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死に布団の話

2016.06.07 (Tue)
これは私が9歳のときの話です。生まれたときから体が弱くて・・・
先天性の心疾患があったんです。ですから同年代の子よりも体が小さく、
運動はいっさいできませんでした。少し動いただけで息切れしてしまうのです。
チアノーゼ症状がひどく、唇が紫になり、全身が赤くなってくると、
それは長期入院の合図でした。小学校に入ってからずっと、
母が通学の送り迎えをしてくれてたんですが、
1年のうち半分近く入院していたんですね。あ、はい。
ごらんのように今はなんともありません。運動も軽いものならできます。
その9歳の秋に手術をしたんです。まる1日がかりの大手術だったそうです。
はい、これからお話するのは、その手術の少し前に、
母の実家であったことなんです。

母の実家は、ある地方の旧家で、小高い丘の上にある、
それはそれは広いお屋敷でした。そうですね、横溝正史の映画に出てくるような、
と言えばわかってもらえますでしょうか。あの、八つ墓村の、
双子のおばあさんがいる・・・ 雰囲気もよく似ていたと思います。
そのお屋敷を訪れたことは数回しかなかったはずです。
お盆などは父のほうの実家に参りますし、お話したように、
私は体が弱かったので、長い時間乗り物に乗るのもよくなかったんです。
それが小3の夏休み、母の車の後部座席に寝た状態でそこへ向かったんですね。
はい、父ももちろんおりましたが、その時はついてはきませんでした。
母の実家は、母の年の離れた兄夫婦が継いでおりまして、
いちおうは当主ということになっておりましたが、

実際に切り盛りしていたのは、今思うと母の母、私の祖母でした。
祖父は、そのときすでに他界していたんですね。
もう昭和の終わりに近い頃でしたが、使用人も何人かいたと記憶しています。
祖母は優しかったですよ。そのときも私を、よく来たなと出迎えてくれて、
軒にたくさん吊るしてあった干し柿をふるまってくれました。
そして「おうおう、かわいそうに、小学校に入ってもまだこんなに小さいんだの。
 しに布団は蔵から出しておいたよ。使うのは十何年ぶりかの。
 まだ効験があるかわからんがのう」こんなことを言ったように思います。
はい、このときは「死に布団」という言葉の意味は、
当然ながら、わからなかったんですけども。
叔父夫婦にご挨拶しまして、夕餉をいただきました。

道中はほとんど寝てきたようなものでしたが、
8時をすぎるとすっかり疲れてしまって、母に「もう休みたい」と言ったんです。
そうしたら、パジャマに着替えさせられまして、母に手を引かれ、
広大な平屋建ての、いくつのも部屋をこえた奥の間につれていかれたんです。
そこに死に布団が敷かれていました。変哲もない白い敷布団に、
白い掛け布団でしたが、掛け布団の上に黄色と空色を基調にした振袖が
掛けられてあったんです。これはところどころが布団に縫いつけられていたようで、
動かしてもずれることはありませんでした。
枕元には水差しと、それから鈴が一個置いてありました。
私は不安になり、「ここで寝るの? 一人で?」と母に聞きました。そしたら、
「今日一晩だけ、大丈夫、お母さんたちはすぐ近くの部屋にいるから。

 ちっとも怖いことなんかないよ。もし夜中でも心配になったら、
 そこの鈴を振って鳴らしなさい」こう言われました。
そのときに、これは何か特別なことなんだろうって思ったんです。
私は素直に布団に入りました。夏のさ中でしたが、病気のせいか、
あまり暑さを感じない体質だったんです。布団にもぐり込むと、
母が私の髪を優しくなで、それから伝統を小さな灯りだけにして出ていったんです。
私は天井板の凝った文様をしばらく眺めていましたが、
すぐに眠気が襲ってきて・・・ そして夢を見たんです。
私は、実家のお屋敷の数ある座敷の真ん中に立っていました。
あたりは暗くしんとしていて、たちまち不安になり、
ふすまを開けるとまた別の座敷、それを何度か繰り返したときには、

それが夢の中だということはなんとなくわかっていたと思います。
それは、普段の私なら走ったりするのは無理だったのが、
そのときには跳ぶように軽く動いていくことができたんです。
ですから、不安半分、体が軽いのが嬉しいのが半分といった気持ちで、
次々と部屋を抜けていくと、トンとふすまを開けたとき、
小さめの座敷に布団が敷いてあったんです。私が掛けた、あの黄色い振袖の布団で、
中に寝ている人がいました。いえ、当時の私ではなく大人の、
歳とった女の人でした。お祖母さんかな、と思ったんですが、
その上を向いた顔は似ているようでもあり、そうでないようでもあり・・・
私が立ったまま上から顔をのぞき込んでいると、女の人はぱちりと目を開け、
こちらを見て「鈴を鳴らしてくれないかい」って言ったんです。

見ると、私の枕元にあったのと同じに見える鈴が置いてあり、
私はかがみこんで手に取り振ると、リンリンといい音が鳴ったんです。
そこで目が覚めました。ええ、もちろん最初に寝た部屋にいました。
私は体を起こして、水差しからコップに注いで水を飲み、
もう一度寝たんですが、今度は何も夢は見なかったと思います。
次、目が覚めたときにはもう朝になっていました。
チュン、チュン、雀が鳴く声が聞こえていて、
布団の横に母とお祖母さんが座っていました。私が目を開けたのに気がついて、
母が「おはよう、夢を見たかい」と聞いてきました。
「うん」私がうなずくと、「どんな夢だったい?」
はい、夢の内容は鮮明に覚えていました。

それで、座敷をいくつも通ってこの部屋に来たこと、そこに同じ布団があり、
歳とった女の人が寝ていたことなどを話したんです。そしたら母とお祖母さんは、
顔を見合わせてうなずき、母がもう一度、確かめるように、
「ほんとに歳とった人だった?」と聞いてきたので、
「うん、額にしわがあったよ」と答えました。
母の実家にはもう一晩泊まりましたが、そのときは囲炉裏のある居間に近い部屋で、
母といっしょに寝たんです。あの振袖の布団ではありませんでした。
3日目、また母の車で家に戻ったんですが、それから1週間ほどして、
私は大学病院に入院して心臓の手術を受けたんです。
ええ、たいへん苦しい思いをしましたが、そのことは、
死に布団の話とは関係ありませんので省かせていただきます。

・・・もうおわかりだと思います。後になって、母にあのときの布団の話を聞いても、
はかばかしくは答えてくれませんでしたので、
私が気がついたのはずっと後のことです。もう30歳近くになっていたと思います。
あるとき鏡を見ていて、不意にわかったんです。
ああ、あの母の実家で振袖の布団で寝ていたのは私だったんだということ。
おそらく、死ぬ間際の私なんだろうと思います。
死に布団とは、それに寝た人が死んだときの姿を見せるものだったんでしょう。
それと、私がそこに寝かせられた理由。もちろん心臓の手術ですよね。
成功率はかなり低かったんだそうです。ただ・・・不思議なことですよね。
もし私が手術を受けなくても、あのお婆さんになった歳まで生きたのか、
それともそういうことではないのか、考えるとよくわからなくなってしまうんです。





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