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レゴの話

2016.05.28 (Sat)
今年5歳になる幼稚園児の息子と、それと夫の父、義父ってことですね。
その2人に関する話なんです。ただ、自分でも信じられないような内容なので・・・
え、ここではそういう話ばっかりだって・・・ そうですか、じゃあ。
まずですね、3週間前に、一人暮らししてた義父が緊急入院しまして。
ええ、自分で救急車を呼んだんです。私たち夫婦には言わなかったんですが、
数日、高熱が続いていたみたいです。病名は肺炎でした。
医師の話では、おそらく誤嚥下によるものだろうということでした。
食事も自炊してたんです。私たち夫婦と同じ市内に住んでいたんですが、
義父のほうで、どうしても同居は嫌だって。はい、
義母はずっと以前に亡くなってるんです。義父がまだ30代のころ、20代後半で。
義父はですね、若い頃はテキ屋をしてたんです。

ご存知ですよね。お祭りなどのときに屋台を出す、映画の「虎さん」みたいな。
ですから長く旅暮らしをしていまして。ただですね、
主人が私と結婚した50代のころに、テキ屋はやめまして、
それから工務店に入って現場作業をずっと。そうですね、息子が結婚するからやめた、
というのはあると思います。本人は、もう体が続かないからと言ってはいましたが。
それで、若いころのテキ屋時代はずいぶん荒っぽい生活だったらしくて、
全身に刺青が入ってるんです。私は絵柄などはよくわかりませんけど。
これね、入院先の病院でも驚かれたほどのものだったんです。
「こんな見事なのは初めて見ました」って。齢は68歳でしたから、
まだそんなでもなかったんですけど、飲酒量がすごかったですし、
病院では「かなり重篤な状態」と言われたんです。

ですから、私が介護につかなくてはならなくなりまして。
主婦でしたので問題は息子のことだけでした。幼稚園への送り迎えをしてたんです。
でも、それに関しては、幸い「あずかり保育制度」のある私立のところでしたので、
事情を話して、それに加えていただくことにしたんです。
ええほら、幼稚園ですから基本は2時ころまでですよね。
それが、そこは特別に6時半までのあずかり保育教室があったんです。
今は働いている奥さんも多いですからね。そういう方たちのためのものです。
ただ、幼稚園としては時間外ですから、自由遊びがほとんどのようでした。
私が6時過ぎに幼稚園に息子を迎えにいき、その頃には夫が帰宅していますので、
家に戻って夫に息子を預け、病院にとんぼ返りするんです。
ええ、夫と息子と一緒に病院に来ることもありましたよ。

ですが、入院以来、義父は意識はぼんやりとあるものの、ずっと酸素吸入して、
栄養補給も点滴がほとんど。息子の顔もよくわかってはいないようでした。
はい、義父は、私には無愛想でしたが、息子はとても可愛がってくれてたんです。
と言っても、抱き上げたりするというより、
物を買ってくれることが多かったですね。齢をとっても、やはり昔かたぎの、
こういう言葉がふさわしいかわかりませんが、強面の人だったんです。
そんな状態で1週間が過ぎ、幼稚園に迎えにいった帰りの車の中で、
息子が、「家にあるレゴ、幼稚園に持ってってもいい?」と聞いてきました。
「どうして?」と聞くと、「ぼく、自由時間はずっと幼稚園のレゴで遊んでるんだけど、
 他の子がじゃまして壊したりするんだ。大事なものを作ってるのに」
「うーん、じゃあ、明日の朝幼稚園の先生に聞いてみるね」

翌朝、息子を送ったときに、担任の先生にその話を出してみました。
そしたら、「あずかり保育のときは遅番でくる別の先生が担当なんですが、
 そういえばほとんどレゴをやってて、手がかからないって言ってましたね。
 うーん、私の一存では決めかねますので、園長先生に」
それで、家にあるレゴを持ってってもいいことになったんです。
そしたら、夜に家で自分のレゴを出していた息子がむずかりまして、
「これだと色が足りない」って泣き出したんです。ええ、息子は小さいときから
レゴが好きで、かなりの量があったんですけど。
「何を作ってるの?」と聞きましたら、「わからない」って・・・
ともかく、その日の帰りにおもちゃの専門店に寄って、バラ売りのレゴを選ばせました。
そしたら、赤と黒のブロックを大量に袋に入れました。

それから、私は言い方がよくわからないんですが、赤のポツ一つだけの、
細長いレゴもふた握りほど選んだんです。
義父のほうは、病状は深刻でした。熱は薬でむりやり下げていたんですが、
肺の炎症はおさまらず、心臓にも負担がかかって、
「これはこの後のことをお考えになられておいたほうが」みたいに言われました。
その日、息子を迎えにいくと、あずかり保育の先生から、
「ちょっとお話が」と言われました。息子を車に乗せたままの立ち話でしたが、
息子が他の子らと遊ぼうとしないということでした。
すごい真剣な顔でずっとレゴに向かっていて、おやつにも手を出さない。
他の子が近寄ってくると威嚇するようなそぶりをし、「さわるな」と強く言う。
息子は体が大きいほうで、それで外の子も近寄っていかなくなった。

こんな内容だったんです。幼稚園では友だちが多いほうだと思っていたのに、
この間の話もあって心配でした。それで、「どんなものをつくってるか、
 見ていってもいいでしょうか」こう聞いてみたんです。そしたら「どうぞ」って。
息子のレゴ作品?は教室のすみに置かれていましたが、かなり大きなものでした。
畳の四分の一ほどの四角な形で、赤と黒のブロックだけでできていました。
それが幼稚園児がやったとも思えないほど精巧に組み合わせられていて、
片側からもう一方へと高くなっていました。ええ、山とそのふもとという具合です。
「これ、何なんでしょう」幼稚園の先生に聞きましたが、首をかしげ、
「本人に何度も聞いたんですが、わからないと言うばかりで」こう答えられました。
車に戻って息子に、「今、先生から聞いたけど、レゴばっかりやってて、
 他の子と遊ばないんでしょう」と言いましたら、

「ぼくだって遊びたいけど、あれができるまでそうしちゃだめなんだ。
 でも、もうすぐ終わるよ。あ、そうだ、またレゴ買いに連れてって。あと一つだけ」
・・・私としても当時は義父のことで頭がいっぱいでしたから、
とりあえず言うことを聞いてやろうと、翌日またおもちゃ屋へ行きました。
そしたら息子は、人の頭になる部分ですね、あの目鼻のついた。
それを一つだけ買ったんです。それから2日後、義父の容体が急変しまして、
心臓のほうがかなり弱って危ない状態になったんです。
「親戚の方を集めたほうが」と看護師さんに言われて、夫の会社に連絡し、
あまり多くはなかったんですが、近くの親戚にも知らせまして、
まだ午後の4時だったんですが、息子を迎えに幼稚園に行ったんです。
事情を話して、あずかり保育の教室に入っていくと、

息子がこちらを振り向いて「お母さん!できたよ」と言いました。
息子の前には、あの赤黒の山がありましたが、その山の上に、
ひとつポツの細いレゴがたくさん植えられていたんです。息子は満面の笑みで、
その頂上に人型の人形を座らせ、「これ、おじいちゃん」と言いました。
それから、私の見ている前で全部をぐしゃぐしゃに壊してしまったんです。
車の中で「あれ、どうして完成したのに壊しちゃったの?」と聞きましたら、
「つくれって言った人たちが、もういいからって」 「誰がつくれって言ったの?」
「おじいちゃんみたいに体に絵が書いてある人たち」ぞくっとしました。
これは刺青のことを言っているのか・・・病院に戻ると夫がすでに来ていました。
担当医の先生が心電図を指して、「危篤状態です」と言いました。
その日来られた親戚は、義父の従兄弟という方一人だけ。

みなで義父に呼びかけましたが、顔は真っ白でもう助からないと思いました。
意識のない祖父に息子が「おじいちゃん、できたよ、できたよ」と言い続けていました。
しばらくして医師が心電図を私たちに示し、目に光をあてて、
「○時○分 死亡確認 お亡くなりになりました」こうおっしゃってから、
酸素マスクや点滴を外しました。そのとき義父の口元から赤いものがこぼれ、
ガーゼで拾い上げた看護師さんが困惑した顔をしました。「何ですか?」と聞きましたら
見せてよこしたんですが、それは赤い細いレゴ、息子が買ったのと同じものだったんです。
夫は覚悟をしていたようで、テキパキと葬儀社とのやりとりをこなしていました。
息子が眠そうな顔をしていたので、いったん家で寝せようと思いました。車に乗せると、
「ぼくあれ、何かわかったよ。あのつくってたやつ」 「何だったの?」 
「じごく」そう一言だけ言って、ことりと寝入ってしまったんです。







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