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こっくりさんと地蔵憑け

2021.01.31 (Sun)
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今回はこういうお題でいきます。みなさんは「こっくりさん」を
やられたことがありますでしょうか。もしかしたら、
子どものときにやったという方もおられるかと思います。
そのとき、何か怪異現象が起きたりはしませんでしたか。

これ、自己催眠(自己暗示)にかかってしまう場合があるん
ですよね。ですから、決しておすすめしませんし、多くの
学校で禁止になったのは正しい措置だと思います。
では、こっくりさんの歴史は古いのか?

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漢字にすれば「狐狗狸」で、古来人間を化かすとされる
キツネ、タヌキ、それと狗神の法があるイヌ、3種類の動物が
入っていて、いかにも由緒がありそうですよね。
ですから、こっくりさんは明治になってから日本で流行した
ものだと聞かれれば、驚かれるかもしれません。

こっくりさんが発生した経緯は比較的はっきりしており、
日本での流行は19世紀末から。ヨーロッパで心霊主義が
始まったのと同じ世紀です。最近記事でご紹介した明治の妖怪博士、
井上円了の研究によると、日本においては、1884年に
伊豆半島下田沖に漂着したアメリカの船員が、

ウィジャボード
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自国で大流行していたウィジャボードを地元の住民に見せた
ことをきっかけに、各地の港経由で日本でも流行するようになった
ということです。これ、自分も調べてみましたが、おおむね
そのとおりのようです。さすが妖怪博士。

あと、これは豆知識ですが、「ウィジャボード」というのは
じつは特定の会社の商品名なんですね。この類のものの総称は、
ターニングテーブルと言い、15世紀ころからあるようです。
降霊を行い、その意志を聞くための装置ですね。

ターニングテーブル
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それが、アルファベットがいろは文字に変えられ、鳥居などの
日本的なシンボルがつけられて広まった。では、こっくりさんが
伝来する以前、日本には霊的なお告げを聞くための方法は
なかったかと言うと、人間を依代として神仏をつけ、
その託宣を聞くというのが一般的な形でした。

昨日、地蔵菩薩信仰について書きましたが、地蔵菩薩は日本で
たいへん身近な御仏で、全国であまねく信じられていました。
その中で、「地蔵憑け」という宗教的行為があったんです。
始まった時期は鎌倉時代以降でしょうか。東北、関東の
東日本で盛んだったようです。

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やり方は、多人数が講として集まり、その中から一人が選ばれ、
それをとり囲んで回りながら、他の者たちが呪言の歌を
歌い続けます。そのうちに中の者が震えだしたり、床に
うち伏せたりが始まったら地蔵が憑いたとされ、その者に
口々にさまざまな質問をします。

これは「口寄せ」ですね。東北のイタコが有名で、もともとは
神道的な行為だったんですが、仏教として行われるようになった。
もちろん正式な仏教の教義にはなく、民間信仰です。で、
これを親がやるのを見ていた子どもたちが真似をし始めました。

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「地蔵遊び」と言われます。やり方は大人のとよく似ていて、
大勢の中から一人の依代を決め、南天の木の枝を持たせます。
南天は冬に赤くて丸い実をつける常緑樹で、咳止めとして
薬用されてますよね。これが地蔵菩薩が手にしている錫杖に
あたるんでしょうね。

子どもたちは、その子の周囲を何度も回り、「おのりゃあれ、
地蔵様(お前は地蔵様だ)」と唱え、するとだんだんに
中の子の様子が変わり、地蔵様になりきります。そこで、
「もの教えにござったか地蔵様」と他の子が言い、口々に
質問をするわけです。

南天
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このような下地があったため、こっくりさんも普通に受け入れられ、
急速に広まったと考えられます。さらに、この地蔵遊びが、
「かごめかごめ」に変化していったとも言われます。
かごめ歌もオカルト的にいろいろありますよね。

これも以前、記事に書きましたが、徳川埋蔵金の隠し場所の暗号に
なっているとか、古代のヘブライで似たような行為をしていたとか、
なかなか怪しい話があります。ただ、あまり言われないのが
この歌のもつリズムです。世界的にも、リズムは呪術的に

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重要な役割を果たしていて、アフリカのある部族のドラムなどは、
容易に変性意識状態を引き起こすと言われます。回転により
引き起こされるめまい、それと かごめ歌の持つリズム。
それによりトランス状態が起きても不思議はない気がします。

さてさて、ということで、「かごめかごめ」のルーツが
「地蔵遊び」、そして西洋文化が融合して「こっくりさん」へと
つながっていくわけです。上で書いたとおり、こっくりさんは
危険な場合があるので子どもにはすすめられません。自己責任で
できる大人なら まあいいかな。では、今回はこのへんで。





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アーカイブ 寿命のオカルト

2021.01.30 (Sat)
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今回はこういうお題でいきます。どんなことが書けますでしょうか。
じつは寿命って、オカルト史とはたいへんに深い関係があります。
なぜなら、西洋でも東洋でも「不老不死」は人間にとっての一つの
到達点と考えられていたからです。これをめざして、
さまざまなオカルトが発生してきました。

中国の道教では、冥界はこの世とあまり変わりのないものです。
そこで、修行を積んで死ぬことのない仙人になるのが究極の目標と
されました。秦の始皇帝がその晩年、不老不死を追い求めて、
東方海上にある蓬莱山に方士、徐福を派遣したのは有名な話ですよね。

錬金術師
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不老不死になるため、具体的な方法として「煉丹術」を実行します。
これは外丹と内丹にわかれ、外丹は草木や鉱物から調合した薬を
服用します。これにより、中国では漢方薬が発達したんですが、
水銀や砒素を服用して命を縮めた者も多かったようです。

内丹は、人体の中で気を練り、火を起こす炉のようにして長命を得る
という方法で、瞑想や呼吸法が重視されました。
これが「気功」のもとになったのは間違いないですし、仏教の禅宗に
おける座禅の源流の一つであるとも言われます。

ただ、不老不死の仙人であっても、事故で死ぬことや殺されることは
あります。また、仙人になるには仙骨という生まれつきの素質が
なくてはダメで、誰でもがなれるわけではありません。道教で祀られる
神様には、中国のさまざまな時代で仙人になった人物がいます。

関連記事 『仙人になるには』 『仙道・道教について』

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西洋では、錬金術で不老不死が求められました。錬金術の大きな目的は
2つあり、一つは卑金属から金を作り出すこと。もう一つが、
生命の水「エリクサ」を用いて万病を治し、長命を得ることでした。
この研究が現在の化学に発展していきましたし、修道院で作られる
リキュール類もここからできたものですね。

さて、では、人間はどのくらい生きられるんでしょうか。一説には、
120歳が人間の生物学的な寿命の限界と言われていますが、
これについては後でふれます。現在、ご存命の日本の最高年齢の方は、
1903年〈明治36年〉生まれの田中力子さんで、116歳。
同時に世界最長寿でもあります。しかし明治36年というのはすごい。

田中力子さん
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103歳のときに初期の大腸癌で手術をしましたが、それ以外に
大きな病気はしたことがなく、頭のほうもしっかりしていて、毎日オセロを
やっているそうです。なるほど、オセロはルールは単純ですが、
そのわりにゲーム性が深いので、ボケ防止にいいのかもしれません。

では、すでに亡くなった方で世界最高長寿はどのくらいかというと、
ギネスブックが認定した記録では、世界最高が、フランスの
ジャンヌ・カルマンという女性で、122歳で亡くなっています。
ただ、この記録には疑問があり、自分の娘とどこかの時点で
入れ替わっている可能性が指摘されています。

さて、ギネス非公認の記録に目をやると、これはありえない世界になっていて、
世界最長寿記録は中国の李青曇(り せいどん)という人で、なんと256歳。
生まれたのが1677年、1933年に亡くなりました。職業は漢方医で、
山中で仙人から八卦掌(拳法)と内気功を教えられたということです。
身長は2m近くあり、残っている写真を見るとたしかに大きい人ですね。

李青曇
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長寿の秘訣は、基本的に自ら採取した薬草、霊芝やクコの実、朝鮮人参、
ドクダミ、ツボクサ、あと米酒だけを口にする生活を続けていたためと
されます。まあねえ、256歳はとうてい信じられませんが、清朝時代の
「1827年、李青曇150歳の誕生日を祝った。1877年には200歳の
誕生日を祝った」と記された公文書が発見されているとも言われます。

あと、170歳、161歳の男性もいたようですが、どちらもアフリカの
人物であり、その信憑性には大きな疑問符がつきます。
で、最初のほうに書いた話に戻って、世界の長寿の人物を記したWikiの
表を見ていると、110歳代の人が多いんですよね。
その多くは120歳までいかずに亡くなっています。

テロメア
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やはり生物学的な限界点があるのかもしれません。「ヘイフリック限界」
という言葉を聞かれたことはあるでしょうか。1961年、人間の細胞の
分裂回数には限界があることが発見され、その発見者の名前から
つけられています。なぜ限界があるのか、
ここで注目されたのが「テロメア」です。

テロメアは染色体の末端部分にあり、クリップのような形をしています。
生まれたばかりのときは長かったテロメアが、年齢を重ねるにつれて
だんだんに短くなり、細胞の分裂限界は50回、
これによって、人間の寿命は最長でも120歳までと見られてるんです。

怖いのは、正常な細胞が遺伝子変異した癌細胞はこれを持っていない
ことで、つまり不死性を獲得していることになります。
ですから、手術などの物理的手段で切り取ることができなければ、
現代の科学では治療法がないんですね。

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さてさて、では、どうしてあらかじめ寿命の限界が定められているのか。
これは、遺伝子は種全体を繁栄させるのが最大目的で、
子どもを産み育てた時点で、その個体にはこの世から退場してもらう。
言葉は悪いのですが、自然による姥捨てと言っていいのかもしれません。
癌が存在するのも、そのシステムの一つだという説もあるんです。

最後に、日本の平均寿命は長いですよね。香港についで世界2位だったと
思います。ですが、健康寿命はそれほどでもありません。
これは、世界でも類を見ない異常な延命治療が貢献していると言われます。
医療の延命中心主義による人工呼吸や胃瘻など、スパゲッテイ症候群と
呼ばれるものですね。では、今回はこのへんで。

関連記事 『サン・ジェルマンの憂鬱』 『医者はなくなる?』
『歴史を変えた重金属』

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地蔵信仰って何?

2021.01.30 (Sat)
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今回はこういうお題でいきます。仏教のお話ですね。
石のお地蔵様は、みなさんも見かけたことがあると思います。
坊主頭で、赤いよだれかけをつけていることが多いですね。
何から書いていきましょうか。まずは、「地蔵菩薩」という
名前の由来から。

「菩薩」というのは、仏になる前の、高い次元で仏道を修行して
いる者のことです。完全に悟って仏になれば「如来」と
呼ばれます。釈迦如来、阿弥陀如来などですね。これに対し、
菩薩は、若い頃、まだ修行中のお釈迦様のような立場なんですが、
それでも、人々を救うことのできる大きな力を持っています。

よくある形の地蔵堂
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「地蔵」の部分は、サンスクリット語の「クシティ・ガルバ」
から来ています。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」
「子宮」の意味で、これを漢訳して地蔵としたわけです。
地蔵信仰はまず中国に伝わり、日本に伝来してきました。

仏教には「六道輪廻」という考え方があります。お釈迦様の頃の
原始仏教にはなかったものですが、インド思想には輪廻の概念が
中心にあり、それが取り入れられたんですね。六道は、
「天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道」で、
生前の行いによって、このどれかの世界に行くことになります。

恐山 賽の河原
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天道は、天人の世界で、天人は寿命も長く、苦しみも人間道に
比べてほとんどないとされ、自在に空を飛び回ることができます。
こう書くと、たいへんいい世界のように思えますが、やはり
煩悩からは逃れられません。仏教の目的は、この六道輪廻から
解脱し、仏となることです。

さて、生前に悪行を行ったものは地獄に堕ちるとされます。
西洋のキリスト教にも地獄がありますが、厳しい一神教のため、
いったん地獄に堕ちると、永遠にそのまま焼かれます。
それだとあんまりだということで、カトリックでは、
地獄と天国の間に煉獄があるとされました。

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煉獄で一定期間責め苦を受ければ、罪が償われて天国に
入ることができる。では、仏教の地獄に堕ちた者には救いは
ないんでしょうか。ここで、地獄から人々を救い出して
くれる役目を持っているのが地蔵菩薩なんです。

お釈迦様が入滅してから弥勒菩薩がこの世に現れるまで、
56億7000万年(!)あるとされます。その間、
誰も仏のいない時代になってしまうわけですが、お釈迦様は
それを危惧して、地蔵菩薩に衆生を救済することを
委託したとされます。

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そのため、地蔵菩薩は六道すべての世界に現れて人々を
救うことができます。「地獄で仏」ということわざがありますが、
地蔵菩薩のことと考えていいでしょう。では、どうやって
人々を救うのか。『今昔物語』にこういう話が出てきます。

立山にこもって修行していた延好という僧のところを、深夜に
訪ねてくる女がいました。延好はひと目で、これはこの世のもの
ではないと思いましたが、話を聞くと、女は「自分は生前、
地蔵講に1、2度参加したことがあるだけで、善根を
積まなかったために地獄に落ちた。

地獄絵
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しかし、わずかな縁があったため、地蔵菩薩が毎日地獄に
やってきて、朝昼晩の3回、自分に代わって責め苦を受けてくれる。
ついては、このことを自分の家族に話し、地獄から
脱することができるようにしてほしい」そこで延好が、

女の家族を探しあてて この話をすると、家族は涙を流して喜び、
地蔵菩薩像を建立し、法華経を3部つくってお寺で法要を催した。
こんな話です。その後どうなったかは書かれてませんが、
おそらく、女は地獄を脱することができたんでしょう。

賽の河原に現れた地蔵菩薩
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このように、少しでも地蔵菩薩に縁があった者は救いの道が
開けますが、逆に言えば、無信仰の者には救いは
ないんですね。「縁なき衆生は度し難し」という言葉もあります。
「度し難し」は救うことができないという意味です。

さて、地蔵菩薩は、日本では子どもの守り仏とされ、風車
などがお供えされますね。子どもが幼くして死ぬと、
たとえ病気が原因で、何も悪いことをしてなくとも、親不孝の
罪を負ってしまいます。そのため、三途の川を渡れず、
賽の河原で石を積まなくてはなりません。

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でも、ある程度石が高くなると、鬼がやってきて突き崩します。
ですが、その場に地蔵菩薩が現れ、鬼たちから守り、
子どもを集めて説法や経文を聞かせて徳を与え、仏法への
縁をつけさせて成仏の道を開いてやります。ですから、子どもを
幼くして亡くした親は、地蔵をつくって供養するんですね。

さてさて、ということで地蔵信仰について見てきました。
仏教では、地獄に堕ちても救われる機会はあります。ただしそれも、
仏法に出会う機縁がなければどうしようもないということです。
では、今回はこのへんで。





村の古社の話

2021.01.29 (Fri)
あ、どうもおばんです。私、山本ともうしまして、今年で
75歳になります。それで、これからお話するのは、私が
9歳のとき、65年も前のことなんですよ。ええと、昭和の
ちょうど30年のことですね。住んでたのは、場所は言わないで
おきますが、東北某県の山村です。はい、今はその村は
ありません。町村合併で市の一部になりましたが、その市自体が
過疎化が進んでます。もと村だったところは市の区になりました。
私は就職でそこを離れてしまいましたけど、まだ人は
いくらか住んでるようです。それで、この話は、
そこの山裾にあった神社のことが中心になります。ただ、とても
信じがたいような内容なので、あまり人に語ったことはありません。

当時はね、まだ林業が盛んな時代で、村は米作はわずかで、
ほとんどの住人が林業で暮らしてました。営林署の出張所もあって、
戦後の復興期が始まってて景気もよかったです。あんな山奥に
遊郭まであったんですから・・・ で、村にはお寺が一つと
神社が2つありました。お寺のほうは、村人のほとんどが檀家。
神社は、一つは神明社で、平地にあって参詣者も多かったです。
もう一つのほうは、山裾の沢の源流に近いところで、
その近くに温泉が湧いてたので、営林署の出張作業員がついでに
お参りしたりしてましたが、村人で近づく者は少なかったんです。
神職も常駐してはおらず、草刈りや修繕、祭事などは、
大きいほうの神社の神主が兼務していたと思います。

で、その神社、御祭神は、いちおうは武甕槌命と大毘古命と
いうことになっていましたが、村では、じっさいはそうではないと
思ってる者が多かったんです。ああ、すみません、前置きばかり
長くなってしまって。それでね、村の子どもらは、大人から
そっちの神社にはあまり近づくな、と言われてたんです。
理由はおいおいお話していきます。でもね、当時の子どもは
小さい時分から働かされてましたし、今の子とは違って怖いもの
知らずで、大人の言うことを聞かず、どこでも行ったもんです。
その年、私もガキ大将に連れられて、そこの神社に初めて
遊びに行きました。鳥居はなかったと思います。社殿は、
一間社と言うんですか、2m四方と小さく、屋根も板葺きで、

作業小屋みたいな外見でした。それで、温泉があるって
言いましたよね。そこは露天風呂で、料金などもなかったので、
子どもらだけで入ることもあったんです。夏場は、さんざんチャンバラ
ごっこなどで汗をかき、裸になって温泉にドボン。冬は雪が多くて
近づけなかったです。温泉も埋まってたでしょう。で、あれは秋口、
10月でした。そのときも竹次という6年のガキ大将がみなを
連れて、その神社の近くに来てました。山のあけびを取り、
栗を拾って焼いて食べる。さすがに焚火は、大人に知られれば
拳固が飛びましたけど、竹次はいっつもマッチを持ってまして、
枯葉、枯枝を集めて火をつけ、栗を放り込み、私らは回りを囲んで
あたってました。もうだいぶ寒くなってきてたんです。

神社からは20mは離れた場所で、火が移るとも思いませんでした。
で、焼き上がった栗を枝に刺して食べてると、たまたま神社のほうを
見てたやつが「あっ!」と言って、そちらを指差し、後ろに下がって
尻もちをついたんです。「あ、どした?」指差した先を見て
仰天しましたよ。大男が社殿の裏に立ってたんです。
そうですね、社殿の高さが2m以上ありますでしょう。それでも
男の腰のあたりまで。つまり4mもの背丈があったことになります。
大男はどんどんと地面を踏み鳴らすようにして、私らのほうに
近づいて来ました。上半身は裸で、肌の色は赤黒く、顔は
お寺にある仁王様に似てると思いました。頭の天辺に髷のようなのを
結ってたと思います。下半身は、腰に熊の毛皮を巻いて素足。

それでね、不思議なことに誰も逃げ出さなかったんです。私よりも
小さい子もいたのに。今から考えると、怖くて足がすくんだと言うより、
その威厳に打たれたという感じだったと思います。大男は
大股で焚火に近づき、すぐそばまで来ると、ゆっくりした動作で
まずは自分の顔を指差したんです。まるでこの顔を覚えておけと
いうように。それから、その指先を上に向け、腕を伸ばして
天を差しました。そしてふっと消えたんです。同時に、かなり
勢いよく燃えてた焚火もぱたりと消えました。「わああ」
子どもの一人が叫び声を上げ、それで我に返ったように竹次が
「逃げろ!」と怒鳴り、みな走って、転がるように山を下りました。
で、その途中、大粒の雨が降ってきたんです。

痛いくらいに叩きつけてくる土砂降りです。台風が来ていたようなので、
その影響でしょう。雨の勢いが強くて前も見えず、ひとかたまりに
なって走り、集落の入り口で散り散りになって別れましたが、
そのとき竹次が「見たことは親に言うな」と怒鳴るのが聞こえました。
ずぶ濡れになって家に入り体をふいていると、外仕事ができなくなった
親も帰ってきました。それで、雨は土砂降りのまま3日3晩続いたんです。
翌日、小学校はあったものの午前で放課、その後の2日は臨時休校でした。
それくらい激しい雨だったんです。で、やっと雨が上がった日、
学校に行って休み時間に集まり、竹次を中心にあの日見たもののことを
話し合ったんです。竹次は、そのころ紙芝居でやってた妖怪だろうと
言いましたが、私はそうは思いませんでした。

あれは神様だ、そう考えていた子は多いと思います。なんというか、
顔は怖かったですが、全体の雰囲気が悪いものとは思えなかったからです。
でね、その日は、あの雨が嘘だったように雲ひとつない秋晴れで、
空は高く青く済んでいましたね。先生から、天候がいつ変わるか
わからんから真っ直ぐ家に帰れ、沢が増水してるから絶対に近づくな、
そう言われて、やはり午前で学校が終わりました。それで、
寄り道せず1年生の弟の手を引いて家に戻ったんです。
家はその頃の典型的な田舎家で、藁葺の平屋建て。その屋根の上方に
何か赤いものが浮いてたんです。「!?」近づくにつれ、それは
あの神社で見た大男だってわかりました。弟が平然としてるので。
そっちを指差して「お前、あれ見えるか」と聞いたら、

「いや、何も見えんが」と。大男は藁屋根の数m上に直立し、
腕組みをしながら静かに浮かび、私らに目を向けることはありません
でした。家に入ると作業員をしてた親父も母親もいて、濡れて滑るため
山に入れなかったようでした。ここでね、ずいぶん迷ったんです。
あの神社に行ってたことを言うと、親父に怒られるかもしれない。
ですけど、これは言わなくちゃならんことだとも思えまして。
覚悟を決めて最初からのことを話しました。親父は意外にも
静かに私の話を聞いてましたが。「今もそれは屋根の上におるのか」
と言い、私がうなずくと外に出ていきました。で、すぐに戻ってくると、
「俺には見えんかったが、お前の言うことを信じる」そう言って、
急いで荷物支度をし、家族全員で村役場のほうに向かったんです。

で、役場の前に来ると、驚いたことに私らの他にも数家族が
来てたんですよ。その中には、神社で大男を見た子もいたので
話をすると、やはり自分の家の上に大男が浮いてたと言いました。
その数時間後、鉄砲水が起きたんです。今でいう土石流ですね。
裏が沢だった私の家は土砂に埋まってしまいました。死者は村全体で
10数人。その中には竹次とその家族も入っていたんです。
これは、後になってわかったことですが、その神社、日本神話の
神が御祭神となったのは近世になってからで、もともとはその地の
蝦夷(えみし)の頭を祀ったものだったそうです。私が見たのはそれだった
のかもしれません。土石流で神社も流されてしまいましたが、
有志が寄進し、整地して建て替え、新しい社殿になったんです。






血液型占いを信じますか?

2021.01.29 (Fri)
アーカイブ584

日本では自分の血液型をほとんどの人が知っていますが、
外国では「血液型、何型?」と聞くと「血液型? 知ってるわけないじゃん!」
と笑われたりします。でも、やっぱり自分の血液型は
知っていたほうがよさそうです。

性格判断とか相性占いとかにも使えますけど、血液型によっては
大ケガで生きるか死ぬかをわける大ごとになるかもしれません。
東京医科歯科大の研究チームが発表した論文によると、
血液型によって、大ケガで死亡する割合が変わってくるらしいのです。

2013年から2016年までに大ケガを負って救急に搬送された900名
以上の患者データを分析した結果、救命を施したにも関わらず
亡くなってしまった患者の死亡率はO型が28%、ほかの血液型は11%でした。
O型の人、えらいこっちゃです。
(GIZMODO)



今回は、科学ニュースから、この話題でいきます。
うーん、まず、血液型とは何かというと、血球の中にある「抗原・抗体」
という物質の有無によって、人間を分類しようとするものです。
日本ではABO式の血液型分類がよく知られています。

A型はBという抗体を持ち、B型はAという抗体を持つ。
AB型はどちらも持っておらず、逆にO型はABのどちらも持っている。
このため、輸血する場合は、同じ血液型どうしで行うのが、
拒否反応が起こりにくく、安全なわけです。



ただし、ABO式は、数ある血液型分類の一つに過ぎません。
他にもRh式などがあるのはご存知だと思います。
血液の中にある抗原の種類は数百あるので、その組み合わせによって、
ほぼ無限に近い血液型タイプに分けることができます。

一卵性双生児でもないかぎり、自分と完全に同じ血液型を
している人はいないとまで言われています。
ですから、ABO式というのは、あくまで一つの目安にすぎないわけです。
まず、このことを前提として頭に入れておいてください。

自分はアメリカにいたことがありますが、たしかに自分の血液型を知らない
という人も多かったです。もちろん、軍に入隊した人は、金属製のタグに
自分の血液型を記入して身につけるので知ってますが、
日本のように、ほとんどの人がわかるということはありません。

さて、じゃあ、日本の血液型占いというのは信じられるものでしょうか?
日本で血液型占いが広まったのは、放送作家だった能見正比古氏によるところが
大きいですね。氏が1971年に出版した『血液型人間学』が大ベストセラー
になり、そこからテレビや雑誌で取り上げられるようになりました。

能見正比古


ただし、能見氏は別に医師や生理学者などではなく、氏の理論は、
統計学的に見ても、お世辞にも説得力があるものではありませんでした。
それなのに、血液型占いが爆発的に広まったのは、一つには、
上記したように、ほとんどの日本人が学校の検査で教えられて、
自分の血液型を知っていたことがあるでしょう。

もう一つは、日本人の血液型(特にABO式)にバラエティがあるからです。
日本の場合、A型が約40%、O型が30%、B型が20%、
AB型が10%くらいです。しかし、そういう国のほうが珍しいんですね。
例えば、ヨーロッパの多くの国では、A型とO型で80%以上になります。

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人間の血液型は、厳密に遺伝によって決まるので、
中には、95%がO型というグアテマラのような国もあり、
そういう国で、血液型性格分類や占いをする意味はないですよね。
また、B型、AB型が少ない国で、ことさらその性格を強調することは、
少数派差別につながりかねない危惧があると思います。

実際、世界の中で血液型占いをやっているのは、日本と、
その影響を受けた韓国、台湾くらいのものです。占星術や、
タロットカードなどの占いには長い歴史がありますが、血液型占いは、
そもそも、血液型が分類できるようになったのが近代のことで、
統計的事実の積み重ねがあるわけではありません。

さらに、血液型による性格分類といった類の話は、
ヨーロッパでのイメージはよくないです。これは、ドイツ・ナチスの
優生学によるところが大きいんですね。純粋ゲルマン人に多い
血液型は○○、ユダヤ人に多い血液型△△、○○は優れた
遺伝形質を持ち、△△は劣ったものである・・・という具合です。

ナチスの優生学 顔の長さを測られる女性


2014年に、日本とアメリカが共同で、1万例以上をサンプルとして、
血液型と社会的行動や性格との関連を研究した調査がありますが、
そこでは、意味のある関連性は見出されませんでした。
ですから、世界的には疑似科学あつかいされることが多いんです。

さてさて、上記の引用に戻って、なぜ救急にかかったO型の人の死亡率が
高いのかについて、はっきりした因果関係はわかっていません。
ただ、数字を見るかぎり、たまたまということでもないようです。
研究チームによれば「O型は血が固まりにくいという性質があるため、
大量出血の止血がしにくいのではないか」という可能性が指摘されています。

輸血パック


うーん、例えば交通事故なんかで、O型は、病院で処置される以前に
大量出血してしまっているなんてことは、ありえるかもしれません。
これを逆に考えれば、血が固まりやすいO型以外の血液型の人は、
血栓などを起こしやすいということが言えそうなんです。

実際、足で血栓ができ、それが心臓や脳に影響を与えるエコノミー症候群は、
O型の人はなりにくく、AB型がいちばん起きやすいんだそうです。
ということで、血液型で性格が違うということに根拠はありませんが、
生理的な違いはあり、それが命に関わる場合もあるということは、
頭に入れておいたほうがいいでしょう。では、今回はこのへんで。






アーカイブ おみくじの話

2021.01.29 (Fri)
※ 2017年12月の記事です



まだ気が早いようにも思いますが、新年まであと1ヶ月を切りました。
来年になれば、みなさんの多くは初詣に行かれると思いますし、
そこでおみくじを引かれる方もおられるでしょう。今回はそのお話を
したいと思います。おみくじの起源をたどっていけば、
「神託」ということになると思います。

神託とは神の意をうかがうことです。これには大きく二つの方法がありました。
その一つが占いです。3世紀に成立した中国の歴史書『三国志』の中に、
当時、倭国と呼ばれていた日本のことが書かれた「魏志倭人伝」があり、
その中で占いにふれている部分があります。

「其俗 擧事行來 有所云為 輒灼骨而卜 以占吉凶 先告所卜
其辭如令龜法 視火坼占兆」 

占いに用いられたのは鹿の肩甲骨が多かったようです。
これを火で焼いて、できたひび割れによって物事の吉凶を占いました。
また、骨のかわりに亀の甲羅が使われる場合もありました。それから、
「盟神探湯(くがたち)」というものもあり、これは神による審判です。

令龜


釜で沸かした熱湯の中に裁かれる者の手を入れさせ、
正しい者は火傷をせず、罪のある者は大火傷をおうという形で
結果が出るとされていました。神託のもう一つの方法は、
神がシャーマンを依代(よりしろ)として憑依し、
その口を借りてお告げをするという形です。これは託宣とも言います。

さて、これらの神託がおみくじの元になったわけですが、
初期のおみくじは「短籍(たんざく・たんじゃく)」といって、
紙片にいくつか選択する内容を書いて神に捧げ、
祈祷の後に一枚を引いて結果をみるというものでした。

短 籍


『日本書紀』には、斉明天皇の時代、有間皇子が謀反を企て、
その成否を、短籍を引くことによって占ったという記述が出てきます。
また、この方法は人選をする場合にも用いられ、ときの天皇や
幕府の将軍が、くじ引きで決められたこともあったんです。

例えば1428年、室町幕府の将軍、足利義持が急死した後、
京都の石清水八幡宮においてくじ引きが行われ、
それで選ばれたのが第6代将軍の足利義教です。
このことから、足利義教は「くじ将軍」と呼ばれたりもしています。

ここまでお読みになって、「えー、そんな大事なことを
くじで決めるのか、なんていいかげんな!」と思われた方も
おられるでしょうが、それは現代の感覚です。当時は、
くじ引きで物事を決めるのは神の意志をうかがうことであり、

キャプチャ

人間が話し合いなどで決めるよりも、
ずっと公平で正しいと考えられていたんですね。
もし結果に文句を言う者があっても、
「神様が決めたことだから従え」と言い返すことができたわけですね。

さて、おみくじが現在の形に近くなり、
一般庶民も引くことができるようになったのは、
10世紀、比叡山延暦寺の座主を務めた、元三(がんざん)大師が、
「観音みくじ」を考案したことから始まります。

天海大僧正
キャプチャsssssd

観音みくじには、仏教的な漢詩が五言絶句で書かれていたようです。
これはちょっと意外ですね。庶民的なおみくじは、神社ではなく
お寺から始まったんです。さらに、江戸時代初期、天海大僧正が
この観音みくじを改良して、より内容がわかりやすいものになりました。

さて、おみくじは、結果を見た後に境内の木の枝などに結ぶ
習慣があります。これは「結ぶ」が「神様と縁を結ぶ」に通じることから、
江戸時代に始まったようです。結果が悪かったおみくじは木の枝に結び、
よかった場合は持ち帰る、という人もいますが、
これはどちらでもかまわないようです。

キャプチャeetyu

おみくじの結果がよくても悪くても、結んでもいいし
持ち帰ってもいいのです。ただ、家に持ち帰った場合、
後になって処分に困ってしまうこともあります。御札などと同じように、
神社のお焚き上げに持っていかなくてはなりませんが、
最近は、返納するための箱を用意しているところも多くなりました。

さてさて、大吉とか凶などの結果は、引いた人のそのときの状況を
表しているとされます。例えば 凶が出たとして、それが数時間で
終わるのか、何ヶ月も続くのかは、その人の心がけしだいなんです。
ですから、結果だけに一喜一憂せず、おみくじに書かれている内容、
神様からのアドバイスをしっかり読み、生活をあらため、
今後の行動の指針としていくことが大切なんですね。では、このへんで。

関連記事 『 凶 』








アーカイブ 白面地蔵の話

2021.01.29 (Fri)
これ、私が8歳くらいのときの話なんです。ですから、記憶違いもあるでしょうし、
何より、当時はまるで意味がわかってなかったことが、
年月がたつにつれて、おいおい理解されてきたものなんです。
そのことをあらかじめご承知おきください。
何から話を始めればいいでしょうか・・・そうですね、
私の住んでた町には川をはさんで2つのお寺があり、どちらも同じ宗派でしたから、
大きな法要を営むときなどは、ご住職が互いに行き来し協力して行っていました。
私の家では川の南側のお寺が旦那寺で、そこに墓所もありましたので、
お盆やお彼岸時にはいつも親に連れられてお参りしていたものですが、
数年に一度は、川向うのお寺にも出かけました。
これは親族のお墓がそちらにあったためです。

そのときに、「黒の幕屋」というのを見かけました。
川向うのお寺は小高い岡にありまして、その崖から川原が見下ろせたのですが、
堤防の突端のところに、板屋根の細長い建物があったんです。
それが黒の幕屋と呼ばれているものでしたが、名前の由来は、
四方につねに黒い幕がかかっていたためです。
いつだったか母に、「あれは何?」と尋ねたことがありまして、
そのときに「あれは白面地蔵様をお祀りしている場所だよ」と教えられました。
「白面地蔵って?」重ねて聞くと、母はちょっと困ったような顔をしましたが、
「お顔のないお地蔵様」こう答えてよこしました。
「なぜお顔がないの?」子どもですからそう聞きますよね。
すると母は、「最初からお顔を彫らないから」とわざと見当はずれのことを言い、

この話題が出たのを後悔するかのように押し黙ってしまったんです。
それで、私の隣の家に、美咲ちゃんという3歳の女の子がいました。
私は先程言いましたように8歳でしたから、ずいぶん歳は離れていたのですが、
仲がよくて、小学校から帰った後などよくおままごとをして遊んだものです。
歳のわりに体は小さかったのですが、よくしゃべる利発な子だったと思います。
それがある日、走って門を出たところで、
配達の軽トラックに跳ね飛ばされて亡くなってしまったのです。
即死でした。ええ、完全な飛び出しによる事故ですから、
相手の車を責めることはできません。まだ20代後半だった美咲ちゃんの母親は、
葬式や火葬の間中泣いて泣いて、それは悲痛な様子だったのを覚えています。
ええ、私も泣きましたし、人の死ということを初めて身近に感じ、

ずいぶん怖ろしい思いもしたのです。あれほど跳ねまわっていた子が、
学校から帰ってきたらもうどこにもいないのですから。
49日が過ぎてから、形見分けとして美咲ちゃんの持っていた人形などを
いただいたのですが、何だか怖いような気がして、
それで遊ぶことはなく、箱にしまって部屋の本棚の上にずっと置かれてありました。
今でもありますよ。美咲ちゃんの母親は半年が過ぎても元気がなく、
まるで半病人のような状態で、家にこもったきり外に出なかったんです。
たまに私と会ったときも、すごくよそよそしい態度で、
こちらの顔を見ようとしませんでした。私の家族はもちろん心配し、
母がよく町内の行事などにさそったりしていたのですが、
出てくることはありませんでした。おそらくひどい鬱だったのだと思います。

美咲ちゃんにはもちろん父親もいましたが、忙しかったらしく、
あまり近所づき合いはなかったのですが、美咲ちゃんが亡くなって以来、
ますます帰りが遅くなり、朝に出かけるときに見かけても、
何日も同じスーツやネクタイをつけていることが多くなったのです。
ええ、隣家からは夜遅くに、怒鳴り声が聞こえてくるようになりました。
それで、美咲ちゃんの事故から1年がたとうとした頃ですね。
夕方、家の前で朝顔に水やりをしていると、隣の家の前にトラックが止まってました。
荷台のところに見たことのない紋章がついていたのを覚えています。
トラックは木組みや、祭壇のようなものを積んでいまして、
その中にお地蔵様が一体ありました。高さは8歳の私の胸までくらいでしたから、
そう大きなものではありません。ただ、普通は赤いはずの頭巾が、

黒になっていたのは子どもの目にも異様に感じられました。そのときは
後ろ姿だったので、ないと言われているお顔は見えませんでした。
やはり黒い作務衣のようなものを着た人たちが、木材をどんどん隣家に
運び込んでいまして、それを美咲ちゃんの母親が玄関先で見守っていました。
そのとき私の家から母が出てきまして、垣根ごしに近づいて、「ちょっと○○さん、
 あなた黒川衆の顔なし地蔵さんをお祀りする気? 
 悪いことは言わないからやめなさいよ。あんたまだ若いんだから、
 こう言っちゃなんだけど、子どもはまたつくれるじゃない。顔なしさんやったら、
 お墓のあるお寺から出て行かなくちゃならないし、
 旦那さんとだってうまくいかなくなるよ」正確ではありませんが、
だいたいこんな内容のことを言ったんです。

すると美咲ちゃんの母親は、「いいんです。もうこれしかないですから」
そう言って家の中に走りこんでしまいました。そして、美咲ちゃんの家の庭に、
あの堤防にある黒の幕屋の五分の一の大きさほどのものが出来上がり、
美咲ちゃんの母親は、毎日そこにこもってお祈りをしているようでした。
それからはあっという間でした。美咲ちゃんの父親が、
他所に女性をつくって家を出てしまい、離婚ということになったのですが、
美咲ちゃんの母親は慰謝料として、その家をもらいうけたようでした。
私の母は、この一連の出来事を話すつど、いつも顔をしかめて首をふっていました。
隣家とのつき合いはなくなり、美咲ちゃんの母親は、スーパーでわずかな食材と、
おそらくお供えの花や菓子を買う以外、外出することはなくなりました。
私が、隣家の庭の黒の幕屋について興味津々でしたが、

何か質問するような雰囲気ではなく、それどころか、
「あれに目を向けちゃいけないよ」とまで言われていたのです。
お盆を過ぎたあたりのころです。私の家では墓参りを済ませ、
母は毎夜、町内会の盆踊りの会に通っていました。
私は夏休み中で、ときおりは美咲ちゃんのことを思い出すものの、
プールに通ったり、同学年の子の家に遊びに行ったりと、
長期休業期間を満喫していました。そんなある夜のことです。
9時半頃でしたか。盆踊りに出ている母を迎えに出たのです。会場は、
町内にある銀行の駐車場で、夜だけそこに移動式の櫓を立て、
その回りで盆踊りが行われていまして、私は浴衣を着て、
母についていく日もありましたが、そのときは家で好きなテレビを見ていたのです。

会場にはいくつか屋台も出ていて、帰りにそこで何か買ってもらえるのを
楽しみにしていました。家を出ると、隣家の庭でちらとらと
黄色い光が揺れているのがわかりました。道路にまで光の影が落ちていたのです。
何だろう、と見ると、黒い幕の中にかなり強い黄色の光があり、
かすかに読経の声が聞こえてきました。美咲ちゃんの母親の声だと思いました。
幕の合わせ目に隙間があり、そこから光が漏れているのでした。
もう行こうとしたとき、幕の間からぬっと丸いものが出てきました。
白面様、顔なし地蔵さんでしたが、、正面から顔を見たのは、
そのときが初めてでした。もちろん石製でかなり重いはずなのに、
それを両手で抱えて、よろめきながら美咲ちゃんの母親が出てきました。
そして、やはり重さに耐えかね前のめりに転んだのですが、

そのときお地蔵様の顔がこちら向きになったのです。
目を閉じていましたが、事故で死んだ美咲ちゃんの顔だと思いました。
芝生の上に落ちた地蔵様はそのままズンと倒れて転がりました。
「美咲ー」という悲鳴を上げて、美咲ちゃんの母親がそれを起こそうとしていました。
ガリガリと石を爪でひっかく音が私のところまで聞こえ、
私は息を飲んで立ちつくしていたのです。
やがて、美咲ちゃんの母親はその上に覆いかぶさって泣き出し、
私の肩に手が置かれました。はっとして見上げると早めに帰ってきた母でした。
母は首を振り、何も言わず私の顔を持っていたうちわで覆うと、
背中を手で押すようにして家の中に入れました。私が家に入っても、
美咲ちゃんのお母さんの泣き声は、ずっと続いていたのです。 ・・・終わります。

はかかおおsじいい





アーカイブ ドアポストの話

2021.01.28 (Thu)
垂水ともうします。よろしくお願いします。今、28歳で
独身です。半年ほど前まで、アパレルのお店で働いてたん
ですけど、先輩とケンカしてやめちゃったんです。
私、昔からそうなんですよね。生まれつき短気なんです。
これまで何度も失敗してるんですけど、こりないんですよね。
まあでも、それなりに貯金はありましたし、半年くらい
ゆっくりしながら次の仕事を探そうと思ってました。
そのころにはコロナの流行も収まってるんじゃないかって。
そのアパレルの店も、ぱったり客足が途絶えてましたから。
それで、まず考えたのが転居です。それまで、
ちょっと分不相応な部屋に、無理して住んでたので。

もともと、もう少し安いとこに移らなきゃと思っては
いたんです。で、不動産屋巡りを始めたら、2軒めのとこで
格安のアパートが見つかったんです。びっくりしました。
築8年、地下鉄の駅にもそこそこ近い、キッチン、バス・トイレつき
6畳の部屋が、敷礼ゼロで月4万。これ、相場の半分以下なんです。
それで私、こんな性格なので、不動産屋の担当者に、
「ここ、もしかして事故物件ってやつですか?」って、単刀直入に
聞いたんです。そしたら、「いえ、そうではありません。お客様が
 入居される部屋で、これまで3度入居者は代わってますが、
 亡くなった方はおられません」こう言われました。まあ、私としては、
幽霊なんて信じてなかったので、事故物件でも気にしないつもり

でしたけど。不動産屋はその後、少し言いよどんで、「ただ・・・
 入居にあたっては条件があるんです」こう続けたんです。
これもね、そのときはペット禁止、楽器演奏禁止とか、その手の
どこにでもあることだと思ってたんですが・・・ 数日後、不動産屋と
そのアパートを下見に行きました。築8年ですからまだ新しく、
こざっぱりした感じでした。2階建てで、部屋は全部で10、
階に5部屋ずつってことです。そのうち、空いてるのが2階の2部屋、
向かって左から2番めと、右端の角部屋。で、当然角部屋を
希望しますよね。ところが、その部屋は不具合があって使用してないって
言われたんです。なんでも雨漏り関係だとか。しょうがなく、
空いてる部屋を見せてもらったんですが、特に問題はないと思いました。

前の部屋はすでに解約してたので、その場で入居を決めたんですが、
契約のときに、条件というのが出てきました。それが、私が
思ってたのとはまったく違ってて、「午前2時~4時の間は
 部屋の出入りを禁止」これだけでした。「どういうことですか」と
聞いたら、「大家さんとアパートの自治会で相談して決めたもので、
 それ以上はわかりません。うるさいからじゃないでしょうか」
こう言われました。まあでも、その時間なら寝てるか、もし飲みに
行ったりでも、時間をずらして帰るようにすればいい、そう考えたんです。
・・・入居して1ヶ月の間は特に何事もありませんでした。
左右隣、1階の真下の部屋には粗品を持ってあいさつに行きました。
どの部屋も独身の女性で年代も私に近く、心強く思ったんです。

そこで聞いたところでは、1階の右端の部屋に、退職した学校の
先生(女性)が住んでいて、その人が自治会長ということでしたが、
自治会と言ってもゴミ当番などの義務はなく、年会費も千円という
話でした。後でその会長さんが部屋に来られると思うとも。
はい、その日の晩に会長さんはみえられ、きれいな白髪の上品そうな
方でした。なぜ一人暮らしされているかはわかりません。
さすがに聞くことはできませんでしたよ。入居の条件については、
尋ねてみたんですが、「深夜の騒音、来客を防ぐためです」と、
ありきたりの答えが帰ってきただけでした。それから、
私はずっと職探しを続け、どうにか再就職のメドが立ったんです。
その日、久しぶりに昔の同僚に会い、遅くまでお酒を飲みました。

でも、終電には間に合い、部屋に帰り着いたのは1時半ころ。
あの条件というか、規則はやぶってません。ベッドに入っても興奮のせいか
なかなか寝つけず、時間は3時頃だったでしょうか。玄関ドアのほうで
カタ、カタという音がしました。玄関と部屋の間にはしきり戸があるので、
それを通して聞こえるんだからけっこう大きな音です。気になって
玄関に出ると、ドアポストからその音はしてるようでした。
誰かが廊下にいて、ドアポストのフタを上げ下げしている。
もちろん、廊下に出て確かめようとは思いませんでした。鍵をかけ、
チェーンロックもあるので、誰も入ってこれるはずはありません。
スコープもあるので、のぞいてみようかと考えましたが、廊下は暗く、
たぶんちゃんとは見えないだろうと、やめたんです。

カタ、カタという音は5分ほどでやみ、私はそのまま寝てしまいました。
翌朝、外に出てポストを見ると、金属のフタに黒い指紋のようなのが
ついてたんです。気味が悪いのでウエットティッシュでふくと
すぐにとれたんですけど。このときふと、なぜこのドアポストは
あるんだろう、と思いました。郵便物は1階入り口の横に集合ポストが
あって、全部そこに来ます。本来必要ないものなんです。翌日、外出して
戻ってくると、ドアポストの内側の郵便受けから紙の端がのぞいてました。
取り出すと、「自治会報」と上に書かれたA4の紙。ああ、これを配る
ためにポストはあるのかと思いましたが、読んでみると、異常な内容でした。
2日前に区内であった殺人事件、鉄道自殺なんかの詳細が、実名入りで
びっしり書き込まれてたんです。でも、殺人はともかく、

自殺なんて報道されないし、されたとしても名前は出ないはずです。
「これ、何・・・」あの自治会長さんがワープロソフトで打って
家庭用プリンターで印刷した?? わけがわかりませんでした。
あと会報の一番下に、赤と黄色のカラーで変な記号のようなものが
印刷されてたんです。それから2ヶ月の間に、その会報はまた1回
来ました。内容は同じく、2日前の事件のられつ。よほど会長さんに
聞きに行こうかと思ったんですが、せっかくの新居なのに
気まずくなってもと考え、やめておいたんです。
その後は、私は再就職した職場に毎日通うようになりました。
やはり気疲れがあり、夜はバタンキューで寝てたんですが、3日前、
またあのカタカタ音で目が覚めたんです。玄関に行くと、

ドアポストのフタを外から上げ下げしている音。それが10分たっても
やまなかったんです。怖いよりもイライラが勝り、ドアに近づいて
スコープをのぞきましたが、案の定 暗くて何も見えず。それで、
郵便受けの箱を開けてみたんです。投入口から真っ黒い指先が出ていました。
指一本入る隙間はないので、ほんの先っぽだけ。唖然として見ていると、
その指先がドロリと溶け、スライムのようになってしたたり落ちて
きたんです。「いやぁ!」そう叫んで郵便受けを元通りにしましたが、
カタカタ音は1時間ほど続き、4時を過ぎて聞こえなくなったんです。
翌日は休みでした。起きてすぐ郵便受けを見ました。内側には、
かすかにですが、真っ黒い溶けたロウのようなものがこびりついてました。
ドアの外のフタに黒い指紋がついてるのも同じです。

それと、あることに気がついたんです。郵便受けの中ですが、
よく見ると不自然な形に四角い鉄板が貼りつけられてる。ネジ止めとか
ではなく、何かで接着されてる・・・ ここでやめておけばよかったんですが、
好奇心を出してしまい、マイナスのドライバーを持ち出して、隙間に
こじ入れました。鉄板の周囲ぐるっとに差し込んでいくと、パンと音がして
板が外れ、中からひらりと紙が落ちたんです。写真でした。暗い部屋の中を
玄関から写したもの。つくりは私の部屋と同じです。奥のほうに太い
鉄格子の檻があり、暗くてわかりませんでしたが、中に何か大きなものがいる。
「これ、何なの?」 わけがわからなかったです。接着剤を買ってきて
元にもどしておきましたが、翌日、会報が来ました。そこには、
全面にびっしり、小さいフォントで私の名前が書かれていたんです。

キャプチャ




履き物のオカルト

2021.01.28 (Thu)
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今回はこういうお題でいきます。オカルト論です。
さて、履き物のオカルトというと、みなさんは何を連想される
でしょうか。シンデレラのガラスの靴でしょうか。それとも
ギリシア神話のペルセウスが得た空を飛ぶことができるサンダル?

自分は、童話ですが、アンデルセンが書いた『赤い靴』が
たいへん怖かった記憶があります。ご存じの方も多いでしょうが、
粗筋を書くと、貧しい少女カーレンは病気の母親と2人で
暮らしていました。ある日、靴をはいてない彼女が足にケガをし、
親切な靴屋のおかみさんに助けられ、赤い靴を作ってもらいます。

翼のついたサンダルをはくペルセウス
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その直後、カーレンの母親は死んでしまい、孤児となったカーレンは
母親の葬儀に赤い靴を履いて出ます。それをある老婦人にとがめられ、
カーレンはその老婦人の養子となります。カーレンは、町一番の
美しい娘に成長し、ある日、靴屋で美しい赤い靴を見つけた
カーレンは、老婦人の目を盗んで買ってしまいます。

さらに教会にもその赤い靴をはいて行き、老婦人にたしなめられますが、
カーレンは無視、それだけでなく、老婦人が病気になって死の床に
ついていても、その靴で舞踏会に行ってしまうんですね。
看病されなかった恩人の老婦人は亡くなり、舞踏会ではカーレンの踊り
が止まらなくなり、靴を脱ごうとしても脱げません。

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カーレンは休むことも眠ることもできず踊りい続け、老婦人の葬儀にも
出席できませんでした。呪いが発生したんですね。どうすることもできず、
カーレンは首斬り役人に頼んで両足首を切断してもらいます。すると、
両足と赤い靴は、踊りながら森の中へと去っていった・・・

赤い靴は虚栄と高慢、忘恩の象徴ということなんでしょう。この後、
カーレンは懺悔をするために、不自由な足で協会に行こうとすると、
どこからともなく赤い靴が現れてカーレンの前で踊り、中に入れません。
最終的に呪いはとけますが、ハッピーエンドとは言いがたい結末です。
アンデルセンの童話は怖くて残酷なものも多いですよね。

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さて、ここでガラリと話が変わり、日本のことを書いていきます。
日本の古代、貴族など木製の沓(くつ)をはいていましたが、
庶民は裸足のことが多かったんです。万葉集にこんな歌があります。
「信濃路は 今の墾道(はりみち) 刈株に 足踏ましむな 
 沓はけ わが背」これは東歌、東国地方の庶民の歌です。

信濃路は新たに拓かれた道で、草の切り株が多いから、足を
ケガしないよう沓をはいてください、わが夫よ。 だいたい
こんな意味ですか。これを見るかぎり、特別な場合は沓を
はいていたようです。また、平安時代の絵巻では、京都の
大路をゆく庶民の半数以上が、草鞋のようなのをはいてます。

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『日本書紀』の後半のトピックとして、中大兄皇子と中臣鎌足が
蘇我入鹿を誅殺した乙巳の変、そして天智天皇の子、
大友皇子と大海人皇子が争った壬申の乱。大海人皇子は
後の天武天皇ですが、この物語には沓が深く関わっています。

まず、中大兄皇子と中臣鎌足の出会い。蹴鞠をしていた
中大兄皇子は、鞠を強く蹴ったときに自分がはいていた沓を
飛ばしてしまい、それを拾ったのが鎌足です。
2人は親密になり、多武峰(とうのみね)に登り、
山中で蘇我氏排除のための密談を行います。

木沓
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また、平安時代の歴史書『扶桑略記』には、 天智天皇は671年、
病気となって譲位の意志を示した。天皇は馬に乗って山科へ向かい、
林の中に入って姿を消し、その行方はわからず、ただ沓だけが
落ちていたのを、陵におさめることになった、と書かれています。

この記述を根拠として、小説家の井沢元彦氏は『逆説の日本史』
の中で、天智天皇と天武天皇は同母兄弟ではなく、
天智天皇は天武天皇に暗殺されたという説を展開しています。
ただ、『扶桑略記』は飛鳥時代からは、はるか後代に書かれた
書であり、どこまで信用できるかは疑わしいです。

空から落ちる久米仙人
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また、高名な人物が沓だけを地上に残して姿を消すというのは、
中国に古くからある「羽化登仙」伝説ですよね。
その人物を死んだことにしたくないので、仙人となって天に
登っていったというわけです。そのことは井沢氏も十分
知ってるはずなのに、書いていません。

関連記事 『足のオカルト』

さてさて、あと靴と言えば、最初に出した「シンデレラ」の話は
やはり外すわけにはいきません。この原型は、古代エジプト
からある、きわめて古いものなんです。ただし、シャルル・ペローが
採取した民話は、機械時計が発明されて以後のものなので、お城の
時計が午前0時となり魔法がとけるエピソードが加わっています。

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時計のエピソードを後づけしたため、カボチャの馬車やネズミの馬、
シンデレラのドレスは元に戻ってしまうのに、ガラスの靴だけは
そのままという、かなり無理のある展開となっていて、
映画化したディズニーが、しかたなく苦しい説明をしていますね。

関連記事 『シンデレラとモモの時間』

あと、シンデレラの意地悪な姉たちはガラスの靴に足を合わせようと
かかとやつま先を切り落とします。また「白雪姫」でも、
魔法使いの継母は、最後に炭火で真っ赤に焼いた鉄靴をはかされる
刑を受け、踊り狂い、やがて息が絶えて倒れます。西洋民話では、
靴は呪力を持った怖い存在だったようです。では、今回はこのへんで。




アーカイブ 時間です、の話

2021.01.28 (Thu)
ちょっと差し迫った話があるんで聞いてもらえるかな。
思えば昨日の会社の帰りから始まったんだと思う。
俺は電車とバスを乗りついで帰宅するんだが、バスの下り口で
料金箱に回数券を入れたとき、運転手がこちらを見るともなしに、
「あと17時間ちょっと」と小声で言ったんだよ。
そのときは俺に言ったんじゃなくて、なんかのひとり言だろうと思った。
目も合わせないし、あとに言葉が続いたわけでもなかったから。
時間は8時ちょっと過ぎくらいだったと思う。

それで家に帰って飯食ってから下の子を風呂に入れてたら、
3歳の男児なんだけど、浴槽ではしゃいでたのが急に黙って、
「あと16時間ないね」と言ったんだ。
そのとき「あれ、こいつ時間なんてわかるのか」と疑問に思ったんで、
「16時間て何のこと?」と聞き返したら、きょとんとしてる。
で、「何にも言ってないよ」という答え。
「でも今、時間のことしゃべっただろ」「知らない」こんな感じ。
まあ無意識にテレビで聞いたことを言ったのかもしれないと、
こんときもあんまり気に留めなかった。

んで今日の朝、電車でラッキーにも座れたんで目を閉じてたら、
すぐ耳元で「5時間切りました」という女の声がする。
「あ~れまた時間だ」と思って声のしたほうを見ると、
隣で30代くらいのOLが下を向いて文庫本を読んでて、
こっちに話しかけた雰囲気はまったくない。
今思うと、気になりだしたのはこのときからかな。朝の8時半
くらいだったから、5時間後といえば昼の1時過ぎってことになる。
で、昨日のことを思い返してみると、
バスの運転手や息子がつぶやいた時間と合ってる。
奇妙だけどこのときは面白く感じたんだよ、まだ。

会社に着いて少ししたら関連会社から来客があり、
小会議室で打ち合わせしようとした。すると、そいつがカバンから
書類を出しながら、「3時間くらい」とぼそっと言う。こんときには
「おっ来たな」という感じで、年下でわりに親しいやつだったから、
「今、3時間って言ったよね、それ何のこと」と聞いてみたんだ。
「・・・え、そんなこと言いましたか。いや言ってないですよ」
「いや確かに聞いたんだけどな」
「昼休みまで3時間もないですよね。でもそんなこと言ったかなあ」
と、わけがわからないといった様子だったんで、
「いや、いいよ。自分の勘違いかもしれない」と答えるしかなかった。

それでついさっき昼は社員食堂で済ませたんだが、
定食の列に並んでオバサンに皿を渡されるとき、
「もう1時間です・・・・ぬまで」と鼻歌のような感じに言う。
語尾がよく聞き取れなかったんで、「ん、何です?」と聞き返したけど、
「えっ・・・何にも」という、これまでと同じ反応。予想はついてたんで、
そのまま箸なんかを取ってテーブルに座ってから、
「あと1時間・・・ぬまで、ぬまで、ねえ・・・・・・死ぬまで!・・・まさか」
しかしこう思いあたると、たしかにそう言ったとしか考えられなくなってきた。
で、1時になってから仕事をしないでこれを書いてるんだ。
だれかこういう経験した人っています?いたら詳細を聞きたい。






アーカイブ ロケ隊の話2

2021.01.28 (Thu)
2年前の夏の話だよ。いわゆる霊感タレントを2人連れてロケに
でかけた。ああ、俺らはテレビの製作会社じゃなく、出版社系で、
コンビニ売りの心霊ムックを作ってたんだよ。ほら、付録のDVDが
ついてるやつ。だからそんな本格的なものじゃない。霊感タレント
というのも、小さなプロダクションの新人の子たちで、別に霊感とか
あるわけじゃないんだよ。ただそういう設定だから、こっちの
いうとおり演技してくれればいい、って事前に言い含めておいたわけ。
演技って言っても、怖がったり泣いたりしてくれればいいだけの話で、
幽霊なんかは後に編集したとき、CGで入れることになってたんだ。
それでもロケは2日間になったし、1日目は心霊スポットだったけど、
2日目はそうじゃなくて、有名な神社だったんだよ。

もちろん2日とも心霊現象なんて一つも起こっちゃいない。まあ
それがあたり前、霊的な現象なんてあるわけがないと思ってたんだ。
けどよ、2日目のロケが終わって東京へ戻る途中、変なことが
あったんだ。いや、偶然とか気のせいで片づくようなレベルじゃない。
車に乗ってた全員が体験してるんだよ。ただし幽霊でもない。
あれは生霊って言うんだろうか。それとも離魂現象?
ドッペルゲンガーって言葉もあるな。その手の体験だったわけよ。
それを今から話していくんだよ。で、時間は夜の9時過ぎだったな。
東京に着けば11時を回るだろうって時間帯、ミニバンで高速を
走ってたんだよ。ロケの全員が一台に乗ってたんだ。総勢は俺を
いれて9人だな。朝から3ヶ所を回って、みんな疲れてたのは確かだ。

だが、それだけじゃなかったんだよ。最後の富士山近くの神社を
出たあたりで、全員、何か様子がおかしかったんだよな。ろれつが
回ってなかったし、元気がない。俺もかなりの脱力感があったが、
今思えばそこの神社の鳥居を出たところで急にそうなった気がする。
でもよ、俺以上にADの疲れが目に見えてたんで、
帰りは俺が運転していく、ってことにしたのよ。いちおうタレントさんを
乗せてるんだし、事故起こしちゃマズい。それでコンビニで
眠気覚ましのドリンク剤を買って、それから高速にのった。
平日の夜だったから、車ど通りは少なかった。山の中の道を
一定速度でたんたんと走ってたつもりだよ。車中は会話も
ほとんどなくてな。タレント2人は2列目の席でうとうとしてたよ。

スタッフはディレクターの俺が運転してるもんだから、
寝るやつはいなかったが、みな言葉少なでな。でよ、あと30分ほどで
首都高に入るってあたりで、霧が出てきて。あとで気象庁に
確認したが、この霧はもちろん本物で、霊障とかじゃなかった。
突然、ほんとに突然、目の前20mほどに車が出てきたんだよ。
合流があったわけじゃなく、見落としてたんでもないとないと思う。
さっきも言ったように、事故起こしちゃイカンとかなり慎重に運転してた。
だからスピードもずっと100km前後。高速で20mったら目の前だよ。
あわててブレーキを踏んで車間距離を取ろうとしたが、向こうも
スピード落としたのか、かえって近づいた気がした。はたからは、
こっちがあおってるように見えたかもしれないが、そうじゃない。

それで、その車は俺らと同じ車種の11人乗り仕様のミニバンだったのよ。
まあ、珍しいってほどのものじゃない。だけど、その車のリアハッチの
右に貼られてるステッカー、これに見覚えがあったんだ。
そう、俺らの車に貼られてるのと同んなじなんだよ。どこにでもあるやつ
じゃなくて、俺らの出版社で出してる一番売れ筋の雑誌の。だから、
その同じステッカーを同じとこにつけた車なんてあるわけない。俺がそれに
気がついて動揺していたら、助手性に乗ってたカメラマンも気がついたらしく、
「あの車、これと同じ車種だし。あのステッカー見えてますか?」 「ああ、
 見えてる」 「どういうことッスかね。あれ、俺らの車なわけはないんだけど?」
「わからん、俺だけなら幻覚かとも思うんだが、お前も見えてるんだからな」
「気味悪いスね。離れられないんですか?」

「さっきから減速しようとしてるんだが、間にロープでもついてるみたいに、
 この車間距離から外れないんだ」 「止まっちゃったらどうスか?」
「それでもいいけど、これってもし本物の超常現象なら、いいチャンスだと
 思わないか。お前ハンデイカメラ準備しといたら」 「マジすか」
こんな会話をした。で、そんとき、抜いてみたらどうだろうって思った。
追い越すときに並べば、運転してるやつが見えるだろう。
ハンドルを握ってるのは俺なんだろうか、確かめてみたくなったわけよ。
で、追い越し車線に出てアクセルを踏んだ。
最初から速い車じゃないし、多人数乗車だからあまり加速しなかったが、
少しずつ近づいていって、これなら追い抜けるって思った。
したら、「やめてー」って絶叫が車内に響いたんだよ。

寝ていると思ったタレントの一人が叫んだんだ。
「その車越しちゃダメ、戻って戻って!!」反射的にスピードを緩め、
こっちは右車線だが、車間距離は10mほどに戻った。
カメラマンが後ろを向いて「どうしてです?」って聞いた。そしたら、
「わかんないけど、けどあれを越しちゃうと大変なことになる」って。
「じゃあどうすればいいと思う」 「うーん、もう一回真後ろについて」
言われたとおりにしたら、やっぱり車間距離が変わらなくなった。
他のメンバーも何が起きてるのか全員気がついてて、その子を注目してた。
「ヤバイ、ヤバイ、このままじゃ事故る。前の車といっしょにならなきゃ」
「どうやって? のりでくっついたみたいに、この距離が変わらないんだよ。
次のPAに入る?」 「それ、信じてないからだよ。元に戻るって
 心から念じれば、たぶん大丈夫」

そうは言っても、目の前の車に突っ込んでいくなんてできないじゃない。
そしたら、メイクさんが「この子、息してない」って切迫した声を上げて。
もう一人のタレントの頬に手をあててたんだよ。「顔が真っ白だし、冷たい」
で、試しにアクセルを踏み込んでみたら、前の車のリアがぐんと迫ってきて、
そのとき反射的にブレーキを踏んじまったんだ。「ダメもう一回やって。
 この子死んじゃうわよ」心理状態自体が異常だったのかしれないが、
信じることにした。それでカメラに「撮ってるか?」って聞いたら、
「撮ってます」って答え。ぶつけるつもりで、思いっきりアクセル踏んで・・・
車内のやつらは「ワー、ギャー、ぶつかるー」それぞれすごい悲鳴をあげた。
でね、ギリギリまで迫った途端、前の車がふっと消えた。走ってるのが
俺らだけになった。で、ボーッとしてた俺の意識もシャキッとなってね。

「重なったのか? 何だったんだよ、今のは?」 「わかんないけど、
 これでたぶん大丈夫」 「あ、息が戻った」それから数分で、
そのタレントの子も意識を取り戻して、まだ具合悪そうだったけど、
「追いかけっこしてる夢を見てた」って言ったんだ。そっからは安全の上にも
安全運転して東京に戻り、念のためにその子は病院にも連れてったんだよ。
こっからは後日談だな。まずカメラマンが撮った映像は、社に戻ってすぐ
見てみたが、車の前に濃い霧があるだけで、具体的なものは何も
映ってなかった。とても使えるもんじゃなかったってことだ。そんときの
メンバーにも異変はない。ただ、具合を悪くした女の子はタレントをやめて実家に
帰っちゃったな。それと、俺らを前の車、もう一つの俺らに突っ込ませた子は、
名前をあげれば誰かわかるだろうけど、芸能じゃなく霊感のほうで売れに売れて。
そう、その子だよ。もうね、俺らの半端仕事を頼めるような身分じゃないんだ。

関連記事 『ロケ隊の話』






一つ目小僧の周辺

2021.01.27 (Wed)
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今回はこういうお題でいきます。妖怪談義ですね。
このところ妖怪談義の記事が多くなってきましたが、
当ブログの読者のみなさんは興味を持たれているんでしょうか。
ともかく、日本の妖怪はまだまだたくさんいて、
その半分も取り上げてないんですよね。

さて、「一つ目小僧」ですが、江戸時代にはポピュラーな
妖怪だったようで、江戸後期の戯作者、平秩(へづつ)東作が
書いた『怪談 老の杖』の最初の話に出てきて、これがなかなか
興味深いものです。余談ですが、東作は平賀源内と親しく、
獄死した源内の遺体を引き取ったと言われます。

関連記事 『事故物件と平賀源内』

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こんなお話です。江戸四谷の鳥屋「小嶋屋」の主人嘉右衛門が、
店に来た武士にウズラを売った。武士は、そのときは持ち合わせが
ないので屋敷まで取りに来てくれと言う。そこで嘉右衛門が
麻生にある屋敷を訪れると、座敷に通された。

そこで待っていると、10歳くらいの小僧がふらりと入ってきて、
床の間の掛け軸の軸を上に巻き上げ、ぱらりと下に落とすという
遊びをくり返し始めた。最初は黙っていた嘉右衛門も、あまり
続けるので、「お軸が傷むからおよしなさい」と声をかけた。
すると小僧は「黙っておれ」と言いながらふり返ったが、

「豆富小僧」と合体した一つ目小僧
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その顔には目が一つしかなかった。嘉右衛門はあっと驚いて失神し、
その屋敷から自宅まで駕籠で送り届けられ、代金とともに
見舞いの品が届いた。嘉右衛門はしばらく具合が悪かったが、
20日ほどで元に戻った・・・後にその屋敷の者が言うには、
そのような怪異が年に4、5回はあるが、特に悪さはしない

とのことだった。武家では、このことを嘉右衛門に他言されると
拙いと思ったのか、本復するまで、たびたび見舞いを
よこした・・・『怪談 老の杖』は聞き書きで、まさに理想的な
実話怪談になっています。怪異が起きた場所も、

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怪異に遭った人物の名前もわかるからです。現代の実話怪談は、
プライバシー、個人情報に配慮するという建前で、それらを
出さないものが多いんですが、実話だと信用されるためには、
体験者から許可を得て、出せるものは出すべきだと思いますね。

ここでまた余談ですが、江戸時代は仏教の殺生戒のため、      
獣肉を食べるのはよいこととされなかったんですが、四足ではない
鳥は目こぼしされてたんですね。幕末、坂本龍馬が暗殺される前、
下男に鍋にするためのシャモを買いに行かせた話は有名です。

天目一箇神社
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さて、小僧とはかぎりませんが、一つ目の神の歴史は古く、
正史である『日本書紀』に出てきます。「天目一箇神 あめの
まひとつのかみ」は、天照大神が岩戸に隠れたとき、刀斧や鉄鐸を
造ったため、製鉄・鍛冶の神であるとされました。『古事記』では、
同じ神を「天津麻羅 あまつまら」と書いています。

字は違いますが、「魔羅 まら」は仏教用語で「修行を妨げるもの」
という意味です。また、男性器の隠語でもあり、男性器の先端は
「一つ目」に例えられることもあります。これらのことを考えると、
『古事記』の記述は仏教の影響を受けているのかもしれません。

 「目一つ坊」
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なぜ、鍛冶の神が一つ目なのか。これは、鍛冶は熱した鉄の色で
温度を見分けるため片目をつむっていたこと、あるいは、
鎚で鉄を打つ際、火花が目に入って失明することが多かったため
などと言われますが、どうなんでしょうね。

また、民俗学の柳田國男の説では、山の神は一つ目で
あることが多く、片足の場合も多い。これは、共同体から追放
される者は、片目をつぶされ、片足を切られて山に放たれた
可能性を指摘しています。うーん、そういったことも
あったのかもしれません。一つ目小僧は「小僧」とついているので、

縄文時代の石棒
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仏教とかかわりもありそうです。現代の妖怪画では、
僧衣を着て描かれることが多いですが、小僧は男の子どもを表す
一般名称としても使われてましたので、これもよくわかりません。
ただ、大人の僧侶の妖怪である「一つ目入道」 「目一つ坊」
などの妖怪もいます。

あとは「金精様 こんせいさま」との関係。金精大明神などとも
呼ばれ、男根の形をした御神体を祀った神の一柱です。
縄文時代からある、性器崇拝の信仰から始まったとされ、
子宝、安産、縁結び、下の病や性病などに霊験があり、
他に商売繁盛にも霊験があるとされています。

「金精様」
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金精様信仰は、東北、関東の東日本に多く、縄文時代は
西日本よりも人口が多く、栄えていました。これと関わりが
ありそうなのが、現福島県の『会津怪談集』に出てくる話。
会津若松で、ある少女が8、9歳ほどの子どもに出会い、
「お姉さん、お金欲しい?」と聞かれて、「欲しい」と答えると、

子どもの顔には目が一つしかなく、一つ目ににらまれた少女は
そのまま気絶してしまった・・・ さてさて、ということで、
一つ目小僧は、男性器、そして金銭と深い関係がありそうなんですね。
まだ書くことがありそうですが、ひとまず、今回はこのへんで。




器物の怪談とサイコメトリー

2021.01.27 (Wed)
アーカイブ578

今回は怪談論でいきます。ここでいう器物とは、非生物的な物を指します。
具体的には、古道具や骨董、宝石や武器、古着なんかのことですね。
それらにまつわる怪談というのは、ネットでよく見かけますし、
自分もいくつか書いています。下に「骨董」という話をあげておきます。

関連記事 『骨董』

さて、器物の怪談では、大きく2つの考え方があるんじゃないかと思います。
一つは「付喪神 つくもがみ」ですね。長い年月を経た道具に神や精霊などが
宿ったもののことを言います。付喪神は「九十九神」とも書き、
その道具ができて100年がたつと、心が生まれ、霊性を持つと考えられました。

室町時代の『付喪神絵巻』は、道具は百年経つと付喪神になって
悪さを働くため、人々は「煤払い」と称して古くなった道具を路地に捨てていた。
捨てられた道具たちは、これに腹を立て、節分の夜に集まり、
人間に対して反乱を起こす、といった筋立てです。

『付喪神絵巻』


付喪神は、この頃はまだ一種の神として考えられていたのが、
江戸時代までに、だんだんに妖怪と見なされるようになって
いきました。唐傘お化け、お化け提灯などがそうですね。当ブログで
ご紹介している鳥山石燕の妖怪画も、1784年の『百器徒然袋』は

ほとんどが器物の妖怪を描いたものです。下図は「暮露暮露団 
ぼろぼろとん」という古布団の妖怪です。まあ、日本人はもともと、
長い年月を経たものには価値があると考えてきました。
数百年を生きた大木や苔むした大岩などには神が宿るとされ、

注連縄をはって祀ったりしていたわけです。ただ、道具の場合は、
古くなると汚れるし、使い勝手も悪くなります。それで買い替えて
しまうんですが、道具の側には、これだけ人間に役立ってきたのに、
無情に捨てられた、という恨みが残って妖怪化する、
ということもあるのかもしれません。



さて、もう一つ考え方は、その器物を作った人間、または代々の
所有者の念がこもっている、といったものです。例えば、
宝石や美術品などの場合は、手放すには、破産したとか、家業が傾いた
ためにお金に変えざるをえなかったなどの、不幸な理由が多いでしょう。
売りたくないのに売らなければならなかったという、

骨董の日本刀
キャプチャ

かつての持ち主の無念がまとわりついているわけです。
また、日本刀などの場合は、争いごとで使われたものもあり、
その刀で殺された被害者の念がのり移っている、
といった筋立ての怪談は、ネットを探せばたくさん出てきます。
実際に人の血を吸っているかもしれない怖さがあるんですね。

あと、人形の場合は上記の2つの考え方が混じっている場合が多いようです。
やはり、顔を持つものは擬人化して考えてしまいやすいんだと思います。
はじめはただの物であった人形に、しだいに心が生まれ、自分の意志を
持つようになる・・・この手の怪談は、外国でも珍しくはありません。



さて、前に書きましたが、最近、「サイコメトリー」という言葉を
スピリチュアル系のブログなどでよく見かけるようになりました。
これは、物に残っている「残留思念」を読み取ることです。
しかし、本当にそんなことができるもんでしょうか。

関連記事 『サイコメトリーって何?』

自分は霊感はゼロですが、今、ちょっとやってみたいと思います。
といっても、骨董品などは持ってないし・・・ああ、そうだ、古着がありますね。
自分はミリタリーファッションが好きで、よく着ています。新品で買ったのが
ほとんどですが、中には実際に兵士が着ていたのもあります。

ということで、M65というジャケットを出してみました。ネット通販で
取り寄せたもので、米陸軍で1980年代に使用された本物です。
小さな焼けこげや油染みがあります。胸ポケットの上に「Buchanan」という
タグがついていて、これを支給された兵士の名字でしょう。

実際に使われた軍服
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うーん、手にとって目をつぶっても、何も思い浮かんできません。
着て歩き回ってみてもダメですね。でも、これは自分にサイコメトラーとしての
才能がないせいかもしれず、サイコメトリーなんてない、とまでは
言えないです。ただまあ、品物をもとに推理することはできます。

ブキャナンというのは、スコットランドーアイルランド系のアメリカ人
でしょうか。ジャケットは日本のXLにあたるサイズなので、背の高い、
赤毛でソバカスのある人物かなあという気がします。
あと、年代的に実戦は経験していないでしょう。

油染みは袖口にあるので、銃器の手入れをしていたときにできた
かもしれません。焼け焦げは射撃訓練のものでしょう。ブキャナン氏は、
ずっとブートキャンプのビリー隊長みたいな上官に怒られながら、低い階級の
まま陸軍を除隊、嫌な思い出のある軍装品はすぐに古道具屋に売った(笑)。

さてさて、このように、物というのはけっこうな量の情報を含んでいるものです。
自分が上に書いたのは、あくまで推理であって、サイコメトリーではありません。
でも、無意識のうちに物の持つ情報を読み取って、頭の中で再構成している
なんてケースは、けっこうあるんじゃないでしょうかね。では、このへんで。





アーカイブ 変身譚

2021.01.26 (Tue)
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ミケランジェロ 「レダと白鳥」

今日はこのテーマでいきますが、さて、どのくらいの内容が書けますか。
というのも、なかなか現代の怪談では変身を扱ったものが
見あたらないんですね。それはそうだという気もします。実話怪談は、
「実際にあったこと」というのが前提なんですが、「気がついたら犬に
なっていた」みたいな話は、さすがに現実感がないですからねえ。

ですので、自分も変身譚はほとんど書いていません。
さて、変身といって思い浮かべるのは、やはりフランツ・カフカの
『変身』でしょう。ただしこれ、ホラーの要素は多少あるものの、
オカルトではなくて文学、不条理文学です。筋はみなさんご存知だと
思いますが、貧しいながらも家族の生活を支えて懸命に働いていた

ザムザは、ある日 目覚めると巨大なゴキブリになっていた。
これによって、それまでのザムザが、家族にとってどういう
存在だったのか、浮き彫りになる構造をしています。一家の担い手から、
いきなり厄介者になってしまったザムザ、家族はしかたなくザムザに
頼るのをやめ、それぞれ自立しようと動き出す・・・

毒虫に変身したザムザ


この手法をさらに推し進めたのが、安部公房氏の『棒』です。
子どもを連れてデパートに来ていた男は、不注意で屋上から手すりを
越えて落ち、地面に達したときには一本の棒になっていた。
そこへ死者を罰する役割を持った教授とその学生2人の
3人連れがやってきて、棒になった男の人生を論評する。

「棒のように単純であるが、誠実だった」 「棒ていどには役に立っていた」
「道具としては下等過ぎる」・・・で、3人の結論として、
「この男はまさに棒であった。こんなありふれた棒は罰する必要はない」
と、棒になった男をその場に残して去っていく。

df (2)

さて話を変えて、西洋の変身譚は、キリスト教以前と以後では大きく
違っていると思います。ギリシャ・ローマ神話や北欧神話では、神と人間、
動物の境目があまりないんですよね。例えば、神々の王であるゼウスは、
人間の女に近づくために雄牛や白鳥に姿を変えて、寝室に忍び込んだり
します。これは嫉妬深い妻の目をごまかすためもありましたが。

ここでは、神や人が動物に変身することへの禁忌がほとんど見られません。
多くの神話はアニミズムを基盤とした多神教ですので、
動物の霊も人間の霊と同じように認められていて、
ボーダーゾーンがあいまいだったんだと考えられます。

部族の出自を表すトーテム
df (5)

ところが、キリスト教では、人間と動物は厳然とした差が
あるものである、という考え方が強まりました。神は天地創造のときに、
自分の姿に似せて人間を造り、その人間に役立つものとして動物を造った。
キリスト教(ユダヤ教)はもともとが荒れ地の漁師や遊牧民の間で
発生したものなので、こういう考え方をするのは当然といえば当然です。

ですから、人間から動物に変身するということは、
その魂が一段低い段階に落ちるということになったんですね。
さて、西洋の変身譚として有名な「狼男」について見てみましょう。
狼男は、werewolf(ウェアウルフ)ですが、このwereの語源は、
古ノルド語で、犯罪者、追放者を意味するという説があります。

魔女の異端審問
df (4)

狼男はふだんは人間として生活しているものの、満月になると狼に変身して
他人を襲ったりします。人間として持っていた理性が消し飛んでしまい、
獣性(本能)に支配される。ここでは理性を高いものと見て、
獣性をさげすんでいると考えていいと思います。

Wikiに面白い話が載っているので、ちょっと長いですが引用してみます。
中世のキリスト教圏では、その権威に逆らったとして、
「狼人間」の立場に追い込まれた人々がいた。その傾向は、
魔女審判が盛んになった14世紀から17世紀にかけて拍車がかかった。

狐憑き?
df (6)

墓荒らしや大逆罪・魔術使用は教会によって重罪とされ、その容疑などで
有罪とされた者は、社会及び共同体から排除され、追放刑を受けた。
この際、受刑者は「狼」と呼ばれた。当時のカトリック教会からの
3回目の勧告に従わない者は「狼」と認定され、罰として7年から8年間、

月明かりの夜に、狼のような耳をつけて毛皮をまとい、狼のように
叫びながら、野原でさまよわなければならない掟があった。人間社会から
森の中に追いやられた彼らは、たびたび人里に現れ略奪などを働いた。
時代が下るとこれが風習化して、夜になると狼の毛皮をまとい、

df (3)

家々を訪れては小銭をせびって回るような輩が現れた・・・
神は人間を中心に世界を創ったので、動物と見なされることは
たいへんに重い罰であったわけです。この内容なんかは、
狼男の伝説が生まれた一つの要因であったと考えられます。

もう一つ、ある種の精神疾患として、獣に変身すると思い込んでしまう
症状がありました。これは日本でも、狐憑きとかが知られていますよね。
狐憑きを治すには、松脂でいぶして体を叩き、キツネを追い出すなどの
民間療法がありましたが、精神疾患に対するショック療法と
考えてもいいでしょう。



危険な方法ですが、実際にそれで治る場合も多々あったんです。
さらに、西洋では月の満ち欠けに人間の精神が支配されるという
考え方があり、それが上記の精神疾患と結びついて、満月の夜に
狼男に変身して暴れまわる、みたいな話ができていったんでしょう。

さてさて、最後に、日本の神話や民話では、ヤマトタケルが死んだとき、
魂が白鳥に変身して飛び去っていた、などはありますが、人間が動物に
変身するという話はあんまりないんです。むしろ動物が人間に変身する
話が多い。狐や狸が人間の姿になって人を化かすとか、
「鶴の恩返し」みたいなのが一つのパターンとして見られるんですよね。
このあたりは面白いなあと思います。では、このへんで。




ホームページの村の話

2021.01.26 (Tue)
あ、ども、今晩は。俺、早瀬っていって、都内のある大学の
2回生です。オカルト研究会に所属してます。入った動機は、
もともと子どもの頃から、それ系の話が大好きで。
うーん、そうですね。UFOや陰謀論も好きだけど、やっぱ
一番興味があるのは心霊です。幽霊はいるし、死後の世界も
あると思ってたんですが・・・それでね、今、オカルトブームと
言ってもいいような状況でしょ。地上波テレビであんまり
オカルトを扱わなくなったかわり、ネットは盛り上がってます。
特にyoutubeですね、怪談語りや朗読、心霊スポット凸とか、
もう怪談師なんて何人いるかわかんないです。けど、
うちの大学のオカルト研究会は入るやつが少なくて。

暗いやつが多いサークルだと思われてるんでしょうね。
ま、それは否定できないんですが・・・俺らの下の1回生は
一人だけだし、全体で女子はゼロなんです。それでというか、
3年の先輩たちが、もっと目立つ活動をしないとサークルが
消滅してしまうって言い出して。最初はyoutubeをやろうって
話になったんですが、いざやってみるとネタが続かなかったんです。
youtubeって、ほぼ毎日投稿しないと固定ファンがつかないんですね。
それで、まずはネタをちゃんと集めようってことに。それまでも
サークルのブログはあったんですが、更新もあんまり
してなかったのを、ちゃんとしたホームページにして、そこにまず
ネタをストックし、それからyoutubeに流そうって相談がまとまりました。

でね、「お前らヒマだろ」って言われて、俺ともう一人の2回生、
湊ってやつが担当にさせられたんです。まあ、俺と湊が情報工学部
ってのもあったと思います。パソコンの操作は慣れてますから。
で、ホームページ作りが始まり、サークル長のあいさつとか、
メンバー紹介とかはブログからコピペしました。それでね、
企画として、ありきたりですけど、全国の心霊スポット地図を
載せることになって。けど、その手のサイトっていっぱいあるじゃ
ないですか。実際、アクセス数はあんまり伸びなかったんです。
それで俺が、ブログの中に心霊スポットを作って、ホラーゲーム
みたいに、見にきた人が自由にそこで遊べるようにって考えました。
グラフィックなんかの打ち込みは大変でしたが、

夏休み、毎日出てきて、少しずつやっていったんです。でね、
そのホームページの中の心霊スポットは、「四石碑の村」って
名前にしたんです。廃村ですね。明治の時代に栄えてた鉱山の村が、
閉山ともに廃墟になり、ボロボロの建物がいくつも残ってる。
で、その村に鉱山事故とかの記念碑が4つあるんです。
訪問してきた人は夜の村の中を回って、その石碑を見つけていく。
ゲームじゃないんだけど、そんな感じで、4つの石碑を全部見つけたら
達成感が得られるよう考えました。で、これを作ってる最中、湊と仲が
悪くなったんです。湊はもともと、あんまり心霊とか信じてなくて。
オカルト研究会に入ったのは、自分だけでユーチューバーとかに
なろうと思ってのネタ探しだってことが、だんだんわかってきたんです。

これ、腹立ちますでしょ。心霊を信じてないくせに、それで金儲け
するつもりかって思いました。それに、湊は俺と同んなじくらいに
パソコンができるのに、面倒な仕事はみな俺に押しつけてきて。
で、ケンカみたくなって、後半のほうはずっと俺一人でやってたんです。
それでも夏休みが終わるギリギリで完成しました。新学期が始まったら
先輩たちに見てもらう。その前に、やっぱ湊に見せなきゃいかんでしょ。
サークル室のパソコンで見せたら、「うわあ、メンド。お前よく
 つくったなあ」て、ひと事みたいに言ったんで、また腹が立ちました。
でね、4つの石碑のうち、鉱山事故のやつ、昔の飢饉の犠牲者のやつ、
公園にある古墳の近くのよくわからないやつ、この3つは
それほど時間をかけずに見つかるようにして、ただ最後の一つだけは

慎重に隠して、村の中を歩き回って、謎を解かないと発見できないように
したんです。案の定、湊は見つけることができず、「どこにあるんだよ」
ってイラ立った調子で言ったんで、俺は「最後のは難しいんだよ。
 この廃村は今日中にウエブにアップするから、テストもかねて
 お前、家で探してみろよ」 「チェッ」とか言ってましたね。でね、
じつを言うと、そのときはまだ、4つめの碑はなかったんです。
場所は、村外れの神社の裏って決め、石碑自体もできてて、
あとはそこに入れるだけにしておいたんですけど。ザマミロ、湊のやつ
一晩中探し回るか、それとも早々にあきらめて寝てしまうか。
おそらく後者だとは思ってました。いちおうね、探せなくてメールや
電話が来るかもしれないんで、スマホは電源オフにしてたんです。

やっとできたんで解放感がありました。かなり根を詰めて
やりましたから。その日はビールやチューハイを買い込んで、
酔っぱらって12時過ぎに寝ました。で、夢を見たんです。
真っ暗・・・でもなく、大きな月が空に見えて、空気が青みがかって
ました。「あ、ここは?!」自分の作った廃村だと思いました。
月の光で、輪郭だけが照らされた古い家並み。ただ、このとき、
これは夢なんだって、はっきり自覚はしてなかった気がします。
もちろん廃村なので、いくら月明かりと言っても、街灯もなく、
足もとが見えなくて、何かにつっかかって転びそうでした。どうやら
村の中央をつっきる一番広い通りにいるみたいだったので。慎重に
一歩一歩進んでいきました。どこに行くってあてはなかったんですが。

どのくらい歩いたか、夢の中なので時間の感覚がつかめなかったです。
村の外れの、それ以上マップできない突きあたりまで来たとき、
「おーい、誰かいませんか、おーい」という呼び声が聞こえて
きたんです。湊の声だとすぐわかりました。やつもこの村にいるのか。
「ここにいる!」大声をあげると、ややあって「早瀬か?!」
そっからお互いに呼び合いながら、声のするほうに進んでって、
人の姿がぼんやり見えてきたんです。暗くて顔はよく見えなかったけど、
湊だと思いました。すぐそばまで行くと、湊は「お前、よく一人でこんな
 丁寧に作ったな。行っても行っても村の中だ。石碑は3つは見つけた。
 けど、最後の一つはわからんかった」こう言ったんですが、怒ってる
口調じゃなかったです。「スマン、じつはまだ、4つめは入れてないんだ」

「マジかよ!」 「ああ、けど、場所はもう決めてある。村外れまで
 きてるから案内するよ」すぐに神社の鳥居が見つかり、参道に入ると、
社殿の前にオレンジの灯りが見えました。「え、俺らの他に人がいるのか?」
でも、ロウソクは立ち並んるものの、社殿の扉は閉まってて人影はなし。
「この裏だよ」そう言って、湊とともに神社の横を通って裏に回ると、石碑
らしきものがあったんです。「ええ!?」 そのとき急に、稲妻みたくあたりが
真っ白になり、碑に彫られた文字が見えて「湊〇〇ノ墓」。そんな馬鹿な。
ここで目が覚め、気がつくと朝でした。でね、これで湊が実際に死んでた
とかならオチがつくんでしょうけど、そんなことはなく、その日、しれっと
サークルに出てきて、「4つめは見つからなかった。それで夜中
 お前に連絡したが、スマホ通じなかったぞ」って言ったんです。

それで、これだけなら、すべてが俺の夢ってことで片づくんだけど、
ほら、まだ入れてなかった4つめの碑、夢と同じように「湊〇〇ノ墓」って
なってたんです。俺が作った覚えはまったくないけど、もしかして
無意識のうちにやったんでしょうか。

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アーカイブ 旧家に住む話

2021.01.26 (Tue)
私が小学生の時分ですから、だいぶ昔のことになります。
8歳から12歳までの間、旧家に住んでいたんです。なんのためかというと、
お座敷をのぞいて、ご挨拶するお役目があったからです。
・・・こう言っても、わけがわからないでしょうね。
はじめからお話していきますが、地域や主家のことについては、
具体的な名前は伏せさせていただきます。その家は零落はしても、
まだ続いておりますから。さて、どこから話していけばいいか。
江戸時代末、ある小藩の藩主がおりました。そのお殿様は、
明治維新のときに官軍方についたため、廃藩置県後は伯爵となって、
県知事もお務めになられたんです。はい、その後も代々、県の重要な役職に
お就きになっておられたんですが、昭和に入り、

太平洋戦争の敗戦後は、農地解放ですべての小作地を手放されたんです。
ですが、そのときのご当主様は才気のあるお方で、
小売業に手を出されまして、県内のスーパー、ホームセンターの
大きなチェーンを一代でおつくりあげになったんです。
はい、政治からは手を引いておられましたが、県内の重要人物の一人で、
毎日のようにいろいろな会合に出ておられました。
そして、70歳になったとき、チェーン網の経営権をご長男にお譲りになって
引退なされたんです。ご長男はそのとき、40代のはじめくらいだったはずです。
ちょうどそのころです、私の一家がみなでご当主様のお屋敷に住むようになったのは。
私の父は、そのチェーンのホームセンターで働いておりまして、
新しいご当主様より5つほど若かったはずです。

それが、あるときご当主様からじきじきに、「今の仕事を離れて、屋敷のほうで
 秘書のようなことをやってくれないか」そんなことを言われたそうです。
父は驚きました。私の父は工業高校を出てすぐホームセンターに勤め、
木材の加工などをやっていたんです。「とても秘書などは務まりません」と
お断りしたんですが、「ただ屋敷にいてくれるだけでいい、何もしないのが嫌なら、
 近くにあるコンクリ工場の副社長をやってもらうから。
 今のホームセンターの給料の倍を出そう」とまで言われ、
引き受けることになったんです。ただ、それには条件があり、
先ほど言いましたように、一家でご当主様のお屋敷に移り住むことでした。
当時の私の家族は、父と母、子どもが8歳の私と4歳の妹でした。
今にして思えば、父とは関係なく、私をあのお屋敷に入れるためのことだったんです。

お屋敷は、県庁所在地の市から車で1時間かからない郊外にありました。
もともと、江戸時代には藩のお城があったところです。そのお城は明治維新のときに
焼けてしまい、その跡地に、大きなお屋敷が築かれたんですね。
私が入ったときには、すでに築100年を過ぎていて、
使われている木材も黒光りしておりました。2階建てで、部屋数はつごう20以上は
あったはずです。敷地には馬小屋や薪小屋などもありました。
私は・・・それまで通っていた小学校から転校することになったので、
そのお屋敷に入るのは不満がありましたが、父も母も喜んいたので、
口にすることはできませんでした。私の家族は、そのお屋敷の座敷3つを与えられました。
居間、父母の寝室、私と妹が勉強したり寝たりする部屋。
どれも見事なつくりの和室でした。あと、そうですね。

朝晩の食事は、お屋敷にたくさんいる使用人がすべて作って、
お膳で部屋に運んできたんです。父はばりっとした背広を着て、近くの、
やはりご当主様の持ち物であるコンクリ工場に通いました。私は、地元の小学校に
黒塗りの外車で送り迎えされていました。はい、いじめられたということはなかったです。
お屋敷から通ってきているということで、校長はじめ先生方の接し方が
他の子たちとは違っていました。私が、ご当主様とお会いしたのは、数えるほどしか
ありません。最初、お屋敷に入ったとき、ご当主様にのところに連れて行かれて
お辞儀をしました。ご当主様は、顔を上げた私の近くまで寄ってきて、
「ああ、この子か、新しくご挨拶をするのは。よろしく頼むぞ。
 吉を運んできてくれ」そうおっしゃって、私の頭をなでられたんです。
はい、お屋敷で、私には一つのお役目がありました。

難しいことではありません。毎日、夜の9時に2階のもっとも奥のお座敷に、
御酒を届けにいくんです。たくさんの部屋数があったために、2階のほとんどは
使われていませんでした。ただ、廊下の電気はついてました。
私は一人だけで、徳利2本を乗せたお盆をささげ、
階段を上って長い長い廊下を通り、つきあたりの奥の座敷の襖の前まで行きます。
そこで正座してお盆を置き、「御酒をお持ちしました。失礼いたします」
そう言ってから、襖を開けるんです。毎日のことでしたが、
この襖を開けるときは怖かったですよ。もちろん、お座敷には誰もおりません。
それからお座敷の電気をつけます。すると床の間に、兜から鎧の一組が武者人形のように
飾られてあったんです。これが怖くて怖くて、慣れるということはなかったです。
なんでもこの鎧は、ご当主様の遠い先祖が使ったものということでした。

私は、お盆を持って鎧武者の前まで行き、座って礼をし、「お下げいたします」
と言って、前夜の徳利を回収します。中のお酒が減っているということは
なかったと思います。それから、「どうぞお上がりください」と、
新しい徳利をお供えするんです。そうですね、時間にすれば15分もかからなかったと
思います。なぜこんなことをするのかわからず、お屋敷の使用人たちに聞いても、
誰も答えてくれませんでした。それと父母も、私が尋ねても、
「そうするようにご当主様から言われた。難しいことじゃないから、
 しっかりやっておくれ」といった調子だったんです。
たしかに、たいへんな仕事ということはありません。ですが、毎日でしたから、
私は小学校の泊りがけの旅行には行くことができなかったんです。
それで、私のこのお勤めのうちで、異変があったのは2回だけでした。

最初は、私がお屋敷に住むようになって2年目、9歳のときでした。
いつものように襖の前まで来たとき、中から何か賑やかな音が聞こえてきたんです。
私が「失礼します」と言うと、中から「お~お、入れ」と間のびした声が聞こえ、
開けると、驚いたことに、中には10人以上の人がいたんです。
御膳を前にして宴会をやっていました。それで、中にいる人はみな、
着物を着てお面をつけてたんです。学がないもので、何のお面かはわかりませんが、
どれも少しずつ異なった笑い顔の面。集まっている人はみな酔っているようで、
立って手踊りをしたり、三味線を弾いている人もいたんです。
はい、鎧はそのまま床の間にありました。そして、宴をしている一人が、
「お、御酒がきたか」と私からお盆を受け取り、「あとはいいから、お下がり」
と言ったので、そのまま下に戻ってきたんです。

私は途中から小走りになり、使用人の長の人に見たことを報告しました。
その人は番頭さん、と呼ばれていたんですが、私が、宴が開かれていたことを言うと、
「おお、それはよく見てきた。きっとお家に吉事があるぞ」そうおっしゃったんです。
私にはどういう意味かわかりませんでした。それで・・・
それから1ヶ月ほど後、ご当主様に男の子が生まれたんです。
はい、子どもはおられたんですが、女の子が2人でしたので、その子が跡継ぎという
ことになります。そのお祝いの席には両親と私も呼ばれ、ご当主様は
じきじきに私の前まで来て、「でかした。また、良いことを見てきておくれな」と、
ジュースをついでくださったんです。宴会を見た翌日からも、
もちろん御酒を上げにお座敷へは参りましたが、しんと静まり返った
いつもの座敷でした。ただ、お下げした前日の徳利は2本とも空になっていました。

・・・2度目は、私が12歳、小学6年生の秋のことでした。
襖の前で「失礼します」と言ったとき、中から「うあああああああっ」という、
男の人の叫び声が聞こえたんです。どきっとして飛び上がりましたが、
そこでやめるわけにいかず襖を開けました。すると・・・
廊下からの光で、鎧がひっくり返っているのがわかりました。
それと、畳の上が黒く濡れていることも。怖かったんですが、御酒を上げることだけは
しなくてはと思って中に入って電気をつけました。すると、畳の上の黒いものが
真っ赤に変わりました。血だと思いました。私は悲鳴を上げ、
走ってお座敷を逃げ出したんです。逃げるときに、つまずいてお盆を御酒ごと
ひっくり返してしまいました。その私の背中に、「死ぬるぞおおおお」という、
野太い声が聞こえてきたんです。走って走って、転がるように階段を降りると、

「どうした、何を見た!」異変を察したのか、下で番頭さんが待っていました。
私が、見たもののことを言うと、番頭さんは、「何だと!!!」と声を荒げたんです。
それから・・・ひと月たたないうちに、ご当主様が亡くなられました。
妾宅に行っていたところを、そのお妾さんから包丁で刺されたんです。
子どもの私には、当時はそういうことはわかりませんでした。ご当主様が亡くなって、
私が御酒を運ぶお役目はなくなりました。その後少しして、
私の家族はお屋敷を出ることになり、父は、チェーンのホームセンターの一つに
店長として戻ったんです。ですが、スーパーもホームセンターも、
すべての事業の経営がおもわしくなくなり、いくつもの店舗が閉鎖され、
ご当主様の身上はつぶれてしまったんです。父は転職を余儀なくされ、
その後、大変に苦労しました。あの、私が宴を見た後に生まれた男の子が、

今はご当主を務められているようですが、
事業は縮小して、すっかり昔の面影はありません。
お屋敷もとうに人手に渡り、解体されて、今は地域の温泉施設になっているようです。
私が4年間、毎日御酒を上げに行ったお座敷はもうないんです。
・・・あのお座敷がどういうものだったのかは、今もってわかりません。
番頭さんをはじめ、当時の使用人のほとんどは鬼籍に入っているでしょう。
ですが、事情をご存知の方は、まだどこかにおられると思います。
あとは、あの鎧兜ですが、お屋敷が解体されるときに、
さまざまなお宝とともに競売に出されたようで、
私はあれから1度も見たことはありません。まあ、こんな話なんですけど、
あのお座敷はいったい何だったんでしょう。不思議と言うしかありません。






コーヒーカップの夢の話

2021.01.26 (Tue)
アーカイブ575

これは、現在イラストレーターとして活躍されているUさんという独身の
女性の方からお聞きしたものです。Uさんは九州の某県の高校を卒業された後、
大阪の美術専門学校に入学されました。親から学費はほとんど出して
もらえなかったので、はじめのうちはバイトバイトで、
なんとか生活費と学費を捻出していました。その頃、たて続けに
同じ奇妙な夢を見たそうなんですね。どんな内容かというと、
Uさん一人だけで薄暗い遊園地の中に立っている。時計を持ってないので
時間はわからなかったが、なんとなく、夕方ではなく夜明け前のような気がした。
そんな時間ですから遊園地には誰もおらず、そもそも、
そこは廃墟化していたんだそうです。すべての乗り物は止まっていて、
金属部分にはあちこち赤錆が浮き出し、それが雨に流されて血のようにも見え、

たいへん不気味だったということです。遊園地内の道路はすっかり
雑草に侵食されていました。Uさんはどうしたらいいのか困ってしまって、
とにかく観覧車のほうへと歩き出したとき、頭の中に声が響いたそうです。
声というより、意味といったほうがいいのかもしれません。
「この遊園地の中には、あなたにとって大切なものが落ちている。
 ひろい出して清めれば、まだ救うことができる」こんな内容だったそうです。
まずますわけがわからなくなったUさんは、観覧車の下まで来たものの、
やはり人はおらず、管理棟のドアにも鍵がかかっていました。
それから、夢の中とはいえ かなりの時間、あちこちをさまよい歩きましたが、
「大切なもの」が何なのかわからず、途方に暮れたということです。
やがて、入口近くのコーヒーカップ遊具のところに来ました。

そのとき、ボコボコと泡立つような音が聞こえ、何だろうと思い、
低い柵を乗りこえて入っていくと、いちばん手前のコーヒーカップの中に
赤黒い水が溜まっていて、底から泡がわき出していました。
気持ちが悪い、と思ったとき、中から真珠色・・・薄暗い光でも
七色に輝く丸いものが浮き上ってきたんだそうです。大きさはソフトボール大。
あ、と思いました。これが大切なものなんだろうか? でも、
この水に手を入れて拾い上げるのは・・・そう考えて逡巡したとき、
唐突に夢は終わり、びっしょりパジャマに汗をかいて目が覚めました。
その夢は3回ほど見たんですが、どのときもコーヒーカップの中のものを
拾うことはできなかったんですね。それから、専門学校の2年になって、
Uさんに彼氏ができました。背が高く、たいへんに絵の上手な人だったそうです。

ただ、彼氏は生まれつき心臓が悪く、子どものころから今も、
運動を禁じられていました。ですが、ひじょうに快活で人柄もよく、
Uさんは、自分にはもったいないような人だと思っていたそうです。
デートを重ね、秋口にはレンタカーを借りて、彼氏の出身地の近くにある遊園地に
いきました。その後、彼氏の実家で両親に紹介してもらう予定だったそうです。
で、その遊園地なんですが、Uさんが夢で見たのと同じ場所に思えたんですね。
もちろん廃墟ではなく、きれいに整備され、どの乗り物も動いていました。
Uさんは不思議に思ったものの、夢との関係はわからなかったんです。
彼氏は心臓のため、ジェットコースターなどには乗れませんでしたが、
アトラクションに入ったりして2人とも楽しんでいました。
それで、もうそろそろ出ようという最後に、コーヒーカップに乗ったんです。

はい、それも夢で見たのと色や模様が同じに思えました。
そのとき、何か嫌な予感がしたんですね。コーヒーカップがUさんらを乗せて
ゆっくりと動き、柵に近づいて止まろうとしたとき、彼氏が突然、
体をふたつに折って嘔吐しました。心臓の発作が起きたんです。
Uさんはあわてて係員を呼び、彼氏は医務室に運び込まれましたが、
ひどい苦しみようで救急車が呼ばれたんです。でも、病院に着く前に
亡くなってしまいました・・・ここからはUさんの話された内容です。
「あの夢、彼が亡くなるっていう予知夢だったんでしょうか。もし私が、
 夢の中であの輝く玉を拾い上げたら、彼はたすかったんでしょうか?」
そう聞かれて、自分はあいまいに首を振るしかできませんでした。
Uさんは続けて、「あれから行ってないんですが、3年前、

 その遊園地は閉園になったみたいです。ニュースで見ました。
 まだ、取り壊されずに残ってて廃墟化し、地元の若い人の
 肝試しスポットみたいになってるらしいです。ええ、私が夢で行ったのも
 廃墟でしたから、もしかしたら私が見ていたのは、
 彼が亡くなったずっと先の未来なのかもしれないんですね。
 じゃあ、あの、彼が発作を起こしたコーヒーカップ、
 あの中に何かがあるんでしょうか。あの輝く玉、今もというか、
 今だから、あれが実際にあるような気がしてならないんです。
 それ、拾い上げたらどうなるんでしょうか。こう言うと失礼ですが、
 bigbossmanさん、いつもお仕事ヒマですよね。できたら、
 私といっしょに行ってもらえませんか。どうしても確かめてみたいんです」

キャプチャ




アーカイブ 青い花の話

2021.01.26 (Tue)
昔々の話だよ。それでもいいかい。俺が17のときだから、もう40年近く昔。
俺は当時、塗装工の見習いで地元の暴走族に入っててね。
有職少年だったわけ。で、バイクで事故を起こした。いや、仲間と
つるんでてのことじゃなく、単独。ダムへ続く峠道を一人で走ってて、
カーブを曲がりきれずに、ガードレールを飛び越えて崖下へ転落。
幸いなというか、それ以降の記憶がないんだ。怪我は頭蓋骨と腰椎、
手首の骨折。全身打撲に強度の脳震盪。これが一番厄介でね。
開頭手術はしないで済んだが、砂袋で固定されて1ヶ月まるまる
動けなかった。だからね、腰椎の骨折の処置も後回しになったんだよ。
キツかったねえ。8カ月入院してリハビリが半年。
仕事に復帰するまで1年以上かかったんだ。

意識がなかったのは5日間。医者が母親に、「明日意識が戻るか、
 1か月後か、あるいは最悪の場合ずっとこのまま」とか言いやがって、
植物人間も覚悟したって。だからね、5日ってのはラッキーだったと思うよ。
障害もほとんど残らなかったし。うん、雨の日に腰が少し痛むくらいだ。
でね、その5日間眠ってる間に、臨死体験をしたんだ。
いやね、それまではそんなこと信じちゃいなかったんだが、今でも
あのときのことはありありと思い出せるよ。これがきっかけになって、
いろいろと調べたんだよ。したら、世界中で似たような体験が
あるじゃねえか。死んだら終わりじゃないんだな。次の世界が待ってる。
ああ、すまんな話が脇道にそれて。うん、広い野原ってか、
湿原だな。尾瀬みたいなとこに俺は一人で立ってたんだよ。

足元はきれいな水でね、そっからたくさん植物が生えてた。でもそれは、
この世にある水芭蕉とかとは違ってて、見たことないようなのばっかだった。
いや、植物は植物で、そんなに極端に違うわけじゃないが、図鑑には
載ってないやつってこと。で、そこを静かに歩いてると、やがて目の前に
大きな川が見えてきた。土手とかはないんだ。湿原と同じ高さの川だったが、
幅が数百mあった。ここでよ、人の話だと、死んだジイサン、バアサンが
向こう岸で手を振ってたってなるパターンが多いようだが、そうじゃなかったな。
誰も人の姿は見えなかった。これは俺の家が核家族で、年寄りと暮らしたって
経験がないからかもしれん。ま、今から考えたらの話だけどな。かすみが
かかったような向こう岸を見てると、川を渡りたいって気持ちになってきた。
だけど幅数百mだからな。俺は泳ぎがあんま得意なほうじゃなかったんだよ。

川の岸に近いとこはきれいな薄緑色だが、中央に近づくにつれて
海みたいな深い紺に変わって、相当な深さがある感じがした。
躊躇したんだよ、溺れるかもしれないって。でもなあ、これ死後の世界だろ。
いっぺん死んでるのにまた溺れ死ぬなんてことがあるんだろうか。それで、
イライラとも違うなあ・・・なんというか、やるせないような気分になってきた。
で、近くに生えてた丈の高い花をむしったんだよ。コスモスほどの大きさの青い花。
その途端、背筋にびびっと電気が走った感じがして、目が覚めたんだよ。
集中治療室でな。口にいろいろ管が入ってて声が出せなかったんで、
手を動かしたら看護婦が寄ってきて・・・ そっから1ヶ月はピクリとも動かず、
脳の腫れが治まるのを待ったんだ。下の世話とか全部母親にやってもらって、
これはずっと頭が上がらなかったよ。意識はとぎれとぎれだったなあ。

鎮静剤を点滴されてたんじゃないかな。切れ切れの夢の中で青い花が
出てきたんだ。地面から生えてるんじゃなく、俺がちぎった花に数cmの
茎がついた状態で、目の前でくるくる、くるくると回ってた。・・・話を少し
端折らせてもらうが、車イスと伝わり歩きで、自力でトイレに行けるように
なったのは3ヶ月後だ。このときは嬉しかった。涙が出たよ。脳のほうは
なんとかよくなって、脳外科から整形の一般病棟に移ったんだ。したら翌日、
朝、目が覚めたときに、ベッドの横のテーブルに青い花が載ってたんだよ。
臨死体験、その後に見た夢に出てきたのと寸分違わなかった。花びらは
6枚で、花は上向きじゃなく、茎に対して直角・・・扇風機みたいになってた。
花びらの一枚一枚がねじれてて、ちょうど風車の羽のような形。
しおれかけ生気がなかったから、プリンのカップに水を入れて挿してたんだ。

でよ、これはこの花と関係があるかどうかわからないが、そのあたりから、
まわりの入院患者がぽつぽつ亡くなり始めたんだよ。整形だから、
命にかかわる患者なんて多くないんだ。それが、科全体で週に1人か2人、
どっかの病室で亡くなる。普通じゃねえよな。だって足骨折の20代の人まで
死んだんだぜ。その人はケガとはまず関係ないと思われる心筋梗塞だった。
看護師たちも患者の前では言わなかったが、ナースステーション前を
通ったとき、「異常だ、ありえない」ってベテランが言ってるのを耳にしたりした。
で、カップに入れてた青い花が、ろくに水換えもしないのに生き生きして
きたんだ。・・・話は変わるが、この事故のことで母親の涙を何度も見たし、
雇い先にも迷惑をかけた。だから暴走族を抜けようって思ったんだ。面会謝絶が
とれてから、リーダーをはじめ、仲間が次々と見舞いに来てくれてた。

そんときには強がりを言ったし、事故前と変わらないように接してたんだが、
だんだん決心が固まっていった。それで、久々にリーダーが仲間連れてきたときに、
思い切って口に出してみた。したら、要件がわかった途端、顔色が変わって。
当時の族は後輩が殴られるのは普通だったし、二十前に抜ける場合は
手ひどいリンチをされた。俺はこんなケガだからって甘く考えてたんだが、
そうじゃなかったんだ。不機嫌になったリーダーが、青い花の入ったカップを
とって俺に水をぶっかけた。「抜けるんだったら、その体でも掟どおりに
 させてもらうからな」って。リーダーたちが帰ってから、床に落ちただろう
青い花を探したが、どこにもなかったんだよ。その夜のことだ。ほら病院って
消灯が早いだろ。その頃にはだいぶ体も治ってきて、夜はあんまり
寝つけなくなってた。だから、イヤホンでラジオの深夜放送を聞いてたんだ。

時間は1時を回ってたのは間違いないけど、ラジオを消してうとうと
し始めたとき、ベッドの横に何かの気配がしたんだ。看護師の巡回か
と思ったが、ついさっまでラジオ聞いてたはずなのに体が動かない。
金縛りとは違うな。意識ははっきりしてた。とにかく、そっち側が異常に
寒いんだよ。冷気が伝わってきたんだ。それと胸が締めつけられる
ような気分。ぜんぶそれが発散してるもんだと思った。
その状態が何分続いたのかなあ。はっと悟ったんだよ。ベッドの横に
いるのは「死」だって。その途端、俺の頭の中に意味が伝わってきた。
意味だけだよ、だからどういう声だったとかはないんだ。「あの花は
 十分に養分を吸った。向こうの世界に戻りたがっている。
 もう一つ命を取ったら持って帰る」こんな内容だった。

それを聞くと、引き込まれるように意識が薄れてきた。俺はこれで
もう一度死ぬんだと思った。朝になっても目が覚めないんだろうってな。
だから、翌日検温の看護師に起こされたときにはね、窓から
差し込む光も、俺より数歳年上と思えるその看護師の頬の色も、
何もかもが美しくってね。ああ、まだ生きた世界にいるって実感が
あったんだよ。その日の午後、族の仲間がドヤドヤ入ってきてね。
リーダーが死んだって。パトカーに追われたのを、
振り切ろうとして入った交差点でトラックと激突して。これから
追悼の集会をして、それから跡目を決めるってみな興奮して、
悲しんでるやつはいなかった。俺は、こんな殺伐とした世界の
どこにあこがれてたんだろうと思って・・・まあね、こんな話なんだよ。






払子守と禅

2021.01.26 (Tue)


今回はこういうお題でいきます。妖怪談義ですね。
さて、「払子守 ほっすもり」とは、仏具の一つである
払子が時を経て付喪神化し、妖怪と見られるようになった
ものです。1784年の『百器徒然袋』に登場します。

この画集は、題名でわかるおり器物の妖怪である付喪神
だけを集めたものです。払子は、もともとはインドで
蚊や蝿などを追い払うために使われた道具です。
仏教では殺生を禁じており、虫であっても打ち殺す
ことはできません。そこで仏教に取り入れられ、

『百鬼夜行絵巻』
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煩悩を払うための道具として、僧が威儀を示すときに
使用されました。ここまでが基礎知識ですね。で、払子は
かなり早くから日本に伝わっており、室町時代の
『百鬼夜行絵巻』で、すでに払子の妖怪が出てきています。
石燕がこの絵を参考にしたのは間違いないでしょう。

ここで余談を少し。『封神演義』は、中国明代に書かれた
通俗怪異小説で、日本では小説家の安能務氏が意訳しています。
マンガにもなってますね。その中で、物語の進行役、
トリックスター的な役割を果たす申公豹(しん こうひょう)

申公豹


という人物がいますが、彼が持っているのが払子型の宝貝
(仙人が作った武器)「雷公鞭」で、これを振ると
雷が発生し、相手を打ち倒します。マンガではピエロのような
姿で描かれていますが、まさにそういう人物なんですね。

さて、石燕の絵を見てみましょう。寺院の蓮華座の上、
天蓋の下に、衣一枚だけで、髪もひげも白くなって
ぼうぼうに伸びた人物が座っています。両手は隠れて
見えませんが、これには意味があり、後述します。詞書は、

キャプチャ

「趙州無の則に 狗子(くし)にさへ仏性(ぶっしょう)ありけり 
まして伝灯をかかぐる坐禅の床に、九年が間うちふつたる
払子の精は、結加趺坐(けっかふざ)の相をもあらはすべしと、
夢のうちにおもひぬ」短いですが、重要な仏教用語が
いくつも入っていて、しかも禅宗の話のようです。

「狗子仏性」は、有名な臨済宗の禅の考案で、以前記事に
書いてますが、ある僧が、趙州禅師に「狗子(犬の子)に仏性は
有るやまた無しや」と問答をしかけます。仏性は仏になるための
素質という意味で、仏教では「一切衆生悉有仏性」との教えがあり、
これは、すべてのものには仏性があるという意味です。

狗子仏性
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問答を仕掛けた僧は、このことを踏まえて、趙州禅師が
有と答えても無と答えても やり込めてやろうと、あらかじめ
考えていたんですが、ところが趙州禅師の答えはただ一言「無」。
この話の解釈として、趙州禅師の「無」は「有」の反対語

としての無ではなく、東洋哲学的な絶対無、つまり「空」であると
言われることが多いです。絶対無を出されてしまっては
どうしようもなく、僧は すごすごと退散せざるをえなかった・・・
この話は大変難しいので、これ以上深入りはしません。

達磨大師
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さて、詞書に戻って、「お寺で9年間もありがたいお経を聞いていた
払子は、命を持って妖怪化したのだろう」と出てきます。
こういう話はよく民話にありますよね。石燕は、同タイプの妖怪
として「木魚達磨」というのも描いてますが。やはりお寺の中で
生気を得た木魚が妖怪化したものです。

器物だけではなく、お寺の裏山に住んでいた狐や狸が、ときどき
庭に来て、隠れてお経を聞いていたが、その功徳により
人間に化けることができるようになったり、成仏したりという
話が残ってますね。あとはそうですね、9年間というのは
禅宗の開祖とされるインド人僧、ボーディダルマ(達磨大師)の

「木魚達磨」


エピソードからでしょう。達磨大師は中国に渡り、嵩山少林寺に
おいて壁に向かって9年間、まったく動かずに坐禅を続け、
その過程で手足がなくなってしまったという伝説が残っています。
でもこれ、何も食べない、トイレに行かないというのは無理でしょう。
この達磨大師にあやかって、日本の縁起物のダルマができました。

詞書には「結加趺坐(けっかふざ)の相」とも出てきますが、
もともとインドのヨーガで行われていた瞑想時の座り方です。
正式には、両方の足を自分の太ももの上に乗せます。仏教における
最も尊い坐り方で、足がしびれそうですが、慣れるとそうでもなく、
むしろ普通のあぐらよりも楽だとも言われます。

結加趺坐
キャプチャasqqq

さてさて、ということで払子守について見てきましたが。
詞書があり、特に謎かけのような部分はなくて、解釈は楽でした。
全体的に、器物の妖怪、付喪神については、石燕も独自解釈を
加えず、素直に書いているものが多いようです。
では、今回はこのへんで。





団子のオカルト

2021.01.25 (Mon)
c (2)

今回はこういうお題でいきますが、これを見てみなさんは
どう思われたでしょうか。団子にオカルトなんてあるのか、
そう考えられた方が多いんじゃないかな。ですが、当ブログで
書いているように、オカルト、迷信、呪いのたぐいは
何にでもあるんですよね。

さて、団子をWikiで見てみると、「穀物の粉を水や湯を加えて
丸め、蒸したりゆでたりしたもの」と出てきます。
必ずしも米の団子だけではなく、桃太郎の話で有名な
黍(吉備)団子、粟団子、稗団子などもありました。
要はデンプン質が含まれていればいいわけです。

c (6)

さて、団子といえばまず月見団子です。お月見をするのは
基本的には旧暦の8月15夜で、中秋の名月と言いますよね。
お月見は中国から伝わってきた風習で、古くからありましたが、
団子をお供えして食べるのは江戸中期ころからと、
そう長い歴史があるわけではないようです。

中国ではお月見には月餅を供えてましたが、それが日本では
団子に変わった。こういう川柳があります。
「大家から 鉄砲玉が 十五くる」意味がわかりますでしょうか。
長屋の大家は住人から家賃を取るかわり、盆正月、
お月見などには餅や団子を配りました。

妖怪「団子婆」
c (7)

それが、お金がなかったので、当時の丸い鉄砲玉のように
小さい月見団子を15個配ったという意味だと思われます。
江戸川柳はすごく解釈が難しいものが多く、この句も、
これだけ見れば まるで意味不明ですよね。

さて、団子に関係する妖怪の話を3つ。江戸の随筆に「団子婆」
という話が出てきます。番町(現千代田区)にあったある旗本の
屋敷では、絶対に団子を作ってはいけないという家訓があり、
団子を作っていると、使用人の中に見知らぬ婆さんが
混じっていて、ずっと団子をこね続けている。

c (3)

江戸時代は8月15夜の他に、9月13夜にも団子を作って
ましたが、そのときにもこの婆さんはどこからともなく現れる。
不審に思って手を引っ張ると、どこまでも伸びる。ただこれだけの
ことで、別に危害などを加えるわけではないんですが、あまりに
不気味なので、旗本家では団子作りそのものを止めてしまった。

「箕(み)借り婆」というのもあります。旧暦12月8日、
家にやってくるという一つ目の婆さんで、箕を借りていく。箕には
たくさんの目(編目)があるので、自分の目のかわりにするのかも
しれません。これだけなら怖くないんですが、箕がその家に
なければ、人間の目を取っていくとも言われます。

右側が「箕借り婆」
c (5)

この婆さん妖怪は強欲で、箕以外にも何でも欲しがり、地面に落ちた    
米まで拾うと言われ、この婆さんを避けるには、「ツヂョー団子」
というものを作って、串に3個刺して戸口に出しておく。
ツヂョー団子は、脱穀時に地に落ちた米を用いた土穂団子のこと
でしょう。このあたりは都市伝説と言っていいようなものです。

3つ目は「生(なま)団子」。長野県埴科郡、更級郡(現・長野市)
などに見られる特殊な風習で、妖怪とは少し違うかもしれません。
生団子様を祀る家では、生団子仏(なまだんごぼとけ)という
仏像を本尊としており、仏像は片足が素足、片方の草履を手に
持っているという奇妙な姿。

「生団子」
c (4)

この家筋との縁組は忌まれるということです。また、この生団子仏に
供えるために団子をゆでると、その名のとおり一つだけ生のままの
ものが必ずあるともいわれ、彼岸や月見に団子を作っても、3つは
必ず生のままになるともされます。うーん、よくわからないですが、
何か差別に関係がありそうな話ですね。

さて、残り字数も少なくなってきました。吉備の国で黍(きび)を
材料に作った雑穀団子です。民話の桃太郎は、この黍団子を
与えて、犬、猿、雉をお供にしました。以前記事に書きましたが、
桃太郎のモデルは古代の皇族、吉備津彦とされ、

c (1)

その姉が倭迹迹日百襲姫。倭迹迹日百襲姫は一部で邪馬台国の
弥呼ではないかとも言われる女性です。あと、上田秋成の読本
『雨月物語』中の「吉備津の釜」の舞台となった吉備津神社でも
土産物として売られていたようです。

さてさて、最後に近代の作品。宮沢賢治の童話「狼森と笊森、盗森」
は、粟餅(粟団子)を中心に話が展開していきます。貧しい
入植者たちの子どもがいなくなり、みなで探しに行くと、狼森の中で
狼たちに焼き栗でもてなされていた。そこで村人はお礼として
森に粟餅を供えた。翌年、村中の農具がすべて消えてしまい、

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また探しにいくと、笊森の大木の根もとに巨大な笊が見つかり、
開けてみると、消えた農具とともに異様な風体の山男が「ばあ」と
出てきた。山男は自分で粟餅を作ってみたかったんですね。
そこで村人は笊森にも粟餅を供えるようになった。さらに翌年、
秋になって収穫物が全部消えてしまいます。

これを盗ったのは盗森の主である山男。結局、岩手山のとりなしで、
収穫物は戻り、村人は3つの森にお供えをするようになった。
こんなお話でした。ということで、けっこう書くことが
ありましたね。では、今回はこのへんで。




アーカイブ 耳のオカルト

2021.01.25 (Mon)
rgr (3)

今回はこういうお題でいきます。耳なんかで記事が1本書けるのか、
自分もかなり疑問がありますが、どうなることでしょうか。
前に、「音のオカルト」という項を書いてますので、
それとかぶらない内容にしようとは思うんですが、これもどうだか。

うーん、耳ね。「耳から白い糸」という都市伝説がありますよね。
ピアスの穴を自分で耳たぶに開けようとしたところ、
中から白い糸が出てきたので、引っぱって切ったら、急に周囲が
真っ暗になり、そのときにはすでに失明してしまっていた。

rgr (5)

・・・さすがにありえない話でしょう。そもそも耳に視神経は
通ってないですし、視神経は一般的な糸よりもずっと太いんです。
あと、血糖値測定のために耳たぶから少量採血したりしますよね。
もし耳たぶにそんな危険があるなら、
ああいう医療行為は行われないはずですよねえ。

余談ですが、自分は10年ほど前に仕事で「霊術」の治療家を取材
したことがあります。その人は資格を持った鍼灸師とは違って、
先が曲がったフニャフニャの針を使うんです。あまりに細いので、
刺されてもほとんど痛みを感じず、体内に入っていきます。

治療の様子を見せてもらったんですが、その針を患者の首筋に
ちくりと当て、くいっと手首を返すと、透明に近い釣糸のようなのが
針に絡まって引っぱり出されてきました。
治療家は、「これが肩の凝りのもとになってる古い神経線維です。
切ってやれば楽になります」と言って、プチッと切ったんです。

rgr (4)

これは不思議でしたね。でも、そんなことがあるはずはない。
事務所に戻って考えてみたら、トリックはわかったような気がします。
針に一種の接着剤をあらかじめ少量つけておいて、
肩に刺して引くと、接着剤が糸を引くんだろうと思いました。
まあ、証拠があるわけではないですけど。

さて、耳のオカルトというと他にどんなものがあるでしょうか。
「福耳」というのがあるかな。耳たぶの肉が厚く、
下に垂れ下がっている場合にそう言われることが多いですね。
金運に恵まれ福運があるとされています。
大黒様、恵比寿様はどちらも福耳の相をしています。

福耳 布袋様でしょうか?
rgr (2)

これはもともと、仏教のお釈迦様の姿からきてるんだろうと思います。
「釈迦三十二相 八十種好」と言って、普通の人とは異なる32の
大きな体の特徴があり、さらに80の部分に違いがある。
福耳はその一つです。これも余談ですが、お釈迦様の頭の天辺が
盛り上がってるのは髪型ではなく、あの中に肉が詰まってるんです。

これを肉髻(にくけい)と言いますし、尊勝仏頂とも言います。
なぜ盛り上がってるかというと、その霊験で、あらゆる罪業、
障害などを粉砕する力を持っているからとされます。
この肉髻をほめたたえたお経が「尊勝陀羅尼経」。これを唱える
ことで百鬼夜行から逃れられた話が、『今昔物語』に出ています。

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さて、アフリカのある部族では、耳には勇気や叡智が宿っているとされ、
幼い頃に穴を開け、そこに木の輪っかなどをはめ込んで
どんどん大きくしていく風習があります。
みなさんも写真をご覧になったことがあるんじゃないでしょうか。

また、別の部族では下唇に穴を開けて大きくしたり、
体中に盛り上がった火傷の痕をつくったりもします。
まあ、呪術的な意味合いもあるのかもしれませんが、美の基準は、
時と場所によって代わってくるという好例ですね。

アフリカ人女性
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さて、耳のオカルト、ここからは嫌な話になります。
耳の穴からゴキブリその他の虫が入っていったという事例は、
アメリカ、中国、インド、世界中にあります。まあ、生き物のほとんど
いない極寒の地なら大丈夫かもしれませんが。耳に虫が入った場合、
光をあてるとそれに向かって出てくるといった説もあるものの、

走光性のある虫ばかりではないし、効果は薄いそうです。
また、水や油を入れるのも危険。もし虫が中で死に腐敗した場合、
感染症を起こして命にかかわる可能性もあります。すぐ専門医に行くのが
一番いいでしょう。でもこれ、寝てる間に入ってくるのは防ぎようが
ないですよね。このためだけに耳栓をして寝るのもちょっと。

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さてさて、ということで、雑多な話題をご紹介してきましたが、最後に
少し学術的な話を。耳垢には湿性と乾性があるのはご存知でしょうか。
これはメンデル遺伝をするため、はっきりと出ます。湿った耳垢は顕性、
乾いた耳垢は潜性。日本人全体では、湿性耳垢の割合は少数、
乾性耳垢が多数となっています。

湿った耳垢の人は体質的に体臭が強い傾向にあり、これは生理学的に
間違いはありません。日本人では湿性耳垢の人は約16%。
ちなみに白人の90%が湿性、黒人はほぼ100%湿性。
長崎大学の研究では、耳垢が湿性か乾性かは
遺伝子一ヶ所だけの違いなんだそうです。

で、北海道や沖縄に湿性耳垢の人が多いのは、日本にはもともと
湿性耳垢の縄文人が居住しており、やがて九州から本州に
乾性耳垢の弥生人が流入し、それが北海道などには及ばなかったために
残っていると説明されることが多いですね。でも、そんな単純なものでも
ないだろうと自分は思います。では、今回はこのへんで。

関連記事 『音のオカルト』  『目のオカルト』

rgr (1)




夢の古書店の話

2021.01.24 (Sun)
今晩は、村野ともうします、どうぞよろしくお願いします。まずは、
簡単に自己紹介をさせていただきます。私、仕事は、ある原材料
メーカーに勤めてます。社名は言わなくてもいいですよね。
けっこう大きなところで、みなさんもご存知のはずです。
それで去年の4月、私、総務課の課長補佐に昇進したんです。
いやまあ、まだまだ年功序列が残ってる会社ですので、私がとりわけ
有能というわけではありません。で、中間管理職という立場に
なってみると、社内の派閥から誘われるようになりました。
はい、そんな表立っていがみ合ってるわけじゃないんですけど、
副社長のBと、専務Cの派閥があって、どちらも次期社長の座を
ねらってるんです。現社長は70歳近くなり、そろそろ引退ですから。

これは困りますよね。私は争いごとが苦手で、正直どっちの派にも
加わりたくはなかったんですが、どうもそうはいかないみたいで。
慎重に考えざるをえません。私は結婚が遅れまして、
子どもは2人ともまだ小学生。家のローンも20年近く残ってます。
もしね、どちらかの派閥に入って、その人が社長にならなかった場合、
派閥の面々は粛清されるかもしれません。もちろん解雇には
できないでしょうが、閑職に追いやられたり、さまざまな不利益を
受けるはずです。でね、1ヶ月ほどの間、態度をはっきりさせず
あいまいにしてたんです。でも、とうとう専務Cから料亭に
誘われてしまい・・・ 派閥に入るにしても断るにしても、
いずれかに態度を明らかにしなくてはならなくなったんです。

それと、課長補佐の前は係長で、それほど業務に違いはないと
思ってたんですが、やはりここが人事の分岐点で、上司と部下の間で
板ばさみになることが すごく多くなったんです。毎日へとへとになって
帰宅しました。通勤も1時間以上かかるので、家につけば11時過ぎ、
子どもたちは寝ています。疲れ切ってるので、普段は目が覚めると
朝になってるという感じなんですが、その夜、変な夢を見たんです。
いや、怖い夢ではないです。ふと気がつくと書棚の前に立ってました。
書棚は私の身長よりも高く、下段までびっしり本が詰まってて・・・
そんな本棚が目の前にあって、ひと一人やっと通れる通路でした。
で、あたりを見て驚きました。そういう本棚が見渡すかぎりに続いて
たんです。ここは・・・図書館なのか。でも、それにしても変です。

本棚は安っぽいスチール製で、図書館はそうじゃないですよね。
ああ、ここは書店なんだ・・・それにしても、並んでいる本は
背表紙が黄ばんでて古い感じで。古本屋、古書店だと思いました。
はい、学生時代は大学の近くの古書店でよく本を買ってたんです。
そこに似ているけど、こんなに広くはない。それに、その古書店は
私が4年生のときに廃業しちゃってます。あとですね、気がついたのは
本の背表紙が変だったこと。本は厚いのも薄いのもありましたが、
背表紙はどれも同じで、縦細の白い紙が貼ってあって、そこに
「山田一郎」みたいに個人名が書いてある。それで、1冊抜き出して
見てみようと思ったんですが、棚にガッチガチにはさまってまして、
どうやっても抜けません。夢の中ですが、手が痛くなりました。

しかたなく背表紙だけを見てました。男も女の名前もありましたが、
どれも私の知らない人。で、その名前、あいうえお順になって
たんです。これはもしかして、と思うじゃないですか。
まるで迷路のような せまい通路を歩き回り、私は村野でしょう。
だいぶ奥まったとこに、村野だけが入っている棚を見つけたんです。
私の名前もありました。でも、同姓同名かもしれませんよね。
これもダメだろうか、と考えながら手をかけると、軽く取れたんです。
開けてみると、中はどのページも真っ白・・・がっかりしてると、
そこに赤い字が浮かんできました。まず日付、その夢を見た日の
翌日のです。そしてたった1行、「朝の通勤電車が事故のため
長時間ストップし、会議に遅れる」これ、どういうことなんだろう。

たしかにその次の日、会議はありました。そこで目が覚めたんです。
ベッドに起き上がって考えました。まあ、夢なんだから本気にするのも
馬鹿らしいけど、念のためというか、朝食をとらず家を早く出たんです。
何の問題もなく会社に着きまして、帰宅したらニュースで
私の利用してる私鉄の路線が、ケーブルの断線で2時間停まったと
やってたんです。はい、いつも私が乗る時間帯でした。その後、
しばらく夢は見ず、前にお話した専務Cとの会食の前日です。
そのときは、もし派閥に誘われたら入ろう、と考えてました。
どちらが社長の座につくのかはわかりませんが、人間的に副社長より
その専務のほうが好ましいと思ってたんです。そしてその夜、
また夢の中で古書店にいました。それも自分の本が入った棚の前に。

前のことははっきり覚えてたので、すぐ本を抜き出して開くと、
やはり同じように赤字が浮き出してきて翌日の日付。そして次に
出てきたのが・・・「夜、料亭にて会食中、専務Cが倒れる
脳出血で半身不随、言語障害」目が覚めても心臓がドキドキしてましたよ。
どうしよう、会社でこのことを専務に告げるべきなんだろうか。
でも、しょせん夢の話ですよね。何を馬鹿なと思われて終わりだろうとも。
会社で専務にお会いしたとき、さりげなく体調のことを訪ねて
みましたら、「人間ドックが終わったばかりで、どこも異常なかった」
ということでした。それで、どうなったかというと、その本に書かれてた
とおりだったんです。専務が天ぷらを口に運ぼうとしたとき、
「うをを」と声を上げて箸を落とし、そのまま後ろに倒れて

いびきをかきだしたんです。すぐ店の人を呼んで救急車を手配してもらい、
私が同乗して病院に行きました。緊急手術になり、命は助かったものの、
重い後遺症が残るだろうという医師の話で、業務復帰は絶望的でした。
はい、会社では、うわべは心配そうにしていましたが、副社長派は
大喜びでしたよ。それまで専務派だった人間は戦々恐々。
来春の人事異動でどこに飛ばされるかもわからないですから。
さっそく副社長側に鞍替えして、ゴマをすり始める人間も出てきました。
私はそれを見てて、ああ、いくら将来がかかってるとはいえ醜いと
思ったんです。出世などしなくてもいいから、派閥に深入りするのは
やめよう。そう考えてた矢先、副社長派の会合に誘われました。
むろん断ることはできません。ただ、それは大人数でしたので、

あまり人と話をせず、早く帰ろうと考えてました。で、その会合のとき、
副社長の秘書が私のところにきて、妙な話を始めたんです。
その秘書は30代の男性で、縁なしメガネをかけ、今どき髪を
ポマードでテカテカに光らせた人物。会社生えぬきではなく、副社長が
外部から連れてきたんです。会計士や司法書士など、さまざまな資格を
持ってるという話でした。秘書は、「ねえ村野さん、最近 夢見ますか」と
言い出しまして、真意をはかりかねて黙ってると、続けて、
「古書店に行ってるんですよね。そこで ご自分の本をご覧になってる?
 あそこは なまなかに立ち入ることはできない場所です。
 あなたのことは副社長も大きな期待を持って見ておられます」
そう言って、副社長のところへあいさつに連れていかれたんです。

それから、またずっと古書店の夢を見ることはなかったんですが、
つい昨日です。ひさびさにあの夢の中にいました。それで、それまで、
書店の中には私一人だけで、他のお客さんを見かけることはなかったのに、
棚の影にふっと人影が見えたんです。「え?」と思ってそちらにいくと、
あの秘書だったんです。秘書は私の顔を見ると「おや」と言い、
ニヤリと笑い、ながら、手に持った本の背表紙を見せました。
そこには社長の名前があったんです。秘書は社長の本を棚に戻し、
さらに見せつけるように、赤いサインペンを胸ポケットに差しました。
それ以上の会話はなく、目が覚めたんです。それで、今日の午前の
会議の最中、社長が倒れたんです。目をむいたままぴくりとも動かず、
もう生きていなことはひと目でわかりましたよ。

キャプチャ




カンブリアとオカルト

2021.01.24 (Sun)
アーカイブ572

その姿は、まさにクトゥルフ神話に出てくる強大な力を持つ
恐るべきクリーチャーの形に良く似ている。それはイングランドの
岩の中で4億3000万年間もの永き眠りからついに目覚めたようだ。
だが、禍々しいその姿とはうらはらに案外ちっちゃいヤツだった。

発見されたこのナマコの仲間には、クトゥルフにちなんで、
「ソラシナ・クトゥルフ(Sollasina cthulhu)」という名がつけられた。

(グノシー)



今回はこういうお題でいきます。この題名を読まれただけで、
「ははあ、あの人物の話だな」と思いあたる人もおられると思いますが、
正解です。この時点でそれがわかるのは、かなりのオカルト通ですね。
ただ、自分は別に批判を展開しようとしてるわけではありません。
あくまでオカルト史的な話なんです。

さて、どこから話していきましょう。まず、カンブリア紀についてかな。
カンブリア紀は、地質時代の古生代前期における区分の一つで、
約5億4200万年前から約4億8830万年前までになります。
恐竜が栄えたのが中生代のジュラ紀や白亜紀ですので、
それよりもかなり古い時代です。

化石の発掘によって、この時代の生物相はきわめて多様で、
しかも、現代の生物とはかけはなれた、たいへん異様な姿をしていることが
知られるようになってきました。この生物群を総称して、
「カンブリアンモンスター」と呼ぶことさえあります。

上記引用のニュースで、「クトゥルフ」の名がつけられたのは
下の図のように復元された古代生物で、殻におおわれ、
45本もの触手を持っているんだそうです。現在のナマコに近い種類
なんですが、大きさは3cm程度。ちっちゃいですね。じつは、
カンブリアンモンスターには、あまり大きなものはいないんです。

「ソラシナ・クトゥルフ(Sollasina cthulhu)」
dertyu (4)

さて、次はクトゥルフについて。これはオカルトフアンなら知らない人は
いないでしょう。アメリカの怪奇小説家、H・P・ラブクラフトの
作品に登場する宇宙から来た古代の神で、現在は、
海底に沈んだ古代都市ルルイエに封印されているという設定です。

H・P・ラブクラフト
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この「cthulhu」という名称は、作者のラブクラフトが、
人間には発音できない単語として考え出したもので、「クトルー」
「クスルー」などと日本語に訳されましたが、ラブクラフト本人が、
「Koot-u-lew」と発音していたという証言があり、
現在のように落ち着きました。

ただ、そのあたりの事情を知らないアメリカ人にこの単語を見せれば、
「Koot-u-lew」と発音できる人は少ないでしょう。
クトゥルフの体は巨大で、少なくとも数十mはあるように書かれています。
頭の部分は、イカやタコの頭足類に似ています。

下図のような姿で描写されることが多いですね。
これ、アメリカ人にとっては、たしかに異質で不気味な姿だと思いますが、
日本人はちょっと違って、イカ・タコは食べ物としての認識があり、
しかも刺身で生食します。ですから、アメリカ人ほどの
恐怖感は生じないんじゃないかと思います。

大いなるクトゥルフ
dertyu (5)

さて、ここからが本題ですが、飛鳥昭雄氏はご存知と思います。
漫画や小説も書かれますが、最も多く本を出しているのは、
本人が「ノンフィクション」と述べる、学研社から出しているシリーズです。
また、飛鳥氏は自身のことを「サイエンスエンターテイナー」と称しています。

飛鳥昭雄氏
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で、この飛鳥氏の説く説に、カンブリア紀の生物が登場することが
多いんですね。例えば、「ネッシー=タリモンストラム」説。
タリモンストラムは やはり古代生物で、化石が下の図のような形に復元され、    
ターリー・モンスターとも呼ばれます。じつに奇妙な形ですが、
これも小さいんですよね。全長10cm足らずです。

タリモンストラム
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飛鳥氏の説をすべて紹介している余白はないんですが、
1960年に、ピーター・オコンナーという人物が撮影したとされる
下の左の画像や、右の水中画像との類似点が根拠の一つとしてあげられて
います。しかし、5億年も前の小さな生物が、えんえんと生き残って、
現在はネッシーと呼ばれているなんてことがあると思いますか。

名称未設定 2

また、欧米では「フライングロッズ」と呼ばれるスカイフィッシュについて、
やはりカンブリア生物であるアノマロカリス説を一時期唱えておられました。
(現在はプラズマ生物と見ておられるようです。)でも、カンブリア紀から
現在までの5億年の間には、何度もの大量絶滅があったのに、
どうやって生きのびてこられたんでしょうか。

アノマロカリスとスカイフィッシュ
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これ、飛鳥氏は、そもそも5億年前の生物とは考えてないんですね。
氏は、「末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)」の信者であり、
モルモン教は、キリスト教原理主義的な教えで、
聖書に書かれていることはすべて真実であるとしています。

カンブリア生物も、恐竜も、マンモスなども、みな人類といっしょに
一度に、神の創造によってこの世に現れたわけです。それも、
地球の誕生は現在の定説である46億年前ではなく、わずか6000年前に
天地創造が行われたとする過激な説が主張されています。

飛鳥氏の著作は、ほぼすべてこの考え方にのっとって書かれています。
ノアの洪水やソドムとゴモラの話も、歴史上 実際にあったことなんですね。
ですから、タリモンストラムが6000年生き残ってネッシーになったのも、
何の不思議もないということになります。

さてさて、ということで、上記引用のニュースをもとに、
かなり違う内容のことを書いてしまいました。最初の話に戻って、
カンブリア生物にクトゥルフの名前をつけた研究者は洒落っ気があって
いいと思いますね。では、今回はこのへんで。

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アーカイブ 死ぬ話

2021.01.24 (Sun)


変な題名だと思われるでしょうが、今回はこれでいきます。
よくあるパターンとしては3つほど考えられるでしょうか。
一つめは「語ったものが死んでしまう話」ですね。とてつもなく怖い話、
あるいはさし障りのある話があって、それを語ろうとした者は、
どうしても最後まで話せず、病気などの原因で死に至るというもの。
これで有名なのは「田中河内介の最期」です。

「大正初期、東京の京橋に「画博堂」という書画屋があり、
3階は怪談が好きな連中のたまり場になっていた。
ある日、そこに見知らぬ男がやってきて、
「田中河内介の話」をしたいと言う。田中河内介は明治維新の尊皇志士。

男は、「田中河内介が寺田屋事件の後どうなってしまったかということは、
話せばよくない事がその身に降りかかってくると言われ、誰もその話をしない。
知っている人はその名前さえ口外しないほどだ。そんなわけで、
本当のことを知っている人が、だんだん少なくなってしまって、
自分がとうとう最後の一人になってしまったから話しておきたい」と言う。

大久保利通
xxxx (1)

大半の人々が面白がってうながすので、その男が話を始めた。
前置きを言って、いよいよ本題にはいるかと思うと、
話はいつのまにかまた前置きへもどってしまう。
男の話は要領をえず、同じことを何度もくり返しているので、

みな飽きて一人立ち二人立ちとその場を離れ、階下に降りてきて、
あの男どうかしてるんじゃないかと笑っていると、あわただしく人が
下りてきて、誰もまわりにいなくなったその部屋で、前の小机に
うつぶせになったまま、あの男が死んでしまったと言った。」

xxxx (5)

これは、国文学者の池田彌三郎氏が書いた『日本の幽霊』に載っている
内容で、池田氏の父親の実体験なんだそうです。田中河内介はもちろん
実在の人物で、明治天皇が4歳になるまで教育係を務め、大変
慕われていました。その後、河内介は京都で勤王活動に奔走するんですが、

寺田屋騒動に関連して薩摩藩に拉致され、船中で斬られて、遺体は
海に捨てられます。しかし薩摩藩では、後に無関係の河内介を
殺したことを後悔するようになります。明治維新が成った後、
明治天皇は昔の養育係を思い出し、「田中河内介はいかがいたしたか」
と臣下に尋ねられ、誰も答えられないでいると、田中と親交のあった者が

xxxx (2)

進み出て「ここにおられる○○君等が指図して、薩摩へ護送の際に斬られ、
船中において非業の死を遂げました」と答え、その場にいた○○は赤面して
顔を上げることができなかった・・・一説には、この○○は大久保利通だった
ともされます。天皇も、ことの影響を考えて、公の席では2度とこれに
触れようとしませんでした。

つまり、河内介の最期は薩摩藩内では、すでにタブーに近いものに
なっていたのですが、さらに明治天皇と、当時の最高権力者の一人であった
大久保利通がからんできて、もはや完全に触れてはならない話題に
なってしまったわけですね。これらのことから、
上記の引用のような話ができたのかもしれません。

さて、二つめは「有名なのに誰も知らない話」です。
『牛の首』という題で、小松左京氏が書いています。「牛の首」という
とてつもなく怖い話があるという噂を聞いたある男が、内容を知っていそうな
人にかったぱしから聞いて回っても、みな、「恐ろしい」 「聞かないほうがいい」
「他の人に聞いてくれ」と言葉を濁してしまう。

xxxx (3)

男はここで不審を抱き、じつはこの話は誰も知らないんじゃないかと考える。
男はあちこちに取材して、その話に最も詳しいだろう人物との
面会の約束を取りつける。しかし、男がその人物の元に行ってみると、
その人物は海外に出かけてしまっていた・・・

実は、この「牛の首」という怪談話は実際には存在しておらず、
「その話を聞いた者は、恐ろしさのあまり死んでしまう」
という情報が人々の好奇心をかき立て、その題名だけが広まってしまった・・・
ということなんですね。これと同じタイプのものには、掲示板「2ちゃんねる」
で有名になった「鮫島事件」があります。

さてさて、三つめは「聞いたものが呪われる、祟られる、死んでしまう話」です。
これは怪談としては定番で、「カシマさん」なんかもそうですね。
話を聞いてしまった人のもとに、3日以内の夜にカシマさんが現れる。
そこでカシマさんの質問に対して、呪いを避ける言葉を返せればいいが、
そうでないと命を取られてしまう・・・

xxxx (4)

実話怪談でも、このタイプは紹介しきれないほどたくさん書かれていて、
「これを聞いた人は呪われるんだよ」と一番最後に知らされます。
ちょっと変わったバリエーションとしては、作家で詩人の
西條八十が1919年に発表した詩集、『砂金』に収録されている
「トミノの地獄」。黙読なら大丈夫なんですが、

これを声に出して読むと、不幸がおきる、また最悪死ぬといわれて
るんです。詩人の寺山修司は、この「トミノの地獄」を口に出して、
しばらくしてから亡くなったというエピソードがつけ加えられたりもします。
「トミノの地獄」はかなり長い詩なので、ここに引用はしませんが、
興味のある方は検索してみてください。では、このへんで。






アーカイブ 雪だるまの話

2021.01.24 (Sun)
会社の後輩の山野部という20代のやつから聞いた話。
こいつは去年の12月に急性肺炎で2週間ほど会社を休んだんだけど、
そのときの詳しい話を聞かせてもらった。

その日は初雪が降ってから3日目くらいで、朝、寒くて布団から
出られず、早朝の日課だったタクの散歩を休んでしまった。
(タクというのは山野部が飼ってる雑種の小型犬)
それで、会社が終わって家に帰った8時過ぎ頃に、
リードを引いて散歩に出かけた。住宅街を抜けてスポーツ公園を通り、
出たのと逆方向の住宅街から家に帰るというコースで、
ゆっくり歩いても30分程度。もう5分もあれば家に着くというところで、
タクがうなり声を上げ始めた。小さなビルとビルの
1mないくらいのすき間に入っていこうとした。

何があるのかと見れば、ポリバケツや側溝があって、
あまり清潔とはいえないそのすき間の少し奥に、
人の背丈よりちょっと高い雪だるまが作られていた。
「へー、よく雪を集めたな」と思った。この3日、雪は深夜から
朝方にかけて少ししか降らなかったため、ほとんど積もらず、今も、
道路に雪はないし、軒などにちょこちょこと残ってる程度だったからだ。

雪だるまはたて長のだ円に丸い頭をのせた形で顔は作られていない。
ただ胴体の片側に木の棒がさしてあって、その先に子ども用と
思われる青い手袋がついていた。タクは思い切りリードを
引っぱってそっちへいこうとしては、また飛びすさって離れる
という行動をくり返した。早く家に戻りたかったので、
「タク、だめ!」と言いながら無理に引きずったときに、
「かわって」というはっきりした子どもの声を聞いた。あたりを
見回したが、道に車通りはあるものの、子どもの姿などどこにもない。
空耳かなと、そのときはあまり深くは考えなかったそうだ。

次の朝、「タクがいなくなった」という母親の声で起こされた。
庭の犬小屋を見ると、丈夫な革編みのリードが
途中からぶっつりと切れてた。近所に気兼ねしながらも、
「タク、タク」と呼んだが姿を現さない。前に首輪が外れたときは
どこにも行かず、庭をうろうろしてただけだったが・・・
そのうち出勤の時間になってしまったので、会社から帰っても
戻らないなら探してみようと考えながら家を出た。

その日はサービス残業をこなさなくてはならず家に着いたのが
9時過ぎ。まだタクは戻らないということだったので、
もしかしたら車に轢かれたか、ここらではあまり
聞いたことがないけど、保健所の野犬狩りにあったか、
雑種の老犬なので盗まれるとはちょっと考えにくい・・・

ダメかもしれないと思いながらいつもの散歩コースを
回ってみることにした。スポーツ公園では、グラウンド内に
入ってみたりもしたがやはり見つからない。
「まあ無理だよな」とあきらめかけていたとき、20mほど先の
歩道の上に犬の姿があった。タク・・・に見えた。

小走りに近づいていくと、やっぱりタクだ。こちらを向いて
口に何かをくわえていた。青い子ども用の手袋だ。
「タク、こっち」と名前を呼びながら近づいていくと、
5mくらいまでにきたとき、くるっと後ろを向いて走り出した。それを
小走りになって追いかけると、きのう雪だるまがあった街路に出た。
そのビルのすき間がある前で、タクが立ち止まってこっちを見ていた。

「世話をやかせるなよ。こっちは運動不足だ」と思いながら
歩いていくと、そのすき間から子どものような二本の手が出て、
タクを抱えて引きずり込んだ。「えっ!」走ってすき間までいき
中をのぞくと、雪だるまもタクの姿もなく、あちこちグチャぐちゃに
つぶれた8歳くらいの男の子が、側溝に突っ伏していた。右手を
不自然な形で上にのばし、血まみれの手に青い手袋を握っていた。

「こっから記憶がないんです」と山野部は言った。
「もしもし、もしもし聞こえますか!」という大声がした。
目を開けると救急車が横付けされ、
「名前を言ってみてください」救急隊員が耳元で呼びかけていた。
「発見されたときには12時を過ぎていたようです。

 ダウンジャケットどころか下着までぜんぶ脱いでしまって、
 そのビルのすき間にはさまって立ってたみたいなんです。
 両側のビルに足をかけて踏ん張って。しかも手には、先に青い手袋を
 さした木の枝を持って。人が見れば完全な変態ですよね。
 よく先に警察に通報されなかったと思います。

 2時間ほどあの季節に裸でいたために低体温症になって、
 重い肺炎も引き起こしてしまったんです。タクはいました。
 というか、自分のまわりで吠えていてくれたために
 発見されたようなんですよ。あと、その子どもの青い手袋なんですが、
 救急車で運ばれたどさくさでどっかにいってしまいました。・・・あのあと、
 何回かその道は通ってるんですが、ビルのすき間は絶対に見ません。
 またあれを見つけてしまうと、今度は・・・」最後は言葉を濁した。

キャプチャ




KIC8462852の不思議

2021.01.23 (Sat)
ddddd (4)

今回はこういうお題でいきます。天文学系の内容ですね。
KIC8462852は、はくちょう座の方向に1480光年離れた
位置にある、F型主系列星と赤色矮星からなる連星です。
連星とは、2つの恒星がお互いに回り合っているもので、
双子星などとも呼ばれます。主星と伴星に分かれますが、

KIC8462852は主星のほう。で、この星のどこが不思議か
というと、不規則かつ大規模な減光をするんですね。つまり
地球から見える明るさがときおり暗くなる。この減光は、
2015年と最近発見され、発見者のタビー・ボヤジアンに
ちなんで、KIC8462852はタビーの星とも呼ばれます。

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さて、星の光が暗くなる場合、みなさんだったら何を原因と
考えますか。その星がエネルギーを失って燃えつきようと
している? でも、それだったら、長期間かけて少しずつ
暗くなるはずだし、すぐに明るさが回復することはないですよね。

ケプラー探査機によって、2011年から2013年の間、
KIC8462852Aが極めて不規則に減光する様子が観測されました。
変光周期が規則的ではなく、しかも、一度の減光で明るさが
15~22%も暗くなるんです。これほど大きな減光の原因が
つかめず、不思議な星として観測され続けてるんです。

KIC8462852Aの異常を発見したケプラー探査機
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ここでいう減光とは、あくまで地球から見て暗くなるという話で、
必ずしもその星が光を失っているということではありません。
例えば、地球とKIC8462852Aの間(KIC8462852Aに近いところ)に
何か障害物があれば、地球からは光が暗くなったように見えます。
ですから、この減光もそれが原因と考えられているんですが・・・

KIC8462852Aとわれわれの太陽を比較すれば、KIC8462852Aのほうが
少し大きい程度です。そこを、例えば地球より11倍も半径が
大きい木星クラスの惑星が横切ったとしても、全体の明るさは
1%ほどしか減光しません。ですから、KIC8462852Aと地球の間を、
きわめて巨大なものが遮っていることが考えられます。

KIC8462852Aの見かけの光の変化
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その候補として、小惑星ベルト、彗星の残骸、系外彗星などが
考えられたんですが、じつはこの星は「ダイソン球」なのでは
ないか、という話が出てるんですね。ダイソン球とは、1960年、
アメリカの物理学者フリーマン・ダイソンが提唱した、
恒星の発する熱や光を活用するための装置のことです。

例えば、われわれの太陽系でいえば、太陽を覆うような形で人工物を
浮かべ、それが受ける太陽熱や太陽光、その他のエネルギーを
地球まで引っぱってきて利用する。上手くやれば、低コストで
恒常的なエネルギーを得ることができるようになります。

ダイソン球のイメージ
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アメリカのSF作家、レイ・ブラッドベリに『太陽の黄金の林檎』
という短編があり、エネルギーの尽きてしまった地球のため、宇宙船
「金の杯」号が、太陽に近づいてその一部をすくい取ってくるという
話でした。もちろん大変な高温になるため、宇宙船の外部は冷却装置で
ガチガチに凍っています。ところがその冷却装置が故障して・・・

ここで少しSFの話。宇宙文明には3つのレベルがあり、まずその1は、
自分たちの星で得られるエネルギーだけを利用している。
現在の地球人がそうですよね。レベル2が、自分たちの恒星系
(地球なら太陽系)のエネルギーを利用する。上で書いたように
太陽からマグマを取ってくるとか、木星からメタンを持ってくるとか。

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現状では、地球がレベル2に達するのはまだまだ先です。
月の地下資源を掘り出すことすら難しいですし、それがどこの国の
ものかという議論もあるでしょう。レベル3は、その銀河系全体の
エネルギーを使う。映画『スター・ウォーズ』の世界が
このあたりでした。もしかしたら、われわれの天の川銀河には、

不死になる物質を産出する星があるかもしれません。フランク・
ハーバードのSF小説『デューン』シリーズに出てくるメランジの
ようなものです。あるいは、時間旅行を可能にする
ホワイトホールとか。さすがに、全宇宙のエネルギーを利用する
レベル4は難しい。あまりに広すぎますから。

メランジをつくり出すサンドワーム
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さて、KIC8462852Aの話に戻って、減光の原因が、小惑星や
彗星の残骸だとした場合、KIC8462852Aのまわりで強い赤外線
が観測されるはずですが、それはありません。また、過去に遡って
調査したところ、やはり大規模な減光が確認され、
彗星説は有力ではなくなったんです。

やはりそこに異星人文明があって、主星のエネルギーを汲み取って
いるのか。ですが、KIC8462852Aからの電波を解析しても、
人工的な信号を見出すことはできませんでした。
これは困りましたね。たしか2018年だったかな。

原因は宇宙塵?
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米ルイジアナ州立大学の研究者が、減光の原因は宇宙塵である説を
発表しました。データを分析したところ、光がどの程度遮られるか、
光の色に違いが見られ、不透明な物質が遮っているのではなく、
塵の層のようなものなのではないか、ということのようです。
でも、それだとツマラナイですよね。

さてさて、ということで、KIC8462852Aの謎について見てきました。
今のところ、さまざまな仮説はあるものの、原因は不明のままです。
こういうのは宇宙研究のロマンですよね。やはり地球外生命が
関与していてほしいなあと、いちオカルトファンは考えます。
では、今回はこのへんで。





絡新婦あれこれ

2021.01.22 (Fri)
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今回はこういうお題でいきます。絡新婦と書いて「じょろうぐも」と
読みますが、完全なあて字です。「絡」は「からむ、からまる」
という意味で、蜘蛛が糸で獲物をからめ取ることを表してるん
でしょう。漢字でふつうは「女郎蜘蛛」と書くはずですが、
中国でこの字が使われているようです。

これも比較的マイナーな妖怪でしたが、京極夏彦氏の長編推理小説、
『絡新婦の理』で有名になりました。以前も書きましたが、
京極氏の作品は、超自然的なことは出てこず、謎は合理的に
解決されます。犯人の心境や犯行の動機、登場人物の人間関係
などが「妖怪的」なんですね

鳥山石燕「絡新婦」
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では、例によって石燕の作を見てみましょう。判じ絵になっています。
梅の木に大きな蜘蛛が巣をかけていて、糸の先に6匹の子蜘蛛を
したがえています。子蜘蛛は火を吹いており、蜘蛛の背中が女の黒髪、
巣と梅の花が女の着物と模様に見えるように描かれています。

これ、梅の木というのは何か意味があるんでしょうか。江戸時代には、
月池山人が書いた『怪談梅草紙』という本が出ています。また、
『東海道四谷怪談』で、伊右衛門がお岩を殺してから養子に入った
先の娘がたしか梅と言ったはずですが、この両作はどちらも、
石燕の『画図百鬼夜行』より後なんです。

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さて、次に実在の生物であるジョロウグモについて。大型のクモで、
黄色と黒の模様があり、背中に赤い色が入っています。
このことが、上記した梅の木と関係があるのかもしれません。
クモの類全体は、蚊や蝿をとる益虫なんですが、
気持ちが悪いと嫌う人も多いですよね。

毒があるという話も広まっていますが、人間に害を与えることは
ありません。ただ、庭木などに巣をつくられると見ばえが悪いので、
どうしても片づけられてしまいます。それと、ジョロウグモは
オスとメスで体の大きさが違い、オスはメスの半分以下です。

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さて、絡新婦の話は全国にあり、大きく3パターンに分かれるかと
思います。まず一つ目は、淵のそばで木こりを捕らえようとする
蜘蛛の話。木こりが淵のそばで休んでいると、いつのまにか
蜘蛛の糸が足に絡みついていた。気味が悪く思った木こりは、

その糸をほどいて近くの太い切り株に結び直す。すると、
しばらくして、糸がすごい力で引っ張られ、メリメリと切り株が
抜けて、滝壺に落ちていった・・・こんな内容です。また、
木こりが自分の斧に糸を結びつけるバージョンもあります。
静岡県伊豆市「浄蓮の滝」に伝わる話が有名です。

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ここで、「淵」という言葉が出てきて、何か気づかれた方が
おられるんじゃないでしょうか。以前、別の妖怪「牛鬼」について
考察していますが、これも謎な妖怪で、蜘蛛のように足が8本あり、
山中の深い淵に住んでいるという伝承もあるんですよね。
おそらく何か関係があるんだろうと思います。

2つ目のパターンは、武士が化け物が出るというお堂に泊まる話。 
夜に入っていくと、母親と子どもがすでに中で休んでいました。
だんだん夜が更けてくると、母親は子どもを武士のほうに近づけてくる。
やはり妖怪か、と思って子どもを斬り、母親も突き刺すと

「牛鬼」 鬼門(丑寅の方角)との関係も
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天井のほうへ逃げていった。朝になってみると、子どもは石の地蔵で、
刀の傷がついており、天井裏では大きな蜘蛛が死んでいた。
だいたいこんな内容が多いんですが、これは絡新婦ではなく、
別の妖怪、大蜘蛛であるとする説もあります。

3つ目はこんな話です。ある裕福な農家の家に盲目の女遍路が
宿をこい、気の毒に思った主人は泊めてやった。女は翌朝
礼を言って旅立っていったが、その夜から家の跡取り息子の
具合が悪くなります。心配になった主人が息子にどうしたのか
聞くと、息子は、あの旅の女が夜な夜なやってくると言う。

オスのほうがずっと小さい
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主人が夜中、こっそり息子の部屋に隠れていると、いつのまにか
その女がいて、大蜘蛛に姿を変え、息子の血をすすり始めました。
これに驚いた主人は、村中の腕利きの猟師を集め、
鉄砲をかまえて息子の部屋で待ちぶせさせるが・・・。

絡新婦は女郎蜘蛛で、遊郭の女郎からきているのは間違いない
でしょう。蜘蛛が糸で獲物を絡めとる様子が、遊女が客を
言葉巧みに手玉に取る様子になぞらえられているんでしょうね。
また、上で書いたように、オスよりもメスの体が大きく、
オスを背負った形になることも関係があるのかもしれません。

さてさて、最後に中国の「絡新婦」ですが、中文で検索すると、
自分の探し方が悪いのかもしれませんが、一般的なクモの記述しか
出てこなくて、「日本では妖怪となっている」みたいに
書かれてるんです、うーん。では、今回はこのへんで。

この絵はジョロウグモとは違う種類のようです
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アーカイブ 痩せる話

2021.01.22 (Fri)
電車を降りると、あと10分歩けば家に着くんだが、悪いことに
東口には飲み屋街があって、そっちに目を向けると、
ついふらふらと居酒屋に入ってしまうことが、月に何回かある。
その日も誘惑に負けて居酒屋のほうに足を向けたら、
横道から前に太った男が出てきた。重い足取りだったんで
追い越した途端、「山木さんじゃないですか」と声をかけられた。
ふり向くと太った男と目があったが、その顔に見覚えがあった。

「あれ・・岸君だっけ。そうだよね」何度か会ったことのある、
取引先の建築会社の資材課の作業員で、だいぶ歳が
離れてるんで君づしてしまった。それにしても、
半年ばかり前に見たときよりずいぶん太っていた。
「いやあ、久しぶりですね。一杯どうです」
向こうから誘ってきたから、一緒に居酒屋に入った。
トレーナーの上下というラフな格好をしていたんで、
「どうしたんだい」と聞いたら、「病院の帰りです」と答えた。

生ビールを注文して、向こうの会社の話を出したら、
「俺、休職中なんです」と言った。
2ヶ月ばかり前から体を壊しているということだった。
そう言われてみれば皮膚につやがなく、体全体がだぶっと
たるんだ感じがしていた。「そりゃ大変だね、お酒飲んでも
 だいじょうぶなの」と聞くと、「それはまあなんとか」と
あいまいに笑って、「大きな病院にかかってるんですが、
 どうも原因がはっきりしなくて、それでいろいろ
 検査しているとこなんです」と言った。

とりあえず乾杯してから、「どんな症状があるの?」と
重ねて聞いたら「体重が減るんです」と答えた。
なにかの悪い冗談なのかと思った。
なぜなら前に会ったときは筋肉質の体型だったが、今よりも
10kg以上体重は少ないように見えたからだ。病気で
むくんでいるんだとしても、減っているというのはありえないだろう。

俺が変な顔をしてるのがわかったんだろう。
「冗談言ってると思うでしょう。でも今60kgないんです」と真顔で言った。
そんな馬鹿な。どう見ても80kg以上はあるはずだ。
するとこちらの考えを察したのか「いやあ本当ですよ。
 今ここに体重計があればなあ」と嘆息し、
「具合が悪くなったきっかけはなんとなく思いあたるんです」と言った。
信じられない思いだったが、飲みながら話を聞かせてもらった。

「夕方、トンネル工事の現場に足りない資材を4tトラックで
 運んでいったんですよ。そしたら道に迷ってしまって。
 いや、ナビの案内どおりに行ったら、どんどん人気のない
 山奥の道に入っていって、明らかに違うと思ったから、
 トラックを転回して引き返そうと場所を探してたんです。
 そしたら木立にすこし切れ目のあるところがあったんで、
 トラックの頭を突っ込みました。そこは沼のほとりだったんですね。
 もう日が沈みかけていて、沼が赤く光ってました。
 それを見てたら急に眠くなってしまったんです。

 ちょっとうとうとしたと思って目を覚ましたら。もうあたりは
 真っ暗になってました。携帯を見ると着信履歴が入ってる。
 俺が来なくて現場も困ってるんだと思ってヘッドライトを
 つけて引き返そうとしたら、囲まれていたんです」
「えっ、誰に?」と思わず聞いてしまった。「痩せた人ですよ。
 痩せた人が10人以上はいたな。車の前に3人いたし、ミラーで確認した
 だけでもそんくらいはいました。沼から上がってきてるのも見えたし」

「痩せた人ってどういう意味?」 「いや人かどうかもわからない、
 というか人じゃないです。とにかく泥色で痩せてるんです。頭と手足は
 あるけど目も鼻もないし、胴の細さもこれくらい」と
すねのあたりをつかんでみせた。「早くもどらなくちゃならないし、
 人じゃないと思ったからトラックを回すとき何人・・・か
 轢き飛ばしたんです。人じゃないからいいやって」 「おいおい」

「実際人じゃなかったんです。トラックにも、
 ばしゃっと水がかかったような感触しかなかったし、あとで確認しても
 泥しかついてなかったんです。だから生き物を轢いたんじゃないんです」
「変な話だなあ。それ全部夢なんじゃないの」 「・・・そうかもしれない
 ですが、でも俺が痩せはじめたのはそのときからなんです」
これは体じゃなく心のほうの病気かもしれないと思ったが、太っているのに
痩せてるというのと、今の話以外はそれほどおかしいところはなかった。

それでもやっぱり薄気味悪くなって、あまり酒がすすまなかった。
向こうもそれを察したんだろう。
「つき合ってもらってすんませんでした。そろそろ帰ります」と言ってきたんで、
「俺は歩いて帰れるからタクシー呼ぶよ。ここの勘定は
 もたせてもらうしタクシー代も俺の名前でうちの会社につけて」
「すいません。お言葉にあまえます」そんなやりとりをして、
タクシーが来たというので店の外まで送った。

「じゃお大事にね」と声をかけたら、「ありがとうございました」
と言って彼が車に乗りこもうと身をかがめたとき、着ていたトレーナーの
背中がぼこっと盛り上がった。たるんだ肉の下から、丸い人の頭のようなものが
内部から出てこようとして突っ張っているように見えた。しかも一つではなかった。
思わず後じさりしたときには、タクシーはドアを閉めて走り出していた。
それから10日ばかりして、彼が亡くなったという話が伝わってきた。

彼は独身でアパート暮らしだったが、
下のポストに何日分も新聞がたまってるのを不審に思った管理人が
合鍵を使って入ってみると、風呂の湯船の中で冷たくなっていたんだそうだ。
火葬に立ちあった建築会社の社員の話では、
骨と皮ばかりに痩せて体重は50kgもなかっただろうということだった。
それからこれは後で入ってきた噂話なんで真偽のほどはわからないが、
彼が亡くなった風呂にはいっぱいに、緑色の泥がつまっていたという。

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付録と悪魔の話

2021.01.22 (Fri)
あ、これな、俺が小学校のときの話。ずっと前だよ。
30年以上も。それと、このことに関わったのは俺と友だちの
2人だけ。だから、裏を取るなんてことはできないし、突飛な内容で、
俺の妄想だと言われてもしかたねえようなもんだ。
あとな、俺はこうやって人前でしゃべるのが苦手で、上手く説明
できねえとこがあるかもしんねえ、そんときは、途中でも
質問してもらってかまわねえよ。当時な、小学生向けの
月刊雑誌があって、小学館が「小学○年生」、学研が「学習と科学」
だった。あの頃はのんびりしたもんで、学校の先生は今みたく宿題
出さなかった。それで、うちの親父が、少しは勉強になるだろうって、
とってくれてたんだ。家に配達している地域もあったみたいだったが、

田舎だったんで、書店に来たのを親父が家に持ってきてくれてた。
けど、俺はできが悪かったから、マンガしか読まなかったな。
あと、付録が楽しみだった。雑誌よりも何倍も大きい箱の付録が
毎号ついてた。最初の頃は、ダンボールを切り抜いて自分で組み立てる
ものが多かったが、だんだん豪華になって、プラスチックとかに変わってった。
これはたぶん、子ども雑誌どうしの競争が激しかったからだろう。
幻灯機とか、ソノシートをかけるプレイヤー、ああ、ソノシートって
わかねんだろ。ペラペラの小さいレコードだよ。あとは、ちゃちい顕微鏡、
手品や科学実験のセット、まあ子どもだましなんだけど。
それで、あれは俺が小5のときだなあ。営林署に勤めてた親父が
長期出張で、書店に寄れねえときがあったんだ。

夏だよ、夏休みの少し前だったから7月だ。自分で本屋に取りに行こうと
思って、学校の帰り、その頃よく遊んでた同じクラスの前田ってやつと
町に一軒しかない本屋に行ったんだよ。オジさんが店番してる
せまい店だった。カウンターでオジさんに話すと、後ろの棚から取って
俺に渡してよこした。金は1年分親父が払ってるからいらない。
そんときの付録が、たしか組み立て式の恐竜の骨格だった気がするが、
違うかもしれねえ。で、それ見て前田が「いいなあ」って言ったんだよ。
前田の家は父親がおらず、母親とバアさんと3人。金もないようで、
いっつも同じ服を着てた。「ああ、じゃあこれからお前んちに行って
 いっしょに組み立てようぜ」こんな俺らの会話を聞いてたのか、本屋の
オジさんが「ああ、本体とバラになって売れない付録がいくつか

 あるからボクたちにあげるよ。けど、他の子に言わんといてな」
そう言って、棚の上に積んである付録の箱をいくつかくれたんだ。
すげえうれしくて、前田は目を輝かせてたな。で、かさばる箱を両手に
抱えて前田の家に行った。母親は仕事に出てて、バアさんは奥の部屋に
いるみたいだった。もちろん子ども部屋なんてないから、
居間のテレビの前で箱を開けた。付録は3つで、そのうち2つは
俺が前に遊んだことがあるもの。だから前田にやることにした。
でな、残りの一つ、これが不思議なものでなあ。真四角なダンボールで、
普通の付録とはちょっと違ってた。箱に「宇宙の研究5月号」
と書いてたが、聞いたことのない雑誌名だった。子どものじゃなかった
のかもしれない。けどな、これ、俺が大人になってから調べたが、

その時期、その名前の雑誌はどの大手の出版社からも出てないんだ。
地方の小出版社だとしたら わからないかもしれないが・・・ で、
中に入ってたのはビニール袋が3つ。一つには3Dメガネ。ほら、
片方ずつに赤と青のセロファンが貼ってるやつ。あれってけっこう
昔からあるんだよ。ただ、今とは違って動画じゃなく、そのメガネで
写真を立体視するんだ。もう一つには、そうだな、ソフトボールくらいの
球が半分に割れたもので、土星みたいな輪が中央についてた。
銀色に光ってたが、軽いんで金属じゃないと思った。でも、袋から
出してみると固かった。今だったらセラミックなんてのがあるが、
当時はさすがになあ。で、最後の袋にハガキ大の説明書。表紙に
「UFOをつくろう」って書いてあったんだ。これもな、

今からは考えられないことだが、あの頃はテレビでUFOとかお化けの
特番を毎週やってて、子どもが夜中に外に出て、UFOを呼ぶ呪文とか
唱えたりしてたんだよ。けど、そのUFOは ひと目インチキだと思った。
だって中は空洞で、飛ぶような仕掛けなんか入ってない。
前田と2人で説明書を読むと、すげえ意外な内容でな。
まず、「3Dメガネをかけて夜中の2時過ぎに外へ出る」とあった。
これ、子どもだと夜中2時って無理だろ。けど、前田は「母ちゃんも
 バアチちゃんも寝てるから、俺さえ起きてれば外へ出れる」って。
あの頃は街灯もまばらだったし、オレンジの電球でな、
夜は暗かった。説明書は続けて、「ふぞくのメガネをかけると
 あくまが見えるので、飛んでいる中で一番小さいのをつかまえ、

 それをUFOの中に入れ、2つのパーツを閉じてください」
いや、いくら子どもでも これはないと思った。てか呆れた。インチキにも
ほどがあるだろ。悪魔なんていねえし、万が一いたとしても人間に
つかまえられるわけがない。説明書には、悪魔をおとなしくさせ、
言うことを聞かせる呪文みたいなのも書いてあったが、もちろん覚えちゃ
いねえよ。紙を見ながらでも難しい、長いヘンテコなカタカナ言葉だった。
俺は前田を見て、「なあこれ、インチキだよな」って率直に言った。
そしたら、「たぶんそうだろうけど、面白そうだ。今晩やってみる」
けっこうマジな顔してそう言ったんだよ。翌日が何かの祭日で
休みだった。それで、明日また来るからと言って、その付録を残して
その場は別れたんだ。帰り道で、悪魔なんていないだろうが、

ほとんどオモチャのない前田の家に付録を全部置いてきて、俺は
いいことをしたと思って満足してた。次の日、昼飯を食って1時頃かな、
前田の家に行ったら、やつは家の前で興奮した様子で俺を待っててな。
離れたとこから「悪魔をつかまえた、UFOに入れたら飛ぶ」って叫んだ。
「ええ?」前田は手に持ってたUFOをポーンと上に放り投げ、
そしたら高く上がったそれは、いったん落下すると、急に右に旋回し、
前田の頭の上5mくらいのとこでぐるぐる回り始めた。
最初はゆっくり、それからすごいスピードになった。俺は走って
前田のとこに駆け寄り、前田が呪文を唱えると、UFOは静かに
降りてきて、やつの手のひらの上に着地した。「すげえっ!」
俺が叫ぶと、前田は得意そうに笑ったよ。

「俺にもできるのか」 「わからん」そう言ってポケットから
説明書を出したんで、書いてある呪文を唱えてみたが、ピクリとも
しなかった。「俺じゃなきゃダメなのかもしれない」
前田はそう言って、UFOを何度も自在に飛ばしてみせたんだよ。
ここからは前田の話をまとめたもの。「夜な、がんばって起きてて、
 時計が2時になったら外へ出た。母ちゃんら2人とも寝てるから、
 ただ玄関の鍵をそっと開けて。通りは車も人もいないんで、
 危険はないと思った。3Dメガネをかけたら、一瞬何も見えなくなったが、
 すぐぼんやりと明るくなった。白黒だった。で、何かが前を
 横切ったんだよ。悪魔・・・なのかな、白いひらひらした服を
 着た赤ちゃんみたいなやつだった。見てると、

 いろんな悪魔がいたんだ。大きさも形もバラバラの。面白いけど
 恐い、変な感じだった。で、小さいのを探したら、道路の向こうの
 塀に張りついてるネズミくらいのやつを見つけたんだ。その前まで
 静かに近づいて呪文を唱えたら、ぽたりと下に落ちて動かないから、
 UFOの中に入れて2つを合わせた。そしたら俺の言うことを聞いて
 飛ぶようになったんだよ・・・」 俺が「3Dメガネは?」と聞くと、
それもポケットから出したが、両方とも目のセロファンが破れてたんだ。
「俺がやったんじゃない、目から外して、気がついたらこうなってた」
で、その日はずっと外で、前田がUFOを操るのを見てた。一瞬で数100m
移動し、すぐにまた戻ってくる。空の高いとこでジグザグ飛行する。
けど、同じ呪文を言っても、前田の言うことだけきいて、

俺は何度やってもダメ。前田がうらやましくてしかたなかった。
何でこれを置いてったんだろう、こっそり俺が夜中にやってみればよかった。
そうすりゃ俺の言うことを聞いたのに、そう思うと、
前田にかける言葉がとげとげしくなって、ケンカしそうになった。
もう夕方で、日が沈んで空にたくさんコウモリが出てきてた。
俺が前田を両手で押すと、前田は地面に倒れ、口が動いたら、UFOが
すごい勢いで俺に向かってきて・・・ 顔の直前で破裂したんだよ。
生臭い、ドブ水のようなものが顔にかかり、俺は膝をついて吐いた。UFOは
完全に消えてしまって、破片も落ちてなかった・・・ ま、こんな話なんだ。
それから、前田とは口をきかなくなり、友だちじゃなくなった。中学は俺は
私立、前田は公立で、小学校の同窓会もなく、それ以来会ってない。

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心霊写真の現状

2021.01.21 (Thu)
アーカイブ567

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こんな写真でも、その場にそんな人はいなかったと言い張れば・・・

今回は心霊写真についてのお話をしていきたいと思います。
さて、デジカメ時代になって心霊写真は増えたでしょうか、
それとも減ったでしょうか? これは実は両方の意見の人がいます。
で、自分としてはどっちの意見もよくわかるんですよね。

まず、減ったという人は、フィルムの巻き上げなどの機械的操作が
なくなり、撮影上の事故が減り、そのせいでいわゆる失敗写真が
減ったと考えている人です。確かに昔は、はっきりした2重撮影では
なくても、おかしな光や赤い筋が入った写真が多く、そういうのも
一種の心霊写真として取り上げられることもあったんです。

「アステカの祭壇」として話題になった画像、どう見ても失敗写真
台のように見えるのはインスタントカメラのフィルムを巻く部品

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テレビで騒がれた「アステカの祭壇」というのも、まあ、よくある
撮影ミスだと自分は思ってますが、ああいうやつです。
今のデジカメは手ぶれ補正、露出補正とかいろんな機能があり、
しかも現像の必要はないので、現像時の失敗もなくなりました。
ですから、「おかしな写真」は減っているわけです。

逆に、増えたという人は「ありえない写真」のことを言っていると
思います。つまり絶対にそんな場所に人の顔が入るはずがないのに、
はっきり顔としか見えないものが写っている画像。こういうのは
増えたと思います。もう、何を言いたいかおわかりでしょう。
画像加工ソフトの登場ですね。自分もフォトショを持ってて、

フィルムカメラの典型的な失敗例
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たまに時間があるときは画像の加工もやります。ちなみに、写真術が
登場したごく初期の頃から、心霊写真というのはありました。
これは写真というものの特性を考えてみれば当然で、ありえない画像を
作ることが技術的に可能であれば、やりたいと思う人は多いでしょう。
で、もし本物の心霊写真というのがあるとすれば、

デジカメ、フィルムにかかわらず写るんじゃないでしょうか。
これに特に根拠はありませんが、科学技術の違いによって、
霊が写ったり写らなかったりするというのも自分は変な感じがします。
冗談ですが、最初はVHSビデオで登場した『リング』の貞子も、見事に
デジタル化そしてブルーレイ化などに対応しているじゃないですか。

心霊写真作成アプリ
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さて、前にも書きましたが心霊写真の一般論を少し。
デジカメであっても、フィルム撮影であっても、どちらも対象物の光の
反射を写しているのは違いありません。では、心霊写真の霊は、
光を反射して写っているのだから物質なんでしょうか。

ここはさまざまな議論があります。物質だという人もいますし、
霊は光を反射しているのではなく自発光しているという人も。
さらには霊が出しているのは可視光線ではない、という人まで。また、
霊は「念」によって自分の像を写し込んでいるという説もあります。

写真の発明当初からあった心霊写真
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これは、その霊が撮影者に働きかけて「念写」させている、というのに
近い考え方です。ただし、霊が何らかの電波を出しているとしたら、
それにはエネルギーが必要ですね。撮影者に働きかけて念写させるとしても、
情報の伝達ですから、やはりエネルギーが必要と思われます。とすると、
やはり、物理学にかかる物質的な現象なんだと考えざるをえないんです。

さて、加工ではない心霊写真というのも昔からありました。
本当に「霊」とされるものが写っている場合です。実際に写っているので、
写真のプロがいくら調べても、そこにトリックの跡は見えません。
まあ、たまたま通りかかったオバサンが写っている場合もあれば、
意図的に幽霊の扮装をした人を紛れ込ませて写している場合もあります。

画像加工ソフトを使うと簡単につくれてしまう
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よく修学旅行スナップに見られる、手の数が一本多い写真や、
肩に謎の手がのっかっている写真なども、体の他の部分が写り込まない
ようにして、隠れて撮っているものも多いと思われます。これらはいくら
分析しても、光のあたり具合も、デジカメでいえば画素数などの諸条件も
他の被写体と同じなので、加工とする証拠はないんですね。

もしもです、ある人物らが集まって写した集合写真に、霊の扮装を
した人を混ぜておき、全員が口裏を合わせて、「こんな人は
絶対にこの場にはいなかった」と言ったらどうなるでしょう。
その写真に霊(というか、ありえない何か)が写っているという事実を
世間様が信じるかどうかはさておき、証言自体は覆せなくなります。

それは、被写体になっている人物を一人ひとり呼んで、
嘘発見器(最近のものは進歩しているようです)にかけるとかすれば、
その写っているものがニセモノである、とわかるでしょうが、
心霊写真を作って広めただけでは「犯罪とはいえない」ので、本人の
承諾なしに嘘発見器にかけることは、人権侵害となってしまいます。

TBSで捏造と話題になった心霊写真
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ここで一つ、他の霊的なことにも通じるキーワードが出てきました。
「犯罪とはいえない」の部分です。現状では、それで人を騙して金を
儲けるとかでないかぎり、(あとまあ他人の肖像権を侵したりしないかぎり
・・・これは守られてないものも多々見かけますが)面白半分に
心霊写真を作ることは、嘘であっても、とりあえずは犯罪の要件を

構成しません。ですから、世の心霊写真はなくなることはないでしょう。
逆に言えば、もし心霊写真を捏造することが犯罪(懲役20年とか)
になったら(故意ではない失敗写真はしかたないですが)、
少なくとも日本の心霊写真は激減するでしょうね。
その上でどれほどのものが残るのか? ということが問題です。

本物のアステカの祭壇 こちらは怖いです
vvvv (6)

心霊に関することは、詐欺などの犯罪と紙一重の位置にあるものが
多いんです。かといって「魂とか天国とか成仏なんて嘘だから、
お寺や教会、神社は人を騙している。墓参りに行く必要はない。」
などと言ってしまうと、これはこれで世の顰蹙を買います。
極論であり、信教の自由は憲法で認められていて、
実際に世の中の役に立っている部分も大きいからです。

さてさて、これらのことは、オカルトに関わるものとして、自分も
つねに自戒しています。お釈迦様はたいへん大事なことを言われました。
極端を避け「中道を行く」ということです。
自分のオカルトに対するスタンスも、そうありたいと思っています。
では、今回はこのへんで。

関連記事 『心霊写真作成の心理学』 『アステカの祭壇の話』




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