状では、
新型コロナウイルスの治療法はありません。呼吸の確保などの
対処療法をしながら、自己免疫で治癒するのを待つしかない。

ですから、国によってとる政策の違いはあっても、ワクチン完成までは、
パニックにならないよう少しずつ国民を感染させ、集団免疫をつけていくしか
方策がないのではないかとも思うんです。怖い話ですが、それ以外の手立ては
難しい。最初に書いたように、国外から入ってくるウイルスを完全に防ぐのは
不可能だし、経済が死ぬので、ずっと鎖国しているわけにはいきせん。

グローバリズムのイメージ
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さてさて、グローバリズムという言葉が言われて久しく、
地球を一つの共同体と見なして、世界の一体化(グローバリゼーション)
を進めるという思想ですが、実体は、主に経済面ですよね。
自由貿易および市場主義経済を全地球上に拡大させるという形が
とられてきました。ですが、今回のような騒ぎが起きて、

グローバリズムはほんとうに正しいのか? という疑問を持ちます。
一例ですが、2月の日本の中国からの輸入は半分程度まで落ちています。
このまま世界で人、物、金が動かない状態が続けば、いずれスーパーの棚から
商品がなくなり、日本の企業もどこにも輸出ができず工場を止めるしかない。
みなさんは、どう考えられますでしょうか。では、今回はこのへんで。





道教の女神について

2020.03.24 (Tue)
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今回はこういうお題でいきます。カテゴリはオカルト論です。
さて、道教は中国の土着的な民間信仰という性格が強く、
きわめて雑多なものが混じり合っています。もともと中国に
古くからある神仙思想が土台になり、後漢末に太平道や
五斗米道が教団化しました。

教義には老荘思想や陰陽五行説が取り入れられています。
道教を一口で定義するのが難しいのは、上に書いたように、
あまりにも多くのものがごった煮のようになっているからで、
これは中国の国土が広大なせいが大きいでしょう。

さて、道教の神々をみていくと、日本の神道に近いものがあります。
まず天地創造の神々、元始天王(盤古)などですね。
黄河の神である河伯などの自然神がいるところも似ています。
それから古い時代の伝説的な帝王、神農や黄帝など。日本でも、
神武天皇などは神なのか人なのか、その境目に立つような人物です。

岳飛
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さらに、歴史上の有名人が神として祀られたもの。三国時代の
英雄であった関羽、南宋時代の悲運の将軍、岳飛など。
日本だとやはり、菅原道真、徳川家康、天智天皇など、
実在の人物が神となって神社が建てられていますよね。

道教と日本神道で最も違うのが、修行をして羽化登仙、
つまり仙人になったとされる人物も神となっていることです。
これは紀元前から近代まで、中国の歴史上の各時代にわたって存在し、
有名どころでは、赤松子(上古)、鍾離権(漢)、呂洞賓(唐)、
曹国舅(北宋)・・・と枚挙にいとまがありません。

女媧と伏羲


まさに神仙という言葉どおり、神と仙人が入り混じってるんです。
で、女神(じょしん)ですが、日本神道でも、天照大神、木花咲耶姫、
神功皇后など、それなりにいるものの、男神に比べて数は多くありません。
中国も同じで、女神の数自体は少ないですが、重要な地位について
いるものもいます。ここからはそれらを簡単にご紹介していきましょう。

女媧(じょか)天地創造神の一人で、伏羲(ふっき)と
兄妹または夫婦とされます。人間の上半身、蛇の下半身を持って
描かれることが多いですね。女媧の最大の功績は、
この世界に人間を創り出したこと。面白いのは、
後漢時代の古書に、最初のうちは黄土をこねて丁寧に創ったので

高貴な人間が生まれ、だんだん面倒になって縄で泥を跳ね上げたら
凡庸な人間が生まれたと記されていることです。
また、女媧は天地が壊れかかったときに自ら天を支え、破れた個所を
五色の石を錬って補修(錬石補天)したとされます。

西王母
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西王母(せいおうぼ)崑崙山に住んでいる女仙で、東海の蓬莱山に
いる東王父と対になる存在です。神々の不老不死を司り、
3月3日の誕生日に蟠桃会という宴会を開き、そこで出される桃を
食べると不老不死になるんですが、招待されなかったのを
怒った孫悟空が乱入して桃を食べてしまいます。

で、この西王母、もしかしたら日本の邪馬台国問題を解く一つの
ヒントになるかもしれないんです。三角縁神獣鏡という
古墳時代前期を中心に列島各地から出土する鏡がありますが、
伝説上の神獣とともに、東王父、西王母の姿が鋳出されています。

三角縁神獣鏡の西王母 もしかして卑弥呼がモデル?
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この鏡を、邪馬台国の女王卑弥呼が魏の明帝からもらった
銅鏡100枚にあてる説があるんですが、この議論は畿内説、
九州説にわかれて紛糾しています。また、東王父と西王母は、
卑弥呼と、その言葉を民衆に伝えた男弟を象徴しているのでは
ないかとする意見もあります。

嫦娥(じょうが)もとは天界の仙女だったのが、地上に下りた際、
不死でなくなったため、夫が西王母からもらい受けた不死の薬を
盗んで飲み、月宮に逃げ、蟾蜍(ヒキガエル)になったという伝説
(嫦娥奔月)があります。中国でも月にウサギがいるという
話はありますが、それとともにカエルもいるんですね。

嫦娥
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媽祖(まそ)福建省、広東省などの海沿いの地域で信仰の厚い
女神です。宋代、官吏に娘が生まれましたが、生まれつき口がきけず
黙(もう)と呼ばれます。16歳の頃に神通力を得て村人の病を
治すなどの奇跡を起こし、また、夜中に海岸に灯をともして
人々を海難から助けました。

どれだけ人に勧められても結婚せず、親の家で暮らしていましたが、
28歳の時に父が海難に遭い行方不明になると、悲嘆した黙は旅立ち、
その後、峨嵋山の山頂で仙人に誘われ神となったという伝承が
伝わっています。航海、漁業の神とされます。

媽祖
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白娘子(はくじょうし)中国の四大民話伝説『白蛇伝』に登場する
白蛇の化身した美女で、人間の青年と結婚しますが、金山寺の和尚、
法海がそれに気づき、仲を裂こうとします。この後、波乱万丈の
物語が展開されますが、紹介する字数がありません。この話をもとに、
上田秋成が『雨月物語』の中の一編「蛇性の婬」を書いています。

さてさて、ということで、5人の女神しか紹介することが
できませんでした。前半をもう少しはしょればよかったんですが、
また書く機会もあると思います。漫画の『封神演義』などのせいか、
最近、道教への関心が高まってるんですね。では、今回はこのへんで。

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古墳の発掘の話

2020.03.24 (Tue)
bigbossmanです。1週間ほど前、自分が大学のときに卒論を指導して
いただいた先生の退官記念パーティーに出席しました。
といっても、自分が卒業した大学の主催ではありません。
先生は定年退官後、別の大学に名誉教授として招かれ、
そこで74歳まで教鞭を取られてたんですね。すごいことだなあと
思います。自分は大学では史学、中でも考古学を専攻したため、
そのパーティは考古学関係の大先生が大勢来ておられ、
自分が占い師をやってることを知っている先生方が多かったので、
冷やかされることしきりでした。ま、他にそんな人はいませんからねえ。
当時の同期や先輩後輩の中には、このブログのことを知っていて、
読んでくださっている方もそれなりにいました。

で、2次会の途中で先生が帰られることになったので、若輩者の
自分ともう一人がタクシーでお送りすることになりまして、
その車内で先生は、「bigbossman君、君、オカルトのブログをやって
 るんだってんねえ」とおっしゃられ、大変恐縮しました。先生は続けて、
「いや、そういう弟子がいるのも面白いよ。私もね、長年発掘調査を
 やってるから、不可思議なことはいくつか体験しているから」
「あ、よろしければお聞かせください」ということで、
2日後に先生のお宅に伺い、聞かせていただいたのが以下の話です。
先生のご自宅は神戸のほうにあり、質素と言えるたたずまいでした。
「あれはね、私がまだ学生の頃、3年生だったな、大学が主催する
 発掘調査に下働きとして同行したときの話だよ」

現在の発掘調査は、ほとんどが地方自治体の教育委員会が主管して
いますが、昔は大学が主体となって行うことも多かったんです。
「滋賀県の前方後円墳、琵琶湖東岸の〇〇古墳ね。当時は、年代は4世紀
 半ば以降と見られてたが、最近は3世紀後半まで早まってる」
こう言われれば、さすがにどの古墳のことかはわかります。
「ははあ、このところ大和と近江の関係の重要性が強く言われるように
 なってきてますよね」 「そう。その発掘は表土をはがすとこまで
 終わって、作業員さんたちの手作業に入ったとこでね」
ここで少し説明させていただくと、古墳の発掘の場合、盛土に木が
生えていたら、伐採して根を掘り起こし、表面の土を一定の深さまで
削ります。それは委託された建築会社が重機を使ってやるんです。

そこで測量をやり直し、作業員さんたちがスコップを使って手作業で
掘り進めていく。作業員は、近辺の主婦の方などのアルバイトが
多いですね。「で?」 「私と同期の仲間数名で、出てきた土器片
 などを洗浄し、スケッチし、番号をつけて整理分類してた」
「そのあたりは今と変わりませんね」古墳の発掘というと、
映画のインディ・ジョーンズを連想される方もいるかもしれませんが、
実際はきわめて地味な作業の積み重ねでなんす。「で?」
「当時は今と違って、夜間は警備保障なんかは頼まず、学生が
 仮設テントに泊まり込んでたんだ」 「ああ、なるほど」
「3人グループで交代してテントに泊まるんだが、発掘中の古墳を
 荒らしにくる者なんていない。だから、お酒を持ち込んでて、

 皆で飲んでから寝たんだよ」 「はい」 「そのときに夢を見た。
 これがなんとも恐ろしいものでね。気がついたら夜の古墳の上に
 いたんだが、体が動かない。正確には、手は動くが足がダメだった。
 真っ暗でわからないが、腰のあたりまで土に埋まってるんだと思った」
「夢の中なのに真っ暗ってことですか」 「そうだ。手で探ると、
 すぐに土にさわる。あと、体には薄いザラザラした布を着てる
 ようだったな」 「で?」 「とにかく寒いんだよ。それとだんだん
 心細くなってきた。夢とはわからないから、何で自分がこんな状態に
 なってるか思いもつかない」 「はい」 「そのうちに、動物の
 鳴き声が聞こえてきてね。ワオーンという遠吠え。それが重なって、
 たくさんの数がいるとわかる」 「野犬ですか」 

「そのときはそう思ったが、今から考えると狼だったのかもしれない」
「で?」 「そいつらがだんだん近づいてきて、タッタッという足音や、
 ハーハーいう息づかいが聞こえる。どうも円を描くように私の
 まわりを回ってるみたいなんだ。その円がだんだんせばまって、
 獣臭さがしてきた。もう、すぐそこまで来てる」 「怖いですね」
「息がかかるほどの近くにいる。これはダメだ、喰われるのか、
 そう思ったときに、ギャーという悲鳴が聞こえて目が覚めたんだ」
「それは先生の悲鳴じゃないんですね」 「ああ、テントに寝てた
 3人が同時に立ち上がり、私がカンテラをつけた。悲鳴を上げたのは
 仲間の一人だったんだな。それで、毛布をかけて寝てたんだが、
 3人とも腰から下が土まみれになってたんだよ」

「うーん、それで?」 「体には特にケガしたようなとこはなかったから、   
 3人で話をしたら、驚いたことに他の2人も私と同じ夢を
 見ていたんだよ。下半身を土に埋められて、周囲を動物に囲まれてる夢。
 どういうことなのかは誰もわからなかった。ただ、体についてるのは
 古墳の土とよく似てたな」 「不思議な話ですねえ。先生のグループの
 前後にも学生が泊まってたわけでしょ。その人たちは夢は見なかったんですか」
「私たちだけみたいだった」 「どうしてなんでしょうか」
「その翌日の発掘作業で、前方部に穴の跡が3つ見つかったんだよ。
 穴があったかどうかは、中の土の色が違っているのでわかるだろう」
「はい」 「穴は3つとも人の下半身が入れるほどの深さで、当時の見解では、
 古墳造営のときに出たゴミを埋めた穴じゃないかってことになった」

「うーん」 「ただ、私たち3人は、そこに人が埋められてたんじゃないかって
 考えたけどね」 「それ、おっしゃらなかったんですか」 「偉い先生方の前で
 夢の話はできないよ。今とは違って師弟関係が厳しかったし」
「惜しかったですね。現在の技術なら、残存脂肪酸なんかを測定して、
 人が埋まってたことを証明できたかもしれません」 「うん・・・
 その後も何度か宿泊したが、もう夢を見ることはなかったな。それで、
 〇〇古墳が特異な遺跡なのは知ってるだろう」 「はい、石槨と舟形木棺が
 見つかったものの、副葬品は一切なしで、おそらく木棺にも人は入って
 なかった」 「そう、よく覚えてたな。寿陵(生前にあらかじめ作っておく墓)
 だったのが、何かの理由で使われなかったとしても、上部を塞いでしまって
 るのは不自然だ」 「はい」 「そのあたりのことは今もわからないままだな」

「まだ続きがあるんですよね」 「ああ。当時ね、私はすでに女房と
 同棲してたんだ。4年のときに学生結婚したが。それで、発掘が一段落して
 部屋に戻ったとき、女房が、変なことを言い出したんだよ」 「なんと?」
「私の足が光ってるって。蛍光塗料を塗ったようとも、クラゲみたいに
 内部から光が出てるようにも見えるって。でも、私にはそれは見えなかった」
「はい」 「ただね、女房の言うことは信じたよ。女房はほら、京都のある
 神社の生まれだったろう」 「そうでした」 「だから、ときどき不思議な
 ことを言うけど、まず外れることはなかった」 「で?」
「お祓いを受けたほうがいいってことで、女房の実家に行ってわけを話したら、
 それだけでは足りないだろうって言われて、京都の山中で禊をした。
 胸まで滝壺に浸かることを何度かくり返したら、光は消えたみたいだった」

「うーん、解釈が難しい話ですね。後日談などはありますか」
「それが、嫌なのがあるんだ」 「ぜひお聞かせください」
「私と同じ夢を見た同期の仲間2人な。その2人にはお祓いの声は
 かけなかったんだよ。当時はそこまで気が回らなかった。で、卒業後、
 一人は有名なゼネコンに入って、工事で遺跡が出てきた場合の担当になった」
「ああ」 「で、3年後、立ち会っていた工事で重機の事故が起き、
 下半身不随になったんだよ」 「う」 「もう一人は、社教主事の資格を
 取って、ある県の教育委員会に勤めたんだが、5年後だったか、
 やはり発掘中の事故で下半身不随、2人ともケガから数年後、失意のうちに
 亡くなってる」 「うう」 「このことがあってね、私は古いものに
 対する畏れを持ち、慎重に行動するようになったんだよ」

キャプチャ
 




アーカイブ 20秒の話

2020.03.23 (Mon)
3日前の夜の9時過ぎです。ファッション雑誌の編集の仕事をしているんですが、
その日は軽く残業をして帰宅したんです。電車に乗り、いつもの駅で降りました。
そこから私のマンションまでは、歩いて10分少しです。
小雨が降っていたので傘をさし、広めの通りに出たとき、
50mほど前でテイッシュを配ってる宗教団体らしき人が見えました。
それとちょうど信号が青だったので、道の反対側に渡ったんです。
いつもはこちら側は朝しか通らないんですが、
どうせどこかで道路を横断するのに違いはありません。
しばらく行くと、「開運」と大きな看板のあるハンコ屋さんの前に、
易者さんが出ていました。

毎日ではないですが、よく見かける人です。
たぶんそこのお店をやっているご主人なんだと思います。
その店の前を覆っている庇の下に見台を置いてましたから。
お店の宣伝を兼ねてやってるのかもしれません。
夜8時過ぎでないと出てませんし。60過ぎくらいでしょうか、
宗匠帽?の下の顔は、昔テレビで見た、ムツゴロウさんという
動物好きの作家によく似ているんです。
足下に目を落として通り過ぎようとしたとき、
「あの・・・ちょっと待ってください」と、その人から声をかけられました。
「あ、はい」つい返事をして立ち止まってしまいました。

「えー、ちょっとお時間いいですか?」こう聞かれたので、
「すみません、急いでますから」と答えて過ぎ去ろうとしました。
「待って、見料とかいただこうと思ってませんし、20秒だけでいいんです。
 迷ったんですが、引きとめてしまいました」
「あ、でも・・・」
「ほら、こうしてる間に10秒たつところですよ。
 いやこれね、営業でもなんでもないんです。あなたが心配に思えたもので」
「それ、どういうことでしょうか?」
「はっきりは言えません、言うと結果が変わってしまうかもしれないし・・・
 それにね、もう20秒たちました。ご苦労様、お気をつけて」

何がなんだかわかりませんでしたが、毎日私がこの道を通っているのを見て、
お客として取り込もうとしているのかもしれないとも思いました。
「ああ、こちら側を通ったのは失敗だったか」という考えが
頭をかすめましたが、ただ軽く礼をして歩き出しました。
すると背中から「・・・お花、あげてやってあげてくださいね」と、
声をかけられたんです。こう言ってはなんですが、
おかしい人なのかなと思ったりもしたんですよ。
一つ角を曲がると、マンションのある通りに出ました。
このあたりは、敷地面積がせまく高さのある同じようなマンションが、
ずらっと立ち並んだところなんです。

傘をすぼめながらマンションに入りました。エントランスに管理人室があり、
夜間は警備員さんが終夜常駐しています。
ちょうど顔見知りの警備員さんが、ハンカチで手を拭きながら
エレベーターホールのほうから戻ってきたところでした。
「お疲れさまです」とあいさつをし、エレベーターで部屋へと向かいました。
その日は少しネットで調べものをし、発泡酒を飲んで寝ました。
朝方・・・パトカーのサイレンで目が覚めました。
時計を見るとまだ5時台でした。何かと思い、部屋のある階のホールに出ると、
私のところを入れて4つある部屋のうちの、
2部屋の住人の方が同じように出てきました。

連れだって下に降りてみました。エントランスには住人の方が
たくさん出ていましたので、何が起きたのか聞きました。
はっきりしたことがわかる方はいないようでしたが、
火事ではなく、事件があったらしい様子でした。
外に出ようかと思いましたが、警備員さんが入り口で、
「特に用事のない方は出ないでください。もう少し明るくなるまで待ってください」
と言ってるのが聞こえたのでやめにしました。
やがて出勤時間がせまった人たちは部屋へと戻り、
人の騒ぐ声が多くなってきたようなので外へ出てみました。
私のマンションからすぐ先の路上にパトカーが何台も停まり、
警官が出て、野次馬らしき人を押し戻していました。
何が起きたのかを近くにいた人に聞いてみましたが、
憶測ばかりでらちがあきませんでした。

私は出勤の時間が遅いので、部屋に戻ってテレビをつけてみましたが、
全国ニュースではなにもわかりませんでした。
ネットで私のマンションのある街の名と「事件」という言葉で検索してみると、
いくつもアップされている記事が見つかりました。
殺人事件でした。私のところから3つ離れたマンションのエレベーターの中で、
若い女性が刺殺されたんです。
そこのセキュリティがどうなっていたのかわかりませんが、
一緒に乗り込んだ犯人によって胸や腹を何度も刺されたとありました。
犯人は血まみれの包丁を持って呆然と立っているところを、
住人に見つかって通報され、すでに逮捕されていました。

はっきりしたことはわかってないようでしたが、
時間はちょうど私が帰ってきた頃で、その女性とは面識のない、
通り魔的な犯行の可能性が高いと書いてありました・・・
それで昨日です。会社の帰りに花を買いました。
そのマンションには入れないでしょうが、玄関前にお供えしようと思ったんです。
駅からの道を通っていると、あの開運ハンコ屋の前に易者さんが立っていました。
私が通るのを待っていたように、見台の前に出ていたんです。
そして私が手に花束を持っているのがわかったんでしょう。
ちょっと厳しい顔をして「うんうん」という感じでうなずきました。
それを見て私は道路を隔てた反対側の歩道え立ち止まり、
深々と頭を下げたんです。ええ、このあと、店まで行って
きちんとお礼をしてこようと思っています。








「聖アントニウスの火」

2020.03.23 (Mon)
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今回はこのお題でいきます。けっこうオカルトに関係がある内容です。
カテゴリは「怖い世界史」に入るでしょうか。
さて、まず、聖アントニウスとは何者かについてお話します。
「聖」とあるとおり、アントニウスはキリスト教初期のころの聖人です。
3世紀のエジプトに生まれ、修道士生活の創始者とされています。

聖アントニウス


ただ、その生涯は伝説に彩られていて、どこまでが実際のところなのか
よくわかってないんですね。裕福な両親のもとに、
キリスト教徒として生まれたものの、20歳になったころに両親が次々に亡くなり、
アントニウスは全財産を貧しい者に分け与え、砂漠に入って苦行生活を始めます。

そして、ときおり町に戻っては、辻で説教をする。その言葉に共感した者たちが
弟子となり、砂漠に生活する家を建てて共同生活を始める。
これが、最初の修道院であるとされます。
そして、このアントニウスの行動を悪魔が眼にとめます。

悪魔は、アントニウスの覚悟をためそうと、美しい女に姿を変えて誘惑しますが、
アントニウスは禁欲の誓いをもって、これをはねつけます。
次に、悪魔の一団がアントニウスを襲い、病気などのあらゆる苦しみを与えて、
神を捨てるように迫ります。しかし、アントニウスはこれも退けます。

このときの様子が、宗教画のテーマとして画家たちの興味をひき、
「聖アントニウスの誘惑」の題で、ヒエロニムス・ボス、グリューネヴァルト、
デューラー、ブリューゲル、サルバドール・ダリなどの画家が描いています。
下は、ヨースト・ファン・カースベーク のものです。

「聖アントニウスの誘惑」


さて、ここまでが基礎知識なんですが、では「聖アントニウスの火(業火)」
とは何かというと、中世ヨーロッパに存在した病気のことです。
これは伝染病ではなく、小麦に寄生した麦角(ばっかく)菌を
食べてしまうことによって起こります。
麦角菌は毒性のあるアルカロイドをつくり出すんですね。

症状はかなりきつく、痙攣性の発作に襲われたり、呼吸困難や、
手足の末端に焼けつくような痛みがあります。この段階で、
幻覚を見るとも言われます。やがて症状が進むと、
手足の先端から壊死が始まり、四肢がくずれ落ちていきます。

この病人の様子が、悪魔に苦しめられている聖アントニウスと重なり、
「聖アントニウスの火」がこの病気の名前となったわけです。
医学知識の乏しかった当時は、この病気は伝染病と誤解されました。
原因が麦角アルカロイド中毒にあると判明したのは17世紀のことです。

麦角菌(黒変部分)


で、この病気にかかった者は、聖アントニウスを信仰し、
その遺物にふれると治ると言い伝えられました。
フランス北部のストラスブールにある、聖アントニウスゆかりの修道院には、
この病気にかかった者たちが、たくさん巡礼に訪れました。

そして、その旅の途中で治ってしまうことが多かったんです。これは、
当時は奇跡とも考えられていましたが、現代の目から見れば、
なんのことはない、故郷を離れることによって、
麦角菌におかされた食物(主に粉に挽かれた小麦)を
口に入れることがなくなり、中毒が治まるからです。

「聖アントニウスの火」にかかった人物
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ちなみに、日本では麦角菌を原因とした病気はほとんど見つかっていません。
これは、麦角菌が稲には寄生しないからですが、太平洋戦争中の食糧難時代、
岩手県で、笹の実を食べた妊婦が次々に流産するという事件が起こり、
麦角菌によるものではないかと疑われています。

さてさて、「聖アントニウスの火」は、魔女と深い関係があります。
こっからオカルトの内容になりますので、ご注意ください。
まず、麦角菌アルカロイドは、魔女によって堕胎の薬として使われた
という話があります。ご存知のように、キリスト教では堕胎を禁じています。

そこで、子どもを生むことができない妊婦は、森のなかに住む魔女のところを
訪ね、麦角菌を処方してもらって、子どもを堕ろすわけです。
さらに、麦角菌アルカロイドの幻覚作用は、魔女の宴であるサバトのときに
利用されていたのではないか、という話もあります。

アメリカの開拓時代である1692年、マサチューセッツ州セイラム村において、
200名近い村人が魔女として告発され、19名が処刑、
1名が拷問中に死亡、2人の乳児を含む5名が獄死しています。
この事件を「セイラム魔女裁判」と言います。

「セイラム魔女裁判」


きっかけは、牧師の娘が、友人らとともに親に隠れて降霊会に参加している最中、
急に暴れだしたことからです。この状態は、降霊会に出席した少女たちに、
次々に伝染。そして悪魔憑きと診断されて、騒ぎがどんどん拡大していきました。
この原因が、麦角アルカロイド中毒によるのではないか、という説があるんですね。

ただし、現代の日本でも、コックリさんを行った少女らが、
次々に錯乱して倒れたという話もあり、集団ヒステリーによるものと見ることが
できます。根拠はありませんが、どっちかと言えば、
このほうが正しいんじゃないかと自分は考えます。では、今回はこのへんで。

関連記事 『ココリツトリって何?』

「聖アントニウスの誘惑」 サルバドール・ダリ







ワイドショーとは何か

2020.03.22 (Sun)


今回はこういうお題でいきます。ふだんは、当ブログでは政治、
経済、社会の話題は取り上げないようにしてるんですが、
今回のコロナウイルス騒ぎにおける民放各社のワイドショーの
番組内容があまりに惨状を呈してるので、一言書いておきたいと
思いました。スルーされたほうがいいかもしれません。

まず、ワイドショーとは何か。長時間枠の中で、ニュースや
芸能情報など幅広く情報を紹介する番組のことですね。
報道番組ではない、かといってバラエティとまでもいかない、
まさにショー(見世物)なんです。
こっからは箇条書きでいったほうがいいかな。

・ワイドショーは視聴率至上主義である。
まあ、ワイドショーにかぎらず民放のすべての番組がそうですが。
スポンサーからお金をもらって番組を制作し放送する。
ですから、どうしても視聴率が見込めるような煽り中心の番組内容に
なります。また、ワイドショーは民放各社にあり競争が激しい。
落ち着いた番組内容など、最初から作れないんです。

・ワイドショーにはスポンサータブーがある。
上記したことと深い関係にありますが、ワイドショーでは番組の
スポンサー企業や団体を批判することは絶対にできません。
それは自分の首を自分で絞めるようなもんです。

例えば、製薬会社がスポンサーについていた場合、
その企業の薬害問題を取り上げることは不可能です。そういう意味では、
大きな制約を背負った番組づくりになっているわけです。
まあこれは、新聞なんかもそうなんですけどね。

・ワイドショーには報道しない自由がある。
上2つのまとめのようなものです。ワイドショーで取り上げる内容は、
スポンサータブーに引っかからず、なおかつ視聴率が見込めるものに
かぎられます。そして、煽るためには一方的に攻め立てたほうが
いいので、反対意見が報道されることはほとんどありません。

・ワイドショーの内容は浅く、舌足らずである。
ワイドショーにはコメンテーターと称する人たちが出てきますが、
多くの場合、その発言は30秒以内になっています。
テレビという媒体の性格上、それ以上の深い話をしても
視聴者の興味が続かないんですね。
また、番組製作にかける時間も短いものです。

・ワイドショーは視聴者の層に合わせた番組作りをしている。
ふだん会社勤めをしている人がワイドショーを見ることはまずない
ですよね。その時間帯に見ている視聴者層は限定されているので、
その人たちが興味を持つような番組づくりをしていますし、
こう言ってはなんですが、その層のレベルに合わせているわけです。

・ワイドショーのコメンテーターは放言をする。
これ、重要な部分なんですが、コメンテーターの発言はあくまで個人の
ものというスタンスで、番組側が責任を負うことはまずありません。
もちろん、番組全体でやらせなどを行った場合は、視聴者からの
苦情を受けて番組全体としてペナルティを受け、なくなったりしますが、

そういうことは稀です。そして、コメンテーターも自分の発言に
責任を持つことはありません。たとえ間違ったことを言ったとしても、
差別発言などは別として、その責任を取って番組を降りたり、
所属団体を辞めたり、謝罪したりすることもありませんよね。
無責任な放言、放談だと思って自分は見ています。

昔から、公を批判する場合には、大きな覚悟が必要でした。
武士であれば、陰腹を切ってから諫言をしたものです。
しかし、ワイドショーのコメンテーターにはそんな気概は見られません。
顔は出していますが、体は塀の陰で石を投げてるのと同んなじですよ。

・コメンテーターは基本的に専門家ではない。
ワイドショーではさまざまな問題を取り上げますが、それに対して
コメンテーターは素人である場合がほとんど。素人が、底浅い意見を
短い時間内で言う。それだけのものです。ただ、自分は
ワイドショーなんかなくなればいい、とまで言うつもりはありません。
猿回しの猿を見るのは面白いですよね。

・コロナ問題について
コロナ問題は、前も書きましたがかなりの長期戦になりそうです。
ここで重要なのは、人命を含めた社会的損失を最小限に収める
ことだと思います。コロナウイルスによる死はできるかぎり防がなくては
なりません。それは当然なんですが、それで医療体制が崩壊し

日々病院に運ばれてくる心疾患や脳疾患、交通事故の患者などに
影響を与えるのもよくない。日本で1日に癌で亡くなる人の数は
1000人で、コロナ死者の数十倍です。それ以外の入院患者も
多数います。コロナは収束させなければなりませんが、そのために
トータルデスが増えてしまっては意味がないんですね。

また、今回のコロナ騒ぎで株価、為替が大きく変動し、サービス業、
小売業、各種興行なども大きな打撃を受けています。それに、
子どもたちが勉強できないでいるのも社会的損失ですよね。
コロナだけに注力して、社会全体が長期間沈滞し自殺者が増えた、
ではダメなんです。ですから、日本政府は微妙な舵取りを
していかなければなりません。

そのため、疫学の専門家、医療行政や法律の専門家、社会学者、
経済学者などが知恵を結集し、より社会的な損失が少なくなる
方向を目指していく必要があります。これはきわめて難しく、
各方面に犠牲を出しながらも、それがトータルで最小限になるよう
注意深く進めていかなくてならない。

あえて言わせてもらいますが、ワイドショーごときが、
耳障りのいい、かつ扇情的な言葉で簡単に論ずることができるものでは
ありません。ということで、ワイドショーとコロナ問題に
ついての自分の考えは以上です。では、今回はこのへんで。




やつの墓を探せ!

2020.03.22 (Sun)
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ギリシアにあるマケドニア王家の墓

今回はこういうお第でいきます。考古学、世界史に関連した内容で、
カテゴリは怖い世界史に入れておきます。日本では、歴史の謎の一つに
邪馬台国問題というのがありますよね。『三国志』に記された
邪馬台国はどこにあったか。

ひところは書店に専門コーナーができるほど、プロの学者、アマチュアを
問わず、多くの本が出版された時期もありましたが、今は下火に
なりました。それでも、所在地論争は、主に九州と近畿地方に分かれて
現在も続いています。で、邪馬台国の女王卑弥呼、あるいはその後継の
台与の墓が見つかれば、論争に決着がつく可能性が高い。

奈良、纒向遺跡の箸墓古墳 卑弥呼の墓の可能性も
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ただ、日本の場合、手あたりしだいに発掘することはできません。
最も大きな問題は、宮内庁により陵墓指定されている古墳は
調査許可が下りないこと。その他にも、文化財保護法によって、
民間による発掘は難しいことなどがあげられます。ですから、計画的な
発掘を行うのは地方自治体になりますが、どこも予算がありません。

これはしかたがないことで、歴史の学問的な興味を、現在生きている
人の生活に優先させることはできないんですね。さて、
このように、所在が不明で、捜索、発掘が期待されている墓
というのは世界史にもいろいろあります。

この下にアーサー王の棺があるとされますが、眉唾です
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そうですね、順不同にあげていきましょうか。まずはイギリス、
「アーサー王の墓」、ただこれ、根本にアーサー王が実在の人物か
どうかという問題があります。伝説の域を出ないんですね。
アーサー王のモデルがもしいるなら、5世紀後半から6世紀初めの
ブリトン人ですが、王ではなく軍の司令程度の人物だという説もあります。

アーサー王伝説は中世になって、王妃や宮廷魔術師、名剣エクスカリバー、
円卓の騎士、聖杯探索などの尾ひれがついて有名になりましたが、
実際はイギリスにキリスト教が入ってくる以前の人物で、それらは
全部作り話です。ですから、アーサー王が亡くなったとされる
アバロン(ケルト語でリンゴ)島についても、きわめて怪しいんです。

映画『ダ・ヴィンチ・コード』
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どんどん行きましょう。「イエス・キリストの墓」世界のクリスチャンに
よってさまざまな議論が行われ、いちおう3つの候補地があります。
これについては過去記事で詳しく書いたので、興味のある方は
参照されてください。ただ、もし『新約聖書』の記述が真実だとすれば、
キリストは復活し昇天したので、そこに遺骸はないことになります。

関連記事 『キリストの墓+3』

一方、キリストの昇天はあくまで神話であるとみる(まあ常識的ですよね)
立場からは、キリストの墓は庶民的なもので、そこには妻や子の
遺骸もあるのではないかという話があり、実際に候補らしきものが
発見されています。で、この説をもとに書かれたのが、ベストセラーに
なったダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』です。

日本の青森にあるキリストの墓(笑)
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次は現実的な話で「アレクサンダー大王の墓」。紀元前4世紀の
マケドニアの王です。当時、強大だったペルシャ帝国を数々の激戦で
打ち破り、インドにも侵攻したことで知られています。
その生涯は32年と短く、死因はてんかん説、マラリア説、
酒の飲みすぎ説、お定まりの毒殺説もあります。

で、その墳墓なんですが、1977年にギリシャのヴェルギナで、
マケドニア王家の遺跡3基が発掘されており、このうち第2墳墓が、
アレクサンダーの暗殺された父親、フィリッポス2世など、
親族のものであることはほぼ確実と見られています。

アレクサンダー大王
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ただ、アレクサンダーの墓はギリシアにはなく、文献には、
その死後、アレクサンダーの遺骸はまずエジプトのメンフィスに埋葬され、
ついで彼の名を冠した都市に移された。この地に作られた大王の墓を
人々が訪れ、神殿のように崇敬した、と出てきます。
つまり、現エジプトのアレクサンドリアにあるということになりますね。

世界の考古学者が情熱的に墓探しに取り組んでいて、もし見つかれば
世紀の大発見ですが、アレクサンドリアはカイロに次ぐエジプト第2の
都市でビルが立ち並んでおり、きわめて困難です。じつは自分は、
もう数十年もアレキサンドリアを調査しているギリシア人考古学者と
個人的に知り合いでして、見つかればいいなあと心から願ってるんですが。

チンギス・ハーン
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もうここまで、だいぶ長くなってしまいました。最後の一人になるかな。
だいたい誰か想像がつくんじゃないでしょうか。アレクサンダー大王とは
時代は違いますが、肩を並べるほど有名なアジアの英雄、
モンゴル帝国初代皇帝の蒼き狼、チンギス・ハーンの墓です。

その偉業については書くまでもないでしょう。大英帝国などといったのは
別にして、個人としては世界史で最も領土を拡大した人物。
その孫のフビライは元の皇帝となり、日本にも遠征してきました。
1227年、ハーンは陣中で病没しましたが、『元史』などによると、
モンゴル高原の「起輦谷」へ葬られたと記されています。

チンギス・ハーン時代のものと見られる遺構
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その墓は大きくはなく、しかも所在地は厳重な秘密とされました。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』では、チンギスの遺体を運ぶ隊列を見た者は
秘密保持のためにすべてて殺され、また、埋葬された後はその痕跡を
消すために千頭の馬を走らせ、一帯の地面を完全に踏み固めさせたと
出ています。秘密にしたのは、墓を暴かれると国が破れると考えたからです。

さてさて、冷戦が終了した後、世界からモンゴルに多数の考古学者が
訪れ、墓探しを行っています。日本の調査隊も行きましたし、
最近、ナショナル・ジオグラフィック誌の調査隊も赴きましたが、
地上構造物はない可能性があり、これも発見はきわめて難しいでしょう。
では、今回はこのへんで。





かなわぬ恋の話

2020.03.20 (Fri)
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今回はこういうお題でいきます。カテゴリは妖怪談義に入るのかな。
かなわぬ恋、片思い、片恋などとも言いますが、
これがもとになって怪異が発生する話は、日本にはいろいろあります。
女性、それも十代後半のうら若い娘からの片思いの場合が多いですね。

この理由は、男が女を見初めた場合、金や権力があれば何とかなる
ことが多かったでしょうし、そうでなくても男は行動力がありますが、
女が男を好きになった場合は、日本はずっと男尊女卑の観念があって、
その思いをかなえるのは なかなか難しかったんでしょうね。

能「道成寺」
キャプチャ

このテーマで最も有名な話は、「安珍・清姫伝説」と呼ばれるものです。
この説話は古く、平安時代にはすでにできあがっており、
『今昔物語』などに収録されています。筋はみなさんご存知だと
思いますが、いちおう説明していきます。後醍醐天皇の御代、
奥州白河より熊野に参詣に来た安珍という名の僧がいて、

年は若く、たいへんな美形でした。熊野街道沿いの真砂の庄司の家に
宿を借りた安珍をひと目見たその家の娘、清姫は一目惚れ。
女だてらに夜這いをかけますが、安珍は、参詣途中であり、
帰りにはきっと立ち寄るからと言い残してその場を逃れ、
参拝後は、立ち寄ることなくさっさと帰ってしまいます。

蛇に化身する直前の清姫 着物の柄がウロコのようです
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だまされたことを知った清姫は怒り、裸足で後を追いかけ、紀州
道成寺までの道の途中で追いつきますが、安珍は別人だと嘘をつき、
さらには熊野権現の法力で清姫を金縛りにして逃げ出します。
ここで清姫の怒りは頂点に達し、ついに蛇となって安珍を追跡。
恐ろしい姿で火を吹きながら川を渡っていきます。

道成寺に着き事情を話した安珍は、梵鐘を下ろしてもらいその中に
隠れますが、清姫は鐘に巻きついて火を吹きかけ、安珍は
鐘の中で焼き殺されてしまいます。その後、清姫は蛇の姿のまま
入水して亡くなりますが、安珍と清姫、どちらも畜生道に堕ち、
道成寺の住持のもとに現れて供養を頼む・・・こんな話です。

それにしても、安珍は女犯戒を守り、僧として落ち度はなかったように
思いますが、どうして畜生道に堕ちてしまったんでしょう。これは嘘を
ついたから、ということではないですよね。やはり、清姫の恋心に少しも
応えようとしなかった安珍の冷たさが憎まれ、こういった話になった
と考えられるんじゃないでしょうか。

鳥山石燕の清姫
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この話には後日談があり、道成寺にはずっと鐘がなかったんですが、
400年ぶりに新調して女人禁制の供養をしたところ、清姫の怨霊が
化身した一人の白拍子が現れて儀式を妨害。蛇へと姿を変えて
鐘を引きずり降ろし、その中へと消えた。この鐘は音が悪く、
災いを招くということで山の中に捨てられます。

このあたりを見ると、仏教の女人禁制に対する批判もあるのかも
しれませんね。インドで生まれた本来の仏教にはこういう決まりは
ないので、男尊女卑の考え方と結びついた日本独自のものです。
唐で修行した曹洞宗の開祖、道元は『正法眼蔵』の中で、
「日本だけの笑い事である」と非難しています。

人肉を生で食らう酒呑童子
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さて、次の事例にいきます。これも平安時代の話で、大江山の鬼と
恐れられた、酒呑童子誕生の異説の一つです。
酒呑童子はもとは外道丸という稚児で、比叡山で修行してましたが、
その姿形は美しく、一目見た女はみな外道丸に恋い焦がれてしまう。

しかし外道丸は、修業中の身のため誰にも心を許さない。
そのうちに女たちは次々に恋の病で亡くなってしまい、外道丸が
女たちからもらった恋文を焼き捨てると、立ち込めた煙に巻かれて
気を失い、次に目覚めたときには見るも無残な鬼の姿になっていた。
しかたなく大江山へと逃げ、盗賊稼業に身をやつすようになった。

次に、江戸時代の振袖火事の由来。1657年に江戸で起きた大火で、
明暦の大火とも言います。この原因として、裕福な質屋の娘・梅乃が
墓参りに行った帰り、上野の山ですれ違った寺の小姓らしき美少年に
一目惚れ。梅乃はこの日から寝ても覚めても彼のことが忘れられず、
恋の病に寝込み、ついには死んでしまう。

明暦の大火
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両親は葬礼の日、せめてもの供養にと娘の棺に形見の振袖をかけて
やりますが、この振袖は本妙寺の寺男によって転売され、
それを買った2人の娘の命を病気で奪います。3度めに寺に
運ばれてきた振袖に因縁を感じた住職が供養しようとし、

読経しながら護摩の火に振袖を投げこむと、にわかに北方から一陣の
風が吹きおこり、裾に火のついた振袖は人が立ち上がったような姿で
空に舞い上がり、寺の軒先に舞い落ちて火を移し、まず寺が焼け、
ついには江戸の町を焼き尽くす大火となって、
10万人とも言われる大勢の人が亡くなります。

さてさて、この3つのエピソードをみると、すべて仏教に
関係しています。自分もよくはわかりませんが、昔の人々は
若い修行僧の禁欲に対して、無理を感じていたのかもしれません。
また、娘の恋心に対し、石のように心を動かされない姿に、
かえって人間的ではないと感じていたのかもしれないですよね。

「やわ肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君」
という歌が与謝野晶子にありますが、人の世の情愛を解さずに、
道を説くのは難しいだろうという意味かもしれません。
ちなみに、明治になり、1872年の法令により、僧侶の妻帯肉食は
自由となります。では、今回はこのへんで。





飲むなの壺の話

2020.03.19 (Thu)
※ 骨董屋シリーズです。

あ、どうもお晩でございます。ここに来させていただくのも、もう何回目
ですかねえ。いつもの引退した骨董屋でございます。
また新しい出来事があったので、お話しにまいりました。
それでですね、もう私は店は持ってないんですが、昔の仲間なんかから
相談事がよく持ち込まれます。その多くは鑑定なんですが、
どうも、奇天烈なものは私のとこに持っていけば、なんとか目鼻を
つけてくれるって評判が流れてるみたいで、いわゆる曰くつきの品を
見ることも多いんですよ。今回もそのたぐいのもので。
持ってきたのは、まだ若い・・・といっても40代の骨董屋で、
この世界では40代はひよっこです。なんでも地方の旧家の当主が
亡くなって、その遺産整理で出たものだということでした。

まず価値がわからないし、収蔵のしかたも変だったってことです。
他の収集品はきちんと蔵にしまわれてたのが、その壺だけは、
当主が寝起きしていた部屋の押入の上段に置かれてて、
木箱に入ってその上からぐるぐる巻きに縄がかけられていたそうです。
まるで外に出すのを嫌がってたみたいに。しかし、骨董品なんだから
気に入らないなら売ってしまえばいいわけで、そこが不自然ですよね。
ともかく見せてもらいました。箱は杉板でつくった新しいもの。
中から出てきたのが、高さ20cmくらいの無地の白い壺、
水差しとも一輪挿しとも言えそうなものでして、それが何なのかは
一目でわかりました。ボーンチャイナというのはご存知ですか。
イギリスで、中国や日本の白磁を目標につくられた陶器のことです。

といってもイギリスですから土が違います。陶磁器は陶石や磁器土
などからつくりますが、イギリスでは手に入りません。そこで、
陶石の代替として乳白色に焼きあがる牛骨灰を使用してるんです。
牛骨にはリン酸カルシウムが含まれますが、日本ではこの成分が
30%以上のものをボーンチャイナと言うんです。
でね、これがつくられ始めたのが18世紀末頃からで、つまり
新しいものってこと。ふつうはどこかに製作者の銘があるんですが、
底を見てもただのっぺりと白い。うーん、値段はつけられないと思いました。
西洋陶器ですからね。私の専門からは外れてる。
ただもちろん、さっき言った縄で縛られていたということは気になりました。
それでその骨董屋に、「これを預かって何かおかしなことはなかったかい」と

聞いてみたんですが、「倉庫にしまってたので特には」ということでした。
あとね、箱の中に壺といっしょにメモ用紙が一枚入っていて、
それには手書きで「Do not drink」とあったんです。「飲むな」って
ことですよね。意味がわかりません。この壺に水なりなんなり液体を入れて
飲むなということなのか。メモ用紙は黄ばんでいて、古いものと思いましたが、
時代もわからない。その亡くなった当主が書いたのかどうかも。
で、興味を惹かれまして、何日かあずかることにしました。
私はほら、女房に死なれてからずっと独り身で、枕元に置いて寝たら
何かわかることがあるだろうと考えたんです。
1日目の夜は何事も起きませんでした。朝になっても変わった様子はなし。
それが、2晩目に夢を見たんです。それがねえ・・・

お恥ずかしいですが、死んだ女房と2人で庭を歩いてる夢なんです。
その庭は見覚えがありました。私は女房とは見合い結婚でしたが、
その見合いのときの料亭のです。だから女房もまだ若い。
いや、そのときの会話なんてすっかり忘れてたんですが、一言一句、
思い出したというより、再現されたと言ったほうがいいでしょう。
朝になって起きたときには胸がどきどきしていました。
ああ、私にも若い頃があったんだな、そんなことを思いながら
壺を持ち上げると、少し重かったんです。中をのぞき込むと、うす赤い
水が溜まっていました。いや、前の晩にはなかったはずです。
これは何だろう? 飲むなというのはこのことなのか?
水はせいぜいコップで4分の1ほどの量。

まさか毒ではないだろうと思って、少しだけ皿に取り、指をつけて舐めて
みたんですよ。そしたら・・・ほとんど無味に近いがかすかに甘い。
あと何かの果実の香り、杏ですかねえ。そのあたりはよくわかりませんでした。
ほんのちょっとでしたから体には異変はなく、その水は外の
側溝に捨てました。人に何かを思い出させる・・・過去のことを
見せる壺なんだろうか。ともかく、枕元に置いて寝るのは続けました。
で、また数日たって夢を見ました。戦後の混乱期からようよう脱した昭和の30年代
ですね。私が最初の店を大きくして、若い人を2人使っていたときの夢です。
一人はAとしておきましょうか。当時20代後半で、知り合いから口利きを
されて雇った者です。もう一人は高校を出たばかりで、Bとしておきましょう。
いやもちろん、2人とも骨董は素人で、簡単な仕事しか任せてませんでした。

Aのほうは、どことなく癖のあるやつで、私の見ていないところで
Bをイジメていた節があったんです。それは何度も注意はしましたが、
その頃は、商売人は殴られて仕事を覚えるのが普通って時代でもあったんです。
Bはね、年が年だけに世慣れしてなくて、いつもおどおどした様子でした。
けどね、骨董屋には向いているんじゃないかと思ってたんです。
この商売はね、臆病なほうがいいんです。一か八かの賭けに出るような
やり方だと、どっかで必ず落とし穴にはまる。闇の深い商売なんですよ。
それでね、この2人、雇ってから2年後に、同時にいなくなっちゃったんです。
ある朝、私が起き出してきたら、2人とも布団におらず、それっきり。
その後に、店の売り上げがごっそり失くなってるのがわかったんです。
そのときは、2人がしめし合わせて持ち出し、どこかへトンズラしたと

考えました。いえ、警察に届けを出すことはしませんでしたよ。
消えたのは現金だけで、店の品物には手をつけてなかったですから。
ま、骨董を持ち出してもさばくあてもなかったと思いますけど。
ああ、すみません。夢の話でしたね。映画のようにひと続きになった内容でした。
まずAが店から表に飛び出し、ややあって、それに続くようにして
Bが出てきました。早朝のまだ誰もいない道です。
Aは走ってて、それをBが追いかけていって港湾に下りる坂のところで
追いつきました。それから口論になって、Aが懐から短刀を出して
Bの腹を刺したんです。夢とはいえ恐ろしい光景でした。
Bが手で押さえた腹から、どんどん血があふれてきて、顔色が白くなって
その場に崩れ落ちる。そこで目が覚めたんです。

心臓が早鐘のように打っていました。これは解釈するまでもないと思います。
Aの盗みに気がついたBが後を追いかけて刺された。
で、壺にはやはり中身が入っていましたが、今度は半分くらいまでの
黒い色の水。いや、さすがに舐めたりはしませんでしたよ。
別の容器に移しておきました。それにしても、夢で見たことが事実なら
傷害か殺人、といっても、もうすでに時効が成立してしまっています。
それから数日して、続きの夢を見ました。Aがオート三輪の荷台から
シートに包まれたものを下ろし、肩にかついで山林の中に入っていく。
いや、どこの場所なのかはわかりませんでした。
あんな山は周囲にいくらでもありますから。Aが時間をかけて大きな
穴を掘り、シートをその中に投げ込む。端から足先が見えてましたよ。

ああ、やはりBは殺されたのか、そう思いながら目を覚ましました。
壺にはまた水が溜まってましたが、今度は濁った泥水のようなもの。
それも別容器に移しておきました。でね、どうすることもできないですよね。
Bが埋められた場所は特定できないし、もしかしたらすでに
身元不明の遺体として発見されてるのかもしれない。
ここで終わりです。その壺は、持ってきた骨董屋にかいつまんで事情を話し、
安い値段で私が買ったんです。で、壺は中に入ってた水とともに
知り合いのお寺に持っていきました。そこには何度か古物の供養を
頼んでいたんです。供養の現場には立ち会わせてもらいましたよ。
壺は最後のほうに住職が宝具で打ち砕きました。そのとき、悲鳴とまでは
いきませんが、強い気が立ち上ったように思いました。まあ、こんな話なんです。






油のオカルト

2020.03.18 (Wed)
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今回はこういうお題でいきますが、話があっちこっちに飛びそうな
気がしますね。さて、例によって油をWikiで見てみると、
「動物や植物、鉱物などからとれる水と相分離する疎水性の物質である。
一般に可燃性であり、比重が小さく、水に浮く。常温で液体のものを油、
固体のものを脂と使い分けることがある」と出てきます。

疎水性は、水と混じりにくいという意味で、「水と油」という
慣用句がありますね。油と一口に言っても種類は多く、
植物油、動物油、石油などの鉱物由来のもの、化学合成されたものなど
さまざまあり、価格も違います。

うーん、油のオカルトねえ。あ、そうだ、あれがありました。
みなさんは石油がどうやってできたかご存知でしょうか。
百万年以上の長期間にわたって埋没していた生物遺骸が、
高温と高圧によって石炭や石油に変わるという話を聞かれたことが
あると思います。これを生物由来(有機成因)説と言います。

石油有機成因説
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この根拠としては、石油中に含まれるバイオマーカー(生物指標)
があげられます。具体的には、葉緑素に由来するポルフィリンや、
コレステロールに由来するステランなどです。
ただ、これは後から混じったものだと言うことはでき、
絶対的な証拠とまではなりにくいかもしれません。

では、生物由来説に対して、他にどんなのがあるかというと、
まず無機成因説ですね。かつて冷戦時代がありましたが、
ソ連や東欧諸国はこの説をとっています。簡単に言えば、
惑星が誕生する際には必ず大量の炭化水素ができており、それが
地球内部の高温高圧で石油や石炭に変わったというもの。

石油無機成因説
FV (1)

この根拠としては、石油の分布が古代の生物の分布と重なっていないこと。
現在、油田の多くは砂漠地帯にありますが、そこは昔から動植物が
多くなかった、みたいな話です。あとは、生物遺骸由来にしては、
石油が埋蔵されている場所が深すぎることなど。

トンデモと思われるかもしれませんが、そうでもなく、
この説は、元素周期率表で有名なロシアの化学者、メンデレーエフが
最初に唱えたもので、世界的にも信奉者は少なくはありません。
あと、マイナーなものとしては、ある種の菌が石油を作り出した
という石油分解菌説というのがあります。

ドミトリ・メンデレーエフ
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うーん、無機成因説は完全に否定できないんですが、今後、
宇宙探査が進んで、他の惑星を調べることができるようになれば、
答えが出てくるんでしょう。あと、中東のイスラム教の人たちでは、
神が恩寵として自分たちに石油を与えてくれたという話になっています。

とはいえ、中東諸国は将来の石油の枯渇に備え、石油に依存しないで
富を生み出す方法を模索中で、いろんなことに投資しています。
それと、石油や石炭を燃やすのは大気を汚すことにつながるため、
電気自動車など、それ以外のエネルギー源を探すのが
世の中の流れですよね。あ、もうこんなに長くなってしまった。

バーレーンの油田
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もう少し柔らかい話題にいきましょう。妖怪に「油すまし」
というのがいますよね。水木しげる先生の絵のイメージが浮かんでくる
方も多いと思います。扁平な坊主頭で、蓑を着て杖を持っている。
でもこれ、水木先生がどっからあの姿を持ってきたのか
わかりませんが、姿形が詳しく描写されてる昔の資料はないんです。

分類としては、「妖怪の話をすれば実際に出てくる妖怪」に入り、
熊本の天草で、老婆が孫をつれて歩きながら「昔ここに油瓶を下げた
妖怪が出たんだって」と話すと、「今も出るぞ~」と言って出てきた
という話がもとになっています。「油瓶を下げた」が油すましの名の
由来なんでしょうが、意味不明です。

油すまし
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「油を売る」という慣用句は、「仕事を怠ける」という意味で使われ
ますが、そのあたりから来てるのかもしれません。
あとは、化け猫が行灯の油を舐めるという話がありますね。江戸時代、
菜種などの植物油は高価で、魚油はその3分の1の値段でしたが、
そのかわり燃やすと生臭い臭いがする。

猫は江戸時代にはかなりの数が飼われていたようですが、
犬と同じように人間の残飯を与えられることが多かったんです。
ですが、犬は雑食でも猫は基本肉食なので、どうしても脂肪分が
足りなくなって油を舐める、ということは実際にあったようです。

関連記事 『油赤子と遊女』

下の絵は石燕の「油赤子」という妖怪ですが、やはり行灯の油を舐めて
います。前に妖怪談義で書いたので、ここではくり返しませんが、
自分の解釈では、これは石燕が創作した妖怪で、
吉原遊廓を風刺したものだと考えています。

油赤子
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さてさて、まだ他にも書くことがあるんですが字数が尽きてしまいました。
今、サバブームが来てますよね。DHA・EPAなどのオメガ3脂肪酸が
豊富に含まれているということで、ひところはスーパーに
サバ缶が山積みになっていました。さすがに青魚を毎日食べるのは
キツイので、サプリメントも売れているようです。

ただ、あまりにサバを食べすぎると、体内でリノール酸とのバランスが
崩れてしまい、かえって体に負担がかかるという話もあるようです。
そのあたりは自分にはよくわかりませんが、まあ過剰摂取はよくないと
思いますね。では、今回はこのへんで。

サバ缶
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「アステカの祭壇」の話

2020.03.18 (Wed)
アーカイブ239

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生贄の祭壇

今回はこういうお題でいきます。まず、「アステカの祭壇」について
概要を説明すると、1997年から2001年にかけて、フジテレビのバラエティ番組、
「奇跡体験!アンビリバボー」での、視聴者から投稿された心霊写真を
様々な霊能者が鑑定するという特集コーナーにおいて、

霊能者の一人、立原美幸さんが、共通の特徴がある数枚の心霊写真を取り上げて、
撮影者も日時も場所もバラバラなのに、それぞれに幾何学的な形の赤い光が
写り込んでおり、写真の向きを変えると、そのどれもが同じ台または
杯のように見えるものがあることを指摘しました。番組内で立原さんは、
「何かの祭壇なのではないか、残酷な儀式に使った台だと思う」と述べています。

番組終了後、局に数多くの電話がかかってきて、その中には霊能者からの
ものがいくつも含まれていました。みなほとんど同じ内容で 、
「何というものを放送するんだ、祟りがある。2度と放送するな」
・・・典型的な「アステカの祭壇」の画像を下に載せます。

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さて、これ、みなさんはどう思われますでしょうか。
自分は「なぜアステカなんだろう?」と、まず考えますね。
数百年前にメキシコで行われていた儀式の祭壇が、なんで現代の日本の写真に
出てくるのか。ちなみに、番組内で立原さんは「アステカ」という言葉は
出していないようです。この語が出てきたのは、「残酷な儀式」からの連想でしょう。

で、この一連の写真、たしかに撮影者、撮影日時、被写体もバラバラなんですが、
一つ、大きな共通点があります。レンズ付きフィルム(「写ルンです」など)
で撮影されたものがほとんどだということですね。
写真の専門家は、「レンズ付きフィルム特有の、フイルムを押さえる部品が
感光して写ったのではないか」と述べています。

まあ、自分もそうだろうと思います。この話自体が都市伝説に近いものです。
番組放映時は、レンズ付きフィルムがデジカメにとって替わられる最中でした。
もしこれが何かの霊的な現象だとしたら、どうしてフィルムカメラの終焉とともに
撮影されなくなってしまったんでしょう。当然こういう疑問は出てきますよね。

アステカの生贄の儀式
nhuyt (5)

さて、じつは、この話で自分が注目している点は少しべつで、
「写真を放映したら、多数の霊能者から番組に電話がかかってきた」という部分。
霊能者やスピリチュアルカウンセラーなどは、地上波テレビで取りあげられるか
どうかで、収入がまるで違うんです。ですから、
テレビ出演の機会をねらって、いろんなことを画策する霊能者がいます。

これも古い話になりますが、2000年、岐阜県富加町に新築された
4階建ての町営住宅で、ポルターガイスト騒ぎが起きたのをご記憶でしょうか。
「いくつかの部屋で、食器棚が勝手に開いて、お皿や茶碗が飛び出した。
シャワーや水道から水がひとりでに出たり、
勝手にテレビのチャンネルが変わった。」・・・まあ、こんな内容でした。

クリックで拡大できます
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ちなみにこの事件、「幽霊マンション事件」などとも呼ばれているんですが、
はっきりした幽霊の目撃はありませんし、建物はマンションでもないんですね。
今回はこの話はしませんが、騒ぎが話題になって、新聞・雑誌記者、
テレビ局のスタッフが現地に集まっている中に、複数の自称霊能者が
弟子を連れて自費でやってきて、祈祷などを行っているんです。

何のためかはおわかりだと思います。テレビ局のインタビューなどを受け、
画面に顔や名前が載りたいからです。「○○局の〇〇番組で紹介された〇〇先生」。
これだけで名前に箔がつきますし、うまくすれば「大霊障事件を解決した〇〇先生」
になるかもしれません。それだけ、当時の地上波テレビの影響は大きかったんです。

ですが、今は違いますよね。youtubeなどの動画投稿サイト、SNSなどが中心で
テレビはあんまり見ないという若い人が多くなってきています。
自分もテレビはスポーツ中継を見るくらいです。最初にご登場いただいた
立原美幸さんも、現在はテレビ出演はなく、
タロット占星術をされているようですね。おやおや、ご同業ですか。

太陽神ウィツィロポチトリ
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さて、アステカの生贄の儀式については前にも書きましたが、
基本的に彼らは太陽信仰で、神話に登場する太陽神ウィツィロポチトリと
夜の神テスカトリポカが、つねに上空で戦い続けており、
もし太陽神が負けてしまった場合、再び朝が訪れなくなると信じられていました。

太陽が消滅し、暗闇の中で作物が育たなくなってしまうことを恐れ、
太陽神に力を与えるため、生贄として多くの人間の心臓を捧げ続けていたんですね。
鉄器を持たなかったアステカの神官は、黒曜石製のナイフを使って
生きた生贄の胸部を切り裂き、心臓を手掴みで体内から取り出して天へと掲げました。

さてさて、最後に実話を書きます。自分は大学で考古学を専攻したため、
先輩や同期、後輩の中にはその関係の職業についている人が大勢います。
その先輩の一人が、一昨年、研究協力のためにペルーの遺跡を訪れました。
アステカではなく、15世紀に栄えていたプレ・インカ文明のチムー王国のものです。

ペルーの遺跡から発掘された550年前の子どもの人骨
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ここは、5~15歳の子どもの男女140人以上とリャマ200頭が、
同時に生贄にされた特異な遺跡で、世界的に注目されています。
発掘に参加して帰国した先輩から、自分はチョコレート(名産)のお土産を
もらったんですが、そのとき、先輩が発掘人骨の一部を
日本に持ち帰ったという話を聞いたんです。

研究のためですし、よくあることなんですが、自分は、なんとなく怖いな
という感じがそのときにあったんですね。それから1ヶ月後、先輩の4歳になる
娘さんが、交通事故で自宅前で亡くなられたんですよ。
まあ、不幸な偶然なんだと思いますけど・・・ では、今回はこのへんで。

関連記事 『ケツアルコアトル伝説』





アタをめぐる謎

2020.03.17 (Tue)
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今回はこういうお題でいきます。オカルト色の強い内容です。
2003年、チリのアタカマ砂漠のゴーストタウンの近くで、
現地人により、ミイラ化した小さな遺体が発見されました。
スペイン人の実業家ラモン・ナビア・オソリオ氏がこれを購入。

2012年にはスティーブン・グリア医師がX線とCTスキャンにより
骨格を調べています。 この結果、体長は15cm程度で性別は不明。
スキャンの結果から、遺体は悪ふざけの作りものではなく、
何らかの生物であることが判明します。

肋骨の本数が人間よりも少なく、頭部も異質で、エイリアンである
可能性が取りざたされました。遺体は発見されたアタカマ砂漠の
名をとってアタカマ・ヒューマノイド、通称アタと名づけられます。
アタは人間なのか そうでないのかは、遺伝子解析を行わなくてはならず、
その後、調査はグリア医師らの手を離れ、大学の研究室へと移ります。

アタカマ砂漠
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ここで、注意しなくてはならないのは、このグリア医師、
「UFO、地球外知的生命体、秘密の先進エネルギーや推進システムに
関する情報の公開を促すために活動」する組織、
「ディスクロージャー・プロジェクト」の設立者であることです。
オカルト側の人物なんですね。

2013年、遺体の遺伝子解析を担当したのは、アメリカ、
スタンフォード大学。ここで、はっきりとアタは人間であるという
結論が出ます。また、当初、アタは男性と思われていたのが、
女性であったことも判明します。ひとますエイリアン説は否定された
わけですが、まだいろいろな謎が残りました。

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まず、ひとつ目は、遺体は古いものなのか、そうではないのか。
このことは、後述する倫理的な問題が関係してくるんですが、
骨の分析の結果、約40年前のものであると結論づけられました。
古代人のものではないということです。
アタカマ砂漠はひじょうに乾燥した気候で、もしそこに人間が

捨てられた場合、急激に水分が失われてミイラ化することも
ありえないくはないだろうと考えられました。
もしアタが捨てられたものだとしたら、殺人、死体遺棄などの
犯罪にあたる可能性もありますが、40年前のことであれば
時効になっているはずですね。

次に、アタは胎児なのか、そうではないのか。
ここが最も議論になった点で、下のX線画像でおわかりのように、
胎児にしては骨格がしっかりしているように見えます。
スタンフォード大学の調査では、最初、アタの年齢は6~8歳という
分析結果が出されているんですね。

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これを説明するために、いくつかの説が考えられました。
① 重度の小人症だったという説 これは身長が伸びない疾患で、
過去の例では、9歳で亡くなった際、身長が48cmしかなかった
イタリア人女性が知られています。ただ、アタの身長は15cmで
いくら小人症とはいえ前例がありません。

② 急激に水分が失われたミイラ化によって骨の石灰化が進んだ説。
胎児の骨はまだ柔らかいものですが、アタの場合は、
石灰化しているため、実際よりも古い年齢のように見えてしまっている
という説ですね、特殊な条件下では考えられないことはありません。

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③ 早老症であった説。早老症とは通常よりも老化が早く進む
疾患で、アタは早い段階の胎児なのだが、母親の体内で老化が進み、
そのために骨格がしっかりして見えるという説です。
ただ、早老症はきわめて珍しい病気で、もしそうだとしたら
かなりの偶然が重なったことになります。

で、スタンフォード大学ではさらに調査を続け、2018年に一定の
結果が出ました。結論はやはりアタは胎児だったろうとのことです。
骨年齢が高くなっているのは遺伝子異常があったためで、
③の説が最も正解に近かったわけです。

スタンフォード大学の免疫学者、ギャリー・ノーラン博士によれば、
アタの遺伝子には7つの変異が見られ、それらはすべて成長に
関わるものであったとなっています。アタは、死産または早産された
胎児だろうということですね。

グリア医師らのかなり怪しいホームページ
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また、母親はチリの先住民と推定されています。ということで、
偶然が重なり合った結果だったわけですが、上記したグリア医師と
そのグループはこの結果に納得しておらず、「正体はわかりませんが、
ヒトでないことは明らかです」と述べています。

さてさて、残念ながらと言えばいいのか、エイリアン説はついえて
しまったわけですが、スタンフォード大学では、これ以上この事件に
関わるべきではないと考えているようです。これは人間の遺体なので、
興味本位にあつかうことはできないという理由ですね。

オカルトでは、この手の話題はまだ他にもあるんですが、
研究における倫理が厳しく言われるようになり、遺体や遺伝子関係の
あつかいには慎重さが求められるようになってきました。
前にご紹介した「人体の不思議展」のようなものも、
倫理的な非難を浴びている現状なんです。では、今回はこのへんで。

人体の不思議展
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オカルト1973・74

2020.03.17 (Tue)
アーカイブ238

変なお題になりましたが、カテゴリとしてはオカルト論で、
何を書くかというと、70年代オカルトブームについてです。
1973年は昭和48年ですか。自分とはだいぶ世代が違いますので、
時代の雰囲気を肌で感じているわけではありません。
ですから、間違いなどもあるかもしれないです。

『恐怖の心霊写真集』から この2つの顔は同一人物で二重写しかな 口元がそっくり
おそらく前のフィルムがしっかり巻き戻されないままシャッターを切った



この1973年からオカルトブームに突入したとはよく言われることで、
実際にエポックメーキングな事件が多数起きています。
もちろん、それ以前からオカルトの底流はあったわけですが、
この年を境に、一気に爆発したと見ることができるでしょう。

しかも、一つのジャンルに偏ってないんですね。心霊、UFO、UMA、予言と、
オカルトの複数の分野が互いに影響を与え合って盛り上がりました。
これには、裏でブームの糸を引く仕掛け人が同一だったり、
親しい仲間であったせいも大きいんですが、それだけでもありません。

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さて、何から書いていきましょうか。まずはこれからでしょうね。
1973年『ノストラダムスの大予言』が五島勉氏によって祥伝社から
発行され、大きな話題を呼びました。ノストラダムスについては
以前に書いてますので、ここで詳しくはふれませんが、
16世紀フランスの医師、占星術師で、多数の予言詩を残しています。

みなさんの中にも「1999年7の月、恐怖の大王が・・・」という
フレーズをご記憶の方もおられるでしょう。翌年には映画も公開され、
五島氏のノストラダムスシリーズは、全10冊にまでなっています。
これねえ、自分より上の世代の人に聞くと、

半信半疑というか一信九疑ながらも、実際に1999年になったときは、
それなりに緊張したという答えが返ってくるんです。その人たちの大半は
少年時代にこの本を読み、その内容が26年後まで頭に
残っていたわけです。こういうことって、なかなかないんですよね。



この話だけで終わってしまいそうなので、どんどん先に進めます。
1973年、日本テレビ系列の『お昼のワイドショー』で、
「あなたの知らない世界」が始まりました。最初のうちは夏の時期だけの
特番でしたが、後に毎週木曜日のレギュラー放映になります。

仕掛け人は、放送作家の新倉イワオ氏です。内容はほぼ心霊。
ここで放映される「再現映像」がとにかく怖かったという人が、
現在でも多いですね。多くの子どもの心にトラウマを与えるとともに、
画面の色味やカメラのアングル、霊の登場のしかたなどなど、
後の『リング』などのジャパニースホラーに多大な影響を与えています。

再現映像
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次はやや地味なUMAの話題ですが、政治家の石原慎太郎氏が、
1973年、「ネッシー探検隊」を組織してスコットランドに遠征しました。
このときの仕掛け人が、イベントプロデユーサーである康芳夫氏です。
氏はそれ以前、ボクシングや音楽の興行を手がけていましたが、
このネッシー遠征でオカルトは金になる、ということを発見しました。
それが、1976年の「オリバー君招聘」につながります。

写真は石原氏と康氏
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次、1973年、アメリカに滞在する一人のイスラエル人青年が
地元のテレビに出演し始め、翌1974年に来日を果たします。
そう、ユリ・ゲラーですね。彼が行うスプーン曲げや、
止まった時計を動かすパフォーマンスはテレビで
高い視聴率を上げ、日本の超能力ブームの火つけ役となりました。

ユリ・ゲラー
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自分もスプーンを曲げられるという超能力少年が輩出したんですが、
その中の一人、関口少年の名を記憶しておられる方もいるでしょう。
これを仕掛けたのが、前述の康氏の友人である矢追純一氏です。
ただ、関口少年のトリックが発覚し、超能力少年たちはいっせいに
テレビから消えてしまい、矢追氏は素早くUFO系に転身します。

現在の肩書にはUFO評論家というのがありますね。で、UFO関係では、
1975年、日本の目撃事件として有名な「甲府事件」が起きるんです。
また、日本にコンタクティーの存在が知られるようになり、
超能力でUFOを呼ぶことができるという概念が広まりました。
「ベントラ、ベントラ」の呪文を覚えておられる方も多いでしょう。

康芳夫氏
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次、1974年、中岡俊哉氏が二見書房から『恐怖の心霊写真集』を発刊。
大ベストセラーになりましたし、それまで「幽霊の写真」などと言われ、
それほど大きな話題になっていなかったのが、「心霊写真」という
言葉が定着し、多数の雑誌に心霊写真コーナーがつくられます。

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日本の心霊写真はここから始まったと言っていいでしょう。
これも何冊も続編が出ていますね。さて、この時期に起きた
オカルト事件はまだまだあるんですが、字数が残り少なくなってきたので
最後にします。1973年、「週刊少年マガジン」に、
つのだじろう氏が『うしろの百太郎』の連載を開始します。

同じ年、これと並行して「週刊少年チャンピオン」に
『恐怖新聞』を連載。氏によって、主護霊、霊界、霊能者、前世、
ポルターガイストなどの語が一般化していったんです。
つのだ氏は当時から、何人もの霊能者と懇意にしていました。

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それまで、恐怖漫画(まだ心霊の語は用いられていませんでした)は
少女コミックの独壇場で、楳図かずお氏らによって『赤んぼう少女』などの
作品が発表されていましたが、それは怖い絵で感情に訴える恐怖を
あつかったもので、心霊を理論的に説いたのは、
つのだ氏の大きな功績?です。

さてさて、ということで70年代オカルトブームをごく簡単にふり返って
みました。これが起きた原因はとても一口では言えませんが、
あえて言うとしたら、まず、「メディア」の成長でしょうか。
テレビを中心として、書籍、漫画雑誌などが渾然一体となって
ブームを推進していったこと。

五島勉氏 コメントしているのは丹波哲郎氏


もう一つは、「オカルトは商売になる」という発見です。
テレビなら視聴率が稼げますし、本はベストセラーになります。
そして、この時代に形づくられたオカルトの原型が現在まで形を
変えながら続いてるんです。それにしても、こういう時代はもう二度と
来ないんでしょうね。では、今回はこのへんで。

矢追純一氏


関連記事 『女性週刊誌とオカルト』 『宜保愛子とロンドン塔』






見下ろす家の話

2020.03.16 (Mon)
山本です、主婦をしています。どうぞよろしくお願いします。
あの、あまり人前で話をするのに慣れてなくて、起きたことを
順番に説明していきますが、もしわからないことがあれば途中で
質問してください。今年の4月、アパートからマンションに
引っ越したんです。あ、賃貸のマンションです。
うちは主人と、1歳になる息子が一人で、マンションは3部屋と
広かったので、子どもが小学校に入るあたりまではそこに
住もうと考えてのことです。場所は主人の会社にも近く、
通勤が楽になったとよろこんでました。それで、話は、
そのマンションのことじゃないんです。部屋はまだ新しいし、
事故物件ということもありません。そうじゃなくて・・・

11階建てのマンションで、部屋は9階にあります。
入居手続きはスムーズに進んで、自治会に入りましたし、
両隣の部屋の方にもご挨拶しました。ええ、どちらもうちと似た
家族構成で、ああ、息子にもいい友だちができるなって
喜んでたんですが。入居して3日目の午前中のことです。
夫を送り出し、天気のいい日だったので、ベランダに洗濯物を
干していました。そしたら、右隣の部屋のサッシが開いて、
土田さんの奥さんが出てこられたんです。左隣の方はお仕事を
されてましたが、土田さんは私と同じ主婦でした。快活な方で、
年齢も近く、これから何かと頼りになっていただけると思ってました。
土田さんがベランダの境まで来られたので、ご挨拶しました。

そしたら、笑顔でしたけど「あの、自治会長さんから聞いてないですか、
 ベランダには出ないほうがいいですよ」こんなことを言われて
ちょっと驚きました。「え、どうしてですか?」 「うーん、そっち
 行ってもいい」それで、玄関から入ってもらい、2人でうちのベランダに
出たんです。「ベランダに出られない決まりなんて聞いてないですけど」
「ええ、もちろんそんな決まりはないんだけど・・・ほら、
 あそこの家」そう言って、下を指さされたんです。「どこですか?」
「通り2つ向こうの左端に、蔦におおわれた家があるでしょ」
「え、ああはい、すごいですね。もう屋根の上まで蔦が来てる」
「こんなこと言っても信じてもらえないかもだけど、あそこの家、
 見るとよくないのよ。だから、うちでは洗濯物は乾燥機に入れてるし、

 タオルケットなんか大きいものは業者に出してる。他の部屋の人もそう。
 こっち側でベランダを使っているとこはないの」
「あの・・・家のせいでですか」 「ほら、蔦の家の隣、あそこは
 建売住宅なんだけど、ローンを残したまま引っ越して、今は誰も住んで
 ないし、買い手もついてない」 「それもあの家のせい?」
「そう、まだ子どもさんが小さいのに奥様が急死されて」
「何で亡くなったんですか」 「病気で、内臓破裂って話だった」
「あの家のせいなんですか」 「おそらく。あとね、あの家の向かいに小さい
 ビルがあるでしょ。そこも入居者がどんどん出てっちゃって」
「あの家、人は住んでない?」 「それがね、女の人が一人で住んでる。
 30代の後半くらいかな、ずっと引きこもって外には出ない。

 何で暮らしをたててるかわからないけど、親御さんの遺産じゃないかって
 言われてる。とにかくね、家から一歩も出なくて買い物もしない。
 食料なんかは月に何回か、宅配業者が箱で運び込んでる」
「その人の両親は?」 「私が越してくる前、10何年か前に亡くなってる。
 聞いた話だけど、両親同時にあの家で亡くなって、救急車とパトカーが
 来たみたい。ニュースなんかには出なかったけど、自殺って言われてる。
 これは噂なんだけど、両親が娘を道連れに無理心中しようとしたのが、
 娘だけ生き残った。父親は銀行の支店長だったって話よ。
 町内活動も熱心にやってたって。その頃はまだ、あんな蔦もなかった」
怖いなと思いましたが、その反面、興味もわいてきたんです。
もう一度蔦の家をよく見ると、びっしり覆った蔦の間から、

わずかに青い屋根が見えたんです。「見つめちゃダメ。とにかく、見ない
 ようにしてれば何でもないから。うちはサッシにブラインドをつけてる」
そう言われてみれば私のとこも、いやにぶ厚いカーテンがかかっていて、
もっと軽いレースののに変えようかと考えてたんです。
「見つめてると、どうなるんですか」 「わからない、けど、そうする人は
 いないわ」ここまで言われれば、どうしてもそうしますよね。
ただ、私は子どもの頃から好奇心の強いほうで、その家に興味を持って
しまったんです。ちょっとだけ行ってみようか。ただ前を通るだけで、
立ち止まったりしない。道なんだから他にも通る人がいるはずだし。
それから1週間くらいした月曜だったと思います。子どもをベビーカーに
乗せてスーパーに買い物に行った帰り、遠回りしてその通りに入りました。

普通の道で、車も通ってましたが歩行者はいません。でも、平日の午前
なんてそんなものですよね。その家は道の端で、もっと広い道に出る
交差点の角にあったんです。近づいていくにつれ、頭上が騒がしくなりました。
はい、電線にカラスがいたんです。そして、いよいよ蔦の家・・・
それはもう全体が蔦のかたまりと言っていいくらいでした。
塀から壁からすべて蔦で、引っ越して無人になっているという隣にまで
蔦は侵食していたんです。それとカラスが、家の前の電線に何十羽も
とまっていて、小鳥ならともかく、そんなの見たことなかったです。
背筋がぞくぞくしてきて、来たのを後悔しました。通り過ぎようか
戻ろうか、少し迷ったとき、カラスがグワーグワーと鳴き出したんです。
それだけじゃなく、買い物に疲れて眠っていた息子まで、

目を覚まして火がついたように泣き出して・・・戻ることにしたんですが、
ベビーカーの向きを変えるとき、慌ててよろけちゃったんです。
蔦の家の2階の窓が目に入りました。窓もほとんどが蔦に覆われて
ましたが、それがメリメリという感じで蔦をちぎりながら開いていき・・・
奥に白いトレーナーのようなものを着た人がいたんです。
ただ、ほんとうに人だったのかはわかりません。顔は見えなかったし、
幅が窓2枚分に近かったからです。人間だとしたらものすごく太ってる。
とにかくその場を離れようと、小走りでベビーカーを押しました。
背後ではカラスの鳴き続ける声。その間中、息子も泣き続け
だったんですが通りを出るとぴたりと治まったんです。とにかく、
かかわってはいけないものだ、ということは嫌というほどわかりました。

マンションに戻り、息子の様子は特に変わったところはありません。
はい、今でもとても元気です。魅入られたのは私でした。それからは、
夫にも事情を話し、半信半疑の様子でしたが、ご近所もそうしてる
ということで、ベランダには出ない、乾燥機を買うって約束してくれたんです。
ずっとベランダのあるサッシのカーテンは閉めたままで、
ふだんの生活に戻った、そう思っていたんですが、なんだかとても
お腹がすいたんです。私はどちらかというと痩せ型で少食なほうでしたが、
食事のたびに夫から、「よく食べるなあ、お前」と言われたんです。
べつに非難してる口調ではなかったですし、体重計に乗ってもそれほど
増えているわけでもない。だから、あまり気にしてなかったんですけど、
あの家の前に行ってから1ヶ月くらい後の夜中です。

自分では何も覚えていません。気がついたら真っ暗な中、ベランダに出て、
コンクリの手すりにもたれていました。お腹が苦しい、そう思ってさわって
みると、パジャマの下がパンパンに膨れてたんです。たしかに
夕食は多めに食べた、けど、こんなにお腹が膨れるまでには・・・無意識に
あの蔦の家を見ていました。角度があるので、2階の窓は下の端しか
見えませんでしたが、そこに明かりがついたようでした。ああ、あそこにあの
太ったものがいる、そう思ったとたん、吐き気が込み上げてきて、ベランダから
下に向かって吐いてしまったんです。何度も、何度も。「おい、どうした大丈夫か」
夫の声が聞こえ、後ろから抱きとめられました。その後、夫の車で病院に
行ったんです。冷蔵庫の中の食料がごっそりなくなっていて、生の肉や卵、
ソーセージなどがベランダまでこぼれていました。そのとき、私が食べたんです。







真空の話

2020.03.15 (Sun)
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真空パック

今回はこういうお題でいきますが、あんまり面白い内容には
なりそうもないですね。スルー推奨かもしれません。
さて、みなさんは真空というと何を思い浮かべられるでしょうか。
真空パック? 真空掃除機? それともキックボクサー沢村忠の
真空飛び膝蹴り・・・

自分は沢村さんの活躍した時代にはまだ生まれてないので、
これはビデオでしか見たことがありません。さて、例によって
Wikiの記述を見てみると、真空とは「通常の大気圧より低い
圧力の気体で満たされた空間の状態」と出てきます。
真空パックなんかはこの定義でいいでしょうね。



ここで注意しておかなくてはならないのは、真空は
無とは違うことです。無と言った場合、ふつうは時間も
空間もない絶対的な無を指すことが多いと思うんですが、
さすがにそれは考えても意味がないと、歴史的には思われて
きました。でも、最近はそうでもないんですよね。

では、ここで真空の歴史を見ていきましょう。古代ギリシア、
哲学者のアリストテレスは真空はないと考えていました。
「自然は真空を嫌う」(真空嫌悪)と述べ、空間があれば、
そこには必ず何らかの「もの」が満たされていると考えたんですね。

アリストテレス
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これに対し、師のプラトンは、空気に圧力をかけることにより、
圧縮させることができる(先を閉じた注射器を押し込むようなこと)
と考え、その押し込まれた部分が真空であるとして弟子と
対立しました。うーん、プラトン、惜しかったですね。
もう少し考えを進めて空気を抜くことを思いつけば、

真空の発見者になれたかもしれませんが、当時の技術では
無理があったんでしょう。で、キリスト教が隆盛するにつれ、
古代ギリシア哲学は忘れ去られていったんですが、
十字軍の遠征で、アリストテレスらの著作がオリエント世界で
保存されていたのが再発見されます。

トリチェリの実験
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西欧世界はその精緻な内容に驚嘆し、アリストテレスの考えは
大きな権威を持ちましたが、真空はあると考えた人もいました。
1643年、アリストテレスの天動説を批判して地動説を唱えた
ガリレオの弟子、エヴァンジェリスタ・トリチェリは
上図のような実験を行って、真空の存在を証明しました。

これについては、煩雑になるので詳しい説明はしませんが、
真空と同時に大気圧の発見でもあったんですね。これを受けて、
オットー・フォン・ゲーリケは、ブロンズ製の半球を2つ合わせて中空の
球にし、内部の空気を抜いて真空にするという実験を行っています。

マクデブルクの半球


この2つの半球はぴったりとくっつき、16頭の馬で引っ張ることで
ようやく外すことができました。この球は、マクデブルクの半球と
言います。こうして真空は発見されましたが、何かの役に立てるには
技術的な課題がたくさんありました。ただ、これによって気体力学が
発展していき、ボイル・シャルルの法則などへとつながります。

さて、その後、真空は珍しいものではないことがわかってきました。
宇宙空間は真空と言っていいですよね。宇宙全体で見て、真空状態の
場所のほうがずっと大きいんです。ただ、完全な真空を人為的に
つくるのは難しく、それは仮想的に「絶対真空」と呼ばれました。

対生成と対消滅
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20世紀に入って量子力学が登場しますが、そこで真空の概念が
変化します。量子論では、何もない空間は、そう見えるだけであり、
じつはその内部は揺れ動いている。ハイゼンベルグの不確定性原理は、
原子内の電子の位置と速度についての他に、時間とエネルギーに
ついても成り立つことがわかっています。

ごくごく短い時間であれば、大きなエネルギーを借りてくることができる。
そのため真空はつねにゆらいでいて、完全な物質ゼロにはなれません。
無と有の間でゆらいでいると言っていいでしょう。そして、
真空のゆらぎからは、必ず粒子と反粒子がペアになって出てきます。
これが対生成。そして互いに打ち消し合って消えるのが対消滅。

量子論的な真空
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ですから、量子論的には、真空は「その物理系で最もエネルギーが低い
状態」と定義されます。もちろんこれは、真空掃除機などの
真空とはかなりかけ離れた概念です。さて、だいぶ残り字数が
少なくなってきました。次は宇宙論です。

1929年、エドウィン・ハッブルが宇宙膨張を発見。そして、
宇宙はある一点から始まったとするビッグバン理論が提唱されます。
宇宙の始まりの前は無なんですが、上記した量子論的真空と似ている
部分があります。現在では、宇宙はごく短い時間に、不確定性原理により
大きなエネルギーを借りてきて急激に膨張したとする、

虚数の時間
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インフレーション・ビッグバン理論が主流になってきています。
で、宇宙の始まりは、温度無限大、圧力無限大の特異点となるんですが、
この特異点が式に出てくると、その式は破綻してしまいます。
これをなんとか解消しようとしたのが故ホーキング博士で、
宇宙は無ではなく、虚数の時間から始まったという説を唱えました。

さてさて、特異点が出てくるのは、時間・空間をゼロにするからです。
虚数は2乗すればマイナスになる数で、それだとたしかに特異点は消え、
式の破綻はなくなりますが、虚数の時間が実際にあるのか、それはどういう
ものなのか誰も説明できません。さすがにそんなのはないのでは、
と考えている物理学者のほうが多数のようです。では、今回はこのへんで。

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カビのオカルト

2020.03.14 (Sat)
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今回はこういうお題でいきます。うーん、どうでしょう。
カビが好き、という方はあんまりおられないんじゃないかと思います。
まず見た目が嫌ですよね。風呂場のタイルの目地にカビが生えて
黒くなっている。近づいてよく見ると、産毛のようにフサフサと・・・
これだけで生理的嫌悪感をもよおしてしまいますよね。

ですから、カビは怪談の小道具としてよく出てきます。
中古住宅に越してきたら、それほど日あたりが悪いわけでもないのに
物によくカビが生える。壁はもちろん、包装を開けていない食品にも
びっしり・・・というような描写は定番で、じつは自分の話にも
いくつか取り入れられています。

カビの菌糸
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暮らしに侵入してくる黒い影の象徴になっているわけです。
これは、霊は水場を好むという考え方とも関係しているのかも
しれません。湿気が強い場所には霊が住みつきやすく、
住人も体調を崩していく。カビ自体も、毒素やアレルゲンを
持っているものが多いですからね。

風水と関係しているかもしれません。カビの生える場所は陰の気が強いとして
嫌われる。また、こんな話もあります。霊がいるかどうかを
確かめるため、コップに日本酒を入れて置いておくと、味が変わって
飲めなくなる。アルコールが入ってるのにすぐにカビる。

色とりどりのカビ
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では、カビっていったい何なんでしょうか。少し調べてみましたら、
必ずしも学術的な定義があるというわけでもないようです。
いちおう、一般的な定義としては「子実体を形成しない、糸状菌の
姿を持つ、つまり菌糸からなる体を持つ菌類のこと」

とWikiに出てきますが、それ以外の微生物でも「カビっぽい」姿を
していればカビと呼ばれてしまいます。要は見た目の問題なんですね。
自分はアクアリウムが趣味で、飼育水を生物濾過していますが、
濾過バクテリアのコロニーはカビのようにも見えます。

麹カビ
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さて、ではカビは人類にとって有用なものなんでしょうか。
ここは難しいところで、たいがいのものは良い面と負の面を合わせ
持っています。カビの多くは森林に生息していて、木の葉や朽木、
動物の死骸などを分解して土に戻してくれます。
生態系の維持に重要な役割を果たしているんです。

また、カビの一部は、タンパク質をアミノ酸に分解し、デンプンを
糖化します。麹カビは、日本酒、焼酎、醤油、味噌など、
日本人にとってたいへん身近な食品をつくり出すし、世界的にも、
ブルーチーズなど、カビを用いた発酵食品はいろいろありますよね。
それと、特筆しなくてはならないのが、カビの持つ薬効です。

ブルーチーズ
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アレクサンダー・フレミングの発見したペニシリンが、アオカビの
分泌物から抽出されたことは有名です。これは世界初の抗生物質であり、
その後発見されたストレプトマイシンは結核の特効薬となりました。
前に少し書きましたが、戦前は結核に関係した怪談って多かったんです。
寄宿舎住む学生が夜トイレに行くと、口から血をしたたらせながら

何かを食べているものがいる。怖くなってそっと戻ってきて布団に
もぐり込むと、その人物が戻ってきて、寝ている一人ひとりの顔を
「お前か」と言いながらのぞき込む・・・こんな話も、
結核が治る病気になるとともに消えてしまいました。

とは言っても、よいことばかりではなく、カビの一部はマイコトキシン
という、人間の体に有害な毒素を持っています。何事も使いようだ
ということですね。ここからは、以前に自分が書いた、
ずばり「カビ」という話を再録して終わりたいと思います。

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カビ

ある会社の会計士をしています。この仕事、短期の出張が多いんです。
長くてひと月程度ですね。各支店を回って監査の対策をしたり、
経理業務の効率化をアドバイスしたり。
ですから、私のような女性って珍しいんですよね。
出張の間は、もちろんホテル暮らしなんて贅沢はできませんから、
短期契約で敷・礼金なしの、俗にいうマンスリーマンションです。
昔は壁が薄いとかいろいろいわれてましたが、今はだいぶよくなってます。
それで、そこは3月の初旬に入ったんですが、2週間の予定でした。
一部屋に簡単なキッチンと、バス・トイレ。家具付きですが、
どれもまだ新しく、清掃業者を入れてるのでキレイなものでした。
お風呂も、最初に見たときには何でもなかったと思ったんですが・・・

入居して2日目のことです。お風呂に入っていました。私はかなり長湯なほうで、
1時間は入ります。体を洗って、湯船に浸かっていたときのことです。
頭を蛇口と反対側の浴槽にもたせかけていたんですが、ちょうど顔のすぐ横の、
薄いブルーに白い目地のタイルが薄暗くなって見えたんです。
頭の影だと思ったんですが、指を伸ばしても影はできません。
おや、と触ってみましたらベトッとした感触。指先を見ると、
数mmほどの短い毛のようなのがたくさんついていました。
ええ、指先にヒゲが生えたみたいに。気持ち悪いと思い、
浴槽から出て手先を洗いました。それからあらためてタイルを見ると、
私が頭をもたせかけてた真横が、直径20cmばかりの円形に黒ずんでました。
「えー」と思いましたよ。入ったときはまったく気がつかなかったんです。

近づいてよく見ると、そこだけ全面に短いヒゲが生えたようになってて、
カビだ、と思いました。いったん上がってキッチンペーパーを取ってきて拭くと、
ひと拭きで取れたものの、紙がかなり黒ずみました。嫌だなあと、
タイルの他の場所も見たんですが、何でもなかったんです。そこだけ。
これ不思議ですよね。お風呂には最初の日も入ったので、
もしかしたら私の髪がそこに触れて、人の脂でカビが生えたのかなあ、
なんてことも考えたんです。でも、たった1日くらいのことでねえ。
それで、業者が清掃のときに拭き忘れたのかな、ってそう思うことにしました。
翌日、遅く帰ってきてお風呂に入る前に、タイル全体を確認しました。
何でもなかったので、昨日のはたまたまだったんだろう、
と考えることにしました。ところが、やはり湯船に浸かっていて横を見ると、

細かいカビが同じ場所にびっしり。「キャー」と叫んで、
まだ頭も体も洗ってなかったんですが、出てしまいました。それにしても、
私が入って数分のうちにカビが生えるなんてありえないですよね。
服を着ると、近くのコンビニに行って消毒液を買ってきました。
テイッシュをほとんど一箱空にしてそこのタイルを熱湯で拭いたら、
やっぱり細かなヒゲ・・・他の場所はやはりなんともなかったんです。
怖くなってきましたが、何か化学的な理由があるんだろうとも思いました。
それで次の日は、早めに社を出てドラックストアで「カビキラー」を買い、
丹念にタイル掃除をしたんです。そのときはカビは生えていませんでした。
それでも、その日お風呂に入るときには警戒して、いつもと反対、
蛇口のある側に頭が来るようにしたんです。

ええ、それでお湯に浸かりながら、タイルのその部分を見ていました。
1分、2分とカビは生えてきませんでした。「あたり前だよね」
なんとなく安心しましたら、ふっと眠気・・・ちょっと違うかもしれません。
私は経験ないですけど、首をしめられて気が遠くなるような・・・
そんな感覚があったんです。頭がゆらゆらと揺れてる感覚がかすかにあり、
ブクッと、口がお湯の中に沈んで気がつきました。「えええ!?」
立ち上がろうとしたとき、タイルに頬をこすりつけました。
ザラッ、「えっ、えっ!?」私は入ったときと体の向きが反対になってて、
あのカビのタイルに顔をこすりつけてしまったんです。
湯船を飛び出して鏡を見ると、右の頬にヒゲのようなカビがたくさんついてました。
「いやー」タオルで拭き取り、すぐゴミに捨てました。

それから、おそるおそる浴室の中を見たんですが、
やはりその部分だけタイルが黒くなっていて、私の頬でこすれたところも、
みるみるうちに同じカビで覆われていったんです。
しかもそのカビ全体の形が、うつ伏せになって浴槽の縁に頭の先をもたせかけてる、
短髪の人の頭に見えてきたんです。「これはダメ、こんなとこにはいられない」
そう考えましたが、あと10日程度のことですし、
支店に部屋を代えてくれと言うのはためらわれました。
それでネットで探して、バスで15分程度の健康ランドに行くことにしたんです。
部屋では寝るだけ。食事もすべて外食にしました。
その間、お風呂のドアはずっと閉めたままでした。残りの出張期間が過ぎ、
部屋を出る日に、不動産業者立ち合いで部屋の確認をしました。

そのとき不動産屋の方が、しばらくぶりでお風呂のドアを開けました。
「おや、お湯が残ってますね」不動産屋の方が言い、「えー、流したはずですけど」
そう答えてのぞいたら、あのカビの部分に人の後頭部がありました。
やはり短髪の男性で、体は見えなかったです。「いやー、頭、人の頭!」
「え、何です? どうかしましたか?」私が後ずさりしながら指差しても、
業者の方には見えてないようでした。「そこに人の頭が」 「ええ、どこですか?」
そうしてるうちに頭はぐるんと裏返り、真っ白になった両目で、
にやっと笑って消えた・・・そう思いました。「ああ、ここだけなんか
 カビが生えてますね。清掃業者に言っときます」不動産屋の方はそう言いました。
今は自分の部屋に戻ってるんですが、カビのことが気になりまして、お風呂は
1時間以上掃除してから入るんです。人にはおかしく思われるかもしれません。






裏の仙人の話

2020.03.14 (Sat)
どうも今晩は。私、元木と言いまして、食品加工会社に勤めてます。
32歳で、結婚して妻と5歳の息子がいます。
これからお話するのは、私が子供のころ、実家の裏に住んでいた
山田さんっていうおじいさんのことなんです。
実家は昔からの住宅街にあって表通りに面していました。
裏に細い道があって、それを隔てた一軒家に住んでたのが山田さん。
生け垣をめぐらして、せまい庭がありましたね。
山田さんは一人暮らしで、今から考えると子どもさんなんかが
訪ねてくるなかったように思います。で、この山田さん、
町内では「仙人」って呼ばれてたんですよ。なんぜかというと、
まず風貌が中国の掛け軸とかに出てくる仙人のイメージにそっくりで。

頭は禿げてましたが、横と後ろには白髪が残ってました。
額には何重にもシワが刻まれててね。あとヒゲです。白いアゴヒゲが、
そうですね、20cmくらい伸びてたと思います。
着てるのは白い着物・・・といっても、かなりダブダブで、
中国の服みたいな感じ。春夏秋はそれで過ごしてて、冬になると
その上に黒いちゃんちゃんこを羽織るんです。まあ、実家は
九州だったので冬も雪は積もらないんですが、ふつうの人なら
あれだけじゃ寒いと思います。あと、一番仙人のイメージに
ぴったりなのが、いつも持っていた杖ですね。白木で、手で持つところが
?マークみたいに曲がってる。ただね、杖を持ってても、足が悪いって
わけじゃなかったです。かくしゃくとして、歩くのも速かったです。

うちの実家は母親がずっと子どもの頃から住んでた家で、
父親は入婿だったんですよ。それで、母親に山田さんのことを聞いたことが
あるんです。そしたら「ああ、山田さんね。あの人、ホントに仙人かも
 しれないよ。私が子供の頃からぜんぜん見た目が変わってないもの。
 不思議よねえ。すごいお年寄りだと思ってたんだけど、
 20年たっても前と同んなじに見える。もしかしたら本物の仙人
 なのかも」って。母の話では、その頃からやはり一人暮らしで、
働いてる様子はなかったけど、毎朝、数時間の長い散歩に出てるって
ことでした。それは私の頃も続いてましたよ。
私が山田さんと話ししたことも何度かあります。小さい頃は怖い人
だと思ってて、見かけても近づかないようにしてたんですけど、

あれは中学2年のときでした。当時、私は野球部に入ってまして、
レギュラー目指して朝の自主トレなんかしてたんです。
5時過ぎに起きて、ランニングで20分ほど離れた町営の球場に行き、
バックネット下のコンクリの部分にボールをぶつけてキャッチする。
あれは6月でしたか、その帰り道で犬に追いかけられたことが
あったんです。いや、野犬じゃないです。鎖を引きずってましたから、
どっかの家の飼い犬が逃げてきた。いきなり脇道から吠えつかれたんで、
びっくりして走って逃げちゃったんです。そしたら追いかけてきて。
なんとかハウンドっていう洋犬で、そこまで体は大きくなかったけど、
すごい敏捷ですぐに追いつかれて・・・転んじゃったんです。
その上に犬がおおいかぶさってきて。まあ、今から思えば、

噛んだりはされなかったと思うんですが、そのときは恐怖でした。
顔の前に両腕を出して守ろうとしたとき、犬のハッハッという息に混じって
ひょ~という音が聞こえたんです。山田さんでした。10mほど先に
山田さんが立ってて、頬をすぼめて口笛を吹いてたんです。
そしたら、犬がびょんと飛び上がって、そのすきに私は転がって離れ
立ち上がりました。山田さんは口笛をやめると杖を地面と水平にかまえ、
ツンと上に動かしたんです。そしたらです、犬が膨らみだしたんですよ。
風船に空気入れたときみたいに。あっという間にまん丸になって、
しかも地面から1mほど浮いてました。犬は困ったような顔で、
鎖を引きずりながら山田さんのほうに近づいてって、山田さんが杖を
持ってないほうの手で鎖をつかむと、パッともとに戻って

地面降り立ったんです。いや、不思議でした。犬は山田さんの
足元にかしこまった形で、山田さんはにこにこ笑いながら、
「坊や、ケガはなかったない」そう聞いてきたんです。
「大丈夫です。ありがとうございました」と、なんとかお礼は言ったものの、
目の前で起きたことが信じられませんでした。「そうか、よかったの」
山田さんは犬を連れて歩き去ってったんです。いや、そのときは
早朝だったので、私の他に人はいなかったし、車も通りませんでした。
家に戻って、台所にいた母親に起きたことを話しました。
そしたら、母親は特に疑うこともなく、「ああ、山田さんならそういうことも
 あるでしょうね。後で助けてもらったお礼に行かないと」こう言いました。
で、その日は早く学校から戻って、母と2人で裏の山田さんとこに行ったんです。

うちはその頃、家庭菜園をやってまして、ちょうどナスが大きくなってきた
ころでしたので、カゴ一杯にもいで持ってったんです。私が、
「そんなのでいいの?」と聞くと、母は、「山田さんは肉や魚、お菓子なんかも
 食べないから。うちは無農薬だし、たぶん大丈夫」って。山田さんの家までは
歩いて2分くらい。母と、いつも開けっ放しになってる門を入っていき、
玄関の戸を叩くと、ややあって「お~う」と声が聞こえて戸が開きました。
すると、真っ暗だった家の中が急に明るくなったんですが、不思議なことに
電灯がついたってわけじゃないんです。蛍光塗料みたいに壁や天井全体が
ぼうっと光ってました。あとね、家の中もびっくりで、そこら中に
苔むした木があって、さまざまな種類のキノコが生えてたんです。そのうちに
奥から山田さんが出てきたんですが、屋内でもあの杖をついてました。

母が来たわけを説明すると、山田さんは「ああ、あの犬は飼ってる家に
 戻しておいたよ。別に坊やを噛んだりすることはなかっただろうから、
 よけいなお世話だったかもしれんが」そう言われたんです。
母がナスの入ったカゴを差し出すと、「これはこれは、さすがにキノコは
 食べ飽きてたところでありがたい」と受け取ってもらったんです。
そんなことがあって、私は山田さんの姿を見かけると会釈するようになり、
山田さんも微笑んで杖を上げて答えてくれてたんですが・・・1年後、
私が中学校を卒業する間際に行方不明になっちゃったんです。
いや、徘徊老人ってわけじゃなく、山田さんは頭も足腰もしっかりしてました。
でね、そこの市は盆地なんですが、南の山のほうで、山田さんが、
空に登って雲の中に入っていったのを見たって人がいたんです。

まあ、噂なんですけど、母はそれを聞いて、「あ、とうとう羽化登仙されたんだね」
と言ってました。その後、山田さんには一切身寄りがなかったんで、
家の敷地は市のものになり、更地にされて小公園になったんです。
それから、私は高校を卒業して実家を離れ、今の会社に就職して結婚し、
すぐに息子が生まれたんです。実家は今もあの市にあって、両親とも健在です。
で、ときどき会ったときに、山田さんの話なんかもしたんですが、
やはり行方はわからないままでした。ただ、母は亡くなってるとは思ってない
ようでしたね。それで、つい1ヶ月ほど前のことです。連休を利用して
家族旅行に行ったんです。安月給ですから有名な行楽地とかじゃなく、
山のキャンプ場です。アウトドアを趣味にしてまして、オートキャンプって
やつですね。息子はそういうの始めてでしたから喜んでました。

で、午後に着いてさっそくターフを広げ、借りてたバーベキュー場に
行きました。まだシーズン初めで、ちらほらとしか人が来てませんでしたね。
で、炭を起こしてると、近くでうろちょろしてた息子の姿が見えなくなって。
5歳ですからね、そんな遠くに行けるわけもないし、目を離したのも
ちょっとの時間でしたが、どこにもいない。ほら、山で子どもがいなくなった
話なんかを思い出して、妻と2人で必死で探したんです。そしたら10分ほどで、
息子が藪の陰から出てきまして。心底ほっとしました。それでね、
息子はウインドブレーカーを脱いで手に持ってて、その中にたくさんの
栗とキノコが入ってたんです。「これどうしたの?」って聞くと、
「杖を持った白いヒゲのおじいさんにもらった。おじいさんはお父さんに
 よろしくって、しゅーんと空に飛んでったよ」こんなことを言ったんです。







アーカイブ 肉の家の話

2020.03.14 (Sat)
これ、俺が小学校から中学校にかけてのことだから、今から30年ちかく前の話だよ。
その頃、俺は田舎に住んでて、小学校は学年2クラスしかなかった。
その小学校はすでに廃校になってる。でな、同じ学年に種村ってやつがいたんだ。
家もわりと近くだったから、ふつうは幼なじみとして遊んでるはずだけど、
俺がそいつといっしょに遊んだ記憶は小学校以前から中学校まで一切ないんだ。
まあ、体が弱かったから、学校に行く以外は外に出ないで家にこもってたんだと思う。
他のやつらには、種村だから「たねぼん」って呼ばれてた。
体が小さくて髪が坊ちゃん刈りだったから、イメージぴったりだったな。
で、すげえ無口なやつだったんだ。小学校6年間でたしか4回同じクラスになったが、
口を聞いたのは数えるほどしかないよ。自分からは絶対に話しかけてはこなくて、
俺が何かしゃべっても、「ああ」とか「うん」とか言うだけ。

他のクラスメートとも同じだったよ。要するに、いるかいないかわからないような
やつだったわけ。勉強はふつうにできたけど、
体育は体が弱いせいか見学してることが多かったな。
あと、給食を食べなかった。いつも家から弁当を持ってきてたんだ。
肉アレルギーだってことだった。どんな肉も一切ダメで米と野菜しか食べられない。
ああ、弁当の中身は見たことがあるよ。野菜の煮物やプロッコリーなんかが、
きれいに詰められてた。それを弁当のフタで隠すようにして、
いつも恥ずかしそうに食べてたっけ。でな、中学生になったんだが、
中学は町に一つで、3つの小学校から生徒が集まってくる。
俺のいた小学校はその中で一番小さかったから、
中1のときは知らないやつが多くてかなり緊張したのを覚えてる。

まあでも、俺はバスケ部に入って、友達もできてだんだんに慣れてったけどな。
で、2年のクラスでたねぼんといっしょになったんだよ。
相変わらず体が小さくて、小学校中学年といってもとおりそうだった。
あと無口なのも変わってなかった。そんなだから、あからさまにいじめられてなくても、
何かにつけて軽んじられて、掃除のときなんかは嫌な仕事を押しつけられたりしてた。
昼は小学校のときと同じで一人だけ弁当だったよ。それと、今思い出したが、
給食当番の仕事がなぜか免除されてたんだよな。もしかしたら、
盛りつけをするときなんかの肉のにおいなんかもダメだったのかもしれない。
でな、秋に体育祭があって、そのときはクラス全員が弁当で外で食べたんだ。
たねぼんは木の下で、いつものように一人で食べてたんだが、
ほら、弁当のときはおかずを交換したりってのをやるじゃない。

で、クラスの不良っぽいやつが何人か、たねぼんのところに行って、
一人が、たねぼんの弁当の中身と自分のウインナーを交換しようとしたんだよ。
まあ、たねぼんが肉を食えないのを知ってての嫌がらせだよな。
これも今にして思えば、そのときはたねぼんが珍しくクラス対抗の全員リレーに出て、
走るのが遅くてかなり遅れ、俺らのクラスがビリになったのを怒ってたのかもしれない。
たねぼんは、そいつが爪楊枝に刺したウインナーを見て、ただ黙って首を振って。
それでそいつがますます怒って、たねぼんのアゴをつかんで、
口に無理やりウインナーを押し込んだらしいんだ。
いや、俺は見てたわけじゃない。後でそいつからここまでの話を聞いたんだよ。
「うわ~~~」という悲鳴が上がって、そっち見たら、たねぼんが草の上に倒れてたんだよ。
それが、仰向けの状態で、ブリッジするみたいに体がエビ反りになっててな。

「うわー、うわー」って大きな声で叫んでたんだ。
それからビョンと跳び上がり、たねぼんは四つん這いになって走り出した。
ありえないような速さでな。まるで犬が走ってるみたいだった。
みなが驚いて見ている中、たねぼんはグランド中を四つん這いのままジグザグに走り回って、
先生方も止めることができなかったんだよ。たねぼんは俺の近くも通ったが、
そのとき、口を大きく開けてよだれを垂らしてた。
あと、目がどっちも白目になってたような気がする。で、たねぼんは5分近くも走り続け、
無理やりウインナーを食わせたやつのに近づいて、首に噛みついたんだよ。
さすがに先生方が集まってきて引き離したから、
そいつは血も出なかったし、たいしたことはなかったんだ。
引きはがされたたねぼんは、横向きに倒れて、体をひくひくと痙攣させてたな。

俺が近寄って見にいくと、たねぼんの顔から手から、服から出てるところが
すごい蕁麻疹が出てぼこぼこに腫れてるのがわかった。そのうちに救急車が来て、
たねぼんは病院に運ばれていったんだよ。翌日、担任から話があって、
たねぼんはひどいアレルギーでしばらく休むってことだったんだ。
で、それから3日くらいして、担任から、たねぼんの家にたまったプリントを
届けるように言われた。どうやら入院はしておらず、自宅にいるみたいだった。
俺が一番家が近いということだったが、家の場所がわからなかった。
その日は部活がなくて帰ったのが4時ころ。家にはじいちゃんしかいなかったから、
じいちゃんにたねぼんの家の場所を聞いた。じいちゃんは「種村・・・さんか。
 そのうちは裏山の中腹にあるが、お前何しに行く? 学校のプリントを届ける?
 ・・・そうか、じゃあそれ渡したらすぐに戻ってくるんだぞ」

こんな調子で、なんだか俺が行くのを心配してる感じがしたんだ。
「種村さんて、仕事何をしてるの?」こう聞いてみたら、じいちゃんは、
「昔は馬をたくさん飼ってたが、今は何してるかわからん。
 まだ家の前には大きな馬小屋が残ってたはずだがな」そんなふうに言ってたな。
で、裏山の坂をのぼって、言われたとおりに横手の道に入ったら、
古くて大きな屋敷があったんだよ。高い塀についてるでかい門のインターホンを押したら、
しばらく雑音があって、「・・・誰ですか?」って子どもの声がした。
たねぼんの声だと思った。用件を言うと「開いてるから入ってき」
戸を引いたら、きしみながら開いた。それで一歩中に入ると、すごい生臭い臭いがした。
動物の臭いとも似てるようだが違う。俺は吐き気をこらえながら玄関まで歩いてったんだ。
右手のほうに、馬小屋らしいかなり大きな建物があった。

で、急にその馬小屋の戸の片側少しだけ開いて、小さな人が出てきたんだ。
たねぼん・・・だと思ったが、顔も手も包帯でぐるぐる巻きになってた。
そいつは、ややくぐもってるものの、たねぼんの声で、
「プリントがあるならよこし。もうすぐ、お父さんが帰ってくるから
 早く戻ってけれ」早口でそう言ったんだよ。かなり暗くなってきてたし、
俺も気味悪くなって、プリントの入った封筒を手渡して戻ろうとした。
そのとき、ギュリン、ギュリン、ギュリンという機械の音が馬小屋の中から聞こえてきた。
「あ、いけない」たねぼんはそう言うと小屋に戻っていこうとしたが、
小屋の戸口の低いところから何かが頭をのぞかせたんだ。
人間・・・・なのかどうかわからなかった。髪はまばらで、
体育祭のときのたねぼんのように、顔中が親指くらいのできもので覆われてた。

その生き物が出てきたら、生臭い臭いがいっそう強くなった気がした。
地面から50cmくらいの高さだったから、這った状態で戸口から頭を出したんだと思う。
たねぼんはそれの頭を「こらあ!!」と叫んで蹴りつけたが、
小さな体には似合わない力がこもってた。そいつは「ギャン!」と鳴いて引っ込み、
たねぼんは俺のほうを見もしないで小屋に入ってったんだ。
中でギャリン、ギャリンという機械の音が激しくなり、
俺は小走りになりながら門から走り出た。すると、
坂道を1台のトラックが上ってくるのが見えたんだ。せまい道だったので、
山側によけたら、トラック・・・今にして思えば冷凍車だな。
それがすぐ横を通り過ぎていったが、車体の横に小さく「種村畜業」って書いてあった。
まあ、これでほとんどの話は終わりだよ。

たねぼんはそのまま学校には復帰せず、2週間くらいたって、
担任が転校しましたって言った。まあ、いてもいなくても影響のない存在だったから、
たねぼんにウインナーを食わせたやつらも平然としてたな。
でな、それから1年ちかくたった中3の夏休み、
ふと思い立って、たねぼんの家に行ってみたんだよ。
塀と門と母屋は取り壊されて平地になってたが、なぜか馬小屋だけは残ってた。
ああ、あの生臭い臭いはもうなかったな。馬小屋の戸は鍵がかかってて、
入ることはできなかった。板戸の隙間からのぞいてみても、
中は真っ暗で何も見えなかったよ。うーん、あの奇妙な生き物は人間だったんだろうか。
今となってもなんとも言えないなあ。もしかしたら何かの動物を見間違えたのかもしれん。
とにかく、こんなことがあって、気味の悪い思い出として残ってるんだよ。









アーカイブ 漢風諡号小考

2020.03.13 (Fri)
今回はこういうお題でいきます。日本史のカテゴリなんですが、
この内容は難しく、自分でもそれほど自信はありません。
さて、神武天皇はみなさんご存知だと思います。日本の初代天皇とされますが、
実在の人物かどうかには大きな議論がありました。現在では、
「実在ではなかった」あるいは「なんとも言えない」という意見が強いでしょう。

まあ、それはともかく、神武天皇が自分で「神武」と名乗っていたわけでは
ありません。『日本書紀』に書かれている諱(いみな)は、
「彦火火出見(ひこほほでみ)」で、もし実在の人物だったとすれば、
これが本名というか、自称だったのではないかと考えられます。

では、「神武」というのは何かというと、「漢風諡号 かんふうしごう」
というものなんです。簡単にいえば、後代につけられた諡(おくりな)ですね。
「漢風」とあるとおり、もともと中国の慣習であったものが、
奈良時代に日本に取り入れられました。この他に、
和風諡号というのもありますが、今回はふれません。

淡海三船
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さて、本場の中国では、皇帝(または王侯)の諡号は、生前の治世・業績を評価して
つけられることになっていました。徳が高く、よく世を治めた皇帝には
よい字(美諡)を、平凡だった皇帝にはそれなりの字(平諡)、
暴政をしいて民を苦しめた皇帝には、悪い字(悪諡)がおくられたんです。

例えば、美諡としては文帝や武帝。悪諡には、幽、昏、霊などの字が
使われますが、その代表的なものに、隋の「煬帝 ようだい」があります。
悪逆非道で知られ、最期も臣下に殺されるという悲惨なものでした。
「煬 火であぶる」の字が使われたのは、本名の姓が「楊」だったためでしょうが、
それを火偏の悪字に変えられ、「帝」も「だい」という特殊な読みになりました。

隋の煬帝
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さて、日本で、初代の神武天皇から第41代持統天皇までの漢風諡号を、
一括してつけたのは、奈良時代後期の文人、淡海三船だと考えられています。
この人はたいへんに学識が深く、日本最古の漢詩集、
『懐風藻』を撰集したことでも知られていますよね。

8世紀半ばに成立した『釈日本紀』に引用された「私記」に、
「初代神武以下の諡号は淡海三船が撰じ・・・」とあり、
淡海三船の朝廷での立場と、文人としての力量を考えれば、
撰考にかかわっていたのは、まず間違いのないところでしょう。
では、日本の漢風諡号には、どんな特徴があるんでしょうか。

その一つは、漢籍、中国の古典書から語句が取られていること。
もう一つ、中国のように悪い字は使ってはいませんが、それぞれの諡号には、
その天皇の生前の業績や特徴を表す深い意味があるということです。
ですから、諡号を研究することで、隠された日本史の秘密が見えてきたりもします。 
 
天智天皇
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よくいわれるのは、「天智天皇」と「天武天皇」ですね。「天智」は「てんち」ではなく、
「てんぢ」と読みますが、これは「天智玉 てんぢぎょく」から来ているという
説があります。(明治時代の文豪、森鴎外の『帝諡考』での考察)
天智玉は、悪逆で知られた商(殷)の紂王(これも悪諡)が、
周に攻められて自殺するときに身につけていた、長大な宝石のことです。

つまり、天智天皇は商の紂王に例えられており、天武天皇は商を滅ぼした周の武王
ということなんですね。もちろん、天武天皇は兄の天智天皇を直接殺したわけではなく、
壬申の乱で、天智天皇の子の大友皇子から天皇位を奪い取ったんですが、
これが、商から周に変わる易姓革命になぞらえられていることになります。
自分は、この鴎外の説は正しいんじゃないかと思ってます。

継体天皇
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「継体天皇」はどうでしょう。「継体」には「体制を受け継ぐ」という意味があり、
先代の武烈天皇に子どもがなかったことから、越前の国にいた応神天皇の5世孫
である継体天皇が探し出されて、天皇として推されたことになっています。
形の上で、天皇家の血筋が絶えるのを防いだので「継体」。
これについて、じつは王朝交代だったと唱える研究者もいますね。

「継体持統」という四字熟語が中国にはあり、「持統」は「系統を持する」
という意味です。天武天皇の没後、皇后であった持統天皇が、
自らその後を継いだことを表していると考えられます。
それから、前に少し出てきた「武烈天皇」と、もう一人「雄略天皇」について。
この2人の天皇は、どちらも荒々しい暴君であったと『日本書紀』に記されており、

雄略天皇
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この場合の「武」「雄」は、「厳しい法制をしいて人々を裁いた」というような
意味で使われてるんじゃないかと考えます。ただ、雄略天皇は、
実在の人物とみなされる根拠がありますが、武烈天皇に関しては、
継体天皇への政治体制の移行を正当化するための、
架空の存在ではないかとする意見が多いですね。

稲荷山古墳出土鉄剣 「獲加多支鹵 (ワカタケル 雄略天皇)」の象嵌
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あとはそうですね、「仲哀天皇」。『日本書紀』では、新羅国を攻めるようにとの
神のお告げにしたがわず、神は偽物ではないかとののしったため、
その祟りに触れて亡くなったことになっています。このあたりの事情が、
「哀」という字に表されているんじゃないかと思います。
仲哀天皇の後は、神功皇后が長期間にわたって世を治めることになります。

さてさて、ここまで書いてきたのは ほんの一例で、
それぞれの天皇諡号には、現代のわれわれには知られていない情報が
隠されているのは間違いないでしょう。じつは「推古天皇」について、
自分はかなり大胆な仮説を持っています。いつか書く機会があるでしょう。
では、今回はこのへんで。

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