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あなめの話

2016.04.16 (Sat)
これは怖い日本史のカテゴリに入る話です。登場するのは小野小町ですが、
この人もなかなかやっかいな人物で、歌は残っていて六歌仙の一人とされているものの、
実在の確証がないんですね。9世紀頃の人ですが、生没年不明です。
歌人・漢詩人であり従三位まで昇った小野篁の子、あるいは孫とされます。
小野篁自身が、昼は朝廷で執務し、夜になると六道珍皇寺の井戸から地獄に降りて、
閻魔大王の秘書官をやっていたといわれる、怖いところのある人です。
この篁の孫であるとする場合、父親は出羽の郡司を務めていたので、
秋田県の湯沢市で産まれたとする説があり、
秋田美人の語源とも言われるのですが、これも確証はありません。

さて、小野小町はたいへんな美人であったとされます。
しかしこれもよくはわかりません。実際の絵姿などが残っているわけではなく、
後世のものは、なぜかほとんどが後ろ姿で描かれているんですね。
これはどうしてなんですかね。絶世の美人を描くのはとてもできないと、
絵師が遠慮しているのでしょうか。
ともかく、小町の人生は多くの伝説に彩られています。
それは、当時の仏教的な無常観・因果応報などの考え方を色濃く反映したものです。



伝説として有名なのは、深草少将の百夜通いの話ですよね。
ただ、この深草少将も実在の人物である根拠はまったくありません。
若い少将に熱心に言い寄られて閉口した小町は、
「あなたの思いが真実なら、百夜私の屋敷にお通いください。
それがかなったなら、あなたの望み通りになりましょう。」と告げる。
それを信じて通い続けた少将ですが、百夜を目前にして病気で亡くなってしまう。
このつれない仕打ちの報いによって、後半生の落魄伝説、「あなめの話」や、
「卒塔婆小町の話」につながってくるのです。

この話のもう一人の登場人物は在原業平。これは間違いなく実在の人で、
『伊勢物語』の主人公としても有名ですね。
業平も超絶な美形であったとされ、小野小町とは美男美女コンビなわけですが、
どちらかというと、自分よりも高貴な身分の女性を好む傾向があったようで、
さまざまな問題を起こしています。『伊勢物語』の東下りも、
禁忌の恋の噂が広まって、都にいずらくなったためとされます。

東に下った業平は、みちのくのやそ島というところのあばら屋に入り、
一夜の宿としようとしました。すると、草むらの中から、
「秋風の 吹くにつけても あなめ あなめ」
というか細い声が聞こえてきます。「秋風が吹くたびに、ああ、目が痛い」
というような意です。不思議に思った業平ですが、もう暗いので、
その日はそのまま寝てしまいました。翌日、業平がもう一度草むらを探していると、
骸骨が落ちていて、その片方の目の穴からススキが生え出ていたのです。
奇異に感じて見ていると、通りかかった村人が、
「それは都から落ちてきた有名な歌人、小野小町のものだ」と教えてくれました。

歌のライバルであった小町の、はかない最後にショックを受けた業平は、
思わず、前夜聞いた歌に下の句をつけたのです。
「小野とはいわじ ススキ生いけり(小さな野、小野小町の最後の地とは言わないよ。
ただススキが生えているだけだ)」こう詠んで手を合わせ、また旅を続けました。
・・・上の句と下の句をつなげても、これはいい歌とは言えませんよね。
事情を知らなければ、意味もつかめないでしょう。
ススキを抜いてやり、小町は成仏できたのでしょうか。

この話の場合、小町と業平は同世代と考えられますので、
小町は比較的若くして亡くなったことになりますが、
一方ではかなり長生きしたという話もあります。
しかし、そっちもいい話ではないです。能の観阿弥作『卒塔婆小町』です。
旅の僧が、卒塔婆の上に腰掛けている乞食の老女を見つけて説教を始めるが、
逆に法論でやりこめられてしまう。老婆の見識に驚いた僧が事情を聞くと、
老婆は小野小町と名のり、昔つれない仕打ちをした深草少将の亡霊に
苦しめられていると訴える・・・たしかこんな筋だったと思います。

この筋は仏教の因果応報そのもので、若いころの所業が、
年をとってから返ってくるわけですが、小町作と言われる和歌、
「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」
の意を汲んでいるのだと思われます。まあ、小町にかぎらず、
美女とされる女性の晩年は寂しく描かれることが多いようですが、
さらに小町の場合は、死んでからも無常観の題材にされてしまいます。

「九相図」と呼ばれるもので、戸外にうち捨てられた死体が、
朽ちていく経過を九段階にわけて描いた仏教絵画です。どんな美しい人でも、
死ねば朽ちておぞましい姿に変わっていく。
この世の無常を仏教修行者に悟らせるためのものなのですが、
さすがに生前がむさい男であってもしょうがないですので、
小野小町や檀林皇后が題材に選ばれることが多いようです。

檀林皇后は実在の人で、深く仏教に帰依し、死に臨んで、
自らの遺体を埋葬せず路傍に放置せよと遺言し、
帷子辻において遺体が腐乱して白骨化していく様子を人々に示したとされます。
ただし、亡くなったのは当時では長生きの64歳ですので、
伝説の域を出ないものと考えられます。

さてさて、小町もえらい迷惑というか、美人だったがために、
年老いてから、また死んでからも仏教教材にされてしまいました。
これ、若いときに深草少将につれなくしなければよかったのでしょうか。
しかし百夜通いの話も事実ではないですし、伝説がひとりでに広がっていって、
みずからオチをつけてしまった例と見ればいいのか。とにかく、
小野小町の人物像のほとんどは、後世の人がつくり上げたものなであり、
実体は杳としてつかめないのです。

『九相図』






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