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神を壊す話

2020.09.30 (Wed)
あ、ども。三保っていうもんだけど、ここで話をすれば金が
もらえるって聞いてきたんだ。じゃ、さっそく話していくが、
最初に断っとくけど、これな、40年前に死んだ俺のじいさまから
聞いたもんなんだ。それも、そのじいさまがまだ青年団に入ってた
頃のこと。だから、今から100年近く前の古い古いことなんだよ。
それでもいいかい。そうか。そうだなあ、年代にすれば昭和初期、
あるいは大正かもしれない。じいさまは今の〇〇県の生まれでな、
育ったのは山深い集落だよ。世帯は200かそこらだって言ってたな。
あ、現在のどこにあたるかは勘弁してくれ。いまだに何か、
差し障りがあるかもしれないから。で、まず集落の事情を
説明させてもらう。そこの集落には寺がなかったんだ。

そこの県は、明治維新からの廃仏毀釈が激しいとこでな。
おおかたの寺は打ち壊されてしまったのよ。だから、集落はみな
神社の氏子。結婚式も葬式も神式でやってたってことだ。
あ、今は寺はあるみたいだけどな。で、集落にあった神社は2つ。
一つは八幡社で、さっき言ったように集落のもんはみんな
そこの氏子になってる。で、もう一つあったのが、
集落の背後の低山の登り口にある神社で、これは八幡社よりずっと古く、
何だかよくわからない神様を祀っていた。おそらくは地元の
土地神なんだろう。日本書紀とかの神話には出てこない神様だよ。
それでな、八幡社のほうは、集落のもんには鎮守様と呼ばれてて、
年に何回かの祭日には、ほとんど全員が参加してたんだ。

一方、山の神社のほうは、祟り神様って言われてたらしい。
祭りどころか、参詣する者もいない。それじゃあ荒れるだろうと
思うだろうが、常駐の神職がいてな。そいつが毎日境内を掃き清め、
修繕なんかもしてたってことだ。で、この神職は、
集落で一番大きい自作農の次男以下がやるってのが、昔からの
しきたりだった。ああ、長男は家を継ぐから、その下の男の子が
将来神職になるとして育てられる。もし男児一人だけだった場合は、
そのための養子を取る。そうやって江戸時代以前から続けてきたそうだ。
さっきな、その神様のことを祟り神って言ったが、それは荒ぶる神で、
機嫌を損ねると何人も人死にが出るほどの力を持ってる。
そのために特別な祀り方をしなくてはならず、

それができるのは、幼い頃から修行させられた神職だけなんだよ。
で、じいさまがまだ独身で青年団にいた17、8の頃。
神職の代替わりがあった。その新しい神職、これが悪いやつでな。
何かと口実を見つけては、集落のもんから寄付を募る。
みな祟りが怖くて断れないんだよ。それだけならまだよかったんだが、
そのうちに、集落の女に手あたりしだいに夜這いをかけるようになった。
あ、夜這いって知ってるよな。昭和の時代、戦後しばらくまで
あったもんだ。ほら、津山三十人殺しってあっただろ。あの直接の
原因は、犯人の男が結核で徴兵検査不合格になり、女たちから
夜這いを断られたことだ。それで、その神職、未婚の娘、人妻に
かかわらず夜這いをかけたため、さすがに問題になってな。

自作農のとこに、何とかしてほしいって話がいった。けどな、その神職、
実子じゃなくて養子だったんだ。だから自作農の談判に対し、
「これもうちの神さんのご利益でしょう」とか、うそぶいたらしい。
そのうち、神職が夜這いをかけてトラブルになってた女の亭主が山で死んだ。
全身に傷があり、酷いありさまだったらしい。表向きは野獣にやられたって
ことになったが、集落のもんは神職が祟り神を使って襲わせたって
みな思った。さすがにこれ以上は許せない。しかし、祟り神は恐ろしい。
とにかく村の鎮守神の年配の神主に相談した。けど、神主はうーんと
考え込んでしまってな。祟り神のほうがはるかに古く、また力も強い。
鎮守の神様だけでは抑えるのは難しいだろうって話だったんだ。
困ったことになった。その神職だけだったら、みなで袋叩きにして
簀巻きで沼にでも放り込んだんだろうが、後ろに怖い神さんがついてる。

で、どうしたかっていうと、鎮守神は八幡神だろ。そのつてで、
県都から大きな神社の位の高い宮司に来てもらって相談した。
話を聞いて困惑してたそうだよ。その人も集落の祟り神のことは
よく知っていて、それが恐ろしいものであることも十分理解していたんだ。
しかし、放っておけることでもない。一般的に、ある場所に座ます神を
なくしてしまうには、きちんとした儀式をして高天原にお返ししなくちゃ
ならない。が、そんなことは神職が承知するはずはないよな。
そこで、夜中に祟り神の御神体を封じることにしたんだそうだ。
その神社は山のとば口にあるって言ったよな。拝殿はあるが本殿はない。
つまり背後の山の中にご神体があるってことだ。そこの山は、
長い間禁域とされていて、集落の者で入ったことがあるやつはいない。

だから綿密な作戦を立てたんだよ。まず、自作農と村の主だったもんが、
神職のところへ酒を持って訪れ、みなで飲ませてつぶしてしまう。
その間に、村の若い衆の中から決死隊を募り、カンテラを持って
山に入っていく。昔からの言い伝えでは、山の中腹に岩の洞穴があり、
そこにご神体はある。神職が定期的に祀りをしてるだろうから、
道はついているはずだ。でな、その決死隊の中にじいさまもいたんだ。
自作農の家を、山登り支度をして10時に出発。総勢10数名で、
最後に鎮守社の神主が続いた。幸い季節は10月の後半で、
藪で難渋するということはなかったそうだか、なにぶん夜中だからな。
今と違って夜は真っ暗だよ。みな無言で、カンテラで四方を
照らしながら細い道を上っていく。山自体は高さ数百m程度のもんだ。

2時間ほども登ると、中腹の岩屋に着いた。紙垂のついた古い注連縄が
岩屋の上部に渡されてあり、意を決して先頭が入ると、
意外にも中はすぐ行き止まりで、突きあたりに木柵があり、
その前に祭壇が設けられて、餅や酒、榊なんかが供えられていた。
神職がやったもんだよ。柵ごしにカンテラを向けると、背をかがめなければ
通れない高さの、奥へと続く穴があったんだ。順番を決めて1列になり
入っていった。これは怖いよな。自然洞穴だからいつ崩れてくるかも
わからんし。その横穴は30mほども続き、けっこうな広さの
地下の広間に出て、その半分以上は水が溜まった地底湖になってた。
岩壁はどこも濡れていて、カンテラの光が反射しててらてらと光った。
でな、地底湖の手前に、最初の祭壇よりもやや小さめのものがあり、

やはり簡素な供え物がしてあり、その後ろに櫃(びつ)があった。
じいさまは昔の鎧櫃じゃねえかと思ったそうだ。そのとき、
地底湖の側にいた仲間の一人が「あっ!」と大声を上げ、
カンテラで湖面を照らした。みながそのほうを見ると、カンテラの
光が届く水面下に、たくさんの白骨が積み重なってるのが
見えたそうだ。神主がみなを制し、櫃に向かってひとしきり祝詞を
唱えてから、両開きの櫃の扉に手をかけた。鍵などはかかっておらず、
開いた中には・・・ カンテラの光で、白い丸い大きなものが見えた。
頭蓋骨、けど、人間のものの数倍ある。しかも、後頭部のほうにも
別の目や口があるようにも見えたそうだ。歯はすべてなくなっていた。
みなが一斉に神主のほうを見、神主は「そこらの石を拾え。

 全員で投げるのだ」と。10人以上が、大きめのゴロタ石を
櫃に向かって投げつけ、後ろに倒れると、今度は上から投げ下ろした。
骨は存外にもろく、割れて粉が舞い、その上に石が積み重なっていった。
その後、神主が長い長い祝詞を唱えてから山を降りたんだよ。
いや、じいさまらに祟りなどはなかった。死んだのは酒を飲んでた神職だけ。
突然カッと目を見開き、わけのわからない言葉とともに口から血を吹き出して
倒れ、それっきりだったそうだ。ちょうど洞穴の骨を壊したあたりの時刻だ。
これで、だいたいのところは終わり。その後、祟り神の神社は落雷で全焼した。
集落全体にも悪いことはなかったそうだ。むしろな、その後 中国との
戦争が始まり、集落の若いもんにも招集がかかったが、
危険を乗り越えて死なずに返ってくるものが多く、戦死率は低かったそうだよ。
ま、それはたまたまだったのかもしれないが。

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伝奇小説について

2020.09.29 (Tue)
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今回はこういうお題でいきます。ひさびさの怪談論になりますね。
さて、まず伝奇小説とは何か、ということですが、本来は
中国の唐の時代に隆盛した小説の形式を言います。もともと
中国では詩と経が尊ばれてきました。

経は仏教のお経のことではなく、『論語』など、儒教において
規範として認められる道徳などを説いた典籍のことです。
で、『三国志演義』 『水滸伝』 『封神演義』などの小説は、
知識人の教養の書ではなく、一段も二段も低いものとして
扱われてきました。要は、士大夫の読むものではない。

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この傾向はずっと続いて、清代の魯迅の頃でもあまり変わりは
なかったんです。そもそも小説という言葉は、
国家や政治についての論である大説に対して できてきたもの
なんです。さらに、小説の中でも、怪異を扱った作品は、
小馬鹿にされるような対象だったんですね。

理由はおわかりだと思います。孔子が『論語』の中で、
「子不語怪力乱神 子、怪力乱神を語らず」と述べている
からで、中国では、儒教は各王朝で国教としての扱いを受け、
その権威はきわめて大きかったんです。

fff (3)

さて、中国の六朝時代(3世紀から6世紀)に「志怪小説」と
いうものが登場します。基本的に、短い文章で世間で
噂になった超自然的な怪異譚や逸話を記録したもので、
現代の怪談に近いと言っていいかと思います。

唐代に流行した伝奇小説は、それよりも長く、内容もはっきりと
作者の創作したものでした。裴鉶 (ひけい)という人物が
『伝奇』3巻を著し、その題名が一般化して、伝奇小説という
言葉ができ、それが日本にも取り入れられたわけです。

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さて、ここからは現代日本の伝奇小説の話をしていきますが、
この「伝奇小説」という言葉の意味内容はきわめてあいまいで、
定義がはっきりと決まってはいません。Wikiでは、
「中国や日本の古典的な伝承や説話等にある怪奇な事件や、
作者独自の想像による史実とは異なる歴史を題材にした小説」

となっていますし、多くの国語辞典では「伝奇的な事柄を
主題とする小説」と記されています。伝記的な事柄って何だよ、
とつっ込みたくなりますよね。こっちはそれが知りたくて辞書を
引いたのに。しかたなく伝奇の項を見ると、上で書いたような
中国の話が出てくる。

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また、伝奇推理、伝奇SFといった言葉もありますね。
自分は、伝奇小説はやはり「歴史的」である必要があるんじゃ
ないかと考えています。はるか古代や中世、江戸時代とかでも
いいんですが、その頃から続いている秘密があって、
主人公らが、それを探っていくという形の内容。

あと、伝奇SFはいいと思いますが、伝奇推理というのはちょっと
どうでしょう。よく横溝正史氏の作品群が伝奇推理と
言われたりしますが、ほとんどのものではきわめて理知的に
謎が解かれており、伝奇と言っていいのは、落武者伝説と
宝探しがからんだ『八つ墓村』くらいじゃないでしょうか。

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伝奇小説には「超自然」という要素も必須だと自分は考えます。
ですから、そもそも本格推理小説との相性はよくないんですね。
ただ因習的・閉鎖的な田舎を舞台にしただけの作品に、
あまり物を知らない編集者が「伝奇推理」という惹句をつけてしまう。

あ、スペースが残り少ないですね。自分が考える現代の典型的な
伝奇小説は、高橋克彦氏の『竜の柩』シリーズなどです。
ちなみに、竜の柩とは、古代に墜落した異星人のロケットのこと。
それを手に入れるため、さまざまな組織が争うストーリー。

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推理小説では、第26回江戸川乱歩賞を受賞した井沢元彦氏の
『猿丸幻視行』。これは歴史推理でもありますし、
主人公が明治の民俗学者 折口信夫に、新薬の力を借りて
サイコダイブするという、超自然的な要素も満たしています。

あとは、半村良氏の『石の血脈』 『産霊山秘録』などの作品群。
たくさん書かれており、一時期、自分は続けて読んでましたね。
『英雄伝説』 『戸隠伝説』などの伝説シリーズもなかなか
面白かった記憶があります。夢枕獏氏の一部の作品も
伝奇小説と言っていいかなと思います。

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それと、伝奇小説は冒険小説としての要素も重要だと考えてます。
主人公が、ふとしたことで歴史的な秘密を知ってしまい、
謎を追求していくうちに秘密組織などとの戦いになり、
埋蔵金や宇宙人などもからんだ大冒険になる。
そういうものじゃないかと思うんです。

さてさて、伝奇小説はホラーとの相性も悪くはありません。
自分が書いた話の中では、そうですね、「氷穴の話」
なんかは伝奇小説に近いかなと思います。下にリンクを貼って
おきますので、よろしければご一読ください。では、このへんで。

関連記事 『氷穴の話』




アーカイブ トカゲの子の話

2020.09.29 (Tue)
昨年、ある神社に御参りをしたんです。有名なところではありません。
おそらく、知る人ぞ知るという場所だと思います。
願掛けをしたんです、縁切りの。ええ、縁切り神社と言われるところで、
有名な御社がたくさんあるのは調べました。
京都の安井金比羅宮様などですね。
縁切り絵馬を買って、願掛けされる方が多数おられるようです。
でも、そういう有名なところに行くのはなんとなく気が引けて・・・
そこへ、ある知人から、その御社のことを伺ったのです。
ほとんど人に知られず、参る人も少ないが、とても強い効験を持った
神様のおられる場所だということでした。それで、まだ1歳になった
ばかりの息子を連れ、電車を乗り継いでお参りに出かけたんです。

たどり着いた先は、ほんとうに田舎の町で、そこの駅からバスに
乗って1時間、さらに無舗装の登り坂を30分以上歩いたところでした。
夏の始めのことでしたが、息子が暑がってずっとぐずっていたことを思い出します。
やがて棚田の中のこんもりとした林に御社の茅葺屋根が見えてきました。
そのとき、御社の裏手の山地から一筋白い煙が上がっているのが見えました。
ええ、空に向かって細く一直線にです。御社の戸は開いていましたが、
境内に人の姿はなく、神職さんも常駐してはおられないようでした。
また、絵馬などが奉納されてる様子はなく、御御籤すら見ませんでした。
こう言ってはなんですが、知人の言っていたことは確かなのだろうかと、
不安になってきました。まだ歩けない息子を、
手水鉢の陰になったところに置き、普通の形でお参りを済ませました。

何を願ったかというと、それは前に話したように縁切りです。
息子が生まれる前後から、ずっと夫の浮気に悩まされてきたんです。
ただ、そのときに願ったのは夫との縁切りではなく、
夫と相手の女との縁が切れることだったんです。
もう神仏に頼るくらいしか、私にできることはなかったんです。
思えば目が見えなくなっていたんでしょう。
なんだか物足りないような気持でお参りを済ませ、息子を抱きなおして、
バス停までの炎天下の道を歩いていました。
そこでふと、御社のほうを振り返ると、
さっきまで空にたなびいていた煙の色が変わっているように見えました。
あの、ピンク色の真珠ってありますでしょう。

あの色に見えたんです。それは美しく、まるで空への道が
続いているように。ええ、それを目にしまして、
なんだか私の願いを神様が聞いてくれたように思えたんです。
息子はすっかり疲れたようで、眠ってしまっていました。
田んぼにも、道にも人の姿はなく、
みなが家にこもって暑さをさけているようでした。
バス停までの道のりの半分ほど歩いたでしょうか。
道の向こうから、白装束の人がやってきました。背の小さいおばあさんで、
お遍路さんの装束をしていました。ええ、白衣と笹笠姿でしたが、
そのあたりは巡礼の道筋からは外れていたはずです。
私は軽く頭を下げて行き過ぎようとしたしたのですが、

お遍路さんは笠をあげ、私のほうを見て立ち止まったんです。
「いざなさんへ参ってこられたかね」訛りの強い口調でこう話しかけられたんです。
「いざなさん」というのが何のことかよくわかりませんでした。
御参りした神社の名前とは異なっていましたが、
そこは神社までの一本道でしたので、御社のことだろうと思いました。
私も立ちどまり、あいまいにうなずくと、
お遍路さんは、「御社の煙の色が変わったんで来てみた。
 あんた願掛けをしてきたんだろう。この暑い中を御苦労なことだが、
 いざなさんはしわっておるぞ」こう言いました。
「しわって」の意味が分からず、「どういうことですか」と尋ねると、
お遍路さんはやや口調を変え、

「わからねばよい。それより、あんたが手に抱いている子。
 それは本当にあんたの子かね、人間の子かね」そう聞かれて、
思わず「えっ」と息子の夏帽子をのぞき込みました。
眠っていると思っていた息子が、きろっと目を動かしたんですが、
それが黄色に黒の棒のような瞳の、蛇など爬虫類の目だったんです。
顔にはびっしりと鱗がありました。
「えっ?、えっ」腕の力が抜け、取り落としそうになりました。
息子の体が傾くと、ふわっと体が軽くなり、ちろりとトカゲが地面に落ちました。
さきほどは1歳児と同じほどの大きな顔をしていたのに、
手のひらに満たない青いトカゲが、白く日に照らされた地面を走り、
用水路の草の中に消えていきました。

私に残されたのは息子の赤ちゃん服だけでした。
「えっ、どういうこと、息子はどうなったんですか」
私はパニックを起こして叫んでしまいました。
「あんたはよほど強く憎しみをぶつけてきたんだろう。いざなさんのお使いを、
 社から連れてきてしまった。いざなさんは何より血の好きな神さんだで、
 大変な過ちをするところだったぞ」
「それよりも、息子は? 息子はどこにいるんです」
「まだいざなさんにおるだろう」このお遍路さんの言葉を聞いて、
私はくるりと後ろを向いて走り出しました。ええ、炎天下ですので、
汗だくになり眩暈もしましたが、そんなことは言ってられませんでした。
長く長く思える道を必死にに駆け続けて、御社に戻りました。

ええ、息子は最初に置いた手水鉢の陰で、
おむつだけの姿ですやすや眠っていたんです。
それを見て、安堵のあまりその場にへたり込んでしまいました。
御社のお水をいただき、しばらく休んでから今度こそ息子を抱えて戻りました。
途中で振り返ってみると、山からの煙は止まっていました。
帰りの道で、あのお遍路さんに行き会うことはありませんでした。
今となっては、お礼を言うことができなかったのが残念です。
その後、家に戻ってからいろいろとあったんですが、最終的に、
夫とは離婚することになりました。
もし、あのまま「いざなさん」を連れ帰っていたらどうなっていたでしょう。
これでよかったのかはわかりませんが、息子は元気に育っています。






姑獲鳥と産女、飴買い幽霊

2020.09.28 (Mon)
キャプチャgggg
産女

今回はこういうお題でいきます。妖怪談義です。さて、
『姑獲鳥の夏 うぶめのなつ』は、1994年に刊行された、
京極夏彦氏の長編推理小説で、「百鬼夜行シリーズ」の第一弾
でもあります。ベストセラーになったので、みなさんの中にも
お読みになった方は多いんじゃないでしょうか。

当ブログでは、ホラー映画や小説の場合はストーリーを書いてますが、
ミステリ作品は、できるだけネタバレは避けるようにしています。
この小説では、冒頭に「20ヶ月も子どもを身ごもったままの女性」
という謎が出てきて、それを軸に物語が展開していきましたよね。

映画『姑獲鳥の夏』
キャプチャ

で、この題名、「姑獲鳥 こかくちょう」と書いて「うぶめ」と
読むのは、明らかに熟字訓なんですが、どうしてそうなったかというと、
もともとは別の妖怪だったのが混同されたためです。姑獲鳥は
中国由来の妖怪、産女(うぶめ)は日本の妖怪と考えられています。

まあ、このあたりはオカルト好きの方ならご存知かもしれません。
姑獲鳥のほうから説明していきます。西晋代の博物誌『玄中記』に
出てくる鳥の妖怪で、鬼鳥とも言います。中国語で画像検索すると
下図のようなものが出てきました。中国の荊州(現在の湖北省)に多く
棲息し、羽毛を着ると鳥に変身し、羽毛を脱ぐと女性の姿になります。

姑獲鳥の中国語検索の画像
キャプチャ

で、姑獲鳥の話は、「羽衣伝説」とも関係があるんです。羽衣伝説は
日本各地にあって、典型的な筋は、衣服を抜いで木にかけ、
裸で水浴びをしている美しい乙女らを男性が見つけ、衣服の一そろいを
隠してしまう。乙女たちは鳥に姿を変えて飛び去ったが、隠された
一人だけは鳥の姿に戻ることができず、その男の妻になる・・・

だいたいこんな内容で、西欧にも「白鳥処女伝説」という類話が
あります。これ、姑獲鳥にも同じような話があるんですね。
ただし、羽衣伝説の場合、女たちは天女ですが、姑獲鳥は鬼神。
もう一度上の画像を見てください。天女と同じように、
ひれ(細長い布)を身に着けているのがわかります。

白鳥処女伝説
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姑獲鳥が天女と違うのは、人間に害をなす怖い妖怪であること。
他人の子どもを奪って自分の子とする習性があり、夜に干された子どもの
着物を見つけると、自分の血で印をつけ、つけられた子は魂を奪われ、
ひきつけの一種である無辜疳(むこかん)という病気になるとされます。

なぜこういう妖怪が出てきたかはわかりませんが、托卵という動物の
習性がありますよね。鳥のカッコウの場合、ホオジロやモズなどの
巣に卵を産みつけ、カッコウの雛は早く孵化して、もともとの卵や雛を
巣の外に落とし、仮親から餌をもらって成長し、巣立っていきます。
もしかしたら、このあたりのことが関係しているのかもしれません。

カッコウの托卵 自分よりずっと大きい雛に餌をやる仮親
キャプチャhhhh

で、姑獲鳥は嫌な妖怪なんですが、唐の時代になると、『酉陽雑俎』
などで、姑獲鳥は出産で死んだ妊婦が化けたものとの説が
出されるようになります。おそらくですが、姑獲鳥の話はこの頃に
日本に伝わり、産女と混同されていったんじゃないでしょうか。

さて、産女のほうですが、死んだ妊婦をそのまま埋葬すると、産女
という妖怪にになるという伝承は日本で古くからあり、多くの地方で、
子どもが産まれないまま妊婦が死亡した際は、腹を裂いて胎児を取り出し、
母親に抱かせたり負わせたりして葬るべきと伝えられていました。

産女
キャプチャuuuuuu

産女は、川など水に関わる場所にいて、そこを通る人に自分の子を    
抱いてくれと頼んできます。産女の腰巻きには血がついて描かれる
ことが多く、これは産褥の禊と関係しているのかもしれませんし、
中国の姑獲鳥が、子どもの衣服に自分の血をつけることが
変形したのかもしれません。

こう書くと、産女もなかなか怖い妖怪なんですが、日本にはもう一つ、
「飴買い幽霊」という話がありますよね。夜になると一文銭を持って
飴を買いにくる女がいる。それが6夜続き、7日目の晩にはお金が
ないと言って、女物の衣服を差し出した。飴屋が翌日、
その服を市で売ろうとすると、裕福な男がそれを見て、

飴買い幽霊
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「死んだ娘のために墓に入れたものだ」と言う、男と飴屋が墓に
行ってみると、新しい土饅頭の中から赤ん坊の泣き声が聞こえ、
掘り起こしてみると、娘の亡骸が生まれたばかりの赤ん坊を抱いていて、
娘の手に持たせた三途川渡し代の六文銭はなくなっていた・・・
胎児が生きているか死んでいるかの違いはありますが、

産女も飴買い幽霊も、母親が死んでも子を思う悲しい話なんです。
ということで、姑獲鳥、産女、飴買い幽霊は、もともと別の話で    
あったものが、それぞれの部分部分が混同して現在まで伝わっている
ということでしょう。この手のことは他の伝承でもよく見られ、
それを読み解いていくのはなかなか楽しいものです。

静岡市葵区の産女観音
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さてさて、最後に、現代に産女が現れたというオカルト話があるのを
ご存知でしょうか。1984年(昭和59年)静岡市産女(現 静岡市葵区)
の県道で、女性が運転する車が集団登校中の児童の行列に突っ込み、
児童数人を跳ね飛ばしてガードレールに激突しました。加害者の証言では、
三つ辻の道路の左側に老婆が立っており、避けようとして事故になった。

ですが、事故を目撃した児童は、車がバイクを追い越そうとして
歩道に入ったと証言し、老婆のことにはふれていません。その場所は
古くから産女新田と呼ばれていて、地名の由来は江戸時代に牧野喜藤兵衛
という者の妻が妊娠中に死に、その霊が何度も現れたため、その怨念を
鎮めるため村人が産女明神として祀ったものである・・・ では、このへんで。






数学のオカルト

2020.09.28 (Mon)
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今回はこういうお題でいきますが、なんか書く前から散漫な
内容になるんじゃないかという予感がしますね。
スルーされたほうがいいかもしれません。さて、みなさんは、
学生時代に数学はお好きだったでしょうか。

中には、散々に苦しめられた、もう数式なんか見たくない、
と思われてる方もいるかもしれません。学研社のアンケートによれば、
中学生の好きな教科の1位が数学、また、嫌いな教科の1位も数学
なんです。つまり、人によって好き嫌いがはっきりと分かれる。

中学生に対する学研社の調査
キャプチャ

自分は大学では歴史学(考古学)を専攻しましたので、いちおう
文系ですが、考古学は地質の知識は必須ですし、発掘時には
測量もします。遺物の保存には窒素や樹脂などの化学薬品を使い、
文系の中ではかなり理系に近い分野だと思ってます。

うーん、国語よりは好きだった気がします。国語は、例えば、
「このときの登場人物の気持ちに最も近いのは1~4のどれでしょう」
みたいな問題で、答えに納得できないことがありました。
それに対し、数学だと自分がわからない問題でも、
解答の解説を見れば納得するしかないですよね。

イシャンゴの骨
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さて、まずは数学の歴史ですが、人類はいつから数の概念を持ったのか?
いつから計算ができるようになったか? この手のことを論じてると、
それだけで本項が終わってしまいそうです。
一つだけご紹介すると、「イシャンゴの骨」というのはご存知でしょうか。
1960年にアフリカ・コンゴで発見された骨角器で、

炭素年代により約2万年前のものと見られています。
全長にわたって、大小さまざまの刻み目が3列に並行してついていて、
明らかに人為的なものです。これが何か、さまざまな議論が
なされたんですが、現在では、古代エジプトのかけ算という説が
有力視されています。数学はじつに古くから存在したんですね。

ピタゴラス 資料が残ってないため、肖像や彫像はすべて想像図
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古代ギリシアで数学は飛躍的に発展しました。ただし、このころはまだ、
数学は宗教というか神秘学と深く結びついていたんです。
ピタゴラスの定理で有名なかのピタゴラスは、数を万物の根源元素
(アルケー)と考えていました。過去記事に書きましたが、
彼は自身の教団をつくり、信者には私有財産をすべて寄付させます。

そして集団生活を送りながら、数の秘密をさぐる。秘密厳守の掟があり、
破ったものは船から突き落として殺されたと言われます。また、
ピタゴラスは、数はすべて整数とその比(つまり分数)で表すことが
できるとしていましたが、あるとき弟子の一人が分数にできない数(無理数)
を発見してしまい、秘密を守るため、その弟子も殺された・・・

まあ、このあたりのことは伝説ですので、実際の話かはわかりません。
ピタゴラスの研究分野は「数秘術」と言われていますが、
その内容は、ピタゴラスが市民らによって殺され、教団が壊滅したときに、
すべて失われたとみられています。ですから、現在、数秘術を名のって
いるものは、かなり怪しいと考えたほうがいいでしょう。

かなり怪しい人物だったアイザック・ニュートン
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あとはそうですね、17世紀に活躍した有名なアイザック・ニュートン。
科学者としては万有引力の発見、数学者としては微積分法の発見など、
すばらしい業績を残していますが、ニュートンはまた、
錬金術も深く研究していました。その時代にあって、
まだ、科学とオカルトは未分化だったんですね。

特に力を注いだのが、聖書の暗号(バイブル・コード)の研究。
聖書には未来予言が隠されていると信じ、さまざまな数式をあてはめて
ひっちゃきに分析していたようです。その結果、世界は少なくとも
2060年までは滅びないという結論を出していますが、いくらニュートンが
天才といっても、さすがにこれは眉唾な話だろうと思います。

マクスウェルの電磁方程式


さて、数学は人間にとってきわめて重要な学問で、人類の発展の
原動力になったのは間違いありません。蒸気機関が発明され、
産業革命が起こりましたが、その力はすべて数式を立てて計算する
ことができました(熱力学)。電磁気についても同じで(電磁気学)、
数学を基礎としてさまざまな形で生活の役に立っています。

これは逆に言えば、数式を立てるのが難しい分野では、
なかなかめざましい進展が見られないんですね。例えば、医学生理学、
気象予報、地震予知などです。1980年代ころから複雑系という
概念が現れ、カオス理論などが研究されるようになりました。

カオス理論のローレンツモデル
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いわゆる、「北京で蝶が羽ばたくとニューヨークで嵐が起こる」
というやつですが、その現象にかかわる諸要素があまりに複雑すぎて、
数式を立てるのが難しい。そういうのは人類は苦手なんです。
さて、ここで少し話を変えて、癌の治療について。

現在の癌に対する3大療法は、外科手術、放射線治療、化学療法(抗癌剤)、
とされており、それにつぐ第4の治療法が免疫療法なのではないかと
言われます。ただこれ、自分は怪しいと思うんですよね。免疫機構は
複雑系の最たるもので、現代医学は、自己免疫疾患である
花粉症やアトピーにはお手上げの状態です。

AI画像診断
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むしろ検診のほうに光明がある気がします。PETやMRIなどの
画像診断機器は今後ますます改良されるでしょうし、それにAI診断を
組み合わせれば、癌がごく小さい数ミリのうちに発見・特定できるように
なるんじゃないかな。それでもすでに転移しているものも
あるでしょうが、治癒率はかなり改善すると思います。

数学と相性のいい機械工学の面から攻めるのがいいんじゃないかな。
天気予報がよく当たるようになったのは、気象衛星による
データ取得と、それを解析するAIソフトの進歩によるところが
大きいんです。これも数学が使える分野ですね。

さてさて、やはりわけのわからない話になってしまいました。
数学は快感がありますよね。難しい問題を考えてる途中で解決の光明が
見えたとき、あるいはすべて解き終わったとき、えもいわれぬ
快感がやってきます。これがあるから、数学好きの子どもも
それなりに多いんじゃないでしょうか。では、今回はこのへんで。

関連記事 『ピタゴラスと数秘術』

数学仮面マテマティコ
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裏返る話

2020.09.27 (Sun)
あ、どうも、鈴木と言います。都内の大学の3回生です。
今ね、ちょっとヤバいことに巻き込まれてるみたいなんです。
それで、人づてに聞いて、ここのみなさんはいろいろ不思議なことへの
対処法を知ってるって話だったから。俺ね、大学で水泳部だったんです。
だったと過去形なのは、今年の8月で引退したからですね。
俺みたいな普通の部員は、3年の夏でやめるんです。
それ以後も続けるのは、国際大会に出るような選手。
あとは就職活動・・・なんですが、それどころじゃなくなって。
ああ、はい。最初から話していきます。最後の大会が終わって、
慰労会も終わった後、仲間の3年2人と海に遊びに行かないかって話に
なったんです。現役中は海は禁止されてましたから。

え? 水泳部なら海は得意なんじゃないかって。いや、それが、
ほら、海は当然ながら塩水でしょ。最初から浮力がある。
それだと、泳ぎのバランスが崩れるって監督に言われてたんです。
それに、クラゲとかに刺されたらマズいでしょ。その制限が外れたんで、
行こう行こうってことになって。3人でレンタカーを借りて土日1泊で。
行ったのは、ちょっと遠出して南関東の海岸です。
場所は〇〇ってとこ。遠浅の砂浜でした。昼過ぎには着いたんですが、
もう8月の終わりでしたからね。人出はそれほど多くなくて、
ナンパでもって考えてたのが、あてが外れちゃったんです。
それでも、海の家とかはやってたので、そこでラーメンとか
食ってから水に入りました。そしたらやっぱ、

海って泳ぎやすいんですよね。そこの海水浴場は、家族連れの多い
とこだから、足の立つとこまでが遊泳区域になってて、
ブイが浮いてました。まあ、俺ら水泳部員には物足りないんだけど、
のんびり浮いてるのも楽しかったです。それでね、他の2人、
吉田と遠藤ってやつですが、そいつらとぎりぎり沖まで出たとき、
テトラポットの積んである向こう、そうですね、500m先くらいに、
ぽっかり人のいない浜が見えたんです。まあ面積はせまいんだけど、
泳ぐには何の不都合もなさそうな。で、何であそこ使ってないんだろう、
って話になってね。浜に上がって缶ビール買いがてら、
海の家のおばちゃんに聞いてみたんです。そしたら、
「ああ、あそこの浜ね。・・・ついこないだ、亡くなった人がいて

 それで閉鎖されてるん」って。「えー、あそこも遠浅でしょ。
 小さい子どもとかですか」 「・・・いや、泳いででのことじゃ
 ないんよ。病気で」 「病気なら、場所は関係なくないですか」
「そうだけど、あそこの浜、昔から海水浴場ではないんよ。
 堤防の上は道路だけど、道路の向こうはあの一画は小さい神社で
 民家はないの」 「あ、じゃあ神域の一部だからってこと?」
「そういうわけでもないけど」 こんな感じで、要領の得ない
答えが返ってきたんです。それでね、仲間の吉田が、「なあ、夜、
 あの場所に行って焚き火しないか」って言い出して。
「あ、いいな」すぐそう答えたんですが、今は後悔してます。
でね、民宿泊だったんだけど、宿の夕食が終わって9時過ぎ、

「外をぶらぶしてきます」って言って、缶ビールを入れたバッグを
持ってあの浜に歩いてったんです。ああ、宿の夕飯のときも
酒は飲んでました。けど、酔っ払ってたってことはないです。
道路に車はほとんどなく、たしかに小さな鳥居があって、
奥は神社みたいでした。そのまわりが森。遠藤が堤防に上って、
「浜に降りる階段があるはずだよな、あ、あれか」
その堤防はかなり高くて、家の2階くらいあったと思います。
で、人ひとり通れるせまいコンクリの階段を降りていきました。
その夜は月が出てて、道路の街灯もあるんで、浜はけっこう
明るかったです。ただ、海は真っ暗で漁船の灯り一つ見えない。
「さあ、焚き火、焚き火」とは言ったものの、思いつきだから

何の用意もなかったです。吉田が100円ライター持ってるだけ。
でね、堤防の下の道路から見えないとこで、流木とかゴミを集めて
火をつけようとしたんだけど、湿ってて やっぱ無理でした。
「こら、バーナーとかないとダメだわ」焚き火は早々にあきらめて、
そこで3人でビール飲んでだべってたんです。就職活動に対する不安とか。
で、小一時間くらいしたとき、遠藤が「あれ、何だろ」と波打ち際を
指差したんです。「え、何が?」そっちを見ると、
波が来るぎりぎりのところに、白い丸いものがあったんです。
大きさは、そのときは判断がつきませんでしたが、3人で近づいて
いくと直径が1mくらいのいびつな球状のもの。うーん、どう説明したら
いいか。ブドウの粒の皮を剥いたようなもんでした。生白く、透明感が
あってプルプルしてる。それが砂から生えたようになってたんです。

「何だこれ?」 「クラゲか」 「ホヤとかの仲間じゃないか」
「これ一つだけって変だろ、それに生き物だとしたら餌がないし」
「あ、やめろ」と止める間もなく、吉田がそれをビールの缶で
つついたんです。そしたら、ゆっくりとそのれが裏返ったんですよ。
これもね、説明に困るんだけど、ゴムボールの両側に穴をあけて
ぐるんと裏返すことができますよね。あんな感じで、裏返ってはまた
もとに戻り、また裏返る・・・これをくり返し始めて。裏側も
白っぽいけど、ややオレンジだったような気がします。
暗かったんで自信ないですが。でね、それ見てるうちに、足元が
ぐらぐら揺れて、立ってられなくなっちゃったんです。膝をついてから
ゆっくり前に倒れました。気を失ったんですが、目をつぶる前に、

仲間2人もそれぞれ倒れるのが見えたんです。で、夢を見たんです。
これもね、うまく説明できないんですけど、自分が古代の海の中にいて、
ミジンコみたいな生物になって漂ってる夢。変ですよね。
で、肩をゆすられて気がつきました。遠藤が最初に目が覚めて、
俺を起こしてくれたんです。それから吉田も起こして。
まだ暗く、時計を見ると夜中の12時を過ぎたくらいでした。
あの変な生き物?はなくなってました。海に帰ったか、
よくわからなかったです。3人とも気分が悪くて、吉田は階段の
ところで吐きました。いや、ビールのせいじゃないです。体育会系の
大学だから、酒飲みは3人とも慣れてるんで。その後は、
民宿に戻ってすぐ寝ました。体調不良は翌朝も続いてて、

日曜の予定は切り上げて、早々に東京に帰ったんです。え?
他の2人も夢を見たのかって? いや、それは聞かなかったです。
それから1週間ほどして、吉田が入院してるって話を耳にして。
吉田とは学部が違うんで、顔合わせなくても変とは思ってなかったんです。
見舞いに行こうかと思ったら、面会謝絶でした。吉田のスマホには、
郷里から出てきた父親が出て、そんときに、全身の皮が剥けてきてる
って話を聞いたんです。いや、日焼けで表皮がはがれるってことじゃなく、
皮膚全体が水ぶくれのように浮き上がって、口の中もそうだから
物が食べられないって。でね、奇病だってことになって、
有名な大学病院に移ったみたいです。それ以後、吉田とは会ってないし、
もちろん話もしてません。遠藤と、心配だなとは言ってたんですが、

あの夜、浜で見たものと関係があるなんて考えてもいなかったんです。
けど・・・ 2週間後、吉田が病院で亡くなったって知らせが入りました。
東京で火葬して、葬式は郷里でやるって。だから、遠藤といっしょに
行くつもりでした。その夜なんです。俺、安アパートだけど、部屋に風呂は
ついてて、湯船に入ってたら、パンと音がして、排水口のフタがはね飛んだ
んです。中から白いものが出てきました。浜で見たやつです。それは
洗い場で大きくふくらみ、裏返り始めたんです。何度も、何度も・・・
最後に白い膜に内部から顔のようなのが押しつけられるように出てきて、
それ、吉田に似てる気がしたんですよ。呆然と見てたんですが、われに返って
風呂場から逃げ出しました。・・・それでね、この手、見てください。
皮膚が浮き上がってきてるんです。今のところ、痛くはないんですけど。

キャプチャ




アーカイブ 連想の話

2020.09.27 (Sun)
小学校6年のときのことだったと思います。
ある日学校で、放課後に親しい友だち何人かと残って話をしてたんです。
その中で、A子ちゃんという子が「性格判断しよう」って言い出しました。
そうですね「心理クイズ」みたいなやつです。
「まず始めは白、白って言ったら何を連想する?」A子ちゃんが聞いて、
みんなは順番に「雲」とか「雪」とか答えました。
私がなんと答えたかは忘れちゃったけど、ごくありきたりのことだったと思います。
それぞれの答えを聞いて、A子ちゃん分析をしたんです。
「雲を連想した人は、夢見がちな性格だけど物事は地道にコツコツやります」とか。
たぶん何かの本に書いてたことだったんじゃないかな。
「じゃあ、次は赤、考えないでぱっとすぐ答えてね」

「リンゴ」 「火」 「ポスト」など、やはりありがちなものが出てきました。
私の番になって、なぜか「冷蔵庫」って言ってしまったんです。
「えー、冷蔵庫!?」A子ちゃんが大げさな感じで言いました。
A子ちゃんの家は大きな事務機の会社を経営してて、
お母さんがある宗教団体の地域の幹部を務めていたんです。
その宗教団体には私のお母さんも入ってました。そのせいもあって、
私はA子ちゃんが苦手というか、頭が上がらなかったんです。
他の子も、「○○ちゃんの家の冷蔵庫赤いの?」と聞いてきて、
私は困ってしまいました。家の冷蔵庫は白い小さなもので、なぜ
そんなことを言ったのか自分でもよくわからなかったです。「リンゴを
 連想した子は・・・、火は・・・」A子ちゃんはすらすら解説しましたが、最後に
私の顔を見て「冷蔵庫は変ね、頭がおかしいんじゃないかな」そう言いました。

その後、先生が教室に顔を出して「残ってないで帰りなさい」と言ったので、
みんなスポ少に行ったり家に帰ったりしたんです。私の家は、
お父さんが私が小さい頃に亡くなっていて、お母さんと2人暮らしでした。
長屋みたいなとこに住んでたんです。平屋で同じ家が3軒くっついて並んでる。
お母さんはさっき話した宗教団体で事務をして、それでお給料を
もらってたんです。長屋も宗教団体の持ち物だったはずです。
いつもは鍵を自分で開けて入るんですが、その日は開いてて、
靴を見るとお母さんが帰ってきてるのがわかりました。
私が「ただいまー、早かったね」と言いながら居間に入ると、
お母さんはコタツに座ってたんですが、「ねえ○○、赤って言葉を聞いたら
 何を連想する?」って聞いてきたんです。A子ちゃんがやったのと同じに。

私はわけがわからなかったんですが、
なんとなく大変なことじゃないかって気がしたんです。
それで「リンゴ」って答えました。するとお母さんは「あら、勘がいいわね」
そう言って台所に行き、リンゴを持ってきてむいてくれたんです。
ですが・・・お母さんが台所に行くときに、すでに包丁を持ってた気がするんです。
コタツから立ち上がったときに、エプロンの裾にそっと包丁を隠すのを確かに
見たんです。夜になって、私が寝た後でお母さんは電話をかけていました。
寝室はすぐ隣なので気配でわかったんですが、A子ちゃんの家じゃなかったかと
思います。このときはそれ以上変なことはなく終わりました。
それから数ヶ月して、私は中学に入学することになりました。
学区の公立です。A子ちゃんはかなり離れた私立に入学することになりました。

中学校入学と同時に、宗教団体への入信式がありました。
信者の家の子どもは否応なく入らせられるんです。
市の外れに大きな建物がありました。神社みたいに屋根がぐっと
せり出してるんです。木じゃなくてコンクリ造りでしたけど。
そこに中学の制服を着せられて母に連れてかれました。
その年に入信する子どもは全部で8人でした。A子ちゃんの姿もありました。
祭壇のある部屋には白いトーガのような服の信者の方に囲まれたA子ちゃんの
お母さんが着飾って待ってて、そこで跪いて儀式を受けたんです。
水を顔にかけられたり、信者としての名前をもらったり・・・
全部で1時間くらいでしたね。終わってから、信者の方が車で
送ってくれることになり、一人で外で待っていました。

ところがしばらくたってもお母さんも信者の方も出てこなかったんです。
寒かったので、大きな倉庫の屋根の下に入りました。そこの引き戸が
少し開いてて中の様子が見えたんです。雪かきの機械や竹ぼうき・・・
その奥のほうにホコリをかぶったスチール棚や事務机などが見えました。
最奥のところに人の背丈より高い大型冷蔵庫があったんです。白だったんでしょうが、
汚れてグレーがかって見えました。その冷蔵庫に見覚えがあったんです。
ふらふらと誘われるように中に入ってしまいました。
倉庫の中は広く、高い天井の蛍光灯のうちのいくつかがついていました。
「この冷蔵庫、見覚えがある・・・」横にまわってみると、
1mほどの高さにシールが貼ってありました。お菓子のおまけか
何かの女の子向けのものが何枚か、はがしきれずに残ってたんです。

それを見たとき、脳の中で何回もフラッシュが焚かれたような状態になりました。
映像が点滅するようにして目の前に浮かんだんです。大型冷蔵庫の
棚を全部取っ払った状態で中に倒れている30代くらいの男の人。
喉にぱっくりと大きな傷があり、そこから流れた血が白いトーガを染めて、
冷蔵庫の底にも溜まっていました。そしてその前で泣いている2歳か3歳の女の子・・・
小さい頃の自分だと思いました。そのとき自動車のエンジンの音が
聞こえて、私は我に返ったんです。急いで倉庫を出ました。
何にもさわってないので、ホコリに手型などはついてなかったと思います。
倉庫の横にまわると、信者の方が運転する車が近づいてきてました。
母が後部席に乗っていて。いっしょに家に帰ったんです。
倉庫の中で見たもののことは言いませんでした。

これで話はほとんど終わりですが・・・この4年後、私が高校2年のときに
お母さんは亡くなりました。その前からガンで1年ほど入院した末のことでした。
お母さんの最期は、たっての願いで自宅に帰っていました。
亡くなる前日に、母の指示で家の祭壇の下から小さな金庫を出しました。
それまで見たことがなかったものです。お母さんがダイアル番号を教えてくれたので、
開くと白い封筒が一枚だけありました。中には男の人が一人で写っている
数枚の写真。もうおわかりだと思います。母は「○○のお父さんだよ」と言いました。
お父さんの写真を見たのは、それが初めてです。お父さんは
30代前半くらいに見えました。その顔は、あの宗教団体の
倉庫の冷蔵庫で見た幻覚と同じだったんです。お母さんに
詳しいことを聞こうとしても、首を振るばかりで一言も話してくれませんでした。

私は高校をやめて、宗教団体の寮で生活するようになりました。
始めはお母さんと同じように教団の事務をやっていたんですが、
なんというか、霊的な素質があることを見込まれて、
御修行を受けさせていただくことになりました。詳しいことは言えませんが、
その過程で、「お父さん」・・・写真の男の人が何度も夢に出てきました。
お父さんはぱっくりと開けた喉の傷から息を漏らしながら、
私の前で何度も首を振っていました。修行の途中から、
不思議な力が自分についてきていることがわかりました。
そのうちにA子ちゃんのお母さんが事故で亡くなり、教団の儀式を、
私がとり行うことが多くなってきました。信者の中にはA子ちゃんもいます。
・・・倉庫の中の大型冷蔵庫は、いつのまにか なくなっていました。






児童誘拐とBoy in the box

2020.09.26 (Sat)
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アメリカの行方不明の子ども

アメリカ・ジョージア州で、行方不明になっていた子供39人が
見つかりました。事件に関連したとして、これまでに9人が
逮捕されています。アメリカの連邦保安局は27日、
南部ジョージア州で行方不明の子供を捜索した際の動画を公開しました。

「忘れはしない」と名付けられた救出作戦は、2週間にわたって行われ、
3歳から17歳までの子供26人を救出したほか、13人の居場所を
特定したということです。この事件では、これまでに9人が逮捕され、
性的な目的のための人身売買や誘拐、薬物所持などの罪に問われています。

アメリカでは、去年、子供の行方不明事案が42万件以上報告されていて、
深刻な問題となっています。
(日テレ系ニュース)

今回はこういうお題でいきます。オカルト論ですね。さて、アメリカの
子ども(17歳以下)の行方不明者が年間42万人。すごい数ですよね。
ただ、その中には自分から家出した子もいますし、離婚の多い
アメリカで、親権を得られなかったほうの親が強引に子どもを
連れ出したりしたケースもあります。

行方不明の子どものチラシ
キャプチャfffff

ですが、人身売買や性的虐待目的の誘拐も多いんです。そして、
日本とは違い、アメリカの行方不明の子どもの多くは見つかりません。
日本で以前、父親に山に置き去りにされた少年、大和君が
7日後に発見された事件がありましたが、海外のメディアは
「alive! 生きていた!」とたいへん驚いていました。

また、都会では、小学生の子どもが一人電車に乗って塾へ通ったり
しますが、海外ではまず考えられません。日本の治安だからできること
なんですね。アメリカでは、10~12歳の子どもをプレティーンと言い、
この頃から外遊びが許されます。それ以下の年齢の子どもを一人で
家の外に出すのはたいへん危険で、出した親が逮捕されたりします。

これはアメリカ映画を見ていればわかると思います。
スティーブン・キング原作の『スタンド・バイ・ミー』や『IT』、
あるいは『グーニーズ』などでも、主人公になるのはプレティーンで、
それ以下はありません。今回ご紹介するのは、そんな児童虐待を
思わせる話で「ボーイ・イン・ザ・ボックス」事件と呼ばれています。

少年の遺体が入っていたダンボール
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このネーミングは、文字どおり男の子の遺体が箱の中に入って見つかった
からですが、びっくり箱を表す単語「Jack in the box」をもじっての
ものです。あと、これは関係ないと思いますが、アメリカにはジャック・
イン・ザ・ボックスという、大手のハンバーガーチェーンがあります。

事件の概要は、1957年2月25日、ペンシルベニア州フィラデルフィア
北東部・フォックスチェイス地区(Fox Chase)にて、不法投棄された
ダンボールの中から、推定4〜6歳と見られる男児の全裸遺体が
発見されました。 遺体は毛布にくるまれており、体のあちこちに
アザがあって、生前に激しい虐待を受けていたと推察されます。

復元された少年の顔
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身元を表すものは皆無。遺体の特徴として、① 頭部への打撃が直接的な
死因 ② 死亡後に散髪されている ③ 死亡する前数時間、何も
食べていない ④ 手足がふやけており、水に浸かっていた可能性がある 
などです。遺体が入っていたダンボールは、J.C.ペニー百貨店で
販売された、揺りかごの空き箱ということが判明しています。

発見者の男性は、じつは常習的に、現場近くの女学校への のぞきを
行っており、変質者なんですが、少年の事件に関しては無罪であると
判明しているようです。フィラデルフィア警察は40万枚のチラシを
地域全体に配布、また、発見現場は、270人の警官によって
くり返し捜査され、男性の青いコーデュロイキャップ、子供のスカーフ、

G の文字が付いた男性の白いハンカチを発見しています。
しかし、これらの証拠は決め手にはならず、ついに事件は迷宮入りと
なってしまいます。で、ここまでのところ、犯罪事件ではあるものの、
オカルトとは関係ないんですが、ここから霊媒師が関係してきます。

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この事件を熱心に追跡した検死官事務所のレミントン・ブリストーに、
ニュージャージーに住む女性霊媒(ミディアム)が接触します。
ブリストーがその霊媒を現場に連れてくると、霊媒は直接ブリストーを    
ある施設へと導いたんですね。そこは里子を養育する施設で、男の子の
体が包まれていたものとよく似た毛布が、物干しにぶら下がっている

のを発見します。その後のブリストーの調査では、子どもの母親は
施設の経営者の継娘で、娘が未婚のまま生んだ子どもを、不名誉なため、
そのことを隠して施設で養育していたが、事故死あるいは殺害されたため
遺棄したと結論づけています。ですが、経営者と娘に事情聴取を
行っても、はっきりした証拠は一つも得られなかったんです。

ここで、日本のテレビで、アメリカでは霊媒師が警察の捜査に協力する
といった話が出されますが、警察のほうから霊媒に依頼することは
まずありません。公的機関であり、キリスト教国ですから、霊媒師を
警察が雇うといったことは考えられないんですが、多くの場合、

少年の葬儀(改葬)
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霊媒師のほうから警察に接触してきます。もし事件解決につながれば、
自分の名前が売れるからですね。上記のブリストー捜査官も、
そういった形で霊媒師を利用したものと思われます。さて、もう一つの
有力な手がかりですが、2002年と、事件から50年近くたってから、
「マーサ」または「M」として知られている女性からもたらされました。

それによると、1954年、マーサの母親が、実の両親から
ジョナサンという名の男児を購入した。その後、少年は2年半の間、
極度の身体的および性的虐待を受け、ある晩の夕食で、少年は
ベイクドビーンズの食事を吐き出したため、意識を失うまで頭を床に
叩きつけられ、激しく殴打され、その後、彼は風呂に入れられ、

衣服を着せられた少年の遺体
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その間に亡くなったということです。マーサの母親は、少年の
身元を隠すために彼の長い頭髪を刈り、当時はまだ人里離れていた
遺体発見現場に少年を遺棄した。段ボール箱はもともと現場に
捨てられていたもの。これらの詳細は、検死官が、少年の胃に
ベイクドビーンズの残骸をわずかに発見しており、指が水でしわに

なっていることも含め、警察だけが知っている情報と一致していたんです。
ですが、マーサには精神病院への通院経歴があったこと、また、
マーサの家の近所のもの複数が、マーサの家には少年などいなかった、
ありえないと証言したため、結局は解決につながらなかったんですね。

少年の墓碑
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さてさて、少年のDNAを分析し、国管理のデータベースとの照合など、
現在でも捜査は続けられていますが、解決は難しいでしょう。少年の
葬儀は寄付によってまかなわれ、アイビーヒル墓地に埋葬されていますが、
墓碑銘は「America's unknown child」、名前のわからない少年。

少し話は変わりますが、だいぶ前に、アメリカに留学していた日本の
16歳の少年が、ハロウインに仮装して、近くの家の敷地に入ったところ、
主人にマグナム拳銃で撃たれて死亡した事件がありました。この刑事裁判は、
陪審員判決で無罪になっています。アメリカの家では、密かに何事かが
行われていても発覚しにくいんですね。では、今回はこのへんで。





疫病神としてのスサノオ

2020.09.26 (Sat)
アーカイブ419

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前回、疫病のことを書きましたので、それに関連のある話ですが、
まだ自分の中でうまく整理できてないので、
どこまで書けるか自信がないです。いろいろ間違った内容が
あるかもしれません。そのつもりでお読みください。

まず、「疫病神」は(やくびょうがみ)と読んで、現在では、
「やっかいなトラブルを起こす人・嫌われ者」のような意味で使われますが、
元来は「疫病(えきびょう)を司る神」という意味だったんです。
スサノオ(素戔男尊)はみなさんご存知だと思います。

日本神話の主役の一人ですよね。黄泉の国から帰ってきたイザナミが
禊をしたさい、左目からアマテラス、右目からツクヨミ、鼻から
スサノオが生まれたとされます。この後、スサノオは姉のアマテラスと
トラブルを起こして、さまざまな乱暴を働き、アマテラスが天の岩戸に
隠れるなどのことがあり、スサノオは高天原を追放されます。

素盞嗚命


そして出雲の地に来て、ヤマタノオロチを退治することになります。
ということで、スサノオは日本初の疫病神・嫌われ者だったんですね。
ですが、悪いことだけをするわけではなく、
オロチ退治のように、ときには人々の役に立ったりします。

神話学では、このような存在を、「トリックスター( trickster)」
(神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者。
みなを引っかき回すイタズラ者)と言ったりもします。
北欧神話の火の神、ロキなどが、典型的なトリックスターですね。

素戔嗚の神楽面


さて、『日本書紀』には、スサノオが高天原を追い出されたとき、
最初に朝鮮半島の新羅国の「ソシモリ」という地に降りたものの、
「ここにはいたくない」と言って、出雲の国へ船で渡ったという記述があります。
「 降到於新羅國 居曾尸茂梨之處 乃興言曰 此地 吾不欲居
遂以埴土作舟 乘之東渡 到出雲國簸川上所在 鳥上之峯 」


また、スサノオは仏教における祇園精舎の守護神である「牛頭(ごず)天王」
と習合、同一視され、どちらも疫病を司る神と考えられています。
朝鮮語で「ソシモリ」は牛頭または牛首を意味しているという説があり、
これは上記のスサノオが降り立った地と関連があるようです。つまり、
スサノオも牛頭天王も朝鮮半島に関係している可能性があるわけです。

素盞嗚命と牛頭天王の習合がわかる御札


牛頭天王は生まれたときから巨体で頭に2本の角があり、女は誰も
恐れて近づきませんでした。そのため酒びたりの生活を送っていたので、
公卿たちが天王の気持ちを慰めようと狩りに連れ出しました。
そのとき一羽の鳩が来て「あなたの妻にふさわしい女性がいます」と告げます。

そこで、牛頭天王は妻をめとるための旅に出ました。その途中のある村で、
長者である弟の古単将来(こたんしょうらい)の家によって宿を求めたところ、
ケチな古単はこれを断りました。それに対し、
貧乏な兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は、天王を歓待して宿をかし、
粟飯をふるまいました。蘇民の親切に感じ入った天王は、

蘇民将来符
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願いごとがすべてかなう牛玉を蘇民にさずけ、蘇民は金持ちになりました。
やがて、めでたく妻を得た天王は、自分を冷たくあしらった古単へ復讐しようと
眷属を差し向けました。このため古単とその一族はことごとく殺されましたが、
天王は古単の妻だけを、蘇民将来の娘であるために助命し、「茅の輪を
つくって、赤絹の房を下げ、蘇民将来の子孫なり」との護符をつければ、

末代までも災いを逃れることができる」と、災厄から逃れる方策を教えました。
・・・これが有名な蘇民将来説話です。この話がもとになって、
全国の神社で行われる厄除けの「茅の輪くぐり」が始まったとされ、
「蘇民将来子孫也」という札を玄関に貼ることで、疫病を始めとする、
さまざまな災厄から逃れることができると言われています。

蘇民将来札


さて、この牛頭天王を祀っているのは、京都の八坂神社です。
八坂神社の祭神は、現在ではスサノオとその妻のクシナダヒメですが、
明治の神仏分離以前は、牛頭天王とその妻の頗梨采女 (はりさいにょ)
を祭っていました。ここからも、スサノオと牛頭天王が、同一視されていた
ことがわかります。八坂神社のご利益としては縁結びが有名ですが、

疫病除けというのもあります。八坂神社の年中行事として行われている
「祇園祭」は、もともとは、平安時代に疫病で亡くなった人々の霊を
なぐさめるための御霊会(ごりょうえ)として始まりました。やがて
平安末期には、牛頭天王の霊験で疫病神を鎮め退散させるため、
花笠や山鉾を出し、市中を練り歩いて鎮祭するようになったんです。

京都祇園祭


さてさて、古代において、疫病は海の向こうから来ると考えられていました。
これはたんなる迷信ではなく、大陸からの渡来人が、それまで
日本にはなかった疫病を持ち込んで流行させたといったケースは
遣唐使船など、歴史上、何回も確認されています。

そこで、同じく朝鮮半島に由来のある「牛頭天王=スサノオ」が、
疫病神として、それを鎮める力を持っていると考えられたのではないか・・・
というのが、ここまでで自分が考えた結論ですが、あんまり自信はありません。
どうも、もう少し勉強が必要な気がします。いやあ、民俗学は難しい。

遣唐使船 疫病は船でやってくる(ダイプリ号を思い出します)
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最後に、疫病とは関係ないですが、興味深い話題を一つご紹介します。
中国の史書である『後漢書』に「安帝の永初元年(107年)、
倭国王 帥升等が生口160人を献じ、謁見を請うた」という記述があります。
「 安帝永初元年 倭國王帥升等 獻生口百六十人 願請見 」

ここに出てくる「帥升」とは、名前なのか職名なのかもはっきりしませんし、
どう読むのかもわからないんですが、古代史家の一部に、
「帥升王=スサノオ」という説を唱えられる方がいるんですね。
ただ、この真偽については、自分にはさっぱりわかりません。






ゴキブリ型ロボットとは?

2020.09.25 (Fri)


今回はこういうお題でいきます。科学ニュースから引用しました。
さて、みなさんの中で、ゴキブリが好きだという方はきわめて
少ないと思います。ですから、このタイトルを見て嫌悪感を
もよおすようなら、この記事はスルーされてください。

さて、ゴキブリと幽霊、みなさんは、どちらがより怖いでしょうか。
これ、怖い話を書いていながらなんなんですが、自分は
ゴキブリのほうが怖いです。自分は0感なので、これまでの人生で
幽霊を見たことは一度もないですが、ゴキブリはよく見ます。
現実的な恐怖なんですよね。

ゴキブリを踏みつぶしたつもりが、無傷で逃げられたことは
ないだろうか? あり得ないほど小さな隙間に、彼らが
雲隠れするのを見たことは? 踏みつぶすなんて恐ろしいと
思う人は、心優しく、感受性が豊かな人だ。
(NATIONAL GEOGRAPHIC)

世界最大種のゴキブリ
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このニュースですが、米カリフォルニア大学バークレー校の
チームの研究によれば、ワモンゴキブリは3mmのすき間を
約1秒で通り抜けることができるとのことです。ゴキブリの体高は
5mm以上あるのに、何でこんなことができるかというと、

ゴキブリは柔軟性のある外骨格を平らにして、脚を横方向に
広げることで、それを可能にしているようです。例えば、
折り紙でカエルを作ったとします。でも、もとは紙なので、
押しつぶして、せまいすき間をくぐらせることができます。
あんな感じと考えればいいでしょうか。

折り紙のカエル
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しかも、その姿勢のまま、ほとんど減速せずに走り続けることが
できます。トップスピードは秒速1.5m。ゴキブリの基準で言えば、
1秒間に体50個分ほど進むことができるということです。
これを人間にあてはめると、身長1.7mとして、1秒で
85m走れるわけです。すごいですね、ウサイン・ボルト真っ青。

さらに、研究チームは、ゴキブリがすき間を通るときに機械で
押しつぶしましたが、最大で体重の900倍に設定した圧力でも、
まったく傷つくことなく通り抜けできたということです。
「ゴキブリのような生命力」といった言葉がありますが、
まさにそれを地で行く結果になったわけです。

ただまあ、これは、内骨格ではないからこそできることなのかも
しれません。人間だと、骨がつぶれることはないので、
頭蓋骨が入れないすき間を通り抜けることはできませんよね。
で、大切なのは、このゴキブリの体の仕組みから、
何を学ぶことができるかということです。

アネハヅル
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前に少し書きましたが、トヨタ自動車の研究開発部では、
「アネハヅル」というツルの研究に取り組んでいたそうです。この鳥は、
ツルの仲間の中でも最小の部類なんですが、渡りをするときに、
高度5000~8000mの上空を飛んでヒマラヤを越えます。
12000mでジェット機のエンジンに吸い込まれたという記録も

あるそうです。高高度の気温は-30°、気圧が低いですし、強い気流も
あると考えられるんですが、それをものともせず飛ぶんですね。
低気圧への対応は、体内にある気嚢という、横隔膜を利用した
吸気・排気の強化システムを利用しているそうですが、それ以外にも、
強い骨格や空気力学にかなった体の形状を持っていると考えられます。

タコからヒントを得た柔らかい外面のロボット
キャプチャgggg

で、この研究が何に役立つかというと、まずは車の軽量化です。
今の車はエアバックその他の安全装備や快適装備がたくさんついていて
かなり重くなっています。しかし、車の本質を考えれば、軽量なほど
走りはスムーズだし、ハンドル操作もしやすいはずですね。
軽量でいながら、強い構造を持つ車の開発。

では、このゴキブリが体をつぶす構造を何に応用できるかというと、
作業用ロボットなどが考えられているようです。例えば福島原発のような、
人間が入れない危険区域、あるいは災害後の瓦礫の山などの中で、
せまいすき間に入っていければ便利ですよね。その場合、
ロボットの外面の構造を折り紙のように折りたためるものにする。

変形ロボット
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じつは、イモムシやタコなどの軟体動物から着想を得た、柔らかい外面を
持つロボットはすでにあるんです。ですが、外面が柔らかいということは、
プルプル震えてしまって素早く動くことができません。それに対し、
硬い殻を持つゴキブリ型ロボットは敏捷な動作ができます。さらに、
外面をきわめて高硬度の物質で作れば、上から物が落ちてきても壊れません。

動物の動きの物理特性を研究する米ジョージア工科大学のダニエル・
ゴールドマン氏は、この結果について、「変形可能な硬い部品で、
柔軟なロボットをつくるという発想は素晴らしいと思います。今後、
全地形対応型ロボットの開発に関する考え方が変わるのでは
ないでしょうか」と述べています。

災害用ロボット
キャプチャ

でもこれ、考えてみれば、日本はかなり得意な分野じゃないかと思います。
自分がこのニュースを読んで思い浮かべたのは、世界に誇る日本の
オモチャ「変形ロボット」です。ロボットを折りたたむことで、
車に変身したりできます。あの技術を応用できないでしょうか。
あれをもとに、映画の『トランスフォーマー』は作られたんです。

さてさて、生息するゴキブリの総数は1兆4853億匹といわれており、
日本には236億匹(世界の 1.58%)が生息するそうです。
個体数が多いということは、種として栄えているということです。
嫌うばかりでなく、学ぶこともたくさんあるんだと思いますね。
では、今回はこのへんで。

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アーカイブ ある中学校の話

2020.09.25 (Fri)
Sさん(男性)
あ、俺が卒業した中学校の話ですよね。どこにでもある、
普通の公立中学校でした。ただね、歴史は古かったんですよ。創立110年祭
ってのをやった記憶があります。たしか、県内で2番目にできた
中学校だったはずです。怖い話・・・ああ、ありました。初代校長に関する噂。
初代校長は、明治の中頃に初めて校長を務めた人ってことですが、
いろんな話がありましたね。えーとまず、初代校長は今も生きてて、
学校の中の、生徒が入れない部屋に日中はいつもいて、
夜になると学校の中を回って歩くっていう。もちろん飯も食わないし、
ミイラみたいな外見をしてるとも言われてました。だから、生きてるってのも
変ですね。今でいうゾンビみたいな存在ってことなんでしょう。2つ目の噂は、
初代校長は勤王の志士だった人で、幕末にたくさん人を殺してる。

だから、学校の中でもし、天皇陛下の悪口を言うやつがいれば、
その晩、家までそいつを殺しにやってくるって話。でも、俺がいた3年間で、
生徒で死んだやつはいなかったはずです。あと、3つ目の噂は、
笑わないでくださいよ。初代校長は、じつは狸だったってものです。
狸が人に化けて校長をやってたってことなんでしょうね。
いやまあ、3つとも荒唐無稽な話なんですけど、最後の狸のことについては、
俺もかかわった、奇妙な話があるんですよ・・・ほら、掃除当番ってあるでしょ。
生徒が班ごとに、自分のクラスや学校のあちこちを掃除するって活動。
あれでね、俺が2年生のときに、校長室の担当になったことがあるんです。
それで、校長室には入ったことがあるんですけど、
壁にずらっと、歴代校長の写真がかかってました。
もちろん、初代校長のは一番端の、始まりのところにあって、

古い黄ばんだ写真に、立派なヒゲを生やした人が写ってました。そうそう、
明治天皇の写真ってあるじゃないですか。あれに雰囲気が少し似てました。
でね、ある日、掃除が終わって教室に戻ろうとしたら、班のうちの一人が、
いきなり「狸がいる!」って叫んで、壁の写真を指さしたんです。
それが初代校長の写真だったんですが、俺には、特に変わったことはないとしか
思えなかったです。けど、そいつは、「狸だ、狸が写ってる、ぎゃはははは」
って床を転げ回って笑いだして。で、先生方に知らせたら保健室に連れて行かれて。
まあでも、たいしたことはなく、翌日はケロッとした顔で学校に出てきました。
「昨日、狸とか言ってたけど、あれ何だったんだよ?」そいつに聞いたら、
「いやあ、あのときは確かに、額の中の写真が狸になってたと思ったんだよなあ。
 だけど、もしかしたらアライグマかも」なんてとぼけたことを言ってましたね。

Kさん(男性)
○○中学校ですか。10年ほど前に4年間勤務したことがあります。
おかしな体験ですか・・・あることはありますけど、これ、自分が言ったってことは
秘密にしてくださいよ。学校には、閉門当番ってのがあるんです。
だいたい月に1度くらいは回ってくるんですが、学校に最後まで残ってて、
部活動が全部終わって、先生方が全員帰ったあたりに、
校内を見回って、戸口や窓の施錠を確認するんです。あと、冬場は、
暖房が消されてるかどうかも見て回ります。で、日誌に書く。
だいたい9時頃になりますね。で、その日、自分が閉門当番で、
懐中電灯を片手に各教室を回って歩いてたんですよ。
ルートは決まってて、1階から3階へと上がって、すべての教室を見て、
あとは体育館だけってことになりました。

体育館は校舎と少し離れてて、長い廊下を通っていくんです。
でもね、体育館の窓は、最後にやった部活の担当者が確認してるから、
開いてるってことはまずないんですけど。で、体育館に入ったら、
ボッと明るかったんです。いや、天井の照明は消えてました。
どこだろうと思って見回したら、ほら、ステージがあって、その横に放送室が
あるじゃないですか、儀式のときに音楽をかけたりする。そこの明かりが
ついてるのが見えたんですよ。「あれ、誰か放送室使ったのか?」
そう考えながら近づいていくと、放送室の窓のところを、
ちらっと影がよぎったように思ったんです。それで緊張しました。
生徒はもちろん、残ってる教師もいないはずでしたから。
でね、懐中電灯を握りしめて近づいていくと、急に大音響がして。

びっくりしてとび上がりましたよ。何だったと思います?
軍歌ですよ。いや、曲名はわからないですけど、あの曲調は軍歌でした。
歌詞も、きれぎれに「敵艦がどうしたこうした」とか聞こえましたし。
それがね、ボリューム最大で体育館いっぱいに流れたんです。
心臓がドキドキしましたけど、放送室に残ってるやつがイタズラしてるのは
間違いないから、走ってってステージにとび上がり、「誰だ、こら!?」って
怒鳴りながらドアを開けたんです。でもね、中には誰もいなかったんです。
畳2畳ほどのせまい場所ですから、人がいるかいないかはひと目でわかりますよ。

それどころか、アンプ類のスイッチ全部オフになってるし、
プレイヤーにCDも入ってない。なのに、軍歌がガンガン鳴ってて・・・
わけがわからなくてパニックになりかけました。すると音楽にかぶさって、
ギャーッという叫び声が流れて、ブッンと切れたんです。いや、不思議でしたね。
でね、放送室の中は誰もいなかったんですが、すごく異臭がしたんです。
そうですね、たぶん動物の臭いなんじゃないかと思います。
動物園に行ったときに嗅ぐような臭いでした。
まあ、これだけの話です。奇妙なことはその一度きりでしたよ。
あとは、特にトラブルもない、平和でいい学校だったと思います。

Uさん(女性)
○○中学校ですよね。怖い思いをしたことがあります。
私は3年生のときに、学年評議委員というのをやってたんです。
ええ、クラス委員が集まって行事の企画をしたり、学年集会の準備をしたり。
で、その日は、学年のレクリエーションを朝集会でやることになってました。
ほら、受験の最中だったので、少しでも息抜きになればと思って、
体を動かすような集会をやろうとしてたんです。その準備のために、
朝早くに学校に行きました。といっても、学校は開いてたし、
もう来てる先生もいました。職員室によって放送室の鍵を借り、
体育館に行ってみたんです。まだ、私以外の委員は誰も来てませんでした。
それで、放送室に入って、マイクを出したりCDの準備をしようとしたんですが、
中がすごく臭かったんです。あれ、動物の臭いじゃないかと思います。

それと、放送室はせまいんですけど、奥の壁にドアがついてたんです。
「え??」って思いました。放送室には何度も入ってるんですけど、
そんなドアなんてなかったはずです。変だなあと思いましたが、
そのときはまだ怖いとは感じませんでした。だって、朝だし、
太陽の光で体育館の中は明るかったですし。ドアノブに手をかけて、
押したら開いたんです。不思議だなあ、と思いながら入っていきました。
中は長い通路になってて・・・今から考えると、それがまずおかしいですよね。
だって、そんな長い通路ができるスペースなんてないんですから。
やっと人が一人通れるせまい通路は、あちこちにクモの巣がかかってて、
床はほこりだらけでした。で、放送室の中で感じた嫌な臭いが、
ますます強くなっていって・・・つきあたりに、またドアがあったんです。

それも開けると、中は広い部屋でした。立派なデスクと、
革製のソファがあったんですが、これらにも山のようにほこりが積もってて。
部屋には窓はなく、でも、うすぼんやりと明るかったんです。
そのとき、コトンという音が部屋の隅のほうでして、そっちを見ると・・・
異様なものがいました。毛むくじゃらの顔の動物が立ってたんです。
軍服のようなのを着てたと思います。動物はガラス玉のようなギラギラした目をして、
まったく動かないまま、私に、「こら、部屋に入るときはノックしなさい。
 しつけの悪い生徒だ」中年男性のような声で、こう言ったんです。急に怖くなって、
走って逃げました。長い通路を抜けて放送室へのドアを開け、後ろ手で閉めて、
ほっとしてふり向くと、そこにはドアなんてなかったんです。ええ、それ以後、
そのドアを見たことはないんですが、放送室に入るのが苦手になりましたよ。







アーカイブ 髪神社の話

2020.09.25 (Fri)
*内容に一部差別的な表現があります。

これからお話するのは、とある神社についてのことです。
場所や名前は秘密にさせていただきます。
というのは、もしこの話を聞かれて、行こうと思われる方がいたら
大変だからです。・・・危険があるかもしれないんです。
もっとも神社自体、もう朽ち果ててしまっているかもしれませんが。
その神社の名前は、仮に髪神社としておきましょう。「カミ」はヘアーの髪です。

私は営林署に長年勤めて退職しましたが、まだ若い頃・・・
30代前半のときの話で、その頃にちょっとした悩み事がありまして・・・
いや、お恥ずかしいですが髪のことです。若ハゲだったんですよ。
前頭部の生え際ががだんだんに後退していくタイプです。
今となってみれば、何でそんなことでくよくよしてたのかと思いますが、
当時は結婚もできないかと悩んだものです。

で、同じ署にもう一人ハゲの悩みを持つ同僚がおりまして、
その方の場合は頭髪全体が細く柔らかくなるという症状で、私とは違うんですが、
酒を飲んだときなんか、同じ悩みを持つ者同士でよく愚痴をこぼしていたもんです。
営林署の仕事というのは現場に泊りがけの出張があって、
作業員と飲むことも多いんです。あるとき、
そういう現地作業員の一人から耳寄りな話を聞きまして、
なんでも地元のとある高山の中腹に「髪神社」というのがあるそうなんです。

元々は呪いの神社なんだそうです。
何らかの恨みを持った女性が、険しい山道を踏み越えて、
切った自分の髪を奉納し、それを願掛けとして男を呪うのだそうです。
だからその神社の境内には、あちこちに長い女の髪の毛が下がって薄気味悪く、
夕暮れ時をすぎると地元の人でも、だれも近寄るものはなかったと言います。
神職も常駐してはいませんでした。

さらにその後、神社の境内が血で穢れるという事件があって、
ますます人の寄りつかない場所になりました。もう荒れ放題だったんです。
ところがいつのころからか、猟師や炭焼きの間に、髪神社に詣でると
頭髪にてきめんの効果があるとの噂が広まった・・こういう話なんです。
その作業員に、あんたは行ったことがあるかと聞いたら、
何も返答せずに角刈りの頭をしごいてニヤッと笑いました。
もう50過ぎなのに髪は黒々とした剛毛でしたよ。

これはいいことを聞いたと思いまして、作業員から場所を教えてもらいました。
それで5月の連休に2人で行ってみたんです。
いや、それは山に慣れているわれわれでも眩暈のするような山奥でした。
ここに女人が登るなどとは、ちょっと考えられないようなところだったんです。
途中には鎖場になった難所もあり、
相当に強い恨みを持ってないとできることではなかったでしょう。

まあ、その昔はもっと開けた道があったのかもしれませんが、
私らが行ったときには猟師か修験者でもなければ
通れないような行程になっていました。予想よりはるかに時間がかかって、
昼過ぎには着くはずだったのが、神社の鳥居をくぐったときには、
夕刻に近くなっていたんです。社殿はボロボロでしたよ。
雨風にさらされ、まさに頽廃空虚の叢といった趣でした。
そして傾いた社殿の屋根からは、おそらく女の人の腰くらいまであるような、
髪の毛の束がいくつもぶら下がっていたんです。

髪の毛は近くの杉の木からも下がっていて、
数はかぞえませんでしたが実に凄惨な光景でした。2人で賽銭を入れ、
それだけじゃなく苦労して背負ってきた4合瓶2本の酒を供えて、
入念にお祈りしたんですよ。そうするうちに日が沈み始め、小雨も降ってきました。
それで私らは帰るのをあきらめ、境内の横の軒下で野宿することにしました。
仕事柄そういうことには慣れてましたしね。
電池式の小さなランタンをつけ、鳥居の外に寝場所を確保しました。

焚火はしませんでした。広い場所がないうえに、万が一を考えたんです。
テントはありませんが簡易寝袋は持参してまして、
寒いというほどのことはありませんでした。
夜に入り、普通は山は暗闇でもさまざまな夜行獣の音がするもんですが、
かすかに木の葉がそよぐのみで、生き物は近くにいないかのようでした。

そういえば、昼間、ブヨやヤブカの類もほとんど見かけませんでした。
・・・固い地面は慣れてるし、幽霊なんて信じてはいませんでしたが、
なかなか寝つけなかったんです。それは同僚も同じだったようで、
ゴロゴロと何度も寝姿勢を変える気配がしていましたが、
とうとう起き出して手探り足探りでどこかへ行きました。

しばらくして戻ってきたとに、私は寝たまま「何だ小便か?」と聞きました。
同僚は物も言わずゴソゴソ寝袋にもぐったようでしたが、プンと
酒のにおいがしました。「あっ、お前お供えの酒飲んできただろ」そう言うと、
「悪い、悪い。どうにも寝つけなくてな」同僚は悪びれる様子もなく言いました。
私は「ちぇっ、まだご神前からお下げしてないものだぞ」そう言って横を向きました。

朝方です。髪がやってきました。夢ではないと思うのですが、自信はありません。
左右に分かれた長い髪だけが宙を飛んでやってきたんです、それもいくつも。
ランタンの黄色い光の中でそれらは輪を描いて私たちの周りを飛び回っていました。
薄目を開けて見ていたつもりです。髪は同僚の頭の上2mほどの
ところに集まって一つになり、ゆっくりと降りてきたその毛先が、
寝袋の同僚の頭のあたりをしきりにこすっているのです。

10分ほどもそうしていたでしょうか。私のほうにも来るかと思ったのですが、
髪はそのまま真っすぐ浮上し、上方の闇に吸い込まれるように消えていきました。
その後、私は2度寝してしまったようで、先に目覚めた同僚に起こされました。
朝方のことを聞いてみましたが、何も見ていないという答えでしたので、
気味悪がらせることもないと思って、詳しい話はやめにしました。
日が十分に昇ってから山を下りました。

それから数日もたたないうちに、同僚の髪が濃くなってきました。産毛の
ようであった頭頂部の髪が太くなり、こしが強くなって量も増えてきたんです。
それに対して、私のほうは抜け方がいっそうヒドくなったような気がしました。
ブラシをかけるとごぞっと抜け、ついには額が武士の
さかやきのようになってしまいました。もうこれはダメだと思って、
残った部分を五厘刈りにしたんです。それにしても、
同僚のほうだけにご利益があるなんて不公平だと思いました。

2ヶ月たつと同僚の髪はフサフサといえる状態になり、
私のほうはミジメなものでした。そして突然、同僚が失踪してしまいました。
どうやら使い込みを指摘されたようです。ですが、同僚は経理畑でもなく
額はわずかなものでした。けっこうナアナアのきく職場でしたので、
弁済すれば大事にはならなかったはずなのに・・・
私のほうはと言えば・・・結婚することになりました。親戚が持ってきた
見合い話ではありましたが、とんとん拍子に決まったのです。

結婚式前に、いちおう髪神社に報告をしようと一人で山を登りました。
慣れていたせいか1回目よりは時間はかかららず、鳥居の前まできました。
・・・あの吊り下がっていた髪は一つもなくなっていて、不気味な気配は消え、
ただの山中の朽ちかけたお社という印象に変わっていたんです。
だれかが片づけたのだろうか・・・いぶかしがりながら鳥居をくぐって、
ふと横の木立を見ると、同僚がぶら下がっていました。かなり高い
枝に首を吊った下には、髪の毛が山となって積まれていました。






泰山府君をめぐる話

2020.09.24 (Thu)
ccc (5)
泰山

今回はこういうお題でいきます。オカルト論です。
泰山府君は中国の道教系の神様なんですが、複雑な事情があります。
もともと中国の宗教は、祭天の思想と神仙思想。神仙思想が
発展し教団化したのが道教なんですが、その上に後から
入ってきた仏教が上書きされています。

泰山とは、山東省泰安市にある山で、高さ1545m(最高峰は玉皇頂)
道教の聖地である五つの山(五岳)の一つです。漢の時代から、
この泰山において歴代皇帝の「封禅の儀 ほうぜんのぎ」が行われた
ことで知られています。封禅の儀は皇帝位についたことを天に
知らせるための儀式。で、この山を統べる神が、泰山府君なんです。

泰山は、昔から死者の霊が集まる場所とされ、泰山の神は冥界の
最高神であり、人間の寿命や在世での地位を司ると考えられました。
ただし、府君というのは郡の長官といった意味で、神様の呼び名
としてはあまりふさわしくはなく、中国では別名の「東嶽大帝
とうがくたいてい」のほうが多く使われます。

泰山府君
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ここまでが本来の道教での位置づけなんですが、仏教とともに
中国に地獄の思想が入ってきます。インド思想では、地獄を支配
しているのは閻魔大王ですよね。そこで、泰山府君の地位が1段
下がってしまい、閻魔大王の書記官とされてしまうんです。

さて、日本には道教は正式に導入されてはいません。もちろん
知識層は、中国に道教という宗教があることは知っていました。
後漢が太平道による黄巾の乱で滅び、三国時代となったわけですから。
ですが、日本に道教経典、道士、道観はあえて移植されなかったんです。

中国四川省の道観
ccc (1)

これは、日本にはすでに神道と仏教があるため、このうえ道教を導入
すると、ごちゃごちゃになってしまうという危惧があったためでしょう。
いっぽう、道教の一要素に過ぎなかった陰陽思想、五行思想と、
それにともなう呪術的な儀式が、陰陽道と名を変えて大和朝廷に
取り入れられ、政務の中核を担うまでになったんですね。

いよいよ陰陽道の話に入っていきますが、これは日本独自の呼び名で、
天文学、暦学、易学を含んでおり、もともとは中国で生まれた
自然哲学思想です。現代のドラマでは、陰陽師が呪術師のような
形で描かれることが多いんですが、当時としては最先端の
科学者のような立場であったはずです。

閻魔大王
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で、この陰陽道において、最高神として唯一取り入れられたのが
泰山府君です。そして、陰陽道における最大の儀式が「泰山府君祭」。
ただこれ、秘中の秘であり、宮廷でしか行われなかったため、
どのような内容であるかははっきりとわかっていません。

おそらくは、当時の天皇の健康・長寿を願うための儀式であったと
思われますが、その後、泰山府君祭は死者をよみがえらせる
儀式であると考えられるようになります。人間の寿命を司る
泰山府君に、「禄命簿」を書き換えてもらおうというわけです。

安倍晴明
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さて、当ブログでたびたび引用している『今昔物語』には、
安倍晴明が泰山府君祭を行った話が出ています。ある山の高僧が
病気となり、明日をもしれぬ命となった。そのため朝廷は安倍晴明を
派遣します。晴明は、「泰山府君祭を行えば、回復させることは
できるが、そのかわりに別の誰かが死ななければならない」と言う。

弟子たちは師匠には回復してもらいたいが、かといって自分が
死ぬのは嫌だと、誰もが身代わりには名のり出なかった。そのとき、
ある無名の僧が「自分が」と申し出て祭祀がとり行われ、高僧の
病気は治ったのだが、かわりに死ぬはずの弟子は死ななかった・・・

ただこれ、『今昔物語』が書かれたのは晴明よりだいぶ後の時代で、
どこまで事実を伝えているかはわかりません。さて、最後に、
『簠簋内伝 金烏玉兎集 ほきないでん きんうぎょくとしゅう』
の話をしましょう。陰陽道の最高の秘伝書とされ、金鳥は太陽、
玉兎は月。合わせて日月という意味で、内容は占いに関するもの。

陰陽道の儀式
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安倍晴明が書いたことになってますが、実際はその数世代後の
作でしょう。この初めに、安倍晴明が芦屋道摩法師と争い、
計略で首を切られて殺されてしまう話が出てきます。晴明に
『金烏玉兎集』を授けた師匠の伯道上人は、遠く中国でそのことを
察知し、日本にやってきて死んだ晴明をよみがえらせます。

そして力を合わせて道摩法師を倒すんですね。『金烏玉兎集』を
みだりに、あさはかな気持ちで読むことは死に値するとして
この話を冒頭に置き、この書の秘密性・神秘性を高めているわけです。
ただし、晴明が中国に行ったことはないはずです。

晴明が操った式神
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おそらくですが、これらのことがもとになって、泰山府君祭は
死者をよみがえらせるといった話になったのだろうと思いますが、
実際には、どのような呪術を用いても死者蘇生は不可能です。
また、現代で霊能者が行う泰山府君祭は、
本当の姿を伝えているものではありません。

さてさて、ということで、泰山府君についてみてきました。
自分も、古代の陰陽寮の儀式についてはいろいろ調べてるんですが、
やはり隠されたものだけあって、まともな文献が残ってないんですね。
残念に思います。では、今回はこのへんで。

ccc (3)




遠い村の話

2020.09.24 (Thu)
これ、俺が高2のときの話なんです。なんか夢みたいな内容で、
ここで話をしてもいいかどうかよくわからないんですが。
それに、怖いというような内容でもないし。それでよければ。
そんとき、俺、バスケ部に入ってまして。レギュラーをとれるか
どうか必死だったんですよ。このとおり、そんな身長のあるほう
じゃないし。それで、自主練っていうか、毎朝走ってたんです。
5時くらいから1時間ほど。当時はね、今みたいにウオーキング
なんかもまだ流行ってなくて、ときおり車は通るけど、
歩行者はほとんど見かけなかったです。で、あれは秋口、
9月の終わりのことですね。だいたい10kmくらい走って、
そろそろ家に戻ろうかっていうとき、ちょっとした橋にかかる場所で

ふらふら歩いてるおばあさんを見かけたんですよ。
寝間着だと思うんだけど、着物1枚着ただけで足は裸足だったんです。
ゆっくり左右に揺れながらよろよろ歩いてる。そこの橋ね、
欄干が低くて、下に落ちるんじゃないかって感じで。
まあ、落ちても死ぬようなとこでもなかったけど。
それで、ああこれ、ばあさんボケてるんだな、って思ったんです。
当時はまだ、認知症って言葉も広まってなかったですね。
それと、そのばあさん、見覚えがあったんです。
俺の家の近所、並びの3軒くらい離れた家のばあさんじゃないかって。
よく、家の前の道路を掃除したりしてたんですよ。
俺が小学生のとき、朝の通学なんかで声をかけてもらったりして。

それが、その後 姿を見なくなって、ボケてずっと家にこもってる
みたいな話は母親から聞いてました。ご主人はだいぶ前に
亡くなってて、長男一家といっしょに暮らしてたはずです。
それで、危ないなと思って、帰るがてらそこの家に連れていこうと思い、
ばあさんに追いついたんです。着物の背中をつかんで、
「おばあちゃん、どこ行くんですか」そう言ったら、ばあさんは
トロンとした目でこっちを見て、「いやあ、どなたさんでしたか」
と聞いてきたんで、「あ、近所のものです」そう答えました。
ばあさんは「いやね、〇〇の村に帰ろうと思って」その〇〇は
聞いたことのない地名でした。「寒いですから。足もなんにも
 履いてないし、家に戻りましょうよ」

「でも、〇〇の村はすぐそこだよ。もう村境まで来てる」
ばあさんがそう言って前を指差したときです。なんか足もとが
ぐっと沈む感じがしたんです。「え!?」それと同時に、すごい
まぶしい光が見えて、目を開けてられなかったんです。
ばあさんをつかんでた手を離して、ごろんという感じで
後ろに倒れたと思います。でね、どのくらい時間がたったか。
目を開けると、真っ青な空が見えたんです。
ぬけるような高い高い空が。まだ薄暗い街を走ってたはずなのに。
同時に、セミの声が聞こえてきました。わけがわからなかったです。
石ころだらけの地面に手をついて立ち上がろうとしたとき、
「兄ちゃん、だいじょうぶか」という声が聞こえてきました。

「え!?」見ると、粗末な着物を着た、8歳くらいかなあ。
女の子がいたんですよ。おかっぱで、帯だけが赤かったのを
覚えてます。「え!? ここ、どこですか」そう聞いたら、
「〇〇の村だよ」って。立ち上がってあたりを見回すと、
絵に描いたような田舎の風景だったんです。「そんなバカな、
 ここは・・・」 「だから〇〇の村だって。おらの家に来るか」
女の子がそう言い、俺の手をつかんだので、いっしょに歩き出しました。
暑かったです。カンカン照りで、夏なんだと思いました。
それと、気がついたのが、一面に田んぼが広がってるんだけど、
どこにも電信柱や電線がないことです。それって変ですよね。
道も、舗装道路なんてなくて、踏み固められた土で。

「スイカ冷えてるで、おらの家で食べよう」女の子がまた言い、
俺、「ありがとう。君ね、名前なんていうの」そう聞きました。
そしたら「おら、ヨシっていうだ」って。そっからしばらく歩きました。
ときおり、田んぼの中で作業してる人を見かけましたが、
機械なんかは使ってなくて、みんな野良着なんです。
そのときには、これもしかして、俺、昔の世界に入り込んだのか、
そういうことがわかってきたんです。でも、ありえないとも思いました。
どうすることもできず、女の子と手をつないで歩いていくと、
小川を澄んだ水が流れていて、そこに木の橋がかかってたんです。
「おらの家は川向うだ。ほら、あそこ」女の子が指差し、
藁葺の屋根の農家が見えたんです。長い縁側の前の庭に

鶏が走ってました。それで、その橋に一歩入ったとき、またぐらっと
沈むような感じがしました。目を開けていられないまぶしい光。
それが消えてから目を開けると、薄暗い街に戻ってたんです。
でね、俺の手は、ばあさんの着物をつかんでたんですよ。
何がどうなったのかまったくわからなかったんですが、とにかく、
「家に帰りましょうね」そう言って、ばあさんの手を引いて、
そこの家まで連れていったんです。インターホンを押すと、
ややあって息子さんの奥さんらしい人が出てきて、
「まあ、おばあちゃん」と驚き、俺が事情を話すとすごく
感謝されたんです。やっぱり、ばあさんボケがかかってて、
一人で布団を抜け出して玄関を開け、外へ出たみたいなんですね。

これでだいたいの話は終わりです。そのばあさん、やっぱりヨシさんって
言ったんですが、半年くらい後に施設に入り、それからまた
半年くらいして亡くなりました。葬式には出なかったですけど、
近所ですから、両親といっしょにご焼香に家には行ったんです。
そのときに、ヨシさんの出身は〇〇村というところだったことも
聞きました。さすがに、ヨシさんの子どもの頃の写真などは
なかったですけど。あの体験はなんだったんですかねえ。ヨシさんが
見ていた幻覚の中に俺も入り込んでしまった・・・そうなのかも
しれませんが、あの世界って実際にあるんじゃないかって思うんです。
うまく言えないけど、時間っていうのは現在だけじゃなく、
ずっとつながった状態で存在してるんじゃないかってね。

キャプチャ





ウィッチクラフト殺人事件

2020.09.23 (Wed)
アーカイブ415

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事件の被害者 チャールズ・ウォルトン

今回はこういうお題でいきます。純オカルトの黒魔術的な話です。
ただ、なにぶん古い事件ですし、自分も英語の本を何冊か読んだ
程度なので、どこまで真実なのかは、なんとも言えませんね。
そのことはご承知おきください。

さて、この事件、イギリスでは「The witchclaft murder」と
呼ばれ、訳すと「魔術殺人事件」ということになります。
事件が起きたのは、1945年の2月14日、聖バレンタインの日
なんですが、これは偶然の一致ではないと考えられています。
ちなみに、1945年は第2次世界大戦が終結した年です。

事件の現場となったメオンヒル 古代遺跡の可能性も
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殺人の現場は、イングランド、ロウワー・クイントン区の
メオンヒル。この地名をグーグルアースで見てみましたが、
たいへんな田舎ですね。農場の牧草地が広がっていて
羊が飼われています。現在でこれなので、1945年当時に
どれほど閑散としていたかは想像に難くありません。

当時74歳のチャールズ・ウォルトンは、かつて馬の調教などを
していた男性で、コテージを借りて孫娘のエディス、その友人ロアと
ともに住んでいました。近隣の農場の手伝いなどもしていたようです。
その日、夕方になっても帰ってこなかったので、エディスが農場の男性
2人と探しに行くと、メオンヒルという場所に倒れているのが発見されます。

メオンヒル
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その様子は無残なもので、スラッシュフックと呼ばれる刃物で
喉を3度切られ、また胸の上には十字型の切り傷もありました。
(スラッシュフックは首に刺さって現場に残っていました。)
それだけではなく、ウォルトンの首にはピッチフォーク(熊手)が
深々と突き刺さり、体が地面に固定されていたんです。

明らかな殺人事件であり、検死で失血死と判断されます。また、
ウォルトンは足のリウマチに悩まされて杖をついていましたが、
おそらくその杖を使って腹部、頭部を殴打され、
肋骨が複数骨折していることも判明しました。74歳の足の悪い
男性に、きわめて激しい暴行が加えられていたんですね。

ウォルトンの遺体 ピッチフォークとスラッシュフックが見えます
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この事件が伝わるとイギリス中の評判となり、派遣されたのが
スコットランド・ヤードのロバート・ファビアン捜査官です。この人物、
英文Wikiに項目が設けられているほど有名な探偵みたいなんです。
クイントン区の住民は500人ほどしかいないのもあり、
事件はすぐに解決するだろうと思われていました。

ところが、捜査は予想外に難航します。住民だけではなく、
地元警察まで捜査に非協力的だったからです。それでも被害者に対する    
証言を集めていくと、ウォルトンが「ウイッチ」であるという評判が
あることがわかってきました。彼は動物と話すことができ、
また、意のままに操るのを見たという人物まで出てきます。

スラッシュフック
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これは、ウォルトンが馬の調教師だったことを考えれば不思議では
ない気もしますが、地元では魔術によるものだと噂されていたようです。
それと、事件の前後に「黒い犬」が目撃されていたことも
住民の口を重くしていました。イングランドの伝承では、
黒い犬は不吉の象徴とされています。

シャーロック・ホームズ物の長編に、『バスカヴィル家の犬』という
作品がありますが、イングランドに伝わる魔の犬伝説が
ストーリーの中心になっています。で、捜査中のファビアン捜査官も
この犬を目撃したという記録が残ってるんですね。まあでも、
たまたま付近に黒い犬がいただけと考えても不自然でもありません。

ピッチフォーク
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ここから話はオカルトに入っていきます。捜査中にファビアン捜査官は
一冊の本を発見します。1929年(事件の16年前)に、
ジェームズ・ハーヴェイ・グルームという人によって書かれた、
『シェークスピアの国の風習と迷信』という本ですが、
以下のような驚くべき記述があったんですね。

「1875年、ジョン・ヘイウッドという青年が、近所に住む
アン・テナントという老女が魔女であり、村に呪いをかけたと信じて
殺害した事件が起きた。遺体は首をピッチフォークで刺されて地面に
固定され、胸には十字型の傷がつけられていた。これは当時の
魔女狩りの一般的な殺害方法であった・・・」

まさにウォルトンの殺害方法と同じです。さらに、「その10年後の、
1885年、一人の少年が村で黒犬を従えた首のない女を目撃している。
黒犬は不吉の象徴、首のない女は魔女と信じられた。この目撃の直後、
少年の妹は急死している。少年の名前はチャールズ・ウォルトンといった」

『バスカヴィル家の犬』
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どうでしょうか。これ、殺されたチャールズ・ウォルトンの60年前、
14歳のときのことと考えて間違いないと思われます。
彼はこのとき、魔女に魅入られてしまったのか、そこで不思議な力を
手に入れ、自身もウィッチになったのか。また、妹の死とは・・・
そしてどうして、60年もたってから殺されてしまったのか。

結局、事件は未解決に終わり、ファビアン捜査官らはロンドンに
戻ります。村の誰からも有効な証言が得られなかったんですね。
後にファビアン捜査官は回想録で「最初は魔女狩りに偽装した
単純な殺人事件だと思っていたが、今は、村人全員によって
殺されたと考えている」と述べています。

さてさて、不可思議な話ですよね。イギリスは他のヨーロッパ諸国より
キリスト教の力が弱く、土着的な信仰が残っているのは、
『ハリー・ポッター』シリーズを見てもわかります。
そんな中で起こった、本物のオカルト事件の一つなんです。
では、今回はこのへんで。

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アーカイブ 梦幻茶房の話

2020.09.23 (Wed)
バブル華やかなりし時代の話だよ。1990年の手前。
おれはその頃、ある不動産会社の買付部門にいたんだ。
いや、お察しのようなヤクザ絡みの会社じゃなかったが、
買付けってのは当時、要は地上げと同義語みたいなもんだった。
Fラン大学を出て就職し、3年目のことだったな。
そんなだからよ、アコギな真似をしてたくさん人の恨みも買った。
あんな時代はもうこねえだろうな。俺の給料が手取り30万で始まったのが、
3年目で60万までに増えてた。会社は俺より10ばかり年上の若い社長が
仕切ってたが、信じられねえような金回りだったよ。
でな、そういう仕事をしてると、だんだんに澱みが溜まってくるんだ。
出方は人によっていろいろだが、俺の場合は汗だった。

すげえ汗っかきになったんだよ。気温とかまるで関係なし。
首筋、脇の下からだらだら汗が流れ落ちて、数時間でシャツが
びしょびしょだ。いやあ、エアコン18度に設定しても同んなじ。
だからしかたなく、日に3回はワイシャツとっかえてた。
これは、その汗が黒いせいもあった。なんでかしらないが、
ススみてえな汗が出たんだよ。ハンカチで額を拭けば薄黒くなってる。
もちろん医者には行ったさ。けど検査の結果におかしな数値は出ねえ。
皮膚科で診てもらってもとくに問題なし。
医者の目の前でガーゼで汗を拭いて見せても、首をかしげるばかりで、
「実害はないんでしょう」ときた。たしかにめまいや頭痛って
わけじゃないから、仕事に大きな支障はなかったんだが・・・

それで、あるとき会社の洗面所で顔洗ってたら、
ばったり社長が入ってきたんだよ。でな、黒い水が溜まったシンクを見て、
「ああ、お前、抱え込んでるなあ。それな、医者に行っても治らんから。
 ここに行ってみな。スッと悪いものが溶けてく。
 代金は会社持ちにするよう連絡しといてやる」こう言われて、
一枚の名刺を渡されたんだよ。そこには「梦幻茶房」という店の名と住所。
代表者名とか電話番号は書いてなかった。
住所は武蔵野のほうだったが、今はもうねえよ。車で行ってみたんだが、
建物はつぶされて植物園みてえなのになってたな。
で、次の休みの日に行ってみたんだ。そしたら白壁の家があってな、
「梦幻茶房」という小さな木の看板が出てた。

なんというか、白壁のアフリカの砂漠にでもありそうな建物だったな。
変わってると思ったのは、ガラスが一切使われてなかったことだ。
窓はあったが、木の両開きのやつだったんだよ。呼び鈴を押すと、
青紫のエプロンをかけた30代くらいの女性が出てきたな。あとでわかったんだが、
その人が女主人だった。中国語らしき名前を言われたが覚えてねえ。
で、俺の顔を見て「○○さんですね。社長様から伺っています。どうぞ」
流暢な日本語で中に案内された。それが床は乾いた土になっていて、
中国っぽい感じはまるでせず、やっぱりアフリカを思わせる調度が並んでた。
「ここは何をするんですか?」今考えれば間抜けた質問だが、
女主人は笑って「茶房ですから、お茶を飲んでいただきます」こう答えた。
あとな、そのときは11月だったが、中がすごく暑かったんだよ。

40度近くあったんじゃねえかな。俺が黒い汗をだらだら流しているのを見て、
女主人は、「3番房に入って着替えていてください」って言った。
奥へ続くドアを開けて、そこに長い廊下があったんだよ。
そうだなあ、両側に10部屋ずつで、全部で20ほどのドアがあった。
どのドアにも番号札がついてて、俺は手前の3番って書いてるところに入った。
中はサウナまではいかねえが、相当な暑さで、それもそのはず、
レンガを積んだかまどにガンガン火が焚かれていたんだ。そこに銅製らしき、
高さ80cmほどの蓋つき容器がのせられ、グラグラ煮え立った湯気を蓋の穴から
吹いてた。部屋自体は3畳ほどの広さで、白布のかかったテーブルに椅子が一つ。
あと、かまどの脇に脱衣かごがあり、中に白いガウンが入ってた。
それで、下着だけになってガウンをはおり、椅子にかけて待ってたら、

ややあって、女主人が手に籐製のザルみたいなのを持って入ってきた。
ザルの中には、乾いた丸い植物が入ってて、中国の花茶に近いものだと思った。
女主人は「聞いてますよ。黒い汗がでるんですよね」そう言って、
金バサミで銅製容器の蓋を開け、その大きな塊を5つ6つ中に落とし込んだ。
「しばらく待っててください」女主人は出ていき、俺は窓もない部屋で、
それから1時間以上蒸されてたんだよ。いや、信じられないほどの汗が出た。
ガウンが絞れるくらいになり、白かったのが薄墨のような色に変わって、
「ああ、これはやっぱ、サウナの一種なんだ」って思ったくらいだ。
テーブルの上の白布にも汗がぼたぼた落ち、頭がもうろうとなってきた。
でな、待っているあいだ中、なぜか俺の仕事、地上げのときにやった色んなことが、
思い出されてきたんだ。無慈悲な仕打ちとか、心ない言葉とかだな。

でな、それ思い返してるうちにダラダラ涙まで出てきたんだよ。汗より黒い涙が
テーブルに落ち、いたたまれない気分になったときに、女主人が入ってきた。
青みがった小さなガラスのグラスに、薄緑の液体が入っていたな。
女主人はかまどの火に灰をかけ、そしたら部屋の温度が少し下がった。
そして俺の前に「冷茶です。どうぞ」とグラスを置いた。
もう脱水に近かったから、一気に飲んだよ。そしたら体全体がスーッと冷えた。
そして全身がガクガクと震えだしたんだよ。お茶の味? ああ、お茶というか、
ミントみたいな味がした気がする。あんまり覚えていないが。
震えがおさまってから、「気分がすっとしました。
 ここってサウナ療法みたいなとこなんすか?」って聞いてみたんだよ。
女主人は「ええ、まあ」と言葉を濁し、続けて「釜の中をご覧になりますか?」

立って近寄ると、女主人はまた金バサミで銅釜の蓋を開け、俺は
それを上からのぞき込む形になった。そしたら、8分目まで入ったお湯の中で、
さっきの花茶のようなものが揺れていた。それらは大きく開いてくっつき合い、
まだポコポコ沸いているお湯の中でゆっくりと回転していた。
いや、何かの植物なのは間違いなかったが、
その中に人の表情が浮かんで見えたんだ。
見覚えがある気がした。俺が地上げした農家の婆さんとかの顔だと思った。
「ふつうは、この釜の中はお客様にお見せすることはないんですが、
 社長様からそうするように言いつかっておりまして」
女主人がこんなことを言ったんだよ。「お着替えを」と言って女主人は出ていき、
俺が着替えて最初の部屋にもどると誰もいなかった。

俺はせいせいした気分で車を運転して部屋に戻ったんだよ。
あれ以来、黒い汗はまったくかかなくなった。これはあの茶房の
せいだけじゃなく、俺が会社を辞めたことも大いに関係してると思う。
辞表を書いて翌朝すぐ上司に提出したんだ。上司は驚いてたが、
社長に取り次いで、俺は社長室に呼ばれた。社長は、「あの茶房行ってきたか。
 辞めるのはいい決断だよ。もう物件はすべて売りに出して、
 俺もこの商売とはおさらばするつもりだ。こんなことが長く
 続くはずはねえから」そう言って笑い、3年勤務ではありえない
退職金をはずんでくれたんだよ。それで最後に「あんな黒い汗かくやつは、
 この手の商売には向いてない。今後は苦しいこともあるだろうが、
 地道に頑張んな」ってつけ加えた。ま、こういう話だ。




 

イルミナティ・カードとは?

2020.09.22 (Tue)
dd (5)

今回はこういうお題でいきます。いやあ、オカルトブログらしい
ですね。これ、けっこう微妙な話になりますので、できるだけ
オカルト的な夢を壊さないように書いていきたいと思います。
まず最初に、イルミナティとは何か、についてですね。

イルミナティは、イエズス会の修道士でもあったドイツ人、
インゴルシュタット大学教授のアダム・ヴァイスハウプトが
1776年に結成した秘密結社です。その目的は、
理性とキリスト教の隣人愛とに根ざし、市民的共和制の
もとでユートピアを目指そうとするものでした。

アダム・ヴァイスハウプト
dd (2)

あれ、これだけ見れば、特におかしなところはありませんよね。
むしろ崇高な理想と言っていいと思います。では、なぜ弾圧
されたかというと、「共和制」というところに注目してください。
当時のヨーロッパは絶対王政の時代でしたが、

イルミナティは、教皇・王侯・君主を頂点とする封建制は不要と
したんです。政治的な理由なんですね。また、イルミナティは
非キリスト教的な霊性思想と結びついていました。そのため、
ヴァイスハウプト自身が所属していたイエズス会、ローマ教皇庁、
それと、もちろん政府により危険視されたんですね。

イルミナティの紋章「ミネルバのふくろう」


1780年代に入って、イルミナティはドイツ、オーストリアで
大流行しましたが、1785年、バイエルン政府により公式に
解散が命じられ、会員は投獄・公職追放・資産没収。
創設者のヴァイスハウプトはゴーダに亡命を余儀なくされます。
わずか10年足らずの活動でしかなかったんです。

ですが、イルミナティの余韻は民衆の間に強く残っており、
1789年から始まったフランス革命において、「イルミナティ
が市民を扇動して革命を起こさせた黒幕である」という説が
流布されました。ただ、これも200年以上前のことです。
イルミナティの陰謀論が現代においてもささやかれるのは、

ネスタ・ウェブスター
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一人のイギリスの女性作家によるところが大きいんです。
イルミナティ解散の90年後に生まれたネスタ・ウェブスターは、
自身がフランス革命時の王政側の人物の生まれ変わりと信じており、
生涯をかけて、反ユダヤ主義的な著作を書き続けました。
その中で、イルミナティの物語が再構築されていったんです。

この人がいなければ、現在のイルミナティ陰謀論はなかったでしょう。
あ、もうこんなに字数をくってしまった。ネット上では、
イルミナティとの関係をほのめかす組織などもありますが、
実体はないと言っていいと思います。

イルミナティ・カード
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さて、次にイルミナティ・カードについて。正式名称は、
「Illuminati New World Order(新世界秩序)」で、アメリカの
スティーブ・ジャクスン・ゲームズが1994年12月に販売した
トレーディング・カードゲーム。今でもamazonでふつうに買えます。

1975年、ロバート・シェイとロバート・ウイルソンの共著になる
『The Illuminatus!』がアメリカでベストセラーになります。
これは世界の秘密結社の歴史を陰謀的に描いたもので、カードはこの
小説にアイデアを得てつくられました。イルミナティと
他の秘密組織が戦うといった内容で、ルールは複雑です。

カードは追加発売されており、全部で700枚以上あり、
「飢饉」 「ハリケーン」 「隕石衝突」 「火山噴火」など、
あらゆる災害を表すカードも入っています。で、このカードが、
世界の未来を予言しているのではないかという話が出るように
なったのは、2001年、アメリカの9:11テロからです。

dd (8)

上のカードは「Terorrist Nuke テロリストの核」と「Pentagon」
つまり同時多発テロでアメリカの象徴として狙われた、
世界貿易センタービルとアメリカ国防総省の破壊を予言している。
テロリストの核というのは、ハイジャックされた航空機を
表しているのかもしれません。

dd (9)

次はどうでしょう。「Enough is Enough」というのは、アメリカの
慣用句で「いいかげんにしろ! もうたくさんだ!」といった意味です。
カードの左の悪魔的な紫色の顔の人物は、現大統領のトランプ氏
であり、このカードはトランプの当選を予言していた・・・

dd (10)

次は、コロナの流行を表すとされるカード。「Plague of Demons
悪魔の感染症」 「Population Reduction 人口減少」の2枚
ですが、左のカードには実際に武漢にある建物と酷似した
絵が描かれ、さらに感染源になったコウモリも。そしてニューヨーク
での大流行・・・さらに次の「Lab Explosion 研究所の爆発」が、

dd (11)

中国政府による武漢ウイルス研究所爆破の噂。最後が
「Combined Disasters 複合災害」のカード。日本の2011年の
東日本大震災を表している。時計の数字が3:11。でもこれ、
カードをよく見れば11:12のようでもあります。ただ、
時計が銀座和光の時計台なのは間違いない気がしますね。

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さてさて、この他にもまだあるんですが、代表的なものを
ご紹介しました。これらを偶然の一致とみるか、未来を予言していたと
みるか、はたまた、秘密組織がカードにしたがって事件・災害を
起こしているとみるかで、みなさんのオカルト度がわかりますね。
では、今回はこのへんで。





いなくなる茶会の話

2020.09.22 (Tue)
アーカイブ413

商社マンをしてます。よろしくお願いします。
でもね、商社マンって言っても、業界何十位かもわからない小さなとこなんです。
それに自分は入社以来ずっと総務課配属で。
仕事の内容は、社内のパソコン関係の備品管理です。
パソコン本体はもちろん、コネクターやソフト類とか。
だから気楽と言えば気楽ですよ。節約は大切だけど、
会社の売上にかかわる仕事じゃないですから。それに、出張もないですし。
できれば定年まで総務畑で過ごしたいと思ってます。
本社は、総合ビルの6、7階の2フロアーを借りて入ってます。
これが築40年近いんで、耐震なんかはかなり怪しいって言われてますけど。
自己紹介はこんなとこでいいですかね。

それで、こないだ企画課の同期の連中から、プロジェクトチームで
小会議をやりたいんで、6階の資料室を使えないかって話がきたんです。
もちろん入ったことがありますよ。鍵のかかる書架が5つ6つあって、
昔の資料や法律関係の本が入ってる。10畳あるかないかくらいの部屋です。
中央には何も置いてないんで、机を置いて5人程度は座れると思いました。
ネット回線は入ってないけど、それはすぐつなげますし。
でもね、自分の一存で決めることもできませんから、
総務課長のところに話をしにいったんです。これが女性課長なんです。
40代後半で独身。でも、堅苦しい感じはないし、
飲み会じゃご奉仕も出してくれるし、なかなかいい上司だと思ってます。
でね、一言話しして済むかと思ったんですが、そうじゃなかったんです。

「ああ、あの部屋ねえ。たしかにね、単に資料置き場にしておくにはもったいない
 気がするでしょうけど、ちょっと事情があってねえ」
こんなふうに言われました。「えー、あんなとこで事情って何です?」
「それがねえ、あの部屋、前は休憩室的な使われ方してたのよ。
 ほら、うちは残業多いから、あそこで夜食食べたりしてたわけ。
 ストーブ入れてお湯沸かしたりして」 「ああ、何か聞いたことあります。
 泊まったりする人もいたんでしょう」 「そう。だけど14年前と11年前かな、
 あの部屋で行方不明になった人がいて・・・」 「ええ? どういうことですか」
「うん、どっちの人も男性社員で、あの部屋の長椅子で毛布かけて泊まったのよね。
 まだ警備保障が入ってない頃だったからできたんだけど、
 それが朝になったらいなくなってたの」 「・・・単に会社を出たんじゃないですか」

「ま、そう思うわよねえ。だけど、その日持ってきたバッグや上履きまで
 会社に残ってたの。だからもし出たとしたら裸足でってことになる」
「いや、それはトイレのスリッパでもなんでも」 
「そうだけど、そうする意味ってある?」 「・・・・で、その後は」
「2人とも今に至るまで行方不明。もちろんご家族が捜索願を警察に出してる」
「うーん、シビアな仕事をしてたんですか」 「忙しかったのはたしかだけど、
 国内の取引だから、そんなきついってほどじゃなかったはず」
「部屋のせいとは思えませんけどねえ」 「私も思ってはいないけど、
 でも、2人もだから。それで、特に上から命令されたわけじゃないけど、
 社内に泊まることはなくなって、あの部屋も資料室になったわけ」
「いや、何回か入ってるけど普通の部屋ですよ。

 窓の外とかも他の部屋から見えるのと同じでしょう。じゃあそうですね。
 自分が何日かあの部屋で勤務してみます。泊まりはしませんけど。
 それで何もなかったら、使ってもいいってことにできませんか。
 企画課のやつらも、泊まったりはしないでしょうし」
まあこんな話になりましてね。今はほら、システム共有やら社内メールがあるから、
事務だけなら仕事はどこでもできますでしょう。
で、ネットの回線を一本だけ引いて、会社のパソコンと当座の仕事を持ち込んだんです。
2日間は何事もなかったですよ。集中力が増して、
自分の席にいるよりはかどったくらいでした。それで3日目のことです。
外で昼食をとってきて、さて午後にもうひと頑張りってところで、
なぜか座ったままふっと寝込んじゃったんです。

いやいや、会社で居眠りなんて一度もしたことないです。前日も定時退社で、
疲れてたわけでもない。ま、一人だって油断はあったかもしれませんけど。
で、夢を見たんです。それがなんと自分は茶会の席にいまして。
いや、一度もやったことはないですから、作法も知りません。
かなりせまい茶室にいて、主人、亭主って言うんですか、その人が女性なんです。
和服で、しかも顔のところに生え際の下から白い布が垂れ下がってまして。
調べましたが、そういう流儀はないでしょう。変だなあと思いましたけど、
まあ夢ですからね。お客は自分の他に2人いまして、どちらも男性。
自分よりは年配の見たことのない人でした。ええ、この2人は和服でしたけど、
顔は隠してなかったんです。自分が一番末席というか、下座に座ってて、
女亭主が立て終わった茶椀が回ってくるんだと思いました。

夢の中で自分はすごい緊張してまして、とにかく作法を知らないから、
前の2人がやることをマネしようと考えました。茶菓子の食べ方とか、
あとほら、茶道って茶碗を回したりするでしょ。そういうやり方をですね。
でね、この茶菓子というのも後で関係してくるんですが、
白っぽいもろこしみたいなものだったんです。あの固くて粉っぽくて、
日持ちする和菓子。あれってお茶が来る前に食べるんですよね。
女亭主が「どうぞ、お菓子をお取り下さい」って言われて、一番前の人が、
「頂きましょう」って菓子器から手で紙の上にお菓子をとり、「お先に」
・・・でね、自分はスーツだし、白い紙、懐紙って言うんですか、
あれも持ってないんで、どうしようか困ってたんです。
そしたらちょうどそこで、肩先をツンツンってつつかれました。

総務課の入ったばかりの女子社員です。お茶を持ってきてくれたんですね。
それは普通の煎茶でしたけど、まずいとこ見られたなあと思ったら、
「具合悪いんじゃありませんか、顔、青いですよ。紙みたいです」
って言われたので、「いやあ、だいぶ寝不足だから」こんな感じにごまかしました。
でね、洗面所に顔洗いにいって鏡を見たら、ほんとに顔が真っ白だったんです。
それと、頬のところに粉みたいなのがついてました。
粉はごく薄いピンクで、夢の中に出てきた干菓子の色に似てました。
で、その後は特に何事もなく、顔色も戻ってきました。退社前に、
その部屋で勤務して3日たったので、課長に報告にいったんです。
そしたら、「あったことは、くだらないと思うようなものでも全部話してみて」
って言われて、迷ったものの、怒られるの覚悟で見た夢の話もしたんですよ。

そしたら、課長はかなり考えこんでから、「その茶席のご主人、どんな着物だった?」
って聞いてきまして。「着物の種類などはわかりませんが、
 オレンジっぽい無地のものだったと思います」そう答えたら、
課長ますます考えこんじゃったんです。「それねえ、もしや創業社長じゃないかしら、
 もうお亡くなりになったけど、女性だったのは知ってるでしょう。私も昔一度、
 茶席にお招きされたことがあるの。部屋に鍵かけた?じゃあ持ってついてきて」
で、またその部屋に入りました。資料棚の下部を開けると、
社内報を綴じたのがたくさんあり、課長は何冊か机の上に出し、しばらく探してから、
2枚の写真を自分に見せたんです。丸型に抜かれた紹介の写真でしたが、
それはどっちも、夢の茶席にいた人だと思いました。「あ、そうです。この2人」
「行方不明になった人たちよ」課長の声がやや震えていました。

いやあ、もちろんびっくりしましたよ。普通、夢の中に出てくる人って、
顔なんてはっきりしないじゃないですか。それにすぐ忘れちゃう。
それが、明らかにあの茶席にいた人だってわかるんです。
しかも11年前にいなくなった人も、自分の入社の5年前ですから、
お会いしたことないし、顔だって当然知らないんです。「不思議ねえ」と課長が言い、
社内報の綴りをしまおうとしたとき、棚の反対側に白い細長い紙箱が
数個積まれてたのが崩れてきまして。一番上のフタがずれて中身が見えたんですが、
それが干菓子だったんです。ええ、そうです。夢の中で自分が食べようとした。
課長が箱を調べると、有名な和菓子屋のものでしたが、はるか以前に
賞味期限切れになってました。・・・こんな話だったんです。ええ、その部屋は、
使わないほうがいいだろうってことになりまして、菓子はそのまま元に戻したんです。







アーカイブ お経と怪談

2020.09.22 (Tue)
今回はこういうお題でいきます。わりと真面目な内容です。
さて、怪談でよくある金縛りですが、寝ているときに、生きた人ではない
何者かにのしかかられる。それは鎧兜姿の落武者だったり、
血まみれの女だったりすることが多いですよね。このときにお経を
短く唱えるというシーンもけっこう出てきます。

sderttty (3)

まあ、それで退散してくれればいいんですが、中には、
「そんなの効かないわよ」とか「それで消えると思ってるの」とか
霊が言う場合があります。怪談としてひとひねりして、
救いのない怖さを強調してるんですね。

でも、仏教的に考えれば、これは少し違和感があります。どうしてかは、
だんだんにお話していきます。このときに唱えるお経が「南無阿弥陀仏」
だった場合、これは浄土宗か浄土真宗の「念仏(名号)」です。また、
「南無妙法蓮華経」のときには、日蓮宗の「題目」になります。

浄土宗も日蓮宗も鎌倉新仏教といわれ、浄土宗は法然、浄土真宗はその弟子の
親鸞、日蓮宗は日蓮が始めました。では、これらの諸宗にはどういった
特徴があるんでしょうか。まずは、大衆を救済するための大乗仏教だと
いうことです。ですから、出家しなくても誰でも修行できます。

法然
sderttty (2)

さて、鎌倉時代といえば、すでに末法時代に入っています。
お釈迦様が入寂して後、1000年が正法の世、次の500年が像法の世。
正法は正しい教えのもとで修行する人が多い時代、像法は、修行者に姿形が
似た者はいるが、悟りを開く人はいない時代です。そして、教えはかろうじて
残っているものの、修行する人がいなくなる1万年の末法時代が始まります。

日本では、1052年から末法時代に入ると考えられていました。
そして源平の争乱が起こり、鎌倉時代になると、地震や飢饉、
疫病が頻発し、人々は疲弊して、今が末法時代ということを体感するように
なります。そこで、立ち上がったのが鎌倉新仏教の担い手たちです。

末法の世の中で広く民衆を救済するため、彼らが考え出したのが、
「選択 せんじゃく」 「易行 いぎょう」 「専修 せんじゅ」です。
選択は、救済される方法を民衆の一人ひとりが選ぶこと。
易行は、難しい内容ではなく誰もができる形で修行すること。
専修は、それだけにひたすらうち込むこと。

阿弥陀如来
sderttty (1)

浄土宗系であれば、まず、自分は阿弥陀如来に救ってもらいたいと願う。
その上で、誰でもできる「南無阿弥陀仏」の念仏を唱える。
「南無」の部分は、英語で言えば great みたいな感じで、
偉大な阿弥陀仏という意味。そして生活の中で、機会があるごとに
とにかく念仏を唱え続ける。これだけで救われるんです。

この当時は文字を読めない人も多く、まして漢文やサンスクリット語の
音訳で書かれているお経を唱えることができるはずもありません。
また、日々の暮らしに追われて、瞑想や座禅の時間もとれない。
そういう民衆こそを救済しようというのが、鎌倉新仏教の工夫でした。

阿弥陀仏は無量光仏とも言い、梵語の「アミターバ」の訳です。
仏教を修行して仏になった一人で、西方浄土に住んでいます。
鎌倉の大仏様は阿弥陀仏ですね。阿弥陀仏はもともとは人間で、
仏教を修行するにあたって48の誓い(大願)を立てました。
そして、悟りを開いて見事に仏になります。

その誓いのうちの一つが、「念仏を唱えるすべての大衆を救済する」
というもの。浄土宗の開祖 法然は、数ある中から阿弥陀仏のことを書いた
経に出会い、感動して、自分はこの大願を民衆に広めようと決意します。
そして、ただひたすら南無阿弥陀仏という念仏を唱えるだけで
極楽往生できるとしました。これがいわゆる「専修念仏」です。

親鸞
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法然の教えをさらに発展させた親鸞は、浄土真宗を開いて、
有名な「悪人正機説」を説きます。善人でさえ阿弥陀仏の力で救われるのに、
本当に救いが必要な悪人が救われないわけがない、むしろ悪人こそ、
阿弥陀仏の救済の対象としてふさわしい という内容です。

さて、最初の話に戻って、念仏は阿弥陀仏の力におすがりして、
自分自身が極楽往生するためのものですので、幽霊を祓うにはあんまり
ふさわしくないんです。南無妙法蓮華経のほうも、日蓮が、
あらゆる経の中で最高のものが「法華経」であり、この経の名を唱える
だけで誰でも成仏できるとしました。ですから、お題目と言うわけです。

霊になって迷っているものを祓う、成仏させるためには、どちらかというと、
隠された教えである密教系の「般若心経」などのほうが適しているでしょう。
あるいは「尊勝陀羅尼 そんしょうだらに」というお経。これも密教系で、
唱える事によって滅罪、生善、息災延命などの利益がこの世で得られるとして
日本でも古くから知られ、数多くの霊験談が残されています。

梵語で書かれた「尊勝陀羅尼経」
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『今昔物語』では、百鬼夜行に巻き込まれたとき、この陀羅尼を唱えたり、
書き写した護符を身につけていれば、鬼の目から自分の姿が見えなくなり、
命が助かるといった話がいくつか出てきます。尊勝陀羅尼を書いた紙は
お守りの中に入れたり、着物に縫いつけたりしました。

さてさて、ということで、お経の意味についてみてきました。
ここまで読まれた方がどのくらいいるでしょうか。かなり退屈な内容
だったかと思います。自分は仕事上、何人かの能力者の方にお会いしていますが、
仏教系の場合は、やはり真言宗の密教者が多いですね。では、今回はこのへんで。

真言密教の加持祈祷
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ヴィーナスとマーズ

2020.09.21 (Mon)
アーカイブ411

宇宙開発を押し進めるスペースX社CEOのイーロン・マスク氏は、テキサス州
オースティンにて開催されたSWSX(サウス・バイ・サウスウエスト)に登壇し、
なぜ人類は火星にコロニーを建設しなければならないのかについて語っています。
 
マスク氏は、人類が大気汚染や第3次世界対戦、AI(人工知能)の暴走などにより、
暗黒の未来を迎える可能性を示唆。そこで、火星や月にセーフティーネットとして
コロニーを建築し文明を維持することで、そのような暗黒時代を
「短縮」できるとしているのです。また、AI技術の過度な発展に対する懸念に
ついても以前と同じく触れています。
(sorae.jp)



今回のお題はこれで行きます。火星への植民地建設についての提言なんですが、
まあ、スペースX社は宇宙輸送が業務ですので、CEOがこう言って、
仕事を増やそうと考えるのは当然でしょうね。ただ、昨日 訃報をお伝えした
ホーキング博士も、最近、この内容のことを強く述べてました。

火星にコロニーをつくる目的の一つに、人類のリスクを分散するということが
あります。もし、核戦争やら大規模な自然災害で、地球が壊滅的な被害を
受けた場合、火星コロニーからの支援によって立ち直りが早くなるし、
最悪の場合でも、火星に人類の種子を残すことができるということなんでしょう。

これはもちろん、植民の候補は月でもいいわけですが、
例えば天体衝突などの大災害が起きた場合、
(直径10km程度の小惑星が地球に落ちてくれば、まず人類は滅亡します)
地球に近い月では心もとない面もあります。

金星の雲


ここにきて、火星以外の候補として、金星を押す声が高くなって
きてるんです。アメリカ、NASAの宇宙ミッション分析部門では、
最終的に人類の恒久的な移住を目指すなら、火星へのミッションよりも、
金星への有人飛行の方が現実的だという分析結果を出してるんですね。

そこで、火星と金星、どちらがより移住にふさわしいか、
当ブログでも少し考えてみたいと思います。太陽系の惑星について、
よく「水・金・地・火・木・土・天・海・冥」 と言いますが、これは、
太陽に近い順に惑星を並べたもので、地球は金星と火星にはさまれていて、
金星がより太陽に近いわけです。当然、金星は暑く、火星は寒いことになります。

地球、金星、火星の大きさの比較


さて、では、どちらがより地球に近いか。火星も金星も楕円軌道で
公転していますが、地球から火星までの最小距離は約7800万km、一方、
地球から金星までの最小距離は約4200万km。かなり金星のほうが
近いですね。もし、植民地を建設するなら、ひんぱんに支援物資を
届けなくてはなりませんが、どれだけ技術が進んで宇宙船の速度を
高めても、火星へ行くには、金星の2倍近い日数がかかってしまいます。

次に、環境面を比較してみましょう。火星は、ごく薄い2酸化炭素の大気は
あるものの、宇宙からの放射線をほとんど防ぐことができません。
気温は、平均表面温度は-43℃で、最低温度は-140℃の極寒です。
火星の表面重力は地球の1/3。あと、これはあまり言われることはありませんが、
太陽からの光熱エネルギーの量は、地球よりも遠いため、半分程度になります。

金星の雲中都市


金星はどうでしょう。太陽に近く、厚い2酸化炭素の大気があるため、
猛烈な温室効果を起こして、赤道付近の気温は500℃にまで上がります。
そこに硫酸の雨が降るという過酷な環境です。SF小説では、はじめの頃は
金星人が出てくるものが多かったんですが、この状況が知られるにつれて、
火星人のほうが人気が高くなりました。

また、金星の大気がぶ厚いため、地表は90気圧にもなります。
地球だと、水深900m以上の深海に相当します。
ここまで見てきて、これはダメだろうと思われた方が多いでしょうが、
金星に有利な点もあります。重力がほぼ地球と同じなんですね。

火星のコロニー
キャプチャ

この間、日本の宇宙飛行士の金井さんの身長が無重力下で伸びたという
話題がありましたが、低重力は、人間の全身にさまざまな影響を及ぼしますし、
妊娠、あるいは乳幼児の成長がどのようになるかのデータがないんです。
おそらく、そのままではまともに成長できないと思われます。
じゃあ人工重力をつくればいいと言っても、現在の技術では難しいでしょう。

ここまで比較して、自分は、金星のほうが植民先として有利そうだなあと
考えます。その決め手になるのは、金星の、2酸化炭素、硫酸、硫黄が
入り混じった有毒な大気にあります。日本人は福島原発事故で、放射線を
防ぐ困難さを知ってますが、これで宇宙からの放射線が遮断されるのは
大きいです。それと、太陽フレアによる電磁波なども防いでくれます。

もちろん、金星の500℃、90気圧の地表には住めません。
そこで、考えられているのは「フローティングシティ」の構想。
金星の空中に浮かぶ都市です。金星の大気は比重が大きいため、
地球の空気を入れた飛行船は浮くことができます。そこで、
金星の上空に巨大飛行船を何隻も浮かべて連結し、植民都市とする。

微生物による宇宙での食糧生産実験
キャプチャggg

金星の高度50km地点では、大気圧がおよそ1気圧、気温が0~50℃と、
人類が住むのに問題はありません。また、飛行船に空気をつめて、
その中で人間が生活すればいいわけで、これは一石二鳥とも言えます。
こう考えると、けっこう現実的な気もしますね。

さてさて、最後に、ギリシア神話では、金星はヴィーナス(Venus)を象徴します。
ごぞんじのとおり「愛と美の女神」です。火星はマーズ(Mars)。
赤味がかって見えるため、「怒れる軍神」と考えられました。
また、金星は日本でも、ひときわ明るく輝く「明けの明星・宵の明星」として
縁起のよいものとも考えられてきました。ということで、今回はこのへんで。

アレクサンドル・カバネル 「ヴィーナス誕生」





巫女性について

2020.09.21 (Mon)
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アルバイトの巫女さんたち

今回はこういうお題でいきます。オカルト論ですが、
自分もまだはっきり考えがまとまった内容ではないので、
スルーされたほうがいいかもしれません。
さて、巫女であるための条件というのは何でしょう?
女性であること、まあこれは当然ですが、それ以外には?

これは「神の言葉を聞いて伝えることができる」ということです。
キリスト教系の宗教では、「預言者」という言葉があり、
「神の言葉を預けられた者」という意味ですが、モーセをはじめ
ほとんどが男性です。それが、日本では巫女になるんです。

天鈿女命
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また、巫女=シャーマン という形で語られることがありますが、
厳密には違います。シャーマンはもともとツングース語で
北方系です。たしかにシャーマンは神の言葉を聞きますが、
それ以外にも、呪術で病気の治療をしたりもします。
祈祷師という訳語のほうが実体を表しているでしょう。

さて、日本の神道系の巫女の役割ですが、平安時代になると
神道の形式も定まり、朝廷には「猨女君 さるめのきみ」という
官職が置かれていました。天岩戸の前で踊った天之鈿女命の
血を引く一族の女性で、4つの神事を行っていたと考えられます。

伊勢斎宮
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その4つは、「占術・神遊・寄絃・口寄」で、占術は占いの
ことですね。神遊(かみあそび)は舞を舞うことで、
お神楽の古い言葉です。寄絃(よつら)は、巫女が祈祷を行う前の
儀式で、天鈿女命が弓を並べて叩いたのが由来であるとされ、
梓弓の弦を打ち鳴らして邪気を払います。

口寄せは神託のことですが、神の言葉だけでなく、死者の語も
伝えました。それが東北のイタコにも伝わっているわけです。
さて、次の分類はきわめて重要です。巫女には官系の者と、
民間系の者がいたことで、これを押さえておかないと
正しい理解に至りません。

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違いは何かというと、官系の巫女は処女性が重視されたのに対し、
民間系の巫女は逆に遊女としての側面を持っていたことです。
官系の代表が、伊勢神宮の斎宮(さいぐう)ですね。斎宮は
基本的に未婚の内親王(親王宣下を受けた天皇の皇女)とされ、
在原業平の伊勢斎宮密通事件が大問題になったのは有名です。

これに対し、民間系は「渡り巫女・歩き巫女」と呼ばれ、
大きな寺社の祭礼や、市の立つ地を渡り歩き、神楽、祈祷、
託宣、勧進などを行いましたが、別名を旅女郎というように、
夜には客をとっていたと考えられます。あ、もう半分まできました。
ここからは日本史上の有名な巫女について書いていきます。

静御前
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天鈿女命(あめのうずめのみこと) 前述したように、天照大神の
岩戸隠れの際、衣服の胸を開き、陰部まで押し下げて踊ったと
されます。古代の神道では、性は禁忌ではなかったんですが、
さすがに現在はそういうわけにはいきません。

卑弥呼 「卑彌呼 事鬼道 能惑衆 鬼道につかえ、よく衆を惑わす」
とあります。この鬼道には諸説ありますが、実体はわかりません。
卑弥呼が個人名なのか、役職名なのかも判然としないんです。また、
王となってからは見るものが少なく、ただ一人の男子が、食事を運び
言葉を伝えるため宮城に出入りしている、となっています。

出雲阿国
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倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
第7代孝霊天皇の皇女で、第10第崇神天皇の大叔母として、
武埴安彦の謀反を始め、数々の助言を行ったことで知られます。
三輪山の神と結婚したとされ、墓所は箸墓(箸中山古墳)。
卑弥呼と同一人物説があります。

打臥の御子(うちふしのみこ) 『今昔物語』 『大鏡』に登場する
平安時代の民間系の巫女です。打臥というのは、神懸かりして
床にうつ伏せになるということでしょう。占いをよくし、
京中の上中下の身分の人が巫女のもとに通ったが、託宣は一つとして
外れることなし。藤原兼家が屋敷に呼んで寵愛しました。

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出雲阿国(いずものおくに) 安土桃山時代の女性で、ややこ踊りを
もとに、かぶき踊りを創始したことで知られており、現在の歌舞伎の
元祖です。出雲国杵築出身で、出雲大社の巫女となり、
文禄年間に出雲大社勧進のため諸国を巡回したところ、
評判となったとされています。歩き巫女の一人だと考えられます。

静御前(しずかごぜん) 平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった
歌舞の踊り手で、巫女舞を行った白拍子(しらびょうし)です。
源義経とのラブロマンスで知られていますね。
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」

出口なお
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出口なお 大正期に亡くなった女性で、「大本」の開祖。神懸かりして
艮の金神(うしとらのこんじん 国常立命と判明)の託宣を伝えます。
後に、カリスマ的霊能力者である出口王仁三郎を娘婿としたことで、
教団大本は全国及び海外に拡大しました。

さてさて、ということで、日本の巫女についてみてきましたが、
最初に書いたように、これはほんのさわりだけで、深いところまでは
自分も調査は進んでいません。おそらく、いろいろ面白いことが
隠されているだろうと思います。では、今回はこのへんで。

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呪禁の話

2020.09.20 (Sun)
あ、ども。じゃあ話してくよ。これな、俺がガキの頃に始まって、
今もまだ続いてることなんだ。しかも、最初はよかったが、
どうも事態は悪いほうに転がってるみたいなんだよ。
ここの人は、そういうことの専門家だって聞いたもんだから、
こうしてやってきた。話をするのにべつに礼金はいらねえから、
もし対処法があるのなら教えてくれよ。
始まりは小学校の5年のときだな。夏休み中でお盆だったはず。
一家で墓参りに行った。まあそれは毎年のことだったが、
その年だけ、父方の墓参りの後に、母方のほうにも行ったんだよ。
何年忌だか忘れたが、親戚一同が集まっての大法要があるってことで、
うちも呼ばれたんだ。父親はふつうの家の出身だが、

母親の実家の本家が、ある地方の旧家なんだよ。で、兄貴と俺も
連れていかれたわけ。いや、その法要が長かったことは覚えてる。
坊さんが十数人いてお経を唱えてな。3時間近くかかったんじゃないか。
その後、母親の本家の墓所に行った。そこだけ土台が一段高くなってて、
それは立派な墓だったよ。で、その前でも住職がひとしきり
お経を唱えてな。親戚一同数十人がその墓の前にいたんだが、
ほら、俺の家は別姓だろ。だから、列の一番うしろで小さくなってた。
俺はその頃から悪ガキだったから、また長くなるんだろうと思って
両親に気づかれないよう、こそっと抜け出したのよ。
でかい墓地でな、碁盤の目みたいに通路が切られてる。
そう遠くまで行くつもりじゃなかった。区画をぐるっとひと回り

して戻ろうと思っただけなんだ。20mくらい進んで、本家の墓所と
反対側のほうへ曲がった。1mばかりのコンクリの道で、
両側はずらっと墓。ところが、いくら進んでも横に折れる道が
なかった。まあ、突きあたりに墓地を囲んでる黒い塀が見えたんで、
そこまで行ったら引き返そうと思ったわけ。ところが、
いくら進んでも塀は近くならなかった。そうだなあ、500mは
歩いたと思うが、そろそろ戻らないとヤバいと考えて
来た道を引き返したのよ。一本道を進んできたわけだから、
それで元の場所へ出られるよな。それが、いくら行ってもただ
まっすぐ道が続いてるだけ。怒られる、そう思って走ったんだよ。
そしたら、両側はふつうの墓だったのが、だんだんボロっちいっていうか、

自然石の、低い苔むしたのになってきたんだ。そんなの来たときに
なかったのは間違いない。あせるし、怖くなってきた。
でな、引き返す前の倍くらいの距離を進んだと思う。
とうとう墓がなくなって、道も土に変わったんだ。前に塀も見えない。
その頃には全力で走ってたんで、息が切れて立ち止まった。
そしたら、ボロ小屋みたいなのがあったんだよ。廃材を打ちつけた
だけの真っ黒な小屋。もしかしたらそこに人がるんじゃないかと思って、
戸もない入り口から中をのぞき込んだ。そしたら、中はオレンジ色で、
突きあたりに炉みたいなのがあって、その火の色なんだ。
炉の前には白い着物を着た人がいた。頭がつるつるだったから坊さんだと
思った。年は若く見えたな。「あの、すいません」俺が声をかけると、

その人は驚いたように振り向き、「子どもか、どこから来られた」
柔らかい声で そう聞いてきたんで、事情を話したんだよ。事情っても、
まっすぐ進んでたはずなのに道がわからなくなったってだけだが。
そしたら、坊さんは少し考え込んでから「何年から来られた」って。
意味わからねえだろ。そう言うと、また少し考えて「西暦で」
それはわかったが、俺は「平成〇〇年」って答えたんだ。
坊さんは「ふむ」みたいに言い、俺の腕をとって炉の側に連れてくと、
そこにあった筆を茶碗につけて、俺の左腕の手首の内側に
何か書いたんだよ。筆をつけたのは墨じゃなく水みたいなもんで、
字に色はついてなかった。それから、「これですぐ戻れるから」って。
「どうも」と礼を言って、外に出て小屋と反対に走った。

そしたら、すぐ曲がり角があったんだよ。ほんの20mくらいで。
後ろをふり返った。でも、あの小屋はなくなってて、ずっと通路に
なってたんだ。曲がってすぐ、お経を読む声が聞こえてきた。
人の輪も見えた。本家の墓所のすぐだったんだ。それで、そうっと
近づいて後ろについたんだよ。両親の姿もあって、俺が抜け出したのは
気づいてないみたいだった。で、それが終わってからは、
寺の近くの料亭を借り切ってあって、そこで住職も呼んで宴会に
なったんだよ。俺の親父はその日のうちに車で帰る予定だったから
飲まなかった。でな、俺はさっき字を書かれた左腕が痒くて、
掻いてるうちにぼこっと腫れてきたんだ。母親がそれを見て、
店の人に言って虫刺されの薬をもらった。しばらくして腫れはひいたよ。

まあそんなことがあってな。夢みたいな話だと思うだろ。いや、俺も
ほんとうにあったことかわからなくなって、そのうちに忘れた。
思い出したのは、ええと3年後か。俺が中2のときだ。サッカーの
クラブチームに入ってたんだが、そこのチームはけっこう強くて、
土日は毎回のように練習試合や大会があった。で、3年が引退して、
俺が新チームのメンバーに選ばれた最初の試合の前日、
急に腕が痒くなったんだよ。ああ、あの字が書かれた場所だけ。
搔いてるうちに腫れてきて、前みたいに盛り上がってきた。
それが何かの字っていうか、記号みたいなんだ。
そうしてるうち、高熱が出てきたんで、親に病院に連れてかれた。
医者は腕を見て、虫刺されによるアレルギーだろうって言ったが、

虫に刺された記憶はないんだ。点滴をして熱は下がったが、
腫れはなかなかひかなかった。で、大事をとって入院ということになり、
俺は試合に出られなかったんだよ。入院中に腕をみた別の医者が、
「これ、字みたいだね。あ、梵字にそっくりだ」って言った。
ガキだったから梵字が何かも俺にはわからなかったけどな。
で、サッカーほうだが、事故があったんだ。会場へは現地集合で、
親の会で誰が車を出すか、順番が決まってたんだ。
その、俺が乗るはずだった車がもらい事故を起こして、
運転してた親と、乗ってたチームのメンバー1人が死んだんだよ。
いやあ、偶然というか、そのときは俺の腕のことと関係があるとは
まったく考えてなかったよ。2日入院して腫れはひいた。

それから、10年以上腕はなんともなかった。その間にいろんな
ことがあったんだ。親父が職場で倒れて、そのまま亡くなった。
俺が大学のときだが、それもあって俺は大学をやめたんだ。
といって仕事についたわけじゃなく、当時は演劇に興味があってな。
劇団員をやってたんだよ。もちろんそれで食ってはいけねえから
バイトしながら。でも、演劇のほうも物にはならず、
その劇団は解散し、それからはずっとフリーターという名の
プー太郎をやってた。そのうちにパチスロなんかにもはまって、
地下カジノで働くようになった。ある組がやってたやつだが、
そのあたりのことは詳しく話さなくてもいいよな。
けっこう真面目にっていうか、言われたとおりにやってたら、

組の仕事もぽつぽつ入ってくるようになった。カジノとは別の
取り立てとかだ。でな、俺はこのとおり体もでかいし、人不足だから、
盃をもらって正式に組員にならねえかって話になったんだよ。
これな、受けないわけにはいかないだろ。でほら、あんたらも
知ってると思うが、組の分裂騒ぎがあって、殺気立ってきたわけ。
で、一昨日、ずっと忘れてた左腕な。また痒くなって腫れてきた。
熱は出てないから医者にはまだ行ってない。それで、これ見てくれよ。
くっきり字が浮き出してるが、ガキの頃のとは違う感じがするんだよ。
今はネットで何でも見られるだろ。この腫れた形で調べてみたら、
やはり梵字で、「寂滅」っていうのにそっくりなんだ。寂滅って
死ぬことなんだろ。俺、どうすればいいのか教えてほしい。

キャプチャ





アーカイブ 行者の話

2020.09.19 (Sat)
滝不動
妻と離婚してね。何もかも嫌になって会社を早期退職したんだよ。
離婚の原因は俺のせいじゃないし、幸いにして子どもがいなかったから思い切れた。
で、山村の廃屋を買ったんだよ。まあ昔から山暮らしにあこがれてたってのもある。
小さい畑を作って、あとは山菜、キノコ、魚釣り・・・
それだけで暮らしていけるわけじゃないが、貯金の節約にはなってる。
もうネットも見ないし、タバコもやめた。急に欲というもんがなくなって、
さばさばした気持ちになった。もういつ死んでもかまわないようなもんだよ。
今年の春、裏の山に山菜を採りに行ったときのことだ。
もう何度も入ってるから迷うことはないよ。よく山菜採りで遭難って話が
報道されるのは、それこそ、「もっと採りたい」という欲に駆られて、
自分の知らない場所にまで入り込んで行くからなんだよ。

渓流沿いの小道を登っていると、曲がり角の前の草地に白いもんがあった。
人、だと思った。それで慌てて駆け寄ると、白装束のジイサン・・・
年の頃は70過ぎに見えたけど、うつ伏せに倒れていたんだよ。
恰好から見て、山岳修行者じゃないかと思った。そこの奥の山地は霊山の一部を
なしてて、けっこうな数の修験者が入り込んでいるようなんだ。
まれに里に下りてくる人もいるよ。急病とかじゃないかと思って、
「どうしましたか?」と声をかけた。そしたらジイサンは顔を上げ、
「体がしびれて動かん。やられてしもうた」と小声で言った。
「里に下りて助けを呼びましょうか。救急車も」ジイサンは首をかすかに
横に振り、「病気じゃないんだ。敵(かたき)に呪詛されたから
 医者などどうにもならん。それよりあんた頼まれてくれんか」 「はあ」

「この先に渓流が小滝になってる場所があるのがわかるか?」
「わかります。400mほど先でしょう」
「そうだ。その滝でたまさか水浴びをしたんだが、罠がかけられてた。
 どうか滝の裏を覗いてみて、そこに何かがあったら滝壺に放り投げてくれんか」
「かまわんですけど、人呼んできたほうが・・・」 「いや、それを
 やってもらえれば嘘のようにおさまるはずだ。礼はするからなんとか頼む」
こんなやりとりをして、ジイサンがあまり真剣だったので承知してしまった。
息をきらして小走りに滝のある場所まで登り、渓流に入っていった。
そこの滝は落差は2mもなく、水の量も少なかったんで、
濡れるのは覚悟で横から首を突っ込んで裏を覗いてみた。
そしたら、岩が40cm四方ほどに箱形に掘られてあり、
そこにちょこんと金属の仏像らしきものがのってたんだよ。

「これのことか」と思って手に取るとずっしりと重かった。小さな剣を持ってたから、
俺は詳しくはないけど、不動明王というやつじゃないかと思った。
でね、その表情がスゴイしかめっ面で、額に墨で梵字のようなのが書かれてたんだ。
かりにも仏像だからね、ためらいはあったけど、
ジイサンに言われたとおりに、そのまま滝壺に放り込んだんだよ。
特に何が起こるということもなかった。
さっきの場所に引き返したら、ジイサンの姿はなくなっていて、
地面に和紙を二つ折りしたのが石の重しをのせて置いてあった。
開けてみると、中にはしわくちゃの千円札が一枚、それと和紙に黒字で、
「世話になった。今はこれしかないが後でもっと礼をする」みたいなことが
書かれてたんだよ。昔の言葉遣いと達筆でちゃんと読めたわけじゃないけど。

山光
それから季節がかわって秋に入り、そろそろ茸狩りのシーズンになった。
俺はもうすっかり、春の頃の修験者のジイサンのことは忘れてたんだ。
でね、「ちょっと早いが明日あたり山に暖房用の薪を拾いに行こうか」と考えた晩に、
ジイサンが尋ねてきたんだよ。
コンコンと表戸が叩かれたんで、出てみるとあんときのジイサンが、
春の頃より重装備をして立ってた。ジイサンは「こないだは世話になった。
 あんたがこなければあのまま野垂れ死んでたかもしれん。
 恥ずかしい話だが、このような世渡りをしてても、敵というもんはいるんでな」
仏頂面でこう言って、下に置いてあったザルを持ち上げた。
ザルには見事な栗が山盛りに入っててね。
「これを」と言って渡してよこしたんだ。ありがたく頂戴したよ。

それから続けて、ジイサンは「こないだの敵といよいよ決戦が近くなった。
 あんた山に入る予定を立ててるだろうが、ここ4日くらいが山場になる。
 恩人に万が一のことがあってはいかんから、山に行くのは遠慮しててくれ。
 それと・・・」ジイサンはここまで言ってから、アゴの先を奥の山地のほうに向け、
「夜になったら見ててみな。面白いことがあるかもしれんぞ」
「それはどんな・・・」こう聞いたけど、それには答えず、
後ろを向いてスタスタとスゴイ速さで歩き去って行ったんだよ。でね、何となく
面白そうだから夜になったらしばらくの時間、山のほうを観察してたんだよ。
1日目、2日目の夜は特に何事もなかったな。
ところが3日目の夜、小一時間ばかり見ていて何も起きなかったから、
もう寝ようかとひき上げかけたんだ。

そしたら、奥の山地の一つの峰で、ボウッと緑の閃光が弾けたんだ。
もちろんずっと遠くのことだから光そのものは小さいけど、
閃光と同時に山肌の広範囲が同じ色に染まった。「おっ、これのことか」
そう思ったとき、今度は隣の峰の頂で赤い光が閃いたんだ。
赤、緑、赤、緑・・・こんな具合に何度も光って、
花火ほど大きくはないけど、そりゃあきれいな眺めだったよ。
「すげえな、修験者の戦いってミサイル戦争みたいなもんなんのかな」
変な感想だけど、そんな風に思ったんだ。
光の炸裂は2時間近く続いたかな。最後に緑の光が大きく山を照らして、
それきりおさまったんだ。いやもちろん、どっちが勝ったかなんてわからないけど、
なんとなく緑のほうがあのジイサンなんじゃないかと思ったよ。

六臂
その夜からまた2日して、そろそろいいだろうと思って山に入ったんだよ。
本気で寒くなってきて、薪もどうしても必要だったし。
さすがに薪はリュックに入れてくるわけにはいかないんで、ねこ車を押して
登ってったんですよ。あちこちに拾った薪を積み上げながら奥まで行き、
順繰りに回収してくるんです。もちろん何度も往復しなきゃいけません。
でね、ねこ車が入れないあたりまで来たら、悪臭が漂ってきたんだ。
肉が腐ったときの臭いで、野生動物の死体が近くにあるんだと思った。
そこで退散すればよかったのかもしれないけど、好奇心を出して
見にいったんだよ。手ぬぐいで鼻を押さえながらね。
そしたら、薮を下っていく白いもんが走るのがちらっと見えた。
そうそう、ちょうど最初に話した渓流の滝壺が下にあるあたりだった。

でね、崖の突端まで行って見おろしてみた。
高さはたいしたことがなくて、谷の流れまで40mといったとこだったな。
修験者の服装をした人が、渓流の中の大岩にすっくと立ってたんだ。
あのジイサンだとわかった。向こうは俺がいるのを知ってるらしく、
上を向いて手招きしてた。「何ですか~」と叫んだら、ジイサンは
大笑いしながら小滝のほうを指さし、それからパンパンと2度拍手をした。
すると、ゆっくりと滝の後ろから水を跳ね上げながら何かが出てきたんだよ。
最初は何だかわからなかった。晒されて白くなった流木のようにも見えたが、
流木が動くわけはない。それはやがて全体の姿を現して・・・上からだから
丸いものの天辺が目に入った。巨大なひとつながりの骨だったんだよ。
水の中の足の長さを考えると、身長は2mを超えていたはずだ。

しかもね、シルエットが不自然で、蜘蛛か蟹みたいなのが混じってる気がした。
滝から完全に出てしぶきがかからなくなると、どうなってるのかが理解できた。
その全身骨格には腕が左右に3本ずつあったんだよ。
しかもその腕は肩のところから出てるのは人間と同じに2本だけで、
中の2本は肋骨の下のあたりから、最後の2本は骨盤のとこから左右に
生えてたんだ。人間のムカデといった感じだ。ジイサンは大声を出して
罵るような言葉を吐くと、また手を合わせて2度拍手をした。
そしたらあっというまにその骨格は崩れて、滝壺のほうに流れ落ちていった。
ジイサンは上を向いて高らかに笑い、ひと跳びで数m離れた岩にうつり、
そのまま近くの大木を猿のように登っていなくなってしまった。
俺は呆然と見てたが、ふと気がつくと、さっきまでの臭いはなくなってたんだよ。





見世物小屋とオカルト

2020.09.19 (Sat)
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両国広小路 下のほうがずらりと見世物小屋

今回はこういうお題でいきます。オカルト論ですかね。
見世物の歴史について簡単に述べていきますが、徳川幕府以前の
ことはよくわからないので、主に江戸の話です。
よく時代劇で、木材を組んて筵をかけただけの簡単なつくりの
小屋の前で、木戸番が「お代は見てのお帰りだよ」

と叫ぶシーンが出てきますが、あれが見世物小屋です。
では、見世物小屋はどこにあったか。
もちろん人が多く集まる場所で、最大のメッカが両国広小路。
これは、江戸の見世物がいつから始まったかとも関係があります。

軽業名人 早竹虎吉
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1657年に明暦の大火が起きましたが、この頃はまだ両国橋がなく、
逃げ場を失った多くの江戸市民が火にのまれ、死者10万人に
およんだと伝えられます。これにより老中、酒井忠勝らが進言、
防火目的のために橋が架けられることになり、木製の橋への
類焼を防ぐため、火除地として東西の広小路がつくられました。

すると、どんどん人が集まって勝手に小屋を建て、その多くが
飲食店と見世物小屋でした。ですから、見世物小屋は江戸初期から
あったわけですね。もう一つのメッカが、浅草寺の裏手にある
浅草奥山。あとは大きな寺社の参詣路などです。

手妻
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次に、なぜ見世物が隆盛したのか。これは庶民の娯楽が
少なかったためですが、見物料が安かったせいもあるでしょう。
代金は年代によりますが、だいたい歌舞伎見物の3分の1から
4分の1くらいの金額で入れたようです。

では、見世物にはどんな種類があったか。まず、正統派としては
軽業と手妻です。軽業は綱渡りや、乱杭渡りと言って細い高さの
違う杭の上を飛んで渡る曲芸。山本小鳥、早竹虎吉などの名人が
いたようです。ちなみに山本小鳥は6歳。

からくり人形
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手妻は、現代のような大仕掛のものではなく、曲独楽や水芸などの
手技が中心。柳川一蝶斎という手品師は、切った紙を扇で
あおいで生きた蝶のように飛ばせる芸で評判を取りました。また、
これは以前記事に書きましたが、塩売長次郎という男が、
馬を一頭 呑み込んでみせる幻術を披露しました。

次が珍人、珍獣です。珍人とは文字どおり珍しい人ということで、
霧降花咲男という人が曲屁(きょくべ おなら)の芸で大人気。
鍋食い男などというのもあって、金属鍋、茶碗、釜、砂などを
噛み砕いてガリガリ食べる芸。体に悪そうです。

江戸の見世物を再現したもの
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それから、これは昭和の時代まであった因縁物、「かわいそうなは、
この子でござい。親の因果が子に報い・・・」親が猟師だったり
蛇捕りだったため、頭に角、口に牙が生えた鬼娘、
体にウロコがある蛇娘、毛むくじゃらの女などですが、
多くはつくりものだったでしょう。

珍獣は、ゾウ、ラクダ、ヒョウ、オウム、ダチョウ、ヤマアラシ、
クジラの死体などさまざまなものがありましたが、
綱吉の生類憐れみの令のため、いったん下火になります。
これは細工物に入るかもしれませんが、河童や鬼、人魚などの
ミイラ。動物の死体を組み合わせたつくりものです。

現代のお化け屋敷
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次が細工物で、からくり人形、巨大な籠細工(ねぶた人形のようなもの)
菊人形など。それと、エロですね。女相撲やもっとシモネタの
ものもあったようです。よく話に出てくるのがダジャレ興行で、
大イタチは、大きな板に血糊をつけたもの。

さて、オカルトホラー関係ですが、これは幕末になって始まります。
「寺島仕込怪物問屋」という見世物は、歌舞伎の怪談の名場面を
カラクリ人形を使ってジオラマで再現したもの。日本には
カラクリ技術とともに生き人形の技術があり、下図は、名人と
言われた松本喜三郎のものです。

松本喜三郎の生き人形
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日本のお化け屋敷のルーツの一つと言われます。もう一つ、
ルーツとなったのが、東大森に住んでいた瓢仙という医者が、
自宅の庭に小屋をつくって、壁から天井まで一面に
百鬼夜行の様子をカラーで描き、それに一ツ目小僧などの
化け物細工の人形を飾りつけたもの。

これが評判となって、「大森の化け物茶屋」と言われ、多くの
見物人が集まりました。この後、「変死人形競(くらべ)」
という、水死体などの変死人の生き人形を展示したもの。
これも名人と言われた、泉目吉という人形師がつくりました。

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さらに、「百鬼夜行妖怪尽(づくし)」が続きます。どれも
1800年代に入ってからで、黒船来航などの騒がしい世相を
反映してホラーが流行ったのかもしれません。このあたりは
芝居と並んでジャパニーズ・ホラーのルーツと言えるでしょう。

さてさて、明治の世になり、1872年(明治5年)、外国人が
「死んだウサギを食いちぎる子ども」の見世物を目撃したことが
きっかけで、「違式詿違条例」という法律が出され、
エロやあまりに非道い見世物は興行できなくなったんです。
では、今回はこのへんで。





アーカイブ オタマ雨の話

2020.09.18 (Fri)
中1のときの話だ。同じクラスに林田ってやつがいたんだ。
坊主刈りで、色が白くてひょろっとしたやつ。
こいつがホント空気みたいなやつなんだよ。誰ともしゃべらないんだ。
教師に何か言われた場合でも、ほんと必要最小限のことしかしゃべらない。
テストの答案とかチラ見した限りでは、成績はよかったと思う。
ただ授業で指名されても答えないんだ。国語の教科書を読むのさえしないで、
黙って立ってるだけ。場面緘黙というのかな。
だから教師のほうでもこいつを指名しなくなったけどな。
腫れものにさわるような扱いに変わっていった。

林田は部活にも入ってないし、友達もいない。
休み時間も一人で席に座ってて、本を読んでるんだ。
その本ものぞいたことがある。細かい漢字と奇妙な図がついてる縦長の本。
今にして思えば暦の本だったと思う。
とにかく、一人でいることがまったく苦にならないみたいなんだ。
それからよく学校行事とかで班を決めるときなんか、
入るのを嫌がられるやつがいるだろ。
ところが林田の場合はそういう行事は必ず休むんだ。
だから担任も、林田がどこにも入る班がなければ、
どうせ来ないんだから名前だけ入れといてやれよ、
みたいな感じでこっそりどこかの班に言うようになった。

クラスの他のやつらはそう思ってなかったかもしれないが、
俺は林田が気に入らなかった。一つはいろんな面で特別あつかいされてること。
こいつだけなぜか給食を食わないで弁当だったしな。
もう一つは、普通この手の波風立てないで学校生活をやり過ごそうってやつは、
おどおどした態度をとるのが多いだろ。
ところが林田はそうじゃなくて、どんなときでも平然としてるんだ。

卑屈でも傲慢な感じでもなくて、平然。それが気に食わなかったんだな。
当時の中学校は荒れててね、ケンカもイジメもそりゃあったよ。
暴走族が盛りの頃だから、先輩後輩のつながりも強くって、
3年生には族のやつらがバックにいるんだ。
んで、俺が一度「林田をシメてやろう」って話を1年の間で広めたときには、
話が聞こえていった先輩方に止められたんだ。「あいつには手を出すな」って。
理由は教えてもらえなかったけどな。

それでガマンしてたんだけども、夏休み前・・・1学期の終わり頃だったと思う。
学校の帰りに2人の仲間とつるんで歩いてたら、前に林田がいたんだよ。
下を向いてすたすた歩いてた。その姿を見たら急にムシャクシャしてきて、
足を速めて追い越しざまにドンとぶつかったんだ。
林田はトトッとつんのめるように前に泳いだが、転ばなかった。

ゆっくり振り向いてこっちを見たんで、
俺は手に持ってたバックをわざと下に落とし、
「何たらたら歩いてんだ。お前のせいでバッグ落としたじゃねえか、拾えよ」
・・・チンピラみたいだって?まあチンピラでもこんなことはしねえから
マンガに出てくるチンピラだな。俺のバッグを拾ったら、
そのまま家まで持たせてやろうと思ったんだ。
ところが林田のやつ、バッグに視線も落とさず、
平然とそのまま前を見て歩き去ろうとする。カッと頭に血が上った。

駆け寄って殴ろうとした。肩に手をかけて振り向かせようとした途端、
額に何かが強くビチッと当たった。スゴイ勢いだったが、そんなに痛くはない。
続いて、右耳と右ほほに2発、ドロリとした感触があった。
後ろを向いてかがむと、ダチ2人がバッグを頭の上に掲げて、
降ってくるものを防ごうとしていた。夏制服の白ワイシャツに、
スライムみたいな黒っぽいものと鮮やかな赤い血が染みを点々と
つくっていた。何が降ってきてるのわからなかったが、
半そでの二の腕にビシッとまた当たり流れ落ちた。

それをよく見ると、ひれのついた尻尾と小さな手足があった。
オタマジャクシだと思った。それも、もうすぐカエルになる四本足の
生えたやつ。ビチッ、ビチッ・・・オタマジャクシの雨は降り注ぎ、
たまらず俺たちは店のアーケードの下に逃げ込んだ。
最後のオタマの一匹が俺の口のわきに当たり、唇にいやーな感触を感じた。
道路を見ると、俺らがいたところ以外にオタマは落ちておらず、
林田はもうだいぶ向こうまで歩き去っていた。

体はもうぐじゃぐじゃの赤黒いまだらになってて、
あちこちに嫌な臭いのするゼリーがこびりついてた。
これが全部つぶれたオタマだと思うと気が狂いそうになった。
3人ともワイシャツを脱ぎ、近くのドブ川に捨てた。
ズボンの股にもだいぶついてたが、
脱ぐわけにもいかず児童公園まで走って水道で頭もいっしょに洗った。
信じられない・・・空は曇りだったが風もなかったし、
オタマジャクシの季節は過ぎてる。暗澹とした気分になって、
ダチ2人とは少し言葉をかわしただけで別れ、家に帰った。

夏だったのが幸いで、水風呂に入って体全体を洗った。
ズボンはどうしようか迷ったが、ヒドイ臭いだったので捨てた。
そうしてるうちに、高校にはいかず土木作業をしてる兄が帰ってきたんで、
さっきあった出来事を話した。兄貴は、
「・・・林田に何かしようとしたのか・・・バカが。これで済んでよかったほうだぞ」
こう言って、自分が中学校のときの話をしてくれた。

何でも林田の兄が、兄貴の一つ上の学年にいて、
やはり弟と同じようにものをしゃべらなかったが、からかおうとしたやつ2人が、
突然に喉をつまらせて倒れたんだそうだ。
2人とも死ぬようなことにはならなかったが、
それぞれ喉の奥から、20cm近い生きたナマズが出てきたんだそうだ。
「あいつはほら、斎八橋をわたったところに、筵を入り口にかけた家があるだろ。
 知らんか。拝み屋なんだが、そこがあの兄弟の家なんだよ。
 失せもの探しとか、呪いみたいなこともやってるらしい・・・ヤバイんだよ」

まあこんな話。・・・その後林田兄弟はどうなったかって?
兄のほうは拝み屋の後を嗣いで、今は新興宗教の教祖様だ。
公民館みたいなでかい建物を造ってまだ町に住んでる。
弟のほうは中学校卒業したらどこかに行って消息がわからない。
噂だと大物政治家の秘書をやってるってのもあるな・・・

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健康食品は無意味?

2020.09.18 (Fri)
アーカイブ408 ※ 2019年の記事です

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今日はノーベル医学生理学賞発表の日ですね。この記事を書いている
時点では誰が受賞したかは まだわからないんですが、
下馬評では、2012年に発表された遺伝子改変技術、
CRISPR-Cas9(クリスパー・キャス・ナイン)を開発した女性研究者
2名に注目が集まっているようです。

これはひじょうに実用的な技術で、わずか数年の間に数々の画期的な
成果を上げています。例えば、イギリスではマラリアを媒介する蚊を
遺伝子操作し、集団の繁殖能力を失わせています。応用できる分野は
いくらでも考えつきますし、人類にとって大きく貢献する
可能性が高いものであるのは間違いありません。

操作も簡単で、少し慣れれば高校生でもできると思います。
特定のDNA配列を見つけ、切断し、別の配列を挿入する。
みなさんはウインドウズ・ムービーメーカーを使って動画編集を
されたことがあるでしょうか。あれとよく似てるんですね。

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また、CRISPR-Cas9は技術としては第一世代で、今後、これを改良して
使い勝手をよくした第二世代機がどんどん出てくるだろうと
思われます。ただ、以前に当ブログでも記事にしている、
世界から批判をあびた中国のヒトゲノム編集も、
このCRISPR-Cas9技術を使ってるんです。

これまで、ノーベル賞は女性の受賞者が少なく(17人)、
選考委員会に差別があるのではないかと批判を受けているので、
今回、ジェニファー・ダウドナ、エマニュエル・シャルパンティエの
両女史が受賞する可能性は高いかもしれません。

sy,ud (6)

さて、本題に入っていきますが、みなさんは何らかの健康食品や
サプリメントを利用されているでしょうか。ネット上でも、
「○○は健康によい・悪い」という情報があふれていますが、
どうやらこれ、将来は根本的に考え方が変わってきそうなんです。

例えば、コーヒーはどうでしょうか。成分として含まれている
ポリフェノールには抗酸化作用があるので、糖尿病や心臓病、
癌の予防につながると言われる一方、やはり成分であるカフェインは、
血管を収縮させて血圧を上げ、胃の粘膜を荒らすことも知られています。

DNAの2重らせん構造
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コーヒーにかぎらず、ほとんどの健康食品には、それがもたらす
プラスの作用とマイナスの作用があると考えられます。
とはいっても、コーヒーをよく飲む人、まったく飲まない人を
大人数で比較して、どちらかの群の寿命が長い、あるいは病気の
罹患率が少ないという統計的な結果を出せば、

コーヒーが体にいいかどうかはわかると思いますよね。
でも、考えてみれば、それはあくまで一般的な傾向であって、
みなさん個人にとって、コーヒーが体にいいかどうかを保証するものでは
ありません。なぜなら、個人が持つDNAの個性は、
当然ながら一人ひとり違っているからです。

アルコールの分解能力が人によって違うのはご存知だと思います。
アルコールは肝臓でアセトアルデヒドに変わりますが、
その分解能力は個人によって違います。お酒を飲んですぐ顔が
赤くなる人は、分解能が不活性なんですね。

喫煙と飲酒は相乗効果で食道癌リスクを高める
sy,ud (4)

ちなみに、日本人などの黄色人種の場合、活性型は50%程度、
不活性型が40%程度。一方、白人や黒人はほぼ100%が活性型です。
ですから、日本人はお酒に弱い人が多いなどと言われますが、
不活性型の人がお酒を習慣的に飲んでいると、食道癌などに
なりやすいことが研究でわかってきました。

で、これ、同じことがカフェインにも言えるんです。
カフェイン分解能が高い人は、コーヒーを飲むことで心筋梗塞になる
リスクが減るのに対し、低い人は逆にリスクが高まる可能性がある
という研究結果が出されています。

sy,ud (1)

このことが端的にわかるのが、スポーツ競技におけるカフェインの
使用です。カフェインは現在、アンチドーピングの禁止薬物一覧から
外されていますが、トロント大学での研究で、100人のアスリートに
同量のカフェインを摂取させてから10kmサイクリングを実施した結果、
タイムが向上する群と、悪化する群が見られたんですね。

前者では平均7%向上したのに対し、後者は14%悪化しています。
カフェインには脳に疲労を感じさせない作用と、血管を収縮させる作用が
ありますが、向上群はカフェインを素早く分解できるので、
プラスの効果だけを受けたのに対し、悪化群は血流が悪くなって酸素の
供給が滞り、筋肉疲労が強まった。

sy,ud (3)

さてさて、このカフェインの分解能を決定するのは、DNA塩基配列の
ごくわずかな部分です。もちろん、このことはカフェインだけに言える
話ではありません。みなさんが現在使用しているサプリメント、
健康食品などは、その個人にとって効果がないばかりではなく、
健康に害になる可能性すらあるんです。

ですから、まだずっと先の話でしょうが、まずはじめにゲノム解析をし、
その結果を見て、その人に効果のある成分を摂取するという形に
なっていくんでしょう。教育界では、一人ひとりの個性を尊重した
教育が重視されてきていますが、同じことが健康面でも言われるように
なるのかもしれません。では、今回はこのへんで。





百鬼夜行と水銀中毒

2020.09.18 (Fri)
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今回はこういうお題でいきます。妖怪談義ですね。
ただし、この内容は、どちらかというと歴史面白話のような
もので、実際の史実かは疑わしいです。
その点をご承知の上、お読みくださるようにお願いします。

さて、どこから説明していきましょう。まず、百鬼夜行からかな。
この言葉、「ひゃっきやこう」と読まれることが多いですが、
平安時代の頃は「ひゃっきやぎょう」ではなかったかと思います。
深夜に徘徊、行進する鬼や妖怪の群れのことですね。
この場合の百は「たくさん」という意味です。

賀茂忠行
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夜に外出して百鬼夜行に出会うと、必ず死んでしまうと言われました。
街灯もない平安時代の頃ですから、夜に出歩かなければ
いいじゃないか、と思われるかもしれませんが、当時は
通い婚でしたので、「妻問 つまどい」をするには、
夜半に牛車を歩ませなくてはならなかったんです。

『今昔物語』には、百鬼夜行に出会った話がいくつか出ています。
有名なのは、陰陽師、安倍晴明の幼少時の逸話ですね。
安倍晴明がまだ弟子入りしたばかりの頃、夜、師の賀茂忠行に
随伴して歩いていると、たくさんの鬼どもがそろって大路を
歩いてくるのが見えた。

安倍晴明
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いち早くそれに気づいた晴明は、牛車の中で寝入っていた忠行を起こし、
事態を報告。急を知った忠行は術により鬼どもを退けた。
このことで忠行は晴明の見鬼の才を知り、陰陽道のすべてを教え、
晴明もそれを瓶に水を移すように吸収した・・・こんな話です。

現代でも、いわゆる「見える人」というのが怪談には出てきますが、
それを「見鬼の才」と言い、陰陽師の重要な資質だったんです。
平安時代は、「方違え」 「物忌み」などの呪術的行為がたいへんに
流行し、百鬼夜行も、それが起きる日は決まっているとされました。

聖武天皇
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「子子午午巳巳戌戌未未辰辰」と言いまして、1・2月は子の日、
3・4月は午の日、5・6月は巳の日、7・8月が戌の日、
9・10月が未の日、11・12月が辰の日ということで、
貴族は外出を避けていたんです。また、もし百鬼夜行に
遭ってしまったらどうするか。

「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、
ワレシコニケリ」という呪文を唱えると、害を避けることができると
言われていたようです。この呪文の意味については今回はふれません。
あるいは、お経の中で特に「尊勝陀羅尼経」を唱える。覚えていない
場合は、着物の背に、書いたものを縫いつけておくだけでも効果がある。

水俣病の男児
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さて、ここで話を変えて、水銀中毒ですが、水銀は常温で凝固しない
唯一の金属です。昔の体温計には水銀が使われていましたが、
金属毒性が強いんですね。古代の中国では、水銀は不老長生の
妙薬とされてきましたが、その服用によって命を縮めた
可能性があり、かの秦の始皇帝もその一人です。

近代の日本でも、有機水銀中毒による水俣病事件が起きています。
で、これが百鬼夜行とどう関係があるかというと、
「奈良の大仏」なんです。正式名は、東大寺盧舎那仏像。
聖武天皇の国家鎮護の発願で、745年に制作が開始、
752年に開眼供養会が行われています。

東大寺盧舎那仏
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現在の奈良の大仏は、青黒い渋い色合いですが、できた当時は
塗金されていました。この塗金に使われたのが、水銀アマルガム法。
金と水銀を1:5の比率で混合してアマルガムとし、
これを塗って加熱し、塗金を完了するのに5年かかっています。
また、この工程で砒素も使われました。

これほど大量の水銀が一度に使われたのは、世界でも類例がありません。
加熱時に発生する水銀の蒸気はきわめて有毒なんですが、すでに
東大寺大仏殿ができてから塗金が行われ、換気が十分では
なかったんですね。その仕事をしていた職人、
数百人の間に不思議な病気が流行りだしたんです。

金アマルガム法による塗金
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水銀中毒の急性症状としては、急性症状としては流涎(よだれ)、
おう吐、腹痛、下痢、頭痛・・・ 慢性症状が運動失調、歩行異常、
四肢反射の異常、抹消知覚障害、感覚鈍麻など。
病気になった職人のために、これを専門に治療する救護院が設けられ
ましたが、当時の医療では治らなかったでしょう。

さて、ここで水銀中毒と百鬼夜行の関係ですが、多くの方はすでに
お気づきと思います。これらの職人や庶民にも水銀中毒者が続出し、
手足が不自由になり、忌避されて山などに籠もる。
そういった人々が、夜になって食料を求めて出歩いたのが
百鬼夜行の始まりであるという説があるんですね。

大仏の造立法
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これ、みなさんはどう思われますでしょうか。今に残る百鬼夜行図を
見れば、妖怪の多くは付喪神(つくもがみ 古くなった器物、道具)
であり、必ずしもこの説が正しいとは言い難い気もするんですが、
自分なんかは、面白い着眼点だなあと思っています。

さてさて、ということで、鎮護国家のために造立した奈良の大仏ですが、
たくさんの水銀中毒者を出したのは残念なことです。
歴史には、こういう秘話がいろいろあって興味が尽きません。
では、今回はこのへんで。





滝の洞(ほら)の話

2020.09.17 (Thu)
あ、俺な、宇田って言うんだ。ここで話をすれば、金をもらえる
って聞いて来たんだ。じゃあ、さっそく話していくけどよ。
ずいぶん前のことだし、俺が直接体験したことでもねえ。
それでもいいんだよな。あ、そ。うちのじいさんな、
70いくつで死んだんだが、そのじいさんから聞いた、
じいさんが子ども時分のことだ。年代にすれば、昭和の20年代
後半頃になるな。まだ戦後の混乱期と言っていいような時代。
都会のほうはだいぶ食糧不足だったそうだが、じいさんの実家は
そうでもなかった。畑にする土地はいくらでもあったし、
あんな田舎には進駐軍も来ない。けっこうのんびりした生活だった
そうだよ。あ、実家の場所は言わなくてもいいよな。

当時はどの家も兄弟が多くてな、6男とか7男なんて珍しくは
なかったそうだ。そのかわりと言うか、子どもの死ぬ率も
高くてな。疫痢や破傷風なんかの病気、農作業を手伝ってての事故、
川での水死とか。それに比べれば、今はどこの家も子どもは
多くて2人だろ。大事にされてるんだな。あ、スマンスマン、
でな、じいさんら男の子どもは、夏場はほぼ毎日のように
川に泳ぎに行って1日過ごしてたそうだ。川っても渓流だな。
水はきれいだし冷たい。8月のカンカン照りの日でも、
20分も浸かってれば、唇が紫色になって、歯がカチカチ音を
立てたそうだ。でもよ、そういう体験って貴重だよな。
今の子みたく、クーラーの効いた部屋でゲームってのより

ずっとよかったような気もする。それで、その渓流を少し上った
ところに大きな滝壺があって、大人から、そこでだけは
泳いじゃいけないって言われてたそうだ。深いし、水中に
岩があるから、もし飛び込んで頭でも打ったら ひとたまりもない。
じいちゃんらは言いつけをちゃんと守ってたそうだ。
いや、大人が怖いっていうか、じいちゃんの話だと、
その滝壺の水の色な。ペンキを塗ったような緑色で、水中が
まったく見えない。吸い込まれていきそうで、長く見ては
いられなかったそうだ。でな、その滝壺のわきに洞があったんだ。
山の斜面の土を掘った穴だよ。入り口は人が腰をかがめて
入れるくらいの高さ。だが、奥のすぐのところに

厳重な木の柵がしつらえてあって、中には入っていけなかったそうだ。
まあ、崩落とかのおそれがあるからってことだったろう。
でな、その洞は人が掘ったもので、村では平家の落人が
隠れ潜んでいたという言い伝えが残ってたって。どこまでほんとうかは
わからねえが、年に一度、村の鎮守様の神主が来て、
その洞の前で祝詞をあげたりしてたということだ。洞の木柵の前には
小さな賽銭箱もあって、いや、誰も盗ったりする子どもは
いなかったらしい。むしろ、川に泳ぎに行く何回かに1度は、
親から小銭を預かってきて、その賽銭箱に投げ入れてたそうだよ。
で、話が変わるんだが、村にヤジロって若い男がいた。
たぶん名前が弥次郎とかなんだろうが、じいちゃんは

どういう漢字かはわからなかった。農家の次男で復員兵なんだよ。
出征のときは、みなに日の丸を振られて、村総出で見送ったものが、
敗戦で戦前のすべてのことが否定されただろ。
仕事もせずにぶらぶらしてるヤジロは村の鼻つまみ者だった。
いや、気の毒な境遇の人なんだよ。出征したはいいが、
南方に送られて敵兵よりも飢餓、疫病との戦い。
戻ってきてみたら、両親は病気で死んでた。長男の兄がいたんだが、
都会に出て音信不通。ヤジロ本人は、復員病、今でいう戦争神経症って
やつだな。腑抜けたようになって誰とも口を聞かない。
両親の家は残ってるから、そこに住んでたんだが、
村でも気の毒に思って、手間仕事なんかをずいぶん世話して

やったそうだ。ところが、何をやらせても途中で投げ出してしまう。
それだと、食っていけなくなるわな。で、夜中に畑の
作物を盗むようになった。カボチャやナス、キュウリ。
けど、村の者は大目に見てたそうだよ。あとは、自分でフナを
釣ったり、カエルをつかまえて食ったりしてた。それは南方で
覚えてきたんだろう。まあ、暴れたりするわけじゃないし、
そこまではよかったんだが、ヤジロのやつ、現金がほしかったのか、
村の神社の賽銭箱に手を出したんだよ。これはさすがに
許されねえことだし、ヤジロ以外に犯人は考えられなかったから、
村の駐在につかまり、村長なんかも出てヤジロに説教したんだよ。
ま、罪に問わなかっただけもありがたい話だと思うんだが、

その翌日から、ヤジロの姿が見えなくなったんだよ。村の者の
多くは、都会に出たんだろうと言ったが、その次の日、
ヤジロが滝の洞の前で死んでるのが見つかったんだ。
で、その死体は手に小銭を握りしめてて、それは洞の賽銭箱から
盗ったものだ。それと、死体に首がなかったんだよ。
刃物ですっぱり切ったようになってたらしい。なんでそれが
わかるかっていうと、最初にヤジロの死体を見つけたのは
じいちゃんたちなんだよ。6月と言ってたな。そろそろ気温が
高くなってきて、川遊びを始めようかってんで、見に行ったらしい。
着ているものでヤジロだってのはすぐにわかった。
で、大人を呼びに走って村に戻ってきたわけだ。

当時は警察の捜査もいいかげんなものでな。また、村の中から
犯人を出したくなかったってこともあるのかもしれない。
おざなりに調べただけで、結局、今になっても誰がやったかは
わかってないんだ。もちろんヤジロの首も探したが、
見つからなかった。でな、うちのじいちゃんはそんとき6年生で、
ガキ大将だったんだな。仲間や年下の子らを集めて、泳ぎがてら
ヤジロの首を探そうってことになった。事件から10日以上
過ぎてたから、もうそこらに大人の姿はなかったそうだ。
じいちゃんが親に「泳ぎに行く」って言ったら、
親は少し渋い顔をしたが、じいちゃんに小銭と野菜を結わえたのを
持たせ、洞にお供えしろって言ったんだな。

それと、滝壺にはぜったいに入っちゃいけないと念を押された。
で、総勢10人ほどで川に向かった。中にはじいちゃんと同じく、
お供え物を持ってきた子も何人かいたそうだよ。
最初に滝壺に行って、賽銭箱に小銭を投げ、野菜なんかを置いて、
全員でちゃんと手を合わせて拝んだ。それから周囲を探したが、
大人が探した後だし、もちろん首なんか落ちてるわけはねえ。
それで下流に向かおうとしたら、洞の中からゴゴゴッという
大きな音がしたそうだ。驚いて洞の中を見たが、
暗くてわからない。そのまま何も起きないんで、
じいちゃんが「もう行こう」と言ったとき、年下の子の一人が、
「あっ!」と言って滝壺を指差したんだ。

滝壺の水が渦巻いてた、それもかなりの速さで。しかも、
みるみるうちに水の量が減っていく。まるで底に大穴があいた
みたいに。でな、渦の中央に何かが出てきた。大きいもんじゃない。
べたりとはりついた髪、真っ青な顔色、ヤジロの頭だったんだよ。
ほとんど腐ったりしてないように思えた、と言ってたな。
でな、こっからはほんとうかどうかわからねえが、ヤジロの頭の下に
大きな体があったって言うんだ。真っ黒い、牛2頭分もあるような
四足の体。それにヤジロの首がついてる。また洞の中でゴーという
音が聞こえ、「逃げろ!」じいちゃんは叫んで、みなが村に
逃げ戻ったんだよ。いや、それが何だったかはわからない。
すぐ大人が見に行ったら、滝壺の水はもとに戻っていたそうだ。

キャプチャ





太陽常温説とオカルトの闇

2020.09.17 (Thu)
アーカイブ407

太陽の表面温度が約6000度もの高温であることは現代物理学の常識とされる。
しかし、当然ながら過去に太陽まで出向いて表面温度を直接計測した人間など
いるはずもなく、これはあくまでも計算のうえで導き出される値ということになる。

そして、この誰も疑うことのない常識に真っ向から対峙し、
驚くべき結論を導き出した研究者がいる。電気工学博士であり東京工業大学を
はじめとする数々の有名大学で教壇に立った関英男その人である。
関博士は、なんと「太陽の表面温度は26度程度の常温で、
黒点には植物さえ生えている」という太陽常温説を提唱したのだ!
(tocana)

sadre (2)

今回はこのお題でいきます。上記の引用は、2018年9月25日、
tocanaというオカルトサイトに載ったのを、Rakuten newsが転載しています。
太陽の表面温度が摂氏26度ほどとする「太陽常温説」は、
今から20数年前に主張されて話題になったものです。

これをなぜ、今頃になってtocanaが取り上げたのか?自分はまずそれが
疑問ですね。おそらく何かが、オカルトの闇の底でうごめいている
のだと思います。さて、地球常温説ですが、最初に主張したのは
日本人ではなく、かの「アダムスキー型円盤」で有名な、アメリカ人
UFO研究家、宗教指導者、コンタクティでもあるジョージ・アダムスキーです。

アダムスキー型円盤
sadre (3)

アダムスキーが亡くなったのは1965年ですから、だいぶ古い話に
なります。彼が1953年に発表した『空飛ぶ円盤実見記』では、
金星人に連れられて円盤に同乗し、さまざまな惑星を回った体験が
書かれていますが、その中で「水星人に出会った」という記述があります。

しかし、水星は太陽系の惑星の中で最も太陽に近く、
「熱くて生物は住めないのではないか」という反論が出てきました。
そこで、アダムスキーが再反論したのが「太陽常温説」だったんですが、
でもこれ、苦しまぎれの感が強いですよね。

さて、引用に出てきた関英男博士は、1905年に生まれ2001年に
96歳で亡くなっています。たいへんな長寿の方だったんですね。
で、70歳を過ぎたあたりから、「日本サイ科学学会」に関わるようになり、
さまざまなトンデモ説を主張し始めました。   

動く禅「腕振り体操」を指導する 故 関英男博士
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例えば、「エイズは心の歪みで起きる」 「陽子が歪むと癌になり、
中性子が歪むとエイズになる」などなど。その方面の著書も
多数あります。その珍学説のうちの一つが「太陽常温説」です。
関博士は、若い頃の電波受信に対する研究で、勲三等瑞宝章を
受章していますが、この頃からボケ始めたんでしょうか。

関博士の学説では、太陽は熱を発しておらず、T線(天波)という
放射線を発しているだけであり、このT線が地球の大気に触れて初めて、
光線と熱に変換されるということになっています。また、関博士は、
人間などの知的生命体が発する物を「念波」、宇宙を創造した
高次の生命体が発するものを「天波」とも言っています。

まあたしかに、太陽常温説は直感的には理解しやすいかもしれません。
大気中では上空にいくほど温度が下がります。
また、宇宙空間は-270度程度です。しかし、長くなってしまうので、
ここで物理的な詳しい説明はしませんが、これは、
輻射ということをまったく計算に入れていない考え方です。

さて、tocanaからの引用を続けましょう。
なんと、成蹊大学で素粒子の理論物理学を専攻し、NASAの関連研究機関に
属していた川又審一郎(本名:川又信一)氏も太陽常温説を支持し、
「太陽に氷が存在する」とまで主張している。

川又氏は1977年から8年にわたりNASAに留学し、帰国後の講演会にて
「本来の太陽は26~27度の常温で、水星は0度以下の氷の惑星である」
と発表した。そして実際、2012年には灼熱の太陽光線にさらされている
はずの水星に大量の氷があることが確認されている。


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まず、ここで名前が出てくる川又氏ですが、科学者ではなく健康食品会社の
代表です。以前は、東大理工学部卒とプロフィールに書かれていましたが、
成蹊大学卒と経歴詐称がバレてしまいました。NASA留学の実績もありません。
この人なんかは、オカルト界の闇を代表するような人物ですね。

もともとは「加江田塾」という新興宗教団体で顧問のようなことをしていました。
加江田塾は、代表の東純一郎が、自らを創造主「タオ」の代理人であるとして、
1995年に宮崎県に設立したものです。2000年に「加江田塾子どもミイラ事件」
を起こしており、記憶されている方もいると思います。    

「加江田塾子どもミイラ事件」についての朝日新聞のコラム クリックで拡大できます
sadre (1)                

加江田塾内において、6歳男児と超未熟男児の2体のミイラ化した
遺体が発見され、検視ではどちらも病死でした。
代表の東と塾幹部の女が逮捕され、「復活させるためにお清めを
続けていた」と主張しましたが、両被告ともに、死体遺棄罪、
保護責任者遺棄致死罪で、懲役7年の判決がくだされています。

さらに川又氏は、1999年に1億8000万円あまりの脱税容疑で
在宅起訴されています。学歴詐称がばれ、脱税が発覚したためか、
このころに本名から、川又審一郎と名前を変えていますね。
ちなみに彼が代表を務める健康食品会社は現在もあり、こちらも
何度か名称を変更し、現在は「バイオセル株式会社」のようです。

川又審一郎氏の著作
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さらにtocanaから引用します。
医師で心霊研究家の塩谷信男(1902~2008)も著書『健康・長寿と安楽詩』
(東明社)にて太陽常温説の支持を表明している。さらに驚くべきは、
米国の権威ある科学雑誌「Science」までもが1995年と1997年に。
「太陽に氷が存在する」可能性を指摘する論文を掲載しており、
科学界を騒然とさせているのだ。

ここで名前が出てくる塩屋氏も、関博士の同類で、トンデモ著書多数の人物です。
あと、科学誌「Science」の2つの論文では、太陽に氷が存在する可能性は
指摘されていません。論文内の言葉をわざと曲解しているだけです。
この両論文ともネットで参照できるはずです。

さらに、オカルト・スピリチュアル界の重鎮である船井幸雄氏も、著書の中で
太陽常温説にふれています。さて、みなさんはどう思われますでしょうか。
関博士の天波説から、さまざまな「波動」効果のある商品が開発され、
バカ高い値段で売られています。太陽常温説は、金になるオカルトなんです。
一般に、製薬会社が新薬を開発するには3000億円かかると言われますが、
健康サプリなんて、ボロ儲け商売ですよ。

一つのトンデモネタに、怪しげなオカルト界の人物が群がって、
利益を生み出そうとしている構図。これはオカルト界の闇の部分ですね。
ただ、上でも書いたように、自分が解せないのは、こんな古いネタをなぜ、
今さらtocanaが取り上げたのか?ということです。
何かこれから動きがあるのか??

さてさて、オカルトがうさんくさいとか、反社会的であるとか世間から
言われるのは、こういう人たちの活動の賜物なんです。お金儲けの手段としての
オカルトを見分ける目を持つことは大切です。ところで、当ブログのこの記事、
削除要請とか来るんでしょうかねえ(笑)。では、今回はこのへんで。





アーカイブ 霊能家族の話

2020.09.16 (Wed)
うちの家族の話です。うちは両親と僕と妹の2人の5人家族で、
僕は中学2年、妹は双子で小学校4年です。それで全員が、
いわゆる霊能というのを持ってるんです。両親は恋愛結婚なんですが、
どっちも家系が代々霊能者が輩出してる血筋で、その関係で知り合ったみたいです。
その両親の力を、僕ら子どもも受け継いだってことなんですね。
うーん、家族で一番力があるのは、妹2人のうちのどっちかでしょう。
2卵性双生児なんで顔もけっこう違うんですけど、どっちもスゴく力を持ってまして。
妹の名前は、ホントはキラネームなんですが、お梅とお竹にしておきますね。
お梅のほうは心霊系の、まあよくいる霊能者なんですけど、
お竹のほうは珍しいUFO系なんです。いや、宇宙人がいるかどうかは
僕にはわかりませんけど、お竹が巻き込まれる事件てのがそういうのばっかりで。

田んぼミステリーサークルとか、お稲荷さんの地下にある不思議な機械とか、
放射性反応が出る緑の液体とか、いかにもそれ系の怪事にぶちあたるんです。
これも素質というか、才能なのかもしれません。
僕ですか?いや、僕はぼちぼちです。力は家族で4番目だと思います。
妹たち、母、僕、父の順番ですね。
いや、霊能で生活してるってことはありませんよ。
父は普通のサラリーマンですし、母はスーパーのパートですから。
霊能で料金をとったことはありません。ですけど、たまに依頼が来たりはします。
宗教団体とかが多いですね。変な神様を地中から掘り出して収拾がつかなくなったから、
なんとか収めてくれとか。そういうときは人助けと思ってやります。
妹たちが出ていくことが多いです。一番時間の自由がきくので。

でね、2ヶ月くらい前、あるお金持ちの洋館に招待されて、
呪いの元になる品物を探すってのをやったんです。そのときの話をします。
その洋館は明治時代からある建築ですが、大規模に改築して、
あるお金持ちの家族が住んでいるんです。改築があったのが4年ほど前なんですが、
それ以来怖い出来事が起こり始めました。よくある、人がいないはずの2階の足音とか、
夜中にドアをノックされるとかそういうやつです。
これがだんだんにエスカレートしていって、
天井が渦巻いてチョコレートのように溶け始め、そこに巨大な顔が現れたりとか・・・
もちろん、次の瞬間には天井は元に戻ってるんです。
あとは、家中のナベの中に髪の毛のかたまりが入ってるとか、
トイレの水洗から真っ赤な水が流れるとか、その手の怪奇現象が。

でね、知り合いの霊能者に相談をしたら、それは呪いだろうって言われて。
前に改築したときに、一家を怨んでいる人物から、
家のどっかに呪いの種を仕込まれたんだろうって話になったんです。
まあ、そういうことはあります。その家のご主人は会社の社長ですから、
まっとうに仕事をしてるつもりでも、知らず知らず怨まれてる場合もあるんですよ。
いや、これは父が話していたことの受け売りですけど。
それで、その霊能者の人がとりあえずは家の中から呪いの種を見つけようとしまして。
でもね、その洋館は2階建で、1階が12部屋、2階が8部屋もあるんです。
おそらく改築の工事中に仕込まれたものだろうから、
呪いの元がどこにあるのか、探すのはたいへんなんですね。
ええ、これは僕らの家族が行く前のことで、ご主人から聞いた話です。

その霊能者は式神の法を使ったらしいです。
そうです、昔の陰陽師の安倍晴明なんかがやってた技法ですね。
具体的には、習字紙くらいの和紙に呪文を書いて人型に切り抜きます。
で、それを扇でパタパタ扇いで宙を飛ばさせます。
え? 曲芸みたいだって? ああ、でも、人型はセンサーとして、
霊能者の人とつながってるから、手も疲れますけど精神も疲れるんです。
その家の人に全部の部屋のドアを開けさせ、人型を扇ぎながらすべて回ったんですけど、
反応がなかったそうです。たぶん呪いには探知されたときに隠す力もついてたんでしょう。
家の中を2周目に入ったところで、その人は疲労で倒れちゃったんです。
そしたら倒れたところに、飛ばしてた和紙が落ちてきたんです。
人型は畳ほどの大きさの蛾に変化して、霊能者の体の上にバサーッと。

でね、目を回した霊能者が気がついたときには、
人型は元の大きさに戻って、その人の額にべったり張りついてたそうです。
これは自分の力では及ばない、その霊能者はそう考えて、兄弟子にあたる人を呼びました。
その人は、金魚法というのを使ったんだそうです。これは僕は初めて聞いたやり方ですが、
ガラス製の平べったい円筒容器があって、それが中で八方に仕切られてる。
これは8つの方位ってことですね。容器には水が張られ、
それぞれの仕切りに小さな金魚が泳いでるんですよ。それを両手で捧げるようにして持ち、
屋敷の部屋をすべて回る。このときの金魚の動きで、
呪いの元を見つけるってことですね。面白い方法だと思いましたが、
成功はしなかったそうです。どの部屋に入っても8匹の金魚の動きに変化はない。
それで、リビングまで戻って容器の水を変えようとしたら、金魚が一瞬で全部消えた。

ややあって、兄弟子の霊能者が目を白黒させて倒れたんです。
喉もとを押さえてもがく口から、次々と金魚が吐き出されて・・・
ええ、容器から口の中へと瞬間移動しちゃったわけです。それで、その人も失敗。
でまあ、つてをたどってうちに話がきたんです。父が二つ返事で承諾しまして、
翌週の日曜日に、母をのぞく4人でそのお屋敷に出かけました。
持ってたのはダーツです。今、はやってるんでしょう。あの、的にあてる小さい矢。
それを全員が一個ずつ。装備はそれだけでした。
でね、着いたらさっそく、お屋敷のご主人と一部屋ずつ全員で回りました。
1階は何もなかったです。そして2階に上がって3番目の部屋に入ったとき、
ピーンと来たんです。妹たちを見たらうなづいてました。父はわからなかったみたいです。
僕が「せーの!って声かけるから」こう妹たちに言いまして、

せーの!でダーツを投げたんです。そしたら3本とも、
見事に同じ天井の一画に刺さりました。ハシゴを用意してもらって、
父が少し儀式をしてから天井裏に上り、しばらくして、
クモの巣だらけになって出てきたんですが、手には陶製の黒い壺を持っていました。
フタを開けてみると小さな骨が何本か入ってたんです。
これ、五生の呪いっていうやつで、骨は鳥類、爬虫類、両生類、魚類の体の一部と、
残りの一本はたぶん人骨、それも赤ちゃんの骨だと思います。
これはかなり本気の怖い呪いなんですよ。まあ呪いの元は除去できたので、
当面の怪事はしのげます。でも、呪った人はまだいるので、そっちをなんとか
収めなきゃなりません。それは大人の仕事なんで、僕と妹らはこれでお役ごめんです。
ま、こんな話だったんですが、その家のご家族にはすごく感謝されまして。

父はいつものとおり謝礼はお断りしたんですが、ぜひにということで、
ハワイのディズニー・リゾートツアーの招待券を、家族全員分もらったんです。
ええ、こどもの日をはさんだゴールデンウイーク中に行ってきます。
金曜日は僕も妹たちも学校は休みにして。
力を使ったのはほんのちょっとだったので、申しわけない気もするんですが、
すごく楽しみにしていました。そしたら、夜に持ってく荷物を準備してたときに、
塾から戻ってきた妹たちのうち、お竹が変なことを言ったんです。
「さっき帰る途中、空に巨大なUFOが浮かんでた」って。
お梅に「お前も見たか?」って聞いたら首を振りましたが、
お竹は続けて「たぶんだけど、オアフ島で私たち宇宙人に会うと思う。
 そういうメッセージがあった」トロンとした目をしてそう言ったんですよ。