白面地蔵の話

2016.06.04 (Sat)
これ、私が8歳くらいのときの話なんです。ですから、記憶違いもあるでしょうし、
何より、当時はまるで意味がわかってなかったことが、
年月がたつにつれて、おいおい理解されてきたものなんです。
そのことをあらかじめご承知おきください。
何から話を始めればいいでしょうか・・・そうですね、
私の住んでた町には川をはさんで2つのお寺があり、どちらも同じ宗派でしたから、
大きな法要を営むときなどは、ご住職が互いに行き来し協力して行っていました。
私の家では川の南側のお寺が旦那寺で、そこに墓所もありましたので、
お盆やお彼岸時にはいつも親に連れられてお参りしていたものですが、
数年に一度は、川向うのお寺にも出かけました。
これは親族のお墓がそちらにあったためです。

そのときに、「黒の幕屋」というのを見かけました。
川向うのお寺は小高い岡にありまして、その崖から川原が見下ろせたのですが、
堤防の突端のところに、板屋根の細長い建物があったんです。
それが黒の幕屋と呼ばれているものでしたが、名前の由来は、
四方につねに黒い幕がかかっていたためです。
いつだったか母に、「あれは何?」と尋ねたことがありまして、
そのときに「あれは白面地蔵様をお祀りしている場所だよ」と教えられました。
「白面地蔵って?」重ねて聞くと、母はちょっと困ったような顔をしましたが、
「お顔のないお地蔵様」こう答えてよこしました。
「なぜお顔がないの?」子どもですからそう聞きますよね。
すると母は、「最初からお顔を彫らないから」とわざと見当はずれのことを言い、

この話題が出たのを後悔するかのように押し黙ってしまったんです。
それで、私の隣の家に、美咲ちゃんという3歳の女の子がいました。
私は先程言いましたように8歳でしたから、ずいぶん歳は離れていたのですが、
仲がよくて、小学校から帰った後などよくおままごとをして遊んだものです。
歳のわりに体は小さかったのですが、よくしゃべる利発な子だったと思います。
それがある日、走って門を出たところで、
配達の軽トラックに跳ね飛ばされて亡くなってしまったのです。
即死でした。ええ、完全な飛び出しによる事故ですから、
相手の車を責めることはできません。まだ20代後半だった美咲ちゃんの母親は、
葬式や火葬の間中泣いて泣いて、それは悲痛な様子だったのを覚えています。
ええ、私も泣きましたし、人の死ということを初めて身近に感じ、

ずいぶん怖ろしい思いもしたのです。あれほど跳ねまわっていた子が、
学校から帰ってきたらもうどこにもいないのですから。
49日が過ぎてから、形見分けとして美咲ちゃんの持っていた人形などを
いただいたのですが、何だか怖いような気がして、
それで遊ぶことはなく、箱にしまって部屋の本棚の上にずっと置かれてありました。
今でもありますよ。美咲ちゃんの母親は半年が過ぎても元気がなく、
まるで半病人のような状態で、家にこもったきり外に出なかったんです。
たまに私と会ったときも、すごくよそよそしい態度で、
こちらの顔を見ようとしませんでした。私の家族はもちろん心配し、
母がよく町内の行事などにさそったりしていたのですが、
出てくることはありませんでした。おそらくひどい鬱だったのだと思います。

美咲ちゃんにはもちろん父親もいましたが、忙しかったらしく、
あまり近所づき合いはなかったのですが、美咲ちゃんが亡くなって以来、
ますます帰りが遅くなり、朝に出かけるときに見かけても、
何日も同じスーツやネクタイをつけていることが多くなったのです。
ええ、隣家からは夜遅くに、怒鳴り声が聞こえてくるようになりました。
それで、美咲ちゃんの事故から1年がたとうとした頃ですね。
夕方、家の前で朝顔に水やりをしていると、隣の家の前にトラックが止まってました。
荷台のところに見たことのない紋章がついていたのを覚えています。
トラックは木組みや、祭壇のようなものを積んでいまして、
その中にお地蔵様が一体ありました。高さは8歳の私の胸までくらいでしたから、
そう大きなものではありません。ただ、普通は赤いはずの頭巾が、

黒になっていたのは子どもの目にも異様に感じられました。そのときは
後ろ姿だったので、ないと言われているお顔は見えませんでした。
やはり黒い作務衣のようなものを着た人たちが、木材をどんどん隣家に
運び込んでいまして、それを美咲ちゃんの母親が玄関先で見守っていました。
そのとき私の家から母が出てきまして、垣根ごしに近づいて、「ちょっと○○さん、
 あなた黒川衆の顔なし地蔵さんをお祀りする気? 
 悪いことは言わないからやめなさいよ。あんたまだ若いんだから、
 こう言っちゃなんだけど、子どもはまたつくれるじゃない。顔なしさんやったら、
 お墓のあるお寺から出て行かなくちゃならないし、
 旦那さんとだってうまくいかなくなるよ」正確ではありませんが、
だいたいこんな内容のことを言ったんです。

すると美咲ちゃんの母親は、「いいんです。もうこれしかないですから」
そう言って家の中に走りこんでしまいました。そして、美咲ちゃんの家の庭に、
あの堤防にある黒の幕屋の五分の一の大きさほどのものが出来上がり、
美咲ちゃんの母親は、毎日そこにこもってお祈りをしているようでした。
それからはあっという間でした。美咲ちゃんの父親が、
他所に女性をつくって家を出てしまい、離婚ということになったのですが、
美咲ちゃんの母親は慰謝料として、その家をもらいうけたようでした。
私の母は、この一連の出来事を話すつど、いつも顔をしかめて首をふっていました。
隣家とのつき合いはなくなり、美咲ちゃんの母親は、スーパーでわずかな食材と、
おそらくお供えの花や菓子を買う以外、外出することはなくなりました。
私が、隣家の庭の黒の幕屋について興味津々でしたが、

何か質問するような雰囲気ではなく、それどころか、
「あれに目を向けちゃいけないよ」とまで言われていたのです。
お盆を過ぎたあたりのころです。私の家では墓参りを済ませ、
母は毎夜、町内会の盆踊りの会に通っていました。
私は夏休み中で、ときおりは美咲ちゃんのことを思い出すものの、
プールに通ったり、同学年の子の家に遊びに行ったりと、
長期休業期間を満喫していました。そんなある夜のことです。
9時半頃でしたか。盆踊りに出ている母を迎えに出たのです。会場は、
町内にある銀行の駐車場で、夜だけそこに移動式の櫓を立て、
その回りで盆踊りが行われていまして、私は浴衣を着て、
母についていく日もありましたが、そのときは家で好きなテレビを見ていたのです。

会場にはいくつか屋台も出ていて、帰りにそこで何か買ってもらえるのを
楽しみにしていました。家を出ると、隣家の庭でちらとらと
黄色い光が揺れているのがわかりました。道路にまで光の影が落ちていたのです。
何だろう、と見ると、黒い幕の中にかなり強い黄色の光があり、
かすかに読経の声が聞こえてきました。美咲ちゃんの母親の声だと思いました。
幕の合わせ目に隙間があり、そこから光が漏れているのでした。
もう行こうとしたとき、幕の間からぬっと丸いものが出てきました。
白面様、顔なし地蔵さんでしたが、、正面から顔を見たのは、
そのときが初めてでした。もちろん石製でかなり重いはずなのに、
それを両手で抱えて、よろめきながら美咲ちゃんの母親が出てきました。
そして、やはり重さに耐えかね前のめりに転んだのですが、

そのときお地蔵様の顔がこちら向きになったのです。
目を閉じていましたが、事故で死んだ美咲ちゃんの顔だと思いました。
芝生の上に落ちた地蔵様はそのままズンと倒れて転がりました。
「美咲ー」という悲鳴を上げて、美咲ちゃんの母親がそれを起こそうとしていました。
ガリガリと石を爪でひっかく音が私のところまで聞こえ、
私は息を飲んで立ちつくしていたのです。
やがて、美咲ちゃんの母親はその上に覆いかぶさって泣き出し、
私の肩に手が置かれました。はっとして見上げると早めに帰ってきた母でした。
母は首を振り、何も言わず私の顔を持っていたうちわで覆うと、
背中を手で押すようにして家の中に入れました。私が家に入っても、
美咲ちゃんのお母さんの泣き声は、ずっと続いていたのです。 ・・・終わります。

はかかおおsじいい




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