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3つの破壊

2016.05.06 (Fri)
今日はあまり時間がなく、怪談論にさせてください。
自分はつねづね、怪談には3つの破壊が重要であると考えています。
そのうち最初の2つは、江戸時代ころの怪談でも同じですが、
最後の3つ目は、現代の怪談に特有のものだと思います。
一つ目は、科学法則の破壊です。

われわれは、基本的には中学校に上がるころまでに、
この世の科学法則がどうなっているかを、感覚的に理解します。
これはどういうことかというと、鉛筆を持っていた手を放したら、
それが床のどの辺に落ちるかがだいたいわかるわけです。
鉛筆は円筒形をしているので、どのくらいの勢いで落とせば
どのあたりまで転がるかが予想がつきますよね。これが消しゴムであれば、
弾性があるので、地面で跳ね返って鉛筆よりも遠くまでいく可能性が高い。
また、消しゴムの平たい面から落ちる場合と、
すり減った先端部分から落ちる場合とでは弾み方が違うでしょう。

そういうことを小学校の授業中とかに何度も経験して理解していきます。
これは重要なことで、われわれの生存に直接関係してきます。
例えばそうですね、道路を渡る場合を考えてみましょう。
道路を横断しようとして、右を見たら車が100mほど向こうに見えた。
左からは何も来ていない。これはまだ大丈夫だということで、横断を始めます。
ところが高齢者の場合だと、この感覚が鈍ってきているので、
判断を誤って轢かれてしまうケースが多いんですね。運転者の場合は、
このことを考えて子どもとお年寄りに注意する必要があります。

つまり、経験によって科学法則が体に染みついているわけですが、
それが破壊されてしまうと、怖さにつながるんですね。
10mほど離れた道路の向こうに赤いコートの女性が立っているのを見ました。
その人が自分のところに来るまでに速くても数秒はかかるでしょう。
しかも道路には車がビュンビュン通っているので、簡単には渡れない。
で、一瞬目を離した後、自分のすぐ前にその女性が立っていたらビビりますよね。
脳がダメージを受けると言ってもいいでしょう。
世界がぐにゃっとゆがむ感じがします。これを利用しない手はありません。

生首みたいなのもそうです。首だけになっても生きている生物、
というのは普通ではまず考えられません。
夜道を歩いていたら、塀の上に生首があるのを発見しました。
これだけでもう怖いのですが、普通は事故や犯罪の被害者かと思うでしょう。
驚きあわてているところで、おもむろに生首は目を開け、
「やあ!」と言います。当然「ギャー」となりますよね。
首だけになって生きている生物はいない、という認識に反しているからです。

二つ目は、科学法則との区別が難しいのですが、論理性の破壊です。
例えば、イチゴをもらったが食べきれなかったので、
冷蔵庫に入れておきました。夜になって食べようと思って探したら、
それがどこにも見つかりません。まあ、家族がいれば、
そのうちの誰かが食べたと思うでしょうが、一人暮らしだったどうでしょう。
不思議だなあ、と思いますよね。こういう場合、まず自分自身を疑います。

しまったと思ったのは勘違いで、あのとき全部食べてしまったのか。
冷蔵庫に入れたのは勘違いで、どっか別のところにしまったのか。
だんだん自分の行動に自信がなくなっていきます。
あれーと思いながら冷蔵庫を閉め、他を探してもないので、
もう一度冷蔵庫を開けたら、今度はイチゴがちゃんとあった。
・・・混乱はますます高まります。
これはイチゴと冷蔵庫なのであまり怖い感じはしませんが、
もし位牌と仏壇だったら怖いですよね。

推理小説の場合だと、この論理性はきちんとしていなくてはなりません。
中には、そのトリックは現実的には無理だろうと思うような作品もあるんですが、
少なくとも話の中ではつじつまが合っている必要があります。
証拠品が消えたり出てきたりしたのでは、推理が成り立たないですから。
中にはこれを逆手にとって、最初におもいっきり不可能そうな事件を提示し、
後で一つ一つ論理的整合性がとれるように説明していくタイプの作品もあり、
不可能犯罪物とか言われたりします。日本だと、
『占星術殺人事件』の島田荘司さんなんかがそうですよね。

三つ目は、宗教的な倫理性の破壊です。これは現代怪談特有で、
江戸時代ころの怪談にはあまりなかったものです。
『四谷怪談』なんかを考えてみればいいですが、昔の怪談は仏教的な
成仏の意識が強かったため、亡くなった人が出てきて祟るには、
それなりの理由が必要でした。お岩さんであれば、伊右衛門に毒を盛られて、
髪を梳くとばさっと抜け落ちる。ああいうシーンを前半で見せることで、
「ああ、この人が成仏できずに祟るのはしかたがない」と観客は思うでしょう。

で、後半部分で伊右衛門が破滅していくのを、ザマミロと思って見るわけです。
ところが現代の怪談はちょっと違います。実話怪談本を読んでいると、
「なんで私がこんな目に合わなきゃならないの」
みたいなセリフが出てきますが、今の怪談は、
自分に何の落ち度がなくても怪異に巻き込まれていく
ケースがひじょうに多いのです。いくら幽霊になった人をかわいそうに思っても、
成仏を願ってもどうにもならないんですね。

『リング』の場合で、呪いのビデオを見てしまった主人公らは、
死にたくないので必死になってビデオの秘密を探り、
山村貞子の存在をつきとめます。
「山村貞子の遺体を井戸から引き上げて供養すれば、呪いは解ける」
こう考え、古井戸の底から白骨を引き上げて供養するのですが、
やはり主人公は死から逃れることはできませんでした。
呪いを解くためには他の誰かにビデオを見せる、つまり、
新たな犠牲者が必要だったわけです。このあたり、現代的だなあと思いますね。






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