梦幻茶房

2016.06.10 (Fri)
バブル華やかなりし時代の話だよ。1990年の手前。
おれはその頃、ある不動産会社の買付部門にいたんだ。
いや、お察しのようなヤクザ絡みの会社じゃなかったが、買付けってのは当時、
要は地上げと同義語みたいなもんだった。
Fラン大学を出て就職し、3年目のことだったな。
そんなだからよ、アコギな真似をしてたくさん人の恨みも買った。
あんな時代はもうこねえだろうな。俺の給料が手取り30万で始まったのが、
3年目で60万までに増えてた。会社は俺より10ばかり年上の若い社長が
仕切ってたが、信じられねえような金回りだったよ。
でな、そういう仕事をしてると、だんだんに澱みが溜まってくるんだ。
出方は人によっていろいろだが、俺の場合は汗だった。

すげえ汗っかきになったんだよ。気温とかまるで関係なし。
首筋、脇の下からだらだら汗が流れ落ちて、数時間でシャツがびしょびしょだ。
いやあ、エアコン18度に設定しても同んなじ。
だからしかたなく、日に3回はワイシャツとっかえてた。
これは、その汗が黒いせいもあった。なんでかしらないが、
ススみてえな汗が出たんだよ。ハンカチで額を拭けば薄黒くなってる。
もちろん医者には行ったさ。けど検査の結果におかしな数値は出ねえ。
皮膚科で診てもらってもとくに問題なし。
医者の目の前でガーゼで汗を拭いて見せても、首をかしげるばかりで、
「実害はないんでしょう」ときた。たしかにめまいや頭痛ってわけじゃないから、
仕事に大きな支障はなかったんだが・・・

それで、あるとき会社の洗面所で顔洗ってたら、
ばったり社長が入ってきたんだよ。でな、黒い水が溜まったシンクを見て、
「ああ、お前、抱え込んでるなあ。それな、医者に行っても治らんから。
 ここに行ってみな。スッと悪いものが溶けてく。
 代金は会社持ちにするよう連絡しといてやる」こう言われて、
一枚の名刺を渡されたんだよ。そこには「梦幻茶房」という店の名と住所。
代表者名とか電話番号は書いてなかった。
住所は武蔵野のほうだったが、今はもうねえよ。
車で行ってみたんだが、建物はつぶされて植物園みてえなのになってたな。
で、次の休みの日に行ってみたんだ。そしたら白壁の家があってな、
「梦幻茶房」という小さな木の看板が出てた。

なんというか、白壁のアフリカの砂漠にでもありそうな建物だったな。
変わってると思ったのは、ガラスが一切使われてなかったことだ。
窓はあったが、木の両開きのやつだったんだよ。呼び鈴を押すと、
青紫のエプロンをかけた30代くらいの女性が出てきたな。あとでわかったんだが、
その人が女主人だった。中国語らしき名前を言われたが覚えてねえ。
で、俺の顔を見て「○○さんですね。社長様から伺っています。どうぞ」
流暢な日本語で中に案内された。それが床は乾いた土になっていて、
中国っぽい感じはまるでせず、やっぱりアフリカを思わせる調度が並んでた。
「ここは何をするんですか?」今考えれば間抜けた質問だが、
女主人は笑って「茶房ですから、お茶を飲んでいただきます」こう答えた。
あとな、そのときは11月だったが、中がすごく暑かったんだよ。

40度近くあったんじゃねえかな。俺が黒い汗をだらだら流しているのを見て、
女主人は、「3番房に入って着替えていてください」って言った。
奥へ続くドアを開けて、そこに長い廊下があったんだよ。
そうだなあ、両側に10部屋ずつで、全部で20ほどのドアがあった。
どのドアにも番号札がついてて、俺は手前の3番って書いてるところに入った。
中はサウナまではいかねえが、相当な暑さで、それもそのはず、
レンガを積んだかまどにガンガン火が焚かれていたんだ。そこに銅製らしき、
高さ80cmほどの蓋つき容器がのせられ、グラグラ煮え立った湯気を蓋の穴から
吹いてた。部屋自体は3畳ほどの広さで、白布のかかったテーブルに椅子が一つ。
あと、かまどの脇に脱衣かごがあり、中に白いガウンが入ってた。
それで、下着だけになってガウンをはおり、椅子にかけて待ってたら、

ややあって、女主人が手に籐製のザルみたいなのを持って入ってきた。
ザルの中には、乾いた丸い植物が入ってて、中国の花茶に近いものだと思った。
女主人は「聞いてますよ。黒い汗がでるんですよね」そう言って、
金バサミで銅製容器の蓋を開け、その大きな塊を5つ6つ中に落とし込んだ。
「しばらく待っててください」女主人は出ていき、俺は窓もない部屋で、
それから1時間以上蒸されてたんだよ。いや、信じられないほどの汗が出た。
ガウンが絞れるくらいになり、白かったのが薄墨のような色に変わって、
「ああ、これはやっぱ、サウナの一種なんだ」って思ったくらいだ。
テーブルの上の白布にも汗がぼたぼた落ち、頭がもうろうとなってきた。
でな、待っているあいだ中、なぜか俺の仕事、地上げのときにやった色んなことが、
思い出されてきたんだ。無慈悲な仕打ちとか、心ない言葉とかだな。

でな、それ思い返してるうちにダラダラ涙まで出てきたんだよ。汗より黒い涙が
テーブルに落ち、いたたまれない気分になったときに、女主人が入ってきた。
青みがった小さなガラスのグラスに、薄緑の液体が入っていたな。
女主人はかまどの火に灰をかけ、そしたら部屋の温度が少し下がった。
そして俺の前に「冷茶です。どうぞ」とグラスを置いた。
もう脱水に近かったから、一気に飲んだよ。そしたら体全体がスーッと冷えた。
そして全身がガクガクと震えだしたんだよ。お茶の味? ああ、お茶というか、
ミントみたいな味がした気がする。あんまり覚えていないが。
震えがおさまってから、「気分がすっとしました。
 ここってサウナ療法みたいなとこなんすか?」って聞いてみたんだよ。
女主人は「ええ、まあ」と言葉を濁し、続けて「釜の中をご覧になりますか?」

立って近寄ると、女主人はまた金バサミで銅釜の蓋を開け、
俺はそれを上からのぞき込む形になった。そしたら、8分目まで入ったお湯の中で、
さっきの花茶のようなものが揺れていた。それらは大きく開いてくっつき合い、
まだポコポコ沸いているお湯の中でゆっくりと回転していた。
いや、何かの植物なのは間違いなかったが、
その中に人の表情が浮かんで見えたんだ。
見覚えがある気がした。俺が地上げした農家の婆さんとかの顔だと思った。
「ふつうは、この釜の中はお客様にお見せすることはないんですが、
 社長様からそうするように言いつかっておりまして」
女主人がこんなことを言ったんだよ。「お着替えを」と言って女主人は出ていき、
俺が着替えて最初の部屋にもどると誰もいなかった。

俺はせいせいした気分で車を運転して部屋に戻ったんだよ。
あれ以来、黒い汗はまったくかかなくなった。これはあの茶房のせいだけじゃなく、
俺が会社を辞めたことも大いに関係してると思う。
辞表を書いて翌朝すぐ上司に提出したんだ。上司は驚いてたが、
社長に取り次いで、俺は社長室に呼ばれた。社長は、「あの茶房行ってきたか。
 辞めるのはいい決断だよ。もう物件はすべて売りに出して、
 俺もこの商売とはおさらばするつもりだ。
 こんなことが長く続くはずはねえから」そう言って笑い、3年勤務ではありえない
退職金をはずんでくれたんだよ。それで最後に「あんな黒い汗かくやつは、
 この手の商売には向いてない。今後は苦しいこともあるだろうが、
 地道に頑張んな」ってつけ加えた。ま、こういう話だ。




 

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