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鉄鼠について

2016.02.10 (Wed)


最近『呪術合戦』という項を書きまして、
そのときに『鉄鼠(てっそ)』にも少し触れたのですが、
今日はそのお話です。妖怪談義の分類に入ります。
妖怪の中には、かつて生きていた人間だったとされるものもいろいろいるのですが、
そのモデルとなった人物の実在性には濃淡があります。

例えば「安達が原の鬼婆」の岩手(旅人を泊めて夜中に切り刻んで料理し、
最後には妊娠した自分の娘も殺してしまった)などは、
似たような話はあったのかもしれませんが、個人としての実在性は薄いでしょう。
また、これも前に取り上げた「殺生石」。千年狐がインドから中国、
さらに日本まで来て「玉藻の前」になり悪事を働くというのは、
ちょっと考えればありえない話です。   関連記事 『妖怪談義9(最凶)』
前回の「経凛々」の守敏僧都にしても、あまりに資料に乏しいことから、
平安京の東寺が栄えたのに対し、西寺が廃れてしまったことを、
寓意として取り込んだ物語と見るむきもあるのです。

これに対し、鉄鼠に化した頼豪阿闍梨はまず間違いなく実在の人物です。
園城寺(三井寺)に住して、修法の効験で知られていましたが、
『平家物語』『太平記』『源平盛衰記』などによれば、
その力を見込んだ白河天皇から皇子誕生の祈願を依頼されました。
つまり、無事に子どもが産まれるだけでなく、男児にしてくれということですね。
かわりにどんな望みも叶えてやる、との約束を受け、
何晩も徹夜して必死に祈祷した結果、見事に男の子が誕生しました。
(ま、これをたまたまだろう、と思うと物語は成立しなくなります。)
白河法皇は大喜びして、願いは何でも聞いてやるつもりだったのですが、
頼豪の願いは三井寺の戒壇院建立でした。

白河天皇は、さすがにこれには困りました。
戒壇院というのは、あまりご存知でない方も多いでしょうが、
戒壇は戒律を受けるための結界が常に整った場所で、
授戒を受けることで出家者が正式な僧(女性の場合は尼)になるわけです。
戒壇をめぐる問題は、日本史の中でたびたび登場してきました。
同じ天台宗である山門「比叡山延暦寺」と寺門「園城寺(三井寺)」の争いは有名で、
この頼豪の話もその中の一部なんですね。
園城寺にとっては、自分の所属する寺では正式な僧になることはできず、
他の寺でそれを受けるしかないというのは、耐えがたい屈辱であったわけです。

これを頼豪が願い出ると、当然のように既得権を奪われる延暦寺から横槍が入り、
山門の僧らは暴れまわってやっかいです。
白河天皇も約束をかなえてやることができませんでした。こっからは伝説に入るのですが、
(というのは、史実では敦文親王は頼豪より先に亡くなっています。)
深く恨みに感じた頼豪は、せっかく産まれた皇子(敦文親王)を取り殺し、
魔道に落とそうとして、百日の断食行に入ります。
やがて満願となり、頼豪はやせ衰えて死にましたが、
呪詛の効験か、敦文親王は4歳で亡くなってしまいます。
頼豪の恨みはこれだけでは収まらず、さらに怨念が石の体と鉄の牙を持つ巨大なネズミと化し、
8万4千匹に分裂して延暦寺の蔵に侵入して経典を食い荒らしました。
このネズミを鉄鼠、または頼豪鼠というんですね。

ま、いろいろと考えさせられる部分はあるのですが、
この話ができたのも、一つには民衆の当時の、
いつも権力争いばかりしている仏教に対する皮肉な見方があるのだと思います。
人を救い国を救うために寺院はあるのに、
やっていることは煩悩丸出しではないか、ということでしょう。
とはいえ民衆としては、やはり仏法の功徳と死生観にすがるしかなかったわけですが、
やがて法然や道元、日蓮などの改革者が現れます。

さて、京極夏彦氏の長編に『鉄鼠の檻』があります。
ネタバレしないよう深入りは避けますが、明慧寺という誰にも知られていない、
山中の巨大寺院が舞台として登場します。このあたり、
やはり迷宮じみた僧院が舞台となり、テーマが僧院そのものでもあった、
ウンベルト・エーコの歴史推理、『薔薇の名前』を連想した方は多いと思われます。
よくはわかりませんが、京極氏にも、
あの大作に挑戦しようとする意図があったのかもしれません。

話のテーマの中には、本来衆生を救うはずの仏教なのに、
個人の修行とその完成が目的になってしまっていること、
上で書いたのと共通する部分が含まれているとは思いましたが、
連続殺人の動機が「禅宗の悟り」であるのに、
密教僧である頼豪の妖怪名?が題名になっていることには、少し違和感も感じました。




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