山田家の二股商売

2017.10.03 (Tue)
変な題名ですが、これが一番この文章の内容をよく表していると思われます。
とりあげる人物は山田浅右衛門で、カテゴリとしては怖い日本史に入ります。
首斬り浅右衛門という言葉は聞いたことがある方もおられるでしょう。
Wikiには、「江戸時代に御様御用(おためしごよう)という
刀剣の試し斬り役を務めていた山田家の当主が代々名乗った名称
」と出ています。

さて、まず山田家の身分ですが、これは旗本でも御家人でもなく一介の浪人です。
旗本と御家人の違いはご存知でしょう。同じ徳川の幕臣であっても、
お目見得(将軍に謁見すること)ができるのが旗本、できないのが御家人です。
山田朝右衛門に関しては、2代目浅右衛門がときの将軍吉宗の前で試し切りを
披露したりしているのに、それでも浪人なんですね。

これは、死の穢れをともなう役目のためにこうした処置が取られた、
と解釈されることが多いようですが、
それ以外にも、山田家を幕臣として世襲にすると、
子孫の中に技の至らないものが出てくる可能性があるから、という話もあります。
山田朝右衛門は初代から9代まで続いていますが、
実際、親が実子を跡継ぎにしたのは一例しかありません。
朝右衛門の名は、弟子の中で技量の高いものに譲られていました。
ですから、山田朝右衛門の名は一種の屋号みたいなものだったんですね。

ただし、浪人だからといって貧乏だったわけではありません。山田家の屋敷は広大で、
一説には、3、4万石の大名に匹敵する収入があったと言われます。
江戸の名士図鑑のようなものにも山田家は大きく取り上げられていて、
庶民からの知名度も高かったようです。ではなぜ、
このような収入を上げることができたかというと、これには表と裏があるんです。

まず表の商売としては罪人の斬首で、これが首切り朝右衛門と言われたゆえんです。
罪人の首を斬るたびに、幕府から公儀御用として金銀をもらっていました。
次は刀の鑑定料です。鑑定といっても浅右衛門が刀を見て、
「いい仕事してますね~」とか褒めるのではなく、実際に試し斬りをしてみるんです。
罪人の死体は山田家に下げ渡されていたので、
それを使ってです。試し斬りの依頼は、幕府からもありましたし、
有力大名、旗本などからもありました。新しく刀を手に入れたら、
まず朝右衛門に試し斬りを依頼、というわけです。

例えば、罪人の死体を2つ重ねて斬った場合を二つ胴、
3体なら三つ胴などと言って、その刀がどのくらいよく切れるかの証明になります。
刀の茎(なかご 柄の中に入り込んでる部分)に、
「三ツ胴、土壇マデ入ル」などと彫り込まれたものがありますが、
これは罪人の胴体を三つ重ねて斬り、
さらにその下の土壇にまで刀が食い込んだという意味です。
試し斬りの依頼はたいへん多く、罪人の死体が足りなくなると、
いったん斬った死体を縫い合わせてまた使ったりしていたようです。
・・・まあここまでが表の商売ということになります。

さて、では裏の商売は何かというと、こっからが怖くなります。
こんな逸話が残っています。
ある人が山田家の宴会に誘われて遅くなり、一晩泊めてもらった。
朝方になって、ぽたぽたと水のしたたるような音がする。
雨かと思って縁側に出てみると、軒下に人間の肝臓やら胆嚢が
たくさん干してあって、そっから液体がしみ出して地面に落ちていたんですね。
そう、山田家では人体を使って薬を製造していたんです。

裏の商売と書きましたが、山田家では別に隠したり恥じたりしていたわけではなく、
江戸時代には、その当時の医療では治らなかった結核や梅毒の薬として、
人体の一部は珍重され、高額で取引されていました。
山田家にはこうした人体の部分を貯蔵しておくための蔵があり、
そこに入った人の話では、たくさんの大きな桶がならんでいて、
なんともいえない臭いが漂い、
中には人間の脳だけを集めた桶もあったということです。

これは、現代のわれわれから考えると薄気味の悪い話ですが、
山田家では代々の家業としてドライにやっていたのだと思われます。
この手の人体を用いた薬は人胆(じんたん)と呼ばれ、
明治になってから発売された口内清涼剤、仁丹はこの名にあやかってつけられた、
という話もありますが、本当かどうかはわかりません。

さてさて、最後に山田朝右衛門に関するおもしろエピソードをいくつか。
これには歴代の朝右衛門のものが含まれています。
朝右衛門を、一部には剣豪の一人として見るむきもありますが、
罪人の首筋に米粒をつけて刀をふり下ろすと、米粒は真っ二つに切れて、
首にはいっさい傷がついていなかったそうです。

また、ある罪人の首を切ろうとしたら、首筋に「東照大権現」と入れ墨がある。
これは家康のことですよね。浅右衛門が役人に相談して、
首が斬れないので、その罪人は死一等を免じられ島送りになりました。
これを聞いた悪党どもは大喜びで、みな首筋に「東照大権現」と彫った。
しかし朝右衛門は、次からはその部分だけ皮をそぎ取り、
その上で首を斬るようにしたということです。
悪党どもは死ぬ前によけいに痛い目にあったわけです。

朝右衛門は、たくさん罪人を斬った後は、屋敷に戻って
酒を飲んでどんちゃん騒ぎをしました。このことを聞いた江戸の庶民は、
さすがの朝右衛門でも怨霊が怖くて寝られないんだろうと噂しましたが、
当の朝右衛門は、「今までいったいどのくらいの首を斬ったと思ってるんだ。
それがみな化けて出るんだったら、命がいくつあっても足りないよ」
と笑い飛ばしたそうです。






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