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悪魔ばらいの話

2017.09.20 (Wed)
じゃあ話していきますんで、よろしくお願いします。
・・・最近のことじゃあないんですよ。昭和30年代です。
だからもう60年ちかく昔の出来事なんです。それでよろしければね・・・
当時わたしは中学生で、天使園で暮らしてたんです。
天使園ってのはご存知でしょう。キリスト教の養護施設です。
今も全国にあるんですけど、カトリック系が多いんです。
でもね、わたしがいたのはプロテスタントの教会が主催してるところで、
牧師さん、わたしらはミスターをつけて名字で呼んでましたが、
みんなアメリカ人だったんですよ。戦勝国だったアメリカからわざわざ来て、
日本の孤児を世話してくれた。いや、感謝してますよ。
夜間でしたけど高校まで出してもらって、人並みの人生を送ってこれたんですから。

ああ、わたしはね、まるっきりの孤児ってわけじゃあなかったんです。親父はいました。
けど太平洋戦争の傷病兵でして、片手片足が不自由だったんです。
あと、親戚はほとんどが空襲で焼かれてしまって、
それで福祉のはからいでっていうか、天使園にあずけられたんです。
あの、作家の井上ひさしさんってご存知でしょう。
あの人がちょうどわたしと同じ、プロテスタント系の天使園で育てられて、
そのときの体験をいろんな作品に書いてるじゃないですか。
当時の暮らしは、まさにあれと同んなじでしたね。今思えば懐かしいですよ。
ああ、園の生徒はみな男でしたよ。女の孤児はまた別の、
修道女がやってる施設があったんです。でも、男だけって言っても、
それはみな色気がついてくる年頃でしたから、生活はいろんな意味でたいへんでした。

一つの部屋に2段ベッドが3つギチギチに詰め込まれてまして、
ただ寝るだけじゃなくて、ベッドの上が自分のプライベート空間でした。
だからね、仲間はみな周りをシートで囲んで、外から見えないようにして、
服や学校の教科書なんかもそこに置いてたんですよ。
下着なんか数枚しかなくて、園の洗濯機で全部自分で洗ってたんです。
ああ、すみません。思い出話が長くなってしまいました。
で、その天使園の同じ中学2年生の仲間に吉田ってやつがいたんです。
当時はみな栄養状態がよくなかったんですが、吉田は特にやせてまして、
腕なんて枯れ枝みたいだったのを覚えてますよ。
やせているせいか目がぎょろっと大きくてね。髪がサラサラっとして、
なんか日本人離れした顔立ちでした。色も真っ白だったし。

でね、天使園の子は、園から小中学校に通っているんですけど、
部活動というのはできなかったんです。それは一つには、
野球だったらグローブとかスパイクとか、何をやるにしてもお金がかかるでしょ。
でも園がそんなお金を出してくれるわけもなく。あとね、
放課後に園に帰ってくると、それぞれ役割が決まってて作業があったんです。
裏地に畑を作ってました。そこに豆や芋、かぼちゃなんかを植えてたんです。
これ、収穫したらわたしらの食料になるんです。
天使園の運営資金は、基本は寄付です。日本とアメリカからの寄付。
ですから自給自足が奨励されていまして。わたしら生徒だけじゃなく、
牧師さんたちも作業着を着てクワをふるってましたね。
でね、畑の他にも鶏小屋と豚小屋がありまして、これもわたしらの食事にするんです。

吉田は鶏小屋の担当だったんですけど、それが、学校が夏休みだった8月のある日、
首を吊って自殺しちゃったんです。木造の鶏小屋の梁にタオルをかけて。
それだけじゃなく、鶏小屋に20羽はいた鶏が全部、首をねじられて死んでたんです。
わたしは見てないですけどね、吉田の足元には、それらの鶏が積み上げられて
たってことですから、吉田があの細い腕でやったとしか考えられない。
自殺の原因・・・それは、はっきりとはわからないんです。
このあと最後まで顛末を話しますんで、みなさんに想像していただくしかないですよ。
ああ、イジメなんかじゃあないです。
そんなイジメなんてする余裕はありませんでした。
もう自分自身が生きるのに必死でしたからね。
でね、もちろん警察も来ましたし天使園は大騒ぎになりました。

自殺ですからねえ・・・キリスト教だと、自殺することは禁忌になってまして、
葬式をやってもらえなかったりするんですが、ただし厳しいのはカトリックのほうで、
園ではちゃんと吉田のためのプロテスタント式のミサもやりましたよ。
で、警察は深くは介入せずに、しばらくすると園も落ち着きを取り戻したんですが・・・
1週間後くらいに、木造の鶏小屋の壁におかしなシミが浮き出したんです。
ええ、小屋の中のほうです。最初に見つけたのはわたしでした。
吉田のかわりに養鶏の担当になりまして、鶏も新しく買い入れて、
世話をしようと入っていきましたら、むき出しの木の壁に黒い影が焼きついてたんです。
それがね、ちょうど人が首を吊ったとしか見えない形だったんです。
前の日までは間違いなくなかったですよ。それが急にね。
驚いて叫んでしまいました。それで上級生を呼びにいったんです。

上級生が数人きて見ても、やはり首吊りのシミはちゃんとある。
梁から下がったタオルの下でだらんとしてる華奢な姿格好は吉田そのものだったんです。
シミは焼きごてを押しあてたように黒ぐろとして、寒気がするほど不気味でした。
でね、騒ぎを聞きつけたのかミスター・トンプソンがやってきました。
当時40代でしたでしょうか。この人は、農場全般を担当しているんですが、
わたしら園の生徒にはあまり好かれていませんでした。
陰気な感じがしたんですよ。生徒に話しかけることもあまりなかったし。
そのくせ何かと生徒の体をぺたぺた触りたがったんです。
今にして思えば、そういうことがあったから、生徒と触れる機会が多い園の中じゃなく、
外回りを担当させられていたのかもしれないです。
でね、小屋の中に入ったミスター・トンプソンはシミを見て顔色を真っ青に変え、

すたこら走って園長を呼びに行きました。
で、話を聞いた牧師さんたちがだんだんに集まってきまして、
やはりシミを見ては驚愕し、頭を寄せて相談を始めたんです。
そのときに生徒の一人が「悪魔ばらい」って叫んだんです。
そしたらわたしを含めた、そこにいる生徒が口々に「悪魔ばらい」って。
まあねえ、当時は「悪魔ばらい」って意味はみなわかってなかったんですけどね。
それに、映画で有名になったけど「悪魔ばらい」をやるのはカトリックだけなんです。
プロテスタントではふつうそういうことはしません。
でもね、騒いでるわたしらを見て、園長先生が、
「とりあえずミサをやりますから。聖書を取りに行ってきますね」
そう言ってその場を離れました。

鳥小屋の前に集まってた生徒は、草の上に並んで座らせられまして、
園長先生が分厚い聖書を手に戻ってきました。でね、鶏小屋の戸を開け放ち、
園長先生が、どの部分か覚えていないですけど聖書の一節を詠唱し、
他の牧師が両横に並んで、それをくり返しました。
しばらく続けていると、列の端にいたミスター・トンプソンが「ううっ」と
うめき声をあげました。見ると、顔中汗だらけになって目を固くつむって・・・
それには他の牧師さんたちは誰も気がつかず、さらに詠唱が進んで、
そしたらミスター・トンプソンが「熱い!」と叫んで両膝をついたんです。
すぐに両手で頭を押さえたんですが、その前に、
ミスター・トンプソンの額から青黒い煙があがっているのを見てしまったんです。
まあこれで、話はだいたい終わりです。

ミスター・トンプソンは救急車で病院に運ばれまして、
こっからは噂でしかないんですが、額の真ん中に焼け焦げができていたそうです。
それは十字架の形だったという話もありますが、どうですかねえ。
そのまま園に戻ることはなく、アメリカ本国に送還されました。
それと鶏小屋のシミのほうは、園長先生の祈祷でも消えなかったのか、
しばらくして解体され、別の場所に建てなおされたんです。
そうしてこの夏は終わりました。それ以後、おかしなことはなかったと思います。
わたしは、高校を卒業するまでこの天使園で過ごして就職しました。
はい、園はまだありますし、わたしも余裕があるときは差し入れを持っていったり、
寄付をしたりしています。・・・こうして、みなさんに話を聞いていただけてありがたい。
なんだか胸のつかえが降りたような気分ですよ。







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