火消婆

2017.10.04 (Wed)


今日は時間がないので、妖怪談義にさせてください。
とりあげるのは火消婆(ひけしばば)で、ふっ消し婆とも言います。
姿形が人間に近い、どちらかというと地味な妖怪です。
詞書にはこのようにありますね。
それ火は陽気なり 妖(あやし)は陰気なり
うば玉の夜のくらきには、陰気の陽気にかつ時なれば、火消ばばもあるべきにや


訳すまでもないようなものですが、「火は陽気で、妖しの者は陰気である。
夜の暗い間は、陰気が陽気に勝つ時なので、
火消婆のようなものも出てくるのだろう」くらいの意味です。
陰と陽の気がつねに争っているとする、中国の陰陽説からきているのでしょう。

これ、Wikiには「江戸時代の吉原遊郭の風刺、または性病の恐ろしさを風刺し、
年増の私娼をモデルとして創作されたもの
」という説が出てくるのですが、
自分はどうかなあと思います。ちょっと深読みしすぎなんじゃないでしょうか。
石燕の絵は、竹のれんの商家が描いてあり、横手から火消婆が出てきて、
つるそうと準備していた提灯の火に息を吹きかけて消そうとしている様子です。
火消婆は袖で顔をおおっているようにも見え、明るいのが苦手なのかもしれません。

江戸時代にはもちろん電気はありませんでしたので、
明かりは不安定なものでした。それが何かの拍子に消えてしまうのは、
日常的に珍しいことではなかったと思います。そういうとき、
あれ変だな、みたいに思う気持ちが妖怪化したんじゃないかという気がしますね。

さて、ここで江戸時代の照明事情をちょっとお話すると、
ロウソクはありましたものの高価で、一般庶民の家ではまず使われません。
火受け皿に油を入れ、それに灯心をさして火をつけ、
行灯でおおうのが一般的でした。油は菜種などの植物油は値が高く、
煙が出て臭いのきついイワシなどの魚油が使われることが多かったようです。
それも灯すのはわずかな時間だけで、暗くなったら寝るのが普通でした。

あと、江戸の街は何回となく大火を経験していましたので、
火の始末はたいへん厳重でした。放火は市中引き回しのうえ火あぶりの死罪でしたし、
失火は死罪にはなりませんでしたが、ある程度の面積を焼いた場合、
失火を出した当人の五人組(まあ近所の人です)、
家主、地主などまでが処分の対象になりました。
ですから、火は長屋ぐるみで管理されていて、
例えば、サンマを七輪で焼くのは屋外でする、などの細かなきまりがあったのです。
そういう火の用心を戒める意味も、火消婆にはあるのかなあと思ったりもします。

さてさて、では現代ではどうでしょう。照明は電気になり電灯もLED化が進んで、
もはや火消婆の出番はないのでしょうか。これ、自分はそうは思いません。
というのは、ホラー映画で、怪異が出現する前に照明がついたり消えたり
するシーンはいまだに定番ですよね。
ロウソクの火は、もし消えたとしてもそんなに不自然な出来事ではありませんが、
消えるはずのない蛍光灯がいきなり消えたとしたら、そのほうが怖い気もします。
どうやら現代の怪異は、電気設備にまで影響を与えることができるようなのです。

これがよりはっきりするのは、心霊スポット探訪などのテレビ番組、DVDなどです。
まず番組の冒頭で、ロケ隊の技術スタッフ、カメラ、照明、音声に
何かの異常が生じるのは、これも定番のお約束です。
照明が割れる、カメラが撮影できなくなる、なぜか映像がゆがむ、
音声に変な音が入る・・・そして、ある程度雰囲気が盛り上がったところで、
霊感タレントの女の子がガタガタ震えてうわ言を言い始め、
出演者の一人である霊能者の顔が険しくなってくる・・・

ここで重要なのは、完全にすべての照明が壊れてしまったり、
カメラに異常が起きて撮影できなくなるわけではないことです。
もちろんそうなったら、番組として成立しませんから、
あくまでも、ほどほどの程度で機材の異常が起きるんですね。
ということで、現代の火消婆は番組のことを考えて手加減をしてくれるわけです。

最近、オカルト研究家の山口敏太郎氏が、『超常現象のつくり方』(宝島社)
という本を出されて、自分も買って読んだんですが、
その中で、心霊番組のやらせやフェイクドキュメントを厳しく批判しておられました。
これはもちろん自分も同意見で、レベルの低いものが氾濫することで、
本質が薄まって見えなくなっていってしまうという気がします。
あれ、妖怪からなんか違う話になってしまいましたね。では、ここらへんで。







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