江戸の首売り

2016.02.03 (Wed)
今日は「怖い日本史」のカテゴリに入る話です。これ、前は「怖い古代史」だったんですが、
さすがに古代限定の話はネタ切れになってしまい、最近カテゴリ名を変えました。
ただし中世・近世は専門でないため、いろいろ間違いとかあるかもしれません。
前に「江戸ブーム」のようなものがありましたが、
江戸時代に対する興味は、安定した潮流となって今でも続いているようです。
当時の江戸は、人口でも商業発達の面でも世界有数の大都市でしたから、
いろいろ面白い出来事に事欠かなかったんですね。

さて、首売りと聞いて思い浮かべるのは落語の『首屋』の話でしょう。
大通りを「首屋、くびいーやッ」と威勢よく叫んで歩く男がいる。自分の首を売っていると言う。
これを、愛刀の試し切りをしたいと思っていたお殿様が聞いて大喜び、
男を呼びとめて、いざすっぱり首をという段になって、
男は懐から張り子の首を放り出して一目散、「ややっ、これは張り子。そっちのだ」
「これは看板でございます」・・・というようなサゲのお話です。
これ、落語だから完全なつくり話かというとそうでもなく、
実際にあった事件が元になっているようなんです。

『藤岡屋日記』(文政年間~明治1800年台)という商家の主人が書いた日記に、
質屋に女の首を入れに来た男の話が出ています。質屋の番頭が呼び声で店先に出ると、
軽輩の武士が「百両の金がいる、これを質草として持ってきた」と言って女の首を出す。
見れば首はまだなまなましく、切り口から血を吹き出している。
「これは強請りに違いない」と思った番頭は「ちょっとお待ちを」と奥へ引っ込み、
たすき掛けをして六尺棒を持て出てきて、なんと侍に打ちかかった。

同時に店の若い衆が外へ飛び出して「火事だ、火事だ!」と騒ぎ立てる。
これで人が集まってきたため、侍は首を放り出したまま、
金もとらずにほうほうの体で逃げ出した。
後になってよく見ると、首は達磨人形にカツラを被せた張り子の作りもので、
わざわざ血のような赤い染料が吹き出す仕掛けが加えられていた。

・・・こんな話があったようです。本物の首ではないので、
落語に近いといえるでしょうが、本物の首を使ってゆすりを働いた例もあります。
『反故(ほご)のうらがき』という、やはり1800年台の、
インテリ旗本が書いた随筆というか、奇譚集がありまして、
「縊鬼(首吊り鬼)」など、怖い話もいろいろ出てきます。
この中に実際に人の首を質屋に持っていって金を強請った武士の話があります。

その武士が持ってきた首はいちおう包まれているものの、
はっきり人の首だとわかる。質屋のほうでは「これは強請りだ」と思い、
侍に何がしかの金を包んで帰ってもらおうとする。侍は「ただで金をもらういわれはない」
などと最初は言うものの、結局は金をつかみ、首を持って立ち去る。
こうしておそらくは100件以上も強請りを繰り返していたようです。
最後にこの侍は御用になるのですが、仔細を問いただした役人はその凶悪さに驚きました。
首は本物で、切った数は20数人だったからです。

当時の乞食者の首なんですね。浮浪者をつかまえて詐欺を持ちかける。
「お前を縛って人の大勢いるところにつれていき、こいつが1両盗んだから今首をはねる、
と言えば、見物は気の毒がって金を出し合ってお前を許してくれるよう頼むだろう。
それを後で山分けしよう」浮浪者が承知して縛られると、
そのまま人気のないところへ連れていき、本当に首を切ってしまう。
で、その首をもってそこら一帯の質屋に押しかけたということなんですね。

江戸時代は人の命は軽く、特に無宿人などは意味もなく殺されたりもしました。
テレビの時代劇『水戸黄門』で有名な常陸水戸藩の藩主、徳川光圀は、
『大日本史』などの修史事業で有名ですが、若いころは素行がよくなく、
神社の床下に寝ていた浮浪者を面白半分に斬り殺した、
などと記された信頼できる文献も残っています。

さてさて、それにしてもこの侍が100件以上の強請りを繰り返して、
質屋のほうでは、侍が殺人の罪を犯しているのは明らかなのに、
「おそれながら」とお上に訴え出なかったのでしょうか。
これはほとんどのところで、金を払って穏便に事を済ませていたようです。
一つには、お上に訴え出るのが嫌だった、
役人にかかわりたくなかったというのがあるでしょう。
奉行所が中に入ると何十日もかかってしまいますから。

また、それだけではなく、強請りが一種の職業として認められていたような節もあります。
江戸の職業一覧に「倒れ者」というのがあり、
これは、大店の商家の前で行き倒れ、今にも死にそうな様子をする。
店のほうでは、ここで死なれてはやっかいだと、少しの金子を包んで倒れ者に渡す。
すると男はすっくと立ち上がり「まいど」と礼を言って帰っていく・・・
これ、一種の芸なんでしょうね。門づけの漫才に近いものがあるのかもしれません。
一方では殺伐としていながら、他方では貧富の民が共存していたのが、
江戸の社会であるわけです。






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