スポンサーサイト

--.--.-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

顔のあるもの

2016.05.29 (Sun)
今日は怪談論・・・なのかなあ、どれかに分類するとすればそうでしょうが、
たぶんあっちこっちに飛ぶ、まとまりない話になると思います。
「顔のあるものには命が宿るから、買うときにはよく考えなさい」
という言葉を耳にすることがあります。とはいえ、雛人形や五月人形を始め、
みなさんの中で、家の中に人形やヌイグルミがまったくない、
という方はおられないのではないでしょうか。

ああいうものは、買うときはいいですが、
処分するときに困る場合が多いですよね。
うちの母親は「木目込み人形作り」というのを趣味でやっていて、
亡くなった後に数十体が残されて、処分に大変困りました。
結局、少なくない金額を支払って人形供養をしてもらったんです。
プロの怪談作家の先生方の作品でも、
人形やヌイグルミにまつわる怪異はよくみかけられますね。

さて、世界の宗教を見渡すと偶像崇拝を禁じているものがあります。
もっとも厳しいのがイスラム教でしょうか。
これは、630年の預言者ムハンマドのマッカ(メッカ)侵攻のときに、
カアバ神殿に祭られる数百体の神像・聖像を自ら叩き壊した事績を
重視しているためです。ですから、偶像崇拝の禁止は徹底しています。
下の画像は、ムハンマドの誕生の場面ですが、左側の天使の顔は描かれていますが、
中央の赤子のムハンマドの顔には白いベール?のようなのがかかっています。
基本的に、こういう表現のしかたしか許されないんですね。



ですから、イスラム国以外でムハンマドの風刺画などが新聞に掲載されると、
大きな問題になり、絵の作者の暗殺指令が出されたりするわけです。
偶像を描くのが禁止されたため、イスラムの宗教的な情熱は、
もっぱら「カリグラフィー」に向けられました。
これはイスラム書道(Islamic Calligraphy)とか、アラビア書道とも言います。
下図のようなものですが、これはちゃんと意味のある文章(クルアーン=
コーランの一節が多い)がデザイン化されたもので、イスラムのモスクの中は、
これでびっちり装飾されている場合が多いのです。

『Islamic Calligraphy』


あと、キリスト教では偶像崇拝は基本的には禁止なのですが、
「聖画像」(キリストやマリアの像 Icon)は偶像ではないと考えられるものの、
カトリックとプロテスタントではこれも違いがあります。
特にプロテスタントはさまざまな宗派に分かれていますので、
多様な考え方があります。自分が住んでいたことのある、
アメリカの田舎町のプロテスタント教会は、十字架があることをのぞけば、
外観はほぼ普通の民家でしたし、中も装飾や偶像らしきものはなし。
そこで信者の代表であり、身分的には一般信徒と差異のない牧師さんが、
(カトリックでは人々を導く聖職者である神父さん)
日曜日には、信者の前で聖書の一節を引いて説教をしていました。

余談ですが、自分はアメリカのテレビ説教師(伝道師 Televangelists)
のスピーチを、たまにyoutubeで見ることがあります。
自分はキリスト教徒というわけではないんですけど、なんで見るかというと、
彼らの英語はたいへんわかりやすく、話もゆっくりなので、
錆びついてきたヒアリングのおさらいをするのにちょうどいいんですね。

さて、アメリカ映画には、有名な『チャッキー』シリーズをはじめ、
人形が命を持って暴れるような作品がありますね。これは本来、
キリスト教の考え方とは相容れないものですので、そういうのを出すときには、
アメリカホラー映画の三種の神器を使います。これ、何かというと、
1つ目が、『ハリー・ポッター』に見られるような西洋魔術、魔法。
2つ目は、アメリカ先住民の呪法・・・(ここでまた余談ですが、
アメリカ先住民をインディアンと呼ぶのは差別用語にあたるようです。
かといって、ネイテイブ・アメリカンといっても怒られる場合もあり、
大変難しいんです。自分は実際に向こうで怒られた経験があります)

3つ目は、アフリカ由来のブードゥーです。それらを出すことで、
「これはキリスト教のらち外にある娯楽映画だよ」みたいな意味を持つようです。
ちなみにチャッキーは、本来の商品名は「グッドガイ人形」だったと思いますが、
「アディ デュイ デンベラー」という怪しげなブードゥーの呪文で、
「湖畔の絞殺魔 チャールズ・レイ」の魂が人形に乗り移っているものです。
早く人間に乗り換えないと、体がだんだんに人形と同化してしまう
という設定になってましたね。ブードゥ-では有名な人形の呪いがありますが、
あのあたりから発想が出ているのでしょう。

悪魔が出てくる映画『エクソシスト』なんかは、キリスト教の神との戦いを描いて、
どうしても宗教的な意味を持ってしまうものですので、
上記のとはまた違います。そういう映画で、悪魔が勝利を得てしまう内容にすると、
やはり社会的な批判を受けてしまうことになります。
映画『エンゼル・ハート』の原作『堕ちる天使』などは、廃刊運動まで起きています。

さてさて、仏教寺院だとまずどこでもご本尊の仏像がありますし、
偶像崇拝と言われることはあまりありませんね。ブッダのころの
原初仏教とはまた違ったものになっているのだと思われます。
特に日本の場合、仏像とともに仏教が伝来してきたので、
このあたりはしかたのないところかもしれません。

神道だとどうなんでしょう。あまり考えたことはないのですが、
神様の画像はないわけではないものの、それがご神体とされることはないですよね。
普通は、山や岩、滝や木などの自然物や、鏡、石、剣などがご神体となります。
積極的に偶像崇拝を否定してる感じもないですが、
やはり八百万の神・・・あらゆるものに神が宿るという考え方からすれば、
絵姿や像をつくる意味はあまりないのかもしれません。
このあたりお詳しい方がおられれば、ご教示願いたいところです。






関連記事
スポンサーサイト

トラックバックURL
http://scoby.blog.fc2.com/tb.php/1138-65ad78f6
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する